☆もとぴさんと一緒に聖書を解釈しよう☆

このエントリーをはてなブックマークに追加
1名無しさん
エホ症とプロテスタントを遍歴したもとぴさんが、
自らの聖書理解を熱く語ります。

もとぴさんと聖書解釈について論じたい方はこちらへどうぞ。

関連情報は>>2-10あたり。
2ふぁんだ君 ◆D4dp.jHAHM :02/10/12 23:43
2げと(^◇^)
3名無しさん:02/10/12 23:43
[関連スレ]

★★ みんなで作ろう「エホ証用語の基礎知識」5
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1001498157/527-

エホバの証人ふざけるな!20
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1031081551/156-

工ホバの証人ふざけるな!21
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1033527730/16-
4名無しさん:02/10/12 23:44
[もとぴさんの人物像]

527 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/09/07 10:36
初めて書き込みします。私は元プロテスタントです。
14年前に4ヶ月間ほど桃実の糖の「研究生」しました。

539 名前: 527 元プロテスタント 投稿日: 02/09/07 20:21
私は 23歳から33歳まで プロテスタント教会に行っていました。今、43です。
インターネットを始めたのがつい最近です。
なぜ、教会を離れたか、、
まあ、ある時期から、教会に 行けば 行くほど 苦しくなったからでしょうな。
そーゆうわけで、日曜日には サカナ 釣ってます

656 名前: もとぴ よぱらいモード  投稿日: 02/09/27 19:14
それからですね。JWの教理とプロの教理とを比較対照するようになったのは。
私は、時間をかけて、調べたこと、わかったことを、この場でカキコさせていただいているだけのことです。
でも、まあ、諸事情がありまして、それほど長くは続けられないと、自分では考えています。
このようにカキコできるのは、今のうちと思って、カキコしてます。
5石原莞爾 ◆ozOtJW9BFA :02/10/12 23:44
頑張れ!
6名無しさん:02/10/13 00:02
こちらが本スレです。
7名無しさん@1周年:02/10/13 00:21
日曜日は自然と楽しむ、これが神の望むところよ
8FW190Ta152H-1:02/10/13 07:35
がんばって下さい。
9名無しさん ◆jZGaCDQNcc :02/10/13 07:45
てか、今日はもとぴさんサカナ釣りだから来れないじゃん。
10FW190Ta152H-1:02/10/13 14:21
>9
アンタか・・・・・。少なくともアンタは魚釣りしているヒマはないはず。
例の件、来ました?
11名無しさん@1周年:02/10/13 14:27
>>1
☆ 固定ハンドルスレッドは禁止です。
12 :02/10/13 18:24

今日、お魚釣りから帰ってきて、「ふざけるなスレ」を見て、びっくりしますた。
私のカキコは、短期集中のつもりでしたので、、

私には、もうひとつ、どうしてもカキコしておきたいテーマがあります。
「人間の死後の場所」についてです。
今、まとめているところで、もう少し時間がかかりそうです。
このテーマのカキコが終わったら、消えていくつもりでした。


んが、せっかく、このようなスレを建てて下さったので、
私も、スレ住民の一人として、カキコさせて頂きます。
「名無しさん ◆jZGaCDQNcc 」さん。よろしく!
みなさん。よろしく!

>>11
私のネームは、また何か考えておきます。
>>12
いらはいまし。

もとぴさんはコテハンそのままでいいと思われ。
こういう性格のスレには前例があるしね。
14とりあえず もP :02/10/13 18:47
「聖書」には、いろいろな解釈があっていいと思います。
でも、自分で聖書を開き、自分で考えるべし。。。です。

「解釈」は、「人間のことば」に過ぎません。
正しいこともあれば、間違っていることもあります。

若いときから、「人間の解釈」によって、頑固であっては、つまらない。
若いときは、コロコロと考えを変えましょう。
15とりあえず もP :02/10/13 18:58
>>13
「名無しさん ◆jZGaCDQNcc」さん、どーもです。
あなたは「DQN」さんですか?
あなたといい、「FW190Ta152H-1」といい、その記号のようなネームには、
どのような意味があるのですか?
、、少し、気になっていたので、お尋ねします。
16石原莞爾 ◆ozOtJW9BFA :02/10/13 19:46
>>15
FW190Ta152H-1という名は多分FW190とTa152H-1というドイツの戦闘機の名と
思います。
17百式 ◆lQyRaJFlJ. :02/10/13 21:02
>>16
よーするに、ドムが出る前のグフみたいな存在かな。
それとも、ゲルググの前のドムかな。
ゲルググとケンプファーとギャンどれが一番つおい?

boy's
18もとぴ :02/10/13 21:22
>>16石原莞爾さん。ありがとう。

石原さんのネームは、あちこちのスレで見ました。
どこかのスレで、人間の死後の場所について、カキコしておられましたね。
あなたが、「人間の死後の場所」について、どのように考えているか、
カキコしていただけないでしょうか?
19有/無:02/10/13 21:43
わたしもそれ興味有ります。是非とも教えてください。
20石原莞爾 ◆ozOtJW9BFA :02/10/13 21:58
>>18,19
どうも。
キリスト教では、天国と地獄の存在を説いていますが、聖書には、
黄泉というものがあります。
しかし、教派によっては、地獄と黄泉を混合している例があります。
旧約では、黄泉のことをシェオールといいます。
新約では、黄泉のことをハデスといいます。
新約には、ゲヘナというものが出てきますが、それは地獄のことで
ハデス=ゲヘナではありません。
ハデス=シェオール=黄泉で地獄=ゲヘナであります。
あなたは、新改訳、新共同訳の聖書をお持ちですか?
21石原莞爾 ◆ozOtJW9BFA :02/10/13 22:11
>>20に補遺。
ルカ16:19〜31にラザロと金持ちのたとえ話があります。
その死後の場所は、地獄と天国の話ではありません。
黄泉の中の慰めの場所と苦しみの場所のことです。
旧約での黄泉については、
創世記37:35には、ヨセフが死んだと思い込んだ父ヤコブがわが子の
いる黄泉に下って行きたいと嘆いていました。
サムエル記T 28:13には、地から上ってくるサムエルの霊の記述があります。
それは、黄泉から上ってきたということではないでしょうか?
22名無しさん@1周年:02/10/13 22:20
age
23もとぴ :02/10/13 23:35
>12、14、15は、よぱらいモードでした。
実は、お魚釣りから帰ってきて、あまりに驚いて、とりあえずチューハイ。
それで、落ち着いた頃、カキコしますた。
今読むと、12は問題ありませんが、14と15は、ラリってます。失礼しますた。
24もとぴ :02/10/13 23:40
>>20-21石原さん。早速のレスをどーもれす。

私は、プロテスタントの神学書・教理書には、厚い信頼を置いてきました。
ところが、そのプロテスタンの教理も、「人間の死後の場所」や「さばき」というテーマについては、
重大な問題があると、私は考えています。
石原さんは既にお気付きのことですが、ハデス(よみ)とゲヘナ(地獄)の混同です。


問題点を整理するために、【人間の死後の場所】については、二つの見解を紹介します。

◇「多数派」の見解
プロテスタントの神学書、教理書、その他の見解。 私の手元の本では一致した見解です。

◇「少数派」の見解
久保有政氏の著書「死後の世界がわかる本」(レムナント出版)から、「少数派」として紹介します。
このような見解を持った人はイギリスの聖書学者ウイリアム・バークレーなど少数ながらあるようです。
(私は、「人間の死後の場所」については、久保氏の見解に賛成するところが多いです)
25名無しさん@1周年:02/10/13 23:53
もp
やなかんじ
人のスレッド荒廃させといて
はじめからさっさと自分でスレたててればいいのに
>>25 (’д’)メッ!
27石原莞爾 ◆ozOtJW9BFA :02/10/13 23:57
>>24
もとびさん、どうも。
ハデス(よみ)とゲヘナ(地獄)であるのならば、イエス様も十字架に掛けられた後
地獄へ下ったことになります。また、旧約の聖徒たちも地獄におったということに。
それでは、???になります。
また、最後の裁きについてどう思いますか?既に地獄へおちたのに裁きの意義もおかしくなります。
また、たとえていうならば、黄泉=留置所、地獄=刑務所、刑罰場ということになりますね。
あなたは、今、教会に通っていないようですが、信仰が回復して近くのまともな教会へいけるように
お祈りします。神様もあなたの帰りをお待ちになっているとおもいますよ。
では、おやすみなさい。また。
28もとぴ :02/10/14 18:25
【人間の死後の場所】その1
最初に、シンプルにまとめておきます。

◇聖書に記述
旧約聖書によれば、「よみ」だけです。
新約聖書によれば、「天国」「よみ」「地獄」です。

◇死後の場所(逝ったら、どこに行くの?)
死後は、パラダイス(天国)に入るか、ハデス(よみ)に入るか、そのどちらかです。

◇最終的な死後の場所
パラダイスにいる者は、最終的には【新しい天と新しい地】に入ります。(黙示21:1)
ハデスにいる者は、最終的に【新しい天と新しい地】に入るか、それとも【ゲヘナ(地獄)】に行くかは、
「大きな白い御座のさばき」(最後の審判)のときに決定されるでしょう。(黙示20:11-15)
29もとぴ :02/10/14 18:38
【人間の死後の場所】その2
「多数派」の見解 ― 歴史的事実と、現在の教理

◇ハデスとゲヘナの混同
中世のカトリック教会で、すでにハデス(よみ)とゲヘナ(地獄)の混同は見られていた。
◇聖書の誤訳
17世紀に出版された英語訳聖書「キング・ジェームス・バージョン」は、ルカ16:23の
「ハデス(よみ)で苦しみながら・・」 を 「hell(地獄)で苦しみながら・・」 と誤訳した。 
で、「金持ちは死後地獄へ行った」 という考えが、多くの人にしみ込んでしまった。
この英語訳は、英語圏の教会で盛んに用いられ、他の言語への翻訳にも大いに参照された。
(比較的最近の訳では「リビングバイブル」が、ルカ16:23の「ハデス」を、「地獄」と訳している)
◇プロテスタント教会における、間違った教義の確立(17世紀) 
【よみ】と【地獄】の混同により、人間の死後の場所は【天国】と【地獄】の二つだけだと誤解するようになり、
「不信者は、死後、地獄に行く」という間違った教義ができた。

◇現在のプロテスタント教会
神学書・教理書を読むとわかりますが、現在のプロテスタントの教理では、
「不信者(生きている間にキリストを信じないで、救われなかった者)は、死後、ハデスで苦しみを受け、
最後の審判の後、ゲヘナ(地獄)に行く」、というような見解です。 
(プロの神学書・教理書で、これ以外の見解があったら、教えてください)
一応、ハデスとゲヘナの区別はあります。
しかし、「不信者は、死後、地獄に行く」という教えと、実質的には違いがないと思います。
30もとぴ :02/10/14 18:47
私が持っていた疑問
「不信者は、死後、ハデスで苦しみを受け、さらに地獄で苦しみを受ける」と、プロテスタント諸教会の
教義は教えます。
福音を届けられなかった人も、死後は「未信者」としてではなく、「不信者」としてさばかれ、地獄に行く、、。
もし、この教義が聖書の真理であるとすれば、神の愛・キリストの恵みは、この地上に存在したほとんどの人
にとって、何の意味があるのかと、私は疑問を持っていました。

つづきは、明日れす。

>>27石原さん、どーも。教会復帰の話は、またいずれ。。
まだ、しばらく、風通しのいいところがいいです。
31FW190Ta152H-1:02/10/14 19:58
>16
その通り。さすが特務機関に所属し、満州で暗躍しただけのことはある。
>17
チョッと違うと思うが・・・・・。まぁいいでしょう。
32もとぴ :02/10/14 20:29
>>28の訂正

× ◇聖書に記述
○ ◇聖書の記述
33名無しさん@1周年:02/10/14 21:01
もp
やなかんじ
よそのスレッドぶっこわしといて
シャーシャーとしてる
何度もスレ違いと指摘をうけながら
あと3レスとかいっといてまだまだ書き込む
ズーズーしさ
聖書を語るなんておかしいよ
>>33 (’д’)メッ!

ここでのスレ違いはあなたです。
35名無しさん@1周年:02/10/14 21:12
>>1
☆ 固定ハンドルスレッドは禁止です。
36石原莞爾 ◆ozOtJW9BFA :02/10/14 21:23
>>31
あなた、軍事板にも顔を出してるの?
37名無しさん@1周年:02/10/14 21:41
>>34
別にいいじゃん。
もpもそうしてたんだから
文句いえないっしょw
38名無しさん@1周年:02/10/14 21:43
それとも自分はするけど
人からはされたらヤなの?(w

メッの人、あんた「もp」でしょ(w
39名無しさん@1周年:02/10/14 21:48
ちゃうで。
「メッ!」の人はどくんあにぃやで。
年齢が二十歳以上ちゃうねん。
全くの別人や。
40もとぴ :02/10/14 22:30
33さん。
私が、ズーズーしかったのは、ご指摘の通りです。

みんなで作ろう「エホ証用語の基礎知識」スレには、二世たちの本音がつづられていました。
私は、引き込まれるようにして、過去の書き込みはすべて読ませていただきました。
そして、自分も、用語スレに書き込みを始めました。

私としては、立場の違う者としての、レスの交換がしたかった。
でも、私とレスの交換をしてくれる人はなかなか現れず、私は発言の場を求めて、
一時期あちらこちらのスレッドを見て回りました。
そして、エホ証関係のスレとして、「ふざけるなスレ」を、私の主な発言の場としました。
そのうちに用語スレのほうでも、私にレスを返してくれる人が出てきました。
しかし今は、このスレがあるので、発言はここで行います。
33さんには、この場をかりて、お詫びします。


> よそのスレッドぶっこわしといて

用語スレに、用語のカキコをすればよいではありませんか。
用語のカキコがあまりに少なくなった。
これには、あからさまな組織批判がしにくくなったという背景もあるでしょう。
このままでは用語スレの存続が難しい。
それで、何はともあれカキコして、存続しているのではないでしょうか。
あなたが、用語スレに、用語のカキコをしてください。お願いします。
41名無しさん@1周年:02/10/14 22:34
粘着エホ証はどっか逝っちゃってください。
ここはもとぴさんの立てたスレなんだから、
あんたが出てきて騒いでるのも、
あんた言ってることとやってること矛盾してるよ。
42石原莞爾 ◆ozOtJW9BFA :02/10/14 22:37
え?33さんは、エホ証の人?
43名無しさん@1周年:02/10/15 00:55
「もp」
そうズーズーしかったのを認めればよろしい
もうここへはこないよ(w

それとエホ証の方々の名誉の為にいうけど私はそうじゃないよ
残念ながらね
用語スレ面白いからいつもROMってただけ
でも用語しらないから続けて書き込めないよ(w
じゃね
44FW190Ta152H-1:02/10/15 01:02
>36石原莞爾氏へ
そうかもしれない。「平和を望むのなら、戦争とは何かを理解せよ」
ある軍事問題研究家の言葉です。
45名無しさん@1周年:02/10/15 01:05
用語スレが面白いのは、ちゃかすだけの余裕がカキコしている人に
あるからでしょう。

もとびさんにはその余裕がない。なので浮いちゃう。レスする気が
起きない。皮肉をいわれると逆に居直って「認めてもらった」って
喜んでるようなところに、余裕のなさが典型的に現れてるな。
46石原莞爾 ◆ozOtJW9BFA :02/10/15 01:25
>>44
これでしょう。
冷静な平和主義者であろうとするなら、新しい格言を基礎におくべきである。
それは、君が平和を望むなら、戦争を理解せよということだ。
リデル・ハート「Thoughts on War」
47FW190Ta152H-1:02/10/15 03:08
>46
そうです。
48ズゴック ◆lQyRaJFlJ. :02/10/15 10:17
心と宗教@2ch掲示板
☆ 心と宗教板を利用される方はカルト問題に関心を持つようにしましょう。

「君が心と宗教板を利用するなら、カルト問題を理解せよということだ。」
こんな感じですか?
49もとぴ :02/10/15 20:05
【人間の死後の場所】その3

◇「多数派」の見解
@パラダイス(天国)
生きている間にキリストを信じ、キリストにあって死んだ者は、罪の赦しを受け(エペソ1:7)、
「パラダイス(天国)」に入る。 (ヨハネ14:2-3、ルカ23:43、ピリピ1:23)
Aハデス(よみ)
天国に入れなかった者は、「ハデス(よみ)」に入り、苦しみを受ける。(ルカ16:19-31)  
死後に回心の機会はない。
最後の審判の後、【ゲヘナ(地獄)】に入る。(黙示20:11-15)

◇「少数派」の見解
@パラダイス(天国)
生きている間にキリストを信じ、キリストにあって死んだ者は、罪の赦しを受け(エペソ1:7)、
「パラダイス(天国)」に入る。 (ヨハネ14:2-3、ルカ23:43、ピリピ1:23)
最終的な死後の場所として、【新しい天と新しい地(天国)】に入るでしょう。(黙示21:1)
Aハデス(よみ)
天国に入れなかった者は、「ハデス(よみ)」に入り、生きていた間の報いを受けるでしょう。
慰めもあれば、苦しみもあるでしょう。 
そこで、自分の人生を振り返り、自分のなした行為を振り返るでしょう。(ルカ16:19-31)     
(おそらく、自分の近くにいた人のことも、顧みるでしょう)
ハデスで受けるべき報いを受けた後、回心の機会が与えられるかもしれない。(参照Tペテロ3:19)
最終的な死後の場所については、最後の審判の時に決定されるでしょう。(黙示20:11-15)
・いのちの書に名のしるされている者は、【新しい天と新しい地(天国)】に入る。
・いのちの書に名のしるされていない者は、【ゲヘナ(地獄)】に投げ込まれる。
50もとぴ :02/10/15 20:07
【人間の死後の場所】その4
「少数派」の見解  (一部、私の解釈も含めています)

◇聖書は、よみ(ハデス)の苦しみと、地獄(ゲヘナ)の苦しみを区別しているようです
・ハデスの苦しみは、「懲罰」であり、「さばきの日まで」です。 (Uペテロ2:9)  
たとえ苦しみがあったとしても、その人はまだ、神の支配と、神との関わりの中にあります。
・ゲヘナの苦しみは、「刑罰」であり、「永遠」です。(マタイ25:46) 
悔い改めて救われるチャンスを、すべて自ら拒んだ人々には、地獄(神のいない場所)が、
ふさわしい場所かも知れません

◇ゲヘナ(地獄)
・地獄は、もともと“悪魔とその使いたちのために用意された”  (マタイ25:41)
・神からの完全な分離(滅び)、神のいない場所、永遠の刑罰
・最後の審判において、いのちの書に名のしるされていない者が入る  (黙20:11-15)

◇補足
ハデスにいる者は、「最後の審判」の時にハデスから出されて、天国か地獄かに分けられる。
最後にはその人にふさわしい場所に行く、ということのようです。
なお、「火の池」は、象徴的な表現でしょう。(黙20:14)
文字通りの物質的な火の中で苦しむかのように地獄を描写するのは正しくないと思います。
51もとぴ :02/10/15 20:34
聖書には、永遠から永遠が書かれています。
そこには、「人間の死後の場所」や「さばき」のことも啓示されています。 
けれども、、、よくわからないことが多いのれす。。

【人間の死後の場所】をまとめるのは、実のところ、大変なのれす。
何から書けばよいのかわからなくて、>>18で、石原さんの考えのカキコをお願いしたわけれす。
そのおかげで、何から書き出していくか、やっと決まったしだいなのれす。

>50
> 「少数派」の見解 (一部、私の解釈も含めています)

と、書きましたが、【人間の死後の場所】の私のカキコ自体が、
「私が、人間の死後の場所を、どのように解釈しているか」といった内容であると思います。

もう少し続きます。
反論や意見があれば、いつでもお願いします。
52FW190Ta152H-1:02/10/16 00:34
>48
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。肯定も否定もしない。
こんな感じです。
53有/無:02/10/16 00:41
そういえば裁きって誰が行なうの?
主は裁かないって言ってるし。
自分で自分を裁くのでしょうか?
54名無しさん@1周年:02/10/16 09:29
>>48
カルトに理解をしめせない人はここへ来てはいけません
ということです。
55もとぴ :02/10/16 20:02
【人間の死後の場所】その5
死後に回心の機会は、あるか、ないか?

◇Tペテロ3:19-20の解釈が特に問題とされます。
・「少数派」の解釈
文字通りに解釈すれば、ノアの時代の大洪水で死んだ人々の場合、死後 2,400年以上も経って、
回心の機会が与えられたことになります。
・「多数派」の解釈
プロテスタントの神学書・教理書は、上記の解釈を認めず、いろいろの解釈をしていますが、、。
長くなるし、ややこしいので、省略します。
なお、「多数派」は、ハデスとゲヘナの区別は一応ありますが、「死後に回心の機会はない」という
立場をとっているので、「ハデス(よみ)」→「ゲヘナ(地獄)」という見解になるようです。

◇私見
「神は、すべての人をあわれもうとして、すべての人を不従順のうちに閉じ込められた」(ローマ11:32)
神が、すべての人にあわれみをかけて下さるなら、ハデスに行った人々は、罪のさばきを受けるだけでなく、
あわれみも受けると考えます。
その一方で、「聖霊をけがす者はだれでも、永遠に赦されず、とこしえの罪に定められます」(マルコ3:29)、
と書いてあります。 生きている間に、永遠に赦されない罪を犯す人もあるようです。
以上のことから、死後に回心の機会は、一般的にはありえる。
しかし、永遠に赦されない罪を犯した者には回心の機会はない、と想像します。 
56もとぴ :02/10/16 20:03
【人間の死後の場所】その6
「死後にも、回心して、救いを受ける可能性がある。それなら、生きている間にキリストを信じて救われ
なくても、死後に回心すればよいではないか?」について。

◇死後の回心の機会について
死後にも、回心して救いを受ける機会があるという、保証があるわけではありません。
もし仮に、ハデスで回心の機会が与えられるとしても、それは受けるべき報いを受けてからです。 

◇たとえ死ぬ前であっても、、
イエスが磔刑の苦しみの中にあった時、ふたりの犯罪人も磔刑の苦しみの中にありました。
この二人の犯罪人は、磔刑という「人間のさばき」によって死にましたが、それで「神のさばき」を受けた
ことになるのでしょうか。
二人の犯罪人のうち、一人はイエスを信じて、イエスとともにパラダイスに行きました(ルカ23:43)。
「救い主イエスとともにいる」ということは、自分の罪の報いを受けることがない(罪の赦しエペソ1:7)。
ルカ23:41-43の犯罪人のように、あなたも、たとえ死ぬ前であっても、生きている間に、
イエスは救い主、と、信じましょうね。      
(いろいろ考えているうちに、私は、このような考えを持つようになっていました)
57もとぴ :02/10/16 20:07
>>41
> ここはもとぴさんの立てたスレなんだから、
一応、明記しておきますが、このスレを建てたのは「名無しさん ◆jZGaCDQNcc」さんです。
(工ホバの証人ふざけるな!21スレの298)

>>53 有/無さん、どーも。
> そういえば裁きって誰が行なうの?
一言で答えれば、「神」ですが、いろいろな疑問もあると思うので
「人間の死後の場所」の次のテーマとして考えます。
みなさんも、レスお願い。

>>54さん。
> カルトに理解をしめせない人はここへ来てはいけません
私が関心あるのは、聖書の解釈と教理ですが、それが何か?
って感じれす
58名無しさん@1周年:02/10/17 18:22
>>57
神が裁くんですか?
ヨハネの福音には「私は裁かない。私に従わない者には裁くものがある。私の言葉がそれらを裁くのである」と書かれていました(正確な引用ではありません)が、プロの解釈ではやはり裁くのは神なんですか?
59名無しさん@1周年:02/10/17 18:29
>>1
☆ 固定ハンドルスレッドは禁止です。
60もとぴ :02/10/17 20:00
【人間の死後の場所】その7 プロテスタントの教義と、私の疑問

信者は天国に入る。 不信者(未信者も含む)は、地獄に行く。
・生きている間にキリストの福音を聞く機会がなかった人々は、「未信者」に含まれる。
 未信者は、死後は「不信者」となる。
・不信者は、死後ハデスに行き、最後の審判の後に地獄に行く。(死後に回心の機会はない)

私の疑問
@もし、この教義が聖書の真理であるとすれば、
神の愛・キリストの恵みは、この地上に存在したほとんどの人にとって、何の意味があるのか。

Aもし、この教義が聖書の真理でないとすれば、
プロテスタント教会の神学・教理が、「ハデスにいる者は、地獄に行く」と、ハデスにいる死後の人間
のことを、さばいてきた、ということにならないか。

B「人間の死後の場所は、天国か地獄」と、誤解しているプロテスタントの牧師や信徒は多いようです。
プロテスタントでは、いまだに、「ハデスと地獄の混同が続いている」 という状況ではないか。


ただし、牧師によって、「地獄」を強調するかしないかの差が大きいようです。
私の行っていた教会では、「地獄」のことは、あまり聞いた記憶がありません。
それでも、死後の場所については、「天国」か「地獄」かと、二元的ではありました。
61もとぴ :02/10/17 20:02
【人間の死後の場所】その8   補足

◇人間の死後の肉体と霊
肉体は塵に帰る。 
霊は神に帰り、生きていた間の行いに応じて 報いを受ける
・ちりはもとにあった地に帰り、霊はこれを下さった神に帰る (伝道者の書12:7)
・人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている (ヘブル9:27)
・善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになる (Uコリント5:10) 

◇聖書で「眠り」という言葉が、死の意味に用いられるときには、肉体のみをさしている。
 マタイ27:52 ヨハネ11:11-13 Tコリント15:20、51 Tテサロニケ4:13-14 

◇伝道者の書9:10は、「日の下」の知識の立場で書かれている。
よみにおいては、この世のような働きも企ても知識も知恵もないのだから、
生きている間に、あなたの手もとにある なすべきことはみな、自分の力でしなさい。の意味
62もとぴ :02/10/17 20:04
【人間の死後の場所】その9   

「信者は天国。不信者は地獄。」と、プロテスタント教会は教えてきました。
天国か地獄か・・・ 
私はプロの教会に通うようになり、いつしか漠然と、このように考えていました。
「私は、キリストを信じて救われた、はずであったが、家にいても、仕事していても、あるいは教会
にいても、聖書を読んでも、祈っても、キリストとともにいるという実感がまるでない。
私は、死んだら天国に行くのか、それとも地獄にいくのか。。。 
・・・でも、そしたら、私だけでなく、みんな地獄ではないの?
生きている間つらく苦しい日々の中で死んだ人たちも、死後は不信者で、地獄で苦しむの?
・・・そしたら、神の愛って、いったい何なの?         」

ある時、私はたまたま、久保有政著「死後の世界がわかる本」を読みました。
そして、この本とプロの教理書とを比較しながら、本気で聖書を調べ、考えるようになりました。
聖書によれば、人は死んだらパラダイス(天国)にいくか、ハデス(よみ)に行くか、そのどちらかでした。 
今、地獄にいる者は、一人もいない!! 私は、まず、この事実に驚いたのでした。

多くの人はハデスに行き、そこで生きていた間の報いを受け、自分の人生を振り返る。
ハデスには、慰めもある。 たとえ苦しみがあったとしても、その人はまだ、神との関わりの中にある。
最終的に、天国に行くか地獄に行くかは、最後の審判のときに決定される。。。

「死後の人間のことは、神が正しくさばかれる。」 
このように受け止めるようになってから、以前よりも、聖書のことばを自然に受け止めることができる
ようになっていました。
63もとぴ :02/10/17 20:08

長くなりましたが、以上で、【人間の死後の場所】についてのカキコは終わります。
こんなに長くなるとは、自分でも思っていませんでした。(6発くらいかなと)
わかりにくい表現もあったと思いますが、ご容赦ください。
さー、これで、私がどうしてもカキコしておきたかったことは、一通り書き込みました。
これからは、お気楽モードれす。

現役JW、元JW、そしてプロの立場から、疑問や感想があれば、よろしく!!
(レスがないと、もとぴは浮いてしまいます。 プカプカ。。  )

>>58さん。レスをどーも。
また明日答えますね。
64もとぴ :02/10/18 20:25
>>58さん。
> 神が裁くんですか?
> ・・・プロの解釈ではやはり裁くのは神なんですか?
プロテスタントの解釈では、「さばき」を行なうのは神です。

また、父はだれをもさばかず、すべてのさばきを子にゆだねられました。
それは、すべての者が、父を敬うように子を敬うためです。
子を敬わない者は、子を遣わした父をも敬いません。(ヨハネ5:22-23)

また、父はさばきを行なう権を子に与えられました。子は人の子だからです。(ヨハネ5:27)

イエスは神として、人々をさばく洞察力と権威とを持っておられ、
さらに人として、人間に対して理解と同情とを持っておられる。 
イエスの人格において、義と恵みとは一つになり、全地の審判者として、
さばきを行われる。
・・ナンダカ カッコイイ カイセツダネー。    エエ、パクーリデス。 
・・ドコカラ?     「ソシキシンガク」 ダヨン。。

プロテスタントで、神は、「父と子と聖霊」です。
関連として、【三位一体】 と 【さばき】 について、解説します。
65もとぴ :02/10/18 20:27

【三位一体】  神は、「父と子と聖霊」。 一つの本質のなかに 三位格がある

一つの本質(愛・永遠、、)
三位格 
@父と子と聖霊は、神の本質・本性において 同等
A父が第一で、子(キリスト)は第二位、聖霊は第三位 という序列がある
 (例えば、父が子や聖霊を遣わすことはあるが、子や聖霊が父を遣わすことはない)


本質・本性で言えば、
・イエスは、父から生まれ、神の本質・本性を持っておられる。
・イエスは、マリアから生まれ、人の本質・本性を持っておられる。
66もとぴ :02/10/18 20:29
【さばき】について
◇意味
@「分ける、区別、」の意味。
A「報いを与える」の意味
狭い意味で使われる場合は、個々の不信者の受けるべき罪の報い(不信者に対するさばき)を指す。

◇信者に対するさばき
信者は、自分の行ったことに応じて、それぞれ報いを受ける。 (Uコリント5:10)
けれども、信者は罪に対するさばきは受けない。 (ヨハネ5:24、ローマ8:1)
イエスが、磔刑の、死の苦しみの中から、 
「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」と叫ばれた。 (マタイ27:46)
イエスは、ご自分の罪のために、父なる神から見捨てられたのではありません。
私たちの罪をその身に負い、身代わりとして、神のさばきを受けられたからです。(Tペテロ2:24、3:18)
信者は、このイエスにあって、御子の血によるあがない、すなわち罪の赦しを受けています。(エペソ1:7)

「信者」とは、回心した者のこと。
【回心】は、神に立ち返ること。悔い改めと、イエスを信じる信仰と、二つの要素で成り立つ。

>>19>>53
有/無さん、どうでしたか? 
あまりに長いカキコで、わかりにくかったですか?
67名無しさん@1周年:02/10/18 20:29
隊長!いい加減田代ミサイル発射しますか?
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
          ∧∧    ∧..∧
       ___( _冂二冂(,, ´Д)
      ∧⊂/ ̄|二| ̄\つ∧二ヽ
      ι匚|_/_\_匚i_|∪∪i]
      \/∠ / / \_/二/
      /∠ / /
     /∠ / ∧_∧___     / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   /∠ / /7・д・;) / |  < 隊長!今なら金正日砲もあります!
  /∠ /   ○ =i|= ~)/ |   \_______________
/∠ /  i'''√√ i'''i ̄ ,,,,/
∠ / /__(_(_)/ ̄    ∧_∧   ./ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 / /  \\\/      (`Д´;)< 隊長!>>66

          ̄ ̄  | ̄ ̄ ̄ ̄| ̄\ )  \____________
68名無しさん@1周年:02/10/18 21:11
> 長いカキコで、わかりにくかったですか?

