1 :
神も仏も名無しさん :
2013/03/24(日) 20:15:12.97 ID:BEXBiiQk
2 :
基地子♀菩薩 :2013/03/24(日) 20:37:53.47 ID:8k6hSNVs
お邪魔しますよ! これにて本日 のマーキングはお仕舞い www
3 :
神も仏も名無しさん :2013/03/24(日) 21:22:57.86 ID:3gvpzHMI
大震災、福島原発事故、このままいったら、日本はなくなってしまうのではないかという 感を日増しに深くする。日本はなくなって、その代わりに無機的な、空っぽな、ニュート ラルな、中間色の、富裕な、抜け目のない、ある経済大国が極東の一角に残るであろう。 あんな風にはなりたくないものだと思うが、あの気持ちはよくわかる気がする。 国家の滅亡は、多くの場合、道徳の退廃と宗教への侮蔑の次にくるものです。
4 :
神も仏も名無しさん :2013/03/24(日) 21:29:26.47 ID:3gvpzHMI
本来の宗教とは、イエス=キリストや釈迦が説いている。 信者が生きていく上で困難なことに遭遇しても「信仰によって 困難を克服する糧を教え」実践するものなのだが。 日本では、現実に、仏教や神道やキリスト教を装って(悪用)た新宗教が蔓延り、 信者に「マインド・コントトール」を施して、信者が辞めないように生かさぬよう 殺さぬよう一生涯にわたり、徐々にお金を搾り取る「インチキカルト」が大多数。 これらを撲滅させることも必要であろう、 釈迦の教えとは何か? イエスの教えとは何か?
5 :
神も仏も名無しさん :2013/03/24(日) 21:44:25.03 ID:3gvpzHMI
世のすべてのものは移ろいゆく。 「無常」という真実をあるがままに受け入れることでしか 心の悟りは得られないのだから、心が勝手に真実を曲げて 解釈しないようにしっかりと現実を直視し、すべてのものに 対する執着を断つこと。
6 :
神も仏も名無しさん :2013/03/24(日) 21:59:41.57 ID:3gvpzHMI
釈迦の仏教ではバラモンのカースト(当時はヴァルナ)にこだわっってない。 プールナは商人、階層ではヴァイシャ、平民の階級。 それを釈迦は出家する、出家しないにかかわらず、空の悟りを開いて彼岸に行き、 悩める人々を彼岸の道に導けと諭した。 バラモン教では僧職をバラモン階層が独占したのに対し、釈迦は階級を設けず、 平等に開放したのです。これが釈迦仏教の特徴の一部分です。 釈迦は生前自分の仏像は作っていませんでしたが、釈迦入滅後数百年もたってから 仏像を作り、拝む習慣ができたのです。釈迦が最も嫌がったことだと思います。
7 :
神も仏も名無しさん :2013/03/24(日) 23:10:10.35 ID:hhdz4zUb
前スレで仏教イコール仏像という間違った知識晒しちまった知的階層の低いバカ手かざし信者いる?(笑)
8 :
神も仏も名無しさん :2013/03/24(日) 23:25:04.99 ID:vRyKSxxa
>>6 >釈迦が最も嫌がった
それはさすがに、貴方の推測を投影し過ぎでしょwww
《「像を作成」し、「礼拝する」》ことを、「否定した・禁じた・嫌悪した」伝承ってどこにある?
チェックしておきたいんだが・・。
9 :
神も仏も名無しさん :2013/03/24(日) 23:53:48.90 ID:3gvpzHMI
長阿含経 遊行経より抜粋 ブッダ曰く 「アーナンダよ。かかる供養は、まことに如来をあがめ、尊び、 供養するゆえんではない。アーナンダよ、比丘もしくは比丘尼、もしくは在俗 の信者にして、法(ブッダの教え)をよく知り、よく法に従って行ずる者こそ、 如来を最上にあがめ、尊び、供養するものである。 さればアーナンダよここに、よく法を知り、法に従って行ぜねばならぬ。と銘記するがよい。」 つまり、ブッダ(如来)を尊び崇める事とは、花や音楽をささげたりする事ではなく、 法を知りそれを実践することである。
>>9 イ: 意味ある供養 (≒善行)
(すべき行為、推奨される行為)
― ロ: 文化的慣習、敬意・思慕・尊崇の想いの表出
ハ: すべきでない行為 (≒悪行)
避けるべき行為、否定される行為
イロハのイではない、としか言われてないようだが?
>さればアーナンダよここに、よく法を知り、法に従って行ぜねばならぬ。と銘記するがよい。」 > つまり、ブッダ(如来)を尊び崇める事とは、花や音楽をささげたりする事ではなく、 >法を知りそれを実践することである。 ブッダ(如来)を尊び崇める事とは、花や音楽をささげたりする事ではなく、法を知りそれを 実践することと言っているのである。 そのことから推測するに、「仏像を拝むのは釈迦の教えに反する」と思います。
>>11 ?
それでは悟りに資さないってだけで、否定までされてないと思うが?
(法句譬喩経護戒品に、私を見ていない、と言われるだけの如く。)
「花や音楽を捧げるな」と言っていない点が重要だと思うがね。
それでは供養になっていない、というだけで。
ブッタは生前「私を拝んでもなにも益は無い」と説いていました。 つまり「偶像崇拝は禁止」です。 ブッタ入滅後,足形を拝み、法輪を拝み、仏像を拝む仏教の派閥がでてきただけ。 基本は仏法(仏の教えこと)による「自灯明」だと思います。
>>13 いやいやw
だから、「禁止されていない」でしょ?とw
・「依法不依人」=法に依って人に依らざれとあります。 偶像崇拝を直接禁止した訳ではなく、ブッダが入滅する少し前に、弟子たちが、 ブッダが入滅したその後はどうしたらよいのか、と尋ねたところ、 ・「汝らは、ここに自からを燈明とし、自らを依所として、他人を依所とせず、 法を燈明とし、法を依所として、他を依所とせずして住するがよい」 と、教えたそうです。仏典は涅槃経だと思います。 何度でも記述しますが、直接禁止したのではなくとも、言葉の行間や裏読みす れば、プッタは、自分の仏像作られ拝まれつのは嫌だったでしょう。 ブッタの心情を考えれば宗教的には、偶像崇拝は事実上禁止でしょう。
>>15 だからwwww
>直接禁止したのではなくとも、
と
>嫌だったでしょう。 & >事実上禁止
の間に飛躍があることがわかりませんか?
まさに、 >裏読み を超えていないわけです。わかります?
また、「葬儀を取り仕切ること」と「香華(灯燭)を具える・献ずること」とは別事(異質)ですよ?
寧ろ後者は、六方礼経に於ける説示に近接します。
ブッタが嫌なことを知りながら、仏像作って拝むのが宗教なのでしょうか?
>>17 だからwwwww
『 >嫌がった 』 わけじゃないでしょう?
と言っているのです。
(また、時代背景まで考慮すれば、
在世当時は像の作成自体が想定すらされていない、
という面もありますよ。)
ブッダは形而上学的な問題は人生の苦の解決に役に立たないとして切り捨てたのです。 「大乗仏教の時代になって神を創作し、ギリシャの真似をして仏像を造り始めた」。 創作したのは神ではなく阿弥陀仏や弥勒菩薩などの諸仏、諸菩薩です。 仏像は1世紀末ころヘレニズム(ギリシア神話とか)とイラン文化の影響の下に現在 のパキスタンで作られたのが最初のようです。 ブッダはインドに根付く輪廻思想の影響はあきらかに受けていますが。 神は梵天勧請くらいしか仏伝でも出てこないですし、これも後の創作でしょう。 「無師独悟」がひとつのヒントです。
ブッタと今の大乗はべつもの
21 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/25(月) 01:30:09.10 ID:Jb+srl3V
>>19 パーリの仏典に神々が教えを説いたものがあるそうですよ?
第一次か第二次の結集のときの経にね
>>19 仮に、 >切り捨てた という言い方を承けたとしても、
それは、「行や教えの中に組み込まれない」というだけのことでしかありません。
在家にセックスが禁止されていますか?
花や音楽でなく、言葉で(法や聖者を)讃嘆することは禁ぜられていますか?
言葉で称賛することと香華で称賛することとの違いは何ですか?
基本的に仏教は偶像崇拝を禁止しています。 しかし、小乗仏教であれ大乗仏教であれ現在は仏像を拝む事はめずらしくありません。 これは偶像崇拝を行う他宗教の伝統を取り込んで仏教が発展した為と言われています。 大乗仏教である法華経を信仰する日蓮系仏教では、現在でも偶像崇拝を禁止しています。 その為、仏像や仏画などを礼拝の対象に利用する事はありません。ただし、はたから見て 仏像と同様の役割をする曼荼羅を掲げている為、日蓮系仏教を理解していない人から見る と仏像が曼荼羅に置き換わっただけの様に見えてしまいます。 日蓮系仏教の中でも「日蓮正宗に破門された創価学会」に至っては 仏具に対する執着は殆ど持っていません。
サロメさん天国を信じてるの? 真宗が浄土をしんじてるみたいに
>>23 だからw
「禁止はしてない」って言っとろうがw
親鸞聖人を崇める 渡海 難氏は最近みかけませんね。
27 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/25(月) 01:43:38.74 ID:ecyPUUSr
>>19 >神は梵天勧請くらいしか仏伝でも出てこないですし、これも後の創作でしょう。
>「無師独悟」がひとつのヒントです。
原始仏典(スッタニパータ、ディーガニカーヤ)には度々登場しますよ。
梵天、大梵天、神々、夜叉、悪魔等々。
逆に大乗で出てこないのであれば、後世の改竄でしょう。
ブッダは、直接偶像崇拝について何もかたっていませんが、類推できる経典がある。 「ブッダが、死に瀕して沙羅双樹の下に横たわっていた時の話です。 ブッダを供養するために、沙羅双樹は季節でもないのに花を咲かせブッダの体に降り注ぎました。 そして、天から美しい音楽が流れてきたときのことです。 長阿含経 遊行経より ブッダ曰く 「アーナンダよ。かかる供養は、まことに如来をあがめ、尊び、供養するゆえんではない。 アーナンダよ、比丘もしくは比丘尼、もしくは在俗の信者にして、法(ブッダの教え)をよく知り、 よく法に従って行ずる者こそ、如来を最上にあがめ、尊び、供養するものである。さればアーナンダよ ここに、よく法を知り、法に従って行ぜねばならぬ。と銘記るがよい。」 つまり、ブッダ(如来)を尊び崇める事とは、花や音楽をささげたりする事ではなく、法を知りそれを実践することである。 と言っているのである。 ことから推測するに、「仏像を拝むのは釈迦の教えに反する」という解釈ができます。
29 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/25(月) 01:44:49.54 ID:ecyPUUSr
>>931 >スッタニパータと阿含経典の一部にかなり古い古典的な文脈の文章が残ってるらしいです。
>中村さんによると。
スッタニパータや阿含経典(南伝では長部経典)でしばしば同じ説法(文脈)が繰り返されますので多分それがヒントかと思います。
@(スッタニパータSn.29)
師は答えた、「牡牛のように結び縛めを断ち、くさい臭いのする蔓草を象のように踏みにじり、私はもはや母胎に入ることはないであろう。」
A(スッタニパータSn.82以降)
彼は悟った、「生まれることは尽きた。清らかな行ないはすでに完成した。なすべきことはなし終えた。もはや再びこのような生存を受けることはない。」
I(スッタニパータSn.754)
物質的領域に生まれる諸々の生存者と非物質的領域に住む諸々の生存者とは、消滅を知らないので、再びこの世の生存に戻ってくる。
上記の文脈はスッタニパータだけでも10箇所(BSn.152、C278、D486以降、E535、F547以降、G569以降、H727)は確認されております。
ユダヤ教、イスラム教、キリスト教(プロテスタント系)は、 偶像崇拝は禁止です。 高度に洗練された宗教は、偶像を崇拝したりしません。 仏教も然り。
31 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/25(月) 01:49:28.06 ID:ecyPUUSr
>>29 以前、オイラ氏が解説されていたように、まず釈尊は衆生に輪廻を説明し、次にその苦しみから解脱する方法を説いて廻られたと思料します。
あれだな、 「人はパンのみにて生くるにあらず」を 「パン無しで生きろ」と解釈するようなもんだなw
聖書では、頻繁に偶像を禁止しています。 日本の神道でも、聖書を忠実に守るかの如く 偶像はありません。 聖書で偶像を禁止しているのには深い意味があると思います。 偶像は、人間が造りだしたものです。 仏像を拝むというのは一種の偶像崇拝です。仏像を拝む行為は偶像に願をかけ、 欲得で埋めるものです。偶像崇拝というのは、ちょっと考えてもそういうものです。 聖書で偶像崇拝を何度も禁止しているのは、悪魔(魔物)に願をかけても、決して 運気が上がらないからです。悪魔とは、「必ず取引条件」があり、しばらくして 運気が大いに下がることになります。 古代イスラエル史を聖書で読むと、偶像を崇拝しては集団で運気が下がり、ついには 多民族からの支配を受けてしまうということの繰り返しです。 偶像にではなく、目には見えなくとも確実に存在している神に対して感謝を捧げる だけで十分なのに、偶像に走るというのは、本当に愚かなことです。
34 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/25(月) 02:12:28.69 ID:ecyPUUSr
>>33 >仏像を拝むというのは一種の偶像崇拝です。仏像を拝む行為は偶像に願をかけ、
>欲得で埋めるものです。偶像崇拝というのは、ちょっと考えてもそういうものです。
教会や聖堂でも、十字架のイエス像やマリア像があってクリスチャンが祈っておりませんでしょうか。
36 :
神も仏も名無しさん :2013/03/25(月) 05:40:10.27 ID:swme8lpO
>>27 梵天勧請は仏教に「神」は不要というメッセージなのにそれすら「ブッダへの勧請感謝しております梵天様」などと邪径邪見の極みを晒してたバラモン教手かざし鼻糞カルトおはよう(笑)
37 :
神も仏も名無しさん :2013/03/25(月) 06:31:01.34 ID:swme8lpO
「人形に少女の霊が宿ってる」的な視点から一バカ在家は当然偶像崇拝を受容するオカルト乞食(笑) そーいえば立教者の純金像もあったっけ(笑)
38 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/25(月) 06:57:22.44 ID:ecyPUUSr
>>29 >上記の文脈はスッタニパータだけでも10箇所(BSn.152、C278、D486以降、E535、F547以降、G569以降、H727)は確認されております。
参考:「ブッダのことば スッタニパータ」中村元、岩波文庫
@(スッタニパータSn.29) 第一 蛇の章
師は答えた、「牡牛のように結び縛めを断ち、くさい臭いのする蔓草を象のように踏みにじり、私はもはや母胎に入ることはないであろう。」
A(スッタニパータSn.82以降) 第一 蛇の章
バラモン・バーラドヴァージャは悟った、「生まれることは尽きた。清らかな行ないはすでに完成した。なすべきことはなし終えた。もはや再びこのような生存を受けることはない。」
B(スッタニパータSn.152) 第一 蛇の章
諸々の邪まな見解にとらわれず、戒めを保ち、見るはたらきを具えて、諸々の欲望に関する貪りを除いた人は、決して再び母胎に宿ることがないであろう。
C(スッタニパータSn.278) 第二 小なる章
実にこのような修行僧は、苦難の場所に陥り、母胎から他の母胎へと生まれ変わり、暗黒から暗黒へと赴く。死後には苦しみを受ける。
D(スッタニパータSn.486) 第三 大いなる章
スンダリカ・バーラドヴァージャは悟った、「生まれることは尽きた。清らかな行ないはすでに完成した。なすべきことをなし終えた。もはや再びこのような生存を受けることはない。」
39 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/25(月) 06:57:57.25 ID:ecyPUUSr
>>38 続き
E(スッタニパータSn.535) 第三 大いなる章
諸々の汚れと執着のよりどころとを断ち、智に達した人は、母胎に赴くことがない。三種の想いと汚泥とを除き断って、妄想分別に赴かない。
F(スッタニパータSn.547) 第三 大いなる章
サビヤ長老は悟った、「生まれることは尽きた。清らかな行ないはすでに完成した。なすべきことをなし終えた。もはや再びこのような生存を受けることはない。」
G(スッタニパータSn.569) 第三 大いなる章
セーラは悟った、「迷いの生存のうちに生まれることは消滅した。清らかな行ないはすでに完成した。なすべきことをなし終えた。もはや再びこのような生存を受けることはない。」
H(スッタニパータSn.727) 第三 大いなる章
彼らは心の解脱を具現し、また智慧の解脱を具現する。彼らは輪廻を終滅させることができる。彼らは生と老いとをうけることがない。
I(スッタニパータSn.754) 第三 大いなる章
物質的領域に生まれる諸々の生存者と非物質的領域に住む諸々の生存者とは、消滅を知らないので、再びこの世の生存に戻ってくる。
40 :
前世は :2013/03/25(月) 07:00:16.59 ID:ecyPUUSr
>>665 一在家
>師から白色大同胞団とエッセネ派ユダヤ教、クムラン宗、ナザレ派との関係が説かれたことがあります。
キリスト教議論板
>>603 >>604 >>605 宝珠氏
詳細な解説を真に有難うございました。 よく分かりました。
40年以上前に師は弟子達に伝えたとのことですが、「ハイアラキー」から直接的か間接的かに伺ったのかも
知れませんね。よく符合しておりますので。
>(アストラル体レベルでは、その他の地域や内界で修行しました)。
これならば、インドや日本へ飛んできて修行も可能ですね。
41 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/25(月) 07:19:07.04 ID:ecyPUUSr
>>39 >I(スッタニパータSn.754) 第三 大いなる章
>物質的領域に生まれる諸々の生存者と非物質的領域に住む諸々の生存者とは、消滅を知らないので、再びこの世の生存に戻ってくる。
この「非物質的領域」は、天、浄土、地獄でしょうか。
因みに梵天界もそうですが、梵天クラス(菩薩の頃の釈尊を含む)は流石に消滅を知っていて「衆生済度」ゆえに意図的に再生されるようです。
42 :
神も仏も名無しさん :2013/03/25(月) 08:00:23.93 ID:swme8lpO
>>41 で、キリストが青森で修行したっつー与太話を補強するわけか(笑)(笑)(笑)
おまえはバカか(笑)
教会や聖堂でも、十字架のイエス像やマリア像があってクリスチャンが祈っておりませんでしょうか。 プロテスタントは、聖書を一字一句間違いないとしていますので 寓像崇拝を禁止しています。 カトリックは偶像崇拝(マリヤ崇拝も)、していますね。その結果ローマは滅んでしまいましたが。
44 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/25(月) 17:59:59.19 ID:ecyPUUSr
>>41 >この「非物質的領域」は、天、浄土、地獄でしょうか。
>因みに梵天界もそうですが、梵天クラス(菩薩の頃の釈尊を含む)は流石に消滅を知っていて「衆生済度」ゆえに意図的に再生されるようです。
このスレで釈尊は形而上学的な話は無記だと主張される方々が多いですが、「非物質的領域」は形而上学的な話のように存じます。
やはり異教徒や初心者には無記だったという四悉壇のように思います。
インドで発症した仏教は、現在、日本にさまざまな宗派があり 「十三宗五十六派」あるといわれています。 元々一つ釈迦の教えがこんなに分裂して何処が、正当な釈迦仏教なのか 皆目見当もつかなくなっています、偶像崇拝したからかもしれません。
46 :
基地子♀菩薩 :2013/03/25(月) 18:48:35.21 ID:AkY3a2j5
>>46 お前、頭悪いなw
各宗派の違いが偶像の有無だとでも思ってんの?w
つか、
まず手始めにインド仏教史を概観してから発言した方がいいと思うよ。
さすがにアレコレ知らな過ぎでしょ・・w (^^;
アンカー間違えたら、連鎖あぼんで自分のレスまで消えとるwww
49 :
神も仏も名無しさん :2013/03/25(月) 20:17:15.02 ID:swme8lpO
「衆生済度」ゆえに意図的に再生?馬鹿じゃねーの?(笑) スッタニパータに書いてあんだろ?神神も執着を捨てよとブッダに嫌み言われてんくらいぐるぐる回ってんだよバカ在家(笑)
「無常」という真実をあるがままに受け入れることでしか 心の悟りは得られないのだから、心が勝手に真実を曲げて 解釈しないようにしっかりと現実を直視し、すべてのものに 対する執着を断つこと。
人が、この世に誕生した理由は、煩悩にとらわれて、 ブッタと同じ悟りが開けないから。 悟りを開けら極楽浄土(天国)に行ったままです。
ブッタの教えは、いにしえのインド人のための教えであって、 現代人の日本人に説いたものではありません。 イエスも、いにしえのユダヤ人のために教えを説いたもので 現代の日本人のために説いたのではありません。 時代も文化も全く違いますので。
53 :
基地子♀菩薩 :2013/03/25(月) 21:32:37.02 ID:AkY3a2j5
>>47 話が噛み合って無いわよ!
しっかりしなさいよ!(。>д<)
>人が、この世に誕生した理由 宇宙が誕生したからさ ただそれだけ 神なんていない 宇宙は消滅と誕生を永遠に繰り返すので 56億年後には地球はなく 別の宇宙領域で発展消滅を繰り返すね
55 :
神も仏も名無しさん :2013/03/25(月) 23:35:09.70 ID:mWZEgkdM
前スレ
>>999 >心の問題はどうすんの?
心など、各人とその状況によって百人百様。また、他人の心は分らない。
そんないい加減で当にならない「心」など持ち出すから、宗教には殺し合いと
争いが絶えないのだよ。
>>55 はあ?w
心療内科、精神科、神経内科、各種カウンセリング、
或いは各自治体やNPO法人等の心の悩みの窓口等は、いったい何を扱ってるんだ?
或いは、親が子供に「痛いの痛いの飛んでけー」ってやるのは、
あれは肉体的苦痛の緩和治療なのか?w
達磨安心は世俗では通用せんぞ?w
つか、「心」に問題が生じないとでも思ってんの?w
つか、まさか、『「心」なんて無い』という考えの人? ┐(´ー`)┌
つか、
終末医療のことも何も知らんのやな・・・。
>>55 末期医療の臨床の現場で、「心」の問題がどれほど重要か。
薬剤投与や物理的治療で対処できない領域があることくらい、
ちょっと調べれば分かりそうなもんだが・・・w
ああ、そうか。
投薬して或いはロボトミー手術でもして朦朧とさせて、何も考えなく・感じなくさせて解決するのか。
そりゃ手っ取り早くて良いわなwwwww
58 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/25(月) 23:55:15.06 ID:FCzHHbm/
>>57 鬱病患者が苦行できるって思い込む自称精神医学に詳しいおじいさんに言うだけ無駄でしょう
59 :
神も仏も名無しさん :2013/03/25(月) 23:57:24.40 ID:mWZEgkdM
心、心と叫ぶ宗教や現代のほうが、心が荒んでいるという事実。心のために 人まで殺す。 「心の専門家はいらない」という本が出ている。 心理学や精神医学では、心で心を判断するのではなく、行為という認識可能な 外観で判断する。
60 :
神も仏も名無しさん :2013/03/26(火) 00:02:20.76 ID:mWZEgkdM
>>58 鬱病患者は、既に常に苦行している。それ以上の苦行は必要ない。
どれほど苦しいものか、分っているのか?
61 :
神も仏も名無しさん :2013/03/26(火) 00:03:57.26 ID:sAEdYklr
仏教やキリスト教や神道 他の新宗教が20万以上もあって人救いを掲げているのに 10年間も三万人以上が自殺する日本はおかしな国だw
63 :
神も仏も名無しさん :2013/03/26(火) 01:35:12.30 ID:do5LEEIJ
>>62 釈迦の「一切皆苦」と「輪廻転生」が原因の可能性がある。彼は「生きること」
を教えなかった。
釈迦が、「人が苦難に遭遇した時の糧となる教え(信仰)」を説かなかったから?
65 :
神も仏も名無しさん :2013/03/26(火) 02:54:22.02 ID:qNspd3OP
>>64 釈迦は、煩悩が「生きていることの証」であることに思い至らなかった。
「煩悩を去れ」とは「死ね」と言うこと。愚かさ極まりない。
そもそも、生命を、無明、無我として否定している。
> 彼は「生きること」を教えなかった //ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%95%99 輪廻からの解脱を目指すことが初期仏教の目的であった //www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron03a.htm#観法品第十八 そして,中論も 『 我、我所を滅する因縁によって,無我、無我所を得て、智慧を決定する 』 と言うことであるらしい
> そもそも、生命を、無明、無我として否定している //ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98 煩悩障(自己に対する執着) 所知障(外界のものに対する執着)の 二種の障害を根絶することによって 阿頼耶識が変化を起こす(転識得智=てんじきとくち) これがすなわち、汚れを離れた領域であり、思考を超越し それを得たものは解脱身であり 仏陀の法と呼ばれるものである(大円鏡智=だいえんきょうち)
>>前スレ972
>唯一、宝珠が使用するから、「神智学」には引用されていると言えるかもしれんがw
いえ、全然ないですから!
私が投稿する仏教内容のすべては、まるまる“私個人の理解に拠るもの”です。
ハッキリいっておきますが、
神智学で仏典が随所に引用提示されて仏教の教学が細部に渡って論じられているなどはありませんから。
私が参加するグループでも仏教論議が沸き起こることなどはないし、
ましてや仏教の知識についてなどは一般と同程度くらいしてか持ち合わせていないですよ。
神智学徒である私がたまたま、仏教を元々かじっていたというだけのこと。
>>40 >>(アストラル体レベルでは、その他の地域や内界で修行しました)。
>これならば、インドや日本へ飛んできて修行も可能ですね。
(可能か不可能かでいうと)可能ですが、イエスが当時、日本に来ていたという情報は今のところ私は
入手してません(肉体でもアストラル体レベルでも)。
イエスの死後、彼は7年後のすぐにティアナのアポロニウスとして転生して、その生涯で第五イニシエー
ションを受けました。このアポロニウスがカシミール地方を遍歴してこの地で埋葬されたのです。彼は当然、
イエスであったときの記憶をすべて保持しており、そのためにイエスがこの地(北インドやチベット)を訪問
していたという伝説やイエスは十字架上で死なずに生き延びた、という誤った伝説を作ったのです。
69 :
基地子♀菩薩 :2013/03/26(火) 06:08:08.80 ID:L3DU0miO
仏教は現世を火宅とし生きるに 値しないと言ってますからね! また二度とこの世に戻らない事 を彼岸に渡るとも表現していま す。この世を生き地獄とする考 え方は何故か心地良いですね♪ 南無 (*^人^*)
>>前スレ83-84 >だからw >それは仏教ではないし、お釈迦さんの名前を出すのは筋違い、 >ということです。 あなた方がいうところの仏教 (それが「伝統仏教」であれ、「正統仏教」であれ)に対しては、 この私は、“ゴータマの教えの正しい継承”であるとは見なしていません。 >縁起しないものだから、「“どこか”にある」とか「“存在として”コレである」とか言い得るものでない、 >ということがウダーナで示されているというのに? 了解しています。
1/2 >>前スレ107 >あるいは、なんで涅槃も法に含めたの? 『ところで仏教で一切法とは存在するすべてのものを指すのであるが、原始仏教時代に関するかぎり、 それは生滅変化する現象の法に限られていた。(p112) われわれにとっての世界は現象界のみである。 この意味における一切の現象界を仏教では一切とか一切法とか呼んでいる。仏教が取り扱うのはこの 現象界に限られる。(p127) 部派仏教では現象としての有為法だけでなく、生滅変化しない常住不変の無為法をも存在の中に加 えるようになった。この意味で、阿毘達磨においては法処の中に有為法や無為法が摂せられ、原始仏 教とは違った性格のものとなった。(p143)』 (水野弘元著『仏教要語の基礎知識』新版第1刷/春秋社刊) このように涅槃を勝手に一切(法)に含めたのは部派であり、それは本来のゴータマの教えにはなかっ たことというのが水野氏の解説におけるポイント部分ですよ。だから、一切(法)の中に涅槃を含めると論 理矛盾が生じるという在家さんの指摘は正しいものです。 間違いは、やはりどう見ても間違いなのだから、それはどうぞ素直に認めてください。素直でないとダメ だとというが仏教の教えの基本では?ゴータマも古い信仰(間違った価値観と迷信)は捨てるようにいわ れていますよ。(Sn.1146) もし、それらが唯一なる「伝統仏教」なのだというならば、その伝統仏教とやら が間違えてきた証拠ですよ。
2/2 「無我」の“アートマンはない”が意味的に通用するのは、精々、一切(有為)内だけです。時代の変色を 帯びて、無我が“アートマンはない”という本来はなかった使われ方をしたのは部派影響に拠るということは、 一代が天才と賛美する石飛氏も言及されていることです。 『「無我」は「我がない」という意味ではありません。「我ではない」という意味です。--中略-- ただ、いつの頃からか「無我(anattan)」に「我がない」という意味が混入してきますね。(部派時代頃かな) これは、経典を作りかえたとかそういうことではなくて、解釈として、このような解釈が入っ てくるということ です。』(管理人エム/マニカナ掲示板過去ログ2739.) 『ところが、やがて此の“アートマンでないもの”ということが“アートマンを有しない”という形容詞として用 いられ、我の存在の否定の意味をもつようになり、これが、部派佛教の考え方となったのである。』 (武邑尚邦著『東西思潮と仏教思想』)
73 :
神も仏も名無しさん :2013/03/26(火) 07:46:38.06 ID:WU4Tz54E
神話みたいなエピックばっかり拾って現実との境がわからなくなってしまったアタマのおかしい常見カルト一在家いる?(笑)
74 :
神も仏も名無しさん :2013/03/26(火) 08:20:49.85 ID:qKiKcP1t
>>73 君は一度病院で診てもらった方がいいと思うぞ。君の在家に対する粘着は異常だから。
2chには君のような異常者で溢れている。
75 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/26(火) 09:26:28.77 ID:t3CyTlS1
>>63 >釈迦の「一切皆苦」と「輪廻転生」が原因の可能性がある。彼は「生きること」
>を教えなかった。
果たしてそうですか?
死んで天へ往くという教えでなく、釈迦は地獄のあり様も原始仏教では詳細に説いております。
日本の大乗ではあまり説かれていないのであれば貴兄の見解も分かりますが。
(参考)「ブッダのことば」中村元、P143-P148(第三 大いなる章、10.コーカリア)
76 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/26(火) 09:29:43.75 ID:t3CyTlS1
>>66 >//www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron03a.htm#観法品第十八
>そして,中論も 『 我、我所を滅する因縁によって,無我、無我所を得て、智慧を決定する 』 と言うことであるらしい
H(スッタニパータSn.727) 第三 大いなる章
彼らは心の解脱を具現し、また智慧の解脱を具現する。彼らは輪廻を終滅させることができる。彼らは生と老いとをうけることがない。
77 :
アホにつける薬 混ぜるな!危険 :2013/03/26(火) 09:33:52.24 ID:Zfon9Eoc
>>29 >>38 >>39 >>41 >>44 (カルト在家)
>>71 >>72 (レイシズム宝珠)
一切内外に自性を妄想するアホ信仰につける薬はない
<有為法⇔無為法>の分裂症観念批判、一切外自性妄想心霊主義批判については済んでいる。
・仏教議論スレッド54
>>660 >>661 >>662 など
・同62
>>553 >>573 >>575 >>576 >>598 、
>>963 >>964 >>969 など多数
無為法というような縁起撥無概念を生み出してくる背景には、神秘的超越主義の密輸入(特にシャンカラ的不二一元論の逆輸入)であり、
仏教のバケモノ超越仏への「信仰」宗教化戦略があったのである。
当該仏典および教説については、
・明証性 Sn.1066、1053参照
・果報認証性 同上
・客観的再現性 同上
・涅槃合目的性 Sn.737
・自力検証性 Sn.908
<相応部 35-70『ウパヴァーナ(優波婆那)』>
上記の基準によって検証されなければならない。
なぜなら、「それは、ありもしないもの(妄想)を語っているからである」(相応部経典35-23 一切)
>「パーリ仏教における涅槃」片山 一良 駒澤大學佛教學部研究紀要 59, 478-462
>,20010401
>CiNii PDF(
ttp://ci.nii.ac.jp/naid/110000985580 『以上は、--中略--あらゆる有為法を欠く自性の無為法が涅槃であることを証明した部分である。(p474)
もし、「生まれもしないもの」などを自性とする無為界がなければ、この世において「生れるもの」などを自
性とする色などの五蘊と称する有為の出離は存在しないであろう。(p471) これに対して、「無余依」とは、
五蘊が残りとしてもはや存在しないことで呼ばれるものである。(p467)』(上記、片山論文)
曲解する傾向にある一代(>>前スレ85)とその他の勘違い仏教徒たち(及び、それらを擁護するセブン)
にいっておきます。
仏教理解においては、どうみても(縁起する)「五蘊」が「有為」であり、涅槃は有為とは異なるものとして
あり(対比して<縁起しない>「無為」と呼ばれる)、最終的に迎えることになる無余依涅槃は五蘊が完全に
消滅した涅槃境地だということになる。
従って、仏教でいう「一切」とは(縁起する)五蘊であり、“それ以外のものはない”といっているのであるか
ら、「一切行皆苦」という場合の一切には仏は含まないが、それ以外の、つまり「一切法無我」という場合の
一切には仏も含むなどという勝手な解釈は、まさしくゴータマが戒められた“別の一切を説いている”ことに
他ならないのです(『相応部』35.23)。
要するに、「無我」「空」には如来は含まれないということ。当然ですよ。これらは、一切(の性質)について
の説明に過ぎないのだから。
79 :
アホにつける薬 混ぜるな!危険 :2013/03/26(火) 09:45:54.57 ID:Zfon9Eoc
『「われは知る。われは見る。これはそのとうりである」という見解によって清浄になることができる、と或る人々は理解している。←(マヒカリ&神智学などの信仰宗教)
たといかれ(釈迦)が見たとしても、それがそなたにとって、何の用があるだろう。←(一切外信仰を捨てよ)
かれらは、正しい道を踏みはずして、他人(釈迦)によって清浄となると説く。←さて、悟るものは誰なのか?』(Sn.908)
正しい道を踏みはずしているのは、マヒカリ&神智学などの超越自性主義の「信仰」宗教である。
ここで、佐倉哲氏の論説を引用しておく。
アタシは賛意を表する。
『(3)後代に現れた非物質的世界についての言及
最古層に属する記録(スッタニパータ4章5章)によれば、悟りの世界(涅槃)は神秘的な世界ではなく、
この世において得ることのできるものでした。
この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する欲望や貪りを除き去ることが、不滅のニルヴァーナの境地である。
いかなる所有もなく、執着して取ることがないこと、これが洲(しま)に他ならない。それをニルヴァーナと呼ぶ。それは老衰と死との消滅である。(1086,1094)
そのため、中村氏は、元来「ニルヴァーナとは現実生活からはなれた、超越的世界のことを言っているのではなく、
日常生活の無欲の実践、無臭着の実践にニルヴァーナは実現する」(中村元・田辺祥二、『ブッダの人と思想』、NHKブックス、172頁)意味だと言われます。
「後の時代になると、涅槃(ニルヴァーナ)とは、凡人のよりつけない高度な心境のように受け取られますが、
ブッダの時代には、煩悩の止滅したところ、不死の境地、やすらぎ、寂滅を意味し、日常に生きた心境を表していたと考えられます」(中村元、同上、174頁)。 *中論25-19,20
これらの事実もやはり、ブッダは形而上学的問いに対しては沈黙を保った、という仏典の記録するブッダの基本姿勢と一致しています。
したがって、無為の世界や悟りの世界などを超越的な世界として捉え、それについてあれこれ語りはじめた物語が、ブッダの預かり知らぬ後代の作り事であることが分かります。
http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/buddhism30.html 』
80 :
アホにつける薬 混ぜるな!危険 :2013/03/26(火) 10:02:22.30 ID:Zfon9Eoc
>>78 (レイシズム宝珠)
> 要するに、「無我」「空」には如来は含まれないということ。当然ですよ。これらは、一切(の性質)について の説明に過ぎないのだから。
あまりに浅薄すぎて嗤えますねえw
当該片山論文も『<相応部 35-70『ウパヴァーナ(優波婆那)』>
上記の基準によって検証されなければならない。
なぜなら、「それは、ありもしないもの(妄想)を語っているからである」(相応部経典35-23 一切)』
一切なら、<一切行無常(三法印)>が当然です。
無為法という観念自体が『一切行常住』(自性ある実体)なら無為法に対する執着を生み、仏法の本懐に反する反仏法です。
ブッダが示される一切が無常だという意味は、間接現実において仏法自体も無常(一切行無常)だということです。
実存苦の超克というブッダの本懐からすれば、その原因となる我執の主体も対象も縁起であり、
無常な縁起であるがゆえに実体(自性:自立性・単一性・恒常性)が認められないから、還滅できるのです。
『最上の<想いからの解脱>においての解脱』(Sn.1072)ですし、筏の喩えの法門→法をも捨てる(金剛般若経6、アッジマニカーヤ22)とはそういうことです。
そこにおいては『涅槃』という想い、『法』という想い、『仏』という想いそのものも捨てられています。
@分別(仮観)→A無分別(空観)→B無分別の分別(中観)
宝珠ような『解釈』は無明であるがゆえの“無常⇔恒常”@オンリーのレベルです。
“即無常即恒常”Bにまで至っていません。
81 :
アホにつける薬 混ぜるな!危険 :2013/03/26(火) 10:24:11.54 ID:Zfon9Eoc
『信仰を捨てよ!』(南伝 相応部 6-1)、Sn.1146) “間接現実一切外”のガラクタ妄想(絶対・超越的創造神、業報輪廻、仏性(仏種)・如来蔵などの自性信仰、 菩薩キャラ、形而上学的思惟などのドグマ や物語、妄想等の検証不能領域)を捨てよ。 他信仰宗教のみならず、大乗・小乗を問わず仏教でもこういったガラクタ妄想であふれかえっている。 問題は愚かにも、これらのガラクタと直接現実を混同し、または混ぜてしまうことだ。 これらガラクタをすべてゴミ箱に捨てれば、『四諦』というパラドックスだけが残る。 仏法は深遠だが、非常にシンプルだ。
我思う 故に 我あり byデカルト 無我厨は、これをどう受け止めるのだろか?
83 :
アホにつける薬 混ぜるな!危険 :2013/03/26(火) 11:16:28.91 ID:Zfon9Eoc
>>82 >我思う 故に 我あり
>無我厨は、これをどう受け止めるのだろか?
結論先取りトートロジーのナンセンスなアホ論理。
第一義空経 参照。
では、修空華万行へ。
何れもその程度の答え? なら、漏れの答えの方がましだなw
>>前スレ85 >宝珠とかカラスみたいな見方は単なる常見なんだって、それは仏教じゃない 私は、その「常見」の理解についても疑問視していますから・・・。 ゴータマがいう常見とは、本当はウパニシャッドの説くアートマン否定などではなく、死後に残存する意 識状態、つまり心霊存在のことであったり、更には、もっと深奥の輪廻主体である魂存在を恒常視する間 違いについての指摘だろうと。 当時の大衆、及びバラモンたちの姿勢はこれらを恒常視し、特にバラモンたちは魂がウパニシャッドの アートマンと勘違いしたのです。三昧の境地で魂との合一を達成しても、これが究極のアートマンと勘違 いしたままだと輪廻の解脱に失敗するのです。これが梵網経の説くバラモン否定です。 >>前スレ816 >宝珠は神通とかを認めるのに、何故か仏典の記述を認めない部分がある。 >それは恐らく仏典より神智学を信じてるから そうではなくて、“(心の)内なる師”に従う結果です。 >>前スレ117 >貴方や宝珠は、(まるで隠居の鏡像の如くwww)、 >「ある」と耳にすると反射的に、「目の前に存在するもの」と同じ扱いをしているのですよ。 >だから宝珠は、「涅槃の主体」を必死になって探す。 そんなことしてませんよ!勝手にそういうこと(「目の前に存在するもの」と同じ扱い)にしてしまって、 一生懸命に批判してくるのはあなた方のほうですから。
>>前スレ86
>宝珠氏と在家氏は、この片山論文を批判してくれ。
別に批判できるような箇所はありませんよ。
あなたこそ、この論文の内容が理解できるように努めるべきです。
>>前スレ118
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1363500909/118 さすが鋭い指摘です。
まっ、彼らはそういう問いは無視するか?
都合が悪いときには無記とか言い出しますからね・・・。
>>前スレ268
>仏の三十二相というのは、例えば眉間から光を出して闇を照すとあるのは、
>優れた智恵をもって苦悩に沈む民衆を救うという意味だということ。
>髪の毛がクルクルしているのは優れた才能があるという意味だ。
>また、性器が埋没しているというのは、欲望に敗けずコントロール(制御)下にあるという意味にもとれる。
もし、全部がそうならば(私も概ねそのような感じで受け取っているので)、いいんですけれど・・・。
けれども、5.手足指縵網相(手足の指の間に水かきのようなものがある)は、一体、何か?
私の理解では、仏の三十二相というものは、完成者はあまりに通常とは異なるほど大いなる意識と能
力をもたれているので、(「元々、我々とは異なる人間なんだ!」という特別視が生じ)きっと肉体的外見
も通常の人間とは異なるに違いないとしてバラモンによって作られた創作、即ち、神格化の典型だという
こと。そして、仏教はこれをそのまま継承してしまった。
89 :
神も仏も名無しさん :2013/03/26(火) 11:57:46.41 ID:64GD9pdP
「無我」なら、「苦」という概念も「五蘊(の仮和合)」という概念も生じ得ない。 「非我」なら、もろに「我」を前提とする。 釈迦は、「自己意識(我)」が肥大し過ぎた、完全な基地外。
無我は後世の誤訳。 釈迦は「非我」を説いたのである。 非我を説いた仏教学者に注目のせよ。
91 :
神も仏も名無しさん :2013/03/26(火) 12:28:53.84 ID:m/oFVnlV
【国内】朝鮮総連本部の強制競売、宗教法人「最福寺」が45億円で落札[03/26] http: //awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1364266282/ 【社会】朝鮮総連本部、宗教法人が落札=不動産競売、45億円で―東京地裁 http: //uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1364264665/
最福寺 著名人を使って人集め 売れ筋商品は護魔厄払い
>>90 諸縁の和合で十分なわけ。
根源的主体を見ることは、それこそ「TVの中に人が居る」と考えるに等しいわけです。
別に唯物論擁護ではありませんが、五蘊の和合で済むわけです。
非我であっても同じこと。 人類史上、「我」など誰も見つけ得ていないのです。
鰯の群れでは満足できない人たちが、「我」を肯定してゆくのです。
死後の世界(地獄世界)があると思ったら、とんだ勘違い。 いわゆる霊魂なるモノは空の状態である。 地獄とは、当に生き地獄をさすのである。 善因善果・悪因悪果である。 人身を受けるは稀であり、三帰五戒は人に生まれ・・ 畜生(動物)は残害の苦しみをもつ。つまり、他者に食われる苦しみが常につきまとう。 今世の姿が五蘊仮和合なら、その生きざまで、それに相応しい姿に生まれてこよう。 そう、天国も地獄もこの世にあるのだ。それを感じるのは、自身の命である。 これまでの地上の出来事を具に思えば分かるだろう。
95 :
? :2013/03/26(火) 13:47:04.20 ID:Sq/c6Br1
>>76 前世は一在家さんへ
//homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm
727
かれらは、心の解脱を具現し、また智慧の解脱を具現する。
かれらは(輪廻を)終滅させることができる。
『およそ苦しみが生ずるのは、すべて素因に縁って起るのである』
というのが、一つの観察[法]である。
『しかしながら素因が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』
というのが第二の観察[法]である。
96 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/26(火) 14:13:12.38 ID:3We2PVJA
>>93 的確なたとえですね
>根源的主体を見ることは、それこそ「TVの中に人が居る」と考えるに等しいわけです。
使わせていただきます^^
>>94 >死後の世界(地獄世界)があると思ったら、とんだ勘違い。
死後にも存続する微細なレベルの意識はあります
もちろんそれも空ですけど
だから空であるはずの個人の主体が輪廻するのです
生命が生きている 今の時点で六道を表現してるというのは
創価学会の教義であって仏教のそれではないです
97 :
? :2013/03/26(火) 14:51:14.64 ID:Sq/c6Br1
>>83 アホにつける薬 混ぜるな!危険さんへ
> 第一義空経
//www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html
業報有るも而かも作者無し。此の陰滅し已らば異陰相續す
//www.daitouryu.com/iyashi/voice/voice03.html
我慢を断滅する事が出来ない場合は
此の蘊を捨て己(おわ)っても
異蘊相続して
又、次の、この世の生に戻り来る
//ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%95%99
仏教はインドの輪廻と解脱の考えに基づいている
人は永遠に続く輪廻の中で終わりなく苦しむ
そこから抜け出すこ
修行により解脱を目指すことが初期仏教の目的であった
98 :
神も仏も名無しさん :2013/03/26(火) 14:59:44.60 ID:ziDkyCj+
>>93 >根源的主体を見ることは、それこそ「TVの中に人が居る」と考えるに等しいわけです。
どこかに人(我)がいなければ、TVから人の声は出ないよ。
>別に唯物論擁護ではありませんが、五蘊の和合で済むわけです。
「五蘊の和合」などと「考えている」主体は誰?w
>非我であっても同じこと。
「非我(我に非ず)」とは、モロに我の存在を前提とする「有我論」。
「我ではないと、己の我で無理やり思い込め」ということ。「世界を空と
『観ぜよ』」も同様。世界の実在を前提とする。
だからこそ中論は、「無我」だの「無」だのアホなことは、慎重に一言も
言わなかった。
>人類史上、「我」など誰も見つけ得ていないのです。
我を以って、我を知ることは不可能。認識主体と客体とが同一だから、認識の
正しさの担保は皆無。我(生命)は、人間が対象化できない「唯一の存在」。
死んだら思考する主体、または、苦楽を感じ取る五感も消滅するわけで、結局何もない空の状態だ。 故に、死後に行くとされる天国や地獄など存在するわけがなかろう。 あるとすれば、生を受けた今であり、また、生をうけるであろう未来であるといえる。 死後に、天国や地獄に留まるとするなら、輪廻等とはいえるはずもない。 苦楽を感じる苦しみや楽しみは心が感じ受けるものだ。
100 :
? :2013/03/26(火) 15:58:10.88 ID:Sq/c6Br1
>>95 >>97 の続き
//home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama24.pdf
依存的に生じること(縁起)を理解する者は
誰であれ苦しみ(苦諦)をも理解しそして
それが生じるということ(集諦)を理解し
そしてその方法(道諦)とともに
それが消滅するということ(滅諦)を
理解するのである(中論24-40)
98 >>どこかに人(我)がいなければ、TVから人の声は出ないよ。 夢の中でもそれは現象されるよ そして自分も無常だからいないんじゃないかな。 >>「世界を空と 『観ぜよ』」も同様。世界の実在を前提とする。 仮にそういっただけ 空は有るとか無いとかそういうレベルじゃない >>我を以って、我を知ることは不可能。認識主体と客体とが同一だから、認識の 正しさの担保は皆無。我(生命)は、人間が対象化できない「唯一の存在」。 もともと我など無い。去るものは去らずと同様、 「認識主体と客体(行動)とが同一」だったらどちらかを離れたそれらは無い したがってどちらも無い(空)
↑「どちらかを離れたそれらは無い」は 独立してないから自性がないってことね
103 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/26(火) 16:32:59.64 ID:3We2PVJA
>>99 残念ながら煩悩によって誤った見解などに支配され自身が空であると本当に理解し
煩悩をことごとく断滅 空であると正しく認識しない限り輪廻の主体である意識は残ります
それは身体には依存しないより微細な意識なので 生命 とは別です
六道にとどまるのは業因による縁起が持続する範囲であり業因が尽きれば
輪廻によって六道のどれかに生まれ変わります
104 :
神も仏も名無しさん :2013/03/26(火) 16:41:51.14 ID:y/qJGDGe
死んだらどうなるか誰もわからないはずだ。でも霊魂は存在するのだろう。
偉人・賢人の残した言葉、例えば、それを「念」とするなら、この念は受け継がれる者によって、三世に生き続けるといっていい。 その「念」を「生命」と置き換えるなら生命は永遠性を帯びるだろう。 しかし、この生命といわゆる我を我足らしめる生命とは異なるものだ。 前者は意識であり後者は縁起なる「法」だといえる。
106 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/26(火) 17:15:15.76 ID:3We2PVJA
>>104 仏教の叡智をもって、死後の世界を考察。
ものの出来る仕組みは、
有情と非情は異なるが、
しかし、ともに不思議なる縁起の「法」によって決定をみる。
臨死体験については、立花隆が各国の例証をあげ、考察した本を出版している。 山途の河を渡るのは日本だけのようだ。
109 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/26(火) 17:29:31.88 ID:3We2PVJA
>>108 映像や音声などを超えた体験を目覚めたあと肉体に拠っている
意識で翻訳してるわけですから
刷り込まれている文化などのバイアスは当然影響してるでしょうね
境界を越える 光の出現 など興味深い共通の要素がありますね
110 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/26(火) 17:49:29.90 ID:t3CyTlS1
>>サロメさん >つ 臨死体験 加えて退行催眠による前世想起。 霊動現象による個人のみ知る情報の提示。
111 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/26(火) 17:53:19.29 ID:t3CyTlS1
>加えて退行催眠による前世想起。 霊動現象による個人のみ知る情報の提示。 訂正:×個人 → ○故人 (例) ・家族が探しても見つからなかった遺品の隠し場所 ・死ぬ直前に読んでいた本の栞 ・誰も知らなかった墓の場所
不本意にも、全身痲酔を打ち手術に臨んだ事があったが、 この際と思って、スェデン・ボルクのごとき上天上界を覗こうと思ったのだが、何一つ記憶に残らなかった。 目が覚めたのは、玉に強烈な痛みを感じた時だ。 その時、無意識のうちに「いたたたたたっー」と叫んでいた自分に気付いた訳だが、ベッドの周りは看護師に取り囲まれていたのを記憶している。 おそらく、痲酔から覚めさせようと、私の玉を力任せにムギュっとしたのだろう。 その痛みは一週間ほど続いたのは言うまでもない。 それにしても、スェデン・ボルクの如く天上界を覗けなかったのは無念でもあり残念でもあった。
陽光ライフに「霊魂は存在する」とあったが、何を根拠としているのか分からない。 人類史いらい死んだ人は天文学的数字になるだろう。この世は霊魂に埋め尽くされているに違いないと思うのだが、今まで見たことはないのだか、はたして・・
>>113 ちなみに、死んだ人より生きている人のほうが多い。
それに霊に物質的な幅が有るとも思えないし
この世とに重なったあっちの世界にいるともいえるし
なんとでも。
まあ霊はいるとおもうよ
115 :
神も仏も名無しさん :2013/03/26(火) 18:39:41.78 ID:e9T0+XuL
>>101 >夢の中でもそれは現象されるよ
夢は、睡眠中における脳細胞の混乱。何の意味も無い。
但し、夢に出てくるのも、覚醒時に一度知覚した対象ばかり。
知覚の記憶自体は、脳細胞に残っているからである。
116 :
神も仏も名無しさん :2013/03/26(火) 19:32:26.22 ID:Oz4K0TZT
>>101 >もともと我など無い。去るものは去らずと同様、
我が有るか無いかは、他者が己の身体を知覚できるか否かである。その意味で、
デカルトのコギトは誤り。いくら自分で我有りと思っても、他者が己の身体
を知覚してくれなければ、我は無い。単なる幽霊。彼には、人間世界は徹頭徹尾
共同体であるという事実に思い至れなかった。西洋哲学の誤謬の根源である。
「去らない者」から見れば、「去る者は去っている」。中論の空は、あくまで
相対性原理と量子力学の原理を語っている。
平行して同方向に走る電車から他方を見れば、他方は静止しているが如し。
君の隣に裸で寝ている若い女は、実は電子雲の塊に過ぎないのだが、生々しい
肉体に見えるのは何故か。誰にも分らないから、量子力学では、「観察による
収縮」という、「根拠の無い概念」を導入せざるを得なかった。生命による
観察の神秘である。
117 :
神も仏も名無しさん :2013/03/26(火) 19:42:23.92 ID:Oz4K0TZT
>>110 >加えて退行催眠による前世想起。 霊動現象による個人のみ知る情報の提示。
サロメのカルト性丸出し。死とは、思考器官、感覚器官の機能が不可逆的に
停止すること。生命の機能で、死後の世界を語ることの矛盾と滑稽さを自覚せよ。
白骨は、思考も知覚も出来ない。来世があろうとなかろうと、死者には無関係。
118 :
神も仏も名無しさん :2013/03/26(火) 20:02:25.86 ID:Oz4K0TZT
臨死体験とは、その名の示す如く、危篤時の身体の変化による譫妄状態のこと。 死んではいないから、そのような妄想が起こりうる。死ねば、妄想も起こらない。 永遠の無である。
119 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/26(火) 20:12:47.79 ID:t3CyTlS1
>>118 >死んではいないから、そのような妄想が起こりうる。死ねば、妄想も起こらない。
毎年報告のある脳波停止からの生還は如何でしょうか?
妄想も起こらないはずですが。
霊はいません 信じるとカルト3バカトリオにはまるよ
121 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/26(火) 20:30:21.08 ID:t3CyTlS1
>>120 >霊はいません
>信じるとカルト3バカトリオにはまるよ
霊も魂もいないとします。
その場合は釈尊が説いた輪廻する「意識」は何ですか?
釈尊が嘘を言った、または間違っていたという回答では、仏の教えの否定になりますので、仏教議論板も空しいでしょう。
122 :
神も仏も名無しさん :2013/03/26(火) 20:33:17.13 ID:Oz4K0TZT
>>119 全く報道されないし、医学雑誌にも見当たらない。
「脳死判定」の手続きは極めて厳重だから、まず起こりえないことだ。
それに、分った時は臓器を抜かれているからもう遅い。他人の命を
助けたことで、以って瞑すべきであろう。
君達は、宗教などクソの役にも立たないことに時間を浪費しないで、
解剖生理学から始まる医学を勉強すべき。医学や理系分野は、人材が
まだ不足している。それが、君達の言う「得を積む」ことである。
脳波停止についての仮説 :不明な理由で脳波が止まるが心臓は自律でも動くので(呼吸は知らん) 脳波が再開すると生き返る。動物実験でもやっとけ。 低温で仮死になるのは文字通りの仮の死であることは知られている
輪廻とは、諸法実相を覚ったか釈迦の洞察。 >輪廻する「意識」 などないよ。 感知する五感そのものが無くなっていると言うのに、何が感知させるというのだろか?
126 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/26(火) 20:46:50.21 ID:QkVr0xoi
>>124 だから肉体の範囲を超えるより微細な意識です
チベット仏教など参照
失礼ですが サロメさん 仏教の改宗したら
128 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/26(火) 21:17:47.18 ID:QkVr0xoi
>>127 そのつもりはないです
ただ
日常に仏教由来の瞑想を取り入れているので(祈りの様式としてはカトリック公認)
それと個人的にチベットが好きで チベットをもっとよく理解したいので
仏教を学んでいます
手かざしの光は、ス神じゃなくて伊能の神様からオミタマをぶら下げら信者を 通して神の光を放射されると言っているけど、科学的に証明されているの? ダダの赤外線じゃないの? それに、真光では、「直接霊査の業」というのがあるじゃない?
