1 :
神も仏も名無しさん:
2 :
神も仏も名無しさん:2012/11/16(金) 19:32:13.99 ID:t/QV6ovI
3 :
神も仏も名無しさん:2012/11/16(金) 20:13:37.22 ID:7Guj13gQ
人が死ぬと、昔はよくわからなかったので魂が抜けた、と言った。
そんで魂とか精神の概念が出来たけどそれは存在するんでしょうか?
なんていわれるとわけわかんなくなると思いますがどうでしょうか?
4 :
神も仏も名無しさん:2012/11/16(金) 20:35:18.90 ID:amk/IFRd
>>3 仏教では、仮設としては、「私」と同じように有るといいますね。
しかし、勝義では「私」も魂も有りません。
5 :
神も仏も名無しさん:2012/11/16(金) 20:51:24.62 ID:SDzuAQQ/
>>3 勝義では「私」も魂も有りませんが虚無的な意味で有りませんと言っているのでは無いことに注意ね
6 :
神も仏も名無しさん:2012/11/16(金) 22:54:04.34 ID:yHC3B62x
>>5 >虚無的な意味で有りませんと言っているのでは無い
大切なところなので、感覚的に納得させてあげてください。
論理的には当然不可です。
7 :
6:2012/11/16(金) 23:05:38.10 ID:yHC3B62x
>>4>>5 >勝義では「私」も魂も有りません
この文言自体が矛盾ですよね。
以下、よろしくおながいします。
8 :
神も仏も名無しさん:2012/11/16(金) 23:26:40.93 ID:tOyEnT8Z
死んだことのある人間はこの世にいない by 道元
これが全てだろ(笑)
あとは科学の発展を待とうぜ
科学的なアプローチで検証できる事柄なのかわからんが
9 :
神も仏も名無しさん:2012/11/16(金) 23:31:00.92 ID:lYMpKmiU
>>8 科学で空が解明出来ると思っているのかね?
ひょっとしてビギナーかな
人によっては、仏教は科学らしいからな
一応科学とは、再現可能な事象に対して論理的な説明を与える事と定義しておく。
「再現」とは言い難いがw、
仏教は《追証(追体験)可能な事象に対して論理的な説明を与えている》、とは言えるかも。
12 :
神も仏も名無しさん:2012/11/17(土) 00:51:15.19 ID:ZNHj53Ct
9の俺のカキコを見て「ムッ」ときたと思うが、その「ムッ」とした心とは何処にあったのだろうか?
俺のカキコという「縁」によって現れてきた「ムッ」とした生命はそれまでなかったのではない。これは、空の状態で「冥伏」状態にあったと言うことだ。
その生命が「縁」に因って出て現れてきたということね。
生命には、生の側面と死の側面とがある。
では、人が死ぬとどうなるのか?・・これは宿題だな。
>>12 誰に対してのレス?
この11レスのうちに、>「ムッ」ときた 人はいないように見えるけど・・。 (´・ω・`)
一体誰と戦っているんだ(´・ω・`)
15 :
テーラワーダ仏教「自ら確かめる」ブッダの教え:2012/11/17(土) 01:18:26.78 ID:gQKactAz
明確な因果関係が得られない場合、それは単なる空想や妄想になります。
この姿勢は仏教でも同じです。
仏教の応病与薬の姿勢は、原則的に明確な因果関係を踏まえた指導になります。
結局、お釈迦さまは、「自分で確かめられもしないことを信じて、そこに原因を求めるなら、それは単なる妄想にしか過ぎません」とおっしゃいたいのです。
<過去世で積んだカルマ→業報輪廻転生>なるものも、
「自分で確かめられもしないことを信じて、そこに原因を求めるなら、それは単なる妄想にしか過ぎません」(アルボムッレ・スマナサーラ)
はたして、業報輪廻転生論は自分で確かめられることでしょうか?
無量因無量果の縁起ネットワークにおいて、因果の特定は不可能であり、見方によって変るカルマの判定を
特定人に結び付けることが可能と考えるのは、あまりにレベルの低い愚かしい妄想でしかありません。
仏教で全知全能の神を設定せよというのでしょうか?
16 :
8:2012/11/17(土) 01:39:54.63 ID:YAvZPlg+
>>12 悪い
ムッと来なかった
オレは科学も仏教もビギナーだしな
たぶん
>>9のレス内容にムッとくる因をオレは持っていないのだろう
17 :
神も仏も名無しさん:2012/11/17(土) 02:45:45.62 ID:u4A5gXgF
>>15 そうだね
その通りだね
だけど
業報縁起をまちがいとする部分が制裁を欠いている気がする。
人間間の争いだと真偽不明の場合は
ないと扱うのが妥当だけど
真実を考える上では謙虚に分からないとするのが妥当だと思うよ
つまり死んだ後はあるとも言えずないとも言えない
つまり業報縁起とは確認できないから
言及してはいけないとすれば、
ないと扱うと同義になる可能性が高いので
何らかの方法で仮定が必要だと言うこと。例えばないとするにしてもね
次に、死後のモデル論は対物的な理論に止まらないということに注意。人間に作用する
ゆうなれば人間という物質に作用してその動作傾向を左右してしまう
情報的な力を有していることだよ。
これは自己に自由意志があると謳う社会では見えないことだが
自我あると思うものは必然的に
自我自身を知ることができないことからくるものだと思う
仏教は神を置かない
しかし、人間の理解できることに限界があるという
その限界に触れてさらにその先について知ることができるものもいるかもしれないが、
自分は確かにできないのだと謙虚になることは否定しない。
カントの超越論的という形容詞で足りる概念だが。長く言うとそういうこと。
18 :
神も仏も名無しさん:2012/11/17(土) 03:13:56.60 ID:u4A5gXgF
我ながら分かりにくい文章ですまん
つまり、ないと言うのは、あると言うのと
あんま変わんないよということ。
まあ、俺はないんじゃないかと思うけどね
でも少なくとも、あるという人や文化は尊重するし
たいてい聞かれても興味ねえよってゆうだろうね
19 :
神も仏も名無しさん:2012/11/17(土) 05:07:54.37 ID:IiTDDGcB
>>7 なんで文が矛盾なんでしょう?
何か基体がなくてはならないという形而上学に立っているのではないですか?
ウパカさんのゴータマ・シッダールタ@一切知者に対するスルースキル高すぎ
/: : : : : __: :/: : ::/: : ://: : :/l::|: : :i: :l: : :ヽ: : :丶: : 丶ヾ ___
/;,, : : : //::/: : 7l,;:≠-::/: : / .l::|: : :l: :|;,,;!: : :!l: : :i: : : :|: : ::、 / ヽ
/ヽヽ: ://: :!:,X~::|: /;,,;,/: :/ リ!: ::/ノ l`ヽl !: : |: : : :l: :l: リ / そ そ お \
/: : ヽヾ/: : l/::l |/|||llllヾ,、 / |: :/ , -==、 l\:::|: : : :|i: | / う う 前 |
. /: : : //ヾ ; :|!: イ、||ll|||||::|| ノノ イ|||||||ヾ、 |: ::|!: : イ: ::|/ な 思 が
/: : ://: : :ヽソ::ヽl |{ i||ll"ン ´ i| l|||l"l `|: /|: : /'!/l ん う
∠: : : ~: : : : : : : :丶ゝ-―- , ー=z_ソ |/ ハメ;, :: ::|. だ ん
i|::ハ: : : : : : : : : : : 、ヘヘヘヘ 、 ヘヘヘヘヘ /: : : : : \,|. ろ な
|!l |: : : : : : : : :、: ::\ 、-―-, / : : :丶;,,;,:ミヽ う ら
丶: :ハ、lヽ: :ヽ: : ::\__ `~ " /: : ト; lヽ) ゝ
レ `| `、l`、>=ニ´ , _´ : :} ` /
,,、r"^~´"''''"t-`r、 _ -、 ´ヽノ \ノ / お ・
,;'~ _r-- 、__ ~f、_>'、_ | で 前 ・
f~ ,;" ~"t___ ミ、 ^'t | は ん ・
," ,~ ヾ~'-、__ ミ_ξ丶 | な 中 ・
;' ,イ .. ヽ_ ヾ、0ヽ丶 l /
( ;":: |: :: .. .`, ヾ 丶 ! \____/
;;;; :: 入:: :: :: l`ー-、 )l ヾ 丶
"~、ソ:: :い:: : \_ ノ , ヾ 丶
21 :
神も仏も名無しさん:2012/11/17(土) 09:03:02.21 ID:ZNHj53Ct
仏教は三世を説く
即ち現在・過去・未来
現在の果を観るならば過去の因をみよ
未来の果を知ろうするなら現在のの因をみよ
と、言うことである
22 :
7 ←セブンではありません:2012/11/17(土) 09:07:20.27 ID:gQKactAz
>>19 >なんで文が矛盾なんでしょう?
『基体』という観念は世俗的相対言語でしかありません。
文そのものは、分別→矛盾によって成立するからです。
有⇔無という概念は二項相対矛盾によって成立します。
相対矛盾(世俗)を前提として、適正なところを『中庸』といい、
相対矛盾が空(非有非無)である(勝義)様相を『中道』といいます。
仏(覚悟者)は空矛盾(中道:空観)を還滅して、矛盾(言語論理←仮設:仮観)のうちに説かれます。⇒<中観>です。
23 :
神も仏も名無しさん:2012/11/17(土) 09:19:18.95 ID:IiTDDGcB
>>22 なんだ、遊びか
言葉を使う時、言い習わし通りに使わないのが、君の欠点だ
24 :
7 ←セブンではありません:2012/11/17(土) 09:31:09.99 ID:gQKactAz
>>21 >仏教は三世を説く
どなたの『仏教』か存じませんが、
仏法は、機能的には縁起であり、内容(様相)的には空=中道です。
したがって、『三世』は言語ゲームとして非有非無です。
『果』も『因』も無意味・無内容・無価値・無実体の言語概念でしかありません。
25 :
7 ←セブンではありません:2012/11/17(土) 09:41:23.28 ID:gQKactAz
>>23 >言葉を使う時、言い習わし通りに使わないのが、君の欠点だ
その文句は道元さんやハイデガーさんや現代の若者に言ってください。
言語はバラバラに解体して、自由に再構成すればいいのです。
26 :
神も仏も名無しさん:2012/11/17(土) 10:04:54.86 ID:IiTDDGcB
>>25 いや、道元禅師はよくわかってるし、ハイデガーも習わしに依ってる
君は違う。最終的に妄想混ぜて、勝手な解釈で適当な意味、用法を用いているところがダメなんだな
27 :
神も仏も名無しさん:2012/11/17(土) 10:20:15.81 ID:ZNHj53Ct
>>24 言葉遊びばかりしているから肝心なモノが見えなくなるのであろう。
生命そのものは永遠。なれば、過去も未来も存るということ。
但し、生命の顕在の在り方は人間に限定せず。
28 :
7 ←セブンではありません:2012/11/17(土) 10:25:46.09 ID:gQKactAz
29 :
神も仏も名無しさん:2012/11/17(土) 10:46:00.22 ID:IiTDDGcB
>>28 え、またかよ。前、指摘しなかったか?
ようするにマハーカッサパの陰謀とかいって自説に合わないテキストを退けてるとこが正にそれじゃんか。
一点だけ、具体的に言うは、指摘済みだけど。
>>22 >相対矛盾が空(非有非無)である(勝義)様相を『中道』といいます。
非有非無は、四句分別の一つで、中道ではない。
中道は、四句分別の全てをとらないあり方を示してるんだけど、何回言っても納得しないで、マハーカッサパの陰謀とか中論が間違ってるっていうことになるから、話しても無駄なんです。
要するに誤解を指摘しても自分の間違いじゃなくテキストなどの間違いとするから。
そりゃ、例えばこんなかんじだ。
『坊ちゃん』は村上春樹が書いたって言ってるヤツがいるとする。
彼に『坊ちゃん』は夏目漱石が書いたという文学史や岩波文庫の『坊ちゃん』を見せて、ほら「君の誤解だろ」と言う。
それでも彼は「それは文学史と岩波文庫が間違ってる」という。
30 :
7 ←セブンではありません:2012/11/17(土) 11:00:27.84 ID:gQKactAz
『このゆえに、花開の万木百草、これ古仏の道得なり。古仏の問処なり。
世界起の九山八海、これ古仏の日面、月面なり。古仏の皮肉骨髄なり。
さらに又古仏の行仏なるあるべし。古心の証仏なるあるべし。古心の作仏なるあるべし。
仏古の為心なるあるべし。
古心といふは、心古なるがゆえなり。心仏はかならず古なるべきがゆえに、
古心は椅子竹木なり。』
(道元 正法眼蔵 古仏心より)
アタシのつたない分では物足りないでしょうから、道元さんのお題を提示しておきます。
当然、日本語です。
>>27 道元さんのは『言葉あそび』でしょうか?
>>26 『道元禅師はよくわかってるし』とのことですが、
道元さんの上記文言のどこが『言い習わし通り』なのでしょうか?
では、出かけます。
31 :
神も仏も名無しさん:2012/11/17(土) 11:08:50.68 ID:IiTDDGcB
>>30 >『道元禅師はよくわかってるし』とのことですが、
> 道元さんの上記文言のどこが『言い習わし通り』なのでしょうか?
逆にどこが言い習わしと違うのか?
>>29 >非有非無は、四句分別の一つで、中道ではない。
>中道は、四句分別の全てをとらないあり方を示してるんだけど、何回言っても納得しないで、マハーカッサパの陰謀とか中論が間違ってるっていうことになるから、話しても無駄なんです。
これは認められないのかな〜
ID:gQKactAz なんだ仏教でポストモダンやろうってのかw
33 :
神も仏も名無しさん:2012/11/17(土) 15:16:06.35 ID:u4A5gXgF
思うんだけど
二項対立て、何を二項におくかでかなり違うんでない?
例えば、汚いと清い
世の中、汚くないが清くもないものなんかいくらでもある
その場合に四句分別が適切に使われる
ベン図のように
次に有無のようにそれぞれの定義がそれぞれの否定の状態であるとすると途端に
ベン図のモデルで説明できなくなる。定義上共通部分はないし、
全体として有無どちらかの状態しかありえないからね。
つまり、ベン図概念において、有かつ無という状態を認めることそのものが
人間が認識できる限界を超えているということ。
つまり、人間に限界を認識させる。
しかし、時間帯な前後をおくと、あるときは有しかしあるときは無、
同じ瞬間に有かつ無とは言えないが、全時間的にそれは有でもないし無でもない。
だから有かつ無でありまた全時間的に本来の有無のあり方で
説明できないのだから有かつ無でないと時間概念の導入と
有無の状態の定義を一定期間継続的に有無であると言えることによって四句分別に
配置可能として扱おうとする考えが出てくる
そこで、瞬間的に有かつ無であると体験する、できるとする人が出てきたりするが、
これらのすべての過程を反省的に見つめるならば
結局、有無という設定自体が、正しいかどうか言うことができないものなのではなかろうか。
つまり、人間は有無についてよく知らないのだ。
それはつまり四句分別そのものの否定となるのではなかろうか
34 :
神も仏も名無しさん:2012/11/17(土) 15:34:01.55 ID:u4A5gXgF
つまり、
有無については、仮に設定されたもの
ということが認識できるならば
それが、認識できる言語レベルが、狭義のそれだろうが
広義のそれだろうが
どちらでもよいのではないかな
35 :
1/3 7 ←セブンではありません:2012/11/17(土) 15:40:25.93 ID:gQKactAz
ただいま、大雨でずぶ濡れです。
>>29 >マハーカッサパの陰謀とかいって自説に合わないテキストを退けてる
・いつもと同じく、機縁に応じて批判−反論して書き散らしてきましたので、ここでは再説しません。
よければ、<【輪廻転生説はどう扱われるべきか】スレ3
>>294~
>>355~ 同スレ4
>>135〜
>>174~ >あたりをどうぞ。
アタシの『マハーカッサパ教』批判については、ほとんど確信に近い<仮説>です。
その<仮説と検証>というオーソドックスな手法を行ってきましたが、
宝珠をはじめ、この仮説を覆すにたりる有効な反論はありません。
宗教的感情を害された感情的な批判だけです。したがって、この仮説は現在でも有効です。
・改めて、特に<マハーッカサパ教とジャイナ教との混合>の視点は重要だと指摘しておきます。
ブッダはレイシスト(人種差別主義者)でも、広義のスピリッチュアリスト(心霊主義者)でもありません。
・アタシのマハーカッサパ教批判は龍樹と同じだと確信しています。
また、中村元博士の言を借りれば、アタシは『後代の要素を能うかぎり排除して、
歴史的』宗教文化としての仏教を可能な範囲において事実に近いすがたで、知りたいとおもいます。
・仏法にドグマはありえません。しかし、仏教(マハーカッサパ教)には固定ドグマ(業報輪廻転生論や実質的な梵我一如論など)があります。
その意味では「還滅」仏法(世俗)は懐疑主義(経験主義)ではありえても、原理主義(合理主義)ではありえません。
しかし一方、仏法の本懐が実存苦の根源的超克にあり、このためには苦しみの原因である我執は相対分別(世俗)の一方への執着であるがゆえに、
必然的に、無分別相(勝義)の透過を問題とせざるをえません。哲学ではなく、宗教としての仏法たるゆえんです。
36 :
2/3 7 ←セブンではありません:2012/11/17(土) 15:43:40.82 ID:gQKactAz
従って、以下のように考えます。
・還滅仏法は輪廻転生を説かず、冷徹に縁起=空=中道一本であるからこそ、
キリのような鋭さで真相の現観と苦からの解脱を示しうる。
・ブッダ当時より徹底した資本主義(潜在意識をも支配する)のもとで、
苦からの解脱を説きうるのはブッダの縁起しかない。
・縁起と輪廻転生論を並存させることは、仏教のアイデンティティの喪失である。 (輪廻転生説はどう扱われるべきか4
>>135)
37 :
神も仏も名無しさん:2012/11/17(土) 15:48:03.94 ID:IiTDDGcB
>>35 自分だけの論理で長々と説明しても何の説得力もないんだよ。
>>29 >>非有非無は、四句分別の一つで、中道ではない。
>>中道は、四句分別の全てをとらないあり方を示してるんだけど、何回言っても納得しないで、マハーカッサパの陰謀とか中論が間違ってるっていうことになるから、話しても無駄なんです。
これを認められないなら、どうしようもない。それに尽きる。
38 :
3/3 7 ←セブンではありません:2012/11/17(土) 15:48:34.11 ID:gQKactAz
>>29>>31 >非有非無は、四句分別の一つで、中道ではない。
当然です。オイラ氏もあい変らず誤解の名人ですねえw
で、ここは言語表現の場(間接現実)ですよね。
間接現実からの中道(直接現実の無矛盾の様相=無分別相)の隔靴掻痒の言語による“示唆”であって、
言語による分別示唆である以上『中道』そのものではありません<中論24-10>。
月(無分別中道)を差す指(分別言語:非有非無)です<中論18-8⇔同22-12>。
このことは既に仏法のゲシュタルトとして、仏法は二相の相即的実践においてのみ顕現すると提示しました。
>>31 >逆にどこが言い習わしと違うのか?
問うているのはアタシです。
このカッコ良すぎる文は「世間の言い習わし」などとはまったく違う天才的な覚悟者の指月文です。
この文を世間の言い習わしで理解できますか?
39 :
神も仏も名無しさん:2012/11/17(土) 15:53:18.92 ID:IiTDDGcB
>>38 >で、ここは言語表現の場(間接現実)ですよね。
>間接現実からの中道(直接現実の無矛盾の様相=無分別相)の隔靴掻痒の言語による“示唆”であって、
>言語による分別示唆である以上『中道』そのものではありません<中論24-10>。
>
>月(無分別中道)を差す指(分別言語:非有非無)です<中論18-8⇔同22-12>。
君こそ、妄想の達人だな。
非有非無ってのは四句分別の一つで中道ではないよ。
それはオイラが知る限りどんな経典、どんな文献学者の記述でも同じだ。
そんな誰でも分かるような初歩的な面も押さえられないんじゃ、妄想以外の何者でもないって分からないかな〜
40 :
2/3 7 ←セブンではありません:2012/11/17(土) 15:53:33.74 ID:gQKactAz
訂正
× 真相
〇 縁起の直接現実=無分別相
縁起の現観に「真相」は観念不能です。
41 :
神も仏も名無しさん:2012/11/17(土) 15:55:06.41 ID:IiTDDGcB
>>38 >問うているのはアタシです。
>このカッコ良すぎる文は「世間の言い習わし」などとはまったく違う天才的な覚悟者の指月文です。
説明しないなら、いいは。
ほんと、手法は汚いというか。
話にならない。だから、話すの止めるんだよ。
今回も止め、止め。最初から、遊びって書いてれば、レスしないのに。
42 :
7 ←セブンではありません:2012/11/17(土) 15:58:28.65 ID:gQKactAz
>>39 当然です。オイラ氏もあい変らず誤解の名人ですねえw
⇒(非有非無は)言語による分別示唆である以上『中道』そのものではありません<中論24-10>。
月(無分別中道)を差す指(分別言語:非有非無)です<中論18-8⇔同22-12>
43 :
神も仏も名無しさん:2012/11/17(土) 16:02:57.73 ID:u4A5gXgF
古仏のなんたらという道元の言葉だが
山川草木のもの思わざるままそのまま枯れ果てていく姿に
仏のあり方を見ているものなのではないでしょうか
ひょっとして山川草木は過去世において すでに悟った仏が
衆生にその悟りを教えんがために顕現した姿なのではなかろうかと。
まあ、石の方なった方が幸せだと俺は思えないので、つーかそれを一般化すべきではないと思うので
賛否分かれる味わいではなかろうかと思うが
そんなことはどうでもよく
道元はこの言葉を一般人に伝えるために書いたものではないと思います。
禅語は前知識がかなり必要で、とくに中国のお寺の歴史など、
それが分かって初めて当人の自然な心境が流れ込んでくるものです。
人間にはある程度共通知識がないと
伝えることができません。
誰にどれほど伝えたいのか、それをきちんとわきまえてから
何事も書いた方がいいのではないでしょうか。
かくすればかくなるものとしりながらということはあるでしょうが
44 :
7 ←セブンではありません:2012/11/17(土) 16:04:48.31 ID:gQKactAz
>>41 >説明しないなら、いいは
問うているのはアタシです。
あなたは『道元禅師はよくわかってる』んですから、
世間の言い習わしで理解できるのなら、説明不要でしょ?
問題は世間の言い習わしで理解できるのか、でしょ?
45 :
神も仏も名無しさん:2012/11/17(土) 16:06:52.78 ID:IiTDDGcB
>>33-34 よく仰りたいことが分かりませんが。
仏教では、言葉は仮設された言い習わしのままに使います。
有無もそう。あらゆる仮設は「これあらばこれあり」という此縁性・縁起によって仮設されて幻のように認識されるだけで、本質も実体もなく空性(中身からっぽ)です。
ですから、分析すれば矛盾します。
四句分別は論理形式で、普通は最初の二つしか使いません。
後の二つは神秘主義者が使います。
そして四句分別は、勝義への導きとしてあらゆる認識・知覚・見解・思想が四句分別のいずれとしても成り立たないとして、
その認識・知覚・見解・思想という戯論を寂滅に導く手段・道として使います。
つまり、戯論によって戯論を鎮めるわけです。
46 :
7 ←セブンではありません:2012/11/17(土) 16:08:01.45 ID:gQKactAz
>>43 ありがとうございます。
了承いたしました。
47 :
1/2 7 ←セブンではありません:2012/11/17(土) 17:26:14.10 ID:gQKactAz
>>45は誤解を招くレスですので、二言。
>空性(中身からっぽ)
空であること=縁起の直接現実は無分別ですから、『中身からっぽ』などという観念そのものがありえません。
ゼロでもありません。
中身からっぽもゼロもカウント(分別)できます。
カウントできる様相を哲学や科学・文学などで扱います。
直接現実はカウントそのものがあり得ません、ゆえに分別できません。
だからこそ、我執そのものがあり得ず、無<苦・集・滅・道>(般若心経)という縁起の直接現実を直覚して、慶安の境地に至れるのです。
仏法が宗教たるゆえんです。
*滅は『制』(制御、支配、コントロール)が本意で、誤訳です(中村元 般若心経 岩波文庫p31)。
従来の四諦解釈(煩悩滅)は誤っています。
だからこその、「第二矢を受けず」(相応部36-6)であり、「二念を継がず」(白隠)です。
覚悟者の娑婆での様相=無分別の分別です。
48 :
2/2 7 ←セブンではありません:2012/11/17(土) 17:29:04.67 ID:gQKactAz
>>45 >つまり、戯論によって戯論を鎮めるわけです。
だったら<「竜馬がゆく」これを『言い習わしを用いて破壊して、戯論寂滅に導』いてみてくださいよ。>(小学校3年生)
⇒<
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1287385458/519/560>
『戯論によって戯論を鎮める』←よく、こんな無責任なコトを言いますねw
この見解にはほとんど不可能なほどのデッドロック=パラドックスが待ち受けています。
ゼノンのパラドックスを戯論で突破できますか?
中論第二章はじめ『見解を論理的に否定する』偈が問題です。
毒(矛盾)をもって毒(矛盾)を制するのは不可能です。
そのこと自体が矛盾に他なりません。
<飛ぶ矢は、飛ばず>(ゼノンのパラドックス)
<龍馬がゆく>(小学校3年生)
<去るものは、去らず>(龍樹)
どうぞ上記を、石飛流トリレンマで『戯論によって戯論を鎮める』範例をお示しください。
49 :
神も仏も名無しさん:2012/11/17(土) 17:52:06.99 ID:u4A5gXgF
飛ぶ矢は、飛んでいる
が、飛ぶ矢は飛ばず のケ論では?
双方、双方とも理解できる次元がありながら
双方は同じ言葉であるということが
その言葉について人間はよく知らないということを示している
ところでアキレスと亀のパラドクスって
要は時間の進み方を意図的に時間の不可分的連続性に巧みにすり替えているよね
だから、思考上、いつまでも経っても
アキレスが亀を超える時間が到来しない
まあ空も空じろと言われるから
それは空を示す特定の論理にも固執するなってことだよね
考えるんじゃない、感じるんだ
ということでどうでしょう
>>47 取り敢えずsunyataやsunyaは、0とか空っぽと言う意味でいいだろ。
もう少し付け加えるなら、空っぽな場所がある。または、位取りで数がない場所がある。
でなければ同じ言葉が、違う意味を持つという意味不明なことになる。
52 :
神も仏も名無しさん:2012/11/17(土) 18:48:45.15 ID:qN6S7EKM
>>43 >道元はこの言葉を一般人に伝えるために書いたものではないと思います
一般人にも、大きな感動を以って充分に伝わりますよ。道元は「世界最高の
思想家」と評価する人もいる。
少なくとも、貴方や釈迦の「寝言」よりは、遥かにマシですw。
道元は、よくハイデガーと比べられるけど
現象学的な意味で道元は哲学者と云えなくはない
54 :
神も仏も名無しさん:2012/11/17(土) 19:02:03.10 ID:u4A5gXgF
俺は道元はデリダに近いと思う
55 :
神も仏も名無しさん:2012/11/17(土) 19:07:06.35 ID:u4A5gXgF
まあ、哲学者と同じ次元で考えるのはいやだが
56 :
神も仏も名無しさん:2012/11/17(土) 19:14:35.97 ID:ZNHj53Ct
空における無とは空っぽでも0でもない
哲学者って基本その時代の学問一般の最先端を行く人を指す言葉でもあるからな
その意味でブッダも龍樹も道元も哲学者の範疇。この場合、哲学学者とは、分けて考える。
空っぽも0も所謂無をいう意味ではないから、それは空としか言えない
空っぽも0も=シューニャって意味ね 誤解なきよう
はいはぃ休憩ですよぉ
一休み一休み ヽ(´ー`)ノ
では、溜まって放置状態だったアトランティス関連の話題についての纏めレスです。
これ以上のことは私にも返答しかねるので、まだ納得できない方々についても、
「そんな話もあるのかぁ?」程度で終わりにして頂けると助かります。
これ以上の応酬が続くと、もうスレ違いなので・・・。
---では、暫し連投を敢行します。
(どうか長文と連続投稿について失礼しますm(__)m)
>>913 ご指摘に感謝します。
では、“レミングの自殺”の部分については取止めることにします。
もちろんこれは、自殺をしているわけではないことについては承知しています
(自殺でないことは分ってるのですが、私も一般的な言い方にそのまま倣ったまでです)。
あなたからのご指摘を受けて確認したところ、
これは時折り、数年に一度の大繁殖をした時に見られる集団移住の際の事故死という評価らしいので、
らしき情報の一つからは取り下げることとします。
(他、ヨーロッパウナギやノルウェーの鳥類については取り下げません)
60 :
神も仏も名無しさん:2012/11/17(土) 19:25:28.59 ID:ZNHj53Ct
仏典は一切衆生の為に説かれたもの
龍樹だ、中論だなどと小難しい話じゃ得度出来る訳がない。
と言う事は、そこに無いということだ
>>914 それらの諸説や他のオカルト情報は神智学情報とは異なります。本当は、神智学では「ムー(大陸)」
というのは説いていません。有名なチャーチワードのムー大陸説というのはフィリップ・スクレーターのレ
ムリア大陸説をパクったものです。世間では、インド洋にレムリア大陸と太平洋にムー大陸とか、或い
はまた、一つの海洋に二つの大陸が並列していたりと、もう諸説はバラバラです。
神智学情報ではあくまでもレムリア大陸というのは南太平洋の広範囲に及ぶもので、南太平洋諸島
というのは、その名残りだとするものです。よって、与那国島海底遺跡はレムリア文明と関係するもので
あるという可能性は有得ることだと私は思います。
ご紹介して頂いたサイト(オカルト情報にメスを入れる懐疑解明サイト)は確かに凄いものですね。
これは一般の個人の方なのでしょうかね?アプローチとしては素晴らしいものだと私も関心しました。
しかしながら、このアトランティス批判については私からも反論や弁明ができる箇所が幾つかあります。
『現在では、アトランティスの候補地になっていない土地を探すほうが難しいことや、支持者たちによっ
て好き勝手にアトランティスの候補地としてこじつけることが可能だということがわかるのではないだろ
うか。--中略--
アトランティス大陸の候補地としては、大西洋が最も頻繁に挙げられる。しかし海洋底の調査によると、
かつて広大な陸地が存在し沈没した可能性がないことがわかっている。また大陸移動説(プレートテクト
ニクス)でも、ヨーロッパとアメリカ、アフリカ大陸をジグソーパズルのように1つに集め、かつての姿を再
現したとき、その間に別の大陸が入るべき余地は残念ながら残されていない。 』
(サイト『超常現象の謎解き』より)
ごった煮状態の単なるオカルト情報や諸説ではなく、神智学的見解では確かに大西洋海域に関する
各情報の多くはアトランティスに関係するものです。オカルト情報の大西洋に合った巨大な大陸アトラン
ティスというイメージそのものが根本から間違っているのです。そうではなくて、現在の南北アメリカ大陸
はそのまま古代アトランティス大陸の形成部分なのです。そして、これがヨーロッパの西側にまで延びて
いた。そして、アトランティスの大西洋海域部分が崩壊した。この大破局は約10万年前頃で、崩壊は長
期に及んで続き、最後に沈んだのが現在のアゾレス諸島にあったポセイドン島でした(1万5千年前に起
きたこの島の崩壊沈没が“ノアの大洪水”となった)。
大陸崩壊に伴う根本的な原因が本当は何であったのか?これについては明確にはされていません。
パエトン災害(ギリシア神話とも説かれる)を引き起こしたとされる隕石落下(カイロライナー・クレーター
群原)が最後のとどめだったのか?或いは、元々原因は複数に及んでいるのかもしれない。アトランティ
ス人は物質的貪欲の頂点に達したとされているので、インドのマハーバーラタに見られる描写の如く、
核爆発(戦争か?)が最初の根本的悲劇であったのかも知れません。
『次に「ヨーロッパウナギが数千キロも離れた場所で産卵」する件については確かに事実である。しか
し同時に、日本のウナギも数千キロを回遊して産卵している、という事実があることも指摘しておかな
ければならない。またウナギ以外では、サケやマグロなども産卵のため数千キロを回遊することが知ら
れている。
もし数千キロを回遊する魚が「大西洋のヨーロッパウナギだけ」ならばともかく、実際には大西洋以外
にも、そしてウナギ以外にも同じような行動をとる魚はいるのだから、わざわざウナギの産卵について
アトランティスを想定する必要性はなくなってしまう』(サイト『超常現象の謎解き』より)
ヨーロッパウナギはメキシコ湾流に逆らいながらアメリカ大陸近くのサルガッソー海まで泳ぎ続けると
いう不可解行動です。通常の回遊性魚類というのは海洋の潮の流れに乗って回遊するもの。また大西
洋上で旋回し力尽きて海に落ちるノルウェーの鳥類も同様であり、まったく説明の着かない不可解行
動を採っているのです。その他の大西洋外の回遊魚等々は正常行動にてまったく問題にしていません。
『ちなみにこれらの預言は、ケイシー氏がアトランティスに関して全部で700件預言したとされるうちの
2つである。700件の預言の中には--中略--など、今となっては完全に外れが確定している預言も含ま
れている。』(サイト『超常現象の謎解き』より)
エドガー・ケイシーは、1.7段階のイニシエートでした。このレベルでは特に年代についての正確さは
保証されません。漠然と大凡、大体の年代か時期を示す程度と解すべきです。
>>前スレ915
>>940>>958>>962および
>>前スレ955
>神智学では世界を七段階に区別するらしい。エーテル界→アストラル界→
>メンタル界→ブッディー界→アートマ界→モナド界→ロゴス界。
>この段階を、その人間の霊的進化に応じ、下から順次、上へと昇って行く。
>各々の人間は、自分の属する界に応じ、エーテル体、アストラル体・・・
>などの身体を持つという。この図式は進化論そのものではないか。
人種(亜種)の進化の違いとしてではありません。
各諸体中のどの体を保持するかではなくて(人間はすべてこれらの諸体を持っている)、
自己意識の焦点が進化(意識の拡大)に伴いこれら各諸体を上昇移行していくということ。
ただ、根人種としては肉体、アストラル体、メンタル体と完成のための人種的な目的があり、
段階的なレベルアップがはかられます。
>>前スレ957
>さて問題は、日本人は下から二番目のアストラル(感情・欲望)体に属し、
>欧米人はメンタル(精神・知性)体に属しているところにある。
>日本人のランクが下なのは、日本人が消えた大陸の生き残りだからである。
>ユダヤ人、黒人も同じなのだが、欧米人に比較したら劣等人種であり、
>自分たちより先に滅びるべき人種だと主張している。
アトランティス種族はアストラル体(情緒体)の完成に目的があり、現在の我々であるところのアー
リアン種族/第五亜種はメンタル体の完成が目標であるという意味です。確かに、日本を含むモンゴ
ロイド系は古いアトランティス種族の肉体ですが、だからといって、その魂と精神も進化が遅れてい
てレベルが低い、といった意味ではまったくありませんから(その肉体に転生して、使用している魂は
アーリアン種族の魂です)。現在、様々な人種が存在しているのは、レムリア種族、アトランティス種
族、そしてアーリアン種族(ヒトラーの歪曲した概念とは何の関係もありません)と発生してきた人類
種族の進化におけるプロセスの過程の結果なのです。
確かに体型・肌の色等々・・・の違いはありますが、それは“多様性の中の統一”として人類全体が
これを顕現すべき必要な特質だということ。虐めや差別はもちろんのこと、古い種族は滅びるべきだ
となどいった馬鹿げた考え方が許される筈もありません。
とにかく、神智学を理解できずに勝手な思い込みで決め付けた偏見と歪曲に満ちた巷の情報を鵜
呑みにするのは辞めるべきです。そういう人に限って、自分自身で神智学文献を読むこともしません。
『世界的な人類同胞愛の核となること。
これは民族、信条、性別、階級、あるいは皮膚の色に差別されない。』
(神智学協会の3大目的より/1896年)
65 :
神も仏も名無しさん:2012/11/17(土) 19:50:35.24 ID:IiTDDGcB
すまんが、神智学は他所でやるのが筋じゃないの?
そもそも隔離スレなんだから荒れること前提だろ なんでも構わん
67 :
神も仏も名無しさん:2012/11/17(土) 20:04:26.27 ID:IiTDDGcB
>>66 まあ、そうなんだが。神智学はないと思わないか?
ナショナリズムとか、政治の話とか、神智学とかは、他の所でやってくれよん
69 :
神も仏も名無しさん:2012/11/17(土) 20:13:02.43 ID:ZNHj53Ct
神智学は要らんよ
ややこしくなる
それに、この流れじゃ荒らしと同じだろ
自スレで頼む
>>66 >そもそも隔離スレ
それを言っちゃぁお終めぇよw
71 :
神も仏も名無しさん:2012/11/17(土) 20:17:44.08 ID:ZNHj53Ct
兎も角、神智学は自スレでたのんまっせ
>>前スレ950
>日本人は基本、無神論者だしな。宝珠はその点とう思ってんだ?
日本人の宗教離れというのは、昭和以降に繰り返されてきた新興宗教の詐欺やオウムなどによ
るカルト事件にウンザリしたからでしょう。大衆は宗教に対して、すっかり信用を失い懐疑的になっ
てしまったのです。自分が宗教者であると他者に知られることは、そのまま懐疑視線で見られるこ
とを意味するほど悲しい状況です。
しかし、本来の日本人というのは宗教について大らかでオープンでした。信仰を持つということは
日本人としての美徳であって、人格を磨き倫理道徳の上でも尊敬を集めるものでした。もう、宗教
離れが言われるようになって久しいけれども、それでも尚且つ、数字だけをあげれば驚くべくことに、
日本には2億900万もの宗教信者がおり(一人複数の掛け持ちを含む)、そして、22万団体が存在し
ているといわれています(平成18年12月調べ-文部科学省発表より)。
我々の神智学系グループにおいては、世界中どの参加者においても日本人が最も精神的資質に
勝れており、瞑想においても諸外国に比較にならないほど最も深い集中力を発揮することが知られ、
高い評価がなされています。
また、今回の東北大震災の復興にも見られるように、世界中が驚かれるほどの奉仕的な協力関
係が発揮される民族です。日本人は自己犠牲の美徳(特質)に顕著な民族として尊敬を受け、絶賛
されています。結果的には戦後復興の“助け合いの精神”が日本人を強くしてきたのです。
>>前スレ918
>人種の新旧が人種の優劣に読み替えられるのは、
>神智学が進化論を土台に、人間の本性を考えているからだろう。
>知識や物質的な領域では、進化論的な、時代が進むにつれ進化して行く
>という考え方も確かに成立する。しかし、精神的人格的な領域では、
>そんなに単純ではない。進化論は唯物論的な発想である。
それは、
あなたが自分で神智学を勉強すれば氷解すること。
>>前スレ919
>ダイヤモンドが王様?鉱物王国の話はまったく理解できません。
神智学は西洋の文化の中で開花したものです。
彼等の表現としては、「王国」という言い方が一つの好みなのでしょう。
それ自体は大した意味などはありません。
有機生命体が発生する以前にも意識(生命)存在を説くのが神智学です。
もちろん、その意識レベルは通常の生物の概念とは異なります。
それは「波動」と「放射」、そして鉱物の持つ「意志」といったところでしょう。
>>前スレ979-981
あなたとは特に何も話すことはない。
-----アトランティス/神智学関連は、以上です(-人-)
>>65 >すまんが、神智学は他所でやるのが筋じゃないの?
はい、すみません。
前スレで、仏教との対比で語られていた神智学ならまだしも
純粋な神智学の話をこうも爆撃されたら、荒らしと言われてもしょうがない
何語るにしても釣り糸というか何からし仏教と関連付けて話すのが望まいいね。
できるだけ仏教の立場から食いつきやすそうなやつを でなければ一方的で議論もなにも起こらない。
といっても個人的にはなんでも構わんが
>>20 >ウパカさんのゴータマ・シッダールタ@一切知者に対するスルースキル高すぎ
残念、ウパカさんは、後に思い直して釈尊に帰依・出家し、覚って聖者になりました。
見事にスルーされた(フェイント食らった)のは
>>20氏。
>>76 そう?
後で帰依したって方が嘘っぽいけどw
ま、その辺の真偽は別としても、
出遭った(すれ違った)瞬間の描写としては秀逸だと思うけど?
つか、あの瞬間のウパカさんの感想としては、まさに
>>20の如きだったと思うけど?
エーと、漏れが1件あったので申し訳ないです。
以降、仏教に絡んだ内容の投稿ということで自重を致します。
どうもすみませんでした。
>>前スレ954
>人智学のシュタイナーはもともと神智学の信奉者であった。
>かれはシュタイナー教育で日本でも有名だが、ヨーロッパではかれの著作に
>人種差別的発言が頻繁に見い出せると批判されている。
>かれ自身が、神智学の核に人種差別があることを示す傍証になっている。
>シュタイナー教育が欧米中心なのも人種差別から。
シュタイナーはドイツ人です。
欧米を中心にシュタイナー教育が発展してきて何が変なのかな?
私はシュタイナーは殆ど読まないし、興味もないのでよく知りません。
ブラヴァツキー神智学をアーリマン(魔族)による疑似宗教といった悪評を続ける彼の偏狭ならば、
そこに何が書かれていても不思議ではありませんが・・・。
“シュタイナー人智学”などと一緒にされては困ります。
---おわり---
では、反省を込めて“お口直し”をば m(__)m
>>前スレ994
http://mimizun.com/log/2ch/psy/1350666891/994 >まあね・・w
>デメリット(危さ、負の側面)が仏教にゼロかというと必ずしも言い切れないからね・・。
>・欲望(欲求・自己を満たすこと)の否定、快楽・享楽・満足への興味の喪失
> → 鬱的気分
>・誘惑への対処として、「関わらない」という方法論(cf.DN16)の選択
> → 逃避、対岸としての視線、事象に対する“已む無し”という視線
> 参:
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1335272293/922 >・執著の除去へ向かうまでの煩悶/理想(目指す姿)と現実(実際現状の自己)とのギャップ
> ( 欲←→不要 / 精神的飢餓←→満足・充実 / 欲・甘え←→理想・節制 )
>・社会の改善、変革、或いは軌道修正への非積極性
>・聖俗という分業・棲み分けに由来する「我関せず」的態度
--以下 略--
残念ながら、確かにそれは妥当な評価だろうと思われます。
やはり、仏教というのは出家向きの教えで出家至上主義なのでしょう。
恐らく、この通りにすべての人々が従おうとしたものなら、
人間社会は崩壊し、最終的には衰退のあげく人類は絶滅してしまうかもね・・・(苦笑)。
私が、自身における最良の道としては仏教を選択枠から除外したのは、
根本仏教そのものが正しく伝えられているところはないように思われたことと、
もう一つは、これらセブンの指摘のような消極的な非人類社会生活的な視点にありました。
仏教の説く出家至上主義は人類を幸福には導かない(幸福というものも仏教的には否定するし)。
余談:
>>77の補足として
なぜ
>>20が秀逸か?
畢竟、個人の問題だから。
苦の滅も、当人に於いて滅せられているかどうかこそが焦点なんであって、
他人が見てどうこうではないということだ。
BさんはAさんの境遇を“見て”、なんて不幸・不遇・辛酸な人生であろうか・・、と思うかもしれないが、
Aさんは、そこに安楽を見ているかもしれない。
*(たとえば、各宗派の道場で修行している若者は多くいるけれども、
周囲の人間は、「なんて辛いことでしょう・・」と思うかもしれないが、
当人たちは清々しく「これこそ安楽!」と過ごしているかもしれない。)
さて、AさんとBさん、どちらが『正しい』(≒真理な)んだろうねw
>>79 宝珠愚者氏
>残念ながら(……)やはり、仏教というのは出家向きの教えで出家至上主義なのでしょう。
宝珠愚者シリーズのそもそもの発端は、愚者さんの浄土真宗(の輪廻転生否定見解)に対す
る批判の投げ掛けからだったと思うのですが、そのことと、上記主張との間に整合性が薄い
気がします。
何せ、「在家主義」という点では浄土真宗は大乗系である日本仏教の歴史(近世)の中でも
“浮いた”存在ですが、むしろその点では、愚者さんにとっては最も、肯定的に評価すべき
日本仏教系宗派だということになるはずです。(一方、この点で、日蓮宗とは別の観点で、
私は浄土真宗も一人前の仏教セクトとしては存在に疑義のあるセクトだとは思っています。
仏教系の在家者集団セクトとしてならばこのような疑義は生じませんが。浄土教としての親
鸞上人の思想面の問題ではなくて、です。まあこの疑義は、今や現代日本仏教では、浄土真
宗に特有の問題ではなくなってしまいましたが……)
>恐らく、この通りにすべての人々が従おうとしたものなら、
>人間社会は崩壊し、最終的には衰退のあげく人類は絶滅してしまうかもね・・・(苦笑)。
社会のこと世間のため(世直し)を目的とする社会活動は本来、仏教とは相容れないものです
(日蓮系の宗教的動機の根幹はそこにあるという主張が私及び一代氏)。
また外道か仏道か以前に、社会的価値観を離れられないのは古代インドにおける沙門(宗教家)
として不適格です。宗教家としての例外は血統相続を根幹的価値観として保持するバラモン教
のみ(この点については中国文化圏では儒教や近世日本の浄土真宗と立場が一致)。
(続く)
>>81の続き
「仏教の説く出家至上主義」この「至上主義」という言い方は、愚者さんの謬見による不当な
ものと考えます。特に、これは上座と大乗の差も関係している気がしますが、日本的な大乗の
見方で、出家制度を評価すると、そうなりかねません。元々、上記のように、社会的価値観の
下に宗教的活動を行うこと自体が、仏教と相容れない発想ですので、だから、仏教では、出家
した人、世間(的価値)を捨てた人だけを対象にしているわけです。それを世間的価値観の中
に人生を営んでいる人も対象であると考えた上で評価すると、それがデメリットだとか、そう
いう判断につながることになります。上座ではそもそも、(現状の人生の形態が出家か在家か
は別として)出世間的価値観に興味のある人(機縁のある人)のみ対象としていることを明確
にしています。大乗(を小乗に比して「大」乗であると主張して)の優越を説く人はそこを、
一部の人ではなくて仏教の外側の人もデフォルトで対象としている、太っ腹・懐の広い乗り物
なんだとします。そういう発想に影響されていると(日本では影響されて自然ですが)、出家
制度が、心の狭い制度のように思えてしまう。上述のように、事実は正反対で、できるだけ、
比丘出家とは無関係な俗世間の人と価値観が交錯しないような、“棲み分け”のためのシステ
ムで、出家したい人だけ出家すればいいだけで、何一つ、「出家の強要」なんて発想はないは
ずですが……。(本来の理念とか建前としての大乗については知りませんが、現状として大乗
に属する仏教国とされる我が国大乗仏教では、この“棲み分け”が曖昧になっているのが実状
でしょうね。)
横
>>82 >による不当なものと
人類は滅びた方がいいということで宜しい?
仏道を歩まず、日々を全うしようとする人がいたとして、彼は(勝義からは愚者でしょうけれどw)嘲笑の対象ですか?
彼の生き方をサポートする言葉は仏教にありませんか?
もし、そうではなく、彼のスタンスをも認めるならば、
(そして、霞を食うことをせず、市井に入って食を乞い、法を示すならば)、
聖俗の断絶で解決しようとするのは、聊か乱暴に過ぎるような気がしますけど・・。
勿論、護教的立場から言えば当然82の如きではあるけれども、
それは同時に、「皆で絶滅しましょう」と言っているのと同じだということを忘れてませんか?
