1 :
神も仏も名無しさん :
2013/11/05(火) 11:06:39.80 ID:NwXVFQR7
2GET
3 :
神も仏も名無しさん :2013/11/05(火) 18:16:13.05 ID:k/IU/3xD
3ゲット
4 :
神も仏も名無しさん :2013/11/05(火) 20:34:09.95 ID:CBhRJse4
5 :
記憶喪失した男!ninja :2013/11/05(火) 20:44:22.26 ID:MFX75xXS BE:1642449964-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー ::::::::: へ( ^q^')ノ 前スレは容量オーバーか。 ::::::::: (┐ノ :::::::::: / ::::::::::::::::::::::::::::::::: お題。 「この世界のすべてに同じ名前をつけた」 としたら、なんと名前をつけますか?
6 :
神も仏も名無しさん :2013/11/05(火) 21:28:38.82 ID:rM8twsFL
7 :
記憶喪失した男!ninja :2013/11/05(火) 21:33:33.72 ID:MFX75xXS BE:410612832-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ
>>6 なんか格好いいな。
::::::::: (┐ノ いろんなところで聞いたけど、あんたが今のところ優勝だ。
:::::::::: / 二位はカレーパン。
:::::::::::::::::::::::::::::::::
8 :
神も仏も名無しさん :2013/11/05(火) 21:47:25.53 ID:8bkQa7ED
76はまだ書けたじゃないの
9 :
神も仏も名無しさん :2013/11/05(火) 21:50:42.44 ID:CBhRJse4
10 :
8 :2013/11/05(火) 22:16:27.40 ID:8bkQa7ED
なるほど ERROR:このスレッドは512kを超えているので書けません
そ。 で、こういう議論系のスレは、 論文や典拠を引用する人間が多かったりすると、 600、700レスくらいで容量いっぱいになることも・・w
12 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/06(水) 00:05:50.01 ID:+xPn6r1O
スレ立てご苦労様でした。 試みましたが私はダメでした。 >>前スレ907 >有ると言った瞬間に空ではなくなる。空の何たるかが全く理解できていない。 >非有非無非空を掴まない限り無用な論議。 誤解して全然、何も分かってない (けれども、自分は分かったつもり)でいるのはあなたの方ですよ。 あなたは肉体のケア(病気治療)で病院には行かない人なんですね? 肉体は「在る」わけではなく、「空」だから、と。 病気の人に「医者に見せる必要はない。空だから。」とかいうのかな?
13 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/06(水) 00:10:30.14 ID:+xPn6r1O
>>前スレ864
>スッタニパータの最古層では、輪廻という言葉すら出てこず、輪廻を表す言葉が使われても
>否定的に使われるだけで、しかも登場頻度もわずか数回だけ。
>古層になると輪廻という言葉が使われ、輪廻に付随する神通など枝葉が増え、積極肯定して
>使われ、登場頻度も激増する。
これに対する反論は、私も
>>864 に同意です。
「輪廻」そのものでなくても、輪廻なしでは出てくる筈のない言葉が使われたりしています。
その後代になって輪廻の扱いが増えるのは、当然そのことをより強調したいがために、
いや、重要であるからこそ詳細に教えたいがための編纂者の意図でしょう。
最古層の編纂時では、輪廻は当たり前の常識概念だったのでそんなに強調するまでもなかった。
あまりにも分かり切ったことだから。
問題は、どうすれば輪廻から解脱して救われるか?だったのです。
煙草の毒性を知っていて辞めたいけどなかなか難しいと困っている人達に、
また再び、煙草の害悪と毒性の話をまたやったりしたら、
「もう、そんなのいいから。早く辞める方法を教えろよ!!」と叱られるでしょ。
逆に後代になって、輪廻解説が増えて詳細になるのは、あなたのような懐疑者が増えてきたからでしょうね。
最古層の中から輪廻転生に言及している聖句で決定的なのはこの二つだと思います。
14 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/06(水) 00:12:07.98 ID:+xPn6r1O
1121 師(ブッダ)は答えた、 「ビンギヤよ。物質的な形態があるが故に、人々が害われるのを見るし、物質的な形態があるが故に、怠る人々は (病などに)悩まされる。ビンギヤよ。それ故に、そなたは怠ることなく、物質的形態を捨てて、再び生存状態にも どらないようにせよ。」 1123 師は答えた、 「ビンギヤよ。ひとびとは妄執に陥って苦悩を生じ、老いに襲われているのを、そなたは見ているのだから、それ故に、 ビンギヤよ、そなたは怠ることなくはげみ、妄執を捨てて、再び迷いの生存にもどらないようにせよ。」 「再び生存状態にもどらないようにせよ」ということは、 “戻らないようにしないと戻ってしまう”という意味になります。 凡夫というものはその方法を知らないし、欲望に執着して流されているわけですから生存状態に戻ってしまう。 つまり、“来世に転生していく”ということを意味します。
医学は形而下ですから、あって当たり前ですw 病気になれば病院に行って治療を受けるのは当然です。 死後の世界や輪廻の世界は形而上であるから、あるともないとも言えない。 有ると言えば空ではなく、無いと言っても空でなくなる。 形而上の世界を有るにちがいない。有るに決まっている〜というのは仏教の中道を踏み外す世界観です。 そのようなものは仏教ではないと思います。 無いに決まっている〜というのも同様です。 そのどちらでもない。そのようなものは問題にしないから仏教なのです。 妄想の真っ只中にいると形而上の世界を有るとみなしたり無いとみなしたりするから 妄想を捨てよと仏陀が説いたのはもっともな事です。
16 :
神も仏も名無しさん :2013/11/06(水) 00:51:27.74 ID:0ZtsqTGv
話は変わるが、渡辺京二という方の「逝きし世の面影」(平凡社)を書店の店頭で 見つけて購入し、一読して感嘆した。民主主義、プライバシー、セクハラ、人権、 マルクス主義、リベラル、などという近代思想に胡散臭さを感じていた私の疑 念を見事に裏付けてくれた書物。江戸末期、明治初期に来日した多くの西洋人 の日本に対する「感嘆」が、全編、詩的とも言える名文で語られている。キリ スト教でも、仏教でもない「日本」の姿である。 今まで多くの本を読んだが、最も、そして唯一感動した本だった。「全日本人」の 一読を勧める。 今まで知らなかった著者と、百科事典がコケてぱっとしない出版社だが、本書は 「和辻哲郎文化賞受賞作」とある。
17 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/06(水) 09:42:55.44 ID:KW812M2j
スレ立て 乙
18 :
神も仏も名無しさん :2013/11/06(水) 10:26:22.89 ID:8rV2gXs5
>>15 その形而上の事を上座部の修行者なんかは思いっきり「ある」って言ってますよ。
で、「修行すればあなたも見れますから見てください」みたいなことを法話などで
話しています。(法話はネットで見られます。)
それを洗脳だとか妄想だとか言って「ない」と言い切っている人たちは、
修行をしていない学者やお坊さんだけですね。
だから仏教は経験主義だと思いますよ。
経験しないと何もわからない。
>>18 上座部の間違いだと思います。
>それを洗脳だとか妄想だとか言って「ない」と言い切っている人たちは、
何度も言いますが、「無い」というのも仏教の中道を踏み外す世界観で仏教ではありません。
ある〜ない〜これら両者とも妄想であるのです。
正しくは、形而上の事は問題にしないという姿勢です。
根本が間違っていて修行をしても砂上の楼閣です。
そのような修行で得られた経験で他者を釣ることがカルトに繋がります。
>>19 貴方の体験・経験、理解が正しくて、
上座部の伝統、及び実際に行じ、修めた弟子たちの体験・理解が間違っている、
ということの妥当性は、何によって担保されてるんですか?
あなたは、上座部の僧侶以上に、仏陀の教えを行じ、追体験したと言えるのですか?
担保なんて何も無いですよw 逆に伺いますが上座部の修行の体験は何によって担保されるのですか? そんなものは外から眺めて有るに違いない〜って妄想しているだけでしょう。 あるいは修行者がたくさんいるから、彼等の言っている事は真実に違いない〜という妄想。 妄想=担保ではありません。
すげぇなw
セイロン伝播以来のサンガを、妄想と全否定か。
よっぽどすごい修行を積んでるんだろうな
>>21 はw
>上座部の修行の体験は何によって
テキストと、「大勢の」師や先輩(同士)の相互確認だろw
少なくとも、“貴方のモノ”よりも蓋然性は高いんじゃないですかね?
>テキストと、「大勢の」師や先輩(同士)の相互確認だろw これを担保に死後の世界や輪廻転生は有る、有るに違いない〜という事ですか? この姿勢は仏教の中道に反するとは思わないのですか? そもそも、仏教の中道をどのように捉えているのですか? 私は仏教の中道は両極につかず〜と捉えてます。 形而上の有る無しは両極です。だからあるともないとも言わない立場が中道。 苦行主義と快楽主義は両極です。だから不苦不楽が中道です。 基本姿勢が仏教でなく、テキストの勝手読みと「大勢の」師や先輩(同士)の相互確認により 自らの修行と教えこそ仏教、伝統の仏教である〜というのはマトモな人間は採用しませんよ。 相互確認って「あなたは認める、あなたはまだまだ〜」なんて言い合っているのですか?w 馬鹿馬鹿しい世界にしか見えません。
>>23 「中道」ってのは、苦楽中道のことですよ?
本来、無記とは関係ありません。(これを結びつけて考えてしまうのは中論の影響でしょうね。)
また、「無記」とされる事柄は、極度に限定的だということ、解ってます?
用語等の基本からやり直したらどうですか?
>テキストの勝手読み
自己紹介ですかwww
貴方自身でしょう? 勝手読みは・・w
開いた口が塞がりません。
ちなみに、
「死後の世界」とは、我々が今生きているこの世界のことですよ?w
(なんせ、輪廻なのですからw)
>>23 >馬鹿馬鹿しい世界にしか
少なくとも、貴方の“思い込み”よりは遥かに信頼性が高い、ということです。
>基本姿勢が仏教でなく、テキストの勝手読みと「大勢の」師や先輩(同士)の相互確認により
>自らの修行と教えこそ仏教、伝統の仏教である〜というのはマトモな人間は採用しませんよ。
テキストの読みはともかくとしても、
相互確認以外に、何が基準とできるんですか?
あなたは、テキスト以外に・・・というより、貴方自身、ブッダの言うところを追体験し得たのですか?
もし、あなたが、「確かに、ブッダの言う通りに行じ、言わんとしたところに辿り着いた」のであるなら、
その発言にも重みがあるでしょう。
が、セイロン伝播以来、一体何人の僧侶が追体験してきていると思っているのでしょう。
数千人か数万人かわかりませんが、貴方一人のテキスト解釈の方が
それより優っていると言える自信がどこからくるのか、さっぱりわかりませんw
26 :
神も仏も名無しさん :2013/11/06(水) 15:19:30.54 ID:kAMEuidQ
>>24 >「中道」ってのは、苦楽中道のことですよ?
釈迦は「一切皆苦」ではなかったのかねw。これは中道ではない。
中道を「空」と解釈し直した竜樹の頭脳の冴えは、半端じゃない。釈迦には、
到底思い至れなかったこと。
担保とか相互確認とか〜このようなものを妄想して頼りにして修行に励め〜等という戯言は マトモな人間は信用しません。 中道を不苦不楽だけに限定解釈し、無記も10無記等限定解釈し、結局自らの妄想に沿った 解釈しかしない姿勢には賛同できません。 自らが信じるだけならまだしも、オカルト仏教を世に広めよう〜等というのは害悪以外の何者でもない。
>>27 そのオカルト仏教が東南アジアでは全盛なわけですが、
東南アジア人は妄想を信じる馬鹿の集まりですか、そうですかw
29 :
神も仏も名無しさん :2013/11/06(水) 15:41:09.97 ID:8rV2gXs5
正確には、対機説法である人には無記であり、ある人には 形而上のことを説いていたという事だと思います。 実際、経典にも形而上の事について説いている場面は沢山ありますからね。
>>27 >担保とか相互確認とか〜このようなものを妄想して頼りにして
それ以外にないからですよ。
*検査機器・観測機器で《「全て」を「確実に」、「真の姿として」知り得る》
なんてのは、隠居(
>>26 )同様、それこそ妄想でしょ?w
(職人さんの伝承等は言うに及ばず)教育(伝承)ってそういうもんでしょ?
「教科書読んどけ」で済むとは到底思えません。
だから真我だけには自性があり、死後も永遠と続く〜なんて言うんでしょう。 完璧な我執。我執以外の何者でもない。仏陀が最も戒めた事。 輪廻転生肯定論者は我執の塊である。東南アジアの仏教がそうであるならそうでしょう。 果てには、人間は1万年生きれる、飲食せずとも空気中からエネルギーを取って生き続けられる、 空を飛ぶこともできるし海中で生きる事もできる等と主張するようになる。
>>31 おお!
そんな仏教は聞いたことがありません。
いったい、どこの国で行なわれている仏教なのか、後学の為お教えいただけますか?
宝珠さんがまさにそれw 輪廻肯定論者は皆同じ穴の狢ですw
というか、自分で実践した成果として教えを垂れてるんだよね? まさか、理論上の話だけどつらつらと正解みたいな顔して書き込んでるわけではないよね?
死後の世界や輪廻転生は誰も経験上の成果として、実践上の成果として語れない。 妄想理論上の話だけでつらつらと正解みたいな顔して書き込んでますねえw
八正道のひとつ正思惟は正しく考え判断する事。 猪突猛進に糞も味噌も構わず信じたものをひたすら信じとおす〜というものではありません。 何が妄想で何が真理か?考え判断する事です。 何が後代の付加、神格化で何が真実の教えか?を考え判断する事です。 伝統仏教が輪廻転生肯定だから闇雲に自分も輪廻転生肯定とするのは正思惟ではありません。 自分が正思惟の立ち居地にあるのか反省する事も重要だと思います。
>>36 だからw
貴方が正しいということは担保されてないでしょ?w
ま、貴方がガリレオかどうかは数百年後の人が判断するのでしょうけどね。
貴方と宝珠、或いは隠居は、まったく【鏡像】なんですよ。
ムジナ? 同じ穴に居るのは、まさに貴方自身でしょw
担保が好きなお方ですねえ。 勝手読みのテキストと大勢の同類との相互確認こそが担保の世界がそんなに素晴らしいですか?w 私に担保はありませんが、上記の様なものを担保として捉えるのはあなた方同類のものだけしょう。 私の立場で言えば担保になり得ません。つうか担保は私の頭だけです。 自灯明法灯明。自分以外を担保とする愚かさに気づきなさいという事です。
>>36 各地のサンガが、
>猪突猛進に糞も味噌も構わず信じたものをひたすら信じとお してきた
と考えているとしたら、
あまりにも失礼だし、無知(→仏典知らず、仏教史知らず、修道論知らず)としか言いようがないと思いますよ?
疲れたから、もうこれ以上言いませんけど・・w ノシ
せめて
仏教要語の基礎知識(水野弘元/春秋社)
パーリ仏典入門(片山一良/大法輪閣)
くらい読んでから来たら?
>>40 >担保は私の頭だけです。
wwwwwwwwwwwwwwwwwww
これが「勝手読み」でなくて何なのさw
隠居と完全一致じゃん。 てか、もしかして御隠居本人?
オカルト仏教を広める害悪は私にはありませんが、輪廻転生肯定論者はオカルト仏教を世に広めている という事実上の害悪があります。 同類間での認め合いこそ勝手読みでしょう。 非輪廻転生肯定論者を排斥し、害悪を垂れ流し続けようとする。 まさに勝手中の勝手といえます。 で、相手を見下ろす姿勢を強調するために、>くらい読んでから来たら?の捨て台詞w まさに開いた口がふさがりません。
宝珠先生 みんなに批判されてますよ 本人が信じてるからどうしようもないが 落ち武者をみたとか
>>43 一言だけ、真面目なレスをすれば、
私個人をどう評するのも勝手ですがw、
上座部のサンガ、或いはチベットのサンガの在り様に対して、
(それは2500年の検証の繰り返しに対して、ということですが)、
「害悪を撒いている」というのは、現代的感性からしても、
対人的に社会的に甚だ短絡な誹謗中傷だと思いますけどね・・。
日本にも、多くの上座部僧侶が来て活動しています。
門司のパゴダとか。
直接質して来たらどうですか?w
46 :
神も仏も名無しさん :2013/11/06(水) 19:41:22.68 ID:0d0jK+O2
>>42 >隠居と完全一致じゃん。 てか、もしかして御隠居本人?
私は、人間の生存本能(生命)という最高次元とそれに基づく自然科学の
見地から、釈迦とイエスを徹底批判しているのだから、誰からも文句を言われ
る筋合いはないw。
オカルト仏教を広め説く事は害悪以外の何者でもありません。 それが伝統仏教であろうが何であろうが。 そして輪廻転生積極肯定で説く事はオカルト仏教を説く事に他なりません。 誹謗中傷ではなく事実害悪なのです。
48 :
神も仏も名無しさん :2013/11/06(水) 20:08:33.94 ID:mQaUBueN
>>29 >正確には、対機説法である人には無記であり、ある人には
>形而上のことを説いていたという事だと思います。
まったく同感です。
釈尊の対機説法の特徴を龍樹は「大智度論」の冒頭で「四悉壇」と解説されてます。
振り込め詐欺だよ 詐欺だよと 何回警告しても 何十億円の被害がでてます 結局それと同じ いったん信じたら 忠告には耳を貸さない 俺も爺になったらそうなりそう
50 :
神も仏も名無しさん :2013/11/06(水) 20:09:51.65 ID:mQaUBueN
注意深く見ますと「すべての現象世界は空だ」という説法もまた形而上的ですね。 根拠は現代科学の基本は因果律、因果の法ですので。 また相依相関も因果の法の中に含まれますし、「長いがあれば短いがある」などは科学というよりも言語論理学(机上論)でしょうか。 アインシュタインの相対性理論にしても一仮説でしょうし、光より早い物質は存在しない?ことは検証済みですかね。 光より早い物質は存在しないことを実際に確認した人は一人もいないからです。 まだ、落武者の霊を視たという方が全国的には目撃者も沢山いて信憑性はあるという見方もあります。 この数百年間で科学は確かに進歩しました。 でも進歩した為に分からない領域も増えているという事実もございます。 よって「科学万能という迷信」も早く捨てた方が宜しいでしょう。 科学も「筏」の一つと言う意味です。
51 :
神も仏も名無しさん :2013/11/06(水) 20:19:02.31 ID:mQaUBueN
>>15 >死後の世界や輪廻の世界は形而上であるから、あるともないとも言えない。
有ると言えば空ではなく、無いと言っても空でなくなる。
常見派:輪廻の主体は常住不滅の霊魂である
断見派:無我と輪廻とは矛盾する。よって輪廻は方便
中道1:輪廻の主体は変化する無常の有為法(阿頼耶識)である
中道2:死後の世界や輪廻の世界は有るとも無いとも言えない
中道はバリエーションが多いようです。
52 :
神も仏も名無しさん :2013/11/06(水) 20:30:20.73 ID:mQaUBueN
>>1 長部経典二十七経の「起源経」によりますと世界も生成・消滅の輪廻を繰り返します。
そして世界が生成すると「心より成る者」たちは光音天から再生します。
この「仏教スレ」が生成すると「住人」各位が再生するのと似ております。所感です。
53 :
神も仏も名無しさん :2013/11/06(水) 20:37:25.69 ID:0d0jK+O2
>>50 宗教とは全く異なり、自然科学は、現実界という確固たる基盤に基づく批判、
観察、実験、検証により、誤りは常に訂正が可能である。
2000年前の開祖の妄想や誤りさえ一切批判、是正できない精神状態にある
宗教の出る幕ではない。
55 :
神も仏も名無しさん :2013/11/06(水) 22:12:45.38 ID:mQaUBueN
>>53 >宗教とは全く異なり、自然科学は、現実界という確固たる基盤に基づく批判、
観察、実験、検証により、誤りは常に訂正が可能である。
そして、貴方が「縁起=相依相関」としても、科学は現実界は因果律に従うと見ます。
アインシュタインの相対性理論も検証済みとはいえない仮説の一つでしょう。
56 :
神も仏も名無しさん :2013/11/06(水) 22:15:54.07 ID:mQaUBueN
>>55 >アインシュタインの相対性理論も検証済みとはいえない仮説の一つでしょう。
光より早い物質は無いとの理論ですが、光以外で質量ゼロの存在があれば光速を超える可能性はあります。
それは重力の影響も受けない存在ですね。
57 :
神も仏も名無しさん :2013/11/06(水) 22:30:42.64 ID:0d0jK+O2
>>55 >>56 相互依存関係でない物理現象・化学現象は存在しない。
「質量ゼロだから、重力の影響を受けない」。やはり相互依存関係である。
「平行した二本の軌道の上を同方向に等速度で走る二台の電車の一方から、
他方を見ると他方は静止している」。相対性原理は証明された。
58 :
記憶喪失した男!ninja :2013/11/06(水) 23:22:13.61 ID:9RDa1USr BE:821225243-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー ::::::::: へ( ^q^')ノ まあ、なんというか、宇宙の遠くの銀河が光より速い速度で遠ざかってるのは ::::::::: (┐ノ まぎれもない観測された事実なんですけど。、 :::::::::: / :::::::::::::::::::::::::::::::::
59 :
神も仏も名無しさん :2013/11/06(水) 23:49:05.17 ID:5zCP0g6G
>>57 静止いているように知覚(錯覚)する、できる、というだけ。
『身心を乱想して万法を弁肯するには、自心自性は常住なるかとあやまる。
もし行李をしたしくして箇裏に帰すれば、<万法のわれにあらぬ道理あきらけし。>』(道元)
<万法のわれにあらぬ道理あきらけし。>:道元は一切法無我、一切行無常は明確だといっていますが、何か?
生命と言う名色も無常・無我であることは明確です。
60 :
神も仏も名無しさん :2013/11/06(水) 23:58:00.68 ID:mQaUBueN
>>57 >「平行した二本の軌道の上を同方向に等速度で走る二台の電車の一方から、
> 他方を見ると他方は静止している」。相対性原理は証明された。
一方が電車でなく「光」であれば、静止しているようには見えないでしょう。
光の速度が「相対」ではなく「絶対」に秒速30万kmというのがアインシュタインの理論でしょう。
61 :
神も仏も名無しさん :2013/11/07(木) 00:13:24.01 ID:sI877WYK
>>50 >>51 >>52 >注意深く見ますと「すべての現象世界は空だ」という説法もまた形而上的ですね。
>根拠は現代科学の基本は因果律、因果の法ですので。
形而上とは、時間・空間という存在形式を前提として六処による経験によっては認識・検証できないモノ・コトをいう。
だからあくまで形而上・形而下は二項相対によって対象化できる世俗的様相でしかない。
勝義は相対思考による対象化できない様相だから、形而上・形而下は相応しくない。
まあ何度いっても文字通り、無理です。
あとは論外、却下。
62 :
神も仏も名無しさん :2013/11/07(木) 00:26:41.62 ID:sI877WYK
>>60 静止していようがいまいが、
そのような光速度ロケットから帰還したら(できませんがw)、
人類は滅亡していますw
浦島太郎の逆ですね。
ものは時間の流れの中でしか存在できないことはゼノンのパラドックスでも明らかです。
『いはゆる有時は、時すでにこれ有なり。有はみな時なり』(道元 正法眼蔵 有時)
63 :
神も仏も名無しさん :2013/11/07(木) 00:34:49.55 ID:OsY1Gqwj
>>59 >静止いているように知覚(錯覚)する、できる、というだけ。
この世では、光速は同一であり、人間はこの世だけでしか存在できないの
だから、光速など考慮する必要はない。
道元は、人間が人間でなくなることなど教えたのか?そうではないだろう。
それが、前後際断、現成公案である。
64 :
神も仏も名無しさん :2013/11/07(木) 00:39:28.45 ID:OsY1Gqwj
>>61 >勝義は相対思考による対象化できない様相だから、形而上・形而下は相応しくない。
人間界では、それを「妄想」と呼び、精神障害として治療の対象とする。
俺らの宇宙が実は光以上に動いている可能性ってないのかな
66 :
神も仏も名無しさん :2013/11/07(木) 00:48:52.97 ID:OsY1Gqwj
>>55 >アインシュタインの相対性理論も検証済みとはいえない仮説の一つでしょう。
正確な原子時計2個を、地上と世界一周する航空機に置き、時間の差が生じることで、
既に立証されている。
21世紀の今でも、 300年前の(アナログ製作)ヴァイオリンを超えられない事実を、 隠居はどう考えてるんだろうね・・。 300年前の職人の方が、現代人より優れているわけだが・・・w
68 :
神も仏も名無しさん :2013/11/07(木) 01:37:13.32 ID:sI877WYK
>>62 >この世では、光速は同一であり、人間はこの世だけでしか存在できないの
すべて、名称→名色です。
人間は人間ではありません。これを人間と名づける。
<万法のわれにあらぬ道理あきらけし。>
前後際断=(如)時空際断=空=中道ゆえに我執そのものも不立であって、
我執不立なるがゆえに実存苦そのものもありえず、ブッダの本懐は成就される。
>人間はこの世だけでしか存在できない
というのは経験的検証不能の断滅論でしかない。
→それを「妄想」と呼び、精神障害として治療の対象とする
69 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/07(木) 02:46:32.09 ID:5Eo255ys
>>44 無記を理由にして輪廻転生を否定しようとする手法は、
原始仏教スレの阿保陀羅経などとまったく同じものです。
仏典は輪廻転生を説くものであって、
仏教的に輪廻転生を否定する見解はすべて「邪見」と呼ばれています。
ゴータマが唯物主義では否定される事柄すべて黙したわけではない。
何でも無記ということにして、ゴータマが明確に説いた事柄とを混同するというのは実に愚かなこと。
輪廻転生を認めないとあらゆる仏教理論は根底から崩壊して成立しません。
もし、死んで終わりならば(断滅)、何のために髪を剃り落し、
若くて美して女性との交わりも避けて、ひたすら厳しい行に没頭する生涯を過ごすのか?
それは当然、その厳しい修行生涯の継続としての歩みが肉体崩壊後にもあるからに他ならない。
そうでないなら、他人に迷惑を掛けない範囲であれば、大いに色欲肉欲を謳歌して何がダメだというのか?
仏教というのは、仏典に根拠をおいて信仰を実践する宗教であり、
その仏典においては輪廻転生はすべての根本となる前提です。
これを認めないというのならば、それは仏典の全面否定を意味しますから、
そういう人は仏教を信じなければいいだけのこと。
それはもちろんご自由、どうぞご勝手にして下さい。
70 :
神も仏も名無しさん :2013/11/07(木) 02:47:53.29 ID:OsY1Gqwj
>>68 禅病は、祈祷精神病、狐憑きなどとともに、精神病の一種に分類されており、
治療の対象となる。
71 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/07(木) 02:48:53.38 ID:5Eo255ys
---否定論者たちに捧ぐ--- 参考読み物: 『このように、最初期のゴータマ・ブッダの仏教には、輪廻思想を否定した、いやむしろ、輪廻思想を否定したところに仏教 の斬新さがあったのだという見解が、ほかならぬ仏教学者たちからさかんに表明されるようになった。−中略− しかし、仏教は本来、輪廻思想を否定するものだったという考えは、日本の知識人たちの頭にかなり深く刻み込まれ、今日に 至っている。たとえば、キリスト教神学で有名な高尾利数博士はその著『ブッダとは誰か』 (柏書房)のなかで、『スッタニパータ』 でゴータマ・ブッダが「輪廻的な生存がなくなった」と語っているこの文言こそ、ゴータマ・ブッダが輪廻思想を認めていなかっ た証拠だといっている。 これは仰天ものなのである。「輪廻的な生存がなくなった」というのは、修行を完成したために、ついに輪廻転生から最終的な 解脱にいたった、という宣言なのであり、輪廻思想を前提しなければありえない内容なのである。ということは、仏教史を無視し、 はるか後代の大乗仏教中観派の空思想を最初期仏教のなかに強引に読み込む高尾博士の頭のなかには、端からゴータマ・ブッダ は輪廻思想を認めていなかったという強い思い込みがあり、ごく簡単な経典の文言すらもまともに読めなくなっているということ である。
72 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/07(木) 02:50:15.97 ID:5Eo255ys
つい二年ほど前の『日本佛教學會年報』に、比較的若い仏教学者が、仏教は、本来、輪廻思想を否定したという見解を発表した。 内容を読んで驚いた。因果応報、業報という考えを解しないあるヨーロッパの学者(仏教学が専門ではない)が、仏教と輪廻思想は 関係がないかもしれないとちらりと述べたのを最大限の拠り所とし、最初期の仏教は輪廻思想を否定したと談じているのである。 この論文は、こういう論文を書いてはいけないという、見本のような論文なのである。この若手の学者の論の組み立てはこうで ある。すなわち、ゴータマ・ブッダは輪廻思想を否定した。どのような成立の古い仏典であれ、輪廻思想を前提とした文言は、す べて後世の仏教徒による増広(追加挿入)の産物である、というのである。 これはもう、天から降ってきたご信託ともいうべきしろものである。このご信託の前にあっては、ゴータマ・ブッダが輪廻思想 を前提としていたと、いくら文献学的な証拠をもとにして論じてみても、まったく無駄なのである。そういう証拠となる文献学的 な証拠は、すべて後世の追加挿入だというのであるから、いかんともしがたい。「わたくしの説は正しい。わたくしの説に反する 仏典の文言は、すべて後世の追加挿入によるものだからである」とは、本当に恐れ入る。−中略− ということで、わたしたちは、仏教が誕生したとき、その土壌となるインド思想界がどのようなものであったか、というところ から出発しなければならない。輪廻思想が成立してこそ、解脱へのあこがれが生まれ、出家という独特の生活形態をもつ一群の人々 が登場するようになるからである。いうまでもなく、ゴータマ・ブッダは世俗人ではなく、出家となって道を切り開いた人である。 もっとも最初の体系的な輪廻説は、西暦紀元前八世紀ごろに現れ、まずは五火道、二道説として展開された。二つの説は、−略−』 (宮元啓一著『これが最初の仏教だ−−ブッダが考えたこと』2004年刊/春秋社)
73 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/07(木) 05:06:46.44 ID:OLkK77pp
宮元啓一・・・・・・・・・・・・・・・・・・・wwwwwwwwwwwwwwwwww こいつ、確か、業報論は「過去世⇒現世」は、色々と差別的側面を有していて 問題があるので、「現世⇒来世」のみを話したら良い。 そうすれば、倫理的要請にもかなう と言ってたアホだぞwwwwwwwwww
南無阿弥陀仏を唱えると死後浄土に行けるんですか?
75 :
神も仏も名無しさん :2013/11/07(木) 11:09:02.83 ID:sI877WYK
宮元啓一・・・・・・・・・・・・・・・・・・・wwwwwwwwwwwwwwwwww
こいつは「仏教経典に示されるブッダの言葉は間違いなくブッダその人の言葉であるという前提に立って読め」(
>>72 はじめに)
などと言う「信じるものは救われる」のノータリンのゴックン主義者だぞw
76 :
神も仏も名無しさん :2013/11/07(木) 11:16:20.88 ID:sI877WYK
>>71 >---否定論者たちに捧ぐ---
このスレで否定論者は隠居しかいないと思われるが、
ドンキホーテ的妄想との闘いご苦労さんwwwwwww
78 :
神も仏も名無しさん :2013/11/07(木) 12:10:34.87 ID:sI877WYK
>>77 このスレの大部分の者は、
一切外についてのドグマチズム的断定(恒常論・肯定論、断滅論・否定論)には組しないということ。
『ある〜ない〜これら両者とも妄想であるのです。
正しくは、形而上の事は問題にしないという姿勢です。 』(
>>19 )と一応言ってはいるが・・w
79 :
神も仏も名無しさん :2013/11/07(木) 12:20:25.48 ID:Ukzwdzmc
>>78 全ての物事を中道として語るのは如来であって、
凡夫はある〜ない〜で語ってもいいんじゃないですか?
宝珠さんは常住論者なんですよ。 我執が根本原因でしょう。 無いと否定するのは断滅論者。 非常住非断滅が仏陀の教え。 仏陀は我執を厳しく戒めているのにコレです。
81 :
神も仏も名無しさん :2013/11/07(木) 15:49:31.12 ID:YMftYs/J
三日NHKSP「至高のヴァイオリン〜ストラディヴァリウスの謎〜」から N「耳と指先の感覚だけが頼りの職人技」 日本人修理・製作者窪田博和の台詞 「“見た目で何ミリとか、目で判ることでやると、音は駄目になってしまう」 N「“寸法”を忠実にコピーするのでなく、板の出す音を手がかりに・・・」 上記窪田氏の作業のなかで、表板裏板の修理で判ったこと。 《表板裏板の厚さが、実は一定でない。一定だったのは(板を弾いた時に出る)音だった。》 を受けたシーン。 テキストだけあればいいのではない。解説書だけがあればいいのではない。 番組中、こんな台詞もあった。「技術が途絶えてしまった」と。 ストラディアヴァリ本人は90過ぎまで生きたようだが、息子や弟子達は早くに世を去り、 彼の技術は伝承されなかった。 が、道具や資料はきちんと、(各年代、各製品毎に)揃っている。 だが、今現在でも、誰もそこに届いていない。(窪田氏の製品は高い評価を得ているようだが・・。) 【生の、技術(…仏教に引き当てれば、“読み”や“練習に於ける可否、達成度・習熟度”)の伝承、検証】 無しには、何も伝わらない。 世界で、そのようにして消えていった文化や技術がどれだけに上るだろうか・・。 上のエピソードは、『テキストまま』『(近現代の)解説書頼り』『自身の考え基準』ではイケナイことをも示しているが、 では、どうあればいいのか?に対する一つの答えでもある。 職人技が学ばれる、伝承される場面というのは、常に師資相承な場面である、ということだ。 現代的価値観や常識で、原典批判的考究はされていい。いや、されねばならない。 だが、それは、伝統工芸品や刀鍛冶の技術が、 日々相互確認され、担保されるなかで伝承されていくという、実際の不可避の事象を、 古き不要物の無駄な伝承と切り捨てることではない。 確かに、『三世に跨る輪廻には、多くの(論理的或いは事象的)不備がある』。 それは間違っていないであろう。 『仏教』(≒お釈迦さんの教え)もまた、そうした伝統と同じ性質を持っていることは留意されていい。
83 :
神も仏も名無しさん :2013/11/07(木) 20:10:27.24 ID:hP+fl01Q
宝珠先生 証明のしようがないから 否定も肯定もできんのですわ それにブッタはくだらんことは考えるなと言ったらしい ま今を全力で生きるしかないわ
84 :
神も仏も名無しさん :2013/11/07(木) 20:57:15.20 ID:E+kRZzzY
>>81 >■船瀬俊介の本を紹介 世の中はペテンに支配されている
紹介を有り難う。40年近く前に師から聞いた内容と多くが一致してました。
よって速攻でアマゾンに予約しました。
とても良書には思えませんけどねw 大体この手の煽り本というのは書いた著者が本当に信じていないような気がします。 本当にCTやX線を危ないものとして認識して自分が何かしらの病気にかかって これらの検査を受けずに治療するとは思えません。 つまり煽る事で注目を浴びたいので書いているだけでしょう。 大体、癌検診不用論自体阿呆らしい主張。癌検診で早期発見出来て命を落とさずに 済んだ人間がどれだけいるのか知らないのでしょうw まったく、オカルト仏教布教する人間と同等に害悪垂れ流しの迷惑人間です。
>>36 でも書きましたが、八正道のひとつ正思惟に欠ける人達が多いですね。
何が正しいのか何がまやかしなのか?自分の頭で考えて判断する事が大事です。
誰それが推薦しているからとか他人の指標に乗っては駄目です。
だから、相互確認とか他を頼る癖がつくのです。
自分の判断能力を上げるべくアンテナ感度を上げましょう。
さきほどナミビアの野生保護の番組やってた。 NHKの地球イチバンか。 元狩猟民族の一つクェ族は、今は、ガイド(ハンティングのガイドも含め)や 自然保護調査、保護活動そのものに協力している。 狩猟せずに生計が立つのは、各種活動の手当は勿論、ハンティングの残物としての肉や、 ハンティング料金が還元されるから。 そして、彼らがなぜその職に就けるか(率先して採用されるか)といえば、 彼らに、『トレッキング』の能力(→技術)があるから。 そりゃそうだ。 ずっと、ブッシュに於ける(それこそ身命を賭した)「狩」(野生動物との追跡と対峙)が彼らの全てだったのだから。 本来のアイデンティティ、文化であった「狩」を封印され、彼らは真逆の立ち居地に立った。 だが、使われている(役立っている)能力(→技術)は変わらない。 番組は、取材対象のガイドの爺さんが、部族の若者にトレッキングを教える場面で終わる。 しっかりと憶えなさい。これが、君ら(我々)の未来なのだから、と。 さて、部族の若者がトレッキングを学ぶ方法が、師資相承の相互確認を経ずに成立するかどうか・・。
そうそう。 「まなぶ」は「まねぶ」と言った人間もいたような・・。
92 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/08(金) 00:31:14.89 ID:WVxyCAtO
>>80 いえ、まったく違いますから!
「常見」というのは、
故人のパーソナリティー(人格/個性を伴う生前の意識)が死後をもそのまま永遠に存続するという見解のこと。
けれどもこの私は、故人のパーソナリティーは如何なる形態存在であろうとも、
つまり、カーマローカ(心霊存在)であれ、何であれ、
それは死後の一定期間で以て崩壊するものと主張します(時間には個人差がある)。
また、輪廻の主体であるところの「魂」ジーヴァとて永遠であることはないともいっている。
これも(スパーンが永いが)縁起している存在であり、もちろんその役目が終われば自然消滅する。
93 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/08(金) 00:32:18.72 ID:WVxyCAtO
>>73 あなたのような人が騒いで煩いからです。
ゴータマの教えそのものの問題(せい)ではないから。
>>75 当たり前の話です。
基本、そういう意識と前提でなければ無意味でしょう。
まっ所詮は、教えを学ぼうという意識と精神態度のない者とでは違うのでしょうけれど・・・。
>>76 はい。モロあなたのことですよ。
「空」「中道」を掲げて否定してくるというのは。
『仏教史を無視し、はるか後代の大乗仏教中観派の空思想を最初期仏教のなかに強引に読み込む高尾博士の頭のなかには、
端からゴータマ・ブッダは輪廻思想を認めていなかったという強い思い込みがあり』(『ブッダが考えたこと』
>>71 より)
94 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/08(金) 00:34:39.62 ID:WVxyCAtO
>>83 証明???
我々にできることというのは、
精々、仏典からゴータマが明確に説いていた部分を提示することくらいです。
少なくとも、仏典上ではそう見なすことができるし、
それ意外の余地はないということ。
>>71-72 の通りですよ。
あなたがたの性質は何をいっても無駄なところ。
そして、言ってくるのはいつも「証明しろ」とか、
「証明されてから輪廻転生を事実として説け」というもの。
そのことが分かり切っているから、
殆どのまともな仏教者たちはこういうスレには関わらないのですよ。
結果、あなた方のような者ばかりが集まってくるスレと化すわけ。
>>83 >ま今を全力で生きるしかないわ
>>88 >自分の判断能力を上げるべくアンテナ感度を上げましょう。
それは宜しいと思う。
95 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/08(金) 00:40:23.38 ID:WVxyCAtO
----このスレで感じること---- このスレに集う業報輪廻の否定者たちは、 仏教の十結煩悩 (十髄煩悩)における五下分結の「疑惑」と「戒取」に典型的に引っ掛かります。 「疑惑」とは、要するにゴータマの教えそのものに疑いを持ち続ける状態をいう。 そして「戒取」とは、人間の苦の根本解決には決して至らない道徳など、 つまり、仏教ではないものを信奉すること(仏教を否定する考え方)。 「我見」(この生存状態を実体視して辞めないこと/典型的な隠居など)、 「疑惑」(典型的な閻魔など)、「戒取」(セブンなどは近い可能性?)の三結を断じないと 聖なる流である預流(須陀?)になることができず、 地獄界・餓鬼界・畜生界の三悪趣を含めた輪廻からは決して免れることができない。
96 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/08(金) 01:50:48.82 ID:o3cnsm29
>>93 wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
>ゴータマの教えそのものの問題(せい)ではないから。
その「釈迦が実際に自己の教説において輪廻業報論を積極的に説いた」ことに対して
疑義が提示され、そのことに対して肯定派は一切、論理的反論ができてないのが
現状なわけだがwwwwwwwww
それにしても、「釈迦がアートマンを認めていた」などと主張するお前が
仏法を語るなwwwwwwwwwwww バカタレがwwwww
「呪法を釈迦が認めていた」などと世迷言を主張して、反論できなくなると
逃げ出すカスのくせして、いっちょ前の口聞くんじゃねえwwwwwwww
消えろ、カスがwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
97 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/08(金) 01:58:24.90 ID:o3cnsm29
もう一度、はっきりと言っておくが、 「伝統仏教」=「釈迦の教説」・・・・・が、無条件で成立するわけでは ないのでwwwwwwwwwwww オカルト馬鹿どもは、伝統的仏教が許容してきたことが、すなわち 釈迦の教説であるかのごとく主張するが、そういうアホは、 「後代の増稿、改変、神秘化」などの可能性を考慮できない低脳の 証拠ですなwwwwwwwwww
98 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/08(金) 03:01:23.55 ID:WVxyCAtO
>>96 >論理的反論ができてないのが現状なわけだがwwwwwwwww
ただ、あなた方が認めない(認めたくない)だけです。
無駄。
>それにしても、「釈迦がアートマンを認めていた」などと主張するお前が
いえ、ゴータマはアートマン(我)に対しては無記でした。
私が述べたのは、輪廻主体としての「魂」(これはアートマンではない)の肯定についてです。
何でも味噌も糞もごちゃ混ぜにしないこと。
以下、再掲載
>長阿含/第四経『遊行経』には「魂神」として、
>雑阿含経『跋迦梨経』および増壱阿含/第四十一経には「識神」として説かれているとのこと。
>また中村 元氏(『原始仏教の思想』中村元選集[決定版]第15巻 春秋社p.652)によれば、
>DN.23の『パーヤーシ・スッタンタ』と長阿含/第七経の『弊宿経』においては、
>積極的に輪廻の主体を想定する思想が仏教徒の主張として表明されているとのこと。
>>97 >オカルト馬鹿どもは、伝統的仏教が許容してきたことが、すなわち
>釈迦の教説であるかのごとく主張するが、そういうアホは、
>「後代の増稿、改変、神秘化」などの可能性を考慮できない低脳の
>証拠ですなwwwwwwwwww
それは一代へどうぞ。
ただし、業報輪廻まで「後代の増稿、改変、神秘化」とする愚はまともな仏教者なら誰もしないから。
単なる唯物主義者か懐疑論者だけです。
99 :
剛魂 龍樹 :2013/11/08(金) 03:36:45.00 ID:IRNBP9BX
仏教議論スレッド77ですか!? いやはや… (´ヘ`;)
100 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/08(金) 08:16:35.42 ID:o3cnsm29
>>98 >ただ、あなた方が認めない(認めたくない)だけです。
>無駄。
反論を提示できずに、相手が自分の見解を受容しないと、「認めたくないだけ」
と言って勝利宣言して終了する・・・・・それを「逃げる」というのだがwwwwwwwww
俺は、今まで繰り返し何度も何度も何度もこのスレで「無我と輪廻業報論の論理的
不整合」を指摘してきたんだがwwwww
それについて、有意な反論が提示できたのは「一人も」いないww
いいか? 唯の一人もだwww というよりも、全ての輪廻肯定者の中で
「和辻の矛盾指摘」を論破できた者が皆無なわけだがwww
>いえ、ゴータマはアートマン(我)に対しては無記でした。
そうwww アートマンを含めて「全ての基体」を説いた形跡はないw
>ただし、業報輪廻まで「後代の増稿、改変、神秘化」とする愚はまともな仏教者なら誰もしないから。
wwwwwwwwwwwwwww
笑わせるなよ、カスwwwww
「輪廻を受容しない者は『まともな仏教徒』ではない」か?wwwwwww
なら、禅宗系は仏教徒ではない わけだwwww
101 :
白菜 :2013/11/08(金) 08:35:11.17 ID:vgKLmx5G
>>98 http://www2.toyo.ac.jp/~morimori/cgi-bin/resbbs1/resbbs.cgi 森章司氏がきちんと反論されている
「おっしゃる通り、仏教経典の中にも「魂神」とか「識神」という言葉が出てきます。
単に「こころ」とか「精神」という意味である場合もありますが、確かに「魂」という
ような意味で使われていることもあるようです。しかしそれはいわば通俗的な意味であって、
教理的な意味ではないといってよいと思います。
中村元先生は『原始仏教の思想・』(中村元選集[決定版]第15巻 1993年8月
春秋社 p.652以下)のなかで、経蔵の末期においては、積極的に輪廻の主体を想定する思想が、
仏教徒の主張として表明されている、とされています。その典拠として使われているのが、
DN.23の「パーヤーシ・スッタンタ」と長阿含経7の「弊宿経」です。しかしよく読めば、
これをもって仏教が霊魂(jIva)を輪廻の主体であると認めていたと解釈するのは無理が
あるように思います。」
「原始仏教の主張は、私たちは色・受・想・行・識という5つの要素(五蘊とか五陰といいます)
から成り立っていて、この外にアートマンとか霊魂というものはない、というものです。
だから生老病死を自由に操ることもできないし、輪廻を如何ともしがたいというのです。
要するに原始仏教は5つの要素が和合しながら、昨日から今日そして明日へと生を続けていく、
それと同じように前世から今世に生れてきて、解脱しないかぎり来世に生れていくという言うわけです。」
以下略
102 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 08:35:33.41 ID:S2hZaEPC
「自分でない(ナ・アッタ)」って否定してるなら、残ったものがいわずもがな「自分(アッタ)」に なるんじゃないのかなあ。 犬は人間ではない、猫は人間ではない、・・・・、猿は人間ではない → 人間=「その他の何か」 前提として人間はいるんだけど、それを否定で表している。。。
103 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/08(金) 08:50:13.28 ID:o3cnsm29
>>102 wwwwwwwww
Aさんが、金星人の存在を信じている子供に対して、以下のように
言ったとしましょうw
「この世に本当に金星人は、いるのだろうか?・・・・は金星人ではないよね?
・・・・も違う。そして、・・・・も、また、違う。
・・・・・・う〜〜〜〜〜ん、金星人と言える人はみつかりませんねw」
このようにAさんが言ったとして、はたしてAさんは金星人の存在を信じて
いることになるのでしょうか?ww
104 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 08:58:48.50 ID:S2hZaEPC
「これは金星人でない、あれは金星人でない・・・⇒ 金星人はいないということにはならない
105 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 09:00:24.39 ID:S2hZaEPC
「でない」は「いない=存在しない」とはちがう。そこを混同しているみたいですね。
106 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/08(金) 09:15:32.16 ID:o3cnsm29
>「これは金星人でない、あれは金星人でない・・・⇒ 金星人はいないということにはならない 金星人はいないということにはならない・・・・・そう、不存在証明は 不可能だからねw ただし、間違えていけないのは、「いないということにはならない」が 「いる可能性が高い」にはならないのw ある存在を信じ込んでいるものに対して、その誤謬を正してやるために 実際観測できる範囲内にそのようなものが存在しないことを自ら確認させる 手法をとったことが、 イコール、そのようなものの存在肯定には 繋がらないということww
107 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 09:18:11.40 ID:S2hZaEPC
釈尊は、「〜が自己であるならば病のために壊れないだろう」と言う表現をしていますね。 つまり、「自己=壊れないもの」という前提のもとに論を進めています。 また、「無常であり、苦であり、変化するものをアッタであると見るのは適当でない」 とも表現しています。 つまり、ここでも逆に「自己=無上でなく、苦でなく、変化しないもの」という前提があります。
108 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/08(金) 09:19:48.81 ID:o3cnsm29
犬は金星人ではない。猫は金星人ではない。・・・・猿は金星人ではない・ これは「前提として、金星人が(観念上のものではなく、実際に実在するものとして) 存在することにならない」wwwww
109 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/08(金) 09:23:06.46 ID:o3cnsm29
>>107 wwwwwwwwwwww
だから、その「無常ならざるもの」というのが、確認できないw
だから、「そんなものはない」・・・となっているんでしょうが?w
110 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 09:23:43.86 ID:S2hZaEPC
アッタが存在しない、ということを明確に言いたいのならば最後にでも 「このようにアッタはどこにも存在しない」というでしょう。しかし、 「色・受・想・行・識」は「アッタでない」と言うだけに留め、その否定 の方法も「アッタであるなら〜であるはずである」という表現をしている ことから、アッタの存在そのものを否定していないのは明確であると思い ますね。
111 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/08(金) 09:27:18.62 ID:o3cnsm29
>>110 >アッタが存在しない、ということを明確に言いたいのならば最後にでも
>「このようにアッタはどこにも存在しない」というでしょう。
いいてるでしょう?
「確認出来る範囲内には、そのようなものはない」とw
「確認可能範囲外」では、当然のことながら無記だよ。
この「無記」をもって、「肯定」と捉えるのが間違いw
112 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/08(金) 09:30:18.60 ID:o3cnsm29
>アッタの存在そのものを否定していないのは明確であると思い >ますね。 「否定」はしてないってww 確認不能領域のことを「否定」しようがないでしょ? そういうことは「無記」w 「否定してない」⇒「肯定してる」 じゃないのww
113 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 09:31:47.28 ID:S2hZaEPC
>確認出来る範囲内には、そのようなものはない」とw あなたは「でない」と「存在しない」の区別がついていないので議論にならない・・・ 表面だけで読むと「無記」・・・パピーマン(悪魔)にふさわしい解釈ですね(笑)。
114 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/08(金) 09:37:16.39 ID:o3cnsm29
>あなたは「でない」と「存在しない」の区別がついていないので議論にならない・・・ 「これは・・・・でない」と一つずつ、当てはまるものがないことを確認する 極めて実際的な手法によって、それが存在しないことを示す 手段が理解できない 浅薄な思考しかできない者とは議論ないならない・・・・ っていうか、この程度の低レベルの話を理解できない者がまだ来るか??ww こんなの数年前に宝珠と数レスやり取りして終わったお題だがwww
115 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 09:40:13.25 ID:S2hZaEPC
「AがXであるならば、〜とならないだろう」 → 「Xは〜である」という前提 → 「Xが存在する」という前提
116 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/08(金) 09:44:48.17 ID:o3cnsm29
>>115 wwwwwwwwww
>「AがXであるならば、〜とならないだろう」
「彼が、仙人であるならば、十年でしんでしまうことはないだろう」
wwwwwwwww「仙人が存在することになるの??」wwwwwwwwwwwwwwwwww
117 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 09:50:25.41 ID:S2hZaEPC
a,b,c,dのなかにeがあるか調べる時に、「aはbでない・・dはeでない」 となり、a,b,c,dの中にeがないことが証明される。パピーマンは「確認 できる範囲内」=「a,b,c,d」の中にeがないから、eはそもそも存在しない という主張であるが、この確認できる範囲以外の言及が釈尊によりなさ れている。それが涅槃=ニルヴァーナである。 修行者たちよ、生じないもの、成らぬもの、造られないもの、作為されないものがある。 修行者たちよ、もしその、生ぜず、成らず、造られず、作為されないものがないならば、 そこには、生じ、成り、造られ、作為されたものの出離はないであろう。 修行者たちよ、生ぜず、成らず、造られず、作為されないものがあるから、 生じ、成り、造られ、作為されたものの出離があるのである。
118 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/08(金) 09:54:19.34 ID:o3cnsm29
>この確認できる範囲以外の言及が釈尊によりなさ >れている。それが涅槃=ニルヴァーナである。 は〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜?????? 涅槃が「確認範囲外}????? 何? それww 修行完成者、覚者には「確認」できるでしょ?ww だから、「来てみよ」でしょうが?www
119 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 09:55:14.54 ID:S2hZaEPC
「彼が、仙人であるならば、十年でしんでしまうことはないだろう」 →「仙人は10年で死なない」という前提がある→「仙人は存在する」という前提がある 「仙人が存在しない」というには、そもそも仙人が存在しないということを別に表す必要がある。
>>101 だからゴッチャになってるんだよね・・・。
仏教は、輪廻するカルマの主体というか、カルマそのものというか、そういう無常なるものを、
解脱の対象とすると同時に、解脱した後の、常住不滅のアートマン的なものを否定している。
それらがゴッチャになってる。
だから分からなくなる。
常住的なアートマンを否定しているから、輪廻するものは無い、と、こうなっちゃう。
反対に、輪廻するものを認めるってことは、常住不滅のアートマンを認めることだと、
そういう風に思っちゃう。
これは非常に単純で、まず、肉体を超えるということを、この世的なものに限定していることから起こる。
だから、肉体を脱した死後、「色など、五蘊の世界」 から脱した後、もし、残るものがあったとしたら、
それは常住のアートマンということになる・・・という発想になっちゃう。
ところがこういう発想をしていると、「もし、解脱というのがこの世的な肉体からの解脱のみ・・ということになれば、
死=解脱 という、矛盾が起こってしまう」
いろんな修行をするより、死ねば早い・・・ってことになる。
ここの矛盾に気がついてないっていうか、非常に浅はかな見解だと思うね。
輪廻否定の人たちは。
仏教を完全に、自分の思い違いによって、勝手に解釈しちゃってる。
121 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/08(金) 09:58:22.43 ID:o3cnsm29
それから、補足しておくと eは確認範囲内には存在が確認されていない ので、それの存在肯定は不可能。 確認範囲外においては、元より無記・・・・・こういうことだよw よって、 >eはそもそも存在しない >という主張であるが これは不正確な表記w
122 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 09:58:50.96 ID:S2hZaEPC
>修行完成者、覚者には「確認」できるでしょ? そんなこと当たり前でしょ・・・ 説法は「覚者」にむけて語られていないから、「覚者」でないものの「確認範囲外」 であるものを「覚者でないもの」の「確認範囲」を否定することで表している。 それがまるで理解できていないようですね。
123 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 10:03:38.65 ID:S2hZaEPC
>確認範囲外においては、元より無記 全然、無記じゃない・・・釈尊はしっかり別の所で表現しているんだけど・・・ 修行者たちよ、生じないもの、成らぬもの、造られないもの、作為されないものがある。 修行者たちよ、もしその、生ぜず、成らず、造られず、作為されないものがないならば、 そこには、生じ、成り、造られ、作為されたものの出離はないであろう。 修行者たちよ、生ぜず、成らず、造られず、作為されないものがあるから、 生じ、成り、造られ、作為されたものの出離があるのである
124 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 10:06:59.87 ID:S2hZaEPC
そもそもニルヴァーナが、「否定」を表すから、「否定」によって 表しがたいものを表すのが釈尊一流の方法なんだよなあ・・・ 否定により、肯定的に表しがたいものを表すという・・・
あれだ、そもそも釈迦が何で常住のアートマンを否定しているかっていうと、 もともと真我というか、昔のインドの思想は決して間違ってはいなかった。 釈迦自身も、そういう教えを土台にして、修行を成し遂げたのだろう。 だけど、真我を設定すると、やがてそれが、「本当にあるもの」 「実際物としての神様・・・我の認識の範疇で存在するもの・・」 というような解釈が、深い意味を理解しない人たちから起こった。 これは当然だよね・・・、 我を超える・・という意味が分からない人たちにとっては、 そういう風に捉えるのは自然なこと。 ブラフマンと聞くと、ブラフマンという神を、一つ一つの個別の対象、名称として捉えてしまう。 その弊害を打破するために、「常住なるものを完全否定する」 という教えにしたんだよ。 そうしないと捉われちゃう。 我の範疇で神格化してしまう。 だけど、ここが難しい・・。 我の範疇のものを完全に否定しまうと、今度は、我を超えた境地というものを、 完全に否定しかねない。 現に現代では、そういう思考をする人たちもいる。 だから、釈迦は「無記」という、そういうニュアンスで語った。 「ある面では否定するが、ある面では否定しない」 または、そういう意味で、「否定も肯定もしない」
126 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 10:13:55.17 ID:S2hZaEPC
「覚者」でないものの「確認範囲外であるものを「覚者でないもの」の「確認範囲」を否定することで表している 言い換えると、 「覚者」の真理の目が見るもの(=ニルヴァーナ、アッタ)を「覚者でないもの」の無知の目が見るもの(=色・受・想・行・識)を否定することで表している。 ってとこかな
>>107 まったく逆の意味の経典も存在するがなw
ムーやたま出版思考の典型だなw
>>115 つか、カラスじゃね?