130 :
神も仏も名無しさん :2013/03/26(火) 22:03:25.08 ID:bXmDU3rE
神界の業(消霊) 施光者が主神にお願いして許しを得ると、神が施光者の体を使って、 受光者・物品等に憑依している、悟るのもいや、苦しくて仕方がない、 怨み等、悟る見込みのない悪霊を真の光により袈裟切りにして完全に 抹殺してしまう業である。受光者本人は痛くも何ともない。 霊の洗礼の1つの手段である。人間に許された最高の業で、かつていかなる 聖者にも神は与えず前例がない。施光者が合掌した両手で相手(の憑依霊) に向かってまず袈裟切りにすると、神が施光者の両手から真の光をほとば しらせて、相手に憑依した霊の幽体・霊体・魂までも切る。 そして次に施光者が相手の足から順に頭に向かって何回か払うと、両手から 出る真の光により相手の憑依霊は完全に消えてしまう。 世界真光文明教団の岡田光玉氏は、1971(昭和46)年に「魂の抹殺」を 予言している(昭和49年発行の「寸教1」に掲載)。
思うに 中世ヨーロッパなら 在家さん サロメさん確実に火あぶりだね
前世は一在家(現世はカルトの真光信者)君も ス神といっても 空想の悪神だから黒魔術恵かもね。 そうなら魔女裁判かけられるよな。
133 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/26(火) 22:18:12.90 ID:QkVr0xoi
>>131 カトリックも現在ではよい方向に変わっていますから^^
134 :
神も仏も名無しさん :2013/03/26(火) 22:20:06.50 ID:WU4Tz54E
また糞一在家が上の方で前世の想起とか霊動とかまったく証拠能力のない屑ネタ出してるわな(笑) さすが手品師ユリゲラーや旧石器捏造事件の藤村担いだアホ教団の超三下信者だわ(笑)
135 :
神も仏も名無しさん :2013/03/26(火) 22:21:22.97 ID:Zfon9Eoc
>>121 (前世は一在家)
>その場合は釈尊が説いた輪廻する「意識」は何ですか?
・『釈尊が説いた』ことを証明してください。書いてある、以外に。
・『輪廻』(生まれ変わり)の存在を証明してください。
・『意識』を定義してください。
136 :
神も仏も名無しさん :2013/03/26(火) 22:29:57.77 ID:bXmDU3rE
オウムの新見も、真光の信者だったんだよ!
>>88 どこが鋭いんだか・・w ┐(´ー`)┌
いや、目の付け所としては重要な点だけど。
>ところで第一因というものを認めなかったら、
第一因の因は問わないの? (´・ω・`)
それが第一番目であることはどうして確認できるの? (´・ω・`)
二番目三番目かもしれないのに?
(→寿命の長い神々、他の衆生より先に生まれた神々のエピは、この辺とリンクするかもしれませんねw)
ラッキョウや玉葱ならいつか剥き終わりますがw、
結局、どこまでいっても区切れないわけです。(だから無記なのでしょう?)
*(それは、デカルト的無限遡及と同質です。
デカルトが、神(第一因)の設定によりケリをつけたのかどうかはしりませんが、
だとしたら尚更、神智学もキ教もデカルトとのその相似性に於いて、仏教と相容れる筈がないのです。)
>縁起そのものは元からある自性となるが、
この場合(説明上)「縁起そのもの」という言い方は致し方ない面があるにせよ、
(実は結構問題ではありますが)、
ここで、 >元からある(自性となる) としてしまうところが無思慮なのです。
縁起が先に「あって」、その次に(縁起【がある】が故に)諸法が生じたという考えが
そもそも倒錯だと思えませんか? (さらにそこで「自性」扱いすることも。)
>>88 >こうなると一切法無我。一切行無常の仏法から外れることになるわけだが、
いやいやw
そこは対比対置することじゃないものを対比対置させるから変に見えるだけでしょ。
「一切行無常」なる諸法の在り様が縁起でしょう?
「縁起」という何か固定的存在があるわけではありませんし、
それを理法・法則という捉え方をしたとしても、常住なるものとして「ある」わけではないでしょう?
隠居の相依じゃないがw、諸法の連鎖があって法則として見出されるだけの話ですから。
【法則のみが】【先にある】なんてこともありえないわけです。
仮に、縁起を「法則」としてみても、【縁起が先にある】わけではないのです。(※1)
>>98 の如く、(宇宙の)第一因の無限遡及に陥るだけなのです。
98が倒錯であることは、過去、縷々ご説明申し上げましたが、
まったく同じことが、「縁起を法則と見做しても」言えるわけです。
その意味で、(一代ほどの激讃ではないがw)、蓋し卓見である、と言わざるをえないのです。
139 :
神も仏も名無しさん :2013/03/26(火) 22:59:51.40 ID:T3p/kq6c
真光の宗教的ジャンルはなんだろか? 経典とかあるのかな?
>>88 *(だから、「縁起」なんじゃないですか。だから一代が「西洋的実在論(存在論)」と限界を指摘するんじゃない。
だから、「見る」という表現が多用されるのです。
諸法の生滅の様を、縁起を見るわけです。それは言い換えれば、
諸法の相をあるがままに見る、ということでもあり、(だからこそ後代、諸法実相と言い得るわけです。)
体・相・用という言い方がありますが、諸法のその在り様にピントを合わせれば「相」であり、
諸法を因により縁により変化消滅せしめているという意味で「用」(働き)であり、
諸法が「無常であり無我なる此縁性なること」(空なること)を本質・本性とする
という意味で、「体」(本質)なわけです。
ここで、本質(縁起(性)・空(性))の本質を言い出すことは、
( >ここで、 >元からある(自性となる) としてしまう >そこで「自性」扱いすることも )は
デカルト的無限遡及、自我のマトリョーシカ、第一因の入れ子構造と、何も変わらないのです。
また、後期語義としての「自性」であれば、尚のこと「=縁起」どころか
「縁起の自性」という考え方自体がナンセンスなわけです。
(ちなみに、初期仏教(及びパーリ)に於ける自性は、そのものが有する本質、そのもの特有の特質、
といったことです。だから、その意味で、それをそれたらしめる性質という意味での本質とも言い得ますが、
後期仏教で発展的に用いられるような語義は、まだ現れていません。)
そして、イデア的に、或いは「先に“ある”“もの”」という意味を含意するなら、
反縁起な考えであると言わざるを得ないのです。
141 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/26(火) 23:01:14.72 ID:wwFBiVtz
>>88 ※1
よく、品詞を引き合いに出して(或いは品詞に於ける人称・数変化の存在を以て)、
まず「主語(≒名詞)」が先にあって、
その主語(≒主体)による(於ける)変化・動きが「術語(≒動詞)」であるようなもの、
と説明する人がいます。
しかし、ほんとうにそうでしょうか?
変化や動きなしに、何ものかが存在し得ましょうか?
ここで、視点を180度変えてみるわけです。そもそもの発想起点を変えてみるわけです。
硬い言い方をすれば「事象のみがある」ということです。
よく、その事象を見ているのは・観察しているのは誰か?と問う方がいます。
しかし、その問いは終わることがありません。マトリョーシカそのものだからです。
だから、五蘊和合が、最もシンプル且つ的確な評なわけです。
「・・・と考えているのは誰かね?」「・・・を見ているのは誰ですか?」
という問いもよくありますが、「誰」等といった「およそ主体なるもの」は、総合的後発的なものなのです。
(そのように解することで、無限遡及は即止まるのです。)
「・・・と考えている」という、考察行為が、意識作用が、
そうした精神作用が、働きが、『そうした事象』があるのみなのです。
それを、「○○」(わたくし)という主体だと見做すから、その主体の存続や保護拡張に振り回されて諸苦があるわけです。
その主体の周縁事案が惹起刺激され、諸苦が生じるわけです。
だから三法印となるわけです。(十二支縁起も骨子は同様です。)
そして、ウダーナに言われる出離は、別世界・別所への移動でもなく、変質でもないわけです。
「ある」と言われるのも、別世界・別所、変化した後の≪存在≫としてあるわけではないのです。
だから、(得るという表現は勿論ありますが)「見る」と言われるわけです。
だから、「涅槃」(寂滅の境地)は、「ある」とだけ言われるのです。それ以上でもなければ以下でもないのです。
当然、見ているのは五蘊和合の比丘阿羅漢如来です。
そして、五蘊が滅した時、真に完全なる寂滅となるわけです。
>>126 サロメ氏
>より微細な意識です
(意)識が輪廻(の実体として存続)するという説は仏教にはなく、また仏教ではないと思います。
粗大なものにせよ微細なものにせよ、識を含む五蘊を実体視するのは、謬見であると説かれているのが仏教です。
ただし、この仏説(五蘊の無我)は、本格的な修行者に向けて説かれるものであって、広く世間に対して「一般論」「宇宙の真理」として語られるべきようなものではありません。
また、にもかかわず、「一般論」「宇宙の真理」といった形で捉えた上で、肯定したり否定したりするのは何れも邪見に資するのみでしょう。
おそらく正しく三宝に対する信の確立した者でないと邪見に油を注ぐだけなので、慈悲の観点から相手を選んで対機的に語られる種のものだろうと思います。
粗大か微細かという観点をテコにすることは、仏教では(そういった論法を持ち出す者がいることを見越して)「粗大なものにせよ、微細なものにせよ」という表現で既に封じてあるわけです。
一般には輪廻を通じて「業」が相続されるだけであって、(いかなる形で表現されるものであっても)何らかの「実体が」、業を相続するという考え方をすること、その思考の枠組み自体が邪見、非仏教(外道)のものとされるのだと思います。
(私の知見からすると)少なくともテーラワーダではそう(業相続だと)考えるようですが、大乗でも唯識がその点で際立っているということは決して主流ではない考え方だと思われます。
144 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/26(火) 23:19:10.33 ID:wwFBiVtz
145 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/26(火) 23:29:35.78 ID:wwFBiVtz
>>143 私だって仏教からしたら外道のカトリックですので
僧院にこもっている仏教とは最初からご縁はないと承知しています
148 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/26(火) 23:36:51.51 ID:t3CyTlS1
輪廻に関わる文はスッタニパータだけでも10箇所は確認されております。
>>38 尚、中村元先生はスッタニパータSn.に下記のコメントをしておられます。
(「ブッダのことば」岩波文庫、P433-P434)
現代の学問的研究の示すところによると、仏教の多数の諸聖典のうちでも、最も古いものであり、
歴史的人物としてのゴータマ・ブッダ(釈尊)のことばに最も近い詩句を集成した一つの聖典である。
シナ・日本の仏教にはほとんど知られてなかったが、学問的には極めて重要である。これによって、
われわれはゴータマ・ブッダその人あるいは最初期の仏教に近づきうる一つの通路をもつからである。
よって北伝の日本の大乗仏教徒各位からご批判が出ることを想定しておりましたが、やはり多いようですね。
宗派に固執してゴータマ・ブッダと最初期の仏教に近づきうる一つの通路を閉ざす必要はないかと存じます。
>>148 古層だということは、(或いは詩偈であったということは)、
《「新しい」「的確な」「最適な」「ニュアンスを過不足なく表現し得る」語、言い方》
ではなく、
【既存の言い回しが踏襲され】、【解釈や補足説明によって】
そのニュアンスの相違・新規の意味を付加する、
という手法であった可能性があるということだ。(一代が嫌う悪しき文献学の一種だがw)
150 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/26(火) 23:43:11.21 ID:t3CyTlS1
>>143 不説氏
>おそらく正しく三宝に対する信の確立した者でないと邪見に油を注ぐだけなので、慈悲の観点から相手を選んで対機的に語られる種のものだろうと思います。
そうですよ。慈悲の観点から異教の修行者や初心者には「輪廻」は説かれていないでしょう。
同様に龍樹も菩薩候補者以外には「空性」を説かないようにと残しております。
151 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/26(火) 23:56:08.29 ID:t3CyTlS1
>>150 >同様に龍樹も菩薩候補者以外には「空性」を説かないようにと残しております。
『中論』四諦品
第十一偈:正しく空を観ずること能わずんば、鈍根は即ち自らを害す。呪術よくせず、よく毒蛇を捉えざるが如し。
第十二偈:世尊はこの法甚深微妙の相にして鈍根の及ぶところにあらずと知る、この故に説くことを欲せざりき。
さて「鈍根」は異教徒だけでしょうか?
152 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/27(水) 00:10:19.40 ID:36hGXX8f
>>151 >さて「鈍根」は異教徒だけでしょうか?
(「ブッダと龍樹の論理学」石飛、P64-P65)
まとめておくと、「世俗諦」は、「虚妄な法」であり、そして、「正しからざる道」である「十二支縁起の順観」に関係している。
「第一義諦」は、「虚妄ならざる法」であり、そして「正しい道」である「十二支縁起の逆観」に関係づけられる。
(中略)
つまり、『中論』は、輪廻世界で苦しむ凡夫に向かって直接説かれているのではなく、涅槃をめざす仏道の修行者にむかって
説かれているのである。
153 :
神も仏も名無しさん :2013/03/27(水) 00:10:26.00 ID:VZ4KTrRh
>>121 >霊も魂もいないとします。
>その場合は釈尊が説いた輪廻する「意識」は何ですか?
「古代人釈迦の無知に基づく誤り」で終了。
154 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/27(水) 00:16:49.05 ID:36hGXX8f
>涅槃をめざす仏道の修行者にむかって説かれているのである。 慈悲と菩提心と智慧を備え、功徳の蓄積がある人が対象かと。。
155 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/27(水) 00:22:20.70 ID:36hGXX8f
>>139 >真光の宗教的ジャンルはなんだろか?
「古神道」系で宜しいかと存じます。
天理教、黒住教、金光教、大本教、世界救世教。。。等々
156 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/27(水) 00:25:28.01 ID:36hGXX8f
>>153 >「古代人釈迦の無知に基づく誤り」で終了。
それでは貴兄は仏教議論板から目出度く解脱、ご卒業ですね。
157 :
神も仏も名無しさん :2013/03/27(水) 00:48:37.09 ID:ikcX0roy
全世は一在家みたいな奴が人を迷わすんだよ
158 :
神も仏も名無しさん :2013/03/27(水) 00:49:18.98 ID:VZ4KTrRh
>>156 紀元前5世紀といえば、日本はまだ古墳時代だぞ。釈迦もイエスも、現代の
小学生低学年程度の知識もなかったはずだ。そんな人間に一体何が教われる
のか?常識外れ。
160 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/27(水) 01:04:59.92 ID:36hGXX8f
>こないだのNスペ見てないのか?w 私も見ていないのでご紹介下さい。
161 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/27(水) 01:10:40.96 ID:36hGXX8f
>>158 因みにアルキメデスは紀元前3世紀です。
163 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/27(水) 01:14:37.29 ID:36hGXX8f
また偉大な発明や発見は神仏からの天与(ヒラメキ)ならば、数千年など さほど重要なことではないでしょう。
164 :
神も仏も名無しさん :2013/03/27(水) 01:15:58.93 ID:O5+QytFK
165 :
神も仏も名無しさん :2013/03/27(水) 01:17:50.16 ID:BqH1mk7Q
>>163 神仏は一切関係ない。すべて人間の生存本能(生命)の成果。
166 :
神も仏も名無しさん :2013/03/27(水) 01:19:15.33 ID:1b9IrF8h
167 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/27(水) 01:21:45.53 ID:36hGXX8f
>>162 アイスマンのご紹介を有難うございました。
五〇〇〇年前の人物が銅製の斧を持っていたことは驚愕ですね。
小学生並みの知識では到底製造できないからです。
>>163 >数千年などさほど重要なことでは
その通り。
年数・スパンが重要なのではなく、
「天与」なるものを想定してしまう感性自体が問題(重要)なのです。
それが顛倒妄想であることに気付けるかどうか?が、仏教の肝の一端なのですからw
169 :
神も仏も名無しさん :2013/03/27(水) 01:26:18.57 ID:BqH1mk7Q
>>164 BC500年頃、西日本、関東地方に横穴式石室を持つ古墳が出現
170 :
神も仏も名無しさん :2013/03/27(水) 01:29:19.47 ID:BqH1mk7Q
>>167 釈迦やイエスがPCを見たら、腰を抜かしてPCの前にひれ伏すだろうねw。
171 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/27(水) 01:31:11.46 ID:36hGXX8f
>「天与」なるものを想定してしまう感性自体が問題(重要)なのです。 イエスは天の父の声を聞き、モハメットはアラーの声を聞き、釈尊は梵天や神々と対話したとあります。 唯物論でなく宗教であれば普通のことでしょう。 >それが顛倒妄想であることに気付けるかどうか?が、仏教の肝の一端なのですからw 釈尊を顛倒妄想者とする貴兄は仏教徒ですか? 唯物論者ならば分かります。
(>>
>>84-85 >>146-147 (及
>>162 )を踏まえた上で)
よーするに、
人間ってのは数千年経っても大して変わってない、ということだ。
だから、
人間が生来的に持っている思考の癖、及び成育過程で培われる思考の癖を、どこまで見透せるか?
が、ポイントなのです。
で、
まんま、その「思考の癖」の通りに思考されているのが、
キ教・イ教・神智学・各種土着宗教、各種新興宗教、及び生命教であるわけです。
173 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/27(水) 01:39:08.03 ID:36hGXX8f
>>170 >釈迦やイエスがPCを見たら、腰を抜かしてPCの前にひれ伏すだろうねw。
そう思いますか?
多分、携帯電話を見ても驚かないでしょう。
御二人とも、天眼通や読心通を多用されてましたので。
(参考)イエスの読心通はマルコの福音書2.8
>>171 それは前も指摘したよな?
>釈尊は梵天や神々と対話したと
それは「天与」(≒啓示)なのか?ってことだ。(語の定義の基準取りになってしまうのだけれども。)
こないだの話をもう忘れたのか?(怒 ほんと、姑息で下劣な奴だな・・ ( ゚听)、
175 :
化人幻戯 :2013/03/27(水) 02:16:18.95 ID:8hIlpZcB
大本では、「鎮魂帰神」については、後年、王仁三郎が修行を禁止してしまいます。 これは、若手中心の幹部の先走りで「鎮魂帰神」を行い「発狂者が続出」したから です。真光でのパクリ元の救世教の教祖も元は、大本の信者でした。 救世教では、浮霊現象が起きるため「額に手かざしして呪文を唱えることを禁止」 していますが、当時、救世教信者だった「岡田光玉」がそれを無視して行ったためと、女性信者への秘部に触れ、大声を上げられ布教所が騒然となったことで、専属幹部の 職を罷免されています。
>>115 >>116 両方、他や物自体を想定しているみたいだけれど
そんなもん唯識で否定されているよ。
177 :
神も仏も名無しさん :2013/03/27(水) 02:45:34.74 ID:O5+QytFK
>>169 古墳時代は三世紀から(紀元後)だと思ったが。
日本で紀元前五世紀と言ったら、縄文後期と弥生時代が重なるかぐらいでしょう。
非常にどうでもいい突込みだが。
(1/2)
>>144-145 サロメ氏
リンク先の文章を読む限り、チベット仏教では唯識と違って業相続で輪廻を捉えているようですね。
気を悪くされたようですが、
>>143 で述べた内容は特にあなた個人に向けた話ではなく、以前より折に触れて述べている私の見解です。
>>121 >輪廻する「意識」は何ですか?
>>124 >輪廻する「意識」などないよ。
>>126 >だから肉体の範囲を超えるより微細な意識です
という流れだったので、「微細な意識が輪廻する」という意見かと受け止めたのですが、
もしかして
>>121 >>124 という流れとは無関係に
>>124 >感知する五感そのものが無くなっていると言うのに、何が感知させるというのだろか?
>>126 >だから肉体の範囲を超えるより微細な意識です
という反応だったのでしょうか?
いずれにせよ、肉体第一か精神第一かという綱引きは仏教の目的とするところのものではないはずです。
(2/2) また現状であなたが異教徒であるという点が必ずしも問題になるものではないと思います。なぜなら、釈尊の弟子たちの多くは元、異教徒です。 三宝に帰依するということで、例えば、あなたのようにダライ・ラマ14世に帰依して仏教を学ぼうということであれば、ダライ・ラマ14世の仏教についての態度によって仏教のTPOを学ぶということになると思います。 例えば、ダライ・ラマ14世は、物質主義者に対し、精神主義者の優越性を確立せんがために、仏法を語るでしょうか? ダライ・ラマ14世はそのような姿勢を推奨するでしょうか? 唯物主義者も、神霊主義者も、等しく、彼等衆生に輪廻の苦しみから逃がれる道を示し導かんとするのが、仏法の担い手たる者(僧)だと思います。 (あなたの嫌いな)御隠居殿の方に意識は向けず、ダライ・ラマ14世(僧)に意識を向け、彼から仏教知識のTPO(法)を学び、それら(法・僧)を通じて釈尊像(仏)というものを見出すのが一番だと思います。 僧宝を経ずして、法宝・仏宝に実質触れ得ることはないでしょう。あなたにとっての僧宝はダライ・ラマ14世ではないですか? 御隠居(唯物主義者)があなたにとっての宝ではないですよね?
>>150 前世一在家氏
>慈悲の観点から異教の修行者や初心者には「輪廻」は説かれていないでしょう。
いえ、唯物主義者はじめ俗世間の凡俗に対しては仏教的輪廻観はむしろ積極的に語られます。我々はこう考えているんだということで、秘密の教えにしたりはしません。
対機に鑑みるのは、そうではなく、輪廻の実効性を認めていて、自発的意志で修行している者に対し、輪廻を(価値観上)否定的に(嫌なものだと)捉えて、そこから解脱を図ろうという方向の教えについてです。
また、「輪廻の実効性を認めている者」というのは、異教か仏教かを問わず、宗教的修行者であって輪廻をそのように認めている者は、実質的に違いはありません。
この場合、異教が間違っているのは、解脱のための方法論としての問題なので、
それまでは外道者であったとしても、ひとたびその異教の教えに欠陥があることに自分で気付き、仏教こそが解脱の唯一の正解であるという結論に自分で到達して、
仏教に帰依・出家したならば、たちまちのうちに阿羅漢となったというエピソードは少なくありません。
181 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/27(水) 07:55:13.34 ID:36hGXX8f
>>180 不説氏
>いえ、唯物主義者はじめ俗世間の凡俗に対しては仏教的輪廻観はむしろ積極的に語られます。我々はこう考えているんだということで、秘密の教えにしたりはしません。
それでは霊魂と肉体とは同じか、否か?という問いに対して「無記」だったというのは間違いだったことになりますが。
輪廻では意識が前世を記憶しておりますので、肉体と同じでは死にて意識、記憶も消滅するでしょう。
182 :
神も仏も名無しさん :2013/03/27(水) 11:47:06.54 ID:8dJhaq1i
>>152 >「第一義諦」は、「虚妄ならざる法」であり、そして「正しい道」である「十二支縁起の逆観」に関係づけられる。
石飛道子は痛すぎるw
183 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/27(水) 11:54:04.74 ID:dSVfGhQn
>>178 あたしは輪廻するより微細な意識も実は空であると明記しています
チベット仏教では中有でも 私の意識 は存在すると考えているのを御存知ありませんか?
意識が業によるものでも中有では 私が意識 されます 業によって意識が仮設されたモノであっても
それは生前と同じす その意識 が 生前と 仮設のされ方が違うだけ その意識を意識している私も
単なる私で本質は空ですけどね
あなたの部派では中有は無記なのかもしれませんが チベット仏教では違いますね^^
ダライラマに帰依ではなく個人的に深くご尊敬させていただいているのです
隠居はとっくにあぼーんで断滅していますし^^
184 :
神も仏も名無しさん :2013/03/27(水) 12:11:19.81 ID:8dJhaq1i
>>180 >>181 ,/ ,..:::=ー,..:-=-::、
(( 、、_/ i'´ / _....,_ `ヽ
、ヽ ミゞ ゝ ヽ/ ; r','"⌒~^'ー::、
''=,ミ -- ' ^ ~ ^ ニ _ ^ヾー-:、 ミ:、
∠./,:=ニニ - 二 =ー::、 ^ ミ 、 ー
,.::-=ニ'レ,.:--‐ ー--:: 、ヽ ヽ ミ ヾヽ
/,,.-‐i ;::::::-、 ! .;:::::;;;::;、 ; ヽ ミ 、ヽ、
〃./'i ,,:=:, 、 _ ,:=::.、 .; ニ ヾミ、_
,! i l,γ @> ゙:. .: k @ ミ:、 .i ,:-' 、^ミ=-
ノ. !,tゞニ彡'ノ : . ^ミ=ニイ、、 彡ソヘ ヾヽヽ、
/. レ / :. '-、 :, / ,ソミ:、 〉 )
| / /ゝ、_ノ..,)ヽ 、 l i /ヽヾ j λ
! ヘノ/ノ川 !.ヘヾ、ミ、 i :l ハノ .)ノ人 ヽ、
!.i^'=ァ〜'T''⌒ナヾヘ ! i /`´
ヽ、`l ; /,/ / ./ノ
ヾ、i. ; 〃゙ / ,.ノ'´ ほぉ〜 そうかい ホッホッホッ
ヾゝi_,ノ ノ/
ヽ、_,,../゙ ば〜〜〜〜〜〜かw
時空は縁起なんじゃよ、
自性→梵神論を妄想するスピノザの神と仏法は両立できぬ。
>輪廻では意識が前世を記憶しておりますので
そんな一切外ガラクタ妄想はカルトの常套句だ。
アッ、一部自性常住論の間抜けカルトだったw
定義といま眼のあたりに体得できる証明をキッチリやってからゴタクを抜かせw
そんなことより、肝心かなめの四諦はどーした。
185 :
神も仏も名無しさん :2013/03/27(水) 12:35:49.73 ID:n17qL2B5
南無あみ妙法蓮、へんしょうだーいし、ハーラミッタ ♪〜
186 :
北朝鮮傀儡の真言密教 :2013/03/27(水) 12:38:45.43 ID:8dJhaq1i
>>181 前世一在家氏
理由:「輪廻では意識が前世を記憶しておりますので、肉体と同じでは死にて意識、記憶も消滅するでしょう。」
結論:「それでは霊魂と肉体とは同じか、否か?という問いに対して「無記」だったというのは間違いだったことになりますが。」
となっていますが、私は
【仏教的】輪廻観
と述べたのであって、
【非仏教的】輪廻観
ではあなたの上記理由は成立するのかもしれませんが、上記理由のような思考方法は仏教では採りません。
なので「間違いだったことにな」るとしたら、あなたが、
--「輪廻観」と言ったら仏教的だろうが非仏教的だろうが、世間で一つ共通のものしかない
と考えたことです。
188 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/27(水) 13:49:34.76 ID:QqNrsSjn
>>187 あなたはバルド 中有の存在を認めないのですね?
そこで 意識を持つ私 が輪廻に備える
それを否定するお立場ということでよろしいですか?
もちろん 意識している私 も生前の私 と同じで本当は空ですけど
>>183 サロメ氏
>あたしは輪廻するより微細な意識も実は空であると明記しています
この言い方ですと、唯識派が阿頼耶識(より微細な意識に相当)が輪廻の実体として存在し、
それは本来は空だから解脱すると消滅すると言っているのと違いがわからないのですが、
先にご紹介のリンクの中観派の見解と唯識派の見解の違いについては、どうお考えなのでしょうか?
両派の違いのどこがポイントとなるところでしょうか?
中有のことは私は中有の考え方自体について詳細に知らないので、誤っている可能性はあり、日本の世間一般の俗知識しかありませんが、
世間を五道に分類するか、阿修羅道を餓鬼道から独立させて別の一道として六道に分類するかという、区分けの違いではないかと思います。
実際には餓鬼や天に転生しているものの、転生した直後は前世の人間であった記憶が新鮮に残っている時期があり、
餓鬼は知りませんが、天界人の場合は天の楽によってほどなく前世を思い出す切っ掛けもなくなるので、
中有的な前世とのつながりがアクティブに残存している状況は時間とともにフェイドアウトしていくでしょうね。
190 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/27(水) 14:10:28.95 ID:+x8Q86HN
>>189 中有では 私を私 と意識する私は残っているわけです
私が引用したサイト 私が引用した文章の前段に明記されております
↓
阿頼耶識のような実体的性を否定しつつ、あくまで世俗の次元に心の連続性を見いだそうというのが、
中観派の死生観の特色です。前世から来世へ連続してゆく心とは、意識(第六識)の因果関係の流れです。
私たちの生存中の意識は、脳細胞や神経に依存していますが、臨終の過程で微細化され、
そうした粗い物質に頼ることなく存在し得るようになるといいます。このような内容は、密教の
無上瑜伽タントラの理論を導入することで、より一層明確に説明できるでしょう。
私が先に引用した部分です
↓
中観帰謬論証派では、世俗の次元に於ける意識の因果関係の流れを承認しつつも、
それ自体を輪廻転生の主体だとは位置づけません。輪廻転生の主体は、そうした意識の流れに依存し、
それを享受し、利用しているところの「単なる私」です。こう表現すると難解そうですが、
生存中のことを考えれば簡単です。今の「私」は、私の意識の持ち主であり、私の意識は、
私によって利用されています。持ち主と所有物は同一であり得ないので、私は、私の意識そのものではありません。
そのような「私」は、実体を追求すれば何一つ見いだせませんが、世俗の次元では存在しているので、
「単なる私」と表現されるのです。
>まぁ意識の因果関係の流れが 生前と同じように 微細な状態で持続する 生前とはちがい粗雑な肉体には依存しない流れ
>私=意識の因果関係の流れ に訂正しますね
191 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/27(水) 14:17:01.87 ID:+x8Q86HN
>>190 訂正
私=意識の因果関係の流れを享受している実体がない 空である私
192 :
仏法は初転法輪に尽きる :2013/03/27(水) 14:25:30.26 ID:8dJhaq1i
>>100 ( ? )
>インドの輪廻と解脱の考えに基づいている (
>>97 )
そもそも、そういったヤージュニャヴァルキアが創作したアーリア=バラモン=生まれによる人種差別イデオロギーへの『信仰(←一切外妄想)を捨てよ!』と、
<初転法輪で>批判したのがブッダですよ((南伝 相応部 6-1、Sn.1146)。
仏法は、初転法輪での縁起=中道と四諦に尽きます。
あとはガラクタです。
他信仰宗教のみならず、大乗・小乗を問わず仏教でもあふれかえっている<間接現実一切外”のガラクタ妄想>=信仰
=(絶対・超越的創造神、業報輪廻、仏性(仏種)・如来蔵などの自性信仰、 菩薩キャラ、形而上学的思惟などのドグマ や物語、妄想等の
検証不能領域)を捨てよ、が初転法輪に至る根本精神であり、最初のボタンです。
大部分の人たちのように、このボタンを掛け間違えていてはブッダの本懐には至れません。
一番の問題は愚かにも、ここの大部分の連中のように、これらのガラクタと直接現実を混同し、または混ぜてしまうことです。
これらガラクタを“すべて”ゴミ箱に捨てれば、縁起=中道⇒『四諦』という初転法輪のパラドックスだけが残ります。
パラドックスが残るということは、残らないということです。
ここは直接現実の直覚という『はなはだ深く、見がたく悟りがたく、
微妙にして思念の領域を超え、深妙にして賢者のみよく智るべきもの』(相応部 6-1)と言われるところです。
アホにつける薬がない領域です。即ち、
・間接現実で縁起を見る(分別知覚・記憶・比較判断)ものは、すなわち<苦・集・制(滅)・道>を見る。(龍樹 中論24-40 参照)
⇒色即是空
・直接現実で縁起を観る(無分別般若智直覚)ものは、すなわち 無<苦・集・制(滅)・道>を観る。(般若心経 参照)
⇒空即是色
193 :
神も仏も名無しさん :2013/03/27(水) 14:31:24.14 ID:HJxBKTGo
>>190 >私たちの生存中の意識は、脳細胞や神経に依存していますが、臨終の過程で微細化され、
>そうした粗い物質に頼ることなく存在し得るようになるといいます。
そんなことは、医学的には全くのデタラメで零点。人前でデタラメを語るな。
サロメは、先ず注釈書に飛びつかないで、中論本文のみに取り組め。中論は
難しくて理解できないのか。注釈書は、まず中論本文と自分の頭で格闘した後の、
批判の対象に過ぎない。中論のどこに書いてあるのかを、すべて明記すべき。
>>189 補足
つまり、そのような過渡的な時期を「中有」として独立させて捉えたものと考えることができるので、
区分けの線引きをどこにするかということで、「有る」ものを「無い」とするのは当たらないと思います。
あと、唯識派の輪廻の実体は阿頼耶識ではなくて末那識だったかもしれません。
いずれにせよ何らかの「微細な意識」という意味です。
>>190 サロメ氏
>私=意識の因果関係の流れ に訂正しますね
微細かどうかという部分を前面に出して主張されるよりは、その方がいいと思います。
195 :
仏法は初転法輪に尽きる :2013/03/27(水) 14:34:41.97 ID:8dJhaq1i
>>97 ( ? )
>此の蘊を捨て己(おわ)っても異蘊相続して又、次の、この世の生に戻り来る
明確に妄想です。
・『生已盡滅』『此陰滅已』(それは起った途端に已(や)んでしまう)なのに、なにが『異蘊相続』するとでもいうのですか?
・『異陰相續。除俗數法』⇒直接現実にては相續観念自体がなくとも、
間接現実にて、二項相対の妄想してしまう異蘊相続という無明の連鎖=十二支縁起=俗數法なるものは批判排除<除俗數法>されて当然だ、といっているのです。
「正しい道」である「十二支縁起の逆観」という石飛道子は痛すぎるw(
>>182 )のです。
『業報有るも而かも作者無し。此の陰滅し已らば異陰相續す。俗數法をば除く。』(第一義空経)
間接現実においては、『業報有る』ように知覚・記憶・判断しても、一切内においても実は『作者無し』(一切法無我)
間接現実にては、業(因)は起った途端に報(果)としても已(や)んでしまう(生已盡滅)。 <即業即報>
直接現実においては、無意味・無価値・無矛盾・無実体・無相の空・中道(非有非無)=時空際断である。
縁起の直接現実(あるがまま)にては「縁って起こる」=相續“観念”自体がありえない。 <非業非報>
直接現実にては相續観念自体がなくとも、間接現実にては、二項相対の妄想(無明の連鎖)として知覚記憶(相續)してしまう。
仏は矛盾なきを矛盾のうちに説く(無分別の分別:中論24-10)
直接現実(勝義空性)の様相を、間接現実(無明世俗)にて還滅(無分別の分別)すれば、
無明の連鎖である十二支縁起(俗數法)なるものは批判排除<除俗數法>されて当然だ。
ならば、<除業報輪廻転生>であることも理の当然だろう。 ←即業即報・即因即果(還滅間接現実)⇒非業非報・非因非果(直接現実)
第一義空法經たるゆえんである。
196 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/27(水) 14:43:25.58 ID:+x8Q86HN
>>194 中有を重視する流れも存在します
肉体を持って 私 の存在を有無する論者にはそうではなく肉体に依拠しない段階の
私も存在すると主張する必要があります
中有の段階では明確に
肉体のような粗雑なものに依拠しない
意識の因果関係の流れを享受している 本来実体がない空である私 があるわけですから
(生前と同じ状態です)
意識の因果関係の流れを享受している実体がない 空である私 は肉体という粗雑な存在に依拠しているときも
肉体を失った段階でも 同じように世俗諦のではあるわけです
まぁこれ以上はあなたとは拠ってたつ部派が違うので不毛な議論になると思われるのでここまでということに
197 :
仏法は初転法輪に尽きる :2013/03/27(水) 14:52:32.37 ID:8dJhaq1i
>>194 (不説)&
>>191 (サロメ)
ガラクタ妄想 乙!
ガラクタをいくらこね回してもガラクタであって、迷いでしかない。
>>173 (前世は一在家)
あい変らずのアホの続行 乙!
仏教にもアホに付ける薬はない、迷いが深まる副作用がアルのみだ。
同類のアホの巣に帰れw
198 :
さあ、どっちもどっちも :2013/03/27(水) 18:05:27.18 ID:wIetTU9Z
(1/2)
行き違いになっていましたが、
>>191 サロメ氏
>
>>190 訂正
>私=意識の因果関係の流れを享受している実体がない 空である私
結局「〜である私」という表現になっていると、やはり
「
>>189 の唯識派の主張と構図的に違いがなくなる」
というところ(振り出し)に戻ってしまう気がするのですが……(ちょっとガッカリ)
(空を私という名詞に対する形容詞として使って宜しいのかという話はさておき。「私(という思い込み)は空」ならばわかるのですが)
>>196 サロメ氏
>と主張する必要があります
「そのように主張する」といった態度姿勢をダライ・ラマ14世が仏教の教えとして奨励しているのでしょうか?
(2/2)
>拠ってたつ部派が違う
依拠するということは広義で帰依ということに含まれます。それゆえの
>>179 です。
他の多くの信仰を旨とする宗教とは違うかもしれませんが、仏教は「出家(出世間)」の思想が軸となるので、
世間的な徒党において自分がどこの集団に所属し、忠誠を近い、その集団に身を捧げるという発想で、
「帰依」という用語が解されるわけではなく、教えを学ぶ依り所という意味で自発的な意識の持ち方であり、
第三者の己に対する評価(あの人はどの村や階級に所属している的なもの)に左右されるものではないでしょう。
(反対にこれを良しとするならば、むしろ日蓮宗や創価学会のような在り方を仏教徒の鑑として認めねばなりません)
もちろん、ダライ・ラマ14世を通じて仏教に依拠しないのであれば、それはそれでいいのですが、
その場合は、仏教内の派閥上の(上座か大乗かといった)違いを理由とする差異に帰結して結論づけることはできません。
>ここまでということに
ご随意に。
>>197 閻魔大使
(あなた=閻魔にとって)ガラクタであるところの意見を「ガラクタである!」と指弾することは「ガラクタをいじる」ことの範疇には含まれないのでしょうか?
202 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/27(水) 18:30:14.24 ID:36hGXX8f
>>192 仏法は初転法輪に尽きる氏
>そもそも、そういったヤージュニャヴァルキアが創作したアーリア=バラモン=生まれによる人種差別イデオロギーへの『信仰(←一切外妄想)を捨てよ!』と、
><初転法輪で>批判したのがブッダですよ((南伝 相応部 6-1、Sn.1146)。
>仏法は、初転法輪での縁起=中道と四諦に尽きます。 あとはガラクタです。
Sn.1146では神通で現れたブッダがバラモンの弟子に「信仰を捨てされ。」と説かれましたが、<初転法輪>も、中道と四諦も説かれていないようですが。
また縁起=中道 or 四句分別かと存じます。
203 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/27(水) 18:34:55.30 ID:mON2oBa1
まぁ上座部の方はご随意に^^ って言うかこちらが示したリンクくらいきちんと呼んでくださいね^^
204 :
化人幻戯 :2013/03/27(水) 18:43:54.46 ID:8hIlpZcB
釈迦の教えは、輪廻転生からの脱却の方法を説いたもの。 人は、救われるには、解脱(脱・輪廻転生!)外れ再び人間界へ 生まれてこないことが、幸せであると説いている。
205 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/27(水) 18:44:01.89 ID:mON2oBa1
上座部の読みにくい文章の人は放置しておいてご参考までに^^ 次に、唯識派のような見解を奉じていれば、必然的に輪廻転生を主張することになるでしょう。なぜなら、 虚妄な外側の物質である身体が死を迎えたからといって、真実として成立している心まで消滅することは あり得ないからです。 そして唯識派は、脳などに依存しなくても存在し得る根源的な心として「阿頼耶識(第八識)」というものを想定し、 それが輪廻転生の主体だと主張しています。 しかし何といっても、この唯識派の見解は、考え過ぎの観を否めません。特に、阿頼耶識の設定は、 空や無我を逸脱する「勇み足」として、中観派から論難されることになります。 では、その中観派の見解による場合、輪廻転生はどなるでしょうか? 心は、実体として成立していなくても、 世俗の次元で存在しています。そのような心の生じる主たる原因は、物質的なものではなく、精神的なものに 求めなければなりません。 心でいくら思っても、現実に物質が生じることはありません。それと同様、物質にいくら働きかけても、 心を発生させることは不可能です。 中観派では、「前刹那の心から、次刹那の心が生じる」という精神的な因果関係を世俗の次元に設定し、 それによって輪廻転生を説明しています。 阿頼耶識のような実体的性を否定しつつ、あくまで世俗の次元に心の連続性を見いだそうというのが、 中観派の死生観の特色です。前世から来世へ連続してゆく心とは、意識(第六識)の因果関係の流れです。 私たちの生存中の意識は、脳細胞や神経に依存していますが、臨終の過程で微細化され、そうした粗い物質に 頼ることなく存在し得るようになるといいます。このような内容は、密教の無上瑜伽タントラの理論を導入することで、 より一層明確に説明できるでしょう。 >中観派では、「前刹那の心から、次刹那の心が生じる」という精神的な因果関係を世俗の次元に設定し、 >それによって輪廻転生を説明しています。 つまりそれが中有において意識をしてる 本来は空である私 だと解釈します わたしはね
206 :
神も仏も名無しさん :2013/03/27(水) 18:59:14.69 ID:OHM4uQZ4
>>203 >って言うかこちらが示したリンクくらいきちんと呼んでくださいね^^
文献とは、それぞれの人の勝手な見解だから、読むだけ無駄。他人の文献に
影響されると、己が「他人の借り物人間・ロボット」になってしまう。
人間の本質が「生存本能」である以上、すべての「真理」なるものは、「己の
生存努力」の中にのみ存する。
いかなる他者の文献も信じることなく、「己の生命の指示」のみを信じよう。
滑稽な「借り物人間」「他者のロボット」「他者の操り人形」にならないために。
他者に過ぎない開祖の教えではなく、「己の宗教」を樹立しよう。
207 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/27(水) 19:03:52.06 ID:mON2oBa1
断見隠居を断滅^^
208 :
神も仏も名無しさん :2013/03/27(水) 19:18:01.03 ID:OHM4uQZ4
>>205 すべて、チベット仏教帰謬論証派からの「借り物」。滑稽なロボット人間・
操り人形。
それに対する批判と自分自身の見解はないのか?
釈迦の「無我」「無」という「初歩的論理矛盾」「滑稽な勘違い」から離脱
することが、自己回復のための第一歩。
>>206 その考えかたは危険をはらむ
個々が育った環境や受けた教育など、どういう影響を受けてきたかで違うし、人格に異常が見られることも…
210 :
神も仏も名無しさん :2013/03/27(水) 19:27:32.02 ID:OHM4uQZ4
>>209 ならば、精神病の開祖の教えの盲信のほうが、危険は遥かに大きい。
一切の宗教観念を去り、ひたむきに生きることの中にのみ、「真理」は
存在する。それ以外の一切は「他者の借り物」「他者のロボット・操り
人形」に堕すること。
211 :
神も仏も名無しさん :2013/03/27(水) 19:34:02.42 ID:OHM4uQZ4
「すべての人間は、生命において等価・至上」。これのみが、唯一の普遍の基盤。 全宇宙を認識し、存在せしめるのも、個々の人間の生命である。死者には一切不可能。 サロメの饒舌な書き込みも、彼女が死ねばピタリと止まるw。
>>203 貴方も一代と同じく、パーリを下に・見解が低いと見る、ということですか・・・。
(ま、チベット方面に心酔しているあたりで、その傾向は已む無しかもしれませんが・・。)
>>205 >読みにくい文章の人
そうでしょうか?
彼は、オーソドクスな上座部(≒パーリ)の見解を、実に解り易く的確に述べていると思いますが・・。
(その意味で、彼のレスは貴重ですよ?)
213 :
神も仏も名無しさん :2013/03/27(水) 19:53:48.00 ID:CtMpsg9Y
>>205 全然違う。あなたは何もわかっていませんね。
214 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/27(水) 20:13:57.80 ID:36hGXX8f
>>213 >全然違う。あなたは何もわかっていませんね。
異教のサロメさんに根拠を提示しないといけないのではないでしょうか。
215 :
つきみ :2013/03/27(水) 20:26:24.35 ID:026HdLkY
>>214 ここは議論スレなんだから、それは義務ではないね。
在家さん いまこそ異教徒に布教すべきですね イエスも手かざししたし
217 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/27(水) 20:46:09.62 ID:mON2oBa1
>>212 中有について上座部が無記であるなら発言は控えられたらいかがでしょうか?
少なくとも死後の輪廻の過程についてチベット仏教は(大丈夫一般の認識かもしれませんが)
非常に納得がいく説明をしていると思います
>>217 はあ?
なぜ控える必要があるのでしょう?
「こちらではこうです」という情報提供がされた、と受け流せばよいのでは?
「チベット方面に於いては、その説明体系が整っている」
((レベルの高低問わず)種々の疑問に対して答えが用意されている)
というのは、その通りだと思いますけどね。
219 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/27(水) 21:04:34.21 ID:mON2oBa1
>>217 訂正 大丈夫→大乗部
追記しますと 生存している私たちでさえ 仏教的には仮設された諸要素によって 私が私である という意識を
感じているわけです しかし私が私であるという実体 は本来ありませんよね
それは業因による印縁果の連続であって それが中有でも肉体ではなく より微細な状態で(しかし実体 例えば霊魂のようなもの ではなく)
連続するということです
上座部氏でさえ>餓鬼や天に転生しているものの、転生した直後は前世の人間であった記憶が新鮮に残っている時期があり、
と認めておられますね
業因そのものが記憶を持つのもおかしな話ですw
ところで上座部氏はミャンマーのセクトですか?独学ですか??
220 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/27(水) 21:06:59.51 ID:mON2oBa1
>>218 上座部で中有について解説されているのでしたらその根拠をご教示願います^^
あなたの我見であるなら議論は不毛になるでしょうし^^
ミャンマーのセクトのサイトでもいいのでよろしくお願いいたします
221 :
神も仏も名無しさん :2013/03/27(水) 21:14:52.18 ID:K3YHnu9q
>>171 >イエスは天の父の声を聞き、モハメットはアラーの声を聞き、釈尊は梵天や神々と対話したとあります。
優位性が全然違います。イエスは父なる神の定めを断れないし、
ムハンマドは正気を失ったと思い嫁に相談するほど恐怖しました。
対して釈迦はコンビニ店員とちょっと話すような気軽さで会話してます。
天人師を自認する彼は神々(天)から何か与えられるべきものを持たないのです。
222 :
神も仏も名無しさん :2013/03/27(水) 21:27:10.37 ID:K3YHnu9q
宝珠さんは、「一切」について語る場合は、西洋論理みたいに
A(一切)はB(苦)であるが、C(涅槃)はBでない。ゆえにCはAのうちに入らない、と解していますが、
アートマン否定については割りと自由に事情を設定されるんですよね。
>>87 みたいな話はどこにも書いてないですが。
>219
>餓鬼や天に転生しているものの、転生した直後は前世の人間であった記憶が新鮮に残っている時期があり、
>と認めておられますね
餓鬼はともかく神々も、というと変な感じではありますが、
我々が目覚めたばかりの頃は夢の内容を覚えていても
昼ごろにはさっぱり思い出せなくなる。
そんな感じが想定されているのでしょうか。
223 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/27(水) 21:33:37.94 ID:656Q/IAn
>>222 肉体の死によって 空である私の仮設されている諸要素が分散してしまい
業だけが残るなら 天人であろうと餓鬼であろうと記憶を持っているのはおかしな話ですね
224 :
神も仏も名無しさん :2013/03/27(水) 21:50:52.24 ID:K3YHnu9q
業(カルマ)は「行為」という意味もあるので カルマを保持すること自体、行為についての記憶と関係がある、 と古代人は考えていたんですかね。
225 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/27(水) 22:01:12.43 ID:656Q/IAn
226 :
さあ、どっちもどっちも :2013/03/27(水) 22:02:51.38 ID:iSVYaY0k
227 :
念仏 :2013/03/27(水) 22:09:20.46 ID:2EVDVfB7
阿頼耶識は人間とゆう種がデフォルトとして、次の生へとつなぐ遺伝子内データ なんかな〜 とか妄想してます(生存中は常に蓄積と改変) 遺伝子データであれば脳には依存しないし、ある程度は次の生に持越し
228 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/27(水) 22:10:46.31 ID:mON2oBa1
天界の住人はエネルギーを食べて 音楽のエネルギー食べないと死ぬ??? って言うかパーリ聖典に乗ってるんですよね^^; 死の瞬間の気持ちで輪廻の先が決まって 心の成長がどう乗って これ上座部のデフォなんですか?
>>223 サロメ氏
>仮設されている諸要素が分散してしまい業だけが残るなら
>記憶を持っているのはおかしな話
その考え方だと、中観派(上座部もそう)のような業相続ではなく、むしろ唯識派の方の輪廻についての考え方になってしまいますよ。
230 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/27(水) 23:33:21.92 ID:mON2oBa1
>>229 上座部の方が先入観もとうとどうぞご自由に^^
私は心のエネルギーとか言い出す信仰セクトの坊主もてはやす人たちとはご縁がありませんので^^
231 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/27(水) 23:40:35.47 ID:mON2oBa1
信仰は新興ですが訂正の必要はないですね^^ 先入観むき出しの小乗坊主なんて。。。 せめてバルド・トドゥル暗いきちんと理解していただきたいものですね^^
232 :
さあ、どっちもどっちも :2013/03/27(水) 23:41:00.11 ID:iSVYaY0k
233 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/27(水) 23:50:04.77 ID:mON2oBa1
コピペは好きではないのですが^^ 阿頼耶識のような実体的性を否定しつつ、あくまで世俗の次元に心の連続性を見いだそうというのが、 中観派の死生観の特色です。前世から来世へ連続してゆく心とは、意識(第六識)の因果関係の流れです。 私たちの生存中の意識は、脳細胞や神経に依存していますが、臨終の過程で微細化され、そうした粗い物質に 頼ることなく存在し得るようになるといいます。このような内容は、密教の無上瑜伽タントラの理論を導入することで、 より一層明確に説明できるでしょう。 >引用元 リンク先はすでに出してあります >その心の連続性が中有でも存在しているという教えの具体例がバルド・トドゥルです >それがなければ天人や餓鬼が前生の記憶を持つ理由が説明できませんよね^^
>>212 セブン氏
セブンさんが理解を示してくれるだけでも、助かります。
一代氏の場合は、パーリを低く見ている、というか、南伝パーリ≒北伝阿含のコアとなる部分については正当に評価されていて、全体的品質としての評価を下にしているわけではないと思います。
ショートケーキの生クリームとかパウンドケーキの部分でパーリの方が品質が低いというように捉えられているような感じには見受けられません。
ただ、パーリの方はショートケーキだけで、大乗の持っているトッピングのイチゴ(正覚者になるための修行論)が乗ってない、といった感じではないでしょうか?
ちなみに、どちらかというとミニマリストの私にとってはそもそもトッピングの部分は対象外なので、むしろ余計なプリインストールアプリの盛られていないシンプルな海外企業製のPCだとかスマホの方が好ましく思えるだけです。
サロメさんの言ってる部分(中有に関する輪廻観)については、私には(チベット密教含む)大乗か上座かという部分の差異に由来する部分ではない部分のことだと思うので、その部分で「あなたは上座だから」という帰結は無理があると感じています。
もし「大乗の方が中有に関する輪廻観の優位性の点によって、上座にはない仏教としての決定な差異をもたらしている」ということならば、上座では解脱できないという話になります。が、そんなことは一代氏は決して言わないと思いますし。
仏教全体でも、上座か大乗かの違いは、声聞解脱を目指すのか、正覚仏としての解脱を目指すのかという違いはあっても、輪廻から解脱するという結果・目的は同じで、いずれかに解脱の方法論として致命的欠陥があるという話は私は正しいとは思えません。
235 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 00:03:39.38 ID:+WxMaQ89
私は引用している文章とまったく同じ意見なので上座部さんがあえて曲解している もしくは引用部分を読んでいないかですね^^ ちなみに上座部さんはまさかランカの新興セクトではないでしょうね?^^
236 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 00:30:37.00 ID:+WxMaQ89
ランカの小乗坊主の信者さんでないなら独学の我見ですか?? スレさかのぼって私が引用したチベット仏教のゲルク派のサイト熟読なさってくださいね 明確に唯識派を批判しています それと中有を超えて天人やらが苦に生まれた者たちの記憶の問題も まぁ上座部が無記であるなら言及されないほうがよいかと思いますしランカの小乗坊主の エネルギー論wを信じられるならそれはご自由です 繰り返しますが引用の通り 阿頼耶識のような実体的性を否定しつつ、あくまで世俗の次元に心の連続性を見いだそうというのが、 中観派の死生観の特色です。前世から来世へ連続してゆく心とは、意識(第六識)の因果関係の流れです。 私たちの生存中の意識は、脳細胞や神経に依存していますが、臨終の過程で微細化され、そうした粗い物質に 頼ることなく存在し得るようになるといいます。 ↑ 私もこのように解釈しています
>>234 >トッピングのイチゴが乗ってない
巧い喩えをするなw そう思う。
というか、はっきり『「(全き菩薩行(…普賢行))&一切智」の求めがない、設定されていない』から、
と言ってたし。
>プリインストールアプリの盛られていないシンプルな
うむw 気持ちは解るwww
238 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 00:40:53.69 ID:+WxMaQ89
まぁ原始仏教を上座部に求めたり ランカの信仰セクトに求めたり。。。が多いのでしょうかねw まぁそれは個人の好みでしょうけど^^
>>235 まさに、
>(チベット密教含む)大乗か上座かという部分の差異に由来する部分ではない部分のことだと
ということなんだが、解っては貰えないのかな・・・。
図示すれば
╂―――――――――――╂
五蘊滅 中有 新生
╂―――――┼―――――╂
五蘊滅 中有 新生
╂―――――┼―――――╂
五蘊滅 中有 新生
╂―――――――――――╂
五蘊滅 新生
(名称無し、期間不問)
ということであれば、上座と大乗の差・相違ということになりますが、
【相続の(システム)の違い】(継承される主体の在り様の相違)ということになれば、事情は違ってきますし、
まさに不説氏が言っているのは、そういうことでしょう?
スパン及び名称の相違なら、大乗と上座の相違となるが、
相続の仕方であれば、中観と唯識(阿頼耶識)の相違になる、と。
ちょうど宝珠&カラス氏のウダーナ理解のようなものです。
で、貴方の謂いは、(御自身では
>>236 の如く仰いますが)、
『【宝珠(&在家&カラス)の如く】「主体設定」』をしてしまっていませんか?
と彼は言っているわけです。 言い方、名称を変えただけで、
236は結局、宝珠&カラスが「無我だけど真我がある」と言っているのと同じなわけです。
236は、最小単位としての伝達物資の想定以外には読めませんよ?
240 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 00:44:15.16 ID:+WxMaQ89
しかし瞑想のノウハウ以外の部分をじっくり読んでみると想像以上に酷いですね ランカの小乗坊主ってw 先日チベット仏教について色々教えてくださる方が 日本のテラワーダはランカの新興セクトで民族主義に毒され。。。 ってレスいただいてそのときは??でしたけどねw
241 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 00:52:58.98 ID:+WxMaQ89
>>239 私の引用部分 ちゃんと読んで理解されていますか???
もう一度コピペしますが 次に、唯識派のような見解を奉じていれば、必然的に輪廻転生を主張することになるでしょう。なぜなら、
虚妄な外側の物質である身体が死を迎えたからといって、真実として成立している心まで消滅することは
あり得ないからです。
そして唯識派は、脳などに依存しなくても存在し得る根源的な心として「阿頼耶識(第八識)」というものを想定し、
それが輪廻転生の主体だと主張しています。
しかし何といっても、この唯識派の見解は、考え過ぎの観を否めません。特に、阿頼耶識の設定は、
空や無我を逸脱する「勇み足」として、中観派から論難されることになります。
では、その中観派の見解による場合、輪廻転生はどなるでしょうか? 心は、実体として成立していなくても、
世俗の次元で存在しています。そのような心の生じる主たる原因は、物質的なものではなく、精神的なものに
求めなければなりません。
心でいくら思っても、現実に物質が生じることはありません。それと同様、物質にいくら働きかけても、
心を発生させることは不可能です。
中観派では、「前刹那の心から、次刹那の心が生じる」という精神的な因果関係を世俗の次元に設定し、
それによって輪廻転生を説明しています。
阿頼耶識のような実体的性を否定しつつ、あくまで世俗の次元に心の連続性を見いだそうというのが、
中観派の死生観の特色です。前世から来世へ連続してゆく心とは、意識(第六識)の因果関係の流れです。
私たちの生存中の意識は、脳細胞や神経に依存していますが、臨終の過程で微細化され、そうした粗い物質に
頼ることなく存在し得るようになるといいます。このような内容は、密教の無上瑜伽タントラの理論を導入することで、
より一層明確に説明できるでしょう。
↓
引用終わり
あのーーあなたは
>「前刹那の心から、次刹那の心が生じる」という精神的な因果関係を
今のこの時点で認めますよね?
その場合 生死の境界を越えて中有経由で輪廻によって次の生に移行する場合も連続性は成立しうるでしょ?