聖道を歩む者(或いは仏教徒)しか存在しない社会でのみ、貴方の言明は成立するということです。
そうでない人間の存在を許容するならば、人類の存続は重要な施策の一つとならざるを得ません。
>>77>>80 セブン氏
確かに、AAの吹き出しの中の台詞の言葉については、そうでしょうね。
私がひっかかったのは、あくまでも、経典のあのウパカのエピソードに絡めての点になります。
ウパカが道を歩いていたところに、いきなり釈尊から辻説法を浴せられた場合ならば、そういう
セリフもアリだと思います。だけど実際は、ウパカが先に、
「あなたのオーラ(?)が神懸かってるけど、あなた何者? 師系統(流派)は?」
と話し掛けたのが切っ掛けだと思うので(違ってますでしょうか?)、
無師独覚ナリと答えた釈尊に対して
『自分は自分、他人は他人』
的なセリフに繋っていくのは無理があるような気がしたまでです。
あくまでも、あの場の「ウパカの」セリフとして捉えることに対してですね。
>>83 セブン氏
「横」のせいかもしれませんが、
>>79 の宝珠愚者氏の意見はつまるところ
「人類が全員出家して俗世間生活をやめちゃったら→人類滅亡」
という話だと私は理解したので
「逆に聖俗を区別するから、出家するのはあくまでも一部。だから人類は絶滅しなくて済む」
という話です。人類滅亡を肯定しているはずがありません。
むしろ、聖俗を区別し、価値観を交錯させないからこそ、という主張なので、
>嘲笑の対象
ということであれば、それは聖の価値観を俗に適用した結果になります。区別して線引きし
なければ(棲み分けがなければ)、そういうこともありうると思いますが。
仏教は生まれてこないための教えです
国家が滅びようが人類が滅亡しようが関係ありません
生まれてこないことが目的なのだから
関係ないのです
俺は生きるのがつらいからもう生まれてきたくない、ってのが
なぜなのか分からんけど今に伝わってる気がする。
もっとまともなものが無かったからでしょう。
>>86 建前や教義の上ではね
だが仏教というのは国家の大きは支援がなければここまで大きな信仰にはなりえなかった
大きな原因は、布教活動に熱心でない。武力的な圧力に対して反撃しない意味で一方的になりやすい。などがあげられる。
仏教の歴史を見ても土着の信仰(神々)を取り得れ、国家の保護下に入る。という過程を経ていない仏教で現存しているものは、無い
あっても小規模なものにとどまっている。日本の聖徳太子しかり、チベット(この場合中国は、考えない)もスリランカ枚挙にいとまがない。アショーカ王がいなければ
仏の教えはキリストが生まれる前に既に絶えていたかもしれない。
つまり、仏教は生まれてこないための教えであるが、国家など後ろ盾となる大きな権力がないと生きていけない教えと言える。
>>88 国家権力が宗教を保護する構図は、キリスト教もイスラム教も同じ。
神道もユダヤ教も同じ。宗教は国家によって保護されることで変質する。
しかし、保護されなければ自然消滅するか、国家によって潰される。
そのままで発展していく宗教は国家権力にとって危険すぎる。
91 :
神も仏も名無しさん:2012/11/18(日) 09:47:58.78 ID:pjSK3Dob
出家制度 〜 自然発生的には、信仰者の経済的自立からスタートする。
自給自足にしろ、経済的に余裕ができれば、出家制度が姿を見せる。
それは、国家権力によって保護されることで社会的に認知される。
たえず出家制度が望まれるのは、世俗社会が住みにくく、
聖俗の価値観が真逆だからにほかならない。
92 :
神も仏も名無しさん:2012/11/18(日) 09:52:03.89 ID:iuXVcdcu
>>86 仏教は、毎日の生活の中での悩み苦しみの減少ももたらす。
釈迦は菩薩道を選んだのではないだろうか。
瞑想で涅槃を体験したとき、かりに涅槃がこの世に勝る場所なら、
この地上に戻らないで、そのまま涅槃に止まったことだろう。
しかし釈迦は、この地上に再び戻ってきた。『ブッダ最後の旅』で
釈迦は、「この世は楽しい」と語っている。
釈尊は菩薩だったのかもしれない。しかし今世が最後の転生とも言っている(間違ってるかも)から、菩薩道を終えたと考えるべきでしょう
95 :
神も仏も名無しさん:2012/11/18(日) 10:42:40.32 ID:pjSK3Dob
聖俗の価値観は真逆だから、世俗社会で生活することは、
世俗社会がヤスリとなり、その人を精神的に追い詰めるだろう。と同時に、
悟りへと導くことだろう。世俗社会で暮らすことが修行になっている。
出家して似たような人間と暮らすことは安楽だが、安楽であるがゆえに、
それが逆に仇となり、悟りを困難にし、不可能にするかもしれない。
96 :
神も仏も名無しさん:2012/11/18(日) 11:17:53.30 ID:pjSK3Dob
>>94 難しい問題ですね。輪廻から解脱した、という意味では如来でしょう。
しかし、解脱して地上に戻り、80歳まで長生きしたわけだから、
菩薩道を選んだとも言える。そういった釈迦が死後、再び生まれるのか、
二度と生まれないのかはどうもはっきりしない。わかりません。
97 :
神も仏も名無しさん:2012/11/18(日) 15:10:55.33 ID:iuXVcdcu
釈尊は前世でたっぷり菩薩行を積んでいた。
しかし、菩薩行も永遠ではなく、涅槃というゴールがある。
しかし・・・・
重大な問題が存在する
・・・・
釈迦の教えを誰も証明できない
・・・・
魂の存在そのものも証明できないし
イコール輪廻も証明できない
・・・・
それは空想?
彼の主張する理論は空想にしてはつじつまがあいすぎている・・・
ならば真実?
真実といえども証明は出来ない
証明ができないのなら・・・・・・
何でもありじゃないの?・・・・オウムのように
・・・・
証明できないことを主張している者に対して我々はどのように理解することが大切なのだろうか?
証明とは現代に生きる人間にとって常識を翻弄する宗教に対する
わずかばかりの命綱ではないのか?
それを捨て去ってしまったら真実の追求は終わるのではないか?
・・・・
真実を追求することは絶壁に挑む登山家と同じ境遇なのかもしれない?
99 :
神も仏も名無しさん:2012/11/18(日) 18:29:24.21 ID:jRy8AYBQ
神にしても霊魂にしても、個人個人の心の中で出会う以外にない。
釈迦はそのための方法を教えた。縁起の理法、十二支縁起(特に逆観)、
四諦八正道、それから瞑想(坐禅)である。
これらが月を指す指であり、月そのものは自分で体験する以外にない。
経典をいくら研究しても、悟りを体験したことにはならない。
龍樹は有無の縁起を考えていた〜『中論』5章6詩。
従って、非有非無という論議領域は存在する。しかし、有であって
同時に無であることは否定する〜7章30詩。
ところで虚空は、有(非有)でもなく、無(非無)でもなく、・・・
そのほかの五つの要素も、虚空の場合と似ている〜5章7詩。
101 :
神も仏も名無しさん:2012/11/18(日) 19:11:10.71 ID:jRy8AYBQ
四句分別の論議領域で見れば、有、無、有かつ無、非有非無になる。
ものごとを「有」か「無か」で見る者を愚者と言っている〜5章8詩。
また「有かつ無」は<同時に>ありえないと言っている。
そして「非有非無」は虚空である。五つの要素(地水火風識)も同じ。
・・・非有非無は「有かつ無」に等しい? 同時でなければ成立する?
102 :
神も仏も名無しさん:2012/11/18(日) 19:47:09.83 ID:97EVXMQ5
>>101 いや、そうでなく四句分別という四つの論理形式全てが成立しないと遮断して、
戯論寂滅へ導く。これが空であり、中道。
103 :
神も仏も名無しさん:2012/11/18(日) 20:17:33.20 ID:jRy8AYBQ
>>102 虚空は非有非無である(5章7詩) → これが龍樹の「空」ではないのか。
そうだとすれば、非有非無が「中道」ということになる。
104 :
神も仏も名無しさん:2012/11/18(日) 20:17:34.03 ID:nME4paN5
仏教と社会との関わり方という論点ですね
上座部や大乗との違いはまさにその点に集約できることですが。
一市井の人間としては
大乗を支持するものですが
やはり、そのあり方はいろいろあっていいと思います。
おっしゃる通り私も世直し宗教は2流であるとします。
と言っても、単純ではありませんが。
あくまで、創唱宗教の部類が、という意味でのと付加させて頂きたい。
これまた以前にも書いたことですが、
自然宗教は、生きること自体が自己存在意義となります。
今津波が迫っている時に生きるとは何かなんて考えませんよね。
そんなことを考える暇があるかないかの前に
次に何をすべきかが最重要課題です。
そして、幸いにも生き残った末、
初めて状況に気を配る余裕ができたとき
虹が天に掛かっているのを見れば
残酷にも、それは美しく尊い。
そこに自然に対する敬意と尊崇が
沸き起こってくるのではないでしょうか?
水は清清しく生気に満ちていると感じるのも
人間が生きるためにそこに見てきた歴史が内包されている気がします
同じように共同体をつくり、共通の祭りそのため倫理があるのは
個よりも共同体をつくった方が生き残りやすいところからくるものでしょう
とくに自然の厳しい我が国においては
集団主義になりやすい傾向があるのではないでしょうか?
いいか悪いかは論じません
私はただ因果を尊重するだけです。
105 :
神も仏も名無しさん:2012/11/18(日) 20:18:34.28 ID:nME4paN5
次に創唱宗教ですが
これは死が眼前から消えた都市から起こった宗教です。
平和なときはとくにそうですが
人間は100パーセント死にますが、死体は見ないでしょう、
堕胎や老死など枚挙に暇がないものですが
そんなものの現場に居合わせることは稀です。
死は忌むべきものとして闇から闇に葬られるのが平和というものです。
つまり、都市において、人はむき出しの死の恐怖に対面することなく
すなわち、なぜどうして生きなければならないかに直面し
その解決の方法に一応の答えを出したのが
創唱宗教の教祖たちです。
仏教においては答えなどない、そしてそれがまさに満足する答えなのだとしました。
ある意味、自然宗教的なあり方に回帰した感がある
と私は思っているのですが
106 :
神も仏も名無しさん:2012/11/18(日) 20:33:16.47 ID:97EVXMQ5
107 :
神も仏も名無しさん:2012/11/18(日) 20:59:17.31 ID:nME4paN5
最後に
仏教が生き残れるかですが、
私も否定的にとらえています。
仏教が取り入れられた歴史を見れば
帝国が多民族支配をするための道具として使われている側面が大きいのです。
世界宗教は大概そうです。
多民族多階級入り乱れるインドは言うに及ばず、
遊牧民族が華北を支配した北魏、
華南への移住した南朝の越人との不和といった背景、
日本においても白村江以後の国防強化の中で
急激な中央集権化する中で連合国家体制の意識を緩和するために
国家鎮護をスローガンに仏教が利用されたのは明らかです。
108 :
神も仏も名無しさん:2012/11/18(日) 21:06:04.69 ID:nME4paN5
しかし、そのような中においても僧伽が維持され
戒壇をつくり、律をも整備していったことは注目に値するところです。
また、日本仏教の精華とされる鎌倉仏教、
これは天台宗教義の不整備からきたものですが
末法思想とあいまち仏教が真に大衆化しました
おっしゃる通り、真宗の本願寺の拡大過程には問題があるところです。
親鸞の非僧非俗、御同朋のあり方と比べ、
単なる親鸞の墓守りに過ぎなかった本願寺が、
覚如の時代、関東の門徒を集合し、開山宣揚のため物語絵巻を作っていった
こと(他の宗もやってたことですが)
とくに蓮如の組織拡大は他宗派に抜きん出ていました、御文章という仮名文字まじりの文を書き
大衆でも読めるようにしたので
個別の寺に依存していた体制が本願寺を頂点に組み換えられていった。
蓮如は王法に従うように諭していた法主だが
そこから自治の高い組織へと発展した結果
再び中央集権化していく国の中で戦国大名と対立するのは
自明でした。これは紀伊の自社勢力が特異な社会を営んでいたこととパラレルな事象ですが、
日本という国が対外的な関係を営んでいく上で
あるいは近代的な国家形成をする上で、克服すべき課題であったことは確かでしょう。
109 :
神も仏も名無しさん:2012/11/18(日) 21:22:06.19 ID:nME4paN5
また、江戸時代の檀家制度は宗教を堕落させたと言われます。
布教活動などしなくとも、制度下の檀家が面倒を見てくれるから
楽なものです。
このように宗教は牙を抜かれたのかもしれないが
同時に堕落したのです。
明治以後の仏教は多難でした。
神仏分離に経済的困難、そんな中大谷光真や名だたる
仏教学者はバイタリティあふれよく頑張ったと思います。
さらに問題は戦後の無宗教と世界平和的空気の中の
嘘臭い世界化の流れです。
真宗においても靖国がなんだ、人権がなんだと
基幹運動なぞいうものが幅を聞かしていますが
これはもはや宗教の枠を超えた、世直し宗教の最たるものではないかと。
世界平和は根底において、世界征服と変わりません。
一枚噛むことのその危険さを戦前以上に警戒すべきだと思うのですが
彼らはまさに宗教の生き残りをかけているですかね
蓋し名言だなw
>>109 >世界平和は根底において、世界征服と変わりません。
111 :
神も仏も名無しさん:2012/11/18(日) 22:09:16.09 ID:nME4paN5
少し補足を
大乗は社会と大きく関わるという面で
不可避的に社会問題を生ぜしめる失が
あるのは確かでしょう。
さらにやはり創唱宗教という面は、
教えに通底した思想を継受できる点では
メリットがありますが、
経典に縛られるという面も否定できない。
そういう意味においては
今の真宗もその悪い面が出てしまっているのかもしれない
あいつらろくに説教もしないからな
戒も守らず、絹の袈裟というのも笑える
まあともかく、
大乗の悪い面をあげてみたが
大乗仏教が、帝国にしても共同体内部の安定化にこそ使われても、
他を害する積極的な手段に使われることはなかったことは
他の世界宗教と比べ、特異であることは誇れるかな
>>83 このセブンの主張はこの私と全く同感のものです。
私も元々は、「主家したい」とか「社会には関らず興味もなし」だとか、
「世俗が求めるところの幸福などは苦の因でしかない・・」
といった仏教観でものごとを見ていたのです。
ところが、途中で疑問になってきてしまったのですよ。
しかし残念ながら、この疑問に対する納得いく回答というのは、
仏教には見つからないように思われました・・・。
>>81-82>>85 不説さんのいわれることは分るのですが・・・、
しかし結局は、「全員が出家するわけではないから」とか
「したい者だけがするのだから問題ない」という話に終止するわけです。
私がいってるのは、
仏教としてはあくまでも、「世俗を捨てることが理想だとして説かれるのでしょう?」と。
要するに、「できることならば、全ての人間が社会を捨てることがより良いのでしょう?」ということ。
けれどそれって、「本当にいいんですか?」という疑問なのですよ。
これはそのまま、社会生活を営む人類というもの自体に対する仏教の根本的な価値観を示すものですから、
その納得いく回答が欲しいと私は思うようになったのです。
それが、世俗を捨てる道を選択することを辞めた理由です。
>>86-87 はい、ですよね!
---皆さんからのご意見を宜しくどうぞ!!
では、また後日に・・・。
114 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/11/19(月) 01:23:18.58 ID:3QgKoWZN
>>93 >釈迦は菩薩道を選んだのではないだろうか。
瞑想で涅槃を体験したとき、かりに涅槃がこの世に勝る場所なら、
この地上に戻らないで、そのまま涅槃に止まったことだろう。
しかし釈迦は、この地上に再び戻ってきた。『ブッダ最後の旅』で
釈迦は、「この世は楽しい」と語っている。
「我汝を救わずは正覚を取らず、此の世はつらきものなり」と仰せられた。「我他界するとも汝等我を相継ぎ相継ぎて衆生済度に努むべし、此の本願を立てずんば諸の衆生如何にして救うべき、多くの衆生を救うには……
然る上に於て不巧不変の本願を相継ぐ者は汝に譲る」と仰せられた。
阿難曰く「勿体ない事でござります」
月明の中夜、釈迦如来は斯くして御涅槃に入り給う。百獣百鬼生あるものは相集いて相悲しみ地に伏し天に慟哭し天を仰ぎ地に慟哭した釈迦如来 ほほ笑み賜い
「衆生よ 諸の衆生よ、嘆く事なかれ、必ず汝等と共に相見ゆる時来らん、汝等の責任重大なり、汝等の弘めによりて又一人づつ助かる。かくの如くにして救うが御本願じゃ。我、浄土に於て衆生と共に楽しまん」
斯くして御涅槃に入り給う、釈迦如来後涅槃に入り給う時がんがこうと云う鳥が来て妙音をかなで遂に浄土に入り給う。
(「浄土への道標」 昭和6年 第26回)
115 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/11/19(月) 01:35:57.08 ID:3QgKoWZN
>>57 >哲学者って基本その時代の学問一般の最先端を行く人を指す言葉でもあるからな
>その意味でブッダも龍樹も道元も哲学者の範疇。この場合、哲学学者とは、分けて考える。
「本願力に会いぬれば空しく過ぐる人ぞなき、功徳の宝海満ち満ちて煩悩の濁水へだて無し」とおっしゃる。
宝海とは宝の海じゃ、何と有難い事ではないか。
此処迄来ると教育の有る人も無い人も善根の有る人も無い人も皆一様に救われるのじゃ、
教育の有る人でも教育では行けぬ、只只無智無行になってしまうのじゃ、そして信仰を確立さして貰う上に於て、
龍樹菩薩と天親菩薩と毫厘の差別無し、我身は悪き徒ら者なり我を御助け下さる御仏は、阿弥陀仏より他には無い、
無限の権威此の一言に尽きるのじゃ。
(「浄土への道標」 昭和5年 第52回)
116 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/11/19(月) 01:46:13.81 ID:3QgKoWZN
>>97 >釈尊は前世でたっぷり菩薩行を積んでいた。
>しかし、菩薩行も永遠ではなく、涅槃というゴールがある。
御涅槃の事を四枯四栄と云う。釈尊は沙羅双樹の下に於て月明の中夜に入滅せられたのである。沢山の弟子、鬼神や、生物や動物迄嘆き悲しんだ。
其の時の御姿は頭を北にして顔を西に向け右の手を下にして御休みなされた。多くの人の寝姿の恐ろしきは真実の喜びをして居らぬ証拠じゃ。
御涅槃の事を四枯四栄と云うは四本の木が栄えて四本の木が枯れたと云う事じゃ、釈尊は其の樹の下に頭北面西右脇して涅槃に入られたのである。
円い生活、悩みの無い生活、喜びの生活をせねばならぬと云う御教訓の為に北枕に御休みなされた。
其の時分は今と違って科学の進歩もしない昔であったけれども千年万年の後迄も科学の力でも動かす事の出来ぬ真理を御説きになったのである。
地球の自転磁気の関係で北は高いで北枕で寝れば安眠する事が出来る。西向に右を下にして寝れば心臓の圧迫を防ぐ事が出来る。其の外多くの御話がある。
釈尊常に我に対して仰せられた。「我今幾多の教訓を残せり、汝は必らず我教えを忘るる事なかれ」と仰せられた。
(「浄土への道標」 昭和6年 23回)
117 :
安堂:2012/11/19(月) 02:03:04.22 ID:KNqBFmHD
教義論争は面白すぎる。
中身が全くないからだ・・・・・・・・。
118 :
神も仏も名無しさん:2012/11/19(月) 02:27:23.72 ID:jED0gRXb
>>113 仏教の骨格は四諦です。
四諦を信じる者が仏教徒だと言ってもよい。
煩悩が悩み苦しみの原因である、ということについて賛同できれば、
輪廻とか来世とか出家するかどうかとかいう過去や未来の話は置いといて、
とりあえず、今・ここで悩み苦しみがあったならその裏に必ず煩悩があるのだと気づける。
もし今、「全人類が出家しちゃったらどうするんだよ!」という悩みがあるなら、
その裏にも何らかの煩悩があるということ。
119 :
神も仏も名無しさん:2012/11/19(月) 02:46:44.98 ID:jED0gRXb
>>113 学校で例えるなら、出家は最終学年に進級することで、涅槃は卒業。
全学年が卒業をめざしているが、全学年が同時に卒業してしまうことはありえないし、
現実に次から次へと新入生が入ってくる。
また、仮にあなたが本当に人類最後の一人になってしまったとしたら、
人類最後の一人であるが故に、あなたが修行三昧の暮らしをして涅槃に入っても、
まったくに差し支えない。
だから、空を理解できたのか?
現代用語で説明してみ
122 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/11/19(月) 07:40:50.54 ID:3QgKoWZN
>>118 >煩悩が悩み苦しみの原因である、ということについて賛同できれば、輪廻とか来世とか出家するかどうかとかいう過去や未来の話は置いといて、とりあえず、今・ここで悩み苦しみがあったならその裏に必ず煩悩があるのだと気づける。
中阿含経にも華厳経にも大八人経にもある様に不知足、足る事知らず飽く事を知らぬ。守銭奴は仏の最も嫌われた事、而していましめられたと云う。
苦悩を脱せんと欲せば知足を観すべし。知足を感じたる人は知足を得る人は地上に臥するとも尚安楽である。貧しきとても富んで居る。
不知足の人は常に六つの苦に悩まされ、而して知足を感じたる人から憐れに迎えらる。華厳経にもある通り………伴う六非道財、六つの非が生ずるのである。
又華厳経にもある。中阿含経にもあるが………
123 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/11/19(月) 07:41:37.63 ID:3QgKoWZN
仏教に於ては其れに六つの悩みが伴って来る。即ち例えば賭博をするとか仕事をせずに居るとか、投機的、延をするちとかある。
それをやれば六つの非が生ずる。財産を失くするとかになる。この知足を感ずると云う事は困難な事である。
仏と人間との区別、仏と人、願行である。願とは仏を衆生のものとする、行とは衆生が仏を………る事、言葉をかえて云うと願とは仏が衆生済度の為、
発せられたる大誓願である。「我汝を救わずば正覚取らず。」その願は行を……れすものは行は願を招く。
仏は如何にして仏果を得たかと云う事を研究して、願行を一つにならねばならん。
例えば百里の道を行くにも右後左前にあらば一歩も進まず、願行が一致せなければいかぬ。前へ戻って知足を知る。
その中六非道財との区別、其の人達が救われるか否かと云う事を………そうすればよく分る。
かかるあさましき徒ら者は弥陀の願行により救われると云う事が判ると思う。
(「浄土への道標」昭和7年 第6回)
大王、名無し氏(
>>33-34)、セブン(前スレ
>>994、当スレ引用
>>79)
このあたりは「空」に関する有益な示唆を含んでいると思う。
『中論』24章18詩だけでは、「空」なるものがイメージできない。
龍樹は何もイメージしないで「空」を編み出したのではない。
たぶんそれは、当時のアビダルマが説く宇宙論だったのではないか。
イメージを共有しなければ、論敵と論争することもできない。
この宇宙は、虚空→風輪→水輪→金輪→大地の順序で成立している。
126 :
神も仏も名無しさん:2012/11/19(月) 08:14:40.49 ID:uDnWWtLW
龍樹の「空」は、アビダルマ宇宙論の「虚空」だろうと思う。
そうだとすれば、「中論」5章〜要素(界=虚空)の考察は
「空」をイメージする上できわめて重要な位置づけを占めている。
龍樹はここで、「虚空」とは「非有非無」だと言う。
つまり、「虚空」を四句分別の論議領域のひとつに割り当てる。
127 :
神も仏も名無しさん:2012/11/19(月) 08:55:24.65 ID:uDnWWtLW
アビダルマ宇宙論を基に、非有非無をイメージしてみよう。
大地(宇宙)は有であるように思えるが、実はそうではなく、非有、
すなわち大地は虚空の中に幻の如く存在している。虚空も同様であり、
それは単なる無であるように思えるが、実はそうではなく、非無、
すなわち金剛石のような大地が虚空の中に存在している。
128 :
神も仏も名無しさん:2012/11/19(月) 09:09:17.30 ID:TzVlS2Mt
>>125 >イメージを共有しなければ、論敵と論争することもできない。
釈尊も龍樹菩薩も論争などしてないよ。
そう見えるのは分かってないから。
部派、特に有部とかゲルクとかは体系構築を目指して、無理に細部まで定義しようとするから歪な体系になっていると思う。
そもそも定義するというあり方が、本来の仏教とは違う方向に行っていると思う。
まあ、方便としてはありだと思うけど。
さて非有非無は、「有かつ無」とイコールではないだろうか。
龍樹は、この宇宙そのものを「空」だと言っている。
であれば、有は同時に無、という構造で理解していた可能性がある。
この構造は、アビダルマのような、平面的空間的な宇宙論ではなく、
ビッグバン宇宙論のような、立体的時間的なものである。
130 :
基地子菩薩:2012/11/19(月) 09:29:17.77 ID:PbpN3RkU
仏教原理主義を此処に宣言します!( ̄^ ̄)
131 :
神も仏も名無しさん:2012/11/19(月) 09:37:30.76 ID:TzVlS2Mt
>>129 そりゃ、完全な誤解だ。
空は、xである、xでないというような、何かを主張、設定するような見方は幻だってことを示している。
もちろん、非有非無は、「有かつ無」も例外でない、だから四句分別という論理形式すべて遮断するんだが、
何か主張、設定、規定してるにちがいないという予断で読むことが、今までの中観研究の最大の盲点だんだけど
ビッグバン宇宙論は、虚無が爆発して宇宙が誕生したという。
龍樹は、この宇宙(有)が同時に、出生の秘密、
(無)の遺伝子を内在させていることに気づいたのではないだろうか。
そうであれば、万物は非有非無であり、「有かつ無」という矛盾を
最初から抱えていることになる。それが「空」ではないか。
>>131 四句分別という論理形式こそ、宇宙の基本構造なのかもしれない。
有と無の縁起は、その構造を明らかにする特殊なもの。
ちなみに四句分別はベン図ですね。
134 :
神も仏も名無しさん:2012/11/19(月) 10:08:20.07 ID:TzVlS2Mt
>>133 そりゃ、誤解でしょ。
四句分別はベン図でも記述できるけど、ベン図ってわけじゃないでしょ。
四句分別は人が取りうる思考形式、論理形式の全てだと思います。
そういう意味で、宇宙、世界が妄想だとするなら、その基本形式ということもできるかもです。
【妄想】
みだりなおもい。正しくない想念。
根拠のない主観的な想像や信念。
統合失調症などの病的原因によって起こり、事実の経験や論理によっては容易に訂正されることはない。
広辞苑
無我の無は後世の学者の翻訳ミスだろ
無の意味は無いでありゼロを意味する
これを非我ならば、あらずであり、違う、異なる意味で、ゼロとう完全否定とはならない
この答えが空の概念といえる
138 :
神も仏も名無しさん:2012/11/19(月) 13:07:01.02 ID:TzVlS2Mt
139 :
神も仏も名無しさん:2012/11/19(月) 13:24:54.89 ID:uUDqUF4z
石飛さんは畜産業者を差別しないと思うので
法華経で説かれる菩薩ではないな。
>>138 空の概念は縁起の法によって証明されているのだが、
どう違うのか、まとめて書き出してみ
141 :
神も仏も名無しさん:2012/11/19(月) 13:31:54.50 ID:TzVlS2Mt
>>140 偉そうだな、やなかんじ
なんの違いよ?
142 :
神も仏も名無しさん:2012/11/19(月) 13:59:59.70 ID:HGszbOPF
>>140 >空の概念は縁起の法によって証明されているのだが、
王様、裸ですよ!
143 :
基地子菩薩:2012/11/19(月) 14:18:17.81 ID:PbpN3RkU
>>142 ,-─- 、
/ \ ,. -‐- 、
|,/⌒i\ \, '´( °) ヽ
\ ⌒ヽ. ( °)i
\ i ,,, l オエッ!オエッ!オエーー!!!!
∵:。:∴。,。゚ / }_ ,ノi チョコボオオオルーー!!!!
∵:。:∴。、、 , ' ,_'  ̄ ̄ }
oo , 。,U , ' , ':::|_ i ;:::l
o , 。,U /,.イ::::l:::::ヽ l |‐':::;'
l∴ U _'ィ´ l:::l:::::l:::ヽレ':;'::;'
l: U l:::::l::l::::;'::::;::'
!:| 〉、::;;;;:::ィ´
U オ 卞
144 :
神も仏も名無しさん:2012/11/19(月) 15:43:07.07 ID:4g9wVgc4
仏教社会が世俗社会とどの程度関わるかは
世俗がどの程度それを容認できる体制かも
関わってくる問題だから
社会の変動により維持できなくなることもありうる
それは大乗が発生した経緯でもあるのだから。
そもそも、仏教は出家者のみで形成されているわけじゃない。
比丘比丘尼うばいうばそくからなる
うばいは助からんのに施しをするのか?
そんなわけは無いわけで出家者が出家者たる理由は
真理の追求にある
いわば医者のようなものだ
その意味では仏教はまず神ありではなく
悩める衆生ありと言える。つまりそれこそ四諦のあり方だ
また、煩悩は苦しみの根元ではなく、悟りを妨げるもの
同じようなもんか・・・
知らない間に人を執着に向かわせるからな煩わしいことこの上ない
しかし、結局は何が根元かと言えば無明につきる
つまり、明らかでないこと、智慧がないことだ。
煩悩を消すとは言うなれば、智慧の発現を妨げるのを打ち止めることで
怒らないとか食べないとかそういうことではない
よって、人類が絶滅することを進める教えではないし
うばいうばそくにセックスするなとも言わない
145 :
基地子菩薩:2012/11/19(月) 15:52:23.70 ID:PbpN3RkU
>>144 キャハハハハッ!!(≧▽≦)彡☆バンバン
146 :
神も仏も名無しさん:2012/11/19(月) 16:11:12.62 ID:4g9wVgc4
あと
上の大谷光真は大谷光瑞の間違いでした
大谷探検隊のことを言いたかったわけです
147 :
神も仏も名無しさん:2012/11/19(月) 16:21:22.46 ID:4g9wVgc4
ま、なぜ無明が原因かは、シャカの修行過程からも
類推できるし、禅系のサイトにも書かれているよ
十二縁起は古くはもっと簡便な形で
インド特有のカルマが来世の苦を呼ぶという概念が下敷きに
なっている。
この方法に思考を絶つ、徹底した苦行により煩悩を絶つという二つの方法が
かつてのシャカの師にありシャカは両方とも退けている
148 :
1/2 幻? 大滝秀治:2012/11/19(月) 16:48:38.15 ID:HGszbOPF
>>131 >空は、xである、xでないというような、何かを主張、設定するような見方は幻だってことを示している。
スルーしようと思ったが、大切なところだから一言。
上記は間違い。幻ではない。
『如し』であって虚妄だとはいっていない。
如く⇒仮設=仮観だと設定している。
大食漢を『牛のように食う』とメタファーで言っても、大食漢を牛だと言っているわけではないことと同じである。
オイラ氏の「幻論」では悪取空観だ→中論24-11・12。
単なる仮観(分別)と純空観(無分別)から離れた、覚悟者の娑婆で生きる道<中道中観>(無分別の分別:中論24-18:七仏通誡偈など)に相応しくない。
たとえばxを人間だとしよう。
人間『幻』観と業報輪廻転生論のドッキングで *(『空なるものから空なるものが生じる』とするオイラ氏の論がまさにそうだが)
人間はカルマというデータベース付きの幻にすぎないのだから、気軽に始末して悪カルマを減らしてやることは善行⇒回向だ!
というオウム的【ポア】思想となりかねないのだ。
149 :
2/2 幻? 大滝秀治:2012/11/19(月) 16:52:27.01 ID:HGszbOPF
以上の、如し=仮観の経典上の根拠を提示しておく。
・龍樹 中論7-34
『 あたかも幻の“如”く、あたかも夢の如くあたかも蜃気楼の“如”くであると、
譬喩をもって、生起(生)が説かれ、持続(住)が説かれ、消滅(滅)が説かれているのである。』
・金剛般若経 32
『一切有為法 “如”夢幻泡影
“如”露亦“如”電 応作“如”是観』
・相応部教典 22-95
『色は聚沫の如く、受は水泡の如く、想は陽炎の如く、行は芭蕉の如く、
識は幻事の如しとは 日種の〔尊〕の所説なり。』
150 :
2/2 幻? 大滝秀治:2012/11/19(月) 16:55:56.36 ID:HGszbOPF
訂正
中論は論書であって、経典ではありません。
失礼。
>>121 >>現代用語で説明してみ
現代用語?ああ普通の意味なら簡単だよ
「空=シューニャ」とは、「からっぽ」ということです。
ちょっと難しすぎたかも知れないけど、これで理解できたかな?
>>128 >>釈尊も龍樹菩薩も論争などしてないよ。
これ論争とは何かを定義しないと、何の意味もないぞ
152 :
神も仏も名無しさん:2012/11/19(月) 17:10:21.65 ID:TzVlS2Mt
遊びは、相変わらず分かってないな?
龍樹菩薩自身が「他ならぬ空なる諸法から、空なる諸法が生起するにすぎない」って説かれてるぞ。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/28.html 『中論』17-31~33:あたかも教師が幻人を神通で化作し、その幻人が更に別の幻人
を化作するように、
その幻人のような作り手とそれに作られた業は幻人によって別の幻人が化作されるように煩悩と諸業、身体、作り手、果である。
それは「蜃気楼のようなものや、陽炎や夢と同じである
この『中論』も同じこと。典拠として挙げた譬喩は全く同じ意味だよ。
君が縁起・空性・仮設が分かってないだけ。
それと前、『中論』で論破された時、『中論』は不完全とか言ってたよな〜
それなのに『中論』を典拠にするのは可笑しいだろ。
自説に合わない部分は不完全、自説に合った部分は証拠かw
153 :
神も仏も名無しさん:2012/11/19(月) 17:13:41.33 ID:TzVlS2Mt
>>151 >これ論争とは何かを定義しないと、何の意味もないぞ
何か主張、見解、思想を立てて言い争うことというような感じでどう?
定義は反対だ。言葉の意味はある程度の習慣的用法があるだけで、人口的に規定できないから。
釈尊にも龍樹菩薩にも主張、見解、思想がないから、論争にならない。
あるのは、相手の主張、見解、思想という戯論を寂滅へ導く方便としての言葉(戯論)があるのみ。
>>自説に合わない部分は不完全、自説に合った部分は証拠かw
スルーしてもらって構わないが、上読んでむしろ世俗と勝義で釈尊の言葉を分けた、龍樹の事かと思ってしまったw
>>153 >何か主張、見解、思想を立てて言い争うことというような感じでどう?
極端に簡単に言うと「自分合ってる相手間違ってる」を言語を使って論証しようという行為だよね。
>釈尊にも龍樹菩薩にも主張、見解、思想がないから、論争にならない。
>あるのは、相手の主張、見解、思想という戯論を寂滅へ導く方便としての言葉(戯論)があるのみ。
言いたいことは分かるが、西洋的な見方で言えば言い訳と言うか詭弁としか取れないよね。
そもそも、龍樹なんかは、多種多様な言語(戯論)そのモノを否定してるから、その限定的な意味では
「論争」は、起こらないと言えるかもしれない。けど、個人的には納得出来ないな〜
それに、学者でも論争してないって説を唱える人は、マイノリティってイメージなんだが実際にはどうなの?
156 :
幻? 大滝秀治:2012/11/19(月) 17:30:26.08 ID:HGszbOPF
>>152 中論17-31・32は反対者の論の疑いがある思っているよ。
中論17-33は明確に『これらすべては蜃気楼の“ような”ありかたをしており、
陽炎や夢に“似ている”。』
さらに17-32は17-31を継いで『いわば、変化人によって幻出された他の変化人の“ようなもの”なのである。』
と、ともにメタファーであることを明確にしている。
とにかく、オイラ氏の論はオウム近似(オウムの尻尾が取れていない)と言っておく。
【110番】 オカルト板の痴漢サロメボウディア(46)の暴言卑語猥談選集 (原文転載)
【初心者】キリスト教@談話室647【歓迎】 uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1346228774/
十十十 カトリック+228 十十十 archive.2ch-ranking.net/psy/1337348693.html
26 名前:サロメ☆ボウディア ◆1g1.gdCYfdLs [saga] 投稿日:2012/05/18(金) 19:08:20.22 ID:IT16frGV [3/4]
キチガイもついでにしとめてやるwww
暴力はいいぞーー隠居www
生命なんぞ蛆虫だwww踏みにじっても自然にわいてくるwww
ザコががんばっても私達には勝てぬwwwww
616 名前 : サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c 2012/07/16(月) 21:41:29 ID:sUrCyOC0
つきみの自宅にウンコタッパー送りますん♪
619 名前 : サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c 2012/07/16(月) 21:44:02 ID:sUrCyOC0
スカトロボンバーwwwwwwクール便でwwww
635 名前 : サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c 2012/07/16(月) 22:28:56 ID:sUrCyOC0
さて家の玄関先にウンコしてくるか
715 名前 : サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c 2012/07/17(火) 12:29:30 ID:5KmKp3a6
ウンコたっぱ- 実家の教会に送ります お供えしてね♪wwww
701:サロメ☆ボウディア◆k8vHqHA92c 07/17(火) 12:05 5KmKp3a6
私は家族親戚を全員殺します
158 :
幻? 大滝秀治:2012/11/19(月) 17:39:56.09 ID:HGszbOPF
>>152 もう一言
>龍樹菩薩自身が「他ならぬ空なる諸法から、空なる諸法が生起するにすぎない」って説かれてるぞ。
龍樹はあくまで幻の『如し』=メタファーとして説いている(中論7-34)
ところがオイラ氏はそのまま『幻だ』と言っている。
これは180度違う。
龍樹では中道⇒中観は成立するが、オイラ氏では無分別の分別=中道⇒中観はせいりつしない。
真言宗のヒンドゥ近似、オウム近似たるゆえんである。
>>157 ID:qZwn2uVT さんへ
隠居先生は
ここでも批判される(叩かれる)側の立場だと思われるけど?
160 :
幻? 大滝秀治:2012/11/19(月) 18:03:22.10 ID:HGszbOPF
>>152 >それと前、『中論』で論破された時、『中論』は不完全とか言ってたよな〜
あなたに中論で論破されたことはない。
たしかに、できるなら中論の改訂版を出して欲しいとできないことwを言ったことがある。
それは、いろいろあるが、
@中論第二章で戯論による戯論の寂滅がパラドックス問題もあり成功していないのに、放置したこと。
それは間接現実から直接現実へは、論理ではなく体験的ないわば飛翔→無分別智直覚でなければならないこと。
(たしか、以前セブンに「飛ぶ」ことを言ったら、えらく反発されたことを思い出すw)
A二諦説で勝義体は二項相対そのものであって『真理』『究極』ではありえないこと(中論24-8〜10、25-20など)
B編集行為がヘタクソであること
C(異論もありましょうがw、26・27章は若いときの勉強メモノートみたいなモンで
当然カットすべきであることなどなど、その他イロイロ文句がございます。
161 :
幻? 大滝秀治:2012/11/19(月) 18:11:24.35 ID:HGszbOPF
訂正
× 勝義体は二項相対そのものであって『真理』『究極』ではありえないこと
〇 勝義諦は、二項相対そのものの『真理』『究極』ではありえないこと
真理、究極などは間接現実で立てられうる相対概念であって、縁起の直接現実ではありえません。
162 :
神も仏も名無しさん:2012/11/19(月) 18:31:07.93 ID:4g9wVgc4
空は別に虚無ではないと言っていると思うが
もの自体は存在するが人間は認識できないとするのが西洋だよな
認識できるとする純粋体験あたりがベルグソンだが
神を設定しがちな西洋のドグマに堕することは仏教は進めないな
まあ、モデル論は人間が人間である限りやめられないものだが
空とは、もの自体はあるから、ある程度モデル論で再現性を約束できるという方向ではなく
そういう因果は尊重しつつも、そのあり方そのものが執着を産むから
やめよと言っているんだよ
もの自体に神を見るのだろうが
神もあくまで仮設に過ぎない
その本質は空、弱滅させるべきものなんだよ
西洋人にはわからんだろうな
163 :
神も仏も名無しさん:2012/11/19(月) 18:35:23.50 ID:4g9wVgc4
そういえば
NHKエッセンス図書かなんかの
デカルトは、東洋的な分析がなされていて
おもしろかったよ
参考になると思う
>>135 >瑜伽行唯識(ゆがぎょうゆいしき)の実践については・・・
究極の到達【悟り】スレの438以下をどうぞ
w×一億ってなんだ?
現代用語で説明してくれ
仏教用語での訓枯解釈がアクセサリーだと勘違いしている香具師がいるんだが、そんな事だけに拘っていたところで屁の突っ張りにもならんだろ
どれだけ仏教の思想に迫れるのか、着眼点はここだろ
168 :
基地子菩薩:2012/11/19(月) 19:50:30.07 ID:PbpN3RkU
169 :
神も仏も名無しさん:2012/11/19(月) 20:07:11.32 ID:TzVlS2Mt
>>155 いや、そこは難しいところだから
>>156 >中論17-31・32は反対者の論の疑いがある思っているよ。
それも自分勝手にきめてんじゃね。少なくとも青目と月称菩薩は、自説と採ってる。そういう勝手な読みじゃなんもわからんは。
>さらに17-32は17-31を継いで『いわば、変化人によって幻出された他の変化人の“ようなもの”なのである。』
>と、ともにメタファーであることを明確にしている。
そうだ。譬喩だ。だけど、なぜ譬喩になると思う。そりゃ、実体がないけど現れがあるという意味でみんな一致してる。現代チベットでもゲルクを除いてそうだ。ゲルクは中観から逸脱してるからね。
>>158 >龍樹では中道⇒中観は成立するが、オイラ氏では無分別の分別=中道⇒中観はせいりつしない。
違うだろ、前者では遊びの妄想は成立するが、オイラの解釈とは違うだ。
それと重要な、前『中論』は不完全と言ってた件はスル〜か
こういう論法だから、話しても無駄なんだよな〜
いい加減、オイラにレスすんな
170 :
神も仏も名無しさん:2012/11/19(月) 20:10:35.88 ID:TzVlS2Mt
>>160 お、ここで言ってたか、
オイラ的には完全論破した記憶があるが
不完全だと思うなら、根拠にできないだろ
そういう自分の妄想に合わせた二重基準じゃだめなんだよ
それって単に読めてないってこと以外のなにものでもないんだ
あと、つまんない誤字とか突っ込まんから、そういうのきにせんとき
171 :
神も仏も名無しさん:2012/11/19(月) 20:11:58.53 ID:TzVlS2Mt
>>167 少なくとも釈尊や龍樹菩薩は思想は持たないな
そういう意味で仏教の本質には思想はない
>>148 彼の論文、読んで味噌。
(彼への)見方が変わるから。
>>170 彼に読ませてみたら?w
>>137 そう。どこまで行っても「あらず(非ず)」であるのはその通りだろう。
だが、(―例えばSNマッリカーにあるようなフレーズを借用して言えば―)
『どこを捜し求めても、どこまでいつまで捜し求めても、見出し得ない』という意味で
「あらず(在らず、無)」になるわけさ。
だから、 ≪単語に於いて非我であり、文脈に於いて無我≫なわけさ。
現代上座部が、(そしておそらくチベット(≒ダライ・ラマ)も)、
「無我」という日本語訳を受容している意味を、もっと考えた方がいい。
逐語訳・直訳が非我であることは周知なこととして、
その上で尚無我を使用し続け得る理由を考えてみてもいいんじゃないか?
173 :
神も仏も名無しさん:2012/11/19(月) 20:44:51.59 ID:TzVlS2Mt
>>172 無理だと思う。自分が正しいと思ってるから。
考えてみ。アーガマ・ニカーヤも自説に合わないとマハーカッサパの陰謀、中論も自説に合わないと不完全だぞ。
無我は、『清浄道論』ではもう使ってたでしょ。
要するに龍樹菩薩以降、仏教では無我というようになった。
本質的に非我と変わらないから。
非我というのは、外道を否定しないための言い方でしかないと思う。
174 :
神も仏も名無しさん:2012/11/19(月) 21:07:07.83 ID:jED0gRXb
「シャリとかガリとか専門用語をアクセサリーと勘違いしている寿司屋が多い。
どれだけうまい寿司を作れるかが大事だろう。」
「おい新入り、ウダウダ言ってねーでシャリ持ってこい!」
「はい親方」
>逐語訳・直訳が非我であることは周知なこととして、
>その上で尚無我を使用し続け得る理由を考えてみてもいいんじゃないか?
これだよね。虚無的「無」を否定するはずの仏教が、そう誤解されかねない用語を今まで使い続けていると言う理由。
あくまで日本に限定して考えると、。仏教用語は、中国の漢語訳をそのまま輸入してそのまま使い続けてるからだと思うね。
日本の仏教の怠慢といえばそうだと思う。
中村元博士が、岩波のスッタニパータとかで書いてるけど、
>「聖典としての壮重さ」なるものは漢訳を用いたシナ・日本において教団としての権威が確立したのちに必要となったものであり、
>インドのや東南アジア諸国ではそれをめざしていなかった。
この真偽は、ともかく漢語が仏教に対する敷居を高くしているのは確かであり、日本語で使われている「縁起」「戯論」を始めとする
仏教用語が本来の意味とズレた物となっていると言うことは周知の事実。これは、「無我」に対しても言える事である。
まあだからといって代用となる言葉がない、だからといって新しく作る気はないと言うのが
>「無我」という日本語訳を受容している
>その上で尚無我を使用し続け得る理由
なんじゃないんかね
>>172 一代氏の論文? 読んで見たい 問題なければ詳細よろしく
龍樹の空は恐らく、有と無が縁起し、非有非無の虚空である。
しかし、ビッグバン仮説では虚無が爆発して宇宙が誕生するわけだから、
有と無とは位相が異なり、有と無が縁起するはずがない。
このことから考えると、龍樹の主張には誤りが存在する可能性がある。
少なくても爆発以前を想定していない。
>>176 問題あるんで、御本人と直接交渉をお願いします。 m(_ _)m
>>173 それは、「anattA」(非)が、(たとえば)「na atthi」のような形で説明されているということ?
(特に竜樹に於いて。 竜樹以降ということは、文献上のそうした推移が見て取れる、ってこと?)
単語としての、非我でない「無我」ってあったっけ?
>>175 >まあだからといって代用となる言葉がない、だからといって新しく作る気はないと言うのが
>>「無我」という日本語訳を受容している
>>その上で尚無我を使用し続け得る理由
>なんじゃないんかね
それは否定せんよw まさしくその通りだと思うから。
けど、怠慢とのでなく、『非我では物足りなく、無我では語弊が大きい』と考えるマイノリティ間でも、
新たな術語を生み出し得ていない、という面もあると思うけど。
個人発信がいくらでも可能なネット社会だし、何か提案してみたら?w
宇宙といえばビッグバンだが、それ以降膨張していると言うのが定説だ
仏教では全てのものは、成・住・壊・空の繰り返しだという
それから考えると、この宇宙も、今は膨張期だがやがて縮小し消滅していくのだろう
我々の視点からは、今いるこの宇宙が無限と映るかも知れないが、マクロ的に見ればそうであっても不思議ではないのだ
西洋だと視覚優位な世界認識論が多い気がするのだが
触覚はインドで検証されたのだろうか?
ルーパは色と訳されるがルーパは何を主に差しているのだろう?
視覚はカテゴリー要するに名言種子によって初めて役をなす
カテゴリーが確立するまでは触覚が肉体的な距離や
奥行きを把握するメルクマールとして役立てられる
触覚が自他の区別と自己への愛を生じている面は大きいはずだが
181 :
神も仏も名無しさん:2012/11/20(火) 00:40:07.17 ID:02XSwAXE
>>180 地水火風の四大はすべて触覚ですからね。
空大も、地水火風のどれもが無いときの触覚(ゼロ触覚)だと考えられるかも。
182 :
横レス:2012/11/20(火) 03:18:07.17 ID:u7lwfWwD
>>171 釈尊が法を説いたのは法を説かないという行いを否定する思想ではないのですか?
