1 :
神も仏も名無しさん:
2 :
神も仏も名無しさん:2012/10/20(土) 02:16:23.18 ID:eJ9+nuOr
3 :
今日のところは名無しで:2012/10/20(土) 02:44:59.49 ID:YVS4qIH2
>「無」 無、だよ無。 あるなしの無じゃないとか、わからんし、なんじゃ、こりゃ だよ。。
無と言えば、有無。
山川草木国土悉有仏性
そうなの?だったらさぁ〜 門前のやせ狗にも仏性が有るってことになっちゃうよねー、そうだよね、おしょうさま〜
(。_゜)〃ドテッ! 無。
おしょうさまー、うそ言ってるよねー、悉有仏性って言う定理に反してるし。仏性って、有るよ、なんで無とか言うの?
そうだね、1日に2回、この部屋にやってきて必ず答えを言い続けなさいな。
>┼○ ドテッ
もういやだ、ちっとも教えてくんないじゃん
狗に聞いてみてもいいよ、だけど きっと ワン!とも言わないと思うよ。障子 |_・) チラリ!
(≧ω≦ )プププ
4 :
神も仏も名無しさん:2012/10/20(土) 03:32:10.95 ID:eJ9+nuOr
5 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2012/10/20(土) 03:54:00.89 ID:W29py46q
アイオーン。それは命の塊。アイオーン。それは宇宙の摂理。
アイオーン。おぉ、アイオーン。それは宇宙に鳴り響く声。
前スレの
>>908 オンの字とは聖音オームの事でしたか。俺にとっちゃ畑違いの空海さんの話で
謎掛け形式でオンの字とか聞かれたから分からなかった。と言うことは空海も聖音オームを聞いたってこと?
こいつは面白い。別に、滅尽定に至る無想サマーディを得る為には必ずしも聖音オームを詠唱しなくても
いいようだが、ゴータマの時代の瞑想の師に教わったなら、ゴータマも確実に聖音オームを詠唱してたはずななのに
初期の仏典には一言もでてこないのは奇妙に思える。
6 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2012/10/20(土) 04:33:13.37 ID:W29py46q
前スレ
>>924 創造のサイクルの話をしているのに十住心論解脱の段階の話をされても困るわけだが。
創世記どころか旧約のモーセ五書(トーラ)自体、他の神話の寄せ集めでね。
主に突如現れたらとする人類最古(最古の割に非常に高度だったらしい)の文明シュメール文明の遺跡に
旧約聖書の原型となる神話の文章がいくつも見付かってるそうだ。俺はそんなことは百も承知で
書いている。問題は聖書の成立過程より、書いてる内容の意味。わかる?ところで君のところの宗教じゃ
真我の上にさらに大我というのを設定して他の宗教より優位性を保っているようだが、しゃあ僕の
宗教じゃ特大大我を設定しよう。そうすりゃ君のところの宗教より僕の宗教のほうが優れている。なんてな。
こういうのを新興宗教と言うんだよ。ちなみにヨーガじゃ真我のことを大我とも呼ぶ。その
根源となるのが自性と呼ばれているものだ。この自性と呼ばれているものを君の宗教では大我だと
呼んでいるなら話はわかるが、さらに上のものを設定してそう呼んでいるなら、僕が君らの宗教の大我の上に
特大大我を設定して君らの宗教より僕の宗教のほうが上だと言ってるのと同じレベルで、
君の所の宗教は、ただの新興宗教だと言ってあげよう。ちなみにルシファーとは
至高の存在と肩を並べる存在。だか彼はサタンとも称される。この違いを君んとこの宗教で説明できるかい?
君んとこでも明けの明星を扱ってるんだろ?だったら説明できるよね?
7 :
カラスの唄:2012/10/20(土) 05:02:46.05 ID:W29py46q
もちろん俺はルシファーは神に逆らったから地に落とされたからサタンとなった
とかいう神話の話をしてるんじゃない。キリスト教の神話はほとんどが真理をお伽噺にした例えだ。
俺はその例えの真意を尋ねている。黙示録ではイエスとおぼしき人物?が
明けの明星を名乗り登場している。もちろん彼はサタンとしてではなく、至高の存在として登場している。
8 :
神も仏も名無しさん:2012/10/20(土) 07:59:47.16 ID:I0+ySxlG
ところで、「果分可説」ってもちろん空海の妄想←形而上学的論議ですよね。
ヤージュニャヴァルキアの亡霊が彷徨っているわけだw
まさに、過ぎたるは及ばざるが如し、どころか
親の心 子知らず、そのものですなあw
一種の馬鹿ですねえ。
9 :
神も仏も名無しさん:2012/10/20(土) 08:31:57.63 ID:30QKqW1l
>>8 全く違うよ〜
密教はウパニシャッドとかヴェーダンーンタとかと全く違う
まあ、言っても分からないだろうし、ここで言うべきことじゃない
分からないことは、分からないと認識しましょう
10 :
神も仏も名無しさん:2012/10/20(土) 08:48:47.70 ID:I0+ySxlG
>>9 >分からないことは、分からないと認識しましょう
「分からない」と「言っている」ことが痛い。
やっぱり、親の心 子知らず、そのものですなあw
11 :
神も仏も名無しさん:2012/10/20(土) 09:10:45.07 ID:30QKqW1l
>>10 「分からない」というのはアナタがという意味ですよ
どう見てもネラっぽいから、もう止めますけど〜
12 :
神も仏も名無しさん:2012/10/20(土) 09:41:12.61 ID:mY3lHXdF
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1349669547/927 >ウパニシャッドのアートマンが涅槃における自己としても何ら矛盾がない。
>涅槃の意味と比較してもまったく問題なし。
六十二見とかぶります。梵網経には「いつの」という時代を限定する句もなし、
ヴェーダの聖者を涅槃に達してると釈迦が認定したこともなし。
過去七仏(釈迦除く)はオリキャラ。
>単に、説くのを辞めただけのこと。
>判る者にだけは判るということかな?
万教帰一かぶれな現代人の期待を古代人に投影、
さらに裏事情を設定して思考停止。
なんで自分がお話を作ることにはそこまで寛容なんですか?
>>6 あー、世界の創造について語るのならそもそもそんなものは仏教の範疇ではないし、そもそも現在伝わっている宗教でその事を本当の意味で捉えているものはないよ。
(あくまでも世界ができた後のことです。
グノーシスなんかは面白いところいっているけどあれもちゃんとは捉えていない。)
それからそういって記されたものは、新たに記し直された時点でその記し直した者がどれほどその事を捉えていたかに拠って、本当の意味で伝わるということはかわるのだよ。
だから単に寄せ集めただけでは意味が無い。
だからパクリ(ちゃんと捉え切らずに単純に伝承をそのまま持ってきた)と言っている。
それから別に大我は優位性のために持ってきたわけではないよw。
普通に仏教の言葉だから。
それから単純に言葉遊びをしているわけではなくきちんと意味付けがある。
又私が特定の宗教団体や教派に属しているということは無いし、もしも世界の創造(というか如何に成り立ってくるのか)というレベルにまで関わるのなら、宗教なんて無意味だよ。
直に神以上のものを相手にしなくてはならないから(宗教は人間相手でしょう)。
きちんと神以上のものを捉え切るにはそのようなアプローチでは無理。
一緒に仕事をしていくということがわからないと。
まあここは仏教スレでそんなことを語る所ではないので。
カラスの唄さんは私の見解では、その仏教の範疇である無上正等正覚もまだ少なくとも自らのものとして己において成すということを捉えていないと思う。
それなしで、そういう所に入るのは危険だと思います。
(ついでにスレ違い承知で言うと。
イエスの仕事は全てを成し切ることではなく、その端緒を付けることですので別に明けの明星を名乗っても構いません。
これは日本の宗教者王仁三郎の見解ですが、イエスとヨハネ(聖書中には複数いますが)はセットですから。
仏教の浄土で言えば勢至と観世音みたいなもの。
私の見解では神道で言えばスクナビコナがイエスです。
議論になりようがないことを書いてすみません。
電波扱いで良いです、このレスについては。)
だが、空海にしてもツォンカパにしても書物だけではなく、生身の人間からだけではなく直に学んでいたりするするから。
というか、本当の意味で道を歩んでいくには、そういったものの導きがないと道を歩みきる事は難しいと思うんだよなあ。
(まあ禅では生身のある師匠につくけど。
それとて自らに於いてのことだから。)
まあそう言ってしまうと議論にならないのでこれぐらいにしておきます。
15 :
暇人:2012/10/20(土) 10:04:05.48 ID:yshuZmnJ
>>899 >六十二見は禅定主義・主定主義に他ならない。水野先生もそう解釈されてるよ。
↑
水野先生は62見すべてを禅定と思っておらず
最後の四つの禅定の4見を禅定されているので、キミの誤りは誰の目にも明らか。
梵網経の中の初禅から四禅それ自体は抽象的議論だよ。
たって、「オレは神秘体験をし今涅槃した」という世界観の『根拠』が、
初禅から四禅のそれぞれだからだ。
キミは単語に足を救われて、文脈が何を問題にしているかを読み取れてない。
16 :
1/2 即非の論理? 大滝秀治:2012/10/20(土) 10:07:52.60 ID:I0+ySxlG
仏教質問箱31
>>773 F0fVday5
>如来が説きたもう所の三千大千世界と 凡夫の人が貪著している、この世界は異なる と言う意味で良いんですか?
相(仮設:仮観)が違う、ということです。それが(仮設)非です。
ここでは十分には言及できませんが、先ず、西田幾多郎と鈴木大拙の「思想」を特徴付ける短文を提示します。
<西田>・「実在の根底には精神的原理があって、この原理が即ち神である。インド宗教の根本義であるようにアートマンとブラフマンとは同一である。」(『善の研究』p121)
・我々の自己(個)は、どこまでも自己の底に自己を超えたもの(超個)において自己をもつ。自己否定において自己自身を肯定するのである。
かかる矛盾的自己同一(即非)の根底に徹することを見性という。禅宗にて公案というものは、これを会得せしめる手段にほかならぬ。(西田幾多郎『場所的論理と宗教的世界観』)
<鈴木>・「仏教徒の考える絶対者は、その中に一切を保持し、かつそれをとうして、一切が顕現するという如き、個者ではなくして、
かくかく個々の事物がそのままで絶対者の中に存し、又、それとはなれて絶対者があるわけではない。
・・・・一切がそれ自体の姿で、即ち、それぞれの個者として、またひとつの全に属するものとして、存するような時でも、彼らは絶対者それ自体なのである。(『続禅と日本文化』p274〜275)
これら、鈴木や西田の根底にある思想は明確な不二一元論であり、その「一」に唯一の実体=絶対者である一=神(ブラフマン)を想定する超越的神秘主義(スピリチュアリズム)に他なりません。
これが戦前において天皇を中心とする全体主義・軍国主義を支える論理となり、また、アタマの悪い禅僧を迷妄の淵に追い込む害悪思想として機能しました。
臨済の思想にも、「赤肉団上、有一無位真人」などと、容易にアートマン=ブラフマン=絶対者説と解釈できる如来蔵思想があります。
しかし、これでは明確に<無我・縁起・空>撥無の反仏法であるとの非難を免れません。
17 :
2/2 即非の論理? 大滝秀治:2012/10/20(土) 10:13:23.58 ID:I0+ySxlG
金剛般若経の「A即非A、是“名”A」の根本的意義は、
<A(分別相:仮観)はAではない(無分別相:空観)。ゆえにAと名づける(無分別の分別:中観)>と、
存在は二相(最終的には相そのものも空)で掴み得ることを明確にし、
無分別の分別相がわざわざ「言語ゲーム」であることを確認することにあります。
まさに二相の相即的実践です。*上記の仮観と空観の位置を入れ替えてもOK。
*ちなみにオウム真理教の根本的誤謬は誤った空観→存在の虚妄観(幻そのもの)+カルマ(業報)輪廻転生論で
カルマ落とし→殺人を肯定するところにあります。
ところが、西田や鈴木は彼らのチンケな不二一元論を基にして、語彙の持つ限界を捻じ曲げ、曲解してまで
【“AがAである”のは“A”が即“非A”であるからである】
すなわち、「A」と「非A」と「肯定」(即)と「否定」(非)とがそのまま自己同一であるという「即非的自己同一」なる独自の同一律を創提し、
これが西田哲学のいわゆる「絶対矛盾的自己同一」宗教論的基盤となりました。
彼らの思想はまさしく、金剛般若経自身が批判する<全一体という執着 piNDa-grAha>という
愚かな人々が、実体と見誤って執着するモノに他なりません。
<一合相者即是不可説 一合相は、すなわち、これ、説くべからず。
但凡夫之人貪著其事 ただし、凡夫の人は、その事に貪著するなり。>(金剛般若波羅蜜経一合理相分第三十)
鈴木や西田の思想は、もはや博物館行きを免れない誤謬化石思想です。
18 :
即非の論理? 大滝秀治:2012/10/20(土) 10:58:22.51 ID:I0+ySxlG
>>11 >「分からない」というのはアナタがという意味ですよ
無分別相は、六十二見者はもちろん、如来さんでも、ブッダでも、
ましてやアタシでも、分かる=分別できまへんw
まあ、空海さんやオイラ氏は、「果分可説」ってもちろん空海さんの妄想←形而上学的論議で、
分可なんでしょうねえw
まさに親の心 子知らず(無視)ですねえw
19 :
:2012/10/20(土) 11:11:56.89 ID:+ZkadSIY
鈴木や西田は、詳しく著作を検討したことがないんでよくわからんが、
「即非の論理」ってのは、(彼らの言うところでは)
・・・・「Aというのは、非Aによって成り立ち、また、非AもAの存在によって
成立する。すなわち、Aと非Aは、二元ではなくその本質において一元である。」
このような、 『相依性』による、同一性の主張なわけなんだろ?
A=非A という論理矛盾の中に、自己同一性をみる・・・みたいな
対して、鈴木の元々の題材は、
金剛般若経の「仏説般若波羅蜜多、即非般若波羅蜜多、是名般若波羅蜜多」
なわけだ。
これを、最後の帰結文を≪ゆえに、よって≫ を付加して読み込むから
おかしなことになるのでは?
「Aは、すなわち非Aである。 ≪ゆえに≫ Aと名づく」・・・この≪ゆえに≫
がいらんと思うのだが? これをとっぱらえば、
仏は、般若波羅蜜多を説く・・・・しかし、これは言語に依らねば世俗に対して
説きようがないので、やむを得ず、言語を用いて説明する。
だが、このように言語に於いて表現されたものは、もうその時点で、
般若波羅蜜多 ではない。
この言語化不能なる法、直覚においてのみ了解可能なる法、・・・・これを
(便宜上やむを得ず名称付加して) 般若波羅蜜多 という名称で呼ぶのである。
つまり、これは単純に、「仏は般若波羅蜜多を説くが、それはあくまで便宜上であって
本来、言葉によって説明できるようなものではありませんよ。」・・・・
こういうことなんじゃねえ??www
20 :
:2012/10/20(土) 11:16:28.33 ID:+ZkadSIY
あ〜〜〜、19は多分に想像が混入しているww
間違っていたら訂正よろwww
(但し、真面目な仏教徒にお願いねw キチガイは勘弁よwwww)
21 :
神も仏も名無しさん:2012/10/20(土) 12:02:06.85 ID:PlvkI/5K
>>15 暇人さんの話がだんだん見えてきた。
私に言わせれば、62見など雑念ぐらいなものですよ。一代さんは微妙に
自分の主張を修正しているかも。あと、かれは口が悪いね〜
22 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2012/10/20(土) 12:10:53.85 ID:W29py46q
>>13 消滅するものから生じている限り、それらのものはことごとく消滅するだろう。それらは
消滅するものから生じているからである。〜ナグハマディ文書 イエスの知恵。
君がどこまでグノーシスを知ってグノーシスは不十分だと言ってるのか知らんけど、別に縁起、無常の思想は
仏教の専売特許じゃないわけよ。
永遠まで続くものは生成のないものである。なんであれ生成のあるものは滅びるからである。その方は
はじめがなく、生まれざるものである。というのは、何であれ、はじめのあるものは、
終わりがあるのだから。その方を支配するものは何もなく、その方に名もないのである。というのは
名のあるものは何か他のものの創造物だからである〜ナグハマディ文書 イエスの知恵
おや、ゴータマは無常無我を説いたが、大我なんて一言も言ってないと思うが。空海がなにをもって大我と
言ったか知らないが、真我とて我々の自我同様縁起なしては成らない無自性な空だが、その上で
認識(認識できる存在ではないが)された自性と呼ばれるものを大我と呼ぶならわかるが、
自性と呼ばれているものは、その性質上それ以上のものはないのでその上のものを設定して大我だと抜かしているなら、
言ったもん勝ちの幼稚な新興宗教に過ぎない、相手にする価値もない宗教だと言わざるを得ない。何度も言っているが、ややこしいのは
自性と呼ばれるものの本質は言葉で表現するなら無であること。ブラフマン(真我)も縁起して成る無自性な空だった。ゴータマは
自性と呼ばれているものに達した。でもそこにはなにも無かった。結局アートマンはどこにも無かった。始めなく
終わりもなく、相もなく単独で成立していりものとはそういうものだ。ゴータマはその立場で説法をした。
だが全ての根源であるそれは、見方によれば自性そのものの性質なので
他の聖者はその立場で説法をした。ただそれだけのこと。
23 :
カラスの唄:2012/10/20(土) 12:15:24.80 ID:W29py46q
>>13 あと、旧約聖書のモーセ五書は、多くはシュメールからの神話のパクリだが、
別に内容自体は大きく改変されてるわけではないのであしからず。
暇人さんに軍配が上がると思うが、
お二人の議論はタヌキとキツネの化かし合いのようです。
お蔭様で、梵網経を読む気がなくなった♪
25 :
即非の論理? 大滝秀治:2012/10/20(土) 15:41:05.91 ID:I0+ySxlG
>>19 >Aと非Aは、二元ではなくその本質において一元である
>(便宜上やむを得ず名称付加して) 般若波羅蜜多 という名称で呼ぶのである。
そうです。実質的に、アタシの説明と同じですよ。
Namamatra(名称)→vyavahara(言説)の無実体の言語ゲームです。(瓜生津 龍樹p228参照)
ところが、彼らは言語ゲームであること(“是名”)を無視して、
超越的神秘主義(スピリチュアリズム)不二一元論によって、A=非Aだと金剛経を曲解するわけです。
それはまさしく金剛経が批判する<(実体的)一合執(玄奘 訳)>そのものです。
一元論は多元論との二項相対で成立する間接現実(世俗)内の論でしかなく、
直接現実(勝義)にはとどかない戯論でしかありません。
こんな陥穽に陥る根本原因は、中国的華厳思想にイカレテしまっているからです。
縁起の直接現実は不一不異(不一不二)の空(元論)←縁起の現観が中観・中道です。
26 :
即非の論理? 大滝秀治:2012/10/20(土) 15:48:49.76 ID:I0+ySxlG
よければ、西田の楽しいレトリックの世界をドゾー
『現実の世界とは物と物との相働く世界でなければならない。
現実の形は物と物との相互関係と考えられる、相働くことによって出来た結果と考えられる。
しかし物が働くということは、物が自己自身を否定することでなければならない、
物というものがなくなって行くことでなければならない。
物と物とが相働くことによって一つの世界を形成するということは、
逆に物が一つの世界の部分と考えられることでなければならない。
例えば、物が空間において相働くということは、
物が空間的ということでなければならない。
その極、物理的空間という如きものを考えれば、
物力は空間的なるものの変化とも考えられる。
しかし物が何処(どこ)までも全体的一の部分として考えられるということは、
働く物というものがなくなることであり、世界が静止的となることであり、
現実というものがなくなることである。
現実の世界は何処までも多の一でなければならない、
個物と個物との相互限定の世界でなければならない。
故に私は現実の世界は絶対矛盾的自己同一というのである。』
http://www.aozora.gr.jp/cards/000182/files/1755.html 一切行無常の縁起を俗物不二一元論で強姦すると、
こういうグロテスクなレトリックになるという見本です。
これ以下にも続きますので、楽しんでください。
27 :
神も仏も名無しさん:2012/10/20(土) 17:48:55.44 ID:DpMMWT5n
仏教については軽々に語ることは戒められており2chでは滅多に書き
込まないのだがこのスレを見ているとどうも誤解があるように思えて
ならないので必要最小限のことを今風の言い方で平易簡潔に示そう思う.
28 :
神も仏も名無しさん:2012/10/20(土) 17:53:34.63 ID:DpMMWT5n
よく「真我・アートマン」と云う言い方が出て来るが誤解があるようだ.
仏教では御仏そのものなのである.つまり自分自身(自我)【ではない】別在.
御仏こそが真実な命そのものであり全てであり時を越える不思議なのである.
次に「無我」についてであるが、単純に自我の消滅と考えたのでは誤解する.
御仏への帰一により一体合一とななればこそ自我は無我なのです.
29 :
神も仏も名無しさん:2012/10/20(土) 17:56:17.76 ID:DpMMWT5n
究極至高の存在者とは「有・無」と云うよりも「超越」と言うべき.
超越者への帰一合一とは無常変転無我であって死滅ではなく真実の命への
成仏に他ならない.梵我一如を仏教で否定するのはそう云う意味です.
涅槃と無我の意味するところを整理できないと混乱があるだけです.
また「空」についても誤解があるものと思う.空とは本質認識なのです.
30 :
神も仏も名無しさん:2012/10/20(土) 18:00:13.54 ID:DpMMWT5n
正しい認識があるからこそ悟り得て成仏へと至るのであって認識それ自体に
救いのようなものが内包されている道理はない.また苦滅と云う言い方も
されているようだが、その実は苦を正しく認識し苦を苦とすることで乗り
越える自我変容があるから苦滅と言ったりするのであって、たとえば歯痛に
よる苦がなくなるとでも考えるだろうか.そんな道理はない.
Newキャラクター登場?w
大滝秀治さんの話は難しいけど勉強になった。
前々から、犬と猫がどうしてイコールになるのかと疑問だったが、
直接現実と間接現実を「相の違い」とすれば理解できる。
西田や鈴木と、不二一元論との関係も興味深かった。
33 :
神も仏も名無しさん:2012/10/20(土) 18:04:41.37 ID:DpMMWT5n
釈尊は真理への導きの種子を弟子達の心に植えたのである.種子は芽吹き
それは弟子から弟子へと受け継がれつつ巨木へと成長した.誤解の有る者は
釈尊本人へ回帰し近付かねば真理は見えないと考えているようだが誤りです.
仏教カルトが好んでそうするのは釈尊の権威を利用して巨木を否定して自ら
に都合よい偽物の木を示す為にそうするのです.
34 :
カラスの唄:2012/10/20(土) 18:05:01.18 ID:W29py46q
結局中道ってのはさ、本質は無である自性と呼ばれているものの性質なんだよね。
そこは善悪の根源であり、その善悪を内包しているが、自性と呼ばれているものそのものは、
どちらでもない真ん中の性質のものだ。善悪どちらの出目でもあるからね。
なんで空理空論中論教妄想患者の皆さんは、わからないかな〜(絵文字略)
この二元世界の束縛で生きる我々がいくら生死などない。中道なのだ!と妄想しても実際我々は死んでしまうし、
いくら傷みも快楽もない。中道なのだ!と妄想しても、実際に大怪我すると激痛にのたうち回る。
空理空論中論教の妄想患者さんは、こんな子供でもわかる事がわからないのかな〜(絵文字略)
相互依存相対関係の縁起の法を説くなら、この世界は縁起により成り立っ無自性な空であるなら、相対関係の自性を設定しないと
論理的に破綻する。一方自性は相対関係の無自性を設定しないでも成り立つ。
自性は識別しえないもので単独で成立するものだから。ましてや識別し得ない自性と呼ばれているものを、
識別する自性という名称で扱い、無自性という相があらわれるので自性はないとやる中論は、はなからまちがってると、
なんで空理空論中論教妄想患者さんはわからないのかな〜(絵文字略)
この二元世界の束縛中でいくら中道を当て嵌めても、無意味な言葉遊びにしかならないって、どうして
空理空論中論教妄想患者さんはわからないのかな〜(絵文字略)
もう一つ中道をいくものがある。それは不二一元の真我だ。
彼は多と相対関係にあり、自性と呼ばれているものに縁して生起した単独では成立し得ない
無自性な空であるが、二元世界の束縛にはない。一は全てであり、全ては一である。
彼も善悪を越えた、中道をいくものだ。
35 :
神も仏も名無しさん:2012/10/20(土) 18:08:23.85 ID:DpMMWT5n
>>31 ここまでで終わり.教えについてはこれ一度だけ.
もうこうゆう書き込みはしないよ.
36 :
カラスの唄:2012/10/20(土) 18:20:02.49 ID:W29py46q
>>25 だから君の話は無意味なただの言葉遊びだってなんでわからないのかな〜(絵文字略)
戯論、言語界が全て滅んだなんてのは、自性と呼ばれているものの領域しかないんだよ。なにせ彼は無だからね。
二元世界の束縛にある領域しか認めないで、そこに無理矢理中道を当て嵌めても無意味な言葉遊びにしかならないんだよ。
文字通りの戯論だな。日頃得意気に戯論の滅をうたいながら、君らが一番、無意味な
戯論に夢中になってることに早く気付けよ。
37 :
カラスの唄:2012/10/20(土) 18:40:34.65 ID:W29py46q
>>35 そのほうがいいかもね。ここには正真正のパーピマンがいるからね(苦笑)。豚に真珠を投げても仕方ない。
ところであなたの宗派はどこなんですか?
>>34 だからw
この世のどこに、(少なくともこのスレに)、
>いくら傷みも快楽もない。中道なのだ!と
のたまってる人がいるんでしょうか?
貴方はいつもいつもそうw
居もしない人物像を勝手に作り上げ、それに対してレスを入れ揶揄し、
或いは、話題に上ってもいない話を持ち出して、その件に対する居もしない対論者へ意見を述べて、
御満悦で去っていく・・。
傍から見ると、滑稽な一人芝居でしかないんですけどねぇ・・w ┐(´ー`)┌
伝統を大切にするのは大切だろう。しかしそこに誤りがあったら、
その誤りに気づかなければならない。伝統だからと盲信したら、せっかくの
一生を棒に振る。伝統だからと強弁していたらダメだ。むしろ逆に、
いつも伝統を疑い、それを批判する話に耳を傾ける謙虚さが欠かせない。
真理を伝えないような伝統には価値がない。
40 :
カラスの唄:2012/10/20(土) 19:14:33.52 ID:W29py46q
>>38 ハイハイ、俺達はそんなことは言っていない。君らお得意の詭弁は聞きあきた。せいぜい君らの商売道具の詭弁を極限にまで研ぎ澄ましてください。
君らがいくら四の五の言おうと、空理空論中論教の人達の能書きは
ただの言葉遊びなんだよ。俺はそれを指摘してあげてるだけ。
なんでわからないのかな〜(絵文字略)
テキストに基づけば、議論の客観性が確保されるわけでもない。
テキストも最初は、作者の主観で書かれている。それ自体が主観の産物だ。
そのうえ、どのテキストを選ぶかによって、論者の主観を巧みに隠ぺいする
こともできる。さらに、テキスト主義は議論を瑣末にし、議論のテーマを
著しく狭くする。仏教は戒定慧・経律論とあるのに。
オウムなどの新興宗教が盛んなのは、伝統仏教が真理から遠ざかり、
人々から見捨てられたからだろう。そういうことに耳をふさいで目をつぶり、
伝統仏教を擁護しても、問題は解決しないし、ますます興ざめするばかり。
いくら学んでも、いくら修行しても、なんで悟れないわけ?
仏教には何か根本的な欠陥がある。〜 状況は伝統的なキ教も同じ。
43 :
神も仏も名無しさん:2012/10/20(土) 20:07:33.55 ID:X+O3p4S6
個人的に、涅槃=ブラフマンと考えてます。
>>42 寧ろ、現代日本仏教がテキスト無視して(現代人の要求に合わせてきた)弊害なんじゃねーの?w
45 :
神も仏も名無しさん:2012/10/20(土) 20:26:10.56 ID:FoknYNxV
46 :
神も仏も名無しさん:2012/10/20(土) 20:30:26.47 ID:FoknYNxV
一代氏や釈迦仏教が、オウムの原型。
47 :
神も仏も名無しさん:2012/10/20(土) 20:51:29.92 ID:hI4aikA4
ほんとに釈迦仏教盲信だったらオウムはせいぜいスマナサーラさん程度の攻撃性しか持ってなかったろうなあ。
ちゃんと師について、密教に進むなら顕教をしっかりやって、
って感じじゃないとチベット仏教を盲信したとは言えない。
オウムに対してはああなる位ならアンチョコ元を正式な形で盲信してればマシだったのに、
と言えよう。
48 :
神も仏も名無しさん:2012/10/20(土) 20:54:03.34 ID:FoknYNxV
49 :
カラスの唄:2012/10/20(土) 21:05:06.71 ID:W29py46q
人が無と成りて仏と書く。正確に言うと自性と呼ばれているものと真我は違う。
真我(ブラフマン)とて全ての根源たる自性と呼ばれているものが生み出したもの。全ての根源たる自性と呼ばれているものは、
その性質上それ以上のものはない至高の存在(本質は無だけどな)なにせ全ての根源であるから。
ゴータマは自らを仏と称してその至高の存在として振る舞った。原始仏典などでときおり真我たるブラフマンを見下し、ゴータマを
上に見立てた記述があるのはそういうこと。でもブラフマン(真我)は自性と呼ばれているものの
境地である安息日の主(あるじ)なんだよね。なぜなら真我(ブラフマン)がなければ本当になにも無くなっちゃうからさ。
w
>>49が言葉遊びでなかったら、一体何を言葉遊びと称せばいいのやら・・w (´ー`)y━~~
51 :
神も仏も名無しさん:2012/10/20(土) 21:10:02.69 ID:FoknYNxV
結論的に、開祖・教祖・教典盲信が、宗教の最大の病理。批判が心理的に
不可能になる。
>>2 >『しかし、比丘たちよ、
>生まれもしないもの、生成もしないもの、作られもしないもの、形成されもしないものがあるから、
>生まれるもの、生成するもの、作られるもの、形成されるものの出離が知られる(paJJAyati)。』
セブン抽出の訳文“出離が知られる”
『出離が、覚知されるのである』(テーラワーダ初期仏教研究)
http://www.j-theravada.net/sakhi/udana.html の双方を見ても同様、
“知る”ことと、そして“覚知される”ためにはその主体が必要です。
涅槃を何(誰)が知るのか?何(誰)に覚知されるのか?ということ。
ご隠居の特異なフレーズは使いたくないけれど、
己れの我を以って無我を語り、己れの我を以って涅槃を覚知することになる。
子供じゃないんだから、いつもまでの屁理屈ばかりで駄々捏ねてはいけませんよ。
誰が涅槃入りを知るの?いい加減に大人の返答で答えてけれ〜〜!!
まずは、スレ建てサンクスm(__)m
>そこに何か残ってたら涅槃にならないの。
追記:
消え去るものとは、
涅槃以前までの煩悩に塗れた自己であり、
煩悩と穢れがすべて取り去れる。
そこに残るものとは、本来の清浄そのものであるところの自己です。
『この心は清浄である。しかし、これは本来的なものではない煩悩によって汚染されている。
…教えを聞かない凡夫たちは如実にこれを知らない。それゆえ、凡夫は心を実修していないと私は説く。
…教えを聞いた尊い弟子はこれを如実に知っている。それゆえ、教えを聞いた尊い弟子は心を実修した
と私は説く。』(SN.I/増一阿含経)
「教えを聞かない凡夫は如実にこれを知らない」
=アートマン否定の伝統仏教者たちすべてのこと
54 :
今日のところは名無しで:2012/10/20(土) 21:22:28.33 ID:edzRhL72
>>前スレ915
>オイオイ、そりゃ逆だぜ。
>部派が君の立場に接近して涅槃を無為にして実体化したと水野先生は言ってるんだが。
『存在についても、原始仏教では生滅変化する現象法だけを一切法としていたが、部派仏教では現
象としての有為法だけでなく、生滅変化しない常住不変の無為法をも存在の中に加えるようになった。
この意味で、阿毘達磨においては法処の中に有為法や無為法が摂せられ、原始仏教とは違った
性格のものとなった。(p143)』(水野著『要語』)
つまり、阿毘達磨の解釈論として「有為」「無為」の二つが建てられたのであって、
“生滅変化しない常住不変の無為法”という理解そのものについては別に何も間違いじゃない。
これは、『ウダーナ』8:3にも明らかなこと。
「ただ無為は涅槃のことであって、存在としては説かれない」
というのが仏教の立場だというのを押さえておければ問題なし。
それと、この無為は一切法ではないし、空とは現象界の性質に限定される法です。
>>前スレ915
>それと一切法は仮設だから、それって縁起・空ってことなんで --中略--
>少なくとも涅槃は不生とされる。それは空と同じ意味だから。
『われわれにとっての世界は現象界のみである。この意味における一切の現象界を仏教では一切
とか一切法とか呼んでいる。仏教が取り扱うのはこの現象界に限られる。(p127)』(水野著『要語』)
現象界に限られる法が一切法。別名「有為(法)」です。
「空」もこれに限定されるのであって、そこに「無為」は入らないから。
そして同じく、「不生」と「空」が同義というのは認められませんね。
>それと一切法は仮設だから、それって縁起・空ってことなんで --中略--
>少なくとも涅槃は不生とされる。それは空と同じ意味だから。
『われわれにとっての世界は現象界のみである。この意味における一切の現象界を仏教では一切
とか一切法とか呼んでいる。仏教が取り扱うのはこの現象界に限られる。(p127)』(水野著『要語』)
現象界に限られる法が一切法。別名「有為(法)」です。
「空」もこれに限定されるのであって、そこに「無為」は入らないから。
そして同じく、「不生」と「空」が同義というのは認められませんね。
>>前スレ919
>そこを区別しなければ、永遠に平行線のまま。
その同一用語で同じものを指して論じているのかどうか?
については、もう彼らとの論戦とううのは永いものなので解消済みと思っています。
>これは論理でも体験でもなく。「無我」を掲げ「無我」によって歴史を重ねて来たので信念に近い。--中略--
>彼らのアイデンティティを傷つける事は、すべきではない。
>仏教とは、内向きな宗教。他って置いて欲しいのだ。
この私は誤解と迷信として見なしていますが、
しかし、彼らにとってはここが仏教の仏教たる核の部分であり、
誇りにしている部分でしょうから、もちろん断固としてそれを認めませんね。
では以降は、
彼らに接する歳には(彼らを尊重して)、“異説あり”という姿勢に変更することにます。
あっ、インドでは1,000数百年もの間、誰も仏教徒(無我思想)のことを相手してませんから・・・
その点はご心配には及ばすかも。
58 :
神も仏も名無しさん:2012/10/20(土) 21:28:54.91 ID:hI4aikA4
「自己」が通力とか超認識とか小ざっぱりとした人格を得て、
輪廻もしなくていいようにパワーアップするのが涅槃かあ。
>>51 純粋な信仰集団でも、どこかで利益集団に変質してしまう。
教祖に反対する者は、脱落したり、追放されたり、殺されたりする。
教祖が神格化され、集団は上下関係の組織になる。
集団が信仰を貫くのは難しいのだろう。集団自殺もあるね。
60 :
神も仏も名無しさん:2012/10/20(土) 21:44:27.89 ID:ZkmYrD3K
>>59 開祖の「教え」が、初めから誤っていたことを証明している。悪いのは、
「信者」ではなく「開祖」。
>>60 オウムの場合は、雑誌や宗教学者などが持ち上げたから図に乗った。
開祖・麻原に問題があったのはまちがいない。
しかし初期の仏教やキリスト教は、ストイックな集団であり、
オウムなどと同列に論じるわけにはいかない。
62 :
今日のところは名無しで:2012/10/20(土) 21:55:14.59 ID:edzRhL72
63 :
神も仏も名無しさん:2012/10/20(土) 22:13:01.54 ID:hI4aikA4
涅槃の境地というものは永遠の昔から、また永遠の未来まである。
作られたものではない(釈迦のアイデアではない)だから過去にも仏が現れたし、
未来にもまた仏は現れるだろう。
生物が子孫残したり、地形が時代によって変動したり、という現象と違い、
涅槃というものはそうした六道の中で起こるような連続性や生滅ではない。
そのようなものを滅した先、有為法的なるもの全てを脱却した先にあるのが涅槃。
という感想を
>>52を見てもった。
設定上はアートマンと共通部分がある。輪廻を脱しただの、地上のあれこれと違うだの、不滅の境地だの、
しかし釈迦がこれを涅槃と結びつけたことはない。
外野から見ればそんなに代わり映えはしないが、当の本人にとっては
ユダヤ人にとってのヤハウェとマルドゥク、クリスチャンにとっての
イエスとホルスくらいの違いがあるのかもしれない。
釈迦があんまり異論にバトルをしかける性格でなかっただけで。
釈迦の言う所の仏陀や阿羅漢になった人物は、いろいろと
煩悩がとれて清らかにはなっていると思われる。少なくともそういうことになっている。
生きているうちはそうだろうが、もう転生することの無い最後の肉体を失った後はどうなるのか?
如来の死後については語らなかったらしいが、
たとえば消滅ならアートマン教義とは明確に異なることになる。
食べなければならないから、信仰と世俗を両立させるのは難しい。
ここら辺に、宗教集団が堕落する原因があるのではないか。
インドのように、出家や托鉢が許され、在家信者から多額の布施があれば、
純粋な信仰が維持されるかもしれない。〜 オウムがこれをマネたけど、
オウムの場合は開祖・麻原に問題があったから破綻してしまった。
65 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/10/20(土) 22:32:56.01 ID:0dRU01fE
大智度論では、阿羅漢は方便力が無いので涅槃に入れば輪廻しませんが、菩薩は方便力があるので輪廻できるそうです。
如来は無量寿ですが、輪廻できるようですね、法華経では。
これまで菩薩の前世は阿羅漢だと思っておりましたが、論理的には阿羅漢を飛ばさないと菩薩にはなれないかと思料します。
議論板の各位はどう思われますか? 釣りではなく、素朴な疑問です。
>>前スレ919
>神智学は神智学で問題あるねw
完全無欠の100%というものは存在しません。
よく読めば、神智学といってもただの学徒による研究著の類の場合などは、
過剰神格化の部分等は見抜けますね。
まず崇拝と丸呑み信奉はいけない(これが神智学精神道)。
〜はい、あなたからのご忠告は
すべてその通りだと思います。
>>前スレ923
神智学文献。
けれどもこの程度のことならば、
他の西洋オカルティズム全般や、もしくは比較宗教の学問分野で明らかでしょう。
>>前スレ925
言わないでしょう!
私の知る範囲では知らない・・・。
他の諸宗教にも一致した真理が見られるといった、
他宗教に対する同調性や万教帰一的な柔軟姿勢のことでしょう。
殊、このアプローチ(姿勢)の取り組みについてはこの近代以降〜強力に進められてきました。
私は、ヒンドゥーの意識レベルの高さの顕れであるとしてこれを高く評価します。
>>前スレ653
>>死という生命の根元的な苦への根本的な滅への道を
>それが、 【単純に】『死なない』ということであるなら、
>(少なくとも、宝珠や在家や貴方の主張はそれでしかありませんが・・w)、
>あまりにも愚劣だと言わざるを得ません。
逆に聞きますが、
では、苦の滅に成功すれば生死を繰り返していいと?
或いは、苦の滅と生死は無関係であると?
私は両者は切り離せない不二の関係であると見ています。
尤も、不死とはいっても肉体生命に対して固執する肉体維持という意味ではありません。
意識の不死に対する永劫的な連続性のことです。
69 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/10/20(土) 22:42:39.70 ID:0dRU01fE
>>56 宝珠氏
>現象界に限られる法が一切法。別名「有為(法)」です。
そうですね、「一切皆苦」の一切には仏は含まず、「諸行無常」の諸行には涅槃は含まれずでしょうか
仏も涅槃も「無為法」。有為法と無為法とをあわせると真の一切でしょうね。
キリスト教、イスラム教、神道等は「常住」に拘り、仏教徒は「無常」と思い込んでいるかと。
法華経の如来無量寿品の一つの訳で「仏の眼で見れば、仏も世界も常住で美しい」とありましたが、うまく言い当てているかと存じます
70 :
神も仏も名無しさん:2012/10/20(土) 22:54:14.33 ID:hI4aikA4
>もしくは比較宗教の学問分野で明らかでしょう。
それはない。イシャーナ天とイザナギ、大黒天と大国主を
結びつける程度の意味しかない。単なる、音からの連想ゲーム。
>>前スレ613
>なぜなら、アートマン、実在、実体、本質というような
>何らかの第一原因を想定する見解を持っていては縁起にならないからです。
では問う!
その縁起(第一原因)の作用そのものは何故、生じますか?
それは、いつどこから、そして何によって。
その作用する力は何処からくる?
それが説明できないのであれば、
神(創造主神)とアートマンを否定する資格(理)などなし。
と、思うよ!
>>前スレ567
>まだ腰を据えて読んでいない。齧っただけ。
>もうひとつの身心と、1日にあと10時間欲しい。
>時間ができたら、シャンカラ、クリシュナなどと共に読む予定。
大王も私同様に多忙のようですね・・(笑)
私は、『ギーター』については『世界の名著1 バラモン経典/原始仏典』中央公論社刊)
のが気に入っていますが、他、クリシュナ意識国際協会刊などもあります。
以下、
名称が似てるので読者の便宜のために一応・・・。
聖者/聖典など
---------------------
ラーマ王子/叙事詩『ラーマヤーナ』
クリシュナ/叙事詩『マハーバーラタ』内の『バガヴァッド・ギーター』
ラーマクリシュナ/近代の聖人-ラーマクリシュナ・ミッションの大聖
クリシュナムルティ/近代の聖人-神智学協会がインドから見出した霊的教師
73 :
神も仏も名無しさん:2012/10/20(土) 23:17:58.63 ID:hI4aikA4
>>71 >それが説明できないのであれば、
>神(創造主神)とアートマンを否定する資格(理)などなし。
理を放り投げない宗教は無い。
どっかで説明を放り投げる。例外は無い。
>>前スレ627
>どうしても仏教だけは他の宗教とは違う特別なものにしたいおまえは認めたくないかも知らんが、
>ゴータマが悟りを開いた瞑想は、あくまでヨーガな。君ら仏教徒は一番肝心なものが抜け落ちているから、
>いくら座っても悟れないよ。残念だったね。せいぜい中論などに被れて無意味な言葉遊びで迷ってればいいよ。
同意。
仏教者たちにいいますが・・・
仏典のDhp.282,372でも、「心が統一され」(Yoga)と述べられているように、
仏教の瞑想は古代ヨーガに起源があると見るべきです。
『ヨーガ・スートラ』の成立には仏教徒が関わっていた可能性もあると見なされるほどで、
初期仏教(原始仏教)の影響から瑜伽行唯識派の発展のキッカケすらもヨーガ・スートラには見る
ことができるともいわれていますから・・・。
投稿を見てると随分と瞑想の分類と区分けに忙しい様子ですね。
まず数息観で意識を鎮めてからでないと話にならないと想う。
呼吸の出入をありのままに観察する随息観に応用することも可。
とにかくまずは、
サビカルパ・サーマディ(自律神経系統を制御して、殆ど完全な無呼吸状態に肉体を持っていく)
に達するレベルまでいかないことにはお話にならないものと思う。
この技法の修得によって初めて、100%意識の完全集中が達成できる。
ヒンドゥーで時折り、土中サーマディの儀式が執り行われるのは、
行者がサビカルパ・サーマディに達せさせれているかどうかの客観的な確認の為のもの。
未達失敗であればそのまま死が待っているから、行者自身に確信があって初めて実施される。
>>前スレ513
>梵網経の62見には時代を現在(当時)に限定する文句はありませんが、
>あくまで当時限定とするなら、釈迦が、過去七仏等仏法の聖者や
>その弟子以外から、解脱者が出た、と認めた例はあるのでしょうか?
逆に問いたいところですよ。
彼ら過去仏は、仏教以前のどんな教えに添って解脱したのでしょう?
つまり、仏教以前の仏教と同等の教えによってですか?
それが、真実の正しいヴェーダの解釈及び実践とはどう違うというの?
>>前スレ512
>>>前スレ474
>書題、聖典名としてのヴェーダとすることには無理があります。--中略--
>三ヴェーダを学び、信じ、また実践する、です。
>バラモン階級からの改宗者もおり、それを行として組み込み、
>やらせることは可能であったにも関わらず、です。
暇人さんも気付かれてますけれど、
>スッタニパータを読んでいますと
>「書題、聖典名としてのヴェーダ」の場合もあり、
>>535 『三つのヴェーダ(明知)を具え、心安らかに、再び世に生まれることのない人は、諸々の識者に
とっては、梵天や帝釈[と見なされる]のである。ヴァーセッタよ。このとおりであると知れ。』(Sn.656)
“再び生を受けない人”ということは完全な解脱を意味しています。尚、“梵天や帝釈”というのは、
中村氏の解説によれば当時、最も崇敬されていた神であるということで、誰もが認める最も崇高な
存在という意味として讃える言葉です。つまり、輪廻を免れない諸天という意味などではありません。
8:1 (因縁略)。
『比丘たちよ、このような境地(Ayatana)があります(atthi)。
そこには、地(paThavI)もなく、水(Apo)もなく、火(tejo)もなく、風(vAyo)もなく、
空無辺処(AkAsAnaJcAyatana)もなく、識無辺処(viJJANaJcAyatana)もなく、
無所有処(AkiJcaJJAyatana)もなく、非想非非想処(nevasaNNAnAsJJAyatana)もなく、
この世(loka)もなく、あの世(paraloka)もなく、月・太陽(canima-suriya)の両者もありません。
比丘たちよ、私は、そこに来ること(Agati)も、行くこと(gati)も、止(とど)まること(Thiti)も、
没すること(cuti)も、生まれかわること(upapatti)も説きません(na vacAmi(vadAmi))。
依り所のないもの(appaThitta)、生起のないもの(appavatta)、
所縁のないもの(anArammaNam)が、すなわちこれ(etamM)です。
これがすなわち苦の終わり(anto dukkhassa)です』
8:4 (因縁略)。
『依存する者(nissita)には、動揺(calita)があり(atthi)、依存しない者(anissita)には、動揺がない(natthi)。
動揺がなければ、軽快(passaddhi)があり、軽快があれば、屈従(nati)は起こらない(na hoti)。
屈従がなければ、来と去(Agati-gati)は起こらない。
来と去がなければ、没と再生(cuti-upapAta(cutu-upapAta))は起こらない。
没と再生がなければ、この世に(idha)だけでなく、あの世にも(huraM)、両者の間にも(ubhayamantarena)ない。
これがすなわち、苦の終わりである。』
80 :
神も仏も名無しさん:2012/10/20(土) 23:34:54.70 ID:hI4aikA4
>>75 釈迦と同じく、他宗教で学んだりするけど結局は退けて
自力で悟ったという設定だろうなあ。
釈迦のアイデアが、彼の創作じゃなくて実際にある法(ダルマ)だとするなら、
別に釈迦に学ばなくても、仏教が仮に滅びても、誰かが気付いたり見出す可能性はある。
自然法則みたいに。また
リシたちが感得する前にはヴェーダに書いてあるような法は無かったのか?
