【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】11
おそらく一直線とはならず、枝のある形・複数経路の離散集束のある形かもしれないが、
これらを時系列的に(ドミノ倒し的にw)因果の連鎖として並べることは不可能ではない。
(勿論、その先頭(最初のドミノ)に「前世の悪業」を持ってくることも・・・。)
そして、このような時の因果の拾い上げ方が、
法律上の解決、保険制度上の認定基準、運行システム・体制・制度等鉄道会社の予防策、
“遺族の納得”等等、目的(行う作業)によって変わってくる。
当然、宗教的(仏教的)な拾い上げ方もあるだろう。(それが前世の業かどうかは別にして・・・。)
いずれにしろ、「並んだドミノの駒を、【どのように拾い上げるのか】」が肝となる。
この「拾い上げ方」を(枝の無い一直線のものとして)巧みに利用しているのが、霊感商法等の行為なのだろう。
※おそらく、これを ≪拾い上げるのでなく、並んでいるドミノを並んでいるままに、そのままに見る≫
というのが、仏教的視座となるのだろうし、(いや、ここまで来たら、ドミノという捉え方からして顛倒妄想か?w)
そのスパンを永く永く捉えれば、輪廻の中にある因果の連鎖ということになるだろう。
(その意味で、今生のみを見て拾い上げ、輪廻を捨てる行為は、伝統仏教からすれば外道であり断滅でしょう。
伝統的な仏教という枠で考えるならば・・・。)
また、拾い上げる基準を、
常に【善なること、良き未来へ繋がること、教訓となること、涅槃に資すること】という設定にするのが、
仏教的な拾い上げ方なのかもしれない・・・。
(※「善なること」とは、《自己・他者問わず「ためになること」「害とならないこと」「苦(の因)とならないこと」
「(未来を志向する)向上(の縁)となること」》等と言えるだろう。)