因果の流れにおいてはね そしてそこには認識はあるけれど実態はない より微細な意識ですが^^ そこを曲解しているのが上座部の人です^^
242 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 00:57:24.55 ID:+WxMaQ89
>>241 おっと改行ミス^^
もう一度コピペしますが
以下から引用です
>↓
次に、唯識派のような見解を奉じていれば
======
中有における認識も 生前と同じく しかし肉体には依存しないより微細な意識の 因果関係の流れ です
実体はありません もちろんアートマンの概念でもないです
243 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 01:06:53.90 ID:+WxMaQ89
>>239 ていうかバルドの概念に馴染みがない仏教の宗派の方ですか?
今生きているこの意識を
肉体に依拠せずより繊細な段階として中有に持ち込む
そのときに別にアートマン設定なくとも 今この時点で私たちの私と意識している主体が
本来は空である 諸要素によって仮設されたものであること 因縁果によって仮設されていること
同じ因果の流れであることは矛盾ないと思いますが?
生前は物質 死後はより繊細な非物質に依拠してるだけで 因果の流れは同じでしょ?
ま、一代は、阿頼耶識も決して実体的ものでなく、
きちんと釈尊の縁起の延長上にある、と言うだろうけど・・w
>>220 上座部、というかパーリでは「中有antarA-bhava」(という語)についての言及は殆どありません。
近似した内容として(→次の生を受けるまでの間のこと)ならば各所に散見されるでしょうが、
教義の一端として扱えるかどうかは疑問です。
多く触れられていても(例えばSnヴァッチャゴッタ等)、それは比丘に於ける四果いずれかの達成時のことですし。
(で、語として言及されているのは「論事(kathAvattu)」8-2のみのようです。
論事の南伝は持ってないんでざっと訳そうとおもったら以外に長かったんで保留w)
つまり、「次の生を受けるまでの間がどうであるか?」は、問題とされていなかった
ということができます。(それは修行者にとってでも在家にとってでも。)
>>242 (
>>243 )
う〜ん・・・。
宝珠の『「従前のアートマンは無常で自性無きもの、所縁のもの」ですが、「真我」は違います』
或いは「一切と言われるのは、この現象界のことであり、涅槃、無為と言われる一切の外があり、
それが(そこにあるのが)真我、涅槃です」
という発言と何も変わらないように見えるんだよなぁ・・・。
既存の言葉・概念を否定して、その立場ではない、という姿勢を見せるも、
新規の語や概念、或いは新釈の付与によって、実質同じ立場に回帰している、みたいな・・・。
一代がどう読むか知らんけどw
>バルドの概念に馴染みがない仏教の宗派の方ですか?
そうですよw
245 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 01:18:10.14 ID:+WxMaQ89
>>244 ランカの新興セクトの日本語サイトで 輪廻 で検索してみてください^^
>>バルドの概念に馴染みがない仏教の宗派の方ですか?
>そうですよw
なるほどね^^
あなたが今意識してる意識は実体がありますか?^^
その意識してる意識が 肉体に依拠せずに そのまま死後のバルドに移入されたらそれが
真我といった実体があることになりますか?
阿弥陀の浄土に生まれ変わる人間は真我があるわけではなく 真宗も真我なんて認めていないでしょ?
まぁバルドを認めず死後一気に意識が消えると教える宗派ならそれはそれで結構ですし
246 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 01:19:45.35 ID:+WxMaQ89
>>245 訂正
意識を意識してる意識
ではなく
意識してる私
です
247 :
神も仏も名無しさん :2013/03/28(木) 01:22:48.13 ID:3mZMFK+3
>>244 >既存の言葉・概念を否定して、その立場ではない、という姿勢を見せるも、
>新規の語や概念、或いは新釈の付与によって、実質同じ立場に回帰している、
>みたいな・・・。
要するに、チベット仏教の帰謬論証派の無批判なコピペでしょう。概説読んだ
だけでも分る。一代氏と同じ。批判は前レスで述べた。
カルト遍歴を繰り返したサロメが、行き着くところはチベット仏教とは、分り
易すぎw。
248 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 01:23:49.22 ID:+WxMaQ89
断見隠居に嫌われるのは正当さの証明ですわwww
>>245 「真我」ってのは、宝珠やカラスを例に出したから付随して使用される語であるだけで、
【貴方が「真我」を立てている】と言っているわけじゃありませんよw
なんつーのかな、
そう、 日本での「自衛隊」そのものの存在とその呼称みたいなのが近いかも。
どういう言い方をしても、( >より繊細な非物質に依拠してるだけで と言い換えても)、
より繊細な非物質が継承継続されなければ、継承になりませんよね?
(結局、物質か物質でないかという区分なんかどうでもいいわけでw)、
問題は、『「継続して存在する何か」が、記憶等を運ぶ』という考え方そのものが怪しくないですか?
ということです。(これは、不説氏の指摘とは違いますがw)
だから、「我」ではなく「識」が継続するんだと言っても、何も変わらないわけです。
アートマンという名称が、識(阿頼耶識)という名称に変わっただけのように、
>意識してる意識(私)が 肉体に依拠せずに そのまま死後のバルドに移入され・・・・
と言い直したところで、何も変わっていないのじゃない?と思うわけです。
それって、アートマンが継続することと【どこが違うの?】と・・・。
250 :
神も仏も名無しさん :2013/03/28(木) 01:33:36.07 ID:3mZMFK+3
>>248 中論の何処に書いてあるのか、引用してみよ。中論は理解出来ないので、注釈書
ばかり読んでいるんだろw。
注釈書は、あくまで多くの勝手な見解の一つに過ぎない。必ず中論の該当箇所を
引用すること。
251 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 01:37:24.40 ID:+WxMaQ89
>>249 だから今 あなたが意識している意識のあなた
と
死後の中有にいる意識のあなたはどう違うのですか??
それとも死んだら意識はなくなるって教える宗派ですか?^^
あなたが拠って立つ宗派を教えてください^^
別にその宗派を腐したりはしないので^^
252 :
神も仏も名無しさん :2013/03/28(木) 01:42:06.44 ID:3mZMFK+3
一旦、釈迦やイエスに嵌った者は、中論は絶対に理解できない。既に指摘した 通り。 チベット仏教の注釈書も、なりふり構わず、釈迦の「無我」「無」に合わせようと しているだけ。だから、論理は滅茶苦茶。
254 :
神も仏も名無しさん :2013/03/28(木) 01:48:25.88 ID:3mZMFK+3
>>253 >その中で、貴方の解釈(→貴方の>勝手な見解)が正当であるとどうして
>言えるのでしょう?w
最上位次元の「生命」から解釈しているからです。一切の宗教は、生命の単なる
機能に過ぎず、従ってその下位次元。
255 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 01:49:43.50 ID:+WxMaQ89
>>249 あなたは今存在してるよね^^
そのあなたが今即死して 中有へ移ったらあなたは消えますか?
実体的なあなたは今どこにも存在していないけど あなたは今ここにある
ここ が中有や輪廻先の生でも同じでしょ?解脱しない限りはね
256 :
神も仏も名無しさん :2013/03/28(木) 01:54:35.63 ID:3mZMFK+3
>>253 下位次元同士で、いつまで論じても無意味。最終回答は永遠に得られない。
>>255 その通りだと思いますよw
|
|゚)
|
で?w
|
|彡サッ
|
258 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 01:55:14.80 ID:+WxMaQ89
>>253 秋刀魚が爺さんであったから秋刀魚に すべての生類に慈悲を抱くのです^^
殺生を厭う気持ちの源のひとつでしょう^^
バルド・トドゥルいいですよーwww
>>254 で.元精神科医(廃人製造業)の隠居としては.人は死亡した後どうなると考えているのだ.
完璧なる消滅なのか?
.
260 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 01:57:29.73 ID:7U5EeF+X
>>257 あなたが即死して 中有に移行してもあなたに実体があることにはなりませんよね^^
ハイ終了^^
>>258 秋刀魚が爺さんでなければ生じない慈悲など捨てちまえw
>>260 そういうことじゃないんだがなぁ・・。
やっぱりサロメ氏は、宝珠・カラス系に親和性があるのかなぁ・・・。 orz
>>隠居 答えよ. 人は死亡した後どうなると考えているのだ. 火葬されたなら.完璧に生命は消滅するのだから.完璧なる消滅なのか? .
264 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/28(木) 02:07:29.24 ID:ESl9mzn+
>>249 wwwwwwwwwwwww
無理だって、セブンww
死後に、自分と言える何かが存続するという視点、・・・・・
ここから見てる者は、表記法は異なれど実質、全て「真我」に帰結しちゃうよw
カラス、宝珠、在家を見てもわかるだろうにww
色々、表記法は変化するが実質は同じw
「しかし、それは空だけどね」という冠を付ければ、全てがOKで
仏教的に許容されるというやり方は、彼らの得意技www
ただなw サロメが不説に対してやった突っ込み・・・・
「業というエネルギーが意識を保持出来るのか?」・・・・
これに対して上座部は有意な回答を持ってるのかい?
かつて、オレが一代とやったときは、ブラックボックスで保留だったがw
→「上座部でいう業は『個人識別性』・・すなわち『意識』を有するのか?」
イエスであるならば、その構造を知りたいねw
265 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 02:12:48.40 ID:7U5EeF+X
>>261 すべての生類は無数の輪廻の生で一回は肉親であったと伝えられています
>>262 あなたがバルドを認められないだけだと思います
バルドの経験を映像だけだと思い込む
ランカの小乗坊主のようにエネルギーと言い出さないだけいいと思うけど^^
266 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 02:21:36.95 ID:7U5EeF+X
>>264 エネルギーって言うのはランカの小乗坊主のdでもだと思うぞ^^
あと中有はチベットだけではなく日本の密教でも共通だよ残念でした^^
すくなくとも中有の段階では個別性はある というのが私の意見
267 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/28(木) 02:33:26.02 ID:ESl9mzn+
>>266 wwww
だから、その「個別性」という視点自体が、世俗の視点であって、
それを無明とよんで、払うことが仏教の方向性でしょ?w
世俗では、AさんもBさんもCさんもいるわけw
それで当然、いいわけw しかし、
→「Aさん、Bさん、Cさんなどいない」・・・・という視点からのもの言いが
仏教だろうにw
「Aさんと言えるもの」が存続していく・・・・例えば、キリスト教などでいう
死後、天国へ行きました・・・みたいな死生観を仏教の輪廻に投影しても
しょうがないだろうにw
268 :
神も仏も名無しさん :2013/03/28(木) 02:35:44.34 ID:3mZMFK+3
>>263 >火葬されたなら.完璧に生命は消滅するのだから.完璧なる消滅なのか?
死とは、感覚・思考を初め、一切の生命現象の不可逆的消滅をいう。死んで、
聊かでも意識があったら、火葬の高熱に狂い回わらなければならないよ。また、
火葬者は殺人罪になる。
嘘と思うなら、自分が死んで試してみれば?私は、そんなアホナことはやらん
がねw。
生死の判断は、医学の専権事項。宗教が出る幕ではない。「死亡診断書」を出せる
のは、原則として医師のみ。
いい大人が、小学生以下の幼稚で、非常識な考えからいい加減で卒業したら如何?w
すべて宗教から植え付けれた「真っ赤な嘘」に過ぎないのだから。宗教の極めて
悪質な「営利の手段」です。
NHKの「チベット死者の書」は、中沢新一の監修。彼はオウムの精神的指導者と
して、厳しく批判されている。
269 :
基地子♀菩薩 :2013/03/28(木) 02:43:14.92 ID:eYa4KTNh
>>265 ____ 、ミ川川川彡
/:::::::::::::::::::::::::""'''-ミ 彡
//, -‐―、:::::::::::::::::::::三 ギ そ 三
___ 巛/ \::::::::::::::::三. ャ れ 三
_-=三三三ミミ、.//! l、:::::::::::::三 グ は 三
==三= ̄ 《|ll|ニヽ l∠三,,`\\::三 で 三
/ |||"''》 ''"└┴‐` `ヽ三 言 ひ 三
! | / 三 っ ょ 三
|‐-、:::、∠三"` | ヽ= U 三. て っ 三
|"''》 ''"└┴` | ゝ―- 三 る と 三
| / ヽ "" ,. 三 の し 三
| ヽ= 、 U lヽ、___,,,...-‐''" 三 か て 三
. | ゝ―-'′ | |::::::::::::_,,,...-‐'"三 !? 三
ヽ "" ,. | | ̄ ̄ ̄ 彡 ミ
ヽ、___,,,...-‐''" ,,..-'''~ 彡川川川ミ
厂| 厂‐'''~ 〇
270 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 02:56:17.87 ID:+WxMaQ89
>>267 えっと
バルド・トドゥルだけではなく
漢訳の経典にも中有についてのものが存在しています
修行道地経
=略=
その時、人の命が終わると、身根と意識が滅し、中有(死んで次に生まれ変わるまでの間)の次元に入るが、
死者の意識や感受性はそのまま残っている。死んだときの意識は中有の領域に至らないが、
中有の意識状態はまた元を離れることはない。丁度泥に印章を押した時のように、印は泥に接しているが
、印は泥につかないことと似ている。人が死んだときには、精神と意識状態とは等しいとは言えないが、
また元を離れてはなりたたない。元の種々の行ないによって、それぞれの結果を得るのである。
善行を行なった者は善の中有に行き、悪を行なった者は悪の中有へと向かう。中有には三つの状態があり、
一つは感覚的な意識、二つは思い、三つは認識といえる意識状態である。
この中有にある期間は一日、長い者で七日である。
=略=
>バルド・トドゥルの内容と大変よく似ているそうです
271 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/28(木) 03:13:11.32 ID:ESl9mzn+
>>270 wwwww え〜とね、
サロメは知らんだろうが、それはこのスレの「?」というやつが大好きなやつだww
272 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 03:14:35.64 ID:Oo7KBRON
>>267 ごめんねー^^
ガクモンwの仏教と実際の仏教には違いがあるみたいね^^
確認した範囲じゃ日本でも真言宗はちゃんと中有の期間は死者のために中有の間
儀式をきちんと行うし 個別 の存在に向けてやるみたいですね^^
きちんと死者のための儀礼を定めた玄奘訳 『仏説無常経』臨終方訣 などもあります
ここら辺面白いのでまた調べてみます^^
273 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 03:17:13.67 ID:Oo7KBRON
>>271 別に誰が好きであろうと関係ないです^^
阿毘達磨大毘婆沙論にも 上座部のものらしいですが中有について詳しいらしいですね
往生要集も国産のw源信が経典チョイスしてまとめたらしいですし^^
また明日以降調べて見ますね
274 :
神も仏も名無しさん :2013/03/28(木) 03:26:10.49 ID:3mZMFK+3
>>273 大昔の経典を「調べる」のはよいが、必ず、現実と照合して、現代人としての
知識と常識によって批判すること。さもなければ、単なる釈迦カルト。
そんなにチベット仏教がよいのなら、オウムに入れ。一日中、たっぷりと
やってくれるぞw。
275 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/28(木) 03:53:17.76 ID:ESl9mzn+
>ごめんねー^^ >ガクモンwの仏教と実際の仏教には違いがあるみたいね^^ そういうことじゃねえんだってww 要は、その中有期間の状態に「基体」をみるかどうか?ってことだろうがww >確認した範囲じゃ日本でも真言宗はちゃんと中有の期間は死者のために中有の間 >儀式をきちんと行うし 個別 の存在に向けてやるみたいですね^^ だからあ、どこそこの宗派が中有説をとっています・・・・ みたいなことを言っても意味ないでしょ?w それを言うなら、中観派は中有すっ飛ばして、死の瞬間に他の肉体に 転生だったでしょ?w(違ってたらスマンww) どっちが真実だ?・・・なんてやることに意味があると思う? ポイントは、中有をとるにしろ→そこに基体を見るかどうか?(単に表記法を 変えても意味ないぞww) ここだろうが?ww
あの世とか魂の概念がありますが、科学的に生物についての解答がないと これが間違いであるかもしれないと正すことが出来ません。 あの世と魂の概念はすでに証明するまでもなく無条件にあるものとされています。
277 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 03:58:41.35 ID:Oo7KBRON
>>275 せめて我見叫ぶ前に検索程度してみようよw
チベット仏教は。。。。確認してみてね^^
真言宗 天台宗 チベット仏教
で理解できないならしょうもないと思う^^
278 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/28(木) 04:07:49.46 ID:ESl9mzn+
>>277 あのなあww それなら、こっちも言うけど
せめてこの一連のシリーズ(特にアートマンスレ)で、今まで
「基体論」についてどのようなやりとりがなされてきたか?
読んでから書こうやwww
少なくとも、仏教徒で「真我」なるものを認めているのは一人も
いなかったはずだがwwww
279 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 04:10:55.43 ID:Oo7KBRON
>>278 うんうん
たとえばチベット方面のサイトにでも問い合わせてみたらいかがですか?
あなたが真言宗や天台宗 チベット仏教の範囲ですら自分で調べないのはよくわかりましたので^^
そ
280 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/28(木) 04:13:43.12 ID:ESl9mzn+
>>279 wwwwwwwwwww
もういいわww
「基体論者」を説得しようなんて気はないんでねww
後は、一代に聞いてみんさいww
チベットの専門家だからwww
281 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 04:20:07.28 ID:Oo7KBRON
ていうか現実に大乗の密教の各派が中有の意識を認めて バルド・トドゥルのみならず漢訳経典も存在している まぁそこらへんを理解してないせくとも明かせない上座部信者や ガクモンの研究者wがこいに曲解してるだけですね^^ パーピマンは付和雷同してるだけですね^^ っていうか大乗の密教が「基体論者」だとか大丈夫ですか?^^ ランカやミャンマーの小乗新興セクトに洗脳されてない?^^
282 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 04:24:08.67 ID:Oo7KBRON
>>281 セクトもあかせない に訂正
パーピマン 日本の仏教およびチベット仏教では中有に存在してる死者のために法要してる現実から逃げないように^^
それと
>それを言うなら、中観派は中有すっ飛ばして、死の瞬間に他の肉体に
>転生だったでしょ?w(違ってたらスマンww)
まぁこの程度の知識の人間が「基体論者」とか相手が笑うだけだから^^
283 :
つきみ :2013/03/28(木) 07:44:35.82 ID:u9bJ/4lN
>>695 誰でも死ぬし、死んだら誰でもわかる事を、何熱くなってるのか?
気付け
284 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/03/28(木) 08:27:27.81 ID:oyrdwvH1
仏教でいうアートマンとは自性のことだ。 真我と呼ばれているものと、自性と呼ばれているものは違う。 いい加減それくらい理解しろよカス仏教徒共。
285 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/03/28(木) 08:34:41.87 ID:oyrdwvH1
相も変わらず一部のカス仏教徒は、中論中論とうるさいな。 何度も言うけど中論はただの詭弁論のガラクタだ。あれはよ、現象世界を説明しているようにみえて 実はただの言葉の性質を考察しているだけの無意味な論書だ。言葉は表象上のものでしかないゆえ言葉の性質 を、これまた言葉で考察しているにすぎない中論も表象上のものでしかない。ゆえに実利を伴わない ただの詭弁論でしかない。ま、アホにいくらいっても理解不能だろうけど。
286 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/03/28(木) 08:39:48.78 ID:oyrdwvH1
仏教も所詮ヴェーダの亜流でしかない。で、原始仏典読めばもちろんブラフマンは登場するわけだが、 チベットアホ仏教も含め、君ら末法仏教はブラフマンはどこにいったわけ? ゴータマさんは仏を演じたので、仏典ではブラフマンより上の立場で描かれているが、ブラフマンは重要だぞ。 仏とブラフマンの関係も理解しない末法仏教は、本当にレベルが低いね。
287 :
? :2013/03/28(木) 08:58:58.65 ID:s8kbt5bz
>>241 サロメ☆ボウディア さんへ
> 唯識派のような見解を奉じていれば、必然的に輪廻転生を主張することになるでしょう
//uni.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1356313199/307
↑ 業の相続について
(書き込み制限で長い文章が書けないので ↑ こちらへどうぞ) 屮(_ ._)屮
288 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/03/28(木) 10:06:30.92 ID:oyrdwvH1
パーピマンよ。おまえは死ねば無に帰すから心配するな。仏教は君らのような根っからの唯物論者で、業報を否定し ひいては道徳をも否定する見込みのない業(魂)を早くに清算する為に用意されたようなものだから。邪見の王様。禅宗などは その際たるものだ。仏典にもあるように、この世への愛執が業報輪廻転生を生む。だが、間違った末法仏教を信奉している盲人達は 完全な滅びこそが涅槃静寂だと誤謬しているので日頃この世への愛執を絶つよう訓練し、完全なる滅びを目指している。 中には禅宗に多く見られるように、根っからの唯物論者は、はなから業報輪廻転生など信じておらず、誤った末法仏教の教えを信奉し、 死(消滅)こそ苦しみから逃れられる涅槃静寂だと自分に言い聞かせ、死への恐怖を乗り越えている者もいるだろう。 熱心な末法仏教の信徒ほど、完全な消滅が涅槃静寂だと勘違いし、日頃からこの世への愛執を絶つよう 願っているので君らは輪廻転生することなく、死ねば完全な無へと帰すだろう。ここからは聞く耳のある人に話そう。人は三つの状態が ある。ひとつは、死人のまま生きているか、ひとつは、涅槃静寂の状態にあるか、ひとつは中間の場所に消え去るかである。 この中でもっとも忌むべきものは中間の場所に留まることであり、こうなってしまってはもう何もできない。涅槃とは、あくまで生きている 時にしかそこには行けないのである。涅槃に到達したものは、中間の場所の主にもなる。ゴータマは悟りを開いたとき言った。 「不死の門は開かれた」と。多くの末法仏教徒は勘違いしているが、中間の場所。それは「無」であり、それすなわち「死」である。なぜ「死」 が不死となるのか、元から生まれてこないのであれば死ぬこともないが、我々はすでに生まれてきているのである。 末法仏教徒達はこんな簡単な道理すら理解しない。滅び行く魂に哀れみを。
289 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/03/28(木) 10:15:38.71 ID:oyrdwvH1
で、なんんか馬鹿女が中有とか言ってるようだけど、じゃぁ解脱した業(魂)は解消されてどうなっちゃうの? ここの末法仏教徒達に答えられる人いるか?特にチベットアホ仏教の信奉者、アホ一代氏に答えてもらいたいね。 やっぱり消滅なわけで?(苦笑) PS.金もらってカルトの王様、麻原と記念撮影に応じ、そのことをマスコミに突っ込まれて逆切れしてんじゃねぇよ、ダライ・ラマ とかいうおっさん。チベットアホ仏教に被れてるアホは、チベットアホ仏教の僧と一緒に詭弁論の中論に被れて、一生、戯論、戯論と、 自分たち自身が戯論に戯れて今生を棒に振るといいよ。どのみちバッタもんは、バッタもんにしか惹かれないものだからしょうがない。
290 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/28(木) 10:15:49.12 ID:ESl9mzn+
>>288 wwwwwwwww
お前に送る言葉は唯ひとつ
「キチガイ黙れw」 wwww
ルシファーさまあああああああwwwwwwwwww
291 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/28(木) 10:17:59.01 ID:ESl9mzn+
>で、なんんか馬鹿女が中有とか言ってるようだけど、・・・・・ ん????? サロメが女だと?
292 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/03/28(木) 10:37:31.37 ID:oyrdwvH1
>>290 俺はルシフェリアンだよ。ルシファーとは明けの明星のことを言うんだよ。心配しないでも
末法仏教を信奉している君ら盲人は、いくら瞑想したって明けの明星をみない。
あとさ、お前のような聞く耳のない人は誰も助けに来ないから心配するな。真理を説く者は、決して押し付けたりはしない。
お前のような聞く耳のない者にはわざわざ教えたりはしないんだよ。だから安心して滅びろ。
293 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/28(木) 10:44:33.26 ID:ESl9mzn+
>あとさ、お前のような聞く耳のない人は誰も助けに来ないから心配するな。 助けに来る??wwwww 誰が?www >だから安心して滅びろ。 寂静なる滅びかw いいねえw だが、オレはお前のようなキチガイおちょくってるのが 楽しくていかんので、とてもじゃないが、まだまだそんな境地にゃなれんわww
294 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 10:45:57.96 ID:Oo7KBRON
>>283 あのね^^
日本の仏教では臨済宗 曹洞宗 天台宗 真言宗 浄土教方面
みんな中有を認めてるわけ
だから少なくとも 日本に存在してる仏教を理解するためには
中有の理解は非常に重要です
>>287 日本仏教の 大乗部の顕密禅は唯識ではありませんよ?^^
道元さんは唯識であったとは初耳ですけど^^
いい加減部派の見解に偏って議論するのはやめたほうがいいと思います
ここは小乗議論スレではないので^^
295 :
つきみ :2013/03/28(木) 10:56:32.63 ID:u9bJ/4lN
>>294 浄土系は違うな。阿弥陀がすぐ迎えるから。
坊主の金儲けw
296 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 10:59:06.20 ID:Oo7KBRON
正法眼蔵 道心巻 眼の前にやみのきたらんよりのちは、たゆまずはげみて三帰依となへたてまつること、中有までも後生までも、 おこたるべからず。かくのごとくして、生生世世をつくしてとなへたてまつるべし。仏果菩提にいたらんまでも、 おこたらざるべし。これ諸仏菩薩のおこなはせたまふみちなり。これを深く法をさとるとも云ふ、仏道の身に そなはるとも云ふなり。さらにことおもひをまじへざらんとねがふべし。 =略= すでに中有をすぎて、父母のほとりにちかづかんときも、あひかまへてあひかまへて、正知ありて託胎せん。 処胎藏にありても、三宝をとなへたてまつるべし。むまれおちんときも、となへたてまつらんこと、おこたらざらん。 六根にへて、三宝をくやうじたてまつり、となへたてまつり、帰依したてまつらんと、ふかくねがふべし。 =略= つぎには、ふかく仏法僧三宝をうやまひたてまつるべし。生をかへ身をかへても、三宝を供養し、 うやまひたてまつらんことをねがふべし。ねてもさめても三宝の功徳をおもひたてまつるべし、 ねてもさめても三宝をとなへたてまつるべし。たとひこの生をすてて、いまだ後の生にむまれざらんそのあひだ、 中有と云ふことあり。そのいのち七日なる、そのあひだも、つねにこゑもやまず三宝をとなへたてまつらんとおもふべし。 七日をへぬれば、中有にて死して、また中有の身をうけて七日あり。いかにひさしといへども、七ヶ日をばすぎず。 このとき、なにごとを見きくもさはりなきこと、天眼のごとし。かからんとき、心をはげまして三宝をとなへたてまつり、 南無帰依仏、南無帰依法、南無帰依僧 ととなへたてまつらんこと、わすれず、ひまなく、となへたてまつるべし。 >道元さんが唯識論者でも 真我論者でも会ったとは聞きませんが?^^ >彼は中有の期間 だれが三宝を唱えると考えていたのでしょうか?^^ >現在の上座部やパーリ聖典を翻訳された昔の学者は中有否定と目にしました >上座部信者やその研究者さんの主張はよくわかりましたので^^ 大乗部の見解は見解と率直に認識してくださいね
297 :
神も仏も名無しさん :2013/03/28(木) 10:59:35.24 ID:EZQaO7GW
記憶を保持する伝達物質は「霊魂」ではあっても厳密には「アートマン」ではないでしょう。 アートマンに記憶や知識という属性はありませんから。
298 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 11:03:12.55 ID:Oo7KBRON
>>295 大谷大学のサイトで研究者が中有扱ってるよ^^
真宗でも一応は取り上げてるんじゃない?^^
299 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 11:07:28.89 ID:Oo7KBRON
>>297 曹洞宗がまさか霊魂認めるはずはないでしょう^^
まぁ日本の仏教は云々と小乗の信者は言い出すかもですが
それは民族差別のランカ 新興宗教が幅聞かせるミャンマー
王室御用達のタイの坊主たちだって同じことで
もちろん立派な上座部の僧侶や信者さんたちも多いことは無論ですけどね
300 :
神も仏も名無しさん :2013/03/28(木) 11:13:25.44 ID:EZQaO7GW
情報が入ってる「ハコ」が移動しなくても、情報さえ転写されれば 転生後の記憶保持の問題は解決できます。 中有でなんかあるんでしょう。どういう事が起こっていると 想定されているかは知りませんが。 もうひとつは過去世をちょっとだけ見ることが出来る、とすることでしょうか。 一旦記憶が総リセットされても見返すことができれば、 前世のことはちょっとくらいはわかる。ということで。
301 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 11:18:36.57 ID:Oo7KBRON
>>287 あぁ野孤とか小乗相手に奮戦しておられたのですね
熟読して勉強させていただきます
失礼しました
>>291 無様ですね
霊魂を信じてる人に霊魂を否定しまくったって仕方ない ってのが真の仏教精神だと思うを
303 :
神も仏も名無しさん :2013/03/28(木) 11:24:14.55 ID:EZQaO7GW
しかしアートマンがあったとしても「本人であること」「同一性」の保持にはならんですね。 記憶や経験を司らない以上、焼き鳥の串を使いまわしてるようなものですし。 串だけ同じで肉だけが入れ替わってる。肉のほうがその人のその人たる所以を司ってるなら どのアートマンや串が刺さっていようがいまいが、昔ティラノサウルスの或る個体を構成していた 炭素原子がいま自分の体にあるのと変わらない。 ヒンドゥー的には至上のブラフマンでもあるハリ・クリシュナ(ヴィシュヌ)の指(アートマン)に チョコ(各人の霊・ジーヴァ・人格や肉体)がついてる状態なんでしょうか。
304 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 11:43:57.20 ID:Oo7KBRON
?さんがなんでたたかれるのやらw 神秘体験してるから???www まぁ私は大乗部基本で行きます テラワーダののメソッドは大いに活用させていただきますけど
305 :
神も仏も名無しさん :2013/03/28(木) 11:50:32.13 ID:EZQaO7GW
質問箱をコピペで埋め立てたりされてたので。
306 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 12:04:55.77 ID:Oo7KBRON
>>305 ?さんは日本の仏教からみればオーソドックスなので
悠然となさっておられればいいと思います
307 :
神も仏も名無しさん :2013/03/28(木) 12:06:53.87 ID:ji44BrUZ
中有とは、死を迎えてから次の生を受けるまでの間を言うのだが, さて、この間にいわゆる天国とか地獄にいくと信じられているわけですね?。 と、すると、ある仏典によれば、善行を施した人は、またすぐに人界に生まれてくると、そして悪行を重ねた人は永久的に無限地獄だと記載されています。 この考え方だと、中有思想と天国・地獄世界の存在は矛盾しているように思いますね。 何故なら、中有観だと善行を施した者は、天国でなくすぐにまた人に生まれてくるとあるからです。 諸氏は、この点どう考えますか?
308 :
? :2013/03/28(木) 12:09:40.27 ID:s8kbt5bz
>>301 サロメ☆ボウディア さんへ
> 失礼しました
いえ,どう致しまして 屮(_ ._)屮 ブッダン サラナン ガッチャーミ
//uni.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1356313199/386
ダライ・ラマの「中論」講義 第18・24・26章/大蔵出版(2010/05)
//www.amazon.co.jp/product-reviews/4804330704/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending
309 :
つきみ :2013/03/28(木) 12:17:22.20 ID:u9bJ/4lN
310 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 12:17:36.70 ID:Oo7KBRON
>>307 天国ではなく浄土ではありませんか?
極善の人は直ちに浄土に赴きそこで解脱
極悪の人は地獄に直行する
善悪のバランスが微妙な人 善も悪もほどほどの生涯を送った人など
大多数の人たちは中有を経過すると考える大乗部の見解もあるようです
法華信仰や浄土教方面はそうらしいです
311 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 12:20:10.20 ID:Oo7KBRON
>>309 浄土教信じない人間が全員地獄直行だとは考えてないでしょ^^
いちおう中有を認めたうえで。。。ではないの?
そういえば
立正のサンスクリット研究の人たちのサイトも中有思想に否定的だったよ^^
312 :
つきみ :2013/03/28(木) 12:25:15.50 ID:u9bJ/4lN
輪廻前提な。天界、地獄界も永遠はない。 念仏したら、極楽浄土に転生するってだけ。念仏しない人は、その恩恵がないだけ。
313 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 12:25:38.37 ID:Oo7KBRON
>>308 読んでおかねばならない文献ですね
レビューも参考になります
314 :
神も仏も名無しさん :2013/03/28(木) 12:38:31.59 ID:JqGXkuz/
一在家むかし何であんなに複数コテ使い分けてたんだよ?(笑) ときどき自作自演なんかやったりしてよぉ(笑) ありゃ憑依現象を立証したかったから?
315 :
? :2013/03/28(木) 12:39:35.01 ID:s8kbt5bz
304 サロメ☆ボウディア さんへ > ?さんがなんでたたかれるのやら 自分で瞑想した事もないのに 「 瞑想で解脱せよ 」 と主張しているから? 想受滅(滅尽定) //www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/kenkyu1/fl-shokibukyo/shoki-soujumetu.htm (D)四禅にもとどまらず、四処にもとどまらず、非想非非想処も捨てて、想受滅を成就する (C)は、想受滅においては、心作用のうち受、想、行が滅している //www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron03a.htm#観法品第十八 中論觀法品第十八 諸の禅定の中で、滅尽定を以って、第一と為し、終に、無余涅槃に帰する
316 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 12:55:51.33 ID:Oo7KBRON
>>315 現在の日本の仏教が受け入れられない人や禅に凝り固まっている人
いまどきの小乗の信者さんが宗教板に多いからかもしれませんね
まぁにちゃんねるですし
ちなみに私は禅には関心が少ないですが否定はもちろん出来ませんし
排他独善ではない上座部には敬意を表します
317 :
現生的なる法 『現』での実存苦(←方便)の超克 :2013/03/28(木) 13:13:13.86 ID:xHNc42AB
>>201 (不説)
>「ガラクタである!」と指弾すること
その解答は、小マールンクヤ経(中部 63)でのブッダの対応で明らかだ→ガラクタを捨てろ!
マールンクヤ経の趣旨は、<四諦(八正道)への集中>だ。
このスレッドの様相がその実証だw
反対に『ガラクタ』でないものとは、繰り返し述べられている以下の現時での経験的検証性を満たすものだ。
・『私は また、ウパヴァーナよ、この@ 現生的なる法 は、また、A即時的 にして、
B〈 来って見よ 〉 と 示され、Cよく 涅槃 に 導き、 D智者 の それぞれ みずから 知るべき法 である、と 言うのである。』
@明証性(現生的) Sn.1066、1053 、中部 63小マールンクヤ経 参照
A果報即時認証性 同上
B客観的再現性 同上
C涅槃合目的性 Sn.737
D自力検証性 Sn.908
<相応部 35-70『ウパヴァーナ(優波婆那)』&35-23 『一切』&カーラーマ経参照>
この現時での経験的検証性を満たさない経典&教説はガラクタである。
318 :
現生的なる法 『現』での実存苦(←方便)の超克 :2013/03/28(木) 13:16:11.84 ID:xHNc42AB
>>202 (在家)
><初転法輪>も、中道と四諦も説かれていないようですが。
中道、四諦(八正道)を外せば仏法ではない(水野 仏教要語の基礎知識p192以下、相応部6-1、律蔵 大品1-6参照)。
>縁起=中道 or 四句分別かと存じます。
四句分別はもちろん中道ではない。その第4で中道を示唆し得るのみ。
319 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 13:20:34.96 ID:Oo7KBRON
>>317 ガラクタっていまどきの小乗のことですね^^
320 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 13:28:34.31 ID:Oo7KBRON
>道元禅師もなかなか興味深いです
道元禅師と輪廻転生
http://joen-ji.jp/jo7ofbwb2-136/?block_id=136&active_action=journal_view_main_detail&post_id=24&comment_flag=1 たとえ天上・人間、地獄・鬼畜であっても、感応道交すれば、かならず仏法に帰依する。すでに帰依すれば、生生世世、在在処処に増長し、
かならず積功累徳し、阿耨多羅三藐三菩提を成就するのである。
(『正法眼蔵』「帰依三宝」)
ここに、生生世世の積功累徳が示されている。我々人間は、生まれ変わり死に変わり、世を変え所を変えて、その一生一生において功徳を積み累ね、
遠い未来において、釈尊のような最高の人格を完成する、そのような存在であるというのだ。
そのためには、仏教に帰依し、できれば出家して、仏としての戒律を授かり、出家者としての人生を重ね、功徳を積み重ねるのがよいと言う。
われわれは宿善根力(前世での善行の功徳の力)にひかれて最勝の身(南洲の身、人間の身)を得たのであるから、歓喜随喜して出家受戒すべきである。
出家の生生をかさねれば功徳が積み累ねられる。
(『正法眼蔵』「出家功徳」)
であるからこそ、生生において仏・法・僧の三宝に帰依することが大切であり、『正法眼蔵』「道心」(別本仏道)では、
この生を捨てて、未だ後の生に産まれていないその間に中有ということがある。そのいのちは七日である。…七日を過ぎると中有に死んで、
また中有の身を受けて七日がある。いかに永くても七日を過ぎることはない。…すでに中有を過ぎて、父母のほとりにいざ近づくときも…母胎の中にあっても…
産まれおちようとする時も、三宝(「南無帰依仏、南無帰依法、南無帰依僧」)を唱えることを怠ってはいけない。
というように、生まれ変わりの様子を克明に語っているし、常に心を励まして三帰依を唱えることをすすめている。
>三世を念頭に置くことは修行もモチベを維持できますし 人間にとって希望は必須であると思います
321 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 13:40:26.03 ID:Oo7KBRON
>>320 いまどきの小乗さんであっても セクトの開祖サマのように
自分が未来仏であるなんて思い上がったりしないでしょうから
ダルマにこの人生で縁があるのは過去生の積み重ねのおかげであり
今の人生出精進すれば遠い未来 無数の生の果てかもしれませんが
解脱にはいたるかもしれない
それぬ思いをはせるのは仏陀在世中の外道の観念遊戯や性急な
マールンクヤの問いかけとは異なるわけです
まさかいまどきの小乗さんは人間は死んだらそれっきりとか思ってないでしょ?^^
中有にしても自分の将来を見通すための貴重な教えだと
感謝して学べばいいだけ
繰り返しますが中有にある 私 も 中有でさえ 実体は空です
そこらへんもきちんとバルド・トドゥルにも明記されています
322 :
現生的なる法 『現』での実存苦(←方便)の超克 :2013/03/28(木) 13:48:19.52 ID:xHNc42AB
>>319 (サロメ)
>ガラクタっていまどきの小乗のことですね^^
迷いゴトの自称「仏教」に大乗・小乗、宗派などの分派闘争があるだけだ。
仏法にはありえない。
そして、法を観る者は法を観る者ではない。
323 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 13:52:00.98 ID:Oo7KBRON
>>322 いまどき小乗の四禅比丘さんはお好きな道を進んでください
私は道元禅師をただの鎌倉仏教の開祖の一人であるという認識しかありませんでしたが
正法眼蔵でまさに目が開きました^^
324 :
さあ、どっちもどっちも :2013/03/28(木) 13:55:30.85 ID:iiRjH3t4
325 :
? :2013/03/28(木) 14:02:20.29 ID:s8kbt5bz
現生的なる法『現』での実存苦(方便)の超克,さんへ //home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama26.pdf 固執/掴むことが存在するとき 固執する者/掴む者(有)が存在として立ち現れてくる もし彼が掴まなかったら そして解放されているなら、彼は存在としてやって来ないだろう(中論26-7) 固執する者/掴む者(有)というのは、輪廻における生存者のことである
326 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 14:08:56.16 ID:Oo7KBRON
>>325 道元禅師は経験的検証性満たしてますよね
327 :
基地子♀菩薩 :2013/03/28(木) 14:31:20.98 ID:eYa4KTNh
328 :
弱者の戦略 :2013/03/28(木) 14:33:38.63 ID:xHNc42AB
>>320 (サロメ)
>この生を捨てて、未だ後の生に産まれていないその間に中有ということがある。そのいのちは七日である。…七日を過ぎると中有に死んで、
>また中有の身を受けて七日がある。
それは角田泰隆住職の大事な大事なオバカサン、在家“檀信徒の皆様”への待機コマーシャル=物語だよw
別口の物語で『生天(昇天)思想』とか、『極楽浄土思想』なんていうのも別メニューに用意してあります。
迷いのお方はお好みのメニューを御注文していただいて、お楽しみくださいませ。
しかしヒンドゥ教はもっとメニューの幅が広く、エンターテイメント性では、仏教の完敗ですw
やっぱりランチェスター弱者の戦略でオリジナリティのある専門的差別化戦略というブッダの戦略が的確だったんでしょうねえ。
その点では、強靭な弱者の戦略で顧客の差別化戦略を実施したジャイナ教は見事です。
仏教の世間知らずの仏教「坊主の商法」=強者の戦略のパクリではインドでの「倒産」撤退は当然でした。
329 :
? :2013/03/28(木) 14:34:17.21 ID:s8kbt5bz
> 道元禅師は経験的検証性満たしてますよね 教学として 密教・唯識・中論・般若経・根本仏典などの 解説書を読んで勉強しているけど 道元とか禅とかの事は,まったく,わかりません 他の人と,人違いしてませんか?
330 :
? :2013/03/28(木) 15:15:07.13 ID:s8kbt5bz
//detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1483660814 空海 「 三十七菩提分法是れ法宝なり 」 道元 「この三十七菩提分法、即ち仏祖の眼晴鼻穴、皮肉骨髄、手足面目なり。 仏祖一枚、これを ☆ 三十七菩提分法 ☆ と参学しきたれり」 _ _ _ 道元についての知識は ↑ これだけです
331 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 15:15:27.57 ID:Oo7KBRON
>>328 いまどきの小乗よりも道元禅師の語りかけのほうがどう見ても説得力あるね^^
>>329 いえいえ^^
いまどきの小乗ID:xHNc42ABさんの検証性云々をうけて
道元禅師の明快な仏教者としての信仰のあり方について
お話振っただけです^^
イキナリごめんなさい^^;
332 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 15:23:06.16 ID:Oo7KBRON
道元禅師にとっては禅が無上最上の行法であったのでしょうが にもかかわらず ただただ仏法僧三宝への帰依を念じている その積み重ねの行く末 中有を越えたその先の生 無数の積み重ねを 喜びを持って思い巡らす 気難しいステロタイプの小乗坊主や禅坊主ではない 子供みたいな素朴な信仰心に打たれるわけです^^
333 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/28(木) 15:31:02.41 ID:ESl9mzn+
>それは角田泰隆住職の大事な大事なオバカサン、在家“檀信徒の皆様”への待機コマーシャル=物語だよw wwwwwwwwwwww 角田の「道元入門」かよw
334 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 15:33:56.26 ID:Oo7KBRON
道元禅師が説く生死 =略= 永遠の命、永遠の修行 人はよく「たった一度の人生」という。しかし、道元禅師はそうは言われない。この今の人生は、 たった一度であり、かけがえのない人生であるが、しかし人生はたった一度ではないのである。 道元禅師は言われる、 すでに帰依したてまつるがごときは、生生世世、在在処処に増長し、かならず積功累徳し、 阿耨多羅三藐三菩提を成就するなり。 (『正法眼蔵』「帰依仏法僧宝」) 〈すでに仏の道に帰依したならば、生生世世にわたって在在処処において必ず功徳を 積み累ねていき、阿耨多羅三藐三菩提を成就するのである。〉私たちは生まれ変わり 死に変わりしながら、このような生涯を繰り返してゆく。何百、何千、何万、何億回と。そして、 その生涯その生涯において功徳を積み重ね、人格を磨き、向上させて、そして 遥か未来において、阿耨多羅三藐三菩提(=無上正等正覚、釈尊のお覚りと同等な、 この上ないすばらしいお覚り)を成就するのである、というのである。私たち人間は、 そのような存在であるという。 このような人生が、またあると信じて、今の人生を、次の人生につなげて行こうではないか。 だから、死ぬまで一生懸命に生きる。死ぬまで修行である。死ぬ瞬間まで功徳を 積み重ねていく。自分を磨き向上させていく。どのような境遇にあっても、苦しくても辛くても、 他人の世話になり迷惑をかけていても、感謝の気持ちを忘れずに、そのような中で精一杯、 よりよく生きていく。それは容易いことではない。しかし私は、それが道元禅師の教えであると 信じている。 >経典や解釈本のお宝鑑定に生涯を費やすより >道元禅師のような先哲に習うほうが有意義であると思います
335 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 15:35:36.80 ID:bYHmFvWS
>>333 あのね^^
自力で仏教の教えを見つけ出して学んだほうがいいと思いますよ?
あなたとカラスさんってまったく同類だと思うけど?^^
336 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 15:41:05.30 ID:bYHmFvWS
輪廻を重ねて解脱にいたるのは見方によれば永遠の苦行にも思えるけど
同じように見方を変えれば平安な希望の道にもなるということですねぇ
>>333 小乗の坊主のヴィパッサナー入門なら有りがたいわけですか?^^
今ある教説だって著名なお坊さんや学者だけの功績と思ってるのですか?^^
337 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/28(木) 15:41:08.88 ID:ESl9mzn+
>>335 カ、カ、カラスと同類?????????
信じられん!!!
この世の中に、これほど人を侮辱した言葉があるであろうか?wwww
お前なあ、気の弱い奴だったら、即、自殺もんの罵倒だぞ、それwwwwwwww
338 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 15:43:30.70 ID:Oo7KBRON
>>337 うん同類って言うかそれ以下だと思いますね
日本やチベットの仏教すら無知で
こんなこと書き込むレベルですから
↓
>それを言うなら、中観派は中有すっ飛ばして、死の瞬間に他の肉体に
>転生だったでしょ?w(違ってたらスマンww)
339 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/28(木) 15:45:39.03 ID:ESl9mzn+
ひとつ言っておくと、 >小乗の坊主のヴィパッサナー入門なら有りがたいわけですか?^^ このような小乗蔑視発言は、このスレでは止めたほうが良いw 隠居と同レベルと思われるぞww (まあ、オレはそもそも「仏教徒」ではないんで、小も大も等価だがww)
340 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 15:49:58.31 ID:Oo7KBRON
解脱への希望を抱かせてくれた仏陀や聖者 先哲たちに喜びながら感謝が出来る 希望は人間にとって重要なものだから 喜んで 平和な気持ちで 感謝できるようにしてくれた 一瞬でもそのときをもてるようにしてくれた 仏陀 ダルマ サンガと僧侶 にさらに感謝を重ねることはすばらしいでしょ? それが解脱への積善功徳になるのですからね まぁ古代の学者坊主は崇めて日本の仏教の住職せせら笑う人には理解できないかもですけど
341 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/28(木) 15:51:27.27 ID:ESl9mzn+
日本やチベットの仏教すら無知で こんなこと書き込むレベルですから ↓ >それを言うなら、中観派は中有すっ飛ばして、死の瞬間に他の肉体に >転生だったでしょ?w(違ってたらスマンww) そうか、間違ってたかww そりゃ、すまんかったわw 確か、中観派は死後そく転生というスタンスで、そのあたりが唯識と 違うとw その理由を石飛あたりが解説してたと思うがw まあ、そこらへんはまさに一代の守備範囲なんで、訂正よろwww
342 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 15:52:12.20 ID:Oo7KBRON
>>339 いまどきの小乗ってランカやミャンマーの一部だけではなく
にちゃんにもはびこっているのが確認できたので^^
>(まあ、オレはそもそも「仏教徒」ではないんで、小も大も等価だがww)
あぁ仏教理解しようとはしてるカラスさん以下の 下種 ですね♪
343 :
十二支縁起批判 :2013/03/28(木) 15:56:50.70 ID:xHNc42AB
>>325 ( ? )
これは
>>195 に尽きると思います。
>固執する者/掴む者(有)というのは、輪廻における生存者のことである
輪廻が転生の意というなら検証不能の一切外妄想物語ですし、
そもそも十二支縁起にはアタシは批判的です。中論26・27章はカットすべきと思います。
http://www.icabs.ac.jp/frontia/summary-imanishi-20091205.html (1)そもそも縁起とは、無量の諸要素の集合(無我)変化(無常)を伴うブロードなネットワーク関係性(密度濃度変化)であって、
時空際断の無意味・無価値・無相・無実体な様相が“あるがまま”です。
(因も果も言語分別概念ですが、間接現実=世俗においては使わざるをえません。直接現実において本来意味はありません。)
ところが十二支縁起は特因特果、解釈分別因果論です。
結論(業報輪廻転生論)先取り、後出しジャンケンのこじつけレトリックです。
“風が吹けば桶屋が儲かる”の落語的ご都合主義です。
ナンセンスなのは明らかでしょう。
十二縁起は仏説などではない。 無視すればいいのです。
(2)そもそも苦しみのプロセスは脳の発達に伴う分別記憶能力(ものごころがつく)→自己意識作用=こころ→我執→苦でしょう。
<十二縁起+業報輪廻転生>なんて超越的妄想物語・フィクションとはまったく関係がありません。
無明かどうかがいえるのは脳(特に大脳前頭葉・大脳皮質)の発達による記憶機能が働きだして自己意識や既成概念が形成されてからです。
記憶が生じるまでに何らかの障害(事故、薬物・放射能障害など)が生じた場合、そもそも無明とはいえないはずです。
だから起発点ではありえないし、そもそも無量の諸要素の集合(無我)変化(無常)を伴うブロードなネットワーク関係性(密度濃度変化)に根源的な起発点などありえません。
縁起は、苦しみという結果にはその原因がある:我執⇒苦というようなおそらく最初期(例えば、Sn4章5章)の簡明な教えでいいのです。
344 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/28(木) 15:57:18.06 ID:ESl9mzn+
>あぁ仏教理解しようとはしてるカラスさん以下の 下種 ですね♪ wwwwwwwwwwww 何でもかんでもゴチャ混ぜにして、摘まみぐいする「宗教板一番の嫌われ者」 に言われてもなあwwww いくら、昆布にいじめられて居場所がなくなったからといって、こんなとこまで 来て恥晒すなよwww 初めはやけに殊勝な態度だったが、馬脚を現すのがやけに早かったなww 結局は罵倒しかできんとwwww いいぞw 昔の罵倒語、「鬱病バカ物理」って言ってみたら?wwwwww
345 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/28(木) 16:00:21.72 ID:ESl9mzn+
さ〜〜〜〜〜って、ww キチガイカラスとキチガイサロメww 宗教板の二大スターがタッグ組むのかな?ww ワクワクwwww
346 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 16:01:45.34 ID:Oo7KBRON
>>343 輪廻によって生を受ける現実を無視するならそれはもう仏教ではありませんね^^
近代主義はただの哲学だと思います
>>344 申し訳ありませんがあなたのように無視される存在は大変お気の毒であると思いますし
心の病であるなら匿名掲示板は控えたほうがいいと思いますけど?
347 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 16:05:56.31 ID:Oo7KBRON
>>343 それと
サンガや僧団が伝えてきたダルマは明確に輪廻による連続した生の存在を
示しているのですから
我意を立てて経典鑑定のうえに輪廻の連続した生を否定するのは不適切
現代における天台の経典鑑定wと変わりがない 日蓮的な行き方ではないでしょうか?
348 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 16:10:44.57 ID:Oo7KBRON
やっぱりチベット仏教と日本仏教で仏教に接するのが正解ですね♪ きちんと伝統に即して 教相と事相(密教用語らしいですが)伝えてるところじゃないと 我見が乱立して収拾つきませんよね^^; ランカとミャンマーの一部の小乗が評判悪いのもここら辺が混乱してるからなんでしょうね
349 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/28(木) 16:12:45.39 ID:ESl9mzn+
>申し訳ありませんがあなたのように無視される存在は大変お気の毒であると思いますし ・・・ 一応、このスレの古参で、罵倒されることは無数にあれど、無視されたことは あまりないなあwwww >心の病であるなら匿名掲示板は控えたほうがいいと思いますけど? wwwwwこれもw 今まで、散々、罵倒されてきたが、精神異常を指摘されたことは、 ただ一人・・・・・お前が言う「鬱病」のみwww 勿論、それ系のお医者さんに行ったことは一度もありませんがww
350 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 16:17:22.78 ID:Oo7KBRON
>>349 そうですか
カラスさんなどとの泥仕合を カラスさんたち程度には宗教の知識を備えてからなさっていてください
私には関係ないことなので
351 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/28(木) 16:23:03.58 ID:ESl9mzn+
>>350 え〜〜〜〜〜〜〜〜????
キリスト教を勉強してから語れっての??w
あ!! 違うか? 「オカルト」勉強しろってことかww
勘弁してくれよww
352 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 16:27:16.37 ID:Oo7KBRON
それと 五戒 1不殺生戒 いかなる生き物も、故意に殺傷しない。 2 不偸盗戒 与えられていない物を、故意に我が物としない。 3 不淫戒 不適切な性関係を結ばない。不倫・売買春しない。 4 不妄語戒 偽りの言葉を語らない。 5 不飲酒戒 アルコール類を飲まない。 僧侶から受戒しなくても自分で守ると決めればいいんですよね 不飲酒戒は酩酊させるものをとらない と解釈するのは知っていますけど。。。
353 :
神も仏も名無しさん :2013/03/28(木) 16:38:14.62 ID:c/ijhjHN
それと 無財の七施
354 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 16:44:28.24 ID:Oo7KBRON
355 :
如理作意 :2013/03/28(木) 16:51:06.83 ID:xHNc42AB
>>346 >>347 (サロメ)
>輪廻によって生を受ける現実を無視するならそれはもう仏教ではありませんね^^
>サンガや僧団が伝えてきたダルマは明確に輪廻による連続した生の存在を示しているのですから
>我意を立てて経典鑑定のうえに輪廻の連続した生を否定するのは不適切
『輪廻によって生を受ける現実』『ダルマは明確に輪廻による連続した生の存在を示している』
何度も書きますが、上記を
>>317 の基準で検証して見せて下さい。
そうでなければ“鰯の頭も信心から”と同じです。一切外妄想でしかありません。ガラクタです。
仏教はあなたが関わってきたような「信仰」宗教ではありません。
ブッダは「如理作意」(=理に基づいた熟考)やみずからによる実証体験を重んじ、
そのような検証もなく、他から伝え聞いたことなどとして安易にものごとを信じ込んでしまう(鵜呑みにしてしまう)ことを人々に戒めました(カーラーマ経参照)。
これが自帰依(灯明・洲・島)←(大疑団)です。
356 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 16:58:43.47 ID:Oo7KBRON
>>355 仏陀のように完全な悟りを得たのは誰と誰ですか?
いまどきの小乗の自称未来仏wを除いてです
あなたが仏陀のように完全な悟りを 今この時代にここで
示してから 検証云々おっしゃってください
あなたがなさっていることは天台や日蓮の経典鑑定wと同じで無意味です
解脱は検証できるものではなく 経典や教説はそこへ導くものにすぎません
そしてそれは輪廻による無数の生へ連続します
仏陀 ダンマ サンガと僧 への信なくしては成立しませんので
357 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 17:02:11.58 ID:Oo7KBRON
なんか凝り固まってるよねw隠居と同類じゃない ID:xHNc42ABってw
358 :
如理作意 :2013/03/28(木) 17:04:45.61 ID:xHNc42AB
>>356 >仏陀のように完全な悟りを得たのは誰と誰ですか?
