>>491 また巧妙に、微妙にズラした形で回答しますねぇ・・・w
(ま、そのようなテクニックは釈尊以来正当な伝統であるわけですが・・・。)
(
>>497もそうだが・・・w 相変わらずだ。 貴方も十分“机的”ですよw)
>同一性はただの妄想で・・・
それは何度も聞きました。既に耳タコですw
489に於いては、「決定論的かどうか」など問題ではありません。
そのような誤解を防ぐための付言です。
(しかも、まるで私が「縁起は決定論だ」と発言したかのような言い草には、少し腹が立ちましたね・・。)
問題は、(貴方にお聞きしたかったのは)、
≪間断なく連続し、前の“行為の潜在力形成力”(=業)により、
或る一つの「“その業”からは“コレ”しかない」という意味での「それ以外のもの・こととならない」という
ただ一筋の流れが見られるから、同一性は無いが「自業自得」が成立する≫
という言明が妥当かどうか?ということです。
>>495に言うように、(正法眼蔵では薪と灰の関係、前後際断せり、でしたか?)、
或いは蝋燭の燈火の喩えもありましたでしょうか・・・。