183 :
神も仏も名無しさん:2012/11/20(火) 06:08:17.97 ID:Av3jH9JY
184 :
神も仏も名無しさん:2012/11/20(火) 06:18:44.90 ID:Av3jH9JY
>>182 それは梵天勧請の解釈ですね。
思想ではありません。有情への導きとして仮設された教えです。
それを思想を掴みとるのは現代人などで、誤解です。
何らかの行為が思想・原理(プリンシプル)に基いて行われるはずだという前提でしょう。
それは以下の六十二見に包括され、釈尊はそれら思想・戯論が鎮まった、戯論寂滅へ導くために行動し、教えを説かれるからです。
これはハッキリ断言できます。その根拠は以下です。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/32.html 上の見解は思想と同じ意味です。
>>177 の続き。
縁起の定義は、「このことがあるとき、このことがある。」である。
「有があるとき、無がある。」→「無がある」とは言えない。
「有がないとき、無がない。」→「有がない」とは言えない。
これらから、有と無が縁起していないことがわかる。
かりに有と無が縁起したとして、四句分別で調べてみよう。
@ 有がある ・・・ 宇宙のことである。
A 無がある ・・・ 非宇宙。つまり虚無だが、無があるとは言えない。
B 有かつ無がある ・・・ 矛盾する。また無があるとは言えない。
C 有でもなく無でもない ・・・ 虚空。しかし有がないとは言えない。
>>113 宝珠愚者氏
>仏教としてはあくまでも、「世俗を捨てることが理想だとして説かれるのでしょう?」と。
これは私のハンドルネームのそもそもの由来でありますが、仏陀(仏教)がそのような何らかの「価値
観を説くようなことはしない」というのが私の主張です。
ですから、そのような価値観を説くわけじゃないですから、以後の疑問
>要するに、「できることならば、全ての人間が社会を捨てることがより良いのでしょう?」ということ。
>けれどそれって、「本当にいいんですか?」という疑問なのですよ。
等の展開に接続していくこと自体成立しないというわけです。
世を捨てるという価値観を持った人がいれば、その人達に対しては、「方法論として」出家が理想的で
あるところの修行論を説明するのが仏教だろうと思います。
なので、私が愚者さんの「出家至上主義」という見解を不当と考えるのは、その前提として、仏教がそ
ういう価値観を世間に向かって発信する文化・集団だという前提がなければ、成立しないからです。積
極的に世間の人々を自分らの保有する何らかの思考・価値観に染めていこうというベクトルを持ってい
るものは、現代のいわゆる宗教(≒新興宗教)のイメージとしては一般的で、例えば御隠居の仏教の捉
え方にもそれが顕著ですが、私は殊、仏教については、初期仏典などにおける釈尊の言行などからして
も、宗派的な特質として、本来的には、そのような在り方を明確に否定しているものだと思っています。
そもそも特定の価値観を保有する状態を捨てることが、仏教の理想ですから、「出家する」という「価
値観をこれまた説く」と考えるのは矛盾しています。(また閻魔大王ぽい禅問答めいた表現になりまし
たが、特に高邁なことを暗示したくてこのような表現をしているつもりはありません)
というわけで、「出家価値観を説く」という前提で、それを集計して、今度は「社会がかくあれ」と説
くのも同然、と捉えることも、仏教的には本来成立しない捉え方だと考えます。
>>185-186 の続き。有無の縁起を四句分別で見れば、
言葉が言葉として成立していないだけでなく、「非有非無」の論議領域を
そのまま「虚空」として設定する無理を重ねている。しかし、
空を虚無にしたくないなら、「虚空」以外に空の候補者が見当たらない。
どうしてこうなるのか。宇宙モデルが間違っていたからだろう。
>>88 >つまり、仏教は生まれてこないための教えであるが
このような意見も、乱暴に過ぎると思います。
「輪廻から脱したい」と思って世俗を捨てて比丘沙門としての生活をしている修行者にとってはそうでしょう。
在家信者にとってはむしろ「良く【生まれる】」ための教えです(生天の教え)。
世俗に対する否定的価値観ばかりを強調するのは、私は、仏教としてどうかと考えます。
それが釈尊が大切にした「慈悲」だろうかと。
すべての人が仏陀になれるとする大乗の物の見方が無関係ではないとは思いますが、世間
一般の人々に対して無差別に空の思想の矛先を向けるのは、間違っており、またその結果
強烈な否定的心情を持った人の中には、愚者さんのように、仏教に対する距離感を感じる
ような反応も当然出てくることになりかねないわけです。
日本人はどうも真面目過ぎるんですよ。末端のヒラ社員(在家信者)まで、まるで社長
(将来の正自覚仏候補たる菩薩)のつもりで、社運を背負って自覚を持たなきゃいけない
というような。別に、皆がエリートコースを歩んで高給・地位・名声をもらえるわけじゃ
ないのだから、自分のもらえる給料に見当った程度の気合いで気楽に臨めばいいと思いま
すよ。大部分の人は、自分の分の給料をもらって、自分の個人生活を楽しみたいだけなん
ですからね。全員が社長になれるわけじゃないんですから。大乗的に考えた場合、こうい
うのは許してもらえないのかもしれませんが……。
190 :
神も仏も名無しさん:2012/11/20(火) 08:09:23.08 ID:02XSwAXE
>>189 悩み苦しみの解決が仏教ですからね。
生への執着を捨てれば「死にたくない」という悩みがなくなる。
これも真実。
また、生への執着を捨てていない人を殺せば
相手に「殺されたくない」という悩みを与えるから殺してはいけない。
赤ちゃんからおもちゃを無理やり奪うのは仏教ではない。
しかし、赤ちゃんが自らおもちゃを卒業しようとするのは応援する。
>>188 の続き。ではビッグバン仮説による四句分別を描いてみよう。
@ 有 ・・・ 宇宙が存在する。
A 非有 ・・・ 同時に神(命)が存在する。神と宇宙が縁起している。
B 有かつ非有 ・・・ 矛盾。神と宇宙の重なりが生き物である。
C 非有、非非有 ・・・ ビックバン以前の世界。虚無。
>>191 の続き。これなら四句分別が具体的にすっきりする。
ここでは「空」は虚無として把握される。龍樹が非有非無を空として
設定したことの合理性もわかる。→空=虚空がだめ。
善悪の縁起に関しても、善なるものは神、悪なるものは宇宙として
その正体を把握できる。→空=虚無という性格を併せもつ。
193 :
神も仏も名無しさん:2012/11/20(火) 09:00:31.73 ID:s74BfL9g
>>192 虚無などといふ観念そのものが〇〇〇〇〇
時空そのものが観念できないのだから
ビッグバン以前を問ふことはできぬ
神も宇宙も〇〇〇〇〇
ましてや、幻とかからっぽなどナンセンス(仏法のセンスがない)
194 :
神も仏も名無しさん:2012/11/20(火) 09:00:56.91 ID:Av3jH9JY
195 :
神も仏も名無しさん:2012/11/20(火) 09:12:54.74 ID:YWgOxmjV
>>193 人間は時空のベクトルに存在しているから、時空の観念は持っている。
しか空=虚無はイメージできない。○○○○○だろうね。
>>194 62見と言うより、グノーシスではないかと。この件は後で触れたい。
196 :
基地子菩薩:2012/11/20(火) 09:17:26.69 ID:N44aY+jq
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| 『狂信者につけるクスリ』有りますか?
\____ .____________
\ /\
∨ \ それは死ななきゃ治りません!
___  ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ /| ∧_∧
| ̄ ̄|./| (・∀・ )
| ̄ ̄| | ̄ ̄ ̄|\_(__ ) __ __
| ̄ ̄| | 薬 局 | ∧_∧  ̄ ̄ ̄/./|
| ̄ ̄| | ̄ ̄ ̄|( ) | ̄|/|
| ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ( ○ ) ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |
| | | | | |
|______(_(__)_____|/
197 :
神も仏も名無しさん:2012/11/20(火) 09:18:11.90 ID:Av3jH9JY
>>195 グノーシスでもなんでも実在論、虚無論なら六十二見に含まれないものはないですから。
つまり、縁起・空性・仮設という道で戯論寂滅へ至らない何らかの説明体系は全て六十二見に含まれます。
>>184 うーんリンク先を読んでもよくわからないですね
法を説き無明であることを許容しない釈尊が思想も執着も持たないというのは理解しがたい
切実に理解したくなったあかつきには、妥当なスレで改めて質問します
199 :
神も仏も名無しさん:2012/11/20(火) 10:00:00.53 ID:Av3jH9JY
>>198 無明であることが思想を持つことだからとも言えます。
持っている思想を全て鎮めていくのが『スッタニパータ』該当章であり『中論』であり、中観なのです。
だから、『中論』27-30、つまり、最後でこう述べます。
一切の見解を断つために慈悲で正法を説かれたゴータマに私は帰依する。
「一切の見解」を『青目註』は略して五見、開けば六十二見と註釈しています。
>>192の訂正。
龍樹の場合 〜「空=虚空がだめ」と言うより、
有(宇宙)と無(虚無)とを縁起させたことが問題なのだろう。
グノーシスについて 〜 宇宙そのものは善悪どちらでもない。
この宇宙を悪と決めつけるのは間違っている。
>>197 ビッグバン仮説の四句分別でも、四句分別は論議領域として有効。
そして、縁起・空性・仮設で、非有非非有、空=虚無に至れば、
いわゆる戯論寂滅がその人に訪れる。しかしビッグバン仮説の場合、
戯論寂滅が最終地点にはならない。その先に神がいる。
202 :
神も仏も名無しさん:2012/11/20(火) 11:39:25.89 ID:YWgOxmjV
ビッグバン仮説の「中道」とは何か。
まず、人間が神(命)かつ宇宙(物質)の矛盾を生きていることを自覚する。
そして神(命)に偏することもなく、宇宙(物質)に偏することもなく、
バランスよく生きることを言うのではなかろうか。
203 :
神も仏も名無しさん:2012/11/20(火) 12:08:04.73 ID:oG7QaX71
大乗とか上座部とか創価とかその他とか色々あるけれど
仏教(ウィキペディア派)、と言うカテゴリーはまだ見たことない
ウィキごときで仏教を知った気になるな、と言われてしまうとぐうの音も出ないのだけど
わりとこのウィキ派仏教徒、と言うのは多いんじゃないかと思うんだけどどうなんだろうか
204 :
『カートヤーヤナへの教え』:2012/11/20(火) 13:19:48.12 ID:s74BfL9g
『カッチャーヤナよ、
「一切は仮設である(仮観)」とは、これは一つの極端である。
「一切は空である(空観)」とは、これは第二の極端である。
カッチャーヤナよ、
如来はこれらの二つの極端を捨てて、「中」(中観)によって法を説く。
(『相応部』一二 迦旃延経 改 中論15-7参照)
205 :
神も仏も名無しさん:2012/11/20(火) 13:32:09.29 ID:uQ7a+wsC
四句分別の有無を縁起で再構成したのはおもしろいんだけど
有が有ればってトートロジーじゃね?
そもそも有無の概念を前提に縁起が構築されているが
時間的空間的に有無が相依しているところを
有無自体があやふやになるので恒常的実体の想定が
不可能になるんじゃない?
206 :
神も仏も名無しさん:2012/11/20(火) 13:34:28.18 ID:Av3jH9JY
>>204 経典の意図的改竄は重い業だぞ
仮設、空、中道、縁起、いずれにしても仮設に他ならない。
空思想、中観思想、縁起思想というように見解にしてしまっては仮設から逸脱する。
207 :
『カートヤーヤナへの教え』:2012/11/20(火) 14:29:37.81 ID:s74BfL9g
虚・幻空観論は中観ではない。
208 :
神も仏も名無しさん:2012/11/20(火) 14:50:16.78 ID:Av3jH9JY
遊び妄想は中観じゃないから、遊び妄想から見れば本当の中観は中観でなくなるのは仕方ない
問い:仏教を知らない人も救済されますか?
答え:救われます。
問い:なぜですか?
答え:結論から言うと知っていても知らなくても同じだからです。
問い:なぜですか?
答え:そこはちょっと考えて見ましょうか?
210 :
『カートヤーヤナへの教え』:2012/11/20(火) 14:56:04.30 ID:s74BfL9g
>>208のように虚・幻空観派はわめいておりますw
211 :
神も仏も名無しさん:2012/11/20(火) 15:03:36.36 ID:Av3jH9JY
>>209 それは現法涅槃(現状のままで涅槃)という誤った見解じゃないですか?
ヒント:今は仏教の教えを誰でも知ることが出来る
214 :
神も仏も名無しさん:2012/11/20(火) 15:44:31.61 ID:Av3jH9JY
>>213 いや〜、誤解でしょう。
仏教は聖者から聞かないと分からないし、
分かってもなかなか実現できないものですから。
本などは沢山でてますが、まず誤解が多いし、例え正しいものでもなかなか理解しがたいものですよ。
>>214 結論から言うと知っていても知らなくても同じだからです。
■空諦・仮諦・中諦の三諦(観)について
三諦とは真理を三方面から明かしたもの。諦は「あきらか」「つまびらか」の意で真実を明らかにすること。
空諦とは万法の性分をいい、諸法に体はないこと。
仮諦とは諸法は変化してやまず、因縁によって仮に和合していることをいう。
中諦は空でもなく仮でもない、文字・言語・記号等では表現できないありのままの実在。
■三観とは三諦の真理を観ずる、即ち主体的に認識すること。
217 :
神も仏も名無しさん:2012/11/20(火) 15:52:48.83 ID:Av3jH9JY
>>215 ですから、それは現法涅槃(現状のままで涅槃)という誤った見解と考えられてますよ。仏教の伝統では。
>>217 その理屈で言うと仏教誕生以前はどうなりますか?
仏教は進化論は考慮されていないし、当時の状況が永久と思われる程度の以前からあった、という前提だと思いますが?
仏教に記されている前提
仏教を学ぶ人が理解する時に根拠とする前提
222 :
神も仏も名無しさん:2012/11/20(火) 16:06:18.22 ID:Av3jH9JY
>>219 まず、仏教は無明の眠りから目覚めた諸仏の教えという意味です。
諸仏というのは釈尊に限定されないからです。
釈尊は、この教えを復活させたと考えられています。
非常に稀有な存在で、例外です。
次に教えを聞かない道を知らない有情は、無明から抜けだせず輪廻の苦の中を無限に経巡ることになります。
釈尊が教えを説き、それを聞いて道を歩むことで無明から目覚め輪廻から解脱します。
現在はこの教えの伝承を、無明から目覚め輪廻から解脱した聖者たちによって伝えられ、その聖者から教えを聞くことで我々も道を歩むことができます。
以上の仏・教えとしての法、教えを伝える聖者たちの僧団。この三つが仏法僧の三宝で、これに帰依して初めて仏教徒と伝統仏教では考えています。
ですから、アナタの考えとは全く違いませんか?
224 :
神も仏も名無しさん:2012/11/20(火) 16:11:48.16 ID:Av3jH9JY
>>220-221 まあ、およそその前提に近いですね。そのような前提なしに、なぜセム的進化論に立たなければならないか分かりません。
仏教的には進化とは考えず、単に無常・因果・相続というように考えると思います。
ちなみに仏教だと進化でも退化でもよく、そういう宇宙生成と生滅がなんども繰り返されるし、今の言葉でいえば多元宇宙であると、古くから伝えられていますよ。
しかも、それはもちろん縁起・空性・仮設の現象です。
225 :
神も仏も名無しさん:2012/11/20(火) 16:13:33.66 ID:Av3jH9JY
>>223 アナタの言う救済がどういう意味か知りませんが、仏教的には輪廻から解脱して涅槃することだけが、唯一の楽で、至福、本当の救いであると考えます。
英語でマイトレーヤーといわれる異次元に行く発想が最初あったのはすげえと思うが
英語でマイトレーヤーといわれる異次元に行く発想が最初「から」あったのはすげえと思うが
細かいこと抜きで仏教が多言語で読まれたり面白いと思われる理由はなんだろうか?
国語を理解することは
ひらがながわかる
漢字が読める
ことを前提に、
文章を読んで書かれていることの意味を理解することです
230 :
神も仏も名無しさん:2012/11/20(火) 16:27:21.24 ID:Av3jH9JY
>>228 いろいろあると思いますが、直ぐ思いつくのは二点。
教え通り行えば効果的に楽になるから。これは難しい修行を経なくても単に十善行を行えば楽になることから容易に実感できます。
縁起・空性・仮設によって、合理的な説明体系、道となっているから。そこに神秘主義や神話はありません。常識的には受け入れがたいことはあるかもしれませんが。
231 :
神も仏も名無しさん:2012/11/20(火) 16:32:41.75 ID:Av3jH9JY
>>229 それは文語。一般には母国語は自然に習得する。
文が読めるというのは、文字や字義、文法が分かるだけではないですよ。
最も重要なのは、先入観で読まないように訓練することだと思います。
これは一部の天才を除いて、講読などで訓練しないとなかなか読めるようになりません。ここを見ればわかるように自分の読みを文に投影する人がほとんどです。
232 :
神も仏も名無しさん:2012/11/20(火) 16:32:58.16 ID:/eg2K6xS
>>230 あなたは解脱したのですか。あなたの周辺に解脱した人はいますか。
解脱したかどうかはどうやって判別するのですか。
233 :
神も仏も名無しさん:2012/11/20(火) 16:36:47.52 ID:Av3jH9JY
>>232 してません。周辺にはいると信じます。
凡夫には判定できません。信じるか信じないかです。
234 :
基地子菩薩:2012/11/20(火) 21:01:42.53 ID:N44aY+jq
>>233 /) /)
/ ⌒ ヽ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ●_ ● | < うぜーんだよ、カス!
(〇 〜 〇 | \________
/ |
| |_/ |
235 :
神も仏も名無しさん:2012/11/20(火) 22:56:08.27 ID:02XSwAXE
仏教の「救い」とは、
悩み苦しみの原因を消したり制御したりして、
悩み苦しみを消したり制御したりできることでしょうね。
ただし、消すのは難しいから、まずは制御から。
1時間悩み続けるか、10分ごとに悩むことを休憩するかによって、疲れ方は全然違う。
仏教は、身心を上手く操るエクササイズ、スポーツでもあります。
236 :
神も仏も名無しさん:2012/11/20(火) 23:11:41.61 ID:Av3jH9JY
>>235 変える、解くという方法もありますが、難しい。
237 :
基地子菩薩:2012/11/20(火) 23:24:06.87 ID:N44aY+jq
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(解脱した聖者の存在について)
>>233 一代氏 >凡夫には判定できません。信じるか信じないかです。
一つ勝手に補足させていただくならば、凡夫は凡夫でも、多少、他人が仏教聖者であるかどうかを嗅ぎ分ける
ことのできる才覚のある凡夫というのもあるのかもしれないとは思います。これも、縁起(仏縁)によるもの
だろうとは思います。仏教に良縁あるものであれば、そういう眼が備わってきても不思議ではないと思います。
反対に、三宝に対して何らかの毀誉褒貶ある業を犯せば、その分、そのような眼は濁るのもまた至極必然であ
ると考えるのが、仏教的な思考方法でしょう。
ですから「信じる」といっても、闇雲に盲信する必要があるわけではないと思います。疑念を持つこと自体を
罪悪視して一途に奉仕するようなものでもない。自然と心をオープンにしていれば、より、信頼に足る人格と
いうのは、自ずと明確になってくるから、その結果信頼するようになることが信の状態に適った状態へと繋が
るものだと思います。
このためにはまず「謙虚さ」が大切で、現時点での自分では結局のところ判断できないことは、肯定もしない
ながら、決してだからといって反対に否定もしないで、保留する態度が賢明で、そこを、自分の現時点での考
え方・価値基準で全部判断して良し悪しを結論づけ取捨してしまうというような、「傲慢さ」は一番アダにな
ると思います。こういうことをすると、三宝に対してのっけから、歪んだ形でアプローチしていくことになる
ので、業によるフィードバックで、ますます濁った形の姿しか現出してこなくなります。(
>>231)
結果、信ある人には、釈尊の教えは今もって現存する活きた教えであり、一方、不信の人には、釈尊の教えは
太古に既に失われ、歪められたものとなるわけです。
テレビドラマとかエヴァのリメイクはいいけど
仏典の解釈リメイクはちょっと困るな
まあ時代に合わせるのは良いんだけど
>>205 ご指摘通り、有無の縁起にはトートロジーの問題もある。
それに、つい有無で縁起を説明したりと、自分でもしまったと思うような
ミスもある。まだ未整理なので話がふらついている。orz
241 :
神も仏も名無しさん:2012/11/21(水) 07:39:56.30 ID:8v73V/CF
以前から、『中論』の有無の扱い方が変だぞ、という印象はあった。
しかしいま、大滝秀治さんなどに刺激されて改めて見直すと、
龍樹の空は有無の縁起から導かれている、ということに気がついた。
これが『中論』の誤り。龍樹の「空」の根本的な誤り。
竜樹の空は、何も考えない、ノーマインド、白黒つけない、分別しない、何も認識しない、なのでは?
243 :
神も仏も名無しさん:2012/11/21(水) 08:32:52.22 ID:+hzdgGMm
244 :
神も仏も名無しさん:2012/11/21(水) 09:25:51.40 ID:8v73V/CF
本来の四句分別と、有無を縁起とする龍樹の四句分別を整理しよう。
@ A ・・・ 有
A 非A ・・・ 無(虚無)〜無をここに割り当てる。→これが誤り
B Aかつ非A→矛盾 ・・・ やはり矛盾
C Aでもなく非Aでもない→無(虚無) ・・・ 非有非無→虚空→「空」
245 :
神も仏も名無しさん:2012/11/21(水) 09:44:10.93 ID:+hzdgGMm
>>244 そういう意味じゃないんだが、
まあ、やりたいならどうぞ
246 :
神も仏も名無しさん:2012/11/21(水) 09:49:31.15 ID:8v73V/CF
>>242 龍樹の空は、この現実の実体を夢や幻や蜃気楼として考える。
本来の四句分別(無)では、何も考えられないし、ノーマインド、
分別も認識もできない状態である。それは滅尽定に等しい。
247 :
神も仏も名無しさん:2012/11/21(水) 13:04:31.44 ID:uFzAyfKp
>>246 >龍樹の空は、この現実の実体を夢や幻や蜃気楼として考える。
龍樹の空は、中村元博士がその「龍樹」で、「相互依存性・関係性」という、
「万人に感動を以って理解され得る」解釈を提示している。
君には何故それが出来ないのか?それは、中村解釈が、「開祖盲信のカルト」
をすべて破壊するからである。
>>246 だが現実はそれでわりきれるものではない
目の前にあるパソコンという実在は否定できるものではない
仏教は生命の在り方、自分と取り巻く環境との関係性など視点・角度を持つことが必要だということ
やみくもに理解しょうとしても無理な話しだ
先に挙げた三諦・三観を肝に銘じるべし
249 :
大滝秀治 :2012/11/21(水) 14:26:04.02 ID:IK+rltGc
>>249 君、それクリックすると自動的にアマゾン書籍購入することになっているのではないの?
251 :
神も仏も名無しさん:2012/11/21(水) 14:52:24.03 ID:+hzdgGMm
>>249 >だから、戯論をいくら戯論しても、それは戯論でしかない。
>龍樹『中論』自体もそう。
>『空は戯論寂滅への導き』(
>>243)←こんなんもアカンのやw
>
>『如来はこれらの二つの極端を捨てて、「中」(中観)によって法を説く。』 (
>>204)
>
> (『相応部』一二 迦旃延経 サンユッタ・ニカーヤ12-15 改 中論15-7参照)
>
>この『如来』さんとは、彼岸から“来るが如し”の比喩がそのままネーミングとなったんやろう。
>
アホだな、だったら中論も釈尊の教えもみんな戯論だし、中論も以下一行でなく、
なぜあれだけ戯論を説いたのか、釈尊に至ってはあれだけ沢山といたのか?
それも不完全と陰謀で片付けるのか。
>中論は、<真実に存在するものはなく、すべては言葉にすぎない。>
これも戯論を戯論することだぞ。これも言葉だから。
それと全てが言葉に過ぎないなら、幻とどうちがうんだ?
そして何より君自身が戯論に戯論をずっと重ねてるのも自覚できてないとw
252 :
大滝秀治 :2012/11/21(水) 14:56:04.59 ID:IK+rltGc
>>250 ???
わからんw
本にコーヒーをこぼしてふにゃふにゃになってしまったので、新本を買おうと
アマゾンを見たんだが、自動購入になってんの?
>>252 電子ブックが無料で自由自在に読めるのかね?
254 :
1/2大滝秀治 :2012/11/21(水) 15:11:20.56 ID:IK+rltGc
>>251 ケロンパにはつける薬がないw
仏法は筏の喩えの法門である。
・『筏の喩えの法門を知る人は、法さえも捨てなければならない。
まして、法でないものはなをさらのことである』
(金剛般若経六、同趣旨マッジマ・ニカーヤ22)
・「あらゆる見解を脱するために、勝者(仏)によって空性が説かれた。
一方、人がもしも空性の見解を抱くならば、その人々を治癒しえない人と呼んだのである。」(龍樹・中論13-8)
・「涅槃とは、いっさいの知解が滅し、戯論が滅して、めでたい(境地)である。
ブッダは、どんな教えも、どこにおいても、誰のためにも、説かなかった。」(龍樹・中論25-24)
・「知覚のままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない。
──このように理解した者の形態は消滅する。けだし、時空の意識は、想いにもとづいて起こるからである。」(スッタニパータ874)
255 :
神も仏も名無しさん:2012/11/21(水) 15:17:26.17 ID:+hzdgGMm
>>254 オイラからもそう言おう。
それらの文はオイラの説明を支持するものであって、
君の説明とは全く矛盾するだろう。
なにせ、全ては言葉、つまり戯論だけといいながら、以下のようにいうのは自己矛盾でしかないから
>>249 >戯論をいくら戯論しても、それは戯論でしかない。
>龍樹『中論』自体もそう。
>『空は戯論寂滅への導き』(
>>243)←こんなんもアカンのやw
256 :
2/2大滝秀治:2012/11/21(水) 15:21:28.01 ID:IK+rltGc
・ ひとが何か或ものに依拠して「その他のものはつまらぬものである」と見なすならば、それは実にこだわりである、と<真実に達した人々>は語る。
それ故に修行者は、見たこと・学んだこと・思索したこと、または戒律や道徳にこだわってはならない。」(Sn798)
・ 師は答えた、「マーガンディヤよ。『教義によって、学問によって、知識によって、戒律や道徳によって清らかになることができる』とは、わたくしは説かない。
『教義がなくても、学問がなくても、知識がなくても、戒律や道徳を守らないでも、清らかになることができる』とも説かない。
それらを捨て去って、固執することなく、こだわることなく、平安であって、迷いの生存を願ってはならぬ。(これが内心の平安である。)」(Sn839)*不生不滅
・ 師は答えた、「マーガンディヤよ。あなたは(自分の)教義にもとづいて尋ね求めるものだから、執著したことがらについて迷妄に陥ったのです。
あなたはこの(内心の平安)について微かな想いをさえもいだいていない。だから、あなたは(わたしの説を)『ばかばかしい』とみなすのです。(Sn841)
・ 依りかかることのない人は、理法を知ってこだわることがないのである。かれには、生存のための妄執も、生存の断滅のための妄執も存在しない。(Sn856)
・ 一切の戒律や誓いをも捨て、(世間の)罪過あり或いは罪過なき(宗教的)行為をも捨て、「清浄である」とか「不浄であると」とかいって
ねがい求めることもなく、それらにとらわれずに行え。──安らぎを固執することもなく。(Sn900)
・ あるいは、ぞっとする苦行にもとづき、あるいは見たこと、学んだこと、思索したことにもとづき、声を高くして清浄を讃美するが、
妄執を離れていないので、移りかわる種々なる生存のうちにある。(Sn901)
・ かれは智者であり、ヴェーダの達人である。かれは理法を知りおわって、依りかかることがない。(Sn947)
仏法そのものには教義(ドグマ)はありえない。(≒中村 元)
257 :
2/2大滝秀治:2012/11/21(水) 15:28:33.77 ID:IK+rltGc
>>255 大死一番! 彼岸(縁起の直接現実)に飛ぶ!(無分別智直覚)しかないやないかw
オイラ氏のは飛ばないものの迷いごとだよw
矛盾なきを矛盾のうちに説いたのが仏教ですよ。
掴めんやろなあ、頭でっかちにはw
258 :
神も仏も名無しさん:2012/11/21(水) 15:29:40.89 ID:+hzdgGMm
259 :
神も仏も名無しさん:2012/11/21(水) 15:31:53.50 ID:+hzdgGMm
>>257 それじゃ、野狐禅だ
だから、全然分かってないんだって、なんでそんな継ぎ接ぎのセコイ理解で自信持っちゃうか不思議なんだが、
まあ、そういう人は2ちゃんで沢山見てきたけど
260 :
2/2大滝秀治:2012/11/21(水) 15:38:03.34 ID:IK+rltGc
>>259 >全然分かってないんだって
そのとーり!w ありがとう。
あたしは、全然わかって(分別して)ないよ。
で、分別してないと分別してるw
ごきげんようw
261 :
神も仏も名無しさん:2012/11/21(水) 15:42:45.02 ID:+hzdgGMm
>>260 机と変わらんな、こういうとこは
流石に机よりは文を読んでるとは思うが、五十歩百歩
ホントに仏教が知りたいなら、まず自分が分かってないという自覚からだよ
262 :
神も仏も名無しさん:2012/11/21(水) 17:38:00.81 ID:k3PHuXWz
縁起・無自性・空がわかったなら、四無量心の増大という結果につながってくるはず。
空が「幻」か「幻のごとし」なのかとか言葉の表現の違いはわかりにくい。
それよりも、実際に執着が減って捨無量心が増えたかどうかが、
空をわかってるかどうかのバロメーターとなるのでは。
>>262 あると言えばある、無いと言えばない
空と言う概念を分かりやすくする為に「冥伏」という言葉を使って説明すると、例えば、出掛ける時に不運にも財布を落としまったら、恐らく嫌な思いをすると思う
それまでは、平穏な気分でいたのがその事で一変してしまう
それまでの気持ちは何処にいってしまったのだろうか
そして、財布落とした嫌な気持ちは何処からきたのだろうかと
この「ない」「なかった」状態が「冥伏」という状態だ
また、縁によってひきだされたモノとえる
これは、生命の一側面でもあるのだ
欲と言うと悪いイメージだが生まれながらに知っていることでもある
265 :
神も仏も名無しさん:2012/11/21(水) 18:10:40.40 ID:qJf1d3BV
スレ違いすいません
30代半ばになり何かにすがりたいと思い
仏教に行き着きました
全くのド素人なので1から勉強したいのですが
出来たらネットで手軽にしたいです
おすすめなどありますでしょうか?
英語勉強してチベットに行く
何かを知ろうとして1年後にこれはつまらないと思うかもしれないけど
20年後だとそうではないこともあるという面白い世界にようこそ
268 :
神も仏も名無しさん:2012/11/21(水) 18:36:55.96 ID:8v73V/CF
>>247 >龍樹の空は・・・「相互依存性・関係性」という・・・
空は縁起から導かれる。ただ単に、関係している、相互依存しているでは
空と言えない。空は個体そのものの存在実体がないという話であり、
個体同士の因果関係、相関関係を主張しているわけではない。
>>264 欲望が悪いって誰がきめた?
欲望には善悪の二面性がある。人のや社会の為に役にたちたいと思う気持ちも欲望といえる
悪い面をコントロール(制御)していけは良いだけ
270 :
神も仏も名無しさん:2012/11/21(水) 18:51:51.40 ID:ODOz65ri
>>268 龍樹は、厳然たるもろもろの実在の「構成原理」を語っているに過ぎない。
「空」とは、「関係性という抽象性故に、執着すべき自性がない」というだけ
の意味。
中村博士は、「空とは、無ではない」と、声を大にして注意している。「幻」だ
などと誤解している君のよな仏教徒がいるためだ。
大昔の文献の言葉にいくら執着しても、現代人を納得させる解釈は、絶対に出
てこないよw。
龍樹は有(宇宙)と無(虚無)を縁起関係と見なしている。
無(虚無)は何もないことだから、実際には有(宇宙)を単独で見ている
ことに等しい。さらに、宇宙を無(虚無)と見ていることでもある。
これは唯物論に他ならないし、虚無主義に他ならない。
宇宙は永遠に存在する、という考え方も反映しているように思う。
>>270 だからw
2500年の仏教の歴史上、そして勿論竜樹その人も、
『物が実在する』『それらが関係し合うことが縁起』などと言ってない。
どこをどう探しても、そのような「文言」「内容」「意味」など出てこない。
古今東西のどの学者でも、そのようなことを言っている者はいない。(勿論、中村・三枝もだw)
この世界中にただ一人、貴方だけがそう言っているのです。
もう、何度言ってきたかしれないがw、それ(270)は縁起ではない。
273 :
神も仏も名無しさん:2012/11/21(水) 19:19:59.03 ID:ODOz65ri
>>271 中論は、相対性原理や量子力学も先取りしている。物凄い先見性だ。
唯物論は虚無主義には繋がらない。むしろその対極である。
釈迦の縁起は、単なる因果関係。原始人にでも、現代の子供にでも分る
こと。
>>270 龍樹の空は、この現実の実体を夢や幻や蜃気楼として考える。
この文章は、龍樹の空は本来の四句分別(無)と違っている、という話です。
誤解しているので、少し前のレスから再度確認してください。
あ、そうそう。
>>270での図式は、
「空≠無」故に「空≠幻」となっているが、
これを成立させるための「幻=無」はどこから導き出されたんだ?或いは、どうして前提とし得るんだ?
隠居は、こういう詰めがホント甘いよな・・w
思いつきで喋ってると思われても致し方あるいまいて・・・ ┐(;´ー`)┌
目の前にあるものは無いとは言えないな
>>273 w
あのねw
中論はレースカーなの。 先鋭化され過ぎて公道を走るのに向かないの。
街中走るには、ワゴンRで十分なの。少なくとも、自動車の必要要素としては
【全て被ってる】の。
初期仏教の縁起を【ベースに】【グレードアップした】或いは【コントラストをつけた】だけなの。
これも、何度言ったかなぁ・・・w (;- 。-) =3
278 :
神も仏も名無しさん:2012/11/21(水) 19:33:58.75 ID:ODOz65ri
>>274 >龍樹の空は、この現実の実体を夢や幻や蜃気楼として考える。
「として」ではなく、「の如し」と言っている。両者の意味は、全く異なる。
竜樹の説明の苦労も察してあげてください。
釈迦に執着している限り、中論は絶対に理解できない。それが君たち「釈迦
カルト」の姿。
釈尊や龍樹の論理や世界観を現代科学に当てはめようとする気持ち分からんではないが全く関係ないぞw
思考法が科学的というならわかるがな
一応科学とは、再現可能な事象に対して論理的な説明を与える事と定義しておく。
282 :
神も仏も名無しさん:2012/11/21(水) 19:42:27.59 ID:ODOz65ri
>>279 この全世界や、己の身体自体が、「粒子の相互依存的・関係的集合」
なのだがw。
生まれながらの欲による知で説明可能ですかそれは?
>>282 だからw
心的状態、心的作用、心的様相、についてはどうなんだ?
【どういう『物質』同士の相関関係】なんだ?
チャーマーズの「意識する心」読んだか?(以前紹介したと思うが・・w)
>>282 有部ならともかく釈尊や龍樹が
>この全世界や、己の身体自体が、「粒子の相互依存的・関係的集合」
に対する何かしらの返答と与えたとでも?
釈尊が語ったのはあくまで心のレベルの話、全世界の成り立ちとかそんな話は「無記」。
相対性原理や量子力学と偶然対応する所があるからよく勘違いする人がいるが、それ間違いだから。
サーンキヤとかならまだしもねw
そういえば今日の朝アタマを打ちました
287 :
神も仏も名無しさん:2012/11/21(水) 20:03:47.81 ID:+hzdgGMm
>>265 テーラワーダ(小乗)ならビルマの先生
大乗ならチベット系の先生につくべきです。
ネットで学ぼうというのは無理があります。
>>265 「すがりたい」感じなら仏教はやめときw
「すがらない」生き方を推奨するのが仏教だから。(一部浄土・日蓮系除くw)
キ教系の方が、身や心を任せるのには向いてるよ。
もっと言えば、(一端、腰の座りが安定したら)イスラムの方が安心感の充実度は半端ないかもしれんよ。
これ、冗談じゃなく、マジな助言だから。
289 :
神も仏も名無しさん:2012/11/21(水) 20:41:30.26 ID:9WTyJpLm
卑下慢とか
依言真如 離言真如とか
基本用語はウィキにあるから
覗いた方がいいよ
290 :
神も仏も名無しさん:2012/11/21(水) 20:46:25.02 ID:ODOz65ri
>>284 >心的状態、心的作用、心的様相、についてはどうなんだ
その心を発する脳も、量子の相互依存的・関係的集合体。どこまで行っても
「中論の世界」である。
なお、心とは、状況に適応して身体(生命)を維持するための機能に過ぎない。
心のために心を使うのは、心の目的外使用、心の濫用である。
中論は、心などについて語ってはいないのでは。
291 :
神も仏も名無しさん:2012/11/21(水) 20:54:54.70 ID:ODOz65ri
宗教とは、「心の目的外使用」「心の濫用」「心のオナニー」以外の何物でも
ないことを、自覚されたし。
>>290 一代氏など異論を唱える人もいるが
有部を初めとする、区別の哲学を否定したのが龍樹の『中論』だから、
『中論』では、相対性原理や量子力学などの現代科学は、まっさきに否定される。
>>291 もしかして、
>>273などを見る限り、宗教とは、「心の目的外使用」「心の濫用」「心のオナニー」以外の何物でも
ないことを理解していなかったのか?ついでにいうと釈迦の縁起は、「単なる」因果関係ではないよ。
293 :
基地子菩薩:2012/11/21(水) 21:15:27.04 ID:h30A6fDg
そもそも、法有を説く有部ならともかく、法空を説く『中論』は、ある一定の条件下では物理学の法則が不変な形を保つという原理、相対性原理と相容れないだろ
295 :
神も仏も名無しさん:2012/11/21(水) 22:17:19.63 ID:9WTyJpLm
心の目的的使用って具体的になんなの?
ゲームに興じることは範囲内か?
ゲーム会社の社員は生きるために
興じているがこれはいいのか?
また、ゲームが流行っている共同体で
話題に乗ってゲームをするのもより楽に生きるためと言えるか?
また、ゲームは状況対応の訓練だから範囲内と言うこともできるか?
しかし、およそ実戦とはかけ離れたシミュレーション
というべきだろう
そもそもなぜゲームが第一義的にあるのかといえば
気晴らしだろ
精神的ストレスを発散させるための、
もしそれまでオナニーと言うならば
この社会はオナニーを提供することを
生きる糧にするという相互阻害によって
成り立っていることになるぞ
その社会はすでに共同体ではあるまい
詰まるところ、共同体を営む社会が正当であると認めるもの以外はすべてオナニーという
枠組みを立てざるえなくなる
296 :
神も仏も名無しさん:2012/11/21(水) 22:20:51.15 ID:9WTyJpLm
生きるために心があるなら確かにその通りと言える
まさに生きるか死ぬかを予感しているとき
生きようとしているものが非正当物に気を引かれるのはオナニー以外の何物でもあるまい
しかし、長期的に見たとき
社会が正当であると認めないものを許さないということは
果たしてその社会にとって真に有益なことなのだろうか?
多様性のある社会こそ生きる確率が高いのでは
日本では集団主義になりやすいが
それはややもすると一つの理性的論理に依存した社会をつくる
中には社会の権威を絶対と信じて
異質物排除に向かうものもいる
単に自己の優位な社会的立場の維持という
一時的な社会的欲求によるのだろうが、
だが一つの社会的論理が永遠に
通用することは有り得ないのだから
かえって全体的に見たとき、非正当物を認めないことは
心の目的にかなわないのではなかろうか
まああくまでも非正当の社会的論理が共同体を破壊する
ことを意図していない場合に限られるが
297 :
神も仏も名無しさん:2012/11/21(水) 22:34:07.80 ID:9WTyJpLm
まさに遊びのない社会は硬直する
硬直した社会は理想とは裏腹に
現実に対応できなくなるだろう
>>290 >その心を発する脳も
いや、そうじゃなくてw
チャーマーズ読んでないだろw
それは、
豚肉とキャベツと塩コショウとコンソメがあっても(材料が揃っても=脳があっても)、
炒め物になるかスープになるかは確定できないわけだ。
そういうこと判ってる?
心をどこに置くかをいう問題は、難しい。唯脳論を唱える人は少なくないが、
脳は、知覚と運動の両面に連絡していなければ機能しない。つまり、末梢神経につながっていなければ意味をもたない。
300 :
神も仏も名無しさん:2012/11/21(水) 23:33:43.91 ID:wvO7JgjQ
>>294 中論は、物理現象や世間の一切の慣習は、「無条件の前提」としてる。
それらの「構造」が、「相互依存的・関係的」なのである。
釈迦とは異なり、竜樹の論理には、聊かの破綻もない。
んと、隠居は考えが浅いよな・・w
ま、カラスもだけど。
宝珠は人柄誠実だし真摯だし、在家は意外に勉強家だったりするから、まだ好感持てるけど。
あ、隠居の勉強量も結構なものとは思ってるよ、うん。
着眼点の幾つかには大いに共感するし。
ただ、その咀嚼の仕方が・・って感じw
>>300 >釈迦とは異なり、竜樹の論理には、聊かの破綻もない。
上のレス自体にあんま深い意味はないが、「相対性原理」などと一緒に語られる
西洋的な科学が使用する論理で考えると、竜樹の論理には矛盾があり相容れない。
「竜樹の論理には、聊かの破綻もない。」が大乗仏教の世界観の内ではという、注が入るなら異論はない。
303 :
302:2012/11/21(水) 23:57:09.78 ID:4fc3m7HF
302のレスは、「あり相容れない」という意味での別のアプローチね
304 :
神も仏も名無しさん:2012/11/22(木) 00:07:44.66 ID:wvO7JgjQ
>>302 >「竜樹の論理には、聊かの破綻もない。」が大乗仏教の世界観の内ではと
>いう、注が入るなら異論はない。
大乗仏教は、中論を基盤としているのだから、当然のこと。それでは「循環論法」
である。
中論は、多くの西洋の仏教学者にも、驚きを以って理解されている。「相対性理論」
は、中論の「空」そのもの。ハイデッガーの「世界内存在」も、現象学も、ニーチェ
の「永劫回帰」も、中論の影響であると解する。
>>304 で、いつもの如く、都合の悪いレスはスルー、とw
あ、一言添えとこうか。
>>304 >多くの西洋の仏教学者にも、驚きを以って理解され
つまり、それまでの西洋的価値観と異質だということさw
だから >驚きをもって なんだよ。
そして、隠居の思考回路はバリバリ西洋論理なわけさ。
その西洋論理で中論読んで、理解できるわけなかろう?w
驚きを持った学者達同様、自身の足場たる西洋論理を離れない限り、中論は理解できないってことでしょ、
一代が言ってるのは。
構図としては実に単純。しかし、治癒矯正としては困難を極める感じだな・・・w
>>304 >それらの「構造」が、「相互依存的・関係的」なのである。
龍樹の論理や空(=縁起)を、相互依存と捉えるのは、おそらく三論宗的な立場からの解釈でしょう。
その説自体には、説得力があり、そう解釈して大乗が発展したと言える部分も十分あると思いますが、
龍樹自身の哲学の目的は、名辞と現実実在が一致しない事を暴露する事であり、
相互依存などを意識して論理を展開してはいません。(と私は理解しています。)
308 :
神も仏も名無しさん:2012/11/22(木) 00:31:20.83 ID:nL6eJEBo
>>306 西洋論理によっても、中論に対しては反論不能だと思うよ。つまり、中論は、
西洋論理の上を行っているということ。竜樹が、古今東西、比肩する者のいない
天才思想家である所以。
309 :
神も仏も名無しさん:2012/11/22(木) 00:38:17.29 ID:nL6eJEBo
>>307 中論では、「相対性ならざるものはない」と何度か言ってますね。
また「因果」や「生起」の概念を否定している。このことから、「相互
依存性・関係性」は、必然的に導かれます。つまり、「これがあるから、
あれがある」訳ではないのです。
>>308 ばーかw
竜樹如き、所詮お釈迦さんの縁起の焼き直しだってのが、まだ解らんかなぁ・・・w ┐(´ー`;)┌
311 :
基地子菩薩:2012/11/22(木) 00:52:24.73 ID:fhP8A9S/
____
/ _ノ ヽ_ \ 人気者は辛いわよ!(苦笑)
/。(⌒) (⌒)o\
/ :::⌒(__人__) ⌒::: \ _________
| ヽr┬-ノ | . | | |
. \ `ー'′ / | | |
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| r ニート | \.| | |
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──‐‐`ー-イ__)l二二l ̄ ̄ | | |
312 :
神も仏も名無しさん:2012/11/22(木) 01:10:47.59 ID:nL6eJEBo
>>310 「焼き直し」などという程度ではない。釈迦の「空」の一語にヒントのヒント
を得た「コペルニクス的転回」「新たな意味を与えたもの」。西洋の学者たちも、
そう言って驚いているではないか。詳細は、中村元著「龍樹」を参照されたし。
帰教序で言っているのは、すべて「竜樹自身の思想」w。「釈迦は(自分のような)
教えは、何も説かなかった」と言っているw。「釈迦を超えた」という竜樹の
並々ならぬ自信が、中論から読み取れませんか?w
313 :
神も仏も名無しさん:2012/11/22(木) 01:22:41.47 ID:nL6eJEBo
>>301 >んと、隠居は考えが浅いよな・・w
人間は、物事を考えすぎると、かえって真理を突き抜けてしまいます。
道元が、現成公案の「魚鳥と水空」で見事に指摘している通り。
>>309 言うほど擦り合わせたわけではないので余り踏み込んだ言及は、避けますが「必然的に導かれます」とはいえないでしょう。
「相互依存性・関係性」が三論宗を始めとする、大乗の『中論』理解であると言うなら異論は無いですが、
有部が因果関係や論理的関係を説いたように、「龍樹が」「相互依存性・関係性」を主張したという説には賛成しかねます。
----不説さんへ
>>187>>189>>238 不説さんによる一連の長文を読ませて頂きました。
仏教について、ズーと自分の中に在った蟠りがなんだか解消できたような感じがし、
初めて仏教について、心が温まり和むことができたような安堵感が生じました。
どうやら、硬直化した思考による自分自身の誤解だったようです。
仏教についての考え方を変えるキッカケにしたいと思います。
どうも、ありがとうございました。m(__)m
竜樹の表した思想体系資料は、世界大戦前に研究のためイギリスに持ち運びこまれている
317 :
神も仏も名無しさん:2012/11/22(木) 06:24:56.34 ID:oYKdgo6C
>>317 以前、イギリスでは釈迦は架空の人物として捉えられていたが、発掘調査のなかで遺跡などの発見より、
釈迦が歴史上で、実在した人物だと認識している。
竜樹の中論などは、イギリスなどで研究され高く評価されたとある。
これらのソースは、以前古代仏教学を学ぶなかで読んだ記憶があるが、書名は定かでない。
>>318続き
ちなみに、明治時代日本の古跡調査で出土した埋蔵品などもイギリスに持ち出され、なんとか博物館に所蔵されている
『中論』の誤りは、有無を縁起させたところにある。
>>244 この影響は『中論』全体に及び、真偽が分かちがたく絡み合い、
どこがどう誤っているのかを簡単には見分けられない。
〜 運動を否定し、時間を否定する主張は、詭弁だろうと思う。
321 :
神も仏も名無しさん:2012/11/22(木) 11:03:56.72 ID:PjRwcVhH
龍樹は、アートマンを否定し、ニルヴァーナを否定し、輪廻を否定する。
如来を否定し、仏法を否定し、サンガも否定する。
龍樹は天才的だが、その主張から、かれが解脱していたとは到底思えない。
この人は悟っていない。かれの「空」はまがい物である。
世親はどうか。アラヤ識の定義に多少混乱があるが、世親は解脱している。
322 :
神も仏も名無しさん:2012/11/22(木) 11:51:28.92 ID:cwP7hKWX
>>321 既に釈迦に嵌った者には、中論は絶対に理解できない、理解したくないこと
は、前レスで述べたとおり。釈迦の「絶対性」が吹っ飛ぶからであるw。
竜樹の解脱とは、「己が万物・万人との関係性の中にある」という、「より
高位の悟り」である。
釈迦→(クマラジュ)→天台
この中に竜樹のはいり込む余地はないと思われ
324 :
大滝秀治 :2012/11/22(木) 12:06:50.58 ID:xP++FkYM
>>320>>321 隠居
朝の仕事を一段落して覗いたら、
楽しいヘンな漫談が書いてあった。
どうぞ、お続けくださいw
>世親は解脱している。
ちなみに、一言、ヴァスバンドゥ(世親)は唯識の頭目といわれるが、
サーンキヤ哲学とかシャンカラを通じて復古逆行したヤージュニャヴァルキア流『自己=アートマン』論者であって、
事実上の成りすまし仏教(隠れヒンドゥ=バラモン教)に他ならない。
シャンカラも成りすまし仏教の唯識から大量にアイデアをパクッている。
このあたりのパクリ合いは面白い。
この点は相応しくないのでノーコメントです。
もちろん、<親(ブッダ)のこころ、子(仏教徒)知らず>で、ブッダは遠くなりにけり。
どうも、頭がいい頭でっかち(空海を含む)連中にはかないませんなあ(爆笑
では、修空華万行に戻ります。
325 :
大滝秀治 :2012/11/22(木) 12:11:59.66 ID:xP++FkYM
大滝氏はアマゾンの関係者かな?
