1 :
?:
test
2 :
?:10/04/07 12:47 ID:N/5KI2/s
3 :
?:10/04/07 12:53 ID:N/5KI2/s
>>2の続き!
「大乗仏教の経典も全て、お釈迦様本人が作った者である!」
と思い込んでいる人も、かなり沢山いると思います!
私は、つい最近まで阿含経の、解説書を読むまでは、
「仏教の経典は、全て、お釈迦様本人が作った者である!」
と思い込んでいました!
4 :
?:10/04/07 12:58 ID:N/5KI2/s
5 :
?:10/04/07 13:17 ID:N/5KI2/s
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268863382/l50 ↑ の
>>485様から!
>難解な仏教用語、概念、時代遅れの開祖や教典の言葉、理屈・・・・等々の
>虎の威を掲げて宗教者が上から訳知り顔に説教し、威張る必要はないのだ。
私は、2ちゃんねると、お経については、初心者の中の初心者なので、
威張っているつもりは有りません!
今でも 1華厳時 2阿含時 3方等時 4般若時 5法華涅槃時
の五時教判が正しいと思い込んでいる人は
沢山いると思うので、そう言う人に対して
阿含経典の一部が、他の経典より、古形を保持している
可能性が高いと言う事を、説明したかったのです!
6 :
?:10/04/07 13:36 ID:N/5KI2/s
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268863382/l50 ↑ の
>>485様から!
>大昔の開祖にこだわり執着し、人生を賭けるのは、アサハラと弟子達同様滑稽だ。
>何の力も無く人生を棒に振る。如何に宗教がピント外れで狭い世界かよく分かる。
私は、アサハラと、その弟子達の事は分かりません!
誰が、一番最初に仏教を、始めたのかについての
こだわりは必要です!
私自身は「何の力も無く人生を棒に振っている!」と思う時も有りますが、
何とか気合いと根性で頑張って行きたいと思っています!
仏教の何処が「ピント外れで狭い世界!」なのか私には分かりません!
仏教の何処が「ピント外れで狭い世界!」なのですか?
7 :
?:10/04/07 14:35 ID:N/5KI2/s
8 :
?:10/04/07 14:46 ID:N/5KI2/s
>>7 の続き!
仏陀
「色(人間の肉体) 受(感受作用) 想(表象作用) 行(意志作用) 識(認識作用)
↑ これらの五蘊は アートマン(常住不変の自我意識)か?
↑ これらの五蘊の 中に アートマン(常住不変の自我意識)が 有るのか?
↑ これらの五蘊の 外に アートマン(常住不変の自我意識)が 有るのか?」
仙尼
「そのいずれでも無い!」
五蘊(五陰)仮合について!
色(人間の肉体・物質) 受(感受作用) 想(表象作用) 行(意志作用) 識(認識作用)
の五蘊(五陰)は、常住不変では無くて、常に変化している、無常である!
常に変化する五蘊(五陰)が仮に寄り集まって
一個人の人間が出来上がっている!
常住不変の五蘊(五陰)とか、アートマン(常住不変の自我意識)は、実在しない!
9 :
?:10/04/07 14:59 ID:N/5KI2/s
>>8 の続き!
雑阿含経 仙尼経
如来応等正覚
現世においても、アートマン(常住不変の自我)を、認めない
死後(来世)においても、アートマン(常住不変の自我)を認めない考え方!
この如来応等正覚の法によって渇愛を断じて欲を離れて滅尽し涅槃を得る!
↑ この「如来応等正覚の法によって渇愛を断じて欲を離れて滅尽し涅槃を得る!」
と言う事が、『般若心経の原点だ!』と思いますが如何でしょうか?
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268863382/l50 ↑ の
>>451 机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. さんは、どう思われますか?
レス、宜しく、お願い申し上げます!
10 :
Classical名無しさん:10/04/07 20:31 ID:S1L4jBT6
パプアの人喰い族とかネオナチとかイスラム原理主義のテロリストとか
みな自分らの世界で懸命に生きてる
2ちゃんで仏教語るなよゴミクズ
まずは働いて納税してみろ
以上イケナイぼくちゃんでした
11 :
Classical名無しさん:10/04/07 20:43 ID:twTEeHoc
仏教はニートのニートによるニートの為の宗教だぜ
12 :
Classical名無しさん:10/04/07 21:08 ID:R2Bj/9Ro
色即是空の解釈は、
夢が現実かもしれないし、現実が夢かもしれない
とりあえずはこれで良いって聞いた
13 :
?:10/04/10 11:41 ID:2JU4X3as
14 :
?:10/04/10 11:46 ID:2JU4X3as
>>11 様から!
>仏教はニートのニートによるニートの為の宗教だぜ
そうだったんですか? 知りませんでした! 大変勉強になりました!
15 :
?:10/04/10 11:50 ID:2JU4X3as
>>12 様から!
>色即是空
【色即是空】って般若心経でしたっけ?
16 :
Classical名無しさん:10/04/12 15:27 ID:H8DAGLIo
そうじゃないかな?
17 :
?:10/04/13 13:09 ID:DJJQVXms
>>16 様から!
>そうじゃないかな?
レス有り難う御座います!
18 :
Classical名無しさん:10/04/17 09:35 ID:31IYNOfs
お願いします。
叔母が、お墓にペットも入れたいとお寺に相談したところ、
先祖が怒る、今度生まれるときにはあなたは犬になる、
と言われたそうです。
調べたところ法華宗本門流のお寺でした。
そんな寺やめちゃえって言ったんですが、そうもいかないって。
法華宗ってそういう教えなんですか?
それともそのお寺が変なんですか?
>>18 法華宗でどうかは知りませんが、
「世間の」「一般的価値観」としては、認知度的にも五分五分じゃないでしょうか。
最近でこそ、ペット用の墓石が横に立っているお墓もあたりしますが、
特に田舎へ行けば、まだまだ抵抗のある行為かもしれません。
「人と動物は違う」し、(ペット云々は別にして)動物霊は「祟る」、悪意を持ち易い、
或いは、(理性的要素がないので)「有害性をもって憑く」といった印象を持つ人は
まだ多いのではないでしょうか。
そうした価値観なれば、(「>今度生まれるときにはあなたは犬になる」という発言の是非はともかくw)、
「同じカロウトに納める」ことに反対する意見も尤もではあります。
そうは言いながらも、愛し愛されたペットなので、善なる霊として見守ってくれるだろうという
イレギュラーな判断を、寺が(住職が)するかどうかという点で、そのお寺次第という面はあるかもしれません。
別のカロウトを造り、そこへ埋骨という方法は検討して(相談して)みましたか?
それでも駄目というなら、涙を呑んで別の場所別の形にするか、お寺を変わるしかないかもしれません。
主は穏やかな人格のようだね
俺も自重しよっと
21 :
Classical名無しさん:10/04/17 17:21 ID:jkncUyDQ
小僧、援助交際は良くないぞ。
○々○○秀の珍々切れ
22 :
?:10/04/18 14:15 ID:DUGXd4vI
23 :
?:10/04/18 14:18 ID:DUGXd4vI
>>20 様から!
> 主は穏やかな人格のようだね
> 俺も自重しよっと
レス、有り難う御座います!
24 :
18:10/04/21 18:05 ID:02i.aK6Q
>>19 お応えありがとうございます。
ペットのお骨をどうするかはともかく、
先祖が怒る、今度生まれるときにはあなたは犬になる
という言葉というか考え方が、宗旨やお寺さん的にどうなのか、
とても疑問に思い質問しました。
私は、そんなことでご先祖は怒らないし、犬にはならないでしょうと思いますが、
仏教ではそういうものなんでしょうか?
宗教家ならそんな脅しみたいなことは言わないものだと勝手に思っていたもので。
>>24 歴史的には >そういうもの 。しかし、仏教の本義としては(悟ってない限り)言えないこと。
なぜなら、(その後の(善)業の積み方により)変わる可能性があるから。
(たとえ言えたとしても、(天眼通を得た)覚者のみw)
ただ、少し仏教を離れてみれば、
【(ペットを人間と同格、家族・身内として扱うような)今の時代と違って】、
ほんのちょっと前までは「人は人。動物は動物」という価値観が主流だった筈。
今でも、(躾とは別の強さで)明確・具体的な線引きの上で飼っている人は多いと思う。
霊魂云々を信じる信じないは別にしても、先祖の方々の価値観は、
そうしたものと見做すのが自然だ。
ならば、「既に埋葬された自分もそうだし、また遡った先祖も」、
【犬猫と《同等に》扱われること】を良しとはしないのでは?
現代でも、『そうした価値観が、まだ消失・消滅してはいない』ということは憶えておいた方がいいと思う。
今回は身内の件だが、『そうした価値観』を持った他の人の場面に際し、
発言や行動が、相手の気分を害する可能性はゼロではない。
>>25追記。
動物実験は悪で、食肉調達は可。
迷子犬は捜索対象で、野良犬は市や保健所に通報。
この線引きがどこにあるかも、同時に考えてみるといいとオモ。
>
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1270867654/417 >「竜樹は、釈迦の縁起を『換骨奪胎』した」
もちろん、三枝氏の間違いです。
何度も述べましたが、@可逆的相依は10章その他で論破されています。
A『中論』1.10については、此有故彼有が不可だというのは、無有性だからで、
それは諸存在が無自性だから。
そして、無自性なのは、縁って生じたものは何者も自性としては寂滅してるから(7.16)。
更に、1.13や『六十頌如理論』19を念頭すれば、つまりは、「此有故彼有」が自性としては不可ということと、
或はまた、逆観として説かれている。
28 :
Classical名無しさん:10/04/24 17:32 ID:IdVp.rLE
>>27 正しい。生命教はスル〜するしかないでしょう。
セブン、今、規制中です。
夜、また、書きます。
30 :
Classical名無しさん:10/04/24 18:31 ID:r1vfAp2I
31 :
Classical名無しさん:10/04/24 22:08 ID:IdVp.rLE
生命教は、読むというより、脱構築でしょ。始めっから、テクストの内容なんかどうでもよくて、自分が思ってる怨念を吐き出すためのマテリアでしかない。しかし、三枝、並川とかやっぱ波長が合うんでしょうか?
机と生命教はどっちもただの素朴実在論なんだけど、
生命教はストレートに素朴実在論をテキストに読み込もうとするのに対して、
机は勝義を持ち出して、なんでもありにして、勝手に述べていいとする前提を作って、
結局、素朴実在論に基づく自慢話をしてるだけ。
でも、自分は自慢になってるつもりだけど、人が見れば恥の上塗りなだけ。
つか、文献学者がだらしないだけでしょ。
真っ当な『中論』解釈はオイラが見るところ梶山先生と石飛先生だけとみてる。
あとはほぼ全滅に近いんじゃないかな?
32 :
Classical名無しさん:10/04/24 22:10 ID:IdVp.rLE
仮設された因果と、戯論寂滅に至る無我・空の観法の側面と言い換えればいいかな?
因果は否定しないのが、まっとうな行者。例え勝義に住していても因果は尊重する。
だけど、因果をきっちり空と観る。
観れないなら、三昧の中で縁起の観法を用いて戯論寂滅して無我・空を悟らなければならない。
いやいや、菩薩なら在家とは限らないし、龍樹菩薩の慈悲心は熱いぜ。
『中論』からも伝わってくるが、『宝行王正論』の誓願から伝わるだろう。
『菩提資糧論』『智度論』からも伝わってこないか? また、伝記からも。
観念じゃないよ。戯論寂滅を狙ってるから、外の因果を抑止するのではなく、
根本的分別の元となる戯論という妄想力を断つわけだ。
妄想力こそ言語能力、言語本能と言われているものに近いとおもう。
まあ、今日は疲れたからこの辺で
>>32 桶。乙。
>>31 片山さん並の訳(&解説)で出るといいんだろうけどねw
中論研究の若手で、そういう気概の人って居らんのかな・・。
34 :
Classical名無しさん:10/04/25 05:47 ID:tIYvUllA
35 :
Classical名無しさん:10/04/25 05:54 ID:17Of/wkQ
てs
36 :
Classical名無しさん:10/04/25 11:00 ID:rnz0G15.
とりあえず合掌
身元確認6人に 高齢者施設火災(03/27 09:26)
札幌市北区の認知症グループホーム「みらい とんでん」の火災で、死亡した高齢者7人のうち新たに1人の身元が26日、入居者の***さん(88)と札幌北署の
調べで確認された。
同署によると、**さんには親族がおらず、通常は親や子供の協力を得て行うDNA鑑定ができず、遺体の骨格を測定し、生前の**さんの写真と照合する写真鑑定で
確認したため時間がかかったという。同署は残る1人の身元確認を急いでいる。
37 :
Classical名無しさん:10/04/25 11:12 ID:1jJhV0G2
悉宇佛性
法華経には人も動物も草木もみな佛性ありと説かれています。
39 :
Classical名無しさん:10/04/26 07:17 ID:kpQus5Wo
>>38 0.広沢 隆之『仏教 (図解雑学)』
おそらくある程度信頼できる内容のなかで最も分かりやすいと思います。
読解に自信のある人はこれを読まなくてもよいでしょう。
1.古坂紘一『宗教史地図 仏教』最も簡明で最も広範な仏教通史、しかも地図が豊富で、インドおよび日本については優れた知見を盛り込んでいます。
これは読んでおいた方がよい。仏教史と仏教的地理の全体像が得られなす。
これに索引がないのがなんとも残念、ぜひ再版する時は索引を付けてほしいところ。
2.末木文美士『日本仏教史』思想史的に書かれた簡明なもの。
3.水野弘元『仏教要語の基礎知識』日本人学者で最も権威の高い著者が、原始仏教を中心に記述したもの、簡明でありながら見解も高い。索引が充実しているので辞典としても使用できます。
この本は三回ぐらい連続して読むといいでしょう。これが分かれば仏教の基本は分かったといえるでしょう。
他の本を読んで分からなかったら、何度も索引を引いて読み返すといいでしょう。
40 :
Classical名無しさん:10/04/26 07:22 ID:kpQus5Wo
4.鎌田茂雄訳『八宗綱要』日本仏教の優れた入門書。他から丸写しの書き下しやフリガナは信用できるが、訳註は信用できません。つまり現代語訳はできれば読まない方がよく読んでも眉唾と心得た方がいいでしょう。
なぜ、勧めるのかといえば廉価で入手が用意だからです。
余裕があれば平川彰訳の同書を薦めますが、そちらはもはや入門書の域を超えているかもしれないですし。
二冊で一万を超える高価なものです。
辞典は、記述に問題があるが最も分かりやすい『岩波仏教辞典』を備えて読むのがいいと思います。
記載があれば『岩波仏教辞典』より『仏教要語の基礎知識』の方が信用できます。
『仏教学辞典』の方が安心して信頼できる伝統的な記述になっていますが、文語的で若干読みにくいと思われるので文語や漢語に親しみのない方は最初は遠慮した方がいいと思います。
逆に文語や漢語に抵抗がない方は『岩波仏教辞典』より『仏教学辞典』を手にすべきでしょう。
ただし歴史的な内容は記載されてないので、『コンサイス仏教辞典』で補うのがいいかもしれません。
41 :
Classical名無しさん:10/04/26 07:25 ID:kpQus5Wo
どちらかの辞書を具えて数字の順番に読んでいき、読めない漢字や分からない単語は辞書で調べて赤ペンなどでフリガナや傍注を入れましょう。
読み終えた本を次に読む本で分からない所を読む参考にして、分からない所は前の本を読み返しましょう。
これで概略はつかめると思います。
42 :
Classical名無しさん:10/04/26 09:12 ID:npqANuNU
43 :
Classical名無しさん:10/04/26 13:23 ID:kpQus5Wo
>600 名前: 机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. Mail: sage 投稿日: 2010/04/26(月) 11:40:43 ID: 2CqP84We
>古くはトロイア戦争(神話・BC1200年頃)などのも資料があるが、
>アルキメデスは反権力だが、名誉のために闘ったようだし、
>(ギリシャ軍は、アルキメデスを利用しただけ)
>そもそもヨーロッパなどは忠義というより民族意識が行動原理だろう。
また、シッタカばっか、アキレウスとアルキメデスを混同してるし。
そもそもホメロスがどれほど史実を反映してるのか?
まあ、西洋のことはほとんどしらんが、机よりはマシだとおもう
44 :
?:10/04/26 15:23 ID:sAcxG2wg
>>39 様へ!
やっと、本屋さんで、購入する事が、出来ました!
宗教史地図 仏教 (単行本) 古坂 紘一 (著)
ブッダのことば パーリ仏典入門 (単行本) 片山 一良 (著)
☆ 次は ↓ これを探して見ます! ☆
0).仏教 (図解雑学) (単行本) 広沢 隆之 (著)
>>41 彼が見てくれるかはわからないが、とりあえず蟻。 m(_ _)m
46 :
Classical名無しさん:10/04/29 09:44 ID:UgPnEqJI
>48 名前: ? Mail: sage 投稿日: 2010/04/29(木) 09:30:06 ID: 20wz+wtu
>もっと古いと、されている物が有れば、
>
>お経の解説書の書籍の、
>
>御教示の程を、宜しく御願い、申し上げます!
貴方は伝統仏教が知りたいのでしょうか?
それとも仏教学が知りたいのでしょうか?
両者は全く別の話ですし、仏教学が知りたいなら、語学堪能でないと無理ですよ。
日本語だけで知ろうとしても、半端で無駄なものにしかならないので、
止めた方がいいでしょう。
つまり、歴史学的、実証的仏教を目指すなら、まずサンスクリット、パーリ、
英語は最低限読めないとどうしようもないのです。
47 :
?:10/04/29 10:08 ID:UImXRLXI
>>46 様へ?
両方、勉強したいと思いますが、
日本語だけしか分からないので止めた方がいいですか?
日本語の、お経の解説書で何か良い書籍は無いんですか?
48 :
Classical名無しさん:10/04/29 10:39 ID:UgPnEqJI
>>47 『仏典解題辞典』を始めいくつかありますが、それを読んでどうするのでしょう?
それらには文献学的、書誌情報が書かれています。
つまり、それぞれのテキストの来歴が書かれています。
それらの知識は、ただただテキストをそれぞれの原語や、蔵訳、漢訳などを読む人のためにあるだけです。
また、テキスト成立の学説を知ってどうするのでしょう?
それらは仏教の縁起に反する素朴実在論に基づく実在史観に基づいています。
そんなこと知ってもしょうがないと思いますよ。
そんな本を収集するより、
>>39に示したものを何度も読み、
ある程度身に付いたら、国訳一切経や経典の和訳などを直接読んだ方がいい。
日本語で仏教学の知識など付けても混乱するばかりでしょう。
なぜなら、仏教学者で分かっている人が少ないからです。
>>47 横レスですが増谷文雄さんの本はどれも読みやすいですよ。
それと石飛道子さんの本は異端ですが面白いです。
50 :
?:10/04/29 11:10 ID:UImXRLXI
>>48 様へ!
宗教史地図 仏教 (単行本) 古坂 紘一 (著)
仏教要語の基礎知識 (単行本) 水野 弘元 (著)
ゴータマ・ブッダ ― 釈尊伝 (単行本) 中村 元 (著)
ブッダのことば パーリ仏典入門 (単行本) 片山 一良 (著)
ちょうど今 ↑ この書籍の勉強を、している所です!
> 仏教学者で分かっている人が少ないからです。
仏教専門の学者でも、分かっている人が少ないのですか?
それは知りませんでした!
51 :
?:10/04/29 11:16 ID:UImXRLXI
>>49 様へ!
> 増谷文雄さんの本はどれも読みやすいですよ。
> 石飛道子さんの本は異端ですが面白いです。
書籍の題名も、お願い致します!
52 :
?:10/04/29 11:27 ID:UImXRLXI
>>49 様へ!
阿含経典による仏教の根本聖典 (単行本) 増谷 文雄 (著)
次は ↑ この書籍を、勉強しようと思うけど、どうですか?
本当なのか? 嘘なのか? は別にして、
【業報輪廻】とか 【中有界】などに
興味が有ります!
>>52 増谷さんのその本は原典そのものを釈迦の伝記としても読める様に編集したものでコンパクトで実に読みやすいです。但し理論の解説などはありません。
石飛さんの本は最初に読むなら「ブッダと龍樹の論理学」がおすすめです。一見難しそうですがものすごくわかりやすい文です。
輪廻についてはスマナサーラさんの「死後はどうなるの?」がおすすめです。
未読ですが「仏教のまなざし」も輪廻がテーマです。輪廻は自分にとっても「あればいいけどあったらあったで一体何の目的か謎」なので興味深いテーマです。。
>>53 (人が)意図的に作り出した(或いは整備した)ものなれば、
目的を問うことに答えもあろうが、そうでないものに答えなぞ無かろう。
せいぜい、「我々は、それをこういう目的のものとして受け止めていこう」という
『解釈』をしてゆくしかない。
貴方は、「風が吹く目的」を確定できますか?
55 :
Classical名無しさん:10/04/29 13:43 ID:UgPnEqJI
>>52 訳はまあまあ、彼の所説は全く話になりません。
訳を読む前に
>>50を読んでください。
中村先生の釈尊伝より、水野先生の『釈尊の生涯』がいいですが、
それを読む前に宗教史地図、仏教要語の基礎知識を読んで全体像と、
術語の大体の見当がついてないと分からないと思います。
>>55 ワシは、(どの方面から入り、どこへ向かうにしても)
要語は「後から」の方がいいと思ってる。(少なくとも同時に・・。)
伝記系から入るなら尚更だ。(水野「生涯」は、ちゃんと簡易説明あるし、それだけでも問題ないと思う。)
何でもそうだと思うが、『辞書系から読み始める』のは邪道だと思う。
※それ以上広く深くやるつもりが無く、(且つ、ある程度の基礎知識が既にあり)、
「その分野・領域を概観したい」というなら辞書や事典のみでも良いが・・・。
>>56補
ジグソーパズルで言えば、全体図をイメージとして掴み、
重要なピースが、その画面のどこにあるのか、位置するのか、を知っていてこその、
個々のピースの意味だろう?
(勿論、全体図を見ずに、知らずに、ピースを吟味し、組み上げていくやり方もあろうが・・。)
58 :
Classical名無しさん:10/04/29 14:05 ID:UgPnEqJI
>>56 要語は辞書じゃないよ。確かに索引が充実していて辞書としても有用だけど。
伝統的な仏教概論に仏教学の成果を盛り込んだ上に、水野先生の高い見解も盛り込んだもので、
短い中に仏教の要点が正確に簡潔に説明されたもので、
学者が書いたものでは今のところこれ以上のものはないと思う。
ただ若干、言葉が古くて読みにくいかもしれない。
概論から入るのがいやなら、片山先生の訳から入るのがいいでしょう。
ただ、高い。分冊のやつなら比較的廉価ですが。
岩波文庫のパーリ中村訳を全て片山先生に変えればいいのに。
もう、中村先生の訳は役割を終えたと思う。
あ、「?」宛かwww
なら、要語からでいいやw
てか、寧ろ要語の熟読が最優先かwww
すまん(^^;)
>>55
>>58 季刊原始仏教が一般書店でも簡単に手に入るといいんだけどね。
ネットではすぐ買えるけど。
(最近、初期号が再版されたりはしてるようだ。)
中村訳の前線引退に関しては、(数少ない?w)意見の一致点だったな、そういえばw
62 :
Classical名無しさん:10/04/29 14:17 ID:LkFq3ok2
28)
>>701(佛教議論スレ)
>解る?
>解んないんだろうな・・・w (;´ー`)y━~~
そのような稚拙な思考と論理と文章では、誰も判らんw。英語に直訳したら、本国人は皆首をひねるだろう。そもそも、論理的な文章でなければ、英語には訳せない。
「宗教」の定義はさておき、宗教も、人間の他のすべての営みと同様、生命の機能である。死者には、宗教は出来ない。従って、生命の機能(生命現象)と生命そのもの(機能の発生源)とは別個であり、別平面上にある。
分類とは、同一平面状において行うもの。定食とスパゲティとは、「食物」という同一平面状にある。尤も、この分類もおかしい。定食にスパゲッティが添えられているもともあるのだからw、まともな分類にも、なっていない。
63 :
Classical名無しさん:10/04/29 14:19 ID:LkFq3ok2
>>62の続き
生命を以って、生命を批判することは出来ない。批判も生命の機能だから、批判すれば、むしろ生命を肯定することになり、ナンセンスである。
反生命の宗教をカルトという。生命を以って、生命を否定するという矛盾を犯しているからだ。
釈迦は、生命の証(あかし)であり、生命の維持に必須な心理現象である煩悩を、「排除すべき異物」として否定した。従って、釈迦はカルトである。そのことは、ダニアの章において明白に証明されている。
「世界宗教」としての佛教は、竜樹を経由した大乗佛教である。カルトである釈迦佛教ではない。
君のカルトへの嵌り込みは、特に深い。
64 :
Classical名無しさん:10/04/29 14:50 ID:UgPnEqJI
>>59 いいよ、いいよ、いいよ。
>>60 (^^)
>>61 ちょっと、まってやってみる
-------------------------------------------------
生命教、ここまでくるなよ。君の場合は、仏教の知識以前に
一般知識もないし、なにより話しのルール、間違いを認める、
主張、論証、根拠みたいな最低限の話し方、心持ちができてない。
要するに赤ん坊が泣いてるのと同じ、君が書いてるものは駄々っ子の泣き言なんだといい加減自覚してほしい。
オイラは読む気はないよ。
それが自覚できないのが、カルト的思考法だよ。他の人も言ってるだろ。
65 :
Classical名無しさん:10/04/29 14:57 ID:UgPnEqJI
>>65 ありがとな
やっぱな
俺も駄目だったんだよ
このスレほかに人いないだろうか?
>>63 貴方の考えは、感性一元論的なものだと思いますが、
どうやって、無常とどう整合出来るのですか?
例えば、無常な感覚に対して、常住な生命なる実体が、その無常な感覚経験を統一する、
といった具合ですか?
68 :
Classical名無しさん:10/04/30 09:36 ID:qp6QLWJ.
>>67 その人は荒らしで有名な生命教といわれる方なので、そっとしてあげてください。
>>54 たしかに仏教の発想自体もこの世界と自分があることは無目的で偶然で無意味で苦しみであるってイメージな気がしますね。
南伝系の人が最近出した悟りの階梯って本は涅槃イコール心と体の完全消滅といった感じの描写でした。
無明(潜在的形成力)がいわゆる世界の創造神的な役割を果しているんじゃないかと思ったりもします。
その無明を否定するのが悟りならばそれは同時に目的を否定することでもあると思います。
70 :
Classical名無しさん:10/05/01 19:37 ID:QcQjgLuA
聖道門はディズニーランドで込んでる列に普通に並んぶこと、浄土門はファストパスでならぶこと
という理解は正しいでしょうか?
>>70 聖道門は、「地図だけ渡されて《 ココ↓ 》と書いてあるようなもの」
浄土門は、「保険証を提示すれば、歩く歩道に乗れるようなもの
(勿論、《踏み外さないように》注意は必要だろうが・・)」
かな?
72 :
Classical名無しさん:10/05/01 20:27 ID:/Zg7UMbc
>>70 >聖道門はディズニーランドで込んでる列に普通に並んぶこと、浄土門はファストパスでならぶこ
聖道門はディズニーランドで被り物をしてみんなを楽しませること。
浄土門はディズニーランドを楽しい所と信じて行けるように準備すること。
>>72 それは、
どちらの門(≒道)にしても【通過し終えた者】のことだね。
「道程(≒門)がどのようなものであるか」の説明ではないよね。
74 :
Classical名無しさん:10/05/01 20:59 ID:/Zg7UMbc
>>73 そんなことないとおも。
聖道門は菩提心、普賢行ということが根本。
浄土門は往生転生するための信・念が根本。
とおもうよ。たぶん誰も言ってないけど浄土門はポワ、サムクラーンティだから、
インド伝来で、チベットでも盛んに行われているよん。
浄土門に関する現代真宗教学は妄想以外のなにものでもないとおも。
といって全体を把握してるわけではないので全くの印象批評に近いんだが。
あっちで言ってる輪廻否定は困ったもんだぞな。
『梵網経』でハッキリしてるし、なにより仏教は輪廻が前提でなければ破綻するよ。
因みに前も聞いたかもしれないが、一切皆苦を真実だと承認して、
輪廻がないなら、なぜ自殺しないのか?
輪廻を前提としない仏教などありえないよ。
75 :
Classical名無しさん:10/05/01 21:02 ID:QcQjgLuA
つまり聖道門は、地図の見方がわかってない人が行くと、
道に迷う人が続出するってことですね。
76 :
Classical名無しさん:10/05/01 21:08 ID:dolkBsV.
般若心経を理解できるやつ凄いな
法華経の何倍も難しいぞ
>>74 ま、その辺は「神通を得ないと確認できないこと」だから。
私の極々個人的な見解だよw
自分で確認及び類推できないことは、一先ず却下しておこうかな、とw
それに、これも極々個人的見解だが、
「ならば、来世に賭けよう」と思ってる自分もいるしねw 今生では無理だからwww
78 :
Classical名無しさん:10/05/01 21:18 ID:/Zg7UMbc
>>76 オイラ的には逆だな。『法華経』は宥和的一乗を提唱したこと以外、よくわからない。
まあ、天台大師とか吉蔵などの註を読んでないからかもしれないが、
心経は、インド註やシナ、日本、チベット註がほぼ基本的に一致しているので、
だいたい意味は分かる。心呪とその効能書きのようなもの、
現象は本質・本体のない空で、空だからこそ現象だと説く、
それがわかれば全てよし!
79 :
Classical名無しさん:10/05/01 21:27 ID:/Zg7UMbc
>>77 たしかに実体は確認できないし、もし、確認したと言っても、
それを直接体験してない他人に言っても妄想と言われればそれまでだ。
だが、論理として体系として輪廻を前提としなければ
仏教の道、教えの論理体系は破綻するよ。
だから、一切皆苦を認めるのに輪廻がないのに自殺しない理由は、
ありえないでしょ。あらゆる体験・経験・現象が苦だと仏教はいう。
もし、輪廻しないなら、自殺すれば解決だ。
ところが、輪廻するから、自殺しても何も解決しないと仏教は説く。
解決するためには、行して輪廻から解脱するしかないと、説く。
これを認めない限り仏教は始まらないだろう。
あるとしたら慰めか、唯のディレッタント、あるいは机とか生命教みたいな、
自分自慢のネタぐらいが関の山だとおも。
80 :
Classical名無しさん:10/05/01 21:34 ID:dolkBsV.
>>78 田舎の婆さんがギャーテーギャーテー言い始めると怖くてな
お経自体は好きなんだがな
>>79 だから日本仏教は衰退したんでしょ?w
「何度も繰り返される生」を実感できないし、説かれてもこなかったし、
教え諭されてもピンと来ないのが現代日本だよ。
現代日本仏教は、君的な謂いをすれば「そこに迎合した」のさ。
興味を引くのは、「心霊的来世」だけだw
一旦傾いた天秤を戻すのは困難だぞw
ま、それはともかく、最初のハードルの高さは意識すべきだと思う。
それを越えない限り利用できないものなれば、
別のもの(キリスト教なり新興宗教の俗っぽい輪廻なり)にシフトするのも已む無し、ってとこか・・。
さて、《そこ》を的確に教え示せる人物が(日本に)居るかい?
>>79 全ての苦の中で、「死」が最大の苦であれば、輪廻が存在しなくても別段破綻しないと思うが?
死が最大の苦であれば、来世があろうと無かろうと、自殺する事はありえない。
古代インドでも、輪廻を忌避する理由は、「再び生まれる」ことよりも、
再び生まれることによって「再び死ぬ」ことであったと聞く。
もう一言補足しとくか・・。
【今】、(【日本で】)『輪廻』と言った時イメージされるのは、
残念ながら「君の言う『仏教的輪廻』」じゃない。
『神霊的・オカルト的理屈での輪廻』だ。『縁起による輪廻』ではない。
つまり、『輪廻』を信じることでは一緒でも、その内容が違う。
一見、最初のハードルを越えているように見えるが、そうではない。
寧ろ反仏教的なものだったりもする。
結局、【輪廻を信じていようがいまいが】【縁起から入らなければならない】ということだ。
(宝珠や一在家が好例だw)
私は、《ここへ言葉を見つけられないから「輪廻」に触れない》、という面もある
ということをついでに告白しておこうw
84 :
Classical名無しさん:10/05/01 22:17 ID:/Zg7UMbc
>>82 いや、それじゃ一切皆苦にならんは。
一切皆苦ってのは、どんな快感も幸せも苦だってこった。
85 :
Classical名無しさん:10/05/01 22:26 ID:/Zg7UMbc
>>83 それでも机とか生命教よりマシだってこと。
それを示したのが『梵網経』に他ならない。
現世の快楽しか観ない凡夫に対して外道を聖者と釈尊は述べる。
断見は最低と釈尊は語る。
縁起を理解するのは難しい。その証拠に文献学者で縁起が分かってる人は、
ほとんどいないことが、上げられるだろう。
確かに仏教の根本は縁起だが、戒・昇天などはその門、前提となっている。
輪廻も受け入れずには、戒はなんとかなっても定は無理だろう。
大乗ではさらに菩提心も普賢行も廻向も成り立たないだろう。
輪廻は仏教の前提だから、しょうがない。
まずは輪廻の苦海にいるという現状認識から苦諦の基本がやっと分かることになるとおも。
>>84 いや、一切皆苦だろ?
単に、一切皆苦の中に、差もあるってだけで。
それとも、全ての苦が等しくなければ、一切皆苦では無いとでも?
例えば、箪笥の角に小指をぶつけたのと、
肌年齢が40歳になったのと、
インフルエンザにかかったのと、
ノコギリで首を切られるのが、同じ程度の苦であると?
>>85 >まずは輪廻の苦海にいるという現状認識から苦諦の基本がやっと分かることになるとおも
現代(日本)人は逆の方が入りやすいと思うぞw
【「輪廻」を理解・実感させる為に】縁起を説かねばならなくなる。
結局、縁起を先に説くことになりはしませんか?( ̄ー ̄)
>>85 「輪廻が存在しないと、(定、菩提心、普賢行、廻向、etc.が、どうして成り立たないのか?」を、
詳しく説明してくれないと、「輪廻は仏教の前提だから」と言うだけでは、
「生命が全ての基本だ!」と主張する生命教と同じレベルになるぞw
真宗は「死んだら終い」、死後の霊魂の存在は認めない。
まさに蓮如の「白骨」の世界。成仏=自然に還るだけ。
現世を生きる今こそ大事。自殺なんてつまらないこと考えずに
一生懸命生き抜きなさいと説く。
>>88 まあ、その辺は、我々凡人にとっての
「地球上では、リンゴが木から落下する」のと同じ類の前提ということで・・(^^;
で、その落下の理由(≒原理)は「引力」でなく「縁起」だ、と。
で、(仮に、転法輪経で(メインとしては)四苦八苦しか述べられていなくとも)、
『何度も繰り返される生』が前提である以上、
それは『四苦八苦もまた何度も繰り返される』ということに他ならない。
また、涅槃がゴールだとしても、そこへいくまでのスパンとして、
今生を越えようが今生で結実しようが、悪業の清算及び善業の蓄積は推奨されよう?
で、菩提心が『苦からの離脱を願う心、思い』なれば、それは『輪廻を脱する願い』に他ならず、
定は『それを観じる重要な部分(≒技術)』だ。
その意味で、つまり、『発心』というベクトルで湧水の源泉に比することができる。
また、何度も繰り返さねばならない(業を清算しきれない)者達の為に、回向(や普賢行)が為されるわけだ。
って、これじゃ理屈っぽいか?w
k
92 :
?:10/05/02 08:53 ID:46wu.6uw
宗教史地図 仏教(単行本) 古坂 紘一(著)
ブッダのことば パーリ仏典入門(単行本) 片山 一良(著)
仏教要語の基礎知識(単行本) 水野 弘元(著)
阿含経典による仏教の根本聖典(単行本) 増谷 文雄(著)
↑ 只今、勉強中の書籍
ダライ・ラマ智慧の眼をひらく(単行本)
ダライ・ラマ14世テンジン・ギャツォ(著),菅沼晃(翻訳)
↑ 只今、発注している書籍
>>88 他の誰かも書いてたけどやっぱり
輪廻して永久に苦しみは続くので
死が解決にならないという前提が不可欠なんじゃないかと。
前世の記憶のない輪廻って何なんだろうなとは思うけど。
輪廻と無我は矛盾ではないかと。
94 :
?:10/05/02 09:18 ID:46wu.6uw
アビダンマ講義シリーズ〈第5巻〉
業(カルマ)と輪廻の分析―ブッダの実践心理学
アルボムッレ スマナサーラ(著),藤本晃(著)
↑ 只今、勉強中の書籍
仏法―テーラワーダ仏教の叡智(単行本)
ポー・オー・パユットー(著),野中耕一(翻訳)
アビダンマ講義シリーズ〈第2巻〉心の分析―ブッダの実践心理学
アルボムッレ スマナサーラ(著),藤本晃(著)
↑ これから発注しようと考えている書籍
まあ、
「何度も繰り返される生」は「無始無終の(縁起する)連関」とリンクし、
「(恒常的)主体無き輪廻」は「縁起であるゆえの無自性」とリンクし、
「苦もまた、生を受ける度に、その時その生の主体に於いて感受され続ける」し、
その意味で「完全なる苦の滅(苦からの脱)」は「次の生を受けないこと」を含意するし、
「輪廻(輪転)が止まる」ことを指す以上、
(修行の階梯の面でも)、仏教の解脱の構造は、
今生だけでない、遥かに永いスパンで捉えられた「生死の繰り返される世界観」の上にある。
>>79の言う通りだったりするんだけどね。
で、
衆生は、「生が何度も繰り返される」、「次の生を受ける」、「そうした輪転の中にいる」から、
「自死によって今生での苦を仮停止させても、次の生で苦を受け続ける」から
「自死及び今生のみの世界観」は仏教的でないし、
《もし「今生のみであるなら」「自死によって今生の苦を停止させれば」、それで「苦の滅が達成され」てしまう》
と言っているわけだ。
>>82 だから、「オーソドクスな(或いは伝統的に正統な)仏教」ということで言えば79を支持せざるを得ないのさw
御隠居相手の一言とはいえ、また輪廻の話に戻しちゃったなw
すまん m(_ _)m >>ALL
97 :
?:10/05/02 09:51 ID:46wu.6uw
アビダンマ講義シリーズ〈第5巻〉
業(カルマ)と輪廻の分析―ブッダの実践心理学
アルボムッレ スマナサーラ(著),藤本晃(著)
テーラワーダには【中有】の概念は無い
バラモン教の
【死んでから次に生まれるまでの空間世界】の概念が
北伝部派や大乗に【中有】として取り入れられた
と言う事の様ですが
南伝にも【中有】と言う概念が有るのかと思っていました
98 :
?:10/05/02 10:26 ID:46wu.6uw
>>97 の続き!
だけど、テーラワーダにも
【死んでから次に生まれるまでの間の中】に
【地獄の世界が有る】そうです
【中有】と言う【言葉とか単語が無くても】
それは結局【中有の概念】って言う
気がするのですが?
>>90 なるほどね。
だが、それは「輪廻が有ると前提」した上で各用語を定義して、
「輪廻が有ると前提しないとこの定義から外れる」といっているようなものだろ?
私が言いたいのは、「輪廻がない」と前提しても、仏教のそのほかの要素は別に論理崩壊しないんじゃないかと言う事であり、
つまりは、仏教にとって、輪廻は、有っても無くてもどっちでも良い概念なんじゃないかと言う事。
>>96 >だから、「オーソドクスな(或いは伝統的に正統な)仏教」ということで言えば79を支持せざるを得ないのさw
まあ、「オーソドックスな仏教」なら、そうだろうな。
ただ、79は通仏教的に、輪廻を前提としないと全ての仏教が崩壊すると主張しているようなので、
「輪廻を前提としなくても、別に崩壊はしないんじゃないの?」と言って見ただけだ。
自殺に関しては、「(来世があろうと無かろうと)自殺によって苦を滅すると言う行為自体が、
最大の苦を発生させてしまう」と言う矛盾を孕んでいるという指摘だ。
>御隠居相手の一言とはいえ、また輪廻の話に戻しちゃったなw
>すまん m(_ _)m >>ALL
その通りだな。
私も謝る。 >>ALL
101 :
?:10/05/02 11:05 ID:46wu.6uw
>>98 の続き!
アビダンマ講義シリーズ〈第5巻〉
業(カルマ)と輪廻の分析―ブッダの実践心理学
【非想非非想処定の上の段階として滅尽定が有る】
仏陀の真実の教えを説く〈上〉阿含経講義 桐山靖雄(著)
増一阿含経 善聚品 【三十七道品の 五根の 定根】
【滅尽定は最高位の瞑想とされている】が
【さらに深い定(瞑想状態)が有る】
【滅尽定に入って、さらに、その修行を積んで行くと】
【自分の前世が分かる様になる】
102 :
?:10/05/02 11:16 ID:46wu.6uw
>>101 の続き!
【滅尽定】が
どの様な【呼吸法】なのか? どの様な【瞑想】なのか?
分からないけど
【滅尽定によって前世を見たい】と考えています!
103 :
?:10/05/02 11:41 ID:46wu.6uw
>>102 の続き!
そして、更に上の段階の【慧根】の
【四諦の理を悟る智慧】による
【定(瞑想)によって苦集滅道を体得する】
と言う事の様です!
>>97-98 南伝大蔵経総索引を見ると
58巻「論事kathA-vattu」第8品第2章に中有論(antarA-bhava kathA)てのがあるな。
64巻「清浄道論」でも言及されているようだ。
ざっと見、否定対象としてという感じだがw
『97で言われているような言い方(>空間世界)―一般的言い方にすれば「実世界」―
に於いて「色(肉体)を伴った上での存在の仕方」としては無い』という意味で、
死を挟んで次の生への間に【今、我々があるようなそのような在り方(≒五蘊存在)として】は無い、と・・。
或いは【五蘊の一一が(それぞれ単独に)「(下記に於ける)中間の」存在として】あることもない、と。
また、『「中有」が、定義として三界(欲界・色界・無色界)の【間に】あるもの、三界へ生じるまでの間の存在』
であるならば、そのようなものもまた無い、と・・。
論事で述べられているのは、凡そこんな感じのことではなかろうか?
で、
>>98のような例は、「中有」ではなく「有」である、と・・・。
そして、そこから関連して考えられるのは、そのような「生と生とを繋ぐ」かのような存在は、
まさしく輪廻に於ける(三世を跨ぐ)主体の想定に他ならない、と。
「縁起と業のみが、次の生(次の五蘊の結実)を生起させる」、と・・・。
みんな凄い詳しいけれど、本職?
若しくは大学でそういう系を専攻したの?
108 :
Classical名無しさん:10/05/02 20:52 ID:.jvtSx/.
>>106 共産党に入党して、レーニンの「唯物論と経験批判論」を学習したんだ。
そこで、西洋ではマルクスに至るまでうんと遠回りしてきた世界観が
仏教ではとっくに解決済みの問題ばかりであることに気付いたんだ。
それ以来、いろいろ仏教にも興味を持って勉強している
独学かよ
すげーな!
110 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/03 01:17 ID:d7KnDUos
>>83 >【今】、(【日本で】)『輪廻』と言った時イメージされるのは、
>残念ながら「君の言う『仏教的輪廻』」じゃない。
>『神霊的・オカルト的理屈での輪廻』だ。『縁起による輪廻』ではない。
>つまり、『輪廻』を信じることでは一緒でも、その内容が違う。
それを仏教的には縁起というのです。
何をどう混乱してるのか?(笑)
明日の職場に向けて準備してる状態も縁起そのものじゃないか!
この顔、手足、この生存そのものが縁起してる姿。
その〜何が分らないのか?(が、わからんわw)
>>90 >仮に、転法輪経で(メインとしては)四苦八苦しか述べられていなくとも
これも輪廻を前提に述べている、
ということすらも読み解けないのか?(イチイチ書かれてないと)
人はこれまでも無始の太古から〜そして、このままならば未来永劫、
繰り返される生存であるからこそ、“人生とは苦である”と看破してるのです。
111 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/03 01:22 ID:d7KnDUos
>>85 >縁起を理解するのは難しい。その証拠に文献学者で縁起が分かってる人は、
>ほとんどいないことが、上げられるだろう。
何が難しいというかが、わからん
(そこが難しいということか?w)
と、書いたらきっと叱られるのだろう^^
112 :
Classical名無しさん:10/05/03 02:04 ID:VLoKuEj.
>>109 共産党員の私としては、般若心経はとっつきやすいし理解しやすい。
「生成消滅、変化発展」「否定の否定」など弁証法の基本が出てくるから。
浄土教系もアミターバ、アミターユスを四次元の概念で理解できる。
法華経はちょっと勉強不足かなw
ちなみに私はまったくの素人だけど、共産党員の僧侶は少なくない。
浄土真宗の人が多いみたいだが、京都の清水寺の僧侶にもいたよ。
113 :
Classical名無しさん:10/05/03 06:31 ID:YX2Y9tD2
>>111 >>縁起を理解するのは難しい。その証拠に文献学者で縁起が分かってる人は、
>>ほとんどいないことが、上げられるだろう。
>
>何が難しいというかが、わからん
>(そこが難しいということか?w)
まず、貴方は『梵網経』の聖者とブッダの違いが分からないでしょう?
>>110 >それを仏教的には縁起というのです。
では、仏教では何が縁起して輪廻するというのでしょうか?
縁起が分かっていれば、この問いの可笑しさが分かるはず。
可笑しくないと思うなら、縁起を実体的関係性のようなもの、
それはおそらくニヤーヤのサマヴァーヤや、ニュートン的コウザリティのようなものでしょうが、
そのように考えるなら仏教の縁起ではない。
116 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/03 11:48 ID:d7KnDUos
>>114 仏典は、四聖諦を観じていない間は輪廻転生していたと明言しています(『大品/第六薬助謫』、
『マハー・パリニッバーナ・スッタンタ』)。『転法輪経』の文中に直接、輪廻の言及がないからという
判断は短絡ではありませんか?
では、苦諦に説かれる苦とは何か?つまり、全てのものが無常であって生滅変化を免れえない
からこそ苦なのである、と看破するのが仏教なのですよ。その発動原因が渇愛(タンハー)であるとさ
れ、これが輪廻の原動力だといっているのです。
無常であるからこその苦であり、その状態が輪廻そのものですよ。
118 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/03 12:03 ID:d7KnDUos
120 :
Classical名無しさん:10/05/03 12:20 ID:FkOiwrFE
仏教の教祖は死後の世界に関していかなる質問を受けても生涯ノーコメントに徹した。
これを無記という。
ノーコメントに徹した理由については毒矢に射たれた患者の例えでナンセンスだと戒めている。
輪廻が有るとか無いとかは元々仏教では考えない話なのだよ。
>>118 おいおいw
了解しちゃっていいのか?w
122 :
Classical名無しさん:10/05/03 12:39 ID:FkOiwrFE
ついでに仏教の教祖は、葬式を取り仕切って謝礼を受けとる者は決して自分の弟子ではないと断言している。
123 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/03 12:55 ID:d7KnDUos
ん?
