1 :
GF長官 :
2010/10/29(金) 22:09:39 ID:???
2 :
GF長官 :2010/10/29(金) 22:10:40 ID:???
3 :
GF長官 :2010/10/29(金) 22:11:29 ID:???
4 :
GF長官 :2010/10/29(金) 22:12:30 ID:???
5 :
GF長官 :2010/10/29(金) 22:13:27 ID:???
6 :
GF長官 :2010/10/29(金) 22:14:07 ID:???
[MI作戦の作戦目的] 「ミッドウェー」島作戦に関する陸海軍中央協定 一、作戦目的 「ミッドウェー」島ヲ攻略シ、同方面ヨリ来襲スル敵国艦隊ノ機動ヲ封止シ、兼ネテ我ガ作戦基地ヲ推進スルニ在リ 二 略 三、作戦方針(1〜3は略) 4、海軍ハ有力ナル部隊ヲ以テ攻略作戦ヲ支援擁護スルト共ニ、反撃ノ為出撃シ来ルコトアルベキ敵艦隊ヲ捕捉撃滅ス 第一機動部隊の任務は「ミッドウェー島航空兵力の無力化」と「米空母部隊の捕捉撃滅」です。
7 :
GF長官 :2010/10/29(金) 22:15:21 ID:???
[MI作戦の作戦日程] 6月4日(N−3日)第二機動部隊、ダッチハーバー空襲 ミッドウェー島攻略部隊、敵哨戒圏(600浬)内に突入 6月5日(N−2日)第一機動部隊、ミッドウェー島空襲 6月6日(N−1日)第一機動部隊、情勢に変化なければ敵艦隊出撃に備えつつ、 ミッドウェー島攻撃を続行 6月7日(N日) ミッドウェー島攻略部隊上陸 第一機動部隊、上陸支援 (註)第一機動部隊のミッドウェー島空襲は、当初N−3日の予定だったが、出撃が遅れたためN−2日となった。
8 :
GF長官 :2010/10/29(金) 22:16:40 ID:???
[ミッドウェー海戦戦闘経過](6月5日三空母被弾まで)日本時間 (日出0152時・日没1543時) 0130 第一次攻撃隊発艦(指揮:友永丈市大尉)零戦36・艦爆36・艦攻36(計108機) 上空警戒機・索敵機も発進(利根四号機は遅延し、0200発進) 0220「敵情特ニ変化ナケレバ第二次攻撃隊ハ第四編成(指揮官加賀飛行隊長)ヲ以テ本日実施ノ予定」 (南雲長官・第二次攻撃隊のミッドウェー再空襲を予令) 0234 PBY、南雲機動部隊を発見、触接開始 0334 第一次攻撃隊、ミッドウェー島攻撃開始 0400 「第二次攻撃ノ要アリ」(友永隊長、再攻撃要請) 0405 ミッドウェー島基地からの敵機第一波来襲(TBF6機・B−26 4機) 0415に終了 0415「第二次攻撃隊本日実施、待機攻撃機爆装ニ換ヘ」(南雲長官・雷装から爆装への兵装転換を下令) 0440「敵ラシキモノ一○隻見ユ」(利根四号機から0428時の報告・敵艦隊発見) 0445「敵艦隊攻撃準備、攻撃機雷装其ノ儘(ソノママ)」(南雲長官・雷装復旧を命令) 0453 ミッドウェー基地からの敵機第二波来襲 (SBD16機・B−17 15機・SB2U11機)0540に終了 0506 第一次攻撃隊帰投開始(対空戦闘中のため上空待機) 0509「敵ノ兵力ハ巡洋艦五隻・駆逐艦五隻ナリ」(利根機・続報) 0520「敵ハソノ後方ニ空母ラシキモノ一隻ヲ伴ウ」(利根機・敵空母発見)
9 :
GF長官 :2010/10/29(金) 22:17:56 ID:???
0530「直チニ発進ノ要アリト認ム」(山口少将・即時発進の意見具申) 0537 第一次攻撃隊収容開始(0617終了) 0555「収容終ワラバ一旦北ニ向ヒ、敵機動部隊ヲ捕捉撃滅セントス」 (南雲長官、第二次攻撃隊をもって敵空母を攻撃することを明示) 0618 敵空母から敵機来襲(ホーネット第8雷撃中隊 TBD15機)0637終了 0640 同(エンタープライズ第6雷撃中隊 TBD14機)0700終了 0713 同(ヨークタウン第3雷撃中隊 TBD12機) 0722 同(エンタープライズ第6爆撃中隊 SBD31機) 0723 加賀被弾 0724 赤城被弾 0725 同(ヨークタウン第3爆撃中隊 SBD15機) 蒼龍被弾
10 :
GF長官 :2010/10/29(金) 22:19:09 ID:???
Q1.事前の索敵計画(七線一段索敵)は、索敵軽視ではないのか(その1) A1.当時の日本海軍では、重視でも軽視でもなく、標準である。 (註)「当時の聨合艦隊戦策では、索敵は一段索敵とすることが定められており、二段索敵を実施することに 改められたのは、昭和18年5月のことである」 (『歴史群像(55)日米空母決戦ミッドウェー』) Q2.事前の索敵計画は、索敵軽視ではないのか(その2) A2.真珠湾でもインド洋でも珊瑚海でも、二段索敵は実施されていない。 そもそも、二段索敵そのものがミッドウェー海戦の戦訓から生まれたものである。 (註)二段(多段)索敵という方法自体は、開戦前から考えられていた。 「偵察が大事であるということは私自身もこれを痛感し、昭和2,3年ころ、初めて航空界に身を投じた時、 第一に選んだ研究課題が"航空機による敵情偵知"であって、各種索敵法というものを考え出した元祖が 私であったといっても過言ではないと思う」 (『聨合艦隊』草鹿龍之介/著)
11 :
GF長官 :2010/10/29(金) 22:20:31 ID:???
Q3.事前の索敵計画は、索敵軽視ではないのか(その3) A3.索敵機の数を増やすことは万能の解決策ではない(収容の手間) (註1)艦上機(九七艦攻・二式艦偵等)の場合、収容の際、風上に立たなければならない。 珊瑚海海戦一日目(昭和17年5月7日)、艦隊針路と風向が逆だったために、攻撃隊収容時に 反転しなければならず、 その結果敵空母との距離を詰められず、薄暮攻撃になってしまった。 (註2)水上機(九四水偵・零式水偵等)の場合、着水した機体を揚収しなければならない。 艦隊の行動が止まってしまい、敵潜水艦の格好の標的となる。 (註3)母艦が対空戦闘中の場合、帰艦した索敵機は上空待機を強いられる。 ミッドウェー海戦では、利根四号機が0730頃に自艦上空に帰投したが、防空戦闘及び三空母 被弾の混乱から、収容したのは0847時になった。 (註4)索敵機の中には、機位を失い不時着する機体が出るおそれもある。 「インド洋作戦で起きたある不運な出来事のため、偵察に必要最小限度以上の兵力を割くことを、 南雲およびその幕僚はためらうようになっていた。索敵機が機位を失し、そのために母艦が無線 封止を破って電波を出し、艦隊の位置を敵に暴露することになったからである」 (『ミッドウェーの奇跡』GordonPrange/著・千早正隆/訳)
12 :
GF長官 :2010/10/29(金) 22:21:16 ID:???
Q4.事前の索敵計画は、索敵軽視ではないのか(その4) A4.索敵機の数を増やすことは万能の解決策ではない(誤報の増加) 索敵機を増やせば、敵情報告も増加するが、同時に誤報が含まれる恐れも大きくなる。 (註)珊瑚海海戦一日目(昭和17年5月7日)では、20機以上の索敵機を出したが、最初に 入ったのが誤報(油槽船を空母と誤認)だったため、攻撃隊が空振りに終わった。 同海戦二日目では、わずか7機の索敵機だったのにも関わらず、正確な敵情報告のため、 攻撃隊は会敵に成功した。
13 :
GF長官 :2010/10/29(金) 22:22:09 ID:???
Q5.0415時、南雲長官が兵装転換を命じたのは何故か(その1) A5.0400時、友永大尉より「第二次攻撃ノ要アリ」と要請があった。第一次攻撃隊長が「効果不十分」 と判断したのだから、再攻撃が必要なのは当然である。 (参考)「日本海軍には、第一線下級指揮官の判断を尊重する伝統があった」 (『太平洋戦争航空史話』秦郁彦/著) Q6.0415時、南雲長官が兵装転換を命じたのは何故か(その2) A6.0405時から、南雲機動部隊はミッドウェー基地航空隊の攻撃を受けている。同島航空兵力は未だ 健在であり、速やかにこれを壊滅させなければならない。 (註)「この攻撃によって、ミッドウェーに対する第二次攻撃の必要性についてのすべての疑問が解消した。 いったいこれらの飛行機はどこから飛来したのか。南雲にとっては、もはや確認する必要はなかった。 ミッドウェーから来たことは明らかだった」 (『逆転』WalterLord/著・実松譲/訳)
14 :
GF長官 :2010/10/29(金) 22:24:15 ID:???
Q7.0415時、南雲長官が兵装転換を命じたのは何故か(その3) A7.味方攻略部隊は、すでに前日からミッドウェー島の敵哨戒圏(600浬)内を進撃中である。 輸送船団に損害が生じては作戦全体に大きな支障をきたす。敵基地制圧が急務である。 (註)「聨合艦隊命令は敵艦隊撃滅を第一順位としていたが、同命令はまた機動部隊によるミッドウェー空襲を 6月5日と特に指令していた。もし我が機動部隊が計画通りミッドウェーの航空兵力を無力化しなかった場合 には、空襲の二日後に予定されている上陸作戦は猛反撃を受け、全攻略作戦は重大な支障を受けるであろう」 (第一航空艦隊先任参謀・大石保中佐)
15 :
GF長官 :2010/10/29(金) 22:25:27 ID:???
Q8.0415時、南雲長官が兵装転換を命じたのは何故か(その4) A8.0130時から発進した索敵機(巡航速度120節・進出距離300浬)は、2時間半あれば索敵線先端に到達する。 (最も遅い利根四号機でも0430頃) 0415の時点で報告がないということは、南雲機動部隊の半径300浬内に敵艦隊は存在しない可能性が高い。 よって、ミッドウェー島再空襲を優先すべきである。 (参考1)昭和19年6月19日マリアナ沖海戦1日目について。 「0730第一段索敵機、概ネ端末ニ達シタル時機、攻撃距離内ニ他ノ母艦群ヲ 認メザリシヲ以テ、 一航戦第一次攻撃隊ヲ発進セリ」 (『戦史叢書(12)マリアナ沖海戦』) 小沢長官もまた、索敵機が索敵線先端に到達した時点をもって、「他に敵空母群は居ない」と判断している。 南雲長官の兵装転換下令は、決して「航空戦の素人」だからではない。 (参考2)昭和17年5月8日珊瑚海海戦2日目について。 索敵機が米機動部隊発見を報告したのは、側程に入ってから約20分経過した時点に相当。 よって、南雲長官の決断は「時期尚早」という評価も成立する。
16 :
GF長官 :2010/10/29(金) 22:26:19 ID:???
[補足1]兵装転換評(国内) (1)『戦史叢書(43)ミッドウェー海戦』(防衛庁防衛研修所戦史室) 「第一機動部隊は0405ころから防空戦闘を開始した。この戦闘中南雲長官はミッドウェー島再攻撃を決意し、 艦内で雷装して待機していた艦攻の兵装を爆装に換えるよう命じた。 ところが敵水上部隊発見に伴い、南雲長官はこれが攻撃を企図し、0445『敵艦隊攻撃準備、攻撃機雷装其ノ儘』 と下令した。 この命令に『其ノ儘』(そのまま)という字句を使っているところでも判るとおり、同長官は兵装転換に長時間を要する ことや、30分前兵装転換を下令してから防空戦闘が続いたことなどから、爆装への転換作業はほとんど進んでおらず、 簡単に雷装に復旧できると判断したのである」
17 :
GF長官 :2010/10/29(金) 22:27:10 ID:???
(2)『ミッドウェー』(淵田美津雄・奥宮正武/共著) 「第二次攻撃隊をミッドウェー基地に向けるって、もう命令が出たのか?」 「イヤ、いま司令部で話し合っているのを艦橋で聞いてきました」 「だって、またインド洋のときみたいに、出たあとで偵察機から"敵艦見ユ"と来るかも知れんぜ」 「イヤ、しかし偵察機は、もう全部、とうに索敵線の前端まで行きついた時刻なのに、報告がありませんから、 攻撃圏内には敵艦隊はおらんと判断されていますよ」 「そうか、しかし魚雷を抱いているんじゃないか?基地攻撃はちょっと困るね」 「ええ、それでいまから、陸用爆弾に積みかえろって命令が出るんですよ」 「いやあ、それは大変な騒ぎだ。それに、もうそろそろ敵の陸上機が来るころだぜ」 このとき司令部はすでに、第二次攻撃隊をミッドウェー攻撃に振り向けることに一決していた。
18 :
GF長官 :2010/10/29(金) 22:28:36 ID:???
(3)『写真太平洋戦争』(第3巻) (光人社NF文庫) 「南雲長官は、最初に兵装転換を下令してからまだ30分しか経っていないので、艦攻の大部分はまだ雷装のまま だろうと考えた。しかし兵装転換というのは、外すのは簡単なもので、たちまちカタンと外してしまう。問題は装着に 時間がかかるのだ。したがって全機の魚雷がすでに外されて、格納庫内で爆装作業が始まっていた」
19 :
GF長官 :2010/10/29(金) 22:29:29 ID:???
(4)『歴史群像(55)日米空母決戦ミッドウェー』(学研) 「第一機動部隊司令部にとっては、これはミッドウェー島の航空戦闘能力は未だ健在で、今なお脅威となり得ることを 示しており、15分前に友永大尉機から送られてきた報告が正しいことを裏付けるものとなった。 この時点では、敵艦隊出現の兆候は聨合艦隊及び軍令部の対敵情報でももたらされていない。 また、発進させた索敵機はまもなく索敵線の先端にたどり着く頃だが、いまだに敵発見の情報がないということは、 敵空母の攻撃圏内に第一機動部隊が存在しないことを示してもいた」
20 :
GF長官 :2010/10/29(金) 22:30:52 ID:???
[補足2]兵装転換評(海外) (1)『ニミッツの太平洋海戦史』(ChesterWilliamNimiz/著・実松譲 冨永謙吾/共訳) 「この時機(米空母の攻撃隊発進)までの南雲提督の作戦は、見事な慎重さで実施された。 彼の得た敵情報告からは、海上兵力による抵抗は予期されなかったが、ミッドウェー攻撃には使用可能な飛行機の 半分だけを発進させ、その残りは魚雷を装備、万一米艦隊が出現した場合の戦闘に備え、飛行甲板上に待機させて いた。 午前7時、ミッドウェー攻撃から帰艦した攻撃隊指揮官は、ミッドウェーに対し第二次攻撃の要ありと進言した。 その直後に行われたミッドウェー基地機による雷撃は、この意見具申を裏書きするように思われた。 このときまでに、南雲部隊の巡洋艦搭載機はすでに二時間から二時間半の索敵を続けており、少なくとも200浬の 索敵線に達しているように考えられた。いまや米艦隊に対する警戒を緩めても、安全であるように見えた。 いずれにせよ、ミッドウェー攻撃隊は間もなく帰投し、補給を必要とするであろう」 (註)「午前7時」は、日本時間0400時。 「ミッドウェー攻撃から帰艦した攻撃隊指揮官」は、友永大尉の無電を指す(戦闘経過参照)
21 :
GF長官 :2010/10/29(金) 22:33:31 ID:???
(2)『太平洋戦争アメリカ海軍作戦史』(SammuelEliotMorison/著・中野五郎/訳) 午前7時(0400時)、彼(南雲長官)はミッドウェー島空襲を終わったばかりの攻撃機隊指揮官友永大尉から 「ミッドウェー島に対しては第二次攻撃の要あり」という電報を受け取った。 その十分後に、ミッドウェー島から出たアメリカ軍爆撃機の来襲があったが、これは友永海軍大尉の具申した 意見を裏書きするものであった。 これに基づいて日本機動部隊指揮官南雲海軍中将は、7時15分(0415時)に彼にとって致命的となった決定をした。 すなわち彼は敵軍の水上部隊に対して即時待機の姿勢にあった攻撃機隊93機の「準備を解いた」のである。 すると7時28分(0428時)に至り、遅れて発進した巡洋艦利根の飛行機から電報が受領され、これで情勢は忽ち 一変した。この電報を受けた当初、南雲海軍中将はこの敵艦隊を処理しなければならぬと考えた。しかしこの報告は、 敵の航空母艦に関して何らの暗示もない漠然としたものであったから、同中将は彼の麾下の攻撃飛行隊の急速兵装 転換を取り消すことを至当とは考えなかった。 15分間熟慮して7時45分(0445時)決心を変えた。すなわち彼は直率部隊に対して、 「敵の艦隊に対する攻撃実施を準備せよ。爆弾装備に変更未済の攻撃機に搭載の魚雷はそのままに残せ」と信号した。 恐らくは当時、彼は珊瑚海海戦における原忠一海軍少将の大失策、すなわち航空攻撃隊の大部分を油槽艦に向けて 無駄に費やしたことを想起したのであろう。 そのため2分後に、利根機に対して「艦種知らせ。触接を持続せよ」と無電で指令した。 利根機の操縦士は、8時20分(0520時)に「敵ハ航空母艦ラシキモノ一隻ヲ伴フ」と報告した。 彼の計画していた攻撃隊はすでに編成を解かれていたし、その麾下の各航空母艦の飛行甲板は、ミッドウェー島から 刻々帰還してくる飛行機のために取り片付けておかねばならなかった。 彼は航空母艦間の戦闘において達成すべきものを、与える側ではなく、受ける側に立たねばならなかったのである。 これは何たる重大な運命の破局であったろう! (註)( )内は日本時間。戦闘経過参照。
22 :
GF長官 :2010/10/29(金) 22:34:25 ID:???
(3)『空母ヨークタウン』(PatFrank/著・谷浦英男/訳) 「多くの著述家が、これ(兵装転換)を取り返しのつかない大失策であり、 おそらく日本に敗戦をもたらした 大錯誤だったと強調している。 そういうことにつながるとしても、その時点においては、これは妥当な決断 だったと言える。 ミッドウェーを再攻撃しなければならないのは明白だった。 現にたった今、 ミッドウェーからやってきた飛行機隊が、南雲自身の乗艦を攻撃したばかりである。 一方、索敵機が付近の海域に敵水上艦隊を発見したという徴候は全くない。 南雲長官は、正当な決断である、と判断した。 ミッドウェーに第二次攻撃をかけることは決して賭けではない。 第一波は間もなく帰投して、発進して行く飛行機と交替する。 第一波は着艦するやいなや爆弾と魚雷を 搭載して、 索敵機が敵の艦隊を 発見したなら、いつでも発進できるように待機するだろう。 客観的に見れば、これは論理的な決断だったと言える」
23 :
GF長官 :2010/10/29(金) 22:35:23 ID:???
(4)『ミッドウェーの奇跡』(GordonPrange/著・千早正隆/訳) 「南雲のこの決定は、その後に激しい批判の的となった。高い外野席からの結果論からみれば、南雲のこの決定は 重大なミステークであったと思う読者は、きわめて多いかもしれない。が、著者は草鹿や源田と同じく、当時の情況 からして南雲の決定は妥当なものであったと信ずる者である。 ミッドウェーを攻撃した友永が再攻撃の必要があると意見を具申したこと、 ミッドウェー基地の航空部隊がまだ攻撃を続けていること、 彼がもっとも信頼している源田が同意したこと、 南雲は彼自身の常識に基づいて決定を下したからである。 しかも、その前日に東京から『わが企図が敵に察知された兆候全くなし』という電報を受信していたのである 南雲のこの重大な決定の是非を判断するには、彼が赤城の艦橋でその決定をした当時の状況を見なければならない。 その決定は少なくとも、敵艦隊の配備および能力を知ることなくして為されたものであった。とすれば、それは指揮上の 失策ではなく、情報上の失策と看なすべきであった。 『知っていれば怪我はない』との古諺とは逆に、南雲は知らなかったために大怪我をした、と言ってよいであろう」
24 :
GF長官 :2010/10/29(金) 22:36:17 ID:???
25 :
GF長官 :2010/10/29(金) 22:37:42 ID:???
Q10.0530時、南雲長官が山口少将の意見具申を採用しなかったのは何故か(その2)
A10.第二次攻撃隊の制空隊(零戦)のほとんどは、母艦直衛に上がって対空戦闘中である。
護衛なしの艦爆隊で敵空母を攻撃しても、戦果は期待できない。
(参考1)珊瑚海海戦一日目には、護衛なしの薄暮攻撃を実施した。(編成は艦爆12・艦攻15の計27機)
しかし、米戦闘機の奇襲に遭い、未帰還機9(艦爆1・艦攻8)の損害を出した。
薄暮ですら、この大損害なのだから、昼間攻撃では到底有効な打撃は与えられないだろう。
During these battles, it became clear that attacks without fighter escort amounted to suicide.
これらの戦闘(珊瑚海海戦)を通して、護衛なしの攻撃隊は結局自殺行為になることが明らかになった。
(『Grumman F4F Wildcat』Coral Sea)
http://users.skynet.be/Emmanuel.Gustin/history/f4f.html 米側の認識も同じである。
(参考2)ミッドウェー海戦において、単独で南雲機動部隊に攻撃してきた米空母雷撃隊は壊滅した。
護衛なしの攻撃に躊躇したのは、間違ってはいない。
(註)VT−8(ホーネット) 15機中全機撃墜
VT−6(エンタープライズ)14機中10機撃墜
VT−3(ヨークタウン) 12機中10機撃墜(2機未帰還)
計41機中35機撃墜。
(参考3)0530時点での米空母情報は、利根四号機の「ミッドウェーヨリノ方位10度・240浬」(0428時発信)のみ
であり、 実際の位置より北へ100浬近くずれている。よって、即時発進しても会敵できない恐れが大である。
26 :
GF長官 :2010/10/29(金) 22:38:39 ID:???
[補足3]第二次攻撃隊の兵装状態(推定)作業はすべて格納庫内 一航戦(艦攻隊) 二航戦(艦爆隊) 備考 0130 雷装 空装? 第一次攻撃隊発進 0415 転換作業開始 爆装開始 兵装転換命令(一航戦は雷装から爆装へ) (二航戦は陸用爆弾装備開始) 0445 復旧作業開始 転換作業開始 一航戦は未換装機の爆装作業中止 爆装転換済みの機体は雷装復旧開始 二航戦は陸用爆弾を通常爆弾へ換装開始 0530 復旧作業途中 転換作業途中? 二航戦は陸用爆弾と通常爆弾の混載状態? 山口少将、即時発進の意見具申 0723 復旧作業途中 転換作業完了 三空母被弾
27 :
GF長官 :2010/10/29(金) 22:39:22 ID:???
(1)「空装」とは、魚雷も爆弾も装備していない状態。 (2)一航戦が雷装待機なのは、事前のGFの指示によるもの([補足4]参照) (3)二航戦が空装なのは、インド洋作戦時の戦訓によるもの。 「(第二次攻撃隊の)二航戦の艦爆は、一航戦同様に対艦装備で待機していたとも言われているが、最近の米側の 研究では爆装がなされていない状態で格納庫内にあったともされる。これはインド洋で攻撃準備中に敵艦隊を発見 して雷爆換装に追われた戦訓を踏まえて、状況を見極めた上で敵情がはっきりするまでは、あえて艦爆隊の準備を しなかったのではないかと考えられる」 (『歴史群像(55)日米空母決戦ミッドウェー』)
28 :
GF長官 :2010/10/29(金) 22:40:04 ID:???
Q11.第一次攻撃隊収容より、第二次攻撃隊発進を優先させるべきだったのでは(その1) A11.第一次攻撃隊は0500時過ぎから帰投を始めていたが、母艦が対空戦闘中であったため、上空待機を 強いられていた。速やかに収容しなければ、燃料切れで不時着する機体が生じる恐れがあった。 Q12.第一次攻撃隊収容より、第二次攻撃隊発進を優先させるべきだったのでは(その2) A12.第一機動部隊の任務は「ミッドウェー島航空兵力の無力化」である。 この後のミッドウェー島再空襲、及び攻略部隊の上陸支援のためにも、母艦兵力を減少させる わけにはいかない。
29 :
GF長官 :2010/10/29(金) 22:41:12 ID:???
Q13.第一次攻撃隊収容より、第二次攻撃隊発進を優先させるべきだったのでは(その3) A13.第一機動部隊の任務は「米空母部隊の捕捉撃滅」である。 0530時点で、発見した敵空母は一隻のみ。新たな空母が別の場所で発見された場合、第三次攻撃隊を 編成する上でも、母艦兵力を少しでも確保しておきたい。 (参考)海外の評価 「南雲としてはそのような意見具申(山口少将の即時発進)を必要としていなかった。真珠湾の勝利者である彼(南雲) 以上に航空攻撃の奇襲性と迅速性の価値を認識している者はなかったと言ってよい。が、彼は山本に対し、天皇に対し、 更に祖先の神霊に対して責任を負っている幾千の将兵の生命をその手中に預かっていた」 「南雲は理論的には、非難の余地のない作戦決定をしたのであったが、それが皮肉なことに裏目に出たのであった。 南雲は彼が戦闘の主導権を失っていたことに気づかなかったが、彼が入手していた情報を見る限り、彼がそのことに 気が付かなかったことを非難する理由は見出し難い。 だからこそ、彼にはパニックに陥り、中途半端の兵力で敵艦隊の攻撃に向かわす必要性がなかったのであった」 (『ミッドウェーの奇跡』)
30 :
GF長官 :2010/10/29(金) 22:42:26 ID:???
Q14.南雲長官は米空母が付近に居る可能性を考えていなかったのか。油断し過ぎではないか。 A14.考えてはいたが、A7の理由から、敵空母所在の「確証」がない限り動けない事情があった。 敵空母所在の「兆候」のみでは、ミッドウェー島再空襲の方を優先したいという考えだった。 「このとき南雲長官は大した逡巡もなく(ミッドウェー島再空襲の)決断を下している。 が、ここで読者諸氏は疑問を浮かべられるであろう。米空母部隊の所在に、ここまできても気を遣わなかったのか という当然の疑問である。 敵機動部隊に対する配慮は、当たり前のことながらあった。ただ何度も書くように 『味方の輸送船団は休むことなく前進を続け、ミッドウェー島に近づいているであろう』 という焦慮が、絶えず南雲長官以下各幕僚の頭から離れず、思考の弾力を奪っていた。 草鹿参謀長の言う『二兎を追うわずらわしさ』である。 もし、それなりの処置をとって敵空母部隊に出合えばよい。が、遭遇することなく無駄な時間と兵力を費やし、 空からの援護なしに味方輸送船団を裸でミッドウェー島に近づけ、作戦を根底から崩してしまうようなことが あってはならない。 そういう思いが片時も離れない。責任の重圧から来るその感情は、恐怖にさえ似ていた」 (『ミッドウェー戦記』亀井宏/著)
31 :
GF長官 :2010/10/29(金) 22:43:56 ID:???
Q15.山本GF長官は敵空母撃滅優先を指示していたはずだが、南雲長官に伝わってなかったのか。 (その1) A15.南雲長官は、GFの作戦方針を正しく理解していたと思われる。 現に、0520時の敵空母発見の報告を受けて、0530時には敵艦隊に対する第二波準備を下令し、 0555時には「敵機動部隊ヲ捕捉撃滅セントス」と敵空母撃滅を優先することを明示している。 (参考) (1)珊瑚海海戦1日目には、索敵機が油槽船を空母と誤認し、攻撃隊が空振りに終わり、その後の作戦に 大きな支障をきたした。 (2)珊瑚海海戦では、敵空母2隻を撃沈破したにも関わらず、MO作戦は失敗に終わった。 「敵空母を全滅させても、味方攻略部隊が上陸できなければ、作戦は失敗である」 (3)0530の発令とは、 「発:機動部隊指揮官」「宛:機動部隊」「本文:艦爆隊二次攻撃準備 二五○粁爆弾揚弾」 収容した友永隊(第一次攻撃隊)の艦爆隊(一航戦)に対艦装備を施し、第二次攻撃隊発進後、 すぐさま第二波として敵空母に向かわせることを企図したもの。
32 :
GF長官 :2010/10/29(金) 22:45:15 ID:???
Q16.山本GF長官は敵空母撃滅優先を指示していたはずだが、南雲長官に伝わってなかったのか。(その2) A16.雷装待機中の第二次攻撃隊は「最強編成」である(板谷制空隊・江草艦爆隊・村田雷撃隊) 新任の友永大尉に基地制圧を任せ、真珠湾以来の熟練指揮官を敵空母撃滅用に残していたというところから、 南雲長官が米空母撃滅の方を重視していたことがうかがえる。 (註)板谷茂少佐(赤城)真珠湾攻撃では第一次攻撃隊制空隊長。 江草隆繁少佐(蒼龍)真珠湾攻撃では第二次攻撃隊艦爆隊長。「艦爆の神様」インド洋作戦で8割超の命中率。 村田重治少佐(赤城)真珠湾攻撃では第一次攻撃隊雷撃隊長。「雷撃の神様」 「まことにこの三人の指揮官は、この舞台ではベストワンのトリオである。そして彼らに続く 搭乗員は、すべて一騎当千の精鋭で、かけ値なしに当時日本海軍のベストワンの編成である。 もしこれでスポーツのように国際競技が行われるものとしたら、金メダルは確実である。 南雲中将は、米空母群は近くに居ないと一応は判断しているが、それでも万一に備えて、このように 敵空母群攻撃の最良編成で待機させたのである」 (『ミッドウェー』淵田・奥宮/共著) 「(第二次攻撃隊の)パイロットたちはぶらぶら歩きながらくつろぎ、待機していた。こんなに数多くの 優秀なパイロットをこのように待機させておくのは、なんだか無駄遣いのように見えた。 しかし、南雲は艦隊の安全を希望していた。 誰でも動かない島を攻撃できるが、動きまわる艦船を攻撃するには伎倆が必要である。だが、見込み がなくても米艦隊の出現の恐れがある限り、南雲は使用できる優秀な搭乗員を待機させておきたかったのだ」 (『逆転』WalterLord/著・実松譲/訳)
33 :
GF長官 :2010/10/29(金) 22:46:21 ID:???
[補足4]第二次攻撃隊雷装待機について (1)雷装待機は事前にGFより厳命されていた。 「ミッドウェー攻撃ノ間、母艦搭載機ノ半数ハ、敵艦隊ノ出現ニ備ヘテ艦上待機ヲ行フ 対敵艦隊攻撃待機ハ、第一編制(指揮官 赤城飛行隊長)トスル」(『戦史叢書』MI作戦要領) (2)雷装待機に対する反論(『ミッドウェーの奇跡』より) 「山本長官が兵力の半数を、敵の空母部隊に備えるよう望んでおられることは、南雲長官もその幕僚も よく承知していた。事実、情況の許す限りそうしていた。 が、敵のミッドウェー基地の航空兵力が我々に対して攻撃を開始し、敵の空母部隊がまだ発見されない 情況では、居るのか居ないのか分からない敵に対して、その兵力の半数を無期限に放置しておくのは、 前線の指揮官としてほとんど耐えられないことであった」 (草鹿龍之介少将・一航艦参謀長) 「そのような考えにこだわると、適当な敵が発見されない限り、攻撃兵力の半数が有効に使われないこと になる。情況によって決定はなされなければならない」 (源田実中佐・一航艦航空甲参謀)
34 :
GF長官 :2010/10/29(金) 22:47:32 ID:???
Q17.『第一航空艦隊戦闘詳報』の「経過概要」では、0428時送信の利根機敵艦隊発見電は
0500時受信となっているが、戦闘経過では0440時受信としているのは何故か。
A17.0445時の換装中止命令と矛盾するから。
0500時受信の場合、情勢に何の変化もないのに、いきなり換装中止命令を出したことになる。
兵装転換の中止を命ずる限りは、その前に何らかの敵情の変化が入ったはず。
0445時の発令自体が虚偽とする説もあるが、0447時の無電を米側が傍受した記録が残されている。
(『歴史群像ミッドウェー』より)
(註1)『戦闘詳報』の出典は、『記録ミッドウェー海戦』(澤地久枝/著)
または、「国立公文書館 アジア歴史資料センター」のホームページより
http://www.jacar.go.jp/index.html 【レファレンスコード】C08030023900(11/54)
(註2)0447時の無電とは、
「発:機動部隊指揮官」
「宛:利根四号機」
「本文:タナ一、艦種確メ触接セヨ」
つまり、南雲長官が利根四号機に「艦種を確認せよ」と命ずる以上、0447時以前に利根機からの
敵艦隊情報を赤城が受信していたことになる。
35 :
GF長官 :2010/10/29(金) 22:49:59 ID:???
以降は珊瑚海海戦編テンプレ [珊瑚海海戦要図] 日出は0420時、日没は1614時(日本時間) □■ラバウル □□□ □□□□□□□ □□ ソロモン諸島 □□ □□ □□□□ □□ □□ □□■ラエ □□ □□ □□ □□□□□ □□ ■ツラギ □□□□□□□ ジョマード水道 □□□ガダルカナル島 □□□■□□□□ ↓ ルイジアード諸島 ポート □□□□■ □ □■ □ ■ロッセル島 □ モレスビー サマライ デボイネ □ □□ 珊 瑚 海 □□ □□■クックタウン 豪□□ 州□□ ニューカレドニア □□□■タウンスビル □□ □□□□ □■ヌーメア □□□□□□
36 :
GF長官 :2010/10/29(金) 22:51:13 ID:???
[MO作戦日本側編成] <南洋部隊>第四艦隊司令長官・井上成美中将 (1)MO機動部隊(第五戦隊司令官・高木武雄中将) [主隊](高木中将直率) 第五戦隊 重巡「妙高」「羽黒」 第七駆逐隊 駆逐艦「曙」「潮」 [航空部隊](第五航空戦隊司令官・原忠一少将) 第五航空戦隊 空母「瑞鶴」「翔鶴」 第二十七駆逐隊 駆逐艦「有明」「夕暮」「白露」「時雨」 [補給隊] 給油艦「東邦丸」
37 :
GF長官 :2010/10/29(金) 22:51:55 ID:???
(2)MO攻略部隊(第六戦隊・五藤存知少将) [MO主隊](五藤少将直率) 第六戦隊 重巡「青葉」「衣笠」「加古」「古鷹」 空母「祥鳳」 駆逐艦「漣」 [ポートモレスビー攻略部隊](第六水雷戦隊司令官・梶岡定道少将) 第六水雷戦隊 軽巡「夕張」 駆逐艦「追風」「朝風」「睦月」「望月」「弥生」「卯月」 敷設艦「津軽」 掃海艇「第二○号」 輸送船12隻 [掩護部隊](第十八戦隊司令官・丸茂邦則少将) 第十八戦隊 軽巡「天龍」「龍田」 水上機母艦「神川丸」「聖川丸」 特設砲艦「日海丸」「京城丸」「勝泳丸」 特設掃海艇2隻 (3)ツラギ攻略部隊(第十九戦隊司令官・志摩清英少将) 第十九戦隊 敷設艦「沖島」 駆逐艦「菊月」「夕月」 特設掃海艇2隻 特設特務艇2隻 特設駆潜艇2隻 輸送船2隻
38 :
GF長官 :2010/10/29(金) 22:52:59 ID:???
[珊瑚海海戦米側編成] 第17任務部隊(フランク・フレッチャー少将) [第2群]攻撃隊(トーマス・キンケード少将) 重巡「ミネアポリス」「ニューオリンズ」「アストリア」「チェスター」「ポートランド」 駆逐艦「フェルプス」「デューイ」「ファラガット」「エールウィン」「モナガン」 [第3群]支援隊(ジョン・クレース英少将) 重巡「オーストラリア」(豪)「シカゴ」 軽巡「ホバート」 駆逐艦「パーキンス」「ウォーク」 [第5群]航空部隊(オーブレイ・フィッチ少将) 空母「ヨークタウン」「レキシントン」 駆逐艦「モリス」「アンダーソン」「ハマン」「ラッセル」 [第6群]補給隊(ジョン・フィリップス大佐) 油槽船「ネオショー」「ティッペカヌー」 駆逐艦「シムス」「ウォーデン」 [第9群]索敵隊(ジョージ・デーボン中佐) 水上機母艦「タンジール」(PBY12機) (註)フレッチャー少将はヨークタウン坐乗、フィッチ少将はレキシントン坐乗 この他に、ポートモレスビー及び豪州の陸軍航空隊が加わる。
39 :
GF長官 :2010/10/29(金) 22:54:03 ID:???
40 :
GF長官 :2010/10/29(金) 22:56:07 ID:???
41 :
GF長官 :2010/10/29(金) 22:58:07 ID:???
42 :
GF長官 :2010/10/29(金) 23:12:30 ID:???
テンプレ終了 やれやれ、スレは重ねても内容は一向に進んでおらんのぉ。 余談ながら、第一次大戦時、南雲長官は何をやってたかと言うと、 大正3年 27歳 海軍中尉 海軍大学校乙種学生 12月 任海軍大尉 海軍水雷学校高等科学生 海軍艦政本部艤装員 大正4年12月 駆逐艦杉乗組み 大正5年12月 第四戦隊参謀 大正6年4月 第三特務艦隊参謀 12月 如月駆逐艦長 第三特務艦隊(司令官・山路一善少将) 巡洋艦「平戸」「筑摩」 任務:豪州及びニュージーランド方面の通商保護 地中海へ派遣され「地中海の守護神」と称讃された第二特務艦隊には、 若き日の小澤治三郎や山口多聞が含まれています。 それに比べると、あまり活躍の機会はなかったようですね。
43 :
名無し三等兵 :2010/11/02(火) 17:11:37 ID:???
44 :
名無し三等兵 :2010/11/02(火) 17:19:27 ID:???
GF長官旗掲げぇぇぇ〜〜ピィッィィィー(笛) |/ || || ||______ ||/ /\ || /\○\ || / \/ || / ||/ -□――――――! || || ||
45 :
名無し三等兵 :2010/11/02(火) 17:29:27 ID:???
,r'"[`ヽ
,. -‐- 、、 | /601|31l
i|! | `ヽ _,._,._,._ |! ,. - .、 /. l: |
i! ii! l _ ____ /7l|ーl|―lFl`ト`キュ 、 _____ _ l、 ン. l; 「|
l| l|,.r''二 ̄´ヽ,rー―`ー〈、」L...lL.,.lL.,.r=',. -''′  ̄ ̄``´ー-ュ,_ _└:_┴!
_i!,.k、 匸{=ュ T ̄ r'´ `ヽ <_ ヽ、_>
r'´ i 匚{=ュ I! i ! __,,.`` ー、、 ヽ
` - ,j | Lュ i! _,.. - ― -- _- 、、_ヽ _ _,,. '- ‐ '''' "" ̄ ``' ー '
l! ヽ _ __ 厂r_ 、´ `` ィr''´ ̄
. |! '-ー''´_\ ヽ 前衛の母艦にメシ食いに帰ろーー
|l! ` ̄ ̄\ ,. ‐ ―- 、 ヽ
. |l,! \ ゝ、 _ _ _) ヽ
ーー―\ ヽ
ヽ、 ノ
` ー--‐ '' "
本隊の前方を進撃する、長官は無能だよ前衛部隊スレもよろしく。
【長官は】本日の南雲部隊司令部 1AF【無能だよ】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1238337939/
46 :
名無し三等兵 :2010/11/03(水) 19:31:19 ID:???
>>14 >聨合艦隊命令は敵艦隊撃滅を第一順位としていた
GFは、明確にミ島攻撃よりも、敵艦隊撃滅の優先順位を、1AFに指示を出していた、と。
前の晩に、索敵機を見たのみないの、敵機の電波を受信したのしないの、という騒ぎがあったわりには、
6/5午前中における索敵を徹底して行っていないことは、どう解釈すればいいのだろう。
>>15 >小沢長官もまた、索敵機が索敵線先端に到達した時点をもって、「他に敵空母群は居ない」と判断している
小沢長官は三段索敵、第一段(水偵16)が0330出発、第二段(艦攻13+水偵1)と第三段(1Sf 11+水偵2)が0415、
第一段水偵が先端に到達してるとき、第二段第三段も、ソコソコの水域を索敵済み。
三段索敵における第一段索敵線先端到達の意味と、一段索敵における第一段索敵線先端到達の意味は
全く違う。
47 :
名無し三等兵 :2010/11/03(水) 19:33:37 ID:???
>>39 >しかし発進時間や編制を変更する時間の余裕はない
>仮に1330時の船団被攻撃の報を受けて、計画変更を司令部で検討し、発進時刻を
>2時間早めることに決定したとして、準備が間に合うのでしょうか
発進予定時刻の12時間前に、船団被攻撃の報を受けたのであれば、
夜間離艦が可能なベテランのみを選抜して、2時間前に発進繰り上げを準備する時間がある、
とも判断できないか?
0130発艦だと空振りリスクが大きい、と判断できることは、戦史叢書ですら批判対象にしてるわけで。
>GF司令部に対する言い訳を考えとかないと・・・
「聨合艦隊命令は敵艦隊撃滅を第一順位」があれば、十分なんじゃないの?
48 :
名無し三等兵 :2010/11/03(水) 20:52:40 ID:???
49 :
名無し三等兵 :2010/11/03(水) 20:53:26 ID:???
0130時から発進した索敵機(巡航速度120節・進出距離300浬)は、 2時間半あれば索敵線先端に到達する。(最も遅い利根四号機でも0430頃) 0415の時点で報告がないということは、 南雲機動部隊の半径300浬内に敵艦隊は存在しない可能性が高い。 よって、ミッドウェー島再空襲を優先すべきである。 小沢部隊の場合はどうだったかな
50 :
名無し三等兵 :2010/11/03(水) 21:20:00 ID:???
>6/5午前中における索敵を徹底して行っていないことは、どう解釈すればいいのだろう。 だって敵空母発見の報告は一切ないもの。 むしろ直前に送られてきた海軍部からの情報でも敵空母の所在はハワイか南太平洋方面。 機動部隊が得ていた情報からすれば、ミ島の基地航空隊への警戒を強める必要はあっても、 敵空母を警戒すべき情況じゃないね。 >夜間離艦が可能なベテランのみを選抜して、2時間前に発進繰り上げを準備する時間がある、 >とも判断できないか? >0130発艦だと空振りリスクが大きい、と判断できることは、戦史叢書ですら批判対象にしてるわけで。 だから事前の作戦要領でも示されているミ島への第二次攻撃を、早々に準備しようとしていたんだし、 それと比べたら少数機の夜間攻撃なんてリスクの割りに成功するかどうかも見込めない作戦案としかいえないね。
51 :
名無し三等兵 :2010/11/05(金) 08:49:55 ID:???
>>46 >第一段水偵が先端に到達してるとき、第二段第三段も、ソコソコの水域を索敵済み。
三段索敵における第一段索敵線先端到達の意味と、一段索敵における第一段索敵線先端到達の意味は
全く違う。
“違い”があるんでしょうか?
せっかく二段、三段索敵を行いながら、それらの未捜索範囲が存在する段階で攻撃を決意している訳です。
これはこれで所謂“索敵軽視”ではありませんかね?
その未捜索範囲に“敵艦隊が存在していたら”という意味では“全く同じ”かと思いますが。
52 :
名無し三等兵 :2010/11/05(金) 09:13:44 ID:???
ところで現在進行中の前スレでは、空母機動部隊戦との比較のためにWW1海戦編が展開されています。 前にも振りましたが、英独を中心とした各海軍の行動には、 索敵、脅威評価、情勢判断、行動決心、通信伝達、敵信傍受(諜報)、補給、作戦計画、上級司令部との意思疎通、現場裁量(作戦計画の変更等)等の 南雲機動部隊を廻る定番の問題提議はほぼ全て存在します。 南雲機動部隊の所謂“索敵軽視”“甘い情勢判断”“戦果拡大の不徹底”等を問題とし批判する方々が、 WW1編の各海軍の行動について同様の問題提議や考察をしない点が不思議です。 私のこの振りに対しては、例えばゲーベン追跡戦で長官が2点上げてるくらいです。 個人的には、“スレに記載されている内容から判断するに”(すなわち得られた情報から情勢判断を行うならば)、 「独地中海艦隊の最大の危機は、アルジェリア砲撃時である。そしてその問題点はスション提督の作戦計画にある」 です。 たぶんこんな意見は、書籍等にはないでしょうけど。
53 :
名無し三等兵 :2010/11/05(金) 09:15:02 ID:???
索敵はすればいいって言うもんではなく、それをどう判断するかが問題。 それが空振りを招来する場合もある。
54 :
GF長官 :2010/11/06(土) 19:22:51 ID:???
55 :
GF長官 :2010/11/06(土) 19:24:48 ID:???
>>54 の続き
余談ながら、巡洋戦艦伊吹と言えば半年で進水させた(しかも残業なし!)
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1276688293/297 ことで知られています。
この小幡造船部長は、なかなか面白い人物でして、工廠長から
「主力艦は予算に制限がなければ、何ヶ月で進水できるか」と問われたとき、
即座に「6ヶ月」と答えている。
これにはびっくり。なにせわずか数年前、国産初の戦艦薩摩建造の際には、
「起工から竣工まで4年かかる」と言った本人の発言ですから。
しかし、彼には詳細な工程を組んだ上での成算があり、
「ドレッドノートが4ヶ月で進水しているのだから、我が国でも6ヶ月で可能」と。
56 :
GF長官 :2010/11/06(土) 19:27:13 ID:???
>>55 の続き
伊吹起工式の日、呉工廠の工員を前にして以下のように訓示した。
「今度の艦は、今から正味6ヶ月で進水する。
しかも日曜や休日は決して出業しない。また残業もしない。責任は私が持つ。
今日は余分の加給をつけるから、諸君は今から帰宅し風呂に入って一杯やりたまえ。
そのかわり明日からからしっかり全力をあげて作業せよ」(『日本戦艦物語』福井静夫/著)
明治40年5月22日起工、同年11月21日進水。
ほんとに半年でやってしまった!
うちの工場長が来月退職するんで、ぜひ来てもらいたいものです。
57 :
GF長官 :2010/11/06(土) 19:28:49 ID:???
>>56 の続き
閑話休題
11月9日、ココス島(スマトラ島の南180浬)沖にエムデンが現れたが、
偶然にも、そこへANZAC輸送船団38隻がさしかかった。
(註)ANZACとはAustralian New Zealand Army Corps
日英豪連合艦隊(司令官・シルバー豪大佐 メルボルン艦長)
(日)巡戦「伊吹」、装甲巡「日進」、巡洋艦「筑摩」
(英)巡洋艦「ミノトーア」
(豪)軽巡「メルボルン」、「シドニー」
ちなみに、筑摩には若き日の山口多聞が乗艦していました。
特別南遣支隊司令官・加藤寛治大佐(伊吹艦長兼任)は、エムデン攻撃許可を
求めたところ、シルバー大佐の返答は、
「エムデンは我が豪州海軍のみで撃沈せしめる。貴艦隊はよろしくANZAC軍団
の護衛につとむべし」
58 :
GF長官 :2010/11/06(土) 19:29:43 ID:???
>>57 の続き
つまり手柄を独占されたわけです。
このあたりにオーストラリアの「敵意」がうかがえますね。
それでも南洋諸島占領がすんなり進んだのは、イギリスの支援があったからで、
英国政府は内密に、戦後処理の協力(独植民地の日本委任統治領への移行)を
約束することを条件に、日本海軍の欧州派遣を要請していた。
これが後の第二特務艦隊地中海派遣につながるのですが、それはさておき、
他にも遣米支隊(巡洋艦「出雲」「浅間」、海防艦「肥前」)が西海岸を哨戒するなど、
広範囲の索敵が行われたが、シュペー艦隊は未だ捕捉できず。
59 :
GF長官 :2010/11/06(土) 19:35:31 ID:???
前スレ埋まりました。引き続き宜しくお願いします。 脱線ネタが続いているので、ここらでスレ艦位の測定をしておきましょう。 現在は珊瑚海海戦編です。 日米双方の攻撃と、翔鶴の被弾状況確認まで終わりました。 次はレキシントン沈没ですが、ミッドウェー海戦編前に、最後の懸案事項である ダメコンについてまとめておきたい。 それにはある程度建艦史もおさえておいた方が良いんじゃなイカ? 時代をさかのぼるのなら、ジュットランド海戦もとりあげておかなイカ? それなら英独建艦競争も必要じゃなイカ? というわけで、只今「第一次世界大戦の章〜コロネル沖海戦」であります。 まぁ、こういう言い訳じみた説明が必要になるのも、スレ主の不徳のいたすところ、 この上は中国漁船映像の続きを公開してお詫びを・・・ぐふっ
60 :
GF長官 :2010/11/06(土) 19:55:00 ID:???
>>43 そのツッコミを待っていた! ・・・なんちてな。
>>44 敬礼
>>45 あ・・・URLが変更になってますね。次スレから直しておきます。
61 :
GF長官 :2010/11/06(土) 19:55:42 ID:???
62 :
GF長官 :2010/11/06(土) 19:56:45 ID:???
>>47 この手のレスにはいつもお答えしていると思いますが、
>夜間離艦が可能なベテランのみを選抜して、2時間前に発進繰り上げを準備する時間がある、
>とも判断できないか?
その「夜間離艦が可能なベテラン」は何人確保できるのでしょうか。
それは「第二次攻撃隊からベテランを引き抜く」ということですか?
せっかくの”とっておき”(
>>32 )なのに、基地攻撃に使ってしまってもいいのかな。
同じレス内で「敵艦隊撃滅を第一順位」と書いてあるのに、矛盾を感じませんか。
それとも友永隊のみの選抜で十分ということでしょうか。
そもそも攻撃隊発進を早めるのは、輸送船団攻撃に向かう(はずの)B−17を
発進前に叩くのが目的です。
ある程度数を揃えないことには、「効果不十分→再攻撃要請」となりそうですが・・・
63 :
GF長官 :2010/11/06(土) 19:57:44 ID:???
64 :
GF長官 :2010/11/06(土) 19:58:23 ID:???
>>52 続きが来ましたね。楽しみにしておりました。
>南雲機動部隊を廻る定番の問題提議はほぼ全て存在します。
いやぁ、本編を一行でまとめられてしまったな。
つまり、現在の脱線路線の結論はそういうことですので。
>独地中海艦隊の最大の危機は、アルジェリア砲撃時である。そしてその問題点はスション提督の作戦計画にある」
これは完全に見落としていました。詳しい解説をぜひ。
>>53 そう思います。「索敵考察の章」でも確認しましたしね。
65 :
名無し三等兵 :2010/11/06(土) 20:05:10 ID:???
そいえばGF長官さん。以前の書き込みで、 >また一部兵力をもって、5月12日サマライを攻略し、補給の中継地とし、 とあるけど、これは、 「サマライまで輸送船で運んで、ポートモレスビーまで舟艇機動で補給」 でよかったっけ? 戦史叢書ある図書館が遠いから聞いたんじゃないんだ。決して違うんだ。
66 :
GF長官 :2010/11/10(水) 21:01:58 ID:???
67 :
GF長官 :2010/11/10(水) 22:12:15 ID:???
>>58 の続き
さて英国海軍の方ですが、シュペー艦隊を邀撃するため本国から艦隊が派遣され、
9月14日フォークランドに集結した。
英派遣艦隊(クリストファー・クラドック少将)
装甲巡洋艦「グッドホープ」「モンマス」
戦艦「カノーパス」(前弩級)
軽巡洋艦「グラスゴー」
仮装巡洋艦「オトラント」
なぜクラドック提督は、独艦隊が南米方面に向かっていることを知っていたのか。
確かに仏領タヒチに出現したことは英国にも伝わっていただろうから、ある程度の
予想はつくと思いますけど。
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1276688293/700
68 :
GF長官 :2010/11/10(水) 22:13:35 ID:???
>>67 の続き
その鍵は「暗号解読」でした。
今度の舞台はバルト海へー ほんとに”世界大戦”ですなぁ。
ドイツが最初に戦端を開いたのはロシアです。
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1276688293/496 日本海海戦で壊滅したとはいえ、露海軍は急速に戦力を回復しつつあり、
露バルチック艦隊(ニコライ・フォン・エッセン中将)
戦艦「インペラトール・パウエル一世」「アンドレイ・ベルウォスワニ」「スラヴァ」「ツェザレヴィッチ」
装甲巡「リューリック」「アドミラル・マカロフ」「バヤーン」「バルラダ」「ロシア」「グロムボイ」
軽巡「オーロラ」「ディアナ」「オレーグ」「ポガツィリ」
駆逐艦36隻
全て前弩級戦艦とはいえ、独海軍にとっては侮れない勢力です。
69 :
GF長官 :2010/11/10(水) 22:16:22 ID:???
>>68 の続き
この中で戦艦ツェザレヴィッチについて。
同艦は日露戦争の露旅順艦隊旗艦であり、黄海海戦では三笠の放った一弾が
司令塔に命中し、ウィトゲフト司令長官以下、幕僚全員が戦死。
しかも操舵手が舵輪を左に回したまま絶命したため、急激に回頭して後続艦の
列に突っ込むという事態に。
ツェザレヴィッチは大損害を受けるも、膠州湾に避退。
青島はすでにドイツが租借していたので、官憲の手により武装解除されるも、
戦後ロシアの手に戻り、再び露艦隊の一員に復帰したという流れです。
この黄海海戦、日本側の勝利と言われますが、上記のような大混乱があったの
にもかかわらず、露艦隊は一隻も沈んでいない。
特にツェザレヴィッチは、魚雷防御縦壁が設けられた世界初の戦艦です。
70 :
GF長官 :2010/11/10(水) 22:17:56 ID:???
>>69 の続き
ロシア軍艦の抗堪性に注目したのが独海軍でした。
「膠州湾に抑留されたツェザレヴィッチの状況を、微に入り細をきわめて
研究したのがドイツ海軍だった。甲鉄の耐弾力・防火防水、それらは後の
第一次世界大戦に発揮されたドイツ主力艦における不沈性、すなわち
優秀なるダメージコントロール技術およびその設計、それらの重要なる
参考となったのである」 (『日本戦艦物語』)
先にドイツ海軍が日本海軍のダメコンに学んだことを紹介しましたが、
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1276688293/336 あらゆる戦訓を吸収しようとする貪欲さを感じますね。
71 :
GF長官 :2010/11/10(水) 22:19:58 ID:???