327 :
神も仏も名無しさん:2012/11/22(木) 12:22:53.48 ID:cwP7hKWX
>>327 八宗の祖と言われているが、現実にはラジュの正確な釈迦思想踏襲を評価され、ラジュ訳経典が多く用いられている
329 :
神も仏も名無しさん:2012/11/22(木) 12:44:01.77 ID:cwP7hKWX
>>324 >ブッダは遠くなりにけり
釈迦は、「己の我を以って無我を説く」という初歩的論理矛盾、「一切
皆苦」という「健常者には無関係な精神状態」という点で、最初から
誤っている。従って、「後は押して知るべし」。
釈迦のこれらの誤りを是正するために、釈迦個人は「単なる象徴の地位」
「飾り物の地位」に追いやったのが、大乗仏教なのです。釈迦個人盲信
は、カルトそのもの。
>>329 ふ〜ん・・。
「無我」を言わない大乗仏教が、世界のどこに存在するんでしょうね?
「一切皆苦」を言わない大乗仏教が、世界のどこに存在するんでしょうね?
後学の爲に是非ともお教え願いたいものです。
331 :
神も仏も名無しさん:2012/11/22(木) 13:10:08.12 ID:cwP7hKWX
>>330 岩波仏教辞典の「苦」「無我」などの項目を一読して、初歩的知識を身につけて
ください。
「非我(我にあらず)」は、まさに「我の存在」を前提としています。
332 :
神も仏も名無しさん:2012/11/22(木) 13:19:40.60 ID:cwP7hKWX
(釈迦)「自分なんていないんだよ」
(小学生)「そう言っているあなたは、そこにちゃんといるじゃん」w
(釈迦)「???」w
>>331 そうじゃなくてw
また姑息に質問から逃げるんだからwww
「無我」や「一切皆苦」を言わない大乗仏教がどこにあるのか教えてください、
と言っているのです。
岩波辞書には、「尚、大乗仏教は、これらを標榜しない」とでも書かれてるんですか?
>>332 家庭不和を抱える或る人物が、
「俺には家族なんていないのさ」と言うとき、
その人に家族は「いる」?「いない」?
「いる」ならば、彼は嘘をついている?
「いない」ならば、ピンピンしている彼の家族の存在はどこに?
貴方は、本当に日本語が・・というより語学力が貧相ですね・・・ ┐(´ー`;)┌
334 :
神も仏も名無しさん:2012/11/22(木) 14:13:29.42 ID:bB29PEEC
人間社会が我を前提にしていることと
我が実在しているかは
別問題だろう
無我の知らない凡人が勝手な講釈
生悟りはケガのもとだぞ
336 :
神も仏も名無しさん:2012/11/22(木) 14:50:33.34 ID:6FWOX8Zt
(釈迦)「生きることとはね、苦しいことばかりなんですよ」
(小学生)「先生は、それ言ってる時だけは楽しそうですね。お顔が
輝いていますよ」w
(釈迦)(???)w。「気分が悪いので、授業は、竜樹先生と交代します」w。
338 :
神も仏も名無しさん:2012/11/22(木) 15:18:25.07 ID:6FWOX8Zt
(釈迦)「世の中のものはね、常に変わっているのです」
(優秀は小学生)「けど、一瞬をとれば変わってはいませんね。映画のフイルム
の一こまは静止画です。変わらないものを前提としなければ、
変わるという言葉は使えません」
(釈迦)「???」。「近頃の小学生は、生意気な者が多くて困る。昔なら、簡単
に騙せたものだが。ぷんぷん」w。
339 :
神も仏も名無しさん:2012/11/22(木) 15:30:32.40 ID:6FWOX8Zt
(釈迦)「これがあるから、あれがある。これを縁起と呼びます。例えば、手を
火に近づけると火傷します」
(小学生)「そんなことは赤ん坊でも知っていますよ。熱いものに手を触れると、
あわてて手を離します」
(釈迦)「???」w。
340 :
神も仏も名無しさん:2012/11/22(木) 15:34:43.66 ID:6FWOX8Zt
>>338の訂正
×(優秀は小学生)
○(優秀な小学生)
341 :
神も仏も名無しさん:2012/11/22(木) 17:43:00.68 ID:bB29PEEC
変わらないということを前提にしなければ
変わるということも有り得ない。
まさに。
変わらないものがあると思い込むこと、
それが執着です
執着している者に教えるためは
我々にとって当たり前の事実が演繹されると
矛盾することから教えなければならないのだろうね
瞬間の表象に執着しそれを永遠と勘違いする者には
その者に限界を教える必要がある
それは蝉に冬を教えるほどに難しい
>>324 大滝秀治さんへ
> ちなみに、一言、ヴァスバンドゥ(世親)は唯識の頭目といわれるが
> サーンキヤ哲学とかシャンカラを通じて復古逆行したヤージュニャヴァルキア流『自己=アートマン』論者であって
> 事実上の成りすまし仏教(隠れヒンドゥ=バラモン教)に他ならない
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E6%A8%B9 龍樹は
南インドのビダルバの出身のバラモンと伝えられ
幼い頃から多くのバラモン(ヒンドゥー)などの学問に通じていたかもしれない
小乗の仏典をわずか 90 日で読破した龍樹は
更なる経典を求めヒマラヤ山中の老比丘からいくらかの大乗仏典を授けられた
龍樹を海底の龍宮に連れて行き大乗仏典(『般若経』か?)を授けた
龍樹は 90 日においてこれを読破。深い意味を悟る
王は今神々は何をしているのかと尋ねたところ
龍樹は神通力を以って神々と悪魔(阿修羅)の戦闘の様子を王に見せた
これにより王をはじめとして宮廷のバラモン達は仏教に帰依した
龍樹は
中阿含経などに説かれた、仏教で、悟りに至るための三十七菩提分法の
四如意足(四神足)によって神通力を現したのかもしれない
343 :
神も仏も名無しさん:2012/11/22(木) 17:54:29.92 ID:1sn8UBEk
>>336 楽しみの刺激も「苦」なんですよ。
楽しい話題を話したくてウズウズするのも「苦」なんです。
「苦」を「衝動」と言いかえてもいい。
生きているかぎり、次から次へとふりかかってくる「衝動」に突き動かされて、
動き続けなければならないのです。
344 :
神も仏も名無しさん:2012/11/22(木) 17:56:37.14 ID:6FWOX8Zt
>>341 君たちこそ、上記のように小学生から見ても矛盾と誤りだらけの釈迦の
教えを「永遠」と勘違いして執着しまくっている。
非宗教者は、限りある一度きりの生という真理を知っているから、生を
限りなく価値あるものとして、ひたむきに生きている。
限界を教えられる必要があるのは、君たち勘違い宗教者である。
345 :
神も仏も名無しさん:2012/11/22(木) 17:57:28.71 ID:bB29PEEC
私があると思う者は 私の体、私の物、私の妻、私の友人、私の知識
と私を拡大し続けるが
恒久的実体でないからには必ず私がなくなることが起こる
そこに苦が生じる
当たり前にあると思うものに寄りかかった人生は必ずその裏切りによって悲劇に終わる。
一切の苦はあると思ったものが失われることから起こると言えよう
とかく意気軒昂な若者には分からないことだろうが
それも苦の始まりと言えよう
人の名声も久しからず
必ず裏切られる
しかし、一番の裏切りと言えば
私の死によって、私自身に裏切られることなのだろうな
その苦しみは想像することができまい
346 :
神も仏も名無しさん:2012/11/22(木) 18:06:51.39 ID:6FWOX8Zt
>>348 >楽しみの刺激も「苦」なんですよ。
ならば「苦楽」に変更すべし。それで問題は解決するw。
「苦あれば、楽あり、楽あれば、苦あり」という、生活者なら誰でも
知っている「唯一の真理」に思い至るべき。「苦楽」とは「相対概念」である。
大乗では、「常楽我浄」と、すでに変更済みw。
348 :
神も仏も名無しさん:2012/11/22(木) 18:12:33.82 ID:6FWOX8Zt
>>347 絶対に意識できないのが「無意識」。無意識を意識したら、もはや無意識
ではないよw。
349 :
神も仏も名無しさん:2012/11/22(木) 18:26:12.63 ID:bB29PEEC
自律神経系は意識すれば
止められるの?
意識せずとも動いているでしょう
351 :
神も仏も名無しさん:2012/11/22(木) 18:56:27.79 ID:bB29PEEC
釈尊の教えが永遠というのは
どういう意味かな
正像末の区別がある時点で
終わりがくることは自覚されていると思うが。
正法の時期を過ぎ
今は末法とは教科書でも書かれていること
さては劣等生だな
それはさておき
永遠とは真実であるということかな?
つまり、誤りと分かる時期が到来することがないという
釈尊の教えがとらわれるなという教えである以上
それは私のものではない
私のものとなることがない
奪われようがないわけで
すなわち、誤るとすれば、私が誤ったときだろう
それはすぐ正すべきだろうね
そして、その意味でそれは真実であると言える。
>>338 ≪【一瞬】を【切り取れる】≫と思ってるところが、愚昧だと言ってるのですよw
その件も何度も指摘しましたでしょう?w
どこまで細分化して切り取り得るんですか?と。
>>339 だからw
心的事象の縁起はどこへ行ったんですか?とw
これも何度も指摘しましたでしょうに・・(^^;
貴方の「心」には動き・変容が無いのですか?
>>341 これも何度も指摘したでしょう?w
【概念として「対」である】こと
と、
【実際に、同時存在として「対なるもの同士」が存在する】こと
とは、まったく別問題なんですよ。
んと、小学生以下ですね・・ ┐(´ー`)┌
354 :
神も仏も名無しさん:2012/11/22(木) 19:34:12.84 ID:bB29PEEC
そういえば祇園精舎て
祇樹給孤独園精舎の略らしいね
祇陀太子の林苑を給孤独長者が買い求めて
それを釈尊に布施して聞法の道場にしたとか
この時代は金持ちがガンガン寄付しているけど
やっぱり仏教て商人階級多かったんだろうな
クシャトリヤ以下だもんな
355 :
神も仏も名無しさん:2012/11/22(木) 19:54:53.99 ID:Tz+UKFiJ
>>351 >すなわち、誤るとすれば、私が誤ったときだろう
>それはすぐ正すべきだろうね
釈迦は明らかに「最初から」誤っているのに、「私が誤ったとき」かw。
どこまで洗脳されているんだw。
356 :
神も仏も名無しさん:2012/11/22(木) 20:09:47.98 ID:Tz+UKFiJ
>>352 中論では切り取っている。それが竜樹の偉大なところ。即死者にとって
の最後の世界は「一枚の静止画」である。
心的作用は、外界の縁起に従う。さもなければ、生命は維持できない。
中論では、「心的事象の縁起」などという下らんことは言ってはいない
のでは?
>>355 御自身の誤りに気付けていない方が何を言ってるんでしょうか?w
358 :
神も仏も名無しさん:2012/11/22(木) 20:12:38.95 ID:Tz+UKFiJ
>>353 概念が現実を反映していない場合、それを「空想」「妄想」と呼ぶ。
359 :
神も仏も名無しさん:2012/11/22(木) 20:15:36.01 ID:Tz+UKFiJ
>>357 釈迦の誤りは、上記の「小学生との対話」で示した。あとは小学生に
聞いてくれw。
360 :
神も仏も名無しさん:2012/11/22(木) 20:15:41.26 ID:bB29PEEC
明らかにという部分が
説明に欠けるな
釈尊がはじめから誤っていたとは
具体的にどこだろう
負け犬のなんとかでなければ
ひとつご教授願おうか
頭を下げないことが
人類の誇りであるかのように勘違いしている
思春期に多い邪慢の輩には
そのことの無意味さを分からせるしかないからな
361 :
神も仏も名無しさん:2012/11/22(木) 20:21:41.28 ID:Tz+UKFiJ
>>360 前記の「釈迦と小学生との対話」をよく読んで、小学生に反論して
みてくれw。
小学生は、まだ思春期にも達していないよw。
362 :
神も仏も名無しさん:2012/11/22(木) 20:26:40.96 ID:Tz+UKFiJ
巨大な岩窟寺院や仏像も、結局は、宗教に嵌った金持ちの「公共事業」
の意味合いがある。労働者たちは、信仰のためではなく、生計の資を
得るために働いた。宗教が、「人間の生存の手段」であったことを
証明している。
363 :
神も仏も名無しさん:2012/11/22(木) 20:29:44.67 ID:bB29PEEC
幼稚園のころ、うんこ踏み競争てのがあってだな
勝ったものはえらく尊敬されてたもんだよ
こいつは怖いもの知らずだってな
ばかかと・・・。
徳のないことを自慢しても詮なきことだよ
他人の言葉尻をあげつらい
我勝てりとしたところで
踏んだ糞が足の裏にくっついてるだくだぞ
364 :
神も仏も名無しさん:2012/11/22(木) 20:38:21.00 ID:bB29PEEC
あと、俺昨日寝なかったわ〜とか
だからなんだよ
大人なのかよ
>>356 wwwww
>中論では切り取っている
嘘をつくな嘘をwww どこだよ?w
>心的作用は、外界の縁起に従う
「従う」? それって、縁起じゃないw
或ることが因や縁になって、或る「心的事象が生じている」わけじゃん。
そこに「心的事象が現じている」わけだが、そのことに依る(相関して生じる)次の事象は無いのかい。
>中論では、「心的事象の縁起」などという下らんことは言ってはいないのでは?
wwwww
いやいやいやいやw
縁起ってのは、心的事象について言うものだし、中論に於いても同じ。
外的事象についての縁起はオマケなの。中論に於いても同じ。
ホント、何も解ってないなぁw
366 :
神も仏も名無しさん:2012/11/22(木) 20:53:50.30 ID:Tz+UKFiJ
>>365 >縁起ってのは、心的事象について言うものだし、中論に於いても同じ。
>外的事象についての縁起はオマケなの。中論に於いても同じ。
中論は、「もろもろの存在」という言葉で始まる。
以前にも言ったように、釈迦カルトには、中論の理解は無理・無理w。中論
や道元を引用するカルトは「皆無」w。
>>358 > 概念が現実を反映していない場合、それを「空想」「妄想」と呼ぶ。
いやいやいやいやw
そういう問題じゃないでしょwww
んと、いつもいつも論点をはぐらかすよねぇ・・。
概念上の対と、実際の同時存在の対とは違うってのは理解できましたか?
>>359 > 釈迦の誤りは、上記の「小学生との対話」で示した。
いやいやいやいやw
それら全て「一面的でしかない」っての解る?w
もし解らないなら、貴方のレベルが小学生以下ってことです。
大人として多角的に見るということがないんですかね・・。
368 :
神も仏も名無しさん:2012/11/22(木) 21:04:43.87 ID:bB29PEEC
釈尊在世時もよくわからん輩がいっぱいいたんだろうね
369 :
神も仏も名無しさん:2012/11/22(木) 21:10:14.96 ID:Tz+UKFiJ
>>368 まあ、前記の小学生に対して反論してみ。出来る?w
釈迦の場合は、その鬱病の信者に対する感染と言う「精神医学的要素」
が大きい。
370 :
神も仏も名無しさん:2012/11/22(木) 21:22:41.86 ID:bB29PEEC
いやもう反論されてるじゃん
それにどっちかっていうと患者はそっちだろう
そんな改心をするよう
穏やかにほだされても
トンチンカンすぎて
よくわからりません
>>366 wwwwww
それも何度も指摘したでしょう?w
その「存在」は、物だけじゃないと、何度も進言したでしょう?
>>369 自分で過去ログ掘ったらどうですか?
全く同じ論点を、完全論破して差し上げたでしょうに・・・w
372 :
神も仏も名無しさん:2012/11/22(木) 22:59:39.22 ID:rkBbf86w
>>371 少なくとも、中論第一章における「存在」は、「物」だな。第一章だけでも
よーく読んで御覧なさい。第一章が理解できれば、中論は理解できたと
思ってもよい。中論のエッセンスだから。しかし、前述のとおり、釈迦カルト
には、中論の理解は到底無理。
自分で「論破した」「論破した」と騒いでも、こっちにはかすりもして
いないよw。「世俗的なことにもとづかなくては、第一義は説示され得ない」。
>>372 wwwww
>少なくとも、中論第一章における「存在」は、「物」だな
馬鹿?
どこをどう読んだら「物」になるの?
まったくもって意味不明。 つか、やっぱり語学力ゼロだなw
375 :
神も仏も名無しさん:2012/11/23(金) 01:56:28.81 ID:0oJ66UjZ
>>336 生きていると、「言いたくてしかたがない」という衝動に襲われたりもする。
そして、言ってしまって、それで誰かを傷つけたりもするのです。
楽しいときこそ危険信号だと思いなさい。
欲、怒り、怠け、プライド、これが「衝動」の影に潜んでいるのです。
楽しいときは欲がくっついてますよ。
基本的に怠けがあるから動きたくない、プライドがあるから何かやらなくちゃ、
そこに欲もしくは怒りも絡んでくる。
やりたくないけどやらなくちゃ、やらなくちゃだけどやりたくない、
変わりたくないけど変えなくちゃ、変わりたいけど変えたくない。
376 :
神も仏も名無しさん:2012/11/23(金) 02:37:00.53 ID:0oJ66UjZ
>>339 熱いと手を離し、寒いと寄り添いたくなる、これも縁起です。
条件次第でコロコロ変わり、どんなに熱くても手を離さないぞという確固たる自性はないので、
無自性と言い、空だと言うのです。
そして、生きていると、世の中の条件がコロコロて次から次へ変わっていき、
いわば変化という刺激がどんどん襲いかかって来て、
私たちはそれに応対し続けないといけないのです。
美女の誘惑でさえ、「襲いかかってくる刺激」の一つにすぎない。
カマキリを見てみなさい。後尾したあとで、メスがオスを食べちゃうこともある。
性欲の刺激が来て、事がすんだら、次は食欲の刺激が来たんですね。
空しい。
377 :
神も仏も名無しさん:2012/11/23(金) 03:35:13.45 ID:OCWnSwRS
>>373 無駄だな。とうに自明なことなのに。
認めないのは生命教本人だけ
378 :
神も仏も名無しさん:2012/11/23(金) 08:49:27.88 ID:8Op3d9T6
『中論』の誤りは、有無を縁起させたところにある。
>>244 この影響は『中論』全体に及び、真偽が分かちがたく絡み合い、
どこがどう誤っているのかを簡単には見分けられない。
〜 有無を語る第1章からして間違っている可能性が高い。
〜 第2章(運動の考察)、第19章(時の考察)は詭弁でしかない。
379 :
神も仏も名無しさん:2012/11/23(金) 08:59:20.37 ID:8Op3d9T6
龍樹は、如来を否定し、仏法を否定し、サンガを否定し、
アートマンを否定し、ニルヴァーナを否定し、輪廻を否定する。
その挙句、ブッダは何も説かなかったなどとうそぶく。
もしこれが本当ならば、仏教の何が尊いのか。
こんな龍樹を有難がっている大乗とはいったい何ぞや。
380 :
パーピマン:2012/11/23(金) 09:26:48.52 ID:PARfLzhK
また、アホ隠居がいつものトンデモ中論解釈を喚いているのかwwwww
381 :
神も仏も名無しさん:2012/11/23(金) 09:46:53.95 ID:8Op3d9T6
よくよめ。龍樹や大乗の批判ではないか。
隠居は、龍樹や大乗に無批判、べったりではないか。
どうやら創価のステマだと思われる。
382 :
パーピマン:2012/11/23(金) 11:12:24.53 ID:PARfLzhK
>よくよめ。
wwwwwwwwwww 一体、何を読めと?ww
383 :
パーピマン:2012/11/23(金) 11:26:44.37 ID:PARfLzhK
>一代
ちと聞くんだが、一代があげてた書籍・・・あれ夏ごろに一代が、もうすぐ出るよ
と言ってたやつか?
あれは一代が書いたのか?
>>339 ????????????????????????????????????????
>>376 >熱いと手を離し、寒いと寄り添いたくなる、これも縁起です。 ???
>条件次第でコロコロ変わり、どんなに熱くても手を離さないぞという確固たる自性はないので、
無自性と言い、空だと言うのです。???
>そして、生きていると、世の中の条件がコロコロて次から次へ変わっていき、
いわば変化という刺激がどんどん襲いかかって来て、
私たちはそれに応対し続けないといけないのです。 ? ? しなくても良い
>美女の誘惑でさえ、「襲いかかってくる刺激」の一つにすぎない。 思い込みによる刺激
>カマキリを見てみなさい。後尾したあとで、メスがオスを食べちゃうこともある。
性欲の刺激が来て、事がすんだら、次は食欲の刺激が来たんですね。 ??? 刺激という言葉をなんでも当てはめるクセがあるのがわかる
387 :
神も仏も名無しさん:2012/11/23(金) 12:59:29.37 ID:8Op3d9T6
>>384 隠居は単なる因果関係を縁起だと思っている。
そればかりか、犬と猫が縁起していると思っている(笑)
>>385 龍樹は禅の行者ではなかったのだろうね。
388 :
神も仏も名無しさん:2012/11/23(金) 13:31:35.46 ID:0oJ66UjZ
>>386 血液中の酸素が減るという変化が襲いかかってくるから、呼吸という応対をしなくてはならない。
「しなくて良い」というなら、息を止めてみてください。
心臓も停めてください。
生きているかぎり、お釈迦様であっても呼吸も食事も排泄もしなくてはいけない。
>>388 それが縁起であって刺激であって空なんすか? それでいいすか?
>>387 犬と猫が縁起していると思っている(笑)
これいいね。おれもそう思うようにするよ
ID:0oJ66UjZ [3/3] この人の書いていることちょこっと変
禅の考えはすべてが無。よってこういう文字の場では表現は難しい。個人個人で答えが変る考え 龍樹は禅視点。禅は議論には向かない考え
393 :
神も仏も名無しさん:2012/11/23(金) 15:03:21.05 ID:UA/lKDeZ
>>392 キリシタン到来時に、バテレンたちを「上次元の論理」で論破したのが、禅僧
たち。ある意味、最も論理的なのが禅宗。その他は単なる低次元の「信仰」に
過ぎない。
>>393 禅は無だよ。その状況下で答えが変る。論理的ではないよ。言葉はその人それぞれで意味が変るからその人により答えが変る。それを論理的というならそう思う。禅はかなり高度だと思ってるよん
>>394 でしょ。それ以外なんて言葉で表現する?言葉で表現する場で?教えてけれ
◤◥◣ ブ━━━━∵;(;:゜:鑾;゜;,);:∵━━━ッ!!
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お手上げ
398 :
神も仏も名無しさん:2012/11/23(金) 15:50:27.66 ID:XTw/67tg
俺は
>>375-376とかがよくわからんな
論点がぼやけていて
内容は苦楽一如だが それを苦とするか楽とするか
人次第で苦しみと一義的に定義づけできていない気がする
一瞬の気の迷いで済む問題のような
あと、禅だが
自分もかじった程度でたいしたことは言えないが、
まず反還元主義的な立場にあるとは思う
だけど、それだけに止まらず、常に動的視点で理解を試される
だから公案の答えを暗記したり、他人に教えられて分かる世界ではない
その意味で脱構築に近いと思う
そのへんのからみで、そもさんせっぱのごとくクイズ、頓知的要素、当意即妙が出てくるのだろう
しかし、自分なりに総括するなら
人間本位の見方を止観によって必ずしも正しいとせず
常に反省していく中で、あるいは一つの見方にとらわれず、
かつすべての見方は一つと見るとき
逆説的に一般の見方では反仏教とも思える答えも認めうる
だから、難しいとも言える
400 :
論点ぼやけ:2012/11/23(金) 16:26:17.15 ID:0oJ66UjZ
>>398 論点は、
眼耳鼻舌身意色声香味触法がすべて苦しみであり無常であり縁起・無我・空であること、
涅槃だけが寂静であることです。
縁起であるということは、苦しみのネットワークとつながっていて、
どんどん苦(衝動)が入ってきてしまうという言い方もできます。
だから、この世のすべては一過性の衝動の連続にすぎない。
眼耳鼻舌身意からどんどん衝動の刺激が入ってきて、一言で言えば、煩わしいのです。
どんな甘美な刺激であっても、煩わしい。
「お兄さん、アタシが気持ちイイことしてあ・げ・る」なんて来ても、
「それで気持ちよくなったとして、それがいったいなんなのですか?」と。
きっと、先に出てきた「優秀な小学生」にはその感覚はわからないでしょう。
「気持ちいいことこそが幸せだ、おおいに楽しもう」みたいに。
でも、お釈迦様は
「気持ちよくなったからって何のメリットもないよ、前世から何億回も気持ちいいことなんかもやりつくしたが、
結局過ぎ去ってしまえば空しいだけだ」という感じ。
401 :
神も仏も名無しさん:2012/11/23(金) 16:26:59.46 ID:PARfLzhK
>このスレの各位
ID:gvbDKHwP は、通称、悟り萌え という奴です。
オレのミスで、(そうとは知らずに)このスレのことに言及して
しまいました。
(各人が判断することとは思いますが)、対話自体が成立しません。
本人のためにも、スルー推奨と考えられます。
もし、こいつと絡みたい者がいるのであれば、他スレでお願いします。
呼び込んでしまった手前、忠告する責務があると思い書いておきます。
>>401 お前こどもか?
理論めいたアホ発言しか出来ないやつがおれを見破れるわけねぇだろ。オレに理論で巻けたら子供みたいに逃げてばっかりじゃねぇか「パーピマン」 名前隠すなよ。
いつでも理論で勝負してこいよアホ
403 :
さとりもえん:2012/11/23(金) 16:39:45.90 ID:gvbDKHwP
名前
>>400 質問です
>苦しみであり無常であり縁起・無我・空
これは同義語なんでしょうか?
405 :
神も仏も名無しさん:2012/11/23(金) 16:45:23.68 ID:0oJ66UjZ
>>398 すべての刺激は本当は苦しみなのに、私達は、苦しみを手放そうとしない(生に執着している)。
ウンチの塊である大地の上で、ウンチ粘土でできた肉体を使って歩き回っているようなもの。
で、「臭い臭い」と嘆きながら、臭くない場所を探して転々としている。
しかし、あっちに行ってもウンチ、こっちに行ってもウンチ、
綺麗な形をした美女の体もウンチ、自分の体もウンチ、食物もウンチ。
ウンチとウンチがセックスして新しいウンチが生まれる。
「ウンチ」を「苦」「衝動」「不満足」に置き換えてもいい。
生きることに満足すれば生を手放せる。
しかし、私達は「もっと生きていたいんだ」と、生に満足していない。
だから「成仏できずに」この世に居座っているわけ。
406 :
神も仏も名無しさん:2012/11/23(金) 16:49:41.58 ID:0oJ66UjZ
>>404 同義語です。
苦・無常・無我(縁起・空)のどれか一つがわかれば、
残りもわかるそうです。
すべてが苦だと悟れれば、空も悟れるということでしょう。
>>405 あなたはこれからの人生でなにか目的がありますか?
>>406 すべて苦である
すべて楽である
これは同義語だと思いますか?
>>408 同義語だな
なぜなら、楽は最後は苦に転ずるから
410 :
神も仏も名無しさん:2012/11/23(金) 16:57:13.39 ID:PARfLzhK
>>406 質問された手前、それに対して回答したくなるのは当然と思われますが、
少なくともここでは、ご遠慮願いませんか?
オレが呼び込んでしまったために、このスレが荒れてしまうのは何とも心苦しいので。
このスレは、経典、教説に関して大変有意義な知識を得られる数少ないスレです。
よろしくお願いします。
>>409 苦という意味は「苦しい」という意味でつかっていますか?
>>410 おれは皆さんと議論対話することでより自分を高めていきたいと考えています。それに対し人を排除するような考えを持っている人とは対話をしても自分を向上できないためこちらもパーピマンをお断りするよアホ。
さすがに「同義」ではないでしょw
>苦楽
少なくとも、「勝義に於いては」「お悟りの上では」「仏の立場、仏の目からは」とか
「(本来無一物などと言うときの本来として)本来は」とか、限定修飾しないと。
仏教は、或る種「見做し」の宗教だから。
「これは“このように”見ることができます」と、2500年前から言われてきており、
その “このように” の部分に同意できた者だけが、教えに寄り添えばいい。
もし肯うことができないなら、他の宗教や思想など、何らかの成長・安心・矯正システムを選べばいい。
別に仏教でなきゃ駄目なんてことはない。 (手前味噌的に“仏教の方がベターだよ”とは言いたくなるがw)
414 :
神も仏も名無しさん:2012/11/23(金) 17:09:11.78 ID:PARfLzhK
ID:gvbDKHwP・・・この悟り萌え・・・が、どう言う奴か知らない者が
このスレでは多いと思うので、参考まで・・・・・
「悟りを開いたことあるけど何か質問ある?23」スレの、
ID:Py/LKcic 、 ID:ORYVF0Fv
などが、こいつです。 みれば分かるようにAA貼り付けや、コピペにより
スレそのものを破壊しますので、取り合わないでください。
415 :
神も仏も名無しさん:2012/11/23(金) 17:10:13.95 ID:XTw/67tg
うーん
空しいとは同じ場所をぐるぐる回っているだけで無意味だということだろうが
それは前に進まない、抜け出せないということにもなろうか、
つまりは閉じ込められた者の脱出願望が込められていると思われる
その意味では輪廻思想と非常にマッチする
しかし、衝動に細かな差異を見いだす者もいるはずで
人生にひたむきでないからだとか
惰性的な気分がそうさせるとも言える。
そうなると、現実逃避の思想とも目される危険があろう
確かに、諸行無常のこの世の移り変わりに疲れ、仏門に入る人は多い。
人の世の中の喧騒に関わることに飽き飽きし、
忘れ去られた身内の菩提を弔い、その者と時を同じくして余生を迎えたい気持ちも分かる。
お互いに自我を競い合う世の滑稽さにも愛想が尽きることもあらーな
だが、悟りとは必ずしも現生の否定ではなく、
滑稽さを滑稽さと楽しむ者もいる。
煩悩即菩提と言われるのはだからではないか?
となれば、衝動は必ずしも苦しみとは捉われていない
では何が問題か?
煩悩にとらわれ、それを不変であるかのように
頼みとし、寄りかかっていたからこそ
当てが外れたときに いままでは何であったのかと振り返り、
虚しく感じるのではないか?
となれば、苦しみとは無常を常ととらわれることであり
例えば、永遠に我ありと思うことに集約されるのではなかろうか
>>410 まだまだ全然荒れてないでしょw
実に穏やかな海原と思うが・・?w
それに、そうした応答の中に、(互いから出てくるフレーズに)、
第三者(ROM者)に益する言葉があるかもしれないじゃない?
(少なくともワシは、一代のそうした際のフレーズに、目から鱗の時もあったぞw)
この程度のキャッチボールのズレなど可愛いもんだ。
417 :
神も仏も名無しさん:2012/11/23(金) 17:16:16.37 ID:XTw/67tg
なんか
>>406さんがすでに本質的な反論しててワロタ
長文書いた俺はorz
418 :
神も仏も名無しさん:2012/11/23(金) 17:18:54.37 ID:PARfLzhK
>>416 wwwwwwwwwwww 違うんだよww
「初めはいつもそうなの」・・・・だから、オレも初めはからんだわけよw
ところが、どっこいww
自分に賛同しない見解を述べるや、あとは罵倒オンリーwww
そして、限りない粘着w 以後、延々と荒らしの連続だよww
他スレでのこいつの実態、知ってるか?w
さわっちゃダメなのw
いるんだよ、こういうやつがw
自分の考えを書きますが
苦しいと思うから苦しい 苦しい状況中にふとそれを忘れた瞬間そこに苦しみはない。となればなにが苦しいのか?苦しいという思いがそうさせているのでは?でも感覚的に苦しい感覚はある。
ではそれをふと忘れた瞬間、それになれた瞬間はどう説明する。簡単 苦しみは自分で作ったもの 全部そう。
>>418 この人が荒らしなんじゃない?パーピマンのアホ
>>418 なるほど。 世を忍ぶ仮の姿を脱ぎ捨てる前にスルーしとこうということかw
ま、新スレへのペースが早まるのは問題かもしれんが、
そうなったらそうなったで全力スルーすればいいわけだし、
隠居やその仲間達に関する、時々の注意喚起でいいんじゃね?w
どっちが粘着だよ はぁ
423 :
神も仏も名無しさん:2012/11/23(金) 17:28:09.02 ID:PARfLzhK
オレとしては、不用意に呼び込んでしまった手前、責任感じてるわけよw
責任放棄するわけではないが、「警告はした」w
そこは覚えておいてくれw
後は各人の自己責任でw
424 :
神も仏も名無しさん:2012/11/23(金) 17:31:56.75 ID:XTw/67tg
無言の説法が大事な人もいますもんね()
425 :
悟り萌え〜:2012/11/23(金) 17:33:35.77 ID:gvbDKHwP
>>423 議論に負けたからってビビりすぎ ごめんね 君にはもう返信しないよ。だから名前付けて書き込んでね
>>396 言葉のやり取りで理解出来るなら
それは積み重ねの哲学ではなかろうか?少なくとも仏教では有るまいな!\(^o^)/
>>411>>413 それほど、深い意味は有りませんが、
根本的な生存欲など、色んな欲を満たす事=「楽」
それが輪廻=「苦」の原因となっていると意味です。
輪廻から解脱という限定的な意味では「同じ」としました。
>>428 >根本的な生存欲など、色んな欲を満たす事=「楽」
これがなぜ輪廻と苦の原因になるんですか?ちょっとわかりません。深い意味がないって書いてますけど質問です。
質問まちがえました
>>428 それは、「同義」ではなく、「因や縁である」だけでしょう?
『「楽」(欲を満たそうとすること)が「苦」(輪廻)の因となっている』という文章だと思うけど。
イコールを設ける隙はないように見えるw
>>434 楽は、苦の範疇と言うこと。一切皆苦的な意味で共に無常であり同意義。
数学的な=をいっているわけではない
436 :
神も仏も名無しさん:2012/11/23(金) 19:01:45.87 ID:MiqyN0Bu
一切が苦なら、苦そのものが観念できない。一切が黒なら色の観念はない。
矛盾(苦⇔楽、黒⇔白)と分別と執着があって、はじめて苦があり、黒がある。
一切が楽なら、楽そのものが観念できない。一切が白なら色の観念がない。
矛盾(苦⇔楽、黒⇔白)と分別と執着があって、はじめて楽があり、白がある。
その意味で、一切皆苦は逆説的な無分別の悟り=縁起の現観⇒涅槃寂静である。
>>436 >>矛盾(苦⇔楽、黒⇔白)と分別と執着があって、はじめて苦があり、黒がある。
これは、違うよ。楽→苦と言う命題は成り立つが、苦→楽と言う命題は必ずしも成り立たない。
つまり、輪廻の必要条件は苦であるとするならば、楽は、十分条件だと理解してくれて構わない。
438 :
神も仏も名無しさん:2012/11/23(金) 19:10:21.74 ID:MiqyN0Bu
仏教議論スレッド 5
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1278424122/470 470 3/4 sage 2010/08/01(日) 14:41:30 ID:O91zmw29
>>454 > 釈迦は、生を「一切皆苦」としたことで終わっている。
ほうw
では、龍樹は、その先のどこへ向かわれたので?w
参:
〔最大カテゴリとしての「苦」について]
仏教 議論スレッド その3
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274492365/203 > 一切衆生(健常者)はそのようには考えない。
我執に捉(捕)われた凡夫ですからね。当然でしょう?w
> 「苦あれば、楽あり、楽あれば、苦あり」という「真理」を悟っている。
だからwwwそれは世俗諦だと何度も言っt
いいですか。老婆親切で図式化しといてあげますが、
苦・・・(無常、変遷するもの、永遠の保持ができないもの、思い通りにならないもの)
┌─┴─┐
苦 ← → 楽
ってこと。 で、
下段の「苦」は、上段の性質を有すもののうち『好ましくない、望まれない、二度と生じないで欲しい事柄(事象・感受)』、
下段の「楽」は、上段の性質を有すもののうち『好ましい、望まれる、更に欲しくなる事柄(事象・感受)』、
ってこと。 下段の苦楽が、皮相なもの(≒善悪・好悪・恣意的我執による分別)だと解らんか?w
;´ー`)y━~~
440 :
神も仏も名無しさん:2012/11/23(金) 19:12:28.54 ID:MiqyN0Bu
441 :
神も仏も名無しさん:2012/11/23(金) 19:13:17.01 ID:QGQpVo4o
>>400 >「気持ちよくなったからって何のメリットもないよ、前世から何億回も気持ちいいことなんかもやりつくしたが、
>結局過ぎ去ってしまえば空しいだけだ」という感じ。
釈迦が、人生を「全く悟っていない」ことを、如実に証明する言葉。
>>441 それ釈迦じゃなくその人がいった言葉だよ
444 :
神も仏も名無しさん:2012/11/23(金) 19:31:34.76 ID:QGQpVo4o
>>439 現代の精神医学では、「釈迦の鬱病の症状」で一発で解決するだけの話w。
生来的な素因もあり、また環境的な原因(家庭)もあったと思われる。
>>444 w
仏教の序章として、
シッダッタに鬱の傾向があったこと、
仏教の、その骨格としての向き・ベクトルが、鬱症状と被ること、
どちらも同意してるし、説明もしたと思うが?w
その上で、その解決策へ向かっているところが、本編だというのも、
何度も何度も言及したんですけどねぇ・・。
やっぱり忘れちゃいましたか・・。さすがの鳥頭ですね・・・。 ┐(;´ー`)┌
446 :
神も仏も名無しさん:2012/11/23(金) 20:26:18.50 ID:0oJ66UjZ
>>444 生老病死はブッダにもあるから、ブッダが病気でも不思議はない。
ブッダが病人だったとしても、当時のインドで80歳まで生きたらかなりの長寿である。
また、カルト扱いされて迫害されたわけでもなく、犯罪者扱いされもせず、
国王から庶民までたくさんの人々に慕われて支援され、
処刑などされずに弟子達に看取られて安らかに亡くなられたわけで、
病気を乗り越えてこんな順風満帆な人生を送れて、充分幸せだと思われるし、
それだけの能力の持ち主だった証でもある。
447 :
神も仏も名無しさん:2012/11/23(金) 20:33:16.88 ID:jnWIgI9v
>>447 >治療しかない
はあ?w 出家から成道までが治療で、その後45年間が余後なわけだが?
で、
>>446の通りなわけだが?w
449 :
神も仏も名無しさん:2012/11/23(金) 20:42:59.34 ID:jnWIgI9v
>>448 釈迦仏教って、別名「鬱病の治療法」かw。現在では抗欝剤が多数開発
されているから、仏教は無用。素人療法は、大怪我の元。
450 :
神も仏も名無しさん:2012/11/23(金) 20:59:55.35 ID:0oJ66UjZ
>>449 仏教は悩み苦しみの原因を制御したり消したりする教え。
健康でも悩みだらけの人生より、病気でも悩みのない人生のほうが平安ではないでしょうか?
>>449 w
「治療」ってのは譬喩表現だってのがわからん?
強いて言えば「臨床から確立された民間療法の一種」という言い方なら、まだ当てはまるだろうが・・w
ホント隠居は、単語そのものに踊らされるタイプだよな・・。
「治療」という語をめにすれば、それは「【医療行為としての】治療」としか読まない。
子供が擦りむいて返ってきたとき、唾つけて(―今は不可とされてる行為かもしらんがw、なら水洗いして―)
「痛いの痛いの飛んでけー」という母の行動は、明確にその子にとっての「治療」なんだけどね。
また448で言えば、「結果として治癒・緩和の方向で作用した」という面を「治療」と表現したわけだ。
そして、「こういう方法がありますよ」と世に問うて、「追随して同様の効果が多数見られたから」
方法論として継承されてるわけさ。(勿論、竜樹もその大樹の中の一枝に過ぎんw)
452 :
神も仏も名無しさん:2012/11/23(金) 22:36:33.53 ID:XTw/67tg
453 :
神も仏も名無しさん:2012/11/23(金) 23:09:00.63 ID:XTw/67tg
最近は西洋医学も人間の免疫力を
引き出すような治療法を重視してきていますよ
何よりなんでもかんでも抗生物質を使ってたら
医療費が莫大になって財政を圧迫します
抗生物質もたかだかここ50年の歴史しかありませんが
戦後の発展経済を前提とした医療保険モデルじゃ
モラルハザードを引き起こすだけです。
そんな輩が戦後世界の万能観にとらわれているのでしょうが。
それに抗生物質を使い過ぎるとそれに対して抗体をもつウィルスが
生まれていたちごっこになり、バイオハザードにも発展しかねない
抗生物質は免疫にプラスして補助的に使うもので
心配な場合には一度に2つ以上使うなど耐性をもつウィルスを
発生させないことが大切なんですよ
そのお母さんは常識的な対応をしてますよ
454 :
神も仏も名無しさん:2012/11/23(金) 23:49:11.68 ID:XTw/67tg
有無同然とも言われますよね
なければないで苦しみ、あればあったでまた苦しむ
奪われないように戦々恐々として、過剰に防衛しがちになる
それ自体仕方のないことだけど
(いやなら出家して世捨て人になるしかない)
さながらその様は
鉄の鎖をしている奴隷が金の鎖の奴隷を 羨むものでしかない
本来的に仏教的な見方厭世的なところに落ち着く
しかし、この人々の煩悩の林を遊びて
自在に神通を現すのが大乗的なあり方なんでしょうな
あくまでも衆生済度が目的ですが。
これは難易度が高すぎる
>>427 おっしゃるとうりでございます!\(^o^)/
>>454 >これは難易度が高すぎる
そ。
大乗信奉者は、このハードルの高さに気付かない。
気付かないどころか、「そこ(高み)を常に目指しているからいいんだ」という現状肯定になるわけだw
中学生に、工事現場のど真ん中で試験を受けさせるような、
或いは、
エロビデオ流してる画面の前で男子学生精密作業をさせるようなもんだということが、まるでわかってない・・。
百尺竿頭進一歩ってのは、工事現場の真ん中で試験を受ける際、
ちゃんと耳栓が用意できた上でのことなんだがな・・。
或いは賢者モードに自在に入れるくらいになってからの話なんだがな・・。
律改変不可という作戦は、試験を受けるときは静かに集中できる場所で・・という方針なわけだ。
もっとも、どちらにもメリットデメリットは見ることができるけど。
>奪われないように戦々恐々として、 >それ自体仕方のないこと
奪われる(失う)だけでなく、逆もありますよ。「負荷が与えられ続ける苦痛・苦悩」がね。
望まないこと・避けたいことが、(自身の意図や身構え関係無しに)降りかかってくることも、
或いは望むことでも、過剰に与えられるならば、あっぷあっぷとストレスに溺れることになります。
むすんでー (乂’ω’)
ひらいてー ヽ(’ω’)ノ
手をうってー (’ω’ ノノ”) パンッ
むーすんでー (’ω’乂)
またひらいて ヽ(’ω’)ノ
手をうって (’ω’ノノ”)パンッパンッ
その手を… (’ω’ )
下に〜 ┌(┌ ^o^)┐ホモ〜♪
458 :
神も仏も名無しさん:2012/11/24(土) 09:24:23.40 ID:S/q++vqi
>>456 >「そこ(高み)を常に目指しているからいいんだ」という現状肯定になるわけだw
完全にピンと外れだな。「常に現実に無関係な、無意味な精神的高み」を求め
ているのが釈迦カルト。Snを読んでください。悟りとは、己が、現状の中に生
きており、その中にしか生きられないことを自覚することです。
宗教とは、あるがまままの現状に存在する価値を見出し、その中に安心立命を
得ることではなかろうか。
あなた方は、「現状」を肯定しないで一体何を肯定しているのかw。
459 :
神も仏も名無しさん:2012/11/24(土) 09:27:33.63 ID:w3f8rYwo
生命教は、スル〜推奨
460 :
神も仏も名無しさん:2012/11/24(土) 09:31:34.01 ID:S/q++vqi
>>459 すべての人間、すべての生物は、生まれながらに生命教w。
461 :
神も仏も名無しさん:2012/11/24(土) 09:41:11.57 ID:S/q++vqi
>>459 あなたは、生命(生存本能)を否定して、一体何を肯定しているのですか?w
あなたが生命を否定できるのも、生命の機能ですよ。否定すればするほど、
肯定していることになるのです。
あなたは、「死ね」と言われて、または「殺されかけて」、従順に死ねますか。
絶対に不可能でしょう。
生命の否定は、「人間が人間ではなくなる」「人でなしになる」と言うことです。
>>461 貴方のは、
食べたい者は、その食べたい欲求に従うという現状肯定でしょう?
犯りたい者は、その欲求に従うという現状肯定でしょう?
節制という人工的・後発的「加工」による【“現状”変更】を宜しとしないのでしょう?
虐待されている者が、その【現状変更】を望んだ場合、
それは【現状】肯定に反するんだぜ?
所謂『向上』って奴は、【今ある現状を変える】ことなんだぜ?
【現状に満足してない】んだぜ?
だらけてる人間が、
「明日から本気出す!」「ダイエットは明日から(^-^)b」と言って
(或いは、何かを理由にして)
だらだらと怠け続けることも現状肯定なんだぜ?(日本仏教がこれになってるという皮肉でもあるんだがなw)
もし、そこで、この現状は変えてよい、この現状は変えるなという分別を加えるなら、
貴方の前提は矛盾を含みますし、
何より、「461で言う肯定」は、「どの宗教・思想でも言われる、生命、いのちの肯定」であって、
貴方と同じ立場なんですけどね・・。
463 :
神も仏も名無しさん:2012/11/24(土) 10:29:26.88 ID:pcT29rro
>>461 痛みを感じるのも生命の機能ですが、
たとえば、手術を受ける必要があるという現実がせまったとき、
普通、痛みを肯定して麻酔なしで手術を受ける人はいません。
同じように、死という現実がせまったときに、
「死にたくない」という本能を肯定して、毎日悩み苦しみまくって暮らす必要もないでしょう。
執着がなくなれば悩みがなくなるという「生命の機能」をうまく利用して、
悩み苦しみの少ない人生をめざすのが仏教です。
464 :
神も仏も名無しさん:2012/11/24(土) 12:06:58.63 ID:5zLnP15n
>>462 >>463 相も変わらず、極端から極端に走るカルト思考。
どんなに美味い物でも、腹いっぱい食べれば、見るのも嫌になる。生命がちゃんと
調節してくれる。食べたいのに食べないことから生じる「苦」は、一体どうして
くれるのw。
手術時の麻酔は、あくまで臨時の手段。あなた方は、24時間麻酔をかけて
いるようなもの。麻酔には、大きな副作用もあるのです。
苦は主として「物質的欠乏」から生じる。物質的欠乏は死に至る恐れがある
からである。その場合には、不足した物質を補うべく、働いて社会に貢献する
以外には方法はない。それによって、人間社会は維持されている。竜樹は、
「何故盗んではいけないか」を、生命の維持の視点から説明している。さすが
である。
宗教のような純粋な精神的苦は、自己中心主義から生じる。己を忘れて、
家族などの身近な他者に心を移すことにより、苦は去る。これによって
人間社会は維持されている。
無宗教者は、「死とは、すべての者に極めて公平に訪れる大自然の摂理」で
あることを悟っている。だから、限りある一度きりの生を、ひたむきに生きようと
努力する。「苦」「苦」「苦」と鳩のように鳴いて、苦を意識し、執着したのが
釈迦の鬱病の症状。
苦は、本来的に、「生の維持」に不可欠な心的作用であり、いたずらに排除すべき
ものではなく、むしろ感謝して受け入れるべきもの。それにより、初めて、苦は
去る。注射する時、これで良くなるのだと感謝すれば、その痛みは、喜びを以って
耐えられる。苦を真正面から受け止めて、それと闘うことの中に、人間は実は
大いなる「生の喜び」を得る。
宗教者は、「苦を去りたい」という執着と煩悩から、却って苦を招き、増大し
ている、という逆説が生じる。
465 :
神も仏も名無しさん:2012/11/24(土) 12:39:35.24 ID:aWy/bfxQ
>>464 龍樹は生命を否定するけど、生命教としては龍樹を肯定するわけ?