私は、
>>79に帰結することで同意しますよ。
124 :
Classical名無しさん:10/05/03 13:17 ID:FkOiwrFE
輪廻が有るのか無いのかは仏教では問題にしていないのだよ
気にするだけ無駄だからね
125 :
Classical名無しさん:10/05/03 13:24 ID:YX2Y9tD2
>>120 生命教か? 誤解、地獄についても、天界についてもたくさん説かれている。
死後の無記というのは如来の死後、つまり解脱涅槃したものの死後についてにほかならない。
仏教では無常な霊魂のようなものを認めている。原始仏典ではゴーティカ、ヴァッカリの話が正にそれである。
ゴーティカ:中村元『悪魔との対話』52「ゴーティカの識別力」
ヴァッカリ:『世界の名著1』456「ヴァッカリの魂」
共に vin~n~a^na 普通「識」と訳される。つまり解脱していない人の意識を意味していると思われる。
後代、「識」だと実体視され易いからだろうか、「自相続」「心相続」などと呼ばれるものを同じである。
現在の識の連続も死後の識の連続も縁起によって識と仮設されるだけで、
もちろん無我で空である。これを理解しないから、以下のようにいう。
>>93>輪廻と無我は矛盾ではないかと。
126 :
Classical名無しさん:10/05/03 13:26 ID:YX2Y9tD2
ついでに、
>>97 > テーラワーダには【中有】の概念は無い
>
> バラモン教の
> 【死んでから次に生まれるまでの空間世界】の概念が
> 北伝部派や大乗に【中有】として取り入れられた
たしかにテーラワーダには中有がない、それはただ言葉がないという問題で、
上のヴァッカリのように次の生に転生するまでの識の状態はあったと考えられる。
これをバラモン教の概念とするのは非常に幼稚である。
確かに言葉はそうかもしれない。これは過去の言語習慣によっているだけの当然のことである。
ブッダ、ヴィディヤー、ニルヴァーナ、ヨーガ、などと同じである。
127 :
Classical名無しさん:10/05/03 13:27 ID:FkOiwrFE
死後どうなるのかを仏教の教祖は一切答えていないよ。
仏教徒を自称する後世のぺてん師が何を吹聴したのかは知らないが
>>123 お前さんがそれで良いなら別にいいけど、
以前お前さんが言っていたのと、
>>95-96では、大分落差があるぞ?w
余計なお世話だと思うが、
輪廻を少しでも肯定的に評価すると手放しで賛同する癖は直した方がいいと思う。
129 :
Classical名無しさん:10/05/03 13:36 ID:YX2Y9tD2
>>124 >輪廻が有るのか無いのかは仏教では問題にしていないのだよ
生命教なのだろうが、全く逆、輪廻を信じないことが邪見といわれた。
『大四十経』(田中教照 訳)
比丘たちよ、それでは邪見とは何であろうか。布施なく、祭祀なく、供犠なく、善悪業の報いなく、
此世、彼世、母、父なく、化生の有情なく、沙門バラモンにして正行正習、自ら此世と彼世を知り
証して説く者の世になし、と主張する、これが、比丘たちよ、邪見である。
生命教は、まったく何も分かってないことと、
ほんとに基本的に頭が悪いこと、
自分の妄想を読み込みテキスト自体の内容を理解する意図がない
正にカルトの思考パターン、行動様式そのものだってことに気付こうや。
少なくとも5人ぐらいから最近ずっと言われてるだろ。
>>125 |
|゚) < けど、(宿命通で想起可能とされる)「詳細な」「記憶」の保持(或いは想起)は不可解なままだよね・・・。
|
|
|ミ サッ
|
131 :
Classical名無しさん:10/05/03 13:41 ID:YX2Y9tD2
>>127 沢山書かれてるぞ、その魂、識ってのもそうだが
中村元訳『スッタニパータ』143頁
そこで修行僧コーカーリヤは座から起って、師に挨拶して、右まわりをして立ち去った。修行僧コーカーリヤが立ち去ってからまもなく、かれの全身に芥子粒ほどの腫物が出てきた。
(初めは)芥子粒ほどであったものが、(次第に)小豆ほどになった。小豆ほどであったものが、大豆ほどになった。大豆ほどであったものが、棗の核ほどになった。棗の核ほどあったものが、棗の果実ほどになった。
棗の果実ほどあったものが余甘子ほどになった。余甘子ほどであったものが、未熟な木爪の果実ほどになった。
未熟な木爪の果実ほどであっものが、熟した木爪ほどになった。熟した木爪ほどになったものが破裂し、膿と血とが迸り出た。そこで修行僧コーカーリヤはその病苦のために死去した。
修行僧コーカーリヤは、サーリプッタとモッガラーナとに対して敵意をいだいていたので、死んでから紅蓮地獄に生まれた。
132 :
Classical名無しさん:10/05/03 13:41 ID:FkOiwrFE
カルトとは有るのか無いのか確かめようが無い輪廻を信じる奴だよ。
何故仏教の開祖が死後の世界に関してノーコメントに徹したのかをまるで理解できていないな。
133 :
Classical名無しさん:10/05/03 13:43 ID:YX2Y9tD2
>>132 そりゃ、お前の脳内仏教だな。同じく中村訳
657 人が生まれたときには、実に口の中には斧が生じている。愚者は悪口を言って、その斧によって自分を斬り割くのである。
658 毀るべき人を誉め、また誉むべき人を毀る者、──かれは口によって禍をかさね、その禍のゆえに福楽を受けることができない。
659 賭博で財を失う人は、たとい自身を含めて一切を失うとも、その不運はわずかなものである。しかし立派な聖者に対して悪意をいだく人の受ける不運は、まことに重いのである。
660 悪口を言いまた悪意を起して聖者をそしる者は、十万と三十六のニラップダの[巨大な年数のあいだ]また五つのアッブダの[巨大な年数のあいだ]地獄に赴く。
661 嘘を言う人は地獄に墜ちる。また実際にしておきながら゜わたしはしませんでした」と言う人もまた同じ。両者とも行為の卑劣な人々であり、死後にはおの世で同じような運命を受ける(地獄に墜ちる)。
134 :
Classical名無しさん:10/05/03 13:46 ID:FkOiwrFE
脳内仏教も何も、お前は無記も知らんのか?
無検証で輪廻の世界観を肯定していたなら質問された時にノーコメントに徹したり、
ノーコメントに徹した理由をわざわざ毒矢の例えで説明した事と食い違う事すら気付けないのか?
135 :
Classical名無しさん:10/05/03 13:47 ID:YX2Y9tD2
以上のようにきっちり釈尊は死後も説くし、来世を信じないものは断見という
最低の見解といって厳しく断じた。
これは大乗・小乗、地域時代を通じてどんな仏教でも仏教で有る限り一貫している。
例外は現代日本仏教・タイ仏教の一部とアーベントカールによるインドの新興宗教ぐらいだろう。
歴史的にも多少例外的に存在したかもしれないが、いずれにしろそんなものは仏教の名に値しない。
136 :
Classical名無しさん:10/05/03 13:50 ID:3JycjMEw
門徒はラクでいいわ。死後の霊魂など迷信に過ぎないってことですむし。
137 :
Classical名無しさん:10/05/03 13:50 ID:FkOiwrFE
仏教の開祖が死後の世界に関して実在するとコメントした事実は無いよ。
それがわざわざ無記(ノーコメント)という仏教用語として存在している。
お前の脳内仏教では無記という概念すら教わらないのか?
138 :
Classical名無しさん:10/05/03 14:08 ID:FkOiwrFE
輪廻という世界観が社会全体の共通認識だった2500年前のインド社会で教えを説く場合の方便として死後や輪廻の話に言及する可能性ならある。
毒矢で誰かを実際に射殺する必要は無いが、毒矢に射られて死にかけた患者を例え話に使う場合はあるようなものだ。
だが、それは輪廻を信じる信じないとは別な問題なのだよ。
>>138 |
|゚) < それも、推測でしかないよね・・・。
|
|
|ミ サッ
|
140 :
Classical名無しさん:10/05/03 14:20 ID:FkOiwrFE
仏教の開祖が死後どうなるのかを質問された時に必ずノーコメントに徹したのは事実だよ。
つまり仏典に記述された輪廻を前提にしたエピソードはただの例え話以上の代物ではないと考えるしか整合性はとれないね。
141 :
Classical名無しさん:10/05/03 14:47 ID:YX2Y9tD2
>>140 事実じゃない。そういう記述は全くない。
だから如来死後について無記なだけで、
凡人の死後は輪廻するし、地獄も天国も人間にも畜生にもなると、
沢山といてるし、ご自身も色々なってきたと明解に説いてるっつの。
しかし、証拠だしてもこうなるから、君は生命教だつの。
142 :
Classical名無しさん:10/05/03 14:50 ID:FkOiwrFE
無記で検索してみろよ。
毒矢で死にかけた患者の有名な例え話とセットでどうして死後どうなるのかを仏教では論じないのかを解説してるからさ。
143 :
Classical名無しさん:10/05/03 15:02 ID:YX2Y9tD2
>>142 検索しろとは、オイラは、パーリもサンスクリットも、漢訳も蔵訳も読んでるぜ。
『小マールンキャ経』『箭喩経』が最も有名だが。
如来死後ってきっちり質問する。これに対して近代の学者の一部が、
如来の原語、タターガタを有情とする後代の註釈だけを根拠に、
タターガタは有情だから、生きもの一般の死後と解釈する人がいた。
それが完全な誤読だというのは水野弘元先生を始めとする、何人かが論証した通りだ。
お前は、何も知らないどころか、知ろうともしないカルト精神の塊だな。
ここに書くなよ。
144 :
Classical名無しさん:10/05/03 15:17 ID:FkOiwrFE
何も知ろうとしてないのはお前だよ。
当時の人間の世界観に目線を落とした例え話の言葉尻を一々鵜呑みにしてどうする?
仏教ではバカ向けの例え話以外で死後の話なんかしないんだよ。
それが無記だ。
お前は仏典の例え話にケロロ軍曹が登場した場合にはケロン星人の実在を信じると言ってるだけだろが。
145 :
Classical名無しさん:10/05/03 15:30 ID:YX2Y9tD2
146 :
Classical名無しさん:10/05/03 15:36 ID:FkOiwrFE
仏教では死後の世界について真正面から質問された時にはノーコメントに徹した理由について考えないから、
お前は輪廻みたいな与太話を真に受けるんだよ。
誰かが言ったというだけの話を無検証で真に受けてるお前がカルト精神に陥っただけだ。
ちょっと質問です。
姉が仏教系の新興宗教?に入ったようです。
神社に行ってはいけない、入信すると数珠がもらえる、お祈りするとすべて上手く行く、というのはどこの何という宗派ですか?
数珠を見せてもらったんですが、黒い色をしていて所々に魂みたいな、勾玉みたいな形の白い色の何かがくっついていました。
スレ違いでしたら誘導お願いします。
148 :
Classical名無しさん:10/05/03 16:51 ID:3JycjMEw
その手の新興宗教はいっぱいあるから、それだけの情報じゃわからない。
内容も仏教を装いながら、まったく仏教とかけ離れたものがあるし、
このスレの住人じゃわからないと思う。
149 :
Classical名無しさん:10/05/03 16:54 ID:YX2Y9tD2
152 :
Classical名無しさん:10/05/03 18:18 ID:3JycjMEw
対機説法でいうことがコロコロ変わる釈迦のことば。
輪廻を認めているように解釈した教義もあれば、認めていないと解釈した教義もある。
釈迦がどう思ってたかはともかく、輪廻が当然視されていたインド社会で
あたまからそれを否定しても相手にされなかったんだろうな。
153 :
Classical名無しさん:10/05/03 18:53 ID:FkOiwrFE
2500年前のインド社会で輪廻を否定する考えは常識破りには違いない。
だから物分かりの悪い連中向けの説法には輪廻の世界観を前提とした例え話を方便として使う可能性くらいは十分に考えられる事だ。
だが、輪廻を真に受けてるなら無記という態度はあり得ない。
輪廻が有ると本気で信じているならそう答えたら済む話だ。
死後の世界に関して質問された場合にはどうして無記なのか?
普通にプラジュニャーを働かせれば輪廻ガラミの話は単なる例え話の方便と分かる。
現代のアニメ好きな子供に向けた例え話にケロロ軍曹を登場させたとしても、それはケロン星人の実在を信じているという根拠にはなってない。
当時のインド社会では分かりやすい例え話だから有るのか無いのか確かめようが無い輪廻という与太話を使っただけだ。
154 :
Classical名無しさん:10/05/03 20:30 ID:YX2Y9tD2
>>152 いやいや、長中部経典を読めば、導入部の待機説法は別にして、
核になる部分は殆ど同じですよ。
そして、戒定慧と進み、果の部分である慧の段階で、つまり、ほぼ最終段階で、
宿命通が出てきます。宿命通とは自身の過去世の記憶です。
以下の『梵網経』でも明らかにです。
現世しか知覚できない凡夫、過去世を能力に応じて知覚する外道、
しかし、輪廻に何か基体、アートマンを求める外道と、
それを縁起観、ヴィパシャナーによって無我と悟るブッダの三段階が美しく描かれています。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/16.html
155 :
Classical名無しさん:10/05/03 20:33 ID:FkOiwrFE
確かめようがない死後の世界の話をどこの馬の骨が設定しようが、
与太話には変わりないんだよ。
156 :
Classical名無しさん:10/05/03 20:34 ID:YX2Y9tD2
また、以下の wiki の記述はなかなか正確です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/輪廻 仏教においても、伝統的に輪廻が教義の前提となっており、輪廻を苦と捉え、輪廻から解脱することを目的とする。
仏教では輪廻において主体となるべき我、永遠不変の魂は想定しない(無我)。
この点で、輪廻における主体として、永遠不滅の我(アートマン)を想定する他のインドの宗教と異なっている。
無我でなければそもそも輪廻転生は成り立たないというのが、仏教の立場である。
wiki でも下の方で触れられていますが、和辻など輪廻を否定する立場の学者は、
現代の常識、そのほとんどが素朴実在論で仏教を適当に読みかえただけのものです。
素朴実在論では縁起も無我・空も成り立たず仏教とは全く逆の考えであるのは明かです。
157 :
Classical名無しさん:10/05/03 20:40 ID:FkOiwrFE
輪廻を信じているなら、
死後の世界について質問された場合に無記という態度は取らない。
有るのか無いのか確かめようがない与太を一言一句真に受けてるとカルトにアッサリ騙されるぞ。
158 :
Classical名無しさん:10/05/03 20:49 ID:gZlMRkQ6
ん〜〜? 今までロム専にしてたが、宝珠がまたバカ言い出しそうだから
俺も参戦するかな? セブンは様子見か?
死んだら死にきりだったら悟りも修行も無意味にならないですかね。苦しみは今生限りであれば快楽を我慢してまで何も修行するまでもないとも思えます。
160 :
Classical名無しさん:10/05/03 20:59 ID:FkOiwrFE
無記とは答えを確かめようがない問題に頭を悩ませ続けるのは徒労だというエピソードだよ。
先程から無記の教えを黙殺するのに必死なバカは、
かつて何人もの理系エリートや宗教学者までもが松本智津夫の口先から紡ぎ出される華麗な死後の世界についての与太話に夢中だったのと同じ轍を踏んでるとしか見えないね。
161 :
Classical名無しさん:10/05/03 21:03 ID:YX2Y9tD2
>>159 というより、一切皆苦が真実だと受け入れるなら、輪廻が無ければ自殺すればいいだけの話。
そして釈尊は凡夫には自殺を戒めたけれど、
解脱したものの自殺は咎めませんでした。ヴァッカリ、スシーマ、
恐らくサーリプッタもそう。
162 :
Classical名無しさん:10/05/03 21:10 ID:FkOiwrFE
わざわざ自殺なんかしなくても誰もがいずれは息絶える。
死後どうなるのかを確かめる手段を誰も持ってない以上、わざわざ自殺するのが必ず楽という保証はどこにも無い。
仏教が輪廻説に与しないなら皆自殺する筈だなんてのは勝手な思い込みに過ぎない。
163 :
Classical名無しさん:10/05/03 21:16 ID:YX2Y9tD2
>>158 彼は、
>>154で書いたように、現世しか知覚できない凡夫は越えたけど、
過去世を能力に応じて知覚する外道レヴェル。
現象は幻で、アートマンなどが実在するとする考え。
それと縁起観、ヴィパシャナーによって無我と悟る仏教は違う。
それを何度いっても認めない。
仏教って言わなきゃいいのに。
ただの常識しか認めない人も、なんで仏教っていうのかねえ?
164 :
Classical名無しさん:10/05/03 21:16 ID:gZlMRkQ6
>>161 縁起一代よ、ちょっと聞くが、仏教では「苦は全て等価」
であり、それについて差はない。 このような認識か?
ちょっと前に、そこを突っ込んでいるひとがいたが、それ対しての
回答はなかったように思うが?
もし「死」が最大の苦(通常はそのように皆、考える)であるならば
「一切皆苦を認めても、輪廻を信じず、かつ、自殺もしない」という結論は
別に論理破綻しないことになるぞ。
アンベードカルは東洋のルナン?
166 :
Classical名無しさん:10/05/03 21:31 ID:YX2Y9tD2
>>164 それを彼に説明するのはめんどくさいのでさけた。
それと数日前まで忙しかったから。
それは一切皆苦について理解がないと考える。
つまり、世間でいう楽を楽と捉えているから、そう考える。
一切皆苦というのはあらゆる現象・感受が苦であるということに他ならない。
この「一切」についての認識が甘いよな。まあ、オイラも論理的認識で、
実感として認識していたら、今から悟るまで行に専念する以外ないわけだが。
これを受け入れたなら、輪廻がなければ自殺するしかないだろう。
実際、ヴァッカリやスシーマ、サーリプッタの自殺を釈尊は認めた。
なぜなら、解脱しているから輪廻しないから。
ところが戒律で自殺は戒められている。
これは解脱していないから、自殺したら苦から抜け出せないからに他ならない。
167 :
Classical名無しさん:10/05/03 21:34 ID:YX2Y9tD2
>>165 ちかい。日本のルナンが和辻だと思う。
和辻みたいなヤツが倫理学に行き着くのは必然だが、
なんで仏教を読みかえたかといえば、恐らく木村泰賢先生への嫉妬だと思う。
あるいは、ただの素朴実在論的信仰があっただけか?
168 :
Classical名無しさん:10/05/03 21:48 ID:gZlMRkQ6
>>166 いやいや、それは論点が違う。 あの人が言ってたのは
1.「全ての現象・感受が苦であるということ」を認めた上で、
その種々の苦が全て等価であるか? もしそれぞれに差があり
「死」がその最大のものであるならば、『輪廻を否定したとしても
自殺を拒否することに矛盾はない。』 こういう論立てだ。
2.そこで「仏教では全ての「苦」は等価か?」と聞いたわけだ。
もし「死」が「病」「老」を上回る苦であるならば、自殺を選択
しないのも当然となる。
よって、『一切皆苦を認めるのに、なぜ自殺をしないのか?』
という批判は意味を失う。
あの人の指摘は以上のようなものだと思うぞ。
>>168 いつもながら明晰明解ですなw
分析外道の称号を申請してみたら?w
170 :
Classical名無しさん:10/05/03 22:01 ID:gZlMRkQ6
>>169 おろ? セブンか?
>分析外道の称号を申請してみたら?w
俺は「外道」にすら、なってない。
申請するなら「分析凡夫」だな。(笑)
171 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/03 22:03 ID:d7KnDUos
はいはい。
三昧中に縁起観を行じて成就すればいいのですね。
よくよ〜く了解です^^
>現象は幻で、アートマンなどが実在するとする考え。
>それと縁起観、ヴィパシャナーによって無我と悟る仏教は違う。
>それを何度いっても認めない。
だから、その違いが何だというのか?
では、無我と悟るのは誰か?誰が悟ったのか?
その境地を自覚するのは誰なの?
もし、無我の境地が永遠のものならば、それを自覚している自己も永遠ということ。無我の境地を自覚
できる主体無くして、覚醒も起こり得ない。それとも何か?せっかく無我の境地を悟っても再び没落するの?
二度と没落し得ないならば、それが永遠の境地ということ。永遠の境地を自覚しているのは誰?
〜と思うよ^^
「永遠」って言葉、あなた嫌いでしょう?w
(しかし、頭固いなぁw)
172 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/03 22:06 ID:d7KnDUos
174 :
Classical名無しさん:10/05/03 22:17 ID:3JycjMEw
つまらない質問でスマンが、「死苦」とはその人個人のみのものを指すのでいいのか?
実は死苦は死別を受けた生きている人間の苦しみも包摂したものではないの?
だとしたら自殺は苦の解決にならないと思った次第
175 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/03 22:18 ID:d7KnDUos
>>173 一応、褒め言葉?と受け留めておきますねぇ^^ セブンw
>>175 まあなw
通常の思考過程を経た場合、
「消去しきれない主体が残らざるを得ない」からね。
177 :
Classical名無しさん:10/05/03 22:26 ID:YX2Y9tD2
>>168 いやいや、それでは一切皆苦を認めてないことになる。
言い換えれば、凡夫の認識で楽は楽だとか、病気の苦痛は苦で、
空腹時に食を食べたり、美形とセックスするのが楽だと認めるなら、
それは一切皆苦を認めてないということ。
>>171 もう誰とか何とかいう戯論妄想は寂滅してるんですがな。
頭、硬いのはそっち。あんたは外道、仏教っていうなよ。
縁起・空と、現象・実在/マーヤー・ブラフマンは全く異なるもの。
これを同じというような伝統的仏教者は、私の知る限りジャワの密教ぐらい。
これは恐らくヒンドゥーの聖者で仏教を誤解したのだと思う。
178 :
Classical名無しさん:10/05/03 22:27 ID:YX2Y9tD2
そもそも縁起を認めるなら輪廻を認めるはず。
なぜなら、縁起の基本である此縁性「これあればこれあり、これなくばこれなし」に適応するなら、
業あれば輪廻あり、業なくば輪廻なしなるからだ。
つまり、解脱せずに行為するかぎり、業を作るので、その因から果として輪廻し、苦果が縁起するのが法性であり、
これは如来出るも如来出らずも、そうなっていると『縁経』など沢山の経典に書かれて、あらゆる仏教徒が認めるところだからだ。
これが分からないなら、仏教が何も分かってないと思った方がいい。
179 :
Classical名無しさん:10/05/03 22:28 ID:YX2Y9tD2
180 :
Classical名無しさん:10/05/03 22:40 ID:YX2Y9tD2
>>177 補足すると一切皆苦ってのは、もはや勝義でしょう。
それは無我・空に置き換えて考えれば分かり易い。
個々別々に仮設された世俗の世界では、それぞれ個別に我・本質・実体があると言われ、
無我・空というなら、アホ・馬鹿と言われる。
しかし、ある程度仏教の理解がある人なら、無我・空と言われても可笑しいと思わない。
それと同じで、個々別々に仮設された世俗の世界では、それぞれ個別に苦楽があると言われるし、
個別な苦楽を感受する。一切皆苦というなら、アホ・馬鹿と言われる。
しかし、ある程度仏教の理解があれば、可笑しいと思わない。
これで理解できるだろうか? 一切皆苦についてはきっちり調べてないので、
典拠をスラスラ出すことはできない。その点でも躊躇したわけだ。
>>177 全然
>>168を理解してないだろwww
楽がどうとか一切言ってないぞ。
一切皆苦を認めた上で、それぞれの苦を比較してるんだ。
で、「おやつを食べ損なって小腹が空いた」という苦と、
「ノコギリで首を切られて死んだ」という苦は、等価なの?
182 :
Classical名無しさん:10/05/03 22:45 ID:gZlMRkQ6
>>177 だから、それは違うって。
俺は「一切皆苦を認めた上で、すなわち、美味しいものを食べたり、
美人とセックスすること、一般的に「楽しい」と思われていること
全てを『苦』であると認めた上で、それぞれの苦に差はあると仏教
では考えるのか?」ということ。
「あらゆることを苦と考えることを前提としていいわけ。」
その上で種々の苦に差はあるのか?ということ。
それとも「苦は全て苦であり、差はない。死も病も老も全く同じ。
『美味しいものを食べるという苦』も、等価。仏教における苦の認識
というのは、このようなものなのか?」ということを問うているのだが。
183 :
Classical名無しさん:10/05/03 22:57 ID:gZlMRkQ6
>>180 ちょっと、まったああああ。縁起一代。
>補足すると一切皆苦ってのは、もはや勝義でしょう。
これはダメ。「一切皆苦を勝義にしてしまうと、『一切皆苦を認める
のに自殺をしないのは不合理』という論立て自体が意味をなさなくなる。
『』の見解はあくまでも世俗における論理だ。そこに勝義を持ち込むので
あれば、すでに言語表記の限界を超え、その批判自体が意味をなさない。」
「一切皆苦」を勝義とすること自体は問題ない。しかし、そうするのであれば
『』の批判は(一切皆苦の論理的説明を放棄した時点で)無意味となるぞ。
184 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/03 22:57 ID:d7KnDUos
>>178 >業あれば輪廻あり、業なくば輪廻なしなるからだ。
>つまり、解脱せずに行為するかぎり、業を作るので、
>その因から果として輪廻し、苦果が縁起するのが法性であり、
例えば、これらクリシュナの説く、(無執着)による行為は果報を受けることなく、
故に、行為者としての主体はなくなる(自己の非同一視)、という教えと一体、何がそんなに違うというのか?
(と、オイラは思うよぉ^^ ん?ギーター載せたら起こられる?www)
185 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/03 23:01 ID:d7KnDUos
『人は行為に着手しないでは超行為の状態に達せず、また行為の遠離(カルマ・サンニャーサ)によっての
み完成に到達するものでもない。(第3章-4)
なぜなら、一瞬間たりとも行為を行わずにいる者はないから。すなわち、すべての者は根本原質
(プラクリティ)から生ずる成分(グナ)によって、いやおうなしに行為させられる。(5)
おまえは義務的行為を行え。なぜなら、行為は無行為にまさるから。行為がなければ、おまえの身
体を維持することさえおぼつかないであろう。(8)
したがって、執着を離れてたえず義務的行為を行え。なぜなら、執着を離れて行為を行う人は最高
所(解脱)に到達するから。(19)
行為はすべて、根本原質の成分によって行われる。しかし、自我意識で心が迷った者は、「わたし
が行為者である」と考える。(27)
しかし、力の強い者よ、個我が(根本原質の)成分および行為と異なることの真相を知る者は、「成
分は成分に対して活動する」と考えて執着しない。(28)
186 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/03 23:03 ID:d7KnDUos
行為はわたしに影響せず、また行為の結果をわたしは期待しない。わたしをこのように理解する者
は、行為に束縛されることはない。(第4章-14)
行為の結果に対する執着を捨て、常に心が満ち足り、他に依存しない者は、たとえ行為に携わって
いても、なんら行為を行わない。(20)
アルジュナよ、燃える火が薪を灰にするように、知識の火はすべての行為を灰にしてしまう。(37)
なぜなら、知識に匹敵する浄化具は、この世には存在しないから。実修(ヨーガ)によって完成した者
は、 時期がくれば自らそれ(知識)を自己の中に見出す。(38) 』
(『バガヴァッド・ギーター』[世界の名著1]中央公論社刊)
>>177 >それでは一切皆苦を認めてないことになる
「認めていない」ではなく、「実感していない」「見ていない」「頷かれていない」ということだろ?w
認めていても踏み出せない一歩はある。
(技術やコツを知らないからというのも理由の一つだが)未遂が多いことの理由の多くは、
『“それ”が怖いから』だよ。
たとえ、唯一つ残された方法であっても、それを実行するにはそれなりの後押しが要る。
ブレーキの効きが良ければそれが抑制になる。
また、二歩手前で引き返す者たちも、『やっぱり、“それ”を選択するよりは【他の苦を】【耐えよう】と考える』からだ。
三流ドラマの「振り上げた腕が暫し止まり、手からナイフがこぼれ落ちる・・・」なんてシーン、
或る意味リアルだぞw
>>177 ま、それはともかく、自殺から離れてみればもう一つ、『最優先で何が願われるか』という視点も抜けている。
「一切の苦の滅」「完全なる苦の滅」「涅槃」が望まれるなら、(それしか望まれないなら)貴方の言う通りだ。
だが、2500年の間、多くの信者は、より良き後生をこそ願っているのさ。
それは現存上座部の信者でも変わりない。(スパイロ他の言う通りだ。)
≪一切皆苦を“認めながら”(理解しながら)も、
【とりあえずは良き後生を願い】【何度か生を繰り返すうちに、出家し、阿羅漢となろう】≫と。
※勿論、ここで、本来勝義であり望まれる(涅槃としての位置付けの)「楽」が、
世俗の苦楽の中の楽の位置へ下ろされている、と見ることもできる。
今の流れは、この観点とリンクし始めている。
>>177 一切皆苦が勝義であることには同意だが、なればこそ、
勝義として頷かれたなら、そこで願われるのは勝義として「涅槃」しかありえない。
それはまさに、今指摘されているように【世俗の全ての苦は(苦楽)は等価である】ということだ。
仮に、「頷かれずとも理解したなら(→全ての苦が(苦楽が)等価だと見られたなら)」
【輪廻を信じない者】は死を選ぶこともあるだろう。
或る【輪廻を信ずる者】は、その行為の業の性質を恐れ、思いとどまるだろう。
また或る【輪廻を信ずる者】は、これまでの善行のプラス補正に期待し、死を選ぶかもしれない。
191 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/03 23:26 ID:d7KnDUos
>>182 横レス失礼^^
今日の快楽も明日には苦の元へと転換するのが、
この流動的な世界(人生)の常(性質)であるということ。
従って、一時的なものに過ぎない快楽も明日の苦の種に過ぎないと見なすのであるから、
すべてのものが「苦」に過ぎないという意味で、一切皆苦だと看破した。
よって、一切皆苦といってるときには、苦の大小なとは問題にされてないでしょう。
要するに、別の者にとっては格別の快楽であろうとも、
仏教では、そのような対象や行為はすべて苦(の元)に過ぎないと見なす。
(違う?)
>>189 >
>>177 > また或る【輪廻を信ずる者】は、これまでの善行のプラス補正に期待し、死を選ぶかもしれない。
輪廻を信ずるなら、たとえ補正があっても業を背負って再生する以上、
一切皆苦から逃れられんし意味ないと思うけどな。
まあ生きてるうちに涅槃に至らなきゃどっちにしてもいっしょだし。
涅槃に至れば生死はどうでもよくなるw
193 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/03 23:48 ID:d7KnDUos
>>190 う〜む・・・。
しっかし、セブンは頭脳明晰ですねぇ!
こんなところで油を売ってないで(勿体無い・・・)、
論文提出するとか、書籍を発刊するとかしたほうが世に貢献できるんでないの?
元々はそういう志しで駒沢大に行ったんでしょ?
てか・・本当はそういう人なのか?w またはどっかの生臭坊主?
(まっ、その匿名性が面白さなのですが)
で、2chは休憩の娯楽とwww
余談だけど・・
2chの仏教スレとかそのまま出版化したら、かなり面白い読み物だと思うけどね。
『電車男』じゃないけどぉ^^
あっ、この前、地下鉄で網代傘を被った托鉢僧がいたから、
いっぱいお布施したよぉ(小銭をすべて)^^
そしたら、読経がデカクなったw
>>191 ちょっと違うw
勿論、「今この瞬間の楽も、苦に転化する(或いは苦の因となる)。」ことも含みはするが、
もっと大鉈を振るった形で、(或いは転法輪経の謂いを借りて)
【無常なるものは苦】であるからだよ。
(もとより「苦楽」自体が相対的価値判断・分別の所産であるわけだが)、
勝義でいう『苦』(或いは「一切行苦」の『苦』)は、
因により縁により顕現している諸相(事象の在り様)そのものを指しているから。
ま、sabbe saNkhArA dukkhAと言ってるんだから当然といえば当然だが・・w
※これは奈良さんの謂いだがw、
dukkha(Skt.duHkha:dus + kha)とは、もともと「困難なこと」→「思い通りにならないこと」と、いつも言ってたなw
渇愛(欲・欲望)に関しては「無いものをねだる」「限りなくねだる」とも言ってたなw
ノートには√dr+kha〈何も無い所へ向かう〉→空を飛ぼうとするようなもの なんてメモ書きがある・・。
どこまでホントだろうか・・?www ワシの聞き違いかな?w
195 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/04 00:20 ID:A3VcooKs
>>194 >空を飛ぼうとするようなもの なんてメモ書きがある・・。
ホーーゥ φ(。。)
詳しい解説に感謝です^^
>>195 おいおいw
さすがにそれは眉唾しとけw
198 :
Classical名無しさん:10/05/04 00:28 ID:.3pzf8OY
今年の夏も仕事帰りで吐く寸前までブルーチーズとニンニク料理を肴に
しこたま呑んで徹夜組の列の周囲を散歩しながら強い酒と濃い塩水を呑むぜ!!
そして「わたし」は校長にさいはての地の性犯事情をいろいろ聞かされるが
そのうちに人肉を食べる事件に及ぶそうだ。もちろん史実である
>>196 なるほどです。
うちは門徒の家なので「信心決定して不退転に入る」みたいな
(諦めの境地?)のがあるから、自死というのはつまらないなあw
200 :
不説 ◆AnATTa/dJc :10/05/04 03:30 ID:cVaTmRew
近況報告
私は元々「輪廻の是非」については、思考時間(脳のCPU時間のようなもの)を振り
向ける気がそもそも湧きませんでした。
2chでは、肯定派がいたり否定派がいたり、また、他人がどちらかの意見を持つように
強要しようとしたがったりする人がいたりと、色々な形でこの問題に執着されている方
が多いようなので、何でまた人々は、この問題に執着するのだろうかと、むしろそのこ
とが心に引掛っていました。
それで最近、この問題について主観的に気持ちを向けてみたのですが、私は輪廻につい
ては肯定派とあいなりました。主観的には疑念の余地がないレベルでの肯定です。
ただ主観的範囲内のものなので、議論的な意味でこれ以上何の成果も出せるものではあ
りませんね。縁起氏の意見同様、神通力でも得る努力をするほか、この先に建設的な方
向性は見いだせないように思えます。
また客観的な、他の常連の方々と比較したポジションとしましては、文言上では、
やはり縁起氏と一致します。それは、「輪廻肯定かつ我の否定(無我)」という
点です。ただし、文言上の一致の一方で、内容的にどの程度縁起氏と一致してい
るのかわかりません。
おそらく、勝義なのかどうかわかりませんけど、「無我」という表現は、凡夫に
は正確に使えない言葉という気がします。聖者でもない凡夫の段階で、無我とい
う概念をいたずらに口に上せてしまうと、解脱してもいないのに、輪廻の苦しみ
の実感が軽くなるという弊害があるような気がします。どうせ輪廻しているのは、
自分じゃないのだからと思ってしまえば、解脱のための修行を必死になって目指
す動機としては訴求力が弱くなります。
多分、宝珠愚者さんの無我に対する反論はそのような気持ちが根にあるように思
われます。だから、第一段階としては、愚者さんのように、通俗的な我に基づく
三世的な輪廻を100%認めることが必要だと思います。そこからやっと本当のスタ
ートで、本当はその我が苦の固まりで、嫌で嫌で仕方がなくなるものだという実
相を知ることが次の段階なのかな、と想像しています。
輪廻モデルについては、愚者さんは、人間が動物に退行することがない、と、仏教
では決して説かないモデルを信じているようですが、これが現実、そうではなく、
動物にでも虫にでもなり、地獄者にでも餓鬼にでもなるということがわかったとし
たならば、輪廻は恐怖の対象となります。苦の固まりです。このあたりは縁起氏と
私の意見は全く一致していて、愚者さんにわかって欲しいと思っているところだと
思います。愚者さんの神智学輪廻モデルだと、「一切皆苦」の点で疑問が生じるの
です。
近況報告以上
203 :
Classical名無しさん:10/05/04 04:55 ID:7zeLGeps
>>200-202 深く同意します。誠実で正確ですね。
特に他者の誤解がどのような意図というか意識によるものか書かれているので、
私のような書き方とは違って立派です。
随喜、随喜。
204 :
Classical名無しさん:10/05/04 05:17 ID:JUBjixtU
輪廻について今までの経緯をまとめると、「無我説と業報輪廻は両立しない」
という説(主に和辻説)を 論破できた者はいないと考える。
これは全く当たり前のことで、『業』の作り手とその受け手という概念の
中から『個』の概念を排除することは不可能であり、そもそも「基体を設定
せずに業報理論」を構築すること自体不可能である。(ちなみに木村氏は
それを『4次元的なもの』と言っていたが)
業報理論に「論理的整合性」を持たせるならば、「何かしらの基体」を設定
しなければならないことは必然である。(この点は宝珠に理ありと思うが)
しかし、「仏教では」その中心教義に「無我」がある。
それとの整合性をどのようにするかが問題であり、
1・それは「心」である
2・それは「業のエネルギー」である
3・それは「アートマン」である
などのように「受け継がれるもの」を設定し、そして無我との整合性をとる
ために「それは仮設されたものであり実体はない。」と説明する。
205 :
Classical名無しさん:10/05/04 05:18 ID:JUBjixtU
ここに矛盾が生じる。
今現在、存在している我々を「無自性により実体なし」と認識するのは良い
だろう。仏教的認識論としてそれはありだ。しかし、Aさんの積んだ業をうける
のは、その生まれ変わりのaさんであって、bさんではない。この業報論は
「個の概念」なくしては根底から崩壊してしまう。すなわち「実体がない」と
言っても「自他の識別属性を有さない」のであれば業報論自体が成立しない。
それでは、自己と他者を分けるものは何か? それは、たとえどのような
呼称を用いようとも、自己と他者を分別している時点で「基体」に変わりはない。
以上の論証から明らかなように、無我と業報輪廻は両立しないことは明らかである。
では、どうするか? ここから、輪廻肯定論者は方向性が2つに別れる。
1.縁起一代のように、整合性のとれた論理構築を放棄し、勝義に丸投げする。
すなわち「それは縁起によって成立するのであり、それは自らが体験によって
直覚するしかない。」とする。
2・宝珠のように「アートマン」を設定し、「釈迦は実は非我を説いただけであり
無我など説いてない。」とする。
206 :
Classical名無しさん:10/05/04 05:20 ID:JUBjixtU
1のように勝義すなわち縁起に帰結させるのであれば、これはもう『信仰』の範疇
であり、普遍性を有する論理的解説とは言えない。あとは各自が追体験すること
によりその是非を確認するしかないわけだ。
2は論理的整合性はとれているが、これは「仏教ではない」ことはすでに実証済み。
このような基体設定の輪廻論は、オカルト、スピリチュアル系に頻繁にみられるが
それら全てが普遍的現象であるとの実証がなされていないので、結局、「信じるか
信じないか?」の話となり、仏教とは無縁のお題となる。
以上ですな。 結論としては、仏教の範疇では「輪廻が真実であることは、自らが
体験して納得しなさい。」 これが限界であり、論理的解説は不可能である。
207 :
Classical名無しさん:10/05/04 05:29 ID:JUBjixtU
補足しておくが、俺は何も「各個人が体験により、それが真実である
と信じること」を否定しているわけではない。
それは、それぞれの信仰に属することであって、なんら他者が干渉する
べきことではないと考える。
俺が言っているのは、あくまでも「仏教と言うフレームを設けるのであれば
その中において論理的整合性のとれた解説は不可能である。すなわち
普遍性を有する説明はできない。」と、こういうことだ。
208 :
Classical名無しさん:10/05/04 05:36 ID:JUBjixtU
さらに補足
仏教内の教義に留まるなら良いが、それを飛び越えて仏教徒以外に
干渉することのなきように。
もし、そのようなことがあれば俺は隠居以上に先鋭的な批判者に
回ります。(笑)
209 :
Classical名無しさん:10/05/04 06:46 ID:7zeLGeps
>>205 >1.縁起一代のように、整合性のとれた論理構築を放棄し、勝義に丸投げする。
> すなわち「それは縁起によって成立するのであり、それは自らが体験によって
> 直覚するしかない。」とする。
ソクラテス以来の「xとは何か」という本質を追究してそこに基盤(アルケー)を設定しないと論理性、整合性、辻褄が合わないと考えるなら、そうでしょうが、
仏教の縁起・空・仮設というのは、そのような発想が根本的に間違っているという立場なので、オイラ的には
実在論・本質主義の立場を放棄し、縁起・空・仮設によるなら、
輪廻は十二縁起によって成立する以上の説明はできない。
仮設された意識が連続し、その中で業と呼ばれる潜在力のようなものが、
縁に従って縁起して続いていくだけ、連続しているから他ではないが、
常に無常で縁起するから自でもない。
そもそも意識、業、潜在力、縁起、輪廻という言葉も過去の言語習慣によって仮設されただけの説明体系だからである。
210 :
Classical名無しさん:10/05/04 06:51 ID:7zeLGeps
説明体系というのは、道と言い換えてもいい。
ようするに月を指す指であって、真実そのものではない。
しかしながら、破綻しまくりの西洋思想やヒンドゥーに比べ最も高い妥当性を持つと思う。
211 :
Classical名無しさん:10/05/04 08:00 ID:7zeLGeps
>>204 >「無我説と業報輪廻は両立しない」
>という説(主に和辻説)を 論破できた者はいないと考える。
オイラ的には和辻説がダブル・スタンダードなんだが。
「無我説と業報輪廻は両立しない」じゃなくて、
無我説と世界は両立しないなら、分かる。
しかし、和辻は無我は認める、縁起・無我・空を認めるなら、
現在の私は何か? 私たちの因果関係は何か?
和辻は凡夫世界の経験や知覚が無我と矛盾しないかのように語るが、
業報輪廻に用いた論理が、そのまま凡夫世界の経験や知覚に降りかかることになんのためらいもないようだ。
ここに和辻の限界を感じる。
もっとも、和辻説は読み直してないので微かな記憶なんだけど。
こういうことをやり出すと、きっちりやるには和辻みたいなヤツの文献を読まなくてはならず、
うんざりするので手を着けたくない気分が大きい
212 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/04 08:25 ID:A3VcooKs
>>206 >2は論理的整合性はとれているが、これは「仏教ではない」ことはすでに実証済み。
現存する自称仏教がすべて間違えたということに過ぎない。
>>210 >破綻しまくりの西洋思想やヒンドゥーに比べ最も高い妥当性を持つと思う。
仏陀を輩出できない仏教に言われたくない・・・。
ヒンドゥー世界の歴史では完成者とアバターラの顕現が絶えたことがない。
恐らく彼らは、仏教でいえば仏陀か、それに近しい存在なのだと思うが、
仏教徒らの偏狭によって認められないだけのこと。
ただ、生まれ育った環境に応じた伝統と言葉で語ってるだけだと私は思いますが・・・
(そして、その違いだけしかない)。もしゴータマがヨーロッパに生れていれば、
その伝統の言葉で語るだけのこと。
213 :
Classical名無しさん:10/05/04 08:41 ID:7zeLGeps
>>212 分かってないな、言語習慣の問題でなく、縁起・無我・空のような見解を持てずに、
実在論・本質主義、アートマン・ブラフマン、原子還元主義などじゃだめだってこと、
ヒンドゥーの成就者やアヴァターラがブッダに相当するとは全く仏教徒は認めない。
仏教でいう成就者やトゥルク(化身)に近いかもしれないが、
縁起・無我・空が分からないので、単に深い三昧の境地を成就したものと考える。
それは『梵網経』以来あきらかだ。
仏教も成就者やトゥルク(化身)を輩出してるよ今に至るまでずっと。
前にも言ったけど、そりゃ君の知識がムー・レヴェルだからだろう。
日本語で紹介されている海外の仏教はかなり偏りがある。
そんなものを根拠にグダグダ言われても困るよ。
何度も言うが、仏教云々するならヒンドゥーを捨てろ。
ヒンドゥーが捨てられないなら仏教云々するな。
真理かどうかが「人格の出来た超能力者」を輩出しているかどうかで、
左右されるならキリスト教もイスラム教も真理ですね。
宝珠さんだってヒンドゥー聖者の名前を三桁四桁もあげられないでしょう、
せいぜい数十人から百台前半くらい?全体から見ればごく一部です。
紹介される情報量、分母としての総人口の違い、を考慮するなら
簡単に言えることではないでしょうに。
偏狭、という言葉も簡単に使いすぎです。意地というレベルでしか捉えないのは、たんに侮辱でしょう。
>>209 >実在論・本質主義の立場を放棄し、縁起・空・仮設によるなら、
>輪廻は十二縁起によって成立する以上の説明はできない。
>仮設された意識が連続し、その中で業と呼ばれる潜在力のようなものが、
>縁に従って縁起して続いていくだけ、連続しているから他ではないが、
>常に無常で縁起するから自でもない。
要するに、簡単に言うと、
「この世は『もけぴろげ』によって成立してる!」
と主張するのと同レベルの説明しか出来ないって事だろ?
>>212 >現存する自称仏教がすべて間違えたということに過ぎない。
なら、さっさと「論理的整合性の取れた真実の仏教」とやらを説明してくれよw
218 :
Classical名無しさん:10/05/04 12:36 ID:7zeLGeps
>>216 まあ、それでもいいよ。ゲーテルの不完全性定理に明かなように、
説明体系は体系自体の真理性を明かにできないことが、既に『中論』4.8,9で述べられてるからね。
説明体系は仮のもの、見事に構築されても無矛盾でもなく、言語習慣や信念に依存せざるえない。
数学に基づく古典物理も量子論も同じことであることを認めなければならない。
どんなに緻密でも無理なものは無理。
そこをごちゃごちゃ説明せず縁起と簡潔に説明された釈尊と龍樹菩薩は、
世界一の知恵者だと思うよ。
221 :
Classical名無しさん:10/05/04 13:21 ID:7zeLGeps
>>216 >「この世は『もけぴろげ』によって成立してる!」
分かってると思って言わなかったけど、変なとこ突っ込まれちゃ困るから、
一応、説明しとくけど。
『もけぴろげ』という記号が、仕来り、言い習わしによって縁起が意味するような意味が言語習慣として成立していることが前提になるよ。
言語記号は恣意的だけと一旦、意味が習慣として曖昧に共通認識されると、
その意味、内容、指示対象はそれほど揺れない。
逆に習慣として認識されてない記号を用いるのは釈尊や龍樹菩薩の伝統に反するよ。
そしてこの意味の縁起は、言葉だけでなく心や体の行為にも同じように適応される。
最初、唯の偶然でも癖や縁になるということ、この意味で日本やチベットでいう「縁起がいい」「縁起悪い」というのは本来正しかったと思う。
多くの文献学者は、この用法を誤りとするが、それこそ縁起が分かってない証拠にオイラには思える。
>>218 揚げ足取りですが、西洋哲学を否定していたわりには、ゲーデルは肯定するんですねw
>説明体系は仮のもの、見事に構築されても無矛盾でもなく、言語習慣や信念に依存せざるえない。
不完全性定理は、「体系内に必ず矛盾が存在する」と言う定理ではなく、
「その理論体系に矛盾がないことを、その理論体系の中で決して証明できない」ということ。
さらに蛇足を言えば、別の系を持ってくれば、証明する事は出来るんですがね。
>>221 いやいやw
そちらこそ私の突っ込みの意味を理解していないでしょw
貴方の209の発言は、「輪廻とは縁起によって成立する」といっているだけで、
「よく分からない力によって、よく分からない仕組みが働いて、輪廻が成り立っている」と、
いっているだけに過ぎません。
つまり、なぜ縁起によって成立するのか、本当に縁起によって成立すると言えるかの言及がないわけです。
それを指して私は、「この世は『もけぴろげ』によって成立してる!」 と同じレベルだと突っ込んだわけです。
この、『もけぴろげ』に代入される意味が、
「縁起」であろうと、「神」であろうと、「アートマン」であろうと、同じ説明になるわけです。
つまり、
>>216は、
>整合性のとれた論理構築を放棄し、勝義に丸投げする。
という、
>>205で某人の指摘そのものだと言う突っ込みですよ。
>
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1272850647/16 >だから、他でなく、また自でもない。
縁起=自性空性が、四不生というのは、二次的・付随的なことではありません。
例えば、『因縁相応』などで、四作に対置して中によりて十二支の流転と還滅が、
と説かれています。こういうのにナーガールジュナは依拠しているわけです。
だから、可逆的相依ではない。他生が排除されている時点で、
「無我と無常・輪廻の矛盾は?」とかならんはずなのですが。
>中論に於いては、「因果・業報もなく」、となるのかな?
