☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート27

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769神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 09:47:02 ID:HHI4hyOi
>>767
よく吟味もなにも

令後三有相續。從有而有生。從生而有老死。

って明記されてるぜw
それとも注釈の部分だから、それは間違ってるとでもいうのかw

あとリンク先もキッチリ三回ぐらいよんどけ。

宮中、眼蔵、中論と嘘が増えたな。

以後、暫くスル〜するは、ほんとお前の面の皮にはまいるよ。
やりたいことは自慢だけだからな、お前はかなり邪悪な人間だと思うぞ。
770神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 09:53:39 ID:f3m5fbsV
>>765>>766>>769
>26章が龍樹本人の作でないというのは戴けないが

<中論は25-24において完結する>
なんだ、シーラカンス的化石スコラ概念仏教学では
まだ26-27章の小乗説を龍樹の説と信奉しているのか、
アキメクラそのものだなw
中論26−27章は小乗説の付加的説明、備忘録、メモなのであって龍樹の諸説ではない。
これは嘉祥大師吉蔵、チャンドラキールティ、日本の学者でいえば中村元(龍樹165頁〜、197頁〜)、
定方晟(空と無我94頁)はじめその他定説といいうる。
中論26−27章は論敵小乗部派の諸説である。それを支持する縁起一代は実はズブズブの小乗教徒にすぎない。
だから業報輪廻転生論を必死で護持せんとするのだ。

ブッダへの「帰」!敬序に始まった中論は、ブッダはいかなる戯論も説かなかった、という趣旨の25-24偈で終わるのである。
業報輪廻転生論は戯論である。
『総ては言い得ず、文字を離れ、空にして寂静、始めより汚れなし。
もろもろの事柄をこのようだと知るものは、仏・菩薩と言われる。』
(チャンドラキールティ『プラサンナパダー』より)

771机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/15(木) 10:08:27 ID:AC1VSJwt
>>769
>令後三有相續。從有而有生。從生而有老死。

令後三有相續はなされておるだろうよ。
貴殿において令後三有相續だろうし、貴殿においてなされておるものが、
果たして法たりえるのであろうか?
これが
從有而有生。從生而有老死。に繋がるわけで、
一切がスタティック(即今)であって、しかもそれは非スタティック(永遠)であろう?
これが中論の骨格でありんす。

772神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 10:22:40 ID:HHI4hyOi
>>770
だから、こういう反論を予想してリンクを貼ったんだが。
そこで誰もが龍樹作だと疑わない『廻諍論』自註の結論に次のように説いてることを示したんだが。
T1631_.32.0023a17: 信善行惡行。若人能信善行惡行。彼人則信
T1631_.32.0023a18: 善惡行法。若人能信善惡行法。則知方便過
T1631_.32.0023a19: 三惡道。彼人如是能信一切世間諸法。
あらゆる存在について、善趣と悪趣を設定すること、善趣と悪趣に行く有情、
善趣と悪趣から超えること、善趣と悪趣を超える方便、世間の言語習慣一切の設定が自然に了解される。

「善趣と悪趣に行く」というのは輪廻することに他なりません。梶山先生は正に「輪廻」と訳しているよん。


チャンドラキールティは逆に、他の註が26-27を小乗の説とか世俗諦の説とすることを黙殺しているよ。
当然、龍樹説としてる。吉蔵もその他何人かの注釈者も小乗の見解とするが「小乗説の付加的説明、備忘録、メモなのであって龍樹の諸説」とは言わないよ。

言うというなら証拠を出してみて。

謂わば、1-25章は、勝義の説、それで無戯論になれる人はなれる。
それが分からない人のために26-27章が説かれる。



773神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 10:36:19 ID:HHI4hyOi
>>770
>業報輪廻転生論は戯論である。