128 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 10:16:02.58 ID:6EzCXkYc
>>117 >この確認できる範囲以外の言及が釈尊によりなさ れている。それが涅槃=ニルヴァーナである。
もうこのあたりは何度も論破済み。
もし『確認できる範囲以外』を見えたと自称する者がいたとして、
それがお前にとって何の関係がある?
お前の仏道とかは、丸呑み信仰なのか?→Sn.908
縁起の現実の徹底した如理作意(時空因果関係の正確な分析思考:中部15)はすっ飛ばすのかw
『生じないものがある』ことを丸呑み信仰するだけかwそれが如理作意か?
所詮、勝義を直覚できないものには、
世俗相対論理オンリーで考え、
世俗一切外と勝義を混ぜるな!危険を犯す。
仏道上、ここが多くの者が陥るデッドロック【一切門】。
80%のものがこの関を突破できずオカルト仏教に迷う。
>>124 > 否定により、肯定的に表しがたいものを表すという・・・
肯定的に表しがたいものを表すという・・・
これは中々いい表現だわ
その通りだと思う。
否定することによって匂わせるというか、断定的に言うことを微妙に避けてる。
そうして弟子が確信的なことを言うと、「無記」で通す。
そうすることによって、常住の認識を否定しながらも、常住ではない存在を指し示す。
「常住ではない存在を指し示す」 って、非常に矛盾しているんだけど、
存在といってしまうと、どうしても、常住なものになっちゃうんだよね・・・
だから非常に表現が難しい。
我の認識としては、「無い」
我を超えた認識としては、「有る」
ただし、「有る」といってしまうと、「認識による『有る』」 になっちゃう
>>126 あなたの言うことはよく分かるわ。
貴重な存在だよ
こういう人はめったにいない。
131 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 10:23:50.11 ID:S2hZaEPC
127と128はレベルが低いから無視するとして・・・ 129に関しては・・・ 釈尊は凡夫の認識範囲内において「常住」を否定しているのですが、涅槃にかんして 「常住」という表現をしてもいいと思いますよ。
132 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 10:24:50.87 ID:S2hZaEPC
133 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 10:31:37.44 ID:6EzCXkYc
>>131 >涅槃にかんして「常住」という表現をしてもいいと思いますよ。
それでは『想いからの解脱』(Sn.1072)にさえなりませんよ。
お分かりにならないでしょうがw
どうぞ、彷徨いください。
134 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 10:33:30.10 ID:1BslseIc
「真理は一つであって、第二のものは存在しない。その真理を知った人は、争うことがない。」 『ブッダのことば』(岩波文庫)194頁 みんな真理を知らないから争ってるんですね。
135 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 10:36:55.99 ID:S2hZaEPC
「常住」が意味するところは、「常に存在する」ということであり、それは 「想い」とは関係なく存在するから、「常住」であるといえる。 釈尊は「生じないもの、成らぬもの、造られないもの、作為されないもの」と表現している。 これを「無常でない」と表しても問題ない。「無常でない=常住である」となる。
136 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 10:38:04.06 ID:S2hZaEPC
137 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 10:40:34.13 ID:6EzCXkYc
>>134 >真理
それはこのスレの対部分の人の世俗『諦』のハナシ。
勝義に真理(諦)は相応しくありません。
138 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/08(金) 10:49:33.11 ID:o3cnsm29
>>127 >つか、カラスじゃね?
wwwwwwwwwww わからんw
っていうか、理解力の無さは確かにカラス並みだと思うがwwwwww
139 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 10:55:40.05 ID:6EzCXkYc
>>135 それは、所詮二項相対思考=想いですよ。
お分かりにならないでしょうがw
140 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 10:58:24.23 ID:6EzCXkYc
>>93 >「空」「中道」を掲げて否定してくるというのは。
あかんなあ、ホントに宝珠はなにも分かっていないじゃないか!
そもそも否定も肯定もしていません。仏道実践上<無視>するだけですよw
また、「空」「中道」(の如く)とは勝義(縁起の直接現実)であり、
業報輪廻転生論は典型的な検証不能の世俗(縁起の間接現実)一切外(相応部35-23)であって、
両者を混ぜるな!危険だ、といっているのです。
一方は分別相対で対象化可能ですが、他方は対象化不能です。
141 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 11:02:26.11 ID:S2hZaEPC
おそらく、無我説法を曲解して解釈する人たちは、「仏教だけは違うぞ。他の宗教 はフィクションだ、ただの信仰だ」みたいなスタンスですごいプライド(傲慢)をも っているんだと思います。 自我の存在を否定する(消滅させようと試みる)のは、ヒンドゥー教をはじめとして キリスト教でも共通しています。が、他の宗教と別格である「仏教」をまなんでいる 「私」は偉いんだぞ、とどうしても思いたいのでしょうね。彼らは「私」がないと主張 しているのですが(笑)。 彼らの態度は昔の日本人が「日本には四季があるのですよ。すごいでしょ」というのと よく似ていて、外人は苦笑いするしかないという状況に似てますね。
142 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/08(金) 11:04:01.82 ID:o3cnsm29
どうしても「真我」てのが欲しいんだろうなwww そして、「向上していく自分」「素晴らしい高次に達した自分」というのを 夢想しちゃうんだろうww そりゃ、確かに世俗的視点からすれば、それは立派な方向性で推奨されるべき ものなんだろうがw 仏教の方向性とは違うだろうにww 覚者を全知全能のスーパーマンに、どうしてもしたいのかね?wwww
143 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 11:04:42.86 ID:6EzCXkYc
>>93 >「空」「中道」を掲げて否定してくるというのは。
業報輪廻転生があろうがなかろうが、ドーでもいいといっていますw
そんなん関係ないねん。
な〜〜〜んでか?
★修証道で、<未達者には検証不能(如理作意不能)で不要、悟達者には無用>のシロモノなのだから、
修証道実践上、業報輪廻転生なんてそもそも立論・存在の余地がないんだよ。
なんどもいいますが、自称「仏教」とか仏説なるものは、現生的なる法でなければなりませんから、以下のチェックが必要です。
1.明証性 Sn.1066、1053参照: 現に証せられるもの(現実に今ここで実証できるもの)
2.即時果報認証性 同: 時を隔てずして果報あるもの(時間をかけることなく瞬時に効果の現れるもの)
3.客観的再現性 同上:来り見よというべきもの(ここに来て実際に見なさいと言えるもの)
4.涅槃合目的性 Sn.737: よく涅槃に導くもの(苦の寂滅・心の平安に導いてくれるもの)
5.自力検証性 Sn.908: 知者がそれぞれに自ら知るべきもの(勝れた知者が、自分で知ることのできるもの)
<相応部 35-70『ウパヴァーナ(優波婆那)』>
上記の基準によって検証されなければなりません。
なぜなら、上記基準を外れたものは「ありもしないもの(妄想・物語)を語っているからです(相応部 35-23 一切)。』
これが【一切門】の関です。
ここで仏道実践上のガラクタを排除します。
144 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 11:08:46.21 ID:S2hZaEPC
>>142 仏教の方向性について
「諸悪莫作 衆善奉行 自淨其意 是諸仏教」 (法句経)
「しょあくまくさ しゅぜんぶぎょう じじょうごい ぜしょぶっきょう」
諸々の悪をなすことなく、衆々の善を奉行し、
自らのこころを浄める、これ諸仏の教えなり。
145 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 11:10:43.68 ID:S2hZaEPC
パピーマンは見事に「名」が「体」を表している・・・
146 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/08(金) 11:12:33.64 ID:o3cnsm29
>>144 wwwwwwwwwwww
それは、「世俗において」修行者に推奨される姿勢だよwwwwwwww
世俗の論理においては、確かにそうww
それは当然、認められるべきものw
しかし、勝義においては、そもそも「善も悪もないの」www
んなの、基本中の基本でしょ?ww
147 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/08(金) 11:14:33.63 ID:o3cnsm29
>パピーマンは見事に「名」が「体」を表している・・・ うむw 早くも罵倒に変化か?www 意外と速いな、このバカはwww 忍耐力のある奴は、数日間くらいは我慢するのが多いんだがwwwwww
148 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 11:16:46.66 ID:S2hZaEPC
>>146 どこに『「世俗において」修行者に推奨される姿勢』という記述があるのですか。
また、「善も悪もない」という勝義と上の諸仏の教えがなにかぶつかるのですか。
149 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 11:25:31.13 ID:S2hZaEPC
いつも語尾にwwがつくのは「余裕」をあらわしたいのか、それとも 相手を馬鹿にしたいのか、それとも、麻薬や酒でも飲んで頭がwwなのか・・
150 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 11:27:37.20 ID:S2hZaEPC
それとも中身がないのを笑ってごまかしたいのか・・・
151 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/08(金) 11:32:43.19 ID:o3cnsm29
>どこに『「世俗において」修行者に推奨される姿勢』という記述があるのですか。 何言ってだ? このアホww 七仏通誡偈 は、修行未完成者、および衆生に対する過去七仏の「教え」でしょ? それとも、「覚者に対する」教えか?wwwwwwwww >また、「善も悪もない」という勝義と上の諸仏の教えがなにかぶつかるのですか。 だれも「ぶつかる」などと言ってませんがwww お前が、「仏教の方向性」と題して、世俗における教えのみしか挙げて なかったので、それだけを仏教の目指すところと勘違いするアホがいたら いかんと思い、補足したんだがww
152 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/08(金) 11:35:42.00 ID:o3cnsm29
>いつも語尾にwwがつくのは「余裕」をあらわしたいのか、それとも >相手を馬鹿にしたいのか、それとも、麻薬や酒でも飲んで頭がwwなのか・・ ああ、このスレの新人さんかwwwwww wwww を突っ込むなんて 何年ぶりかね?wwww
153 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 11:39:16.54 ID:1BslseIc
そもそも、無記と「釈迦は無我を説いた=輪廻の主体を否定した」 という論理は矛盾してません? なぜなら無記で釈迦はあの世について言及していないのなら、 無我もこの世限定のものであの世の我の有無には言及してないってことになりません? つまり無我だから釈迦は輪廻の主体を否定したってことにはならないのでは?
154 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/08(金) 11:49:03.82 ID:o3cnsm29
っま、 とてつもなく低脳の新人さんらしいが、 勘違いするものがいないとも 限らんので、 一度まとめておこうかねww 妖怪の存在を信じ込んでいる幼稚園児の息子に、「そんなものはいないよ」と 教えたい父親がいたとするわなw その父親というのは、「息子が自分で考えて きちんと納得した上で理解してくれることを望む人」だったとするw そこで、以下のように言った 「本当に妖怪がいると思うかい? それなら、お母さんは妖怪かな?」 「違うよ」 「それなら、お姉さんは妖怪かな?」 「違うよ」 「それなら、幼稚園の先生や友達は妖怪かな?」 「違うよ」 「う〜〜〜〜〜〜ん、妖怪は全く見つからないねw」 さて、この父親は確かに話の中に「妖怪」を登場させたw では、そのことをもって、「彼が妖怪の存在を信じてる」と言えますか?wwww 「妖怪の存在が前提」の話ですか?ww アホの神秘主義者がすぐに飛びつくのが、「話の中に出てきたのだから、彼は その存在を信じているんだ」というアホ論理www その話全体の趣旨を読み取る読解力がないので、話の中に出てきたら、即、 話し手がその存在を肯定しているとする短絡思考www いい加減にこの幼稚園児並みの低脳思考をやめんかねwww
155 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/08(金) 11:54:23.21 ID:o3cnsm29
>>153 そうw 「この世では、」そのような基体はない・・・・ということだと
思うよw
死後のことについては無記w
死後の何かを否定したということはないでしょうw
ただ、現世において、輪廻する基体がないのであれば、そもそも輪廻自体
成立せんでしょう?
「現世⇒来世」と引き継がれるものが全くないわけだからw
156 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 12:04:16.66 ID:S2hZaEPC
>>151 規制されて書き込めない・・・
そもそも「覚者」に教えは必要ありません。ですから、「七仏通誡偈」はすべての教えを包含していています。
まさか、教えを「勝義」と「世俗」にわけて「七仏通誡偈」が世俗の教えであると言いたいのですか。
だとしたら、全く理解できていませんね。始めからつまづいている。
157 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 12:07:09.27 ID:1BslseIc
>>155 それは一応、煩悩によってと言ってますよね。
158 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/08(金) 12:08:19.34 ID:o3cnsm29
>>156 wwwwwwwwwwwwww
勝義に教えなんてねえよwww
教えは全て、世俗における未達者に対するものww
(っていうか、マジで仏教初心者?w (セブンじゃないけど)
一辺、最低限の基礎知識身につけてから来いww)
159 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/08(金) 12:10:39.10 ID:o3cnsm29
>>157 それだけでは、何が言いたいのか、意味不明。
もう少し、詳しく言ってくれないとw
160 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 12:14:04.27 ID:1BslseIc
つまり基体(自分)がないから輪廻がないのではなく、 輪廻はあるが、その基体(自分)に思えるものも実は自分ではない。 永遠不滅ではない、変化するもの ということでは?
161 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/08(金) 12:22:34.59 ID:o3cnsm29
>>160 なるほど、貴方の言いたいことはわかりました。
それは、殆ど全ての(仏教系)輪廻肯定者の見解ですねw
勿論、これまで、このスレでそれこ何度となくその誤りを論証してきましたが、
それをもう一度、やるのは辛いwww
非常に不親切な言い方無いなってしまうが、過去ログ参照 としか言いようがないw
勿論、時間があるときに、貴方が真摯に討論する気があるのであれば
付き合いますw
しかし、今は時間がないので、一旦、オチ・・・・失礼w
162 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 12:23:38.64 ID:1BslseIc
まぁ、いずれにしても釈迦は輪廻を否定してませんよね。
163 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 12:27:16.58 ID:S2hZaEPC
>>158 >お前が、「仏教の方向性」と題して、世俗における教えのみしか挙げて
なかったので、それだけを仏教の目指すところと勘違いするアホがいたら
いかんと思い、補足したんだがww
「七仏通誡偈」はすべての教えを包含していています。それだけが仏教の目指す
ところです。あなたは知識を生半可に身につけてるので、ほとんど間違ってますよ・・・
まあ、パピーマンだからしかたないですね・・・正しく理解できたら逆におかしい・・・
>>154 普通の理解力のある人はお分かりの通り、
「妖怪」=「生じないもの、成らぬもの、造られないもの、作為されないもの」です。
まあ、もう言っても無駄でしょうが・・・パピーマンなんだから・・・
じゃあ、ま、悪魔の仕事を頑張ってください〜ww
164 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/08(金) 12:35:52.54 ID:o3cnsm29
>>163 >普通の理解力のある人はお分かりの通り、・・・・・
そのとおりwwww
「普通の理解力のある人」なら、
>>154 の父親と子供のやり取りを見て
「父親が妖怪の存在を信じている」とは考えないですなwww
(しかし、この馬鹿マジで、仏教初心者の新人さんか?ww
パーピマン というコテにこだわったり、ww にチャチャ入れたりwww)
アホが市販書二三冊読んで、仏教理解したつもりになって得意になって
書き込んでるのか?wwwww)
>>162 >まぁ、いずれにしても釈迦は輪廻を否定してませんよね。
そう、「否定」はしてないのww
だけど肝心なのは、それが「肯定」には繋がらないということw
165 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 12:40:58.55 ID:1BslseIc
まぁ、言いたかったことは、 煩悩(基体)によって次の生が作られる。 で、その煩悩(基体)を滅して次の生が形成されないようにするのが仏教。 つまり、煩悩(基体)は滅することができる。 滅して空に帰るのが悟りだとしたら、 無我と輪廻は矛盾しない気がする。なぜなら空は我ではないから。 わかりにくかったらごめん。
166 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 13:19:45.86 ID:1BslseIc
>>164 >そう、「否定」はしてないのww
>だけど肝心なのは、それが「肯定」には繋がらないということw
経典に出てくる数々の輪廻が説かれた記述は肯定の根拠にはなりませんか?
それと、実際に行じておられる方々が輪廻について肯定していることも、
肯定の根拠になり得ると思います。
167 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 13:31:47.89 ID:6EzCXkYc
>>166 >経典に出てくる数々の輪廻が説かれた記述は肯定の根拠にはなりませんか?
なりません。→
>>143 >実際に行じておられる方々が輪廻について肯定していることも肯定の根拠になり得ると思います。
なりません、→
>>143 妄信する者はは救われない。
>>92 自分は常住論者ではないと言っても、輪廻肯定の立場は常住論者ですよ。
そもそも我について、輪廻主体は我ではない〜と言っても詭弁に過ぎません。
前世-今世ー来世を繋ぐ紐の様なものを想定している以上、それが我であろうがなかろうが
関係有りません。ただの言葉遊びで、一般にはそれを我と言っているだけです。
そして、そういうものを想定する原因が我執なわけです。
169 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 15:36:28.11 ID:ztCxsg4f
>>87 >
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20091207 ご紹介のホームページを見てきました。
>その中でも、今回は、「厚生労働省の技官が抗がん剤はがんを治せないと認めた」という主張の是非を検討します。
確かに認めたというのは嘘ぽいね。。
でも10年以上前にゲノム創薬の開発者の論文で「抗がん剤の主作用が効く率は0%〜30%」と記載がありましたから、
厚生労働省の技官ならばその程度の情報を入手していても可笑しくはないでしょう。
一塩基多型による個人差で薬ごとに主作用が効く率が大体分かっているとのことで、残りの人達は主作用は効かず、副作用のリスクを受けるということです。
大体50%の人に効く薬は大ヒットするそうですね。
グーグルで「Asthma 40-75% , Cancer 70-100% , Depresion 20-40%」で検索すれば、他の症状の薬の効かない人の率も読めるよ。
通常はこんな内部データは出てこないけど、ゲノム創薬の開発者だから既存の薬を暴露したのだろうね。
170 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 15:46:55.37 ID:ztCxsg4f
横レスですが、「常住でない存在」は現象界でも多数見られます。有為法でしょう。 風は常住でなく絶えず変化しますが存在します。 炎も常住でなく絶えず変化しますが存在します。 影は常住でなく絶えず変化しますが存在するとは言えないかも。 情報も音波も電磁波も常住でなく絶えず変化しますが存在します。
171 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 15:51:48.59 ID:ztCxsg4f
>>170 >情報も音波も電磁波も常住でなく絶えず変化しますが存在します。
前世の記憶もカルマもアカシックレコードも常住でなく絶えず変化しますが存在し得ます。
それらを読みとる人達が仏及び修行完成者と聖者達でしょう。
172 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 15:54:10.29 ID:ztCxsg4f
>>171 >前世の記憶もカルマもアカシックレコードも常住でなく絶えず変化しますが存在し得ます。
>それらを読みとる人達が仏及び修行完成者と聖者達でしょう。
それで世親菩薩が前世の記憶やカルマの乗る舟を「阿頼耶識」と説かれたのではないかと思います。
173 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 16:00:53.07 ID:ztCxsg4f
>>168 >>168 >自分は常住論者ではないと言っても、輪廻肯定の立場は常住論者ですよ。
>>51 常見派:輪廻の主体は常住不滅の霊魂である
断見派:無我と輪廻とは矛盾する。よって輪廻は方便
中道1:輪廻の主体は変化する無常の有為法(阿頼耶識)である
中道2:死後の世界や輪廻の世界は有るとも無いとも言えない
中道はバリエーションが多いようです。
174 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 16:01:13.72 ID:6EzCXkYc
175 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 16:05:17.71 ID:6EzCXkYc
>>173 相変わらず、デタラメな定義を平然と書ける厚顔無恥な奴だ。
176 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 16:27:26.44 ID:ztCxsg4f
>>175 >相変わらず、デタラメな定義を平然と書ける厚顔無恥な奴だ。
「私見に基づく定義」と書き足しておきましょう。
それでは貴方の定義はどうですか、
常見派:
断見派:
中道派:
中観派:
八正道のひとつ正思惟は正しく考え判断する事。 自分の判断能力を上げるべくアンテナ感度を上げましょう。 そのためにはトライ&エラーの反復、繰り返しで修正していかなければなりません。 その際、一番の障害は頑固であることです。エラーに気づかないのは論外ですが、 エラーに気づいてもエラーをエラーと認めない。この頑固という障害は無くすように 努力しないと駄目です。 エラーの修復を繰り返してアンテナ感度が上がっていくのです。
178 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 16:48:20.84 ID:6EzCXkYc
>>176 常見派:アホは永遠不滅
断見派:アホはくたばったら終わり
中道派:アホはアホではない
中観派:アホと名づける
179 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 17:32:32.98 ID:1BslseIc
>>168 >前世-今世ー来世を繋ぐ紐の様なものを想定している以上
釈迦自身が煩悩という紐のようなものを想定してませんでしたっけ?
180 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 17:58:40.06 ID:S2hZaEPC
〇「感興の言葉(中村元訳)」 第26章 ニルヴァーナ から 21.不生なるものが有るからこそ、生じたものの出離をつねに語るべきであろう。 作られざるものを観じるならば、作られたものから解脱する。 22.生じたもの、有ったもの、起こったもの、作られたもの、形成されたもの、 常住ならざるもの、老いと死の集積、虚妄なるもので壊れるもの、食物の原因から生じたもの −それは喜ぶに足りない。 23.それの出離であって、思考の及ばない静かな境地は、苦しみのことがらの死滅であり、 つくるはたらきの静まった安楽である。 24.そこには、すでに有ったものが存在せず、虚空も無く、識別作用も無く、太陽も存在せず、 月も存在しないところのその境地を、わたくしはよく知っている。 25.来ることも無く、行くことも無く、生ずることも無く、没することも無い。 住して留まることも無く、依拠することも無い。−それが苦しみの終滅であると説かれる。 26.水も無く、地も無く、火も風も侵入しないところ−、そこには白い光も輝かず、暗黒も存在しない。 27.そこでは月も照らさず、太陽も輝かない。聖者はその境地について自己の沈黙をみずから 知るがままに、かたちからも、かたちな無きものからも、一切の苦しみから全く解脱する。
この辺にこだわるあたり、カラス臭プンプンだな・・
>>180
>>179 煩悩は紐ではなく、紐を妄想させる原因ですよ
183 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 19:22:44.75 ID:6EzCXkYc
>>180 矛盾なきを矛盾のうちに示唆する表現で、当然なのですが、何か問題でも?
21.〜23.で、
Sn.1072の「想いからの解脱」と言う仏法のゲシュタルト表現と同趣旨ですよ。
世俗的二項相対思考から勝義的無分別般若智直覚への飛翔を示唆しています。
色即是空ですね。
*もっとも、『不生なるものが“有る”』はキチンと如理作意できないお方には勝義に意味や実体・価値を見出す誤解を招きかねませんが、
もともと説似一物即不中ですから仕方ありませんねw 混ぜるな!危険というデッド・ロックです。注意しませう。
【世俗】分別(生じたもの、作られたもの)→ 離脱・飛翔 ⇒【勝義】(無分別)不生なるもの、作られざるもの★の如く
無分別中道で我執(煩悩)そのものが不立ですから、当然実存苦もありえません。
もともと苦しみの原因となる煩悩なるものは縁起によるものですから、実体のない誤解であったということに
気づき体得してしまえばいいのです。ここまでくれば業報輪廻転生など無用だということがハッキリわかります。
その様相を24.〜27の否定形式(中論 帰敬序・25-3参照)による無分別の様相示唆.で、
「心(無我)と心の作用(慶安)」(相応部35-23)=縁起の還滅(世俗)現実の様相を<ニルヴァーナ>として描いています。
達磨の安心(無門関41)です。
184 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 19:29:34.78 ID:S2hZaEPC
>>183 平明なことをわざわざ難しそうに語るのは知恵でなく、無知だと思いますよ。
如来は実に分かりやすく語りますね。凡夫と比べると一目瞭然だなあ。
>>184 で、
≪「Aでない」がイコール「Aが存在する」という言明(或いは証明)でない≫
ってのは理解できたんですか?w
(´ー`)y━~~
187 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 19:53:19.74 ID:6EzCXkYc
>>184 >平明なことをわざわざ難しそうに語るのは知恵でなく、無知だと思いますよ。
恐れ入ります。
できるだけ如理作為を正確に表すと
>>183 になってしまいます。平明さより正確さ優先です。
龍樹さんや道元さんにも文句を言ってくださいw
かれらも肝心なところは、怖ろしいほどに厳密さを優先させていますよ。
失礼ですが、あなたは【一切門】どころか【菩提心門】の透過もないお方ですね。
だって、なにも判っておられませんことは明白ですよw
先生 新人さんに 過去ログみろとは酷 と思います 膨大です ここは常に初心者が来ますし 同じような議論がはてしなく永遠に続く
189 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 20:25:24.47 ID:AYq6gxJw
>>84 恐縮です。有難う。
>>85 >つまり煽る事で注目を浴びたいので書いているだけでしょう。
そうでしょうか。。。。著者の長女は入院してわずか33日で死亡。
急死後、「注入薬には悪性症候群という致死的副作用があったのです」
と医師がポツリと漏らした。「まさか!」「ダマされた」・・・
彼は主治医を刑事告訴し、全面勝訴。主治医には、業務上過失致死罪
で有罪判決が下った。と、あとがきに記載されてます。
重く辛い経験をされてます。一度読んでみましょう!
190 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 20:27:58.91 ID:AYq6gxJw
>>88 ははは・・・(笑
良く言うね。君だって良く分からないから、自分の
病気も治せなかった仏陀にしがみついてるんじゃ?
お偉い仏陀が表れて一刀両断してくれたら便利だけどね。
仏陀も所詮、不完全な人間でした。
>>189 煽り本に何の関心も無いから読む気はありません。
著者の長女が〜の話も甚だ不自然。 >「注入薬には悪性症候群という致死的副作用があったのです」
なんですか、これは?意味不明の発言で、医者が言う言葉ではありません。
ま、著者が元真光との事ですので、ますます読む価値の無い本でしょう。
仏陀も唯の人間です。病気にもなるし、神通力で治して1万年生きる〜という訳にはいきません。
寿命が尽きれば死ぬだけです。物理法則の束縛からではなく精神世界の束縛から逃れた人間であったのです。
>>189 イレギュラーな事象を、さも一般的な・ありふれたこととする姿勢は詐欺と同じ。
193 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 21:11:57.30 ID:+gJvmD0n
お前ら相変わらず仲いいなw
[*゚∀゚]ゞ /[_] | | ■■□■■□◇_◇□□□
195 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/11/08(金) 21:44:45.25 ID:9OVdTYUR
釈迦的には世界は生成消滅を繰り返すだけの移ろいゆくものだったが、 実際には重力、強い力、弱い力、電磁気力という4つの力が世界を構成し、 成り立たせており、定式化された不動の数値があって、その法則という 確固たる基盤の下で宇宙が観測されている以上、 「はあ〜〜あるものくう!ないものくう!生成消滅いっさいくう!」は とっくに論破されてると思うのだがいかがか。
宇宙は はじめも終わりもないです
199 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 22:45:03.05 ID:UC04ksmj
>>81 >今、船瀬俊介の「病院で殺される」を読んでるけど、
>驚愕の内容で・・・ご隠居の感想を聞かせてほしい
その本は読んでいないが、ネットで見る限り、船瀬という人は、医師ではなく、
宗教者か詐欺師みたいだね。医学の進歩が早すぎるため、医師でも、それに
付いてゆけない人は、「身体」という現実から離れた、宗教信者みたいになって
しまう。例の「癌もどき」の慶大病院医師を信じ込んだ女性も、乳がんがが体表に
現れるほど悪化し、亡くなった。私の近しい知人も、「低カロリー療法」を信じ
込んだため、極度の栄養失調に陥り、直ちに入院させて栄養補給を指示したの
だが、感染症でコロリと死んだ。
医学の進歩により、どれほど多数の病気が治療可能になり、どれほど多数の人が
救われているかは、医学史や平均寿命を知れば明らか。
但し、「病院で殺される」は、ある意味正しい。私は、入院するときは、家族と
水杯する。その理由は、下記の通り。
(1)医学の進歩が急速で、その範囲が膨大なため、医師が十分にフォロー
できない。特に、開業医は多忙極まりなく、その時間もない。
(2)医療過誤が極めて多い。報道される、または、裁判になる医療過誤は、
氷山の一角に過ぎないということ。
(3)医師の権威を維持するために、医師以外の医療関係者には、原理的な面での
教育が故意に省略されている。
(4)生命に関わる仕事なのに、病院では、ダブルチック、トリプルチックの
体制が不十分。事務関係の仕事でさえ、ダブルチェックでは足りず、トリプル
チェックまでしなければ、誤りが生じる。
(5)医薬は、身体にとっての異物だから、すべて副作用があるのは当然。
問題は、副作用に対する十分な知識と対応方法だ。医師はこれが極めて不十分。
(6)結局、自分を守るのは、自分しかない。医学・薬学の知識を、患者自身
が身につけること。最新の専門文献は、書店に溢れている。
(7)宗教や宗教もどきに騙されて、診断や治療の機会を逸することが、最も
恐ろしい。
隠居も宗教から離れてればマトモなのになぁ・・w つか、(7)番、病院の外の話じゃないw なんで(上6つの)病院内部由来のリスクと併記されるんだ?w まあ、相変わらずと言えば相変わらずな「らしさ」かもしれんが・・・。
201 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 22:54:32.83 ID:ztCxsg4f
>>178 >常見派:アホは永遠不滅
自称「二門透過者」で、師は承認済みですか?と問えば、「まだ」の御仁ですか。
貴方とセブン氏は私には似ていてしばしば私は間違えます。失礼。>ご両人
202 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 22:59:28.67 ID:UC04ksmj
>>200 病院にも、宗教や宗教もどきがいる、ということ。自分で判らない病気は、
患者の「気のせい」にする。
仏教大学にも、医学部をもうけたらどうだろう。死んだ後まで、面倒見れるw。
三法印の法、諸法無我の法など、仏教の法についても考えたい。 法とは事物のあり方であり、現実に存在する対象物ではなく、人間の認識が とらえた事物の概念的な定義のようなものらしい。 そうだとすれば、法は最初から人間が認識できる事物に限られている。 この現実で認識できないもの、神や霊魂などは法から除外される。 神や霊魂こそが肝心なのに〜 最初から切り捨ててしまう。 仏教の土台に5位75法などの法の体系がある。これが議論されて 法有とか法空とかが主張されるわけだが、そもそもの最初から神や霊魂などは 除外されて問題にならない。なぜなら法の体系にないから(TT)
鎌倉七里ガ浜の先に聖テレジア病院ってのがあってな。 そこは、院内に礼拝施設(部屋)があるが、 隠居からしたら極悪病院なんだろうなw
>>203 だから、(75法や100法の中の)どれかが「それである、それに該当する」という作戦に出る。
もっとも、ピックアップされるものは、数種に限定されるがな・・w
206 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 23:18:20.57 ID:UC04ksmj
>>204 >そこは、院内に礼拝施設(部屋)があるが、
それは「霊安室」だろw。どこの大病院にもある。
夜、病院内を散歩してて、うっかり霊安室に入り込んだ時はゾッとしたよ。
それから、釈迦は、自分の鬱病を、自分の素人療法で治そうとした。釈迦が
現代に生きていれば、定めし医師だな。最新医学で診断治療していること
だろう。彼は又、「一切皆苦」を説いて回ることにより、「生きる喜び」を
得ていたのであるw。
203 >神や霊魂こそが肝心なのに〜 最初から切り捨ててしまう それ危険思想 カルトに向かうよ だれとは言わんが
>>206 違う違うw
ちゃんと教会の造りになってる部屋。
>>205 そういうことが言いたいのではない。
仏教の法が、神や霊魂などを最初から切り捨てていることだよ。
神がいるのかいないのか、あの世があるのかないのか、
自分とはいったい何なのか。
仏教はこういったことを最初から切り捨ててしまう。
最初から答えを切り捨てるから、答えは五蘊皆空しかない。
もちろん五蘊は空だ。でも五蘊以外があったら?
神や霊魂などが存在することになる。
>>209 あのぉ・・・(^^;
切り捨てたから、仏教は(≒お釈迦さんは)他の同時代の思想家と一線を画すことになったわけで・・。
出発点が、切り捨てる所から始まらなければ仏教にならないのですよ。
解ります?
医療も患者を食い物にする金儲け主義がはびこって堕落しているが、 仏教界も似ているよね。
>>210 それじゃあ、人間の悩みや疑問に答えられんぞ。
生きるべきか死ぬべきかに答えてみろ。
仏教的には「どっちでもいい」じゃないか。少しは恥を知れ。
なぜ べきなの?
>>212 基本、生きるべきでしょ。どんな場面でも。
出された御飯を残さずいただく如く、生を受けてある今を“こなし”てゆくのが基準でしょ。
紡がれた縁を生きるのが、仏教的在り方でしょ。
これからの縁の紡がれ方が善きものとなるよう生きる(→行動する→身口意の三業を制御する)のが仏教的在り方でしょ。
勿論、コンクリ事件の被害者の如く、(彼女の場合は命を奪われる形だったわけだが)
自らエンドマークを打つことを、キ教的に絶対悪とは見做さないが。
つかな、
今をリアルに生きるために、(それらを)切り捨てることが必要なんだよw
>>212 生きるのを厭わず、死ぬのを厭わず、寿命が尽きるまで普通に生きる事が最も大切である、と教えてくれています。
216 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 00:41:08.72 ID:FXMYtxsf
普通ねえw 自同律の不快ってのがあんだろ
218 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 01:49:17.03 ID:61zY9Qvk
>>215 >生きるのを厭わず、死ぬのを厭わず、寿命が尽きるまで普通に生きる事が最も大切である
そう言葉にした時点で、その答えは間違いになるんでしょうね。
219 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 01:58:20.43 ID:FXMYtxsf
>>218 それにしては、宗教の教典には、言葉、それも具象物に還元出来ない観念語・
抽象語が多すぎw。まさに「観念の遊戯」。現実的な内容は「ゼロ」。
220 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 05:37:55.95 ID:1Ng5Nzh0
>>209 >神がいるのかいないのか、あの世があるのかないのか、自分とはいったい何なのか。
>最初から答えを切り捨てるから、答えは五蘊皆空しかない。
あのー、横レスですが。
原始仏典や法華経では、神々も梵天も精霊も輪廻と同様に多くの経典で説かれております。
これらの存在は五蘊とは言えないかと思料します。
尚、現象界で感受される全ての存在は無常(空)ですが、常住不変のものが無いとするのは浅はかな見解でしょう。
仏の眼から見た本当の世界は常住不滅で美しいのに衆生の眼には大火に見える、とのことです。(法華経の如来寿量品第十六)
221 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 05:42:57.01 ID:1Ng5Nzh0
>>220 >原始仏典や法華経では、神々も梵天も精霊も輪廻と同様に多くの経典で説かれております。
仏教では輪廻が説かれている。
→釈尊も梵天界からト卒天経由で下生した(長部経典の複数の経典)。
→梵天界の住人は異教では神々と呼ばれている。
222 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 05:55:46.76 ID:1Ng5Nzh0
>>221 >→梵天界の住人は異教では神々と呼ばれている。
衆生済度(人類救済)の為に、報身の如来はあらゆる多様な姿で多数現れている。
阿弥陀如来、イエス、ヴィシュヌ、天照大神、等々、国や時代が異なれば色々と呼称されている。
(参考:「現代仏教塾」三木)
223 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 07:03:58.10 ID:Cn231N3g
どうも、一代さんから色々教わった親切僧です。 なにか、質問とか、一代さんに聞いてみたいことあったら、 代わりに答えられる範囲で聞きますよ〜。 宝珠さんお久しぶり。一在家さんも元気そうで。
>>213 >なぜ べきなの?
キミは、生きようが死のうが「どっちでもいい」などと考えているのか。
>>214 >基本、生きるべきでしょ。どんな場面でも。
五蘊皆空だから、いかに縁を紡いでも善悪は生じない。
五蘊皆空を言いながら、善悪を分別しようとしたら話が矛盾するよ。
>今をリアルに生きるために、(それらを)切り捨てることが必要なんだよw
逆だよ。切り捨てるから、現実を夢のごとくにして酔生夢死するだろう。
そんなことより、仏教は神や霊魂をなぜ切り捨てるわけ? その根拠は何?
>>215 >寿命が尽きるまで普通に生きる事が最も大切である
この世の真実は、「普通」という言葉では言い換えできない。
>>217-219 みなさんのは、まともな返しだと思う。
>>220-222 仏教における神々は方便だよね。真実ではない
226 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/09(土) 09:35:29.44 ID:ooD1BxrH
>>223 それではw
>どうも、一代さんから色々教わった親切僧です。
貴方は、僧侶ですか?
もしよろしければ、宗派を教えてもらえますか?
227 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 10:16:33.96 ID:8K8POmmT
神々や輪廻は肉体と同程度ぐらいのリアリティはあるものだ 肉体や感覚にのみ優位性があるというのは錯覚だ
228 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 10:28:25.19 ID:CVIxUkad
>>191 >物理法則の束縛からではなく精神世界の束縛から逃れた人間であったのです。
精神世界の束縛から逃れた人間って・・・・何?
229 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/11/09(土) 10:34:13.69 ID:KTRoxPU3
2500年前の古代人に現代的な合理精神を押し付けんなや。 根本的に世界観が違うんだから。 ユダヤの改革者であるナザレのイエスにしてもユダヤ教の世界観を基本前提に ヘレニズム以降の異教的変容や黙示思想、死海文書からも推察される時代思潮を 背景を無視しては語れないのが聖書学の常識。 しかし、こと仏教ってのはどうしても背景の「インド学」から隔絶した超越的仏陀(笑) ってのを措定しなきゃ気が済まんのかねえ。 あるべき全盛期のパーリ経典偏重の過程で、あるべき釈迦ってのが超人的に設定され、 そこから少しでも逸れる文句は、「こ、後代の脚色!変容なり〜〜!!」と煩くてかなわんw ったく新興から脱却して論じろよ。
230 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 10:39:36.08 ID:K2StnzIv
>>212 >生きるべきか死ぬべきかに答えてみろ。
>仏教的には「どっちでもいい」じゃないか。少しは恥を知れ。
ずいぶんエラそうなお方ですねえw
全く逆でしょw
★仏法的には「どちらもよくない」です。
中観を曲解するな!
こういうように空観を曲解する者が多い。中道・中観ではありません。
中学生に「夢を捨てろ!」と講演した南直哉とかいう馬鹿坊主もいる。
オウムがカルマを背負った幻である人間をポアするのは回向だという。
★世俗仮観を無視しているのです。
仏法の本懐は、縁起の現実である還滅世俗で慶安に在ることです。
達磨の安心(無門関41
>>183 )ですね。
『安らぎに帰して、善悪を捨て去り、塵を離れ、この世とかの世とを知り、生と死とを超越した人、
──このような人がまさにその故に<道の人>と呼ばれる。』(Sn.520) 縁起の現観です。
縁起の現実は、非今非処非自≒即今即処即自≒非心非仏≒即心即仏≒不生不滅≒即生即滅ですから、
「To be or not to be; that is the question」(Hamlet)とかは仏法ではありえません。
ですから★<坐水月道場(空観)、修空華万行(仮観)>⇒日々是好日(中観)★
随縁且従容、これが還滅中観仏法です(中論24-18)。
少しは恥を知れ!
231 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 10:39:41.49 ID:CVIxUkad
>>226 パーピマン
おひさしぶり〜。ちょっと前に輪廻とか業報について議論させてもらった者ですw
一応、僧侶です。真言宗でっす。
パピちゃんは、研究者さん?別に敬語使わなくていいよw
(223です。別PCでID違うけど、許してぽ)
233 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 10:59:29.55 ID:UR91AFaA
〇無我説法について 「Aは@でない・・・Bは@でない・・・Zは@でない」 ⇒「AからZが@でない」(まだ、@が存在しないという証明にも、存在するという証明にもなっていない) ⇒ 別に、「A〜Z」以外にNOT「A〜Z」が存在することが示されている。 ⇒ NOT「A〜Z」が@であるということになる。 (それ以外の「A〜Z」が否定されているが、NOT「A〜Z」は否定されていないから。) 「A〜Z」・・・五蘊(色・受・想・行・識)、この世界も五蘊に含めてもいいでしょう。世界は 色であり、受によって認識されているのだから。神々の世界も変化するものはすべ てこの「A〜Z」に含まれる。我々はこれしか知らない。 @・・・涅槃(ニルヴァーナ)「不生なるもの・作られざるもの・思考の及ばない静かな境地 ・つくるはたらきの静まった安楽・水も無く、地も無く、火も風も侵入しないところ・・・」 (別解釈)ナ・アッタの「アッタ」を自我であると解釈すれば、自我が人間存在すべてである 五蘊に存在しないということを示して自我の存在を否定しているという解釈もできる が、「アッタであるなら壊れないだろう」という論法をつかってアッタでないと証明 しているので、アッタを自我と見做していないと考えられるから多少無理がある。 ブッダは当然、自我を否定するが、無我説法では自我の否定を説いているのではなく、 「私でないものを私とみなす」間違いを説いている。これは、自我の否定と矛盾しない。
234 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 11:04:45.85 ID:UR91AFaA
〇無我説法について (少し改) 「Aは@でない・・・Bは@でない・・・Zは@でない」 ⇒「AからZが@でない」(まだ、@が存在しないという証明にも、存在するという証明にもなっていない) ⇒ 別に、「A〜Z」以外にNOT「A〜Z」が存在することが示されている。 ⇒ NOT「A〜Z」が@であるということになる。 (それ以外の「A〜Z」が否定されているが、NOT「A〜Z」は否定されていないから。) 「A〜Z」・・・五蘊(色・受・想・行・識)、この世界も五蘊に含めてもいいでしょう。世界は 色であり、受によって認識されているのだから。神々の世界も変化するものはすべ てこの「A〜Z」に含まれる。我々はこれしか知らない。 NOT「A〜Z」・・・涅槃(ニルヴァーナ)「不生なるもの・作られざるもの・思考の及ばない静かな境地 ・つくるはたらきの静まった安楽・水も無く、地も無く、火も風も侵入しないところ・・・」 (別解釈)ナ・アッタの「アッタ」を自我であると解釈すれば、自我が人間存在すべてである 五蘊に存在しないということを示して自我の存在を否定しているという解釈もできる が、「アッタであるなら壊れないだろう」という論法をつかってアッタでないと証明 しているので、アッタを自我と見做していないと考えられるから多少無理がある。 ブッダは当然、自我を否定するが、無我説法では自我の否定を説いているのではなく、 「私でないものを私とみなす」間違いを説いている。これは、自我の否定と矛盾しない。
235 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/09(土) 11:08:06.55 ID:ooD1BxrH
>>232 ほ〜〜〜〜、ナルホドw 真言宗かw
真言宗は、大聖院なら年に数回、参るなw
俺は研究者ではないよw
単に趣味で仏教に拘わり合ってるだけww
結構、長いんで仏教関連の資料の数だけは増えたけど、仏教に対する
基本姿勢は 「敬えど信仰せず」・・・かなwwww
236 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/09(土) 11:12:33.77 ID:ooD1BxrH
>⇒ NOT「A〜Z」が@であるということになる。 >(それ以外の「A〜Z」が否定されているが、NOT「A〜Z」は否定されていないから。) wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww お前は中二か?wwwwwwwwww
237 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 11:15:29.40 ID:8K8POmmT
>231 万人が多少性根を入れ換えて少し修行したらそれくくらい証せるようになる 仏典読んでるだけじゃ永遠に無理だが 現代の科学で証明されてないものが全て虚偽というわけでもないし 現代人の能力に及ばない範囲のものが全てデマというのは傲慢だね
>>233-234 っっっっっっとに馬鹿だな・・・。
>⇒ NOT「A〜Z」が@であるということになる
んなわけねーだろwww
その場合、《NOT「A〜Z」》が《「い〜ろ」》であることが排されてないだろw
一足飛びに『=@』に持っていけないんだよ。
んと、頭の悪さは在家やカラス並だな。(宝珠の方がまだ少し賢いわw)
239 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 11:19:13.41 ID:iUkrBVgI
「我に非ず」とは、完全に「我の存在」を前提とする。さもなければ、一体 どうやって、何と比較して、「非ず」と言えるのか。
240 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 11:24:10.56 ID:iUkrBVgI
「無我」でも「非我」でも、釈迦の初歩的論理矛盾、勘違いであることには 変わりない。釈迦は本当に頭ワリー。
241 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 11:27:56.77 ID:K2StnzIv
>>233 >⇒ 別に、「A〜Z」以外にNOT「A〜Z」が存在することが示されている。
>⇒ NOT「A〜Z」が@であるということになる。
>(それ以外の「A〜Z」が否定されているが、NOT「A〜Z」は否定されていないから。)
なりません。
あくまで、仮説(もし@があるとすれば)の個別検証ですから、一切内で確認できないなら@仮説は廃棄されるのが当然です。
一切外に青い鳥(涅槃)はいません。
無門関41『覓心了不可得』の慧可と同じです。
この『心』をアートマン(別解釈)とも読んでください。
達磨曰く『爲汝安心竟』
さすがに達磨です。
あなたは【一切門】さえ透過してはいない。
はい、如理作意続行!
>>235 パーピマン
>基本姿勢は 「敬えど信仰せず」・・・かなwwww
あ〜、パピちゃんからは、そんな雰囲気がすごい漂ってるわw
ただ、仏教に対する理性的なアプローチはすごくいいと思う。
243 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 11:47:02.21 ID:1Ng5Nzh0
>>223 親切僧さん
Q1.日本仏教界の祖師方はほぼ全員が輪廻について説かれておりますのに、近代仏教学者達は輪廻には否定的なのはなぜでしょうか?
Q2.弘法大師が「秘蔵宝鑰」にて、
「三界の狂人は狂せることを知らず、四生の盲者は盲なることを識らず、生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く、死に死に死に死に死んで死の終わりに冥し。」
と説かれたそうですが、「生」より「死」の方が一文字多いのはなぜでしょうか?(やや興味本位で失礼します。)
244 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 11:59:28.24 ID:csznHBSD
>>240 頭ワリー、てか、メタ概念を表現する「ことば」が無かったんじゃね?
245 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 12:08:18.40 ID:1Ng5Nzh0
>>244 >頭ワリー、てか、メタ概念を表現する「ことば」が無かったんじゃね?
例えば2500年前の人にゲノムのことを説明する「ことば」は無かったでしょうね。
貴方は親と同じではなく、異なるでもなく、同じでも異なるでもなく、、、なんて言うしかないでしょうか。
また分子と電子、素粒子のことを説明する「ことば」は無かったでしょうね。
目に見える物は有るのではなく、無いのでもなく、、、、
>>243 一在家さん
A1.僕が近代仏教学者の人の気持ちになって、答えてみるね。
「自分の専門は仏教だ。自分の専門してる学問分野は、
素晴らしいものであってほしいというのが本音である。そう考えると、
輪廻という思想が仏教にあっては困るのだ。なぜなら、このように、
あるのかないのかよく分からないものが仏教に入っているいと、
他の学問分野からの批判にこたえられず、仏教に非合理のレッテルが貼られてしまう。
そうなると、私の専攻している仏教学というものが、他の学問よりも劣っていることになってしまい、
私は、劣った学問の研究者ということになってしまう。これはまずい。」
ってところじゃないかな…。
ただ、輪廻について、デリケートなところがあるのもまた事実だと思う。
というのも、仏教以前の輪廻思想と、仏教が説く輪廻が正確に同じかというと、
そうではないだろうから、ね。
つまり、仏教は、アートマンを認める常住論をとらずに、中道によって輪廻を説くから。
247 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 12:20:35.01 ID:K2StnzIv
>>239 >>240 >「我に非ず」とは、完全に「我の存在」を前提とする。
頭がカタイのは、頭がワルイより、始末が悪い。
科学の世界でも理論仮説とその個別検証法は当然の手法だよw
廃棄された理論仮説は星の数ほどある。
これを防ぐには『不合理なれど、我信ず』(埴谷雄高)になる。
で、仏法は信仰に非ず。
<隠居はキリストの神にあらず>なら、
完全に「キリストの神の存在」を前提とすることになるのでいいのか?
>>243 A1.(続き)
ただ、真言とか天台とかの学者の中には、そこまでアンチ輪廻ではない人もいるんじゃない?
一在家さんが挙げてくれた秘蔵宝ヤクの文言を使って、
文献学的に仏教が輪廻を説くってことを述べてた学者を見たことがあるよ。
と言っても、論理的な根拠に乏しいから、仏教は信仰したいけど輪廻は信じられないという
ジレンマがある人も結構いるのかもしれないね。
A2.
T2426_.77.0363a11: 四生盲者不識盲 生生生生暗生始
T2426_.77.0363a12: 死死死死冥死終
僕には「生」と「死」の数が同じように見えるんだけど…w
>246 >つまり、仏教は、アートマンを認める常住論をとらずに、中道によって輪廻を説くから。 恐れ入りますが、この「中道によって輪廻を説く」について詳しく教えて頂けないでしょうか?
250 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 12:40:44.62 ID:o901isRT
>>199 自分の立場は中庸だけど、否定が多いので
↓ をUPします。お騒がせしました。
■船瀬氏の長年の主張は、ようやく医師の内部告発により、裏付けされつつある,
http://www.amazon.co.jp/review/R1RS1XNXZTJHDH/ref=cm_cr_pr_viewpnt#R1RS1XNXZTJHDH 2013/8/20つくしん坊 レビュー対象商品: 病院で殺される (単行本)
早くから医療の危険性と欺瞞性を指摘してきた著者の、
医療批判決定版である。船瀬氏の主張は、ややもすると
奇矯なジャーナリストの極論と見なされる向きもあったが、
最近何人もの医師が、医療ムラの告発を盛んに行ない始めた。
内海聡『精神科は今日も、やりたい放題』『医学不要論』、
近藤誠『医者に殺されない47の心得』、中村仁一『大往生した
けりゃ医療とかかわるな』などがその例で、いずれも多くの
読者を獲得している。ようやく、日本でも、船瀬氏の長年の
主張が事実であることが広く認められつつある。・・ry
>>250 つうか、そこに上げている医師はみんな医学のメインストリームから外れたトンデモ医師でしょw
252 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 12:45:50.19 ID:8K8POmmT
ちょっとした禅定にも入れない奴らが仏教学者を気取って輪廻云々言ってもしょうがない 前世の記憶なんてものは多少修行すれば取り除くべき汚れとしてボロボロ出てくるもんだ しかし過去七代くらいまで出てくるともうカオス過ぎてどうでもよくなる 全部黒歴史の過去のラブレター発見みたいなもんだからなw
>>249 質問箱で活躍されていた方?
わかりました、論理的に詰め切れてない部分もあり、きれいに説明できる自信がありませんが。
中道によって輪廻を説く、ということは、常住論と断滅論の二見によらずに、
輪廻を説く、ということです。
アートマンといった普遍の実体を輪廻の主体として認めてしまうと、
輪廻からの解脱、すなわち涅槃が説けなくなってしまいます。これが、常住論です。
一方で、「来世や過去世は無い」という断滅論をとりますと、
現世に生まれてきた原因について、偶然である(故に、解決できない)ということになります。
偶然生まれて、偶然死んでも、それらは偶然なので、また偶然に生まれて苦を味わうことになりますので…。
偶然論をとらずに来世や過去世を否定する方法として、現世ごと否定するという方法もあるかもしれません。
つまり、無始よりこの方、私たちは1度も生まれたことはない、ずっと涅槃入りしているという立場です。
(具体的に、そんな立場は聞いたことありませんが、論理的につきつめると、意外ときれいな説です。)
まとめますと、中道によらないと、生まれて苦しむという問題について、
解決不能の問題(輪廻のみを説くこと)になるか、
すでに解決済みの問題(涅槃のみを説くこと)になってしまうという、
両極端に陥ってしまうのではないか、ということです。
これらの考えは、石飛道子先生を参考にしてます。
254 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 13:19:52.90 ID:1Ng5Nzh0
>>246 親切僧さん
>A1.僕が近代仏教学者の人の気持ちになって、答えてみるね。
「(略)他の学問分野からの批判にこたえられず、仏教に非合理のレッテルが貼られてしまう。
そうなると、私の専攻している仏教学というものが、他の学問よりも劣っていることになってしまい、
私は、劣った学問の研究者ということになってしまう。これはまずい。」
文明開化で盛り上がっている時にキリスト教にはない輪廻を支持する立場は確かに格好悪かったでしょうね。
なかなか近代仏教学者の心境にシミュレーションはお上手だと思います。 (^0^)/
>ただ、真言とか天台とかの学者の中には、そこまでアンチ輪廻ではない人もいるんじゃない?