縁已生法としての因や果は否定されていません。
故に自性としてはありません。だから、四不生であり、故に、不滅です(『中論』17.21)。
227 :
Classical名無しさん:10/05/04 17:14 ID:7zeLGeps
>>223 ゲーテルは譬喩、眉唾で聞いてクレヨン。その文には掛からないし。
>>224 そうかな。神とかアートマンは何かでしょう。
縁起は何かではなくて、そのような生成とか、法則みたいなものだから。
しかしながら、説明体系という意味では同じというのが貴方の立場でしょう。
だけど、縁起という説明体系内なら、記号だとなんでもいいって訳にはいかないというわけ。
仏教外のことに言及したオイラが間違いだ。
>>225-226 いいですね。随喜、随喜!
>>227 だから、結局、「整合性のとれた論理構築を放棄し、勝義に丸投げする。」って事でしょ?w
>>227 >ゲーテルは譬喩、眉唾で聞いてクレヨン。
比喩じゃなくて、権威付けでしょ?
230 :
Classical名無しさん:10/05/04 20:29 ID:7zeLGeps
231 :
Classical名無しさん:10/05/04 20:34 ID:SAwNvBGw
死んでみない限り確かめようがない仮説に拘泥する時点で仏教とは別物の狂信なのだよ。
>>231 基本的に「(凡夫は)記憶を想起できない」のだから、死んでみても確かめられないよw
(´・ω・`)
234 :
Classical名無しさん:10/05/04 23:02 ID:JUBjixtU
さて、レスの進行が速いので大変だが、まず
>>218 >説明体系は仮のもの、見事に構築されても無矛盾でもなく、言語習慣や信念に依存せざるえない。
数学に基づく古典物理も量子論も同じことであることを認めなければならない。
どんなに緻密でも無理なものは無理。
これからね。科学による説明体系というのは「言語習慣に依存する」というのは
良いとして「信念に」というのは当てはまらない。というより、寧ろ逆だ。
個人の信念に依存することは、最も避けられるべきであり、提示されたデータに
「個人的な思い込み、思い入れ」を投射することは絶対許されない。
235 :
Classical名無しさん:10/05/04 23:03 ID:JUBjixtU
さらに科学による説明体系と輪廻業報思想の説明体系を等価に扱っているようだけど
1・科学が対象とするのは、現に確認できている現象であるのに比し、輪廻業報は
その現象が確認されていない。まずこの対象に対する差が大きい。
2・さらに科学による説明体系は多くの場合、「再現性」を有し、「検証可能性」を有して
いる。そして、それを信じない者にも妥当する。鉄の塊である飛行機が飛ぶことを絶対
に信じない未開人を乗せても、必ずそれは飛ぶ。
よく「科学も信仰の対象であり、科学信者に過ぎない。」というようなことを言う者が
他スレでも散見されるが、これは全くポイントのずれた見解。科学には何の信念も信仰も
ないよ。観測された現象を無矛盾に説明できるのであれば、何でも良い。ある意味とても
無節操なものだよ。ある対象に絶対性をみる宗教とは、その根本が異なる。
236 :
Classical名無しさん:10/05/04 23:04 ID:JUBjixtU
次にセブン、議論スレの16にあげていた
●五蘊 → ○五蘊 ・・・・・・ この一行が、(今は五蘊が事例だが)
業
これ。 問題はこの→部分。 業報論になると、ここが問題となる。
単に「輪廻」というのであればまだしも、「業報論」になると業の作り手である
●五蘊から、業の受けてである○五蘊への連鎖が重要となる。これを単なる「現象の
連鎖」と見て、●五蘊の死が、○五蘊の誕生を引き起こしたと見るだけであるのならば
例えば、○五蘊が●五蘊の積んだ悪業の果を引き受けさせられたんでは、たまったもんじゃ
ないと言うだろう。○五蘊が「なるほど、●五蘊は過去世の自分であり、その積んだ業は
俺が引き受けなければなるまい。」と考えられるだけの「関係性」をそこに見るのであれば
当然それは(たとえ呼称はどのようなものでも)同一性を担保する『基体』に他ならない。
つまり三世に跨って、業を継承させるのであれば、そこには当然「基体」を設定しないわけ
にはいかない。 と、俺は考えるがね。
うわーん、御隠居が復活したよぉ〜 ・゚・(ノД`)・゚・
238 :
Classical名無しさん:10/05/04 23:36 ID:JUBjixtU
ホントだ。 全くゴキブリみたいな奴だな。
いなくなったと思ったら、またすぐ現われる。
>>227 ありがとうございます。
>>231 『タルカバーシャー』3章22節で論証されてます。
>>171宝珠
>では、無我と悟るのは誰か?誰が悟ったのか?その境地を自覚するのは誰なの
>無我の境地を自覚できる主体無くして、覚醒も起こり得ない。
「誰かが覚る」ではなく、「止観行に縁って智が起る」(『相応部』12.23参照)。
貴方はパッグナなので、同12.12を読んで下さい。
>もし、無我の境地が永遠のものならば、それを自覚している自己も永遠ということ。
(空性見である)「無我の境地」なるものも存在しない。
>>236 あの図に、少し細工を加えてみる。
私B 私A
↑ ↑
●事象B → ○事象A
(行為(業)B) (行為(業)A)
この時、業の作り手も受け手も、どちらも、「私A・Bに於いて」のこと。
言わば、業の作り手も受け手という見方は、図に於いての「私Bと私Aとの間に矢印を設けること」と言える。
だが、私Aと私Bが「直接的に連続している必要はない」。それは、所縁によってその都度に生じている私だから。
事象Aと事象Bとが連続しており、事象Bの時に私Bが、事象Aの時に私Aが生じる(仮設される)。
もとより凡夫には(多くの矢印は)観えない・知りえないわけだが、メタな視線(仏の視線)として、
業の作者や受者がなくとも、そこに業果のみが見られる。
で、《「受け留め方として(信として・自覚として)」『私Aは、(事象(行為)Bを受けての)事象Aの上にある』》、
というのが、基本的パターンとなるんじゃなかろうか。
事象ABの関係を踏まえた上での私ABの関係である、と・・。
ふむ、上手く言えてないなwww
>>171的な問いには、
名指しで問われもしたし、片山さんの板書等も併せて
きっちり反論済みなんだがなぁ・・・w (^^;
242 :
Classical名無しさん:10/05/05 00:29 ID:ookzEIgs
>>240 よくわからんな、セブン。ちょっと話を単純化してみようか?
例えば、 私B が殺人を犯して死んだとする。すると、その図で言えば
私A が今世においてその果をうけることになるわけだ。何故ならば、
私Bを生起させた業Bが、連鎖している業Aによって、私Aが生起したから。
ということだよな? 私Aが、私Bの犯した殺人の業を引き受けるには
それを「当然、必然」と見なされるだけの関係性、すなわち同一性が担保されて
なければ不合理だよな? 私Bを過去の自分と認識できないのに、そいつの
犯した悪業の果を自分が背負うことになれば、誰でも「なんでどこの誰とも
分からん奴が過去に犯した罪を自分が償わなければならないのか?」と
不合理に思うだろ? 逆に言えば、自分の犯した悪行を引き受けるのが
来世のどこの誰とも分からん奴なら、悪行を積むことを抑止する効果もない
わけだ。
その殺人の悪行の清算を引き受ける必然性を見るほどの関係性であるならば
それを「業」と呼称しようが「霊」と呼称しようが、実質「基体」に他ならない
と思うがな?
>>242 .a
● → ○
╂────╂
■━━━━□
.→
b
aの矢印を考えるから「同一性が失われている」と見える。
勝義として同一性は無い。
(勿論、世俗の凡夫の倫理的要請としては十分)
だが、bの方を経由するから、連続した生起(≒縁起)の流れとして●と○が繋がる。
勝義として連続性が保持される。(同一か否かは、既に問われる次元ではない)
と、こんな感じではどう?
※尤も、■→□に於いてのシステムの提示は、已然為されてはいないのだが・・w
245 :
Classical名無しさん:10/05/05 01:16 ID:ookzEIgs
う〜〜ん、肝心の■→□を勝義に委託してしまうと、縁起一代の説と同じ
なわけだ。 そこは覚者しか知りえないことで、言語表記による解説は
不可能であると。 つまり信仰だよな?
俺は信仰は否定しないが、結局、仏説による説明は、これが限界か?
246 :
Classical名無しさん:10/05/05 01:24 ID:dcvp7376
生きてる間には確認する方法が無い与太話は論証されようが無い。
論証されたと思うのは狂信者にありがちな勘違いだよ。
>>245 少なくとも、
「縁起」という理は、《(自身の心の動きが主と言いながらも)
「諸所随所に観察でき、且つ、反証が挙がっていない」という点で肯い、信じるに値する》
くらいは(≒蓋然性の高さとして)言い得るんじゃないかな?
(ただ、外縁起に特化した時、これまでの種々の疑義の如くに歪が生じてしまう、と・・。)
おやすみ ノシ
248 :
Classical名無しさん:10/05/05 01:51 ID:dcvp7376
生前の言動が生み出していた様々な因果関係が死後にどう影響するかという問題は、
自分が死なない限り決して確かめられない。
個人の生前と死後の因果関係を観察する方法が見つかってはいないからだ。
確かめられないのだから蓋然性が大きいも小さいも無い。
凡夫としての能力的限界を超越した超人ならば死後どうなるのかまで知覚可能だという伝説は今の所誰にも真偽を確認できない与太話。
つまり妄想だよ。
249 :
Classical名無しさん:10/05/05 02:52 ID:NY58Sr.Y
意見という根拠の不確かな判断を知識の記憶をもって誠実だのというイメージを被せてみた所で
つまり精神そのものの状態を知らないまま
それがどうなるべきかにこだわってるのです。
競争してるそれをあなたが伝えられるぐらい強く感じない限りどうしょうもないのでしょう。
世の中で何が起こってるのかみてごらん、不幸や葛藤だらけでしょうと指摘する事ができますが
彼の内部に非難や反発心を起こさないように話しかけるのが最初の仕事なのでしょう。
250 :
Classical名無しさん:10/05/05 03:10 ID:dcvp7376
死後の話を取り沙汰する無意味さを分かりやすく解説している有名なエピソードから頑なに目をそむけ、
輪廻などという真偽を確かめる術も無い世迷言にしがみついてるようでは畢境縁無き衆生以外の何者でも無い。
251 :
Classical名無しさん:10/05/05 03:14 ID:0aWVgVuk
,mbnmbbmnbnbnbbbmbn,bmnbbmjnbnbnbvmvnvmvmnvmmnvvmmvmvmnnbnvnvmvhfhvvnhjghgfhvhfhjfjhfjhff
252 :
Classical名無しさん:10/05/05 03:16 ID:dcvp7376
禅僧なんかは地獄と極楽の違いについて長い箸で鍋を囲む例え話を良く使うが、
例え話の言葉尻を逐一鵜呑みにして死後の世界ではそんな長い箸で鍋物してるんだなどと思うのは愚かな事だ。
253 :
Classical名無しさん:10/05/05 05:17 ID:ZboAwR2c
>>234 >良いとして「信念に」というのは当てはまらない。というより、寧ろ逆だ。
そうは思わない。本質や実在があるという信念に基づいて構築されていると思われる。
だから、非実在論・非本質主義的観測を示す二重スリットなどのデータが物議をかもし、いまでも実在論的可能性を探っていると思う。
>>235 仏教も修行することによる再現性があり検証可能性があるのだが、それが凡人の常識による普遍妥当性をもってないというだけのこと。
成就者によって再現されてきた、それを信じない現代人がいても、
悟った師匠に就いてきっちり行すればそれは再現できる。
ここにも常識だけが唯一の現象という信念がある。
その背後には素朴実在論の信念があると思われる。
仏教も効果的な説明体系ならなんでもよいと思われる。
しかし、一度説かれてしまったものには縁起が生まれるので尊重される。
254 :
Classical名無しさん:10/05/05 05:28 ID:ZboAwR2c
>>236 それが無明、我見、有身見、アートマンなどと仏教でいわれ、
アルケー、本質、実在などと西洋で言われて来たものだと思う。
<「基体」を設定しないわけにはいかない>というのが実在論・本質論の信念。
それをが根本的誤りで、これを断つのが縁起・無我・空という記号を使った観法であり、
その観法を行うには凡人の常識ではだめで、三昧による精神集中状態が必要。
しかし、この誤りは仏教内部でもいろいろな形で繰り返し登場する。
プトガラ、種子、アーラヤ、無表業、不失法、生滅物などいろんな「基体」を設定する仏教徒がいて、
説明体系を展開したのだが、これは縁起からの逸脱。
ただし、縁起・無我・空が理解できない人への方便としての説明体系としてはありだとおもう。
以上のようにオイラは考えるのだが、どう?
まあ、科学と仏教の違いは眉唾ものだが、こっちは仏教の根幹で、
これを理解すれば仏教の核心を掴んだことになるとおも。
255 :
Classical名無しさん:10/05/05 05:35 ID:ZboAwR2c
>>242 本来は無我だから、一瞬前の自分も自分ではないけれど、
それでは世間の言語習慣に矛盾するから、連続して縁起するものを自分と仮設する。
過去の業の行為者と現在の自分も同じことで、連続するから自分と仮設する。
この意味で識蘊と業蘊が基体と仮設してもいいかもしれない。
ただし、識蘊と業蘊も無常で無我で、仮設されたものなのだ。
確固としてこれが本質・実在であると指示できるような基体は立てられないというこの部分が重要。
256 :
Classical名無しさん:10/05/05 09:48 ID:dcvp7376
凡人としての限界を超えた能力を備える超人になる為の手順が実証されていない以上は単なる信仰、
つまり妄想だ。
ある人間を指差して彼は生前の言動に死後の禍福との因果関係がある事を観測できる超人なのだといくらワメいても、
それは頭に変なヘッドギアを装着してピョンピョンしていたバカどもの思い込みと変わらない。
257 :
Classical名無しさん:10/05/05 09:52 ID:ookzEIgs
>>253 >そうは思わない。本質や実在があるという信念に基づいて構築されていると思われる。
だから、非実在論・非本質主義的観測を示す二重スリットなどのデータが物議をかもし、いまでも実在論的可能性を探っていると思う。
古典物理においては、確かにそのような傾向があった。しかし、現在では本質や
実在に基づいて理論構築する方向性(すなわち本質、実在を必須要件とする)は
ない。隠れた変数の存在が否定された時点で過去の常識は排除されたよ。
科学というのは「現に観測される現象」が最も重要。それをどのように説明するか
が問題なんだ。つまり基本はあくまで帰納的なんだよ。その現象を無矛盾に説明
しうる体系(科学の場合は言語ではなく、ほとんど数式によるが)を構築する。
確率による存在の記述などは正に「実在の否定」だな。
258 :
Classical名無しさん:10/05/05 09:53 ID:ookzEIgs
>仏教も修行することによる再現性があり検証可能性があるのだが、それが凡人の常識による普遍妥当性をもってないというだけのこと。
ここが問題。それはあくまでも「限られた個人による」再現可能性、検証可能性であり、
その他大勢の凡夫に対して普遍性を有しない。飛行機の例でも言ったが、万人に対して
妥当せず、また、その真実性を示せない。例えば、覚者が他者に(追体験を経ることなく)
自己が凡夫と違うものであることを示しうる(例えば六神通を現じて見せる)のであれば
「その現象に対して」科学はその説明体系を構築する作業にすぐ取り掛かるだろうと
思うが。
>成就者によって再現されてきた、それを信じない現代人がいても、
悟った師匠に就いてきっちり行すればそれは再現できる。
これは本当か? 「誰でも必ず再現できる」か? できる者と出来ない者がいるのでは?
そして、過去の歴史を振り返ると「出来ない者(解脱できなかった者)」の方が
圧倒的に多いと思うがな。
259 :
?:10/05/05 09:55 ID:3QAKz9Ks
>>53 様から!
>> 阿含経典による仏教の根本聖典 増谷文雄(著)
> 理論の解説などはありません。
レス、有り難う御座います!
【霊魂とか死後の世界に興味が有る】のですが、
【見取の結縛にとらわれる】と言う事で、
詳しい事が記述されていないのが残念です!
260 :
Classical名無しさん:10/05/05 09:55 ID:ookzEIgs
>>254 > <「基体」を設定しないわけにはいかない>というのが実在論・本質論の信念。
これもちと違う。 別に最初から「基体を設定しなくてはならない。」という前提から
始まっているのではない。 Bさんの業をその生まれ変わりであるAさんが引き受ける
ことが必然であることが「基体を設定せずに説明しうる」のであれば何ら問題はない。
しかしその必然性を担保するほどの関係性をみるのであれば、呼称はなんであろうと
そして「実体はない。空であり仮設されたものに過ぎない。」と解説しようとも
それは実質「基体」と等価であると思うというのが俺の見解。
261 :
Classical名無しさん:10/05/05 09:56 ID:ookzEIgs
>>255 >本来は無我だから、一瞬前の自分も自分ではないけれど、
それでは世間の言語習慣に矛盾するから、連続して縁起するものを自分と仮設する
ありゃ? 縁起一代も時系列を刹那滅的な(その自分を実体ではなく仮設されたもの
とするにしても) 把握をするのか?
前はそのようなデジタル的な把握ではなく、もっとアナログな捉え方をしてたように
思うが、俺の勘違いかな?
とりあえず、今は時間がないので続きは後で。
262 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/05 10:00 ID:VkyaniuM
>>213 >縁起・無我・空のような見解を持てずに、
>縁起・無我・空が分からないので、
古代の聖者ならどうか知りませんが、近代以降〜のヒンドゥーの覚者らは、
一様にしてこれら仏教の説く真理(教義)を把握しているし、間違いなどという否定などしていませんが・・・。
彼らは異なる視点からの別のアプローチだと受け取っています(彼らにはそれを受容できる心の広さがある)。
拒絶しているのは仏教側からの一方向のみですね、彼らは拒絶していない
(仏教至上主義=それ以外は非真理との姿勢が強く排他的)。
>日本語で紹介されている海外の仏教はかなり偏りがある。
>そんなものを根拠にグダグダ言われても困るよ。
それを言われちゃ〜何もいえないw
263 :
Classical名無しさん:10/05/05 10:00 ID:ookzEIgs
それから、セブン。
宝珠の疑問に対するセブンの回答。よく分からないところがある。
メタな存在を仮設しているのは分かるが、片山氏の論文読んでも
よくわからんかった。
時間があるときに、もう少し詳しくたのむわ。(仏教徒以外にも
理解できるレベルでな)
264 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/05 10:02 ID:VkyaniuM
>>214 >真理かどうかが「人格の出来た超能力者」を輩出しているかどうかで、
>左右されるならキリスト教もイスラム教も真理ですね。
これらは完成度が低く、時代の影響を受けた歪曲が酷いものですが、
それでも、もちろん多くの真理を表現していますよ。はい。
仏教以外は非真理などいう見解は、この私にはないので!
>宝珠さんだってヒンドゥー聖者の名前を三桁四桁もあげられないでしょう、
>せいぜい数十人から百台前半くらい?全体から見ればごく一部です。
あくまでも知られている存在としてです。
しかも完成者としてのレベルにおいての・・・。
265 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/05 10:07 ID:VkyaniuM
266 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/05 10:14 ID:VkyaniuM
>>239 >貴方はパッグナなので、同12.12を読んで下さい。
はい、読みました。
ま〜大好きなゴータマの説法ではありますが・・・
「《どうして意識という食物があるか。何によって触・受・愛・取があるか。》と問い直すべきだ」という
これらのゴータマの返答は、正直いうとかなり詭弁的なものですね。
煙に巻いています。
意識というのは、意識する者がいて初めて意識というのであるし、
触・受・愛・取には必ず対象者がおり、対象者なくて触・受・愛・取の概念そのものが存在しないからです。
最初からそこをスッ飛ばしてしまって、相手に云々いわせないという詭弁的な手法です。
お弟子さんだから黙って拝して頷くのでしょうが、
とても納得できる内容ではありませんね。
私からこう質問し返した場合の次のゴータマの回答が欲しいところですね。
たぶん、ピシャリと切り捨てられそうですが・・・w
267 :
?:10/05/05 10:15 ID:3QAKz9Ks
>>92 の続き!
> ダライ・ラマ智慧の眼をひらく(単行本)
ダライ・ラマこころを導く言葉365 (単行本)
ダライ・ラマ14世テンジン・ギャツォ (著),
瀧川 郁久 (翻訳)
間違えて ↑ この書籍を購入してしまいました!
268 :
Classical名無しさん:10/05/05 10:17 ID:GmEjN5Yo
阿弥陀経の極楽の世界は、方便なの? 死後の世界は実はないんでしょ?
270 :
?:10/05/05 10:30 ID:3QAKz9Ks
>>105 様から!
>
>>98のような例は、「中有」ではなく「有」である、と・・・。
レス、有り難う御座います!
【死んでから次に生まれるまでの間の中】の
【地獄の世界】は
【中有】では無くて【有】である!
と解釈すれば、良いのですね?
272 :
Classical名無しさん:10/05/05 10:41 ID:ZboAwR2c
>>257 CNRS研究室長ミシェルビトボルは、やはり実在論的説明の可能性を選択することが主流だと言ってるようだが、
オイラは、知らないけど。
>>258 >これは本当か? 「誰でも必ず再現できる」か? できる者と出来ない者がいるのでは?
必ずとは言えない。真面目に修行すれば過去世の記憶ぐらいは、そう難しいことではない。
もちろん、それに普遍妥当性があるはずもない。
>>260 >それは実質「基体」と等価であると思うというのが俺の見解。
オイラにはそれが実体、本質をもって説明しないと納得できないという
信念に思えるけど、そこはどうでしょう?
>>261 いや、記憶通り。刹那の時間も仮設です。
273 :
Classical名無しさん:10/05/05 10:43 ID:ZboAwR2c
>>262 なんで把握してると分かるか、不思議だな。
だって、君は縁起が分かってないのに。
274 :
?:10/05/05 10:44 ID:3QAKz9Ks
>>107 様へ!
> 昨夜、枕元に観音様が現れて(ry
私も 【枕元で観音様を拝んで観たい】 のですが?
275 :
Classical名無しさん:10/05/05 10:45 ID:ZboAwR2c
>>266 こういう自分に理解できないことを詭弁と捉えて適当に読んでるから、
ヒンドゥーと仏教が同じに思えるだけだと、何度も言ってきたよね。
276 :
Classical名無しさん:10/05/05 10:47 ID:ZboAwR2c
>>268 死後の輪廻がないという理解が間違いです。
277 :
Classical名無しさん:10/05/05 10:53 ID:dcvp7376
一瞬前の自分が果たして自分であるのか無いのかという議論は、頭の体操がてらの遊びで試みる場合を除いてどーでも良い問題だ
実生活では一瞬前の自分の事を他人と見なす意味が無いからだ。
過去100時間を費やしてドラクエをプレイした記憶を持つゲーマーが、
現在コントローラーを使って画面の中のフィールドをテクテク歩かせているレベル99の自キャラの事を自分以外の別人が育て上げた成果として認識する必要は全く無い。
肉体の死というリセットボタンを押した後にセーブ前のデータを使えるものなのか否かを考える場合でもな。
278 :
?:10/05/05 10:58 ID:3QAKz9Ks
>>125 様から!
> 仏教では無常な霊魂のようなものを認めている。
> 原始仏典ではゴーティカ、ヴァッカリの話が正にそれである。
> ゴーティカ:中村元『悪魔との対話』52「ゴーティカの識別力」
> ヴァッカリ:『世界の名著1』456「ヴァッカリの魂」
>>126 様から!
> テーラワーダには中有がない、それはただ言葉がないという問題で、
> 上のヴァッカリのように次の生に転生するまでの識の状態はあったと考えられる。
レス、有り難う御座います!
私も【中有と言う、言葉が無いという問題である】と解釈しています!
279 :
Classical名無しさん:10/05/05 11:05 ID:dcvp7376
仏典に記述されている死後の霊魂絡みの話は三尺箸と同じく唯の例え話だよ。
死後の世界が実在するか否か、死後の世界では異常に長いお箸しか存在しないのか否かという話ではない。
>>262 >古代の聖者ならどうか知りませんが、近代以降〜のヒンドゥーの覚者らは、
>一様にしてこれら仏教の説く真理(教義)を把握しているし、間違いなどという否定などしていませんが・・・。
聖典が明示しているものを、正面から受け入れるのをやめただけでしょう。
プラーナ聖典では釈迦はヴィシュヌが悪人・悪魔を騙すため破滅させるために化けた姿です。
>>264 >それでも、もちろん多くの真理を表現していますよ。はい。
>仏教以外は非真理などいう見解は、この私にはないので!
真理でないものが一パーセントでもあれば、それは真理と呼べないでしょう。
真理を各パーツに分けて、取り扱っている真理の数がけっこうある、
という言い方はできるでしょうが。それこそ表現、言い回しでしかない。
281 :
?:10/05/05 11:12 ID:3QAKz9Ks
>>278 の続き!
> バラモン教の概念とするのは非常に幼稚である。
アビダンマ講義シリーズ〈第5巻〉
業(カルマ)と輪廻の分析―ブッダの実践心理学 (単行本)
アルボムッレ・スマナサーラ (著), 藤本 晃 (著),
↑ この145ページの上から10行目の所に記述されています!
【バラモン教の
死んでから次に生まれるまでの空間世界の概念が
北伝部派や大乗に中有として取り入れられた】
282 :
Classical名無しさん:10/05/05 11:19 ID:ZboAwR2c
>>281 そのように乱読するのはどうでしょう?
私はその方をあまり評価してません。
私としては聞くなら、アドヴァイスになぜ従って読まないのか不思議です。
仏教、ヒンドゥー教、キリスト教、イスラムで「共通する真理」抽出すれば
どの宗教でもあてはまるものにしかなりません。他の宗教・霊性でも
犯罪・暴走さえ起こしていなければオウムですら十分満たせる。
その程度の「真理を表現してい」るです。それ自体が真理を独自に持つ、というより、
宗教と呼ばれるための基本条件は取り揃え、定義を満たしてるだけ。
歴史がそれなりにあれば、メソッドも成立・研鑽されれば偉人も出ます。
284 :
?:10/05/05 11:53 ID:3QAKz9Ks
>>282 様から!
> 私としては聞くなら、アドヴァイスになぜ従って読まないのか不思議です。
1).本屋さんで色々な本を読んでいたら
2).業とか輪廻などに興味が有ったので
3).アビダンマが仏陀に近い論書だと勘違いしていたから
4).その勘違いの上に【業(カルマ)と輪廻の分析
―ブッダの実践】と言う見出しに騙されて
5).なるべく色々な人の論書を読んで見た方が良いと思ったから
↑ こんな感じです!
285 :
Classical名無しさん:10/05/05 11:59 ID:ZboAwR2c
>>283 まさにそう考えたのがオウム、諸宗教からエッセンスを抽出して、
悟りのメソッドを純化して独自に道を創ると。
仏教はそれを認めない悟りは難しいから。
単純な三昧とかヨーガの技法なら、メソッドにして展開することも可能だし、
オウムはそうしたし欧米や日本でもそのような新興宗教は多い。
だけどそれでは悟りには至らない。三昧や神通は出ても、悟りには至らない。
なぜなら、自我の最も深い部分が温存されるから。
もちろん、新興宗教の教祖は口を揃えて「我が宗は自我を断っている」というが、
それが本人が自覚するにしろ無自覚にしろ断っていないと仏教では考える。
徒弟制による口伝でしか本当の核心的な部分は伝えられない。
自我の最も深い部分は悟った師匠によってしか叩けないとするのが仏教の伝統。
286 :
Classical名無しさん:10/05/05 12:02 ID:ZboAwR2c
>>284 始めは良書を徹底的に読まないと混乱するだけですよ。
アドヴァイスに従わないのでしたら、私に質問しないでください。
287 :
?:10/05/05 12:15 ID:3QAKz9Ks
>>284 続き!
宗教史地図 仏教(単行本) 古坂紘一(著)
ブッダのことば パーリ仏典入門 片山一良(著)
仏教要語の基礎知識(単行本) 水野弘元(著)
↑ これらの書籍は今、読んでいる所です
仏法―テーラワーダ仏教の叡智 (単行本)
ポー・オー・パユットー (著), 野中 耕一 (翻訳)
↑ この書籍は発注している所です
ダライ・ラマ智慧の眼をひらく (単行本)
ダライ・ラマ14世テンジン・ギャツォ (著), 菅沼 晃 (翻訳)
↑ この書籍は、これから発注する所です
289 :
?:10/05/05 12:25 ID:3QAKz9Ks
>>286 様から!
> 始めは良書を徹底的に読まないと混乱するだけですよ。
> アドヴァイスに従わないのでしたら、私に質問しないでください。
了解、致しました!
これからも御教示の程を、宜しく御願い申し上げます!
290 :
Classical名無しさん:10/05/05 12:27 ID:ZboAwR2c
あっちでのセブンの発言:
>「純化された縁起」といえども、「それが“活かされる”」ということはどういうことなのか、
>にピントを合わせたとき、中観は【エッセンスでしかない】。
>勝義と世俗の二諦を立てながら、勝義という片輪で走ろうとしているようにも見える。
誤解。『勧戒王頌』『宝行王正論』『四百論』『入菩提行論』『入中論』などをみれば、
そしてアティシャやチベットの行者の伝記を観れば、戒定慧ときっちり歩んでいることが分かる。
『中論』は、戒定を収めた入定できる聖者を主たる対象として説かれた教えだと思われる。
つまり『入菩提行論』の第九章『入中論』の第六章に位置する。
確かに戒律や因果を重視すべきだし、ネットでは寧ろそれだけ説いた方がいいかもしれない。
>>290 全部、【中論以外の場所で】説かれているよね?
つまり、【中論には、まさに「純化された理」しかない】わけだ。
【他のテキストを併修して】初めて両輪足るということだ。
中論を錦の御旗にするのは構わんが、
《心経から「色即是空空即是色」【だけを抜き出して】悦に入る数多のボンクラ》
《「空空空空」と呪文のように繰り返す空教信者》等
と同じ轍を踏まないような自戒が常に必要だってことさw
292 :
Classical名無しさん:10/05/05 13:18 ID:GmEjN5Yo
>>276 だって阿弥陀さまの信心をいただきやしたので、輪廻は関係ありません。
死後すぐに佛国土に生まれるというのが、すなわち自然に還ると同義だと思うのです。
293 :
Classical名無しさん:10/05/05 13:34 ID:ZboAwR2c
>>291 そんなのと一緒にしないでくれよ。
オイラはいつも体系・道が重要だと言ってるつもりだが。
294 :
Classical名無しさん:10/05/05 13:38 ID:ZboAwR2c
>>293 別に、貴方を想定して言ったわけじゃないよw
ただ、『すぐに「色即是空空即是色」(だけを)持ち出して、勝利宣言をするかのような危険性』
に言及しただけ。心経の当該フレーズ(或いは金剛経等般若経典群もそうだが)と同じく、
「純化された、端的な謂い」であればあるほど、抜き身の剣のような危険性があると思うし、
自らの視野を限定するが如き『呪縛』の力も大きい、ということが言いたかった。
(これは、数多の禅語でもやはり同じだ。)
296 :
Classical名無しさん:10/05/05 14:35 ID:dcvp7376
仏教で大切なのは優先順位、
もしくは適切な優先順位を見定める為の考え方だよ。
死後の世界を取り沙汰する思考の回り道を毒矢の例えで戒めたり、
同じ環境が心構え次第で地獄にも極楽にも変わるという例えに三尺箸の話をするのも、要は物事の優先順位の問題なのだ。
輪廻が有るだの無いだのという議論に熱中している間は仏教の一番肝心な教えをまるで理解していない。
297 :
?:10/05/05 15:22 ID:3QAKz9Ks
>>296 様
> 輪廻が有るだの無いだのという議論に熱中している間は
そして、私も【業報輪廻】に興味が有るので
【阿含経典による仏教の根本聖典 増谷文雄(著)】
↑ この241ページの右から12行目の所の
【見惑の叢林に迷いこみ、見取の結縛にとらわれている】
と言う事ですよね?
298 :
Classical名無しさん:10/05/05 15:33 ID:dcvp7376
毒矢の飛んできた方角や毒矢が刺さった患者の素性を取り沙汰するのは有志の勝手だが、
医者や患者がそんな問題ばかりを気にして治療に着手するのが遅れるならば毒が回って患者は死ぬ。
輪廻が有るのか無いのかを議論するのは、地獄と極楽の例え話に出てきた長いお箸が死後の世界に実在するのか否かを検証しようとする位にトンチンカンな迷走なのだよ。
299 :
?:10/05/05 15:40 ID:3QAKz9Ks
>>298 様
> 輪廻が有るのか無いのかを議論するのは、
> 地獄と極楽の例え話に出てきた長いお箸が
> 死後の世界に実在するのか否かを
> 検証しようとする位にトンチンカンな迷走なのだよ。
そうなんですか?
300 :
Classical名無しさん:10/05/05 16:02 ID:ZboAwR2c
>>299 いろんな人がいるから、いろんな人から聞いても混乱するだけ。
まずは、あの三冊だけ読んで、だいたい理解しましょう。
ここでは、その三冊についての疑問点を聞くのがいいと思います。
>>266 >意識というのは、意識する者がいて初めて意識というのであるし、
>触・受・愛・取には必ず対象者がおり、
>対象者なくて触・受・愛・取の概念そのものが存在しないからです。
>最初からそこをスッ飛ばしてしまって、相手に云々いわせないという詭弁的な手法です。
では、意識・触・受・愛・取を「ああであれ」「こうであるな」と、
如何なる行為や作用も介さずに任意にしてみて下さい。
可能なら、それらに先立ち独立自存し得るような主観的実体が何処かにあるでしょうね。
不可なら、それらは縁已生法です。
302 :
?:10/05/05 16:12 ID:3QAKz9Ks
>>300 様から!
> いろんな人がいるから、いろんな人から聞いても混乱するだけ。
> まずは、あの三冊だけ読んで、だいたい理解しましょう。
> ここでは、その三冊についての疑問点を聞くのがいいと思います。
有り難う、御座います!
たしか龍樹菩薩も道元禅師も輪廻は肯定してたんですよね。
>>266補足
ちなみ、「言語表現だけのもの」としての「私」は承認されてますよ(『相応部』1.25)。
だが、
>>171で貴方が言っているのは、縁已生法としての唯所言の私ではなく、
「無我の境地」の主体なのだから前記した如き主観的実体として非縁已生法なる我ですね。
>>303 その通りです。問題は、自分が認めたくないから、
龍樹菩薩等も認めていないに決まっていると、
『縁起心論』その他を無視して、飛躍してしまうことでしょう。
306 :
Classical名無しさん:10/05/05 16:28 ID:ZboAwR2c
>>303 >305さんの仰る通りですが、「肯定」というと輪廻そのものを言い物であるかのように誤解される可能性があり、
また、実際、並川さんという学者は「肯定」という言葉を用いて詭弁を論じています。
また、ネットでも同様の詭弁を用いる人がいます。
我々が苦の輪廻にいるという現状認識を前提としているというのがいいと思います。
>>306 確かに言葉が足りませんでした。
滅・道諦=縁起の還滅に対して、苦・集諦=縁起の流転=輪廻が前提されている、
と付言すべきでした。
308 :
?:10/05/05 16:34 ID:3QAKz9Ks
>>302 の続き!
仏教要語の基礎知識(単行本) 水野弘元(著)
↑ この164ページの右から6行目と9行目の所の
霊魂について
業とか因縁果報に従って変化しつつ相続する
唯識法相学説の阿頼耶識と言われるもの
これで
【阿頼耶識が根本原因である】と言う解釈に至りました!
309 :
Classical名無しさん:10/05/05 16:59 ID:ZboAwR2c
>>307 とんでもないです。
>>308 >【阿頼耶識が根本原因である】と言う解釈に至りました!
全く誤解です。そういうふうに断片的に読まないでください。
私が持っているのは旧版ですが、このように書かれています。
外教が説くような常住の実体としての霊魂は仏教ではこれを説かないが、
人格の主体として業を保持している霊魂は三世を通じて存在するものとして、
これを認めている。それは不生不滅ではなく、輪廻の主体として、
業や経験に従って常に変化しつつ連続する有為法である。
唯識法相の学説で阿頼耶識といわれるものもこれに他ならない。
310 :
Classical名無しさん:10/05/05 17:01 ID:ZboAwR2c
上を根本原因と読むことは出来ません。
なぜなら、根本原因というのはアルケー、基体、本体、実体のようなものを意味し、
それだけが原因となって全てが生成するものを意味する言葉だからです。
上の最後の一行、以外は、全てそういったものではないことを丁寧に解説しています。
根本原因があっては、縁起にならないからです。
霊魂、識、阿頼耶識といっても仮設されたものとするなら、
縁起と矛盾しませんが、それが根本原因とするならアートマンと同じことで、
それでは我見になります。
ちゃんと頭から三回通読してください。
逆にガチの仏教圏の人が、西洋哲学(や外教)を学ぶ際にも違和感を感じるのでしょうか。
312 :
?:10/05/05 17:26 ID:3QAKz9Ks
>>310 様から!
> ちゃんと頭から三回通読してください。
了解、致しました!
霊魂、識、阿頼耶識といっても【それは仮合(仮和合)の存在として】
仮設されたものとするなら、縁起と矛盾しない、と言う事ですね?
313 :
Classical名無しさん:10/05/05 17:29 ID:dcvp7376
どこの馬の骨が肯定しようが輪廻という仕組みが実在するかどうかとは無関係な話だよ。
輪廻という現象を観測したと考えられる根拠は依然として未発見だからだ。
314 :
Classical名無しさん:10/05/05 18:30 ID:GmEjN5Yo
要するに輪廻を前提として仏教は成立するかしないかであって、
実際輪廻があるかないかとは別問題ですよね。
輪廻を前提としたのが
・原始仏教
・大乗仏教、南伝仏教
・日本伝来時
・鎌倉以降諸派
どこまでそうだったのか?
「日本仏教は仏教とはいえない」なんて言い方はなしですよw
>>314 カントの物自体の様に倫理的に要請せざるを得ないって感じでしょうかね。
アンベードカルさんは明白に輪廻を否定してますね。これも別の意味で倫理的要請ですが。
>>305 輪廻は龍樹菩薩ですら立証困難なんでしょうね。
>>314 それはやっぱり、縁起馬鹿が指摘するようにw
「近代仏教学」のせいだと思うよ。
江戸期あたりからは、(特に江戸明治の禅の流れの中では)、
輪廻への言及は(もともと多くは無かったものが更に)少なくなってると思うし、
輪廻について言及するより、『今、どうするか?!』に大きな比重がかけられたと言えると思う。
それは、【「否定」ではないにしても、「不問」にすることで事実上の否定・隠蔽となった】と思う。
そのことの功罪は論議されてよいと思うが、(半分手前味噌になるがw)、
片山さんがパーリ仏教(≒現ビルマ仏教)を提示するにあたり、
《「輪廻」に積極的に言及・解説していない》点は興味深いと思う。
(或る意味、上記近世仏教の流れと相似する。)
この辺は、直接対話・質問が必要な部分だとは思うが・・。
317 :
Classical名無しさん:10/05/05 19:29 ID:dcvp7376
毒矢の例えの時点から仏教は輪廻の有無を問題視していないよ。
死後の世界に長いお箸が実在するのかしないのかを問題視しないのと同じ意味で
>>317 うるさいw 消えろw
「三世に跨る輪廻」否定派のワシから見ても鬱陶しい事この上ないwww
319 :
Classical名無しさん:10/05/05 19:45 ID:dcvp7376
鬱陶しいのは有名な例え話を頑なに黙殺したがるお前の方だよ。
>>319 あのぉ、文献学及び原典批判的研究って言葉知ってます?w
【文献上は説かれている】んだよ。
顔洗って出直して来いw
321 :
Classical名無しさん:10/05/05 19:51 ID:NyVSMuQg
確か輪廻の論証とかいう論文ならあったな。
322 :
Classical名無しさん:10/05/05 19:56 ID:dcvp7376
どこの馬の骨がどんな寝言を書き記そうが、輪廻という現象が果たして実話なのか妄想なのかとは関係ない問題だよ。
仏教の開祖自らが輪廻の真偽なんかは別にどーでも宜しいと教える為の例えに毒矢と患者の話をした。
それが原始仏教だ。
その意図を理解した上でわざわざ黙殺したのか、或いは単に開祖の意図を理解できてないだけなのかに関係なく、
輪廻の真偽を議論する自称仏教徒は外道そのものだ。
>>322 マジでお馬鹿さんのようなので、もう一度言いますねw
【文献上は説かれている】んですよ。
顔洗って出直して来てくださいwww
324 :
Classical名無しさん:10/05/05 20:01 ID:dcvp7376
文献にどんな例え話が説かれているかは輪廻が事実かどうかとは関係ない。
輪廻の話だろうが長いお箸だろうが、実在するかしないかは問題ではないのだよ。
>>324 だからw
半分は賛同しますが、【それは、あくまでも 『《文献の》《解釈》』 の範疇を出ない】ということです。
ちなみに訊いてみますが、貴方は【文献以外の何に基づいて】そのように断定なさるのでしょうか?
参考までに教えて頂けますか?( ̄ー ̄)ニヤリ
326 :
Classical名無しさん:10/05/05 20:07 ID:NyVSMuQg
>>324 結局あなたは、輪廻はないと言いたい。
ないとは言わなくても議論すること自体を否定したい。
輪廻問題は黙殺したい。
という事か?
いや、主義なのかな?
327 :
Classical名無しさん:10/05/05 20:10 ID:dcvp7376
輪廻という仕組みが事実なのか寝言なのかを確かめる手段が確立していない時点で輪廻が有るだの無いだのと議論するのは時間の無駄だ。
毒矢の例えはそういう意味だよ。
後世の自称仏教徒が輪廻の有無を議論するのに熱中するのはおかしいだろ
>>315 >輪廻は龍樹菩薩ですら立証困難なんでしょうね。
とりたてて、そんな必要がないからだと思います。
先ず、縁起=自性空性(『中論』24.18、『廻諍論』帰敬偈他)です。
そして、他に因待しないもの=自性(『中論』15.2)は、一切時に元々存在しません。
否なら、果は任意ですから。以上は、そのまま縁起が蓋然的ではないことを示しています。
>>327 だからw
半分は賛同しますが、【それは、あくまでも 『《文献の》《解釈》』 の範疇を出ない】ということです。
ちなみに訊いてみますが、貴方は【文献以外の何に基づいて】そのように断定なさるのでしょうか?
参考までに教えて頂けますか?( ̄ー ̄)ニヤリ
330 :
Classical名無しさん:10/05/05 20:14 ID:NyVSMuQg
>>327 じゃあ厳重な確認作業をするダライラマの代々の転生を否定して論破できる
論理をあなたは持ってるの?
御隠居。何で、IDが一定してるのですか?
332 :
Classical名無しさん:10/05/05 20:16 ID:ZboAwR2c
>>311 外道とか西洋哲学は、基本的に実在論に基づくものなので、
それほど抵抗ないと思います。逆に縁起・無我・空は基本的理解に至るまで、
私の場合は15年かかりました。
>>312 >霊魂、識、阿頼耶識といっても【それは仮合(仮和合)の存在として】
>
>仮設されたものとするなら、縁起と矛盾しない、と言う事ですね?
そうです。
>>314 私は仏教体系内でしか論じてないというだけです。
>・原始仏教・大乗仏教、南伝仏教・日本伝来時・鎌倉以降諸派
基本的に全部です。日本近代仏教の一部、タイ仏教のニューウウェーヴ、インドの新興仏教が例外です。
>>332 これはマジな質問だが、
キリスト者やムスリム等(その他種々の思想保持者)とは対話しないってこと?
>私は仏教体系内でしか論じてないというだけです
334 :
Classical名無しさん:10/05/05 20:20 ID:ZboAwR2c
>>323 相手にすんな、上見てみろ。
きっちり証拠だしたのにスル〜で、自分がなんの根拠もださん。
オイラは生命教かと思ったよ。言葉遣いと主張内容と方法から。
>>326 ただの頑迷な常識盲信家でしょう。スル〜するに限る。
335 :
Classical名無しさん:10/05/05 20:24 ID:dcvp7376
ダライラマがちゃんと転生しているのか、実は転生なんてしてないのかを他人がどうやって確認するんだね?
転生したダライラマを探し出す場合には幼児が知らない筈の前世の記憶をちゃんと持ってる事を確認したりするという話なんだろうが、
その手順に臨んでは単なる嘘や手品で詐欺師に出し抜かれたりする可能性が有り得ない事を客観的に証明したとは寡聞にして聞いた事が無いな。
336 :
Classical名無しさん:10/05/05 20:24 ID:ZboAwR2c
>>330 ダライラマは化身であって輪廻による転生ではないとされているので、
分けて考えましょう。
>>328 >否なら、果は任意ですから。以上は、そのまま縁起が蓋然的ではないことを示しています。
つまり、現象・知覚・経験一切が縁起に他ならないということでしょうか?
>>331 どうも、別人みたいです。発想や言い方、レスポンスが似てますが。
337 :
Classical名無しさん:10/05/05 20:27 ID:ZboAwR2c
>>333 対話は可能、釈尊と同じ方法。貴方はどう考えますか。そうですか。
私はそう考えません。こう考えます。というかんじ。
>外道とか西洋哲学は、基本的に実在論に基づくものなので、
>それほど抵抗ないと思います。逆に縁起・無我・空は基本的理解に至るまで、
>私の場合は15年かかりました。
生まれれてからずっと、文化として浸かってれば
いつのまにか体得出来てる、という質のものではないんですね。
>>336 >つまり、現象・知覚・経験一切が縁起に他ならないということでしょうか?