たぶんヒンドゥー教徒もそうは考えない。
>>76 それが書題としての三ヴェーダで、それが要件ならば学ばせてるだろう。
81 :
神も仏も名無しさん:2012/10/20(土) 23:38:44.53 ID:hI4aikA4
資源を使わない理由が本当にわからない。
84 :
神も仏も名無しさん:2012/10/20(土) 23:51:20.58 ID:hI4aikA4
ヨーガは使うがヴェーダ聖典は使わず、
アートマンに言及せず、わかる人にはわかればいいという立場。
コラージュみたいな人物像だなあ……
難陀に対してけっこう手段選ばなかったけど、
ヴェーダ聖典を学ばせる程度の方便を差し控える。
>>前スレ477
>>>前スレ475
>>そして、ゴータマが称賛するバラモンとはヴェーダの究極の目的に達した人を意味し、
>>それは“仏教の説く涅槃”と同義で語られていることは>>前スレ390で示した通りです。
>>当時のバラモンたちに完成者がいなかったので、それを達成してみせたのがゴータマでした。
>
>確かに一理ある思います。ただ仏教では、絶対認めないでしょう。
>(なぜ、認めないのか私にはわかりませんが)--中略--
ゴータマがバラモン教の一派に過ぎない的な言い方はちょっと語弊が生じますけれど、
しかし、ゴータマ当人の意識の中では、“これこそが本物のバラモン・ヴェーダの真理だ”
といった熱き想いであったろうことに私は強く確信します。
そして、このゴータマの説かれたものが、単に仏教と呼ばれて区別されていったのだ、と。
このことは、パリサイ派やサドカイ派といった古典的伝統ユダヤ教徒たちと議論を戦わせていた
当時のイエスが、我こそが真実のユダヤの真理を確信する(彼等の理解は間違っている)
として教えを説かれていたのに酷似するものです。
これが後にキリスト教と呼ばれて、結果的にユダヤ教とは分離区別されるに至ったのです。
>>5 はい、ですねぇ!
この空海著作、『吽字義』についての解説部分からみて、まず間違いないでしょう。
私は、密教(後期大乗)はバラモン・ヴェーダの古代叡智を導入し、
現代にまでこれを伝えているので価値が高いと思っています(貴重だ!!)。
聖音OMは、世界中の正しい宗教には必ず言及されているか、
本物の聖者によって伝えられ使用されているものと思います。
チベット仏教では「フーム」(フーン)、イスラム教徒は「アミーン」・・・などとして。
たぶん、空海も修行中にこの聖音を聞いたのでしょう。
前スレで私は、「修行の熟達した者には」といいましたが、クリヤヨーガのマスターにいわせれば、
「初心者によってもしばらくの実践によって誰にでも聞くことができる」と明言されています。
私などはクリヤヨーガの方はサボってしまっていて、まだ聞いたことがありませんが・・・。ハハハッ
私が実践している神智学系の瞑想は、敢えて意図的に深く意識を沈めないタイプのものなので、
これでは聞けないのです。
(瞑想中という意味ではなくて、喉のビシュダー・チャクラの活動する音は何度も聞きましたけど)。
仏教圏で“聖音が聞こえる”という伝承なり、その指導がないのは、
聞こえるレベルの意識の深い瞑想に入らないからではないでしょうか?
ヨーガの究極では、心拍呼吸をほぼ停止するレベルまで肉体機能を止めるほどに深く入りますけれど・・・。
88 :
神も仏も名無しさん:2012/10/21(日) 00:48:48.80 ID:R3OZcsOe
だから.仏教では「梵(ブラフマン)我(アートマン)一如」とは.決して.考えません.
其処でいう【我(アートマン)】とは「自我を自我たらしめる本質」という意味です.
仏教としては「そんなものは.【ない】.」です.
もし無理に同じ形式で言うなら「如来如来一如」で.如来は如来に決まっている.
そんな当たり前な事が何故分らぬか.分りたくない理由があるのだろう (カルトか?)
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/639 「(過去)(私が為した)業があり、その果が(今)(私に)結ばれている」
「(今)(私が為した)業があり、その果が(未来に)(私に)結ばれる」
「(過去)(私が為した)業があり、その果が(未来に)(私に)結ばれる」
「(前世に)(私が為した)業があり、その果が(今生に)(私に)結ばれている」
「(今生に)(私が為した)業があり、その果が(来世に)(私に)結ばれる」
「(前世に)(私が為した)業があり、その果が(来世に)(私に)結ばれる」
上記から、(>> 390が言うように)「時系列」を(→恣意的・世俗的区分を)抜きます。
「(私が為した)業があり、その果が(私に)結ばれる」
更に、仮設されている「我、自己」を(→所縁によりその時のみに認められる主体を)抜きます。
「業があり、その果が結ばれる」。 これが勝義(に於ける業報)です。
順序はこちらの方がよいかもしれません。
上記から、仮設されている「我、自己」を(→所縁によりその時のみに認められる主体を)抜きます。
「(前世に)業があり、その果が(今生に)結ばれている」(他略)
更に、(>> 390が言うように)「時系列」を(→恣意的・世俗的区分を)抜きます。
「業があり、その果が結ばれる」 これが勝義(に於ける業報)です。
そこには、「時制(或いは三世)」もありません。「行為者」も「果報を受ける者」もいません。
諸法が縁起しているだけです。 だから、「無常」であり「無我」である、と。
時制がないから、始めもなく終わりもありません。
ですから、如来には(解脱者には)世俗的(自己・自我の)生も死ないので「不生」であり、「不死」です。
「時制に区切られた死」はなく、五蘊の滅に際し「般涅槃」と言われます。
上の形式で言えば、「縁により五蘊の仮和合があり、縁により五蘊の滅という果があるのみ」となります。
それが如来の般涅槃です。ですから後有がありません。
凡夫は、上で抜いて来たような「各( )」(特に「私」)があるために、輪廻し、後有を受け続けるのです。
90 :
神も仏も名無しさん:2012/10/21(日) 00:54:51.83 ID:bNDukueH
すぐ下で簡潔に返答がなされているのもいつも通りか。
389 神も仏も名無しさん 2009/08/29(土) 17:08:47 ID:z/ZHfGLg
>> 388
輪廻において「生まれ変わりの同一性を担保する基体」が無ければならない、
という発想は、「生まれ変わり」つまり無常をバラバラであることだと誤解してる、ということです。
バラバラだと誤解していないなら、何故、統一者が必要だ、となるでしょうか。
しかし、バラバラなら、無関係なものから無関係なものが結果し得るから、
そもそも、無常になる必然性はありません。
ですから、統一者は?という質問そのものが崩壊します。
390 神も仏も名無しさん 2009/08/29(土) 17:10:06 ID:z/ZHfGLg
>> 389補足。
ちなみに、一期の生存を超えた輪廻転生問題でなくとも、
この一期の生存における、過去・現在・未来の経験の統一性の問題でも
問題の本質は何ら変わりません。
665 神も仏も名無しさん 2009/08/31(月) 22:44:05 ID:tp2CbPG2
>> 390の趣旨は、一期の生存を超えた、輪廻転生における統一問題であろうが、
一期の生存内の過去・現在・未来の経験の統一問題であろうが、
統一問題が起っていることに違いは無いという意味。
したがって、輪廻転生と一期の生存は無区別といったことは意図してません。
667 神も仏も名無しさん New! 2009/08/31(月) 22:49:11 ID:tp2CbPG2
>> 665補足
私の意図とは異なるとはいえ、
>>639はそれとして考え、否定するものではありません。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1256486743/412 412 神も仏も名無しさん sage 2009/11/06(金) 00:54:55 ID:3ZmYfBTK
>> 410
そうではない。
【《「連続性」はある》が《「同一性は」ない》】というのが、縁起に則った「(三世に跨った)輪廻」だから。
「次の生を受け、生きている存在」は、「過去の存在と同じではない」。
(PTS辞書が“new birth”と釈しているのもまんざらではない。)
過去、「肉親であったという関係性」は、死(≒五蘊の滅)と再生(≒五蘊の生起)との間で消失する。
再生した存在は、別人(別存在)。
(ここに於いて意味のある連続性は、(当人としての)業果が連続しているということだけ。
他者との関係性は問われない。外から見て・第三者から見て・客観的に同一であるかどうかは問わない。)
仮に、食されるサンマが前世でAさんの爺さんであったとしても、
今まさに食されるその瞬間、サンマがAさんの肉親であるわけではなかろう?
あくまでも、サンマの時はサンマでしかない。
(過去)所縁によってAさんの爺さんという存在であっただけであり、
(現在(今))所縁によりサンマであるだけだ。
言語習慣上、世俗上、仮設される同一性を見てしまいがちだが、そのようなものはない。
「爺さん(という関係性)」も「(食される)サンマ(という関係性)」も、
それぞれ、その時その時の縁により生じ、構築される関係性に他ならない。
だから、単語上の「非我」が「無我」へと昇華される。
案ずる必要はない。
93 :
神も仏も名無しさん:2012/10/21(日) 01:26:43.81 ID:44Rc5/mm
>>92 同一性がなければ、「輪廻転生」や「解脱」と言う言葉は全く無意味。
「案ずる必要はない」w。
>>5 >初期の仏典には一言もでてこないのは奇妙に思える。
はい。
「真のバラモン」「ヴェーダ」「ブラフマン」を称賛する言葉は多様されてますが、
あまりにも実際的なヨーガとその神秘についての言及が見当たらない・・・。
もしや、バラモン教嫌いのアレルギー仏教徒らによって削除された?
仏教者のバラモン・アレルギー(偏見)はホント酷いから・・・。
>>22 これは驚きました。凄いですねぇ!
縁起的というか、まさにウダーナ8:3的な印象がありますね。
万教帰一の一端を見た思いです。
--感謝!!!
>>24 私も暇人さんに一票かな!
>>94 そうじゃないw
「あいつはお茶出しのプロだからな」という台詞が、「プロ」という語が、
真にプロフェッショナル、或いは職業としてのお茶出し人を意味するものでない如く、だ。
何度言われたら判るんだ?w
暇人に軍配とかw
自歓喜経の読みは、在家・暇人共に完全に誤読だ。
劣化したな・・・ >>宝珠 w
99 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2012/10/21(日) 01:52:13.15 ID:IrXGxiL+
>>50 お前は言葉遊びの定義も知らないんだな。俺の話を受け入れるなら生死を超えた人の根源的な苦の滅の
具体的な道が開ける。不二一元の真我。善悪全ての根源たる自性と呼ばれるものこそ中道を具現化したもの。
あとは直観知で得られるまでは信仰の問題だ。
ところが君ら唯物末法仏教は二元世界の束縛にある我々と我々の認識世界の中でやれ中道だのと説いても
それは実のともわないただの言語上のものでしかない。
こういうのをただの言葉遊びだと言うんだよ。こんな簡単なことがなんでわからないかな〜(絵文字略)。
自性と呼ばれているものの性質は一方の見方によれば無であるけど、一方の見方によれば自性そのものの話は
自性と呼ばれているものの本質を語っているもので、決して無意味な言葉遊びを語っているわけではない。
たとえば太陽の光の当たる月の面をみる者は月は光輝いていると説明する。
一方太陽の光の全く当たらない裏側をみる者は月は真っ暗闇だと説明する。どちらも正反対のことを言っているが、
どちらも同じ月である。こういう話をしている。決して君らの中道論のようなあくまで言語上だけの本質的には無意味な言葉遊びの
空理空論を話しているわけではない。なんでこんな簡単なことがわけではないのかな〜(絵文字略)
>>99 wwwwwwwwww
>どちらも同じ月である
これが、譬えとして(或いは仮設として・言語慣習上のこととして)のものでなく、
真に『そこに “月なるもの” がある』などと考えているとしたら、
それこそが『反縁起』であり『反仏教』であり『反ゴータマ』であることが、なぜわからないかなぁ・・w
そこには、そうした“相”しかない、というのが仏教(≒ゴータマの示したこと)なのに・・・。
101 :
神も仏も名無しさん:2012/10/21(日) 02:00:19.85 ID:bNDukueH
真のバラモンの「バラモン」というのは
サムライブルーの「サムライ」でしょ。
102 :
神も仏も名無しさん:2012/10/21(日) 02:12:54.77 ID:bNDukueH
>>94 >もしや、バラモン教嫌いのアレルギー仏教徒らによって削除された?
釈迦がもしヴェーダ聖典の実修等を認めていたのなら、
その流れそのものが存在し得ない。
改宗者にとっては元々アイデンティティの拠り所であり、実によく馴染むものだ。今も昔も
釈迦に自分が信じているもの共感するものを肯定してもらいたい人は少なくないだろう。(このスレでも見られるように)
釈迦が許せば諸手をあげて賛同し、実践されある種の「既成事実」になるだろう。
第一世代の信者がはじめて伝統になればこっちのものだ。
少なくともキリスト教圏のクリスマスやイスラム教圏のノウルーズよりは強固な慣習になるだろう。
ヒンドゥーを叩く際もヴェーダ聖典の真の護持者はウチだ、というやり方になる。
103 :
チラ裏メモ:2012/10/21(日) 02:24:08.76 ID:GEF0g08r
前スレで、容量の関係で書き込めませんでしたが、そのまま消してしまうのもなんなのでなので、一応
>>928>>914(前スレ)
宝珠氏と一代氏にお聞きしたい。(一代氏に関しては中論を押してるので、おそらく聞くまで無いですが)
仏教の長い伝統の中では、今では、おまけ程度の認識ですが部派仏教の説一切有部などが仏教の主流となっていた時代があります。
龍樹の中論も言わば有部のアンチテーゼとして生まれた物と云えます。有部は、結果的に龍樹に論破されるわけですが
現代まで続く龍樹自身やその主著『中論』の影響力・偉大さから逆に、その相手となる有部の凄さも感じ得るわけです。
私自身不勉強で、言い切りはできませんが、宝珠氏の言っている仏教は「有部」の思想に近い様に感じました。
一方一代氏の言っている仏教は、言うまでも無いですねw
つまり、お互い論破された側と論破した側で同じ「仏教」として話してるわけから、奥歯に物が挟まった様に成るのではないでしょうか。
前置きが長くなりましたが、お二人は、説一切有部についてどのようにお考えですか?
105 :
カラスの唄:2012/10/21(日) 03:17:41.51 ID:IrXGxiL+
>>100 ばぁ〜。俺はなぜ、ゴールは同じ真理を説いているのに、ゴータマは自性(アートマン)と呼ばれているものは
無いという立場で真理を説き、他の多くの聖者はアートマンを認める立場で真理を説いたかを、
月のたとえで分かりやすく説明しただけで、月がそこに本当にあると言えるのか言えないのかの実在論の話をしてるんじゃないんだよ。
なんでこんな簡単ことがわからないのかな〜(絵文字略)
意図的に揚げ足取りの論点のすり替えをしてるんならあんたは相当邪悪だし、論点も
わからず頓珍漢な反論をしてるならあんたは真性のアホだな。
>>55 私個人の印象では、宝珠氏の「一切」の議論は、初期仏教→説一切有部の流れの上での仏教にきっちりハマる様に思います。
逆に言えば、初期仏教→大乗を主張する一代氏には、馴染まない議論でしょう。
既に、宝珠氏自身が阿毘達磨について言及しているので釈迦に説法かもしれませんが、
具体的にいうと宝珠氏の言っている「無為=涅槃」は、三つの無為法・虚空無為・択滅無為・非択滅無意の内の
択滅無為に合致する様に思います。安易に言い切りはできませんが。
107 :
カラスの唄:2012/10/21(日) 03:30:45.02 ID:IrXGxiL+
>>93 アホか。たとえ人格は別人でも繰り返し自我(エゴ)を生み出す業を滅ぼすのが、業報輪廻転生からの解脱だろうが。
108 :
:2012/10/21(日) 04:15:59.51 ID:U+WTbHSc
スレが進んでると思いきや、オカルト馬鹿どもとキチガイが、また
蒸し返してやがるのかwwww
しょうがねえなww
>セブン
対話というのは、それが成立する相手と行なって初めて意味があるww
キチガイにいくら分からせようとしても、それは徒労というもであるwwww
当然バラモンはデジモンですよ!?♪。
110 :
カラスの唄:2012/10/21(日) 04:59:38.17 ID:IrXGxiL+
>>108 別に俺は宗教的にみればおかしな話はしていない。おまえよ。ここは宗教板なんだよ。
宗教板で宗教的な話をしてる人を見かけるとムーだのキチガイだのと言ってるお前の方がキチガイなんだよ。お前の
定義でいうと、神を信じるほとんどの欧米人はムー民でキチガイになるわるわけだ。信仰者をキチガイ呼ばわりするお前はキチガイじゃねぇのかよ。
ここは宗教板だ。仏教哲学を語り合いたければ哲学板に該当スレがあるのでそこでやれ。仏典をベースに文献学を語り合いたければ学問板で
該当スレを探すか立てるなりしてそこでやれ。宗教板で宗教の話をすればキチガイだのムーだのと荒らすお前は邪魔なんだよ。
わかったか?典型的なゴイムがよ。
111 :
:2012/10/21(日) 05:06:48.44 ID:U+WTbHSc
またキチガイが、勝手に妄想語りだしやがったwww
キチガイは、とりあえず対話ができる位に回復してから、書き込みせえって言うのwwww
112 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/10/21(日) 05:07:43.00 ID:TFELcSg/
>>107 カラスの唄氏
>アホか。たとえ人格は別人でも繰り返し自我(エゴ)を生み出す業を滅ぼすのが、業報輪廻転生からの解脱だろうが。
貴兄を真似て、譬え話をします。
梵網経、自歓喜経、沙門果経でも、意識が前世、前々世、前々々世を想起すると説かれております。
あの時代のあのような行為でこのようなカルマを積んだと次々に分かるそうです。
「生滅を繰り返す度に相続が起きる。」をコンピュータに譬えますと、メモリ(ハード)は消滅しても、情報(ソフト)は相続されるということでしょうか。
だからソフトのバグ(カルマ)も蓄積されると。。。この仮設は論理的には如何でしょうか。
因みに情報(ソフト、コンテンツ)の質量は「零(レイ)」。
言霊的には「霊(レイ)」と同じですね。
113 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/10/21(日) 05:21:29.90 ID:TFELcSg/
ここは哲学板でなく、宗教板ですので、浄土門に関するお話の続きをば。
祖母のメモより、祖父の寝言のことは下記にて不思議な話です。
目開きたる時は何も話す事が出来ず仏が御光臨になると眠って念仏を唱えられお辞儀の挨拶をされ仏典の中での有り難いお話をされる。
一人で二役または三役、次から次へとお話あり、声色、音声、時には重量感あり、威厳あり、時にはお優しくお悟し下され、全く俗界の対話のように明確な口調でお知らせを受く。
これが二三三回に及ぶ。
御仏名:
阿弥陀如来、釈迦如来、舎利仏、阿難陀、目連、法然聖人、覚如上人、蓮如上人、観世音菩薩、薬師如来、弥八地蔵、竹鼻地蔵、及び亡き祖父母他故人
当時(昭和5年)祖父は高校教諭で、仏教書を読むことも、お寺さんの講話を聞くことも無かったそうです。
114 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/10/21(日) 05:22:32.10 ID:TFELcSg/
第四十六回祖父寝言(昭和5年11月11日)
仏教における信仰はなあ、一元的か二元的かと云う事について色々説がある。(略)
世尊は八万四千のお話で聖道門と浄土門、その二つに大別してお話された。(略)
浄土門の方は人間生活離れんでも良いと云うが、ここが難しい。人間生活している以上親子夫婦の関係ある、常に喜びを持たしてもらっていても時には怒ることもあろう。
苦も無い慾も無いこともあろうたりして、権利役目を主張する職務がある、そういう様な煩雑な二元的生活せなあかん。聖道門は難しいと云ったが、浄土門も難しい。
(中略)
貪慾、憤怒、愚痴、これの三毒の煩悩が無いようになって、その代り有り難い大慈大悲が胸に浮かんで来る。
115 :
カラスの唄:2012/10/21(日) 05:47:40.49 ID:IrXGxiL+
>>111 あいも変わらずいい年こいてwwwwを多用しているお前の文章はキチガイじみてるな。
薬は飲んだか?キチガイ。別に他の人とは対話ができてるぞ。他人と対話ができないのはお前のほうだろ、キチガイ。
116 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/10/21(日) 06:06:40.69 ID:TFELcSg/
前世スレ
>>296 >衆生が阿弥陀仏の名をとなえれば、阿弥陀仏はそれを聞く。
祖父の寝言第五十九回(昭和5年11月24日)
(前略)世間では唯仏是真と云うことと其れから先達てお話した。
本願力に逢いぬれば空しく遇ぐる人ぞなき功徳の宝海充ち満ちて煩悩の濁水へだてなし、と云うこと。
浄土系の方のコメントをいただければ幸甚に存じます。
117 :
神も仏も名無しさん:2012/10/21(日) 06:19:43.45 ID:lg27h2t5
>>104 まず、中論、中観は有部だけのアンチ・テーゼとして生まれたのではありません。
オイラの見るところでは、中論は般若経を根本としながら、その根拠はアーガマ・ニカーヤに依っています。
つまり、特に有部というわけでなく、あらゆる見解、六十二見を戯論寂滅に導く中道の観、般若の観を説いた論書なので、
中村先生が説くような有部に対するアンチ・テーゼとして書かれたというのは、あまりに狭すぎると考えています。
有部は体系構築派ですね。マスプロというか、受験の教科書みたいな方向にいったと思ってます。
ゲルクや法相宗も同じ印象をうけます。
118 :
神も仏も名無しさん:2012/10/21(日) 06:21:49.68 ID:lg27h2t5
>>106 そうです。
初期仏教というか釈尊の仏教そのものを復古で説かれたのが中論
>>118>>117 アンチテーゼかどうか実際の中身の問題について個人的な意見はありますがわざわざココには書きません。
ただ、歴史的にみて、大きな(影響力を持つ)思想が出てくるには、対となる物が不可欠です。少なくとも
中道や般若の空を説く上で、大きな仮想敵として有部を意識していたというのは、説得力があるように思います。
有部を始めとする部派仏教も般若経や龍樹からの大乗仏教も
お互い相容れない思想ですがどちらも、初期仏教の伝統に乗っていると考えます。
宝珠氏・一代氏共に、有部(宝珠氏が有部の立場をした場合)・大乗が正しいとか正統とか言っていますが
私は、禅の「皮肉骨髄」のようなものだと思います。現在の状況からみて、慧可は、大乗となるでしょうが、
どちらも達磨(初期仏教)その人ではないと感じます。
>どちらも達磨(初期仏教)その人ではなく、2つに優劣を付けるべきではないと感じます。
途中で書き込んでしまった。余り変わりませんが訂正。
121 :
神も仏も名無しさん:2012/10/21(日) 07:20:09.32 ID:lg27h2t5
>>119 何が仰りたいのか分かりかねます
この文脈でいきなり慧可とか
122 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/10/21(日) 07:23:00.24 ID:TFELcSg/
>>117 オイラ氏
>まず、中論、中観は有部だけのアンチ・テーゼとして生まれたのではありません。
>オイラの見るところでは、中論は般若経を根本としながら、その根拠はアーガマ・ニカーヤに依っています。 (略)
>中村先生が説くような有部に対するアンチ・テーゼとして書かれたというのは、あまりに狭すぎると考えています。
横レスで恐縮ですが、私も中村元先生の著書を読んで、中論は「机上空論(言語論理世界で苦を証明したに過ぎない)」 と思いました。
その後、同じく龍樹著とクマラージュ(龍樹菩薩伝の著者)が保証する般若経解説書の大智度論(1〜30)を読みまして、初期仏典からの引用が多いことを確認しつつあります。
123 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/10/21(日) 07:25:58.69 ID:TFELcSg/
>>122 誤:机上空論(言語論理世界で苦を証明したに過ぎない)
正:机上空論(言語論理世界で空を証明したに過ぎない)
>>121 そこは、スルーしてもらって構わないんだが「皮肉骨髄」という禅の考案で
達磨の教えを最も深く受け継いだのは、髄を受けた慧可であると言う話に、道元禅師が、
皮肉骨を受けた他三者も同じように尊いと言った『正法眼蔵』「葛藤」と言う話に
初期仏教と有部と大乗を当てはめたと言うこと。
125 :
神も仏も名無しさん:2012/10/21(日) 07:57:31.55 ID:lg27h2t5
>>122 オイラも文献学だけやってた時、20年前ぐらいはそう考えたけど、
今は何も分かってなかったと恥ずかしく思う。
君に紹介した大智度論の和訳、何人かの共同訳、あれは酷いから参考にならないは。
読むなら梶山訳かラモット訳にしといた方がいい。
126 :
神も仏も名無しさん:2012/10/21(日) 07:59:28.39 ID:lg27h2t5
127 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/10/21(日) 08:51:16.17 ID:TFELcSg/
>>125 オイラ氏
>読むなら梶山訳かラモット訳にしといた方がいい。
再びのご紹介に感謝致します。 合掌
128 :
ウダーナ8-3再掲 大滝秀治:2012/10/21(日) 09:56:47.27 ID:ZmyP9yAd
>>95 宝珠
>縁起的というか、まさにウダーナ8:3的な印象がありますね。 万教帰一の一端を見た思いです。
いいえ、そういうことではありません。外道連中のご都合主義曲解です。
ウダーナ8-3における分別・無分別と言語表記の問題と<中道の感覚>を掴んでいないから、カラスや宝珠のように反仏法解釈に陥るのです。
仏法の基盤はあくまで『縁起の直接現実』であり、これの無分別智直覚を「縁起の現観」(悟り)といいます。
(1)世俗分別相に於ける勝義“示唆”⇒勝義(空・中道)は無分別相(無矛盾)ですから、言語表記(分別)不可です(中論22-12)。
世俗(分別)で表すなら<不(非)〇 不(非)△>と言う両極否定間接形式(四句第4)が限度です(中論18-8)。
それが上記ウダーナ8-3の<生じたのではないもの><(滅したものでないもの)>=不生不滅です。
(2)一方、世俗の一切内では二項相対分別で、【生じたもの⇔生じたものでないもの】【滅するもの⇔滅したものでないもの】と相対表現できます。
★勝義示唆の<生じたものでないもの>(無分別示唆)と、世俗の【生じたものでないもの】(分別)は相が異なります。★
ゆえに、ウダーナ8-3の趣旨は
★★世俗の【生じたもの⇔生じたものでないもの】(分別)という戯論を寂滅〔=出離が知られる(paJJAyati)〕することによって、
<生じたものでないもの>(無分別示唆:四句第4)⇒縁起の直接現実(あるがまま)の無分別智による直覚=悟り⇒大覚成就がある★★
―と言っているのです。
ウダーナ8-3は浅学者には誤解されやすく、無知な外道超越論者が曲解するところですが、
(直接)縁起撥無の超越論は仏法ではありません(龍樹 中論22-15、25-19)。
あくまで縁起の(直説&間接の二相)現実の「観」(悟り)=縁起の現観が仏法です。
129 :
チラ裏メモ:2012/10/21(日) 11:25:32.29 ID:GEF0g08r
>>105 >がそこに本当にあると言えるのか言えないのかの実在論の話をしてるんじゃない
いやいやいやいやw
貴方は原仏スレ時代からずっと、「ある」発言をしてきてるじゃないですかw
*(で、こういうケースでもあると言えるのかと問われると「あるとも言え無いとも言える」と言うw)
仏教でも(ゴータマ自身も)「ある」とは言いますよ。
ただ、「『所縁によって』ある」と言っているのです。
だから、そうでない「>自性(アートマン)」なぞありえないわけです。(少なくともゴータマの教えに於いては。)
*(自性=アートマンというイコール自体も、そもそもどうかと思いますが・・・w)
>ゴータマは自性(アートマン)と呼ばれているものは無いという立場で真理を説き、
>他の多くの聖者はアートマンを認める立場で真理を説いたかを
仮に、上記の如く説き方が相反していたとしましょう。しかし、
他の多くの(ヒンドゥの)聖者たちは、アートマンが『此縁性なる』ことを認めないでしょう。
この相反は、哲学的考察だろうが宗教的信仰であろうが、避けて通れない相違なわけです。
そここそが最大の分水嶺であり、決して相容れる筈のない部分であるにも関わらず、
そこを「あるとも言え、ないとも言える」という戯論に逃げる貴方の方が姑息でしょ?w
んとに、理解力に欠けてますね。 >真性のアホ は貴方でしょw
その境地が別のそれと総合的な見地から見て明確にちがうとは思えんな
仏教自体の論理的独自性は認めるが、悟りがその論理通り実証されているかというのは
ごくごく原初のそれでは一応の納得できる範囲にとどまっていると思われるが
君の論理はやや空想じみているように聞こえるよ
天使の羽が八枚か九枚かというとりとめもない論争をしているようにしか聞こえない。
もちろん、文献解釈としては説得力あるものとして聞いているよ
132 :
ノスタルジア:2012/10/21(日) 14:24:18.25 ID:CebF2Kh1
自利行の結果として、「智地」≓(十地)に入り、無分別智を清浄にしてもらい、
分別智により十地を定めて、不思議の智の境界に入り、一切智人の智境界を得ましょう。
ここで俺の造語概念、宝寺が出てくるのですが、智の主体的、家は宝寺であり、
宝寺に入ることが即ち、智人になることである。利他行として客体的にいる者達を、
善く大智光明の巧荘厳を選択し観察する者が救うのであるが、凡夫なども通る、
(善く決定の智門に入る)、宝寺の智門をくぐることによりて救われるのである。
これら自利利他は仏の神力を承けた大智慧光明三昧のする者がやることである。
十地を基礎とする菩薩の法を凡夫が、その混乱の最中、我が身に流入させ会得
するには、華厳経を学ぶ必要があると思われる。そしてその混乱こそが迷いであり、
菩提であるのだ。
荘厳て個人的に朦朧状態で視界の辺縁にもやがかかったようになるあれじゃないの?
転じて、観仏において感ぜられる国土とかの詳細を意味するようになったのでは
134 :
神も仏も名無しさん:2012/10/21(日) 14:44:37.62 ID:lg27h2t5
>>133 全然違う。認識転換だよ。
原語はヴューハ、チベット訳はクーパ。言語的意味は置く、据えるという意味。
仏教の文脈では配置転換とか並べ替えというような意味。
業の現れを認識転換して浄土に荘厳するというような意味。
認識転換の結果荘厳される。よく認識転換されて浄化されるというかんじで荘厳なわけ。
凡人の認識が朦朧として幻覚を見るというような意味では全くありません。
135 :
ノスタルジア:2012/10/21(日) 14:50:14.58 ID:CebF2Kh1
>>133 >>転じて、観仏において感ぜられる国土とかの詳細を意味するようになったのでは
とにかくそういうところからある者は救いとるのではないでしょうか?
真の菩薩は凡夫からできるのであってほしい。>>134
136 :
神も仏も名無しさん:2012/10/21(日) 15:01:23.10 ID:lg27h2t5
>>135 そりゃ菩薩は凡夫から成るよ。
先ずは菩提心、それが根本で、それがあれば凡夫でも菩薩さまです。
>>前スレ915
>
>>906 >>バラモン・ヒンドゥーから拝借してきた古代叡智を、
>>勝手にご都合宜しく大乗風にアレンジしただけのことです。
>
>全然違う。そういう形相、祭式、習慣は大した意味はない。
>それは単にインドで起きたから、インド的習慣に縁起しただけ。
>同様にチベット的に縁起したり、シナ的に縁起したり、日本的に縁起してるでしょ密教は。
>それは形相、習慣に大した意味はない、縁起としてしか意味ないってことなんだよ。
>まあ、こういっても全く分かんないで、ヨーガとかアートマン・ブラフマンで解釈してるんだろうけど、
>それじゃ呪術なんだよ。そういう呪術的習慣を、
>空性と菩提心で認識変換して秘密荘厳するから密教なんで、
>空性と菩提心がなければ単なる呪術なの。
仏教の一派なんですから、“空性と菩提心”なんてのはそんなの当たり前の話・・・。
そうではなくて、「そういう形相、祭式、習慣は〜」の部分、
これこそが“密教の密教たる部分”なのであって、これを外したら、もう密教ではなくなりますから・・・。
この部分にこそ、従来の仏教や世俗には知られざる真理と叡智が潜んでいるという姿勢ですよ。
これはあまりに深遠な智識であるから、理解できるレベルに達してない者には授けられないの意。
これが密教であり、そして、その叡智の源は古代バラモンから拝借したものですよ。
ただの飾りじゃないから・・・。
>>27-30 言わんとするところは理解できるつもり。
大筋でほぼ同意します。
>>39 いつの時代でも保守派というのは伝統の護持派なのですよ。
彼らは常に守り通すことに必死です。
批判的意見には眼をつむり耳をかさないか、
または、屁理屈を捏ねて誤魔化すか、
相手を分らず屋と決め付けて罵倒するだけ。
・・・というのが多い傾向のもよう。
>>41-42 ご尤も。
>>43 賢明な判断です。
>>44 確かそういう部分も大きい。
>>80 もちろん、
ヴェーダの記述すべてが正しいとは思われません。
私もそうは見なしてはいないし、ゴータマによるヴェーダ称賛もそうでしょ!
140 :
神も仏も名無しさん:2012/10/21(日) 15:29:21.79 ID:lg27h2t5
>>137 >そうではなくて、「そういう形相、祭式、習慣は〜」の部分、
>これこそが“密教の密教たる部分”なのであって、これを外したら、もう密教ではなくなりますから・・・。
違う。そう思うのは君が呪術、魔術、呪いを密教と思ってるから。
密教の本質は、そんなところにないのはインド、チベット、シナ、日本の諸師が口を揃える。
しかし、密教についてはもちろん、ネットで話すべきじゃないし、
密教以前に君と話てもしょうがないから、話す気はないが、
これだけは指摘しとくは、一般的な誤解だから。
>>65 「菩薩」なる概念は、大乗が勝手に説き始めたものなのですが(原型ヒントは『ジャータカ』にあり)、
本来、ゴータマの成道後〜入滅までの45年間のすべてが説法と衆生済度の旅だったわけですから、
その姿そのものこそが本物の菩薩の見本であるということ。
そのことを理解するならば、大乗による菩薩の過剰宣伝行為というのは、
ゴータマ没後の一時期に現存した小乗的な長老派教団に対する反発意識からきたものですよ。
ですから、そういう意味では元々、はじめから菩薩というのはあった!
この菩薩というのは、ジャータカのような覚りを目指して救済の積徳行に励む姿と、
ゴータマが成道後に衆生救済に歩かれる姿の二つの概念を含むものであり、
完成された如来が衆生済度のために働かれるために出現するのが観音様だ、
という表現になる。よって観音も如来の変化身の一つです。
で、完成された如来が再び地上を歩かれることはあるのか?
それは有得るという考え方を私はとっています。
では、再び地上に出現されない方は低い存在なのか?というと、それはまったくの誤解というものでしょう。
直接的に姿を現されたりすることが唯一の救済や働きではないからですよ。
涅槃に入ったら救済の働きをしない?そんなことはない。
我々の目に見えない領域で忙しくご自身の使命を真っ当されている。
そういう考え方が宜しいかと思います。
>>79 セブン!!
何か基本的なことを抜かしてませんか?
・・・涅槃は「無」じゃないからね!
(如来がいるのに無のわけがないでしょ)
元々からして、涅槃を「有無」の概念では説かないのが仏教。
けれども、これはただ涅槃は存在としては説かないというだけのことですから。
何故ならば、形而上世界については修行の直接的な進歩の足しにはならないという判断に拠るものです。
バラモン・ヒンドゥーは視点が異なる。形而上的に究めようと詳細であるし、存在としてのアートマンを説く。
視点と立場の違いがあるだけです。もちろん、そのアートマンというのは現象界で捉えられるものでないし、
五蘊に拠る存在ではありませんから・・・その辺を誤解なく。
>>131 >仏教自体の論理的独自性は
結構重要なポイントでしょ? 羊頭狗肉にならないためにも・・。
(貴方は、羊頭狗肉でもよいという立場?)
>天使の羽が八枚か九枚か
いや、その台詞を受けるなら、
「天使の羽はありません」
少なくとも
「これまでも把握・把捉・確認されていないし、これからも把握・把捉・確認されることはないでしょう」
というのが仏教だと思ってたが?
>>142 海の中で小魚の群れが塊となって動いているのを見たことがありませんか?
まるで、「『一つの』『意思を持った』生き物」の如く見えませんか?そのように認識しそうになりませんか?
主体(…我、自己)というのは、まさにそのように、(因により縁により)そこに顕現していると見るのが仏教でしょう?
そこに 「『一つの』『意思を持った』生き物」(→アートマン) を見ないのですよ。
群れは群れとして、たまさか意思を持った一つの生き物の如く見えてしまうだけ、と「あるがまま」に見るのです。
如来とて同じこと。 釈尊は間際、自身を評しています。革紐で括られた荷車のようなものだ、と・・・。
このフレーズは、噛み締めるに値するものと思いますけどね・・。
密教ってなぜ秘密にするの?
146 :
神も仏も名無しさん:2012/10/21(日) 18:16:16.75 ID:3qmQEh7L
日本には拷問と言う文化がありまして、
殺さない程度に痛めつけてしゃべらせるんですよ。
今はアレをナニして証拠を残さずしゃべらせるんですよ。
前スレ
>>607で 一代さんが紹介していた倶舎自註。
「滅尽定は心、心所の止滅。」でいったん切り、「非想非非想処の境地。
聖者がこれを涅槃であると勘違いする境地。」と二つにすれば、瞑想体験から
言っても正しい。迷い道は非想非非想処の境地である。
滅尽定を知らず、非想非非想処が涅槃だと思えば、そこで終わってしまう。
釈迦は非想非非想処まで師につき、その先はひとりで修行して滅尽定を体験
する。迷い道と言うより、悟るか悟れないかの「分かれ道」と言った方が
適切だろう。非想非非想処→魔境→滅尽定→涅槃定→成道の流れが悟り。
>>140 空だ。縁起だ。
なーんて説明は面白くも何んともないから・・・。
そもそも私が何度も繰り返してきたように、
「涅槃」というのは空でもないし、縁起でもないから。
あなたは大乗諸経に一貫して説かれているだの、伝統の師が正しいと認めてきたとかいいますが、
仏典(原始経典)とは肝心なころが矛盾しているではないですか?
『依り所のないもの(appaThitta)、生起のないもの(appavatta)、
所縁のないもの(anArammaNam)が、すなわちこれ(etamM)です。』(ウダーナ8:1/因縁略)
>>77 仏典の説くところはご覧の通りです。
涅槃とは“生起せず、縁起にも依らない境地”です。
何を読んでるのか??
よって涅槃も如来も空に非ず!
>>128 >ゆえに、ウダーナ8-3の趣旨は
>★★世俗の【生じたもの⇔生じたものでないもの】(分別)という戯論を寂滅
そんなことが何処に書かれてあるの?
いやいや、まったく書かれてませんよね。
自分の想いを勝手に投影しないで下さいな。
疲れるから・・・。
では私が一番、簡潔に書きましょうか!
「創られたもの(濃密現象界)」と「創られたものでないもの(涅槃)」の二つがある。
それゆえに(この両者はまったく異なるものであるから)、
「創られたもの(濃密現象界)」からの出離が(それとして)覚知される。
----以上.
両者に違いがないと(解脱において)それとしては覚知できない、
というのがこの部分の主旨ですよ。
つまり、両者は異なるものであり、「有為(現象界)」と「無為(涅槃)」だということ。
あなたは勝手に両者は同じであって、
異なるものだという世俗の虚論からの出離が涅槃である、
みたいなことをいってる。そんな話は述べていない。
>>145 >密教ってなぜ秘密にするの?
空で縁起だから秘密にするのではなくて、
呪術性があって、実際に作用を及ぼす力を持つからです。
また更には、タントリズムの知識も内包しているので、
自己におけるシャクティ・エネルギーの喚起と作用等々、
常人には容易に扱われるべきではない神秘力の存在をも知っている教えだからですよ。
誤解した者は、性魔術や左道(魔道)にも走りますから。
従って、顕教における一定レベルの
正しい見識と精神が修養できてない者には明かすことができないからです。
誤解して自己を破壊するか、誤用悪用するがオチだからです。
153 :
神も仏も名無しさん:2012/10/21(日) 22:33:28.07 ID:V36wb3y1
色界の「四禅定」で縁起や空を観じるという話は疑問。同じ観じるなら、
上位の境地である非想非非想処の方がいい。観じると言っても、その境地の
集中力を利用して観じるだけだから、やろうと思えば可能である。
しかしそれ以前に「四禅定」なる禅定があるのか否か。〜 ないと思うよ。
154 :
神も仏も名無しさん:2012/10/21(日) 22:51:05.66 ID:V36wb3y1
瞑想を利用して縁起や空を観じる???
これは絶対にありえない。こんなことをやっているから悟れない!
本日、この二番組は良かったですよ(共にシリーズ化で毎週放送)。
徳さん、来週は納経朱印の一連の流れと作法を一人で試されることに・・。ハテ、大丈夫でしょうか?
高野山の様子に感無量!
----お奨め番組です
*BS-TBS/9時00分〜9時30分
徳さんのお遍路さん「2番札所・極楽寺と阿波の藍文化」
弘法大師お手植えと伝わる樹齢1200年の長命杉を
*BSジャパン/15時55分〜16時50分
旅寺〜にっぽんの宿坊 絶景!食!仏像!の旅路 <高野山編>
高野山の福智院と恵光院
>>154 ゴータマの菩提樹下での最終的な瞑想とは、
“十二支縁起についての空観/循観・逆観であった”と
『律蔵』中の「マハーヴァッガ」には記録があるとのこと。
最終段階でこの瞑想(観察)がないことには解脱に成功しないらしい・・・。
156 :
神も仏も名無しさん:2012/10/21(日) 23:32:33.28 ID:lg27h2t5
>>154 >瞑想を利用して縁起や空を観じる???
>
>これは絶対にありえない。こんなことをやっているから悟れない!
そう思うなら仏教じゃないんだは
だから、なんでここで仏教じゃないものを仏教っていうのか
>>145 秘密にするんじゃなくて、凡人には秘密になってるんです。
空性を悟らないと認識できない教えという意味です。
如来秘密と言います。
瞑想以前に遍歴しなきゃそりゃ無理だわ
>>空性を悟らないと認識できない教えという意味です。
だから.相応しいレベルに到達していない者には軽々に語るなと戒められる.
意地悪とか出し惜しみ.と云う事ではなく.誤解されるたり悪用となるから.
つまり.順序(階梯)がある.
>>150 >『依り所のないもの(appaThitta)、生起のないもの(appavatta)、
>所縁のないもの(anArammaNam)が、すなわち【これ(etamM)】
であるゆえに、
>“生起せず、縁起にも依らない境地”
と自ら仰るように、
本文中に >このような境地(Ayatana)が と言われているように
それは「境地」であって所謂「存在(実在、実存在)」ではないわけです。
アートマンだろうが真我だろうが自性だろうが、『何と呼ぼうとも』
そういった類のものでなく、どこまでもシンプルに、全てが寂滅した「境地」であるわけです。
御自身方の言い分の方が、「テキストからずれている」ということがまだ判りませんか?