はい
 
 
69有/無:02/10/18 21:31
とんでもない! 
分かりやすかったです。
地獄と黄泉の説明とかとても参考になりました。
70もとぴ よぱらいモード :02/10/18 22:23
有/無さん、どーもれーす。

明日の、ネタがありません。
何か、お題をくらはい。

石原!!、何か書けー!!!
71名無しさん@1周年:02/10/18 23:35
神の主権について教えてください
72石原莞爾 ◆ozOtJW9BFA :02/10/19 12:05
こんにちは〜
地獄と黄泉については同じような認識をもっています。
ところで、エホ証では、イエスを主として認めないそうですが、なぜですか?
73名無しさん@1周年:02/10/19 13:00
三位一体は悪魔の教えだからってのが彼らの根拠です。
74FW190Ta152H-1:02/10/19 13:49
>72
イエス・キリストについては何か「これまでに存在した最も偉大な人」って言ってた
ような気がする。そういう書物もあったような・・・・・・・・。
>>72
「エホ症はイエスを主として認めないのか」って
問われれば「主として認めています」ってなるわな。

お祈りするときは「天のお父様エホバ神…(略)…
わたしたちのために命を投げうってくださった
主イエス・キリストを通してお祈りします。アーメン」
ってな感じだしね。

まあ石原たんが聞きたいことは崇拝の対象としての
「主」(=「神」)のことなんだろうけど。エホ症では
あくまでも神はエホバで、イエスは神の独り子かつ
キリスト(「神の油注がれた者」の意)であって
三位一体の一部などではないと教えてるからね。

新約中では、この「主」がエホバのことを
指してるのかイエスのことを指してるのか
分からなくなるという罠にぶちあたる。
76もとぴ:02/10/19 15:59
>71
> 神の主権について教えてください
お題をどーもれすー。

@神学書・教理書の解説から
【神の主権】
神は、すべてを創造された方として、また全能な存在者として、すべてのものに主権的支配を
働かせられる。 この主権的支配が摂理と呼ばれる。
摂理とは、神の間断なき活動であって、それによって神が自然界、精神界、道徳界のあらゆる
事件を、ご自身の目的達成のために用いられることを意味する。
そして、この目的は神の創造における初めの計画と等しい。

A私見。 「神の主権」と「サタンの支配」との対比として述べます
【神の主権】
神の主権は、絶対的一元的です。
聖書には、永遠から永遠が記されています。
今、地上にはサタンの支配もありますが、それも、神の摂理の中にあります。
【サタンの支配】
サタンの支配は、相対的二元的です。
サタンは、黙示録に記されているように、最後があります。
サタンの支配と権力は、神に逆らうものであって、絶対的なものではありません。

71さん。いかがでしょうか。別の意味の返答をお求めでしたら、その旨のレスください。
77もとぴ:02/10/19 16:02
>75どきゅんさん。どーもれす。

イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」(マタイ16:15)
・・・このイエスの質問に、どう答えるか? まあ、その論争みたいなものですね。

シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」(マタイ16:16)
・・・と同じ告白をしていても、JWとプロとでは、その中味が違うわけで。。。
最近は三位一体についてもいろいろな見解があるようだし、、いろいろ複雑って感じれすね。


>石原さん。昨夜は失礼しますた。カキコしてくれてどーもれーす。
78石原莞爾 ◆ozOtJW9BFA :02/10/19 16:32
多くのカキコどうも。
エホ証の死後観はどうですか?
未信者は無に帰すると聞きましたが、その根拠はどう言っていますか?
>>78
公式サイトがあるから自分で調べてみては?
http://www.watchtower.org/languages/japanese/
ここの「亡くなった家族の者にはどんな希望がありますか」とか。
80もとぴ:02/10/19 19:12

イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」(マタイ16:15)

>77の補足
私は、「三位一体」を、信仰しているわけではありません。
私の三位一体についての理解は>>65で述べましたが、
「三位一体」は、神学上の用語であって、信仰の対象ではありません。

ただ、「三位一体」の問題は、「イエスはだれか?」という告白と、強く関連しています。
それだけに、神学的には重要なテーマであると思います。

本来、「イエスはだれか?」については、聖書の中から、答えを探すべきです。 
とりあえず、聖書から、二つの箇所を挙げます。

「あなたは、わたしの子。 きょう、わたしがあなたを生んだ。」(へブル1:5)
【きょう】は、永遠の現在を意味している。イエスは、父から生まれ、永遠に存在される。(へブル7:24) 

「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われ、、、 」(へブル1:3)
イエスは、神の本質の完全な現われである。
81もとぴ:02/10/20 18:15
私の聖書の解釈のキーワードとなっているのが、「二元的」と「一元的」です。
二元的なメッセージは、人が人をコントロールするにも、とても便利です!

人の死後の場所は、「天国」か「地獄」です。
地獄は、永遠の苦しみの場所です。
けれども、あなたもイエス様を信じれば、救われて天国に入れます。
今、キリストを信じて、信仰生活を始めましょう。
礼拝厳守です。ほかの集会も守りましょう。奉仕も伝道も献金も。。。

「神に従えば、祝福を受ける。」というメッセージは、
「あなたは、神に従わないから、祝福されないのだ。」という、裏のメッセージもあります。
これも、二元的なメッセージなのです。

結局、
「二元的なメッセージは、人をコントロールするだけで、人を救う力はない。」
というのが、私の結論だったのです。
この二元的なメッセージは、考えればどんどん出てきます。
みなさんも、人をコントロールできるような二元的なメッセージを考えて、
発表してくらはい。
82名無しさん@1周年:02/10/21 01:26
>>64
レス有難うございます。
ですが、イエス様に裁きを委ねられたということは裁かないということも出来るということでは?
わたしは裁かない。わたしの言葉が裁くのであるという言葉はどうですか?
83もとぴ:02/10/21 20:14
82さん。
あなたの質問(>>58)の答えとしては、(>>64)の答えは不十分でしたね。

>58神が裁くんですか? ・・・プロの解釈ではやはり裁くのは神なんですか?
>82イエス様に裁きを委ねられたということは裁かないということも出来るということでは?

すべてのさばきは、イエスにゆだねられました。
「父はだれをもさばかず、すべてのさばきを子にゆだねられました。」 (ヨハネ5:22)
「父はさばきを行なう権を子に与えられました。」 (ヨハネ5:27)

ここで、「み子イエスは神ではない」という立場ですと、「神が裁くんですか?」という疑問に
なると思います。
さばきを行なう方は神です。 (ローマ2:5、16)
プロの立場ですと 「父も、子も、神」ですので(>>65)、神がさばきを行なうことに違いがないのです。

ところで 父がさばきを行う権を み子イエスに与えられたのには、大きな意味があると思います。
もし、「父」のさばき(神の怒り)が、そのまま世人に下ったら、救われるものは誰もいないでしょう。
つづく
84もとぴ:02/10/21 20:17
つづき
> わたしは裁かない。わたしの言葉が裁くのであるという言葉はどうですか?
質問の箇所は、ヨハネ12:47-48ですね。

> わたしはその人をさばきません。
47節の解釈
イエスは、世をさばくためではなく、世を救うために来ました。
「父」の、世人に対する罪のさばき(神の怒り、罪の報酬・刑罰)は、御子イエスに下ります。
イエスを信じる者(46節)は、だれかが、イエスの言うことを聞いてそれを守らなくても、
イエスはその人をさばきません。イエスは、世を救うために来たからです。

> わたしが話したことばが、終わりの日にその人をさばくのです。
48節の解釈
イエスを拒み、イエスの言うことを受け入れない者には、その人をさばくものがあります。
イエスが話したことばが、終わりの日にその人をさばくのです。
(イエスを信じない者は、さばかれる)

そーゆう意味だと思います。
なお、「終わりの日」の解釈については、明確なことはわかりません。
85もとぴ:02/10/21 20:21
>>66にも書きましたが、「さばき」の意味について、もう少し具体的にカキコ。

【さばき】
@信者と不信者とを分ける、区別する。
(この意味のさばきには、種々の「さばき」があります。マタイ25:32など)
A報い。広い意味で使われる場合は、報いを受けるのは、すべての者。
B報い。狭い意味で使われる場合は、報いを受けるのは、不信者だけ。
(不信者が受けるべき神の怒り、罪の報酬・刑罰を指す)


82さん。これでどうでしょうか?
86もとぴ:02/10/22 20:06
>>84 ヨハネ12:47の解釈については、
一応プロの神学書・教理書も開きましたが、その解説は見つかりませんでした。
それで、この聖句を、何度か読んでいるうちに、84のように解釈していました。

> だれかが、イエスの言うことを聞いてそれを守らなくても、イエスはその人をさばきません。
> イエスは、世を救うために来たからです。

イエスの言うことを聞いて、それをすべて守れる人は、誰もいないでしょう。
たとえば、男は 「マタイ5:28」だけで、ほぼ全滅。。。
私も、マタイ5:28は、守りえませんです。   shikoshiko ・・・ !


イエスの言うことを聞いて、たとえそれを守りえなくても、 
イエスを信じ、イエスの言うことを受け入れることが大切なのだと、思います。(ヨハネ12:46-48)
87名無しさん@1周年:02/10/22 20:09
>>1

愛って何ですか?
聖書から説明してもらえますか?
神は愛である、とか書かれてますけど・・・
88名無しさん@1周年:02/10/22 20:27
聖書辞典によると、

あい 愛   愛は聖書において神と人間との間の最も深い、
究極的関係である

「神は愛です」(Tヨハネ 4:8,16)


これは定義になってませんね。
89もとぴ:02/10/23 19:30
87さん。質問をどーもです。 88さん、レスをつけてくれてありがとう。
> 愛って何ですか?
> 聖書から説明してもらえますか?

どう答えたらいいのか、とまどいます。
聖書のことばの中から、「神の愛」についての箇所を挙げますので、読んでください。
意味がすぐにはわからなくても、暗記することをお勧めします。
Tヨハネ4:10
ローマ5:8  (ローマ5:5-10を繰り返してお読みになることを勧めます)
ヨハネ3:16
ルカ23:34


簡単な説明をします。
神の愛(アガペー)は、永遠。無条件。
それから、「自分を犠牲にする」という意味があるそうです。(ここにあるのは、むしろ強い意志です)
90もとぴ:02/10/24 19:35

ネームが「もとぴ」「もとぴ」と並ぶのは、私にとってもウザイので、
今後は「名無しさん@一周年」にします。
91名無しさん@1周年:02/10/24 19:38
>>90
というより、あんた自分でウェブに掲示板なりウェブスペース借りて
そこでやったほうがいい。
92名無しさん@1周年:02/10/24 20:16
>91
アドバイスはありがたいけれど、?です。

少ないけれど、質問に答えているから、いいではないかとも思います。

93名無しさん@1周年:02/10/24 20:27
>>87さんの質問の答えになるかどうかはわかりませんが、【愛】をテーマとしてカキコします。

善か悪か。救いか滅びか。天国か地獄か。神かサタンか。。。 ○か×か。
このような「二元論的な思考」からは、「二元論的な信仰」しか生まれないでしょう。
信じきって、そして順調な時は、それもいいかも知れません。自分は「○」だと。
けれどもウツになった時には、その二元論的な思考が、自分をさばくようになるかもしれません。 

私はかつて、ウツになりました。
その時にわかったことは、「ウツとは自分で自分自身を愛せない状態である」ということでした。
私は、自分自身に様々な条件を要求していました。(意識していなくても、です)
その条件に、多少なりとも自分が満足を感じている間は、自分を受容することができていました。
 ところが、ある時から、少しも条件に応えることの できていない自分自身を、許せなくなって、
自分を責めるようになりました。毎日、自分を責めては頭や足を叩き、泣いていました。
そんな毎日の中で、私は、「神の愛」が、少しだけわかりました。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」イザヤ43:4
、、、神の愛は、無条件ではないか!
それなら、私も、無条件で、自分自身を受け入れればよいではないか!
毎日、そのように考えるようになったら、ウツは私から去っていきました。

神の無条件の愛を受けて、自分自身を愛し、そして隣人を愛するようになる。
それが、「神を愛すること」であると、私は思います。
94FW190Ta152H-1:02/10/25 00:36
最近ここのスレどうですか?
95名無しさん@1周年:02/10/25 10:21
>>93

主観的な愛の実感だと思う。
愛の本質について考えてみたんだが、やはり

「神は愛である」

に落ち着くんじゃないのかな。
別の言葉で「在る者」、「創造者」、「善」、「真理」。
それに触れるとき「美」、「喜び」が心理的に起こり、
そうでない現実から神に触れるとき「救い」が実感される
のだと思う。愛は言葉に過ぎない。在るものにたいして、
それを捕まえるための道具なんだと思う。
96もとぴ:02/10/25 20:11
私は、やはり コテハンにします。

94さん。
> 最近ここのスレどうですか?
もとぴが暴走しておる。。。 と思います。

私は、時間的にも体力的にもすこし無理をしてカキコを続けていましたが、
その結果が、「もとぴ」の暴走でした。
。。。なんだか、力が入り過ぎていたようです。ごめんにゃさい。
おかげで、力が抜けて、リラックスしますた。

95さん。
深いですねえ。
このような考え方のできる あなたの信仰的な立場を 是非教えてください。
できれば、ハンドル・ネームでカキコして頂けると、ありがたいです。


それから 「神の愛」については 一つだけ加えたいと思います。
「聖書から、神の愛を感じる。それは、聖霊の働きによる。」  
そう、思います。
97名無しさん@1周年:02/10/26 21:26
旧約時代の神の名の下の大虐殺について、プロテスタントはどう考えていますか?
98もとぴ:02/10/27 23:55
>旧約時代の神の名の下の大虐殺について、プロテスタントはどう考えていますか?

質問は、新改訳聖書で 「聖絶」 と訳されていることについてであると思います。

【聖絶】 
神へのささげものとして、滅ぼし尽くすこと。
主の戦いにおいては、敵の人民、所有物はすべて主に帰すものとして、滅ぼしつくさなければならない。
・・・イスラエルは、カナン先住民との戦いにおいては、先住諸族の神々・偶像と、その崇拝者とを
徹底的に排除し、すべてを滅ぼし尽くして、神にささげるよう命令されている。  
それは、選民イスラエルを、異邦の民の宗教(偶像崇拝)に堕落させないためである。(申命記7:1-6)

結論的には、
「旧約時代の神の名の下の大虐殺」は、選民イスラエルに対する、神の命令(聖絶)であった、ようです。
それは、他の神々に仕えることを徹底的に排除する、ということのようです。(出エジプト22:20)


「聖絶」は新改訳聖書が採用した新造語です。 
以上、「新改訳聖書  注解・索引・チェーン式引照付」を参考にしてまとめました
99名無しさん@1周年:02/10/28 00:05
聖絶コワイよー(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
100名無しさん@1周年:02/10/28 00:44
>>98
いつもいろいろ調べてくださって、ありがとうございます。
昨日質問箱で議論があったんですが、やはり聖絶による大量虐殺はキリスト教徒にとっては正しいことになるんですね。
何か複雑です。
>>98
>以上、「新改訳聖書  注解・索引・チェーン式引照付」を参考にしてまとめました

あっ、私と同じ聖書!
102もとぴ:02/10/28 19:42
>100さん。
> やはり聖絶による大量虐殺はキリスト教徒にとっては正しいことになるんですね。

聖絶による大量虐殺は、旧約聖書の記述に関してのみ、正しいことになると思います。
【聖絶】 ・・・カナン先住民を聖絶・・・
それは、カナン先住民への神のさばきという面があったようです。
もし、このさばきが徹底的なものでなく、中途半端なものであったとしたら、カナン先住民の神々・偶像
が残り、カナンの神々に仕える者も生き残る、ということになります。
やがて、選民イスラエルは、彼らとの混血し、カナンの神々に仕える者となり、ついにはイスラエルが、
神の怒りによって根絶やしにされてしまうことになるでしょう。 (申命記7:1-6)
神が選民イスラエルに徹底的な破壊と殺戮を命じたのは、このような理由よるものと思います。

けれども、「聖絶」を、拡大解釈してはいけないと思います。
キリスト教徒が、聖絶による大量虐殺を、自分たちの戦争のために利用しているとしたら、
それは「聖絶」の拡大解釈であり、さらに、新約聖書を無視しているとしか思えません。
日本のプロ教会の場合は、戦争や大量虐殺を正しいとする教会や牧師は、皆無であると思います。 
103もとぴ:02/10/28 19:45
101さん。
この聖書は、プロテスタントの立場での解説があって、とても便利ですね。
(中にはヘンな解説もありますが、参考になります。)
それから、私は、「新聖書語句辞典」いのちのことば社、もよく使います。

昨日は、97さんの質問を受けて、「聖絶」を思い出しました。
「新聖書語句辞典」で「聖絶」を引くと、聖書のどの箇所に「聖絶」と書かれているか、一目でわかります。
それを見ながら、「新改訳聖書 注解・索引・チェーン式引照付」を開いたわけです。
104名無しさん@1周年:02/10/28 22:49
>>102
なるほどそういうことですか。
でも、神は聖絶をしてまで民を偶像礼拝から救う必要があったんでしょうか?
代の始めから、イエスが世にくることは決められていました。
とすれば、カナンで偶像礼拝をしていた神の民も救われるはずです(真の神の民であれば)。
今では世界中にキリストを信じるものがいます。
カナン人は無駄に殺されたのではないですか?
それに、ヨシュアはなぜ乳飲み子まで殺す必要があったんですか?
105名無しさん@1周年:02/10/28 22:57
>>103
>プロテスタントの立場

正確には「プロテスタントの一部の教派の立場」
ですね。


106名無しさん@1周年:02/10/28 23:12
>もし、このさばきが徹底的なものでなく、中途半端なものであったとしたら、カナン先住民の神々・偶像
>が残り、カナンの神々に仕える者も生き残る、ということになります。

これこそ「拡大解釈」ではないのですか。
なんと身勝手で醜悪な発想なんだろう。
この種の自己中心的な発想の先に「他の神を信じるものは殺せ」という
宗教戦争があるのでしょうね。

あと、神が命じたとされるカナン襲撃は「土地や家畜を奪う」略奪の
ためのものでもあった(むしろ、こちらが中心だった)こともお忘れ
なく。
107名無しさん@1周年:02/10/29 12:18
聖絶は実際には、「人間の都合で行われた略奪・侵略を正当化する」
ため「神の命令で行われた」という形で描きなおしたんだろうね。
あるいは、最初から「他の神をあがめる罪深い異教徒を滅ぼしつすく」
という大義(口実)を掲げてカナン侵略を始めたか。

あまり「カナンの神々に使える人々を皆殺しにすることが神の意思
だった」という「解釈」はしないほうがよいと思うよ。神の信者た
ちはカナンの町々で略奪を繰り返したり(これも神の命令という形
で行われている)、後半になると住民の殺戮は完全に放棄し労働力
として使役するような植民地化が中心になっているから、「人間の
都合」が大きかったのは明らか。
108もとぴ:02/10/29 19:59
105さん
おっしゃるとーりです。

104さん
「聖絶」というのは、確かにむごいことだと思います。
私も、かつては、ショックを受けた記憶があります。
でも、聖書は、あるがままを 受け止めなくては いけないと思います。

【聖絶】その3
カナンは、現在のイスラエルとその周辺地域でしょう。
カナンは、神がアブラム(アブラハム)に与えた、約束の地でした。(創世記13:12-17)
それから、おそらく600年〜650年くらい経ってから、アブラハムの子孫が、
エジプトの滞在期間(430年間)と、荒野の旅(40年間)を経て、
約束の地カナンへの、侵略戦争を行なうことになります。
創世記15:16によると、イスラエルのカナン侵攻の時までには、カナン先住民の罪が満ちているようです。
つづく
109もとぴ:02/10/29 20:01
つづき
>102
> それは、カナン先住民への神のさばきという面があったようです。
> もし、このさばきが徹底的なものでなく、中途半端なものであったとしたら、カナン先住民の神々・偶像
> が残り、カナンの神々に仕える者も生き残る、ということになります。
> やがて、選民イスラエルは、彼らとの混血し、カナンの神々に仕える者となり、ついにはイスラエルが、
> 神の怒りによって根絶やしにされてしまうことになるでしょう。 (申命記7:1-6)
> 神が選民イスラエルに徹底的な破壊と殺戮を命じたのは、このような理由よるものと思います。

これは、私が、申命記7:1-6から解釈したものです。
申命記20:16-18、創世記15:16の記述からも、これは妥当な解釈と思います。
でも、私も解釈を間違うことはあります。 
もしこの解釈が間違いでしたら、これらの聖書の箇所の正しい解釈を教えてください。


それと、この戦争では、カナンから遠く離れた町(申命記20:10-15)と、カナン(申命記20:16-18)とが、
はっきりと区別されています。
ここで聖絶が命令されているのは、「カナン」だけです。
「カナンから遠く離れた町」に対しては、聖絶は命令されていません。 降伏すれば苦役を要求します。
降伏しなければ、男は殺害。女や子ども、そして家畜などの財産は略奪です。 
110もとぴ:02/10/29 20:03
106さん、107さん。
批判や反論は歓迎しますが、聖書の箇所を示してください。
それから、お答えします。


「聖絶」は、単なる侵略戦争ではなく、非常に特殊な出来事のようです。
「聖絶=神の命令」と、「聖戦思想=人間の都合」とは、はっきりと区別されなければ
ならないと思います。
聖戦思想は、新約の時代には、あってはならないものだと思います。
111107:02/10/29 21:06
>>110
聖書の箇所というのは、侵略や略奪といった人間の都合も含ま
れると思われる箇所ですか? それなら申命記やヨシュア記に
多数ある(カナン侵略も自分たちが約束の地と信じた土地を奪
い取るため始めたものであったわけだし)が、ヨシュア記には

これらの町町の分捕り品と家畜はことごとく、イスラエルの人々が
自分たちのために奪い取った。彼らはしかし、人間をことごとく剣
にかけて撃って滅ぼし去り、息のある者は一人も残さなかった。
主がその僕モーセに命じられたとおり、モーセはヨシュアに命じ、
ヨシュアはそのとおりにした。主がモーセに命じられたことで行われ
なかったことは何一つなかった
(ヨシュア記11.14-15)

といった形で書かれていますね。あと、私は聖書のヨシュア記は実際に
これに近いことがあったとしても「人間の都合による聖戦」がオーバー
に書かれているものだと思っていますよ。「自分たちの神の命令による
聖戦は、特殊だ」というのは、誰でも言いますからね。そして「聖戦」
と称して果てしない殺戮と侵略・略奪を繰り返してきた。

ヨシュアたちにしても、もし本当に聖書に描かれたような大虐殺や
侵略を行ったのならそれを「聖戦思想」と「はっきり区別」できますか?
112107:02/10/29 21:18
111続き

それから、あなたは聖書を「あるがままを受け止める」としながら
「神の行いを正しいものとするための意味づけ」をされているよう
ですが? あるがままに受け止めるのなら「確かにむごいこと」と
思われるカナン侵略時の殺戮に関しても「カナンの人達を徹底的に
殺戮しなければ、イスラエルが、神の怒りによって根絶やしにされ
てしまっただろう」などという「解釈」をするのではなく「なぜ神
がこのようなむごいことを命じたのかはわからないが、聖書にはこ
う書いてある」としておくべきではないのですか?

あるがままに受け止めるというのは、「神の行い(または神の言葉
として命じられたこと)は全て正しく意味があるものである」とい
う前提に立つことではないのだから。
113名無しさん@1周年:02/10/29 23:06
114名無しさん@1周年:02/10/29 23:21
115名無しさん@1周年:02/10/29 23:23
>113-114 
知っちゃいないよ。歴史のアト知恵。視点の違い。(禿ドウ
割って入って恩着せがましくブローカーの中間搾取。(ワラ
116名無しさん@1周年:02/10/30 00:20
★最近の疑問(社会の底辺に生きるヒトの知恵)★ 

▼知恵者の想定▼
F活動の名誉F会員・B票学会員のソウカ班・空き巣ストーカー置き引きの山崎師団

◎女の感情が正義(2=1は正しい)で、女の気分が法律(好きだと合法)という時代。
可笑しな事やっているから女性団体も比例行政が出来なくて、
女性間に特有の差別で集団強姦(マワシ)は不起訴だが、
バス並びは前に詰めて順序良くお乗り下さいという注意書きは
不愉快なのでストーカー犯罪だとか、判断基準が滅茶苦茶なの。
変態学に造詣の深い評論家の半田氏の名言ではないが、
女社会の仕打ちは「 危ない 怖い 情け容赦ない 」だそうだ。
ふと似ていると感づくのだが、ユダヤの神様はそんな性格でしらっしゃるはずがない。と
怒りに触れるのを誤魔化し美化して自己暗示をかけている今日この頃だ。
いまに世の中みな気が狂うぜ。既にソウなっているの鴨しれないが。(爆笑

無事、平和な日を過ごせた事を感謝します。主イエス・キリストの御名によって。あーめん。
117名無しさん@1周年:02/10/30 05:55
十十 カトリック 68 十十
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1035482304/714

714 :夜破音 ◆U6tQlVmras :02/10/30 00:20
  __
  J_†_|  
   (,,゚Д゚) 
  ハ ̄ ̄`つ十
  し ╋| 
   |___|
   ∪ ∪

引きこもりの人、日曜の朝に家の近くのミサに来てみては?
キリスト教は、あなたたちのような人のために開かれているから。

「すべて重荷を負うて苦労しているものは、わたしのもとにきなさい。
あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、
わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に
休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いから
である」(新約聖書マタイ福音書11章28節から30節)
118もとぴ:02/10/30 20:04
>117
> 「すべて重荷を負うて苦労しているものは、わたしのもとにきなさい。
> あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、
> わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に
> 休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いから
> である」(新約聖書マタイ福音書11章28節から30節)

イエスのことばで釣って、
「あなたも、新しい人生が始まりました!」とか言って、
キリスト教会の重荷を負わせる、、、。
んで、気が付くと、、重荷がいぱーい。。。

私も、キリスト教会に行くことは、勧めます。
「魂に休みが与えられる」、それが本物。
でも、、教会に行くことが重荷になっているようなら、、
日曜日には自然の中で過ごしたほうがいいと思うよん。
119もとぴ:02/10/30 20:06
107さん。
> 聖書の箇所というのは、侵略や略奪といった人間の都合も含まれると思われる箇所ですか? 

私は、「聖絶」について、「人間の都合」を否定しているわけではありません。
私が問題にしているのは、「聖絶」という「神の命令」が、あったか、なかったか、です。
神の命令が、人間の都合よりも優先されるからです。
(律法の下にあったイスラエルにとっては、当然のことです)


私には、一つの課題が残りますた。
> 【聖絶】 (>>98
> 神へのささげものとして、滅ぼし尽くすこと。
> 主の戦いにおいては、敵の人民、所有物はすべて主に帰すものとして、滅ぼしつくさなければならない。
と、
> これらの町町の分捕り品と家畜はことごとく、イスラエルの人々が
> 自分たちのために奪い取った。 (>>111 ヨシュア記11:14)
が、矛盾してしまうことです。

98の解説が間違っているのか、それとも私が何か見落としているのか。
今わかりません。わかったら、カキコします。
120もとぴ:02/10/30 20:08
>111
> ヨシュアたちにしても、もし本当に聖書に描かれたような大虐殺や
> 侵略を行ったのならそれを「聖戦思想」と「はっきり区別」できますか?

「聖絶」と、「聖戦思想」の区別は、簡単でしょう。
旧約聖書に、「聖絶しなければならない」と書いてあれば、「聖絶」です。
つまり、「聖絶」は、旧約聖書の記述の中にだけあるのです。
それ以外は、すべて「聖戦思想」から出たものでしょう。
キリスト教会も、「聖戦」とか言っていたのは、問題だにゃ。

>112
聖書の、あるがままを受け止めて、その意味を理解しようと考える。
それが、聖書の「解釈」であると思います。


>108の訂正
× それから、おそらく600年〜650年くらい経ってから、アブラハムの子孫が、
○ それから、おそらく650年〜700年くらい経ってから、アブラハムの子孫が、
121もとぴ:02/10/30 20:10
>112
>「カナンの人達を徹底的に殺戮しなければ、イスラエルが、神の怒りによって根絶やしにされてしまっただろう」

これは、102に書いた私の解釈とは少し別の意味で、受け取れます。
こーなったら、申命記を引用し、その解釈をコピペします。 疲れるけど、、
私としては、申命記を引用すると長くなるので、「解釈」というかたちでコンパクトにまとめたつもり
だったのですが。。。 ハァ

(申命記7:2-4)
あなたの神、主は、彼らをあなたに渡し、あなたがこれを打つとき、あなたは彼らを聖絶しなければ
ならない。彼らと何の契約も結んではならない。容赦してはならない。
また、彼らと互いに縁を結んではならない。あなたの娘を彼の息子に与えてはならない。
彼の娘をあなたの息子にめとってはならない。
彼はあなたの息子を私から引き離すであろう。彼らがほかの神々に仕えるなら、
主の怒りがあなたがたに向かって燃え上がり、主はあなたをたちどころに根絶やしに
してしまわれる。 

>>102
> もし、このさばきが徹底的なものでなく、中途半端なものであったとしたら、カナン先住民の神々・偶像
> が残り、カナンの神々に仕える者も生き残る、ということになります。
> やがて、選民イスラエルは、彼らとの混血し、カナンの神々に仕える者となり、ついにはイスラエルが、
> 神の怒りによって根絶やしにされてしまうことになるでしょう。 (申命記7:1-6)

でも、結局、カナンの神々や、他の神々に仕えるようになったりして、、。
ついでにもう一つ
122もとぴ:02/10/30 20:12
つづき
(申命記20:16-18)
しかし、あなたの神、主が相続地として与えようとしておられる次の国々の民の町では、
息のある者をひとりも生かしておいてはならない。
すなわち、ヘテ人、エモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人は、
あなたの神、主が命じられたとおり、必ず聖絶しなければならない。
それは、彼らが、その神々に行なっていたすべての忌みきらうべきことをするように
あなたがたに教え、あなたがたが、あなたがたの神、主に対して罪を犯すことのない
ためである。 

(創世記15:16)
そして、四代目の者たちが、ここに戻ってくる。
それはエモリ人の咎が、そのときまでに満ちることはないからである。

ここでは、「エモリ人」は、イスラエル定住以前のカナン人の総称、と解釈されています。
イスラエルがカナンを侵略した 時には、カナンの罪は、満ちていたということです。


神が、イスラエルに、カナンの聖絶を命令したのは、特殊な出来事ということです。
それは、罪が満ちたカナンに対する、神のさばきの意味もあったでしょう。
そして、カナンの地にイスラエルを建国する、それが神の意思であり、神の計画でありました。
123名無しさん@1周年:02/10/30 20:28
>119 新約聖書にはセイ絶が関係しますか?

福音★マコ10:19『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』
という掟をあなたは知っているはずだ。」
書簡★ヤコ2:11「姦淫するな」と言われた方は、「殺すな」とも言われました。
そこで、たとえ姦淫はしなくても、人殺しをすれば、
あなたは律法の違犯者になるのです。

新約聖書の世界では
エルサレム神殿が破壊されるセイ絶は予見されているけど、
ホロコーストをイエス様は命じていないですけど。

ご主張や立場は新約聖書を認めないユダヤ教の行いや考え方でしょうか?
キリスト教は旧約聖書を補助としてしか使わないと思っていたのですが。

福音>書簡>黙示録>諸書(詩篇)>預言書>律法の優先度で
解釈されるべきだと個人的に思っていたので。

新しい命を与えるキリスト教的には セイ絶は否定されるべきものですがね。
初期キリスト教は迫害されホロコーストに遭いました。する側ではありませんでした。

【関係ないけど】
★哀4:6 ソドムは、その罪のゆえに/人の手によらず、一瞬にして滅んだが/
わたしの民の娘は/それよりも重い罪を犯したのだ。
★バル2:19 神なる主よ、御前で憐れみを祈り求めるのは、
わたしたちの先祖や王たちが正しかったからというわけではありません。
★1ヨハ3:12 カインのようになってはなりません。
彼は悪い者に属して、兄弟を殺しました。
なぜ殺したのか。自分の行いが悪く、兄弟の行いが正しかったからです。
124名無しさん@1周年:02/10/30 20:50
>もとぴサンは「信条」に何を採用されていましたか?
エホ証の「信条」は知らないのでお伺いしたいのですが?