論点外れだよw
『輪廻によって生を受ける現実』『ダルマは明確に輪廻による連続した生の存在を示している』
何度も書きますが、上記を
>>317 の基準で検証して見せて下さい。
359 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 17:06:49.80 ID:Oo7KBRON
ID:xHNc42ABは仏陀の完全な悟りの境涯を 文献以外で証明できない 完全な悟りは今の生だけではなく 輪廻による無数の生の連続の結果であるとしたら 仏陀とダルマとサンガ=僧を信じなければ帰依できない そうでないのなら ID:xHNc42ABは今現在 仏陀と同じ悟りを得ている人物を示すべきですね 彼が使った経典 教説こそ正しさを検証することになりますのでぜひお願いいたします
360 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 17:08:11.39 ID:Oo7KBRON
>>358 つまりあなたが振り回す経典 教説の検証は隠居の生命教と同じレベルの
不毛な我説に過ぎないということですね^^
361 :
如理作意 :2013/03/28(木) 17:12:28.25 ID:xHNc42AB
『「比丘たちよ、私は、知ることから、理解することから、諸々の煩悩が滅尽されることを説きます、 知らないことからではなく、理解しないことからではなく。 比丘たちよ、〔私は〕何を知ることから、何を理解することから、諸々の煩悩が滅尽されることを説くでしょう? 如理作意(根源からの作意)と非理作意(根源からでない作意)を〔知ること、理解することからです〕。 比丘たちよ、非理作意者(根源より作意しない者)には、未だ生じていない諸々の煩悩が生じ、 生起した諸々の煩悩は増大します。 しかし、実に、如理作意者(根源より作意する者)には、未だ生じていない諸々の煩悩は生じず、 生起した諸々の煩悩は断ぜられます。』 (マッジマニカーヤ 15-2 『一切煩悩経』) 如理作意をやらずの信仰者には縁起の現観はありません。
362 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 17:16:27.08 ID:Oo7KBRON
>>361 煩悩の滅尽?^^
あのー
ではそれを成し遂げた 仏陀以外の現代人を示してください^^
ていうか隠居の相手をするのと同じかwww
363 :
如理作意 :2013/03/28(木) 17:19:08.86 ID:xHNc42AB
>>359 >完全な悟りは今の生だけではなく 輪廻による無数の生の連続の結果であるとしたら
>仏陀とダルマとサンガ=僧を信じなければ帰依できない
論点はずれだよ。
『われは知る。われは見る。これはそのとうりである」という見解によって清浄になることができる、と或る人々は理解している。←サロメ
たといかれ(ブッダ)が見たとしても、それがそなた(サロメ)にとって、何の用があるだろう。
かれら(サロメ)は、正しい道を踏みはずして、他人(ブッダ)によって清浄となると説く。』
(Sn.908)
364 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 17:22:31.33 ID:Oo7KBRON
>>363 で
仏陀と同じ境涯に達した現代人はどこですか?^^
365 :
如理作意 :2013/03/28(木) 17:24:55.47 ID:xHNc42AB
>>362 >ではそれを成し遂げた 仏陀以外の現代人を示してください^^
論点はずれで、逃げないこと。
⇒『たといかれ(それを成し遂げた 仏陀以外の現代人)が見たとしても、それがそなた(サロメ)にとって、何の用があるだろう。』
『輪廻によって生を受ける現実』『ダルマは明確に輪廻による連続した生の存在を示している』
何度も書きますが、上記を
>>317 の基準で検証して見せて下さい。
366 :
神も仏も名無しさん :2013/03/28(木) 17:27:14.46 ID:pHhCtThO
キリストや仏陀がいたときは真如の教えでした。 というよりもキリストも仏陀も本当の神理を弟子たちに教える許しを神様からもらっていなかった。 なぜかというと神様の御経綸上、物の方つまり体の方であり陰の方を天国文明建設のために発展さ せなくてはならないからであった。 もし神理を教えてしまうと皆おじけずいて物を発展させようとしなくなる だからキリストも仏陀も仮の教えを説いた。 そして、キリストや仏陀たちが亡くなったあと弟子たちが彼らが残していった 謎を埋めるために考えさらには分裂し、カトリック教だ、プロテスタントだの 十三宗だなどなどに分かれた。そして、挙げ句の果てには金儲けのために神を使うようになった。 これでは神様も奇跡を起こされない。
367 :
神も仏も名無しさん :2013/03/28(木) 17:29:11.31 ID:pHhCtThO
そして神様は物主の時代から霊主の時代に切り替えなさった。 人類の変わり目、大曲がり角である。火の洗礼時代である。 岡田光玉師は、神の代行者、ヨのみ役、すなわちこの火の洗礼時代を世に知らせるために、 マコト神の子、すなわち種人を一人でも多くつくるために出現なされた。魁のメシアである。 御親元主真光大御神を祀る崇教真光が起こす奇跡は素晴らしい事である。 世間一般の人から見れば宗教は世迷い者、最後の手段に見えるのも仕方がない事であるが、 崇教真光には神理がある。 真光の聖典である、御聖言も読んだことのないのはあまりにもったいなすぎる。
368 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 17:30:01.69 ID:Oo7KBRON
>>365 ずっと一人で教相判釈なさっていてください
369 :
神も仏も名無しさん :2013/03/28(木) 17:31:14.92 ID:pHhCtThO
366=377 前世は一在家の入信している宗教の教えである、まるで独りよがりの 妄想壁の教祖が考えだしそうな思想だね。
370 :
如理作意 :2013/03/28(木) 17:36:09.94 ID:xHNc42AB
>>368 論点はずしで、逃げないこと。
マールクンヤのような検証不能の一切外妄想→無記を断つところから、
『仏道』は始まる。
371 :
如理作意 :2013/03/28(木) 17:38:43.13 ID:xHNc42AB
訂正 × マールクンヤ 〇 マールンクヤ *(マッジマニカーヤ63)
>>264 > これに対して上座部は有意な回答を持ってるのかい?
無いだろうね。(不説が何か言えるかも・・とは思うけどw)
それは、
>>146-147 中にあるように、通仏教的にブラックボックスさ。
ただ、弁護するなら、当時は、そうした考察の必要がなかった、とは言えるでしょ。
自己の言動を省み、次回・今後の結果を良き方向へ誘導するのに、
ああ、俺って色々悪さしてきたな・・・って感慨・実感は有効としても、
“その途中の期間、存在”は必須じゃないし。
それが気になってくるってのは、或る程度学んだインテリ層(僧)でしょ。
> →「上座部でいう業は『個人識別性』・・すなわち『意識』を有するのか?」
> イエスであるならば、その構造を知りたいねw
それは、それこそ146・147が試論だけどw あ、でも、あそこでもブラックボックスでFAにしたんだったっけ?w
>>306 彼の書き込み内容は、必ずどこかからの引用なので、間違いも少なく穏健なものが殆どですが、
(時折、宝珠在家ラインへ一気に振れたりしますが・・w)、
批判されてきたのは、(内容でなく)彼の態度ですよ。(その辺は、在家が叩かれるのと似ています。)
・いきなり、無関係な引用を連貼りする
・関係していたとしても、話の流れ上全く不要な情報であることも多々
・初期の頃は書籍紹介が殆どだったが、それも上記同様、皆が「え?何?どういう意図の書き込み?」
と戸惑うようなタイミングが多かった
(*だから、書籍の推薦がしたいならココ↓でやってね?とスレも建ててあげたし
【紹介】心に響く仏語や参考書籍【書評】1
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1299051182/ )
・引用でない発言も、文脈無関係で唐突なものが多かった
・明らかに引用のタイミングや中身がズレていて、それを指摘されているにも関わらず、
自分は頭が悪いから理解できません、と謙りつつ、一向に訂正改善が見られないから
*(これを、質問箱でもやってたわけ。このスレなら、皆思い思いに発言するから、
多少の脈絡外れは目立たないけれど。)
で、最近では、(一代も嫌がってたが)誤用・誤解に基づく引用になることがあったから、
そこへの指摘もあったけど、在家同様、聞いてるフリして改めないから、
当の一代からも苦言を呈されることもあった、と。 ←今ココ
374 :
神も仏も名無しさん :2013/03/28(木) 19:33:37.61 ID:gwH6EoaT
>>366 あなたはいったい、誰からそれを聞いたのですか?
輪廻の話もアートマンの話もそう、
誰がそれを検証したのですか?
検証しえないもの、
あるいは他者が見たものを『信仰』しなければ仏教は成り立たないのですか?
仏教の教えで検証可能であるのは、
縁の世界に依存する我と、絶え間なく変化する(ように見える)
外界の有様(六道世界)でしょうが。
まあ、浄土宗のように、現状どうにもならない状況で不幸な立場におられる方々が、
よりよい来世への生まれ変わりを信じて楽になるのも有りだとは思いますがね。
輪廻は無いともまた、検証されていないわけですから。
検証は不可能 サロメさんにイエスの復活を検証しろと言ってると同じ 宗教なんだから信で成り立ってる
376 :
神も仏も名無しさん :2013/03/28(木) 20:28:12.20 ID:Dek4YcX7
377 :
神も仏も名無しさん :2013/03/28(木) 20:28:51.43 ID:oRNlKHEG
>>375 科学について無知蒙昧だった古代人はともかくとして、現代人は
「何でも信じればよい」というものではない。
宗教といえども、現代では、現実と照合しての検証は必要。
各人が検証無しで勝手なことを言い出したら、人間社会は崩壊する。
中東では、その崩壊が、既に進行中。
378 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 21:23:33.25 ID:Oo7KBRON
>>372 べつに上座部の人が大乗部に口を出してこなければいいと思うんですけどね^^
スマさん筆頭に余計なこと言う方が多い印象がある
>>375 だから特定の経典 固有の教説で仏陀と同じ境地になられた現代人を
示していただけないかとお願いしてるんですけど^^
ご当人は今の人生で解脱する確信がおありでしょうし
次の輪廻先に解脱を持ち越すなら検証云々矛盾してしまうし^^
何処の宗派でも、その正当性を信じて疑わない。 細かく分析する必要がある。
380 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 21:31:23.58 ID:Oo7KBRON
>>374 浄土方面にしても単なる気休め以上のものがあると思いますよ
顕密禅しかり
日本仏教はちょっとのんびりした期間が長すぎで僧侶方も
自分たちの伝えているものの価値を忘れがちになってるとお見受けしますが
>>378 寧ろ逆で、口は互いに出し合うべきでしょ?w 特にこういうトコでは。
そうすることで、
なぜ相違が生じているのか、どこに相違の因があるのか、
の検証になり、
大樹の幹の炙り出しや変遷の経緯確認に寄与するでしょ?
(尤も、きちんと対話のできる(或いは資料や典拠の提示がし合える)者同士であることが前提ではありますが・・。)
貴方自身もまた、「口を出してきている」ポジションに変わりはないでしょ?
今回はたまたま、「ネタ」「テーマの初期設定」に於いて、
アウェーでなくホームの立場であっただけで。
382 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 21:39:42.24 ID:Oo7KBRON
>>381 チベット仏教はともかく
日本仏教を忘れ去った態度のいまどきの小乗さんが
軽々しく 自分らは否定している大乗部の教説に
口挟むことはいただけませんね 今回は本気で怒りを覚えましたけど^^
いまどき小乗のスレはいくつもあるのだからそちらでやればいいと思いますけど
383 :
神も仏も名無しさん :2013/03/28(木) 21:53:32.26 ID:pHhCtThO
一在家は、現生では、魔光妄想カルト脳で病んでいますなぁ!
>>382 ?
なんで怒ってるんだ?
言論統制したいわけじゃなかろ?
>大乗部の教説に口挟 んでるという謂いは主観的過ぎませんか?
単に、こういう見方があります、と言われているだけで、腹を立てる場面ではないと思いますよ。
(それよりも(最近大人しいですがw)?氏のレスの仕方の方が、より腹立たしいものだったんですよ?
過去すぎて貴方は知らないのでしょうけど。)
>自分らは否定している
今回の流れで、彼は否定していなかったのでは?(該当文章を挙げてみてください。)
(また、仮に否定であったとしても、貴方が御隠居にしているが如くwスルーでいいじゃないですかw)
いずれにしろ、
今回の貴方の反応には少々びっくりしました。(結構短気な人なのかな?と・・。)
385 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 22:08:21.05 ID:Oo7KBRON
>>384 コピペですが
↓
294 自分:サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c [] 投稿日:2013/03/28(木) 10:45:57.96 ID:Oo7KBRON [7/44]
>>283 あのね^^
日本の仏教では臨済宗 曹洞宗 天台宗 真言宗
みんな中有を認めてるわけ
だから少なくとも 日本に存在してる仏教を理解するためには
中有の理解は非常に重要です
>まったく勘弁してくださいってことですw
>いまどきの小乗信者か 自称研究者か知らないけど^^
>日本仏教も知らずに原始仏教つついてなんになるんですか?
>日本仏教似非呼ばわりしてるカラスさんと変わらないですよ
>それと上座部の中有否定は検索途中で見かけた程度です
>まぁ偏見というものは仕方がないからもういいですけど
386 :
神も仏も名無しさん :2013/03/28(木) 22:11:41.12 ID:+Yjw+7hi
「日本の仏教スレ」であるこのスレが、チベット仏教徒や南方仏教徒、それに 基づく仏教カルトによって占拠されていることの不思議w。
387 :
神も仏も名無しさん :2013/03/28(木) 22:13:02.91 ID:+Yjw+7hi
サロメ自身が、チベット仏教www。
388 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/28(木) 22:18:04.42 ID:ESl9mzn+
>今回の貴方の反応には少々びっくりしました。(結構短気な人なのかな?と・・。) wwwwwwwww 短期も何もww まあ、セブンはキリスト教スレ覗かないから知らんかもしれんが、 こいつが気に入らない奴に対してするレスといったら、それこそ罵倒オンリーでしょww 51才の札幌のなんちゃらとか、グノーシスの歴史に詳しいもの(シモンだったか?) にも罵倒の嵐だww
389 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/28(木) 22:26:10.23 ID:ESl9mzn+
>>372 >無いだろうね。(不説が何か言えるかも・・とは思うけどw)
ww 不説に期待か?w
まあ、前にも言ったが、そこらのブラックボックスの辺の論理構築を
怠け過ぎてきたんじゃないのかね? 仏教徒たちはw
いくら言語表記不能領域に属することがらでも、上手い喩えを考えるなり
して、それなりに納得させる方法を考えれば良いのにw
「信仰」が基底といっても、やはりそこに到る道筋には納得のいく解説が
あったほうが良いことは確かだろ?
若者たちの宗教離れが著しいわけだしさww
390 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 22:28:30.18 ID:Oo7KBRON
さすがに理系のアンチ宗教も仏教スレには歯が立たないわけですね 検索しても結果を理解できないとか アンチ宗教は共通して宗教音痴ですね
391 :
神も仏も名無しさん :2013/03/28(木) 22:31:19.96 ID:+Yjw+7hi
>>390 宗教を「理解できた」と思った時が、洗脳の瞬間。一生涯、取り返しがつかない。
この流れ、一代も出て来づらいだろうな・・・w
394 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 22:55:34.06 ID:Oo7KBRON
>>392 初歩的なこと繰り返し書き込む気にはなりませんので♪
395 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 22:57:46.97 ID:Oo7KBRON
>>393 研究に忙しいのでしょうが日本仏教くらいはwww
396 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/28(木) 23:03:11.90 ID:ESl9mzn+
>この流れ、一代も出て来づらいだろうな・・・w wwwwwwwwwwwwwww 分かるわwww
397 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 23:06:13.44 ID:Oo7KBRON
ていうか。。。まぁ鎌倉仏教再評価のきっかけ作ってくださって感謝です♪
398 :
? :2013/03/28(木) 23:06:47.94 ID:s8kbt5bz
>>343 十二支縁起批判 さんへ
> そもそも十二支縁起にはアタシは批判的です
//home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama26.pdf
無知(無明)が止まると行為(諸行)は生じなくなるだろう
無知の停止は瞑想と知恵(智)を通して生じるのである(中論26-11)
「事象は概念に依存的して生じる」という頭の理解だけでは悟りへ至るのに足りないのである
399 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/28(木) 23:11:49.55 ID:Oo7KBRON
>>398 要するに検証さんは小乗で輪廻否定なんですよね
セブンて言う名無し ID:cvFbWdvO も小乗研究者か元学生だったんでしょうか?
>>389 (並んだ)蝋燭の炎が隣へ移ってゆくってのじゃ不満だったんだよなw
けど、(あの時も言ったけど)、喩えとしてはこれが限界じゃねーかな・・。
たとえ、熱(業)が、芯(旧五蘊)と芯(新五蘊)を橋渡しする継承のカギだと見ても、
過去世想起の爲の記憶・情報の対応(…旧五蘊と新五蘊間の一対一対応)が担保されないからね。
だから、「識」の継続が要請され、引いては、五蘊の識の深部に、別の「識」を設けたくなる。
いや、その役割を担わせるのはやっぱり「識」しかないとは思うけど、それでも、
記憶の継承を説明するのは不可能でしょ。 あとはもう信じるしかないw
畢竟、
長野の竈と鹿児島の灰をどう繋ぎ得るか?
だからね・・。
>>394 不説の発言貼らなきゃ意味ないだろw
401 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 00:27:00.06 ID:IVtOxSkn
>>400 いまどきに小乗さんも小乗研究者のあなたも
日本仏教まったく念頭においてないから私の書き込みだけで十分でしょう^^
402 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 00:29:51.05 ID:IVtOxSkn
>>400 スマ坊主みたいにエネルギーでいいじゃんwwwそんなに苦しいならwww
>>401 いやいやw
そうじゃなくて、「不説の“日本仏教否定発言”」を貼らなければ、
貴方が虚偽の発言をしたということになりますよ、ってこと。
なんか、一在家並みに日本語が通じない人に思えてきた・・・。 orz
>>402 w
一代的な謂いを踏襲すれば、典型的な“ねら”発言だな。
405 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 00:32:05.40 ID:IVtOxSkn
パープーマン あなたはバルド・トドゥル読んだことある?^^
406 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 00:35:05.09 ID:IVtOxSkn
>>404 あwww研究者のプライドでスマ坊主否定なの?^^
あなたの小乗研究の専門外の識持ち出すならエネルギーでいいでしょエナジーで^^
業に押し出される熱いパッション♪
>>406 レッテル貼り厨かよw
*ワシの評価したいなら、宝珠の初代アートマンスレから過去スレ全部読破してから来い。
『エネルギー』で済むなら警察要らんわwwwww
408 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 00:38:35.86 ID:IVtOxSkn
>>403 だーかーらー彼もお前様も中有認めないんでしょ?^^
日本仏教は認めていてその上で連続する生における解脱を目指す
連続する生の実体云々以前に中有経る輪廻認めるの認めないの?^^
409 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 00:40:38.53 ID:IVtOxSkn
>>407 スマ坊主嫌いなんですねwww
誰でも 今 ここ の評価で十分だと思います♪
っていうか小乗研究の範囲で無理やり大乗の教説いじるの苦しそうなんですけどすっごく^^
410 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 00:50:15.27 ID:IVtOxSkn
スマ坊主の輪廻の見解
仏教独自思想:
生まれ変わる意味の輪廻は仏教の独自な思想です。
他宗教でも輪廻思想のようものがありましたが、それは不滅の魂の引越しと言う意味の輪廻でした。
不滅の魂、実体と言う概念は仏教における「形而上学的」な思想です。何の証拠もない話です。観念です。
実体がないのにすべての現象は流転して別な現象になる。
実体があると流転、無常と言うものが不可能になる。(例:紙に紙たる実体があるならば、それを燃やして灰にすることは出来ません。
灰の中にも紙の実体があるはずです。紙は紙という現象で灰は灰と言う現象です。別々なものです。この二つの現象の間にあるのは
因果の関係のみです。
我々が精神だ、こころだ、と言う一時的な現象も想像を絶する速さで流転しているのです。こころが、感情が、精神が瞬間でも
止まってくれることはないのです。
今の現象が次の現象を作りだすのというのは因果法則の話です。
何故、心と言う現象が死で止まる、ストップになる、次の現象を作らない、虚無になると堂々と言えるのかとわからないのです。
それ自体が観念で、形而上学的で、主観的です。
巨大な物質界を見ても流転は見える。こころの働きを観察しても流転しか何も見つからないのです。
輪廻(sansaara)といっているのは今も無常である、流転している、実体のない、心と言う現象の流転です。
体は地球から借りたものだから返しますが、こころという現象は心の中にある感情、煩悩、業、意志、行(sankhaara―ポテンシャル)などの用語で
示している原因で流転するのです。(自分が持っているエネルギーで自転しているのです。自転したことが次の自転のエネルギーになるのです。)
これが輪廻転生の思想です。仏教独特の思想です。
http://www.j-theravada.net/qa/qahp22.html
ここもインチキサロメに荒らされまくってオモロ♪
412 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 00:54:51.24 ID:IVtOxSkn
すんごい口悪いし 言わなくていいこと言うし 一言余計だけど 憎めない悪党面だよねwww前教皇様みたいバチカンのwww すっぱり!死後も意識さえ形作るエナジーーーでいいじゃん中有の存在は^^
>>サロメ あなたは去るものは去らずについて一つ勘違いをしているよ 実体があったら滅することは不可能だけど 実体が無かったら滅するも無いんだよ つまり流転も不可能。全部空、因果の関係「縁」は無い 縁=空。 仏教内での価値観ならね
それともサロメはデタラメ言って目立ちたいだけ?
>>409 少し真面目なレスをすれば、
最初に伝播したスリランカに於いても、大乗仏教も併学併修されていたにもかかわらず、
(各種大乗仏典やその考え方が知られ学ばれていたにもかかわらず)、
上座部の系譜が大乗を切って捨てたのは、
『この三蔵+αで、仏の教えは過不足なく示されている』
としたからだよ。
で、各種大乗仏教も延長線上に乗せ得る、というのが、
現代のパーリ研究者(―おそらく、心ある上座部僧侶達も同様に―)の立場だよ。
(片山さんも、常に正法眼蔵と被らせてるしねw)
今の流れは、「パーリで無理やりいじっている」のではなく、
各方面からの蓋然性に於いてどうか?という話(宗教的枠組み)から少々はみ出した話だよ。
上座部云々、パーリ云々とは全く無関係な話だ。(つか、ワシとwの会話なんだからほっとけよwww)
ハッキリ申し上げれば、
貴方もまた、自身の考えに合うものだけを評価し、それを批判検証する態度を糾弾するタイプのように見えるわけです。
貴方は一代のように大乗仏教を心から信じていますか?
そうであるならば、貴方の護教的態度の正当性も担保されましょう。
が、そうではなく、あくまでも“神”或いはキリストへの信をベースとしているなら、
他者の「信」や「肯定」が不足する点を責めるのは、棚上げが過ぎると思いますよ。
416 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 01:07:38.02 ID:IVtOxSkn
サロメ 結局 世俗の次元=仮、嘘でしかないのに 何故そこまでこだわって主張する?
418 :
神も仏も名無しさん :2013/03/29(金) 01:14:29.91 ID:Ea+YvK88
>>415 >で、各種大乗仏教も延長線上に乗せ得る、というのが、
>現代のパーリ研究者(―おそらく、心ある上座部僧侶達も同様に―)の立場だよ
要するに、小乗とは、開祖(釈迦個人)の絶対視、盲信の立場だろ。
大乗では、釈迦個人は、象徴化され、飾り物の地位に追いやられている。
両者は、内容的には全く違うと思うよ。西洋のほとんの仏教学者もそう
言っている。
無理して両者を結び付けようとするから、論理が崩壊してしまう。
そこまで開祖を絶対視する義理はないと思うのだがw。
419 :
神も仏も名無しさん :2013/03/29(金) 01:17:40.74 ID:0wLwVbEa
この世は、ゆめまぼろし!
>>416 w
>>146-147 読んでないだろw
>>415 補
更に踏み込んで付言すれば、
貴方が支持しているのは、「大乗仏教」ではなく「チベット密教」限定ではありませんか?
ということです。
*(「中有」という語の扱い方の話じゃありませんよ?w)
一代は(日蓮以外w)全ての仏教をお釈迦さん(&竜樹)の延長上に見てますよ。
貴方はどうですか?取捨選択がないと言えますか?
(ま、日蓮を切って捨ててる時点で、一代にも取捨選択は存在するわけだが・・・(^^;))
421 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 01:20:28.28 ID:IVtOxSkn
>>415 だからその延長線上には乗っていないわけです^^
中夕やそこで輪廻が決定するまで死者が体験する意識に関しては
あなたはまだ理解が及ばないわけで
それを唯識であるとか実体があると思ってるとか言い出すから紛糾するんです
わからないならわからないでいいですから^^
上座部にチベット大乗部の顕密 日本仏教押し付けるつもりはありません
私はいわば信じるために探求中です^
信じるに足る 帰依するに足ると確信できたらそのときに考えるし
>他者の「信」や「肯定」が不足する点を責めるのは、棚上げが
責めてるつもりはありません しかし日本仏教で中有が重要であることくらいわきまえるべきです
私たちの国の仏教でしょう?
>>413 は?
スマ坊主にメールでもしてください^^
422 :
神も仏も名無しさん :2013/03/29(金) 01:23:20.12 ID:0wLwVbEa
423 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 01:25:10.81 ID:IVtOxSkn
>>417 嘘じゃなくて仮説です^^
生前も死後も 仮説に過ぎないと気がつけたら中有は終わりだそうです
中有は各個人の次の生を確定する時期ですから心をこめて回向して
故人がよい生に移るように遺族などは助けられる機会です
回向は故人遺族の双方に功徳になるそうですから
葬儀の意義が蘇ることでしょうね中有の再理解によって
424 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 01:30:47.62 ID:IVtOxSkn
いやーマジで正法眼蔵読んで泣ウルルなったんだわwww この人生だけでなく無数に続く輪廻で徳がつみあがり やがては解脱にいたれる そしてたくさんの生類助けられるのって 仏陀やダルマやサンガ(道元禅師)に感謝しつくせない そしてその感謝も功徳になる 仏教は感謝の手ごたえがあり 仏陀や聖者 先哲に感謝感謝 だから本腰入れてかかわりますよ^^
425 :
神も仏も名無しさん :2013/03/29(金) 01:31:05.57 ID:Ea+YvK88
>>423 中有って中陰(49日)のことだね。中陰なら素人でも知っている。僧侶が
法事の回数を一回でも多くして、お布施を確保するための経済的手段。死者
には無関係。
寺院は、パソコンに各人の法事の期日を入力して、50年忌まで通知してくるw。
サロメ 仮説=「そうかもしれない」ってことか。或いは 約束の様なもの? 大体分かった、全部変化している風だから 永遠の死も考えられないという感じじゃないかな? そこから霊界の存在に繋がるわけだ、たぶん。 そこにココロの真相レベルで気づければその輪廻から抜け出せると そんな感じかな・・・?
>>421 >日本仏教で中有が重要であることくらい
このスレに顔出してる人間でそれを理解してない人間などいないでしょう。
北伝仏教で中有のない教説は存在しません。
それは同時に、日本仏教で中有のない宗派もないということでもあります。
しかしそれも、歴史性地域性(という縁起)によって、(日本では)そのような教説として流通したというだけのことです。
そして、ここは議論スレ。 信仰(・・・いや、肯定か?w)無き者の発言をシャットアウトか?w
何様だよwww
>私たちの国の仏教でしょう?
隠居みたいな言い草はやめてくださいw
尊皇攘夷の仏教版の如く、上座部の日本上陸を阻止したいですか?w
>だからその延長線上には乗っていないわけです
片山さんの法句経全詩解説とかパーリ仏典入門とか読んでみ?(
>>424 )
428 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 01:41:49.76 ID:IVtOxSkn
>>426 訂正
仮設です
人間の心も種々の要素が寄り集まり仮設されたモノ
その実体はない 本来は空
そして要素が縁起によって流動して生まれたり消えたり変化がやまない
生前の意識は肉体のような荒い物質に準拠するけど 死後は肉体ではなくても
存続する しかし霊魂やアートマンではなく 生前と同じ空の存在
429 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 01:43:11.26 ID:IVtOxSkn
430 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 01:46:08.36 ID:IVtOxSkn
>>427 私も憤激しすぎたww愛国者なもので^^
また色々調べておきます^^
428 仮設=仮の取り決め、のようなものかな。 サロメの「空の存在」ていう表現が独特だけれど 良いと思うよ もし輪廻から抜け出すのが目的ならば、 2ちゃんはああいえばこう言われる まさに悪循環な輪廻だから此処からまず 抜け出したほうが良いんじゃないかな
432 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 01:57:18.69 ID:IVtOxSkn
意味無く戦闘的になったので態度改めて行きます
433 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/29(金) 02:01:28.22 ID:o2Y3VMMI
>意味無く戦闘的になったので態度改めて行きます wwwwwwwwwwww 無理でしょ?ww 気に入らない奴にはレッテル張って罵倒しまくるw それがお前の本性だろうにw まあ、談話室での態度が改まれば信用もするがねwww
434 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 02:05:43.11 ID:IVtOxSkn
断見パープーマンは断滅あぼーん
>>429 ハァ・・・ (-。-;)
頭悪いなw
だから
>>146-147 を読んで来いと言っとろうが・・w
>>428 >死後は肉体ではなくても存続する しかし霊魂やアートマンではなく 生前と同じ空の存在
これが、宝珠(や在家)の 『基体死守作戦』 と同じだというのが、なぜ判らない?
名称を言い換えたところで、構図は何一つ変わってないんだよ。
「いや、それも空です」と宣言すればそれで済んでしまうわけだw
>>430 三法印(四法印)、縁起、四諦、これを肯わないのは隠居くらいのものです。
続いて、アートマンではない基体を三法印&ウダーナに反して設定したがるのが三馬鹿トリオです。
このスレでは、そうした道化としての常連以外の間では、
コアの部分のコンセンサスは取れています。
そして、今回の中有等は、枝葉の部分なのです。(一代は、上記コアに輪廻を加えるでしょうが・・w)
コアでも枝葉でも、仏の教え(の色合い・彩り)に関する事柄は、全て議論の対象ですよ。
それこそが、このスレの特徴とも思うし。(偏ってるのは参加人物のバリエーションが不足しているからにすぎないw)
だから、先ほどの不説の発言も、このスレでは「普通にアリ」なわけです。
(疎まれるのは、対話のできない人たちですよ。)
>>432 (
>>430 )
了解w ノシ
>>433 まあまあw 司法にも執行猶予というものがあるし。
ノシ
436 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/29(金) 02:07:10.38 ID:o2Y3VMMI
>断見パープーマンは断滅あぼーん wwwwwwwwww ほらww 言ってるそばからwww
437 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/29(金) 02:09:18.74 ID:o2Y3VMMI
>「いや、それも空です」と宣言すればそれで済んでしまうわけだw そうそうww 「それは空ですから」という冠つければ全てOKと思い込んでるアホwww
438 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 02:10:45.39 ID:IVtOxSkn
>>435 眠いのでまた明日書き込みますね
おやすみなさい^^
439 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 02:12:58.49 ID:IVtOxSkn
>>437 パープ 引用したチベットゲルク派の際といって読んで来い
440 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/29(金) 02:17:34.80 ID:o2Y3VMMI
>パープ 引用したチベットゲルク派の際といって読んで来い wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww お前に言われんでも、そこに書いてあることくらいは了解済ですがwwwww
440 はサロメが気になる人みたいね。 パーピマンは 空についてどういう見解を持ってんの この世界は空かい?
442 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/29(金) 02:37:19.09 ID:o2Y3VMMI
>はサロメが気になる人みたいね。 オレは基本、アホおちょくって遊んでるたちの悪い凡夫ですからwwww >パーピマンは >空についてどういう見解を持ってんの >この世界は空かい? 以前にも何回か言ってきたが、「一つの認識論として」 一切を空とする 仏教的見解は面白いと思うよw そういう視点を否定したりはしないさw 苦を滅するための方法論として、当時の主流だったヒンドゥー的方向性 ではなく、「無常」→「無我」という視座からのアプローチは やはり天才的だったと思うけどね、釈迦はww
443 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/29(金) 02:42:46.82 ID:o2Y3VMMI
そういえば、確か一代ってゲルクじゃなかったようなw テルマ信じてるから、ニンマ派ってやつだったっけ?
(1/2)
>>264 パーピマン氏(及び
>>372 セブン氏)
>「業というエネルギーが意識を保持出来るのか?」・・・・
>これに対して上座部は有意な回答を持ってるのかい?
上座部ではなくて私の私見ならば述べられますが、そもそも以前の閻魔大使もそうでしたが、私がテーラワーダを全権を代表して立っているかのように扱われるのは、心外です。
私が単に、上座部をとっかかりとして仏教の知識を吸収した在家としての個人的見地から意見を述べているだけです。
ただ、そのまま私見(いわばSF仏教)を述べても、閻魔大使みたいな我流用語文章の羅列になるだけでしょう。
私が彼(閻魔大使)に好感が持てるところは、個人生活の中で仏教知識を活用している感じがあるところですが、その主観をそのままこういう場に出しても、TPOをわきまえないと客観的には迷惑になる可能性があります。
以下、あまり気乗りはしませんが、リクエストに応える形で、SF仏教を...
まず“エネルギー”という表現は脇に置かせていただきますが、「業が意識を保持」など、できるできない以前に、「しない」でしょう。
意識など、三世を経ずとも一刹那毎に生滅していくものです。これが初歩の知識。
(2/2) 輪廻がらみで問題となるのは「記憶」では? 脳に損傷を負って、その記憶領域の記憶を失った人がいたとして、彼は、日記を読んで、自分がどうしたのかを「思い出す」のではなくて「知る」ことなら可能です。 「自分の過去を思い出す」場合は意識の継続性が要求されますが、「自分の過去を知る」場合には意識など断滅していても何も問題はないわけです (この仮説のように考える場合は意識の継続性にこだわる必要は全くないはずです。決して意識の存続性が輪廻肯定のための唯一必須の前提条件ではないことがわかります)。 それで三世輪廻を超えた自分の過去世の事績にアクセスする能力というのは神通の領域の話題になります。 神通が神通であるということは、どうやっても、通常の知的思惟ではどうにかできる問題ではないから、だからこそ「神通」と呼ぶしかないのではないでしょうか? 神通、要するにブラックボックスです。 あとさらに、神通に関しては、基本的に仏教の専売特許ではありません(※解脱して阿羅漢になる能力を神通の一つとして列挙に加えられた「漏尽通」だけが例外です) ということは、必ずしも、ここの部分を考えていくということは、仏教に則して考える必要はなく、広く宗教やオカルト全般の枠組みの中で考えた方が手がかりはつかみやすいのではないかと思います。 そして同時に、神通それ自体への関心を第一の動機にする場合は、仏教とは動機・目的上、外れていくわけで、仏教スレとの関連性も薄くなると思います。
446 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/29(金) 03:24:55.13 ID:o2Y3VMMI
>>444 >私が単に、上座部をとっかかりとして仏教の知識を吸収した在家としての個人的見地から意見を述べているだけです。
了解w
>私が彼(閻魔大使)に好感が持てるところは、個人生活の中で仏教知識を活用している感じがあるところですが、・・・
ほ〜〜〜〜〜〜〜〜ww こりゃちと驚いたわww
同意w
んで、本題に入るがw
>輪廻がらみで問題となるのは「記憶」では?
それでOKさw オレは「個人識別性」の最も重要な要素は、
@記憶の連鎖 A身体の空間的連続性 だと思っているから(これも前に言ったなww)
んで、転生に関しては、その両方が断絶してしまう。そこが問題なわけだ。 Aが喪失してしまうことは
輪廻肯定者、否定者、ともに認めるところw 要は@だw この過去世の記憶の真実性の担保がなされて
いないところが問題なのであって、遊び大王が言うが如く、「検証しろ」「実証しろ」とまでは
言わなくとも、「それなりに記憶が連鎖する(復活する)」システム提示ができないのですか?・・・
ということさw
・・・・・そこを「神通」→ブラックボックスとして、ほっておくのは如何なものか? ということなんだがなw
今まであった、過去世→現世 の継承性は全て「何らかの基体」に依拠するものであったわけだ。
(表記法はそれこそ、様々だが結局は基体設定に他ならないww)
「無我」との整合性を損なうことなく、「個識別性」を担保する・・・・二律背反除去の魔法のシステムを
提示できないものかい?w SF仏教でもOKさww オカルト仏教でなければwwww
447 :
神も仏も名無しさん :2013/03/29(金) 04:49:02.15 ID:j3hEEGXJ
>>446 >「無我」との整合性を損なうことなく、「個識別性」を担保する・・・・
>二律背反除去の魔法のシステムを 提示できないものかい?w
横だが、人間の営みで「無我」と整合性のあるものなどない。「己の我を
以って無我を説く」という、釈迦の初歩的論理矛盾だからである。
整合性を求めること自体が、論理矛盾である。君も釈迦カルトなのか。
無我を達成する唯一の方法。それは我をひたむきに生きて、「我を忘れる」
ことである。無我を意図的に求めて修行すること自体が、我への最大の執着。
>>447 いや
仏教の無我ってのは
論理を捨てて直感だけで世界を認識しようとすると
当然ながら我と非我の区別といった論理的な判断だってつけようがなくなるわけで
そういう区別することを離れた直接知覚の世界の出来事としての
「我」を描写する言葉をあえて無理やり探すとすれば
もう仮にだけど「無我」とでも表現するしかないよね
っていう程度の話だから
君の言うような
目の前の出来事に没我するみたいなこととも
ビミョーに違うと思うよ
449 :
神も仏も名無しさん :2013/03/29(金) 07:59:54.00 ID:R+s99Lni
>>448 その「世界を認識する」「我を描写する言葉を探す」「直接知覚する」主体は
一体何か。
人称を省略する言語は、恐らく皆無だろう。主語を省略することがある言語でも、
動詞や形容詞の変化によって必ず人称を示す。釈迦は、人称を一切省略したのか。
それでは彼は、口も利けなかったはずだ。
「煩悩の仮和合」であると「観念した」主体は何か?煩悩が発生する根源は
何か。
主体(による)認識がなければ、客体だけが存在するのか?とんでもない唯物論
だな。
何故、釈迦の「単純な勘違い」であることが認められない?
450 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/29(金) 08:03:19.86 ID:WBUntqB+
>>444 不説氏
>意識など、三世を経ずとも一刹那毎に生滅していくものです。これが初歩の知識。
例えば法相宗では六識(意識)の奥に七識(未那識)と八識(阿頼耶識、根本識)とを説いております。
七識は絶えず働いているそうですので、貴兄の言う意識は六識でしょうか。
>>445 >「自分の過去を思い出す」場合は意識の継続性が要求されますが、「自分の過去を知る」場合には意識など断滅していても何も問題はないわけです
確かにアカシックレコードから読みだすことも仮設(モデル)としてはあり得ますが。
私は八識(阿頼耶識、根本識)にカルマも経験、記憶も蓄積されながら輪廻し、修行完成者は自由に引き出せるというモデルで考えております。
(参考:「仏教要語の基礎知識」水野、P164)
尚、八識も常住不変ではなく変化し続ける有為法とのことです。
ただし仏性(仏種)は八識の更に奥だと考えております。「仏性」も変化ならば「仏」も変化し「涅槃」も無常になるかと存じますので。
「仏性」とアートマンとは異なるでしょうが、出典は存じません。
まあ、阿弥陀如来も大日如来も「無常」か?と問われた場合を想定されたら分かるでしょう。
「唯識」と言いましても六識(意識)のみで考えますと誤解しそうです。七識、八識は通常の識(顕在意識)とは異なるようですので。
また六識が「我」であれば、八識は「非我」かも知れませんが、初歩の衆生には無記で宜しかったかと思料します。
PS
数日前から急に仕事がビジー(多分、世間並)になりましたので亀レスになりますが、あしからず。
>>449 君が言ってるような
「主体」と「客体」に世界を2分割して捉えるような分析的思考方法そのものが煩悩の原因となっているので
分析的思考のツールである言語表現そのものからともかくいったん離れて世界を捉えてみましょうよ
っていう立場がそもそも仏教の考えなので
分析的思考を適応して勘違いしてると言われてもそれはズレてますよとしか言えないから困っちゃうなあ
452 :
神も仏も名無しさん :2013/03/29(金) 08:21:07.37 ID:R+s99Lni
釈迦は恐らく「苦や煩悩は我から発生するのだから、我を無くせば、苦も煩悩 も無くなる。こりゃー大発見だ」と躍り上がったのだろう。その際、そう「考 えている」主体は釈迦の我であることを、すっかり失念してしまったのであるw。 滑稽極まりない勘違い、初歩的論理矛盾。
>>452 君が鬼の首をとったかのように振り上げているその無我に対する誤解は
本当に初歩的な勘違いなので
龍樹関連の入門書にあたることをオススメしておくよ
454 :
神も仏も名無しさん :2013/03/29(金) 08:36:32.54 ID:R+s99Lni
>>451 >分析的思考のツールである言語表現
釈迦が人称を一切無視すれば、「分析的思考」など出来るはずがあるまいw。
人称の区別が、分析の第一歩であろう。そして、分析の主体は、他ならぬ
我である。釈迦がいくら足掻いても無駄w。
人類が、その発生以来、一体どうやって生存してきたかを、よーく考えよ。
人類の生存の実態に反する思考は、「人間の思考」として無意味。人間は
それを「誤り」と呼ぶ。
言語は、人類の共生に不可欠な道具として、人類の共生とともに発生した。
共同体の一員が勝手に解釈したり、変更したりすることは、絶対に許されない
もの。
1/4
>>307 >諸氏は、この点どう考えますか?
バルド(中陰/中有)についての説明と理解はサロメさんが殆ど正しいと思います。私はサロメさ
んの主張にほぼ全面的に同意します。
確かに、仏教体系の中でこれが明確に出てきたのはかなり後代になってからのことで、それまで
の原始経典には説かれていなかったようです(それがテーラワーダの理解になっている?)。
しかしながら、“六道輪廻のいずれかに転生(再生)するまでの期間”をバルドとする見方ではな
くて(六道そのものが後代の体系化です)、“現象界における生存から次の現象界の生存へと転生
するまでの期間”のことを広義的なバルドと見なすことで話は大きく変わってくるのです。
要するに、ゴータマがバルドを説いたかどうかは不明確であり、残された初期経典には説かれて
ないという見方ではなく、ゴータマが餓鬼となって(餓鬼道に堕ちて)苦しんでいる亡者(の救済)に
ついて説かれた話が、そのまま中有の状態を説いたものとなるということです。
実際、大乗が行っている死者救済の供養と法要は、要するに“次の物質現象界への再誕までの
帰還”のことを意識しているのです。これが転生ということである(六道ではなく)とするならば、すべ
ての理解はより容易となってくるのです。
>>454 言語表現は人間が生活するツールとして便利かつ不可欠ではあるが
その生活必需便利ツールを用いれば
現象世界の有様を誤りなく精緻に描写できるのかというとまた別問題でね
言語表現にはそれが適用される限界というものが有って
便利ではあるが万能ではないということを示したのが釈迦で
それを論理的に位置づけたのが龍樹という人でね
西洋でもヴィトゲンシュタインが言語の限界を示してるよね
まあ自己認識につきまとう無限遡及の問題に君が自力でたどり着いたんなら褒めてやりたいけど
たぶん何かの受け売りなんだろ?
もうちょっと他ジャンルの本にも目を通してみるのも悪くないと思うぞ
457 :
神も仏も名無しさん :2013/03/29(金) 08:49:22.45 ID:R+s99Lni
>>453 中論は、無我、無などというアホな言葉は、恐らくは反論の目的以外には
一切使用していない。注釈者たちが、釈迦の無我、無に忠実ならんとして、
中論の空さえもそれに合致させようと足掻いている姿は滑稽そのもの。
無という言葉は、常に有を前提とする。最初から無なら、そもそも述べる
必要もないし、述べることは不可能。
458 :
神も仏も名無しさん :2013/03/29(金) 08:59:08.70 ID:R+s99Lni
>>456 >まあ自己認識につきまとう無限遡及の問題に君が自力でたどり着いたんなら
>褒めてやりたいけど
「己の我を以って無我を説く」ことは、小学校低学年生にでも分る滑稽な
初歩的論理矛盾。自分で自分の顔を隠してやる「いない、いない、いない、
バー」と全く同じw。大人が、大人に対してやることではないよ。
>>458 新しい知識に興味が無い人ならもういいや
自分の頭のなかだけで完結しててください
じゃーねーノシ
460 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/29(金) 09:17:27.20 ID:WBUntqB+
>>452 >釈迦は恐らく「苦や煩悩は我から発生するのだから、我を無くせば、苦も煩悩
>も無くなる。こりゃー大発見だ」と躍り上がったのだろう。
法相宗では、六識の苦や煩悩は七識に原因があるそうですね。
更にその奥の八識まで悟れば、七識と六識の苦や煩悩の原因が氷解しますので寂滅でしょう。
461 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/29(金) 09:42:44.68 ID:WBUntqB+
>>455 宝珠氏
>確かに、仏教体系の中でこれが明確に出てきたのはかなり後代になってからのことで、それまで
>の原始経典には説かれていなかったようです(それがテーラワーダの理解になっている?)。
中有の考え方はサロメさん、宝珠氏とあまり相違はないです。
尚、仏教テキスト上では原始経典でも明記されておりますし、過去ログでも幾度も紹介済みです。
(長部経典「等誦経」)
肉体の死後の赴く先は5つで天、地獄、畜生、餓鬼、人とのことです。舎利弗が編纂しております。
この中で人から人へは刹那であるか否かは明記されておりませんが、他の4つは時間がかかりそうです。
畜生は寿命が短いので、また案外早く人に再生してくるかも知れません。
また天人は寿命が長いので、数千年は再生しないかも。。
462 :
神も仏も名無しさん :2013/03/29(金) 09:51:20.64 ID:Jl0vK66p
>>456 >西洋でもヴィトゲンシュタインが言語の限界を示してるよね
言語の限界を、限界ある言語で語っても、限界があるw。アホかと言いたい。
463 :
神も仏も名無しさん :2013/03/29(金) 09:57:58.42 ID:Jl0vK66p
>>459 >新しい知識
2500年前からある「誤った」知識。それを是正できない者は、
どれほどの愚か者か。
自然科学では、「誤った知識」は、観察と実験により、日々是正されている。
464 :
神も仏も名無しさん :2013/03/29(金) 10:03:43.30 ID:Jl0vK66p
>>460 人間の感覚器官は、五感しかない。解剖生理学を参照のこと。
我にそんに沢山の識があったら、それぞれの識にも苦が生じて、苦は増す
ばかり。苦の除去とは対極。
465 :
神も仏も名無しさん :2013/03/29(金) 10:11:27.29 ID:Jl0vK66p
>>461 大昔の経典の誤りは、現代人が片っ端から訂正してくださいね。それが現代人の
責務です。
経典は、あくまで、「自然科学について無知蒙昧だった、当時の社会における、
当時の人々」に対するものであったことを、片時も忘れてはならない。
2/4 神智学的理解について述べると、バルドの転生までの帰還というのは、本当は個人(の業や個人 の特質など)によって様々に異なります。 「中陰の四十九日」(すべて“7の倍数”を用いて21日+28日=49日?)というのは実際的な根拠は ないと思われます(下記、リンクは参考になると思う)。---このことに限らず、仏典中の具体的な数 値には殆ど根拠がないことが多いと思います(多くの場合には象徴的に解する必要あり)。 大雑把にいって進化レベルの高い人、つまり、第三、第四段階イニシエート、仏教でいう阿那含(不 還)クラスなどになると、次に転生してくる時期は大幅に早まる傾向にあるといわれています。まる でエンジンのターボが掛かって急激に加速してくるような感じです。 中有で餓鬼地獄に堕ち入っている人というのは、生前に悪業を積んだ者や精神状態が憎悪や激 しい嫉妬などの高ぶった感情にある者、悪鬼非道な人格の者なとが該等するでしょう。また、死の 間際の精神状態も非常に重要であるといわれています。 そして、これらの悪趣の恐ろしいところは、次の転生において過去世の業を背負わされるという点 にあります。死後中有の苦しい状態だけでは済まないのです。
467 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/29(金) 10:27:47.93 ID:WBUntqB+
>>465 >経典は、あくまで、「自然科学について無知蒙昧だった、当時の社会における、
>当時の人々」に対するものであったことを、片時も忘れてはならない。
御参考までに、現代の科学者の一人、1954年のアインシュタイン言葉です。
God is a mystery. But a comprehensible mystery.
I have nothing but awe when I observe the laws of nature.
There are not laws without a lawgiver.
神は謎だが、分かり易い謎である。
私は自然の法則を観察した時に畏敬のみを持つ。
法則には立法者がいるはずだ。
468 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/29(金) 10:31:15.72 ID:o2Y3VMMI
こら、宝珠w 在家がトンデモないこと言ってるぞw >畜生は寿命が短いので、また案外早く人に再生してくるかも知れません。 「畜生は人間などに再生しませんから」 とちゃんと教えてやれよww
469 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/29(金) 10:32:56.52 ID:WBUntqB+
>>467 >法則には立法者がいるはずだ。
法則には縁起の法も含まれます。
私どもは啓示により、法の設定者=至高神のことを伺っております。
まあ、仏教では法の設定者は無記対象でしょうから、議論にはならないかと存じます。
よってこの板では至高神のことは論じておりません。
470 :
神も仏も名無しさん :2013/03/29(金) 10:33:38.11 ID:8whuUaQL
471 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/29(金) 10:36:11.57 ID:o2Y3VMMI
>法則には立法者がいるはずだ。 また、このクソが「自分に都合の良い一部分だけ抜粋して」 『さもアインシュタインが法則の≪立法者≫の存在を支持していたかの ように誤誘導』しやがるwwwwww その立法者というのは、たんなる言い回し、擬人化で実質は 『第一因』のように無人格の『原因』に過ぎないことは、「お前が引用しない」 他の部分の詳細な説明から明らかっだたろうがwwww ホントニ姑息なカスだねwwwww
472 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/29(金) 10:36:59.52 ID:WBUntqB+
>>468 >「畜生は人間などに再生しませんから」 とちゃんと教えてやれよww
条件付きで「畜生は人間などに再生しません」は同意しますよ。
最初から畜生として生まれたものは人間には再生しません。
しかし元々は人間であってカルマゆえに畜生に転生した動物の場合はまた人間に再生し得ます。
473 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/29(金) 10:44:29.25 ID:WBUntqB+
>>471 ピーマン氏
>『第一因』のように無人格の『原因』に過ぎないことは、「お前が引用しない」
>他の部分の詳細な説明から明らかっだたろうがwwww
>ホントニ姑息なカスだねwwwww
前後の文脈も読みましたよ。
・アインシュタインは旧約聖書のような人格神は認めない。
・神がいるとしたら美しい法則の立法者だろう。
貴兄は「神がいるとしたら」とい箇所を、アインシュタインは神はいないと考えている
と読みたいだけでしょう。
「姑息なカス」という言葉は思っても使わない方が宜しいかと存じます。
日本は言霊のさき合う国と聞いておりますので。
474 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/29(金) 10:48:04.10 ID:WBUntqB+
>>473 >>「姑息なカス」という言葉は思っても使わない方が宜しいかと存じます。
もちろん八正道の中に「正語」がありますので、自称仏教徒の方々が悪い言葉を使われる
時には??と感じております。 貴兄は仏教徒ではないかもしれませんが。
475 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/29(金) 11:12:21.91 ID:o2Y3VMMI
>「姑息なカス」という言葉は思っても使わない方が宜しいかと存じます。 は〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜????? んじゃ、お前のような「この宗教板でも 間違いなく3指に入るようなカス」には何て言えばよいの?www お前が挙げた英文のたの解説にも、さらにはアインシュタインのスタンスを解説 するために、オレが提示した他の資料にも明らかだろうがwww アインシュタインは、「法則の第一原因」を『少なくとも意思を有する存在』とは 全く考えていなかったの。 もしそうだというなら、この世界の法則が誕生した因が「何らかの意思を有する存在の 図らいによるものだ」ということを述べている資料を提示してみろやww ホント、カスだねこいつはwwwwwww
476 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/29(金) 11:16:18.25 ID:WBUntqB+
>>475 パーピマン氏
>んじゃ、お前のような「この宗教板でも間違いなく3指に入るようなカス」には何て言えばよいの?www
失礼ですが、自称悪魔(Sn.登場)の方にカスと呼ばれたら如何でしょうか。
むしろ褒められたら問題かと存じます。
477 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/29(金) 11:16:28.45 ID:o2Y3VMMI
アインシュタインの手紙は1954年のもの。 「神という言葉はわたしにとって言葉以上のものでなく、人間の弱さが作り出したものにすぎない。 聖書は、高潔だが原始的な言い伝えをまとめたもので、やはり子どもじみている」 「どんなに素晴らしい解釈が登場しようと、この考えは変わらない」などと述べている。 また、ユダヤ人が神に選ばれた民だという思想についても、「わたしにとってユダヤ教は、 ほかの宗教と同じく子供じみた迷信の権化だ」 「ユダヤ人であることを光栄に思っているし、強い親近感を抱いていているが、 わたしにとってはほかの民族と変わらない」と述べ、否定している。 はい、上記がアインシュタインのスタンスねww どこをどう読めば、彼が神の存在を信じていたなんて言えるわけ????www
478 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/29(金) 11:18:13.71 ID:o2Y3VMMI
>貴兄は「神がいるとしたら」とい箇所を、アインシュタインは神はいないと考えている >と読みたいだけでしょう。 ハイハイwwww →『 神という言葉はわたしにとって言葉以上のものでなく、人間の弱さが作り出したものにすぎない。』 ここ読めるかな?wwww
479 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/29(金) 11:32:00.22 ID:WBUntqB+
>>478 パピーマン氏
>→『 神という言葉はわたしにとって言葉以上のものでなく、人間の弱さが作り出したものにすぎない。』
ハイハイ、元文で提示しておきますので、英語の読める方はパピーマンさんの訳と私の訳との検証を願います。
元テキスト:
Einstein referred to his belief system as "cosmic religion(宇宙宗教)" and authored an eponymous article on the subject in 1954,
which later became his book Ideas and Opinions in 1955.
The belief system recognized a "miraculous order(奇跡の秩序) which manifests itself in all of nature(自然) as well as in the world of ideas,"
devoid of a personal God who rewards(報償) and punishes(罰) individuals based on their behavior.
It rejected a conflict between science and religion(科学と宗教の間の対立を拒否), and held that cosmic religion was necessary for science.
He told William Hermanns in an interview that "God is a mystery(神は謎). But a comprehensible mystery(分かる謎).
I have nothing but awe(畏敬のみ持つ) when I observe the laws of nature(自然の法則). There are not laws without a lawgiver(立法者), but how does this lawgiver look(どう見える)?
Certainly not like a man magnified." He added with a smile "some centuries ago I would have been burned or hanged(数世紀前なら焼身刑か絞首刑にされたであろう).
Nonetheless, I would have been in good company."
480 :
神も仏も名無しさん :2013/03/29(金) 11:38:46.01 ID:83/DC/gY
>>469 >法則には縁起の法も含まれます。
>私どもは啓示により、法の設定者=至高神のことを伺っております。
それを言語論理による一切外妄想物語といいます。
法の設定者=至高神=自性の設定は検証不可能な迷いです。
この言語論理可立の世俗一切外と、言語論理不立の勝義を混ぜると、
あなたや宝珠やカラスなどのような無自覚な「信仰」中毒症状を起こすのです。
『第一因』設定思考は言語論理可立の世俗一切外妄想の中毒症状に他なりません。
矛盾がいつまでもつきまとうからこそ、迷妄信仰で誤魔化すしかないのです。
それはカントール集合論のパラドックスで明らかにしました。
この問題を解けない以上、一切外妄想はもはや語るべきではありません。
<不条理なれど、われ信ず>以外のことば(ロゴス)は出すべきではありません。
481 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/29(金) 11:45:23.34 ID:o2Y3VMMI
>>479 wwwwwwwwwwwwwwwwww 上記の英文のどこをどう読めば、
「アインシュタインが神を信じていたなんて読めるの????」wwww
お前が繰り返し引用する部分でもThere are not laws without a lawgiver(立法者),
「因のない法則はない」という自然科学的因果関係を述べているだけだろうが?w
その因を lawgiver という擬人的表記をしているからと言って、それは単なる擬人法ww
それがいわゆる「神」でないことは他の部分、
>devoid of a personal God who rewards(報償) and punishes(罰) individuals based on their behavior.
>・・・but how does this lawgiver look(どう見える)?
>Certainly not like a man magnified. で明らかねwww
そして、彼自身、自己が無神論者であることを痛切に自覚しているわけで
自嘲気味に
">some centuries ago I would have been burned or hanged とまで言ってるwwww
上記の英文も
→『 神という言葉はわたしにとって言葉以上のものでなく、人間の弱さが作り出したものにすぎない。』
とピッタリ整合するわけですがwww
482 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/29(金) 11:53:37.81 ID:o2Y3VMMI
>ハイハイ、元文で提示しておきますので、英語の読める方はパピーマンさんの訳と私の訳との検証を願います。
それと、もしかしたら、お前、オレが
>>477 で挙げたアインシュタインの
手紙の文を 上記の英文の訳と勘違いしてるのか?
(まさか、んなこたあないかww)
483 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/29(金) 11:56:53.32 ID:WBUntqB+
>>481 パピーマン氏
>その因を lawgiver という擬人的表記をしているからと言って、それは単なる擬人法ww
それがいわゆる「神」でないことは他の部分、
>devoid of a personal God who rewards(報償) and punishes(罰) individuals based on their behavior.
