【最終】輪廻転生説はどう扱うべきか!?【決着】3

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305前世は一在家
>>274
>≪諸縁によってバターの相であるからバターと呼ばれているだけのものを、
> 「これこそが絶対的バターだ!」「これこそが絶対的ヨーグルトだ!」等の論争≫
>であり、後文(5)は、≪仏の眼で見ればそれらは顛倒妄想であり、縁により変化する
>相にその都度付された名称に過ぎず、
>≪諸縁により現じている相によって名称が付される≫のであり、
>そこに≪絶対的恒常的本質が見られるわけではない≫。 

「諸縁」により現じている相によって名称が牛乳、バター、ヨーグルト、チーズ、
醍醐という名称が付されているとの貴兄がご紹介の法の解釈を承りました。
そうして、ビール、サイダー、ジュースという名称にならない「乳製品としての諸縁」
があることにも気付きました。

○○菩薩、転輪聖王、ゴータマという名称が付されている「仏としての諸縁」があり、
その諸縁によって桜、鮭、豚という名称が付されることが決してないことも分かります。

以上、貴兄のご紹介いただきました説によりますと「人としての諸縁」こそ
「アートマン」ということではないかと思料致します。

以上、3ヶ月半遅れの亀レスにて失礼致します。>前世は旧7殿