また、
>すなわち【これ(etamM)】です
と代名詞で言われていることに、もっと注目していい。
「アートマン」でも「真我」でも「自性」でも「如来」でも「ブッダ」でも「聖者(リシ)」でも「阿羅漢」でも「菩薩」でもなく、
ただ、「これ」と呼ばれるもの(「これ」としか指し示し得ない「境地」)なわけだ。
境地=我(或いは自性或いは真我)という等式は、「色=我、受=我、想=我、行=我、識=我」という
(転法輪経で斥けられる)見方・考え方と全く同じだということがなぜわからないのでしょう。
「存在(実在、実存在)」←この用語は、ちゃんと定義しないでニュアンスで語ってるとわけわからんくなるぞ
161 :
神も仏も名無しさん:2012/10/22(月) 00:42:30.78 ID:fuHW9eRP
>>139 >ヴェーダの記述すべてが正しいとは思われません。
釈迦がヴェーダ聖典のうち「正しい」とみなし得るところを抜き出したら
道徳のお話や、輪廻を脱出しようとする指向、しか残らない。
要するに残りカス。
別にヴェーダでなくてもいい話。
釈迦にとっては、バラモン出身者にすら実修させる意義がない。
>>160 ごめんw 確かに、以前その件で一悶着はあったw (^^;
なんつーかな、
「誕生日」は「物」じゃない、とか「人物」じゃない、とか「人格」じゃない、とか
「“誕生日”という何か特別な具体的対象」があるわけじゃない、とか、
そういうニュアンスのことが言いたいんだけど、何か巧い言い方があったら、言い換えといてくれw
163 :
1/2ウダーナ8-3再掲 大滝秀治:2012/10/22(月) 00:55:14.52 ID:rfIt9faB
>>151 宝珠
>そんなことが何処に書かれてあるの? いやいや、まったく書かれてませんよね。
>自分の想いを勝手に投影しないで下さいな。
あまりに、愚劣な妄想反応過ぎて無視しようと思ったが、 参考のために
代表的な<戯論寂滅⇒縁起の直接現実(あるがまま)の 無分別智による直覚=悟り⇒涅槃寂静>を
提示するテキスト文言を挙げておく。
*ブッダ「『わたくしはこのことを説く』ということが、わたくしにはない。
もろもろの事物に対する執着を〔執着であると〕確かに知って、もろもろの見解における(過誤を)見て、
固着することなく、省察しつつ、内心の安らぎをわたくしは見た。」(スッタニパータ837)
*ブッダ「知覚のままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない。
──このように理解した者の形態は消滅する。けだし、時空の意識は、想いにもとづいて起こるからである。」(スッタニパータ874)
*ブッダ「ウバシーヴァよ。あらゆる欲望に対する貪りを離れ、無所有にもとづいて、その他のものを捨て、
最上の<想いからの解脱>において解脱した人、 ──かれは退きあともどりすることなく、そこに安住するであろう。」(スッタニパータ1072)
*スブーティ「如来によって説かれた法というものは何もありません」(金剛般若経7,13-b、21-a, 22など多数)
164 :
2/2ウダーナ8-3再掲 大滝秀治:2012/10/22(月) 00:58:11.77 ID:rfIt9faB
*龍樹「あらゆる見解を脱するために、勝者(仏)によって空性が説かれた。一方、人がもしも空性の見解を抱くならば、
その人々を治癒しえない人と呼んだのである。」(龍樹・中論13-8)
*龍樹「涅槃とは、いっさいの知解が滅し、戯論が滅した、めでたい(境地)である。
ブッダは、どんな教えも、どこにおいても、誰のためにも、説かなかった。」(龍樹・中論25-24)
*龍樹「わたくしには主張は存在しない。まさにそのゆえに、わたくしには理論的欠陥が存在しない。」(廻諍論29・30 )
*(何ものも)捨てられることなく、(あらたに)得られることもなく、断滅(不断)することもなく、常住であることもなく(不常)、
滅することもなく(不滅)、生ずることもない(不生)、―これがニルヴァーナであると説かれる。(中論25-3)
*<ニルヴァーナは存在でもなく、非存在でもない>という想定は存在と非存在が成立してこそ成立しうるのである。
⇒(同上25-15:分別間接現実における四句第4による直接現実「想定」示唆)
* <ニルヴァーナは存在でもなく、非存在でもない>ということが成立するならば、<存在でもなく、非存在でもない>ということが、
何によって示されるのか(何によっても示しえない)。
⇒(同上25-16:無分別直接現実における四句第4の否定)
*「世間」(生死の世界)には、ニルヴァーナといかなる区別も存在しない。ニルヴァーナには世間(生死の世界)といかなる区別も存在しない。
⇒(同上25-19:仏法の基盤は縁起の直接現実(あるがまま)であり、このことは間接&直接現実にいかなる区別もないのである)
涅槃は縁起の直接現実(あるがまま)の無分別智直覚による慶安の「境地」表現である。
縁起撥無の『無為』観念は反仏法であり、外道の超越妄想戯論でしかなく、仏法において100%認める余地がない。
「超越論」は既に完全に破綻している。
165 :
神も仏も名無しさん:2012/10/22(月) 00:58:17.84 ID:fuHW9eRP
「思想を捏ねて作られたものではない、到達点として元々あり、永遠に『そこ』にある境地」に至るか、
「原因や他の要因に縛られず自由自在に存在し、生滅に左右されることのない、永遠なる超常的存在」に進化するか
(あえて言うならこのステージの存在になることが「境地」)、と捉えるかの違いか。
>>162 改めて考えるとむずいわw
哲学で言う「存在」は、「非存在」でないもの。(非存在の定義は、ココでは深入りしない)
ふと疑問に思ったのだが、仏教で存在する(実在する)としてるものってあるか?
ないなら、ニュアンスとか定義とか以前の問題だ。
それに
>「誕生日」は「物」じゃない、とか「人物」じゃない、とか「人格」じゃない、とか
>「“誕生日”という何か特別な具体的対象」があるわけじゃない、とか、
>そういうニュアンスのことが言いたいんだけど、何か巧い言い方があったら、言い換えといてくれw
この言い方だと、宝珠の涅槃=アートマン論とそんな違わないぞ。ヤージュニャヴァルキヤ的な意味で。
>哲学で言う「存在」は、「非存在」でないもの。
ではないな
>哲学で言う「存在」は、「非存在」の反対。
168 :
神も仏も名無しさん:2012/10/22(月) 01:23:12.70 ID:fuHW9eRP
セブンが考える涅槃は境地。
宝珠愚者が考える涅槃は天界の上位互換。完全無欠の不滅の世界
(又は人格神ぽくはない原理かエネルギーみたいなもの)で、
そこの住人(如来とか聖者とか)も住処と同じく不滅の存在。
死後涅槃世界に行く事ができるようになった状態(境地)も涅槃と呼ぶ。
涅槃が「依り所のないもの(appaThitta)、生起のないもの(appavatta)、
所縁のないもの(anArammaNam)」である理由は、
セブンの場合、依り所のあるもの、生起するもの、所縁あるものが
「吹き消された」境地であるから。(そこらの「無」は生起の一状態に過ぎない)
宝珠愚者の場合、依り所、生起、所縁から自由な超存在だから。
タブンネ
169 :
ウダーナ8-1 大滝秀治:2012/10/22(月) 01:39:16.32 ID:rfIt9faB
>>150 宝珠
>「涅槃」というのは空でもないし、縁起でもないから。
そうではない、そうではないのだ、外道よ。
涅槃とはあくまでも、間接現実(世俗)における「一切」内の“心と心の作用” (サンユッタ・ニカーヤ 33-1-3)だよ。
出世間のまなざしで、しかも世間の只中で慶安にある(世俗では生きるという)者の心の様相をいうのだよ。
なんらの超越も神秘もない。
ニルヴァーナには世間(生死の世界)といかなる区別も存在しない(中論25-19)。
娑婆即寂光土なんだよ。
ウダーナ8-1でのニルヴァーナ表現は、
まさしく、否定的言辞によるしかない(無分別ゆえ肯定直説はありえない)のだ(中論25-3)。
>>169 大滝秀治さんへ質問の続きです
> ニルヴァーナには世間(生死の世界)といかなる区別も存在しない(中論25-19)
http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron03a.htm 中論觀法品第十八
八聖道分を修習して、我、我所を滅する因縁の故に、無我、無我所を得て、智慧を決定する!
若し、心は、是れが、実ならば、何に、空等の、解脱門を用いるのか?
諸の禅定中に、何故に、滅尽定を以って、第一と為し、又、終に、無余涅槃に帰するのか?
是の故に、こう知るはずだ
一切の、心行は、皆、是れは、虚妄であり、虚妄の故に、滅するはずだ!
諸法の、実相は、諸の心数法を出て、無生、無滅であり、涅槃のように、寂滅の相だ!と
_ _ _
すべて一切が空なので
「これが自性である」と言えるものはなくて
この「自性ではない」と言う事においては分別はない
涅槃との間には分別がないから
滅尽定(想受滅)などによって
涅槃に帰する事が出来る
と言うような意味で良いんですか?
>>93 御隠居殿
>
>>92 >同一性がなければ、「輪廻転生」や「解脱」と言う言葉は全く無意味。
>
>「案ずる必要はない」w。
業報については連続性がある(別人であっても相続される)ので、「案ずる必要あり」ます。
173 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2012/10/22(月) 04:18:53.58 ID:yq9shUZ+
>>128 だからあんたの話は言語上だけの言葉遊び。中村博士の言う通り机上の空論だっていうんだよ。
なんで空理空論中論教患者の皆さんはこんな簡単なことがわからないのかな〜。あんたらの
好きな勝義ってどこにあんのよ?結局あんたらの頭の中の言語上で作り出した妄想でしかないわけよ。
なんでわからないのかな〜(絵文字略)
心相続について
http://semi.natura-humana.net/2003/contents/genzemi/bunken/2004-aki/abidaruma.pdf 仏教では輪廻もまた、無明(avidoya)によって生起した迷妄にすぎず
そのゆえに、解脱とともに消滅してしまうのである
だが、輪廻を否定すると業の主体や因果応報、また人格の連続性を否定されてしまう
そこでアビダルマで考え出されたのがプトガラ(人我)という考え方であるが
『ミリンダパンハー』では、このプトガラの存在を認めず
かわりに業の相続、つまり行為の連鎖的持続という考え方で
この難問をかわしたと考えられるが、これではまたアビダルマの
小乗的な法の恒有に戻ってしまうのではないだろうか
そこで、このアポーリアをクリアするために
仏教の深層心理学である唯識思想が登場してくる
(アビダルマは大乗仏教への架け橋 世親もここから出発している)
唯識では阿頼耶識という無始以来のすべての有情の
記憶が(大脳新皮質と古皮質の問題と考えあわせると興味深い)存在し
それが末那識(いわゆる無意識層)に働きかけ
結果的に意識上に表象された(業によって影響されているが)世界
つまり、識転変こそが我々の認識のすべてである、世界そのものであるとする
業(行為)はまた、その阿頼耶識に沈潜されて上記のプロセスを経ることで
我々の業を形成し続け、無明の世界の我々の存在となる
175 :
カラスの唄:2012/10/22(月) 04:51:40.04 ID:yq9shUZ+
>>129 俺は今も昔も同じ立場だ、アホ。縁起も逆観で遡れば始まりがなければ論理破綻するわけ。
それともなにか?縁起だけは始めもなく元からあったと言うわけ?そうなりゃ縁起は自性ってなるわな(爆笑)。
宇宙は始まりが無かったのか?君らはビックバンすら否定するのか?宇宙には始まりがあった。
形あるものは全て始まりがある。これは仏陀の法でもある。縁起もその時から生じた。
縁起の法から言えば縁起すら何かに縁起して生起したものなわけ。縁起を逆観で遡れば必ず根源にぶつかる。縁起だけは
元からあったと言えば君らはビックバン以前を設定しなければならず、つまり一切外のものを設定しなければならないわけ。
ここで君らの主張は論理破綻する。わかる?あと自性=アートマンな。
こんな基本的なことも知らないレベルの低い輩が俺に意見しやがる。
176 :
神も仏も名無しさん:2012/10/22(月) 05:13:06.84 ID:CBelk99P
>>172 >業報については連続性がある(別人であっても相続される)ので、「案ずる必要あり」ます。
あなまりアホらしいことを言わないでください。
「また他人のなした業の報いを他人が享受することになるなどの欠点が付随して
起こるであろう」(中論27:11)。
要するに「過去生を考えている」のも「今ここの我(の生命)」。過去生などを
考えること自体がナンセンス。何時までも「釈迦の勘違い」に付き合う必要は
ない。
177 :
カラスの唄:2012/10/22(月) 05:25:37.40 ID:yq9shUZ+
息を数えるだけの禅って観が全くないのな。
あんなんでいくら座っても悟れるわけがないわけで。
>>156 一代さん
縁起や空を否定しているわけではない。よく読んでくれ。
次々にテキストを誤読し、それは仏教じゃないと言っても説得力がない。
179 :
神も仏も名無しさん:2012/10/22(月) 07:07:23.36 ID:k3mgA19S
>>178 いや、何が誤読か?
倶舎の引用部分は指示代名詞が何を指すかで解釈が分かれ、
ヤショーミトラ、木村泰賢、桜部建に従ったと書いたんだけど
不説さんもそれで納得してるでしょ。
四禅中に縁起観ということを否定したら、仏教全てを否定するようなもんだぞ。
例えば、マハーヴァッガの冒頭にそう書いてある。
君こそ、自分の狭い体験が仏教の教えと食い違ってるのは何度も指摘した。
オイラは君の体験は否定してないが、その体験は仏教とは違うと言っているだけなんだが。
君はオイラに君の体験が仏教的に悟りじゃないって言われて、ゴネてるだけにしか見えないだよ〜
いい加減にしてほしいは、何度もいうが、君の場合は自分の体験を信じるかどうかとしか言ってないんだよ始めっから、今まで。
それはスレ違いだって。
話したいなら、もうちっと基礎的な知識つけてくれよん
180 :
神も仏も名無しさん:2012/10/22(月) 07:11:50.20 ID:nXDcDcsu
止と観の意味をよく考える必要がある。
止とは、現実から離れ、自分に沈潜することを言う。禅定はその体験である。
観とは、現実を直視し、現実の背後にある真理を見ること。体験の反省。
それぞれのベクトルが逆だから、二つを同時に行うことはできない。
止は瞑想でやる。観はあれこれ考えることの中にある。
>>179 体験があってこそ、考えることもできるし、主張することもできる。
体験もないのに主張するとしたら、
テキストを盲信したり、誤読したりしてやっているにすぎない。
あなたに体験がない。もっと謙虚になった方がいい。
前スレ
>>607より
>これは私の知る限り唯一の例外です。青目註の誤解か、
>羅什三蔵の誤解、あるいは誤伝と考えるのが妥当と思われます。
自分を青目や羅什三蔵などより上だと思ってるわけね。
>>182 w
(位相的な意味で)
自分を青目や羅什「以外の」先達より上だと思ってるの? と言いたくなる台詞だなw
185 :
神も仏も名無しさん:2012/10/22(月) 09:21:52.99 ID:k3mgA19S
要するにオレちゃんの体験は絶対で、オレちゃんの言うことを聞けって言いたいだけだよね。最初っから。
仏教の伝統では三昧とか無分別の体験も幻、感受だから、それに執著するなって言われるんだけどなあ
もう、なんつうかオレちゃんの素晴らしい体験を否定されて荒れてるかんじだよね。連投して。実にヒステリック
そんなに心乱れるなら、悟ってるわけないって自覚できるだろうに
あるいは、そんなに自信あるなら、別にここで主張しなくても自分の思うように語ればいいんじゃないの。他で。
ただし、それは仏教の悟りでも涅槃でもないことはテキスト的にも伝統的に明らかであるとオイラは確信する。
これ以上、何もいうことはないんで、もっと勉強して真剣に話す気がないなら、オイラに絡むのは止めてくれよ。時間の無駄なんで。
186 :
神も仏も名無しさん:2012/10/22(月) 09:33:34.55 ID:nXDcDcsu
結果として、縁起や空を感じさせる禅定体験もある。
しかし瞑想は、断じて「縁起や空を観じる」ためにやるものではない。
それだと方法が誤っているから、瞑想が深まらない。縁起や空は瞑想以前に、
それを直感し、日頃の生活で実践し、深層意識でつかまなければならない。
言葉では表現しがたいが、うんわかった、という手応えがある。
縁起と空を直感できた状態で瞑想をするとする。
この場合は、非想非非想処が天井、行き止まりである。
そのため、この境地を、自分は悟ったのではないかと勘違いする。
縁起や空が仏教の本質なら、仏教では決して悟れない理屈だ。
残念だが、非想非非想処が仏教の行き止まりである。
188 :
神も仏も名無しさん:2012/10/22(月) 09:53:52.36 ID:nXDcDcsu
>>185 今日は午後から忙しくなる。
一代さんはある意味、わたし自身の目印なんですね。
時間がなければ、スルーしてくれてかまわない。
189 :
神も仏も名無しさん:2012/10/22(月) 10:50:24.08 ID:C/moMhey
カリフォルニアのニューエイジサークルあたりに行けば多分うけいれてもらえるよ。
190 :
絶対神:2012/10/22(月) 14:36:38.14 ID:H4LkSfLv
『仏教が駄目なところをもうひとつあげておくと』
「仏教には「善悪を超えた」という概念があるが」
『単純に現実的に言えば、「そんなものはない」』
善悪の内容じたいは、「時代によって極端に変わるが」
人間社会である限り
「善悪が存在する事そのものは『永遠に変わらないから』」
つまり、端的に言うと
『人間が存在する限り「善悪」は『永遠に存在し続ける』』
そして、大きな意味で社会のルールを破ったら
「釈迦であろうがイエスであろうが「死刑になる」という事は」(あるいは
重い刑罰を課されるという事は)
『ほぼいつの時代、どこの場所でも変わらない「絶対的な真理」だから』(大笑)
そういう意味では
「人間は永遠に「善悪」に支配される」(社会的しがらみから
無人島だのなんだのにでもいかない限り逃れられない)
191 :
神も仏も名無しさん:2012/10/22(月) 16:11:48.52 ID:U8E6Wstd
192 :
神も仏も名無しさん:2012/10/22(月) 18:31:24.04 ID:EZ+0zI9p
>>190 仏教における善とは自分と他人の悩み苦しみを軽減する方向であり、
しかもそれは四諦を前提としているのではないでしょうか。
だから、世俗の法律や価値観と必ずしも合致しない。
(まぁ、実際の教団や教団のエライさんは、しばしば世俗の流れに迎合するけど。)
832 : 神も仏も名無しさん : 2012/10/07(日) 01:11:00.20 ID:zHy5bna3 [1/2]
>>830 >時系列的には、釈尊生存中→原始大乗。
>釈尊入滅後→上座化。
証拠は?大乗は、釈迦仏教のコペルニクス的転回だから、両者はもはや
原理的に異なる宗教。
834 : 神も仏も名無しさん : 2012/10/07(日) 01:28:09.11 ID:zHy5bna3 [2/2]
>>830 大乗は、釈迦との関係性をいろいろと挙げているが、それらは権威付け
のための、些細な形式的なものに過ぎない。
大乗においては、釈迦は単なる「象徴」であり、「歴史的釈迦」とは
実質的に無関係。
611 :神も仏も名無しさん:2009/12/21(月) 14:32:09 ID:kUibZAeU
>>609 衆生以外に仏を認める「根拠」は一体何かね。単なる「独りよがり」ではないか。
真如としての「衆生心」に思い至ったのが、大乗仏教による釈迦佛教のコペルニクス的転回であり、
釈迦佛教の根本的誤りを訂正したものである。
「真理」とは、「すべての人間、すべての事物に通用する原理」をいう。その意味で、釈迦佛教
には、真理は存在しない。
76 : 神も仏も名無しさん : 2012/02/01(水) 21:30:05.67 ID:qKrQrLtH [2/5]
>>75 「佛教」という名称だけに執着して、「似て非なるもの」を原理的に分別
しないから、論議が混乱する。
少なくとも、日本の仏教は大乗仏教である。日本の仏教スレなら、大乗のみに
ついて語れば足りる。似て非なるものについていくら語っても無意味。
>>73 >クオリティの高い後発物は、オリジナルに取って代わることができる
>ってこと
世の中はみんなそうじゃないかw。さもなければ、「進歩」は皆無。
大乗は、「内容的」には、釈迦佛教とは似て非なるもので、そのコペルニクス的
転回である。
同一人物だと思うけど、ショペン教授の影響受けてるのかな
195 :
神も仏も名無しさん:2012/10/22(月) 20:37:52.80 ID:XOLOD9DV
>>194 >ショペン教授の影響受けてるのかな
何故、ショペン「教授」の影響を受けなければ、そんなことも言えないのかねw。
釈迦を「絶対化」「神格化」さえしなければ、誰でも言えること。
>>190 >>192 大乗の「空」は善悪の区別を取っ払う。その結果、自利利他
の区別ができず、「菩薩道」も成立しない。それなのに「空」と「菩薩道」
を同時に説く。これが大乗の、盲点のような誤りである。
大乗の誤りは、瞑想の方法に誤りがあるから生じる。
瞑想前でも瞑想中でも、縁起や空だけで瞑想をするなら、非想非非想処が
行き止まりである。そしてこの境地を悟りだと勘違いする。
その結果、悟りから善悪が抜け落ちる。
198 :
神も仏も名無しさん:2012/10/22(月) 21:37:23.35 ID:k3mgA19S
>>196 全くの誤解。空な善悪があるし、空な自他がある。
逆にいうと、善悪にしろ自他にしろ実体視してるなら仏教じゃないよ。
縁起を受け入れるなら善悪にしろ自他にしろ仮設に他ならない。
それはつまり、記号は違ってもパーリ・ニカーヤでも空と同じことを説いていたということ。
199 :
神も仏も名無しさん:2012/10/22(月) 21:38:16.49 ID:k3mgA19S
>>197 なんだ君か。
まあいいや、他の人のためということで
200 :
神も仏も名無しさん:2012/10/22(月) 21:39:40.34 ID:XOLOD9DV
>>196 小乗は、自利のみで、そもそも利他の目標さえない。
「空」は「関係性」だから、「利他の基礎」である。
何が悪いのか。実は、瞑想には縁起や空だけでは不十分。
神仏に対する「信仰」が不可欠なのだ。こんなことは『天台小止観』にも
書かれている。非想非非想処から魔境に入るが、この魔境を無事に渡るには
深い「信仰」が欠かせない。これを忘れているから悟れない。
202 :
神も仏も名無しさん:2012/10/22(月) 21:48:24.61 ID:XOLOD9DV
>>201 「神仏に対する信仰」は、「人間」に対するものではないから、「利他」
とは無関係。むしろその対極。
>>198 空(うつろ)な善悪、空(うつろ)な自他、それが問題だ。
>>199 なんだとはなんだ。あーなんだのことか。
204 :
神も仏も名無しさん:2012/10/22(月) 21:57:50.58 ID:XOLOD9DV
「瞑想」「悟り」「解脱」は、専ら「自己満足」のためのものだから、「利他」は
どこからも生じない。
>>200 前半同意、後半は正しくなさそう。
>>202 神仏への信仰は自分を捨てることで成立する。→利他の土台
206 :
神も仏も名無しさん:2012/10/22(月) 22:06:10.55 ID:XOLOD9DV
>>203 空を「うつろ」などと解する「日本の」仏教徒がいるのは驚き。
龍樹の「空」とは、「厳然たる存在」における「相互依存性・関係性」の
ことである。
>>204 違う。神を知れば、神が利他そのものであることを知る。
これが利他の、永遠につきない泉である。
208 :
神も仏も名無しさん:2012/10/22(月) 22:15:45.23 ID:XOLOD9DV
>>205 神仏への執着は、自分を捨てることではない。神仏は、ほかならぬ「我の
概念」である。
「神仏」は「人間にあらざるもの」だから、「神仏信仰」から「人間信仰」
即ち「利他」は絶対に生じ得ない。「神仏の命令」で行なう「利他」は
「己の宗教的満足」「エゴの追求」「偽善」に過ぎない。
210 :
神も仏も名無しさん:2012/10/22(月) 22:21:26.58 ID:XOLOD9DV
>>208 神仏を知らないから、そんなことを言うのですよ。
神仏とは、聖霊であり甘露のことです。
212 :
神も仏も名無しさん:2012/10/22(月) 22:25:57.81 ID:XOLOD9DV
>>211 >神仏とは、聖霊であり甘露のことです。
それはあくまで「己」の観念。「己の観念」は百人百様。他者には通用しない。
>>210 30点ですね。神仏も知らないし、縁起についてもあやしい。
214 :
神も仏も名無しさん:2012/10/22(月) 22:46:51.76 ID:XOLOD9DV
>>213 一旦、釈迦に洗脳された者は、大乗を理解することはできない。
外部者から見れば、明らか。
小乗は、「瞑想」「悟り」「解脱」などという「精神的オナニー」以外の
何物でもない。
. . . ┌固定的・不変的に存在する ・・・哲学的語義
. . . │ (顛倒妄想として)
. . . ├恒常的に存在する ・・・哲学的語義
. . . │ (顛倒妄想として)
. . . │━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
.┌『実在』(する)┴五感に知覚されるものとして存在する ・・・一般的・日常語義…★
『ある』(在る) ┼〔 *1 〕(エアポケット・用語が無い) ・・・仏教で言う「存在する(bhavati)」
.│ (縁起し仮設・認識されたものとして。)
.│ ――(特に「生じたもの」という意味で?)
.├〔 *2 〕(エアポケット・用語が無い) ・・・仏教で言う「ある(atthi)」
.│ (縁起し仮設・認識されたものとして。)
.├五感に知覚されるものとして『存在』(する) ・・・一般的・日常語義で言う「ある」、
.│ 仏教で言う「ある(atthi)」「存在する(bhavati)」
.│ (縁起し仮設・認識されたものとして。)
.│────────────────────────────────────
.├五感に知覚されるものとして『存在』(する) ・・・一般的・日常語義で言う「ある」、
.│ 仏教で言う「ある(atthi)」「存在する(bhavati)」
.│ (縁起し仮設・認識されたものとして。)
.│────────────────────────────────────
.├観念・思考・思想・感情・想い等“(所謂)非物質的在り方で”『ある』 ・・・一般的・日常語義で言う「ある」、
.│ ※(意によって知覚されるもの) 仏教で言う「ある(atthi)」「存在する(bhavati)」
.│ (縁起し仮設・認識されたものとして)
.│-------------------------------------------------------------------
.├動き、様相、関係性、構造的なものとして『ある』 ・・・一般的・日常語義で言う「ある」、
.│ ※(意によって知覚されるもの) 仏教で言う「ある(atthi)」?
.│ (縁起し仮設・認識されたものとして)
.│━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
.└幻想されたもの・妄想されたもの・想像されたものとして『ある』
※(意によって知覚されるもの)
・・・言語表現上「ある」と言われるもの(仏教で言う「ある(atthi)」?)
>>159 では、「境地」とは何かを説明して下さい。
>境地=我(或いは自性或いは真我)という等式は、「色=我、受=我、想=我、行=我、識=我」という
>(転法輪経で斥けられる)見方・考え方と全く同じだということがなぜわからないのでしょう。
アートマンは五蘊ではないので、これに抵触せず。
とにかく、
“心、素直になった方がいい”ですよ!
駒沢大ではそう教えないの?
一代も然り。寺院でそう教わるでしょ?
>>163 『マールンキャーブッタ、何ゆえにそれをわたしは説くか。マールンキャーブッタ、これは目的
にかなう。これは修行のための基礎となる。これは世俗的なものへの嫌悪・欲情から離れるこ
と・煩悩の消滅・心の静けさ・すぐれた知恵・正しいさとり・涅槃のために役立つ。このゆえにそ
れをわたしは説く。』(『中部経典63/小マールンキャ経』毒矢のたとえ)
(『世界の名著1 バラモン経典/原始仏典』中央公論社刊p478)
>>168 では、近いことにしておこう!!
「境地」とは意識の状態のことをさすのです。
涅槃という境地は、煩悩の寂滅した意識状態のこと。
煩悩が寂滅したということは、本来の清浄な自己意識に戻ったということ。
この自己意識は、他と分離分割するエゴ意識ではなく、
他との分離が消散して融合した超越的な意識をいう。
従ってこれは、個という意識の崩壊消滅でもある。
221 :
神も仏も名無しさん:2012/10/23(火) 08:10:09.19 ID:NG+OZVQy
不還果になれば欲や怒りが起きなくなるという。
悟ってるかどうかわかりやすい目安がある。
222 :
神も仏も名無しさん:2012/10/23(火) 16:27:51.01 ID:w1kIMFoC
>>216 人間にとって、現実とは一義的。さもなければ、人間は生存できない。
現実が、直接・間接などと二重に見えるのは、精神障害の症状。
五感で感じるままの現実を受け入れるのが、悟りである。「眼横鼻直」。
>>221 違うと思うよ。生きるのに必要な欲はあるだろう。それに嫌なことを強制
されたら怒るだろう。善悪の基準が神仏になるだけ。
224 :
神も仏も名無しさん:2012/10/23(火) 17:35:45.00 ID:LSV9fGju
>>214 これも違うと思う。「瞑想」「悟り」「解脱」などは、
大乗・小乗ともに実践して目指している。どちらにも共通している。
>>222 これも違う。現実が実際に二重に見える話ではない。
現実には、五感の対象にならない本質があるのか、ないのかの話
であり、仏教はそれを否定し、空としているだけ。
見る方向が違うと違って見える。病気に分類できるのは
ある理由で根拠のない断定があり絶対に覆らない場合。
これは一つの方向からしか見ることが出来ない。
227 :
神も仏も名無しさん:2012/10/23(火) 18:37:52.41 ID:Cl4TrmBa
>>225 「五感の対象にならない本質」とは、具体的に一体何?そんなことを考える
こと自体が病的なのである。
>>226 >ある理由で根拠のない断定があり絶対に覆らない場合
それが絶対に覆らないのが、宗教の病理。
天動説はくつがえったから絶対ではなかった・・・・・よね?
229 :
神も仏も名無しさん:2012/10/23(火) 19:26:06.65 ID:LSV9fGju
>>227 人間の本質は昔から、空とか、神の分霊とか、霊魂などと言われてきた。
これらは考えた結果ではなく、禅定における神秘体験に基づいている。
230 :
神も仏も名無しさん:2012/10/23(火) 20:23:24.52 ID:csFFr6i+
>>228 それは科学のお陰。宗教なら、天動説は未だ続いているw。
>>229 それは大昔の話。現代では、それを「生命」と呼ぶ。禅定も神秘体験も必要
としない。肉体のみに宿り、肉体と生死を共にする。従って、「生命現象を
現す肉体」と定義してもよい。「肉体を離れてふわふわと漂う存在」は、
古代人の妄想。
たとえ話
足が轢かれてぐちゃぐちゃになった。
止血できないので死にたくなければ切るしかない。
この状態であなたが医者ならどうしますか?
切るとすればどんな理由で切りますか?
切らないと死ぬから、だけで切りますか?
本人が切りたくないと言ったらどうしますか?
232 :
神も仏も名無しさん:2012/10/23(火) 20:59:11.89 ID:csFFr6i+
>>231 当然切る。生命を救うのは、医師ばかりではなく、すべての人間の義務。
あたなは、飛び降りて自殺しようとしている人間を、力ずくでも止めること
をしないのか。
法律では、「自殺幇助」は「犯罪」である。
ついでの話
骨折にも使える幅5センチほどの止血帯を携帯しましょう
ボールペンで軽く縛るだけです
サメに右手をかじられても反対の手で止血できます(笑
235 :
神も仏も名無しさん:2012/10/23(火) 21:13:21.68 ID:LSV9fGju
>>230 死んだら終わりと考えるのは自由。たぶん、大量殺人で話題の角田美代子も
同じ考えの持ち主なのだろう。しかし仏教では、これを断滅論と言って
否定する。どっちが正しい、という疑問は湧かないわけね?
236 :
神も仏も名無しさん:2012/10/23(火) 23:29:32.83 ID:HJOfVzC/
「肉体を殺しても、魂を殺せない者を恐れるな」などというアホなことを言った
開祖がいるから、良心の呵責なく「他人の肉体」を殺すことができる。
角田も、「肉体は殺しても、魂は死なないのだから大丈夫」と考えて殺したの
だろう。彼女の宗教的背景を洗う必要がある。
237 :
安堂:2012/10/23(火) 23:32:27.50 ID:sG0Im8zm
>>236 それを言うなら共産主義も同じでしょう。
この世には神などいないし宗教などアヘンだ。
唯物論だからリンゴぶち割るのも人の頭かち割るのも同じだとして、
何千万人も粛正したんだろスターリンは・・・。
238 :
今日のところは名無しで さん:2012/10/23(火) 23:52:10.33 ID:J76ZpfXT
239 :
今日のところは名無しで さん:2012/10/23(火) 23:53:59.15 ID:J76ZpfXT
240 :
安堂:2012/10/24(水) 00:20:21.82 ID:g8X/S7k5
>>238-239 名無しにしてもわかりきってるぞ・・・。
人民元の顔も殺人鬼ですな・・・。
241 :
神も仏も名無しさん:2012/10/24(水) 00:55:40.79 ID:8pRLnN97
>>237 >それを言うなら共産主義も同じでしょう。
>この世には神などいないし宗教などアヘンだ。
マルクスはクリスチャン。マルクス主義は、現実にあり得ない「共産主義
ユートピア(神の国)」の観念信仰の宗教の一種。「擬似宗教」と呼ばれる。
「宗教は阿片」とは、お決まりの宗教間紛争。
宗教だからこそ、良心の呵責皆無な、あれほどの大殺戮が可能となった。
スターリンは、グルジアの神学校を卒業した聖職資格者。ポル・ポトも、
キリスト教と小乗仏教である。ヒットラーもクリスチャン。
242 :
安堂:2012/10/24(水) 01:18:47.47 ID:g8X/S7k5
>>241 西洋人は形式的に誰もがクリスチャンですね・・・。
思想の歪曲解釈の末路です・・・。
何の思想も持たないということは人間ではあり得ないことですからね・・・。
243 :
神も仏も名無しさん:2012/10/24(水) 01:31:52.39 ID:8pRLnN97
「人間にあらざる神仏」に最大の価値を認めれば、「人間の生命」の軽視・
否定が生じるのは、論理的に必然的な帰結。
現に、イエスは、「自分(イエス)を信じるためには、自体の生命を奪う」
ことを明示的に教唆しているし、釈迦は、生命を「無明」として、排除
すべき対象としている。
244 :
安堂:2012/10/24(水) 01:39:24.97 ID:g8X/S7k5
>>243 生命とは何か?ということです。
キリストなら、自分の命を失う者はかえって命を得ると。
釈迦については「命」について言及していません。
滅びることのない仏性です。人が動くのは仏性故です。魂とも言えますが。
霊魂や魂は個人的なものです。生きている者全体に働くのが仏性です。
245 :
今日のところは名無しで さん:2012/10/24(水) 01:41:44.87 ID:yV67Rvkw
>>240 Ann ちゃん
>
>>238-239 > 名無しにしてもわかりきってるぞ・・・。 人民元の顔も殺人鬼ですな・・・。
(。_゜)〃ドテッ!
アセアセ( ̄_ ̄ i)タラー
そそ、スターリンと、けざわ ひがしは よみせのきんぎょすくいのやぶれたあみ・・
246 :
神も仏も名無しさん:2012/10/24(水) 01:44:53.90 ID:8pRLnN97
>>244 中村元博士は、「無明」を「生活作用の原因」と訳している。「生命」以外には
あり得ないだろう。
247 :
安堂:2012/10/24(水) 01:50:05.82 ID:g8X/S7k5
>>246 そうだった。中村元博士の生誕100周年記念で中村元記念みたいのやってたな。
それで仏教関連の中村博士の本ばかりだったな・・・。
生命は仏性。死後の世界もあるってこと・・・。
248 :
神も仏も名無しさん:2012/10/24(水) 01:56:24.21 ID:8pRLnN97
>>244 イエスは、「自分(イエス)を信じるために、命を失う者は」と言っている
のである。換言すれば、「自分(イエス)を信じない者は、死ね。殺せ。」
ということ。聖書をよく読まれたし。
イエスは、「隣人を、『そしてすべての人間を』愛せよ」とは、口が裂けても
言えなかった。イエスにとっては、自分(イエス)を信じない者は、「裁かれる
べき存在」に過ぎなかったからである。
イエスの教えは、すべて「自分の気に入らない者に対する憎悪・非難・排斥」と
セットになっていることを、聖書から看破されたし。
249 :
安堂:2012/10/24(水) 02:09:54.84 ID:g8X/S7k5
>>248 キリストに怨みでもあるんですか・・・?
そこまで曲解解釈してでも私に用があるのですか?
私は聖人ですよ。無礼千万ですね。
あなたの死後辛い目にあいたいようですね。
>>231 世界は常住であるのか否か、有限か無限か、
如来は死後も存続するのかしないのか
…などの質問に回答が得られるまで切らない
>>104>>106 遅くなりました。。。
はい。確かに私は、「説一切有部」の支持者というわけではありませんけれども、ご指摘のよう
に、「説一切有部」的な志向やアプローチと近しい姿勢にある、というのならばその通りかもしれ
ません。
私は仏教の専門的な勉強をしたことがありませんけれども(仏教書も殆ど読まない)、私の理解
に基づいて簡単に述べるならば、「説一切有部」というのは、ゴータマの教説を分類体系化する
上で、とにかくできるだけ細かく存在について分類細分化していって、そうすることでこれをより明
確化しようとし、その上でやはり“実在といえるものはどこにも存在しない”ということを示そうとし
たのだろうと思います。この遣り方は神智学に非常に酷似するものであり、これがしばしばそこま
でする必要があるのか?といった無意味無用視の批判が囁かれる部分でもある。これはきっと、
現代科学(理系文系を問わず)にも通じるアプローチだろうかと思われます。
これが「五蘊・十二処・十八界」などというダルマ(法)の「五位七十五法」というものでした。そし
て、形成されたものである「有為」と(形成されたものではない)涅槃の「無為」を区別することで明
確化を図ったところも、それはそれで良いところかと。ただし、この「無為」も存在として説かれてし
まったというところが、本来のゴータマとは異なった点だったかと思います。
ただ、「説一切有部」が本当に示したかったものとは、現象界には実在といえるものは何もない
けれども、しかし、これを成り立たせているところの、つまり縁起する作用と力、世界を成り立たせ
ている原理、ダルマ(法)そのものというのは永久不変に恒常だということ。これが“法は存在する”
という主張となった、と。つまり、ゴータマのいった「如来が出現しようがしまいが初めから制定され
ている自然界の摂理のこと」です。
この私は、現象界の「有為」に限定するならば、“この一切は空である”という大乗/中観の表現
には別に異論はありませんよ。
ただ“涅槃・如来も空”などという馬鹿をいうから指摘するのです。
ゴータマは「アートマンを説かなかった。」これはいい。無記の姿勢をとって、アートマンについて
は非我を説いただけですから。けれども、「涅槃・如来も空」などという馬鹿げた愚論を平気でいっ
てるから、あの緻密かつ繊細で宗教感性に世界で最も勝れたインドにおいてさえ仏教は誰にも見
向きもされず、インド宗教世界において蚊帳の外の放置プレイ状態が千年それ以上?も続いてい
るわけです。
「涅槃・如来も空」などというのは、自ら無意味無価値だと宣伝してるも同然の行為ですから。彼
らご自慢の中論だろうとなんだろうと全部、結局は「空」だってのは、その立派な理論だって「空」っ
てこと。つまり全部、中身なしの空っぽということ。無意味、無価値です。
>>150 『依り所のないもの(appaThitta)、生起のないもの(appavatta)、
所縁のないもの(anArammaNam)が、すなわちこれ(etamM)です。』(ウダーナ8:1/因縁略)
>>77 「涅槃」とは縁起に依らないことを認め、涅槃も如来も「空」などという恥ずかしいことをいうのを
辞めるならば、あとは信仰に従って好きにすればいいです。
そしたらこれ以上、この私も別に何もいうことはない・・・。
>>118 >初期仏教というか釈尊の仏教そのものを復古で説かれたのが中論
うーむ。横レスですが、その辺どうなのかは疑問・・・。
私は中論の説くところに対して、それが間違ってるというのではありません。
抽象的な評価に留めますけれど、寧ろ、真理そのもので究極的なものだといえるでしょう。
しかしながら、これはゴータマの採るアプローチとはまったく違う。異質なものです。
申し訳ないけれども、簡単にいうと『中論』は役立たずであり、
逆に、大王や机さんを見てもわかるように弊害が生じるマイナス面のようが遙かに多大なのはハッキリしてる。
いい面というのは余りない・・・。精々、現象世界に対する捉われと執着を無くす方向で寄与するとは思うけれど・・・。
中論などいくら読んでも実際上の修行の実習には殆ど役に立たない。
私は昔、役立たずと判ったのでパラ見してすぐに手放しました(図書館寄贈へ)。
254 :
安堂:2012/10/24(水) 02:28:22.17 ID:g8X/S7k5
邪魔が入った・・・・・・・・・・・・・・。
魔の属性ですね・・・・・・。
魔族の住み処ですね宗教板は・・・。
まあ知ったこっちゃないですけでど・・・。
魔教徒の巣窟ですね・・・。一斉大祓の許可は申請基準が厳しいし・・・。
255 :
神も仏も名無しさん:2012/10/24(水) 03:47:30.22 ID:MIQBY5KR
>>252 色、心、心所、涅槃の四つだけが勝義諦で、
あとは世俗諦と思っておけばよいのではないでしょうね。
256 :
神も仏も名無しさん:2012/10/24(水) 04:15:22.68 ID:6Taf7j25
>>248 >キリストに怨みでもあるんですか・・・?
史上そして現在も、最も多くの人間を、最も残酷な方法で殺した宗教の元凶。
恨みの無いほうが人間として異常。
>そこまで曲解解釈してでも私に用があるのですか?
すべて聖書に書いたあること。君は聖書を信じないの?
>私は聖人ですよ。無礼千万ですね。
イエスは「自称神(の子)」。統合失調症の症状として
の自己肥大の極限。
>あなたの死後辛い目にあいたいようですね
早速お得意の「脅迫」。神どころか、人間としても最も低劣極まりない人格
>>254 ∩___∩
| ノ ヽ
/ ● ● |
| ( _●_) ミ あっそ!
彡、 |∪| 、`\
/ __ ヽノ /´> )
(__||_) / (_||/
| \ / |
| /\ \ |
| / \ ) | ボキッ
∪ ( \ ,○,,○、::
と安堂::(:。(Д)゙)/):: グヘッ
258 :
神も仏も名無しさん:2012/10/24(水) 08:35:11.42 ID:xI6Omd+S
>>236 マタイ福音書10.26−31「恐るべき者」は、迫害される者を
励ました言葉です。それを捻じ曲げ、迫害者の言い分に摩り替えるのは、
オウム真理教のポアと似たような詭弁ですね。
259 :
神も仏も名無しさん:2012/10/24(水) 08:47:43.50 ID:xI6Omd+S
>>256 >>236 神仏や霊魂を信じないなら、宗教から遠ざかった方が賢い。
かりに神仏がいて霊魂があったとしても、罪に問われることはない。
しかし、意識的に迫害するなら、それなりの責任を問われる。
神を笑う者は、神の試みを必ず受ける。
創世記22.1−19「アブラハム、イサクをささげる」
イサクとは「笑い」という意味である。
わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を
首にかけられて、深い海に沈められる方がましである。世は人をつまずかせ
るから不幸だ。つまずきは避けられない。だが、つまずきをもたらす者は
不幸である。マタイ福音書18.6−9
262 :
神も仏も名無しさん:2012/10/24(水) 12:31:23.60 ID:1CYq2N5u
>>261 イエスは「私を信じない者は、死ね」と言っているのである。
「小さな者」とは、言外に「自分(イエス)は大きな者」と言っていること
を意味する。
イエスにとっては、人に仕えることも、「自分が一番になる」というエゴの
目的だった。
イエスの思い上がった我のみよしの高慢さと人間差別・軽視・否定は、お話に
ならない。
隠居節絶好調だなw
264 :
神も仏も名無しさん:2012/10/24(水) 16:17:49.64 ID:4rQ/OEqZ
このスレでは「直接現実・間接現実」という言葉が飛び交っているが、一体
誰が言い出したのか。釈迦か?龍樹は、そんあアホなことをいう訳がないと
思うが。
飛び交ってる?一人しか言ってないでしょ
266 :
神も仏も名無しさん:2012/10/24(水) 16:59:20.54 ID:/ZDkb08w
>>252 >世界で最も勝れたインドにおいてさえ仏教は誰にも見
>向きもされず、
夢見すぎ。大抵の宗教(とそれを信じる共同体)は仲間を奪われることを嫌う
パールシー(ゾロアスター教徒)のナオジョテについての論文(ネットで見られる)でも見て、
インドがそこまで自由じゃないことを知ったらいいよ。
インドは寛容とは言われるが、中世ヨーロッパよりはマシではあるけれども
現代世俗世界並みではけっしてない。
自由に改宗できるためにはパワーが必要。共同体の。
でないと改宗者を守れないし、圧力を跳ね除けて自分達の意思を通すこともできない。
そもそも共同体を維持できるかも危うい。
パワーが無いまま共同体を維持するためには、少なくとも布教はやめないといけないだろう。
他の宗教でも自由に学べて自由に選択できるとか、
いつの時代の常識なんだよ。
267 :
神も仏も名無しさん:2012/10/24(水) 17:15:49.45 ID:/ZDkb08w
いまは仏身傷つけるとすげえことになるけど、
あと300年くらいしたら法則が変わってむしろ天界に生まれることができるようになる、とか
あと4000年くらいしたら生まれ変わりが終わって、新しい生物の自相続も前世からの転生じゃなく
無から生まれて六道に補充されることになる。
ある程度、神通力を持っていたり、世界のどこかにあるスイッチを押したりすると
こうした仕組みをいじることができる。
という話は聞いたことが無いので業の法則も輪廻の仕組みも
『依り所のないもの(appaThitta)、生起のないもの(appavatta)、
所縁のないもの(anArammaNam)が、すなわちこれ(etamM)です。』
と言えよう。
>>262 誤読は休み休みにしてくれ。×信じない者→○つまずかせる者
×死ね→○殺された方がまし ×小さな者は弟子→○小さな者は子供
×仕えることは自利(エゴ)→○仕えることは利他
269 :
神も仏も名無しさん:2012/10/24(水) 19:14:55.34 ID:SVfUcUyD
>>253 宝珠さん
仏教における『中論』の役割はきわめて大きい。
これだけでないにしろ、縁起・空の思想が仏教の根幹になっている。
難解だが、仏教を学ぶなら『中論』は欠かせない。
270 :
神も仏も名無しさん:2012/10/24(水) 19:24:39.06 ID:/ZDkb08w
271 :
神も仏も名無しさん:2012/10/24(水) 19:31:56.21 ID:UPSEL40T
>>268 イエスが「子供愛護」の話でもしていると思っているのかw。
「(最も)小さな者」(自分(イエス)を信じる者)と「(最も)大きな者」
(イエス自身)とを対比させているのである。
「はっきり言っておく。およそ女から生まれた者のうち、洗礼者イエスより
偉大な者は現れなかった。しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大
である」(マタイ11:11)。
ここでイエスは、洗礼者ヨハネにさえ挑戦している。イエスが己の罪を告白して
洗礼を受けた洗礼者ヨハネが邪魔で、彼を超えたかったのである。イエスの
真意は見え見えw。
>>269 >
>>251 >私は仏教の専門的な勉強をしたことがありませんけれども(仏教書も殆ど読まない)
といっていますし
レスからみても宝珠氏の言ってる仏教は、大乗以前の仏教なので、龍樹の思想を学ぶ事は、
直観的(実践と言う意味で?)に自分にはぷらすにならないと感じたのではないでしょうか?
思うんだが聖書(旧約)の理不尽な記述は自分たちの民族がいかに理不尽な
事をしたか、ということをいかに削除されることなく残していけるのか?