>・・・but how does this lawgiver look(どう見える)?
この文章の訳が貴兄と異なるのですね。
>>473 一在家
>・アインシュタインは旧約聖書のような人格神は認めない。
>・神がいるとしたら美しい法則の立法者だろう。
先に提示済みです。まあ、他の方々のコメントをお待ちしております。
484 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/29(金) 12:04:08.28 ID:o2Y3VMMI
>>483 wwwwwwwwww だから上記の「解説文」の一体どこに
「何らかの意思を有する存在」が、この世界の法則を定めたと読める文が
あるわけ?www
姿形はどうでも良いのw 別に人間の姿をしていなくてもいいわけww
要は、「何らかの意思を有する存在」・・・・・ここを外したらもう
それは「神」と言えないでしょ?w
単なる「原因」であり「単なる現象」に過ぎないわけww
で、アインシュタインは「その意思を有する」という特性を法則の成立要因に
付与しているの? そういう表記が、「一文」でもあったわけ?ww
あったら指摘してみろ、カスがwww
3/4 問題となっている転生までの帰還の状態についてですが、通常、何事も問題がない場合には、人 は死後、肉体、エーテル体、アストラル体、メンタル体がそれぞれ順次に崩壊し、これら生前のパー ソナリティを喪失後に魂(阿頼耶識やジーヴァ)は至福の状態であるデヴァチャンへと入ります。 これはキリスト教の天国の概念に殆ど近いものです。魂はここで休息を摂ってから(期間は個人に よる)次の転生へと向かうのです。仏教の浄土もほぼ同じ意味合いとして見なしていいと思います。 魂がデヴァチャンにスムースに入ることができないでいるのは、生前のアストラル体(想念形態)が 餓鬼地獄の状態にある場合です。この痙攣のような縛りが解消されないことには魂はいつまでもデ ヴァチャンに入れず、従って、次の転生が遅れて進歩が大幅に停滞することになるのです。 このアストラル体(想念形態)が餓鬼地獄の状態にある期間もそれぞれです。数ヶ月、数年〜数百 年など・・・(永久ということはない)。 仏教の説く死者救済は、これを少しでも早く解消して魂がデヴァチャンに入れるようにしてあげるこ とをいいます。この餓鬼地獄に堕ちている死霊は、現象界及び生存している人間に悪影響を及ぼす ことがあります。現象界から彼らが捉えられた場合には、これを一般に幽霊などといっているのです (尚、これらも五蘊の一部なので、能力やそのときの精神状態、及びタイミング等々によっては知覚 可能です)。
486 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/29(金) 12:13:02.28 ID:o2Y3VMMI
カス在家は、アインシュタインが「lawgiver 」という擬人的語彙を用いて 自己の心情を述べたことに対して、「勝手にそれを自己の都合が良いように 捻じ曲げて解釈し」・・・・(いつものことだがwwww) 決して、自己に不利な証拠 →『 神という言葉はわたしにとって言葉以上のものでなく、人間の弱さが作り出したものにすぎない。』 等には触れないww そういうのは「見えない、見えないよ〜〜〜〜」でスルーwww そして、ほとぼり冷めた頃、シラーとまた繰り返すwww そういうところがカスだと言うのwwwww 他の者に聞きたい?ww 良いだろw なら、お前と親和性の高い宝珠にきこうw →「アインシュタインは、神の存在を信じていたと考えるか?」 上記の提示資料から判断してくれww (こりゃ、良い試金石になるwwww)
487 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 12:17:14.09 ID:IVtOxSkn
不説氏
あなたは上座の特定セクトの信者ではないわけですね
了解いたしました
いまどきの小乗呼ばわりはやめます
失礼いたしました
>>484 パープーマンw
ゲルク派のサイト十分理解してるんだ^^
では
中有に存在する故人は生前の粗雑な物質の肉体に依存しない
より緻密な意識を保持して存在する
その意識も生前の意識と同じく空である
つまり縁起の流れの以降に過ぎない でOKだな?w
488 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 12:25:47.26 ID:IVtOxSkn
宝珠氏 私はチベット仏教の中有観を支持しているので 輪廻における故人の実体の存在は認めませんし 故人の意識する肉体の質にも興味はありません 私個人の考えですが中有の故人の存在は生前に」睡眠中 夢を見ている状態と変わらないと思います 明晰夢 覚醒夢のの状態にいればどんな悪夢にも混乱せずにいられるように 煩悩に影響されずすべては空であると自覚していればバルドすらも 空であると観じ混乱せずに次の生へ移行できると思いますので 夢を見ている人間の本質は空であるようにバルドの人間も空ですね 輪廻する実体はありません
489 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/29(金) 12:28:22.57 ID:o2Y3VMMI
>>487 は? 何がOKなのか?w
オレは、そもそもチベット仏教の信徒などではないんだがww
>中有に存在する故人は生前の粗雑な物質の肉体に依存しない
>より緻密な意識を保持して存在する
>その意識も生前の意識と同じく空である
だから、上記の内容など、ま〜〜〜〜〜たく賛同しませんがww
490 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/29(金) 12:31:05.29 ID:o2Y3VMMI
時間がないのでオチw オレと絡みたいなら、また夜ねww
491 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 12:31:24.62 ID:Ag7vtj/g
>>489 信徒云々に限らず内容を理解するしないは別ですよ
で
賛同しない根拠と理由は?
492 :
1/2非理作意者の迷妄思考 :2013/03/29(金) 12:33:56.18 ID:83/DC/gY
>>485 (宝珠)
>問題となっている転生までの帰還の状態についてですが
非理作意者の妄想 乙!
『彼は次のように根源からではなく(邪に;間違って)作意します ---
『実際、過去に私は存在したのかどうか?
実際、過去に存在しなかったのかどうか?
実際、過去に何になったのかどうか?
実際、過去に何故に存在したのかどうか?
実際、過去に私は何になって、何になったのかどうか?
実際、未来に私は存在するだろうかどうか?
実際、未来に存在しないのかどうか?
実際、未来に何になっているのかどうか?
実際、未来に何故に存在するのかどうか?
実際、未来に私は何になって、何になるだろうかどうか?』と。
或いは、今、現在に〔関して〕
自分に疑惑を持つ者となる --- 『私は実際に存在しているのかどうか?
実際に、存在していないのかどうか?実際、何になるのかどうか?実際、何故に存在しているのか?
実際、この生けるものはどこから来たのかどうか?彼はどこへ行くのだろうか?』と。
<マッジマニカーヤ 18-5 『一切煩悩経』>
493 :
2/2非理作意者の迷妄思考 :2013/03/29(金) 12:39:56.18 ID:83/DC/gY
>>485 (宝珠)
『彼(宝珠)が、このように根源からではなく(邪に;間違って)作意するならば、六つの見のうちの或る(一つの)見が生じます。
或いは、『私には我がある』と、彼に実際に強固に見が生じます;
或いは、『私には我がない』(断見)と、彼に実際に強固に見が生じます;
或いは、『〔私は〕我によってのみ我を知覚する』と、彼に実際に強固に見が生じます;
或いは、『〔私は〕我によってのみ無我を知覚する』と、彼に実際に強固に見が生じます;
或いは、『〔私は〕無我によってのみ我を知覚する』と、彼に実際に強固に見が生じます;
或いは、また、彼にこのような見が生じます --- 『私のこの我は、語ったり、感じたり、
ここかしこで、善悪の業の果報を受けているところのものであるが、
それ、つまり、私のこの我は常に堅固で常住で不変な性質のものであり、
永久にこのように存続するだろう』と。
比丘たちよ、これは悪見、見の密林、見難路、見悶躁、見紛争、見結と言われます。
比丘たちよ、見結に縛られた未聞の凡夫は解放されません。
生から、老から、死から、諸々の心配ごとから、諸々の悲泣から、諸々の苦から、諸々の憂鬱から、諸々の悩みからも;
『苦から解放されない』と〔私は〕説きます。
<マッジマニカーヤ 19-6 『一切煩悩経』>
4/4
神智学におけるチベット『バルド・ソドル』の評価は非常に高いものです。内容における各期間は象
徴的なものなので、そのままに受け取るべきではありませんが、その出来事と状態についの描写と
詳細解説は、概ねそのままに正しいものとしています。しかも、成立当初から殆ど変色はないと。
私は、これらのチベット『バルド・ソドル』の内容というのは、チベットの高僧がその高いサーマディの
境地と神通とにおいて実際に確認、体験してきて著わしたものだと解しています(テルマというよりは、
自らの神通体験によるものかと)。
参考:
http://okwave.jp/qa/q649838.html 私の場合は、天文カレンダーから毎月の正確な満月ピーク時間を確認し、最も近くて可能な時間帯
でウポーサタとして真言宗様式の施餓鬼(供養)を普段の勤行とは更に別座で行います。もし、彼らが
少しでも早く苦しみから解放されるのに役に立つものならば嬉しく思います。
495 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 12:44:12.09 ID:Ag7vtj/g
ちなみに夢を見ている間でも記憶思い出すことは可能ですね バルドにおける故人が記憶を保持しているのはべつに神通力を設定せずとも 問題はないと思います 粗雑な物質としての肉体ではなく より精緻な意識がバルドまで意識を携えていく 記憶の情報も縁起の流転する関係性の中で形成され変化する諸要素のひとつに過ぎないでしょうから 脳から精妙な存在に移行するだけですね
496 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/29(金) 12:44:49.20 ID:o2Y3VMMI
wwwwwwww んじゃ、最後にもう一言 >で >賛同しない根拠と理由は? 如何に語彙を変化させて、表記を変えても ・・・・・ 「より緻密な意識を保持して存在する 」 こんなふうにねw 実質は何も変わってないのw 今まで、それこそ、数え切れないくらいの表現で 輪廻の関連性が語られてきたが、どれも同じww 「それは空です」を付け足せばOKなんじゃねえんだよw →「個の識別属性」と「無我」との不整合を如何に解消するか?、が仏教が抱える 最大の難の一つで各仏教学者たちも、それぞれ論じてきたわけw (まあ、代表的なのは木村と和辻のが最も有名だがw) このスレでも何年も繰り返し論じられてきたが、当然、未解決ww 「ブラックボックス」入りで保留のままw っていうか、サロメw お前、論点がどこか?さえも分かってないだろw だから、セブンが過去スレ読めと親切に提示したのにw
497 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/29(金) 12:47:24.75 ID:o2Y3VMMI
>粗雑な物質としての肉体ではなく より精緻な意識がバルドまで意識を携えていく だから、スケールを縮小していく、精密さを向上させるとかの問題じゃないんだよw ホントニオチww
498 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/29(金) 12:47:57.22 ID:WBUntqB+
>>484 パピーマン氏
>で、アインシュタインは「その意思を有する」という特性を法則の成立要因に
>付与しているの? そういう表記が、「一文」でもあったわけ?ww
>あったら指摘してみろ、カスがwww
>There are not laws without a lawgiver(立法者), but how does this lawgiver look(どう見える)?
美しい絵画、彫刻、数式には、作者がおりますよ。>自称悪魔さん
偶然などなく必然だということです。
499 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/29(金) 12:52:14.78 ID:o2Y3VMMI
>>498 wwwwwwwwwwwwwwww
ハイハイ、さっき風が吹いて、庭の木が少し揺れたんだが、それも
「何らかの存在が、その意思でもって」そのようなことを起こしたわけねw
庭の石っころが、実に見事な楕円形をしていたんだが、それも「誰かが」
そのように作ったわけだw
自然にそういう形になるわけがないとwww
池口恵観てどうなんですか? 真言宗的に
501 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 12:55:56.12 ID:Ag7vtj/g
>>495 第六識の三世の過去を前世 輪廻の先の未来世
そこまで含めれば確かに神通力の領域でしょうけど
第六識を認識している主体も空なわけです
肉体を持つ人間が身体に依拠する意識によって第六識を使う
肉体を失いより精緻な存在になった意識が第六識を維持する
バルドでセブン氏のたとえを借用するけど 古いろうそくが新しいろうそくに
火が移るように新しい生に移行する 縁起の作用が移行する
その縁起の変化に対して
故人の遺族が回向という形で影響をもたらすことが出来る
それは上座のスマ坊主も認めていましたよね^^
502 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/29(金) 12:56:25.85 ID:WBUntqB+
あれー、20分前にオチたはずなのに。 >美しい絵画、彫刻、数式には、作者がおりますよ。>自称悪魔さん 石っころの話をいつしましたか?
波切り不動最福寺 三無事件でタイーホ この糞坊主は仏教的にありやなしや
504 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 13:03:26.99 ID:Ag7vtj/g
>>496 パープーマンの 故人としての個別性はなにに依拠してる?^^
生きている間は 肉体だろうけど^^
死後バルドに存在するとしたら 個別性はなにによって依拠するのですか?^^
縁起の連続性性によって諸要素が集合して個別に対象化できる存在になったら
それは識別しうる存在ですよね^^
さらにー^^
バルドの存在に関しては現世の遺族 僧侶などが回向を通じて影響を与えることが出来る
さらに輪廻先の世界によってはその世界に生まれたあとも影響できる
回向は故人特定できるんですけど^^
パープーマンを存在させている縁起の連続と 例えば私を存在させている縁起の連続は
別でしょ?^
でもそれも実は空なんだけど^
505 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 13:07:45.44 ID:sH9OVvNS
それとセブン氏は従来の日本仏教を知ってるだろうけど無視してるし 明らかに肯定していない 私は日本仏教 チベット仏教の立場からバルドを理解してるし 説明している テラワーダ基準から出発してればバルドはわけがわからなくなるでしょ^^ ちなみにわたしは宝珠氏や在家氏のような常在する輪廻の主体や 常在する記憶の データベースも認めていません
>>278 >少なくとも、仏教徒で「真我」なるものを認めているのは一人も
>いなかったはずだがwwww
圧倒的に誤解してるのはパーピマンです(サロメさんが正しいから)。
それらの基体は空性であって、究極の真我なんかじゃないから。
それら輪廻の基体(及び死後の意識残存)というのは、
日常生活で我々が自己を意識して生存しているのと全く同じ仮和合における空性の自己です。
そろそろ理解すべきは(過去ログの経緯をすべて見てきた)パーピマン。
そして、セブンの方です。
>>267 >だから、その「個別性」という視点自体が、世俗の視点であって、
>それを無明とよんで、払うことが仏教の方向性でしょ?w ---中略---
>→「Aさん、Bさん、Cさんなどいない」・・・・という視点からのもの言いが仏教だろうにw
いうなれば、それは“前提”ということです。
輪廻そのものが、まずは前提として説かれるというのが仏教のスタンスですよ。
それと同じような意味合いです。
それは現状、そういう現象や状態になっていますよ!ということ。
状態や性質についての説明ということでしょう。
「で、どうなるのか?」、更に「そして、どうしたら良いのか?」というのが、
その後々にくる(「道」として説かれる)ということでしょう。
>>297 (やや)正解に近づいたか!?
>>304 サロメさん。
上座部系を一括りで「小乗」呼ばわりするのは止めたほうがいいですよ。
それは明らかな差別用語ですから。
過去に歴史の経緯でそういう保守派が出現したのは確かに事実ですが、
テーラワーダそのものを小乗視するのは大きな間違いと思われます。
失礼に値するので、その発言は遠慮して下さい。
>>222 >宝珠さんは、「一切」について語る場合は、西洋論理みたいに
>A(一切)はB(苦)であるが、C(涅槃)はBでない。ゆえにCはAのうちに入らない、と解していますが、
>アートマン否定については割りと自由に事情を設定されるんですよね。
>
>>87 みたいな話はどこにも書いてないですが。
誰もゴータマの説いた「常見」を正しく把握し、その明確な説明を提供できていないからです
(断見については簡単なことなので誤解は生じ得ないが)。
「世界や我は常住か?」という問いについて、
この現象界がこのままで永遠のわけがない道理は誰にでも瞭然ですね。
もちろん、死なずに肉体を維持し続けるということはないわけです(ただし、完成者には可能ですが)。
あとは仏教理解における無我についての誤解から察して考慮するならば、
必然的に、
>>87 のような見解に落ち着くからです。
508 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 13:51:22.33 ID:sH9OVvNS
>>506 私が主張するのは縁起の連続性
で
それに付随する人間の肉体 心 死後の微細な心
は別です
其体という概念も持ってはいません
テラワーダは回向は認めるようですが 中有もそこに存在している故人の存在も
認めないようなので それを設mでいするのは無理であると思います
私はこの世界を去った r輪廻以前の故人への支援 援助は重要な慈悲の厚意であると思いますが
テラワーダは重視しないのでしょうね
509 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 13:53:49.69 ID:sH9OVvNS
>>507 『いまどきに』です
スマ坊主のような偏狭な新興セクトを指しますが
以降自重します^^
スマさん嫌いじゃないしw
510 :
神も仏も名無しさん :2013/03/29(金) 13:55:43.85 ID:VGxXfoGQ
>>502 >>美しい絵画、彫刻、数式には、作者がおりますよ。>自称悪魔さん
それらは「人間」の作品だから、作者がいるのは当たり前。宇宙は、人間や
人間に似たもの(似姿)によっては作れない。
アインシュタインが言ってるのは、端的には、「イエスやその父なる神は
認めない」ということ。彼が認めるのは、自然法則(を内在する自然)だが、
その立法者には形はない(how does this lawgiver look like)。昔なら、こ
んなこと言ったら殺されたかも知れないが、それでも私は関係なく自然ととも
にいただろう(I would have been in company)。
旧約における神の唯一の自己定義(「わたしは、全実在である」)を押さえて
いるのである。
511 :
回向 供養 祈祷は 仏法に非ず :2013/03/29(金) 14:01:42.84 ID:83/DC/gY
>>506 >>507 一切外 非理作意者の妄想 乙!
>>492 >>493 を批判してから夢想を検証せよ。
ついでに
>>504 >バルドの存在に関しては現世の遺族 僧侶などが回向を通じて影響を与えることが出来る
一切外 非理作意者の妄想 乙!
『たとえば、ここに一人の人があって、深き湖の水の中に大きな石を投じたとするがよい。
そのとき、そこに大勢の人々が集まり来たって、「大石よ、浮かびいでよ。浮かび上がって、陸に上れ」、と祈願し、
合掌して、湖のまわりを回ったとするならば、汝はいかに思うか。その大いなる石は、大勢の人々の祈祷合掌の力によって、
浮かびいでて陸にあがるであろうか。……
(相応部経典42-6 『村長の問い』 増谷文雄訳)
しかし“信じる者は救われる”というのは縁起の仏法でしょうか?
縁起の直接現実(あるがまま)は無意味・無価値・無矛盾・無実体・無相・“無功徳”→空=中道であるのに、
あとから勝手に創作された菩薩さんが「功徳」をサンタクロースよろしくバラ撒き・出前配達でき,
分別前提で自在にコントロールできる根拠と縁起メカニズムを“実証”して頂きたいモンです。
・回向概念は「分別観念」そのものですから間接現実=世俗内でのコトにすぎません。直接現実=勝義にはとどきません。
・また回向概念は検証不能ですから、縁起撥無の「信仰物語(フィクション)」でしかありません(Sn.1053・1066参照)。
御祈祷・供養・回向論は本質的に反仏法です。在家信者集めの偽善です。
中有とおなじく、御祈祷仏教・葬式仏教のメシの種の教説です。
まあ、細木和子あたりのヤクザ占い師とおなじく、心霊商法丸出しですなあw
512 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 14:13:14.29 ID:sH9OVvNS
>>511 ふーんwww
テラワーダでは 私の功徳がOOへ回向されますようにと祈ったり
タン・ブンを回向のために行うことも広く見られますが
>まあ、細木和子あたりのヤクザ占い師とおなじく、心霊商法丸出しですなあw
なんですねwwwテラワーダもwww
513 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 14:22:19.15 ID:sH9OVvNS
>>511 >仏教の基本ぐらい理解なさってから原始仏教wwふりわすように^^
↓
葬式、供養儀礼などについてのテーラワーダ仏教的な規則:
たとえ良い人であろうとも心が瞬時に変わるものです。臨終の時こころが暗くなる可能性もあります。したがって死後の将来は心配になります。
ですから亡くなる皆のために回向儀式を行うのです。
親戚が回向しても先祖側には受ける気持ちがない場合は功徳は上げる側のみです。
亡くなる全ての人間に回向の功徳を受けることも又出来ない。功徳の回向を受けられないところにも生まれ変わるのです
。
人間の、親戚の回向の力によって幸福になるしか他の方法がない生まれもあるのです。そこに生まれ変わる命は親戚の回向を期待します。
(Paradatta upajiiviiという名の餓鬼道の一部として経典に記しています。)
身近な親戚のために回向の供養をしてもその狙った親戚に受け入れられない可能性は大いにあります。が、回向の供養は無駄な法事にはなりません。
無始なる過去から輪廻転生して来る我々には無数の(無限の)親戚が回向受けられる次元にいます。その生命が供養を受けて幸福になります。
親戚が二種類です。〔1〕今生の親戚。(先祖)〔2〕自分個人の輪廻の中で一緒になった親戚。
〔1〕先祖の場合は親しみは過去に戻れば戻るほど薄れていきます。ですから過去どこまででも先祖が供養を受けると言うことはないのです。何代までかは決められません。
〔2〕輪廻の親戚というのは過去生での自分の父母、伴侶、子供、兄弟などです。親しみが深いので誰でも、過去はいくら遠くても回向の供養を受けやすいのです。
習慣的には皆〔1〕今生の親戚に供養しますが、〔2〕輪廻の親戚にも一緒に供養するべきです。
回向の供養は特別な儀礼ではなく日常の習慣にするべきものです。回向をする度に自分のこころも清らかになります。結果として幸福になるのです。
http://www.j-theravada.net/qa/qahp13.html
514 :
回向 供養 祈祷は 仏法に非ず :2013/03/29(金) 14:23:24.33 ID:83/DC/gY
>>512 >テラワーダでは
おいおい、アタシは仏法フリーターですよw
見損なわないていただきたい。
515 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 14:32:01.03 ID:sH9OVvNS
>>514 仏教オタクですねww
回向はどの上座 大乗 金剛 などでも非常に重要な行いのですので
仏教の基本を理解なさってから検証とか言うようになさったほうがいいです^^
http://nabbisipura.syarasoujyu.com/THAI_BUD/02/ 布施とは、人に施しめぐむことです。布施は私たちの中にある執着を取り除き、
物惜しみの心や思い上がりの心を捨てさせます。仏教では、私たちが執着することは
苦の原因であると、教えています。
仏教では、仏陀や仏弟子への布施、寺やサンガ(教団)への布施を、善い行いの種を
蒔いて功徳の収穫を得る田地という意味で福田(ふくでん)と呼んで、そこに布施することを
勧めています。ですから、功徳を積むために、タイ人は仏陀や仏弟子、寺やサンガに
布施することを好むのです。仮にタイ人のタンブンを分類するならば、
次の五つに分類することができます。
祖先や亡くなった父母、おじおば、兄弟などの故人に追善供養するタンブン。
現世や来世に自分が幸せになるように行うタンブン。
憎しみあっていたが、亡くなってしまった人に行うタンブン。
供養をする人がいない霊に行うタンブン。
先生や両親等の尊敬する人に行うタンブン。
516 :
回向 供養 祈祷は 仏法に非ず :2013/03/29(金) 14:34:19.85 ID:83/DC/gY
>>513 >>511 の批判はあらゆる「仏教」宗派への批判だよw
『“信じる者は救われる”というのは縁起の仏法でしょうか?
縁起の直接現実(あるがまま)は無意味・無価値・無矛盾・無実体・無相・“無功徳”→空=中道であるのに、
あとから勝手に創作された菩薩さんが「功徳」をサンタクロースよろしくバラ撒き・出前配達でき,
分別前提で自在にコントロールできる根拠と縁起メカニズムを“実証”して頂きたいモンです。
・回向概念は「分別観念」そのものですから間接現実=世俗内でのコトにすぎません。直接現実=勝義にはとどきません。
・また回向概念は検証不能ですから、縁起撥無の「信仰物語(フィクション)」でしかありません(Sn.1053・1066参照)。
御祈祷・供養・回向論は本質的に反仏法です。在家信者集めの偽善です。
中有とおなじく、御祈祷仏教・葬式仏教のメシの種の教説です。
まあ、細木和子あたりのヤクザ占い師とおなじく、心霊商法丸出しですなあw』
本来、動いて(方便)やまぬ仏法を固定してしまい、
戒律運営の形式化を促し、
遂にゴータマ・ブッダを帰依の対象として、
信仰ドグマ化してしまったのが「仏教」なるシロモノだ。
誰も答えてくれねえwwww なんなんだ、この議論スレッドはww
518 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 14:36:07.66 ID:sH9OVvNS
布施や功徳の回向なんてパーリ聖典にも記載されてるのに まぁ ID:83/DC/gYがいまどきの小乗コテ 不説ご推薦なんだから失笑ですね^^
519 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 14:41:22.71 ID:sH9OVvNS
>>517 政治がらみだからでしょ
池口某に限らず
桐山某 W織田 含めて密教は験力ひけらかすインチキ行者や
それを利用する詐欺師もいる
まともな験力をもたれるお坊さんは決して目立たず地方のお寺の副住職などを
勤めておられたりする
520 :
さあ、どっちもどっちも :2013/03/29(金) 14:47:58.44 ID:AUqaTcPK
へー
522 :
神も仏も名無しさん :2013/03/29(金) 16:39:25.05 ID:2jNE8/Eg
>>475 宗教板で三指に入るカスはどうみてもパーピマン、お前だよ。
宗教的な知識に乏しく、議論に勝てない相手は的外れなレッテル貼って罵倒するしか能が無い。
議論できないで罵倒しか出来ないお前は邪魔だから出ていけよ。
523 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/29(金) 17:13:20.36 ID:WBUntqB+
>>522 >宗教板で三指に入るカスはどうみてもパーピマン、お前だよ。
・自称悪魔(Sn.登場)のハンドルなのでワル役を演じているのかも。
・ちゃんとハンドル出して、真面目に英文も訳しているので立派です。
・罵倒セリフ「カス、姑息!」はセブン氏の口癖がうつっただけでしょう。
以上、彼はカスではないの証明です。
524 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 17:20:02.51 ID:sH9OVvNS
ていうか仏教のコト知らないでしょパープーマンは それは原始仏教振り回すID:83/DC/gYも同じ 布施や回向の重要性も知らずに ボクが考えた最高の仏教 必死に書き込まれても困りますよね
525 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 17:36:07.65 ID:sH9OVvNS
ていうかセブンは日本の大乗仏教までカバーできていると豪語するなら きちんと日本の仏教宗派が 具体的には禅 天台 真言 この三つでいいから 彼らが中有にそんざいする存在をどう認識しているのか きちんと説明して欲しいですよね 神通力のブラックボックスとか逃げないで 仏教的に遺族や僧が 個人に功徳を回向する その対象は何なのか^^
526 :
通りすがり :2013/03/29(金) 17:49:44.91 ID:UXGD3TJr
>>523 色々な掲示板で一在家さんを見ますが、考え方に違いを感ずることはあっても
その「落ち着き」(捨梵住)は見ていて立派だなと感じています
随喜(anumodana)!
527 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 17:56:52.30 ID:Ag7vtj/g
>>525 セブン流にたとえれば
古い蝋燭から新しい蝋燭に炎が移っても
新しい炎に回向は届く
そういうことですよね
穂脳は縁起の表れであってもちろん其体 真我などではありません
あw僧や遺族の神通力で本来空である対象に回向の功徳が届くって解釈でもいいですが^^
528 :
神も仏も名無しさん :2013/03/29(金) 17:58:50.70 ID:0wLwVbEa
岡田光玉 神向き讃詞解説 P297 太陽陽帝国といっている「ムー」は、また「クイの国」ともいっております。 ムー大陸の本の中にもクイという部分が出てきます。それで非常にお もしろいと思うことは、「法滅尽経の中に、釈尊がクイガ国(拘夷郡竭国)」 にあったということが出ていることです。 このところは、大僧正や仏教学者に聞いてみても一向にわからないところ ですが、「クイガ国」とは、つまりは「日本」のことなので、そうすればこれら の経文の謎も解けてくるわけです。
529 :
神も仏も名無しさん :2013/03/29(金) 18:12:49.06 ID:iZ5aw15j
>>526 カルトの特徴だよ。それ故に、洗脳力が強い。一つ間違えると恐い。
カルトは常に、その正体を隠して近づいてくる。要警戒。
530 :
神も仏も名無しさん :2013/03/29(金) 18:16:05.16 ID:0wLwVbEa
前世は一在家といっても根拠なし。 現生はカルト教団の信者、「真光カルト」 でくくってみれば一目瞭然。
531 :
神も仏も名無しさん :2013/03/29(金) 18:22:08.76 ID:iZ5aw15j
ある宗教専門の精神医学者は「真光は最も危険なカルト。絶対に近づいては ならない」と言っていた。 日本の殆どすべてのカルトは、大本から発生している。西洋かぶれの出口 王仁三郎が、浅薄にもキリスト教に影響された結果である。
532 :
神も仏も名無しさん :2013/03/29(金) 18:40:29.61 ID:iZ5aw15j
カルトは、初めは当たり障りの無い常識的な話をして、それとなく目に見えない 「神と霊」の概念を植え付ける。一旦植え付けられると、生来の人格が変容され、 現実感覚と社会常識が失われ、その結果として社会関係と家族関係が崩壊する。 他の宗教でも、キリスト教の影響があると例外なくカルト化するのは、この 「神霊概念」に加えて、罪概念を植え付けるからである。原始仏教の「苦概念」 も、同様にカルト化の原因となる。
533 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/29(金) 19:14:37.19 ID:WBUntqB+
>>532 >カルトは、初めは当たり障りの無い常識的な話をして、それとなく目に見えない
>「神と霊」の概念を植え付ける。一旦植え付けられると、生来の人格が変容され、
>現実感覚と社会常識が失われ、その結果として社会関係と家族関係が崩壊する。
上場企業の管理職で家族4人普通に生活しておりますので、私のグループはカルト
でないことは証明されましたね。 御機嫌よう。
534 :
つきみ :2013/03/29(金) 19:37:10.28 ID:ZeJ/B1hW
輪廻に記憶の連続性はない。輪廻する主体も実態はない。 では、なぜ輪廻という概念が必要なのか? そこに中有の意義がある。 現世の因により、輪廻後の境涯が決まるわけだからね。
535 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/29(金) 19:40:54.55 ID:WBUntqB+
>>532 >カルトは、初めは当たり障りの無い常識的な話をして、それとなく目に見えない
>「神と霊」の概念を植え付ける。一旦植え付けられると、生来の人格が変容され、
>現実感覚と社会常識が失われ、その結果として社会関係と家族関係が崩壊する。
毎日のように霊動現象(神秘体験)も道場にて目撃しますが、ずっと昔に見慣れましたので、
別に興味を持つことはございません。
原始仏典の修行完成者達も前世や相手の心が見えても、別に動揺することも興味を持つことも
なく普通に修行されてたのかなと思料します。
536 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/29(金) 19:45:56.03 ID:WBUntqB+
>>534 つきみ氏
>輪廻に記憶の連続性はない。輪廻する主体も実態はない。
修行完成者は前世をいくつもいくつも遡って、皆正確に思い出すそうです。
名前、職業、地位、住所、等々
参考:長部経典「沙門果経」
修行完成者が一人もいなければ、仏の教えを広めようとした人もいなかったでしょう。
537 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/29(金) 19:49:31.73 ID:WBUntqB+
記憶や意識に連続性が無いのは法相宗の説く「六識」のことでしょう。 「八識」は良いことも悪いことも、カルマとともに皆蓄積しているようです。 この板に法相宗に詳しい方がおられましたら、ご教示願います。
538 :
つきみ ◆2lb7yaznVU :2013/03/29(金) 19:51:25.30 ID:ZeJ/B1hW
>>536 それも虚仮。
中有は、因により来世の境涯つまり果を決定する動き。
中有という実存する場は無い。
その働きの呼称に過ぎない。
539 :
? :2013/03/29(金) 20:05:25.11 ID:6ogcooBZ
>>527 サロメ☆ボウディアさんと
>>537 前世は一在家さんへ
ダライ・ラマの 輪廻 ・ 環境世界(器世間)について
//uni.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1356313199/386-389
↑ ご確認下さいませ 屮(_ ._)屮 ブッダン サラナン ガッチャーミ
540 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/29(金) 20:06:28.25 ID:WBUntqB+
>>536 >修行完成者は前世をいくつもいくつも遡って、皆正確に思い出すそうです。
長部経典第一経は本スレでも度々引用される「梵網経」ですが、
第二経は修行完成者の証果に関する「沙門果経」です。
(「長部経典T」中村元監修、春秋社、P102)
修行完成者は過去の生存を想起する智(宿住通)に対して心を傾け、多くの生存、
例えば一つの生涯、二つ、三つ(中略)すべて想い起こすのです。
「そこでは、私はこれこれの名であり、これこれの姓であり、これこれのカーストに属し、
これこれの食べ物があり、これこれの楽と苦を経験し、これこれまでの寿命があった。
そしてその私がそこで死んで、あそこに生まれた。そこでも同じように、私はこれこれの
名であり、これこれの姓であり、(略)」
541 :
つきみ :2013/03/29(金) 20:06:32.92 ID:ZeJ/B1hW
空即是色を説明する者は多いが、色即是空を理解するものは少ない。
542 :
つきみ :2013/03/29(金) 20:07:40.79 ID:ZeJ/B1hW
543 :
つきみ :2013/03/29(金) 20:10:14.80 ID:ZeJ/B1hW
>>540 その前世の記憶が、現世で何か意義あるの?
544 :
つきみ :2013/03/29(金) 20:14:27.43 ID:ZeJ/B1hW
サロメは今膨大なネットコピーしてんだろうなw もうすぐ、コピペの絨毯爆撃が始まるから、良い子は蛸壺に入れw
545 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/29(金) 20:15:21.75 ID:WBUntqB+
>>539 ?氏
>ダライ・ラマの 輪廻 ・ 環境世界(器世間)について
只今確認しましたが、人の輪廻ではなく世界の輪廻に関する説法ですね。
ご存じでしょうが、長部経典第二十七経「起源経」にも世界の輪廻(生成・消滅)に関しては詳しく説かれております。
それ以前に宗教の人は他人が信じられない人が結構いるので その時点ですでに先に進まないので深い考察に至らない
547 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/29(金) 20:20:00.31 ID:WBUntqB+
>>543 >その前世の記憶が、現世で何か意義あるの?
衆生にはかえって邪魔になるでしょう。
修行完成者にはどのような意義があるのかは、ご本人達に聞いて下さい。
548 :
つきみ :2013/03/29(金) 20:24:43.22 ID:ZeJ/B1hW
>>545 一つの知識を自分のものにする、それには体験が必要だよ。
急がず、知識の一つ一つを自分のものとして下さい。
議論のためだけの知識なんて、つまらないから捨てなさい。
549 :
つきみ :2013/03/29(金) 20:26:51.27 ID:ZeJ/B1hW
550 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/29(金) 20:34:35.63 ID:WBUntqB+
>>547 >修行完成者にはどのような意義があるのかは、ご本人達に聞いて下さい。
@宿住通:自身の輪廻を遡って想起する
A死生通:衆生の輪廻を遡って想起する
B漏尽通:諸煩悩を滅する智慧。「もはやこの世界に生まれ変わることはない」
上記3つの神通が揃ったならば、自身も衆生も涅槃へと導くことができるでしょう。
如来達の大誓願の「衆生済度」に役立つことが一番の意義かと存じます。
551 :
神も仏も名無しさん :2013/03/29(金) 20:36:52.30 ID:3b7VekEs
お前らは来世でもえんえんと議論してそうで怖いw
552 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/29(金) 20:42:21.03 ID:WBUntqB+
>>550 >上記3つの神通が揃ったならば、自身も衆生も涅槃へと導くことができるでしょう。
>如来達の大誓願の「衆生済度」に役立つことが一番の意義かと存じます。
そして菩薩と如来は完全な涅槃には入らずに、輪廻を繰り返したり、無住処涅槃にて幾多の化身を現したり
しておられるようです。
(参考)「全訳 入中論」
553 :
神も仏も名無しさん :2013/03/29(金) 20:43:08.78 ID:3b7VekEs
死生通など仰々しいのを持ち出さなくてもハッキリと断言できる お前らは過去世でも妄執に駆られ終わりなき議論を戦わせてたはず 永遠ループの因果というものは恐ろしいなw
554 :
? :2013/03/29(金) 20:53:23.78 ID:6ogcooBZ
555 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/29(金) 20:57:45.33 ID:WBUntqB+
>>554 ?氏
おー、管理人さんのお一人でしたか。
なかなか他の板には出張できず、申し訳ございません。
556 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/29(金) 20:59:48.47 ID:WBUntqB+
>>555 しかもセブン氏がいつも引用されている片山先生訳ですね。
私は中村先生監修版しか所有しておりませんので参考になります。
557 :
神も仏も名無しさん :2013/03/29(金) 21:02:28.48 ID:3b7VekEs
常見だろうが断見だろうがぶっちゃけただのおしゃべりに過ぎない どんな仏説もお前らの舌の上ではおしゃべりとなる
558 :
つきみ :2013/03/29(金) 21:03:10.47 ID:ZeJ/B1hW
>>552 だからね、それらを体験してから語れ。
君にとって仏教は哲学なのかい?
>>色即是空を説明する者は多いが、空即是色を理解するものは少ない。 出来事は関係性であって境が無い、したがって単体のそれらは無いので 本質は空っぽである=色即是空 空もまた非空と成り立つので、空もまた空=空即是色=「 」= かな。たぶん。つきみはどう思う?
560 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/29(金) 21:31:41.61 ID:WBUntqB+
561 :
神も仏も名無しさん :2013/03/29(金) 21:43:07.20 ID:2jNE8/Eg
562 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/29(金) 21:45:28.96 ID:WBUntqB+
563 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 21:52:14.25 ID:Ag7vtj/g
>>534 縁起の連続性はある
また記憶が存在するのは事実
(不説が認めている)
↓
それで阿頼耶識 アカシックレコード 神通力wなどを設定するのか
中有の存在をどう理解するのか ですね
例えば道元禅師は中有の存在をどう考えていたのか
テラワーダ含む仏教はなぜ功徳の回向を信じるのか
どう思う?^^
世俗諦と勝義諦 混同したら唯心論に陥るよ
564 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 22:07:18.87 ID:Ag7vtj/g
>>538 だから散々 中有の故人も中有自体も実体は空だと書いてるでしょ?^^
バルド・トドゥル読んでおきなさい 有名だし^^
565 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/29(金) 22:07:32.19 ID:WBUntqB+
>>561 長部経典第二十七経「起源経」(参考:「長部経典V」中村元監修、春秋社)
本経は舎衛城の高殿でブッダがバラモン出身の見習い修行僧二人に説いた。
バラモン達から両名に浴びせられた非難を聞いたブッダは、まず王族、バラモン、庶民、隷民のそれぞれの階級自体に上下や浄不浄の区別はないことを説示する。
その理由を説明するために、世界が帰滅して後(大部分の生物は光音天に心より成る存在に転生)、人間の世界が成立する過程を述べる。
そして、社会において王族、バラモン、庶民、隷民の階層が成立した起源を語源的に説明解釈する。
さらに修行者が登場したことにも触れ、階級にかかわりなく、来世は行為の善悪に左右されるとする。
最後に修行者として解脱に至ることが最上であると結んでいる。
尚、漢訳は長阿含経五。
大体昆布はサロメによって救われているようなものだな、だが、クソコンブときたら全くそれに気付く気配すらない。 自分じゃユーモアタップリのカキコしていると思っているようだが、トンでもない勘違いだ。 サロメとコンブとでは、レベル的に雲泥の差がある。仏教スレでも何処でも、サロメは自分の見解を提示して相手と議論をするスタンスだか、 コンブは、始から終わりまで難癖に終始、たまにほっぺたがひきつくようなダジャレをかます。 そんなコンブでも、サロメはレスをし続けてくれる。 サロメ以外に、詰まらんレスしかカキコミ出来ないコンブに誰がレスを付けるというのだろか。 まあ、サロメはコンブにとって恩人だろな。 もう少し謙虚になれよ。
567 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 22:11:47.84 ID:Ag7vtj/g
>>562 スマ坊主によるといま現在の人間が輪廻で関わった親族にさえ功徳を回向できるらしいから
縁起の連続による関係性は時空超えちゃうわけ^^
別に修行者の神通力設定しなくても説明は出来る出しょ^^
つきみとサロメってもしかして・・・
>>527 >>564 >>567 ブラックボックス保留じゃんw (そういうのを「言ったもん勝ち」というのです。)
「回向」は、なぜ届くの?どう作用するの?つか作用し得るの?
携帯ワイファイの如くw電波でも届くのかしらん?w
つか、そもそも「回向」って何? 言葉? 想い? 意思? 超能力?
そういう意味でのブラックボックスだよ。
結局527も何も説明していない。
子供が、自分の描いたロボットを指して、ここからビームが出て、この部分が変形して・・・
あ、そうだ、ゲッターロボの変形シークエンスみたいなもんだなw
新規ゲッターでは、ゲッター線によって空中の元素を固定化させて、意図した形状へ物質を組み直す
的なものだが、
どのような言葉や言い回しを持ってきたとしても、ゲッター線を元素(分子・原子)に作用させ・・・
というのと変わらないのです。
それこそ、(珍説ですがw)「ゲッター線によって、業が継承され、過日(次生に)果を結ばせる」
という発言も、(繋陀光派の説とかとしてwww)等価なものとして成立するのです。検証不能なのですから。
或る程度の整合性があれば、ブラックボックスのままでもいい、
というのが宗教だと思いますが、(特に2ch等に於いてはw)俎板の上に挙げて解体することがあっても、
これまた構わないと思いますよw
*(宝珠・在家・隠居の言辞が宜しくないのは、伝承は伝承、新解釈は新解釈、外野による解体は外野による解体、
俺様解釈は俺様解釈、他所の考え方は他所の考え方、であることを認めない所です。
カラスの場合はまたちょっと違って、キリスト色(グノーシス色)の眼鏡を使用した強引な読みを認めない所かなw)
571 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 22:27:34.92 ID:Ag7vtj/g
>>570 ほらほらにげないで^^
大乗部もカバーしてるんじゃなかったの?
スマ坊主は回向を認めてるし この功徳が00に回向されますようにって
祈るよね 上座部の僧俗も^^
回向の功徳 タンブンの功徳は誰に届くんですか?^^
片山先生はご存命? もしお亡くなりになったならあなたは法要には参加しますよね^^
それって単に社会の儀礼の範囲内でですか?^^
572 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 22:31:40.89 ID:Ag7vtj/g
>>570 セブンってパーリ聖典の研究者ですよね^^大乗仏教にもお詳しいのでしょうからぜひご高説を^^
↓
>「回向」は、なぜ届くの?どう作用するの?つか作用し得るの?
>>571 私個人は、100%重なるとは思ってないが?w
(これは奈良さん的謂いになるが)、
「大乗仏教の主要要素の萌芽は、既に初期仏教中に見出せる」ということだよ。
(勿論、片山さんは(大乗もパーリも)『一味』であると“信じて”仕事をしてらっしゃるけどね。)
回向が届くシステムを私は知らない。
が、届くと信じて祈りはする。
私は『回向』とは『祈り』(と誓願)だと思ってるから。届く届かんはその次の問題だよ。
>>572 だから、ブラックボックスだと言っとろうがw
2500年の間、この説明に成功した者はいない。(だから、神智学が成立するw)
たとえチベット密教でもね。結局ゲッター線と変わりない。
575 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 22:40:56.12 ID:Ag7vtj/g
>>573 文献だけでしかテラワーダ理解してないのですかねぇ。。。
回向は生きている上座部の信仰の重要な項目でしょうに
>>574 あなたは信仰面では近代主義&唯物論者ですか?
パーリ聖典にも功徳を回向する原理 記載されてないの???
576 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 22:48:32.76 ID:Ag7vtj/g
さすがに上座仏教圏の民衆は回向やタンブンなどはゲッター線!!。。。。 なんて解説で納得しないでしょうし^^ 僧侶だって馬鹿じゃないと思うし 神通力でごまかしたりしないでしょうね^^
577 :
回向 供養 祈祷は 仏法に非ず :2013/03/29(金) 22:51:48.27 ID:83/DC/gY
無功徳 & 自業自得 仏法は空想物語に非ず サロメは自分の悪業はとなりのオッサンにつけ回し、回向するらしい。
578 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 22:57:41.56 ID:Ag7vtj/g
>>575 >記載されて
無いよ。(と思うw ワシだって三蔵法師じゃないからね。全仏典を網羅してるわけじゃない。)
(特にパーリの系統の仏典の)傾向として、
(結果としての)事例を挙げる、という形が圧倒的に多いとは言える。
或いは、その事例にまつわる倫理面の説示や、善行の必要性と悪行の忌避理由など。
システム(原理)が示されることは殆どないと言っていい。
少なくとも、通常の人間が知り得る・感得し得るレベル以上の原理説明は無い。
それは、大乗諸経に於いても同様と思う。
*(いや、寧ろ「不思議」「不可思議」としてブラックボックス色を強めているとも言える。)
おそらくチベットの系譜のみが(仏教外(土着思想)からの輸入かもしれんが)、多少踏み込んだ言及をしてはいても、
ゲッター線の延長であることに変わりはない。
通仏教的に、それらは覚者のみ知り得ること、とされているのだから、当然と言えば当然だが・・。
というか、原理説明に特化してるのって神智学くらいじゃね?w
普通は、細かく説明しない(つーか、できないw)。
逆に聞いてみるが、キ教では各種事象を“原理”説明してるのかい?
>重要な項目でしょうに
そういう問題じゃねーだろw それはまたまったく別問題だよ。
>近代主義&唯物論者
唯物かどうかは外野の評価に任せるけどw、
人間の宗教であるべきだとは思ってるよ。
神智学(やグノーシスや真光の亜種)のように、スーパーマンを登場させたくないだけ。
580 :
念仏 :2013/03/29(金) 23:17:17.03 ID:JYbdXbdf
>>サロメさん 根拠がないから信仰するんだと思う 信じることしかできないから信じるんだと思う だから信じている人は根拠がない事、信じているだけであること を、素直に受け止めていいんだと思う 回向が人にとってなんであるかはまず、回向を自分で考えていけば いいことで証明は自分が死ぬときの気分を誰かに届けられれば十分かと思う 検証できないことは仮説でしかなく、信仰でしかないけど 検証できないことは信仰でしか乗り越えられないんだと思う
581 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 23:20:13.68 ID:Ag7vtj/g
>>579 キリスト教方面はしてるよ物質科学なんて気にせずに^^
っていうか。。。w
文献学の人間が説明できないだけに思えるけどなぁ^^
質問したら?^^スマ坊主とかのサイトでw
>>576 >納得しないでしょうし
そう。そこがポイント。
『【誰が】、納得するのか?』という点が。
たとえば貴方なら、
「ゲッター線」では納得しなくても、「微細な身」なら納得するわけでしょ?w
wの人(現パーピマン)が言ってるのもココさ。
「アストラル(体)」とか「エーテル」とかで納得する人もいるかもしれない。
「エネルギー」でで納得する人もいるかもしれない。
「オーラ」で、「電磁力」で、「弱い力」で、「光」で、「電子」で、「ESP」で、「気」で、・・・・
納得する人もいるかもしれない。
文脈だったり世界観だったり枠組みだったり、自身の体験だったり、様々なバイアス(付加条件)によって、
それが定まってくる。
*(この文脈(や世界観、枠組み)を統一したがってるのが、宝珠や在家だったりするわけだが・・。)
583 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 23:24:09.62 ID:Ag7vtj/g
>>580 いや私的にはスマ坊主やチベット方面の説明で十分納得できるので^^
私たちも結局は個別の縁起の連続で存在してるんだし
それを肉体を失った以降にも認めるかどうかでしょ
少なくとも上座部も大乗部 金剛乗もその意味で 霊魂や其体は認めずに
縁起の連続性を認めているので
まぁその証拠のひとつというだけですよ 回向もね
584 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 23:26:03.20 ID:Ag7vtj/g
>>582 まぁあなたの見解はそれでもいいとおもう^^
私はチベット方面と日本仏教の説明を受け入れるので^^
585 :
神も仏も名無しさん :2013/03/29(金) 23:27:55.50 ID:2jNE8/Eg
>>564 中有も空だと言っていますが、どういう理由で空なのでしょうか?
あなたの空の定義と合わせて説明して下さい。
586 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 23:34:02.88 ID:Ag7vtj/g
>>585 中有の故人が 中有そのものが常体の存在だと思われているんですか?
中有の故人も粗雑な物質の肉体がないだけで
生前の人間と同じように
あらゆる関係性によって存在している諸要素が同じく関係性によって集合して
仮設されているのに過ぎないと思いますね
>>584 だから、そう言う貴方が、
自分のスタンスと合わない意見を切って捨てるのは、
ちょいとおかしくないか?とも言えるわけです。
貴方個人が受け入れているかどうかは、
他者(たとえば現パーピマン)にとってはどうでもいいことです。
貴方が受け入れていることが、そのまま全てが肯定されることに繋がるわけでもないからです。
それをしてしまえば、隠居の中論解釈も、貴方の意見同様、正当なものとして尊重しなければなりません。
彼は、解釈のみ独自で、原文及び解説引用は全て正当なものだからです。
これは宝珠・在家、或いはカラスについても同じです。
彼等もまた貴方同様、それぞれが依拠する部分(テキストや伝承)を【受け入れている】のですから。
だから、(一代は、ココではテキストについてしかアレコレ言えないと謙虚だがw)、
それなりの検証が、けっして無意味ではないわけです。
ああ、なんか、初期スレの流れに戻っちまってるな・・w
>>586 ん?
それ、カラスだろ?w
>>522 >>561 >>585
588 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 23:43:42.68 ID:Ag7vtj/g
>>587 だって中有についてきちんと説明できないセブンに追い討ち賭けても
時間の無駄でしょ?
隠居のように悪意むき出しではないし
パープーマンや回向も知らない検証君のような馬鹿でもない
不説氏に対してもあなたに対する態度と同じです
宝珠&在家氏とはそもそも彼らは輪廻の常在的主体を前提にしてるので議論しようとは思わないし
カラス君はそれ以前です 馬鹿ではないけどね
589 :
念仏 :2013/03/29(金) 23:45:13.61 ID:JYbdXbdf
ダライラマさんも死後の流れを説明しながら「私は信じているから安心です」 といわれてただけで「真実です」とはいわれてなかったと・・・
590 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 23:51:00.17 ID:Ag7vtj/g
>>589 いやいやw
追い討ち掛けてくれとラブコールしてるわけじゃなくて、
貴方の他者の意見の切り捨てる理由が、
「あたしがコレを受け入れてるから」じゃね・・、と。
592 :
さあ、はった、どっちもどっちも :2013/03/29(金) 23:52:22.48 ID:fBO4fBRy
593 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/29(金) 23:55:10.56 ID:WBUntqB+
>>570 「回向」 への個人的なイメージです。
手が有機野菜をつかみ、口がそれをかみ砕き、胃と腸がそれを消化して、その食物の栄養素が他の内臓、全身にも行き渡ります。
如来達も幾多の仏種(人)達も見えない縁の糸でつながっているネットワークであれば、どこかで善行をすればその善果はネットワークを駆け巡ります。
同様にどこかで悪行をすればその悪果もネットワークを駆け巡ります。
もしかしたら如来達が衆生済度にこだわる意味の一つの仮設(モデル)かも知れませんね。
死後の状態を結論付けるのは急ぐ必要はないと思うけどね。 例えば脳死状態の人の命はどんな状態であるのだろうか。 睡眠中や麻酔を打たれた時の命は何処にあるのか?など、身近なものからの探究も欠かせないと思う。
595 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/29(金) 23:57:29.70 ID:Ag7vtj/g
>>591 見当はずれなこといわれたら反論しますから^^
別に中有に関しても唯識持ち出さなくても説明できるでしょうし
大乗部の宗派は唯識以外の理屈で受け入れているし
上座部でも輪廻から離れられない故人のために回向してるんですから
実体もしくは其体無い存在が死後存続してそれと個別に接触するのは仏教の現実なわけで
でも
隠居 パープーマン 回向知らず検証君は論外です^^
596 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 00:03:06.69 ID:rZBjuxDZ
>>594 個人的には脳を媒介としないと考えれば
夢を見てる状態と中有にいる状態は同じだと思いますね
597 :
神も仏も名無しさん :2013/03/30(土) 00:03:57.36 ID:muhyBg9a
死後のことを生命の機能で考えるのは、全くの矛盾で無意味。 死とは、生命の機能がすべて失われた状態。死後を生命で考えているのは、 滑稽極まりない。 死ねば、感覚器官も思考器官も腐敗するか灰になり、機能はすべて失われる から、全くの無・暗黒であると考えるのが、医学的に正しい推測。 従って、葬式も回向も、専ら生者の死への恐れを和らげるため。死者には 全く無関係。 意識は、生きた肉体のみから発するものであることを忘れてはならない。 意識が微塵でもあれば、脳死の判定は絶対にできない。現代では、生死のこと は、医学の専権事項。宗教の出る幕ではない。宗教は、口から出任せに、死後を 語るべきではない。生者の精神を狂わす。
あ、アンカーミスったか・・w
ついでに補足
>>588 中有について説明できないと何かマズイか?w
現存仏典にある以上のことは、そのバルドなんちゃらにしかないでしょ。
だとしたら、私にとってはあまり意味が無い。(というか食指が動かん。)
チベットの死者の書は、一応書棚にはあるけど、まだパラパラとしかめくってないしw
(で、しかも、現代日本仏教で言われる中有は、貴方が言うようなものではないでしょう?
少なくとも、中陰法要の意味は失われていると言っていい。
貴方が例として出す日本仏教は、既に失われた過去の仏教でもあるわけです。)
>>595 >唯識持ち出さなくても説明できるでしょうし
そうです。説明の手段は様々あるでしょう。
昨日?も言いましたが、
《貴方が、「基体を設定している」》と言っているわけではないのです。
が、基体を設定しtれいないだけで、
《(説明不能な)「別の概念(≒名称)を持ち来って代替している」形になっている》、
ということです。たとえそれが、バルドなんちゃらに記されていても、です。
ですから、
>>582 なのです。
599 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 00:11:40.51 ID:fgL1T+3p
>>598 はい
想定範囲の回答ありがとうございます^^
中有について語れないなら口出さないようにね
生きてる上座仏教理解もできない小文献屋さんがに日本仏教に
難癖つけないように♪
神通力持ち出して思考停止せずにもっとお勉強してください
お勉強がお仕事なんでしょセブンって^^
夢を見ている人間と死後の中有の人間 書く成虫の人間の違いは。。。まぁいいけど^^
600 :
暗堂 :2013/03/30(土) 00:13:18.38 ID:hvjhOCG5
このスレは昔から真面目に議論している・・・。 以前はこの板にも2、3こういうスレッドがあったが 今はここくらいしか見当たらない・・・。 おもしろいですね・・・・。
601 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 00:16:32.28 ID:fgL1T+3p
>>599 せめて過去スレ全て読破してから文句付けに来いよ・・・。 orz
寝る・・・ ノシ
603 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 00:25:08.97 ID:fgL1T+3p
>>602 いま ここ で議論します^^
って言うか中有や回向など説明できなきゃスルーすればいいと思うよ?^^
神通力で思考停止は無いでしょーさすがに^^
中有なんてのを想定するんが良く分からん 酒とか薬やら物質で意識や感情はおかしくなるから←事実 感情やら意識、心といわれているものは脳内の物理現象なのは明らかすぎる。 もし無にも留まれないとしても 中有なんか介さずに この世からこの世がシンプルで正解
605 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 00:49:17.49 ID:fgL1T+3p
>>604 仏教はそう考えないわけで
だから自分がよい行いをしたために受けるよい結果
を
僧侶などを介して 自分と輪廻の過程で縁があった過去生の
すべての親類に届けたりする
この場合は現在人間以外の生を受けた存在も含む
つまり仏教は人間が関わる関係性を物質のに依存した範囲では考えない
中有もその世界観の一部なわけ
自称カトリックのネカマレズのおっさんとは、こんな人格のおっさんなので念のため 405 名前:サロメ☆多羅ちゃん ◆Vjum1KTtaU [] 投稿日:2013/03/30(土) 00:43:13.02 ID:fgL1T+3p [6/6] 承狂の加持祈祷が験出した初めての結果だな 札幌難癖51歳児の陣人格分裂w 呪詛ってすごいなー(棒
ネカマがバレるのでスカイプすらできず、写真は他人のミクシィの写真を無断使用して、それを指摘されると逆ギレしてこんな風に個人情報を連呼してます そして、仏教スレで解脱とやらをレスしてます。 >408 名前:サロメ☆多羅ちゃん ◆Vjum1KTtaU [] 投稿日:2013/03/30(土) 00:53:15.68 ID:rZBjuxDZ [4/4] >札幌市東区の51歳が効いてるんですねww札幌市東区の難癖51歳児は^ >まぁ自業自得だから♪ >諦羽化唯物無神トンなのに加持祈祷の呪詛なんて信じるの?^^ >あたしは_も信じないけど?www 君たち、マジにバカにされてますよ? 一生こんなバカを相手に仏教議論してる気なの?