戯論ってのはそういう意味じゃないよ。
人間が持ってる妄想力のこと。
言葉を使うにはその妄想力で普遍を妄想しないといけない。

釈尊がいかなる戯論も説かなかったとは書いてないだろ。

T1564_.30.0036b02: 諸法不可得 滅一切戲論
T1564_.30.0036b03: 無人亦無處 佛亦無所説
T1564_.30.0036b04: 一切法一切時一切種。從衆縁生故。畢竟空
T1564_.30.0036b05: 故無自性。如是法中。何者是有邊誰爲有
T1564_.30.0036b06: 邊。何者是無邊。亦有邊亦無邊。非有邊非無
T1564_.30.0036b07: 邊。誰爲非有邊非無邊。何者是常誰爲2是
T1564_.30.0036b08: 常。何者是無常。常無常非常非無常。誰爲非
T1564_.30.0036b09: 常非無常。何者身即是神。何者身異於神。
T1564_.30.0036b10: 如是等六十二邪見。於畢竟空中皆不可得。
T1564_.30.0036b11: 諸有所得皆息。戲論皆滅。戲論滅故。通達諸
T1564_.30.0036b12: 法實相得安隱道。從因縁品來。分別推求
T1564_.30.0036b13: 諸法。有亦無。無亦無。有無亦無。非有非無亦
T1564_.30.0036b14: 無。是名諸法實相。亦名如法性實際涅槃。
T1564_.30.0036b15: 是故如來無時無處。爲人説涅槃定相。是
T1564_.30.0036b16: 故説諸有所得皆息。戲論皆滅

以上の論理、観法を三昧中に用いれば戯論が寂滅するという意味だ。
その戯論寂滅状態で、釈尊が法を説くもなにもないという意味だ。

そこは高度だから、君は無理だよ。いっとくが、そこでは輪廻はもちろん今知覚しているもの全て有るとも無いともいえない状態なんだけど、分かってる?

774机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/15(木) 13:26:59 ID:AC1VSJwt
>>773
>そこは高度だから、君は無理だよ。いっとくが、そこでは輪廻はもちろん今知覚しているもの全て有る>とも無いともいえない状態なんだけど、分かってる?

貴殿の書込みは、勝義諦と世俗諦が逆になってるから、
ここは特別に机龍之介が教示いたす。

「高度」なら「有るとも無いともいえるない状態」じゃないだろ?
高度なら「高度が有る」という状態だよ。
この状態は勝義諦じゃない。

「有るとも無いともいえない」というのは、事象(事物)成り立ち以前のことであり、
これがスタティックに該当する。→これが勝義諦。
そこに「高度」が成り立つなら、それが非スタティックであるのだよ。

つまり、勝義諦においてダイナミズムが発生するなら、発生した時点において
それは一切が世俗諦である。
一切が、そう、輪廻転生とか一切(戯論)が世俗諦であって、これを一切皆空(勝義諦)という。
つまり輪廻転生とは、この一切に含まれる。
775神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 14:11:05 ID:Uf0poG8x
>>762
ムカデは虎と共に毘沙門天のご眷属とされてます。

神道的に「悪魔」というのがよく分からないのですが、神道に悪魔っているんでしたっけ?
776神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 14:13:37 ID:HHI4hyOi
机にレスするのも、釣られたようでいやだが、

>>774
>一切が、そう、輪廻転生とか一切(戯論)が世俗諦であって、これを一切皆空(勝義諦)という。
>つまり輪廻転生とは、この一切に含まれる。

すると、世俗での輪廻は認めるってことになって、

>>764
>真言アジャリ氏の「中論・輪廻転生論」は全くの出鱈目であり大嘘と言わねばならん。
>(そんな俗的なことは、一切中論には書かれていない)
777神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 14:16:02 ID:HHI4hyOi
と矛盾するのかな。

机にレスするのが、ばからしくなって消そうと思ったら、
間違って送信しちゃったよ。

何書いても、糠に釘だからな
778神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 14:23:35 ID:T4CA2MUZ
>>774
あのぉ・・・
素朴に疑問なんですけど、
「輪廻(転生)」は世俗のこと(≒事象)であり、「一切」に含まれるわけですね。
で、今、仏は(龍樹は)「二諦」を説いていますよね。
さて、
・「勝義において」「一切」が「空」であると言われた時は、
 「輪廻」どころか「世俗の諸々すべて」が「空」と言われているのであり、有無を問うものではなくなる。
では、
・「世俗義において」「諸々が“ある”」と言われた時、
 「喜びや悲しみ」や「土地建物や海や山や川」や「貧富や差別(区別)」や「生まれ老い、病に罹ったり」などは、
 《ある》と言われるし、また、『人々も《ある》として生きている』。
 この《ある》や《前提とされている》ことを、よもや貴方も否定しないでしょう?
 勝義では「空」だが、世俗において「ある、見られる」と・・・。