>>70 の続き
そのドイツ海軍ですが、
独バルト海艦隊(ミシュケ少将)
軽巡「アウグスブルク」「マクデブルク」「アマゾーネ」「ウンティーナ」「チェティス」「ガゼル」「リューベック」
駆逐艦数隻
露艦隊と比べると劣勢は否めない。
ところが、露艦隊は指揮権を陸軍が握っていたことや、大規模な作戦には皇帝の
許可が必要だったこともあり、その動きは活発ではなく、むしろ積極的だったのは
独海軍の方でした。
ただ、それがあだとなったのかもしれません。
開戦当日の8月2日、独軽巡「アウグスブルク」と「マクデブルク」はリバウ港砲撃
に成功。続いて8月26日、再度砲撃を企図して濃霧の中を航行中にマクデブルク
が、オーデンスホルム灯台付近で座礁してしまった。
72 :
GF長官 :2010/11/10(水) 22:21:40 ID:???
>>71 の続き
この時、機密書類の処分に不手際があり、暗号書がロシア側に渡ってしまったのです。
更に英国にも伝わり、幸運にも英海軍は相手の手の内を読める状態にあった。
これもどこかで聞いたような話ですねぇ・・・
戦訓「自艦を放棄する際は、機密書類の処分は確実に」
機密と言っても、漁船の衝突映像じゃないですよ〜
あれは機密じゃないしね!
関連した事例は、第四艦隊事件の時にも生じています。
とはいえ、ミッドウェーと同じく、暗号解読情報というのは、どこまで採用するかは
指揮官の裁量に委ねられるところ。今回も、シュペー艦隊がチリ沿岸を通ること
までは分かっていたが、それが何時になるかは不明。
そこで、クラドック艦隊はフォークランドを出港してホーン岬を回り、バルパライソ
で待ち伏せることにしました。
73 :
GF長官 :2010/11/10(水) 22:27:24 ID:???
[コロネル沖海戦要図] □□□□□□□□□□□□□□□□□□ □□□□□□□□□□□□□□□□ クラドック艦隊△ ■(バルパライソ) □□□□□□□ □□□□□□□□□□□□□□ □□□■(サンディアゴ) □ □□□□□□□□□□□ □□□□□□□□□■ブエノスアイレス ←イースター島 □□□□□□□□ □□□□□□ □□□□□ コロネル■□□□ □□□ □□ □□ ■フォークランド諸島 □□ □□□ ホーン岬
74 :
GF長官 :2010/11/11(木) 21:17:36 ID:???
>>73 の続き
もちろんシュペー提督の方も、ただで通してくれるとは思ってなかったでしょう。
しかし目的はドイツ本国への帰還ですから、出来るだけ戦闘は避けたいところ。
このあたりはゲーベン追跡戦のスション提督とよく似ていますね。
通信諜報により独艦隊の接近を知ったクラドック少将は、10月29日バルパライソを出撃、
偵察のため軽巡グラスゴーを分派し、また哨戒中の戦艦カノーパスに合同を命じた。
クラドック提督の作戦は、
「チリ沿岸を南下する独艦隊を西(沖)側から攻撃する」
ちょうど陸地との間に挟むような形になります。
75 :
GF長官 :2010/11/11(木) 21:18:24 ID:???
76 :
GF長官 :2010/11/11(木) 21:32:53 ID:???
[コロネル沖海戦](1617時) ┃ □□□ ┏┛ □□□ ▼軽巡ドレスデン □□□ ▼軽巡ライプチヒ □□□ ▼装甲巡グナイゼナウ □□□ ▼装甲巡シャルンホルスト □□□ ┏┛ □□□ ↓ □□□ □□□ ■サンタマリア島 □□□ □□□ ↑ □□□ ┌┘ コロネル■□□ 装甲巡グッドホープ△ □□□ 装甲巡モンマス△ □□□ 軽巡グラスゴー△ □□ アラウコ湾 □□□ 仮装巡オトラント△ □□ □□□ ┌┘ □□□□□□□□□□□□□ │ □□□□□□□□□□□□□
77 :
GF長官 :2010/11/11(木) 21:36:59 ID:???
>>76 の続き
(註)独艦隊旗艦は装甲巡洋艦シャルンホルスト(シュペー中将坐乗)
英艦隊旗艦は装甲巡洋艦グッドホープ(クラドック少将坐乗)
独軽巡ニュルンベルクは偵察のため分派中、後に本隊と合同する
英戦艦カノーパスは合同予定だったが、機関故障のため戦闘に間に合わず
先のゲーベン追跡戦のような”追いかけっこ”でもなく、
ヘルゴラント・バイト海戦のような奇襲でもない。
ともに装甲巡洋艦2隻+軽巡数隻の互角の兵力、
第一次大戦開戦以来、初の英独海上決戦です。
両提督の采配に注目しましょう。
78 :
GF長官 :2010/11/13(土) 19:43:38 ID:???
>>77 の続き
クラドック少将は、まず軽巡グラスゴーと仮装巡オトラントを分離し、敵艦隊へ
突入させます。
[コロネル沖海戦](1630時)
┃
┏┛
▼軽巡ドレスデン
▼軽巡ライプチヒ
▼装甲巡グナイゼナウ
▼装甲巡シャルンホルスト
┏┛
↓
↑
┌┘
△軽巡グラスゴー
△仮装巡オトラント
↑ ┌┘
└┐
△装甲巡グッドホープ
△装甲巡モンマス
└┐
79 :
GF長官 :2010/11/13(土) 19:56:56 ID:???
>>78 の続き
これは敵の目をあざむくための囮であり、自身は装甲巡洋艦2隻を率いて北西に変針、
独艦隊と交差したところで東に転舵し、太陽を背にして真西から突入するという計画でした。
敵前大回頭ならぬ敵側大回頭、「クラドックターン」とも名付けておきましょう。
1700時、距離2万メートルまで接近したところで、陽動の役目を終えた2隻は反転、
南西方向へ避退した。
同時に、真東へ転舵した装甲巡グッドホープとモンマスは独艦隊に突撃を開始した。
[コロネル沖海戦](1700時)
┃
┏┛
▼軽巡ドレスデン
▼軽巡ライプチヒ
装甲巡グッドホープ ▼装甲巡グナイゼナウ
┌──△△→ ▼装甲巡シャルンホルスト
└┐モンマス ┏┛
└┐ ↓
└┐
┌──┐
┌┘ ▽軽巡グラスゴー
┌┘ ▽仮装巡オトラント
↓
80 :
GF長官 :2010/11/13(土) 20:18:10 ID:???
>>79 の続き
ただこのまま突入すると、「逆丁字」になってしまいますね。
クラドック提督がそれを承知していなかったとは考えにくい。
当時世界の海軍軍人にとって、最大の”戦訓”は日本海海戦ですから。
それでもあえて採用したのは、彼が自艦隊の「火力の劣勢」を認識していた
からだと思われます。
英独双方の主砲を比較すると、
(英)装甲巡洋艦グッドホープ 9.2インチ砲×2門
モンマス 6インチ砲×14門
(独)装甲巡洋艦シャルンホルスト 8.3インチ砲×8門
装甲巡洋艦グナイゼナウ 8.3インチ砲×8門
ゲーベン追跡戦でも確認した通り、伝統的に英国側が主砲の口径は大きい。
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1276688293/615 しかし総合力で見ると、新鋭装甲巡洋艦2隻を揃えた独側が有利です。
普通に同航戦や反航戦になれば苦戦が予想される。
そこで最短時間で近接できるよう直交針路をとり、逆光となる太陽光を利用する。
敵が陽動部隊に惑わされて照準修正に手間取る間に自軍に有利な射程を得る。
そして、右に転舵して南下同航戦にもちこめば、勝機を見出せると考えたのでは
ないでしょうか。
ただし戦争は相手のあるものですから、思い通りに動いてくれるとは限らない。
続いてシュペー提督はどう動いたのか。
81 :
GF長官 :2010/11/15(月) 21:12:02 ID:???
>>80 の続き
シュペー中将はクラドック少将の狙いを、冷静に分析していたようです。
「クラドック提督としては、太陽を背にしているうちは敵艦の照準が困難である
ことから交戦を急いだが、ドイツ側もそれに気付き、相手との距離を保って時間
を稼いだ。
やがて夕陽が沈むと形勢は逆転した。イギリス側が夕焼けの空にくっきりと
浮かび上がったのに対し、ドイツ側は背後の陸地と重なって見づらくなったの
である。
また風下のグッドホープには照準が難しく、逆にシャルンホルスト・グナイゼナウ
からは容易であった」 (『死闘の海』)
太陽や月光、そして風向まで味方につけて戦わねばならない艦隊指揮官は
”無能”じゃ務まりませんよねぇ。
82 :
GF長官 :2010/11/15(月) 21:18:35 ID:???
>>81 の続き
陽動に分派された英軽巡グラスゴーと仮装巡オトラントは、再び本隊に合流し、
両艦隊は南下同航戦に移った。
[コロネル沖海戦](1820時)
┃
────┐ ┏┛
└┐ ┏┛
└┐ ┃
仮装巡オトラント▽ ▼軽巡ドレスデン
軽巡グラスゴー▽ ▼軽巡ライプチヒ
装甲巡モンマス▽ ▼装甲巡グナイゼナウ
装甲巡グッドホープ▽ ▼装甲巡シャルンホルスト
└┐ ┏┛
↓ ↓
83 :
GF長官 :2010/11/15(月) 22:06:49 ID:???
84 :
GF長官 :2010/11/16(火) 21:13:17 ID:???
>>83 の続き
戦闘は一方的な展開となり、1950時、英装甲巡グッドホープの後部煙突下部で
爆発が起こり、1957時沈没した。
クラドック少将以下、全員が同艦と運命をともにしています。
[コロネル沖海戦](1957時)
┏┛
└┐ ┏┛
└┐ ┃
仮装巡オトラント▽ ▼軽巡ドレスデン
軽巡グラスゴー▽ ▼軽巡ライプチヒ
装甲巡モンマス▽ 装甲巡グッドホープ ▼装甲巡グナイゼナウ
│ └─▽→× ▼装甲巡シャルンホルスト
│ 沈没(1957時) ┏┛
↓ ↓
85 :
GF長官 :2010/11/16(火) 21:24:16 ID:???
>>84 の続き
二番艦モンマスもグナイゼナウからの命中弾で火災が発生し、戦闘能力を
失っていた。
ここで偵察のため分派していた独軽巡ニュルンベルク(
>>77 )が本隊に合同。
本隊は残る軽巡グラスゴーと仮装巡オトラントを追撃し、新たに戦列に加わった
ニュルンベルクが、モンマスにとどめを刺した。
[コロネル沖海戦](2118時)
└┐装甲巡モンマス ┏┛
└─▽→× ←▼┛
沈没(2118時) 軽巡ニュルンベルク
┌┘ ┏┛
┌┘ ┃
仮装巡オトラント▽ ▼軽巡ドレスデン
軽巡グラスゴー▽ ▼軽巡ライプチヒ
┌┘ ▼装甲巡グナイゼナウ
┌┘ ▼装甲巡シャルンホルスト
←┘ ←┛
86 :
GF長官 :2010/11/16(火) 21:31:09 ID:???
>>85 の続き
当時の海上模様については、
「折からの激浪により、砲撃の照準は困難を極め、低い位置に装備されていた砲の
大半が使用できなかった。しかしドイツの装甲巡2隻は同海軍屈指の射撃優秀艦で
あったこともあり、動揺は大きな障害とはならなかった」 (『死闘の海』)
シュペー提督は戦闘後に、沈没したモンマスの生存者救助を命じましたが、上記の
ような状況、しかも日没後であったため救助活動は困難を極め、一人も発見する事
は出来なかったと言います。
87 :
GF長官 :2010/11/17(水) 21:26:55 ID:???
おつかい出来たよ!
>>86 の続き
シュペー本隊はその後も追撃を続けますが、すでに薄暮から完全に夜間となり
2隻とも見失ってしまった。
独側の被害はグナイゼナウに小火災が発生した程度で、文字通りの圧勝でした。
「シュペー艦隊の勝因が、上層部の的確な指揮と各艦の正確な砲撃技術にあったのは
言うまでもない。逆にクラドック艦隊の敗因は数々あるが、最大のそれは勝負を急ぎ過ぎ
たことにある。
イギリス艦隊には強力な援軍の当てがあったのに対して、ドイツ艦隊は全くの孤立無援
であるから、敵につかず離れずの状態で有利な態勢が整うまで待つべきであった」(『死闘の海』)
88 :
GF長官 :2010/11/17(水) 21:28:45 ID:???
>>87 の続き
三野氏の評価は手厳しいですが、本職はそうでもありません。
”優越した敵兵力”に対したトルーブリッジ少将ならまだしも、
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1276688293/624 ほぼ互角の敵艦隊相手に戦闘を避けたとあっては、「見敵必戦」英国海軍の伝統は
地に堕ちてしまうでしょう。
クラドック少将の敢闘精神を讃えたいと思います。
あえて注文を付け加えるならば、せっかく暗号解読により待ち伏せしていたんだから、
正面からの艦隊決戦ではなく、奇襲を成功させたかったですね。
敵に発見される前に第一撃を与えることが出来れば、勝機はあったかもしれない。
89 :
GF長官 :2010/11/17(水) 21:30:29 ID:???
>>88 の続き
なお引用文中の「イギリス艦隊の強力な援軍」については、本編の都合上、説明を
省いておりましたが、次回の海戦の主役となります。乞うご期待。
その前に雑感を少し、
コロネル沖海戦の経過は、ミッドウェー海戦と似ているように思うんですよねぇ。
暗号解読とか、待ち伏せとか、待ち伏せしている方が兵力劣勢であるところなんかも。
ほら、シュペーが南雲に、クラドックがスプルーアンスに見えてきませんか?
(ちょっと無理があるかな・・・)
ただ大きく異なるのは、ミッドウェーの場合、米海軍は決戦海面が根拠地から近いので、
支援が受けやすい(兵力増強や基地空による哨戒等)のに対して、コロネルの英艦隊は、
本国からも隔絶しているので、手持ちの兵力のみで戦わねばならなかったところ。
90 :
GF長官 :2010/11/17(水) 21:33:22 ID:???
>>89 の続き
暗号解読は勝因の一つに数えることは出来ますが、決定的な勝因とまでは言えない。
それが役立つのは「我が企図を秘匿しつつ、敵艦隊の予想針路上に味方兵力を集中する」
せいぜいここまでであり、交戦が始まったら後は現場の指揮官に委ねられる。
すなわち「適切な状況判断」と「迅速な決断」。
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1276688293/472 前スレの繰り返しになりますが、水上砲戦と比べて空母戦の方が「決断に迅速性が求められる」
ような印象があるけれども(即時発進の意見具申などはその典型)、相対距離から考えれば、
むしろ逆ではないかと。
なにせ敵艦隊は目の前に居るわけですからね。
本海戦でクラドック少将は、自艦隊を二手に分けて一方を陽動に用いるという作戦を用いたが(
>>79 )
独艦隊を視認してから行動に移すのだから、躊躇している時間はない。
「迅速な決断」は空母戦特有のものではないと考えます。
続いて「適切な情勢判断」と暗号解読との関係を考察してみたいと思います。
91 :
GF長官 :2010/11/18(木) 22:09:25 ID:???
92 :
GF長官 :2010/11/18(木) 22:11:13 ID:???
>>91 の続き
空母部隊が機動部隊たる所以である「機動性」が遺憾なく発揮されていますね。
ミッドウェーにおいて、
「そんなに輸送船団が心配なのなら(
>>14 、
>>30 )、南雲機動部隊を随伴させれば
良かったじゃないか」
との意見が、過去スレでも何度かありました。
本職は反対の立場です。
低速かつ大集団の船団と行動を共にすることは、空母機動部隊の最大の強みで
ある「神出鬼没」を阻害してしまうからです。
93 :
GF長官 :2010/11/18(木) 22:12:58 ID:???
>>92 の続き
「しかし今度の予想される上陸作戦(ガダルカナル)では、エンタープライズ以下の
空母は敵の空襲から海兵隊を守り、さらに必要な航空支援を与えるために、戦闘機
が上陸地点にすぐに行ける範囲内に止まらなければならないであろう。
それは敵が簡単に計算できるかなり小さい区域に、陸上基地の航空隊が十分な戦力
を備えて、空母と交替するまで止まることを意味していた。
簡単に言えば、空母の一番の利点である機動性を自ら放棄するのだった。果てしない
海から現れて攻撃し、そして再び海へと姿をくらまし、次の日は1千キロも離れた場所
を攻撃するという機動性を」 (『空母エンタープライズ』)
もしそんなことをしようものなら、南雲機動部隊は4隻の空母で
「基地制圧」「敵空母捜索」「敵空母攻撃」「自隊直衛」「船団護衛」
以上を”同時に”こなすことになり兼ねない。
これでは、先任参謀殿ではないけれど、零戦がいくらあっても足りなくなる。
94 :
GF長官 :2010/11/18(木) 22:14:32 ID:???
>>93 の続き
ただミッドウェーで、米海軍の暗号情報が有益だったと思うのは、南雲艦隊の
「来襲方向」を解読していたこと。
決戦前日の6月4日、哨戒中のPBY(リード少尉機)が日本軍攻略船団を発見。
The first contact was at about 0900 when a large number of ships (later reported as 11)
were sighted by a Navy patrol plane, bearing 261° distant 700 miles from Midway,
reported course 090, speed 10.
「最初の接触は6月3日0900頃(日本時間6月4日0600頃)だった。
日本軍の大船団(後の報告によれば11隻)を、海軍の哨戒機が発見した。
ミッドウェー島よりの方位261度・700浬、敵針90度・速力10節」
(註)前日の経過は以下を参照のこと。
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1263203379/259
95 :
GF長官 :2010/11/18(木) 22:15:55 ID:???
>>94 の続き
問題は、リード少尉の報告電文であり、
第一電「敵主力部隊発見」(Main Body)
最終電「11隻、針路090、速力19ノット」
1100時(0800時)同機は別にPBYと触接交代し帰投している。
その後3機のPBYが船団に触接を継続していたが、1機も「艦種」について報告していない。
まさに利根四号機と同じく、「艦種確メ触接セヨ」(
>>34 )と催促しなければならない状況だった。
「敵主力部隊」と聞けば、それはすなわち「南雲機動部隊」のはず。
もしこの報を受けて、待機中の米空母部隊が攻撃隊を発進させていたとしたら・・・
歴史は大きく変わっていたでしょう。
96 :
GF長官 :2010/11/18(木) 22:17:04 ID:???
>>95 の続き
しかし史実では、そうはなりませんでした。
「ニミッツはこの発見報告の持つ危険性を即座に感じ取っていた。
発見位置からこの日本艦隊は攻略部隊と思われるが、”主力部隊”という文言から
洋上にいる米艦隊が空母部隊であると誤断して行動を起こすおそれがあると判断
したのである。
同日午後早くには太平洋艦隊司令部から洋上にある第16・17任務部隊に対して
”これは主力部隊ではない。繰り返す、これは敵の空母部隊ではない”との緊急電
が送られた」 (『歴史群像(55)日米空母決戦ミッドウェー』)
ニミッツ提督の慧眼と言えるでしょう。
もっともフレッチャー少将も同じ判断をしていたため、要らぬ心配だったようですが。
97 :
GF長官 :2010/11/18(木) 22:18:26 ID:???
>>96 の続き
なぜ彼らが「発見位置からこの日本艦隊は攻略部隊と思われる」と判断できたのか。
それは事前の暗号解読情報により、南雲機動部隊は、
「6月4日0700頃(日本時間5日0400)、ミッドウェー島の北西325度・距離175浬」
で発見されると”知っていた”からです。
ここで大事なのは、6月4日でも0700時でも、175浬でもありません。
「ミッドウェー島の北西325度」です。
リード少尉機による「主力部隊」は、「方位261度(西南西)だから南雲機動部隊ではない」
と推定することが出来た。
98 :
GF長官 :2010/11/18(木) 22:21:08 ID:???
99 :
GF長官 :2010/11/20(土) 18:58:05 ID:???
100 :
GF長官 :2010/11/20(土) 18:59:52 ID:???
>>99 の続き
しかし珊瑚海海戦で見ると、必ずしもそうではない。
攻略地であるポートモレスビーに対する「事前空襲」は第五空襲部隊のみ。
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1228736921/48-49 空母部隊による攻撃は行われていない。
それどころか、上陸作戦において最大の障害になると思われる豪州基地航空隊
(クックタウン、タウンスビル
>>35 )に対する「事前空襲」も全くない。
MO機動部隊は「米空母撃滅」に専念しているのです。
もし米海軍が”直近の戦訓”である日本軍のMO作戦を詳細に分析していたならば、
「ミッドウェー島へ向かう日本軍輸送船団を発見した
→近日中に日本軍空母部隊による基地空襲が行われる」
と判断するのは、かえって危険です。
101 :
GF長官 :2010/11/20(土) 19:02:44 ID:???
102 :
GF長官 :2010/11/20(土) 19:05:31 ID:???
>>101 の続き
ここで言いたいのは、
一つの戦訓が他の全ての海戦に於て”無条件で”通用するわけではないということ。
珊瑚海海戦編で何度も出てきましたが、戦場では思いもしなかったことが起こり、
理論通りにはなかなか進まないもの。
だからこそ、その場その場に応じて、「適切な情勢判断」をする艦隊指揮官が
必要になってくるのです。
誤解を恐れずに申し上げるならば、
当時最強の機動部隊を率いて、空母4隻全滅なんて有り得ない。
どんなド素人が指揮しても、あれよりひどい惨敗は無いんじゃないかと思うくらい。
・・・南雲大将、ごめんなさい。
それほどミッドウェー海戦は、その展開が劇的であり典型的であった。
故にこれまで戦訓の代表として言及され、これからもそれは変わらないでしょう。
しかし、本職に言わしむれば、ミッドウェー海戦の事例をそのまま採用して、
「空母戦術」を論ずることは、かえって本質を見誤るのではないかと危惧するのです。
103 :
GF長官 :2010/11/23(火) 21:25:51 ID:???
まさかの砲撃戦・・・!
>>102 の続き
フォークランド沖海戦(大正3年12月8日)
七つの海を制した大英帝国海軍が、この屈辱を黙って見過ごすわけがない。
コロネル沖惨敗の報を受けて、本国では急遽増援部隊が編制された。
英南大西洋艦隊(ダブトン・スタディ中将)
巡洋戦艦「インヴィンシブル」「インフレキシブル」
装甲巡洋艦「コーンウォール」「ケント」「カーナヴォン」
軽巡洋艦「ブリストル」
仮装巡洋艦「マセドニア」
ここにコロネル沖海戦の生き残り、前弩級戦艦「カノーパス」・軽巡「グラスゴー」が
加わります。
先のクラドック艦隊(
>>67 )と比べれば一目瞭然。
10隻しかない巡戦を2隻も投入している。地中海艦隊ですら3隻でしたから、
その並々ならぬ決意がうかがえます。
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1276688293/498
104 :
GF長官 :2010/11/23(火) 21:27:26 ID:???
>>103 の続き
同艦隊は11月11日に本国を発ち、12月7日フォークランド諸島ポートスタンリーに入港。
フォークランドの位置は
>>73 の通り。南大西洋における、英国の根拠地(給炭港)でした。
一方の独艦隊ですが、コロネル沖海戦の後、バルパライソ(
>>73 )に凱旋し石炭を補給。
この時点で弾薬の残量は定数の半分まで落ち込んでいた。
しかし、シュペー提督が帰国を急いでいた様子は見られない。
バルパライソを出港し、12月1日、マゼラン海峡に浮かぶ無人島マサフエラに停泊。
石炭船からの補給を受け、12月5日に出立、大西洋に入った。
コロネル沖海戦が11月1日だから、1ヶ月以上もチリ沿岸に滞在したことになる。
当初はラプラタ、ニューヨークを経由してドイツへ戻る計画だったらしい。
第一次世界大戦が始まったとはいえ、当時はアメリカを始めとして南北アメリカは
中立を維持しており、ドイツと直接敵対する国はない。
105 :
GF長官 :2010/11/23(火) 21:29:01 ID:???
>>104 の続き
しかし、たった一つの例外がありました。それがフォークランド。
そこでシュペー提督は予定を変更して、フォークランド砲撃を提案。
当然ながら参謀たちは反対します。彼らの最優先任務は「本国への帰還」。
戦闘や弾薬の消費は可能な限り避けなければなりません(
>>74 )
結局、シュペー案は採用されました。
”コロネル沖海戦大勝利”の手土産だけでは不足と思ったのだろうか。
シュペー君、小学生の時先生から言われなかったね?
「道草をくわずに、まっすぐお家に帰りましょう」と。
106 :
GF長官 :2010/11/24(水) 21:36:13 ID:???
>>105 の続き
運命の12月8日、自らの命日の夜明けに何を思ふ。
まずシュペー提督は、先遣隊として装甲巡グナイゼナウと軽巡ニュルンベルクを先行。
0750時、フォークランド島サパーズヒル見張所が、南西水平線上に2隻の軍艦を発見、
「敵艦隊見ユ、針路北東」
この時の英艦隊は・・・
>>104 の通り、12月7日午前ポート・スタンリーに入港後、午後から補給作業を開始した。
装甲巡カーナヴォン、軽巡グラスゴーが載炭開始(翌8日0420時終了)
8日0500時から巡戦インヴィンシブル載炭開始。
0720時から巡戦インフレキシブル、軽巡ブリストル載炭開始。
以上のように、前日に長い航海を終えて到着したばかりの各艦は補給の途中だった。
載炭が完了したのはカーナヴォンとグラスゴーだけで、装甲巡コーンウォールとケントは
補給待ちの状況。巡戦2隻は始めたばかりで、軽巡ブリストルに至っては主機故障のため、
ボイラーの火を落としていた。
107 :
GF長官 :2010/11/24(水) 21:41:49 ID:???
108 :
GF長官 :2010/11/24(水) 21:43:27 ID:???
109 :
GF長官 :2010/11/24(水) 21:45:42 ID:???
110 :
GF長官 :2010/11/24(水) 21:53:23 ID:???
[フォークランド沖海戦](1000時) ■ポート・スタンリー └┐ ▽装甲巡コーンウォール ▽巡戦インヴィンシブル(英艦隊旗艦・スタディ中将) ▽巡戦インフレキシブル ▽装甲巡カーナヴォン ▽装甲巡ケント ▽軽巡グラスゴー └┐ ↓ ┗┓ ▼軽巡ニュルンベルク ▼装甲巡グナイゼナウ(独先遣隊) ┗┓ ↓ ┏→ ▲装甲巡シャルンホルスト(独本隊旗艦・シュペー中将) ▲軽巡ライプチヒ ▲軽巡ドレスデン ┏┛
111 :
GF長官 :2010/11/25(木) 19:05:56 ID:???
>>110 の続き
1020時には英巡戦は早くも26ノットに増速、前方のカーナヴォンとケントを
追い抜きます。出港20分でいきなり最大戦速だ!
2隻は11月8日デヴォンポート工廠の乾ドックに入り、艦底を徹底的に清掃、
塗装もし直して、9日にはスタディ提督の中将旗を掲げ、11日にあわただしく
出港してフォークランドへやって来ました。
十分な整備が最高速力を発揮させたのでしょう。
特にインフレキシブルは、地中海でスション提督の「機関増速せよ、23ノット」
にしてやられた苦い経験がありますからね。
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1276688293/590 機関員たちも最速の誇りをかけて、気合が入っていたと思われます。
112 :
GF長官 :2010/11/25(木) 19:07:15 ID:???
>>111 の続き
対する独艦隊の方は、8月の開戦から12月まで長い航海の中で艦底が汚れ、
せいぜい20ノット止まりであった。
一般的に、半年間ドック入り(艦底清掃)を行わないと、速力は3〜4ノット低下
すると言われています。
1050時、独艦隊本隊と先遣隊が合同。
シュペー提督は、巡戦相手では勝負にならないと判断し、南東へ離脱を開始した。
しかし、この決断はいささか遅すぎたようです。
どうも今回はいつもの”冴え”が見られませんなぁ・・・鈍感すぎよ、シュペーさん♪
この時点で、英艦隊先頭の軽巡グラスゴーと、独艦隊との距離は12浬(33km)
参考までにジュットランド海戦では、巡戦同士が距離15km(8浬)で射撃を開始
している。6ノットの速力差ならば、わずか30分余りで射程に入ってしまう。
もはや、万事休すか。
113 :
GF長官 :2010/11/25(木) 19:12:00 ID:???
[フォークランド沖海戦](1050時) └┐ ▽装甲巡コーンウォール ▽ 装甲巡カーナヴォン ▽ 装甲巡ケント ▽巡戦インフレキシブル ▽ 巡戦インヴィンシブル(スタディ中将) ▽軽巡グラスゴー └┐ ↓ ┗┓ ▼軽巡ニュルンベルク ▼軽巡ドレスデン ▼軽巡ライプチヒ ▼装甲巡グナイゼナウ ▼装甲巡シャルンホルスト(シュペー中将) ┗┓ ↓
114 :
GF長官 :2010/11/25(木) 19:12:58 ID:???
明日より東京へ行って参ります。 いつもの通り靖国参りです。 それではまた来週・・・でゲソ
115 :
GF長官 :2010/11/25(木) 21:57:42 ID:???
>>113 訂正 独艦隊の航行序列が違っておりました。
[フォークランド沖海戦](1050時)
└┐
▽装甲巡コーンウォール
▽ 装甲巡カーナヴォン
▽ 装甲巡ケント
▽巡戦インフレキシブル
▽ 巡戦インヴィンシブル(スタディ中将)
▽軽巡グラスゴー
└┐
↓
┗┓
▼軽巡ライプチヒ
▼軽巡ドレスデン
▼軽巡ニュルンベルク
▼装甲巡シャルンホルスト(シュペー中将)
▼装甲巡グナイゼナウ
┗┓
↓
116 :
GF長官 :2010/11/28(日) 18:33:03 ID:???
今回の上京目的は、国立科学博物館。
年頭にも紹介しましたが、今年は本邦航空発祥百周年ということで、
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1253350314/712 「空と宇宙展〜飛べ!100年の夢」が開催中です。
目玉は、はやぶさの実物大模型ですが、本職のお目当ては大戦機の方。
その中で九七大艇の模型があり、機首に「綾波」の文字が・・・
調べてみたら民間機の名前だったようですね。
「また輸送機型の九七式輸送飛行艇(乗員8・客席18)が34機製作され、
うち18機が大日本航空海洋部で1940〜45年にかけて、
横浜ーサイパンーパラオーティモール線、サイゴンーバンコック線、
サイパンートラックーポナペーヤルート線などの南方空路に就航した。
民間名は川西式四発飛行艇。初期には”綾波””漣(さざなみ)””磯波”など波の
名が付けられたが、後には”巻雲””叢雲””白雲”など雲の名に改められた」
(『年表世界航空史』)
117 :
GF長官 :2010/11/28(日) 18:34:21 ID:???
118 :
GF長官 :2010/11/28(日) 18:36:41 ID:???
>>117 の続き
同書の編纂時点では、「ヘルゴランドバイト海戦」との名前はまだなく、一般的に
「8月28日の戦闘」と呼称されていたようです。
大本営発表では、「本海戦を○○と呼称す」と必ず最後にありますが、ドイツでは
また違ったのだろうか。
文中にある通り、「精神的方面の弱点」とは戦意不足の事ではなく、逆に戦意が
ありすぎて判断を誤ったと指摘している。
「8月28日の戦闘により将来の教訓とすべきは、前哨艦艇が優勢なる敵艦を
発見したるときは、直にヘルゴランドの射程内に退き、英艦をして我が軽艦艇に
対し、より以上の打撃を与えざらしむるにあり」
つまりドイツの軽巡と駆逐艦は、会敵した時すぐに戦闘に入るのではなく、
いったんヘルゴランド島の射程内に退くか、増援部隊の到着を待って交戦
すべきであったと結論づけている。
「すなわち将来敵が之と類似の行動を為せる場合、味方の部隊は忍び難き
を忍び極力抑制するか、然らずんば敵潜水艦の危険を顧みず、即刻全艦艇
を挙げて出動せしむるにあり」
”忍び難きを忍び”あたりは、ずいぶん訳者の思想が混じっているようですが・・・
日本人に受け入れやすい言い回しだと思いますね。
119 :
GF長官 :2010/11/28(日) 18:38:12 ID:???
120 :
GF長官 :2010/11/28(日) 18:40:03 ID:???
>>119 の続き
実は、トルーブリッジ少将は日露戦争の時、観戦武官として三笠に乗艦していた。
黄海海戦の直前に交替して帰国したため、日本海海戦は目撃しておりませんが、
仁川海戦(明治37年2月9日)の報告書にこうあります。
「2月9日、仁川では日本艦隊は8000ヤードから射撃を開始した。旅順沖では
1万2000ヤードの距離から発射された弾丸が港内に到達したのは確実である。
決定的な要因は大口径砲によるものだった。いかなる国もまだ実験としても
8000ヤードの距離で実弾射撃を行ったか疑わしい。だが、この射撃により
三隻のロシア艦が港内に遁走したのは事実である」
この中で「決定的な要因は大口径砲によるものだった」に注目して下さい。
観戦武官に派遣されるということはエリートの証であり、水上砲戦の専門家
であったことが分かります。
121 :
GF長官 :2010/11/28(日) 18:41:51 ID:???
>>120 の続き
その彼が「将来の砲戦では主砲の大口径化が勝負の鍵となる」と報告したことが
きっかけで”単一巨砲艦”ドレッドノートの誕生につながるのですが、それはさておき
これらの「経歴」(経験)が、ゲーベンとの決戦を思いとどまらせたのではないのか。
装甲巡洋艦(9.2インチ砲)が4隻揃っていても、1隻の巡洋戦艦(11インチ砲)には
かなわない。これが彼の中での「戦術」だったのです。
ここから専門家として知識や経験が、”常に”作戦指揮に役立つものではない。
余計な先入観からその積極性を奪うことにもなりかねない、と言えないでしょうか。
もちろん、「だから素人でも問題ない」と言いたいのではありません。
「専門家=戦術をよく理解している=作戦指揮に有利」
この論法に無条件では首肯できないということです。
今更ですが、戦闘指揮は理論通りにいかないもので、
理に適った判断をしても敗れることもあれば、その逆もある。
基本戦術と呼ばれるものは、あくまでも原則であって、状況に応じて指揮官が判断する必要がある。
そういう意味で、水雷戦でも空母戦でも「共通分母」に大差はないと考える次第です。
負けるにも戦訓を残す負けをする というのも指揮官の一つの能力と思うな。 何も残らない下らない負け方はしない。 多分素人だと、この下らない負けが増えるんだよ。
あ、あと綾波って有名な殊勲艦が2代目で、たしか自衛隊に3代目がいるんだよねw
124 :
GF長官 :2010/12/01(水) 21:12:57 ID:???
125 :
GF長官 :2010/12/01(水) 21:29:01 ID:???
>>115 の続き
御覧の通り、典型的な正尾追撃戦。
逃げる独艦隊に追う英艦隊の構図は、次のドッガーバンク海戦でも再現されます。
ただ英巡戦がずっと26ノットで航行していたわけではない。
最大戦速で連続運転していたら、あっという間に燃料が無くなってしまうし、2隻だけ
突出するのも陣形的に好ましくない。
1107時、インヴィンシブルから独艦隊の艦橋を捉えたところで、19ノットに減速。
後続艦との合同を図ります。
更に1130時には、スタディ長官から「昼食可能」と各艦に下令。
確かにお昼どきではありますが、ずいぶんと余裕がありますねぇ。
これは当時の砲戦ならではの風景で、敵艦の煤煙を発見してから射程に入るまでは
比較的時間の余裕がある。空母戦が常に奇襲を警戒せねばならないのとは対照的。
126 :
GF長官 :2010/12/01(水) 21:30:28 ID:???
>>125 の続き
といっても全員が食堂に行ってカレーライスを・・・というわけではない。
おそらくは戦闘配置に就いたままの戦闘配食だったと思われます。
イギリスだから、やっぱり紅茶にサンドイッチかな?
実際は、乗員が身体を洗って載炭服から戦闘服に着替えていたようです。
1205時、装甲巡洋艦カーナヴォンから「18ノットを発揮し得ず」と信号、
スタディ長官は「コーンウォールを先行させよ」と返信。
これで、カーナヴォンが殿艦となった。
後のジュットランド海戦では、主力艦がその火力を発揮するには速力が不可欠で
あることが明らかになった。
12インチ砲を搭載していても、20ノット出せなければ、全く戦線には寄与できない。
この頃なら、扶桑も”低速戦艦”なんて呼ばれることは無かったんだがなぁ・・・
陣形を整えたのを確認したスタディ提督は、1220時再び増速(22ノット)を下令。
カーナヴォンは後落していきます。
127 :
GF長官 :2010/12/01(水) 21:32:17 ID:???
[フォークランド沖海戦](1220時) └┐ ▽ 装甲巡カーナヴォン └┐ └┐ ▽装甲巡コーンウォール ▽ 装甲巡ケント ▽巡戦インフレキシブル ▽ 巡戦インヴィンシブル(スタディ中将) ▽軽巡グラスゴー └┐ ↓ ┗┓ ▼軽巡ライプチヒ ▼軽巡ドレスデン ▼軽巡ニュルンベルク ▼装甲巡シャルンホルスト(シュペー中将) ▼装甲巡グナイゼナウ ┗┓ ↓
128 :
GF長官 :2010/12/01(水) 21:42:52 ID:???
>>127 の続き
ついに1247時、英巡戦は独艦隊を射程に捉え、スタディ長官より「射撃開始」
が命令された。
それを受けて1255時、インフレキシブルが独艦隊最後尾の軽巡ライプチヒに
対して初弾発射(距離14600メートル)
続いて旗艦インヴィンシブルも発砲開始。
続いて「先頭より分火」が下令された。
味方の1番艦が敵の1番艦を、2番艦が敵の2番艦を目標にせよという意味です。
すなわち、英艦隊先頭のインヴィンシブルが独艦隊先頭のグナイゼナウを、
次のインフレキシブルがシャルンホルストを狙うことになります。
シュペー提督には苦渋の決断が迫られる。
南雲閣下! 拳銃にしとく ∧∧ 介錯は御入り用でしょうか! ∧_∧ (Д゚#) (; ´∀`) .| ∪ ( 可二) | |\ (__(___,,^_、 し^J
130 :
GF長官 :2010/12/05(日) 23:24:19 ID:???
師走に入りまして、毎年恒例の冬期攻勢が始まった模様(仕事の話です) 圧倒的な物量を前にして我が防衛線は崩壊寸前、もはや各員の気迫のみが頼り・・・ガッ(通信途絶) まずは本編が滞っている現状についてお詫びを。 落ち込んだりもしたけれど、GF長官は元気です。 年末までにジュットランド海戦導入まで終わらせたいと考えていますが、さてさて・・・ それはさておき、今読んでいるのは『ガダルカナル』(辻政信/著) 多少の脚色はあるものの偽らざる内情告白といった感じ。
131 :
GF長官 :2010/12/05(日) 23:25:56 ID:???
>>130 の続き
ガ島撤退をめぐる陸海軍の打ち合わせにて、
陸軍「弾薬と糧食がなくて戦争に勝てるか!ガ島はそもそも海軍が油断して敵に取られ、
陸軍がその巻き添えを食ったのが事の起こりではないか。兵員を空手で上陸させて
おいて、補給を絶って戦争が出来るか」
海軍「それでは補給をやろう。どれだけの兵力と弾薬があれば成功できるか」
陸軍「敵と同等なら百パーセント勝つ、敵の半分でもなんとか勝ってみせよう。今までは
敵の千分の一にも足らない鉄量じゃないか」
責任のなすりつけ合いの感は否めませんが、
一度、兵員・武器・補給が完全な状態で米軍とどこまで戦えるか見てみたいものですね。
帝国陸軍を振り返ると、いつも必勝の信念と肉弾だけで戦っているような気がする。
132 :
GF長官 :2010/12/05(日) 23:29:48 ID:???
>>131 の続き
陸戦については詳しくないですけれども、
「日本陸軍歩兵と聞くとバンザイ突撃ばかりが有名だが、実は巧みな浸透戦術等で
列強国歩兵の中でも屈指の戦術能力を有しており、米海兵隊相手にも一歩も引けを
取らない優秀なレベルにあった。
ただそれを支援する重火器が欠落していた上に根本的な兵力不足が祟り、敵陣地の
一角を占領するところまではいったものの結局全ての攻撃が挫折していた」
(『NAVY YARD(15)帝国海軍重巡洋艦総覧』)
陸戦と海戦の戦術にも”共通分母”があるのかもしれません。
辻ーんも著作の中で、海軍の食糧事情をうらやむ場面が何度も出てきます。
海軍で「補給」と言ったら、まずは軍艦を動かす重油であり、次に飛行機や搭乗員の
事であり、餓死の心配をすることは無いですからね。ラムネも出るし、
なかなか新鮮な視点ではありました。
明日より、フォークランド沖海戦再開の予定であります。
引き続き宜しくどうぞ。
133 :
GF長官 :2010/12/06(月) 21:25:25 ID:???
今週の新刊情報 『艦船模型スペシャル〜重巡アドミラル・ヒッパー級特集』 ナチスドイツ軍艦の艦名を見ると、第一次大戦で活躍した提督たちの名前を発見できる。 ポケット戦艦ドイッチュランド級3番艦「アドミラル・グラーフ・シュペー」もその一つ。 もちろん元ネタはフォークランド沖海戦の主役シュペー提督ですが、彼の本名は、 マクシミリアン・ヨハネス・マリア・フベルトゥス・フォン・シュペーとか。 なげー 同艦はラプラタ河口で自沈した悲劇の艦として知られています。 ラプラタ沖海戦で交戦したのは、重巡エクセターと軽巡エイジャックス、アキリーズの3隻。 このうちエクセターは損傷が大きく離脱し、替わって重巡カンバーランドが包囲網に加わっていた。 手負いとはいえ、28センチ砲をもってすれば脱出は可能だったかもしれない。
134 :
GF長官 :2010/12/06(月) 21:26:41 ID:???
>>133 の続き
しかし英海軍は「空母や巡戦他多数の英艦が港外に集結している」と偽情報を流しており、
またグラーフ・シュペーは同海戦の被弾により搭載水偵を失っていたため、それを確かめる
ことも出来なかった。
かくして、ハンス・ラングスドルフ艦長は自沈を選択し、自らは自決した。
ゲーベン追跡戦にて、「メッシナに33時間も停泊したのは問題」と指摘しましたが、
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1276688293/652 それも、グラーフ・シュペーの悲劇が頭にあったからです。
幸いにも、メッシナは出口が2つあるという地形状の利点から包囲する英艦隊の
分散に貢献しましたが、ミルン提督の決断一つでゲーベンもまた自沈に追い込ま
れていたかもしれない。
評価が分かれるところではないかと。
135 :
GF長官 :2010/12/06(月) 21:41:01 ID:???
>>128 の続き
ここに至って、シュペー提督も観念したのでしょう。
もはや逃れることは不可能、自らを犠牲にし、せめて軽巡隊だけでも離脱させようと
決意します。
1325時、シュペー中将は装甲巡2隻に左舷回頭を下令し、針路を東北東へ。
残りの軽巡3隻を解列して南米海岸へ向かうように命じた。
陸戦においても撤退戦で殿軍(しんがり)を引き受けることは死を覚悟するに等しい。
それ故に指揮官の勇気と決断が試され、また戦史を彩る見せ場でもある。
エンガノ岬沖で見せた駆逐艦初月の奮闘もまた、その”不撓不屈”の表れではないかと。
小澤艦隊追撃のため北上する米第13巡洋艦隊(ローレンス・デュボーズ少将)
重巡「ウイチタ」「ニューオリンズ」、軽巡「サンタフェ」(旗艦)、「モービル」、駆逐艦12隻
計16隻の敵艦隊に対し、単艦立ち向かい、2時間にわたる死闘の末ついに沈没。
敵将をして「私は断腸の思いである」と言わしめた、
初月坐乗の第六十一駆逐隊司令・天野重隆大佐、駆逐艦長・橋本金松中佐
の勇名は、永く戦史に刻まれることでしょう。
136 :
GF長官 :2010/12/06(月) 21:46:31 ID:???
[フォークランド沖海戦](1325時) └┐ ▽ 装甲巡カーナヴォン └┐ └┐ ▽装甲巡コーンウォール ▽ 装甲巡ケント ▽巡戦インフレキシブル ▽巡戦インヴィンシブル(スタディ中将) ▽軽巡グラスゴー └┐ ↓ ┏━→ ▲装甲巡シャルンホルスト(シュペー中将) ┗┓ ┏▲装甲巡グナイゼナウ ┣━┛ ┃ ▼軽巡ライプチヒ ▼軽巡ニュルンベルク ▼軽巡ドレスデン ↓ (註)英軽巡グラスゴーはインヴィンシブルを先行させ、自らは同艦の左舷に占位
137 :
GF長官 :2010/12/06(月) 21:52:10 ID:???
>>136 の続き
シュペー提督の心境や如何に。
分離後にグナイゼナウは減速し、シャルンホルストが先行します。
でもまぁ、一度は言ってみたい台詞ですよねぇ。
「それがしが殿軍をつかまつる!おのおの方は早々にお退きなされい」
今回の場合で言うと、殿軍を務めなければならないのは軽巡隊のような気もしますが・・・
そこがまた「アドミラル・シュペー」の心意気かと。
後に艦名に採用されるところからも、ドイツ国民に愛されていたことがうかがえます。
さて、次は英スタディ提督が決断する番です。
敵は二手に分かれました。こちらはどうする?
138 :
GF長官 :2010/12/08(水) 21:26:50 ID:???
祝!開戦記念日 <柱島〜長門艦上> 参謀「ハワイ沖より入電 ”トラトラトラ”〜ワレ奇襲ニ成功セリ!」 一同「やった!」 参謀「長官、おめでとうございます」 山本「何がめでたいものか!」 参謀「えっ?」 山本「これからが本当の地獄だ・・・(AA略」 と言ったかどうかは分かりませんが、山本長官はどんな思いでトラ連送を聞いたのでしょうか。 「どんな角度から検討してみても、この奇襲作戦は大成功と思われ、幕僚一同浮き立つ思いを 抑えかねている中に、山本一人はまるで吐息でもつきそうな深く沈んだ様子に見えたということ である」 (『山本五十六』阿川弘之/著)
139 :
GF長官 :2010/12/08(水) 21:28:48 ID:???
>>138 の続き
奇しくも真珠湾攻撃とフォークランド沖開戦は同じ12月8日。
陸戦と異なり海戦は一日で決着がつくことが多いので、記念日を覚える時に役立つかも。
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1271339968/561 真珠湾と言えば、珊瑚海海戦の主役である翔鶴・瑞鶴が鍵を握っていました。
「本艦(初代扶桑)の改装工事は昼夜兼行で、文字通り横須賀工廠は全力を注いだ。
まだいくぶんの工事を残し、工員を乗せたまま出港して佐世保に直行、やっと日清開戦
に間に合った。というよりも、日清開戦時の聨合艦隊佐世保出撃の期日は、扶桑の改装
と海防艦橋立の完成によって決定されたのである。
日露戦争においても、イタリアで建造した装甲巡洋艦(日進・春日)が無事到着することが
開戦期を決する重要なファクターとなり、太平洋戦争も大和の竣工及び翔鶴・瑞鶴の艦隊
編入時期に大いに関係があったことと対比されるものである」 (『日本戦艦物語』)
140 :
GF長官 :2010/12/08(水) 21:29:22 ID:???
141 :
GF長官 :2010/12/08(水) 21:38:28 ID:???
>>137 の続き
正解は「こちらも二手に分かれる」でした。
スタディ提督は、独艦隊分離の3分後、インヴィンシブル・インフレキシブルを率いて
左舷に回頭、ちょうど独装甲巡と並航戦の形になった。
後続のケント・コーンウォールはそのまま南下して、独軽巡隊の追撃態勢に入る。
これらの行動は前日の作戦会議での既定方針だったようです。
ただし、インヴィンシブルの左舷にいたグラスゴーは前を塞がれる形となったため、
南下追撃に遅れてしまった。
また後落していたカーナヴォンは、巡戦隊に追従するよう受命。
142 :
GF長官 :2010/12/08(水) 21:44:38 ID:???
[フォークランド沖海戦](1328時) └┐ ▽ 装甲巡カーナヴォン └─┐ └─→ ┌─→ △巡戦インヴィンシブル(スタディ中将) △巡戦インフレキシブル ─┘ ┏━→ ▲装甲巡シャルンホルスト(シュペー中将) ▲装甲巡グナイゼナウ ━┛ │ ▽軽巡グラスゴー ↓ ▽装甲巡コーンウォール ▽ 装甲巡ケント ↓ ┃ ▼軽巡ライプチヒ ▼軽巡ニュルンベルク ↓ ▼軽巡ドレスデン ↓
143 :
GF長官 :2010/12/08(水) 21:53:16 ID:???
>>142 の続き
南下追撃戦の方ですが、速力を比較してみると、
(英)ケント24ノット、コーンウォール22ノット、グラスゴー25ノット
(独)ドレスデン23ノット、ニュルンベルク20.5ノット、ライプチヒ20ノット
おおむね英側が優速ですが、ドレスデンだけは機関の調子が良かったらしく、
先頭を切って南下している。
これを追うのは、当然英艦隊最速のグラスゴーのはずでしたが、上記の通り
追撃に入るのが遅れたため最後尾になってしまった。
これがドレスデンに好運を呼ぶことになるのですが、ここからは各追撃戦に
分かれて追っていきたいと思います。
144 :
GF長官 :2010/12/15(水) 21:12:32 ID:???
>>143 の続き
まずは主力決戦から。
(英)インヴィンシブル、インフレキシブル
(独)シャルンホルスト、グナイゼナウ
巡戦2隻対装甲巡2隻では話にならないとは思いますけど・・・
>>142 の通り、針路東北東の同航戦です。
1344 インヴィンシブルに命中弾(距離12800メートル)
英艦隊左舷回頭、針路北東
1400 英艦隊射撃中止(距離14600メートル)
英艦隊右舷回頭、針路東
1405 独艦隊右舷回頭、針路南
英艦隊右舷回頭、針路南東(距離15500メートル)
1412 英艦隊右舷回頭、針路南
両艦隊の航路図が思い描けたでしょうか。
そこから、双方の指揮官の意図が見えてくるはず。
145 :
GF長官 :2010/12/15(水) 21:26:00 ID:???
[フォークランド沖海戦](1430時) 1400 1405 ×────────× ┌┘ └┐ ┌┘ └┐ 1344× └┐ ┌──┘ ×1412 ┌───┘ │ インヴィンシブル△ │ インフレキシブル△ │ ──┘ ┏━×1405 │ ┏┛ ┃ │ ┏┛ ┃ │ ┏┛ ┃ │ ┏┛ ┃ ↓ ┏┛ ┃ シャルンホルスト▲ ┃ グナイゼナウ▲ ┃ ┏┛ ┃ ┃ ↓
146 :
GF長官 :2010/12/15(水) 21:45:44 ID:???
>>145 の続き
並航戦が始まった時、両提督は何を考えていたのでしょうか。
それぞれになりきって考えてみて下さい。
火力で言えば英艦隊が圧倒的で、
(英)12インチ砲×16門
(独)8.3インチ砲×16門
しかも英側が優速。
ならば独シュペー提督の選択肢は一つしかありません→「接近戦に持ち込む」
コロネル沖海戦での英クラドック少将と同じですね(
>>80 )
実際1344時には、インヴィンシブルに命中弾を与えています。
147 :
GF長官 :2010/12/15(水) 21:47:04 ID:???
>>146 の続き
対する英スタディ提督は、主砲の口径が勝っている強みを十二分に活かして、
アウトレンジ状態を維持できるように、砲戦距離の離間を図ったのが1344時の
転舵命令です。
独艦隊が距離を詰めようにも、速力が劣るのでそれはかなわない。
そこで一気に南へ回頭し、戦線離脱を企図した(1405時)
スタディ長官もそれはお見通し。直ちに南へ転舵し、再び正尾追撃戦に持ち込む。
こんなところではないかと。
実に面白いですよねぇ。
指揮官にとって必須の能力は「適切な情勢判断」と「迅速な決断」と繰り返していますが、
その根本は「敵将の意図を正確に読み取ること」なのかもしれません。
148 :
GF長官 :2010/12/15(水) 21:48:13 ID:???
>>147 の続き
ミッドウェーで”敵ハソノ後方ニ空母ラシキモノ一隻ヲ伴ウ”を受信した時、
南雲長官が思い浮かべた「敵将の顔」は誰だったのだろうか。
ハルゼーかな、フレッチャーかな、それとも・・・?
ハルゼー「ナグモを倒すのは、やはりこのワシだな! わっはっはっ」
フレッチャー「おーい、誰かこいつを病院のベッドに縛り付けておけ」
スプルーアンス「ハルゼー提督は入院か、代役は誰になるんだろう・・・え、俺?」
ニミッツ「一度くらい前線に出てもいいよね?よね?」
キング「合衆国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、ついに私の出番が来たようだ」
一同「お前は引っ込んでろ!」
源田「敵信傍受によると、どうやら誰が指揮するかでもめているようです。
長官、今回も楽勝ですな」
南雲「うむ」
では、次なるシュペー提督の一手は?
もちろんアレですよ〜
149 :
GF長官 :2010/12/18(土) 20:13:39 ID:???
>>148 の続き
再び南下追撃戦に入った英艦隊は増速し、独艦隊との距離を縮めていく。
1447 英艦隊左舷回頭、針路南南東
1448 英艦隊射撃開始
1453 独艦隊左舷回頭、針路東
1455 英艦隊左舷回頭、針路東(距離11400メートル)
1510 グナイゼナウ左舷に傾斜
150 :
GF長官 :2010/12/18(土) 20:20:42 ID:???
[フォークランド沖海戦](1510時) │ ▽インフレキシブル ▽インヴィンシブル │ ┃ ×1447 ┃ └┐ ┃ │ ┃ │ ┃ └┐ グナイゼナウ▼ │ シャルンホルスト▼ │ ┃ │ ┃ │ ┃ │ ┃ 1455× ┃ └───────→ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ×1453 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━→
151 :
GF長官 :2010/12/18(土) 20:33:09 ID:???
152 :
GF長官 :2010/12/18(土) 20:33:58 ID:???
>>151 の続き
さて、ここで独艦隊に好機到来。
もう一度思い出してみましょう。シュペー提督の作戦は「接近戦に持ち込む」 (
>>146 )
英艦隊は左舷後方から追って来ていますが、一挙に距離を詰める”とっておき”が
あるのです。
もうお分かりですよね。
正解は「丁字戦法」でした。
火力の集中だけでなく、こんな使い方もあるのか。
英艦隊はこのまま進めば、相手の射程に入ってしまう。
スタディ提督は、直ちに左舷転舵を下令して針路東。再び同航戦になりました。
153 :
GF長官 :2010/12/19(日) 17:27:52 ID:???