そのように考えております(『六十頌如理論』34,37等参照)。
340 :
Classical名無しさん:10/05/05 20:36 ID:dcvp7376
毒矢の例えは仏教の開祖自らが輪廻の有無を議論するのは時間の無駄だとわざわざ教えた基本中の基本だぞ。
それを何故か黙殺し、後世の的はずれな文献を取り沙汰して輪廻の有無を延々議論していたら明らかに仏教の考えから逸脱しとるじゃないか。
それは文献の例え話に出てきた長すぎるお箸が実在するのかしないのかを議論するのと変わりない愚行なのだよ。
341 :
Classical名無しさん:10/05/05 20:38 ID:NyVSMuQg
>>334 自分は何やら浄土真臭を嗅ぎ取った。
毒矢の例えを振り回すあたり。
毒矢の例えの説かれる原典を見れば、毒矢の話の前後にはこの世の行いに
よって振り分けられる死後の世界の違いとその様子などが説かれているのに。
馬鹿のひとつ覚え方式に「毒矢の例え」「毒矢の譬」「毒矢の喩」と
一点だけを切り取った誰かかからの話を原典の文脈を知らずに都合良く
連呼する浄土真臭がするんだ・・・。
342 :
Classical名無しさん:10/05/05 20:39 ID:ZboAwR2c
>>338 本来、意識を持つ自分があることや、見えるものは、そのまま実在すると思うのが生得的感覚でしょう。
この感覚が幻で、実在が何かあるという実在と仮象、マーヤーとブラフマンみたいな理解が、
様々なヴァリエーションと伴に色々な哲学・宗教にあります。
これは基本構想が単純なので、勉強して半年ほどで分かりました。
ところが、これも仏教では否定されているということが、
分かるのに三年ほどかかり、どうゆうことなのか明確な論理にするまで、
15年ぐらいかかったという次第です。
以上は以下『梵網経』の凡夫、聖者、ブッダに明らかに対応しています。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/16.html
343 :
Classical名無しさん:10/05/05 20:44 ID:GmEjN5Yo
>>316 日本にはもともと輪廻なんて考えはなかったわけで、仏教受容後に神仏習合で
取り入れられたものと都合よく改変されたものとあったと思うのです。
徳川家康なんかあんだけ業がふかいのに、輪廻せずに権現さまになっちゃいますからw
344 :
Classical名無しさん:10/05/05 20:46 ID:ZboAwR2c
345 :
Classical名無しさん:10/05/05 20:50 ID:dcvp7376
毒矢の例えは輪廻の真偽を問われた場合にノーコメントに徹した仏教の開祖自らが説いた物事の基本的な考え方の典型例だよ。
それをわざわざ黙殺して、有るのか無いのか確かめる方法も見つからない与太話に延々熱中する方がバカの一つ覚えなのだよ。
346 :
Classical名無しさん:10/05/05 20:59 ID:NyVSMuQg
>>345 輪廻は実在するのが仏教の前提。
輪廻からの解脱を目指すのだから当たり前。
こんなのは基礎の基礎。
>>345 あのなw
その箇所では、【輪廻について問われてはいない】んだよwww
お前、実は仏典の「ぶ」の字も読んでないだろ?
又聞きの更に孫聞きで偉そうに書き込んでんじゃねーよw
御隠居以下の糞野郎だなwww
348 :
Classical名無しさん:10/05/05 21:03 ID:ZboAwR2c
>>346 いや、実在というと問題があるんじゃないかと。
対象作用があるとか、前提となる、それらに違和感があるなら
せめて存在するぐらいにとめといた方がいいでないか?
ま、
ここまで言われても、レスアンカー付けずにレスするあたり、
愉快犯か“やっかみ”か知らんが、小物であることに変わりはないなwww
350 :
Classical名無しさん:10/05/05 21:07 ID:NyVSMuQg
351 :
Classical名無しさん:10/05/05 21:17 ID:ZboAwR2c
>>349 まあ、若い人でしょ。無謀というか、
それより、戒律重視で思い出したんだが、戒律を重視すると輪廻が重要になるでしょ。
なぜなら、戒律は善悪が問題になり、仏教の善悪とは苦楽をいい、
その苦楽は、行為によって因果・縁起するものだから、
律の縁起に輪廻が説かれることが多いと思う。
そこらへん、パーリ律だとあんまり過去世の因縁とか出てこないの?
オイラは有部律ぐらしか、あんまり読んでないんで他はよくしらないけど。
352 :
Classical名無しさん:10/05/05 21:18 ID:ZboAwR2c
>>350 「輪廻は存在するのが」「万人の共通認識である」のが前提、ではなくて?
354 :
Classical名無しさん:10/05/05 21:28 ID:ZboAwR2c
>>353 そうではなくて、仏教に入るための前提です。
釈尊は、輪廻などいくつかの前提を信じたものにしか核心部分の教えを
説きませんでした。そして輪廻や因果を否定するものを断見と呼びました。
355 :
Classical名無しさん:10/05/05 21:36 ID:NyVSMuQg
>>354 >そして輪廻や因果を否定するものを断見と呼びました。
輪廻を否定する事を否定するだけじゃなくて、肯定するのも否定してませんでしたっけ?
暁烏敏「歎異抄講話」は信頼できる本ですか?
358 :
Classical名無しさん:10/05/05 21:55 ID:ZboAwR2c
360 :
Classical名無しさん:10/05/05 22:00 ID:ZboAwR2c
>>356 その肯定とはどういう意味でしょう?
仏教では、一貫して現在、輪廻にいることを認識し、
それが苦に他ならないとし、そこから解脱する道を説きます。
>>357 近代真宗教学は、だめだと思います。
金子大栄先生や山口益先生の方がいいと思います。
>>360 断見に対する常見を想定して発言したんですけどね。
常見って、
>>356という意味じゃありませんでしたっけ?
362 :
Classical名無しさん:10/05/05 22:09 ID:ZboAwR2c
>>359 >【世俗内での在り方】【所属社会に合わせた比丘・サンガの在り方、接し方】に於ける
>【節度・禁忌】【注意事項】に終始する。
悪作とか細かいとこでも、縁起するという因縁が有部律や、
それに基づくチベット仏典では説かれますよ。
つか、オイラが言いたいのは、律の善悪の前提に輪廻が明かに要請されるという意味ですよ。
つまり、仏教だと単に命令として禁止するのではなく、殺生するとこういう因果があって、苦となるから止めましょう。
という説き方をしませんか?
363 :
Classical名無しさん:10/05/05 22:14 ID:ZboAwR2c
>>361 それは誤解です。常見は、うろ覚えですが、死んでも恒常なアートマンなどがあるなどという見解です。
仏教の場合は、識とか自相続が死んでも持続しますが、それらは因縁和合した、無常な仮設されたものとするのが大きな違いだと思います。
>>362 >つまり、仏教だと単に命令として禁止するのではなく、殺生するとこういう因果があって、苦となるから止めましょう。
それだと単なる因果であって、輪廻は関係ないんじゃありません?
365 :
Classical名無しさん:10/05/05 22:22 ID:ZboAwR2c
>>364 輪廻しないとなると、生を決定する因がなくなり、死ぬ前までの行為の果がなくなって断見となります。
つまり、「これあらばこれあり、これなくばこれなし」という縁起から逸脱してしまいます。
>>363 >常見は、うろ覚えですが、死んでも恒常なアートマンなどがあるなどという見解です。
つまり、「常見を否定する」ということは、 「恒常なアートマンがある事の否定」ですよね?
そういう見方をすれば、「断見を否定する」ということは、「輪廻の肯定」ではなく、
「輪廻を否定する見解を否定する事」ですよね?
つまり、断見を持ち出して、「輪廻を肯定」するのは、無理が有ると思うんですが。
また、常見は、貴方の仰るように、明らかにアートマンを否定していますので、
もし輪廻を肯定するのならば、アートマンに抵触しない輪廻システムを構築する必要がありますが、
今の所、それは成功してるとは言いがたいと思いますが、いかが?
>>365 なんか論点がずれてません?
364で指摘しているのは、戒律の前提に輪廻が必要だと言う主張に対する突込みなんですがね?
>>362の説明では、要請されるのは因果律だけであって、輪廻は要請されませんよね?
>輪廻しないとなると、生を決定する因がなくなり、死ぬ前までの行為の果がなくなって断見となります。
生を決定する因は、父と母がムフフな事をしたことじゃないんですか?
別に、前世を想定する必要は無いと思いますがね?
うちにはテレビがありません。
そのことを口頭で伝えてもNHKの集金の人が「携帯電話をチェックさせてください」と、ワンセグ対応かどうかを確認しようとしやがります。
ワンセグ未対応の携帯しか持ってないものの、さんざん疑われて気分が悪いです。
次にこういう機会があれば、「チェックしてもらっていいですが、もし携帯がワンセグ未対応だったら何かしてくれるんですか」と言おうかと思います。
何をしてもらったらいいでしょうか。
輪廻というのは縁起ではなく、業の連続性の問題と思っていましたが
ちがうのですね。縁起だけの問題なら「自分が不幸なのは前世が勝手なことしやがったからだ、
俺の知ったことじゃないから、来世の人間のために善行なんかしねーよ」みたいに思ってしまう
おいらは悪い子です。
370 :
Classical名無しさん:10/05/05 23:18 ID:ookzEIgs
>>272 なんと言うか、レスの進行が以上に速いな。
おまけに分けのわからん流れになってるし。
>CNRS研究室長ミシェルビトボルは、やはり実在論的説明の可能性を選択することが主流だと言ってるようだが
すまん。浅学のため、その御仁がどのような思想の持ち主なのか知らないので
コメントのしようがない。
実在論的、すなわち隠れた変数の存在を認める学者は多数いるよ。有名どころでは
ボームあたりかな? しかし、アスペの実験以来、それに対する明確な反証が提示
されたことはなく、現在は実証派が主流なのは事実。もちろん、それが覆されたら
大勢はそっちに流れる。そのようないい加減さ、よく言えば柔軟性、信念のなさが
科学の持ち味なんだよ。 そこが絶対の信念をもつ宗教との違いだと思うぞ。
371 :
Classical名無しさん:10/05/05 23:20 ID:ookzEIgs
>真面目に修行すれば過去世の記憶ぐらいは、そう難しいことではない。
本当か? では聞くが、縁起一代は自分の過去世の記憶があるのか?
>オイラにはそれが実体、本質をもって説明しないと納得できないという
信念に思えるけど、そこはどうでしょう?
いやいや、俺はちっとも「実体、本質」に拘らないよ。
ただし、業の引き受けが必然であることを証する関係性が示せたらの話だが。
つまり、Bさんの犯した殺人の業をAさんが引き受けることが十分妥当であること
説明できるシステムが提示されるのであれば、そこに「基体」が設定されて
なくても何ら問題ないと思うぞ。
372 :
Classical名無しさん:10/05/05 23:49 ID:ookzEIgs
>>271 難しいな、セブン。(笑)
「主体のない行為のみ」をみるか。
感想としては、「止観」の「観」に近いような印象を受けたが。
俺はそれを体験したことがないので、はっきりとは分からん。
ただ言語表記による説明体系としては、正直かなり不完全だと思う。
(少なくとも、自己体験、あるいはかなりの事前知識のない者にとっては)
あの哲板でのやりとりを俺は見てないが、理解できた者は大勢いたのか?
374 :
Classical名無しさん:10/05/05 23:59 ID:NyVSMuQg
>>368 反日捏造放送NHKは契約さえしなければ受信料を払う必要はありません。
375 :
Classical名無しさん:10/05/06 00:08 ID:o/LgcygM
>>368 あと、NHKの集金はNHKの職員のような顔をして来ますが、あれはNHKとは
関係のない会社の人です。しかもかなり怪しい仕事をしている社員だそうです。
テレビの有無を確認させる必要はありません。
ワンセグも確認させる必要はありません。
彼等には調べる権限はありません。
勿論家に立ち入って調べる権限もありません。
しつこい場合は警察に通報しましょう。食い下がって帰らないと彼等は違法になります。
詳しくはYouTubeで「チャンネル桜」のNHK特集を参照。
>>253 >本質や実在があるという信念に基づいて構築されていると思われる。
>だから、非実在論・非本質主義的観測を示す二重スリットなどのデータが物議をかもし、
>いまでも実在論的可能性を探っていると思う。
仰るところとは別の視点から問題点を考えますと、
騙し絵のルビンの壺などでも分かりますように、
如何なる視点、観点、信念を除外した、ありのままの事実とか、ありのままの観測とか、
といった実在論的発想には、無理があると思います。
377 :
Classical名無しさん:10/05/06 00:20 ID:o/LgcygM
>縁起氏、
私の書込に対する随喜に感謝いたします。
>>342 適確な見解だと思います。ただ「聖者」という用語は、仏道の四双八輩の聖者を
想起してしまいますので、仏門外の沙門・バラモン、すなわち「外道」と言った
方がいいと思います。しかし確かに、俗世間の凡夫との比較としてはそれでも
「尊敬すべき(外道の)師」という差異は必要だと思います。そして仏門外の俗
世間においては、外道の修行者も仏門の四双八輩も、いずれも「聖者」として区
別はつけられないのだと思いますので、そのような表現をされたのだと思います
けど。私自身は、「聖者」は基本的に、四双八輩のみを指して用いています。
仏教に関する論議は、「唯物主義的な生得的な感覚」を超えたものが世界の実相で
あると不完全ながらも勘付いた人以上でないと、意味をなさないと思います。そこ
から導き出される姿勢が「毒矢の喩え」であって、輪廻が疑う余地のない事実とし
て容認されていることを前提として、それに疑念を呈する人々に対する、輪廻の事
実としての証明・説得に時間・労力を浪費するなという話ですね。だから「輪廻を
教義として説く」ということもしないわけです。凡俗向けには、ジャータカを説い
て、輪廻モデルを容認して仏教に帰依する人をフィルタリングする程度でしょう。
もちろん、現世における利益のみを求めて自ら帰依する人にも開かれてはいるわけ
ですが、わざわざ輪廻を疑念・否定する人を、転向させるために教義を説くような
ことはしないのだと思います。輪廻モデル自体、いみじくも釈尊が成道時におっし
ゃったように、多くの無明の強い俗世間人にとって理解し難いものだからです。
「俗世間人にとって理解し難い」
これは本当のところ
「俗世間人にとって受け容れ難い」「認めたくない」
ということなのだと思っています。
どうでもいいたわいのない空想(SF)なら、肯定しない人たちはスルーしていればよい
のです。
スルーできずに、否定すること(または肯定論を黙らせること)に異常に執着している
人々の存在は、むしろ、この問題の答えが「真」であることを暗示しているようにすら
思えます。「物証」ではなく「動機」の方面からのアプローチ的には。
この書込自体、縁起氏や宝珠愚者氏のような、輪廻肯定者同士で通じる話でしょう。
なぜ、「毒矢の喩え」という姿勢に帰結するのかということは、「輪廻を理解できる
資質のある人が世間の少数の者にしか不可能であり、その世界の状況は変えることが
できない」ということでしょう。もし「科学的証明」というような、一般化した理論
として論証可能であれば、釈尊はそのようにしたはずです。釈尊は、そうは判断しな
かった。それは世間というものの性質上、成立しないことだと考えたのだと思います。
なぜならば、いわゆる自然科学というのは、世間の合意を前提とします。つまり多数
決です。
>>380に述べたように、大多数の無明の深い凡俗には、輪廻という事実は、
冷静に受け止め難い過酷な問題です。だから、かれらの認識は歪められており、世間
の大多数の合意はその歪められた認識によって構築されています。だからどうやって
も、真実でありながら、一方で世間の合意としての自然科学には、認容不可能な物事
です。だから、釈尊はそんなことに時間・労力は費すなという結論に至ったのだと類
推します。
382 :
Classical名無しさん:10/05/06 03:38 ID:Ie5H5Qeg
>>380 ちょっと待て、こらあ。
お前のようなバカがいるから、黙ってられんのだ。
>どうでもいいたわいのない空想(SF)なら、肯定しない人たちはスルーしていればよい
のです。
ふざけるのもたいがいにせえよ。
いいか?輪廻業報理論というのは、その本質に「差別思想を内包する」
よって、仏教と言う一宗教内の教義内の話であるならばまだしも、その論を
もって仏教徒以外を規定するのは、容認できない差別なんだよ。
だから俺は何度も何度も繰り返し言ってきた。
「自分らの価値体系をもって、他者に干渉するんじゃねえ。」とな。
仏教というフレームを超えて、それが普遍的真実であると語るなら、
まず、それが真実であると実証してから語れ。
それができないなら、森の中に引っ込んでろカスが。
まんこ
384 :
Classical名無しさん:10/05/06 03:51 ID:Ie5H5Qeg
>>381 >だから、かれらの認識は歪められており、世間
の大多数の合意はその歪められた認識によって構築されています。だからどうやって
も、真実でありながら、一方で世間の合意としての自然科学には、認容不可能な物事
です。
結局、何か? 世間一般の人間は真実を知らない。自分たちは「輪廻業報が真実である。」
と知っている。 そして自然科学ではそれがわからないよ。 って言うわけね。
確か前にも言った記憶があるが、お前は「宗教者の最も忌むべき属性を一身に体現して
いるような奴だな。」 以前にも「自分を賢者である」と規定して上から目線で
一方的に好きなこと喚いていたな。
『自分は真実を知っている。お前たちは知らない。』
いい加減にこのスタンスを改めろ。
お前のような奴がいるから、隠居に「宗教者はいかん。」と攻撃されるんだよ。
385 :
Classical名無しさん:10/05/06 04:08 ID:o/LgcygM
>>382 >いいか?輪廻業報理論というのは、その本質に「差別思想を内包する」
その通り。生まれながら人間の優劣が存在する論だ。その意味では
確かに差別を内包する。反日サヨクの浄土真臭が大好きな浅知恵の論法だ。
しかしその差別は平等だからこそ起こるんだよ。
それが受け入れられないのは現代人好みの科学的な合理主義やご都合主義に合わない
から気に入らないという外道の思想に過ぎない。
>もって仏教徒以外を規定するのは、容認できない差別なんだよ。
容認するもしないもそんなものは関係ないよ。真理なんだから。
386 :
Classical名無しさん:10/05/06 04:41 ID:0uzkCOxY
>>366 いやいや、それは何か基体がないと輪廻しないという実在論・本質主義ですね。
仏教だと縁起・空なれば、すべて叶う、現象可能なのでそれはないです。
譬喩ですが、縁起・空の方が現代物理の観測にも合致するでしょう。
>>367 セックスは物理的問題で、識や行の因にはならないでしょう。
科学では意識は創発する、つまり、物質から突然発生すると考えることが主流のようですが、
これが断見に他ならないということです。
この理解がないとどうしようもないです。
387 :
Classical名無しさん:10/05/06 04:46 ID:Ie5H5Qeg
>>385 いいか?よく聞け。
>それが受け入れられないのは現代人好みの科学的な合理主義やご都合主義に合わない
から気に入らないという外道の思想に過ぎない。
業報思想など全く関係ない一般人はな、障害をもって生まれたわが子を「過去
に悪行を犯したからだ。」などと考えたくはないし、また、幼くして死んだ
わが子を「過去に悪行を犯したから、こうなった。」などと決して考えたくは
ないんだよ。 お前らだけに通用する価値観を他者に押し付けるんじゃねえ、バカ。
388 :
Classical名無しさん:10/05/06 04:47 ID:Ie5H5Qeg
>容認するもしないもそんなものは関係ないよ。真理なんだから。
真理なのか? なら今からそれを実証してみろ。
逃げるんじゃねえぞ。 お前は真理だから、差別じゃねえと言うわけだ。
確かに「それが真理であるなら受け入れるしかない。」
それを公言することも「事実の告知」だな。しかし、実証もできない妄想
を元に差別を肯定するのは見過ごせんぞ。 さあ、やってみろや。
できないのなら、二度とここにくるなよカス。
「良識ある仏教徒」が迷惑するわ。
389 :
Classical名無しさん:10/05/06 04:50 ID:0uzkCOxY
>>370 信について確かに違いがあるのは認めるけど。
例えばアインシュタインみたいな人は明かに信念があるでしょう。
オイラは科学は知らないから、個別に指摘できないが。
>>371 本当だ。周りには多い。但し、記憶が有ると言う人ははっきりいって別の面で問題がある。ちゃんとした行者は神通が有るとは言わない。
オイラは行者としての資質が著しく欠いてるようなので、レヴェルが低くて記憶はないよ。
その A B には連続があるが、他人とも同一人物とも言えないのが仏教。
390 :
Classical名無しさん:10/05/06 04:53 ID:o/LgcygM
>>387 >業報思想など全く関係ない一般人はな、障害をもって生まれたわが子を「過去
>に悪行を犯したからだ。」などと考えたくはないし、また、幼くして死んだ
>わが子を「過去に悪行を犯したから、こうなった。」などと決して考えたくは
>ないんだよ。
だからそれが近代的ご都合主義だと言ってるんだよ。
目を背けたい認めたくない仏教論理というだけの事だ。
お前らだけに通用する価値観を他者に押し付けるんじゃねえ、バカ。
391 :
Classical名無しさん:10/05/06 05:01 ID:o/LgcygM
>>388 >真理なのか? なら今からそれを実証してみろ。
科学じゃないから実証などできない。
これは思想の問題だ。仏教思想を科学で実証できないから信じないというなら
仏教とは関係ない話。
>逃げるんじゃねえぞ。 お前は真理だから、差別じゃねえと言うわけだ。
仏教の教義なんだからそれが仏教的には真理だ。
誰も科学的真理だなどとは言っていない。
>確かに「それが真理であるなら受け入れるしかない。」
仏教徒でないなら受け入れる必要はない。唯物論を信仰すればよい。
>それを公言することも「事実の告知」だな。しかし、実証もできない妄想
>を元に差別を肯定するのは見過ごせんぞ。 さあ、やってみろや。
科学的に実証できないから妄想という理屈なら仏教は大半が妄想だ。
>できないのなら、二度とここにくるなよカス。
以上書いた通りだ。解ったかカス。
「良識ある仏教徒」が迷惑するわ。
392 :
Classical名無しさん:10/05/06 05:06 ID:0uzkCOxY
>>378 もっともです。ただ、そうすると外道と書くと文と一致しないので、
外道の聖者でどうでしょう。恐らく凡夫に対しているため聖者と仰られたのではないかと思います。
>>379 まったく仰る通りだと思います。
>>380 そうですね。ただ宝珠さんはこれまた常見で問題ですね。
今のところ不説さん、KfkY/eE6さん、セブン、私はだいたい共通の理解があると思います。
NyVSMuQgさんもそうかもしれませんが、長文を書かないので分かりません。
>>381 「毒矢の喩え」は、世界、アートマン(自己)、解脱者の死後などの本質は何かという問題 なので輪廻とは別だと思いますが、
確かに輪廻についても論証可能なら凡夫にもそのように説かれていたと思うので、結論は同じですね。
393 :
Classical名無しさん:10/05/06 05:07 ID:o/LgcygM
>>387 逆に聞くが、障害をもって生まれた子は何故障害を持って生まれたのか?
幼くして死んだ子は何故そういう運命だったのか?
この問題を仏教の論理で説明してみろ。
科学の論理じゃないぞ。
お前は答えられないはずだ。
394 :
Classical名無しさん:10/05/06 05:09 ID:Ie5H5Qeg
>>389 見ろ、縁起一代。
>>390のバカを。
お前はこんな「輪廻業報肯定者」も擁護するのか?
このバカは世俗における一般的共通認識も否定し、自分らの信じる
仏教理論の優越性を主張し、差別発言をなし他者を不快にさせることを
何とも思ってない。
俺が例にあげた親の気持ちを「自分らだけに通用する価値観」と規定し
(業報を認める)仏教徒以外の価値観を否定する。
このバカは業報否定論者が単純な平等主義であると思い、それを近代ご都合
主義と認識する。 こんな浅薄な思考しかできないバカが、業報を語るから
問題なんだよ。
395 :
Classical名無しさん:10/05/06 05:11 ID:o/LgcygM
396 :
Classical名無しさん:10/05/06 05:13 ID:0uzkCOxY
>>382, 384
まあまあ、仏教内の話と考えてくれ。
>>385 仏教では現象はあるがままに個別的なだけで、
そこに優劣という価値体系はなく、価値体系は世俗の習慣あるがままなだけなんだが。
そして問題は、分別・区別といういう意味の差別にあるのではなく、
蔑視にあるわけで、それはいかんということだと思うが、
それではだめなのかな?
397 :
Classical名無しさん:10/05/06 05:14 ID:o/LgcygM
さっさと
>>393に答えてみろ。
できないなら二度と出てくるな。
398 :
Classical名無しさん:10/05/06 05:17 ID:0uzkCOxY
>>390 いやいや、そこで釈尊は、「私はこう考えます」といいますよ。
要するに考えない人に押しつけない。それぞれの説明体系はそれぞれなので、
それを受け入れない人に強要してはダメだと思います。
399 :
Classical名無しさん:10/05/06 05:17 ID:o/LgcygM
>>396 蔑視はいかんな。
自分はしてないけど。
400 :
Classical名無しさん:10/05/06 05:20 ID:Ie5H5Qeg
>>391 正直、驚いたぞ。ここまでバカだったとは。
いいか? 俺が言い続けてきたのは
「仏教の論理をもって、仏教徒以外の者に干渉するんじゃねえ。」
ってことだ。 何度も何度も繰り返し言ってるように、「仏教という
一宗教内で」輪廻業報を語るのなら良しだ。そのフレーム内でなら俺も
今まで縁起一代と話してきたわ。しかし、その枠を飛び越えて「輪廻は
普遍性を有する現象であり、仏教徒以外にも当然適用されますよ。」
と主張するのであれば、まず、それを「仏教の枠をはずして実証してからに
しろ。」って言ってんだよ。 ここに古くからいる住人は、以上のことは
了解してるわ。 消えろカス。
401 :
Classical名無しさん:10/05/06 05:24 ID:o/LgcygM
>>398 強要はしてないよ。だから
>>391でいやなら唯物論でも信じろと書いた。
「認めたくないから受け入れたくない」というのは単なる個人の願望であって
仏教教義とは関係ないし。
402 :
Classical名無しさん:10/05/06 05:24 ID:0uzkCOxY
>>394 上に書いた通りです。他人に強要したらダメだし、
業報にしろ善悪、戒律にしろ自分を戒めるもので、
他人を害するものであってはいけないというのが、仏教の姿勢ですが、
そこはなかなか難しい。なぜなら、自分が信じるものが正しいと誰でも思うから。
そして、売り言葉に買い言葉のようにならないようにしなければならないのですが、
結構、心を訓練してないと直ぐ怒っちゃって冷静に話せないからです。
全く私のことです。
403 :
Classical名無しさん:10/05/06 05:26 ID:0uzkCOxY
>>401 この方は話せばわかる賢い人なので、上手く話せませんか?
404 :
Classical名無しさん:10/05/06 05:30 ID:o/LgcygM
>>400 正直、驚いたぞ。ここまでバカだったとは。
>「仏教の論理をもって、仏教徒以外の者に干渉するんじゃねえ。」
仏教徒以外に干渉なんかしてない。
>普遍性を有する現象であり、仏教徒以外にも当然適用されますよ。」
>と主張するのであれば、まず、それを「仏教の枠をはずして実証してからに
>しろ。」って言ってんだよ。
だからそれは科学の話だと言ってるんだよ。
仏教ではそれで普遍的真理だと考えてるだけの話だ。
文句があるなら言い出した釈迦に言え。
「お前の思想は仏教徒のみに通用する理屈だ。普遍的真理じゃねえ」とな。
消えろカス。
405 :
Classical名無しさん:10/05/06 05:31 ID:Ie5H5Qeg
>>403 とりあえず、一端落ち。
>>389 は後でレスするわ、縁起一代。
そのバカに、よく言い聞かせてやってくれ。
406 :
Classical名無しさん:10/05/06 05:36 ID:o/LgcygM
>>403 話せるけど、自分は相手に合わせてるだけです。
馬鹿だのカスだの言い出したのは相手だから。
まあ、反論もできないし論にもなってないからまともに話すのは
無理なんじゃないでしょうか?
言ってる内容から賢い人とは思えませんが・・・。
407 :
Classical名無しさん:10/05/06 05:39 ID:o/LgcygM
>>405 必ず
>>393に答えろよ。
例え答えられてもそれは既に間違いだが。
俺は夜にまた来るとする。
408 :
Classical名無しさん:10/05/06 05:41 ID:qxwop.ZY
409 :
Classical名無しさん:10/05/06 05:47 ID:0uzkCOxY
>>406 彼やセブンは、業や輪廻によって非難や軽蔑、蔑視するような行為の危険性を重要視してるので、
書き込みにそのような臭いがあると言葉が激しくなるのだと思います。
例えば、意図せずに言ったとしてもそのような言葉を聴いたり読んだりして苦しむ人があるんだよと優しく言えばいいのですが、
そう言えない、それはもし貴方が仏教徒なら、大きな心で接してあげないといけないのではないでしょうか?
例えば、「すいません。そういう意図で言ったのではないのです」といったような、
このような対応を仏教徒は求められてると思います。
ただの私の思いです。
410 :
Classical名無しさん:10/05/06 06:09 ID:o/LgcygM
>>409 ならば380氏に対する
>>382のバカ発言。
また私に対する
>>387のバカ発言。
>>388のカス発言。
等を彼が改めるのが筋だと思います。
>書き込みにそのような臭いがあると言葉が激しくなるのだと思います。
私の発言にそれらを認める内容はありませんし書いてません。
>例えば、意図せずに言ったとしてもそのような言葉を聴いたり読んだりして苦しむ人があるんだよと優しく言えばいいのですが、
>そう言えない、
彼がそう言えないのは彼の問題です。
>例えば、「すいません。そういう意図で言ったのではないのです」といったような、
そういう意図とやらは最初からありませんし、そういう意図があると
思うなら、そう勝手に決め付けてるのは彼の方ではないでしょうか?
411 :
Classical名無しさん:10/05/06 06:21 ID:0uzkCOxY
>>410 仰ることは、もっともですが、そこで譲れるかどうかが問題だと思います。
なぜかというと、業・輪廻は差別というデリケートな問題を内包しているので、
そこに抵触してしまったなら、仏教徒側は「すいません」というのが筋だと思うからです。
そこで理を争っても、異なる論理の争いになるだけなので。
もともと、彼はかなり譲歩して仏教側の言い分を聞いてきている面も考慮してください。
もし、宥和できないなら、沈黙するのが次善です。
言い争っても不快になるだけだと思いませんか?
412 :
Classical名無しさん:10/05/06 06:38 ID:o/LgcygM
>>411 >仰ることは、もっともですが、そこで譲れるかどうかが問題だと思います。
何故私にそれを求めますか?
無礼に罵り出したのは彼ですよ。
>なぜかというと、業・輪廻は差別というデリケートな問題を内包しているので、
>そこに抵触してしまったなら、仏教徒側は「すいません」というのが筋だと思うからです。
それは関係ない話です。彼の態度が問題なだけですから。
関係ないついでに、もしその問題で「すいません」と言わねばならないなら
それは釈尊でしょう。
それに謝ったらおかしいと思いますよ。仏教的には間違ってないのですから。
>そこで理を争っても、異なる論理の争いになるだけなので。
おかしな考えを放置しろと言う事ですか?そして私だけが黙ってろと?
>もし、宥和できないなら、沈黙するのが次善です。
それは彼に言うべきでしょう。「毒矢の例え」通りに。
413 :
Classical名無しさん:10/05/06 06:45 ID:o/LgcygM
まあ、私は争う気はないんですけどね。
おかしな解釈を否定してるだけですから。
自然災害や戦争なんかを考えると業や輪廻はあるのかと考えてしまいます。目的のない無意味な一回限りの生と死がDNAの命令によって繰り返されているだけなのかもしれません。
415 :
Classical名無しさん:10/05/06 10:28 ID:Ie5H5Qeg
>>413 おい、 ID:o/LgcygM お前は本当に何が問題かさえも理解できて
ないわけだな。 めんどくさいが、一度きっちり説明してやる。
よく、聞いとけアホ。
「輪廻業報思想」というのは、現世→来世を見るとき、個人の行為から悪行を
排除する倫理的要請の側面がある。しかし過去世→現世を見るときは、それが
差別につながる危険性がある。(だから、宮元啓一氏などは、過去世→現世を
語らずに現世→来世のみを語るべきだと頓珍漢なことを言ってたくらいだ。)
現実に障害者に関するもの、ハンセン氏病に関するもの、同和差別部落に
関するもの、など多々ある。よって、それに言及するときは細心の注意が求め
られる。
「仏教というフレーム」を設け、その枠内で「一宗教の教義」として語るなら
問題はないだろう。それは各個人が何を信じ、どのような思想をもつかという
「内心の自由」に関することであり、俺個人は、「内心の自由、信仰の自由」
はできるだけ尊重されるべきであると考える。(よって、隠居がそこに土足で
踏み込むようなことをしたときは、はっきりと批判者に回った。)
416 :
Classical名無しさん:10/05/06 10:29 ID:Ie5H5Qeg
また前スレにおいても、この話題が中心に取り上げられていたが、「仏教内の
教義に関するもの」であったので、俺はロム専に徹していた。
不説が
>>200〜
>>202で自説を述べたときも、(それを茶化す者もいたが)俺は
「信仰表明」であると考え、何のレスも付けなかった。しかし、
>>380と
>>381は違うぞ。あれは、明らかに「仏教という範疇を飛び越え」
仏教徒以外に干渉している。いいか?よく聞け。
『輪廻業報思想は、全ての人間に妥当する普遍的原理である。』と、
仏教徒以外の前で公言することは差別に繋がるんだよ。だから、そのように
主張したいのであれば、まず、(仏教的論理ではなく)仏教徒以外にも通じる
一般的な共通認識、普遍的論理で実証してからにしろと、そしてそれができない
ならば、森の中に引っ込んでいろと言ったわけだ。
417 :
Classical名無しさん:10/05/06 10:30 ID:Ie5H5Qeg
さて、今度はお前の番だ。お前は
>>385 で
>それが受け入れられないのは現代人好みの科学的な合理主義やご都合主義に合わない
から気に入らないという外道の思想に過ぎない。
このように輪廻業報を受け入れられないのは、「それを認められない側に責任がある」と
断定してきた。業報を主張する、典型的な独善論だ。
いいか?誰も全ての人間が平等であるなんて言ってやしない。バカに生まれ付いてくる者
もいれば、賢く生まれつく者もいる。金持ちの家に生まれつく者いれば、貧しい家に生まれ
つく者もいる。健常者として生まれつく者もいれば、障害をもって生まれつく者いる。
これらの差異があるのは当たり前だが、仏教徒でないものは、それらを生理学的要因に
求めたり、単なる確率上の帰結として受け入れる。だがな、「それらは自分が過去世において
悪行を積んだから、今のような悲惨な境遇にある。」などとは規定されたくないんだよ。
それは「業報を信じる仏教徒のみに通じる真理」であって、仏教徒でも何でもない者にとっ
ては、それは「単なる不当な干渉に過ぎない」んだよ。
418 :
Classical名無しさん:10/05/06 10:32 ID:Ie5H5Qeg
お前は
>>・・もって仏教徒以外を規定するのは、容認できない差別なんだよ。
>容認するもしないもそんなものは関係ないよ。真理なんだから。
と、このように「業報は真理なんだから、それを差別とる方が悪い」と
「自分たちの価値観を基準に、その価値体系をとらない者に干渉してるんだよ」
ならば、全ての人間が了解する範疇でそれを実証してみろという要求は当然起こる。
それが「地球は丸い」レベルのほぼ全ての人間がそれを是とする蓋然性の高さで、それを
実証できたのならば、「それは差別発言ではなく、事実の告知と受け取りましょう」と
言っているのに
>>393 に答えろなどと、全くポイントのずれたことを一人で喚いている。
419 :
Classical名無しさん:10/05/06 10:33 ID:Ie5H5Qeg
何で俺が仏教の教義を用いて、それを実証しなければならないのか?」
お前は自分の要求が全く的外れであることさえも理解してないのだろう?
おまけに「釈迦に文句を言え」などと、小学生みたいなレスまでするし。
おそらく、お前は何かしらの仏教解説本を読んで「仏教すっげえ〜」みたいな思いに
取り付かれたんだろうが、お前が輪廻業報を語るのは100年早い。
一から勉強しなおして来い。
420 :
Classical名無しさん:10/05/06 11:04 ID:l0I1TrWA
死後の世界がどんな有り様であるのかを凡人には見定める事ができないが、
凡人としての限界を克服した超人には輪廻という仕組みが事実だと分かっている
と言い張るだけなら唯の狂信カルトだよ。
輪廻の有無を見定める能力みたいな代物がホントに身に付く事があるのかという問題に話をスリ替えただけで、
輪廻の真偽に関する疑問は全く解かれていない。
ある種の能力を身に付けた超人にだけは分かる事だと言いたければ、
そんな能力が果たしてホントに身に付くのかどうかを証明するしか無い。
そして現時点では特に証明された訳でもない様子だ。
421 :
Classical名無しさん:10/05/06 11:16 ID:Ie5H5Qeg
>>389 >信について確かに違いがあるのは認めるけど。
例えばアインシュタインみたいな人は明かに信念があるでしょう。
確かに「信」の質は全く違う。アインシュタインも宇宙項の導入が間違っていると
思ったら、さっさと引っ込めた。(最近ではまた見直されているみたいだが)
なんて言うか、「それに殉じる」みたいな精神は科学にはないね。
だから俺はかえって宗教者がもつ、そのような「信」に敬意を表するのだが。
俺には出来ないと思うのでね。(隠居はそれを洗脳と言うがな)
仏教がね、門を開いて待っていてくれることには感謝の念を感じる。
もしかしたら俺もいずれは、その門をくぐる日がくるかもしれない。
だがな、その門から仏典を片手に「私たちは真理を知る者だ。皆にそれを教えて
あげよう。」 と出てきたら、「やかましいわい。」 となるんだよ。
何も主張せず、ただ門をたたく者に微笑みかける宗教者ってのは、いないもんかい?
422 :
Classical名無しさん:10/05/06 11:17 ID:Ie5H5Qeg
>その A B には連続があるが、他人とも同一人物とも言えないのが仏教。
さて、ここが問題。この「他人とも同一人物とも言えない」という言いまわしが
なんとかならんもんかい?縁起一代は、そこは勝義だから、そのようにしか言えない
というのであろうが、明らかに「論理的には」崩壊している。つまり、そこには
個人的「直覚」が必須であって、それを経ない者には理解不能となる。
もう少しは、言語表記による分かりやすいアプローチというものができないものか?
423 :
Classical名無しさん:10/05/06 11:18 ID:8dyuxKHI
昨日特急電車にひかれたジジイの死体を焼いたら火力の配分間違えて手足がバラバラ
頭蓋骨が見事割れて粉々に…
424 :
Classical名無しさん:10/05/06 11:50 ID:0uzkCOxY
>>421 いるよ。釈尊がそうだし。悟った師匠はそう。まあ、本物に当たるのが難しい。
じーと黙って待ってる師匠。また、全然偉ぶらないところがかっこいい!
>>422 そこが難しい。西洋論理学の実在論に基づく同一律を守っては、縁起・空・無我ではない。
仮設として同一ということはできるし、それを識とか相続と呼ぶこともできる。
しかし、それを実体と捉えることはできない。
分かりやすいアプローチは、これでも努力してるつもりだけど、
能力の限界ですな。セブンの図が分かりやすくないかな?
425 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/06 12:47 ID:d.ku3T9Y
>>301 ただ“意識・触・受・愛・取”は、
これらを感受する主体があって、初めて意味をなすものだということです。
先に生じるものは主体です。主体なくして、これら“意識・触・受・愛・取”は生じ得ない。
第二、第三人称も、第一人称が認識されて初めて生じます。
426 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/06 12:50 ID:d.ku3T9Y
>>304 >「無我の境地」の主体なのだから前記した如き主観的実体として非縁已生法なる我ですね。
これは“離蘊の我”であり、仏教が求める真実の自己ということでしょう。
『アートマンをアートマンとみて、それを追及し真実の自己を見いだせ。
婦女を尋ね求めることより、自己を尋ね求めよ。』(ヴィナーヤ,マハーヴァッガ1.13)
また、輪廻する主体は
>>309-310でいう、
仮説された輪廻する主体としての魂(アートマン)です。
これにより、輪廻する間の個としての情報は継承されるのです。
427 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/06 12:51 ID:d.ku3T9Y
古代の聖典が明確に言及してないのは、
ニルヴァーナというのは、この輪廻する仮説のアートマンが消滅することで、
真実の自己(これもアートマン/モナド)が出現する、という点なのです。
これについては、仏典/バラモン聖典をいくら読んでも明記はされてないでしょう。
ただし、仏典においても自己の全否定などいうことは説かれてなく、
見出すべき真実の自己、頼るべき自己の主について教えています。
無我を悟るのは誰なのか?到達する境地にその主体がない、ということは在り得ない。
それは個の概念が崩壊した自己意識として自覚されるものでしょう。
428 :
Classical名無しさん:10/05/06 13:01 ID:0uzkCOxY
違うっての。もう〜。
それと君があっちで密教っていってるもの、それはもはや密教でなくてただの呪術です。
密教の基本は認識を変えること、例えば、この世を浄土にありありと観ること。
それがマンダラとか密厳浄土に他ならず、君のような霊とか超能力とか、
そういう部分を強調し、それをアートマンと捉えるなら、正にオカルト、呪術に他ならない。
いいかげん、ヒンドゥーか仏教か選択してほしいな
429 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/06 13:45 ID:d.ku3T9Y
>>428 強調してるのではなくて、ごく当たり前程度に過ぎないもの。
あちらで言及している心霊というのは輪廻の主体ではありませんので、どうか誤解無きように。
ただの想念形態の残存現象のことに過ぎない。
私も仏教しか知らなかった頃は、仏教至上主義(これ以外はダメ)でした。
それはただの偏見でしたね・・・。
私は、以前から仏教徒を自称したことはありません。
ヒンドゥー・ヨーガは実践してますよ。
430 :
Classical名無しさん:10/05/06 14:05 ID:0uzkCOxY
>>429 仏教を騙らないで欲しいってこと。
ただの偏見だとなんで分かるの? たかがオイラの知識レヴェルもないのに。
そのように断定できるには、仏教でもヒンドゥーでも完全に悟って始めていえることだよ。
君の場合は、その狭い知見を自覚せずにそれを持って一般化すること、
ヒンドゥーにしろ仏教にしろ断定してことが問題なんだが。
もちろん、オイラもヒンドゥーについてはそれほど知らないことは言うまでもなく、
仏教についてもほんの少ししかしらない。
しかし、その中の知識は時代・地域を超えて普遍性を持って読むことができるぐらいのものではある。
その知識と君のいう仏教は明らかに矛盾する。
このことはオイラだけじゃなく、セブン、不説さん、KfkY/eE6さんの四人が認めてる。
そして君のことを支持する仏教者は、今のところいない。
これを認められないなら、生命教や机と同じだぜ!
431 :
Classical名無しさん:10/05/06 14:43 ID:oWSNz8Ag
>何も主張せず、ただ‥‥微笑みかけるだけの宗教者
摩訶迦葉だろw
432 :
Classical名無しさん:10/05/06 14:53 ID:oWSNz8Ag
輪廻の問題もあるとかないとかここで言っているやつは実はわかってなくて、
ただ花を差し出してニッコリ微笑むやつだけが勝ちってことだw
433 :
Classical名無しさん:10/05/06 15:05 ID:l0I1TrWA
あのお方こそは正しい修行で凡人としての能力的限界を克服した生き神様でおわす!
と言い張るだけなら唯の狂信者か詐欺師ってだけだよ。
生前の言動と死後の禍福に因果関係が成立している事をどこの馬の骨が観察できているのかは別にどーでも良い事だ。
ホントにそんな芸当が可能ならば証明するだけで輪廻が有るのか無いのかという疑問の答は出る。
今は超人が出現したという与太話を真に受けたカルト狂信者が必死なだけで、
輪廻が有るのか無いのかという問題に決着はついてない。
435 :
Classical名無しさん:10/05/06 17:19 ID:l0I1TrWA
俺の親は子供が夜遅くまで大声で騒ぎ続けていたら「ヤマンバが来るから静かにしなさい」と言って叱っていたな。
自宅の周囲20キロ以内には丘一つ無い濃尾平野のど真ん中で。
近所の国道を走る珍走団が夜中にクラクションをパラリラ鳴らしていたら、「ほらヤマンバの車が来たよ」とも脅かしていた。
437 :
Classical名無しさん:10/05/06 18:42 ID:o/LgcygM
>>415 それがどうしたアホ。
私はそんな理屈は最初から知っている。
だから差別を内包する側面があると書いた。
438 :
Classical名無しさん:10/05/06 18:44 ID:o/LgcygM
>>416 それは俺とは関係ない話だから不説氏とやれ。
440 :
Classical名無しさん:10/05/06 18:47 ID:o/LgcygM
>>417 だから受け入れたくないなら唯物論でも信仰してれば良いと書いたはずだ。
仏教を拒否するなら当たり前だ。
442 :
Classical名無しさん:10/05/06 18:54 ID:o/LgcygM
>>418 >容認するもしないもそんなものは関係ないよ。真理なんだから。
というのは仏教的にもう変更できない原理だという意味だ。
所がお前はバカだから、これを意図的に差別思想肯定論になるよう理解しようとする。
例えばこのように決め付けて。
↓
>「自分たちの価値観を基準に、その価値体系をとらない者に干渉してるんだよ」
私は誰にも強要、干渉などしてないのに、しているということにして突っ掛かる。
全くポイントのずれたことを一人で喚いている。
444 :
Classical名無しさん:10/05/06 19:01 ID:o/LgcygM
>>419 >何で俺が仏教の教義を用いて、それを実証しなければならないのか?」
批判するならお前がこの問題を説明してみろということだ。実証などしなくてよい。
仏教の論理で説明してみろと言っている。
お前にはそれができないのが解っているからワザと聞いた。
>お前は自分の要求が全く的外れであることさえも理解してないのだろう?
的外れはお前。
>おまけに「釈迦に文句を言え」などと、小学生みたいなレスまでするし。
根本問題だろ。そんなことも解らんのか。バカ。
>おそらく、お前は何かしらの仏教解説本を読んで「仏教すっげえ〜」みたいな思いに
>取り付かれたんだろうが、お前が輪廻業報を語るのは100年早い。
それはお前にそっくり返すよ。
一から勉強しなおして来い。
445 :
Classical名無しさん:10/05/06 19:08 ID:l0I1TrWA
真偽を検証する前に真理だ原理だと言い張るのは唯の狂信だよ。
夜中に大声を出していたらヤマンバがやって来ると経典に記述されていた場合には鵜呑みにするのかね?
