>>106 > 片山先生は当然上の議論を承知の上で伝統解釈に従っているというだけの話。
>>103の
> 伝統的註釈師たちは,この場合の“tathAgata”を「如来」と解さず,
> つねに“satta”(生けるもの),あるいは“attA”(我)という語をもって説明した
は、パーリ仏教での伝統的註釈はこうだ、という“事実”を紹介なさった、ということでしょう。
また、“様々な場面”を対象としたものでなく、“十難無記に限定した”伝統的註釈です。
その伝統的註釈をどう捉えるか、には片山先生も言及されていません。
そうした、註釈の当否に関する判断とは別にして、
紹介自体は、スレを読む方への情報提供として、意義のあることと考えます。