【最終】輪廻転生説はどう扱うべきか!?【決着】2

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349神も仏も名無しさん
>>348
ま、しょうがないか・・。
御隠居の場合は、最初から拒否してるんだから・・。

たとえば、濁流の中、人は皆二本の足で踏ん張って立っている。
美しい在り様だよ。禅が称賛する姿だし、「ヴェーサーリーは美しい」ともシンクロする。
まさに、苦楽相俟って「人生」が構築される。 御隠居がこれを言いたいというのはよく解る。
このこと自体を愚かで無価値だと言うのではない。
しかし、流れに押されしんどい時もある。つらい時もある。
大切な何かが手元から流されてしまうこともあろう。
この時、やぐらを立てて水の上に上がりましょうというのが仏教だよ。
「それらの苦を根本的に脱するならやぐらを立てなさい」と。
 (「“流れの中にあること”を受け入れ、“流れに抗し得る踏ん張り”ができるなら、そのまま維持しなさい」と。
  「それを厭うならばやぐらを立てなさい」と。)

そして、やぐらの上からの視線として、「苦楽はどちらも苦の一側面である」という勝義がある。
「世俗の苦楽」を一緒に括る上位カテゴリーとしての「苦」がある。
だから「一切行苦(一切皆苦)」だ。

御隠居は、この「やぐらを立てる行為」それ自体を批判しているのだから、
これまた、平行線が交わることはない・・・w