原始佛教 その23

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188神も仏も名無しさん
>>176
「無我相経」というキーワードで過去ログを検索して見つけた、「原始佛教 その10」の
レス465にある水野弘元『原始仏教』p.121〜の引用、
> 若し色が我であるならば、この色は病ともならず、また色について「わが色はかくあれ」とか、
> 「わが色はかくあること勿れ」とかいうことができるであろう。

と、ttp://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn22/sn22.059.than.html
> If form were the self, this form would not lend itself to dis-ease.
> It would be possible [to say] with regard to form, 'Let this form be thus. Let this form not be thus.'
のパーリ文英訳は同じ趣旨ですが、後段に関して、漢訳とはどうも意味が逆になっていますね。

ttp://www.cbeta.org/result/normal/T02/0099_002.htm
(三三)若色是我者。不應於色病.苦生。亦不應於色欲令如是.不令如是。
  以色無我故。於色有病.有苦生。亦得於色欲令如是.不令如是。
(三四)若色有我者。於色不應病.苦生。亦不得於色欲令如是.不令如是。
  以色無我故。於色有病.有苦生。亦得於色欲令如是.不令如是。

ttp://www.cbeta.org/result/normal/T02/0102_001.htm
  若是我者。色不應病及受苦惱。我欲如是色。我不欲如是色。既不如是。隨情所欲。

色が実我ならば、色において病になることがない、ということは漢巴共通ですが、その後の部分は
色が実我(常一主宰)ならば、色は変化し得ないはずなので、漢訳の方が正しいように思われるのですが、
『水野弘元著作選集』所収の論文を参照する必要がありそうですね。