カトリック(公教会)と正教会(オーソドックス)は
AD300年代の公会議で決定した「ニカイア・コンスタンチノープル信条」採用です。
「使徒信条」はカトリックによる AD800年前後の信条です。
「使徒信条」正教会は AD1400年代まで知らなかった信条です。

プロテスタント諸派でも「使徒信条」しか信条は聞かないですね。
ルーテルや長老改革派は例外的に「ニカイア・コンスタンチノープル信条」を採用しますが。

「教会」をギリシア語やラテン語で「エクレシア・エクレジアム」といいます。
「集会」という意味です。王とか支配者をギリシア語で「バシレウス」といいます。
「エクレシア」には「バシレウスの館」という意味はありません。
だから「キング−ドム」な「王国」会館という意味にはなりません。
旧約聖書ヘブライ語でも「集会」とか幕屋に「カハール」という単語を使っています。

キリスト教の「公会議」で決定した信条を採用しない教団は、基本的にキリスト教の教会でないです。
公会議は自らを「使徒の教会」「アポストル・エクレシア」と名乗っています。
「使徒の教会」が「聖書」を選抜し決定したのです。
だから「聖書」は「使徒の教会」を否定できないのです。

「使徒の教会」は「ニカイア・コンスタンチノープル信条」を採用する、
「カトリック教会」「ルーテル派教会」「英国国教会」「東方正教会」です。
125名無しさん@1周年:02/10/30 20:54
× 「使徒信条」正教会は AD1400年代まで知らなかった信条です。
○ 正教会は「使徒信条」をAD1400年代まで知らなかったのです。
126名無しさん@1周年:02/10/30 20:56
★ 最近の考察と結論 ★
@聖職者から祝福のオリーブオイルで十字の塗油を受けていない者はキリスト教徒ではない。
A叙階サクラメント(秘蹟)・神品ミステリオン(機密)のない所はキリスト教会ではない。
Bニケア・コンスタンティノープル信経以外から唯一の告白をする者はキリスト教徒ではない。
C聖書だけから唯一のキリスト教の権威を得られない。
以上の「条件に満たない」教会に属する者は、キリスト教徒としては異端である。

★ 最近の考察と結論(理由編)その1 ★
@キリストはギリシア語で「油注がれし者」の意味。ヘブライ語のメシアを由来とする。
キリスト教徒になるには、
水のバプテスマ(洗礼)の際に額など体に、オリーブ・オイルの十字の塗油を受け、
油注がれし者の一員・キリスト教徒になる。油注がれし者・クリスチャン、字義通り。
これを堅信サクラメント(秘蹟)・傅膏ミステリオン(機密)という。

A基督教会を形成したのは、12弟子から使徒へ、使徒から監督や長老・執事であった。
これを使徒継承と言うところもある。
教区の監督(主教)を任命するのに決まりがあり、
3人の現職の監督(主教)が、適任の按手(アクシオス)を行なう事になっている。
長老(神父・司祭)は、教区の監督(主教・司教)から任命される。
これ等を叙階サクラメント(秘蹟)・神品ミステリオン(機密)という。
一般人は、長老(神父・司祭)から洗礼を授けられ平信徒(ひらしんと)となる。
これを洗礼サクラメント(秘蹟)・洗礼ミステリオン(機密)という。
127名無しさん@1周年:02/10/30 20:57
★ 最近の考察と結論(理由編)その2 ★
B聖書の編纂以前に、381年「ニケア・コンスタンティノープル信経」が決められた。
ニケア・コンスタンティノープル信経には、
聖パウロは、誰が下るのでしょうか上るのでしょうか。といい、
「陰府」に降り天に昇りと、上がり下がりを信条として肯定していない。
第三の天へ行った人は霊でか肉でか知らない。といっており、
パウロ自身も主イエスの肉体は見ておらず「死者の復活」とあっても、
「肉体の復活」と決めていない。
「黄泉に降り」だの「肉身の甦り」の使徒信経(使徒信条)は800年頃に南仏での創作である。

C聖書の編纂以前に、キリスト教会は存在していた。
聖書の成立以前に、ニケア・コンスタンティノープル信条、
三位一体、神人二性一位格が決定していた。
各地の教区の監督たる主教(司教)達の集まりで、文集「聖書」を編纂したが、
新約聖書27巻・旧約聖書39巻は「確定版ではない」。
東西教会が「一致して決めて」はいない。聖書だけを唯一の神の言葉とすることは出来ない。
128107:02/10/30 21:11
>>122
>イスラエルがカナンを侵略した 時には、カナンの罪は、満ちていたということです。
>
>神が、イスラエルに、カナンの聖絶を命令したのは、特殊な出来事ということです。
>それは、罪が満ちたカナンに対する、神のさばきの意味もあったでしょう。

カナンの人たちがモーセ・ヨシュアの神から見て「罪」だとして、
それは彼らの殺戮や侵略・略奪を正当化するものでしょうか? 
もしそうなら、相手が自分の宗教で「罪」ならその人を殺そうが
その人の財産を強奪しようが何をしてもよい、ということになる。
まあ、聖書の場合はまず第一にどんな理不尽な物でも「神の命令
は絶対」、という背景もあったんでしょうが。

あと、こういった「自分の神が罪とし殺すよう命じたから、相手
を滅ぼす」という構造こそ多くの悲劇を生み出してきた「聖戦」
思想そのものですね。聖絶も聖戦思想にもとづく聖戦とまったく
同質のものとして行われたことになる。
共同体の外部の人たちを自分たちの宗教を理由に一方的に「罪」
と決め付けて襲撃し、殺戮と略奪を繰り返した聖書の中の「神」
の信者たちの行動(聖絶)は、典型的な「聖戦」の形なのですから。
129名無しさん@1周年:02/10/30 22:06
ワシは123・124です。
ホロコースト思想はキリスト教の本来の思想ではありません。
聖書解釈は旧約だけとか部分的に偏向してとか私的解釈はイケナイとされています。

基本的にモーセ以来の約束の地を武力で奪い取る先代からの方針であって
サムエルやエリヤ・エリシャのような預言者と違い
「神の命令」なる「神懸かり要素」はあるにはあるが動機として薄い。
それに偶像崇拝だから滅ぼしたわけではないのです。
ヘブルビトが正しいからカナンの7つの民を滅ぼし勝ったのではない、
「神の約束」による嗣業の地の入手だという事を忘れてはイケナイと思います。

セイ絶はモーセやヨシュアから始まって士師時代まで続くのでしょうけれども、
イエス様は、剣を投げ込むために来たなんて言いつつ、剣を取るものは剣で滅びるとかいって、
セイ絶とか聖戦とかジハードなんて宣言していません。
それにヘブライ語のヨシュアはギリシア語でイエス(イエホシュアの訛り)なのですがね。
同じ名前でも時代背景や人の性格や表す意味が違うんです。
東京ニコライ堂の正教会の聖書だとヨシュア書はイイスス・ナビン書と翻訳してますよ。
イイススはイエスの事、ナビンはナービー(預言者)の事です。
ちなみに正教の聖書ではギリシア人はエルリン人と訳しています。
これはエホ証の英語聖書では分からない事です。

現代ギリシア人自身は自分らをエルリナと呼ぶのです。
ジャパニーズはニッポンジンと発音し、フィンランド人はスオミ・スオメンと、
ルーシアンはロースキー(露助?)と、スパニッシュはエスパニョルと言いますね。
これも英語では分からない事です。
元来の日本の聖書(文語訳)は
英語聖書がラテン語聖書(ギリシア語原典からの又訳)からの訳によったのと違って、
ヘボン先生(ヘボン表記で日英辞典の発案者のアメリカ人ヘップバン先生)の
翻訳事業の最初っからギリシア語やヘブライ語原典からの直訳や意訳なのです。
また聖書解釈はカトリックでバルバロ神父訳やフランシスコ会訳の注釈を珍重しています。
そういった意味で、エホ証の新世界訳は歪曲があり非常に危険です。
130名無しさん@1周年:02/10/30 22:14
>128
十戒には (すべての人を)殺すなかれ がありますが、
死海文書の十戒は (本来生かすべき者を殺す)殺人罪を犯すなかれ なんだそうですね。

十戒のような律法の説く罪の種類が違うのですよ。
神にそむく根性としての人間すべてに当てはまる「原罪」は細かくは律法の罪ではないです。

偶像崇拝規定は律法の罪といえば律法の罪だが、
民法や刑法のような律法の罪(常識を踏み越える罪)ではなく、
原罪に近い罪(神の自由意志に背く罪)です。
131名無しさん@1周年:02/10/31 06:09
>124
>「エクレシア」には「バシレウスの館」という意味はありません。
>だから「キング−ドム」な「王国」会館という意味にはなりません。
>旧約聖書ヘブライ語でも「集会」とか幕屋に「カハール」という単語を使っています。

当然ですが、アブラハムは「ヘブライ語の王」を意味する「メレク」ではありませんし、
アブラハムの幕屋を「メレクの館」という単語を使ってはいません。
ヘブライ語で「メレク」の元の意味は「所有者」で「メシア(マーシア)」は「油注ぎ」です。
全然意味が違います。
ちなみにアダムからサウル王までは、ユダヤ人(ヘブルビト)達に「メレク(王)」はいませんでした。
聖パウロによれば、アブラハムは信仰によって義を得ましたが、
律法を授けたとされるモーセからサウルに王を授けたサムエルまでは「ナービー(預言者)」が、
ヘブルビト達の最高実力者でした。

もとぴサン?英語のキングには、
ヘブライ語の所有者やギリシア語の祭祀の長や支配者という意味があるでしょうか?
また集会という意味があるでしょうか?
主の祈りに「国を来たらせたまえ」をキングドムと翻訳したことから「又訳の類推解釈」
で成り立った「虚構の集会所名称」です。
新約聖書にはパウロがはっきりと「エクレシア(教会)」と書き記しています。
132もとぴ:02/10/31 19:20

【聖絶】について、いろいろと調べたり、考えさせられたり しました。
今の段階で 私が言えることは、【聖戦】 と 【聖絶】 と 【聖戦思想】 は、
はっきりと 区別したほうがよい、ということです。
私は、ここでは、以下のように定義し、区別することにします。

【聖戦】 神の命令に基づく戦争。
・敵の人民を 滅ぼし尽くすことは 命じられていない。
・略奪は 許される。
【聖絶】 神の命令に基づく戦争。
・敵の人民を 滅ぼし尽くすことが 命じられる。
・「聖絶のもの」の略奪は 許されない。聖絶のものは、すべて滅ぼし尽くして、神にささげる。

たとえば、申命記20:10-15は、「聖戦」であるが、「聖絶」は命じられていない。(カナンから離れた町)
しかし、申命記20:16-18では、「聖絶」も命じられている。  (カナンの町)

【聖戦思想】
・新約の時代にも 「聖戦」がある とする思想。 
・聖戦思想は、新約聖書に反する思想である。新約の時代に、聖戦や聖絶は、ありえない。
133もとぴ:02/10/31 19:32
107さん
>>119の課題ですが、やはり>>98の【聖絶】の解説を訂正することにしました。
もし、「聖絶のもの」を略奪すれば、ヨシュア記7章のようなことになります。
それならば、「聖絶のもの」でなければ略奪は許されている、ということになります。
これで、
> これらの町町の分捕り品と家畜はことごとく、イスラエルの人々が
> 自分たちのために奪い取った。 (>>111 ヨシュア記11:14)
と、矛盾しなくなりました。です。 

123、124、129さん
聖戦思想は、新約聖書に反する思想です。新約の時代に、聖戦や聖絶は、ありえません。
でも、かつてカトリックは、「聖戦思想」を教義として出したらしいね。
それから、「文語訳」は現在でも信頼性が高いという話は、私も聞いたことがあります。
ところで、あなたが今信頼している聖書の翻訳は何でしょうか。
私は、いちおう、新改訳ですが、他の訳といろいろ比べることもあります。

>もとぴサンは「信条」に何を採用されていましたか?
>エホ証の「信条」は知らないのでお伺いしたいのですが?
今の私には、特に「信条」はありません。エホ証の「信条」があるのなら、私も知りたいです。
ちなみに、私は元プロテスタント→元P→「もとぴ」どえす。
エホ証の研究生としては、4ヶ月間でした。
エホ証の教理とプロの教理との比較を、やってました。
134もとぴ:02/10/31 19:37
126-127さん。
最近の、一部の、考察と結論、として承っておまきす。
あなたは、【西欧文化】を、満喫しておられますのね。

>>128 107さん。
11世紀の教皇グレゴリウス7世は、「聖戦」を「教皇権によって定めることができる」という
教義を出し、後の十字軍運動のイデオロギーとなったそうです。
このような新約時代の【聖戦思想】が、旧約聖書の【聖戦】【聖絶】と、全く同質のものだと
思いますか?

130さん。
なるほど。参考になりました。 
【罪、原罪】について、できれば解説をお願いします。

131さん
詳しいのね。。
【エクレシア(教会)】について、できれば解説をお願いします。
135名無しさん@1周年:02/10/31 20:03
>>132

あまり意味がない区別だね。
ヨシュアたちは、カナンの地の町々で神に命じられて略奪した財産を
時に自分たちの物とし、時に焼き尽くすささげ物としたわけだから。
襲撃した町では基本的に住民を全員殺害することになっていた、とい
う点では共通しているが。
聖絶も聖戦も「神の命令による殺戮」という本質的に同じ物。
聖絶よりは聖戦の方が多少ましかもしれんが、同じ種類の狂気ではある。

あと、ヨシュアたちが略奪した財産を自らの物としたアイやハツォル、
マドン、シムオンとかは「カナン」じゃなかったっけ?
136ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/31 21:56
>134 :もとぴ :02/10/31 19:37
>あなたは、【西欧文化】を、満喫しておられますのね。
いえ、北海世界でなく地中海世界(東欧・中近東)の
元来のキリスト教の考えですが。
【参考】
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1034859751/4-16

>130さん。
【罪、原罪】について、できれば解説をお願いします。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1034859751/153
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1029567278/258-259
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1029567278/39
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1034859751/20-21
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1034859751/233

>131さん
【エクレシア(教会)】について、できれば解説をお願いします。
>>124-125のままですが。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1034859751/155-156
新約聖書(新改訳)のパウロ書簡で「教会」を説明されている通りですよ。
岩の上に建ち、教会の頭はキリスト、ふたり三人以上のキリスト教徒の集まりが教会ですが。
137ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/31 22:31
>133 :もとぴ :02/10/31 19:32
>ところで、あなたが今信頼している聖書の翻訳は何でしょうか。
 昔は新改訳としていましたが、
原典や2chの勉強家のレスの啓蒙でドレも信用していません。
市販で旧約が付いているのは@講談社のバルバロ神父訳とA新共同訳とB口語訳C文語訳ですが、
私はA〜Cしか持っていない。カトリックと正教は新約だけ。

>今の私には、特に「信条」はありません。エホ証の「信条」があるのなら、私も知りたいです。
>エホ証の教理とプロの教理との比較を、やってました。
 プロテスタントは何処の会派ですか?
日本キリスト教団?福音ルーテル教会?聖公会(英国国教会)?
長老改革派教会?バプテスト教会?メソジスト教会?インマヌエル教会?
 エホ証は宗教法人登記の分類上プロテスタント教会でありません。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1034859751/29-31
 元プロテスタントといってもカトリック教会から分派したので、
最低でも「使徒信条」を持っていないと「プロテスタント教会」に属していたと言えませんが。
 宗教ではなく文学として聖書を持ち教養で分かっている分には勝手なのですが、
信仰でイエス様を信じて聖書を持つ場合で教会の定めた信条を持たない者は
基本的に正統派教会から見た異端者です。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1034859751/4
138ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/31 23:10
>133 :もとぴ :02/10/31 19:32
>聖戦思想は、新約聖書に反する思想です。新約の時代に、聖戦や聖絶は、ありえません。
>ところで、あなたが今信頼している聖書の翻訳は何でしょうか。

私が推薦の方針を変えた新改訳がダメな証拠。

★申命記2:34【 殲滅 】
ヴァニるコッド___ エット コる__ アラヴ  
そして私達は占領した を__ すべての 彼の町々 

バエット ハヒー ヴァナはレム____ エット コる イール 
時に__ その_ そして滅ぼし尽くした を__ 全体 町__ 

メティーム ヴェハナシーム ヴェハタフ__ ろー ヒシュアルヌ サリード:
男たち__ と_女たち__ と_子供たちを 私達は残さなかった 生き残りを

http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1034859751/283-291 の286で、

★申命記5:12【 第四戒 】
シャモル エット ヨム ハシャバット れカデショー
守れ__ を__ 日_ 安息の___ それを聖別するために

カアシェル ツィヴェはー_ アドナイ エろへーは:
〜とおりに あなたに命じた 主が__ あなたの神:

「ヴァナはレム:そして滅ぼし尽くした」に「聖絶」の語彙は妥当でないです。
「聖別」の「れカデショー」と「ヴァナはレム」には共通の「聖」に当たる語が見出せない。
139ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/31 23:13
>137 :ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/31 22:31
× 基本的に正統派教会から見た異端者です。
○ 基本的に正統派教会から見た「ら」異端者です。
140boy's:02/10/31 23:37
>>137  ろんぎぬすさんへ、
>プロテスタントは何処の会派ですか?

よく、プロテスタントの会派によって教義が違うって話を聞きますが、
そんなに違いますか?
私は会派が違っても極端な違いが無いような気がしますけど。
よろしかったら、
>日本キリスト教団、福音ルーテル教会、聖公会(英国国教会)、
>長老改革派教会、バプテスト教会、メソジスト教会、インマヌエル教会
の教理の違いを教えてください。

141ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/31 23:55
>140   boy’sサンへ。

●ろんぎぬすの専用スレッド6■ のレス11 にあります。

【 教派いろいろ対照表 】
●聖書で読み解く欧米人の深層心理!
http://home.att.ne.jp/wood/aztak/honnyakunosekai.html
142ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/31 23:58
>140
>長老改革派教会、バプテスト教会、メソジスト教会、インマヌエル教会
訂正です。
長老改革派→改革長老派 
補足です。
インマヌエル教会(メソジスト系)
143ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/31 23:59
>140   boy’sサンへ。
●ろんぎぬすの専用スレッド6■ に遊びに来て下さい。
144もとぴ:02/11/01 19:56
>135
> あと、ヨシュアたちが略奪した財産を自らの物としたアイやハツォル、
> マドン、シムオンとかは「カナン」じゃなかったっけ?

カナンどす。 
カナンにおいて、敵の所有物を 滅ぼし尽くさずに 略奪しておるではないか! 
それでは、>>98
> 主の戦いにおいては、敵の人民、所有物はすべて主に帰すものとして、滅ぼしつくさなければならない。
の解説と矛盾してしまう!!
私としては、98の解説を、訂正せざるをえなかったのです。
(この解説は、「新改訳聖書 注解・索引・チェーン式引照付」p345からの引用でしたが、、)

それで、98の解説を、132-133に訂正したわけです。
> 「聖絶のもの」の略奪は許されない。聖絶のものは、すべて滅ぼし尽くして、神にささげる。
これは、つまり、聖絶を命令されているカナンの町であっても、
敵の所有物については、「聖絶のもの」 で なければ、、略奪していいのだ!
マナは もう 降りてこないし (ヨシュア記5:12)、、
カナンにある食べ物を略奪しないと、腹がへるのだ !!!

。。。最初の解説(98)が間違っていただけに、苦しいなあ。。
145もとぴ:02/11/01 19:58
>>136 ろんぎぬすさん。
126、127は、あなたのカキコですか?

> 134
>> あなたは、【西欧文化】を、満喫しておられますのね。
>136
> いえ、北海世界でなく地中海世界(東欧・中近東)の
> 元来のキリスト教の考えですが。

「元来のキリスト教の考えです」と、なぜ言えるのですか?
「中近東」といえば、ユダヤ教のイスラエルと、アラブ諸国でしょう。
中近東で、キリスト教がどれほど普及したでしょうか。

キリスト教が普及したのは、当時のローマ帝国でしょう。
395年、ローマ帝国が東西に分割されて、
キリスト教会もしだいに東西が分裂するようになり、
1054年、【西方教会】(ラテン系・カトリック教会)と、【東方教会】(ギリシャ系・正教会)に分離。 
1517年、西方教会(ローマ・カトリック教会)から分かれたのが、【プロテスタント諸教会】。
なんとか信条、なんとか信仰告白というのも、ほとんどが欧州から出たものではないでしょうか。
あなたの言う、「最近の考察と結論」>>126-127も、ソースは欧米諸国ではないのですか。
昔も今も、日本のキリスト教会は、
【西欧文化】という荷物を負っているようなものだとは、思いませんか?
146もとぴ:02/11/01 20:01
>137
私も、自分の持っている聖書を紹介しておきます。
新改訳(注解・索引・チェーン式引照付)、新世界訳(参照資料付き)、文語訳、リビングバイブル、
新共同訳、現代訳、(以上、旧新約)  
口語訳、詳訳、THE INTERLINEAR GREEK-ENGLISH NEW TESTAMENT、(以上、新約のみ)
私も、新改訳が読みづらいと感じていたことがあったなあ。でも、注解があると、やっぱり便利。

> プロテスタントは何処の会派ですか?
「クリスチャン生活事典」によると、私のおった教会は「福音的諸教派」に分類されております。

> 宗教ではなく文学として聖書を持ち教養で分かっている分には勝手なのですが、
> 信仰でイエス様を信じて聖書を持つ場合で教会の定めた信条を持たない者は
> 基本的に正統派教会から見た異端者です。
「使徒信条」ねえ。ここに書いてあることについては、特に異論はありませんが、
この信条が、私を救ってくれる、というものでもないし。
「正統」か「異端」か、、、これも、二元的思考だにゃ。

私の場合、【人間の死後の場所】をカキコした時点で、もう、「正統派」の牧師さんから、お仲間に
入れてはもらえないと思っています。
ろんぎぬすさんは、>>60については、どう思いますか?
147もとぴ:02/11/01 20:22
>140
boy’sさん。あちこちの教会に行ってみたら いいではないですか?
私も、教会を離れてから、しばらくは(半年くらい)、あちこちの教会に行ってました。
確かに、教派や教団による個性の違いを感じることもありました。
牧師による個性の違いもあるし。
でも、結局、強調点の違いはあっても、
「似てるなあ〜」 という印象が 一番残ってます。
、、まあ、現役が、あちこちの教会を見て回ることは、牧師は反対するでしょうね。
148ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/01 21:27
>145 :もとぴ :02/11/01 19:58
>126、127は、あなたのカキコですか?
そうです。おそれいります。

>「元来のキリスト教の考えです」と、なぜ言えるのですか?
>「中近東」といえば、ユダヤ教のイスラエルと、アラブ諸国でしょう。
>中近東で、キリスト教がどれほど普及したでしょうか。
近東(北アフリカ→ヨーロッパに一番近い東方世界)
 カルタゴ(チュニジア)の「教会礼拝に聖霊」のアウグスチヌス「三位一体」のテルトゥリアヌス。
 エジプトのアレキサンドリアに「殉教と福音書の解説」を書いたオリゲネス。
 ラテン語翻訳聖書のヒエロニムス。
中東(アラビア・シリア・トルコ・ペルシャ→ヨーロッパに中くらいの遠さの東方世界)
 シリアの金口イオアンが聖体礼儀(ミサ手順)バビロニアに福音記者マルコ。
 ペルシャにネストリウス派キリスト教会(中国に伝わった景教)
単に600年代以降にイスラム軍に負けて少数派の宗教集団になっただけ。
 コプト教会(エジプト)・シリア正教会・アルメニア正教会・マロン派(レバノン?)・
アビシニアの正教会(エチオピア)など沢山残存していますよ。
 シリアはアラブ族ですが宗教はイスラムが半分で残りがキリスト教を含む諸派なんです。
イスラムの比率が思ったより低いんです。
149ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/01 21:28
>145 :もとぴ :02/11/01 19:58
>なんとか信条、なんとか信仰告白というのも、ほとんどが欧州から出たものではないでしょうか。
見ていただきましたかリンク。信条は洗礼の時に唱えるもの。
洗礼志願者はニカイア信条を唱えて、使徒継承の儀式を受けた聖職者から洗礼の水を受け、
オリーブ・オイルで油塗られた者(クリストス)になって、キリスト教徒になるんです。
ニカイア信条は380年代に教会決定していますが、ネタは50年代のパウロ時代からあったんです。

>あなたの言う、「最近の考察と結論」>>126-127も、ソースは欧米諸国ではないのですか。
笑えます。私の考察はイタリア以北の西方カトリック教会のソース(ラテン語世界)ではなく、
エジプトやギリシア(現トルコ)やシリア発生の外典聖書や使徒教父文書(ギリシア語)に、
グノーシス派キリスト教の偽典(ギリシア語・シリア語・アラム語)と
東方教会の7つのミステリオン(サクラメント)の解説HP(ロシア語の日本語翻訳)がネタなんです。
ユダヤ周辺の東地中海世界がネタです。
150ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/01 21:29
>146 :もとぴ :02/11/01 20:01
>この信条が、私を救ってくれる、というものでもないし。
>「正統」か「異端」か、、、これも、二元的思考だにゃ。
もとぴサンは信仰者ではなく、
言葉遊びで文学の歴史書や西洋教養として聖書を見ていると見ました。
学者ならともかく、信仰者は普通は二元思考。
仏教も仏道と外道と二元に分けます。
700年までに正典(カノン)を決めたのも
「正統の聖書」「異端の聖書」があったからでしょうからね。

>ろんぎぬすさんは、>>60については、どう思いますか?
原典の単語や前後の文章を読解してないから何とも言えません。
地獄ってゲヘナ?で、ハデスって死者の世界(黄泉の国)って事ですか?
新教出版社240のp107−p110の要約だが、
 ウエストミンスター信仰告白 
第三十二章 人間の死後の状態について、また死人の復活について 
 霊魂は神に帰る。義人は天に行く。悪人は地獄に行く。(私審判 死者の世界の天国と地獄)
終わりの日に正しくない者も正しい者も甦る。
 キリストは生きていた時の思いと言葉と行いに応じて裁く、
裁きの時に福音を信じない悪人は地獄に行く。(公審判 最後の審判の天国と地獄)
 英語圏の教会の要理は、死後は天国と地獄しかなく、煉獄は認めない。
カトリックの場合は私審判後に信者なのに不行状の者は煉獄に行くのだけどね。(カトリック要理)
正教会は教会の周りに公審判までにうごめくのだか眠りに就く霊と
天国に行き聖人として働く霊があるようです。(正教要理ではなく輔祭の説明)
151ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/01 21:50
カトリック教会は今日が萬霊節?でしたでしょうか。
主イエズス・キリストの御名により、篤信の死者の冥福を祈ります。アーメン。

★11/1(金) 諸聖人の祭日 
T 黙示録7:2−4、9−14
U 一ヨハネ3:1−3
福 マタイ5:1−12a

★11/2(土) 死者の日
T 知恵3:1−6,9
△ ローマ8:31b−35、37−39
福 ヨハネ6:37−40

★11/3 年間第31主日 大分教区 司教座教会 献堂記念日
 文化の日(明治天皇誕生日)
仏 マリー・アントワネット(独 マリア・アントニア)誕生日・さそり座
T マラキ1:14b−2:2b、8−10
U 一テサロニケ2:7b−9,13
福 マタイ23:1−12
152ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/02 06:57
>もとぴサン、基本的にプロテスタントはキリスト教ではないのです。

イエス様やペテロなど十二弟子やパウロやテモテに繋がる
塗油や按手の伝承や継承がなどの「マタイ伝の最後の書かれていない守る事」を守っていないから。

極論を言うと「十戒や布教小冊子」で「中国のキリスト教」だと主張した
太平天国の乱の「太平天国」みたいな宗教団体なのです。
それが単に「聖書66巻(新改訳)」に変わっただけなのです。

そういう認識を持っていないと、
伝統を堅持するカトリック教会や正教会また現代ユダヤ教を理解できません。

モルモン教の「エジプト話」や「インディアン話」の宗教とか、
エホ証の旧約聖書から「物見の塔」だの使徒信条の「血にコダワル」変質者の話や、
原始福音のような「日本の戦中戦後話」「水墨画」「遣唐使」「ユダヤ教」を
ゴッチャに根拠として解説した
聖書解説の話の宗教で終わるのです。

どの「自称キリスト教系」新興宗教も
洗礼で使う「ニカイア・コンスタンチノープル信条」の存在そのものを知っていないか、
別の「自分勝手な信条」を掲げているのです。

それは教会決定を重んじて来た「本来のキリスト教」ではなく、
ユダヤ神話やギリシア神話やインド神話を元に新興宗教を作る
「オウム真理教のような類」の宗教で
正統性や法脈や血筋などない「デッチ上げの宗教」なのです。
153ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/02 07:00
>「オウム真理教のような類」の宗教で
>正統性や法脈や血筋などない「デッチ上げの宗教」なのです。

創価学会と同じですよ。
やる事なす事「マチ金融」の資金回収や「地上げ屋」の脅し嫌がらせを
手法とした目的達成方法で、実際「大蔵商事」が戦後の創価学会の出発点です。
極道的シノギから出来た宗教。

創価学会の信者に財務と称して高利貸しして「平和会館」を建てたり、
信者を「金融業や清掃業」に斡旋し就職させて食って生かせ、
その恩義で信者をアドバイスで動かして、
創価学会の敵対か何か利権や財産狙いの標的の「人間や家族や会社や学校」に対して
標的の「生活や運営の首元を絞めて」言いなりにして、要求を押し通す。
頭のいいのを官僚に育てて「不祥事や問題のもみ消し要員」に送り込んでいるんです。

カネで「どっか適当な」宗教や学校や社会身分の「肩書き」を買って来て身に付け、
勝手に「法華経曼荼羅」だの「日蓮お守り」だの「宗教的印刷物」を商売に「宗教を装う」のです。
その一方で「投票や議員」を作って「政治的圧力団体」を創設してきたんです。

本質は「経済ヤクザ」が「宗教や政治を語っている」だけなんです。
つまり正体が、秘密結社(シンジケートーorマフィア)。
154ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/02 07:07
>152 訂正。

× イエス様やペテロなど十二弟子やパウロやテモテに繋がる
× 塗油や按手の伝承や継承がなどの「マタイ伝の最後の書かれていない守る事」を守っていないから。

○ 主イエスや弟子ペテロなど12弟子や「使徒」パウロや「按手相手の」テモテに繋がる
○ 塗油や按手「など」の伝承や継承「とか」「マタイ伝の最後に書かれている「言い伝えを」守る事」を「して」ないから。

ここでいう言い伝えは、いわゆる洗礼や聖餐などの7つのミステリオン(サクラメント)です。
155ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/02 11:37
>152 訂正です。
× エホ証の旧約聖書から「物見の塔」だの使徒信条の「血にコダワル」変質者の話や、
○ エホ証の旧約聖書から「物見の塔」だの使徒「行伝」の「血にコダワル」変質者の話や、
156ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/02 12:05
>>138 :ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/31 23:10
>>ところで、あなたが今信頼している聖書の翻訳は何でしょうか。

>私が推薦の方針を変えた新改訳がダメな証拠。

>★申命記2:34【 殲滅 】
>★申命記5:12【 第四戒 】
>「ヴァナはレム:そして滅ぼし尽くした」に「聖絶」の語彙は妥当でないです。
>「聖別」の「れカデショー」と「ヴァナはレム」には共通の「聖」に当たる語が見出せない。

この質問というか答えに対する。反応とかないんですかね。

@うーむ。同感です。新改訳は可笑しい。原義の解釈は大切ですね。とか、
Aイヤ反対です。新改訳や英訳が私の救いや希望で、私のスベテなんで、
ヘブライ語とかギリシア語だとかラテン語だとか、原義なんてドウでもいいんです。とか、
何か反応がナイんでしょうか!?
157名無しさん@1周年:02/11/02 12:15
七十人訳が読んでみたい。
158ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/02 15:30
>157 私のスレのどこかにリンクがあります。探してください。
探せ、そうすれば見出すであろう。聖書。
159もとぴ:02/11/02 17:33
> 156
>>97さんの質問以来、今日で一週間、毎日、「聖絶」について調べたり考えたりしましたが、
それだけで、「聖絶」という用語の採用の是非について、コメントはできません。
新改訳聖書の一読者としての感想を述べます。

「聖絶」は、新改訳が採用した新造語なので、特殊な用語である、という感じはあります。
調べていくうちに、「聖絶」は、「聖戦」とは違うニュアンスのあることは、はっきりしました。
・敵の人民を 滅ぼし尽くすことが 命じられる。
・「聖絶のもの」の略奪は 許されない。聖絶のものは、すべて滅ぼし尽くして、神にささげる。
>>132 (参考133、134、144)
このような概念について、新改訳では、「聖絶」という用語を、採用しているのだなあと思います。
ただ、一読者として、「聖絶」という用語の定義が わかりにくい、という実感はあります。

どんな訳にも、完全なものはありえません。
「原義の解釈は大切」だとは思うけれども、翻訳には限界もあるのは、当然です。
まあ、私自身、よりよい翻訳が出れば、すぐに買うでしょうが。。。
160もとぴ:02/11/02 17:35
148は参考になりました。

149
>> あなたの言う、「最近の考察と結論」>>126-127も、ソースは欧米諸国ではないのですか。
> 笑えます。私の考察はイタリア以北の西方カトリック教会のソース(ラテン語世界)ではなく、、、
「笑えます。」とは、、、あなたの人格が、うかがえます。
「最近の考察と結論」があなたのカキコであり、それは東方教会、東地中海世界がネタである
ことはわかりました。

それにしても、「最近の考察と結論」(126-127)が
> いえ、北海世界でなく地中海世界(東欧・中近東)の
> 元来のキリスト教の考えですが。  (>>136
と、あなたが言える根拠は、わかりません。
【西欧文化】は背負っていないにしても、、、
【東方教会・東地中海世界のキリスト教文化】を、背負っているのでは ないのですか?

