【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】12

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補2: 「パーリ仏典入門(片山一良)」p119-120。

つぎに「涅槃」(nibbAna)について見よう。語義は「消滅」「寂滅」である。般涅槃が一般に入滅をさすのに対して、
涅槃は一般に煩悩の消滅、寂滅の境地をさす。その内容をことばにすることは難しいが、
小部『自説』の「涅槃に関する経」と【その註釈によって】、全体の主旨を紹介しておきたい。
すなわち、

  涅槃は勝義として存在する。
 それは依拠のないもの、生起のないもの、所縁のないものであり、苦の終りである。
 不屈の涅槃は甚深、寂静ゆえに、観察智なくして見難い。 聖道の慧により、
 四聖諦を如実に知る者に屈なる渇愛は洞察され、見る者に障碍の煩悩苦も輪転苦も存在しない。
  このように涅槃は四諦によって得られる。すなわち、
 【依止があれば動揺があり、依止がなければ動揺がない。
  動揺がなければ軽快があり、軽快があれば屈従はない。
  屈従がなければ来と去はない。来と去がなければ死没と再生はない。
  死没と再生がなければ、この世にも、あの世にも、両間にも、我執はない。
  これが苦の終りである。】
  このように依止がなく、観を修し、聖道によって渇愛を捨断し、涅槃が得られる、

と。涅槃はこのように説明されるが、その境地は自己を知り、自己から自由な者のみが知るものである。
仏、漏尽者のみの知るところ、唯仏与仏の境界である。ことばは有益であるが、限界を持つ。
真実を知らせることは難しい。たとえば、大乗仏典の『大般涅槃経』にあるつぎのような説時からも明らかである。
云々。以下略。