【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】13

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980 考える名無しさん sage 2007/09/26(水) 15:35:06 0
(続き)
【福田康夫さんの私は本当は元麻生太郎さんだった体にあるかもしれないし、
元福田康夫さんだった体にあるのかもしれません。あるいは、死んで【霊界】に
帰っているかもしれないし、ひょっとすると、全然関係のない小沢一郎さんの
体や犬の体に、麻生太郎さんの私と【同居】しているのかもしれません。】なにしろ、
【精神も意識も記憶も肉体も関係ないのですから、それでも一向に不思議ではない】のですがw、
とにかくどこにあるかは客観的に定まるわけです。

このような考え方をするなら、「時が経過しても、私は他人に変わる事は無いですし、
過去においては他人であったという事もないでしょう。」などとは言えません。
現に、精神も意識も記憶も肉体も関係のない純粋な私の存在性、「魂」が見える、と
主張する人々は、「私は誰々の生まれ変わりです」とか「あなたの前世は誰々です」とか断言します。
【つまり、私は過去においては他人だったし、時間が経過すれば他人に変わる】、ということです。
【「記憶がなくなろうと肉体が違おうと、客観的に魂が同一なのだ」と言われれば、
「はあそうですか」と答える以外はありません】。
率直に言って、私はこのような考え方に意味を感じることができないのですが、
若い人の中にはかなり普及している考え方のようです。「自分はどこどこの宇宙の
誰の生まれ変わりである」とか真面目に信じている人も少なくないと聞きます。
以前あるテレビ番組で見たのですが、いわゆる「魂の来歴が見える」方に
「あなたの前世は動物です」と言われて、それを気に病んで自殺した人も現実に
いたそうです。
このような話を聞くにつれ、現代において唯物論が優勢だなどとは一概に言えない、
ということが、よくわかるわけです。