ということを悩みに悩んで記述したんじゃないかと妄想
スレ違い失礼
274 :
神も仏も名無しさん:2012/10/24(水) 20:12:57.93 ID:E0SuQLYG
>>269 中論が重要な役割なのはあなたがたの大乗仏教だけでしょ。
釈迦仏教(原始仏教)を学ぶには邪見の原因になりますね。それは机さんやここの大王さんをみればよくわかります。彼らの
禅宗は釈迦仏教とは違いますね。伝統的な釈迦仏教の流れを汲む上座部では竜樹の中論は全く相手にされていません。
宝珠さんのように涅槃は無為。アートマンを認める立場なら中論は明確に間違いだと言えると思います。
千葉県松戸市在住、自営業。
>伝統的な釈迦仏教の流れを汲む上座部では竜樹の中論は全く相手にされていません。
全くというのはおかしい
余り好意的に評価してないと言うならあるかもしれないけど、現存の仏教で龍樹の影響を受けていない仏教はないよ
相変わらずカラスも判り易いなぁ・・w
278 :
神も仏も名無しさん:2012/10/24(水) 20:32:35.77 ID:UPSEL40T
>>276 単なる「有名人開祖の盲信」だよ。換言すれば、「開祖の精神病の伝染」と
いう精神医学的現象(感応精神病)。宗教の最大の「病理」である。
>>272 宝珠さんは、『中論』18章1詩、我(アートマン)が五蘊と異なるならば、
我は五蘊の相をもたぬであろう、という前提に着目し、『中論』は我を
五蘊で論じていることを知って『中論』から離れたのではないか。
280 :
神も仏も名無しさん:2012/10/24(水) 21:26:51.25 ID:wXIl6ZoF
>>272 >>274 原始仏教にも縁起・空の思想があり、これを理解するためにも『中論』が
欠かせない。縁起・空の実践的な意味は、瞑想の準備、悟りの準備として
欠かせないところにある。縁起に慣れておく必要がある。
>>271 ×子供愛護→○子供のように純真な心を持つ者
×洗礼者ヨハネを超えたかった→○マタイ教団の位置づけ(イエス>ヨハネ)
283 :
神も仏も名無しさん:2012/10/24(水) 21:59:18.47 ID:/ZDkb08w
ヒンドゥーのいうアートマンがどこにも存在しないなら、
「アートマンを見出した」という言説はみな
何かをそれと誤認した、という形にならざるを得ない。
もしアートマンを実際には認めているなら、誤認例だけでなく、
実際に見出した例・見出すやり方について明言しないことはありえない。
「わかるやつがわかればいい」というスタンスなら、
どうして死の直前にも弟子たちからの質問を受け付けるのか?
勝手にやらせておけばよい。
>>273 民族の恥をよくも書き残したよね。作者は苦心したかもしれない。
285 :
神も仏も名無しさん:2012/10/24(水) 22:08:36.17 ID:wXIl6ZoF
>>281 >原始仏教にも縁起・空の思想があり、これを理解するためにも『中論』が欠かせない。
「原始仏教にも縁起・空の思想がある」ここまでいいが、なぜそれが、『中論』が「欠かせない」という結論になる。初期仏教と『中論』の縁起・は空は全く同じじゃないでしょ。誤解を招くよ。
確認してくけど、初期仏教と大乗仏教(龍樹)は、はっきり分けて考えるべきだと言ってるのであって『中論』が間違ってるとかいう話ではないから注意ね。
初期仏教理解に中論は、必ずしも必要ではない。私は、宝珠氏でないので私個人の意見で言うと、『中論』は、いくらアーガマに拠っていると言っても思想的には
初期仏教から数世紀後に出来た般若経の立場で書かれた論書であり、初期仏教で言われている縁起や空と厳密には同じでないので、初期仏教や部派仏教を
問題にする場合は、必須と言われるものではない。意味的に同じとか、書かれていない事を付け加えるのは無しね。
つまり、『中論』は、般若経の影響を受けた仏教には、欠かせない論書になる。が、般若経以前の仏教では、「欠かせない」ほど重要ではない。
287 :
神も仏も名無しさん:2012/10/24(水) 22:27:59.28 ID:/ZDkb08w
死の直前も質問を受け付ける、ということは(結局、教説、説示の仕方そのものには最後も変更はなし)
後世にまで「自分が見出した真理とそこへの導き方」を残そうという意図があったものと思われる。
釈迦でなくても「明言しなかった故に歪曲される」事態が起こる位のことが予測できないはずがない。
本人にとって真理であるものが誤解や歪曲を受けることは、それ自体釈迦にとっても、あまり望ましい状況ではないだろう。
「はっきり言わなくても【気付く人】がどっかで出ればそれで良い」という発想は、
仏教や諸宗教を相対化していなければ出てこない。
釈迦は仏教と他宗教を同等・同程度のものとして説示した事はない。
少なくとも仏教を相対化する視線は釈迦のものではない。
道や目標を示すこともなく、機根の有無以外の理由で
迂回することを許容する、というスタンスを
釈迦の言行からくみ出せるだろうか。
288 :
神も仏も名無しさん:2012/10/24(水) 22:36:29.80 ID:/ZDkb08w
宝珠さんの釈迦観は、神智学に加え、通俗的な禅イメージの影響を受けているように思われる。
正直、このレスを書いてる自分も大して変わらないと思うが。
「仏教を相対化し、真理の内容をはっきり言語化せず、
トンチに見えるものを含む様々な言辞を弟子に投げかけて、それとなく弟子を真理に導く」
なので「(五蘊の誤認とかじゃない)真のアートマン」についてはっきり
(涅槃と同一視する等の)説明・確認しなくても違和感を持たない。
自分は正確な禅理解をもっているわけでないので仮にそうでも修正はできないが。
>>286 縁起と空に慣れる必要がある。そのために『中論』を勧めている。
仏教以外なら、たとえば正反合でもいいし、陰陽の太極図でもかまわない。
二項対立の思考に慣れることが「悟り」に欠かせない。今日はオチ。
290 :
神も仏も名無しさん:2012/10/24(水) 22:47:17.70 ID:/ZDkb08w
カラスさんはどうも中論はあくまで単体で用いられ、
初学者にもポンっと与えられ、そこから自由に思想の翼を広げていけよ、
という扱いを受けていると考えているように見えてしまう。
>>288 >宝珠さんの釈迦観は、神智学に加え、通俗的な禅イメージの影響を受けているように思われる。
禅については、どうかな。はっきりといえることは、禅に宝珠氏の言うようなアートマンはないと言うことかなw
あと、上では、私が宝珠氏を擁護しているようになっているが、正直私は、宝珠氏がいうよな非我→
アートマンを認めてる→それが涅槃だ。と言う説には、賛成できない。
292 :
神も仏も名無しさん:2012/10/24(水) 23:09:15.17 ID:/ZDkb08w
アートマンや涅槃なるものが実際にあるのか、どういうのかは確認できないが、
少なくとも釈迦自身はイコールでは結ばないように思う。
>>290 (
>>274がカラスである確率は4割程度だと思うがw)
カラスや批判サイドに限らず、いや寧ろ【《「中論」絶賛層》においてこそ】、
『「中論」だけあればいい』的な姿勢が横行していると思うよ。
勝義厨や野狐禅、或いは哲学志向な方々とかw
あくまでも、「慧」の部分の提示の一図画でしかなく、
それ以外にも種々必要な考察はあるし、
また、「階梯」的な意味合いでの併修・併習要素が無ければ意味が無い(→実践され得ない→顕現しない)、
ってのは結構重要なのかもね。
(知的パズルとしてのエンターテインメントとして中論を読むなら、この限りじゃないが。)
294 :
神も仏も名無しさん:2012/10/24(水) 23:39:30.20 ID:o+xctR6m
ズバリ言って、中論は「宗教破壊の書」。開祖にも「執着すべき自性」が
否定されてしまうのだから。
釈迦教徒たちが敬遠する所以である。
295 :
神も仏も名無しさん:2012/10/24(水) 23:40:19.51 ID:wXIl6ZoF
>>293 >『「中論」だけあればいい』的な姿勢が横行していると思うよ。
>勝義厨や野狐禅、或いは哲学志向な方々とかw
>あくまでも、「慧」の部分の提示の一図画でしかなく、
>それ以外にも種々必要な考察はあるし、
>また、「階梯」的な意味合いでの併修・併習要素が無ければ意味が無い(→実践され得ない→顕現しない)、
>ってのは結構重要なのかもね。
重要でしょ。三昧が体験できない人には中論ってほとんど意味ないし、大抵誤解してると思う。
入中論でも人を見て説くべきって言ってるし。
>重要でしょ。三昧が体験できない人には中論ってほとんど意味ないし、大抵誤解してると思う。
>入中論でも人を見て説くべきって言ってるし。
そうそう。予備知識なしでいきなり読んんでも、変に誤解を生むだけ。(西洋的な意味で)論理的におかしい。
西洋の論理と仏教の論理を割り切れればいいけど、論理は世界共通だろ見たいな先入観があると一生解けないw
私も人のことは言えないが、『中論』は、日本だけに限らずほとんどの宗派で重要な位置にあるけど、
学者を除くとちゃんと理解している人は一般の僧侶も含めて、どのくらいいるのだろう。
297 :
神も仏も名無しさん:2012/10/25(木) 00:05:42.26 ID:XxHofcon
>>296 釈迦仏教その他の下手な予備知識がなければ、西洋論理的にも充分に通用する。
現に、多くの西洋の仏教学者が、釈迦仏教のコペルニクス的転回として理解
し得ている。
298 :
神も仏も名無しさん:2012/10/25(木) 00:19:52.73 ID:XxHofcon
>>292 >×子供愛護→○子供のように純真な心を持つ者
全くの誤り。子供は、イエスのような「具象を離れた観念の遊戯」を弄しない。
299 :
神も仏も名無しさん:2012/10/25(木) 00:28:58.58 ID:XxHofcon
一旦釈迦に嵌った者は、中論は絶対に理解し得ない。古代の中論の注釈者たちも
同様である。従って、参照するのは無意味。
仏経の理念はこの世界から
全ての生命体が死滅する事
だよ〜ん♪(^。^)y-~
301 :
神も仏も名無しさん:2012/10/25(木) 03:05:20.00 ID:JEXoD8PN
>>300 涅槃に入ったら殺生もしなくてすみますからね。
どんなに厳密に戒律を守ろうとしても、無意識に殺生してるはず。
涅槃に入ったらそれがなくなる。
で、究極の理想は、(ありえないけど)すべての生命が涅槃に入る(平安なる滅びに入る)こと。
この世から悩み苦しみも殺しあいもなくなる。
302 :
神も仏も名無しさん:2012/10/25(木) 03:16:09.97 ID:SIbaPPsE
>>301 釈迦の思想とは、「人間を皆殺しにする」ことか。
死なない限り、人間は涅槃には入れない。煩悩とは、生命を維持するために
必須の心的作用であることに、釈迦は思い至らなかった。煩悩は、「排除
すべき異物」ではなく、「感謝して受け入れる」べきもの。
「感謝して受け入れる」ことにより、「苦」としての煩悩は去る。
「常楽我浄」である。これを「悟り」という。「煩悩即菩提」「生死即涅槃」。
303 :
神も仏も名無しさん:2012/10/25(木) 07:54:12.72 ID:Xnu4UDf9
『中論』の核は、周知のごとく24章18詩につきる。
「どんな縁起でも、それをわれわれは空と説く。それは仮に設けられたもの
であって、それはすなわち中道である。」
その他は、これを論証するための偈頌ではないだろうか。
次に『中論』の重要性だが、これは唯識との関係で明らかになる。
識は、意識・無意識(マナ識・アラヤ識)に区別される。
この無意識の世界に潜って行く道具が「縁起・空」にほかならない。
ということは、「縁起・空」に習熟すれば、特に瞑想しなくても、
考えごとに集中するだけで瞑想状態に近づいていく。
これは縁起・空の日常的実践である。この実践中に縁起・空だけでは、
にっちもさっちも行かない状況に追い込まれることがある。
これを打開するのも縁起・空であり、これによって「自分の誤りに気づく」
ことが可能になる。誤りに運よく気づけば、その瞬間に自我が壊れ滅し、
聖霊・甘露の体験をする。瞑想もせず、これによって神仏を知る。
306 :
涅槃の知覚 大滝秀治 :2012/10/25(木) 08:49:41.49 ID:fpJIwym5
>>170 【?】
>そこのところに、こだわるな そこのところに固執するな
涅槃(
>>169>>163>>164)は、放下着(趙州禅師)境涯の一語に尽きます。
『その他のものを捨て、最上の<想いからの解脱>において解脱』の境涯です(Sn.1072)。
『諸仏のまさしく諸仏なるときは、自己は諸仏なりと覚知することをもちいず、しかあれども証仏なり、仏を証しもてゆく』(『正法眼蔵・現成公案』)
307 :
涅槃の知覚 大滝秀治 :2012/10/25(木) 08:54:17.21 ID:fpJIwym5
>>171 『(ブッダによって)あたかも幻のようである、あたかも夢のようである、あたかも蜃気楼のようであるとして、
生起(生)が説かれ、持続(住)が説かれ、消滅(滅)が説かれているのである。』(中論7-34)
『一切の執着を脱せんがために、勝者(仏)により空が説かれた。しかるに、人がもしも空見をいだくならば、
勝者(仏)はその人々を「癒されない人」と呼んだのである。』(同上13-8)
>一切の、心行は、皆、是れは、虚妄であり、虚妄の故に、滅するはずだ!
308 :
涅槃の知覚 大滝秀治 :2012/10/25(木) 08:56:41.34 ID:fpJIwym5
失礼!続
上記は完全に悪取空で誤解です。中観ではありません。
・上記を『〜のようである(如し)』(中観)ではなく、『〜である』(悪取空観)とみてしまうと、
これに業報輪廻転生論が結びつくと、オウムのポアの論理(地下鉄サリン事件)に堕落します(中論13-8)。
悪取空です。危険で誤っています、直ちに「放下着」。
金剛経でも『“如”夢幻泡影 “如”露亦“如”電 応作“如”是観』(三十二)と“如”をひつこく繰返しています。
・中観は、分別(仮観)→無分別(空観)⇒無分別の分別(中観) と、あくまで娑婆を慶安中道でいきることです。
309 :
涅槃の知覚 大滝秀治 :2012/10/25(木) 09:06:14.52 ID:fpJIwym5
>>171 >滅尽定(想受滅)などによって涅槃に帰する事が出来る
できるわけがありません。
涅槃は悟り(縁起の現観)によってもたらされる間接現実における慶安な境地(心理状態:心と心の作用サンユッタ・ニカーヤ 33-1-3)です。
滅尽定(想受滅)とやらはなんら宗教的・神秘的な状態ではなく、よーするに自己催眠術の深度に過ぎないなので、
直接縁起の現観(悟り)とは別問題です。脳科学的な脳波観察で測定できます。
悟りの境地とは関係ありません。完全熟睡状態や事故による昏睡状態を、悟りとか涅槃などという人はいないでしょう。
アタシは滅尽定とやらの経験がないので、知りません。ただ、ブッダが修定主義を否定された伝説は知っています。
興味もありません。口から泡を吹くまでやっている猿のオナニーとおなじで“過ぎたるは及ば猿が如し”だと推測します。
山奥の洞窟で滅尽定状態ででラリっていれば、白骨化確実でしょう。アホの極みです。
311 :
ウダーナ8-3 大滝秀治 :2012/10/25(木) 09:31:39.51 ID:fpJIwym5
>>219 宝珠
マールンキャプッタよ、
『 世界は『 世界は常住である 』 ということである 』 ということは私によって 解答 されていません。
『 世界は無常である 』 ということは私によって 解答 されていません。
『 世界は有限である 』 ということは私によって 解答 されていません。
『 世界は無限である 』 ということは私によって 解答 されていません。
『 霊魂と肉体は同じである 』 ということは私によって 解答 されていません。
『 霊魂と肉体は異なる 』 ということは私によって 解答 されていません。
『 タターガタは死後存在する 』 ということは私によって 解答 されていません。
『 タターガタは死後存在しない 』 ということは私によって 解答 されていません。
『 タターガタは死後存在し、また存在しない 』 ということは私によって 解答 されていません。
『 タターガタは死後存在しないし、また存在しないのでもない 』 ということは私によって 解答 されていません。
『 世界は常住である 』『 タターガタは死後存在する 』 ということ『超越』論ということは私(ブッダ)によって回答されていません。
宝珠のウダーナ8-3の超越論は、仏法の基盤である縁起の直接現実(あるがまま)を無視したナンセンスな戯論(形而上学=物語)であって、
無記事項にすぎない。
ウダーナ8-3は存在の二相把握(
>>308)を前提として、戯論寂滅(出離)による縁起の現(あるがまま)観⇒中道を示唆した文言だ。
312 :
大滝秀治 :2012/10/25(木) 10:02:41.94 ID:fpJIwym5
>>310 【?】
>八正道(八聖道)については、どのように考えますか?
ブッダの本懐は実存苦の根源的超克です。
そのための身心を調える道です。
間接現実において、縁起の法を知覚・記憶するものは、即ち苦集滅道(四諦)を観る(中論24-40参照)。
直接現実において、縁起の法を無分別智(般若波羅蜜)直覚するものは、即ち無苦集滅道を観る(般若心経)。参照
56億7000万年後に弥勒菩薩が
降臨し全ての生命体を救済する
伝説は、終末期の太陽が膨張
して地球を飲み込み焼きつく
して浄化する事かしら?
ヒャッハ〜 (^。^)y-~
>>303-305 の続き
縁起・空に慣れ、神仏に出会った後で、瞑想をスタートするのが正しい。
なぜ瞑想をやるのか。まだ自分自身を知らないからである。
しかし、自分を知ろうと言うより、神仏に導かれるようにスタートする。
瞑想(坐禅)は心を白紙にして行う。自然に無心に坐る。
315 :
大滝秀治 :2012/10/25(木) 11:28:43.41 ID:fpJIwym5
>>264 >このスレでは「直接現実・間接現実」という言葉が飛び交っているが、一体
>誰が言い出したのか。釈迦か?龍樹は、そんあアホなことをいう訳がないと 思うが。
なんか文句あんのか?
仏法にとって現実とは、縁起の現実(あるがまま)しかない。
しかも、縁起の直接現実は『諦』=「真」「理」ではない。
諦は真⇔誤を二項相対とする間接現実での分別概念だ。
諦を使えるのは、間接現実(世俗)のみだ。
現実が二つあるわけではない。
知覚・記憶・判断という分別知(仮観)か、般若波羅蜜直覚という無分別智(空観)かという相の違いだ。
しかも、それは娑婆にある(生きる)において無分別の分別と還滅される。
まさにこれが<中観=中道>だ。
龍樹の中論24-8・9・10の表現は誤っている。
瞑想は、現実から心を離し、自分の心の中に沈潜することである。
ここで役立つのが、縁起・空、神仏への深い信仰である。
この二つが瞑想を成功させるだろう。(非想非非想処)意識を鎮め、
(魔境)マナ識に入り、(業・過去世)アラヤ識と出会う。
(解脱)とはこのアラヤ識を捨て去ることである。
317 :
大滝秀治 :2012/10/25(木) 11:46:37.18 ID:fpJIwym5
>>315は重要な問題であって、敷衍すれば、
中観は、分別(仮観)→無分別(空観)⇒無分別の分別(中観) と、あくまで娑婆を慶安中道でいきることですよ。
<色―即是−空>⇒<空−即是−色>
このことは、金剛経でも明らかにされています。
金剛般若経の「A即非A、是“名”A」の根本的意義は、
<A(分別相:仮観)はAではない(無分別相:空観)。ゆえに⇒Aと名づける(無分別の分別:中観)>と、
存在は二相(最終的には相そのものも空)で掴み得ることを明確にし、
無分別の分別相(中観)がわざわざ「言語ゲーム」であることを確認することにあります。(
>>22)
空観において、如来も仏も時空際断にて寂滅しており、
これ以上の展開は、形而上学的論議に他ならず、無記事項であって、
ゴミ論理です。
瞑想の役割は三つある。
1 解脱すること
2 滅尽定で、空(虚無)を体験すること
3 涅槃定で、涅槃を体験すること 〜 神界とアートマン(霊魂)
このスレでアートマンとかw
( ´,_ゝ`)
釈迦は瞑想でアートマンを体験していると思う。
しかし、体験したことを言葉で表現できるかどうかは別の問題である。
うまく表現できる時もあり、適当な言葉が見つからずに沈黙する時もある。
天才龍樹は空を直感している。世親はアートマンを体験している。
321 :
神も仏も名無しさん:2012/10/25(木) 13:07:44.15 ID:Xnu4UDf9
空とアートマン((霊魂)は矛盾していない。
むしろ同時に成立しないと、大乗が説く菩薩道が成立しない。
法華経が説くような「ウソも方便」は戒律が許さない。
釈迦は慈悲を説いたが、神やアートマンを知らなければ説けない。
単なる空では、人殺しも認めることになる。
323 :
神も仏も名無しさん:2012/10/25(木) 13:33:52.40 ID:dk8nfpOR
>>321 輪廻の主体は?
ttp://www28.atwiki.jp/buddha/pages/14.html 「空と矛盾しないアートマン」なるものはヒンドゥー教のアートマンとも異なる。
シャンカラの『ウパデーシャ・サーハスリー』でアートマンの設定を確認しよう。
>法華経が説くような「ウソも方便」は戒律が許さない。
キサーゴータミーのエピソードは阿含経に書いてあるんだが。
>釈迦は慈悲を説いたが、神やアートマンを知らなければ説けない。
思考回路が不明。
>単なる空では、人殺しも認めることになる。
空を語る文言を単体で取り上げて、殺人も空だ〜、というのは大乗仏教じゃないから。
実際に殺れば地獄行きだから。
>>323 いくら殺しても罪にはなりませんよ!
この世で唯一の罪は子供を作る
事だけですからね。これが本当の
仏経なんですよ♪ (^。^)y-~
325 :
神も仏も名無しさん:2012/10/25(木) 16:37:08.55 ID:0HvBMY6A
>>316 >ここで役立つのが、縁起・空、神仏への深い信仰である。
中論は、縁起、空、神仏、開祖など、いかなる対象の「執着すべき自性」
「絶対性」をも否定する。これらに執着する宗教は、すべて全滅w。
中論は、無意識(阿頼耶識)など語らない。すべて意識上の明確な論理である。
>>315 >龍樹の中論24-8・9・10の表現は誤っている。
中論24−10の、「世俗的なことにもとづかなければ、第一義は説示され
得ない」で、きちんと決めている。中論には、微塵の論理矛盾もない。
24−8、24−9は、むしろ、釈迦に対する批判であるとも解される。1−10
では、同様に、釈迦の「これが有るとき、彼がある」の命題も批判・否定して
いる。「因・果」の概念を否定したのが、まさに「相互依存性・関係性」とい
う、中論の縁起・空・中道である。
326 :
今日のところは名無しで さん:2012/10/25(木) 17:14:27.53 ID:3Mk9r29i
禅宗の一派、日本臨済宗の中興の祖・白隠禅師のもとで修行した老僧の話である。
200年ほど前、遠州の新橋というところに大通院という大寺があった。
そこの和尚は、もう60の年を過ぎているのにまだ悟りを開いていなかった。
この老僧はこれではならぬと発心し、駿河の松蔭寺に、白隠禅師の門をたたいて、弟子入りした。
老僧に与えられたのは白隠自身が作り出した「隻手の音声(片手の声を聞 いてこい)」という有名な公案であった。
老僧は熱心に公案に取り組んだ。
だが 5、6年たってもなお悟りは開けない。
ついにへこたれた老僧は、「これまで親切に指導していただきましたが目が開けない、どうしたらよいのか」と白隠に泣きついた。
白隠は「がんばって、あと3年“隻手の音声”の公案に打ち込め。だめだったら、わしの首を斬れ」と言った。
そこで老僧はまた気力を奮い起こし修行に励んだ。
そして3年たったがやはり悟りは開けない。
白隠は「いまさら、わしの首を斬ってもどうにもなるまい。あと3ヵ月だけやってみよ」と励ました。
また、白隠の叱咤の声がひびき、厳しい修行が続いた。
しかしだめだった。
白隠はついに、「お前のような者はもう死んでしまえ」 とどなった。
老僧は、「はい、そういたしましょう」と、死んでおわびするつもりで 松蔭寺の門をでた。
遠州へ帰る途中、ある峠の断崖から西の空を見ると、夕焼けの眺めがあまりに美しいので、これが今生の見おさめかと、傍らの石に坐り込んで眺めているうちに、三昧境に入った。
気がつくともう夜が白々とあけはじめて いた。
老僧は、「ああ、自分は死ぬのだ」と考えて、崖から身を投げようと片足をふみ出した。
その瞬間、雲間から朝日の光がキラッとさしそめた。
はっと全身電気に打たれたように感じた老僧は、心中の暗雲がその時はじめて開けた。
見性したのである。
「その時、すべては新しい。 すべては美しい。 すべては光っておる。 そして、ふしぎなことにすべてが自己である。万物と我れと一体である。世界と我れと不二である。」
自己と世界が一つになって、自己が朝日となって全世界に輝いたのである。
老僧は、狂気のように松蔭寺にとって返して、白隠の室に泣いて駆け込んだ。
白隠は心からこの老僧を祝福して、その悟りを証明したという。
327 :
今日のところは名無しで さん:2012/10/25(木) 17:28:55.21 ID:3Mk9r29i
328 :
神も仏も名無しさん:2012/10/25(木) 18:04:29.14 ID:ECbpV6dk
>>326 白隠も老僧も、無駄な時間を費やしたものだ。そんなこと位は、衆生は
とっくに悟っているw。
329 :
今日のところは名無しで さん:2012/10/25(木) 18:32:37.55 ID:wN1vMXDU
>>328 >
>>326 > そんなこと位は、衆生は とっくに悟っているw。」
ハーイ、シツモーン! (/*・・)o
衆生の中には、名無し さん自信は、入ってないんだよね。
330 :
今日のところは名無しで さん:2012/10/25(木) 18:35:25.71 ID:wN1vMXDU
そもそも仏経は腑抜けた宗教
なんかじゃ無くてイスラム原理
主義以上に過激な思想なんですよ!
其処の所を理解している人いますか? (^。^)y-~
332 :
神も仏も名無しさん:2012/10/25(木) 20:40:42.17 ID:leYoQ5o/
聖人が涅槃だと勘違いする境地、非想非非想処の効果は長続きしない。
翌日になれば消えてしまう。そのため、中毒のように、毎日座りたくなる。
しかしこれでは、悟りではなく、坐禅そのものが自己目的化してしまう。
これは、修証一如・只管打坐を説く、道元の路線でもあるが・・・
これで本当にいいのか。時間のムダではないのか。
>非想非非想処の効果は長続きしない。
滅尽定ととの違いは、ココだよねw
臨済宗は謎謎のような公案によって空を悟ろうとする。
経験がないからわからないが、これも時間のムダをしそうで恐い。
それよりも『中論』に挑んだり、正反合を学んだり、
太極図などを研究する方が、確実に成果を挙げそうな気がする。
もっとよい空の悟り方はないものか。
空の悟りが実は無かった場合の事は、考えたことないの?
336 :
だいおう:2012/10/25(木) 21:09:03.97 ID:ZF4c9nEg
道元は目の前の現実と一如になれと言っているぞ。
334は出鱈目、臨済宗は流転対応力を得るのが目的、
空をさとるのは大乗仏教にあらず。
>>333 そうなんだよね。滅尽定や涅槃定は一回の体験で坐禅から卒業できる。
非想非非想処には、坐禅を快楽にしてしまいそうな魔力がある。
338 :
神も仏も名無しさん:2012/10/25(木) 21:23:59.75 ID:ZF4c9nEg
空虚な禅仏教の意見か、知らないのに意見を言う発想理解に苦しむなあ。
>>338 あまり難しく考えない方がいい。素人が解脱できてこそ本物だな。
341 :
神も仏も名無しさん:2012/10/25(木) 21:34:15.09 ID:ZF4c9nEg
素人ね、うまいかわし方だな。
342 :
Mの(笑):2012/10/25(木) 22:07:01.16 ID:QUR+Yesz
八正道(八聖道)については、どのように考えますか?
ブッダの本懐は実存苦の根源的超克です。
そのための身心を調える道です。
間接現実において、縁起の法を知覚・記憶するものは、即ち苦集滅道(四諦)を観る(中論24-40参照)。
直接現実において、縁起の法を無分別智(般若波羅蜜)直覚するものは、即ち無苦集滅道を観る(般若心経)。参照
>>342 ___
ξ _ ヽ
 ̄ ├-┤
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| \ ̄ ノ ヽ二)
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 ̄ ̄ ̄
アートマン。『自分の自分性』
人間存在を構成する内側のあれこれをいちいち区分しても、アートマンどこにもはない
外側の世界をを探しても、アートマンはどこにもない
自分や世界の中側を探しても、どこにもない。
なら逆に、人や世界がアートマンの『内側』にあると考えたらどうだろう
普通の考え方では、世界があり、その世界の内側に自分がいると思っている。しかし、実は、自分の内側に世界があった!
梵我一如
346 :
神も仏も名無しさん:2012/10/26(金) 12:16:08.92 ID:oVLZDboG
>>323 >輪廻の主体は? → アラヤ識
>キサーゴータミーのエピソード → これも作り話だろう
>思考回路が不明。 → アリも殺さぬ慈悲はどこからやって来るのか
>実際に殺れば地獄行きだから。 → 空には地獄も極楽もない
347 :
神も仏も名無しさん:2012/10/26(金) 12:21:46.42 ID:+A4PrnBV
特に目新しい考え方ではない。仏教では古くからそうした考え方がある。というよりそれが主流。
空というのは要するに現実には実体がない。現実は心が描き出しているものにすぎないということだから。
今でいう一種の仮想現実論だな。哲学でも現実はあくまで現象、つまり、自分が現実を認識している。自分なしに現実が認識されることはもちろんない。認識しているのはあくまで自分だから。
これも自分なしに現実が認識されることはないわけだから唯心論といえなくもない。
>>298 >全くの誤り。子供は、イエスのような「具象を離れた・・・
そういう話じゃなくて、子供のように素直になれと。
へそ曲がりだと天国に入れない。地獄雪。
349 :
神も仏も名無しさん:2012/10/26(金) 12:29:02.83 ID:U2iTZW9g
>>334 「空を悟る」とは、有身見の煩悩がなくなること、つまり預流果になることですよね。
>>347 まず己があって、その観測の下に現実があるかのような認識は仏教の主流じゃない。
あと唯心ではなく唯識な。
>>347 仏教を否定しているわけではない。
龍樹や世親を高く評価している。ただ、大乗は空を強調するあまり、
神仏への信仰をなおざりにしているのではないだろうか。
形だけの信仰になり、心からの信仰が失われた。
>>349 そんなに深い意味はない。危険を悟る、程度の意味ですよ。
いちおう
>>339で「空を直感する」に訂正した。
353 :
神も仏も名無しさん:2012/10/26(金) 14:15:50.86 ID:5B2QCnQi
>>346 そりゃ、仏教じゃないな。
なんらかの基体、実体がないとという考え方だから。
だから何度も言う様に仏経の
理念は二度と母胎に宿らない
事だから遠回りの修行なんか
抜きにして何もせずに死を待つ
事が仏理にかなうと思うわよ! ヒャッハ〜♪(^^)d
355 :
神も仏も名無しさん:2012/10/26(金) 14:33:17.64 ID:5B2QCnQi
>>354 それじゃ、輪廻しちゃうんだは
しかも、善行をなさなければ高い確率で三悪趣に行っちゃう可能性が高いというのが伝統説
>>355 因果因縁の種が絶えれば輪廻から
離れて彼岸に至れる訳ですよ!
分かりますか? (^。^)y-~
>>356 >因果因縁の種が絶えれば
それをどうやって絶つのさ?
358 :
神も仏も名無しさん:2012/10/26(金) 14:46:10.67 ID:5B2QCnQi
>>356 そのために仏の教えが説かれ、その教えに従って道を歩まないと
彼岸に渡れない、と伝統では考えられてますよ。
359 :
神も仏も名無しさん:2012/10/26(金) 15:51:38.42 ID:15N7FGAN
>>342 >ブッダの本懐は実存苦の根源的超克です。
>そのための身心を調える道です。
「実存苦」などというものは、釈迦の鬱病の症状に過ぎない。健常者には
無関係。
健常者にはありもしない「実存苦」の概念を植え付けるのは、仏教の「営業
手段」に過ぎない。「原価ゼロ」の優れた営利手段w。
>>248 これまで何度も指摘してきたように、
それは、「イエスが説いた」のではなくて、「キリスト教(カトリック)が勝手に説いたもの」です。
それは、「イエスの教え」ではなくて、「キリスト教(カトリック)の教え」ですから。
いい加減、本物の聖者の悪口は辞めたほうがいい。
“地獄行きだ”と何度も繰り返し強調されていることからみて、
どうやら本当にそうかもしれないから・・・。
後悔しても遅い。
これは当人が怒って罰を与えるというのではなくて、
自然界の摂理法則として定まっているのでしょう。
『賭博で財を失う人は、たとい自身を含めて一切を失うとも、その不運はわずかなものである。
しかし立派な聖者に対して悪意を抱く人の受ける不運は、まことに重いのである。』(Sn.659)
『悪口を言いまた悪意を起こして聖者をそしるものは、10万と36のニラッブダの〔巨大な年数の間〕
また5つのアッブダの〔巨大な年数の間〕地獄に赴く。』(Sn.660)
あなたのために忠告しておきます。
>>279 すぐ“大王のような弊害が起こること”が目にも見えて明らかだったからです。
これはヒンドゥー世界における“ヨーガ(行為の実修)対ジュニャーナ(哲学サーンキャと知識の道)や
アドヴァイタ(不二一元論)”の関係とほぼ同一の問題だからです。
結果的にジュニャーナやアドヴァイタといった勝義一辺倒の教えは役立たずであって、
確実な進歩を保証するものはヨーガ(行為の実修)だけだからです。
*これらの諸問題についての理解は『バガヴァッド・ギーター』に明白です。
(道の徒が必ず通ることになるこの両者についての矛盾点を明快に解き明かした名著)
これが私の見たゴータマの教え(仏典)と『中論』の対比関係です。
仏典があれば『中論』など無用、それがこの私の印象。
>>304 >ということは、「縁起・空」に習熟すれば、特に瞑想しなくても、
>考えごとに集中するだけで瞑想状態に近づいていく。
瞑想とは、『中論』(書物)を読んだり考えることではありません。
“瞑想しなくても”などといってるところがすでに『中論』による弊害に他なりません。
ゴータマは、完成には瞑想が不可欠だと仏典(原始経典)で明言しています。
>>311 >『世界は常住である』『タターガタは死後存在する』ということ
>『超越』論ということは私(ブッダ)によって回答されていません。
私は、『世界は常住である』などと、そんなこといった憶えはありませんから。
ただ如いていえば、“法は恒常、涅槃は不滅の境地なり”ということができる。ゴータマの『タターガタは
死後存在する』とも説かない、というのは、世俗の価値観としての有無では説明することはできないと
いう意味ですよ。
>宝珠のウダーナ8-3の超越論は、
>仏法の基盤である縁起の直接現実(あるがまま)を無視したナンセンスな戯論(形而上学=物語)であって、
>無記事項にすぎない。ウダーナ8-3は存在の二相把握(
>>308)を前提として、
>戯論寂滅(出離)による縁起の現(あるがまま)観⇒中道を示唆した文言だ。
ですから、仏典(ウダーナ)は、涅槃とは縁起に依らない境地だといってるでしょう!涅槃は有為
(現象世界)とまったく異質なものであるということ。だから、有為からの出離(解脱)がそれとして
覚知されることができるのです。
もしも同じであれば、違いがないのだから解脱にならないでしょ!当然、出離の知覚すらない。
ただ押さえておくべき点というのは、この現象界は非実在で幻影的性質のものでしかないということ。
涅槃の境地というのは、何処か遠くにある別の場所ではなくて、まさに意識の状態と階層の違いとし
てここに存在し、この身このままでこの現象界に重なって在るということ。
この二重性質の理解がすべてです。
>>362 w
>階層の違いとしてここに存在し、この身このままでこの現象界に重なって
ムーだけ読んでろよw
哲学は書いた本人があとで「アレは間違い」と言ってるものがかなりある
仏典は書いた人がもう死んでいるので間違っていても本人による訂正がない
366 :
神も仏も名無しさん:2012/10/26(金) 19:51:43.82 ID:MP7M7ens
>>344 >しかし、実は、自分の内側に世界があった!
世界は自分の内側に有る。
で、自分はどこにあるの?
367 :
神も仏も名無しさん:2012/10/26(金) 19:54:39.92 ID:5B2QCnQi
>>364-365 哲学は基本的に、推論だから。
仏教は体験なんで、諸聖者による追体験もあって実証されているといえるんで、
比較にならない。
>>366 Tat Tvam Asi
>で、自分はどこにあるの?
世界だよ
>>367 具体的に言うと、なに?六道輪廻とかも体験なの。
なぜか世界中のヒトは「霊」「霊的なもの」を好みますね
370 :
神も仏も名無しさん:2012/10/26(金) 20:17:22.20 ID:5B2QCnQi
>>369 私たちの文化、文明が「魂」という言葉を考案したのです。文明とは大勢の人々の集団的な欲望と意志です。
インドの文明を御覧なさい。欲望や意志を持つ大勢の人々の産物ではないですか。この集団的意志は、死んで
腐敗する以上のもの、遥に偉大で広大なもの、不滅で不死のものがあるに違いない、と言いました。その為、「魂」
という考えが確立されたのです。この不死と呼ばれるもの、死なない状態について自分で発見した人が時には一人二人
いたでしょう。それから、凡庸な人々が、「そうだ、それは本当に違いない。彼の言うとおりだ」と言いました。つまり、
不死が欲しいから、彼らは「魂」「霊」「霊的なもの」という言葉にすがるのです。
一応
>>371は、ID:5B2QCnQi 宛でもある。
仮に、哲学が推論、仏教が諸聖者の体験によって実証されているものだとして
「凡庸な人々」である私達にとってこの2つの違いはなんだろう?
373 :
神も仏も名無しさん:2012/10/26(金) 20:37:50.93 ID:5B2QCnQi
>>372 「魂」「霊」「霊的なもの」を真・実在とするものと、それを仮・幻とする仏教の違いですか?
そりゃ、縁起・空性・仮設ですよ。これがあるか、単に三昧・禅定主義か、それが違い。
>>373 それは、あくまで聖者と言われている人の体験談ですよね。あなたは追随する人が沢山いると
言われるかも知れませんが、あくまで確からしいと言う程度で、自らの体験も無しに正しいと言うのは
つまり、簡単に言うと借り物の言葉以外で語れないのなら、推論と変わらないのでは?
375 :
神も仏も名無しさん:2012/10/26(金) 21:06:00.02 ID:5B2QCnQi
>>374 ただし、哲学と違うのは教えが体験に基づき、その教えに従う諸聖者によって追体験されてきたということも凡夫は信じるか信じないかですよ。もちろん。
悪意を持った質問に聞こえたかかもしれないけど
人間、他人の考えに100%同意するor信じるって事はできない。
100%信じてるというなら、隠居氏ではないが、狂気に伝染している言われても仕方がない。
377 :
神も仏も名無しさん:2012/10/26(金) 21:20:34.84 ID:5B2QCnQi
>>376 そう思うなら、信じなければいいんじゃないですか。
私は、縁起は信じる(正しいと思う)が六道輪廻は、信じていない(正しいとは思わない)。
いや、信じる信じないというのは、少し違うが、経典に書かれているからとか、
偉い聖者がそういったからとかで、正しいと言ったり信じたりは出来ない。
100%信じないと言わなければ、信じていない事になるのだろうか?
379 :
神も仏も名無しさん:2012/10/26(金) 21:31:35.18 ID:5B2QCnQi
>>378 私はそんなことは言ってませんよ。
単にアナタの問いに答えているだけ。
問題を複雑にしているのはアナタでしょう。
初期仏教思想では、六道輪廻とは苦の代名詞であり、
仏の存在自体が超人的存在として表されており、
当時の人々には成(開くという意)仏とい道が見えていなかったと考えられます。
歴史的に、もっとも読まれた経典「法華経」に、人は皆成仏する種を具していると説かれています。
仏という最高の生命を具するが故に、生命尊厳の経典とも言われています。
法華経ではないが、山川草木悉有仏性ってのはどういう意味なんかねぇ
383 :
神も仏も名無しさん:2012/10/26(金) 22:49:20.46 ID:5B2QCnQi
>>357 自分でバンバンしなさいよ!(^。^)y-~
>>358 狐みたいな他人に振り回されないで
自分自身を信じ切りなさいよ!
南無 (^人^)
>>385 なるほど。
そうやって、隠居やカラスや宝珠や在家のようになれと言いたいのかw
オワットルw (;´ー`)y━~~
>>382 つまり、生命とは成・住・壊・空を繰り返す全てのものと捉えています。
いわゆる、生命とは有情・非情に亘る・・とありますが、有情とは喜怒哀楽や痛みを感じるもので、
非情とは、人の身体で言えば髪の毛や爪など。また石や塵にいたるまでと仏典に書かれています。
その一つ一つを生命の顕れと捉えているのです。
仏性が(冥伏している状態で)内在しているという意味だと思います。
但し、人間以外はその仏性を顕在化する可能性は不可能に近いと思いますね。
人は、人に生まれてくること自体稀有の存在だといっています。
>>386 己自身を信じ無くて何を信じると
言うのか?たわけ者め!南無 (^人^)
>>388 ふ〜ん、
憎しみにまみれた己を信じて殺人事件は起こるんだけどねぇ・・w
べつに他人を信じようが自分を信じようが信じるものを自分が選んでいる以上、
自分の選択を信じているんだからどうでもいいやん。
391 :
神も仏も名無しさん:2012/10/26(金) 23:30:16.64 ID:3Y+RMleD
>>389 神仏や開祖など、「生命」以外の「絶対(自性)」を信じるから、人を殺す
ことが可能になる。
ミャンマーでは、イスラム教徒と小乗教徒とが、今、殺し合いをやってるね。
>>391 お前、世の中のこと何にも見えてないんだな・・・
>>387 生命のことはよくわかったよ
それで、その仏性ってのはなんなんだい?
394 :
神も仏も名無しさん:2012/10/26(金) 23:35:23.02 ID:3Y+RMleD
>>390 >自分の選択を信じているんだからどうでもいいやん。
宗教は、「信じさせられる」ことが問題。心理的に「選択の余地」が
存在しなくなる。
395 :
神も仏も名無しさん:2012/10/26(金) 23:37:45.81 ID:QBISfTR8
まあ修行しようと神を信じようと信じまいと
人の人生に対した違いもない
生まれて死ぬだけのこと
その間、神を信じたか信じないかなど些細なことでしかない
396 :
神も仏も名無しさん:2012/10/26(金) 23:40:24.83 ID:QBISfTR8
宗教など生きている間の気休めや暇潰しに過ぎない。
それを信じなかったからと言って誉められることでもない。
自己主張の激しいニヒリズム気取りって存在が矛盾してるよな
398 :
神も仏も名無しさん:2012/10/26(金) 23:43:38.54 ID:3Y+RMleD
>>395 バカですか。宗教に嵌ると、人格自体が変容するから、人生は一変する。
一旦宗教に嵌ると、それから離脱することは、一生涯殆ど不可能。
「自己」が失われ、専ら開祖に操られた酔生夢死の一生を送ることになる。
このスレだけからでも明らか。
>>389 仏に会えば仏を殺し、父母に会えば
父母を殺す。殺す事など罪に非ず。
人を産む事のみが罪になる。
分かるかな?たわけ者め!(^。^)y-~
400 :
神も仏も名無しさん:2012/10/26(金) 23:48:21.28 ID:QBISfTR8
宗教に嵌まらなくても人間は大抵あたまがおかしい。俺だけはおかしくないと言う人もそう言う形でやはりおかしい。
君などは特に精神が歪んでいるように見える。
が、どのように歪んでいようが人の一生にさほどの変わりはない。
生まれて訳のわからんことを言って死ぬだけである
>>401 生まれて来た子供は死ぬまで
この生き地獄で苦しむからだよ。
仏経の理念は二度と母胎に
宿らない事だからね。
分かるかな? (^。^)y-~
>>399 また野狐の登場か・・w もう机だけで十分だよ┐(´ー`)┌
>>403 批判ばかりで解決案を持たない
お前が野狐なんだよ。分かるかな?
たわけ者め! (^。^)y-~
>>402 誰も産まなければ解決ってことか
それじゃあ、他の誰かが産んでしまう問題にはどう対処するんだ?
>>402 つまりお前は自分を世に生み出したお父ちゃんお母ちゃんを心底憎んでるわけだな。
うん、共感できないし分からんわ(^。^)y-~
>>406 共感?馬鹿じゃ無いかしら?
100年ROMってなさいね!
ヒャッハ〜♪ (^。^)y-~
>>407 妄言はいいからさっさと自死しなよ。
この世は生き地獄なんでしょ? 無理して生きてなくて良いんだよ?