466 :
神も仏も名無しさん:2012/11/24(土) 14:47:26.49 ID:4Et7kpg4
>>465 「如来の本性であるもの、それがそのまま生類の本性である」(中論22:16)。
「生類の本性」とは、「生命」以外にはありえない。「生類の本性」が、
「父母未生以前の生命」との「関係性の下」にあるのは当然。
決めるべきところはきちんと決める竜樹。釈迦とは大違いw。
467 :
神も仏も名無しさん:2012/11/24(土) 15:28:26.08 ID:6mop1ONQ
>>460 人は誰でも何かに従属しているからムスリム、というぐらい意味不明。
インド人だからとクリスチャンも仏教徒もヒンドゥ、というぐらい意味不明。
他人が何をさして単語を使っているかぐらい読み取れよ阿呆。
468 :
神も仏も名無しさん:2012/11/24(土) 15:35:15.80 ID:w3f8rYwo
生命教に文を正確に読めというのは酷
生命教徒は、記号から妄想するのが信条
469 :
大滝秀治 :2012/11/24(土) 15:53:38.02 ID:LSxA05v9
>>347 >中論觀法品第十八
>八聖道分を修習して、我、我所を滅する因縁の故に、無我、無我所を得て、智慧を決定する
>「深層的な自我心(我癡・我見・我慢・我愛)を滅する事は重要な事である」と思いますが?
ゴメン、見過ごしてたわw
深層的な自我心(我癡・我見・我慢・我愛)とやらは煩悩の基ですよね?
仏教は縁起ですよね。自我心とか煩悩も縁起ですよね? で、一切皆苦と感じてしまうんですよね?
ところが、もともと縁起なのに自我心とか煩悩に実体があるのでしょうか?
実体がないもの、まるで幻のようなものを『滅する』ことなんてできるんですか。
『我、我所を滅する』とかいう中論觀法品第十八の執筆者はアホですねw
智慧(比喩で右脳)があるなら、<もともと煩悩なんぞない>→錯覚妄想であることを智る(同 右脳)のだから、
ないもんを『斷滅させ』ようがないやないですか。
煩悩とか菩提とか、無意味無実体な言語ゲームでしかないことを悟ったモンの勝ち(方便)なんやで。
無実体の言語ゲームだから煩悩⇔菩提でも、菩提⇔煩悩でもどっちに入れ替えてもエエねん。
煩悩即菩提なんて、意味なんかない。意味を感じている時点で迷いです。
まあ、「無分別の分別」という説明はできる。その程度のもんやで。
「無分別の分別」も分別境地なんだから、<煩悩があるから→生きる>が当然なんや。
生きてると勝手に思うから、死ぬんや。
しかし、もともと生きてないんだから、死ぬこともない。
これが縁起です。
掴めるか?
あとはあなたも既に読んでる『第一義空経』とか、
>>436>>438>>440(名なしでごめん、左は大滝秀治のレスでした)でも参考に、
菩提心自己でよーく大疑団を起こそう。
470 :
基地子♀菩薩:2012/11/24(土) 16:21:16.53 ID:L6X8gCwV
471 :
横レス失礼:2012/11/24(土) 17:46:19.23 ID:pcT29rro
>>469 幻のようなものも幻そのものも、滅することはできるでしょう。
障子に映った木の影を、幽霊だと勘違いしている人が見ている幽霊が、「幻のようなもの」。
この人に、幽霊ではなく木の影だと気付かせてやれば、この人は二度と幽霊を見ない。
これが「幻のようなもの」が滅びること。
仏教が消そうとしている幽霊とは、煩悩です。
煩悩は、生命が生まれながらに持っている「先天的な勘違い」です。
勘違いを正してやれば、幽霊は消えるのです。
>>464 だからw
「向上心」は「現状否定」なんだぜ?そこんとこ解ってんの?w
で、464の話は、まったく「現状肯定」の話じゃないじゃん。
「機に応じて適宜対処する」ってことでしょ。それって、必ずしも現状肯定とは限らないんだぜ?
いつもいつも、答えに詰まると別の話題に逃げる・・w 相変わらずやなぁ・・。
治療が必要なのは貴方の方でしょう?
>極端から極端に走る
それは貴方でしょう?www
極々稀な局所的事例を以て、それを一般化して全員が(全てが)そうであると結論付ける。
小学生のガキでもそこまで馬鹿じゃなかろうて・・・w
473 :
基地子♀菩薩:2012/11/24(土) 18:00:19.80 ID:L6X8gCwV
>>467 他人が何をさして単語を使っているかぐらい読み取れよ阿呆。
>>472 >「向上心」は「現状否定」
違いますね。向上心と現状否定は比べる言葉じゃありません
>>472 小学生のガキでもそこまで馬鹿じゃなかろうて・・・w
478 :
神も仏も名無しさん:2012/11/24(土) 18:30:59.71 ID:nwGARDit
>>471 >煩悩は、生命が生まれながらに持っている「先天的な勘違い」です。
>勘違いを正してやれば、幽霊は消えるのです。
「すべての人間が生まれながらに持っているもの」は、「人間」にとっては
「勘違い」とは言わないのだよ。単に「人間」「生命」と言う。その「勘違い」
をなくしたら、人間が人間ではなくなる。それを「勘違い」と考えるあなたが、
「人間」としては勘違い。あなたは一体、「人間」ではなくて、何という生物?w
あなたは人間を改造して「釈迦ロボット」を作りたいのか。それはもはや
人間ではなく、「人造人間」。
釈迦仏教が「人間改造」を企む超カルトなら、それはもはや人間界において、
存続は許されない。
釈迦仏教は、そんなとんでもない「勘違い宗教」なのか。
479 :
神も仏も名無しさん:2012/11/24(土) 18:52:23.38 ID:nwGARDit
>>478の訂正
×「人造人間」
○「人造人間」「化け物」
>>476 そうかもねw
日本仏教は、向上心を持っていることを名目にして現状肯定をして、
自分たちが酒池肉林に溺れることも肯定しているのですから。
向上心は現状を否定するものではないですよね。
私が間違っていました。失礼。 m(_ _)m
482 :
神も仏も名無しさん:2012/11/24(土) 19:57:22.40 ID:w3f8rYwo
483 :
神も仏も名無しさん:2012/11/24(土) 20:05:52.80 ID:pcT29rro
>>478 仏教は、人間の世間の常識に歯向かう面がありますから、
世間の常識から見たら「異常」に見えるのは仕方ありません。
仏教に賛同する人は世間の中では少数派です。
でも、多数派の考えが常に正しいとはかぎらない。
また、仏教は本来は戒律で殺人や盗みを禁止していますから、
仏教を守っているかぎりはオウムのような組織的犯罪を犯さないので、
世間の法律で罰せられるリスクは少ない。
なので、異常で少数派であっても、世間から憎まれることは少なく、
だから今日までなんとか仏教は存在できているのです。
484 :
神も仏も名無しさん:2012/11/24(土) 20:10:28.78 ID:pcT29rro
殺しや嘘を用いずに平和的に人類を滅亡に導くのが仏教です。
人類滅亡を企てていますが、犯罪行為ではないので法律で罰することはできません。
485 :
宝珠愚者@(規制代行):2012/11/24(土) 21:12:17.44 ID:z/keiFtv
>>464のような見解は“快楽主義”というもの。
確かに、現代社会というものは信仰の自由を認めこそすれ、
構築され運用されている社会構造のすべてはこの快楽主義に添ったものです。
これは、“「苦」(渇き)は満たすこと”によって解消しようとする見解です。
仏教的見解は異なる。
“「苦」(渇き)を満たすこと”には際限がなく根本的な解消とはならない、
とする見解です。それで、渇きを訴える欲求そのものに目を向け、
これを制御することを目指すもの。
別に麻酔の効能を否定するものではなく、
“出家至上主義”(やや歪んだ仏教観)と現代社会の快楽主義といった
双方の両極端に陥らないことが重要。
486 :
宝珠愚者@(規制代行):2012/11/24(土) 21:14:20.85 ID:z/keiFtv
>>469 「無いと思えば無い」で済むなら煩悩とはいわない。
出家もいらないし、苦労もしない。
ホント、実に“おめでたい”人です。
こういうのは仏教とはいわない。
ただのサーンキャ(思考の産物)です。
>>486 サーンキヤは、思考の産物というけれど
サーンキヤはヨーガの土台だよね。
ヨーガは思考の産物なの?
それとも、2つには違いがあるの?
こころの平静が保てない
頭に浮かぶのは邪な考えばかり
あーむしゃくしゃする
妄想だけでとどめなきゃ本格的にやばい
490 :
神も仏も名無しさん:2012/11/24(土) 21:56:27.99 ID:w3f8rYwo
491 :
神も仏も名無しさん:2012/11/24(土) 22:45:11.17 ID:cxEkOCNA
アーチャン・チャーの本を読んで、出家至上主義も仕方ないと思った。
かなりガッチリやらないと人間はどうにもならない。
坊さんの高慢、というだけに留まらず実体験的なものもこれを補強してると思う。
預流果になれてる在家の人ってどんだけいるんだろ。
>>485 だね。
仏教は、《心の贅肉を落とす》教えだから。
493 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 02:51:11.29 ID:Xc1GwsOW
>>492 「心の贅肉」とは一体何だね。心は肉体ではないののだから、「贅肉」など
ないはず。ダイエットと混同しているのではないのw。
494 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 06:24:43.45 ID:CIt4pkzG
>>466 >「如来の本性であるもの、それがそのまま生類の本性である」(中論22:16)。
>「生類の本性」とは、「生命」以外にはありえない。
隠居はウソを書かないようにしてほしい。×生類 → ○世間
495 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 06:33:38.86 ID:CIt4pkzG
『中論』1章1詩「もろもろの事物は・・・あることなし。」
事物の中には、人間も生命も含まれている。
龍樹は、人間も生命も存在しない、ということを言っている。
それも最初の最初で宣言し、生命教を全否定している。
496 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 06:37:08.17 ID:QJunpQ5e
>>494 平川訳だから、文は嘘ではない
だけど、それに続いて
如来の無自性である性格が、そのまま生類の無自性である。
と訳されていることは全く無視してる。
つまり、平川訳で「無自性」とされることが「如来の本性であるもの、それがそのまま生類の本性である」のに他ならない。
言い換えれば、縁起・空性・仮設に他ならず。文脈によっては如来蔵・仏性などと呼ばれることも記号・強調点は違っても本質は同じですね。
497 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 06:41:06.54 ID:QJunpQ5e
>>495 それは存在がないと主張しているのではありません。
x、非x、x且つ非x,非{x且つ非x}という四つの判断形式(四句分別)によって何らかの見解を掴む戯論を寂滅に導いているのです。
もちろん、生命教のような素朴実在論という戯論も寂滅に導かれるのは言うまでもありません。
498 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 07:03:52.46 ID:CIt4pkzG
17章33詩 (煩悩も業も身体も果報も)
すべては蜃気楼のようなものであり、陽炎の夢に似ている。
25章10詩『ニルヴァーナは有に非ず、無に非ず』
25章20詩「ニルヴァーナの究極は・・・輪廻の究極」
25章24詩「いかなる教えも・・・ブッダは説かなかった」
499 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 07:08:10.37 ID:QW1loNAu
生命教て優生学っぽいな
500 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 07:27:07.18 ID:QW1loNAu
批判があるのは面白いけど
あまりに程度が低いと
げんなりするね
しかも、まったく成長しない相手となると
介護でもやってる気分だ
仏教が間違っている以前に
もう少し議論の積み立てをしようよ
時間余ってそうだし
哲学系の動画でも見てきたらどうよ
501 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 07:34:07.84 ID:CIt4pkzG
>>496 了解
>>499 隠居はドライだね
龍樹は25章でも「有無」を縁起させている。
これが龍樹の根本的誤りだろう。
502 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 07:58:08.29 ID:Z3NZT1DU
>>496 >如来の無自性である性格が、そのまま生類の無自性である。
>と訳されていることは全く無視してる。
「関係性」という言葉を使ってちゃんと書いている。よく読め。
503 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 08:26:03.18 ID:QJunpQ5e
>>501 そりゃ誤解でしょ。
恐らく縁起を誤解してる。
有無は仮設だよ。『勝義空性経』の文脈で読まないと分からないって。
前も言ったけど。
504 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 08:26:37.37 ID:CIt4pkzG
>>502 平川訳となかったので、中村訳だと思ったよ。
中村訳しか持っていないので失礼。それから「関係性」うんぬんより、
平川訳を最後まで引用してくれた方がわかりやすかったと思う。
「生類の本性」だけだと、「生命」なのかという印象を受ける。
505 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 08:27:24.44 ID:Z3NZT1DU
>>498 >>501 「似ている」と「である」とは異なる。「似ている」は、あくまで
「説明の便宜」。「関係性」という「抽象概念」だからこそ、「有と
無有との断」なのである。
「煩悩」も、「有無の断」であるw。
懸命な「釈迦への摺り寄せ」ご苦労さんw。しかし、いくら足掻いても
無駄である。両者は「本質的に」異なる。中論は、縁起に「新たな意味を
与えた」「コペルニクス的転回」と言われる所以である。
釈迦信者の石飛氏は、竜樹の空を「因果関係」としている。しかし、
「因果の概念」を「否定した」のが、まさに中論である(第一章)。
従って「輪廻転生」は当然に否定される。少なくとも「肯定」はされて
いない。
506 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 08:35:10.20 ID:QJunpQ5e
507 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 08:37:39.46 ID:Z3NZT1DU
「生死の世界は涅槃といかなる区別もない。また涅槃も生死の世界とも
いかなる区別もない」(中論25:19)。
「涅槃の限界がそのまま生死の世界の限界である。この両者の辺際には、
何らの微細なる区別もない」(中論25:20)。
まさに両者とも「この世的現象」。中論は、ここでも、「押さえるべき
ところは、きちんと押さえている」。
508 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 08:46:43.87 ID:CIt4pkzG
>>505 「夢だ、蜃気楼だ」と言うのと、「夢の如し、蜃気楼の如し」と言うのは、
五十歩百歩、いやまったく同じ意味である。
もともと現実でない夢や蜃気楼を、いくらぼかしても無意味でしかない。
夢や蜃気楼の場合、具体的な事物でないから比喩が成立しない。
ゴータマさんの言うことはもっともじゃ
じゃーこれを世間に広めようー
基底にあるのは、もっともである
逸脱するものではない
510 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 09:09:34.34 ID:Z3NZT1DU
万物は、超高速で動いている電子の関係的集合体。まさに「空」である。しかし
それでは観測は不能であるから、量子力学では、「人間が観測した途端に、
それが収縮して観測が可能になる」という「収縮」という根拠の無い概念を導入
せざるを得なかった。万物の観測者は「人間」である。これがまさに中論の
「空」の世界。
511 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 09:20:22.81 ID:CIt4pkzG
>>505 >>507 龍樹は、生死の世界(世間)を肯定しているわけではない。
それは非有非無であり、夢や幻でしかない。
普通は龍樹を縁起の大成者とするが、
その龍樹が『中論』1章で縁起そのものを否定している。
人間といってしまえば、いまだ空の範疇かもしれない
空でないものに拘り、努め、禿げめばよろしいかと
513 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 09:24:10.28 ID:Z3NZT1DU
>>511 中論では、「世間の一切の慣習」を「無条件の前提」とし、それに反することを
何度も戒めていますがw。
竜樹は、アホではありません。
514 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 09:30:45.94 ID:CIt4pkzG
>>510 超高速で電子が動いているなら「空」ではない。
観測できるかどうかは「空」と無関係。
517 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 09:39:30.95 ID:CIt4pkzG
>>513 世間の慣習に従うことを戒めることと、
この世間が「空」であると考えることは別の話です。
龍樹はこの世間を虚無と縁起させることで、
この世間を虚無にしてしまう。
518 :
金儲けに明け暮れる中国の仏教寺院 :2012/11/25(日) 09:45:04.76 ID:TsvMkPcP
519 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 09:50:00.26 ID:CIt4pkzG
>>505 石飛さんのことは知らないが、釈迦は因果関係の縁起、
龍樹は相関関係の縁起だと言われている。それは龍樹の功績だろうが、
この宇宙(有)を虚無(無)と縁起させたのが誤り。
これでは宇宙と虚無が双子の兄弟になる。
520 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 09:51:50.10 ID:Z3NZT1DU
>>517 「空は、無ではない。お前ら何度言ったら分るのかw」(By 中村元)
521 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 09:56:39.58 ID:CIt4pkzG
>>520 龍樹は有と無を縁起させている。これは理解できますか。
その話をしている。龍樹の空は非有非無です。
>>520 w
「どこの」「誰が」、「空は無のことである」
なんて言ってるんだ?
2chでか?学者でか?僧侶でか?
誰か一人でもいい、そんな発言をしている人を紹介してくれよw
523 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 10:03:24.48 ID:Z3NZT1DU
空、शून्य, śūnya(シューニヤ)は、
śū (= śvA, śvi、成長・繁栄を意味する動詞
)からつくられた śūna から発展し、
「…を欠いていること」という意味である。
また、「膨れ上がった」、「うつろな」を意味する。
転じて、膨れ上がったものは中空であるの意味もあり、
初期の仏典にもその意味で登場することがある。
>>519 縁起は、最初期から両義なんだけどね・・。
ただ、どちらが協調されてるかの違いで。
*で、(個人的にはw)、無時間的相依の危さに身構えるし、
時間的縁起の方が、より仏教の(苦の滅へ向かうものとしての)本質と思うしね。
ま、
時間的相依性は、運命論・宿命論を招き易く、
無時間的相依性は、同時存在に成り下がりやすい面があるけど。
*(それを更に「個物や具象物」で考えたりすれば、容易に単なる物理や、或いは逆に抽象論に堕す。)
*(いや、究極の物理や科学は抽象的なものかもしれんが・・。)
勿論、華厳的世界観は(勝義として)同時存在の曼荼羅図なわけで、
また般若系の空思想も(竜樹も)、(或る種方法論として)
(同時的)相依なればこその「滅(涅槃、吉祥、安楽)」の可能性(≒空なる実相)を言わんとしているのだろうけれども。
>>525 なるほどね。
でも、禅の「無」は、一切を包含する「有」「全」でもあるけどね。
だから、禅の言辞としては「空とは有(全)である」ともなっちゃうわけで・・。
中村さんがそこまで見ていながら、敢えて単語上の無について取り上げているのかどうかはわからないが・・。
つか、こういう風(525)に事例はすぐ出る筈なのに、523のようなレスしかしないから、
解ってないんだろうな・・と思うわけで・・・。
528 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 10:57:45.67 ID:QJunpQ5e
飯を食いすぎた
いけると思ったが、途中で苦になった
おかげで俺の腹は空になった
いけると思った時点で空となったといえる
縁起とは因果関係を示すものかもしれないが、
縁起により膨張するのが事実であり、
中道となる縁起を見出し行うことにこそ
禿む意味があると捉えます。
530 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 11:13:08.87 ID:QJunpQ5e
>>529 縁起は此縁性で、空性で仮設で中道だよ。
それが『中論』24.18に示されている。
それは『勝義空性経』『カーティヤーヤナへの教え』などの縁起に関する諸経を圧縮した深い言葉だ。
531 :
大滝秀治 :2012/11/25(日) 12:13:52.18 ID:TsvMkPcP
>>471>>481>>487 いろいろのコメントを下記に代えます。
近頃になってようやく中村元博士の言いたいことが、何のわだかまりもなく当然のコトとして、ストンと胸に落ちるようになりました。
菩提心で何とか仏法を智ろうと努めていたら、『平常心是道』の南泉さんと趙州さん、その法系の至道無難さん、
通り過ぎたはずの中村博士がおられました。
で、細かい字句はともかく、ある気づきで、その趣旨を自己消化できるようになりました。
現在は中村博士の下記指摘に、ただただ満腔の共感の意を表明するのみです。(中村元『釈尊の生涯』p126〜、p225 改)
第一に既成の信条や教理にとらわれることなく、現実の人間をあるがままに見て、安心立命の境地を得ようとする(ブッダの本懐です)。
第二に、人間の理法(ダルマ)なるものは固定したものではなくて、具体的な生きた人間に即して展開するものであるという実践哲学として、
理想的には無限の発展を可能ならしめる。
第三に、仏法そのものは“特定の教義というものがない”。 ブッダは『仏教』というものを説かれませんでした。
ブッダが歩まれたのは、いかなる思想家・宗教家でも歩むべき真実の道=正理と法の領域のみです。
ブッダ、南泉、趙州、至道無難のいずれのお方も“〜経、〜教、〜宗”という意識からは最も遠い境地におられました。
中村元博士も<道の人>というべきです。
あらためて、一切不可得かつ戯論生滅なるが故のめでたい境地であるニルヴァーナを示されたブッダを、
もろもろの説法者のうちで最も勝れたお方として、大滝秀治は敬礼いたします。
532 :
大滝秀治 :2012/11/25(日) 12:30:30.30 ID:TsvMkPcP
533 :
宝珠愚者@(規制代行):2012/11/25(日) 13:18:58.01 ID:/B+6fvHP
はじまるよ!
たかじんのそこまで言って委員会
13時30分〜15時00分
-------------------------------------------
ゲスト
上祐史浩(ひかりの輪代表) 島田裕巳(宗教学者) 有田芳生(ジャーナリスト) 西田公昭(立正大学教授)
番組内容
緊急出演!元オウム幹部“上祐史浩”氏 オウム犯罪の真相語る…「17年目の告白」
▽オウム真理教の幹部だった上祐史浩氏が無差別大量殺人などオウム犯罪の真相をスタジオで激白!
▽彼が語る「言葉」は真実なのか?▽本当にマインドコントロール状態だったのか?
▽なぜ宗教活動を続けるのか?▽オウム時代の反省は本物なのか? 委員会メンバーが徹底追及する!
たかじんも三宅もいない委員会なんて・・・
>>531 >何のわだかまりもなく当然のコトとして、ストンと胸に落ちるようになりました。
であるならば、あなたの言葉で誰二度もわかる言葉を使い説明をしてみてください。理解したのならやってみて。マジメに読みますのでよろしくお願いします。人に何かを伝える練習にもなるよ。
536 :
宝珠愚者@(規制代行):2012/11/25(日) 14:29:44.99 ID:U3SNk4AE
>>488 六派哲学の「サーンキャ哲学」ということではありません。
単に“知識”というほどの意味において。
(紛らわしくてすみません)
宮崎以外終始人格否定に終わったな
やはり、宗教にハマる様な奴は、頭おかしいと言うのが一般的な見方なのだろう
宗教即基地外集団と言う思考では、問題の解明には繋がらんだろうな〜
あと、嘘や殺人などが密教では、ある条件下では認められてるからおkみたいな
話が少しあったが、これ当時のオウムは仏教(=密教)として話が進んでいるのか?
538 :
大滝秀治:2012/11/25(日) 14:58:09.87 ID:TsvMkPcP
>>535 >あなたの言葉で誰二度もわかる言葉を使い説明をしてみてください。
>>531第一〜三 改
言葉って本当に不自由なものですね。
最終的には、掴める人には掴める、としか言えないのではないでしょうか。
539 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 15:13:00.79 ID:QW1loNAu
つーか、西田公昭もスティーブハッサンも読んだことあるから
仕入れることは何もなかったなあ
しかも、あの番組は恣意的編集が多いから
問題のマインドコントロールそのものも関係してくるわけだが
見るもののほとんどは気づかず鵜呑みにしていくんだろうな
540 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 15:23:07.13 ID:QJunpQ5e
>>538 妄想オツ、生命教と一緒なんだよな〜
中村先生はまだまだ踏み込みがたりないんだよね〜
541 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 15:23:49.81 ID:QW1loNAu
まあ俺もカルトに関わってたことがあるから
カルト内での異常な空気ってのは実体験として分かるし
過剰に敏感になっているのはあろうがな
番組ではイギリスの国教会を中心に据えながら
他宗教に寛容である政教分離にはまったく触れてなかったな
日本の憲法はアメリカに押しつけられて
ソ連中国の共産主義に共鳴する勢力によって
保存されてきた背景からして法学部の授業でも適当に流される
程度だし、大方宗教はアヘンと言った嫌悪感の刷り込みの中で
ネグレクトされられているのが現状だろうな
542 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/11/25(日) 15:27:27.88 ID:ziGo3Mun
>>531 大滝様
>菩提心で何とか仏法を智ろうと努めていたら、
ご参考(浄土への道標 昭和8年 第13回)
「難陀の一燈」
舎衛城に難陀と云う女の人があって、其の日にも困る生計で人に貰って生活して居た。或時、何処かで物貰いして居ると長者が色々の物を捧げて供養して居た。
これを見た難陀は、こうして同じ人間と生れ乍ら自分の現在の境遇と引比べて、余りの差違のあるのをなげいた。漸やく一銭を得たので油屋や行った。
油屋の主人は「そんな位買って何になさるのか」を問うた。難陀はそのわけを話すと主人は感心して二倍も三倍もまけてくれた。
早速それを祇園精舎に供えて供養した。丁度長者も居った。「願わくば此の功徳を以って来世には明るい仏智を得て多くの人の無明を照し給え」と。
夜が明ける様になったら長者や他の人のは消えてもこの難陀の捧げた燈のみ消えなかった。目連さんがそれを吹いても消えない。三度吹いても消えない。
お釈迦様は皆に云われるには「難陀は大菩提心を以ってしるかには四大海水を以って覆してもあかりが消える事がない。」とて難陀の心をほめられたり。
ほんとの大菩提心を得て………長者の万燈より貧者の一燈とは此処より出しならん。
543 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 15:31:36.28 ID:QJunpQ5e
>>541 そう思う。戦後のGHQ教育とマルクス主義の影響が大きい。
見直されてきた所で、サリン事件でやっぱり宗教は危険だとなった。
オウムは松本の水俣病体験による復讐を宗教的偽装で行ったものに他ならないだけどね。
まあ、現代日本の宗教は、詐欺みたいなのが多いから仕方ないと言えば仕方ない
545 :
大滝秀治:2012/11/25(日) 15:36:18.83 ID:TsvMkPcP
>>540 →最終的には、掴める人には掴める、としか言えないのではないでしょうか
>>148 『人間『幻』観と業報輪廻転生論のドッキングで *(『空なるものから空なるものが生じる』とするオイラ氏の論がまさにそうだが)
人間はカルマというデータベース付きの幻にすぎないのだから、気軽に始末して悪カルマを減らしてやることは善行⇒回向だ!
というオウム的【ポア】思想となりかねないのだ。』
上祐史浩(ひかりの輪代表) も元オウムのオイラ氏も上記に応えていない。
>元オウムのオイラ氏
まじかよ。もしかして密教関係か?
間違いなら否定してくれ
547 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 15:42:07.62 ID:QJunpQ5e
>>546 違うけど?
どうしようもないな。強弁だけじゃなくて、嘘を混ぜだ人格否定か。
そういう人が殊勝そうなこと語るのは、欺瞞以外の何ものでもないぜ。
548 :
大滝秀治:2012/11/25(日) 15:46:53.65 ID:TsvMkPcP
>>546 否定しません。
本人に確かめればいい。
まさしく密教です。アジャリさんですよ。
で、元オウムです。
宝珠も、縁起撥無の分別三昧オカルト&レイシズム(人種差別主義)神智学ごとき劣等思想に無差別平等の深遠な仏法を掴むのは無理です。
だからこそ、人種差別主義神智学人種差別主義カースト制度護持のヒンドゥ教と極めて親和性が高いのです。
成りすまし仏教の密教のオイラ氏と親和性が高い。
*仏教における人種差別主義(レイシズム)を一掃せよ!
『 生まれによって賤しい人となるのではない。生まれによってバラモンとなるのではない。行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。』(Sn.136・142)
ヒンドゥ、ジャイナ、神智学、「仏教」内の業報輪廻転生論一派(マハーカッサパ教など)、・密教・五姓格別説などを一掃せよ!
549 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 15:53:54.62 ID:QW1loNAu
↑
まったくだな
日本の宗教は誉められたもんじゃないよ
俺は共同体の結びつきが弱まった結果
構造としての宗教教義を運用するための ソフト、マンパワー、組織力というか
平衡感覚が失われてしまったところに
宗教的な権威、権力のみが暴走してしまったと見ているが
まあ、そうなると、チェックアンドバランスで制御していく方向になるのかなと
いった感じかな。しかし、個人主義が多様性と
それによる社会の柔軟性、そして国際競争力を確保するためにあるとは言っても
共同体そのものが空洞化するし、コストがかかりすぎる
その押しつけが途上国に及び、貧困を助長する構造を生みだしているのではないかとも思う
また、国内でも空洞化から下層をかえりみない空気が醸成され
無国境な拝金主義者を生みだしているのではないかと心配する
システムによってなんでもかんでも解決できるという妄想が
人の和をつなぐ人の努力を軽視してしまっている
550 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 15:57:19.09 ID:QJunpQ5e
>>546 ああ、真言僧、密教徒というのはそう。
元オウムというのは全くのデタラメ。
546の発言は、訂正させて貰います。
552 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 16:05:32.69 ID:QW1loNAu
人それぞれに違いが出てくるのは事実だろう
世間でもそれを否定している人はそうおらんよ
現代では医学的に
遺伝的要因と環境的要因に区別されているが
それぞれ50パーセントずつらしいぞ
こういうと俺も人種差別者になるのかな?
釈尊の言葉は環境的要因によると言っているのだろ
何でそんなバカなのかなあ
553 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 16:16:37.41 ID:QJunpQ5e
>>549 アンカー貼った方がいいよ
そう思う。菩提心、利他心、思いやりがなくなる方向に向かってるのが、
西洋近代主義、市場経済、共産主義だと思う。
>>552 まあ、ああいうこと言う人は観念的平等主義で実際は差別主義だから。
その証拠に人格攻撃してオウムやヒンドゥーを差別卑下してるでしょ。
あれは単に教えや道が違うというものではなく、感情的な排斥以外のなにものでもないから。
仏教の場合は、勝義では一味平等だけど、世俗の現れの中ではそれぞれあれこれがある。
だからこそ善悪や苦楽があるわけで、それがないってんなら、
正に彼こそ縁起撥無、因果撥無の虚無主義になってしまうんだけど、
なんか変な理屈で無理筋通してるんでしょう。
554 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 16:28:11.39 ID:wgOhlXl5
一代氏には、強烈な「カルト臭」を感じるな。
555 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 16:30:07.36 ID:QW1loNAu
>>553 もうしわけない
ケータイなのでついつい
めんどくさくなってorz
カッとなりやすいのもそういうところが
影響してんだろうね
先生がたも俺の卑見について
考えあめーだよド低脳が〜って
思っているところをグッとこらえて
ご指導されているのだろうし
世間じゃ社会問題にもなりますしねw
いや〜でもわざとやっている人もいるし
うーん。
でも穏健な人には頭が下がります。
556 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 16:34:38.31 ID:QJunpQ5e
>>554 それはあるかもね。
なにせ、輪廻は必然的前提だし、大乗経典はテルマ、縁起・空性・仮設で非実在論だから、
そこら辺、常識と全く相容れない。
なんつうか常識に阿った輪廻否定仏教のようなものは決して認められないから。
しかし、オウムとか現代新興宗教とは違う。
557 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 16:36:23.03 ID:QJunpQ5e
>>555 いや、貼らなくてもいいんだけど。誤解されてもいいのかなと思って。
>>548 だから、
神智学というのは人種差別ではないと説明したでしょ!
そして、密教には殺人を肯定する教義などはないから。
そんなものはオウム麻原が勝手解釈で誤用しただけのことです。
何も分らないくせに決め付けないこと!!
誰(私も一代)も、
“行為によってこそ真のバラモン(真の正しい宗教実践者)となる”
ことを否定などしてないから。>(Sn.136・142)
そのゴータマの教えとは、
過去世のカルマによるバラモン生まれであっても、その行為によってはまったくバラモン足り得ない。
しかし、たとえ過去世のカルマによってバイシャ・シュードラに生まれようとも、
人は行為によって真のバラモンとなれるのだ、という意味の教えです。
人間は努力と行為とその生き方によって、
どんな境遇に生まれようとも真実の価値を得られるということをいってる。
>>548 確かに、
「回向」的な発想
(個人の因果律を超えた部分への関与が顕著なのが密教的応用の特徴ではあるが・・・)を
問題にしたがる気持ちは分らないわけではありません。
が、しかし、あなたの言い分ならば、第三者による祈りには何の効果もないことになりますけれど、
実際にはゴータマとて個人の絶対的な因果律を踏み越えたところにある
他者による救済の祈りと言葉の使用、そして、その効果を認められています。
アングリマーラの難産に苦しむ夫人を助けたいという申し出に対しての
あのゴータマの教え---“真実語による祈り”---を今一度、思い起こして欲しい。
(アングリマーラ経を参照のこと)
560 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 16:42:08.15 ID:wgOhlXl5
>>556 君は、常識には阿らないが、釈迦には阿っているのか。なおさら悪い。
常識とは、人間が長い長い生存努力の中で築き上げた「共生の叡智」である。
人間の一挙手一投足、常識によらないものはない。常識からかけ離れた人間を、
狂人、精神病者と呼ぶ。1個人の精神病の開祖の考えなどとは、桁違い。
561 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 17:01:52.57 ID:QJunpQ5e
562 :
大滝秀治:2012/11/25(日) 17:03:34.61 ID:TsvMkPcP
>>550 >元オウムというのは全くのデタラメ。
仏教には不妄語戒というものがある。
別に元オウムでもええやん。
自分の信念を貫けばいい。
アタシが人格攻撃しましたか?
ちなみに、こういう発言をされたのは誰ですか?
『まぁ、オウム流の思考法を使用するならば、
今生で、早めにカルマを返してあげた方が相手のためになる、
という捉え方もできなくはないですよね。
それが、良いか悪いかは別にして…
そしてその時に、罪を犯した加害者が、
「カルマを落としてくれてありがとう」と、心の底から言えるのがどうか。
もしそれが言えないのであれば、
その人にはその人の信じているはずの教えが根付いていないのでしょうね。』
563 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 17:09:21.55 ID:QW1loNAu
>>560 俺も常識には敬意を払うけど
おっしゃる通り歴史的経緯を見る
輪廻を認めないとかいう常識が
大手をふるって歩くようになったのは
ここ100年だよ
昔からまったくなかった思想じゃないがね
564 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 17:19:51.22 ID:wgOhlXl5
>>563 人間の常識は進歩する。その進歩についてゆけないことを、「時代錯誤」
と呼ぶ。「大昔の開祖盲信」の宗教が、その典型w。
565 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 17:32:38.95 ID:0FQFiOWT
ニューエイジするぞ!!! ニューエイジするぞ!!!
ニューエイジするぞ!!! ニューエイジするぞ!!!
ニューエイジするぞ!!! ニューエイジするぞ!!!
ニューエイジするぞ!!! ニューエイジするぞ!!!
567 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 17:42:43.40 ID:QW1loNAu
>>564 それは経験に裏付けられていない
理性にとどまる大衆意識の総和だろう
俺は、臨床の知とは〜を読んでから中村雄二郎が好きなんだが
常識はコモンセンスの訳だが、直訳は共通感覚
デカルト以降、常識は大衆の勘違いをも含んでいるから
合理的な思考によって正していこうというのが
西洋的な理性主義の流れで、これが今日西洋で強い思想(理性主義)がもたらした戦争の惨禍を受けて
哲学的乗り越えようとする課題になっているわけだが
デカルト以前、共通感覚とは自己の感覚、ありていに言えば五感を
統合する感覚を言っていたそうだ
いわば、どの感覚に重きをおくか社会は
その構成員に要請していて、共同体を営むに当たって
その感覚配分を共有することがデカルト以降の常識であると。
となれば、その意味からすると常識とは 単に到達点があってその進化の途上に位置付けられるものではない
568 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 17:54:23.62 ID:QW1loNAu
まあその本はもっぱら理性主義の傾向と それを裏付ける感覚配分の危険性について書かれているわけだが
同時にな昔の常識にも焦点をあてその功罪を論じている
ただ俺とこの著者の意見の異なる点は
社会が長い時間の中で反復しながらなお用ありと
経験によって裏付けられてきた常識、つまり伝統というものは
人間の理性を超えた実証性を有しているのではないか?というところかな
あの〜
>>564 御隠居殿
>人間の常識は進歩する。その進歩についてゆけないことを、「時代錯誤」
>と呼ぶ
日本は旧来は日本大乗仏教の国だったのですが、私はその時代の常識の進歩のいわば
最先端で国際化の恩恵に乗り、さっさとテーラワーダ仏教化しちゃったわけなんです
よ。つまり私(のような日本人テーラワーダ仏教徒)こそ時代に応じて変化する日本
の常識の一つの最も活発な(鮮度が古びて腐っていない)現われなんです。
>>562 a.k.a. 閻魔大師
一代氏はセブン氏などの一部の人には身元が割れてるようですから、彼が元オウムでないことは裏を取ろうとすれば
取れることのできる事実でしょう。多分、職業(立場)柄なのか、獄中のオウム幹部たちと接触の機会もあったよう
で、それに因んだ発言も過去に時折出ていますから、そのことと、彼自身がオウムである≠ニいう事実の誤認・混
同はどうかと……。
ともかく、あなたの書き込みの特徴として「人種差別=業報輪廻転生論」という固定観念がまず抜き難く存在し、
「人種差別」と「業報輪廻転生論」を結び付けることがそもそも正当なのかどうかという議論は抜きで、すっとばし
てしまい、いきなりガーッと「業報輪廻転生論」に対する批難・攻撃言動に邁進するところから書き込みの論旨が開
始している色彩が強いと思います。
業報輪廻自体は、包丁にも殺傷用のナイフにもどちらでもなる、いわゆる鋼鉄の刃物ですが、悪意を持つ人間が、そ
れを殺傷用に用いた、この事実を以って今度は、刃物や鋼鉄自体をすべて悪いとするような発想ではないでしょうか?
もし、「業報輪廻を肯定したならば、即、それは人種差別である」と考えるならば、そうなります。そうではなく、
「人種差別したいという悪意が悪い」という風に考えられるのであれば、業報輪廻自体を単体で目の敵にすることは
ないはずです。
世間の皆さんに美味しい料理を食べて幸せになってもらいたいと思って包丁を手にしている料理人が、市民活動家の
デモ隊につかまっていきなり、「この殺人肯定者め!」と吊るし上げを食っているのを見たら、世間の他の人達は引
きますよ。中国の文化大革命はそんな感じだったのかもしれませんが……。
571 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 18:48:02.88 ID:0FQFiOWT
572 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 18:57:06.59 ID:wgOhlXl5
>>569 テーラワーダが常識に合致してるとでも?w
>>572 御隠居殿
>>569で述べているのは、宗派の「思想内容」の是非についてではなく、
「(大乗信徒ではなく)日本人のテーラワーダ信徒であること」という属性が
(時代に合わせて進歩してゆく)日本人の常識に極めて合致しているという話です。
軽薄で尻軽が今のトレンドと言うならそうだねw
>>573 続き
言ってみれば、時代遅れのガラパゴス携帯(旧来の日本大乗仏教)にしがみつかないで、
とっとと、アメリカのアップル社製のiPhoneを主とする、スマートフォン(テーラワーダ
仏教)に乗り換えていく。スマートフォンユーザーは非日本人で、日本人の常識に反する?
「日本はガラパゴス携帯の国ですよ。スマホなんてあなたどこの国の人?」という主張は
通るでしょうか?
>>574 今のトレンドかどうかという問題ではなく、
>>564 御隠居殿
>人間の常識は進歩する。その進歩についてゆけないことを、「時代錯誤」
>と呼ぶ
という御隠居思想価値観における、普遍的な常識の進歩論に則った話です。
577 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 19:20:28.27 ID:QW1loNAu
そういえばポストモダンと言えば
フランスだけど
フランスてかなり日本好きだよな
いろいろパクッてそうだと正直思うわ
フランス革命のとき
国の権威が失われて 何をとちくるったのか
理性の神の像をつくり
これをもって権威としようとしたくらいだから
人間の卑称さが実は身にしみてんじゃないかな
今のあり様は政教分離されているとはいいつつ
実質、理性教の国だよなあ
まあ、日本の神道も教義はなく
もともと義なきを義とする風があるし
概ね似たようなもんだが
フランスの傾向はまだ理性の矮小さに流される恐れは
解消されてないと見ている
まあ、御隠居が一番常識から外れているわけだが・・ (^^;
で、宝珠や在家が意外に常識人だったりするわけで・・。
世の中面白いな・・ (´ー`)y━~~
579 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 19:25:01.64 ID:QJunpQ5e
>>570 違うって言っても騙ってるわけだから、事実誤認というより、
デマ、ブラフによる人格攻撃以外のなにものでもないでしょう。
こういうことやる人は、電波男ぐらいしかいなかったな
間違いなく仏教を語る資格はないと確信しますね。
580 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 19:27:18.91 ID:QJunpQ5e
>>578 同意。
仏教の場合、基本的に常識に逆らうことはないよね。
ただ、道の中、教えの中では常識に反することがあるだけで。
それも信じない人に強要するものではないし。
業報輪廻転生が事実とすれば
存在そのものが悪とういことなのかな?
そうではなく人々の助け合いで世が成り立っているのも
また事実であり、中道的な生き方をしていれば
望む所なく転生なく魂は消滅してしまうのだろうか?
それはそれで寂しいと感じる。これが静寂なのか?
582 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 19:38:29.92 ID:QJunpQ5e
>>581 存在、生は苦で、その意見では悪ですね。
その苦を止めるために、行して輪廻から解脱して、
涅槃という唯一の安楽、寂静に入ろうとするのが仏教でしょう。
>>581 【それ(≒滅び)は、 『なぜ』 寂しい】のでしょう?寂しいと感じてしまうのでしょう?
この、≪(自分は)なぜ寂しいと思うのか?≫を掘り下げてみると、
何か見えてくるかもしれません。
>>582 涅槃というものは寂しいものなんやね
めでたくもなんもないなー
585 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 19:44:06.61 ID:wgOhlXl5
>>582 >存在、生は苦
それが、単に、釈迦の鬱病の症状であり、健常者にとっては無関係で
あることは、既に前レスで「小学生」が指摘したとおりw。
586 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 19:45:36.33 ID:QJunpQ5e
>>584 違うけど。これはもはや信の問題だね。
後、漢字から適当に意味を類推するのは仏教に関してはとっても危険です。
588 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 19:48:43.80 ID:QW1loNAu
俺も来世などないと物理的理性的に考えてはしまうものの
年を経るごとにあってもいいかなと思うようになってたりする
何しろ、じいちゃんの火葬後の白骨の姿を見た後でも
見たときは愕然としたが
感覚としては外国に行ってるようなもんで
ひょっとするとそこらからひょこっと出てくるんではないかって感覚でいるし
実感わかねんだよな
ときたま会いたくてほろっとしてしまうが
別に永遠に会えないとも自覚してない
こういうのって草葉の陰にいるとか、輪廻で今違う場所にいるとか
考えるのと大差ないように思うけど
589 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 19:57:53.46 ID:wgOhlXl5
>>588 残念ながら、死んだ爺ちゃんが、墓石の後ろから、位牌の後ろから、ひょこりと
現われることは「絶対に」ないw。
>>583 まず、寂しいという状況を捉えると何かの不足ということになる
不足ということは欲求不満ということであり、
そのことだけを捉えても転生というものが成立してしまう。
つまり欲求不満を無くすということは感覚マヒのようなものであり
昔の小学生のような雪の寒空の下でも半ズボン(今でも?)で遊ぶよう
なものなのだろうか?環境がぬるいと寂しく感じるのだろうか?
小学生の頃は今より精神的には満ちていたよなぁ…
物質的には小遣い1000円ぐらいだったろうけど…
>>589 霊がいるんならいるしいないなら君の言うとおり
593 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 20:07:28.09 ID:QW1loNAu
浄土は易往而無人と言われて
行きやすいけど、人はいない
この解釈には二つあって
浄土に行くには信がいるがその得難さ
浄土に行った者はすぐ衆生済度のためこの世に返ってくるためと言われている
悟りが寂しいものという感覚は
愛別離苦からくるから
悟ろうが悟らまいが人に訪れるものだが
まあ、その煩悩を縁として
身近だったものの済度に赴くのも
一興として受け入れる余地は仏教に
物語としてではあってもあることは
安心されたい
>>576 今も昔も日本人は舶来物に弱いで片付きそうなことを仰々しく語らんでも。
あと隠居の言う常識の進歩は科学知識とほぼ同義でしょ。
隠居が科学をさっぱり理解してないから一般の常識と同じかどうかは怪しいが。
>>592 それもおかしい
考えなくても見ただけで寂しいと感じる情景は割りとある
596 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 20:20:25.82 ID:QW1loNAu
>>589 いやそれはわかっているんだが
遠くにいて今会えないって感覚で
永遠に会えないという重大さがうんともすんともわかってないんだよ
自分自身が。
これも人間が死を永遠の彼方に遠ざけて
今を永遠に生きようとするマインドからくるものなんだろうな
これが死後も生きるつもりとなるまでさほど隔たりはないと思うわけよ
誰もが今日死ぬ日がくることを知りながら
まさかそれが今日とは思わないからな
ここで一つの疑念が浮かぶ
幸せな人=仏陀は暑さや寒さ、蛇や毒虫に打ち勝ちすぎて
天然の人になってしまったのではないだろうか?
>>595 君が小さいときの記憶があるかはしらないけど。赤ん坊がもの悲しげに夕焼けを見ているのを見たことがある?誰かが死んで悲しそうにしてるのを見たことがある?
>>598 遺伝的要素となるかもしれないが、乾燥による目の乾き(ドライアイ)
も含まれる気がする。
601 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 20:37:34.91 ID:QW1loNAu
まあ、えらく感傷的なことを書いているわけだが
じつは感情的に鈍いのか葬式でも仏頂面だったし
今まで仕事柄三桁ほど人の死に関わってきたが
人生で涙を流したことがあるのはガキのころ
うんこをもらしたときくらいだが
考えとは何か?言葉の組み合わせ
>>601 おれもそう。でもおれは知ってる人3人だけだけど
>>601 >ガキのころうんこをもらしたとき
えtっ?おれ二十歳のときに中央線でもらしたよ。そのときは泣けなかったね
>>602 ごめん 一概に言えないね 間違ってるかも
607 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 20:47:38.41 ID:2Y9Ep6ep
また、業論肯定論者の自己正当化か?ww
業論というのは、その論理自体に差別的要素が内在されていると何度言ったら・・・
障害を持って生まれてきた子供には決して言及しないんだな? え?
宝珠よwww
知能障害をもって生まれ、自分では何一つできない子供・・・・
この子は前世で悪業働いたからかってか?wwww
一辺、死んで来い、クソ共が !
608 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 20:53:53.20 ID:QW1loNAu
>>604 大丈夫。
俺もたまにギリギリセーフと思いながら
実はアウトだったりする
>>607 いや、もしもそれが事実として帰結はどこに向かうかを聞いてみた。
言い訳的には、業報輪廻転生は環境因子だけに向かい、遺伝的要素を
含まない様に思う。そのギャップが即ち苦になる可能性がある。
輪廻転生を望まぬなら、仏教的にはめでたいことであり、
輪廻転生が無いこと自体がめでたいことに違いはない。
別に俺もそうなら、そうでかまやしない。
611 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 21:07:21.85 ID:2Y9Ep6ep
>>609 ww いや、貴方に対して言ったのではない。
>いや、もしもそれが事実として帰結はどこに向かうかを聞いてみた。
「事実であることが実証」されたのであれば、(たとえ、受け入れがたいことでも
)それがこの世界の法則であると受け入れるしかない。
問題は、『何の実証された事実もなく』『特定の宗教の教義』をもって、他者に
干渉し、差別問題を引き起こしてきたという「事実」 ・・・・・
この業論というのは『原理的にそこに差別的要素を内在』しているの。
そして肯定論者たちは決してそこに触れないw
612 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 21:17:21.74 ID:QW1loNAu
>>607 見せ物小屋とか行ってみ
俺は行ったことないが
動画見てると経営者と必死に生きようとそれに頼らざるをえない障害者との共存関係が見ていて
なんとも言えなくなる
嫌悪すべきか、受け入れるべきか
エレファントマンは結局受け入れられず見せ物小屋で生計を立てた
かと思えば、途上国では乞食が障害者の方がもらいがいいと
自ら身体を毀損したり、効率よく乞食をしようとする業者が
身よりのない子供の身体をわざわざ毀損する
そして先進国の関心を買うんだよ
そんなものたちに恵むのは逆に障害者を増やしていたりするわけだ
安易な同情は自己陶酔とかわらないよ
社会は感動ドキュメンタリーを作って演出はするがそのものたちの人生はつづく
本当に社会に溶け込めているか、社会はそれほど脱落者が生きることに
寛容なのかあやしいもんだよ
知的障害者が生きる現実的な方法はその障害の程度によるが
それはそれぞれが現状を受け入れて
身の丈にあった生き方をしていくしかない
業報か知らんが受け入れることは必要だよ
>>598 だね。
まさしく、知識や記憶を因や縁として、寂しいという感情(→心の波)が生じる。
(宝珠との業報論議とも被るがw)、
本来「無表情」な事象に、なぜ一喜一憂するのか?
