>>251 >「四諦」の法を悟った釈尊は涅槃に入らずに
また、嘘八百を書き連ねやがって。
菩提樹下の成道から般涅槃までの45年間、
釈尊は涅槃を見続けたんだよ。
(レトリックとしての表現上なら)「涅槃にあり続けた」んだよ。呆け茄子が!
んとに糞野郎だな・・。
性根の腐り方では、宝珠とお前が東西の横綱だわ。(隠居の方がまだ純粋かもしれんwww)
気分悪い。 寝る ノシ
253 :
前世は一在家:2010/06/15(火) 00:00:26 ID:dJkU/ala
>>252 >菩提樹下の成道から般涅槃までの45年間、 釈尊は涅槃を見続けたんだよ。
そうですね。
宇宙劫のかなたから涅槃に入っていたのに輪廻して、7回目の成道を演じてまで
釈尊は衆生済度をされたということでしょう。
7回目は45年間の説法と弟子の育成でしたか。
254 :
神も仏も名無しさん:2010/06/15(火) 01:01:02 ID:1Xgrmuzb
>>251 >換言しますと、釈尊は自分自身の為に「苦」にこだわったのではなく、
>衆生済度(人類救済)の為に「苦」にこだわったということです。
釈迦が「異常に」苦にこだわったのは、精神医学的には、彼の双極性障害(躁うつ病)
故の、極度の抑うつ感、苦悩感、厭世感からである。
衆生は、釈迦と同様な精神病者を除いては、それほど異常に苦にこだわってはいない。
「苦あれば、楽あり。楽あれば、苦あり」という「真理」を悟り、どんなに苦しい時
でも、常にささやかな喜びを見出し、懸命に生きてきた。苦も、生存に不可欠な心的
現象であることを、少なくとも無意識的に知ったいたのである。
また、釈迦の感じた苦は、何不自由ない生活からの、純粋に精神的な苦である。
衆生の物質的不足による苦は知らない、「贅沢病」「我侭病」の一種である。純粋に
精神的な苦は、我執を離れて、家族などの身近な他者に心を移すことにより軽減・除去
される。釈迦は、このことには思い至らなかった。極度の物質的不足から生じる苦の除
去は、物質的充足以外には方法はない。不思議なことに、釈迦の苦には、衆生の最大の
苦である「貧」からの苦が含まれていない。生死に係わることだから、「貪欲」などで
片付けられる問題ではない。
釈迦が説教を続けたのは、己や弟子の生活のためではなかったのか。説教を続ける限り、
托鉢がもらえるから、食うには困らないからである。昔も今も、宗教は、「職業の一つ」
であることを、忘れてはならない。すべては、動物の一種としての人間の「肉体的生存」
のためである。にも拘らず、宗教が生命を以って生命を否定するという倒錯に陥っている
点において、他の職業とは異なる。
255 :
前世は一在家:2010/06/15(火) 06:38:20 ID:y2R5ze98
>
>>254 >また、釈迦の感じた苦は、何不自由ない生活からの、純粋に精神的な苦である。
>衆生の物質的不足による苦は知らない、「贅沢病」「我侭病」の一種である。
>釈迦が説教を続けたのは、己や弟子の生活のためではなかったのか。説教を続ける限り、
>托鉢がもらえるから、食うには困らないからである。
貴兄は論理矛盾しておられますよ。
譬話をしますと、贅沢病のビルゲイツが慈善活動をするのは、食うに困らないからです、と
言っているようなものでしょう。
釈尊も悟った後に王家に戻って教団でも作るほうが食うに困らず、贅沢できたかも。
256 :
神も仏も名無しさん:2010/06/15(火) 10:43:00 ID:FdNs4isb
>>255 >貴兄は論理矛盾しておられますよ。
ビルゲイツの慈善活動は、税金対策と巨大な富に対する世間からの非難を避け
る目的もある。しかし彼も、成功前には、衆生の苦しみを味わっている。
釈迦は、衆生の苦しみを味わったことはない。城門から一歩外に出て、初めて
見る衆生の世界にショックを受けただけ。
釈迦は、両親が泣いて頼むのを振り切って家出し、両親や妻子を苦しみと悲しみの
どん底に陥れるという罪を犯している。人間としての基本に反している。さすがに
帰るに帰れなかったのだろう。しかも、釈迦族は滅亡した。
前レスでの、「職業としての宗教の異常性」に付け加えれば、宗教は、まず、
根拠のない苦や罪の概念を植え付け、それからの解脱・救いという、「脅迫と
甘言」によって営利を得ているということだ。「脅迫と甘言」が、創唱宗教の
本質である。いずれも、人間の生存を害する行為、即ち「悪」である。他の職業
は、すべて、「人間の生存を助ける行為」という「善」である。
>>253 >>251「>釈尊は涅槃に入らずに」
>>253「>宇宙劫のかなたから涅槃に入っていたのに」
どっちだよw
(聞き方を変えた方がいいか?w 「どっちが方便なんだ?」)
261 :
神も仏も名無しさん:2010/06/15(火) 21:10:30 ID:EEs93ENU
>>256 「涅槃に入る」という言葉自体が、現実上の意味不明な無意味な言葉だから、
いくら問い詰めても無駄だよw。
264 :
前世は一在家:2010/06/15(火) 22:43:38 ID:kweUQLu9
>>251「>釈尊は涅槃に入らずに」
>>253「>宇宙劫のかなたから涅槃に入っていたのに」
>どっちだよw
>(聞き方を変えた方がいいか?w 「どっちが方便なんだ?」)
>>251は「涅槃」は間違いです。
>>253 「現世で涅槃入りした」というのが方便で、法華経でも
長部経典でも「宇宙劫のかなたから涅槃に入っていた」という
点で文献上で一致しております。
まあ、これも方便でないという確証はございませんが。