それから、「最近の考察と結論」(126-127)が、元来のキリスト教の考えですか?
「人間の教え」ばかりのような気がします。
階級と、階級の高さによる権威と、儀式ばかりではないの?
あなたが、そこまでサクラメントにこだわるのは、あなたが権威に弱いから?
161もとぴ:02/11/02 17:36
>150
> もとぴサンは信仰者ではなく、
> 言葉遊びで文学の歴史書や西洋教養として聖書を見ていると見ました。
私は、自分の人生と死の関係で、聖書を調べてきたようなものです。
聖書の解釈や教理の問題は、自分自身の問題でもあったのです。
私が「信仰者」であるのか、ないのか、あなたには決めて欲しくありません。


> 学者ならともかく、信仰者は普通は二元思考。
ですか?
> 信仰者ならともかく、学者は普通は二元思考。
と思いますが。

パリサイ人は、二元思考だったから、(参照ルカ18:10-11)
「信仰者」にも、二元思考はあるのでしょう。
162もとぴ:02/11/02 17:38
>152
>基本的にプロテスタントはキリスト教ではないのです。
> イエス様やペテロなど十二弟子やパウロやテモテに繋がる
> 塗油や按手の伝承や継承がなどの「マタイ伝の最後の書かれていない守る事」を守っていないから。
>154
> 主イエスや弟子ペテロなど12弟子や「使徒」パウロや「按手相手の」テモテに繋がる
> 塗油や按手「など」の伝承や継承「とか」「マタイ伝の最後に書かれている「言い伝えを」守る事」を
> 「して」ないから。
> ここでいう言い伝えは、いわゆる洗礼や聖餐などの7つのミステリオン(サクラメント)です。

あなたは、頭がいいのに、どうしてそんなに短絡的に結論を出すかなあ。。
あなたが、そこまでサクラメントにこだわるのは、やっぱり、あなたが権威に弱いから?
二元思考から出る結論は、常に短絡的ではあるけどね。
(なにしろ、最初から、○ × が決まっている)
163もとぴ:02/11/02 17:40
【人間の死後の場所】その10 番外編  (過去のカキコは、>>28から62の間にあります)

@カトリック教会は、人間の死後の世界として、「天国」 「地獄」 「煉獄」 を説く。
【煉獄説】
部分的にしか清められていない大多数のキリスト者は、「煉獄」に行って、
すべての罪が洗い清められるまで苦難を受け、それから天国に移される、とする説。 
聖書的な根拠のないもので、これは外典の「第二マカベア書」の解釈を根拠とするもの。

Aプロテスタント教会は、人間の死後の世界として、「天国」 「地獄」 を説いた。
【ウェストミンスター信仰告白】
ウェストミンスター信仰告白は、宗教改革後、17世紀半ばに英国において作られたもので、
その内容は当時の神学的解釈を箇条書きにしたものです。
そこでは「人間の死後」についてこう言われている。
-------------------------
義人の霊魂は、その時(肉体の死の時)に完全にきよくされ、最高の天に受け入れられ、
そこで彼らの体の全きあがないを待ちながら、光と栄光のうちに神のみ顔を見る。 
また悪人の霊魂は、地獄に投げ込まれ、大いなる日のさばきまで閉じ込められ、
そこで苦悩と徹底的暗黒のうちにあり続ける。
聖書は、体を離れた霊魂に対して、これら二つの場所以外には何も認めていない 
--------------------------
これはカトリックの煉獄説に対抗して書かれたということで、死後の世界としてカトリックの説く
「天国」「地獄」「煉獄」のうち、「煉獄」を退けたわけです。
ところが、「よみ」と「地獄」を混同しており、死後の場所は「天国」と「地獄」の二つだけである、
という間違った教理を確立していたわけです。  (関連>>29
164名無しさん@1周年:02/11/02 17:48
善と悪について教えてください。
165もとぴ:02/11/02 18:26
>164
神が天地を創造された時、「それは非常によかった。」(創世記1:31)のでした。
しかし、アダムとイブが「善悪の知識の木」(2:17)から、実を取って食べた時(3:6)、
人は、「善」と「悪」の、相対的二元的世界に入りました。
166名無しさん@1周年:02/11/02 18:29
でも、それって人間が勝手に決め付けて人を裁いているんですよね。
人間ってそんなに偉くなったんですか?
167もとぴ:02/11/02 18:56
166さん。
人間社会では、善と悪を、人間が勝手に決め付けて人を裁いているのかもしれない。
私自身、善悪の基準みたいなものがあるし。

>人間ってそんなに偉くなったんですか?

わからない。とにかく、次を書いてよ。
168名無しさん@1周年:02/11/02 19:41
>>166

偉くないから裁いてしまうのかもしれないな。
人を裁くというのは、もっとも安易でそれでいて気持ちのよいこと、
なにより自分を「善」の存在と思い込める行為だから。

人を裁いて「悪」とするのは、自分の思い通りにならない人、自分
に異をとなえる人を「悪」と思い込むことで、自分は間違っていな
いんだ、悪いのは相手の方なのだ、と思い込もうとすることでもあ
るのかもしれない。
169boy's:02/11/02 22:28
>>147 :もとぴさんへ

数カ所、行きましたよ。
プロテスタントって、もとぴさんの言われているように
そんなに、差異が無い気がしますよ。
全然違うことを言われたって事はなかったですね。
教理より、牧師の個性の方が大きいと感じましたよ。

>ろんぎぬすさんへ
ろんぎぬすさんは、とても聖書に詳しそうですが、
JW出発の私としては、権威がかったような感じが嫌ですよ。
理由としては、
JWでのカトリック司祭の権威を否定する教育の名残があるからだと思います。



170ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/02 23:18
>159 :もとぴ :02/11/02 17:33
>「聖絶」は、新改訳が採用した新造語なので、特殊な用語である、という感じはあります。
 旧約聖書には「聖戦」などありません。イスラムの新造語です。
 もとぴサンは聖書を基本に話すステータスであるのに、
なぜ聖書以外の「聖戦」なんか持ち出すんですか?
 いつからキリスト教はカトリックを否定して、
コーラン(クルアーン)で動く民になったのでしょうか?
 アメリカの都合で、世界のアメリカン・プロテスタント教徒を扇動する「特殊な用語」です。

>調べていくうちに、「聖絶」は、「聖戦」とは違うニュアンスのあることは、はっきりしました。
 聖戦の定義は聖書から出てきません。新興宗教のやることです。

>このような概念について、新改訳では、「聖絶」という用語を、採用しているのだなあと思います。
 独り芝居です。
171ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/02 23:20
>159 :もとぴ :02/11/02 17:33
>「原義の解釈は大切」だとは思うけれども、翻訳には限界もあるのは、当然です。
 そのままの訳ですよミルトスは。正直な誰にでも分かる訳です。
 「原義の解釈は大切」に思ってないで、詭弁とかコジ付けで人殺しの正当的口実が欲しいだけ。
差別用語の「聖絶」なんて言葉を勝手に作って中東やユダヤ人差別を扇動しているわけ。
古い言い方になるんですが、石油利権堅持とパレスチナ人が邪魔な米帝国主義者の手先ですか。
アメリカ製でたらめ語つくって「新種の虐殺語」を広めないで下さい。

 日本では「南京虐殺」「三光作戦」なんて言葉は日本の戦前や軍部にはなかったのに、
アメリカが「南京虐殺」「三光作戦」と新造語を作って、ニホンジン差別を世界に広めた。
それと同じジャン。
 終戦直後の「支那や満州や朝鮮や南洋諸島」でのの連合国側の「ニホンジン虐殺」
「三光作戦」は広めないわけですか。
ベトナム人より弱いわけ?「同じニホンジン」なのに泣き寝入りですか?
 髪をチャパツにして、ガングロあらため美白めざしなんですが、コンタクトを青にするそうで、
なんでも群馬の太田市では、優秀な人材を英語で育てたいので、
学校生活では英語で暮らすモデル地区を作りたいと申請中だそうです。
日本語の授業以外は、授業や学校の先生と生徒の会話を、英語で暮らすんだと。
どこまで無条件降伏の病気が治らないんですかね。重症ですね。
 昔、民族自決で朝鮮の独立運動に反して、
日本が朝鮮の学校で日本語を強要したので散々批判されたのに、
日本の現代では自虐的に自分達の国の学校で英語を強要するの。
 生活言語を奪ったら民族滅亡ジャン。意味の違う民族「自決」じゃん。
提唱者の太田市長はバカですか。(キティーじゃん。
172ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/02 23:21
>160 :もとぴ :02/11/02 17:35
>> あなたの言う、「最近の考察と結論」>>126-127も、ソースは欧米諸国ではないのですか。
>「笑えます。」とは、、、あなたの人格が、うかがえます。
>> いえ、北海世界でなく地中海世界(東欧・中近東)の
>と、あなたが言える根拠は、わかりません。
 面白い人ですね。
人格で「中東のエルサレムやユダヤ」にいたイエス様が「欧米諸国」になるんですか?
 バプテスマ(洗礼)・カトリック(普遍・公)・アポストル(使徒)・エクレシア(教会)・
エウアンゲリオン(福音)・キリスト(油注がれし者)って言葉はギリシャ語が由来ですよ。
英語やラテン語のは、ギリシア語の借用です。
 罪はギリシア語がハマルテオンで、ラテン語がペッカトルム、英語はシン。
処女はギリシア語がパルテノンで、ラテン語がヴィルヂネ、英語はヴァージン。
聖はギリシア語がハギアンで、ラテン語がサント、英語はセント。
光はギリシア語がフォトスで、ラテン語がルミネ、英語がライト。 
英語って安っぽい感じするでしょ。
 それにキリスト教って「中東のユダヤ」の
キリスト−イエス・弟子ペテロ・使徒パウロ・福音記者マルコが始めたんですよね。
新興宗教の「欧米教」ですか?
 キリスト教由来の元からあった文化って、何処だか検討つくんじゃないですか。
もとぴサン、欧米崇拝から醒めて、イイ加減に間違いを認めて下さい。
 ユダヤ教もキリスト教も「中東教」だと思っているんで。聖戦も聖絶も「中東諸国」ですよね。
本来のキリスト教が「ブリテン島のある北海」や、大西洋の向こうの「アメリカ大陸」にあるんですか。
さすがインディアンがかった西部のユタ州のモルモン教や、ジューな東部のエホ証らしいですね。
173ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/02 23:21
>160 :もとぴ :02/11/02 17:35
>「人間の教え」ばかりのような気がします。
「人間が選んだ」聖書ばかりのような気がします。
正統教会は聖職者が選び漏れの書簡や資料も参考に、信者に分かりやすく礼拝でお説教します。
 キリストを知りもしない人間が太平天国を作るように、
キリスト教は、辞書と小冊子1冊(日本語訳66巻)で分かるしろものではありません。
 実際にカトリック教会のミサや正教会のリツルギアの仕草や儀式を見に行き、
神父や主教・司教の祈りや説教を聞きに行かないと分からない代物です。
 たとえば仏教だって、辞典とお経(般若心経や法華経・観音経)だけで分かるんですか?
仏教とて、寺に行って和尚に座禅を教えられたり、真言のアジャリの説法を聞かないと、
分からないものです。
 聖書を書いた「パウロ・ルカ・ヨハネ・ペテロ・ユダ・マルコ・マタイ」も、
神でない人間ですから。
 もとぴサンは「人間の書いた文字に残っているの」ばかりのような気がします。
新約聖書には「文字は人を殺し、御霊は人を生かす」とあります。
 御霊の宿る聖堂のある教会が先にあり、教会や修道会の書庫に後から選んだ聖書があります。
生きている信者は聖堂に行きます。死んだ遺体や棺は命のない書庫に近い存在です。
174ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/02 23:22
>160 :もとぴ :02/11/02 17:35
>あなたが、そこまでサクラメントにこだわるのは、あなたが権威に弱いから?
 既存の上下関係や儀式や権威を否定すれば、
革命で自分が権威になるなり、無神論者や無政府主義者になる類です。
 規律も礼儀もそこには存在しません。
見かけだけ礼儀正しい面当ての「慇懃無礼」という言葉も世の中にはあります。
 創価学会などはそんな人たちの集まりです。
神棚壊しや坊主否定で神道や日蓮宗や日蓮正宗を否定し、
選挙の得票の取引で自民党や民主党を蔑ろにし、
記事や社長や持ち株を操って朝日新聞や毎日新聞社を乗っ取り、
学会員の公務員は、突き落としを自殺、学校や講堂なのに地目は山林や畑、強姦無罪など、
法を曲げる捜査や公務や裁判をし、
 そこには自分達の団体の特徴である、地上げ屋根性の経済ヤクザな上下関係しかなく、
人間としての躾やマトモな礼儀が存在しません。
175ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/02 23:23
>161 :もとぴ :02/11/02 17:36
>聖書の解釈や教理の問題は、自分自身の問題でもあったのです。
>私が「信仰者」であるのか、ないのか、あなたには決めて欲しくありません。
 聖書やHPや図書館や書店や教会を巡り歩いていますが、
私も信仰者ではないですよ。
 聖職者のいる宗教団体の正式会員でないと、単なるマニアや願望持ちです。
「大志を抱く」のは勝手ですが。それは「信仰者」ではありません。
それが証拠に「大志」などといったクラーク博士の「札幌で」
ドレだけのクリスチャンがいますか?
 江戸時代に邪宗門弾圧があったのに、長崎はカトリック信者が約6万人もいます。
東京のカトリックが約8万人ぐらいですから、長崎は間違いなく信仰の町です。
176ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/02 23:24
>160 :もとぴ :02/11/02 17:35
>> 信仰者ならともかく、学者は普通は二元思考。
>と思いますが。
 二心のある者は、信仰者って言わないよ。
正妻(本妻・正夫人)は2人もいないよ。
どちらかが、妾(二号とか第一夫人)でセクース用の女で、
もう一方が子孫生み用の女(本妻とか正夫人)ですよ。
イスラムやインドや中国や江戸時代の将軍や侍の家系みたいな例えで、下世話な説明ですが。
 まともなキリスト教の信仰者なら、
聖戦とか異教(ユダヤやイスラム、インディアンやエジプト)を持ち出すのは可笑しいよね。

>パリサイ人は、二元思考だったから、(参照ルカ18:10-11)
>「信仰者」にも、二元思考はあるのでしょう。
 あっそうなの。
パリサイ人は@神殿祭司のサドカイもA徴税と軍治安のローマも
Bギリシア人や改宗者もCキリスト・イエスも敵で、
自分を混ぜて5つもあって多元ですが。
177ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/02 23:25
>162 :もとぴ :02/11/02 17:38
>>基本的にプロテスタントはキリスト教ではないのです。
>あなたが、そこまでサクラメントにこだわるのは、やっぱり、あなたが権威に弱いから?
>(なにしろ、最初から、○ × が決まっている)
 あたりまえです。
寺から破門で追い出されて、仏教徒を名乗るのですか?
共産党から除名されたのに、共産主義者ですか?
教会から外れてキリスト教徒なの。おもしろいね。
北朝鮮では労働党に逆らって強制収容所に行ったら、5年と生きていないですよ。
 言葉はキツイですが、そーゆーのを普通世間では、負け惜しみとか負け犬って呼びます。

 ブードゥー教徒でも、シバ神教徒も、道教徒でも聖書は持てますし、
霊感商法とか集団結婚の統一協会や
モロナイだかモロアリだか一夫多妻のモルモン教や
日本教だかユダヤ教だかゴッチャの原始福音でも聖書は使いますが、
彼らの解釈は明らかにキリスト教ではないし、
弟子ペテロ・使徒パウロ以来の継承の聖職者がいません。
178ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/02 23:26
>163 :もとぴ :02/11/02 17:40
>聖書的な根拠のないもので、これは外典の「第二マカベア書」の解釈を根拠とするもの。
 聖書は聖伝の一部です。外典とて信仰の書物です。
幹は大切ですが、根っこや枝葉がないと木は生きていけません。
 幹は66巻の聖書ですが、
外典や教父著作や教会規則の資料は枝葉で、信者を生み育てるサクラメントや教会儀式は根っこで、
キリスト教が次の世代に伝え生きていくのに栄養や水を補給してくれます。

>ところが、「よみ」と「地獄」を混同しており、死後の場所は「天国」と「地獄」の二つだけである、
>という間違った教理を確立していたわけです。  (関連>>29
 だから新改訳ではなく原典で解決できるでしょ。
「よみ」と「地獄」って具体的に何なの。
179ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/02 23:38
>169 :boy's :02/11/02 22:28
>ろんぎぬすさんは、とても聖書に詳しそうですが、
>JWでのカトリック司祭の権威を否定する教育の名残があるからだと思います。
 聖書に詳しくないよ。読みかじりで好きな部分だけ特化しただけ。
私も権威は嫌いだから、礼拝(ミサ・リツルギア)に参加してないですよ。
古参信者や外国人信者から洗礼(イジメ)を受けるから。
 私もアンシャンレジームなフランス風な
生まれつき信者と改宗して信者とかの上下関係のキツいカトリックの信者を遣るのか、
ツアーリズムのロシア風な
正教会の聖職者の仮に勘違いした間違った命令にも絶対服従な農奴な信者を遣るのか、
迷いますね。
 でも、教会の聖伝や祈祷書や外国語の読みや辞書引きは好きですので、
それが慰めですね。
カトリックや正教は情報や歴史が豊かですから。
 どの教会だって離れていてドップリ浸からん程度の付き合いなら、
権威などは怖くないです。
特定の教会の統制下に入った時が問題ですから。自由は当然なくなります。
180名無しさん@1周年:02/11/03 00:02
>>177
共産主義者ですが共産党員ではありません。で?
181名無しさん@1周年:02/11/03 00:08
>>180 「二党の・・・・・・おそらく、三つか四つの党による活動の舞台を用意しておくことが必要である」L.D
182ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/03 00:42
>180 あなたは分かっていない。
中身がなくとも口先や自称なら、何とでも言える。
現実には、確かに主義者というのは、党員でなくとも良い。

しかし、教科書上はインター・ナショナル(国際連帯?)をするのが共産主義者。
そのインター・ナショナル(国際連帯?)の組織が各国の共産党で、本部をモスクワに置いた。

インター・ナショナル(国際連帯?で国家主義に反対)の組織から外れた時点で、
ナショナリスト(国際連帯ではなく国家主義)に「転向」なんだよ。
つまり(国際連帯?で運動する政治信条の)共産主義を放棄した事になるのさ。
>181 
本質的に1つなんで、2つや3つに4つも党があるのは、論理的に可笑しいのさ。

共産党以外の運動はアンチ・インター・ナショナル(国際連帯に反対)。
アンチとインター(反対と国家主義「反対」で反対同士)で相殺なら、
口先で「共産」なんて言った所で、
実質的にはナショナリスト(国家主義)や個人主義者なのさ。

日本では死亡に至る罰則や懲罰(つまり粛清)がないから偽の共産主義でも生きていられるし、
口先だけ共産主義って呑気な事がいえるのさ。
だから北朝鮮の例を出してやった。
既存の主義や今までの主義を辞めた奴は殺されて、
この世に物理的にいなくさせる社会の例を。

日本は平和だし、ちゃらんぽらんで、
特に違約や間違いを言ったり広めた奴に、昔のような暴力罰がないから、
出鱈目や嘘でも生きていける軟い社会で楽なんだよ。
失点があっても生かされているのだから、ある意味で感謝しなくてはね。
183ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/03 00:45
>171 訂正。
× 終戦直後の「支那や満州や朝鮮や南洋諸島」でのの連合国側の「ニホンジン虐殺」
○ 終戦直後の「支那や満州や朝鮮や南洋諸島」での連合国側の「ニホンジン虐殺」
184名無しさん@1周年:02/11/03 01:01
>>182に物言い。
要は、>>181で前もって回答済み。意味わかります?

まあ、俺自身の考えはL.Dとかスレ主さんとはまた別ですが、
かと言って正教の神学校あがりの暴政を認めるわけにはいかない。
185名無しさん@1周年:02/11/03 01:02
>>182
>しかし、教科書上はインター・ナショナル(国際連帯?)をするのが共産主義者
どこの教科書?
186ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/03 01:20
>184 言葉とかカキコ口調がサバケてるんで、気に障ったら御免な。
 ところでLDってなに?
なんかHN(ハンドルネーム 書き込むの隣の名前:欄に自分専用の名前で書き込む事、
またはその固定の名前:固定ハンドル、コテハンと略称する。)にしてくんない。
「名無しさん@1周年」だと、わっけわからん。ウザイかもしれんけど。我慢な。

>185 教科書って言うのは、
 具体的な高校とか中学の山川出版だか東京書籍とか、そーゆーんじゃなくてよ。
簡単なパターンで覚える用の知識。とか、共産ってズバリこんなの。って意味さ。
 細かい主義の内容を論文調で、とか現実の共産党の綱領と党員のあり方とか、
社会党と共産党の共産主義の考え方の違いとか、そーゆー細かいのでなくてよ。
 大雑把に共産って、世界の労働者が一つになって共産党が仕切る社会。
また其の運動と、そういう政治思想を持つ主義。ってこと。
187ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/03 01:24
もっ眠い。寝ます。回答は起きてから。予定未定。
188181:02/11/03 01:42
別に気にしないよ>>185。L.Dは正真正銘の共産主義者、ただし悪魔にされちゃったユダヤ系。

大地公会議、それ以前と以後についてなんだけど、L.Dが悪魔にされた過程とよく似ているよ。紹介するね。

「すべての重大な転換点において同じ型が繰り返された。
原則と政治的便宜主義をめぐる不一致、論争、組織を統制し便宜主義を好む人々のための組織的圧迫による論争の決着、
そしてその後反対する自由の制限、
・・・争いにおける組織側一つ一つの勝利は、それ以後の反対派のたどる路を一層困難にした」

作為的な勝利者による圧迫の歴史だよ。
189名無しさん@1周年:02/11/03 02:37
なんだかろんぎぬすのおかげでキリスト教に対するものの見方が変ってきた(w
ろんぎぬすの論に反論は不可能なように思われる。
漏れは彼の意見と全く考えをずっともっていたからなんだか複雑な気分だ。
信者ならなおさらそうなのだろうか?

そもそもマカバイ記ってのは、カソリックや東方正教では「聖書」なんじゃないのか?>もとぴ
ルターが勝手に聖書を弄くっただけでは?
もっとも、旧約の削除には成功したが、新約の削除(黙示録、ヤコブ書など)にはルターは失敗した。

190もとぴ:02/11/03 10:34
えー、本日は晴天なり。
おおーと! 今日は日曜日だ!!
というわけで、今から私はお魚釣りに行きます。

でも、一応、チェックだけはしておこうと思って、昨夜のカキコを一通り読ませていただきました。
それで、簡単に感想を述べさせていただきます。

私が、プロの教会を離れて約10年が経ちましたが、、、
2chを通じて、いろいろと読ませていただいていると、世の中変わったなあと思います。
中でも、私にとって、一番の驚きと戸惑いは、聖書の66巻の信頼が、揺れている、ということです。
私は、自分自身が、聖書66巻に対する信頼をなくすということは考えられないのですが、、、。

それから、私は、仕事の関係で、これまでのようには時間を持てなくなります。
というか、時間があったり、なかったりで、これまでのように定期的に、ということが
できなくなります。了解ください。

んでは、お魚釣り(ハアト
191ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/03 13:48
サーバー負荷も考えないで申し訳ない。
返事レス・批評レスはコチラ
 ↓
●ろんぎぬすの専用スレッド6■ のレス428−430。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1034859751/428-430
192有/無:02/11/03 17:51
ろんぎぬすさん。
サクラメントは形式だけ整えても全く意味がありませんよ。
その秘された意味を理解して受けてこそ初めて意味があるんです。
例えば、聖体礼儀は、パンはイエスの体、すなわち真理の御言葉を指すものであり、
ワインはイエスの血、すなわちイエスの魂を指すものであって、
それを受け入れることは自分を作り替える結果、永遠の命をもたらすものだということです。
193有/無:02/11/03 18:07
>>192
の訂正。
ワイン→血の契約でした。スマソ。
194ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/03 18:31
>192
おもしろいですね。信者さんなの?どこのキリスト教会だって聖餐はあります。
私が20年も前から知っている事を言ったところで、余計なお世話です。
キリスト教を信じていない人間でも、創価学会員でもパンは食べワインを飲みます。

 サクラメントが形式だけはプロテスタントの方ですよ。
聖餐の箇所のコリント書を読み上げて、聖書に書いてあります。と無味乾燥なことを礼拝でいい。
したり顔でパンを食べブドウ・ジュースを飲む。
 最初見た時は、はぁ!?って感じでしたよ。正教の時は凄いと思った。カトリックはパンだけ。

 どこの教会だって、サクラメントでパンと葡萄酒(日キ教はブドウ・ジュース)を頂きますよ。
初期キリスト教で、外典でも教父の著書でも、
パン裂き(エウカリスティア?)や葡萄酒のお話は豊富にあります。
私のスレッドの正教のリンク読まなかったでしょ。せっかく紹介したのに。

 パンは礼拝中ずっと最前列の至聖所に天国のキリストと聖徒集まりの象徴で安置しておく。
イエスの体がパンであり、教会の頭がイエスで手足は聖徒だから、
パン全体がキリストと聖徒の霊的カラダなの。
天国を象徴する皿の上にパンとして皆が乗っかっている。
 聖餐の段になったら、正教の場合はワイン入りパンをカップから、
シャクでしゃくって信者に食べさせる。
 食べる信者は礼拝前に懺悔を神父様や主教様の前で按手を受けながら述べる。
赦された信者だけ礼拝の後半の聖餐の段になって祭壇近くの前に進み出て食べさせて貰うんだよ。
 聖書には、ふさわしくないままでパンを戴いてはイケナイと書いてある。
コリントの聖餐の後の文を呼んだらソウ書いてある。
プロテスタントは懺悔をサクラメントから外したんだ。とんでもない事したんだよ。
 カトリックや正教会は懺悔(痛悔ミステリアオン・ゆるしのサクラメント)をしてからでないと、
聖餐のパンは戴いちゃいけないんだよ。
195もとぴ:02/11/03 18:44
>>170
> もとぴサンは聖書を基本に話すステータスであるのに、
ありがと。

> なぜ聖書以外の「聖戦」なんか持ち出すんですか?
私も、好き好んで「聖戦」「聖絶」なとど言っているわけではなーい!
避けて通れるものなら、私も避けて通りたーい!
でも、旧約聖書には
「しかし、あなたの神、主が相続地として与えようとしておられる次の国々の民の町では、
息のある者をひとりも生かしておいてはならない。」(申命記20:16)
というように、書いてあるから、避けては通れないではないか。

それから、何度も言うように、新約の時代に、聖戦や聖絶はありえない!!! (>>132-133-134)
カトリックや、コーランや、アメリカン・プロテスタントが、「聖戦」を持ち出していても、
私とは一切関係がない!!
私は、そのような思想を、一切支持しない!!

>192 あっ、有/無さん、久しぶり。最近苦労してます。きりがないもん。。。
196もとぴ:02/11/03 18:46
>172〜175
私にとっては、ほとんど意味不明です。
正直言って、情報の洪水のようで、わけがわからん。
仮に、それを一つ一つ検証しても、エンドレス。。 蟻地獄。。

>>176
>>パリサイ人は、二元思考だったから、(参照ルカ18:10-11)
>>「信仰者」にも、二元思考はあるのでしょう。
> あっそうなの。
> パリサイ人は@神殿祭司のサドカイもA徴税と軍治安のローマも
> Bギリシア人や改宗者もCキリスト・イエスも敵で、
> 自分を混ぜて5つもあって多元ですが。

パリサイ人の二元思考
律法を守るか、守らないか、という二元思考の意味です。
律法を守る自分は「義人」であり、律法を守らない他の人を「罪人」として、
見下していたわけです。 (ルカ18:9-12)
197もとぴ:02/11/03 18:55
>177
> 教会から外れてキリスト教徒なの。おもしろいね。
> 北朝鮮では労働党に逆らって強制収容所に行ったら、5年と生きていないですよ。
> 言葉はキツイですが、そーゆーのを普通世間では、負け惜しみとか負け犬って呼びます。
イエスに対する信仰と、キリスト教という宗教は、必ずしも一致しないでしょう。
私は、キリスト教という宗教に振り回されたくない。それが何か?