なぜ、各事象そのものが寂しいもの喜ばしいものであると、人は思うのか?
それは、その生じた感情にまつわる因が、或る事象Aを縁として結実するからだろう。
愛別離苦と言うが、なぜ愛する者との別れは悲しいのか?
初めて会って、一時会議を同席した者との別れに涙する者は、そうそう居ないだろう。
その「(人と人との)別離」という事象には、悲しみを生じさせる因や縁がないからだ。
卒業式で泣かないと〜♪なんて歌があったような気もするがw、
卒業式での別離が悲しいのは、そこに「蓄積されたもの(過去(記憶、(別れは寂しいものというテンプレート的)知識)」があるから。
そこには、悲しみを生じさせ得る因や縁が既に積まれているから。
人の死も、「“死”自体が悲しい」のではない。寂しいのではない。
『“死”を巡る物語が、“死”の周縁の様々な案件が(まさしく)悲しみである』わけだ。
人は、死を悲しんでいるのではなく、死を巡る物語を、死にまつわる物語を悲しんでいる。
生、誕生も同様だ。 生自体、誕生自体が喜び・吉祥なのではない。
生や誕生を巡る物語が、喜ばしいもの・めでたいものであるわけだ。
だから、その物語り次第では、周縁の状況次第では、
喜ばしき死、悲しむべき誕生というものが存在してしまうわけだ。
生や死は(そしておそらく業報も)実に淡白なものであろう。
そこに、種々色をつけているのは、人の分別に他ならない。
614 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 21:25:51.44 ID:2Y9Ep6ep
>>612 は〜〜〜〜〜〜〜??w
オレが言ってるのは「業論」についてねw
障害をもって生まれついた子供に対して、「それが前世の悪業のせいである」
と勝手に決めつけられる。
部落民に生まれついたのも、前世で殺生をしたから、その罰であると勝手に
決めつけられて「不浄のもの」とされる。
・・・・・何の根拠もないのにw
そのような差別的発言、扱いを容認しろと??
お前は、「リアルでそのような実体を知っているのか?」
まず、それを聞こう。
>>607 >一辺、死んで来い、クソ共が !
君がこういう言葉を書くのは前世で悪業働いたからだ!wwww
>>614 今の日本だったら障害者年金もらって暮らせる
>>614 >「それが前世の悪業のせいである」と勝手に決めつけられる。
それを今この場で誰も言っていないのに君が行ったかのように決め付けてる なんで?
>>614 ・・・・・何の根拠もないのにw 勝手に決め付けてwwwww
>>614 お前は、「リアルでそのような実体を知っているのか?」
まず、それを聞こう。
>>613 おれもそうだと思う。(簡単な返事で申し訳ない。)
勝手に自分で思い出した「業論」をだれかが言ったかのように思い込んでマジギレしだした人。冷静にお願いいたします。
全ては分別がと語ったら横っ面ぶん殴られた上に怒るな痛がるなと言われ
顔面を蹴っ飛ばされるところまでしないとなんだか片手落ちの気分になる。
624 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 21:49:56.56 ID:QW1loNAu
>>614 在日の方ですか?w
残念ながら俺はまわりで部落を理由に差別された奴を見たことはないし
福祉法人との関わりもあるから
知的障害者や身体障害者と触れ合ったことはあるよ
純真なのでとても楽しい
もちろん純真な悪意もあり
注意したりしないとだが
だがやはり国の社会保障費がカットあるいは裕福な身よりがいないと自活できないだろうね
部落差別だが理由はある
昔は忌み嫌われる職業が部落単位で営まれていたために
そもそも業報論以前に部落共同体と関わることが忌避されていた
そしてその共同体に生まれたものに職業選択の自由がなく
そのためにその現状を受け入れさせる方便として
業報論が使われていたのだろう
それが平等社会をつくろうとする市民運動を妨げた面があると言えばあるのかもしれないが
そもそも市民革命なるものの成立過程を覗けば
欧州のそれはまず大航海時代の海外貿易による
新興富裕層の勃興があり、発言権が強まるに連れて
既存社会と利益が衝突することになったわけだが、
それを自由という名目で押し通そうとしたところに発端がある
そうであるならば、仏教が部落に革命を促したところで実際何も変わらなかったろうよ
いわば、業報論批判は共産主義の総括のようなもんで
的外れな批判も甚だしいよ
被差別部落について
もともと馬を武士に納めていた職業の方たち。その馬が死んだらその方たちに戻しそれを食料にして、革の防具、太鼓等にしてそれをまた納めていた。それが江戸時代に入り、
殺生、肉食等の理由から差別が始まった (江戸時代に入り戦がなくなったため)
マタギも同じ
627 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 22:04:07.11 ID:2Y9Ep6ep
>>624 wwwwwwwwwwwwww
>在日の方ですか?w
いいえ。数百年にわたって日本人ですけどw
差別反対を口にすれば、すぐに在日に発想がいくのかな?w
>残念ながら俺はまわりで部落を理由に差別された奴を見たことはないし
なるほどね。 現実を全く知らないわけだ。
だから、以下のような観念的総括論をもって、「業論批判」が的外れと言う
中二的帰結に達するとwwwwww
一辺、リアルで現実見てからいえww
>>627 >一辺、リアルで現実見てからいえww
在日の方ですか?どうやったらリアルに見れますか?
629 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 22:11:26.44 ID:zf7NRE/m
根拠があっても、確認可能であっても言うもんじゃないよね。
「誰々は○○の前科持ちですよー!誰々は○○の病歴持ちですよー!
誰々は身内に○○がいますよー!誰々の性的指向は○○ですよー!
事実ですからねー!これはねー!差別じゃないですよー!」
数百年にわたって日本人です
?
631 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 22:15:56.09 ID:QW1loNAu
じゃあ自称アイヌの方ですかw?
近頃は在日の方ともつるんでるそうで
そう言えば
前住んでたところの近くに解放同盟があったんだが
黒ぬりのベンツが止まってあるわ
夜中に許してくれーって泣き声が聞こえてくるわで
近所としては大層不快でしたわ
何してはるんでしょうな
おれ在日3世だけどね。ルパンみたいでしょ。
633 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 22:19:05.27 ID:zf7NRE/m
論と関係の無い○○認定なんてご隠居みたいなことはやめませう
634 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 22:20:02.56 ID:QW1loNAu
事実でも
公益性がないと名誉毀損で訴えられると
犯罪になりますよ
これでその人も前科もち
635 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 22:21:55.30 ID:2Y9Ep6ep
>>631 はいはい、在日、アイヌ、部落民・・・・・
皆んな嫌いな訳ねww
いいよ、そういう偏向した視点しかもてない馬鹿とは、会話するつもりは
ないので終了ね。
せいぜい、「ボクちゃん、優秀」って優越感に浸って、お馬鹿な観念論
語ってなさいwwwwwwww
637 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 22:23:43.15 ID:QW1loNAu
俺の父方直系の先祖も山口あたりから
山師のようなことをして移り住んできたそうだが
もしかしたら、韓国系かもな弥生顔だし
>>614 即ち業報思想自体が悪であり、タブー視すべきものとの見解ですね。
上の方にありましたが包丁の使い方みたいなものと思います。
善意識、縁意識を植えつける効用があると思いますが…
仮定として業論が無いと仮定すれば差別はなくなっているでしょうか?
被征服者の家系はやっぱり差別を受けると思います。
タブー視でなく現状改善に目を向けた方がいいような気がします。
釈迦が「もはや母胎に戻ることはないであろう」と言った件。
これが真実か否かの方に興味があります。
戻りたくないと思った要因は苦であったとして、
例えば、今の日本に生まれたとして同じことを考えたのか?
来世にも希望があるとの見解はないのか?
やっぱり病気なのか?
方便であり虚言なのか?
転生の具体的仕組みを書き現わした経伝はないのか?
>>635 急にキレないように自分を冷静に保ちましょうね
640 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 22:25:25.71 ID:zf7NRE/m
事実であっても犯罪になりかねないのが業報輪廻論とも言える。
しかし仏弟子たちはやめないだろう。
地上の政府やら権力者やらを越えた如来が明かした真理であり、
これを広めろ、と仏陀が仰せなのだから。
まさに聖と(最近になってようやくこの形になれた)俗との対決だな!
>>638 >「もはや母胎に戻ることはないであろう」
これは釈迦が言ったのであれば仏教に輪廻思想があるはず、ないので言っていません。
642 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 22:38:19.51 ID:QJunpQ5e
へぇ そうなんですね。でもあまり輪廻って認知されてないかもしれませんね。
>>642 なるほど。もっともです。
あとは釈迦が精神病か否か。
輪廻転生が釈迦以前の常識であり単に影響を受けただけなのか?
ぐらい?
645 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 22:47:12.29 ID:QJunpQ5e
>>643 う〜ん、日本では和辻が変な解釈を行ったので常識に合わせたい人は輪廻を否定する方が今でも少しいますね。
ですが、真っ当な文献学者なら、仏教に輪廻が前提条件であることは自明ですよ。
伝統仏教でも必ず前提となってます。そうでないのは私が知る限り現代日本仏教の一部、インドの新興宗教仏教、テーラワーダの一部だけです。
646 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 22:48:54.88 ID:QJunpQ5e
>>644 伝統仏教的には三昧中の直接知覚と解釈されます。
現代医学では精神異常とされますね。
私は釈尊を信じますが。
647 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 22:51:36.34 ID:2Y9Ep6ep
>638
>即ち業報思想自体が悪であり、タブー視すべきものとの見解ですね。
>上の方にありましたが包丁の使い方みたいなものと思います。
その、「業報論」の功罪についても、かつてこのシリーズで散々、やってきたw
「包丁の使い方」を喩えとして、語るアホがいたが、それこそ全く的外れ。
→「包丁は何故、現在も使用されているのか?」・・・・・それは、圧倒的に
「功」が大であり、犯罪等に使用される例が稀であるからだよな?
(勿論、それに対しては銃刀法という規制が存在するが)
もし、包丁が料理などに使用されることが稀であって、そのほとんどが犯罪に
使用されているとしたら、当然、もっと厳格な規制が布かれているでしょう?
それでは、業論の功罪とは? これは、世俗的には、「功」の部分は
現世→来世 を見据えた、倫理的要請からくるものでしょう? すなわち、
「悪いことすれば、それに見合った罰がある」ということね。それを恐れて
悪いことをしなくなる・・・と言う。
・・・・・事実、業法肯定論者は必ず、これを言う。
しかし、これこそ手前勝手なふざけた論理でしょ? じゃあ、業報を信じない
奴は悪いことするのかい? 業報を信じない奴は、その行動が、信じる者と比して
倫理的に劣ると?ww 犯罪を犯しやすいと?ww
では、「罪」の部分は? これは今までも散々、言ってきたが・・・
ハンセン病、障害者、同和部落・・・・
現実に「今も」苦しんでいる人たちがいるわけよ。
「包丁理論」が成立するのは、あくまでも、「功」が「罪」と等しいか、
または上回るときだけでしょう?
業報論が、わずかに、倫理的行動を指示する要素があったとしても、それをもって
現実の人々を差別してよいとはならんと思うが、いかがですか?
648 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 22:55:35.51 ID:QW1loNAu
仏教の教義以前に差別は社会問題として存在している
社会がその問題を解消しようとするなら
問題が社会が許容できるほどのもので
その体制が永続的に維持できるなら
仏教はそれに口出ししないよ
業報論もそれを否定する理由にはならない
だから聖俗の対立ではなく
単に俗の問題
その妥当性は社会の行く末が決めるものだ
因果の理の中で
>>647 なるほど。もっともとは思いますが現実的にはどうなんでしょうね
転生はタブー視されていると思います。
業論はあくまで過去生、来世抜きで語られていると思います。
差別とはなにか? 人を評価すること
651 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 23:09:23.11 ID:zf7NRE/m
観念論すごいですね
652 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 23:10:19.93 ID:2Y9Ep6ep
>>638 >仮定として業論が無いと仮定すれば差別はなくなっているでしょうか?
>被征服者の家系はやっぱり差別を受けると思います。
業論がなくても、差別は違う形でありますよ。
黒人差別然りw
だからといって、それが「業論」の世俗干渉を正当化すことには当然、なりません。
「悪いものは悪い」・・・・と、はっきり言うことは必要だと思います。
>タブー視でなく現状改善に目を向けた方がいいような気がします。
そこは難しい問題なんですなw 仏教というのは伝統的に業論肯定のスタンスを
とってきた。それを、世俗の価値体系と照らして妥当でないから、変更せよ・・・・
と言うのはおかしいでしょ?
最も肝心なのは、「自己の価値体系をもって他者に干渉するな」・・・・ここだと
思うのだが。 しかし、現実に、「業論というのは真実であって、・・・・が今、
こういう目に合っているのは、過去世において・・・・・をしたからであり・・・」
と勝手に規定するバカがいることなんだよ。
あくまでも「仏教という宗教内の話」「信じる人たちの信仰の話し」・・・・
このフィールドの範疇をよく分かって話をしてもらうことだが「良識ある宗教者」と
オレは考えているわけです。
>>652 君はいろいろ語っていますが「オレの」差別の定義で言うと差別してるよ。
差別とはなにか? 人を評価すること
654 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 23:20:20.26 ID:QW1loNAu
もし外国人を日本人と区別することをやめたなら
外国の利益によって動くものに対して歯止めがきかなくなる
それは日本という共同体自体が衰退し、日本人自身に不幸を招く
よって日本人と外国人を区別するのは差別だという非難は
日本社会が永続的に維持されるために許容できないことで
区別をしないための妥当性はないことになろう。
一方、外国人が日本での移動の自由を規制するとなると
そうしないことにデメリットがない、あるいは規制しなくとも
日本社会は問題なくやっていけるほど成熟しているなら
認める方が妥当だろう
ハンセン病は単に人々の無知からくる区別だったのだから
わざわざ差別することになんのメリットもない
だったら、その原因と結果の理から見て差別を取り除くのは
社会として当たり前のことじゃないか
それを仏教は口出しして止める理由なんて持ち合わせていないし
業報論とて否定する根拠になりえないんじゃないか?
仏教は社会に対してそこまで関わりあいをもたないよ
所謂括弧書き差別は、「相違に纏わされた付加価値」でしょう。
鳥に向かって「やーい、羽が生えてやんのwww」
魚に向かって「やーい、鰓呼吸でやんのwww」
と、
鳥は羽を持つ生物である。魚は鰓呼吸する生物である。
とでは、『表現されている事象(内容)』に差はないが、
前者は明確に侮蔑が付加価値として付与され、後者はその(形態的・機能的)差異についての言及にとどまっている点だ。
いつも笑ってばかりの人wは、この後者をも糾弾しがちなところが珠に瑕w
656 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 23:22:58.79 ID:ik29NA48
アンパンマンの仏教的解釈
修羅道:ウィキペディアより抜粋
修羅道は修羅の住まう世界で、修羅は終始戦い、争うとされる。苦しみや怒りが絶えないが地獄のような場所ではなく、苦しみは自らに帰結するところが大きい世界である。
私はこの文章を見た時に、すぐにこれがアンパンマンの生き様であることに気がつきました。
アンパンマンは前世の行いにより六道の一つである「修羅道」に落とされてしまったのでしょう。
アンパンマンは死ぬことを許されません。すぐに新しい顔に交換されるため、永遠にこの修羅道にとどまり戦い続けなければならないのです。
だからこそ彼は前世の業を償うために人々に自らの身をちぎり与え続けねばならないのでしょう。まさに賽の河原に石を積み続けるように。
はたしてアンパンマンはあとどれだけ人々に自分の顔を与えれば修羅の道から開放されるのでしょうか。
http://www3.hp-ez.com/hp/kmymtks5/page17/day-201209/2
657 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 23:24:17.25 ID:zf7NRE/m
アンパンマンは菩薩道だろ。頭交換してでも戦い続けるのは「捨身」だろう。
捨身と言うには虎を殴ってますが、かなり思い切り毎週二回ほど
いやどーせ ジャムおっさんがまた焼いてくれるという期待をしている
660 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 23:26:21.56 ID:2Y9Ep6ep
>>655 >いつも笑ってばかりの人wは、この後者をも糾弾しがちなところが珠に瑕w
業報論は、現実の「好ましからざる」状態を、過去の『悪』と結びつけて
語らないと?w
障害を持って生まれた子供を、『その状態を分別することなしに、
ただ縁起によってこのように生まれた』・・・・というに留めると?
まぁ韓国人や中国人が悪いのでなく環境が悪いというのも
あるだろうなぁ…
では、日本はどうかというと、幾分マシな程度か?
でも、殺人者や泥棒が悪いというのは被害拡大防止の意味でも
隔離するのは当然の理と思う。
罪を憎んで人を憎まずとはいかない。
差別とは何か?に関していえば、
正当に評価しないことだと思う
>>660 本来、そうでしょう。
>>661 正当に、とは?
たとえば、「(貴方は)汚いから入ってはいけません」という台詞は不当か?
>>662 でもその縁起が何かと尋ねればしたり顔で過去世の悪について説くんじゃろ?w
>>662 >たとえば、「(貴方は)汚いから入ってはいけません」という台詞は不当か?
銭湯だったらなし。一人暮らしのアパートだったらアリ
おやすみなさい
667 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 23:37:20.09 ID:2Y9Ep6ep
はっきり言っておくが、
「現実の状態を(すなわち仮設されているものを)、諸縁によって、
こうなった・・・・縁起によりてこうなった・・・・」というのであれば、
なるほど、それはそうでしょう・・・で話は終了だ。
そこには何ら、善悪の価値判断はない。 分別無しなわけだ。
しかし、「業報論」というのはそうではないでしょ?
障害者を「好ましからざる者」とみなし、それを過去の悪行とリンクさせるでしょ?
同和のものを「汚らわしい者」として、その因を過去の悪業にありとするでしょ?
問題なのはそこなんだよ。
668 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 23:39:54.58 ID:2Y9Ep6ep
>>662 >本来、そうでしょう。
では、「悪因悪果」「善因善果」・・・・・これは無しでいいのかい?
>>664 うん。
それが世俗的な縁起の語りだから。善悪を抜きにしては成立しないから。
勝義に於いてのみ、無色無味乾燥な連鎖と見做されるものだから。
ま、神通によって見たのでない限りは、断定発言は避けるべきだろうけどw
「過去の何がしかが因や縁となっている」とまででしょう。言えるのは。
その後は、「各個の受け止め方」に委ねねばなりません。
「今在ることは、過去からの積み重ねである」ことを否定する人はそうそういないでしょう。
であるならば、『その形式』の共有からスタートし、その後、踏み込んだ言及になったとしても、
そこに既に信頼関係が生じていれば問題は生じないでしょう。
それこそ、手塚漫画の差別的表現を、「作品の要素」と見得るかどうかと近いかもしれません。
670 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 23:46:05.21 ID:QW1loNAu
>>662 いつの話だ
昔、冷蔵庫がなかった時分、屠殺業者は
常に死臭が体に染み付いてとれなかったことだろう
俺も賞味期間きれの肉を持て余したことがあるが
外におくとすぐウジがわいてさらにひどい
さらに昔は職業がらモツしか食えなかっただろう
今は洗浄技術が発達しているから、気にしないが
スーパーで安いからと言ってモツ買ったら
うんこくさくて料理に困ったよ。買ったから食べたけど
さらに他との人間関係がらそういった人たちと懇意になると
ひょんなことから、大事なもてなしの場でものすごい臭いの
友人が訪ねてきたらとか醜聞だって考えるだろう
差別の根源も決して故なきことではないはずだよ
現代に至ってはまったく問題とならないことであってもな
>>667 >障害者を「好ましからざる者」とみなし、それを過去の悪行とリンクさせるでしょ?
>同和のものを「汚らわしい者」として、その因を過去の悪業にありとするでしょ?
>問題なのはそこなんだよ。
俺は一般人だが、そのような教育は受けてないぞ。
障害者はなんとも思わんし、同和も身体にいっぱい落書きしてる
人でなく普通に会話できる人なら何とも思わん
【本文】↓
>>562 おぃ!
あなたのことを少しは見るべきものがあるかと評価していましたけれども、
すべて撤回させてもらいます。
密教=麻原オウムなどでは有得ないし、
ましてや、嘘をついてまでして一代氏を元オウムなどというレッテル貼りで
読者に不利な印象を与えようなどという手法はあまりにも卑怯極まりない。
一代に対して、心から真面目に謝罪されるべきです。
宜しくお願いします。
>上祐史浩(ひかりの輪代表) も元オウムのオイラ氏も上記に応えていない。
>>545 >
>まさしく密教です。アジャリさんですよ。
>で、元オウムです。
>>548 >
>仏教には不妄語戒というものがある。
>別に元オウムでもええやん。
>自分の信念を貫けばいい。
>>562 見損なった・・・。
>>569 つまり、原点回帰ですよね。
原典と基本に立ち返れ!
見落としや誤解部分についての見直し、
本質部分の再確認といった流れかと。
674 :
神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 23:48:42.86 ID:2Y9Ep6ep
>>671 wwwwwww 違う
「仏教においては」 そのように語られるということw
>>669 >「過去の何がしかが因や縁となっている」とまででしょう。言えるのは。
いや? それすらも観てないなら言うなよw
「過去の何がしかが因や縁となっている」+「と、自分は思ってます」までだろ?
まぁそれですら言われた側には不愉快千万なのだから言わないに越したこたぁないと思うが。
>>665 >銭湯だったらなし
ですね。 重要な部分だと思います。
もっと妄想を逞しくして、ストーリーを作ってみましょう。
行方不明の夫が、妻の出産を耳にし病院を訪れる。
半年以上続けたホームレス生活で、身なりはボロボロ。
妻に、子供に会わせてくれ!と、どれだけ涙ながらに頼んでも、
そのままでは入れては貰えないだろう。
なぜか?
彼が『汚いから』。
不潔だから。不衛生だから。他の患者さんや妊婦さんが【不快な想い】をするから。
彼が、ホームレスだから。
さて、これは差別?区別?
もし、正当にということが。、心情や人間的価値や行為を基準とするならば、
彼を「ホームレスだから」「汚いから」と言って忌避するのは不当な差別であろう。
人が行為によってシュードラとなり、行為によってバラモンとなるならば・・・。
彼は、已むに已まれずとはいえ、その想いや志は、善良なる伴侶であったかもしれない。
さて、その産科医院は、彼を受け入れるべきだろうか・・・。
>>675 けど、
>「過去の何がしかが因や縁となっている」
ことを引っ込めたら、縁起自体が成立しないけど・・・ (´・ω・`)
隠居のように無時間的関係性である!と限定使用しない限り、
これを抜いたら、縁起の意味がなくなっちゃうのでは?
>>676 免疫のない胎児に不衛生はきっつい
よって汚れを取ればおK
>>677 いやいや良いのよ。頭の中で思ってる分には。
観ても無いものを観たふりして口にしなけりゃね。
そもそも最近の科学と業報論て反してるよなと思う今日この頃。
マクロの世界かつ近い未来においては行為と結果は密接に絡み合うが、
ミクロの世界の不確定性原理と長い期間での拡散を加味すると行為と結果の繋がりは希薄じゃろ?
いきなりSFにぶっとぶが。
680 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 00:05:07.85 ID:QW1loNAu
>>676 試験に出たら、シャワーを貸すなど適切な対応をして
面会させるべきって書きます。
勤めてたら、そんな対応するほど悠長な時間は
与えられていないから、シャワー浴びてくるのが社会人としての責任うんたらかんたら
言って追い返すんでしょうね
だから司法が医療機関に作為義務を課して
社会的に規範作りをすると
で民間はまたお上が仕事増やしがったよと
ぶつくさ言って末端の派遣社員のさらにハブにされてる三下あたりに
押し付けられると
>>675(
>>679)
ああ、あと、669の肝は、最後の一行です。
手塚漫画を評価する者は、原作の改編を
【作品の完成度・テーマ・歴史的背景・文化財的位置付け等の面で】不当だと見る人が多いでしょう。
逆に、
思い入れのない人・少ない人ならば、
【差別に繋がるから】表現の削除は当然、と思うことでしょう。
さて、どちらが正しい態度なんでしょうか・・・。
以前、(本当の逸話かどうか知りませんが)、ダライ・ラマの話を貼った人がいました。
手塚漫画を作品として評価する人に対して、削除は不要かもしれない、ということです。
>>681 そりゃあKYじゃろ? 場の空気嫁で終わる話じゃね?
この世のどの場所においても通用する便利な正しい態度があるわけじゃなし。
少なくともこのスレ内部で口にするなとは俺も思わんが、外ではねぇ?
手塚ブッダのアニメ化の際の改変は認めんけどね。
683 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 00:18:47.79 ID:dOoZ+DI0
>>545 死んだほうがいいような生活をしてるバカが多いけれど
出家して日常の社会生活を軽視する教えは更にその上を行くバカさだから(ここが理解できない奴は盲目 神がなんのためにこの世界を与えたのか分かっていない!)
自分が死ななければいけなくなる
現に麻原も死なされる
要するにバカだ
バカがバカな理論を振りかざすことが害悪なの
>>682 だから、
(今のようにメディアが発達していれば、それこそTV番組の如く垂れ流されてしまいますが)、
基本的に、互いが了解済みの間で言われるのではなかろうか?ということです。
手塚漫画で言えば、ファンの集いで使用されるのは修正前の原本であっていいということです。
勿論、“ここ”はファンの集いではないけれどもw、
情報を隠蔽して使用するよりはオープンであるべき場所かとも思いますが・・・。
ノシ
>>683 そうやねぇ
日常の社会生活は寒空の下、チャリンコで学校に通う中学生ですら
勇敢な戦士に見える
出家するなら、それ以上の戦士にならんとね
ここは良心的な人ばかりで本当に感心する
>>683 >神がなんのためにこの世界を与えたのか分かっていない!
え? なんのためなん? ねぇねぇ、何のためなん?
マンガはデフォルメ表現。ただのクレーマーだがそれも読者のためその人の意見も尊重。だから手塚作品の最後に書いてある当時の表現をそのまま掲載することを赦してくださいと表記で問題なし(クレーマー対応)
まんがとゲームとテレビw現実と区別できない精神的未熟者 クレーマー
689 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 00:47:44.79 ID:Fo4NdFQE
>情報を隠蔽して使用するよりはオープンであるべき場所かとも思いますが・・・。
以前にも言ったが、ここは仏教徒以外も訪れる「公の」場であるわけだ。
仏教についてろくに知らず、ちょっと関心をもって覗くものも多いでしょ?
「ファン」だけの場では決してないわけだ。 であるなら、「業論」のように
現実世界に害悪を垂れ流している教説に言及するなら、 それなりの配慮をもって
語ることが肝要でしょ? あくまでも、「仏教の中では・・・・・と言われている」
「私は・・・・と信じています。」・・・・・このような表現に留める配慮ができない
んですか? 仏教徒さんたちは。 と言いたいわけよ。
今までも、繰り返し、「業論が 『この世界で現実に起きている真実の現象』 として
語って来たバカ」が絶えなかったろ?
それが、「この世界で現実に起きていることであるとして、仏教という宗教の範疇を
飛び越してくるなら、まず、それを実証してから言え。」
→『世俗に干渉してくるなら、世俗の規範に沿ってまず、それが真実であることを
実証してから言えよ』 ・・・・・・ ということさw
>>689 仏教のスレなんだから「仏教の中では〜」は言わずもがな含まれてると一般常識あれば思うと思うんだ。
それでは気になるならテンプレに「このスレは原作者の意向を尊重し経典に忠実な表現を〜」と注釈入れればよろしかろ?
口にするなとか、過剰なまでの配慮を求めるのは権利意識肥大化しすぎじゃないかな。
691 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 00:59:21.06 ID:5uNke4G0
何がそんなに気に入らないのかわからんわ
すべての不幸を自分に原因があると
受け止めることは向上のためには不可欠だろ
理由のない悪意に怒ること、それに心を見失うことなくだが
そうすることは相手のためにもなるだろ
ずる賢く生きるには世間の構造に乗っかることもあろうがさ
なぜ、卑屈に自己のために怒ることを阻害されるのが
悪くないんだと開き直ることが
自由社会の最高の良点なんだと
甘美な気分にひたれるのかわからんわ
694 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 01:10:37.03 ID:M1Lc3VB+
まず左脳が完全に休息することだ。
695 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 01:12:44.02 ID:5uNke4G0
俺には業報論批判が何を意図しているのかよくわからんわ
仮に前世の悪果でハンディキャップを負ったのだとしても
彼らを足蹴に扱うことを是認する、あるいは正当化できるもんなのか?
そうするならその悪果はそうしたもの自身に返ってくるぞ
そういった習慣が人の悪意の連鎖の中で
自分に跳ね返ってくるだけだからな
むしろそのものたちを救うことで自らをあるいは差別者を
救えるとは考えないのか?
それこそ業報論が見据えるべきテーマなんじゃないのか
俺は今までずっとそう思ってたから
本願寺がしきりに反省しているのも理解できなかったわ
696 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 01:18:40.75 ID:Fo4NdFQE
>>690 この「輪廻業報論」というのは、この一連のシリーズの原初からの
お題であり、何回かスレタイが変わっても、また何度となく繰り返されて
来たわけよ。
その過程において、それを「仏教という宗教内」の教義における話として
語られてきたときは、オレは一度も口を挟んだことはないよ。
それは「仏教という宗教内」の話であり部外者がどうこう言うべきことでは
ないと考えるからだ。 ところがだ、 そう言う話しばかりではないわけよ。
「業報論は真実の現象です。それはこの世界で現実に起こっている現象なんです。
それが理解できないのは、貴方が修行不足(もしくは霊性が足りないw)からであり
高次に達すれば理解できることなんです。」・・・・というスタンスで物言うバカが
後を絶たないのww
(まあ、そういう奴らの殆どは、唯、生まれ変わりを信じてるオカルト系の奴か
霊魂などの基体を設定してる「なんちゃって仏教徒」だったりだけどw)
つまり、ほとんどの肯定論者が、「仏教という枠組み」を飛び越えて、
その真実性を主張してくるんだよw
だからこそ、「良識ある」真摯な仏教徒には、「あくまでも仏教内の話」
なんですよ・・・・ということが分かるような言い回しにしてくれよと要望してるのさ。
697 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 01:22:34.41 ID:5uNke4G0
いや俺も真実だとは思わないが
だって仏教はそういう教えじゃないし
だけどモデル論として社会に適用しても
さして問題もなかろう
上に書いた理由から
>>695 殴って怪我をさせても、殴った人間に跳ね返ってくるのだから、放っておけ、と?
殴る行為の抑止は必要ない、と?
もし、いや、怪我をしている(してしまう)という実害が・・とでも言う?
その考え方では、体は傷つくが心は傷ついていない、と?実害がない、と?
問題になっているのは、そういうデリケートな部分。
だから、(特に、戦後の歪な人権思想に席捲されたせいもあろうが)誰も文句を言えず、
解同が幅を利かせてきたわけだ。
>>696 仏教内の話であるという言い回しを真摯な仏教徒にしろと?
仏教が真実だと信じてるのに、仏教から離れりゃ間違いなんです的な発言しろとはそりゃまた残酷な。
信奉する人にとって仏教は世界に適応されるのだから、枠組みの外なんて存在しないわけで。
良識ある大人としては「あくまでも仏教内の話」を示すのに注釈ひとつで十分だと思うんだがなぁ。
700 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 01:39:38.19 ID:5uNke4G0
>>698 いやよく読んでほしいんだが
業報論すなわち殴ることなわけ?
殴らないように抑止することも他人のためだろ
業報論は殴ってよいとも
殴るなとも言わんよ
お互いがお互いの共業の中で輪廻していき
勝手に苦しむだけだ
それでいいのか?って思想が仏教なわけだ
俺は殴るのを止める社会活動まで仏教が担うのは畑違いだと思うが
701 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 01:48:28.00 ID:B0sCgkdX
仏教が真実か否かは信仰心とはまったく無関係です。
ブッダの教えのすばらしいところは、それを検証すればするほど
どうしようもない真実と納得せざる得ないところ。
だから輪廻して悪行が多ければ悪い世界に転生するという話も
経験できるわけはないが、信じてしまう。これだけ教えの分かって
体験できる範囲ですべて真実なのだから、おそらく転生も真実なので
あろうと・・
ようは、ブッダが頭よすぎて天才すぎて(何千億年とか途方もない時間の
なかで一人でるかでないかの選ばれた神々共を超える存在だから)いってる
ことはすべて真実と想定せざるをえない。
信用が半端ない。
キリスト教とかイスラムみたいに他力本願神頼みとは根本的に異質
自己研鑽のみによって幸福をえられるという、非常に非情にリアリスティック
な宗教それが仏教。
ちなみに、日本の大乗仏教は全部仏教の冒涜、親鸞法然空海その他高僧すべて
ぶっきょの教えを捻じ曲げた悪行でもっとも厳しい地獄に落ちてる。
思想をうえつける悪行は何にもまして罪が重い。
702 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 01:48:46.04 ID:5uNke4G0
あー
>>691 間違えてたよ
「阻害されないことが」だね
703 :
701:2012/11/26(月) 01:50:40.28 ID:B0sCgkdX
ちなみに禅宗だけはまあ許容範囲の仏教だとおもう。
一番ひどいのが密教・・もう仏教ではない。
704 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 01:58:37.36 ID:Fo4NdFQE
>>699 良識ある宗教家であるなら、仏教徒に限らず、自分たちが信じている
価値体系以外の価値体系を有する人たちの存在を認知できるでしょ?
他宗教、無宗教の人たちが多く存在しているわけで、その人たちにまで、
「自己の真実」を強制する権利はないわけだ。
であるなら、自己の宗教の教義の一部が、そのような他者にとって非常に
差別的な発言であることを理解しているのであるなら、「ファン」ばかりが
集う場ではない、このような公の場においては、その表現方法に配慮があっても
良くはないですか? と言っているのさ。
換言すれば、「障害を持って生まれて来た子は、過去世において、それに
見合うような悪行を積んだからなんです。非常に残念なことですが、それが
真実なんです。」・・・・これを「仏教の教義」として語るのではなく、
この世界で現実に起きている真実として語ることを控えるくらいの良識が
ないのか? ということだよ。
>>704 ファンばかりが集うわけじゃないからといって「傷つくかもしれない人」の権利を極大化する必要ないでしょ。
主は唯一、天におわします”と、キリスト教のなかだけでは言われてます”って多神教の人に気遣って一々言えと?
人権屋じゃあるまいし常識的な対応なら言ってるじゃない、テンプレに注釈一つで十分だって。
706 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 02:09:31.28 ID:5uNke4G0
で業報論のデメリットって結局なんなの?
殴ることを抑止することは善行だから
した方がいんじゃね?
ハンディキャップのあるものを助けることは布施だろ
もっとも善果が返ってくる種まきには
三田あるが悲田もその一つ
苦しんでいるものを助ける種まきをすれば
実りの秋(とき)にはこうべを垂れた稲穂が
目の前に広がっている光景が見れるんじゃね?
頭を垂れるのはハンディキャップがある人だけじゃない
差別していた人たちのためにもそうしてこそ
意味のあることでしょ
でなければ人知れず恨みは鬱積していき
その果報を受けるのは自分自身かもしれないし
場合によっては同じ運動に関わっていたハンディキャップのある人たちかもしれない
悪意に我を忘れてただ怒ることは
止めた方がいいよ
707 :
平安堂:2012/11/26(月) 02:11:57.46 ID:M1Lc3VB+
仏教原理主義は排外主義と同じで役に立たない。
初歩中の初歩で踏みとどまるようなものだ・・・。
あらゆる宗教は融和の可能性を持っている・・・。
それ以外は対立でしかない・・・。
対立を敢えて巻き起こす外道は多い・・・。
708 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 02:13:08.78 ID:B0sCgkdX
仏教の教えは
『障害もったのは前世で悪い事したからあきらめろ』ではなく
『障害を負ったのは過去に起因するけど、人間として生まれ思考がまともなら
つめる善行はいくらでもあるからできる範囲でがんばってしあわせになって
ほしい』
ということだろ。仏教勉強してれば常識だろ。
人間界に、仏陀の教えがのこる今にまともな思考を持って生まれることができた
なら奇跡的に幸せだろ。いくら生まれながらの障害があろうとも。
まともな思考すらない重度障害ならどうしようもないけど
>>706 過去においては障害を持って生まれたものは罪人であるというレッテルを貼ってしまったことだね。
普通の人間が罪人にたいして取る対応を考えればその苦悩は計り知れないでしょ。
現在においては覚えもない過去世を引き合いに出され罪人扱いされることだね。
尊厳が損なわれて不愉快極まりない。
710 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 02:14:43.72 ID:Fo4NdFQE
>主は唯一、天におわします”と、キリスト教のなかだけでは言われてます”って多神教の人に気遣って一々言えと?
それを言うことによって、「現実に差別された人」が存在するのか?w
もし、そうであるなら、そのような言動は控えるべきだろ?
オレが言っているのは、「業論」によって「現実に差別されている人たち」が
存在しているから。 だから、このような思想は「仏教徒たち」の中だけで
限定してやってくれと言ってるの。 知らない人たちの中にまで、拡散するなよと。
711 :
平安堂:2012/11/26(月) 02:17:25.46 ID:M1Lc3VB+
主なる神が対象とするのは全ての人だ・・・・。
選民思想とは無縁だ。
だが、招かれる人は多いが、選ばれる人は少ないのだ・・・。
712 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 02:21:03.54 ID:B0sCgkdX
大体幸福は障害なんて無関係だからな。ハンデはあるが障害あったて
阿羅漢になれる。耳か目が機能すれば教えは理解できるし、座れなくても
瞑想の方法なんていくらでもある。
むしろ五体満足じゃないほうが物質的欲望が制限されて悟りに有利だろ。
なまじイケメンだったらセクロスの快楽に勝つのは並大抵じゃない。
仕事がすげーできる。親が資産家。等々現実でうらやましがられることは
たいてい仏教には邪魔以外なにものでもない。
本当に選ばれたものは王族でイケメンで悟りもひらくだろうけどそんなやつは
世界中探しても一人か二人くらいだろ。
>>710 >「現実に差別された人」が存在するのか?w
イスラムな環境下でいっぱいいるけどね。マイナーってつらいね。
そりゃ、たまたま見に来るかもしれない人の権利を極大化しすぎだわ。
仏教を題したスレでの発言に制限求めすぎ「信仰」に対する配慮が無いならそれこそ権利意識がおかしいって。
714 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 02:22:49.36 ID:dOoZ+DI0
いや、キリストを信じてる者だけとか言うから選民思想。
全ての人の行動を監視してるのに、キリストを信じてる者が善だと思ってる基地外だからね。
だから選ばれない。それがわからないと。
715 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 02:23:54.91 ID:Fo4NdFQE
>>709 よしわかったw ならば、
「このスレで、もし輪廻業報論が実際に起きている真実であるかの如く、
語る者がいても、それは正しくありません。それは、あくまでも、『その人
個人の信仰の話』であって、現実に適応される普遍性を有する現象では全く
ありませんので、お間違いのなきようお願いします。」
これをテンプレに追加するかい?ww
どうだい?ww
例えばだ.考えてみよ.
先祖の位牌が仏壇にある.先祖はそこに留まっているのか.
転生しているならば.そこに留まっては居ない事になるだろう.
それは矛盾する.
また先祖の墓参りをするだろう.しかし仏壇でも供養する.
更には守護霊として子孫と共に居ると言う者も居る.
では一体何処に居るというのだ.
輪廻して畜生道に堕すれば犬にでもなって生まれ変わると思うだろうか.
では餓鬼道に堕すれば餓鬼になって生まれると思うのか.
餓鬼などという生き物は何処に居るのだ.
はっきり言うが.君達では分り様もないだろう.
そして秘密は語られるべきではないし.語ったところで誤解しか生じない.
因縁と呼ぼうが宿業と呼ぼうが何と呼ぼうが.到底的外れな解釈に逸れるだけだ.
718 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 02:27:29.30 ID:5uNke4G0
>>709 仏教徒が業報論を用いて尊厳を汚していると?
そんなものは料簡違いか
悪意の構造に乗っかった外道だろう
前世が犯罪者ってことが一体全体なんの
引け目になるんだよ
六道輪廻なんかどの道も五十歩百歩
よく五十歩を誇れたもんだと馬鹿にすればいいだけだ
719 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 02:28:05.63 ID:B0sCgkdX
>>716 だから大乗仏教はすべて仏教の冒涜だと何度も・・
墓にもいないし守護霊にもなってないし、何らかの次の人生を送ってる
だけだっての。
墓参りとか仏壇とか無意味といえば無意味なんだよ。
ただ、因果が連なって今の体があるわけで心はどっかから飛んできて
転生したとしても今あるのは先祖のおかげともいえなくもないから
敬うのは当然よい。自分の功徳にもなる。
>>715 んー、汎用性に欠けん?
このスレでは仏教を機軸とし信仰の自由に基づいた発言が行われるため、
差別的あるいは不快に感じるレスがある恐れがございます。かしこ。
な注意喚起で十分でしょ。
あとは注意書き読んどきながら不快なレス見た自分が悪いでごり押せば。
721 :
平安堂:2012/11/26(月) 02:28:51.15 ID:M1Lc3VB+
ぜんぜんわかってない連中ばかりだな・・・。
差別ばかり広げてどうするのだ?
陰謀そのものであることは明白だ・・・。
まあ、さんざん人々を苦しめておいて置き去りにするのが
隠謀家のやり方なのだろう・・・。
このことは上に報告する・・・。
政治家の政局以下の争いだと・・・。
大なたが振るわれるとき、それは来月の話だ・・。
>>718 みすみす外道を生み出して悔いもないなら坊主やめちまえってw
723 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 02:31:48.84 ID:B0sCgkdX
>>720 まあ2ちゃんで不快になること自体悪行なんだがな・・
不快(怒り)はもっともわかりやすい悪だからな。
おまえは馬鹿なんだから仏教スレなんかくんなよ。
仏教は馬鹿なやつ理性のないやつにはどうやったって理解できないし
時間の無駄だから、ほかの心地よい宗教でなれあってればいいんじゃない?ww
>>723 あぁ、俺の存在が不快でしょうがないのか。
悪い子だなまったくw
>>719 はっきり言って.甚だ遠いと言わざるを得ず.
が.今そう思うなら.それがあなたです.
726 :
平安堂:2012/11/26(月) 02:37:29.20 ID:M1Lc3VB+
すべては自作自演。
まったく誰も読んでいない・・・。
証拠に私の発言はまったく相手にされていない。
すべて初めからシナリオがある・・・。
隠謀家による魔道のシナリオだ。
振り込め詐欺と同じ社会悪です。
処刑されることを神に祈ります。
727 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 02:39:06.85 ID:5uNke4G0
>>710 じゃあ差別されました。
日本人として神道を信奉しているのに
それを根本から否定するような言動に
日本人の見方が否定されたようなものです。
多神教を信じる者もいるという配慮がない
それどころか他宗教の神々を悪魔化していく思想は
日本人を悪魔扱いしているのと同じです
そういえばキリスト教の国は奴隷貿易してましたね
悪魔扱いされている日本人もいつ奴隷にされるかわかりません
でも悪魔だから仕方ないんですよね
恐怖と罪悪感で心が押しつぶされそうになります
これキリスト教に差別されているんじゃないですか?
728 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 02:40:14.01 ID:Fo4NdFQE
>>720 いやいや、オレが今まで言ってきた原因のひとつは、この
差別思想の拡散の機会を減少させること なわけだ。
であるからして、業論に対して無知な者にそれが「現実に起きている真実な
現象」であるとの認識をもってもらいたくないわけ。
それが有する差別的側面を知ることなしに、それを真実と信じ込んだ者は、
高確率でそれを他者に伝達するんだよ。
実際、そのようにして現在までそれが継続されているわけだ。
よって、「それは一宗教内の話しであって、なんら現実世界で起きていることが
担保された現象でなはいこと」の明記ははずせないんだよ。
729 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 02:42:45.11 ID:B0sCgkdX
>>727 他人から差別されたぐらいでいちいちショックを受ける(怒る)事自体
が自分にとって害であるとブッダがいっている。
お前も馬鹿だから仏教議論しても時間の無駄だから、お前の有益な過ごし方
を見つけてつまらない欲をみたして無駄に死んでいけばいい。
馬鹿と仏教は無縁だからww
730 :
平安堂:2012/11/26(月) 02:43:45.29 ID:M1Lc3VB+
おはよー
悪魔ども!
>>728 >「現実に起きている真実な現象」であるとの認識をもってもらいたくないわけ。
そげな我侭言われましても?
宗教が現実に担保されてないって幼稚園児じゃあるまいし?
このスレでは仏教を機軸とし信仰の自由に基づいた発言が行われるため、
差別的あるいは不快に感じる、または現実と遊離した妄言のレスがある恐れがございます。かしこ。
て言えば良い?
信じるかどうかをこっちがあれこれ指図する事柄じゃあるまいし。
732 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 02:46:58.29 ID:5uNke4G0
>>722 仏教が生み出しているわけじゃねえだろ
業報論のどこをどう読めば差別していいことになんだよ
君のような悪意に解するものが
ふれ回ってるだけの話だろ
しょうもない話をグダグダ垂れ流してんじゃねえよ
問い詰めれば結局最後は被害妄想かよ
天が落ちてくるか心配する方がはるかに
現実的だわ
733 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 02:49:02.90 ID:Fo4NdFQE
>>732 あなおそろしや。人を踏みにじる契機を作って後はオラ知らねですか。
735 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 03:02:09.18 ID:5uNke4G0
どこまで責任もてばええねんな
貸した鉛筆で人が殺されたら
鉛筆貸さない方がいいのかよ
736 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 03:05:55.03 ID:Fo4NdFQE
>>731 だからなあ、全ての思想を信じる信じないを個人に委ねて、
宣伝流布しても良いのかい? ということだよ。
「黒人の血は汚れている。」・・・・・これを「信じる信じない」は個人の
自由なんだから、オレは好きな場所で発言させてもらうぜ ということが
良識ある大人として妥当なことだと思うかい?
(かつて、このスレにそう言うスタンスの奴が来たことがあるんだが、
もしかしてお宅か?)
>>735 何処までも何も好きなだけ持てば?
業報論は差別を容認しないが、現実として差別は起きるし言われて傷つく人も居ることを無視したけりゃどうぞ?
正解をこっちに決めさせるなよ、めどい。
>>736 良識ある大人だから縛らないんだよ。
相手も餓鬼じゃねぇんだから。
そんなスタンス取ったこと一度もないが、俺かもね。
739 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 03:14:55.35 ID:Fo4NdFQE
>>738 相手も餓鬼じゃない? 何故、そう言える?
「黒人の血は汚れている。」という発言を子供が聞いて、それを信じ込み
友達に伝える。 そのようにして信じ込む者が拡散したら?
そのような発言をしたものに、発言責任はないと?
740 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 03:18:04.52 ID:5uNke4G0
どう傷つくんだよ
俺は前世で犯罪者だったんだーってか
俺が事故ったのももしや前世で・・・
単に不注意だからだろ
生まれつき目が見えない?
単に遺伝子の欠損があったからだろ
いや、俺が不注意になりがちなのは前世が・・・
もう仕方ないでいいだろ
そこ落ち込むところかよ
>>739 また弱者を盾に言いたい放題だなwww
少なくとも宝珠は餓鬼じゃないから自分の言いたいことは自分で決めてもらうよ?
それで問題起きたらそりゃ宝珠の責任だ。大人として責任とってもらおうじゃない。
保護者でも監督者でもないんだから放っとくさ、良い大人なんだから。
742 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 03:23:55.33 ID:Fo4NdFQE
>>741 いやいや、そんな話じゃねえだろ?
論点ずらす気かよ?
オレが言ってるのは、「個人の自由だからと言って、なにを発言しても
許されるのか?」ってことだぞ。
743 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 03:34:38.36 ID:5uNke4G0
弱者がいたとして
そいつにハードな言い方で
前世をあげつらうか?
