例によって、多くの“【”“】”は引用者が挿入。
>>805 ≪ 四諦(の観察) ≫の挿入(及び前説での解説)は、
>>814に於ける註の解釈を加味した補足ということだろう。
≪ サンカタへの“(五蘊)” ≫の挿入は、
「パーリ仏教において、サンカーラが何を意味しているか」からすれば、訳出に際し、あり得る補足だろう。
(或いは、その部分の註には、はっきり「五蘊のこと」と書かれているのかもしれない・・。)
>>814の註釈内の訳文は、そのままウダーナ8.4の訳となろう。
「南方仏教基本聖典」の方が、幾分恣意的訳であり、片山訳は、より逐語的とは言い得るだろう。
また前者は、基本の執筆がビルマの長老によるものなので、
(校正が入るにしろ)日本語表現としてベストとは言えないのだろうとも思う。
だが、両者ともビルマ第六結集版に拠り、註釈を尊重し、解釈し、解説している姿勢が示すのは、
「伝統(仏教)とは何か」ということであり、同時に「伝統(正統)であるという自負、いや自信」を感じさせる・・・。
ま、いつも通りの棚上げ発言だが・・・w
部屋の掃除や整理をしようかと思ってたんだが、また余計なことをしてしまった。疲れた・・・。
ノシ