【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】8
“苦”が、滅することのできるものだとして、
たとえば、事故で片足を失った者が、そのことで“苦”を感じていた時、
その時、そこでの「“苦”が滅せられる」とはどういうことか?
決して、新たに足が生えてきて、再び両足で歩けるようになることではあるまい。
「“片足を失ったということ”が(前世の(悪)業による)“苦なる果”」であったなら、
苦が滅せられた時、“片足を失ったという果(→前世の(悪)業による果)”も滅するのか?
そうではあるまい。“片足を失っているという事象”は何も変わらない。
“片足を失ったという果”は、あくまでも“片足を失ったという果”でしかない。
彼が感受している“苦”と、“片足を失っているという事象”は同じではない。
この時「その“苦”を滅する為にとられる方法」は、「“片足を失ったという果”の“因”を前世に求めること」ではない。
「“片足を失ったという果”を、《自身が(今)どのように受け止めているのか》《これからどのように受け止めてゆくのか》
を観察・考察する」所にこそあろう。
『私は、なぜ、“片足を失っているという事象”を“苦”と受け止めているのだろうか・・?』 と・・・。