【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】15

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>>306
> なお、純粋に精神的な苦悩は、自己中心主義から生じる。
 ですね。

> 自己を離れて、家族などの身近な他者に心を移すことにより、この苦しみは、軽減され、除去される。
 はい。 通常の、極々一般的な解決策ですね。そして、有効性が極めて高い。

> このことも、釈迦は理解できなかった。彼は、生まれたばかりの赤ん坊を残して
> 家出した釈迦の、残された家族の苦しみは理解したのか。
 そうでしょうか・・?
 彼が、ラーフラの誕生を待ち、29歳という(御隠居分析の彼の性格からすれば遅すぎるくらいの)出家、
 それなりに考えた、時期の選び方ではなかったろうか。
 また、出家時点では「今は苦しませてすまない。きっと解決しに戻ってくる」くらいの気持ちだったんじゃないか?w
 実際そのような足跡だしw
 また、出家の時点では、「苦の解決、解脱とは、そのように『持ち帰れり与え得るもの』」という認識だったかもしれない。
 実際、菩提樹下での成道は、それから更に6年後のことなのだから・・・w

 そして何より、シッダッタが目指したのは、通常の、極々一般的な解決策を超えた、
 根こそぎの解決であったことを想い起こすべきだと思う。

> 釈迦の「苦」に対する理解は、要するに贅沢病に過ぎない。
 以上に述べたように、その側面を捨て切れはしないが、決してそれだけではないだろうし、
 そのような面があったとしても、補填して余りある(いや、余り過ぎる程の)「おしえ」を残している点で、
 帳消しでいいだろ?w 出家時の家族の悲しみも、これを癒しと位置付けてもいいだろ?w

 ま、最後釈迦族は滅ぼされちゃうわけだが・・・w