もし貴方が、上記諸々の世俗の事象を認めるなら、
『同じ「世俗の事象」として(【勝義ではないこととして】)「輪廻」もまた認められねばなりません。
今、勝義と世俗という区分しか為されていないのだから・・・。
もし、「喜びや悲しみは“ある”けど輪廻は“無い”」とするならば、
【同じ、世俗の領域内で、更に区分される】ことになる。それは、
【世俗内で(世俗の言辞・事象として説明し得る形で)有無を問うことになる】。
(これをしていたのが10氏他数名。)
だから貴方は、≪【勝義において】、「無い」(或いは空、有無は無い)≫と言ってはいけない≫のです。
なぜなら、≪他の諸々も同じように「無い」(或いは「空」、「有無は無い」)と言われる≫からです。
(たとえば、『我(自己)』と同じように・・。)
≪【世俗において】、「他の諸々」は「ある」と言われ、「輪廻」が「無い」と言われるならば、
その【世俗的理由】を(違いを)示す必要があります≫。
仏典中、【世俗の言辞としても、「無い」とは言われていない】からです。
 ※彼は、人々の世界観においてだけでなく、
  この意味でも、「(世俗において)説かれている、前提とされている」、と言っているのです。
   ※当然それは、「“事象として”《ある》、とされている」ことも含意します。
779机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/15(木) 15:04:47 ID:AC1VSJwt
>>776
>すると、世俗での輪廻は認めるってことになって、

輪廻はスタティックにあるのだよ。
これが道元の「三時業」に繋がる。

スタティック(これを勝義諦とするなら)、一切がこれにあり、
そして一切が空である。

まあ、つまり、輪廻を認めようが、輪廻を否定しようが・・・
同じことだよ。→これに迷っておったら解脱は不可なり。
780神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 15:09:59 ID:T4CA2MUZ
>>779
そういう逃げ方をするから、屑だと言うんだ。この飯袋子がw
781机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/15(木) 15:23:39 ID:AC1VSJwt
>>778
>だから貴方は、≪【勝義において】、「無い」(或いは空、有無は無い)≫と言ってはいけない≫のです。
>なぜなら、≪他の諸々も同じように「無い」(或いは「空」、「有無は無い」)と言われる≫からです。

勝義においては有無はない。
(これが道元の前後際断せり)→中論におけるスタティック
この非連続性より連続性へ排列するのが、つまり世俗諦。
これが、三時業であったり輪廻転生であったりする。

しかしこの三時業とか輪廻転生とかはスタティックのことであって、そこに時空はない。
つまり時空がない(勝義諦)においての三時業であり輪廻転生なのだよ。
時空ありゅらん輪廻転生に迷うことを、仏教では無明などと逝ったりする。
眼が開けば全てが解せる。
782神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 15:29:13 ID:HHI4hyOi
>>780
というかそれで誤魔化してると思ってるのは本人だけで、
机が嘘つきで間違いも認められないとみんなに宣伝してるだけだって、
死ぬまで気がつかないのか、それとも気付いていても止められないのか?
分からないが、アホ丸出しで可哀想なことだけは確かだ。
783神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 15:38:21 ID:RP+DuBkD
中論27章「邪見の考察」では、竜樹は輪廻転生など完全に否定している。
「竜樹は輪廻を肯定した」などと言っている人がいるが、これは、中論の意図的
な誤読である。
784神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 15:48:30 ID:HHI4hyOi
>>783
なんか前にも聞いたことある説だね。

じゃ、どこよ。

よければ議論スレで論証してみてね。
785神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 15:50:30 ID:RP+DuBkD
竜樹は勝義(第一義)と世俗諦との区別(二諦)を「一応は」認めているが、
「世俗的なことにもとづかなければ、第一義は説示されえない」といっている。
このことから、「世俗の慣行にもとづかない勝義はない」ということになる。
即ち、「勝義=世俗諦」である。さもなければ、「勝義」は根拠を欠くからで
ある。

勝義と世俗諦との「二項対立的二分法」は、誤りであるというべきだろう。
786神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 15:50:37 ID:g+J1tnA7
日蓮宗から高野山か豊山の真言宗、それか天台宗山門派に宗旨変えしたいのですが、
皆さんのご意見をお待ちしております。
787机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/15(木) 15:53:14 ID:AC1VSJwt
>>782
正法は世俗言語慣習によってしか語ちるのは困難であったとしても・・・
そう簡単には解せないのだよ。