446 :
Classical名無しさん:10/05/06 19:17 ID:o/LgcygM
無意味な長文をダラダラ書く奴の為に、
>>385からの私の意見を簡潔にまとめてやる。
1、輪廻業報理論は生まれながら人間の優劣が存在する論。その意味では確かに差別を内包する。
2、しかしその差別は平等だからこそ起こる。
3、その仏説が受け入れられないのは現代人の好みに合わず「気に入らない」というだけに過ぎない。
4、差別思想云々も後から出て来た理由。
5、しかし、別に仏教徒以外なら信じたくなければ信じなければ良い話。
6、だが仏教徒以外が容認しまいが、仏教ではそれが普遍的真理であると考える。
その程度だったか・・
少し買い被っていたようだ・・・w
448 :
Classical名無しさん:10/05/06 19:25 ID:o/LgcygM
>>388 >真理なのか? なら今からそれを実証してみろ。
真理でないと噛み付くお前が先にこの教理を否定して真理でないことを
実証するのが話の順序。
それに、私には実証はできない。実証できない理由も書いた。
それに私が差別肯定をしたと妄想して、喚くのはやめ給え。
449 :
Classical名無しさん:10/05/06 19:32 ID:o/LgcygM
>>387 改めて聞くが、業報思想が真理でないとするお前は、障害をもって
生まれた子は何故障害を持って生まれたのか?
幼くして死んだ子は何故そういう運命だったのか?
この問題を仏教の論理で説明してみろ。
科学の論理じゃないぞ。
お前は絶対に答えられないはずだ。
仮に答えてもそれは既に間違いだ。何故かは解るよな?
まさか、名無しの宝珠じゃないだろうな・・・w
451 :
Classical名無しさん:10/05/06 19:42 ID:o/LgcygM
>>447 その程度の話を、彼は
「差別だ差別だ!差別肯定だ!許されない!仏教徒以外に押し付けるな!
この障害者差別主義者めー!!」
と一点張りに喚いている。それだけの話。
私が言ってもいない差別肯定をしたということにして。
反日サヨク浄土真宗の常套手段だから。
453 :
Classical名無しさん:10/05/06 19:47 ID:o/LgcygM
私は今夜は飲み会に付き合うので、今夜はもうこれ以上書けないかもしれない。
次に来れるのは明け方以降かもしれないので宜しく。
454 :
Classical名無しさん:10/05/06 19:49 ID:o/LgcygM
>>452 レッテル貼りは彼ですよ。
私が誰に何のレッテルを貼りましたか?
456 :
Classical名無しさん:10/05/06 19:56 ID:o/LgcygM
>>387 おい。
>>449には絶対答えろよ。逃げるんじゃねえぞ。
既にお前は一度逃げたがな。
逃げるなら「何故自分が答えねばならんのだ?」とか逃げを正当化する
理屈でも書いて逃げろ。
特別のお慈悲で見逃してやる。
457 :
Classical名無しさん:10/05/06 19:59 ID:o/LgcygM
>>455 彼の手口が反日サヨク浄土真宗の常套手段と同じだと指摘しただけですよ。
>>457 いやいやw
あの文章、文脈は、【どう読んでも】
【彼が「反日サヨク浄土真宗」である】という意味にしか取れませんよ?w
まあいいか・・。
>>449>>446には、私が横からツッコんでもいいんだが、
もう暫く生温かく見守ることとしようw
460 :
Classical名無しさん:10/05/06 20:13 ID:o/LgcygM
>>458 手口手法について言ってるんだがな。
誤解させたなら上記の意味で脳内訂正して下さい。
あと、レッテル三昧は完全に彼の方ですから、私の揚げ足取りをしても無意味ですよ。
これ以上は本筋と関係ないので煽りはやめて下さい。
461 :
Classical名無しさん:10/05/06 20:14 ID:o/LgcygM
>>459 横から突っ込むのはお止め下さい。
あなたには問うてませんから。
462 :
Classical名無しさん:10/05/06 20:30 ID:oWSNz8Ag
差別といえば「女人往生」の問題がありますね。
女であるというだけで男より業が深いから、男になってからしか
往生できないんですよね。
なんかぐちゃぐちゃ言っている有象無象がいるが、
釈迦など、真なる神「ぽんちょむ様」から見れば蛆虫に過ぎない。
真理を知る者として、愚かな仏教徒どもに、真なる教えを伝えてやろう。
当然、輪廻などあるはずも無い!
死んだら、ぽんちょむ様と一体になるのだ!
そして、仏教などと言う外道を信じている者は、地獄に落ちる。
仏教徒は、真理を欠片も理解していない。
この真理を理解できない様な香具師はスルーしておけばよかろう。
仏教徒は、この真理を気に入らないと言って、否定するだろうな。
だったら、仏教などという、真理から遠い阿呆の宗教を盲信して、地獄に落ちれば?w
仏教徒がいくら否定しようと、これが真理だ。
ハハハ、反論したければ、ぽんちょむ様を勉強してから、ぽんちょむ教の範囲で反論しろ。
文句があるなら、ぽんちょむ様に言え。
>>463に対して、不説や、ID:o/LgcygMは当然、
「お前は仏教について何もわかって居ない。
仏教について言及するなら、仏教を勉強して、仏教の範囲内で議論しろ。
それが出来ないなら、ぽんちょむ教徒の中だけで喚いていろ」
と言うだろ?
自覚はないだろうが、↑を、仏教⇒科学、ぽんんちょむ様⇒仏教と、スライドさせると、
>>378-381や、ID:o/LgcygM の主張になるんだ。
そして、ID:Ie5H5Qegは、同じ突っ込みを言ってるわけだ。
「仏教内の理論を、世間一般に適用するならば、世間一般の枠内で議論してみろと。
それが出来ないなら、仏教の中だけで喚いてろ」と。
>>381 科学が多数決だ何て、誰が言ってるんですか?w
たとえ世界で一人だけが言い出したことであっても、論理的に筋道がとおっていて、
現実との整合性があれば、認められるのが科学ですよ?
例えば、地動説なぞ、言い出した当初は誰一人信じませんでしたが、
地道な論証と、実験を積み重ねる事で、科学的に認められてきました。
或いは逆に、血液型占いを、日本人の大くの人が信じていますが、科学的には完全に否定されています。
つまり、多数決と対極にあるのが科学と言ってもいいぐらいです。
輪廻が認められないのは、筋道の通った論理もなく、現実との整合性も無いからに過ぎません。
多数決や世間の合意は全く関係ありません。
>>386 >いやいや、それは何か基体がないと輪廻しないという実在論・本質主義ですね。
>仏教だと縁起・空なれば、すべて叶う、現象可能なのでそれはないです。
>譬喩ですが、縁起・空の方が現代物理の観測にも合致するでしょう。
……論点を全然理解してませんねww
基体がなければ輪廻は成立しないなどとは言ってませんよw
私が指摘しているのは、2点です。
@まず、常見を否定している=アートマンなどの基体を否定する以上、
輪廻を肯定するのならば、基体がない輪廻を考え出す必要があります。
そして、その「基体がない輪廻」の説明が、成功していないという指摘です。
「縁起・空なれば、すべて叶う」といっているだけでは、
「チンピョロスポーンだから、この世に神はいる」と言っているのと同じです。
なぜ、縁起・空なら、基体がない輪廻が成立するのかを説明してください。
Aそして、「断見の否定」とは、「輪廻がないと考える事の否定」であって、
「輪廻の肯定」ではないという指摘です。
>>386 >セックスは物理的問題で、識や行の因にはならないでしょう。
識や行も、遺伝、環境要因と言う因があります。
別に前世を想定する必要は全く無いと思いますがね?
>科学では意識は創発する、つまり、物質から突然発生すると考えることが主流のようですが、
>これが断見に他ならないということです。
意味不明ですね。
なぜそれが断見なのでしょうか?
具体的に論証していただけますか?
そもそも、上でも言いましたが、断見の否定=来世の肯定ではありません。
断見は、常見とセットであり、かつ、両方を否定するのが仏教だと私は理解していたんですが?
468 :
Classical名無しさん:10/05/06 21:30 ID:0uzkCOxY
>>466 これに直接の答えにならないけど、いままで言ってきたことの間違いに気付いたので訂正しときます。
世俗では同一性を持つものを捉えるのが正しかったようです。
つまり、世俗諦では、世間の常識や行者世間にあるがままに従う。
勝義では無我・空。
なぜ、誤解したかというと和辻の無我と輪廻は矛盾する説です。
これが勝義と世俗を混同した根本的に詭弁であり、これに引き摺られて私も勝義と世俗を混同してしまいました。
和辻の詭弁には輪廻という世俗諦に勝義を持ち込んだ誤解といえばいいだけでした。
つまり、輪廻の主体は識でもいいし自相続でもいい。
ただし、仮設された無常なものという限定を加えればいいと思います。
つまり、水野先生の記述が全く正しい。とりあえず。こんなとこです。
その他は、以前説明したのでもう輪廻しているので省略します。
これ以上、繰り返しても無駄でしょう。
469 :
Classical名無しさん:10/05/06 21:34 ID:0uzkCOxY
>>467 >識や行も、遺伝、環境要因と言う因があります。
>別に前世を想定する必要は全く無いと思いますがね?
つまり、上のような考えが識が物質から突然創発されるという考えで、
これを仏教では断見と呼んできました。
主にローカーヤタが主張者です。
470 :
Classical名無しさん:10/05/06 21:38 ID:0uzkCOxY
1。地獄の獄卒(牛頭馬頭とか)も転生の中でそこで生まれただけの衆生なのでしょうか?
2。それともそういう役割のものとして(天則、神や閻魔などによって)そこに配置されているのでしょうか?
1だとすると、相手が罪人とはいえかなりシャレになってない責具をしているため、
命が尽きたら、今度はそのまま責められる側に回ってしまうのでしょうか。
472 :
Classical名無しさん:10/05/06 21:48 ID:0uzkCOxY
>>467 >そもそも、上でも言いましたが、断見の否定=来世の肯定ではありません。
誤解でしょう。釈尊はどうみても輪廻にいることを信じることが、仏教に入る前提と考えていたことは明かです。
断見は来世の否定を含みます。以下の「彼世」が明かに来世です。
『大四十経』(田中教照 訳)
比丘たちよ、それでは邪見とは何であろうか。布施なく、祭祀なく、供犠なく、善悪業の報いなく、
此世、彼世、母、父なく、化生の有情なく、沙門バラモンにして正行正習、自ら此世と彼世を知り
証して説く者の世になし、と主張する、これが、比丘たちよ、邪見である。
>断見は、常見とセットであり、かつ、両方を否定するのが仏教だと私は理解していたんですが?
それはそうですが。どうもあなたの常見に対する理解が誤ってるようです。
常見というのは輪廻すること、来世があることを否定することはありませんよ。
>>470 p406の記述は「昭和10年9月20日 訳者 西山龍山 識」だね?
なら合ってる。26巻だったか。
では、その後のp407〜430までの平川解説の中のこと。
大きく拾えばp424下段18行目〜終りまで。
ピックアップすれば、
p425上段3行目〜9行目まで、
p428下段18行目〜p429下段3行目まで、
p429下段14行目〜終りまで。
リンク先は、(エコに反してw)プリントアウトしたんでちょっと読んでみる。
ノシ
>>468 >これ以上、繰り返しても無駄でしょう。
結局、「チンピョロスポーンだから、輪廻は有る」という結論なんですね。
たしかに、これ以上繰り返しても無駄ですね。
>>469 断見とは、「物質から意識が生まれると考える事」なんですか?
>>472 いや、否定するだけでは、肯定することにはなりませんよね?
「この生き物は、ミケではない。」という否定文から、「この生き物はポチである」という結論は導けません。
ですから、断見の否定だけから、釈迦が輪廻を肯定したとする結論を導くのは無理が有ると指摘しているんです。
釈迦は、ズバリ、「輪廻は有る!」と言ったんですか?
>どうもあなたの常見に対する理解が誤ってるようです。
>常見というのは輪廻すること、来世があることを否定することはありませんよ。
では、具体的には、なんなのですか?
是非、「常見とは、〜〜という考えであり、釈迦はそれを否定した。」という形式でお教えいただけませんか?
私の
>>378-381 は一続きの文となっています。言葉尻を捉える等の誤読なきよう、
悪しからず。
>>476 批判されてるのは言葉尻じゃなくて、むしろその背後にある、貴方の観点だと思うんですがね?
そして、全ての突込みをスルーして、「誤読だ」と言うだけで、
どこをどう誤読しているのかを、言わないんですか?w
>>470 論考自体は面白かった。
「大乗仏教が大乗仏教たろうとして、どこにピントを合わせたか」ということが
(一経及び類似した一郡の事例とはいえ)明解に示されていると思う。
ただ、
・文中に本人が「小乗上座部」と「パーリ上座部」を分けて記述していること。
・資料(経証)の多くが有部等北インド所伝のものということ。
から言っても、この論文でパーリ仏教(パーリ上座部)の特徴を示しているとは言えないんじゃないかな。
勿論、パーリが業報や因縁を重視していないとは言わない。
ジャータカが整備されていること。種々の経中に、(特に悪行の場合)
業果を受ける(詳細な)描写が必ずと言っていいほどあること。
等、幾らでも事例を挙げることはできよう。(論文中に示される対立軸は尤もだと思う。)
「因果・業報」(≒「縁起」)こそが中心なれば、集諦故の苦諦なれば、道諦あっての滅諦なれば、当然だろう。
けど、あの論考は「律」(や戒)に関することではないよね・・。
なんだなんだ?
みんな揃って飲み会か?w
リア充ウラヤマシスw (´・ω・`)
480 :
Classical名無しさん:10/05/07 00:13 ID:Fy/ovY1Y
>>477 この不説って奴は以前にも、自己への批判を一切排除してスルーした。
自己を釈迦に擬え、自己を賢者であると規定し、自己の書き込みを理解できずに
批判するのは愚者であるからだと断定した。そういう奴なんだよ、こいつは。
このような掲示板で自己への見解への批判に対して反論を提示することもなく、
ただ相手に瑕疵があるとの姿勢から、自己の主張のみを一方的に述べる。
そういうスタンスなら、批判を禁じる自分のブログでも立ち上げて、そこで
好きなだけ語れと言ったが、このようにほとぼり冷めた頃、同じことを繰り返す。
どうしようもないね。今回も同じだろう。このまま逃走だよ。
481 :
Classical名無しさん:10/05/07 00:14 ID:Fy/ovY1Y
さて困ったね、 ID:o/LgcygM のバカには。
>>415から
>>419 でかなり詳細に説明したのだが、まるで理解できてないわけか。
もう一度だけ、説明するか。いいか?
『輪廻業報思想をそれを真実としない者に対して、【それが普遍的真理である】と
語ることは差別に繋がるんだよ。』 まずこれが理解できるか?
仏教徒でも何でもない者が、幼いわが子を殺人犯に殺されたとするわな。
例えば豊中の小学校の殺人事件だ。(宅間なんとかって奴だ)
あの殺された子供たちの親たちは、わが子が殺されたことをどのように感じたか?
何故、となりのクラスの子ではなくて、自分の子だったのか?
そこにあえて理由を求めるなら「不運だった」 これ以外にはない。
このような不条理な死というのは、日常、多発するが仏教徒でないものは
「不運であった」として自己を納得させる。そうするしかなく、またそこに特別な
意味づけなど必要としない。
482 :
Classical名無しさん:10/05/07 00:15 ID:Fy/ovY1Y
ところが「業論による解釈」はそうではない。子供が殺されたのは、過去世において
子供本人またはその親が、そうなるべく業を積んだ結果であるとするわけだ。
親にしてみれば、たまったもんではない。わが子を殺された原因が、単なる不運に
よるものではなく、「自己責任」であると規定されるわけだからな。そして、
『業論は真実である』と語ることは、『お前の子供が殺されたことは自己責任なんだよ』
と言ってることと全く同じなんだよ。
仏教という範疇の中で仏教徒が語ることは、まだ良しだろう。
しかし、仏教と全く関係のない者に対して、「仏教の中の真実」を普遍的真理として
語ることは不当な干渉であり、価値観の強制に他ならない。理解できるか?
483 :
Classical名無しさん:10/05/07 00:16 ID:Fy/ovY1Y
さらにお前が必死に喚いている「
>>393に答えろ」って要求。
これを俺が答えなければならない必然性が全くないことが、どうしても理解できない
のか? まあ、答えてやるが、
>逆に聞くが、障害をもって生まれた子は何故障害を持って生まれたのか?
幼くして死んだ子は何故そういう運命だったのか?
この問題を仏教の論理で説明してみろ。
科学の論理じゃないぞ。
お前は答えられないはずだ。
はい、それでは「業報思想」により、上記の事例を解釈すると
「障害をもって生まれた子は何故障害を持って生まれたのか?」
答え→過去世において、そうなるべく業を積んだから。
「幼くして死んだ子は何故そういう運命だったのか?」
答え→過去世(または今世)において、そうなるべく業を積んだから。
はい、これでいい?
484 :
Classical名無しさん:10/05/07 00:21 ID:qiOhCTk.
質問です
浄土真宗なのですが、真宗では般若心経はお勤めしないと教わりました。
その理由が般若心経は「自力のお経」だからというものでした。
しかしその説には釈然としないものがあります。
心経の後半の真言を除き、自力を説いた内容には思えないのです。
これは自力他力を問わず、単に諸法空相の理を示したものではないのしょうか?
それともやはり他力の宗門ではまったくそぐわないのでしょうか?
>>484 それは、宗門の外へ問いかけても無意味だよ。
宗門内部で、「どのような理によって、そう判断されているのか?」の基準を問わないと。
たとえ、外の者が、どんなに「他力としても読めますよ」と力説してみた所で、
【宗門内部での「心経」の位置付け、価値付け】が批判・排除対象である以上、意味はありません。
ただ、『心経が【自ら(瞑想・三昧等により)「諸法を空と観じ」る】もの(推奨・指導するもの)なれば、
「絶対他力」「弥陀を一向に念じること」を至上とする価値観にとっては異端』と見做されても仕方ないかもしれません。
隠居が、また何か新しいことを始めたぞw
寝る ノシ
487 :
Classical名無しさん:10/05/07 00:40 ID:Fy/ovY1Y
>>486 そうそうセブン、長文の補足説明、乙。(結局、あいつは何も理解
できてないみたいだが)
縁起一代も仲裁、乙。これも全くの徒労に終わったが。
あと、
>>463さん、補足説明、乙。(たぶん、これも理解できないだろうが)
488 :
Classical名無しさん:10/05/07 01:18 ID:Fy/ovY1Y
いや〜隠居は本当に楽しい。(笑)
普通の奴なら考えもつかんことで笑わしてくれる。
実に貴重なキャラだ。
この世の諸法が、阿弥陀如来の本願力によるものならば、
ことさらに五蘊皆空と叫ばなくても、六字名号で済む話ということなのでしょうね。
ところでアミターバ、アミターユスというのは、近現代物理学の四次元の概念に似ています。
古代インドですでに空間と時間を一体に捉える考えがあったことは驚愕です。
曹洞宗から浄土真宗大谷派に改宗したいのですが、先祖の墓が曹洞宗の寺にあり、永代供養料まで払っています。
墓の移転、取り壊しが必要でしょうか。
また、先祖の戒名の引き継ぎはできるでしょうか。それとも変わるのでしょうか。
仏壇の仏像がお釈迦様から阿弥陀様に変わったり、49日が35日に短縮になるらしいです。
491 :
Classical名無しさん:10/05/07 03:14 ID:Fy/ovY1Y
議論スレの77にセブンが張ったリンクを読み返してみたが、
ひさしぶりに見るとおもしろいな。
(俺の書き込みもあって懐かしかった)
俺としては、【最終】輪廻転生説はどう扱うべきか!?【決着】1
の838〜841が秀逸だと思うが。
結局は、業の連鎖をどのように記述するかに尽きるな。
この業の連鎖が、三世に跨るときそこに因→果を見れるほどの関係性が
あるのか? 果から逆観したとき、三世を跨いで因を拾い上げるだけの
妥当性を有するシステムを記述できるか? ここが問題なわけだ。
単なる現象の連鎖としてしまうと、とてもじゃないが業の継承は認められない。
よって「縁起による」という記述になるのだろうが、それだけでは普遍性を
有する記述とは、とても言えないよな。あくまでも各人がそれぞれ体験において
直覚することを必須とされる。まさに言葉は妥当かどうか分からないが
「勝義に丸投げするしかない」のが現状なのだろう。
492 :
Classical名無しさん:10/05/07 03:49 ID:JbzK3eMg
マクトゥーヴ maktub 健康
493 :
Classical名無しさん:10/05/07 05:29 ID:a1VXgBIc
494 :
Classical名無しさん:10/05/07 05:43 ID:a1VXgBIc
>>475 物質から意識が生まれるという見解は断見者であるローカーヤタが主張した。
後代、大乗が輪廻の論証を行う際に必ずといっていいほど挙げられる彼らの主張。
詳しくは生井智紹『輪廻の論証』を見てください。
『梵網経』で
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/16.html >ビクたちよ、このほかに、如来がみずから悟り体現して教示している、深遠で、
>見がたく、了知しがたく、寂静で、勝れており、思考と思惟とを超えており、
>微妙で、賢者だけが理解できる諸法がある。それら〔を賞賛すること〕によって、
ここに過去世の記憶も入ってますよ。
495 :
Classical名無しさん:10/05/07 05:50 ID:a1VXgBIc
>>475 また、長部中部経典のほとんどで、導入部の待機説法が終わったあと、
相手が器だと判断された時、戒定慧解脱解脱知見を説く場合に、
ほぼ最終段階の慧に相当する果の部分で、宿命通が必ず説かれます。
宿命通とは、過去世の記憶を見ることができる能力というような意味です。
つまり、果の部分で説かれていることから方便や譬喩では全くないことがハッキリするでしょう。
もちろん、有るとういうのはこの世と同じように幻であって、実在ではないというものです。
常見というのは、輪廻する主体としてアートマンのような恒常不変の実体を設定することです。
具体的にはサーティの見解がまさにそれです。
http://www.j-theravada.net/dhamma/reflection-2.html
496 :
Classical名無しさん:10/05/07 05:58 ID:a1VXgBIc
>>484 真宗の本来の見解は完全な信を獲得することにし、
獲得できた時は、自分で作意せずに全てがあるがままになることを他力と呼んでいると私は見ます。
それと清沢満之に由来するキリスト教の影響を受けた近代真宗教学は別のもののように思えます。
真宗のよい部分は妙好人などの成就者に現れているのであって、
清沢満之みたいな頭で適当に時代に阿った教学を作るような人に現れているとは思えません。
以上の前提の上で、妙好人など人が「自力のお経」だからというなら従えばよく。
教学者の理論によってグダグダいうことは真宗を取るならありえないと思います。
なぜなら、真宗は信のみでいく道だからです。
それに抵抗があるなら、他の道を行くしかないと私は思います。
497 :
Classical名無しさん:10/05/07 06:01 ID:a1VXgBIc
>>487 どういたしまして。
ただ、もうちょっと柔らかい口調なら二人とも話せば分かる人だと思いますよ。
498 :
Classical名無しさん:10/05/07 06:07 ID:a1VXgBIc
>>489 本願というのは、大乗仏教なら必ずする一切有情がなくなるまで私は未来永劫輪廻しますと言ったものです。
その本願力によって悟っていても涅槃せず化身して有情利益をなすという意味です。
正にダライラマ法王がそうです。
ですから、世界の創造力、第一原因、創造原理みたいなものではありません。
>>490 すいません。そういう制度的慣習的なことは、あまり詳しい人はいないと思います。
要するに住職との交渉ですから、上手くやって住職を怒らせないことが重要なのではないでしょうか?
499 :
Classical名無しさん:10/05/07 10:20 ID:8T8NzwIs
>>498 法蔵は涅槃して如来になったのだから、本願は成就したと考えるのが浄土の教えでは?
菩薩はシャバに出ていても輪廻しないものと思っていました。
500 :
Classical名無しさん:10/05/07 10:49 ID:a1VXgBIc
>>499 『アミダ経』とか浄土系は詳しくないのでよく知りませんが、
『華厳経』は間違いなくそうですし、弘法大師はそう捉えています。
また、インド・チベットでもそうです。普賢行、菩薩行、無住処涅槃などと言われます。
無住処涅槃の菩薩は輪廻するのではなく、化身するのです。
何が違うかといえば、無明・業・煩悩の力で輪廻する凡夫とちがって、
無明・業・煩悩は尽きていても誓願・本願の力で化身するのです。
化身なので時間も場所も、数も自由自在と説かれます。
但し、化身してからは、その五蘊は因果に従うとも従わないとも
喧しいところです。
501 :
Classical名無しさん:10/05/07 11:19 ID:VWEO.Qqo
道路のわきでババアが死んだんだ
火葬したら火葬炉内でバンバン叩くんだわ
>>494 >物質から意識が生まれるという見解は断見者であるローカーヤタが主張した。
断見者であるローカーヤタが主張した事は全て断見ですか?
なら、ローヤーカタが考えたであろう、「1+1=2」と考える事も断見なんですね?w
あるいは、494のレスを元に、
「断見とは、物質から意識が生まれるという考えである」と規定するのならば、
断見と、輪廻は関係ないことになりますよ?w
一度、「断見とは、○○という考えである」と、明確に定義していただけませんか?
>>495 本当に、宿命通を説く(輪廻が有ると説く事)が釈迦の目的だったんですか?
輪廻が常識であったであろう当時において、馬を走らせる為に目の前に人参をぶら下げるが如く、
「宿命通」と言う「最終的目標」を仮に説いて、
「その方向に向かって走らせる事」が目的だった可能性はないんですか?
もし、貴方が主張するように、輪廻を信じることが仏教の大前提であるのならば、
最終的な果の部分だけに説くのではなく、もっと初期の段階から、
積極的に輪廻実在を説いていたんじゃないでしょうか?
>常見というのは、輪廻する主体としてアートマンのような恒常不変の実体を設定することです。
私の解釈と、どこが違うのか、さっぱり分からないんですが?(
>>472)
私が言っているのは、常見でアートマンによる輪廻が否定されている以上、
主体を用いない輪廻のシステムを構築する必要が有ると、指摘しているだけなんですが?
504 :
Classical名無しさん:10/05/07 13:11 ID:a1VXgBIc
>>504 まあ、議論を放棄するのならご勝手に。
結局、「輪廻は仏教の大前提だ」と言う貴方の主張は、貴方の信仰以外に根拠はないのだと、判断するだけですから。
折角ですので、繰り返しになりますが、私の意見を纏めておきます。
貴方の「釈迦は断見(輪廻を否定すること)を否定したから、仏教は輪廻を大前提とする」という主張に対し、
私は、「輪廻の否定の否定は、即、肯定を意味しないのではないか?」と質問しています。
輪廻否定と、輪廻肯定の、両方の否定(=輪廻に対する判断の保留)が、釈迦の考えではないかと私は考えます。
また、釈迦は常見も否定した事から、仮に「釈迦が輪廻を仏教の前提とした」と主張するのならば、
アートマンなどの基体を想定しない、輪廻のシステムを構築する必要があります。
しかし、貴方は「縁起・空なれば、すべて叶う」と言うだけで、
それでは、「チンピョロスポーンだから、輪廻は有る」と言っているのと同じレベルです。
>また、釈迦は常見も否定した事から、仮に「釈迦が輪廻を仏教の前提とした」と主張するのならば、
>アートマンなどの基体を想定しない、輪廻のシステムを構築する必要があります。
その必要があるのは客観的事実と主張するときであっても
釈迦の教えであると主張する場合には不要ではありませんか?
彼が我々と同じ物の見方をする、という確証は無いわけですし。
釈迦が「チンピョロスポーンだから、輪廻は有る」と説かないと言い切れるのでしょうか。
>>505 石飛さんは輪廻肯定かつ断見と常見は双方否定といった感じですね。その説明は難解過ぎて私には理解出来ませんでしたが。
507
ちなみに輪廻は十二支縁起の順観をベースに説明しています。
>>500 輪廻でなく「化身」ですね。それならわかります。観音経に出てくる観音様のように
自在に衆生の前にあらわれるのが菩薩ということですよね。
ちなみに法蔵菩薩(阿弥陀如来)の本願が説かれているのは『阿弥陀経』ではなく『大無量寿経』です。
>>506 506は、蛆虫にも劣る、生きている価値のないゲス野郎だ。
なぜなら、真なる神ぽんちょむ様が、「チンピョロスポーンだから、506は最低のクズ野郎」だと仰ったからだ。
こう言われて、貴方は、「俺は蛆虫に劣るクズ野郎だったのか」と納得するわけですね?w
>>507 輪廻について書いた石飛氏の本を読んだ事はありませんが、
訳が分からなくても当然な気がします。
石飛氏は、論理が滅茶苦茶な人ですからね……。
おそらく別の本ですが、氏の著作を一冊読んで、久しぶりに本を買った事を後悔しました。
>>493 引用面倒なんで簡単に言うと、
有部律は、アヴァダーナ(或いは因縁譚・前生物語)の分量が
他律に比べて圧倒的に多いってさ。
で、(その内実の差異はともかく、まさしくリンク先の論考と同様に)
大乗的色彩が濃いって。
ぎんぽ工事中のようですな
>>510 納得はしませんが「ぽんちょむ教ではそういうことになっている」ことは理解します。
好きな歌手が広告塔をやってるとか、親戚がぽんちょむ教徒だとか、
無関係な理由で「ぽんちょむ教は俺をクズだとは言っていない」と考えはしません。
あと、ぽんちょむ教が別のところでは共感出来るメッセージを説いていてもです。
>>515 ぽんちょむ教が、「お前は蛆虫にも劣るクズであることが『普遍的真実』である」と主張した時に納得が行かないという事ですよね?
ならば当然、なぜ貴方が蛆虫野郎であることが普遍的真実であるのかを、ぽんちょむ教徒に説明する事を求めますよね?
(当然ですが、普遍的真実ではなく、ぽんちょむ教内部の論理として主張しているだけなら、放置する事もありえるかとは思いますが。)
そこで、
>>510の「ぽんちょむ教⇒仏教」と変換してみましょう。
>>506の発言が、おかしな事を言っているのに気が付きますよね?
仏教が輪廻を普遍的事実で有ると主張した時に、その解説に納得がいかないから、
論理的説明を求めるのは当然ではないですか?
それとも、ぽんちょむ教徒が、貴方の事を根拠もなく、
「キサマが、蛆虫以下のクズ野郎であることは普遍的真実だ!」と喚く事を放置して、
貴方が蛆虫以下のクズ野郎である事を認めるんですか?
>>425 で、“意識・触・受・愛・取”を任意に出来たのですか?
>>426 >これは“離蘊の我”であり、仏教が求める真実の自己ということでしょう。
>『アートマンをアートマンとみて、それを追及し真実の自己を見いだせ。
>婦女を尋ね求めることより、自己を尋ね求めよ。』(ヴィナーヤ,マハーヴァッガ1.13)
第一に、我は「言語表現のみのもの(『相応部』1.25)」です。
第二に、
「阿兎羅陀よ、汝はこれを如何が思惟する、色に如来ありと認識するや」と。「否大徳よ、然らず」。
「“色の外に”如来ありと認識するや」と。「否大徳よ、然らず」。
(…以下、受、想、行、識も同様…)『相応部』「無記相応」第二経
つまり、「離蘊の我」なるものはありません。
第三に、何度も述べたように、貴方のでは、十二処=一切(『相応部』35.23)ではなく、
十二処と十二処外の我こそが一切、となり外道です。
更に、その一切は、過去・現在・未来の一切時に我ではない(『無我相経』他)。
つまり、一切は一切時に我ではありません。
>>517 >>505で言われてるのは
「貴方の「釈迦は断見(輪廻を否定すること)を否定したから、仏教は輪廻を大前提とする」という主張に対し、
私は、「輪廻の否定の否定は、即、肯定を意味しないのではないか?」と質問しています。
輪廻否定と、輪廻肯定の、両方の否定(=輪廻に対する判断の保留)が、釈迦の考えではないかと私は考えます。
また、釈迦は常見も否定した事から、仮に「釈迦が輪廻を仏教の前提とした」と主張するのならば、
アートマンなどの基体を想定しない、輪廻のシステムを構築する必要があります。」
客観的事実ではなく、釈迦が説いた教えの話です。教えの内容がどうだったか、
という話であって、その是非ではありません。
教義が客観的事実かを証明する際に問題になるのは
「ぽんちょむ教(仏教)の教祖が実際にそう言ったか」ではありません。
>>391 >科学じゃないから実証などできない。
問題は、輪廻を信じないものに適用するのは不当だが、
実在論とその亜種を信じないものにも適用するのは妥当だとやっていることです。
先ず、一切の主観的介入が排された「ありのままの事実」の如きが実在していて…、
というような前提で「実証」と連呼することが、そもそも哲学的には問題があります。
如何なる認識行為をも介さずには、認識行為外の実体は承認し得ない、ということこそが
最も「再現可能性」が高く「実証」されているわけですから。
「認識行為外の実体」という想定は、一切=十二処でいえば、
意根に対する法処であり、抽象的思考行為の思考対象に過ぎません。
或は、触に縁って受されたものに過ぎません。
更に、縁起においては、アルタ・クリヤー(効果的作用)は否定されていません。
>>520の続き
また、例えば、自己が理解出来ない哲学的な話は何でも「勝義」だと恣意的にやるならば、
これは、或る意味で、机氏の亜種でしょう。
有部の勝義も唯識では世俗、唯識の勝義も中観では世俗という具合ですから、
唯物論やその亜種にそぐわない哲学的な話ならば、何でも「勝義」だ、などというのは論外です。
>>420 >無礼に罵り出したのは彼ですよ。
スルーが適当だと思います。
「ユダヤ人が、蛆虫以下のクズ野郎」という主張があります。
これが無根拠で(当然ながら)論理的説明・証明出来ない事柄であるからと言って
(それを理由に)ルターが「ユダヤ人と彼等の嘘」を書いてはいない、と言えるでしょうか。
ぎんぽ復活した模様です。
>>520 状況を何も解ってらっしゃらないみたいですね・・w
>>525 アンカーも解ってらっしゃらないみたいですね・・w
というか、また、御得意の「馴れ合い」ですか。
>>528 「馴れ合うな」とやったのは貴方ですよ。私ではなく。
他人に向って馴れ合うなとやりながら、自分だけは例外視してすぐに馴れ合う、
とかいうのはおかしくないですか、ということ。
この問答続けて、スレ費消しますか? もういいでしょ。
530 :
Classical名無しさん:10/05/07 22:47 ID:Fy/ovY1Y
>>522 ちょっと待てよ。
>>無礼に罵り出したのは彼ですよ。
>スルーが適当だと思います。
これはどういう意味だ?
俺が関係していることなんで、見過ごせんのだがな。
「差別発言はしても良い。それに文句言ってくる奴はスルーしろ。
俺たちは真実を語ってるだけだ。」
こういうことか?
>>529 ハァ?(゚д゚)
「馴れ合うな」なんて言いましたっけ?
決着シリーズも永くなってるんで、自分で忘れてるだけかもしれませんが・・w
533 :
Classical名無しさん:10/05/07 22:54 ID:Fy/ovY1Y
>>532 どうした?
>>530は、スルーかい?
こちらとしては、お宅の意図をはっきり知りたいのだが。
>>532 レス抽出できなかったんですが、言い回しが違ったんですかね?「馴れ合」「馴合」
>>519 ああ、なるほど。
ようやく、なんで話が噛み合っていないのか理解しました。
>>506の
>その必要があるのは客観的事実と主張するときであっても
>釈迦の教えであると主張する場合には不要ではありませんか?
という発言を、
「客観的事実と主張する場合『でも』、釈迦の教えである事を根拠にするならば、論理的整合性は不要」
と、読み違えました。
「論理的整合性は、客観的事実と主張する場合『に必要なのであって』、
それとは別の、釈迦の教えである事を根拠にする場合には、論理的整合性は不要」
という発言だったのですね?
これは、私が
>>506を誤読していました。
失礼致しました。m(_ _)m
>>519 では、議論を
>>506まで戻しましょう。
>その必要があるのは客観的事実と主張するときであっても
>釈迦の教えであると主張する場合には不要ではありませんか?
「仏教内部で話をする場合は、論理が崩壊していても、全く問題ない」
という事ですね?
あなたの「輪廻は仏教の大前提だ」と言う主張に始まる一連のレスは「議論」であって、
あなたの主張と、釈迦の説いた教えが、論理的に整合性があるかどうかを、
話し合っていたんじゃないんですか?
>>519 それに、私の
「釈迦が輪廻を説いたとするなら、釈迦の教えの一つである常見の否定との、
論理的整合性を考える必要がある」
という主張に対して、
>彼が我々と同じ物の見方をする、という確証は無いわけですし。
>釈迦が「チンピョロスポーンだから、輪廻は有る」と説かないと言い切れるのでしょうか。
このように発言するという事は、
「釈迦のほかの教えと矛盾していても、論理が崩壊していようと、
釈迦が論理を無視して輪廻を説いた可能性は否定できないから、
私は釈迦が輪廻は有ると説いたと信じる」
と言う事ですよね?
これでは、もはやあなたの信仰表明に過ぎませんよ?
538 :
Classical名無しさん:10/05/07 23:11 ID:Fy/ovY1Y
>>529 逃走か? 他人のやりとりに横やり入れて、当事者に突っ込まれると
逃げ出すわけか? それは、あまりにも姑息ではないですか?
>>534 分かりません。私の方は記憶で述べてます。宝珠の第二期輪廻スレとの絡みで、
不説氏に対して宝珠との馴れ合いを批判する旨を述べていたと思います。
貴方の方は、正確に調べられるのでしょうから、
もし私が記憶違いをしていたなら、撤回して御詫びします。
というわけで、この問答は終りです。
540 :
Classical名無しさん:10/05/07 23:16 ID:Fy/ovY1Y
>>539 そこまで下がらんでもwww 後ろめたいじゃないかw
ワシも「カラス&宝珠」にははっきり言ってただろうし、
他の事案でも茶々入れで類似したレスを入れてるとは思うから。
ただ、『過剰でなければ』構わないと思ってるし、さっきの流れは
「お互い様だろ?w」という返しをしただけで、《「馴合いを否定する」レス》じゃなかったんで噛み付いただけさw
542 :
Classical名無しさん:10/05/07 23:52 ID:Fy/ovY1Y
ホントに逃走かい? こいつも
「輪廻業報は仏教で説かれている真理である。 真理を公言することは
何も咎められるべき事柄ではない。 それを受け入れられないのは理解
できない方が悪い。」 と「自己の」真理を他人に強制するクソやろうか。
見たか?縁起一代。 悲しいながらこれが実体だ。
輪廻業報を肯定する仏教徒には、自分の価値観をもって、他者の心に
土足で踏み込んでくる奴が大勢いるんだよ。
そしてそれを批判されると、すぐに逃げ出す。
「自分たちは正しい。異論反論は一切受け付けません。」
ならば、このような掲示板に書き込まず、自己のブログで一人で
オナッてろ、カス。
543 :
Classical名無しさん:10/05/07 23:53 ID:Fy/ovY1Y
こいつ確か以前にセブンに叩かれた「縁起一代の劣化版」だろ?
「縁起一代さま」とか言ってたやつ。
「哲学的思考」を何の根拠もなく「実在論の上位に設定」したがる
発言を繰り返すから、すぐわかるわ。そして、以前のときもそうだった
が、批判的レスを付けられると、何の反論もできずに逃げ出すとこも
全く変わっておらん。 反論されるのが嫌なら、このような掲示板
におかしな書き込みするなや。
仏教には「虚偽を言うもの、地獄に近づく」という言葉があります。
当然、この言葉は、地獄という言葉を含んでいるので、輪廻を前提としなければ成立
しません。
輪廻を是認する者は当然ながら、来世の悪趣を恐れ、平気で、(虚言などの)悪行を
犯すことはないでしょう。
(虚言などの)悪行を平気で犯す者がいるとしたら、彼は輪廻を是認する者ではなく、
輪廻を是認しない者であると考えるのが道理です。
以上もまた、輪廻を前提としての話です。輪廻を是認できない人には理解できないは
ずです。
545 :
Classical名無しさん:10/05/08 00:47 ID:nuwnVD26
どこの馬の骨の意見であれ正論は正論
謬説は謬説
「あのお方は正しい修行によって超人に成長したのだから、彼の意見は必ず正しい」
と言い張ってるだけなら唯のカルト狂信者でしかない。
輪廻という与太話を無検証で鵜呑みにして良い理由はどこにも無いね。
>>544補足
元々仏教質問箱なので、断っていませんでしたが、念のための補足します。
>>544の輪廻はあくまでも仏教モデルの輪廻です。神のために自爆テロで沢山の
人を巻き添えにして死ねば、(仏教モデルでは地獄行きでしょうが)それでも天
国に行けるというような誤謬が成立し得る他のモデルの輪廻については、この限
りではありません。
547 :
Classical名無しさん:10/05/08 01:08 ID:vOIV/ewM
>>546 おい不説、お前は俺の書き込みを「誤読」と言ってたな。
どこをどのように俺は誤読したのか指摘してくれ。(
>>382、
>>384)
お前の書き込み
>>380、
>>381 はどう読んでも「仏教徒限定の話ではなく
明らかに仏教徒以外の者に干渉してる」としか読めないのだがな。
>>544 続き
このように、輪廻を是認する者が増えれば、世の中で凶悪な犯罪者が減ることはま
た道理です。
また、そのように、輪廻を是認しない者が増えれば、平気で凶悪な犯罪を犯す者が
増えることもまた道理です。
マガタ国やコーサラ国のように当時の施政者たちが、こぞって仏陀に帰依したのも、
狂信などではなく、彼らは施政者としてむしろ優れていたからです。
(仏教の)輪廻論を抑圧することは、世の中のことを考える人のやることでしょうか?
それとも反対でしょうか? どちらが世間に対して善意を持ち、どちらが持たないの
でしょうか?
輪廻を是認できる人ならば、簡単にわかることです。
549 :
Classical名無しさん:10/05/08 01:16 ID:vOIV/ewM
>>548 ちょっと待て。お前は倫理的要請から、今世→来世のみを
語り、過去世→今世 を語ってないな。これは意図的か?
俺が何度も何度も繰り返し、指摘してきたことは、過去世→今世 の
問題点だ。それはあえて触れないわけか?
>>544 >>548 輪廻を是認するものは当然ながら、現世において苦しい状況に置かれたものを見て、
平気で「前世での悪業の果だ」と思うことでしょう。
苦しむものを見て、前世の悪業を想起しない者がいるとしたら、彼は輪廻を是認する者ではなく、
輪廻を是認しない者であると考えるのが道理です。
以上は、輪廻を是認する人には簡単に理解できるはずです。
このように、輪廻を是認する者が増えれば、差別がまかり通ることはまた道理です。
(仏教の)輪廻論を是認することは、世の中のことを考える人のやることでしょうか?
それとも反対でしょうか? どちらが世間に対して善意を持ち、どちらが持たないの
でしょうか?
一般人なら簡単にわかることです。
551 :
Classical名無しさん:10/05/08 01:40 ID:vOIV/ewM
>>548 どうしました?不説さん。 答えてくれませんかね?
そのように「一方的に、手放しで」輪廻業報思想はすばらしいものだと
絶賛されたら、よく知らない人は「輪廻業報思想って何の問題もなく、
すばらしいものなんだ。」って認識する人がでてくるかもしれません。
ここはなにも、仏教徒だけが見ているわけではありませんよ。
あなたの発言を鵜呑みにして、差別発言を公言する人が増えたりしたら
大変、困ったことだと思うのですがね。
552 :
Classical名無しさん:10/05/08 01:49 ID:ju0/bAGs
身内に障害者がいると、どこからか某学会がかぎつけて
「おたくは過去に邪教ばかり信じていたので、その因縁が・・・・」
「前世で悪いことをしたから云々」と失礼な話をしにくるので参ったわ。
ほっといてくれよもう!
自称仏教カルト集団は、仏教とは似て非なる論理で世の中なかをを掻き回していますね。
心ある仏教者はみな憂えています。気を付けてください。
554 :
Classical名無しさん:10/05/08 01:56 ID:vOIV/ewM
>>552 ちょっと聞くが、「某学会」とは、もしかして
池○大○氏の学会のことかな? 俺はよく知らないのだが、確か
日蓮系だと思うが、業報積極肯定なわけか?
>>554 はい、「六道輪廻」の話を散々聞かされましたw
556 :
Classical名無しさん:10/05/08 02:06 ID:vOIV/ewM
>>555 そうなのか。各自が、各自の「信仰の中で」それを信じるのならば
何の問題もないだろうが(というより、そこは他者が踏み込んではいけない
領域だと思うが)
>「おたくは過去に邪教ばかり信じていたので、その因縁が・・・・」
「前世で悪いことをしたから云々」と失礼な話をしにくるので参ったわ。
ほっといてくれよもう!
これは確かに「やかましい」となる。
何故、肯定論者はそこが理解できないのかね?
俺はただ
「あんたたちの信仰をとやかく言うつもりはない。だから、あんたたちの
価値観を強制しないでくれ。」 って言いたいだけなんだが。
>>550 の不説みたいに、すぐ「輪廻を認めない者はだめですよ」って
干渉してくる。 その上から目線はどうにかならんものか?
558 :
Classical名無しさん:10/05/08 02:09 ID:vOIV/ewM
559 :
Classical名無しさん:10/05/08 02:11 ID:vOIV/ewM
>>541 >ただ、『過剰でなければ』構わないと思ってるし、
立場が異なっても相手を尊重して対話可能な人のときに、「横」するのは構わないとしても、
例えば、「罵詈雑言して荒らさない」といったネチケットの初歩の初歩も、
仮想空間・匿名性に乗じて一切守らない、こうした類が絡むときに、
「馴れ合い」されたならば、黙っているつもりはありません。
これは、貴方も同様でしょう。だからこそカラスと宝珠の馴れ合いを不快に思うわけですから。
>>560続き。
>さっきの流れは「お互い様だろ?w」という返しをしただけで、
>《「馴合いを否定する」レス》じゃなかったんで噛み付いただけさw
これは同意できません。
>>529で述べたように、
他者に向かって馴れ合うなとやりながら馴れ合ったのは貴方であって、私ではありません。
馴れ合い自体よりも、他者に向かって攻撃的発言をしながら、
他ならぬ自分だけは守らなくて良い、という態度はおかしいということです。
卑近な例を挙げれば、一方で、不勉強な印象に基づき輪廻肯定=差別肯定と批判しておきながら、
他方で、自分を例外視して、リアルでは絶対にやらないくせに、匿名性を隠れ蓑にして、
ネチケットも、2chの規則も全く無視して、
誰よりも人格攻撃的な罵詈雑言を連呼して差別しまくりながら、延々とスレを荒らす、
こういうのはおかしいということです。
>>560修正
×立場が異なっても相手を尊重して対話可能な人のときに、「横」するのは構わないとしても
〇立場が異なっても相手を尊重して対話可能な人と対話しているときに、「横」されるのは構わないとしても
564 :
Classical名無しさん:10/05/08 02:56 ID:vOIV/ewM
>>561 おい、縁起一代の劣化版、笑わせるなよ
>・・不勉強な印象に基づき輪廻肯定=差別肯定と批判しておきながら・・
なんだこれは? おまえが今まで「輪廻肯定=差別肯定ではない」と
論証したことが一度でもあったか?
