【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】15

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>>393
> 「ハレ」と「ケ」は、すべての生活者に適用されます。
> 宗教者のいう「聖」と「俗」には、必ずしも対応しないと思う。
あのぉ・・・w 「ハレ」と「ケ」って解ってます?
>すべての生活者に適用され   ・・・・・・当り前じゃないですかw
人の(共同体の)文化として、その生活領域、認識領域の種別・区分が「ハレ」と「ケ」なんですから。
そこに、宗教者も宗教者でない者も関係ない。
そして、(少々強引な対比の言い回しだがwww)、
「ケ」の領域に定住し、「ケ」の価値観を主軸とするのが在家であり、
「ハレ」の領域に定住し、「ケ」の価値観を主軸とするのが出家である、と。
このように対比できると言ってるんだよ。
もっと言っちゃえば、「日常」と「非日常」という対比だと言ってもいい。これは、世俗から見た言い回しだ。
逆ならば、「俗(なる領域)」と「聖(なる領域)」となるだろう。これが勝義(出家)から見た言い回しとなる。
日本の神事は、いや、およそ伝えられてきている数々の習俗は、
こうした《「ケ」‐「日常」-「俗」》と《「ハレ」‐「非日常」-「聖」》との、
せめぎ合いだったり、橋渡しだったり、融合だったり、補填・補充・回復のし合いだったりしてるんだぜw
巫女的存在或いはシャーマン的存在は、神に最も近い、近づくことを許された聖なる存在だが、
同時に、社会から(≒世俗から)排除される存在でもある。(インドや他の地域でも、同様の価値観がある筈だ。)
「ハレ」に属する者(或いは「事」)は「ケ」に入ってきてはならないのだ。
葬送の習俗を見れば、いかにその区別化が図られているか、目の当たりにするだろ?

もっと勉強しようやw