【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】1

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57神も仏も名無しさん
333 初代スレ7 sage 2009/01/26(月) 21:26:56 ID:YKFCQn9R:360 初代スレ7 sage 2009/01/05(月) 12:52:03 ID:5QZBkXzp
原始佛教 その23 http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1175249680/
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1175249680/188 : http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1175249680/217
223 1/2 sage 2007/04/05(木) 17:12:52 ID:LuGG1Msz
ところで雑阿含におけるこの五蘊無我の経典では、
無我説が他の系統や有部毘奈耶破僧事におけるものと違っている。
パーリをはじめすべての五蘊無我の論証においては、有部毘奈耶破僧事におけるように、
 色無我、若
 色有我、 不応生諸疾苦、 能於色中作如是色、不作如是色。是故汝等、知
 色無我故、  生諸疾苦、不能   作如是色、不作如是色。
とあって、これを平易にいえば、
「色がもし我(自在者)であるならば、色には病苦が生ずることもなく、
 色に対して『このような色となれ』とか『このような色となることなかれ』とか
 いうことができるであろう。だが、
 色は無我(不自在者)であるから、色には病苦が生ずることもあるし、
 色に対して『このような色となれ』とか『このような色となることなかれ』とか
 いうことはできないのである」
ということになる。
これに対して漢訳雑阿含の無我相経では、以上の部分が
 色非有我、若
  色有我者、於色不応病苦生、亦不得於色欲令如是不令如是。
 以色無我故、於色有病有苦生、亦 得於色欲令如是不令如是。
となって、逆の意味となっている。これを解り易くいえば、
「色は無我である。
 色がもし我(絶対的)であるならば、色には病苦の生ずることはあり得ないし、
 色に対して、かくあらしめ、またはかくあらしめざらんと
 欲するを得ないであろう。
 色は無我(相対的)であるから、色には病苦の生ずることもあり、
 色に対して、かくあらしめ、またはかくあらしめざらんと
 欲するを得るのである」
ということになる。