確かに「秘蔵宝鑰」は続きますね。
閻魔・獄卒は獄を構えて罪を断り、餓鬼・禽獣は口を焔やして体にかく。三界に輪廻して四生にりょうびょうす。
255 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 13:20:44.33 ID:1Ng5Nzh0
>>248 親切僧さん
>A2.
T2426_.77.0363a11: 四生盲者不識盲 生生生生暗生始
T2426_.77.0363a12: 死死死死冥死終
確かに「生」と「死」の数が同じですね。 訳し間違いということで理解しました。
早速のご回答を有難うございました。
256 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 13:27:05.97 ID:1Ng5Nzh0
>>252 >ちょっとした禅定にも入れない奴らが仏教学者を気取って輪廻云々言ってもしょうがない
仏教徒でも仏教者でもなく、ただの学者なのかも知れませんね。
>しかし過去七代くらいまで出てくるともうカオス過ぎてどうでもよくなる
>全部黒歴史の過去のラブレター発見みたいなもんだからなw
やはり、相当厳しいですね。 7回に1回位は白を期待していたのですけど。
>>254 一在家さん
>文明開化で盛り上がっている時にキリスト教にはない輪廻を支持する立場は確かに格好悪かったでしょうね。
あ〜、そういう経緯もあったのね。勉強になります。
>なかなか近代仏教学者の心境にシミュレーションはお上手だと思います。 (^0^)/
ぐはは、なんせ、2年前の僕の心境もそんな感じだったからねw\(^0^)/
でもねぇ、日本で普通に育ったんだったら、輪廻を信じるのは難しいとは思うけどね。
仏教を学びたいと思う人も、機縁が熟す段階で、ちょっとずつ輪廻的な考え方になればいいと思うし。
> 確かに「秘蔵宝鑰」は続きますね。
> 閻魔・獄卒は獄を構えて罪を断り、餓鬼・禽獣は口を焔やして体にかく。三界に輪廻して四生にりょうびょうす。
近代の仏教学者が非合理として扱うその辺りのことも、仏教では合理の中に含めちゃうからね〜。
合理性の形が、ちょっと違うんだと思う。
258 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/09(土) 13:37:53.29 ID:KGDoCYio
>>223 >宝珠さんお久しぶり。
はい、宜しくお願いします。
>どうも、一代さんから色々教わった親切僧です。
>なにか、質問とか、一代さんに聞いてみたいことあったら、
>代わりに答えられる範囲で聞きますよ〜。
もし、一代同様タイプの方で
仏典の丸呑み法門の教え全面追従ならば、
「お好きにどうぞ!」しか言いようがありませんが・・・。
>>253 >アートマンといった普遍の実体を輪廻の主体として認めてしまうと、
>輪廻からの解脱、すなわち涅槃が説けなくなってしまいます。これが、常住論です。
これが誤ってカン違いをしている多くのバラモンたちのことです。
けれど、真の正しいバラモンは“アートマンは輪廻しない”と説く。
故に、真実は輪廻もなし(アートマンの視点においては)。
>すでに解決済みの問題(涅槃のみを説くこと)になってしまうという、
>両極端に陥ってしまうのではないか、ということです。
要するに、
閻魔や机のようなタイプがこういう方向性かと。
259 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 13:40:52.42 ID:o901isRT
>>251 完全な人間はいませんよ。知らなかった?
260 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 13:48:09.98 ID:UR91AFaA
〇無我説法について (改2) 今のところまともな反論なし 「Aは@でない・・・Bは@でない・・・Zは@でない」 ⇒「AからZが@でない」(まだ、@が存在しないという証明にも、存在するという証明にもなっていない) ⇒ 別に、「A〜Z」以外にNOT「A〜Z」が存在することが示されている。 ⇒ NOT「A〜Z」が@であるということになる。 (「A〜Z」が@でないと否定されているが、NOT「A〜Z」は@でない否定されていないから。) @・・・アッタ、「自分」という意味 「A〜Z」・・・五蘊(色・受・想・行・識)、この世界も五蘊に含めてもいいでしょう。世界は 色であり、受によって認識されているのだから。神々の世界も変化するものはすべ てこの「A〜Z」に含まれる。我々はこれしか知らない。 NOT「A〜Z」・・・涅槃(ニルヴァーナ)「不生なるもの・作られざるもの・思考の及ばない静かな境地 ・つくるはたらきの静まった安楽・水も無く、地も無く、火も風も侵入しないところ・・・」 (別解釈)ナ・アッタの「アッタ」を自我であると解釈すれば、自我が人間存在すべてである 五蘊に存在しないということを示して自我の存在を否定しているという解釈もできる が、「アッタであるなら壊れないだろう」という論法をつかってアッタでないと証明 しているので、アッタを自我と見做していないと考えられるから多少無理がある。 ブッダは当然、自我を否定するが、無我説法では自我の否定を説いているのではなく、 「私でないものを私とみなす」間違いを説いている。これは、自我の否定と矛盾しない。
261 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 13:51:07.53 ID:1Ng5Nzh0
>>251 >つうか、そこに上げている医師はみんな医学のメインストリームから外れたトンデモ医師でしょw
そういう意見が出るから、ゲノム創薬の研究者の論文にて「薬の主作用の効く率」を紹介しました。
>>169 この数年間で複数のスレで紹介しましたが、反論が出て来なかったのは意外でした。
多分、引用文献の内容が見る人が見れば、なるほどなのでしょうか。
それとも自身が服用している薬の内部データを見てじぇじぇじぇだったのかも。。
>>258 宝珠さん
>もし、一代同様タイプの方で
>仏典の丸呑み法門の教え全面追従ならば、
>「お好きにどうぞ!」しか言いようがありませんが・・・。
うーん、一代さんよりは、仏教に距離をおいてるかな。
仏教徒というより、「仏教ってスゲーな」教って感じ。
> 要するに、
> 閻魔や机のようなタイプがこういう方向性かと。
閻魔さんは、そうかも。いわゆる、因果をはじめから否定する考えだね。
机さんは、最後には考えが変わってたよ。
僕がこの掲示板に来たのと入れ替わりくらいにいなくなったのかな。
ちょっとだけ話した。
263 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 14:06:51.21 ID:1lucyrSv
>>235 >基本姿勢は 「敬えど信仰せず」・・・かなwwww
「敬えど」が余計。「信仰」とどう違うのか。その一言で、カルトが天まで
舞い上がり、信仰を飛躍的に強化する。彼等は常に、己の宗教の正当化を
「藁をも掴む積りで」求めていることを、忘れてはならない。彼等自身、宗教
は現代では到底認められないことを知っているから、常に不安に怯えている
のである。
264 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 14:06:56.36 ID:UR91AFaA
〇無我説法について (改3) 「Aは@でない・・・Bは@でない・・・Zは@でない」 ⇒「AからZが@でない」(まだ、@が存在しないという証明にも、存在するという証明にもなっていない) ⇒ 別に、「A〜Z」以外にNOT「A〜Z」が存在することが示されている。 ⇒ NOT「A〜Z」が@であるということになる。 (「A〜Z」が@でないと否定されているが、NOT「A〜Z」は@でない否定されていないから。) @・・・アッタ、「自分」という意味 「A〜Z」・・・五蘊(色・受・想・行・識)、この世界も五蘊に含めてもいいでしょう。世界は 色であり、受によって認識されているのだから。神々の世界も変化するものはすべ てこの「A〜Z」に含まれる。我々はこれしか知らない。 NOT「A〜Z」・・・涅槃(ニルヴァーナ)「不生なるもの・作られざるもの・思考の及ばない静かな境地 ・つくるはたらきの静まった安楽・水も無く、地も無く、火も風も侵入しないところ・・・」 (補足)・ブッダは「自燈明、自帰依(アッタ・ディーパ、アッタ・サラナ)」と最後に教えを説いている。 ・女性が意中の人をこの人か、この人かと聞かれた時、違う場合首を振って「そうでない」と表すが、 意中の人に当たるとうつむき黙るというたとえがある。この無我説法もそのようである。
>>253 分かりませんねえw
中道による輪廻には主体というものが無いのでしょうか?
何が輪廻するのですか?
266 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 14:09:26.31 ID:1lucyrSv
>>247 >完全に「キリストの神の存在」を前提とすることになるのでいいのか?
キリスト教の神という「妄想の存在」を前提としている。
267 :
記憶喪失した男!ninja :2013/11/09(土) 14:11:07.28 ID:i0EGwFH4 BE:2737416858-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ
>>260 そういう独自に考える人は好き。
::::::::: (┐ノ でも、その場合、A〜Zは自我を指し、
:::::::::: / NOT(A〜Z)は無我を指すのでしょうか?
::::::::::::::::::::::::::::::::: その場合、自我の外は何になるのでしょう?
268 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 14:13:16.34 ID:UR91AFaA
>>267 そうです。自我の「外」が無我というか、自我の「滅」が無我。無我=涅槃。
269 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 14:20:35.14 ID:1lucyrSv
>>250 >ようやく、日本でも、船瀬氏の長年の
>主張が事実であることが広く認められつつある。・・ry
彼等が、医学の急速な進歩に付いて行けず、「身体」という基盤から離れて、
観念化、宗教化してしまっただけ。彼等に騙されると、間違いなく死ぬ。
実例は無数にある。
病院の問題点は別次元であることは、前レスで述べた通り。
270 :
記憶喪失した男!ninja :2013/11/09(土) 14:29:37.37 ID:i0EGwFH4 BE:3284899968-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ
>>268 死と無我は何がちがうの?
::::::::: (┐ノ 死は終着の塊で、無我はそうではないというのかな?
:::::::::: / 死は無ではない?
:::::::::::::::::::::::::::::::::
輪廻を説く事=非中道だと思いますが?
272 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 14:38:29.00 ID:UR91AFaA
>>270 死は無我でない。死は、いわば、我の一時的な眠りであり、自我が存在する限り、
しかるべき時に次の生へと行かざるを得ない。
無我は輪廻する主体である我の滅であり、生と死の輪廻の終わり、解脱です。
273 :
250の続き :2013/11/09(土) 14:42:35.50 ID:o901isRT
本書では、多くの具体例で、医療が人を病気から救うのではなく、むしろ殺している という事実を示している。予防効果がないどころか、子供を殺しかねないワクチンや 予防接種、効果が疑わしい輸血(その一方では、多数の無輸血手術が成功裏に行われている)、 恐るべき副作用が実証された血液製剤、原因がはっきりしない白血病と効果のない現在の治療法、 年間28万人もが犠牲になっているがんの三大療法(抗ガン剤・放射線・手術)など。 このように、医療のあらゆる分野で、金儲け優先、人命無視の医療が行われていて、 残念ながら気付いている人が少ないことを説く。従来であればトンデモ本にされかねない本書の 内容だが、上述のように、現在は何人もの医師が、現実の医療がこの通りであることを認めている。 なぜ医療がこれほどまで堕落したのか。ロバート・メンデルソン『医者が患者をだますとき』 (草思社)によれば、20世紀前半にアメリカで医師会が組織されて以来らしい。この時期以降、 医師の金儲け優先が完全に主流となり、そのためには有害無益な医薬品の多用や、無意味な手術 で多数の患者が殺される一方、政府やマスコミを抱き込んで「医学神話」が人々に吹き込まれた。 日本でも「医療信仰」「薬信仰」は人々の脳髄を支配している。本書や、前述の医師の医療告発本が ベストセラーとなり、少しでも人々の医療信仰を打ち砕くのに役立つことを期待する。 われわれは、このような医療からどう自衛すればよいのだろうか。本書のタイトルにある通り、まず 「病院に行かない」ように心がけ(特に高齢者)、自らの健康は自分自身が管理するつもりで、運動・ 食事・精神生活から見直すしかないだろう。それでも病院に行く必要が出てきたときには、よほど 覚悟を決めてからの方がよさそうだ
274 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 14:51:41.41 ID:K2StnzIv
>>253 >中道によって輪廻を説く、ということは、常住論と断滅論の二見によらずに、輪廻を説く、ということです。
あなたの言う輪廻が、業報輪廻転生という意味の輪廻なら説かなくていいのです。
業報輪廻転生論は実践的仏道上、未達者には一切外の迷妄原因、悟達者には錯誤の自覚でしかないからです。
業報輪廻転生論は仏法上、立論の余地がありません。ゆえに無記=ガラクタ扱いでいいのです。
仏法は現生的なる法(相応部35-23・70)です。
仏法はあなたの三種中のいずれでもありません。
『ウバシーヴァよ。あらゆる欲望に対する貪りを離れ、無所有にもとづいて、その他のものを捨て、
最上の<想いからの解脱>において解脱した人、──かれは退きあともどりすることなく、そこに安住するであろう。』(Sn.1072)
★この<想いからの解脱>=二項相対思考の放棄・離脱がブッダのコペルニクス的転回=仏法のゲシュタルトだったのですから、
『無始よりこの方、私たちは1度も生まれたことはない、ずっと涅槃入りしているという立場』などという観念・論理そのものがありえません。
いわば、このようなコード(観念・論理)なきメタ・コードが仏法のゲシュタルトです。
無矛盾でなければ苦の因となる我執が残るからです。
・だからこそ説似一物即不中です。 お分かりにはならないでしょうが・・・
・さらに<仏法のゲシュタルト>においての解脱=仏法ゲシュタルト崩壊が「筏の喩えの法門」(金剛般若経6、中部22)です。
ブッダの本懐の全き完成です。 お分かりにはならないでしょうが・・・
>これらの考えは、石飛道子先生を参考にしてます。
だから、主婦菩薩wとかの石飛道子なんかアカンのやw。
275 :
記憶喪失した男!ninja :2013/11/09(土) 14:57:21.55 ID:i0EGwFH4 BE:1231837463-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ
>>272 原始仏典にもとづいているのね。
::::::::: (┐ノ おれは断見だからなあ。
:::::::::: /
:::::::::::::::::::::::::::::::::
>>265 うん、分かりにくいところだと思います。
ええと、輪廻するっていうのは、主観的なイメージでいくと、
死んで、目の前が真っ暗になったあと、しばらく時間が経って、
また目の前に光が生じて、気づけば物心が生じて、
自分の体や意識があることに気づいていく…ということだよね。
このように、輪廻は、一貫して○○が生じる、○○が滅するっていう
プロセスの延長線上に説かれるもので、
「誰それが輪廻する」っていうものでは、ないんだと思う。
>>271 おっしゃるとおり、説き方によっては、非中道になるでしょう。
というか、仏教以外で輪廻を説いてる宗教があれば、たぶん中道ではないでしょう。
277 :
因果撥無は仏法に非ず :2013/11/09(土) 14:59:13.43 ID:K2StnzIv
>>262 >閻魔さんは、そうかも。いわゆる、因果をはじめから否定する考えだね。
勝義と還滅の位相差を掴めないお方の勝手な妄想誤解ですよw
まったく否定していません。否定できようがありません。
仏法は「縁起の現実」をベースに
・縁起の知覚による間接現実は★<時空“因果”関係>★ :仮観 *因⇔果相対
・縁起の直覚による直接現実は<時空“際断”関係>(如く) :空観 *不實而生(滅):第一義空経
・縁起の統覚による還滅現実は<時空“相殺”関係>です。 :中観 *生已盡滅 :第一義空経
だいたい縁起の知覚による間接現実は、矛盾と分別と執着によって<時空“因果”関係>として認識されるのですから当然です。
上記は、説似一物即不中を自覚しつつ書いてます。
できれば無門関2の徹底如理作意をお勧めします。
これも机先生の御推奨だったと記憶します。
この体たらくだと、まず無理だと予測しておきますw
278 :
記憶喪失した男!ninja :2013/11/09(土) 14:59:56.80 ID:i0EGwFH4 BE:3695511896-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ
>>272 ということは、
::::::::: (┐ノ 生きること、存在すること、この宇宙が生まれたことは、
:::::::::: / 迷いであり、業であり、
:::::::::::::::::::::::::::::::::宇宙が生まれる前は存在しない状態であり、涅槃だった。という涅槃が世界の根幹だという考えだね。
279 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 15:01:36.73 ID:UR91AFaA
>>275 断見・・・仏語。生は現世限りのものであるとし、因果の理法や善悪の業果を無視する誤った見解。
ってgoo辞書にありますけど、、、これですか。
>>274 >業報輪廻転生論は仏法上、立論の余地がありません
その通り。輪廻を立論すると、
>>271 さんの言うように、非中道になる。
そして、綻びのない立論は無いというところが分かってくると、
中道になってくるんだね。
>>277 >勝義と還滅の位相差を掴めないお方の勝手な妄想誤解ですよw
>まったく否定していません。否定できようがありません。
ああ、そうか、最近は、そうだったね。ごめんごめん。
281 :
莫妄想! :2013/11/09(土) 15:14:39.94 ID:K2StnzIv
>>276 >「誰それが輪廻する」っていうものでは、ないんだと思う。
そんなあやふやなものなら、未達者には一切外の迷妄原因(
>>274 )以外の何ものでもない。
検証なしの愚劣な妄想でしかない。
いくら2ちゃんねるだとて、無責任なことをいうな。
282 :
記憶喪失した男!ninja :2013/11/09(土) 15:19:48.40 ID:i0EGwFH4 BE:3079593195-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ
>>279 それです。
::::::::: (┐ノ 断見は原始仏典から見ると明らかなまちがいですが、
:::::::::: / 現代科学文明から見れば、一般的な考えだと思ってます。
::::::::::::::::::::::::::::::::: 断見仏教を打ち立て、神道と融合させ、新しい教理を作りたいです。
283 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 15:23:50.80 ID:UR91AFaA
>>282 うーん、まあ、そうですか、としか言えない(笑)。
ただ、仏教は断見じゃないから、断見仏教は打ち立てられないでしょう。砂糖は辛くないから辛い砂糖は作れない。
284 :
記憶喪失した男!ninja :2013/11/09(土) 15:28:20.79 ID:i0EGwFH4 BE:1642450638-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ
>>283 輪廻なんてあるわけないじゃないですか。
::::::::: (┐ノ イエスは神の子ではないのと同じように、狂信です。
:::::::::: / そういう要素は排除して、現代科学文明にあったファンタジーを作りたいですね。
::::::::::::::::::::::::::::::::: 諸行無常、一切皆苦、宝蔵菩薩の四十八願などはたかく評価しています。
ただ、世間で人気の高い不動明王と地蔵菩薩の教理がよくわからないので、混乱しています。
輪廻肯定論者は人間だけが特別な存在と認識しているフシがありますねえ。 雑草や微生物は単に生じて滅んでだけだが、人間だけは滅んでも、紐つながりで生まれ変わる〜と。 人間も一生物に過ぎないのに特別視するのはいかがなものでしょうか? 人間も単に生じては滅ぶ存在であると見た方が余程スッキリする。 もし、輪廻というものがあるのなら、前世−今世-来世を繋ぐ紐のようなモノではなく、 個人が回りに与える影響というようなモノでしょう。あるいは単純に子孫(DNA)と言っても構いません。 子供がいない人間でも周りに影響を及ぼしている。生まれた環境は過去からの影響により存在した もので、死ぬ時の環境は後の世代の生まれる時の環境になる。こういう輪廻観はあって当然ですし なんら無我と矛盾しません。個人の業報だとか紐とか想定しないものだから。 生物としては連綿と過去から未来にDNAをバトンして生存し続けている。中には絶滅して無くなる種も あるが、逞しく大昔から続いている種もある。人間もこの中の一存在に過ぎない。
286 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 15:31:16.30 ID:UR91AFaA
>>284 でも、諸行無常、一切皆苦を説いたブッダが輪廻を当たり前のように説いてますよ。
輪廻がファンタジーなら、法蔵菩薩なんてますますファンタジーみたいに思えますが。
287 :
記憶喪失した男!ninja :2013/11/09(土) 15:31:45.61 ID:i0EGwFH4 BE:3695512469-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ
>>285 何を愚かなことをいっているんですか。
::::::::: (┐ノ 畜生道があることは原始仏典にも見られます。
:::::::::: / ヒト以外に輪廻することは当然のように考えられていたはずです。
:::::::::::::::::::::::::::::::::
288 :
記憶喪失した男!ninja :2013/11/09(土) 15:34:11.47 ID:i0EGwFH4 BE:2053062465-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ
>>286 輪廻はまちがった狂信ですが、
::::::::: (┐ノ 極楽浄土は、神々と人間の区別のつかない世界であり、
:::::::::: / 宝石と花の雨が降り、音楽が鳴りつづける世界であるべきです。
:::::::::::::::::::::::::::::::::
>>287 ああ、宿命通とやらを獲得できれば動物園で「あそこに元人間のレッサーパンダがいる!」とか
できるという奴ですねw
で、動物には純粋動物と元人間動物の2種類があって〜という奴ですねw
馬鹿馬鹿しい、誰がこんな話を信じるのでしょうか?
290 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 15:36:59.03 ID:UR91AFaA
>>288 輪廻がまちがいで、神々もいれば、極楽浄土もあるのですか。
「有る・ない」「狂信・狂信でない」の基準はなんですか。
291 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 15:39:02.63 ID:1Ng5Nzh0
>>264 >「Aは@でない・・・Bは@でない・・・Zは@でない」
>⇒ NOT「A〜Z」が@であるということになる。
>「A〜Z」・・・五蘊(色・受・想・行・識)、この世界も五蘊に含めてもいいでしょう。
>・ブッダは「自燈明、自帰依(アッタ・ディーパ、アッタ・サラナ)」と最後に教えを説いている。
>この無我説法もそのようである。
私も幾度か提示しましたが、釈尊が無我を説いたのであれば、輪廻とも自燈明、自帰依とも矛盾します。
釈尊が非我を説いたのであれば、輪廻とも自燈明、自帰依とも矛盾しません。
非我=現象界で確認されるものは真実の自己(アートマン)ではない。
私の身体、心、経験、業績、財産、利己心、欲望等々は真実の自己ではない。
無我=諸法無自性空=変わらない私はない=私は気付けば変われる=空 (参考「現代仏教塾」)
292 :
記憶喪失した男!ninja :2013/11/09(土) 15:39:11.37 ID:i0EGwFH4 BE:2737416285-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ
>>289 どこがバカバカしいのですか。
::::::::: (┐ノ これが仏教ですよ。
:::::::::: / 分子の概念のなかった古代インド人が考え出した食物連鎖の思想です。
::::::::::::::::::::::::::::::::: 決して。愚かなものだとは思いません。古代ではひとつの重要な仮説として考えられていたでしょう。
>>292 >これが仏教ですよ。
それはあなたの仏教です。
私の仏教ではありません。
ちなみに食物連鎖と畜生道に堕ちる事と何の関係があるのですか?
294 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 15:42:51.37 ID:UR91AFaA
>>291 私の見解では、「非我の我=真実の自己」であり、「無我の我=自我、エゴ」です。
これで、無我も非我も矛盾しません。
295 :
記憶喪失した男!ninja :2013/11/09(土) 15:44:56.95 ID:i0EGwFH4 BE:821225434-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ
>>290 感動的で無害な宗教があれば充分なのですが。
::::::::: (┐ノ 悟りを目指すなど、狂信でしょう。涅槃なんてあるわけないじゃないですか。
:::::::::: / 生まれ変わりが人の心を癒すのなら、認めますよ。
::::::::::::::::::::::::::::::::: そこまで強固な断見ではありません。
296 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 15:48:03.08 ID:UR91AFaA
>>295 まあ、あまり論理的には考えてないみたいですね。涅槃がないなら、仏教自体が存在しないようなものですよ。
ちなみに、畜生は「鳥・獣・虫魚の総称。人間以外の動物」ですよ。
297 :
記憶喪失した男!ninja :2013/11/09(土) 15:48:52.09 ID:i0EGwFH4 BE:1368708645-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ
>>293 生き物が絶え間なく生まれてくる仕組みの合理的説明です。
::::::::: (┐ノ 古代インドでは有力な仮説でしたが、現代では、原子が発見され、
:::::::::: / 原子(栄養素)が輪廻しているのが信じられています。現代の食物連鎖です。
:::::::::::::::::::::::::::::::::
>>296 束縛や涅槃があると認識する事が束縛であり、
束縛や涅槃がないと認識する事が涅槃です。
299 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 15:53:20.80 ID:UR91AFaA
>>298 まあ、何かの「認識」がある限り涅槃とは言えないんじゃないかと思いますけどね。
300 :
記憶喪失した男!ninja :2013/11/09(土) 15:56:46.43 ID:i0EGwFH4 BE:3832383078-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ
>>296 わたしは仏教もキリスト教もイスラム教も狂信だと考える求道者です。
::::::::: (┐ノ 古代人の思索は尊敬しますが、盲従するのはよしと思いません。
:::::::::: / 釈尊は、生きることを苦だと考えた。それは一部では正解ですよ。
::::::::::::::::::::::::::::::::: 2ちゃんねるには、生きることの苦痛を訴える悲鳴で満ちています。
ですが、無我により解脱し涅槃に至るという原始仏教が、そういう苦痛を救うとは思えません。
ただ、過去の慣習に従うだけの努力しない人に思えます。
301 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 16:01:19.98 ID:UR91AFaA
>>300 解脱するために八正道があるでしょう。それの正語ですら、難しい努力を要しますよ。
食品の虚偽表示でも「嘘」ばかりだから、「嘘」つかないのも難しいですよ。
302 :
記憶喪失した男!ninja :2013/11/09(土) 16:07:59.22 ID:i0EGwFH4 BE:821225726-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ
>>301 客体を認識することはできません。
::::::::: (┐ノ カント哲学です。だから、嘘をつかない人などいません。
:::::::::: / すべてのことばが嘘をついていると思っています。
::::::::::::::::::::::::::::::::: しかし、主観から主観に届く手紙も存在するようです。
この郵便的な哲学はまだあまり議論されておらず、認知科学の研究を待つしかありませんが、
客体を認識することはできないのですから、八正道を実践するためには大脳生理学の発達を待つより他ありません。
303 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 16:12:20.37 ID:UR91AFaA
>>302 急に難しい話になりましたね。カントは全然分かりません。あなたは難しく考え過ぎですよ。
いまから、あなたは八正道を実践できますよ。今も、あなたはきつい言葉を使わずに、書き
込んでますね。それも正語の実践ですよ。「愛語」かな。大脳生理学の発達を待つ必要はありません。
304 :
記憶喪失した男!ninja :2013/11/09(土) 16:13:42.70 ID:i0EGwFH4 BE:1642450346-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ
>>303 わたしかあなたのどちらかが現世で解脱できると考えているのですか?
::::::::: (┐ノ
:::::::::: /
:::::::::::::::::::::::::::::::::
305 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 16:14:45.32 ID:UR91AFaA
>>304 我々の両方ができるかもしれませんよ(笑)。
306 :
記憶喪失した男!ninja :2013/11/09(土) 16:17:28.12 ID:i0EGwFH4 BE:1916191474-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ
>>305 涅槃はあらゆる束縛から解き放たれた状態と説明されていますね。
::::::::: (┐ノ ぼくは、涅槃に行ったら、全知の法話を修得してから、宇宙を創造したいです。
:::::::::: /
:::::::::::::::::::::::::::::::::
307 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 16:21:29.61 ID:UR91AFaA
>>306 涅槃は確かに「あらゆる束縛から解き放たれた状態」でしょう。しかし、束縛
とは何ですか。束縛とは欲望です。欲望から怒りも生まれます。ということは、
あなたが涅槃に「行く」なら、全知の法話を習得したいとも、宇宙を創造したい
と思うことも無く、安らかでしょう。
308 :
記憶喪失した男!ninja :2013/11/09(土) 16:24:23.52 ID:i0EGwFH4 BE:1437143573-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ
>>307 確かに、涅槃に比べたら、存在することが業です。
::::::::: (┐ノ 涅槃に行ったら、存在することなど望まないのかもしれません。
:::::::::: /
:::::::::::::::::::::::::::::::::
309 :
ノスタルジア :2013/11/09(土) 16:24:43.97 ID:D/rJ4RtW
>>記憶喪失した男!ninja様 あっちでは荒らしがいるので、書くことはできませんでした・・・。 こちらで御回答させていただきます。 すいませんが、ぼくがなぜ、高ぶっていたのかということから話しますね。 ぼくは、なぜ高ぶっていたのかというと、なんというか、高ぶっていた雰囲気を 出したかったのです。 ぼくは、日本人の売国をする輩が許せません。今さっき、中沢新一のYOUTUBE で動画を見ていたのですが、やはり、日本人の思想というのはいっぱいあるんだけど、 いいところはいっぱいあるんだけれど、311の後になると、やはりどこか 転換がひつようだと言っていたのですが、記憶喪失した男様は、何かしら そのような発言をされていますよね? そういうことは、うん、公に出来る程度 でいいですから、話していただけませんでしょうか? ぼくはチャクラや 四諦の一つの集諦などの概念を使って、意味づけをしている最中であります・・・ ぼくは、日本人であるから、日本人を信用します。売国のためにレスを消費している 輩や、レスを無駄に消費することは、単純に不適切であると思っております。 そういう点でも、高ぶっていたのです。
310 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 16:30:39.93 ID:UR91AFaA
>>308 あなたの意見を聞きたい他の人もいらしたようなので、私はここらで退散します。
あなたの求道に良い結果がありますように。
311 :
記憶喪失した男!ninja :2013/11/09(土) 16:41:40.77 ID:i0EGwFH4 BE:4311430979-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ
>>309 現在、小説家になろうのリンクが貼れないものですから、
::::::::: (┐ノ 小説家になろうのユーザー「へげぞぞ」の「へげぞ超短編小説集第二期」の「38.無神論者と蝶」
:::::::::: / などを紹介させていただきます。まあ、わたしはいろいろ考えたのですが、
::::::::::::::::::::::::::::::::: それはネットに投稿してありますが、三十六歳のわたしにできたことはそろそろ限界です。
若い方に新しく考え出していただきたいと思っています。
312 :
ノスタルジア :2013/11/09(土) 16:51:56.48 ID:D/rJ4RtW
>>311 ぼくはですね、サハスラーラチャクラから、順々に、三つチャクラを
降っていくと、そのですね、その一つ一つが、実は浄土三部経の一つ一つであると
思えてきたのです。ようするに、ぼくはサハスラーラチャクラは大無量寿経であると
考えています。略して、大経と仏教界では言われていますが、あなたも大経を
読まれているのですよね? 大谷光瑞という御門主が昔おられたのですが、
そうですね、東本願寺の、御門主です。その方の著作には、大経と化学の関係性が
書かれていました。ぼくはいま、化学事典というのを持っていますが、いつの日か
解き明かしたいと考えています。大経との関わりを見つけるために・・・
ぼくは、サハスラーラチャクラというのは脳にあると思っていますよ・・・
313 :
記憶喪失した男!ninja :2013/11/09(土) 16:57:08.30 ID:i0EGwFH4 BE:2395239757-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー ::::::::: へ( ^q^')ノ ノスさんはだんだん賢くなっていきますねえ。ぼくが二十の頃に志したのはSFであって、 ::::::::: (┐ノ その方向では、新しいアイデアを50個は考えたと思ったのですが、プロにはなれずにあきらめました。 :::::::::: / 「デフレ派のブログ」に漫画家の年収が書いてありますから、このブログを書いてるのもぼくなのですが、 ::::::::::::::::::::::::::::::::: クリエイターの収入というものがおおよそ想像できるかと思います。まあ、はっきりいって、普通の会社員より儲からないですよ。
314 :
記憶喪失した男!ninja :2013/11/09(土) 17:06:50.07 ID:i0EGwFH4 BE:2463674494-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー ::::::::: へ( ^q^')ノ ああ、短いんで、ここに書けばいいですね。 ::::::::: (┐ノ 漫画家の年収というのは、漫画家は5300人いて、 :::::::::: / 上位100人は平均年収7000万円です。超お金持ちです。 ::::::::::::::::::::::::::::::::: で、それ以外の5200人は平均年収280万円です。 でも、漫画家全体では、平均年収は400万円くらいになり、普通の会社員とあまり変わりません。 つまり、会社の中で本当に働いているのは二割だけだという説がありますが、 会社というのも、漫画家のように、実際に収益をあげているのはごくわずかの部署だけで、 実力性の収入をとった時、漫画家くらい激しい収入格差を生むことになります。 これは、今、市場原理にまかせて経済を運営すべきという新自由主義と、 政府が強く介入すべきだという保守派の戦いが政治では起こっていますが、 現在の日本経済は、保守派の主張する弱者救済の原理をとっており、 規制緩和などを訴える新自由主義者は、漫画家のような経済を目指していることになります。
なんで仏教議論スレでネオリベの話になってんのよ
316 :
記憶喪失した男!ninja :2013/11/09(土) 17:34:50.41 ID:i0EGwFH4 BE:3284899586-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー ::::::::: へ( ^q^')ノ ブログの記事も追加しておきました。 ::::::::: (┐ノ いい発案になりました。 :::::::::: / 仏教からは脱線しましたが、あくまでも大衆救済のための話です。 :::::::::::::::::::::::::::::::::
>>222 >衆生済度(人類救済)の為に、報身の如来はあらゆる多様な姿で多数現れている。
現実社会の残酷な場面・生に遭遇するたびに、必然的に
神仏は不在と思うようになった
318 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 17:54:10.15 ID:s3H5YQi2
>>253 あ〜 これはひど過ぎる。キミは悟ってない凡夫だね。
>>285 >輪廻肯定論者は人間だけが特別な存在と認識しているフシがありますねえ。
いいところついたね。そう、実は人間には、人間を特別だと思う性質がある。
たとえば、ゴミをポイ捨てした後に、風の「ピュー」と吹く音を聞いても何も思わないけど、
人間の「何やってるんだお前」っていう音を聞くと、腹を立てたりする。
これも、人間を特別視する無明があるからだね。
人間は特別ではないので、草木と同じように輪廻しない…
こう考えると、いきなり涅槃入りしてることになるから、
ポイ捨てを怒られて腹を立ててる人に、
「苦しいのは気のせいだよ、ただの人の音じゃないか。草木は怒鳴られても、怒ったりしないぞ」
って言うことになっちゃうんだよ…わかるかなぁ。
320 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 18:17:24.96 ID:8K8POmmT
それこそ草木蔑視だろうがw 草木だって人間になるし、人間は天人にもなるし、梵天にすらなる しかし全て無明の範囲内での話だが その上で人間は苦楽が半々だからそれなりに修行する上では優位性がある
321 :
記憶喪失した男!ninja :2013/11/09(土) 18:23:58.70 ID:i0EGwFH4 BE:2874287276-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ
>>320 ちょっと待ってください。
::::::::: (┐ノ それはとても面白いので、新説としては採用したいですが、
:::::::::: / この仏教議論スレの研究成果では、梵天が輪廻したと書いてある仏典は存在しないのではなかったのですか?
:::::::::::::::::::::::::::::::::
>>320 ごめん、草木は解脱してるって仮定で話してたw
そういう意味では、草木は敬う対象って意味で解釈してくだされ。
>その上で人間は苦楽が半々だからそれなりに修行する上では優位性がある
優位みたいだね〜。たしかに、犬とか猫じゃ修行も難しいしね…。
私が言いたかったのはそのような事ではなく、輪廻肯定論者があまりにも「個」に 偏重した考えの持ち主で、そのような考えはいかがなものか?という事です。 人間以外の生き物の個は生じて滅するだけだが、人間だけは個として紐付きで 前世−今世ー来世と続く〜というような考えはあまりに不自然。 単に生物的に種として過去−現在-未来と続いていく事を輪廻とした方がスッキリ するでしょう、という事。 個の死なんて大した問題ではない。種として続くのだから。種の死も大した問題ではない。 生物として続くのだから。生物が死に滅びても、またどこかに誕生する。 そこに紐なんて無いでしょう。
>>323 あ〜、気持ちはわかるよ。
ただそれだと、現世でなした行いは、自分以外の誰かが全て受けるってことにならない?
つまり、子孫とか、後の時代の人が受けるってことだよね。
それだと、転んだら別の人がケガをするってことになるんと思うんだよね…つきつめると。
>ただそれだと、現世でなした行いは、自分以外の誰かが全て受けるってことにならない? >つまり、子孫とか、後の時代の人が受けるってことだよね。 そのとおり。今の人間が電力が必要なので福島原発を作った。福島原発は事故で廃炉まで 50年かかる。ツケを払うのは後世の人達。 原発そのものもその廃棄物を処理することが出来ないので保管するよりない。 しかも万年単位。電力を使うのは今の人間だが、保管をするのは後世の人たち。
私たちが生まれた時の環境は過去からの人達が作り上げてきたもので、 私たちの時代でより良いものにしないと、子孫が可哀想でしょう。 子孫達の生まれる時の環境を作り上げたのは私たち以前の人間で、そこには 私も含まれるのです。 だから人間はより良く生きなければならないのです。 今世で終わりなら、快楽主義に走ったもの勝ち〜にはならないのです。 なぜなら、それでは人間という種が滅びるからです。 人間が滅びて何に転生するつもりでしょうか?
だいたい梵天なんて仏教の守備範囲じゃないんだから 梵天のことはヒンドゥー聖典に聞くべきだ サーンキヤカーリカだと 「被造物として草木から梵天まで」とあって これは常套区として輪廻のただ中にあるものと言われる シャンカラは 「アートマンを知っている者にはあの世に対する恐怖も死に対する恐怖もない 彼にとっては梵天や帝釈天を含む神々さえも憐れむべきものである。 もし一切の不幸を産み出すいとわしき欲求が全く断じ尽くされたならば 彼が梵天や帝釈天となることは何の役に立つのであろうか」 とある。 お伽話と思おうが梵天はそういう路線の上にあるものと一般的に認識されている。 マヌ法典でも 「虫・蛇・蜂・動物・鳥・不動の生き物(植物)は苦行の力によって天界に赴く」とあるし 「人は身体から生まれる行為の罪によって不動物(植物)になる」 「(輪廻における)植物・虫類・魚・蛇・亀・家畜・獣は暗質に基づく最低の帰着点である」 「ブラフマン・創造主達の全て・神ダルマ・偉大なるもの・スヴァヤンブーは純質に基づく最高の帰着点である」 と規定されている 外道の意見なんかはお偉いさん達に言ってもあまり意味がないかなw
328 :
記憶喪失した男!ninja :2013/11/09(土) 20:10:49.25 ID:i0EGwFH4 BE:3284899968-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ
>>327 おお、大成果だよ。
::::::::: (┐ノ つまり、仏教では、創造主を含めて世界が輪廻するっていっていいんだな。
:::::::::: / これで、キリスト教、イスラム教をやっつけれるぜ。
:::::::::::::::::::::::::::::::::
>>325 >>326 ええと、それも立派な考えだし、合ってるとは思うけど、それを見越したうえで、
あるいは、それと矛盾しないで、輪廻は説かれているもんだと思うんだ。
つまり、原発のツケ、あるいは、それが様々な形となって現れるツケの一部を、
僕らが遠い将来に人間や畜生に転生したときに受ける…ということ。
輪廻を説かないと、どうして生まれてきたのかが説明できないのよ。
両親が原因と言っても、自分の意識が宿ることの必然性までは説明できないからね。
ってなると、「なぜ、生まれたのか」っていう問題が解決されないまま残ってしまうんっだ。
未解決の問題が残ると、釈尊の悟りは、最高の悟りとは呼べないわけだよね。
現世で僕ら知覚することのすべてのことには、必ず原因があるね。
現世のことには必ず原因があるのに、生まれてきたことに限って原因はないとて言ってしまうと、
どうしても、論理的に一貫しないんだよ。
常識的に輪廻は考えにくいんだけど、常識(なぜか1回だけ生まれる)の論理的な基盤が、
考えると予想上に脆いのよ。
>>329 人間は皆見当識障害なのですよw
今がいつで、ここがどこで、自分が何か分からない。
まさに見当識障害。
これこそ形而上の問題で仏陀が無記とした事です。
この無記とした内容をアレコレ妄想する煩悩のなせる業です。
輪廻は煩悩が生み出す妄想に過ぎません。
あってもよしなくてもよし〜で問題にしない。
まさに無記です。
>>330 >輪廻は煩悩が生み出す妄想に過ぎません
そうなんだけど、それと同じくらい、現世も、苦も、妄想ってことね。
で、いきなりこう言っちゃうと、
「輪廻も気のせい、今の苦しみも気のせいだよ」ってことになって、
方便(筏)が壊れるから、さっぱり現状が変わらない。
なので、妄想に合わせて、現世という妄想を説き、
現世での苦しみっていう妄想を説き、輪廻っていう妄想を説くのよ。世俗諦ってやつ。
332 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 20:37:53.26 ID:1Ng5Nzh0
>>321 記憶喪失氏
>この仏教議論スレの研究成果では、梵天が輪廻したと書いてある仏典は存在しないのではなかったのですか?
釈尊自身が梵天界にいた(正確には梵天と共生していた)と説かれておりますよ。
よって梵天が輪廻したと書いてある仏典は存在しますよ。
長部経典第十三経の「三明経」です。
また釈尊は前世で王だったが死後に梵天界に往ったという仏典も存在しますよ。
長部経典第十七経の「大善見王経」です。
PS
貴方のハンドルには「記憶喪失」とありますが、菩薩以外は皆「記憶喪失」して出胎するという仏典も存在しますよ。
長部経典第二十八経の「自歓喜経」と第三十三経の「等誦経」です。
333 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 20:47:28.48 ID:1Ng5Nzh0
>>329 親切僧さん
>両親が原因と言っても、自分の意識が宿ることの必然性までは説明できないからね。
衆生は入胎時に「記憶喪失」するという仏典も存在します。
長部経典第二十八経の「自歓喜経」と第三十三経の「等誦経」です。
換言しますと、母胎に宿るまでは意識、記憶があり、私達にも意志・願いがあったということでしょう。
過去世を7回は思い出したけど黒ばかりだったと証言された方がおられますが、入胎時に「記憶喪失」するという法は有難いですね。
334 :
記憶喪失した男!ninja :2013/11/09(土) 20:49:26.53 ID:i0EGwFH4 BE:1642450638-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ
>>332 ありがとございます。たいへん勉強になります。
::::::::: (┐ノ
:::::::::: /
:::::::::::::::::::::::::::::::::
335 :
記憶喪失した男!ninja :2013/11/09(土) 21:00:32.11 ID:i0EGwFH4 BE:3079593195-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ
>>332 すいません、梵天界って何ですか?
::::::::: (┐ノ
:::::::::: /
:::::::::::::::::::::::::::::::::
記憶喪失した男!ninjaさん あなたにとって 宗教は? 必要ない
>>333 一在家さん
おもしろいところだね〜。
個人的には、記憶が完全に喪失する…っていうのは、中々ないんじゃないかな〜って思うよ。
記憶を思い出せない、けれど、意識の深いところで何かしらの影響を与える…
っていう、すごい控えめなレベルでの話だけどね〜。酒で泥酔した次の日みたいな感じ。
>換言しますと、母胎に宿るまでは意識、記憶があり、私達にも意志・願いがあったということでしょう。
子どもが、純粋無垢で、心がきれいなのは、この願いの記憶がまだ新しいからで、
歳をとるにつれて、せっかくたてた願いも、俗世にまみれて忘れていくという…。
とか思ったこともあるけど、さすがに妄想かな…w
338 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 21:09:43.39 ID:1Ng5Nzh0
>>81 >■船瀬俊介の本を紹介 世の中はペテンに支配されている
貴方のかきこが縁でアマゾンへの注文が起こり、本日船瀬俊介氏の本が到着し目を通しました。
感想は「なんだ、こりゃ〜、ほとんど当たっているじゃないかい。」でしたよ。感謝、深謝。
(CASE 096)P212 「原発震災」
・中越沖地震で柏崎原発の大事故
・チェルノブイリ原発爆発の16秒前に直下地震が観測された事実を知らない日本人
・日本列島全域はいつ震度7クラスの大地震に襲われても不思議でない
2007年11月30日に「知ってはいけない!?消費者に隠された100の真実」が発行。
著者の警告も空しく無策のまま?2011年3月11日に最大震度は7の巨大地震が東北を襲いました。
339 :
記憶喪失した男!ninja :2013/11/09(土) 21:12:30.01 ID:i0EGwFH4 BE:4311430979-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ
>>336 なぜ?
::::::::: (┐ノ
:::::::::: /
:::::::::::::::::::::::::::::::::
340 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 21:17:13.53 ID:yF/2vPYQ
>>331 >なので、妄想に合わせて、現世という妄想を説き、 現世での苦しみって
>いう妄想を説き、輪廻っていう妄想を説くのよ。世俗諦ってやつ。
こりゃ無理、無理、ダメだ、寝るw
341 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 21:26:57.34 ID:1Ng5Nzh0
>>335 >すいません、梵天界って何ですか?
(梵天 Wiki)
神が仏教に取り入れられ、仏法の守護神となり、梵天と称されるようになった。
色界十八天のうち、初禅三天の最高位(第三天)である大梵天を指して「梵天」と言う場合もある。
仏教での梵天の位置はあまり高くないようですが、これこそ後世の捏造ではないかと考えております。
少なくとも釈尊が前世で住しており、大梵天の説得で心変わりして初転法輪に臨まれたことを根拠としてです。
また長部経典第十九経の「典尊経」では、釈尊は前世でバラモンだった頃に弟子達を梵天界に転生させれたことを得々と語っておられます。
もしかしたら後世の捏造者達はこの経典を知らなかったのかも。
342 :
記憶喪失した男!ninja :2013/11/09(土) 21:30:30.53 ID:i0EGwFH4 BE:3832382887-2BP(427)
343 :
記憶喪失した男!ninja :2013/11/09(土) 21:32:49.39 ID:i0EGwFH4 BE:2395239757-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ
>>341 梵天界にいるのはみんな梵天だってことでしょうか?
::::::::: (┐ノ
:::::::::: /
:::::::::::::::::::::::::::::::::
345 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 21:34:46.74 ID:1Ng5Nzh0
>>337 >歳をとるにつれて、せっかくたてた願いも、俗世にまみれて忘れていくという…。
私は他人から「あなたにとって幸せとは何ですか?」と問われた際に、学生の頃から
「持って生まれた使命を思い出して、その達成の為に生きられることです。」と答えておりました。
使命、ミッションを果たす、仏教的には「お役目を勤める」ということでしょうか。
まあ、思い出したような、思い込みのような(快笑) (^0^)/
346 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 21:42:07.33 ID:1Ng5Nzh0
>>345 >使命、ミッションを果たす、仏教的には「お役目を勤める」ということでしょうか。
多分、本スレの住人の多くのミッションは「衆生済度」ではないかと存じます。
常見派、断見派、中観派、クリスチャン、異教徒と色々おられますが。。
根拠はただ阿弥陀如来、釈迦如来、大日如来(順不同)の願いだからです。
同じ時代に再生して、仏縁で皆本スレに集まってきたということでしょう。>大勢のROM各位も同様です。
使命、ミッション なに 真剣に考えたら 疲れるよ ただ生まれただ死んでいくとは納得できず
釈迦の十無記について、もっと検証する必要があるんじゃないか? あれは、死後世界が存在するかしないかとか、輪廻が存在するかしないかとか、 そういう問題じゃないだろ。 「如来は死後存在するのか・・・?」 っていう、色の世界を超越する話をするときに、 理解不能だから、ハッキリと断定することを避けてるんであって、言ってみれば、勝儀の問題を、 断定不能と言ってるんだろ。 もし、十無記が死後の世界や輪廻のことなら、経典にそれらの記述が出てくるのと矛盾する。 十無記をよく読んでみると、通常の輪廻やあの世の話ではなくて、如来の存在や、究極の常住のものに対してだよね。 つまり、勝儀に対する無記だよ。
>>345 一在家さん
なるほどね〜、学生の頃からぶっ飛んでますねw
>>346 そうだね〜。って言っても、あんま仏縁とか輪廻とかの話は、
自ら積極的には話さない方がいいかも。
別に、輪廻とか霊的なことばかりが仏教の本筋ではないので…。
>>348 だよね〜。
「無記」の中に輪廻もごちゃ混ぜにするのを結構見るけど、
輪廻は形而下として説かれるからね。
351 :
記憶喪失した男!ninja :2013/11/09(土) 22:39:22.08 ID:i0EGwFH4 BE:3353335177-2BP(427)
352 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 22:44:05.82 ID:K2StnzIv
>>348 >理解不能だから、ハッキリと断定することを避けてるんであって、言ってみれば、勝儀の問題を 断定不能と言ってるんだろ。
>勝儀に対する無記だよ。
何にも判っておられないようですが、こんなレベルで、なんで出くるの?
>>350 >「無記」の中に輪廻もごちゃ混ぜにするのを結構見るけど、輪廻は形而下として説かれるからね。
無記は二項相対思考における経験的検証不能の問題です。
文句があるのなら、輪廻を経験的に検証してください、すぐに!
真言宗坊主はアホが多すぎます。
顔洗って出直して来たほうがいい。
353 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/09(土) 23:02:42.30 ID:ooD1BxrH
>>329 >輪廻を説かないと、どうして生まれてきたのかが説明できないのよ。
>両親が原因と言っても、自分の意識が宿ることの必然性までは説明できないからね。
は????
意識が宿る?? 意識などは、自分の脳の稼働による精神作用の総称でしょうが?
何か、他からやってきて自分の肉体に入り込む何かみたいなものと思ってるのかな?
受精の結果、脳が形成され、その稼働によりデータの蓄積が行われる。
その過程において、自己意識が形成されていく。
きちんと説明できますが?
354 :
サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/11/09(土) 23:06:51.80 ID:p6EGqEYZ
>>353 脳のどこにどのように?
脳機能についてはもっと研究が進まないとねぇ
355 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 23:12:40.32 ID:1Ng5Nzh0
>>252 >ちょっとした禅定にも入れない奴らが仏教学者を気取って輪廻云々言ってもしょうがない
>前世の記憶なんてものは多少修行すれば取り除くべき汚れとしてボロボロ出てくるもんだ
>しかし過去七代くらいまで出てくるともうカオス過ぎてどうでもよくなる
>>352 >無記は二項相対思考における経験的検証不能の問題です。
>文句があるのなら、輪廻を経験的に検証してください、すぐに!
(譬え話1)
Aさん:このストレッチを1か月続ければ血圧が平均20下がって、高血圧が解消されるよ。
Bさん:そんなアホな。今すぐに検証して下さい!
Aさん:騙された思って、君がこのストレッチを1か月してみなさい。
現象世界でも日常生活でもよく見かける光景ですね。
(譬え話2)
Aさん:八正道とこの方法で瞑想を何年か続ければ前世が思い出されるよ。
Bさん:そんなアホな。今すぐに検証して下さい!
本スレでもよく見かける光景ですね。
仏教界の祖師達のほとんどが前世を確信を持って説かれておりますので、少なくとも前世記憶は想起済みだと推測します。
356 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 23:12:58.34 ID:K2StnzIv
>>332 >>333 >>337 巨人軍とアホは永遠不滅です、ってのが「常見」というのでしたよねw
アホオカルトはカエルの面に小便ですなw
キチンと相応部35-23・70で経験的に検証してから出直して来い。
357 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 23:23:06.80 ID:K2StnzIv
>>355 やはり、アホは永遠ですなw
経験的に検証しろ!と言っている。
経験的検証可能1と不能2を混ぜ込むやり方は、いつものカルトの手口だよなw
これで三回目だったよなw
ホントに悪魔の心情をもっているのだろう。
なんて姑息な奴なんだ。
ホントに在家の根性は腐りまくって、中国のPM2.5よりひどい腐臭が出ている。
358 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 23:24:06.95 ID:1Ng5Nzh0
>>353 >意識が宿る?? 意識などは、自分の脳の稼働による精神作用の総称でしょうが?
10年ほど前までは、「遺伝子」に過去世(先祖の経験)が蓄積されているというモデル(仮説)がよく言われておりました。
しかしヒトゲノムの研究が進んで参りますと、塩基(たんぱく質)の組み合わせで先祖の経験を蓄積するのは情報量や書換速度から見て無理があることが分かります。
科学が進歩してくれば逆に「脳」では我々の行っている情報処理活動において情報量や書換速度から見て無理があることが分かります。
電子情報系より深奥の情報系の存在をモデル化(仮説立て)した科学者達を何人も知っております。
359 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/09(土) 23:27:54.56 ID:ooD1BxrH
>>354 勿論、脳の機能は不明な部分が多く、現時点ではわからない部分も多いよw
しかし、記憶部位が海馬に関連しているとか、多くのことがわかってきたのも事実w
少なくとも、認識、判断、記憶、意識が「脳の働き」でないと考える科学者はいない。
(勿論、トンデモは除くww)
要は蓋然性の問題さw
「意識」というわけのわからんものが、誕生のいずれかの時点で肉体に入り込むと
考えるか? もしくは、脳の形成、およびその後の稼働による精神作用であると
考えるか? の違いw
そして、現代的知見は圧倒的に後者を採用するw
前者を採用するのは宗教者の信仰のみ。そして、それを担保する普遍的証左は
宗教者側から提示されていないねww
>>246 それは一面的でしょ。或いは、仏教学輸入時点の話で。
勿論、日本近代仏教学萌芽の時代は、
『西洋的(分析・解析・解釈)手法』こそが最新且つ必殺ツールだったろうとは思うけど。
それに倣う、或いは寄り添う、或いはベースとする、
それ以外は、古き不正確なツールであり、乗り換えるべきアプローチ法・解釈だ、と・・。
今は、それよりも(西洋的手法自体が旧式になっている今)、
様々な知見(医学・生物学、物理学、化学、歴史学・社会学等)によって、
『あり得そうにない』と見做されるからだと思うよ。(自身を振り返ってみてもね。)
勿論これを、知り得るレベルに到っていないから、と言うのは容易い。
ただ、ここでの(一代が現代常識への阿諛と評するw)スタンスへの着地は、
構図として≪文言非我、文脈無我≫と同じなんだよね・・。
ID***が盛んに喚いてるけど、あの言い分はまさに、≪文言で非我なんだから無我の筈がない!≫
なのよねw ま、その戯言はともかくw
「文言非我、文脈無我」は、このスレで何度も話題になる如く、一切内と一切外の話になって、
≪仏教は一切内のことが対象であり(一切内だけを扱うものであり)、
その一切内に我を見いだせないとしたなら、それはイコール無我である≫
という形で成立する。(ID**の言い分は、この形式にすら届いていないので当然却下なわけですが・・。)
で、近代仏教学が採っているスタンスは、この「文言非我、文脈無我」の相似形になっているのです。
凡そ想定しうる(―これを、凡夫の想定範囲でしかないということもできますが、それは一先ず措きます―)世界、
【『一切内』の在り様として、成立し得ないなら、それは一切外として却下の対象ではないだろうか?】
というのが、現代(日本)仏教学の基軸となるのです。
361 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/09(土) 23:30:00.23 ID:ooD1BxrH
>科学が進歩してくれば逆に「脳」では我々の行っている情報処理活動において情報量や書換速度から見て無理があることが分かります。 何言ってんだ? このキチガイはwwwwwwwwwwww >電子情報系より深奥の情報系の存在をモデル化(仮説立て)した科学者達を何人も知っております。 トンデモ学者だろうがwwwwwwwww
362 :
サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/11/09(土) 23:34:38.01 ID:p6EGqEYZ
>>359 前世の記憶に関しては
文化的に生まれ変わりの許容されている地域 文化 個人などの
報告が多くてキチンと検証に足る事例がないから?ではあるけど
どうかなぁ深層の意識とか集合性無意識は正後のものか生前からのものか
であるとかもっと研究が進まないとね
ユングの.統失患者が見た古代秘教のシンボルの事例とかあるし
>>353 パーピマン
ん〜、それだと答えになってないんだよなぁ。
意識というものについて、もっと実存的なニュアンスで言ってるんだよ。
別に、母体に宿るとか、そういう魂的なニュアンスはそんなに込めてない。
>>355 以前、薬や医学関係で叩かれたことを忘れたか・・w
また、いい加減な方向へ持っていくつもりか?w
>>338 んと、屑だな。
あ、チェック忘れたw
>>360 中のID***は お馬鹿な ID:S2hZaEPC のことね。
つか、在家に媚びてどうすんだよw
こいつのどこにそんな好評価部分が見えてんのさ。 目が悪いとしか思えん・・。
>>349 >>337 他
ここ直近数レスでも、呆れるようなレスしかしてないと思うが?w
「使命」とか「ミッション」とかwwwww
個人の(生き方としての)受け止め方ならまだしもw
365 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 23:40:06.96 ID:1Ng5Nzh0
>>357 >経験的に検証しろ!と言っている。
本スレでも「輪廻を経験的に検証した!」と言っている人達が何人かいます。
貴方は彼らに対しても「経験的に検証しろ!」と連呼、シュプレヒコールしているだけですというのが、
>>355 の譬え話の含意でしたが。。うまく伝わらなかったようです。
尚、私は禅定とは全く別の方法で日々検証しておりますので、あしからず。
霊動現象を通して、話せないはずのフランス語を話す人、数分間も知らないお経を唱える人、
家族が探しても見つからなかった故人の遺品の在りかを話す人、等々。
そういう人達に向かって、「アホ」とか連呼している人も本スレで見かけます。
浄土入りも涅槃入りも独りだけでは行けない所だと思いますね。芥川の「クモの糸」がヒントでしょう。
366 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/09(土) 23:41:01.34 ID:ooD1BxrH
>>362 深層意識・・・・・表層に上がらない、すなわち、自己認識の
欠落した指向性に過ぎんでしょw
集合性無意識・・・・・?????