今週の新刊情報 『世界の艦船増刊 日本航空母艦史』 ずいぶんと待たされましたねぇ。ついでに米空母史の方も出してもらいたいものだ。 赤城の頁で三段空母時代に、水偵(一四式二号水偵)を搭載した写真があります。 (主翼(複葉)を後方に折り畳む形で中段格納庫に収容) 初期の頃は米空母にも搭載していたようですね。 「ラングレーは改造完成時より飛行甲板両端にカタパルトが装備されていた。 これをして空母運用における米海軍の先見性を示すものとして評価される向きがあるが、 これは艦上機用ではなく水上機を射出させるためのものであり、1928年には撤去されて おり、当時の米海軍に先見の明があったとは言い難い」 (『歴史群像(53)アメリカの空母』) それにしても、空母に水偵を何の目的で積んでいたのだろうか。 偵察、対潜哨戒・・・もしかして弾着観測か?
154 :
GF長官 :2010/12/19(日) 17:33:15 ID:???
>>152 の続き
激闘!フォークランド沖海戦
1515 英艦隊左16点一斉回頭(インフレキシブルが先頭に)
シャルンホルスト、第三煙突倒壊
1524 英艦隊左舷回頭、針路南西
射撃再開(距離11900メートル)
1527 独艦隊右舷回頭、針路西
1537 英艦隊右舷回頭、針路西
155 :
GF長官 :2010/12/19(日) 17:43:02 ID:???
[フォークランド沖海戦](1540時) 1524 インフレキシブル インヴィンシブル ×──── ←△─┐ ←△─┐ ┌┘ ───┘ ──×┘ ┌┘ 1515 ┌┘ ←──×1537 1527 ━━━━━━━━━━×┓ シャルンホルスト ┃ ┏━━▲▲━━━━━┛ ┏━━━┛ グナイゼナウ ←━━━┛
156 :
GF長官 :2010/12/19(日) 17:59:28 ID:???
>>155 の続き
同航戦が再開されて20分後、突如スタディ提督は左16点一斉回頭を命じた。
この「○○点」とは、360度を32点で割ったもので、
1点=11.25度
8点=90度
16点=180度
一斉回頭なので、各艦は同時に現在位置で回頭しますから、航行順は逆となり、
インフレキシブル、インヴィンシブルの順になりました。
なぜ英艦隊は急に反転などしたのでしょうか。
まさか戦線離脱・・・?
そんなわけはありません。状況は英側が圧倒的優勢ですから逃げる理由などない。
157 :
GF長官 :2010/12/19(日) 18:01:27 ID:???
>>156 の続き
これは風向が原因だと考えられます。
当時は北西微風。つまり英艦隊から見ると、自艦の煤煙と発砲煙が敵艦隊との間を
覆ってしまい、照準困難になっていた。
東進を続ける限り、状況に改善は望めない。
そこでこの”自動発生煙幕”を回避するため、一旦反転したのが1515時の一斉回頭。
ただこのままでは独艦隊との距離が離れてしまうので、回頭終了後直ちに左舷転舵し、
針路を南西に定めます。
おそらく、独艦隊の後方から南側へ回り込むつもりだったのでしょう。
シュペー提督の方もそうはさせじと、艦隊に回頭を命じます。
こちらは「右15点逐次回頭」なので、航行順はそのまま。
その意図は明らかで、再び英艦隊を丁字に捉えようとするもの。
158 :
GF長官 :2010/12/19(日) 18:08:06 ID:???
>>157 の続き
それを見てスタディ提督も右舷回頭を下令。
こうして三度西進同航戦となりました。
この間にもシャルンホルスト、グナイゼナウの両艦には次々と12インチ砲弾が
命中し、1515時には第三煙突が倒壊、艦橋構造物は破壊され、速力も低下し
つつあった。
アドミラル・シュペーに最期の時が迫ります。
159 :
GF長官 :2010/12/19(日) 18:14:54 ID:???
もしかしたら、今日が今年最後の本編になるかもしれないので、一応ご挨拶を。 (明日から大晦日まで休みなし、夜10時より早く帰宅できることはなさそう・・・orz) 本年も変わらぬご愛顧、有難うございました。 相変わらず脱線ばかりで遅遅として進みませんが、来年こそはミッドウェー海戦編突入を! と目論んでおります。 それでは皆様、よいお年を。
携帯小隊ハ無線封止ヲ解除セヨ ワレドコモ
162 :
GF長官 :2010/12/25(土) 19:05:07 ID:???
>>160 そうそう復刻です。バックナンバーを探しても良かったのですが、そのうちに出ると
思っていたもので、待望の刊行というわけです。
>>161 ご無沙汰しております。まずは生存報告を。
今週は毎晩真夜中の帰宅で、あやうく名誉の過労死をして二階級特進するとろこでしたよ。
この”THE LONGEST WEEK”を乗り切れたのは、ひとえに絢辻さんのおかげかな。
なんとか峠を越したので来週は通常課業に戻れるかも。
フォークランド沖海戦のまとめをして年末休暇に入りたいと考えています。
163 :
GF長官 :2010/12/25(土) 19:11:55 ID:???
>>158 の続き
シャル・ゼナ姉妹の命運も、「偏に風の前の塵に同じ」。
1551 独艦隊左舷回頭、針路南西
1600 シャルンホルスト左舷に大傾斜、速力低下
1617 シャルンホルスト沈没
1624 グナイゼナウ艦首砲塔全壊、缶室に浸水
1705 英装甲巡洋艦カーナヴォン参戦、砲撃開始
1715 グナイゼナウ第一煙突倒壊、速力8ノット
1730 グナイゼナウ機関停止、左舷に大傾斜
1750 英艦隊射撃中止
1802 グナイゼナウ沈没
164 :
GF長官 :2010/12/25(土) 19:21:36 ID:???
[フォークランド沖海戦](1802時) └┐ └┐ └┐ └┐ ┏┛ └┐ └┐ ┏┛ └┐ ▽カーナヴォン ┏┛ └┐ └┐ ┣━┓ インヴィンシブル▽ ↓ ┏┛ ┗┓シャルンホルスト インフレキシブル▽ ┏┛ ┗▼→× └┐ ┃ 沈没(1617) └┐ ┃ └→ ▼グナイゼナウ ↓ ×沈没(1802)
165 :
GF長官 :2010/12/25(土) 19:31:35 ID:???
>>164 の続き
シャルンホルストは多数の命中弾により、1617時に沈没。
シュペー提督は、同艦と共に”水漬く屍”となりました。
この後、後落していたカーナヴォン(
>>141 )が追いつき、2隻の巡戦と協同して
グナイゼナウに対して発砲開始。
集中砲火を浴びて、同艦も1802時に沈没。
その最期は、左舷に大傾斜しながらも射撃を止めなかったと記録されています。
これで主力決戦は終結。
英艦隊は両艦の沈没海域に停船し、生存者の救助活動に従事した。
シュペー提督の名を継いだ装甲艦アドミラル・グラーフ・シュペーもまた、25年後(1939年)
12月17日に同じくラプラタ河口にて自沈したことは既述の通り(
>>133-134 )
今ぞ知る ラプラタ河の 御ながれ 波の下にも 都ありとは
166 :
GF長官 :2010/12/26(日) 18:54:45 ID:???
>>165 の続き
>>142 に戻りまして、独軽巡隊の戦闘を見ていきます。
この戦いは隻数から言うと「3対3」の互角ですが、南下戦が始まってしばらくすると
各艦の速力差から隊形が崩れてしまい、実質「1対1」の形になっていきます。
まずは、(英)装甲巡ケントVS(独)ニュルンベルク
1600 ケント、ニュルンベルクを追撃開始
1709 ケント射撃開始(距離1万メートル)
1735 ニュルンベルク主缶2基破裂、速力19ノットに低下
1835 ニュルンベルク機関停止
1927 ニュルンベルク停止
「ケントは途中で石炭を切らしたが、可燃物ならキャビンにあったオルガンまで
ことごとく燃料にする執念をみせ、ニュルンベルクを海底に送り込んだ」(『死闘の海』)
コロネル沖海戦における敗戦から来る復仇の一念と言ったところでしょうか。
167 :
GF長官 :2010/12/26(日) 18:55:58 ID:???
>>166 の続き
続いては、(英)装甲巡コーンウォール、軽巡グラスゴーVS(独)軽巡ライプチヒ
本来なら英軽艦隊最速のグラスゴーは、独軽巡最速のドレスデンを追う立場にあったが、
初動で出遅れた(
>>143 )ため、コーンウォールと共にライプチヒ追撃戦に加わった。
1615 コーンウォール・グラスゴー射撃開始(距離1万メートル)
1622 ライプチヒ前檣に被弾、砲術長戦死
1655 距離7800メートルまで接近
1712 ライプチヒ南西に変針したため距離離間、射撃中止
1815 英艦隊南東に変針、距離7300メートル、射撃再開
2015 ライプチヒ機関停止
2123 ライプチヒ沈没
168 :
GF長官 :2010/12/26(日) 18:56:29 ID:???
>>167 の続き
残すのは独軽巡ドレスデンですが、上記の通り優速を活かして追撃を振り切り、
折からのスコールに隠れて、独艦隊唯一の生存艦となった。
ただしその後、英艦隊の執拗な捜索からは逃れられず、翌年3月17日にチリ沖の
太平洋にてケントとグラスゴーに捕捉され、自沈しています。
これで独東洋艦隊は壊滅しました。
age
170 :
GF長官 :2010/12/27(月) 22:21:04 ID:???
>>168 の続き
フォークランド沖海戦の総括などなど。
巡洋戦艦2隻を擁し、圧倒的優勢な英艦隊相手に善戦したシュペー提督の
艦隊指揮はさすがと言うべきでしょうが、一般的に彼に対する評価は手厳しい
ものが多い。
「まずシュペー艦隊がコロネル沖で勝利してから1ヶ月近く、チリ付近に留まり
続けたことである。敗れたイギリス海軍がなんらかの手を打ってくるのは確実で、
ひたすら本国への道を急ぐべきであった。
そうすれば、わずかながらスタディ艦隊をかわせる可能性があった」(『死闘の海』)
171 :
GF長官 :2010/12/27(月) 22:22:45 ID:???
>>170 の続き
これは全くその通りで、英艦隊がフォークランド諸島のポート・スタンリーに
入港したのが12月7日(
>>106 )、翌8日は補給と整備にあて、9日から周辺
海域の捜索を開始する予定だった。
すなわち、シュペー艦隊がフォークランド諸島に接近さえしなければ、本海戦
は惹起しなかった可能性が大であった。
まさに「身から出た錆」と言えるかと。
でも決戦を回避したところで戦争の帰趨にはなにもいいこと無いんだし 不退転の決意でぶつかるべきだったのでは?
173 :
GF長官 :2010/12/29(水) 18:52:24 ID:???
>>172 有難うございます。本職の意図を見透かしたかのような鋭い質問ですね。
今日の本編が答えになるかと思います。
う〜む、次回予告をしたわけでもないのに、なんで分かったんだろう・・・
やはり本職に艦隊指揮はムリダナ(・x・)
174 :
GF長官 :2010/12/29(水) 19:38:36 ID:???
>>171 の続き
当のドイツ人からの指摘は更に辛辣なものであり、
「此の海戦こそ、大戦中独逸海軍が最大の損失を被れる不幸なる戦闘に他ならず、
思うに該英根拠地(フォークランド諸島)を攻撃すべき必要は毫も存せざる筈にして、
該戦隊(シュペー艦隊)の不幸なる行動こそ、
”制海権行使の行動と制海権獲得の行動とは全然別個のものとして之を計画せざる
可からず”
との原則に対する絶好の教訓と認むべきなり」
(『世界大戦より見たる海上作戦の教篠』オットー・グロース/著、三上射鹿/訳)
「毫も存せざる」だから、全く無駄だったというわけですね。
175 :
GF長官 :2010/12/29(水) 19:40:21 ID:???
>>174 の続き
少し解説を加えたいと思います。
「制海権行使の行動」とは、敵艦隊を目標とすることなく、単に自国を益し他国に損害を
与えんが為、海路の管制を目的とする諸行動。
具体的には、敵の侵襲防止、味方の海上遠征隊護送、敵の海上遠征隊阻止、
味方の通商保護、敵の通商破壊等。
「制海権獲得の行動」とは、制海権争奪を目的とする直接の戦闘行動。
いわゆる海上決戦による敵艦隊撃滅。
「計画せざるべからず」とは二重否定なので、「計画すべし」の強調表現。
つまり、
敵艦隊と決戦して撃滅し制海権を獲得するのは主力艦(戦艦・巡戦)の仕事、
敵の通商破壊を行って制海権を行使するのは補助艦(巡洋艦)の仕事、
両者は明確に区別されなければならない、ということです。
176 :
GF長官 :2010/12/29(水) 19:42:01 ID:???
>>175 の続き
具体的に見ると、
コロネル沖海戦の結果、英海軍は本国から巡洋戦艦2隻を派遣せざるを
得なかった。その分北海における英独の戦力差が縮まったことを意味する。
シュペー艦隊の「制海権行使の行動」が実を結んだことになる。
更にインヴィンシブルとインフレキシブルは、フォークランド沖海戦の後、独軽巡
ドレスデン捜索に駆り出されて太平洋にまで進出し、結果として次のドッガーバンク
海戦に間に合わなかった。
百点満点の出来と言えますね。
しかし、フォークランド沖海戦そのものは「制海権行使」を主目的とする巡洋艦部隊が
「制海権獲得」(敵主力撃滅)にまで手を出した分不相応な行動だったので、「不幸なる
戦闘」と批判されているのです。
177 :
GF長官 :2010/12/29(水) 19:43:57 ID:???
>>176 の続き
「巡洋艦戦隊の本来の任務にして、且つ任務全部とも認むべきは決して敵の武力に
対し成功を収むることには非ず、寧ろ出来うる限り多数の敵艦艇を北海に於ける主戦場
及び其の行動面より誘い出し、以て敵勢力の分散を来さしむることなりしなん」
シュペー提督が成すべきことは、英巡戦と戦うことでもなく、ましてや勝利することでもなく、
海外で通商破壊行動を行うことにより、英主力艦を本国から引き離すこと。
例えば、南米や南アフリカ沿岸で暴れまわり、英派遣艦隊を振り回す状態を”維持”する
ことだった。
ところが12月8日のフォークランド沖海戦で全滅し、また11月9日にはインド洋でエムデンが
捕捉されたため、海外における独艦隊の脅威は消滅し(軽巡ケーニヒスベルクほかは生存)
各地に英派遣艦隊は本国に召還され、北海の戦力比は再び決定的なものに戻ってしまった。
「若し1914年11月又は12月の頃、北海に於いて海戦を敢行したりせば、独逸海軍の勝算
相当大なるものありしやの感あり」
178 :
GF長官 :2010/12/29(水) 19:45:32 ID:???
>>177 の続き
冒頭で確認した通り、独海軍の戦略方針は「漸減作戦」
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1276688293/477 機雷や潜水艦による奇襲を用いて、敵主力艦を沈めることはかなり困難ですが、
敵主力艦を北海から切り離してしまえば、目的は達せられる。
その意味で、海外の部隊は重要な役割を果たしている。
先にゲーベン追跡戦をとりあげましたが、ゲーベンが黒海に存在し続けることにより、
英海軍は地中海にある程度の戦力を割かざるを得ない。
故にその戦略的異議は極めて大なのです。
シュペー提督の”勇敢な行動”は称讃されてしかるべきですが、果たして彼は自らの役割
(制海権行使)をどの程度理解していたのだろうか。
いささか功名心にはやったところがあったのではないかと愚考するものであります。
179 :
GF長官 :2010/12/30(木) 21:12:48 ID:???
>>178 の続き
第二次大戦で主役になったのは空母と潜水艦ですが、これらの戦力は
「制海権獲得」と「制海権行使」、どちらに使用すべきかは新たな教篠が
必要になるかもしれません。
日本海軍は当然前者で、南雲機動部隊は緒戦においてその役割を果た
したと言えますが、大西洋ではむしろ後者を重視していたように思います。
それぞれ”お国の事情”がうかがえますね。
例えば、米空母のヒットエンドラン作戦。
これは「制海権行使の行動」です。彼らは南雲機動部隊の撃滅を企図して
いたわけではなかった。
ドゥーリットル空襲により、日本側がMI作戦決行に踏み切ったとするならば、
その役割は極めて大であったと言わざるを得ない。
180 :
GF長官 :2010/12/30(木) 21:18:25 ID:???
>>179 の続き
かくして激動の1914年は暮れようとしています。
「戦争になって初めてのクリスマスがやって来た。
25日の早朝、泊地の靄の中から姿を見せた各艦艇は、メインマスト高く
柊と樅の枝を掲げていた。心を洗われるような光景だった。
0800時、軍艦旗の掲揚と同時に旗艦のマストに一連の旗旒信号が翻った。
艦隊司令長官から麾下将兵に対するメリークリスマスのメッセージだった」
(『ジェットランド沖海戦』光藤亘/著)
英国海軍も粋なことをしますねぇ。
当初半年で終わるとされた戦争は一向に終息の気配すら見せず、ますます
混迷の度を深め、長期戦の装いを呈し始めた。
明くる年は、英独両海軍将兵にとって如何なる年となるのだろうか。
181 :
GF長官 :2010/12/30(木) 21:23:15 ID:???
これにて、本年はお開きとさせて頂きます。 新年はドッガーバンク海戦から再開の予定。 ジュットランド海戦の前哨戦とも言える戦いであり、いよいよ英ビーティと独ヒッパー 主役の直接対決となります。 今年も多大な支援を賜り感謝の言葉もありません。 それでは改めまして、皆様よいお年を。
揚げ足取りみたいなのは承知なのだが、 「制海権行使」ごめんコレの意味がわからない。 緒戦における米海軍は「制海権行使の行動」だったと言われてもちょっとピンと来ない。
>>175 の定義を字面で理解する限りでは
「制海権獲得」≒海上決戦
「制海権行使」≒海上決戦以外のすべて
という気がする。むかし制空権いま航空優勢でしたっけ、それと同じで海上決戦を特別扱いする立場での歴史的な用語?
>>183 いや、175で説明しているから意味は伝わるんだ。
ただ、制海権行使という用語に違和感を覚えただけ。
元は海外の用語みたいだから日本語訳の問題な気がするけど。
多分、敵の通商破壊や緒戦の米機動部隊の行動を「制海権行使」と言わなければ違和感無かったように思う。
186 :
GF長官 :2011/01/04(火) 19:51:26 ID:???
>>182 分かりにくい説明で済みませぬ。
「制海権行使の行動」とは、「制海権獲得以外の行動」という意味で使用しました。
>>183 の通りです。
ただよく考えてみますと、太平洋戦争では島嶼の基地航空隊が周辺の制海権を
握っているので、それに対する攻撃は「制海権獲得の行動」とも解釈できますね。
どうも軽率な発言だったようで、申し訳ないです。
この「第一次世界大戦の章」では、太平洋戦争空母戦との”共通分母”を見つける
ことを主題としているので、これからも強引な関連付けがありましたら、何なりと
ご指摘をお願いします。
187 :
GF長官 :2011/01/04(火) 20:31:21 ID:???
迎春 新春を迎え平素のご厚情を深謝し、皆様のご多幸を念じ申し上げます。 今年は開戦70周年ですね。 本格始動は明日からということで、今日はミッドウェーの話でも。 『日本海軍の爆弾』(兵頭二十八/著より。 日本空母の艦上機(艦爆)は、通常爆弾と陸用爆弾の二種類を使い分けていた。 それ故に「兵装転換」の必要が生じるわけですが、米空母はどうだったのか。 同書によると、一種類だけだったようです。 その名はGP爆弾。 GP=General Purpose(汎用) つまりSBDは陸上基地を叩く時も、艦船を攻撃する時も、このGP爆弾のみを 使っていた。
188 :
GF長官 :2011/01/04(火) 20:33:25 ID:???
>>187 の続き
そこには、日米空母の求められた役割の違いがうかがえる。
「アメリカ海軍の艦爆隊は、航空爆弾で戦艦や空母を撃沈しようという使命感は
持っていなかった。これはミッドウェー海戦で蒼龍が3発の命中弾で炎上したのを
見届けるや、直ちに後続の4機のSBDが攻撃目標を他の護衛艦艇に変更したこと
からも、よほど徹底した戦術思想だったと思われる」
あくまでも撃沈に固執する日本空母とは異なり、戦闘能力を奪いさえすれば良い
との発想ですね。
それは爆弾の遅動信管にも表れていて、日本軍には3種類あった。
甲=0.03秒、乙=0.1秒、丙=0.2秒
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1263203379/111 対する米海軍のGP爆弾は0.01秒と瞬発に近い信管が装着されていた。
ちなみに、戦艦の主砲弾である九一式徹甲弾の場合は0.4秒。
189 :
GF長官 :2011/01/04(火) 20:35:28 ID:???
>>188 の続き
陸用爆弾では用途に応じて信管も選択されますが、通常爆弾は丙信管(遅動0.2秒)
が用いられます。
同じ空母を攻撃するのでも、GP爆弾の0.01秒と比べると、大きな差がありますね。
「戦艦や重巡洋艦の弱点は、下甲板の弾火薬庫に砲弾が飛び込んで誘爆を引き起こす
ことである。あるいは魚雷で舷側や艦底に穴を開けられ、浸水することであった。
だから日本海軍の通常爆弾は、この艦底攻撃を強く意識して弾体を厚くこしらえ、しかも
0.2秒という長い遅動信管(丙信管)が付けられるようになっていた」
そもそも米海軍には航空爆弾で戦艦を沈めようという発想はなく、急降下爆撃の対象と
なるのは、敵主力部隊の前衛に出て来る空母や巡洋艦であった。そして、それらも撃沈
するためではなく、戦闘能力を奪うことに重点を置いていた。
190 :
GF長官 :2011/01/04(火) 20:36:50 ID:???
191 :
GF長官 :2011/01/04(火) 20:38:25 ID:???
>>190 の続き
「<回想>印度洋機動作戦の章」でも指摘しましたが、
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1263203379/566 「日本海軍はワシントン海軍軍縮条約以来、米英両国に対する決定的な数的 劣勢を
克服するため、戦うならば必ず敵艦を沈める事をドクトリンの中核に置いてきた。」
上記の戦術思想が搭載兵器にも表れていると感じた次第です。
山口少将の意見具申を却下した南雲長官に対して、
「先に艦爆隊だけでも出して米空母を叩くべきだった。
飛行甲板が損傷すれば空母は戦闘能力を失う。
あくまで全力出撃にこだわった南雲は空母戦術を知らないド素人」
との批判が定番であります。
しかし、南雲長官は本当に、こんな空母戦術の基本すら知らなかったから
具申を却下したのでしょうか。
その決断の背景にはもっと考察すべき余地が残されているように思います。
>>188 兵器はあくまでも作戦を進めるための道具であり、
作戦は戦略を構築する手段であり、戦略は戦争の道標でありって処でしょう
一般性(誰でも同じ結果が得られる)を下から上まで貫き通した組織の強さでしょう。
>>187 >米空母はどうだったのか。
>同書によると、一種類だけだったようです。
AP爆弾とかSAP爆弾は?
>あくまでも撃沈に固執する日本空母とは異なり、 >そもそも米海軍には航空爆弾で戦艦を沈めようという発想はなく、急降下爆撃の対象と なるのは、敵主力部隊の前衛に出て来る空母や巡洋艦であった。 この二つ、本当なのかなあ。
ハルゼーに関してはあてはまらんだろう。 彼は小澤四空母の撃沈を果たすや、両性戦艦の撃沈にやっきになった
日米空母自体の性能の差とかも敗因の一つのような
赤城とか加賀ね
>>194 艦隊決戦の最後の決は戦艦という発想が米海軍の中ではあったり
日本軍もこれに関しては同じ意見を持っていた気がする
197 :
GF長官 :2011/01/05(水) 21:16:53 ID:???
>>192 高度の平凡性といったところですかな。
>>193 あ・・・説明が抜けておりました。申し訳なし。
「米空母はGP爆弾のみ」は前半戦での話で、同書にも米空母機が徹甲爆弾を
使用したのは比島沖海戦からとあります。
「空母機で日本の戦艦を攻撃することになるとは夢にも思わなかった米海軍も、
昭和19年になるとようやく態勢を変え始めた。
マリアナ沖海戦ではまだGP爆弾を落としていたようである。それは至近弾が海面
で爆発し、多くの破片を舷側や艦橋に降り注がせて将兵多数を殺傷したことから
明白だった。
しかし比島沖海戦では至近弾は海面で爆発しなくなった。戦後の資料で確かめると、
米海軍は1000ポンドの半徹甲(SAP)爆弾(弾頭信管付き)と、1000ポンドの徹甲
(AP)爆弾(弾底信管のみ)を使用したことが確実である。信管秒時は0.25秒だった
らしい」
198 :
GF長官 :2011/01/05(水) 21:19:53 ID:???
>>194 そうですよね。
日本空母だって、蒼龍・飛龍の機動航空部隊の任務は先制空襲により米空母の飛行
甲板を破壊し、その戦闘能力を奪うことだからこそ、艦爆主体だったのだし、
米空母機も珊瑚海海戦一日目では、護衛の六戦隊には目もくれず、祥鳳一隻に集中
攻撃をかけていますからね。
例外はいくつか見つけられますが、著者の主張は、通常爆弾がどのような戦術思想に
基づいて開発されたのかを中心に書いたものではないでしょうか。
>>195 両性戦艦w まぁ上記の通りレイテ以降はまた別の話になるかと。
>>196 そうですね。米海軍の場合、無理して飛行機で戦艦を沈めなくても、戦艦の
戦力比では日本に対して優位なんだから、定石通り、最後は主力艦同士の艦隊決戦
となるでしょう。
199 :
GF長官 :2011/01/05(水) 21:40:21 ID:???
>>191 の続き
兵装転換関連でもう一つ。
「そもそも艦攻の雷爆転換に、なぜ2時間も3時間もかかっていたのかだが、
これは海軍航空本部の主流派、たとえば大西瀧治郎らのせいなのである。
昭和7年第一次上海事変に出動した鳳翔から、
”十三式艦攻が魚雷・爆弾・増槽の転換に時間がかかるため、海戦になったら
どうなるのか”というクレームが航空本部に届いている。
航空本部の水雷主務者だった愛甲文雄氏によると、投下器や運搬車が共通
になっていないため、それらも交換する必要があったからだと言う」
つまり兵装そのものだけでなく、それを機体から懸吊する投下器や装着時に
リフトアップする運搬車まで別々だったため、長時間を要したというわけです。
200 :
GF長官 :2011/01/05(水) 21:41:46 ID:???
>>199 の続き
ここまでなら過去スレにもありましたが、それがなぜ「大西瀧治郎のせい」になる
のでしょうか。
「魚雷は航空用といっても、艦政本部の助けなしには開発不可能な兵器であった。
少しでも飛行機に海軍予算を取りたい航空本部の主流派としては、どうしても自主
開発できる爆弾を中心に考える。
いきおい爆弾の主務者側は、投下器や運搬車をあえて魚雷と共通化することを
考慮しなかったらしい」
航空爆弾で敵艦の撃沈を狙ったのも、”お家の事情”(
>>191 )以外にこのあたりの
背景があったのかもしれませんね。
201 :
GF長官 :2011/01/05(水) 21:43:26 ID:???
>>200 の続き
更には投下器自体も規格が統一されていなかったため、同じ爆弾用の投下器でも
別の機体のものを持ってきても合わなかったとの証言も紹介されています。
やれやれだぜ。
他に気になるところとして、
「昭和17年2月12日には、空技廠で”飛行機雷爆撃兵装急速転換対策研究会”
が開催されている。これは雷爆換装で危ない目にあったインド洋作戦の前である
から、ウェーク島攻撃の戦訓検討なのかもしれない」
こりゃあ初耳だな。
南雲長官は参加していたのだろうか。また防研に通わねば・・・
202 :
GF長官 :2011/01/05(水) 21:58:36 ID:???
203 :
GF長官 :2011/01/05(水) 21:59:26 ID:???
>>202 の続き
<大正3年>1914年
8月 6日 偵察巡アンフィオン(触雷沈没)
9月 5日 偵察巡パスファインダー(独潜U21の雷撃により沈没)
9月22日 装甲巡アブーキア(U9の雷撃により沈没)
装甲巡クレッシー(U9の雷撃により沈没)
装甲巡ホーグ(U9の雷撃により沈没)
10月15日 防護巡ホーク(U9の雷撃により沈没)
10月18日 潜水艦E3(独哨戒艇シュトラスブルクの攻撃により沈没)
10月31日 防護巡ハーミーズ(U27の雷撃により沈没)
11月 3日 潜水艦D5(触雷沈没)
11月25日 潜水艦D2(独哨戒艇の攻撃により沈没)
<大正4年>1915年
1月 1日 戦艦フォーミタブル(U24の雷撃により沈没)
1月 4日 潜水艦C31(不明)
1月18日 潜水艦E10(不明)
いくつか注目してみましょう。
205 :
GF長官 :2011/01/06(木) 21:13:15 ID:???
>>204 この頃は電探も爆雷もないから天下無敵ですね。
206 :
GF長官 :2011/01/06(木) 21:38:40 ID:???
>>203 の続き
やはり
>>204 の通りで、「U9ショック」に触れないわけにはいくまい。
第一次世界大戦では、飛行機や戦車など多くの新兵器が登場しましたが、
潜水艦もその一つ。
開戦時、独海軍はわずか28隻しか保有していなかったとか。
オットー・ウェディゲン大尉が指揮するU9は、9月16日に出撃予定だったが、
荒天のため見合わせていた。20日なって天候が回復しようやく出港。
排水量500トン未満の潜水艦ゆえに、波がおさまったとはいえ航行には苦労し、
おまけにジャイロコンパスが故障したため、海岸沿いを進まねばならなかった。
207 :
GF長官 :2011/01/06(木) 21:41:46 ID:???
208 :
GF長官 :2011/01/06(木) 21:48:02 ID:???
[U9襲撃図](9月22日0600時) ┃ ┗┓ ┃ ┃ ▼U9(潜航中) ↓ ↑ ↑ ↑ △クレッシー △アブーキア △ホーグ │ │ │ │ │ │ ┌┘ ┌┘ ┌┘ │ │ │ │ │ │ 今回は潜水艦長になり切ってみませう。 さ〜て、どいつから料理してやろうかな。
209 :
GF長官 :2011/01/13(木) 21:18:16 ID:???
>>208 の続き
まずは中央のアブーキアから。
0625時、U9は450メートルの距離から魚雷1本を発射。
これが機関室に命中し、アブーキアは0700時に沈没した。
[U9襲撃図](0630時)
┃
┃
×魚雷発射(0625時)
┗━━━━━▲→
: U9
:
:
V
×被雷
△アブーキア ←┐
┌→ │ △ホーグ
△クレッシー │ │
│
210 :
GF長官 :2011/01/13(木) 21:28:38 ID:???
>>209 の続き
この時点では、クレッシーとホーグはまだ敵潜による魚雷攻撃だとは気付かず、
アブーキアは機雷に触れたものと判断していた。
そのため、僚艦2隻は艦を停止させ救助活動に入ったのです。
ウェディゲンにとっては、まさに”据え物斬り”といったところ。
続いて0655時、U9はホーグに向けて270メートルの距離から魚雷2本を発射。
これが火薬庫に命中したため同艦は轟沈した。
[U9襲撃図](0700時)
━━┓
┃
×アブーキア沈没 ┃
△クレッシー △ホーグ <・・・・・・・・×魚雷発射
┃
┃
←▲━━━━┛
U9
211 :
GF長官 :2011/01/13(木) 21:37:04 ID:???
>>210 の続き
クレッシーはまだ敵潜の存在に気付いていない。
ウェディゲン艦長は、充電池の残量が少なくなっていたが、攻撃続行を決意。
0725時、クレッシーに向けて910メートルの距離から、後部発射管の魚雷2本を発射。
今回は甲板上の見張りが雷跡を認めたため、ようやくUボートの襲撃だと理解した。
直ちに急速回避運動に移るも、艦が停止していたため間に合わず1本が命中し、航行
不能となった。
[U9襲撃図](0730時)
×アブーキア沈没
×ホーグ沈没
△クレッシー
∧
:
:
┏━×━━━
┃魚雷発射
┃
▼U9
↓
212 :
GF長官 :2011/01/13(木) 21:46:38 ID:???
>>211 の続き
更にU9は予備魚雷1本を発射して、クレッシーにとどめを刺した。
排水量500トン未満の小兵が、旧式艦とはいえ1万2千トンの装甲巡洋艦3隻を
わずか1時間半で全滅させたのです。
英国側は1400名の将兵を失うこととなった。
ワスプ・ノースカロライナ・オブライエンを一度に屠った伊19潜の活躍を思い出しますね。
ウェディゲン大尉はこの戦いを通して、潜水艦により大型水上艦を撃沈できることを
立証し、各国海軍に大きな衝撃を与えた。
英国海軍にとっては、”眼下の敵”との長く苦しい死闘の幕開きだったのです。
213 :
名無し三等兵 :2011/01/14(金) 08:22:38 ID:bHZjYIrT
>>191 戦艦だけじゃ無く、空母あたりまで撃沈させなきゃ…という認識が明確に為ったのが遅かったのも悪いという事なんですかね。
そういう認識がはっきりするのは1941年の日米開戦以前では不可能だったんでしょうか?
214 :
名無し募集中。。。 :2011/01/14(金) 09:11:34 ID:GC9eAE8B
源田の言いなりだったんだろ
久々に自動保守装置が作動したか
>>214 何でもかんでも判りやすく源田実の所為にするのは正直、如何なものですかねw
>>216 南雲は悪い駄目、山口なら勝てたww
軍事好事家ってもんは、こういう「わかりやすい」且つ薄っぺらい論調が好きなのは周知の事だろうに。
何を今更。
218 :
GF長官 :2011/01/14(金) 21:29:11 ID:???
>>213 逆に言えば南雲長官は「航空主兵」をよく理解していたとの解釈も・・・
>>214 というわけで、ミッドウェー敗戦はすべて源田のせい。
・・・南雲忠一中将を再評価するスレ<完>
>>215 すみません。なかなか仕事の方が落ち着かなくて。
来週も週休5日くらいになるかも・・・善処します。
>>216 ,217 まぁ、最初は誰でも人間の好き嫌いから入りますからね。
かくいう本職も、昔は「南雲は無能」信者だったわけでして。
219 :
GF長官 :2011/01/14(金) 22:02:57 ID:???
220 :
GF長官 :2011/01/14(金) 22:04:36 ID:???
>>219 の続き
「このドレッドノートは、世に”弩級”という名を残した記念すべき戦艦だったが、こいつが
信じられないような戦法に出た。
砲門によってU−29を撃沈しようとはせずに、あたかも古代のガレー船の戦いのように、
艦首にある衝角をもって激突してきたのである。
この乾坤一擲の吶喊によってU−29は横倒しとなり、ウェディゲンは他のすべての乗組員
とともに北海の藻屑と消えたが、当時の戦闘がまだまだ現代的なものとなっていないことの
象徴のような光景といっていい」 (『マルタの碑』秋月達郎/著)
抜群の知名度を誇るドレッドノートですが、第一次大戦中唯一の戦闘行動がこのラムアタック
だったらしい(ジュットランド海戦にも不参加)。なんとも皮肉なものです。
221 :
GF長官 :2011/01/14(金) 22:06:11 ID:???
>>220 の続き
人類が経験した新たな脅威となったUボートですが、
「恐怖というのは、いつどこからともなく突発的に襲ってくるからこそ恐怖たりうるわけで、
予め攻撃されることが分かっていれば、さほどの恐怖心はない。
つまり水雷艇などのように遠目からでも分かる魚雷攻撃ならば、心の準備が出来たし、
それなりに対応することも可能だった。
だが、潜水艦からの雷撃はそうはいかない。
何時攻撃されるか、全くと言っていいほど予測がつかないからだった」
輸送船の戦記等を読むと、この対潜見張りがいかに神経をすり減らすものであるかが
よく分かりますよね。目的地に到着するまで昼も夜も気の休まる時がない。
222 :
GF長官 :2011/01/14(金) 22:20:48 ID:???
>>221 の続き
「夜中の見張は怖かった。台湾まではまだ内地だという安心感があったが、船がバシー
海峡に入ると危険な水域となってくる。
私は例によって、船橋備え付けのメガネ(双眼鏡)にかじりついていた。受持ちは右舷で
右の船の船首から船尾まで水平線をゆっくり、繰り返し繰り返し流して行く。何日も同じ
水平線を眺めているから飽き飽きしてくるのだが、私のメガネに鎌倉丸乗員の生命が
かかっているのだ」 (『海軍めしたき物語』高橋孟/著)
しかも、当時はレーダーもソナーもなく専ら目視により潜望鏡を発見するしかない。
更に大戦中盤になってようやく爆雷が実用化された段階だったので、潜航時間が制限
されることを除けば、”天下無敵の仮面狙撃手”と言ったところでしょう。
この事は、ドッガー・バンク海戦でも、ジュットランド海戦でも指揮官たちの判断に
少なからぬ影響を及ぼすことになります。
223 :
GF長官 :2011/01/15(土) 19:53:55 ID:???
224 :
GF長官 :2011/01/15(土) 19:55:08 ID:???
>>223 の続き
艦長は直ちに応急処置を命じます。
「救援にかけつけた2隻の軽巡洋艦が、すでにフォーミダブルのまわりを遊弋しながら、
さかんに信号灯を明滅させていた。
雲は天を覆い、海上は真っ暗になっていた。
7隻の僚艦は単縦陣を崩さず、とうに視界外に去っていた。
昨年9月に北海で3隻の大型巡洋艦をUボートに沈められてから、グランドフリートの命令で、
”被雷セル場合、大型艦ハ他艦ノ救援ニ赴クベカラズ”と指示されていたからだ」
これはU9襲撃の際、救助活動のため艦を停止させた結果全滅してしまった戦訓に基づいた
行動でしょう。
225 :
GF長官 :2011/01/15(土) 19:56:21 ID:???
>>224 の続き
しかし艦尾にもう1本の魚雷が命中し、フォーミダブルは沈没した。
「だがフォーミダブルは静かに浮いていた。
機関長からどうやら保ちそうだという報告が上がって来て、艦長はじめ全員がホッとした
その瞬間だった。ドドーン、ズシンと衝撃に見舞われた。
右舷艦尾に大水柱が立ち上がり、艦は右に大きく傾いた。
総員退去の命令が艦長より出された。
乗員の中に一人として慌てる者はなく、整然とボートへ跳び移っていった。
フォーミダブルの最期は間もなくやって来た。
軽巡の探照灯の光芒が戦艦の断末魔を照らし出したが、それも一瞬の間で
暗い海上から水平位置のまま静かに沈んでいった」
226 :
GF長官 :2011/01/15(土) 19:57:28 ID:???
>>225 の続き
wikiによれば、イギリス本土からわずか20浬沖で沈没したようですから、
ロイヤルネイビーの威信は地に墜ちたと言ってもいい。
前スレでは英独建艦競争を追ってきましたが、宿敵イギリスの息の根を止める
寸前まで追い込んだのは、超弩級戦艦でも巡洋戦艦でもなく、排水量1千トン
にも満たない”灰色の狼”たちだった。
平時に考えた脚本通りに進んでいかないのは、何時の時代も変わらないもの
なのかもしれませんね。
227 :
GF長官 :2011/01/19(水) 21:26:25 ID:???
228 :
GF長官 :2011/01/19(水) 21:29:13 ID:???
>>227 の続き
独艦隊の編制は以下の通り。
襲撃部隊(ヒッパー中将)
巡戦「ザイドリッツ」(旗艦)、「フォン・デア・タン」「モルトケ」
装甲巡「ブリュッヒャー」
軽巡「ストラスブルク」「グラウデンツ」「コルベルク」「シュトラルズント」
ゲーベンは地中海に、デアフリンガーは2ヶ月前に就役したばかりなので、
慣熟訓練中で不参加。
11月2日に出撃した独艦隊は、3日早朝ヤーマス沖合いに出現。
先遣隊の軽巡が哨戒中の英駆逐艦と交戦している間に、巡戦部隊が砲撃を開始した。
ただし照準が不正確だったようで、砲弾は海岸に着弾し、実質的な被害は皆無だった。
砲撃を終えたヒッパー提督は、艦隊を集結させ、直ちに避退して帰投しました。
229 :
GF長官 :2011/01/19(水) 21:30:44 ID:???
>>228 の続き
奇襲を受けた形になった英国側は独艦隊追撃を試みるも、独軽巡シュトラルズントが
敷設した機雷に触れ、潜水艦D5が沈没(
>>203 )
それに伴う混乱のため、断念せざるを得なかった。
また急報を受け、ロサイスからビーティ中将麾下の巡戦部隊に出撃命令が下されるも、
時すでに遅く、ヒッパー隊を捉えることは出来なかった。
結果的には、英海軍の損失は潜水艦1隻のみであり、被害軽微とも言えるが、独艦隊に
易々と本土接近を許した衝撃は大きく、早急な対策が迫られることになった。
ちょうど、ドゥーリットル帝都空襲のような感じだったのではないかと。
230 :
GF長官 :2011/01/20(木) 21:33:15 ID:???
231 :
GF長官 :2011/01/20(木) 21:49:54 ID:???
>>230 の続き
まさか主力艦隊がドーバー海峡を突破するとは考えられないですからね。
その裏をかいたのが、第二次大戦でのチャンネルダッシュと言えます。
1941年2月12日、仏ブレストに入港していた巡洋戦艦「シャルンホルスト」
「グナイゼナウ」と重巡「プリンツ・オイゲン」は、ドーバー海峡を突破してドイツ
本国を目指します。
英本土の目前を通過するわけですから、激しい妨害が予想される。
そのため事前に入念な準備が行われ、予め海峡の機雷を掃海し、上空掩護の
戦闘機が280機も仏沿岸に展開、常時20機程度が護衛する態勢が整えられた。
当日はイギリスレーダー網に対する電波妨害や、悪天候、英国側の態勢不手際
(海軍主力はノルウェーの戦艦ティルピッツ警戒のため北部に集中、
空軍の爆撃隊はドイツ本土夜間空襲から帰投したばかりだった)
に助けられ、海峡突破に成功したのです。
232 :
GF長官 :2011/01/20(木) 21:52:33 ID:???
>>231 の続き
このような例外はありますが、第一次世界大戦開戦当時のイギリス海軍にとっては
英仏海峡の哨戒はハリッジ戦隊(軽巡・水雷戦隊)で十分だった。
ところがこのヤーマス砲撃により、従来の北方重視から南方(沿岸警備)重視へと
方針転換せざるを得なくなった。
具体的には、スカパ・フロー所属だった
第三戦艦戦隊(ブラッドフォード少将麾下、前弩級戦艦7隻基幹)
第三巡洋戦艦戦隊(フッド少将麾下、巡洋戦艦3隻基幹)
をロサイスへ移動して、ビーティ中将の指揮下に入れた。
独海軍が企図した「英艦隊の兵力分散」が実を結び始めたわけです。
さて、ヤーマス砲撃に味をしめたヒッパー提督は翌12月、再び英本土砲撃を
企てて出撃した。
”柳の下にいつもドジョウはいない”はずですが・・・
戦史をふりかえると、しばしばこの甘い罠に引っかかっていますよね。
軍人にとって、勝ち戦の味とはなかなか忘れられないものなのでしょう。
233 :
52 :2011/01/23(日) 19:54:42 ID:???
>>64 >続きが来ましたね。楽しみにしておりました。
>>「独地中海艦隊の最大の危機は、アルジェリア砲撃時である。そしてその問題点はスション提督の作戦計画にある」
>これは完全に見落としていました。詳しい解説をぜひ。
すかっり遅くなりましたが(携帯規制の断続が…)、あくまで私個人の考察ですので、参考までに。
長官他スレ住民のツッコミ歓迎!w
結論から言えば、
1.当時の情勢では、アルジェリア砲撃を企図した独地中海艦隊は、
有力な仏艦隊主力に迎撃される公算が高かった。
2.仏海軍には巡洋戦艦や軽巡洋艦のような高速艦は存在しないが、
ゲーベンの機関が不調である以上、速力の優位は相対的に低下している。
3.それらの危険を冒して独側が同作戦を遂行しようとするならば、襲撃目標を一箇所に絞り、
高速のブレスラウを偵察艦として先行させ目標とする敵港湾の防備状況・在泊艦船を偵察し、
その結果により作戦実施の可否を判断すべきであった。
4.補足提案:優勢な敵艦隊との遭遇が避けられず離脱困難となるような場合は、
直ちに自艦隊を解散し各艦個別に避退、予め定めた任意の海域等を第一集結地点、第二集結地点として再集結を図る。
です。
234 :
52 :2011/01/23(日) 20:11:06 ID:???
>>233 の補足説明
前スレでも振っていますが、ゲーベン追跡戦に限らずWW1では英独以外の他国海軍の視点・動向が欠如していることが多いことです。
キーは空気扱い代表格の仏海軍です。
仏陸軍の輸送を妨害しようと仏最有力植民地アルジェリアを攻撃するのですから、
その最大の障害は英地中海艦隊ではなく、
襲撃目標である港湾の防備、あるいは輸送船団の護衛についているであろう
仏海軍主力である仏地中海艦隊です。
例えるなら、太平洋戦争でのインド洋作戦を「無駄」と論評し、新編英東洋艦隊の存在を「無視」するようなものかと。
以上、長官が解説し紹介したフォークランド沖海戦の経過及び評価・論評内容と類似点が多くないでしょうか?
よって、ゲーベン追跡戦(の端緒となったアルジェリア砲撃)でのスション提督を賞賛し、
フォークランド沖海戦でのシュペー提督を非難していることが多い一般的な評価は、
個人的には少々不公平かと考えます。
235 :
52 :2011/01/24(月) 10:34:55 ID:???
>>234 の続き
では、実際の仏地中海艦隊の行動はどうだったのか。
長官も参考にした『三脚檣』より引用
「フランス艦隊は8月3日午前4時、情報不十分のままツーロンを出港していた。艦隊は三つに分けられている。
最も大きく、最も強いA部隊は、6隻の準ド級戦艦と、装甲巡洋艦4隻、12隻の駆逐艦からなり、ほぼ全艦隊の半数と言える。コケプラ Chocheprat 中将の指揮下に、フィリップヴィルへ向かっている。
B部隊は、ラペイレールが直率するド級戦艦『クールベ』と、レ・ブリ少将の率いる5隻の旧式戦艦、第二巡洋艦戦隊と若干の小型艦艇からなり、アルジェへ向かっていた。
1隻の旧式戦艦と4隻の駆逐艦で構成される予備的なC部隊は、一足早く2日20時にツーロンを出て、バレアレス諸島へ向かっている。そこから、さらにオランへ向かうことになっていた。
もう1隻のド級戦艦『ジャン・バール』Jean Bart は、このときまったく別な任務についていて、地中海にいなかった。」
これは仏地中海艦隊に留まらず、仏海軍第一線兵力のほぼ全力です。
“旧式戦艦”とあるのは、リベルテ級4隻、レピュブリク級2隻のことですので、さして旧式というわけではありません。
開戦時に地中海に所在していたド級艦は、
英3、仏1〜2?、独1、墺3、伊3、西1?であり、
数では前ド級艦が依然として主力です。
236 :
52 :2011/01/24(月) 11:56:05 ID:???
>>235 の続き
8月4日早朝、フィリップヴィル砲撃後に離脱を図るゲーベンと同地に向かう仏A部隊は
かなり接近していたようですが、互いに視界外のため遭遇とはなりませんでした。
しかしながらボーヌを攻撃したブレスラウに対してゲーベンの行動は遅れがちであり、
更なる機関不調が発生した場合は遭遇の可能性が高かったと思われます。
『八月の砲声』(既に古典であり記述内容に怪しいところもありますが)によりますと、
8月2日に仏海軍大臣ゴーティエが更迭された混乱で、仏地中海艦隊の出動が計画より“1日遅れた”とのことです。
これが事実でありそのような混乱が無ければ(最も各国がこのような混乱下にあったわけですが)、
8月4日早朝のフィリップヴィルには仏A部隊が既に在泊しており、
確実にゲーベンと遭遇していた、ということになります。
なお、仏A部隊(準ド級戦艦6、装甲巡洋艦4、駆逐艦12)の準ド級戦艦とは、
色々とネタにされる“あの”ダントン級です。
しかしながら投射弾量はドレッドノートに匹敵する真の意味での“セミ・ドレッドノート”です。
後にゲーベン(ヤウズ)が何度も苦戦するロシア黒海艦隊の前ド級戦艦5隻よりも
明らかに格上の存在なのは間違いないかと思います。
アーアー、マイクのテスト中
238 :
GF長官 :2011/01/24(月) 21:21:16 ID:???
>>233 有難うございます。本職もすっかり忘れておりました。
>キーは空気扱い代表格の仏海軍です。
べ、別に忘れてたわけじゃないんだからね!
仏艦隊の動きについては、
>>235 の通りです。
図示した方が分かりやすいと思いますので、
[地中海独仏艦隊行動図](1914年8月4日朝)
↑ツーロン
│ │ │
▽仏C部隊 ▽仏B部隊 ▽仏A部隊
│ │ │ ゲーベン
↓ ↓ ┌┘ ┏▲→ ┏▲→
┌┘ ┏┛ ┏┛ブレスラウ
←┘ ┏┛ ┏┛
┃ ┃
オラン アルジェ フィリップビル ボーヌ
□□□■□□□□□■□□□□□□□■□□□□■□□□□□
(仏領アルジェリア)
239 :
GF長官 :2011/01/24(月) 21:33:54 ID:???
>>238 の続き
おおまかな経過は、
8月3日の独仏開戦により、仏地中海艦隊は三隊に分かれてツーロンを出撃。
A部隊→フィリップビル
B部隊→アルジェ
C部隊→オラン
へ向かい、各々輸送船団を護衛する計画だった。
その夜ゲーベンとブレスラウは、フィリップビルとボーヌを砲撃。
急報を受けた仏海軍は、直ちに輸送船団の出港を中止。また、独艦隊の目的は
ジブラルタルを突破して大西洋に進出することだと考え、フィリップビルに向かって
いたA部隊に対し、アルジェに向かうよう命令した。
つまり、ゲーベンらはすでにフィリップビルより西方を航行中との判断です。
実際はどうだったのか。
ゲーベンは砲撃を終え地中海を北上中、変針したA部隊とすれ違う形となった。
その距離は40浬程度と言われ、A部隊が予定通りフィリップビルに向かって
いれば、確実に遭遇していたと思われます。
準弩級戦艦基幹のA部隊とはいえ、単艦では苦戦を強いられるでしょう。
240 :
GF長官 :2011/01/24(月) 22:09:35 ID:???
>>239 の続き
すなわち、
>>52 様の
>1.当時の情勢では、アルジェリア砲撃を企図した独地中海艦隊は、
>有力な仏艦隊主力に迎撃される公算が高かった。
は、非常に現実的な考察だと分かります。
だとすると、
>以上、長官が解説し紹介したフォークランド沖海戦の経過及び評価・論評内容と類似点が多くないでしょうか?
独地中海艦隊もシュペー艦隊と同じく壊滅していたかもしれない。
スション提督もまた、自らの任務(制海権行使)を正しく理解していなかったのでは
ないか(
>>176 )というわけですね。
本職も基本的に同意であります。
ただ、両提督の置かれた状況の違いに着目しています。
241 :
GF長官 :2011/01/24(月) 22:11:35 ID:???
>>240 の続き
ともに「制海権行使の兵力」であり、敵主力艦隊と雌雄を決すべきでは
ありませんが、いくら”存在し続けることに意味がある”といっても、何も
しないわけにはいかない。
目的は北海に集中している英主力部隊の兵力分散ですから、地中海で
暴れまわって存在感を示さなければならない。いわゆる示威行動ですね。
その意味で、開戦初日の夜にフランスの”最有力植民地アルジェリア”を
砲撃したことは効果抜群だったと思います。
例えばこの砲撃の結果、仏海軍から英海軍へ”地中海への支援を強化
して欲しい”との要請があるかもしれません。
そうなれば、十分に役割を果たしたと言えるのではないかと。
242 :
GF長官 :2011/01/24(月) 22:14:10 ID:???
>>241 の続き
対するシュペー艦隊は、すでにタヒチで仏砲艦を沈め、コロネル沖で英艦隊を
撃破した。てかアピールし過ぎだw これ以上「ここにいるぞ!」と繰り返す
必要もなかったでしょう。
ゲーベンの方は、開戦まで”地中海に居た”だけなので、何らかの行動を起こ
した方がより効果的だったと思います。
ご指摘の通り、仏主力艦隊と会敵する危険はあった。
しかしスション提督は、中立国の船に偽装し、夜陰に乗じて接近砲撃、終了後は
直ちに避退と周到に準備された計画だったのに対し、シュペー提督はまるで見つ
けて下さいと言わんばかりに、白昼堂々先遣隊を送り込むのはいささか慎重さに
欠ける面があったのではないかと考える次第です。
故にアルジェリア砲撃を企図したスション提督の行動はある程度評価したい
(賞讃という程のものでもありませんが)、これが本職の見解かな。
243 :
GF長官 :2011/01/24(月) 22:14:56 ID:???
>>242 の続き
>ゲーベン追跡戦に限らずWW1では英独以外の他国海軍の視点・動向が欠如していることが多いことです。
ははは・・・痛いところを突かれましたな。
率直に申し上げると、「他国海軍が何をやっていたか分からない」からです。
各部隊の行動まで記している資料って、なかなか無いんですよね。
本職の勉強不足であります。
『八月の砲声』は今度図書館で探してみます。有難うございました。
>>237 今週こそ皆勤賞を目指します!
244 :
GF長官 :2011/01/24(月) 22:43:03 ID:???
245 :
GF長官 :2011/01/24(月) 22:44:20 ID:???
>>244 の続き
ところがその帰路途上、ドッガー・バンク付近でビーティ率いる巡戦部隊が待ち伏せ
していた!
何故そんなことが出来たのか。答えは暗号解読(
>>71-72 )。
もともと独艦隊は砲撃後の集合地点を、ヘルゴラント島の西180浬に定めていた。
そのわずか30浬南方にビーティ隊が居たのです。
30浬は56kmだから、晴天ならば煤煙が確認できたでしょう。
しかし、ここは南太平洋ではありません。
冬の北海で晴天を期待するなど、「南の島に雪が降る」ようなもんだ。
ロンドンと言えば霧深いことで有名ですが、バスの運転手が道に迷って、
バスから下車して近くの店で場所を尋ね、戻ろうとしたところ自分のバスが
見つからなかったという笑い話があるくらい。
246 :
GF長官 :2011/01/24(月) 22:45:35 ID:???
