【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】8

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404如来不説
>>395,>>403
この意見は真っ当な仏教徒ならば、あって当然の意見ですね。一般的に、「解脱を
目指す」のが仏教であり、では解脱とは何ぞや? といったところで「輪廻からの
脱すること」が、一般的な知識です。

しかし、転法輪経のような確実に最古層の経典に載っている四聖諦の教説からする
と、「解脱」という表現は、「滅諦」を形容する言葉の一つとして出てきます。
では滅諦とは何かというと、「苦諦」のアンチテーゼで、解脱というよりは解脱し
たところの結果としての境地・状態である涅槃なんですね。苦諦には輪廻という概
念は含まれていないので、滅諦も輪廻から脱するということとは関係がないことに
なります。

ところで滅諦へと至るためには「集諦」の解消によります。この集諦とは渇愛のこ
とですが、渇愛の説明の一つとして、「再生をもたらし」という風な表現がされて
います。

つまり、仏教の目的は転法輪経の四聖諦の教説から直接導けるものは「苦をもたら
す渇愛を断じることによって、苦から解放されること」だと言えます。なのに、渇
愛の機能としての「再生をもたらす現象から脱する」という二次的な語義に、
長い仏教の歴史の中でいつの間にかすり替わって、それが一般的な仏教の定義とな
ってしまったのです。

そして、たとい「再生をもたらすことから脱するのが仏教の目的である」ということ
を受け入れたとしても、一つの論点が生じます。
1.再生というのは、果たして、俗に言う「転生」のことを意味するのか?
2.それとも、刹那刹那の「生滅する意識」のことを意味するのか?
ということです。