誤解している人間が膨大な数いるようだが、
「無記」は「○○について語らない」ということではない。
『結果として語らない』ということでイコールとなってしまうが、その始点が違う。
「無記(avyAkata)」とは【語りえない(こと)】ということだ。
「語り得ることを、敢えて、語らない」というのは大きな間違いだ。
派生した形で「定まっていない、決定していない」或るいは「明らかでない」という意味で用いられることもあるが、
それら全て、
【「定め得ない」「決定し得ない」或るいは「明らかにできない」から】、【結果として】【『語らない』という行為】になる。
【積極的に(→語りえることを敢えて意図的に)語らない】
【積極的に(→決定できることを敢えて意図的に決定しない)】
【積極的に(→明らかにし得ることを敢えて意図的に)明らかにしない】
ということでは断じてない。
過去受動分詞でもあり、
【如来によって(覚者によって)《語“られ”ていない》こと】と解せないこともない。
だが、【その(使用される)文脈から】推測されるのは、
「(如来が)知っていて、敢えて語らない」のではなく、
「それらについては知りえないから、それらについて如来は語らない」という形に帰着する筈だ。
どうだ?縁起馬鹿よ、、、 って、ここはもう見てないんだったなw