>誰よりも人格攻撃的な罵詈雑言を連呼して差別しまくりながら、延々とスレを荒らす、
慇懃無礼な差別発言はいいとでも言うわけか?
俺は「差別発言を容認するようなカス」には礼儀を守る必要はないという
スタンスなんでね。お前のようなカスには遠慮しないわ。
勿論、輪廻肯定論者でも良識ある者には、それなりの礼をつくして
応対している。
あの教団はもともと日蓮正宗の在家組織だったものが、本山といさかいを起こして破門されてからは
まったく○作教になってしまった感がある。仏教らしき言辞を弄するが
不説さんの言う
>>544すらわかってないみたいだから、きっと輪廻も信じてないんだろうww
566 :
Classical名無しさん:10/05/08 03:13 ID:vOIV/ewM
さて、一言、部外者から言っておくかな
「縁起一代の劣化版」 と 「不説」 へ
お宅ら二人は、仏教徒であることを自認し、確かに仏典、教義にも精通
しているのだろう。 だからこそ、襟を正さなくてはならないのでは?
お宅らに共通する姿勢は「自分たちは真理を理解している。お前たちは
わかってない。理解できない愚者には何を言っても無駄だ。」
このようなものだ。 はっきり言うが、『これは宗教者として最も避け
なければならない態度』であると思うが?
567 :
Classical名無しさん:10/05/08 03:14 ID:vOIV/ewM
仏教を知らない者が、お宅らを見たらどう思うか?
「仏典に精通し、仏教の教義を学んだところで、結果はこれか。」と
失望し、仏教に対して誤った認識をもつのではないか?
結果として、仏教を学ぼうとする者の意思を喪失させ、しいては
仏教に対する背信行為となるのではないか?
少なくとも今のお宅らを見て、仏教のすばらしさを感じ
道に入ろうと発心するは皆無であると断言するわ。
これ以上、仏教に対する背信行為を継続することなく、
「仏教者にとって何が最も重要であるか?」を一から学びなおして
くることだ。そうして「良識」というものを身に着けてから、
書き込みをしろ。わかったかい?
568 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/08 08:15 ID:Mdr.Eb1Y
>>518 >で、“意識・触・受・愛・取”を任意に出来たのですか?
ですから、これらはそれを感受する主体がなければ生じ得ないものだ、と私はいっているのです。
ただ、それだけのこと。
>つまり、「離蘊の我」なるものはありません。
違いますよ! 「五蘊の外では捉えられない」「認識できないものについての有無は問えない」と
いっているだけです。これは「離蘊の我」は存在しない、という意味ではありませんので、どうか誤
解の無きように。
これまで何度も述べてきたように、私は、「他の一切を説こう!」など主張したことは1度もありま
せん。それは、仏教が説く一切の外にあるものは(五蘊によっては)認識できない、という意味です。
その他の一切を説くのではなく、一切外のあるものについての存在は否定できない、ということで
す。
569 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/08 08:16 ID:Mdr.Eb1Y
そして、仏教が目指す境地(ニルヴァーナ/無為)そのものが一切を超越したものですから、これ
を現象界の性質(有為)においては示すことができないということです。
これと同様に、自己の本体も現象界を超越したものですから、五蘊によっては捉えられないので
す。そして、この存在を無いものとして否定することもできない、ということ。
『この諸法は諸行と同じく、現象としての一切法ということになる。』(p160)
『仏教で空や無というのは本体論的意味ではなく、現象が空や無の状態にあることを指すのであ
る。無我というのも現象としての一切法が無我の状態にあることを示している』(同.p163)
(水野弘元著『仏教要語の基礎知識』新版第1刷/春秋社刊)
水野氏の解説からも、“ニルヴァーナが無我である”という意味に解することはできません。ただ
現象界たる一切においては無我である、という意味に過ぎない。「無我」の教えは“アートマンは存
在しない”などという教えではありませんので・・・。
〜仏典の読み過ぎで頭がコチコチになってしまったようです。
まっ、よく考えて下さいませ。
570 :
Classical名無しさん:10/05/08 09:33 ID:J90Qgc86
>>512 それは知ってるぞ。ちらっと読めばあきらかだ。
>>567 ごもっともだけど。それは要求が高すぎると思う。
極端に言えば聖者じゃなきゃ仏教語るなってことになるでしょう。
伝統的にもそれが正しいんだが、とすると机だの生命教だの宝珠だのの放言が跋扈することになると思う。
それでいいと思うなら、貴方の意見は最も正しい。
オイラもここ10年ぐらいの経験で言っても無駄だということがやっと分かってきた気がする。
人はどんなに無根拠でも所信を人に言われて変えないってことだ。
素朴な疑問に答えるに留めた方がよさそうだと確信した。
571 :
Classical名無しさん:10/05/08 10:23 ID:vOIV/ewM
>>570 >極端に言えば聖者じゃなきゃ仏教語るなってことになるでしょう
もちろん、そのようなことは意図してない。
俺が言いたいのは、あくまでも「仏教内での議論なら、いくらでもどうぞ。
俺たちはそれに干渉するつもりは毛頭ありませんよ。ただ、自分らの真理を
もって俺たちに干渉するのは止めてくれ。特に、輪廻業報論は現実に
仏教徒以外に干渉し、差別を実際に行ってきた経緯がある。それに言及する
際は、くれぐれも細心の注意をもっておねがいしますよ。」ってことなんだ。
ところが見ればわかるように、不説は一方的に業論の良いところだけを強調
し、問題点には全く触れない。これでは。何も知らない者が、それを読んだ
とき、無条件に手放しにそれは良いもんだと認識し、差別発言を流布する
危険性があるだろ? さらに、縁起一代の劣化版のバカに至っては、差別的
側面さえ否定する。(このバカは自分では、これが差別的側面を有しないと
一度も論証を試みたことがないくせにだ)
572 :
Classical名無しさん:10/05/08 10:25 ID:vOIV/ewM
仏教徒が仏教を語ることはいいと思うよ。大いに語ってくれ。それによって
俺のような仏教に関心ある部外者にとっては大変、勉強になる。
前にも書いたが、門を開いていてくれることには感謝の念をもつが、
その門から仏典片手に飛び出してきて「お前たちに真理を説いてやる。」と
街中で喚くのは止めてくれ。 と、こう言いたいわけだ。
>・・とすると机だの生命教だの宝珠だのの放言が跋扈することになると思う。
これについては、彼らの誤りは大いに指摘するべきだと思うぞ。
もちろんそれについて、彼らも自己の信念に従って反論してくるだろう。
その過程において、もし何らかの得るものがあればラッキーだし、その論争を
みて、間違った方向に進もうとする者が進路修正するなら、それは意義の
あることだと思うが。
573 :
Classical名無しさん:10/05/08 10:26 ID:vOIV/ewM
>オイラもここ10年ぐらいの経験で言っても無駄だということがやっと分かってきた気がする。
いやいや、ここは俺は少し違った見解だ。
「言っても無駄」と口を閉ざすのはどうかと思う。
仏教に信をおく者は、「仏教とはこんなにすばらしいものだ 」 ということは
伝えていきべきだと考える。 ただ問題はその語り方だろう。仏教について
問うてくる者には当然、分かりやすく説くべきであろうし、また、問わない者
に対しても、『〜については、「仏教では」〜のように考える。』という姿勢
であるならば、(それを聞くことを拒絶する者以外には)語っていく方が良い
のではないかと(俺は)考える。 ここはまた、違った見解をもつ者も
多いかと思うが。
574 :
Classical名無しさん:10/05/08 10:28 ID:vOIV/ewM
>人はどんなに無根拠でも所信を人に言われて変えないってことだ。
う〜ん、これは宗教板を見るようになってからは、俺もそう思い始めたな。
まあ、哲板でも同じようなものだったが。人間、とくに宗教やイデオロギーに
強い思い入れをもっている者たちは、自己の信念を変えることは非常に
難しいね。俺のような、いい加減な人間は、間違ってたと思ったら、何の
臆面もなく、さっさと自説を撤回してしまうがな。だからかえって、
自己の信念に殉じるような好ましい馬鹿には、ある種の尊敬の念をもって
しまうんだが。
575 :
Classical名無しさん:10/05/08 10:57 ID:J90Qgc86
>>571-572 それは分かるけど。結果的に聖者じゃないとなかなかそうできない。
修行中の信者は、その体系に対する信に縋ってひたすら突き進むわけだから、
信の強いもの程、体系に確信していることは簡単に予想できるでしょう。
となると体系外の視点を持つということはどういうことを意味するか?
もちろん、ちゃんとした行者なら相手の気持ちを察すべきだけど、
論争になった時、なかなか全体を俯瞰して大局から発言するというのは難しい。
貴方は、指摘してやってるじゃないか? と言うでしょう。
しかし、指摘の仕方に工夫がいると思う。相手が聖者ならそれで結構、
直ぐ失言と気付いて訂正されるでしょう。
しかし、凡夫の信者はそうはいかない。
もっと優しく指摘してもらえないでしょうか?
貴方ほど明敏な人なら、できると思うのですが?
576 :
Classical名無しさん:10/05/08 11:01 ID:J90Qgc86
>>573 これは難しいね。ここ数日、特にそう思う。
自分の能力が足りないということも大きいが、それだけじゃないと思う。
>>574 ほんとに美しい妙好人みたいな信者はいいねえ。
きらきらしてる。主張しないは、腰は低いは。
オイラもそうなりたいが、今生ではどうも無理っぽい(^^)(/_;)
577 :
Classical名無しさん:10/05/08 11:35 ID:vOIV/ewM
>>575 >しかし、指摘の仕方に工夫がいると思う
いや〜、これは耳が痛い。俺も最初の頃、輪廻シリーズの初代スレの頃は
「丁寧な物言い」で通してきた。あの宝珠に対してでさえ、極めて丁寧に
応対してきたもんだ。(笑)
あの頃はセブンが最も口が悪く、「まあ、口が悪い仏教徒ってのがいるもんだ。」
と驚いてた。(笑)
カラスとやりあうようになった頃、「こりゃ、カルト信者に丁寧に応対してても
始まらんな。」と意識転換したよ。
578 :
Classical名無しさん:10/05/08 11:36 ID:vOIV/ewM
>もっと優しく指摘してもらえないでしょうか?
できればそうしたいもんだ。本当にそう思うが、
相手しだいだな。 慇懃無礼に自己の主張のみを語り、批判に一切耳を
かさない奴には、その応対にも限度があると思う。
俺は今まで、初見の者にいきなり噛み付いてきた覚えはない。
初手は、それなりの対応をしてきたつもりだ。
しかし、自説の批判に対して
1・一切受け付けない 2・反論に窮するとスルー 3・反論不能に陥ると論点ずらし
こういう奴らが多すぎるだろ?
このような姑息な奴らを見ると、どうしても切れてしまう。
俺は宗教者ではないので、慈悲の心をもって、それは勘弁してくれ。
できるだけ、努力はするが約束はできない。(笑)
579 :
Classical名無しさん:10/05/08 11:45 ID:vOIV/ewM
>>575 少し補足
>修行中の信者は、その体系に対する信に縋ってひたすら突き進むわけだから、
信の強いもの程、体系に確信していることは簡単に予想できるでしょう。
この一文は、考えさせられるところがあった。
俺は基本として「信」を有する者は尊重するので、上記の視点も考慮する
必要性は理解できる。
ただなあ、「よって、全て了解」とは、まだとてもいけんわ。
そう言えるほど、俺は人間ができとらん。
580 :
?:10/05/08 12:00 ID:njZmOjpI
>>332 様へ!
>> 霊魂、識、阿頼耶識といっても【それは仮合(仮和合)の存在として】
>> 仮設されたものとするなら、縁起と矛盾しない、と言う事ですね?
> そうです。
レス、有り難う、御座います!
>>426 様へ!
> また、輪廻する主体は
>>309-310でいう、
> 仮説された輪廻する主体としての魂(アートマン)です。
> これにより、輪廻する間の個としての情報は継承されるのです。
レス、有り難う、御座いました!
>>568-569 >これまで何度も述べてきたように、私は、「他の一切を説こう!」など主張したことは1度もありません。
>それは、仏教が説く一切の外にあるものは(五蘊によっては)認識できない、という意味です。
>その他の一切を説くのではなく、一切外のあるものについての存在は否定できない、ということです。
おお!
ついにあなたも、真なる神、ぽんちょむ様の存在をお認めになったんですね!
ぽんちょむ様はは、五蘊によっては認識できず、一切の外にありますが、
決して、「他の一切」ではありませんので、仏教に反しません。
一切の外にあるものですから、存在を否定できないのです。
存在を否定できないということは、存在すると言うことです!
これであなたも、ぽんちょむ教徒ですね!
582 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/08 14:26 ID:Mdr.Eb1Y
>>581 >存在を否定できないということは、存在すると言うことです!
>これであなたも、ぽんちょむ教徒ですね!
そんなことは1度も述べていません。
仏教においては、「存在しない」などという主張はしない、ということです。
五蘊によって捉えられないものについては、その存在の有無を問うなといったのです(五蘊無我)。
従って、仏教の立場からはヒンドゥーの説く恒常普遍の自己存在は否定できないということ。
これらは元々、現象界を超越した概念ですから(つまり縁起・無常・無我・空の枠外です)。
「無我」とは、
一切諸法(現象界)においては自己(真実の)といえるものはどこにもない、という意味に過ぎません。
これは、ニルヴァーナが無我ということではありませんので。
そんなことは、水野氏も『要語』の中でも全く述べてはいません。
まともな学説であれば、その他の学者においても同様でしょう。
http://houjugusya.web.fc2.com/anatman.htm
>>568 >これらはそれを感受する主体がなければ生じ得ないものだ
例えば、貴方は、このスレを閲覧するにも、現に意識が用いられているはずですが、
如何なる作用も行為も介さずに、閲覧内容を任意にしてみて下さい。
出来なければ主体は無いということです。
>「五蘊の外では捉えられない」「認識できないものについての有無は問えない」といっているだけです。
>これは「離蘊の我」は存在しない、という意味ではありませんので、どうか誤解の無きように。
『相応部』35.23で、十二処外は「ありもしないもの」と明言されていますから、
「無記相応」第二経は、「離蘊の我」の否定です。
>>570 御迷惑をおかけしてすみません。
>>582 てめぇは、んっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっとに腐りきってるな。
外道の称号すら勿体無い。
>>582 >そんなことは1度も述べていません。
そのものズバリを「述べてない」だけで、論旨はその通りでしょうがw
自覚がないんですか?w
>仏教においては、「存在しない」などという主張はしない、ということです。
論理的に考えて、あらゆるものは「存在を否定できない」事は、私も認めます。
スーパーマンだって、存在しないとは言い切れません。
ですが、あなたは、それを根拠に、「存在する」として論理を構築しているじゃないですかw
>五蘊によって捉えられないものについては、その存在の有無を問うなといったのです
「存在する事を否定できないから、大いに語っても良いじゃないか」というのが、
あなたのこれまでの主張です。
それとも、「その存在の有無を問えない」から、「今後、輪廻関係の話は一切しない」と主張を変えたんですか?w
やっぱり、あなたは、ぽんちょむ教徒ですよw
>>569 無為の語は原始経典にも涅槃の同義語としてしばしば出ている。
しかし原始経典で説く無為とは存在論的なものではなく、涅槃が生死輪廻を超えているとされるために、
生死にわたらないということを無為といったものであって、それは主観的の心情をのべたもので、
客観的事実としてのものではない。
それを部派仏教では不生不滅の客観的事実としての存在として無為を考え、
有為という存在に対するものとした。これは原始仏教で説かない概念であって、
仏教本来の立場を逸脱したものである。水野弘元『仏教要語の基礎知識』春秋社p132
とありますから、十二処外の「離蘊の我」なるものは水野先生に拠っても認められません。
>>570 > あきらかだ。
だから、その辺の事情を加味して「パーリ律では、そこに力が注がれていない」と言った。
(勿論、今、自レスを読み返せば「言い過ぎた」面もあるが、そこはそれ、脳内補正しといてくれw)
589 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/08 15:25 ID:Mdr.Eb1Y
>>583 >閲覧内容を任意にしてみて下さい。出来なければ主体は無いということです。
はぁ?
閲覧する「作用も行為」もその主体がなければできないでしょうが・・・。
>『相応部』35.23で、十二処外は「ありもしないもの」と明言されていますから、
>「無記相応」第二経は、「離蘊の我」の否定です。
はい。“他の一切”というものは在り得ませんから、それは言葉だけです。
私は他の一切などは述べてません。仏教における一切とは現象世界の性質に限定されます。
私は“一切(現象界)の外”について述べています。ニルヴァーナは一切外です。
590 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/08 15:27 ID:Mdr.Eb1Y
>>586 すみませんが、その文章は『要語』の記述そのものですか?
改訂版の違いによってページの該当は違ってるようです。
引用文は『』綴じなどで自己文章との違いを示してもらえます?
(それと、いつも気になるのですが、『相応部』35.23といった書き方では皆は分りませんよ。
面倒くさがらずに必要部位を引用して下さいよ。それとも仏教に精通しており、
膨大な経典群を読破している者だけが自分の投稿を読め、とでもいいたいのですか?)
>十二処外の「離蘊の我」なるものは水野先生に拠っても認められません。
「離蘊の我」があるという言い方は、もちろんないでしょう。
「離蘊の我」については否定はできない、という意味です。ここにもあるとおりですよ。
『その趣意は、認識されないものについて、その有無はいえないということである。
したがって離蘊の我がないと、積極的に否定することは勿論できないことである。』
(『東洋思想5/平川 彰著「初期仏教の倫理」』東京大学出版会刊p62)
591 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/08 15:29 ID:Mdr.Eb1Y
>>584 腐ってて結構なんです。
私は納得しないものは認めませんので。
>>585 >ですが、あなたは、それを根拠に、「存在する」として論理を構築しているじゃないですかw
>「存在する事を否定できないから、大いに語っても良いじゃないか」というのが、
>あなたのこれまでの主張です。
仏教では否定はしない、といってるのです。
あなた方が勝手に仏教論理を拡大して、「アートマンはない」とゴータマが語ったことにしてしまっている。
私はヒンドゥーの説く恒常普遍の自己存在についての教えとは矛盾しない、といってるまで。
593 :
?:10/05/08 15:54 ID:njZmOjpI
594 :
Classical名無しさん:10/05/08 16:13 ID:vOIV/ewM
腐っててもまた復活。 ゾンビかい?、お前は。
しっかりしろよ、宝珠。周りは敵ばかり。 四面楚歌だぞ。(笑)
>>591 >仏教では否定はしない、といってるのです。
>あなた方が勝手に仏教論理を拡大して、「アートマンはない」とゴータマが語ったことにしてしまっている。
よし、じゃあ、釈迦(=仏教)は、
「アートマンが存在する事を否定できない」と言っただけで、
「アートマンが有る」とは言って無いと主張するわけだな?w
(ちがうというなら、お前はぽんちょむ教徒だw)
だが、そうすると、ヒンドゥーは、明確に「アートマンはある」と説いているんだろ?w
これは、仏教と矛盾するじゃないかw
つまり、
>私はヒンドゥーの説く恒常普遍の自己存在についての教えとは矛盾しない、といってるまで。
この発言はおかしい事になるぞ?w
ああ、
もう少し言い足りないことがあったw
>>561 仮に、百歩譲って、俺が、
≪「馴れ合っている様子」に対して「馴れ合うなw」と茶化した所で、
それは【「オレモナー」という台詞が省略されている】≫だけだw
てめぇが、
「自分は
>>541(>お互い様だろ?w)を、生真面目に、【且つ、捻くれて】w読みたいんだ!」
というなら、処置無し、好きにしてくださいって感じだが・・w
(´ー`)y━~~
599 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/08 17:26 ID:Mdr.Eb1Y
>>594 お褒めと応援に感謝! (〃_ 〃)ゞ
>>596 >ヒンドゥーは、明確に「アートマンはある」と説いているんだろ?w
>これは、仏教と矛盾するじゃないかw
この場合の「在る」とは、現象界の性質と概念の中での発言ではありません。
ヒンドゥーの説く「アートマンは在る」は、現象界を超越した概念としてのものです。
しかし、仏教はこれを否定する教えではない、ということ。
仏教が述べたこととは、現象世界の中には如何なる自己もない(と呼べる存在はない)、
ということです。これは、ヒンドゥーの主張とは反しないと思います。
600 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/08 17:28 ID:Mdr.Eb1Y
『《仏教徒の反論》 たんに議論のために、万一存在するアートマンがあるとしても、それは非
存在に等しい。なぜなら驢馬(ろば)の角と等しいから、仏教徒の立場からすると、存在の証拠
となる実際の働きをもたないからである。 《返答》 しかしそれはただしくない。その実際の働き
をもたないということは、あるものが存在しないことの証拠とはならないからである。あるものが
存在するということは、それが実際の働きをもっているというその事実からは確立されない。
反対にあるものが実際の働きをもつからといって、それとは別様という証拠にはならない。
そしてさらに、その存在は、実際の働きをもたないという主張は確立されない。なぜならその
存在は、まさしく君の考察の原因であるから。また二元は、幻力(=マーヤー)によって、その存
在から流出するからである。存在は天啓聖典によって、古伝書によって、はたまた理論によっても、
確立される。しかしそうでなければ、理に合わない。』(韻文篇第19:16-17)
(『ウパデーシャ・サーハスリー』シャンカラ著/前田専学訳-岩波文庫)
文言に於いては「非我」であり、文脈に於いては「無我」である。
今村仁司さん亡くなったんですね。晩年は仏教に傾倒していたとは。
603 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/08 17:49 ID:Mdr.Eb1Y
>>601 >文脈に於いては・・・
こういうことそのものが、勝手な解釈ということにはならないのですか?
現象世界の一切には如何なる我も存在しているとはいえない、という意味ならば認めます。
が、ニルヴァーナにおいては無我である、というのは納得できません。
“ニルヴァーナにおいては無我である”と
明確にゴータマが説いた経文とはどれなのですか?
その引用の提示を強く希望します(『相応部』35.23・・・こういうのではなくw)。
ぐうの音もでない、決定的な部分でヨロー m(__)m
>>599 つまり、こういうことか?
ぽんちょむ様が「いる」とは、現象界の性質と概念の中での発言ではありません。
ぽんちょむ教の説く「ぽんちょむ様はいる」は、現象界を超越した概念としてのものです。
しかし、仏教はこれを否定する教えではない、ということ。
仏教が述べたこととは、現象世界の中には如何なる超越的存在もない(と呼べる存在はない)、
ということです。これは、ぽんちょむ教の主張とは反しないと思います。
結局、お前さんの主張は仏教とは「全く関係ない話」だと言いたい事になるぞ?
なら、何でこの板に居るんだ?w
>>603 (厳密に言えば)、≪ 「において」という言い方(考え方) ≫が間違い。
そのように考えるから(≒「涅槃」を場所と捉えるから)、
《「涅槃」に住する(≒「涅槃」とは別の存在としての)主体》が欲しくなる。
606 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/08 19:10 ID:Mdr.Eb1Y
>>604 はい、そうです。
>なら、何でこの板に居るんだ?w
勝手にゴータマが「アートマンはない」と説いたことにしてしまう、
自称仏教徒たちの発言に対する疑念からです。
>>606 「ある」と説かれていないから、
文脈により(状況証拠により)、
(そして、縁起馬鹿的に言えば、聖なる弟子達の伝承によりw)、
「無我」ということに帰着した。
608 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/08 19:22 ID:Mdr.Eb1Y
>>605 これらは、単に言葉の表現の問題に過ぎません。
私は、「場所」などの概念などは全く含めて述べていませんよ。完成者の“意識の状態”のことを
ニルヴァーナ(到達した境地)と呼ぶものと、私はいっています。しかし、仏教の多くはその意識
(自己意識)すらも無いというのでしょう?それが無我だと。
それを無論理的に解説願うと、私はいってるのです。ゴータマが本当にそんなことを教えましたか?
少なくとも、私が見てきた仏教解説書にはそういう意味はありませんでした。縁起氏が絶賛する石
飛氏とて同様でした。それは、「アートマンはない」などという筈がない、というものでしたね。
参考:『きょう‐ち【境地】
2 ある段階に達した心の状態。「悟りの―」』(大辞泉)
>>607 >聖なる弟子達の伝承によりw
そう。誤解した弟子達により
609 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/08 19:34 ID:Mdr.Eb1Y
追記:
縁起氏が絶賛する石飛氏とて同様でした。
『これまで、伝統的な解釈に従って「無我」に「自己はない」という意味を便宜的に与えておいたが、
実際には、阿含経典では「無我」は「自己でない」の意で用いられていることがわかるだろう。ブッダ
が「自己はない」は説きえないことがはっきりしている今となっては、これは当然のことだが。』
(石飛道子著『ブッダ論理学五つの難問』講談社刊p166)
ただ、「五蘊の何れも自己ではない」という意味であって、
“ニルヴァーナにおいて自己はない”と説いた、などという解説はどこにも見出されませんが?
どの仏教学者においても・・・。
>>606 ああ、つまり、
「ぽんちょむ教を釈迦は否定していなかったんだ!
否定していないんだ!否定していないんだ!」
と言いたいだけだと?w
本音を言いましょうよw
「釈迦はアートマンを有ると説いた」といいたいのに、ボロクソに反論されたから、
「無いとは言っていない」に方針転換して、
何度も「無いとは言っていない」と繰り返し言う事で、
「釈迦がアートマンを認めていた」と暗示したいんでしょ?w
612 :
Classical名無しさん:10/05/08 22:02 ID:sDgei3x.
人生は苦であるが故に修行をして輪廻の輪を断ち切り、涅槃の境地へ到達
するのが仏教の目的だと思うのですが、涅槃に入るとどんな利点があるので
しょうか?
613 :
Classical名無しさん:10/05/08 22:13 ID:ZpUB.8RM
涅槃に入ると「どんな利点」という質問が意味をなさなくなります。
涅槃には利点はあるのではなく、ないのでもなく、あるのではないということもなく
ないのではないということもないのです
さらに無住処涅槃になると、生きているのか死んでいるのかさえわからなくなりますよw
本覚によって涅槃に入るのであれば、ことさらに修行をしなくても
フツーにお寺さんとお付き合いしていれば成仏できます。
615 :
Classical名無しさん:10/05/08 23:53 ID:sDgei3x.
いや、だからこそ質問しているのですよ。
「人生は苦である」その苦から脱却したらそこは涅槃。
何故涅槃に入るといいのですか?
涅槃に入ると苦ではなくなる。でも苦ではなくなることが必ずしも
良いとは限らない。
そこのところがわからないのです。
616 :
Classical名無しさん:10/05/08 23:59 ID:vOIV/ewM
>>586 ID:VeEiyPbE さんよ、議論スレの方に、お宅に対する批判が
詳細にあげられてますが、例によって都合の悪い書き込みは全てスルー
ですか?
わかると思うが俺は
>>561で、お宅に
>卑近な例を挙げれば、一方で、不勉強な印象に基づき輪廻肯定=差別肯定と批判しておきながら・・
と批判された者ですよ。 このように人を批判するのであるから、あなたは
当然「輪廻肯定=差別肯定ではない」ということを論証できるわけですね?
人を「荒らし」とまで言ったわけだから、あなたには当然、その責務があると
思いますよ。 早急にお願いします。
(縁起一代に言われたので、できるだけ丁寧に言ってみた。)
>>615 そういう人は涅槃に入らなくてもいいんですよ。
ちょいと事情(想い・価値観含)は違いますが、
ビンビサーラ王もパセーナディ王もアソーカ王も、
王様のままお亡くなりになってますw
618 :
Classical名無しさん:10/05/09 00:26 ID:DhHTsS9.
>>615 そういうことでしたか。
だったら生身の人間が「苦」から離れることは実のところ
ありえないのではないか、と個人的には考えます。
お釈迦様が「解脱」したのち、ただ涅槃の境地に安住していたなら
そこですべてはおわりです。でもお釈迦様一人が「苦」でなくなっても
世の中から「苦」がなくなるわけではないです。
結局、彼は苦に満ちた下界へおりて、民衆と苦楽を共にする道を選んだ。
生きたままで「有余涅槃」になっても、自分だけが苦がなくなるんでなくて
他者の苦まで自ら引き受けて、利他の行動を起こすのが仏道ではないか。
すいません、素人の勝手な見解です。
>>618 お釈迦さんは、「涅槃に住したまま45年に亘って法を説いた」んですよ。
また、ちなみに、
「有余涅槃」は、生きている時の(色或いは五蘊を残した状態での)涅槃のことです。
620 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/09 00:41 ID:Obwz196I
>>613 そういうサンジャヤばりの返答をするから、もう誰も分らなくなるのです。
ていうか、回答できないからテキトウに述べてるだけと受け取られても仕方ないでしょう。
>>612が「どんな利点?」と尋ねるなら、それに合わせて教えてあげれば良いだけの事。
ただそれができないのでしょう?
これは生死を超越した境地ですから、もし望めば本当に肉体的な不老不死すらも可能です。
ただ基本的には肉体の存続を望んでいるわけではないから、通常は放棄されることが多いだけです
(肉体がないほうが自在性においても有利)。これは自己の意のままであり、生も死も自由自在です。
この自在の状態は恒久永遠のものであり、彼が苦悩の世界に没落することは二度とありません。
621 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/09 00:44 ID:Obwz196I
>>610 ヒンドゥーの説く境地は、
自己の個としての概念と意識が崩壊した普遍的な超越意識だといっているのですから、
その仏教の説く、「誰それの、誰それの為の・・・という概念もない世界」とも矛盾がないと思いますが・・・。
つまり、あなたと私という違い、その垣根が消散して一つに融合する意識状態です。
それが実際、何であるか?というのは、体験しなければ分らないということ。
そういう意味における無我という状態はある。
ただし、意識(自己意識)が消滅するわけではないです。
意識まで消滅するなら、「無」の世界ですから全くの無意味ですから。
625 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/09 01:02 ID:Obwz196I
>>622 ななっ、余計な一言を・・・(笑)
無視するかどうかは本人が決めることw
この私の主張は仏典にも根拠あることです。
まっ、空を飛ぶ話が仏典に説かれてても、それらは“後代の神格化”で処理する人たちでは無意味か?
627 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/09 01:04 ID:Obwz196I
>>611 ゴータマがヒンドゥーが説くような意味でのアートマンを説いた、
という証拠はどこにもありません。それは私自身も認めていることです。
尚、私にはこれらの経文が一切を超越した自己の本体を意味していた可能性はあるように思います。
それを示す証拠は今のところは皆無ですが・・・。
(また一般的には、これらは理想的な修行者のあるべき姿としての意味合いに過ぎない、
と見なされていることについては知っています)
仏典は、何でも「アートマン」の同じ語句で表現していることがネックです。
他人のしたり顔した解説だけに依存するのではなく、自分自身で考えてみることだと思う。
628 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/09 01:07 ID:Obwz196I
『自己こそ自分の主である。他人がどうして(自分の)主であろうか?自己をよくととのえたならば、
得難き主を得る。』(『ダンマパダ』12:160)---同様の言い回しの列挙/『ウダーナヴァルガ』23:11-26
『悪い行いをする人にとっては、世間に秘密の場所というものは存在しない。人よ。真実である
か虚偽であるかを、汝のアートマンが知っているのだ。証人よ(sakkhi)。実に尊いアートマンを汝
は軽視している。---自己のうちに悪があるのに自分らのために隠そうとする汝は---。』
(『アグッタラニカーヤ』T,p.149G.)
身自当之無有代者
630 :
Classical名無しさん:10/05/09 01:20 ID:ikaWbpmw
ちょっと、仏教徒諸氏に聞いてみたいんだが、宝珠が言ってる
「釈迦は、空を飛びまわっていた。」
これを『現実にあった出来事』として認識している仏教徒というのは
いったいどれくらいいるもんなんだ?
宝珠のようなオカルトマニアは、それを信じるのは分かるとして
現在の仏教徒というのは、日本のみならず諸外国の仏教徒も含めて
どのくらいのものが、そのように信じているのかな?
できれば知りたいものだ。
631 :
Classical名無しさん:10/05/09 01:24 ID:c9Y/tuTQ
>>618 お釈迦様が「解脱」したのち、自分だけが涅槃で安住してはいけないと
考え、他者まで救おう(=涅槃の地へ導こう)とした訳ですよね。
自分だけでなく、他人まで連れていこうとしたからには、そこには
何かあるはずだと思うのです。
それが何なのか知りたい。
涅槃においては全てが無なのでしょう。
それが何故そんなによいことなのかがよくわかりません。
>>630 いくらなんでもw21世紀のごく常識的な日本の仏教徒にはほとんどいないでしょう。
麻原がやってた程度の空中浮揚は普通にやっていたかも知れんなw
日本でも役小角や細川政元が空を飛んでたらしい。
633 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/09 01:43 ID:Obwz196I
>>631 >涅槃においては全てが無なのでしょう。
「無」じゃないです。
そして、生存中でも意識はニルヴァーナにあります。
回答は簡単ですよ。
一言でいうと、ニルヴァーナ意識とは個としての分離意識を超越しているのです。
つまり、あなたもあの人もすべてが自己(自分自身)と同一不二だと認識している状態にあります。
従って、他人事として放置することは在り得ないのです。
あなたもあの人もすべてが自己(自分自身)ではないから無関係である、
という分離意識が、我々凡夫の意識状態です。
ところが、彼ら解脱完成者から見れば分離がないので、
すべての人間が完成へと到達するまでは援助の手を止めることがありません。
634 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/09 02:05 ID:Obwz196I
>>630 ホント・・統計とってみて欲しいものですね!
>>632 >いくらなんでもw21世紀のごく常識的な日本の仏教徒にはほとんどいないでしょう。
酷いもんですねぇ!
信仰心のない自称仏教徒の氾濫ですか?
>麻原がやってた程度の空中浮揚は普通にやっていたかも知れんなw
あれはインチキでしょ?ダルドリィ・シッディというか・・・
単にジャンプして一番高い瞬間を捉えた写真に過ぎないのでは?
動画で提示して欲しいものですよね。
635 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/09 02:06 ID:Obwz196I
しかし、ヒンドゥー世界では近年においても、内臓を口から自在に吐き出して、
それをジャパジャパと洗濯して物干し竿に干してから口に戻した聖者や、
迫っている津波に向かって、杖でエイ!と一突きしたら、津波がまるで映画のシーンのように静止し、
これがフィルムの逆回転のように後退していって村の危機を回避できた、
という聖者の奇跡話などもある。
どうも、オカルトマニアでごめんねぇ!www
636 :
Classical名無しさん:10/05/09 02:20 ID:ikaWbpmw
う〜ん、どうなんだろうね?
例えば「釈迦は空を飛びまわっていた。」 これが真実であるとする根拠は
「仏典にそういう記述がある。」 とまあ、これが唯一の根拠だよな?
(ここでは一応、師からの伝承は除くことにする)
すると、これを真実とする仏教徒は、仏典にある他の信じがたい記述、
例えば、地獄には鬼がいて、血の池地獄や針の山がある。釈迦は母親の
わきの下から生まれた。生まれてすぐ歩いて「天上天下唯我独尊」と言った。
また悪魔と会話した。 天と呼称されるところがあり、多くの神々が住する。
などなど。
@これら全てを現実にあったこと、すなわち真実であると認識するのか?
Aあるいは、「これは真実、これは方便、これは比喩」というように個別に
認識するのか?
637 :
Classical名無しさん:10/05/09 02:21 ID:ikaWbpmw
@のスタンスを取るものは、縁起一代しか俺は知らない。
よって、ほとんどの者がAであると思うのだが、「その際の基準」を
仏教徒たちはどのように設定しているのであろうか?
俺自身は仏教徒ではないので、上記の事例に関しては全て否定的見解、
すなわち、方便、比喩、あるいは釈迦に対する神格化であると認識
している。 その判断の根拠は極めて単純で、現代の知見から類推する
ところの蓋然性の低さからである。
さて、仏教徒諸氏、あなた方は@なのか? それともAなのか?
Aであるときは、その判断基準というものは何であるのか?
俺のような現代の知見をその根拠としているのか?
638 :
Classical名無しさん:10/05/09 02:26 ID:ikaWbpmw
>>635 宝珠よ、お前はそこに書いてあることは全て真実であると
信じているわけだな? まあそれは良しだろう。 それがお前の信仰
なんだから。 しかし、確かお前は仏典の記述に関してはAのスタンス
だったな? 「個別認識主義」だったわけだ。
お前の真偽判断の基準は何だ?
639 :
Classical名無しさん:10/05/09 02:42 ID:ikaWbpmw
どうした?宝珠。答えられないのか?
「お前が仏典の記述の真偽判断をするとき、何を基準にしているんだ?」
640 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/09 04:23 ID:Obwz196I
>>639 ごめん〜それはチト難しいですねwww
でもまぁ・・・如いていうならば、私の基本的な考え方としては、たぶん殆どのことは実現可能
であり、そして、実に様々な奇蹟が実演可能なのであろうと思います。
これらの神通を発揮する場合の理由としては、
1.大衆に対し、これが実現可能であることを現実に示すため(つまり、唯物主義の破壊/間違い
を示すため)
2.救済の一貫として能力を発揮する場合(ただし、カルマの法則の許容する範囲内でしか関与
できないといった限定あり)
3.究極の境地を自ら官能すべく能力を発揮する場合(これは次第に自制へと向かうもの)が、
あると思います。
明確な区別がつき難いものがありますが、単に崇拝意識から賛美して聖者を祭り上げて神格
化すべく、勝手に創作された神通話というものも当然あるでしょう。この場合には大抵、見ている
側に神格的な畏怖心を起させるだけの意味しか見出されないものが殆どでしょう。つまり、現実
にはなかったであろう嘘の神通や奇蹟話です。それを仮に4.としたいと思います。
4.神格化(創作逸話)
641 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/09 04:24 ID:Obwz196I
私、宝珠の個々についての見解・・・。
「地獄には鬼がいて、血の池地獄や針の山がある。」本来は戒めのための方便として説かれ
たものですが、想い(地獄とはこういうものだという想念)が具現する世界でもありますから、そう
いう世界が本当に展開してもオカシクはない。
「釈迦は母親のわきの下から生まれた。」4.ただの神格化であり、後代に形成されたデタラメ。
「生まれてすぐ歩いて「天上天下唯我独尊」と言った。」4.ただの神格化であり、後代に形成され
たデタラメ。
「悪魔と会話した。」これは宗教(仏教)文学の表現であり、現実には自己(内)の良くない想い
のこと。つまり、自己意識の葛藤表現です。仏典における悪魔の正体については、ゴータマは弟
子に尋ねられて解答する形で、「悪魔は自己の五蘊のことである」と明言しています。私は魔物
がいないといっているのではなく、仏典に登場するゴータマが会話する悪魔は自己意識である
ということ。
642 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/09 04:26 ID:Obwz196I
「天と呼称されるところがあり、多くの神々が住する。」創作の部分もあるでしょうが、人間では
ない存在(意識生命体)から、元々は人間であった存在も含めて、天部の神々と呼ぶべき意識
存在は実在するでしょうね。
神通については、仏教では必要以上の関心を引くことを良しとしないでしょうから(その実演に
ついても)、理論やメカニズムといった解説そのものが殆ど明確にされていないものと思います
(こういう話は縁起氏に叱られるw)。
ヒンドゥー世界にて理論展開はされていますから、逆輸入としての密教/無上瑜伽タントラには
その多くが継承されていると思う。基本はヨーガ・スートラの説くチャクラとエネルギー作用の理
解に始まるでしょう。
あまり具体的じゃないげと・・・取り合えず、こんなところで勘弁して〜^^
(あとはまた、他の方のご意見を聞いて下さいm(__)m)
>>633 ではブラフマンとの一体化といったヒンズーの究極目的と仏教との違いはなんなのでしょうか。
>>634 自分の宗教(神智学)の権威付けの為に、ヒンズー教、仏教を取り込みたい宝珠に聞いてもむだだぞw
どうせ、「ヒンズーの究極目的と仏教(と神智学)は一致する!」(根拠は無い)と言い出すw
>>627 >私にはこれらの経文が一切を超越した自己の本体を意味していた可能性はあるように思います。
ああ、やっぱりw
指摘したとおり(
>>611)、本音は「釈迦がアートマンを説いた」と暗示したいだけじゃんw
更なる本音は、自分の宗教(神智学)の権威付けに仏教を利用したいだけでしょ?w
>>631 「それが何なのか知りたい。」という質問に対する答は、
「苦から根本的に逃れられる」からだと思う。
一応伝承に乗っ取れば、梵天勧請があったからこそ、
釈迦は人々に仏教を広めた(人々を涅槃の境地に導こうとした)事になっている。
もちろん、梵天は比喩だろうが、「苦しむ人々が、釈迦に救いを願った」という構図は本当だと思う。
つまり、涅槃に何か素晴らしいものがあるから釈迦が積極的にそこに導こうとしたのではなく、
「苦から抜け出して涅槃に行った釈迦を見て、
苦しむ人々が、自分もそこに行きたいと思って、釈迦に教えを請うた」
という事ではないかと、私は考える。
もちろん、指摘のように(
>>615)釈迦の苦を滅する方法(涅槃の境地)では、
(世俗的な楽を同時に捨てる方法である為、)万人にとって、最上の方法ではない。
故に、楽を捨ててでも苦から逃れたいという出家と、
苦から逃れたいけども楽を完全には捨てたくない(捨てられない)在家、
という区分が生まれたんだと思う。
>>640-642 おいおいw
聞かれているのは、「判断基準」だ。
どうして、そのように分類できるのかが問題なんだ。
これじゃ、単なるお前の恣意に任せた分類じゃないのか?
ああ、そうか、お前の判断基準は「自分が信じる神智学に一致するかどうか」なんだな?w
>>644 私は袴谷先生や松本先生の「如来蔵思想はブラフマンとの一体化と変わらず非仏教」という主張に共感します。かといって「じゃあ本当の仏教とは何か」についてのこの二人の主張はピンと来ませんが。
私自身は「ブラフマン・究極の意識主体・絶対者が無明そのものである。それに気付く事が悟りであって、気付けば死後の再生はない。つまり覚者は死後は意識も含めて完全に無となる。」という仮説を立てています。こう考えれば仏教の独自性が際立つと思います。
URLだと、他の人(新しい人・普通の人(ログ漁りとか過去レス探索とかしない人))は
読めない・読まないから大丈夫、とでも考えて再スタートとしてるんかね・・・。
まさに「ほとぼり冷まして、また復活」だなw
ワシや縁起馬鹿が去ったら、また最初に戻るんだろうな・・・。
(更には、復たスレが建ったりして・・・w)
「形として区切りの付いたこと」は蒸し返さなくなった一在家が潔く見える不思議w
651 :
Classical名無しさん:10/05/09 11:23 ID:UvZK5XmU
だかセブンよ、俺は宝珠の存在価値は十分あると思うが。
まさに「このように考えてはいけない」というサンプルを提示してくれる。
対話自体が成立しないバカに比べれば、ずっとましだと思う
654 :
Classical名無しさん:10/05/09 12:56 ID:UvZK5XmU
>>653 だな、同意。
であるからこそ、宝珠や隠居には、愚にもつかない持論をぶっ壊れたテープレコーダーみたいに
繰り返すのではなく、きちんと整合性の取れた新説で論立てをしてくれることを期待してるのだが、
さっぱりだ。反仏教の旗を掲げ、その問題点を鋭く指摘してくれると、仏教にとっても良い結果を生むと
思うがな。 今のところ、個人的な妄想の域を出てないことが残念だ。
656 :
Classical名無しさん:10/05/09 14:08 ID:UvZK5XmU
>>655 俺も業報思想に関しては「反仏教」に回ることが多いが、其れをもって隠居と
同類に見られることだけは勘弁して貰いたいね。(笑)幸いなことに、今まで、そういった批判はないが。
隠居について言えば、よく知らないくせに、何故あそこまで自信たっぷりに
龍樹を語れるのか?不思議でならない。中論さえも読んだことがなく、(おそらく何かしらの簡易な解説書だけ)で
分かったつもりで語ってるわけだろう。
まぁ、単にオモチャとして見れば、壊れにくさ、タフさという長所だけはある。今度は道げんか?
また、正法眼蔵もよんでないのに語るんだろうな。
657 :
不説 ◆AnATTa/dJc :10/05/09 17:08 ID:bpZTkPWI
宝珠愚者氏、
>>641 の「悪魔」について
オカルティスト代表として、もう少し頑張っていただきたいところです。文学との
解釈は「らしくない」とも思えます。愚者さんの「悪魔=自己の五蘊」主張の根拠
は、相応部ラーダ相応のようですが、
http://www.kojintekina.com/agama/agama7052002.html 「五蘊に悪魔がいる」というのが正確で、それが「自己の内部」に限定されている
ものなのかは決め付けることはできませんし、もしかしたら自己内部に限定されず
他者の五蘊にも移動可能かもしれず、さらには複数の人間の五蘊にまたがって存在
可能なのかもしれません。存在領域が五蘊であることを示しているのであって、「五
蘊そのものが悪魔」と述べたものではないことになります。
>>657続き
wikipediaにも
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%94%E7%B8%81 悪魔には4種類あり、愚者さんの述べておられるのは「五蘊魔」に相当すると思われ
ますが、それはあくまでもその中の一種に過ぎません。
「自己の五蘊と明言」とまでは言えないと思います。
また、解脱した直後自死したゴーディカ尊者のエピソードで、釈尊が他の弟子たち
とともに、悪魔がゴーディカの意識を求めて彷徨っている様子を眺めている話があ
りますが、「自己の心の中の葛藤の比喩的描写」ではないことは明らかです。
>>595 >ここが2chだということを忘れてねーか? 『2chだからネチケットは不要』と言ってるんじゃない。
>TPOや雰囲気、流れで、様々な応答がなされ、それらが(条件次第では)許容されるのが2ch
@例えば、いきなり無礼にしかも延々と罵詈雑言してくるような相手に、一時的に罵詈雑言で応対する、
そうした程度のことまで、一切全く許容されないとかとは述べていません。
Aそもそも私がネチケット無視していると述べているのは、貴方のことではなくアラシです。
で、その肝心のアラシの行為は、「TPO」を考慮したものだと考えているのですか、否ですか?
もしも考慮したものだと「同調」するならば、誰がどのような状況で罵詈雑言しても、
「TPO」を考慮したものだということになり、ネチケット無視の肯定であり「馴れ合い」です。
もしも否だというのであれば、貴方もアラシの行為をネチケット違反だと認めることになります。
660 :
>:10/05/09 17:23 ID:QBP/KSEg
>あの時の宝珠の「無様な取り繕い」が全く見えていない。
なるほど。確かに、私は、貴方の発言と、自己の記憶で安易に、
「だからこそカラスと宝珠の馴れ合いを不快に思うわけですから(
>>560)」
としてしまいましたから、この箇所は撤回し御詫びします。
>また、(直近IDでは)ID:vOIV/ewM氏についても、
>縁起馬鹿が指摘する通りの立ち位置だからこその疑義だと思っている。
私は、疑義があることに反対しているのではありません。
疑義があることは、ネチケット無視を正当化しないということです。
>≪【同調したレス】は【すべて馴合いレス】である≫と判断するのか?