>>402 妊娠出産は、
まだ完成途上にある魂(非アートマン)に“次の修行と進歩の機会を提供する行為“であり、
一般に多くの場合は、過去世で家族だったりした関係の者が
強いカルマ的磁力によって引き寄せられて母胎に宿ってくる。
“二度と母胎に宿らない事”とは、
すべての学びを修得して卒業した者(完成者)のこと。
未熟の内は繰り返し転生してくる。
基地子があるから彼がある
基地子が滅すれば彼滅す
基地子が此れと知れ
呼応というものを知れ
存在というものは呼であり応である。
存在が嫌なら即消えろ。
仏の教えはそうではない。
存在の肯定である。
あいぴーえす細胞があれば将来は修行しなくても不老不死になるかもね。
人間のやることはよくわからん。死を前にしないと分からないこともあるんだけど。
その時宗教は場合によってはずっと前から良い線行っていたといわれるかもね
命を絶つもの命に背く者は命であろうが存在すべきではない
415 :
神も仏も名無しさん:2012/10/27(土) 04:21:08.32 ID:/lNMaWoJ
>>403 何年か前にデビューしてますよ、この人は
最近やたらと専ブラにあぼーんが多いな、と思ったらNG設定してた糞固定が暴れてたのか
417 :
神も仏も名無しさん:2012/10/27(土) 07:37:28.47 ID:XTug22Mo
>>402 人間がいなくなっても餓鬼とかに輪廻すればいいので、あまり関係ない。
ただ、自分の解脱のためには、執着の対象となる家族を持つのは妨げになるが。
++++++++++++
+| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|+
+| *゚ Gооd +。 |+
+| мorning ゚|+
+| 今日もガンバロー! |+
+|____ ____|+
+++++ || +++++
∧ ∧||∧ ∧
(。・Α・∩∩・∀・。)
Οu_Ο Θ_uΘ
419 :
神も仏も名無しさん:2012/10/27(土) 07:44:16.40 ID:GNjkJIeE
「一切皆苦」だの「輪廻転生」だの「解脱」だの、釈迦は明らかに精神障害。
健常者には無関係。
420 :
神も仏も名無しさん:2012/10/27(土) 08:17:45.31 ID:0mEEI3Ly
健常な者など居ないのでいつの時代にも需要があるのだろう
人間が完全無欠の神であればもちろん宗教などいらなかった
しかし基本的に馬鹿だし病気にもなり最後は死ぬので宗教が発明された
>>361 宝珠さんの立場、仏典とヨーガは、サーンキャ哲学とヨーガ学派の接近、、
不二一元論と瞑想(坐禅)の接近を思わせますね。
理論だけでは不足、体験(ヨーガ・瞑想)が欠かせないのは間違いない。
>>361 考えごとに集中するだけで瞑想状態に近づいていく・・・この状態は
実際にあり、これをベースに臨済宗の公案禅が考え出されたのでは
ないか。縁起・空が無意識に潜航することに役立つならば、
瞑想中だけでなく、考えごとに集中する場合にも働くはずである。
423 :
神も仏も名無しさん:2012/10/27(土) 08:50:30.51 ID:RyHKq0pW
>>420 >人間が完全無欠の神
「完全無欠」の基準は一体何?w
個が死ななければ、種属としての人間の生命は維持できない。「新陳代謝」は
すべての生物に通用する、普遍の摂理。中論は、それを「世間の一切の慣習」
に認める。「真如としての衆生心」が、大乗の真理の基盤。
止観の、止(体験・実践)と観(反省・理論)の区別は意外に難しい。
どちらにウエイトがあるかの話に過ぎないのかもしれない。
たとえば、数息観の数息は観であるが、その目的は止(体験)にある。
念仏や唱題も、真言の三密も、それ自体は観である。これらは、
仏や題目や三密が止を容易にする一方、止の限界を作る恐れもある。
425 :
神も仏も名無しさん:2012/10/27(土) 09:04:15.88 ID:0mEEI3Ly
個人が死ななければ子孫を残さなくても生命を維持できるよ。笑
数息観の数息は、息ではなく、息を数えることに集中する。
念仏も唱題も三密も、そのネライは雑念を封じ、素早く止の状態に
入ることにある。この点から言えば三密がすぐれている。
しかし問題はもう一つある。意識が鎮まった境地(非想非非想)から、
さらにその先に進むには数息観がすぐれている。
信仰は瞑想に欠かせない。念仏、唱題、三密の瞑想は、
その瞑想方法に最初から信仰を組み込んでいる。これは長所だが、
他方で予断を持って瞑想を行うという短所でもある。
数息観は、信仰がなくても可能であり、予断を排除する長所がある。
しかし、自分なりに信仰を確立しないと、瞑想が深まらない。
慈悲の瞑想に類したものは、止ではなく、観に分類されると思う。
これらは「祈り」あるいは「自分への言い聞かせ」である。
429 :
神も仏も名無しさん:2012/10/27(土) 10:32:28.92 ID:RyHKq0pW
>>425 地球上に死にかかった老人ばかりがあふれて、新しい生命は住めなくなる。
老人になれば、必ず死ぬ。健康な人間なら、必ず子供を作る。これが普遍の真理。
「完全無欠」の基準は何かは、答えられないのか?w
本来の仏経はイスラム原理主義
よりも過激で危ない思想何ですよ!
今じゃ腑抜けたコジキ坊主の
飯の種に成り下がりましたがね♪
ヒャッハ〜♪ (^。^)y-~
>>422 瞑想は必須であるということ。
そしてやはり、
瞑想は他とは区別してそれ独自で実践されるべきです。
また、「思索」との関係について注意すべき点は、
「思索」の後に続けて瞑想に入るのは推奨できないということ。
何故なら、瞑想を「思索」の延長にしてしまう弊害が生じやすいからです。
「思索」は必ず瞑想の後に行うこと。
また、“生活のすべてが瞑想になる”という言い方はまた(ジュニャーナ的な)別物。
>>427 >数息観は、信仰がなくても可能であり、予断を排除する長所がある。
>しかし、自分なりに信仰を確立しないと、瞑想が深まらない。
「信仰」の効果とは“続けるための力”でしょうね。
持続力は信仰がないと難しいから。
>>431 確かに、長時間の瞑想、何年間もの修行は、信仰がないと無理ですね。
それから、何かをテーマに思索することと、自分の中に自分を探して行く
瞑想は、おっしゃる通り区別した方がいいと思います。
しかしそれと同時に、信仰の【深さ】も重要です。
将棋や囲碁の名人級になると、勝負どころで次の手をこんこんと読み、
それも映像で読むらしい。〜 この映像で読むところが瞑想ではないかと。
この手はこういうプラス、しかしこういうマイナス。これを繰り返すと、
善と悪を行ったり来たりして、自然にマナ識の領域に入って行く。
意識を超え、マナ識に踏み込めたら、これは瞑想での【魔境】に等しい。
434 :
神も仏も名無しさん:2012/10/27(土) 13:34:33.22 ID:xwmzsbRS
なぜ瞑想前に深い信仰が必要かと言えば、
瞑想での魔境(これが死の河である)を無事に渡りきるためである。
非想非非想処を簡単に超えられないのは神仏のはからいである。
魔境以下、滅尽定、涅槃定が危険すぎるからである。
ということは、瞑想をスタートする前に勝負がついている。
>>434 河を渡ったら彼岸じゃん!
おめでとう♪ \(^o^)/
【名前欄】 宝珠愚者@(規制代行)
>>431 宝珠でしたぁ(失礼)
>>155 さぁ〜みんなも、
お遍路さんを見て元気だそう♪(明日放送)
*BS-TBS/10月28日(日)9時00分〜9時30分
徳さんのお遍路さん「3番札所・金泉寺 〜 遍路道・板野」
-----------------------------------------------------
3番札所金泉寺に到着した徳さんは、参拝作法にも少しずつ慣れてきた。金泉寺には、顔が映れば
長生きできるという「黄金の井戸」がある。徳さんは井戸をのぞくのだが…!?住職・弦元昌幸氏は、
徳さんとの対談の中で、自らの歩き遍路の経験と、その道中に生死をさまよった体験を語る。その経
験があってこそ得たありがたい心境・・・徳さんはその思いを感じながら、4番札所へとひとり歩き出す。
437 :
神も仏も名無しさん:2012/10/27(土) 16:11:35.91 ID:0mEEI3Ly
>>429 馬鹿?神の如く完全無欠であれば宗教はいらないと言ってるんだけど
しかしそうではないので願望が投影されて宗教が発明された。
438 :
神も仏も名無しさん:2012/10/27(土) 16:54:42.83 ID:R6EeHsR7
>>437 だからその、「人間」である君が「考える」、「神の如く完全無欠」の基準は
何か、と聞いている。「神概念」も、「人間が作った概念」に過ぎない。
439 :
神も仏も名無しさん:2012/10/27(土) 17:40:58.05 ID:k7nfxH+3
438インキョ死んでいなかったのかw
インキョの妄想世界もインキョn妄想が作った世界であることが明確w
440 :
神も仏も名無しさん:2012/10/27(土) 17:48:44.07 ID:R6EeHsR7
>>439 釈迦やイエスの妄想世界も同じ。健常者(生活者、衆生)の世界ではない。
この世界は、人間の目に映じるだけの世界だから、実は妄想かもしれない。
しかし、人間は、その妄想世界においてしか生きられないのだから、人間に
とってはその妄想世界を「現実」と呼ぶのである。「色即是空」されど
「空即是色」。
441 :
神も仏も名無しさん:2012/10/27(土) 18:16:22.82 ID:k7nfxH+3
インキョの方が妄想世界酷そうだ。
インキョの見えるはまったく現実でなく公開オナニー見えるw
442 :
神も仏も名無しさん:2012/10/27(土) 18:18:54.31 ID:R6EeHsR7
>>441 君らのように、現実が「直接・間接」の二重に見えたりはしないから、
未だ大丈夫w。
443 :
神も仏も名無しさん:2012/10/27(土) 18:25:31.58 ID:k7nfxH+3
インキョは妄想のみでしょ?
インキョは妄想で科学医学を構築しますよねw
444 :
神も仏も名無しさん:2012/10/27(土) 18:25:58.10 ID:0mEEI3Ly
445 :
神も仏も名無しさん:2012/10/27(土) 18:29:28.51 ID:0mEEI3Ly
>>438 全知全能とか不老不死でしょう
人間の願望の投影さ
446 :
神も仏も名無しさん:2012/10/27(土) 18:34:23.21 ID:R6EeHsR7
>>444 >それは全知全能とか不老不死でしょう
人間の基準からすれば、全くの不完全人間。
無知があるから知があり得、無能があるから能があり得、老があるから
若があり得、死があるから生があり得るのだから。
447 :
神も仏も名無しさん:2012/10/27(土) 18:40:10.70 ID:k7nfxH+3
インキョは不完全と言うより妄想の塊、
精神病は感染すると言う珍説を語るインキョ。
448 :
神も仏も名無しさん:2012/10/27(土) 18:55:34.55 ID:R6EeHsR7
>>447 精神病が感染すること(「感応精神病」)は、現代の精神医学の定説。
感応精神病に関する最新の論文集でも、その症例は、宗教関係が圧倒的に
多い。
宗教やる前に、精神医学を基礎から学べ。釈迦とイエスは、教科書的な
精神病患者。
449 :
神も仏も名無しさん:2012/10/27(土) 18:57:29.17 ID:k7nfxH+3
やはり、重症の妄想医学患者だなインキョは、
445氏もインキョは重症の妄想医学患者であることが理解されたであろうw
450 :
神も仏も名無しさん:2012/10/27(土) 19:07:23.23 ID:R6EeHsR7
>>449 現代の精神医学によれば、君らが開祖の精神病に感染しているだけ。
別に「ありがたいもの」ではないのだよw。
451 :
一過性の意味知らず妄想医学患者インキョw:2012/10/27(土) 19:11:59.52 ID:k7nfxH+3
かんのうせいしんびょう【感応精神病】
精神病者からの影響によって生ずる一過性の精神障害。
多くは妄想・幻覚など。親子・夫婦・友人など患者と密接なつながりのある者に起こりやすい。
452 :
一過性の意味知らず妄想医学患者インキョw:2012/10/27(土) 19:14:02.88 ID:k7nfxH+3
インキョは文章をきちんと読まず妄想が拡大して思い込む人格異常者らしいですなあw
453 :
インキョ丸沈没撃退だ!:2012/10/27(土) 19:23:12.94 ID:k7nfxH+3
インキョさらばじゃw
>>447>>451 いや、(たとえ症状の程度が軽微でも)
同じ症状が現われる、同様の精神状態が惹起・喚起される、
という意味では「感染」すると思うよ。特に「鬱」系の症状は・・。
繊細な人ほど同調し易いだろうしね。
*(臨床の現場でも、担当医・担当カウンセラー等には、寄り添い過ぎないようにする留意事項としてあるんじゃない?
また、チベット密教(?)での“トンレン”(?)とかいうの? アレなんかも
“同情”・慈悲の“悲”の極限版で、感受を同じくするようなものなんじゃない?)
455 :
神も仏も名無しさん:2012/10/27(土) 20:31:35.03 ID:/lNMaWoJ
>>454 > また、チベット密教(?)での“トンレン”(?)とかいうの? アレなんかも
> “同情”・慈悲の“悲”の極限版で、感受を同じくするようなものなんじゃない?)
トンレン(遣り取り)は、密教じゃなく入菩提行論に基づく菩薩行、
菩提心の修習法ですよ。
456 :
神も仏も名無しさん:2012/10/27(土) 22:09:40.45 ID:R6EeHsR7
>>454 >*(臨床の現場でも、担当医・担当カウンセラー等には、寄り添い過ぎない
>ようにする留意事項としてあるんじゃない?
それを、患者の精神病の「逆転移」と呼び、精神科医は極度に警戒する。
宗教者は、警戒が無さ過ぎw。精神医学についての無知のなせる業である。
>>455 “遣り取り”って意味なのか。 面白いな・・w
うん、面白い。
想いを「寄せる」(遣る)だけでなく「寄られる、引きつける」(取る)という、両要素を併せ持つ感じか・・。
慈悲の慈と悲も、それぞれそういうニュアンスを持ってるか・・。
458 :
神も仏も名無しさん:2012/10/28(日) 02:42:40.09 ID:2TU7Tdlz
>>444 >それは全知全能とか不老不死でしょう
人間の基準からすれば、全くの不完全人間。
無知があるから知があり得、無能があるから能があり得、老があるから
若があり得、死があるから生があり得るのだから。
さっぱり意味がわかりません
無意味な観念に酔ってるだけでは?
459 :
神も仏も名無しさん:2012/10/28(日) 04:51:24.98 ID:zfO7kSUx
>>457 >想いを「寄せる」(遣る)だけでなく「寄られる、引きつける」(取る)という、両要素を併せ持つ感じか・・。
>慈悲の慈と悲も、それぞれそういうニュアンスを持ってるか・・。
そういう意味もあるかもしれませんが、主に楽を遣り、苦を取る。
楽を与え苦を受け取るという意味。
観想で一切有情の苦を受け、一切有情に楽を与えます。
461 :
神も仏も名無しさん:2012/10/28(日) 07:01:38.34 ID:ADaBqz+h
私たちの文化、文明が「魂」という言葉を考案したのです。文明とは大勢の人々の集団的な欲望と意志です。
インドの文明を御覧なさい。欲望や意志を持つ大勢の人々の産物ではないですか。この集団的意志は、死んで
腐敗する以上のもの、遥に偉大で広大なもの、不滅で不死のものがあるに違いない、と言いました。その為、「魂」
という考えが確立されたのです。この不死と呼ばれるもの、死なない状態について自分で発見した人が時には一人二人
いたでしょう。それから、凡庸な人々が、「そうだ、それは本当に違いない。彼の言うとおりだ」と言いました。つまり、
不死が欲しいから、彼らは「魂」「霊」「霊的なもの」という言葉にすがるのです。
死ねば止む
しかし生老病死は一向に止む気配なし
これぞ不生不滅だよ
輪廻しようがしまいが諦めんさい
不生不滅の人類に宗教は語りかける
これでいいのか?と
そして答える
これでいいのだ。と
>>459 ああ、そういう意味かw
「抜苦与楽」という語と関係あるのかな?(その原語、発生元とか)
それとも、それぞれ別系統で生じたものかしらん?
しかし個レベルで見ると妄想にとりつかれた
駄目駄目人間が多い多い
そのための説法だな
もちろん自分の駄目駄目さを理解した上で言っている
駄目駄目さの克服こそが個人宗教
466 :
神も仏も名無しさん:2012/10/28(日) 09:26:54.26 ID:zfO7kSUx
仏教もキリスト教も、人生は人間に罰として与えられたみたいなところは
似ているのかな?
468 :
神も仏も名無しさん:2012/10/28(日) 09:58:42.47 ID:zfO7kSUx
>>467 >仏教もキリスト教も、人生は人間に罰として与えられたみたいなところは
仏教はそうは言わないよ
>>467 仏教では人生を罰扱いしてない。
無能で無知で無力なくせに欲の皮だけ突っ張って始終欲求不満に苛む屑だって現実直視し過ぎてるだけ。
470 :
神も仏も名無しさん:2012/10/28(日) 11:22:30.94 ID:L2lh0/Aa
>>467 輪廻転生や苦(罪)で脅迫し、解脱(救い)という甘言で勧誘する。
釈迦仏教もキリスト教も、その「悪質な勧誘手段」において、構造は
全く同じ。
471 :
神も仏も名無しさん:2012/10/28(日) 11:48:45.26 ID:L2lh0/Aa
>>458 >さっぱり意味がわかりません
>無意味な観念に酔ってるだけでは?
中論の「空の思想」そのままなのですがw。つまり、「完全無欠」「絶対性」
などないということ。あるとすれば、それは「すべてを併せ持つ、あるがままの
衆生心」だということ。
え? 欠点があるなら完全無欠もあることになるんだけど中論的には
と書いたところでなんだ寂しがりの爺かと気がついた。
473 :
神も仏も名無しさん:2012/10/28(日) 12:00:27.02 ID:L2lh0/Aa
>>472 あなた方の「開祖の絶対性・完全無欠性」を批判していることには気付き
ませんか?w
>>473 えぇまったく。
誰かを誹謗中傷することでしか他人の注目を集められない老人が可哀相で仕方ないだけです。
475 :
神も仏も名無しさん:2012/10/28(日) 12:14:21.14 ID:L2lh0/Aa
長所も短所も、清も濁も、美も醜も、正も誤も、「すべて渾然一体として併せ
持つ」ことが、「完全無欠」「絶対」なのです。それが「人間の生命」です。
いずれか一方だけを「不完全」と呼ぶのです。
完全無欠を自称しながら不平不満の多い老人は大変ですね(わら)
477 :
神も仏も名無しさん:2012/10/28(日) 12:17:15.34 ID:zfO7kSUx
L2lh0/Aa は生命教という変な妄想を語る人で中観なんか、何も分かってませんよ
478 :
神も仏も名無しさん:2012/10/28(日) 12:20:37.72 ID:L2lh0/Aa
>>474 親でもない大昔の赤の他人の開祖を批判されると、あたかも自分が批判
された如くに憤る。それがまさに「宗教の病理」なのです。開祖によって
己の心を占拠され、己を失っているからです。このように、他人によって
己の心を操作されるのが、統合失調症の典型的症状の一つです。
>>478 注目されないと死んでしまう寂しがり屋で無力な老人が可哀相だという心底本音しか言ってませんが?
いったい何処の誰にレスしてるんです?
480 :
神も仏も名無しさん:2012/10/28(日) 12:29:48.58 ID:L2lh0/Aa
>>479 >いったい何処の誰にレスしてるんです?
ここの「宗教病患者」全員に対してですw。
「不平不満」も「寂しがり」も、その他すべての「煩悩」も、「完全無欠の
重要な要素」であることを悟ってください。
>>480 あるがままを説きながら不平不満を口にする様は、
まったくあるがままを受け入れられてない無様だということを悟ってください(わらわら)
482 :
神も仏も名無しさん:2012/10/28(日) 12:38:08.35 ID:L2lh0/Aa
>>481 宗教は、開祖の精神病の感染による「人為的観念の遊戯」。「あるがまま」の
対極にある「精神病理現象」です。
>>482 物事に都合よくこれはあるがまま、これはあるがままじゃないと分別加えるあるがままとか実に面白いですね、脳が(わらわらわら)
484 :
神も仏も名無しさん:2012/10/28(日) 12:49:33.15 ID:L2lh0/Aa
>>483 開祖に操られていない点で、「己の生命のあるがまま」ですw。
>>484 なるほど操られた部分は己じゃないんだ。
これは己だ、これは己じゃないと都合よく分別された己のあるがままね(わr)
486 :
神も仏も名無しさん:2012/10/28(日) 14:19:15.88 ID:2TU7Tdlz
>>471 俺は仏教徒じゃないので中論がどうこうとか言われてもだから何?でしかないよ
人間は病気になり馬鹿で死ぬので願望の投影として神を発明し崇拝したと言ってる。
>>486 ちなみに、電気や重力は人が発明したのか?
それとも既にあったものを発見したのか?
>>466 d
記号以前の“姿勢”“想い”“考え方”といった(萌芽の)部分は、データベースじゃ出てこないからね・・(^^;
また、記号が先にあるというのは稀なことだし。
同根である可能性はあるけど、「抜苦与楽」というフレーズは、
(自未得度先度他の如く)、慈悲・利他の(大乗的に)先鋭化されたキメ台詞的だし。
489 :
神も仏も名無しさん:2012/10/28(日) 14:43:16.54 ID:zfO7kSUx
>>488 やり方としては、入菩提行論、シックシャー・サムッチャヤ、スートラ・サムッチャヤの該当箇所から、諸経、その後、大智度論などの諸論書ってかんじで。
そう記号がマテリアルな文献学の限界ですね。
そこを超えた仕事でいい仕事してるのが、石飛先生と吉村先生じゃないかと思う。
解釈学にいくと大抵、セコイ常識か、あるいは西洋哲学の府会・会通になってしまう。
「抜苦与楽」はシナ・日本ではそうですね。意味はトンレンと全く同じでしょう。
子供のお空はなんで青いの〜どうしてお日様は毎日昇るの〜世界はどうやって生まれたの〜人は何処から来て何処に行くの〜に対して、
お母さんが「全部神様が決めたの!」と、答えたことが一神教の起源。きっとそう。
491 :
神も仏も名無しさん:2012/10/28(日) 15:00:03.93 ID:BpEmN9lQ
>>490 >子供のお空はなんで青いの〜どうしてお日様は毎日昇るの〜世界はどうやっ
>て生まれたの〜人は何処から来て何処に行くの〜
そんなことを考える子供は、精神が少しおかしいw。子供は、目の前にあるもの
をそのまま受け入れて、ひたすら生きようとする。
隠居はすぐそうやって物事を矮小化して捉えるんだから。
子供は僕大人になったら飴玉になりたいとか深遠な思考をする生き物ですよ?
493 :
神も仏も名無しさん:2012/10/28(日) 15:12:20.72 ID:BpEmN9lQ
>>492 >子供は僕大人になったら飴玉になりたいとか深遠な思考をする生き物ですよ?
何じゃそれw。要するに「飴玉が食べたい」ということだろw。
また矮小化して捉えるんだな。
理解できないものを理解できないままで捉えられないのは馬鹿にしか見えないよ?
495 :
神も仏も名無しさん:2012/10/28(日) 15:30:32.49 ID:BpEmN9lQ
>>494 矮小化どころか、「生きること(人間の生物的生存本能)」は、人間のすべての
営みの根源。宗教も、その聊か歪んだ表れの一つ。
それで理解できた気になってるんだから馬鹿って凄いね(w
>>489 >吉村先生
これか
http://repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/bitstream/10723/816/1/culture5_79-93.pdf と思ってプリントアウトしたら、P.89あたりで内容思い出して、既にプリントアウトしてたw
>全く同じでしょう
どうかな・・。
「吾がこととする」「吾が身に引き当てる」ということを超えた、
『身代わり』 的な意味合いが強いような気もする。
(勿論“身代わり地蔵”とかがあるくらいだから、同じ延長線上に位置づけることは可能としても。)
「抜く、除く」際の手段としては、大きく三つの方向が想定できる。
「解消(消滅)させる」「他所へ移す」「引き取る・引き受ける」 と。
トンレンは、このうちの「引き取る・引き受ける」方向を持つものであるが、
“所謂”抜苦与楽は、前二者(特に第一者)の性格を持つと思う。
身代わり系仏菩薩は、まさに、 『代わって引き受けている』 わけだが・・。)
また、「引き受ける」というのは、
(単なる同情以上に)、悲しみや苦しみに同調した際の心身の負担は相当なものだ。
(下手をすれば病んでしまってもおかしくない。)
その意味では、鞘の無い刀のような気もする・・。 あくまでも“印象”としての話だが・・。
498 :
神も仏も名無しさん:2012/10/28(日) 15:43:40.76 ID:BpEmN9lQ
>>496 それ以上、何を理解できるのかな?w
「死後の世界」も「永遠の生命」も、「何とかして生きたいが、物質的に
苦労した」古代人たちの生存本能から発した夢想。
>>498 え? いずれ全て終わるんだから、生存努力が夢想だって理解して。
禅齧ってるなら楽勝でしょ。
500 :
神も仏も名無しさん:2012/10/28(日) 16:21:03.60 ID:BpEmN9lQ
>>497 心(精神作用)とは、「外界の状況に応じて肉体(生命)を維持するために、
肉体から発する機能」。従って、「心のために心を使う」(「心の訓練法」)は、
「心の目的外使用」「心の濫用」である。まさにオウム。
502 :
神も仏も名無しさん:2012/10/28(日) 16:34:29.93 ID:2TU7Tdlz
宗教法人に課税してそれを財源にアイピーエス細胞による再生医療の発展につぎ込め!でないと寿命が尽きて死んでしまう!と言う業深きご隠居の叫びを見た
503 :
神も仏も名無しさん:2012/10/28(日) 16:45:54.08 ID:zfO7kSUx
戒律とか道徳でやるべきこと・やってはいけないことは周知されているが
なぜそうなのかについて考えたことがないらしく考えるつもりもないらしい。
此処って浮世離れしてて落ち着くわね♪ (^。^)y-~
>>506 リアルを忘れられる、数少ない癒しの場さw
棚上上等とも言うが・・w
508 :
神も仏も名無しさん:2012/10/28(日) 19:47:20.22 ID:3gdNVcbA
>>507 オウムが入っているな。
オウムは、原始仏教、チベット仏教、キリスト教から発生したことを、忘れては
ならない。
>>508 そういう意味じゃねーよw
んと、ロマンのない奴だな・・w
510 :
神も仏も名無しさん:2012/10/28(日) 19:54:25.68 ID:zfO7kSUx
>>504 仏教的には単純だよ。
苦をもたらすことはやってはいけない。楽をもたらすことはやるべき。
これは業・行為による因果の縁起。
では、どういう行為が苦をもたらすかというと他を傷つけること。
だから、仏教の律の根本は、他を傷つけないこと、無害、アヒンサーに基いている。
すべきことは、その逆ね。
そこから積極的に打って出るのが大乗の抜苦与楽なわけだ。
511 :
神も仏も名無しさん:2012/10/28(日) 20:02:54.32 ID:zfO7kSUx
512 :
神も仏も名無しさん:2012/10/28(日) 20:17:23.53 ID:3gdNVcbA
>>499 >いずれ全て終わるんだから、生存努力が夢想だって理解して。
>禅齧ってるなら楽勝でしょ。
麻原の言葉に似てるな。
513 :
神も仏も名無しさん:2012/10/28(日) 20:40:32.19 ID:3gdNVcbA
>>511 チベットの政治的惨状と多くの僧侶の焼身自殺のことを、一体どう思っている
のかね。チベット仏教が原因であることは、否定できまい。
中沢新一は、「オウムの精神的指導者」として厳しく批判されている。
514 :
神も仏も名無しさん:2012/10/28(日) 20:45:17.58 ID:zfO7kSUx
>>513 そりゃ、中共とチベット仏教悪霊崇拝派の影響だ。
主に中共でしょ。
中沢さんは聖者じゃないでしょ。
515 :
神も仏も名無しさん:2012/10/28(日) 21:04:22.74 ID:3gdNVcbA
>>393 >それで、その仏性ってのはなんなんだい?
【仏性】
仏の性分、本性のこと。
仏果を得るための因として、一切衆生にそなわる種子のこと。
「仏」とは、覚悟の義で、心理を悟り真智をひらくこと。
「性」とは、不改の義で、外的影響によって変化しないこと。
仏性には、正因(法性)仏性、了因(智慧)仏性、縁因(行動)仏性があると言われてています。
以下、省略。
>>510 ちゃうちゃう。苦とは妄想依存にあるんだよ。
楽は反妄想依存。反妄想依存としてあるのが道徳、戒律の理法。
519 :
神も仏も名無しさん:2012/10/28(日) 22:34:41.47 ID:zfO7kSUx
>>518 それこそが妄想なんじゃないか? 何を根拠に言ってるの?
少なくとも仏教の律はそういう原理じゃないでしょ。
見解なら、そういうこともできるが、その場合「なすべき/なさざるべき」ではないからね。
520 :
神も仏も名無しさん:2012/10/28(日) 22:39:24.57 ID:RYn+R2Cy
インキョの思考世界て中国放送局、韓国放送局みたいだなあw
恥知らずの空虚なデッチ上げ
521 :
神も仏も名無しさん:2012/10/28(日) 23:20:13.81 ID:8IYtEJoT
>>517 リンク先は、滅茶苦茶な英語だな。程度が知れる。
>>519 んじゃ、自分の思うようにやったらえ〜がなw
根拠はSFファンタジー
523 :
神も仏も名無しさん:2012/10/29(月) 07:14:07.79 ID:o8fFv94X
チベットの僧侶の焼身自殺は政治的な抗議であって別にうつ病で自殺している訳ではないだろ
524 :
神も仏も名無しさん:2012/10/29(月) 08:27:41.97 ID:KrYj+u0T
>>523 専ら僧侶が焼身自殺しているのだから、宗教的抗議。世俗を超越しているはずの
仏教者が「政治的抗議」をするのは異常ではないか。何のための仏教か。
「苦の滅」は、一体どこへ行った?
自殺は、鬱病患者の最大の特徴。約15%が自殺する。釈迦の鬱病から発生した
仏教だから、自殺するのは不思議ではない。それに「焼身自殺」などという
おぞましい自殺は、宗教の影響無しにはやれるはずがない。
525 :
神も仏も名無しさん:2012/10/29(月) 08:42:05.88 ID:KrYj+u0T
遠路を「尺取虫」のように五体投地しながら聖地に向うチベット仏教徒の
姿は、狂人以外の何物でもない。どこの国でも、巡礼はもっと楽しいものだ。
527 :
74:2012/10/29(月) 17:07:06.18 ID:l18si4Jv
お風呂で昔のことを思い出したので流れを無視して質問します m(__)m
昔、週1〜3ぐらいで瞑想してた頃、瞑想してる時じゃなくて布団の上で
ぼんやりしてた時、突然、ふわっと闇、無、死、虚無みたいな状態が
立ち現れてきました。ニューエイジおなじみのバグワンの本でそのような
時が来るとは知っていたのですが、死ぬとしか、気が狂うとしか思えなかった
ので怖くてその中へは入っていけませんでした。
別に気にせず入っていてもよかったんでしょうか?
また、最近は念仏ばっかりでそんな状態は来ないとは思うんですが
前回がそうっだったようにまた油断してる時に来るかもしれません(笑)
その時の心構えがありましたら教えてほしいのです。
よろしくお願いします m(__)m
528 :
神も仏も名無しさん:2012/10/29(月) 17:26:33.64 ID:gzIpYjY1
>>527 現代の精神医学では、瞑想、禅、念仏などによって生じる一時的な精神障害を、
それぞれ、禅病、祈祷精神病と呼び、治療の対象とします。それらとの接触を
一切絶ち、肉体労働やスポーツに専念されることをお勧めします。
>>528 案外的を得ているかもね!(^。^)y-~
530 :
神も仏も名無しさん:2012/10/29(月) 19:40:00.67 ID:o8fFv94X
524
>>仏教者が「政治的抗議」をするのは異常ではないか
そんなのはチベット仏教徒本人に聞けよ
ただ焼身自殺しているのは政治的な抗議だろ
よくは知らんけど
ニュースとかちゃんと見ろよ
531 :
74:2012/10/29(月) 19:43:51.48 ID:l18si4Jv
そうなんだ・・・・orz
たしかに最近、世界が自分に都合がいいのですw
ここ1〜2年はほんとにいいのです(死にたいこともまた多いけど・・・)
まあ肉体労働は職業(荷役トラック)なんで大丈夫だけど
酒と念仏はやめれません
ただわしは思うんだけど酒も念仏もメリットにしろデメリットにしろ
かなり長い間の臨床データwがあります
しかし精神医学、特に薬は副作用が明らかになるのはかなり先ですよね
と言いつつ精神医学には期待しています
ちなみに、肉体労働とスポーツだけの頃は死ぬしかないとこまで行ったよ
で医者を信じてたやつが市に、また社会生活できなくなっていった奴もいる
今の段階では比較するとわしには信用性が低いのです
532 :
神も仏も名無しさん:2012/10/29(月) 20:27:32.53 ID:aKzaW/4u
>>531 アルコール依存症も精神医学の対象で、意志力さえあれば、3ヶ月程度の
入院で治癒することが多いです。
宗教とは違って、医学は自然科学ですから、初めから「完全」などとは
言いません。しかし、多くの人々の努力により、実験と検証を重ねて、
急速な進歩と遂げています。辛抱強く治療を続けることが必要です。
薬剤は、身体にとっては異物ですから、人によって副作用がでることがある。
しかし、医学は、効果と副作用とを比較考量して、注意深く薬剤を使用します。
宗教は、開祖の精神病から発生したものですから、むしろ、精神病の発生と
悪化の原因となります。宗教との接触を完全に絶つことが必要です。
悪魔は真実の中に巧みに嘘を混ぜるというが
医学的事実の直後に医学的調査不十分な情報を混ぜ込むとか、確信犯としか思えんな
534 :
神も仏も名無しさん:2012/10/29(月) 21:11:36.91 ID:IRyaM2NO
最近の開業医は、患者の治療よりも、ソロバン勘定が優先している。
患者は病気を治したい。しかし開業医は、患者を治療してしまうと、
通院患者が減り収入が減る。患者と開業医の利害は衝突しているのだ。
うかうかしていると、病気はよくならず、病名だけが増えていく。
医者に頼らず、自分の健康はできるだけ自分で管理しよう。
535 :
神も仏も名無しさん:2012/10/29(月) 22:35:25.80 ID:lNLOjwVl
チベット人が中共にすり潰されるのを「宗教なんぞ信じた報いだ」と
ニヤニヤ笑いで眺めるのがご隠居のトレンドか。
536 :
神も仏も名無しさん:2012/10/29(月) 22:38:05.30 ID:mpxgV/Jb
>>534 >医者に頼らず、自分の健康はできるだけ自分で管理しよう。
それには同意。医師も間違えることが多いし、特に開業医は超多忙なため、最新の
医学の進歩までフォローできていないことがある。
国民のすべてが、もっと医学知識を高め、医師と同等な医学知識を身につけ、
最新の進歩をフォローする必要がある。治療の8割程度は、患者自身の医学
知識による。具体的には、高校3年までは、医学と薬学を必修にすべきである。
大昔の宗教や、数億光年離れた星のことを知っても、何の役にも立たないw。
医学は、「自分の身体」という、最も身近な事柄であり、また、数学や物理とは
異なり「文科的」な学問で、理解が容易であり、最新の専門情報は、書店にあ
ふれている。その急速な進歩故に、知的興奮は、最も大きい。
私は、レントゲンや心電図の読影から研究し、処方は医師に指示する。解剖だけは
やったことがないがw。
537 :
神も仏も名無しさん:2012/10/29(月) 22:44:21.92 ID:mpxgV/Jb
>>535 チベット人が共産主義に改宗すれば、命は助かるのだよ。どちらも同じく
宗教なのだからw。
538 :
神も仏も名無しさん:2012/10/29(月) 22:48:31.28 ID:lNLOjwVl
勝った方が負けた方の大事なものを踏みにじる共食い劇を
にんまりと眺めるご隠居の下衆さ。
539 :
神も仏も名無しさん:2012/10/29(月) 23:24:46.50 ID:mpxgV/Jb
少し前だったか、中国によるチベット仏教徒弾圧の際、日本の佛教界は、
ヒステリックに騒ぎ立てることをせず、法句経の、例の「己が身に引き比べて、
殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ」を引用するに留めたのは、さすがに
日本の佛教だと感心した。
そもそも、チベット仏教徒が、政治運動や、デモ行進や、暴力行為を行なう
こと自体が、異常なのではないだろうか。
弾圧に当たった人民解放軍の兵士が、「チベット仏教徒はまるで基地外だ」
と言っていた気持ちが、分る気がする。
540 :
神も仏も名無しさん:2012/10/29(月) 23:51:55.97 ID:Ec3OIVfE
>>538 >大事なものを踏みにじる共食い劇
彼等は、その宗教故に、人間にとって最も大事なものは「自他の生命」である
ことに思い至らなかったのである。このことに付いては、「釈迦」と「イエス」
に大責任がある。
541 :
神も仏も名無しさん:2012/10/29(月) 23:57:13.65 ID:lNLOjwVl
傷つけられようが、殺されようが、大事なものを破壊されようが
自由を侵害されようが黙っていろ。
抗議をするな。異常だぞ。基地外だぞ。
俺達はお前らを傷つけているだけだし殺しているだけだし
お前らが大事にしている下らないものを破壊してるだけだし
ウザいお前らの行動を制限しているだけだ。
文句を言うなんてヒステリックではないか。
アイデンティティを捨てるだけの簡単な作業をすればいいのに変なやつらだな。
>>540 生命などと、どの口で言うんだ?
542 :
神も仏も名無しさん:2012/10/30(火) 00:04:18.11 ID:Ec3OIVfE
>>541 殺されるのなら、仏教でも、キリスト教でも、相手の宗教を「信じているフリ」
をすればよいだけ。それが絶対にできないのが、まさに「宗教の病理」なの
である。
「生命よりも自分の宗教のほうが大事」という、愚かなる倒錯・狂気に陥って
いるのである。
543 :
神も仏も名無しさん:2012/10/30(火) 00:17:39.83 ID:Y1WDPs3y
中共側が異常だという前提を持っているのかすら怪しい。
>>542 偽装するために、同胞が傷つけられることに賛同して見せ、
自分が生まれてから親しんできたものを破壊することに賛同して見せ、
同胞のことを密告したり、それを容認する。
これができない人間がいることを異常と呼ぶか?
これが出来て何とか命だけは助かっただけで「命が助かったからいいじゃん」と言えるのか?
他者への共感を欠いているとしか思えない。
心痛というものを理解できないんだろうな。
>>543 なんていうか頭の中壊れちゃった人に、
例えるなら論理回路の壊れた計算機にどれだけ正常な数字を入れても無駄だと思うよ?
隠居は偏執性の高い病人だって前提忘れちゃ駄目だよ。
545 :
わらわら:2012/10/30(火) 00:19:58.92 ID:UXhiYUBb
546 :
神も仏も名無しさん:2012/10/30(火) 00:34:02.11 ID:Y1WDPs3y
ご隠居はリアル社会でその意見を開陳してくるといい。
実在する人間が傷ついてる事例でそういう考えを持っていることを
知人友人に包み隠さず伝えてみるといい。
_ _
( ゚∀゚)
( 彡∩ミ ) ビュンビュン♪
|⊂ωつ,゙
しミU彡J
548 :
神も仏も名無しさん:2012/10/30(火) 07:38:29.34 ID:oFeTOcSf
>>539 中共は、暴力リンチはあたりまえで、坊主と尼僧にセックスを強要したり、
そんなひどい状態で、チベットの人々はどうすりゃいいのでしょうか。
黙っていたら、国際社会はそのようなイジメに気付かない。
550 :
絶対神:2012/10/30(火) 08:19:34.61 ID:W/Kp6eg4
「人間にとって一番大事なものが自他の命?」
『馬鹿言っちゃいけないよ』
そんなもの立場によって変わるっつーの
たとえば大統領とか王とかだったら政治的な事のために、自らの決定で戦場に
兵士を送りださねばならない事なんて幾らだってあるんだよ
「ばっかばかし」
551 :
神も仏も名無しさん:2012/10/30(火) 08:23:20.56 ID:g1M3qLdQ
>>548 ダライラマによる、外国からの煽動があった可能性は、完全には否定できない。
日本仏教界による法句経の引用が、「仏教の素晴らしさ」を外部者に印象付けた
のは事実である。
日本の小乗仏教徒には、この「仏典最高の名文」が嫌いな人もいるようだw。
552 :
絶対神:2012/10/30(火) 08:34:53.07 ID:W/Kp6eg4
「隠居に関して言うならば」
こいつにとって大事なのは、「単に人をひたすら罵りまくり、自分が絶対に
正しいと言い張る意固地な自分の理屈であって」
『人の命なんてどーでもいいんだよ』
あまりにも見え透いているので、誰も騙されないレベルだ(大笑)
精神病というレベルじゃなくて、もはやここまでくれば「人間として障害がある」
としか言いようがないww
553 :
神も仏も名無しさん:2012/10/30(火) 08:40:03.92 ID:g1M3qLdQ
>>552 絶対神は、もっと格調高いことを言え。言えないのかw。コテが泣いてるぞw。
554 :
絶対神:2012/10/30(火) 08:41:15.10 ID:W/Kp6eg4
「チベットが侵略されたのは」
『時代遅れの仏教なんて本気で信じ込んで、きちんと物質文明を発達させなかった
自業自得なのである』
「ダライ・ラマは国をちゃんと存続させる為に世界情勢とか、少なくても隣国
である中国がどの程度の文明を持っているか程度は把握して」
『まともな文明を作るべきであった』
とんだ聖人もあったもんだなw
大国である中国の隣にあるのに、いつまでも、仏教、仏教言って、きちんと文明を
発展させなかった事のつけが来ただけさ(言っとくが、初代ダライ・ラマは戦争に
きっちり勝ってチベットの支配者になったんだぞw)
生まれ変わりだったら、「その程度の事、理解しておくべきだったな」w
555 :
絶対神:2012/10/30(火) 09:00:23.77 ID:W/Kp6eg4
「調べれば判るが」
『チベット仏教は、宗教的奴隷制度とも言えるもので、搾取が凄まじい』
「日本のカルト宗教なんてめじゃない前時代的なものである」
『中国が侵略しなかったとしても、どちらにしろチベットは、早晩、駄目に
なっていたと思う』
ゾッとするよ、チベット仏教の実態って
556 :
神も仏も名無しさん:2012/10/30(火) 09:53:45.42 ID:lntGMr0K
命を捨てるにしても自爆テロはせず(殺すなかれ)、
それによって抗議をする(殺さしむるなかれ)。
彼らは法句経の教えを地でやっているわけだ。
日本仏教は中共に「殺させない」ために何かやったか?
お役所の「善処します」にはムッとくるくせに。
それとも話の流れ次第では日本仏教は「見殺し」扱いだったのか。
557 :
絶対神:2012/10/30(火) 09:58:20.38 ID:W/Kp6eg4
「酷い言い方かもしれないがチベットの人間は」
『仏教なんて信じても無駄だという事を、一度、強く学ぶ必要がある』
「でないといつまでも自立できないよ」
宗教国家である事をやめて
『そろそろ、自分たちの足で立っていくべきじゃないか?』
キリスト教国の場合、それが出来ているから「先進国」になったのだ
「言ってみれば、現代のチベットの状況は、「神」が与えた「試練」というところだろうな」
仏教から自立するためには、「こういう苦い薬を飲む必要があったという事だ」
558 :
神も仏も名無しさん:2012/10/30(火) 13:28:17.83 ID:BvVG696m
精神病になるクリスチャンも神が棄教しろと言ってるのかもな
人様の不幸(民族の無差別虐待)を
“そら見たことか”とせせら笑う鬼畜共は己れの醜い姿を見たか?
>>560 話をすり替えんなよと思った。
迫害されてるのは信仰の自由や仏教などではない。
人の命だ。焼身自殺するヤツも命を粗末にすんな。
人の命が尊いものであり信仰の自由や仏教、キリスト教は全然尊くない。
密教、宗教が全くの無力だとわかったなら、そんなものにしがみつくな。
>>562 相手の立場で考えれんのか
>人の命だ。焼身自殺するヤツも命を粗末にすんな。
こんな基本的な事をチベットの僧侶が理解していないとでも思っているのか?
だとしたらとんでもない知恵遅れだな
あとチベットの問題は、宗教というより人権の問題だな。スレチだ
>>563 さあ、どうかな。
人の命より守るべきものがあると勘違いしてるように思うな。
プライドなんか捨てりゃ袈裟は脱げると思うぞ。
とにかくチベット仏教というものに力は皆無。
SFファンタジーが招いた大規模被害だな。
民族主義も糞だけどな。
566 :
74:2012/10/30(火) 19:19:04.07 ID:Y2sEf1DD
>>532 スレ違いなんで最後に
アルコールは友だよ、依存対象ではない
量さえ合えば翌日の朝のおしっこでより健康になったことがわかるw
医学には本当に期待してます
でも今は傍観かな ではっ
命が尊いから焼身すれば世界の目を集められると十分理解してるでしょ。
逆に言えば焼身自殺のひとつもしなけりゃ目も向けてもらえない世の中ですから仕方ないだろ。
中共の奴隷のさらにガス抜きに使われてる奴隷であるチベット人に対して
命は尊いですからただ媚びへつらって生き残ればおkとか爆笑発言なかなか言えないわ。
宗教が糞。宗教には何もない。
宗教は害悪でしかない。
ポイントはここ。
憎むべきは中華思想に基づく民族主義&宗教の名を借りた殺人者
570 :
神も仏も名無しさん:2012/10/30(火) 19:44:46.62 ID:WGksUCfv
中国には、チベット族のほか、イスラム教を信じる民族を含む54もの少数
民族がいるが、皆、それぞれに楽しく暮らしているようだ。
チベットの状況は、やはりチベット仏教の「特殊性」「異常性」によるもの
ではなかろうか。
命は尊いという建前で宗教と中共へのヘイト感情を慰めたいだけでしょ。
宗教叩きたい、チベット人はどうでもいいって本音が駄々漏れすぎw
まぁ宗教するヤツらはアホだから
そんなものは知ったこっちゃない
自業自得を地で行くのがチベット。
>>570 スレチを言っておいて自分から話を展開するのは億劫だが、チベット問題は、宗教問題ではなく人権問題だ。
仏教が問題でこのような問題に発展しているわけではない。そこだけは、誤解ないきょう。
1989年にチベットである暴動起こった。その暴動に対して当時のチベット自治区党委書記が中華人民共和国史上始めて
戒厳令布告を行いデモを徹底的に鎮圧した。その戒厳令は、天安門事件にも影響を与えることになる。
そしてこのチベットでの業績が認められ当時のチベット自治区党委書記は、キャリアの道を歩みことになる。
その党委書記の名は、胡錦濤。彼のポストは国家主席つまり中華人民共和国の現在の最高指導者。
ここまでいえばわかるよね。仏教が「特別」なのではない。これは、極めて政治的な問題。そして踏みにじられているのは宗教ではない人権だと。
宗教は敵を作る。よって滅んで当然。
宗教の害悪により無関係の善良な市民が犠牲になるのは断じて許せん。
>>574 スレチではあるが宗教には救いがないことが烈火の勢いで明らかになった。
このことは副産物であり宗教的意味合いはかなり大きい。
577 :
神も仏も名無しさん:2012/10/30(火) 20:50:10.01 ID:oFeTOcSf
>>576 暴力によって踏みにじった強者が正義という理屈ですか。
民主主義の国が独裁政治の国に侵略されたら「民主主義など何の役にもたたぬわっ!」と。
病院が襲撃されて患者が殺されたら、「医術などで人を救えぬとわかったかっ!と。」
>>577 だれもそんなことは言うてない。
民主主義、医術と妄想ミステリー(宗教)を同列に扱うのは馬鹿すぎるだろ。
文献ホジホジオナニーも妄想ミステリーw
579 :
神も仏も名無しさん:2012/10/30(火) 20:58:51.20 ID:WGksUCfv
チベット仏教の狂信者である中沢新一を、宗教学者の島田が単行本まで
出版して、「オウムの精神的指導者」であると痛烈に批判していること
は、全く理由のないことではあるまい。
580 :
神も仏も名無しさん:2012/10/30(火) 21:07:49.47 ID:oFeTOcSf
>>578 宗教の精神的な救いをまったく評価していないんですね。
第二次大戦中にナチスにとらえられた人々の中で、
信仰により希望を失わなかった人の方が生き延び、希望を失った人の方が早く力尽きた。
まぁ逆に言うと、弾圧されればされるほど、
宗教以外に救いがないところまで追い込まれるのだろう。
>>580 気のせいは評価してやるよ
天皇陛下万歳だって大したものだ
家族のためも恋人のためも同様
同列であり違いはない。
チベット僧は、なぜ神通力を使わない!