そんなのはそう言うやつが馬鹿なだけで
坊主が憎くて袈裟まで憎むようなもんだぞ
事故って全力疾走できなくなったが
歩けない人の苦労が分かるし
それに無関心だったころの自分を他人に見て
分からないんだろうなと思いこそすれ
憎いとは思わないわ
ストレスたまって怒ることはあるかもしれんが
いちいち他人に期待すんなよ
人は自分が分かる範囲で対応すればいんだよ
他人に頼るのもテクだがそれは同時に
依存でもある。
どうしてもって事態にならない限り
手助け無用なんじゃないのか
>>742 大の大人に向かって許すとか許さないとか、お前何様よ? と答えるが。
好き嫌いはあっても許す許さないとかそんな偉そうな事言えないわぁ。
連投に引っかかったじゃ。
仏教の業報論との比較で人種差別していいか否かを議題にするなら、
対としてはモルモン教を挙げたほうがいいように思う。
業報論もあくまで他の教え・道徳と同時進行で存在するからね。
746 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 04:38:34.60 ID:Fo4NdFQE
>>744 wwww やっぱり、お前、以前、オレに絡んできたバカか?
論点ずらして逃げるとこは変わってねえなww
結局、最後はまた罵倒で逃げるとww
なら、始めから絡んでくんな、カスがwwwwwwwww
747 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 05:07:35.66 ID:5uNke4G0
言葉から人の本性てにじみ出るものだな
もう怒りに身を任せてどうしようもない
互いに傷つけ合う修羅道に落ちているわ
俺には手にあまるよ
業の連鎖の中で何か救いに出会うことを祈るのみです
>>746 どこが罵倒なん?
当人が何を語るのかを許すも許さないも余人が決めることじゃないだろう?
個人の自由だからといって何を言っても許されるか? に対し、
誰が何の権限で許すだの許さないだの言ってんの? って言ってんだ。
749 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 08:17:10.31 ID:UPUiSwuN
業報のこと? 〜 それを論じる前に
あなたたちは、自分の過去世を見たことがあるのですか。
見たことがないのに、いくら論じても結論は出ない。
それが道理であることは理解できますよね。
750 :
暇人:2012/11/26(月) 08:18:54.17 ID:K5wXN4b9
業報輪廻思想は、
「障害を持って生まれて来た子は、過去世において、悪行を積んだからなんです。」と
説くことが目的ではなく、
善い事をしたら、楽果を得る。悪い事をすれば苦果を得るということを説き、
悪を止め、善を為すように勧めることがそもそもの目的でしょう。
確かに「不殺生戒」という素晴らしい戒律が歴史の中で誤解され
農業や漁業などの生産の現場で、害虫を直接殺したり、魚・鳥獣を殺傷したり
する者が罪深く、生産の現場から離れた不労階級の平安貴族がましだというような
解釈が生まれ差別を産んだと言う歴史がありますので
業報論もその例に漏れないので誤解に対する注意喚起は有意義ですが
教えそれ自体が間違っているわけではありません。
751 :
暇人:2012/11/26(月) 08:22:14.66 ID:K5wXN4b9
>>749 2500年前の古代人が瞑想して過去世を見てモノを考えたからと言って
現代人である我々が古代人の風習の真似をせんでよいでしょう。
業報論の本質は何か 大事なのはこっちです。
752 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 08:25:20.88 ID:UPUiSwuN
前世以前の業は「アラヤ識」にたくわえられている。
この「アラヤ識」が輪廻する主体であり、
この「アラヤ識」を消滅させることが「解脱」に他ならない。
であれば、「解脱」する時にこの「アラヤ識」を見る。
753 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 08:33:13.65 ID:UPUiSwuN
瞑想によって「アラヤ識」に出会えば、
ウソだと思っていた過去世があり、輪廻転生があることを知る。
輪廻転生はある。それがないと「解脱」もウソになる。
しかし「アラヤ識」は、生きた死体であり、何も思い出さない。
754 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 08:40:28.94 ID:UPUiSwuN
前世は存在するが、前世と現世の因果関係はわからない。
これが人間が知ることのできる限界である。
これ以上のことを語ってはいけない。
「アラヤ識」はどこにいるのか。三途の川にいる。
755 :
暇人:2012/11/26(月) 08:42:09.86 ID:K5wXN4b9
>>753 ちなみに仏教にアーラヤ識という概念ができたのは中期大乗から。
アーラヤ識に出会うことが解脱の条件なのだったら
それ以前の仏教は、つまり釈尊は解脱してないことになる。
勿論、釈尊はアーラヤ識に出会っていたので過去世を観たのだ。
アーラヤ識を直接的に語ってないだけとか、
中期大乗経典の大乗阿毘達磨経を根拠に釈尊がアーラヤ識を説いていると
主張するのも信仰的にはありだが、史実性は無い。
756 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 08:50:51.72 ID:UPUiSwuN
体験はあっても知識がなかっただけでしょう。
昔は素粒子など知らなかったが、素粒子は昔から存在する。
「アラヤ識」は三途の川 〜 忘却の川を流れている。
757 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 08:51:13.36 ID:Fo4NdFQE
>>748 だから、「お前は中学生か?」って言うんだよw
お前は、「授業中に他の生徒の迷惑を全く考慮せず、勝手に一人で騒いで、
挙句にそれを注意した同級生を・・・・・『お前、何言ってんの?オレは、
やりたいからやってるの。何でお前にそれを止める権利があるわけ?
個人の自由だろ?』」・・・と、逆切れする中2と全く変わらんわww
「個人の自由」という目新しい概念を知って、それがあらゆることに
妥当すると単純思考をするお馬鹿な中2だよw
通常の一般人は、「黒人の血は汚い」なんて発言はしてはいけないものと
考えるの。
それに対して、「いいじゃん。俺は好きなときに好きなところで
好きなことを言わせてもらうわw 個人の自由だろ? 何の権利があって
それは許されないことです なんて言うわけ? お前、何様?w
それによって不快に感じる人もいる? いいじゃん、別に見なければ。
そのような差別思想が継承されていく? 知るかよw」
・・・・・はい、このようなスタンスの人とは、対話が成立しませんなww
>>757 >お前は、「授業中に他の生徒の迷惑を全く考慮せず、勝手に一人で騒いで、
挙句にそれを注意した同級生を・・・・・『お前、何言ってんの?オレは、
やりたいからやってるの。何でお前にそれを止める権利があるわけ?
個人の自由だろ?』」・・・と、逆切れする中2と全く変わらんわww
↑
これきみの現在の文章そのままだよ
>>757 622 自分:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/11/25(日) 21:42:54.52 ID:/NVbZRsZ [21/36]
勝手に自分で思い出した「業論」をだれかが言ったかのように思い込んでマジギレしだした人。冷静にお願いいたします。
>>757 『
>>748 だから、「お前は中学生か?」って言うんだよw』
この文章から推察できるがこの人は自分が勝手に思いついた言葉に相手をはめ込む性質のある性格。ちょっと気をつけたほうがいいよ
>>757 >「いいじゃん。俺は好きなときに好きなところで
好きなことを言わせてもらうわw 個人の自由だろ? 何の権利があって
それは許されないことです なんて言うわけ?
勝手に相手の言ったことを湾曲して思い込むクセを治しましょうね
>>746 >
>>744 wwww やっぱり、お前、以前、オレに絡んできたバカか?
論点ずらして逃げるとこは変わってねえなww
結局、最後はまた罵倒で逃げるとww
なら、始めから絡んでくんな、カスがwwwwwwwww
返信
なら、始めから絡んでくんな、カスがwwwwwwwww
>>757 大人として言ってるんだけどね。
宝珠は宝珠に許可してるし、国もこの程度は容認し、2ちゃんも認めてる。
俺とお前はそもそも宝珠の行動に制限を加え、認可を与える立場に無い。
許すと言うからには認可を与える主体が必要なんだよね。
普通は〜常識だから〜が通用するのは高校生までだよ。
普通で常識でとにかく社会道徳だから絶対なのぉぉぉ!!って叫びたきゃ止めないけど相手しないよ?
>>718 >そんなものは料簡違いか悪意の構造に乗っかった外道だろう
俺は悪くない。あいつ等の素行が悪いだけ。一緒にするな。
というのは、確かにその通りだけれども、
それが○○会社の社員であったなら、
たとえ貴方が誠実優秀清廉潔白であったとしても、それが知られない限りは、
○○会社への評は、よく知られた世間的評価に落ち着くことになる。
(だから、不祥事は厄介なんでしょう? 野球部やラグビー部や沖縄米軍とかw
教師が不祥事を起こした学校は敬遠されがちかもしれません。生徒の素行が悪い学校は、進路から外されガチかもしれません。
それがどんなに良い学校であったとしても。他の人員がどんない優秀であったとしても。
それが、世間、、社会、世俗ってもんでしょ。)
その意味で、「俺は【関係ない】とは言えないのでは?」と、彼(及びてすと他“仏教外の者”)は言っているわけです。
>>689 (
>>705のにもあるが)、たとえば、信者さんたちの集う法事とはいいながらも、
他宗派他教の人も縁あって同席することもある。
親族家族でも、仏教にまったく興味がない、一片の知識しかない人も多いろう。
彼等の存在を考慮するならば、(このスレでの公共性・不特定性をその形で見るならば)、
そこの和尚は、そうした法事の席でさえ、言葉を紡げなくなるだろう。
誰か一人でも価値観を押し付けられるべきでないとするならば・・。
或いは出版物とかは?或いはインタビュー記事とかは?(或いはTVラジオは?)
766 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 09:55:36.35 ID:Fo4NdFQE
>>763 制限を加え、許可を与える立場にない?・・・・当たり前だろうがww
オレが、言ってるのは、始めから、
→「業論というのは、現実に差別問題を引き起こしているという事実が
あります。それは現在進行形の問題です。その因のひとつは、それを
信じる人たちが、『それをこの世界で実際に起きている現象であると説明し、
それを無批判に信じ込んだ人が、またそれを継承していくという構図によって
維持されています。』 であるから、仏教徒以外の人たちも見ることが多い
このような掲示板で、それを語る際には、「それは仏教という宗教内の教義に
おける話しであって、『それが真実、実際に起きている現象であるかのごとく
語ることは避ける配慮はできませんか?』ということだよ。
現実に、今現在、それに苦しんでいる人たちがいるという事実を考慮するので
あれば、貴方がたは『宗教家』であるのだから、そういう配慮はできませんか?」
・・・・・と、こういうことさ。
そりゃあ、お前のように、「誰にもそれを止める権限はない。好きなときに
好きなとこで好きなことを言って良し」と言うスタンスの奴には、何言っても
無駄ということは分かってるw
「個人の自由」という概念を金科玉条のごとく信奉する中学生が、他人の迷惑
など一切考慮せず、好き勝手やるのを止めることはできないねw
いつも笑ってる人の言うことが極端だということは一先ず置くとしても、
ID:B0sCgkdX と同類と見られたくはないなwww
>>766 行動に制限を加えることなく問題を解決する形としてテンプレに注意喚起入れようか?
って玉虫色の提案したやん? なにが気に食わんのさ。
傷つくかもしれない人の権利と同等に信仰の自由の権利にも配慮して何が悪い。
>>766 > wwww やっぱり、お前、以前、オレに絡んできたバカか?
論点ずらして逃げるとこは変わってねえなww
結局、最後はまた罵倒で逃げるとww
なら、始めから絡んでくんな、カスがwwwwwwwww
↑
これ君の文章。
配慮はできませんか?
↑
これ君の文章。大丈夫?
悟り萌えはホンモンのキチガイw
悪霊が何万も見える統合失調症アホで真言僧を騙るキチガイw
からんできたものには自演で(本人だけばれてないと思ってる低脳w)
さっさと氏ね。
771 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 10:09:23.48 ID:Fo4NdFQE
>>765 それは違うぞ、セブン。
>たとえば、信者さんたちの集う法事とはいいながらも、
>他宗派他教の人も縁あって同席することもある。・・・・・以下
そこで例示したような話であれば、聞く方も当然、それは仏教という宗教の
話である と了解してる。法話で地獄の話をした坊主に、いったい誰が
「そんなものは無い。嘘の話をして、一般人を惑わすな。」・・・・こんなこと
言うか? オレは、「坊主が」「仏教の話として」語ることに噛み付いたことは
一度もないぞ。 オレが始めから、何度も、何度も繰り返し言ってきたことは、
『それが現実に実際起きている現象のごとく』 語るのは、どうなんですか?
ということさ。 仏教というフレームをとっぱらって、それを真実であると
主張することの弊害をいっているわけだよ。
仏教徒は、そんなことに考慮することなく、自己の教義を主張しても構わないと?
それで苦しむ者がおっても良いというわけか?
773 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 10:17:33.64 ID:Fo4NdFQE
>>768 信仰の自由? 言っておくが、オレは今まで「一度も」
信仰の自由を否定したことはないぞ。
信仰の自由を含む「精神の自由」は最も尊重されるべき権利であり、
何人もそれを犯すことは出来ない・・・・・これが繰り返し述べている
オレの信条だ。 ただし、それが『内心の自由』にとどまるという付帯条件
付きだ。→これが重要なんだよ。
何らかの形でそれが外部発信されたのであれば、それは常に他者との利益衝突
を考慮する必要が生じる。
お前が言うように「何を言っても良い」とはならないの。
議論スレで平和にもないだろう。
ゆがんだ根性で宗教にまつわりつく変態はもはや
宗教内部からの自浄作用は不可能。
こいつは本当に終わってる。処置無し。
>>771 ああ、そうかw。そういうレアケース(許容例)になっちゃうか。
ま、誰かが言ってたが、
玉虫色で落としていくしかないと思うよw
双方が満足する答え(特異点)なんて無いと思う。
>>774 >議論スレで平和にもないだろう。
異論を戦いだと思い込んでるね。荒らしに認定。
>>776 基本的に戦いを挑んで相手にレスしてるんだね。そういう人が書き込むと書き込まれた人がいやな気持ちになるからこのスレでは君は書きこまないでケンカスレにいきな。
>>774 基本的に戦いを挑んで相手にレスしてるんだね。そういう人が書き込むと書き込まれた人がいやな気持ちになるからこのスレでは君は書きこまないでケンカスレにいきな。
>>776 >異論を戦いだと思い込んでるね。荒らしに認定。
お前の認定などなんの効力もないんだよ、悟り萌えのキチガイよ。
おまえのいくのは精神病棟のみだ。
>>778 人をさんざん嫌な気持ちにしてるお前がいうのか。
だからキチガイなんだわ。 さっさと病院いって薬飲め。
>>780 >人をさんざん嫌な気持ちにしてるお前がいうのか。だからキチガイなんだわ。 さっさと病院いって薬飲め。
返信
だれと勘違いしてんだ?
勝手に決め付けて思い込むクセ治したほうがいいよ。病院行けってお前に言いたいよ。
悟り萌え顔真っ赤ww
発作が出る前に病院いけば?wwww
>>773 >お前が言うように「何を言っても良い」とはならないの。
直接的に障害を持つ相手に言うならまだしも間接的に目にする分には注意喚起で十分でしょ。
(
>>736)
>全ての思想を信じる信じないを個人に委ねて、宣伝流布しても良いのかい?
に対しては、信仰の自由だから妨げちゃだめでしょ。
内容に反社会的な側面があってもそれは尊重されるべきものだよ。
それに対しどんな所感を持つかは人それぞれとしても、尊重はね。
いろいろ加味した上で最初から信仰の妨げとな表現(業報論は真実ではないというような攻撃的表現)を避けて、
穏やかな注意喚起(このゲームにはグロテスクな云々)レベルに留めるのがベターでしょと最初から言ってるつもりなんだけどね。
>>779 >お前の認定などなんの効力もないんだよ、悟り萌えのキチガイよ。おまえのいくのは精神病棟のみだ。
まともなやつの文章とは思えないね。もうほかのスレ行ってやってくれよ。もう返信するな
>>784 解った。どんどんレスすることにしよう。
お前が精神病院へ行くまでな。
786 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 10:41:38.64 ID:Fo4NdFQE
>>775 例えば、一代とオレも当初はもろにぶつかりあったww
しかし、現在の一代は、とりあえず、業論が真実の現象である との
主張をこのような場で行うことを控えてくれてるだろ?
勿論、オレも一代が輪廻業報論を仏教の大前提と捉えていることは了解している。
それに関してはオレは何も言わない。それが一代の信仰であるから、そこに
踏み込んで、「んなわけねえだろ?ww」とはやらないわけよ。
信仰は信仰として尊重されるべきものと考えているからな。要は、
「自分らの価値体系を振りかざして、土足でこっちの領域に踏み込んでくるような
まねをするな」ということさ。
宝珠に関しても、あいつが毎日、不動尊に真言を唱えていることを
揶揄したことは一度もないぞw それに言及したときも、かなりの好意を
もってしたはずだ。
(ただし、こいつは少し前、「土足で踏み込んでくる」ようなマネしたがな)
787 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 10:47:56.10 ID:Fo4NdFQE
>>783 >内容に反社会的な側面があってもそれは尊重されるべきものだよ。
だから、それがお前のスタンスなんだろ?
主張に反社会的側面があっても良い。
それを不快に感じる人がいても構わない。
差別思想がこの先、継承、拡大されても問題なし。
言いたいことを言って、全然OKさ。
「個人自由」が最優先w
いいよ、お前はそれで行きな。
そういうスタンスの奴には何言っても無駄とわかってると言ったろうが?
>>787 なんでヘイト感情むき出しでしか話せないかな。
いやまぁ、話せないんなら仕方ないけどさ。
789 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 10:57:09.22 ID:Fo4NdFQE
>>788 >なんでヘイト感情むき出しでしか話せないかな。
wwwwwwwwww
お前、以前の俺とのやり取り、および、
>>741 >>744 の自分の書き込み
読み直してみなw
790 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 11:03:16.81 ID:bGfiM0eX
>>789 んー、べつに俺お前のこと嫌いじゃないよ? 一応、考えてるみたいだし。
ただ、常に自分の側の権利意識だけに注視しすぎて
制限を受ける側の権利意識に注意を払ってないなよろしくないなと思ってるだけで。
そもそも無いヘイト感情についてあれこれ言われても。
かなり思い込みの強いやつが何人かいるな
>>792 お前みたいなとびっきりの変態を間違いようがないわw
今日はそのIDがパソコンかね。スマホの方はころころ変わってるみたいだが。
>>793 >お前みたいなとびっきりの変態を間違いようがないわw
今日はそのIDがパソコンかね。スマホの方はころころ変わってるみたいだが。
返信
あらら、ほんとにひどいね。おれiphoneだから書き込めないんだよ。君がスマホとパソコン両方使ってるのはわかったよ。そんなことやってんだね〜 君 変態?
795 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 11:22:49.85 ID:Fo4NdFQE
>>790 >制限を受ける側の権利意識に注意を払ってないなよろしくないなと思ってるだけで。
その「制限を受ける側の権利」と、被害を被る側の権利を比較考慮した上での
見解なんだがね。
差別ってのは、常に「個人の見解を発信する側」と「それによって害を及ぼされる側」の
利益の衝突が生じるの。
「オレは言いたいことを言ってるの。それを差別と受け取る方が悪い。」・・・・
これを許容したら、それこそ世の中に一切の差別なんて存在しないわ。
肝要なのは、その言動に苦しんでいる人たちが存在し
→その発言が一般的社会通念において、十分、差別的言動であると認知されているか?
ということなんだよ。 そこを安易に見て、何でもかんでも「差別だ。差別だ。」と叫べば、
それこそ人権屋になっちまう。
では、ハンセン病患者対する言動は? 障害者に対する言動は?
部落民にたいして今まで行なってきた行為は?
これらは、それを差別として受け取る側が悪い?
そのような言動に対して、「よろしくない」と声を上げることは、「発信者の発言を制限する」
ことになるから、いかん・・・・・・これがお前のスタンスだろうが?
基本的見解において一致点なしだね。
796 :
基地P〜♪:2012/11/26(月) 11:24:03.41 ID:Hy6QotFQ
>>794 ここはなあ、特殊なスレで名無しで書いても誰だかわかるほどキャラが定着してるんだよ。
そんなスレで援護レスを行ったのがお前の敗因だ。一見さんはほとんど定着しないからな。
>>797 ??? まぁ とりあえずそれでいいよ。
>>797 >そんなスレで援護レスを行ったのがお前の敗因だ
この意見からお前がこのスレでいくつかIDを使ってなりすまししてるのがバレたな。おれとおまえのやり取りの中で援護レスしたやつはいない。おまえの別IDわかったから書くよ
ID:Fo4NdFQE
>>795 差別的な内容が含まれますと注意勧告された上で態々見て差別だと苦しむ物好きにも配慮せよっていうのかい?
信仰を真実と確信してしまっている人にとっては、
これはただの信仰で何の裏づけも無いことですが〜と口にすることが苦痛なので、
それにも配慮した上での落としどころの看板なんだけど。
仏教と冠された上、差別的内容がと注意喚起し、その上でもまだまだというならそりゃ人権屋のやり口になるってば。
>>799 IDなんて既に丸出しなのに馬鹿なのかね、悟り萌えよ。
前からそれやってるけど何の意味があるのかね?
>>797 おれとID:Fo4NdFQEとのやり取りの中で援護レスした人がいたため ID:Fo4NdFQEとID:o0PY5nGWはどういつ人物だということがわかる。なんてつまんねぇことしてんだろ
誰か、次スレのこと考えとけよw
>>801 >IDなんて既に丸出しなのに馬鹿なのかね、悟り萌えよ。
返信
証拠か根拠を書いて ID変えて書いてもいいよ。
>>796 超貧乏人なんだよ。働いてないからね実家暮らし
なんか変な奴湧いてんな
差別って指摘できる俺カッコイイっての分かったから素直にROMってろよ
>>802 ID:Fo4NdFQEはひでえやつだけど自演なんかするやつではないと解ってない常連はおらんだろな。
このスレだけは荒さないやつだ。すなわち俺ではない。
ちょっと冷静になった。もうIDがどうとかだれが書いたかどうでもいい。よ。意見の内容だけみるよ。
809 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 11:48:54.46 ID:Fo4NdFQE
>>800 > これはただの信仰で何の裏づけも無いことですが〜と口にすることが苦痛なので、
だから、何度も言ったろうが?オレは個人の信仰を否定するようなことはしないと。
毎回、毎回、「 これはただの信仰で何の裏づけも無いことですが〜」・・・
この但し書きを付せと誰が言ったか?
何年にもわたるこのスレの中で、繰り返し業論について語られてきたわけよ。
その度にオレがクレーム付けてきたと?w
それが仏教の教義上の話であるなら、オレは黙って静観してきたわw
「明らかにフィールド逸脱して、一般論として語られるときにのみ」
「ちょっと待ってくれよ」と言ってきたつもりだが。
どちらの話か分からんときには、
「すんません。これはどっちなんですかね? パイプ椅子もって、
乱入の準備してるんですけど。アップはもう完了してますんで、声かけて
ください。」 と、お聞きする位の配慮は見せてきたんだがねww
810 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 11:51:13.40 ID:Fo4NdFQE
>>807 >ID:Fo4NdFQEはひでえやつだけど・・・・・・・・・
どっわっはっはっは」〜〜〜〜〜〜〜〜
あったり〜〜〜〜〜〜〜wwwwwww
>>809 信仰を真実として、つまるところ一般論として語ることは個人の信仰の一部じゃろが。
フィールド逸脱も何も、スレ内部のフィールドで逸脱があるかい。
812 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 12:00:42.46 ID:Fo4NdFQE
>>811 よし良いだろw その辺りを真面目に話すつもりなら
付き合おうw
但し、
>>741 や、
>>744 のような論点ずらしや揚げ足取りに
走るようなことはもうするなよw
(だが、時間がないので一旦落ちw 残念w)
もう少し双方の権利意識に注視しろよと口を酸っぱくしたが、
揚げ足取りも論点ずらしも一切した覚えないわ。
ヘイト感情から藁人形すんなよと返しとくわぁ。
814 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 12:17:20.91 ID:Fo4NdFQE
>>813 は〜〜〜〜〜〜?
>>741が、論点ずらしでないと?
このような公の掲示板で業論の真実性を語ることの是非を論じてるときに
宝珠個人の責任に特化させたろうが?
>>744 は、「黒人の血は汚い」という発言がゆるされるのか?
という問いかけ・・・・・これは勿論、その妥当性についての是非を
問題にしているのだが、お前は「許す、許さない」という表現にこだわり
「お前は何様?」と罵倒してきただろ?
もう忘れたの?www
お前、やっぱりダメだわw
もうレスつけてくんなよw 終了。
815 :
基地P〜♪:2012/11/26(月) 13:03:16.22 ID:Hy6QotFQ
>>805 \ ∩─ー、 ====
\/ ● 、_ `ヽ ======
/ \( ● ● |つ
| X_入__ノ ミ そんな餌で基地P様が釣られクマ――!
、 (_/ ノ /⌒l
/\___ノ゙_/ / =====
〈 __ノ ====
\ \_ \
\___) \ ====== (´⌒
\ ___ \__ (´⌒;;(´⌒;;
\___)___)(´;;⌒ (´⌒;; ズザザザ
817 :
大滝秀治 :2012/11/26(月) 13:15:42.76 ID:StyDZY3k
>一代に対して、心から真面目に謝罪されるべきです。
反仏教の広義のスピリチュアリストとして、『同類、相憐れむ』は分からんでもない。
しかし、アー言えば、ジョー言う(上祐)。コー言えば、ホー言う(宝珠)からの評価なんかどーでもいい。
ペテロはキリストを三度否定した。
さてオイラ氏ことY氏は?
この件につき、これ以上アタシに言わせるつもりでっか?
ひとつ重要な聞きたいことがある。
>教祖自身がグルと崇めた「存在」の意図(示唆)に従って、
>盲目的な(意味が解らないままの)実践を行ってしまった、ということです。(一つの可能性としてね…)
>〇〇 〇2009-12-24 06:23:54
地下鉄サリン事件(1995年(平成7年)3月20日)のことだが、
『(麻原)教祖自身がグルと崇めた「存在」』とは何か?
818 :
大滝秀治 :2012/11/26(月) 13:19:33.40 ID:StyDZY3k
>>812 >よし良いだろw
ずいぶんと上からですね 優劣の差別ついてますねぇ
820 :
大滝秀治 :2012/11/26(月) 13:22:33.34 ID:StyDZY3k
訂正
× さてオイラ氏ことY氏は?
〇 さてオイラ氏ことW氏は?
大変失礼しました。
>>817 >地下鉄サリン事件(1995年(平成7年)3月20日)のことだが、
『(麻原)教祖自身がグルと崇めた「存在」』とは何か?
返信
自分ですね
822 :
大滝秀治 :2012/11/26(月) 14:18:56.92 ID:StyDZY3k
<『(麻原)教祖自身がグルと崇めた「存在」』とは何か?>
現在でもノウノウと生きている(方便) 中沢 新一 のことか?
823 :
基地P〜♪:2012/11/26(月) 14:35:43.80 ID:Hy6QotFQ
>>816 笑いの無い人生は墓無い人生だす!
南無 P〜♪ (^人^)
824 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 14:52:50.25 ID:k25Xe4Ou
825 :
大滝秀治 :2012/11/26(月) 15:51:47.31 ID:StyDZY3k
>>672 中沢新一(虹の階梯)やオイラ氏ことW(読みだからYでもいいが・・)氏の中心にあるのは、
真言秘密金剛乗 (タントラ・ヴァジラヤーナ) の教義
=<「悪業を積み続ける魂を救済するために殺害すること=ポア」テロを認める>だ。
それは業報輪廻転生のチベット密教原理主義であり、オウム真理教もその一派だ。
しかも、グルジェフやブラヴァッキーたちのチベット密教とプロテスタンチズムを結びつけた神智学協会の人種差別主義(レイシズム)が,
古代インドを侵奪しカースト制度をでっち上げた<アーリア民族(金髪と碧眼)の優位性(遺伝)>を唱えるナチズム=ヒトラーの超人思想を後援する。
神智学がヒンドゥ教の流れを汲むチベット密教と極めて親和性が強いのは当然なのだ。
もちろんその意味で、日本密教も本質ヒンドゥの成りすまし「仏教」であることは明らか。
その本質は神秘主義であり、広義のスピリチュアリズム(心霊主義)そのものであり、反仏教であることは当然だ。
826 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 16:01:00.13 ID:5uNke4G0
スタンス以前に論点つめてこいよ
同じことをアホのように繰り返しやがって
スレの無駄遣いだろうが
宗教の話を一般社会で共通の前提として話すのは
それがどの程度一般化しているかで考えるべきで
要は会話の当然の前提として話す相手をおもんばかってのことだろう
社会が共有しているなら必ずしも問題にならない
韓国人が日本沈める映画作っても内輪で自己満足したいだけなら
止めないだろ
アホが慰みに狂った映画作っとるでで済む
だが、それを受けて韓国人の危害意識に何らかの実質的な
影響があり、厳に竹島などについて行為に出たかなら
それに対する防御を考えてそっちがそういうつもりならと
対策を講ずる必要はある
しかしそれとてもう韓国人が反日的な映画を作るなまではいかんよ
だって、そうすることを止めることが
彼らの成長につながるとは思わないし
自発的な反省にもならんだろ
ただ日本人が韓国の社会で何らかのの阻害を受けたというなら
その賠償なり、日本人に韓国は敵愾心持っているからいくなとか注意をするなり
対策するだろうがな
もちろん、日本人が汚職など犯罪を犯したから
阻害されたというのでは対策する必要はないが
単に傷ついたとかその程度で大騒ぎすることじゃない
業報論は科学的モデル論同様モデル論としても十分適用できるものだし
それを悪く解する人間がいたところで
業報論までとばっちりを受けるものじゃない
根幹とそこから広がったものは一応区別すべきですね。
どこからかじるか?の差でもありますが。
828 :
基地P〜♪:2012/11/26(月) 16:28:58.37 ID:Hy6QotFQ
>>826 現実と妄想の区別の付かないやつだからほっといた。どーせまた気がふれたように噛み付いてくるだけだよ。
830 :
机龍之介@規制代行:2012/11/26(月) 16:51:16.13 ID:j18QbJfE
業報輪廻思想でスレッドが盛り上がっておるようですので、僭越ながら書き込みします。
輪廻思想の是非においては、是非がその人の人生において果して大いに左右されるものか?
これは生き方とか死生観がマルッキシ変わるのか?ってことですが・・・
これについて、
@大いに変わる
A多少は変わるんじゃないかな?分からん
Bああ、それは全く変わらんよ
ってのが、おおよその分類になる。
仏教の立場は、私はBかと思いますね。
(かくいう私は、昔は@でありましたが、今はBなのでありんす)
百丈野狐の不落因果・不昧因果の公案は、簡単なようで実は奥が深い。
不落因果の意味が、スコーンと胸から落ちるときがくる。
ああ、あの公案の意味はこれなんだな?ってのがあるんだよ。
だから私は業報輪廻については、殆ど書き込みしない。
つまり業報輪廻は全く生きるのに関係はない。
関係がある、と思い込むのは野狐だけだと思う。
(これは禅宗だけね、他の宗派は知らん)
>>830 なにを書いているかわかりませんが、人それぞれ一人一人違います。カテゴリー分けするクセがありますね。仏教のの教えを知ってる人一人一人違います。仏教の立場は解脱、輪廻しない。
832 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 17:10:13.75 ID:5uNke4G0
まあ、そういう人もいるからな
なんかあったんだろうね
障害で見た目が悪い子で知能はありそうだが
ひどい扱われ方をしたのか情操の発達が遅れてそうな子が
スカイプですげー中傷されてる動画みたことあるが
そのコメント入れているヤツにすげー腹が立ったことがある
それにそいつのこと考えると悲しくなった。
死んでもいいと思えるやつはいるもんだよ
でも、それで怒りにとらわれるなら
その障害者も結局自分のためにはならん
酷だろうが、一歩進まなきゃ中傷したやつと同じではないが
なんの苦も受けてないやつが普通に頑張ったのには勝てないよ
もし運命を呪って道理を曲げれば
結局中傷したやつと変わらん
自己正当化に躍起になって、他人を考慮しなくなる
何も考えず、無意識に生活するのは精神衛生上人間にとって
記憶力も向上して仕事もできるのかもしれんが
何も考えず、人を傷つけて生活したり、日本人は陰口たたくやつが多いが
そうすることは結局悪果を受けるだけだろうね
最近はとくに眉をひそめたくなるやつが多いが
自分たちの社会という意識が低いように思える
833 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 17:27:44.23 ID:5uNke4G0
真に因果を受け入れるということは
因果を意識しないっていう逆説だろ
あまり半可通は言わない方がいい
イチローのスイングはいちいち科学的に一瞬一瞬考えてスイング
しているわけじゃない。彼は虚心胆懐にスイングしているだけ
でも、その一振りのため彼がどれほど考え修正していったか
何も考えないことをいいと単純に割り切れるもんじゃないだろ
同じ屋根
あんたが不幸になると俺も不幸になるから不幸になるな
>>835 おれが幸せだとあんたも幸せ だから幸せになるよ
837 :
机龍之介@規制代行:2012/11/26(月) 17:33:55.28 ID:mHRlmrVH
>>831 輪廻するか?しないか?なんて、結局は分別ですから同義なんですよ。
それが輪廻といふ乗り物であっっても、輪廻という乗り物でなくても、
それがどういう乗り物なのか?と、問うなら、どういう名称であっても別に差し障りはない。
ただただ、人間はそのように生きることしか出来んのです。
キャデラックが良いか、それともホンダのNシリーズが良いか?
それは個人個人、好みが違うかも知れんね?
それだけの違いです。
>仏教の立場は解脱、輪廻しない。
私はあまり輪廻には関心がない。つうか、関心があるのは・・・
何かの原因があるかと思う。→輪廻転生観念ね><
禅では脚下照顧というのがある。
少し自分を見つめ直す良い切っ掛けになってほすい
>>835 あんたが幸せだとおれも幸せ だから幸せになってくれ
>>837 >輪廻するか?しないか?なんて、結局は分別ですから同義なんですよ。
それが輪廻といふ乗り物であっっても、輪廻という乗り物でなくても、
それがどういう乗り物なのか?と、問うなら、どういう名称であっても別に差し障りはない。
ただただ、人間はそのように生きることしか出来んのです。
返信
同意見」です。すいませんでした
>>837 >私はあまり輪廻には関心がない。つうか、関心があるのは・・・
何かの原因があるかと思う。→輪廻転生観念ね><
禅では脚下照顧というのがある。
少し自分を見つめ直す良い切っ掛けになってほすい
返信
自分は仏教が輪廻があるという設定の教えだと考えています。その上でその輪廻を断ち切るために仏の教え「仏教」ができたと考えています。
でも確かに今回の意見で輪廻に関心を持ったところで人生生き方が変らないことを再認識できました。ありがとうございます。
漫画の話ですが、アフタヌーンにあっかんべえ一休というのがあって
「全てを疑え 自分を信じろ」で終わったんですよ。そんだけです
842 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 17:56:35.18 ID:16RQ4u0e
>>837 私は仏教を学びだした当初は輪廻否定派でしたが、
しかし、輪廻思想は、自殺や犯罪やりたい放題の抑止力となりえるし、
また、業報思想は、理不尽な不幸にあったときに「まぁ、これも何かの業だろうな」と受け入れ、
明るく諦めて前に進めるような思考転換に使えるなら、有益だと思います。
さらに、業(功徳や罪業)を意識して自戒・自律の念につながれば、仏教的な善の原動力になります。
まとめると、輪廻などの思想は、仏教的な道徳には役立つと思うに至りました。
YでもWでもないと思う。
Hではあるだろうけど・・(エロ的な意味で)。
しかし、ID:5uNke4G0も、なんだかヘンテコなレスばかりだな・・w
そりゃ、「事実であろうがあるまいが甘んじろ!」というのも一つの見識ではあるけれど・・。
それじゃ、勝義厨と変わらんからなぁ・・・。 仏教は難しいのぉ・・ (´・ω・`;)
羽化する前にもがいてる最中の無様を○○厨と呼んでさげすむの良くない。
自分は他人の見識に評価を下す仏道の大家じゃないんだから眺めてるだけでよろしかろ。
>>844 また綺麗ごとを・・・w (^^;
将来どうなるかはしらんが、現時点では極悪非道なわけで、
その果報自体はあって当然なんだろ? 前世云々よりはるかに明確で実害が大きいんだが?www
>>842 >さらに、業(功徳や罪業)を意識して自戒・自律の念につながれば、仏教的な善の原動力になります。
私はこの業(カルマ)のことが分からんのです。
カルマを積む、とか、カルマの清算、とか。
何処に積むのか、誰かが計算して清算しちょるのか?どうも都合の良い話ですよね。
で私は、何処に積むのか?電卓とかあるのか?それさえ分からんもんを
信じることはないのです。
しかし人間というのは、確証がないもんを簡単に信じ込んじゃいますね。
今だかつて、カルマの積む場所と、それに伴う計算を考えた者はおらんだろ?
私は個人的には、カルマの積む場所は無いかと思います。
ましてやカルマの計算は無理かと思いますね。
これは観念の領域ですから、どんなことでも妄想はできる。
しかし人間は、妄想が行動原理ならば、既に妄想の奴隷でしかない。
(これはニーチェ論より)
★しかし、貴方の書き込みは肯定します。良いことです。
>>845 最終的には「あ、これ自分の手に余る腐りっぷりだ」と無力感を味わうだけやん?
人生のショートカットよ。
>>847 眺める以上を望み助けようともがいても、の話ね。
>>842 >仏教的な善の原動力になります
それで必要十分だと思う
>>846 「業や功徳は存在するのか」
という哲学的、かつ無目的な問題に対する回答として、釈尊は業や功徳を説いたのではないよ
842をよく見て
「業(功徳や罪業)を意識して自戒・自律の念につながれば、仏教的な善の原動力になります」
仏法は衆生を安楽に導くための乗り物なんだって
もし、「業や功徳は存在するのか」という問題を解きたいのなら、
仏教はお呼びでないよ
妄想という言葉を使っているが、その言葉を借りるなら、
妄想から解き放つために妄想なる言葉を仮に用いているんだよ
月で月はさせないから、指で月をさすように
指ばかり見てても、見解を持ってはそれに苦しんで終わるだけかと
他の言語か来ると最初は通訳が居ないわけですが
おそらく必死で相手を理解しようとすることで通じるんだと思います
>>842 輪廻思想は優劣、差別思想につながります
カースト
どうも仏教には、肉体と精神を別個に捉えてる節が
あると思うが実際の所どうなんだろ?
俺の予感では輪廻するのは、あくまで精神面のみと思うんだが…
例えば、障害者にしたって気質は千差万別だろう
>>817 >地下鉄サリン事件(1995年(平成7年)3月20日)のことだが、
>『(麻原)教祖自身がグルと崇めた「存在」』とは何か?
これが麻原本人から出た言葉なのかどうか・・・?
たぶん、これは残された弟子らによる推論の言葉ではないかと思われますが、
要するに、麻原による地下鉄サリン事件は高次の“御意志”に従ったものだった、
という意味なのでしょう。
その御意志とは、
当然、麻原が信仰し帰依していた対象であろうし、
その存在を彼は“彼にとってのグル(導師)”であるとして自ら崇拝していたということでしょう。
彼の教義の中では、その信仰対象はシヴァ(彼はシヴァ大神と呼ぶ)ということになっている筈です。
本当に彼、麻原自身にとってはシヴァの声として聞こえたものだったのか?
または、ただ勝手にシヴァ神のせいに自己責任を転換しているだけなのか?
という意味合いで弟子が推論している、と。
いずれにせよ、結果は魔境に陥ったものでって、発狂であると。
本当にシヴァ神の御意志だったなんてことは有得ませんから、
ただの麻原による発狂妄想とみるべきでしょう。
まっ、屈曲した精神で得体の知れないオゾマシイ信仰をしていれば、
本当に魔族に憑かれることもあり得ますが・・・。
>>825 >真言秘密金剛乗 (タントラ・ヴァジラヤーナ) の教義
>=<「悪業を積み続ける魂を救済するために殺害すること=ポア」テロを認める>だ。
そんなことを認めるわけがないでしょうが!!
あなたはその根拠を出せますか?
やるなら、引用付きで説明して下さいよ。
新しい参加者もいますから、ではまた、
お勉強のために『虹の階梯』から引用して解説でもしますか?
わたしは反論をについて説明できますが。
俺も『(麻原)教祖自身がグルと崇めた「存在」』とは何か?
については自分という答えが適切と思われる。
例えば、神でいうとその存在は自分の中で膨張したものであり、
他人の神と同じものではない。結局、神は自身が作り出した
偶像であり虚像といえる。
857 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 22:01:31.59 ID:C0wS8wA7
858 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 22:04:04.90 ID:16RQ4u0e
>>846 業は心の癖です。
たとえば、怒れば怒るほど怒り癖がつく、食べれば食べるほど食べ癖がつく。
で、輪廻は休みなしですから、生きものが死んだらまた生きものの世界にすぐ生まれるわけで、
つまり心の癖はいつも「この世」の現象として連なっています。
ざっくり言い直すと、業(癖)をうけ継ぐのは「この世」であり、
「この世」の構成員である私達が殺伐とすればするほど「この世」の殺伐度が上がる、
「この世」の構成員である私達が欲張れば欲張るほど、「この世」の欲張り度が上がる。
私が「この世」殺伐とさせたあげくに死んで、次の瞬間に生まれた赤ちゃんは、
私のせいで殺伐度が上がった世界に暮らすことになるので、「業を受け継いでいる」と言える。
859 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 22:11:46.09 ID:16RQ4u0e
>>851 ゆとり教育世代とその前の世代とでは、義務教育で身に付けた能力の質がちがいます。
これば事実でしょう。
ゆとり教育の話あくまで比喩ですが、生まれたタイミングによって「ゆとり教育」という業を背負ってしまった。
その直前までの世界の構成員がつくった世界の環境を、新たに生まれた者が背負うことになるのは事実。
ゆとり教育の問題は数年スパンの話ですが、
業は瞬間瞬間の短いスパンで上げ下げが激しい。
生まれた瞬間の世界の環境がその生の能力や性質に個性を持たせることになる。
これは、業(癖)を持たされて生まれた、と言える。
>>853 物質が因となって精神や感情を作ることも、精神が因となって物質を作ることもあるならば、
仏教的に突き詰めると物質と精神を分ける必要がなくなるんじゃないかな
つまり、物質が心を変えて、心が物質を変えるなら、心と物質というカテゴライズの必要がわからなくなる
もちろん、教えの中では色と識って分けるわけだけど
たとえば、識(精神)が因で認識対象(物質)が果としたところで、
「なぜ識が因だとわかる?」という問いには「だって認識対象があるから」と答えざるを得ず、
「それなら、認識対象が因となって識が果となるとも言えるではないか」となり、
識も認識対象もどちらが先かわからなくなる
ってかこのへん詳しい人おせーて
例えば、生きた牛を見ても「おいしそう」とはまず思わない。
西欧人はどうかしらんが…
ところが、料理した途端「おいしそう」に早代わりする。
もとは同じものなのに。
虚偽性が存在していると思われる。
だから、業の捉え方も千差万別で仕方ないと思われる。
虚偽性を廃していけば、あるいは真に迫れるかもしれない。
>>673 宝珠愚者氏
>つまり、原点回帰ですよね。
仏教抜きですと私はかなりリベラルさ重視ですね。現実の経済社会というのはそういうものかと。
一方、仏教については、私は「保守」というよりも、それは革新側の人から見たらそう見えてし
まうだけで、仏教(仏法)自体は超時代的、超時間的なもので、それ自体に歴史的経時的効果は
ないと考えています。だから、進化とか進歩とかいう発想は当て嵌らないと。
863 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 22:25:02.47 ID:C0wS8wA7
>>860 因も果も五蘊も仮設でんがな、
どれも縁起、x と仮設(ラベリング)されるだけ
これは『勝義空性経』に説かれてるよ〜
なんとデレク・パーフィットが引用してた、世親、シチェルバツコイの玄孫引きだけど
864 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 22:28:09.27 ID:16RQ4u0e
>>860 虫の肉体(物質)を持って生まれた生き物を生まれる瞬間に遡って考えてみたとき、
彼は、「生まれたい」という渇愛によって生まれた。
彼は、「虫になるならば生まれたくない」とは考えず、
「虫になってもいいから生まれたい」というエネルギーを以てして生まれた。
障害者も病人も貧乏な家の子も、生まれる瞬間は
「条件なんかどうでもいいからとにかく生まれたいんだ」というエネルギーの塊であった。
そしてみごとにめでたく生まれたんです。
「こんな家に生まれて不幸だ」とかは、後付けの愚痴です。
世界全体を見渡して、生物の分布・勢力図は変わっていきますが、
これは、この世に流れてる業の変化によって変わってきている。
人間が増えるということは、平均的には人間となる業が多くなっている、
しかし、根本的には畜生でもなんでもいいから生まれたいんだ、という渇愛の塊が核となって生まれる。
>>859 自分はすべての人の価値は平等=価値がないとの考えです。
言われるとおり能力の差はありますが個性だと考えます しかしそこに価値は存在しない。そう考えます。
輪廻の考えを入れるとそこに理由(因果、業)が入りそれに価値を付けがちです。それが問題だと考えています。
その理由から「輪廻思想は優劣、差別思想につながります」 こう書きました。
866 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 22:38:55.77 ID:16RQ4u0e
「とにかく生まれたいんだ」の渇愛の塊を生んだのは、それが生まれる以前の世界の業たち。
そして、「生まれたいんだ君」が貧乏な家に生まれたとして、
その「貧乏な家」を創ったのも、それ以前の世界の業たち。
一応、「生まれたいんだ君」にとって生まれることが幸で貧乏が不幸だとしても、
幸も不幸もおなじ黒幕(「生まれた君」以前の業たち)が仕掛人なわけ。
そこを総合的に理解するならば、
「あの時、第一幕でこんなひどい舞台にしたあげくに、
第二幕に再び出たがった私、がいたんだから、まぁ仕方ないわな」
と納得できる。
>>863 どうもです!いやー、諸法は仮説なんだろうなーと思いつつも、
「仏教は唯物論と唯心論のいずれにも偏らないのだとしたら、それってどういうことだろう」
っていうことを改めて考えてみたくなって…
「これあれば、かれあり」の「これ」と「かれ」には、物的なことも心的なことも区別なく代入できる、
つまり、どちらも同じ無常・虚妄なる法でしかないから、殊更に唯物だの唯心だの分けて言う必要はないのかなー
って考えたんだけど、あってますか?
しょーぎくーしょーきょー見てくる 漢文よめないけど
>>864 ほほう…
868 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 22:49:27.72 ID:16RQ4u0e
>>865 (仏教的な・四諦説に基づく)優劣を認めた上で、
優れた癖も劣った癖も次の世に相続されてしまう(業報)と思って、
劣った(悪い)癖を積まないように、優れた(善い)癖を積むように心がけねばなりません。
今、生きているということは、癖を積むチャンスのバトンを持っているということ、
バトンを握っている間は、責任は自分にあるわけで、過去の選手に愚痴ったりしてる場合ではない。
次の選手により善い状態でバトンを渡すこと、ただそれだけでいいはず。
他のチームの選手に対しても、その選手の前の走者が悪かったからあなたはそんな位置を走ってるんだとか、
それは事実であっても、今走っている選手をけなす言葉としては的外れなのは明らか。
どんな状態でもらったバトンでも、今・ここで懸命に走っていれば讃えられるべきだし、
今手を抜いたら次の走者にひどいバトンを渡すことになるから気を付けるべきである。
>>855 縁起一代氏が否定する本ではあるが、正木晃『性と呪殺の密教』に
そういう記載はある。
>>853 (一代風に言えばw)、それこそが、
(西洋的実在論に依拠した)『固定的永続的“実体”が、存在の本質である』という顛倒なわけです。
それは、断滅ではないけれども、【固定的】精神の(→魂の、霊魂の、アストラル体の、真我の)永続なわけです。
縁起や無常を離れてしまっているわけです。
精神が(そのまま変わらず)輪廻するのではなく、
「業により新たに生じ続け、そこに、前生との関連が現れている」というのが、基本構造となっている筈です。
ああ、でも
>>865は聡明ですね。
冷静にそこを見透せる人は、なかなか居ません・・・w (^^;
>>866 業論がある以上はそこに選択性があると思います。
過去生があるとすれば業の作り出した空性が現世に直結するのでは
ないでしょうか?