そのようなことは述べていません。極端な読解が多すぎます(…私もそうですが)。
「立場が異なっても相手を尊重して対話可能な人と対話しているときに、
「横」されるのは構わないとしても、
例えば、「罵詈雑言して荒らさない」といったネチケットの初歩の初歩も、
仮想空間・匿名性に乗じて一切守らない、こうした類が絡むときに(
>>560)」
と述べています。
>(この4行は彼のことを指しているんだと思うがw、彼のことはさておき)、
何故「さておき」なのですか? これが「馴れ合い」でなくて何ですか?
アラシのネチケット無視は、「TPO」に適っているとするわけですか?
(確かに、現在は、少しマシなりましたが、それは私が釘を指したからであって、
時間が経てば、また元の状態になるでしょう。今後が見物ですね。)
>一連の批判は、【不勉強ゆえ】じゃない。
いいえ。例えば、『タルカバーシャー』3章22節で論証されていると
何度も指摘しているのですから。
(もちろん、私も『タルカ』を完全に理解しているなんて言うつもりは毛頭ありません。)
>【世俗の事柄】であり、【世俗の理】である三世に跨る輪廻に於いて、
『中論』24.14,36に拠り、縁起と空性を破壊するなら世俗も破壊されます。
つまり、縁起・空性は、勝義であろうが世俗であろうが妥当します。
輪廻とは縁起で、それを有自性前提を何らも反省せずに計っても良い、ということがおかしいのです。
実在論前提で定義された現象・検証・論証・実証、こうしたことを為せというのは不当です。
現象等々の定義は、量の問題ですが、インドでは形而上学の異なるもの同士で、
激烈に議論していた(例えば『広破論』や上記の『タルカ』)のですから、
自分達が理解出来ない哲学的なことは何でも勝義だという、おかしいのです。
>《【一般人なら】【当然に持つ】【疑問や反発】》なんだよ。
>それが「判っていない」「見えていない」ようなので、
>>525と茶々入れしたのさw
@「疑問や反発」があるから、ネチケットを無視して荒らすのは「TPO」に適っているのですか?
A貴方はこの手の論法を繰り返し使用していますが、その「一般人」は、
質問しておきながら、勉強する努力を一切しなくて良いわけですか?
金を取って教える場合は別として、数あるスレから、わざわざ仏教系スレを選び、
そこで、輪廻や、輪廻と無我について質問し、有識者が解答して、
その解答が理解出来ないと、不勉強で曲解的な自らの姿勢を全く反省せずに、
解答者に全面的責任があるかのように喚き散らす、こうしたことが妥当ですか?
例えば、和や差も分からない、また、謙虚さがなく勉強もしない、こうした類が、
連立方程式について有識者に質問して理解出来ないとき、自らの姿勢を全く反省せずに、
解答者に全面的責任があるかのように、喚き散らすとしたら、これは妥当ですか?
>さっきの【数レスに於いて】、【俺が】【いつ】【馴れ合った】と言うんだ? ん?
確かに、
>>527で「馴れ合い」と断定したことは早計でした。
「馴れ合うつもりですか」とすべきでした。そして現状は、こうです。
>2chに手を出すのが百年早かったようだな。 ママのおっぱい飲んで出直して来いwww
そうですね。面倒になってきたので、静かにしておきます。
666 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/09 19:40 ID:Obwz196I
>>644-645>>648 ちょっとぉ!!〜そういう言い方は
読者にマイナス印象を与えかねないので、どうか辞めてくれよぉ|Д´)ノ
私は、自身の内的な心の頷きを最大の自分の拠り所にしているだけですよ。
人間の「不死」(肉体死によっては意識は途絶えない)、「生まれ変わり」(転生)、
「超絶的な意識存在」(世間は“神”と呼ぶ)、「物質宇宙の繰り返し再生」(輪廻)・・・
といったことは、私は実際に他人や宗教に教えられて知ったものでは全くないです。
5-6歳の頃には、すでに確立していた信念です。
667 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/09 19:42 ID:Obwz196I
これと見事に合致しており、
そして最も良くこれらについて説明してくれていたものとの出逢いが、
たまたま最初は仏教であり、そして次にヒンドゥーであり、最後に神智学であったということです。
従って、自分自身としては自分をあまり何々教徒であるという自覚がないし、
本当はそういう表現をあまり好みません。ただ、それではあまりに相手に理解され難いので、
自分が最も中心的な支持を与えている神智学徒ということにしているのです。
ただし、協会に属するわけではなく、ただの個人的な学徒にしか過ぎませんが・・・。
668 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/09 19:43 ID:Obwz196I
>>651>>654 ありがとうございます!
まだまだ未熟過ぎて持論の提示が貧弱ですが、今後も前進する所存です。
更にご指導のほどを m(__)m
>>643 どちらも究極目的は同じです。
「まったく同一だ」と言ってもいいだろうと思います。
ただ双方には、理論と方法論/手法における違いがあり、
そして、結果として達成する究極ゴールの境地レベルは同一であるか?
または差があって、何れかの一方はそれよりも下位のレベルに過ぎないもの、
とする互いに対する評価の違いがあります。
ヒンドゥーにも流派が非常に多くあって、
こちら側の視点では仏教もその一つの派にしか過ぎません。
けれども、仏教側はそのような視点を激しく嫌っており、
仏教だけが唯一の真理でそれ以外はすべてダメです。
ヒンドゥーというのは仏教からは次点扱いとなります。
>>666-667 要約すると、
「俺の信者が減っちゃうから、本当の事を言うのを辞めてくれ。
指摘の通り、全ての判断基準は、5歳の頃からの妄想に一致するか否かだ。
最初は仏教が一致するかと思ったけど、俺の妄想と一致しなかったんで捨てた。
次にヒンドゥー教が一致するかと思ったけど、やっぱり俺の妄想と一致しなかったんで捨てた。
今は、神智学が一番俺の妄想に一致するんで、信じているが、コレも一致しなくなったら捨てる予定だ。」
って事ですね?w
671 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/09 20:28 ID:Obwz196I
>>669-670 はいはぃ、チミはスル〜対象ですね。
コテにしてくれれば楽で助かるわ^^
>>668 643
ご返信ありがとうございます。たしかにそうかもしれません。井筒俊彦先生の本などを読むと特にそう思います。
私自身は仏教が他の宗教と肩を並べて普遍的であって欲しく思う時もあったり、逆に仏教だけが真理を掴んでいて欲しく思う時もあったりと中途半端に揺れ動いています。
659〜665
やはり、まったく状況が見えてないなw
>>664> 存在論的問題を、制服で喩えるのは無理があると思います
なんか典型だw だから「劣化版」と揶揄されるんだよw
>>665 > そうですね。面倒になってきたので、静かにしておきます
らしいから、手を引いてもいいが、
てめぇの全文章に対して逐一ツッコむ用意はあるからな。
その気になったら、いつでも言って来い。
ただし、その時は、ちゃんとケツの穴洗って待ってろよ?w
つか、縁起馬鹿よ?
こういう奴らが、てめぇの同類なんだよ。解るか?
自分の発言の位置付けが全くできていない。
「正しいことを言ってるんだから、何を、どんな言い方をしてもそれは正しい」と思ってる。
この「どんな言い方」ってのは罵詈雑言って意味じゃないぞ。
「内容と、その提示の仕方」及び「発言の影響(波紋)への自然の欠如」だ。
こいつは隠居並みに腐ってるぞ?
自然じゃない視線だw
675 :
Classical名無しさん:10/05/09 23:16 ID:VFU8.B/Q
自然からますます遠ざかりつつある都市生活者並みと成り下がった危うさを描いた文章なのです。
ブッタの場合も横溢する自然に囲まれた描写を続けたのでしょうが
キリストにsしろ周囲の随行者や弟子なんぞによって編集された言行録しか残ってないのですよ。
676 :
Classical名無しさん:10/05/09 23:57 ID:ikaWbpmw
@見たか?縁起一代よ、
>>659 からの一連の書き込みを。
お前の忠告に従い、丁寧な応対をしてもその結果は
>(確かに、現在は、少しマシなりましたが、それは私が釘を指したからであって、
時間が経てば、また元の状態になるでしょう。今後が見物ですね。)
だそうだ。 「こいつが釘を刺したから、」俺がマシになったらしい。(爆笑)
こんな馬鹿に丁寧な応対、優しい指摘がいったい何の意味があると言うんだ?
677 :
Classical名無しさん:10/05/09 23:59 ID:ikaWbpmw
A確かに「信」に殉じるものは尊重するべきものがある。しかし、それは
それをもって他者に干渉しないという絶対条件付のもとでだ。己の価値観を他者に
強制することにより多くの悲劇が繰り替えされてきたことは歴史に明らかだ。
お前が言うように「信を強固にするあまり、自己の正当性を絶対視する」という
点を考慮するにしても、この馬鹿の言動は許容の限度を超えている。よって、
『この馬鹿に限っては』 お前の忠告は無視させてもらう。
そして一言詫びておく。この馬鹿を「縁起一代の劣化版」と呼称したが、これは
お前に対して失礼だった。縁起一代の劣化版どころでは、なかったわ。今回の
一連の書き込みをみると、自分が何を批判されているのかさえも、理解できて
なかったらしい。これ以後は 、この馬鹿のことは『最悪仏教徒』と呼称するわ。
678 :
Classical名無しさん:10/05/10 00:04 ID:kpJmHfKY
679 :
Classical名無しさん:10/05/10 00:09 ID:ZsRPtTHg
B
>>659 さて、『最悪仏教徒』よ。お前がここで勝手に喚いているのは、「俺の
口の汚さ」についてだな。前にも書いたはずだが、俺は「公然と差別発言を
繰り返し、何度それを指摘されても全く改めようとしないクソやろう」には、
礼儀をもって応対する必要はない。これが俺のスタンスだ。自分に暴行を加えて
くる者に礼を尽くす必要がどこにあるか?
また、お前は俺のことを「荒らし」と勝手に規定しているが、そのように断定して
いるのは今のところ『お前だけ』なのだが?自分を批判する者は全て「荒らし」
と断定して排除するのがお前のやり方か?お前の何十倍もの悪態をつかれた、
あの宝珠でさえ俺のことを「荒らし」と言ったことはなかったな。姑息さについて
言えば、お前は宝珠を遥かに上回るわ。
680 :
Classical名無しさん:10/05/10 00:10 ID:ZsRPtTHg
C宝珠の馬鹿はな、批判されたことに関しては、とりあえずそれに対して自己の
見解を述べなんとか反論しようとする。それがほとんどの場合、的外れで、反論
できなくなると逃げ出したりもするが、とりあえず、意思疎通を試みる姿勢は
示すわ。 俺にとっては、お前のように「自己の見解を一方的に語り、それに
関しての一切の反論を受け付けない」、自分の主張のみを張っていく馬鹿のほうが
よっぽど「荒らし」認定にふさわしいと思うがな。
681 :
Classical名無しさん:10/05/10 00:11 ID:ZsRPtTHg
Dいいか?『最悪仏教徒』よ。お前は俺が何度も何度も何度も繰り返し言ってるのに
「輪廻業方が差別思想ではない」ことを全く示そうとしない。
挙句の果てには、「俺が仏教の業論を勉強しないからいけない。」だ?
お前正気か?自分が何を言っているのか分かっているのか?
お前の言ってることは、オーム信者が「殺されて文句をいうのは間違い。お前たちが
私たちが理解している真理を勉強すれば、その行為の正しさがわかる。勉強不足の
お前たちが悪い。」 とこう言うのと全く構図が同じなんだよ。
すなわち「自分たちだけに通用する真理を絶対視し、それがわからないのは勉強不足
のお前たちが悪い。」とこうくるわけだ。 仏典に〜と書いてあるだと?
知るか、馬鹿たれが。 仏教徒でもない者に、「仏典に〜と書いてある。」と主張して
なんになるか? お前はそんな基本中の基本さえも理解できない低脳なんだよ。
682 :
Classical名無しさん:10/05/10 00:12 ID:ZsRPtTHg
E >或は、輪廻や、輪廻と無我について批判したいというのであれば、
批判者こそが、『三蔵』でどう説かれ、どう論証されているか精査すべきです。
否であれば、何を批判しているのですか。輪廻らしき何かということに堕します
「何故、俺が精査しなければならない?」 俺にとっては、(また世間一般にとって)
「業論というのがだな、今世の状況を前世の自己の行いに因を求める論理、
すなわち、現在、悲惨な状況にあるのは過去世において自分が悪しき業を積んだ
からだ」というだけで十分、差別論なのだよ。 業論というのが、これを否定
するのであれば、俺が今まで言っていた「業論が差別思想である。」というのは
撤回して全面的に謝罪するわ。 どうだ?業論というのは、この「悪因悪果」を
否定するのか? 答えてみろ。
683 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/10 00:13 ID:hF5x7yxY
>>657-658 ご意見ありがとうございます。
今、執筆中にて、また後日に^^
>>672 はい、わかります^^
私、個人もゴータマ仏陀に対する敬愛と尊崇の念はかなり強いです。ただ尊崇の念が過剰とな
り過ぎてバクティ(献身)行為にまで転じていくことは、恐らく、彼ら覚者存在というのは望まれてい
ないだろうと、この私は見ています。
もし声が聞こえるならば、きっと、「私に対して礼拝行為を行うエネルギーがあるのならば、それ
を弱者の救済に使え。人類社会の為に自己犠牲して奉仕しなさい・・・」とでもいうでしょう。
仏典の中にはない概念とは思いますが、ニルヴァーナというのは一つのゴールだということ(これ
が人類の目指すべく当面の目標です)。しかし、そこに到達した完成者である覚者ご自身において
は、きっと更に上方を望み見られている筈であり、そのような視点から見れば、実際にニルヴァー
ナ以降〜その達成レベルにも差が生じている可能性があります。おそらく、仏陀はその中でも最高
レベルに位置するものと思います。
684 :
Classical名無しさん:10/05/10 00:13 ID:ZsRPtTHg
Fいいか?『最悪仏教徒』よ。 お前が言ってることは、「輪廻業報は仏教で真理
であると説かれている。だから正しいことだし、それを公言することは差別でも
なんでもない。」 こういう論理だ。 お前のこの独善論など、仏教徒ではない
者にとっては、たわ言に過ぎん。「仏教内で真理であるか否かなど、どうでも良い
ことだ。」 お前は『自分らだけに通用する価値観』をもって、他者に干渉して
るんだよ。 良識ある仏教徒は、まだ、その自覚があるから、公言することは控える
であろうが、お前のような低脳はそれが理解できないから、社会に害悪を撒き散らす。
だから、前にも言ったな? 良識ある仏教徒の迷惑になるから消えろと。
お前は
>>566 >>567 を100回読み直せ、カスが。
685 :
Classical名無しさん:10/05/10 00:15 ID:ZsRPtTHg
G最後にな、
お前は俺の悪態を非難していたが(というより、それ以外の非難、反論する箇所がない
のであろうが) お前が「輪廻業報思想が差別ではない。」 これを論証できたら
俺は今までの自分の言動を全て謝罪し、以後、自説を主張することは一切止める。
さあ、やってみろ。 勿論、「仏教内で」それが真実である などという論証は何の
意味もないことくらいは理解できるな? 仏教徒以外ににも、当然それが真実であると
認識できるレベル、例えば「地球は丸い」いう事例レベルでの実証だ。何故、それが
必要であるかも理解できるな? 業論が「仏教徒以外にも」適用される理論だからだ。
勿論「業論というのは仏教徒以外には適用されません。悪因悪果は仏教徒限定ですよ。」
と言うのであれば、何の問題もない。
686 :
Classical名無しさん:10/05/10 00:16 ID:ZsRPtTHg
Hお前は逃げ回るばかりで一度もそれを論証したことがない。
そして、「あいつは口汚く罵る。」を繰り返すばかりだ。悪口はダメだが、差別発言は
良いと言うのがお前の見解か?
さあ、やってみてくれ。見事、論証できたら、俺は今までの言動全てを詫びる。
それができないのであれば、二度とこのような掲示板で公言することなく、森の奥に
引っ込んでいろ。 二度と出てくるなよ、カス。
687 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/10 00:16 ID:hF5x7yxY
「仏教だけが唯一の真理で、その他のすべては間違ってる」というのが、一番簡単な話なんです
が・・・。本当にそうなのかどうか?ですね。
そういうと、それは「お前が仏教を理解してないからだ」といわれる。ヒンドゥーの視点からみれば、
それは「仏教徒による誤解です」というでしょう。
ただ、少なくともヒンドゥー側には、「ヒンドゥーが唯一の真理である」という排他性は非常に薄いで
す。更には、聖書とヴェーダーンタの真理との一致点を提示したりと、異教間の誤解の解消にも心
が開いており、そう努めています(末端は別にして)。
688 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/10 00:20 ID:hF5x7yxY
『「この(わが説)以外の他の教えを宣説する人々は、清浄に背き、<不完全な人>である」と、一般
の諸々の異説の徒はこのようにさまざまに説く。かれは自己の偏見に耽溺して汚れに染まっている
からである。
ここ(わが説)にのみ清浄があると説き、他の諸々の教えには清浄がないと言う。このように一般の
諸々の異説の徒はさまざまに執著し、かの自分の道を堅くまもって論ずる。
自分の道を堅くたもって論じているが、ここに他の何びとを愚者であると見ることができようぞ。他
(の説)を、「愚者である」、「不浄の教えである」、と説くならば、かれはみずから確執をもたらすであろう。
一方的に決定した立場に立ってみずから考え量りつつ、さらにかれは世の中で論争をなすに至る。
一切の(哲学的)断定を捨てたならば、人は世の中で確執を起こすことがない。』
(『スッタニパータ』891-894)
689 :
Classical名無しさん:10/05/10 00:21 ID:ZsRPtTHg
>>678 すまん、スレ立てた経験がないので、さっぱりだ。
宝珠、できないか?お前。
690 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/10 00:22 ID:hF5x7yxY
『「ただ一部分のみを見る人々がこれを論じて互いに争うのである。」盲人が象に触れては、「象と
はこんなものだ、あんなものではない。象とはこんなものではない。あのようなものだ、と。」』
(『ウダーナ』V1.4)
>>ID:ZsRPtTHg
連続投稿中に失礼m(__)m
691 :
Classical名無しさん:10/05/10 00:23 ID:YrCC2tKE
>>676 勝手に「だそうだ>>爆」とかいってんな憐ピンBK むかつくんだよ
692 :
Classical名無しさん:10/05/10 00:26 ID:ZsRPtTHg
>>691 野次しかとばせないのか?お前は。
瑕疵も指摘できないようなカスは引っ込んでろ。
693 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/10 00:27 ID:hF5x7yxY
694 :
Classical名無しさん:10/05/10 00:30 ID:ZsRPtTHg
>>693 お〜、お前のそういうところ『だけ』は、好きだ。(笑)
695 :
Classical名無しさん:10/05/10 00:35 ID:YrCC2tKE
あやつけは仏蘭西帰りの人のことをいってんのか?
ならなんだが
圧倒的にウェーユは素晴らしい。まさに流星 二度とあんな女はあらわれないでしょう ウイーーッ!!
696 :
Classical名無しさん:10/05/10 00:41 ID:ZsRPtTHg
697 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/10 00:44 ID:hF5x7yxY
>>689>>678 ご希望内容については理解できました。
しかし、「ERROR:スレッド立てすぎです。。。」
ということで無理でした。ザンネン
私に可能なことがあれば、また遠慮なくご指摘下さい!
698 :
Classical名無しさん:10/05/10 00:47 ID:ZsRPtTHg
>>678 と、いうことです。
俺には「ご希望内容も理解できません」
役立たずですんませんでした。
699 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/10 00:48 ID:hF5x7yxY
>>694 基本は善意(良心)だと思うから。
あなた(の投稿)からもそれを感じとることができますよ^^
>>699 だから、
「今生での不条理は来世で埋め合わせられるべき」という部分(≒優しさ)があるのでは?
と問うた事があったでしょw
701 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/10 01:04 ID:hF5x7yxY
>>700 「善意(良心)」に基かない如何なる宗教哲学も無意味です。
ね?セブン??
702 :
Classical名無しさん:10/05/10 01:11 ID:YrCC2tKE
なるほど、あなたの周りにはしたたかな人間がいっぱいいる。
疑わしき人間の事は、よく見て観察してその本質を見抜いて下さい。
そして自分や他者に害が及ぶのを防いで下さい。 怖いのは他人よりも、
家族と家族になろうとしている人物。
例えば大量の誹謗中傷を流し、事件そのものに対する関心を低下させる。いわゆる情報ノイズ。
メディアで実名報道を行ったり、その情報により個人攻撃(意識的、無意識的)が行なわれたりする。メディア・リンチとも呼ばれ
集団に対して情報操作を行うために、その集団のオピニオン・リーダーに狙いを定めて工作する。金品等で買収され
予め特定の結論が得られるような質問を作成しておき、一般の視聴者の回答を受けて、視聴者全体の意見に偽装する。テレビの電話投票やネット投票等。
事件の目撃者を証言させ、感情共鳴を引き起こすことを目的とする。目撃者は、しばしば、プロの俳優であることがある。
相手の肉体的・心理的苦しみを快楽的に楽しむことを目的として行われる様々な行為。実効的に遂行された嗜虐的関与
>>701 ま、それに異を唱えるつもりはないがw
「真に(―この言い方も厄介な一面を持つがw―)事象のみを冷徹に見れているか」
は留意されてよいと思われる。
(時制はとりあえず措くとして)、
「前世の悪業が今生の何がしか(苦、障害etc.)を生じさせた」ということも、
「今生での不条理は来世で埋め合わせられるべき」ということも、
「(連続した識は)、これ(今生)で終わり」ということも、
どれも、恣意的な因果の区分、読み込みの上に成立している――とねw
704 :
Classical名無しさん:10/05/10 01:16 ID:ZsRPtTHg
>>702 すまないが、本当にスレを間違えていませんか?
ここは「仏教質問箱スレ」で、とりあえず仏教関連の話題を話すスレなんですが?
705 :
Classical名無しさん:10/05/10 01:53 ID:ZsRPtTHg
>>703 セブンか? 隠居の相手はもう飽きたか?
んで、前から聞いてみたいと思ってたことが、あるんで聞いてみるが
『涅槃についてだが』 これももう何度目かいな?(笑)
セブン(というより片山氏か?)は、涅槃における識の主体設定を否定
してるよな? すなわち、主体なく『行為』のみに視線をむける。
セブンはこのことを「自己の中で了解、頷き、納得している」のか?
つまり、これ自体を論理的視点で考察すると、勿論、整合性に欠ける。
これを言語で記述しようと試みれば、かなりの解説を必要とし、おそらく
それでも可能かどうか、疑問符がつくと思う。俺が思うに、これを自己の
中で了解し、消化するには、やはり「直覚」が必須であると思うが。
706 :
Classical名無しさん:10/05/10 01:54 ID:ZsRPtTHg
『観』ていうのか? そういう「体験」に基づく部分が必ず必要になると
考えるのだが。 勿論、悟ったか否か?などと聞いているわけではなく
「ああ、そうか」と思える瞬間ってのは、あったのかい?
この主体否定の行為のみを認める やつに関してだが。
縁起一代は今までの書き込み内容から、判断すると、その瞬間を何度か
体験しているのでは? と推測しているんだが。
(なんていうか、禅なら小悟っていうのかいな?)
まあ、暇なとき教えてくれ。
707 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/10 02:26 ID:hF5x7yxY
>>705-706 横レスです。
>>185-186ギーターの教説から推測するならば、「行為していながらその果報を受けない」
「行為しても業を形成しない」といった、特殊な状態が解脱の境地だということになる。
つまり、「行為者(主体)があって、業を形成して果報を受ける」のが凡夫ですが、「行為者
(主体)があっても、業を形成せず果報を受けない」境地とは、これを言い換えるならば、「行
為者(主体)がいない」も同然である、という表現も宗教的な言い回しとしては、十分に可能だ
ということでしょう。
という意味においても、私はヒンドゥーとの違いはないものと思います。
もしも、不足があるとするのならば、彼らにも「三昧中に縁起観を行ずると良いらしいよぉ〜」
と、教えてあげればいいわけですねぇ!
あっ、私は体験なしねw
てか・・ここは「質問箱」か?投稿規制の受けてない私が居座ってるのはルール違反だった?
もうダメポ---寝るZzzz
708 :
Classical名無しさん:10/05/10 09:10 ID:ZsRPtTHg
>>707 おい、宝珠。俺は部外者だし、特に仏教の涅槃はその最高境地なので
それについて語ることは勿論しないが
>、・・「行為者
(主体)があっても、業を形成せず果報を受けない」境地とは、これを言い換えるならば、「行
為者(主体)がいない」も同然である、という表現も宗教的な言い回しとしては、十分に可能だ
ということでしょう。
ここは間違いなく、仏教徒の誤認指定を受けると思うぞ。
まあ、解説は仏教徒諸氏にお任せするが。
709 :
Classical名無しさん:10/05/10 12:47 ID:nLZcKTRY
質問があります
「縁なき衆生は度し難し」ということわざがありますが、これはどういう意味でしょうか?
またそれは仏教的にはただしいことなのでしょうか?
710 :
Classical名無しさん:10/05/10 15:08 ID:YrCC2tKE
ハイハイ 厄介にしても唾吐けない事実があるんですね 生き死に変わらざるものと。
しかし自分の中の多様化に気がついたらお前何処イクんだい?+Aと−Aの多様化はどうすんだ?となり
理念として平等が成り立つとして、怨恨など低き流れる感情をどうすんだい?などなどに対し
絶対を絶対の主観において壊そうとすると迷信になるしね。
一つしか考えられないなら幸せなんですな、羊みたいに
努力するしないも相対主義の罠に嵌るしね。
記憶や記録の鎖で繋がれ踊る猿が人間とはいうが僕ら?は違うからねー
実は僕は尊敬されたいからねー道具としてあの人は凄いんだよと御師範従事と
いう口も型に嵌ったステレオタイプにもなるんだが
本来古典というのは全てが全て優れてるわけではないけれど
多彩な人のオーラルヒストリー絡みであるのですしねー。
直感や理念においても凄まじい精神の戦いとは「いいんじゃないの?」と無縁の御国ガラだからか
主観と客観が自己矛盾のうちに小気味悪く混じった師範随伴方が多いのかもねw
711 :
Classical名無しさん:10/05/10 15:51 ID:BDUohlz6
今日バス停でジジイが口を大きく開けてバス停に立っていたが何だろうか?
あれは立ったままくたばったのか? 合掌〜!
712 :
Classical名無しさん:10/05/10 16:02 ID:giyRr1h6
立往生カコイイ
713 :
Classical名無しさん:10/05/10 18:47 ID:9Cw56d96
>>615ですが、やっぱりわかりません。
苦を逃れて涅槃の境地に到達したら、そこには何があるのですか?
苦がないことだけはわかります。それが目的で涅槃へ行くわけですか。
でも苦から逃れただけでは、そこに何の意味があるのかわかりません。
涅槃に行くとどんな利点があるのでしょうか?
涅槃はどんなところですか?
714 :
Classical名無しさん:10/05/10 19:28 ID:JdwojOjg
>>713 >目的、意味
ベクトルも意味もない(空)
メリット・デメリット、損得、目的、意味・無意味などという
二項相対観念からはなれてくらはい。
>>711 >今日バス停でジジイが口を大きく開けてバス停に立っていたが何だろうか?
君も、年を取ればそうなるんだぜ?w
717 :
Classical名無しさん:10/05/10 19:50 ID:ksK7BoEs
718 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/10 22:14 ID:hF5x7yxY
>>673 >らしいから、手を引いてもいいが、てめぇの全文章に対して逐一ツッコむ用意はあるからな。
どうぞ。ただし、それに応対するかどうかは別ですが。
>その気になったら、いつでも言って来い。
全く「その気」にはなっていません。
しかし、貴方の考えは考えとして聞いておきたい、それだけです。
ところで、
>>706 はるか昔の「言い逃れw」や「信仰告白(もどき)」では駄目かい?w
ま、気分次第で、言葉が浮かんできたりとかしたら、作文を進めてみておいてもよいが・・。
(こういうのも「馴合い」と言われちゃうんだろうな・・(^^;
その側面を否定はしないが、ワシの基準の中には
「暴言を用いるかどうか」というのは基本的に無いから、馴れ合っているという自覚がないのも事実だw
けど、こういうやりとりは(カラスは立ち位置が違いすぎて無かったがw)
宝珠とも縁起馬鹿ともあるんだけどね・・・。別に馴合い自体を悪く言ったことは一度もないし・・・)
>>719 一言付しておきます。私は、暴言自体を非難したことも一度もありません。
常に、文脈や発言内容とセットです。
(カラスの口の悪さを非難したことも勿論ない。)
ありていに言えば、≪通常、暴言はあって良い≫≪暴言?大いに結構w≫
というのが私の基本スタンスです。
如何? 憎たらしいですか?w
721 :
Classical名無しさん:10/05/10 23:59 ID:.iuSXZU2
>>714 意味がないなら、誰も修行しなくなるし、
とりわけ大乗仏教なんか単なるお節介な宗教になりはしないか?
722 :
Classical名無しさん:10/05/11 00:07 ID:FggSKq5c
また、『最悪仏教徒』が湧いて出たか。 お前は万人の迷惑だ。消えろ!
>>720 >ま、気分次第で、言葉が浮かんできたりとかしたら、作文を進めてみておいてもよいが・・
そうそう、暇なときに雑談のつもりで書いてくれたらいい。
なにやら、あの馬鹿はやたら「馴れ合い」ってことに、拘ってるが、
こいつにとっては、他者の見解に賛意を表すること全てが「馴れ合い」
に映るんだろう。
縁起一代の 俺の書き込みに対するレス
>>576 の
>ほんとに美しい妙好人みたいな信者はいいねえ。
きらきらしてる。主張しないは、腰は低いは。
オイラもそうなりたいが、今生ではどうも無理っぽい(^^)(/_;)
これはどうなんかね? 縁起一代なら、いいわけか?(笑)
>>713 >>715という回答で納得されるたならいいのですが。
別の視点で考えてみると、「苦から逃れる」といっても
やっぱり病気もしますし、齢も取りますしね。
たとえば、恐ろしい疫病が昔はおおいに「苦」なるもであったとしても
知見が深まり、原因がわかり、薬が開発され治療法、予防法が確立されれば、
その疫病に対する「苦」は滅することができます。
わけのわからない「苦」に怯えて暮らす必要はなくなる、現代的な理解でいうなら
それが「涅槃」ではないでしょうか?(四諦はしばしばこのように説明されますね)
726 :
Classical名無しさん:10/05/11 09:32 ID:6adMFYuI
>>723 でももしそうなら、
全ての人間はいつか死ぬし、死んだらもう何もなくなる
と現代人的感覚で納得できたなら、
もうその人にとって仏教は不要ということでしょうか?
わざわざ面倒くさい戒定慧などという三学修行もする必要がなくなるのでしょうか?
仏教ってその程度のものなのでしょう?
その程度のものに何故長い年月をかけてあれだけ膨大な経典などが作られたのでしょうか?
728 :
Classical名無しさん:10/05/11 10:53 ID:Q6kJ3UYU
>>726 その通り。その程度と思えばその程度のお付き合いをすればよいだけ。
「フェルマーの最終定理」みたいに、本の隅に書かれた落書きに
世界中が躍起になったが実生活にはほとんど関係ない程度ことかもしれない。
宗教なんてそんなもん。バカバカしいと思い始めたら、やってられない。
そう思いながらやってる僧職者があるとしたら、それは欺瞞としかよべない。
729 :
Classical名無しさん:10/05/11 11:14 ID:FggSKq5c
>>726 う〜ん、なんというか、 例えばね
あなたが仏教と言う宗教に何の価値も見出せないと思うのであれば、
それに関わらなければ良いだけ。
>全ての人間はいつか死ぬし、死んだらもう何もなくなる・・
と、このように強い信念に支えられているのであれば、それはそれでよいと
思うよ。 誰もそれを批判するべきではない。また逆に「死んだら何もなくなる。
仏教なんて信じてる奴は馬鹿だね。」などという批判も、全く余計なお世話だ。
「涅槃とはいったい何か?」と言う問題は確かに、とても難しい問題であると
思うが、だからこそ早急に結論を出さずにじっくりと考えてみるのもいいのでは?
と俺は考えているのだが。
730 :
Classical名無しさん:10/05/11 11:56 ID:UY4F8Qnc
>>726 違います。仏教徒にとって死んでも輪廻するので苦は回避できません。
苦を回避するには仏教にそって戒定慧を行じて解脱するしかないというのが仏教です。
731 :
Classical名無しさん:10/05/11 14:13 ID:0lX.yZTA
>>730 仏教徒でも日本人の仏教徒は輪廻なんて皆信じてないでしょう。
「なぜ仏教で人は救われるのか」という本の中でひろさちやも高崎直道も
そう言ってました。
ひろさちやはともかく高崎直道でさえそういうのだから間違ってないと思います。
732 :
Classical名無しさん:10/05/11 14:58 ID:.uhwhl3c
評価や尊敬を望んでは行けない。
それよりは、神から慈愛を受けようと望むのだよという覚悟が大乗でしょう。
本当は一緒に高温で焼くゴミなのに分別のふりにすぎない。ドスのきくポテンシャルあるよw
そして精神の凄まじい戦いを避けて通るなら不毛を招き、そうした悪循環が一般に人生で起こる事だからですが
現在の思考とそれらを支えてる環境から離脱するほど充分に大胆でなければなりませんし
また反抗を必要とするような他の型に嵌らないよう充分に『英知』を働かせなければと。
そのようにも、進化目指してのこの連続的な反抗の過程が起こりつつあるのが生の事実ですし
本質的なものを選ぶ力が最高度の英知の意味なので
知識、雄弁、相手の観点を論破できる巧妙な議論ができる能力のことを
『英知』とは観ない事は自明なのでしょうが
解脱といえば 『虚偽から真理を、醜から美を 物事の本質を 識別する力』に寄ると説かれてr。
733 :
Classical名無しさん:10/05/11 15:08 ID:.uhwhl3c
さながらありのしない点を想定する事により幾何学を成立させるのと同じで
ヒストリー→人の棲む所、必ず物語りがあるー
仏教だろうがますますパワフルに検証&思索し続けるものです。
様々な作品、物語論にも及び汲めども尽きない風土との関わり、そして秘密。
この社会もいろいろなものを「あるかのように」考えて屋台骨を保つのだろうし
本来仏教者とは日和見的なものではなく、ご都合主義を否定し、あくまでも貫く殉死者へのオマージュであった。
734 :
Classical名無しさん:10/05/11 16:12 ID:UY4F8Qnc
>>731 ただ現代日本仏教が倒錯してるだけのことです。
735 :
上池袋のジジイに送る:10/05/11 17:42 ID:GAKDm5e6
738 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/11 22:34 ID:zXABDXOo
あ、「避難所の次スレ」ってことか。間違ったw
741 :
不説@規制中不説 ◆AnATTa/dJc :10/05/12 00:17 ID:SNatQedg
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1272850647/324 >その「思想に伴う有害性」は、「死後の世界を完全に否定しない」ことのほうが
>はるかに大きい。人間の生死に直接係わることではないか。自爆テロリスが多くの
>人々を、殆ど毎週のように殺しているのは何故か。オウムは何故人を殺したのか。
>ライフスペースはどうか。
この意見は、さすがは御隠居ですね。「社会に与える」有害性という観点で一応評価できている。
出家者としてはまるきり不適格ですが、仏教を支持した当時の国王たちのように、在家信者とし
ての資質くらいならば少しはあるのかも。
(仏教モデルの)輪廻を完全に肯定するか、完全に否定するか。完全でも不完全でも、既に述べ
たように、平気で命を軽視して残忍な行為に走る異常者は、輪廻否定者の中にしかいません。不
幸な境涯の人がやぶれかぶれになって、死ねば無、報いを受けることもへったくれもないと思え
ば、無差別殺人を犯すなど凶悪犯罪も犯します。
>>741続き
仏教モデルの輪廻は社会に完璧なモラル意識をもたらします。
その上で、輪廻に対する完全否定と不完全否定を比較してみると、不完全否定には、「社会に与
える」効果という点で、自爆テロやオウムといったカルトが、それぞれの狂信に走る、格好の口
実(スキ)を与えるわけです。御隠居が主張したいのは、まさしくそのことでしょう。
このような「社会に与える」効果という点で、社会に対して悪意を持つ人の中には、輪廻不完全
否定工作を行うことによって社会にカルトを醸成するアナーキズム的なベクターに寄与すること
によって、意識的・無意識的にそれを実施しようとする人もいるでしょう。だから、サンジャヤ
の不可知論のような曖昧な態度は、典型的外道の一つとして、明確に否定されているのです。
御隠居のような輪廻完全否定の場合は、社会的には悪意というよりむしろ善意(のつもり)だと
思いますが、一方で凶悪犯罪者の発生については野放しで非常にスキがある、無責任な、施政者
としてはまだまだ失格と言えましょう。
注意すべき点として、
>>741-742における(仏教モデルの)輪廻否定には、仏教モデ
ル以外の輪廻肯定も含まれます。
1.仏教モデル輪廻肯定
2.仏教モデル輪廻否定
2a.非仏教モデル輪廻肯定(結果的に仏教モデルの輪廻を否定している)
2b.(不完全にしろ完全にしろ)輪廻自体を否定
私が称賛するのは1であって、決して2aではない点に注意。2aを憎悪するあまりに
(例えば御隠居のように)2aも1も区別せずに「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」で、
2aの欠点を指摘しただけで1も含めて否定できたと思い込む人もいなくはないので。
744 :
Classical名無しさん:10/05/12 00:38 ID:Nz3xb7h.
一つ警告しておこう。 このスレには輪廻業報思想のことをよく知らない
人もくると思うので。
この不説という人物は、意図的に「今世」→「来世」のみの業論を語り、
業報思想が社会秩序を維持するための善良なる思想かのごとき主張をするが
これは全くの片手落ち。現実にはこの悪思想は「過去世」→「今世」への
差別的側面を有し、現実にそれが問題視されている。
この不説って奴は何度指摘されても、それを意図的に隠し、この思想を流布
しようと企んでいます。 みなさん、騙されませんように。
745 :
Classical名無しさん:10/05/12 00:56 ID:jB22sBOI
このよーな組織にしろシステム系のヤング信奉者には
「親が非常に過干渉で、子供のころから無理してがんばってきたケースが多かった。
親にガミガミいわれて、親の不安感や葛藤をそのまま受け継いできたような感じ。
育ってきた家庭環境の影響が非常に大きい」
うつ病などを改善させるには、原因となるストレスから遠ざけるのが一番なので、
もう一度リセットさせる必要があると。
生に対し真剣な面持ちのやつは心の集団的力など現実に幻滅すら憶えるのだが。
ま、本来、「過燃焼対策」「舌焼け対策」みたいのためのパイプじゃないことくらいわかってるけど、
結果として、初心者が技術的云々ハードルによってのぞき見ることができない領域を、
ちょっと下駄を履かせて覗かせてくれるのがこうゆうのだと思う。それが意図されていなくても、だ。
つい甘えてしまうので、「自分を棚上げさせてしまうことの口実」に
使わないよう自戒する意味で、「あれはへたくそののためのものだ」と言われたら、それは甘んじて受け入れるでよ、つー話な。
746 :
Classical名無しさん:10/05/12 01:13 ID:jB22sBOI
暗記は大切です
今のうちに沢山暗記しましょう
情報操作に対しては、様々な対抗手段がある。
情報源との意識的遮断。
直接の影響 [編集]
情報操作により誤った結論が導かれ、
それに基づいて対象者が行動するというのは、
情報操作の一番顕著な影響であり、危険性である。
特定集団の利益になるため、情報操作が行われる場合は、実際はより多数の集団の損失を伴うことが多く、
情報の検証が欠かせない。
操作側にも情報操作の危険性が存在する。
情報操作に成功したと認識された場合、実際には失敗していても情報操作を続けようとする可能性が高い。現実と内容の乖離が続くと、情報操作側が、操作しているはずの情報を事実だと認識し、行動するようになる場合がある。
最終的には、客観的な事実を陰謀や党派的な主張、あるいは差別など主観的な論理から批判するようになる。
間接の影響 [編集]
日本人はおかしくなってしまったんだと思うよ。
747 :
不説@規制中 ◆AnATTa/dJc :10/05/12 01:29 ID:SNatQedg
>>746 ここでダンマパダからのフレーズを紹介いたします。
<引用 中村元「真理のことば」p42-43>
これは昔にも言うことであり、いまに始まることでもない。沈黙している者も非難され、
多く語る者も非難され、すこしく語る者も非難される。世に非難されない者はない。
ただ誹られるだけの人、またただ褒められるだけの人は、過去にもいなかったし、未来
にもいないであろう、現在にもいない。
もしも心ある人が日に日に考察して「この人は賢明であり、行ないに欠点が無く、知慧
と徳行とを身にそなえている」といって称賛するならば、その人を誰が非難し得るだろ
うか?
(略)
ことばがむらむらするのを、まもり落ち着けよ。ことばについて慎しんでおれ。語によ
る悪い行ないを捨てて、語によって善行を行なえ。
(略)
落ち着いて思慮ある人は身をつつしみ、ことばをつつしみ、心をつつしむ。このように
かれらは実によく己れをまもっている。
</引用>
748 :
Classical名無しさん:10/05/12 01:36 ID:Nz3xb7h.
>>747 そのとおり。
>・・ことばがむらむらするのを、まもり落ち着けよ。ことばについて慎しんでおれ。語によ
る悪い行ないを捨てて、語によって善行を行なえ。
『ことばをつつしみ』 悪思想を流布することを止めることだ。
749 :
Classical名無しさん:10/05/12 10:50 ID:ZMwpO9Yk
本家釈迦仏教は輪廻転生を否定も肯定もしない(批判すれども否定せず)。
似非(小乗)仏教のマハーカッサバ教は肯定し、教義の中心におく。
似非(大乗)仏教の生命根源隠居教唯物派は否定し、断滅論を説く。
>>749 批判とは具体的にはどういうことでしょうか?
752 :
Classical名無しさん:10/05/12 22:44 ID:jB22sBOI
仏教なのに何処へイクというのよw
自然に触れアウトドアを楽しむ? 人類の大いなる旅でしょうかねー
15年マンねんまえから受け継がれてきたDNAを大切に受け継ぐ重大さに気がつきました
753 :
Classical名無しさん:10/05/13 00:03 ID:QDm9MQVw
よねへの追慕の比重が大きかったということでしょうか?
754 :
不説@規制中 ◆AnATTa/dJc :10/05/13 00:47 ID:UhO3ndFo
439 :神も仏も名無しさん:2010/05/12(水) 23:42:20 ID:RayBTitA
既に繰り返し述べたように、生命を以って生命とは何かを判断することは、一切
不可能。すべての「生命現象」の原動力とだけ考えておけばよい。
死ねば、すべての生命現象は消失する。
----
御隠居自身、御隠居自身の生命を以って、生命とは何かを判断することは不可能なはずでは?
1.生命はすべての「生命現象」の原動力
2.死ねば、すべての生命現象は消失する
という判断自体がつまり、無理なことをした結果であって、間違った判断の帰結であることになります。
正解はその逆なのです。
1.生命はすべての「生命現象」の原動力ではない
2.死んでも、すべての生命現象は消失しない
756 :
不説@規制中 ◆AnATTa/dJc :10/05/13 00:53 ID:UhO3ndFo
大王に一言
御隠居批判で、「黒く塗ってその黒さを批判する」と表現しているのはいい
と思います。ただ、あなたの「マハーカッサバ教」批判については、自身の
行為にも当て嵌まる表現であることに気付いているのでしょうか?
757 :
不説@規制中 ◆AnATTa/dJc :10/05/13 01:28 ID:UhO3ndFo
449 名前:神も仏も名無しさん :2010/05/13(木) 00:59:04 ID:rkrf8arG
凡百の宗教の開祖・開祖が何を言おうとも、それはすべて彼等の「肉体的生命」
の所産に過ぎない。彼等がいくら足掻いても、彼等自身の「肉体的生命」を超
えることは出来ない。死者は、そもそも、口が利けないw
---
これも意外に間違った表現ではない。ただ、御隠居の場合、「凡百の宗教の開祖」
にゴータマ仏陀を入れているので、一般論から個別ケースへの展開に大いに問題が
ある。
むしろ、この「凡百の宗教の開祖」という御隠居の批判は一般論としては正当であ
るとして、その上で、「ゴータマ仏陀はそれに当て嵌まらないからこそ、ブッダな
のだ」というのが正解なのだが、こう言うと御隠居は、「自分の信仰する開祖に対
する狂信の結果の擁護行為」と言って切り捨てることが予測されますが……。
1.「五蘊が全て」であり、それを超えた(アートマンなどといった)霊的な実体を
否定した(無我を説いた)のが釈尊です。だから、「凡百の宗教の開祖」に対する
御隠居の批判を釈尊に向けるのは不当です。
2.「中有」を設定したり、三世輪廻を否定することもある大乗仏教諸派と違って、
原始仏教では、「死即生」の輪廻を説く。すなわち、存在論的に言って、「死者」
など存在しない。存在としては「生者」のみが存在する。死によって「生者A」が
「生者B」へと輪廻して変転してゆくのみ。御隠居は「死後の世界」という表現を
霊界などの大乗的な中有世界を前提として批判しているつもりだが、原始仏教の輪
廻においては、死後の世界は別世界としてあるのではなく我々生者のこの現実世界
に他ならない。だから死を通過したものは、この世界の記憶しかないのも当然なの
です。大乗的思想を批判しておきながら、その批判を通じて大乗を擁護し原始仏教
を非難する論を展開のは、極めて不当な行為です。
759 :
不説@規制中 ◆AnATTa/dJc :10/05/13 01:54 ID:UhO3ndFo
宝珠愚者氏へ、
断続的規制の連発で、なかなか本スレに復帰できません。悪魔の件について、無視し
ているわけではありませんので、気長にお待ちください。ここ避難所を使ってもいい
のですが、本スレの方が今は流れ的に、御隠居中心でもありますし、本件については
愚者さんの方でもまったり進行で許していただけると思っております。
760 :
Classical名無しさん:10/05/13 11:23 ID:QDm9MQVw
オットでたました天狗高飛車の出来損ない!
百体を超える木愚を並べた人形部屋で説法の夢でも叶うといいですね。
>>741 >たように、平気で命を軽視して残忍な行為に走る異常者は、輪廻否定者の中にしかいません。
未亡人焼いてたインド人は輪廻否定論者だったのでしょうか?前世の報いが
ふりかかる構造は全く同じですが。キリシタン弾圧していた人々は仏教徒ではなかったと?