608 :
神も仏も名無しさん :2013/03/30(土) 01:01:24.18 ID:muhyBg9a
サロメの、「借り物」ばかりのおしゃべりウザイ。どの本にも書いてない 「自分の見解」を述べよ。それは出来ないのか。まるで「物真似サル」ではないか。
>>605 「物質に依存した範囲では考えない」
てのはそうであってほしいってだけでしょ?
世界、心と呼んでいるものも
物質的であり、あの世を持ち出す必要はまったく無い。
当たり前の目で見れば、全て出来事は人にとっては分からない事であり
「偶然」で有る。
よい行いをすればよい結果になるとは限らないのも明らかすぎる
610 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 01:05:41.99 ID:+XMZY47d
>>609 仏教はそう考えないだけです
だから仏教を信じなければどのように考えても個人の自由ですね
私は仏教を尊重するから仏教議論スレでは仏教の側に立ちます
611 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/30(土) 01:11:33.21 ID:DYPLgkLr
wwwwwwwwwwwww 一体サロメは何がしたいんだ?ww 初めは、殊勝に仏教を学ぶような素振り見せてたがw 結局、「お前ら、仏教わかってない。おれの仏教理解を認めない奴らなんて 相手にできん」か?wwww 大王には、はなから相手にされず、不説にも噛み付いて、挙句の果てに セブンにもあいそつかされてww 自己の仏教理解自慢をしたいだけなら、誰にも相手にされんぞww
612 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 01:17:04.41 ID:+XMZY47d
>>611 は?^^
私は最初からチベット方面に関心があっただけなのでw
大乗部や日本仏教に疎い方が多いのでちょっと驚いてます
中有はまだしもじょうざ仏教でも盛んな回向が説明できないとか^^;
私はチベット方面のバルドの解釈に唯識持ち込んだり 神通力で思考停止したりw
するのはおかしいですよ
死後に移行する縁起の連続性を無視すると回向やタンブンなど上座部の現実の
信仰が説明できなくなりますよと指摘してるだけです
まぁパープーマンは論外ですけどね^^
さて、これはここの君たちの机上の空論仏教ではどういうことになるのかな? >412 名前:サロメ☆多羅ちゃん ◆Vjum1KTtaU [] 投稿日:2013/03/30(土) 01:07:18.26 ID:+XMZY47d [2/2] >仏教議論スレにコピペ嵐必死でしてる札幌市東区の難癖51歳児とは違うので♪ww > >呪い 呪詛祈祷 とかが発狂スイッチなんですねww >413 名前:サロメ☆多羅ちゃん ◆Vjum1KTtaU [] 投稿日:2013/03/30(土) 01:11:36.02 ID:+XMZY47d [3/3] >でも仏教議論スレは勉強になるわwww > >上座部の論者ばかりで大乗部 日本仏教の側があまりいないのが残念 >承狂が戻ればいいのに きちんと教え恋うぞ^^ > >ヨハンネスはお寺で勉強中だからにちゃんなんかに学んだこともらさないだろうし^^; もし、まともなやつがいるのなら、早く、目を覚ましてね♪
614 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 01:22:43.78 ID:+XMZY47d
生前の人間が粗雑な肉体を介して意識を持つように 死後にバルドに移行した人間が物質より緻密な存在に依拠して 意識を働かせるというバルドの思想は別におかしくは無いと思いますけどね 意識も 緻密で不可視の存在も 生前の肉体と同じく縁起に拠った仮設の存在ですから その存在に回向することも 輪廻の先の存在や輪廻の途上で生まれた『親戚』に 回向することと同じです まぁこの話題はこれくらいに^^
ちなみに、サロメのおっさんは、かつては宗教人類学中退とか騒いでたそれなりに仏教の知識もある加齢オヤジだからまともに相手してるやつは気をつけてね♪
616 :
? :2013/03/30(土) 01:24:26.65 ID:1HvNGPxC
617 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 01:25:57.01 ID:+XMZY47d
>>611 て言うかお前様もまじめに仏教に取り組んだらいかがですか?
さっきから必死でコピペ投下してるおっさんみたいになったら手遅れですから^^
まじめにテラワーダの瞑想学ぶと変な妄想湧くこともなくなってくるし♪
>>生前の人間が粗雑な肉体を介して意識を持つように 死後にバルドに移行した人間が物質より緻密な存在に依拠して 意識を働かせるというバルドの思想は別におかしくは無いと思いますけどね そもそも意識が粗末だったりする。 体を動かす前に脳が指令を出していて それを自由意志だと思ってしまうぐらいに。
619 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 01:29:18.64 ID:+XMZY47d
>>616 いつもありがとうございます
ダライラマ14世猊下の中論の講義を読み終わった後
唯識方面にも接してみますね^^
> おっさんみたいになったら手遅れですから^^] ここの名無しもサロメの自演くさいな。
621 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 01:32:21.38 ID:+XMZY47d
>>618 脳は入力される膨大な情報量を処理しますから
かなりの情報を切り捨てたりスキップしてるらしいですからね
バルドの状態では感覚?が広く深くなると聞きますから
脳を含めた肉体の制約は大きいのかもしれません
622 :
神も仏も名無しさん :2013/03/30(土) 01:32:41.01 ID:muhyBg9a
>>614 >生前の人間が粗雑な肉体を介して意識を持つように
>死後にバルドに移行した人間が物質より緻密な存在に依拠して
>意識を働かせる
その言葉だけでバルドはおかしい。チベット仏教がオウムの宗教である所以。
チベット仏教は「日本の大乗」とは全く異なる「異国のカルト」。
623 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/30(土) 01:39:38.94 ID:DYPLgkLr
>>612 あのなあw 一度は真面目に助言しておくが、
正直、このスレの住人はお前のその独りよがりの姿勢に呆れ返ってると思うが。
セブンは基本、誰にでも粘り強くその誤りを解説するが、お前、
何を言われてるかさえも理解できてないわけよw
だから、過去スレで今まで、どのような議論がなされてきたか、とりあえず
見てきたら?
そうすれば、各人の立ち位置や、各項目に対する見解がわかるからw
各人の守備範囲もねw 真面目に仏教学ぶ気があるなら、まず先達たちに
敬意を示して真摯に尋ねたら?
俺自身について言えば、そもそも仏教徒でもないし、その仏教知識も
ごく初歩レベルだと自覚してるぞww
だから、仏教の教説に関することを述べるときは、「・・・・なのでは?」という
姿勢を心がけている。 基本、こちらは尋ねる立場なんでねw
一般書数冊読んで、サイトに書かれていること聞きかじって仏教がわかった
つもりになって、仏教徒に噛み付いて回るのは100年早いぞw
624 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 01:39:47.50 ID:+XMZY47d
仏教において人間は肉体だけに依拠せず 死後肉体を離れて 連続する縁起は輪廻によって次の生へ継続する だから 人間をただの物質的存在と限定することは仏教をただの道徳にしてしまうことを意味する 現代科学が取り扱う範疇を仏教は超えているわけですね その点で諸宗教と同じです
625 :
? :2013/03/30(土) 01:40:27.43 ID:1HvNGPxC
626 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 01:42:20.05 ID:+XMZY47d
>>623 あっそw
上座部の特定の話題以外を私は扱うので 放置していてくださいね♪
仏教も多様であって^^
別にセブンを腐すつもりは無いけど 回向の説明で思考停止するのはねww
>>518 サロメ氏
>不説ご推薦
私は彼(閻魔大使)の発言内容自体を必ずしも妥当だとか推薦しているわけではないので。時折、私は彼の警策をもらっています。
彼とか(そういう姿勢の点では)宝珠愚者氏もそうですが、あのくらい情報の収集・取捨に主体性を発揮する人には、カルト問題は有り得ないのではないかと思います。
トップの人の言っていること、組織の風潮に右に倣えでいいとか、宗教だけでなく世間には珍しくありませんが、そういう主体性の無さがカルトやいじめ(ハラスメント)の社会的温床となるわけです。
仏教を仏教だけの知識にするのはもったいないです。一人の在家人としては閻魔大使のように人生観やビジネス論とかとどんどん知的関連させて広げていくのは悪くないことだと思います。
ただひとつ、そういう作業の背景で、三毒を肥大化させてしまうと逆効果(別の表現では邪見の火に油を注ぐ)。仏教の基本理念が、三毒を弱め、涅槃寂滅を究極の目的としているという、基礎知識はどこか心に置いておいて欲しいと思います。
心掛けだけでなく、ちゃんと形式上においても仏教徒として三宝に帰依している人ならば、そういう点では日頃お坊様から、法話などで訓示を受ける機会があるわけで心配は少ないと思います。
>>563 >(不説が認めている)
私を基準に上座部を計らないでください。
一代氏の場合は、一信者としての真摯な実践態度のみならず、学者としての側面からも攻めて客観的な知見と両面で照合されているので、このスレ住人にとっては、チベットを軸とした大乗仏教についての一定のベンチマークとするに足る方です。
一方の私は上座部に少々詳しいと言っても所詮アマチュア、どこまで行けたとしても、映画界における淀川長治の立ち位置止まりです。単に日本でのテーラワーダの希少性ゆえに目立つだけで。
628 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 01:45:16.81 ID:+XMZY47d
>>625 ありがとう^^
私は第六識だけでもバルドへの移行や輪廻への威光は説明できるのでは?
と感じていますが もっと勉強しますね
あなたときちんと議論できるようにがんばります
629 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/30(土) 01:50:05.94 ID:DYPLgkLr
>あなたときちんと議論できるようにがんばります 「?」と、議論?? それはマジで見てみたいw
>>621 「なるほどね
物質が集まって意識が生まれるのではなく
強い意識がまずあって、体がそれを制御するというわけかな。
でもそれだと脳機能が衰えたときに意識が鈍感になったり
視覚などの感覚を司る脳の部分を壊されたときに
その機能が使えなくなるのと矛盾してくるかな。」
とか書いたけど、タイミングのがしたっぽい。
まあ書いたし、一応、しつこいな俺も
631 :
神も仏も名無しさん :2013/03/30(土) 01:52:04.05 ID:mW+qGMhG
中有の故人も何らかの関係性により成り立っているから空だというなら、じゃあ何に縁起して成り立ってるわけ? 中有ってとこ?じゃあその中有ってのは何に縁起して成り立ってるわけ?となるわけだ。 さあ、自分で考える頭の無い他人の受け売りしか語れないブランド志向の中身の無い薄っぺらなサゲマン馬鹿女に答えられるかな。
632 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 01:52:45.25 ID:+XMZY47d
>>627 いちおう了解しましたが閻魔大使とやらは基本的な
生きている仏教の現実を知らなさ過ぎであり
論外であると思われます
彼こそ文献上の知識だけでダルマ男ひねりまわす隠居の同類ではないかと
回向も知らずそれを知らない程度の人物ですからね^^;
それと中有関連であなたを論難することは控えます
セブン氏もそうですが別に個人が多様な仏教の全領域に精通する必要は無いのですから
私は相手にしてもらえたらですがw一代氏の書き込みから学んだり
?さんの教示を仰いだり
あなたやセブン氏の議論を読み込ませていただきます
633 :
? :2013/03/30(土) 01:57:13.20 ID:1HvNGPxC
瑜伽師地論(ゆがしじろん)の場合は
http://reigaku.jugem.jp/?eid=424 人が死ぬ時に
過去の長い間の経験により蓄積された
我愛が現起し
その力にうながされて
自己に愛著し
無始の時以来つづいてきた執着された
戯論(けろん)と
善悪(善でも悪でもないものも含める)業により
中有が形成される
_ _ _
この我愛は
睡眠中でも深層において働き続け
根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続ける
末那識(まなしき)の事である,と考えてます
634 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 02:01:09.33 ID:+XMZY47d
>>630 意識は人体においては脳に依拠する
中有ではより微細な意識に変わる
。。。じゃないですかね
>>631 カラスさんですか?^^
あなたは怒りを出離心に換えたほうがいいと思います^^
人間の 私 は 私である と思い込ませ
私自身や世界を常在だと思わせている もの が原因だと思いますす
中有の故人も生前と肉体の有無以外は変わらず 引き継いだ
縁起によって輪廻するわけですからね
そして中有もこの世界と同じく故人が常在だと思い込んでいるもので
故人が空を悟れば 個人は速やかにそこを離れてよい世界に輪廻する
バルド・トドゥルの記述にあったと思います
635 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 02:04:27.69 ID:+XMZY47d
>>633 唯識派と中観派を追いかけるのは非常に大変ですが
がんばります^^
これからもよろしくお願いいたします^^
キチガイ仏教だな、こりゃ
637 :
? :2013/03/30(土) 02:22:09.55 ID:1HvNGPxC
>>635 サロメ☆ボウディアさんへ
> 唯識派と中観派を追いかけるのは非常に大変です
中論も,瑜伽行唯識(ゆがぎょうゆいしき)も
『 瞑想によって,心の働きを変化させる 』 と言う事だと思います
_ _ _
ダライ・ラマの「中論」講義 第18・24・26章/大蔵出版(2010/05)
134ページ
「無明」(根源的無知)を滅したなら
「行」(行為)などのすべても生じない
「無明」(根源的無知)の断滅は
〔縁起という〕真如を知って,それに瞑想することから〔得られる〕
638 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 02:24:23.09 ID:+XMZY47d
>>637 ですね^^
やりがいや手ごたえがありそうですね^^
639 :
神も仏も名無しさん :2013/03/30(土) 03:28:14.19 ID:mW+qGMhG
>>634 怒る方も悪いが、怒らせる方はもっと悪いぞ。悪意の無い者を躓かせる者は臼に引かれて投げ棄てられる。
さて、この馬鹿女は空を悟った精神は中有よりさらに上の世界に行くなんてアホな話をしてるわけだが、
じゃあ、その上の世界はなんに縁起してるわけ?まさかそこは縁起によらず存在していると?
ならそれは自性となり、宝珠氏や在家氏と同じ実体論になる。いやいやそれも空というなら、それ自身になろうが、その世界の
住人だろうが空のまま変わらないという矛盾を抱えるわけだ。まさかあっちの空は駄目で、こっちの空はいわけ?
さぁ、女の浅知恵絞って説明してみな。
640 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 03:41:06.78 ID:+XMZY47d
>>639 もう寝ますから詳しくは明日
ごめんなさいね カラスさんに平和
641 :
基地子♀菩薩 :2013/03/30(土) 04:38:05.76 ID:8mg221vj
>>636 人間は狂気の沙汰程面白い!
ヒャッハ〜♪ \(^Д^)/
642 :
つきみ :2013/03/30(土) 07:17:39.30 ID:Po37Nxqv
空を語るには、時間とは何かを先ず理解しないとね。
643 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/03/30(土) 07:28:42.96 ID:UqsU6vHK
>>640 あんたのアホみたいな話聞いても仕方ないから、別に無理して話さなくてもいいよ。
>>637 縁起という真如を知ってだってよ(大爆笑)所詮チベット仏教なんてのもこの程度だ。ダライ・ラマとかいうおっさんは
真如の意味すらわかってねぇんじゃねぇの。幼稚な今の末法仏教徒達は、縁起、無我、空。これらの単語に酔って執着し、
自分達の仏教は他のものとは違う。他の宗教より優れているなどと、大きな勘違いをして、真理からもっとも遠い教えを説いて
仏教を糞の役にも立たない、ガラクタしてしまったわけだ。
644 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/03/30(土) 07:32:50.50 ID:UqsU6vHK
>>642 適当なこと言ってるお前は、そのまま信仰義認の大誤謬で滅びればいいと思うよ。
645 :
つきみ :2013/03/30(土) 07:39:30.25 ID:Po37Nxqv
>>644 信仰義認の上っ面しか理解出来ないヤツには興味ない(−_−;)
646 :
? :2013/03/30(土) 07:50:29.81 ID:1HvNGPxC
647 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/03/30(土) 07:52:53.83 ID:UqsU6vHK
なにがブラックボックスだ。セブンとか言う輩。ゴータマの仏教の教えの根幹の一つは業報輪廻転生だ。 それを今の末法仏教徒達は死んで生まれる間はどうなってるのかも説明できない。これが今の末法仏教の現実でもある。 中でも禅宗を代表する唯物末法仏教は未だに輪廻転生を認めたら輪廻する基体を認めないといけない。そうすると 彼らの執着する単語の一つ、「無我」に反するからゴータマの仏教の教えの根幹でもある業報輪廻転生すら認めないなんて チンプンカンプンなこと言ってるトンデモ仏教が大手を振っているわけだ。あのよ、ゴータマの仏教のアートマンとは、自性のことな。 わかる?自我などのことを言ってるのではなく、あくまで自性。わかる?無我、無我言ってるけど我々の我は現に今ここにはあるわけよ。 ただこの自我には自性はなく、いつかは滅びる幻だと言ってるだけ。わかる?ゴータマの仏教の無我思想とはあくまで この現象世界には恒常不変で縁起によらず、単独で成立している自性はなく、いつかは滅びる幻のようなものだといってるだけで、 自我そのものは無いなんて言ってないわけよ。わかる?輪廻の基体である業(魂)も同じこと。それを無我、無我、無我と、 まるで自我や業(魂)そのものが存在しないかのごとく誤謬しているお前達は、智慧の欠片もないんだよ。
648 :
? :2013/03/30(土) 08:14:58.69 ID:1HvNGPxC
> 我は現に今ここにある
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%91 我は、常住であり
他との何らの関係をもたないで単独で存在することができるものと考え
それは働きのうえで自由自在の力をもつとした
この我によって人間生存は根拠付けられ、支配されていると考えるのである
− これに対して −
釈迦はこのような実我観念を批判し
「 我として認められるものはない 」 として、諸法無我と説いた
これを色受想行識の五蘊について説き
人間は五蘊の仮和合したものである,と説いた
_ _ _
因と縁に依存して現われ,そして滅するものは
それ自体の自性によって成立しているのではない
それ故に 『 無我 ・ 縁起 ・ 空 ・ 仮設 』 と言う意味だと思います
649 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/03/30(土) 08:16:12.64 ID:UqsU6vHK
>>646 お前も末法仏教を信奉して滅びればいいと思うよ。
アホの末法仏教徒達は、なぜ初期経典に、苦しみでしかない輪廻転生する表現を ”母胎” に入ってと
わざわざ頭に母胎を付けて表現しているのか理解しない。俺なら、輪廻転生するまでの間は、輪廻転生の基体である
業はどうなっているか、仏教の教えと矛盾することなく合理的に説明できるぜ。ま、ここで話しても豚に真珠だから
話さないけど。ヒントだけ言っといてあげよう。ヨーガスートラを読んでもわかるように、自性と真我とは別。ま、二つは一つだが、
真我と呼ばれているものは自性ではない。なぜなら単独で成立せず、真我といえども縁起で成り立っているからだ。
もちろん生起したものだから終わりはある。ただその辺の縁起物とは違い、今の宇宙が終わっても、真我は再び目覚める。
ここのアホ末法仏教徒達も、今の宇宙は滅んでも繰り返し生起することとみてるんだろ。真我と呼ばれているものは
宇宙の根本原理のようなものだ。ゆえに宇宙が繰り返し生起されるなら、真我も繰り返し生起する。この輪廻の輪は永遠だ。
真我とは大海。業(魂)はその波。波と波が干渉しあえば新しい波を生み出し、波が静まれば元の大海に戻る。
ここまで書けば答えを書いてるようなものだが、ここまで書いてあげてもわからない奴はわからないので笑える。
おっと、俺は実在論を話してるわけじゃないぜ。なにせ真我は自性と呼ばれているものと縁起して始めて成立するが、
自性と呼ばれているものが単独で成立しているときは、その本質は言葉で表現するなら「無」であるから。
ま、もっと正確に言うと、基点のゼロだな。ところでお前達末法仏教は、宇宙の根本原理ともいえるブラフマンはどこにいっちゃったの?
ゴータマさんは別にブラフマンを否定していないんだけどね。もちろんヴェーダもね。おまえらアホにいくら教えて
あげてもわからんだろうがね。
650 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/03/30(土) 08:24:52.60 ID:UqsU6vHK
>>645 ハイハイ。屁理屈こねくり回してゴータマは業報輪廻転生を否定していたことにしている詭弁家の悪人共と
同じく、お前も屁理屈こねくり回してイエスの教えと違う信仰義認を正当化してるといいよ。口先だけの信仰告白だけすりゃ
救われんなら楽でいいよな。誰もが負の業を清算し、この二元世界で善の修行を完成しないと、そこには帰れないんだよ。
信仰義認の致命的な誤謬を愛するお前は、勝手に滅びればいいと思うよ。
えーと、ここで輪廻を否定している悪人とやらは誰ですか?
652 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/30(土) 08:31:29.89 ID:GhbhVw+c
>>647 カラス氏
>まるで自我や業(魂)そのものが存在しないかのごとく誤謬しているお前達は、智慧の欠片もないんだよ。
中村元先生も水野先生も仏教は無霊魂説という見解は誤解だという趣旨のことを語っておられたと認識しております。
「仏教のこころ」中村元、P78、無我説−無霊魂説ではない
客観世界に見出されるいかなる実体もアートマンではない(非我)ということを主張したのです。
アートマンが実在するか否かはということについては、まったく沈黙を守っていました。
このことから仏教を無霊魂説と解するのは誤りです。仏教はむしろ人間の行為の依りどころとしてのアートマンを承認しました。
「仏教要語の基礎知識」水野弘元、P174、霊魂について
(霊魂は)不生不滅ではなく、輪廻の主体として、業や経験に従って常に変化しつつ連続する有為法である。
本スレにて両先生の解説は度々紹介しておりますが、それを私(在家)や宝珠氏の説だと未だに誤解されておられる方々が散見されます。
653 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/30(土) 08:35:21.85 ID:GhbhVw+c
>>649 カラス氏
>ここのアホ末法仏教徒達も、今の宇宙は滅んでも繰り返し生起することとみてるんだろ。真我と呼ばれているものは
>宇宙の根本原理のようなものだ。ゆえに宇宙が繰り返し生起されるなら、真我も繰り返し生起する。この輪廻の輪は永遠だ。
長部経典第二十七経「起源経」(参考:「長部経典V」中村元監修、春秋社)
本経は舎衛城の高殿でブッダがバラモン出身の見習い修行僧二人に説いた。
バラモン達から両名に浴びせられた非難を聞いたブッダは、まず王族、バラモン、庶民、隷民のそれぞれの階級自体に上下や浄不浄の区別はないことを説示する。
その理由を説明するために、世界が帰滅して後(大部分の生物は光音天に心より成る存在に転生)、人間の世界が成立する過程を述べる。
654 :
? :2013/03/30(土) 08:38:35.46 ID:1HvNGPxC
655 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/30(土) 08:39:44.40 ID:GhbhVw+c
>>653 >宇宙の生成・消滅に伴い、輪廻する「心より成る存在」は「真我」と不一不異かも知れませんね。
>>6 >>9 >>11 >>13 >>15 >>17 >>19 >>33 >釈迦は生前自分の仏像は作っていませんでしたが、釈迦入滅後数百年もたってから
>仏像を作り、拝む習慣ができたのです。釈迦が最も嫌がったことだと思います。
>ブッタは生前「私を拝んでもなにも益は無い」と説いていました。
>プッタは、自分の仏像作られ拝まれつのは嫌だったでしょう。
>ブッタの心情を考えれば宗教的には、偶像崇拝は事実上禁止でしょう。
>ブッダ(如来)を尊び崇める事とは、花や音楽をささげたりする事ではなく、法を知りそれを
>実践することと言っているのである。
>そのことから推測するに、「仏像を拝むのは釈迦の教えに反する」と思います
あなたの言われることは概ね同意できるものとして理解しますが、
正確には、ゴータマが望まれていないこととは、“過剰崇拝(過剰な礼拝行為)と神格化”でしょう。
仏像制作と礼拝対象の禁止というよりも、これらは過剰崇拝に繋がり易くなるアイテムだからということ。
まっ、そういう指摘と忠告がこのスレでされるようになっただけでも、私は非常に嬉しく思いました。
たぶん、仏像礼拝も含めて警告をされたのは、あなたが初めてではないかと思います。
マハーカッサパの過剰な頭陀行に対してゴータマが窘められたという事実からしても、
ましてや、一生涯を礼拝としての全身を投げ打つ五体投地で
巡礼の旅を過ごして死んでいく彼らチベット・ネパールの人々を、
諸仏たちは“できれば辞めて欲しい”と見なしていることは、
まず間違いがないことと思う。
657 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/03/30(土) 09:04:07.95 ID:UqsU6vHK
まじめに言うけど宗教的な真理を求めてこの道を求道している人は仏教はやめたほうがいい。 どうせやるなら、ヨーガの道に入るのを勧める。変な体操、パワーヨーガとかわけわからんものじゃなく、クリヤヨーガなどの 瞑想を主体としたものな。ゴータマが悟りを開いた瞑想はあくまでヨーガだ。ヨーガの聖人達の教えはゴータマのように 肝心なところは無記などとせず、比較的にストレートに話、彼らの教えは心に響く。前にも書いたが仏教はエゴで真正な教え を、自分達のエゴで歪めてしまう者から真理から隔離して真正な教えを守り、見込みのない業(魂)を次の時代を 迎える前にできるだけ清算する為に用意されたようなものだ。その為に、ゴータマさんのグルである 神智学で言うところのハイアラキー達はゴータマさんを悟らせたんだろう。ゴータマさんはその役目を果たした。 実に仏教は、人を滅びに導くような誤謬を招くような教えを残している。無我しかり、無記しかりだ。それでも選ばれた者は 誤謬することなく仏典を読んでも迷うことは無いが、それでも読み解くのに労が必要で回り道するのには変わりない。 ならば最初からストレートに真理を語るヨーガの聖者からの言葉から学ぶほうがより近道であり、合理的である。 ましてや末法仏教の師の教えなどから入ると回り道するどころか下手すると道を踏み外す。仏教における正法の時代はとっくに 終わり、今は末法の時代。ゴータマさんは末法の時代を予言したんじゃなく、後世に末法の時代が訪れるように意図的に 肝心なことは無記を通したり、自性をアートマンと置き換えて間違った無我思想を招くような説法をして末法の時代を招くようにしたんだよ。 仏教は、神智学で言うところの、現代種の代表である代5種の白人種には全く普及せず、インドアーリア系の人々間では廃れ、 古い世代の我々精神性の低いとされる古い世代のアジア人の間で広く普及したところがとても興味深いところではある。 残念ながら我々精神性の低い旧い世代の人種は粛清の対象になっている。
658 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/30(土) 09:24:24.62 ID:DYPLgkLr
>カラス だから、お前はヒンドゥーに行けばいいじゃねえかwww ヒンドゥーの価値体系を勝手に仏教に投射して、上下設定してんじゃねえよww
659 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/03/30(土) 09:36:00.94 ID:UqsU6vHK
>>658 だから仏教もヴェーダから派生した宗派の一つしかないんだよ。
案外ヒンドゥーのほうが、今の末法仏教より比較的ゴータマの仏教を正しく引き継いでるんじゃねぇの。
今の末法仏教と違いどっちもヴェーダを元にしているからな。おっと、お前みたいな下らない人にレスを返してしまった。
俺はメンヘラとは関わらないことに心に決めていたんだが、口が滑ってしまったぜ。
2chはメンヘラには毒だ。ましてやおまえは病識もない重症患者のようなので、こんなところうろうろしないで、
早く病院いって、薬飲んで休めよ。どの道お前には宗教的な真理は理解できないし、縁がないんだからな。可愛そうに。。
660 :
神も仏も名無しさん :2013/03/30(土) 10:04:41.04 ID:m0uhM6vt
661 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/30(土) 10:14:09.74 ID:DYPLgkLr
ブラックボックス・・・・・これを是認できるかどうかが宗教家としての 資質の一つだと思うんだがねえw (実際、これを認められたのはこの宗教板でも ごく僅かだったww 大概の質の悪い宗教バカは、自己の見解が『普遍性を有する』 真理であると主張し、その防衛に必死になるw 方法論としては、疑似科学に走り 科学の権威を利用しようとするもの。 もう一つは、多様な妄想概念、妄想世界を 創出して、それらにより(一見、整合性が取れているかのように)錯覚させるという手法w どちらも、「自己の信仰対象が正しい」というお墨付きが欲しくてジタバタするww) 勿論、ブラックボックスの部分が少なければ少ないほど良いだろう。 科学のように、個人の信念を超えて、誰がやっても同じ結果を得られるような再現性、 高度な普遍性を有していることが望ましいことに間違いはない。 あるいは、 それこそ万人が納得し同意できる論理構築がなされれば言うことはないw 回向、神通、輪廻・・・・・・仏教の抱えるこれらの教義に対して、勿論、 「科学的実証」も皆無だし、「万人に共通する論理」というのも同様に皆無なわけだw そこは(少なくとも現時点で)ブラックボックスだ。 そこをどのように捉えるのか? ということは、あくまでも「個人の範疇」に委託されている。 「信仰」という語彙におきかえても良い。
662 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/30(土) 10:15:00.73 ID:DYPLgkLr
一代が言うように「縁起」というキーワードで了解する者もいるだろうし、スマさんの言うように 「こころ」という語彙で了解する者もいる。 あるいはヒンドゥー系に惹かれる者は、「真我」 などという語彙にシンクロするんだろう。 しかし、大切なのは、それぞれが、それぞれの キーワード、論理で了解できたとしても、それはあくまでも「個人の範疇」のこと。 『私はそれでOKです。』なんだよ。 その自分が納得したものが、万人に通じる真理だなんて思い上がっちゃ いかんというのw それは、あくまでも「貴方が」了解したものに過ぎないから。 「地球は立方体ではなく球形である」・・・・のような高度の普遍性を有する事例ではないの。 仏教というのは、とことん突き詰めて行けば、「個人」でしょ? (それを小乗と蔑視するものもいるがw) 個人が何をもって、それぞれ、頷けるか? 腑に落ちるか?・・・・これに尽きるでしょ? そこに、「竹ホウキにあたった小石」や「カラスの一声」の話が出てくるわけでしょ?wwww 万人に説明可能な論理構築が出来ればそれに越したことはないw 誠に結構なことだw それは確かに望まれる。 しかし、この2500年の間それに成功したものはいない。 そこに「自分勝手な真理」を投射して、「こういうことなんだよ。お前はわかってないね。」などと やりだすバカよりは、真摯にブラックボックスであることを認めて、そこから「信仰」に入って 行くほうがなんぼかマシだと思うがねwwww
663 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/30(土) 10:16:58.69 ID:DYPLgkLr
>>659 やはり、お前には以下の言葉しかないな
→『キチガイ、黙れ』 wwwwwwwwwwwwwwww
664 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/03/30(土) 10:17:13.30 ID:UqsU6vHK
>>661 だからお前は無理に信じなくてもいいと言ってるんだよ。誰も聞く耳のないお前を助けに来ないから心配するな。
665 :
? :2013/03/30(土) 10:24:14.04 ID:Jq3xjp2J
666 :
? :2013/03/30(土) 10:42:20.57 ID:Jq3xjp2J
667 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/03/30(土) 10:58:58.91 ID:UqsU6vHK
>>665 水が去ると合わせて法と書く。水は雨となり地を潤し、生き物は喉を潤し身体に取り込み命を育む。
そして死んだ身体から水は再び天に昇り雨を降らせ、新たな
命を育むだろう。神よ、もしも望むなら雨を降らせたまえ。
牛飼いダニヤがいった、
「わが牧婦(=妻)は従順であり、貪ることがない。久しくともに住んできたが、わが意に適っている。かの女にいかなる
悪のあるのをも聞いたことがない。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」
師は答えた、
「わが心は従順であり、解脱している。永いあいだ修養したので、よくととのえられている。わたしにはいかなる悪も存在しない。
神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」
女は父母の元を離れ、いずれは愛する男と一つとなる。それが女にとって真の幸福であるだろう。
私の妻はとても従順であり、彼女にはいかなる悪も存在しない。男のあばら骨から作られた女は男のハートである。
神よ、もしも望むなら雨を降らせたまえ。
668 :
? :2013/03/30(土) 11:08:40.59 ID:Jq3xjp2J
> … 「わが心は従順であり、解脱している … 」 因と縁に依存して 輪廻から解脱して 解脱した後は 因と縁を受けることはない と言う事だと思います ( 「 輪廻から解脱する為には,その為の方法が必要である 」 と考えます )
669 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/30(土) 11:10:26.94 ID:DYPLgkLr
キチガイカラスがいった、 「私はヒンドゥーの教えが真なることを知り、末法 仏教徒が何も分かってないことを知っています。」 師は答えた、 「キチガイ、黙れ。 神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」 wwwwwwwwwwww
ダンマパダやスッタニパータは、非常に低レベルなものに対する 教えのような気がするね。 道徳的にも低レベルな連中に、上から目線で、どうせ言ってもわからないから、 戒律を織り交ぜながら、遠くから語ってるような気がする。 思うに、上座部と大衆部に分裂したっていうのは、真理もわからない戒律に捉われる連中と、 真理を知って戒律に捉われることを脱却した連中との、分裂だったと思う。 戒律に捉われ、真理のわからない連中は、仏教は放下の教えだと知らずに、 瞑想によるこころの操作、ヨーガのようなものに走るしかなかったんだと思う。
671 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/03/30(土) 11:11:03.13 ID:UqsU6vHK
672 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/03/30(土) 11:13:13.09 ID:UqsU6vHK
やっぱりここで真理を語るのは豚に真珠だな。 お休みだアホ共。早く悟れよ。悲しいかな君らには無理かもしれないけど。
673 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/30(土) 11:14:20.45 ID:DYPLgkLr
>心が従順であるから解脱できるんだよ。 んじゃ、お前にゃ無理だwww
674 :
? :2013/03/30(土) 11:27:21.14 ID:Jq3xjp2J
> 心が従順であるから解脱できるんだよ 解脱できる程の従順な心の働きに成る為には その為の方法が必要である,と考えます ☆ 無我 ・ 縁起 ・ 空 ☆ の観察によって 解脱できる程の従順な心の働きに変化する と言う事だと思います
675 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/30(土) 11:32:35.97 ID:GhbhVw+c
【四法印】所感 「一切皆苦」の一切には仏を含まず。もし含めば仏も苦となり矛盾。←セブン氏も解説済み。 「諸行無常」の諸行には涅槃は含まず。もし含めば涅槃も無常で、「涅槃寂静」ならずで矛盾。 上記根拠より「四法印」は主に有為法に対する説法だったようですが、という問いへの皆様の回答はまだ腑に落ちておりません。 それ故に仏教議論板を幾度も輪廻しておりますかも。 さて宇宙の生成・消滅とともに輪廻を繰り返す「心より成る存在」は「仏種」なのか否か、阿頼耶識なのか否か、また新たなお題です。 釈尊はバラモン出身の二人の弟子に説いたとさ(長部「起源経」)。 これをカラスさんと宝珠さんは「真我」と呼ぶでしょうが。
676 :
? :2013/03/30(土) 11:54:50.94 ID:Jq3xjp2J
677 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 12:01:21.03 ID:+XMZY47d
>>639 バルドで自身を空であると知っていてバルドそのものが空なんだと理解出来る故人は
速やかに現れる強烈な光の中に進み三悪趣などの魅惑的なぼやけた光に惑わされない
強烈な光は悪業の多いものには苦痛や恐怖を与えるようですけどね
そして強烈な光の先は浄土などの善い輪廻先です
善因が多ければ縁起も前科を結ぶのは輪廻においても同じです
問題はよい転生でさらに解脱のための道を歩むか否かです
またバルドでも生前に縁があった聖者が迎えに来浄土に導かれることもあるようです
OK?
678 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 12:09:36.83 ID:+XMZY47d
>>661 セブンはめんどくさいから調べたくないだけだよ^^
布施などで功徳を積みそれを回向して故人や苦しむものすべてに
善果を送る それで自分もさらに功徳を積む
この構図はテラワーダの機軸のひとつなんで パーリ聖典が言及してるはず無いからね^^
もっぱら宝珠氏や在家氏 隠居向けの議論でそういった基本的な問題提起する人がいなかっただけだ^^
それとセブンがそうだとは言わないけど
仏教の人は無記を誤解してる
スマ坊主によると 無記 は答えがないことは答えない
ということで
答えがあることには仏陀は答えておられるそうだよ^^
回向は有効か 個人である特定の対象に回向の功徳は届くか
などは答えがあることですからね^
679 :
? :2013/03/30(土) 12:28:35.66 ID:Jq3xjp2J
> 「心より成る存在」は「仏種」なのか否か、阿頼耶識なのか否か
瑜伽師地論(ゆがしじろん)の場合は
http://reigaku.jugem.jp/?eid=424 人が死ぬ時に
過去の長い間の経験により蓄積された
我愛が現起し〔末那識(まなしき)によって〕
その力にうながされて
自己に愛著し
無始の時以来つづいてきた執着された
戯論(けろん)と
善悪(善でも悪でもないものも含める)業により
中有〔意から成るもの(肉体を伴わずに意識だけで異蘊相続しているもの)〕が形成される
_ _ _
前六識も
末那識(まなしき)も
阿頼耶識(あらやしき)も
意から成るもの(肉体を伴わずに意識だけで異蘊相続しているもの)も
因と縁によって現れ滅するので
それ自体の自性によって成立しているのではない
( 無我 ・ 縁起 ・ 空 ・ 仮設 : と言う事だと思います )
680 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 12:38:59.71 ID:Xb6PXxUD
681 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 12:41:55.83 ID:Xb6PXxUD
>>680 自己解決しました
個人の創作だったのですね
682 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 12:51:45.47 ID:Xb6PXxUD
>>677 前科は善果
カラスさん あなたはなぜ自性や個別の霊魂などにこだわるの?
683 :
? :2013/03/30(土) 12:53:50.79 ID:Jq3xjp2J
684 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 12:55:52.97 ID:Xb6PXxUD
685 :
? :2013/03/30(土) 13:00:30.51 ID:Jq3xjp2J
サイト主も私では,ありません たまたま偶然,見つけたものです
(墨括弧は引用者が付加) 本経は、仏が、サーヴァッティに近い東園のミガダーラマーター殿堂(鹿子母講堂)に住んでおられたとき、 バラモン出身の、ヴァーセッタとバーラードヴァージャという、二人の沙弥に説かれたものである。 二人は、仏の説法を聞きたいと思い、露地で瞑想歩き(経行)をしておられる仏に近づき、 仏に隨って瞑想歩きをする。ときに、仏はかれらに話しかけ、 かれらの出家時に他のバラモンたちがどのように対応したかを問われる。 そこでヴァーセッタは次のように答える。 「バラモンたちはこのように言いました。 『バラモンこそ最上の階級であり、他の者たちは下劣な階級である。バラモンこそ白い階級であり、 他の者たちは黒い階級である。バラモンたちのみが清まり、非バラモンたちは清まらない。 バラモンたちのみが梵天の子であり、胸にとどまり、 口から生まれた者であり、梵天から生まれた者であり、梵天によって創造された者であり、 梵天の相続者である。そのお前たちは、最上の階級を捨て、下劣な階級に、すなわち、 卑賤な、黒い、親族の、足から生まれた子である、禿頭の似非沙門たちに従っている。 お前たちが、最上の階級を捨て、下劣な階級に、すなわち、卑賤な、黒い、親族の、 足から生まれた子である、禿頭の似非沙門たちに従っているのは、お前たちによくない。 それはお前たちにふさわしくない』と」 仏は、この答えを受けて、バラモンたちの言葉がまったくの誤りであることを指摘され、 四の階級(王族・バラモン・庶民・隷民)の差別なく、誰も殺生者ないし邪見者(十不善業道の者)に なりうること、また不殺生者ないし正見者(十善業道の者)になりうることを明らかにし、そのうちで、 比丘にして阿羅漢となり煩悩が尽き、自己の目的に達し、解脱している者こそ最高者であり、 その法(仏の法、九出世間法=道・果・涅槃)こそ最上である、と語られる。
そして、その法が、いかなる根拠によって最上のものであるかが説明される。 たとえば、コーサラ国王パセーナディ王は、その法を尊重するために、 沙門ゴータマに敬礼、合掌し、奉仕を行うのである。また、仏の弟子は、 如来に対して信が確立し、他のいかなるものによっても動じないものとなるならば、 『私は、世尊の子であり、胸にとどまり、口から生まれた者であり、法より生まれた者であり、 法によって創造された者であり、法の相続者である』と語ることができる、と。 ・・・※1 「世尊の子」とは、「世尊の法により、聖なる地に生まれた者」という意味である。 ・・・※2 さらに、いつか世界が破壊し、いつか世界が成立するとき、必ず生けるもの(有情)は この法に基づき、この法に帰するゆえに、この法は最上である、と説明される。 すなわち、この世界は、味土の出現、月・太陽の出現、地苔の出現、耕さずして実る稲の出現、 女・男の性徴の出現、淫法の行為、稲の分割、 ・・・※3 マハーサンマタ王(王族の衆)、バラモンの家、庶民の家、隷民の衆の生起により、成立する。 そして、あるとき、四の階級の衆による沙門の衆の生起がある。 ・・・※4 それは、「現世においても、来世においても、この衆において、法が最上である」からである、と。 このように世界の起源(世起)が説かれ、世界は最上の法(仏の教え)に帰することが示される。 それより仏は、四の階級のいかなる者も、沙門も、身・語・意の善悪業により、その果報を受けること、・・・※5 また、誰も身・語・意の防護によって防護され、七菩提分法の修習によって【現世で寂滅】することを述べ、 最後に梵天サナンクマーラによる「明行足(仏)が最上なり」のよく知られた詩句を引き、 本経を結ばれる。
本経は、生まれによる【バラモンが最上であることを断ち、「世起」(世界の起源)に触れ、 阿羅漢果を頂点にして、いかなる人間が最上であり、いかなる法が最上であるかを】、 根幹より説き明かしたものである。経名の「世起」(アッガンニャ)とは、 「始まり(アッガ)として知られるもの」、あるいは「頂点(アッガ)として知られるもの」である。 それは、世の法(世法)の原点をいい、また、出世間の法(仏法)の原点をいう。 善縁を得て転輪王となり、仏となるものである。なお、ここに知られる 「世尊(仏)の子」「法より生まれた者」という言葉は後代のいわゆる大乗仏教の考え方に、 あるいは「マハーサンマタ王」に関する記述は伝統仏教国の慣習法に、 ・・・※6 少なからず影響を与えたものとして注意されてよい。 先の長部26『転輪王経』とともに読まれるべき貴重な一経である。 ・・・※7 『長阿含経』巻第六(5)「小縁経」(大正蔵一・三六b‐三九a)/ 『中阿含』巻第三十九(154)「婆羅婆堂経」(大正蔵一・六七三b‐六七七a)/ 『白衣金幢二婆羅門縁起経』『(大正蔵一・二一六b‐二二二a)/ 『長部経典』第二七「起世因本経」(南伝蔵八、九七−一一九頁)
──────────────────── カラスが小躍りして使いまわしそうだな・・w けっして、その方面(≒根源、第一因)が言われているわけではないのだが・・・。 以下、(ほぼ)私見〕 ※1:法に依拠して(或いは則って)、ということであり、 具体的にそれ(法)から生まれている(創造された)ということではない。 ※2:1同様、具体的に子であるということでなく、依拠し、依存し、 教えに従って歩む、系譜の者としての子であるのは言うまでもない。 他「釈子」と言われるときも同様。 ※3:社会の、具体的な様々な様相、或いは慣習の由来を、 世界創造の際の出来事にリンクさせて(→その出来事を起源と位置づけて)説明しているもの。 多分に神話的部分。 勿論、世界各地の様々な世界早世神話との共通点から、 何がしかを見出そうとすることも吝かではないにしても。(たとえば聖書(創世記)とのリンク具合など。) また、>稲の分割 とは、財産や土地の協議分割・境界設定であり、そこでの境界侵犯、搾取窃盗が 現在の(財産)争い・犯罪・刑罰等にリンクされている。他も全て、貪・瞋・痴・欲の発生に結び付けられている。 ※4:四姓という区分が崩れた、或いは無い世界は想定されていない。 何回世界が生成破壊されようとも、どの世界でも必ず四姓ある社会と考えられている。 ・・・※8 歴史性・地域性・時代性・文化面での制約を受けている一例。 ちなみに、 >四の階級の衆による とは、各四つの衆それぞれから、 より清浄なる在り様を求めて出家し、それによって「沙門(という立場の者)」が生まれることを言う。 ※5: >それより とは、その後続いて、の意。 ※6:治世者選出と法律の起源とのリンク話 ※7: >ともに → 併せて の意。 ※8:ま、或る意味、(現代社会を見ても、特に貧富、稼ぎの面で)近いものがあると見ることもできるが・・・w
人間がおかしなことをする根拠ぐらいにしかなってない。
691 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 14:51:22.44 ID:Xb6PXxUD
>>689 それとは関係ないけど^^
餓鬼事経ご存知ですよね
餓鬼という他界の特定の存在に回向が届くこと
その回向の善行を餓鬼が随喜しそれを善因として苦しみから逃れる
ということが指摘されているようですね
大乗部の経典には回向に関する記事満載ですがテラワーダにはまだあるのでしょうかね
692 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 15:05:24.42 ID:Xb6PXxUD
>>685 了解です
内容が輪廻否定だったのでちょっと驚きました^^;
693 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/30(土) 15:21:02.66 ID:GhbhVw+c
>>679 ?氏
「意から成るもの」は阿頼耶識ではないという瑜伽師地論のご紹介を有難うございました。
「心より成る存在」とか「意から成るもの」とかが急に浮上しましたが輪廻との関わりが深そうですので
また何か分かりましたらご教示願います。
694 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/30(土) 15:24:13.55 ID:GhbhVw+c
>>686 -
>>689 詳細な片山版の起源経のご紹介を有り難うございます。
>カラスが小躍りして使いまわしそうだな・・w
>けっして、その方面(≒根源、第一因)が言われているわけではないのだが・・・。
カラスさんにご馳走する貴兄は慈悲深い方です。
695 :
神も仏も名無しさん :2013/03/30(土) 15:27:40.44 ID:idRMU0SN
そもそも、仏がハゲの理由さえわかんない
>>486 >なら、お前と親和性の高い宝珠にきこうw
>→「アインシュタインは、神の存在を信じていたと考えるか?」
>上記の提示資料から判断してくれww
>(こりゃ、良い試金石になるwwww)
ごめん!
アインシュタインについては詳しくないので、
「よく、わかりません」m(__)m
ただ言えるとするならば、
アインシュタインはブラヴァツキー著の愛読家として知られ、
常に机の上にはブラヴァツキー著『シークレット・ドクトリン』が置かれていたという。
夫人に対して敬愛していたらしく、そういう逸話から見ると無神論者ではなかった可能性はありかな?と、
私、個人的には見なしています。
恐らくは、既存諸宗教の説く神の概念は幼稚なものとして彼には映り、
とても満足するものではなかった、ということなのでしょう。
それが唯物主義者に見える印象部分だと。
>>574 >2500年の間、この説明に成功した者はいない。(だから、神智学が成立するw)
「廻向」が成就する原理説明となるポイントの一つは、
思考によってエネルギーを方向付けするという“古のオカルト法規”をあげることができる。
多くの神智学徒はこのことをを非常に重視して生活している(霊性の歩みも日常生活も)。
(今、自分は何を考え何を想っているか?それは何に対して何処へと向けられているか?
について意識し、これを在る程度において制御する)
分りやすく、
今時の自己啓発セミナー風にいうならば、
“想いは現実化(実現)する”というフレーズのこと。
698 :
つきみ :2013/03/30(土) 15:58:02.25 ID:Po37Nxqv
天台が一念三千で説明してるが? 食わず嫌いにはこまったもんだ
700 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/30(土) 16:17:36.82 ID:DYPLgkLr
>サイト主は?さんですか?
んなわきゃねえwwww それは曽我のサイトw 確か、 佐野と並んで一代が嫌う
近代仏教研究者の一翼ww
>>696 wwwwwwwwwwwwwwwwwwww
まあ、、お前に振ったことが間違いかw
お前にとって見れば、それが精一杯の回答だわなw
苦しい言い回しの中に何とか、在家を全否定しないようにとの配慮が見えるが
それはお前の優しさとしとくわwwww
701 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 16:23:59.33 ID:Xb6PXxUD
>>699 文字通りに受け取らないでください
象徴ですよ
しかもきちんと師匠について 顕教に習熟した上で
修するべきものです
ヨガナンダの通信教育のほうがずっと危険です
702 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 16:26:50.44 ID:Xb6PXxUD
>>698 なぜかここでは大乗の顕密の教説引用されないんですね^^
て言うか私はむしろ上座部の説明に今興味があったものでして
タイでは在家の信仰の方法といえばまずはタンブンですからね
703 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 16:38:53.59 ID:fgL1T+3p
?さんは守備範囲が広くいつも資料サイト教えていただけるので 感謝感謝です チベット仏教の表現は非常にユニークでバルドにおいて交合仏我出現する段階があり それを目撃したときの心情によって男女両性への転生が決まるとか^^ 交合仏も非常に誤解されやすいのですがきちんとチベット仏教における意味性 文化的な文脈を 理解する必要があります ヒンドゥや日本の神道などでも生殖器の崇拝や 性交のまねをする豊穣儀礼があるのですが べつに日本人が淫乱なわけではありませんので
704 :
ノスタルジア :2013/03/30(土) 16:50:48.58 ID:ml1vh4Ym
宗旨を開くという意味が分かりますか?誰か分かる人いますか?
分かりませんよね?蓬茨祖運という学者さんは選集第三巻でこう言っておられます。
「宗旨は、釈迦はひらかなかった。人間がひらくのである。なぜかというと
仏の教えを学んでさとりをひらいたものが、宗旨をひらいたと言うのであって、
釈迦が八宗とか九宗を立てたのではない。まして官の許しをえて宗を立てるというような
ことはありえないことである。法然上人は、ざっとこのように答えておられる
わけであります。ここに、「仏法に無量の門有り」という意味があります。
この世の衆生のそれぞれの根機に応じて門が立てられたのが釈迦の教法であります。
人間はみな能力も生活の仕方も考え方もちがいます。そのそれぞれの根機に
応じてだれでもさとれるような教えを釈迦は説かれた。だから一律ではない。
無量と言うのです。無量だから無駄な教えはひとつもない。だから釈迦が
宗旨をひらいたのではなく、その無量の教えのひとつに帰命して、さとりを
ひらいた人が宗旨をひらいたと言っているのです。そのひらいた宗旨に従って
修行する人は、その宗旨で定めた根機に相応した人であると言えます。だから
日蓮宗はまちがいで、真宗がほんとうの仏教であるというわけのものでもありません。
無量の門があるということが仏教であります。目的はさとりをひらくということ
であって、そのことについて教えを立てられたのが宗旨です。」
宗旨の辞書での意味
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/103723/m0u/ 禅の板橋興宗はこのようなことを言っています。
「心豊かにする方法は、独創をして、精神的な喜びを感じることである。」
--------------------------------------------------------------------------
これを聞いたとき私は独創とは宗旨をひらくほどの言葉を紡ぐことであり、それが行
つまり修行なのであるということである。つまり親鸞はただ念仏したように見えて
ちゃんと宗旨をひらいておられるのである。それも浄土真宗と云う現代にまで
連綿と続いている宗がです。
>>704 それは
“何でも良かれ”ということにしか過ぎないように思う。
まっ、確かにどの道からでも究極においては(個人により)、
ゴールに達することは可能とは見なすけれども・・・。
>>701 >文字通りに受け取らないでください
>象徴ですよ
性タントリズムの実践のことを知らないのかな?
単なる象徴などでは済ませないから!
まっ、愚か者たちの所業には違いないですが・・・
>ヨガナンダの通信教育のほうがずっと危険です
危険な事柄など指導されてないから。
何もわからないで断定しないように(誤解を生むから)。
ミソも糞も(違いもわからず)一緒にしないように!
“師の直接指導なしは厳禁”を謳い文句にするのは、
偽物や危険なものが流布している巷に対する教訓です。
ヨガナンダの通信指導(の内容)には無縁なこと。
707 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 17:21:01.47 ID:fgL1T+3p
>>706 チベット仏教関連お調べになってください
それときちんと師匠についた顕教に習熟した
修行者が象徴として仏教に移入されたヨーガの手法を
執することと
精神病質かもしれない初心者が身近に指導者も無く
通信講座で呼吸法を独習することとどっちが危険か明白ですけど?
708 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 17:23:25.91 ID:rZBjuxDZ
>>706 チベットに移入されて仏教に採用されているヨーガと
タントリックなヨーガそのものを混同されないようにお願いいたします
709 :
ノスタルジア :2013/03/30(土) 17:26:40.35 ID:ml1vh4Ym
>>705 その後、蓬茨祖運先生はこう言っておられます。
「そういうふうに宗旨というものを考えますと、では親鸞の宗旨とはどういう内容のものであるのか、
ということになります。実は真宗のカリキュラムなのであります。つまり、この宗旨の名は「浄土真宗」
と言う。では教えは何かというと『大無量寿経』である。この経は、仏陀の教えを大別して難行道・易行道
に分け、易行道を説くものである。これが宗旨という意味です。難行道・易行道に分けるということが、
真宗における宗旨の立てかたです。こういう分けかたは、法然・親鸞以外にはしていない
ということを心得ておかなければなりません。われわれの頭の中には、そういう区別がありませんでした。
どの宗派でもそういうことを言うのだと思っていましたが、これは真宗以外に言わない。」
つまりやはり真宗を前提にされて、仏法に無量の門があると言っておられる。
蓬茨祖運と云う学者さんはあくまで真宗の学者さんでありますので、真宗を前提として
話されていることだろうと思います。
710 :
? :2013/03/30(土) 17:40:58.63 ID:Jq3xjp2J
692 サロメ☆ボウディアさんへ > 内容が輪廻否定だったのでちょっと驚きました^^; 輪廻を土台として 輪廻を前提として その輪廻から解脱する為には … //uni.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1356313199/l8 ↑ 追加しておきました (規制で長い文章が書き込み出来ないので…) 屮(_ ._)屮
711 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 17:50:27.25 ID:rZBjuxDZ
>>710 拝見しました
●購入すると連投規制は緩和されますよ^^
輪廻自体にとらわれる必要がないことはもちろんですね
712 :
? :2013/03/30(土) 17:51:03.96 ID:Jq3xjp2J
>> 菩提心である精液が溶け出し > こういうのは辞めた方がいいですよ。 > 精液は菩提心なんかじゃないし、こういった“性タントリズム”なんかに影響されていると > 早々に自己を破壊に導きますよ(確実に魔道に堕ちるから)。 魔道に堕ちる覚悟を決めて実践したいけど 今は教学として勉強している段階で御座います (御教示,頂き有り難う御座います) 屮(_ ._)屮
713 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 17:56:24.10 ID:rZBjuxDZ
>>707 >それときちんと〜
いいたいことは分りますが、
“そんな象徴”を故意に用いようとする精神状態がすでに危険に陥っている、と。
もちろん、交合仏が象徴というのが正統派の見解であることくらいは私も分っています。
しかし、「精液が菩提心」はマズイでしょうよ!どう見ても。。。
そういう感覚そのものが“すでにズレを生じてきている証拠”なのですよ。
そういうことです。
>精神病質かもしれない初心者が身近に指導者も無く
>通信講座で呼吸法を独習することとどっちが危険か明白ですけど?
