南雲忠一中将を再評価するスレ(千)

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251GF長官
>>250の続き

(A)敵哨戒機の機動部隊に対する触接
>まず前日からカタリナ飛行艇の接触を受け続け

『一航艦戦闘詳報』によれば、南雲機動部隊は6月4日に2度触接を受けている。

1630「敵飛行機発見、利根発砲」
1631「赤城戦闘機3機発進」
1640「敵飛行機260度方向ニ見失フ、約10機」(利根発、機動部隊指揮官宛)
1654「赤城戦闘機収容」

日没は1543時(>>6)なので、薄暮の時間帯に相当する。
252GF長官:2010/02/09(火) 22:50:36 ID:???
>>251の続き

「24節の高速で南東方に突進中、1630(薄暮)利根は敵機約10機の発見を報じた。
赤城は甲板待機中の艦戦3機をもってこれを追跡させたが、敵機は260度方向に
見えなくなり、これを捕捉できず、1654艦戦を収容した」     (『戦史叢書』)

更に、淵田氏の『ミッドウェー』では、
「1510時赤城敵信班は、敵哨戒機の電波らしきものを傍受した」
とあるが、真偽のほどは不明。

結局、南雲長官はこれを「誤認」と判断しています。
見張が不自由な時間帯だったのが、その理由を思われます。
ミッドウェー島の日施哨戒は、0100出発→1600帰着が標準なので、
誤認であったことは、ほぼ間違いないでしょう。