こういう話題はどうとでも言えるのですよ。善行の場合は、信仰のおかげとし、
悪行の場合は政治的理由だとか別分野に偏らせる護教論なんていくらでもできる。
宗教上の理想が実現されるなら〜〜、と言うなら仏教に限らずどの宗教でも換えは聞きます。
無神論ですら問題ない。まともな人間の考える施策でありさえすれば、他人を抑圧する状況なんて求めるわけがないですから。
>不幸な境涯の人がやぶれかぶれになって、死ねば無、報いを受けることもへったくれもないと思え
>ば、無差別殺人を犯すなど凶悪犯罪も犯します。
「他者への配慮」が消失していることが必要です。むしろ根本的原因の一角でしょう。
>>742 >仏教モデルの輪廻は社会に完璧なモラル意識をもたらします。
これは素で「?」ですね。
>>439読まれました?
聖者、妙好人100%社会ならそりゃエグい差別は起こらないでしょう。
ただの風俗や文化としてでなく、仏教の徳が骨の髄まで全ての人に貫かれているなら
前世を理由に他人を低く扱ったり、ということはない。
苦しい時代にも、「前世の悪人」に憂さや憤りをぶつけたり見下して発散もしないでしょう。
でもそんな絵に書いた餅を持ち上げてどうするんですか?
仮想上の総善人社会を前提に、批判を頭ごなしに否定して意味あるんですか?
763 :
Classical名無しさん:10/05/14 01:20 ID:VfudoVZ.
さて、不説は
>>761 >>762 に答えるかな?
それとも、いつものように都合の悪い指摘は全てスルーか?
764 :
不説@規制中 ◆AnATTa/dJc :10/05/14 02:11 ID:ms.NJ3Tw
固定ハンドルも付けない人間に一々律儀に返答はしません。
既に以前に表明したことですが、このような手の人間はそういうことは無視してくる
(この段階で既にコミュニケーションが正常に成立しない相手であることがわかる)
わけです(にもかかわらず、この手の輩は私の側に問題があると誹謗します)。
固定ハンドルを付けて、一定期間常連の方で、私が対話する意義があると考える場合
なら、何か応えるかもしれません。
是非については、物言わぬ多くのROMの方々が各自判断してくださればよいことです。
765 :
Classical名無しさん:10/05/14 02:31 ID:VfudoVZ.
>>764 >・・私が対話する意義があると考える場合
なら、何か応えるかもしれません。
なるほどね。 「自分の見解に賛同してくれる人にはレスすると。」そして
「批判は一切受け付けませんよ。」ってことだな。何度も言ったがな、
「一方的に自己の見解を貼り付けて、それに対する一切の批判を拒否する。」
ならば、自己のブログでやっとれ。
>是非については、物言わぬ多くのROMの方々が各自判断してくださればよいことです
今までお前のスタンスに肯定的な意見の書き込みを見たことがないのだがな。
仏教ですか。
縁のない感じ」でしたね・・・・・
>>761 逆にアウトカーストは前世の報いなのだから何をしてもいいという発想なのでしょうね。
仏教には戒がありますからそうした悪業を働く事はないでしょうけど世俗社会を直接に変えるという方向性はあまりない気がします。
アンベードカルはだから輪廻を否定したのでしょう。
768 :
Classical名無しさん:10/05/14 09:12 ID:V3TOl9No
>>767 そうなっては仏教ではないでしょう。
仏教という名の社会運動と捉えるのが妥当でしょう。
>>767 まあね・・。仏教は、《「基本的に」(→そのスタート地点に設定されるのは)「現状肯定」》だからね・・・。
>>768 「仏教という名」を冠せずに運動すべき、と?
>>769補。
ツッコまれる前に補足しとくが、
『現状肯定』にも幾つか受け止め方(その後、その次、に何を持ってくるか)がある。
・一切合財を許容し、受け入れ、《甘んじる》こと。
・一切合財を許容し、受け入れ、《その中での》《変化・改善・向上の為の施策を講じる》こと。
・一部を許容し、一部を受け入れ、《一部における改善・向上の為の施策を講じる》こと。
・一部を許容し、一部を受け入れ、《一部の変化・変革或いは破壊を企図する》こと。
「生死即涅槃」や「煩悩即菩提」、或いは「劣化版本覚思想」、或いは「あるがまま(劣化版禅・真如・仏性等)」
が、一つ目と大きな親和性を持つことは明らかだ。
また、(特に、仏教の文脈で)《一つ目の持つ「引力」『説得力』或いは「強制力」》の大きさにも注意が必要だ。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1272850647/514 >お前は、もしかして、人形か何かに電気を流して、「やっぱり、だめだ〜。」
>みたいなイメージを想像しているのか?
まさにそうでしょう?w
現在知られている様々な『(生物が)「生きている」ことの証』『(生物が)「生きている」状態にあるための条件』
を全て却下し、《不可知な原因》を持ち出しているのだから・・。
そこが「宗教的だ」と言われていることを無視し続ける。
それ(そうした設定自体)は別に悪いことではないのだが・・w
古代より、人は、そうした不可知な原因について想像を巡らしてきた。幾種類もの想定・推測をしてきた。
それが解明されてきたのが文明(医学生物学)の発展だと本人が力説していながら、
《最後の最後に、「不可知な因」として【生命】を担ぎ出す》。(だから劣化版デカルトだと揶揄した。)
≪古代人が、霊魂を想定・担ぎ出したように、その如くに、隠居は【生命】を想定し、担ぎ出す≫。
彼は、(物事の)「構図を見るという能力(スキル、素養)」が決定的に欠けているんだな・・・。
772 :
Classical名無しさん:10/05/14 10:54 ID:VfudoVZ.
あれれ? セブンもしかして規制に引っかかったか?
俺としては
>>769 「仏教における現状肯定の部位」 および
「仏教」を冠する要件
共に結構、興味があるお題なんだがな。
>>772 >「仏教」を冠する要件
幾つもあるが、そのうちで
一番有名で、みんなが知ってって、且つ、議論が沸騰するのが
「《三世に跨る》輪廻」だよw
これを要件として加えるかどうかが、(特に一連の宝珠シリーズで)問われ続けてきているわけだw
775 :
Classical名無しさん:10/05/14 11:26 ID:VfudoVZ.
実際、縁起一代を初め「輪廻(三世に跨る)は仏教の大前提である。それを
認めないのは仏教ではない。」というスタンスの者もいれば、「輪廻否定、
あるいは否定とまで行かなくとも積極肯定ではない『仏教を名乗る宗派』も
また、あるわけだ。」 縁起一代に言わせれば、「それは仏教でない」となる
のだろうが、否定される側に言わせれば「輪廻など何ら仏教の要件ではない」
となるだろう。 「輪廻を肯定するか否か?」を仏教を名乗る試金石にする
わけにもいかないと思うのだが?
「仏教」という呼称を名乗ることができる資格とはいったい何かね?
>>772 参考に。
>>770(二つ目をその主眼とした上での)一つ目の極が親鸞の以下の言葉だ。
これは、劣化版どころか、
極度に純化され、研ぎ澄まされた、(身を預け心を預けた)信仰の美の極致だよ。
(ま、だから聖人と讃されるわけだが・・w)
「卯毛羊毛の先に居る塵ばかりも作る罪の、宿業にあらずということ無しと知るべし」歎異抄13
>>775 難しい話題はまた今度。
今はチョイ書きしかできんw
ただ参考に
>>750。
777 :
Classical名無しさん:10/05/14 14:39 ID:pPzW3Onw
死は穢れであって、穢れた魂を復活させないことが日本の古代宗教(原始神道)だとすれば、
穢れ祓いを仏に求めたのが日本仏教といえないだろうか。
日本に輪廻の観念はもともとなかったはずだが、輪廻を穢れに置き換えることで
仏教をうまくとりいれてきた。輪廻が前提でなければ仏教でないというが、
浄土真宗なんかは輪廻はあんまり問題にはしてないし。
>>767 アンベードカルは釈迦に「革命者」像、「解放者」像を投影しちゃってる気がします。
別の言い方をするなら「代弁者」。
超自然的存在(神とか)を否定する理由も、輪廻と同じく生活上・社会上の都合でした。
779 :
Classical名無しさん:10/05/14 22:35 ID:4NoiGkyk
揺るがせられないセンチメンドな個人的感情に疎い方々が
仏教理論などイデーをつらつら並べてると、けっきょく黒白善悪と分別も逃げ口上で
グレーゾーンな身の程や御周囲を御存知ないのはいかがなものかとも思いますね。
導師さまもとりまき贔屓で 類は類を呼ぶ 御仲間集団の心の力には乗ってけ泥棒やらざるをえないとはETC
人が見たら蛙に化れ、ですかね。
あとは洗脳されてるわけじゃないプロ信者、仕事の都合で信者の振りをしている人達が
真っ当な仕事を探してくれるのを期待ですかね。(-人-)
そういう日々の糧の為に信者で居る人が離れてくれれば、どんなのであれ会全体としての弱体化に
繋がると思うんですけどね。この不景気では辛いんでしょうなぁ〜。
そうね〜 葬儀の導師にいって収入を得るとか、山ごもりとかでしのぐ独り語りで御座るってのはどう?
人が見たら蛙に化れ でもねw
780 :
Classical名無しさん:10/05/15 00:26 ID:UTarHCyY
友誼に厚い方になんという事をッ! 快楽も友誼も山分けの段階に入れば一夜の夢か。。
愛とは普遍な原則であり自然。
河、木々、乾いた土地といった全ての美を用意してくれたからですね。
ですから、内と外への両方の運動、永続的な運動がなくてはならないという自然。
だから、どんな事にも教訓があるんだね。
競争がいけないと感じないのは勿論自身が競争してるからよッ
金でも地位でも名声でもなにか目指して競争してるからでしょうよ。
誰もがそれを強く強く感じ取らなければ届かない。どうしょうもないよね。
もし個人が独特だと自覚する場合、実際どうよ
コドモが独特って良いように言うずるいか純然たる馬鹿で最たる弊害もいるけど
両親などに吹き込まれた偏見を背負ってあなたやら何処ぞへやってくる
その哀れなコドモの何処に独自性などあるのでしょう。
そのこから全ての条件付けを取り除くことが出来なければ不毛難でしょうね^^
781 :
Classical名無しさん:10/05/15 01:01 ID:UTarHCyY
そう、自分は「裏切られた」んだって気が付いた。
あの時と同じだよ。裏切りの行為。後々もあの時と同じになるんだ。
もしこどもなんか生んでこれ以上一緒にいても、絶対的に憎しみあうようになるね。
本当は 前からわかってはいた事かもだけど。 まだ思いやりをもてるうちに純粋で真剣な思いや誰かを愛したいなw
今だってこう誰かを。
御都合で何かに簡単に縛られる呪文をといてくれる
誰かや私に出逢うと胸を焦がす感じも今なら想像できるね 。
今、別れることが決まりました。
悲しいのか、辛いのか、すっきりしたのか、 は
分からない。
782 :
不説@規制中 ◆AnATTa/dJc :10/05/17 00:42 ID:8TLLmIe2
机龍之介師(こちらを見られているのかどうか?)
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1272850647/603 >私は、真言アジャリ氏(縁起馬鹿)の常見説を徹底的に破壊します。
常見説は論破されるべきなのはわかるのですが、縁起氏は常見説ではないはずです。
常見は肉体とは別個に、輪廻する媒体として「我」を想定して、その我が常恒に存在して
無数の肉体に宿って輪廻してゆくとする見解ですから、縁起氏の「無我かつ輪廻」は常見
とは別物だと思います。
「無我だからこそ、輪廻のようなことでも可能になってしまう」。私はそんな風に理解し
ています。
まあ、私ごときが、お二方の間に立てるようなものでもないですが……(特に大乗思想に
は門外漢ゆえ、龍樹を巡る論争など、私には指一本触れられません)
783 :
不説@規制中 ◆AnATTa/dJc :10/05/17 01:24 ID:8TLLmIe2
御隠居
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1272850647/611 >このアートマン概念が、次第に観念化、抽象化、精神化され、肉体から離れて
しまったののが、釈迦の言う「我」である。
(中略)
>開祖の精神障害の症状としての、生存を離れた観念過多により、肉体(生命)
との繋がりを切断したしまったのが、その原因である。
仏教(釈尊)の「無我」というのは要するに、肉体を離れた別個の霊的実体としての
アートマン(我)を否定する意味で「我は無い」と主張しているわけなので、この点
に限って言えば御隠居自身の意見とむしろ同一の意図のものです。「ワシの意見は釈
尊と同じだ」と言って威張るのならまだしも、相変らず、「釈尊(原始仏教)否定」
原理主義は改めようとされませんね。
テスト
tst
このスレには携帯カキコできるのにラウンジクラシック板が見れません・・・。謎だ。
>>786 掲示板(スレッド一覧)はここ数日、PCからも見れなくなっています。
直接個別のスレッドにアクセスした人以外には見えない状態です。
>>787 ありがとうございます。
PCない自分はラウンジクラシックないと困るんですよね。
789 :
仏教@机龍之介:10/05/19 12:15 ID:0lgSvMi2
>>782 そもそも真言アジャリ氏は、中論を読みきれてない。ってとこが基本的に議論には値しない。
先ず基本は中論です。→大乗ならねw
常見と断見というのは、そもそも世俗諦でして、この意とするところは
生理的死滅をもってして・・・常見か?断見か?ってことになる。
つまり人間の生理的死滅を起点とする判断です。
ああ、こんなことは中論には一切書いてないし、
書いてあるとすれば十二支因縁の生老病死の・・・最後の「死」くらいなもんです。
つまり「死」でもって終ってる訳で、その後の表記はない。
(世俗諦ではこれで終了です)
そもそも中論では、人間の生理的死滅は全く関係ないですね。
縁起だから「生理」は全く関係はごじゃらんせんですw
縁起は一切世俗は考える必要性はないです。
だから、勝義と世俗の二諦でもって解釈するわけですから。
(つづき)
790 :
仏教@机龍之介:10/05/19 12:16 ID:0lgSvMi2
(つづき)
>「無我だからこそ、輪廻のようなことでも可能になってしまう」。私はそんな風に理解しています。
無我だから、そもそも「思想的」に輪廻は受け入れられない。
(無我だから、生理的死滅は関係ない、ってことになるものと解釈してます)
>机龍之介師(こちらを見られているのかどうか?)
今、日本経済は非常に流動的であります。
2008年のリーマンショックに類似しております。
現在、机龍之介は経済について情報を収集をしております。
リーマンの時は随分儲けさせて貰いましたねw
まあ、またそのチャンスも到来しておるようです。
まだ仕込んでは駄目ですw
ドイツは空売り規制を掛けましたから、ユーロの下落はまだまだ続きます。
来週あたりにから大量に仕込む準備をなさったら良いでしょう。
またまた大儲けが可になります。
くれぐれも焦らないことです。
791 :
?:10/05/19 12:21 ID:Wsj9nFIo
>>790 仏教@机龍之介 様へ!
お久しぶりで 御座いますね?
792 :
?:10/05/19 12:33 ID:Wsj9nFIo
793 :
?:10/05/19 13:11 ID:Wsj9nFIo
>>738 宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk 様も!
卍 お経を自分で勝手に解釈して観る 卍
に 書き込みしに 来て下さい!
794 :
不説@ずっと規制中 ◆AnATTa/dJc :10/05/20 00:52 ID:Dd83AKPI
机龍之介師、
>>789-790 「思想的に」ですね。それは私も理解できます。輪廻から解脱するのが、仏教の思想
だと思いますから。
縁起氏が唱えている説(無我輪廻)が、「現象論として」常見説だとかどうのとかい
う話(これが私が言いたかった話ですが)なのではなくて、縁起氏が「思想的に」常
見的な考えを持っている、というお話でしたら、私の出る幕ではないです。そこまで
お二人の議論を深く注視してきたと言えるものではありませんので……。失礼いたし
ました。m(_ _)m
卍ってどういう意味があるんですか?
796 :
Classical名無しさん:10/05/20 12:33 ID:FljMXtYU
「まんじ」 は慈悲、慈愛
「裏まんじ」 は善なる力.
ありがとうございます。
裏卍なんてのもあるんですか。
卍を枕の下に敷いて寝ろといわれたのですが
何の意味があるんですか?
798 :
Classical名無しさん:10/05/20 15:46 ID:1ccqYK7s
test
799 :
Classical名無しさん:10/05/20 15:58 ID:FljMXtYU
枕の下に敷くというのは初耳だなー
御仏のご加護ですかね、よく分からない....教えて欲しいくらいです.
裏卍は、ナチスドイツが十字架を変形した鉤十字とそっくりなので欧米人に忌み嫌われるけれど、
仏教の卍とキリスト教の十字架では元々の意味が全く異なるからね.
もしかしたらですが、悪夢とか金縛りを防ぐため、という意味だったのかもしれません。
自分もよく意味は分からないのですが、行者さんに言われたので・・・
801 :
Classical名無しさん:10/05/20 16:12 ID:zN5UXuLY
裏卍…僕は逆卍って覚えてたんだけど…はネイティブ・アメリカン(インディアン)のデザインにもよく使われますが、ご案内の通りナチスの出現で姿を消してしまいます
最近はまた使われ出してるようです
ちなみに聖書にはキリストが十字架に掛けられた、という記述はありません
掛けられたのは木杭です
スレチごめんなさい
枕の下の卍は分かりません
どうせなら宝船の絵を入れるのがお薦め!
803 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/21 01:46 ID:60x04Sio
>>795 余談:
オカルティズム的には、これは(物質の)霊への昇化を示す象徴であり、
上昇弧を意味する螺旋階状を顕しています。
そして、ヘルメス・トリスメギストスの杖に巻き付いた蛇であり、背柱を駆け昇るクンダリニーでもある。
そして蛇は、創世記(旧約聖書)に登場する知識の象徴です。
“逆万時”はエネルギーの下降を意味し、霊の物質を顕現する創造原理の象徴です。
制御を振り切った下降のフォースは魔モノと化します。
仏教的じゃなくて・・スマソ^^
804 :
Classical名無しさん:10/05/21 16:32 ID:i42aR/w6
ほう、キリスト教の世界ではそういう意味があるのですね.
>>804 いや、「神智学」という、19世紀に作られた、キリスト教と仏教とヒンズー教などをごちゃ混ぜにした宗教だぜ?w
806 :
Classical名無しさん:10/05/21 17:02 ID:i42aR/w6
神智学?それはまた不可解な....
仏教はどうやって信仰するんですか?
心の拠り所が欲しいのですが
>>807 入り口(≒きっかけ)は様々でしょう。
また、その次の継続の仕方や拠り所の設定の仕方も、入り口の別を承けて様々でしょう。
また、仏教以外にも、キリストやアッラーという拠り所もあります。
阿弥陀様や浄土、観音様、お地蔵様もあります。また、法華経やお題目というのもあります。
また、妻や恋人、或いは我が子、或いは仕事、或いは趣味という手もあります。
(仏教的には本義ではないですが・・w)
もう少し、自分の心を(想いを)見つめ、観察してからでもよいのではないでしょうか。
>>808 ありがとうございます
天理教や創価などもありますが、どれかに入信したいですね。
>>809 創価等日蓮宗の分家(と真宗の分家)だけはやめとけw
身も心も滅ぼすぞw
天理はまた別系統だが、ざっと見の印象では、
そうした各種新興宗教も良かったのは最初(≒初代等)だけって感じがしないでもない。
(ま、仏教も、輝いてたのは初期だけ、という見方もできるが・・w)
811 :
Classical名無しさん:10/05/22 00:23 ID:f6YBXO/.
>>807 仏・法・僧の三宝に帰依するのが仏教です。
ですから、心の拠り所はこの三つです。
仏は釈尊からアミダ仏までなんでもありです。
心で思っても仏像や仏画を拠り所にしても結構です。
法は三蔵や論書などの教え全てです。
なるべく聖者から聞くのが好ましいですが、
経典を読むのも結構です。
僧とは聖者の僧団(サンガ)を言います。
つまり、悟った僧のことです。
実際の悟った僧に帰依するのが好ましいですが、
過去の悟った僧に帰依するのもありです。
>>809 天理教さんは仏教ではなくて、神道の系列ですね。
昔はどこの家でもご先祖を弔う菩提寺(檀那寺)があったはずで、
そのご縁が続いているなら、そこに法話などを聞きに行くのも一法かと。
ほかに宗門系大学の公開講座なんかもおもしろいかもしれません。
(佛教大学とか駒澤大学とか)
(多少、言い方に狭義な香りがしないでもないがw)
>>811が『正答』だったな。 乙
814 :
仏教@机龍之介:10/05/22 10:28 ID:7CCgoOWw
>>794 >縁起氏が「思想的に」常見的な考えを持っている、というお話でしたら、私の出る幕ではないです。
真言アジャリ氏は、真言宗ですから如来蔵思想です。
如来蔵というのは、「世界そのものが如来の当体」という思想ですから、
空思想というよりバラモン教と殆ど同じです。
この思想が根底にあって、そして輪廻転生論をかましておるんでしょうね?
・・・というか、そもそも密教に輪廻転生論があるのか?
「如来の当体」と「輪廻転生論」の論理整合性は謎です。
ですから私は、アジャリ氏にそこを質問したのですが・・・
完全にスルーされました。
・・・というか、私は密教の坊主と少しばかりリアルで接触する機会はありますけど、
密教だから「秘密」なことは他言はしません。
しかし、私の質問なら簡単に他言はしますね。
さほど重要なことではごじゃらんせんですからw
「如来の当体」ですからね、こんな簡単な質問は、猫の首を捻るよりも容易い(笑
815 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/22 10:57 ID:gkBm.weA
>>814 >この思想が根底にあって、そして輪廻転生論をかましておるんでしょうね?
私には、縁起氏が特に密教思想や理論を根底に据えて述べていたようには見えませんでしたが。
>・・・というか、そもそも密教に輪廻転生論があるのか?
輪廻転生論のない密教など私は知りませんね。
皆無では?
>「如来の当体」と「輪廻転生論」の論理整合性は謎です。
何も矛盾しませんね。
無常・無我・空であるから輪廻してるわけです。それが縁起というものでしょう。
流転変滅している様が縁起によるものであって、その性質が無常・無我・空だからです。
このことは私個人のではなく・・・まともな仏教書であれば明確に説かれています。
密教では、
この現象と性質のすべてが大いなる大日如来による具現化として(象徴的に)みているわけでしょう。
そういう意味では、別になんら問題はないと思います。
816 :
仏教@机龍之介:10/05/22 13:52 ID:7CCgoOWw
>>815 >流転変滅している様が縁起によるものであって、その性質が無常・無我・空だからです。
これは有部などの説示ですね。
「流転変滅」が恒常(刹那滅)としてあるものだ。と、
「無常」がどうしても論理整合に結び付かない。
このジレンマを解決したのが中論です。
>このことは私個人のではなく・・・まともな仏教書であれば明確に説かれています。
説かれておってもですね、まさか古典の解釈を今さら勉強しても><
懐古趣味ですか?
>輪廻転生論のない密教など私は知りませんね。
>皆無では?
そうですか?
密教は輪廻転生論なのですね?
私はそこのとこは殆ど無知です。
817 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/22 16:41 ID:gkBm.weA
>>816 >「流転変滅」が恒常(刹那滅)としてあるものだ。と、
>「無常」がどうしても論理整合に結び付かない。
どうも違うように思います。
流転変滅は恒常を示しているのではなくて、
あくまでも縁起とは“縁って起こること(因縁生起)”をいいますから、
因縁がなければ生起できません。恒常し続けるのとは意味合いが全く異なるでしょう。
従って、因縁を断ち切れば次の生起はないわけですから、
輪廻を断ち切ることが可能だ、という意味になります。
>そうですか?
>密教は輪廻転生論なのですね?
はい、間違いなし。
(詳しい方は解説をどうぞお願いします)
818 :
Classical名無しさん:10/05/22 16:42 ID:flahlfZE
なるほど、大日如来=ブラフマンも縁起したものなんだw
だから大日如来=ブラフマンも苦しみの中で業報輪廻転生しているのだ。
819 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/22 16:46 ID:gkBm.weA
「私は必ず弥勒菩薩とともに下生する」
by空海
820 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/22 16:49 ID:gkBm.weA
>>818 違います。
縁起の法則を超越した存在が仏陀/如来です。
縁起の法則の支配下にあるのが凡夫(及び完成前の修行者)です。
821 :
仏教@机龍之介:10/05/22 17:32 ID:7CCgoOWw
>>817 >従って、因縁を断ち切れば次の生起はないわけですから、
>輪廻を断ち切ることが可能だ、という意味になります。
縁起ですから、輪廻を絶ち切るのは簡単ですよね。
輪廻を思い出さなければイイわけですから。
たとえ思い出しても、それを否定すれば即「輪廻の絶ち切り」になる。
「生起」というのは、自分が生起してるんじゃないですか?
それとも、自分を離れたとこで生起があるんでしょうか?
どうも私には難問でありますね。
貴殿の書込みは・・・><
822 :
Classical名無しさん:10/05/22 17:52 ID:flahlfZE
>>820 >縁起の法則を超越した存在が仏陀/如来です。
相変わらずの落ちこぼれぶりだなw
論破されても、性懲りもなくおなじ言説を繰り返すのは隠居とおなじだ。
あふぉらしw
823 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/22 18:00 ID:gkBm.weA
>>821 >輪廻を思い出さなければイイわけですから。
>たとえ思い出しても、それを否定すれば即「輪廻の絶ち切り」になる。
もしそうであれば、もちろん有難いことです。
しかし、そうは行かないでしょう(いきません)。
仏典が説くタンハー(渇愛)というのは、人間の生命としての根源的な意識なのです。ご隠居論では
ありませんが、これを無くすということは人間としての生存を絶たなければならないほどのものです。
深層心理学の理解からみても、「思い出さない」「ないと思えばない」といった思考などはただ表層意
識の活動にしか過ぎませんから、根源煩悩たる渇愛の座である深層意識をコントロールしたことには
決してならないのです。
これをコントロールするには解脱者の説く“術“(の実践)が必要ということ。
824 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/22 18:04 ID:gkBm.weA
>>822 論破された覚えなどありませんね。
縁起の法は現象界の性質に関する(限定した)ものであり、
この法則の支配を超越したのがホトケです。
基本です。
仏教スレで神智学を布教されてもね〜
826 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/22 18:17 ID:gkBm.weA
>>822 論破された覚えなどありませんね。
縁起の法は現象界の性質に関する(限定した)ものであり、
この法則の支配を超越したのがホトケです。
基本です。
>>825 >>824のどこが神智学なの?
現象界に限定した法だと水野氏『要語』にもある通りですよ。
理解しないのはそちらです(自分が理解できないことを神智学のせいにしようとしている)。
『われわれにとっての世界は現象界のみである。この意味における一切の現象界を仏教では一切
とか一切法とか呼んでいる。仏教が取り扱うのはこの現象界に限られる。(p127) 原始仏教では生滅
変化する現象法だけを一切法としていた(p143) この諸法は諸行と同じく、現象としての一切法という
ことになる。(p160)』(水野弘元著『仏教要語の基礎知識』新版第1刷/春秋社刊)
827 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/22 18:19 ID:gkBm.weA
投稿ミス
-----重複失礼しました。
>>826 >のどこが神智学なの?
仏教とは、非常に範囲の広い宗教であり、解釈の仕方も多様であるのに、
その中から神智学の教義に一致するものだけを仏教と認定しているところが、とっても神智学w
>>826 だからwww
それが、≪「涅槃」を、【現象界と対比できる「別世界」】として捉えている≫証拠だと言っているw
君は、指摘に対して何度も、「境地です」と回答こそしているが、
実際は「境地」としてでなく「別世界」(lokaの一つ)として見ているのさ。
だから、般涅槃後の如来の行き先が気になって仕方が無いw
いいか、釈尊は、成道後(→涅槃を目の当たり見た後)も、
45年間、法を説き続けている。そして、80歳で般涅槃し、
如来の死後(般涅槃後)は「無記」だと言い残している。
君は、ここが全く理解できていない。
830 :
仏教@机龍之介:10/05/22 18:28 ID:7CCgoOWw
>>823 >根源煩悩たる渇愛の座である深層意識をコントロールしたことには
>決してならないのです。
深層意識というのは、アーカシックレコードとか・・・
つまり人間の古い意識の層のことですよね。
(誤解を恐れずに書きますけど)
悟りというのは、この人間の原初に到達することです。
表層意識というのは、無明という霧に覆われており、
この無明を切り崩すと、そこは無垢(無為・明智)の境地になります。
この境地こそが、つまり解脱者と人は言うんであります。
831 :
822 1/2:10/05/22 18:34 ID:flahlfZE
>>824 >縁起の法は現象界の性質に関する(限定した)ものであり、
>この法則の支配を超越したのがホトケです。
>基本です。
なにが基本だw
『如来は空であると言ってはならない。
しかし、不空であるとか、その両者である(空かつ不空)とか、
またはその両者ではない(空でも不空でもない)ともいってはならない。
しかし、それらはいずれも、仮に説かれているのである。』(中論22-11)
『およそ如来の本性なるものは、すなわちこの世間(世界)の本性である。
如来は本質をもたないものである。
この世間もまた本質を持たないものである。』(同22-16)
832 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/22 18:35 ID:gkBm.weA
>>829 全然、違うと思います。
どうも・・・「境地」の意味合いを理解できないようですね。
これは場所のことではなくて、“意識レベルの階層の違い”をいうのですよ。
解脱した聖者というのは、肉体を持って生存中であってもその意識はニルヴァーナに留まっているも同然なのです。
如来の死後というのは、単に肉体が消失した状態なので、肉体無しでニルヴァーナに留まっています。
「無記」というのは、
このことの性質及びメカニズムを示すことが言語の限界を超えているからに過ぎない。
「ある・ない」といった限定(現象界の認識レベル)を超えている状態だからです。
833 :
822 2/2:10/05/22 18:36 ID:flahlfZE
>>824 およそ>「超越」
などという観念はカルト戯論でしかありえない。
『(およそ)戯論(形而上学的議論)を超越していて不壊なるブッダ(如来)を、
いろいろ戯論する人々は、すべて(その)戯論に害されていて、
如来(そのもの)を見ることがない。』(同22-15)
だから宝珠は如来(そのもの)を見ることがなく、迷いの苦界をさまようのみ。
外道は去れ!
834 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/22 18:43 ID:gkBm.weA
>>830 間違いじゃないと思います。
表層意識によっては深層意識は制御下におくことができないのです。
>>831 >それらはいずれも、仮に説かれているのである。』(中論22-11)
ですから、私も仮に説いているのです。
分りやすいと私が見なしている表現において、
ホトケは空ではなくそれを超越しているといっているのです。
>(同22-16)
どうにでも説けます。その記述について別に異論もしません。
ただアプローチの違い(表現)です。
>>832 ひょっとして、「涅槃」と「般涅槃」の違いを解ってないのか?w
まあいいw
以下、別件だ。
>これは場所のことではなくて
>>826 >この法則の支配を超越したのが
>>832 >肉体無しでニルヴァーナに留まっています
これが、【「場所」を想定した】発言でなくて何だと言うのかwww
般涅槃後の場所を想定できないから無記なんだよ。たわけw
836 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/22 19:42 ID:gkBm.weA
>>835 >これが、【「場所」を想定した】発言でなくて何だと言うのかwww
>般涅槃後の場所を想定できないから無記なんだよ。たわけw
肉体の中や外という意味ではないので誤解なきように。
やっぱり、分らないみたいですねぇ^^
>>836 いやいやいやいやw
>肉体の中や外という意味ではないので
君の見方そのもの( >肉体無しでニルヴァーナに留まっています )が、
まさに、肉体の中と外を意識したものだろが?w
>>宝珠
どうした?もう息切れか?w
どんどん書き込んで来いよw 逐一反論してやるからw
(つっても、過去レスのURLを貼るだけになるかもしれんが・・w)
まあいいかw
今更か・・w 一応お互い区切りついてるからな・・。
>>840は脳内あぼんということでw
ノシ
842 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/23 00:21 ID:c9VL.tnk
-----セブンへ
私は別に、
>>839に対する異論という異論はないです!境地というのは意識の状態(レベル)
をいうのですよ。
これは肉体の在る無しを超えたものであって、また肉体の内外を示すものでもないのです。
ただ、誤解してはいけないのは、肉体の崩壊によって失われる境地ではないということ(まず、
このことが最大重要です)。そして、その意識状態というのは、解脱者においては存命中からも
顕現しています。
843 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/23 00:22 ID:c9VL.tnk
>>835 >般涅槃後の場所を想定できないから無記なんだよ。たわけw
こちらも別に場所を意図した発言などは1度もしていませんよ。わたしは(仏教及びセブンの
解説の意味を)分るけれど、セブンがこの私の話を誤解するのですよ。まっ、誤解されるような
説き方しかしない私がいけないのだとは思うけれどw
しかし、
>>839ほどの解説ができる理解があるのならば、私の話はわかると思うけれどね・・・。
全然、議論を戦わすような話ではないですよ、これは。ハッキりいってw
844 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/23 00:24 ID:c9VL.tnk
正直、この辺が明確性のないゴータマ解説の限界性かもしれません。確かに、当時の2600
年前はそれでよかったでしょう。けれども、現代では満足できない人もでてくるかもしれない・・・。
カラスさんがいってたけれど、その点はヒンドゥーは気持ちが良い。だから混乱が生じない
(生じない)。議論を戦わすことも特に要らない。
845 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/23 00:26 ID:c9VL.tnk
訂正:
>>844 ×「だから混乱が生じない(生じない)。」
○「だから混乱が生じない(生じてない)。」
846 :
不説 ◆AnATTa/dJc :10/05/23 05:09 ID:lrYddBXg
机龍之介師
>>814,
>>830 唯識で言う、阿頼耶識が(人類の意識にとって普遍的に共有される)この世界の認識
だと思うのですが、心理学でいうところの集合的無意識でしょうか、そこに到達する
前に「汚れた末那識」をクリアする必要があるわけですが、机師はおそらくここのと
ころを「無明に覆われた表層意識」と呼ばれているのだと思いますが、心理学ではこ
こは表層ではなくて、潜在意識だと思います(無意識よりは表層側ですが)。表層意
識は五感と顕在意識の六識になると思います。
847 :
Classical名無しさん:10/05/23 05:13 ID:xLZUeqoA
>>844 違うな。昔から納得できない人が多かった。
マールンキャプッタのように。
それは単に彼らの理解力が足りないだけの話、
何か基盤を設定しないと理解できないだけの話。
アートマンを設定するヒンドゥーは単純明解だが、
それは間違っていると仏教は釈尊以来、説き続けている。
それが理解できないってだけだと、なんで君は認められないのか?
それは単に君の理解力が足りないだけの話。
それを釈尊の能力が低いなどと釈尊のせいにしないように。
釈尊はすざまじい明晰性と徹底性があるよ。
848 :
不説 ◆AnATTa/dJc :10/05/23 05:40 ID:lrYddBXg
ちなみに、かの御隠居が生命≠ニ呼んでいるものの正体は、阿頼耶識を、(御隠居
自身の「汚れた末那識」の色眼鏡によって)極めて歪んだ形でごく断片的な一面を捉
えたものなんじゃないかと思います。つまり結局のところは、阿頼耶識そのものでは
なく、「汚れた末那識」(すなわち、無明)の所成物なわけです。
部分部分は完全に間違っているわけではないけど、要旨としては的外れ。無明の罠で
すね。
849 :
Classical名無しさん:10/05/23 06:35 ID:xLZUeqoA
机とか隠居など相手にするだけ無駄だと思いますが
一言二言添えておくか・・。
>>832 >これは場所のことではなくて、“意識レベルの階層の違い”をいう
>解脱した聖者というのは、肉体を持って生存中であってもその意識はニルヴァーナに留まっているも同然
>如来の死後というのは、単に肉体が消失した状態なので、肉体無しでニルヴァーナに留まって
《「肉体のない意識」「肉体に拠らず意識が存在する」》という思考が、
『【“一切”の外に】【意識が存在する】場所を想定したものだ』というのです。
(沙門果経77〜88節を百億回読み込んでください。)
少なくとも、「人間」に関しては、五蘊(の「色」)無き所に意識はありません。
だから、「如来の死後(般涅槃後)は無記」なのです。
852 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/05/23 23:37 ID:c9VL.tnk
>>850-851 ニルヴァーナは一切を超越してるのです(一切外)。
そこに留まっている意識が如来というもの。
どうも詭弁は嫌いなので、“現代人にも分る言葉と説明”で述べるようにお願いしますw
それは、つまりニルヴァーナに座する意識ということで(仏教用語を並べて誤魔化さないこと)。
>少なくとも、「人間」に関しては、五蘊(の「色」)無き所に意識はありません。
ん?大いに疑問!!
私ならずとも、他の仏教者からクレームがきそうですね。
>>847 それは失礼しました。
ゴータマ仏陀には尊崇の念を表明したいと思います。
やや誤解を起こしたのはその弟子たち。
>>852 爆笑させんなよwww
>“現代人にも分る言葉と説明”で
てめぇの発言が一番現代人にとって不可解なんだよw
>ニルヴァーナに座する意識
↑これが現代人に解る言葉(と説明)だとでも?w 笑わせんなw
>私ならずとも、他の仏教者からクレームがきそうですね
かもしれんねw
けど、負ける気はせんねw
(三世に跨った業果の継承と同様だw 文献の記述の有無だけじゃねーからな。
少なくとも、
「てめぇ自身が、〔沙門果経77〜88節が《「色」不在の意識》を説いているかどうか〕を吟味して」から出直して来い。
ノシ
いかんな・・。
区切りにしようと思ってるのに、ついつい脊髄反射してしまう・・w
できてないな・・・(自嘲)
855 :
Classical名無しさん:10/05/24 02:21 ID:NgcZIYws
つまり枠組みとは、必然的に限界のある自分自身の枠組みではなく
自分のものとして取り入れた他者の経験で構築されている。
その経験は集団の中でのみ喚起され、集団に自己重要感を与え
その張り巡らされた幻想の網が取り払われたとき、現実に機能してるメカニズムを理解することができる。
おおかたの人の思考とは根拠の不確かな判断、意見であり
その場合知性は独立した想像手段ではなく、他者の意見の貯蔵庫になってしまってる。
おおかたの人は意見を持っていて、これらは自由に入手したり授与することが可能だが
独創的に考えたり、人の揺るがせられないものの意である情動的価値基準ではなく
個々の経験に内在する意味にもとずいた独自の枠組みを構築する方法を知ってる人は非常に少ない。
人間の心の全体性をかいま見る為の手段である知的能力と、直感的な能力の間に橋を架けることは思考にとって
真の自由を意味するんですよね。
856 :
Classical名無しさん:10/05/24 04:44 ID:tppmmzHY
>>855 それを仏教では言語習慣と呼んで仮設として認めている。
それは幻のようなもので適当なものだけど、それぞれの業に従って因果がある。
それはそれぞれあるがまま認めるしかないもの。
例えば、火が熱くないとは言えない。
それを戒定慧の行によって突き抜けて悟るのが道と呼ばれる。
857 :
Classical名無しさん:10/05/25 00:54 ID:lPboiqqQ
そんな道の人気分になってる未熟者を『陶酔ポーズマン!とぉー!』とか『どうせ損得ぎりオタク中年抗迷信!』とか
!滅相もないそりゃ出来る前に別れたんだ屁ボチン」と呼ばれる。
闘わずして敵は戦意を喪失するという。
858 :
Classical名無しさん:10/05/25 07:52 ID:3UTK.6zQ
>もっとも、おまえにとっては龍樹中論などトラウマ怨念による信仰宗教憎しのネタであって、
>論破されても別のネタをでっち上げるだろう。
何を今更。
859 :
Classical名無しさん:10/05/26 01:11 ID:.rblZYYA
このよーな組織にしろシステム系の新参信奉者には
「親が非常に過干渉で、子供のころから無理してがんばってきたケースが多かった。
親にガミガミいわれて、親の不安感や葛藤をそのまま受け継いできたような感じ。
育ってきた家庭環境の影響が非常に大きい」
うつ病などを改善させるには、原因となるストレスから遠ざけるのが一番なので、
もう一度リセットさせる必要があると。
真剣な面持ちのやつは心の集団的力など現実に幻滅すら憶えるのだが。
860 :
Classical名無しさん:10/05/26 10:21 ID:.43/tCPw
人格変えたいんだけど、どうすればいい?
溢れ漲る生命力がほしい
このままじゃ先が見えない
861 :
Classical名無しさん:10/05/26 13:40 ID:zf2nyMY6
>>860 生きもの全てを愛してみよう。
始めは難しいから、身近な所から始めてみよう。
両親、兄弟、恋人、子供、ペットなどなど。
862 :
Classical名無しさん:10/05/27 00:02 ID:rF8CjOBg
>>860 試しみ1植物エッセンシャルオイルのラベンダーボトルなどを丹田に貼って寝る。眉間にもすーすー吸い込むイメージで10分置く
2 節々関節を柔軟する体操やヨガを無理なく発展させる
3 日光を浴び 眉間で吸い込むイメージを5分するを朝三回、夕三回
4 無我夢中で(夢をみてる状態ではない)一切の打算を断ち ある行為に熱中没頭する
5 惚ける
863 :
Classical名無しさん:10/05/28 00:31 ID:n3CNyUBg
ひとりーぼっち(ただ一人であること)
「君の為なら
僕は喜んでピエロになるよ」
(目的などをしくじって感情の乱れを表さずにすまそうとする暴走族の名前のひとつ)
864 :
Classical名無しさん:10/05/29 00:48 ID:ejaJMFU.
寛大な仮面だけはどうにも役に立たないようだ。
大方、自分が寛大であると無理にでも信じたかっただけでしょうし
プラスの仕掛けにはならないー
865 :
?:10/05/31 14:19 ID:mlEFJPug
866 :
?:10/06/03 14:01 ID:0jx.rGd6
test
867 :
?:10/06/03 14:29 ID:0jx.rGd6
868 :
?:10/06/03 14:57 ID:0jx.rGd6
(^人^;)
宗教板の人間も、
「規制か、仕方ないな」と2chを離れられる人が多いんだと思うよ。
特に質問箱を質問箱として利用するような人達は。
避難所が必要なのは病んでる人達だと思うw
871 :
?:10/06/10 12:05 ID:NYLZddkI
↑ レス 有り難う 御座います!
又 これからも よろしく お願い 申し上げます!
872 :
閻魔:10/06/14 21:09 ID:BcKMzDZY
悪SEX寄生虫
873 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/06/16 11:27 ID:j/be/aCI
投稿規制中で〜すw
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1275992988/252-264 余談----“涅槃に入る”について
これについては、視点の角度によって幾つかの異なったアプローチがあるといえるでしょう。
私は“ニルヴァーナ意識境”といっていますが、ゴータマはセブンのご指摘の通り、「菩提樹下の
成道から〜」(
>>252) 確かに常にニルヴァーナ意識にありました。
けれども、一般的には「入滅」(文字通り“涅槃/ニルヴァーナ”に入ること)と呼ばれている状態、
つまり、肉体上の死を以って完全なる涅槃入りと見なす方向性があります。何故ならば、どうしても
生存中は肉体を維持する上での最低限の物質的な制約を受けるからです(神通を発揮してその
制約すらも跳ね除けることも可能ではあるが・・・)。この肉体からの解放を以って、「無余涅槃」(肉
体もない完全なる涅槃)と呼んでいるわけです(対する生存中は「有余涅槃」という)。
874 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/06/16 11:28 ID:j/be/aCI
もう一つは、ゴータマは菩提樹下の成道に至る以前から、本当は、実はニルヴァーナに在ったの
であり、“生誕-苦の感受-苦行-成道-伝道-入滅”といったゴータマの人生のすべては、我々に解
脱へ至るためのプロセスを示すための実演(演技)だったのだ、という見方がある。
こういうのは原始仏教的には通常、かなりご法度な論理展開として認められてはいませんが、密
教的(というか大乗)にはごく当たり前のように用いられていたりします。
一在家さんは大乗の下地も強いようなので、このような『「現世で涅槃入りした」というのが方便で、
法華経でも長部経典でも「宇宙劫のかなたから涅槃に入っていた」という 点で文献上で一致してお
ります。』(
>>264)といった言い方も全く抵抗なしにされるのでしょう。
875 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/06/16 11:30 ID:j/be/aCI
秘教的には、ニルヴァーナの至福に浸っている状態を「ダルマナカーヤ」(法身)、教化の為に様々
な姿を摂って活動する解脱者は「ニルマーナカーヤ」(応身体)などと呼ばれます。ニルマーナカー
ヤは便宜上、“ニルヴァーナには入らず”という表現がされることもあります。尚、ゴータマの涅槃に
ついては、神智学的には独特の見解を持ちますが、ここでは扱いません。
密教(金剛乗)でも三身仏の応身がゴータマであると見なされています。これは、“ゴータマは我々
に教え導くために出現して下さった在りがたい存在である”、という尊崇と畏敬の念に、更にホトケに
ついての心情的な神格化がこれに加味されてできていった教義でしょう。
876 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/06/16 11:32 ID:j/be/aCI
史実のゴータマが過去仏(過去7仏)を説いていた可能性は確かに高いでしょう。ただし、それは自
分以外にも過去の歴史においてに解脱者は出現していた、という意味合いに過ぎないと思います。
『第七の仙人よ。あなたのおことばを聞いて、わたくしは喜びます。わたくしの問いはむだではありま
せんでした。バラモンであるあなたはわたくしをだましません。』(『スッタニパータ』356)
(註356/第七の仙人 ここで仙人とは仏をいう。釈尊(ブッダ)が世の出る以前に過去に六人の仏が
出て、釈尊は第七人目にあたるという。 DN.]W)(『ブッダのことば』岩波書店刊)
---以上
877 :
?:10/06/16 12:08 ID:HT4BC/YQ
878 :
?:10/06/16 12:21 ID:HT4BC/YQ
>>266 だろうと思ったよw (過去、何度も繰り返してたからな・・w)
ツッコもうかとも思ったが、珍しく(?w)宝珠がまともなレスを入れてるので代用。
長部14「大因縁経」(漢訳名「大本経」)の述べ方は、↓リンク先1・2行目の通りだ。
http://sports2.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1270611666/876 あとは、記述の外の部分での解釈になる。
その意味(「拡大解釈・新たな(大乗風)読み」として)でなら、
別に「実は同一の仏であった」と解釈しても構わんが、(ま、普通はありえんけどw)、
【記述上はそうではない】、とだけ言っておく。
また、「法身仏」として考えるにしても同様。
『記述を超えた読み』であることに変わりはない。
しまった。タブ変え忘れてた。
誤爆失礼。
881 :
?:10/06/18 08:29 ID:oI0nz3Uk
882 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/06/25 22:33 ID:cZNGRdMA
>>58 より意味のあるもの。
価値ある投稿に対してレスをつけます。
当たり前のことです。
無価値なもの。
言わせておけ・・的なものなどの無視すべき投稿は
すべて放置です。
883 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :10/06/25 22:34 ID:cZNGRdMA
884 :
閻魔大王 :10/06/26 10:05 ID:DVX9NKEM
なんでこの俺様がこのところ悪菌の集中攻撃をうけるのだ!?
2ちゃんねる管理人は腐ってるな メクラ撃ちか、狙い撃ちか?
狙い撃ちとしか思えん
885 :
Classical名無しさん:10/06/26 10:07 ID:KmHdmWO6
十王で一番優しい?
886 :
Classical名無しさん: