【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】13

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29 考える名無しさん sage 2007/10/30(火) 19:33:56 0
980 考える名無しさん sage 2007/10/30(火) 10:59:11 0 (感嘆子)
@>> 21
>けれども文法的なものも含め『私』の性質を主観的な意識から捉えてみることは
>単に定義の問題だと答えるよりは望ましいものだと俺には思えます。

文意を完全に汲み取れていないので答えになっていないかもしれませんが、
【『私』の定義に《主観的な意識》であることが含まれることに】異論はありません。
個人的には【「現にこの物体(哲学者最高位という人体)に付随して存在している
主観性(の背後にある何か)」というのを】一応提案しておりますがw、
とにかく肝心なのは、『私』が「あれ」でも「それ」でもない特定の「これ」を
指す限り、「普遍化可能言語」をいくら並べても、その定義にならないことは
当たり前である、ということです。
個物の定義には他の個物が入らざるを得ません。個物というのは現実に存在する
この世界という個物の特定の一部分のことなのですから、当然です。
その個物が現に持っている性質(主観性であるとか純粋な存在性?であるとか人間で
あるとか何とか)なら、普遍化可能言語で記述可能ですが、それをいくら並べ挙げても、
その個物の定義にはなりません。
さらに、個物が現に持つ性質のどれを失ったらその個物でなくなる(その個物は消滅する)
ことになるのか、それはほとんど解釈によるとしか言いようがありません。

【最高位氏が「なぜこの体が私であって他人でないのか、この体の物理的性質から
説明できないだろう」と言われるので、「それは定義の問題だから】説明できないのは
当たり前です」とお答えしたわけです。
さらに、「私が主観性でなくなっても、この体が消滅しても、私は私として存在する
ことが可能だ!」と言われるので、「その場合の私というのはどういう意味ですか?」
とお尋ねしたわけです。無論お返事はありませんがw