>>245 の続き
「陸の上でも霧は厄介きわまる代物だが、これが海上となると厄介どころの
話ではなく、船乗りたちにとっては生命にかかわる重大な脅威なってくる。
特に戦時下の北海ともなると、事態は深刻である。
何しろ北海の向こう側の、抜け目ない腕の立つカイゼルの申し子たちが、
しばしばお出ましになって、手際よく機雷原をお造りになるのだからたまらない。
それらを避けながら、海岸沿いに霧の中をジグザグ航行しなければならない。
舵輪を握る者の心労は並大抵のものではない」 (『ジェットランド海戦』)
南雲機動部隊も海上の霧にはずいぶんと悩まされましたよねぇ。
幸か不幸か、深い霧のおかげで両艦隊の会敵は実現せず、わずかに独軽巡と
英駆逐艦との間に、短時間の交戦があった程度で済みました。
247 :
52 :2011/01/25(火) 22:19:47 ID:???
>>240-241 >>176 についてですが、
>しかし、フォークランド沖海戦そのものは「制海権行使」を主目的とする巡洋艦部隊が
「制海権獲得」(敵主力撃滅)にまで手を出した分不相応な行動だったので、「不幸なる戦闘」
と批判されているのです。
長官、この解釈はおかしくありませんかね?
別に独東洋艦隊は“敵主力撃滅”などという血迷った目的で行動したわけではないでしょう。
これは“通商破壊戦の一環としての陸上目標への攻撃”、
すなわち敵に与える物理的な損害の軽重よりむしろ、
「敵戦力の牽制、敵通商路への圧力、政治的効果」を狙ったものだと考えます。(巡洋艦戦という言葉もあるようですが)
つまり、独地中海艦隊のアルジェリア攻撃と作戦企図の根本思想は同じだと思います。
248 :
GF長官 :2011/01/25(火) 22:27:19 ID:???
249 :
GF長官 :2011/01/25(火) 22:28:49 ID:???
>>248 の続き
ただ英国側も似たようなことをしていたようで、
「ある朝、水雷戦隊の軽巡洋艦一隻と駆逐艦十数隻が、ドイツ沿岸のある漁場に
突如として姿を現した。奇襲をくらったドイツのトロール船団は、相手が軍艦とあっ
ては降伏する以外に手はなかった。
こうして英水雷戦隊は、朝飯後の一散歩で二十隻にあまる漁船をうまうまと一網
打尽にしたのである」 (『ジェットランド沖海戦』)
これは度重なる独艦隊の本土砲撃に対する報復行動とも言えますが、
「実は作戦の本当の狙いはケチな報復ではなく、小型船の拿捕にあったのだ。
この頃イギリス海軍は、哨戒・掃海・対潜用の小型艦艇の不足に悩まされて
おり、それを補うために民間からトロール船などをチャーターしていたが、その
経費は馬鹿にならない。それよりは敵さんから頂いた方が安上がりだというので
この朝の散歩となったわけだ」
250 :
GF長官 :2011/01/25(火) 22:29:24 ID:???
>>249 の続き
そういえば、ドゥーリットル空襲隊を発艦前に発見したのも、「第二十三日東丸」
でしたよね。
さて独艦隊は1月23日にヴィルヘルムスハーフェンを出撃、ドッガー・バンクへ
向かいます。
前年11月から毎月一回ずつ似たようなことをしてますからねぇ・・・どうなることやら。
251 :
GF長官 :2011/01/25(火) 23:14:54 ID:???
>>247 こ、これは失礼しました。
>長官、この解釈はおかしくありませんかね?
仰る通りで、この書き方だとシュペー艦隊が艦隊決戦を挑んだように
受け取れますね。お詫びして訂正致します。
>つまり、独地中海艦隊のアルジェリア攻撃と作戦企図の根本思想は同じだと思います。
これも同意です。作戦企図としては同質で、あとは情勢判断の差といった
ところでしょうか。
252 :
52 :2011/01/25(火) 23:38:16 ID:???
>>247 の続き
>>174 の書籍は未読ですが、
>思うに該英根拠地(フォークランド諸島)を攻撃すべき必要は毫も存せざる筈にして
ここだけ読むと酷評過ぎる論評かなと思います。
エムデンのペナン襲撃の方が遥かに無謀なんですから。
私見ですが、防備あるいは迎撃の可能性がある敵陸上目標への攻撃は、
「予想される彼我の戦力差と交戦となった場合のリスクが、
作戦目的の達成で得られる利益と勘案してどこまで許容できるか?」
に尽きると考えます。
つまり作戦レベルでは、事前情報の入手、敵軍行動状況の推察(情勢判断)、
戦術レベルでは、接敵時の警戒(偵察・索敵)
が最重要になるかと。
接敵時の警戒方法についての私案は
>>233 の3.です。
よって、独東洋艦隊がフォークランド攻撃を企図するならば、
「シュペー提督は自艦隊最高速のドレスデンを先行偵察艦として派遣すべきだったのでは?」
が私の見解です。
>>242 >しかしスション提督は、中立国の船に偽装し、夜陰に乗じて接近砲撃、終了後は
直ちに避退と周到に準備された計画だったのに対し、
ですが長官、
ゲーベンがフィリップヴィルに着いたのは8月4日 06:00、完全に夜明け後です。
接敵行動としては、正直褒められたものではないかと。
もちろん作戦計画では“夜明け前”にフィリップヴィル着、夜明け後に砲撃開始です。
(おそらくは黎明時に港内の観測かと)
この季節ですと、夜明け前着には2時間前後の遅れが生じていたのではないでしょうか?
つまり、その分だけゲーベンを危険にさらすことになったと。
結果論としては、仏A部隊とニアミスした原因です。
なお、東側(それだけ進撃距離が短い)のボーヌを攻撃したブレスラウは、
計画どおりに夜明け前に着、夜明け後に砲撃開始を行ったようです。
メッシナでの載炭遅延、ゲーベンの機関不調を考慮する点はありますが、
どうしてもアルジェリアの二カ所を攻撃する必要があるのなら、
ゲーベンとブレスラウの攻撃目標を入れ替えて変更すべきだったのではないか?
と考えます。
>>253 の続き
>中立国の船に偽装し、
ロシア国旗を掲げたわけですが、
この時期に西地中海でロシアの大型艦が行動しているというのは、かなり不自然ではないでしょうか?
ガングート級はシルエットが結構似ているかと思いますが、まだ竣工していませんし。
まだ英国旗の方がよかったような。
ド級戦艦ネプチューンや巡戦インディファティガブル級とかで。
以下、ネタです。
いっそ国際法を無視して、イタリア国旗を掲げたまま攻撃するとか。
各国疑心暗鬼の真っ只中ですから、
仏伊で揉める事態となれば無理矢理イタリアを同盟側に引き込めるかもしれません。
そうなれば、地中海のシーパワーは俄然伯仲します。
もしくは、激怒したイタリアが早々に協商側につくかの大博打。
でも、これに近い?ことを後日スション提督が黒海で実行し、
日和見を維持したかったオスマン帝国を文字通り引きずり込んだんですよねー。
まあ、帝国中枢に同調者がいたから出来た技ですが。
>>251 はい「情勢判断」につきるかと。
実は、私が意見提議をしたいのは、ここからが本番でして(苦笑)
ゲーベン追跡戦の局面中、メッシナ出港〜アルジェリア砲撃〜メッシナ再入港の過程で、
ミッドウェー(というよりはMI・AL作戦ですが)のある局面と酷似しているところがあります。
他にもビスマルク追撃戦とか。
この辺を考察すれば、ミッドウェー考察の一助になるかなと。
双方の時系列をいま一度見比べると…
次の携帯規制までに書けたらいいな♪(テヘ)
相変わらず参謀長はイケズでらっしゃるな
257 :
GF長官 :2011/01/26(水) 21:34:16 ID:???
>>252 度々恐縮です。
>
>>174 の書籍は未読ですが、
たぶん防研に行かないと読めないんじゃないかな。
>「シュペー提督は自艦隊最高速のドレスデンを先行偵察艦として派遣すべきだったのでは?」
本職は引用書に同じく、フォークランドは素通りすべきだったという考えですが、
もし攻撃するならば、本隊は先行偵察艦との距離をおき、港内の状況を把握
してから行動すべきだったと思いますね(
>>233 の3)
>ゲーベンがフィリップヴィルに着いたのは8月4日 06:00、完全に夜明け後です。
そりゃまぁ、実戦では計画通りに物事が進まないことも多々あるでしょう。
あくまでも今回は、
>>234 の
>よって、ゲーベン追跡戦(の端緒となったアルジェリア砲撃)でのスション提督を賞賛し、
>フォークランド沖海戦でのシュペー提督を非難していることが多い一般的な評価は、
>個人的には少々不公平かと考えます。
に対する本職の見解と理解して頂ければ幸いかと。
258 :
GF長官 :2011/01/26(水) 21:35:26 ID:???
>>257 の続き
すなわち、
>>247 の
>つまり、独地中海艦隊のアルジェリア攻撃と作戦企図の根本思想は同じだと思います。
には賛同しますが、だからと言って両提督の評価に差をつけることは「不公平」
だとは思いません。理由は既述の通り。
スション提督の采配については様々な解釈が可能だと思います。
例えば、
>ゲーベンとブレスラウの攻撃目標を入れ替えて変更すべきだったのではないか?
仏艦隊と遭遇する恐れが大きいフィリップビルの方に、速力は劣っても火力に勝る
ゲーベンを向けるのが妥当とか、
>独側が同作戦を遂行しようとするならば、襲撃目標を一箇所に絞り、
砲撃目標は複数あった方が敵の混乱に拍車をかけ、仏艦隊の兵力分散に有効
だとか、
259 :
GF長官 :2011/01/26(水) 21:36:16 ID:???
>>258 の続き
>この時期に西地中海でロシアの大型艦が行動しているというのは、かなり不自然ではないでしょうか?
ロシア国旗しか持ってなかった・・・とかは無いかw
この中立国偽装作戦は、当時どの程度有効だったのかよく分からないので、
なんとも言えないですねぇ。どうせやるするならイタリア国旗案が面白いかも。
>この辺を考察すれば、ミッドウェー考察の一助になるかなと。
何カナ何カナ? 楽しみにしておりますぞ。
やはり第三者の視点は大事だなと知らされた次第です。
これからも勉強させて下さいませ。
>>256 愛しいけれど、憎いお方
260 :
GF長官 :2011/01/26(水) 21:56:57 ID:???
>>250 の続き
独艦隊の編制は以下の通り
襲撃部隊(フランツ・フォン・ヒッパー中将)
第一偵察艦隊(ヒッパー中将直率)
巡戦「ザイドリッツ」(旗艦)、「モルトケ」「デアフリンガー」
装甲巡「ブリュッヒャー」
第二偵察艦隊(ヘッビングバウス少将)
軽巡「グラウデンツ」「ロストク」「シュトラルズント」「コールベルク」
第二水雷戦隊 駆逐艦5
第五水雷戦隊 駆逐艦9
第十八水雷戦隊 駆逐艦5
ヨークシャー沿岸砲撃(
>>244 )と比較すると、巡戦フォン・デア・タンが整備中のため不参加。
261 :
GF長官 :2011/01/26(水) 21:58:34 ID:???
>>261 の続き
対する英海軍は、ヒッパー隊の出撃情報をつかんでいた。
もちろん暗号解読によるものです。
”いい加減に気付けよ”と言いたくもなりますが、当事者にとってはなかなか分からない
ものなのでしょう。
「山本戦死の最初の衝撃からさめた時、ラバウルの南東方面艦隊でも聨合艦隊の
司令部でも、責任者の頭にすぐ浮かんだのは、暗号が読まれていたのではないか
という疑いであった。
南東方面艦隊司令長官の草鹿任一は、山本の遭難の前にも不安を感じ、軍令部
第四部に注意を促したことがあったが、担当者の自負と称すべきか、官僚的セクショ
ナリズムと称すべきか、そんなことは絶対にあり得ないというのが軍令部からの返答
であった。
参謀長の宇垣も”日本の暗号が解かれているなんて、そんなことあるもんか”と言って
いたという」 (『山本五十六』阿川弘之/著)
ドイツ海軍も暗号には絶対の自信を持っていたのかもしれませんね。
白鳥、大島情報で漏れまくったドイツの情報…… ツィタデレ作戦すらも察知された
263 :
GF長官 :2011/01/27(木) 21:38:54 ID:???
>>262 不覚、我が帝国が原因だったか。これは抜本的な対策が必要だな・・・
よし、軍令部第四部長には某小学生双子アイドルを起用しよう。
亜「兄(C)が言ってたけど、次の作戦決まったっぽいよ→」
真「えー、どこどこ?」
亜「真実参謀長君、それは軍機につき言えないのだよ」
真「亜美ばっかずるいー、真実もお仕事したいー!」
亜「ちかたないね。じゃあ、ちょっとだけ教えるよ。
みっちゃんは水不足でのどがかわいてるんだって」
真「わかった。んじゃ、柱島の南雲のおっちゃんにも伝えとくね」
発:GFちょ→かん
宛:ナグモン
本文:みっちゃんに水やるの忘れないでね
亜「よくやったぞ、真美参謀長」
真「んっふっふ〜 真実えらいっしょ」
米暗号班「こ、こいつら何言ってるんだ? 平文なのに解読できないなんて・・・orz」
264 :
GF長官 :2011/01/27(木) 21:59:07 ID:???
>>261 の続き
ヒッパー隊の出撃に合わせて、英艦隊も邀撃態勢を整えた。
英邀撃艦隊(ディビッド・ビーティ中将)
第一巡洋戦艦戦隊(ビーティ中将直率)
巡戦「ライオン」(旗艦)、「タイガー」「プリンセス・ロイヤル」
第二巡洋戦艦戦隊(ムーア少将)
巡戦「ニュージーランド」「インドミタブル」
第一軽巡洋艦戦隊(グッデナフ代将)
軽巡「サウサンプトン」「バーミンガム」「ノッティンガム」「ローズトフト」
ハリッジ戦隊(ティルウィット代将)
第一水雷戦隊 軽巡「オーロラ」 駆逐艦15隻
第三水雷戦隊 軽巡「アンドーンデッド」 駆逐艦13隻
第十水雷戦隊 軽巡「アリシューザ」 駆逐艦7隻
ご覧の通り、ヘルゴランド・バイト海戦時の兵力を基幹に増強されている。
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1276688293/656
265 :
GF長官 :2011/01/27(木) 22:00:18 ID:???
>>264 の続き
この中で主力となるのが、英海軍が誇る巡洋戦艦群。当時10隻を保有していたが、
「インヴィンシブル」「インドミタブル」「インフレキシブル」
「インディファティガブル」「ニュージーランド」「オーストラリア」
「ライオン」「プリンセス・ロイヤル」「クイーン・メリー」
「タイガー」
ドッガー・バンク海戦に参加したのは半分の5隻。
しかもタイガーは3ヶ月前に就役したばかりで、慣熟訓練も不十分な状態。
266 :
GF長官 :2011/01/27(木) 22:00:54 ID:???
>>265 の続き
残りの艦艇は何をしていたのかと言うと、既述の通り、
「インヴィンシブル」と「インフレキシブル」は南米からまだ帰還していない。
「クイーン・メリー」は整備中。
「インディファティガブル」「オーストラリア」は地中海へ。
スション、シュペー両提督の活躍により、北海の巡戦戦力は半減していた。
ドイツ海軍にとっては好機到来です。
しかし半減したと言っても、未だ隻数では劣勢(3対5)
しかも暗号解読されて、こちらの意図は読まれている。あやうしヒッパー!
267 :
GF長官 :2011/01/28(金) 21:17:19 ID:???
>>266 の続き
英艦隊は、前路警戒にハリッジ戦隊、その後ろに本隊、後詰に軽巡戦隊の順。
[ドッガー・バンク海戦](英艦隊陣形図)
─┐
▽軽巡ローズトフト
▽軽巡ノッティンガム
▽軽巡バーミンガム
▽軽巡サウサンプトン(フッデナフ代将)
└→
─┐
▽巡戦インドミタブル
▽巡戦ニュージーランド(ムーア少将)
▽巡戦プリンセス・ロイヤル
▽巡戦タイガー
▽巡戦ライオン(ビーティ中将)
└→
─┐
▽ハリッジ戦隊(ティルウィット代将)
└→
268 :
GF長官 :2011/01/28(金) 21:28:33 ID:???
>>267 の続き
対する独艦隊は、第二偵察艦隊のうちグラウデンツとシュトラルズントが前路警戒として
右舷前方に占位。
残りのロストクとコールベルクが嚮導艦として水雷戦隊を率いて、左舷前方に配置された。
[ドッガー・バンク海戦](独艦隊陣形図)
←┓
▲軽巡グラウデンツ
▲軽巡シュトラルズント
┗━
←┓
▲巡戦ザイドリッツ(ヒッパー中将)
▲巡戦モルトケ
▲巡戦デアフリンガー
▲装甲巡ブリュッヒャー
←┓ ┗━
▲軽巡コールベルク
▲軽巡ロストク
▲水雷戦隊
┗━
269 :
GF長官 :2011/01/28(金) 21:44:47 ID:???
>>268 の続き
ビーティ提督率いる巡戦隊が待ち構えているとも知らず、自ら”龍の顎”へと艦隊を
進めて行くヒッパー中将。
1月24日の朝を迎えました。
0715時、ハリッジ戦隊の第一水雷戦隊旗艦・軽巡オーロラが東方に艦影を認めた。
これが独艦隊左翼に位置していた軽巡コールベルクだった。
直ちに全艦隊へ通報され、早くも砲火が交えられます。
双方とも若干の命中弾があったが、オーロラは独艦隊をビーティ隊の方へ引き寄せる
ため反転し、北西方向へ撤退を開始した。
それを見て独水雷戦隊は追撃を開始。ヒッパー本隊も北西へ急行します。
270 :
GF長官 :2011/01/28(金) 21:45:38 ID:???
>>269 の続き
0730時、英艦隊後衛の第一軽巡戦隊旗艦・サウサンプトンも独艦隊を発見。
これが独艦隊右翼の軽巡グラウデンツとシュトラルズントだった。
ちょうど双方の両翼同士が接触したことになります。
本隊同士は「敵発見」の報を受けたものの、まだ視認には至っていない。
ここで独軽巡コールベルクより、ヒッパー中将のもとへ報告電が届けられた。
「敵大型艦8隻見ユ」
さて、ヒッパー提督の決断や如何に。
271 :
GF長官 :2011/01/29(土) 21:05:48 ID:???
>>270 の続き
皆様、いよいよ今日の”その時”がやって参りました。
大正4年(1915年)1月24日0735時、ヒッパー提督は麾下全艦に命じます。
「左16点逐次回頭、針路南東」
なんと艦隊反転、南東方向への避退命令だった。
[ドッガー・バンク海戦](0735時)
┏━━┓
┗┓ ┗┓
┗┓ ▲巡戦ザイドリッツ(ヒッパー中将)
↓ ▲巡戦モルトケ
▲巡戦デアフリンガー
▲装甲巡ブリュッヒャー
┗┓
272 :
GF長官 :2011/01/29(土) 21:59:12 ID:???
>>271 の続き
ずいぶんと思い切った決断ですよねぇ。
0715時に両艦隊の前衛が接触してからわずか20分、未だ敵艦隊の全貌も
明らかになっていないと言うのに、いきなりの”撤退命令”。
その根拠となったのが、軽巡コールベルクの発した「敵大型艦8隻見ユ」。
おそらくビーティ率いる英艦隊本隊を発見しての打電でしょう。
大型艦ということは、戦艦か巡洋戦艦のいずれかです。
当時北海に8隻もの巡戦が集結していないことは、ヒッパー自身も知っていたはず。
ならば、この「敵大型艦8隻」は戦艦を含む敵主力部隊と予想される。
すなわち、ジュリコー大将率いるグランドフリート(大艦隊)が出て来たと。
さすがに猛将ヒッパー中将と雖も、正面から挑んで勝てる相手ではありません。
即時反転は賢明な判断との見方も成立します。
273 :
GF長官 :2011/01/29(土) 22:00:33 ID:???
>>272 の続き
実際はどうだったのか。
>>264 の通り、英巡戦部隊は計5隻。
「索敵考察の章」でも検証しましたが、索敵における艦種(隻数)識別は非常に
困難であり、たいていは過大に評価されがちです。
今回もコールベルクは、敵艦影から多めに見積もったのでしょうか。
この即時反転命令は、指揮官に求められる「適切な情勢判断」と「迅速な決断」が
表れた典型例の一つと言えると思います。
仮にこれが誤報だった場合(大型艦ではなく軽巡戦隊だった等)、ヒッパー提督は
酷評されることになったでしょう。「臆病風に吹かれた」と。
274 :
GF長官 :2011/01/29(土) 22:01:12 ID:???
275 :
GF長官 :2011/01/31(月) 21:40:11 ID:???
>>274 の続き
両指揮官が手にした第一報は、
南雲:「敵ラシキモノ10隻見ユ」(
>>8 )
ヒッパー:「敵大型艦8隻見ユ」
よく似ていると思いませんか?
どちらも「艦種不明」であり、無視できない「数」である。
さらに索敵機(艦)からの情報なので、自らが視認したわけではない。
ところが、それを受けての対応は正反対だった。
南雲:「艦種確メ、触接セヨ」(
>>34 )
ヒッパー:「左16点逐次回頭」
276 :
GF長官 :2011/01/31(月) 21:42:14 ID:???
>>275 の続き
南雲長官の方は教科書通り。この10隻の中に空母が含まれているか否かが重要になる。
ちなみに「タナ一」とある通り、これが南雲機動部隊が無線封止を解いた瞬間だった。
すなわち、無線封止を破ってでも確認する必要があると南雲長官が判断したと分かる。
それだけ利根四号機の敵発見電を重視していたわけです。
対するヒッパー中将は、文字通りの即時反転。
皆さんも”なり切って”考えてみて欲しいのですが、いくら「迅速な決断」が指揮官に必須の
資質であり、戦場では「拙速を尊ぶ」といっても、ちょっと速すぎやしないか?と。
”艦種確認”が必要だったのは、ヒッパー提督とて同じだったはず。
この「敵大型艦8隻」が、旧式戦艦なのか、弩級戦艦なのか、超弩級戦艦なのか、
巡洋戦艦なのか、はたまた軽巡他の小艦艇の誤認なのか。
それによって、その後の作戦指導は大きく変わってきますから。
277 :
GF長官 :2011/01/31(月) 21:44:12 ID:???
>>276 の続き
いったいヒッパーを急がせたものとは何だったのか。
一つには「双方の距離」が考えられます。
南雲長官の場合、「敵ラシキモノ10隻見ユ」の位置は210浬の彼方。
仮に空母が含まれていたとしても攻撃隊発進は困難な隔たりがあり、たとえ
強行したとしても、まだ1時間以上の余裕はある。
対照的にヒッパー中将の場合、そんな余裕は毛頭ない。
もし「敵大型艦8隻」が英グランドフリートの主力部隊だったら、麾下の巡戦3隻
では太刀打ち出来ない。
そして重要なことは、ヒッパー自身がザイドリッツ艦橋にて、自らの目で確認して
から回頭を始めていたら、もう手遅れなのです。
故に彼は万が一の可能性を考慮に入れて、即時反転を決断したのでしょう。
278 :
GF長官 :2011/01/31(月) 21:49:56 ID:???
>>277 の続き
もしこれらが軽巡の誤認と判明したならば、再反転して始末すればいいわけだし。
漁船集団・・・と間違うことはないと思われますが、だとしても「計画通り(ニヤリ)」。
ただ軽巡戦隊が単独で行動していると考えるのも危険で、単なる哨戒部隊ではなく、
「主力部隊の前衛」の場合も有り得るでしょう。
わずか一行の報告文から、指揮官は様々な想定を思い浮かべ、そこから取捨選択し
速やかに行動に移さなければならない。
実に難しい仕事だと思いますね。
>>277 >いったいヒッパーを急がせたものとは何だったのか。
>一つには「双方の距離」が考えられます。
加えて“想定される彼我の戦力差”かと。
独側の出動戦力はヒッパー提督の偵察部隊のみですが、
英側はグランドフリートの相当数が出動している可能性が排除出来ないですから。
たしか記憶モードですと、これ以前の英本土砲撃には、
インゲノール提督の大海艦隊主力が後方に控えていたはずですが(目的は英艦隊の誘引撃破)、
今回は(何故か)偵察部隊単独の作戦ですので。
280 :
GF長官 :2011/02/03(木) 21:52:26 ID:???
>>279 さすがですね。二つ目はまさにそれです。>彼我の戦力差
>インゲノール提督の大海艦隊主力が後方に控えていたはずですが(目的は英艦隊の誘引撃破)、
独公海艦隊司令長官フリードリヒ・フォン・インゲノール大将の指揮については、
資料によってまちまちなので、保留にしていた次第です。
11月のヤーマス砲撃、12月のヨークシャー砲撃では、主力艦隊を率いて
ヒッパーの後に続いていたらしい。
なのでヨークシャー砲撃のところで、濃霧が原因で会敵は実現しなかったと
書きましたが、もし両艦隊が遭遇した場合、危なかったのはビーティ隊の方
だったかもしれません。
281 :
GF長官 :2011/02/03(木) 21:53:55 ID:???
>>280 の続き
しかし、翌年1月ドッガー・バンク海戦には、インゲノール艦隊は参戦していない。
その理由について、
「当時、高海艦隊は一部がバルト海側で演習に従事しており、巡洋戦艦『フォン・デア・タン』
が損傷修理のためにドック入りしていることもあって、作戦に消極的だったインゲノールだった
けれども、エッカーマンの要求に応じて、ヒッパーの艦隊が出撃することに同意する」(『三脚檣』)
「1月23日ヒッパー隊は出港したが。勅命を意識してか戦艦部隊の出撃は見送られた。
これにより偵察戦隊は、仮に有力な敵艦隊と遭遇しても、単独で戦わねばならなくなった」(『死闘の海』)
「ドイツ海軍は1915年1月、再び艦砲射撃作戦を実行することにしたが、またしても皇帝の
命令で主力艦隊の出撃は取りやめられ、ザイドリッツ・デアフリンガー、モルトケの巡洋戦艦
3隻のみとなった」 (『週刊戦艦大和を作る(73)』)
皇帝の意向がからんでいるようですね。
282 :
GF長官 :2011/02/03(木) 21:55:47 ID:???
>>281 の続き
どうも独海軍は両大戦において、最高指揮官の消極性から主力艦隊の行動が
制約されることが多いような。
まだ総統閣下の方は、陸軍伍長出身だし、幼少の頃溺れて以来、海が嫌いだった
との話も聞くので分かりますが、ヴィルヘルム二世は自ら「ドイツの将来は海上にあり」
と豪語し、大々的に拡張してきたのだから、ここで使わないと勿体ない気もしますね。
皇帝陛下も「海軍にもう船はないのか」くらい言えば良かったのに・・・
283 :
GF長官 :2011/02/03(木) 22:19:19 ID:???
>>278 の続き
結果論から言っても、この即時反転は正解だった。
>>266 の通り、巡戦戦力は(英)5隻VS(独)3隻と劣勢だったが、英艦隊は
態勢が整わないまま追撃戦に入ったため、二巡戦戦隊の2隻はビーティl隊に
ついていけず落伍してしまい、ほとんど砲戦に加わることは出来なかった。
実質「3対3」の互角になったのです。
更に独艦隊の航行序列は、巡戦3隻の後ろに装甲巡ブリュッヒャーが続く
という形(
>>271 )だったので、殿艦に攻撃が集中し、ザイドリッツ以下の3隻は
追撃を振り切れた。
もしヒッパー提督が反転を急ぐ余り「逐次回頭」ではなく「一斉回頭」を選択
していた場合、逆順になるのでザイドリッツが最後尾となり、ヒッパーの命運は
尽きていたかもしれない。
284 :
GF長官 :2011/02/03(木) 22:21:34 ID:???
>>283 の続き
指揮官の任務は「適切な情勢判断」と「迅速な決断」
敵情第一報を受けた時どう判断するかで、その資質が問われることになる。
ただ厄介なことに戦史が示す通り、第一報というのは”不正確”で”不十分”
であることがほとんど。
例えば、最初から米空母が出て来ることが分かっていれば、誰も兵装転換
なんかしない。小学生でも分かることです。
ここが指揮官のつらいところだと思うのですが、
「報告が曖昧だったから決断を誤りました。てへっ」では言い訳にならない。
艦隊司令長官にはそれだけの権限が与えられ、多くの将兵の命を預かって
いるのだから、それ相応の責任を負わねばならない。
すなわち不正確で不十分な敵情からでも、”適切な”情勢判断を下さねば
ならないのです。しかも迅速にだから、熟慮しているヒマはない。
ほんと大変な仕事ですよねぇ。
285 :
GF長官 :2011/02/03(木) 22:23:13 ID:???
>>284 の続き
ではどうすれば良いのかというと、「最悪の事態を想定して行動する」
これが一つの方法ではないでしょうか。
南雲長官なら「”敵ラシキモノ10隻”は米空母部隊である」
ヒッパー中将なら「”敵大型艦8隻”は英主力艦隊である」
それに基づき、南雲は雷装復旧と触接確保を命じ、ヒッパーは即時反転を決断した。
どちらも妥当と言えるのではないかと。
以上のように、これらの「共通分母」に空母戦特有のものがあるようには思えない。
仮にあったとしても、水雷屋の経歴がどのような影響を与えるのか疑問ですね。
むしろ状況が逼迫しているのはヒッパーの方だったでしょう。
「南雲の兵装転換下令は誤りだった」「即時発進却下は間違っていた」
それぞれ筋は通っていると思いますが、それと「生粋の水雷屋で空母戦はド素人」を
関連づけるのは、単なる先入観に過ぎないというのが本職の見解であります。
そういえば、ウィキの戦艦金剛の空撮写真が間違ってたので変更しておきましたが ああいうケアレスミスが多いですなあ<ウィキ
288 :
GF長官 :2011/02/04(金) 22:19:33 ID:???
>>286 よかった。「最悪の事態を想定・・・」なんて書いたもんだから、
「索敵が完全に終わるまで、友永隊は発進待機」とか言われるんじゃないかと
ドキドキしてましたよ。
>>287 ご苦労さまであります。ウィキを編集できるなんてすごいですねぇ。
>>288 いえいえ、レイテ沖海戦の大作を構築為された人に比べれば……私なぞ、
端緒を作っただけですけどね>同じく写真の間違い<武蔵と利根
290 :
GF長官 :2011/02/04(金) 22:43:09 ID:???
>>285 の続き
もう一つは、既に指摘があった通り「彼我の戦力差」ですね(
>>279 )
独海軍はただでさえ劣勢な上に、主力部隊の支援が受けられないとあっては
ヒッパー提督も心細かったことでしょう。
まぁ、南雲機動部隊の300浬後方からのこのこついてきた主力部隊(笑)は
何の役にも立ちませんでしたがねぇ。
対する南雲長官の方は、当時最強の空母部隊を率いていたわけだから、
何を怖れる必要があろうか。
>>285 で「最悪の事態を想定して行動する」と記しましたが、同じ最悪の事態でも、
ヒッパー提督の場合、逃げるしかないですが、
南雲長官の場合、「敵ラシキモノ10隻」が米空母部隊ならば、むしろ望むところ。
「ここで会ったが百年目、首を洗って待っていろ!」と言わねばなりません。
291 :
GF長官 :2011/02/04(金) 22:44:43 ID:???
>>290 の続き
ただいくら「最強」といっても、あくまで打撃力に限定される話です。
防御力から見れば、空母は戦艦には遠く及ばず、せいぜい巡洋艦程度。
さらに可燃物を満載して行動するものだから始末に負えない。
それは”史上最強の艦隊”と称される、マーク・ミッチャー中将の第58任務部隊でも
同じことで、
「航空母艦には艦載機を発進させるために必要な、極めて可燃性の高い物質が大量に
積み込まれていた。
1945年5月11日バンカーヒルに積まれていた一部を挙げるだけでも恐ろしいものがある。
700万リットルの重油、80万リットルの航空機燃料、
何十万発の50口径弾、20ミリ機銃弾、40ミリ機関砲弾、5インチ砲弾、
魚雷、各種爆弾(SAP、AP、GP、焼夷弾)などである。
この船はさながら米国製のあらゆる爆発物をぎっしり詰め込んだ、
”巨大な自家製鉄パイプ爆弾”のようなものだった」
(『特攻ー空母バンカーヒルと二人の神風』マクスウェル・ケネディ/著、中村有以/訳)
やはり最悪の事態を想定して、慎重に行動する必要があるかと思います。
292 :
GF長官 :2011/02/04(金) 22:47:23 ID:???
>>289 そうですね。本職も「九一式航空魚雷」の頁を見て、感服したことを
今でもよく覚えています。
>>291 たしか、航空母艦は現在も補助艦のカテゴリだと聞いています
>>290 第二次ソロモン海戦で南雲機動部隊より前方をのこのこ進出した機動部隊前衛(笑)は何の役にも立ちませんでしたがねぇ
って事ですね。わかります。
295 :
GF長官 :2011/02/05(土) 20:31:47 ID:???
>>293 そうなの? じゃあ現在の主力艦って・・・??
>>294 実戦は作戦通りには進まないということですな。
296 :
GF長官 :2011/02/05(土) 20:41:53 ID:???
>>291 の続き
ヒッパー提督は反転後、本国へ英艦隊出現を打電した。
インゲノール大将は主力艦隊に出撃命令を下すも、時すでに遅し。
救援が期待できない今、独艦隊は逃げの一手あるのみですね。
回頭を終えたヒッパー隊は針路を南東に定め、戦線離脱を図る。
本隊はザイドリッツ、モルトケ、デアフリンガー、ブリュッヒャーの順。
第二偵察戦隊と水雷戦隊は、その右舷前方に占位した。
続いて速力23ノットが下令された。
独巡戦の「機関増速せよ、23ノット」は、もはや定番ですなぁ。
297 :
GF長官 :2011/02/05(土) 20:42:09 ID:???
[ドッガー・バンク海戦](0740時) ┏━┓ ┃ ┗━ ┗━┓ ▼装甲巡ブリュッヒャー ▼巡戦デアフリンガー ▼巡戦モルトケ ▼巡戦ザイドリッツ(ヒッパー中将) ┗━→ ┓ ▼水雷戦隊 ▼第二偵察戦隊 ┗━→
298 :
GF長官 :2011/02/05(土) 20:47:11 ID:???
>>297 の続き
対する英艦隊ですが、ヒッパー隊の回頭から15分後の0750時、ライオン坐乗の
ビーティ提督は、南東14浬(25900メートル)に独艦隊を視認した。
直ちに艦隊増速を下令。こちらは25ノットです。
ビーティ中将の本隊は独艦隊の南側へ回り込もうとし、
グッデナフ代将の軽巡戦隊は北側から追跡。
ハリッジ戦隊はその後方に続いた。
299 :
GF長官 :2011/02/05(土) 20:56:52 ID:???
[ドッガー・バンク海戦](0750時) ─┐ ▽軽巡ローズトフト ▽軽巡ノッティンガム ▽軽巡バーミンガム ▽軽巡サウサンプトン(フッデナフ代将) │ └→ │ 巡戦インドミタブル▽ (ムーア少将)巡戦ニュージーランド▽ 巡戦プリンセス・ロイヤル ▽ ┗━┓ 巡戦タイガー ▽ ▼装甲巡ブリュッヒャー (ビーティ中将)巡戦ライオン▽ ▼巡戦デアフリンガー │ ▼巡戦モルトケ └→ ▼巡戦ザイドリッツ(ヒッパー中将) ┗━→
300 :
GF長官 :2011/02/05(土) 21:06:46 ID:???
>>299 の続き
ちょうど独艦隊を南北から挟み込むような形になった。
巡戦隊を南側へ動かしたのは、退路を塞ぐ意図があったのでしょう。
また射線確保の意味もあったと思います(
>>151 )
真後ろから追撃すると、使える砲塔が限られてきますしね。
ここから約1時間は距離を詰めるための”追いかけっこ”です。
逃げるヒッパーに、追うビーティ。
どちらも快速を自負する巡洋戦艦同士、勝つのはどっちだ。
301 :
GF長官 :2011/02/07(月) 21:40:45 ID:???
>>300 の続き
まずは独本隊各艦の最高速力を確認しておきます。
計画速力 公試速力
ザイドリッツ 26.5ノット 28.1ノット
モルトケ 25.5ノット 28.4ノット
デアフリンガー 26.5ノット 25.8ノット
ブリュッヒャー 24.8ノット 25.8ノット
ザイドリッツやモルトケの公試速力が計画値を大きく上回っているのは、
相当機関に負荷をかけて運転していたからだと言われています。
逆にデアフリンガーが計画値を下回っているのは、水深が浅かったため。
これらの諸元から25ノットは出せそうに思えますが、実際はどうだったかと言うと
0745時−20ノット
0830時−21ノット
0905時−22ノット
0930時ー23ノット
302 :
GF長官 :2011/02/07(月) 21:42:12 ID:???
>>301 の続き
出典はこちら
ドッガー・バンク海戦に見る機関部の実相
http://www.geocities.jp/kigiken/shipping3-6.html なんと23ノットに達するまで2時間近くも要している。
上記のサイトによれば、
「最大速力は23ノット止まりであったようですが、使用炭が低質であることに加えて
増速のため、ともすれば計画(適正)燃焼率を超えて缶を焚き、無理焚きから不完全
燃焼を起こし、未燃分が煙突から放出されて黒煙となります」
日本海海戦における露艦隊と同じく良質の英カーディフ炭が確保できないため、
機関性能を十二分に発揮できなかったものと思われる。
ヒッパー中将が”拙速”を選択した理由が分かる気がしますね。
303 :
GF長官 :2011/02/07(月) 21:43:17 ID:???
>>302 の続き
続いて英本隊の最高速力は、
計画速力 公試速力
ライオン 27.0ノット 27.6ノット
タイガー 28.0ノット 28.3ノット
プリンセル・ロイヤル 27.0ノット 28.5ノット
ニュージーランド 25.0ノット 26.4ノット
インドミタブル 25.0ノット 26.1ノット
こちらは計画通りの速力を発揮できたのでしょうか。
0746時−22ノット
0809時−24ノット
0816時−25ノット
0821時−26ノット
0833時−27ノット
0842時−28ノット
304 :
GF長官 :2011/02/07(月) 21:50:46 ID:???
>>303 の続き
圧倒的なまでの加速力!
F1レースにおいては、しばしばこういう場面が見られます。
トップチームのマシンがトラブルで一旦は後退するも、そこから怒涛の追い上げ、
いわゆる”ごぼう抜き”を見せる。
心理面から言うと、追われる方より追う方が有利ですから、
ヒッパー提督にとっては気が気ではなかったのではないかと。
一説には旗艦ライオンは公試を上回る29ノットをたたき出したとも言われ、
ビーティ中将は「独艦隊全滅も可能」と確信したとか。
ところが、諸元表の通りライオンに追随できたのはタイガーとプリンセス・ロイヤルのみ。
ムーア隊の2隻は完全に落伍してしまいます。
305 :
GF長官 :2011/02/07(月) 21:59:38 ID:???
[ドッガー・バンク海戦](0900時) ─┐ ▽巡戦インドミタブル └→ ─┐ ▽巡戦ニュージーランド(ムーア少将) └→ ─┐ 巡戦プリンセス・ロイヤル ▽ ┗━┓ 巡戦タイガー ▽ ▼装甲巡ブリュッヒャー (ビーティ中将)巡戦ライオン▽ ┗→ └→ ━┓ 巡戦デアフリンガー▼ 巡戦モルトケ▼ (ヒッパー中将)巡戦ザイドリッツ▼ ┗━→
306 :
GF長官 :2011/02/09(水) 21:38:13 ID:???
>>305 の続き
ドッガー・バンク海戦から9ヶ月後の大正4年10月、日本海軍は第一次大戦の
戦訓研究を目的として「臨時海軍軍事調査委員会」を発足、そして戦後にまと
められたのが、『秘 欧州戦争海軍関係諸表』です。
その中に以下の項目があります。
「戦隊ノ各艦ハ、攻防及運動力共ニ斉一ナルヲ要ス」
艦隊指揮での基本単位となる戦隊の編制は、攻撃力・防御力・速力が同等な
同型艦で揃える必要がある。
異なる艦種(巡洋戦艦と装甲巡洋艦)を同じ戦隊内でまとめていては、統一行動
に支障が生じてしまうからでしょう。
307 :
GF長官 :2011/02/09(水) 21:40:01 ID:???
>>306 の続き
独艦隊本隊である第一偵察戦隊(
>>260 )にブリュッヒャーが入っていたのは
何故だろうか。
「ほぼ巡洋戦艦に近い速力を持ち、28センチ砲に匹敵する射程を持つ大仰角の
21センチ砲を装備することから、その保有巡洋戦艦数がイギリス巡洋戦艦群に
見劣りすることもあって、『ブリュッヒェル』は巡洋戦艦艦隊に組み込まれていました」(三脚檣)
これまた”お家の事情”というわけですね。
しかし、結果として艦隊全体の速力を制限する要素となり、大きな失敗であったと
評されています。
英艦隊の方は更に顕著で、同じ巡洋戦艦なのに全く別行動になってしまった。
308 :
GF長官 :2011/02/09(水) 21:41:22 ID:???
>>307 の続き
例えばMI作戦において、AL作戦を実施せずに龍驤・隼鷹の2隻を南雲機動部隊に
編入していれば・・・という話が出てきます。
でも、本当にうまくいくでしょうか。
隻数を揃えれば良いという考え方は、「保有隻数が見劣りするから」という独海軍を
笑えないのではないかと。
就役したばかりの隼鷹や、開戦以来一度も合同したことのない龍驤を統一指揮下
に入れて、滞りなく動かせるのか少し心配に感じます。
”南雲力不足”で魚雷を回避しきれない艦が出てくるのではないか・・・とか。
まぁ、艦隊運用の第一人者である南雲長官なら、なんとかしてくれるでしょうけど。
309 :
GF長官 :2011/02/09(水) 21:43:34 ID:???
>>308 の続き
昭和16年4月、世界初の空母集中運用を建制化した第一航空艦隊が誕生したが、
ただ空母を集めただけではなく、その訓練方法にも画期的な変革があった。
「それは従来と違った訓練法だった。
今までは各母艦単位に実施していたのをやめて、機種別に分けたのである。
つまり赤城だろうと加賀だろうと、戦闘機ならすべて佐伯基地に集結させた。
艦爆は富高と笠ノ原、艦攻は鹿児島と出水の両基地に集め、各攻撃隊長に
指揮せしめた」 (『奇蹟の成功真珠湾攻撃』源田実/著)
未だ”空地分離”がなされていなかった当時の各空母艦長からは「これでは
指揮系統がでたらめになる」と猛反発をくらったものの、源田参謀は頑として
聞き入れなかったと言います。
310 :
GF長官 :2011/02/09(水) 21:45:24 ID:???
>>309 の続き
緒戦の快進撃を支えたのも、これらの統一訓練の成果ではないかと思われ
ます。ただでさえ訓練不足が指摘されたミッドウェー作戦ですから、空母の
頭数を揃えればなんとかなるというものでもないでしょう。
それにしても、麾下に山口・角田の両猛将が名を連ねるとなると、なんとも
やりにくい・・・おっと、たのもしいですね!
いずれにせよ、空母部隊は「高速機動部隊」の名の通り、速力が同等の艦を
揃えたいところかな。
飛龍「あ・・・それを言っちゃうと」
加賀「ぐすっ、28ノットしか出なくて、みんなの足を引っ張るダメダメな私は
艦底に穴掘って埋まっておきますぅ」
赤城「だから言わんこっちゃない。誰か加賀を止めろー!」
蒼龍「はい、加賀姉さんもお茶飲んで落ち着いて」
加賀「ありがとう、蒼ちゃん」
瑞鶴「ねぇねぇ翔ちゃん、なんで加賀みんは泣いてるの」
翔鶴「あんたは黙ってなさい」
南雲先生「いくら学園長でも、うちの娘たちを悪く言うのは自重してもらいたい
ものですな」
GF長官「・・・すみませんでした」
>>308 >でも、本当にうまくいくでしょうか。
取り合えず、艦隊行動自体はなんとかなると思います。
MO作戦時に、MO機動部隊に祥鳳を編入するかしないか程度の違いしかないかと。
そもそもAL作戦時の第二機動部隊自体が寄せ集めですから。
開戦時に遡れば、
・フィリピン攻略作戦での小型空母3隻による零戦運用構想
・就役間もない祥鶴型2隻(5航戦)のハワイ作戦参加
とか。
たまに「任務部隊制」を用いた米海軍は部隊運用が柔軟、
という一断面のみの視点から見た意見がありますが、
日本海軍の部隊運用も作戦都度の「軍隊区分」に終始していて、必要な兵力をその都度用立てしています。
一見すれば寄せ集めみたいなものでしょう。
そういう意味では、
同じ建制艦隊である『第一航空艦隊』に開戦前から所属している4航戦を第一機動部隊に編入するのは、
指揮命令系統の上ではむしろ都合が良いかと。
取り合えず、MI・AL作戦時の4航戦(第二機動部隊)を
南雲部隊(第一機動部隊)に編入すべきか否かは、
構想した作戦全体での必要な部隊運用から判断すべきかと考えます。
長官が言ってるのは、多分艦の運用より航空隊の集中運用で、チームワークを発揮できるかだろう。 艦に関しては新造の隼鷹はじめ第二機動部隊自体寄せ集めだし、MO機動部隊も寄せ集めだ。 第一次ソロモン海戦では各艦の回転整合すらできてなくて、複雑な艦隊運動ができないといった寄せ集めの欠点が出たが。 真珠湾攻撃なんてタンカー等補給隊から、3戦隊・8戦隊だけでなく、阿武隈も第17・18駆逐隊も全部借り物の寄せ集めだったけどな。
おっと話が脱線したな。 当時航空隊を集中運用するには、全ての空母が視界内にあってひとつのグループである必要があった。 その為3個航空戦隊でも3群に分けるような事はしなかったし、そうした集中運用では空母6隻の運用が把握できる限界だった。 本来なら翔鶴・瑞鶴も参加して6隻になる予定だったし、そうなると空母8隻の運用には難がある。 珊瑚海海戦によって、5航戦が損傷して空母不足になったからといって、既に決定事項のAL作戦を簡単に中止できる訳でもない(攻略に陸軍も参加するから尚更)。 まあ当初からAL作戦なしで隼鷹等をMIに参加させるなら、多分1AFでなく祥鳳と同様に攻略部隊につけて、船団護衛と地上攻撃に使うんでないかな。
しかも魚雷が足りなくて四航戦は爆弾だけしか積んでないんだよね
>>314 AL作戦以前の話だが、龍驤の艦攻は魚雷を積んで出撃している事もあったな。
魚雷が足りないのではなく、用兵上の理由と飛行甲板の短さが理由じゃないかな。
隼鷹は艦攻不在で、大鷹が魚雷が無いのも龍驤と同じ理由だろな。
316 :
GF長官 :2011/02/12(土) 21:44:46 ID:???
>>311 そうですね。
>取り合えず、艦隊行動自体はなんとかなると思います。
>>312 の通りで艦隊運用の方は南雲長官にお任せするとして、飛行機隊の協同攻撃が
うまくいくだろうかと思った次第です。特に新任の友永大尉が隊長だし。
>>312 やはり機動部隊指揮官は南雲提督でないとな!
>真珠湾攻撃なんてタンカー等補給隊から、3戦隊・8戦隊だけでなく、阿武隈も
>第17・18駆逐隊も全部借り物の寄せ集めだったけどな。
衝突事故も行方不明も落伍艦も出さずに往復できたのは、もっと評価されるべき。
>>313 同意です。
>まあ当初からAL作戦なしで隼鷹等をMIに参加させるなら、多分1AFでなく
>祥鳳と同様に攻略部隊につけて、船団護衛と地上攻撃に使うんでないかな。
南雲機動部隊の任務も軽減されるかもしれません。
>>314 ,315 龍驤は昭和13年に飛行甲板延長案が提出されていますね。
「飛行甲板を25メートル延長できれば、最大速力で航行した場合、無風状態でも
甲板上の全搭載機を同時発艦できる」
これが実現していれば・・・とは思いますが、魚雷に関しては各艦の調整能力が
関連してくるので、運用が難しいところがあるかも。
317 :
GF長官 :2011/02/12(土) 22:10:40 ID:???
急な規制で書き込めなくなったのだが、昨日は東京へ行って来ました。
帝都も本職の来京を大雪で歓迎してくれましたよw
今回の目的は冒険の書を探しに・・・じゃなくて、お台場の「船の科学館」。
「海から空へ〜航空母艦100年史」
昨年が日本航空史発祥百周年であったことは何度か紹介しましたが、
実は世界空母史百周年でもありました。
1910年11月14日、米飛行家ユージン・エリイ氏が軽巡バーミンガムの
滑走台から世界初の発艦に成功した。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/army/1218288706/706
318 :
GF長官 :2011/02/12(土) 22:12:54 ID:???
>>317 の続き
それを記念しての模型展で、個人的には「南雲機動部隊」がオススメ。
ハワイ攻撃時を再現しており、1/700スケールとはいえなかなかの迫力でした。
>>313 様の仰る通り、
>集中運用では空母6隻の運用が把握できる限界だった。
6隻の正規空母が揃うのは、最初で最後だったかもしれません。
明日まで開催なので、お近くの方はいかがでしょうか。
そういえば、第一次大戦の戦艦(巡戦)のプラモデルって見たことありませんねぇ。
需要がないのかな。
ドッガー・バンク海戦とかジュットランド海戦とか、名場面をジオラマ風に展示したら
見てみたいのだが・・・
319 :
GF長官 :2011/02/12(土) 22:14:40 ID:???
>>318 の続き
それと船の科学館3階に図書室があるのですが、意外な穴場でして希少資料が
置いてあったりする。
昨日読んできたのは、『空母翔鶴海戦記』(福地周夫/著)
翔鶴運用長福地少佐の手記です。内容は『海軍くろしお物語』と似たようなもの
ですが、その中で一つだけ紹介。
珊瑚海での翔鶴奮闘に対して、南雲長官から祝辞があったと前スレで書きました。
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1276688293/344 その経緯が詳しくあり、翔鶴は5月17日に呉帰投。福地少佐は被害状況説明のため
南雲長官を訪ねた。その時に破損した飛行甲板の切れ端を持参したところ、その場で
「勇躍翔破珊瑚海 翔鶴艦上凱歌高 忠一誌」 と筆をふるったとか。
320 :
GF長官 :2011/02/12(土) 22:17:10 ID:???
>>319 の続き
写真も掲載されていますが、惚れ惚れするような達筆です。
今でもどこかに保管されているのか。それとも翔鶴と共に沈んだのかな。
最後はいつも通り、靖国の南雲大将に挨拶してきました。
「出番が少なくてごめんなさい・・・」
昨日は紀元節とあってか、厳戒態勢でしたね。
街宣右翼がそこかしこで騒いでいてかまびすしい。
心静かに故人を偲びたいものです。
321 :
GF長官 :2011/02/12(土) 22:20:50 ID:???
>>310 の続き
0905時、双方の距離が2万ヤード(1万8千メートル)まで縮まったところで、
ビーティ中将は「砲撃開始」を下令。いよいよ本格的な戦闘の開幕です。
独側も0914時、これに応戦して発砲開始した。
ただ最初は、試射→弾着観測→修正を繰り返しながらの遠距離砲戦なので、
命中弾もわずかだった。
0909時 ブリュッヒャーに命中弾
0921時 ライオンの喫水線下に水中弾が命中、1区画に浸水
0925時 ザイドリッツの艦首最上甲板に命中弾、非装甲区画だったので砲弾は貫通、
破口は喫水線上で被害軽微
いずれも戦闘行動には支障なし。
322 :
GF長官 :2011/02/12(土) 22:23:58 ID:???
>>321 の続き
ここで両者の照準を困難にさせたのが煤煙だったと言われている。
両艦隊ともに、単縦陣・最大速力で突進しているため、煙突からの黒煙は後続艦を
覆い隠し、わずかに先頭の旗艦だけが顔を出す程度だったのではないかと。
「濃密なる妖煙は最大速力を以て疾駆する戦隊及駆逐隊の後方に棚引き、風南西へ
吹くを以てドイツの照準線及測距儀に対し多少目標を掩蔽せり」 (『北海海戦史』)
「又不良なる展望と劇甚なる煤煙の妨害とは全く一般的に遠距離に於ける目標の捕捉を
著しく困難ならしめたるを以て、射撃の命令に直に応じ得たるは唯デアフリンガーありしのみ」
特に独艦隊の方は低質炭の影響(
>>302 )でひどかったと思われ、
「タイガーは敵より英艦列の方向に靡ける煤煙の為、間もなく目標たるザイドリッツを見失ひ
僅かにサザンプトンの信号に依り遥に遠弾にて之を射撃せり」
直接照準が難しいので、ヒッパー隊の北側を航行していた軽巡戦隊の旗艦サウサンプトン
(
>>299 )から弾着情報を得て、修正していたようです。
323 :
GF長官 :2011/02/12(土) 22:25:50 ID:???
>>322 の続き
空母戦では煤煙よりも、むしろ目標上空の雲が大きく影響する。
ミッドウェーでの被弾時の空模様は、その代表と言えるでしょうし、
「この飛行機隊(隼鷹第一次攻撃隊)が突撃に転じた時は雲が深く、全機敵空母
(エンタープライズ)に集中できず、各目標に分散攻撃したのである」
(『南太平洋海戦の勝利』長井純隆/著)
気まぐれな天候に海戦の勝敗すら左右されてしまう。
こればかりは、お天道様に祈るしかないですな。
324 :
GF長官 :2011/02/12(土) 22:27:56 ID:???
>>323 の続き
ちなみに長井中佐は、当時第三艦隊の作戦参謀でしたが、珍しく(?)南雲長官を
高く評価しており、
「然らばこの戦術的勝因はどこにあり、誰が作ったか?
本海戦後よく聞く話であるが、(10月)25日夜中のあの反転は、当時のきつい聯合艦隊
命令の出ている状況下での機動部隊指揮官の大英断であり、勝因はここに発した。
これがなければ、我は敵情を味方により有利と判断して、再びミッドウェーの轍を踏む
一歩前に追い込まれていたかもしれない」
南雲大将、大英断ですよ大英断!