>178
「よみ」と「地獄」って具体的に何なの。
>>28から>>62の間にあります

厳密に言えば、ハデス=よみ、ゲヘナ=地獄、ではないと思います。
「よみ」「地獄」は、便宜的な訳語として、当てはめているだけのことと、私は考えています。
ハデス、ゲヘナ、という音訳のほうが、より正確な訳という気がします。


時間のあるときは、できるだけ、カキコ続けます。
でも、私も生活かかってます。体を壊すまでは、やれませんのです。
198ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/03 19:10
返事レス・批評レスはコチラ
 ↓
●ろんぎぬすの専用スレッド6■ のレス436−437。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1034859751/436-437
199ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/03 19:37
返事レス・批評レスはコチラ
 ↓
●ろんぎぬすの専用スレッド6■ のレス439。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1034859751/439
200俺ちゃん ◆f0ugTrYQRI :02/11/03 19:40
☆俺ちゃん#sakura4さんと一緒にアルミ書を解釈しよう☆
201ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/03 19:44
君にはキリスト教を理解する心がないようなので、適当に気が向いた時に。
202有/無:02/11/03 19:59
>>195
もとぴさん。
お久しぶりです。
なかなか大変ですね。
頑張ってくださいね。
203名無しさん@1周年:02/11/03 22:46
>ろんぎぬす

どんな本を読んでた?
入門的なの教えて。
204ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/04 08:50
>203 遅ればせながら。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1034433797/9 を参考に。
このHPで大体は間に合います。

 どうしても印刷本でというなら、
@カトリックなら、カトリックの教会の近くのカトリック系本屋に行って、
「カトリック要理(改訂版) 発行所:サンパウロ 定価505円+税」
「カトリックとプロテスタント ホセ・ヨンパルト 発行所:サンパウロ 定価860円+税」
を買って読むのがイイでしょう。
Aプロテスタントなら、キリスト教書店のライフセンターかジュンク堂など大きい書店で、
「ハイデルベルク信仰問答 新教新書252 発行所:新教出版社 定価900円+税」
細かい難しいのになると、
「ウェストミンスター信仰基準 新教新書240 発行所:新教出版社 定価1800円+税」
「ウェストミンスター信仰告白講解 新教新書255 発行所:新教出版社 定価1700円+税」
がいいでしょう。
B正教会なら、正教会の教会に行って聖職者に頼んで市販されていない、
「正教要理 日本ハリストス正教会教団」
を取り寄せになります。

http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1034433797/9 の【 キリスト教書専門書店 一覧 】
の店で大抵の物は買えます。
 カトリック系の店は、日曜のミサ後に開いている場合がありますが、
日曜は開いていない店がほとんどですので、土曜か平日にお願いします。
205ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/04 08:54
>204 聖書の解説なら、
「総解説 聖書の世界 自由国民社 定価1900円+税」がよろしいでしょう。

新約聖書の成立の前後や周辺を知りたい場合は、
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1034433797/186 を参考に。
206ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/04 09:11
>204ー205 リンク先が書き変わっていて間違い。
創価学会ハッカー(B票学会員のソウカ班か山崎師団またはF活動協力者=F票学会員)が、
プロバイダや2chのサーバーか自分のPCのシステムやOSへ嫌がらせか?

>204 
●ろんぎぬすの専用スレッド6■ レス9 
@ウエストミンスター小教理問答の学び(改革派)
Aカトリック教会のカテキズム ・公教要理・カトリック「要理の友」(ローマ・カトリック)
Bアウグスブルグ信仰告白 1530年(ルーテル派)
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1034859751/9

●ろんぎぬすの専用スレッド6■ レス11 
【 キリスト教書専門書店 一覧 】
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1034859751/11

>205
●ろんぎぬすの専用スレッド6■ レス186 
@新約聖書外典 A使徒教父文書 Bナグ・ハマディ文書  
C死海文書 Dユダヤ戦記 E教会史 F古代教会史 
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1034859751/186
207もとぴ:02/11/04 16:12
>201
>君にはキリスト教を理解する心がないようなので、適当に気が向いた時に。


今の私は、「キリスト教」には、あまり関心がないかもね。

>161 もとぴ
> 私は、自分の人生と死の関係で、聖書を調べてきたようなものです。
> 聖書の解釈や教理の問題は、自分自身の問題でもあったのです。

208名無しさん@1周年:02/11/04 16:28
>>207
>>201>>200に対するレスだと思われ。
モルモン教アルミ派はキリスト教の異端だからねぇ。
209名無しさん@1周年:02/11/04 16:37
ところで、アルミってなんだろ?
アルミニウス主義ってことかな?
そもそもアルミニウス主義ってなんだっけ?
210ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/04 16:59
>207 了解。
211ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/04 17:19
暇つぶしにどうぞ。

イエスはどんな人
http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/index.html
212名無しさん@1周年:02/11/05 03:04
189=203>ろんぎぬす

親切。ありがとう
213名無しさん@1周年:02/11/06 18:35
同性愛者は全て地獄行きですか?
214名無しさん@1周年:02/11/06 18:36
215名無しさん@1周年:02/11/06 18:51
>>167
人間が勝手に善悪を決めて人を裁く。
これは全人類に言えることですが傲慢ですね。
大抵が自分の都合の悪い人は悪で、自分の都合の良い人は、善です。
或いは、裁く基準があったとしても、それに形式的に反しているだけで人を罪に定めていますね。
216名無しさん@1周年:02/11/06 19:00
>>215
キリスト教徒なら聖書が基準、これあたりまえ。
217名無しさん@1周年:02/11/06 19:00
昨日寝る前に読んだ新約聖書にこんな記述があったんだけど、
この意味は何だろう?

コリント第一の手紙 4章20節
神の国は言葉にあるのではなく、力にあるからです。

218もとぴ:02/11/06 19:36
とうとう、昨日から、仕事の関係で、カキコの時間がこれまでの1/5くらいの時間
に減りました。それと、最近体調を崩していて、内容にもよりますが、今までなら
一日で調べてまとめていたものが、これからは何日もかかりそうです。

>211
> イエスはどんな人
を、少し読みましたが、私としては、放置できない内容です。

「処女降誕 処女降誕は本当にあったのでしょうか」
「そうすると聖霊によって身ごもったと言うのは、一種異様な言い回しですが、要するに
訳の分からない人にレイプされた事をその様な言い回しをしたのではないか...」

これに対する反論は必ず書きます。


とりあえず、今日はこれだけ。。。
>>211
リンクされてる
「新世紀エヴァンゲリオン」と「死海文書」
http://www.dma.aoba.sendai.jp/~acchan/EVA/
は暇つぶしになりました。
220もとぴ:02/11/07 19:49
213さん。
> 同性愛者は全て地獄行きですか?
私も少し考えてみましたが、意外と奥の深い問題で、軽率なことは言えないような
気がしています。213さんのお考えは、どのようなものですか?

215さん
程度の差はあれ、そういうこともあるでしょうね。

216さん
「聖書の基準」って、厳しすぎるとは思いませんか?
それから、実際の信仰生活においては、聖書と人との間に、「キリスト教」が介入してくる
って感じだし。。。

217さんは、どういう意味だろうと、感じているのですか?
221FW190Ta152H-1:02/11/08 00:43
もとぴ氏へ
なかなか充実してますね。このスレット。エホ証関連のスレは最近荒廃が著しくてね
書き込む気がなくなりますよ。
222石原莞爾 ◆Fw190Tn4p2 :02/11/08 10:02
>>219
ワロタ。
223名無しさん@1周年:02/11/08 10:55
>>220

前後関係から判断すれば、神の摂理ではないか。
実現させる力=神の国の形成
人間の思索、議論、思い、等を超えた力とも思える。

ところが、次の節、コリント第一 4:21
あなたがたは、どちらがいいと思いますか。わたしが
鞭を携えて行くことですか、それとも、愛と柔和な心
を抱いて行くことですか。

は脅しみたいに見える。これは正しいか、どう解釈すべきか。 
224名無しさん@1周年:02/11/08 10:58
>>222
石原さん。
ちゃんとキリバンとった書き込みをしてください。
三代目キリバンゲッター石原莞爾 ◆Fw190Tn4p2の名がすたります。
225石原莞爾 ◆Fw190Tn4p2 :02/11/08 11:39
>>224
あらら・・・
でもここは議論スレだから遠慮したんだが・・・
>>220
聖書の解釈は教派によって異なる場合もあるし。まあ、神の摂理に適っていれば
いいんだが。
ああ、「神の摂理」の意味を私なりに考えました。
「神の求める正しい道」って意味になるかなあ。
具体的には「神を愛せよ、そして隣人を自分自身の様に愛せよ。」かなあ???
>>225石原莞爾 ◆Fw190Tn4p2 さんどう思いますか?(と、振ってみる。
227もとぴ:02/11/08 19:58
>>217
>>223
> 神の国は言葉にあるのではなく、力にあるからです。 コリント第一の手紙 4章20節

・・・ 私も、はっきりとはわかりませんが、感じたことを書きます ・・・
コリント教会には、教会内の分派や不品行など、たくさんの問題があったということです。
教会内の問題が、解決できなかった。
にもかかわらず、コリント教会の中には、思いあがっている人たちがいた。

(Tコリント4:19-20)
、、思い上がっている人たちの、ことばではなく、力を見せてもらいましょう。
神の国はことばにはなく、力にあるのです。

これは、「ことば」 と 「力」 を、対比させている のではないかと思います。
ここでは、「ことば」は、「空論」あるいは「論争」、というような意味だと思います。
それに対して 「力」 は、実体があります。

21節は、「脅しみたいに見える>223」 ということですが、
それだけ、コリント教会の諸問題は、深刻であり、パウロの心を悩ませていたのでは
ないかと思います。(5章にあるように、近親相姦さえも、容認していた。)
228石原莞爾 ◆Fw190Tn4p2 :02/11/08 20:01
>>226
やっぱり神の愛とは何か考えたらいいかな〜
愛といってもアカペーなる愛だが。

あなたは何を信仰なさっていますか?
229ドワッジ ◆NwEzmWPRH2 :02/11/08 21:55
>>228
私はイエス・キリストを信仰しています。
ですけど、アカペー愛を努力して持つことは放棄しました。
最近になって「努力とは神の否定である」と思うようになりました。
「アカペー愛を持てますように。」って祈ってるだけですね。
「神の愛」とは「恵み」だと思っています。「報酬」ではなくて。


230 ◆lQyRaJFlJ. :02/11/08 21:57
あれ!
◆の後が変わってしまった。ゴメそ。。。
231石原莞爾 ◆Fw190Tn4p2 :02/11/08 21:58
そうだね。
ありのままのあなたでいたらいいよ。神様の導きによってそうなるように
なるよ。
232石原莞爾 ◆Fw190Tn4p2 :02/11/08 21:59
>>230
ところであなたはガンダムファン?
>>232
はい、そうです。(ガンダム好きなんてカミングアウトしてしまった。
ガンダム以外にもSF全般が好きですね。
普段はboy'sってコテハンを使用していますので、よろしくお願いします。

234名無しさん@1周年:02/11/09 17:19
ルカ16章1節から13節について。
不正の富を用いてでも友達を作れ、とはどう解釈すればいいのでしょうか?
イエスたまが横領を勧めるわけないし・・・。
>>234
「不正の富」=「神から見て不正の富」=「世の富」だと思う。
間違ってたらゴメそ。

236もとぴ:02/11/09 21:46
234さん、235さん、
ルカ16:1-13については、私もずいぶん前から疑問に思っていました。
今、調べても、考えても、やっぱりわからない。
どう解釈したらよいのでしょう?
だれか、牧師・神父・長老さんや、賢そうな人に、尋ねてみてくれない?

229さん
> 最近になって「努力とは神の否定である」と思うようになりました。

いつだったか、私が尊敬するキリスト者には、一つの共通点があることに気がついた。
それは、「一度は、自分自身に絶望して、神の前で、ペッチャンコになったことがある」
というようなものでした。 今は亡き、三浦綾子さんが、そうね。

> 「神の愛」とは「恵み」だと思っています。「報酬」ではなくて。

・「神の愛」と「神の恵み」は、聖書の一元的なメッセージ
・「報酬」は、二元的なメッセージ
この意味、わかるかなあ。。。

221 FW190Ta152H-1さん。どーもです。
もっと、発言してくらはい。
237石原莞爾 ◆Fw190Tn4p2 :02/11/09 21:57
それは管理人の抜け目の無さをほめたことから
マタイ10:16の「蛇のようにさとくありなさい」というように
思慮深さを見習いなさいということではないのかな〜
238 ◆lQyRaJFlJ. :02/11/10 00:12
ルカ16:1-13は分かりにくいですね。
私は11節の「不正の富」と「まことの富」
13節の「神に使え、」「富にも使え」を比較して
「不正の富」=「富にも使え」
「神に使え、」=「まことの富」
と結論づけましたけど、やはり違いますか。
14節でイエス・キリストのたとえ話を聞いた金持ちパリサイ人が
あざ笑うっていますし。

ハァ〜、ダメか〜。
239 ◆lQyRaJFlJ. :02/11/10 00:21
あ〜、字が違っていた。「仕え」です。

隊長!脱出します。。。
240石原莞爾 ◆Fw190Tn4p2 :02/11/10 00:25
>>238
ルカ15:32までは放蕩息子で皆にはなしていた。
16:1からは弟子に向けて話していた。
たとえ話を聞いた金持ちパリサイ人が
あざ笑うっている・・・
皮肉的な喩え?違うかな〜?
241名無しさん@1周年:02/11/10 00:27
職能を活かせよ、
と言われたんではないか?
しかし、神にとって、今ある世の体制での名誉はむしろ不名誉なんで、
職能などによって得られる世での評判は誇る理由にはならんよ、と・・。
242戻りました ◆lQyRaJFlJ. :02/11/10 00:53
ああ、ほんとだ。
パリサイ人は偶然(?)立ち聞きしてたみたいですね。
明日、福音派教会で聞いてみよ。(って今日か。寝よ。。。
243名無しさん@1周年:02/11/10 12:06
>>235-242
レスありがとうございまふ。
ボクもその言葉の趣旨は皆さんと同じように解釈してるんだけど、1文1文の相互関連性を判断するとどうも矛盾するように思えるんです。
ムズカシイ・・・(×_×)
>242 :戻りました ◆lQyRaJFlJ 
 あなたアダ名は、キツネのゴムさん。公安調査部でないか。
エホ証とモルモンと統一協会と創価学会とオウムと、
法の華とライフスペースと愛の家族とイエスの箱舟だかとドレがイイ?
 ワールドメイト(WM)と幸福の科学の争いは、
創価のダミーによって相互攻撃に成功したが、
偽メシアや偽預言者な創価学会には要注意だな。
245名無しさん@1周年:02/11/10 21:16
マリヤ崇敬反対者のスレッドだ!
http://www.soutokuhu.com/bbs/test/read.cgi?bbs=psy&key=1034334812
246山崎師団ソウカ班:02/11/10 21:20
イエス様は、神の子・人の子どちらでしょうか。
イエス様を大天使だと説明している宗教ありますか?
聖霊をエーテルだと説明している宗教ありますか?
神様は父なる神お一人でしょうか?
247石原莞爾 ◆Fw190Tn4p2 :02/11/10 21:23
>>246
>イエス様を大天使だと説明している宗教ありますか?
それはモルモン教でつ。エホ証もそうだったかな?
神様は御父御子御霊三位一体の神様でつ。
マリアってどんな人?タルムードでなんて書かれている?
イエスってどんな人?ユダヤ教のラビはなんて呼んでいる?
249名無しさん@1周年:02/11/10 21:23
神様は父なる神、子なる神、聖霊なる神お一人です。三つですが一人なんです。
 エホ証ではドノ政党に投票しますか?
拉致されませんか?
 うちの支部やブロックでは、
ストーカーして馬鹿にするダミーを探している最中なんです。
キリスト教ってアカですよね。
 イヴには南無妙法蓮華経と唱えてクリスマス・ケーキを食べて下さい。
ハンド・ベル鳴らしながら人間革命を朗読し総体革命すます。
 神棚は外し神札も捨てるように創価教育しています。
利益に偽善に美白で「利善美」がキャッチ・フレーズです。
「真善美」でありません。嘘ついてでも金です。財務に励みましょう。
狂学だけどSGI会長は本仏です。メシアとかキリストではありませんので。
 会長の誕生日は1月2日と1月1日と2つあります。
会長就任記念日は5月3日憲法記念日に祝います。ソーメン。
251石原莞爾 ◆Fw190Tn4p2 :02/11/10 21:52
>>243 ある人の答えですが、

「不正にまみれた富」というのは「この世の子」が作る富のことですね
「この世の子」というのは現世的な考えの支配下にある管理人と小作人のような
関係にあることを指していますね
1タラントが国家予算並の金額であるように、この主従関係も相当隔たりのあるもの、
と考えるべきです
つまり、管理人は相当額の偽造を図ったことになります
主人は債権を失った代わりに感謝を得ました。
そして、温情豊かな(ということになった)主人が管理人を解雇するわけには行かなくなりましたね。
このように「最善の」方法を模索する知恵をつけなさい、ということですね。
「世の子」もときには「光の子」より賢い、というのは
そういう皮肉もあるように思います。
252名無しさん@1周年:02/11/10 22:07
>>251
債権を失った代わりに感謝を得たのはどうしてですか?
現世的な見方をすれば、債権を失えば怒り狂う筈だけど。
253石原莞爾 ◆Fw190Tn4p2 :02/11/10 22:12
>>252
債務者から感謝を得たということです。
254名無しさん@1周年:02/11/10 22:24
>>253
なるほど!!ありがとうございました。解決しました。
255 ◆lQyRaJFlJ. :02/11/10 23:00
>>244 F活動「名誉」学会員 ◆yrliUN8p/2 さんへ、
もうちょっと他人が読んでも分かる文章にしてください。
以上、244さんへの発言終わり。

>>236
えーと、ルカ16:1-13の件ですが
今日、教会で牧師に聞こう思いましたが、
牧師が忙しそうでしたので聞けませんでした。
次に教会にいったら聞きます。
でも>>251が正しそうだなあ。
256名無しさん@1周年:02/11/10 23:10
>>255さん
わざわざどうもありがとうございます。
ぜひ255さんの教会の解釈も教えてください。
257名無しさん@1周年:02/11/10 23:11
あの〜
回復訳ってのはなんなんですか?
いただいたんですが・・・
258名無しさん@1周年:02/11/10 23:31
回復訳っていうのはポーションのことだと思われ。使うとHPが既定値回復します。











てか、おれも知らない。なに?
259boy's ◆lQyRaJFlJ. :02/11/10 23:33
>>257
ここあたりかなあ???
「日本福音書房 ホームページ」
http://www.jgbr.com/rcv/rcv_ex1.htm
260もとぴ:02/11/11 19:58
>>236
> 「神の愛」と「神の恵み」は、聖書の一元的なメッセージ
> 「報酬」は、二元的なメッセージ

「一元的」というのは、無条件に差し出されるもの。 一つのものが差し出される。
「二元的」というのは、条件付で差し出されるもの。 二つのものが差し出される。
・・・ 私は、そんな感じで 理解してます。

「一元的なメッセージ」の場合は、
差し出された一つのもの(恵み)を、【受け取るか、受け取らないか】 です。
恵みを 受け取ることによって、救いを受けます。
けれども、恵みを受け取らない人は、滅びます。

「二元的なメッセージ」の場合は、
差し出されるものが二つ(義と罪、救いと滅び、など)なので、【どちらかを選ぶ】 ことにとなります。
けれども、聖書の二元的なメッセージから、人が受け取るのは、「罪」であり、「滅び」です。
聖書の差し出す条件(律法)を、行なうことのできる人は、一人もいないからです。

【律法】は 私たちをキリストへ導くための 私たちの養育係となった。 (ガラテヤ3:24)
・・・ 聖書に書かれている神の命令を、行なおうとすれば、するほど、自分自身に絶望して、
神の前にペッチャンコになり、キリストの恵みに拠りたのむ ・・・ ようです。
261もとぴ:02/11/11 20:00
ルカ16:1-13について。

1-8節  不正をした管理人は、抜け目なく、この世における将来の住まいの備えをした。
9-13節 「この世の住まい」と「永遠の住まい」を対照して、「永遠の住まいの備えをせよ。」

つまり、このたとえの主旨は、「永遠の住まいの備えをせよ」のようです。
また、明日続きを書きます。
262参考まで(^^;:02/11/11 21:08
ルカ16:1-13について、この個所は大きく分けて3つの部分からなっていると思います。
 1. 1-8 イエスが語った譬え
 2. 9-12 ルカの編集
 3. 13 イエスの語録(マタイ6:24に同じ文がある)
1.で「不正」だったのは「管理人」であったが、2.では「富」が「不正」になってしまって
おり、「富」との関連でルカは3.を付加したのではないかと思われます。

譬えの真意は分かりませんが、それをルカは9-12節のように解釈したのではないかと思われ
ます。そして「不正」がそのキーワードはではないかと思います。
管理人は主人に対して「不正」を働いたが、主人の富も「不正」なものであったのだ。レビ
記25:35-38には、金や食料を貸す場合、貧しい相手から利息を取ってはならないと書か
れています。それなのに、主人はこれまで、小麦の場合でも、25%、油に至っては実に100%
という、法外に高い利息を取ってきた。これは律法の精神に背いたやり方だから、その利子
相当分を全額負けてやったからとて、少なくとも建前上は非難できない。このように、レビ
記の規定を逆手にとって管理人は帳簿を操作し、主人の財産には手をつけずに、しかも借り
手に恩を着せることができた、というわけです。主人が舌を巻いて「抜け目のないやり方だ」
とほめたのは、このためであったのではないでしょうか。そしてそれに、「不正にまみれた
富で友達を作りなさい」という教訓を付け加えたと思われます。

ところで、「富」という語がこの個所では一般的な語πλοντοS プルートスではなく、
μαμωναS マモーナスという語が用いられていることに注意する必要があると思い
ます。
マモーナスはこの個所とマタイ6:24にのみ出てきますが、アラム語を語源とし「信用、信頼」
の意があり、そこから「信用できるもの、信頼できるもの」の意となり、「お金、富」の意
を表すものとなり、そして擬人化され、神とあたかも同等のごとく用いられています(13節
参照、英語等の mammon も参照。欧米訳聖書では mammon と訳されています)。
拝金主義という言葉 mammonism もマモーナスに由来します。
263もとぴ:02/11/12 20:15
ルカ16:1-13について。
262さん。ありがとうございました。一つの説として参考にさせていただきます。
一つだけ質問させてください。
> それなのに、主人はこれまで、小麦の場合でも、25%、油に至っては実に100%
> という、法外に高い利息を取ってきた。
この主人も不正なやり方で財産を得た人間ではないか、という考えはあるようです。
けれども、このように断定することまでは、できないのではないか?


昨日は、「主のたとえ話」 (R・C・マックィルキン著、松代幸太郎訳、いのちのことば社)
を読んで、にゃるほど。。と思って、>>261は書いたのだけれど、、、
これも、そーゆう説もある、という程度にしておきます。
(プロテスタント的には、妥当な解釈とされているようですが、、、)

「新約聖書入門」(三浦綾子著、光文社)によると、この箇所は、「実に難解」、「不可解」、
そして結論的には、「わからないとこを無理矢理解釈しないほうがいい」 でした。
・・・ 結局のところ、私も、そー思います。 不可解。

9節の「不正な富」とは、何か? については、
私もいろいろ調べてみたのですが、三浦綾子さんの本にも紹介されているように、
・・・「この世の富」というほどの意味だそうだ・・・ で、納得しました。
264参考まで(^^;:02/11/12 21:56
>263
「管理人」が「不正」であったのが、「富」が「不正」になってしまっていることに注目し
てみてください。
正当な手段による「富」なら、9節の言葉は必要無いでしょう。「不正な手段を用いても、
友達を作りなさい」でも良いのではないでしょうか。
なぜ、辻褄の合わないような変化が起こっているのでしょうか。主人の「富」が不正なこと
により生じたことを暗に示唆していると思われます。

「富」に対して「不正 αδικια アディキア」という語が付加されているのはここだけ
です。前述しましたように、「富」という語がこの個所では一般的な語 πλοντοS プ
ルートスではなく、他の個所では決して用いられていない μαμωναS マモーナスという
悪しき意味の語が用いられていることに注意する必要があると思います(この語は良い意味
では古典ギリシア語でも用いられていません)。
尚、口語訳、新改訳の11節「真(まこと)の富」の訳は意訳で原文には「富」という語はあ
りません。

主人が富を増やすために手段を選ばなかった。あたかもMammonに憑かれたかのように。
だからこそ、13節の言葉が意味を持つのでは、と思います。

それと、思うに、この個所は、放蕩息子の譬えと金持ちとラザロの話の間に置かれているこ
とにも注目する必要があるでしょう。
前者では父からの財産を放蕩により無駄使いしてしまう息子、後者では貧しい者に分かち合
わない金持ちが物語自体の主役。結末は共に悲惨。
「富」を信頼し己のためだけに用い、他者のために用いないなら、その「富」はMammonと化
してしまう(ルカ12:13-21参照)。
どのような「富」であれ、それをどう用いるかが問われている。
だからこそ、13節の言葉は大きな意味を持っている。金持ちとラザロの話は、1-13節を抜き
にしては読めない話ではなかろうか。
265もとぴ:02/11/13 20:27
>264 参考まで(^^; さん。
ていねいな解説をありがとうございました。驚きましたです。
特に、
> 「富」を信頼し己のためだけに用い、他者のために用いないなら、その「富」はMammonと化
> してしまう(ルカ12:13-21参照)。
は、説得力があります。



そこで、私は、こう感じました。
9-13節を、取税人やパリサイ人など、当時、不正な富を得ていた人たちにあてはめると、
話がわかりやすいような気がします。
「不正の富(マモン)で、自分のために友をつくっておきなさい。
そうすれば、富がなくなったとき、あなたは人に愛され、神に愛されて、
あなたは永遠の住まいに迎えられる。」


参考まで(^^; さんは、どう思われますか?
266もとぴ:02/11/13 23:24
詳訳聖書
・・・ルカ16:9
私はあなたたちに言う、不正なマモン〔すなわち、見せかけの富、金銭、財産〕を用いて、
自分のために友人たちをつくりなさい。
それ〔マモン〕がなくなるとき、〔あなたが親切にしてあげた〕その人たちが、
永遠のすみか<住居>にあなたたちを受け入れて<歓迎して>くれるためである。
・・・13節
しもべは、ふたりの主人に仕えることはできない。
一方を憎んで他方を愛するか、あるいは一方を支持して<に熱中して>他方を軽んずるかである。
あなたたちは、神とマモンとに仕えることはできない。


9節と13節は、
やはり、当時、不正な富を得ていた取税人にあてはめると、話がわかりやすいような気がします。
・「それ〔マモン〕がなくなるとき、」と書いてあることから、その親切は、本心からのものと思います。
本心から、人に親切にして、友人たちをつくりなさい、という意味と思います。
・「永遠のすみか」の解釈は、難しいとは思いますが、
人を愛し、愛されることは、神に近づくことであり、それは永遠の住まいの備えとなるものと思います。

一方、パリサイ人は、律法に厳格で、人の前では「神に仕えている」ようではありましたが、
心の中は貪欲(14節)で、「あなたがたは、神に仕えず、マモンに仕えている」、と指摘されたのでは
ないかと思います。
267boy's ◆lQyRaJFlJ. :02/11/13 23:29
あれ?
ルカ16:1-13でイエス・キリストが言いたいことからズレていない?
そもそも、ここのタトエ話の主題は13節の
「しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。・・・」じゃないの。
「不正」とか「友を作りなさい」とかは、わりと枝葉的な部分だと思いますけどね。
あまり「不正」「友を作りなさい」にこだわらない方が良いんじゃないのかな。。。

そんなことない???
268もとぴ:02/11/14 20:02
boy's さん。
ルカ16:1-13については、私はコロコロ考えが変わっています。
その中でも、参考まで(^^;さんは、大切なポイントをいくつか指摘してくれました。
以下、私が理解し、感じたことを、書いていきます。

ポイント
@1-8節では、「管理人」が「不正」であった
A9節では、「富」が「不正」になってしまっている
B「富」は、この箇所では「マモーナス」が用いられている。 (一般的には「プルートス」)

ここでは、【マモーナス (英mammonマモン)】が、キーワードと思いました。
日本語の「富」という語だけでは、理解できなかったポイントが、そこにありました。

「マモン」は、ギリシャ語原語では悪い意味として、不正な「富、お金、財産、所有物」をさしている。
マタイ6:24、ルカ16:13では、マモンは擬人化されている。
「あなたがたは、神にも仕え、また富(マモン)にも仕えるということはできません。」
(他には、ルカ16:9,11で、マモンが用いられているのみ)
269もとぴ:02/11/14 20:04
つづき
次に、私が注目したのは、「取税人」と「パリサイ人」です。

【取税人】
罪人の代表みたいなもので、同胞のユダヤ人に忌み嫌われていた。
当時のイスラエルはローマ帝国の支配下にあり、その結果ユダヤ人は、自国の領主と
ローマ帝国に対して、二重の税金を納めなければならなかった。
それは屈辱的で過酷であったのに、取税人たちはそうした中で、税金を余分に徴収して
私腹を肥やしていた。(ルカ3:12-13)

【パリサイ人】
ユダヤ教の一派で、律法に厳格で、人々に尊敬されていた。
けれども、彼らは、金が好きであった。(ルカ16:14)
彼らは、専門家の地位を利用して、不正の富も得ていたようです。(参照マタイ23:14)

イエスの話を聞いていたのは、取税人と弟子たちとパリサイ人でした。(ルカ15:1-2、16:1,14)
取税人とパリサイ人は、マモン(不正の富)を愛し、マモンに仕えていました。

「不正なマモンを用いて、自分のために友人たちをつくりなさい。それ〔マモン〕がなくなるとき、、、」
(ルカ16:9)は、マモンに仕えることを捨てて、人々を愛し、そのことのためにマモンを用いなさい、
という意味に解釈できないでしょうか。
ルカ19:1-10によると、取税人のかしらで金持ちのザアカイは、大喜びでイエスを迎え、
マモンに仕えることを捨て、人々を愛し、そのことのためにマモンを用いる者となった、
と解釈できる。
270もとぴ:02/11/14 20:08
>>234さん
> ルカ16章1節から13節について。
> 不正の富を用いてでも友達を作れ、とはどう解釈すればいいのでしょうか?
> イエスたまが横領を勧めるわけないし・・・。

9節の
「不正の富(マモン)で、自分のために友をつくりなさい。」
は、
「そうしておけば、富(マモンのこと)がなくなったとき、、、 」
と、続いているように、
不正の富(マモン)を、勧めたり肯定したりしているのではありません。
マモンに仕えている人は、マモンに仕えることを捨てて、人々のためにマモンを用いる者になりなさい。
・・・という意味と思います。
271名無しさん@1周年:02/11/15 18:22
>>270
なるほど。それなら前後つながりますね。
みなさんありがとうございました。
272名無しさん@1周年:02/11/16 19:05
ポルターガイストは誰の仕業?
悪霊と死者の魂の違いについて教えて。
>270 :もとぴ :02/11/14 20:08
お呼びでないが、お久しぶり。
 マモンはアラム(アラマイ)語が発生らしく、信頼すべきもの、確かなもの、の意味で、
蓄積より生かして用いるべき事と教えている。
 主人への家令の収支決算の報告は、この世を終えた死んだ者への裁きのハカリを象徴しており、
50バテや20コルのごまかしは、本来の借りではなく、利子部分であって、
この利子のごまかしは、相手への赦しをも意味しており、
ごまかされた主人は実は借り金その物を損してはいない。と捉えるべき。と解説書にあります。
 この世に生きた者の最後の裁きは、当然にイエス様だから、
主の祈りにあるように、赦せば、赦される喩えでもあります。
>273 つづき。
 ようは、はした金で仲間を作れ。とか、ピンハネで友人を作れ。それで身の保身を謀れ。
という意味でない。
 余計に吹っ掛けた利子(不正の富)を免除して人を赦してやれ、そうすれば主人も赦すという意味。
聖書では他の箇所にも赦す赦さないの例え話があったはず。
 中国の戦国時代の漢籍でも、
斉の国の宰相に登用を願った長剣よ帰ろうかの食客が、
主人の貸し金を借りた奴に棒引きにして、主人の人気を作り、
斉の国の王様に疎んじられて失脚した際に、
長剣の食客に棒引きにして貰った民が、その金貸しの主人を暖かく迎えて、
民に殺されずにすんだ話がある。
275もとぴ:02/11/16 20:25
>273 :ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/16 19:24
呼んでないけど、お久しぶり。
解説ありがとう。>>262の「参考まで(^^;」さんと、ほぼ共通した内容ですね。
ルカ16:1-13については、実のところ私は >>263の時点では お手上げ状態でした。
それが、「参考まで(^^;」さんの
>>264
> 主人が富を増やすために手段を選ばなかった。あたかもMammonに憑かれたかのように。 、、、
> 「富」を信頼し己のためだけに用い、他者のために用いないなら、その「富」はMammonと化
> してしまう(ルカ12:13-21参照)。
を読んで、「にゃるほど!」 となりました。