まず、そのようなものが本当にあるのかどうかが疑わしいのだが?
特定のグループ内に形成された共通観念を超えるものが実証された例はないでしょ?w
367 :
カルト撲滅!! :2013/11/09(土) 23:41:42.83 ID:K2StnzIv
まあ、統一教会にしても、マヒカリにしても、創価学会にしても、 朝鮮人特有の経験的世界と妄想世界をごちゃ混ぜにする詐欺カルトの特徴なんだけどね。 いわゆる従軍慰安婦=追軍売春婦問題も全く同じ詐欺カルト方式なんだよ。 経験的世界での検証ができなければ、無理やり妄想世界をねじ込んで、 ヒステリー脅迫するか洗脳詐欺を必ずやる。 在家の簡単な詐欺論理なんかここでは姑息なアホですむが、 現実に朝鮮詐欺カルトの被害者が多数でており、 過去の日本を妄想侮辱することで、現在の日本の名誉を毀損することは許しがたい。 これが現在の日本の共同幻想での世俗諦だ。 朝鮮カルトは、覚悟したほうがいい。
368 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/09(土) 23:43:17.80 ID:ooD1BxrH
>>363 >意識というものについて、もっと実存的なニュアンスで言ってるんだよ。
では何? 「意識」という語彙が指示してるものは?
「実存的ニュアンス」などという曖昧な表現ではなんのことかさっぱりなんだがww
>>359 パーピマン
>「意識」というわけのわからんものが、誕生のいずれかの時点で肉体に入り込むと
>考えるか? もしくは、脳の形成、およびその後の稼働による精神作用であると
>考えるか? の違いw
>そして、現代的知見は圧倒的に後者を採用するw
その2つの見解がどう矛盾するのか分からんのだが…。
370 :
カルト撲滅!! :2013/11/09(土) 23:45:13.61 ID:K2StnzIv
>>365 勝手な妄想を検証とはいわない。
→朝鮮人特有の経験的世界と妄想世界をごちゃ混ぜにする詐欺カルトの特徴なんだけどね。(
>>367 )
>>369 矛盾はしないが、
「ヒトの誕生・生育に於いて、【前者は必ずしも必須ではない】」ということです。
寧ろ【後者で足りるのであれば】【前者は妄想・願望・空想として却下可能】ということです。
>>368 パーピマン
いや、ここから先は、感覚的すぎて伝えるのがマジでむずいwww
ただ、脳科学者の人でも、共感してもらえる部分だと思うので、
考えてみると、つかめる感覚だと思うよ〜。
別にこちらは、科学の見解を批判してるわけではないし、そこに関心はないしねl
ただ、脳がピピって動いたりするだけじゃ、この自己意識ってものが、
生じる必然性が説明できないって言ってるだけで。
373 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/09(土) 23:49:16.79 ID:ooD1BxrH
>>369 前者は、身体外存在を設定して、それが身体に入り込む・・・という見解
後者は、そのようなものを認知せず、身体内の一部位の稼働という現象の結果
全く違うでしょ?
>>372 だから人間は皆見当識障害。
その根本は誰にも分からない。
分かったような事を言っているのは皆偽者。
輪廻は煩悩が生む妄想に他ならない。
375 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/09(土) 23:54:02.46 ID:ooD1BxrH
>ただ、脳がピピって動いたりするだけじゃ、この自己意識ってものが、 >生じる必然性が説明できないって言ってるだけで。 「自己意識」・・・すなわち「自分」という感覚は、以前も言ったが 空間的連続性の認識 と 記憶の連鎖・・・どちらも「精神作用」の 一環で、脳の稼働により、「そのような感覚を有する」・・・・ 何ら不思議なことはありませんが。
立ち位置が難しいなぁ・・w
>>374 とも敵対しなきゃならんし、
>>372 とも敵対せなならんw
イソップ童話の蝙蝠状態だなw
>>373 パーピマン
違うけど、矛盾はしないでしょ、二者択一ではないでしょって話。
>>375 それは、唯物論の立場から言ってるの?
最終的には原子の動きとかに還元できると?
>>372 >ただ、脳がピピって動いたりするだけじゃ、この自己意識ってものが、
>生じる必然性が説明できないって言ってるだけで。
それは、「ヒトの意識」(というか生物の神経系)を買い被り杉でしょw
『脳のビビッてのが自己意識である』という定義で済んでしまうのに。
「 >生じる必然性 」なんて考え方は仏教的でないよ。
寧ろ、在家や宝珠等新興宗教の「(布教という)使命・ミッション」思考と変わらんよ。
379 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/09(土) 23:59:13.11 ID:ooD1BxrH
>>376 wwwwwwwwwwwwwww
とりあえず、今は、「紐君」に向けている矛はおさめなさいwwwwwww
380 :
サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/11/10(日) 00:03:07.84 ID:7g4vQqXW
>>366 深層意識はどうかなぁ
ただの記憶の断片の集積とは言い切れないような
>集合性無意識・・・・・?????
個を超えてある象徴が個人の意識で再生される事例がある
それが記憶の断片の範囲であるのか 文化的刷り込みの産物か
個を超えた意識からのものなのか ですね
統合失調の患者のイメージに現れる事例が記録されてる
ユングとかさw
でもここらへんおかしな宗教とかが悪用するから誤解されて概念が流布してるんだけど
381 :
神も仏も名無しさん :2013/11/10(日) 00:04:36.71 ID:1Ng5Nzh0
>>367 >朝鮮カルトは、覚悟したほうがいい。
また、決めつけておりますね。
現代でも輪廻を検証する方法では仏教の禅定、異教の霊動現象よりも欧米では退行催眠がよく使われております。
精神科医の多くはクリスチャンで、少なくとも「朝鮮カルト」ではございません。
「生まれ変わり」の懐疑論者だったキャノン博士は1,300人以上の被験者のデータを取って、生まれ変わりを
認めざるを得なかったと報告しております。
近年では研究者達の関心は「生まれ変わり」の存在の証明から離れて、その具体的な仕組みの解明や、
肉体を持たない意識とのコミュニケーション方法へと移っているとのことです。
(前世療法 Wiki)
前世の記憶は虚偽記憶の一種であるという批判があり、かつて催眠によりありもしない記憶が作られた例が多くあった。
そのため、前世療法を利用する人は注意が必要であるともされている。
しかし、中には本人の知るはずの無い史実と一致する正確な記憶を話す事例も存在する。
>>378 セブンさん
>それは、「ヒトの意識」(というか生物の神経系)を買い被り杉でしょw
そうだよね、もう、そういう方法で返すしかないよね。
それも考えたことがあるという前提で話している、ということなんだけど…。
383 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/10(日) 00:06:29.77 ID:NO5nAVTs
>>377 >違うけど、矛盾はしないでしょ、二者択一ではないでしょって話。
それは、セブンが答えてるw
より合理的説明が可能なのに、余分な付加は必要ないってことw
交通事故を起こした原因が、飲酒であると説明つくのに、
「朝、出かけるときに前を黒猫が横切ったから」なんて説明はいらんw
>それは、唯物論の立場から言ってるの?
>最終的には原子の動きとかに還元できると?
唯物論?・・これが何の意味で言ってるのか分からんが、
「人間の意識」は脳内の科学的変位に帰結できると考えてるよ。
384 :
随縁且従容 :2013/11/10(日) 00:09:58.76 ID:ude+jC2/
すべてが縁起の現実なのに、 存在することの「理由」や「目的」を求めること自体が、 妄想根性の賤しさ、浅ましさを物語っている。 で、業報論ごときに迷う。 これではブッダのニルヴァーナなど、とうてい見いだし難い。
>>382 チャーマーズの「意識する心」って読んだことある?
あぼんしてるんでCtrlキーでざっとしかチェックしてないけど、(スレの流れ早過ぎw)
なんかサロメも参戦してるみたいだが・・w
彼でさえ、霊魂等の導入までは、まだ踏み込んでないようだけど。
387 :
随縁且従容 :2013/11/10(日) 00:18:46.13 ID:ude+jC2/
>>381 その手のオカルト話は宝珠も出しているが、
オカルト仲間内だけのこと。
客観的再現性・涅槃合目的性・自力検証性・即時性(相応部35-23・70)がまったくない。
そもそも修証道とくに【般若門】とはまったく関係がない。
それどころか【般若門】を見出すことさえできないだろう。
邪見だ!
388 :
サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/11/10(日) 00:22:32.41 ID:7g4vQqXW
>>385 彼じゃなくて彼女ですが 大丈夫ですか?w
キリスト教は前世は認めていません
個人的にも前世をキッチリ証明する事例がないので信じていないですね
不思議な出来事
は
不思議な出来事の範囲で理解しています
389 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/10(日) 00:26:42.55 ID:Q4gLKEHR
>>378 脳内電気信号やニューロンのパルス云々というのは、
所詮、肉体上の反応のことに過ぎないから。
意識そのものじゃない。
脳が無くても意識はある。
植物にだってその次元での意識はある。
彼らは彼らなりの意識で以て、人間の思念や音・音楽の内容などに反応するから。
鉱物も次元での意識を持つ。彼らも人間の思念によく反応して、特にその想念エネルギーを保持する。
彼らの意識、その反応現象は科学的に検証可能です。真面目にやればだけど。
390 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/10(日) 00:27:49.37 ID:Q4gLKEHR
>>262 >うーん、一代さんよりは、仏教に距離をおいてるかな。
>仏教徒というより、「仏教ってスゲーな」教って感じ。
わかりました。
わたしは、仏教を最高とするスタンスについては結構だと見なしますが、
“仏教だけが唯一の真理であり、それ以外の宗教はすべてダメだ(輪廻から解脱できない)”
などという態度は大嫌いなのです。
そういうことをいう宗教も人間も低次元だと見なします。
レベルの低い宗教は、まず例外なくこれ(これだけが唯一だ)をいうのです。
>閻魔さんは、そうかも。いわゆる、因果をはじめから否定する考えだね。
>机さんは、最後には考えが変わってたよ。
机さんは人柄がいいのだと思う。
閻魔さんについては、口だけではない奉仕の実践者であり、
日頃からホームレスの大変な人々に手を差し出しているところは素晴らしい。
議論の内容については?です。そう、因果の道理や手順が吹っ飛んでいる。
392 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/10(日) 00:30:40.99 ID:NO5nAVTs
まとめておくとですなw ⇒「この世界では、『生まれ変わり』という現象を認知しなければ 説明のつかない事象など、唯の一件も確認されていないのです。 あるのは全て「そう信じたい人は信じてください」というレベルの オカルト話だけです。(ちなみに、俺が例としてあげたような「そう考えざる をえないような事例」というのは皆無でしょ?www) 「自己意識が生じる原因も、脳の活動による結果」という説明ができるわけで 「自己意識」というのが、何らかの外部要因によってもたらされるという見解は 何ら必然性を伴うわけではありません。すなわち、「信じたい人は信じてください」 という話で、「生まれ変わりの論理的証左」とはなりません。」 以上ですw
宝珠もチャーマーズ読んどけw
私は鉱物に感情があるのか疑問ですが、植物にはあると思いますよ。 しかし、それと輪廻は関係無い。
>>390 宝珠さん
そっか。記憶違いだったらごめんなんだけど、宝珠さんが色々言われてたのって、
神智学を信じてるからじゃなくて、仏教が説かないことを仏教と言ったからではなかったっけ…
>日頃からホームレスの大変な人々に手を差し出しているところは素晴らしい。
そうなんだ…!閻魔さん、めっちゃいい人じゃん…!
396 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/10(日) 00:34:03.59 ID:NO5nAVTs
>>389 wwwwwwwwwwww
石っころも意識があるんだwwwwwwww
ごめん、 今日、 踏んづけちまったww
397 :
神も仏も名無しさん :2013/11/10(日) 00:38:25.57 ID:ASKopDmG
>>386 石ころにも意識ありますか?
だったら、パソコンにもプログラムしたら意識持つかもしれません。
398 :
サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/11/10(日) 00:42:23.73 ID:7g4vQqXW
>>392 生きてる人間の意識についてはかなりの部分がブラックボックスねww
脳を超えた人体に付属する記憶媒体があると面白いがw
>>397 限りなく、ないと思いますね〜。
踏んづけても怒ったりしない辺り、悟ってるように見えます。
これが、踏んづけられて、襲いかかってくる石がいれば、
そいつは煩悩を持って輪廻してるだろうけど、そんな石いないからねー。
基本的に、六道以外のものはみんな解脱して意識が滅してると言っていい気がする。
>>391 ちらっと読んだ!「気のせい」説、いきなり涅槃論だね〜。
投稿のたびにIDが変わるのはなぜだ…。
クオリアについて真面目に考えるスレ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1160124266/ http://mimizun.com/log/2ch/philo/1160124266/ 528 考える名無しさん sage 2007/04/19(木) 14:49:51
>> 522
>複数人の脳の刺激を物理的に結合しさえすれば
>統一された新しい意識が生まれる(はず)。だから比較可能、とこういう話。
横レスですが、これはやや違うのではないですか。
問題の本質は「1つの主体( 意識が統一している範囲)」は他の主体が
感じているクオリアを原理的に知り得ない」ということであって、
複数の脳を連結して1つの意識(主体)にしても、自分が感じているクオリアと
他の意識(主体)が感じているクオリアを比較できないのは同じだと思います。
単に、1つの統一意識が1つの脳を持つか、複数の脳を持つか、の違いにすぎない
のではないでしょうか。
仮に、複数の人間の脳を自由に1つの意識に連結したり複数の意識に分離したり
できるようになって、しかも記憶は消えないで残る、とします。
1つの意識に連結されたときは、複数の人数分の記憶を1つの意識があわせ持つ、
ということだと思いますが、そこで1つの意識が喚起する記憶の中のクオリアと、
別々の複数の意識だったときにそれぞれが感じたクオリアが同一である、という
保証がどこにもないのではないでしょうか。
「Aの意識」と「(A+B+C)の意識」は、あくまでも別の意識なので、
記憶の内容・解釈・それが喚起するクオリアが違っていても、不思議はないと
思います。
また、再びA、B、Cそれぞれの意識に分離した後でも、3人がそれぞれ
「(A+B+C)の意識」だったときの記憶を持っているのでしょうが、
しかし、3人の記憶の内容や、その解釈や、喚起しているクオリアが
同一であるかどうかは、3人とも確信が持てないように思います。
3人は今では全く別々の意識なので、同じ1つの事件を見ても記憶の内容や
解釈や喚起するクオリアが別であるのと同様に、「同一の体験」についての
記憶の内容や解釈やクオリアが別であっても不思議ではないとも言えないでしょうか。
405 :
神も仏も名無しさん :2013/11/10(日) 00:56:21.91 ID:v/Vt2Sok
>>361 >>科学が進歩してくれば逆に「脳」では我々の行っている情報処理活動において情報量や書換速度から見て無理があることが分かります。
>
>何言ってんだ? このキチガイはwwwwwwwwwwww
相手の言っていることが分からない時に反射的に「アホ」とか「キチガイ」とは言わない方が良いでしょう。大人の対応です。
「意識」では分からないようですので、「短期記憶」を事例にしてみましょう。
私達は1回見ただけで、画像(動画)を記憶することができます。
これには脳神経(ニューロン)の伝達特性を変化させる必要があります。
たった1回の刺激で、動画を記憶できるほど関係する大量のニューロンの伝達特性を規則正しく変化させるということです。
20年ほど前にコンピュータ上で脳神経のシミュレーションを行う研究開発が盛んに行われました。
「ニューラルネットワーク」と呼ばれる先端技術で、簡単な処理装置、フィルタ等は自動的に生成することができました。
でも、繰り返し、繰り返し同じ刺激を与えて、電子的ニューロンの伝達特性を変化させる必要がありました。
結局、人間みたいに1回の刺激で記憶するような脳神経のシミュレーションはできなかったということです。
以上、パーピマン氏との対話が縁となって科学的な話が起こりましたが、理系の住人ならばある程度は分かるかと存じます。
クオリアについて真面目に考えるスレ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1160124266/ http://mimizun.com/log/2ch/philo/1160124266/ 529 考える名無しさん 2007/04/19(木) 15:01:22
>> 528
そんなこと言い出したら、同一人物でも、時間が変わっても同一であるとは言えなくなる。
953 考える名無しさん sage 2008/01/12(土) 19:48:40 0
>> 952
理論物理の方程式の中に、その「赤さ」というやつが出てこないように思える。
これが問題なわけ。
で、ここから立場が分かれる。この問題にたいする立場はザックリ分けて次の三つ。
1.クオリア錯覚派
この立場では、クオリアの話は結局は今の物理学の範囲内で終わる話でしかない、と考える。
つまりクオリアは歴史上のカロリックなんかと同種の概念だと考える。
いわゆる消去主義とか物理主義とか言われる人たちがこの考えかたを取ってる。例えばチャーチランド(哲学者)とかデネット(哲学者)とか。
2.判断保留型
ややこしい問題には立ち入らずに、とりあえず実証的な成果を蓄積していこう、という立場。
多くの科学者がこの立場で、デネットの錯覚だ、という主張にも、チャーマーズのような汎心論の主張にも
どちらもにも単純には同意しないタイプ。たとえばクリストフ・コッホ(神経科学者)とかがコレ。スティーブン・ピンカー(進化心理学者)なんかもそんな感じ。
3.クオリア実在派
クオリアはマジである、という立場で、物理学の拡張、または基本的改革が必要と考える。
例えばチャーマーズ(哲学者)とかが拡張派(あと茂木も)、そしてマッギンなんかが改革派。
一在家や隠居のレベルが如何に陳腐か、っつー話にもなるが・・w
たとえば
>>405 。
>私達は1回見ただけで、画像(動画)を記憶することができ
脳の神経系だけでは、一回での記憶が不可能で(不可能そうで)、
魂なら一回での記憶が可能だ(可能そうだ)。
これが、馬鹿馬鹿しい思い込みでなくて何であろうか?って話でもあるw
409 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/10(日) 01:17:01.09 ID:NO5nAVTs
>405 アホか???wwwwwwwwwww 人間の脳と同一のシステムをコンピューター上に再現させたのか? ほ〜〜〜〜〜〜〜〜、それは初めて聞いたw 人間の情報処理能力達する能力を有するコンピューターって何だ? 教えてくれwwwwwwwwwww あ! ちなみに、確か1000億個のニューロンを有する人間の脳の機能を シュミレーションするには、まだ10 年くらいは必要だったはずだがww あの話はどうなったのかな? もう、やったの???www
410 :
神も仏も名無しさん :2013/11/10(日) 01:19:55.91 ID:ASKopDmG
思い込みでなければ、なんだろう?
412 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/10(日) 01:21:13.49 ID:NO5nAVTs
20年前のコンピューターで人間の脳の機能のシュミレーションをした?? それで、できなかったから、きっとそれ以外の「魂」とかが働いてるに 違いない・・・てか?wwwwwwwwww まさに、アホの極みwwwwwwww
414 :
神も仏も名無しさん :2013/11/10(日) 01:48:43.98 ID:mEVJ6z04
>>407 >一在家や隠居のレベルが如何に陳腐か、っつー話にもなるが・・w
早速、クオリア説に飛びつきましたかw。それは何らの証明もなされていない
仮説。茂木という人が、さかんに胡散臭い本を書いているだけ。
>>414 ばーかw
何年前のスレだと思ってんだ?w
それに、茂木とか大嫌いだから。
つーか、クオリアの存在の可否じゃないんだよ、問題は。
たまたま、クオリアが哲学的には主題となっているだけで、
「魂」でも「真我」でも「モナド」でも「プルシャ」でも「プドガラ」でも「阿頼耶識」でも同じなの。
ただ、「魂」とかへ飛ぶ前に、クオリアと総称される「○○さ」というものすら、我々は解決できてないよね、
という話。
416 :
神も仏も名無しさん :2013/11/10(日) 02:09:45.54 ID:e0b5GIQC
, 、 -‐‐‐- 、 ,_、 ,_ . . / \ . / ノ(( ̄ ̄ ̄ ̄\ \ / .| `). ― .\ i ,' ,' ⌒ヽ '⌒ヽ, .レ) | / ( , =、 , ., =、 .ノ'゙ | ,' `.く_ ・._). , 〈 .く_ ・_)ヽ i'^ヽ| _ノ '、ヽ_ 〉 ',( {|\ (c、,ィ) / ((_>:r| ,.へへ、 .イ 、_> / \ 、_∠ィ'lエlュ.レ / あのさぁ〜 .`Z/!、i \ ヽ\ェェン/ / おめぇーよー _,, -く \ \. `ー‐'´/自己の生死(しょうじ)になんの関係もねー他人に依拠して .\. `"''ー\____/''- ,,_ どうしようってーのよぉ!?
417 :
神も仏も名無しさん :2013/11/10(日) 02:14:21.40 ID:mEVJ6z04
>>415 すべて「外界の状況に応じて肉体(生命)を維持するために発動される心的機能」
で足りる。
>>417 w
とりあえず読んでから言えよw
読んで、更にそれが言えるとしたら、ノーベル賞ものの世界随一の哲学者だよ。
ノシ
419 :
神も仏も名無しさん :2013/11/10(日) 02:39:17.17 ID:mEVJ6z04
>>418 クオリアを一つ一つ考えて見れは、必ず上記の定義に当てはまるはずだ。
哲学者とは、己の思考の基盤を思考できない人種。宗教者と同じ。
421 :
神も仏も名無しさん :2013/11/10(日) 03:05:47.70 ID:mEVJ6z04
>>420 数学者や哲学者や、それに宗教者までもが、何故脳科学に首を突っ込んでいる
のか。それだけでも、クオリア論が科学として崩壊しており、胡散臭い物で
あることが証明されている。
422 :
神も仏も名無しさん :2013/11/10(日) 03:13:51.18 ID:G2nVAM32
寧ろ逆に最高峰だろ 他に別に最高級だろ 当然正反対に最高潮だろ
>>421 しかし、『名付けて』『注意喚起し得た』という点で、功績は大だw
君にはわからないかもしれないが、鈴木さんが躓いた《痛み》と田中さんが躓いた《痛み》は同じではない。
ここでの痛みを、もしかしたら(数百年後には)数式化或いは数値化、或いは定量化して比較できるかもしれない。
そのとき、「田中さんの・・・」「鈴木さんの・・・」といった“タグ”は余分だ。
そうでない、「痛み」として抽出(狙撃分析)可能かどうか?
→ それが、本当に「痛み」(>「外界の状況に応じて肉体(生命)を維持するために発動される心的機能」)
かどうか?
或いは、≪一種類に集約できる≫ものなのか、
≪1000人いれば1000通りのもの(→【一つとして同じ○○さが存在しない】)≫なのか?
は、わからない、ということだ。
>>423 補
ここで、仏教的には重大な問題が生じる。
1000人の阿羅漢が居れば、1000通り・1000種類の阿羅漢果がある、ということだから。
1000人の仏陀が居れば、1000通り・1000種類の涅槃がある、ということだから。
それらは、同か異か?(涅槃に“差異・優劣・階層”があるのかどうか)
とねw
425 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/10(日) 03:42:21.91 ID:NO5nAVTs
>セブン ちと聞くが、十無記に出てくる最後、 「タターガタ」を「如来」と訳してる解説が多いが、すなわち、 「如来の死後については」・・・無記 しかし、実際は「衆生」という訳語が正解なのでは? 阿呆だら経とかいうコテ(原始仏スレのコテか? よく知らんがww) 曽我氏とのやり取りで、資料を挙げてかなり詳しく論証して、曽我氏も 同意していたw 片山氏の著作も証拠資料としてあげてたなあw
426 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/10(日) 04:32:31.25 ID:NO5nAVTs
@ 論点・・・・「無記とされたのは、≪如来の死後≫限定か? それとも≪衆生の死後≫ か?」 以下、ポイント抜粋 阿呆陀羅經の問い ブッダが問いに答えなかったといわれる、十難もしくは十四難とよばれる「形而上的論題」の最後のもの、 「如来(タターガタ)の死後に関する問題」について、従来「如来(タターガタ)=ブッダ」とされ、 衆生に関しては死後の存在を認めたという見解が一般的であったと思います。 ところが、この問題に関して色々と調べましたところ、「無記」の文脈における「タターガタ」とはブッダなる 「如来」ではなく、「衆生もしくは我」の意であると、パーリニカーヤの古註であるアッタカター文献の各所に 記されていることに気がつきました。これらは5世紀の大註釈家ブッダゴーサの編になるものですが、彼はその 編集にあたって、当時シンハラ語で残されていたさらに古い註釈や、インド以来の古註を参照しており、 したがって信頼に足る語義解釈であると思われます。 一方、古訳の漢訳阿含において同様の問題に言及される箇所を調べると、『別訳雑阿含経』の第10巻196経には 「衆生神我。死此生彼。為有為無。亦有亦無。非有非無。非非有。非非無。曇瞿。」という訳文が見られ、 「如来」は登場せず、散逸した旧訳の『中阿含経』の残存断片ではないかとされる、単経の『邪見経』と『箭喩経』 では「如来」としてのブッダと、死後の存在の有無が問われるもの「如此」とが明確に区別され記されています。 このように、無記の文脈での「タターガタ」の原意を探ると、パーリ・漢訳ともに、本来は衆生を意味していたこと はほぼ明確であると思われます。また、中村元氏の大著『原始仏教の思想T』p234に「佛教でもジャイナ教でも 説くところの、このコンテクストにおけるタターガタとは『如来さま』のことではなくて、『たましい』のことである。 タターガタは『衆生神我』と訳されていることがある。」 とあり、この指摘が一連の調査のきっかけとなったことも 併せてお知らせ申し上げます。 参考資料としては、片山一良氏による一連の註釈つきパーリ佛典の和訳と、ネット上で読める大正蔵経を参照しました。 なお、以下の漢訳経典はWebで読むことができます。
427 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/10(日) 04:34:47.97 ID:NO5nAVTs
A『別訳雑阿含経』第10巻(196)
http://w3.cbeta.org/result/normal/T02/0100_010.htm 『邪見経』
http://w3.cbeta.org/result/app/T01/0093_001.htm 『箭喩経』
http://w3.cbeta.org/result/app/T01/0094_001.htm たしか『別訳雑阿含経』は『国訳一切経』に収録されず、他の二経も『新国訳大蔵経』に収められてはいますが、
「如来」と「如此」の区別については註釈でも特に触れられてはいなかったと思います。『南伝大蔵経』の『中部経典』
所収『マールンクヤプッタ経』の干潟龍祥氏による訳注−手許にないので参照できませんが−では、
「タターガタとは去来するもの、すなわち衆生有情(取意)」と記されてあったと記憶しております。
それに対する、曽我氏の回答、抜粋
大蔵出版の片山一良訳「パーリ仏典」のシリーズは、中部を3冊だけ持っておりました。『別訳雑阿含経』に相当するものも訳されていて、
どこかで入手できるのかと思ったのですが、そうではなかったのですね。
で、同書の中分五十経篇Tの第63 小マールキヤ経をみると、確かに「タターガタ」と「如来」が訳し分けられていて、
「タターガタは死後存在する」という一文に補注1がついていました。巻末を見ると、阿呆陀羅經さんのご指摘のとおり、
このようにありました。(パーリ語は一部略)
〈「タターガタ」(tathA・gata)とは有情(satta)のことである〉。なぜならば《あるものが業垢によってこの状態に来ているように、
そのように(tathA)他のものがつぎつぎと来ている(Agata)ということで、有情はタターガタ(そのように来ているもの)
と言われるからである》。ここは《タターガタ(有情)、霊魂(jIva)、我(attA)は死後、この身が壊れて以後、
生じる、存在する、見られるという意味である。これによって、永遠の状態による十六の有想論、八の無想論、八の有想無想論が示されている》。
法蔵館の仏教学辞典で「無記」を見ても、「如来(ここでは衆生を意味する)」とありました。
428 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/10(日) 04:38:48.99 ID:NO5nAVTs
B ・・・・・・以上のやり取りをみると、確かに「無記とされたのは、如来の死後というわけではなく、広く「衆生の死後」 すなわち、「死後存続自体について無記」と読めるが、どうよ? ちなみに、「阿呆陀羅經」は、如来、衆生共に死後について無記、という見解で、曽我氏はさらに先鋭的で ⇒「 釈尊の時代のように、生まれ変わりが世の常識で、社会や規範を支えるものであった頃なら無記が正しい態度だったと思いますが、 現代、生まれ変わりがもはや常識でない今、「死後についての無記は、如来の死後であって、一般の衆生は輪廻転生するのだ」 などと説いて「前世の悪い因縁がある。喜捨しろ」などと脅す輩がおり、その害毒を中和するためには、 「無我=縁起と死後の生まれ変わりとは矛盾する、生まれ変わりはない」と明言した方がよいのではないかと考えます。」 と言っているwwww (しまったね、リンク先、そのままコピペしてしまったw h落とすべきだったか?)
>>428 パーピマン
無我と輪廻が矛盾するなんて人はがまだいたのか〜。
なんで、「無我なら、現世で生まれてきて今目の前にパソコンがあるのか、
無我なら現世で生まれてくることもなく、パソコンを捉える主体があるわけもなく、
したがって、その延長線上として来世はあるはずがない」
と、論理的に一貫させて輪廻を否定しないかなぁ。
輪廻を否定するんだったら現世ごと否定するしかないっつーの。
現世に限って因果が働くが、過去世と来世の境目のみ因果は働きません?
それじゃあ、釈尊は悟ったと言っても大したことはない。現世のことだけしか分からないから。
それだと、一切智者とは到底言えないんだよなぁー。
430 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/10(日) 08:47:54.48 ID:NO5nAVTs
>>429 >無我と輪廻が矛盾するなんて人はがまだいたのか〜。
いやいや、「まだいたのか〜」ではないでしょ?wwww
無我と輪廻の論理的不整合が解消されてないのだから、当然でしょ?www
>なんで、「無我なら、現世で生まれてきて今目の前にパソコンがあるのか、
>無我なら現世で生まれてくることもなく、パソコンを捉える主体があるわけもなく、
>したがって、その延長線上として来世はあるはずがない」
>と、論理的に一貫させて輪廻を否定しないかなぁ。
どこが「論理的に一貫させて」なのかな?wwwww
「無我というのは現状を把握する一つの認識論に過ぎませんよ。」
現在確認しうるこの世界を「そのように見る」というだけw
>輪廻を否定するんだったら現世ごと否定するしかないっつーの。
い〜〜〜〜〜え、まったくそんなことはありません。
>現世に限って因果が働くが、過去世と来世の境目のみ因果は働きません?
過去世、来世を導入する必要性が、そもそもありません。
>それじゃあ、釈尊は悟ったと言っても大したことはない。現世のことだけしか分からないから。
>それだと、一切智者とは到底言えないんだよなぁー。
釈迦を「スーパーマン」にしたいので、輪廻やら過去世、来世をつくりだすのですか?
>>428 来世はないから、この世でどんな悪行をおこなっても問題ないって言う人がでてきたらどうするんだろ
国家権力がそういう犯罪をとりしまるから、この世ですべてが精算されるはずって楽観視してるのかな
日本人はわりと悪人にも同情する性質をもっているから、社会的安定性さえ保障されれば犯罪にそれ以上関与すべきではないと
大人の態度をとれるってのはあるけど、死後の名誉まで汚そうとする人たちは結構いるもんだよね
また国家権力が犯罪をとりしまらなくなったらどうするんだろうか。この世でどんな悪行おこなっても問題ないって
楽観視していられるのかなって俺は思う。そう思えないやつは心が弱いやつだって言い方もできるが
はっきり言って俺は人間それほど単純じゃないと思うよ
死者に対する慰霊は心の弱い人間の無駄な行為なんて思っている国家なんてないし。
慣習だからって作業として行っている人もいない。バカな大衆の関心を買うためってのも小説の読みすぎだろう。
まあ、俺も死後があるとは思えないけどね、
でも、自分の納得できない部分があって、そのコンプレックスに対してどんな対応をとるのが心が弱いと言えるか
どう責めるのがいいか悪いかそれぞれが判断すればいいと思うよ、勝手にすればいいんじゃない?
近代の学者の論考も多分にコンプレックスが含まれていると思うなー
俺は無記でいい、あってもいいしなくてもいいでいいと思う
何度も言ってきたので今さらだが。
ちなみに、クローンをつくったりするようなことについて、禁忌性を感じる根拠ってなんなんだろうな 個人主義なら、自己以外のすべてが道具化してしまうはずだから禁忌性はないはずなんだが 人権思想で反論する人もいるのかな でもそうなると、実験的にクローンをつくろうとするから反対なのであって 生後の責任をもつ社会的な準備がなされれば、将来的にクローンをつくることには賛同しそうだよね 今は不妊症の女性が子供がほしいから、人工授精して借り腹するって例はあるけど これから借り腹もせずクローンをつくるって可能性も考えられるようになるかもね でもそうなると男女の区別も不要になるだろうし、小さな商業国家ではそれが主流になる可能性もあるだろうね 概観すれば、個人主義は没交渉的な社会を勧めているように思えるのだが 一方で女性の社会進出といった社会性にコミットする方向性もある。 総じて既存の社会性の破壊というベクトルは共通しているわけだが、仏教はこれをどう位置づけるか関心がある。 俺は仏教がそれを認めてしまえば、仏教そのものが不必要になると思う 単なる技術になってどこかに吸収されるだけになるだろう
433 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/10(日) 09:19:55.28 ID:NO5nAVTs
>>431 なんかオレにアンカーふってるのでレスするけどw
話が飛びすぎて、結局、何が言いたいのか、はっきりしませんなw
もう少し、主張内容を絞り込んだらどうですか?
自分てのが忽然として単独者としてあるとは仏教は考えないだろう。業論をとるのだから。 自分の考えも時代や風土の影響を確実に受けており、歴史の中で当然そういう考えが起こるであろう蓋然性があると考えるはずだ。 こういうとマルクスの唯物論的弁証法みたいに聞こえるなw 所詮、俺たちの考えなんて、人間の文化の物理的な面に付随する影のようなものなのかもしれない。 だからこそ、文化の物理面に貢献した科学が崇拝されるのだろうし。 まあ、そうは言っても、それも過去を俯瞰した結果論であって、未来まで予測できないわけであるが。 それはさて置き、人間の思想をああ動かせばこう動くと予想できるような機械のように考えることができるとして 人はそこからどこまで逃れられるのだろうな むしろ、そうしてなんらかの価値をおこうと動くことをあきらめてしまうことこそ、 つまり自分を無価値と断ずることこそがてっとり早いように思う。 業をある程度仕方ないと受け入れる、その上でどうするか、仏教はどう示唆するのだろう
435 :
神も仏も名無しさん :2013/11/10(日) 09:26:45.74 ID:n3QBg/N9
>>338 >2007年11月30日に「知ってはいけない!?消費者に隠された100の真実」
が発行。著者の警告も空しく無策のまま?2011年3月11日に最大震度は7の
巨大地震が東北を襲いました。
↑ の本は未読です。健康雑誌を購入しようと書店に入ったら
「病院で殺される」が目に入りトンデモ本かとも思いましたが
購入し読んだら、その内容が衝撃的だったのでレスしました。
地震も米が核実験で起こしているとかの情報も見るし、
何が何だか・・・愚民には一切知らされていない。
436 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/10(日) 09:28:20.63 ID:NO5nAVTs
>輪廻を否定するんだったら現世ごと否定するしかないっつーの。 ここが全く意味不明ww 別に輪廻など想定しなくとも、現世は立派に成立しますが?? 両親の生殖行為の結果、受精が起こり、肉体が形成された。 出産後、成長を重ね現在の自分がある・・・・なんら、不可思議なことはなく 現世を否定する必然性など全くありませんw すなわち、現在、存在している我々の因を「過去世」などという確認不能な 現象に求めるのではなく、「両親の生殖行為」に求めれば良いだけであって 何の不都合もありませんw
>>430 パーピマン
>現在確認しうるこの世界を「そのように見る」というだけw
で、その見る主体は誰?無我なら無我という見方をとる主体がいないはずでしょってこと。
「主体がいない」なんて、そんなの現世でさえ誰も実感してないでしょ、ってこと。
>>436 脳みそとか遺伝子とかで論じることって、
つきつめると分子とか原子の結合で自己意識を定義することでしょ?
その論をとると、自分の死後、必ずしも同じ分子結合が起こらないとは限らないから、
偶然にも再び世の中に出生する可能性を残してしまうと思うのだけど?
つまり、解脱ができない輪廻って話になると思うのだが。
ああ、そう言えば自分を無価値なんて人はそもそも考えられないものだと俺は思う。 つまり、無価値とみなすための法がいるんだよ 法をたてることなく、無価値と認めることは人間には耐えられないのだと思う。 たとえば、どんなに科学的知見に立って、自分が客観的で公平であると自負している人であっても つきつめれば、頼りにしているものがあり、それを奪われることにとことん抵抗する。 何かに怒るという事態はそのように起こると思う。 日本人に限らず多くの人が世間の中での名誉に重きを置いていると思う。 仮に権力者に嫌われることを恐れないとしても、母親に変人と思われることには誰もが恐れをいだくだろう。 頼りにしている人に認められることは、それほど自分に価値をおいてくれる。 それを恐れず、信じるものに邁進するには、法がいると思う。 それが宗教であって、神であったりするのだと思う。 仏教がすごいのは法を法と道具として見るほど、法を熟知している点だと思う。 だからこそ方便という言い方ができるわけで。
439 :
神も仏も名無しさん :2013/11/10(日) 09:57:13.30 ID:reG1g3wQ
>>437 「主体」とは「客体」の相依性で「縁起」しているので実体のない「空」であるw
440 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/10(日) 10:02:03.22 ID:NO5nAVTs
>>437 >で、その見る主体は誰?無我なら無我という見方をとる主体がいないはずでしょってこと。
>「主体がいない」なんて、そんなの現世でさえ誰も実感してないでしょ、ってこと。
それは、「現世の自分」でしょ? それも、無明にとらわれて「自分というものがあると
思い込んでいる自己」・・・・・それが本来は、そんなものはないのに
「自己というものがあると錯覚する」。。。。それが無我論でしょ?
>偶然にも再び世の中に出生する可能性を残してしまうと思うのだけど?
>つまり、解脱ができない輪廻って話になると思うのだが。
言ってる意味がわかりませんなww
分子レベルで全く同じ精子、卵子を創造しうるとして(技術的にも、そして
素粒子レベルでの不確定性からも不可能ですがw)
もし仮にそういうことができたとしても、それ以後の環境による干渉によって
以後の経過は全くことなりますw
すなわち、同一人物の作成は科学上は有り得ませんw
>>436 ちなみに、自分の究極原因が両親のセックスにあるとして、両親が自分の面倒を見る責任がないのはなぜ?
社会的に、二十をすぎれば、自己を成り立たせている原因は自己に求めるべきって考えられているからと一般的に考えられるが
生誕の原因と二十まで生き続けた原因、その比重が変わる点である二十ってのは、人工的につくられた基準であるわけで
昔は十五だったし、まったくそれが正しいと言える根拠なんてないよね?
単なる共同体における秩序のための「みなし」問題でしかない。
だが、真理の問題として論じるとき、君はそれをどう説明するんだろう?そのときだけ無我を用いるんだろうか?
聖書に書いてあるからって理由なら簡単なんだけど、科学的な問題じゃないから、君には答えは出せないだろうね
この問題に関してはただ世俗にしたがうだけだろう。
でもそういうのは総じて論理的な対応ではないよね。常識的ではあるだろうけど。
442 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/10(日) 10:09:26.74 ID:NO5nAVTs
>>441 だから、何が言いたいのかさっぱりなんですが?w
親が子の面倒をみる責任・・・というは、その所属社会の決めたルールによる
ものでしょ? そのとおりですよ?
っで?? って、話なんだけどw
「真実の問題」論じるとき・・・・・これ、何ですか?w
社会のルールが科学的じゃなくてもいいなら、前世を認めていいと思うんだけど
444 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/10(日) 10:14:20.70 ID:NO5nAVTs
>社会のルールが科学的じゃなくてもいいなら、前世を認めていいと思うんだけど ??????????????? 科学的じゃないことなんて、それこそ、無限にあるわけなんだけど? 恋愛、芸術・・・・そういうものが存在するからといって、それが 輪廻を認める根拠になると??
社会が認めれば輪廻もおkなわけね
446 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/10(日) 10:16:16.26 ID:NO5nAVTs
>>445 だれが、いつ、そんなこと言ったの??
会話が全く噛み合っていないんだけどw
え、じゃあ何が言いたいわけ? 非科学でもありって認められる心情の持ち主なんじゃないの?
>>440 そうだね、その無我論から言えることは、「私はパソコンを見る」って文から、
「パソコンが生じる」っていう方向に行けるでしょってことなんだけど、
で、これを認めると、主体を論じなくても、輪廻を言えちゃうわけよ。
つまり、死ぬ時に意識が滅してから、しばーらくして、再び、意識が生じる、とね。
もちろん、こんなの信じなくてもいいからね?w 言いたかったのは、
「輪廻する主体、現世で物を見る主体はなに?」って問い自体が成り立たず、
「私」を主語に立てなくても輪廻を説明できるという点で、
無我との矛盾は回避できるだろうって話さ。
449 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/10(日) 10:22:09.74 ID:NO5nAVTs
>>447 ごめんw マジで何が言いたいのか 理解できませんw
よって、落ちますw
>>440 パーピマン
なるほどー、おもしろいね!んー、その科学の論をつきつめると、
昨日の自分と今日の自分は同じだっていう同一性も錯覚だってこと?
この同一性のようなものは、物質的には何で規定されるってことになってるの?
その程度を弁別できないのに、やたらここに張り付いてる理由が俺には分からんな もっと有意義な時間の使い方があるだろうに
452 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/10(日) 10:29:36.93 ID:NO5nAVTs
>>448 い〜〜〜〜〜え、とんでもないwwww
>「私」を主語に立てなくても輪廻を説明できるという点で、
>無我との矛盾は回避できるだろうって話さ。
業論は、主体を立てなくては成立しませんよww
業の作り手と引き受けて・・・・それぞれの「個」の排他性が担保
されなければ、悪因悪果は成立しません。そこには明確に「私」が必須です。
よって、無我との論理矛盾を生じますww
(って、これ何回めかいな?w)
453 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/10(日) 10:32:41.29 ID:NO5nAVTs
>昨日の自分と今日の自分は同じだっていう同一性も錯覚だってこと? 仏教的いえば、錯覚でしょ? そもそも、 「昨日の自分」も「今日の自分」もいないんだからwww んで、世俗視点ならば、何度も言ったように 「空間的連続性」と「記憶の連鎖」により、個人の同一性を担保するよw
なんで仏教がアラヤ識みたいなクソ眠たいものを考える必要があったかっていうと すべてを仏教に根拠がある、論理的な体系を構築したかったからじゃないかね あるときは常識に足をおいて、あるときは科学に足をおくってのは、 互いにそれが使われる距離感を適切に了解しあってれば問題ないんだけど まったく宇宙人みたいな人物と交信しようと思ったら、捨てなきゃいけないもんなんだよね 俺はあんまり好きじゃないけどさ。体系化なんてもんがそもそも間違う元だよ
>>452 こっちの論を内部から破壊するように論じろよwww
えーと、それはどちらかというと、あんまり仏教的な輪廻じゃないんだ。
業の作り手と受け手は、同じなのか、異なるのか、
同じであって異なるのか、同じでなく異なるのでもないのか
これらすべての問いに、「そうではない」と釈尊は言ったのよ。
どういうことかっていうと、因果を考える時に、 人間を中心に考えないのよ。
無明とか行とか、五蘊を使って因果を説くんだね。まあ、これも微妙なんだがw
とりあえず、業論よりも、「これ生ずるときかれ生ず」のツールが三世に渡って有効って話なんだけど。
>>453 パピまん
仏教では、あんまり錯覚ってことは強調されないよ。
「苦はないのですか?」って問いに、「いや、たしかに苦はあるのだ」って説くからね。
もちろん、理屈の上では錯覚なんだけど、実感としてはあるから。
で、仏教は実感を理屈に合わせるための教え、とも言えるのよ。
>「空間的連続性」と「記憶の連鎖」により、個人の同一性を担保するよw
空間的連続性ってなによw 記憶の連鎖はわかった。じゃあ、記憶の貯めておく、
ハードのようなものがその人の個我みたいなもの?
頭では理解できても、腹では納得できないなんてよくあることだよ 男女間のこととかさ 偏見なしで人を説得させるには論理的に無矛盾であることが不可欠であるが 論理と世界が100%一致することなんてのは科学でもありえないと俺は思う むしろ、偏見部分こそ人の社会が織り成す大部分であろうよ そういった業の部分に関与することなしに、救いを説けるほど仏教はすぐれてないと思うなー 学問でやるならいんだけどさ 誰それが心の弱い人なんてのはお門違いだよ つってもなんの規範もなければ仏教が融解していくだけで だからこそサンガの強固さが必要なんだけどさ
結局、生きている間は社会が無明に支配されているから、「私」という個を前提とした社会が展開されるが 真実は無我なので、死後は「私」なんてないって感じかね だが、そう断定できる論拠なんて人類は未だかつて持ち合わせたことがないだろう そして、そう捉えることが社会的にどう影響を与えるかという考察もされていない。 別に認めないわけではないが、あまりに独断がすぎると思うわ つーか、常見の連中もたいがいなわけだけど
459 :
神も仏も名無しさん :2013/11/10(日) 11:28:57.94 ID:yjhdCdf6
不変の自分がこの世にもあの世にも存在しないのは 明らかなわけだから、その時点で無我と輪廻は矛盾しないと思うんだけど、 それだけでは輪廻否定派が納得しないのはなぜなんだろう?
460 :
神も仏も名無しさん :2013/11/10(日) 11:55:27.71 ID:jf32qLsQ
「無我」「無」という、釈迦の初歩的論理矛盾、勘違いに対する執着から、いい加減で 離脱しよう。そう「考えている」のは、一体誰なのか。人類、いやすべての生物の歴史 と現状という「最大の法」に真っ向から違背する、根本的な誤り、妄想だ。 なお、輪廻転生は専ら「身体」に関することだから、自然科学に任せるべき。 宗教の出る幕ではない。
461 :
神も仏も名無しさん :2013/11/10(日) 11:57:43.67 ID:yjhdCdf6
ブッダのことばの 「真理は一つであって、第二のものは存在しない。その真理を知った人は、争うことがない。」 というのは、明らかな真理というものが何処かにあって、 それを実際に五感もしくは第六感で感得するからこそ、感得していない人が 言葉で言い争っている場には加わる必要がないんだろう。加わっても無益であるから。 例えばりんごを見たことがある人は、りんごを見たことのない人たちが りんごは「赤い」とか「青い」とか「四角いにちがいない」「いや丸いにちがいない」 とか言い争っている場に加わることがないように。。 わかりにくかったらごめん。
462 :
神も仏も名無しさん :2013/11/10(日) 12:00:11.14 ID:yjhdCdf6
つまり、言い争ってる時点で仏教的には負け組なのよ。 真理を悟ってない証拠だから。。
463 :
神も仏も名無しさん :2013/11/10(日) 12:02:33.71 ID:ude+jC2/
存在は縁起という機能によるのであり、 縁起に意味・善悪・価値・実体・虚無・思議・不思議・目的・必然・偶然・分別・主体・客体・輪廻・時間・空間もない。 コトは簡単である。複雑にしているのはヒトである。
>>461 釈尊相当くやしかったんだろうね、そんなこと言って溜飲をさげようとするくらいだから。
なんつって
親が子供の面倒を見るなんてのは本当にありがたいもんだね 今であっても中絶は当たり前、二週間後だっけ?であれば殺人犯成立だが 金で中絶を請け負う産婦人科もあると聞く 最近は産後であっても、不作為による殺人がおこなわれることなんて多々ある。 そんな中、自分はここまで生き残れたわけでそう考えると親の存在はありがたいものだよ いや、自分で子供を育てて苦労してはじめて親のありがたみが分かるものなのかもな。 子供を育てるのは親の責任なんて言うが そんなもの社会的な制約にすぎなくて、いかに子供を愛するかって問題に帰する気がする 愛そう、拘ろうという努力が親をして子供を育てしめるのだと思う それも人の世の習いと言ってしまえば簡単だけど 自己が確立した後から見れば、ただ事だとは思えない だから、たとえ産後直後であっても、そこに自己の自立性を認め、親の無償の愛に感謝してしまうのだろう 結局、自己が確立している社会では、後付けであっても、 赤児時代の自分でさえそこに自己を確立させ、責任をおこうとする力が働いてしまう 自分の子供時代を顧みず、子供に説教をしたくなる大人の気分とはそういうものなのだろう まあ、受精以前に自己を確立させようとする人はあまりいないと思うが
466 :
神も仏も名無しさん :2013/11/10(日) 12:29:37.10 ID:jf32qLsQ
食材偽装が問題になっているが、これって「ブランド志向」ではないか。 釈迦だから、イエスだから本物、ありがたいと思い込む宗教と同じ。 「本物」「本物」というが、「偽物」が「本物」より優れている場合も、多数 ありうる。 「これは本物だから美味い」と思って食った者に、損害賠償請求権がある のだろうかw。
>>466 全然違いますよ。
言葉の通り「偽装」が問題なわけです。
本物とか偽者とか関係ありません。
ブラックタイガー使っているのなら、ブラックタイガーって表示せよ、
車えびと表示するのは偽装であってよろしくない〜というものでしょう。
ブラックタイガーは美味いと思いますよ。それで車えびって表示して
高額料金を騙し取るのは犯罪でしょう。
468 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/10(日) 12:49:50.62 ID:NO5nAVTs
>>455 は〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜?????
いいのか? 業論、却下してwwwww
そりゃ、基体設定しなけりゃ、何ら無我との論理矛盾は起こさないぞwww
でもホントにそれでいいの? 悪因悪果を認めないでいいのかな? 肯定論者はw
そしたら、来世、過去世なんて概念も吹っ飛ぶがw
Aさんを構成していた構成要素が、死後、分解して一部が木になったり、犬や猫になったりする。
道端の石っころになるかもしれんww
確かにそういう意味での連鎖はあるだろうw でも、ほんとにそれだけでいいの?
これでは、「Aさんと呼べる何か」は継承されないよw もちろん
『Aさんの』の来世なんてのもないw これでいいの??
それから、お宅IDが変化するので人物特定が困難なんだ。
何でもいいから、識別記号をいれてくれw
>>468 パピまん
いや、善因に対しては楽果を説くのだけれど、
そのような果報を受け取るのも、無明の仕業ってことなんだ。
世俗的に、我、業、果報は縁起によって生じたもの、なのよ。
で、仕切りに、なんでこっちが「現世ごと否定しないと」って言ってるのかというと、
我(アートマンではない)、現世、業、果報、来世、過去世、パソコン、身体、真理(これは微妙)、意識、地獄、梵天
とか、これらのすべてを同格(同じ存在レベルのもの)として仏教では扱ってるのよw
ぜんぶ、無明によって起こる縁起の現れ、作られたものであり、壊れるものっていうね。
とりあえず、少なくとも仏教の立場はここだと思うってのがこちらの意見で、
輪廻をパピまんが信じる信じないは、まあお好きにどうぞってことで。
470 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/10(日) 13:38:05.96 ID:NO5nAVTs
>ぜんぶ、無明によって起こる縁起の現れ、作られたものであり、壊れるものっていうね。 そう、仏教的には「全て無常」 よって 「無我」 縁起によって、そのように一時的に「現れてる」だけさwwww 自分と思い込んでるものも、時が来ればあっという間に滅んでしまうw これが仏教の基本テーゼさww では、業論は??? きちんと、業を作り出すものとそれを引き受けるものが設定されてるだろうが? それらが、今世限りならそれも良いだろw それなら無常さwww しかし、違うでしょ? 業の引き受けてたるAさんの生まれ変わりは、「永遠に」 継続していくでしょ?wwww この「Aさんといえるもの」は解脱するまで、 それこそ、この宇宙が滅びようとも何千億年、何兆年経とうとも継続するというのが 輪廻業報論だろうが? これのどこが「無常」であり「無我」なんだ?wwwwww >輪廻をパピまんが信じる信じないは、まあお好きにどうぞってことで。 それは、こっちのセリフだがwwwwwwwwwwwwww 「信じる信じないは勝手だが、無我と輪廻業報論は論理的に全く整合性は とれてませんよ。論理的に整合性がとれていると主張するのであれば、きちんと 論証するか、こちらの主張にちゃんと有意な反論を提示してからにせえよ。」 ってことwwwwwwwwwww
>>470 >こちらの主張にちゃんと有意な反論を提示してからにせえよ。」
ここで答えてるでしょ?