これぞ指揮官に求められる「適切な情勢判断」ですよね。
「南太平洋海戦編」が楽しみだな。
325 :
GF長官 :2011/02/14(月) 20:55:47 ID:???
>>324 の続き
0935時になってビーティ提督は分火命令を発した。
「分火」とは砲撃目標の割り振りのことです。
通常、単縦陣・同航戦の場合は「先頭より分火」が基本。
[先頭より分火](▽味方艦、▼敵艦)
5▽−−−−−→▼5
4▽−−−−−→▼4
3▽−−−−−→▼3
2▽−−−−−→▼2
1▽−−−−−→▼1
↓ ↓
326 :
GF長官 :2011/02/14(月) 21:00:52 ID:???
>>325 の続き
上図の通り、味方1番艦が敵の1番艦を、味方2番艦が敵の2番艦を・・・
これなら分かりやすいのですが、彼我の隻数が異なる場合、別の分火命令が
必要になってくる。
[左より分火](▽味方艦6隻、▼敵艦5隻)
6▽−−−−−→▼5
5▽−−−−−→▼4
4▽−−−−−→▼3
3▽−−−−−→▼2
2▽
>−−−−→▼1
1▽
↓ ↓
327 :
GF長官 :2011/02/14(月) 21:11:56 ID:???
>>326 の続き
敵艦隊に向かって左側から順に目標を割り振っていく形式です。
味方6番艦が敵5番艦を、味方5番艦が敵4番艦を・・・
こうすると味方1番艦が余ります。余った艦は味方2番艦と協同して敵1番艦を砲撃する。
敵の旗艦に火力を集中することは戦術の基本なので、我が方が優勢の場合しばしば
用いられます。
逆に[右より分火]の時は、余った味方6番艦が5番艦と協同して敵5番艦を叩く。
[先頭より分火]と同じ形です。
今回のドッガー・バンク海戦では、(英)5隻VS(独)4隻。
ビーティ中将はどんな分火命令を出したのでしょうか。
艦隊司令長官と艦長との役割の違いがよく分かるところかと。
328 :
GF長官 :2011/02/16(水) 21:21:56 ID:???
>>327 の続き
ビーティ提督の下した分火命令は、
Engage the corresponding ships in the enemy line(相対する敵艦と交戦せよ)
敵戦列の前から数えて相対する艦(自艦が2番艦なら敵の2番艦)を砲撃せよ
という意味で、「先頭より分火」(
>>325 )と同じになります。
[相対する敵艦と交戦せよ](▽英、▼独)
巡戦インドミタブル▽
>−−−−→▼装甲巡ブリュッヒャー
(ムーア)巡戦ニュージーランド▽
巡戦プリンセス・ロイヤル▽−−−−−→▼巡戦デアフリンガー
巡戦タイガー▽−−−−−→▼巡戦モルトケ
(ビーティ)巡戦ライオン▽−−−−−→▼巡戦ザイドリッツ(ヒッパー)
↓ ↓
329 :
GF長官 :2011/02/16(水) 21:32:51 ID:???
>>328 の続き
ここで「あれ?」と思いませんでしたか。
上図で明らかですが、先頭より分火だと、独本隊の中で最も鈍足で火力の劣る
ブリュッヒャーに対して、巡戦2隻がかりで攻撃することになる。
ずいぶんと勿体ない使い方ですよね。
せっかく英艦隊の方が一隻多いのだから、定石通り「左より分火」(
>>326 )に
すれば良かったんじゃないのか。
[左より分火](▽英、▼独)
巡戦インドミタブル▽−−−−−→▼装甲巡ブリュッヒャー
(ムーア)巡戦ニュージーランド▽−−−−−→▼巡戦デアフリンガー
巡戦プリンセス・ロイヤル▽−−−−−→▼巡戦モルトケ
巡戦タイガー▽
>−−−−→▼巡戦ザイドリッツ(ヒッパー)
(ビーティ)巡戦ライオン▽
↓ ↓
330 :
GF長官 :2011/02/16(水) 21:45:07 ID:???
>>329 の続き
これなら敵の旗艦に火力を集中することが出来る。
なのに何故ビーティ提督はそうしなかったのか。
彼になりきって、再度考え直してみましょう。
ライオンの艦橋から後ろを振り返ってみるのが良いかもしれません。
後続艦の状況がつかめたでしょうか。
英本隊は28ノットの高速で突進したため、ムーア隊は追随できずに落伍していた。
殿艦のインドミタブルに至っては、独艦隊最後尾のブリュッヒャーを射程に捉える
ことすら出来ていなかった(
>>305 )
331 :
GF長官 :2011/02/16(水) 21:53:03 ID:???
>>330 の続き
この状況で「左より分火」を下令すると、
[左より分火](▽英、▼独)
巡戦インドミタブル▽→(射程外) ▼装甲巡ブリュッヒャー
(ムーア)巡戦ニュージーランド▽→(射程外?)▼巡戦デアフリンガー
巡戦プリンセス・ロイヤル▽−−−−−→▼巡戦モルトケ
巡戦タイガー▽
>−−−−→▼巡戦ザイドリッツ(ヒッパー)
(ビーティ)巡戦ライオン▽
↓ ↓
つまり、ブリュッヒャーが(場合によってはデアフリンガーも)攻撃を受けない
状態を作り出してしまうのです。
そこで、彼は「先頭より分火」を選択したのでしょう。
「味方が優勢なんだから左より分火」
テストなら満点の解答になりますが、実戦は教科書通りにはいかない。
だからこそ艦隊司令長官が必要になるのです。
これまた「適切な情勢判断」の好例と言えるかと。
332 :
GF長官 :2011/02/19(土) 20:47:05.81 ID:???
>>331 の続き
ところが、我々と同じことを考えた”うっかりさん”が居ました。
それが英2番艦タイガー艦長のペリー大佐です。
「だが1番の新造巡洋戦艦であるタイガーの艦長H.B.ペリーは各艦の速力まで
考慮していなかったため、セオリーどおり「余分な艦は旗艦に協力する」べきと
考えた。この場合だとドイツ艦隊の旗艦であるザイドリッツを主要艦2隻で攻撃
するべきと考え、モルトケと交戦せずにザイドリッツと交戦し始めた」(wiki)
[実際の英艦隊の分火状況](▽英、▼独)
巡戦インドミタブル▽(射程外)
(ムーア)巡戦ニュージーランド▽−−−−−→ ▼装甲巡ブリュッヒャー
巡戦プリンセス・ロイヤル▽−−−−−→▼巡戦デアフリンガー
▼巡戦モルトケ
巡戦タイガー▽
>−−−−→▼巡戦ザイドリッツ(ヒッパー)
(ビーティ)巡戦ライオン▽
333 :
GF長官 :2011/02/19(土) 21:11:29.38 ID:???
>>332 の続き
引用文中にある通り、殿艦のインドミタブルが後落していることを考慮せず、
単純に「5対4で我が方が有利だから」と判断し、ビーティ中将の分火命令を
受けても、基本通り「左より分火」のことだと独自に解釈し、敵2番艦のモルトケ
ではなく旗艦ザイドリッツを目標としてしまったのです。
すなわちモルトケは被弾や回避の心配をすることなく、砲撃に専念できた。
どんな豪胆な軍人でも、周りを水柱と轟音に囲まれたら浮き足立つもの。
「味方の発砲閃光と衝撃と轟音。敵の弾着。
天地壊滅するかと思われる砲撃戦は、刻々激しさを増して展開し続ける。
敵弾は容赦なく落下する。当たったら勿論生命はない。あまりの激しさに
心理状態に異状を呈して来る。
陸上戦闘では遮蔽物に身を隠す手がある。
空襲なら殆ど一回限りで勝負が決まる。心配している期間がない。
だのに水上艦艇の四つに組んだ砲戦では、これでもかこれでもかと、次から
次へと砲弾が落下する。他の戦闘に類例を見ない執拗さである」
(『スラバヤ沖白昼戦』田中常治/著)
本職などは空母戦の対空戦闘こそ最も激烈なものだと思っていましたが、
その認識は改めないといけないかもしれませんね。
334 :
GF長官 :2011/02/19(土) 21:12:46.62 ID:???
>>333 の続き
「しばらくすると一弾も来なくなった。
旗艦那智に集中していた弾着が二番艦羽黒に移ったのだ。
一同顔を見合わせホッとする。二番艦がそのために沈めばやがて自分も
沈没の運命にあることを忘れたかのようであった。考えればそれでホッと
する理由はないのだが、これは理性の話である。
ホッとするのは本能による脊髄反射神経の作用である。殆どの乗組員には
理性と本能との間に、何の関連もなくなっているかのようであった」
やはり帝国軍人とて人の子、正直な告白だと思います。
ちょうどモルトケも同じように、自らは水柱に囲まれることもなく、訓練通り
沈着冷静に砲撃が出来たものではないでしょうか。
敵艦隊にこのような余裕を与えることは、大きな失策と言えますね。
後のジュットランド海戦においても、英艦隊は似たような分火命令の混乱を
経験することになりますが、それはまた別のお話。
335 :
GF長官 :2011/02/19(土) 21:20:28.60 ID:???
>>334 の続き
自艦のことを中心に考える艦長と、艦隊全体を念頭に置く艦隊司令長官との
立場の違いがよく表れた例だと感じますね。
真珠湾攻撃では、やたらと第二撃にこだわる方がありますが、それは本当に
艦隊司令長官の立場から考察した上での進言なのでしょうか。
補給問題、被発見の可能性、敵空母発見時の対応、攻撃隊収容時の懸念、
費用対効果・・・等々
ペリー艦長と同じく、自分の艦(戦隊)の事しか頭に無く、作戦全体を見渡す
視点がなおざりになってはいないかと心配になるところです。
336 :
GF長官 :2011/02/21(月) 22:19:14.74 ID:???
>>335 の続き
ここで注意しないといけないのは、いくらタイガーが就役直後で訓練不足だったとしても、
ペリー艦長自身が”新人”だったわけではない。
むしろ新鋭巡戦の艦長を任されるくらいだから、相当の熟練者だったと見るべきでしょう。
おそらく、彼にとって砲術指揮や操舵回避などは「お手のもの」であり、かなりの自信を
持っていたのではないかと思われる。分火命令に関しても、これまで何十回と訓練で
経験しており、戦術理論が頭の中に叩き込まれていたはず。
逆に「自分は専門家」の自負があったからこそ、ビーティ中将の分火命令を受けても、
大した逡巡もなく「先頭より分火」の事だと解釈したのだと思います。
彼の中では命令違反をしたとの自覚は無かったでしょう。
337 :
GF長官 :2011/02/21(月) 22:21:31.07 ID:???
>>336 の続き
「しばらくすると、ドアの隙間から煙が浸入して来る。次第に息苦しくなってきた。
私は初陣だったので、規則を守って肌身離さずつけていた防毒マスクを早速着用した。
他の者はまさかこんなことになるとは予想もしていなかったらしく、携帯している者は
ほとんどいない。あちこちでむせる者が出てきた」 (『空母機動部隊』榎本哲/著)
著者は飛龍整備科の大尉で、飛龍が被弾した時の描写ですが、似たような事例は
あらゆる分野で見ることが出来ます。
うちの会社でもISOの資格を取得しており、各工程で「作業標準」に従って仕事する
ように定められています。
本職も入社したての頃は真面目に守っていたのですが、慣れてくるにつれて周りの
先輩たちが遵守しているわけではないことに気付く。
やはり紙の上の理論と実際の現場での作業とでは、一致しないことも多々あるから。
仕事を効率よく進めるための知恵と呼ばれるものです。
338 :
GF長官 :2011/02/21(月) 22:24:53.24 ID:???
>>337 の続き
だいたいベテランと呼ばれる人は、独自の仕事のやり方を持っていますよね。
よく言えば(?)「オレ流」、悪く言えば「我流」。
それがうまくいっている間は問題ないが、必要な確認作業や予防処置まで省略
してしまい不良が発生、上司から「なぜ作業標準通りにしてないんだ?」と叱責を
受けることになる。
もしタイガーの艦長が新米の大佐だったなら、ビーティ提督の分火命令通りに
独2番艦モルトケを目標にしていたでしょう。
豊富な経験と知識に裏付けられた専門家の自覚が、かえって基本をおろそかに
することにもつながりかねない。
南雲長官の場合、「自分は航空の専門家ではない」との自覚があったからこそ、
幕僚の意見によく耳を傾け、そこに自らの判断を加えて、作戦を指揮していたと
言えるのではないでしょうか。
339 :
GF長官 :2011/02/24(木) 22:35:24.12 ID:???
忍法帖?
340 :
GF長官 :2011/02/24(木) 22:38:20.31 ID:???
規制がかかっているようなので、IEの方から書き込みます。
>>338 の続き
ただ敵の旗艦に火力を集中することそのものは間違った選択ではない。
ザイドリッツが損傷すれば独艦隊の指揮系統は大いに混乱するでしょうから。
ところが・・・
「『タイガー』はこの前年に就役したばかりで、初めて完成時から方位盤射撃指揮装置を
装備したとされていますが、乗組員はその扱いに熟練しておらず、また移動目標を射撃
する訓練が未了だったこともあって、誤差3,000ヤード (2,700メートル) などというとんでも
ない外れ弾を撃っています。 (反対側にいた軽巡洋艦からの観測)
ところが、砲術士は『ライオン』の着弾を自己のものと誤認しており、ろくな修正がなされ
なかったようです」 (『三脚檣』)
何をやってんだか・・・
先に煤煙の影響から、タイガーが軽巡サウサンプトンを通して弾着修正を行っていた
ことを記しました(
>>322 )が、練度不足と言わざるを得ないですねぇ。
341 :
GF長官 :2011/02/24(木) 22:40:25.21 ID:???
>>340 の続き
日本海軍の場合、艦隊決戦に備えて各艦ごとの「着色弾」を用意していましたし、
「敵の弾着音だ。すさまじい勢いでもくもくっと水柱が立つ。赤く、白く、青い水柱が
色とりどりで綺麗だ。
赤いのはヒューストンの弾着、白いのはエクセター、青いのはデ・ロイテルのであろう。
各艦、色別して弾着を修正するための色彩である」 (『スラバヤ沖白昼戦』)
連合国海軍も使用していたようですから、この時の戦訓によるものかもしれません。
以上のようにせっかく協同攻撃をしながら、タイガーはザイドリッツに対して命中弾を
与えることが出来なかった。
342 :
GF長官 :2011/02/24(木) 22:45:36.26 ID:???
>>341 の続き
対する独艦隊は「先頭より分火」
[独艦隊の分火状況](▽英、▼独)
巡戦インドミタブル▽
(ムーア)巡戦ニュージーランド▽←−−−−−▼装甲巡ブリュッヒャー
巡戦プリンセス・ロイヤル▽←−−−−−▼巡戦デアフリンガー
巡戦タイガー▽←−−−−−▼巡戦モルトケ
(ビーティ)巡戦ライオン▽←−−−−−▼巡戦ザイドリッツ(ヒッパー)
こちらは隻数で劣っているので、基本通りですね。
どのみちブリュッヒャーからインドミタブルまでは届かなかったでしょう。
343 :
GF長官 :2011/02/25(金) 21:21:36.76 ID:???
>>335 何をおっしゃる、うさぎさん。
石油タンクを潰せたと仮定して、真珠湾に石油が無くなったら、
米機動艦隊はどうやって真珠湾を拠点に、どう活動するのかな?
真珠湾攻撃の目的を、矮小化して、単なる米主力部隊の壊滅と捉えるのなら、
そういう考え方もありだろうが…
山口少将などが、第二撃完了と通信したのは、作戦計画内にそういう構想があるからでしょ?
独断でもなんでもないわけだし。
345 :
GF長官 :2011/02/25(金) 21:23:16.55 ID:???
>>343 の続き
同艦のバーベットは230ミリの装甲で覆われていたため貫通はしなかったが、
弾片が砲塔内部に飛び込み装薬に引火、更に炎は揚弾筒を伝って下部へ侵入、
次々と誘爆した結果、D砲塔は壊滅した。
砲塔配置図でお分かりの通り、D砲塔の直前にC砲塔(背負い式)があります。
D砲塔の砲員たちが扉を開けてC砲塔へ逃れようとしたところ、人間と一緒に
火焔までもが浸入し、またしても誘爆が拡大してしまった。
両砲塔の直下には弾火薬庫がある。
そこに火が入れば、いかに堅牢な戦艦と雖も轟沈は免れない。
では弾薬庫の温度が上昇し始めたら、どうすれば良いのか。
答えは「注水」。艦種に関わらずダメコンの基本中の基本ですね。
346 :
GF長官 :2011/02/25(金) 21:24:57.94 ID:???
>>345 の続き
ザイドリッツ艦長は直ちに「火薬庫注水」を命じた。
「その男は、真っ赤に焼けた注水バルブのハンドルを素手で掴み、手の肉が焼ける
のもいとわず、弾薬庫への注水弁を開いたのである」
と記録には残されています。
映画『連合艦隊』を思い出しますねぇ。「第三火薬庫注水!」
無名の水兵たちの献身的な活躍により、ザイドリッツは爆沈こそ回避できたものの、
600トンに及ぶ浸水のため艦尾の吃水は10.5メートルに増大した。
幸い機関・操舵系統に損傷がなかったため、戦闘航行を続けることは出来たが、
艦尾の二砲塔は使用不能となり火力は半減、速力も低下します。
危殆に瀕した独艦隊、ヒッパー提督の次の手は。
347 :
GF長官 :2011/02/25(金) 21:37:02.79 ID:???
>>344 有難うございます。>like a rabbit
一応書いておいたんですけどねぇ、「費用対効果」と。
>石油タンクを潰せたと仮定して、真珠湾に石油が無くなったら、
これを達成するには、一体何百機の「第三次攻撃隊」を編制すれば良いのでしょうか。
当然我が方にも多大な損害が予想されますが、それを受けいれてもなお断行する
価値があるのでしょうか。
そもそも残存米艦隊が活動できないほど、真珠湾を徹底的に破壊するなんて、
南雲機動部隊の能力を遥かに超えたものだと考えます。
>真珠湾攻撃の目的を、矮小化して、単なる米主力部隊の壊滅と捉えるのなら、
矮小化も何も、目的は「米主力部隊の撃滅」ですよ。
>山口少将などが、第二撃完了と通信したのは、作戦計画内にそういう構想があるからでしょ?
初耳ですが・・・この「第二撃」が「米空母部隊の捜索撃滅」なら筋は通ると思いますけど。
348 :
GF長官 :2011/02/25(金) 22:18:08.20 ID:???
>>347 参考までに、
[機密機動部隊命令作第一号]
一、作戦方針
機動部隊並ニ先遣部隊ハ、極力其ノ行動ヲ秘匿シツツ布哇(ハワイ)方面ニ進出、
開戦劈頭、機動部隊ヲ以テ在布哇敵艦隊ニ対シ、之ニ致命的打撃ヲ与フルト共ニ、
先遣部隊ヲ以テ敵ノ出路ヲ扼シ、極力之ヲ捕捉撃滅セントス
空襲第一撃ヲX日0330ト予定ス
空襲終ラバ機動部隊ハ速ニ敵ヨリ離脱シ、一旦内地ニ帰還整備補給ノ上、
第二段作戦部署ニ就ク(後略)
南雲長官の行動は作戦方針通りだったと思いませんか?
故に本職は「真珠湾攻撃における南雲長官の采配は百点満点」と評価しています。
私見ながら、古今のどんな名将が指揮しても史実以上の戦果は望めないでしょう。
349 :
GF長官 :2011/02/25(金) 22:19:54.11 ID:???
>>348 の続き
ちなみに敵艦隊攻撃順位は「第一空母、第二戦艦」ですので、もし第二撃を企図するならば、
最優先攻撃目標である「米空母攻撃」でなければなりません。
石油タンクや港湾施設はどこにも出来きませんよ。
故に以下のように発言しました。
>真珠湾攻撃では、やたらと第二撃にこだわる方がありますが、それは本当に
>艦隊司令長官の立場から考察した上での進言なのでしょうか。
改めて問いましょう。
艦隊司令長官の任務は作戦目的を正しく理解し実行することです。
第二撃進言は、それを満たすものと言えるのでしょうか。
>>344 >石油タンクを潰せたと仮定して、真珠湾に石油が無くなったら、
>米機動艦隊はどうやって真珠湾を拠点に、どう活動するのかな?
日機動部隊はどうやってスターリング湾を拠点に、
米機動部隊はどうやってメジュロやウルシーを拠点に、
どう活動したのかな?
351 :
GF長官 :2011/02/26(土) 19:14:18.74 ID:???
>>350 ですよねー
「第二撃実施→真珠湾壊滅→米艦隊作戦行動不能」
この図式を見て納得できるのが不思議でならない。ツッコミ所満載ではないですか。
ミッドウェーで米空母が出てこないとみなしたGFや南雲司令部は”楽観的過ぎる”と
叩かれるのに、これはいいの?
352 :
GF長官 :2011/02/26(土) 19:43:43.58 ID:???
>>346 の続き
この絶体絶命の状況においても、ザイドリッツ艦橋のヒッパー中将は冷静だった。
彼は分火命令の変更を指示します。
それまで「先頭より分火」だったのを、「ライオンに集中」に変えた。
これによりライオンは、ザイドリッツからだけでなく、モルトケ、デアフリンガー、
ブリュッヒャーからも集中砲火を浴びることになった。
独艦隊の目的は、英艦隊の撃滅ではなく、その追撃から逃れること。
故に敵の先頭艦を叩くのは適切な判断かと。
その代わり、独後続艦は英艦隊からの攻撃に反撃できなくなる。
いかに早く致命傷を与えられるか、時間との勝負になりそうですね。
353 :
GF長官 :2011/02/26(土) 19:44:55.08 ID:???
>>352 の続き
ライオンの被弾数は一気に増大します。
0945 4インチ砲揚弾機に命中するも不発
0954 ブリュッヒャーからの21センチ砲弾が跳弾となって左舷側装甲を貫通するも不発
浸水により発電機2基停止、左舷傾斜
1001 モルトケからの28センチ砲弾がA砲塔(艦首)天蓋に命中
連装砲のうち左砲が一時使用不能
この間0952時、ビーティ提督は右舷2点(22.5度)回頭を命じ、24ノットに減速。
合戦図(
>>305 )の通り、英艦隊は左舷側の独艦隊に肉迫してザイドリッツにとどめを
刺さねばならなかったはず。
相次ぐ被弾に耐え切れなくなったのでしょうか。
>>347-348 >機密機動部隊命令作第3号
>攻撃隊帰艦せば直に次回攻撃準備を完成し置くものとす。
>この際艦上攻撃機は極力雷撃装備となすものとす。
>敵基地航空兵力殲滅順調に経過せば直に反復攻撃を加え決定的戦果を獲得す。
>また敵の有力なる出撃部隊ある場合は攻撃をこれに指向するを例とす
(出典:児島襄「太平洋戦争)
この機動部隊命令作があるから、三川中将も山口少将も反復攻撃を督促するし、
淵田総隊長も、第四波攻撃(海軍工廠の修理施設)まで上申するんでしょ?
「敵基地航空兵力殲滅順調に経過」しない、と判断したのは、
形式上最終的に判断したのは南雲にせよ、
一撃だけやってトットと帰りたい草鹿とか、上官のご機嫌伺いが上手な源田あたりの意思が、
相当入ってる、と見るべきだけどね。
>>351 > 「第二撃実施→真珠湾壊滅→米艦隊作戦行動不能」
> この図式を見て納得できるのが不思議でならない。ツッコミ所満載ではないですか。
モリソンはおろか、ニミッツも言ってることなんだけど。
無知って悲しいね。
こちら前衛部隊。 我れ現在、直掩足りないぞゴルァ厨隊の断続攻撃を受けております。 こちらも警戒をお願いします ってこちらも真珠湾第二撃厨隊が直上から! 長官、逃げてー!
留守を狙われるのがこのスレの宿命なのだよ
>>355 大海戦記では「〜になっただろう」と言う感じだがねえ。
>>354 自分で
>攻撃隊帰艦せば直に次回攻撃準備を完成し置くものとす。
>この際艦上攻撃機は極力「雷撃装備」となすものとす。
と書いといて、重油タンク攻撃してれば〜ってのをおかしいと思わないのか?
山口の第二撃準備完了も雷装だぞ。
それとも改めて爆装に転換するのか?
おいおい雷装を爆装に転換だなんて、GFの厳命に反したらダメに決まってるだろwww
↑ 文盲 wwwwwwwwwwwwww wwwwwwwwwwwwww wwwwwwwwwwwwww
363 :
GF :2011/02/28(月) 21:54:01.75 ID:???
>>354 お待たせしました。
ご指摘の通り、「機動部隊命令」は作第三号まであります。
「機動部隊は11月23日付で、作第一号から作第三号までの機密命令を下令した。
第一号は作戦方針、兵力部署、各部隊の行動、第二号は通信計画、第三号はハワイ
空襲計画について、それぞれ具体的に定めたものである。
いずれもハワイ方面から伝達されてきた最新情報などを参考にしながら起案したもので、
臨機の措置は”参謀長依命申進”によることにした」 (『真珠湾作戦回想録』源田実/著)
(註)依命とは命令によること。
第一号と第三号の要旨は『戦史叢書(10)ハワイ作戦』にあります。
実は第一号に関して前スレで出したのですが、
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1276688293/522 どなたも第三号について指摘してくれず、今回は本職から言おうかと迷っていた
ところなので助かりました。感謝します。
364 :
GF長官 :2011/02/28(月) 21:57:16.27 ID:???
>>363 の続き
第三号で明らかな通り、反復攻撃自体は作戦計画に含まれています。
ただ
>>360 にあるように、目標はあくまでも「敵艦船」。
おそらくは港内の残存艦、あるいは緊急出港した艦艇等を想定していたのでしょう。
なのに、なぜこの反復攻撃が「重油タンク(港湾施設も)攻撃」にすり替わって
しまったのか。
「総隊長淵田中佐は、南雲長官に対して攻撃結果を次のように報告した。
戦艦4隻撃沈、4隻大破ないし大破以上。この8隻に限り今後少なくとも半年は
動けないと思う。航空母艦を逸していることであるし、敵の反撃は当然あり得る
と考えた方が宜しいのではないか。
オアフの地上基地に関しては、格納庫が大火災でよく分からないけれども、
3時間舞い上がってくる戦闘機が1機もなかったくらいだからそう大きな力が
残っているとは思えない。
”総隊長、次の攻撃を実施するとして目標は何にするか”
草鹿参謀長が淵田中佐に意見を求めた。
”敵の戦艦は撃沈したといっても、アリゾナ型2隻を除いて他は水深の浅い
湾内で腰をつけているだけです。サルベージがすぐ引き揚げにかかると思い
ます。次の目標は工廠をはじめ軍の修理施設と所在の重油タンクを狙いたい
と思います”
ところが長官からも参謀長からも確とした答えはなかった。
”よし、ご苦労だった。休んでおれ”」
このあたりが後知恵で加えられたのではないかと。
365 :
GF長官 :2011/02/28(月) 21:59:51.83 ID:???
>>364 の続き
故に本職は、艦隊司令長官が作戦目的を正しく理解し第二撃を実施するならば、
「米空母攻撃」でなければならないと主張したのです。
それともう一つ、当時の状況を鑑みて
(敵主力艦壊滅、ハワイ航空基地・敵戦闘機・対空砲火はほぼ制圧?)
湾内に残っているのは巡洋艦以下の”小物”ばかりだから、淵田隊長の進言通り、
重油タンク(港湾施設)を攻撃して戦果拡大を図るべきだといった作戦変更は
現場の裁量で許される範囲内のことだと考えています。
つまり南雲長官が重油タンク攻撃のために第三次攻撃隊を出したとしても、
その企図自体は許容範囲内だという意味です。
366 :
GF長官 :2011/02/28(月) 22:03:51.74 ID:???
>>365 の続き
以上をふまえて、ここからが本題なのですが、
では「第三次攻撃隊によりどの程度の戦果が見込まれるのか」
>>347 にも書きましたが、本職の見解は、
>そもそも残存米艦隊が活動できないほど、真珠湾を徹底的に破壊するなんて、
>南雲機動部隊の能力を遥かに超えたものだと考えます。
>>344 様、一つだけお尋ねします。
「第三次攻撃隊は何機編制で見積もっているのですか」
それで米機動部隊が活動できなくなるくらいの損害を与えられるのでしょうか。
前スレでも繰り返しましたが、
>例えば、真珠湾で一撃のみで避退したことを非難する人は山ほどありますが、
>第二撃の具体案(攻撃隊の編制、兵装、発進時刻、収容予定時刻・・・等々)
>まで示す人はありませんよね。
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1276688293/651 具体的なレスをお待ちしております。
まぁそれ以前に、所在不明の米空母が出てこないものと楽観視して、現場海域に
とどまり、再攻撃をかけるなんてあり得ない選択肢だと思いますがねぇ・・・
367 :
GF長官 :2011/02/28(月) 22:14:40.41 ID:???
>>364 16年10月の図上演習の際、山口多聞が強硬に「修理施設と石油タンク」の破壊を主張していたからね。
彼は「反復攻撃」が第三号に明記されたことで、一応は自分の主張が否定されなかった、
と理解してるらしいね。
そういうシーンを淵田も見てるだろうし、理解もしてるから、
次の攻撃目標に「軍の修理施設と所在の重油タンク」を挙げた、と見るべきではないか?
>>13 に「日本海軍には、第一線下級指揮官の判断を尊重する伝統があった」というけど、
真珠湾では淵田総隊長の判断は尊重されず、ミッドウェーでは友永大尉の判断は尊重し…
個人的にはなんだそりゃ(ダブルスタンダート???)って感じかな。
そういえば、機動部隊命令策第三号、真珠湾に空母と戦艦と両方いたら、
まずは戦艦を狙えって記載がある、と聞いたけど、その話しホント?
これはこれで問題ある内容だと思うけど。
369 :
GF長官 :2011/02/28(月) 22:59:57.52 ID:???
>>353 の続き
英艦隊の突然の方向変換は、独水雷戦隊の動きに対応したものでした。
>>297 の通り、反転当初は独本隊の右舷前方に水雷戦隊が航行していた。
ところが追撃戦が開始され増速すると、本隊の速力についていけず徐々に
落伍し始めたのです。
ビーティ中将からだと、前方から独駆逐艦が接近してくるように見える。
彼は「これは敵水雷戦隊の襲撃行動(魚雷発射態勢)だ」と考え、右舷に転舵し
様子をみようと思ったのではないか。
同時に、減速することにより、遅れていたムーア隊の2隻を追いつかせ、陣形を
再構築するとの意図もあったでしょう(
>>125 )
370 :
GF長官 :2011/02/28(月) 23:01:20.23 ID:???
>>369 の続き
それにしても、軽巡や駆逐艦は早くから「重油専焼缶+タービン機関」を採用し、
主力部隊より優速のはずでしたが、
(例)独駆逐艦の最高速力は、V29が36.3ノット、S33が34.2ノット
本来なら巡戦隊(23ノット)から遅れるなんてあり得ないはずなのに・・・
「若干のドイツ駆逐艦が速力を維持する能わざるに至り、両艦列間の後方に
落後したる」
「長涛及波浪の為、且寧ろ前続駆逐艦の艦尾水に妨げられて、大多数の
駆逐艦は24節時として26節に対する回転をなさざるべからざりき」(『北海海戦史』)
どうやら長涛(波長の長い波)や前続艦の艦尾波の影響で、実際の速力は
24〜26ノット止まりだったようです。
371 :
GF長官 :2011/02/28(月) 23:04:55.18 ID:???
>>370 の続き
一般に船体抵抗には4種類あり、
(1)摩擦抵抗
(2)造波抵抗
(3)造渦抵抗
(4)空気抵抗
(1)摩擦抵抗は船底表面の状態が大きい影響を与える。艦船が長い期間
入渠せず船底清掃と塗装を実施しないと、水線下に藤壺・牡蠣・海藻が付着
発生する。船底汚れの度合いが激しいほど抵抗は増大し速力は落ちる。
(2)艦船が航行する時には必ず水面に波が発生し、船体に抵抗を与える。
これが造波抵抗で、船首・船尾の形状によって抵抗に差が生じる。
水線下の船首部分を球状にしたバルバス・バウは造波抵抗の減少を目的と
したもので、大和や翔鶴に採用されたことで知られている。
372 :
GF長官 :2011/02/28(月) 23:06:44.02 ID:???
>>371 の続き
(3)船体の表面に急激な形状の変化があると、その部分に渦が発生する。
渦の後面は真空状態となって船体を後ろに引っ張る力が作用する。これが
造渦抵抗である。これを防ぐには船体を流線形にすればよい。
(4)艦船が航行するとき、水線上の船体及び上部構造物は空気(風)の
抵抗を受ける。航空母艦のように正面風圧面積が大きな艦は、特に空気抵抗
について考慮しなければならない。 (『艦艇工学入門』)
このうち大きなものは(1)摩擦抵抗と(2)造波抵抗で、
低速時は摩擦抵抗が全抵抗の大部分を占め、高速時は造波抵抗の割合が
大きくなるので、独駆逐艦の速力低下は造波抵抗によるものと考えられます。
>>367 ほい。
「攻撃目標を艦船に集中した日本軍は、機械工場を無視し、修理施設には事実上手をつけなかった。日本軍は湾門の近くにある燃料タンクに貯蔵されていた450万バレルの重油を見逃した。
長いことかかって蓄積した燃料の貯蔵は米国の欧州に対する約束を考えた場合、ほとんどかけがえのないものであった。
この燃料がなかったならば艦隊は数ヶ月にわたって、真珠湾から作戦をするのは不可能であったろう。」
C・Wニミッツ/E・Bポッター共著「ニミッツの太平洋海戦史」
374 :
名無し三等兵 :2011/03/01(火) 07:29:49.52 ID:7mWB8+Ax
age
自動保守装置は便利だねぇ
モリソン博士のハワイ作戦批判への反論 戦術面 「艦船ではなく基地施設・タンクを攻撃すべき」 ・ドック内にいた駆逐艦カッシン、ダウンズ、ショーの3艦は大爆発・大火災をを起こしたが、ドック自体の損傷は軽微。 ・そもそも単なる桟橋等でもない限り、恒久施設として築港された港の港湾能力を完全に破壊することはほぼ不可能である。 破壊出来るかどうかではなく、“復旧”出来るかどうかは『補給が継続出来るかどうか』である。 ・艦船を攻撃せず基地施設・タンクを攻撃することは、至近に在泊している艦艇群より一方的に対空砲火を浴びることになる。 軍港地区(というよりハワイ全体)における最大の対空火力は、在泊艦艇群である。 これを制圧せず他目標を優先的に空襲することには、軍事的合理性を見出だせない。 戦略面 「馬鹿げている」 ・本当に馬鹿げているなら真珠湾の損害を『戦艦2隻損傷他…』などと ミッドウェーの大本営発表もびっくりな報道管制を戦争末期まで行う必要は無い。 米議会が被害の実態を知るのは戦後の調査委員会においてである。 なお、現地を視察したノックス海軍長官(記憶ミスならスターク作戦部長)が、あまりの惨状に精神的ショックを受けている。 政略面 「取り返しのつかない失敗」 ・ハワイを攻撃するかどうかで、米国の生産能力が上下するなどと言う、非科学的現象が発生するのであろうか? ・精神的・士気の面で見ても、フィリピン、グアム、ウェークが攻撃・占領を受けているにも関わらず、 ハワイが攻撃されなければその分だけ米世論が宥和的になる、軍の士気が下がる、などということが有り得るのだろうか? そもそも「パネー号誤爆事件」ですら日米開戦の危機となった現実を無視してはいないか?
>>372 長官ご帰還、ピィィィィイッィイイーーー
378 :
GF長官 :2011/03/01(火) 21:34:22.68 ID:???
379 :
GF長官 :2011/03/01(火) 21:36:17.27 ID:???
>>378 の続き
>個人的にはなんだそりゃ(ダブルスタンダート???)って感じかな。
鋭い視点ですねぇ。まさにそれですよ、それ。
本編で繰り返している「適切な情勢判断」とは、そのことなんですよ。
前にも書いたと思いますが、「戦訓を活かす」のは非常に難しい。
「兵は拙速を尊ぶ」で失敗したからといって、次から拙速で成功するとは限らない。
いつ如何なる場合でも、「第一線下級指揮官の判断を尊重」すれば良いのなら、
艦隊司令長官は要りません。
その時その時の状況に応じて決断を下さなければならないからこそ、必要なのです。
真珠湾とミッドウェー、それぞれの南雲長官になり切って考えてみるのはいかが?
380 :
GF長官 :2011/03/01(火) 21:38:36.53 ID:???
>>379 の続き
>機動部隊命令策第三号、真珠湾に空母と戦艦と両方いたら、まずは戦艦を狙えって記載がある
再度確認したところ本職にも誤解があったようで、優先順位に関しては、
<第一次攻撃隊>
第一集団の攻撃目標を戦艦4隻・空母4隻以内とし、目標選定順序を第一戦艦、
第二空母とする。
(註)第一集団とは淵田水平爆撃隊(800kg徹甲弾)と村田雷撃隊
<第二次攻撃隊>
第二集団は敵空母4隻ないし5隻を目標とし、目標不足の場合は巡洋艦、戦艦の
順に目標を選定する。
(註)第二集団とは江草艦爆隊(250kg通常爆弾)
つまり、第一次攻撃隊→@戦艦A空母
第二次攻撃隊→@空母A甲巡B戦艦
お詫びして訂正いたします。
>これはこれで問題ある内容だと思うけど。
兵装を見れば明らかでしょう。必殺の徹甲弾を空母に使っちゃ勿体ないよ〜
381 :
GF長官 :2011/03/01(火) 21:42:58.80 ID:???
>>373 おお迅速な対応ですね。ほんと本職の仕事がなくなってしまうなぁ
ニミッツ元帥が記述しているのは「真珠湾壊滅→米艦隊作戦行動不能」の部分ですね。
本職が
>>351 で”ツッコミ所満載”と言ったのは、「第二撃実施→真珠湾壊滅」の箇所。
故に先日来「第三次攻撃隊は何機編制?」とお尋ねしているのです。それで、
”450万バレルの重油”が喪失して数ヶ月も作戦行動不能にすることは可能なのですか。
>>355 様、機密命令をお待ちしてますよ。
>>375 普段は底辺をさまよっていますからねぇ、緊急浮上!
>>376 有難うございます。
>>367 の過去スレの内容ですね。
>>377 ただいま〜てゆーか日曜日は定休日ですって。
382 :
GF長官 :2011/03/01(火) 21:52:16.06 ID:???
>>372 の続き
このため独水雷戦隊は、本隊の右舷前方から非敵側である左舷前方へと
移動していった。
もっともこちらにも英軽巡戦隊(グッデナフ隊
>>299 )がいますが、同じく
ビーティ隊についていくのが精一杯だったようで、また独殿艦ブリュッヒャーが
牽制目的で砲撃していたので、前方に進出することは出来なかった。
383 :
GF長官 :2011/03/01(火) 22:01:39.45 ID:???
[ドッガー・バンク海戦](1000時) ─┐ ▽軽巡ローズトフト ▽軽巡ノッティンガム ▽軽巡バーミンガム ▽軽巡サウサンプトン(グッデナフ代将) └→ ──┐ 巡戦インドミタブル▽ (ムーア少将)巡戦ニュージーランド▽ 巡戦プリンセス・ロイヤル ▽ ┗━┓ 巡戦タイガー ▽ ▼装甲巡ブリュッヒャー ┓ (ビーティ中将)巡戦ライオン▽ ▼巡戦デアフリンガー ▼独水雷戦隊 │ ▼巡戦モルトケ ┗→ ↓ ▼巡戦ザイドリッツ(ヒッパー中将) ┓ ┗━→ ▼独駆逐艦 ┗→
第一次ソロモン海戦の「反転再攻撃→輸送船団壊滅→ガ島戦勝利」 フィリピン沖海戦の「反転せず進撃→輸送船団壊滅→比島戦勝利」 みたいなもんか。 言っている事は真珠湾のソレと同じだしな。 ・・・ミリオタという人種はご都合主義と楽観的な思考で出来ているってことだろうか
385 :
GF長官 :2011/03/01(火) 22:06:55.88 ID:???
[ドッガー・バンク海戦](1000時) ─┐ ▽軽巡ローズトフト ▽軽巡ノッティンガム ▽軽巡バーミンガム ▽軽巡サウサンプトン(グッデナフ代将) └→ ──┐ 巡戦インドミタブル▽ (ムーア少将)巡戦ニュージーランド▽ 巡戦プリンセス・ロイヤル ▽ ┗━┓ 巡戦タイガー ▽ ▼装甲巡ブリュッヒャー ┓ (ビーティ中将)巡戦ライオン▽ ▼巡戦デアフリンガー ▼独水雷戦隊 │ ▼巡戦モルトケ ┗→ ↓ ▼巡戦ザイドリッツ(ヒッパー中将) ┓ ┗━→ ▼独駆逐艦 ┗→
386 :
GF長官 :2011/03/01(火) 22:18:42.83 ID:???
う〜む、IEからだとうまくいかんな。各自補完サレタシ
>>385 の続き
先述の通り(
>>346 )0943時にザイドリッツは重傷を負っていたが、直後に
ビーティ隊が減速したため、あやうく難を逃れることが出来た。意図したもの
ではないにせよ、独駆逐艦の行動が主力部隊の危機を救ったのです。
陣形緊縮が完了した1010時、ビーティ提督は増速を下令(26ノット)
再びヒッパー隊との距離を詰めていきます。
更に追いついた殿艦インドミタブルにブリュッヒャー砲撃を命じている。
独本隊は全艦の砲門を敵旗艦ライオンに集中している。
白熱する追撃戦はまだまだ続く・・・
>>379 散兵戦術を始め、陸戦は教育の普及、所謂富国強兵によって非常に高度な自律判断を行える
歩兵の発達を見ており(これは現在に至るまでかつての「貴族的」戦争との最大の差異である)、
これが下士官を尊重した意思決定の基盤であると考えられる。
而して、航空兵力を省みよ。
連絡はまともに取れず、場合によっては今自分がどこを飛んでいるかすら見失い、身を隠す塹壕
は無く、出来ることと言えばほぼ単能である。
それに用いられる人員に比べて、非常に愚かな兵力となっているのである。
故に、情報の集中を受けた司令部の判断がより強く求められるのだ。
こんなん考えてみたけど駄目?
>>380 真珠湾に空母がいなかったから、問題とはならなかったけど、
もしも、真珠湾に空母がいたら、「機動部隊命令策第三号」は致命的な命令ミスになりかねない。
水平爆撃隊や雷撃隊を先に出して、空母がいても第一目標は戦艦なんだよね?
一般論、航空反撃されることを嫌って、第一目標は空母であるべき、だと思うのだけれど。
そもそも論、万一、空母が真珠湾内にいる危険性を考慮するなら、
江草急降下爆撃隊を第一次攻撃隊に指定し、優先順位を敵空母>戦艦>巡洋艦、とすべき、
ではなかったのか?
確かに25番でどれだけ戦艦にダメージを与えられるか、という問題は生じるが、
25番も一隻の戦艦に10発ぐらい命中できれば、撃沈相当の被害を与えることはできるんじゃなかったっけ?
この議論となると、南雲の資質というよりは航空参謀のセンスの問題のような気がするけれど(苦笑)
>>388 >一般論、航空反撃されることを嫌って、第一目標は空母であるべき、だと思うのだけれど。
航空反撃される事を嫌っているから、攻撃隊の半数が飛行場攻撃・制空任務なんすよ
飛行場と違い、軍港に停泊中の空母は航空機出せないっす
>>388 索敵機が先に到達してハワイ諸島の各泊地を偵察してます。
さらに、地上のスパイ網からの情報で「ペルシャの絨毯」「迷い犬のメアリー」等で
真珠湾に何が居るかは南雲部隊は逐一把握してましたのでその過程はそのそも成り立たない
>>390 機動部隊命令作第三号は、第一号と一緒に11/23に発令されたもの。
発令時点では、12/8当日に米空母が真珠湾にいる可能性は100%否定されていない。
この時点から、戦艦>空母と書いてることが問題。
それは黒島に言え。南雲には関係ない
393 :
GF長官 :2011/03/02(水) 18:59:20.02 ID:???
>>384 全く。「敵輸送船団が壊滅したら」、「重油をすべて喪失したら」、そりゃ米軍も大慌てでしょうw
過去スレで何度も指摘されていますよね。
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/army/1215089973/860 >後世の批判て希望的観測で最大限の戦果と完璧な判断を要求するからなあ。
やれやれだぜ。
>>387 なるほど。陸軍は下級指揮官まで「適切な情勢判断」を求められるのかな。
>>389 あれれ?重油タンクの話はもうおしまいですか。てっきり、
「零戦に爆装を施し母艦直衛機も投入して、二波全力でタンクを叩くべし」とか、
「艦隊ごとワイキキビーチに乗り上げて、赤城の8インチ砲で艦砲射撃」とか
「司令長官以下総員が陸戦隊となって、ハワイを占領」とか期待してたのに・・・
394 :
GF長官 :2011/03/02(水) 19:01:01.31 ID:???
>>393 の続き
まぁ空母の話も良いですけれど、「航空反撃を嫌う」なら、陸揚げされている
母艦艦載機の方を叩くべきですよね(
>>389 )
昨日言ったばかりじゃないですか、「戦訓を活かすのは難しい」と。
「海戦における最優先攻撃目標は敵空母」。戦術理論としては合格でしょうが、
一般論は一般論であって、何時でも何処でも通用するものではない。
だから、司令長官が適切な情勢判断を下さねばならないのです。
しかしながら、これだけ本編の要点を分かりやすく示してくれるなんて、
>>388 様が敵なのか味方なのか、分からなくなってきましたねぇ。
本職の主張に反対したいのか、反論するふりをして支援してくれているのか。
長官「信号長、前方の不明艦に味方識別の発光信号を!」
信号長「はっ、”ワレアオバ、ワレアオバ”(カチャカチャ)」
さて返ってくるのは応答信号か、それとも砲弾かな。
395 :
GF長官 :2011/03/02(水) 19:02:42.73 ID:???
>>389 ですよねー >軍港に停泊中の空母は航空機出せないっす
あくまでも優先順位であって、空母を見逃すってわけじゃないのになぁ。
>>390 映画『トラトラトラ』にも出てきましたね。>スパイ
スーツケースに仕込んだカメラで湾内艦艇を撮影する場面が印象的でした。
でも空母を沈めたら沈めたらで、
「撃沈したと言っても着底しただけであり、すぐにサルベージされてパワーアップして
戦線に復帰するから無意味。やはりタンクの方を爆撃するべきだった」
と叩かれるんだろうな。南雲長官カワイソス
>>391 そうですね。
>>363 >戦艦>空母と書いてることが問題。 ・・・どこが問題なの?
>>392 機密機動部隊命令の発令者は南雲司令部であり、GFは直接は
関係ありませんので念の為。
396 :
GF長官 :2011/03/02(水) 19:04:47.33 ID:???
>>393 アンカー訂正
>>389 あれれ?重油タンクの話はもうおしまいですか。てっきり、
→
>>388 あれれ?重油タンクの話はもうおしまいですか。てっきり、
397 :
GF長官 :2011/03/02(水) 19:15:11.81 ID:???
>>386 の続き
再び速力を上げた英艦隊、独艦隊の方はザイドリッツが損傷しているため、
速力が21ノットまで低下していた。先頭艦が減速すると、後続艦もそれに
従わざるを得ない。
たのみの公海艦隊は、未だヴィルヘルムスハーフェンで出撃準備中。
インゲノール長官は「戦艦隊は出撃しつつあり」と平文で打電。
これは英側に傍受されることを見越した上の”牽制”でしょう。
実際に出撃したのは1430時で、全く間に合いませんね。
仮にライオンがこれを受信したところで、「ダッシング・アドミラル」が
目の前の獲物を見逃すわけがなかろう。
勝ち誇るビーティ提督と麾下艦隊。
もはやヒッパー隊に逃れる術はないのか。
398 :
GF長官 :2011/03/02(水) 19:17:17.77 ID:???
規制が解除されたようなので、再掲 [ドッガー・バンク海戦](1000時) ─┐ ▽軽巡ローズトフト ▽軽巡ノッティンガム ▽軽巡バーミンガム ▽軽巡サウサンプトン(グッデナフ代将) └→ ──┐ 巡戦インドミタブル▽ (ムーア少将)巡戦ニュージーランド▽ 巡戦プリンセス・ロイヤル ▽ ┗━┓ 巡戦タイガー ▽ ▼装甲巡ブリュッヒャー ┓ (ビーティ中将)巡戦ライオン▽ ▼巡戦デアフリンガー ▼独水雷戦隊 │ ▼巡戦モルトケ ┗→ ↓ ▼巡戦ザイドリッツ(ヒッパー中将) ┓ ┗━→ ▼独駆逐艦 ┗→
>>376 へ?米領土州都ハワイが騙し討ちで攻撃されたからこそアメリカはリメンバーパールハーバーのスローガンのもと一気に総力戦態勢に移行することができたんだけど?
植民地のフィリピンが攻撃されたくらいで全く同じ対応になるか?ハワイが直接攻撃された場合より立ち上がりは遅れるか緩やかになるはずだ。いきなりハワイに来るか来ないかではインパクト、危機感が違う。
日本が本当の意味で総力戦態勢になったのは敗色濃厚になった昭和19年になってからだぜ。
通常重要なのは領土>植民地だろ。
わかりやすく例えれば
フィリピン=朝鮮半島
グアム島=竹島
ハワイ諸島=対馬、琉球諸島
そんなに日本が朝鮮半島を失なったのが悔しいのかお前?
お前フィリピーナが忘れられない日本人になりたい朝鮮人だろw
>>399 当時ハワイやアラスカは準州な訳だが、グアムやウェークはアメリカの領土ではないと主張したいのか?
しかも宣戦布告され戦争状態なのに、ハワイを攻撃されなきゃアメリカは本気にならないと。
アメリカは開戦前から両洋艦隊法で、戦争なくても3年もすれば日本を圧倒する海軍力になる訳だが。
造船所は1940年から規模を拡大し、更にレンドリースによる産業活性化もある。
ハワイを攻撃されなきゃアメリカが本気にならないなんてのは、根拠のないただの希望的観測でしかない。
>>399 >日本が本当の意味で総力戦態勢になったのは敗色濃厚になった昭和19年になってから
何を基準に言ってるのか知らんが、生産力が軌道に乗ったという意味なら、アメリカも総力戦体制確率は1943年以降だな。
何故かって?生産力が軌道に乗るには、その前に造船所や工場の設備の拡張が必要だからさ。
>>400 >グアムやウェークはアメリカの領土ではないと主張したいのか?
グアム島=竹島てうまい例えだと思ったんだけどな・・・
難しかったかな?もちろんグアム島はアメリカで竹島は日本のだけど。
ならリメンバーパールハーバーでアメリカが一致団結した効果は認められないと?
>>401 昭和19年日緊急国民勤労動員方策要綱
国民学校令等戦時特例 女子挺身勤労令
国民義勇隊
一連の決戦非常処置
404 :
402 :2011/03/03(木) 14:35:54.97 ID:???
申し訳ない。発言引っ込めるわ。 当事者のアメリカ、アメリカ人じゃないとわからない面もあるからな。
>>402 そりゃアメリカは昔からリメンバー・アラモやら、リメンバー・メーンとか言ってメキシコやスペインと戦争してるからな。
>>399 >アメリカはリメンバーパールハーバーのスローガンのもと一気に総力戦態勢に移行することができたんだけど?
プロパガンダを形成するにあたって、自国領土が直接攻撃を受けたか否かはさして重要ではありません。
例えば、リメンバーアラモのテキサスは当時のメキシコ本土内であり、
リメンバーメインのキューバはスペイン植民地です。
全面戦争の発端となった場所は、アメリカの植民地ですらありません。
国家が全面戦争を決意するのは、その時々の国策と権益が合致したときです。
日清・日露戦争に於いても、互いに敵国本土を直接攻撃して戦端が開かれたわけではありません。
そして主戦場は第三国です。
ある意味で魔術的な概念である“総力戦”についても、
WW1では各国の外交の錯誤と動員合戦、それに付随する最後通牒・宣戦布告の混乱を経て、ようやく敵国本土への攻撃が開始されます。
この間、独仏露各国の攻撃計画は、ほぼ同時平行で自動的に進行しています。
自国本土が攻撃されたから総力戦状態が発生したわけではありません。
いわゆる近代的総力戦の素地となった各国の動員計画(本来は短期決戦を指向)は、
半ば戦争計画と直結しており、その策定は戦前からのものです。
(この辺、当スレのWW1編で今まさにやっていることですが)
太平洋戦争の原因は日米の国策の衝突であり、その焦点となる権益は中国を巡るものです。
そしてルビコンを渡ったのは、南部仏印進駐。
以上を考えれば、「リメンバーパールハーバー」が存在せずとも、
リメンバーフィリピン、リメンバーマニラ、リメンバーコレヒドール、リメンバーグアム、リメンバーウェークあたりが、
プロパガンダとして採用されただけだと考えます。
>>406 >リメンバーマニラ、グアム、コレヒドール・・・
君センスないね・・・
>>407 センスは宣伝相の領分ですので。
なお、開戦劈頭に上海にて米砲艦ウェークが降伏勧告に従い拿捕されております。
「リメンバー・パールハーバー」がなく、同艦が英砲艦ペトレル同様抵抗のうえ撃沈された場合は、
戦艦メインを想起させるという意味でも
『リメンバー・ウェーク(号)』
がスローガンになったものと愚考いたします。
>>407 フィリピンはマッカーサーがごり押ししなきゃスルーするつもりだったくらいだから
それはちょっとないんじゃないかなぁ
ハワイよりは動機付けは弱くなると思うが
スレ違いの話はそこら辺で切り上げたらどうだ?
>>394 >「はっ、”ワレアオバ、ワレアオバ”(カチャカチャ)」
一般論、航空反撃を最小限にするため、陸揚げされている母艦艦載機や陸上機を破壊するため、
優先順位として、航空機>主力艦、という位置づけは間違いないだろうが、
だとすれば、飛行場爆撃ミッションを負った江草隊が第一次攻撃隊に配備されない点は、
納得しづらい点である。
>>411 おまいさん、真珠湾攻撃航空隊の編成と攻撃目標知らんのか?
