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959 考える名無しさん sage 2007/09/26(水) 10:27:58 0
>> 914
>もし分割されると同時に一方が粉砕滅却されてしまうとしたら、
>そしてもし運悪く、その砕かれてしまう側に私が残っていたとしたら、
残っていた「私」が、いつの時点のどの「私」を指しているかが問題なわけです。
この話には、3つの「私」が出てきます。
「時刻t1における私A」「時刻t2における私B」「時刻t2における私C」
の3つ(3人)です。「Aの体が分裂してBとCになる」わけです。
そして、私Bと私Cは、どちらも「自分は時刻t1においては私Aであった」
という記憶を持っています。
ここで、時刻t1において、私Aに対し神様が「あなたはこれから分裂して私Bと私Cに
分かれる。そして一方が粉砕滅却されて消滅する。さて、あなたはどちらになると
思うか?」と尋ねて、私Aが「ああ、どちらになるのだろう」と心配するが、
実際どちらになるのかはやってみなければわからない、不思議だ、というのが、
永井均氏などがよく出す例なのですが、これは考えるとおかしいのです。
なぜなら、時刻t1においては、存在するのは私Aだけであって、私Bも私Cも
存在しないからです。そして、時刻t2においては、存在するのは私Bと私Cだけで
あって、私Aは存在しません。
私Bと私Cは記憶が同じというだけで全くの他人ですから、私Bが粉砕滅却されても
私Cには影響がないし、逆も同じです。(福田康夫さんが粉砕滅却されても麻生太郎
さんに影響がないのと、同じことです。)
では、私Aには影響があるかというと、あるはずがありません。なぜなら私Aは過去
であって、時刻t2においては「存在しない」のですから、存在しないものがどんな
影響も受けようがないのです。