ですから、
“危険な内容”とはなっていないといってるのです(万人にとって)。
とにかく、中身を「知らないで」ものごとを断定しないように。
(この件はもう終了にしますが)
715 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 18:11:29.36 ID:rZBjuxDZ
>>714 ヨーガではありふれた言い回しです
ヒンドゥからヨーガを取り入れたときに移入されただけ
って言うかご自身でご確認ください
ウィキレベルの知識です
あなたは先入観が強すぎるようですね
716 :
? :2013/03/30(土) 18:13:25.82 ID:Jq3xjp2J
//rdor-sems.jp/ チベット仏教ゲルク派 これからも,しばらく教学として勉強した,その後で ゲルク系などの瞑想とかを実践してみたいです( ← たぶん : 無我 ・ 縁起 ・ 空 : の観察) (今は,とりあえず,教学として勉強していく所存で御座います) 屮(_ ._)屮
717 :
つきみ :2013/03/30(土) 18:15:30.66 ID:Po37Nxqv
僕は浄土系は大乗とは思えない。 何故なら利他がないからね。 唯一の言い訳は、還そうだけど、現証がない。いまだにね。
718 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/30(土) 18:18:22.76 ID:GhbhVw+c
>>716 ?氏
屮(_ ._)屮 ←ワンピースのチョッパーに似てますね。
719 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 18:23:26.70 ID:rZBjuxDZ
>>717 解脱してからでしょ浄土方面の利他は
融通念仏はどう?
浄土系念佛系の大乗はこのよで悟りは無理と理解したうえで作られたんだよ 念佛すれば菩薩界に生まれ変わり、菩薩会で修業してさとるという 一般人向けだから広まった
721 :
つきみ :2013/03/30(土) 18:47:53.63 ID:Po37Nxqv
>>721 あたりまえということは
浄土系=大乗があたりまえということだね
>僕は浄土系は大乗とは思えない。
723 :
つきみ :2013/03/30(土) 18:57:10.79 ID:Po37Nxqv
724 :
ノスタルジア :2013/03/30(土) 18:57:15.96 ID:ml1vh4Ym
>>717 蓬茨祖運選集第三巻から引用
「小乗というのは、『十住毘婆沙論』では二乗と言われています。この二乗は、
自らの迷いを残るところなく断じてしまうというさとりです。その二乗のひとつである
声聞は、自分だけさとる。他をさとらせるということがないから小さな乗りものということで
小乗と言います。その小乗のさとりにおちいるのは、迷っているよりひどいのだと
龍樹は言います。迷っている人は、やがて迷いをはなれることができるけれども、
迷いの尽きてしまった者は、ほんとうにさとるということがないわけです。
つまり、独断的な境地におちいってしまって、さとったということの証明を
もてないわけです。自分でしかさとったということがわからない。ほんとうに
さとったのだという証明がどこにもない。仏陀在世のときは、阿羅漢をさとったということは、
仏陀が証明するわけです。しかし、仏陀がいなくなると、証明するものがないから、
自分だけさとったと思っていても、それは独断だということになってしまうわけです。
それは、迷っていることよりもまだ救いがたいということです。菩薩が初地に至ると、
そういう小乗のさとりにおちいることはないから、不退の位、つまり 阿毘跋致の境地に
至ると言うのであります。」
>>719 >>融通念仏はどう?
一遍上人って以外に物書きなんですね。
>>720 蓬茨祖運選集第三巻より引用
「ただ浄土というときには、自力成仏の教えで説かれる浄土もあるわけです。
その場合は低ければ仮土です。穢土よりも優れているという意味の仮土です。
仮りの浄土になるわけです。高ければ理想です。自力の修行が成就してはじめて
あらわれるところの浄土になるわけです。いま仏の願力に乗じて往生するところの
浄土であるが、その浄土はながく煩悩の絶えはてた浄土である。煩悩の絶えはてた
というだけならば、声聞のさとりも煩悩が絶えているのですが、この浄土は
どこまでも菩薩のさとった世界であります。」
726 :
つきみ :2013/03/30(土) 19:06:51.41 ID:Po37Nxqv
727 :
つきみ :2013/03/30(土) 19:09:30.02 ID:Po37Nxqv
それに中有どころか葬儀の必要もないのに、聖道門の真似して、金儲けしてる。
728 :
つきみ :2013/03/30(土) 19:12:46.94 ID:Po37Nxqv
親鸞の信は、師 法然に対するものだしね。
. 戯論長者 = カラスの唄 (爆笑) .
730 :
ノスタルジア :2013/03/30(土) 20:04:29.55 ID:ml1vh4Ym
>>727 金儲けというが、私も真宗門徒であるが、私の血脈は金儲けの家族であるとは
全く思えない。一生懸命仕事している、そのお布施をいただいているように
見える。私はそのような敵意の見方による意見に悲泣する。これ以上私を
落としたらこの末は乞食しかない。乞食になれとでも?そういう仮想にも悲泣する。
728にしても720にしても705にしても、どこか恨みを剥き出している
人相が見える。
もともと私は利他のために掲示板投稿しだした、その利他行をする私の所属する
浄土門を敵視することは、私を敵視することと同等であり、その敵視された
私は何を思うのかと言うと、あなたたちはもっとドグマやカルトを少なくとも
黙殺し、もっと世法を黙殺し、仏法の無量の門を一人一人が宗旨をひらけばいいのではないだろうか?
そのためには言葉を紡ぐことをしなければならない。何経を君らは信じて、
世人のためにどのような宗旨をひらく?
731 :
? :2013/03/30(土) 20:07:55.29 ID:Jq3xjp2J
Ψ■■■¶ ν └■■■¶┘ ■■■■■¶ .oO○ ( Θ Θ) /ヾ__ ↑丿ヽ ∠イ ''' ̄'├ヾゝ ■■■¶ ▼ ▼ " "
そういうキャラ(―そういう側面も持った人物―)だとは思わなかったわwwwww
>>731 少し見直したよw
733 :
? :2013/03/30(土) 20:24:25.22 ID:Jq3xjp2J
>>718 前世は一在家さんへ
> 屮(_ ._)屮 ←ワンピースのチョッパーに似てますね
他のコミック・アニメはともかく
ワンピースは,まったく見たことがありません 屮(_ ._)屮
734 :
つきみ :2013/03/30(土) 20:26:39.79 ID:Po37Nxqv
>>730 いや、宗教に金を出す事は否定しない。
真宗の場合、宗旨的に不要な、否定すべき儀式を行い、それで金銭を要求する。
この事が問題なんだが、気付かないのかい?
735 :
つきみ :2013/03/30(土) 20:31:36.34 ID:Po37Nxqv
そもそも、宗教ってのは、自己完結するものだが、浄土系は聖道門のアンチテーゼ。 聖道門無しには成立しない。
736 :
つきみ :2013/03/30(土) 20:40:06.20 ID:Po37Nxqv
浄土系なら、死後阿弥陀さんが浄土に迎えてくれる。 その感謝の念仏でしょ。 なんで、聖道門の真似して金儲けする?
737 :
ノスタルジア :2013/03/30(土) 20:40:59.91 ID:ml1vh4Ym
>>734 じゃあ、あなたは、葬儀で僧侶がいなくなってもいいと思っているの?
浄土真宗の僧侶がいなかったら、葬儀が回らず、BGMを流しながら葬儀を
終えることになるんだけど、いいの?実はそのような葬儀ってもうあるんだけどね。
否定すべき儀式って葬儀のことだろ?
>>735 浄土門は易行道。聖道門は難行道。そして易行道があるから難行道があるのであり、
その逆はないという結論付けが正しいと蓬茨祖運は言ってたし私もそう思う。
738 :
ノスタルジア :2013/03/30(土) 20:47:15.69 ID:ml1vh4Ym
>>736 世法が仏法を認めないと駄目なんだろうね。そうしないと世間的に
浄土真宗は保護されない。宗旨が保護されないなら、それに従う僧侶も保護されない。
私が思うに、東本願寺よりももっとデカい建物を日本中に建てまくって、
浄土真宗とそれに従う僧侶を保護するべきであり、それを信仰する人々との
絆も頑固にするべきである。今すごくばらばらになってきている。このままでは
破滅する。法難というんだけど、まあ私はなんとか法脈(=血脈)を絶やさず
やっていくつもりだが、根本的に改革すれば、とりあえずあなたの要望は叶うだろう。
つまり図書館のように自由の利く建物が建築されればいいのであろう。
739 :
つきみ :2013/03/30(土) 20:47:25.09 ID:Po37Nxqv
>>737 釈迦はサドなのかいw易行道が先なら、聖道門なんてサドじゃんかw
馬鹿馬鹿しい。
740 :
つきみ :2013/03/30(土) 20:50:16.82 ID:Po37Nxqv
>>737 浄土系には僧侶はそもそもいない。
戒を受けてないからね。
だから、戒名じゃなくて、法名。
741 :
ノスタルジア :2013/03/30(土) 21:01:15.42 ID:ml1vh4Ym
>>739 釈迦は聖道門の菩薩だったって決め付けてない?
仏法には無量の門があって、その内の聖道門と浄土門のことを言っているだけ
であり、その初めに言った人が曇鸞大師なんだけどね。
つまり釈迦はどのような菩薩だったかなんてわからない。なにせ、仏教の開祖
なんだから、すごい菩薩だったんだろうけど。
だからばかばかしくないですね。
>>740 それはそうだけど、法名は私の場合、生まれてすぐについた。
つまり法名と俗名が一緒。正式に言えば9歳の得度のときに法名としての
俗名になったんだろうけどね。まあとにかく得度するから僧侶なんだよ。
その儀式の中で、法名を授かるんだけどね。
742 :
つきみ :2013/03/30(土) 21:06:05.23 ID:Po37Nxqv
>>741 ああ、そういう事か。商売を邪魔して悪かったね。
最近の坊主は 戒名作成ソフトを使うらしい なんだ戒名て
744 :
つきみ :2013/03/30(土) 21:11:38.68 ID:Po37Nxqv
明治以降、仏教者は評価されていない。 何故なのか?
745 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 21:18:30.32 ID:rZBjuxDZ
>>720 阿弥陀の浄土ですよ 菩薩界ではないです
>>744 もともと仏教者は評価されないね
目指すものは空だし
今生で体得できる人が稀だし
評価する方がおかしい
747 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 21:28:29.00 ID:rZBjuxDZ
あと念仏も題目も天台宗の延暦寺などで鎌倉以前から修せられていた行法ですし最初は 弥陀や浄土を観想する行法でした 浄土系経典の成立自体も古いです 末法思想に乗じて日本で拡大しただけではないですかね
748 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 21:32:24.10 ID:rZBjuxDZ
>>744 維新政府の廃仏政策 近代化に伴う迷信排撃 国家神道の優先
信仰の自由が制限され天皇制と国家神道以外の宗教に向けた近代合理主義の批判
などなど きわめて政治的な問題と思われます
749 :
神も仏も名無しさん :2013/03/30(土) 21:42:42.08 ID:BqSvKtDP
出家できない人々の心を救おうとする浄土宗にも価値があるだろ。
悟りを目指す人がいる一方、現状においてそれができない人々に、
阿弥陀如来や菩薩を説いて人々に安らぎを与えてきたのは事実じゃないの?
社会的貢献度から見ても、衆生の心の救済に特化した浄土宗の方が高かったと思うがね。
ようするに、一方が正統であり、一方は必要無しと切り捨てていいものとは思えないな。
>>746 そもそも、仏教ではなく、仏道だろ。
何かをを体得するのが目的であって、宗教とはちょっと違うものだ。
まあ、浄土宗は仏教でもいいと思うが、しかし、別にあって困るものでも無いだろうに。
. 浄土門浄土門と言っている様だが.浄土宗からみたなら.浄土真宗は無関係ですので. . あしからず
>>660 はい、そのことです。
『汝は年老いた。糞掃衣は重いから家主の衣を着、請ぜられたるを食し、我が傍に住せよ』
(論文 『頭陀行に関するエピソードの検討』より)
これだけですと、私にも漠然としていてよく分らないし、なんだかただのゴータマからの心優しい薦
めとしか映らない・・・。
確かにこれは、“心優しい薦めと思いやり”であることに間違いないでしょうが、しかし、その背景に
ある真意というものを察するならば、これは、ゴータマの提示した「中道」という仏教理念と姿勢という
ものと、そうではない古代からの伝統的頭陀行に対して頑なに固執しているカッサパとの対比として
明確になる部分なのです。
要するに、“そこまで厳格性である必要性はない”とゴータマがハッキリと諭しているにも関らず、そ
のことを頑として聞き入れないカッサパに対しては、最終的には、「では、どうぞお好きにされて下さ
いね」としか云いようがないでしょう。カッサパは“それが好きだから”とも返答したらしい。
(下記に一部転載する)こういった説明のほうが、当時の出来事をよりリアルに浮き彫りにしている
ように、この私には思えます。
1/2 『こういった頭陀の生活実践は、本来の出家修行者としては当然の習慣でしたが、教団が発展する につれて、比丘たちは僧院に定住するようになり、寄進された綺麗な僧衣をまとったり、招かれて信 者の家で食事の供養を受けることも、ごく普通となっていきます。ですが、カッサパは、そういった新し い変化を好まず、出家修行者本来の頭陀行をかたくなに守り続けていたのです。 そんなカッサパに、ある時、釈尊は、こう声をおかけになりました。「カッサパよ、そなたも年老いたこ とだから、そのような粗末な糞掃衣を身にまとっていては重いだろう。そなたはもうそんな衣を着ない でもよい。供養の食事に招待されたら受ければよいし、なるだけ、私の傍にいるがよい」と。ですが、 カッサパは、その釈尊の勧めを断って、頭陀の行を続けたいと応えます。 「カッサパよ、では、そなたは、どういうつもりで頭陀の行をやっているのかね」との釈尊の問いかけ に、カッサパは、こう応えます。「大徳よ、ひとつには、このような生き方が私には楽しいのです。また 今ひとつには、私がこのような生き方をすることで、いささかでも、後の人々に教えるところがあれば、 うれしいと思いまして」と。そこで、釈尊は、「よいかな、カッサパよ、では、そなたの思うままにするが よかろう」と、カッサパの頭陀行を許されたのでした。
2/2
頭陀は、いわば苦行に属します。釈尊は、苦行を捨てて中道を歩んだ人でしたから、必ずしも頭陀
行を強要されたわけではありません。人は、それぞれの能力に応じて、相応しい道を歩めばよい。そ
う教えてこられたのが釈尊です。だからこそ、相応の理由があって頭陀の生活が自分には向いてい
るという人には、その生き方を認められたのです。
以前、デーヴァダッタが、比丘たちに頭陀行を徹底してほしいと釈尊に申し出たときのことを思い出
して頂きたいのです(『菩提樹』第23号)。釈尊は、デーヴァダッタにも、同じようにお応えになっていま
したね。インドの伝統的な苦行の道を尊ぶという意味で、デーヴァダッタとマハーカッサパは、同類で
した。そのため、デーヴァダッタの追従者たちとマハーカッサパの追従者たちの間には、いわば近親
憎悪とでもいうような感情があったのではないかと思います。』
参考:
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/shiunji/yowa/yowa25.html
>>749 あることは良いけど理解することの方が重要かな
結局方便だから、何とか界にいくんだと行っても
ウソをつて人を動かすと言う罪を持ちながら行くんだよ
宝珠愚者@(規制代行)
>>709 大乗諸派の発生発展というのは、
ゴータマ教示の勝手解釈で(なんでも良かれ的に)展開されたものだ、
というのが私の基本的な姿勢です
(もちろん、正しい部分の継承や良き教えも沢山含む)。
真宗が在家の育成指導を主眼とされていることについては、
私も良いことだと評価しますけれど・・・。
今の時代 悟りを目指す人はいないね 禅の坊主が言ってるように 今の今を生きろだね
>>709 大乗諸派の発生発展というのは、
ゴータマ教示の勝手解釈で(なんでも良かれ的に)展開されたものだ、
というのが私の基本的な姿勢です
(もちろん、正しい部分の継承や良き教えも沢山含む)。
真宗が在家の育成指導を主眼とされていることについては、
私も良いことだと評価しますけれど・・・。
758 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 22:03:15.14 ID:fgL1T+3p
>>749 まぁ諸宗派のお宝鑑定は意味がないと思いますしw
現代では嘘や不十分な部分はすぐにばれてしまいます
日本仏教もこれからはチベット方面や南伝方面に刺激され
よい方向に変化していくと思いますね
759 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 22:06:14.30 ID:fgL1T+3p
>>756 南伝方面やチベット方面をまじめに取り組んでいる方はたくさんおられるし
解脱そのものが安直に出来るはず無いものでしょ
道元禅師のように輪廻の果てに解脱に達することが出来ればいい
それくらいで十分ではないですかね
それと禅の坊主の方法論は現代では不向きな部分も出てきています
760 :
神も仏も名無しさん :2013/03/30(土) 22:11:10.71 ID:BqSvKtDP
>>754 たとえば、今、死の間際にいて、
たとえ嘘かもしれないけど、輪廻のことやカルマの話を聞き、
その上で、南無阿弥陀仏と唱えれば極楽往生できると言われたらどうかな?
死への恐怖は和らぐと思うが。
俺だったらそれを法螺話だと思っても信じるね。そして、穏やかな気分で死ねると思う。
761 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 22:15:01.84 ID:fgL1T+3p
>>760 バルド・トドゥル チベットの死者の書
読んでおいたほうがいいって^^
絶対に役に立つから^^
>>760-761 ポイントは、用いられる言葉やら概念やらが、
「当人にとって馴染んだものでなければならない」だろう、ってとこだろうな・・。
763 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 22:24:17.25 ID:fgL1T+3p
>>762 きちんと文化としての翻訳がされれば問題ないでしょ
現代は情報量も多いし教育水準も高い 価値観も多様だからから 日本ならね
764 :
神も仏も名無しさん :2013/03/30(土) 22:25:01.57 ID:7VJC1EJP
>>758 >日本仏教もこれからはチベット方面や南伝方面に刺激され
>よい方向に変化していくと思いますね
チベット仏教と南伝仏教とはオウムの宗教。このスレには、既に
オウムが何人かいる。
どの宗教でも、キリスト教、特にプロテスタントの影響を受けると、
「例外なく」カルト化しているのが実情。君がその好例。
日本にオウムの宗教を持ち込むな。
>チベット仏教と南伝仏教とはオウムの宗教 チベット仏教と南伝仏教の他に仏教って禅位しかないがw?
766 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 22:30:32.94 ID:fgL1T+3p
>>765 天台 真言 浄土系 法華系 日本ではメジャーでしょう^^
>>762 死に際に必要な心の安らぎや信の必要性という意味では、
セブンのこの指摘は正しく、そして、とても重要なものかと。
例えばクリスチャンにとって、
いくらチベットやタイの高僧を凄く有難いこととして連れてこられても、
普段から信じて尊敬している教会の神父や牧師にめとってもらうこと以上のものにはならないでしょうね。
彼らは、どうにかしても神父に間に合うように来てもらおうと必死になるらしい・・・。
768 :
神も仏も名無しさん :2013/03/30(土) 22:38:23.79 ID:BqSvKtDP
>>761 といわれても、坊さんではないからなあ。
ただ、人間や社会にとって宗教とはまだまだ重要だと思い始めている者です。
>>762 禅宗だろうが、浄土宗だろうが、社会において相互に補完し合うものだと思うわけです。
これが、禅宗だけになると、カラスさんではないが、
仏教とは道徳すら空なので守る必要がないと説く危険な宗教へと変貌する可能性が出てきます。
このような悟りは誰に対しても一般化して説くべきものではないかもしれませんが、
往々にして悪貨は良貨を駆逐してしまうものです。
>>763 >文化としての翻訳
重要だよねぇ・・w
特に政治やお役所関係って、横文字カタカナ語多用するけど、
結局馴染まないことが多いもんな・・w
で、実は仏教語も同様なんだな・・・。
漢訳語は(原意が変わってしまいがちとか、語義が広過ぎ散漫になるとか、余計なニュアンスが付随してしまうとか)
批判され易いけど、日本に於ける馴染み具合は半端ないからね。
770 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 22:39:06.82 ID:fgL1T+3p
>>767 カトリックはね
プロテスタントはそうでもない
771 :
神も仏も名無しさん :2013/03/30(土) 22:46:38.40 ID:7VJC1EJP
>>765 >チベット仏教と南伝仏教の他に仏教って禅位しかないがw?
君自身がオウムだから、そう思っているだけ。
772 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 22:52:02.23 ID:fgL1T+3p
>>769 団塊世代がいなくなれば檀家制度も危ういから
日本仏教の試練だけど飛躍の機会でもありますね
上座部もチベット方面も地道に熱心な信者集めてるから
日本仏教もがんばる余地はあるでしょう
サロメ異教徒に励まされた ノスなんか言え
774 :
神も仏も名無しさん :2013/03/30(土) 23:05:03.96 ID:X6hfDbJh
>>724 >声聞は、自分だけさとる。他をさとらせるということがないから小さな乗りものということで小乗と言います。
>迷いの尽きてしまった者は、ほんとうにさとるということがないわけです。
この蓬茨祖運はアホだろう。
悟るとは無我→自他不可分別だから、自他分別意識がある限り悟ってはいないからだ。
『他をさとらせる』などという意識がある限り悟っていないのだから、そもそも大乗の弁明は無明仏教の自己証明というべきだろう。
菩提心自己が悟達するにおいて自他分別の悟りはありえない。
ましてや大乗名目の小乗非難はナンセンス過ぎるw
また逆に言えば、小乗⇔大乗にこだわっている限り、悟りはありえない。
大事なことは直接現実を体得することだ。
また、迷いの尽きてしまった者には涅槃しかない。
たとえば、キリストだ。
775 :
神も仏も名無しさん :2013/03/30(土) 23:12:58.83 ID:X6hfDbJh
>>675 (カルト在家)
>「一切皆苦」の一切には仏を含まず。
含みます。なぜなら、一切皆苦は一切皆苦ではありません。これを一切皆苦と名づけるからです。
あなたには「無理』でしょうがw
>「諸行無常」の諸行には涅槃は含まず。
含みます。諸行=一切行=間接現実一切(相応部35-23)=直接現実であって、しかもそのような「想い」からの解脱における解脱(SN.1072が仏法だからです。
涅槃も“非無常非恒常”の如く、非“寂静非喧騒”の如くが当然です。
あなたには「無理」でしょうがw
>「四法印」は主に有為法に対する説法だったようですが
有為⇔無為分別そのものがナンセンスです。
アナタには「無理」でしょうがw
>「心より成る存在」は「仏種」なのか否か、阿頼耶識なのか否か
仏法は検証不能の一切外自性妄想主義ではありません。
アナタには「無理」でしょうがw
777 :
神も仏も名無しさん :2013/03/30(土) 23:14:35.69 ID:3n84UCgg
あげ
778 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 23:14:53.39 ID:fgL1T+3p
779 :
ノスタルジア :2013/03/30(土) 23:18:15.48 ID:ml1vh4Ym
>>773 名言を言います。「嫌なものは嫌なのである」
>>774 働くアホ、宗教バカは、みんなに共通すること。
名言を言います。「可笑しいものは可笑しいのである」
780 :
1/2 :2013/03/30(土) 23:20:53.55 ID:2IL8DLu9
>>691 「回向 pariNAma(na)」としての(語としての)ものは無い。
南伝索引にも「回向」の語はない。「pariNAmeti」の項に「廻興(回向)す」と、及び
【〔廻向思想〕として】22巻下p216、25巻p59,67,68、58巻p43、59巻下p135,136 とあるだけ。
(22巻は増支部、25巻は餓鬼事経、58巻は論事、59巻はミリンダ王問経。)
つまり、誰も(直接的に)「回向」と訳していないということ。
おそらく、「pariNamati」(に類した)言い方がされている部分が、それにあたるだろうし、
趣旨として「後代及び大乗で言う“回向”」と見做すことはできる。
たとえば、(最もよく用いられるものとして)慈経の47(Sn146-147)、49‐50(Sn149-150)などは、
回向の原型とよく言われるが、現在言われるような(或いは下記書籍のような)「回向」と100%被るものではない。
http://www.amazon.co.jp/review/R13M0V2K67WNK2/ref=cm_cr_pr_cmt?ie=UTF8&ASIN=4336048053&linkCode=&nodeID=&tag=#wasThisHelpful 尤も、著者はスマ派だけど・・w
*だから、スリランカ仏教(少なくともスマさん)によれば、「喜び・随喜」が、伝達作用し得る理由らしいですよw
*現時点でレビューが4つ(コメント2つ)。それぞれ面白い意見が並んでるw
少し話を前に戻せば、そういう意味で
(→―萌芽として、源泉として、初期値として、基礎基盤として、遡及し得る原点として―)
パーリ三蔵でも大乗をカバーし得るであろう、ということ。(少なくとも片山さんはそう考えている。)
(尤も、ブッダゴーサ等は、もっと強いレベルで、「これのみでよし」だったろうと思うけど。)
781 :
1/2回向論再批判 :2013/03/30(土) 23:21:58.49 ID:X6hfDbJh
>>697 (オカルト宝珠)
>「廻向」が成就する原理説明となるポイントの一つは、
>思考によってエネルギーを方向付けするという“古のオカルト法規”をあげることができる。
それなら、カルト・マヒカリの手かざしも「廻向」になってしまうのでしょうw
マヒカリには「空」思想なんてあたっけw
しかし「廻向」なるものは結局「業報輪廻転生論」と表裏一体の検証不能な一切外妄想でしかない。
まさしく<混ぜるな!危険>の間接現実一切外と直接現実の混同です。
特に「廻向」論は“難でも有り”の誤謬「空」思想(般若経)を持ち出すコジツケでしかなく、いっそうタチが悪い。
回向論者は『 安らぎに帰して、善悪を捨て去り、塵を離れ、この世とかの世とを知り、生と死とを超越した人、
──このような人がまさにその故に<道の人>と呼ばれる。』(Sn.520)に反します。
倫理、道徳、法律、規則その他の共同幻想規範は間接現実(世俗)における相対基準(上記の塵)でしかなく、
ブッダの本懐である根源的な実存苦の超克とは異なります。
回向はあくまで二項相対間接現実での共同幻想内(善悪)での妄想です。
あくまでも世間でのイイ人(good mind)のハナシです。
回向心は世間での二項相対の善き事を願う祈り→一切外への信仰でしかありません。
あくまで、間接現実=世俗諦(*勝義は諦ではありません)での様相です。
善悪、美醜、快不快の二項相対感情です。
いくら世間で功徳を積んでも、縁起の直接現実では「無功徳」です。回向はあり得ません。
ブッダはまさに縁起の直接現実(あるがまま)に随うこと、受け入れることで
<道の人>として根源的な実存(←方便)苦を超克することを勧められます。
一切外信仰に従うことは仏法ではありません。
782 :
2/2 :2013/03/30(土) 23:22:40.78 ID:2IL8DLu9
いずれにしても、 内容、構図、事象として、【「回向」的なこと】は述べられているけれども、 そのものズバリな回向が述べられることはない。 (この辺は自業自得の原則に忠実であると評価することもできるが。) 寧ろ、慈経に象徴されるように、慈悲心、慈しみの心・想いが重視されていると言える。 勿論、現状(実際の在家信者の信仰の様子)は趣を異にしてくるけれども。 それでも、今我々が意識しているような(或いはそのような強い利他として)、 「自分が積んだ分を送り届ける」といった形が打ち出されているわけではない。 *(基本骨子として、「与える、送り届ける」ものではなく、 本人に『積ませる』(→本人に善行をさせる)ものである点は留意されていい。 そして、積むことができない・困難な場合に特に、(下記石井書タイ事例p110,126のように) (主に水を用いた)「転送儀礼(クルワット・ナーム)」がなされる、と。 **(ここで「送り届ける回向」とほぼ同義で用いられているのが 「ウティッuthit(転送)」(Skt:uddhisya)という語らしい。) 参:「タイ仏教入門」(石井米雄/めこん選書1)p114-p127 他:「ビルマ仏教―その実態と修行―」(生野善応/大蔵出版) 「もっと知りたいミャンマー」(綾部恒雄・石井米雄/弘文堂) それは、「回向」という概念が無いのではなく、積極的位置付けが無い、ということになろうかと思う。 今現在、「回向」(という考え方)が前面に押し出されているのは (―上座部教義として明確に述べられているケースがあるなら―)、 それは、布教の場が日本(≒北伝仏教圏)であることに大きく依存していることもあるのではなかろうか?
783 :
2/2回向論再批判 :2013/03/30(土) 23:24:07.35 ID:X6hfDbJh
>>697 (オカルト宝珠)
回向はあり得ません。
なぜなら、功徳は功徳と分別したとたんに功徳ではなくなるからです。
『功徳は功徳ではなく、回向は回向ではありません。 ゆえに、功徳・功徳といい、回向・回向というのです。』(金剛般若経参照)
ゆえに無功徳であって、回向そのものが成り立つ余地がありません。
・また善業の回向ができるのなら、“悪業の回向”も可能なはずですよね(復讐するは我にあり)
昔の悪業回向の“丑の刻参り”=呪詛もOKのはずです。
・さらに回向を受ける側にとっては信仰見返りに「御利益」を期待させる我執「取引」に他なりません。
まさに無明というべきです。
回向論は仏法の縁起=空=中道とは両立しないナンセンスなご都合主義でしかありません。
784 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/30(土) 23:30:48.45 ID:DYPLgkLr
まったく、大王は容赦なしだなwwww
785 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 23:36:20.34 ID:fgL1T+3p
>>780 >>782 わざわざありがとうございます^^
>*だから、スリランカ仏教(少なくともスマさん)によれば、「喜び・随喜」が、伝達作用し得る理由らしいですよw
> *(基本骨子として、「与える、送り届ける」ものではなく、
>本人に『積ませる』(→本人に善行をさせる)ものである点は留意されていい。
これは法華さんのサイトでも指摘されていました
ただ随喜の伝達には回向が必須であることと
それと特定の故人に向けられることが重要だと思います
タンブンも故人に向けて行われたりもしているようですから
786 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 23:38:37.47 ID:fgL1T+3p
>>784 えwwどこが?^^
セブンはきちんとじょうざ仏教権の実態を踏まえてるけど回向しらずの閻魔って
単に自分の概念書き込んでるだけじゃないですか^^
>>785 >ただ随喜の伝達には回向が必須であること
それは少々おかしくないですか?
前掲書によれば、
『(或る功徳が)随喜(喜びの伝達)によって「回向」となる』というもの(システム解説)でしょ?
これって卵が先か鶏が先か以上のループじゃね?
回向によって随喜があるの?随喜によって回向があるの?
それとも、隠居の言うように「相依だから同時に成立」するの? (´・ω・`)
788 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/30(土) 23:42:58.92 ID:DYPLgkLr
>>786 無分別という仏教の一つの視点から見ると、そういう見方も
あるってことだよw
それを世俗の習慣にダイレクトに適応させることの是非はともかくとしてねw
789 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 23:43:06.07 ID:fgL1T+3p
>>783 パーリ聖典にも餓鬼への供養(回向)についてのものがあります
大乗経典は言わずもがな
回向も対象が受け取らなければ効果はありません
また僧侶が呪詛めいたことに関与はしないでしょ^^
さらに回向は対象者が喜び幸せになることで 回向する側にも善果があります
それは日常での善行為と同じです
北伝と概念は違うにしろ回向が存在することも南伝 そして総体としての仏教の現実ですよ
回向しらずの閻魔君^^
790 :
神も仏も名無しさん :2013/03/30(土) 23:43:47.42 ID:X6hfDbJh
最近は悪友どもの呼び出しで悪行に忙しい。 今日は遅くなったから風呂上りに書いたけど、 アカン眠い。乱筆失礼! 寝るわ、お休み。
791 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 23:47:28.69 ID:fgL1T+3p
>>787 この世界から回向する側が善行為の功徳を対象に送ることによって
この場合は対象になった餓鬼が随喜するのですから
回向が先であり必須ですね
792 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/30(土) 23:53:04.43 ID:fgL1T+3p
>>788 うんうんそれでもいいけど
回向を否定は出来なくなりましたね
ハイ終了♪
793 :
神も仏も名無しさん :2013/03/30(土) 23:56:02.63 ID:Vg+ZboXW
>>751 窘める、とはニュアンスが違いますね。
あなたは礼拝の否定、という形に絡めていますが、それも誤り(飛躍)です。
信者に無理をさせない=帰依対象の相対化、ではありません。
イスラム教では妊婦などは断食や巡礼を免除されます、
正教会では立って礼拝をしますが、老人や障碍者は座れます。
さてアッラーやキリストは絶対ではないでしょうか?
794 :
さあ、はった、どっちもどっちも :2013/03/30(土) 23:56:10.80 ID:KIoAgST/
795 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/30(土) 23:57:41.98 ID:DYPLgkLr
>>792 何だい? 否定って?www
オレは、仏教という宗教において、そのような慣習があったことを否定した
ことなどありませんが?ww
なるほど。 けど、ケースバイケースではありますね。
(少なくとも前掲書によれば)
回向なき随喜はありえても、随喜なき回向はありえないことになるのですから。
*個人的には、この「喜・随喜による」というのは、
“巧み”ではありますが今一つ物足りないですけどねw
蛇足:
尤も、 どうして「喜び」が(時空を超えて)届くのか? は
依然説明されないわけですが・・・(^^;
>>792 別に閻魔を擁護するわけじゃないが、
例えば、今、選抜甲子園やってるが、必ず勝者と敗者がいる。
このとき、「勝ち負けなぞない。双方ともに勝者である」という言明は、
(【両者の在り様をそのまま評価したときに】)成立する。
が、勝ち負けが無いということは、【実際問題の上では】ありえない。
どちらかが勝ち上がらなければ大会が成立しないから。
こういう意味で、前者の謂いが閻魔から(そして各種禅系の言辞も同様に)言われている。
それが、聖俗二諦ということなんだけどね・・。
797 :
神も仏も名無しさん :2013/03/31(日) 00:13:06.04 ID:3ZQbEBVE
仏像否定の人は自分の中で作り上げた「偶像崇拝」のイメージに囚われているように見えます。
反感とイメージのツギハギ、そんな感じがします。
例えば
>>23 。
旧約聖書的では女神アシェラトを象徴する柱が否定されています。人や生物の形に造形されていなければ偶像でない、
というわけではないのです。天地万物への礼拝もアウトです。
神道ももろに抵触します。あと
>>30 ですが、クリスチャンにもイスラム教のカアバへの礼拝を否定する人がいます。
アラブ多神教の聖地を引き継いだもので、現在外側に嵌め込まれている黒石もまた
以前の宗教の重要な聖物だったからです。
ヒマに飽かせて今度は仏教スレッドですか? クリスチャンなのによくやりますねえ 宗教の話題をツイートしてればパラサイトシングルの罪を贖えるとでも思ってやしませんか? 神も親御さんもあなたのまともな勤労生活を望んでおられますよ 明日の日曜広告みて近所のスーパーや倉庫に自転車で履歴書を持っていきなさいな
799 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/31(日) 00:24:05.98 ID:+w9M544B
>回向も対象が受け取らなければ効果はありません ???? これはそういうものなのかい? >仏教徒諸氏w 回向ってのは、対象が受け取る、またはその効果云々、というよりは それを行う側の心情が問題であって、利他の精神を持つこと自体が重要であり 対象の受容とか効果など二の次、三の次なんじゃねえの? はっきり言えば、どうでも良いことw 達磨が武帝に対して放った一声、 「無功徳」ってのもそういうことでは?w ・・・・・「効果に思いを馳せるんじゃねえよ」ww
>>781 回向をする人、阿弥陀さんにしろ、釈迦にしろ、この人たちは心に傷がまだ
残っているのではないでしょうか?
その意味では悟ってないともいえるんでしょうか?
心に傷があって初めて人の傷が解るんだと思うんです。
だから釈迦は誰にもわかってもらえないかもしれないと思いながら、
それでも自分の悟りを人に回向(表現)しようと思い立った(信決定)
んでは?とか考えてます。
心の傷が治ってないからこそあんなに長い間、人に説いて回ったんでは?
阿弥陀さんもいまだに回向し続けているということは、心がまだ血を流して
いるんではないでしょうか?
一切外妄想失礼しましたm(__)m
801 :
神も仏も名無しさん :2013/03/31(日) 00:28:03.54 ID:3ZQbEBVE
釈迦がパリッタは認めるけど、加持祈祷を認めなかったのは、 パリッタは自分自身が対象であり、見返りを受け取れるようなものじゃないからかもしれないですね。 収入になると色々とそっちに引っ張られてしまいそうな気はします。 プラクルアン作るのはどうなんでしょうね。 ヴェーダ修法をやる時の精神変性状態が純粋に悟りという目的には 有害だとみなしたせいかもしれませんが。
802 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 00:29:02.35 ID:dLRcM+fA
>>796 パーリ聖典より
彼の、母と父と兄弟は、悪しき境遇の者たちにして、夜魔の世にある者たちである。悪しき行為を為して、ここから餓鬼の世に赴いたのである。
=略=
しかるに、長老は、意を為さずして、沈黙なるままに有り、〔そのまま〕通り過ぎた。しかして、彼は、長老に伝えた。〔餓鬼が言った〕「わたしは、〔あなたの〕兄弟であり、
餓鬼〔の世〕に赴いたのです。
尊き方よ、あなたの、母は、さらには、父は、悪しき境遇の者たちにして、夜魔の世にある者たちです。悪しき行為を為して、ここから餓鬼の世に赴いたのです。
彼らは、悪しき境遇の者たちにして、〔飢渇の〕針に苦悩する者たちであり、疲弊し、裸で、痩せ細り、〔常に〕恐れわなないている、大いなる恐れある者たちにして、
悲惨なる者たちであり、〔その姿を誰にも〕見せません。
慈悲の者として、慈しみたまえ。〔何ものかを〕施して、わたしたちのためにと指定してください。施された、あなたの布施によって、悲惨なる者たちは、〔身を〕保ち行くでしょう」と。
長老は、〔行乞の〕食のために歩んで、しかして、他の十二者の比丘と、一所に集まった――食事の分配を動機として。
長老は、彼らに、まさしく、全ての者たちに、言った。〔すなわち〕「得られたとおりのものを、わたしに施してください。〔わたしは、それを〕僧団の食事と為します。
親族たちへの慈しみ〔の思い〕によって」〔と〕。
〔彼らは、施物を〕長老に引き渡した。長老は、僧団を招いた。〔食事を〕施して、長老は、母のためにと、さらには、父のためにと、兄弟のためにと、指定した。
〔すなわち〕「これは、わたしの親族たちのためと成れ。親族たちは、安楽の者たちと成れ」〔と〕。
〔親族たちのためにと〕指定された等しく直後に、食料は生起した。〔すなわち〕清らかで精妙にして満たされた、無数の味と香味あるものが〔生起した〕。
そののち、兄弟〔の餓鬼〕は、色艶と力量ある安楽の者となり、〔長老に、自身の姿を〕見せた。〔餓鬼が言った〕「尊き方よ、多大なる食料があります。見てください。
わたしたちは、裸の者たちとして存しています。尊き方よ、〔わたしたちが〕衣を得るように、そのように、〔布施に〕勤しんでください」と。
803 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 00:36:19.81 ID:dLRcM+fA
>>796 パーリ聖典には現代のタンブン 北伝仏教の回向そのままの情景が記載されています
盂蘭盆会経もこのパーリ聖典の描写とよく似た描写がありますから
北伝の回向は上座部と源が同じなのでしょうね
>>796 >回向なき随喜はありえても
上記のパーリ聖典にその描写は無いです
逆に回向を受けて随喜して善趣に生まれ変わった柿の描写は出てきます
>>799 スマさんに文句言ってね^^
それと南伝仏教の坊さん全員にも♪
彼らは在家の布施奨励してるし在家も功徳の善果積むのが目的だし^^
804 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 00:38:03.26 ID:dLRcM+fA
スマさんも善因善果を期待して善行為することを否定なんかしてません^^ パーピマン大丈夫か?www
805 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 00:45:54.31 ID:+ab8neE+
806 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/31(日) 00:56:20.12 ID:+w9M544B
>>804 ん?? 何が大丈夫か? 発狂??
オレは、回向という行為に対する一つの視点を述べただけだがww
やけに気に障ったみたいだなwww
お前は自分の見解が「全てOK]で受け入れられないと我慢できない痛い人
なのか?wwww
>>803 回向的要素が付随する、とは言えても、随喜は随喜だけで完結し得るので。
つか、「功徳が無い」とか「回向が成立しない」とか言ってるんじゃなくて、
その「システムが説かれてはいない」という意味の蛇足なんだが、何度言ったら判るんだよw
確かに【情景は】盂蘭盆経にそっくりだ。
けど、【届く理由】はどうだい?共通してるのかい?
文字の上っ面だけ眺めてても構図は見えないぞ。
それから老婆心ながら、
極一部が回向的であるだけで、「タン・ブン」は「功徳を・積む」(或いは「供養する」)という意味でしかないよ。
聞いてて何か違和感あるなと思ってたが。
>上記のパーリ聖典にその描写は無いです
そりゃそうでしょうw
その文脈(エピ)に於いては、亡者・餓鬼への【供養】が主題なのですから。
(「回向」が主題ではありませんよ。結果、回向的であるにせよ「供養」が主題です。)
「随喜=回向」ではなく「随喜・慈悲≧回向」なのですよ。
>>799 > >回向も対象が受け取らなければ効果はありません
上座部(≒パーリ)的に言うなら、原則論としてその通りと言わざるを得ないと思います。
また、そこでいう「効果」は、回向の行先についてのことでしょ。
自身の功徳は別問題では? (尤も、今の流れでは、彼は“無功徳”の意味で言ってるだろうけどw)
ただ、
「受けとらない・拒否する」ということは、
想定しづらい・ありえなさそうなのでw、
基本形式としては、効果が無いケースを想定しない、って感じで手を打たないか?w
808 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 01:13:18.56 ID:+ab8neE+
>>807 だから回向を受けずに餓鬼が随喜するという根拠は?
解かれているのは回向によって餓鬼が悪趣から逃れた説話ばかりなんですけど^^
供養によって功徳を悪趣の餓鬼に回向してる構図だって理解できます?
っていうか
供養による功徳→悪趣にいる特定の餓鬼へ→餓鬼が苦痛から逃れる
↓
って構図です そのシステム云々よりこの事実に着目してください^^
餓鬼は苦痛から逃れてるんですよ
特定の故人が^^
つまり故人が無明に惑わされている限り 死後の輪廻先でも個別性を有している
これが渡して木には本題なんだけど まぁいいやwww
809 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 01:17:22.99 ID:+ab8neE+
>>807 単純明快に質問
輪廻先の特定故人に供養の功徳が届くのはなぜ?^^
神通力以外の理由で説明してください^^
810 :
神も仏も名無しさん :2013/03/31(日) 01:18:22.36 ID:h8nKsEfo
回向は、白骨化した死者にとっては無関係。ひとえに生者が、死に対する恐怖 を和らげる行為である。
補足:
『(回向)pariNAma(na)』も、『(自性)svabhAva、sabhAva』も、
原意・原義、初期語義の「援用、拡大解釈、発展形」である点は押さえておきたい。
前者は、「(他者への)利用、援用、譲渡」といった意味から始まっているし、
後者は、「それをそれ足らしめる特質・本質、それを他と分別し得るそれ独自の性質」
という意味から始まっている。
前者に元々、「功徳を送る」という意味はないし、
後者に元々、「(常住)不変な、固有の、根源・起源的な本性」という意味は無い。
>>808 いやいやw
そうじゃなくてw
友達が花火職人に弟子入りして町の文化を残そうと頑張ってることを知って
(励まし)、「随喜」するとき、回向は無くてもいいっしょw
なんで餓鬼限定なのさ。 今でも、各派仏教界では、法要に出頭することを随喜する、と言うぞ。
勿論、法要は回向で締めくくられるが、それと、有縁の者の随喜出頭は、また別物さ。
>>809 >なぜ?
だからw
それはどこにも説かれてないの。 なんで解らないかなぁ・・。
813 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 01:26:00.09 ID:dLRcM+fA
>>807 ちなみに
>けど、【届く理由】はどうだい?共通してるのかい?
は
盂蘭盆会経では
皆先為施主家呪願
願七世父母
と
仏前衆僧呪願竟
パーリ聖典では
〔何ものかを〕施して、わたしたちのためにと指定してください
ですね
特定故人のために供養の功徳を振り向ける
盂蘭盆会経では僧侶もその願いの祈りに加わる
パーリ晴天では遺族である長老だけ
どちらも現世の人間が輪廻先の特定故人に向けて功徳を届けようとする
意思が共通ですね
>>813 それは、【事象が】【構図として】【共通・類似している】だけで、
【届く理由】ではないよね?
815 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 01:31:17.27 ID:dLRcM+fA
>>811 だから
>他者への)利用、援用、譲渡
は現世と別の世界に存在する特定故人へ供養の功徳の
>他者への)利用、援用、譲渡
で 功徳を送る
と同じ意味に使えるでしょ?^^
>友達が花火職人に弟子入りして町の文化を残そうと頑張ってることを知って
悪趣という輪廻先に存在してる餓鬼となった特定故人の話なのに何を意味を拡大してるの?^^
功徳を送られる対象の餓鬼が自分だけで随喜できるのかってお尋ねしてるんですけど?^^
>>812 は
>>813
816 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 01:33:38.98 ID:dLRcM+fA
>>814 僧侶や長老の祈りの意図は無視ですか?^^
>>812 もう一度お尋ねします
長老の供養の功徳を振り向ける祈願によってなぜ異界である悪趣の餓鬼に変化が起きたのですか?
>>813 は
>>814 >>815 >何を意味を拡大してるの?
ハァ?(゚д゚;)
「餓鬼・亡者等への随喜」自体が、特殊事例だろうがwwww 何言ってんだよ。
かの一代だって、他者の種々の事象に「随喜、随喜」って言ってるぜ?
言われた相手は餓鬼か?亡者か?
笑わせんな(怒
>>816 ああ、そうか。
貴方は、「理由」を「動機、願い」と定義してるのねw
なら、貴方の言う通りのそれでFAでいいわ。
おやすみ。 ノシ
819 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 01:40:42.33 ID:dLRcM+fA
>>817 あのさーww
>「餓鬼・亡者等への随喜」自体が、特殊事例だろうがwwww 何言ってんだよ。
ってww
こちらは最初から
現世からの供養など善行為の功徳を
異界の悪趣にいる餓鬼 つまり特定故人に
どうして>他者への)利用、援用、譲渡 できるのかを論じてるしそっちに問いかけてるの^^
セブンがそれは餓鬼が随喜して苦しみから逃れるなんて答えるから
それは現世からの供養など善行為の功徳を>他者への)利用、援用、譲渡することが前提でしょう?
って反論したら セブンが何を考えてるのか不明だけど 随喜自体のことに話をそらしたの^^
もう一度聞くけど
長老の供養の功徳を振り向ける祈願によってなぜ異界である悪趣の餓鬼に変化が起きたのですか?
820 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 01:45:39.34 ID:dLRcM+fA
>>818 だからさー^^
いい加減 輪廻先の悪趣のような異界にも特定故人が存在してて
回向などを通じて現世の側から働きかけられるって認めようよ^^
つまりー^^
中有へて異界に輪廻して生まれても 特定故人の個別性は維持されることも
ありうるってことでしょ?^^
無明によって束縛されてる限りはね^^
それと
回向が悪趣の特定故人へ影響与えた理由は 現世の側からの祈願や回向の意向の結果でしょ?
>他者への)利用、援用、譲渡によって異なる世界の特定故人に働きかけられるって言う事実ですよ^^
821 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 01:50:25.68 ID:dLRcM+fA
ちなみに悪趣に落ちてる餓鬼が業因が尽きる前に自力で随喜という 善行為ができるのならさっさと自力で悪趣から抜け出すでしょうね^^ つまりこの世界からの供養などの善行為の回向が悪趣の特定故人が 苦しみから逃れ 場合によっては悪趣から抜け出すための必須だということです ちなみにパーリ聖典では地獄に落ちたもの すでに畜生に生まれ変わったものには 供養は届かないと説いているようですね また調べてみます
822 :
さあ、はった、どっちもどっちも :2013/03/31(日) 01:53:22.94 ID:G/Il38Ls
>>819 >それは現世からの供養など善行為の功徳を>他者への)利用、援用、譲渡することが前提でしょう?
>って反論したら セブンが何を考えてるのか不明だけど 随喜自体のことに話をそらしたの^^
だから、
ケースバイケースじゃねーの、と最初に言ったろ?
随喜自体(全体)に言い得ることじゃなく、或る条件下でのみのことになっちゃうよね?
ということなんだが・・・。 orz
>もう一度聞くけど
>>812 &
>>818 >>820 >認めようよ
だからさー^^
認める認めないとは別に、
ただただ、システム説明は依然ブラックボックスで、如来(≒覚者、成就者)のみが知り得るところ、
ってのが、通仏教的なの。
飛行機が飛んでいることを知っていても、どうして飛べるのかの理由を知らない人はいるだろ?
そういう意味で「理由」「システム」と言ってるんだよ。
「動機や願い」(たとえば空からの景色が見たいとか、鳥になりたいとか)とは別問題なの。
勿論、「飛行機は、人類の“鳥になりたい”という強い想いによって飛んでいる」
と表現すること・言明することは可能だ。
だが、貴方はそれを飛行機が飛ぶ理由・理屈・システムだと見做すのか?
ということだ。(パピマンが言ってるのもね。)
なんで解らないかなぁ・・・。
じゃ、またなw
>>821 ノシ
824 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 01:59:51.54 ID:dLRcM+fA
>>823 >ケースバイケースじゃねーの、と最初に言ったろ?
パーリ聖典では 悪趣の餓鬼になった特定故人への回向という
働きかけが出来る
というケースですね^^
>ただただ、システム説明は依然ブラックボックスで、如来(≒覚者、成就者)のみが知り得るところ、
つまり仏陀は聖典で
825 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 02:07:57.04 ID:dLRcM+fA
>>824 おっと途中送信してしまった^^;
>>823 >ケースバイケースじゃねーの、と最初に言ったろ?
パーリ聖典では 悪趣の餓鬼になった特定故人への回向という
働きかけが出来る
というケースですね^^
>ただただ、システム説明は依然ブラックボックスで、如来(≒覚者、成就者)のみが知り得るところ、
つまり仏陀は聖典で(南伝と北伝共に)
この世界から異界の 悪趣に落ちた特定故人に働きかけることが出来ると
しめしてくださった
↓
飛行機が飛んでる事実の提示
現世の側の人間が功徳を>他者への)利用、援用、譲渡することを
祈念することによって悪趣の人間によい影響を与える
↓
飛行機が飛んでいる事実の説明
祈念によって影響与える具体的な手順は確かに示されてはいないですけどね
事実が提示され事実が説明されているのですから信じるには十分ですね
それと
まぁ異界に生前の個別性を維持した故人が存在しうるってことで終了ですね
異界に存在するのだから当然中有にも存在するということです♪
826 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 02:20:33.39 ID:dLRcM+fA
>>823 いつも付き合ってくれてありがとうね^^
よい夢を 主の平和^^
よろしかったらイースター ペンテコステ 8/15の聖母の大祝日 クリスマスはカトリック教会へどうぞ^^
いい感じでにぎやかですよ^^
827 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/31(日) 02:25:33.93 ID:+w9M544B
結局、サロメは何が言いたいのか? わからんwww 死後に個人が存在する記述が仏典上にある・・・・・ってことを言いたいのか? そんなら、回向なんて持ちださずとも、古層文献に腐るほどあろうにw 例えば、ダンマの地獄の章とかw
828 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 02:30:23.10 ID:dLRcM+fA
>>827 バルドと輪廻の先にも故人の個別性がある
それを唯識ではなく理解する事よ^^
829 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 02:35:54.27 ID:dLRcM+fA
でもちょっと話題を引き伸ばしすぎたな 反省^^;
. 少なくとも.サロメはカラス唄より.遥かに健全と思える.既にサロメはカラスを相手にしない領域にある. カラスの唄 ← コイツは駄目だ.根本的に. だが.サロメさんは.筋が良い. .
反省するのはいいことです 日曜の求人チラシが投函されるまでロザリオの祈りでもしてなさい
832 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/31(日) 02:40:24.47 ID:+w9M544B
>>828 ん? 仏典における死後存在の記述は、全て個別性を有する
形で語られていると思うが?
ただ、その個別性が何に依拠するものか?
個別性が何によって担保されるのか? これらを無我との整合性の
上に語っているものは皆無だったはずw
言い得てギリギリ「縁起による」・・・・・ここまでww
だから「業不可思義」で信仰に丸投げなんだろうがw
お前、もしかして新論理の構築をやろうとしてるのか?
833 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 02:40:39.64 ID:dLRcM+fA
>>830 カラスもあなたの怒りを出離心に転換しないと^^;
ただカラスは健康損ねかねないほど怒りが激しすぎると思う
冷静になれば頭はいいのに惜しいね
. >>怒りを べつに怒っては居ないよ.ただ思った事.そのまま.です. .
835 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 02:44:08.22 ID:dLRcM+fA
>>832 チベットのゲルク派は六識の範囲で説明してる
?>言い得てギリギリ「縁起による」・・・・・
私も縁起の連続体の移行って言ってるけどね
836 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 02:45:39.29 ID:dLRcM+fA
>>834 まぁお互い様かw
私の心情と文体一致させんトナー^^
. べつに.いいんですよ. 普通に「霊魂」と言っても. 奇妙な言葉は必要ありません. 亡くなられた人を「仏さん」と呼ぶ事が多いのですが.仏さんとは勿論.霊魂ですから. .
838 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/31(日) 02:57:34.73 ID:+w9M544B
>チベットのゲルク派は六識の範囲で説明してる そりゃ、各宗派がそれなりの説明体型を提示してるだろうw 要は、それが「無我」と不整合を起こしていないか? だろうがw 例えば、スマさんは、「連続するこころ」みたいな言い回しを用いて いたが、(何ども言ったように)表記法を変えれば良いってもんじゃないw 「業のエネルギー」「縁起の連鎖」・・・・・このスレでも散々やってきたが (というより、それが主要テーマの一つだったわけだが) 誰一人成功した者はいない。(まあ、当たり前w 仏教学者たちが長年 やってダメだったんだからw) だから、そこは(セブンが言ってたように)各人が自分の納得できる 説明に頷くしかない。 つまり、「信仰」以外ないんだよw もしお前が「普遍的な説明体系」を構築できるのなら、それは大した者だと 思うがねw
839 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 02:57:49.54 ID:o1osFG79
>>837 そこらへんで議論はするつもりはないのよね本音としては
だから相手が書き込みに制限さえなければ?さんあたりから色々お聞きしたい
840 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 02:59:46.02 ID:o1osFG79
>>838 悪いけどあなたの書き込みにはまったく興味ないので
カラスさんは激情してるけどまだ読む価値があるから
841 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/31(日) 03:04:50.15 ID:+w9M544B
>>840 >悪いけどあなたの書き込みにはまったく興味ないので
wwwwwwwwwww 了解w
つまり、対論を通して何かしらの成果を得ようと言う気は全くないというわけだww
そのように、はっきり言ってもらうと、こちらとしても有難いw
単なるアホのおちょくり対象として扱えるのでwww
まあ、好きにやらせてもらいますwwww
842 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 03:08:32.56 ID:+ab8neE+
さてと Johannesも余裕があったらチベット仏教の講座 受けてみたらいいかも 私も地橋さんとそこを掛け持ちしようかと思ってる
843 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/31(日) 03:08:41.69 ID:+w9M544B
え〜〜〜〜〜〜と、それではさっそく聞きたいことがあるんだが >サロメ www お前、色んなスレで当たり構わず噛み付いて回る狂犬みたいなことしてるが リアルでちゃんと社会生活できてるの? 同僚や上司とちゃんと人間関係構築できてるのかい? それでw おせ〜〜〜〜てwwwww
844 :
高橋裕之 :2013/03/31(日) 03:10:47.98 ID:CIIkjwio
日蓮仏法こそサイコーの教えです
>>カラスさんは激情してるけどまだ読む価値があるから ねーよ. あいつの長文は三行しか読まない.誰だってキチガイの言う事を一から十まで真面目には聞かないだろう. 最初の三行で赤点です.あの人は.
846 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/31(日) 03:12:15.15 ID:+w9M544B
>最初の三行で赤点です.あの人は 違います。 一行ですw
>>842 おう.ありがとう.
ちょっと酔った.バーボンは美味しい. おやすみん ノシ
.