つまり作り出した擬似的環境に生まれると思います。
建物や自然などの一元的環境であり、金持ち貧乏が直接的には
作用せず、親となる人間にも無関係に作用すると思います。
過去生がないとしても業となるものは選択性のあるもので、
チョイスする空性によりその後の空性に影響を与えるものと思われます。
それはそれで意味のあるものと思います。
人生においてチョイスしないという選択肢はないわけで、空性を抑える
ということが仏教だと思います。
>>867 賢いねw
そう。 心とか物とかを別する必要はない。(名色と括られる所以だ。)
いずれにしたって、如何なるものも所縁によって現じているものだから。
人は、どうしても「物の変化、物の生滅、具体的栄枯盛衰」から考え、それをベースにし、
それこそが「無常」の象徴と思いがちですが、実はそうじゃない。
心の動きも、感情、想い、思想等も、自分という思いも、同じように因により縁により生じ現れているものなのに、
そのことにはなかなか気付けない。 茶碗が割れたり、氷が溶けて無くなることは理解できても、
人の感情が、想いが、心がそうであるとはなかなか思い至れない。
(だから、恋人の心変わりに一喜一憂する。子供の進路選択や友達付き合いに、戸惑い、驚愕する。)
本来は、心的事象についてこそ言われねばならないのに、
心経「色即是空」の弊害により、殆どの者が「物質的な無常」にしか目が行かない。
嘆かわしいことだ・・・。
873 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 23:23:24.91 ID:C0wS8wA7
>>867 >どうもです!いやー、諸法は仮説なんだろうなーと思いつつも、
>「仏教は唯物論と唯心論のいずれにも偏らないのだとしたら、それってどういうことだろう」
>っていうことを改めて考えてみたくなって…
いいですね。それは縁起です。縁起とは「これあらばこれあり」と仮設することです。
>「これあれば、かれあり」の「これ」と「かれ」には、物的なことも心的なことも区別なく代入できる、
「これ」は法で、変項みたいに言い習わしの意味分節にそって記号づけられます。原語は「かれ」でなく「これ」です。これというのは直接指示できるダイクシスのようなものだと考えます。
この辺り指示理論に接近しますが、違いは空性か実在かだと思います。
>つまり、どちらも同じ無常・虚妄なる法でしかないから、殊更に唯物だの唯心だの分けて言う必要はないのかなー
そう。実在論や本質主義だと、何らかの基体、アルケーみたいなものを想定するから、それに還元して唯物か、唯心かみたいなものになっちゃうんだけど、
縁起はそれを認めません。唯識も仮設を認識に変換したようなものだから、最終的には心も空なのが本来。
>って考えたんだけど、あってますか?
>しょーぎくーしょーきょー見てくる 漢文よめないけど
はい、だいたいあってます。取り敢えずこれをどうぞ、分かりにくいけど。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html あるいは、これも難解だけど
http://ja.scribd.com/doc/32972938/
874 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 23:31:53.69 ID:C0wS8wA7
>>869 その本は酷い。
確かに空性、菩提心に基づけば説かれる。
しかし、それは空性を体験し菩提心に基づくものという前提がある。
ここが難しい。
密教というのは儀礼・現象の問題ではなく、認識・心の動きを変えることが本質なんで、空性と菩提心に基づかないものは単なる呪術、魔法の類。
そこを見ず、単に現象だけ見ても密教は分からない。
空性を体験してない人には認識的に隠された如来秘密という意味で、密教なんで、
秘密の奥義とか、秘儀とかいうものではないです。
それとオイラは密教基づくことは、基本的にここで語ってませんよ。
密教は師匠から習うものなんで、言葉では伝わりませんから。
空性というのは仏教にとっては悪い意味であり、根絶が求められる
菩提心というものはなく、何々心というものもない
自分自身が今現在持っている心がそれである
しかし、それはそれで移ろうものであるが…
だから心の成長と繁栄が説かれるものであろうか
>>857 >なに H だと、まあ変態ではあるな、自らエロオヤヂであることは認める
オイラ氏にくだらない事を、割りと真面目に聞きたいのだけれど
修行僧の人って、性的な煩悩をどう処理するの?
セックスは、だめにしてもオナニーくらいはするよねw
あと、ゲスな本とかだと、昔の坊主は、ホモが多かった説見たいな事も囁かれてるけど実際どうなん?
877 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 23:47:08.05 ID:5jemVdjI
稚児灌頂というそれはそれは冒涜的で怪奇な風習がガチで行われておった。
878 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 23:47:35.81 ID:C0wS8wA7
>>875 いや、空性は悪いものではないよ。
菩提心は無いのでも有るのでもない、四句分別を超えた空性で本来の状態をいうけど、
行中に行う場合は、それを意識的に真似るというか癖を付けるわけ。
ゆうなれば本来まっすぐな身体が、変な癖で歪んでる。
それをを本来のまっすぐな身体にする癖をつけて、最終的には自然にまっすぐになる。
879 :
神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 23:59:47.73 ID:C0wS8wA7
>>876 すまん。オイラかみさんいるは。
だけど三年ぐらい射精もしてないよ。
日本の坊さんは、基本的に一般人と一緒ですね。
チベットだと色々。
ビクは基本的に清浄持戒です。そしてそういう僧はいいかんじですね。
ガッパは自由です。こっちもいろいろですね。
総じてチベット人、インド人、ネパール人あたりは、西洋人や日本人と違ってエロに狂ってないかんじで淡白な印象があります。
>>878 空とは、その通りで変な癖で歪んでるものを指し
歪曲性の意味で俺は空性をとらえている。
真っ直ぐが身体のバランス的には正解とも思うが垂直というわけでもなく、
まぁそんな感じが正しいということになる。
空性の最たるものとしては、やはりオカルトだろう。
例えそれが事実としても、愚を語る意味がどこにあるのだろう?
>>880 何だ?コイツw
あれか、いつも笑ってる人が、「呼び込んじゃった!!!(汗」と平身低頭していた人物か?
なら、納得って感じだが・・。
>>872 \(^o^)/ワーイ
前にも、お世話になりましたね。(そのときも賢いねwって言われたような…)
コテハンつけてくださいよ〜。一代さんはあの独特の改行でわかるんですけどw
「色即是空」は「法即是空」とすれば原意に近い感じですかね?
>>873 いつもありがとでーす
正直、仮説とか言われてもしばーらく何のこっちゃ状態でしたけど…
xは非xでもってxとする、西洋が定義された常住なる名辞から命題を作ること、「そのように思ってもそうでないものなってくる」の虚妄さ、
俗真の二諦、仮有は不有をあらわす、滅は大乗では不生と言われる…等などのことから、ピカーンってきましたわ!
でもこれらのことを、何も知らない人に1から説明すると大変そうっすね…
883 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 00:08:25.28 ID:ilYVHQww
>>879 >すまん。オイラかみさんいるは。
>
>だけど三年ぐらい射精もしてないよ。
つまりここ最近はラーマクリシュナとその嫁みたいな関係性なのか。
>>879 そうなんですか〜セックスなしの夫婦関係って晩年のカンジーでも目指してるんですかw
密教って聞くと、おそらくごくごく一部の人なのでしょうが、クンダリニーとかタントラとかを
イメージしちゃうんですよね。松長 有慶の本の影響も大きのでしょうが、糞だらけの神殿とかw
稚児灌頂も真言宗とかで有名ですし。密教的な流れなのかな〜と勝手に想像シちゃってます。
まあ、表だってはまず関係ない上に、ごくごく一部の話なんでしょうけど
空性とそれを生む縁起は割とどうでもよくなった
では自然な真っ直ぐな形としての中道はどうなのか?
模倣から入るのも自然な形とも思うが、
個人の形態は画一的ではなく、背の高さ等に合わせた
自然の個性がプラスして加味されなければならないだろう
>>881 それほかのスレでパーピマンてコテハンつけてるやつだよ
>>885 中道は、必ずしも“自然な”ものであるとは限らんよw
それは、両極の真ん中とも限らない、という意味でもある。
>>886 嘘をつくな嘘をwww
彼のことなら良く知ってるw
>>887 ホレ
QUAECUNQUE SUNT VERA 〜すべて真実なこと〜Yより
240 名前:パーピマン[] 投稿日:2012/11/26(月) 00:52:16.52 ID:Fo4NdFQE
wwwwww
う〜〜〜〜〜〜〜ん、
今日も元気だ、隠居がムゴイwwwwwwwww
810 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/11/26(月) 11:51:13.40 ID:Fo4NdFQE [21/23]
>>807 >ID:Fo4NdFQEはひでえやつだけど・・・・・・・・・
どっわっはっはっは」〜〜〜〜〜〜〜〜
あったり〜〜〜〜〜〜〜wwwwwww
>>888 いやw だからw いつも笑ってる人がパーピマンなのwwwwwww
で、彼は880みたいな内容のレスもしないし言い回しもしないの。
だから、880は誰なのかな?って話。
890 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 02:04:40.98 ID:u0Ijt+ZW
>>846 遅くなりましてすみません。
そうですね
業論は数値化できません。
定量的に測れるものではありませんから
身近なことから経験で推し量っていく以外に
確かめようがないです。
ただ果があれば因があるはずだからと
類推して論としていますから
ある程度の妥当性はあるのものです。
しかし、たまに理不尽と思えることはあるもので
その場合は、原因を無限のかなた(前世・来世)に追いやることで
辻褄を合わせているのでしょう。
その意味では、やはり信仰であり
信じるか信じないかになります。
まあ、もし業の流れを把握する者がいれば
正しいものかもしれませんがね
また縁という要素も入れて因縁果ともします
真宗では救われない者が救われるという矛盾を抱えて
いますが強縁というものを立てますね
それが唯一の例外ですが。
ともかく、少なくとも私としては真偽不明ですので所詮信仰の範疇です
内容を限定し確認可能な部分を抽出する
科学的モデル論とは一線を画すというべきでしょう
さて、業論はモデル論としてはこれで問題なく
またこのモデル論自体、善悪で割り切れるものでもないと思います
891 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 02:05:35.49 ID:u0Ijt+ZW
また、業論の趣旨は心の動きを観察し、自分の心の表れが
どこからくるか探していくことですので
原因を前世に見つけることは主眼ではありません。
むしろ、現在の心の動きと行為、結果の短期間の因果を
学ぶために補足としてあるというべきでしょう。
惑・業・苦と言いますが
業を作れば、苦は避けられず、苦は必ず人を惑わしますから、
この輪廻を断ち切るには惑と業だけです。
人が運命を乗り越えるのは惑に打ち勝つしかないと見る
簡単なものです
戒・定・慧がこれに対するものであり
つまり四諦のあり方へと導くことになります。
すみません、今日はもう落ちます。
892 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 02:31:22.72 ID:KqSoOZvG
このスレは、すっかり「カルトスレ」に成り果てたな。カルトの一代氏に、
カルトが群がってくるからだろう。
>>892 w
常識的な他のスレから(非常識な)貴方を隔離するためのスレなんですけどね・・・(^^;
894 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 07:18:53.21 ID:cExDb3zL
>>880 う〜ん、なんか勘違いしてない?
テキストに戻ってみよう
>>882 コテはいやなんで勘弁してください
そうそう。法即是空っていいかもしれませんね。法が変項で一切法が代入できる。
>>883 そう。もっと前からだけど。
篭った後からハッキリ覚えてる。
それ以降、基本的に性欲も収まったし、射精しないって決めたんで覚えてる。
やっぱ習慣なんだよね。酒もインド行って止められたし。
年もあるだろうけど。
>>884 カミさんはずっと前からしたくないんで、別にそういうわけでは
ただ射精しないとエネルギー的によくて疲れないし頭も冴えると思う
稚児灌頂は天台宗ですよ
>>893 ワロタ
走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、
「世間における一切のものは虚妄である」と知っている修行者は、
この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
これこそが真ではないだろうか。即ち輪廻転生は虚妄である。
涅槃も虚妄である可能性が高い。
真実は遺伝子そのものであるといいたげな節がある。
故に、感覚器やもろもろの心の作用に拘るのではないだろうか。
では涅槃は何を指すのだろうか。
それはノスタルジアが正解に近いと思う。
896 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 07:36:13.24 ID:cExDb3zL
>>895 ちゃうちゃう。虚妄はいいとして。
真実が遺伝子はありえない。
遺伝子も虚妄に他ならない。
>>896 いや、2600年前当時のインドに遺伝子の発想があっただろうかということ。
悟りとは思考の罠からの解脱を指すものと思われる。
898 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 07:42:09.36 ID:cExDb3zL
>>897 テキストに添った方がいいと思うよ
推論はおうおうにして妄想だから
釈迦が人間だというのは忘れてはならない視点だ
>>898 それと一応示した通りテキストに沿った考察だが…
901 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 07:56:52.53 ID:cExDb3zL
>>895 遺伝子はこの世のものか?あの世のものか?
>>857 >そんな人、相手にするな
>妄想で騙ってるの明らかだから
了解!
>>869 私は、
その本は内容を知らないので何ともいえませんが・・・
ただ基本的に密教の教えとして、
“人を殺害してもいい”というのはない、それが私の理解です。
まー確かに、密教を用いた呪殺というのはあるようです。
密教僧が勝手に特定の個人に対し、
もうこれ以上、その人が悪業を積むことがないように(その人と周囲の為を想い?)殺害してしまおう、
という慈悲の呪殺なる行為を執り行うことがあるらしい・・・。
また、歴史を紐解けば、密教とて国家権力に利用される道具であり、
政治目的において特定の武将や皇族を呪殺するよう命じられる場合があった。
ただし、それは用い方の問題であって、
あくまでもそれが密教の教えであるということではない。
また・・・「宝珠が密教による殺人を肯定した」
などという馬鹿が現れるといけないから、ここらで辞めておきまーす。
904 :
机龍之介@花押:2012/11/27(火) 09:11:10.29 ID:GJ6q7QG2
>>858 >私が「この世」殺伐とさせたあげくに死んで、次の瞬間に生まれた赤ちゃんは、
>私のせいで殺伐度が上がった世界に暮らすことになるので、「業を受け継いでいる」と言える。
そうですか?なんかユニークな書き込みですね。
貴方のせいで「この世」が殺伐としちまうものですかね?
そんなに自虐的にならなくても良いかと思いますが、どうでしょう?
私は「この世」とは、ただ太陽が東から登り、太陽は西に沈んでいくだけかと思います。
っな、っなんとこの世は素晴らしいじゃないか?って感じる人間もいるかと思います。
しかし貴方は、太陽が東から西に沈むことでもセンチメンタルに考えてしまうのですかね?
>業は心の癖です
これも業(癖)ですかね?
>>890 >ただ果があれば因があるはずだからと
>類推して論としていますから
そうです。人が死ぬというのは、生きることが終了するから、死ぬ。ですが
生きている人間は必ず死ぬ訳ではない。ってのが因果ですね。→(因は後から付いてくる)
だから因果と輪廻転生論は論理的矛盾を引き起こす。
(正法眼蔵、および中論に詳細は書かれてます)
中論三時否定。
905 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 09:29:42.50 ID:8/rXHYwM
ありゃ? 机が来ているwwww
しばらく見んかったし、癌とか言ってたから、死んだのかと思ってたww
まあ、なんにせよ元気そうで祝着、wwwww
906 :
大滝秀治 :2012/11/27(火) 11:32:23.20 ID:cMi6yi92
今朝の釜ヶ崎は寒かった。
いよいよ、厳しい季節が来る。
>>854 コー言えばホー言うの宝珠
これからも間接現実仏教内レイシズムとは対抗してゆくので、よろしく。
>ただの麻原による発狂妄想とみるべきでしょう。
麻原彰晃はその<教義>においてまったく正気・正常・計算ずくだったというべきです。
そして、オウム真理教の「タントラ・ヴァジラヤーナ(真言秘密金剛乗)」に代表的なチベット密教の
最過激な教義を作り上げた黒幕が、現在でも無責任なご都合主義で生きている【中沢新一】その人です。
麻原にとってグルとは、シヴァ神でもなんでもなくて中沢新一です。
http://www.youtube.com/watch?v=2H4FLYKS4GU
907 :
*真言密教のポア思想(理趣経) 大滝秀治 :2012/11/27(火) 11:39:31.73 ID:cMi6yi92
>>855 宝珠
>そんなことを認めるわけがないでしょうが!!
>あなたはその根拠を出せますか?
どこの反仏法の馬鹿坊主が書いたのか知らないが、真言密教の中心経典「理趣経」に以下のような、
アサハラが泣いて喜ぶ以下のような、大日如来というバケモノが説いたというカタチで、邪悪な文言・寝言が書き連ねてある。
ポアの思想である。
結論から言うと、アタシに言わせると、この大日如来というバケモノは悪取空そのものであって,
>>148の批判を正面から受けねばならない。
大日如来は殺人罪の共謀共同正犯として死刑を言い渡すべきである!
・二段 (覚証の法門) 大日如来の巻より
金剛手 若有聞此 四出生法 讀誦受持 設使現行 無量重罪
必能超越 一切惡趣 乃至當坐 菩提道場 速能剋證 無上正覺
( 金剛手菩薩よ。もしあなたたちがこの四つの悟りを生み出す法を聞いて、
これを読み誦え、身に保ち持っていたならば、たとえ今ここで数えきれない重い罪をなしたとしても、
必ず一切の地獄に墮ちるという報いを超えて、そのままで無上正等覚(さとり)を証することであろう。)
・三段 (降伏の法門) 降三世明王の巻より
金剛手 若有聞 此理趣受持 讀誦 設害三皆 一切有情 不墮惡趣
爲調伏故 疾證無上 正等菩提
(金剛手菩薩よ。もしあなたたちがこの「悪にその性なし」という理趣を聞いて、これを読み誦え、
身に保ち持っていたならば、たとえ三界の一切の生き物を殺したとしても、決して悪の報いを受けて地獄に墮ちることはない。
それどころか悪しきものを調伏(うちなび)かしたことの果報を得て、速やかに無上正等覚(さとり)を証することであろう。)
908 :
密教タントラ・ヴァジラヤーナ 大滝秀治 :2012/11/27(火) 11:45:51.72 ID:cMi6yi92
>>855 宝珠
秘密金剛乗 五仏の法則
(真言宗の金剛経などにも見られる教えだ)
(1)金剛の一族に属するものは殺生を行うべきである。
(2)剣の一族に属するものは真実でない言葉を語るべきである。
(3)宝珠の一族に属するものは他のものの財産を盗むべきである。
(4)蓮華の一族に属するものは他のものの配偶者を盗むべきである。
(5)宝輪の一族に属するものは酒と諸仏の明かり(五肉と五甘露)と
あらゆる良き対象によるべきである。
“鉞の一族”に属するものは、最低のカーストに属する女性の
最も汚い部分をあざけるべきではない。
あなたはこの身と富とを命あるもののために捧げるべきである。
あなたは自分本位にそれを持つべきでない。
ああ、良き一族に属する子よ。
勝者は、あなたはこれによって仏陀になるであろう。
そうでなければ無数の劫をへても仏陀にはなれないであろう。
909 :
オウムと密教と神智学 大滝秀治 :2012/11/27(火) 11:58:06.66 ID:cMi6yi92
910 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 11:58:25.95 ID:u0Ijt+ZW
>>904 これまたかなり先からものを
言うのですねえ
不落因果のときもそうでしたが
実時と仮時の概念ですね
しかし、そうやって因果を否定するのは野狐ですよ
確かに時間の流れというものは
人間が作ったものです。
昼の12時というものを作るのも分別ですから
しかし、世の中には周期というものがありますから
それを否定するのもやはり愚かです。
計画を立て、ことに臨みましょう
たとえ、現実が単に今の連続であってもね
911 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 12:01:39.30 ID:cExDb3zL
分からないことは、分からないままにしておこう
ちっぽけなエゴを護るために密教を誹謗するのはやめよう
護法尊と業は容赦無いぞ、その時後悔しても遅い
と一応言っとく
913 :
オウムと密教と神智学 大滝秀治 :2012/11/27(火) 12:13:29.04 ID:cMi6yi92
>>911 >護法尊と業は容赦無いぞ、その時後悔しても遅い
オイラ氏、まさにホンネ剥き出しですねw
あなたの成りすまし仏教のコロモの下のポア本質で、脅迫そのものだぜ!
警察に通報しましょうか?
914 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 12:15:14.58 ID:rg23+5XQ
>>911 そういう脅し文句を言うから批判される。君にわかるかなあ。
915 :
オウムと密教と神智学 大滝秀治 :2012/11/27(火) 12:35:43.77 ID:cMi6yi92
>>672 宝珠
>一代に対して、心から真面目に謝罪されるべきです。
>>911で、本人が思わず自白してしまったけど?
アタシを得意のポアするらしい。
坂本弁護士一家殺人事件みたいなのかな?
これからは、地下鉄のホームでは壁に背をつけて待つことにする。
>>911は、自分が何を言っているか、わかったうえで脅している。
これはまずいよ。そう思わないとしたら重症だ。
早く大滝さんに謝った方がいい。
彼が、真に真言密教の徒であるなら、当然の台詞と思う。
オウムが“それ”を利用・援用していることは事実としてあるにせよ、
そのことで、(真言)密教の矜持を放り捨てるわけにはいかんでしょうよ。
それは、たとえば、浄土系が浄土を否定するようなものでしょう。
或いは禅宗が坐禅を捨てるようなものとも言えるかもしれません。
918 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 12:56:09.23 ID:P3fxP3IE
オウムとともに、キリスト教を忘れてはならない。史上そして現在も、
キリスト教が殺した人間の数は、オウムとは桁違い。
中国最大の内乱である太平天国の乱(その名が示す如くキリスト教)に
おける推定死亡者総数は5000万人!!
麻原も、キリスト教の影響がなければ、あそこまではやらなかった。
ハルマゲドンは、聖書の言葉である。
>>917 それだったら余計まずい。真言宗全体がポア妄想になってしまう。
>>918 盗聴事件の創価も、闇の部分があると言われているね。
いやいやいやw
関連性の有無、実際の社会的問題、影響力の有無等はともかく、
今の流れは、【わざわざ】キリスト教に話を振る必要ないでしょう?w
この辺が、隠居の病的なトコなんだよな・・。
どうしてもそこへ持っていかないと気がすまない。
「ちょっとちょっと、俺はこう思うんだけど!」
「ごめん。今その話してないからw あとでね(´∀`)b」
って感じか・・・。
ま、重要な問題だとか、密接に関連してるとか、
そこの話を避けようとしてるだとか、また色々言うんだろうけど・・w (^^;
921 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 13:16:03.95 ID:P3fxP3IE
>>920 >今の流れは、【わざわざ】キリスト教に話を振る必要ないでしょう?
同じく超カルトである釈迦仏教とキリスト教との共通点の分析なしには、
宗教の病理の解明は不可能。
922 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 13:20:56.97 ID:rg23+5XQ
隠居の喩え話(時間のコマ切れ? 時間よとまれ、刹那滅)は、
素粒子の構造を考えると絶対にありえないと思う。
素粒子は粒子に比較したら空間があまりに大きい。
そのため、時間を止め、運動を止めると、空間が引力によって潰れ、
この宇宙がブラックホールになってしまう。これは虚無ですね。
923 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 13:45:12.25 ID:9KgPfpUS
924 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 13:45:20.56 ID:cExDb3zL
>>917 気にすんな、ほっとき
単なるクレマーだから、なるようになるっしょ
以後、分かる限り完全スル〜するは
925 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 13:45:24.31 ID:P3fxP3IE
>>922 コペンハーゲン解釈が、「人間の観測による収縮」という、「根拠の
ないことが分っている概念」を導入しなければならなかった「根拠」を
考えてみよう。
アインシュタインの偉大さは、「観測者としての人間」を設定した
ことにある。彼は「この世は人間界である」という究極の基盤を、忘れ
てはいなかった。
926 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 13:56:31.28 ID:rg23+5XQ
>>925 デカルト「我思う。ゆえに我あり。」なのか、
アル・ガザーリ「我あり。ゆえに我思う。」なのか、
よく考えてみよう。
927 :
机龍之介@花押:2012/11/27(火) 14:50:19.51 ID:GJ6q7QG2
>>910 >しかし、そうやって因果を否定するのは野狐ですよ
百丈野狐の公案は、因果を否定している訳ではなくて、
むしろ因果についての本質を突いた公案ですから、
ネットで調べたくらいでは、どうしてもその本意というのは掴めないです。
簡単に説明しますと、否定とか肯定とかの分別に既に迷いがありますから、
その「迷い」についての公案です。
人間は余計な観念を挿入しちまうと、その観念が「迷い」の因となる。
というもんですから、
これはどうも説明のしようがない。
観念をとっぱらっちまえばいい。と、簡単に言う他ない。
非常に高度な公案です。
ではオチ。
野狐も野狸も単なる比喩じゃよ!
吹き抜ける風の如しじゃ。(^。^)y-~
929 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 15:46:58.09 ID:P3fxP3IE
外部者から見れば、このスレで「日本の仏教者」らしいのは、机師だけ。
その他は殆ど「釈迦カルト」。
机師の前コテは「髑髏仮面」。2ch切ってのカルトバスター。机師で
脱洗脳されたカルト信者も多いはず。「それにて調う」の名文句が懐かしい。
930 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 15:49:27.03 ID:u0Ijt+ZW
>>927 禅の失をあげるとすれば
道徳という人間間の因果を軽視しやすいところかな
ただ今に集中すればいいとなりやすい
色即是空でとまる
それは一つの真理だが
そうすれば、人を殺しても心が空なら
無罪となりかねない
野狐が畜生なのもそこから来ているのでしょう
畜生は生きることしか考えず
目の前の生活に躍起ですから
しかし、人間は他人という鏡から己を振り返ることができる
天上界でもなく人間界でしか悟れないと言われる由縁です。
しかし、野狐が因果を省みれば
何になったかという考えは愚問です
それは視点を変えて因果にとらわれることですから
因果を立てたところで
私たちは今この時に生きることは変わらないはずで
今を一生懸命生きなければならないからです
この質問に答えることは出来ないのですよ
頬を叩く以外にね
しかし、それを知りながら
あえて質問した。
師匠を試す形になったのですよ
今を生きろと喝と手を叩くだけでも良かったですが
頬を叩いたのはこいつめと思ったからでしょう
私はそう見ますが
931 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 15:51:14.57 ID:u0Ijt+ZW
だから、師匠の喩え話ですから
真に受けて答えるのは愚答ですが
仮に狐となれば、狐を真剣に生きざるを得ないでしょう
煩悩にまみれた人間が人間のまま生きるように
それにとらわれず
またを受とめて生きるのが大乗ですから
まあ狐には他をおもんばかる余裕はないですがね
932 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 16:14:03.99 ID:ETrPTDJR
933 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 16:34:11.96 ID:cExDb3zL
>>932 現代日本はこんなもんでしょ。
いいじゃん、楽しそうで。
934 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 16:57:31.80 ID:P3fxP3IE
>>932 近頃、これほど笑えた、楽しいブログはなかった。
「日本仏教」の素晴らしさ、奥深さを、マジで実感できた。このお坊さんこそ、
「悟られた」のだと思う。
935 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 16:58:32.40 ID:cExDb3zL
臨済宗と聞くと、一周回って何やってもおk見たいな感じは受ける。
所詮中国発祥と言った所か
937 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 17:10:21.41 ID:P3fxP3IE
>>935 倒錯と感じるほうが、「人間として」倒錯である恐れがある。
>>907 密教は文字では伝えられない。君みたいに誤解する人がいるからだ。理趣経のみで密教を判断するのは間違い。三密を理解しないうちに判断しないようにしましょう。
>>930 仏に会えば仏を殺し、父母に会えば
父母を殺す。これが仏教の原点なり
DMCのsatugiを聞きなされ!
どんな言葉の教えも悪用可能。言葉は人それぞれの解釈になる性質のもの。それを密教は理解しているから三密の教え。それを理解してください。
941 :
机龍之介@花押:2012/11/27(火) 18:05:22.33 ID:lhhORYLN
>>930 こういうことが因果なのか?こういうことが因果ではないのか?
などの質問は、つまり因果に囚われた質問ですね。
これはどっちみち迷いでしかない。
仏教は中道ですからね。そこが悟りなんです。
禅でいう因果とは、そういう分別より離れた因果です(そう説明する他ない)
つまりこういうことですね。
@大川隆法はブッダだと知っていた。
A大川隆法はブッダだと知らなかったが、今それを知った。
さて@とAはどちらが正しいか?と問うようなもんです。
つまり禅の公案といふもんは、@にもAにも当て嵌まらないことが殆どなのです。
そういう場合は答えようがないですから、もう頬を叩いたりして理屈は通用せん世界なのです。
喝を入れるとかアタマを覚醒せんと・・・どうにもなりません。
ようするに、不落因果も不昧因果も、その文字通りを解釈しても駄目なんです。
その文字を通して悟らんと駄目ですね。
これを透過といいますけど、この透過するには大疑団が必要です。
つまり因果について徹底的に疑問をもつのです。
しかしこれは否定することと意味が違いますね。
疑うにはそれに足る推論が必要ではないだろうか?
>>901 大家ドゥ・ヨングというのは人間か否かである。
人間であるならば、その言は虚妄ではないだろうか?
一切のものは虚妄であるとすれば釈迦以前の業論が虚妄になる。
流れが因果の流れになっているが、業=因果なので因果も虚妄になる。
即ち悟りにおいては、なんでもありの無分別が発生するということになる。
それではいかんということでの後付けなのが縁起の法ではなかろうか?
無論、これも虚妄性を持つのは釈迦も承知だろう。
殺人を始めとする悪の防止の理由付けが必要だったと考えられる。
依拠がない故の選択として選んだのが慈悲の心と捉えられる。
事実とは一切が虚妄であり一切皆空ということ。
虚妄も空も無という意味でなく、拡大解釈の意味で使われたと思われる。
943 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 20:05:00.78 ID:cExDb3zL
>>942 色々分かってないな。あと詭弁だは
ドゥ・ヨングはマテリアルな文献学者だ。
テキストはマテリアルに否定できない。
そのテキストに釈尊自身が人でないと述べてるんだ。
因果も虚妄だ。しかし、それは勝義から見てだ。
世俗のなかでは因果は虚妄ではない。
この二諦をごっちゃにして単に自分の論を通すために使っては終わりなんだ。
そのためにテキストに沿って話をしないとといったんだけどね。
もし、反論するなら、テキストに沿って、一々根拠付けないなら、もう話は終わりだよ。
>釈尊自身が人でない
>ブッダは神でも魔でも人でもなくブッダであるという
話としてはわかるけど、イエスキリストを神or神の子として聖書を解釈する
カトリックやプロテスタントと何か違うの?
一般感覚では、イエスもブッダも歴史的に実在した人物である(とされている)から、違和感を覚えるな。
宗教としてなら、何もいうことは無いけど、文献の「学者」がそういう態度で臨むと言うのは、ちょっと・・・
それとも文献学ってそういう解釈が許される学問領域なんですか?
945 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 20:39:34.30 ID:/FcOOG7u
「太った人の写真」−「豚の写真」=「美人モデルの写真」
という公式を坊主のブログで見た時のこのなんとも言えない
哀しみはどう表現すべきなのか。
946 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 20:45:08.87 ID:/FcOOG7u
>>944 縁起さんは信仰者だからそういう言い方になるけど、
要は「釈迦がただの人間であること」と「釈迦が自分をさして、神でも魔でも人でもなく……と言っていること」は
区別しよう、ってことなんじゃないの。そこはを
混同して釈迦はそんなアホなことは言わない、と釈迦も自分をただの人と捉えていた、
とするのは間違いである。
947 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 20:46:34.67 ID:cExDb3zL
>>944 全く逆。その発想がプロテスタンティズムに侵されてる。
なぜなら、「初期仏教では、ブッダは人間以上のものではなく修行者たちのモデルであり、導師でであった」というのは19世紀のシュトラウスが行ったような脱神話化したイエス伝、つまりそれがドイツ的プロテスタンティズムなわけ。
アナタの発想は、それを真似た19世紀的な偏向に過ぎません。
未だにそのような19世紀的な考えで仏典を読んでも、倫理・道徳程度の意味しか探れない、と以下のように釈尊自ら説かれています。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/16.html ドゥ・ヨングは、そういう19世紀的なプロテスタント的文献学(ほぼドイツ文献学と同じ意味)の影響から誤読するのは辞めて仏教的視点で読まないと学問として成立しないというわけです。
全くその通りとしか思えません。
つか、アナタのように実在論に無反省に立って、その常識でテキスト読むと仏教は『梵網経』で釈尊が仰るように「つまらないこと」しか分からないよ。
つまり、倫理・道徳レヴェルのことしか読み取れない。このようなことを正に行ったのが和辻ね。
948 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 20:49:50.92 ID:cExDb3zL
>>945 いや〜、ビルマでもチベットでも坊さんがみんな立派なわけじゃないから
寧ろ立派なのは一部。
しかし、その一部こそが仏教を脈々と伝えているので、他の人は温かい目でみよう。
こんなのかわいいじゃん。もっとなんというかヤクザみたいなヤツもいるからどこでも。
>>943 まず、あなたが言う
>そのテキストに釈尊自身が人でないと述べてるんだ。
ここをテキストによって示さないと話がそこに達しない。
虚妄を自らが示すことにある。
釈迦は食あたりで死んだか否か
そこだけでも人間とは言えないか?
950 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 21:14:27.80 ID:/FcOOG7u
951 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 21:14:56.46 ID:cExDb3zL
>>949 テキストならリンク先に示した
そういう読みでは一生、仏教の表層、戒についてしか理解できないと思うは
もう、オイラはアナタとの話は分かる限り辞めとく
http://jp.wsj.com/US/node_553302?reflink=Goo&gooid=nttr 「天才や発明家にあまねく共通するものは、認知能力でもなければ、
感情でもない。ハイレベルのモチベーションであり、
人が良しとするゴールを受け入れない姿勢だ」
(サイエンティフィック・アメリカン)。
そして、最大のカギともいえるのが、アインシュタインが
成功の秘訣と呼ぶ「子どもの心を持ち続けること」だ。
いくつになってもパッション(情熱)の火を燃やし続ける
――。これが、天才の極意だろう。
天才は実際いるだろうが、その通りと思う。
意志と行為が天才を作るだろうが、天才も人間であり衰え死ぬ。
953 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 21:20:15.72 ID:/FcOOG7u
猟師に間違って射られて死んでしまったクリシュナは
問題なく至高の神スヴァヤン・バガヴァーンでいられるわけで。
>>950 英語じゃ無学の俺にはわからんわ
具体的に指し示す箇所を和訳してくれ
955 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 21:26:46.33 ID:/FcOOG7u
そこまで面倒は見切れない。
エキサイト翻訳と辞書を使いなされ。
なに、大した分量じゃない。
何が釈迦を妄信に向かわせるのか?
信じるに足る根拠がどこにあるのか?
根拠もなしに信じられるものなのか?
キリストや大川隆法では足らないのか?
では、足らないとする根拠はどこにあるのか?
>>955 じゃあ虚妄とさせて頂く。俺も仏教妄信者に過ぎぬから、それを信じる。
徒労はごめんだ
958 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 21:56:06.63 ID:+0C/5bIs
迷いだと認識している事柄は、
自我がそれを迷いだと認識している
それを道徳や世間体がそれは迷いではないと言ったらアナタはどうしますか?
>>958 それは迷いでなく、考え中wである。
迷いとは何か?それは妄信の方ではないだろうか?
それを道徳や世間体がそれは迷いではないと言うのであれば、
そこに論拠が必要だろう。
そこに至るまでもなく、考えているだけであり、我思っているだけである。
思考停止を是とするならば、オウムの悲劇を再び繰り返すかもしれない
961 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 22:33:59.83 ID:+0C/5bIs
オウムの信者は思考停止していたが、
オウムの幹部が思考フル回転させたからあそこまで大きくなったし、
多数の思考停止者を量産出来たんだと思うのだが如何
その通りでしょう。
オウムの幹部が思考フル回転させて向かう先、及び向かう元には
何があったでしょうか?
そこの部分が思考停止ではなかったのではないでしょうか?
そこに世俗拒否があると思います。
根本仏教が世俗を認めないのであれば、
そこは捨てるに足るものと思われます。
963 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 22:46:52.74 ID:cExDb3zL
松本の目的は自らの水俣病体験、屈辱の復讐としての首都殲滅だから
公安が動かなかったら、その目的が実現されていた
964 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 22:51:17.67 ID:853gR0d9
>>963 麻原も、宗教(原始仏教、チベット仏教、キリスト教)の「犠牲者」と
言える。
彼が、宗教にさえ嵌らなかったら、今頃は腕の良い鍼灸師として、社会に
貢献していたことであろう。
965 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 22:55:34.18 ID:cExDb3zL
>>964 いや、逆だ。
松本の目的は始めから復讐。
鍼灸も宗教もその道具に過ぎない。
>>963 公安は縁起性良意識なのでしょうか?その現象だけを見れば、そう見えます。
オウム全体が縁起性悪意識ともいえ、世俗否定に通ずると思います。
オウムに入るほど自分を捨てた人々の末路かもしれません。
オカルト宗教者およびオカルト信者には、その傾向が見られます。
その傾向は、もちろん私にもあり、人間に共通する虚妄かもしれません。
967 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 23:10:33.79 ID:853gR0d9
>>965 鍼灸で、一体どうやって復讐するのか?wあんまりアホなことを言うなよ。
麻原を、「優れた宗教者」などと持ち上げた少数の宗教(学)者に、最大の責任が
ある。死刑にすべきは、これら伝統宗教の指導者。法理論的には、オウム信者、
いや麻原でさえも、「宗教による心神喪失」で無罪である。
>>967 「此があれば彼があり、此がなければ彼がない、
此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す」
此を宗教と見なすかどうかと思います。
しかし、宗教にはその傾向が高いといえます。
仏教を宗教的見方をするなら罪といえ罰は受けるかもしれません。
しかし、彼に罪はないでしょうか?
精神病であろうが殺人への恣意的行為が見られるならば罰を受けて
然るべきと思います。恣意性は選択できるものと思います。
>>967 御隠居殿
持ち上げたのはマスメディアで、マスメディアの姿勢を直接間接に支持していた当時の
日本の多数派の大衆でしょう。
世迷い言を言う狂人は少数ながら必ずいて、通常その大部分は一般社会から隔離してい
ます。だから、それを世の表舞台に上げるかどうかという点が問われる。もちろん、麻
原を持ち上げた知識人はそのマスメディアの尖兵として機能した点については道義的責
任は問われます。ですが、それは「宗教学者」であるということによってではありませ
ん。物事の本質の所在をすり替えるべきではありません。
一代氏が出した鍼灸の件も、麻原が鍼灸の資格を取って自分で鍼灸院を立ち上げたその
社会的な活動が、裏には「いつか日本国家に復讐する」という思いを秘めた中での布石
としての行為であったという話でしょう。鍼灸自体・単体での話を論じているものでは
「当然」「無い」わけです。文脈なしで単語だけの語義を論じて何か意味がありますか?
>>969 >文脈なしで単語だけ
隠居の得意技じゃないかw
宗教の主なものは世俗否定であり、
世俗の愚劣を説くものであり、
極端にいえば世俗の殺人さえも許容するに至るでしょう。
世俗否定の段階で既に歪みが生じてます。
それは自身が世俗であることの拒否です。
972 :
神も仏も名無しさん:2012/11/28(水) 00:08:58.10 ID:8Vf9QYEc
>>962 オウムの信者のようなセクト化するカルト集団というのは、仏教で解く「出世間」
「出家」とは全く違います。今、「卒原発」をスローガンに掲げる嘉田由紀子氏の
「日本未来の党」の結党のニュースが出ていますが、「【反】原発」で国会前でデ
モ行進するのが「反世俗」だとすれば、「【卒】原発」の言葉のイメージの方が
「出家」の発想に近い感じかもしれません。
麻原を筆頭とするオウムの感性は、世間に対する憎悪です。それは実は世間的価値
観には「無茶苦茶執着している」からこそです。欲しいのに、それが「自分には」
得られないから、「持っている他人」の幸せを破壊してやろうという発想です。麻
原は個人的に「日本国家によって自分の人生は盲人として破壊された」という考え
が根にあるので、復讐してもあくまでも五分五分で、少しも自分に罪の意識はない
という思いのはずです。「悪いことした」から牢獄にいるのではなく、「負けた」
から牢獄にいると思っているだけでしょう。良心の苛責がない人間(サイコパス)
はどこまでも無茶苦茶なことを平気でやります(擬似的に2ちゃんねるでも仮面性
・匿名性によって良心の苛責が外れたことによって舌鋒が暴走している人が見受け
られるのと同様のことです)。
仏教の出世間思想はそんなことは言っていません。だから、仏教が「【反】俗世間
思想だ」と勝手に受け取った上で以後の批判を展開するとしたら、仏教に落ち度が
あるのではなくて、トンチンカンをした人の側です、と、ひとつひとつその頓珍漢
について指摘していくほかありません。
>>972 犯罪を起こしてからでないとそれがわかりませんね。犯罪を起こさなければ何事もなかった。ただの新興宗教
>>972 出世間思想を是とするならば教義通りの脱虚妄でなければ
ならないと考えます。
出家の前提となる意味は何なのか?
出家により、より虚妄になるのは本末転倒ではないのか?
例えば、北海道の雪山で出家して山に篭るのは自殺行為ではないのか?
寺は家であり共同生活者がいるのではないのか?
どこに虚妄を脱する要素があるのか?
出世間、出家が指すものは出自分に他ならないと思います。
依拠するものが何もないことに他なりません。
依拠するものがなければ、世間に従うことができるのかもしれません。
それは割とどうでもよい状態かもしれませんw
978 :
神も仏も名無しさん:2012/11/28(水) 05:29:18.96 ID:zdtXWQee
>>967 アホだな、宗教そのものも復讐には直接役立たないだろ
それと一緒だよ。過程なんだよ。先ずはできるとこからやるわけだ
鍼灸からヨガ、どちらも人を集める手段になるだろ
どちらもちゃんと効果がでないと人はあつまらないが
979 :
神も仏も名無しさん:2012/11/28(水) 05:31:51.24 ID:zdtXWQee
鍼灸とストレッチどちらも人間の寿命を延ばすという点において
効能のあるものです。妙な意味付けは不要です。
人を集められなければ商売になりません。商売に妙な意味付けは不要です。
宗教は効能があるものなのか?
なんとなく精神の安心があるという理由でありがたがっているのではないか?
それは虚偽の安心ではないのか?
例えば、鉄道マニアなどの趣味での精神の安定と宗教上の精神の安定
坐禅での精神の安定
そこに差異があるのだろうか?
寿命を延ばすという効能で結果オーライなら何でもありなのか?
人生は苦と説くなら寿命を延ばす行為は矛盾するのではないか?
当人は80歳まで生きたのではないか?
苦の滅なら普通の人が日常無意識にしている行為ではないのか?
981 :
神も仏も名無しさん:2012/11/28(水) 08:49:38.77 ID:Cm3T371f
もはよう
寒いね
なんかよく分からんことで
また論争しているけど
>>958が原因?
仏教が定義する苦とは結局は自我ありとするに尽きるよ
迷いとは苦しみに対して見当はずれの原因を立て
それに責任転嫁しようとすること
原因ではないから苦は断てない
一つ解決しても、また違う苦を呼び、永遠に尽きない
だから、自己の内に原因を見つめていく
なぜ、このような行為をしてしまったのかと
そうすれば心の習慣というものが見えてくる
ここで業論となるわけだ
あくまでも業論の主眼はここ
もし原因不明の悪果を受けたとして
心がそれにとらわれるならば、さらなる悪果は避けられない
その悪果を避けるための安全弁として前世・来世は仮定されるのさ
それを受け入れることができるなら、とくに必要ない
・・・と俺は思う
しかし、なんだかんだ言って人は過剰弾圧などするからね
本来、生前死後は分からないとするべきだが
モデル論としてあると仮定されるのはだからだろう
俺は信じる方を選ぶというだけ
そういう話だったわけだが。
だから、経緯上、業論と縁起は必ずしも同義ではないね
縁起の方が広い
982 :
神も仏も名無しさん:2012/11/28(水) 08:52:33.03 ID:Cm3T371f
で、迷いについてだよね
世間が迷いじゃないんだ、外に原因があるんだと言っても
あるいは、自我はあるんだと言っても
苦は尽きないし、
でも楽があるからいいと言っても
死は必ず訪れ、自我に固執した者は最終的に
全てを失うことによって幕切れる
苦楽相対のものしか手に入れられず、つまり欲しいものは手に入らないまま死ぬ
それでもいいと言うなら
結局はさほど手に入れたいと思わないものに躍起になっていると
言えるのではないか?
何をしても満足だったのだ
>>981 >>958のは迷いが虚妄であることの大きな気づきをさす
貴重な意見であり、その錯覚が宗教に引きずり込む最大の罠を示しています
縁起の方が幅広いことには頷けます。
いい悪いにつけ発生する仕組みにプラスして呼吸する、うんこする等の
神聖な意義についても縁起というものは語るものです。
984 :
オウムと密教と神智学 大滝秀治 :2012/11/28(水) 09:24:35.32 ID:E960yzYS
単なる復讐劇に矮小化するな!
真言宗護教のためとはいえ、その意図において誤っている。
オウム問題を単なる鍼灸と『松本の個人的な復讐感』などと矮小化して弁明するところが
カルト一代のカルト一代たる所以だ。
単なる復讐劇に高等教育を受けた連中が参加するわけがない。
まさに仏教内での密教をはじめとするカルトの『宗教的体質』が問われている。
実質ヒンドゥの空海真言宗も例外ではない。
一代にとっての神は大日如来と空海その人だ。
(絶対)一神教の宗教がカルト的体質を内含していることは歴史的事実として証明されている。
モッガラーナはじめブッダの弟子たちも(ブッダその人も?)ポアされているのだ。
その底には抜きがたい人種差別主義(レイシズム)の感情が横たわっているのだ。
何人もうんこを拒絶できるものでなく
うんこの拒絶は死を現わす
うんここそ神ではないでしょうか?
麻原はうんこです
うんこの徹底的解明が求められます
うんこは万能でないのに万能と勘違いしたのではないでしょうか?
優秀な組織を抱えた故のものであり、自身の匂いと形状に気づかなかった
のではないでしょうか?
>>984 かなり妄想が膨らんできていますね。程ほどに
>>984 あなたがいくら想像しても答えは出ない。これからあなたがいくら注意してもその信仰団体を知らないとそれを止めることjは不可能。なんの心配をしてるんですか?現実を見てください
>>984 もしあなあがまたオウムのような団体を出したくないという糸でそれを妄想し、ここに書き込んでいるならそれを即刻やめて日本の新興宗教を調べ上げそれを警察に知らせてください。
それがいやであれば、ここであなたの知識をひけらかし自分は頭がいいということをみなに言ってもらいたいという欲望から書いています。
信仰団体と普通の会社のどこに違いがあるだろうか?
対象は神格化された利益か人間か空想かであろう
人が寄せ集まって何かしていることに差はない
何をしてるかの対象が生活のためという明確な答えのあるぶん
会社の方がましだろう
>>988 いや、実際、大滝秀治さんは頭いいと思いますよ
「お前の言うことはつまらん!」
さて、つまらんのはワガママ言ってる自分か、
論拠を示さない自分か、つまらんと感じている自分か
>>990 答え
つまらんと感じている自分
頭がいいことと大滝さんの言動の話とは別ですね。
>>990 大滝さんが何を意図して書いているかが問題です。それを説明しただけです。
993 :
神も仏も名無しさん:2012/11/28(水) 10:17:41.96 ID:zdtXWQee
まあ、とにかくテキストに戻ろう
それ以外、有意義な話をする手段はないでしょう
>>990 自分は大滝さんの書いたことをつまらないと感じていませんよ。そのたとえ話も別問題。
995 :
神も仏も名無しさん:2012/11/28(水) 10:19:30.98 ID:oqOoTo98
>>988 大滝さんの書き込みは有意義であり、啓発されてますよ。
これからもどんどん書き込んでもらいたい。
>>991 根本となる原因はそれで正解と思います。
では大滝さんに何か不満があるのでしょうか?
それは受けてに委ねられると思います。
妄信したい人はすればいいんじゃないでしょうか?
なんじゃそりゃ?を書かない人には耳を傾けるに足る価値が存在します。
999 :
神も仏も名無しさん:2012/11/28(水) 10:27:24.43 ID:oqOoTo98
テキストを盲信主義は危うい。
テキストが間違っていたら目もあてられない。
>>996 「書かない人」 書く人の間違いですよね。同意見です。今回の意見は仏教議論スレなので書きました。議論目的です。
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。