>>448 見る主体、輪廻する主体っていうけど、見ない、かつ輪廻しない、触らない、嗅がない、食べない、
あらゆる行為がなされないところに、何か魂的な、基底のようなものを認めないと、
「○○が△△見る」という文は成り立たないでしょって言ってるのよ。
こちらも、これに反論を示せた人は見たことがないよ〜。
あと、記憶を蓄積するハードみたいなものがあるのかって答えも聞いてないけど。
472 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/10(日) 13:55:35.41 ID:Q4gLKEHR
>>470 ですから、
輪廻する主体が永遠不変のアートマンとしたのが、
ちまたの勘違いバラモンたちの見解でした。
けれど、仏教はそれらもアートマンではないといったの。
輪廻主体はアートマンではない、これが仏教というものです。
尚、輪廻主体もある筈がないなどと言い出したのは、
無我論と整合性がつかないとか言い出した後代の学者らであり、
それで勝手に業がそのまま継続するだけで輪廻主体はないから、とかの勝手を言い出した。
仏教では死後をも存続する一部の五蘊である「識」を
「識神」「魂神」などとも呼称し、また後の大乗は「阿頼耶識」を掲げたということ。
ただし、これらはすべてアートマン(我)ではないの。
あなたはただの唯物主義者に過ぎないから、
あなたからすれば肉体死後に存続する意識存在などは全部、同じことであって、
信仰が作り出したただの妄想ということにしてるわけです。
魂を主体とした輪廻がある。
ただし、死後の魂も縁起であってアートマンではない、
これが仏教なの。
唯物論じゃないの、わかる?
仏教を勝手に唯物論にしないように。
アートマンでも魂でも構いませんが、個人のアートマンであり魂の事を 言っている以上言葉遊びにしかなりません。 個人の前世−今世ー来世を繋ぐ紐を想定している以上、紐の呼び名なんて 何でも構わないので意味がありません。
474 :
神も仏も名無しさん :2013/11/10(日) 14:19:51.47 ID:bIpd8DiQ
>>462 生きてるうちに悟りを成就させた人間なんて本当にいるのか怪しいもんだ
どんなにリアルに描いた餅もはしょせん絵だから
475 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/10(日) 15:01:45.48 ID:NO5nAVTs
>>471 オタクの言う輪廻って何??wwwwwwww
来世でAさんの生まれ変わりと呼べる存在はいるの? それともいないの?
まず、そこを答えてくれんかな?
んで、
>>456 はお前かよ?wwww
どっかのアホの下らん茶々入れかと思ってスルーしたわwwwwwww
「空間的連続性」というのは「身体の」空間的連続性のこと
(だから、識別記号入れろと・・・・)
476 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/10(日) 15:10:51.78 ID:NO5nAVTs
>>472 脳内お花畑のオカルト外道がまた、喚いてるwwwwwwwwwww
そんなものは、仏教でないと何度言っても分からんアホwwwww
>「識神」「魂神」などとも呼称し、また後の大乗は「阿頼耶識」を掲げたということ。
呼称をいくら変えても、基体設定した時点で、仏教じゃないと何度言ったら・・・・
>あなたはただの唯物主義者に過ぎないから、・・・・
⇒ あなたはただの妄想オカルト馬鹿にすぎないから・・・・wwwwww
>魂を主体とした輪廻がある。
>ただし、死後の魂も縁起であってアートマンではない、
>これが仏教なの。
> 唯物論じゃないの、わかる?
⇒魂を主体とした輪廻などないの。
⇒これが仏教なの。
⇒妄想オカルト宗教じゃないの、わかる?
⇒ 仏教を勝手に妄想オカルト宗教にしないように。
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
隠居 ・・・・・・・輪廻否定 パピ ・・・・・・・輪廻は主体を要請する(テキストベース、真意洞察) 紐無記 ・・・・・言及すべからず(古層ベース、真意洞察) 閻魔 ・・・・・・勝義視点で一切却下(中論ベース、真意洞察) ポスト一代・・・無我と輪廻(テキストベース) 宝珠 ・・・・・・・真我と輪廻(テキスト意訳) 一在家・・・・・・霊魂と輪廻(テキストモザイク) 現在、七つ巴中w
478 :
神も仏も名無しさん :2013/11/10(日) 15:20:25.84 ID:yjhdCdf6
>>476 理論だけで整合を取ろうとする理論仏教も、
本来の仏教ではないのでは?
真理を見ていない人間がどんなに理屈をこねくり回そうと、
空論にしかならないと思いますよ。
479 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/10(日) 15:26:50.64 ID:NO5nAVTs
>>477 wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
わかったから、阿呆だら経と曽我氏の見解の是非、セブンなりの見解を
教えてくれwww
俺なりに中村元を調べてみたが、著作ごとに「人格完成者」って言ったり、
「人間」言ったり、そこんとこあまり頓着してねえみたいだしww よくわからんw
480 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/10(日) 15:27:44.47 ID:NO5nAVTs
481 :
神も仏も名無しさん :2013/11/10(日) 15:29:12.62 ID:v/Vt2Sok
>>477 >現在、七つ巴中w
本スレで高名なセブン氏が抜けておりますよ。
せめて立ち位置くらいは書かないと失礼でしょう。
>輪廻は主体を要請する
主体の無い輪廻というのもあるのではないでしょうか?
>>285 一般的な輪廻とは違うので輪廻と言えるのか分かりませんが。
483 :
神も仏も名無しさん :2013/11/10(日) 15:50:08.56 ID:v/Vt2Sok
>>409 パーピマン氏
Q1.人間の脳と同一のシステムをコンピューター上に再現させたのか?
ほ〜〜〜〜〜〜〜〜、それは初めて聞いたw
人間の情報処理能力達する能力を有するコンピューターって何だ?
教えてくれwwwwwwwwwww
Q2.ちなみに、確か1000億個のニューロンを有する人間の脳の機能を
シュミレーションするには、まだ10年くらいは必要だったはずだがww あの話はどうなったのかな?
A1/A2.検証の為になにも人間の情報処理能力すべてをコンピューター上に再現させる必要はありません。
まずニューロン(脳神経)1個の電気特性を真似するソフトを作成します。
このパーツとも言うべきソフトを組み合わせて(ニューラル・ネットワーク)簡単な情報処理ができるか否かを検証すれば済みます。
例えば、カメラで映した新聞画像の文字を読み取ることを人間はしておりますので、同様に文字を読み取るニューラル・ネットワークを作ることを試みます。
人間は幼い頃から文字を見て、「パ」と「バ」や「白」と「日」等の文字を識別するように学習しております。
ニューラル・ネットワークでは何回も何十回も、「パ」と「バ」や「白」と「日」等の文字を見ながら伝達特性に相当するパラメータ値を学習します。
でも、人の場合は1回見ただけで文字を識別できることが多々あります。
この結果からも、ニューロン(脳神経)を真似た電気素子を1000億個用意してもできることと、できないこととの予想がつくのが科学技術者です。
以上、私にとって最大限に分かり易く説明したつもりですが、これでも理解不能であれば、今回のネタ振りをした私が「アホ」でした。
認証につかわれる壊れ文字の事を言っているのだと思いますが それと仏教と何の関係があるのですか? 人間とコンピュータが違うのは誰でも理解していると思いますが? プロに勝つ将棋のソフトは出来ても囲碁のソフトはまだ何十年もかかると言われてます。 何十年か後に囲碁のソフトが出来てもプロの人間には勝てないと思いますが。
>>475 パピまん
>来世でAさんの生まれ変わりと呼べる存在はいるの? それともいないの?
>まず、そこを答えてくれんかな?
現世にだけ絞って考えてみると、昨日のAさんと今日のAさんは、同じではなく異なるのでもない。
で、これをそのまま延長して考えると、死ぬ前のAさんと、生まれた後のAさんは、同じではなく、異なるのでもない。
なぜなら、同じと言ったり異なると言ってしまうと、そこに我(AをAたらしめる基底のようなもの)を
認めることになるから。これだと、無我ではなくなってしまう。
実際には、Aの我とも思えるようなもの(呼び名は何でもいい)が、無明によって生じてくるけど。
>オタクの言う輪廻って何??wwwwwwww
無明を根本においた、「これ生ずれば、かれ生ず」の繰り返し…かなぁ。
486 :
神も仏も名無しさん :2013/11/10(日) 16:00:33.57 ID:v/Vt2Sok
>>478 >理論だけで整合を取ろうとする理論仏教も、本来の仏教ではないのでは?
私の認識も貴方の見解に近いですね。
仏教は実践して教えの正しさを確認できる「プラグマチズム」が特徴だと思います。
例1)四聖諦を実践して、本当に苦を滅することができるのか?
例2)八正道と正しい瞑想方法を実践して、本当に過去世を思い出せるのか? 更に涅槃入りするのか?
理論だけで整合を取ろうとする人は、あまり実践しない人でしょう。
ある血圧を下げるストレッチ法を教えても、理論で納得できなければ、実践しません。
素直な人はまず試しにストレッチ法を実践して、血圧が下がる効果が出てくれば逆に理論を考察するかも。
487 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/10(日) 16:05:42.72 ID:NO5nAVTs
>>483 >今回のネタ振りをした私が「アホ」でした。
wwwwwwwwwwwwwwww そう、アホwww
人間の脳内である画像を認識識別する際、脳内でどのような変位が生じているのか
現時点では全く不明。 すなわち、ある対象を目視したとき、それが「リンゴ」であると
認識する際、一体、脳内でどのような変化が起きてるのかは全く分かってないww
それを、たった一つのニューロンモデルで検証するだと????
アホですか?wwwwwwwww
まずは人間の脳に匹敵するくらいのスペックを有するコンピューターを作成すること。
次にそれらを用いて、シュミレーションの繰り返しw
その累積によって初めて、人間の精神作用のシステムが解明されることが期待されるww
それを20年前の懐かしのドスブイパソコンの時代の実験で検証するだと?wwwww
アリの生態調べて、人間の解剖学知見を想像するより難しいわいwwww
488 :
神も仏も名無しさん :2013/11/10(日) 16:08:59.23 ID:yjhdCdf6
>>480 理論で整合性を取れないからと言って切り捨ててしまっては
本来の仏教から遠ざかってしまうということ。
パズルのピースを捨ててしまったらパズルが完成しないように。
489 :
ご参考 :2013/11/10(日) 16:12:09.57 ID:v/Vt2Sok
平成三年五月十六日に、NHK教育テレビの「こころの時代」で放映より 草柳: 前回一回目は、ちょっとご紹介致しましたように、「自己もまた自己ではない」というお釈迦様の言葉から、 「無我」のことについてお話を伺ったんですが、この「無我」ということの解釈なんですけれども、 文字通り「自分がない」ということではなくて、「自分ではない」、だから別の言葉でいえば、 「無我」という言葉よりも、むしろ「我に非ず」という「非我」という言葉をあてた方がいい。 そういうふうに解釈した方がいい、という話でしたね。 奈良: そうですね。釈尊という方は、大変実践的な教えを説いた方だと思うんですね。 どんなものも、「これが私ですよ」とか、「私のものですよ」と握りしめて、永久に持ち続けていきたいんだ、 と、私どもいつも思うんですが、そんなことはできないんで、 「どんなものも、私ではないんだ。私として掴めるものではないんだ」と。 「非我」ということを説かれましてね。「無我」という言葉は、いろいろ難しいいろんな意味があるんですけれども、 釈尊はそうした意味で、「我執をなくせ」という実践的な教えを説かれた。 その辺が、この前の話の中心的なテーマであったかと思いますですね。
490 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/10(日) 16:19:29.01 ID:NO5nAVTs
>>485 だからね、昨日のAさんと今日のAさんを同一人物と看做す根拠
それは、@身体の空間的連続性 と A記憶の連鎖・・・これらがあるからw
これらがあるから、全く同一とは言えないけれども、我々はそれを
Aさんと認識するの。
ところが、死後は勿論、その二つとも消失するわけw なら、代わりの何か
がいるでしょ? 「これはBさんのではなく、Aさんの生れ変りである」と
いえるものがw・・・・・ それを何と呼ぼうが呼称は別になんでもいいの。
とにかく「これはAさんの生れ変りである」と言えるものが必須なのw
そうでないと「生まれ変わりと言えないから」www
では、この「Aさんといえるもの」・・・・これは、これは無常ですか?
違うよね? 宇宙が消滅しようが、とにかく解脱まで、何兆年でも継続するわけw
途中で「Bさんといえるもの」に変わったりしないわけw
この「Aさんといえるもの」・・・・「個別識別属性」 これこそが「我」でしょう?
業報論では、この「我」を設定し、それを永遠に継続させるわけw
完全に「無我」と矛盾するでしょうが?wwwww
491 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/10(日) 16:29:13.61 ID:NO5nAVTs
業報論では、「個識別属性」が必須なのw Aさんと、Bさんは異なるわけ。 そして、生まれ変わりにおいても この人はAさんの生まれ変わり、この人はBさんの生まれ変わりと識別できないと いけないの。 そうでなければ、Aさんが積んだ悪業がBさんの生まれ変わりに 降りかかってしまう・・なんて、とんでもないことが起きてしまうからw わかる? この人は「Aさんの生まれ変わり」 と言えるだけの何かが必須なのw これを立てないと、そもそも業報論は成立しないわけw このAさんといえるもの=我といえるもの でしょう? これを認知したら、無我が成立しないのw 完全なる二律背反w
492 :
神も仏も名無しさん :2013/11/10(日) 16:32:39.48 ID:v/Vt2Sok
>>482 >主体の無い輪廻というのもあるのではないでしょうか?
Windows 95 → XP → VISTA → 7 → 8 と無常に変化しても、MacOSとかUnixとか呼ばれることはありません。
Windowsが動作するコンピュータも毎年無常に変化しても、Windowsは輪廻します。
バグも改良も蓄積されます。
Windowsには質量もありませんし、眼にも見えませんので「色」とは言えないでしょうし、無常に変化するので「空」です。
以上、現象界にも「空」ですが輪廻しているものが「存在」している事例です。
もしWindowsに「主体」があると仮設しますと、「Windowsの設計思想」かと存じます。
何十年も前から、OS、ソフト、ハードの三位一体の構成を、開発者は観じとっていたのかも知れません。
493 :
神も仏も名無しさん :2013/11/10(日) 16:36:08.93 ID:v/Vt2Sok
>>492 >何十年も前から、OS、ソフト、ハードの三位一体の構成を、開発者は観じとっていたのかも知れません。
理由は三位一体の構成が人間のアナロジーだからです。←これは私見です。
494 :
神も仏も名無しさん :2013/11/10(日) 16:37:39.21 ID:bsOrHx0Y
>>431 エネルギーに満ち溢れた若いうちならともかく、
人間は年老いてもなお、自分の欲望のままに悪行をなしたいと思うかどうか?
犯罪者としてどこかの犯罪組織に属していれば、年老いた時はその枷が苦になるような気がするし、
どこにも属さずに、一人悪行に耽れば、悪因悪果で社会制裁を受けるだろうし。
なによりも死期が近づいたときに、自分の人生に空しさを感じたりするんじゃないかな?
人間の性質として。。。
だから、神などいなくとも、『因果応報』を説くだけで普通の人間は道徳的に振る舞えるんじゃないかな。
わからないけどね。
>>490 パーピマン
だから、仏教の説く輪廻ってのは、単純な生まれ変わりではないんだろうね。
とりあえず、パーピマンの言い分はだいたい前に考えたことがあるから、
もう繰り返さなくていいよ〜。
496 :
QQQ :2013/11/10(日) 16:49:16.65 ID:2xNcptvE
>>346 >「衆生済度」・・・・根拠はただ阿弥陀如来、釈迦如来、大日如来
>(順不同)>の願いだからです。
具体的に伺いたいのですが、例えばここに高校中退してしまったが、
一生懸命睡眠時時間2,3時間位で、過酷な労働をしている人がいます。
もう過労で心身共に疲れ果てています。
どうやってこの人を宗教で救えますか?
>>492 私の言う輪廻とは業報も無く紐も無い輪廻ですw それが輪廻と言えるのか怪しい限りですが。
個人の過去-未来を繋ぐ紐の無い輪廻です。
輪廻の主体をあえて言えば種であったり生物全般(生命)であったり〜(個が主体にはならない)
つまり生命の進化も輪廻と言えなくも無いのかも、という程度のモノですw
そのような個を特定しない輪廻ならば私は輪廻肯定論者かもしれません。
499 :
前世は一在家 :2013/11/10(日) 17:40:13.17 ID:v/Vt2Sok
>>496 >もう過労で心身共に疲れ果てています。
>どうやってこの人を宗教で救えますか?
仏教でどう救うのかは、各宗派の住民各位がご回答下さい。
キリスト教ならばサロメさん、神智学ならば宝珠氏にご質問下さい。
私は目を閉じてもらって額に10分間手をかざし、次に体の辛い箇所を聞いて数十分間手をかざすだけです。
それで心身共に疲れが安らげば宜しいでしょうし、効果が無ければもう受けてはもらえないでしょう。
500 :
神も仏も名無しさん :2013/11/10(日) 17:47:54.45 ID:QkJebbA/
>>496 あなたを神に委ねなさい。そうすれば、あなたの重荷は神のものであり、あなたのものではありません。
501 :
前世は一在家 :2013/11/10(日) 17:48:49.56 ID:v/Vt2Sok
>>499 >それで心身共に疲れが安らげば宜しいでしょうし、効果が無ければもう受けてはもらえないでしょう。
何カ月も関節が痛くて膝の曲がらなかったお年寄りの膝に十数分手をかざしたら、後日会った時に
「兄さんが手をかざしてくれたので、また膝が曲がるようになりました。」と、正座して礼を言われたことが
これまで2件ございました。
まあ、変化が無かった方はずっと多いとは思いますが、かえって悪くなったと言われたことはございません。
あ〜、だから、個を指定しないと、仏教の意味が無いんだわ・・・。 なぜなら仏教は、個からの離脱を目標にしてるから。 もし、個が輪廻をしないんだったら、死ねば終わり・・・ 死と解脱が、同義語になる。 修行するより、死んだ方が早いってことになる。 こんなのは仏教じゃないよ とんでもない。 仏教をこの世だけのものと思うのも、大間違い。 この世と限定するから、生きているうちに、解脱する人は限られる・・・と、勘違いしちゃう。 この世の一生で解脱するなんて、普通の人には不可能だと・・。 解脱は何生もかけて目指すもの。 だから、凡夫にも可能になる。 仏教を現代における学問として、大学などで教える場合、常識的な教え方をしなきゃならない。 だから、輪廻やあの世を、一般常識的な解釈で、説明しようとするんだろ。 こういうのはまったく、道に外れてるというか、なんとおもいえない、むずかゆさを感じる。 現代の大学が一般常識を超えられないなら、仏教を大学で教えるべきではない。 大学は仏教を扱ってはいけない。 もし学問的に研究するとしたら、経典の発展とか、歴史的事実とか、そういう表面的のみにすべきで、 教えの中身を勝手に解釈しようとしてはいけない。 それは普通の人間では理解できないことだから。 学者ごときが、教えを理解したと、勘違いしてはいけない。 本当にこういうのは、仏教の真理を殺す働きというか、 長年の仏教の歴史の中で、最大の敵かもしれない。 学問的に、仏教の真の教えを、封じ込めようとしている。 この罪は、仏教史上、始まって以来の大罪となるだろう。 その片棒を担がないように。 釈迦の教えを自分なりの解釈に改造してはいけない。
503 :
前世は一在家 :2013/11/10(日) 18:01:51.86 ID:v/Vt2Sok
>>498 >いずれにしろ、他の用例全てが、覚者(ブッダ・阿羅漢)について言われてもおり、
私の手許の長部経典(中村元監修、春秋社)では「修行完成者」と訳されております。
やはり一般人(衆生)の死後のことを質問したのではないようです。
逆に一般人(衆生)の死後のことは質問者も知っていた(私見はあった)とも推測できます。
>あ〜、だから、個を指定しないと、仏教の意味が無いんだわ・・・。 >なぜなら仏教は、個からの離脱を目標にしてるから。 個に執着して個から離脱できますかね? 個が輪廻しなくても個がより良く生きればより良い未来につながるでしょう。 何で自分の報償として得たいのか?そこまで個に執着するのは何故か? よく省みた方がいいと思いますよ。
505 :
狂牛病予言 ミカエル :2013/11/10(日) 18:03:51.46 ID:umJRp9C5
「中国、韓国、アジアの人間は、狂牛病で、をじょじょに抹殺されていく!!」 悪魔崇拝者(フリーメーソン)たちが、世界中に、 狂牛病の牛肉をばらまく!! 中国人と韓国人、アジア人は、狂牛病が原因で殺されていくだろう。 悪魔崇拝者の目的は、アジア人の数を減らして、 「アジア人を奴隷化すること!!」 狂牛病患者は、「アルツハイマー病」という病名をつけられて 闇にほうむられるだろう。 「マスコミは、狂牛病患者が増えつづけていることを、報道しないだろう!!」
>>504 だから・・(^^;
それだと 「死を選択すれば解脱できてしまう」 のw
>>506 解脱したいのですか?w
解脱を志向する事自体解脱と反対方向を向いている。
死んで解脱したいと思って死ぬ人間の死は無駄死に。
束縛と解脱が有ると思う事が束縛。
束縛と解脱が無いと思う事が解脱。
508 :
神も仏も名無しさん :2013/11/10(日) 18:17:28.25 ID:v/Vt2Sok
>>502 >学者ごときが、教えを理解したと、勘違いしてはいけない。
>本当にこういうのは、仏教の真理を殺す働きというか、
>長年の仏教の歴史の中で、最大の敵かもしれない。
>学問的に、仏教の真の教えを、封じ込めようとしている。
>この罪は、仏教史上、始まって以来の大罪となるだろう。
異教の私が言うのも失礼ですが、まったく同感です。
>仏教をこの世だけのものと思うのも、大間違い。
2段ロケットのように、まず地獄と娑婆との間の輪廻から浄土(または天)入りを達成し、
その次に浄土(または天)と娑婆との間の輪廻から涅槃入りを達成することをイメージしております。
龍樹は涅槃入りの為に中論を遺したかも知れませんが、覚った後の釈尊の50年間と
阿弥陀如来の願は修行者の涅槃入りというよりも衆生の浄土入りにウェイトがあったのではないか
と思料しております。
人間界でも自分の子供が病貧争で苦労しているのを見るのは親としては辛く、お金持ちで贅沢に暮らしては
いなくとも日々あまり悩むこともなく元気に暮らしていれば安心だというアナロジーがあります。
>>507 ?
何でこのスレに居るの?w
仏教から解脱とったら何もありませんよ?www (ま、禅語的にはそう言ってしまうべきなんでしょうがw)
つか、それなりにこのスレ居たならウダーナ8くらい知ってるでしょ。
解脱の妄想を捨てる事が大事だと思います。 また、〜くらい読め、〜くらい知ってるだろ、ですか? 相変わらず上から目線で偉そうですなw
>>510 いや、上から目線とかじゃなくて、
解脱、涅槃が掲げられない仏教なぞありえないからです。
お釈迦さんは、涅槃を示すために菩提樹下から立ち上がったのですから。
ここを押さえずに(知らずに)仏教云々、お釈迦さんの真意云々に意味はないからです。
そして、ウダーナ8は、まさに涅槃(解脱)の境地があることを、(疑わず励みなさいと)示しているものなのですから。
そして御釈迦さんの真意が輪廻転生ですか? 馬鹿馬鹿しい話で聞く価値がありません。
8:1 (因縁略)。 『比丘たちよ、このような境地(Ayatana)があります(atthi)。 そこには、地(paThavI)もなく、水(Apo)もなく、火(tejo)もなく、風(vAyo)もなく、 空無辺処(AkAsAnaJcAyatana)もなく、識無辺処(viJJANaJcAyatana)もなく、 無所有処(AkiJcaJJAyatana)もなく、非想非非想処(nevasaNNAnAsJJAyatana)もなく、 この世(loka)もなく、あの世(paraloka)もなく、月・太陽(canima-suriya)の両者もありません。 比丘たちよ、私は、そこに来ること(Agati)も、行くこと(gati)も、止(とど)まること(Thiti)も、 没すること(cuti)も、生まれかわること(upapatti)も説きません(na vacAmi(vadAmi))。 依り所のないもの(appaThitta)、生起のないもの(appavatta)、 所縁のないもの(anArammaNam)が、すなわちこれ(etamM)です。 これがすなわち苦の終わり(anto dukkhassa)です』 8:2 (因縁略)。 『「不屈(anata)というものは、見難い(duddasa)。 なぜなら、真理(sacca)は見易いもの(sudassana)ではないからである。 知る者(jAnato)に、渇愛(taNhA)は洞察され(paTividdha)、 見る者(passato)にいかなるもの(kiJcana)も存在しない(natthi)。』 8:3 (因縁略)。 『比丘たちよ、 生まれもしないもの(ajAta)、生成もしないもの(abhUta)、 作られもしないもの(akata)、形成されもしないもの(asaNkhata)がある(atthi)。 比丘たちよ、もし、 生まれもしないもの、生成もしないもの、作られもしないもの、形成されもしないものがなければ、 この世において(idha)、 生まれるもの(jAta)、生成するもの(bhUta)、 作られるもの(kata)、形成されるもの(saNkhata)の出離(nissaraNa)は知られないであろう。 しかし、比丘たちよ、 生まれもしないもの、生成もしないもの、作られもしないもの、形成されもしないものがあるから、 生まれるもの、生成するもの、作られるもの、形成されるものの出離が知られる(paJJAyati)。』
「南方仏教基本聖典」ウダーナ8.1-4前説。 「第一涅槃に関する経」は、世尊が比丘たちを不死の涅槃へ導くために、彼らに対し、 《それぞれの性質に応じて教説されたものである「聖なる道」》によって涅槃に到達すべきである、 これは難しくてできないことだといって修行を途中で止めてはいけない、 つづけて頑張れば完全な幸せを得るだろうなどと種々の表現で励ましの言葉を示されている。 涅槃の偉大さを示し、それが第一義的な存在であることを明らかにしたのがこの感興(ウダーナ)の経である。 「第二涅槃に関する経」は、見ることの難しい涅槃の本質を【四聖諦によって見得る】ことを説かれたものである。 「第三涅槃に関する経」が説かれるに当っては、次のような話がある。 世尊は種々の理由によって輪廻の危険を示し、涅槃に関する法話を説かれた。すると比丘たちは、こう考えた。 「世尊はこの輪廻が無明などの縁によって作られるものである、涅槃は縁によって作られるものではないと説かれた。 とすると涅槃は無縁である。一体どのようにして第一義的に得られるのだろうか。」と。 そこで世尊は説かれた。「この世において、或る人々は “涅槃というものはただの言葉だけだ。第一義的に得られるものではない”と理解しているが、これは誤解である。 涅槃というものは第一義的に得られるものである。」と。 「第四涅槃に関する経」が説かれるに当っては次のような話がある。 世尊は種々の表現で涅槃に関する法話を説かれた。すると比丘たちは、こう考えた。 「世尊によって涅槃の偉大さは示されたが、それに到達するための方法はまだ説かれていない。 どのようにしてわれわれ修行者は涅槃に到達することができるだろうか」と。 そこで世尊は説かれた。「すべてのものにこだわることがなく、身心に安らぎのある修行者は 聖なる道をもって残らず渇愛を捨断し、涅槃に到達することができる。」と、 このようにして感興をもって唱えられたのが本経である。
516 :
神も仏も名無しさん :2013/11/10(日) 18:34:15.85 ID:v/Vt2Sok
>>505 >狂牛病患者は、「アルツハイマー病」という病名をつけられて闇にほうむられるだろう。
Q.もっとも残留農薬で汚染されている食物は?
A.肉です。
・人間が摂取したDDTの95%は酪農製品と肉製品に由来する。(米、環境の質評議会リポート)
・ベジタリアン女性の母乳にはアメリカ女性の平均値の1〜2%しか汚染農薬が検出されない。
(ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン)
霜降り牛肉を食べれない粗食の人の方が癌にはなりにくいようです。
換言しますと、早く癌になりたい人は肉を食べ、特に霜降り牛肉がお薦めでしょう。
またトンでも説だと揶揄する方々は、近年の日本食ブームの因果関係を読めば悟れるはずです。
>「すべてのものにこだわることがなく、身心に安らぎのある修行者は >聖なる道をもって残らず渇愛を捨断し、涅槃に到達することができる。」 個に執着していては涅槃とは無縁であり、涅槃を志向するものは涅槃とは無縁である。と読めますねw
518 :
神も仏も名無しさん :2013/11/10(日) 18:38:32.62 ID:ude+jC2/
519 :
神も仏も名無しさん :2013/11/10(日) 18:42:25.42 ID:v/Vt2Sok
>>477 >隠居 ・・・・・・・輪廻否定
パピ ・・・・・・・輪廻は主体を要請する(テキストベース、真意洞察)
紐無記 ・・・・・言及すべからず(古層ベース、真意洞察)
閻魔 ・・・・・・勝義視点で一切却下(中論ベース、真意洞察)
セブン・・・・・・・輪廻消極的肯定(テキストベース)
ポスト一代・・・無我と輪廻(テキストベース)
宝珠 ・・・・・・・真我と輪廻(テキスト意訳)
一在家・・・・・・霊魂と輪廻(テキストモザイク)
>>509 >何でこのスレに居るの?w
輪廻オカルト仏教の布教を邪魔するためですw
>>512 はあ?
誰がそんなこと言いました?w
勝手に他人の意見を捏造しておいて、それを糾弾ですかw
最低ですね ┐(´ー`)┌
>>521 あなたが輪廻肯定論者でなければ、私はどーでも良いのですw
個を特定した輪廻を想定する事が仏教の要〜と言われれば反論させていただきます。
個を特定しない(個を主体としない)輪廻ならば私も賛同しますよw
>>517 最終的には、全ての志向性が排されるのはその通りと思うよw
でもね、
たとえば、弓道で「欲無く、無心で矢を放つべし」という教えがあったとしましょう。
このとき、「的の方向を向いて、弦を引く」ということなしに(→的の反対側を向いていて)、
的を射ることが可能と思いますか?
八正道が、そうした志向性無きものだとお思いですか?七仏通戒偈が、そうした志向性無きものとお思いですか?
最初から、目的も何も無くていいなんて言い出すから、
現代日本仏教僧侶のような、欲にまみれて或るがままでいい、何も目指さなくていい、
なんてスタンスが肯定されるわけですw
解ります?
まるで机氏の如き勝義万能主義に見えますよ?www
我執を滅する事に徹する事が大事でしょう。 「こだわりなく」というのはまさにその通りであると思いますよ。 輪廻を想定してこれこそが仏教の要である〜でこだわりなく見えますか? その輪廻も個が輪廻するわけです。 まさに我執の極み。
527 :
神も仏も名無しさん :2013/11/10(日) 19:57:24.68 ID:QkJebbA/
>>523 同意。なんか、達した状態と目指す状態を混同してる人がどこでもいますよね。
>>525 w
輪廻にこだわっているのは貴方のように見えますよ。
相手の話(≒伝統仏教の教理)を、
輪廻のみを全面に押し出しているが如くミスリードし、害悪認定する手法は如何なものかと思いますしね。
幾つも組み合わされた建築部材の一つが「輪廻」である、ということなのですから。
>建築部材の一つが「輪廻」である で、その「輪廻」とは個が主体なわけでしょう? その輪廻なしには仏教は成り立たないのでしょう? 輪廻抜きで仏教を語って欲しいものです。 輪廻は人間には分からない事。分かった振りして語る奴は全部偽者。 あなた方は私から見れば全部偽者です。
530 :
神も仏も名無しさん :2013/11/10(日) 20:19:28.09 ID:yjhdCdf6
>>529 個(我)をもって無我を悟るために修行するのが仏教だと思います。
悟ってない人にはまず涅槃という目標を掲げさせて
最終的に悟ったらその悟りへの執着からも離れるというものだと思います。
>最終的に悟ったらその悟りへの執着からも離れるというものだと思います。 悟ったら〜という事自体がナンセンスだと思いますよ。 執着から離れる事が悟りでしょう。 悟った後で執着から離れるのでは論理矛盾です。
532 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/10(日) 20:40:31.00 ID:NO5nAVTs
≪T≫ 十無記、の中に登場する「タターガタ」という語彙は、「如来」を意味するか? 「有情」を意味するか? このテーマの論点は言うまでもなく、「釈迦が死後無記としたのは、如来限定か? それとも一般衆生の死後も含めて「無記」なのか?」・・・これである。 以下、水野論文の要旨 @竜樹は「大智度論」の中で、十四無記における「タターガタ」は、「衆生」の意味 であると明記している。 竜樹は、死後無記としたのは「衆生」であるとの説である。 A水野氏の見解・・・・「タターガタ」という語彙は、仏教以前に外教においても 使用されていた。(但し、用例数は少ない) 意味は、「ほぼブッダと同義」である。 よって、外教の徒によって問われた十無記における「タターガタ」も同様に、 如来(ブッダ)の意味であろう・・・とのこと。 ⇒但し、水野氏自身、あまり自信がないらしく、 「このタターガタを(外教の徒たちは)完全者の意味に用いたのではなかろうか。」 「タターガタの語には、『輪廻を超越した完全者』の意味が含まれていたのではないかと 思われる。」・・・と歯切れが悪い。 これは、竜樹に先立つ、ブッダゴーサがこの語彙を「有情」と訳していることとも関連が あると思われる。 これに対して、水野氏の見解は 『佛教の立場から云えば、完全者としての如 來は佛教のみにあり、外教にはこの意味の如來があり得るはず はないから、外教で云う tathagata は完全者としての如來で はなくして、単なる有情にすぎないと見たものであろう。』
533 :
神も仏も名無しさん :2013/11/10(日) 20:43:23.58 ID:yjhdCdf6
>>531 では、「悟ると同時に」と言い換えておきます。
534 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/10(日) 20:47:21.25 ID:NO5nAVTs
≪U≫ ・・・・・・う〜〜〜〜〜ん、だなw ちと弱い推測だと思うがw もう一人の学者の見解は 『如来といえども、生きてるわけで、その意味では有情と変わらず 「有情」と訳したのであろう』というもの。 これも、う〜〜〜〜〜〜ん、 だがなw さらに、水野氏が十無記におけるtathagataを如来の意味にとる理由として 以下のことを挙げている。 『同じく十無記などの中に、 ⇒世間 (有情をも含む) は時間的に有限であるか無限であるか とか、 ⇒露魂 (有情の中心) と肉髄とは同一であるか別異であるか とかいう問題があるが、≪世間 (我) の恒存不恒存は、有情の 死後の存否をも問題とした、ものであり、≫また需卒魂と肉髄の一 異にしても、難肉が同一ならば、有情は死後には肉髄と共に 難魂も亡びて、断絶することになるし、霊肉が別異ならば、 肉禮の生起や死没と關係なく、霊魂は存在し得るということ になり、同一ならば有情の死後の存在がなく、別異ならば有 情の死後の存在を認めることになつて、≪そこには有情の死後 の存在の有無が問題とされている≫のである。 ≪このように無記説の他の項目で既に一般有情の死後の存在 の有無が問題とされている≫のに、更に tathagata (一般有情) の死後の存在の有無が論ぜられることは、全くの重複となつ て無意味である。』
535 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/10(日) 20:48:31.56 ID:NO5nAVTs
≪V≫ なるほどw 水野氏によれば、「有情の死後の問題は、他の項目 で既に挙げられている」とw ・・・・・・・・ なら、どっちにしろ、「衆生の死後は無記」 じゃねえかwwww 結論・・・・あまりはっきりしないなw 「無記に衆生の死後は含まれるのか?否か?」。。。諸説アリってとこだなw 少なくとも、かつて一代が力説してたような「如来限定」で ファイナルアンサーとはいかないことはわかったw >セブン 資料提供 サンキュウw (できれば、片山のも読みたかったwwww)
「悟ると同時に」じゃないんですよ。 執着が無いのが悟り。 悟るとか悟らないとか執着するのが束縛。
537 :
神も仏も名無しさん :2013/11/10(日) 20:53:48.61 ID:QkJebbA/
「悟るとか悟らないとか執着」が、悟ろうと「執着」して修行する人が悟るとなくなるんでしょ。
>悟ろうと「執着」して修行する人 多分悟らないと思いますよ
539 :
神も仏も名無しさん :2013/11/10(日) 21:02:22.08 ID:QkJebbA/
>>538 お釈迦さまが成功例ですよ。八正道に「正精進」があるのをご存知ですか?
あなたは努力したくないんでしょう。その分だと、あなたは多分悟らないでしょうね。
540 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/10(日) 21:05:05.32 ID:NO5nAVTs
今度は、不染汚 の話かい?wwww
wikiより〜 「正精進」(しょうしょうじん、samyag-vyaayaama, sammaa-vaayaama)とは、四正勤(ししょうごん)、 すなわち「すでに起こった不善を断ずる」「未来に起こる不善を生こらないようにする」「過去に生じた善の増長」 「いまだ生じていない善を生じさせる」という四つの実践について努力することである。 過去の悪い行いを反省し、現在悪い事をせずに、将来悪い事をせずに良い事をしよう〜とは常日頃思って実践しているつもりです。
542 :
神も仏も名無しさん :2013/11/10(日) 21:10:58.91 ID:QkJebbA/
それは素晴らしいですね。頑張ってください。
ありがとうございます。 あなたも頑張ってください。
ID:moNalPmW氏に賛同だな
545 :
はと :2013/11/10(日) 21:25:57.94 ID:BrW6lbo9
坊さんなんて頭の中葬式のBGMで荒稼ぎすることしかない人種だと思うんだけど 熱く語るこの人たちは何者だろう
546 :
神も仏も名無しさん :2013/11/10(日) 21:30:37.14 ID:QkJebbA/
熱心な一般人じゃないかな(笑)。 努力否定論じゃなければいいや。お休みなさい〜。
>>531 渡った後、担いでいくか捨てていくかはともかく、
とりあえずの所、筏を使わねば川を渡れませんよ。
あ、歩いて泳いで渡るというのはなしねw そんな浅く穏やかな河じゃないから。
>>535 片山さんは(まだ)言及してないと思うよ。
単に「註釈の引用が片山訳の版だった」だけで。
つか、このシリーズで一代とやりとりした人が言及してたと思うよ。
ワードが絞りきれないんで専ブラでも検索困難だけどw
>>547 あなたはかつて自分は本心は科学一辺倒(唯物論者)だが、商売上輪廻を売りにしているとか言ってた人ですよね?
私はあなたに聞きたい。
輪廻転生を心底信じているのか?
信じてはいないが商売上〜というのは却下します。つまり回答はyes or no に限られます。
それともうひとつ、
>>547 の川とは具体的に何か?筏とは具体的に何か?
549 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/10(日) 22:02:04.48 ID:NO5nAVTs
550 :
神も仏も名無しさん :2013/11/10(日) 22:18:55.40 ID:xpmHlUmR
仏教的には川は洪水であり、人々が困る事。 筏は洲であり人々の頼るもの。 自灯明法灯明の灯明が洲です。 で、私が何の川を渡るのでしょうか?という事ですが? 川(人生の困難)は人間皆ありますよ、筏(洲)は私自身です。 筏を使わねば川を渡れないではなく、皆自分で困難を越えていくのです。 なにか三途の川を渡るのに船が要る〜とか言ってませんか?w
そこまでいくと寓意をひねりすぎだよ
灯明が洲なのは寓意ではありません。
554 :
はと :2013/11/10(日) 23:01:55.27 ID:BrW6lbo9
輪廻?:ない 川?:当座のやりくり、人生 筏?:宗教を含めて人生哲学 川を渡って筏をどうする?だなんて甘っちょろい 濁流の中で筏は既に破綻し砕け散るのです。辛うじて対岸についたとき 筏は漕ぎ出すための方便に過ぎなかったのだと気付く(気付くとは限らない) しかし、他に手はない。新たに筏・改を作製するのがヒトの営み
555 :
はと :2013/11/10(日) 23:03:54.20 ID:BrW6lbo9
宗教は人工物だという寓意だな
>>554 >筏?:宗教を含めて人生哲学
ではなくて自分ですよ。自分のあり方。それこそが筏。
仏教等、他に求めるべからず〜という事です。(その仏教で自灯明法灯明を言っているので
矛盾しますが、仏教にはこのような矛盾が他にもあります。要は腹に収める事ができるか否か?w)
読めないリンクに何の意味があるのでしょうか?
559 :
はと :2013/11/10(日) 23:28:37.40 ID:BrW6lbo9
>>556 ケモノですら独りきりで生きて行けないことを知っていますよ。
世の中へ出て働いてみたらいいです
>>559 生きるのは当然皆と生きなければなりません。社会の一員として。
人間は一人では生きていけません。
自分が人生の困難に落ちた時、頼るべきは自分という事です。
自分のあり方を見つめなおして立ち直る事が大事である、という事だと思います。
561 :
はと :2013/11/10(日) 23:42:44.08 ID:BrW6lbo9
なるほど。 では、こう尋ねましょう。筏を漕ぐのがあなたなら、筏は何者か 川をあなたの体力で御して渡れるのなら、何故泳がずに筏をこさえるのか
>>558 ”彼”は読めるからいいんだよ。 【彼宛のレス】なのだから。
貴方が読めなくても何も問題はありません。
>>561 筏は洲ですよ。
洲をどうやって漕ぐのですか?
渡れる川は問題なしでしょう。歩いて渡りますw
渡れそうに無い川(洪水=人生の困難)こそ洲に頼るわけです。
洲は自分であり自分のあり方です。
561 >何故泳がずに筏をこさえるのか 泳げない
>>566 「商売上」ではないからw
中論的謂いをすれば、世俗の慣習や伝統、地域ルール等々に沿うだけ。
神社では拍手を打つし、必要なら教会では聖句を唱えるさ。
「俺は嫌だぁ〜」と駄々をこねないだけだよw
仏教スレで筏の喩えが通じないとはなぁ・・・ orz
全く回答になっていないですねw
569 :
はと :2013/11/11(月) 00:01:31.45 ID:wA6h5Za7
筏は洲ではありません
>>556 >筏?:宗教を含めて人生哲学
ではなくて自分ですよ。自分のあり方。それこそが筏。
>自分のあり方
とは考え方、あるいは生きる姿勢や意気込みも含まれると思うのですが
自分のあり方≒人生哲学 とも言えるのではないでしょうか
>神社では拍手を打つし、必要なら教会では聖句を唱えるさ。 >「俺は嫌だぁ〜」と駄々をこねないだけだよw まったく私も同じです。 で、あなた自身は心底輪廻転生を信じていますか? 立場上、輪廻を信じていなくとも信じている事を表明せねばならない、というのは 分かりますよ。しかしそれは「商売上」となんら変わりはありません。
>>570 なら、そう認定してくれてかまわんよ。
別にワシのリアルの生き方に支障がでるわけじゃないから。
少し老婆新説で言葉を加えれば、
貴方と同じく、
《「(凡夫には)わからない事柄」だから、仏教の枠組みでは、伝統的解釈に軍配を上げる》だけ。
医学や生物学の枠組みで議論するなら、また別のアプローチがあるでしょう。
異なる枠組みをブレンドするのは、一在家や宝珠等新興宗教の得意技
「統一真理」「宗教統一計画」のような醜悪な姿ですよ。
で、貴方のやり方は、寧ろそれに近いわけです。
>筏は洲ではありません 筏も洲も人が頼るという例えですから同じですよ。 自分の哲学は自分のあり方だと思います。 肝心なのは宗教といえど他に頼るな、他を当てにするなという事です。
このスレで輪廻転生を信じるのはあの人達だけ
574 :
はと :2013/11/11(月) 00:18:49.94 ID:wA6h5Za7
>>572 大雑把ですねー。まあ大雑把な方が話しも早いしかえって身について役に立つのかも。大雑把でも問題ないんでしょうね
そうそう、
>>570 貴方は、商売上で神社で拍手を打っているのですか?
そうであるなら、私も商売上で「仏教教理は輪廻を前提としている」と、
初学者に説明しますよw
仏伝絵本が、白象の夢から始まるが如くにねw
*ちなみに、
絵本等のこのやり方が変わることはないでしょう。 なぜだと思いますか?w
576 :
神も仏も名無しさん :2013/11/11(月) 00:24:41.61 ID:tQMVVG2w
>>477 >閻魔 ・・・・・・勝義視点で一切却下(中論ベース、真意洞察)
>現在、七つ巴中w
まあ、どう思っていただこうとゴーイング・マイウェイでいいんですが、ちょっと誤解を招きかねませんので一言。
・『勝義視点』ではなく、
⇒仏法のゲシュタルトとその崩壊(Sn.1072:金剛般若経6中部22)を踏まえています。
世俗(縁起の間接現実)、勝義(縁起の直接現実)、還滅(縁起の統合現実)です。
・『一切却下』ではなく、
⇒正確には「現生的なる法」(相応部35-23・70)→テキスト相互批判による『一切外無視(否定・肯定しない):潜入立論余地なし』による実践八正道から当然です。(
>>143 )
医学や生物学の枠組みで議論するなら輪廻などは論外ですね。 伝統と異なる枠組みは一切ままりならん。そういうのは仏教ではない〜と言うことですか。 で、肝心の私の質問に対する答えは明確には回答が得られませんでしたが、 要は職業上輪廻というのものを有るとした方が食っていける〜という事ですね。 心底信じてはいないが、職業上やむを得ず肯定していると〜 そのような立ち居地、姿勢で仏教スレで輪廻に対してコメントしてよろしいのでしょうか? 自らは本心では信じていないが、儀礼上肯定ですよ〜なんてのは個人の腹で納めるなら ともかく他者に対してアレコレ言う資格は無いと思います。
>>576 ズバリ言い当ててるとは言わんよw あくまでも、余興としてのイメージだ。
小姑みたいなチェックすんなw
>>577 の考え方が、
神社の拍手拒否、教会の聖句拒否と同じだというのがわかりませんか?
職業上? 食べていく云々?
どうしてそう利害的考え方しかできないのでしょう?w
そういうことじゃないんですけどねぇ・・。
もしかして10代?
580 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/11(月) 00:35:44.69 ID:XbX3dMs3
>セブン 資料読むのにちと時間かかったwww あの辺は、おれ参加してないなw んで、 557で水野論文が、衆生の死後も無記としてたこと、オレと同様に 指摘してた奴がいたけど、それに対する反論ってどうなった? 559の奴が、なにやら、「有力な反論」があるみたいなことこと書いてたが、 「水野氏が、衆生の死後も無記 と考えたこと」に対する反証あがったのか?
>>579 輪廻転生をどう見るのか?というテーマであなたは自分の立ち居地を明確に表示しない。
肯定なのか否定なのか無記なのか?
自らの立ち居地を示さず議論に加わるのは卑怯だと思います。
消極的肯定=肯定という事で良いのですか?
私には消極的という意味・意義が分かりません。
582 :
神も仏も名無しさん :2013/11/11(月) 00:38:06.32 ID:tQMVVG2w
>>535 >「無記に衆生の死後は含まれるのか?否か?」。。。諸説アリってとこだなw
>少なくとも、かつて一代が力説してたような「如来限定」で ファイナルアンサーとはいかないことはわかったw
ペンキ屋一代氏の論は、検証不能の一切外妄想業報論を一切内に無理やりねじ込むためのハチャメチャ強要でしかありません。
こんな簡単なこと水野さん、最初から自問自答されていますよw
曰く、
『佛教では十無記や十四無記の問題は、何れも解決できない形而上學にすぎず、
★またたとい解決されたとしても、それは佛道修行に無關係な、むしろ有害無釜なものである★として、*←ココ重要・中部63、相応部35-23「一切外」
これを問題にすべからずとして、蕪記avyakata と呼んだのである。』
そもそも、釈尊が問題にされたのは「現象世界(一切)のみ」であって、
それを外れた一切外については、サンジャヤ師と同様、全く判断停止(無記)されたのです。
仏教が反形而上学といわれ、莫妄想の教えといわれる所以です。これが【一切門】です。
このことは仏法のメルクマールが四法印であることから当然です。
< “一切”行無常 = “一切”法無我 = “一切”皆苦(=煩悩即菩提) > ⇒ 涅槃寂静
ポイントは八正道実践上、菩提心自己の六処による経験主義的検証が可能かです(相応部35-23・70)。
そもそも仏道が菩提心凡夫のためにあり、如理作意(中部15)できなければオハナシにならないのです。
一切外は如理作意不能の鰯の頭も信心からの妄想カルト世界です。
<一切内無我、一切外無記> 何を今更で、菩提心自己の六処による検証不能なコト
=<神、業報輪廻転生、生前・死後、回向、天国・地獄、十四無記事項、神通力、などなど>はガラクタで無視すべきなことは当然ですよw
二項相対の【一切門】では如来もゴキブリも生前、死後は無記です。
では、かなり疲れているので、寝ます。
583 :
神も仏も名無しさん :2013/11/11(月) 00:41:11.24 ID:TmJ66pw1
>セブン・・・・・・・輪廻消極的肯定(テキストベース) 私もあくまでも、余興としてのイメージですね。
>>580 反論ちゅうかw、(それこそ、今、ワシが紐無記君と応酬しているレスの如くwww)
水野さんも、自身で確認した(禅定瞑想により、或いは悟ってw知った)わけではないが、
状況証拠の揃い方(伝統的解釈(この場合、当該註釈箇所以外))に従った、
ということなんじゃないのかな。
紐無記君からすれば、水野さんもオカルト解釈を振りまく極悪人なんだろうな・・・w ┐(´ー`)┌
>>580 683 神も仏も名無しさん New! 2009/09/01(火) 07:27:34 ID:e2lhepQU
>> 674
これは失礼しました。しかし、読んでいればその前段のような疑問は解決すると思ったので。
その引用49頁に続いてこう結論づけています。
tathagata をば「輪廻を超越した完全者」と見ることは、
この語の当時の一般的用法にも合致するし、
また無記説の配列から見ても、問題点からしても、
最も妥当と思われる。
要するに釈尊は如来を解脱者の意味で用いたが、
十/十四無記は外道の質問であるため、
後世、おそらく外道から、十/十四無記の如来を解脱者と認めるなら、
外道でも解脱できることになるという帰謬による論難があったから、
外道でいう如来は解脱者ではなく、ただの「有情」であるという意味で
如来を「有情」とする無理な注釈が成立したものと推測します。
水野先生の論理もほぼ上に添った内容ですが、慎重に断定はされておられません。
もちろん、学者の正しい態度です。
586 :
はと :2013/11/11(月) 00:48:52.17 ID:wA6h5Za7
>>582 オヤスミなさい
裏を返せば、形而上の議論は妄想の域ということに
587 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/11(月) 00:49:23.49 ID:XbX3dMs3
>>584 違う違うw
伝統的には、無記は如来の死後のみ、衆生の死後は輪廻する てえのが
伝統的解釈だろ?
水野氏は、それに対して「衆生の死後も無記」とやってしまったw
それに対する反論は、あったの? という意味w
588 :
神も仏も名無しさん :2013/11/11(月) 00:51:12.30 ID:qKg029CG
>>579 >職業上? 食べていく云々?
>どうしてそう利害的考え方しかできないのでしょう?w
>そういうことじゃないんですけどねぇ・
人間、そしてすべての生物にとって、「食べること」が一番だよ。釈迦も人間
なら、例外ではない。食べなければ生きられないし、生きられなければ、宗教も、
悟りも、涅槃もヘチマもない。
その基本が判らないのは、10台どころか幼児以下。
589 :
神も仏も名無しさん :2013/11/11(月) 00:51:30.13 ID:TmJ66pw1
>>582 >そもそも、釈尊が問題にされたのは「現象世界(一切)のみ」であって、
>それを外れた一切外については、サンジャヤ師と同様、全く判断停止(無記)されたのです。
>仏教が反形而上学といわれ、莫妄想の教えといわれる所以です。これが【一切門】です。
その水野先生はこうも書いておられますよ。(仏教要語の基礎知識,P164)
「外教が説くような常住の実体としての霊魂は仏教ではこれを説かないが、
人間の主体として業を保持している霊魂は三世を通じて存在するものとして、これを認めている。
それは不生不滅ではなく、輪廻の主体として、業や経験に従って常に変化しつつ連続する有為法である。」
そのとおりw 形而上の議論は戯論と言われるのも当然です。 大雑把と言えば大雑把かもしれませんが、筏=洲=灯明は 大雑把ではなく本当にその通りなのですよ。
591 :
神も仏も名無しさん :2013/11/11(月) 00:55:20.07 ID:TmJ66pw1
>それは不生不滅ではなく、輪廻の主体として、業や経験に従って常に変化しつつ連続する有為法である。」 世親菩薩が「阿頼耶識」と呼ばれた有為法ですね。
592 :
はと :2013/11/11(月) 00:55:36.47 ID:wA6h5Za7
戯れ言だから大雑把でよいと
>>587 勿論、683は一代と思われるが・・w
>>590 さすがにツッコませてもらうがw
筏=教え・法門(≒経・律・論)のことだぜ?
