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さて、或る因或いは縁により「A」が生じているとする。この「A」の業(影響力(行為))が「a」を生じさせるとする。
「A□→a◇」という図式を設定して見る。□◇という事象にA(Aさん)やa(aさん)というラベルが貼られていると考えていい。
(間はちょっと省略するけれども、間断なく連鎖していると見てほしいw)
ここで普通の考察は≪「A→a」が繋がっていることがなぜ担保できるのか?≫というものになる。
だが、ここで、上記の前提を思いだして欲しい。A(Aさん)やa(aさん)は便宜上のラベルであり、
つまり、図式はこのようになる、と。『□→◇』。これが、縁起としての原則となる。
そして、
≪「□は、Aと仮設されるものであり」「◇は、aと仮設される」。だから、「A→a」は成立する≫、
こういう考察順序となるわけだ。
≪《「A→a」ありき》ではなく、《『□→◇』》であり、それぞれ《「□はA」と見做され「◇はa」と見做される》≫から、
≪「A→a」が担保される≫、と。(→この意味で≪「A→a」を担保するのは『□→◇』(縁起)である≫と・・。)
※(また、この矢印は間断なく続くもの故に時制の楔を外し得る。
たとえば、昨日と今日の境目はどこか?成人と未成年の境目はどこか?
春と夏の境目はどこか? そして、事象として『□→◇』なれば、「A→a」が後付けのラベルなれば、
時制で区切られることにあまり意味はない。三世を跨いだとしても、昨日と今日とでも事情は一緒である。)
とまあ、
こういう説明では如何なもんでしょうか・・・w >> 前スレ834、最終ID:FqGqSr5Z
オソルオソル…
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|ノ