神通力を証明するチャンスなのに。
そういやユダヤ教も災いを歴史が証明してるなぁ
こりゃ輪廻だなw
なんにせよ拘りというものは災いを呼ぶ
拘りとは聞く耳もたんということ
そんなワガママ、世間という神が許すはずもない
なんというかあれだな
こうしてチベット問題が話題に上るのは、焼身自殺したやつの思うツボなわけだが
>>578 >だれもそんなことは言うてない
いやいやいやいやw (^^;)
貴方の発言がその通りでしょう?w
久しぶりに隠居並みの愚昧キャラ登場だな・・w
587 :
神も仏も名無しさん:2012/10/30(火) 23:08:25.42 ID:fyQJvb7I
>>585 宗教の精神病理と愚かさを証明しているだけ。何の人助けにもなっていない
犬死。家族を不幸と悲しみのどん底に陥れただけ。
>>586 セブン氏
>貴方の発言がその通りでしょう?w
確かに。この方は身を以って自身の言葉を体現してくれているのかと
>>584 >拘りとは聞く耳もたんということ
>>587 ああ、チベット問題をステマ中だったのか
遠慮なく続けてくれ
>>503 一般講義とは言いながら、吉村さん解り易いなw
仏教入門としても非常に見事な出来と思うが、再生数が悲しいな・・w
>>587 宗教道徳はなるほどもっともだ
宗教自体に害悪はないかもしれぬ
しかし扱う人間に問題がある
なにより自己弁護しかやらぬ
宗教を批難すると都合が悪いのが観え観え
宗教を持たないなら正しく観察できる
妄想ミステリー仏教は愚の骨頂と
>>503 このスレで話題になったこと全部に触れてるなw
つか、
基礎知識でも、説明しようと思うと2時間かかるってことだな・・w
阿含経・・・治療法の描写(説明)
心経その他(大乗経)・・・治った状態の描写(説明)
うまいこと言うねw
で、治った状態の話ばかりするのが勝義厨、とw
竜樹に寄せれば、
中論・・・治った状態の説明
その他著作・・・治療法の説明
中論だけ示しても、 ハァ?(゚д゚) なわけだw
内容に道徳がなければ宗教は確実に滅ぶのに…
巧妙な罠を仕掛けたもんだ
一つ正しければ全部正しいの錯覚を引き起こす
錯覚のために正しいものは形骸化している
正しいのは道徳の範囲まで
それ以外の妄想ミステリーが人を殺す
人殺しの論理は道徳を犯すものに限定されなければならない
595 :
神も仏も名無しさん:2012/10/31(水) 05:25:18.42 ID:r5VlLbsz
坊さんに家族いないでしょ
597 :
神も仏も名無しさん:2012/10/31(水) 07:41:56.69 ID:2t4Xlqw7
>>595 親兄弟その他縁者のいない人間がどこにいるかw。
598 :
神も仏も名無しさん:2012/10/31(水) 08:09:40.59 ID:B7QtgKjM
>>587 じゃああなたがチベット人のようなめにあったら、おとなしく中国人に従うんですか。
思想・信条・言論の自由を暴力でおさえつけ家族にまで危害を加える
中国政府が間違ってるのではないですか?
599 :
神も仏も名無しさん:2012/10/31(水) 08:10:31.10 ID:XQ9BYKU9
静岡県沼津市の
茶道 東○流の副家元で清水町の臨済宗妙心寺派・正○寺住職は
暴力団との交際を自慢して他人を怖がらせていることが有名です。
もし本人の語る事が嘘でなく本当なら、暴力団排除条例に抵触しないのでしょうか?
600 :
神も仏も名無しさん:2012/10/31(水) 08:24:10.78 ID:r5VlLbsz
神風特攻隊を美化するご隠居の論理からすると
抑圧され苦しめられている人々の為に命を捧げるのは究極の菩薩行ということになるのではないか
601 :
神も仏も名無しさん:2012/10/31(水) 08:35:03.98 ID:2t4Xlqw7
>>598 DVDでシルクロード5000キロの旅をしてきたが、様々な宗教、様々な少
数民族の人々が、精一杯、逞しく、楽しく生きている。
「出世間」を建前とする仏教徒が、政治運動、デモ行進、暴力行為を働くとは
何事か。サマにならんよw。
日本の多くのカルト宗教が、ダライ・ダマ参りをし、宣伝塔として使っている
のは事実。大変金がかかるらしい。
602 :
神も仏も名無しさん:2012/10/31(水) 08:42:57.62 ID:2t4Xlqw7
>>600 神風特攻隊の人々は、家族、同胞、国民と、少なくとも「身近な人間」をキリ
スト教国の武力から守るために死んだ。宗教の「殉教者」は、「人間」ではな
く、「己の宗教エゴ」を守るために死ぬ。両者は全く異なる。
603 :
神も仏も名無しさん:2012/10/31(水) 09:03:51.48 ID:r5VlLbsz
ご隠居は「身近な人間を守る」のはキリスト教隣人愛に代表される最悪の行為だと言ってたはずだが
ご隠居はご都合主義で矛盾が多い
またチベット仏教の僧侶は人権弾圧などに対する政治的な抗議をしているのであり
呪術か何かの儀式で火をかぶってるわけじゃないだろ
604 :
神も仏も名無しさん:2012/10/31(水) 09:05:51.55 ID:r5VlLbsz
大体「宗教エゴ」って何?
訳のわからん矛盾した用語で説明されてもみんな困ると思うぞ
605 :
神も仏も名無しさん:2012/10/31(水) 09:22:28.92 ID:2t4Xlqw7
>>603 イエスの「隣人愛」は、愛などではなく、「自分の気に入らない者に
対する憎悪・批判・排斥」。例えば「善きサマリア人の話」における
イエスの真意は、サマリア人にかこつけて、自分が気に入らない祭司
とレビ人を非難することであったことは自明。イエスのすべての「教え」
は、このパターンであることを看破されたし。
>>604 「宗教エゴ」とは、「親兄弟でも隣人でもない、大昔の赤の他人である
開祖」に対する、殆ど生理的な愛着・執着・隷属である。自分の胸に手
を当てて考えてご覧。
606 :
神も仏も名無しさん:2012/10/31(水) 09:43:16.60 ID:FGW66jqv
中国政府が間違ってる、とは言わないんだよな。
気に入らない奴を潰してくれてるから。
/⌒ヽ /⌒ヽ
/ ヽ / ヽ
| | | |
| | | |
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V ヽ
/ \
/ ヽ
| | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ● ● | /
ヽ / < うるせー!馬鹿!
\ × / \
-、、,,,,,___,,,,,、、- ∩ \
// (_人_) ( ) Fuck !!  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(_ / ヽ_)
/_________ヽ
| | |
( __) _)
608 :
神も仏も名無しさん:2012/10/31(水) 10:24:48.50 ID:r5VlLbsz
だったら旧日本軍の戦闘行為も「自分の気に入らないものに対する排斥、攻撃」じゃん
ご隠居の他宗教批判も同様
609 :
七仏通誡偈:2012/10/31(水) 13:58:22.42 ID:E2FtxxD3
>>601 >「出世間」
それは彼岸に渡った者(覚者)の世俗へのまなざしです。
そこから世俗へ還滅することが、仏法の本懐です。
その代表規範が「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」(七仏通誡偈)です。
これを否定する仏教はありません。
近代革命による『生命の尊厳』理念も世俗における共同幻想規範であり、
七仏通誡偈の範囲です。
他者の宗教と生命を蹂躙する政治権力は共同幻想規範においても『悪』です。
『坐水月道場 修空華万行』の精神で抵抗、闘争があるのは当然です。
ブッダもマガダ国の政治権力に、バッジ族との戦争につきアドバイスをしておられます。
>>609 |
|
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ぱくっ|
/V\
/◎;;;,;,,,,ヽそんなエサで基地子
_ ム::::(,,゚Д゚)::| 様が釣られると思ってんのか!!
ヽツ.(ノ:::::::::.:::::.:..|)
ヾソ:::::::::::::::::.:ノ
` ー U'"U'
> そんなエサで基地子様が釣られると思ってんのか
釣られてるんじゃなイカ?
____
,. ´ 、 `` .
/ \ ` 、
/ ____ ヽ \
// ,. ´: : : : 、: :` 、 ', ./
/ / /: : : : : : :|: : |\: : : : \} /
/ /'´: : |ヽ: : : : ハ斗―ヽ‐: : : :\ .イ
. / / : : l|,.|--\:/ 〃´ ̄`\: : } : }|
/ /: : : :∧| fいハ W∨W
___ \.|: : : / |〃⌒ 弋t:り {: :,ゞ-ミ、
. ∧ |: : : : :| | : : : : |{ fいハ ‐ "∨ ノ: \
/: : ∨: : : : :| |∧ : : | 弋t:り . -- 、 / /― 、: \_
. /: : : : : :/ ̄ /:\ .!:\:ト、 '´ / | / / }/ }ー―
|: :∧:/ /: : : :| |: : : :iム" 〈 j./ / / /: : : : :
|: :{ 〉: :〈 ̄ ./: : : :ハ:\ __\__ // /--、/ /` ー―
ヽ: \ |: : / ./: : : :/ }: :{ {:{ {:// / : / /ハ\
\: `ー┴‐: ´ : : : / /: :∧ ヾx/:/ ⌒´ /:∨ {: : :\
` ー―‐、一<___,/: r┴‐ミx、_厶′ (_:_:_:_}__廴:_:_:_\
\ : : : : : : :人 - 、 ノ: :
.  ̄ ̄ ̄ /: 》ー┬‐-、 \ `丁丁丁、´\ :
/: :/___|,.-人:ー一\ \__,{:_:_\
|: : i\ { : : ゝ-\: : : : `:ー‐ァ、 ):\
|: : レヘ〉 >t-イ/|` ー一<. ` ー一 ´
> 亀レス乙! (^。^)y-~
いえ、どう い た ま し て
つーことはアレがひっくり返るのか?読みが浅かったな俺
>>617 普通の生活環境にしか見えん
といいたいとこだが、ある種の感情とある種の妄想が残る
残る時点で正しく物が観れてない証拠
画像ありがとさん♪
まさにハイオク
621 :
七仏通誡偈:2012/11/01(木) 10:15:53.72 ID:jPu77egf
チベットの現状に仏者として、いかに行動すべきか?
まさに「現成公案」(世俗世界の存在と現象そのまますべてを「公案」だと捉える)というべきだろう。
・悟りの境地(空観)とやらに勝手に安んじて、傍観者でいるのか。
・菩薩的に自己=他己として諸悪莫作 衆善奉行の行動を起すのか
・修行者として外界を遮断し、自己修行のみに専心するのか
・チベット側を悪と規定し、中共の弾圧を正義とするのか
・無関心でいるのか
本公案は、あなたの本性を明らかにする。
>>621 /´" ̄⌒`⌒ヽ,,
/ ∧ \
/ ノー;;;;;;;;' ll ゙;;;;;;; )
/ ,/ ,, ・` ・ ミ
/ リ )( 00) ゙)
~|/ i| ∵ __⊥_:.ノ
|i、 ´ 二,`ノ
ヾ\゙ ー‐ -イ
/ Y ヾ
《 ┃ 》
統合失調の仏経徒
623 :
七仏通誡偈:2012/11/01(木) 13:00:23.47 ID:jPu77egf
>>621 そうやって自分が師家を気取るためにチベットで起きている不幸を引き合いに出すのは
人間としてどうだろうと思うよ。
625 :
七仏通誡偈:2012/11/01(木) 13:45:30.07 ID:jPu77egf
>>624 それを揶揄という。
局外者的評論家言辞に興味はない。
>>625 ああ、図星だったか。
問題提起する俺って高尚で素晴らしい的なオナニーに付き合わされる身にもなってくれよなw
本性が明らかにされてよかったね。
627 :
七仏通誡偈:2012/11/01(木) 13:58:17.95 ID:jPu77egf
>>626 625繰り返し
下賎根性丸出しだな。
以降、無視。
>>627 僕様の自尊心を汚す奴は知恵遅れの下賎のクズなのだ、ですか。
いやはや自意識過剰のシコシコオナニー禅ってほんと醜いですねw
629 :
神も仏も名無しさん:2012/11/02(金) 01:31:07.45 ID:DkfklV+d
人権問題は世界中にある。
チベットだけが特別気になるのは、やはり「同じ仏教徒」という執着があるからでは。
全世界の「悪」に対して平等にメッセージを発するなら、
やはり仏教の基本的な教えをコメントとするのがいいと思います。
また、怒りは煩悩ですから、個人個人としては凡夫だから怒りはあっても、
仏教教団として正式にコメントを出すときには、見聞きする人々の怒りを煽って罪業を増進
させるようなコメントはふさわしくないでしょう。
「怒り」というキーワード一つも入れるべきではない。
>>629 馬鹿か?「執著」とかwww
親戚が苦難の目に遭ってるという発想は無いのかw
んとに、チープな思考だよな、隠居サイドの連中は・・・。
631 :
神も仏も名無しさん:2012/11/02(金) 02:27:21.41 ID:6OC5AS9R
>>630 親兄弟でも親類でもなく、「赤の他人」のはずだがw。
>>631 夫婦は「赤の他人」だよな?
そこに、同胞意識を持つのはおかしい、と?w
「伴侶」という語が存在する意義をどう考えてるんだ?
>>631 君等の好きな「共同体」は、血縁の集団に限るのか?w
635 :
七仏通誡偈:2012/11/02(金) 10:30:50.38 ID:p4oGYiII
636 :
神も仏も名無しさん:2012/11/02(金) 12:14:20.46 ID:a7cpDYXS
>>632 夫婦でも同胞(日本人)でもないよなw。
ちゃんと「仏教弾圧に対する抗議」と書いてある。明らかに宗教の問題、宗教の
病理だ。日本の仏教界は、何故強い抗議をしなかったのかね。
中共も、他の多数の少数民族を弾圧している訳ではない。何故チベットだけかを、
冷静に考えてみる必要があろう。
637 :
七仏通誡偈:2012/11/02(金) 12:46:14.83 ID:p4oGYiII
>>636 人間には、世俗的利害では動かない人びとがいるんだよ。
金も、地位も、名誉も、享楽も、命さえも、捨てられる人びとがいるんだよ。
〇〇〇〇〇を智った人々がいるんだよ。
仏法ではそれを<慈悲>という。
まさに究極の二相の相即的実践に他ならない。
日本の仏教界の実体は、世間的利害で動く
「大乗」なりすましの葬式仏教と観光仏教でしかないからだ。
中共=チャイナチス(国家資本主義)は共同幻想においても「悪」である。
638 :
七仏通誡偈:2012/11/02(金) 13:01:16.08 ID:p4oGYiII
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困る者なり。
此の始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。
然れどもかくの如き人は、凡俗の眼には見るべからず。」
『西郷南洲翁遺訓より』
馬鹿だなぁ…
滅び行くものだからそれを大切にせにゃならん
それ以上の価値などあってたまるか
焼身自殺など嫌悪感しか起こらんわ
安全地帯でノホホンと暮らす小僧共が極限状況下の人達を上から目線で査定する糞仏教もどきゴッコ。
仏の教えが地獄の教えであっていいはずなかろうもん
言うなればそれは救い
>>642 え? ネットの出来る極限状況下に居るのお前?
あぁ、ネカフェ難民という奴で明日の保障の無い身の上だったか。
そりゃあスマンかったな。
>>644 チベット人が苦しんでるってのに手も金も出さないが口だけは出すお前のなw
>>645 手も金も出さんヤツは口を出すな?
怖ろしいねぇwww
>>646 人が苦しんでるときに救いの手も金も差し出さないで、
人の不幸をダシにして自意識満たして喜んでるナル男の語る仏教なんて話にならんわな。
自分の下種具合に気づかない馬鹿ってほんと救いがたいわ。
>>648 俺? チベット人の無駄な足掻きを見てニタニタ笑ってるが何か?
>>649 チベット人の代わりにこいつが苦しめばいいのに
>>649 まぁそれが日本仏教の本質だわ
そこらへんが間違っとるんだろうな
652 :
神も仏も名無しさん:2012/11/02(金) 20:01:09.91 ID:1Ye9wxmN
「焼身自殺」は、「自分が死後極楽に行く」という「宗教エゴ」の目的で行なった
もの。別に「同胞のため」などではない。従って、地獄に行くことは確実であろう。
>>650 僕はチベット人が大好きだから、僕が嫌いなものが変わりに苦しめばいいと思いますってどこのアホ仏教?
チベット人にお金渡して自分が貧困に苦しめばいいのにね。
>>651 慈悲が湧いてもいないのに自意識満たすために善人のフリをはじめる小僧っ子に言われてもにゃー。
これといって湧かないから何もしないし笑けるからと笑ってると石投げてくる独善カルトさんは怖いなぁ。
654 :
中共が常任理事国?:2012/11/02(金) 22:35:31.33 ID:p4oGYiII
∩___∩
| ノ ヽ
/ ● ● | セクロス!セクロス!
| ( _●_) ミ
彡、 |∪| 、`\
/ __ ヽノu/´> )
(___)u -ーー ,,/スパンスパン
| r'" `ヽ,
\ \ ∩/ ̄ ̄ ヽつ
)..ノ ̄\ /"ヽ../ " ノ ヽ
( | \_)\ \ > < |\ アア〜〜〜!!
\\ ~ ) u \ .\_ ( _●_)\_つ
..  ̄  ̄u u \.._つ-ー'''u
656 :
前世は一在家:2012/11/03(土) 15:21:32.35 ID:ekprxCRM
祖父の寝言(阿頼耶識の語り)のホームページを開設しました。
グーグルで「浄土への道標」と検索いただければ幸甚に存じます。
↑ 浄土と阿頼耶識は何か関係が有るのかしら?
>>656 (祝)ホームページの開設、
おめでとうございます
659 :
神も仏も名無しさん:2012/11/04(日) 14:21:01.11 ID:DUb6ZQWZ
中論の件だけど、実存の苦しみを克服する方法、それは死を超越するほどの、に対する
仏教の解答は、これという明確な境地にとどまることを否定することだと思う。
それこそ、仏教がもつ、ほかの宗教にない独自性であると思うのだけど、
俺は、この仏教の結論に至るのに、階梯概念があるとは思わない。
660 :
神も仏も名無しさん:2012/11/04(日) 14:30:36.63 ID:DUb6ZQWZ
仏教は薬にしろ、音楽にしろ、呪文にしろ、瞑想にしろ、
ある種の忘我状態を利用するが、そういった三昧がすなわち救いなのではなくて
それをどう利用するかを知らなければいけない。
それを導く理念たるものが、見道であったり、菩提心を知るということなのだと思われ。
661 :
神も仏も名無しさん:2012/11/04(日) 15:03:26.60 ID:DUb6ZQWZ
まあ、こういった物事の見方は別として 実際、そのような境地というものが、あるいは精神状態というものが
他の宗教のものと比べて、高位か低位かいう話はまた別もの。
実際そんな幸せ的な感度は変わらんでしょ
ある状態に固執することで三悪道に回帰する悪因をもつことになる可能性はあるかもしれんが。
662 :
中共が常任理事国?:2012/11/04(日) 23:31:44.93 ID:gwW7DSj+
663 :
前世は一在家:2012/11/04(日) 23:48:22.77 ID:TVXUn8nN
>>657 >↑ 浄土と阿頼耶識は何か関係が有るのかしら?
関係はないです。
祖父は寝言で仏説を語りましたが、起きた時はまったく覚えておりません。
潜在意識(阿頼耶識)では過去世を覚えているのに、顕在意識では忘れております。
祖母が大学ノートに速記して、昭和56年に300冊だけ自費出版し、その中から
私が抜粋してホームページで紹介しております。
なお語る内容が「浄土」への行き方に関わる内容です。
http://minamotonoshin.life.coocan.jp/ 「浄土への道標」URL
>宝珠さま
ご訪問を有難うございます。
憑依?して寝言で語った存在が本当に名乗ったそのものであると、どうやって見分けるの?
神道・修験道の口寄せでも法華行者の寄り加持でも、たいていは審判する役目があって
仏なんかを名乗る天狗とか見分けるよな
よく読んだら霊媒を囲んだ会合だったのか
寝言とかレスで書かれてたから、普通に寝てる時の寝言をメモしてたのかと思った
666 :
神も仏も名無しさん:2012/11/05(月) 02:14:57.75 ID:HzYNNr9P
広義の心霊主義(スピリチュアリズム)の走狗がこの仏教議論スレッドにも登場するが、
無常・無我・縁起・空・中道仏教は心霊主義を排する。
在家・宝珠・カラスなどはお前たちに相応しいスレで喚いていろ。
668 :
神も仏も名無しさん:2012/11/05(月) 09:55:30.04 ID:HzYNNr9P
業報輪廻転生論と回向論は同根であり、成りすまし仏教の心霊主義である。
669 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/11/05(月) 10:01:24.38 ID:vAVrrrHJ
>>664 >神道・修験道の口寄せでも法華行者の寄り加持でも、たいていは審判する役目があって
>仏なんかを名乗る天狗とか見分けるよな
語られた内容がどうかを仏典と照らし合わせて各自が見分けて下さい。
他の仏教徒各位はそうされております。
>>665 >よく読んだら霊媒を囲んだ会合だったのか
>寝言とかレスで書かれてたから、普通に寝てる時の寝言をメモしてたのかと思った
元々は普通に寝てる時の寝言をメモしたものです。
やがて近所で評判になって何人か訪れたようですが。
>>666 >無常・無我・縁起・空・中道仏教は心霊主義を排する。
龍樹菩薩と凡夫との違いも52回寝言法話には登場します。ご参考まで。
心霊は悪か否かと問うならば
そのどちらでもないと返ってくるのか
行為により是非が問われるのか
現代においては口に出すことさえタブーだろう
基地子おまえは最低だw
内の喧騒が止むならば行為にそれは現れるのか
目的があるとするならば、内の喧騒を止ますことにあるのでなく
行為が目的と説かれるのか
では行為というものは何であろうか
それは苦の解消か修行か
俺は暇つぶしと説く
673 :
神も仏も名無しさん:2012/11/05(月) 15:16:51.50 ID:ydAG37GF
行為は三昧を引き出すきっかけで
惑業苦の惑を断つ機能があると思うが。
とくに凡夫にとって娑婆は心を惑わす縁が多いから
674 :
神も仏も名無しさん:2012/11/05(月) 15:24:20.01 ID:ydAG37GF
真宗の念仏は行ではあるが
その中心は信心(菩提心)でしかも自己の起こす行ではない
というところが特殊だが
「われ必ずしも聖に非ず、かれ必ずしも愚に非ず。共に是れ凡夫のみ」
聖徳太子は偉いねぇ。大したもんだ
暇つぶしにどうということもなし。自己満足に終わることなかれ。
676 :
神も仏も名無しさん:2012/11/05(月) 17:00:22.26 ID:ydAG37GF
聖徳太子は、実存を満足させるこれといった善悪基準はないと
言っているのであって
行そのものをあるいは救いへの道はないと否定しているわけじゃないと思うぞ
救いがあるならそこへ到達する道はあるはずで
その道に千差万別あるとしても人が知り得ないだけで
そこへいかない方向はあるはずでそれは悪と定義できるだろ
677 :
神も仏も名無しさん:2012/11/05(月) 19:18:49.85 ID:ONuGN9x+
目が滑ってしまうレベルの膨大な知識をお持ちの方は多いですが
その知識は救いに結びついていますか?
自分も救えない知識で他人を諭そうとしていませんか?
言い負かそうと考えてしまう人間の心に悟りはあるのでしょうかいやない(反語
678 :
神も仏も名無しさん:2012/11/05(月) 19:25:00.18 ID:NWGrTrzE
そもそも、仏教とは、「甘ったれた救済宗教」なのか?
暇つぶしはどうということはないもので
妙な意味づけするから妙なことになる
暇つぶしに殺人やら自殺されたらたまったものじゃないだろ
我というものも同じであって
妙な意味づけするから妙なことになる
この点において
「われ必ずしも聖に非ず、かれ必ずしも愚に非ず。共に是れ凡夫のみ」
は優れているといえる。
>>678 暇つぶしに飽きたので
執着絶って自身の生まれ変わりを防ぐ宗教
まぁ依存を絶って強く逞しく現世を生きる宗教ともいえるし
苦を自らの努力で断ち切って現世を穏やかに生きる宗教ともいえる
いずれにしても来世はない
人に執着していれば来世はあるかも
キリストさんは天国か地獄に行くんだけど
仏教は極楽と地獄だから同じだよね?
仏教は極楽と奈落だっけ?
キリスト教にも奈落みたいのがあるんだけど?
死んだ先のことはわからんが、執着・依存・苦を自らの努力で
絶つことができるならば現世含めて悪いようにはならんと思うよ
685 :
今日のところは名無しで さん:2012/11/05(月) 20:59:23.78 ID:Fq6bY6FK
死後の行き先は無いと書かれていればまた違っていたでありましょう
まぁ自然秩序の末の妄想かもしれんし死後があるのかもしれんし
その辺はタブーな気がする。
どうということはないで一環してるし良心という自然秩序に従いましょうや
688 :
今日のところは名無しで さん:2012/11/05(月) 21:57:07.52 ID:Fq6bY6FK
689 :
神も仏も名無しさん:2012/11/05(月) 21:58:18.15 ID:ydAG37GF
死後があるかどうかは分からんな
理性的にかんがえて
ともかく、生を前提とした議論によらず
生死をその枠外から論じるなら
死後を仮想することに一定の意味があると思うけどな
690 :
神も仏も名無しさん:2012/11/05(月) 22:12:40.60 ID:ydAG37GF
>>677 自分は一応救われたね
真宗的な意味でだが
他人を導くとか大それたことはしてないが
自分なりのアプローチはしてるつもりだ
念仏となえるのが一番だが現代人にはぱっと見分からないからね
善巧方便てのは残念ながら凡夫には使えない
でも、お膳立てくらいはできるんじゃないかね
これは常識レベルのことだが
とりあえずチベットがされてることはダメだね
う〜ん死後は妄言の部類になるからどうなんかね
いらん強迫観念植え付けていいようになるとも思えんし
どうということもないのに、何かあると思わせぶりっこが
虐殺やら焼身自殺の惨劇を作ると思うわけだよ
692 :
神も仏も名無しさん:2012/11/05(月) 22:42:29.23 ID:ydAG37GF
焼身自殺の善し悪しは俺が真実真理の面から論じられることではないが
民族浄化されるよりは自己の命と引き換えに目に見えないゆるやかな虐殺を世界の良心に訴えることは
この世界に住むものとして常識レベルで考えてとても勇気があることだし
束の間とは言え、みなが平穏に暮らしていける道を実現していく立派な方法だと思うよ
まあ、人間生きれば即幸せになるわけじゃないがね
まぁ自殺した者は地獄にいくらしいから勇気あるといえるな
どうも病理が潜んでるとしか思えんが
どうということはないだろう
695 :
神も仏も名無しさん:2012/11/05(月) 23:00:33.31 ID:ydAG37GF
あそうそう、俺は仏像なんてもんは釈尊の形像と言える証拠はないから
下手すりゃ仮面ライダーの像や韓国人の像でもいいなんていうふざけた意見には反対な
歴史的に見て、そこで育まれたもっとも適切な方法こそ因果に沿った良識的なものと言うべきだろう。
悟りを得れば、因果に落ちないとした行者が畜生道に落ちたとされるのはもっともな話だ
病理に満ちとるな
仏像なんてものは只のお人形さん以上のものではありえない
只のお人形を何者かとすることは錯覚でしかありえない
錯覚こそが病理
697 :
神も仏も名無しさん:2012/11/05(月) 23:09:29.08 ID:ydAG37GF
>>663 仏教的にみてそういうことになるな
しかし大乗は衆生済度のために
これをすべて救うためには菩薩であることを辞さないんだ
それまで六道をへめぐり善根をつみつづける
還相の菩薩なら地蔵菩薩よろしく地獄でにぎやかにやることでしょう
698 :
神も仏も名無しさん:2012/11/05(月) 23:14:47.86 ID:ydAG37GF
>>696 そんな君も単なる紙にすぎん諭吉を
因果に順じて後生大事に抱えてるじゃないか
金は暇つぶしの道具さw
仏像も暇つぶしに過ぎんのよ
この仏像であるのであれば肯定できる
暇つぶしに虚飾はいらんのよ
不幸な人には、可哀想にの心さえありゃ何もいらん
700 :
神も仏も名無しさん:2012/11/05(月) 23:39:04.53 ID:ydAG37GF
なら今すぐばらまいてくれよw
暇つぶしも切実だな
原爆ドームが芸術だって言ってた輩があったが
どうも俺にはそうは思えんよ
遠くから美しく見える富士の山も
近くから見ればゴミだらけ
オスカーワイルドが年をとると金がすべてと言ったが
どうも君にはそんな雰囲気がある
金が得られると思っているからこそ金がすべてと言えるだろう
>>700 自分のイメージが真実と思ってもらうと困るわw
原爆ドームも富士山も念仏も禅も趣味娯楽
暇つぶし=趣味娯楽なわけなのよ
大事な趣味娯楽をばらまけるかよw
けど、現代社会では、
お金が「使われなければ」生きていけないからね・・・。
その意味で、やはり「お金がすべて」だと思うよ。お金の無いところでは何も動かない。
お金なんてなくても生きていける、と言うかもしれんが、
それは、《『或る個人が』使わずに済んでいる》というだけで、
《どこか他のところで》、(その個人が消費している何がしかが成立する為に(成立するに際して))、
《結局お金は使われている》。
この事実を忘れた清貧は醜悪だと思うよ・・。
703 :
神も仏も名無しさん:2012/11/06(火) 00:08:42.11 ID:RbhHOZ60
つまり、暇つぶしと言いながら
手放せない、依存してんだろ
そいつは裏切らないものか?
授業中にイタズラ書きすることはあるが、
授業終わってもイタズラ書きしてるヤツはまれだ
授業は終わっても先があるからいい
でも、人生という授業がまさに終わるときに
君が暇つぶしで満足できるかもう少し考えておくべきだな
結果は変わらんにしてもだ
暇つぶしに時に全力を出す
時に人のために命を投げ出す
それならばええのよ
身に降りかかる災難や苦悩の全てを暇扱い出来るなら人生は暇つぶしだろうね。
そんな生ぬるくないですが世の中w
706 :
神も仏も名無しさん:2012/11/06(火) 00:18:20.90 ID:RbhHOZ60
>>702 もう少し調べて見ようか
金がすべてと言うやつは
結局そのことが分かってないということなんだよ
老人は金がすべてだと分かっているからこそ
金がすべてじゃないと思いたいのさ
暇つぶし=苦滅=修行
理由はなんであってもいいさね
柔軟にいきなよ
どうということはない
一生懸命やればいい
708 :
今日のところは名無しで さん:2012/11/06(火) 00:25:36.40 ID:KZQMrOQJ
709 :
神も仏も名無しさん:2012/11/06(火) 00:32:30.39 ID:RbhHOZ60
一生懸命生きているやつは
可哀想なやつを素通りなんてしないって
>>706 えらい金にこだわるな〜w
頓着してないものに金、金うるさいよw
この世は金、食い物、セックスなどがメインだけどそれらはすべて幻
仏教は幻ではなく真理を探求しなければならない
量子力学、ひも理論など科学の最先端もこの世を超越している
幻であるこの世に執着しているのは科学の最先端を知らない俗人だけ
頓着も執着もしてない奴らはちょっと邪魔だから2chから出てってくんない?
俺って達観してるぜってアピールがすげぇうぜぇ
713 :
神も仏も名無しさん:2012/11/06(火) 00:39:29.40 ID:RbhHOZ60
何かから目をそらすための暇つぶしなら注意しろ
何かは終わりに自分を襲ってくる。
ちょうど夏休み最後の日の宿題のようにな!
だが、宿題すませてからの夏休みなら
そいつは安全な暇つぶしだ
>>706 あ、「思うか思わないか」の話だったのかw そりゃ失礼したwwwww
>>712 だから自分のイメージで(ry
凡夫の暇つぶしが達観かw
716 :
神も仏も名無しさん:2012/11/06(火) 00:44:39.90 ID:fHuivt97
忙しいときには「暇が欲しい」という苦しみが生じるが、
暇になれば「何かやることが欲しい」という苦しみが生じる。
ただ縁にしたがって苦しみが形を変えていくだけであり、
生きているかぎり、体験することのすべてが苦しみなのである。
「何もなくなりゃしないのさ、形が変わってゆくだけさ」と大槻ケンヂの歌詞にあったが、
「苦しみはなくなりゃしないのさ、苦しみの形が変わってゆくだけさ」というの苦諦であろう。
717 :
神も仏も名無しさん:2012/11/06(火) 00:45:32.61 ID:gTudfuAf
かつて、仏教と神道は、キリシタンの日本進出を防いだ。現代の仏教・
神道は、その理論武装は充分にできているのか?
>>715 あぁ、アピールしてる自覚あったんだ。
いきなり上から目線であれこれ指図してる姿、すげぇうざかったよ。
>>713 じゃあ立ち向かうためでいいじゃんw
どうということはない
その時はその時だw誰でも死ぬがなw
世間の連中はゲームに夢中になっている奴をバカにするが
ゲームなんて正体はただの電子データだからな
それと同様に金とか車とか女体も正体は電子とか陽子とか中性子とか粒子の集合体にすぎない
世間の連中もゲームに夢中になってる奴も幻に夢中という点で本質は同じだ
721 :
神も仏も名無しさん:2012/11/06(火) 00:51:15.40 ID:RbhHOZ60
俺は暇があっても退屈はしないな
どんだけでもくつろげる
手足拘束されてないかぎり
723 :
今日のところは名無しで さん:2012/11/06(火) 00:52:52.00 ID:KZQMrOQJ
>>720 禅の世界では、
物事には本質的に意味が無い価値が無いという考えも無意味や無価値に縛られたものとして退け、
意味や価値という概念そのものを無とするところを目指すんだわ。
虚無主義の次に行く宛としておすすめとく。
725 :
神も仏も名無しさん:2012/11/06(火) 00:58:09.16 ID:RbhHOZ60
ほっとけばいいんだよ
達観がうざければ、
相手すると調子にのるだけだから
うざい中には俺も含まれてるんだろうけどさ
どうせ暇と退屈の倫理学を読んでその気になってる厨房だろ
どうでもいいものに拘るなぁ…
一言で言えば
知らんがな
727 :
神も仏も名無しさん:2012/11/06(火) 01:19:33.17 ID:RbhHOZ60
まさに。十牛図だね
色即是空空即是色。
空にとどまっているのでは
三昧が終わったら
すぐ三悪道に直行するのとかわらん
どうでもいいのは君の感情
相当騒がしいようだなw
妄想がw
729 :
神も仏も名無しさん:2012/11/06(火) 01:28:01.33 ID:RbhHOZ60
レス来てたか
たちむかうっていうのは何に?
死が眼前に差し迫って
何をすべきか考えても遅いと俺は思うがな
今死ぬとなってする必要がないことはたいてい暇つぶしだ
する必要があることも所詮暇つぶしだがな
それが分からんなら暇つぶしが分からんということだ
見えない何かと戦ってる?
731 :
神も仏も名無しさん:2012/11/06(火) 01:49:39.27 ID:RbhHOZ60
ちなみに真実の目から見れば、
俺があくせくやってことは暇つぶしなんだろうが
俺自身暇つぶしと思ってないからな
この世は所詮空言たわ言まことなき世だが
ただ念仏のみぞまことなりける
俺の口を伝って出てくる念仏は
申し分なくも汚泥に咲く蓮花だね
行は汚くもその仏心は清らかだ
世間虚仮念仏是真
これ聖徳太子の言葉な
わかったわかったあんたの勝ち
733 :
神も仏も名無しさん:2012/11/06(火) 02:11:43.33 ID:RbhHOZ60
まあ、凡夫には暇つぶしを暇つぶしと見る目がないから
目をつくるために仮定されたのが彌陀という仏なんだろうな
これ考えたやつはすごいと思うわ
734 :
神も仏も名無しさん:2012/11/06(火) 02:21:30.27 ID:RbhHOZ60
人間何も頼るものはないといいながら必ず何かに固執する
奪われないようにすかしてみたり脅かしてみたりして
あくせくとさ
そいつをはらから出して捨てて見せろというのが仏教の結論なんだが
人間そうは行かないもんさ
そうそう誰にでも差し出すもんでもないしな
>>734 あんた自身の投影をどうこう言われても困るんよ
意味がないとはこのこと
意味があることなんかありゃしない
普通に生きることこそが至上
736 :
神も仏も名無しさん:2012/11/06(火) 08:01:34.14 ID:fHuivt97
>>735 普通に生きる中で、たとえば怒りが多い人は怒りに伴うストレスも多くなる。
怒りを減らして普通の人生を快適にするのが仏教。
プロ野球選手は多数居るけど
イチローは唯一人でしょう?
この意味が分かれば無駄な事は
しなくなるものよ! (^。^)y-~
738 :
神も仏も名無しさん:2012/11/06(火) 18:39:32.32 ID:EUGMs/Za
仏法にとって最高に抽象的な言語概念は空です。
しかし、言語道断の空である様相はイメージできます。
ものごとを成し遂げるコツはイメージする(非言語化)することです。
明確にイメージすれば、脳は必ず最高の働きをしてくれます。
あなたは常に苦しみの超克の様相を映像としてイメージしているでしょうか?
>>738 誰が殺してくれないかなって
日々イメージしてますよ!(^。^)y-~
740 :
神も仏も名無しさん:2012/11/06(火) 18:58:41.25 ID:EUGMs/Za
一番最短の方法は、既にブッダになったイメージを繰返すことです。
741 :
神も仏も名無しさん:2012/11/06(火) 19:12:17.58 ID:EUGMs/Za
>>739 あなたが誕生する以前をあなたは検証できない。
あなたが死んだ後をあなたは検証できない。
ならば、あなたたが生きていることもあなたは検証できません。
あなたが生きていることを検証してくれたら、
あなたを殺してさしあげます。
結局、過去も現在も未来も不可得なのです。
不生不滅です。
仏さんの耳は本当のことが聞こえるらしいです
>>666 >
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1336302241/816 あまりにも無知過ぎて話をする気力もないのですが、一応、基本的なことだけは簡単に述べておき
ます。後はあなたのご自由にどうぞ!(どうせ話を聞く気もないのだから・・・)。
まず、神智学は“心霊主義”ではなく、寧ろ心霊主義を否定する姿勢にあるのだ、ということをいって
おきます。実際、歴史的において神智学協会に敵対してきたのはカトリックと、そして、(『英国心霊協
会』などの)心霊主義者たちです。
心霊主義というのは、死後の肉体亡き後の生存状態を霊体であるとして説き、これが人間の本質
的な実体であり、この生存が永遠であると主張します(また、彼ら心霊主義者の多くは、輪廻転生に
ついては無知で殆ど明確なビジョンを持たない)。
彼らがしようとしていることはこの霊存在の実証だけであり、ただその現象に注目するだけで、そこ
に何ら人間の精神を向上させる価値などは皆無です。
神智学の見解は、心霊存在は人間の本質ではなく一過性の残存現象に過ぎず、これに必要以上
に深く関ることには価値を見出さないという姿勢にあります。
-----仏教について
ゴータマは、『わたしが説かないことは説かないと了解せよ。わたしが説くことは説くと了解せよ』
(『中部第63経/小マールンキャ経』)と述べたのです。 このゴータマが説かないものとは、如来の死
後、神(創造の至高者)の存在、ウパニシャッドの説くアート
マンなど・・・。そして説いたものとは、輪廻転生、死後の生存、餓鬼存在とその救済など・・・です。
仏教とは云々と主張するならば、仏典(原始経典)に根拠がなければならない。あなたの勝手誤
読による『中論』などはどうでも宜しい。仏典の根拠を提示した上でまともな意見を述べて頂きたい。
あなたはスタートラインにも着いていない。
仏教というのは、死後の生存と輪廻を説くもの。あなたが信じられないのは勝手です。だから、仏
教を認めなければいいだけのこと。あなたの都合などには合わせてられないから・・・。
『物質的領域に生まれる諸々の生存者と非物質的領域に住む諸々の生存者とは、消滅を知らな
いので、再びこの世の生存に戻ってくる。』(Sn.754)
-----後はご勝手に
以上
745 :
神も仏も名無しさん:2012/11/07(水) 06:39:15.74 ID:poXJn2rf
>>527 そういうことはこんなとこで聞かないで、
ちゃんとした仏教の先生に聞いてください。
746 :
神も仏も名無しさん:2012/11/07(水) 06:42:28.14 ID:poXJn2rf
>>554 >発展させなかった事のつけが来ただけさ(言っとくが、初代ダライ・ラマは戦争に
>きっちり勝ってチベットの支配者になったんだぞw)
オイオイ、どこに書いてあるんだ?
初代ダライラマは、戦争も行ってないしチベットの支配者でもないぞ
この完全な間違いが認められないなら、もうアホな妄言やめとけ
747 :
神も仏も名無しさん:2012/11/07(水) 06:44:50.54 ID:poXJn2rf
>>590 いいよね。
顕教による日本仏教再生プログラム、手堅い。
この考え方はチベットの先生で同じ方もいるし。
748 :
神も仏も名無しさん:2012/11/07(水) 07:18:07.62 ID:CGjrkYYP
釈迦は俺にとって賢く見えることしか言わない、
という閻魔たんの大前提はどこから来てるんだろうな。
釈迦も当初は頭がフットーしてて一切智者宣言しちゃったことは認めてるみたいだが。
さじ加減だねー
>>741 もはやこの世界に留まる理由は
何も無いと言う自覚は悟りで
しょうか? (^。^)y-~
>>749 悟りの第一段階に達したら、戒を守れるようになるそうです。
五戒を余裕で守れるようになってるかどうかチェックしてみては?
751 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2012/11/07(水) 19:44:55.55 ID:fs14DxIH
>>741 また下らん言葉遊びを。中論かぶれの末法仏教徒は本当に駄目だな。
>>749 おまえはどうみても悟っていないから、まだこの世にとどまり、成すべきことがあるだろう。
下らん言葉遊びで悟ったつもりで今生を捨てても、また迷いの生存を繰り返すだけ。
苦しみは尽きない。
>>751 己自身を信じ切れない限り
無明の闇は晴れないだろう!
ヒャッハ〜♪\(^o^)/
753 :
神も仏も名無しさん:2012/11/08(木) 14:18:41.62 ID:CUUZdlX9
>>47 オウムは仏教の皮を着せたキリスト教唯物共産主義だからな。
754 :
神も仏も名無しさん:2012/11/08(木) 14:27:01.88 ID:Roz8+KM3
>>753 違うな。
宗教の皮を被ったテロリスト集団だよ
756 :
基地子菩薩:2012/11/09(金) 00:15:58.34 ID:KzReWExE
仏経原理主義を立ち上げる事に
しました!宜しくね♪(^。^)y-~
757 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/11/10(土) 10:22:52.03 ID:9PYCRKD4
今月、ホームページ「浄土への道標」を開設しました。
酷評も絶賛もいくつか頂戴しました。
特に南無阿弥陀仏と唱えられる方々は一度はお越し下さい。
第61回 昭和5年11月29日 祖父寝言より
竹鼻 今日良いお話をして貰う積りで居た、親鸞聖人の御話を。
聖道門では、とても行かぬ、やはり凡夫は破戒の中からこの汚れた穢土の現身を以て、此身此儘お助け願えるのだ。
徒ら者をお助け下さるのは十方世界に弥陀御一仏より外に無いのだ、それを思えば行住座臥に称名念仏すべし、たとえ信心得さして貰っても煩は起る浅間しい泥の凡夫じゃ、
不断煩悩得涅槃と云う事が有る、其の概略を話して頂く。
竹鼻:土蔵の中に勿体なくも埃をかぶった仏像の二体あるのを発見し、早速名古屋の仏師にたのんで修復せしもので、その一体は法然聖人、もう一体は竹鼻地蔵と命名、入仏式を挙行す。
758 :
基地子菩薩:2012/11/10(土) 10:54:35.01 ID:5sbV+V2b
>>757 善人往生す 悪人なお持て往生せん!