それにしても、あなたはいい解説書を持っていますね。
その解説書、紹介してください。
 
> ようは、はした金で仲間を作れ。とか、ピンハネで友人を作れ。それで身の保身を謀れ。
> という意味でない。
私は、そのようには言っていない。

> 余計に吹っ掛けた利子(不正の富)を免除して人を赦してやれ、そうすれば主人も赦すという意味。

ルカ16:9と13の解釈について言えば、
ルカ19:1-10の、取税人のかしらで金持ちのザアカイが、マモンに仕えることを捨て、人々を愛し、
そのことのためにマモンを用いる者となった者の実例であると思う。

ザアカイは、大喜びでイエスを迎え、そして神に立ち返った。
ザアカイが、人々のために自分の財産を使うと言ったのは、その結果に過ぎない。
>275
 すみません。ピンハネ云々は・もとぴサンに対してではなく、
このスレを読む人への勘違いを防止する為のものです。
 神とマモンの両方に仕える事は出来ない。というのは、
不正蓄財の金を細工して助かるというのではなく、
神の御心によって人に接した者が助かる。という意味合いだと、
個人的に考えている。
 それが証拠に、イエス様は個々人の重荷や借財は帳消しに出来ないので、
自分の十字架を追って着いて来なさい。私の荷は軽く負い易いと言っている。

 解説書は「実用 聖書注解 全1巻 いのちのことば社 18000円」です。
アラム語が出典である解説の他に、
当時の地主や家令と証文のあり方などの一つに、利子の解釈があります。 
 ほかの解説書に「1972年の新版増訂 新約聖書略解 日本基督教団出版局 2000円」は、
職務に忠実なのは、小事の財の神(マモーナス)に仕えるのではなく、
大事の神の国に仕える事として恩を着せる事という解釈で、
「新約聖書 フランシスコ会 聖書研究所訳注 中央出版社1987年版 980円」は、
マンモンはアラム語からギリシア語化とあり、不正の富は施しに善用しましょう。という解釈です。
訂正。あわてすぎ。読み直しなし。すんませ。
× 自分の十字架を追って着いて来なさい。私の荷は軽く負い易いと言っている。
○ 自分の十字架を「負」って着いて来なさい。私の荷は軽く負い易いと言っている。

>275
ザアカイの件は同感です。
 ザアカイは取税人の仕事は辞められないが、
これからは税率を偽ってピンハネで不正蓄財はしません。
だまし取った物は返します。と自分を正しています。
 だまし取りのザアカイは嫌われていたが、
イエス様に友達にして貰って改心したのです。
278名無しさん@1周年:02/11/16 21:39
最初ろんぎぬすさんのレスの通り解釈してたんですが、ちょろまかした僕の主人がちょろまかしを褒めているのですよね。
普通ちょろまかしを褒めるのは考えられないんですが。この世の常識的に。
主人は欲の塊だったはず。
そこで疑問が出たんです。
整合的に解釈する方法がないものかと。
ろんぎぬすさんはどう考えましたか?
>274 :ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/16 19:35
> 余計に吹っ掛けた利子(不正の富)を免除して人を赦してやれ、そうすれば主人も赦すという意味。
>聖書では他の箇所にも赦す赦さないの例え話があったはず。

 ちょろまかし、を褒めた。のは借財人に対して「赦し」をして友としたからでしょう。
他の聖書の箇所でも、探しますが、えっと、
マタイ(英マシュー・伊マテオ)18:21−35の赦さない僕(しもべ)の例え話です。
自分の重荷を負うのと天に宝を積む話やザアカイの改心の話との組み合わせなんです。
 あくまで中心テーマとか解釈の軸は神と人の関係を、この世の主人と僕で解釈する所なんです。
また旧約やその引用だと神と人を、陶器師と陶器の関係に喩える、
ギリシア語の公共職人デミウルゴスを創造主・神とする原点が、キリスト教的解釈の軸なんです。
 キリスト教特有の、神が人に向かって罪は「無かった事にしてやる」
「無罪放免」って言う精神なんですよ。
>>278
イエスのブラックユーモアなのだ、って言ってる学者がいたような・・・。
>273
> 主人への家令の収支決算の報告は、この世を終えた死んだ者への裁きのハカリを象徴しており、
>50バテや20コルのごまかしは、本来の借りではなく、利子部分であって、
>この利子のごまかしは、相手への赦しをも意味しており、

 私も「ちょろまかし」を褒めるのは非常識だと思いますよ。
ですがコノ「ちょろまかし」が善良に解釈されるのは、
この「不正の富」を積む「利子の回収を放棄」した点なんです。
主の祈りの「我らの負い目を赦したまえ」です。
 我々はこの世に生きていく上で悪い事も良い事もします。
神様は死んだ後に収支報告をされるんです。
神様は利子を要求できる立場にあるのです。
 原罪は明らかに負の利子、支払利息の元本部分みたいな物です。
支払利息はこの世での悪事の積み重ね。報い。です。
これを帳消しにする為にイエス様は来たようなものです。
 負の利息の反対に、カラシ種の喩えみたいに、
逆に御言葉を述べ伝え信者を増やす。信仰の友を増やすのも、
死んだ後の収支決算に繰り込まれるわけで、
また行いの結果を、毒麦やブドウの実がなる喩えに繋がっていくのです。
 聖書には、証文には元本いくら利子なんパーセントなんて説明書きはないが、
前の文に「収支を報告しなさい」とか「借りは幾らか」と、
何気に「収益報告や利子の回収の」ヒントが書いてある点なんです。
>281 補足です。
>前の文に「収支を報告しなさい」とか「借りは幾らか」と、
 文の前だけでなく「他の例え話」に、
お金を預けて旅に出た主人が、帰って来た時に、僕は預けた金を元手に稼いで増やしたか、
稼がないバカ僕には、銀行に預けて利息を貰うべきであった。とか文句を言う下りがあり、
こういう喩え話があるように「利息」が解釈のキーワードの一つにあるんです。

>これを帳消しにする為にイエス様は来たようなものです。
 「これ」とは「原罪」です。
支払利息の部分は、各自に自分の利率があるから、これを軽くしないといけない。
 人類に共通の借金部分「原罪」は、イエス様を信じる者に関してはイエス様が返した、
あとはメイメイの負債を返しなさい。
 自分の十字架を負いなさいという事。
>282以前を一括して。

 こうしてみると、キリスト教って愛とかのぼせ上がるように感じられるけど、
解説書を読んだり、神父様や牧師様の説教を長年聞くと、結構シビアな宗教と気づくでしょう。
 まあ、プロテスタントの解釈書が、資本主義なアメリカン・スタイルだから というのもありますが、
古代ユダヤの契約の概念やローマ帝国時代の経済のスタイルが解釈の根底にあるんからなんです。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1001498157/772

もとぴさん、つまらない理由でエホ症スレを汚さないでくらまい★





なーんて言わないよ♪
285もとぴ :02/11/16 23:57
う〜〜ん。
やっぱり、キビチイ。。。

18000円
>>276
286名無しさん@1周年:02/11/17 00:45
age .
彼是珍竹林之変竹林的人物。好好爺的事。
288名無しさん@1周年:02/11/17 08:29
 ↑ 
便衣隊失敗の事。HN変えなかった。自分で言うのもなんだが、馬鹿なヤシ。
辛亥革命の武漢蜂起の際に、武漢三鎮の新建陸軍の部下に銃口を向けられて、
快く革命軍総司令官を承諾して、人気取りで新軍に名前を貸した、
黎元洪?将軍のような気持ち。
289名無しさん@1周年:02/11/17 08:37
   ↑
 武漢からの報告を勘違いして、革命党の摘発に切羽詰まって蜂起しただけなのに、
優勢で取り締まりが成功する寸での所で、蜂起で将軍が寝返ったとか勝手に負けを認めて、
北京の満州皇室がビビッて退位を、慌てて宣言すように、
 敵に寝返った振りの演技や、状況判断で反対勢力を欺く嘘報告を、
真に受けると滅ぶ事も世の中にはある。
 何事も事実確認や真意の探り合いとか別ルートの報告も勘案して、
状況判断する余裕は必要だ。
 ○○殿、今すぐ決断を、ってーのは、
ドコでも誘って来た側の陰謀とか引っ掛けナンだと気づくべき。
290名無しさん@1周年:02/11/17 08:42
>287 の解説。
 チンチクリンのヘンチクリンの彼とは「もとぴ」サンではありません。
F活動で引っ掛かった「学会員でない」名誉学会員の事です。

聖書解釈にも教派によっては変竹林な解釈があるんです。
291名無しさん@1周年:02/11/17 09:25
>290
  ↑
だから「辛亥革命」を、蜂起軍とは別組織だった孫文側の一部勢力や、
袁世凱の息子の家庭教師をやっていた宮城・古川出身の吉野先生など、
日本側は「インチキ革命」って、当時は称したのさ。

岩手・盛岡の終戦推進の米内光政中将とか、
山形・・・のミッドウエイ海戦とサイパン玉砕の南雲忠一参謀とか、
山形・鶴岡の関東軍の石原完爾参謀とか、
宮城・仙台の226の頃の蔵相の高橋是清とか、
宮城・古川の大正デモクラシーで袁世凱の息子の家庭教師をした吉野作造?とか、
宮城・栗原の左利きの安・重根(安・応七)の話し相手の千葉十七とか、
宮城・仙台の藩士が、正教会の初の日本人信者の函館神社宮司の沢辺琢磨から函館戦争で正教信者になるとか、
東北地方は、
英米や中国・朝鮮・ロシアなどの外国勢力と相手する有名人物が、
位が上の人から下の人に至るまで結構多いのだ。

 正教の信者が話しに出たついでに、
1868年7月のニコライの手紙には、カトリック教会がイエズス会の宣教師を、
横浜に3人、長崎に4人以上、函館に2人、兵庫(神戸)にポスト要求。
と言う状況下であったと書き記してあった。
 プロテスタントの話は、ヘボン先生のレスを参照に。
プロテスタントは全てアメリカン・ミッションで、
アメリカの聖公会(アングリカン教会)・アメリカのスコットランド系の長老派教会・
アメリカのイングランド系の改革派教会・アメリカ独自のバプテスト伝道団の教会だけであった。
 聖公会を除き基本的にはピューリタンなのです。
だから私は日本のプロテスタントは基本的にウエストミンスター信仰基準だ。といい、
日本キリスト教団のワインを聖餐に使った変節を怒った。
総会などの事情通云々より、道理を通さない今のプロテスタントに憤慨を感じていた。
 その一方で、カトリック教会では、
フランス人宣教師が長崎に来てフランス人向けに聖堂を建てた際に、
日本人の隠れキリシタンが出没する騒ぎがあった。
292もとぴ:02/11/17 11:11
>>278さんの質問に対して、ろんぎぬすさんがどう答えるか、私も関心ありました。

>279 :ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/16 22:00
> ちょろまかし、を褒めた。のは借財人に対して「赦し」をして友としたからでしょう。

この答えには、「にゃるほど!」と、私は感服しました。
この管理人は不正をしたとはいえ、自分の将来のために抜け目なくやった。
すなわち、債務者たちの抱えていた利息を免除して、彼らといい人間関係をつくった。
それで、主人がほめた、ということかと。 
>>262とほぼ同じだ。。。)

でも、そのあとの解説は、よくわからない。疲れる。てゆーか、「原罪」は、別の主題。
・・・ たまには私も「お気楽モード」で書きたいことがあるのよ。285のように、
293もとぴ:02/11/17 11:16
>>283については、「にゃるほど」と思います。

> まあ、プロテスタントの解釈書が、資本主義なアメリカン・スタイルだから というのもありますが、
同じようなことだけれど、プロテスタントの場合は近代フリーメイソンの影響が大きいと思う。
それから、私は 「日本のキリスト教は、西欧文化という荷物を背負っているようなもの」 と
発言していますが、西欧文化をさかのぼれば、
> 古代ユダヤの契約の概念やローマ帝国時代の経済のスタイルが解釈の根底にある
ということになるかも。


>>272さん。
近日中にカキコします。
参考に。
★インマヌエル主都中央キリスト教会(メソジスト系)
http://www.igmtokyo.com/
★インマヌエル主都中央教会の歩み
http://www.igmtokyo.com/history/history.html

【 キリスト教の信仰信条 】
★ニケア・コンスタンチノポリス信経 ギリシア語
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/1125/symbol/greek.html#nikekon
★ニカイア信条を学ぶ(日本キリスト教団・改革長老教会・鎌倉雪ノ下教会)
http://www.yukinoshita.or.jp/tsuushin/nicene1.htm
★天主経 現代ギリシア語 ELLINIKA Greek Grec Gracae Romaic Neo-Hellenic
http://www.christusrex.org/www1/pater/JPN-greek.html
★天主経 コイネ・ギリシア語 KOINE GREEK (新約聖書を書いたギリシア語)
http://www.christusrex.org/www1/pater/JPN-gr-koine.html
【 信仰基準(要理・信仰問答・信仰告白) 】
●フリーメソジスト教会・ウェストミンスター小教理の信仰問答
http://member.nifty.ne.jp/m-aoyama/mondou.htm
●ウエストミンスター小教理問答の学び
http://www.jesus-web.org/westminster_s/frame.htm
●公会問答(1959年版 日本聖公会祈祷書)
http://www.try-net.or.jp/~f-frank/talk169.html
●キリスト教と聖公会についてよく出る質問
http://www.threeweb.ad.jp/logos/seikokai/faqsj.html
●『フマネ・ヴィテ』研究会HP(主宰 カトリック司祭成相明人)http://hvri.catholic.ac
目次 ↓C 正統信仰の擁護 http://hvri.catholic.ac/contents.htm#C
↓31 カトリック教会のカテキズム http://hvri.catholic.ac/cccccc.htm
●みこころネット(三上 茂 (名古屋教区鳴海教会所属))↓カトリック教会の教え・信心
公教要理 索引附 --昭和27年3月5日-- http://www.aba.ne.jp/~mikami/catech.htm
★ カトリック「要理の友」 ★ http://www.tomoshibi.or.jp/tushin/yori/yori.html
●〜キリストの風をあなたに〜 日本福音ルーテル玉名教会・合志教会(牧師 山田浩己)
http://www.remus.dti.ne.jp/~hiromi-y/main1.html
↓信仰告白(使徒信条・ニケア(-コンスタンチノポリス)信条・アタナシウス信条)
http://www.remus.dti.ne.jp/~hiromi-y/sinzyou.html
男性 http://www.remus.dti.ne.jp/~hiromi-y/sounenn.html
↓アウグスブルグ信仰告白 1530年
http://www.remus.dti.ne.jp/~hiromi-y/augusuburugu.html
シュマルカルデン条項 1537年
http://www.remus.dti.ne.jp/~hiromi-y/shumarukarudenn.html
和協信条 1580年
http://www.remus.dti.ne.jp/~hiromi-y/wakyou.html
【 東方正教会の解説 】
>このHPに掲載されている内容は無断転載禁止です。
>メインページ http://plaza15.mbn.or.jp/~fnagaya/
>●正教会とローマ・カトリック教会の相違
http://plaza15.mbn.or.jp/~fnagaya/frOrth-Catho.htm
>●正教徒と福音派の対話(この訳文の無断転載は禁止です。)
http://plaza15.mbn.or.jp/~fnagaya/framepage.htm
>●世界の正教会
http://plaza15.mbn.or.jp/~fnagaya/WolrOrth.html
>●ロシア正教会 祭日暦とイコン
http://plaza15.mbn.or.jp/~fnagaya/frameCal.htm
>●正教会の伝統と象徴
http://plaza15.mbn.or.jp/~fnagaya/Dento1.htm
●正教ライブラリー・祈 り
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/1125/inori/
●奉神礼
http://www.orthodox-jp.com/nagoya/liturgy.htm
●聖師父たちの言葉
http://www.orthodox-jp.com/nagoya/farthers.htm
●横浜ハリストス正教会のイコン
http://www.orthodox.jp/yokohama/icon/index.html
【 正教キリスト教徒(ハリスティアニン)の祈りの生活 】

★正教会の私生活での祈祷について。
http://www.orthodox-jp.com/nagoya/nandemo20.htm
★正教会の聖セラフィムの勧める祈りの生活
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/1125/serafim/serafimuinori.html

★聖金口イオアン聖体礼儀(主日)
『(ニケア・コンスタンチノポリス信経)信経』 『(天 主 経)主の祈り』
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/1125/inori/dl..html
★朝 の 祈 祷 文 至聖生神女讃詞『生神童貞女よ喜べよ・・・』の歌
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/1125/inori/asa.html
★昼の祈祷文 食前の祝文 或は
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/1125/inori/hiru.html

★正教会の礼拝(奉神礼:リトゥルギア)
http://plaza15.mbn.or.jp/~fnagaya/Dento2.htm
★日本ハリストス正教会教団 東京復活大聖堂教会 ニコライ堂青年会
http://www5b.biglobe.ne.jp/~stephen/y-nico/

★正教(聖歌)用語集
http://www.orthodox-jp.com/maria/term.htm
→ 東方正教会の聖歌 http://www.orthodox-jp.com/maria/ から。
★正教の教会暦
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/1125/koyomi/index.html
298boy's ◆lQyRaJFlJ. :02/11/18 17:18
>>296
>●正教徒と福音派の対話(この訳文の無断転載は禁止です。)

を、読んだけどこんな福音派っているのかな。疑問だなあ。
私がよく顔を出す教会が、福音派なのですが、
それが理由で、擁護するつもりは無いけど、

カトリックや正教は、すぐ「伝承」って事をいうでしょ。
あと、「なんとか会議」とか「偽伝」「外伝」の話になるけど、
実際どこまでの文書や会議内容を知る必要があるのか、分からないですよ。

66冊からなる聖書について話そう、とかなら話もできますが、
そこへ、聞いた事もない会議の話が加わってくると、全然わからないですよ。

つくづく思うのは、「伝承」「なんとか会議」を知らなければ、
イエス・キリストを信仰してはいけないのか、と思いますし、
良いも悪いも、読む必要のあるテキストを出してもらえなければ、
判断ができないですよ。

信仰したいのは、イエス・キリストだけなので、
私が行く教会はカトリック、正教、プロテスタントのどの教会でもいいですよ。
299もとぴ:02/11/18 19:40
>296-297ろんぎぬすさん。
結局あなたは「東方正教会」の宣教をしたいわけなの? 

ろんぎぬすさんにお尋ねします。
「マリヤは、処女で、聖霊によってみごもって、イエスを産んだ。」
プロテスタントの教会は、このことを信じていますし、私もそう信じています。
あなたは、このことを信じていますか?


>298 boy'sさん。私も、そう思います。

神の恵み(キリストの福音)を聞き、それをほんとうに理解する。 (コロサイ1:6)
それは、個人の問題です。
そのような個人の集まりが 「教会」 であると、私は思います。


〔豆知識〕
キリスト教会の分離 ・・・ カトリック教会、プロテスタント諸教会、東方正教会について ・・・
1054年、【西方教会(ラテン系・カトリック教会】と、【東方教会(ギリシャ系・正教会】に分離。 
1517年、西方教会(ローマ・カトリック教会)から分かれたのが、【プロテスタント諸教会】。
 個人的には正教会は大嫌いです。
儀式や教会の装飾の壮麗さは別です。
 泣きそうな顔の幼女への虐待も弱い者イジメも言い掛かりも密告もストーカーも値段誤魔化しや取引の嘘も平気で、
金や頭があった所で根性や態度の信者の質が、創価学会の学会員なみですから。
 面当てがましい事や嫌味話題などリツルギア中(礼拝中)に言うものなので、
最初は私にヒッついて来た学会員のスパイ?と思ったのですが、
信徒会館で階段を上がる聖歌練習に行く日曜のリツルギアで見慣れないオバサンとか、
駐車場や教会付近に無言で停めて車の中からジットーと見続けるオヤジなど、
実際は正教聖歌や祈祷を唱える正教徒だったんで、びっくりして二の句がでなかった。
学会員呼ばわりは嘘でしたが、謝る気が起こらんのです。あまりの陰険さに。
 たとえ聖職者に嘘つかない命令され正直ロボット人間でも、
人の誤解や勘違いとか言葉尻をあげつらって金品や権利要求する所や、
値段偽りやストーカーや用語誤魔化しや正教の本と違った嘘教えなどに唖然としましたよ。
 一般人なら知りそうにない人の過去を、また自分から話さない事を先に言うのです。
それが殆どの場合は、私が創価学会やキリスト教徒を馬鹿にして言っていた人達に、
された事にそっくりの事を、正教の聖職者や信者が言ったりマネるのです。
 なるほどロシア革命が紳士的ではなく暴民の残虐さから起こり、
共産党が正教を滅茶苦茶にした理由がうなずけます。
それくらい庶民の恨みを買う事を「教会儀式や聖職者の命令」でやってきたからでしょう。

 リンクの紹介をしているから、正教の宣教といわれてもしょうがありませんが。
いろんなキリスト教があるっていう参考意見にと思ってカキコしました。
 発展した人権や教育や福祉にウルサイ現代社会の世の中でも、
こんな化石のようなホンマモンの使徒伝承の虐待時代のキリスト教会も存続してあると。

 それに私は主イエスの母マリアは、
歴史上の実際は新約聖書原典の記述にあるギリシア語の処女ではなく、
アラム語の乙女(非処女・処女問わない、若い娘)だと思っているので、
 信条を唱えた所で確信はないから、
正統的キリスト教徒と言えないかもしれませんが。
>298 :boy's ◆lQyRaJFlJ. :02/11/18 17:18

 聖書から自分の考えやフィーリングから
プロテスタントの諸派が生まれたようなものなのです。
 イエスを信じる。とアナタは言いますが、
私も主イエスを信じています。しかしキリスト教徒ではありません。

 それに、阿含宗を辞め恐怖の大王降臨の馬鹿げた信仰を捨てたのは、
ルルドの聖水を被ったからだと思っており、
そのルルドの聖水を掘って見つけたベルナデッタというフランス・ピレネーの女の
マリア信仰も信じざるを得ませんし、
 イグナチオ・デ・ロヨラという
日本に宣教に来たザビエルの友人でありイエズス会の初代総長も信じています。
 66巻の正典聖書は、キリスト教会の会議が定めたものであり、
またキリスト教会は正典の聖書の他に、
外典も教父の著作も異端の書も教会決定の文面も持っており、それらを駆使して、
解釈も説教の権限も儀式の仕方も使徒以来から保っているんです。
 これに属さない事にはキリスト教徒ではなく、
イエス様のキーホルダーの十字架を持つ聖書マニアなんです。

 ですから儒教の論語を受験勉強で覚えていて孔子様は偉いから信じるとか、
道教の占いをして張天師とか中国の神様を信じてお香を焚くのと違って、
仏教に、寺があって坊さんがあってお経や説法を聞いて
受戒でもしないと「正式仏教徒」になれないのと同じように、
単に寺に属さずに、宗祖の曼荼羅を拝み、お経マニアとか座禅マニアで終わる
ソーユー世界ではないんです。

 聖書だけからでは、
モーセやイエスという偉人物語やユダヤの昔話を読んで感動しているようなもので、
キリスト教会とは別の新興宗教を生むのです。
>301 つづき。

 でも私は、正教の日本人の主教様が可哀想になってくるのです。
いままでロシア人主教だった所から、これは日本人信者にとっても悲願だったわけですから。
 それに主教は、
結婚する輔祭(主教や神父の下の位で、儀式補助や電話や郵便の窓口事務員)と違い独身です。
 だから窓口の誤魔化し報告や脚色や偏向した情報提供で、
間違い判断による勘違い命令は、
独身や妻帯の根性悪の心根の差から当然起こる物と思っていますし、
 外からの見た目の正教会には、上意下達が徹底しすぎていて、
窓口の握りつぶしや高位信者の偽命令を発覚させる、
下位の他の信者との連携による、間違いを是正する機関や機構が存在しないのです。
 主教様が日曜に聖堂の外に出られて一般人に見えても、
儀式中は決められた手順以外の動作は禁じられており、竹先にフミの直訴は受け取りがありえません。

 それで私への虐待命令が正教内に仮にあったにしても、
見かけ上は主教命令かもしれませんが、
内容が下位聖職者や反感を持つ高位の信者の排除決定によるものと信じています。

 ルネサンスや反宗教改革やフランス革命や産業革命して来た現代人の良心として、
私は抗命(命令抵抗)をします。
303boy's ◆lQyRaJFlJ. :02/11/18 21:57
>>301
>これに属さない事にはキリスト教徒ではなく、
>イエス様のキーホルダーの十字架を持つ聖書マニアなんです。

でしたら、聖書マニアからもうひとつ聖書に近付きたいと思いますので
「東」と「西」の、どちらが正式なのか教えてください。
全体の文面から、使徒伝承を重要視しているように見受けられますが、
使徒伝承が重要なら「東」「西」の二つ両方に分かれて、
両方が正式な教会には、ならないですよね。

具体的にお尋ねしますが、
カトリックと正教のどちらが、イエス・キリストの直系の弟子になりますか。

>303
boy’sサン言葉が荒くてすみません。私の見解を、お答えします。

儀式に関しては東方正教会が古式で正統という意味で直系。
(教区にエルサレム教会を含み、3人の主教により主教を誕生させる方式、アクシオス”適任”の儀式)
組織の統一方式においてはカトリック教会が正統という意味で直系。
(ペテロの教会という主張で、ローマ教皇を中心に枢機卿や司教のヒエラルキーを構成)
理由は、
東方正教会は民族ごとの各国語の言語の典礼(礼拝形式)であっても、
主教の選出方法に関して古式を統一的に保持。
カトリック教会は(30年前まで)ラテン語の典礼で統一し、
組織の分裂阻止において教皇を頂点に一枚岩。
>304 補足。

 カトリック教会で司教(主教)の誕生は、
あるカトリックスレのレスでは大司教であれば叙任は出来るそうですが、
アルゼンチンの何だか言う大主教が分離の可能性があると囁かれた事があります。
 それで聖職者の誕生の按手礼が有効だった過去例は、
カンタベリー大主教がカトリック教会から分離した
英国国教会(聖公会・アングリカン教会)です。
 ルーテル派教会は分離ではなく破門されており、
ルーテル派地域の旧カトリック教区の大司教の誕生はなく、
牧師の叙任は聖礼典(サクラメント)から除外した事も含めて有効でないとされています。
 フランスはルイ14世時代に宰相リシュリューが
フランス国教会を作りかけましたが、ローマ・カトリック教会に残留しました。
現在のフランスの大司教では、たぶんオルレアン教区の司教と思われます。
 日本の大司教は東京大司教区で、
現在は枢機卿から外れましたが白柳元枢機卿が居られました。
確か数年前に引退されていた気がします。
仙台や長崎などは「大」が付かずに単に司教区です。
 東方正教会は司教は主教という名称で、
東京大主教区に、全日本の主教・府主教ダニイル座下(日本人)がいらっしゃいます。
日本は府主教の名称であって一ランク下の大主教の名称ではありません。
仙台と京都は「大」が付かず単に東日本と西日本の主教区です。
>305 
 洗礼の儀式などは、正教会の方が古い方式だと思いますよ。
具体的には信者で喋ってくれる方と縁が出来ていないので、
してもいないから分からないのですが、
 救世軍の方のホームページだったと思いますが、
正教会は、口に塩の塊を洗礼時に放り込むのだそうです。
 正教のスレや掲示板での質問ですと、洗礼は全身浸礼の所もあり、
更に全身にオリーブオイルを塗り十字を切るそうです。
足にも腕にも胴にも額にも手にもだそうで。
 また信仰告白はプロテスタントの使う使徒信条ではなく、
ニカイア・コンスタンチノープル信条を唱えます。
 そして、初の聖餐をします。パンとワインを食べ飲みます。
正教は別々ではなくワインのシミたパンを食べます。
 順番はバラバラの説明ですが、これらの内容に、
聖名(ホーリーネーム)や守護聖人と守護天使と代父母の縁組に、
自分一生肌身に身につける十字架や(多分唱える祈祷文?とか)、
儀式用の白衣を渡されるソウです。
実にキリスト教徒の誕生です。

 これらの内容を伝聞なりとも聞くとプロテスタントの洗礼は実に情けないです。
キリスト教徒の誕生と言うよりも、
学校の教室や部室みたいな所で、牧師から額に水滴3粒ふりかけられて「信じます」くらい言って、
聖書研究会の宣誓にコンパみたいな入会式でしょう。
だから「聖書マニア」だって極論を言ってみた。
307名無しさん@1周年:02/11/19 01:04
>>300に書いてあることが本当ならば、正教会はキリストから遠く離れてしまっていますね。
まだプロテスタントの方が主に近いでしょう。
恐らく正教会でそのようなことをする人たちは、裁きの日には主に貴方たちを知らないと言われるでしょう。
たとえ正統な儀式を経ていたとしてもです。
しかし、正教会のなかにも、主を信じ主の戒めにそって生きている人がいます。
そのような人は主によみせられています。
善い木は善い実を産み出し、悪い木は悪い実を産み出します。善い実を産み出さない木は悉く切られて火のなかに投げ込まれるでしょう。
308名無しさん@1周年:02/11/19 01:15
パウロが言ったようにどんなに預言や癒しや奇蹟が出来てもそこに愛が無ければ何の意味もないんです。
しかし、逆に愛する者はみな神の愛し子なのです。
神の国は形だけの言葉(儀式)にあるのではなく、力にあるのです。
これは儀式が悪いというのではなく、たとえそれが正統のものであったとしても、愛が無ければキリストから離れてしまっているということです。
309名無しさん@1周年:02/11/20 19:15
もとぴさん、がんばってください。
310もとぴ:02/11/20 19:25
>>300 :ろんぎぬす :02/11/18 20:28
回答を どーもありがとう。

また一つ、お尋ねします。

>>211 :ろんぎぬす  :02/11/04 17:19
> イエスはどんな人
あなたが紹介してくれた このリンクの、
> 処女降誕  処女降誕は本当にあったのでしょうか
については、あなたはどのような見解を持っていますか?

