蛇足を加えれば、
>>72(
>>143)
>【乳という「本質」は変わらず】(6)に、
という言辞すらも、既に「乳」という名称を使用しており、それもまた諸縁により、そう呼ばれる事象でしかない。
本来は「乳」と呼び得る限定的様相が、そこになければならない。
その「乳」もまた、牛乳やバター同様のものである、と見なければならない。
そのことを捨象し、もしそこに、イデア的に、公約数的に、全てに共通する形で『乳』という本質を探すなら、
それは妄想である、と。そのような『乳』は無い。
これが、乳製品のくだりで言われていることであろうと思う。
※そしてこれは、「アートマン」についても同様に言い得る。 (と思うw)
※ただ、ここに於いて、(牛乳等にしてもそうだが)、
≪「共通する性質がない」ということではない≫ことは留意されていいだろう。
共通する性質・要素等があるから、種々のカテゴライズが可能となるし、
地水火風等、或いは色として括られるもの(法)、受として括られるもの(法)、・・・・、
或いは苦として括られるもの(法)、(或いはニカーヤ等、経の分類も)、
といった認識・理解が可能となる。
ただ、それらは、「(所謂)アートマン」と並置され同義とされるようなものではない、ということになろう。
>>144 乳製品の一節?
PTS版は、DN.T.P.201(35節であることは変わらないと思う)。
ttp://www.tipitaka.org/romn/ ←ここならば440節。
フォントいじるのめんどいんで、原文コピペは勘弁w
てか、貴方なら長部第9経の一節ってだけで、探して特定できるでしょうが・・・w