【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】13

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あ、その前に一つ。
ID:z/ZHfGLg さん(及びID:9yF3bLrHさん)サイドから一言挟めば、

≪「縁起する」ということ、「業(果)が継承される」ということ≫は、(決定論的(運命論的)にということではなく!)、
≪「それしかない展開・連鎖・因果の転回の様」として、あたかも《「一本のラインの如き」継承の流れ》≫
であるからです。それ以外のラインとなったり、複数のラインとなったりしないのです。
 ※((【自分が】)石灰のラインマーカーを押し、線を引いている図を想像してください。
   このとき、自分の前にある車から石灰により線が引かれていますが、この線を外れることが無いようなものです。
   そして、前方(未来)には、未だ線は引かれていませんし、どのような線になるかも決まっていません。
   この意味で、決定論でも運命論でもありません。(後ろを振り返れば、自分の引いてきた線を見ることができますw))
だから、
≪「多義」でなく、無常であり、変転し、且つ「それ以外とはならないこと(同一性の別意)」が担保される≫のです。

 ※また、そのような一本のラインであるが故に、実は「>>488のような諸々が可能である」とも言い得るわけです。
 ※勿論、物理的にそこに「線」があるわけではありません。線のような流転・転変であるということです。


(と、ID:BYnV+gRJ さん宛として、このような説明・表現は合ってますでしょうかね・・・?  >> ID:Z1KfIecJ  )