しかし難しいことではない。
難しくしてるのは貴殿の知識だよ。
仏教は知識では、たし難し。

       <平常心是道>
788神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 15:53:35 ID:T4CA2MUZ
789神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 15:55:15 ID:T4CA2MUZ
あ、タブ変え忘れたw

ノシ
790神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 16:02:37 ID:HHI4hyOi
>>786
よろしいと思います。ただし、現代の檀家制ですと、宗派より、
住職の人柄が重要なので、そこをよく見極めるといいと思います。
791神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 16:07:07 ID:HHI4hyOi
>>785
なんだ生命教かよ。
中論27章も龍樹本人も以下のように輪廻を前提としてるよ。
反論するなら、以下の反証しろよ。

http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/27.html
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/28.html


まったく、生命教と机は、話にならん詭弁と嘘と誤読と誤解だけだから、
なんど論破されても、同じことを壊れたレコードみたいに繰り返すだけだし

(/_;)
792神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 16:07:50 ID:cOSLS/kJ
>>786
なんで、宗旨替えしたいのか、
なんで、その二つの宗旨なのか、
その辺の事情を説明してくれない事にはなんとも助言のしようがない。
793神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 16:12:43 ID:RP+DuBkD
>>791
少なくとも、中論27章「邪見の考察」では、否定している。同章を熟読
だれたし。
794神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 16:17:52 ID:RP+DuBkD
>>787
世俗諦とは、世俗人がすべて悟っていること。やさしいに決まっているw。

竜樹の「世俗的なこと」が、「言語慣習」に限定されず、また「言語」という
概念さえ含まないことは、前レスでのサンスクリット語原文から証明済み。
795神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 16:19:21 ID:T4CA2MUZ
796神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 16:25:42 ID:HHI4hyOi
>>793
流石生命教、平川訳を読んだ自分の読みだけで、
オイラの梵蔵漢の龍樹論集、その諸註から吟味分析し、
日本・チベットの伝統説とも一致するものを一蹴か。
しかも、論証も典拠の提示も一切なし。

だから、あんたとは話にならんのだは(^^)
797机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/15(木) 16:38:50 ID:AC1VSJwt
>>780
>そういう逃げ方をするから、屑だと言うんだ。この飯袋子がw

可笑しなこと言うねw
そんなこと言ったら、中論は全てが逃げになる。
三世実有論を徹底的に批判はしてるが、決定的なことは何ひとつ書かれていない。

何故、結論は書けないのか?
それには理由がある。
798786:2010/04/15(木) 17:03:57 ID:g+J1tnA7
>>792さん
題目がとにかく大嫌いなんです。
江戸の檀家制度の時代に村に寺が一つしかなく、そこが日蓮だったわけで仕方なく檀家に
なったそうです。
天台は法華ですが・・・良いかなと。
鎌倉系の宗旨を変えるのなら位の高い宗旨にしたほうがよいときいたことがありましたので・・。
799792:2010/04/15(木) 17:17:04 ID:cOSLS/kJ
>>798
天台だって、昔は題目を唱えてたんですがね…。
今はどうだか知りませんが。

天台も真言も、鎌倉仏教でしたっけ?
普通、鎌倉系といえば、浄土宗、浄土真宗、 臨済宗、 曹洞宗、 時宗、法華宗(日蓮宗) だと思いますが。
すくなくとも、「鎌倉系の宗旨を変えるのなら位の高い宗旨にしたほうがよい」というのは聞いた事がありません。

書き込みから推測するに、題目や宗旨云々より、
あなたの菩提寺の住職の人柄とか、周囲の檀家との人間関係とかの問題のような気がします。
もしそうなら、宗旨を変えても、効果がないかもしれませんよ。
もう一度、「なんで題目が嫌いなのか? 嫌いなのは、他の要素じゃないのか?」をじっくり考えてから、
それが改善される方法を検討された方がよろしいかと思います。

まあ、単に、「なむみょうほうれんげきょう」という音の響きが嫌いだと言うのなら、
どんな宗派に変えてもいいでしょうがw
800神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 18:45:26 ID:PfF20cVs
>>796
君の解釈や他人の注釈などではなく、中論27章(邪見の考察)(平川訳)の
文字通りの解釈はどうなのかね。

平川訳の正確さは、前レズでのサンスクリット語原文との対照によっても
明らかである。
801神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 18:49:43 ID:hyxI7Yxk
>>800
ハァ?(゚д゚)