第1次:水平爆撃(淵田)隊艦攻49機・雷撃(村田)隊40機・急降下爆撃(高橋)隊51機・制空隊(板谷)43機の計183機
第2次:水平爆撃(島崎)隊54機・急降下爆撃(江草)隊78機・制空(進藤)隊35機計167機
第1次攻撃隊のうち高橋隊26機がフォード・ヒッカム飛行場、坂本隊25機はホイラー飛行場、制空隊も敵機迎撃がない場合地上機を銃撃する。
第2次攻撃隊も市原隊27機がカネオへ・フォード飛行場、江草隊27機がヒッカム飛行場、第1次同様制空隊は地上機銃撃。
水平爆撃隊と雷撃隊は艦船攻撃だ。
因みにオアフ島には真珠湾周辺以外も含め、飛行場が7つもあるんだぜ(日本はハレイワ飛行場は知らなかったらしい)。
米軍にしてみれば旧式戦艦や旧式のB17C型やP40BやP36やB10などの旧式機を処分する 手間が省けて良かったよな 搭乗員は無傷だし
>>413 これから大戦争やる予定で猫の手も借りたい、使える戦力は何でも掻き集めて使おうって時に、そんな発想にはならないんだが。
特に侵攻渡洋艦隊の要になる戦艦がいなきゃ、積極攻勢ができない。
また現状で第一線に出てる機体が根刮ぎやられて、すぐに全部新型で更新できると思ってるのか?
400機が壊滅してんだぞ、フィリピン等の外地含めりゃもっと多い。
おかげでハワイや本土防空への補充強化が優先で、攻勢反撃どころか蘭印やフィリピンへの補充強化も、米豪交通線への戦力強化にも支障が出る。
旧式機でもせめて訓練や後方任務には充分使えるのに。
処分とする手間が省けたはずの旧式戦艦を修理して終戦まで最前線で使用している不思議
416 :
GF長官 :2011/03/05(土) 20:26:21.18 ID:???
>>399- せめて南雲長官に関連づけての展開を・・・って本職が言える立場でないか。
当スレでは政略は扱いませんので、続きは該当スレでどうぞ。
>>411 あの、ネタ切れならもうお開きにした方が・・・
>>412 の通りですが、
「俺の考えた素晴らしい作戦案なら圧勝間違いなし」ではなく、
「自分のような素人でも思いつくようなことなら、当時の参謀も気付いていたはず。
それが採用されなかったのは、なんらかの事情があったのだろう」との視点が
大事だと思います。本職もしばしば図に乗って失敗しますので。
>>413 ミッドウェーでもTBDを”処分”して、TBFへの機種変換を促進したんですね。
さすが合理的精神の国アメリカですなぁ。
>>414 ニミッツ提督も「戦艦が沈んだおかげで、乗組員を優先的に空母へ配置
することが出来た」と書いてますよね。
本職には負け惜しみにしか聞こえないんですけど。
>>415 なるほど、こう言えば一行で済むのか。メモメモっと。
417 :
GF長官 :2011/03/05(土) 20:53:49.54 ID:???
>>398 の続き
この間、独艦隊は0945時と1010時の2回、左舷に1点(11.25度)回頭している。
南側よりビーティ隊に圧迫され、変針せざるを得なかった様子がうかがえますね。
ここで勝負あったと思いきや、今度は一転して英艦隊が窮地に追い込まれた。
勝負の女神は気まぐれなものです。
1018時、デアフリンガーからの28センチ砲弾が2発同時にライオンに命中した。
「2個の榴弾は同時に旗艦に命中せり。重砲弾の衝撃劇甚なりしを以てライオンの
乗員は最初魚雷の命中と思ひたる程にて、其効果も亦重大なりき」 (『北海海戦史』)
418 :
GF長官 :2011/03/05(土) 20:55:43.58 ID:???
>>417 の続き
乗員が”魚雷が命中した”と感じるほどだから、余程の衝撃だったのでしょう。
いずれも左舷側ですが、1発は前部砲塔付近。主甲板直下に命中。厚さ5インチの
舷側装甲帯を吹き飛ばして魚雷準備室内で炸裂、破孔からに浸水により左舷主機が
停止した。
2発目は1発目のすぐ後方、下部炭庫に浸水。
デアフリンガーの散布界は驚くほどに狭かったようだ。
被弾の影響でライオンは左舷側に10度傾斜、速力も低下していき、最終的には
15ノット程度しか出せなくなってしまった。
419 :
GF長官 :2011/03/05(土) 20:57:37.87 ID:???
>>418 の続き
ライオンの被害はこれだけでは終わらない。
1049時から3分間に3発の命中弾を浴びた。
「10時49分より10時52分迄の間に、旗艦は決定的命中弾を受けたり。
此時同艦は缶室の位置に於て、水線装甲を内方へ圧入し給水タンク及左舷機に多大の損害を加え、
艦をして停止の已むなきに至らしめたる1榴弾に依り、艦首より艦尾まで震撼せられたり。
同時に短絡に依り、灯火と電力とは滅失し、左舷への傾斜は10度に達し、最早15節以上の速力を
出し能わずして、列外に出で爾後敵の追跡を僚艦に委ねざるべからざるに至れり」
(註)短絡とはショートのこと。
これ以外にも計17発の砲弾を受け、戦闘力を喪失してしまった。
ヒッパー提督の分火変更命令(
>>352 )が見事に功を奏したと言えるでしょう。
『北海海戦史』にもあるように、ライオンはもはや旗艦の任務を果たせなくなり、
戦列の左舷側に脱落、替わって2番艦タイガーが先頭に立った。
420 :
GF長官 :2011/03/05(土) 21:04:36.89 ID:???
[ドッガー・バンク海戦](1055時) ─┐ 巡戦インドミタブル▽ (ムーア少将)巡戦ニュージーランド▽ 巡戦プリンセス・ロイヤル ▽ △巡戦ライオン(ビーティ中将) 巡戦タイガー ▽ └─→ ━┓ ▼装甲巡ブリュッヒャー ┗→ ━┓ 巡戦デアフリンガー▼ 巡戦モルトケ▼ (ヒッパー中将)巡戦ザイドリッツ▼ ┗━→
>政略面 「取り返しのつかない失敗」 ↓ >当スレでは政略は扱いませんので、続きは該当スレでどうぞ。 ↓ >なるほど、こう言えば一行で済むのか。メモメモっと。 なんだこいつ
発:前衛部隊二番艦運用長 宛:GF長官 現在、前衛部隊ニオイテ、スレタイ研究会ヲ実施中ナリ GF長官ノゴ意見ヲ求ム
発 前衛部隊 司令長官 宛 GF長官 追送信。先ノスレタイ案ハ以下ノ物ヲ伴ウ 1【水雷屋】 【舵貰うぞ】 2【艦攻雷装】 【そのまま】 3【兵装其儘】【斉動赤赤】 4【無線封鎖】 【そのまま】 5【質実剛健】 【七輪持参】 6【呼出符合】 【無視無策】 7【水雷猛者】【航空素人】 甲乙丙丁ツケガタシ、指示ヲ乞ウ
お前長官に任せたら 【水雷☆無双】【爆撃カイヒの憂鬱】 とか言い出すぞ。
スレ違い
ばかもん!前衛部隊スレは南雲スレの直隷下にあるから、指示を受けねばチームプレイが出来ぬ。 各艦隊がバラバラに戦って袋叩きなった捷号作戦を忘れたか。
>>426 >指示を受けねば
上からの指示に忠実に従うことしか頭にない、独自性、独創性が全くない
どこかの司令官みたいな台詞だな。
>>422-425 >>426 本隊の邪魔にならないよう、率先して雑談を引き受けるのが支隊の役目なのに、率先して本隊に雑談ネタ持ち込んでどうすんだ。
>>427 兵装転換したどこぞの指揮官は柔軟性に富んでると言いたいんだね。
429 :
GF長官 :2011/03/07(月) 21:15:03.61 ID:???
>>421 いやぁ、本職のレスを隅々まで読んで頂いているのですね。恐縮です。
>>422- 宜候。じゃあ本職はシンプルに、
【操艦】【貰うぞ】
【夜戦だ】【夜戦】
【若い者は】【良い】
命名権はスレ主様にあるので、本職もそれに従う所存です。
>>424 新ヒロイン誕生の予感・・・!
「海兵出身、爆撃カイヒ。ただの水平爆撃には興味ありません。
この中に急降下爆撃、反跳爆撃、高高度精密爆撃が出来る者がいたら、
あたしのところに来なさい。以上」
これをネタに薄い本を夏の即売会に出して、その売り上げを空母建造予算に
あてるとしよう。打倒、両洋艦隊!
>>426- まぁまぁ、スレタイについては前スレでもあったので、節目くらい良いかと。
430 :
GF長官 :2011/03/07(月) 21:27:20.01 ID:???
>>420 の続き
更に英艦隊の混乱に拍車をかける出来事が・・・
1059時、ライオンの見張が戦列の右舷側に潜望鏡らしきものを発見。
「右舷に敵潜出現!」
直ちにビーティ提督は、全艦隊に「左8点一斉回頭」を下令。(註)8点=90度
「敵潜発見→非敵側に一斉回頭」は、艦隊行動の基本ですね。
ちなみに、
>3【斉動赤赤】(
>>423 )
これは「緊急左45度一斉回頭」という意味。
くれぐれも連続して発令するのはやめませうw
後にこの「潜水艦発見」は誤認であったことが判明するのですが、
ビーティ隊の指揮系統を乱すのに十分であった。
431 :
GF長官 :2011/03/07(月) 21:37:37.36 ID:???
[ドッガー・バンク海戦](1102時) △巡戦ライオン(ビーティ中将) ━┓ △巡戦インドミタブル ▼装甲巡ブリュッヒャー ─┐ ↑ △巡戦ニュージーランド(ムーア少将) ┗→ └─┘ ↑ △巡戦プリンセス・ロイヤル ━┓ └─┘ ↑ △巡戦タイガー 巡戦デアフリンガー▼ └─┘ ↑ 巡戦モルトケ▼ └─┘ (ヒッパー中将)巡戦ザイドリッツ▼ ×潜望鏡? ┗━→
432 :
GF長官 :2011/03/07(月) 21:49:19.67 ID:???
>>431 の続き
ミッドウェーの第七戦隊では、一斉回頭の命令を、
(1回目)信号灯、(2回目)隊内無線
で指示したため、伝達が十分でなく衝突事故へとつながったわけですが、
今回ライオンは被弾の影響で無線設備が使用できず、旗旒信号で行われた。
「ビーティのこの命令は、『ライオン』をも含む各艦に混乱を招いた。『ライオン』艦橋の
信号長ですら、「提督、ここで戦闘を打ち切るべきではありません!」とまで叫んでいる。
どの艦長も、艦の向きを変えながらも、ビーティが追撃を止めるとは信じられなかった。
皆が、ビーティは誤りを犯さない男というイメージを持っていたのだ。
ハリヤードには、その理由である「潜水艦発見」の信号がまだ掲げられていなかったから、
誰もその真意が理解できなかったのである。すでに弾片などによってハリヤードは2本しか
残っておらず、掲揚できなかったのだ」 (『三脚檣』)
(註)ハリヤードとは、信号旗を掲揚するためのロープのこと。
どうやら潜水艦発見情報が後続艦に伝わらなかったため、この一斉回頭は「追撃中止」と
受け取られたようですね。
ところが錯誤はこれだけにとどまらなかった!
毎度の遅レスで申し訳ありません。
>>419 >ヒッパー提督の分火変更命令(
>>352 )が見事に功を奏したと言えるでしょう。
“一か八かの賭けに勝った”ということでしょうか。
複数艦による集中砲撃は、「弾着観測を困難にする」という両刃の恐れがありますんで。
今回のヒッパー隊の成功は(仮に着色弾等の砲術的な措置が無いとしたら)、
4艦中2艦の主砲口径が別であり(デアフリンガー:30cm、ブリュッヒャー21cm)、
かつザイドリッツ(主砲塔2基損傷)とモルトケの発砲門数が違うため、
弾着観測の支障がそれほどでもなかった、
ということでしょうかね?
この時点での砲戦距離は、1万5千前後くらいでしょうか?
434 :
GF長官 :2011/03/08(火) 21:53:03.76 ID:???
>>433 同意です。>“一か八かの賭けに勝った”ということでしょうか。
本編では、以下のように記述しましたが、
>その代わり、独後続艦は英艦隊からの攻撃に反撃できなくなる(
>>352 )
「この戦法では敵の先頭艦、すなわち旗艦を狙うことが多い。旗艦には司令官が
坐乗し指揮中枢が集中しているから、これを撃沈あるいは行動不能に陥れれば
敵の指揮系統は混乱し、その後の戦闘が有利に展開する。
しかし不利な面もある。先頭艦に射撃を集中している間、敵の2番艦以下は撃た
れていないから、演習同様に勝手きままにこっちを撃てるのだ」(『ジェットランド沖海戦』)
「弾着観測困難」の意味でも、両刃の剣と言えそうですね。
それでもヒッパー隊が成功したのは、ご指摘の「主砲口径、発射門数の違い」が
大きかったのではないかと考えます。
435 :
GF長官 :2011/03/08(火) 21:54:47.40 ID:???
>>434 の続き
その他に色々と推察してみますと、
砲戦開始からある程度経過してからの分火命令変更だったので、各艦の砲員も
落ち着いて対応できたのではないか。
「イギリス艦隊の目標選定ミスは、海戦の当初には、敵艦隊へまんべんなく砲火を
分配しなければならないという原則に反しています。これは、攻撃されていない艦では、
乗員が落ち着いて作業でき、また観測を妨害する水柱があがらないなどの利益を得る
からです。戦闘当初の恐怖心は、訓練された作業を繰り返すうちに麻痺するものなので、
ある程度戦闘が継続すれば、この法則による利益は小さくなります」 (『三脚檣』)
タイガーの場合、最初から弾着を勘違いしていたので修正に手間取りましたが、
独艦隊は当初「先頭より分火」で30分ほど砲撃戦を行い、その後「ライオンに集中」に
変更したので、訓練を思い出し本来の実力を発揮できたのではないかと。
436 :
GF長官 :2011/03/08(火) 21:55:59.15 ID:???
>>435 の続き
ただ「タイガーは就役直後で訓練不足だった」(
>>340 )と言われますが、条件としては
デアフリンガーも一緒のはず。(両艦の竣工は1ヶ月違い)
ここから、もっと根本的な原因として「両軍の練度の差」があるかもしれません。
「旗艦(ライオン)艦長のチャットフィールドは、艦が14600メートルより遠距離での
射撃訓練を実施したことがなく、そもそも射撃指揮装置にそれだけの距離での諸元表
がないので、斉射は無駄弾になるだけだと進言し、許可を得て『ライオン』の中部Q砲塔
から最大仰角による1発だけの試射を行った。これは案の定、大きな近弾となっている」
そもそも遠距離砲戦(1万5千メートル以上?)の訓練をしたことがなかったのかも。
437 :
GF長官 :2011/03/08(火) 21:58:44.20 ID:???
>>436 の続き
当時の砲術訓練とはどんなものだったのだろうか。
「最も頻繁に実施されたのは”内筒砲射撃”と呼ばれる訓練である。
主砲の砲身内に軸線を合わせて小銃をセットし、砲弾の代わりに小銃弾を撃つ。
標的は筏に立てた鉄板で、これを水雷艇で曳航する。
標的に弾丸が命中すると”カーン”と鋭い音が出る」
これは砲身が磨耗せず、また弾薬を節約できるため、多用されたようです。
また「検定射撃」なるものがあり、静的標的に対して、各艦が既定時間内に既定
回数射撃し命中率を競う。日本海軍にも似たような競技があったかと。
かといって独海軍も、元来北海での中・近距離砲戦を想定して訓練していただろうし、
そもそも英艦隊をアウトレンジするなんて考えていなかったと思います。
ソロモン海戦でのレーダーのように、当時は方位盤射撃がまだまだ発展途上で、
砲側照準と大差なく、職人芸が科学技術に対抗できたのかもしれません。
438 :
GF長官 :2011/03/08(火) 22:15:48.22 ID:???
>>437 の続き
>この時点での砲戦距離は、1万5千前後くらいでしょうか?
あくまで机上の計算になりますが、
0905時、英艦隊は距離1万8千メートルで射撃開始(
>>321 )
(英)28ノット、(独)23ノットの正尾追撃戦と仮定し、
ザイドリッツ被弾(0943時)まで、どれだけ縮まるか(儉)と言うと、
1knot=1852m/h=30.9m/min
儉=30.9*(28-23)*(43-5)=5871m
よって当時の砲戦距離は、18000-5871=12129m
1万2千メートルくらいですね。
ただ先頭艦と殿艦では数千メートル異なるでしょうから、目安に過ぎませんし、
28ノットは”瞬間最高速度”だったと思うので、やっぱり1万5千メートル前後かな。
439 :
GF長官 :2011/03/08(火) 22:24:50.61 ID:???
>>432 の続き
もちろんビーティ提督の頭の中に、「追撃断念」など微塵もなかったでしょう。
しかし、続いての命令が混乱を決定的なものにしてしまった。
「艦隊針路北東」
「敵の後部を攻撃せよ」
1つ目の意図は明らかですね。
一斉回頭の結果、英艦隊の針路は北になってしまったので、このままでは
南東へ避退中の独艦隊との距離は離れる一方、すぐに追撃態勢を再構築
しなければならない。そのための変針です。
440 :
GF長官 :2011/03/08(火) 22:31:07.04 ID:???
[ドッガー・バンク海戦](1110時) (ビーティ中将)巡戦ライオン△ ┓ ▼装甲巡ブリュッヒャー ┌─→ ┗→ 巡戦タイガー△ 巡戦プリンセス・ロイヤル△ ━┓ (ムーア少将)巡戦ニュージーランド△ 巡戦デアフリンガー▼ 巡戦インドミタブル△ 巡戦モルトケ▼ ─┘ (ヒッパー中将)巡戦ザイドリッツ▼ ┗━→
441 :
GF長官 :2011/03/09(水) 21:42:26.34 ID:???
>>440 の続き
2つ目は、一斉回頭により独艦隊との距離が離れてしまったので、追いつくまでの間は
未だ射程内にある「敵(艦隊)の後部」、すなわちブリュッヒャー、デアフリンガー?を
攻撃せよとの命令でしょう。
2つの命令は、ともにビーティ中将の追撃続行の意思を表したものですね。
ところが、ライオンの信号士官が重大な失策を犯してしまった。
「彼は、まだ「針路北東」の信号旗をハリヤードに残したまま、「敵の後部を
攻撃せよ」の信号を上げてしまったのだ。この二つは同時に引き下ろされた
ので、他の艦はこれを、「北東にある敵の後部を攻撃せよ」と読んでしまった
のである。他の艦の航海日誌には、このとおりに記載されているという」(『三脚檣』)
442 :
GF長官 :2011/03/09(水) 21:43:50.59 ID:???
>>441 の続き
旗旒信号の運用手順については、
@旗艦に命令旗を掲揚
A後続艦がそれを確認して応答旗を掲揚
B全艦が応答旗を揚げたのを確認して、旗艦の命令旗を降ろす
C命令旗が降りたのを合図に命令発動
「隊形変換の際の転舵は、こうして行う。
4隻ずつの2個戦隊が2列になって進む複縦陣だとすると、先任司令官の旗艦の
マストに色とりどりの信号旗が掲げられたかと思うと、もう一つの戦隊の後任司令官
の旗艦に同じ信号旗が翻る。
これを各艦が確認して”了解”の赤白の回答旗を上げると、旗艦の信号旗がスルスル
と下がり、ここで一斉に転舵が開始される。ややしばらくすると舵が効き出し、各艦は
指示された方向へ旋回して行く」 (『ジェットランド沖海戦』)
443 :
GF長官 :2011/03/09(水) 21:45:31.13 ID:???
>>442 の続き
以上の要領に従うと、ライオンの信号士官は、
A「針路北東」の信号旗を掲揚
B各艦了解
C信号旗を降ろして各艦回頭、北東へ変針
D「敵の後部を攻撃せよ」の信号旗を掲揚
E各艦了解
F信号旗を降ろして各艦攻撃開始
の手順を踏まねばならなかった。
しかし実際はAとDを同時に掲げ、文中にあるように同時に降ろしてしまった。
同時に降ろすということは、AとDは別個の命令ではなく、同一命令であることを示す。
すなわち「北東の敵の後部を攻撃せよ」になる。
都合の悪いことに、英艦隊の北東方向にちょうどブリュッヒャーが居たのです(
>>440 )
なんという運命の悪戯か!
444 :
GF長官 :2011/03/10(木) 21:56:41.81 ID:???
>>443 の続き
今回ライオンは無線設備が使えなかったため、旗旒信号にたよったわけですが、
もともと作戦行動中の艦隊は無線封止を実施していることが多く、信号旗を使った
通信手段は多用されるものである。
それともう一つ、大きな利点があった。
「複数の艦に対して、同時に送信できる」
本海戦でも使われた一斉回頭など、戦隊行動を基本とする艦隊にとっては真に
使い勝手のよいもの。
頻繁に出される命令を、信号旗3〜4枚を組み合わせた定型文として用意しておき、
列艦に伝達する方法は、英海軍が開発したものであり、トラファルガー海戦で勝利
した一因にも数えられるほどです。
445 :
GF長官 :2011/03/10(木) 21:57:50.43 ID:???
>>444 の続き
故に今回のような手違いは、海戦の趨勢を左右するほどの重要な意味を
持ってくるのです。
なぜライオンの信号士官は、こんな”横着”をしてしまったのか。
>>432 の通りハリヤードが2本しか残されていなかったため、何度も揚げ降ろし
する手間を惜しんだのかもしれません。
加えて、相次ぐ被弾で士官本人が動転していたのではないかと。仕事でもそう
ですが、人間あせっていると、ついつい必要な手順まで省略しがちで、ろくなこと
にはならないですよねぇ。
446 :
GF長官 :2011/03/10(木) 21:59:03.34 ID:???
>>445 の続き
「艦隊針路北東」
「敵の後部を攻撃せよ」
上記の二つの命令は、本来何の共通項もない全く別個のものですが、
ブリュッヒャーが”絶妙”の位置に居たために、一緒にしても何の矛盾も
感じられないという奇妙なことになってしまった。
それ故タイガー以下の各艦も「了解」の回答旗を掲げて、命令発動した。
つまり、逃走するザイドリッツ以下3隻の追撃を断念し、ブリュッヒャー一艦に
攻撃を集中して、これを撃沈せよと解釈された。
447 :
GF長官 :2011/03/10(木) 22:01:29.23 ID:???
>>446 の続き
ビーティ提督が「追撃続行」を意図して掲げたはずの信号旗が、正反対の
「追撃中止」の意味で、麾下各艦に伝達されてしまったのです。
これが実戦で生まれる錯誤の恐ろしさですね。
珊瑚海でも日本軍の薄暮攻撃隊が誤ってヨークタウンに着艦しそうになった
ことがありましたが、誰かがふざけているわけでもなく、気持ちの緩みから
生じたものでもなく、皆が真剣に任務を果たそうと尽力しているにもかかわらず、
何とも滑稽な結果につながってしまう。
敵情についての錯誤ならまだ理解できますが、気心知れたはずの味方内に
おいても意思疎通が図れないという事態に陥るのです。
戦闘指揮の難しさと言えるでしょう。
448 :
GF長官 :2011/03/11(金) 21:12:53.99 ID:???
謹んで地震のお見舞いを申し上げます。
うちは震度4程度で大したことはなかったのですが、皆様のご近所は無事だったでしょうか。
>>447 の続き
旗旒信号を駆使して、艦隊を自らの手足の如く動かすことが出来てこそ、
司令長官の任務を果たせると言えるでしょう。
その点、南雲長官などは最も得意とするところだったのではないかと。
魚雷なんか全部かわしちゃうもんっ!
[ドッガー・バンク海戦](1130時)
△巡戦ライオン(ビーティ中将)
┌─┐
┌┘ ▽巡戦インドミタブル
┌┘ ▽巡戦ニュージーランド(ムーア少将)
┓ ▽巡戦プリンセス・ロイヤル
装甲巡ブリュッヒャー▼ ▽巡戦タイガー
┗→ └→
449 :
GF長官 :2011/03/11(金) 21:57:38.89 ID:???
>>448 の続き
一方ライオンに残されたビーティ中将ですが、麾下艦隊があらぬ方向へ
向かっているのを見て、この異変に気付き、直ちに信号旗を掲げます。
「さらに敵に接近して攻撃せよ」 (Engage the enemy more closely)
かつてトラファルガーの海戦でネルソン提督が命じたものだったようで、
同海戦では、双方の艦隊が3浬まで接近した時点で掲揚された、
「England expects that every man will do his duty」
(英国は各員がその義務を全うすることを期待する)
が有名ですが、この直後に「接近戦を実施せよ」と下令、戦闘が開始された。
トラファルガー海戦時の信号旗
http://www1.cts.ne.jp/~fleet7/Museum/nelsonflag.html
450 :
GF長官 :2011/03/11(金) 21:59:38.42 ID:???
>>449 の続き
現在でもイギリスの記念艦「ヴィクトリー号」内に展示されているようです。
それにしても31旒の信号旗って・・・信号兵は大変だな。
ところが、この有名なはずの命令文は信号書の中にはなく、代わりに
「敵に接近し続けよ」 (Keep nearer the enemy)が発せられた。
しかしタイガー以下の4隻は、すでにはるか彼方へ去っており、この信号旗が
読み取れる範囲ではなくなっていた。
結局彼らは、ブリュッヒャー撃沈に全力を注ぐことになり、ザイドリッツ先頭の
本隊を取り逃がすことになったのです。
451 :
GF長官 :2011/03/12(土) 20:41:27.09 ID:???
>>450 の続き
本来ならば、ライオンが戦線から脱落した時点で、次席指揮官であるムーア少将が
指揮権を継承しなければならなかったはず。
「之ヨリ戦闘ノ指揮ヲ執ル、各艦ハ我ニ続ケ」
と旗旒信号をはためかせながら突進すべきだった。”指揮官先頭”ですからね。
しかし既述の通り、彼が乗艦していたニュージーランドの最高速力は25ノット程度、
タイガーの前に出て旗艦の任務を引き継ぐことは現実的に難しい。
もしムーア少将がタイガーか、もしくはプリンセス・ロイヤルに坐乗していたならば、
ドッガー・バンク海戦の結果は、また違ったものになったかもしれません。
海戦後、彼は「戦意不足」を理由に解任されることになるのですが、いささか
”戦犯探し”の犠牲になった感は否めませんね。
ちょうどゲーベン追跡戦でのトルーブリッジ少将を思い出します。
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1276688293/625 どうも部下に詰め腹を切らせて上層部は責任を取らないという、日本海軍の
悪しき体質?は、英海軍の伝統を引き継いだものなのかもしれませんねぇ。
452 :
GF長官 :2011/03/12(土) 20:44:08.94 ID:???
>>451 の続き
では後知恵を含めて、どうすべきだったかを考えてみますと、
ブリュッヒャーの処分は軽巡戦隊やハリッジ戦隊に任せて、巡戦4隻は独主力
追撃を続行すべきだった。
これは誰もが考えることだし、もとよりビーティ提督もそのつもりで信号旗を掲げた
はずです。
ザイドリッツは被弾の影響で21ノットしか出せなかったので、距離を詰めることは
可能だったと思われる。そうなれば(英)4対(独)3で数的優勢。
ヒッパー提督は、英本隊先頭のタイガーに砲撃を集中させるでしょうから、これまた
どちらが先に有効弾を与えられるかの勝負になるかと。
各艦の砲術長の腕にかかっていると言えそうですね。
そう出来なかったのは、旗艦の落伍、一斉回頭による陣形の乱れ、信号伝達の
不手際等が連続して起きたために、意思疎通が図れず、空白の時間が生じた
結果、独本隊に逃げられたしまった。
453 :
GF長官 :2011/03/12(土) 20:46:37.06 ID:???
>>452 の続き
また戦闘中、終始後方から観察するしかなかったムーア少将にとっては、
ブリュッヒャーが”瀕死の状態”だったことを把握できなかったのではないかと
思われます。
もし殿艦インドミタブルを分派するなら、本隊の戦力比は3対3の互角となり、
更に増速してニュージーランドが落伍することまで想定すると、英側が劣勢に
なってしまう。加えて次席指揮官までが戦線から離れるという事態に陥ること
になる。難しい決断を迫られそうです。
以上のように、不測の事態が生じた際、艦隊内の意思を統一して運用することは
困難であり、司令長官の責務の重さを知らされる次第です。
>>448 >謹んで地震のお見舞いを申し上げます。
何をわけのわからん事言ってるんだてめーは。
お前みたいな被災地、被災者に対して何の役にも立たない動く腐肉が人様に「お見舞い」とか言える立場か?
所詮口だけで何も出来ないくせに滑稽な書き込みするんじゃねーよ。
いっぺん死んでこい小僧。
自己紹介乙
456 :
GF長官 :2011/03/14(月) 20:52:28.18 ID:???
>>454 全くその通りで、津波の映像から、自ら無力さばかりを知らされた次第です。
>>455 まぁ、ここに書き込めるということは無事だったという証ですから何よりかと。
457 :
GF長官 :2011/03/14(月) 21:12:44.93 ID:???
>>453 の続き
かくして、ブリュッヒャーは英艦隊の集中攻撃を浴びることになった。
これ以前に最後尾という立場上、多くの被弾を喫していましたが、中でも
1031時と1037時のものは致命的であり、
「10時31分、一榴弾落下し、其効果は当日の最致命的のものなるを証せり。
右の外弾片は第三焚火室に於ける主蒸気管を破壊したるを以て、機械の蒸気
圧力は下降し、速力は17節に減ぜり」 (『北海海戦史』)
458 :
GF長官 :2011/03/14(月) 21:14:58.38 ID:???
>>457 の続き
「そして10時37分、『ブリュッヒェル』に死命を制する一撃が命中した。
『ブリュッヒェル』の防御甲板下には、両舷の砲塔と弾薬庫からの揚弾機とを連絡する
通路があり、ここには21センチ砲の弾薬がずらりと並んでいたのである。
甲板へ命中した『プリンセス・ロイアル』の2発の13.5インチ砲弾は、装甲をやすやすと
貫通し、1発がこの通路へ入って炸裂した。
準備されていた装薬は次々に誘爆する。この通路は艦全長の三分の一ほどもあり、
そこにあった装薬はおよそ40発分と推定されている。またたくまに艦中央部は火の海と
なった。炎は弾薬通路から砲塔へも入り、それらを次々と焼き焦がす。
もう1発は機関部へ入り、操舵装置は故障、ボイラーからの蒸気管にも被害が出た。
煙と炎を吸い込んだボイラーも急激に能力を失っていく。この2発の命中弾だけで、
各所にいた乗組員およそ200人が戦死したという」 (『三脚檣』)
459 :
GF長官 :2011/03/14(月) 21:15:48.73 ID:???
>>458 の続き
ヒッパー中将も最初からブリュッヒャーを見捨てるつもりだったわけではなく、
英艦隊の一斉回頭(
>>430 )を見て、1100過ぎに右舷回頭、南方へ転舵を命じている。
「ライオンが落伍したので、ひょっとしたらこのまま反転して離脱するのかもしれない」
と思ったのかもしれません。
しかしその後、英艦隊がブリュッヒャーに集中攻撃を仕掛けたため、救出は不可能と
判断し、再び南東へ避退針路を取った。
これで彼女が助かる望みは完全に潰えてしまった。
460 :
GF長官 :2011/03/16(水) 20:45:04.37 ID:???
>>459 の続き
ブリュッヒャーに最後の時が迫る。
「地獄へ追い込まれた『ブリュッヒェル』だったが、その強靭な耐久力と、最後まで
戦い抜いた艦長エルドマン大佐以下の敢闘精神は、高く評価されている。
至近距離から撃ち込まれる重砲弾は、装甲鈑をボール紙のように打ち抜き、甲板を
引きむしった。恐怖が全艦を包み込むが、残った砲からの砲撃はやまない。
70ないし100発といわれる重砲弾を全身に浴びながらも、その戦闘旗は降ろされ
ようとしなかった。それでも生き残った砲からの射撃は徐々に衰え、左舷側から接近
した『アレシューザ』が2本の魚雷を打ち込み、傾斜が大きくなると砲は目標を捕らえ
られなくなって、ようやく沈黙した」 (『三脚檣』)
1213時、ついにブリュッヒャーは転覆した。
沈没地点は、北緯54度25分・東経5度25分
461 :
GF長官 :2011/03/16(水) 20:48:28.23 ID:???
462 :
GF長官 :2011/03/17(木) 21:11:44.46 ID:???
>>461 の続き
続いて、まとめといきましょう。
まずは英国側ですが、この”大勝利”はブリュッヒャー転覆の写真と共に、
翌朝刊の一面で報じられ、英国民の喝采を浴びた。
これまで沿岸砲撃に悩まされてきただけに、ようやく溜飲が下がったといった
ところか。
ただし海軍内の評価はまた別で、
「優勢な状況にありながら、装甲巡洋艦一隻沈没だけでは戦果不十分」と
認識され、
「ビーティ中将の作戦指揮全般」
「タイガー艦長の分火命令違反」
「ムーア少将の指揮権継承問題」
様々な点からの追及があり、ムーア少将が更迭された(
>>451 )
個人的には信号士官の信号旗掲揚ミス(
>>443 )が一番だと思いますがねぇ。
463 :
GF長官 :2011/03/17(木) 21:13:30.69 ID:???
>>462 の続き
対する独逸側は、全滅を免れたとはいえブリュッヒャーを沈められた衝撃は大きく、
「一方ドイツ側でもこの海戦の直後、大海艦隊司令長官インゲノール大将は更迭され、
替わって軍令部長のポール大将が就任している。これは貴重な巡戦隊を戦略的価値
の少ない作戦に投入して危ない目に遭わせた他に、艦隊保全の勅命にとらわれて
戦艦部隊を出し惜しみした中途半端な態度が、艦隊司令長官に相応しくないという
理由からであった」 (『死闘の海』)
ただポール大将は健康上の理由から数ヶ月で同職を退き、ラインハルトシェーア大将が
新たに就任しました。
ジュットランド海戦は、この陣容で戦うことになります。
465 :
GF長官 :2011/03/19(土) 20:53:15.37 ID:???
>>464 (応答旗掲揚) 引キ続キ警戒ヲ厳ニサレタシ (パタパタ)
今回の大震災はモータースポーツ界にも衝撃を与え、F1ドライバーからも励ましの言葉が
寄せられています。元世界王者のフェルナンド・アロンソなどは、
「日本で起きていることに比べれば、F1で1秒速いかどうかなんて小さい問題に思える」
全く同感で、本職も「こんな大変な時期に2chに書き込んでいる場合か」と自問する日々でした。
しかし先日畏くも玉音に接し、かかる国難に際してこそ、国民が一致結束して力を尽くさなければ
ならないと知らされた次第です。
「優渥なる勅語を拝受したるは臣等の深く恐縮する所なり。臣等倍々奮励、以て聖旨に報い
奉らんことを期す」
466 :
GF長官 :2011/03/19(土) 20:56:15.95 ID:???
今週の新刊情報 3DCGシリーズ『インド洋海戦』(双葉社) 恒例の動画DVDが付録でついています。 購入しようかどうか検討中・・・栃林氏じゃないしなぁ。 個人的には海戦そのものよりも、金剛型四隻の一斉回頭の場面を再現してくれれば、 即買い確定なのだが。
>>465 (応答旗掲揚) 了解、貴官ノ健闘ヲ祈ル (パタパタ)
>金剛型四隻の一斉回頭の場面を再現 即買いですがねえ
469 :
GF長官 :2011/03/19(土) 21:22:47.03 ID:???
>>463 の続き
そして、最も大事なのが戦訓の研究です。
「ドイツ海軍は海戦後、その射撃指揮装置を改良し、遠距離での測距能力を向上させている。
『ザイドリッツ』では主砲仰角の引き上げも行われた。
また、『ザイドリッツ』の損傷を大きな教訓と捉えて、全艦に改良を施している。砲塔間の連絡路は
塞がれ、揚弾路には火炎から弾薬庫を守る防護扉が新設された。装薬の取扱規則を徹底して、
犠牲となった『ブリュッヒェル』の仇討ちが誓われる」 (『三脚檣』)
470 :
GF長官 :2011/03/19(土) 21:24:52.94 ID:???
>>469 の続き
具体的には、
(1)消化設備の強化(スプリンクラー増設)
(2)防炎扉の設置(弾薬庫・火薬室・換装室・砲室の各区画間に新設)
(3)装薬取扱い基準の見直し
(防炎扉は戦闘中閉鎖を確認し、弾薬を上げる瞬間だけ開くように徹底)
(装薬も装填作業が始まるまで金属ケースから出さないにする)
この部分は、ジュットランド海戦で英独巡戦の生死を分けた要点です。
「巡洋戦艦は防禦が薄いから爆沈した」という単純な理屈ではないことを
覚えておいて下さい。
空母の格納庫内での換装作業に応用できれば・・・・なぁ
471 :
GF長官 :2011/03/19(土) 21:26:56.21 ID:???
>>470 の続き
対する英海軍は、
「イギリス海軍は、『ライオン』を造船所へ送って徹底的な修理を行ったけれども、
戦訓の消化については不十分だった。
その機関長からは、弾薬操作室が命中弾によって火災を起こし、弾薬庫への注水を
余儀なくされたことから、火炎を遮断する防護扉の必要性が具申されているのだが、
これは採用されず、弾薬庫は脆弱なままに置かれてしまった」
見事なまでに対照的ですね。
単に戦訓を軽視しただけなのか。それとも戦訓を活かすのは言葉にするほど簡単な
事ではないのか。
472 :
GF長官 :2011/03/19(土) 21:30:32.41 ID:???
>>471 の続き
他にも作戦指揮として、分火命令や旗旒信号等で命令不達や誤認が頻発
しましたが、それらは十分に検討されたのでしょうか。
ただでさえ北海は天候不順で視界が悪く、当時の軍艦は混焼缶が主流で
増速時には煤煙が濃くなりがちです。
石炭(いわき)の煙は大洋(わだつみ)の〜
竜(たつ)かとばかり靡(なび)くなり〜♪ (『軍艦行進曲』)
と歌われる通り。
ここまで、「ゲーベン追跡戦」「ヘルゴラント・バイト海戦」「コロネル沖海戦」
「フォークランド沖海戦」「ドッガー・バンク沖海戦」と、五つの海戦を見てきましたが、
水上砲戦にも慣れてきた頃ではないでしょうか。
次回からはいよいよ、史上最大の海戦と称されるジュットランド海戦であります。
両海軍の本国艦隊も登場し、北海で雌雄を決する!
それぞれの提督になり切って考察すれば、楽しんで頂けるのではないかと。
473 :
GF長官 :2011/03/20(日) 15:45:24.46 ID:???
>>466 結局買っちゃいました。>インド洋海戦
まぁ、南雲スレの主が購入しないわけにもいくまい。
南太平洋海戦の時と同じく、字幕の有無で分かれており、一本24分。内容は、
(1)4月4日英哨戒艇による被発見
(2)4月5日コロンボ攻撃(発艦場面のみ)と二重巡撃沈
(3)4月9日ハーミス撃沈とブレニムによる奇襲
全体的に静かで、風の音やエンジン音のみなので、かえって臨場感がある。
一箇所だけ不満を言うと、英哨戒艇邀撃の所のユーロビートっぽいBGMが
合ってなかったw
まだ一度見ただけですが、良い出来ではないかと。
ちなみに、南雲長官や江草少佐などは出てきません。
淡々と戦闘経過をたどっていく感じです。
金剛型の一斉回頭は無かったけれども、単縦陣が出てきたので満足かな。
「俺は買わないよ」という人も、冊子の参加艦艇紹介の頁だけでも読んでみては。
p46の赤城などは、惚れ惚れするような雄姿を拝めますよ。
次はミッドウェー海戦を期待したい。
実は『MCあくしず』を買うついでだったことは、誰にも言うまい・・・
あれを単独でレジに持っていくのは、かなり勇気の要る行動だからなぁ
474 :
GF長官 :2011/03/21(月) 21:49:41.56 ID:???
475 :
GF長官 :2011/03/21(月) 21:51:44.29 ID:???
>>474 の続き
映画『西部戦線異状なし』でお馴染みの通り、大正4年初頭というのは、
西部戦線では、英仏連合軍と独軍が塹壕でにらみ合い、
東部戦線では、ロシアがタンネンベルクの大敗、そしてゲーベン追跡戦の結果、
トルコが同盟国側について参戦したため、苦しい状況にあった。
「この膠着状況を打破し、同時にロシアへの輸送ルートを確保するため、英海相
チャーチルが提案したのが、トルコの海峡突破作戦であった。
それは多数の戦艦の砲撃で、沿岸砲台を制圧しながらダーダネルス海峡を突破して、
エーゲ海からマルマラ海に入り、さらにイスタンブールを陥落させる。いわば戦艦で
敵国の首都を占領しようという大胆なものだった」 (『週刊戦艦大和を作る(27)』)
「ダーダネルス作戦」と名付けられた今回の作戦は、大規模上陸作戦としては
世界初のものであり、ANZAC軍団(
>>57 )まで投入したところからも、英国側の
意気込みが伝わってきます。
476 :
GF長官 :2011/03/21(月) 21:53:03.09 ID:???
>>475 の続き
しかし古来より、
「沿岸砲台とその射程距離内において撃ち合うことは、頑強な要塞で保護され、
海面の軍艦をより高い位置から狙い撃ちでき、しかも絶対に沈まない沿岸砲台に
軍艦は移動できるメリットを差し引いても勝てない」 (wiki「艦砲射撃」)
と言われます。
ちょうど太平洋戦争開戦前に、「航空機で戦艦を沈めることは出来ない」と信じ
られていたのと似ていますね。
チャーチルは、戦史に新たな頁を刻むことが出来るのだろうか。
477 :
GF長官 :2011/03/22(火) 22:08:09.80 ID:???
>>476 の続き
連合国軍が用意した海軍兵力は、英戦艦14隻、仏戦艦4隻の計18隻。
旧式艦が主体とはいえ弩級戦艦が4隻。そのうちの1隻は1ヶ月前に就役
したばかりの15インチ砲を誇る超弩級戦艦クイーンエリザベス。
余談ながら、インド洋海戦で英東洋艦隊を率いたソマービル大将も、この
ガリポリ作戦に参加しており、DSOという勲章を授与されているところからも
それなりの活躍をしたのではないかと。
Somerville became the Navy's leading radio specialist and served at Gallipoli
during World War I, where he earned the Distinguished Service Order for his efforts.
「ソマービル中佐(当時)は、英海軍内における無線取扱いの第一人者となり、
第一次世界大戦でガリポリ上陸作戦に参加、DSOを獲得している」(英語版wiki)
Distinguished Service Order
http://en.wikipedia.org/wiki/Distinguished_Service_Order
478 :
GF長官 :2011/03/22(火) 22:11:17.76 ID:???
>>477 の続き
総数100隻以上の大艦隊がダーダネルス海峡の入口に集結。
2月19日朝から始まった艦砲射撃は、ほとんどトルコ側の反撃を受けることもなく、
日没と共に終了。
天候の回復を待って2月25日に再砲撃開始。敵砲台はすでに撤退しており、
翌日には陸戦隊がセデルバール砲台を占拠した。3月2日には以下の報告が本国に
打電されます。
「天候が良ければ、2週間以内にコンスタンチノープルを占領する」
順調な滑り出しに見えましたが、ここからトルコ軍の反撃開始。
3月4日には、セデルバール砲台はトルコ側に奪回され、新たに砲台を設置。
ドイツからは軍事顧問団が派遣され、砲撃指導にあたったと言われています。
479 :
GF長官 :2011/03/22(火) 22:13:27.65 ID:???
>>478 の続き
ダーダネルス海峡に奥深く進入するには、機雷の掃海が不可欠です。
連合国艦隊には掃海部隊も随伴していましたが、昼間に実施すれば集中砲火
を浴びるのは明らか。そこで夜間に強行するのですが、トルコ側もサーチライト
を照らして応戦。このあたりは日露戦役での旅順港閉塞作戦と似ていますね。
予想以上に手間取った結果、3月18日ようやく第二次総攻撃が始まった。
(第一挺団)英戦艦クイーンエリザベス他戦艦6隻、巡戦インフレキシブル
(第二挺団)仏戦艦4隻、英戦艦2隻
(第三挺団)英戦艦6隻
まず第一挺団が海峡に突入、1浬離れて第二挺団が続く。第三挺団は海峡外に
待機して支援砲撃の手順。
480 :
GF長官 :2011/03/22(火) 22:17:05.36 ID:???
>>479 の続き
1030時より始まった総攻撃に、沿岸砲台は猛反撃するも、巨砲の前に徐々に
制圧され沈黙していきます。1400過ぎ被害の増した第二挺団は後退、替わって
第三挺団が海峡に進入して来た。
その時第二挺団の一隻、仏戦艦ブーヴェが轟音と共に触雷沈没。
それを見たトルコ砲台は息を吹き返したかのように砲撃を再開した。
この最中、第一挺団の巡戦インフレキシブルが触雷。沈没は免れたものの撤退を
余儀なくされた。
更に戦艦イリジスティブルが触雷し操縦不能に。救援に向かった戦艦オーシャンが
これまた触雷。舵が損傷し、同じところをグルグル回り続ける。
相次ぐ損害に連合国艦隊司令長官ド・ローベック中将は撤退を決断、損傷艦の乗員を
収容しつつ海峡を脱出した。両艦は沿岸砲台の砲撃により沈没しています。
もともとこれら3隻は翌年には解体する予定の旧式戦艦だったが、一日で3隻もの
戦艦を沈められた衝撃は大きく、以降艦隊は積極的な行動を控えるようになって
しまいました。
481 :
GF長官 :2011/03/23(水) 21:52:41.83 ID:???
>>480 の続き
海軍単独での海峡突破を断念した連合国軍は、本格的に陸軍を投入します。
このあたりも旅順攻略戦での乃木第三軍を思い出しますねぇ・・・
上陸作戦では、上陸地点の秘匿こそ最重要項目になりますが、これだけ派手に
”事前砲撃”を実施した後では、それもかなわぬというもの。
4月25日、D−DAYを迎えます。
(1)英陸軍(5個師団)→ヘレス岬(ガリポリ半島の先端)本隊
(2)仏陸軍(2個師団)→クムカレ(陽動部隊のため、上陸後に撤退)
(3)ANZAC部隊(1個師団)→ガバテベ(ヘレス岬の約50km北方)
側方支援、上陸後は橋頭堡を築き本隊の到着を待つ
位置関係をこちらを参照のこと
ガリポリ上陸作戦
http://ww1.m78.com/map/gallipoli%20landing.html
482 :
GF長官 :2011/03/23(水) 21:55:02.20 ID:???
>>481 の続き
各部隊は上陸には成功するも損害は大きく、2日間の死傷者は2万人を超えた。
これは硫黄島での米海兵隊の死傷者に匹敵します。
さらに海岸まで崖が迫る地形上、大部隊の行動には適さず、砂浜が狭いので
崖をくりぬいて野営地を確保するという有様だった。
当時はまだ上陸作戦の戦術が確立しておらず、上陸用舟艇すらなかったようで、
補給や増援は逐次投入にならざるを得ず、連合国軍はなかなか橋頭堡から
前進することが出来ない。
一方、エーゲ海で停泊中の連合国艦隊にも更なる悲劇が襲う。
5月13日、トルコ水雷艇ムアヴェネットの雷撃により英戦艦ゴライアスが沈没。
続いて、ジブラルタルを経由して地中海に侵入した独U−21が5月25日に
戦艦トライアンフ、2日後には戦艦マジェスティックを撃沈した。
機雷と魚雷の脅威をまざまざと見せつけられ、もはや海軍による支援砲撃は
望めない状況に陥ってしまった。
アメリカでは一次大戦後、戦争終結の役に立たなかった戦艦に対して、早くも無用論が出ている。 コスト高くつく割に切り札となり得なかった、弩級戦艦の建艦競争など無駄ではないかと、議会が建艦予算を縮小しようとしたのがワシントン軍縮会議に繋がる。 日本ではアメリカも日本の八八艦隊同様に、単純に建艦予算の負担が大きすぎて軍縮を呼び掛けた、という解釈だが違う。
唐突にクドっぽい話を始めたけど誤爆か?
485 :
GF長官 :2011/03/26(土) 20:27:25.40 ID:???
>>483 情報感謝します。華府条約前の米国の状況については、
「米国は英国の戦後疲弊の機に乗じて世界最大の海軍を建設しようとの意欲を
包蔵していたが、海軍軍備拡張に伴う軍費負担の過重に対する民間の不平が
激しく、特に教会同盟、婦人連合会等の平和運動は軍備制限問題に気勢を添え、
政界においてはボラー上院議員の軍備縮小案が1920年5月上院を通過した。
当時米国は三年計画に基づいて鋭意海軍拡張に邁進していたが、資源富裕
工業力強大な米国といえども大戦艦の一挙建造はさすがに手に余り、1921年
に至ってもようやく一隻しか完成せず、なんとか1924年までに完成させようと
焦慮している最中であった。
以上のように英米両国が、それぞれ軍備制限必至の国内状況から一致した態度を
以て、第一次世界大戦の前後を通じて急膨張を続けている日本の海軍力を、相対的
にある程度制限すべき弾圧的方策を執るに至ったと言えるであろう」
(『戦史叢書(31)海軍軍戦備(1)』)
通説はこんなところですが、このボラー議員の軍縮案のことなのかも。
>議会が建艦予算を縮小しようとしたのがワシントン軍縮会議に繋がる。
>>484 当スレも、そろそろ大戦後を見据えて、出口戦略を練らねばならぬ時期かな。
487 :
GF長官 :2011/03/26(土) 20:57:16.48 ID:???
>>482 の続き
6月から7月にかけて両軍とも増援を送り込んだが、一進一退を繰り返し、
損害が増すばかり。西部戦線の膠着状況を打破するために立案された(
>>475 )
作戦のはずが、ここでもまた膠着状況を生み出してしまった。
ガ島の攻防戦でもそうですが、膠着状況を打開するには大兵力により
一気に攻勢に出るか、思い切って撤退するか二者択一しかありません。
日本軍と同じように、連合国軍もまず”大攻勢”を選択しました。
8月に入り英陸軍は5個師団の増援を決め、8月6日深夜よりスブラ湾への
上陸が開始されます(
>>481 のリンク参照)
ところがまたしてもトルコ軍の猛反撃が待っていた。彼らは常に高位を占める
利点を活かして、戦いの主導権を完全に掌握していたのです。
488 :
GF長官 :2011/03/26(土) 20:58:54.04 ID:???
>>487 の続き
「イギリス軍が10フィート上昇するとトルコ兵は12フィート上昇し、先頭の
イギリス兵の小銃は常に上方に構えねばならなかった。トルコ軍の塹壕は
等高線に沿って屹立し、ついに難攻不落を実証した」
結局今回も、連合国軍は海岸線の橋頭堡から出ることは出来ず、10月には
撤退方針が決定された。
12月より数次に渡って行われた撤退作戦は、当初の予想を裏切って軽微な
被害で済み成功した。これもガ島によく似ている。
ガリポリ作戦全体では陸軍は48万人の兵力を投入して死傷者は25万人。
海軍は18隻の戦艦を投入して6隻を失った。
それと引き換えに得られたものと言えば、「艦載砲は要塞砲に勝てない」との
戦訓くらいか。
489 :
GF長官 :2011/03/26(土) 21:00:28.32 ID:???
>>488 の続き
「交通線が通じている死活的に重要な地点は、要塞他その他によって強化すべき
義務がある。これらの地点はその保持を艦隊に依存すべきではなく、適当な間隔
で行われる補給及び増援のみを艦隊に依存しなければならない。
例えばジブラルタルは事実上難攻不落であり、長時間持ちこたえる補給品を貯蔵
しているので、これらの条件を十分に満たしている」
(『海上権力史論』AlfredThayerMahan/著・北村謙一/訳)
マハン先生の教える通り、補給の維持可能な要塞砲の射程内において水上艦艇が
勝負することは、戦艦と雖も自殺行為であり、まして多数の機雷原が敷設され、行動
の自由が制約される狭い海峡なら尚更と言えそうですね。
490 :
GF長官 :2011/03/26(土) 21:20:15.61 ID:???
>>486 面白そうなサイトですね。有難うございます。
さきほど引用したところ(
>>485 )がそのまま出てきたので、冷や汗かきましたよw
「戦艦への失望」の箇所は印象的で、確かに露艦隊が全滅した日本海海戦と比べると
史上最大の海戦−ジュットランド海戦と雖も、沈没艦は両軍合わせても20隻程度で
巡洋戦艦の爆沈という衝撃的な出来事を除けば、拍子抜けな感じですからね。
民主党のルーズベルト大統領が海軍の支援者だったのに対し、共和党政権は海軍に
冷淡だったのか。勉強になるなぁ。
491 :
GF長官 :2011/03/29(火) 21:34:50.05 ID:???
祝F1開幕ということで、可夢偉も入賞で幸先良しと思ったら失格かよ・・・
ドライバー全員による被災地に向けてのリレーメッセッジには、思わず涙ぐんでしまいました。
少しでも復興の後押しになればと思います。
「みんなで力を合わせて、
みんなで勇気を持って、
みんなで希望を持って、
みんなで前を向いて、
みんなで助けあって、
一緒にがんばろう。
東北、一緒にがんばろう。
日本、みんなで一緒にがんばろう」
http://www.nicovideo.jp/watch/sm13989265
492 :
GF長官 :2011/03/29(火) 21:36:18.53 ID:???
閑話休題 今年から「DRS」というシステムが新たに導入されました。 DRS=Drag Reductions System(抗力減少装置) 可変リヤウイングと言った方が分かりやすいですね。 ストレートでリヤウイングのフラップが倒れて空気抵抗が減少し、加速するという仕組み。 ちょうどブラインドを開ける要領です。 これを空母にも応用できないかなぁ・・・ 例えば危急の際(至近で雷跡を発見した等)、ボタン一つでバルジやビルジキールを 引っ込めて、瞬間的に加速するとか。 見張「敵機直上急降下!」 艦長「取舵一杯、急げ!」 副長「駄目だ、間に合わない。命中する」 真田工場長(ポチッとな) 一同「おお!? 艦が増速したぞ」 見張「右舷艦尾に至近弾」 一同「助かった・・・」 真田工場長「こんなこともあろうかと思って、ひそかに開発しておいたDRSが役に立ったな」 真田さん、ありがとう!
493 :
GF長官 :2011/03/29(火) 22:05:58.64 ID:???
494 :
GF長官 :2011/03/29(火) 22:07:12.53 ID:???
495 :
GF長官 :2011/03/29(火) 22:09:02.41 ID:???