私の見解を簡単にのべておきます。
このリンクで述べられていることは、聖書の自然な解釈とは思えません。
「マリヤは、処女で、聖霊によってみごもって、イエスを産んだ。」
私は、聖書のことばによって、そう信じています。

>308  なるほど。。
309さん。どーも。以前よりも時間が少ないけれど、あれこれ考えてまふ。
311もとぴ:02/11/20 19:28
>272 :名無しさん@1周年 :02/11/16 19:05
> ポルターガイストは誰の仕業?
> 悪霊と死者の魂の違いについて教えて。

【ポルターガイスト poltergeist】
英和辞典1:〔家具などをガタガタいわせたりして〕家の中で音を立てる妖精(精霊)
英和辞典2:〔ドイツ語「音を立てる幽霊」の意から〕 音の精、不思議な音をたてたり、
物をこわしたりするという霊。

【死者の魂】
人は死んだらパラダイス(天国)にいくか、ハデス(よみ)に行くか、そのどちらかです。 
多くの人はハデス(よみ)に行き、そこで生きていた間の報いを受け、自分の人生を振り返るでしょう。
死者の魂が ハデスの中から出されるのは、最後の審判(大きな白い御座のさばき)の時です。
(今、ゲヘナ(地獄)にいる者は、一人もいない) >>49-50  >>62

【悪霊】 悪魔の支配下にある霊的存在

「悪霊」も「死者の魂」も、「霊的な存在」という意味では共通していると思います。
聖書によれば、「死者の魂」がこの地上をさまよう、ということはありません。
それでは、ポルターガイストは悪霊の仕業か? 
しかし、聖書に、「これがポルターガイストだ」 と 解釈できるような記事があったでしょうか。

「ポルターガイスト」に近づくことが、「悪霊」に近づくことになる という気がします。
むしろ、こちら方が問題と思います。
312名無しさん@1周年:02/11/20 21:05
ということは、悪霊憑きは悪霊の仕業なのですね。
>310 :もとぴ :02/11/20 19:25
>> 処女降誕  処女降誕は本当にあったのでしょうか
>については、あなたはどのような見解を持っていますか?

>300 :ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/18 20:28
> 泣きそうな顔の幼女への虐待も弱い者イジメも・・・
> それに私は主イエスの母マリアは、
>歴史上の実際は新約聖書原典の記述にあるギリシア語の処女ではなく、
>アラム語の乙女(非処女・処女問わない、若い娘)だと思っているので、

もとぴサン可笑しいですよね。
イエスはダビデの子だって言う連中が処女降誕を信じているなんて。
ヨセフはダビデの子孫。ヨセフはセクースしていない。
マリアはダビデの子孫ですか?
イエスの父方のダビデのタネでないのに。イエスはダビデの子ですか?
笑えますよね。
処女降誕なら聖霊により「神の子」であって、
ヨセフのスペルマの「ダビデの子」なハズないですよね。
聖書ってアホな説明ですよね。
アダムからダビデを経てヨセフまでの血筋を延々と説明しておいて、
最後に一言、ヨセフのセクースの子でないので、ダビデの子です。
って説明をするなんて辻褄合わない。ですよね。
文法とか論理的に常識的に言って。
>313 わけのわからん妊娠の誤魔化し方 説明その1 
願わくは父と子と聖霊に栄光あれかし。アーメン。神なのだから聖霊に罪なし。

マタイ 1:16 ヤコブにマリヤの夫ヨセフが生まれた。
キリストと呼ばれるイエスはこのマリヤからお生まれになった。
1:17 それで、アブラハムからダビデまでの代が全部で十四代、
ダビデからバビロン移住までが十四代、
バビロン移住からキリストまでが十四代になる。
1:18 イエス・キリストの誕生は次のようであった。
その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、
ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。
1:19 夫のヨセフは正しい人であって、
彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。
1:20 彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現われて言った。
「ダビデの子ヨセフ。・・・
1:21 マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。・・・
1:23 「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。・・・
1:24 ヨセフは眠りからさめ、・・・、その妻を迎え入れ、
1:25 そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、
その子どもの名をイエスとつけた。
>313 
× イエスの父方のダビデのタネでないのに。イエスはダビデの子ですか?
○ イエスの父方は[ヨセフでないから]ダビデのタネでないのに。イエスはダビデの子ですか?

>314 
>ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。
なんだよね。

わたしゃルカを信用していないんだよ。マタイの方が信用度がある。
マリアへのお告げなんてデッチ上げで、婚約者への誤魔化し話じゃないの。
女特有の誤魔化しの嘘話くさい。
コウノトリが赤ちゃんを運んでくる類より、神を冒涜している。
ヨセフが妊娠でウロタエテいる。セクースしてないのに変すぎる。どーしよう。
で、困っている中で、ある夜に夢を見た。天使のお告げだ。
ここは一つ僕の子という事で誤魔化し続け、しらばっくれ続けよう。彼女を傷つけたくない。
で、僕の心根の良さを分かってくれる日が、いつの日にか、きっと来る事だろう。
夢や希望を伝える勇気ある善良な人物に、めぐり合えると。分かって、
マタイに伝わったんでないの。
伝統教会の信仰が聖書と不一致する他にもマズイ点。

@ 兄弟ヤコブは、ギリシア語原典の単語では明らかに主イエスの「実の兄弟」なのに、
アラマイ(アラム)語の意味する「従兄弟(いとこ)や兄弟を問わない、親族という単語」
に理解している事。
ギリシア語は「実の兄弟」と「従兄弟」とは別の単語を使用している例があるにもかかわらずである。
→コロサイ書4:10 ・・・バルナバの「いとこ」であるマルコも同じです。・・・
→マルコ伝6:3 この人は大工ではありませんか。
マリヤの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの「兄弟」ではありませんか。
その妹たちも、私たちとここに住んでいるではありませんか。」こうして彼らはイエスにつまずいた。
→ガラテヤ書1:19 しかし、主の「兄弟」ヤコブは別として、・・・
→ユダ書1 イエス・キリストのしもべであり、ヤコブの「兄弟」であるユダから、・・・
A 主イエスの御名によって祈りなさい。とあるのに、
父と子と聖霊の名によって祈っている事。
また、感謝などを主や神やキリストに帰するべきなのに、
父と子と聖霊の三者に帰している事。

→『新共同訳聖書』検索
1コリ 1:2 ・・・わたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めている・・・
2テサ 1:12 ・・・わたしたちの主イエスの名があなたがたの間であがめられ、・・・
コロ 3:17 そして、何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、
イエスによって、父である神に感謝しなさい。
1コリ 5:4 つまり、わたしたちの主イエスの名により、わたしたちの主イエスの力をもって、
あなたがたとわたしの霊が集まり、
使 19:13 ・・・、試みに、主イエスの名を唱えて、
「パウロが宣べ伝えているイエスによって、お前たちに命じる」と言う者があった。
ヨハ 20:31 ・・・、信じてイエスの名により命を受けるためである。
ヘブ 13:15 だから、イエスを通して賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、
絶えず神に献げましょう。
2テサ 3:6 ・・・、わたしたちの主イエス・キリストの名によって・・・
フィリ 2:10 ・・・イエスの御名にひざまずき、
エフェ 5:20 ・・・、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい。
1コリ 6:11 ・・・、主イエス・キリストの名とわたしたちの神の霊によって洗われ、・・・
1コリ 1:10 ・・・、わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告します。
使 26:9 ・・・ナザレの人イエスの名に大いに反対すべきだと考えていました。

パッと思い浮かぶ点でも可笑しい。
318もとぴ:02/11/21 20:36
> 312
> ということは、悪霊憑きは悪霊の仕業なのですね。

そうだと思います。
それと、悪霊の影響から、自分の心と魂を守るには、どうすればいいかについて、
私の考えを少しカキコしておきます。それは、「自分自身を愛する」ことです。
自分を愛している(受容している)人は、心や魂が守られているようです。

〔豆知識〕
聖書の中で、「自分を愛する」は、二つの意味で、それも正反対の意味で使われてる。
マルコ12:31、エペソ5:28は、「自己受容・自己愛」の意味であり、
Uテモテ3:2では、「自己中心・利己主義」の意味である。
・・・ このことを知るまでは、私は 「自分を愛する」ことは、なにか罪であるかのような思いが
ありました。でも、「自己受容」は、とても大切なことでした。 ・・・
319もとぴ:02/11/21 20:37
ろんぎぬすさん。
>>310の質問に答えてくれてありがとう。
私も 自分の見解を詳細に述べます。

私が むかし 独身で、プロの教会の青年部におった頃、
クリスマスの時期になると、クリスマスの劇のシナリオを書いたものでした。
その中で、私は、ヨセフの心情を簡単に描いたことがありました。
ヨセフにしてみれば、婚約中のマリアの妊娠は、大ショックであったに違いないのです。
そのシナリオが、まだ残っていたので、紹介します。第一幕だけです。
(これは、もともとは、私が >>218 のために まとめていたものです)
320劇のシナリオ No1:02/11/21 20:40
・・・ (マリヤ、椅子に座っている) ・・・
【ナレーション】
われらの救い主、イエス・キリストの誕生は次のとおりです。
イエスの母マリヤは、ヨセフとのケコーンが決まっていました。
二人が婚約していたある日のこと、み使いが、神様からつかわされて、
マリヤのところに来て言った。

【み使い】 おめでとう! 恵まれた人! 主があなたと共におられます!
【マリヤ】 ・・・ (驚いたように椅子からおり、ひざまずく) ・・・
【み使い】 おそれることはありません。 マリヤ。 あなたは神様から恵みを受けたのです。
ごらんなさい。 あなたはみごもって男の子を産みます。
その子の名をイエスとつけなさい。 彼は、人々を救う者となり、神の子と呼ばれます。
【マリヤ】 どうして子供ができましょう。 私はまだ結婚もしておりませんのに。
【み使い】 聖霊があなたの上に臨み、神様の力があなたをおおいます。
それゆえ、生まれてくる子どもは、聖なるもの、神の子と呼ばれます。
神様にとって不可能なことは一つもありません。
【マリヤ】 ほんとうに、私は主のはしためです。
どうぞ、あなたのおことばどおりに、この身になりますように。
(み使い、マリヤから去る。 マリヤも退場)

【ナレーション】
こうして マリヤは 聖霊によって みごもった。
マリヤの妊娠を知って、驚いたのは、マリヤの婚約者のヨセフであった。
二人は まだ ケコーンしてはいない。。。
321劇のシナリオ No2:02/11/21 20:44

【ヨセフ】
・・・ (悩みながら出てくる) ・・・
ああ、なんということだ、、、。 マリヤは、みごもっている。
、、、私には、まったく、身に覚えがない。  ということは、マリヤは、ほかの誰かと、、、、、
そんなこと! 私には信じられない!  けれど、マリヤがみごもっているのは事実なんだ。
それに目をつむって、、、 マリヤと結婚することはできない。
、、、マリヤとは、離縁しよう。 、、、、、
(椅子に座って、うつむいて、動かない)

【ナレーション】
ヨセフはマリヤとの離縁を決心しました。
けれども、それを宣言し、その理由としてマリヤの妊娠を申し出れば、マリヤは姦淫の罪で
石打ちの刑です。人々の前に連れ出され、みんなから石を投げつけられて殺されるのです。
ヨセフはマリヤをそんなひどい目にあわせたくはなかったので、
マリヤをひそかに離縁しようと決心した。

【ヨセフ】
(顔をあげて正面を向くが、再び苦悩した顔で下を向いていく)

【ナレーション】
しかし、彼はなおもこのことについて考え込んでいた。
。。。  ある日、主の使いが夢の中に現れて言った。
322劇のシナリオ No3:02/11/21 20:47

【み使い】
ダビデの子孫ヨセフ。 おそれないでマリヤと結婚しなさい。
マリヤの胎に宿っているものは、聖霊によるのです。
マリヤは男の子を産みます。 その名をイエスとつけなさい。
この方こそ、ご自分の民を、その罪から救ってくださる方です。
【ナレーション】
見よ。 処女がみごもっている。 そして男の子を産む。

【ヨセフとマリヤ】
(ヨセフは眠りならさめて顔をあげ、マリヤの方を向いて、うれしそうに「マリヤ」と呼んで
立ち上がり、二人は寄り添う。。。)

・・・ 幕を引きつつ、ナレーション ・・・
処女でみごもり、出産する。それは信じがたいことで、マリヤもヨセフもとまどいました。
けれども、彼らは神を信じました。 神にとって不可能なことは一つもない。
神が、処女の胎に宿り、人として生まれてくださった。
このお方が、イエス・キリストです。
323もとぴ:02/11/21 20:49
>>315 
ろんぎぬすさんの見解は、〔>>211イエスはどんな人〕を支持しているようですね。
マタイ1章
18節:> ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。
> なんだよね。
19節:> ヨセフが妊娠でウロタエテいる。セクースしてないのに変すぎる。どーしよう
20節:> で、困っている中で、ある夜に夢を見た。天使のお告げだ。
> ここは一つ僕の子という事で誤魔化し続け、しらばっくれ続けよう。彼女を傷つけたくない。
> で、僕の心根の良さを分かってくれる日が、いつの日にか、きっと来る事だろう。


私の解釈
マタイ1章19節の時点では、
ヨセフは、マリヤの妊娠の事実は知らされていても、
「主の使い」によって、「マリヤは処女。マリヤの妊娠は聖霊によるもの。」と、
知らされていたわけではない。
ヨセフが、マリヤの妊娠でウロタエタのは、当然です。

19節: ヨセフは、マリヤを内密に離縁しようと決めた。
20節: ヨセフの夢に 主の使いが現れて、
「恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。 、、」
と、告げた。
24節: こうして、ヨセフは、み使いに命じられたとおりに、マリヤを妻として迎え入れた。
324もとぴ:02/11/21 20:53
> 317 ろんぎぬす
> 主イエスの御名によって祈りなさい。とあるのに、
> 父と子と聖霊の名によって祈っている事。
私のおったプロ教会は、主イエスの御名によって祈っておったよ。
父と子と聖霊の名によって祈るということは、なかったよ。
「イエスさまの御名によって、感謝して、お祈りします。」が、日常だった。

> また、感謝などを主や神やキリストに帰するべきなのに、
> 父と子と聖霊の三者に帰している事。
これもまた、意味がよくわからない。。。


>313と316については、
また明日考えます。
325もとぴ:02/11/22 20:19
(マタイ1:18)
イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、
ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。

・・・ 今日は、仕事中に、ふと考えていました ・・・
この、「聖霊によって身重になったことがわかった」 というのは、マリヤ本人だけではないの?
だって、他の人には、そんなこと、わかりようがない。

「わかった」のは、マリヤ本人だけ。
ヨセフは、主の使いによって、マリヤの妊娠が 「聖霊による」 と知らされた。 (20節)
あと、他の人は、マリヤの証言と聖書の証言を、「信じる」か「信じない」か、でないの?
聖書の証言を信じれば、「マリヤは、処女で、聖霊によってみごもって、イエスを産んだ。」


> 313
> イエスの父方のダビデのタネでないのに。イエスはダビデの子ですか?
生物学的には、イエスはダビデのタネではない。
家系としては、イエスはダビデの子孫からマリヤの夫ヨセフが生まれた。 (マタイ1:16)

>316については、意味がよくわからない。
>323 :もとぴ :02/11/21 20:49
>ろんぎぬすさんの見解は、〔>>211イエスはどんな人〕を支持しているようですね。

 解釈の一つとして支持です。これが全てと思っていません。
もし最後の審判なり、何かお告げで生まれの情景が見せられれば、別の答えも出ますが。

>324 :もとぴ :02/11/21 20:53
>私のおったプロ教会は、主イエスの御名によって祈っておったよ。
>父と子と聖霊の名によって祈るということは、なかったよ。

>> 父と子と聖霊の三者に帰している事。
>これもまた、意味がよくわからない。。。

私も日本基督教団の教会と学校の祈祷では、
「・・・主イエス・キリストの御名によって。アーメン。」
が、祈りの締めくくりでしたが。

ですが、カトリック教会と正教会では、
「父と子と聖霊の御名によって。アーメン。」(カトリック教会)
「父と子と聖神の名による。アミン。」(正教会)
から祈り始めるのです。

そして祈りの終わりに、
「願わくは、父と子と聖霊に栄えあらん事を、初めに在りし如く、
今もいつも代々に至るまで。アーメン。」(カトリック教会)
「けだし国と権能と光栄は、父と子と聖神に帰す、
今もいつも世々に。アミン。」(正教会)
でした。
場合により、
「ハリストス(キリスト)、神に委託せん。アミン。」(正教会)
という祈り終わりの文句もありますが。
【 伝統的教会の祈りの説明(個人的) 】

なぜ三位一体(至聖三者)で祈るかと言えば、
聖書に、神の霊によって祈る、聖霊によってイエスを主と言う、
父なる神に祈る、子から父に、と、イエスの名によって祈る。
などの事が多重に解釈された結果、
教会では三位一体の名によって祈る結論を出したのです。
三位一体は、200年代ごろの聖教父テルトゥリアヌスが、
三位一体による聖霊の中で祈る事を300年代の聖教父バシレウス(ワシリー)が説き
教会の決定(公会議)で採用したからです。

新約聖書を選抜した教会決定(地方会議)より以前の教会決定(公会議)によるものなのです。
新約聖書を決定した権威(地方会議)より歴史が古い。
したがって、
祈りの公式を、聖書の聖句の一部抜き出しによる私的解釈によって、覆す根拠がない。
328もとぴ:02/11/22 20:33
>>325の訂正

× だって、他の人には、そんなこと、わかりようがない。

○ 「その母マリヤは、、、聖霊によって身重になったことがわかった。」と書いてあるし、
本人以外に、そのようなことは、わかりようがない。
>325
>あと、他の人は、マリヤの証言と聖書の証言を、「信じる」か「信じない」か、でないの?
「マリヤの証言」と「聖書の証言」とは、私は考えませんよ。

「ルカの伝聞」の「マリヤの証言」と「マタイの伝聞」の「ヨセフの証言」
の組み合わせ「を信じるか」どうかですよね。私は信じませんね。

>生物学的には、イエスはダビデのタネではない。
>家系としては、イエスはダビデの子孫からマリヤの夫ヨセフが生まれた。 (マタイ1:16)

とある外典聖書には、マリアがダビデの家系だ。というのが有った気がした。

また教会解釈ではなく個人的に、
生物学的に、聖霊が「父なるスペルマ」と言う解釈は「信じません」が、
家系的に、イエス・キリストの生まれは、神の聖霊によるのは「信じます」。

マリアはイエスを生んだ時点で、生物学的には処女だと思っていない。
信仰上で乙女の処女な気持ちだったと思う。
>329
>家系的に、イエス・キリストの生まれは、神の聖霊によるのは「信じます」。
神に家系図は存在しません。が、
この世に先立って神の子が生まれた。という点が、神の家系図と考えているんです。
あまり聖書がドウのコウの聖句をいじり回して理詰めで考えたくなくて、
そーゆー事する場合も暇つぶしであるけど、
なんかイエス様って神様なんでしょ。ってフィーリングで考えている。
ワシのばやいは、そーゆー信じ方。
ようは、学問でするのと違って、
決まった祈りの中で霊験でもあって、有難がたがれるかドウかなんだよ。
信仰ってゆーのは。
有難ければ神様なの。あまり難しいコト考えない。
答え一発だ。有難い。とゆー気持ちだ。ココロだ。ハートだ。
バカ丸出しだけど。
だいたい、
旧約聖書の創世記のように7日で世界が出来上がった。って信じるワケなんですか?
比喩ではイケナイんですか?
処女降誕だって比喩だってイイじゃないですか。

西暦初年代頃の貧民愚民を相手の
神様って凄いというビックラコク信者勧誘話や
聖職者は何でもお見通しとかブイブイ言わせる信じ込ませや
教会の右向け右をチャント言えるかの忠誠心を試すバロメータ話
とか言う事で。
君は冗談がつーじないタイプなんじゃないの。
エリートなんだろうからね。
私なんかリストラ組だから、あんま深く考えない。
そんな事こだわっていたら、ストレスで胃腸病や気の病になるから。
飯も不味くなるし。食事は美味しく食べたい。
335もとぴ:02/11/22 22:39
>>315 :ろんぎぬす :02/11/20 21:43
これは、あなた自身の解釈ですね。

イエスの処女降誕は、聖書の中でも重要な箇所であると思います。
聖書が、「マリヤは、処女で、聖霊によってみごもった」 と証言しているのに、
それを否定して、「マリヤは、ヨセフ以外の男によって、みごもった」、と解釈するのは、
聖霊に対する冒涜ではないかと、私は考えます。

問題の焦点は、主に、マタイ1:18-20の解釈でした。
私の解釈は、ここに要約しておきます。

> 18節: 「聖霊によって身重になったことがわかった」のは、マリヤ本人だけ。
> 19節: ヨセフはマリヤの妊娠を知り、マリヤを内密に離縁しようと決めた。
> 20節: ヨセフがこのことを思い巡らしていた時、ヨセフの夢に主の使いが現れて、
> 「恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。
> その胎に宿っているものは聖霊によるのです。、、」と、告げた。

あなたは、この解釈を支持するか、支持しないか、答えて欲しいです。
もし、支持しない場合には、その理由を書いて欲しいです。

>334
もしかして、これ、私のことを言ってるの? もしそうなら、私のことを誤解しているよ。
私は高卒だけど、相次ぐ外傷や、その後の度重なる無理のため、身体はボロボロです。。。
その後、職を転々です。。 中年もとぴも、つらいのです。。 
>335
聖霊への冒涜と考えません。私は身ごもりのアリ方などドウでもイイのです。

マタイ1:18−20は支持しますよ。パルテノン(処女)の言葉を使ってないし。
仮に使っていても、アラム語の若い娘・乙女の意味だと言い張りますが。

ただ仮説としてヨセフと寝たのを寝てないと言う偽証であれ、
ヨセフ以外の男との間の子で昏睡レイプを含むドウいう形の身ごもりであっても、
父方のタネのあり方がドウであろうとも、
母マリアは15才ぐらいの若い女という乙女であって、
生まれでたイエス・キリストは「神のロゴス」であり「聖なる霊」により宿ったと。

なぜなら、肉と霊の解釈を分けても問題ないのは、ドノ人間も、
霊(プネウマ:理性・道徳・精神など。動物には霊は存在しない)・
魂(プシュケ:心・感情・息など)・
身体(ソーマ:肉体・血・骨・力など)で構成されているが、

キリストは、ドノ部分でも神性と人性を、分かたれず、混じらず、存しており、
霊には、神性として神のロゴス(言葉・理性)があり、
原罪の贖罪に必要な人性を含んでいる。
身体には、復活体としての身体として神性を宿しており、
処女降誕の受肉として人性を宿している。
から。

頑張って下さい。としか言いようが無い。外傷とはキツイな。。。
外傷を作るようだから工場や運送業や建築現場など想定される仕事であれ、
あまり無理しないような作業を。としか励ませないな。
溶接工などなら一種の勲章のようなものだが。

わたしも独り者の中年で、かぞえ36才だしね。
4社で現場5つくらい転職で10万程度の安月給でも暮らせるのは
自分が独り者のお陰。
【 初期教会小史 】
30 イエス十字架刑・復活・昇天・聖霊降臨
31 ステパノ殉教(エルサレムにて)
64 主の兄弟ヤコブ殉教(エルサレムにて)
61-65 パウロ殉教(ローマにて)
67-68 マルコによる福音書、ペテロの殉教後に書かれる
100年代に「司教職」「信条告白(クレド)」「経典(聖書)」を拠り所とする教会的基準が確立。
200年代は迫害や、異端との闘争が続く。
A)203年ごろ 三位一体を言い出したテルトゥリアヌスの生きた時代には、
黙示録の類は否定されており、ヘブライ書・バルナバの手紙・ヘルマスの牧者を、
新約聖書の正典として読む教会があった。
B)313年 ミラノ勅令 (コンスタンティヌス帝によりローマ帝国が)キリスト教を公認。
C)325年 ニケーア公会議で「カイサリア信条」の「父と子は同質である」同質論を決めた。
D)381年 三位一体を「ニケア・コンスタンティノープル信経」と共に決めた。
ローマ帝国東部の4総大司教座のうちコンスタンティノープルが第1の地位と決める。
E)397年 (西方教会)カルタゴ(地方)会議で27書を(新約聖書の)正典と確認。
F)431年 エフェソス宗教会議でマリアに「神の母」の称号を決めた。
F)451年 カルケドン宗教会議でキリスト論に於ける「神人二性一位格」を決めた。
G)692年 コンスタンチノープルのトゥルルス会議でヨハネ黙示録を新約聖書に入れた。
H)787年 ニカイア公会議「聖画像(イコン)の尊敬」を決定。
I)790年ごろ 南フランスで使徒信条のテキストが書かれた。
【 聖書の構成変化の流れ 】
55年ごろからパウロ書簡、64年以降にマルコ伝[やQ資料]、
[150]年ごろまでにヨハネ伝・ヨハネ書簡・ヨハネ黙示録。
@マルキオン(140年ごろ)の聖書、ルカ伝+[ルカの使徒行伝+パウロの]8書簡。

Aイレナエウス(180年ごろ)の聖書、4福音書+使徒行伝+13パウロ書簡
(フィレモン・ヘブライ・Tペテロ・TUヨハネ除く、黙示録は外典)
Bテルトゥリアヌス(203年ごろ)の聖書、
4福音書+使徒行伝+13パウロ書簡+ユダ書+ヘブライ+バルナバ+ヘルマスの牧者
Cオリゲネス(200年代前半)の評価、27書は疑わしい。

●ヒエロニムス(300前後)がラテン語聖書の編纂の際に旧約をヘブライ語から翻訳。
Dエウセビオス(325年ごろ)ニカイア会議前から「教会史」書き始める。

E小アジアのラオディキア会議(363年)、ヨハネの黙示録を除く26巻を正典に。
Fアタナシオス(367)第39復活祭書簡、2[7]書を増やしても減らしてもいけない。
Gヒッポ会議(393)カルタゴ会議(397)27書を正典と確認。

Hコンスタンチノープルのトゥルルス会議(692)
東方教会がヨハネの黙示録を、外典から正典に承認し27書を決定。
Iルター(1522)ヘブライ・ヤコブ・ユダ・黙示録を正典から外す。
>>327
8 バシレイオス=聖ワシリー(330年頃)
【 父と子と聖霊 】
御霊は、真理を観ようとする人に、霊自身の中で、観る力を与える。
外から示すのではなくご自身の中で、知に導いて。
「父を知る者は子のほかにはない」(マタ一一・27)ように、
「聖霊の中でなければ、だれもイエスは主であると言うことができない」
(Tコリ一二・3)からである。
聖霊"によって"でなく、聖霊"の中で"と言われている。
「神は霊であるから、礼拝する者も、霊とまことの中で礼拝すべきである」
(ヨハ四・24)と、またこう書かれている、
「われらはあなたの光の中で光を見る」(詩三六・9)、すなわち
「世にきて、すべての人を照らすまことの光」(ヨハ一・9)
であるところの御霊の照明の中でと。
このように、ご自身の中で独り子の栄光をお示しになり、
またご自身の中で、まことの礼拝者に神の知をお与えになる。
そこで、神認識の道は、
一なる御霊から、一なる子を通して、一なる父へである。
また逆に、本性的善性と本性としての成聖および王たるの価は、
父から、独り子を通して、御霊に至る。
こうして〔三つの〕位格(実在[ヒュポスタシス])を告白し、
しかも一つのはじめ[モナルキア=神理解]
の敬虔の説教を歪めることはないのである。・・・・・・
(『聖霊論』一八・44−47〔山村敬訳〕)
→原典古代キリスト教思想史2ギリシア教父 (小高毅編:教文館)p132
20 エフェソス公会議からカルケドン公会議(433−435)
【 合同信条 】
(神の母=テオトコス)なる(処女=童貞)に関して、
また独り子なる神の御子の(受肉=籍身)の方法に関して、
我々は次のように考え、かつ主張する。・・・・・・
この方は、その神性によって、
代々に先立ちって御父から生まれたが、・・・・・・
その人間性によって、処女マリアから〔生まれた〕のである。
この方は、神性によって御父と(同一本体の者=ホモウシオス)であり、
人間性によって我々と(同一本体の者=ホモウシオス)である。
実に、二つの(本性=フユシス)の
(合一=ヘノーシス)が実現されたのである。
それ故、唯一の(キリスト=メシア)、唯一の御子、唯一の主を
我々は宣言〔信仰告白〕する。
この混合なしの合一という理解に即して、
我々は聖なる処女を「神の母:テオトコス」と宣言〔信仰告白〕する。
神の(言=ロゴス)が肉となり、人間となったのであり、
受胎の瞬間から、彼女〔処女〕から取った神殿を
ご自分と合一されたからである。・・・・・・
神にふさわしい〔諸発言〕をキリストの神性に帰し、
低次元の〔諸発言〕をその人間性に帰しているのを我々は知っている。
→原典古代キリスト教思想史2ギリシア教父 (小高毅編:教文館)p403−404
キリスト教教理史入門 諸信条の成立 
アラン・リチャードソン著 シリル・H・パウルス訳 
日本聖公会出版部 1968年7月5日250円

p79 アポリナリオスは人間を
身体(ソーマ)、霊魂(プスケー)、霊(プネウマ)に分ける
聖パウロの周知の分割法を採用した(Tテサロニケ五・二三)。
彼の心理学〔霊魂論〕によると、
霊は(動物にない)人間の理性的、道徳的、霊的〔宗教的〕機能、
すなわち人間の持つ特に人間的な要素(人格)であり、
霊魂は肉体的生命、人間と動物とが共有している機能である。
そこからアポリナリオスは更に一歩進めて、
キリストの人格には人間の霊はない、なぜならキリストにおいて
霊の占めるべき場所にロゴスがはいっているからである。
・・・人間の霊または精神(mind)がない。
従ってキリストには完全に罪がない。
p80・・・人間を動物から区別するはずのものが
キリストの人格に全然存在しない・・・神性と人性が一つでない・・・
p84・・・キリストの人格における二つの本性(natureすなわち、
神性と人性)・・・
p89・・・四五一年のカルケドン総会議の信仰定式・・・
p89−90・・・主は神性において全く、人性においても全く、
まことの神にしてまことの人、理性的な霊魂と(アポリナリオスに反対)
身体を持ち、・・・二つの性において混じることなく、
変わることなく(エウテゥケスに反対)、分けられることもできず、
離すこともできぬおかたとして(ネストリオスに反対)・・・
合一によって両性の区別が取り除かれるのではなく・・・
一つの人格、一つの本質にともに入り、
二つの人格に分かたれ裂かれることなく(ネストリオスに反対)
・・・ロゴス、イエス・キリストである。
キリスト教教理史入門 諸信条の成立 アラン・リチャードソン著 日本聖公会出版部 
p42 第2章 二世紀および三世紀 
クレメンスのすぐれた弟子オリゲネスは三世紀のはじめに・・・
彼(オリゲネス)は青年時代にアレキサンドリアにおいて
(異教の)プラトン主義哲学者アンモニオス・サッカスの講義に出席したことがある。
そういうわけで、古代最期の非キリスト教思想家で、
新プラトン主義の創始者プロティノスとも、
この教師(サッカス)のもとで、しばらく学友であったことになる。

イラスト 西洋哲学史 小阪修平著 JICC出版局 
p122−125 グノーシス主義と新プラトン主義 Hプロティノスと新プラトン主義 

★オリゲネス(176〜194年に生まれ、激しい拷問の後に釈放された250年以降に没する)
著作に『ルカ福音書講話』『殉教の勧め』など。
(『教会史』六・39・5参照)
★テルトゥリアヌス(155年ごろ生まれ、190〜195年に改宗し、220年以降に没している)
  百卒長の息子でカルタゴ生まれ。
法律と修辞学を学び、生活語のラテン語のみならずギリシア語に精通していた。
司祭になったが、三位一体を言い出した初めの提唱者であり、
204年ごろからモンタノス派になり、213年に完全に正統教会から離れている。
  彼の慣用句に、
「キリスト教徒は生まれながらにしてキリスト教徒であるのではなく、キリスト教徒になったのである。」
「アテネとエルサレムとに何の関わりがあろうか」
「哲学者はギリシアの弟子だが、キリスト教徒は天国の弟子だ」(以上 護教論) 
  父・子・聖霊
実体[substantia]の統一性[unitas]は三一性[trnitas]へと 
秩序づけている経綸[オイコノミア]の秘義は守られている。・・・
・・・本質[status]についてではなく、相対的な位置[gradus]についてであり、
実体についてではなく、形相[forma]についてであり、
力[potestas]ではなく、〔それをになう〕具体的存在[species]についてであって、
この三つは一つの実体、一つの本質、一つの力に属している。
なぜなら、神は一つであるが、この神から、父と子と聖霊という名で、
このような相対的な位置、あるいは形相、あるいは具体的な存在が生じると考えられるからである。
(『プラクセアス反論』ニ・4〔土岐正策 訳〕)
★古代ギリシアの思想 山川偉也 講談社学術文庫 1200円 p402
ローマ帝国の国教となって以降に起こったキリスト教徒内部での異端審問騒動と、
それに決着をつけるために開かれた全地公会議のようなものを思い浮かべてみよう。
周知のとおり、「ニケア・コンスタンティノープル信経」
(第二回「コンスタンティノープル公会議」、三八一年)が定められるまで、
キリスト教徒か否かを明確に判別する基準は存在しなかったのである。