平川訳は当てにならんという決着だったと思ってたがwwwww
802神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 18:51:29 ID:zRSmuu4W
>>763
>>775
やっぱり誰も知らないみたいだな・・・
あの地域の人が勝手なこと言ってるんだろう
ムカデがお釈迦様の手を刺したとか聞いた事ない
803792:2010/04/15(木) 18:55:03 ID:cOSLS/kJ
804神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 19:00:11 ID:5KfKHhik
色・心・心所・涅槃の四つだけが勝義諦。
それ以外のすべては世俗諦。
805神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 19:04:15 ID:ZhKwUWny
>>801
>平川訳は当てにならんという決着だったと思ってたがwwwww

どこを読んでいるのか。君に、サンスクリット語辞書の英訳が、充分に理解
できなかっただけ。

平川訳は、サンスクリット語の原意を考え抜いた名訳である。

それとも、君の訳が平川訳より優れているとでも。他の大乗学者の解釈はどうか。

質問箱で小乗的に歪曲した訳を持ち込まれると、ROM者を誤導するので、差し
控えられたし。
806机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/15(木) 19:36:06 ID:AC1VSJwt
>>797のつづき
>何故、結論は書けないのか?
>それには理由がある。

有部は、先ず結論ありきで、これに仏教を擂り合わせて発展させたものをアビダルマ哲学という。
これは帰納法的推論という論法でして、一般的哲学理解はこれです。
つまり推論なのです。

中論はこの論法と全く違う演繹法であります。
龍樹は先ず、仏教を世俗に擂り合わせの論法をとります。
(これが勝義諦は世俗言語慣習による・・・云々に繋がる)
つまり世俗に還滅している訳ですから、世俗に結論は出ることは有り得ない。
(結論があるなら、そもそも勝義諦は必要ない、という論理です)

ようするに、中論で世俗結論を期待するのは無理でありますね。
というか、
中論というのは、このことを理解するための注釈書ですから。

簡単に中論の意義について書いてみましたけど、
果たしてこの意をするとこは、真言アジャリとかセブンには難解であろうか?
807神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 19:38:06 ID:hyxI7Yxk
>>803
なんというほのぼのw
地域ってのは、こうありたいね・・・。

>>762
縁起(→この場合は「由来」)ってのは土地土地の特色が出るからね・・。
神社や寺の建立理由とかは勿論、大きな岩や泉、滝、etc.etc.・・・
発端・きっかけとなる何がしかの事件はあったろうが、
畏敬の念がプラスされた伝言ゲームとして、「もっともらしい逸話」が成立する。
お釈迦さんとムカデは、(インド起源でなくとも)どこかで使用された説話の一つとしてあるのかな?
日本や中国産の説話、或いはその地域の伝承とミックスされたものかもしれない。
けど、それはそれで、『地域の文化、伝承として人々に親しまれている』以上、大事にしていいと思う。
(実際は「(>>802)>勝手に」だったとしてもw)、「勝手に」という言い方には慎重であってもいいんじゃないかな。
いずれにしろ、尊重すべき伝承だとは思うよ。


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Search word : "百足"
70 hits : 1 2 3 --- [ keyword count ] : 81

結構あるなw
この中に、もしかしたら、そうした(>>803)逸話があるかもしれない。
808神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 19:40:16 ID:hyxI7Yxk
809机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/16(金) 07:32:02 ID:mRYMIxzF
>>808
貴殿は、私が書いた>>768
>>限りなくスタティック(時空)なるが故の、限りなく非スタティック(時空)であるといふ
>この、
>「非スタティック」のことだよ。
>行者の悟りとはこのことだ。
>リアルに輪廻があるわけではない。
>つまり中論のスタティックというのは、あらゆるものが非スタティックなのだよ。
>それは究極的に時空の消滅を意味する。

これが解らんのだね?じゃあ少し説明する。

スタティックというのは、非スタティックという否定においてしか解することはできない。
つまり、スタティックというのは非スタティックにおいてスタティックなのだよ。
ようするに、スタティックというのは仮称としてのスタティックに過ぎない。ってことだよ。
「それは究極的に時空の消滅」でしかなく、「輪廻転生」とかも全てこれに該当する。