848 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 03:18:54.58 ID:dLRcM+fA
>>845 さっきから揶揄してる人間よりはるかに上等だと思うよ
いちおう仏教やキリスト教 グノーシス理解してるからね
激情しやすいだけで
>>847 私はアルコール飲まないけどよいゆめを^^
って言うか酩酊物質はいらない^^
849 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/31(日) 03:25:12.92 ID:+w9M544B
>さっきから揶揄してる人間よりはるかに上等だと思うよ >いちおう仏教やキリスト教 グノーシス理解してるからね なになに?ww 宗教やってる人間は上等なの?ww でも、いるよなあw 気に入らない奴をとことん罵倒しまくるクリスチャンが一人www 確かあいつくらいじゃなかったっけ? スレタイにコテ名付けられてたのwwwwww
850 :
カラスの唄 :2013/03/31(日) 03:28:37.51 ID:PLr+acih
>>830 おやおや末法仏教をこよなく愛するドメクラがなんか言ってらぁ。
おまえ元々キリスト教徒でキリスト教徒から苛められたから末法仏教にうつつを抜かしてるそうじゃないか。
あげくにサロメは筋がいいだってよ。さすがバッタもんはバッタもんにしか惹かれないようで(苦笑)。
ところでお前、どっかの坊さんの弟子だってな。お前、随分差別発言やってたようだけど、お前んとこの師匠は差別発言推奨なわけ?
弟子は師匠の鏡。弟子をみれば師匠のレベルもわかろうというもの。お前んとこの師匠の顔、ぜひとも拝見したいものだな。
さぞかしご立派な顔つきだことで。
851 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/31(日) 03:31:21.71 ID:+w9M544B
カラス来た〜〜〜wwwww サロメがせっかく「よしよし」してくれてるんだから、カラスも尻尾ふって サロメとタッグ組めばいいのにwww そしたら、宗教板の嫌われもん二大スターの夢のタッグが実現するのにwwww
852 :
カラスの唄 :2013/03/31(日) 03:33:48.89 ID:PLr+acih
>>837 仏さんとは霊魂だってよ(爆笑)
どうよ、このドメクラ。この程度のレベルの人が上から目線で他人様を批評してくれんだから、笑わせてくれる。
853 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 03:34:05.39 ID:o1osFG79
スマさんのところも地橋さんのところも限定つきの瞑想で
チベット仏教もゲルク派はじめ内情は色々あるようだけど
日本仏教もしやに入れて自分が結果出せるように接触するわ^^
Johannesもグノに浮気しないで密教に専心しなよ^^
良い師匠と出会えてうらやましい♪
>>843 私も含めて人間はみんな変わるし成長ももするけど あなたはいつまでもその状態なのね
心から同情します
私はあなたのような状態はもう抜けてるので それが瞑想の実益だな^^
854 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 03:35:32.75 ID:o1osFG79
しっかしが楽しいんだかw カラスじゃないヒトのほうね^^
855 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/31(日) 03:39:52.25 ID:+w9M544B
>>853 あれ? レス付けてるwwww
うんうんw、 違うの、聞きたいのはそんなことじゃあないのww
リアルの社会生活ちゃんと出来てるの?
人間関係は良好ですか? 聞きたいのはそこw
この宗教板でやってるようなスタンスで、実社会でやっていけるもんなのか?
そこ、知りたいwww
856 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 03:40:04.83 ID:o1osFG79
>>850 カラスさんはもう創価学会への憎悪捨てたの?
昔のことだからあなたももう変わっているかもしれないけど
Johannesの場合は昔のあなたが層化を憎み怒っていたように
その対象が韓国朝鮮人に向いてるだけ
繰り返すけど誰かへの怒りはこの苦の世界そのものへの
出離の気持ちに代えたほうがいいと思う
それとカラスさんの理論も良いけどできればその実践方法を教えてください
得るところがあれば学びたいので
857 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 03:47:38.19 ID:o1osFG79
瞑想してるとね にちゃんでアドレナリン分泌させる必要がなくなるのよね^^ ぎゃくにその中毒状態が自覚できて苦痛になってきたり負担になってくるわけ だから特定の相手以外は煽る気もしなくなる まぁ自分を変える必要を感じない人は永久にそのままでいればいいと思うし 私はそう思わないだけです
858 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/31(日) 03:50:56.50 ID:+w9M544B
成長かあww なるほどw 成長すれば 469 :サロメ☆多羅ちゃん ◆Vjum1KTtaU :2013/03/30(土) 21:25:12.71 ID:rZBjuxDZ まぁ札幌市東区の統合失調の51歳児は 瞑想もできないからその経験を語れないwwwだから禅に逃げ込むわけ♪^^ 宗教音痴の馬鹿の常套手段だわww 自分の家の宗旨の教義も知らないおっさんが仏教議論スレに書き込めないのも当然ですし^^ こういう罵倒レスが出来るようになるわけだw んじゃ、成長なんてしたくねえなwwww
859 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 03:54:55.97 ID:o1osFG79
相応の相手には相応にお相手しますけどね^^ カラスさんは宗教を理解できてるし 陰謀論も 理由の無い宗教否定もしない 在家さん 宝珠さんたちも議論は出来る相手 隠居はここではあぼーんしますが キリスト教スレに出張ってくれば相応にお相手リストに入りますね
860 :
神も仏も名無しさん :2013/03/31(日) 03:58:46.04 ID:0cUvrEH3
サルは在日朝鮮人だよ。 日本人の霊性を破壊するのが目的、そのために書き込んでいる。 スレ潰しの板アラシ。スルー推奨。
861 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/31(日) 04:00:40.68 ID:+w9M544B
そうかw 「成長」ってのは、気に入らない奴は、とことん罵倒しまくるが 批判的レスを付けない奴は、頭よしよしして、手懐けておくということかww 了解ですwwww
862 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 04:05:16.90 ID:o1osFG79
863 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 04:15:40.94 ID:urAcHifs
>>862 でも正直 最近じゃその程度のお相手もめんどくさい^^
アドレナリンの過剰分泌とか 自分の身体を痛めるだけですからねぇ
一番イラつくのは最近じゃ連投規制かなw
やっぱりシャンティ シャンティ シャンティが最高♪
864 :
カラスの唄 :2013/03/31(日) 04:50:43.09 ID:PLr+acih
>>838 ちゃんと説明してあげてもパッパラパーマンには馬の耳に念仏。豚に真珠。猫に小判。
別に輪廻転生を認めても仏教の無我思想と矛盾しないと、とっくに結論ででるのを無視して、
また、輪廻転生を認めたら仏教の無我思想と矛盾するなんて繰り返すぜ。キチガイだから。お前は論破されてもされても
同じ主張を壊れたスピーカーのように繰り返す隠居と同じだよ、キチガイ。
865 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 05:28:54.24 ID:urAcHifs
>>864 別にけなさないからあなたの実践方法教えてください
おやすみなさい^^
866 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/31(日) 05:37:37.24 ID:+w9M544B
>>864 >別に輪廻転生を認めても仏教の無我思想と矛盾しないと、とっくに結論ででる
キチガイカラスは、ついに「大嘘つきカラス」に進化しましたwwww
結論など全く出ていませんww
まあ、キチガイの妄想上の結論なら知らんけどwwwwwww
あ!! そうかww 「真我」立てた上で、それを「無我だ。無我だ。」と
言い張れば、そりゃ成立するわなwwww
>お前は論破されてもされても・・・
wwwwwwwwwwwはい、出ましたw 決まり文句ww
アートマン議論でも、完全に論破されたのを「自分が論破した」といいはり
皆から大笑いされたのも忘れているらしいwwww
これだからキチガイはwww
867 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/31(日) 06:53:46.26 ID:JKZBuY3y
>>731 ?氏
屮(_ ._)屮 ←奈良ゆるキャラの「せんとくん」(遷都くん)にも似てますね。
仏教板らしく、こう言うべきでした。すみません。
868 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/31(日) 07:23:06.98 ID:JKZBuY3y
>>821 サロメさん
>ちなみに悪趣に落ちてる餓鬼が業因が尽きる前に自力で随喜という
>善行為ができるのならさっさと自力で悪趣から抜け出すでしょうね^^
目連尊者の母は餓鬼道に落ちて自力では抜け出せず、神通第一の目連でも助けることができなかった。
そこで釈尊が多くの僧に御馳走を用意する功徳を教えて、目連は実行し母も餓鬼の苦しみから救われた。
「回向」という言葉は登場しませんが、功徳の果を他者に振り替える一事例かと存じます。
869 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/03/31(日) 07:54:48.54 ID:4AFl6sed
>>866 薬はまだ飲んでないのかよ。いつもながらヒステリー丸出しの文章書いて、お前の異常さがよく出てるよ、キチガイ。
で、俺がいつアートマン議論でも、完全に論破されたってんだい?俺が何を主張して、どう論破されたのか書いてみろよキチガイ。
妄想は楽しいか?キチガイ。
870 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/31(日) 07:56:22.42 ID:JKZBuY3y
>>855 >リアルの社会生活ちゃんと出来てるの?
私の中でのサロメさんのキャラ設定は、昔はイエスと同じ職業で、今は60代の工務店の経営者でお金をためて悠々自適の宗教板三昧。
以前は少なくとも3人の人格が見られたけど、多分同居人で同じパソコンを共有でしょう。
自称彼女は2chの中では一番「変化した人(空性)」と認識しております。
かくいう私も釈尊の「四悉壇」を見習って、「信」は変わりませんが対話の仕方を色々と工夫しております毎日です。
871 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/03/31(日) 08:14:12.74 ID:4AFl6sed
ま、話の通じないキチガイはおいといて、別に輪廻転生を認めたって、仏教の無我思想とは矛盾しないと、 とっくに結論は出ている。それは前に書いた通りだ。ダンマパタだかにも書いてある通り、ゴータマさんは、何が輪廻の主体に なっているかと言うと、はっきりと行いと結果からなる「業」だと言っている。何度も書いてあげてる通り、ゴータマの仏教の 我=アートマンとは、自性のことを指す。ゴータマの仏教の無我思想とは、この現象世界には自性はありませんよと いうことだ。では業はどうか。業とは行いと結果という縁起から成り、単独では成立しない、無自性な空である。。また、 この現象世界に依存するものなのでこの現象世界が終われば消えて無くなる幻であり、無自性な空である。 業を輪廻転生の基体として設定しても、ゴータマの仏教の無我思想となにも矛盾することは無い。行いと結果という業は ゴータマの因果の法の縁起とも見事に整合性がとれるものだしな。どうも末法仏教徒達は、無我思想とは、自我のようなものとして とらえ、文字通りの無我だと邪見してる人が多いようだが、そうみると、今の自我じたいあるのがおかしいわけで、今の自我 が存在している以上、輪廻の基体が存在してもおかしくないわけだが、アホの末法仏教徒は理解しない。もっとも真我と呼ばれている ものは私とあなたという区別がないので、勝義の視点でみれば私とあなたを識別する自我は無いといえば無いが、 滅び行く道を愛する君ら末法仏教徒には関係の無い話だ。
872 :
神も仏も名無しさん :2013/03/31(日) 08:22:55.81 ID:OWJVLa0V
>>870 輪廻の主体はサカモトって名前なの? 月曜日休日で
873 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/03/31(日) 08:24:17.99 ID:4AFl6sed
決着の付いてる議題。ゴータマは業報輪廻転生を説いたか説かなかったか? 答え。原始仏典を読む限り、どうみても説いていないとみるのは無理がある。また業報輪廻転生の教えを知らない 異教徒にも業報輪廻転生を説いているので、輪廻転生を信じる当時の人達に向けて説法する為の方便だとみるのも無理がある。 また、無我思想と合わせても、仏典に書いてある通り、輪廻の基体は業なので、これも無自性な空なるものなので、なにも 無我思想と矛盾するものではない。次スレあげるときは、解決済みの議題はテンプレにいれとけや。
874 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/03/31(日) 08:39:28.17 ID:4AFl6sed
先に書いたとおり、別にゴータマさんが言うように業報輪廻転生の基体を「業」だとしても、ゴータマさんの 仏教の無我思想とは何も矛盾するものではない。なにせ業も、行いと結果という因果の法の縁起(二項)からなり、 恒常不変の永遠の存在ではない、今の現象世界(宇宙)の終焉と共に消えてなくなる、自性なき、無自性な空だからである。 ま、これだけ書いてもパッパラパーマンにかかれば、この話無かったことにして、まだ決着は付いていないと 壊れたスピーカーのように、業報輪廻転生の基体を認めると、仏教の無我思想と矛盾するなどと陳腐な邪見を振り回すだろう。 現にまたやってるからな。2chは面白いよな。こういう話の全く通じない、恐ろしくエゴの強いキチガイをリアルタイムで 観察できるから。皆もこのキチガイをよく観察するといいよ。おれの予言どおり、また日がたつと、業報輪廻転生の基体を認めると 無我思想と矛盾するとやりだすから。え?俺の口が悪いって?いいんだよこいつらは。 毒は毒を持って征するのが一番だからね。
>>797 >仏像否定の人は自分の中で作り上げた「偶像崇拝」のイメージに囚われているように見えます。
>反感とイメージのツギハギ、そんな感じがします。
それは同意します。
私は、仏像使用そのものがダメなのではなくて、
過剰な崇拝と神格化に対する戒めであるとして見なします。
つまり、諸仏はそういう御心にあるものと解します。
>>801 パリッタでは、
在家信者のためになされる側面が強いようですよ(現在の上座部では?)。
パリッタ糸なるものを舎利・僧・信者と結びつけて、信者達の加護を祈念したり、
その糸を信者たちが手首に巻き付けたり、等々。
それは密教寺院で見られる信者らの頭に何か(経本や念珠、等々)擦り付けてあげたり、
祈祷済みお守りを所持してもらうことと何ら変わりがないようにと思います。
876 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/31(日) 09:24:08.88 ID:JKZBuY3y
>>871 カラス氏
>ゴータマの仏教の無我思想とは、この現象世界には自性はありませんよということだ。
「仏教のこころ」中村元、P78、無我説−無霊魂説ではない
客観世界に見出されるいかなる実体もアートマンではない(非我)ということを主張したのです。
アートマンが実在するか否かはということについては、まったく沈黙を守っていました。
このことから仏教を無霊魂説と解するのは誤りです。仏教はむしろ人間の行為の依りどころとしてのアートマンを承認しました。
カラス「この現象世界には自性はありませんよ」=中村元「客観世界に見出されるいかなる実体もアートマンではない(非我)」
両者は同じことを言っていると認識します。
877 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/31(日) 09:28:43.84 ID:JKZBuY3y
「意識」も「心」も質量ゼロで現象世界の自性ではないでしょう。
>>799 そのご指摘はとても良い視点であるとして私も認めます。
善行全般において(及びその想い)は必ずしも、結果を求めて為されるべきものじゃないから。
その行為そのものに施者の精神的成長がある
----という側面はあります。
けれども、そのこととはまったく別に、
対象に実質的な効果が生じるかどうか?というのがある。
廻向の供養行の場合についてなどは、
唯物主義者は単に善行施者自身の精神的成長は認めるが、
当然、実質的な対象効果については否定する。
しかし、霊的思考者たちは、実質的な対象効果をも認める、と。
879 :
神も仏も名無しさん :2013/03/31(日) 10:17:04.90 ID:xgce4cxq
>>878 白骨が、何をどうやって認めるのか。科学的に説明されたし。
お前ら、いい加減で馬鹿話を止めろよ。宗教が開祖の狂気の感染に過ぎない
ことが、如実に証明されている。
880 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/31(日) 10:21:20.54 ID:JKZBuY3y
>>877 >「意識」も「心」も質量ゼロで現象世界の自性ではないでしょう。
六識は絶えず変化しており、八識はより常住性がありますが、これとて不変とは限りません。
「起源経」で説かれた宇宙の生成・消滅の際も連続する「心から成る存在」が阿頼耶識(八識)か仏種なのか否かについては調査中です。
881 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/03/31(日) 10:26:22.05 ID:JKZBuY3y
>>879 >白骨が、何をどうやって認めるのか。科学的に説明されたし。
白骨→石→シリコン→半導体
その半導体の上をソフトウェア(質量零)が走り、人工知能も動作しており、将棋ではプロ棋士に勝利しました。
心から成る存在(ソフトから成る存在)が科学的にも認められているかと存じます。
>>881 テーブルの上に半導体が「ある」だけで、人工知能が動作するのか?w
883 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/31(日) 10:37:23.43 ID:+w9M544B
>>870 は〜〜〜?? サロメってのは三人が共通で使ってる共有コテだってのか?
そりゃ知らんかったww
んでな、
>>871 〜
>>874 それで説明出来てると思うところがまた、キチガイの証左なわけだがww
お前が言ってるのは「輪廻の主体を『業』というものとして、それを『空』だ言ってるだけ」ww
『業』という語彙を使って、『空』であると説明を付与すれば、それでOKなんじゃねえよwww アホww
輪廻業法論というのは、その根底に「個識別性」を必須のものとして成立しているのw
それも当たり前で、「Aさんが行なった悪行の報いは、必ずその生まれ変わりのaさんに現れるのw
それがbさん現れたら大変なのww ここでは、Aさん、Bさんという人間が「別の人間」であることが
必須なわけw すなわち「個識別性」がなければならないの。つまり、Aさんと言える何か、
Bさんと言える何かがなければならないの。この Aさんと言える何かが(Aさんの)『我』なわけww
ところが一方で、無我説ではその「Aさんと言えるものなどありませんよ。だからAさんは
苦しむ必要はないんですよ。」という論理で苦の消去を図るわけ。ww
「Aさんと言えるもの」など無いということが前提なのwww
wwwww 「Aさんと言えるもの」を必須とする業法論と「Aさんと言えるもの」など無いとする無我説
は二律背反w 水と油なのww
そこを何とかしようと、肯定派は今まで、「四次元的何か」だの「≪こころ≫でそれは空」とか、
「業という未知のエネルギー」とか、「現象の連鎖」とか・・・・様々な設定を試みたが全てアウト
だったわけwww そこで登場するのが、いわゆる「非我説」ww
釈迦は実は「我」をの存在を認めていて、無我などではない・・・というものww
(真我認めちまったらもう仏教じゃねえってのww)
まあ論点がどこにあるのかさえも分かってないキチガイカラスに説明しても無駄なことは
わかってるので、上記は今まで多くの仏教学者たちが論じてきた「仏教の抱える課題」の
小学生向け説明ね。(初めて仏教に接した人がキチガイの説明に誤解してもいけないのでww)
(キチガイカラスの反応予想)
→「屁理屈おつ」・・・・・・(いつもの逃走の決まり文句www)
884 :
? :2013/03/31(日) 10:38:51.80 ID:FduShYig
くこ、 マコ マコ r┐ r┐ , -、 \`ー┘ \_斗 }-―- 「 L__「 L_/>'’  ̄ ̄¨7ー一'’ `ヽ-‐一 '´ ′ {frぅ} /⌒ @⌒ヽ} ぃK ●) i●) }} ┘ { {_し、 ^7刋 ノ ム- 、≧=/' '{К>、 {⌒`ヤ´ }i}_ノノ、 `Y 、__,,..イ´x彳l| } ー'
885 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/03/31(日) 11:06:51.73 ID:4AFl6sed
>>883 >「Aさんと言えるもの」を必須とする業法論と「Aさんと言えるもの」など無いとする無我説
アホか。そもそもゴータマの仏教は業報論だ、キチガイ。ここではっきりしなきゃいけないのは、このスレのシリーズは
あくまでゴータマの仏教をベースに議論する場であって、おまえらの末法仏教をベースに議論する場じゃねぇんだよ、キチガイ。
>〜スッタニパータ
>666 けだし何者の業も滅びることはない。それは必ずもどってきて、(業をつくった)主がそれを受ける。愚者は罪を犯して、
>来世にあってはその身に苦しみを受ける。
ゴータマさんはこう言ってるぞ、キチガイ。中村博士がいうように、ゴータマの仏教の無我説とは、あくまでこの現象世界に
アートマン=自性は無いといってるだけで、Aさんと言えるものは無いですよ。したがって業は引き継ぎませんよなんて言ってねぇんだよ。
ゴータマさんが言った無我説とは、今の自我も、今の自我が作った業も、それを引き継ぐ来世の自我も、実体の無い幻で
執着するものではない。業を滅ぼし、再びあなたと私を分つ幻でしかない自我を再び再生しないことが苦の滅ですよと言っただけで、
おまえのトンデモ仏教のように、無我説とは「Aさんと言えるもの」など無いなんて言ってねぇんだよ、キチガイ。そんなこと仏典の
どこに書いてんだよ、キチガイ。
このスレ見てると宗教の虚しさを感じるわ 仏教にこれだけ詳しくても、辿り着けるのはこんな人格か
887 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/03/31(日) 11:13:13.66 ID:4AFl6sed
>>883 このキチガイは、この二元世界の現象世界で他人を認識区別する、私という自我は無いとおっしゃっています。
薬は飲んだが?おまえ病識無いようなので早く病院行ってみてもらったほうがいいぞ、キチガイ。
ゴータマさんの仏教、本当の仏教はよ、おまえらの末法仏教のように、単なる言葉遊び、屁理屈詭弁論こねくり回して
この現象世界で自我など無いなどという妄想の世界で遊ぶもんじゃねぇんだよ。
889 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/03/31(日) 11:27:49.85 ID:4AFl6sed
>>883 ちゅうか、業は無自性の定義から当てはめると、どうみても因果の縁起の法で成り立つ単独で成立し得ない、
また、因を必要とするものだから元からあるものでも無し、この現象世界と縁起して成り立つものだから、この現象世界と
運命を共にし、今の現象世界の終焉と共に消滅する永遠不滅のものではない無自性な空そのもので、これのどこが
無理やり空であると説明していることになるんだ?おまえ、全然合理的な思考持ち合わせてねぇじゃん。だからおまえは
キチガイだと言ってるんだよ。
>「業という未知のエネルギー」とか、「現象の連鎖」とか・・・・様々な設定を試みたが全てアウト
>だったわけwww そこで登場するのが、いわゆる「非我説」ww
>釈迦は実は「我」をの存在を認めていて、無我などではない・・・というものww
>(真我認めちまったらもう仏教じゃねえってのww)
真我と呼ばれているものを認めると、死後の業はどこに言っているのか、どうやって業の連鎖が起こるのか、全て合理的に
説明できる。で、ゴータマさんはいつブラフマンを否定したって言うんだよ、キチガイ。まさか、真我という単語に「我」という文字が
入ってるので、無我説に反するなんて思ってねぇだろうな(大爆笑)おそらくそうだぜ、こいつ。この浅知恵具合から見て
こいつ案外女だったりしてな。ヒステリー丸出しだし。あのよ、真我と呼ばれているものも、単独で成立し得ないし、恒常不変でもないの
で、自性、無自性の定義に当てはめると、無自性な空なんだよ。だから、ヨーガスートラなどでは、自性と真我は分けて表現
されてんだよ、わかったか?まぁおまえはわかんねぇだろうな。合理的な思考力持ち合わせてないキチガイだから。
890 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/03/31(日) 11:34:45.86 ID:4AFl6sed
>>888 だからよ、竜樹の中論は言葉の性質を論証してるだけの実質的には糞の役にも立たないただの詭弁論だって言うんだよ。
ま、この世界は識別知であるロゴス(言葉)が作り出したものなので、勝義から見れば、本当は私もあなたも無い、本質は「無」
であるのは間違いないが、我々は二元世界の束縛で生きている世俗の住人だ。その世俗に無理やり勝義を当てはめても
本質的には無意味な、ただの言葉遊び、詭弁論にしかなんねぇんだよ。ま、君らにいくらいってもわかんねぇだろうけど。
せいぜい、私は無いのだ〜と、現に今ここにお前の自我はあるのに妄想の世界で遊んでな。
891 :
ウソも方便の回向論 :2013/03/31(日) 11:35:42.10 ID:1eJ+pp08
>>800 >心がまだ血を流しているんではないでしょうか?
回向については仏法論としては批判しても、否定はしていません。
仏道の根本は四諦八正道です。
要するに、貪欲、瞋恚、愚痴を滅尽すること⇒涅槃です。<相応部35-23(一切) 23-4(知るべきもの) 38-1(涅槃)>
間接現実で回向も“自己の”貪欲、瞋恚、愚痴の滅尽に資するなら、“ウソでも方便として”ありえます。
大乗でいう利他もその意味での方便です。
しかし、それはいわゆる小乗でも同じであって、回向をあえて誇大に中核教義化するものではありません。
回向論は、菩薩論と共に在家主義のコンセプトで「仏教」再構築する上での未熟な歪みだと思います。
とにかく商業資本主義勃興期における“神様宗教”や多様な思想も激しく往来するシルクロード的変容が、
仏教において回向とか菩薩とかバケモノ仏などのアイデアになったのでしょう。
しかし、空思想だから回向が可能だとの初期般若経の思想は、
一切外と勝義の「混ぜるな!危険」を犯した未熟な思想というべきです。
892 :
ボケは無用 :2013/03/31(日) 11:39:46.98 ID:1eJ+pp08
>>876 (在家)
ボケるのはいい加減にしたら?
(1)先ず、
>>775 に反論せよ。
(2)>カラス「この現象世界には自性はありませんよ」=中村元「客観世界に見出されるいかなる実体もアートマンではない(非我)」
またの繰り返しになるが、
・現象世界・客観世界・(間接現実)“一切”での検証結果アートマンは見出せない⇒『無我』(有⇔無相対の無) ≠非我。
・“一切外”は検証不能ゆえ『無記』 ≠非我 ←莫妄想 !!(伝灯録・無業章)
仏法において非我論は成立する余地はない。
成立するとすれば直接現実示唆での四句分別第4の<『非無我非有我』の如し>の比喩のカタチだけだ。
こんな簡単なことはできのいい小学生でも分かる。
仏法は検証不能の一切外自性妄想の信仰宗教ではない。
無神論といわれる所以だが、一切外では正しくは無記論だ。
無記なのに縁起撥無の自性を仏教に無理やりねじ込もうとする妄想心霊主義のアナタには「無理」でしょうがw
>>890 二諦は、竜樹に始まったことじゃないが?
原始仏典のあちこちに、世間法と出世間法として対比されてるんだが?
ああ、そうか。宝珠と同じく《「現在伝承されてる原始仏典」否定派》だったかw 忘れてたわw
894 :
検証インポテンツ信仰は無用 :2013/03/31(日) 11:44:19.27 ID:1eJ+pp08
>>878 (宝珠)
>当然、実質的な対象効果については否定する。
>しかし、霊的思考者たちは、実質的な対象効果をも認める、と。
否定も肯定もしないの! 検証不能だからだ。
検証不能の一切外につき否定も肯定もできない。
戯論とか、形而上的論議とか、妄想とか、物語とかいって批判するのみ。
これは仏法では当然の態度で、神とか業報輪廻転生とか回向とかは批判・ナンセンスとはいっても、否定も肯定もしない領域だ。
895 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/03/31(日) 11:44:40.40 ID:4AFl6sed
>>891 だから一切外は何も無いって言ってんだよ、バ〜カ。
なにせこの世界は竜樹の中論の空思想の通り本質は「無」だからな。
名前は言によって成るもの。名前は識別するもの。この世界は言葉によって創造された。
言葉によって成らないものはなにもない。言語は表象上(イメージ)でしかない実体の幻。
その識別知である言語による識別で成ったこの世界も表象上(イメージ)でしかない、実体のない幻。
本当は何も無い。だがかけがえの無い命は、この幻のなかにあるんだよ。それが無ければ
本当に何もないんだからよ。ま、おまえらドメクラの末法仏教徒は、滅びの道を愛して、滅んで行けばいいと思うよ。
896 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/03/31(日) 11:50:14.78 ID:4AFl6sed
>>894 だからよ〜、世俗に無理やり勝義を当てはめても、ただの詭弁論にしかなんねぇんだよ。
本当は死など無いのだ。時間の流れなど本当は無いのだ。たしかに勝義ではその通りだが、世俗で生きている
我々には、時間は流れているし、いつかは必ず死ぬ。あくまでここは世俗なんだよ。世俗と勝義をごっちゃにするな。
世俗と勝義をごっちゃにすると、実際を伴わない単なる妄想にしかならない。それこそ混ぜるな危険なんだよ。
なんでわからないかな〜。
897 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/03/31(日) 11:52:35.94 ID:4AFl6sed
>>894 女がインポテンツなんて下品な言葉をつかっちゃ駄目だろ。
で、君いくつ?ブスなのそうでないの?そこんとこが重要なんだ。なんでわからない?
>>896 >世俗と勝義をごっちゃにすると、実際を伴わない単なる妄想にしかならない
なんという端的な自己紹介w
899 :
神も仏も名無しさん :2013/03/31(日) 11:58:22.95 ID:1eJ+pp08
>>895 >言葉によって成らないものはなにもない。
神もねw
だから、神が人間を作ったのではなく、人間が神を作ったのだ(フォイエルバッハ)
間接現実一切外の妄想物語として。
>竜樹の中論の空思想の通り本質は「無」だからな。
仏法に「本質」なし。
「無」もなし。
直接現実は、「非有非無」の如く、縁起=空=中道=時空際断の如し。
ここに還滅された智慧の完成の示唆を終わる。
900 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/03/31(日) 12:06:46.86 ID:4AFl6sed
>>899 そうだよ。人が神を作ったんだよ。父は子に名前を与えた。子の名は父の名となる。
なぜなら二人は一つだから。父が子に与えた名前。それは「人」という。
>仏法に「本質」なし。
>「無」もなし。
>直接現実は、「非有非無」の如く、縁起=空=中道=時空際断の如し。
>ここに還滅された智慧の完成の示唆を終わる。
だからよ、常々俺は「無」を言い表すときに言葉で表現するならと前置きを置いていってるんだよ。
お前のようないちいち言葉の端々の揚げ足取る馬鹿ばっかりだからな。たまたま前置き飛ばしたらさっそくこれだ。
本来 ”それ” は言葉では表現し得ない。なぜなら ”それ” は、識別し得ないものだから。ただ便宜上説明するときには「無」
という記号をつかっているだけである。何度も言わせんなよ。揚げ足取りの詭弁家相手にしてると、ほんま疲れるわ。
901 :
891シルクロード仏教 :2013/03/31(日) 12:42:23.80 ID:1eJ+pp08
全部無なんだから仏典すべて方便だよ 無に向かわせることが功徳になる
903 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/31(日) 12:45:32.65 ID:+w9M544B
>だからよ〜、世俗に無理やり勝義を当てはめても、ただの詭弁論にしかなんねぇんだよ。 wwwwwwwwwwwwwwww 業だの自性だの言う、その口で言うかあ〜〜〜〜??wwwwwwwwww >真我と呼ばれているものを認めると、死後の業はどこに言っているのか、どうやって業の連鎖が起こるのか、全て合理的に >説明できる。 そりゃそうだww だが、それってヒンドゥーですからwwww やっぱり、お前にはこの一言しかないなw →『キチガイ、黙れ』wwwwwwww
904 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/03/31(日) 12:48:36.25 ID:4AFl6sed
>>903 業報輪廻転生を認めたくないなら、お前が仏教を捨てればいいだけの話なんだよ。
わかるか?キチガイ。
905 :
? :2013/03/31(日) 12:56:50.72 ID:FduShYig
ダライ・ラマの「中論」講義 第18・24・26章/大蔵出版(2010/05) 101ページ 「無明」(根源的無知)の障りを持つ者は 再び輪廻に生まれるための 三種の「行」(行為)を実際になし それらの業によって,生存の場所に赴く(中論26-1) _ _ _ それ自体の自性によって成立しているのではなくて 因と縁によって 異蘊相続によって 輪廻を繰り返している _ _ _ //home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama26.pdf
906 :
? :2013/03/31(日) 13:15:34.86 ID:FduShYig
>>904 カラスの唄さんへ
> 業報輪廻転生を認めたくないなら …
カラスの唄さんに質問させて頂きます
私の場合は
//ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%8D%81%E4%B8%83%E9%81%93%E5%93%81
『 中阿含経などに説かれた、仏教で、悟りに至るための三十七菩提分法によって輪廻から解脱せよ 』 と解釈してますが
カラスの唄さんの場合は
どの様な方法で 『 この輪廻の世界から解脱する事が出来る 』 と考えてますか?
>>883 横レスですが、
それ(その指摘について)は---たとえ無我(Aさんと云えるものがない)でも
今の私とあなたとの肉体が別個であり、顔もまったく異なることと同様です。
どんなに個別のものであっても無我/空ということでは問題なし。
それと同様、無我であってもAさんの業はAさん個別の存在へと作用する、と。
はぃ、論決しました----終わり
(あとはお好きにどうぞ!)
908 :
? :2013/03/31(日) 13:33:36.33 ID:FduShYig
>>907 宝珠さんへ
宝珠さんにも御伺いさせて頂きます
この輪廻の世界から解脱する為の方法は?
1).三十七菩提分法によって
2).宝珠さん独自の方法によって
3).その他
救済とは無へ向かわせるとこと 高度な文明を農村社会に導き 幼ない子供のような無我の境地に導くこと
何だな、 多くの者は「無我」について誤解しているな。 「無」とあるから空っぽだと捉えてしまうのだろう。 何度も言うようだが、一般論としての「無」のみにこだわらず、「縁」によって「有」にも「無」なるのではなかろうか、 つまり「無」を「冥伏」状態と理解すれば解り易いだろう。 ここを誤解すると仏教観が誤ったものとなる。 根底は縁起の法だろう。
無我とは何か 実際に自分の心が今まさにないことである 縁起という観念もなく、多くの仏典の観念もない なぜ、人はない物を作りだし騒ぎ苦悩するのだろう まずは生まれたその時からの詰め込む教育が間違いだったと気が付き すべてを捨てていかなければいけない
912 :
? :2013/03/31(日) 14:03:39.94 ID:FduShYig
我と言う自性があるわけではない それは自性ではないので 因と縁によって現れて 因と縁によって滅する それ故に //www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron03a.htm#観法品第十八 中論觀法品第十八 八聖道分を修習して、我、我所を滅する因縁の故に、無我、無我所を得て、智慧を決定する _ _ _ 八正道によって,心の働きが : 我 ・ 我所から → 無我 ・ 無我所 : に変化して,智慧に至る と言う意味だと思います
そもそも、 有るとか無いとかは物質世界の捉え方だ、 「法」そのものは働いている訳で、存在の有無などとは次元の異なる観点ということだ、 宇宙に存在する磁場は、 当初、何も存在されていないとされていたが、最近、其処には回転エネルギーが働いていると発見されている。 つまり、其処に物質的要素が無であっても、物質を作り出すエネルギーが有るということ。 と、いうのも、人類の感覚で見ると、星と星の間は途方もなく離れているが、それでも、お互いに影響されながら、磁場という場が作られているということ。 自分の狭い了見で、仏教を判断しないほうがいい。 人生過つことになる。
釈迦は、何も神秘的なものや奇跡的なモノを説いた訳ではない。 諸法実相という、ありのままの真理を覚り、道理を説いた。譬喩を用いたとはいえ、その意味は、全て道理に則ったものだといえる。
>>914 続き
釈迦は何の為に諸法実相の真理を覚り、
誰の為に、多くの仏典を説かれたというのだろうか?
それは四門出遊とあるように、
若き釈迦は、城にある四つの門で苦しんでいる者を目にし、彼らを救済することを決意したが為に出家したのだ。
釈迦の仏教を説いた目的は、
全ての、人類の抜苦与楽の為に
説かれたものだといえるだろふ。
916 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 16:13:14.65 ID:+ab8neE+
>>870 仏教議論板で喧嘩売らないように^^
私はもうきちんと宗教と向き合う人間とやりあうつもりは無いので
>>891 思考停止はやめましょう
パーリ聖典でも
回向という現象の存在を認めています
現世の人間が 自分が行った善行為の功徳を 位階の個別性を持った存在
に振り向ける
これは仏陀が示された事実です
>>894 仏陀は回向という現象は示されたけどその仕組みは示されなかった
無記は仕組みのほうです
>>896 カラスさん結構正しくない?^^
なんでチベット褒貶否定するの?
>>910 まさしくその通り
そして得縁起の連続は個別性を保ちつつ現世から中有へ そして輪廻先の世界に移行する
。。。。って書いたらアタシは其体論者ってレッテル貼られたんですけど?^^
個別性 識別性が異界に存在する証拠が 回向 です^^
917 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 16:15:58.41 ID:+ab8neE+
>>913 空がらみでエネルギー云々持ち出すのは高橋信次や大川隆法などの新新宗教の教説ですので
ご注意
918 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 16:38:38.22 ID:o1osFG79
>>916 訂正
位階 は 異界
パーリ聖典においても
>>802 死後輪廻した先の世界に存在する
餓鬼という存在に生まれ変わった生前の故人に向けて
現世の遺族が時には僧侶を介して
遺族が善行為で得た功徳を>他者への)利用、援用、譲渡 できる
位階の特定故人に贈ることが出来る
つまり
人間は縁起の連続体として死後輪廻する
輪廻した世界でも個別性および識別性は維持できる場合がある
それは個人の其体によるのではなく 縁起の連続性による
おk?^^
1/2
>>793 そういうことじゃないです・・・。
マハーカッサパの頭陀行の事例話は、中道から外れた過剰な苦行的練行について示そうとし
て、五体投地の巡礼などを引き合いに出すための一つです。この五体投地の巡礼なる苦行の原
動となっているものが、つまり、過剰な崇拝意識というものなのですよ。諸仏は、人々がそんな生
涯で死んでいくのを歓ばれてなどはいないでしょう。
>さてアッラーやキリストは絶対ではないでしょうか?
そう見なしてるのは人間(信者の勝手)ですよ。
私の主張のポイントは、ゴータマ及び完成者(ブッダ)たちというのは、“過剰崇拝や神格化”は
望まれていないという点です。
2/2 神格化についての代表は、やはり、仏の三十二相の手足指縵網相(手足の指の間に水かきの ようなものがある)などが典型でしょうね。 如来といった完成者の考えることや行動には無駄や無意味なものはないのです。こんなものが 何に必要なのか?単純に普通の人間とは異なる肉体的特徴を持つという内容でしかない・・・。 仏という存在は、肉体的には我々と何ら変わらないが、その内的な精神的な部分が全く異なる ということの理解が重要なことなのです。なのに元々、我々と肉体が違うとか、肉体が妖怪のよう に変化するといった見方では本末転倒でしょう。 神格化では、ジャータカのゴータマ前世物語もそう。人間のために自ら火に飛び込むウサギなど というものは存在しない。そんな動物は過去に出現したことはないし。もちろん現在もいないし、こ れからも絶対に現れることがない。 要するに、このウサギはゴータマの前世であるから特別なんだという視点が神格化なのです。ま だ人間にも成れないレベルの動物などに意識的な善行などできる筈もないのだから(つまり、そん な動物はいないし、当然、人間に成れる動物もいない)。 ---諸仏は“過剰崇拝や神格化”は望まれていない---ということを理解できない内は、まだ大人 に成れない人なんだろう、と私は思っています(これは唯物主義者の否定の仕方とは異なる)。 この二つから、絶対的で盲目的な依存性(追従)と数々の迷信が続けられるのです。
>>908 いい質問かもしれませんね・・・。
私も最初期の頃は一代などとまったく同様の考え方に固着していましたよ。
つまり、三十七菩提分法によって解脱する。これのみであり、これ以外にはないと。
この法はゴータマの教説のみに説かれているのであり、他の諸宗教にはないのだと。
もしあったならば、仏教がこうして出現する意義(必要性)はないから、と。
しかし、これは誤解と偏見であったと私は180度、これらの考え方を変えるに至ったのです。
要するに、それは自ら他の宗教についても学ぶことによってです。
実際は、上記のような理解は誤解であり(決め付けている者たちは自ら他の宗教は学ばない。
いわれていることを鵜呑みにしているだけで、ヒンドゥーについても然りです)、
誤解している者(解説者)によってそれが正しいこととして植えつけられてきたものだと。
で〜返答ですね。
当然、仏教の「三十七菩提分法」については認めますが、
体系が異なっていても、内容的には同質となる諸宗教においては等しく可能であるとみます。
重要視すべきは所属宗教というよりも、すべてはその個人の器と資質に掛かっています。
三十七菩提分法というのも実際には、何ら特別なものはないと解します。
どの解説を読んでも、まったく特殊というほどのことは全然どこにもないですから。
それと、私の独自のものなどは皆無ですから。知識も理解も行っていることも・・・。
(断わっておきますが、私から見て100%正しいというものは皆無であって、
一代が主張するような伝統仏教はもちろんのこと、ヒンドゥー然り、神智学の体系においてもです。
また私は、どこの団体とも必ず一線を引いて接しています。
仏教、ヒンドゥー、神智学系のいずれにおいてもです)
922 :
神も仏も名無しさん :2013/03/31(日) 17:51:46.43 ID:+pCKxT76
皆さん 自分の魂を奪われないように 仏教は仏の教え、ということで ブッダという男の教えにすぎません 彼は自分の教えを法として説きましたが 法そのものを説いたことはないし、説けなかった男です 皆さん方が色々解釈して見解を述べることと変わりません ただ皆さんが真似たくなるほど凄い男だったというだけです 皆さん方の魂は今ここにあることをお忘れなく 奪われた魂をこね繰りあう教えはどこにもありません
923 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 17:51:57.41 ID:o1osFG79
>>907 煩悩によって無明ににとらわれている限り 自我が無我であったとしても
縁起は続く
いくら苦しむ人に あなたは無我なのだから苦しむ必要がないといっても無益です
だかラ仏陀は煩悩を断滅し無明を破る方法 真理を教えた
って言うかこんな基本も理解してないんですね彼は
カラス3以下でしょう
924 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/31(日) 18:03:19.50 ID:+w9M544B
>>907 >はぃ、論決しました----終わり
wwwwwwwww どこが論結じゃいw
Aさん、Bさんは異なる・・・・・これはいいぞw
Aさん、Bさんが「空」・・・・はい、これもOKだ。ww
では、Aさんの生まれ変わりである、aさんと、Bさんの生まれ変わりであるbさんも
空であり、かつ、「異なる」わけだww しかし、A→a というラインは担保されなければ
ならない。つまり、Aさんの生まれ変わりはaさんであって、bさんではない。
業報論上、これは絶対に外せない。なぜなら、Aさんの積んだ悪行がbさんに降りかかったら
えらいことになるからだ。ww
では、Aさんの生まれ変わりがaさんであると言える根拠は何?w
aさんは、Aさんの生まれ変わりであると言えるモノが必須になるんだよw
そりゃ、お前らはそれを「真我」なるものを設定するんだろうから、そのラインは
担保されるわなww しかし、そのようなA→a と継承されるもの、を設定したらもう
仏教の無我じゃねえのww
空であろうが、AさんをAさんとしている属性・・・・それがたとえどのようなものであろうと
Bさんとは異なることを是認する属性を認知した時点で、(苦を滅っし得る『無我』)の論理が
崩壊しちまうんだよww
全ては無常であって、Aさんと言えるものなどない。自分と言えるものなどない。
(だから、今、貴方が感じている苦は無明による錯覚ですよ・・・というのが仏教の方向性w)
Aさんと言えるものなどないのに、何でaさんは、Aさんの生まれ変わりであるといえるか?www
そりゃ、魂、霊魂、真我もってくりゃ、言えるだろうがよww
925 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/31(日) 18:07:55.17 ID:+w9M544B
宝珠は、まだ全てを分った上で、自己の非我論肯定のためにチャチャ入れて くるが、アホサロメは何が論点なのかさえも理解していないwww ちなみに「縁起の連鎖」という表現も過去に出てきてとっくに論破済みなのに それさえも知らない。ww だから、過去ログよんでこいというのにwwww
日本の義務教育と高等教育受けても なんかご家庭には問題山積だし。 宗教の知識は良い方に使わないといけません。
927 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 18:17:02.00 ID:o1osFG79
だから悪趣に生まれ変わった故人に遺族の回向がとどく事実
パーリ聖典で確証済み
>>802 つまり故人が悪趣という転生先で別人になるのなら
遺族の功徳は回向されない
まぁレスも読まずに書き込んでるのが丸わかりですね
まさしくカラスさんにはるかに及ばない
928 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 18:24:10.78 ID:o1osFG79
>引用させていただきます 912 名前:?[sage] 投稿日:2013/03/31(日) 14:03:39.94 ID:FduShYig [5/5] 我と言う自性があるわけではない それは自性ではないので 因と縁によって現れて 因と縁によって滅する それ故に //www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron03a.htm#観法品第十八 中論觀法品第十八 八聖道分を修習して、我、我所を滅する因縁の故に、無我、無我所を得て、智慧を決定する _ _ _ >つまり智慧によって煩悩を断滅し無明を払って縁起による輪廻から脱するということ >逆に考えれば無明に縛られている限り縁起によるりん得は持続する 肉体の死後も個別性 >識別性を維持したまま高いに生まれ変わる >だから遺族が功徳を回向する事態も起きる
>>918 (
>>923 >>927 )
>縁起の連続性
長野の竈と鹿児島の灰は、まだ繋がってないぞw
>>916 (
>>923 >>927 )
問題は、
《異界に於いての個別性有無》 ではなく、
*(―貴方はこれについて「ある」と言っており、また他の者も、これについて、「ある」こと前提の話をしている。
この点に於いて意見の相違は存在していない。これまでの流れ全てね―)、
《此界と異界に跨って、「連続・継続したものとしての個別性」を言い得るか?》
ということなのです。
この件では、五蘊の滅を間に挟んだ上で、尚且つ、連続性を担保できる説明が存在しない、
ということが言われていたわけです。
ですから、「>個別性 識別性が異界に存在する証拠が 回向 です」 は、
『事象・状況の描写』でしかないのです。
*(百歩譲っても、《「回向(という行為)」によって、異界にも個別性があることが判る》という、
上記の「意見相違のない部分」についての証拠でしかないのです。)
【異界に個別性が存在する】という言明は、【鹿児島の竈に灰が存在する】と等価だ。
そして、
【縁起の連続性により】【長野の竈で燃えた薪の灰が】【鹿児島の竈に生じた】と言っているに過ぎない。
また、
【回向が成立するから】【長野の竈の薪と鹿児島の竈の灰の間には】【(一意の・一対一対応の)連続性がある】
と言っているのと同じだ。
「なぜ、長野の竈と鹿児島の竈を接続し得るのか?」については何も語られない。
(『証拠』ではなく『事象描写』でしかないというのはそういうこと。)
別の言い方をすれば、『「どこでもドア」を使えば接続し得る』とするようなものだ。
だから、ラベルを貼れば済む話ではない、と、wの人は言っているのさ。
>>916 (
>>923 >>927 )
そして、
>此界と異界に跨って、「連続・継続したものとしての個別性」を言い得る ならば、
(―回向が、適切に効果あるものとして成立するためには―)、
そこには、此界のAと異界のA´とが、
(―Aが存在継続し得る大きな要因である五蘊が滅しているにもかかわらず―)、
一対一対応で繋がっていることが必要です。
ですから、ここに、「アートマン」だろうが「真我」だろうが「識」だろうが「阿頼耶識」だろうが
「アストラル体」だろうが「霊魂」だろうが「へらちょんぺ」だろうが「霊性」だろうが、
「プドガラ」だろうが「」だろうが「」だろうが「微細な身」だろうが、
【繋ぐ何かをラベリングする】ことは、即ち継続する基体を設定することと同じなのです。
*(だから、凡夫が(というか、世俗で)説明し得る限界が
>>146-147 なわけです。)
貴方が、「基体を設定しているわけではない」と自己申告しても、
実態は、基体設定と相似形でしかないのです。
勿論、仏教の枠組みでは、(それを言わねばならないなら)、
おそらく、「識viJJAna」(或いは「心citta」、或いは「意思(思念・思考)cetanA」)と言うしかないだろうけれども、
それは、通仏教的に「業(及び業の形成力・潜在力)の相続」と言われる部分を
「識」(或いは「心」等)と別称及び見做しているだけだ。
便宜上(…把握・考察上)、仮にそのように仮設ラベリングするけれども、
実際には連続していない、というのが勝義なんじゃないの?
だから、
道元さんは「前後際断せり」と言い、龍樹は「八不」を立て、禅者は全てを否定辞で述べたりするんじゃないの?
そしてお釈迦さんは「涅槃(完全なる寂滅)はある」と言われたんじゃないの?
931 :
神も仏も名無しさん :2013/03/31(日) 18:29:56.06 ID:/THGDXxu
>>924 「信仰を捨てよ」と言って同時に「信仰せよ」とは言えない。
この人は何を言っているのだということになる。だから「無記」。
「信仰を捨てよ」は自分で体験しろ、ということだと思う。
食べたこともない果物のことで延々と議論するのではなく、
食べてみればいいじゃないかと言っている。
そこには、何もないのではなく、食べることのできるものがあると。
勿論仏教の限界を突破するよ
933 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 18:37:49.27 ID:o1osFG79
>>929 功徳の回向徘徊に転生した故人に届くので^^
いいですか?
遺族が善行為で得た功徳を>他者への)利用、援用、譲渡 しているのです
それも現世から異界へ特定の故人に向けて です
パーリ聖典で実証済み^^
>実際には連続していない、というのが勝義なんじゃないの?
だから世俗においてです
煩悩によって無明ににとらわれている限り 自我が無我であったとしても
縁起は続く
いくら苦しむ人に あなたは無我なのだから苦しむ必要がないといっても無益です
現世から異界に特定故人へ回向が届くのも同じです
>基体設定と相似形でしかないのです。
生きている私もあなたも 心身ともに縁起の連続によって存在してますよね世俗においては?^^
現世もバルドも輪廻先の異界においても同じです
934 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 18:40:59.38 ID:o1osFG79
>>931 自分の功徳も回向すれば異界の故人にも届くと^^
そしてそれによる功徳を現世の自分が受けてみれば良いよね
セブンもパスマさんに飯でも供養して功徳をご先祖に回向すりゃいいのに
ここに書き込みするかわりにに^^
. キチガイ戯論長者:カラスの唄. 深夜に大暴れか. まさにキチガイだな. サロメがカラスから何か得るものが有ると思うのは.ひとつの鏡となるだろう. コイツから得るものは「無い」と悟ったなら.次の階段を登る事になるだろう. .
936 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 18:46:18.06 ID:+ab8neE+
>>935 いや彼の実践のやり方を知りたいだけ
彼の考え方には賛同はしない
繰り返すけど怒りに翻弄されすぎ 私も彼とやりあっていたときはそうだった
あと高森草庵の押田神父様の著作面白いよ
キリストに出会った仏教徒の神父様w
937 :
神も仏も名無しさん :2013/03/31(日) 18:56:22.78 ID:E+ADQ8Z1
先週は紙幅の都合で触れられなかったが『週刊文春』(3月28日号)「大気汚染だけじゃない あなたが食べている『中国猛毒食品』」は恐ろしい特集だった。厚労省が摘発した60品目最新リスト、細かい字だけれどつい精読してしまった。 〈とくに昨年、(日本で)絶滅危惧種に指定されたハマグリは、そのほとんどを輸入に頼る。そのうち実に九五パーセントを占める中国産ハマグリは、A型肝炎ウイルス汚染の危険性が〉〈上海で30万人がA型肝炎に感染した〉 もうハマグリは食べられない。
938 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/03/31(日) 18:56:36.04 ID:+w9M544B
しかし、頭の悪さはピカイチだなあ、サロメはwwww セブンがこれほど説明してるのにwwwww 仏典上の記述は、ただ「・・・・・がありました」だけww そのシステム提示も、詳細も語られていないのww 無我との論理不整合も解消されないままw 全てがブラックボックスのままww だから、その記述を自己の見解の論拠にするには、ただ 『私は信じます』 だけっていうことww 信仰告白の範疇を超えないのw お前は、ここで「信仰告白」したかったの?www
939 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 18:57:05.26 ID:/q5fMrF1
そういえば理趣経のようなタントリックな仏教の議論は宝珠さんよけになるのかなwww 妙適C淨句是菩薩位 - 男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地である 慾箭C淨句是菩薩位 - 欲望が矢の飛ぶように速く激しく働くのも、清浄なる菩薩の境地である 觸C淨句是菩薩位 - 男女の触れ合いも、清浄なる菩薩の境地である 愛縛C淨句是菩薩位 - 異性を愛し、かたく抱き合うのも、清浄なる菩薩の境地である .一切自在主C淨句是菩薩位 - 男女が抱き合って満足し、すべてに自由、すべての主、天にも登るような心持ちになるのも、清浄なる菩薩の境地である 見C淨句是菩薩位 - 欲心を持って異性を見ることも、清浄なる菩薩の境地である 適スC淨句是菩薩位 - 男女交合して、悦なる快感を味わうことも、清浄なる菩薩の境地である .愛C淨句是菩薩位 - 男女の愛も、清浄なる菩薩の境地である 慢C淨句是菩薩位 - 自慢する心も、清浄なる菩薩の境地である 莊嚴C淨句是菩薩位 - ものを飾って喜ぶのも、清浄なる菩薩の境地である 意滋澤C淨句是菩薩位 - 思うにまかせて、心が喜ぶことも、清浄なる菩薩の境地である 光明C淨句是菩薩位 - 満ち足りて、心が輝くことも、清浄なる菩薩の境地である.身樂C淨句是菩薩位 - 身体の楽も、清浄なる菩薩の境地である 色C淨句是菩薩位 - 目の当たりにする色も、清浄なる菩薩の境地である 聲C淨句是菩薩位 - 耳にするもの音も、清浄なる菩薩の境地である 香C淨句是菩薩位 - この世の香りも、清浄なる菩薩の境地である 味C淨句是菩薩位 - 口にする味も、清浄なる菩薩の境地である まぁ嫌がらせになるならこれ以上は触れませんが^^ 自性清浄〜〜〜♪
940 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 18:59:55.30 ID:/q5fMrF1
聖教量への信頼が理解できない人はしょうもない^^
941 :
? :2013/03/31(日) 19:02:35.92 ID:FduShYig
>>921 宝珠さん
>>928 サロメ☆ボウディアさん
了解致しました
>>930 > 便宜上(…把握・考察上)、仮にそのように仮設ラベリングするけれども
> 実際には連続していない、というのが勝義なんじゃないの?
心の働きの相続(心相続)は自性ではないので
因と縁によって現れて
因と縁によって滅する
それ故に
//www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/kenkyu1/fl-shokibukyo/shoki-soujumetu.htm
想受滅(滅尽定)
四禅にもとどまらず、四処にもとどまらず、非想非非想処も捨てて、想受滅(滅尽定)を成就する
想受滅(滅尽定)においては、心作用のうち : 受 ・ 想 ・ 行 : が滅している
942 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 19:07:21.35 ID:/q5fMrF1
>>941 > 実際には連続していない、というのが勝義なんじゃないの?
これは苦しむ人に 実際にお前は無我で苦しみは無い
と言い放つのと同じですね
回向の問題に持ち出しても意味がないし^^
本来は悪趣も園に生まれる故人もいないと話をまぜっかえすのと同じと思われます
>>942 だから二諦なんじゃねーかw
頭悪いな・・。
>>933 だからw
>パーリ聖典で実証済み
それは、『実証』じゃなくて『情景描写、状況描写』なの。
>だから世俗においてです
>世俗においては?^^
その通りだろうよw
だから、二諦なんじゃねーか。
>>942 >と言い放つのと同じですね
なるほどね・・・。
この方向で考える人間が禅系の思考を嫌うわけだ・・・。 orz
945 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/03/31(日) 20:05:06.37 ID:/q5fMrF1
>>944 だからパーリ聖典はきっちり回向を認めてるの♪
世俗のお話に勝義持ち出すのはただのまぜっかえしです4
>この方向で考える人間が禅系の思考を嫌うわけだ・・・。 orz
興味ないだけです^^
システィマテックな今日本に来てるテラワーダの方が明快でやりやすい
密教系はこれから体験してみるけどね
946 :
神も仏も名無しさん :2013/03/31(日) 20:17:41.36 ID:+/7b/dh4
例えば、AとBがここ2ちゃんで議論した結果、Aが優性であったとしても、 それは、あくまで2ちゃんの中での出来事。 もちろん、根拠となるソースは欠かせ無いが、 また、ソースの優位性も考えたとしても、 それは、あくまてもAとBの優劣であって、 公式でもなく、その教派の代表でもない。 それを踏まえた上で、お互いの知識向上の為に議論としての役割があるといえる。