☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート27

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272神も仏も名無しさん
>>268
さらには、

>彼等の翻訳は「間違いだらけ」だったと考えていてよい

と来たもんだw
ハア?(゚д゚)?
「彼等」って誰よ?www  今回のケースでは漢訳者しかいないわけだが・・。
「《君が支持する漢訳心経》が間違いだらけ」ってこと?w (とんでもない自爆だなw)
まさか、いくら御隠居でもそこまで馬鹿じゃないよね・・・?w ね?
まさか、まさか、Skt本を翻訳と称してるんじゃないだろうな・・?
まさかね・・。いくら御隠居でもそこまで馬鹿じゃないよね・・・?w ね?


>「即物的」と言われるが・・・・・・云々
あのな・・・(^^;
そういうことじゃなくて、長部第2沙門果経に、こういう譬えがある。
「マンゴーについて問われながら、ラブジャについて説明したり、〜〜」と。
今風に言えば「リンゴについて問われながら、バナナについて説明したり、〜〜」という感じだ。
この時の譬えの意味は『《問われたこととは別のこと》を説明して、結局《問いには答えていない》』
ということだ。(誰かさんが思い浮かばないか?www)
ここで、『同じ植物だ』とか、『リンゴというのはコレコレこのようなもので、
バナナとはこのようなものだから譬えにならない』と言うよなものだ。
ここでは『違う植物である』という点だけが譬えとして利用されてるんだよ。
それを「リンゴは云々、バナナは云々」という態度を「即物的(読み)」と評したんだよ。
解る? 君の>>249はこの典型なんだよ。

最後の段一行目の指摘だけが、原理的にはその通りなわけさ。
これに関しては何も言わんよw
(ただ、同時代人として、常識と一般教養ある成人男子として、【これまでの対話の流れに】あずかる者として、
共有できる枠組みと要素の選択だと思ったんだがね・・。 甘かったようだ・・・w)