【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】15

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288旧7
>>284
う〜んw なんて言ったらいいのか・・・w

或る方向性での視線に於いて、カテゴリの最大枠として「苦」なんだよ。(端的に表してるのが、Sn.18-34)
たとえば、
「車両」が、「移動や輸送手段として用いられる、車輪及びそれに準じた移動機構を持ったもの」を「総括して」言われるように・・・。
その中には、自転車も、四輪自動車も、バイクも、バスも、ショベルカーもクレーン車も、客車も貨車も、リヤカーも人力車も、
枠組みの取り方によっては別分類され、同等に扱えず、相反する概念で括られる場合があるようなものも、
全て「車両」で括ることができる。
そのように、
無常なるものは(=縁起するもの(諸法、諸行)は)苦である、と。
仏典はこう述べるのだ。ダンマパダや転法輪経に言う通りだ。

御理解いただけるかな?


ちなみに、苦も楽も、上で述べたように、そのカテゴライズの仕方で、それぞれの中に見られるので次元の違いがあるぞ。


更にちなみに、「本覚思想が悪い」のではなく、「その拡大解釈の仕方がマズイ」ということでしょう?>>283は。
「迷ったまま」で「それを悟りだ」とは、よほどの禅家でも言わないでしょうw
トラックを一周してきて同じ場所にいるようなもんだ。そこには天と地ほどの違いがある。
或いは、気付き、自覚があるかどうかを見てもいい。
いずれにしろ、「あるがままでいい」と言うのは、
「自覚し、受け入れ、真っ向立ち向かって」、その時初めて当てはまる言葉だと知らねばならない。
その時初めて、それは(貴方の好きなw)「生命の絶対的肯定」となる。
「生かされ、支え合い、関係し合い、今ここにあること」、この通過点なき「あるがまま」は、享楽主義に堕することになる。
だからこそ、古人は、(たとえ本覚・如来蔵の系譜でも)、多くの苦言・辛言を残しているんじゃないか?
289旧7:2009/09/15(火) 22:01:20 ID:fT3vQfT8
あ、>>288に入れ忘れたが、「戦車」もなw
そして、なかなかピンとこないけど、
(作業用)一輪車も、サーカスの一輪車も、車両として括り得るだろうよ。