筏=洲なんて意味付けは世界初だと思う。
594 :
はと :2013/11/11(月) 00:58:35.42 ID:wA6h5Za7
すがるよすが だというのは同意
>>592 妄想に対しては妄想と指摘する事が良いと思います。
何が妄想であるかという判断はそれが形而上であるか否です。
形而上の事を分かったように行っている輩は全て妄想語りです。
大雑把と思われたのが何に対してか分かりませんが、自分としては
大雑把ではないつもりです。
597 :
神も仏も名無しさん :2013/11/11(月) 01:03:03.90 ID:qKg029CG
水野氏はテラワダカルト。問題外。
598 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/11(月) 01:04:00.32 ID:XbX3dMs3
>>593 え〜〜〜〜〜??? あれが反論かよ?w
一代、何やってんだ?www
反論になってねえよw
ポイントは、⇒十無記の他の項目で「衆生の死後は無記」と言ってます
・・・・と、水野が言ってるんだから、きちっとそれに反論せんにゃあw
「タターガタ」は如来の意味です じゃあ何の反論にもなっとらんw
>>593 世界初であろうがなかろうが、筏=洲=灯明でしょう。
そんなことより、あなたは輪廻肯定、否定、無記のどれですか?w
600 :
神も仏も名無しさん :2013/11/11(月) 01:15:59.26 ID:TmJ66pw1
>>599 >セブン・・・・・・・輪廻消極的肯定(テキストベース)
横からツッコミです。
(片山さんの見解が気になるところだがw)
>>598 だから、
十/十四無記の記述は外教の問いでもあり、且つ如来もまた人であるので、註釈はsattaで、
(―もし、アートマンのことであるなら(宝珠やカラスが大好きな一切外としてw)尚更無記になるしね―)
その語義は常に如来(覚者)であった、ということなんじゃないのかな。
つか、今読み返してみたけど、水野さんも
二種の解釈を提示するために、言及しただけ(p.42)にしか見えんけど・・。
で、結論は
>>585 の683引用の如くで・・。
602 :
神も仏も名無しさん :2013/11/11(月) 01:19:15.38 ID:TmJ66pw1
>>589 「仏教のこころ」中村元、P78
客観世界に見出されるいかなる実体もアートマンではない(非我)ということを主張したのです。
アートマンが実在するか否かということについては、まったく沈黙を守っていました。
このことから仏教を無霊魂説と解するのは誤りです。仏教はむしろ人間の行為の拠りどころ
としてのアートマンを承認していました。
釈尊の臨終の説法の一つは「自己(アートマン)に頼れ。法に頼れ。自己を燈明とせよ。
法を燈明とせよ。」でした。
603 :
はと :2013/11/11(月) 01:19:16.61 ID:wA6h5Za7
私は仏教徒でないから、敢えて 筏?:宗教全般ないし人生哲学 とした。 もし堅い岸辺にたどり着かすとも洲に避難できるならば 洲?:僥倖、天佑 波間に行く手を照らす灯明があるとすれば 灯明?:(人生、宗教における)先達の導き と取る。 自分で人生を渡っていく。というのは矜持として持ってなくちゃいけないだろうけれど、 外からの助けがある、ということを分かって感謝できることも大事、というか力になる
>>602 w
『 >人間の行為の拠りどころとしてのアートマン 』は、《【所謂】アートマン》とは違うだろw
何回同じ話をすれば気が済むんだ? ┐(´ー`)┌
606 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/11(月) 01:23:34.93 ID:XbX3dMs3
>>601 いやいやいや、
≪このように無記説の他の項目で既に一般有情の死後の存在
の有無が問題とされている≫のに、更に tathagata (一般有情)
の死後の存在の有無が論ぜられることは、全くの重複となつ
て無意味である。』
言い切っちゃてるでしょう?wwww
>>604 補
尤も、勝義レベルなら、
『 >人間の行為の拠りどころとしてのアートマン 』もまた、縁起の波の中に雲散霧消してゆくわけだが・・w
608 :
神も仏も名無しさん :2013/11/11(月) 01:25:56.39 ID:TmJ66pw1
>>602 また「中村元氏はテラワダカルト。問題外。」というレスを予見します。
学生運動の頃のイデオロギー闘争で論敵にラベル貼りした癖が残っている御仁でしょう。
仏教板でのラベルは「カルト」、「基地外」、「アホ」でしょう。
>>602 まさにおっしゃるとおりだと思います。
つうか中村先生の本ですかw
要は自(我)は有るのです。無いのではない。
自(我)は生きて居る間だけあるのです。
死んでも有るというのが間違いで、死んだ後は有るのか無いのか分からない〜が正解です。
610 :
神も仏も名無しさん :2013/11/11(月) 01:28:49.20 ID:TmJ66pw1
>>604 >『 >人間の行為の拠りどころとしてのアートマン 』は、《【所謂】アートマン》とは違うだろw
>>607 >『 >人間の行為の拠りどころとしてのアートマン 』もまた、縁起の波の中に雲散霧消してゆくわけだが・・w
確かに「アートマン」という言葉も意味が変化する「空」ですから。。
611 :
はと :2013/11/11(月) 01:29:40.83 ID:wA6h5Za7
>>605 自分の中に見出そうとすれば、=ですが、他者の中に見出そうとすれば=でなくなります
>>606 ああ、そこか。
それは、
《タターガタを「一般有情」と読んだなら重複になる》が、
《タターガタを「覚者」と読めば不具合はない》
という文章じゃないか?w
内容の重複があり得ないこととするなら、
タターガタの語義は、自動的に覚者に定まる、と。
613 :
? :2013/11/11(月) 01:32:22.31 ID:Iao9F9MR
前世は一在家 さんと
>>380 サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A さんへ
> 深層意識はどうかなぁ
> ただの記憶の断片の集積とは言い切れないような
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98 唯識の場合は
眼識(視覚)・耳識(聴覚)・鼻識(嗅覚)・舌識(味覚)・身識(触覚) − 前五識
その次に「第六意識」
その下に末那識(まなしき)と呼ばれる潜在意識が想定されており、寝てもさめても自分に執着し続ける心であるといわれる
熟睡中は意識の作用は停止するが、その間も末那識は活動し、自己に執着するという
さらにその下に阿頼耶識(あらやしき)という根本の識があり、この識が前五識・意識・末那識を生み出し
さらに身体を生み出し、他の識と相互作用して我々が「世界」であると思っているものも生み出していると考えられている
http://d.hatena.ne.jp/hotokenomichi2008/20091011/1255250353 有相唯識派
仮設としての阿頼耶識を、とりあえずは「ある」とする
− これに対して −
無相唯識派
阿頼耶識も仮設として現れ滅しているものなので
縁起なるものとして
心の存在もまた幻のごとき「空」であり
究極的にはその実在性(実体・自性)も否定される(境識倶泯)
614 :
神も仏も名無しさん :2013/11/11(月) 01:32:57.38 ID:qKg029CG
>>611 他者の中に見出したら、「自灯明」と矛盾する。
615 :
はと :2013/11/11(月) 01:35:30.47 ID:wA6h5Za7
616 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/11(月) 01:36:58.17 ID:XbX3dMs3
>>612 そうw 水野は、 タターガタが覚者という意味であり、有情
ではない ことを論証するのに、
「他の項目で既に、有情については無記」とされてるんだから、
さらにタターガタを有情と解するのは、重複であり不合理・・・・
という論建てしてるわけw
つまり、タターガタはブッダで良いが、他の部分で有情も無記
と言ってしまってるわけw
水野見解によれば、十無記は、「有情、如来、共に死後は無記」
となってしまうw
617 :
神も仏も名無しさん :2013/11/11(月) 01:39:51.66 ID:TmJ66pw1
>>609 >死んでも有るというのが間違いで、死んだ後は有るのか無いのか分からない〜が正解です。
もし釈尊が貴方にそう説かれたのであれば「貴方のレベルでは正解」ですね。
でも対機説法において相手が変われば別の言い方をしたのが釈尊の説法の特徴でした。
このことを龍樹菩薩は「大智度論」の冒頭で、釈尊の「四悉壇」として具体的に解説されております。
冒頭の注意書きを読まずに(読んでも無視して)仏説や中論を読みましたら悪見に堕ちるリスクがあります。
21世紀の現代でも、「この先、工事中」の看板を読まずに突っ込んで事故しても自己責任でしょう。
ポイントは異教徒や修行初心者に「無記」だったからといって、「形而上のことは無記だった」という見解に
固執しないことです。その為の注意書きが「四悉壇」解説ですので。
>>616 わざと言ってる?w
無記記述の中での(そこで水野さんも触れている)
一般有情(に関することであろうこと)の述べ方はどうなってる?
「タターガタは死後〜」のような、シンプルな一回限りの言明になってるかな? ( ̄ー ̄)
619 :
はと :2013/11/11(月) 01:40:55.34 ID:wA6h5Za7
受け入れるのも自分であるし。 照らしても見出さないならまさに「他灯明」でしょ 門外漢の藪ニラミで恐縮ですが
620 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/11(月) 01:45:08.55 ID:XbX3dMs3
>>618 意味不明?
>>534 に挙げてるように、水野は、タターガタに先立つ項目で
有情の死後を問題にしてるとはっきり言明してるが?
621 :
神も仏も名無しさん :2013/11/11(月) 01:45:29.45 ID:qKg029CG
>>615 >見出すのは自分でしょ
そうではない。その自分が「他者」に依存しないで、「自分自身」に頼れ、と
いうのが「自灯明」。
622 :
神も仏も名無しさん :2013/11/11(月) 01:47:03.89 ID:TmJ66pw1
>>613 ?氏
>有相唯識派:仮設としての阿頼耶識を、とりあえずは「ある」とする
>無相唯識派:阿頼耶識も仮設として現れ滅しているものなので
因みに「阿頼耶識」と命名された世親菩薩が説かれたのは何れですか?
死んでも我は有るいう見解が悪見ですw 死んだ後の事は分からないが正見です。
>>618 補
なぜ、わざわざ「如来の死後」が別立てされねばならないかといえば、
衆生・凡夫はともかく、ウダーナ8で言われるような境地に至り、輪廻から解脱した存在は、
その五蘊の滅以降はどうなるのか?が、ヒトの思考の癖、興味として当然生じるものだからでしょ。
衆生・凡夫は、業により或いは煩悩により、因により縁により後有を受けるわけですが、
それらが断たれている存在の五蘊滅後は?なんて、“普通の人”は気になるよねw
625 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/11(月) 01:54:22.69 ID:XbX3dMs3
>>624 だからなあ、 水野の見解によればだよ、
タターガタが如来を意味してる・・・・これはいいの。たしかに水野は
そう考えてるのw
しかし、それと同時に、「有情の死後も無記」と言ってるわけw
俺が指摘してるのは、そこw
626 :
神も仏も名無しさん :2013/11/11(月) 01:55:40.12 ID:TmJ66pw1
>>617 >このことを龍樹菩薩は「大智度論」の冒頭で、釈尊の「四悉壇」として具体的に解説されております。
如来や菩薩は衆生の浄土入り、修行者の涅槃入りの為に色々なタイプの「筏」を用意して下さったということでしょう。
だから彼の岸に渡れば「筏」は捨てよということだったのだと思料します。
色々なタイプの「筏」を用意して下さった如来や菩薩の智慧と慈悲には感謝致しましょう。 合掌
627 :
神も仏も名無しさん :2013/11/11(月) 01:57:13.80 ID:qKg029CG
>>619 「他者」に依存することを認めたら「自灯明」の意義がなくなってしまう。
オウムもその多くの他のカルトも「自灯明」ですか?w釈迦も「俺の言うこと
だけは聞け」と言ったら、「自灯明」と完全に矛盾するねw。
628 :
神も仏も名無しさん :2013/11/11(月) 01:58:37.30 ID:TmJ66pw1
>>626 >色々なタイプの「筏」を用意して下さった如来や菩薩の智慧と慈悲には感謝致しましょう。
それを感謝もせずに、「俺の筏が一番だ」とか「あっちの筏の方が速そうだ」とか議論しているのが凡夫です。
629 :
はと :2013/11/11(月) 02:01:32.62 ID:wA6h5Za7
>>621 私はアーナンダではないですよ
お釈迦様は
自灯明といったあと、すぐに法を灯明とせよ、と説いています。
法は先達(釈迦)の教えであるし、自灯明の「自」はアーナンダです。
お釈迦様の意図は「自」即ちアーナンダは立派に成長して自ら灯明たりうると励ましている
つまり個人的対話ですよね。一般論に敷衍するのは乱暴ではないですか
630 :
? :2013/11/11(月) 02:02:30.74 ID:Iao9F9MR
>>613 の続き
前世は一在家 さんと
サロメ☆ボウディア さんへ
_ _ _
因と縁の依存によって現れ滅する
仮設としての「想・受」を滅させるまでは
とりあえずは「想・受」を仮に「ある」として
そして
八正道を修習して、我・我所を滅する因縁によって、無我・無我所を得て、智慧を決定する
想受滅(滅尽定)を以って、第一と為し、終に、無余涅槃に帰する
_ _ _
煩悩障(自己に対する執着)・所知障(外界のものに対する執着)の
二種の障害を根絶することによって、阿頼耶識が変化を起こす(転識得智=てんじきとくち)
これがすなわち、汚れを離れた領域であり、思考を超越し
それを得たものは解脱身であり、仏陀の法と呼ばれるものである(大円鏡智=だいえんきょうち)
>>629 そうではないと思います。
>>621 さんの言うとおりだと思います。
法は教えではありません。有り様です。あり方です。
自灯明の自は自分という事です。法灯明の法は自分のあり方です。
個人的な対話ではありますが、万人に通じる教えでもあります。
632 :
神も仏も名無しさん :2013/11/11(月) 02:13:15.74 ID:TmJ66pw1
>>627 >釈迦も「俺の言うことだけは聞け」と言ったら、「自灯明」と完全に矛盾するねw。
「自燈明」ですが、その「明り」と燈した人は誰かを思料しないと危ういのではないでしょうか。
長部経典第十六経の「大般涅槃経」
「アーナンダよ、お前達のために私が説いた教えと私の制した戒律とが、私の死後にお前達の師となるのである。」
「さあ、修行僧たちよ、お前達に告げよう、『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい』と。」
これが如来の最後の言葉であった。
もう、私も寝板に入ります。
633 :
はと :2013/11/11(月) 02:14:15.08 ID:wA6h5Za7
>>627 「自」といったからといってアーナンダが釈迦の教えを離れて独自の道を行くわけじゃない
アーナンダのうちに積み上げられ醸成された「法」:釈迦の教えをここで「自」と呼んでる
自分をアーナンダに並ぶと思ったならば自灯明たりうるでしょう。
単にめいめい自分の思ったまま生きればいいならケモノの生き方だ
634 :
? :2013/11/11(月) 02:17:29.49 ID:Iao9F9MR
635 :
はと :2013/11/11(月) 02:25:48.77 ID:wA6h5Za7
ヒトは本来ケモノであるし、法もまた時とともに廃れるものであるからケモノとして生きる道が正しい道かもしれない
636 :
神も仏も名無しさん :2013/11/11(月) 02:26:26.54 ID:qKg029CG
>>629 「自灯明」「法灯明」は、他の宗教の開祖が誰一人として言えなかった仏教随
一の名句。折角の名句を否定するのは、仏教の冒涜・破壊であり、やるべきこ
とではない。「己自身を拠りどころにせよ」と言ってるのに、「開祖・教祖に
は従え」、と言ってるとしたら、完全な論理矛盾。従って「法灯明」も、開祖
・教祖の教えを含めたら、同様に論理矛盾に陥ってしまう。法とは、自然界の
法則に限定すべきもの。
637 :
はと :2013/11/11(月) 02:28:33.52 ID:wA6h5Za7
はとの身でありながら喋り過ぎた ばさばさばさ
638 :
はと :2013/11/11(月) 02:30:41.43 ID:wA6h5Za7
639 :
神も仏も名無しさん :2013/11/11(月) 03:05:24.67 ID:qKg029CG
>>638 開祖釈迦は、もはや賞味期限切れw。2500年の賞味期限は、幾ら何でも
長すぎるw。時代は日々進歩しているのだよ。
大乗仏教は、無数の人々の叡智と努力を傾注した、一大思想体系であることを
忘れてはななない。
640 :
? :2013/11/11(月) 03:46:10.68 ID:Iao9F9MR
>>223 と
>>232 の 親切僧 さんへ
真言(密教)だったんですか? 知りませんでした
ちなみに、私(ID:Iao9F9MR)は、年末年始には
横浜の伊勢山皇大神宮と
横浜の成田山別院に参拝させて頂いてます
_ _ _
【ブッダのことば】スッタニパータ<中村 元訳>
http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm … 結髪の行者ケーニヤに、ブッダは次の詩を以て、喜びの意を表した
568
火への供養は祭祀のうちで最上のものである
サーヴィトリー〔讃歌〕はヴェーダの詩句のうちで最上のものである
_ _ _
ちなみに、私(ID:Iao9F9MR)の場合は
衆生を引導する為の護摩(ごま) ← 肯定です
準提功徳衆、寂静にして心常に誦すれば
一切諸々の大難、よくこの人を犯すこと無し
天上及び人間、福を受くること仏の如く等し
この如意珠に遇はば、定んで無等等を得ん
もし我、誓願大悲のうち、二世の願を成ぜずんば
我、虚妄罪過のうちに堕して、本覚に帰らず大悲を捨てん
小準提咒 − オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ 屮(_ ._)屮
641 :
? :2013/11/11(月) 04:52:32.19 ID:Iao9F9MR
643 :
QQQ :2013/11/11(月) 09:35:01.39 ID:HGKsMHX4
>>499 >>501 健康雑誌にも手のひらアイロン等の記載があり、やる気があれば自分でも出来るようです。
それとも宗教者の手かざしは、神仏のプラスアルファがあって特別な効力でもあるものなのですか?
>>500 残念ながら、私の悩み相談ではありません。
又、どんな神様なのか詳しく解らなければ委ねることは出来ません。
644 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/11(月) 09:52:16.57 ID:HE78XBON
645 :
神も仏も名無しさん :2013/11/11(月) 10:06:49.28 ID:TmJ66pw1
本スレの住人の中では真言宗の方が波調が合うようです。 神智学とはほとんど一致しますし、グノーシスとも結構見解が似ております。 と所感を述べますと、また「カルト」を連呼するイデオロギー闘争経験者が登場しますことを予見します。 イデオロギー闘争経験者:論敵に適当なラベルを貼り、是非は語らずラベル名の連呼で中傷する。
646 :
神も仏も名無しさん :2013/11/11(月) 10:26:12.70 ID:TmEROccN
>>645 >神智学とはほとんど一致しますし、グノーシスとも結構見解が似ております。
キリスト教を持ち込んだ点では、真言宗とは全く異質。
イデオロギー闘争では、サヨクはキリスト教の直系。レッテル張りがお家芸。
647 :
アホにつける薬はない! :2013/11/11(月) 10:32:05.97 ID:tQMVVG2w
>>589 >人間の主体として業を保持している霊魂は三世を通じて存在するものとして、これを認めている。
道元が最晩年に書かざるを得なかった「三時業論」の護教という水野氏の学者としての限界だよw
しかし、このあたりは道元さんや水野さんの心情を忖度すべきだろう。
これは、パーピがこだわっているタターガタと凡夫の無記問題=業報輪廻転生のねじ込みと同じ。
その表面的な矛盾は道元における「不落因果」(大修行 75巻本)と「不昧因果」(深信因果 12巻本)の矛盾問題だ。
「百丈野狐」(無門関2)の公案といえる(←自力で解いてみてください)。
即ち大修業では、キチンと不落と不昧に優劣差はなくいずれも「野狐身」だとしていたのに、
晩年の深信因果では不昧こそが深信因果だと変節したうえに、
ナント三時業という検証不能のオカルトまで説示する暴走老人になってしまった!のはな〜〜〜んでか?が問題となる。
道元サマご乱心!!?
じつは修業の現場では、修証一等を誤解曲解した坐ればOKや!のアホ悟り修行僧が実に多いのだ。
以下略・・・
しかしこの三時業論が、今度は逆にアホには効き過ぎて<差別戒名と部落問題>というカタチで曹洞宗全体を苦渋に陥れることになる。
他宗も実情は同じ。
いずれにせよ、“アホに付ける薬はない”とは龍樹の中論と同じだ。
このスレにも実に多いではないかw
648 :
アホにつける薬はない! :2013/11/11(月) 10:52:06.86 ID:tQMVVG2w
>>645 >是非は語らずラベル名の連呼で中傷する
アホとは、【一切門】縁起の(間接)現実=時空因果関係を正確に如理作意できない、しない愚者をいう。
しかし、心配するな。
8:2法則(パレート法則)からみても、そんな奴が大部分なのだ→
>>647 。
みんながアホなら怖くない。
しかし、オカルト・アホには害毒がある。
649 :
神も仏も名無しさん :2013/11/11(月) 11:23:06.96 ID:TmEROccN
>>645 ラベルの相違が、批判・批難の理由だと思ってたのか?w(怒
本気でそう受け止めてきていたとしたら、あまりにも鈍感だといわざるを得ない。
或いは日本語に極度に不自由か。
ま、君の場合、全て解った上で、すっとぼけてるってのがアリアリなんでムカツクわけだが・・w
651 :
アホにつける薬はない! :2013/11/11(月) 11:32:49.62 ID:tQMVVG2w
>しかしこの三時業論が、今度は逆にアホには効き過ぎて<差別戒名と部落問題>というカタチで曹洞宗全体を苦渋に陥れることになる。
>他宗も実情は同じ。
この点の資料はいろいろあるが、
・小説では 水上勉『良寛』
・簡単なレポートでは、
http://blhrri.org/info/book_guide/kiyou/ronbun/kiyou_0120-05.pdf 曹洞宗だからまだマシなのだ。
これが<オカルト×カルト>アホには害毒があるから問題となる。
たとえば釜ヶ崎におけるキリスト系カルトの統一教会は炊き出しでカモを引っ掛けて洗脳し仲間意識を持たせ、
生活保護受給者からピンハネする『貧困ビジネス』をやっている。
暴力団山口組の囲い込みピンハネ、ノミ行為・路上賭博・覚醒剤密売とその根性において変わりない。
>>620 ああ、そうか。
間接的とはいえ、49頁末尾の文章は、
結果として衆生の死後も「無記扱い」になってしまう、ということね。
けど、御本人も意図(自覚)してないんじゃないかなw
死後存在の有無に「関連する、繋がる」案件であるというだけで、
そのこと(後有)が無記であるというテキストでもないし、水野さんの判断でもない。
少なくともテキスト上は「霊肉の不一不二」が言われているだけだし。
(まあ、五蘊で考える仏教なれば『霊肉というカテゴライズ、語用』に意味がないともいえるけど。)
*(霊がjivaなのは解り易いとして、「肉」が《 sarIra 》である点は留意されていい。
なぜ、 kAya でもなく rUpa でもなく、 sarIra なのか?
勿論、kAyaの項に sarIra の語は見られるけれども。
http://dsalsrv02.uchicago.edu/cgi-bin/philologic/getobject.pl?c.1:1:474.pali )
(buddha)antimasarIraと言えば最後身のことだし。
-- sarIra the last body; (adj.) having ones last rebirth
S i.210 (Buddho antima-sarIro); A ii.37; Sn 624; Dh 352, 400; DhA iv.166
SarIra (nt.) [Vedic zarIra]
-- 1. the (physical) body D i.157; M i.157; S iv.286; A i.50; ii.41; iii.57 sq., 323 sq.; iv.190.
Sn 478, 584; Dh 151; Nd1 181; J i.394 (six blemishes); ii.31;
antimasarIra one who wears his last body , an anAgAmin Sn 624; S i.210; Dh 400.
-- 2. a dead body, a corpse D ii.141, 164; M iii.91. -- 3. the bones D ii.164. -- 4. relics Vv 63, 32; VvA 269.
>>652 補
以下、半分以上私見だが、
肉体、軆が滅することは、【常識的に】w受容されている事柄で、
だからこそ、色とは別の霊魂(jIva)が三世に跨って継続すると【一般的には】考えるわけだ。
そこで、(まるで現代の肉体と意識の連結みたいだがw)「霊肉が別か一かは判別不能」と。
そうした無記の定型に於ける前提を踏まえた上で言えば、
ここで、その存在そのもの(の継続)が無記とされてはいないみたいだけど。
死後存在の有無と【関連はしてるけど】、それを(それぞれの継続を)無記と言ってるわけじゃない。
ここでの無記の問いの立て方は、
輪廻するにあたって、霊肉が別個に縁起してゆくのか、という問いと言ってもいいかもしれない。
五蘊存在と見る以上、霊肉は別でもなければ一でもなかろうし。
という感じはどうだろう?
>>620
654 :
神も仏も名無しさん :2013/11/11(月) 12:11:50.27 ID:TmJ66pw1
>>648 >しかし、心配するな。みんながアホなら怖くない。
少なくとも貴方はアホとは対岸(彼岸)におられるとの宣言ですね。
655 :
神も仏も名無しさん :2013/11/11(月) 12:12:29.26 ID:TmJ66pw1
>>650 >ま、君の場合、全て解った上で、すっとぼけてるってのがアリアリなんでムカツクわけだが・・w
なるほど、貴僧のラベル貼り基準ですか。
アホ:全く解らずに、すっとぼけてるんでムカツク
姑息:全て解った上で、すっとぼけてるってのがアリアリなんでムカツク
656 :
神も仏も名無しさん :2013/11/11(月) 12:14:35.42 ID:TmJ66pw1
>>655 多分「全て解った上」は貴僧の過大評価でしょう、個人的には「アホと姑息との中道」かなと思います。
兎に角、私のことを私以上に正見されているようで忝く存じます。
657 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/11/11(月) 12:22:39.36 ID:GzNxC2MN
>>138 お前ら禅宗の詭弁に同意しなきゃ理解力がねぇのかよ。むしろ、お前らの能書きは詭弁だと見極める方が
よっぽど物事を正しく見れる理解力のある人なんだがな。理解力がねぇのはどうみてもお前らのほうだろ。
未だ論破済みの業報輪廻転生と無我思想とは相容れないなんて陳腐な凡夫丸出しの能書き垂れてるし。隠居もそうだが
この手の輩は完全に論破された内容は無かったことに脳内変換してしまえるらしい。あのよ。ゴータマさんの
仏教の無我思想とは、あくまで一切には自性(アートマン)がありませんよと言っているだけであり、幻そのものがありませんよ
なんて言ってないわけ。現に我々の自我はここにあんだろうが。ただそれらは実体の無い幻であると言ってる
だけでさ。輪廻転生の基体である業もそれと一緒。なにもゴータマさんの仏教の無我思想と矛盾しない。
現世の自我を過去未来へと繋ぐ業を認めながら、それを三世に渡るものだと解釈すればなぜそれは仏教の
無我思想に反するとわめきたてるのか意味不明なんだよ。三世に渡る業もどの道今の宇宙が滅びれば消えてなくなる
幻なんだし。おまえらの無我思想によると、輪廻する基体以前に今の我々の自我そのものがここにあること自体矛盾だろうが。
言ってる意味わかる?お前理解力あるんだろ?おまえら禅宗は、無我思想から勉強しなおしたほうが
いいんじゃねぇの。(苦笑)
658 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/11/11(月) 12:33:09.58 ID:GzNxC2MN
ま、あれだ。禅宗は駄目だ。 ここで必死で業報輪廻転生を否定し、仏教をただの唯物論にしてしまい、 仏教をただの詭弁にしてしまっている。ここの禅宗のメンバーをみろ。 詭弁ばっかり達者なバーピマン。これまた詭弁が教義の仏教をただの言葉遊びの道具にしてしまう 大王。自分の意見は言わずにただ相手を小馬鹿にしたような絵文字を入れて否定するだけの 禅坊主によく見られる卑怯者のセブン。議論するうえで自分の意見を言わずにただ相手を 否定するだけの論法を用いるのは卑怯者のすることだ。禅系の坊主がするのがほとんどがこれ。 悟りなど無い。そんなものに執着するから涅槃は無いなどとアホな言葉遊びを得意げに語る たまに現れる禅系のギャラリー。禅系の人はヨーガ系のスレでも悟りに関するスレに必ずといっていいほど 常駐するものがいて、得意げに悟りなど無い。涅槃など無いなどと講釈垂れだして皆の足を引っ張る から困ったもんだ。確かに無いんだけどな。だがそれを無いと見るのも間違いであり、そこを求めて修行 するのは間違いじゃないのだよ。結論を言おう。禅宗は駄目。全然駄目。駄目駄目なんだよ。
659 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/11/11(月) 12:42:28.55 ID:GzNxC2MN
>>518 ウダーナのそこの経はお宅の言うとおり中道=空=ゼロ。とみても、ID:QYa4sqvfさんの主張したいことと
はなんら問題はないんだよ。この世を言語相対世界と見れば、縁起=中道=空の思想は間違いでは無い。
本質はゼロだっていうだけであって。さて、そのゼロの領域=涅槃静寂を認識するにはどうすればいいのだろう?
熟睡から目覚めなければ永遠の無だ。それを死と呼ぶ。邪見の王様禅宗は、人々を完全な滅びへと誘う
邪教だよ。そんなに滅びたければ一人で滅びればいいのにね。
660 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/11/11(月) 12:57:34.58 ID:GzNxC2MN
ま、こういうことを言うとまたゼロという言葉に反応してそれはカウントできるから中道じゃない とか抜かす言葉遊びばかりやっているアホが絡んでくるから言っとくけど、”それ” 自体は、言葉では 表現し得ないものである。なぜなら ”それ” は、識別し得ないものであるから。ただ皆に説明する上で便宜上 ゼロという記号を使っているに過ぎない。ま、これも何度も説明しているんだけどね。でもいっとかないと また揚げ足とって来るアホがいるんで念の為。とにかく君らは揚げ足取りと詭弁だらけでどうしようもない人達 だと思うよ。バーピマンの主張など詭弁でしかないのに、詭弁を巧に扱えば、論理的なんていうひとがいるんだから 困ったもんだ。普通の人は議論に詭弁など用いるという発想自体ないものだが、この手の人達は 詭弁が達者なら頭がいいと勘違いしている節がある。君らはDNAに欠陥があると思うよ。
661 :
? :2013/11/11(月) 13:00:45.32 ID:Iao9F9MR
>>640 ?さん
どうもお久しぶり〜。まあ、真言っていっても密教は全然わからんけどw
スッタニパータの引用ありがとう!
護摩いいよね。一代さんも、罪障を燃やしてくれるって言ってたよ。
>得意げに悟りなど無い。涅槃など無いなどと講釈垂れだして 悟りも無いけど、束縛も無いのですよ。 束縛が無いというのが大事です。
664 :
? :2013/11/11(月) 13:25:50.27 ID:Iao9F9MR
>>662 ID:vLlA8gQK さんへ
> 護摩いいよね。一代さんも、罪障を燃やしてくれるって言ってたよ
仏の智慧の火で煩悩を焼きつくし、願主の願い事を祈願する
密教独特の修法であり、たいへん霊験あらたかであると云われております
お願い事のあるかたは護摩の火で燃やす木(添護摩)をお書きください
心願成就、罪障消滅、先祖供養、その他
↑ こんな感じであるらしい 屮(_ ._)屮
>>364 セブンさん
>つか、在家に媚びてどうすんだよw
>こいつのどこにそんな好評価部分が見えてんのさ。 目が悪いとしか思えん・・。
>>349 >>337 他
在家さん、そんなに悪い人には見えないけど…。
もちろん、頑固なところはあるけど。
>ここ直近数レスでも、呆れるようなレスしかしてないと思うが?w
>「使命」とか「ミッション」とかwwwww
まあ、ぶっ飛んでるよねw
666 :
? :2013/11/11(月) 14:13:36.22 ID:Iao9F9MR
> (前世は一在家さんの場合は)頑固なところはあるけど… 我・我所を滅させる為の因と縁の依存によって、無我・無我所を得て、智慧を決定する 前世は一在家さんの場合は 「我・我所を滅させる」と言う事に対して納得が逝かないのかも (「どうして、我・我所を滅させなければいけないのか? その理由がわからない」とか?)
>>517 仏教って難しいですね。
>個に執着していては涅槃とは無縁であり・・・
大概の人は、家族や何かに執着してるでしょう。
>身心に安らぎのある修行者って・・・
人間生きているのだから喜怒哀楽があって当たり前だし、
なかったらロボットみたいだし・・・いろんな面である程度満たされて
なかったら、身心に安らぎのある修行者って・・・なれますか?
>涅槃を志向するものは涅槃とは無縁である
涅槃の境地(一切の悩みや束縛 から脱した、円満・安楽の境地。)
は誰だって毎日望んでいるだろうし・・・人生死ぬまで老病愛死
で悩みやしがらみ・束縛の連続だし・・
>>667 の続き
ちょっと考えても頭・肩がガチガチになる・・・宗教は窮屈!
涅槃・解脱・輪廻・・・は、形而上的=妄想でしょう?
このスレの住民も誰も解らないのでしょう?
解らないから論争してるのでしょう?
こんなもの考えない方が、欲望を増長させないで結果、
身の丈の人生で満足出来たりして?。。。
失礼しました。
>>667 「こだわらない」というのと「渇愛を捨断する」というのがポイントであると思います。
渇愛というのはなかなか捨断しづらく難しいのですが、頑張ってください。
渇愛が捨断できれば、こだわらなくなりますよ。
渇愛とは喉が渇いたときに水を欲するように、欲しくて欲しくてたまらない〜という
感情です。この感情を捨断する練習をしましょう。
670 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/11/11(月) 17:08:18.25 ID:GzNxC2MN
>>668 >「この世では信仰が人間の最上の富である。徳行に篤いことは安楽をもたらす。実に真実が味の中で美味である。
>知慧によって生きるのが最高の生活であるという」〜スッタニパータ182
業報輪廻転生など形而上のことは、仏教によると瞑想などで悟りを開かないと確認できない事柄である。
凡夫がそれを信じるのは信仰しかないんだよ。それらを今確認できないから信じないなら初めから仏教など関わるな。
ましてや自分が信じられないからと仏教の教義の根幹である業報輪廻転生自体を削除して改変しようなんて
もってのほかだろ。ゴータマさんの仏教は単純明快。人は業に従いこの世を輪廻転生している。だが、業に従い
輪廻転生を繰り返すこの生存は苦しみでしかない。人はこの真理をしり、八正道を通して業を滅ぼし、輪廻転生の鎖の
輪から逃れること。そうすればそこに涅槃静寂。ここにある業報輪廻転生や、涅槃の境地というものを信じる
力というのは信仰の力しかないんだよ。仏教と言っても宗教だ。信仰心の無い人は仏教に関わっても時間の無駄だと思うぞ。
瞑想により確認できた事は瞑想上の話で現実のこの世の話ではない。 仮に瞑想で業報輪廻転生が確認できてもそのようなものが有るとは言えない。 有るのか無いのか分からないとするのが正解。 まさに仏陀は答えを示さず無記とした。 仏陀の素晴らしさが伺える。
>>671 いつゴータマさんが輪廻転生を無記としたんですかね〜。
この人は仏典すら読んだことないのに議論に参加してるんですかね。
死後の世界を無記として、業報輪廻転生が成り立つのでしょうか?w
674 :
神も仏も名無しさん :2013/11/11(月) 18:21:20.37 ID:uA3EzL6E
>>673 これも詭弁なんだよ。ゴータマさんは輪廻転生など説くはずはないもなにも、原始仏典読めばなんぼでも語ってますがな。
君がいうゴータマさんが無記としたけいじ上のこととは、いわゆるキリスト教徒などが考える天国地獄のような死後の世界であって、
死後の世界を語らなかったのだから死後に起こる輪廻転生も説いてるはずかないと、論理のすり替えをやってるわけ。
普通の人はこんな論点のすり替えなどしないわけで。君らは詭弁を普通にすらすら説けて本当におかしな人達だと思うよ。
ちなみに仏教の扱うけいじ上とは一切外の事であり、業報輪廻転生はこな現象世界内の現象なので、
一切内の話な。勘違いしないように。
>>673 上から目線だなんだかんだと噛み付く前に、
せめて一通りの基礎知識くらい
(―それが「正しい」とか「真実である」とか「絶対である」とかいうこととは別に、
【対話する際の、互いが使用する素材の共有として】【土俵として】―)
押さえたらどうですか?
また上から目線ですかw セブンとかいうのは自らの立ち居地を表明せずに、偉そうにモノを語る人間である というのは了解しました。 死後の世界は分からないが業報輪廻転生は有る〜 このような馬鹿馬鹿しい妄想を誰が信じるのでしょうかねえ。 伝統仏教の枠とやらを見直したほうが良いと思いますよ。 伝統仏教の枠内だけが仏教ではない。 伝統仏教は単に輪廻転生を看板に上げるオカルト仏教でしかない。
>>676 w
だから最近は、
【何も知らない貴方のために】【資料提供も併せて】レスしていこうかなと考えている所ですよw
私の立ち位置は既に何度も、(他の方の批評も含めw)明らかになってる筈ですが?
というか、貴方自身把握してるからこそ、私にラベリングしてるのでしょう?
まさか、知らずに、把握せずにレッテル貼りしてただけなんですか?www
一切皆苦であることが正常であり普通であり自然なことであるっていう悟りはさ、真実ってよりは覚悟、だよね。覚悟としてそういう態度をするだけで真実がどうかはあまり関係ない
>>677 資料提供は読めるリンクでお願いします.。
業報輪廻転生について消極的肯定の消極的って何ですか?
神社では拍手打ち教会では聖句を唱えるから消極的ですか?
意味不明で分かりません。肯定、否定、無記の肯定で有る以上
肯定の立場で主張されたらいかがですか?
あるときは否定寄り、あるときは肯定寄り、で結局優柔不断の
卑怯者のラベルを貼られるのは仕方ないでしょう。
680 :
神も仏も名無しさん :2013/11/11(月) 19:38:43.56 ID:TmJ66pw1
>>665 >もちろん、頑固なところはあるけど。
>>666 ?氏
>「我・我所を滅させる」と言う事に対して納得が逝かないのかも
なぜ菩薩は輪廻から解脱できるのに輪廻を繰り返すのでしょうか。
なぜ如来は完全な涅槃に入らずに無住処涅槃に留まるのでしょうか。(参考、入中論)
私など全く比較にならないほど、菩薩も如来も「頑固」で「我が強い」と思いませんか?>ご両人
多分、セブン氏は分かっているかも。。。
681 :
神も仏も名無しさん :2013/11/11(月) 19:40:45.77 ID:uA3EzL6E
ちなみに竜樹の中論中道を邪見して、業報輪廻転生はあるともいえ、ないともいえる中道だって主張は、 詭弁を使った不可知論で、立派な外道な。なんならまた貼ってあげようか?六師外道の話。 さぁ、業報輪廻転生は消極的肯定などとわけのわからん事を言ってるセブンの能書きが楽しみだな。
>>679 だからw
卑怯者で一向に構わないわけw
貴方によるレッテルも、先日受け入れた筈ですけど。
再度、老婆親切で付言すれば、
「文献学的、原典批判的考察」と
「座右の銘(書)として扱う」或いは「神学・宗学として扱う」ことと
「現代諸科学との整合性の考察」とが、
同じ枠組み、同じ基準でできるわけがないでしょう?w
(それは、傲慢で不遜な態度と言わざるを得ません。
そして、近代仏教学は今、その反省を始めているわけです。
あまりにも神学・宗学の側面を蔑ろにしてきた、侮蔑してきた反省として・・。)
このスレ内でまともな人間はパーピマンだけ。 他は全部偽者。と私は思うw 隠居さんは不明
684 :
神も仏も名無しさん :2013/11/11(月) 19:45:42.90 ID:TmJ66pw1
>>680 私が浪人していた頃、よく自転車で北野天満宮の近くを走っておりました。
「私の使命、お役目は何だろう?」と自問しておりますと、どこからか「○○○○の夢を今なお忘れずに」と数回聴こえてきました。
ご隠居からは多分「幻聴」と言われるだけでしょう。。
685 :
神も仏も名無しさん :2013/11/11(月) 19:50:36.86 ID:TmJ66pw1
>>683 >このスレ内でまともな人間はパーピマンだけ。他は全部偽者。と私は思うw
それでは、貴方もまともでなければ、パーピマン氏も困るだけでしょう。
また、貴方のまともさをパーピマン氏以外の誰かの担保が必要でしょう。
>>682 >同じ枠組み、同じ基準でできるわけがないでしょう?w
そのとおりであると同意します。
で、自分が業報輪廻転生肯定論者である事は表明せずにフラフラと
否定寄りに立ち肯定寄りに立ちで卑怯な姿勢を続けるのですね。
687 :
神も仏も名無しさん :2013/11/11(月) 19:55:02.58 ID:uA3EzL6E
>>683 詭弁を好む悪人をまともだと思う感性の君は、詭弁を好む悪人と同じ穴の貉ということですね。わかります。
688 :
神も仏も名無しさん :2013/11/11(月) 19:55:32.31 ID:TmJ66pw1
>>679 >業報輪廻転生について消極的肯定の消極的って何ですか?
元来の禅者の立場では輪廻は認めたくは無かったけれど、原始仏典の多くのテキストベースでは
釈尊が輪廻を説いたと認めざるを得ない。
まあ、横から見たラべリングですけど。。
>>680 一在家さん
>なぜ菩薩は輪廻から解脱できるのに輪廻を繰り返すのでしょうか。
一切智を獲得してないからじゃない?
>私など全く比較にならないほど、菩薩も如来も「頑固」で「我が強い」と思いませんか?>ご両人
ちょ、おこらないでよw
仏菩薩ほど我がない人たちもおるまい…。
>>686 だからw
卑怯で構わないと言ってるでしょw
自分でも卑怯だと思ってるから。もし自分に対して他者の如く言うなら、「そりゃ卑怯でしょw」と言うと思うよ。
ただ、【貴方のように】わからないことを断定しないだけです。
テキストや諸研究含め、貴方の態度が断定的であるということがわかりませんか?
状況証拠をもっと良く凝視してくださいw
691 :
神も仏も名無しさん :2013/11/11(月) 20:06:38.89 ID:TmJ66pw1
>>688 >元来の禅者の立場では輪廻は認めたくは無かったけれど、原始仏典の多くのテキストベースでは
>釈尊が輪廻を説いたと認めざるを得ない。
他の禅者の住人達が「輪廻」を否定する根拠も心情も一番良く分かっているけれど、片山先生の
原始仏典を熟読した縁で自燈明が「輪廻」を否定できないでいる、そういう意味で「消極的肯定」
の立ち位置にいるということだと観じます(勝手なラべリングです)。
692 :
神も仏も名無しさん :2013/11/11(月) 20:14:37.29 ID:TmJ66pw1
>>689 >>なぜ菩薩は輪廻から解脱できるのに輪廻を繰り返すのでしょうか。
>
>一切智を獲得してないからじゃない?
すぐに涅槃入りする仏菩薩と、敢えて涅槃入りしない仏菩薩とがおられるとして、
以下の条件式をイメージしております。
If 一切智>慈悲 then すぐに涅槃入り else 涅槃入りせずに衆生済度を展開する。
>仏菩薩ほど我がない人たちもおるまい…。
そして仏菩薩ほど願い(慈悲)が強い方々もおりません。
DTAjEJN+さんは何でセブンさんに怒ってるの。 だれか優しい人おせーて。
>>692 一在家さん
菩薩が涅槃入りしたら、菩薩の死と言われるんじゃなかったっけ。
>そして仏菩薩ほど願い(慈悲)が強い方々もおりません。
我がなくなってくると、慈悲は自然と出てくるのかもね。
>>693 怒っているのではなく罵っているだけですw
業報輪廻肯定論者なのに発言がフラフラ安定せず
否定をにおわせたり肯定をにおわせたり〜
自分の立ち居地を明確にしろ〜と言っているのです。
696 :
神も仏も名無しさん :2013/11/11(月) 20:22:28.21 ID:TmJ66pw1
>>692 譬え話ですが。。
子供達が苦しんでいることを知っていて、安穏とした隠居生活をしている親は凡夫でも少ないでしょう。
この法は親の知能指数には関係ありません。
>>695 テキストベースで考えると、仏教は輪廻を説くのだが、
実感としては納得できないってことじゃないの?
よくある話だと思うが…。
>>697 >テキストベースで考えると、仏教は輪廻を説くのだが、
テキストだけをそのまま一字一句信じれば輪廻転生が説かれたように思うでしょう。
人間仏陀が生まれた環境やインドの文化も併せて考えればテキストの中にも後代の
付記や仏陀の神格化と言った要素を見出すでしょう。
そして後代の付記や仏陀の神格化を除いてテキストを読めば仏陀の真意が見えると思いますよ。
テキストは仏陀死後100〜200年後にそれまで口伝であったものを書き残したものです(原始仏典)。
大乗経典などは全部経典作者が作り上げた文芸作品です。
>>698 うーん、あなたはねぇ…
>そして後代の付記や仏陀の神格化を除いてテキストを読めば
>大乗経典などは全部経典作者が作り上げた文芸作品です。
とか、「自分の好きなように読む」ってことをするから、
>テキストの中にも後代の 付記や仏陀の神格化と言った要素を見出すでしょう。
って感じるんだと思うよ、うん。
自分が好きなように読まず、一字一句そのまま信じるという姿勢が 好ましいとは思えませんw
>我がなくなってくると、慈悲は自然と出てくるのかもね。 実社会では落ちこぼれとみなされる 勝つことを放棄してる 涅槃とか輪廻とかくだらんことを毎日議論してるあんた
>>700 それなら、もっと、あなたにとって信用に足ると思う本を読んだ方が有益だと思うよ〜
「仏典に書いてあることは、ぜんぶ本当かもしれない」
そう思った時に、仏教を学べばいいと思うよ、うん。
>「仏典に書いてあることは、ぜんぶ本当かもしれない」 とは全然思えません。 そのように思う思考回路が理解できません。 信仰で信じるのみ〜というのなら構いません。 しかし、その信じた世界を真実のものとして他者に対して布教すれば反論します。 個の腹に収めるだけならまだしも、他にも「これが仏教〜」なんて言うのには反論します。
>>690 >ただ、【貴方のように】わからないことを断定しないだけです。
私は分からないことを分からないとして断定しない方が好ましいとする立場です。
あなたは、分からない業報輪廻転生を肯定する立場です。
肯定しつつ断定しないのですか?難解な態度ですねえw
>>703 w
貴方の姿勢は、
『私立学校の教育方針が公立学校のそれと違っているから学校校として認められません』
というのと同じだというのがまだ“判”りませんか?
>>704 だからw
状況証拠をよく観察しなさいといってるでしょう?w
西暦2013年時点での
《【ブッダの教え】【お釈迦さんの真意】の状況証拠》は100%輪廻肯定なんですよ。 (´∀`)b
勿論、『解釈や推論』、或いは『実際に行じた者の体験及び表明』は、また別の話ですがw
経典を一字一句そのまま「状況証拠」としてあげ(その経典も仏陀死後100〜200年後に書き始められたもの) だから業報輪廻転生は有る〜という姿勢を批判しているのですが? 状況証拠からお釈迦さんの真意を読もうとする姿勢に欠けるというか無いのではありませんか?
>>701 たぶん人違い
>>703 そんなこと僕に言われても…w
そういう人たちに言ってくださいな。
>>708 だからw
「ただ《わからない》」だけじゃなくて、関係者の証言がある状態なわけ。
で、貴方の姿勢では送検できないってことなの。
わかる?
各証言を覆すだけの証拠を検察が用意できなくて不起訴処分が妥当な状態ということなのw
>>709 >関係者の証言がある状態なわけ。
瞑想で見た〜と言うやつですねw
>各証言を覆すだけの〜
瞑想の見たが真実在の証言となる思考回路が理解できません。
瞑想は寝て夢見る世界と変わりませんよw
夢で業報輪廻を見たという証言を覆す証拠が無い〜
というより業報輪廻が有る証拠が無いのですが?w
>>711 > というより業報輪廻が有る証拠が無いのですが?w
今の話は、輪廻があるかないか、ではなく、
仏教が輪廻を説くのか説かないのかって話じゃないの。
輪廻を説く仏教は仏教ではなく輪廻を説かない仏教が仏教だと思いますよ。
>>713 そんなこと言ってると、
>>703 の人に反論されるぞ〜。
個の腹に収めるだけにしておきましょう。
>>711 だからw
だったら、別証拠を出せばいいじゃんw
或いは、疑わしいだけじゃなく、(貴方自身の体験を比較対象・反証として提示してもいいしw)
きちんと偽の証言を覆してごらんなさい。 (あの閻魔も、ここまでできた上でのレスではないしw)
マジで仏典読んだことないらしいなwww
>>711
703は私ですが、私が歯向かうのはオカルト仏教です。 オカルト仏教は害悪でしかありません。 輪廻肯定で消極的であろうが積極的であろうが肯定して説くものには 反論します。 仏教は輪廻を前提とし土台とし成り立つ〜なんて言うのは阿呆です。w
>>715 無いものを証拠立てる事は出来ませんよ。
有ると言う人が証拠を出す必要があります。
有るのに証拠は無いって何ですか?w
あ、瞑想の見た夢が証拠でしたか? テキストが証拠ですか? 一般人にはそんなものは証拠にはなりませんw
>>717 だからw
物理的にあるかどうかの問題じゃないでしょw 【→貴方自身もそこを断定できない】んでしょ?www
テキスト及び行者の証言には、肯定的に説かれている、っていう【事実】は事実としてあるわけ。
文献学も原典批判研究も、古層(及び文字化以前)では
輪廻は(存在しないものとして)否定的に説かれていたという推論も、
現存テキスト及び行者の証言を資料として使用した上に成立してるってのが“判・解”る?
>>718 >一般人には
www
一般人だからこそ、【まずは】
「教科書」「教師」「先輩」「伝統」「基本」等々から入らないと駄目でしょw
ましてやそれが私立学校、専門学校なら。
ああ、朝鮮学校の補助金問題はまた微妙だがw
教科書の入り口が輪廻転生で出口も輪廻転生という事ですかw 輪廻転生抜きに議論をして欲しいものです。 輪廻転生は仏教の土台でもなければ前提でもない。と思いますよw
>>721 貴方が“つついて”こなければw、輪廻に触れずに議論できますよ?
(つか、この議論スレになって以降はそれでやってきてるわけですが・・・w)
>土台でもなければ前提でもない
少なくとも、現存テキストを素材とするなら、そんなこと言えない筈なんですけどねぇ・・。
私がつつくから輪廻の話題になるので私が居なければ輪廻など話題にならない という訳ですねw ではしばらく傍観させていただきます。しかし輪廻肯定の話が出れば反論させていただきます。
724 :
? :2013/11/11(月) 23:13:01.94 ID:Iao9F9MR
>>680 ID:TmJ66pw1 さんへ
> なぜ菩薩は輪廻から解脱できるのに輪廻を繰り返すのでしょうか
> なぜ如来は完全な涅槃に入らずに無住処涅槃に留まるのでしょうか
仮名の空を以って
この世の衆生を教え導く為に、この世に姿を現した
と言う事であるらしい
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%96%E8%BA%AB%E3%83%A9%E3%83%9E 化身ラマ
チベット仏教の教義上において、この世の衆生を教え導くために
如来、菩薩、過去の偉大な仏道修行者の化身(応身)としてこの世に姿を現したとされるラマ(師僧)を指す
「転生ラマ」と表記されることもある
化身ラマ
すべての衆生を涅槃に導き救い終わるまで、何度でもこの世に化身として生まれて来るとされる
チベットでは多くの高僧が化身ラマとみなされて尊崇される
化身ラマが遷化(死亡)すると、その弟子が夢告やラマの生前の予言(遺言)などに基づいて転生者を捜索し
候補者とされた童子に先代ラマの遺品を選び取らせるなどして、前世の記憶を確認するという方法により
先代ラマと師弟関係にあった高位のラマや所属宗派の管長である高位のラマによって、化身ラマと公式に認定される
また、ダライ・ラマによって追認されることも多い
認定を受けた童子は、先代ラマの僧院で即位して化身ラマ名跡を継承し、以後ラマ(師僧)としての厳しい英才教育を受けることになる
以上が一般的な化身ラマ認定のプロセスである
>>723 それは無理だなw
輪廻大好きっ子トリオが居るからw スルーしてね(´∀`)b
その3人をスルーすれば、他の議論ができますよwww
言う間もなく生まれ変わり〜とか出ましたがコレは私のせいでしょうか?w
ってか、そこまでして「俺様の正しい仏教」教を布教しようとする モチベーションがよくわからん…。
>>726 「話題が出なくなる」なんて一言も言ってないしw
「議論が可能」とは言ったけど(´・ω・`)
>貴方が“つついて”こなければw、輪廻に触れずに議論できますよ? 私がつつなければ輪廻に触れず〜という趣旨にしか読めませんが、 私がつつかなくとも輪廻大盛況では、自らの立ち居地をしっかり表明するのが 議論参加の前提だと思います。輪廻肯定論者は全て偽者。
730 :
? :2013/11/11(月) 23:41:01.02 ID:Iao9F9MR
>>726 ID:DTAjEJN+ さんへ
> 言う間もなく生まれ変わり〜とか出ましたがコレは私のせいでしょうか?
私(ID:Iao9F9MR)は輪廻肯定です
− これに対して −
「釈迦は輪廻説を前提としておらず、輪廻は方便として是認したに過ぎない」と主張する者も少なくない
と言う事であるらしい
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%AA%E5%BB%BB 仏教内における輪廻思想の否定
現代の仏教者、僧侶、仏教研究者の中には
「釈迦は輪廻説を前提としておらず
インドに古代から信じられて半ば常識化していた輪廻を直接的に否定することをせず
方便として是認したに過ぎない」
と主張する者も少なくない
輪廻転生を理論的基盤として取り込んだインド社会のカースト差別に
反発してインドにおける仏教復興を主導したビームラーオ・アンベードカルは
独自のパーリ仏典研究の結果、「ブッダは輪廻転生を否定した」という見解を得た
この解釈はアンベードカルの死後、インド新仏教の指導者となった佐々井秀嶺にも受け継がれている
このように輪廻否定を積極的に主張する仏教徒グループを、断見派と呼ぶ
>>729 だからw
【話題が出ても】【横レスがあっても】【触れずに】議論を続ければ済むことでは?
否定なら断見でしょうねえ。 私は有るのか無いのか分からないという立場ですw 有るのか無いのか分からないのは断見でしょうか? 有るに違いないといのが断見のように思えますが¥・w
>>732 あのぅ・・
「断見」の『断』の意味、解ってます?