>>494 の続き
ただし、この補給船は4日前に英潜E14の魚雷攻撃を受けて航行不能状態にあったとも
言われています。
その5日後、エドモンズ中佐は再出撃し、トルコ汽船を雷撃炎上させた。
こちらは正真正銘、文句なしの航空雷撃初戦果だ。
また、僚機のG.B.デイサー中尉は同じくショート184で出撃、エンジン不調で不時着した
ものの、トルコ大型曳船を発見し、海面を滑走したまま接近して魚雷投下(!)これを撃沈した。
彼はその後、離水して無事に帰還しています。
黎明期ならではの無茶をやってくれてますねぇ。
>海面を滑走したまま接近して魚雷投下(!) >黎明期ならではの無茶をやってくれてますねぇ。 駆逐艦なり魚雷艇なりで接近して魚雷発射するのと、 航空機が海面を滑走したまま接近して魚雷投弾 別にどっちもやっていること一緒じゃん、何の違いがあるんだよとオモタ
497 :
GF長官 :2011/03/30(水) 21:32:30.62 ID:???
>>496 実はですねぇ、陸軍の屠龍(二式複戦)で反跳爆撃(陸軍での呼称は「跳飛爆撃」)
が実施されていたのですが、その挿話として、こういうのがあります。
「この時、二式複戦の同乗者(後席の無線・銃手)は、自機が投下した爆弾があとから
追いかけるように跳飛してくるので何とも気味が悪かったらしい」(『ミリクラ(25)屠龍特集』)
滑走したまま魚雷を投下すると、似たようなことになるんじゃないかなと。
もちろん魚雷は投下して着水した後は沈む(はず)ので、あくまで心理的な話になりますが。
それとバルト海の戦いでは、史上初の「戦艦VS雷撃隊」が生起しました。
「(大正4年)9月12日、バルト海リガ湾で、独ハンザ・ブランデンブルク双発水上雷撃機3機は、
露戦艦スラヴァに対して距離1500メートルから735kg魚雷を一発ずつ投下した。
しかし、1発目は投下時に機体に接触して破損し、2発目はわずかに走行しただけで沈没し、
3発目は目標に達する前に護衛駆逐艦に命中して爆発した」 (『年表世界航空史(1)』)
水面滑走時は空中飛行時よりも機体は不安定ですから、投下時に機体に接触して、
”自打球”みたいなことになりはしないかと、色々心配になるのですよ。
何しろ水上機ですから、機体の下に大きな浮舟が二つも付いているわけだし。
まぁ当時は雷撃法も確立しておらず、試行錯誤の段階だったと思いますけど。
498 :
GF長官 :2011/03/30(水) 22:05:59.63 ID:???
499 :
GF長官 :2011/03/30(水) 22:22:51.60 ID:???
>>498 の続き
同年11月2日、ロシアはトルコに対して戦線布告。
黒海もまた主戦場となります。露海軍は黒海南岸のトルコ要地の砲撃を企図。
11月17日、露艦隊はトレビゾンド(現トラブゾン)を砲撃。
(註)トレビゾンドは、トルコ軍がコーカサス方面へ出撃する際の根拠地
露黒海艦隊(アンドレイ・エベルガルド中将)
戦艦「エフスタフィ」「イオアン・ツァラトゥスト」「パンテレイモン」
「トリー・スヴャチーチェリャ」「ロスティスラブ」
巡洋艦「パミアト・メルクリア」「カグール」「アルマーズ」
水雷戦隊1隊(駆逐艦12)
ロシア語は読みにくい・・・
ご覧の通り、前弩級艦とはいえ戦艦5隻を含む大艦隊です。
500 :
GF長官 :2011/03/30(水) 22:24:02.87 ID:???
>>499 の続き
急報を受けて、トルコ艦隊もコンスタンチノープルを出撃、ボスポラス海峡を
抜けて黒海に入った。
トルコ艦隊((ヴィルヘルム・スション少将)
巡洋戦艦「ゲーベン」
装甲巡洋艦「ブレスラウ」
実質独地中海艦隊ですね。
ゲーベンはヤウズ・スルタン・セリムに、ブレスラウはミディリに改名されましたが、
馴染みが薄いのでこのまま続けます。
途中、露艦隊がセヴァストポリへ戻ったとの情報を得て、スション提督はクリミア
半島を目指します。
両艦隊は深い霧の中、サリチ岬沖で遭遇。結果やいかに。
501 :
GF長官 :2011/04/02(土) 21:07:46.46 ID:???
502 :
GF長官 :2011/04/02(土) 21:10:19.07 ID:???
>>501 の続き
11月18日正午前の1140時、露艦隊前路警戒中のアルマーズが前方に煤煙を発見、
通報に接したエベルガルド提督は戦艦部隊の間隔を詰めるために減速を指示、更に
前衛の巡洋艦に対し、後方に下がるように命じた。
ほぼ同時にトルコ側も敵影を発見した。
ゲーベンは増速して前方に進出し、ブレスラウは後方に下がる。
合戦図の通り、両艦隊は正面からぶつかる形になります。
戦闘隊形の基本は丁字戦法ですから、”敵前大回頭”を行って敵艦隊の頭を
押さえなければならない。当然相手も同じことを考えているはず。
ジュットランド海戦の緒戦でもそうなのですが、この回頭の時機が早過ぎても
遅過ぎても丁字を描くことは出来ない。
絶妙の回頭命令を出すことができるか、指揮官の決断に委ねられます。
先に動いたのは露艦隊の方でした。
1210時、エベルガルド提督は「左8点逐次回頭」を命じた。(註)8点=90度
これで艦隊は南東南に変針し、右砲戦の準備が整えられた。
503 :
GF長官 :2011/04/02(土) 21:17:40.12 ID:???
[サリチ岬沖海戦](1210時)▲トルコ艦隊、△ロシア艦隊 ━┓ ▼軽巡ブレスラウ ┌─┐ ┗━→ ━┓(スション少将) ┌┘ └── ▼巡戦ゲーベン ▽戦艦ロスティスラブ ┗━→ ▽戦艦トリー・スヴャチーチェリャ ▽戦艦パンテレイモン ▽戦艦イオアン・ツァラトゥスト ▽戦艦エフスタフィ(エベルガルド中将) ┌┘ │ ↓ このままでは、ゲーベンが集中砲火を浴びることになる。 スション提督の決断に注目しましょう。
504 :
GF長官 :2011/04/06(水) 21:14:10.29 ID:???
>>503 の続き
敵艦隊の変針を確認したスション提督は、直ちに右舷回頭を命じた。
双方が定針を終えた1225頃には、針路南南西の同航戦の形となった。
[サリチ岬沖海戦](1225時)
┌─┐
━┓ ┌┘ └──
巡戦ゲーベン▼ ▽戦艦ロスティスラブ
(スション少将)┏┛ ▽戦艦トリー・スヴャチーチェリャ
┃ ▽戦艦パンテレイモン
┃ ▽戦艦イオアン・ツァラトゥスト
┏┛ ▽戦艦エフスタフィ(エベルガルド中将)
↓ ┌┘
↓
505 :
GF長官 :2011/04/06(水) 21:50:53.72 ID:???
>>504 の続き
露艦隊のエベルガルド提督は、1224時に射撃開始を下令。
ゲーベンまでの距離は7300メートルにまで接近していたと言います。
旗艦エフスタフィから放たれた砲弾は、初弾から命中弾を得られた。
左舷第三副砲で炸裂した12インチ砲弾により装薬に引火、誘爆します。
致命傷にはならなかったものの、ロシア側からは多数の命中弾があったように
受け取られた模様。
2番艦イオアン・ツァラトゥストも続きますが、測距の誤り(距離11000メートル)が
あり、大きな遠弾となってしまった。
3番艦以下は先頭艦の煤煙のため、目標が視認できず発砲は行っていない。
506 :
GF長官 :2011/04/06(水) 21:54:48.37 ID:???
>>505 の続き
この時点でゲーベンはまだ回頭を終えておらず、反撃できない。
ちょうど東郷ターンの時の聨合艦隊のようなもので、約2分後に応戦開始。
こちらも予想外の近距離だったためか遠弾となりますが、偶然にも至近弾の
弾片が、旗艦の艦内無線用アンテナ線を切断、2番艦の測距誤差を訂正する
ことが出来なくなってしまった。
ツァラトゥストの砲術長は旗艦による命中弾を自らの弾着と誤認し、戦闘中は
測距の誤りに気が付かなかった。ドッガー・バンク海戦の時のタイガーと同じで
艦隊戦術上の難点と言えるでしょう。
507 :
GF長官 :2011/04/06(水) 21:55:57.47 ID:???
>>506 の続き
数的劣勢が明らかな戦況を鑑み、スション提督は右舷回頭、戦線離脱を図った。
時刻は1230時で、戦闘開始からわずか5分後のことでした。
1235時にはトルコ、ロシア双方とも「打ち方止め」を命じ、サリチ沖海戦は終了。
両艦隊とも実際に射撃したのは5,6斉射ほどで、なんともあっさりとした結末ですが、
敵情の把握が難しい霧の中の遭遇戦ならば、こんなものなのかもしれませんね。
ロシア艦隊は、そのままセヴァストポリに帰投し、ゲーベンらトルコ艦隊も二日後には
コンスタンチノープルへ戻った。
508 :
GF長官 :2011/04/07(木) 21:45:12.54 ID:???
509 :
GF長官 :2011/04/07(木) 21:48:22.84 ID:???
>>508 の続き
日露戦争までは砲側照準により、各砲塔がバラバラに射撃していた。
第一次大戦になると、方位盤により各砲塔の射撃管制する機構が生まれた。
それを更に進めて、艦隊を代表する一艦が諸元を出して各艦に伝達、全艦が
同一目標を砲撃するという究極の火力集中システムですね。
それを実現するために、各部の改良が行われた。
(1)3.6メートル測距義の採用(ゲーベンは3メートル)
(2)主砲仰角の拡大(35度)
(3)炸薬・信管の改良
(4)発射速度の向上(約40秒に1発)
旧式戦艦では、主砲は前後に連装砲塔が1基ずつ(計4門)が基本。
単艦で弾着観測を行おうとすると、交互打ち方では2発ずつしか撃てない。
これでは散布界の観測は難しいので、3隻の戦艦が一組となって射撃すれば
最低でも6発分の水柱を観測できるわけです。
510 :
GF長官 :2011/04/07(木) 21:50:31.92 ID:???
>>509 の続き
今回、その射撃管制を担当したのは2番艦「イオアン・ツァラトゥスト」だった。
なぜ旗艦の「エフスタフィ」ではなかったのか。先頭艦は敵の攻撃が集中するので
射撃指揮装置もまた損傷しやすい。やはり被害局限を考えてのことかと。
また、先頭艦と殿艦では距離が離れているので、諸元が同じでも弾着がずれてしまう。
艦隊の中央艦が行うことにより、出来るだけその誤差を小さくしようということでしょう。
しかしドッガー・バンク海戦でも見られた通り、艦隊司令長官と戦闘指揮艦が別々
という状況では、意思疎通の円滑化が不可欠です。
英艦隊の場合、旗旒信号の発信ミスにより失敗したが、露艦隊では隊内無線を
主用していた。
つまり会敵の際には、まずツァラトゥストが測距を行い射撃諸元をはじき出す。
それを無線を使って全艦に伝達、発砲を開始する要領です。
旗旒信号や発光信号では、悪天候や煤煙等によりしばしば認識困難になりがち
なので、無線による指揮は賢明と言えると思います。
511 :
GF長官 :2011/04/08(金) 20:49:58.63 ID:???
>>510 の続き
海戦前から黒海艦隊は訓練を重ね、エベルガルド中将自身も相当の自信を
持っていたようですが、結果としてはうまくいかなかった。
今回は霧の中の遭遇戦だったため、あっという間に戦闘が終わってしまったのと、
何より射撃指揮艦である2番艦「ツァラトゥスト」のスミルノーフ砲術長が測距を誤り、
しかも、最後までそれに気が付かなかったことが大きい。
おまけにゲーベンの初弾により旗艦「エフスタフィ」のアンテナ線が切断されてしまい、
修正することも叶わなかった。
ただ発想としては素晴らしいと思いますね。前弩級艦が弩級艦に対抗するための
苦肉の策の感は否めませんが、日本海海戦の戦訓を活かしたものなのでしょう。
サリチ岬沖海戦のように、相手が単艦の場合は特に有効で、複数であったとしても
理想的な丁字を描けば効果は大きい。
仮に同航戦となった時、分火命令をどうするのか疑問の残るところでありますが、
ドッガー・バンク海戦の独艦隊のように、敵旗艦に火力を集中して先頭から順番に
潰していくという方法も、状況が許すのならば戦果が期待できますね。
512 :
GF長官 :2011/04/08(金) 20:51:25.24 ID:???
>>511 の続き
本海戦以降も、黒海におけるトルコ対ロシア艦隊の戦闘は続いていきます。
ガリポリ上陸作戦に呼応してのボスポラス砲撃や、通商破壊戦、沿岸砲撃等・・・
ゲーベンにとっては、トルコの設備では大規模な改装や修理は行えず、主砲弾の
製造も出来ないのでドイツ本国から輸送しなければならない厳しい状況にあった。
更には、大正4年(1915年)7月には弩級戦艦インペラトリッツァ・マリーヤが就役し、
(12インチ砲三連装4基)、それまでに”質的優位”も危ぶまれてくる。
10月には2番艦エカテリーナ二世も竣工、大正5年(1916年)1月にはゲーベンと
交戦、ゲーベンの28センチ砲弾は射程外のため届かず、戦線離脱し、あやうく
ボスポラス海峡に逃げ込む場面もありました。
513 :
GF長官 :2011/04/08(金) 20:52:32.34 ID:???
>>512 の続き
このままではトルコ側の劣勢は明らかでしたが、この頃からロシア国内は革命の
気運が高まり、水兵のサボタージュ等の影響でまともな行動が出来なくなって、
難を逃れた形になります。
大戦末期には数々の苦難を共にして来たブレスラウが触雷沈没するという不運に
見舞われながらも、ゲーベンは大戦終結を迎え、更には第二次大戦も生き延びて、
1973年に解体されます。
記念艦として保存しようとの動きもあったようですが・・・
こうして見ると、基本計画から設計、起工、浸水、竣工、戦闘、沈没(解体)への
流れは、人の一生を見るようで興味深い。
今も各地の海底で静かに眠る彼女たちは、何を思うのだろうか。
514 :
GF長官 :2011/04/08(金) 20:56:10.32 ID:???
515 :
GF長官 :2011/04/11(月) 22:11:06.33 ID:???
>>513 の続き
>>474 に戻りまして、(2)イタリア参戦(大正4年5月24日)
皆さんは、こんな”戦場伝説”をご存知でしょうか。
「イタリア海軍では、その戦果の大きさと搭乗員の勇気は彼らが乗る艦艇の
排水量に反比例する」
(『俺のイタリア軍がこんなにヘタレなわけがない』民明書房/刊)
余談ながら、北アフリカ戦線では司令官が就寝中、参謀長が馬乗りになり
顔を引っぱたいて「作戦相談があるんだけれど・・・」と頬をあからめながら
たたき起こすところから作戦会議が始まっていたそうです。くわばらくわばら
516 :
GF長官 :2011/04/11(月) 22:12:33.24 ID:???
>>515 の続き
開戦以降、中央同盟国の一員でありながらイタリアが中立を保っていたことは
既述しましたが、オーストリア領である南チロルやトリエステ地方の割譲を条件に
三国同盟を破棄、連合国側に立って1915年5月23日、オーストリア=ハンガリー
帝国に宣戦布告した(ドイツに対する宣戦は翌年8月27日)
某パンツじゃないアニメでは大活躍(というか、やれら役?)のイタリア海軍ですが、
第一次世界大戦での主任務はアドリア海の封鎖や地上戦の支援(船団護衛)であり、
大規模な海戦が起こったわけではない。
517 :
GF長官 :2011/04/11(月) 22:13:52.83 ID:???
>>516 の続き
当時、弩級戦艦5隻を基幹に相当の兵力を保持していたのですが、
戦艦「ダンテ・アリギエーリ」「ジュリオ・チェザーレ」「レオナルド・ダ・ヴィンチ」
「コンテ・ディ・カブール」「カイオ・ドゥイリオ」
(開戦後に就役)戦艦「アンドレア・ドリア」
他に旧式戦艦6隻、装甲巡洋艦10隻、巡洋艦14隻、駆逐艦36隻、潜水艦18隻
開戦2ヶ月後の7月にはオーストリアの潜水艦により装甲巡洋艦2隻が沈没。
翌年8月には、戦艦レオナルド・ダ・ヴィンチがタラント港で沈没。
原因は弾薬庫の爆発ですが、オーストリアによる破壊工作とも言われています。
ちなみにガリポリ作戦にも参加していません。
なんとも冴えない戦績で、カッコイイのは名前だけ・・・おっと
ここで冒頭の格言の出番であります。
イタリア海軍の本気に期待するとしましょう。
イタリアとオーストリアの海戦というと、リッサ海戦が印象的。 あれのと南北戦争のモニター艦の影響で、装甲艦は砲撃では沈まない、沈めるには衝角攻撃が有効という認識が広まった。 日清戦争で砲撃でも撃沈可能と証明されたけど。
519 :
GF長官 :2011/04/13(水) 21:19:02.49 ID:???
>>518 そうですね。
以前、「英独以外の他国海軍の視点が欠けている」(
>>234 )と指摘頂いたので、
しばらくは北海から離れてみようかと。
リッサ海戦と言えばラムアタックの他に、単縦陣(伊)対単横陣(墺)の戦闘としても
知られています。
砲撃戦に有利な単縦陣と、衝角攻撃に有利な単横陣。
どちらが近代海軍の採るべき戦術なのか。日清戦争の黄海海戦にて決着がついた。
本職もwiki程度の知識しかありませんが、戦力的にはイタリア海軍が優勢だったんですよね。
やはり、その戦果の大きさと搭乗員の勇気は(ry
搭乗員はともかく排水量と指揮官の勇気は反比例するわな どんな国でも消極的になる
521 :
GF長官 :2011/04/13(水) 22:21:00.17 ID:???
>>517 の続き
ひとつめは、MASボート(魚雷艇)
(註)MASとはMotoscafo Anti Sommergibile(対潜モーターボート)
本来はその名の通り、軍港の周辺に配置された敵潜水艦を捜索するための
対潜哨戒艇として建造されたが、肝心の聴音器が装備されず失敗作となった。
しかし大型魚雷(45センチ)発射管1基を搭載しており、全長16メートルという
小さな船体、発見されにくい背の低さ、高速性能(24ノット)を活かして、敵泊地
奇襲攻撃に使用する作戦が立案されたのです。
これに伴い、船体上の魚雷発射管は撤去され、かわりに両舷側に魚雷を吊るし
発射時に投下する落射機に換装された。
522 :
GF長官 :2011/04/13(水) 22:23:06.00 ID:???
523 :
GF長官 :2011/04/13(水) 22:24:21.73 ID:???
>>522 の続き
同年6月になると、オーストリア艦隊は軍港奇襲を怖れて、主力をポーラから
南部のカッタロに移動することを決めた。
その出撃情報を知ったリッツオ大尉はMAS−15に搭乗し、僚艇MAS−21と
共に、ブレムタ島沖で待ち伏せた。
6月10日0330時、駆逐艦10隻に護衛された戦艦「シュツェント・イストファン」
「テゲトフ」の2隻が同海域に現れた。
(註)両艦とも弩級戦艦フィリブス・ウニーティス級
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1276688293/598 MASボート2隻は、後方から150メートルまで接近し、2本ずつ魚雷を投下、
リッツオ艇が狙ったシュツェント・イストファンは右舷に2本命中し、3時間後に
転覆沈没。テゲトフも大破した。
524 :
GF長官 :2011/04/13(水) 22:30:07.63 ID:???
>>523 の続き
こういった場合、襲撃後は敵駆逐艦の猛攻撃にさらされるのが常ですが、
リッツオ艇はわざと減速して、駆逐艦が近づいたところで爆雷を投下、うち
1隻の艦首を吹き飛ばすというおまけ付きで、悠々と帰還に成功した。
UボートにしろMASボートにしろ、戦艦同士が何時間撃ち合っても、なかなか
沈められないのに、目覚しい戦果ですよね。
米海軍が「戦艦に失望」(
>>483 )するのも分かる気がする。
以上のように大戦果を挙げることが出来たのは、
リッツオ大尉の優れた技術と類いまれな勇気、
そして借金逃れで外国に逃亡していながら、開戦の報を聞くや帰国し、
詩人の身でありながら志願したダヌンツィオのような強い愛国心、
その根底には「リッサ海戦の雪辱」があったに違いありません。
そう、イタリア軍はやれば出来る子なんです!
525 :
GF長官 :2011/04/13(水) 22:31:31.21 ID:???
>>520 全く。世界最大の戦艦で航空掩護もなく敵地に突入するなんて、
帝国海軍だけですよね。
閣下、帝国海軍は英国海軍の忠実な教え子でありました。 大和もまた、PoWとレパルスの範に習ったのです。
>>525 大和の件?
長官殿、菊水作戦と航空総攻撃という日本最大規模レベルの航空機が出撃しているじゃないですか。
武蔵の件?
長官殿、一航艦と二航艦に第三艦隊、第六軍の陸軍航空隊がいます故。
どちらの件にしろ、あの局面の主力は陸海軍航空隊ですし、長官ともあろうお方が脇役如きを注目する必要ありませんて。
528 :
GF長官 :2011/04/14(木) 22:14:25.36 ID:???
>>526 そうそう、直衛機なんて”のーさんきゅー”
>>527 ですよね。>菊水作戦と航空総攻撃
以前も書いたと思いますが、
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1268653116/507 「アメリカの戦略立案者たちは、いったん全ての攻撃任務を停止させ、この後
(昭和20年)4月12日と13日に行われる菊水作戦に備えることを決めた。
戦闘空中哨戒以外の航空機からガソリンを抜き、弾薬を降ろしたのである。
そしてミッチャーは、開戦以来最大の戦闘空中哨戒を編成し、発艦させた」
(『空母バンカーヒルと二人のカミカゼ』)
そう、特攻機は決して犬死ではなかったのですよ。
話がそれました。つまりは、こういうことです。
「護衛の二水戦から雪風を外せば、大和の沖縄突入は成功したはず!」
529 :
GF長官 :2011/04/14(木) 22:50:08.36 ID:???
530 :
GF長官 :2011/04/14(木) 22:51:48.19 ID:???
>>529 の続き
第一次大戦末期、イタリア海軍のラファエレ・ロゼッティ技術少佐が開発。
少佐自らが操縦して、初陣を飾ることになった。
相棒は軍医のラファエレ・パオルッチ中尉が選ばれ、大正7年(1918年)10月30日深夜
母船である水雷艇から発進した彼らは、翌朝0530時ポーラ軍港に停泊中のオーストリア
戦艦「フィリブス・ウニーティス」の艦底に爆薬設置成功。
ところが脱出時に艦上の見張りに発見され、2人は捕虜になってしまった。
少佐と中尉は爆薬を仕掛けたばかりの艦内に収容されたのですが、そのことは話さず、
黙秘を維持、0628時にウニーティスは大爆発を起こして転覆沈没した。
二人のラファエレは海に投げ出され、沈没する敵戦艦の姿を目撃、涙を流しながら
初陣の大戦果を喜んだとか。
これまた、MASボートに匹敵する勇敢さと言えるでしょう。
531 :
GF長官 :2011/04/16(土) 21:15:07.43 ID:???
>>530 の続き
この人間魚雷は、第二次世界大戦でも活躍します。
前大戦では「ミニャッタ」と呼ばれていましたが、今次大戦の愛称は「マイアーレ」。
ミニャッタとはヒルの意。敵艦の艦底に貼りつく様が、人間の肌に吸い付くヒルに似ている
ところから名付けられたのでしょう。
対するマイアーレの意味は豚。
なんでもミニャッタの改良を担当したテゼイ技術大尉が、訓練時に「その豚にしがみつけ!」
と叱咤したからだと言われています。ハートマン軍曹の元ネタは、この人かも。
訓練生は「潜らねぇ豚はただの豚だ」を合言葉に、猛訓練に耐え抜いたとか。
532 :
GF長官 :2011/04/16(土) 21:16:29.32 ID:???
533 :
GF長官 :2011/04/16(土) 21:19:39.00 ID:???
>>532 の続き
1941年(昭和16年)12月18日深夜、母船である伊潜水艦シーレから発進した
3隻のマイアーレ(ルイジ・デラ・ペンネ大尉指揮)は、幾重もの防潜網を突破して
軍港内に侵入成功。
ペンネ艇は、機関故障のため人力で(!)弾頭を引っ張り上げて、英戦艦ヴァリアント
の艦底に設置完了。脱出時に発見されて捕虜になるも、前大戦の如く黙秘を堅持した
結果、19日0630時、同艦は大爆発を起こし着底した。
他の二艇も同様に英戦艦クイーン・エリザベスと油槽船サゴナ、駆逐艦ジャービスを大破。
両戦艦は浮揚修理に半年以上を要し、戦線復帰は翌年7月まで待たねばならなかった。
当時地上戦では、英陸軍のクルセイダー作戦によりDAK(ドイツアフリカ軍団)は、トブルク
からの撤退を余儀なくされ苦しい立場にありましたが、一時的に地中海の制海権は枢軸国側
に傾き、ロンメル将軍は反攻を開始、1942年6月にはトブルクを奪還した。
この重要な半年間、英地中海艦隊の稼働戦艦がゼロになった意義は大きい。
わずか6名の働きは、特筆すべきものであったと言えるでしょう。
534 :
GF長官 :2011/04/16(土) 21:22:32.89 ID:???
>>533 の続き
先に世界初の航空雷撃について紹介しました(
>>494 )が、最初に航空魚雷に
着目したのは、イタリア海軍だったようです。
「大正3年(1914年)2月、イタリアのパテラス・ペスカラと海軍のアレッサンドロ・
ギドニ大尉は魚雷投下機の開発を行い、数回にわたって重量375kgのダミー魚雷
の空中投下に成功した。これは世界初の魚雷投下試験の成功とされている」
(『年表世界航空史(1)』)
ところがイタリア参戦により、母艦である水上機母艦エルバが出撃してしまい、
開発は中断・・・もったいない
ただ文中にある通り、これはダミーによる模擬実験です。本物の魚雷を用いた
投下試験は、やはり英海軍でした。
「(同年)7月27日、ショート・ブラザーズ社のゴードン・ベルは、ショート・トラクター
複葉水上機からホワイトヘッド14インチ魚雷を投下に成功した。翌日には英海軍
アーサー・ロングモア少佐が同じ機体で空中魚雷投下試験に成功した」
535 :
GF長官 :2011/04/16(土) 21:24:27.20 ID:???
>>534 の続き
これだけ、王立海軍の輝ける戦績を紹介すれば十分でしょう。
では、最後のまとめということで、
「イタリア海軍が勇敢で優秀なのはよく分かった。
だが同盟はお断りだ」
次期大戦は、扶桑とカールスラントとスオムスで三国同盟を!
何でだろう? イタリア軍人とGF長官が似てるように思えてならない。 お調子者だけど、案外思慮深いところとかかな?
537 :
GF長官 :2011/04/18(月) 21:33:44.76 ID:???
>>536 くっくっくっ、イタリアは枢軸四天王の中でも再弱、
米英連合軍ごときに降伏するとは、我ら四天王の面汚しよ・・・
>お調子者だけど、案外思慮深いところとかかな?
これは誉め言葉ですよね。欣喜雀躍
南雲スレは、これからも枢軸同盟を応援します。あくしず万歳!
>>537 枢軸四天王って、日独伊以外でイタリアより強い枢軸国ってどこだろうか。
539 :
GF長官 :2011/04/18(月) 22:15:31.25 ID:???
>>535 の続き
>>474 に戻って、(3)第一次リガ湾海戦(大正4年8月8日〜21日)
バルト海における独露海軍の戦いです。
緒戦については以前に少し触れましたが(
>>68 )、その後は両軍とも大型艦喪失を怖れて、
機雷戦が中心になっていきます。
主導権を握ったのはロシア側。
フィンランド湾やリガ湾はもちろん、ドイツ本国沿岸にまで敷設し、
大正3年(1914年)11月17日には、ダンツィヒ湾で装甲巡「フリードリヒ・カール」が触雷沈没。
翌年1月25日(ドッガー・バンク海戦の翌日)には、軽巡「アウグスブルク」「ガゼル」が触雷大破。
12月17日には軽巡「ブレーメン」が触雷沈没。
ドイツ側も軽巡に機雷敷設能力を加えるなどして対抗、ロシア駆逐艦2隻を沈めている。
540 :
GF長官 :2011/04/18(月) 22:17:54.59 ID:???
>>539 の続き
大正4年(1915年)7月2日には、ゴトランド島沖付近で敷設部隊同士が衝突、
(独)軽巡「アウクスブルク」、敷設艦「アルバトロス」、駆逐艦3隻
(露)装甲巡洋艦「アドミラール・マカーロフ」「バヤーン」、防護巡洋艦「オレーク」「ボガツィリ」
序盤は戦力に勝るロシア側の有利に展開し、独敷設艦「アルバトロス」が座礁に追い込まれたが、
増援部隊が到着すると、折からの霧の影響もあって戦線は混乱し双方とも離脱した。
大正5年(1916年)11月10日には、フィンランド湾に強行突入を図った独水雷艇11隻のうち
機雷原に侵入した7隻が沈没するという大損害を出した。
日露戦争でも、我が戦艦「初瀬」「八島」がロシアの機雷に沈められましたが、
露海軍の機雷戦術は侮れないですね。
541 :
GF長官 :2011/04/18(月) 22:19:01.46 ID:???
542 :
GF長官 :2011/04/18(月) 22:24:38.77 ID:???
>>538 もちろんフィンランドですよ。>枢軸四天王
>>535 で「スオムス」と書いたのは、その伏線でありました。
ちなみに今回のネタ元は、今季の『MCあくしず』(Vol.20)
「萌えよ戦車学校戦史編〜イタリア中北部の戦い」から。野上先生、ありがとう〜
あと「再弱」は「最弱」の誤りです。お詫びして訂正をば。
543 :
GF長官 :2011/04/19(火) 21:51:33.47 ID:???
>>541 の続き
このように機雷戦ではロシア側に軍配が上がりましたが、潜水艦戦となると、
お家芸と言えるドイツ海軍の本領発揮です。
露海軍の対潜能力はお世辞にも優秀とは言えず、高い代償を払うことになる。
大正3年(1914年)10月11日、U26は露装甲巡「パルラダ」と「アドミラル・マカロフ」
に向けて魚雷を発射。パルラダは轟沈し生存者無し。マカロフの方は魚雷が艦底を
通過し、難を逃れた。
更に翌年6月4日、同じくU26が露敷設艦「エニセイ」を撃沈した。
一方のロシア側ですが、潜水艦の整備不良や練度不足のため、英海軍から潜水艦を
貸与されることになった。
第一陣(大正3年10月)→「E1」「E9]
第二陣(大正4年)→「E8」「E18」「E19」他2隻
第三陣(大正5年)→「C26」他3隻
544 :
GF長官 :2011/04/19(火) 21:54:15.37 ID:???
>>543 の続き
これらの活躍により、大正4年7月1日には独装甲巡「プリンツ・アダルベルト」が、
11月7日には軽巡「ウンティーナ」が、他にも駆逐艦数隻が沈められている。
ところが翌年5月24日には、英潜E18が独駆逐艦V100を雷撃したものの、
返り討ちにあって沈没している。
更に潜水艦用の二次電池を搭載した輸送船がUボートに撃沈され、活動が制限
されることもあった。
大正6年になるとロシア国内で革命が進行しつつあり、露海軍はほとんど機能
しなくなったため、これら英潜水艦が唯一の作戦可能な部隊となってしまった。
そして独露の講和成立後、大正7年4月4日英潜水艦隊はヘルシンキにて
相次いで自沈しました。
もともとロシアでは不凍港が少ないため、潜水艦を整備すれば冬期も活動できる
ように思いますが、そうではなかったようですね。
545 :
GF長官 :2011/04/20(水) 21:55:23.58 ID:???
546 :
GF長官 :2011/04/20(水) 22:00:47.33 ID:???
>>545 の続き
次の目標がリガです。
>>541 の地図の通り、リガ湾の入り口には4つの島があり、それぞれに要塞砲を設置した
強固な陣地が築かれていたので、ドイツ海軍も大規模な兵力を揃えます。
攻略部隊(シュミット中将)
前弩級戦艦7、装甲巡2、軽巡4、駆逐艦24、掃海艇25
支援部隊(ヒッパー中将)
弩級戦艦8、巡戦3、軽巡5、駆逐艦32
バルト海にこれだけの艦隊が集結したのは日露戦争以来ではなかったかと。
547 :
GF長官 :2011/04/20(水) 22:05:08.11 ID:???
>>546 の続き
ロシア側も湾口に多数の機雷を敷設、同港には駆逐艦12隻の哨戒部隊しか
配備されていなかったため、戦艦「スラヴァ」が派遣されます。(
>>68 )
スラヴァはボロジノ級戦艦の5番艦ですが、僚艦である「ボロジノ」
「インペラートル・アレクサンドル三世」「アリヨール」「クニャージ・スワロフ」は
いずれも日本海海戦に参加し戦没している。
(アリヨールは戦利艦として捕獲され、戦艦「石見」となって再就役した)
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1276688293/697 スラヴァのみが竣工が遅れて世紀の大海戦に間に合わず、更にドレッドノート
登場により、”生まれながらの旧式戦艦”の悲運に見舞われたわけですが、
その汚名を返上し、意外な奮闘を見せてくれます。
548 :
GF長官 :2011/04/27(水) 23:55:45.29 ID:???
549 :
GF長官 :2011/04/27(水) 23:56:56.01 ID:???
550 :
GF長官 :2011/04/27(水) 23:57:45.34 ID:???
>>549 の続き
第一次リガ湾海戦はドイツ側の敗北に終わりました。
また陸軍の方もリガ攻略には失敗します。
「この戦闘における最大の殊勲艦は、ロシア戦艦スラヴァであろう。同艦は
ボロジノ級の最終艦で唯一の生き残りだったが、圧倒的多数のドイツ艦隊に
正面から立ち向かい、またドイツ陸軍に艦砲射撃を敢行した」(『死闘の海』)
>>71 の通り、露艦隊は陸軍の指揮下にあり、大戦中あまり連繋がうまくいった
とは言えませんでしたが、このリガ湾海戦は陸海軍の協同攻撃が成功した
数少ない例外と言えるでしょう。
551 :
GF長官 :2011/04/28(木) 00:01:18.83 ID:???
一週間ぶりのご無沙汰であります。 少し仕事の方が立て込んでおりまして、今週は日曜日まで休み無しの予定。 次回は来週になると思われます。 何卒ご了承下さいませ。
552 :
GF長官 :2011/04/30(土) 20:38:06.40 ID:???
>>550 の続き
第一次ということは、第二次もあるわけですが、
第二次リガ湾海戦(大正6年(1917年)10月12日〜21日)
この年の3月ロシアでは革命が起こり、皇帝ニコライ二世は退位、その混乱に乗じて
ドイツ軍は再びリガ湾攻略を企図します。
攻略部隊(シュミット中将)
旗艦:巡洋戦艦「モルトケ」
戦艦10、軽巡8、駆逐艦56、潜水艦6、掃海艇80、航空機94機、飛行船6隻
の大部隊を進攻させた。
10月12日、リガ湾入り口のオーゼル島砲台を艦砲射撃、独陸軍2万5千名が上陸した。
これを見て、ロシア側は戦意喪失し、次々と降伏していきます。
あとはムーン島を残すのみとなった。
リガ湾地図
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Estonian_archipelago_ (Saaremaa_and_Hiiumaa).jpg
(注)一番大きな島(SAAREMAA)がオーゼル島、その東側に隣接しているのがMuhu(ムーン島)
553 :
GF長官 :2011/04/30(土) 20:39:06.50 ID:???
554 :
GF長官 :2011/04/30(土) 20:40:01.55 ID:???
>>553 の続き
さすがに弩級戦艦相手では勝負にならず、前海戦では奮闘したスラヴァも
7発の命中弾を喫し左舷へ傾斜したため、アントーノフ艦長は艦の放棄を決断、
リガ湾の入り口で座礁させ、総員退艦後自沈した。
3日後にはムーン島砲台も陥落、ようやくドイツ軍はリガ湾攻略に成功した。
多勢に無勢といった感じですね。
新生ソビエトのバルチック艦隊にとっては、第一次大戦終結後、イギリスとの
干渉戦争が待っているのですが、資料もあまり無いので割愛させて頂きます。
555 :
GF長官 :2011/05/01(日) 20:04:29.45 ID:???
>>554 の続き
>>474 に戻って、(4)第二次ドッガー・バンク海戦(大正5年2月10日)
北海は英独海軍の主戦場なので、何度も海戦が生じている。
ちょうどソロモンと一緒ですね。
日本語の資料に明確な記述はありませんが、英語版wikiでは「2nd Dogger Bank」
とあるので、この呼称で問題ないでしょう。
独公海艦隊司令長官は、この年の2月ライハルト・シェーア大将に替わった。
彼は再び攻勢作戦に出ます。
北海で哨戒中の英艦艇を攻撃するため、三個駆逐艦戦隊(25隻)が出撃、
ドッガー・バンク上で英第十五掃海隊(掃海艇4隻)と遭遇した。
交戦の結果、英掃海艇1隻が沈没しています。
556 :
GF長官 :2011/05/01(日) 20:05:34.66 ID:???
>>555 の続き
戦闘自体は小規模なものでしたが、
「ドッガー・バンク付近での海戦発生に対し、イギリスはロサイスから巡洋戦艦部隊を、
ハリッジから第5巡洋艦隊を出撃させた。また、他のグランドフリートの部隊も出撃した。
それらは北海で集結し南へ向かったが、ドイツ軍は水雷艇のみでありしかも既に基地に
戻ったことが明らかとなったため、11日には敵捜索を中止した」(wiki)
ただし独主力部隊は出撃していなかったため、英艦隊の漸減とはなりませんでした。
この際、ヘルゴラント・バイト海戦で活躍した軽巡アリシューザが触雷喪失している。
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1276688293/660
557 :
GF長官 :2011/05/02(月) 20:36:04.63 ID:???
今週の新刊情報 雑誌『丸』(2011年6月号)〜スーパーキャリア大鳳 不沈空母伝説〜 アウトレンジ戦法と聞くとマリアナ沖海戦が思い浮かびますが、実は開戦前から 考えられており、昭和10年頃には、 (1)攻撃隊の半数を給油機とし、進撃途中に空中給油を行う (2)攻撃隊は片道攻撃とし、不時着後に搭乗員のみ潜水艦で救出(機体は放棄) 等の提案がなされていたとか。 大戦後半になると大航続力の彗星・天山が登場したため、このような奇策を弄せず とも可能になったというわけですね。 何故これほどまでに、攻撃圏の延伸が考慮されていたかというと「空母の脆弱性」が、 その答えになります。 一方的な奇襲成功の場合を除き、通常の空母戦では双方痛み分けになることが ほとんどであり、一発の被弾で戦闘力を失う空母の運用は実に難しい。 どうしても、「こちらは攻撃出来て、向こうからは攻撃されない」という都合の良い 戦術に頼らざるを得なかった経緯がある。 「攻撃力と防御力の不均衡」、空母と巡洋戦艦は似ているのかもしれない。
558 :
GF長官 :2011/05/02(月) 21:21:12.76 ID:???
>>556 の続き
最後は、(5)第二次ヤーマス砲撃(大正5年4月24日)
>>474 ジュットランド海戦まで、あと一ヶ月となりました。
第二次ということは、第一次があったわけですが(
>>227 )、
前々年末から始まった独艦隊の英本土沿岸砲撃。
ミッドウェー海戦との共通項が見えて来て興味深いところです。
ドイツ側から見れば誘出作戦そのものだし、対するイギリス側から見ると、
米空母のヒットエンドラン作戦に手を焼いた日本海軍を思い出させる。
559 :
GF長官 :2011/05/02(月) 21:22:45.33 ID:???
>>558 の続き
もちろん英海軍とて手をこまねいていたわけではなく、暗号解読や通信諜報を
駆使し、また本土沖に幾重もの哨戒線を張って、独襲撃部隊の捕捉に努めた
はずですが、悪天候や深い霧に阻まれて、なかなか会敵の機会に恵まれない。
更に襲撃部隊の背後には、主力部隊が控えていることが考えられるので、なまじ
小部隊で接触すると各個撃破される恐れが大である。
つまり警報の度にロサイスの巡洋戦艦部隊や、スカパ・フローの主力部隊までもが
出撃しなければならず、現場海域に到着する頃には独艦隊の影も形も無いという事
の繰り返し(
>>556 )
まことに厄介な話ですよねぇ、当時の英海軍将兵はどう思っていたのだろうか。
560 :
GF長官 :2011/05/02(月) 21:24:16.87 ID:???
>>559 の続き
「どこか倦怠感が漂っている。今度もまた、ただ一走り索敵をするだけで、
空くじを引きスカパ・フローに戻って、来週はまた索敵・・・
英国艦隊にとって、この戦争はドイツ人相手の戦いというより、倦怠感を
敵にまわしての戦いといった感じがする。
ドイツ側は英国の弩級戦艦の火力と正面切って対抗するのを好まない。
英国の海岸に時々奇襲攻撃をしかけたり、ハートルプールやスカボローに
爆弾を落として市民を殺傷したりはするが、その仕返しをしてやる間もなく、
敵はいつだってヤーデ港の基地にさっさと取って返してしまう。
ジュリコー司令長官は、ドイツ艦隊を網にとらえたいと、幾度となく艦隊を
率いて北海を横断し、索敵に努めてきた。
あるいは敵をそそのかして出撃させようと、ドイツの鼻先で挑発行為に出る
こともある。しかし、ドイツ野郎は用心深い。
561 :
GF長官 :2011/05/02(月) 21:25:44.33 ID:???
>>560 の続き
連中の戦術は、英国海軍をおびき出して機雷や潜水艦で脅かすか、分遣された戦隊を
トリックにはめて、外洋艦隊の総力をもって襲うかのどちらかだ。
ドイツ側は、自国の海軍力を失う危険を冒さずに、優位に立つ英国の軍事力を削り取ろう
として、明らかに分のいい勝負を望んでいる」
(『ユトランド大海戦』AlexanderFullerton/著・高津幸枝/訳)
(注)北海要図
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1276688293/488 ヤーデ港はヴィルヘルムスハーフェンのこと。
全くもって時間の無駄、燃料の無駄とまでは言いませんけど、なんとかしたいところです。
562 :
GF長官 :2011/05/02(月) 21:27:16.39 ID:???
>>561 の続き
ちょうど狼少年の寓話を思い出しますね。
ミッドウェーに限ったことではありませんが、敵艦隊出撃の”兆候”を見逃したこと
について「油断」の一言で片付けられることが多いのですが、それはその一回きり
を見ているからで、何度も何度も出撃しては空振りの繰り返しでは、士気も萎える
というものでしょう。
今なら「緊急地震速報」が、それに当たるのではないかと。
これは日本が世界に誇る素晴らしいシステムだと思いますが、一日に何回も発令
されて、しかもたまに”外れ”が出るなると、いい加減にうんざりですよねぇ。
人間は慣れる生き物であり、常に高い士気と戦闘態勢を維持し続けるのは簡単な事
ではないと感じます。
>>558 実際、両大戦共に主力とみなされていた戦艦よりも活躍してるよな
実質一次大戦は巡戦、二次大戦は空母が主力兵器
結局戦艦の射程内で一方的に戦えるなんて都合のいいことができるはずもなく
相手が逃げ出したらこっちの勝ちってその逃げ出す相手をきっちり捕まえて打撃しないとと意味ないですよ
戦局的に負けてる側は
>>563 活躍なんて言い出したら、戦艦より巡洋艦や駆逐艦の方が活躍しているよねとも言えるな
だから、実質一次大戦は巡洋艦や駆逐艦が主力兵器、とでも言うのかい?
巡戦の活躍はその延長に過ぎないよ
>結局戦艦の射程内で一方的に戦えるなんて都合のいいことができるはずもなく
それは戦艦に限った事じゃないし、一次大戦で始まった事でもないな
>活躍なんて言い出したら、戦艦より巡洋艦や駆逐艦の方が活躍しているよねとも言えるな >だから、実質一次大戦は巡洋艦や駆逐艦が主力兵器、とでも言うのかい? ユトランド沖やドッガーバンク海戦で巡洋艦や駆逐艦が活躍したか? 何言ってんだ?
スレ違い
いや、これスレ違いと言ってしまうと、明らかにこの数「スレ」の長官がスレ違いだw
568 :
GF長官 :2011/05/03(火) 20:14:16.83 ID:???
>>563- そう考えてみると、日本海海戦の呪縛にとらわれていたのは日本海軍だけ
ではなかったのかもしれないですね。
>>567 全くw どうしたもんかなぁ・・・
569 :
GF長官 :2011/05/03(火) 20:54:19.36 ID:???
>>562 の続き
このようにレーダーという電子兵器を持たない時代、ヒットエンドランに対する有効な
手段は無く、攻撃側が何時でも好きな時に都合の良い場所から自由に仕掛けられる
のに対して、防御側は四六時中全哨戒線において警戒を緩めることが出来ない。
更に兵力が各地に分散されるため、仮に捕捉に成功したとしても邀撃が不十分、かつ
不徹底になりがちです。
太平洋戦争でも、帝国海軍は米空母の奇襲に振り回されたわけですが、
「南方攻略支援やインド洋作戦は不要、南雲機動部隊は太平洋で米空母撃滅に
専念すべきだった」
と主張される方は、いったいどんな素晴らしい案をお持ちなのか伺いたいものです。
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1271339968/341-342
570 :
GF長官 :2011/05/03(火) 20:56:12.86 ID:???
>>569 の続き
例えば、機動部隊を三隊に分けて
一航戦(南雲中将指揮)横須賀基地→本土東方沖哨戒
二航戦(山口少将指揮)トラック基地→中部太平洋方面哨戒
五航戦(原少将指揮)ラバウル基地→南東方面哨戒
毎日毎日夜明けから日没まで全周索敵を行いつつ哨戒を実施しろとでも
言われるのか。それこそ時間の無駄、燃料の無駄になりそうな・・・
後世の2chではさぞかし叩かれることでしょうなぁ
運良く会敵に成功したとしても、空母2隻の兵力では珊瑚海海戦のように
味方も大損害で、米空母を取り逃がすことにならないでしょうか。
せっかくの緒戦における優位を全く活かせていない気がします。
571 :
GF長官 :2011/05/03(火) 20:57:40.47 ID:???
572 :
GF長官 :2011/05/03(火) 20:59:09.13 ID:???
>>571 の続き
それもグァムやウェークでは米空母は出てきてくれないでしょう。
返り討ちにあうのは目に見えているし。
やはりここは、あえて味方勢力圏から外れて、ある程度の危険を冒してでも敵の
懐に飛び込み、かつ米海軍が早急に奪還を決心するような危機感をあおる場所
でなければならない。
となると、ミッドウェーくらいしか思い浮かばないんですよねぇ。
戦略的に見れば、第二次MO作戦やFS作戦の前倒しが理に適っているのかも
しれません。
しかし帝都を空襲されるような状況で、南雲機動部隊を遥か南方に派遣するような
余裕があるのだろうか。
573 :
GF長官 :2011/05/03(火) 21:00:29.05 ID:???
>>572 の続き
中にはこういう意見もありますが・・・
「しかし、大本営の参謀あたりの頭は特別製だとみえて、戦後ある参謀は
こういう意見を洩らした。
”ガ島のような何もないジャングルで戦うから苦労するのだ。
ミッドウェーに用いた大艦隊を率いて船団を掩護し、ずばりニュージーランドに
上陸する。
ここならば食糧も豊富だし、設備も整っている。イギリス領だから、アメリカも
真珠湾ほどは防備に躍起になっていない。産業もあって自給自足できるから、
ここを基地として、ニューカレドニア、ソロモンの線を確保する。
米艦隊はこの時とばかり日本本土を襲うだろう。心配することはない。
陸上基地の航空部隊で迎え撃つのだ。
どちらが強いかは、マレー沖で実験済みだ。
574 :
GF長官 :2011/05/03(火) 21:01:51.64 ID:???
>>573 の続き
この後シドニーやブリスベンなどの軍港を封鎖しておいて、まずイギリスと
単独講和を行った後、アメリカと講和に持ち込むのだ。
これは荒唐無稽な説ではない。現にマッカーサーは飛び石作戦で、奥へ
奥へと斬り込んで成功しているではないか”
私は太平洋戦争の敗因は、実戦経験のない参謀が机上で計画を立てて、
前線の司令官に指令を出したことだと考えている。
しかし、ミッドウェーのかわりにこちらをやってみたら面白かったかもしれない」
(『南十字星の戦場』豊田穣/著)
なるほど、その発想は無かった。
ソロモンとかガ島とか近視眼的に見るのではなく、一気にニュージーランドまで
打通すれば良かったのか!
とはいえ、現代の我々は本当に”大本営の参謀”を笑うことが出来るのだろうか。
>>526 昭和18年前半、トラックからブラウン環礁に一時進出して米空母部隊を
補足しようとして失敗した第二・第三艦隊を彷彿とさせますが、WW1の独側と
WW2の米側を同一視点でとらえる考え方は初めてですので興味深いです。
>>569 日本側からは初回(真珠湾)以降、奇襲が殆ど成立しなくなった点がイタ
イですね。レーダー然り、諜報面然りで。
576 :
GF長官 :2011/05/04(水) 21:54:18.99 ID:???
>>575 そこなんですよ。
>WW1の独側とWW2の米側を同一視点でとらえる考え方は初めてですので興味深いです。
今日の本編とも関連するところなんですが、ヒットエンドランを繰り返していた頃の
米海軍の最終目的は何だったのか、が興味あるんですよね。
確かに帝都空襲に代表される国内世論向けの示威行動の面はあると思いますが、
独艦隊のように誘出撃滅を考えていたわけではなさそうですし、
史実ではミッドウェーの大勝利につながったので、成功したようには見えます。
しかし、もし日本海軍が米空母の奇襲を無視して、着々とソロモン攻略、FS作戦を
進めていったとしたら、ニミッツ提督はどうするつもりだったんでしょうかねぇ。
577 :
GF長官 :2011/05/04(水) 21:55:36.98 ID:???
>>576 の続き
そもそもヒットエンドラン作戦の結果、日本海軍がミッドウェー攻略を企図した事が
彼の思惑通りだったとしても、当時無敵の南雲機動部隊を撃破できる保証には
なりませんし、逆に敵戦力を一箇所に集中させたという意味で、むしろ愚策と言える
のではないかとさえ思ってしまうのです。
「たとえ最も完全な警報が得られたとしても、もし日本艦隊が集中していたならば、
3隻の米空母によって、日本がこの作戦に充当した8隻の空母、11隻の戦艦、
その他多数の支援艦船を撃破し、これおを敗走させ得ることは、いかに幸運と
技量をともなっても、思いもよらないことである」 (『ニミッツの太平洋海戦史』)
暗号解読という”ジョーカー”を加えても、決して楽勝と言える状況で無かった事は
彼自身が認めていることなのです。
578 :
GF長官 :2011/05/04(水) 21:57:03.21 ID:???
>>577 の続き
もちろん日本艦隊による真珠湾再攻撃を含む、中部太平洋方面の防衛任務と
いうのが一番大きいと思います。
実際、昭和17年1月11日真珠湾を出撃したエンタープライズは、サモア島へ
海兵隊を上陸させるための支援行動を実施している。
ただ本気でウェーク島他を奪還しようと思っていたのか、あるいはもし南雲機動
部隊と遭遇した場合、正面から戦う気持ちがあったのか。
『ビックE』等の戦記を読むと、どうもそうではなかったように見受けられる。
そのあたりの事情を記した公刊資料とかあれば読んでみたいんですが・・・
579 :
GF長官 :2011/05/04(水) 22:18:00.69 ID:???
>>574 の続き
一方のドイツ側にも課題が無いわけではない。
独海軍の作戦目的は英海軍兵力の漸減であって、誘出作戦は「手段」に過ぎません。
相手に燃料の無駄遣いをさせることも有効ではありますが、それでは何時までたっても
彼我の戦力差は縮まりませんから。
第二次大戦の米海軍のように、「あと一年辛抱すれば、エセックス級が大量就役して
反撃に転じられる」との希望でもあれば良いのですけど、それは第一次大戦時の独海軍
には望めませんよね。
しかし、戦争は相手のあることだから、こちらの都合の良いようには動いてくれない。
独海軍としては、英本土襲撃の度に英海軍小部隊を撃滅していくのが理想ですが、
スカパ・フローの主力部隊まで出てきてもらっては困るわけです。
580 :
GF長官 :2011/05/04(水) 22:19:41.67 ID:???
>>579 の続き
そこで、襲撃→誘出→全力で撃滅→英主力が到着する前に避退
という手順を踏まねばならない。
独艦隊の襲撃地点が、英本土東岸の南側に集中しているのも同じ理由で、
あまりロサイスやスカパ・フローに近いと、返り討ちにあってしまうからですね。
すでに皆さんもお気づきだと思いますが、こんなのは机上の空論であって
敵艦隊がこちらの想定通りに動いてくれるのは、日本海軍の図演の中だけでしょう。
実際、独艦隊の行動を振り返ってみると、襲撃行動(英本土砲撃)には成功して
いるけれども、肝心の漸減の方は悉く失敗しているのです。
そのあたりをどう考えていたのか。
第二次ヤーマス砲撃に関しては、日本語資料に適当なものが無いので、
英語版wikiをもとに進めていきたいと思います。
Bombardment of Yarmouth and Lowestoft
http://en.wikipedia.org/wiki/Bombardment_of_Yarmouth_and_Lowestoft
>>580 襲撃→誘出→全力で撃滅→英主力が到着する前に避退
これ、東京空襲〜ミッドウェイの米海軍の行動そのものともとれますね。そして成功と。
しかしww1の北海→ww2の西太平洋ですか…。
巡戦と空母の腕の長さの比率とも見合うものなのでしょうか…。
話のコシを折ってたらスマソm(_ _)m
豊田穣か。好きな作家だな。 米内以来の大物になれた人材じゃないかな? 惜しむらくは運が悪かった。ただし悪運だけは抜群だったw
583 :
GF長官 :2011/05/05(木) 20:30:04.84 ID:???
