>>251の続き
「24節の高速で南東方に突進中、1630(薄暮)利根は敵機約10機の発見を報じた。
赤城は甲板待機中の艦戦3機をもってこれを追跡させたが、敵機は260度方向に
見えなくなり、これを捕捉できず、1654艦戦を収容した」 (『戦史叢書』)
更に、淵田氏の『ミッドウェー』では、
「1510時赤城敵信班は、敵哨戒機の電波らしきものを傍受した」
とあるが、真偽のほどは不明。
結局、南雲長官はこれを「誤認」と判断しています。
見張が不自由な時間帯だったのが、その理由を思われます。
ミッドウェー島の日施哨戒は、0100出発→1600帰着が標準なので、
誤認であったことは、ほぼ間違いないでしょう。