>>754>>768 宝珠擁護というわけではないが、前に一度名前を挙げた「南方仏教基本聖典」の訳は以下。
8.1 (因縁略)。
『「比丘達よ、このような《涅槃》がある。
すなわち、そこには地も水も火も風も空無辺処も識無辺処も無所有処も非想非非想処もなく、
この世、あの世もなく、月日の両者もないものである。
比丘たちよ、私はその涅槃に、
《ある世界から》来る《とも》、《ある世界へ》行くとも、《ある所に》とどまる《とも》《説かない》。
《死ぬとも、生まれるとも》説かない。
≪その《涅槃》は、滅することもなく、生ずることもなく、対象をも所有しない。≫
《この涅槃こそ苦しみの終わりである」と。』
※最初一行目の【涅槃】の所に「アーヤタナ」と、原語のルビが振ってある。
それ以降は代名詞及び同格(性数格の一致)による。(
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1247932847/527)
※《 》、≪ ≫は、片山訳と大きく違う部分。
※※ちなみに片山入門から片山訳。(
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1247932847/526)
「比丘たちよ、このような【境地】があります。そこには、地もなく、水もなく、火もなく、風もなく、
空無辺処もなく、識無辺処もなく、無所有処もなく、非想非非想処もなく、
この世もなく、あの世もなく、月・太陽の両者もありません。
比丘たちよ、【私は】そこに来ることも、行くことも、止(とど)まることも、
没することも、生まれかわることも【説きません】。
【拠り所のないもの、生起のないもの、所縁のないもの】が、すなわち【これ】です。
【これ】がすなわち【苦の終わり】です」と。――