参考までに自然科学で説明すると、
究極的に体積をゼロに圧縮すると、それは無限なる体積(反比例)になる。という論法と同じ。
(これは近年になって発見された理論)
否定は肯定であって(勝義諦)そこでしか世俗諦は導きだされんざます。
810神も仏も名無しさん:2010/04/16(金) 07:46:02 ID:cBMo0CdK
>>809
君が場違いで荒らしだという自覚がないだけですがな
811机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/16(金) 07:59:41 ID:mRYMIxzF
>>810
そもそも中論(序章)は否定文において構成されてるだろ?
その真意を掴めないなら、中論解釈は無理なんですよ。

無理なもんを「中論は輪廻転生が書かれておる」
などと真言アジャリが言い出すから、私が解説したまでのこと。

つうか、そもそも「中論:輪廻転生説」は私が論破済みだがw
812神も仏も名無しさん:2010/04/16(金) 08:01:46 ID:cBMo0CdK
>>811
論破じゃなくてまたも嘘がバレただけなんだが
813机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/16(金) 08:05:23 ID:mRYMIxzF
>>812
そもそも中論というのは、三世実有論を破壊しとるんですよw
破壊しとるもんを、改めて「輪廻転生肯定」する訳ないじゃないですか?
そのくらい簡単なことも分からんのか?
814神も仏も名無しさん:2010/04/16(金) 08:08:41 ID:cBMo0CdK
>>764
>真言アジャリ氏の「中論・輪廻転生論」は全くの出鱈目であり大嘘と言わねばならん。
>(そんな俗的なことは、一切中論には書かれていない)

と言ったそばから『中論』26章に

>>767名前: 机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. Mail: 投稿日: 2010/04/15(木) 09:12:08 ID: AC1VSJwt
>十二因縁でありますから、
>男女交合において受胎し、そして生誕し、それから人間は没する。
>(つまり人間の一生)

が書かれているといってる。
「男女交合において受胎し、そして生誕し、それから人間は没する」のは「俗的なこと」だよね。


いつものようにデダラメの口から出任せだけでしょ。上だけで読んでないことがハッキリ分かるし、
自分自身で言ってることの矛盾に気がつかない愚かさ、それがハッタリ机の真骨頂w
815神も仏も名無しさん:2010/04/16(金) 08:12:14 ID:cBMo0CdK
>>813
それが全然分かってない証拠だよ。

三世実有ってのは法が三世に実在してるってことだぜ。
それじゃ縁起にならんってのが龍樹菩薩の反論だ。
空なる因が空なる果に縁起するのが縁起だからだ。
輪廻は、今、我々が縁起してるように無我で無実体で連続するんだよ。

まったく、なんにも分かってないのに。

片腹痛いヤツ
816机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/16(金) 08:32:37 ID:mRYMIxzF
>>815
>輪廻は、今、我々が縁起してるように無我で無実体で連続するんだよ。

面白い書込みですね。
無我であって無実体なるものが・・・連続する訳はない。
そうだろ?
基本的に貴殿は論理矛盾に気づいておらんですね。

連続はしないが、瞬間的に連続する場合がある。
これを生起などと逝っておりますけど、
まだまだ私がそこを説明しても難解過ぎるであろう・・・。

先ず論理の整合性について自問自答なされまし。

       <合掌>
817机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/16(金) 08:50:07 ID:mRYMIxzF
アビダルマ哲学は、三世実有と無我について論理の擂り合わせをした。
これが刹那滅論。
無我だから、刹那に生起はするが生滅し、次ぎにまた生起する・・・
という連続性においてその論理の整合性が保たれてる。

考えてみれば、これは非常にレベル的には低いだろ?
中論と比較すれば、の話だけど。

中論はこの「連続性」というのを全く破壊しとるんです。
818神も仏も名無しさん
>>816

>無我であって無実体なるものが・・・連続する訳はない。
>そうだろ?

こう思うのが実体論者、我見者なわけだ。
何か基盤がなければならない、と思う前提が我見、有身見、無明なんだ。

そうじゃないというのが、縁起に他ならない。
その根本経典が『勝義空性経』であり、縁起法頌であり、此縁性。
それを受けて『中論』『因縁心論』が説かれる。

だから、空なる因が空なる果として縁起することが分かることが、
仏教の基本なんだ。

机はなにも分かってない。分かってないどころか嘘はつく誤りは認めない。
十年間、宗教板で蛇蝎のように嫌われてきたのもしかたがないだろう。