734 :
神も仏も名無しさん :2013/11/11(月) 23:49:55.31 ID:TmJ66pw1
>>724 ?氏
>
>>680 > Q1.なぜ菩薩は輪廻から解脱できるのに輪廻を繰り返すのでしょうか
> Q2.なぜ如来は完全な涅槃に入らずに無住処涅槃に留まるのでしょうか
>すべての衆生を涅槃に導き救い終わるまで、何度でもこの世に化身として生まれて来るとされる
A1.慈悲が根本となって衆生済度を決意するから。
A2.仏は三有の衆生を全て一子のように愛するから。
(↑「全訳 入中論」5.中観仏教における菩薩道、より推察)
失礼しました常見の誤りです。 ×有るに違いないといのが断見のように思えますが¥・w ○有るに違いないといのが常見のように思えますが¥・w
736 :
神も仏も名無しさん :2013/11/11(月) 23:57:31.02 ID:TmJ66pw1
>>725 >輪廻大好きっ子トリオが居るからw スルーしてね(´∀`)b
>>730 >私(ID:Iao9F9MR)は輪廻肯定です
3+1=4 トリオ、三銃士から四天王へ。
落武者の霊を直接知覚された方は四天王メンバーに相応しいでしょう。
737 :
? :2013/11/12(火) 00:13:14.52 ID:9R0iJUY8
>>730 の続き
般若経の解説
http://www.dia.janis.or.jp/~soga/subindex.html 輪廻を土台として
輪廻を前提として
その輪廻から解脱する為には
この現世においての
過去から現在へ 「 心の流れ(心相続)がある 」 と捉えようとする心の働きを滅させる
我・我所を滅させる
受・想を滅させる
永久不滅・常住不変のアートマンを土台として
善行に励み、永遠ばかりを探して
凝り固まり、ありのままに変化を見ることに慣れてない人達の為に
無我 ・ 縁起 ・ 空 の観察
止(サマタ)
心の動揺をとどめて本源の真理に住する
観(ヴィパッサナー)
不動の心が智慧のはたらきとなって、事物を真理に即して正しく観察する
↑ その為に、このような方法がある、と言う事なのかも
738 :
神も仏も名無しさん :2013/11/12(火) 00:14:53.33 ID:haQ0SiSJ
>>732 >私は有るのか無いのか分からないという立場です
だからそのような不可知論者は外道だってゴータマさんは言ってるんだよ。
せめて六師外道の話くらい理解してから議論に参加しようや。
仏教の立場から見れば六師も外道かもしれないが、仏教外から見れば六師も尊い。 死後の世界や死後の輪廻など形而上の事を説くものは全て偽者。 これは担保は無いが私の信じる道として断言する。
740 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/12(火) 00:25:36.34 ID:GBBqlZ6a
>>652 >>653 『同じく十無記などの中に、
⇒世間 (有情をも含む) は時間的に有限であるか無限であるか
とか、
⇒霊魂 (有情の中心) と肉髄とは同一であるか別異であるか
とかいう問題があるが、≪世間 (我) の恒存不恒存は、有情の
死後の存否をも問題とした、ものであり、≫また霊魂と肉髄の一
異にしても、霊肉が同一ならば、有情は死後には肉髄と共に
霊魂も亡びて、断絶することになるし、霊肉が別異ならば、
肉禮の生起や死没と關係なく、霊魂は存在し得るということ
になり、同一ならば有情の死後の存在がなく、別異ならば有
情の死後の存在を認めることになつて、≪そこには有情の死後
の存在の有無が問題とされている≫のである。
≪このように無記説の他の項目で既に一般有情の死後の存在
の有無が問題とされている≫のに、更に tathagata (一般有情)
の死後の存在の有無が論ぜられることは、全くの重複となつ
て無意味である。』
・・・・・・・・・・・・・
741 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/12(火) 00:26:11.79 ID:GBBqlZ6a
上記が、水野の論文の抜粋だが、これについてはセブンの見解は 無理がありすぎる。 ≪世間 (我) の恒存不恒存は、有情の 死後の存否をも問題とした、ものであり、≫・・・・・ はっきりと『有情の⇒死後の存否 を問題としたものであり』 と言っている。 『有情の死後の存否』・・・・・これはやっぱり、有情が死後も 「存在するか否か?」の死後存続の意味にしかとれない。 ≪そこには有情の死後 の存在の有無が問題とされている≫のである。・・・・・ ここでも、繰り返されている。 ≪このように無記説の他の項目で既に一般有情の死後の存在 の有無が問題とされている≫・・・・ ここでも、そう。 3箇所にわたってはっきりと、「死後の≪存在≫の有無」と言い切っている ことからも、少なくとも、ここでは水野は、 『有情の死後は十無記(の他の項目に)含まれる』・・・と主張している。 まあ、十無記後半の「タターガタ」が、如来の意であることを論証したい ために、筆が滑ったのかもしれんがww
742 :
挙証責任論 :2013/11/12(火) 00:26:37.88 ID:w0cuit3C
>>715 >あの閻魔も、ここまでできた上でのレスではないしw
このような要求は全くナンセンスです。
挙証責任は業報論を積極的に肯定説示する者にあるからです。
挙証責任の転換を心待ちに待っているのですが、まったく一向に挙証がなされません。
経典に「書いてある」だけでは単なる伝聞証拠であって証拠能力がありません。
検証抜きのドグマチズム批判が仏法だからです(相応部35-23)。
一切外のモノ・コトは「真実として捉えられるものではないのであるから・・・まったく愚かな教えである」(中部22)
743 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/12(火) 00:32:49.08 ID:GBBqlZ6a
え〜〜〜〜〜と、ID:uA3EzL6E これもキチガイカラスか?? 得意の名無しの自演攻撃開始するのか?wwwwwww ≪ カラスの唄≫ カラス科 アホカラス属 通常、カラス科は知能が高いことで知られているが、この種だけは 例外的に全ての鳥類の中で最も低い部類に分類される。 食性⇒ 雑食・・・目に入るもの全てを食すと言われ、特に人間の 出すゴミを好み、しばしば人家に侵入するので害鳥として 認識されている。 習性⇒ 「きべん、きべん」と鳴くので、別名、「きべん鳥」とも言われる。 非常に攻撃的で、自己以外の鳥類を見ると攻撃せずにはいられない 性質を持つが、知能が低いので鏡に映った自分の姿に攻撃を仕掛ける 光景がしばしば目撃されている。
744 :
? :2013/11/12(火) 00:32:57.96 ID:9R0iJUY8
745 :
テキスト間の相互批判の必要性 :2013/11/12(火) 00:35:59.61 ID:w0cuit3C
>>722 >少なくとも、現存テキストを素材とするなら、そんなこと言えない筈なんですけどねぇ・・。
言えますよ。
そもそも仏法は仏道実践に集約されます。仏道は実践する菩提心凡夫のためにあります。
勝手で無責任な妄想議論ではなく、大切なのは<仏道実践上>、テキスト相互間の妨害テキスト批判・排除の必要性です。
これは仏道を実践する菩提心凡夫が、縁起の(間接)現実=時空因果関係の「正確な如理作意」(中部15)が可能なのか【一切門】、が問われるからです。
仏道は相手の機根に応じた最短距離でなければなりません。
不能なら迷わせる妨害・障害を排除する必要があります。
★★「現存テキスト」でもある<一切法基準(相応部35-23)><現生的なる法(相応部35-70)基準>によって、
業報輪廻転生を説くテキストの経験主義的批判的検証を提示してください。★★
業報輪廻転生を説くテキストはすべて<現生的なる法>ではありませんでいた。妄想物語でしかありません。
業報論の菩提心凡夫の六処による経験主義的検証は不可能です。
すくなくとも私にとってはそうでした。
肯定論者からは歴史上、誰一人として共有できる知見として検証したものはいません。
肯定も否定もできる経験的根拠がないので<無記=無視>するしかあり得ません。
▼神、業報輪廻転生、生前・死後、回向、天国・地獄、十四無記事項、神通力、などなどは、
仏道実践上ガラクタで無視すべきなことは当然ですよw
一切内または現実だという積極的または消極的肯定論を説くなら、<挙証責任>があるのは当然です。
輪廻は妄想であり、煩悩が妄想を生み出し、その煩悩を滅するのが輪廻からの解脱である。 と私は読みます。
747 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/12(火) 00:52:29.73 ID:GBBqlZ6a
>西暦2013年時点での >《【ブッダの教え】【お釈迦さんの真意】の状況証拠》は100%輪廻肯定なんですよ。 (´∀`)b >セブン いくらなんでも、これは言い過ぎww 【お釈迦さんの真意】・・・・これを「伝統仏教」と言い換えるなら、まだしも ⇒「釈迦が、三世に跨る輪廻業報論を積極的に肯定したのか?は、大いに疑義を 挟む余地ありでしょ?」 和辻を始めとする近代仏教学のスタンスは、まさにそれでしょ? 禅宗系の宗派では、はっきりと否定する宗派もあるし、現代の日本の宗派でも はっきりと肯定姿勢を打ち出してるのは少ないでしょ? 現役の(日本の)坊主でも、疑義を呈しているのは山ほどいる。 本家のインドでもアンベードガルは、はっきり輪廻否定だ。 それらを全て、「仏教でない」と切り捨てるかい? 「輪廻肯定を奉じるか否かを 仏教の冠を付与する試金石とするのか?」 「伝統仏教」というならまだしも、「釈迦の真意」については、とても、100% などと言えないはずだぞw
748 :
? :2013/11/12(火) 00:56:07.22 ID:9R0iJUY8
> 落武者の霊を直接知覚された方は四天王メンバーに相応しいでしょう
それ自体の自性ではなく
因と縁の依存によって
落武者の霊を見る
その落武者は、やがて
http://reigaku.jugem.jp/?eid=424 次に生まれるべき処を求めて母体に入り
ここで精子と卵子が結合するときに
中有が滅すると同時に生有が生じ
一切種子たる阿頼耶識がこれに結合して
種子が成長して胎児を形成し出生に至る
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%91 我は、常住であり
他との何らの関係をもたないで単独で存在することができるものと考え
それは働きのうえで自由自在の力をもつとした
この我によって人間生存は根拠付けられ、支配されていると考えるのである
− これに対して −
釈迦はこのような実我観念を批判し
「我として認められるものはない」として、諸法無我と説いた
これを色受想行識の五蘊について説き
人間生存は無我である五蘊の仮和合したものであるから仮りの存在であると説いた
>>739 あのぅ・・
「外道」が「悪者」の意ではないけど?
「外(そと)の・別の道を説く人、歩む人」ってことだけど。
>>747 彼に対しては、まずそこまで踏み込んで(押し込んで)おかないとw
その上で半歩退いてちょうどいいくらいかとwww
>>741 無理かなぁ・・(^^;
ま、正直に言えば、確かに >筆が滑った 感は感じるけど・・w
750 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/12(火) 01:05:02.87 ID:GBBqlZ6a
>彼に対しては、まずそこまで踏み込んで(押し込んで)おかないとw >その上で半歩退いてちょうどいいくらいかとwww wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww まあ、そうかwwwwwww んで、紐君がやたら、セブンのスタンス気になるみたいだが、俺が 解説したろか?wwww 自分じゃ言いにくいだろうからwww 在家のバカが、「消極的肯定」などというアホな言い回しを使うから 返って誤解を招くwwww
>>749 立場フラフラのセブンさんw
立場フラフラで議論して面白いですか?
常に上から目線で人をこけ下ろすのが趣味ですか?
業報輪廻転生を説くものは全て偽者である、と私は断言する。
752 :
神も仏も名無しさん :2013/11/12(火) 01:08:23.35 ID:5nTcrcZ4
>>747 >禅宗系の宗派では、はっきりと否定する宗派もあるし、
禅者のセブン氏は百も承知、だから立ち位置が辛いということでしょう。
一言「辛い」と言えないところを察しては如何。
>「外道」が「悪者」の意ではないけど? 悪者と誰が言ってのでしょうか?
754 :
神も仏も名無しさん :2013/11/12(火) 01:12:27.46 ID:FOhPpw57
輪廻転生は「身体」の問題だから、現代の進歩した自然科学に任せるべき。 自然科学について無知蒙昧だった釈迦や仏典を持ち出す余地はない。 本当に気違いだな。 人間が動物の一種に過ぎないことを前提として、もっと根源的なことを語れ。 釈迦もイエスも、根源的なことは一切思い至れていない。
755 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/12(火) 01:12:50.32 ID:GBBqlZ6a
う〜〜〜〜〜ん、 セブンと紐君のやり取り見ると かつての、一代と閻魔のやり取りを思い起こすなあww とにかく、反りがあわないんだろうなあw
756 :
神も仏も名無しさん :2013/11/12(火) 01:12:51.27 ID:5nTcrcZ4
>>751 >業報輪廻転生を説くものは全て偽者である、と私は断言する。
業報輪廻転生を否定するものは仏教徒ではない現代常識者である、と
訂正がよいのでは。。
>>749 補
>彼に対しては
また、彼が、テキストを使用せず、且つ自身の体験による裏付けも用いずに仏陀が本当に説いたことを追求してるから、
(「推測の領域である点では同じ」だし)、
言い方で、彼が対象としている部分に言及できるものにしておかないとね。
758 :
神も仏も名無しさん :2013/11/12(火) 01:17:37.75 ID:5nTcrcZ4
>>750 >んで、紐君がやたら、セブンのスタンス気になるみたいだが、俺が
>解説したろか?wwww 自分じゃ言いにくいだろうからwww
パーピマンに1票!
で、パーピマンさんに解説をお願いしますw
760 :
神も仏も名無しさん :2013/11/12(火) 01:21:33.50 ID:5nTcrcZ4
>>755 >かつての、一代と閻魔のやり取りを思い起こすなあww
>とにかく、反りがあわないんだろうなあw
真言宗と禅宗とじゃ、合わないかも。。
761 :
? :2013/11/12(火) 01:25:19.79 ID:9R0iJUY8
762 :
神も仏も名無しさん :2013/11/12(火) 01:32:30.74 ID:FOhPpw57
「創唱宗教とは、開祖の精神病の集団的一大感染という精神医学的現象に過ぎ ない」という事実が、如実に証明されているスレ。
>>761 >「 渇愛(タンハー)を滅させる為に… 」 と言う事であれば良いのかも
というより私は渇愛を滅する事が仏陀の最も言いたい事ではなかったのかと思います。
渇愛は最も滅するのが難しいです。
人間は落ち着いているつもりでも心の奥底で欲しているものがあります。
それを滅するのは難しいです。瞑想だとかそんな形式的なものでは滅することは出来ないと思います。
日々滅するように勤めるよりありません。
764 :
神も仏も名無しさん :2013/11/12(火) 01:37:31.83 ID:5nTcrcZ4
>>746 > 輪廻は妄想であり、煩悩が妄想を生み出し
妄想が縁で輪廻が起きる、と言う方が十二支縁起的に妥当かも。
11/12の生、12/12の老死は現象界で確認できる(妄想ではない)からです。
>>763 >日々滅する ためのプラクティス、エクササイズ無しに、
どうして、日々の使用ができますかw
お相撲さんの四股みたいなもんだw
766 :
神も仏も名無しさん :2013/11/12(火) 01:46:24.97 ID:FOhPpw57
>>765 「生存努力」という「選択不能な大修行」があるだろ。スジャータの乳粥一杯で
止められる釈迦の修行は、単なるお遊び、趣味、娯楽。人生の悟りが得られた訳
がなかろう。
>>765 瞑想だけがそのプラクティス、エクササイズでしょうか?
瞑想もひとつの方法ではあると思います。しかし唯座っているだけでは何も得られないでしょうw
肝心なのは自分が意識しているか否かです。
渇愛を滅するという意識があれば滅することが出来ます。
何の意識もなく可能な事ではありません。
方法などは何であっても良いのです。
業報輪廻転生を説くものは皆偽者である、と私は断言する。
>>767 どこの誰が 「だけ」 と言いました?w
>業報輪廻転生を説くものは
だからw
なんでそこで >業報輪廻転生 が出てくるのさw
そこに触れずに議論継続可能だろうが・・。 ┐(´ー`)┌
貴方が自分で火種撒いてますよね?w
私は決めたのです。 どうせ私がつつかなくとも「生まれ変わり」などの話題になる。 それならば、話題に関係なく最後に一言書こうとねw だけじゃないのなら何を想定しての事でしょうか? つまりプラクティス、エクササイズの事ですが。 プラクティス、エクササイズで渇愛を滅する事が出来るのでしょうw 私はそんなプラクティス、エクササイズも渇愛を滅する意識がなければ意味なしと思います。 また渇愛を滅する意識があればそのようなプラクティス、エクササイズ等は不要、無用であると思います。 業報輪廻転生を説くものは皆偽者である、と私は断言する。
770 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/12(火) 02:13:00.60 ID:GBBqlZ6a
アホ在家が一票入れたから、やめようと思ったが、
>>759 があったのでww
まず、最初の誤解w
紐くんは、セブンが(三世に跨る)輪廻肯定主義者と考えてるのだろうが、
それは違うw
セブンとは、もう何年にも渡る付き合いだから、そこは分かるww
セブンは、(三世に跨る)輪廻については、かなり強い疑義を呈している。
勿論、仏教徒なので、「ない」と断定する断見は取らないが、その懐疑的
スタンスはかなり強いように思われる。
その点は、俺や紐くんと同じだよw
そのようなスタンスをとる理由は、(アホ在家の言うようなものではなく)
単純に「現代的知見との不整合」、「論理的整合性の欠落」、「未開部分の
システム提示の不整備」・・・などと思われる。
その点でも、俺や紐くんと近似するでしょ?ww
ただ、本人は臨済宗の坊さん? なので、当然、「護教的スタンス」があり、
仏教を恣意的に改変しようとする者には敏感に反応する。・・・・
(紐くんは、そのように認識されたわけだw)
つまり、「これが本当の仏教だ」 と、いわゆる「伝統仏教」を否定し、
自己の信じるものこそ、「本当の仏教」と主張する者には、「ちょっと待てよ」
となるわけww
771 :
? :2013/11/12(火) 02:13:01.04 ID:9R0iJUY8
>>763 ID:jJwKxzsq さんへ
> 渇愛(タンハー)を滅する事が仏陀の最も言いたい事ではなかったのかと思います
> 渇愛(タンハー)は最も滅するのが難しいです
> 瞑想だとかそんな形式的なものでは滅することは出来ないと思います
> 日々滅するように勤めるよりありません
私(ID:9R0iJUY8)は、実践した事がないけど
中阿含経などに説かれた、仏教で、悟りに至るための三十七菩提分法(八正道とか)
止(サマタ)・観(ヴィパッサナー)とか
想受を滅させる為の滅尽定とか
↑ 実践した事がないので、どのような、ものなのかは、わからないけど今のところ肯定です
772 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/12(火) 02:14:02.36 ID:GBBqlZ6a
仏教に関する何かしらの見解に対する根拠として、仏典上の記述、伝承等を 重視するのは、まあ、当然でしょ。その解釈は色々あろうが、「仏教に関する事項」 なわけだから、その範疇で論じる必要があり、それを「常識」をもって外部から 攻撃するのは、また別の問題となる。 つまり、伝統仏教は伝統仏教として、彼らの信仰、思想、スタンスは尊重される必要が あるわけ。(彼らが、その自己の価値体系をもって外部に干渉しない限りはw) それを外部者が、(特に、仏教上の根拠を示すことなく) 「そんなの仏教じゃありませんから」・・・・とやるのは問題なんだよw セブンは、貴方にそのような姿勢を見てとったから、反目に回ってるのw つまり、「釈迦は、輪廻を肯定しなかった(もしくは無記)」と言うことは ひとつの見解としてOKなわけさw ところが、そこから、踏み込んで 「輪廻を主張する仏教は仏教でない。そんなのニセの仏教だ。」とやりだすと NGなわけw 微妙なんだが、その線引きが重要なんだと思うねw そこがわからないと、隠居になっちまうwww
>>769 素振りをしないバッター、キャッチボールしないバッテリーで良い、
というお立場ですか、そうですかw
>>772 お手数かけるねw
別件で夜更かしついでに覗き続けてたけど、さすがに寝るわw ノシ
パーピマンさん 解説ありがとうございます。 つまり、業報輪廻転生を土台、前提とする伝統仏教に対しての批判は許さん。 他が伝統外で仏教をどのように言っても構わんが、という事でしょうか? そのような閉鎖的な仏教が伝統仏教であって良いのでしょうかねえ?w 伝統仏教は自らのあり方を猛反省するべきだと思います。
776 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/12(火) 02:34:48.47 ID:GBBqlZ6a
>>775 其のへんは、宗教というもの対するスタンスでしょ?
俺は基本、「信仰の自由」は尊重します。
それがたとえ、「イワシの頭」でも、それを信じるのは、その人の自由であり
外部者がとやかく言うものではない・・・・・と、考えます。
ただし、彼らがその信じるところ、「自分らだけに通じる価値体系」をもって
こちらに干渉してきたときは、話は全く別ですw
輪廻業報論に関しても、彼らが「それを信じます」という範囲においては、
「ああ、貴方はそうなんですねw」で終了です。 しかし、
「それが真実です。現実に起こっている現象です。」というのならば、
「は〜〜〜〜〜〜〜????、なら、実証してみろや」となりますwww
777 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/12(火) 02:49:04.98 ID:GBBqlZ6a
さらに、補足すると、最も程度の低い宗教者の中に 「輪廻が信じられないなら、仏教に関わらなければよい」という アホがおりますが、そう言うバカは相手にしないことですなwww ほとんどが、「自己の信じる事柄が唯一の真実であり、それがわからない 者はダメ」・・・という妄信的排外主義者で、なんら実証的思考のできない 馬鹿ですwww
778 :
? :2013/11/12(火) 02:49:59.07 ID:9R0iJUY8
> つまり、業報輪廻転生を土台、前提とする伝統仏教に対しての批判は許さん > 他が伝統外で仏教をどのように言っても構わんが、という事でしょうか? 例えば 私(ID:9R0iJUY8)の場合は 「渇愛(タンハー)を滅する事が仏陀の最も言いたい事」で良いですが 例えば 縁起一代先生の場合は 「(我・我所を滅させて)輪廻からの解脱とする」かも
779 :
神も仏も名無しさん :2013/11/12(火) 02:52:52.94 ID:FOhPpw57
>>772 >(彼らが、その自己の価値体系をもって外部に干渉しない限りはw)
外部に干渉せざるを得ないのが、宗教洗脳だろ。布教しない宗教があるか。
一旦宗教に嵌ると、あらゆるものを、たとえ肉親でさえも、宗教のベールを通
さないと見ることが出来なくなる。つまり、人間が人間ではなくなるということだ。
君は「宗教の病理」を全く理解できていない。ひょっとして君は、例の「宗教の
黒幕君」か?そのような中間的態度が最も悪質だぞ。
中道は真理ではない。中道政党というのが、常に、最も胡散臭い。
>>776 全く同意します。
伝統仏教が外から、その教義の柱であるであろう業報輪廻転生を無いかのように言われれば
反論するのは分かります。
私が分からないのは本人は否定寄りであるのに、伝統仏教という建前で肯定するという姿勢です。
本心と商売上の2面性を持って議論するのはいかがなものでしょうかねえ?
結局、セブンさんの立場は無い訳です。自ら立場を無くしている。それでも本人は構わないのでしょうが、
外から見れば何を言いたいのか分からない人〜という事になります。
私はその何を言いたいのか分からない人から噛み付かれているのですw
輪廻肯定ではあるが輪廻を信じていない〜って何なの?という事です。
781 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/12(火) 02:55:36.41 ID:GBBqlZ6a
>ひょっとして君は、例の「宗教の >黒幕君」か? 今更、何を?wwwwww ひょっとして認知症でも患ったか? 隠居 wwww
782 :
神も仏も名無しさん :2013/11/12(火) 02:56:32.74 ID:FOhPpw57
>>772 否定・批判するように見せかけて、それとなく肯定するのが、すべてのカルト
(宗教)の常套手段であることくらいは、理解せよ。
783 :
神も仏も名無しさん :2013/11/12(火) 03:04:12.62 ID:FOhPpw57
>>781 君は「若年性認知症」w。この病名知ってるのかw。
784 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/12(火) 03:22:02.28 ID:GBBqlZ6a
>>780 wwwww
セブンがね、他のオカルト神秘主義者のような盲信ができるような
奴なら、なんぼか楽だったと思うよww
ところが、不運なことに?ww 彼は現代的知見の有用性も認識できるし、
何よりもその思考傾向は緻密な論理構築を重んじるものだw
そういう「客観性」が、宗教者としてはマイナスに働いてしまうことも
あるのさw
おそらく・・・・・・「信仰者に徹しきれない自分」にジレンマを感じる
ところもあるのではないかと勝手に想像してるのだがwww
「伝統仏教では、輪廻は肯定されてきた」・・・・これは歴史上の事実な
わけw そして、その伝統仏教の一僧侶として発言するのであれば、
当然、「護教的スタンス」となるでしょうw
しかし、今まで彼がその立ち位置で物言いするときは、
相手が「無根拠に、これが真の仏教だ と恣意的な仏教の強制」を
してきた時に限られると思うw
セブンは貴方にそう言う姿勢を嗅ぎ取ったわけよw
(俺には、何故、そう感じたのか? 今一わからんところがあったがw)
785 :
神も仏も名無しさん :2013/11/12(火) 03:29:51.57 ID:FOhPpw57
>>781 私は、セブン氏の嵌り込み(洗脳)が最も深く、強固だと見ている。セブン氏が
悪いのではなく、テーラワーダの師匠による洗脳のせい。
道元さんの大学で小乗仏教をやるのは、理解不能。学内はガタガタじゃないの。
本音は業報輪廻転生など信じてないけど、商売上では肯定しているじゃ 単なる詐欺師だよね。ぜひともセブン氏の言い訳・・・もとい。見解を聞いてみたいものです。
787 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/11/12(火) 04:37:24.57 ID:P+G8ZINY
(^。^)なんだコレ。(笑) 他人の粗探しとか何が楽しいんだか。(笑)
>>772 パピまん
>つまり、「釈迦は、輪廻を肯定しなかった(もしくは無記)」と言うことは
>ひとつの見解としてOKなわけさw ところが、そこから、踏み込んで
>「輪廻を主張する仏教は仏教でない。そんなのニセの仏教だ。」とやりだすと
>NGなわけw 微妙なんだが、その線引きが重要なんだと思うねw
ですよねー。さっすがパピちゃん。
だから、輪廻否定の仏教を押し付ける人は、輪廻を認めない悟り、
つまり、現世のことしか分かりません、他のことは偶然ですって悟りを開いて、
人間だけに説法して、自分で経典を書けばいいのに。
>>784 パピまん
> セブンがね、他のオカルト神秘主義者のような盲信ができるような
> 奴なら、なんぼか楽だったと思うよww
> ところが、不運なことに?ww 彼は現代的知見の有用性も認識できるし、
> 何よりもその思考傾向は緻密な論理構築を重んじるものだw
> そういう「客観性」が、宗教者としてはマイナスに働いてしまうことも
緻密な論理構築を重んじる人でも輪廻は信じられるけどね〜。
というか、緻密に考えれば、業報輪廻には反対しても、業報ではない輪廻だけは認めるとか、
輪廻はあると思うけど解脱はできないだろう、とか、
もっと輪廻の中でさらに細分化した意見が色々でてきていいんだけど、
論理の緻密生よりも自分の常識を限られた論理で補強するという形を取るから、
「なぜかその親と遺伝子と身体を持ち、なぜか一回だけ生まれ、なぜかもう2度と生まれない」
っていう説が蔓延るのかと…。
791 :
神も仏も名無しさん :2013/11/12(火) 07:10:29.90 ID:8y79YV8E
というか輪廻を認めてしまうと、輪廻否定派である自分が理論をこねくり回して 辿り着いた一種の「悟り」が無に帰するからだと思う。 そして伝統仏教的な瞑想修行を一からやらなければならなくなってしまうから。 そういう怖れから輪廻を肯定できないっていうのもあるのかも。
792 :
神も仏も名無しさん :2013/11/12(火) 07:39:58.72 ID:G5Y+zfHX
793 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/11/12(火) 08:08:23.38 ID:XheY/keI
なんだ。セブンは本音では業報輪廻転生など信じてないけど、飯食う為に在家には信じてもいない 輪廻転生を説いて布施貰ってるわけだ。これじゃまんま詐欺師じゃん。人に嘘付いて金貰って恥ずかしくないのかね? どうせ死ねば終わりだからそんなの関係ない。死ぬまでの間にいい思いできればそれでいいとでも思ってんのかね? 人として終わっとるな。これだから禅坊主は。
794 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/11/12(火) 08:12:16.73 ID:XheY/keI
業報輪廻転生がどうしても受け入れられなければ仏教なんかに関わるなよ。 当たり前の話だろ。ましてやそんなもの信じても無いのに在家に説いて飯の種にするなんて 言語道断だよ。悪人がよ。
795 :
神も仏も名無しさん :2013/11/12(火) 08:19:07.71 ID:8y79YV8E
頓悟禅の人達の場合は悟るまで何も感得できないがゆえに断見が多いのかも。 まぁ、ここにいる禅系の人達は座禅すらしてないみたいだけど。
796 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/11/12(火) 08:28:33.33 ID:XheY/keI
>>767 君、仏教に瞑想など必要ないといってた人だろ。仏教から瞑想を除くと八正道のゴールともいえる認識。
正定を否定することになり、八正道そのものを否定することになる。八正道を否定してしまえばそれはもう仏教じゃ
ないんだよ。君らの問題点は、仏典をどう読んでもゴータマさんやその直弟子である阿羅漢達は業報輪廻転生を
この現象世界にはあるものとして説いているのに、自分が受け入れられないからと、お得意の詭弁を駆使
して説いていないものにして基の教えを自分たち好みに改変しようとしてしまうところにあるんだよ。
その点隠居は、当初仏典もよく読んだことも無くイメージだけでゴータマさんは唯物論者だと思い込んでキリスト教
批判のだしに仏教を引き合いに出してたが、仏典を読んで見ると素直にゴータマさんのオリジナルの仏教は
業報輪廻転生を説いていたことを素直に認め、アンチゴータマ。アンチオリジナル仏教に転じたところは
自分が気に入らないからとオリジナルの教えを詭弁を駆使して自分好みに改変してしまう修正主義者の君らより
まともだと思うよ。業報輪廻転生が気に入らなければ隠居のようにゴータマさんは間違っている。そんなものはあるわけない。
でも仏教の縁起やら空の思想は見るべきものがある。この思想を発展させて新しい宗教なり哲学なりを起こそうと、
仏典をベースに自分達のネオ仏教を、これが本来の仏教だと語るんじゃなく、自分達オリジナルの経典でも
作成してそれをベースに語れば問題は無いんだよ。わかる?
797 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/11/12(火) 08:49:50.43 ID:XheY/keI
>>534 命は身体あって初めて宿るもの。身体なくして命だけが存在するなんてものはない。
自他不二。不二一元の境地を理解していれば、露魂 (有情の中心) と肉髄とは同一であるか別異であるか。
肉と魂が別ならば死後も存続するとなるし、一つであるならば肉が滅びれば魂も滅びるとなる。なんて邪見は生まれない
のだがな。ま、この辺が学者の限界なんだろ。信仰心の無いましてや唯物論者の学者は誰かも言ってたように
宗教を扱うならその成立過程や、文献学程度にとどめて、教義にまで口出すなって。そんな連中が教義にまで口出す
からおかしなことになる。人は不二一元の境地を認識して、消滅へと帰ることで涅槃に入るんだ。
どっかの言葉遊び仏教のアホは不一不二だ、中道だとまくし立てるが、その不一不二=中道はその消滅にあるんであってな。
こいつの仏教には肝心な不二一元が抜けとる。それは一つの完成であって、それが終わりじゃない。これの意味が
わかればゴータマさんが晩年に言った言葉。『人の命は甘美なものだ』の意味を理解する。さて、どれだけの末法仏教徒が
その意味を理解できるまでになるだろうかね。八正道の頭には正見とくる。真理を正しく理解するだ。全てはここから
始まる。残念ながら邪見まみれの今の末法仏教徒は正見のせの字もないだろう。
798 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/11/12(火) 08:57:24.95 ID:XheY/keI
>>797 少し訂正
誤 こいつの仏教には肝心な不二一元が抜けとる。それは一つの完成であって
正 こいつの仏教には肝心な不二一元が抜けとる。不二一元から消滅のサイクルは一つの完成であって
と言ったほうがわかりやすいな。
799 :
? :2013/11/12(火) 08:59:14.01 ID:9R0iJUY8
> 頓悟禅の人達の場合は悟るまで何も感得できないがゆえに断見が多いのかも
> まぁ、ここにいる禅系の人達は座禅すらしてないみたいだけど
仏教議論スレッド 76
http://mimizun.com/log/2ch/psy/1382678465/523 523 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2013/10/28(月) 09:51:20.18 ID:5awT5HdI
【貴方自身が自ら口にしているように】、それは「八正道や慈悲の実践」の問題でしょう
輪廻という世界観に立脚していても、実践できていなければ同じです
↑
例えば
「中阿含経などに説かれた、仏教で、悟りに至るための三十七菩提分法(八正道とか)を
実践したとしても、最終的に
無我・無我所を得て、智慧を決定して無余涅槃に帰する事が出来ないのなら意味がない」
と言う意味の主張なのかしら?
輪廻転生・解脱・涅槃・・・は、<宗教商売者達の煩悩>から出てきたものとも言えそう
801 :
神も仏も名無しさん :2013/11/12(火) 09:20:01.55 ID:8y79YV8E
>>799 意味がないということではないと思いますが、
とりあえず実践してみては?という主張です。
質問の意図を汲み取りきれていなかったとしたらスイマセン。
802 :
? :2013/11/12(火) 09:36:21.26 ID:9R0iJUY8
仏教議論スレッド 76 の 523 ID:5awT5HdI さんと別の人だと思うけど
>>801 ID:8y79YV8E さんの意図に対しては
↑ とりあえず同意です
(私の場合は密教とか根本仏典とかに興味があるけど実践した事はありません)
>>790 ん?
勝義レベル(中論ベース)の輪廻は >業報ではない輪廻 じゃなかったの?(´・ω・`)
(つか、勝義レベルだと輪廻も無し、かw)
>輪廻は信じられるけどね〜&
>>791 ということは、
『【自ら】も衆生が輪廻することを【確認したから】、信じている』
ってことなのかな?
>>791 は少し違うと思うよ。
それこそ、宝珠とか在家が好きな奇蹟・超常現象との差異がないからでしょ。
大岩を空中浮遊させるとか、切断した脚が生えてくるとかと同じような・・。
*勿論、例えば超伝導実験の如く、文字通り物体を空中浮遊させることは、現代、可能になっているわけで、
それと同じか、或いは相似した理屈でその空間・フィールドに“何らかの”力を作用させることができれば
可能である、と表明することもできないでもない。多くの新興宗教、カルト、神秘系、神智学等は
この考え方を採用している筈だ。
が、蓋然性として、そうした事象のあり得る高さってどうなの?ってことだと思うよ。
自身が(体験として)確認した上でなら、他の様々な意見よりも、証言の重要性としては段違いだけれども。
>>786 パピの言う通りでいいよw
804 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/12(火) 10:59:20.13 ID:GBBqlZ6a
>>786 >本音は業報輪廻転生など信じてないけど、商売上では肯定しているじゃ
>単なる詐欺師だよね。
この「商売上」という表記は、悪意ありすぎでしょ?
(まあ、セブンのほうも、しっかり御宅に噛み付いてるわけだから、そういう
表現になるのだと思うがww そういう表現を使うと、キチガイカラスのような
バカがすぐに尻馬に乗るから注意www)
んでね、セブンに限らず、現在の日本では、真意では疑義を挟むが、立場上、肯定的
言動をせざるを得ない僧侶というのが、五万といるわけよw
例えば、真宗の法話を聴きに来たおばあさんが、「死んだ息子は、極楽で幸せに
暮らしてますでしょうか?」 と尋ねた事に対して、「そんなものはない。」と
やってしまったら身も蓋もないでしょ?www それを「商売上、嘘をついてる詐欺師だ。」
というのもなんでしょ?
葬儀で、遺族に対して「故人はいつまでも、あなたがたを見守ってくれていることでしょう。」
と言う坊さんに対して、「嘘つくな。死んだら何も残らんわい。」という、おっさんがいたら
やっぱり多くの者は、「常識のない変人」とみるでしょ?
要は、「誰に対して、どのような場で、どのように説くか」・・・ということだと思うよw
805 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/12(火) 11:00:06.07 ID:GBBqlZ6a
釈迦もね、40年以上にわたる長い説法の中では、なんども輪廻について「言及」したことは あったと思うわけw 目の前の人が、悪業を繰り返すのを止めさせるためには業報論のもつ 効用ってのを活用したでしょうw 俺は(釈迦は真意では、少なくとも「積極的肯定」とは思ってないが) そのことに関して 「釈迦は嘘つきだ。布施をもらうために嘘をつく詐欺師だ」とは思わないわけよww 目の前の人から、苦を除去できるなら、それもありだと思うわけww 要は、「どのような意図における発言か?」ということさww 単なる金儲けのための発言なら、確かに、御宅の言うとおりだと思うが、全てをそれで括るのも 浅薄すぎるでしょ?
806 :
神も仏も名無しさん :2013/11/12(火) 11:10:03.77 ID:LVbHpzlz
釈迦は王子であり悟った後も王からしつこく戻ってくるように催促されていた。 そんな釈迦が金儲けのために説法なんかするだろうか? 宮殿に戻れば金どころか国丸ごとが手に入る身なのに・・・
807 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/12(火) 11:23:17.40 ID:GBBqlZ6a
>>789 >だから、輪廻否定の仏教を押し付ける人は、輪廻を認めない悟り、
>つまり、現世のことしか分かりません、他のことは偶然ですって悟りを開いて、
> 人間だけに説法して、自分で経典を書けばいいのに。
この辺は、実に難しいところだよw
「輪廻否定の仏教を押し付ける人」・・・・この「押し付ける人」は、勿論、NG
でしょ?w しかし、逆に輪廻肯定者が、しばしば行う言動、
⇒「輪廻が信じられないなら仏教に関わるな。自分で新しい宗教を作れ。」ってやつw
これも全く同様にNGさw
これは、「自分らが信じる≪輪廻肯定≫以外は仏教と認めない」という独善的排他主義
以外の何ものでもないw
自分らが「輪廻肯定仏教」を信じるのはいいさw しかし、輪廻を信じない仏教に対して
「仏教」という表記を使用するな、というのは「自分らの見解だけが真実であり、他は偽」
という独善性の現れでしょ? そういう立ち位置からは、
「念仏? 極楽? 阿弥陀? wwww そんなものは≪仏教でない≫」
「護摩? 真言? 祈祷? wwww そんなものは≪仏教でない≫」
・・・・・・いくらでも、出てきてしまうw
「仏教でない」という批判を下すのであれば、まず最初に「何を持って仏教とするか?」
を定義しないと、どうしようもないでしょ? 実際、それが困難だから、
多くの仏教もどきのカルトが蔓延ってるわけさww
>>721 輪廻が前提ではない、というなら、解脱も前提にならない。
こんな単純なことが、なぜ分からない?
おそらく君は、解脱を単なる心理的転換・・・ とでも思ってるのだろう。
ならば、解脱もまた、人間の認識の範疇にある、ということになる。
これはもはや仏教ではないわ。
輪廻を除けば、解脱も除かれる。
解脱をこの世的に理解しようとすれば、それは勝儀ではなくなる。
なぜこんな簡単なことが、分からないんだろう・・・。
もはや仏教議論以前の問題だよ。
809 :
神も仏も名無しさん :2013/11/12(火) 11:53:33.41 ID:FI71GHst
>>807 >「自分らの見解だけが真実であり、他は偽」
>という独善性の現れでしょ?
何を言ってるのか。「我のみ良しの思い上がった独善性」が、釈迦とイエスの
特徴だろ。だからすべてのカルトが、この両者に群がってくる。すべてのカル
トは、この両者から生じているという「事実」を直視せよ。
810 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/12(火) 11:57:26.22 ID:GBBqlZ6a
>「なぜかその親と遺伝子と身体を持ち、なぜか一回だけ生まれ、なぜかもう2度と生まれない」 人間の生死という現象に「何か特別の意味」があるように考えすぎでしょ? 例えば、サイコロ振って1の目が出たとする。 それに特別の意味を付与する 人は少ないw 何故、6の目ではなかったのか?www 1の目が出たのは、たまたま、そうなるような条件によってサイコロが振られたから と考えるでしょ? ところが、人間の生死ということになると、そこに何やら人智では計り知れない力が 干渉していると思ってしまうw 人間だけは特別だと考えたい願望の投射でしょ? 『何故、目の前のコップは、私に購入されたのだろうか? 何故、他の人に買われなかったのか? そして、落としたら割れてしまっった。 何故、これは再生しないのか? 何故、数年後に自動再生するような性質をもって 生まれてこなかったのか? 』・・・・・・・このような問いに何か意味があると 思うかな?w
811 :
神も仏も名無しさん :2013/11/12(火) 12:18:10.41 ID:FI71GHst
「雑草という草はないよ」。なんという暖かい言葉か。皇后の百万言の言葉も、 釈迦もイエスも、昭和天皇のこの一句には及ばない。
仏教の前提はより良く人間が生きる指針というようなもの、輪廻や解脱や涅槃が前提などではない と私は思います。
813 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/12(火) 13:22:51.34 ID:l0wO/Uf2
>>661 >私(ID:Iao9F9MR)の場合は
>護摩(ごま)の火の形が観音さまに変化した時に撮影された写真なら見た事があります
札所巡りしていると、
そういう写真を掲げている寺院もあって私も何度か見てきています。
中には見事なものもありますね。
アレはつまり、シャッターの瞬間にポーズをとられているわけだね!!
814 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/12(火) 13:23:34.92 ID:l0wO/Uf2
>>812 >仏教の前提はより良く人間が生きる指針というようなもの、
そう。
けれども、そこには明確な根拠を置いています。
善因善果/悪因悪果の法則が三世(前世・現世・来世)に跨って作用しているということを、
ゴータマは自らの(超常)体験によって確認したからです。
その上、「これこれしなさい。してはいけない」と述べました。
それが仏教というもの。
仏教は体験によって教えられた世界です。
体験してない者にはその確認は不可なんです(宗教というものは神秘体験から始まったもの。当然、仏教とてその例外ではない)。
要するに、ゴータマさんが信頼できそうかどうかということを
その生涯のヒストリーとエピソード、お人柄、そして説法の内容・・・から各自が判断すればいいだけ。
認められない者は信奉しなければいい。
それだけのこと。
仏教は単なる道徳などではないから。
815 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/12(火) 13:27:25.76 ID:l0wO/Uf2
*また、そろそろ次スレが必要です。
>>814 訂正:
×「その上」
○「その上で」
人間が誰しも陥る疑念。 死後の世界や輪廻転生。 仏陀の素晴らしいところは、それらの事を無記とした事。 無記として問題にしないという姿勢。 これが素晴らしい。 業報輪廻転生を説くものは全て偽者である。
817 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/12(火) 13:58:34.17 ID:l0wO/Uf2
>>816 それはあなたの早とちり勘違い。
勉強不足というものでしょう。
ゴータマが何を語り、何を語らなかったのか?
それを自分自身で(仏典の記述を)再確認すべきです。
死後の世界とはこういうもの〜と説く事が出来る人間はいない。 なぜなら死んだ人間は説けないから。 瞑想により垣間見えた世界は死後の世界などではない。夢ゆめ幻まぼろしである。 そのような分からない世界を妄想することを仏陀は戒めた。 何故人が妄想するかといえば我執があるから。だから我執を滅せよと説かれた。 業報輪廻転生を説くものは全て偽者である。
片山さんならなんて言うかねぇ・・。 「まずは経典を読んでください」 としか言わんかもな・・w
820 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/12(火) 15:13:03.34 ID:l0wO/Uf2
>>818 妄想や空想を語る者と、
体験(ゴータマの実体験)によって語られた事柄を一緒にしないように。
ブッダは、あなた方とはレベルが違うんです。レベルが!!
そんなものはすべて後代の後付けだ、と。
神格化の類いに過ぎないものと決めつけるならば(
>>71-72 )、
仏教など信奉しなければいいだけ。
821 :
アホの一在家 :2013/11/12(火) 15:13:14.41 ID:5nTcrcZ4
12巻本に収録されていることから、道元禅師が「三時業」に見るような、因果論に行き着いたのは比較的晩年ではないかという見解がある。 道元禅師がそれまでの著作等で全く三時業について触れなかったわけではない。 懐弉禅師との問答を収録したとされる『正法眼蔵随聞記』では、次のような言葉がある。 道元「また冥機冥応、顕機顕応等の四句有る事を思フベシ。また現生後報等の三時業の事も有り。此等の道理能々学スベキなり。」 巻2-15
822 :
アホの一在家 :2013/11/12(火) 15:13:48.26 ID:5nTcrcZ4
>>821 続き
また、中国で如浄禅師と問答した道元禅師が、そのノートとしてまとめている『宝慶記』では、
「三時業」巻で、道元禅師も批判した長沙景岑の業報観について、如浄禅師もまた、同様に批判していたことが知られる。
道元「仏法、若し長沙の道の如くんば、何ぞ諸仏の出世・祖師の西来有らんや。堂頭和尚老師大禅師示して曰く『長沙の道、終に不是なり。長沙、未だ三時業を明らめざるなり』と。」 第16問答
これらから分かることは、やはり何か必要に応じて、因果歴然としての諸仏出世・祖師西来を説かれたのだろう。
参考:
http://wiki.livedoor.jp/turatura/d/%BB%B0%BB%FE%B6%C8 道元禅師が「三時業」を説いたのは最晩年と力説された住人がおられましたが、もう一度調べてみるとそうでもないようです。
正法眼蔵随聞記:嘉禎年中(1235年〜1238年)に道元禅師(30代)が仏道修行に於ける用心を説示された内容を懐弉禅師が記した語録とされる。
宝慶記:道元が如浄禅師に就いて学んでいた頃の記録であり、道元は20代。
輪廻を否定する禅者が曹洞宗だとすると、20代、30代、晩年の祖師の教えを知らない人達になりますから、臨済宗の方々かも知れませんね。 (^0^)/
>体験(ゴータマの実体験)によって語られた 瞑想体験は死の体験ではない。 体験したならば語れない、なぜなら死者は説けないから。
824 :
神も仏も名無しさん :2013/11/12(火) 15:27:10.25 ID:5nTcrcZ4
>>823 >瞑想体験は死の体験ではない。
>体験したならば語れない、なぜなら死者は説けないから。
何百、何千もの臨死体験者の語りは記録されております。
心停止していた期間の病室訪問者の名前と会話内容まで語っております。
更に脳死からの生還者も時々おります。
この辺りのデータは神智学が詳しいかも。。
825 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/12(火) 15:29:06.04 ID:l0wO/Uf2
>>823 ブッダの瞑想を凡人のものと一緒にしないように。
信じられないなら、
信奉しなければそれでいいこと。
臨死体験は死の体験ではない。 死の入り口の体験に過ぎない。 死を体験してそれを語る事は出来ない。 何故なら死者は語れないから。 業報輪廻転生を説くものは全て偽者である。
827 :
神も仏も名無しさん :2013/11/12(火) 17:35:37.87 ID:5nTcrcZ4
>>826 >業報輪廻転生を説くものは全て偽者である。
唯物論を説くものは全て本者である。
>>669 >この感情を捨断する練習をしましょう。
貴方は、仏教を信じておられるし、私は宗教全般に疑義を
持っていますから、スタンスが異なります。
欲愛(よくあい)・・・肉体の快楽を求める欲望
有愛(うあい)・・・生きることへの執着
無有愛(むうあい)・・・平穏に生きたいという欲望
↑
これらを何故捨断する必要があるのか教えて下さい。
>>829 いえ、ただ、宗教は人の能力以上、限度以上の努力を求め、
高すぎる境地を唱えるので大変だなと思うことがあるので・・
理想が高すぎるというかぶっ飛んでいるというか・・
それと宗教の勉強はしていないので素朴な質問です。
いつも恥を晒してますょ。。。(笑
>>828 渇愛とは喉が渇いたときに水を欲するようなものと言いましたが、喉が渇けば
水を飲むのは当然です。水を飲むな〜と言っているのではなくむさぼるなという
事でしょう。欲望や執着は精神の束縛で苦の原因です。
欲望や執着を無くす事が苦からの解放という事です。
それと仏教は禁欲を強いるものではないと思います。出家修行者が欲望丸出しでは
修行にならないでしょうが、仏陀も在家の人間にセックスする事は欲望に溺れることで止めよ〜
なんて言わなかったでしょう。つまりむさぼるように溺れることはいけないという程度に考えれば
良いのだと思いますよ。
>>830 そうかw
いや、上の渇愛三種の定義の仕方が、定番語義とズレてたんでね。
悪かった。 (活躍期待してるから)続けてくれw
>>831 >出家修行者が欲望丸出しでは修行にならないでしょうが
ほうw
瞑想全否定の貴方が、出家者の修行(プラクティス・エクササイズ)に言及し、
尚且つ好評価するとは思いませんでしたwww
いや、意外過ぎてビックリですわ。 (´・ω・`)
833 :
神も仏も名無しさん :2013/11/12(火) 20:16:56.59 ID:YeMgdu5p
>>831 欲望は、人間が生存するために不可欠。必要な欲望が満たされれば、欲望はなくなる。
釈迦から教えて貰ういわれはない。子に対する渇愛がなければ、子は育たない。
釈迦の教えは、すべて人間と人生の洞察に欠けた誤り。贅沢三昧の生い立ちの結果と
しての「世間知らず」「常識外れ」「叡智の欠如」。つまり「人生の悟りが足りない」
ということ。「生存努力」という「選択不能な大修行」を怠ったからである。
欲望は人類進化科学の発展の原動力 なんとすばらしいことか
835 :
エロにゃん♪ :2013/11/12(火) 22:38:43.10 ID:dWlbccI4
アソコ イジイジ♪(///∇///)
836 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/12(火) 22:58:46.16 ID:GBBqlZ6a
>道元禅師が「三時業」を説いたのは最晩年と力説された住人がおられましたが、もう一度調べてみるとそうでもないようです。 wwwwwwwwww どこが「そうでもない」なんだ??wwwww アホかwwwwwwww 正法眼蔵随聞記では、「僧侶への布施について説く過程において言及しただけ」 宝慶記では、道元の問いに対しての「師匠の回答を書き留めておいただけww」 一体、どこに20代、30代に道元が、自己の教説の重要部分として「輪廻業報」 を説いた資料があるわけ????wwwwwww
837 :
エロにゃん♪ :2013/11/12(火) 23:13:53.08 ID:dWlbccI4
アソコ ヌルヌル♪(///∇///)
838 :
? :2013/11/12(火) 23:47:53.64 ID:9R0iJUY8
839 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/13(水) 00:30:34.07 ID:EdUf7G0b
> 以前、「人は親を選んで生まれてくる」という馬鹿げた説教を聞いたことがあるが、 >もしそうなら、大概の人間はもっとマシな親を選んで生まれてくるだろうし(ちなみに、 >「選ぶ」とは選んだ自覚がある場合にしか意味のない言葉である)、だいたい同じ説教を >虐待されて育った子に面と向かって言えるのか? それは「前世の因果だ」、「自業自得だ」 >とでも言うつもりか?(ちなみに、「因果」の言説が有効なのは、当の「因果」関係を >承認する者においてのみである 上記は、南直哉という現役の曹洞宗の坊さんの最新のブログの一節・・・・ 誠に然りですなww
>>839 外野の批評的に言うなら、道徳的(人道的)に?マズイだろうなw
が、だがしかし、だw
例えば、障碍を持って生まれた子の親が、もし、
「この子は、私たち夫婦に優しくあることとは何か、命とは何か、
ということを教えるために私たちのもとに来たのだ・・」
と想ったとき、(二人の関係が、以前にはギクシャクしていたなら尚のこと・・)
それを、馬鹿馬鹿しい、或いは差別的思考だとツッコミを入れ得るだろうか?
或は又、
不遇な家庭環境に育った子が、両親の嫌な面、欠点を多く見ながらも、
或は、両親が避け得ぬ苦労を背負っており、日々悲嘆苦悩していたとして、
それでも、自分の言動の一つ一つが、二人を笑顔にしたりひと時の穏やかさを生じさせていると感じたとき、
その子が、「私は、お父さんとお母さんに仲良くなって貰う為に、
或は、お父さんお母さんを支える為に、(或は兄弟姉妹を支えるために)、
ここに生を受けたのだ」と想ったとき、
その想いを否定する権利が、いったい誰にあるだろうか?
そこに、過去世でできなかったこと、過去世でミスったことの挽回だと受け止めたとき、
その想いを否定する権利が、いったい誰にあるだろうか?
という問題でもあるんだよね。
裏表・二枚舌・どっちつかず・優柔不断の卑怯な態度を嫌う紐無記君は、 ナンセンス!と、こうした家族の考え方を一蹴するかもしれんけどw
842 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/13(水) 00:53:36.11 ID:EdUf7G0b
>>840 だからこそ、
>、「因果」の言説が有効なのは、当の「因果」関係を
>承認する者においてのみである
なのさww
現在の状況を過去世と結びつけて解釈することを許容した者のみに
適用すればよいのに、業報肯定論者はそうではないだろ?w
どのような状態に生まれついたかは、必ず過去世の因果の結果である・・・
とこうくるww
バカ野郎でしょ?wwww
843 :
神も仏も名無しさん :2013/11/13(水) 00:55:55.63 ID:fpphggXy
因果とは?
>>842 そ。
だからこそ、「頷き」「体験」「エクササイズ(禅定・瞑想)」が大事なんだけど、
紐無記君には全く伝わらない・・。
自身が縁起する諸法であるという自覚なしに、仏教は(悟りも解脱も涅槃も)ないんだけどね・・。
だからこそ、菩提樹下で「この法は見難い・・」と嘆息されたわけで・・。
┐(´ー`)┌
*勿論、(ホントか嘘かわからんけどw)以前誰かが、ダライラマの或る家族との謁見エピをレス入れてたが、
あのような性質の「法話」「相談」「聞き役」「助言」等はアリだと思うけど。
845 :
? :2013/11/13(水) 01:08:31.52 ID:de9tehfV
> 因果とは?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%A0%E6%9E%9C 因果応報説の受容
インドではもともと業と輪廻の思想が広くゆきわたっていたので
仏教の因果応報の考え方は最初から何ら違和感なく受容されていたが
それが他の地域においてもすんなりと受容されたかと言うと、必ずしもそうではない
中国ではもともと『易経』などで、家単位で、良い行いが家族に返ってくる、といった思想はあった
だが、これは現世の話であり、家族・親族の間でそのような影響がある
という考え方である。輪廻という考え方をしていたわけではないので
個人の善悪が現世を超えて来世にも影響するという考え方には違和感を覚える人たちが多数いた
中国の伝統的な思想と仏教思想との間でせめぎあいが生じ
六朝期には仏教の因果応報説と輪廻をめぐる論争(神滅・不滅論争)が起きたという
とはいうものの、因果応報説はやがて、六朝の時代や唐代に小説のテーマとして扱われるようになり
さらには中国の土着の宗教の道教の中にもその考え方が導入されるようになり、人々に広まっていった
日本では、平安時代に『日本霊異記』で因果応報の考え方が表現されるなどし
仏教と因果応報という考え方は強く結びついたかたちで民衆に広がっていった
現在、日本の日常的なことわざとしての用法では
後半が強調され「悪行は必ず裁かれる」という意味で使われることが多い
ただ、ここにおいての因果応報という考えも輪廻との関わりよりも
現実での利益を強調しているという事実も見逃すことはできない
>>845 お前はいつも、微妙にズレてるよな・・(^^;
それは「(個人に於ける)応報」(→賞罰)であって『因果』の一部でしかないでしょ。
>>839 >>842 差別は間違ってるからという理由しか受け取れないんだが
それって現代的な価値観じゃね?