ヒャッハ〜♪ \(^o^)/
759 :
1/2反オカルト 大滝秀治:2012/11/10(土) 14:18:36.25 ID:Q1xt94h3
>>748 宝珠
>神智学の見解は、心霊存在は人間の本質ではなく一過性の残存現象に過ぎず、
アタシは『広義の心霊主義(スピリチュアリズム)』(
>>666)といっている。
現象界とか超越界とか妄想の霊的世界観(物語)と言ってもいい。
この中には当然神智学も前世は一在家(
>>757)のカルト崇教真光も入る。
たとえば、ブラヴァツキーは言う。「人間は死とともにそのアストラル体のほうは分離し、しばらくの間アストラル界にとどまるとしました。
真我のほうはブッディアートマと結び付いて休息的待機状態に入るとし、心霊主義において霊媒が交信しているのは真我のほうでなく。アストラル体の殻にすぎない」
要するに神智学と狭義の心霊主義の関係は、霊魂(真我:アートマンなど)観が異なるだけのオカルティズム内での内ゲバ論でしかない。
そんな外道の妄想内ゲバなんかまったく興味はない。
そういった神智学を含むオカルティズムやエソテリシズム(いわゆる密教やヒンドゥ教、チベット密教を含む)、狭義のスピリチュアリズム(心霊主義)は仏法に非ず、
あくまで間接現実内の外道妄想思想だと言っている。
仏法はオカルティズムとは無縁であるが、一方仏教はオカルティズムに侵食され堕落してきた歴史でもある。
特にインドに於けるヒンドゥ教との闘争において、自称「大乗」仏教の誤ったマーケッティングで展開された
救済ポピュリズム性は、仏教の『妄想物語化』を飛躍的に促進させたと言える。
かくてヒンドゥの強烈キャラクターに破れ、アイデンティティを喪失した仏教はインドにて拡散滅亡したのである。
強者の戦略の失敗である。
しかし、こういったオカルト思想の「仏教」潜入が、仏性・如来蔵・本覚思想などの仮面をかぶって
変容潜入し、日本仏教にも歪曲「成りすまし仏教」として居座っているのである。
760 :
2/2反オカルト 大滝秀治:2012/11/10(土) 14:21:52.10 ID:Q1xt94h3
>人間の精神を向上させる価値
そのような価値は直接現実にはない(非有非無)。
このような霊的妄想価値観(事実上の霊肉二元論)は“超越”価値に対する執着を生む間接現実における倫理的価値観=反中道→苦以外のなにものでもない。
・Sn.520『 安らぎに帰して、善悪を捨て去り、塵を離れ、この世とかの世とを知り、生と死とを超越した人、
──このような人がきさにその故に<道の人>と呼ばれる。』
・Sn.521『 全世界のうちで内面的にも外面的にも一切の罪悪を洗い落とし、時間に支配される神々と人間とのうちにありながら妄想分別におもむかない人、
──かれを(沐浴をすませた者)と呼ぶ。』
直接現実にては「価値」観念自体がありえない。
縁起現象(縁起の直接現実)そのものは無意味・無価値・無実体であって、人間が我執分別で勝手に評価・喜怒哀楽しているに過ぎない。
ブッダは、人間の勝手な善悪・優劣評価などに意味はないといっているのだ。
ブッダは、道徳とか倫理とかの「塵を離れ」て、ただ「縁起」にのみ生きよといっているのである。
(【最終】輪廻転生説はどう扱うべきか!?【決着】
>>176)
761 :
2/2反オカルト 大滝秀治:2012/11/10(土) 14:32:57.38 ID:Q1xt94h3
補遺
Sn.521『時間に支配される神々と人間とのうちにありながら、妄想分別におもむかない人』
これは重要な文言であって、悟り得た者の還滅世俗(時間も神も間接現実でしかない)での様相(無分別の分別)をいっている。
分別(仮観)→無分別(空観)⇒無分別の分別(中観)
色即是空→還滅⇒空即是色
仏法のゲシュタルトは二相にて掴みうるのである。
762 :
基地子菩薩:2012/11/10(土) 14:40:40.05 ID:5sbV+V2b
薬の効能書き朗読有難うございまし
た!(^。^)y-~
763 :
マハーカッサパ経典 大滝秀治:2012/11/10(土) 14:44:56.36 ID:Q1xt94h3
>>744 >『わたしが説かないことは説かないと了解せよ。わたしが説くことは説くと了解せよ』
>仏教とは云々と主張するならば、仏典(原始経典)に根拠がなければならない。
『わたしが説かないことを説いたことにし、説くことを削除し編集した』マハーカッサパ経典は当然批判的に読まれて当然だ。
こういったオカルト外道によるオカルティズム近似マハーカッサパ教経典のご都合主義利用については閻魔大王が既に論破済みだ。
ゆえに、カーラーマ経には、『経典に書いてあるからと言って信じるな』と言っている。
(例えば、プッタタート比丘の場合
http://space.geocities.jp/tammashart/kouhuku/sanzou.html)
信仰宗教は信じよ!であり、仏教は信じるな!だ。
この差は天地ほどに違う。
禅でも自帰依で大疑団を起こすことを大切にするのは、カーラーマ経の精神→自帰依と同じだ。
アタシは中論でも批判的に読む。カーラーマ経の精神によってねw
764 :
神も仏も名無しさん:2012/11/10(土) 14:55:48.70 ID:NeVbJmcc
>763
5〜8をガン無視する人ってけっこういるよね。
>>763 >>アタシは中論でも批判的に読む。カーラーマ経の精神によってねw
カーラーマ経は、批判的に読まないの?
カーラーマ経を挙げてアナタが言いたいのは、合理主義より経験主義って事だよね
過度の経験主義が行き着く果ては懐疑主義だから気をつけなよ
時間があったらカントの『純粋理性批判』辺りを読んで見ることをオススメする
766 :
神も仏も名無しさん:2012/11/10(土) 16:15:26.00 ID:cmVJYDDj
カーラーマ経が言ってるのは、近代的な批判精神で勝手に読めってことじゃないでしょ。
>>759 1/2反オカルト 大滝秀治さんへ
> アタシは『広義の心霊主義(スピリチュアリズム)』といっている
http://reigaku.jugem.jp/?eid=424 瑜伽師地論(ゆがしじろん)の場合は
人が死ぬ時に
過去の長い間の経験により蓄積された
我愛が現起し
その力にうながされて
自己に愛著し
無始の時以来つづいてきた執着された
戯論(けろん)と
善悪(善でも悪でもないものも含める)業により
中有が形成される
そして、やがて
精子と卵子が結合する時に
中有が滅すると同時に
又、この世の生に戻り来る
>>759ー761
>>763 あなたの言っている事柄というのは、ただの唯物論/唯物主義に過ぎない。
それでは仏教の本質は理解できない(仏教は“宗教だから)。
仏教からすべての宗教性を排除してしまったら、そんなものは一つの単なる道徳観ということになってしまう。
>ブッダは、人間の勝手な善悪・優劣評価などに意味はないといっているのだ
>ブッダは、道徳とか論理とかの「塵に離れ」て、ただ「縁起」にのみ生きよといっているのである。
それは世俗の間違った価値観に対する批判を説いたものであって、
“縁起に流されてただ生存してなさい”・・・
などとはいっていないから。
ゴータマがご自身の大いなる能力で直接知見した世界観から述べる
“仏教としての道徳論理”を説いたのです
とにかく、
あなたは自身のその唯物主義が崩壊しない限りは人の話を聞く姿勢ができませんから、
何を話しても無駄です。
この生涯の間に叶うかどうかは分かりませんが、いずれはそんな体験に出会う日が必ず来ますから。
その時、このスレで述べていた当時の自分を180度、転換せざる得ないこととなり、
あまりに遠回りし過ぎた己れの愚行を悔いることになるでしょう。
まっ、それも人それぞれの学びのスタイルでしょう。
いいものを持っているだけに惜しい・・・。
770 :
基地子菩薩:2012/11/10(土) 16:55:46.85 ID:5sbV+V2b
絶対矛盾の自己統一とは、この事
かしらん? (^。^)y-~
771 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/11/10(土) 17:16:01.03 ID:9PYCRKD4
>>759 :1/2反オカルト 大滝秀治:2012/11/10(土) 14:18:36.25 ID:Q1xt94h3
>現象界とか超越界とか妄想の霊的世界観(物語)と言ってもいい。
>この中には当然神智学も前世は一在家(
>>757)のカルト崇教真光も入る。
今回のホームページの素材は昭和五年の出来事で、私も真光も世に出ておりませんのであしからず。
南無阿弥陀仏の一家に起きた出来事です。昭和57年に自費出版されました。
あれから30年経過して、今私がWEBで紹介しております。
極楽浄土で現代も変わらず衆生済度の大誓願をなされておられる方に失礼かと存じます.
第37回 昭和6年3月27日
弥陀の本願におわしませば釈尊の説法虚言なるべからず、仏説誠におわしまさば……本師上人(法然)の仰せ事空事ならんや、法然の仰せ誠ならば親鸞の申す処、又以て空しかるべからず候。
……近頃は耳新らしい説を聞いて迷うがそこが大事の処じゃ、衆生の求むる所は、……相共に
>>769 >(仏教は“宗教だから)
この言い方が本末転倒なのです。
これは、「トラックは工事車両だから」と言っているに等しいわけです。
実際には、トラックは、農作業にも輸送にも使います。
その用途が工事用であったときに、初めて、工事車両として括れるわけです。
同様に、
≪『宗教だから』仏教に○○の要素がある≫のではなく、
≪『○○の要素を持つから』宗教として括れる≫のです。
もっと言ってしまえば、
≪宗教という括りが生まれる以前から、仏教は仏教として(お釈迦さんの教えとして)あった≫のですから。
順序の捏造にも程がありますw
≪宗教だから、○○がなければならない≫というのは、身勝手な投影であることに気付くべきです。
773 :
基地子菩薩:2012/11/10(土) 17:36:19.45 ID:5sbV+V2b
>>772 貴方こそ仏経の実際的役割をまるで
理解していませんよ!そもそも仏経
の目的は先ず女(地獄の使い)を絶滅
させて次に人類を地上から消し去り
後に全生命体を根絶やしにする事が
理想の浄土何ですよ!仕上げに弥勒
菩薩(太陽)が膨張して地球を飲込み
丸ごと炊きあげて浄化するのです!
これが仏経原理主義の理念ですよ。
>>772 横からスマンが
トラックというのは貨物自動車であり貨物の運送に用いられる荷台を備えた自動車のこと。
工事そのものを行う工事車両とは違うぞ。
余り旨い例えとも思えないがトラックの例えでいうなら、トラック(仏教)は自動車(宗教)なのだから、歩道(世俗→唯物論)の価値観で運転して(考えて)はだめだと言うことでしょう。
車道を自動車で運転するには免許が必ず必要です。宗教を学ぶモノには、この免許に当たる何か暗黙の了解が必要だと宝珠氏は言いたいのでは無いでしょうか?
免許というか。守るべきルールですね。「人類を救う」とでも言うんですか?難しい事はわかりませんが、そこが抜け落ちでしまった宗教は、既に宗教ではなくカルトということでしょう。
> 人類を地上から消し去り
すべて一切の人が煩悩を滅するのは
かなり難しいと思うけど?
( ↑ 「渇愛によって輪廻を繰り返す」とする場合)
777 :
基地子菩薩:2012/11/10(土) 18:16:22.30 ID:5sbV+V2b
>>776 誤解されてますよ!言葉の綾で
殲滅などと言っているのでは無くて
本当に全滅を説いているんですよ。
仏に会えば仏を殺し、父母に会えば
父母を殺す。ご理解頂けますか?
778 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/11/10(土) 18:30:17.00 ID:9PYCRKD4
>>773 名前:基地子菩薩 :2012/11/10(土) 17:36:19.45 ID:5sbV+V2b
>そもそも仏経の目的は先ず女(地獄の使い)を絶滅させて
第57回 昭和5年11月22日
女人成仏と云う事についての話であるが何から話をさして貰いましょう。
ブラサーダと云う事が梵語に有る。梵語のブラサーダと云う事はお釈迦様の御説法に屡々御用いになった御言葉である。
近くは浄土の三部経の中の大経と云う書物の中にお用ひになっておる。
康僧鎧と云う人「こうは家康の康、僧は人べんに曽てと云う字、がいは金へんに豈と云う字」と一つづつ教わる。
此の人が四十八願の中の第三十五の願の女人成仏の願文の中に歓喜信楽とあらわせてあり、又第十八願の成就の文には信心歓喜と説いて有る。
(続きはHPで)
>>772 難しくてよくわからなかったから、
宗教=男、仏教=彼、○○の要素=おちんちん、に置き換えてみた
同様に、
≪『男だから』彼におちんちんがある≫のではなく、
≪『おちんちんを持つから』男として括れる≫のです。
もっと言ってしまえば、
≪男という括りが生まれる以前から、彼は彼としてあった≫のですから。
順序の捏造にも程がありますw
≪男だから、おちんちんがなければならない≫というのは、身勝手な投影であることに気付くべきです。
>>774 喩えが不適切であったことは認めるが、
彼の言い分は
≪宗教とは、神秘的事例(奇跡・超能力などといった要素)を必須に有すモノである
↓
仏教は宗教である
↓
仏教には神秘的事例・奇跡・超能力という要素がある
↓
これらを“有さない”という考え方は、まったくもって近代唯物主義による誤りである≫
と、こういうことだと思うけど?
つまり、逆の矢印を言えば、神秘的事例・奇跡・超能力を有さないものは宗教ではないとでも言いたいかの如くなわけ。
一代が言うように、近代仏教学には、近代的価値観への阿諛は確かにあるだろう。
だが、だからといって(→宗教だからといって)、
仏教が他の心霊主義やスピリチュアルな様々と同質だという言を聞き流せなかっただけ。
>>779 はいはい。 m(_ _)m
私が全面的に悪ぅ御座いました。772は全撤回致します。脳内あぼんしといてください。
言いたかったのは↑ですから。
失礼致しました。 >>ALL
、′ 、 ’、 ′ ’ ; 、
___ . ’ ’、 ′ ’ . ・
〇,;f ヽ 、′・. ’ ; ’、 ’、′‘ .・”
i: i ’、′・ ’、.・”; ” ’、
| | ’、′ ’、 (;;ノ;; (′‘ ・. ’、′”;
| , -── 、| ///;ト, ’、′・ ( (´;^`⌒)∴⌒`.・ ” ; ’、′・
| | ィェァ ィェァ| ////゙l゙l; 、 ’、 ’・ 、´⌒,;y'⌒((´;;;;;ノ、"'人 ヽ
(. `───'} l .i .! | 、(⌒ ;;;:;´'从 ;' ;:;;) ;⌒ ;; :) )、 ヽ
,,∧ヽ | │ | .| ( ´;`ヾ,;⌒)´ 从⌒ ;) `⌒ )⌒:`.・ ヽ ,[]
/\..\\ ,、 ! { .ノ.ノ‘: ;゜+° ′、:::::. :::
>>1 ´⌒(,ゞ、⌒) ;;:::)::ノ ヽ/´
/ \ \ ̄  ̄../ / .| `:::、 ノ ...;:;_) ...::ノ ソ ...::ノ
【本文】↓
>>759 >しかし、こういったオカルト思想の「仏教」潜入が、仏性・如来蔵・本覚思想などの仮面をかぶって
>変容潜入し、日本仏教にも歪曲「成りすまし仏教」として居座っているのである。
仏性の元となった核(思想)は原始経典にも説かれています。
あなたはそれも後代の勝手挿入や付加扱いしますか?
もう、いやはや・・・
>>772 > ≪『○○の要素を持つから』宗教として括れる≫のです。
当たり前でしょ!そんなこと。
だから、仏教は宗教に分類されているのです。
仏教の持つ経験主義性や無記の姿勢などから、
西洋研究においては仏教が宗教ではなくて、
ただの論理哲学のように受け止められてしまった時期があります。
まっ、
あなたもただの唯物主義者です(正体がセブンくさいが・・)。
そして、仏教徒の仮面を被ったただの唯物主義者たちが採りたがるのが、
1.「無記」を使って、
2.「中道」を広義的意味で使用して、
仏典からすべての神秘性を後代の挿入付加ということにしてしまう手法です。
また、都合よくダシに使ってくるが『中論』という論理解説書です。
ぜーんぶ、身勝手な誤読です。
784 :
基地子菩薩:2012/11/10(土) 21:39:40.53 ID:5sbV+V2b
哀愁感がすごいな
786 :
今日のところは名無しで さん:2012/11/10(土) 22:17:45.34 ID:W/aqFDZV
787 :
今日のところは名無しで さん:2012/11/10(土) 22:36:42.27 ID:W/aqFDZV
| ̄ ̄ ̄| ドデカハット&ヘッド
_|二二二|_
(\___/)_
Y・/ ・) Y ノ
|(_つ / エブリバディーカモーンウイズミー!
L___| ゴーツーヘル!ブラッディースプリング!
< ̄V ̄V / ̄>
\ \_/ /
< ̄(⌒只⌒) ̄>
/\| ̄V ̄|/\
(⌒/ |\∧/| \⌒)
` ̄ || | | |  ̄
|| | | |
< _| | |_> 足下注意!
(二_人_二) 看脚下!
>>782 (中村さんが岩波青で紹介する)阿含自体が既に、
閻魔が指摘するが如く、旧態に親和性を持つ(或いは、ヒンドゥ文化へ擦り寄る)
長老主導によるものであることは、歴史的には妥当な見方だと思うよ。(一代的謂いの連続性はともかく・・w)
パーリ大般涅槃経の各描写から窺えるのは、閻魔が指摘する要素そのものなんだけどな・・。
つまり、現存仏典の言葉は、それ自体が既に、疑惑の目を向ける必要があるものだということです。
では、その検証は如何にして可能か?というのが問題であり、
(一代的に言えばw)、
神智学は成就者を輩出しておらず、伝統仏教は成就者(阿羅漢)の輩出によって、義と行とを継承してきた、
ということです。
そして、
百万歩譲って多くの共通点が見られたとしても、
神智学が自らの枠の中から外せない部分を、ゴータマ・シッダッタが見たものは、それを受け入れられない、
ということです。
何度でも言います。 単語において非我であり、文脈に於いて無我である、と・・。
>>783 『○○という要素』が、カテゴリ内の全ての素材に共通するとは限らないわけです。
それが、カテゴリの性質を決める決定的要素でない限りは。
そして、閻魔と貴方方との間のズレは、まさに、その『○○という要素』が仏教にあるかどうか?
という点にあり、
『○○という要素』は、《宗教》というものにとって必ずしも必須ではない、というのが私の姿勢なので、
こうして横レスを入れるわけです。
>>788 >>何度でも言います。 単語において非我であり、文脈に於いて無我である、と・・。
これがずっと分からんのだが、非我は明確だからいいとして無我この「無」が何を意味するのか。
虚無的な存在の否定を意味する「無」ならば非我と無我が相反すると言うのは分かる。しかし「無」が
虚無的な意味でないとするならば、我の「有無」という問題では無記つまり語らなかったという意味で、仏教の無我は非我の範疇なのでは?
>>789 そのような言い方もアリだとは思います。 >無我は非我の範疇
でも、「アートマンがある、いる」とは一言も言っていないわけです。
涅槃に到って、新たな、本当の(永遠の)自分が見つかる、などとは一言も言っていないわけです。
>>790 >>涅槃に到って、新たな、本当の(永遠の)自分が見つかる、などとは一言も言っていないわけです。
それが非我なんじゃないの?
宝珠氏など一部のヒンドゥー・バラモン教の影響を受けた人は、それをすぐにアートマンの存在に結びつけようとするけど気が早すぎる。
釈尊が説かなかったのだからそのように了解すべき。ただ、近代以降のヒンドゥー教の聖者などは、仏教に影響されてか別に「アートマン」
を否定しても成り立つよ見たいなこと言ってるから、「アートマン」の問題では、仏教とそれ以外の差は、どんどん無くなってる様な印象を受ける。
と言ってもあくまで個人的見解だけど
792 :
基地子菩薩:2012/11/11(日) 07:16:58.74 ID:Q2aD7sob
訳の分からない事をくどくどと
考えても無駄だから止めようと
釈迦如来は説いたんですよ!(^。^)y-~
793 :
パーピマン:2012/11/11(日) 12:46:39.75 ID:jdJhvfCI
なあ、セブンw
「遊び大王こと大滝秀治」は、今まで、それこそ数え切れないくらいの書き込み
してるので、おおよそ、その立ち位置も分かると思うが、
セブンはその批判点を挙げるとすると、どういうとこだと思うか?
ちょっと、その瑕疵と思われる部分を指摘してくれないか?w
(本人も見てるし、またその批判者筆頭の一代もいるので、書きにくいかもしれんがwww)
オレには明確な批判点というのが、ハッキリとは見えてこないんだww
テクストの記述に厳密に沿っているか云々はさておき、その見解の中で
明確に「いわゆる仏教」とは乖離している主張というのはあるのかな?
大滝秀治さんの場合は
「心の働き」とか
「輪廻を前提とした心相続」を
仮設とするのか? しないのか?
どちらなのでしょうか?
795 :
パーピマン:2012/11/11(日) 13:10:09.71 ID:jdJhvfCI
>ただ、近代以降のヒンドゥー教の聖者などは、仏教に影響されてか別に「アートマン」
>を否定しても成り立つよ見たいなこと言ってるから、・・・・・
ほ〜〜〜、そうなんだ。 これは初めて聞いた。
仏教とヒンドゥーの最大の差異が、「基体」を立てるか否か? だと
オレは思っているので、 そうなると確かに、仏教との差はかなり
縮小されていくような印象をうけるねw
796 :
神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 13:21:45.10 ID:TKEyewnD
>>788 >何度でも言います。 単語において非我であり、文脈に於いて無我である、
アホラシ。非我は有我を前提とする。無我とは対極にある。両者は、論
理的に並立し得ない。
釈迦の「勘違い」に何時までも拘っているのは滑稽。
>>796 > アホラシ。非我は有我を前提とする
輪廻を前提として、その輪廻からの解脱を説かれた
_ _ _
般若経の解説
http://www.dia.janis.or.jp/~soga/subindex.html 世尊は輪廻を説かれたのではなく、輪廻からの解脱を説かれた
世尊の時代、人々は(バラモンなどの)輪廻を信じていた
だから世尊は、(バラモンなどの)輪廻を方便として、正しい知恵を説かれた
あなたたちは、大きな激しい変化にばかり心を奪われたことだろう
「いつも」もまた無限の変化でできていることを、あなたたちは見なければならない
これまであなたたちは、(バラモンなどの)善行に励み、永遠ばかりを探してきた
だから、凝り固まり、ありのままに変化を見ることに慣れていない
無我を、縁起を、空を見ることがうまくない
あなたたちは、練習が必要だ
禅定に入ろうとする人は…
…この吐いて吸う大きな長い息を十数え、何度も繰り返し、なにも考えず、ただ息を数え続けます
798 :
基地子菩薩:2012/11/11(日) 14:43:41.60 ID:Q2aD7sob
何ここ…
/\_/\
| ̄ ̄ ̄/ 三\
|| ̄ ̄// \三ヽ
|| |● ● 三|
|| | (_人_) _三|
||__\ _三三ノ
|__f ̄ ̄  ̄三三ヽ
「\ ヽ__ 三三|
\ \ 三三|
【名前欄】 宝珠愚者@(規制代行)
---「中道」とは---
そして大王のような、
何でも“どれとどれかの中間(どちらでもなく)”みたいなものが「中道」ではないのであって、
本来は、“苦楽の中道”といって無意味に肉体を酷使するだけの行為(苦行)や
それと対極的な位置にある快楽主義といった両極端に走ることなく、
適正な修行方法を採ることを中道というのです。
肉体次元を超えた話はすべて極端で避けるべきものだ、
といった唯物主義的な意味合いなどは仏教にはないから。
そういった“何でも中間”みたいな大王の用途法は中道ではなくて、「中庸」というものになる。
これは中国儒教の倫理概念であって、正確には真ん中という意味ではなく“両極端に偏らないこと”という意味。
>>797 >世尊の時代、人々は(バラモンなどの)輪廻を信じていた
>だから世尊は、(バラモンなどの)輪廻を方便として、正しい知恵を説かれた
輪廻が信じられない一部の学者や僧侶が無難に辻褄を合わせようとしてそういう言い方をします。
けれども、ゴータマは単なる方便としてではなくて、
人々が何処へどのようにして転生していくかをその大いなる超常的な目でもって確認した上で、
これ(輪廻転生)について語ったのです。
少なくともそういうことになっている。
それが仏教というものです。
超ひも理論とか涅槃に近づいてるだろ
最先端の科学が現代の宗教だよ
>>799 余計な横レスだがw
「中道」ってのは、ど真ん中という意味じゃないぞw 彼もそのような意味で使ってはいない。
彼は常に、偏っていないという意味で使っているはずだ。この点(799)は、君の誤読と思うぞ。
また、
バランスの取れる適性値ってのが、通仏教的な中道だよ。真ん中とは限らない。
(つまり、中道を「真ん中を取る」という意味で「間をとる」と使っている言説は眉唾しといた方がいい。)
極端な話、├―――――╂┤←これでも立派な中道さw
803 :
神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 20:55:53.00 ID:yoU5uXt1
俺は輪廻というやつはどうも理解できない。
かと言ってそれを設定しなければ、解脱の意味が宙にうくのは
わかるのだけど。
また、凡知にとどまってよしとし
この世だけを考えるのもかえって生にとらわれ過ぎる嫌いがあるから
その失もわかるのだけど。
如来の死後より衆生の死後の方が分からないよ。
以前、輪廻とは個のつくる業の死の超越か、
それとも、社会的意味で個の死を超越して業が輪廻することなのか、どちらか
それとも仏教は双方認めうるのか
気になったのもその辺にあるのだけど。
ただ、俺は死後助けるという約束を信じるだけだから
信じるという意味において、
輪廻を肯定しうるのだけど
理性的にかんがえて
宗教的意義として死後の仮定は妥当性があるとは思う
でも理性的にかんがえて
その仮定をまったく断定的に真実の実在論に決定してまうまで
行くのは違うんじゃないかと思うんだが
アラヤ識が過去生だから、自分のアラヤ識に出会わないと
輪廻は理解できない。瞑想の魔境レベル。
805 :
神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 21:13:31.26 ID:yoU5uXt1
もちろん、俺の意見は今の時代にあった仏教解釈という意味を
出ないもので、単なる味わいと思ってくだされば足りる。
真実の仏教は経典に基づいて、戒を守った僧伽が決めることなのでね
時代を超えて、仏教の去就を決めることを考えれば、
めったなことは言えません。
過去生の有無は瞑想体験によって決まる。
それが真実であるかどうか、
僧侶たちが会議を開いて多数決で決めるような話ではない。
807 :
神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 21:29:53.61 ID:f+rzJUwB
>>796 「イエスも麻原もクリシュナもサイババも神ではない」
という言い回しと
「神はどこにもいない」
という考え
が両立しない、というのなら、まあ、そうなのでしょうね。
不思議な言語世界で生きておいでですね。
808 :
神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 21:32:23.44 ID:yoU5uXt1
アラヤ識の妙味は
業種子と名言種子による主観的な世界認識論だと思うのだが
12縁起を彷彿とさせるような
釈尊は輪廻の主体までは設定していないところが
仏教論として問題となりうると思うけどね
輪廻の主体(アラヤ識)がなければ解脱できない。
輪廻とか解脱とかが無意味になる。
解脱したと言う以上、輪廻の主体が想定されている。
輪廻思想は、アートマンみたいな簡単には壊れない「何か」を想定しなければ論理的に説明するのは難しいよな
結局全部夢ですよ。みたいに手塚治虫も禁止した夢オチみたいな話に持っていかざるを得ない。
811 :
神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 22:01:26.47 ID:L+p4y2Zi
>>809 そういう有身見、我見の発想から逃れるのが解脱
アーラヤとかは、方便説だから
812 :
基地子菩薩:2012/11/11(日) 22:05:39.06 ID:Q2aD7sob
813 :
神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 22:13:06.00 ID:wTm6tIxy
>>807 「煩悩は我にあらず」と言った場合、明らかに我の存在を前提にして
いますね。「無我」だとそれほどでもないが、しかし「無我」を説いて
いるのは、釈迦の「我」以外にはない。
814 :
神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 22:15:01.03 ID:yoU5uXt1
そうなんだよねえ
ただ主観的認識論だと、この世はすべてアラヤ識の造作だから
その辺がなんとかしようとしてる感はあるのだけど。
それだと、助かる業がないと助からなくなるから、如来蔵思想に行く恐れがある。
群疑論で追求された問題が出てくる。
俺は理論には説明したい趣旨とそこから自ずから決まってくる範囲とがあって
それを踏み外して論理だけが過度に演繹されていくと間違いを起こすと思うのだが。
単純に何らかに固執する業に引きずられて
来世を喚起してしまうという
つまり、来世はいい階級に行きたいという迷いの無限輪廻を戒めたものという意味以外を求めない方がいいと思うがね
>>809 wwwww
何もわかってないなw
その『脱け出す』という言語表現が、主体無しには成立しないという考え方が仏教的でないということです。
(で、それを言わんとしたのが竜樹なわけで・・w)
主体なんかなくても輪廻という事象は成立するんですよ。
「事象の継承」を「主体の継承」だと見做してしまうことが顛倒妄想なわけです。
「事象の継承(縁起して生じ滅していく相)」を「主体(私・俺)の継承」だと見做す、その視線こそが
顛倒妄想なわけです。
>>813 w
だからw 無我を説いているは「我」ではなく「五蘊の集積」なのさ。
それが、たまさか《『所縁によって“ゴータマ・シッダッタ”と称される』存在(人間)》だっただけの話。
818 :
神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 22:35:14.88 ID:P1tObJdc
何もわかってない五薀の集積と、
無我を説く五薀の集積の違いはあるの?
薀→蘊
誤字訂正
>>それが、たまさか《『所縁によって“ゴータマ・シッダッタ”と称される』存在(人間)》だっただけの話。
それは、単なる記号だろ。
>>813が言いたいのはその記号が何を指しているのかと言うことでしょ。
記号を実在と捉えてるのはヒンドゥーでも一部の学派だけ。
本質的には当然「アートマン」や永遠不滅とか偏在とかの余分な御託は否定される。
822 :
神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 22:41:35.69 ID:f+rzJUwB
>>813 ニワトリ頭にアートマンの設定を覚えさせるのは大変ですね。
>>821 >それは、単なる記号だろ
そうです。
その 『単なる記号』を、永遠に続く「俺」だと思ってしまうことが我見というものではないのですか?
>>821 >その記号が何を指しているのか
だから、
それ(記号が指し示しているもの)が、『「“諸縁”によってゴータマ・シッダッタと称される」五蘊』でしょう?
>>810 そうなんだよね。
>>811なんかは方便、夢のような話にしている。
>>814 世親のアラヤ識は善悪が混在している。これを区別し、
アラヤ識を汚れた識とし、清浄な根本識(霊魂)を別に立てた方がいい。
826 :
神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 22:58:32.63 ID:yoU5uXt1
でも、その理論でいくと
誰の目にも除苦悩法と映る釈尊の特異性がまた問題になるのでは?
まさに真如から来現した存在だからおkなのか、そのへんがうまく行かない気が、現代的に
如来蔵になるて悉有仏性てみんな助かる業ありと
してしまうと本覚思想まで行って何しなくともおkなところまで行く
それまたおかしな話なわけで
業で汚れたアラヤ識が、清浄な根本識を覆い尽くしている。
このアラヤ識を捨てないと解脱できない。
こういった関係にあるので本覚思想にはならない。
828 :
神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 23:09:53.04 ID:yoU5uXt1
やっぱり問題の根本は
目指すべき如来は世界から隔絶していながら
衆生のほうは世界そのもので
救われようとしているが
その救われようとする心が同時に衆生を衆生たらしめている
という矛盾だよね
この説明が厄介なわけで。
>>824 分かってて言ってるよね。まあいいけどw
「我」が五蘊を指すなんて、初学者か感情は脳の電気信号にすぎないと言うガッチガチの唯物論者だけ。
太鼓から宗教は、(宗教に限らないが)五蘊とは別に魂とか霊を想定してきた。アートマンと魂が
同じと言うつもりはないが、仏教は、釈尊はアートマンや霊魂の存在も否定したと言う。
ここまではいい?重要なのは最後は否定されるとしても、より「我」らしいのは何か?と言う問題。
アナタは
>>それ(記号が指し示しているもの)が、『「“諸縁”によってゴータマ・シッダッタと称される」五蘊』でしょう?
と言っているということは、アートマンや魂よりも、五蘊のほうがより「我」らしいと考えていると言うわけ?
830 :
神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 23:18:00.70 ID:yoU5uXt1
>>827 ということは説かれていない根本識が
真我だと?
五蘊、頭の中で起きたことを観る我こそが我であると考えているのはやっぱり五蘊であり
五蘊が五蘊でないものを指差して我と呼んで・・・あれぇ? と、誰でも一度は考える。
832 :
基地子菩薩:2012/11/11(日) 23:22:32.29 ID:Q2aD7sob
アラヤ識に願いを刷り込むと
叶うと聞いたけど本当かしら?
(^。^)y-~
>>829 >と言っているということは、アートマンや魂よりも、五蘊のほうがより「我」らしいと考えていると言うわけ?
その通りです。
だから、「法を拠り所とし、自己(我)を拠り所としなさい」と遺言されたのじゃありませんか?
そして、その「我」は「五蘊の別称」であるが故に、滅していく(生じてくる)わけです。
>>828 釈迦は生前に解脱し、解脱の方法を教えている。
その教えを学ぶことで、衆生も生前に解脱するチャンスがある。
唯識を利用すれば、解脱のイメージができますよね。オチ
>>833 ああ そういう解釈か
私の自島法島の解釈は、中村元先生の釈尊は人間の倫理的行為のよりどころとしてのアートマンを承認していたとする説を取る
そもそも五蘊は、無我(非我でもいい)であるので、「我」が五蘊の別称と言うのは、無理があるように思う。
836 :
神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 23:41:29.40 ID:yoU5uXt1
まあ、向こう岸に渡れば
乗り物は大きかろうが小さかろうが
捨てもの。あまり階梯に固執するのは
どうかと思うが、
真我を立てないのは仏教の基本。
三法印を疎かにさすがにいただけなわな
>>835 けど、日常会話で、「当人・本人・当事者等のことことを指し示すとき、どうするんです?(→どのようなラベルを用いますか?)」
*(ちなみに、お釈迦さんは「私(aham(一人称))と如来(tatAgata(三人称)」を使い分けているようです。
しかし、お釈迦さん以外は「如来」と自称することはありません。
加えて、「attA(=Atman)」の語で自己が示されるときは、
自称ではなく、描写、説示として用いられているようにも見えます。)
>>837 ラベルは、あんでもいいんでない。現に釈尊は、単に当時ゴータマとか釈迦族の人とか言われてたみたいだし。
まあ遺言と言える自島法島の自がアートマンであるとするならば、そのラベルが指し示していたのは、
アートマンと言えると思う。最後は否定されるにしてもね。あとアートマンの定義とはココでは重要でないから置いておいてね。
839 :
神も仏も名無しさん:2012/11/12(月) 00:03:43.73 ID:yoU5uXt1
ちなみに真宗の救済論では
せんだいも救済の対象だが
その論理は、衆生に如来蔵を認めるのではなく
世界に彌陀の光明が充満しているからと
説明する。
救われない悪人が光明に触れて花を咲かせるなら
因があるのでは?と個人的に思うが
救われない者が救われるところに妙がある
つまり、真宗はこの一点において因果を否定する
まあ、それは信と密接に関わってくるもので仕方ないのだが
古来から論争の絶えないところだな
>>838 そうじゃなくて、たとえば
「自分をだいじにしなさい」とか「自分を見失って、周囲の意見に流されるのはよくない」とか
「他人の言動を見て、自分の言動に修正を加えるべき」etc.etc.
といった言辞が必要な場合、どのような単語を用いますか?ということ。
ちなみに、パーリ(及びおそらく俗語でも)では、これら(日本語で“自己”“自身”“自分”と言うとき)は
「attA」だ思うよ。
そういう意味で、(何でもいいというのはその通りだけど)、
人々の間でコンセンサスがとり易いかどうかは重要だと思う。
自己を指し示す記号・ラベルが「ハラヒレホレハレ」でも構わないけれども、
それが「馴染んでいる・人口に膾炙しているかどうか」は重要だと思うよ。
>>837 横から申し訳ないんだけど、釈尊のahamとtathAgataの使い分けに関して直接的に言及している資料って何かある?
媒体は英でも独でも構わない。
自分の知っている限り岩波金剛般若経の注に僅かに書いてあったことしか見たことが無いんだ。
>>841 無いと思う。少なくとも耳にしたことは無い。
一代なら、或いは知ってるかも・・。
論文チェックも入念だし、彼は(一応?w)学者として学問畑にも足突っこんでる筈だから。
ただ、自分がこれまで目を通した阿含経に於いては、
(精査はしてないけれども)明らかに、第三者としての覚者について言及する際には、
勿論自分も含んではいるけれども、
「私が」ではなく 「涅槃を見た者は」「悟った者は」「ブッダは」「覚者は」という意味合いで
“tatAgata”を使用しているように見えるだけ。
それが、後代の編纂者達の工夫である可能性も大いにあるけどね。
あ、h要るんだったね・・w
普段から常に触れてないと、こういうことになるという、いい見本だなwww
すまんw
844 :
神も仏も名無しさん:2012/11/12(月) 01:22:14.33 ID:aGdIihlH
やはり、この基体問題というのは永遠のお題だなあwww
論理的追求を放棄というか、超えた処に首肯きがある・・・・・これが最大の
難関なんだろうが、ややもすれば、それがすぐ脳内お花畑で「わかったぞ〜〜〜」と
なってしまうwwwwww
「人間が認識出来るのは、4次元まで。つまり、必ずそれに還元してものごとを
認識しなければならない。だから、そこに『解釈』しなければならない必要性が生じる。
その解釈も我々の知見と乖離すると、唯のオカルト妄想になってしまう。」
・・・・・・・・分かってくれる者がいるかね?ww
「次元が決定的に足りない」という『妄想』をwww
(蛇足だが、オカルト的〜次元だの、〜界だのの話ではないよwwwww)
845 :
神も仏も名無しさん:2012/11/12(月) 02:06:02.67 ID:i90SsdRf
伝え方はここで極まるということがないからね
それこそいくつ命があってもたらない。
まあ、仏教が我を置かないのは
それに固執することから逃れられなくなるからだろう。
そのへん心得えるならば
如来の浄楽我常が衆生の想像するそれとまったく異なるものだと分かるはずなのにな
憎い他人を愛しき我と思うなら無我とは言われないよ
846 :
神も仏も名無しさん:2012/11/12(月) 02:27:50.19 ID:i90SsdRf
ゆうなれば
この世に正しいことなぞ一切ない。
と言ったそばから
その言葉もじゃあ正しくないじゃーん的な批判を浴びるところに
ブッダの我があるということかね
>>840 >常識的な我とか仏教が理想とする完成された自己としての我とかは原始経典の中にもしばしば説かれている。
> 『仏教要語の基礎知識』
例として「如是我聞」の我、法句経160偈の自己(attan)、自灯明法灯明の自などは、我と同じ語であり
当然外教の我と言葉としては、同じでも区別されるべきであると書かれている。
わざわざ同じ語を使っていたということは、予想するに当時の感覚から言って特別なコンセンサスが必要ないくらいバラモン教の影響で
一般的に広がっていた語であり、方便だとしてもこの我を当時の人たちが何を意識して使っていたかは、ある程度予想がつく。
釈尊のahamとtathAgataを使い分けていたかは、分からない。
輪廻の主体の話に戻すと
>外教が説くような常住の実体としての霊魂は仏教ではこれを説かないが、人格の主体としての業を保持している霊魂は三世を通じて
>存在するものとして、これを認めている。
> 『仏教要語の基礎知識』
とある。
あと一代氏にあれが付いてるとは思えない。彼は、男ではないでしょう。
848 :
神も仏も名無しさん:2012/11/12(月) 05:12:08.30 ID:6yMiDCCj
849 :
神も仏も名無しさん:2012/11/12(月) 09:17:29.98 ID:fFhpNWZl
失礼します。
----質問スレからです。
>>
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1336302241/886 >鉱物(無機物)から生命が誕生?それだと神智学は唯物論になるね。
無機物だけの世界からやがて有機物が出現したのは科学的事実です。
ただし、神智学の主張の独創性は鉱物界とてその本質は生命(科学的基準ではない)であると見なすこと。
濃密物質レベルではただの鉱物でも、霊的レベル(霊的基準)においては“エレメンタリ”という
微細な霊的生命体による集合(集合生命体)なのです。
鉱物は、それ自身のレベルでの意識を独自に持っています。
(もちろん、人間の肉体もエレメンタリたちの集合体)
>>
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1336302241/890 >神が先か、物質が先か、そこをはっきりさせてほしいものだね。
『唯物論者たちは---物質から<自我の自覚>が何故に現われ出るかということを説明し得ない。
<物質>というものが想定されるのは、それを意識する自己があるからこそである。物質を物質とし
て意識し理解するところのものは、<精神>である。』
(中村 元著『自己の探求』青土社刊 p28)
851 :
神も仏も名無しさん:2012/11/12(月) 18:08:50.71 ID:4GlbsMOo
>>850 しかし、その精神も、物質である肉体から発する。一方、物質を認識する
のも、肉体から発する精神である。肉体(我・精神)は物質に100%依存
しない限り維持することが出来ない。
従って、物質と精神とは、一体と解すべきであろう。草木国土悉皆成仏の
思想も、この趣旨に解される。
>>793 その“程度”(≒評価の甘さ)に違いはあれど、概ね一代が言う通りの点だよ。
(これは私もそうだが)、文献に対するマテリアルな姿勢とでもいうのかな。
良く言えば「時系列或いは歴史的相関に正直」ということだし、悪く言えば一代が言う通り。
また良く言えば「(生物としてのヒトの)等身大」ということだし、悪く言えば・・・(以下同文)。
マハーカッサパ教という表現やヒンドゥ回帰の流れがあったかも、とか、庶民的願望への迎合があったかも、とか
同じ論点を共有しているからね。(私も、その部分で一代と遣り取りしてきてるようなもんだ。)
ただ、断定し切ってしまうには証拠固めが弱過ぎるキライがあって、
彼はその部分を自らの直感や観想に礎を求めているようだが
(―この姿勢は、一代が言う“聖者の体験に依拠する”ことと同じ位相だけれども―)、
それが伝統的行の上で適切かどうかという点に大きな疑があるわけで。
主張内容及びその表現法がビビッドに過ぎる、ってとこかな。
853 :
神も仏も名無しさん:2012/11/12(月) 23:05:29.76 ID:aGdIihlH
>>852 う〜〜〜〜〜〜んww
>・・・文献に対するマテリアルな姿勢とでもいうのかな。
これは、文献上のいわゆる「超常的記述」の排除・・・・みたいなことかな?
>マハーカッサパ教という表現やヒンドゥ回帰の流れがあったかも、とか、庶民的願望への迎合があったかも、とか
>同じ論点を共有しているからね。
このへんについても、オレは「それも有り得るかな」というスタンスなわけよw
(一代は反論するだろうがw)
>ただ、断定し切ってしまうには証拠固めが弱過ぎるキライがあって、・・・
これは分かるw ただ、その視点はそう外してないように思えるんだww
>主張内容及びその表現法がビビッドに過ぎる、ってとこかな。
wwwwwwwwww 確かにww
だが、オレとしては少し過激なくらいがインパクトがあって、読む方としては
面白いがww
>>853 >文献上のいわゆる「超常的記述」の排除・・・・
いや、
時系列上の先後を第一前提とする(後代の付加は後代の付加として評価する)
って感じ。(言い換えれば、テルマという考え方を認めないって感じかw)
855 :
神も仏も名無しさん:2012/11/12(月) 23:35:33.76 ID:6yMiDCCj
>>854 となると、大乗経典、金剛三昧経などはどう考える?
856 :
神も仏も名無しさん:2012/11/12(月) 23:36:26.22 ID:aGdIihlH
>>854 そういうことかw
オレも時系列上の先後は、重視するなあw
後世の仏弟子たちの、改編、増稿も当然あったろうと考えるw
(必ずしも悪意があってのそれとは言わないが、時代の要請という要素も
あったろうと考える)
一代は、テルマというスタンスだから、それらも「釈迦の直説」という
見解なんだろうが。
857 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 00:14:51.03 ID:f4FBuAO2
大乗経典をつくった人達が、大乗経は感得したものなんだ派なのか
釈迦在世時から伝承してきたんだ派、なのか
今となってはもうわかりませんね。
大乗が大衆部から出来てたものかのか 在家などから突然出てきたものかのか
部派仏教の僧侶の教科書とも言える阿含経などに対応する部分が
初期の般若経典には見られるから、部派から大乗の流れは間違いないと思うが・・・
>>855-856 なんつーのかな、
「エッセンスが通底しているかどうか」「本質・コアが押さえられているかどうか」
かな。
だから、法華経だって高品質な経(評価に値するもの)だと思うよ。
>>842 情報ありがとう。
誰か書いててもおかしくないんだけど、全く見ないんだよね。
しっかり用例を洗えば有益な資料になるはずなんだし誰かやってくんねえかな。
861 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 01:41:28.44 ID:WnBmbSd7
>>859 オレもそう思うねw
一代みたいにテルマまで、ぶっ飛ぶことは到底できないがw
かと言って、大乗非仏説みたいのにも組みしないww
要は、釈迦が伝えたかったことが核心部分として残っているかどうか?だろうと思うわw
念仏唱えりゃ救われるのか? っていう揶揄が、(上座部マンセーの者たちから)
よく言われるが、そういうもんでもなかろうww
(ただ、真言の呪術的側面は正直言って、拒絶反応が強かったがwwww)
862 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 01:47:17.80 ID:Mr1gTazI
念仏唱えて救われる
永平寺で布団の寝方まで決められて救われる
原始仏教の乞食の生活で救われる
好きなの選べバカヤロウ
>>861 >釈迦が伝えたかったことが核心部分として残っているかどうか
そう。
まさに、そこ。
だから、
≪『言い回し、語り口、事例・喩えの挙げ方etc.(→ ≒文献)』に変遷・アレンジはあれども、伝えるべきことが伝え得ている≫ならば、
それは「仏説」と称し得る、とね。
その意味で、大乗非仏説は愚説なわけさ。
>>863補
あ、勿論、正式に「仏説」と称す場合には、何らかの系譜上に無ければならないけど。
だから、(仏教との関わりが云々言われているw)神智学は、
系譜の上にすら無いわけです。
それこそ、《「同じ事を言っている」という表現はできても》、決してそれを「仏説」と称することは有り得ないわけです。
(これは、(一代的謂いで)聖者(伝承者・継承者)による継承の上にあるか?ということでもあるから。)
865 :
基地子菩薩:2012/11/13(火) 06:15:41.01 ID:2zHJ5JyH
外界に求めてもさ迷うだけですよ!
おのが内側に答は有ると思われ。
自分自身を信じる事ですよ♪(^。^)y-~
自我の認識こそが万物の霊長である人間の優れているところ
という考え方はどうなんでしょう
霊性が他のどんな存在より長じているとは
つまりは魂を感得できる、神を感得できるということであろうが
自分的には、それは人間社会が互いに自我を認めあうことを前提として成り立っており
その自我を前提とし上で、生前死後の自我はどのような状態か、
仮定されたところの形而上の概念にすぎないと思うのだが。
人間社会は当然の前提として自我の表示が要請されるために
それを前提にしなければコミュニケーションがとれない。
だが、だからといって、自我が実在するとは言えなくて
例えば、磁石にはモノポールは存在しないと後に判明したが、
現在でもモノポールはあると仮定して作られたモデルが事実を
よく説明することから、なお使われ続けていることによっても類推できる。
また、生物と非生物の境界も曖昧なもので
自己増殖できないウィルスやマクロファージは生物とはされない、
つまり、生物の定義とは便宜上人間が作った概念にすぎない。
そして、なぜ人間が自我をもつに至ったかも
まさに十二支縁起から自明ではないかと思う。
個体がある同一性を有しながら増殖するのは
単にそうしない個体が現在まで残らなかったからで
同様に個体それ自身に執着を持たない個体も生き残れなかった。
そのようにして結果的に自他を区別することが、生物が
生存の中で獲得した能力かのような錯覚が起こることになるが
その物の見方、物差しは、それ自体が正しいか間違っているか
判断してくれるものではないと思う。
いまだに宗教に真理真実があるようにちらつかせるのはどうかと思う。
密教、知っていても知っていると言わないこと、知らなくても知らないと言わないこと、
これが現代において何か意味があるんですか?
