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生存本能を否定及び厭う考えは全て妄想・病理。
→生存本能に盲目的に従うから「苦が生じる」んですよ。
従うのをやめ、制御しなければ「苦の滅」にはなりませんよ。
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生存本能に従わなければ生きて行けない。否定・排除する必要はない。『苦を滅してはならない』。
→だから、「《一般的意味での》生命」維持は為されなければなりませんよ。
その「従い方(≒世俗の価値観)」が問われているんですよ。苦を滅しないなら仏教じゃありませんよ。
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苦を滅するのは釈迦仏教。生存本能・苦を否定する釈迦仏教は病理。大乗仏教は違う。
→大乗仏教も苦の滅が基準ですよ。 (・・・・・・以降、パターン3の亜種として合流)
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生存本能に従い、苦があるからこそ生命維持に繋がる。
→だから、「《一般的意味での》生命」維持は為されなければなりませんよ。「苦の自覚、観察」は必要ですよ。
その「従い方(≒世俗の価値観)」が問われているんですよ。世俗の価値観に拠る限り苦の滅はありませんよ。
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「従い方」に種類などない。従わずに生きられるのかね?
生存本能に従わなければ生きて行けない。否定・排除する必要はない。苦を滅してはならない。
→だから、「《一般的意味での》生命」維持は為されなければなりませんよ。
その「従い方(≒世俗の価値観)」が問われているんですよ。
世俗の価値観に拠る限り苦の滅はありませんよ苦を滅しないなら仏教じゃありませんよ。
勿論、「苦を甘んじて受け入れ、世俗の価値観で生きる姿勢」もアリですよ。
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