417 :
3/3 旧7:
無我相経(むがそうきょう) anattalakkhaNasutta.
本経は、『転法輪経』が釈尊最初の説法として説かれた五日後に五群比丘に対して示されたものである。
色(rUpa)、受(vedanA)、想(saJJA)、行(saNkhAra)、識(viJJANa)という
我々の肉体・精神を構成している五要素が「我」ではなく、
【非我(=無我)であることを】説いている。この教えによって比丘は次々と阿羅漢になったという。
※【 】は引用者が挿入。長老は「非我」と解し、そのように記していたかもしれない。
水野・片山両氏が「イコール無我」を挿入したのかもしれない。
勿論、長老が許可したから、こうして出版されているのだと思われるが・・・w
※註87は、水野さんの「転法輪経について」という論文を受けているだろう。
特に「主宰者」や「自在者」、「五蘊を自在に〜」という部分等。
さすがに、あちらでの「パーリの解釈は通俗的なもの」というようなことは言ってないw
※仏典各所に或いは各種註に「jIva」とある以上、やはり「霊魂」と訳さざるを得ないのだろうか・・・。
ニュアンスとしてズレがあるような気がするのは気のせいだろうか・・・。
ちなみに、奈良さんも非我派だった。
だからといって、「どこかにアートマンはある」なんてことは言わなかったが・・・w
普通に「無我」「諸法無我」の言い方をしてたし、「非我」を口にするのは説明の時だけだったかな・・。
通常は「無我」を使用していた。