>>581 本編の記述が曖昧だったようで申し訳ないです。
>巡戦と空母の腕の長さの比率とも見合うものなのでしょうか…。
巡戦と空母の比較は関係しません。
>>558 を確認して頂きたいのですが、本職が注目しているのは、
「独艦隊の誘出漸減作戦と、日本海軍のMI作戦との共通点」
「独艦隊の襲撃行動に振り回された英海軍と、米空母のヒットエンドランに
振り回された日本海軍との共通点」
以上の二点で、米空母のヒットエンドラン作戦自体は対象外です。
なぜなら、独艦隊の襲撃行動と米空母のヒットエンドランは本質的に異なるから。
独艦隊の襲撃行動は、襲撃が「手段」であって、目的は英海軍兵力の漸減。
対する米空母のヒットエンドランは、襲撃行動そのものが「目的」だからです。
584 :
GF長官 :2011/05/05(木) 20:30:47.48 ID:???
>話のコシを折ってたらスマソm(_ _)m またまたー、本編の話の腰を折るのが、支援艦隊の務めじゃないですか。 少しは先任参謀殿を見習って下さいw 夜中に突然出現して本編にツッコミを入れ、嵐のように去ってゆく。 本職が翌晩定時哨戒する頃には影も形もなし。 あとには残骸と硝煙のにおいだけが・・・ う〜む、まさにヒットエンドランですなぁ
585 :
GF長官 :2011/05/05(木) 20:31:59.72 ID:???
>>581 ですね。>豊田穣か。好きな作家だな。
豊田氏は復員後に作家を志望し、なんと川端康成に原稿を持ち込んだそうです。
ところが、
「このような片々たるものをお書きになっても致し方ありません。根底が浅いのです」
「もっと深いところで人間をお見つめになることです。得難い経験をなさいました故、
その御経験を丹心こめてお書きになってみることです」
と助言されたとか。
「得難い体験」とは、昭和18年4月「い号作戦」参加時、九九艦爆搭乗中にガ島
付近で不時着し米軍の捕虜になった経験のこと。
これをもとに『ニューカレドニア』で文壇デビューとなった。
(『豊田穣文学戦記全集第3巻』より)
彼の『ミッドウェー戦記』は昭和26年に出版されており、淵田奥宮共著の
『ミッドウェー』と共に、古典として読んでおくべきものだと思います。
>米内以来の大物になれた人材じゃないかな?
またまたー
586 :
GF長官 :2011/05/05(木) 20:45:42.34 ID:???
>>580 の続き
ここで強調しておきたいのは、
独海軍の作戦の欠陥を指摘することは、実は誰にでも出来るという事。
当時ドイツ最高の頭脳が生み出した作戦を、にわか軍ヲタである本職のような
素人でも容易く”アラ探し”可能なのです。
ところが、「では他にどんな対案があったのか」と問われると、たちまち答えに
窮してしまう。
ちょうど
>>569 と同じで、今度は逆に本職が責められる立場に陥る。
これは戦史検証の際に、重要な視点の一つではないかと考えています。
もちろん拙劣な作戦を立案した首脳部は責められて然るべきでしょう。
しかし、その背景を無視して「神の視点」から糾弾することは、最近流行の
「原発廃止運動」と同じで、説得力に欠けることにはならないのだろうか。
そりゃ原発が危険なの間違いないですし、誰でも分かっていることですよね。
じゃあ、貴方はこの夏エアコン無しで過ごす覚悟はあるのかと。
いったいどんな”対案”が用意されているのか、楽しみですねぇ。
太陽光?風力発電? ご冗談をw
コスト 水力 8円〜9円 火力 同上 原子力 同上 太陽光 48円〜54円(もっとも効率よい状況を仮定した値 風力 算定されてない
588 :
GF長官 :2011/05/05(木) 21:40:47.77 ID:???
>>586 の続き
話がそれました。第二次ヤーマス砲撃に戻りたいと思います。
In February 1916, Admiral Reinhard Scheer became commander in chief of the German
High Seas Fleet and commenced a new campaign against the Royal Navy. A principal
part of his strategy was to institute raids into British waters and then lure British forces
into battle in conditions advantageous to the Germans.
「1916年(大正5年)2月、ラインハルト・シェーア提督が独公海艦隊司令長官に就任、
新たな対英作戦を開始した。最も優先される戦略は、英本土沿岸を襲撃して英艦隊を
誘出し、独艦隊に有利な戦場に引き込むことであった」
これは解説不要ですね。文言通りの誘出漸減作戦です。
589 :
GF長官 :2011/05/05(木) 21:42:09.92 ID:???
>>588 の続き
Immediately before the raid, the German navy believed that the British had a strong force
in the North Sea, off Norway, and another at Hoofden and off the southeast coast of England.
「襲撃前、独海軍が入手した情報によれば、英海軍はノルウェー沖の北海と、英本土南東沖に
強力な艦隊を配置しているものと思われていた」
(註)Hoofdenはオランダの沿岸都市
英海軍は大きく四つの部隊に分かれており、北から
スカパ・フロー(ジュリコー大将)大艦隊主力
クロマティ(ジェラム中将)戦艦部隊の一部
ロサイス(ビーティ中将)巡洋戦艦部隊
ハリッジ(ティルウィット代将)軽巡部隊
(註)
>>561 の地図参照のこと。
クロマティはインヴァーゴードン近くの軍港
それが北海の北側と南側に別れて行動していたというのが、事前の敵情把握です。
590 :
GF長官 :2011/05/05(木) 21:44:00.02 ID:???
>>589 の続き
The Germans would sneak out between the two forces to bombard the English coast,
and then the bombardment force would attack whichever British force showed first.
With a little luck, the German battlecruisers could engage the southeast force, and
after defeating it would run back to the northwest, meeting the northern group in the
area around Terschelling Bank.
「まず独艦隊は、これら二大英艦隊間の隙をついて英本土沿岸を砲撃し、襲撃部隊は
最初に会敵した英艦隊と交戦する。 うまくいけば、独巡戦部隊は先に英本土南東沖の
部隊と接触し、これを撃破した後、針路を北西に転じ、今度は北方(ノルウェー沖)の部隊
とテルスヘリング・バンク付近で会敵できる見込みであった」
(註)テルスヘリング・バンクとはオランダ沖にある浅瀬
地図を確認すると分かりますが、ロサイスとハリッジの間はかなり空いていますね。
ちょうどその間にヤーマス、ローストフトがあるので、まず独巡戦部隊(襲撃部隊)で
沿岸砲撃を行う。距離的には南のハリッジが近いので、先にハリッジ戦隊(軽巡主体)
に接触し、これを撃破する。
次にロサイスからビーティの巡戦部隊が南下してくるであろうから、それを迎え撃つ
ために北西に向かう。
591 :
GF長官 :2011/05/05(木) 21:45:30.83 ID:???
>>590 の続き
Here the battlecruisers would attack the second British group from the south, and
the main body of the High Seas Fleet would attack from the north. If successful, the
High Seas Fleet would be able to destroy significant elements of the British fleet
before the main body of the Grand Fleet could assist, reducing or eliminating the
Royal Navy's numerical superiority.
「ここで独巡戦部隊は2番目の英艦隊を南から攻撃し、公海艦隊の主力部隊が
北側から挟撃する。成功すれば、独海軍は英艦隊主力が救援に到着する前に
大打撃を与え、英海軍の数的優勢を崩すことが可能であろう」
独巡戦部隊単独では英巡戦部隊に対抗することは困難なので、戦艦部隊の協力
を得て、これを挟撃撃滅する。
そして、ここからが大切なところですが、独艦隊全力をもってしても、英大艦隊には
かないませんから、スカパ・フローから出撃したジュリコー本隊が救援に駆けつける
前に撤退しなければならない。
592 :
GF長官 :2011/05/05(木) 21:46:19.32 ID:???
>>591 の続き
これがうまくいけば、英艦隊の漸減に成功し、作戦目的は達成というわけです。
素晴らしい作戦計画のようにも思いますが、一抹の不安は拭いきれない。
「そんなに都合よく、敵艦隊が動いてくれるのだろうか?」と。
ここでもMI作戦との共通項が見えてくるのではないでしょうか。
593 :
GF長官 :2011/05/05(木) 21:48:47.49 ID:???
>>587 情報感謝します。
きっと電気代が値上がりしても、文句を言ったりはしないんでしょうなぁ
とりあえずこういう議論になると、すぐに「存続か全廃か」という極論に走ってしまうのは、
軍板と同じじゃないかと思う今日この頃。
>>593 空母や巡洋戦艦は非常時に誘爆して危険なので全廃すべき
自動車は交通事故を起こすので全廃すべき
包丁はいざという時に人を殺せるので全廃すべき
みたいな感じかね。
今回の事故を教訓に、より原発の安全対策を万全にする、という方向には向かないのよね。
>>591 ここは艦艇スレではありませぬが…
してみると、当時の非力な機関出力に対し速度でほぼ同等、英巡戦は火力重視で
防御力軽視、独大巡は防御力重視で火力弱とされてきましたが、英巡戦に対する
第一撃では出来るだけ損害を蒙らず、英主隊との決戦の際にも戦力を維持してい
なければならない作戦の都合からすると、防御力がまず先である事の必然性が分
かるような気がします。
だから欲を言えば、独大巡にも英巡戦を短時間で一方的に粉砕出来る圧倒的な
大火力が欲しかったんだろうな、と思うと同時に、その作戦における大巡の任務の
過酷さにも思い至ります。
ww2の空母なんて、ww1英巡戦の攻撃力偏重を極度にデフォルメしたような感じ
も受けますね。そしてさらに過酷…特に日本海軍の航空母艦。
>>595 いえ、
巡洋艦や駆逐艦は非常時に誘爆して危険なので全廃すげき
自転車は交通事故を起こすので全廃すb(ry
シャーペンはいざと言うときに人を殺せるので(ry
まで持っていきましょうw
>>586 > じゃあ、貴方はこの夏エアコン無しで過ごす覚悟はあるのかと。
馬鹿じゃねーの。お前はエアコンのある艦艇じゃないと南方で艦隊勤務できないのか?
覚悟?どこまでヘタレなんだよ。
お国のために国民全員我慢しますかww
>>599 ハイハイ、じゃぁ南方で艦隊勤務でもしてきたら?
実際都心部ではデスクワークでも火の車になるだろうて。
現代電子機器の発熱を思えば…データセンターに至っては想像するだに(ry
働く経験のないヒッキー君には想像するのも無理か。
602 :
GF長官 :2011/05/06(金) 23:46:12.11 ID:???
>>594 早速ヒットエンドランをやられたか。このスレにも電探が欲しいのぉ
>>595 要はそんなところですかな。
以前先任参謀殿との論戦の際、繰り返したことですが、
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1268653116/141 実際の作戦指揮において「万能の解決策」は存在しない。「妥協折衷案の積重ね」。
同じように作戦立案においても、「完璧な作戦案」など存在しないのです。
必ず不確定要素を含んでいるので、現場で適切な情勢判断を下す指揮官が
必要になる、というのが本職の見解であります。
ではMI作戦は無罪放免かと言うと、そうではない。
より高次元での妥協折衷案は無かったのか、後知恵を加えて考察するのが
今後の課題だと考えております。
ざっと本職なりの修正案を挙げてみると、
(1)GF司令部は内地に留まる(戦艦部隊の出撃は可)
(2)N日(上陸予定日)を一日遅らせる
(3)ダッチハーバー空襲とミッドウェー島空襲の間に、3日程度の間隔を空ける
こんなところです。
603 :
GF長官 :2011/05/06(金) 23:47:10.78 ID:???
>>596 有難うございます。ここまでは考えておりませんでした。
>防御力がまず先である事の必然性が分かるような気がします。
軍艦の設計においても、妥協折衷の積重ねと言えそうですね。
>>597 宜候、
>>594 海域ニ機雷原アリ、各隊ハ迂回サレタシ
>>598 実現すれば、すべて世は事もなし・・・平和な世界が実現するかな。
>>599 いやぁ、大和ホテルに慣れてしまうと、もうエアコン無しの勤務は・・・
>>600 いかにも! 我ら臣民も自主計画停電を。
>>601 確か大和の冷房は弾薬庫用の空調を利用してたんじゃなかったっけ。
どうりで停泊してるだけでも油を食うわけですなぁ
604 :
GF長官 :2011/05/07(土) 00:13:53.42 ID:???
>>592 の続き
では、実際の英艦隊はどのように配置されていたのかと言うと、
The forces sighted by Germany in the north sea had been part of a raid
launched on 22 April in an attempt to draw out the German fleet, but this
did not go to plan.
「4月22日に出撃した英艦隊は、(独本土沿岸)襲撃による独艦隊誘出を企図
していたが、途中北海で(独哨戒部隊に)発見されたため実行されなかった」
>>560 にもある通り、英国側も誘出作戦を考えていたようですね。
いつまでも受身では主導権は握れませんから。ところが・・・
605 :
GF長官 :2011/05/07(土) 00:15:29.52 ID:???
>>604 の続き
The battlecruisers HMS Australia and New Zealand had collided off Denmark
in fog, causing serious damage to both ships. Later, the dreadnought HMS
Neptune collided with a merchant steamer and three destroyers were also
damaged in collisions.
「巡戦オーストラリアとニュージーランドは、デンマーク沖の霧の中で衝突し、
大損害を被った。続いて弩級戦艦ネプチューンが民間汽船と衝突し、3隻の
駆逐艦もまた衝突により損傷した」
なんと味方同士の衝突事故で自滅する始末・・・やれやれ
日本語では「弩級戦艦」と略称で表現されますが、英語では「the dreadnought」
とそのまま記述するようですね。
606 :
GF長官 :2011/05/07(土) 00:16:09.73 ID:???
>>605 の続き
The mission had been abandoned and the ships returned north to port, so that
on 24 April the main body of the Grand Fleet was, as usual, near its home bases,
at Rosyth for the battlecruiser squadron and Scapa Flow for the remainder of
the Grand Fleet.
「作戦は中止され、各部隊は母港に帰投した。そのため4月24日の時点で英艦隊は
それぞれの根拠地に所在しており、巡戦戦隊はロサイスに、主力部隊はスカパ・フロー
に停泊していた」
結局いつも通り、独艦隊にとっては理想的な奇襲成功の舞台が整った。
>>601 > 現代電子機器の発熱を思えば…
集積回路より当時の電探に使われていた真空管、マグネトロンのほうが発熱量ははるかに大きいんだけどね。
真空管の耐久性が低く、寿命が短くて苦労したそうだが。
まぁフィラメントを使用した真空管も触ったことのないようなゆとり君に想像しろというのはムリかw
>>607 規模・量が違うだろうがw つかサーバーファームなんて当時あったか?
そもそも
>>599 でこの夏の節電を憂う話に、過去を持ち出す時代錯誤のバカが
スレ主を罵倒するからだろ。
>>608 冷却の効率化は他にもSSDの導入、ハード以外にも仮想化による効率向
上などでも色々やってるんだが、一層進む大規模化や高可用性のために冷却の
試みは相殺されてるんだよ。少しでもマージンに余裕が出来た分、大義名分を得
てさらに大規模拡張する勢いで。「移行」自体も資源・エネルギーを消耗する。
エアコン、空調のない職場、職業なんていくらでもあるだろうに。デスクワークだけが仕事か? 尻で椅子を磨くような男で終わるものかよ(ピピニーデン) スレちだからこの辺にしとくが。
「エアコン無しで夏過ごせますか」がいつの間にか「エアコン無しで仕事できますか」に変化している不思議 てか、長官の言いたい事は現状どうするかの話だろうに 何か上手い案があるのか その何か上手い案は理想論に過ぎなかったりしないのか 実はその案は理想でも何でもないダメダメな愚策じゃないのか それともあと50年待たないと今取るべきだった案が思いつかないのか もしかしたら、50年後に思いついた今取るべきだった案はクソだったりしないのか そういう話じゃないのか
>>609 スレ主のコテが時代錯誤だから当時ネタで突っ込まれるんだろw
だいたい避難民はエアコンどころか衣食住も満足じゃない生活を強いられているのに直接の影響ない人間が
> じゃあ、貴方はこの夏エアコン無しで過ごす覚悟はあるのかと。(東国原)
とか軽率な発言するからだろ
>>610 ,611 直接エアコンの有無とは関係ない、デスクワーク以外の職場でも
現代社会ではほぼ全ての職場が情報管理されている事は一瞬でも働いた事
のある奴だったら理解できる…っつうか常識だろう?
その情報管理はそれ自体が膨大な電力を要すると同時に、空調にも依存し
ているんだよ。
道路工事だろうが、流通だろうが、製鉄製鋼所だろうが、その空調に依存して
いる情報が途絶えたら、明日から食うに困る(=職が成り立たなくなる)つうか
社会生活が維持できなくなるほどなんだよ。大都会になるほどな。
だいたい大和の空調にしても、人間自体は弾火薬庫冷房の余禄で、他艦よ
りマージンが大きかったに過ぎない。
エアコンの有無は昔も今も人間だけに必要だったわけではない。
空調といえば通風管が火炎を吸い込んで機関室全滅
617 :
GF長官 :2011/05/07(土) 20:34:58.38 ID:???
>>607- おおっと、思わぬ反響ですな。
もう長いことスレ主をやっていますが、このあたりは未だに読みきれない。
喩え話の題材には注意するようにします。
>>616 確か飛龍がそうでしたね。
618 :
GF長官 :2011/05/07(土) 21:35:50.90 ID:???
>>606 の続き
さて今日は、以下の箇所に注目して頂きたい。
If the British did not take the bait, then merchant ships could be captured
and British units off the coast of Belgium destroyed.
「もし英艦隊が罠に引っかからなければ、民間商船を捕獲するか、ベルギー沖で
英船団を撃破する手はずになっていた」
Lowestoft and Great Yarmouth were selected as the targets of the bombardment.
Lowestoft was a base of operations for mine laying and sweeping, while Gt. Yarmouth
was a base for the submarines that disrupted German movements in the Heligoland
Bight. The destruction of the harbours and other military establishments of both these
coastal towns would assist the German war effort even if the raid failed to bait the
British heavy units.
「砲撃目標にはローストフトとグレート・ヤーマスが選ばれた。
ローストフトは機雷敷設及び掃海部隊の基地になっていたし、ヤーマスには潜水艦の
基地があり、ヘルゴラント・バイト所在の独艦隊の行動を妨害していた。
これら沿岸都市の軍事施設を破壊することは、英艦隊誘出に失敗した場合でもドイツ
にとって有益なものとなる」
619 :
GF長官 :2011/05/07(土) 21:37:36.08 ID:???
>>618 の続き
以上に共通するのは、「英艦隊に会敵しなかった場合の対応について」。
既述の通り、誘出作戦は相手の居ることですから、いくらこちらが色々と罠を張っても、
相手が出てきてくれないことには意味がないのです。
本職は、ミッドウェー海戦を批評する際、最も欠けている視点だと思っています。
それは常に「米空母が必ず出現する」との前提で話が進められている点。
すなわち、米空母が出てこなかった場合のことが全く想定されていない点。
もちろんMI作戦の主目的は、米空母部隊の誘出撃滅ですから、それを第一に
考えなければならないのは当然のことですが、相手が誘いに乗ってくるか否か
は、結局のところ”やってみなければ分からない”。
故に作戦立案者も、前線指揮官も「米空母が出て来なかった場合」を想定して
行動することが”必須”の条件なのです。
620 :
GF長官 :2011/05/07(土) 21:40:03.70 ID:???
>>619 の続き
少し考えれば分かると思います。
もしMI作戦が米空母誘出撃滅「だけ」の作戦だった場合、(例えばミッドウェー島
攻略をせずに空襲のみ実施)、米機動部隊が出て来なければ全くの時間の無駄、
燃料の無駄になってしまいますよね。
だから、ミッドウェーを攻略して本土東方沖哨戒線を延伸するという目的も、併せ
添えられた。ちょうど、
>英艦隊誘出に失敗した場合でもドイツにとって有益なものとなる
と同じく、米空母部隊誘出に失敗した場合でも日本にとって有益なものとなる
戦果が必要となる。
ここでは、ミッドウェー攻略が正当だったかどうかは問いません。
「誘出作戦において、敵艦隊撃滅のみを目的とした作戦は立てられない」
が、主張の要旨です。
621 :
GF長官 :2011/05/07(土) 21:42:36.81 ID:???
>>620 の続き
実際の作戦指導においても同様。
南雲長官の兵装転換下令が誤りであったことは、本職も同意します。
しかし、その批判の根拠に「米空母の出現」が前提になってはいないでしょうか。
利根機の報告が入るまでに限れば、「米空母が居るか居ないかは分からない」が
南雲司令部の判断であり、「米空母が必ず居るもの」としての行動を要求するのは、
果たして公正な評価と言えるのか。
例を挙げてみますと、0220時の予令があります(
>>8 )
「敵情特ニ変化ナケレバ第二次攻撃隊ハ第四編成(指揮官加賀飛行隊長)ヲ以テ本日実施ノ予定」
「友永機の意見具申電以前、索敵機の報告も揃わない0220の予令について、
『戦史叢書』以前には言及した資料が皆無であることは理由があろう。錯誤の
第一歩であったし、誤らせる背景としてこの作戦に対する聨合艦隊の統率姿勢
もしくは思想があった」 (『記録ミッドウェー海戦』澤地久枝/著)
622 :
GF長官 :2011/05/07(土) 21:44:05.99 ID:???
>>621 の続き
澤地女史はこれを根拠に「兵装転換は無かった」説を唱えられているようですが、
再度、予令の全文を読んでもらいたいものです。
「敵情特ニ変化ナケレバ」とあるではないですか。
もちろんこの時点では索敵機の報告も、友永隊長の再攻撃要請も入っていない。
だからといって、米空母を発見できなかった場合の対応を指示しておくことの
どこが”錯誤の第一歩”なのでしょうか。
むしろ指揮官として当然の行動と評価するべきではないですか。
確かに「おそらく米空母は出てこないだろう」との楽観的空気が、南雲司令部の
大勢を占めていたとは思います。それを油断や慢心と批判するならまだしも、
この予令をその論拠とするなど、ホビロンと言わざるを得ないですね。
623 :
GF長官 :2011/05/07(土) 21:45:12.25 ID:???
>>622 の続き
逆に質問したいくらいですが、
索敵機が全機帰投してから、「さて次はどうしようか・・・」と作戦会議を始める
ような南雲司令部だったなら、目も当てられない。
いくら南雲スキーの本職でも、さすがに擁護しきれませんね。
MI作戦を論じる際、常に「米艦隊撃滅」と「ミッドウェー島攻略」が両天秤に
かけられ、「どちらが優先か」という争いになりますが、「優先だから他のことは
考えなくて良い」思っているのだとしたら、見当違いも甚だしい。
もう一度、公正な視点からの”再評価”を願うものです。
これで、弩級以前の戦艦の建艦思想から始まったシリーズは一段落かな? 手の長さとヒットアンドウェイ、誘出作戦に至るまでの大構想とは当初は全く気づかなかった。 大著をお疲れ様。
>>620 MI作戦は最終的にハワイを目指すものだったからじゃないんかえ
だから攻略作戦前に米艦隊を撃破しておきたいし、邪魔になるミッドウェー島を取っておきたいと
もうこれは戦争終結をどう考えるかなんじゃないだろうか
批評できるほど頭良くないから作戦や戦略の評価は識者様に任せるけど、後知恵や神視点で語るのは好きじゃないなあ
626 :
GF長官 :2011/05/08(日) 19:45:35.71 ID:???
>>624 ねぎらいのお言葉、感謝の極みであります。
当然のことながら、そんな先まで見通してスレを進めているわけではありません。
結構行き当たりばったりかも。
もはやスレ主ですら忘却の彼方ですが、現在は珊瑚海海戦編。
レキシントン沈没の章に入る前に、ダメコンについておさらいしておこうと始めたものの、
なぜか第一次海戦史になってしまった。
脱線ですけれども、脱線ではありません(キリッ)
海戦史を総括すれば、ミッドウェーは特異な戦闘ではなく、これまで幾度となく繰り返さ
れてきた歴史の一頁に過ぎないと感じるわけですね。
海戦の歴史がまた一ページ・・・
627 :
GF長官 :2011/05/08(日) 19:49:49.44 ID:???
>>625 有難うございます。
>MI作戦は最終的にハワイを目指すものだったからじゃないんかえ
山本長官の頭の中には、そこまであったでしょう。現在は色々と叩かれていますが、
本職はそんなに悪い作戦ではなかったと思いますがねぇ
>後知恵や神視点で語るのは好きじゃないなあ
同意です。ただ
>>602 にも少し書きましたが、
>より高次元での妥協折衷案は無かったのか、後知恵を加えて考察するのが
>今後の課題だと考えております。
現場の作戦指揮は別として、作戦に関しては後知恵を加えて論じても良いん
じゃないかと思っています。
前線指揮官の裁量には限度がありますが、立案者はあらゆる事態を想定して
いなければならないので。
と言っても、実際は作戦ってどのように立てられるものなのかな。
大西、黒島、源田・・・参謀個人の頭の中で組み立てられるような感じですが、
『作戦立案入門書』とかあれば読んでみたい。
628 :
GF長官 :2011/05/08(日) 20:05:48.16 ID:???
今日は上陸日なので、本編はお休み。
>>622 では、南雲司令部を支配した「楽観的空気」と書きましたが、
過去スレにおいても、F1GPを題材として触れたことがありました。
>当時、フェラーリドライバーだったゲルハルト・ベルガー氏は、
>「ホンダのマシンがバカでかいウイングを立てて、軽々と抜き去っていくのを
>見て、一緒に走るのがアホらしくなった」と。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/army/1218288706/195 その出典が見つかったので、紹介しておきます(需要はないだろうけど)
「それ以上に気になったのは、ストレートでのピケのスピードだった。
彼のロータス・ホンダのスリップに入ってもついていけなかった。しかもピケは
バカでかいウイングをつけていたが、こっちはふざけたようなミニウイングだった。
私はアスカネリに言った。”あのいまいましいホンダは、まだうちより40馬力は
多いらしい”」 (『ゲルハルト・ベルガー自伝』GerhardBerger/著、市原和子/訳)
ピケがロータス・ホンダに乗っていた時というと、1988年ですね。
今日はトルコGPだけど、今の若いドライバーはベルガーの名前も知らんのだろうなぁ
その点、南雲忠一の名は永遠に忘れられることはないので、安心ですね。
629 :
GF長官 :2011/05/08(日) 20:34:44.50 ID:???
>>627 >実際は作戦ってどのように立てられるものなのかな。
山本→大西「飛行機でハワイを叩けないか?」
大西「真珠湾で雷撃は可能か?」
前田孝成大佐(海兵47期、マレー沖海戦時の元山空司令)「技術的問題が解決しないと無理、真珠湾の深度が雷撃するには浅すぎ」
大西→源田
「飛行機でハワイを叩くには、どの程度の兵力が必要で、どのような攻撃法が良いか」
大西→山本
「爆撃のみ」案提出→山本不満→再度雷撃も併用案検討
↑ここまでは航空隊のみの運用研究
→1航戦と2航戦を合わせた航空艦隊を編成
山本→黒島
「航空艦隊を使ったハワイ攻撃研究依頼」
大西・源田が「航空隊」運用研究であるのに対し、黒島は「艦隊」を使ってハワイへ行って攻撃する研究
現場航空隊は鹿児島湾で浅深度雷撃訓練、低空から低速でソッと魚雷を投下
技術陣は浅深度魚雷と40p砲弾改造爆弾の開発
南雲「冬の北方航路は荒天で洋上給油心配、南方航路でハワイを目指す」
源田「奇襲成功には北方航路で行くべき」
→北方に決まる
→軍令部にハワイ作戦実行を交渉→図演へ
こんな感じかね?
>586 浮体式洋上風力発電は実用実験が始まる。 この夏には間に合わないが、将来は原発を浮体式洋上風力発電 に置き換えることは十分検討に値すると思うね。
635 :
GF長官 :2011/05/09(月) 20:26:11.42 ID:???
>>630 これは詳細な経過ですね。有難うございます。
ほんと、こんな作戦が成功するなんて、誰も本気で考えてなかったでしょうなぁ
ハワイ作戦と言うと、戦略的(政略的)な批判(アメリカに参戦の口実を与えた)や、
第二撃問題等は色々と言われますが、不思議と戦術的な批判は少ないですよね。
奇襲の成功率、洋上補給、索敵軽視、企図秘匿の困難さ・・・
ツッコミ所はミッドウェー以上だと思うんですけど。
やっぱり成功したから、結果オーライなのかな。
真珠湾攻撃は誘出作戦ではありませんが、
「敵艦隊が在泊しているかどうかは、行ってみないと分からない」という点では
共通するものがあると思います。
史実では、戦艦8隻が揃っていたから良かったものの(空母も居ればもっと
良かったけれど)、もし急な演習等が入って、空っぽだったらどうするつもり
だったんだろう・・・
いや、むしろドックやタンクを破壊できて、こっちの方が良かったか?
636 :
GF長官 :2011/05/09(月) 20:29:27.09 ID:???
>>631 はい、検討に値すると思います。
ただ「この夏には間に合わない」ですよね。だから対案にはなり得ない。
故に「説得力に欠ける」と書きました。
てか、この話まだ続いていたのか・・・
>>632 す、すみません・・・
>>634 またか。ええい、掃海隊は何をやっとる!
>>628 ゲルハルト・ベルガー知っていますよ!!
1988年のロータスホンダということは中島悟がセカンドドライバーでしたよね。
懐かしいです。アラン・プロスト、マンセルおじさんみんなどうしてるのかな?
F1ネタがでたのでコメントしました。
本編もいつも興味深く拝見させていただいています。
最近は機雷が敷設されたり大変でしょうが頑張ってください。
638 :
GF長官 :2011/05/09(月) 20:56:17.24 ID:???
>>623 の続き
では、実際の襲撃行動はどのように行われたのか。
実は今回独襲撃部隊(巡戦戦隊)を率いたのは、ヒッパー提督ではありません。
The German fleet sent a battlecruiser squadron with accompanying cruisers and
destroyers commanded by Rear Admiral Friedrich Bodicker to bombard the coastal
ports of Yarmouth and Lowestoft.
「独艦隊はヤーマス及びローストフト砲撃のため、フリードリヒ・ベーディッカー少将
麾下の巡洋戦艦戦隊を、巡洋艦と駆逐艦護衛の下、出撃させた」
639 :
GF長官 :2011/05/09(月) 20:58:50.12 ID:???
>>638 の続き
ベーディッカー提督の名前は初耳の方が多いと思いますが、ジュットランド海戦では
第二偵察戦隊司令官として、ヒッパー提督の第一偵察戦隊と共に主役を張るので、
覚えておいて下さい。
当のヒッパー中将はどうしたんだ、と言うと
due to Franz von Hipper being on sick leave.
とあるので、病欠だったようですね。
まさか皮膚病じゃ・・・
くれぐれもお身体ご自愛下さいませ。
640 :
GF長官 :2011/05/09(月) 21:00:17.36 ID:???
>>639 の続き
[独襲撃部隊](ベーディッカー少将)
第一偵察戦隊
巡戦「ザイドリッツ」(旗艦)、「リュッツオー」「デアフリンガー」「モルトケ」「フォン・デア・タン」
第二偵察戦隊
軽巡「グラウデンツ」「ロストク」「シュトラルズント」「コールベルク」
水雷戦隊(二隊)
ドッガー・バンク海戦(
>>260 )と比較すれば分かりますが、
新鋭巡戦リュッツオーに、整備中だったフォン・デア・タンが加わり、ほぼ全力出撃ですね。
ジュットランド海戦も全く同じ陣容です。
641 :
GF長官 :2011/05/09(月) 21:01:08.32 ID:???
>>640 の続き
The Main Fleet consisting of Squadrons I, II and III, Scouting Division IV, and the remainder of
the torpedo flotillas was to accompany the battlecruisers to the Hoofden until the bombardment
was over, in order to protect them against superior enemy forces if necessary.
「独主力艦隊(第一戦艦戦隊、第二戦艦戦隊、第三戦艦戦隊、第四偵察戦隊及び水雷戦隊)は、
巡戦戦隊の砲撃が終了するまでホーフデン(オランダ沖)で待機していた。もし有力な敵艦隊が
出現した場合、直ちに支援に加わることになっていた」
こちらもシェーア大将直率の戦艦部隊が、ほぼ全力出撃です。
今回の作戦にかける意気込みが伝わってくるようですね。
642 :
GF長官 :2011/05/09(月) 21:10:25.23 ID:???
>>637 わーい、同志発見だ! ベルガーといえば、女癖の悪さで愛されていましたよねぇ、
行く先々で女性レポーターを口説いていたとかw
>1988年のロータスホンダということは中島悟がセカンドドライバーでしたよね。
そうですそうです。前年王者のピケが移籍してきたので、カーナンバー2をつけてたんですよ。
キャメルイエローが懐かしい。
>アラン・プロスト、マンセルおじさんみんなどうしてるのかな?
マンセルは今でもイギリスGPでちらっと映ることがありますが、教授様はどうしてるのかな。
最近はフランスGPも無くなってしまいましたから。ああ「夏の高速三連戦」も今は昔・・・
>最近は機雷が敷設されたり大変でしょうが頑張ってください。
ご心配なく! 水雷☆無双の南雲提督を師に仰ぐ当スレでは、居眠りしてても
魚雷や機雷に当たることはありません。爆弾にはよく当たるけど・・・
ついしゃべり過ぎてしまいました。スレ違いなのでこの辺で。
そういや、魚雷だけじゃなく、機雷に当たったこともないのか、南雲機動部隊はw
644 :
GF長官 :2011/05/09(月) 22:22:38.18 ID:???
645 :
GF長官 :2011/05/09(月) 22:23:52.62 ID:???
>>643 当然ですよん。
動いてる魚雷でさえ軽々かわせるんだから、止まっている機雷など(ry
でも機雷で沈んだ船って、そんなにあったか? 末期にB29が投下したものによるのは除外ね。
647 :
GF長官 :2011/05/11(水) 20:51:21.04 ID:???
>>646 そういえば・・・あまり聞かないですね。
ワスプを撃沈した伊19潜の”外れ魚雷”がノースカロライナに命中した時、
あまりにも距離が離れていたので米軍側は機雷に触れたと思ったという
話は聞いたことありますが。
ところで長官、このスレの運命はあとどのくらい残ってんだ? 例によって長文多すぎて容量落ちを待ってる状態なんだろうが。
649 :
GF長官 :2011/05/11(水) 21:43:55.85 ID:???
650 :
GF長官 :2011/05/11(水) 21:47:34.40 ID:???
>>649 の続き
船体がこの機雷缶に接触すると爆発するのですが、起爆方法は触発式の他に、
(1)磁気式:通常の船体は鋼材が使用されているので、船が通過すると地磁気が乱れる。
その乱れを感知して爆発する。
そのため掃海艇は木造船であり、鋼鉄製の場合も船体外周に舷外電路を設けて対処する。
「磁気機雷の掃海には鋼製の掃海艇を使用することは極めて危険で、母艦には漁船式木造
船体の駆潜特務艇や哨戒特務艇が用いられた」 (『機雷掃海戦』隈部五夫/著)
(2)音響式:船の出す音(機関音、スクリュー音等)に反応して爆発する。
掃海具の中には発音弾があり、掃海時にはこれを海中に投下して爆発させる。
一つの機雷が爆発すると、周辺の音響式機雷がそれを感知して次々に爆発する。
(3)水圧式:艦艇通過時の水圧の変化に反応して爆発する。
荒天時に波が高くなると、水圧変化を感知して自然に爆発することもある。
中にはデスラー機雷というものもあり、目標艦の周囲を取り囲み、徐々に追い
詰めていく。囲まれたら脱出は不可能と言われています。
651 :
GF長官 :2011/05/11(水) 21:50:12.98 ID:???
652 :
GF長官 :2011/05/11(水) 21:51:07.28 ID:???
>>651 の続き
「関門海峡は大型船の通航が不可能となり、それまで比較的機能していた大阪港・
神戸港も使用不能となった。小型船でも安全ではなく、関門海峡通過時には平均で
三分の一が沈没した」(wiki)
これで瀬戸内海を中心とした西日本の海上交通は完全に麻痺してしまい、満州や
朝鮮からの物資の輸送、また九州で産出した石炭を首都圏や阪神圏に供給する
ことも不可能になり、まさに内地は分断された。
653 :
GF長官 :2011/05/11(水) 21:53:53.62 ID:???
>>648 そうですね。毎度のことですが・・・>容量落ちを待ってる状態
現在のスレ排水量は478KB、満載排水量は512KBなので、残り34KB
今週末には新スレ移行になるかと。
長官、さりげなくヤマトネタをw >デスラー機雷 真田さん「こんなこともあろうかと(ry ↓ 誘導電波を出している親機雷を捜索、発見 ↓ アナライザーが解体 ↓ 停止した子機雷を手作業で除去 ↓ ヤマト発進、ウマー ですね、分かります。
655 :
GF長官 :2011/05/12(木) 21:04:57.38 ID:???
>>654 はっはっはっ、機雷をまさか手で取り除くとは。
ガミラス科学の粋をこらしたデスラー機雷でも、こんなバカなことにまで対策を
立てていなかった。全く野蛮人の素朴な発想には教えられるじゃないかね。
そうじゃないか、諸君。
656 :
GF長官 :2011/05/12(木) 21:38:19.20 ID:???
>>652 の続き
日本海軍も懸命な掃海作業を続けたが、巧妙な”仕掛け”に苦しめられます。
>>650 の通り、機雷の種類によって掃海方法が決まっているので、それを実行
すれば良いだけの話なのですが、実際にB−29が投下した機雷には複数の
起爆装置が組み合わされており、従来の方法では対処できなかった。
「敵は磁気機雷、音響機雷、水圧機雷、そしてその仕掛けを巧みに組み合わせた
機雷を同時に使った。磁気掃海具をもって掃海に行くと音響機雷がボカンと爆発
して掃海艇が沈む。音響魚雷をやっつけようとすると磁気機雷にやられる。
一方水圧機雷は一定以上の大型船が一定速度以上で航行しなければ感じない
のだから、普通の掃海艇では対処できない。もちろん何処にどんな機雷を落とした
かを敵は発表しないのだから、掃海隊の方でも手の下しようもない。
危険を冒して根気よく、あらゆる方法で掃海作業を繰り返すだけだった」(『海上護衛戦』)
657 :
GF長官 :2011/05/12(木) 21:40:32.64 ID:???
>>656 の続き
更に厄介なことには、回数起爆装置が使用されていたこと。
>>650 著者の隈部氏は、第二号朝日丸掃海艇長として掃海作業に当たりましたが、
その時の苦労を以下のように記しています。
「ただの一回の感応で起爆するのではなく、何回目かに起爆する装置であった。
掃海隊が苦心したのは、実にこの計算もできず、計画も立てることの出来ない
巧妙な起爆装置への対策であった。
調査の結果、回数起爆の中には7回というものまであった。
何回か掃海を実施した航路を、第一番目に航行した機帆船が沈没した。
また隊列を組んで航行していた船団のうち、二番目の船が通過した後、
水柱が上がったのを見たこともある。後続艦も安心できない回数起爆装置
を示す一例である」 (『機雷掃海戦』)
結局有効な対策を見つけられないまま、終戦を迎えた。
その掃海の困難さは、戦後復興事業の中で最優先に関門海峡の掃海が
実施されたことからもうかがえる。
現在の海上自衛隊は、旧海軍の掃海部隊が発展したもので、現在も掃海
作業は継続中と聞いています。
658 :
GF長官 :2011/05/14(土) 00:09:43.78 ID:???
>>657 の続き
戦艦一隻を建造するよりは、はるかに安上がりなため、機雷戦は第一次大戦以前
から多用されており、日露戦争での戦艦「八島」「初瀬」「ペトロパヴロフスク」沈没が
有名ですね。
大戦中はガリポリ作戦で戦艦3隻を一日で沈めたことは記憶に新しい。
他にはこういうのもありました。
「ドイツ側は巡洋艦に機雷敷設用の装備をしているから、戦闘の最中にも
追跡してくる艦隊の前方一帯に、見えない機雷を敷設することもできる」
(『ユトランド大海戦』)
ドッガー・バンク海戦に代表されるように、英艦隊が独艦隊を追撃する際、
真後ろからではなく、斜め後方に位置するのは、この機雷を警戒したもの。
まぁ戦術的にも真後ろからの正尾追撃戦というのは、測距もやりにくいし、
使用砲塔が制限されるため、あまり有効とは思えませんが。
ただ仮に偽装機雷であったとしても、投下する素振りを見せることは面白いかも。
。確かレイテだったか、追撃してくる米艦隊に対して魚雷発射の行動をとったら、
陣形を乱したという話も聞きますので。
エンガノ沖の初月やね。 砲撃で仕留めに来たデュポーズ隊に単艦で挑んで、1200発の砲撃を受けて最後は沈むが敵を2時間拘束して、五十鈴と若月の脱出を援護した。 機雷と言えば、日本海軍は酸素魚雷以前の大正時代、機雷が必殺兵器だった。 5500トン型軽巡は1号機雷を搭載し、艦隊決戦では敵艦隊前方に機雷を展開する予定だった。 浅海ではなく外洋での機雷戦、その為に当時の日本艦は凌波性を犠牲にしてまで、自軍の機雷を乗り越えられるように艦首にスプーンバウを採用した。 そこまでしたものの、外洋での漂流機雷は狙いがつけにくい、魚雷の発達でやがて廃れてしまう。 確か後に、定位置に敷設する以外の漂流機雷は禁止、という国際条約に引っ掛かったのも一因とも言われる。 戦争末期にB-29が散布した、米軍でも除去不能な機雷源の方が禁止すべきだろうに。
>>658 でも戦闘中適当に機雷をばらまいたら、味方も危なくないか?
661 :
GF長官 :2011/05/14(土) 20:38:01.60 ID:???
>>659 有難うございます。初月でしたか。
そういえば、以前に本編で出したことがありましたね(
>>135 )
一号機雷については、今日の本編でそのまま引用させてもらいます!
>>660 その通りですね。一号機雷でも投下15分後から起動し、一時間後に
自爆するようになっていたそうです。独海軍の機雷も同じような時限装置が
ついていたのではないかと。
662 :
GF長官 :2011/05/14(土) 20:50:41.55 ID:???
>>658 の続き
実は、この独海軍の戦術を日本海軍も継承していました。
その名は「連繋機雷」(一号機雷、九三式機雷)
もともとは日露戦争の時に考案されたものでしたが、
2個の機雷を長さ100メートルの連繋索でつないだもので、決戦海面において
敵艦隊の進路前程に急速敷設しようというものだった。(設定深度6メートル)
通常の機雷とは異なり、機雷本体に触れなくても、艦首に連繋索が引っかかれば
両端の機雷を引き寄せて触雷、敵艦に損害を与えることが出来る。
>5500トン型軽巡は1号機雷を搭載し、艦隊決戦では敵艦隊前方に機雷を展開する予定だった。
例えば軽巡長良には56個の連繋機雷が搭載されており、艦尾の2条の軌条から
海面に投下するようになっていた。
663 :
GF長官 :2011/05/14(土) 20:53:37.60 ID:???
>>662 の続き
[連繋機雷]
▽
▽
▽
▽敵艦隊
↓
●〜〜● ●〜〜● ●〜〜● ●〜〜● ━▲━→
連繋機雷堰 敷設艦
664 :
GF長官 :2011/05/14(土) 21:43:23.82 ID:???
>>663 の続き
ほんと戦前の日本海軍って、漸減作戦に間に合うものなら何でも利用しよう
という気迫を感じますね。
>確か後に、定位置に敷設する以外の漂流機雷は禁止、という国際条約に引っ掛かったのも一因とも言われる
明治40年、オランダのハーグにおいて第二回万国平和会議が開催されたが、
そこで発効された条約の中に、
「公海における浮流機雷については、管理国の直接の管理を離れてから
一時間以内に無効とならぬものは禁止する」とあった。
投下後一時間で自爆するようになっていた(
>>661 )のは、この条約の制限を
遵守していたからですね。一時間以内なら条約違反にはならない。
もちろん、日本海軍もこれを「決戦兵器」と考えていたわけではなく、敵艦が
損傷して戦線を離脱したり、陣形が乱れたりする程度の効果を期待していた。
あくまでも敵艦を沈めるのは、戦艦群の砲撃ですから。
665 :
GF長官 :2011/05/14(土) 21:44:43.44 ID:???
666 :
GF長官 :2011/05/14(土) 21:46:23.54 ID:???
>>665 の続き
当時は戦艦から駆逐艦に至るまで、ほとんど採用されていましたが、その理由が
連繋機雷だった。
「我が八八艦隊各艦の艦首形状は、実は後甲板から決戦時に投下敷設する特殊
機雷のためである。
決戦時、機雷堰の位置を味方のみに知らせることも、味方がそれを確実に回避
することも困難であり、また味方がこの危険海域に入れないのは不利である。
そこで長年にわたって多くの実験が行われた結果、ついに”これで良い”と自信
を得たのが、艦首の吃水線における傾角を垂直線から30度とすることであった
こうして一号機雷を気にせずに、各司令官は自由に米国戦艦陣を猛撃できる
ことになったのである」 (『日本駆逐艦物語』福井静夫/著)
667 :
GF長官 :2011/05/14(土) 21:47:39.92 ID:???
>>666 の続き
艦首をスプーン形状にすることにより、仮に機雷堰に突入しても、連繋索が
引っかからずに、スルリと後方にすり抜けてしまう仕組みです。
うまいこと考えたものですね。
まぁ、艦首はすり抜けても、ビルジキールやスクリューや舵に引っかかるん
じゃないのかとツッコミたいところだけど黙っておこう・・・
戦前各国の海軍関係者から、この日本独特の艦首形状は不思議がられた
そうですが、最後まで連携機雷のことは漏洩しなかったようですね。
大和と言い、連繋機雷といい、日本海軍の防諜もやれば出来るじゃないか。
668 :
GF長官 :2011/05/14(土) 21:50:17.34 ID:???
669 :
GF長官 :2011/05/14(土) 22:06:29.14 ID:???
今週の新刊情報 『J−ship』(2011年春号) 「魂のサイレントネイビー」と題して、毎号旧海軍軍人のインタビュー記事が 載っているのですが、今回は安藤昌彦大尉(海兵72期)。 海兵出には珍しい水上機搭乗員です。 主な使用機体は零式三座水偵。 戦争末期には磁探(磁気探信儀)を搭載して対潜哨戒に出たそうです。 船団護衛時は5機の雁行編隊で飛行し、各機の間隔は70メートル、 高度1.7メートル(!)とあったが本当なのだろうか・・・フロートが波かぶりそうだ。 対潜爆弾は通常爆弾を使用すると磁気が乱れるので、アルミ製の30kg爆弾を 使っていたとか。
670 :
GF長官 :2011/05/14(土) 22:08:09.57 ID:???
>>669 の続き
忘れられない思い出として、給糧艦「間宮」のことが語られており、
間宮がカムラン湾(ベトナム)に入港したとき、名物の間宮羊羹を食べようと
出かけていったところ在庫切れで、代わりに紅葉まんじゅうを山のようにくれた。
「それを持って基地に戻ると、搭乗員たちはみんな感激しましてね。
間宮はその後カムラン湾を出て海南島に向かったのですが、”間宮を沈めて
なるものか”と、みんなで寄ってたかって護衛しましたよ。
アメリカの潜水艦も驚いたのではないでしょうかねぇ、ボロ船一隻をあんな
たくさんの機体で護衛してるんですから」
ここでも間宮伝説健在なり。
今度予算を計上する八八艦隊計画の改正案では、空母八隻と間宮八隻にしよう。
各航空戦隊に一隻ずつ付ければ、直衛零戦隊も死ぬ気で護衛してくれるだろう。
>>668 甲標的は連繋機雷の代用品って見方もあったねぇ
672 :
GF長官 :2011/05/16(月) 21:44:55.61 ID:???
>>671 そうですね。自走できるという点で、より運用の幅が広がるのではないかと。
いくら連繋索に引っかからなくても、機雷本体に触れる危険もあるんだし。
673 :
GF長官 :2011/05/16(月) 22:27:35.27 ID:???
674 :
GF長官 :2011/05/16(月) 22:29:35.11 ID:???
>>673 の続き
もう一つ、敷設艦として使用されたのが潜水艦。
日本海軍潜水艦史は、日露戦争時代にアメリカから輸入したホランド型に始まりますが、
模倣の域を出て独自路線を歩むきっかけとなったが、第一次大戦後、戦利艦として分配
された7隻のUボートだった。
その中で、首脳部が注目したのが「U125」
「本艦はドイツ海軍が大戦末期に建造した大型機雷敷設潜水艦UEV型である。
7隻の戦利潜水艦の中で、日本海軍の関心が最も高かった艦で、本型をモデル
として、後にドイツ技術者の協力を得て、機雷潜型(伊21潜型)を建造している」
(『日本海軍の潜水艦』勝目純也/著)
675 :
GF長官 :2011/05/16(月) 22:31:17.72 ID:???
676 :
GF長官 :2011/05/16(月) 22:33:51.05 ID:???
>>675 の続き
・・・失礼、機雷潜型4隻建造され、伊121、伊122、伊123、伊124。
例えば、伊121潜は、開戦後シンガポールやポートダーウィンに機雷を敷設。
南雲機動部隊のポートダーウィン空襲(昭和17年2月19日)の際には、前日
より沖合に配置され、気象通報を行っている。
その中で注目すべきは、ミッドウェー作戦時、第二次K作戦用の補給艦として
出撃したこと。作戦自体は中止になってしまいましたが、伊121潜と伊122潜の
2隻は、フレンチフリゲート礁にて二式大艇に燃料補給することになっていた。
677 :
GF長官 :2011/05/16(月) 22:35:42.85 ID:???
>>676 の続き
前掲書には、九七大艇に補給する伊122潜の写真が掲載されており、
「昭和15年度特別大演習において南洋諸島で、九七式大型飛行艇に燃料補給中の
伊122潜。のちにK作戦と称して、潜水艦から燃料補給を受けた二式大艇がハワイ
空襲に成功しているが、戦前から飛行艇や水上機への燃料補給に潜水艦を活用する
ことが検討されていた」
これは意外でしたね。戦前から想定していたのか・・・
長大な航続力を誇る九七大艇を、更に遠方へ飛ばすとなると、やはりハワイか
西海岸偵察(爆撃)まで視野に入れていたのかもしれません。
そいや長官さんとこは、計画停電は大丈夫なの?
>>676 長官、F1ネタから機雷→機雷(嫌い)潜型の第2次K作戦ネタまでの流れ恐れ入りました(笑)
第二次K作戦はミッドウェー作戦前の真珠湾索敵計画でしたよね。
第一次K作戦後にフレンチフリゲート礁に米軍が監視艦を配置したために中止でしたよね。
ミッドウェー作戦の索敵の運の悪さはこれから始まった気が…。
680 :
GF長官 :2011/05/18(水) 20:42:05.69 ID:???
>>678 まぁ、本職の勤務先は中部電力の管轄内なので・・・
でも浜岡原発停止の翌日から、早速社内エアコン禁止令が発令されましたよ。
今年は冷夏だと良いんですがねぇ。
ちょうど昨晩のWBSでも特集が組まれており、原発一基分の発電量を太陽光で
補うには、ディズニーランド11個分の敷地が必要だとか・・・やれやれだぜ。
それと番組の最後に、視聴者からの質問が寄せられており、
「なぜ今回の東電の対応が後手後手に回ったのか」
解説者の答えは、
「危機管理の基本は、非常事態が発生した時、現場のトップに全てを任せて
本社は後方支援に徹すること。本社が余計な口出しをすると、そのやり取りに
初動における貴重な時間を奪われてしまう」
戦史にも共通することだなぁと思った次第です。
681 :
GF長官 :2011/05/18(水) 20:43:46.09 ID:???
>>679 恐れ入ります。実は機雷の話は予定外でした。
次スレの冒頭から新しい章を始めようと考えているので、前スレを埋めるための
つなぎといったところです。
>第二次K作戦はミッドウェー作戦前の真珠湾索敵計画でしたよね。
K作戦も残念ですが、仮に成功したとしても、「米空母が全て真珠湾内に所在」
を確認できない限り、史実とあまり変わらないのではと思います。
例えば偵察の結果、「真珠湾に米空母無し」と判明した場合、南雲司令部はどう
判断するでしょうか。
事前の情報通り、米空母は南太平洋方面で行動中。よってミッドウェー島攻略中に
出現する恐れは少ない・・・となってしまうんじゃないかと。
本職としては、潜水艦の配置の方を予定通り実施して欲しかったですねぇ。
682 :
GF長官 :2011/05/18(水) 21:39:14.51 ID:???
>>677 の続き
前置きがずいぶんと長くなってしまいましたが、
>>646 の回答を。
太平洋戦争中、機雷により沈没した艦艇というと、伊30潜が挙げられます。
これはいわゆる「遣独潜水艦」の一隻ですね。
第一次(伊30潜)昭和17年4月22日ペナン出港、8月6日仏ロリアン着
8月23日ロリアン出港、10月13日シンガポール着、出港直後触雷沈没
第二次(伊8潜)昭和18年6月1日呉出港、8月31日仏ブレスト着
10月5日ブレスト出港、12月21日呉着
第三次(伊34潜)昭和18年10月13日呉出港、10月22日シンガポール着、11月11日出港
11月13日ペナン島ムカ岬沖で英潜「トウラス」の雷撃を受け沈没
第四次(伊29潜)昭和18年12月16日シンガポール出港、昭和19年3月11日仏ロリアン着
4月16日ロリアン出港、7月14日シンガポール着
7月26日バシー海峡で米潜「ソードフィッシュ」の雷撃を受け沈没
第五次(伊52潜)昭和19年4月23日シンガポール出港、6月23日ポルトガル沖で独U530と会合
7月23日米護衛空母「ボーグ」搭載のアベンジャーの対潜爆弾を受け沈没
683 :
GF長官 :
2011/05/18(水) 21:42:56.20 ID:??? >>682 の続き
ご覧の通り、往復に成功したのは、伊8潜ただ一隻のみ。
しかし、伊30潜と伊29潜も惜しいところまでは行っている。復路シンガポールまでは
到着しているのです。
ちなみに第四次の伊29潜水艦長は、あのワスプ撃沈で名を馳せた木梨鷹一中佐で、
彼らが持ち帰ったMe163とMe262の設計資料は、一部シンガポールから空輸され、
後の「秋水」「橘花」の開発に貢献した。
この遣独潜水艦作戦を語る時、必ず出て来るのが「ローリング・フォーティーズ」
「吠える40度」という意味で、アフリカ喜望峰沖の南緯40度付近は、常時台風の
ような強風が吹き荒れており、船の難所として知られている。
”可潜艦”であった当時の潜水艦にとって、浮上航行の際の大きな障害となります。