868 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 08:55:53.56 ID:uVXgWHPk
>>866 アナタのいう同一性や自我は仮設として認められますよ、
それは人が言い習わしてきたもの。
だけど、それは空で縁起しているものだと。
アナタが言いたいこともより仏教は簡潔で完全な包括性を持って説明していると思いますが。
869 :
基地子菩薩:2012/11/13(火) 08:56:47.94 ID:2zHJ5JyH
>>867 1000年前、2000年前も同じ事言って
いたんじゃないかしら? (^。^)y-~
俺は霊的なものの見方、モデルが正しいか間違っているかを
論じているわけではないよ
妥当性はあると思う。
しかし、それに執着と・・・、
用法、用量を守ることが大事なんじゃないかな
病気事故飢饉で死が日常的だった時代に書かれたもの
として理解すべき
逆に、人間社会が自我を前提として営まれているにもかかわらず
それをくだらないと排斥して、唯物的にしか物事を見ないというのは
人間社会の根底を、土台を、崩そうとしているだけの馬鹿にしかみえない。
まさに凡知によって悠久の時の中で育まれた凡知を超えた智慧という
ものを破壊しようとする愚かな行為ではないだろうか?
唯物的見方が人間を幸せにするとは思えないのも道理だと思うが。
また、俺は同様の理由から神道にも敬意を払う。
その土地の慣習、因果に沿ったものの見方を尊重することは
仏教の否定するところではあるまい。
仏教が母性的に他宗教を取り込んでいった背景には
その観点があったと思うだが。
873 :
基地子菩薩:2012/11/13(火) 09:49:35.47 ID:2zHJ5JyH
>>871 何時だって死は日常的な事柄じゃ
ないかしら? (^。^)y-~
874 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 09:49:46.73 ID:uVXgWHPk
>>872 いや、だから仏教は習わしはあるがまま、
ただし、それを縁起・空性・仮設と見る。
対話する気ないなら、これで止めるけど。
電気メスは、その昔、傷を焼くと化膿しないことから生まれたらしい。
地球にある物質は昔と変わらないし、人の持つ使われていないものも含む能力も
昔と変わらない。
>>872 だから、価値観の相違だよ。
究極的には、個々別々千差万別のね。
喩えて言えば、(今貴方が(或いは隠居が)言うように)、
両手でぬいぐるみを抱きしめることが、世俗的な意義だし、必要事項だし、幸せだとしても、
それだと両手が自由にならないよ、と仏教は言うわけです。
転んだ時、手を突けずに顔から転んでしまうよ、と。
(勿論、それでいいんだと堂々と顔から転ぶのも(前向きに世俗で生きるのも)知恵ですけれどね)。
ぬいぐるみの重さに疲弊し、それを嫌悪するならば、(これが、そもそもの第一条件なわけですが・・)、
ぬいぐるみを放り出して、両手を自由にしたらどうですか?
と言っているのです。そのための方法と、両手が自由であることの「楽」を
仏教では説いているわけです。
>>873 「現代人にとっては」非日常じゃない?w
最近いい年こいた大人でも、死体を見たことない人が増えてる。
見たことあっても、せいぜい爺さんがどこか遠くの病院で死んで、
ドライアイスでカチンコチンに冷えて固まった臭くもなんともないお人形みたいな死体を、
遠くから眺めた事が一度だけあるとかw
動物の死体すらロクに見なくなったしな〜
やべえw
なんでこんなこと書いてんだれらろ
これラスツ
まあ理系頭なので無機質な論理で考えがちになるが
俺は、人間などの知能のある者相手だと科学は無力、あるいは
その環境変数の変動により、確定したモデル論は意味をなさなくなると考える
推論はさておき
それを先達の言葉でゆうなら死道理に対する活道理と言い表すことができようか
伊藤仁斎の言葉らしいが
科学者というか唯物論者の失を挙げるとすればそこらへんかと
879 :
パーピマン:2012/11/13(火) 10:11:55.86 ID:WnBmbSd7
>>876 wwwwww うまいうまい、 なかなか良いな、その喩えww
880 :
基地子菩薩:2012/11/13(火) 10:21:32.74 ID:2zHJ5JyH
>>877 確かに故意に隠蔽されているわね!
でも確実に死んでいるのは間違い無
いわよ♪ (^。^)y-~
881 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 11:11:59.49 ID:WvEavtdM
>>878 >科学者というか唯物論者の失を挙げるとすればそこらへんかと
科学では、例えばWikiでも、誤りの訂正と加除変更を呼びかけている。
宗教の教典は、何故それをやらないのかw。
大昔の宗教の教典の内容には、現代人から見れば誤りや不適切な箇所が無数に
含まれている可能性に、一代氏はどうして思い至らないのだろうか。決して、
「丸ごと信じられる」代物ではないはずだがw。
>>876 空を信じる坊主も、顔から転べば怪我をする。
むしろ、ぬいぐるみを抱いてないから、地面に顔を打ち付け、
ひどい怪我をする。空を信じた天罰だね(^^)
883 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 11:41:24.16 ID:uVXgWHPk
>>882 空ってそういう意味じゃないんで、
そういう相手の説を理解せずに不当前提で批判するのは止めましょうね
>>850-851 宝珠さん
有機物は生命の誕生ではないと思うよ。
鉱物は霊的生命体である、こんなトンデモ信じてるんですか。
それから中村先生の話は唯物論ですね。
>>883 おたがい様ということで、
876の喩はなかったことにしましょう。
886 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 11:58:18.15 ID:uVXgWHPk
>>885 なぜ、お互い様なのでしょう?
私はアナタの説について、云々したことあります?
私としては他人の説を云々する場合、必ず相手の説を問答によって理解してからにしてますよ。
ただし、過去に理解した場合は、その過程を省略してますけど。
887 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 12:08:24.00 ID:uVXgWHPk
>>885 ああ、
>>876 を私が書いたと思ってるわけね。
違うよ。思い込みばっかですね。
それと縁起・空性・仮設から
>>876 は全く問題ないよ。
888 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 15:23:31.62 ID:Mr1gTazI
不生不滅のところのものとはなにか?
>>887 隠居じゃないの?w
885みたいなことはあまり言わないが、882は、しっかり隠居節だと思ったけど。
890 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 16:25:04.78 ID:uVXgWHPk
>>889 >>881 は生命教だと思うけど、/MUpok95 は違うんじゃないか?
ところで、大乗経典や金剛三昧経はどう考えるのよ?
891 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 16:26:56.48 ID:0YYgtp0J
>>887 >縁起・空性・仮設
それも「古代の文献に書いてある」だけ。その現代における信憑性は、
現代の知識水準で別途に行なうべきもの。
892 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 16:29:36.84 ID:uVXgWHPk
>>888 仏教でいう「不生不滅」ってのは「生じる」「滅する」というのは仮設されたもので、本来「生じ」てないし「滅」してないという意味。
あらゆる x という現象が、そう仮設、言い習わしによってラベリングされて、そのように表象されているだけで、x ではない空性(中身からっぽ)だという意味。
何か「不生不滅」の実体があるという意味ではないっす。
詳しくは出版された『全訳 入中論』を読んでほしい。
893 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 16:30:21.17 ID:uVXgWHPk
----質問スレからです。
>>
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1336302241/892 >神智学は、伝説に過ぎないムー大陸やアトランティス大陸を根拠に、
>人種間の優劣を唱えている。これからもわかるように、
>神智学は科学でも学問でもなく、偏見や憎悪に満ちた差別主義者の、
>さまざまな宗教や哲学を切り張りした、パッチワークではないだろうか。
「アトランティス」については明確に科学的な根拠があります。
ヨーロッパウナギ、ヨーロッパのタビネズミ、ノルウェーの鳥類などにみられる不可解行動
(“渡り”を行っていた先祖から受け継いだ本能行動である可能性)や
アトランティス大陸の名残の筆頭として上げられるアゾレス諸島など・・・。
恐らく、そう遠くない時期にその存在が確認(証明)されると私は思います。
それと、「ムー」ではなくて「レムリア」ですね!
これについては確かに正直、私もまだよく分っていません。
私個人としては、「レムリア」との関係において与那国島の海底巨大遺跡
に注目しているところです。これについては、琉球大学の木村政昭教授が調査中です。
神智学の根人種論というのは、人種の発生をただ純粋に時系列的に示したもの。
例えていえば、「メガネザル」「ヒヒ」「オランウータン」「テナガザル」の中で、
どの猿の発生が古いか新しいを示したものに過ぎません。
古いタイプの猿は虐めていいといった話ではありません。
そういった偏見で批判する者がいるから、神智学は一般に公開されるに適さない情報なだと思います。
だから秘教だといわれる。
如いていえば、
仏教において人の生れによる差異を前世の違いとして述べると
これを差別思想として批難する人が出てくるわけでしょ。
そういうことです。
これは私が以前に書いたものです。
参考:
超古代文明---アトランティスの痕跡
http://houjugusya.web.fc2.com/atlantis.htm
>>844 >やはり、この基体問題というのは永遠のお題だなあwww
混乱している人が問題にしているだけだと思いますが・・・。
これについては、
>>847にも紹介された通りで水野氏の解説でOKでしょ!
基体がなければ成立しないが、
基体を設定すると無我に抵触するなどといっている人は、
水野氏のいう主体としての「魂」や唯識論の「阿頼耶識」が恒常不変のアートマンではなく、
“五蘊の中の識蘊”であって“仮和合の存在”に過ぎない
という理解が足りないのではないかと思います。
それで、こういった基体を説かない無理な論(基体無き輪廻)を展開しようとするのです・・・。
参考:「無我と輪廻」の矛盾にかんする木村泰賢博士の解釈
http://www.geocities.co.jp/technopolis/3138/kimura_muga_rinne.html 『(1)意識作用を含め五蘊は死によって滅ぶが』(上記ページ)は間違ってると思う。
五蘊の一部は肉体死後も存続する筈です。
>>851 〜〜〜と、いっているのは“精神”ね。
肉(物質)は勝手に喋らないからw
>>884 「無機物」が生命なのではありませんからね。
いってる意味が理解できないのは無理からぬことです。
(一般的な知識理解しかない人には・・・まっ、これで辞めておきます)
神智学の説く「鉱物王国」とは、
有機生命体が発生する以前の世界における生命(意識)のことであり、
無機物鉱物の濃密物質というのは表面上の形体にしか過ぎません。
意識とはいっても科学が規定する生命体の持つ意識レベルにはまだ到達してません。
ただ意志だけの意識存在です。パワー・ストーンの応用はここからきます。
そして基本的なことですが、科学が説くところの生命体というのは有機物から生じます。
“生命(意識)なきところからは生命(意識)は生じ得ない”
中村先生の話というのは、
いうなれば“唯識”的な論調というものですよ。
>>863 >
>>861 >>釈迦が伝えたかったことが核心部分として残っているかどうか
>
>そう。 まさに、そこ。 --中略--
>その意味で、大乗非仏説は愚説なわけさ。
その“最重要部分”を勝手に削除、改変、変色してくれたのが大乗。
新しい宗教を説くのはもちろん自由です。
しかし、彼らは勝手にゴータマが説いたことにした。
それ故に“偽証罪”です。
尚且つ、原始経典を保持する上座部を罵り続けた大罪者で、
今でも「小乗」、「声聞/阿羅漢-低き覚り」といい続ける怠慢ぶりは顕在です。
899 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 17:38:30.40 ID:Mr1gTazI
>>892 「この世に生があり滅があり、迷いがあり覚りがあり、
覚りを得ない衆生があり、覚り得た人々として仏がいるが、
それらは全て空であるほかはない。
このようであるとはいえ、
散る花を惜しみ、生い茂る雑草を嫌うのも人の心のありようだ。
全ての現象は実体ではないとはいえ心は心である」
道元はなぜ全ては空とした上で心について語るのだと思いますか?
900 :
基地子菩薩:2012/11/13(火) 19:12:34.41 ID:2zHJ5JyH
まさに末法ですな.....!(T-T)
901 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 20:08:18.08 ID:uVXgWHPk
>>899 これは誰かの訳ですね。
原文を見ないとなんとも言えません。
原文、もしくは『正法眼蔵』の唱題、岩波文庫本の頁数を教えてください。
>>890 >違うんじゃないか
ああなるほど、言われてみれば。
>どう考え
判ってるくせに・・w
「後代成立の創作経典」だと見ているよ。
ただそのことが、“必ずしも”「内容の誤謬」や「連続性を欠く」ものとは見做さないだけさ。
*(蔵外とは言いながらもパーリはジャータカを有するし、論書やミリンダ問経や、果ては長老・長老尼偈だって
狭義の(如是我聞としての)『経』ではないけれど、その内容と権威が翳るものじゃない。鎖はちゃんと連関したままだ。
これは、経が最上で律や論は二の次三の次と考えるから、
如是我聞じゃないじゃないか!っていいたいのかもしらんけど、律なんか「そのとき世尊は・・・」だからね・・。)
また、宝珠のような切り捨て方をしないだけ。(あれは、(何度も言うけどw)学部1年生が罹る麻疹みたいなもんだ。)
テルマという考え方は、(「感得して、突き動かされ」て・・ということをあり得る事としても)、
それはそれ(「感得して、突き動かされ」たもの)と見るだけ。
そだな・・。良質な語録や出来の良い和讃の如く受け留めるという感じか・・。
903 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 20:30:36.43 ID:KPcFlKZv
>>902 >「連続性を欠く」ものとは見做さないだけさ
無理に連続させる必要はないw。それでは、釈迦カルトになってしまう。
904 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 20:33:56.88 ID:uVXgWHPk
>>902 そうか、それは残念
ところで臨済宗だと、最も尊重される経論って何?
905 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 20:42:00.22 ID:Mr1gTazI
>>901 すみません
これは河出文庫版、正法眼蔵、石井恭二の訳です
原文がついていないですし、
岩波版も持ち合わせていません。
七十五巻本正法眼蔵の第一章の現成公按の出だしすぐにある文章です。
ではこの訳だけで考えるとどう思いますか?
>>904 日課経として読むこととは別に、でしょ?w
現代では、「特にない」としか言えないんじゃないかな。
中世・近世では、顕教で重要と言われるものは押さえた人も多かったと思う。
それは、語録中の引用範囲の広さからも窺える。
勿論、今の若いお師家さん達やそのレベルの人たちは近代仏教学の洗礼を受けてるから、
巷で重要と言われる物には(一通り)目を通したりするだろうけど。
また、金剛経は文句の引用の多さや、公案にモチーフとして採用されていたり、三経合本に収められるくらいだから、
重要視されてると言えるかも。
また、大般若は転読だけど、正式な儀式作法では導師は理趣分読まなきゃ成らん筈だし、
本来ならきちんと印も結ばないかんのやろ?密教的にはw
だから、実際問題、語録熟読がメインかね・・。 世に著作を多く著してる人たちは、
説教師的であるし学者的でもあるから、所謂「禅坊主」ではないよね・・。そういう人は、埋もれる人たちだと思うし。
そこでの経論の重要視の仕方は、近代仏教学での重要視の仕方と同じだし。
他、マイナーな、個別の話だと、個々それぞれが、私はこの経を・・ということになるんだろうと思う。
この辺やっぱり、一般的解説で『所依の経典は無い』とされる通りかな。
近代の人たちは、ホントに語録オンリーって人も多かったんじゃないかな。
明治以降で言えば、明らかに行も学も不足してるとは思うけど。
907 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 21:04:59.40 ID:uVXgWHPk
>>905 T2582_.82.0023b27: 正法眼藏現成公案
T2582_.82.0023b28: 諸法ノ佛法ナル時節。スナハチ迷悟アリ
T2582_.82.0023b29: 修行アリ。生アリ死アリ。諸佛アリ衆生
T2582_.82.0023c01: アリ。萬法トモニワレニアラサル時節。マ
T2582_.82.0023c02: トヒナク。サトリナク。諸佛ナク衆生ナ
T2582_.82.0023c03: ク。生ナク滅ナシ。佛道モトヨリ豐儉ヨリ
T2582_.82.0023c04: 跳出セルユヱニ。生滅アリ。迷悟アリ。生
T2582_.82.0023c05: 佛アリ。シカモカクノコトクナリトイ
T2582_.82.0023c06: ヘトモ。華ハ愛惜ニチリ。草ハ棄嫌ニオ
T2582_.82.0023c07: フルノミナリ。
自己ヲハコヒテ萬法ヲ修
T2582_.82.0023c08: 證スルヲ迷トス。萬法ススミテ自己ヲ修
T2582_.82.0023c09: 證スルハサトリナリ。迷ヲ大悟スルハ諸
T2582_.82.0023c10: 佛ナリ。悟ニ大迷ナルハ衆生ナリ。サラニ
T2582_.82.0023c11: 悟上ニ得悟スル漢アリ。迷中又迷ノ漢ア
T2582_.82.0023c12: リ。諸佛ノマサシク諸佛ナル19トキハ。自
T2582_.82.0023c13: 己ハ諸佛ナリト覺知スルコトヲモチヰ
T2582_.82.0023c14: ス。シカアレトモ證佛ナリ。佛ヲ證シモテ
T2582_.82.0023c15: ユク。
これですね。要するに完全に悟っても業の現れはあるという意味ではないでしょうか?
908 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 21:11:14.63 ID:uVXgWHPk
>>906 理趣経は読誦経典だから、読むだけでもいいです。
金剛般若経ですか。なるほど、禅宗では重視されるよね。
語録だと、何? 無門関、碧巌録、やっぱり臨済録か?
909 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 21:59:19.26 ID:Mr1gTazI
>>908 その三つは勿論だけど、前二者は(初学者・中堅の)公案としても使われるから、ちょっと別扱いかも。
勿論、提唱・講読の主軸物ではあるけど。
他たとえば、「禅宗四部録」(“しぶのろく”なんて呼び習わすけど)とか「臘八示衆」とか「五祖録」とか。
白隠系(毒語心経とか槐安国語とか荊叢毒蘂とか)も扱う老師多いかも。
で、重点的になるのは、それぞれの宗派・法脈(及び各寺院・道場)の系譜上の人とかかな、やっぱり。
そういう時は、どマイナーなw和尚でも扱われるしね。
また、各お寺(≒道場)の什物として、伝法衣ならぬ伝法録wは、代々の師家の書き入れがあるからね。
自ずと絞られてくるよ。(これも、或る意味師資相承の一端か・・w)
で、どれかに依拠して、それを柱にする、って感じじゃなくて、
多くに触れて、核(コア)に近づくって感じかも。方法論としては。
周縁を固めてドーナツの穴を顕現させるみたいなw
>>908 >理趣経は読誦経典だから、読むだけでも
そうなのか。それで、取り入れられてるし、
密教の系譜上になくても(密教的にきちんと学んで行を修めてなくても)いいのか。
なるほど。
追記:
文言や姿勢(や野狐と紙一重なw語彙)としては金剛経だけど、
世界観は「華厳」や「如来蔵・本覚思想」だけどね。
法華経的考え方や文言も多用されるし、浄土系の考え方も利用される。
・・・・・w
神智学ほどではないにしても、
やっぱり、何でもアリのキメラ的側面はあるなぁ・・・w
ま、基本、「立ってる者は親でも使え!」だしな、仕方ないか・・。
912 :
基地子菩薩:2012/11/13(火) 22:30:27.89 ID:2zHJ5JyH
913 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 23:15:29.87 ID:tsldG3bu
>>894 宝珠さん
ムーはわたしの記憶違いでした。ただし、レムリアはインド洋、
ムーは太平洋という説が有力である。かりにレムリアなら、日本人は
消えた大陸の生き残りにならない。また、アトランティスは大西洋にあり、
黒人とともに、白人も消えた大陸の生き残りになる。
>>895 神智学の根人種論は、人種の新旧を単に述べているのではない。
その新旧に人種間の優劣を設定している。黒人、ユダヤ人、日本人など、
消えた大陸の住人は本来、消えた大陸とともに滅びるべきだったのであり、
現在の世界における邪魔者である、という主張が含意されている。
916 :
神も仏も名無しさん:2012/11/14(水) 07:15:10.00 ID:Y8N+mTss
917 :
神も仏も名無しさん:2012/11/14(水) 07:38:05.81 ID:CDbAPKWD
現世の違いを前世の報いとして「根拠もなく」主張することと、
根拠として、伝説に過ぎない話を持ち出して人種の優劣を説くことは違う。
後者は伝説を利用し、大衆の好奇心をくすぐりながら、
もしかしたら本当かもしれないと思わせている。これがより悪質。
ウソだろ、で終わらせないで、人々に疑惑を持たせようと試みている。
917の続き。〜 人種の新旧が人種の優劣に読み替えられるのは、
神智学が進化論を土台に、人間の本性を考えているからだろう。
知識や物質的な領域では、進化論的な、時代が進むにつれ進化して行く
という考え方も確かに成立する。しかし、精神的人格的な領域では、
そんなに単純ではない。進化論は唯物論的な発想である。
>>897 ダイヤモンドが王様? 鉱物王国の話はまったく理解できません。
中村先生の話(
>>850-851)はどう読んでも、やっぱし唯物論。
それから、肉体には口もあり、普通は意識的に喋る。
宗教とは何か?生まれながらに知っていましたか?
違いますよね?他人から教えられたんですよね?
921 :
神も仏も名無しさん:2012/11/14(水) 10:47:21.82 ID:Y8N+mTss
>>920 何が言いたいのよ?
誰もそんなこと言ってないんじゃないか?
教育と称して暴力を行う人の一部に暴力の根拠として
「親に教えられた」などが多数見られるんですがどうなんですか?
それって意味あるように思いますか?
923 :
神も仏も名無しさん:2012/11/14(水) 11:22:13.42 ID:Y8N+mTss
>>922 ここで何を言いたいのよ?
その行為の現象として、例えば殴るという現象は同じでも、
動機が異なれば自ずと意味が違うでしょう。
つまり、殴る行為が慈悲・慈愛に基づくのか、単なる怒りなど煩悩に基づくのか、
あるいは混合しているとしても、どちらの度合いが強いかに。
もちろん暴力、他を害する行為は基本的には良くないに決まってます。
ですが、そうした方が導けることもあると思います。
結論として、間違いが延々と引き継がれるとしたらどう思いますか?
925 :
神も仏も名無しさん:2012/11/14(水) 11:35:47.96 ID:Y8N+mTss
>>924 変えるように努力すべきでしょう。
もちろん、変えるのも意識の変換によって変えるので、
強制的に変えるのというのでは本質的には変わらないでしょう。
ただ相手を言い負かすだけのオームの上祐状態からさっさと抜けろ、と言っておく。
927 :
神も仏も名無しさん:2012/11/14(水) 12:05:37.89 ID:Y8N+mTss
>>926 オイオイ、だから最初に何が言いたいのか尋ねたんだけど、
オイラ的には誠実に答えたつもりですがな
自分の意図した答えじゃないからって、それはないんでないかい?
せっかく答えたのに
928 :
神も仏も名無しさん:2012/11/14(水) 12:06:09.64 ID:WG3RZ5Lw
>>926 オウムも、ここの釈迦盲信者も、原理的には全く同じ。
「修行しろ」「修行しろ」と叫ぶ、麻原(釈迦)w。
>>926 何苛ついてんだよw
920からの今の遣り取りから926が出てくる文脈が見えないんだが?
君は、一体何が言いたかったんだ?
>>920>>922>>924は、
およそ宗教的なるものへの(その伝承過程の盲目性としての)批判と読むことはできるが、
>>926にはその連関がない。
それぞれにきちんとした応答レスが付いてるにも関わらず、無関係に独白を続け、最後に926。
最初から、
「宗教板(常連の)奴等の態度が気に喰わないから中傷してやるぜ」
という意図だったとしか思えんわw
2ちゃんねる的ご回答ありがとうございます。
死んだらあの世に行くという日本の常識を
覆すことになるかと思うと・・・・・・・・・・・
931 :
神も仏も名無しさん:2012/11/14(水) 12:23:57.87 ID:Y8N+mTss
ああ、なるほど宗教なんか信じてるアホを目覚ましてやるぜ!
ってな気持ちでやってきて、言い負かせなかったんで、
捨て台詞、最後に2ちゃんだから、しょうがねなってことにして
とっても可愛いオレチャンのエゴを守ったってことですね。
なるほど、分かります分かります
付き合ったオイラはお馬鹿でした
あなたは日本人の代表ですか?
933 :
神も仏も名無しさん:2012/11/14(水) 12:42:53.36 ID:2oortlgM
日本国では思想信条の自由があり、大人がさまざまな思想を子供に教育する自由もある。
もちろん、虐待的な体罰など違法な方法はダメだが。
だから、子供にあの世を信じるように教えてもいいのである。
地獄を信じる文化の地域では犯罪率が下がるというデータもあるらしいし。
>>930(
>>932)
覆すのは死後“あの世”(黄泉)へ行くという日本の常識だけでいいのか?
最後の審判とか、六道を輪廻し続けるとか、生まれ変わるとか、アストラル体になるとか、
色々あるぜw
>>933 その言い方も間違いとは言えませんが
> 大人がさまざまな思想を子供に教育する自由もある。
については、日本国憲法の三大義務で教育(を受けさせる)義務として明文化されている
とだけ申し上げます
つまり「それ以上入り組んだ教育の内容については明文化されていないのでなんともいえない」というのが今の日本国のありようです
子が親にそっくりだと、もしくはじじいにそっくりだったら生まれ変わりだと思うわな。確かに
別に誰とも敵対したくもないし否定もしないけど
日本はおかしな伝統が多い気がするので何とかしたい。
先に進まないから
938 :
神も仏も名無しさん:2012/11/14(水) 12:56:00.54 ID:2oortlgM
>>935 宗教活動は、自分の思想を他人に教える活動がメインと言える。
子供に教えるのも含む。
子供に宗教を教える自由もある。
939 :
神も仏も名無しさん:2012/11/14(水) 12:59:32.97 ID:2oortlgM
>>937 「おかしな」の基準がわからない。
外国と比較して何らかの点でデメリットになっているということか。
どの点で優れたいのか、どの点では外国に負けたくないのか。
そのあたりも個人個人の思想・価値観ではあるが、
議論スレだから議論して価値観をぶつけ合うのはいい。
940 :
神智学?:2012/11/14(水) 14:17:50.65 ID:pw8tewzj
神智学は レイシズム(人種差別主義)且つ神秘主義であって、
今日の人類が絶対に受け入れてはいけない形而上的妄想である。
ナチスドイツが舌なめずりして利用した実績を見れば、
その正体が分かろうというもの。
もちろん、仏教とは似て非なる妄想でしかない。
おかしなことを正すためには明確な答えが必要ですから大変です。
942 :
神も仏も名無しさん:2012/11/14(水) 14:47:37.65 ID:Y8N+mTss
>>941 まずは、君が話し方から正すべきじゃね?
あと、そういうナショナリズムとか政治の話は、他でやってくれよん
943 :
基地子菩薩:2012/11/14(水) 15:46:03.88 ID:4xuHUa6e
16日解散と野田豚が国会で
発言しましたよ!(^。^)y-~
>>943 ナショナリズムとか政治の話は、他でやってくれよん
945 :
基地子菩薩:2012/11/14(水) 17:27:54.88 ID:4xuHUa6e
>>944 スルー出来ない心の狭さ
笑わせるわね!(^。^)y-~
最後に笑えるなら取って返すのもいいかもね
947 :
神も仏も名無しさん:2012/11/14(水) 19:54:58.62 ID:ZXQZmtqn
h
きっと
基地子菩薩さまは
最後まで笑いながら
往生を成し遂げるんじゃなイカ?
____
,. ´ 、 `` .
/ \ ` 、
/ ____ ヽ \
// ,. ´: : : : 、: :` 、 ', ./
/ / /: : : : : : :|: : |\: : : : \} /
/ /'´: : |ヽ: : : : ハ斗―ヽ‐: : : :\ .イ
. / / : : l|,.|--\:/ 〃´ ̄`\: : } : }|
/ /: : : :∧| fいハ W∨W
___ \.|: : : / |〃⌒ 弋t:り {: :,ゞ-ミ、
. ∧ |: : : : :| | : : : : |{ fいハ ‐ "∨ ノ: \
/: : ∨: : : : :| |∧ : : | 弋t:り . -- 、 / /― 、: \_
. /: : : : : :/ ̄ /:\ .!:\:ト、 '´ / | / / }/ }ー―
|: :∧:/ /: : : :| |: : : :iム" 〈 j./ / / /: : : : :
|: :{ 〉: :〈 ̄ ./: : : :ハ:\ __\__ // /--、/ /` ー―
ヽ: \ |: : / ./: : : :/ }: :{ {:{ {:// / : / /ハ\
\: `ー┴‐: ´ : : : / /: :∧ ヾx/:/ ⌒´ /:∨ {: : :\
` ー―‐、一<___,/: r┴‐ミx、_厶′ (_:_:_:_}__廴:_:_:_\
\ : : : : : : :人 - 、 ノ: :
.  ̄ ̄ ̄ /: 》ー┬‐-、 \ `丁丁丁、´
949 :
基地子菩薩:2012/11/14(水) 22:14:20.14 ID:4xuHUa6e
>>948 父親は胃ガンだったけど笑いながら
死んで逝ったわよ!(T-T)
950 :
神も仏も名無しさん:2012/11/14(水) 23:42:50.34 ID:giDXz++d
神智学では日本人は神経回路の違う劣等種で、民族浄化の対象だってな。
原爆落とされたのもその思想が根底にあるからって話もある。日本人は基本、無神論者だしな。宝珠は
その点とう思ってんだ?
まあ、昭和日本の各宗派も、
参戦肯定、出征肯定、敵兵討伐の爲の教義解釈をしてるだろうしね・・・。
同じ位相で、
所属国家・民族・文化の(覇権増大という形ではあるが)発展、正当化が必要だった面はあると思うよ。
そこを責めるのは、時代背景を鑑みれば、大目に見てもいいとこと思うけど。
952 :
パーピマン:2012/11/15(木) 02:16:17.75 ID:c96K5yqn
>神智学では日本人は神経回路の違う劣等種で、民族浄化の対象だってな。
え〜〜〜〜〜〜? それマジ?www
954 :
神も仏も名無しさん:2012/11/15(木) 06:53:31.96 ID:86YDrG2O
人智学のシュタイナーはもともと神智学の信奉者であった。
かれはシュタイナー教育で日本でも有名だが、ヨーロッパではかれの著作に
人種差別的発言が頻繁に見い出せると批判されている。
かれ自身が、神智学の核に人種差別があることを示す傍証になっている。
シュタイナー教育が欧米中心なのも人種差別から。
神智学では世界を七段階に区別するらしい。エーテル界→アストラル界→
メンタル界→ブッディー界→アートマ界→モナド界→ロゴス界。
この段階を、その人間の霊的進化に応じ、下から順次、上へと昇って行く。
各々の人間は、自分の属する界に応じ、エーテル体、アストラル体・・・
などの身体を持つという。この図式は進化論そのものではないか。
956 :
基地子菩薩:2012/11/15(木) 08:29:05.12 ID:lXeL1F2O
さて問題は、日本人は下から二番目のアストラル(感情・欲望)体に属し、
欧米人はメンタル(精神・知性)体に属しているところにある。
日本人のランクが下なのは、日本人が消えた大陸の生き残りだからである。
ユダヤ人、黒人も同じなのだが、欧米人に比較したら劣等人種であり、
自分たちより先に滅びるべき人種だと主張している。
958 :
神も仏も名無しさん:2012/11/15(木) 09:16:51.95 ID:86YDrG2O
>>956 神智学はユダヤ人や日本人や黒人などを標的にしている。
露骨な攻撃だと人々の反感を買う。そこで科学や学問を利用して中立を装い、
こっそり、大衆の感情や意志を左右しようとしている。
〜 もともと宗教は、政治的プロパガンダとかたく結びついている。
すみません日本語訳が知りたいのですが、この部分の訳が見つからなくて、
詳しい方お願いします
ちなみにこれは般若心境であってますか
提 羯 波 除 明 般 得 三 遠 心 菩 滅 至 意 色 受 浄 是 色 空 空 般 多
960 :
神も仏も名無しさん:2012/11/15(木) 09:54:44.08 ID:lSctrWVx
>>959 文として意味をなしてないようですが、
この原文あるいは出典、あるいはどのような状況で出てくる文なのか分からないとわかりません。
とりあえず、この文は大正大蔵経検索ではヒットしません。
>>960 そうですか、夢に漢字がでてきて検索したらこれがヒットしたので意味が気になってしまいました
ありがとうございました
白人の目から見れば、黒人は白人の奴隷でしかなく、
ユダヤ人はキリスト教の神(イエス)を殺した犯罪者でしかない。
では日本人は? 明治以来の日本は、白人の世界支配を邪魔する
アジア人代表に他ならない。だから白人に嫌われた。
消えた大陸の生き残り、という話は、本心を隠すための煙幕。
963 :
基地子菩薩:2012/11/15(木) 10:22:38.86 ID:lXeL1F2O
964 :
神も仏も名無しさん:2012/11/15(木) 10:24:54.09 ID:lSctrWVx
>>961 夢に出てきた漢字を言ってみてください。
もしかすると、何か分かるかもしれません。
967 :
神も仏も名無しさん:2012/11/15(木) 10:47:58.50 ID:lSctrWVx
968 :
神も仏も名無しさん:2012/11/15(木) 10:52:56.67 ID:lSctrWVx
>>966 縦読みか
下はヤバイっすね〜
こうなったら、本とか読むのやめて肉体労働した方がいいと思う
>>966 それです、
あれは誰かが個人で考えたフレーズなんですね
し、しかも縦読みだったとは
>>967 お手数おかけしました
そうですか、宗教とあまり関わったことがないのですが
過去にもお経が聞こえてきたりしたので参考にさせていただきます
ありがとうございました
>>969 >あれは誰かが個人で考えたフレーズ
違う違うwwww
ちゃんとした般若心経だよ。幾つか誤字もあるようだけど。
『縦書きを横に拾ったもの』なんだってw
https://sites.google.com/site/copipedic/2ch/copipe/hannya 直リン不可なんで、IE等ブラウザのアドレスバーに貼り付けて開けばいい。
ちなみに、8行目が検索でヒットしたんでしょ。
般 波 羯 即 実 呪 多 三 般 倒 掛 般 無 無 明 流 眼 是 不 亦 色 厄 多 観 摩
若 羅 諦 説 不 是 是 藐 若 夢 礙 若 得 老 目 無 精 故 生 復 即 舎 時 自 訶
心 僧 羯 呪 虚 無 大 三 波 想 故 波 以 認 無 眼 鼻 神 不 如 是 利 照 在 般
経 羯 諦 曰 故 等 神 菩 羅 究 無 羅 藻 盡 無 界 舌 中 病 是 空 子 見 菩 若
諦 説 等 呪 提 蜜 竟 有 俺 所 無 明 乃 身 無 不 院 空 色 五 薩 波
波 般 呪 是 故 多 涅 定 多 得 苦 盡 至 意 色 垢 利 煮 不 蘊 行 羅
菩 羅 若 能 大 知 故 確 怖 故 故 集 乃 無 無 無 不 子 是 藻 皆 深 蜜
提 羯≪ 波 除 明 般 称 三 遠 心 菩 滅 至 意 色 受 浄 是 色 空 即 般 多 ≫←ココねw
薩 提 羅 一 呪 詐 阿 世 離 無 提 道 無 識 聲 想 不 諸 受 空 度 逝 心
婆 蜜 切 卒 波 耨 諸 一 掛 薩 無 老 界 香 行 増 法 想 不 一 波 経
訶 多 大 無 羅 多 佛 切 礙 陀 智 死 無 味 識 不 空 行 異 切 羅
東 真 上 蜜 羅 依 顛 無 依 亦 亦 無 觸 無 減 相 識 色 苦 蜜
って、誤字多すぎかw つか意図的? ちゃんとしてないかもwww
何か意味あるコピペなんかな・・・? (´・ω・`)
972 :
神も仏も名無しさん:2012/11/15(木) 11:30:58.92 ID:lSctrWVx
>>970 なるほどw
縦書きを横に拾っちゃったってことだったんですね
すごいブログですよね、コメントがまったくないのによくブログ続けられるなぁ
殺気立っててコメントする気が失せてしまう
>子供の方はどんどん進化してるのに社会の方はたいして進化しないんだからどうしようもない※進化とは規制のことではない
↑ブログのこの部分なんかは共感するけど内容読むと個人粘着に焦点が全部いってるような
974 :
神も仏も名無しさん:2012/11/15(木) 11:36:48.95 ID:lSctrWVx
もう止めた方がいいと思うよ〜
その人が乱入してきたら大変ですから
そうですね、あまり書きこんだことがないので助かりました
976 :
神も仏も名無しさん:2012/11/15(木) 11:46:55.57 ID:lSctrWVx
>>969 >過去にもお経が聞こえてきたりしたので参考にさせていただきます
ここを読み落としてました。
だったら、一度、いい師匠に伺ってみるといいですよ。
ラマ・ウゲンが日本におられるので彼がいいかもです。チベット文化研究所に連絡すれば、お会いできると思います。
あるいは、ガルチェン・リンポチェ、ゲツェ・リンポチェ、ゾンサル・キェンツェー・リンポチェ、ズィがー・コントゥル・リンポチェなどが来日された時に伺ってみるといいと思います。
こちらは、この名前で検索すれば、連絡先が見つかりますよ。
恐らく仏教に深いご縁があるのではないかと思います。随喜、随喜!
随喜というのは、素晴らしいアナタのご縁に共感して喜ぶというような意味です。
文字からして大乗なので上の方がいいと思います。
>>976 ありがとうございます
大乗を調べてみたら思想が同じでした
前から前世は仏教だったに違いないとは思いながらも
家族はいい顔しないので踏み込む勇気がなかなか、
しかし同じ思想を持つ人たちに会えるなんてすばらしいこと;;
いろいろありがとうございました<(_ _)>
978 :
神も仏も名無しさん:2012/11/15(木) 12:17:33.95 ID:lSctrWVx
>>977 おお! それは共感。
どっかでお会いできるといいですね。
縁起がいい!
>>962の続き 〜 神智学にせよ人智学にせよ、
組織のトップクラスが相当なインテリであったことは間違いない。
そんなかれらが、伝説の与太話を根拠に、自分たちの理論を作ったなどと
考えるわけにはいかない。そうではなくて、これがかれらの
大衆をだまし、洗脳する常套手段だったのだろう。
事実を提示できない場合、理屈で相手を説得するのは不可能に近い。
そこで神智学は、最初から理屈を放棄し、好奇心など、相手の感情に訴える
方法を採用している。感情に直接訴え、感情から意志へと向かわせる。
釣り糸のエサは、伝説だったり、覚者からの手紙だったり、進化論をベース
にした発達段階だったり 〜 そして獲物が食いつくのを待っている。
981 :
神も仏も名無しさん:2012/11/15(木) 21:46:32.64 ID:AbZVmldb
結局、神智学は洗脳によって成立している。
これときわめてよく似ているのが、大乗のウソも方便である。
洗脳の問題点は、組織のトップクラスが信者の思いを操作することにある。
それは信者を冒涜するだけでなく、神や霊魂を冒涜する行為でもある。
洗脳を認めるような宗教はインチキ宗教だと思っていい。
>>洗脳を認めるような宗教はインチキ宗教だと思っていい。
インチキでない宗教を挙げてみてよ でなければお前の妄言ということになるが?
983 :
神も仏も名無しさん:2012/11/16(金) 08:41:50.97 ID:TJiW2h+H
【洗脳を認める】ような → ウソをウソだと知りながらウソをつく。
これは詐欺であり、よいことではなく悪いことだと理解しよう。
仏教でもキリスト教でもウソは禁じられている。
ウソをよいことだと積極的に肯定するのが【方便】であり、
単純なウソ以上に悪質ではないだろうか。
後になってから「あれは方便だった」ではたまったものではない。
ウソも方便によって大乗は根腐れしている。
985 :
神も仏も名無しさん:2012/11/16(金) 11:36:15.64 ID:20+EaGxN
>>983 人類最大・最悪の嘘は、釈迦の「輪廻転生」「無我」とイエスの「愛」w。
この二つが、無数のカルトによる洗脳の手段の手段となっているのが実態。
986 :
神も仏も名無しさん:2012/11/16(金) 11:44:45.72 ID:20+EaGxN
>>985の訂正
×洗脳の手段の手段
○洗脳の手段
「嘘」というのは「本当」と同じ情報の強度を持っていますね。
また、嘘は人間に高度な学習をさせます。
それは理解しておいた方がいいですね。
仏教について難しい話を色々な人がしてますが、
仏-教の教えの根-源は
「輪廻しないためにどう生きるべきか」という事に尽きます。
それを色々な経典で教えているに過ぎない。
即ち仏教の経典とは
「生まれてこない為にどう生きるか」というマ-ニュアルなのです。
ここを外したら仏教の意味はありません。
釈迦の弟子がなぜ禁欲生--活をしたのか?
執着が輪廻を招くからです。
即ち欲望が苦しみの基であり輪廻の根源だからです。
仏教を追求すると欲望を捨て去る事に行き着きます。
欲望にまみれた日本人にそんな事でき-ますか?
よくある宗教団体で「病気がなおった・・」とか・・
「願いが叶う-か-ら・・・」とか・・・
「家族の安全・・・」とか・・・
「先祖供養を・・・」とか・・・
おおよ-そ仏教とは真反対な考えです。
その願いこそが輪廻を引き起こすからです。
正しい尺度を持つことは自他を迷わす事を防ぎます。
真実を追求する事を忘れないでください。
仏教について難しい話を色々な人がしてますが、
仏教の教えの根源は
「輪廻しないためにどう生きるべきか」という事に尽きます。
それを色々な経典で教えているに過ぎないのです。
即ち仏教の経典とは
「生まれてこない為にどう生きるか」というマニュアルなのです。
ここを外したら仏教の意味はありません。
釈迦がなぜ弟子たちに出家を要求したのか?
釈迦はなぜ弟子たちに禁欲生活を要求したのか?
欲望は執着であり執着が輪廻を招くからです。
即ち欲望が苦しみの基であり輪廻の根源なのです。
仏教を追求すると欲望を捨て去る事に行き着きます。
欲望にまみれた日本人にそんな事でき-ますか?
よくある宗教団体で「病気がなおった・・」とか・・
「願いが叶うから・・・」とか・・・
「家族の安全・・・」とか・・・
「先祖供養を・・・」とか・・・
だから入信しなさいみたいな事をよく耳にします。
欲望を満たすための仏教なんて有り得ません。
おおよ-そ仏教とは真反対な考えです。
その願いこそが輪廻を引き起こすからです。
欲望を滅し輪廻から離れる事を解脱といいます。
それを極楽と言ったり不動国と言ったりします。
生まれてこないから生きる苦しみがない
ある意味人生の裏技みたいなものです。
ゲームに負けたくなければゲームをしなければ良い・・・
そんな考え方じゃないでしょうか?
正しい尺度を持つことは自他を迷わす事を防ぎます。
真実を追求する事を忘れないでください。
>>989 その通りですね。人生を「カルミックな結末」で終えることができれば輪廻から解脱できる
と考えるのが仏教ですね。
991 :
神も仏も名無しさん:2012/11/16(金) 14:43:16.27 ID:Pq1vpM8L
>>988 >「輪廻しないためにどう生きるべきか」という事に尽きます。
それが釈迦仏教がカルトの根源である所以だよ。
「輪廻転生」「無我」とともに、「一切皆苦」も大嘘。「欲望を去る」ことの
「より大きな苦」はどうしてくれるの?w欲望、煩悩は「生命の維持に不可欠
な心的作用」であり、感謝して受け入れることにより初めて「去る」ものであ
ることに、釈迦が思い至らなかっただけ。
>>991 たしかに釈迦の「私」「私のもの」という発想を捨てろという思想は哲学者としては合理性を失っているのではないか、
と指摘されていますね。
993 :
神も仏も名無しさん:2012/11/16(金) 14:53:32.27 ID:Pq1vpM8L
>>992 釈迦の単純ミス、勘違いですよ。釈迦盲信故に、その単純ミスに執着して、
釈迦の恥を曝し続ける釈迦カルト。
まあね・・w
デメリット(危さ、負の側面)が仏教にゼロかというと必ずしも言い切れないからね・・。
・欲望(欲求・自己を満たすこと)の否定、快楽・享楽・満足への興味の喪失
→ 鬱的気分
・誘惑への対処として、「関わらない」という方法論(cf.DN16)の選択
→ 逃避、対岸としての視線、事象に対する“已む無し”という視線
参:
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1335272293/922 ・執著の除去へ向かうまでの煩悶/理想(目指す姿)と現実(実際現状の自己)とのギャップ
( 欲←→不要 / 精神的飢餓←→満足・充実 / 欲・甘え←→理想・節制 )
・社会の改善、変革、或いは軌道修正への非積極性
・聖俗という分業・棲み分けに由来する「我関せず」的態度
或いはまた
・現状肯定由来の解決放棄、「我関せず」的態度
・反禁欲へ針が振れ過ぎることによる、欲望・願望成就の推奨 → 欲望に従うという現状肯定へ
・向上(自己実現・スキル養成)と利他(スキル活用)の先後の曖昧さ
・理念の高さゆえの現状肯定 「理念(理想)は理念(理想)、現状(甘んじるべき)は現状(甘んじるべし)」
とか。
995 :
神も仏も名無しさん:2012/11/16(金) 16:31:58.68 ID:Pq1vpM8L
>>994 そんなに難しく考える必要はないw。要するに、「己の我を以って、無我を説
く」「苦楽の相対性の忘却」という滑稽な、初歩的論理矛盾。
中国や日本に伝わった仏教は「共同生活」というものを重視していますね。
つまり「怒らない」人は基本的にすべての修行を免除されるのです。
怒る人はせめて人の役に立てという思想ですね。
997 :
神も仏も名無しさん:2012/11/16(金) 16:44:24.31 ID:amk/IFRd
>>992 そりゃ、仮設を理解してないか、同一性という形而上学にやられているかじゃないか?
>>994 そりゃ、導き方がおかしいか、世俗的価値で見る倒錯じゃないか?
>>996 いや〜、アーガマ・ニカーヤでも釈尊は世間とは争わないですよ
あるいは、利他、菩提心、普賢行という大乗の側面を世俗的に見てるんじゃないか?
>>997 いえ、私は「怒らない人ならアホでも何でもいいのだろうか」という点を知りたいのですよ。
実験したいぐらいです。
999 :
神も仏も名無しさん:2012/11/16(金) 16:53:31.85 ID:amk/IFRd
>>998 それは誤解ですね
怒らない人じゃなくて、菩提心を持てば他はなんでもいいとは言えますけど
その結果として怒らない人になるなら分かりますが
菩提心は、言い換えれば慈愛、思いやりです
愛といっても執著、愛着じゃなくて、
>>995 相変わらず、要点論点が全く見えてないですね・・・w ┐(´ー`;)┌
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