なんでそれが仏教において正しいかまで考察されてないよね
浅いと思うんだけど・・・
>>847 それは違う。
>仏教に於いて正しいか
じゃないよ。
仏教外でも正しいと言えるのか?だからだよ。
(たとえばキ教イ教でも正しいか?でもあるし)、
宗教的人生観無き生き方に於いても、世俗の社会的諸相に於いても正しいと言えるのか?
→仏教外の種々の場面に援用できるのか?
ってことだからだよ。
849 :
? :2013/11/13(水) 01:27:48.98 ID:de9tehfV
> お前はいつも、微妙にズレてるよな・・(^^;
> それは「(個人に於ける)応報」(→賞罰)であって『因果』の一部でしかないでしょ
私は、どこかの宗教団体の信者ではないけど
教学としての有相唯識派の段階なので
その人その人、個人個人、に於ける因果応報の話しをしているのかと妄執分別していました スマソ 屮(_ ._)屮
http://d.hatena.ne.jp/hotokenomichi2008/20091011/1255250353 有相唯識派
仮設としての阿頼耶識を、とりあえずは「ある」とする
− これに対して −
無相唯識派
阿頼耶識も仮設として現れ滅しているものなので
縁起なるものとして
心の存在もまた幻のごとき「空」であり
究極的にはその実在性(実体・自性)も否定される(境識倶泯)
850 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/13(水) 01:31:33.20 ID:EdUf7G0b
>>847 そうだよ、そこで言ってることは世俗の価値体系に照らして
どうか? ということさww
仏教の教説としてどうか? ということは、別の問題でここでは触れてないw
浅い??? 何で世俗との関わりの話に「仏教内部での見解」を持ち出す
必要がある?
>>849 いや、問者の意図が、
(仏教的)応報を指した「因果」についてであった
可能性もあるけど、一応なw
日本の世俗において正しいから、仏教においても正しいという論法はとれないでしょう インドにおいては現にそういう因果が長い歴史の中で正しいとされていたんだからさ。 俺らはそう思うってんならありだが。 それともインド人は頭おかしいって話?
853 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/13(水) 01:46:38.13 ID:EdUf7G0b
>>852 何言ってんの?ww
仏教外の者には、「仏教において正しい」とか全く関係ないわけww
それが、我々が有する普遍的価値体系に抵触するかどうかが問題なのww
オウムの奴らだって、奴らのしたことは「奴らの中では正しいこと」だったんだよw
だが、それは我々の社会では受け入れられないのw
うんうん、だから現在の日本の世俗的価値観ではおかしいだろ?って話なわけね
855 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/13(水) 01:53:37.64 ID:EdUf7G0b
>>854 そうだよww 現在の日本では、特定のグループにのみ
通用する価値体系をもって他者を差別するような言動は、良くないこと
とされてるわけww
そういうことがしたいのなら、それが許容されてる社会に行くか、
森の中に引っ込んで一人でブツブツ言ってろってことwwwww
でもそれでは灰谷文学どまりの批判になってる気がするんだよなぁ それが浅いと思うわけで
>>854 まさにその通りです。
(ま、だからこその「方便」の存在だとも思いますが。)
858 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/13(水) 02:06:01.36 ID:EdUf7G0b
>>855 浅かろうが深かろうが関係ないのwwwww
ある特定の社会に帰属するのであれば、その社会の普遍的価値観を許容するしか
ないわけw それが嫌なら、その社会から離脱すればよいw
それも拒否して自己の主張を貫くなら、それなりのペナルティを受けることになるでしょ?ww
「黒人は汚い。皆殺しにしろ。」という見解を共有するグループが
その主張を貫こうとしたら、当然それに対する反駁を覚悟しないとねwwww
859 :
? :2013/11/13(水) 02:13:22.83 ID:de9tehfV
>>858 パーピマン さんへ
ID:jJwKxzsq さんの場合は
渇愛を日々滅するように勤める事 ← 肯定
瞑想の形式などは ← 否定
パーピマン さんの場合は?
私の場合は
三十七菩提分法(八正道とか)
止(サマタ)・観(ヴィパッサナー)とか
想受を滅させる為の滅尽定とか
↑ 実践した事がないけど興味がある、と言う意味で肯定です 屮(_ ._)屮
860 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/13(水) 02:22:03.62 ID:EdUf7G0b
>>859 聞かれたので一応、答えるがw
「瞑想」などは、やりたいものがすれば良いだけでしょ?
別に禁じるべきものでもないしw
ただ、それで「何事かを覚った気」になって、それをもって
他者に干渉し始めたら、「やかましい」となるw
瞑想でたとえ、何事かを得たとしても、それは所詮、「その人だけのもの」
それで他人に「ああだ、こうだ」言うバカは、それさえもわからんアホでしょ?ww
そんなアホが得たものなんて、高が知れてるwww
861 :
? :2013/11/13(水) 02:31:02.94 ID:de9tehfV
>>860 パーピマン さんにとっては
仏教の、どのようなところに興味がありますか?
私の場合は
最終的には「世俗を超える」と言うところに興味があります
862 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/13(水) 02:38:51.91 ID:EdUf7G0b
>>861 認識論だよw この世界をどのように捉えるかという哲学的側面が
西洋的実体論と隔絶していて、とても興味深い。
二項相対的思考の拒絶というのは、仏教独自のものだろうw
「・・・・を、どのように捉えるか?」ではなく、「・・・という対象を設定すること自体を
否定する」・・・そこが妙味だねw
863 :
? :2013/11/13(水) 02:45:08.07 ID:de9tehfV
例えば ↓ こんな感じですか? 西洋的実体論 − これに対して − 釈迦はこのような実我観念を批判し 「我として認められるものはない」として、諸法無我と説いた これを色受想行識の五蘊について説き 人間生存は無我である五蘊の仮和合したものであるから仮りの存在であると説いた
864 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/13(水) 02:50:35.02 ID:EdUf7G0b
そうw 少し補足すると、「縁起によって、たまたま、そのように 現じているもの。それを認識により対象として切り取り、そこに基体を 設定してしまう。これ全て無明のなせるわざ」・・・・まあ、こんなとこww
865 :
? :2013/11/13(水) 03:02:13.14 ID:de9tehfV
866 :
神も仏も名無しさん :2013/11/13(水) 08:03:38.36 ID:V2Ny1BLm
867 :
神も仏も名無しさん :2013/11/13(水) 08:08:18.72 ID:21pxjE+a
>>862 「無我・有我」「無・有」「直接現実・間接現実」「勝義諦・世俗諦」「覚者・凡夫」は、
二項相対の典型だねw。
「認識対象」の存在を認めなければ、認識論など成立しない。
868 :
エロにゃん♪ :2013/11/13(水) 08:25:46.57 ID:+2A17trY
アソコ カイカイ♪(///∇///)
869 :
神も仏も名無しさん :2013/11/13(水) 08:51:46.30 ID:6tLtSEzx
>>836 パーピマン氏
>宝慶記では、道元の問いに対しての「師匠の回答を書き留めておいただけww」
>一体、どこに20代、30代に道元が、自己の教説の重要部分として「輪廻業報」を説いた資料があるわけ????wwwwwww
既に貴兄自身が回答しておりますよ。
それとも「師匠の回答」は道元禅師にとって重要部分ではなかったとの論を展開しますか。
「坐禅は一切の執着を捨ててするものだ!」と大喝された師匠の言葉が重要ではないと?
駒沢大出身者も同じ認識でしたら、そうなんでしょうけど。
>>831 >>833 のご隠居氏の↓
>欲望は、人間が生存するために不可欠。必要な欲望が満たされれば、
>欲望はなくなる。
に同意です。自分の今までの経験でもそんな感じです。
人間の心身は良く出来ているものです。
宗教者も経典の内容を疑り自分の頭で冷静に考察するべきです。
そこから宗教の進歩・発展に繋がります。
勇気を持ってください!
しかし、いつ見てもご隠居氏のレスは抜群の優れもの〜
ありがたいなぁ!!
871 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/13(水) 09:22:30.79 ID:EdUf7G0b
>それとも「師匠の回答」は道元禅師にとって重要部分ではなかったとの論を展開しますか。 重要の意味が違うww 師匠の言葉だから、それなりに敬意をはらって聞き、後学のために書留も するだろうw それは当然w しかし、自分の教学にとって、それが さほどの重要性をもたないのであれば、拝聴はすれどもそれを自分の弟子や 教えをもとめて訪れる人たちに積極的に説きはしないww 20代、30代の道元の事跡に、そのような教説を説いて回ったなどという ことは「全くない」wwwwwww
872 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/13(水) 09:25:25.93 ID:EdUf7G0b
>>869 お前はね、その姑息な性格から、全体像を把握することなく
自分の見解を補強できそうなところだけ拾い上げて、その趣旨を捻じ曲げて
利用するのwwww
そういう、姑息なマネはやめろと何度言っても、このバカは・・・・・wwwwwwww
873 :
神も仏も名無しさん :2013/11/13(水) 09:32:31.42 ID:6tLtSEzx
>>871 >20代、30代の道元の事跡に、そのような教説を説いて回ったなどという
>ことは「全くない」wwwwwww
そして道元禅師は晩年に30年間忘れずにいた師匠の教え「三時業」を遺したということでしょう。
誰ですか「道元は晩年は乱心して輪廻を説いた」とアホはことを言った人は。。
874 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/13(水) 09:39:44.56 ID:EdUf7G0b
>>873 そりゃ、道元はアホじゃないから、覚えてはいただろうww
もしかしたら、どうでもいいことなので、忘れていて書付見て思い出したのかもしれんがww
どっちにしろ、自分の教学にとって重要性を見いだせなかったから、
それまで説くことがなかったんだろうよww
それが、根幹であると思っていたなら、しっかりとそれまでに弟子たちに
説いているでしょ?www
おそらく、死ぬ前に業論も言っておけば、弟子たちの修行にちっとは資するかも
ぐらいに考えて最後に付け足したんだろうよwwwww
875 :
神も仏も名無しさん :2013/11/13(水) 09:41:33.18 ID:TrRb+s2Q
輪廻なんて仏教の大前提にあるもの。説くほどのものじゃあない。
876 :
神も仏も名無しさん :2013/11/13(水) 10:43:46.52 ID:21pxjE+a
死とは、生時の意識、感覚、思考が完全に消滅する状態。これは、医学的にも 100%証明されている。「死後を、生時の意識、感覚、思考で語る」。これ ほど滑稽な矛盾はない。
877 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/13(水) 10:51:15.75 ID:EdUf7G0b
>>876 お前はなあ、隠居wwwwwww
そこでやめときゃ、賛同者も多いだろうが、そこからいらんこと
付け足すからいかんのよww
878 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/13(水) 10:53:06.23 ID:9VgvtBYu
>>824 >この辺りのデータは神智学が詳しいかも。。
いえ、それはその道の専門の学者たちにまかせています。
神智学では、特定の個人や夫婦の過去世を霊視によって何世も遡って追跡調査したり、
アストラル界層(心霊的世界含む)やチャクラに流出入するエーテルエネルギーの観察分析などを
覚者による特別訓練にて驚異的なオカルトサイキック能力を開発したメンバーを中心にして独自の研究がなされました。
879 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/13(水) 10:54:06.82 ID:9VgvtBYu
>>839 > 以前、「人は親を選んで生まれてくる」という馬鹿げた説教を聞いたことがあるが、
それがある程度できるのは、
4段階以上のイニシエートだけでしょう。
仏教でいえば阿那含/不還果の境地にある聖者です。
それ以外の凡夫というのは、業に従い業に流されている。
業による決定によって生まれ先が自動的に選択され、
それ以外に選択の余地はありません。
880 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/11/13(水) 11:02:49.41 ID:EdUf7G0b
>オカルトサイキック能力 wwwwwwwww ほんっと宝珠は、ジャンプの「斉木楠雄のΨ難」の出てくるキャラみたいだなww 名前忘れたが「漆黒の翼」とか言って、自分が超能力使えると妄想してる痛いキャラwwwww
881 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/13(水) 11:24:17.82 ID:9VgvtBYu
>>880 そのサイキック能力者はもちろん私じゃないですよ。
当時の協会メンバーのC・W・リードビーター司教
私は研究の記録内容に信頼性を置いているだけ。
私はエネルギ(波動かな?)を少し感知できる程度です。
882 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/13(水) 11:24:58.65 ID:9VgvtBYu
訂正:エネルギー
883 :
? :2013/11/13(水) 11:34:10.05 ID:de9tehfV
質問です。 阿弥陀経とか法華経って、あれ釈迦本人が本当に説いたものなんでしょうか?
885 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:3) :2013/11/13(水) 12:28:35.30 ID:XjbOgE81 BE:2395239375-2BP(1000)
あうあうあうあうあうああー ::::::::: へ( ^q^')ノ 説いたもののわけがない。 ::::::::: (┐ノ :::::::::: / :::::::::::::::::::::::::::::::::
そうなんですね。 であれば、浄土真宗や日蓮宗などが仏教を名乗るのは詐欺ではないですか?
>>886 いや、そもそも、
ブッダ本人が説いた“もの”なんて一つも存在しないんだけど(´・ω・`)
文字として残されるようになったのが、ブッダ没後数百年経ってからなのにw
真宗や日蓮宗どころか、この世の全ての仏教が詐欺だよ。
貴方の言う基準でいくならね。
>>887 ”もの”って表現がマズかったですか?そんな言葉尻を捉えなくても。
阿弥陀経や法華経の内容はブッダが説いた教えなんでしょうか?
という質問です。
889 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/13(水) 13:17:07.01 ID:9VgvtBYu
>>886 それが大乗非仏説(大乗はホトケ/ゴータマの説かれたものではない)です。
日本の仏教はすべてシナ(中国)を経由した大乗仏教。
このスレでは、この私が代表的な大乗非仏説の支持者です。
しかし、日本の仏教徒は例外なく大乗徒なのでこのことをもの凄く嫌がります
それで、三宝の信奉を立てていれば仏教であるとか、
大乗の八宗の祖ともいわれる龍樹の顕した中論などはゴータマの教えを継承したものとする解釈から、
大乗も仏教であるなどいいます。
昔は、大乗非仏説の勉強などがバレた僧侶は、
見せしめのために宗門を破門させられ、飯も食えず路頭に迷いました。
当然ながら、大乗は今でも大乗非仏説を認めません。
>>887 セブンなら百も承知でしょうが、
大乗諸経と原始経典群とでは、やはり内容が違うから。
その雰囲気というか匂いが全然違うよw
>>889 そ。
だから、上記「説いた説かない」は言うに及ばず、
その内容を対照しても、
神智学の中身が仏陀によって説かれた(或は含意されている)なんてのも詐欺なわけです。
もし、「大乗非仏説」であるなら、同様に「神智学非仏説」なのですw (´∀`)b
891 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/13(水) 13:27:11.37 ID:9VgvtBYu
>>888 それは初期大乗経典と呼ばれます(代表格)。
上座部に反旗を翻して一番最初期に制作されたものです。
ゴータマが認められなかった絶対他力を説く阿弥陀経、
そして、ゴータマ晩年期に真理を明かしたという嘘で以て大乗の優位性を誇張しようとしたのが法華経。
そうなのですね。 日本の仏教はすべて偽物で詐欺なのですね。 それならば、早く法律の元に処罰されるべきだと思います。 ありがとうございました。
893 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/13(水) 13:32:04.63 ID:9VgvtBYu
>>890 ブラヴァツキーは当時から、
「神智学は仏教ではない」とハッキリと明言しています。
何故なら実際、神智学が仏教の一派であるものと思い込んだ人たちが当時、
大勢?出現したからです。
>>844 >「頷き」「体験」「エクササイズ(禅定・瞑想)」が大事なんだけど、
業報輪廻転生の因果を「頷き」承認、肯定できません。
業報輪廻転生の因果を「体験」できません。
業報輪廻転生の因果を「エクササイズ(禅定・瞑想)」で見ても夢ゆめ幻まぼろしに過ぎません。
>自身が縁起する諸法であるという自覚なしに、仏教は(悟りも解脱も涅槃も)ないんだけどね・・。
悟りやら解脱やら涅槃など有り難いものがあると思う事自体が間違い。
そのようなものは無く束縛も無いと思う事が涅槃である。
業報輪廻転生を説くものは全て偽者である。
895 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/13(水) 13:39:01.77 ID:9VgvtBYu
>>892 うーむ。
嘘を承知で騙してるならば詐欺で犯罪ですが、
一応、ゴータマが説いたとまではいわないまでも、
それでも大乗の僧侶は基本、自分たちが奉じるものは仏教だと本気で信じていますから。
大乗には大乗の優れたものが確かにあります。
逮捕だけは許してあげて。
896 :
基地にゃん♪ :2013/11/13(水) 13:47:09.75 ID:+2A17trY
>>895 だからこそ末法の世と言われ
ている訳にゃん ♪ (゜∇^d)!!
897 :
神も仏も名無しさん :2013/11/13(水) 14:05:17.39 ID:6tLtSEzx
>>875 >輪廻なんて仏教の大前提にあるもの。説くほどのものじゃあない。
近代仏教学者(和辻、並川、他)の弁に乗せられて大前提を批判する自称仏教徒が多くなっております。
その洗脳を解く一方便として各宗派の祖師達の輪廻に関する説法を順次紹介しております。
アホ、馬鹿、姑息と揶揄されている私ですが色々と考えて調べております。
以上、まだ信心が消えず祖師達の教えを読んでハッと我にかえる方々の多いことを祈念します。合掌
>>894 どこの六師外道だよwww
貴方の発言が全て、貴方只独りの妄想である可能性をどうやって否定するおつもりで?w
>>893 >神智学が仏教の一派であるものと思い込んだ人たちが当時、大勢?出現
で、貴方は、逆に
≪「仏教」を「神智学の一派」だと見做しているわけですねw (´∀`)b
( ゚听)、
伝統仏教の同じ穴の狢との相互確認こそが悟りの証などとのたまう人間には到達不能。
アンカーくらい付けたら?w
>>900 いや、そうじゃなくてw
言い換えれば
貴方は、
どこで、どうやって、どのように
仏教を(ゴータマブッダ本人の発言を)知ったのですか?
という問いですよ。
また、
なぜ、貴方の考えが「仏教」と(「ゴータマブッダ本人の発言」と)一致すると言えるのか?
という問いでもありますw
経典は原始仏典といえども仏陀自身の語ったものではなく弟子による口伝の書き写しにすぎない。 そして、業報輪廻転生の解釈について伝統仏教の立場をとるか近代仏教の立場をとるかはでは180度異なる。 両者は互いに相容れない。伝統仏教では自らの悟りの境地を同門の人間との相互確認により認めることができるが、 非伝統仏教の人間にはなんら確認の手立てが無いので意味が無い〜とする。そして業報輪廻転生こそが仏教の大前提 土台であると〜 業報輪廻転生を説くものは全て偽者である。 なぜなら、死後の世界を語る事をできる人間はいないから。 死後の世界は体験したら、それを語ることができない。 なぜなら死者は説けないから。 人間が死後の世界を語れない以上、当然前世-今世-来世を結ぶ業報輪廻転生などは語れるはずもない。 瞑想により垣間見えた世界は死後の世界などではなく単なる夢ゆめ幻まぼろしに過ぎない。
903 :
? :2013/11/13(水) 14:58:24.97 ID:de9tehfV
> 悟りやら解脱やら涅槃など有り難いものがあると思う事自体が間違い
> そのようなものは無く束縛も無いと思う事が涅槃である
何かが 「 ある・ない 」 と捉えようとする
「 心の働きを滅させる 」 と言う事だと思います
渇愛を滅させて → 無明滅するが故に行滅し、行滅するが故に識滅す
_ _ _
漢訳 第一義空經
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html …
… 此の陰滅し已らば異陰相續す
俗數法をば除く。耳・鼻・舌・身・意も 亦是の如く説き 俗數法をば除く
俗數法とは
謂ゆる此れ有るが故に彼れ有り。此れ起るが故に彼れ起る
無明に縁りて行、行に縁りて識、廣説乃至純大苦聚集起るが如く、又復た
− これに対して −
此れ無きが故に彼れ無く、此れ滅するが故に彼れ滅す
無明滅するが故に行滅し、行滅するが故に識滅す
是の如く廣説し 乃至純大苦聚滅す
>>902 いやいやいやw だからw
それらを否定却下しておいて、
貴方はどうやって仏教を(ゴータマブッダ本人の発言を)知ったのですか?
と、ご質問申し上げているわけですが、なぜお答えいただけないのでしょう?w
つか、何でアンカー付けないの? 発言に自信がないの?w (´・ω・`)
アンカーをいちいち付けなくとも分かるでしょう。 飛んだ(間が開いたもの)に対しては付けてます。 すぐ前の発言に対してもいちいちアンカーを要求する理由が分かりません。 ゴータマの発言など無いのは周知の事実でしょう。 原始仏典はゴータマの発言なのですか?口伝を弟子が思い出し、相談し書き写したもの。 逆に伺いたい、あなたはゴータマ本人の発言をどこで見たのですか?w 答えられますか?w
906 :
? :2013/11/13(水) 15:42:48.98 ID:de9tehfV
>>905 w
テキストベース(及びサンガによる伝承ベース)で論じている者に対して、
その質問は愚問でしょw
何度も、
「信頼性」「蓋然性の高さ」「大人数による検証」「文献学的類推」
に於いて、西暦2013年の現時点で、最も妥当な見解としてテキストが存在する、
という趣旨で対話してきた筈ですが?
だから、
貴方自身はどうなんですか?
【テキストや伝承に依らずに】、【いったいどこから】知った・導き出したのですか?
と質問しているわけです。 (´∀`)b
所詮、「信頼性」「蓋然性の高さ」「大人数による検証」「文献学的類推」といっても伝統仏教内という枠内での話しw そのような枠に頼ってテキストを一字一句そのまま鵜呑みにする事こそ伝統だから蓋然性も高い〜というのは身内だけ で認め合っていて下さいね〜という事。 伝統仏教が言うのだから間違いない、業報輪廻転生こそ仏教の前提であり土台であり、これを認めない人間は仏教を説くな〜 と言う姿勢は傲慢この上ないものと思います。
>>908 いやいやw
だから、そうじゃなくてwww
テキストに依らないなら、貴方はどこで仏教を(ゴータマブッダ本人の発言を)知ったのですか?
とお尋ねしているのですw
業報輪廻転生は単なる信仰。 だが、この信仰を受け入れるものだけが仏教徒であり、受け入れないものは外道。 外道は仏教を語るべからず〜として伝統枠にしがみつく事が仏教ですか?w 生きた人間は誰一人として死後の世界を説けない。 その生きた人間が説く業報輪廻転生が妄想でなく真実とどうして言えようか? 業報輪廻転生を説くものは全て偽者であるゆえんです。
>テキストに依らないなら、貴方はどこで仏教を(ゴータマブッダ本人の発言を)知ったのですか? 原始仏典に依りますよ。依らない、と誰がどこで言いましたか?
ちがうんだよ、 仏教自体が信仰ということ。 なぜ、輪廻と仏教を分けるのか・・・・? 仏教とは、現実論じゃなくて、宗教なんだよ そこには一般常識外の理念がある。 それを信じられなければ、仏教という宗教をやるべきではない。 一方でそういう理念を否定しながら、もう一方で仏教にしがみつくという・・・・ とても滑稽なことだよ。 なんでこんな愚かなことしてんだろ。
>>912 輪廻の概念自体は仏教以前から存在していたよ
だからそれを認める認めないが仏教徒かそうでないかの線引きにはなり得ない
>>912 >なぜ、輪廻と仏教を分けるのか・・・・?
輪廻転生が仏教の前提である〜とするのは伝統仏教の立場にすぎません。
死後の世界や輪廻転生を仏教が説くのは方便であるとする立場もありえます。
業報輪廻転生を前提とする伝統仏教だけが仏教のあり方ではありません。
伝統仏教だけが仏教である〜と信じて疑わないのが愚かと思います。
諸行無常=諸法無我=涅槃寂静(=諸法無我=諸行無常) これを十分理解して身で観じ、日々の生活の中でも忘れずに居る事 これが仏教の悟りの根本です、簡単なんです それを解説するテキストは膨大なんですがw
>>914 輪廻転生を暗に許してしまうと、サイクルには終わりが無いと言う事になります
それは仏教で言う諸行無常・諸法無我に反することになって涅槃は寂静では無くなるのです
>>916 サイクルには終りがあり、何億年か何兆年か経って無明が滅びた時に滅して涅槃に至る〜
それまでは輪廻転生しつづける。
地球が滅んでも他惑星に転生する〜等と主張する人も居ます。だから無我と矛盾しないとw
いつかは(無明が滅んだ時)涅槃に至るのだから〜それまでは輪廻転生し続けるとw
それと、仏教は厳密には信仰ではありません 哲学的概念を基本とした生活法です 信じていなくても行いが即してれば良い結果を導くことが出来ます 信仰では信じて行わなくてはなりません そこんとこが本来の仏教では全然違うのです 単なる考え方ですから仏教は
>>917 輪廻転生の証拠が人間には確認出来ませんよね?あなたは確認できますか?
私はその証拠等を見たことがありません
仏教的には「わからないので放って置く」のが答えですw
人間だものw
>>911 いやいやいやw
原始仏典は、妄想に取り付かれた伝承者が編纂継承したものじゃなかったんですか?w
自分で妄想のレッテル貼って却下したものに依ってるんですか?滅茶苦茶ですねwww
921 :
神も仏も名無しさん :2013/11/13(水) 17:36:19.88 ID:TrRb+s2Q
>>897 学者が輪廻を否定してるんですか?へー、信じられないなあ。何のために否定するんでしょうね。
そもそも、輪廻あるなしより、「誓願自浄心」が仏教だからなあ。「科学的にない」「自分で分か
らないからない」とか言うのかな。
そ
>>919 証拠が無いから認めないのは唯物論者であり仏教の立場とは異なる〜となります。
まあ、業報輪廻転生などの妄想に浸るのはもっと仏教からかけ離れたものには違いないとは思います。
無記で問題にしないのが仏陀の取られた素晴らしい姿勢。
形而上の世界をあるともないとも言わず、両極につかず〜こそ中道であり仏教の仏教たるゆえんです。
>>922 >証拠が無いから認めないのは唯物論者であり仏教の立場とは異なる〜となります
ともならないのは貴方が良くご存知のはずw
唯物論を否定出来る仏教を本当にご存知ならばね
されば論争も起こらないでしょう
>>920 そのとおり。
原始仏典といえども一字一句そのまま信じる訳にはいかないと言っています。
後代の付記、仏陀の神格化等を一字一句そのまま鵜呑みにせず、仏陀の真意を
汲み取る姿勢こそは重要であると思います。
私も何度も言っていますがねえ。
原始仏典に依らずに何によって仏陀の真意が探れますか?
私とあなたの違いは、あなたが一字一句そのまま鵜呑みにするのと、私が後代の付記や仏陀の神格化を
除いて読む違いです。あなたは伝統枠内で私は伝統枠外だからw
925 :
神も仏も名無しさん :2013/11/13(水) 17:50:42.81 ID:TrRb+s2Q
普通の仏教徒・・・輪廻はまああるよね、サイモンの曲の「at the zoo」とか聞いてもありそうだし なんかインテリっぽい仏教徒・・・「人間には確認できない」から分からない 仏教徒なのかどうか分からない人たち・・・輪廻はない 一般人・・・どうでもいい、千の風になると思う
>>924 ではお聞きします
>原始仏典といえども一字一句そのまま信じる訳にはいかないと言っています
>後代の付記、仏陀の神格化等を一字一句そのまま鵜呑みにせず、仏陀の真意を汲み取る姿勢こそは重要
これの具体的な方法は?
何を基準に正否を判ずるのですか?
これを誤ってる人が実に多く、その結果が膨大なテキストな訳ですが
>>926 並川孝儀博士の著作『スッタニパータ―仏教最古の世界』(岩波書店)は信頼できるものと思います。
もちろん、後代の古層以降に輪廻が積極的に語られるのはそれが真実だからという反論も承知しています。
要は、色々な著作を読み何を信じるのか、その取捨選択は個人によるものです。
私個人の判断基準は形而上の事を具体的、積極的に説いているものは非と判じます。
>>927 残念ながら大間違いです
仏教は読書感想の品評会ではありません
実践可能な方法なのです
行い無くしては仏教と言い難く、それはただの戯論に過ぎないでしょう
>>928 ではお聞きします
あなたは一字一句鵜呑み派ですか?
それとも何らかの基準で正否を判ずるのですか?
前者ならば結構ですが後者ならば何を基準に正否を判じますか?
>>927 因みに、読書を行の様に捉える宗教の現代の代表格は
幸福の科学 ですw
教祖様が日蓮さんやら色んな亡き著名人を呼び出して講釈垂れさせてたりしてますw
>>929 >後者ならば何を基準に正否を判じますか?
説の通りか否かを自灯明法灯明で行じ判ずるのです
お釈迦様の遺言だった筈ですよ?
つまり、あまりに人間離れしてる説(経典やその他のテキスト)はその時点でオミットされるのです
>>931 で、業報輪廻転生は自灯明法灯明で行じて信じると言う訳ですね。
まあ、それはあなたの信仰ですから否定はしませんよ。
戯論とは業報輪廻転生など形而上の事を妄想する論です。
私は形而上の事について無記で中道である事こそが仏教の仏教たるゆえんであると思います。
>>932 >業報輪廻転生は自灯明法灯明で行じて信じると言う訳ですね
誰かと勘違いされてませんか?
私は輪廻は信じておりませんし仏教を信仰とは考えておりません
輪廻を信じられないのは確認の術が無いから信じられないって事です
有るのか無いのかは私も無記の立場です
934 :
? :2013/11/13(水) 18:32:12.53 ID:de9tehfV
>>932 それと、中道をぶるのも結構ですが
形而上の考察ばかりに捉われても行けないと教えに有ったはずです
>>934 それが仏教が信仰である、と言う根拠には乏しいですね
信仰と仏教は本来別のものであり、スッタニパータ等に出てくる信仰とは
信念とかの意味で使われてたりしています
所謂宗教的な信仰とは違うと
信念や信条って信じて事ですよね 仏教が判ずる本来の信仰とはそう言うことであって 仏教自体は方法論なのであって信仰では無いのです 信じるか信じないか、信じれるのか信じれないのかは 仏教的には二の次の問題であり 第一義に来るのは正しいのか正しくないのかであり それを判ずる為に行ってみるのです そうして真っ直ぐ進みなさい、とお釈迦様はご臨終の際に申された筈です
>>936 (
>>937 )
その場合の「信仰」は、『一神教的信仰』或は『現代社会でも見られる民間信仰』等をイメージしてるでしょ。
仏教に於ける「信」(信戒定慧の信)とは違うってのは解ってるよね?
勿論、浄土系に於ける信は、大きく【所謂】“一般辞書的”「信仰」に近似してゆくけれども。
939 :
神も仏も名無しさん :2013/11/13(水) 18:48:57.69 ID:6tLtSEzx
>>919 >輪廻転生の証拠が人間には確認出来ませんよね?あなたは確認できますか?
>私はその証拠等を見たことがありません
また譬え話ですが、貴方はある山の麓にいます。その山の頂上から見た景色は絶景との噂があります。
ふと下山してきた人がいました。彼は貴方に「このルートに沿って登れば、安全に頂上に行けるよ。そりゃ、絶景だったな。」と言いました。
貴方は頂上に行ったことがないので疑いました。
また下山してきた人がいました。彼は貴方に「このルートに沿って登れば、安全に頂上に行けるよ。そりゃ、絶景だったな。」と言いました。
また貴方は頂上に行ったことがないので疑い、そのルートは登らないことにしました。まもなく下山しました。
釈尊は八正道の実践と正しい禅定を続ければ、前世を想起すると説かれた原始仏典があります。
ふと本スレの住人の一人が言いました。「瞑想を続ければ、前世位は見えてくるよ。7代も見れば皆ブラックで嫌になるよ。」と。
貴方は八正道も瞑想も行ったことがないので疑いました。
また別の住人が言いました。「瞑想を続ければ、前世位は見えてくるよ。君も瞑想すればやがて分かるようになるよ。」と。
また貴方は八正道も瞑想も行ったことがないので疑い、実践せずに「前世などない」と連呼を続けました。
日本の各宗派の祖師方が口伝だけでなく真筆でも「前世はある」と残しました。
貴方は祖師方が嘘をいっているのではと疑いました。。。譬え話は終わりです。
疲れたw
>>パーピ
>>924 のどこが愚かしい話か(=御隠居と完全一致の勝手読みか)指摘してやっといてくれ。
得意だろ?wそういうのwww
あとで、図示はしといてあげようかと思ってるけど。 (^^;
941 :
神も仏も名無しさん :2013/11/13(水) 18:58:49.59 ID:6tLtSEzx
>>921 >学者が輪廻を否定してるんですか?へー、信じられないなあ。何のために否定するんでしょうね。
少し考察してみましょう。
学者は論文を書きます。論文には新しい見解がMUSTです。
学者は本を書きます。本にも新しい見解がMUSTです。
もし和辻博士や並川博士が「釈尊は輪廻を説いた」というお題で論文を書いたら如何でしょうか。
アホ、馬鹿、アホ、馬鹿、アホ、馬鹿、の不名誉な罵声を浴びるだけでしょうね、多分。
有名な話ですが、「犬が人に噛みついた」のはニュースになりませんが、「人が犬に噛みついた」のはニュース性があります。
942 :
神も仏も名無しさん :2013/11/13(水) 19:07:46.97 ID:6tLtSEzx
>>939 >ふと本スレの住人の一人が言いました。「瞑想を続ければ、前世位は見えてくるよ。7代も見れば皆ブラックで嫌になるよ。」と。
実は日蓮聖人も同じようなことを残しておりますよ。
「四条金吾殿御消息」
日蓮過去に妻子、所領、眷属等の故に身命を捨てし所いく幾そばく許かありけむ。或は山にすて、海にすて、或は河、或はいそ等、路のほとりか。
然れども法華経のゆへ、題目の難にあらざれば、捨てし身も蒙る難等も成仏のためならず。
あれほどの聖人でも前世は皆ブラックだったそうですから、我々もめげづに現世以降に期待してできる範囲で精進致しましょう。
>>938 信戒定慧の概論自体は中国製だったんじゃないですかね
源流は唯識瑜伽行派とかアビダルマなんかが辿れるみたいですけど
944 :
? :2013/11/13(水) 19:14:37.11 ID:de9tehfV
> 中道である事こそが仏教の仏教たるゆえんであると思います
↓ これが中道・中観の意味かも
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama18.pdf 第十八章 自己と実在物の考察
2.
もし自己というものがなかったら自己の特性はどこに存在するのだろうか
自己とそれに属するものとの寂滅によって
人は「私」と「私のもの」とに基づいて固執する(掴む)ことをやめるのである
3.
「私」とか「私のもの」というやり方でとらえない者は
その者が存在していないのである
彼(その者)は知覚しないのである
4.
内的にであろうと外的にであろうと「私」と「私のもの」という観点が消滅するとき
自己に固執する者(取著)は消滅する、これが消滅すると、誕生することも止まる
5.
行為と苦悩(煩悩)が消滅したところに涅槃がある
行為と苦悩は概念的思考から生じてくる
これは心的に作り出されたもの(戯論)に由来するのである
作り出されたものは空性によって消滅する
>>939 >釈尊は八正道の実践と正しい禅定を続ければ、前世を想起すると説かれた原始仏典があります
それ諸行無常・諸法無我・涅槃寂静に反していますよ?
特に「前世を想起する」の部分が破仏法です
そもそも八正道には禅定も含まれます
八つの正しい行いをするための道の一つが禅定でも有る訳ですから
>>944 読書感想品評会と引用合戦はやめて、ご自分の考えと言葉で語りませんか?
引用しか出来ないのは理解出来て無いからで、理解できるまでは論争は避けるべきだと思います
947 :
神も仏も名無しさん :2013/11/13(水) 19:25:16.30 ID:6tLtSEzx
>>945 >特に「前世を想起する」の部分が破仏法です
データを作ったパソコンが古くなって廃棄しても、新しいパソコンでそのデータを読むことはできます。
パソコンは無常で無我ですけど。。
948 :
神も仏も名無しさん :2013/11/13(水) 19:26:35.64 ID:6tLtSEzx
>>947 因みにパソコンも諸行や諸法の中に含まれております。
>>947 人間に再起動や再インストールが可能とでも?w
私は自分のキャッシュや履歴を一切消してやり直したいとは思った事有りますがw
記憶喪失は除外して不可能でしょう
瞑想で垣間見る世界が何故生前、死後の世界の実在で有りうるのか? そのようなものは全て妄想である。 妄想に堕ちて論ずるものを戯論という。 死後の世界を語る事は出来ない。 死者は語れないから。 語れないのに業報輪廻転生を説くのは間違いである。 業報輪廻転生を説くものは全て偽者である。
>>950 同意します
語るのはいいがあくまでもお遊びの範囲であり
それは仏教ではないと私も思います
>>933 だから・・・、無記じゃないってば
無記は勝儀についてであって、あの世や来世については、
一般的に経典で語られてるんだってば。
もう無記の段階で間違ってるよ
なんか、勝手に 「仏教は〜いうものだ」 って、決め付けてる人がいるよね あたかも自分が、仏教を完全に理解したかのように・・・・ あの世、来世は仏典において語られている。 これが一般的な仏教。 その上で説を唱えるなら、それはスタンダードな仏教じゃないから、「自分はこう考える〜」 的な言い方にしないといけない。 それをあたかも、「仏教というのはこういうものだ〜」 と、頭ごなしに自分の判断で仏教を論じてはダメだよ。
>>950 永遠不滅のものは無いと言うのが仏教の立場であり
輪廻自体を否定しなかった釈迦のお立場の本来は
生存中の人の心の流転の事が残されているために
輪廻自体を否定しなかったと私は考えています
永遠不滅のものは有りえないのが釈迦の立場だったので
永遠に続く命とかは有りえないのです
ただ、私が思うには
時間の概念は時が下っても流れているんじゃないかと思っているので
これは永遠なんじゃないかと思ったり思わなかったりw
空間も消滅し切る事は多分人力では不可能だし自然科学では
空間あっての自然科学なので・・・
仏教の本当の難しい難題だったり
>>952 無記だったことと、三法印の事と
>あの世や来世については、一般的に経典で語られてるんだってば
は矛盾してると気付けませんか?
縁起に照らして矛盾してる事は仏教じゃないと思います
仏教を名乗ってるところが多いのは事実ですが
>>954 ビッグバン以前に世界はあったのか、宇宙は将来滅するのか?
あるのかないのかの存在論こそ形而上の象徴的問題。
死後の世界や輪廻転生も当然形而上。
そのような問題を議論しても無駄で益が無いと、判断を中止したのが仏陀の無記。
過去を後悔せず、未来を心配せず、今のあり方に焦点を当てよとしたのが仏陀のすばらしいところだと思います。
>>953 釈迦が気付き、考え、語ったことが全てであり
仏教本来の原義になる筈なんですが、違うんですか?
経典第一主義は捨てるべきであり、経典はヒントに過ぎないのです
何故経典第一主義ではダメなのか? 釈迦は菩提樹の下で悟りを開いた時に「経典は使っていない」からです 経論や呪文や特別な器具類を用いずに悟りを開いたのが一応の事実と伝えられています で、スジャータさんに乳がゆを貰って食されたからコーヒーミルクの代名詞がスジャータだったりw
劣化御隠居か・・w
>>957 >経典はヒントに過ぎない
どうせまた 「『上から目線』には応じない!」 とでも言うんだろうが、 お二人とも、一度でいいから、仏典を(―斜め読みでなく―)ちゃんと読んでごらんよ・・(^^; こういうとまた『輪廻がー輪廻がー』叫びだすんだろうがw、 例えば長部大念処経などを読んでも、「瞑想=輪廻」なんて馬鹿げた判断は出てこない筈なんだがね・・・。 末法とはよく言ったもんだな・・・ ┐(´ー`)┌
「仏典に俺の嫌いな輪廻が説かれてあって、あー悲しい」 って素直に言えばいいのにな〜。
963 :
神も仏も名無しさん :2013/11/13(水) 20:03:23.68 ID:EvRsYdZp
素人の横レスですが、ここでの論争や議論を読むと実に仏教が日本に馴染んで日本人の 考え方に影響を与えているかよく分かります。 経典に書かれていることについて色々な人が色々な解釈をしていること。 これはまさに今の政治家の行動様式と酷似している。例えば憲法の解釈。 原始仏教のスッタニパータが日本の仏教界に伝わらなかった事は痛恨事の様に思います。 スッタニパータの漢訳の無い曖昧な土台の上に建てられた教理であり、聖徳太子以降の 奈良平安鎌倉仏教の全てを根底から覆す痛恨事の様に思います。 まるで新約聖書のないプロテスタントの様なものと言えばよいでしょうか。 伝来して履いたが軽んじられていたダンマパタ(法句経)と漢訳さえ伝わらなったスッタニパータ。 これら釈迦の言葉を比較的正確に伝えていると思われるこれらの経典無しで発展した日本の 仏教徒はどう考えればよいのでしょうね? 天竺から伝わり中国で漢訳されたお経をサンスクリット語の原典と比較すると相当意訳されていた と言われています。 この辺のことについて現代の仏教会ではどの様に議論されているのでしょうか?
964 :
神も仏も名無しさん :2013/11/13(水) 20:07:51.80 ID:TrRb+s2Q
>>941 しかし、どういう根拠でそんなこと主張できるのですかね。そもそも、そんなこと
思いつかないのですが・・・。逆に、そんなこと主張するほうが「あほ・ばか」と
いわれることになりそうですが・・・。
965 :
? :2013/11/13(水) 20:11:58.02 ID:de9tehfV
>>946 ID:BBCwaDpy さんへ
> 読書感想品評会と引用合戦はやめて、ご自分の考えと言葉で語りませんか?
> 引用しか出来ないのは理解出来て無いからで、理解できるまでは論争は避けるべきだと思います
「 自分の考えと言葉 」 が正しいとは限らない( ← 間違ってる事の方が多いと思ふ )
ID:BBCwaDpy さんの場合は
引用せずに仏教のどの部分に興味があるんですか?
又は、引用せずに仏教のどの部分に対して否定的なんですか?
どの部分に興味があり、どの部分に対して否定的なのか聞かせてください
. 御隠居 伝統説 ↑ ↑ \ ./ ┐ ( ? ) 追体験 .| . \ 伝承、行 | ・・・・・・ 違いは、ココ。 .\ / ┘ Y ↑ テキスト ↑ 文字化 ↑ 孫弟子 ↑ 直弟子 ↑ ブッダ
>>965 >引用せずに仏教のどの部分に興味があるんですか?
悟りの獲得とその維持だけですね
>又は、引用せずに仏教のどの部分に対して否定的なんですか?
縁起の理法に照らして矛盾が生じる全ての仏典や教義ですね
968 :
? :2013/11/13(水) 21:08:24.42 ID:de9tehfV
>>966 ID:wyTrYgnq セブン先生かしら?
「 戒定慧を実践してない 」 と言う意味で
「 隠居先生と私(ID:de9tehfV)は同じ系列である 」 と言う意味かしら?
>>966 追体験は一旦置いといて
伝承と行無くして仏教は無し得ないと思われます
その伝承が図書館だろうと何だろうとそれは問いません
それを踏まえて行無くして伝承のみだったら
それは単なる仏教学に過ぎないと思います
残念ながら仏教を学問するだけでは
獲得すべきものが永遠に解らないままに終わりそうです
仮に、学問の側面だけ追求してたとして、悟れないのか?
と言われてそれも否定できないのも本音ではあります
中村元氏は死ぬまで仏教学的見地での学究肌の方だったそうですが
晩年は何かを悟られつつありそうな著作を残されてたと思います
現代の神秘体験だって眉唾もので現代人は誰も信じないのに、 大大大大大・・・大昔の会ったこともない人の神秘体験の話を 何故、ここの住民は簡単に信じられるのか?・・・・ 理解不能で不思議〜〜(*´・ω・)(・ω・`*)ネー 正気の沙汰ではないよ、どう見ても。 やっぱり、おいしい宗教商売・食べるためにやってるんだねぇ〜 仏陀も人間、食べなければ生きられず死ぬしかありませんでしたとさ。 皆、同じさ(*´・ω・)(・ω・`*)ネー
>>970 縁起の法は神秘体験なんかじゃありませんよ?
あなたも容易に確認が取れる身の回りの事も含まれた現実です
参考までに「縁起」でWikipediaからでもご覧になられた方が良いかもしれません
それが仏教の根幹であり、釈迦の最大の功績です
世に出回ってる多くの仏教教団は正直言ってインチキだと思います
>>954 >時間の概念は時が下っても流れているんじゃないかと思っているので
>これは永遠なんじゃないかと思ったり思わなかったりw
時間も、涅槃に入れば滅するよ。
なぜかというと、時間とは行の変化(無常)のことなわけだけど、
物事の変化を見てとるためには、その物の自性(ものそれ自体)が必要だから。
で、涅槃入りして無明が滅すれば、自性も消えるから、変化も消える。
涅槃が常住とか虚妄ならざる法と言われる由縁さ。
縁起の理法にのっとるなら、輪廻は必ずつきものだよ〜。 縁起によるってのは、一切は原因を持つ(作られたもの)ってわけだから。 輪廻を説かないと、現世の生まれの原因を神や偶然などに委ねることになり、 縁起の理法に例外を許すことになる。って、何度目だろこの説明。
>>973 「時間が涅槃に入る」…?
要は、時間っていうのは、実在するものじゃなくて、無明が作り出すものってことさ。
だから、無明が滅すれば、時間も必然的に滅する。
時間も縁起の産物ってことね。
>>974 仏教の輪廻は人の心の有り様を言ったまでであり転生論的なものの事ではない筈です
>>968 まあ、そこまで卑下するなw
初期と違って、引用幅の広さ(及び的確さ)が加わってきてるんで、
少しは成長の跡が見えますよ。
実践が足りないのはワシも同じだから。
*(このシリーズ(というか各種仏教スレ)で、唯一
実践を踏まえている(と自称していい)のは一代だけだと思うよw)
>>975 >時間っていうのは、実在するものじゃなくて、無明が作り出すものってことさ
無明って迷いの事の方の無明ですか?
とすれば時間は迷いが作り出してるのですか?
時間が実在しないってのも始めて聞きましたw
>>972 ↑
の自性に付いても、概論としては「自性が無い」から有限だった筈なんですが・・
>>978 > 無明って迷いの事の方の無明ですか?
> とすれば時間は迷いが作り出してるのですか?
そう。つまり、ほんらい実体のない現象や物事を実体視してしまうような元となるもの。
もちろん、日常用語の「どっちに行けばいいんだ〜」っていう意味の迷いの意味も含むよ。
> 時間が実在しないってのも始めて聞きましたw
そうだよね。現代科学は、無明ありきで論を組むから、時間と空間が公理になるんだよ。
でも、カント辺りの哲学者になると、時間と空間は二律背反で実在を否定してるけど。
>>979 >そう。つまり、ほんらい実体のない現象や物事を実体視してしまうような元となるもの
あなたは釈迦が時間と空間については無記であったのを忘れている
それによって既成仏教が「三世十方」を言い無限の空間と時間を言い出した事も忘れている
自性とは何かを今一度お浚いされたし
>>980 時空が有限なのか、無限なのかっていう疑問自体が、
時空が実在するっていう前提のもとに成り立っているから、無記で答えたんだよ〜。
982 :
神も仏も名無しさん :2013/11/13(水) 22:34:04.19 ID:6tLtSEzx
【道元禅師の三時業の説法まとめ】 「宝慶記」☆道元、20代 仏法、若し長沙の道の如くんば、何ぞ諸仏の出世・祖師の西来有らんや。堂頭和尚老師大禅師示して曰く『長沙の道、終に不是なり。長沙、未だ三時業を明らめざるなり』と。 「正法眼蔵随聞記」☆道元、30代 また冥機冥応、顕機顕応等の四句有る事を思フベシ。また現生後報等の三時業の事も有り。此等の道理能々学スベキなり。 「正法眼蔵」十二巻本第八 ☆道元、晩年 善悪の報いには、次のどれかに当てはまる三つの決まりがある。これを三時という。 一つには、「順現報受」… 現世において報いがある場合。 二つには、「順次生受」… 来世において報いがある場合。 三つには、「順後次受」… 第三世において報いがある場合。 仏祖の道を修習(しゅじゅう)するには、其の最初よりこの三時の業報の理を効い験らむるなり、爾あらざれば多く錯りて邪見に堕つるなり。 但邪見に堕つるのみに非ず、悪道に堕ちて長時の苦を受く。当に知るべし。 20代に師(堂頭和尚老師大禅師)から聞いた「三時業」を、道元禅師は晩年に残しました。 特に「三時の業報の理を効い験らむるならざれば、邪見に堕ち、悪道に堕ちて長時の苦を受く」との説法は近代仏教学者らは知らずや。 勿論、彼らは知っていて「道元も耄碌して虚言をはいた」と嘲笑していたのかも。 逆に道元禅師は将来仏祖の説かれた三時業(輪廻)を否定して衆生を邪見、悪道に堕とす輩が現れることを予見して警鐘されたとも読めます。
>>981 わたしが説くことは説くと了解せよ
これが仏説の事
わたしが説かないことは説かないと了解せよ
これが無記の事
これに反して無記に無理やり結論をつけたらそれは断見・常見であり中道じゃなくなりますよ
>>982 鎌倉仏教からは一旦離れましょう
所詮北伝仏教ですから中華ライズされたものしか伝わってませんし
>>983 > これに反して無記に無理やり結論をつけたらそれは断見・常見であり中道じゃなくなりますよ
お、いいね〜、そのとおり。
だから、時間が実在しないっていうのも、中道ではないね。
もちろん、実在するっていうのも、中道ではないけど。
986 :
? :2013/11/13(水) 22:48:42.86 ID:de9tehfV
>>967 ID:BBCwaDpy さんへ
>> 引用せずに仏教のどの部分に対して否定的なんですか?
> 縁起の理法に照らして矛盾が生じる全ての仏典や教義ですね
例えば
瑜伽師地論(ゆがしじろん)の場合も
それ自体の自性ではなく
因と縁の依存によって
我愛と、戯論(けろん)と、善悪業によって
と縁起によって
仮名の空を以って説明してます
仏教経典・論書は縁起を説明する為に残されたものだと思います
_ _ _
>>977 たぶんセブン先生
> まあ、そこまで卑下するな
了解おじゃる 屮(_ ._)屮
987 :
神も仏も名無しさん :2013/11/13(水) 22:50:08.13 ID:6tLtSEzx
>>963 >原始仏教のスッタニパータが日本の仏教界に伝わらなかった事は痛恨事の様に思います。
私も素人ですが、まったく同感です。
40年以上前に師と岡崎大僧正(黄檗宗)とが対談された際に、大僧正が、
「本当の釈迦の教えを知るには原始仏典を調べる必要がある。」と仰られた言葉を思い出しました縁で
7年ほど前から原始仏典をこつこつと読んでおります。
でも、近年原始仏典が現代語でも読めるようになり、近代仏教学者らがかけた洗脳も解かれつつある
ことは末法の世がまた正法の世に還る(輪廻する)吉祥かと見ております。 合掌
>>980 そりゃ誤読杉だろwwwwww
>釈迦が時間と空間については無記であったのを
いったい、どこからそんなトンデモ説がでてくるんだ?w
十無記十四無記の中にも見られないぞw
989 :
神も仏も名無しさん :2013/11/13(水) 22:56:15.50 ID:IgSmYfKH
>>982 <犬に仏性があるでしょうか?>
この問いに、趙州和尚は、一方では<無>と応え、
他方では<有>と応えておられます。
一在家はどう思うか?
>>986 >仏教経典・論書は縁起を説明する為に残されたものだと思います
全てがそうならば誰も迷うはずは無いし、教団維持の為に養分に成り下がる人も居ない筈です
そして本当に上記の通りなら、本尊も題目も印形も真言も念仏も曼荼羅も仏像も出なかった筈です
まあ、仏像位は「仏様のご尊顔をなんちゃってでも良いから拝みたい」って純真な渇望を満たす為に良いかなとは思いますがw
991 :
神も仏も名無しさん :2013/11/13(水) 22:57:44.67 ID:6tLtSEzx
>>984 >所詮北伝仏教ですから中華ライズされたものしか伝わってませんし
中華ライズ:「我に非ず」を「無我」と誤訳
学者ライズ:無我と輪廻とは論理矛盾、よって輪廻は方便
現代の日本仏教界の現状を逆観してみました。
あと因としては、菩薩候補者向けの中論を、対象読者以外が読んで悪見に堕ちたことでしょうか。私見ですが。
992 :
神も仏も名無しさん :2013/11/13(水) 22:59:52.44 ID:IgSmYfKH
最低限度、岩波文庫の中村本程度は読んだ者が参加して欲しい。 読んでいないものは、質問箱で学習されてから、ここへ来てください。 馬鹿レスが多すぎます。
>>988 十四無記の何をあなたは読んでるのかw
常・無常
有辺・無辺
常無常が時間の事
有辺無辺が空間の事
これらを仏は無記とされたでしょ
994 :
神も仏も名無しさん :2013/11/13(水) 23:01:50.14 ID:6tLtSEzx
>>989 ><犬に仏性があるでしょうか?>
人には仏性があります(法華経、他)。
人から犬に転生した犬と、最初からの犬とがいます。
よって趙州和尚の御回答と私は同じです。
995 :
神も仏も名無しさん :2013/11/13(水) 23:05:51.13 ID:IgSmYfKH
>>992 仏性が心の事を言うなら、私なら「有」なんですが
禅宗的には「無」なんでしたよね
犬も猫も夢は見てる様なんで心も有るんじゃ無いかと私は思っています
>>993 へぇw
全文挙げてみてよ。
どこに、 『時間は・・・』 『空間は・・・』 と書かれてるのか。
別に和訳でも構わんよ。
998 :
神も仏も名無しさん :2013/11/13(水) 23:07:47.54 ID:IgSmYfKH
>>994 仏性の存在証明および仏教上の有無につきコメントせよ。
999 :
神も仏も名無しさん :2013/11/13(水) 23:08:37.92 ID:IgSmYfKH
自分で確かめたのか?
1001 :
1001 :
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