‡ 正教要理 p77−78 一、洗礼機密 1.啓蒙礼儀
洗礼機密のはじめに行われる啓蒙礼儀は、
人が物質や社会的地位・身分に捕らわれる僕となっている日常生活をすて、
神を知り神の僕となる生活に入る決心を表すものです。
これはハリストスの福音を中心とする生活をはじめる意志の宣言です。
宣言は教会の入口で西に向かって行われます。
・・・・・・西は・・・・・・暗闇の始まり、人生の終り、死を待つ生活を意味します。
このことから東に向き直ることは、自己中心、物質中心の生活を
主の福音に従う生活へきりかえる意志の表明となります。
次いで「主に配合する」との決心の言葉によって
主を中心とする生活の始まりを宣言し、終りに主に向かう生活の信条として
受洗者の信仰告白(ニケヤ信経)が読まれます。

★正教要理(日本ハリストス正教会教団)p8 
聖書と聖伝・・・を「真理の柱、真理の基礎」(テモフェイ前書3・15)と呼び・・・み言葉の遺産。
→ エウセビオス教会史「1」秦鋼平訳V から。

ペトロス(ペテロ)の同伴者だったマルコス(マルコ)に・・・言葉(ロゴス)を介して
自分たちに伝えられたその教えの要約を文書にして残してくれるよう・・・
『マルコスによる福音書』と呼ばれる文書を誕生させたのである。
マルコはTペテロ書5:13では(今のイラクの)バビロンの教会に使わされており、
それから、(マルコによる)福音書(エウアンゲリオン)を著した後に、
エジプト(アイギュプトス)のアレクサンドレイアの諸教会に使わされた。と言う。
マルコは12弟子ペテロの直系である。マルコの弟子集団も12使徒ペテロ集団と思われる。

ルカ福音書は冒頭1:1−4にあるように、
テオフィロ閣下へのキリスト教を理解するための個人的な手紙という性質のもの。
コロサイ書4:14の医者ルカは、
使徒行伝9章によればシリア州ダマスコの信徒アナニアから癒された使徒パウロの弟子。

ヨハネ福音書はエッセンシャル聖書辞典の山口昇氏によればAD85〜90年ごろに、
ヨハネの黙示録の題材になったパトモス島の流刑から帰った後にエフェソで書かれたと言い、
学者によっては2世紀中頃(130〜170年頃のマルキオンの頃)に書かれたという。
神の言葉(ロゴス)や命(ゾーエ)や光(フォース)などグノーシス(知識)を用いて、
当時の教会の視点から書かれたもの。
A聖典と偽典の区別(区別の基準は書いていないが、目録分けをしている)
→ エウセビオス教会史「1」秦鋼平訳Vp174−176

 ここで、これまでに言及してきた新しい契約(カイネー・デイアテーケー)の諸文書について、
簡略に説明しておくのが適当だろう。
四福音書・・・『使徒たちの事蹟』(『使徒行伝』)の文書・・・パウロス(パウロ)の書簡
・・・ヨーアンネース(ヨハネ)の第一〔の書簡〕・・・ペトロス(ペテロ)の書簡・・・
『ヨーアンネースの黙示録』・・・以上のものは認められた〔文書〕の中に入る。
疑わしいものには、ヤコーボス(ヤコブ)・・・ユーダス(ユダ)、
ペトロス(ペテロ)の第二の書簡、ヨーアンネース(ヨハネ)の第二、第三〔の書簡〕と
言われるものなどがある。・・・偽典に入れてよいものは、『パウロスの事蹟』・・・
『牧者』(『ヘルマスの牧者?』)・・・『ペテロスの黙示録』・・・
バルナバス(バルナバ)のものとされる書簡や『使徒たちの教え』(『ディダケー』)・・・
『ヨーアンネースの黙示録』をそれに加えてもよいかもしれない。
・・・ある人びとは・・・除外するが、認められた〔文書〕に含める人びともいる。・・・
『ヘブル人たちによる福音書』を上げている。
・・・文書目録をあえて作成してみた。・・・教会の伝承(パラドシス)が、真正なるもの、
純正なるもの、認められたもの・・・と、正典には入れられず・・・
多くの教会著作家に知られている・・・文書、と区別した。
それは、・・・異端の者たち(ハイレーテイコイ)が使徒の名によって世に出した文書・・・
それらの文体は使徒たちのものとは異なり、教義(グノメー)や内容の傾向も
真の正統的見解(オルトドクシア)とかけ離れていて、それらが異端者の手になる
でっち上げ(アナプラスマ)であることをはっきりと示している。・・・

(この項目の前後を読んでいくと、基本的にパウロと、
その協力者(医者ルカや弟子ヨハネ)の著書の文脈や文体を正統的見解の基準にしている。)
[原典古代キリスト教思想史3ラテン教父 (小高毅編:教文館)によれば]
使徒行伝の成立は、
700年代以降のシャルルマーニュ時代の南フランスで成立し、
ローマや北イタリヤではないとされている。
1438年のフェラーラ・フィレンツェ公会議で、
[黄泉に降りの文句の無い]古ローマ信条は、東方圏に伝わっていなかった事が分かり、
エフェソス司教マルコス・エウゲニオスが、
使徒行伝のエルサレム会議の描写に織り込まれていないので、
(東方教会の伝承としては)知りもしないし、信条として宣言していない。
と語ったと言う。

[わたし個人的に考えるには、]
[トマスがイエスの手の平の肉に触った証言から]トマスの福音書は外典とされ、
ポリュカルポスの[肉の復活を証言する]書簡は正典に入らない[ように教会の会議は判断した]ので、
肉体の復活はニカイア信条の宣言には盛り込まれ[]ない[ようにしたと思われる]。
[それらの点など考慮し]マグダラにせよ、エマオにせよ、ガリラヤの者達にせよ、パウロにせよ、
肉体と見ていない[わけで]。信仰宣言での肉身の復活の語句は、
[]トマス[の発言]のみを根拠とする西方教会の迷信と思われる。
>347 補足説明。

使徒信条(使徒信経)の「黄泉に降り」の文句は、
新約聖書外典の「ピラト行伝」(別名でニコデモ福音書)の第二部の「黄泉降り物語」や、
同じく外典の「ペテロ福音書」にある、
復活した日に墓の前で光る十字架が天使との問答で語る「黄泉で宣教しましたか?」「はい。」
という文句などに由来すると思われる。
349もとぴ:02/11/23 09:35

>>336
お互い、安月給どおし、仲良くしましょう。

ろんぎぬすさんのカキコの内容については、またゆっくりと読ませていただきます。
私は、今日はこれから、金のかからない公園で家族サービスです。おにぎり持参で。。。
明日は、カキコ休みます。ろんぎぬすさんも、すこしゆっくりしてください。

みなさんは、これまでのカキコについて、レスがありましたら、お願いします。
>349
いえ、どういたしまして もとぴサン。こちらこそ、よろしく。
別件ですが、参考の薀蓄を続けてカキコしておきます。
参考:
キリスト教資料集 −キリスト教史・新共同訳聖書・聖公会− 聖公会出版 1900円+税

【 聖書の成立に関わる年表・前編 その1 】

B.C.8000 新石器時代
B.C.7000 エリコに農耕文化
B.C.4500 金石併用時代 大洪水(?)
B.C.3761 ユダヤ暦による天地創造
B.C.3000 初期青銅器時代
B.C.2800 くさび形文字 シュメール時代
B.C.2550 ギザのピラミッド群 ヒエログラフ成立
B.C.2500 エーゲ文明起こる
B.C.1900-1700 中期青銅器時代 族長時代
B.C.1468 メギドの戦い ヒッタイト王国(鉄器文化)★フェニキアでアルファベット文字
B.C.1290-1250 出エジプト 新王国時代・第19王朝ラメセス2世(1290-1224)
B.C.1200 初期鉄器時代 
士師時代 サムエル トロイ戦争 ペリシテ人のパレスチナ侵入
B.C.1020-1000 イスラエル王サウル
B.C.1000-961 ダビデ王
B.C.961-922 ソロモン王 エルサレム神殿建設 
★旧約聖書ヤハウィスト文書(J資料)ダビデ王位継承史 
B.C.922 王国分裂(南王国ユダ・北王国イスラエル)
B.C.900 ポリス成立(ギリシアの都市国家)
B.C.869-850 北イスラエル王アハブ 
★旧約聖書エロヒスト文書(E資料)預言者エリヤ・エリシャ
B.C.842 ヤーウェ主義革命
B.C.800 ホメロス
B.C.776 第1回オリンピック競技会
B.C.758? ローマ市建設
北の預言者アモス・ホセア、南の預言者イザヤ・ミカ
B.C.722 北王国滅亡アッシリアに征服される
【 聖書の成立に関わる年表・前編 その2 】

B.C.671-652 エジプトがアッシリアの支配下に置かれる
南の預言者ゼファニア・エレミア・ナホム
B.C.622 申命記改革 ★申命記文書(D資料)南ユダ王ヨシヤ(640-609)
B.C.628 新バビロニア帝国(カルデア王国)ネブカドネザル(626-605)
B.C.609 メギドの戦い 末期王国時代ファラオ・ネコ2世(609-594)
B.C.609 カルケミシュの戦いでパレスチナ・シリアはバビロニアの支配下におかれる。
B.C.597 第1次バビロン捕囚
南の預言者エゼキエル
B.C.587 第2次バビロン捕囚 南王国滅亡
B.C.582 第3次バビロン捕囚 ★旧約聖書・哀歌 祭司文書(P資料)
滅亡後の預言者、第2イザヤ
B.C.539 バビロニア帝国はペルシャ王キュロスにより征服される
滅亡後の預言者、第3イザヤ
B.C.538 ユダヤ人帰還開始(キュロスの勅令)
B.C.520-515 第2神殿再建
B.C.509 共和制ローマ
B.C.445 ネヘミヤ、ユダヤ知事としてエルサレム着任
B.C.430 エズラ、「モーセの律法」を朗読 サマリヤ教団成立 ユダヤ教成立
B.C.404 エジプト第28王朝ペルシャから独立
★旧約聖書モーセ五書編集(創世記・出エジプト記・民数記・レビ記・申命記)
B.C.331 アレクサンドロス大王、パレスチナ征服 アリストテレス(384-322)
B.C.312-280 セレウコス1世ニカノル(大王の部下、シリア・ペルシャに独立) 
B.C.310-305-285 プトレマイオス1世ソーテール王(大王の部下、エジプトに独立)
B.C.302 プトレマイオス王朝、パレスチナを支配
★旧約聖書「預言書」編集(ナビーム)ヨブ記・エステル記・箴言・コヘレトの言葉(伝道の書)
B.C.285-246 プトレマイオス2世フィラデルフォス王 ●七十人訳聖書(ギリシア語旧約聖書)
プトレマイオス朝の宗教寛容政策によりユダヤ教発展 ★旧約聖書ゼカリア書
【 聖書の成立に関わる年表・前編 その3 】

B.C.246-221 プトレマイオス3世エウェルゲテース
ヘレニズム化進行 ★旧約聖書の歴代誌・エズラ記・ネヘミヤ記
B.C.219-217 セレウコス朝アンティオコス3世大王 パレスチナ侵攻
★旧約聖書ベンシラの知恵・トビト記
B.C.198 プトレマイオス朝支配終わる。セレウコス朝の支配下におかれる。
B.C.167-162 マカベア戦争(ユダヤ独立戦争)
B.C.164 エルサレム奪還、神殿再奉献 ★旧約聖書ダニエル書
ユダヤ独立、祭司は王を兼任 ハスモン王朝
B.C.63 ローマの将軍ポンペイウス、エルサレム占領、属州シリアに編入
B.C.37 ヘロデ、エルサレムを支配下に置く ヘロデ大王(37-4)
A.D.6 ローマの直轄地となる 総督コポニウス(6-9)・総督アンビビウス(9-12)・
ルフス(12-15)グラドス(15-26?)総督ポンティオ・ピラト(26-36)・フェスト(36-41?)
A.D.33-36? イエスの十字架と復活と昇天、弟子達に聖霊降臨
A.D.37-41 ガイウス(ローマ皇帝カリギュラ)
A.D.41-44 アグリッパ1世 ユダヤ・サマリアを併合 死後ローマの属領に戻る。
A.D.41-54 ローマ皇帝クラウディウス1世 
A.D.50 ★新約聖書・第1テサロニケ書
A.D.55 ★新約聖書・第1コリント書・ガラテヤ書・フィリピ書・フィレモン書・第2コリント書
A.D.58 ★新約聖書・ローマ書
A.D.54-68 ローマ皇帝ネロ 
A.D.66-70 第1次ユダヤ戦争 エルサレム陥落(70) マサダの要塞陥落(73)
戦争中にパウロ・ペテロ殉教 ★新約聖書・マルコによる福音書
A.D.69-79 ローマ皇帝ウェスパシアヌス 
●ヘブライ語聖書(旧約)成立 ★新約聖書・マタイによる福音書 
>【 聖書の成立に関わる年表 前編・後編 】関連レスの補足。
【 聖書の構成変化の流れ 】>>338 【 初期教会小史 】>>337 が後編。

 記載がなかったが、旧約聖書の「詩篇」の成立は、
紀元前2世紀からペルシャ時代(紀元前6世紀から前4世紀)と推定される。
 ダビデ時代のように詩篇を歌い継ぐのではなく、文字として記録されたのが、
七十人訳ギリシア語・旧約聖書までと推定されているからである。
 AD90年頃の「ヘブライ語聖書の成立」と言うのは「編纂完了の年代」であって、
紀元前1世紀頃の「死海文書」のヘブライ・アラマイ(ヘブル・アラム)語聖書は、
エステル記が未発見な(たぶん書き記しで成立してなかった)以外は、
現在の旧約聖書の如く各編が出来上がっていた。
 「死海文書」以前の いつ頃に書かれ始めたかの詳細は不明。
>353 訂正。

× 戦争中にパウロ・ペテロ殉教 ★新約聖書・マルコによる福音書
○ [68年にネロ帝が亡くなる前で64年ごろ]にパウロ・ペテロ殉教 ★新約聖書・マルコによる福音書
356もとぴ:02/11/25 20:04
>336 :ろんぎぬす :02/11/22 23:21
> マタイ1:18−20は支持しますよ。パルテノン(処女)の言葉を使ってないし。
> 仮に使っていても、アラム語の若い娘・乙女の意味だと言い張りますが。

支持してくれてありがとう。

マタイ1:18-20の解釈に、問題の焦点を絞った(>>335)のは、
あなたが紹介したリンク
> 「イエスはどんな人」 「処女降誕 処女降誕は本当にあったのでしょうか」
の見解の根拠が、マタイ1:18-19にあると思ったからです。
357もとぴ:02/11/25 20:08
(つづき)
マタイ1:23 「見よ、処女がみごもっている。」について。

>>300 :ろんぎぬす
> それに私は主イエスの母マリアは、
> 歴史上の実際は新約聖書原典の記述にあるギリシア語の処女ではなく、
> アラム語の乙女(非処女・処女問わない、若い娘)だと思っているので、

これを見て、私は自分なりに調べていました。
旧約聖書イザヤ7:14の「処女」は、本来はアラム語の「若い娘・乙女の意味」だということですね。

七十人訳聖書が、イザヤ7:14のアラム語「若い娘・乙女」を、ギリシャ語で「処女(パルテノン)」と訳した。
それが新約聖書の、マタイ1:23に引用されている。
だから、マタイ1:23は、本来は、「アラム語の若い娘・乙女の意味だと」 言い張りたいと、、。

。。正直言って、この議論は、避けていました。平行線になるだろうと、、、
でも、このような場合には、新約聖書が優先されるとしたもののようです。
旧約聖書で「若い娘・乙女」という意味の語が用いられているとしても、
新約聖書で「処女」という意味の語が用いられているならば、「処女」と解釈するのが自然でしょう。


沢山のカキコについては、キリスト教の歴史の資料として、参考にさせていただきます。
気になるテーマもありますので、それにはレスつけます。近日中に。。。
>357
 もとぴサン、ギリシア語新約の単語を優先させて旧約を解釈する論法を合法とすれば、
新約の母マリアは新しいエバ説をも合法としなければ成らなくなりますよ。

 ギリシア語旧約のイザヤ書の処女の意味に翻訳と新約の処女の辻褄あわせと同様、
マリアの役割を旧約のエバの蛇を踏みつけ(女性形の)その子が打ち勝つ云々は、
新約の母マリアに子のイエスに相当するの説に、繋げる論法を認めるようなものです。
 その論法でラテン語の旧約・新約聖書に名詞の女性形使用を認める翻訳の仕方を、
採用する事に繋がり、後世のマリヤ崇敬の根拠に発展していくのです。
遅ればせながら、自己紹介に。

またーり東方正教会4
707 :ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/25 21:39
>706 補足。
 私には正式洗礼が無く、
国際ギデオン協会の新約聖書にある「キリストを私の救い主として受け入れる私の決意」
の欄に1983年10月10日に署名し、
ペンテコステ派の内藤正俊牧師の聖霊の舌びらめの異言の祈りで頭に按手を受け、
その前後に日本キリスト教団の教会で作戦なんだか間違ってなんだか聖餐を受け、
阿含宗の先達のフランス・ピレネーのルルド土産で貰った
カトリックの聖水を1999年8月1日に頭から被り自己洗礼し、
正教会でクリスマスの時に額に十字の塗油を2001年12月24日に受けた。
 これといった所属教会が無く、一貫して儀式を担当した聖職者も無く、
よって使徒継承の有効な告解・堅信・聖餐・洗礼・塗油を受けていないのだが、
キリスト教入信の形式は全部そろってしまっている。
360名無しさん@1周年:02/11/26 18:04
もとぴさん、
こちらでのカキコ、読ませていただき勉強させていただいてます。
おなじプロテスタント信者として応援申し上げています。
がんばってください。
361もとぴ:02/11/26 20:33
>357 :もとぴ :02/11/25 20:08
> でも、このような場合には、新約聖書が優先されるとしたもののようです。
> 旧約聖書で「若い娘・乙女」という意味の語が用いられているとしても、
> 新約聖書で「処女」という意味の語が用いられているならば、「処女」と解釈するのが自然でしょう。

「優先」という表現は適切でなかった。以下に訂正します。
(非常に雑な表現をしてしまい、申し訳ない。。)

啓示の光が、旧約聖書よりも、新約聖書の方が強い。 
新約聖書の方が、旧約聖書よりも、より具体的である。
(新約聖書によって、旧約聖書が 否定されたりするわけではない)

旧約聖書イザヤ7:14が、本来はアラム語の「若い娘・乙女の意味」。
それが新約聖書マタイ1:23で、ギリシャ語の「処女(パルテノン)」という語が用いられている。
ということは、「若い娘」で、「処女」であった、ということ。


これは、
> 新約の母マリアは新しいエバ説をも合法としなければ成らなくなりますよ。
ということとは別のことと思います


>360さん。うれぴいです。私は、やっぱりプロテスタントの立場です。
いつかは、プロテスタントの教会に帰ります。
362もとぴ:02/11/26 20:35
★★ みんなで作ろう「エホ証用語の基礎知識」5
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1001498157/527-
こちらのスレから、781さんを迎えたいと思います。
まあ、、、781さん次第ですが。。。


まず、私の「三位一体」についての過去のカキコのポイントをあげておきます。

>>65 :もとぴ  :02/10/18 20:27
【三位一体】  神は、「父と子と聖霊」。 一つの本質のなかに 三位格がある
一つの本質(愛・永遠、、)
三位格 
@父と子と聖霊は、神の本質・本性において 同等
A父が第一で、子(キリスト)は第二位、聖霊は第三位 という序列がある
 (例えば、父が子や聖霊を遣わすことはあるが、子や聖霊が父を遣わすことはない)

本質・本性で言えば、
・イエスは、父から生まれ、神の本質・本性を持っておられる。
・イエスは、マリアから生まれ、人の本質・本性を持っておられる。
363もとぴ:02/11/26 20:40
>>80 :もとぴ :02/10/19 19:12
イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」(マタイ16:15)

私は、「三位一体」を、信仰しているわけではありません。
私の三位一体についての理解は>>65で述べましたが、
「三位一体」は、神学上の用語であって、信仰の対象ではありません。

ただ、「三位一体」の問題は、「イエスはだれか?」という告白と、強く関連しています。
それだけに、神学的には重要なテーマであると思います。

本来、「イエスはだれか?」については、聖書の中から、答えを探すべきです。 
とりあえず、聖書から、二つの箇所を挙げます。

「あなたは、わたしの子。 きょう、わたしがあなたを生んだ。」(へブル1:5)
【きょう】は、永遠の現在を意味している。イエスは、父から生まれ、永遠に存在される。(へブル7:24) 

「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われ、、、 」(へブル1:3)
イエスは、神の本質の完全な現われである
364もとぴ:02/11/26 20:44
次に、「エホ証用語スレ 5」から、カキコを引用します。

764 :名無しさん@1周年 :02/11/15 16:14
エホバ神だけが神です。


767 :もとぴ :02/11/16 18:23
> 764
> エホバ神だけが神です。

エホバ神は、「父だけ」ですか? それとも「父と子と聖霊」ですか?

エホバ神は、「父のみ」とすると、(一位論)
「父の名(YHWH)と 子の名と 聖霊の名 」、という複数の 「名」 となり、
複数形(英names)が用いられるはず。


「父と 子と 聖霊の 【御名】(英name)」 の 「name」 は単数形。
マタイ28:19は、「父と 子と 聖霊」が、一つのお名前 「YHWH」 を持つと解釈される。
エホバ神は、「父、子、聖霊」 (三位一体)
365もとぴ:02/11/26 20:46
「エホ証用語スレ 5」
781 :名無しさん@1周年 :02/11/20 19:21
>767 もとぴさん
このスレにもみえていたんですね。お久しぶりです
啓示・黙示録の書についてかつてお話合いしていた者です
お元気そうですね

複数の主格を単数的にまとめて語ることは一般の英語の場合、普通に良くあることです
その反対のこともあります。公式の場に置いてもまたそうです。
(ギリシャ語の口語について同じかどうかは詳しくわかりませんが)

また、聖霊は人格的なものではないと解しているJWにとっては、
聖霊がエホバでないならば別の名前を持つはずであるという前提をもつ
この反対者の論議は、あまり通用しないように思えます

聖書には、YHWHである主がイエスに呼びかける箇所(旧約)や
YHWHである主がその聖霊を人の上に働かせる箇所(やはり旧約)があります
他方、イエスや聖霊が自らをYHWHとしながら父なる方に語りかける場面は皆無です

悪魔サタンが登場する場について考えればこの点は明白です
イエスがYHWHという名を持つならば、
イエスが引用した答えは、それぞれ説得力の非常に薄いものになります
サタンはすかさず突っ込みを入れることができたはずです
そうでなければ、霊者サタンは最初からとんだボケをかましていたことになるでしょうし

>>772のようなカキコは、もとぴさんがなさることもないですよ
相手が信者でも(タダの煽りなら尚更)

JWだったから悩んだというのはよくここでカキコありますが、
プロで悩んで落ち込んだというのは、何かあったのでしょうか。。。(ログ斜め読みなんで)
366もとぴ:02/11/26 20:52
ようやく、今回分のカキコです。。

> 複数の主格を単数的にまとめて語ることは一般の英語の場合、普通に良くあることです
> その反対のこともあります。公式の場に置いてもまたそうです。
> (ギリシャ語の口語について同じかどうかは詳しくわかりませんが)
私も、よくはわかりませんが、「新約聖書 ギリシャ語釈義文法の手引」(いのちのことば社)を
見ると、ギリシャ語は英語よりもはるかに複雑な文法を持っていることは、わかります。

> 他方、イエスや聖霊が自らをYHWHとしながら父なる方に語りかける場面は皆無です
イエスは、地上の生涯においては、ひとりの人として生きられた。
したがって、イエスが自らをYHWHとしながら父なる方に語りかける場面が皆無なのは当然。
むしろ、私たちが、「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」(マタイ16:15)
という イエスの問いに対して、どのような告白をするかが大切。


今回は ほとんど 走り書きしてしまいました。
もう少しゆっくりしたカキコがしたかったのですが、
突然、ここで 三位一体に関する話し合いを始めたら、何のことだかわかりにくいだろうと。。。
343 :ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/23 09:03
★テルトゥリアヌス(155年ごろ生まれ、190〜195年に改宗し、220年以降に没している)
  百卒長の息子でカルタゴ生まれ。
法律と修辞学を学び、生活語のラテン語のみならずギリシア語に精通していた。
司祭になったが、三位一体を言い出した初めの提唱者であり、
204年ごろからモンタノス派になり、213年に完全に正統教会から離れている。
  彼の慣用句に、
「キリスト教徒は生まれながらにしてキリスト教徒であるのではなく、キリスト教徒になったのである。」
「アテネとエルサレムとに何の関わりがあろうか」
「哲学者はギリシアの弟子だが、キリスト教徒は天国の弟子だ」(以上 護教論) 
  父・子・聖霊
実体[substantia]の統一性[unitas]は三一性[trnitas]へと 
秩序づけている経綸[オイコノミア]の秘義は守られている。・・・
・・・本質[status]についてではなく、相対的な位置[gradus]についてであり、
実体についてではなく、形相[forma]についてであり、
力[potestas]ではなく、〔それをになう〕具体的存在[species]についてであって、
この三つは一つの実体、一つの本質、一つの力に属している。
なぜなら、神は一つであるが、この神から、父と子と聖霊という名で、
このような相対的な位置、あるいは形相、あるいは具体的な存在が生じると考えられるからである。
(『プラクセアス反論』ニ・4〔土岐正策 訳〕)
339 :ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/23 08:58
>>327
8 バシレイオス=聖ワシリー(330年頃)
【 父と子と聖霊 】
御霊は、真理を観ようとする人に、霊自身の中で、観る力を与える。
外から示すのではなくご自身の中で、知に導いて。
「父を知る者は子のほかにはない」(マタ一一・27)ように、
「聖霊の中でなければ、だれもイエスは主であると言うことができない」
(Tコリ一二・3)からである。
聖霊"によって"でなく、聖霊"の中で"と言われている。
「神は霊であるから、礼拝する者も、霊とまことの中で礼拝すべきである」
(ヨハ四・24)と、またこう書かれている、
「われらはあなたの光の中で光を見る」(詩三六・9)、すなわち
「世にきて、すべての人を照らすまことの光」(ヨハ一・9)
であるところの御霊の照明の中でと。
このように、ご自身の中で独り子の栄光をお示しになり、
またご自身の中で、まことの礼拝者に神の知をお与えになる。
そこで、神認識の道は、
一なる御霊から、一なる子を通して、一なる父へである。
また逆に、本性的善性と本性としての成聖および王たるの価は、
父から、独り子を通して、御霊に至る。
こうして〔三つの〕位格(実在[ヒュポスタシス])を告白し、
しかも一つのはじめ[モナルキア=神理解]
の敬虔の説教を歪めることはないのである。・・・・・・
(『聖霊論』一八・44−47〔山村敬訳〕)
→原典古代キリスト教思想史2ギリシア教父 (小高毅編:教文館)p132
341 :ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/23 09:01
キリスト教教理史入門 諸信条の成立 
アラン・リチャードソン著 シリル・H・パウルス訳 
日本聖公会出版部 1968年7月5日250円

p79 アポリナリオスは人間を
身体(ソーマ)、霊魂(プスケー)、霊(プネウマ)に分ける
聖パウロの周知の分割法を採用した(Tテサロニケ五・二三)。
彼の心理学〔霊魂論〕によると、
霊は(動物にない)人間の理性的、道徳的、霊的〔宗教的〕機能、
すなわち人間の持つ特に人間的な要素(人格)であり、
霊魂は肉体的生命、人間と動物とが共有している機能である。
そこからアポリナリオスは更に一歩進めて、
キリストの人格には人間の霊はない、なぜならキリストにおいて
霊の占めるべき場所にロゴスがはいっているからである。
・・・人間の霊または精神(mind)がない。
従ってキリストには完全に罪がない。
p80・・・人間を動物から区別するはずのものが
キリストの人格に全然存在しない・・・神性と人性が一つでない・・・
p84・・・キリストの人格における二つの本性(natureすなわち、
神性と人性)・・・
p89・・・四五一年のカルケドン総会議の信仰定式・・・
p89−90・・・主は神性において全く、人性においても全く、
まことの神にしてまことの人、理性的な霊魂と(アポリナリオスに反対)
身体を持ち、・・・二つの性において混じることなく、
変わることなく(エウテゥケスに反対)、分けられることもできず、
離すこともできぬおかたとして(ネストリオスに反対)・・・
合一によって両性の区別が取り除かれるのではなく・・・
一つの人格、一つの本質にともに入り、
二つの人格に分かたれ裂かれることなく(ネストリオスに反対)
・・・ロゴス、イエス・キリストである。
340 :ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/23 09:00
20 エフェソス公会議からカルケドン公会議(433−435)
【 合同信条 】
(神の母=テオトコス)なる(処女=童貞)に関して、
また独り子なる神の御子の(受肉=籍身)の方法に関して、
我々は次のように考え、かつ主張する。・・・・・・
この方は、その神性によって、
代々に先立ちって御父から生まれたが、・・・・・・
その人間性によって、処女マリアから〔生まれた〕のである。
この方は、神性によって御父と(同一本体の者=ホモウシオス)であり、
人間性によって我々と(同一本体の者=ホモウシオス)である。
実に、二つの(本性=フユシス)の
(合一=ヘノーシス)が実現されたのである。
それ故、唯一の(キリスト=メシア)、唯一の御子、唯一の主を
我々は宣言〔信仰告白〕する。
この混合なしの合一という理解に即して、
我々は聖なる処女を「神の母:テオトコス」と宣言〔信仰告白〕する。
神の(言=ロゴス)が肉となり、人間となったのであり、
受胎の瞬間から、彼女〔処女〕から取った神殿を
ご自分と合一されたからである。・・・・・・
神にふさわしい〔諸発言〕をキリストの神性に帰し、
低次元の〔諸発言〕をその人間性に帰しているのを我々は知っている。
→原典古代キリスト教思想史2ギリシア教父 (小高毅編:教文館)p403−404
もとぴサン?以下のレスの三位一体の解釈をドウ思いますか?

●ろんぎぬすの専用スレッド7■
36 :ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/04 20:42
>カトリックの方へ? 
>1のDの否定で、キリストの受肉の解釈は コレでヨイでがしょうか?

ドケティズム__霊は神で肉体は悪魔。天使が人となって仮に現れ、十字架後に人を捨てて天に戻った。
サベリウス___神は、父なる神から子のイエスに変身し地上に現れ、復活・昇天後は聖霊に変化した。
アポリナリオス_霊は神で、魂と肉体は動物と同じ人間となって現れた神。
正統教理____霊も人性と神性(神のロゴス)を持って、原罪の贖罪や神の啓示の役割を果たす。
____受肉は、神のロゴスが霊(理性)・魂(心・精神作用)・肉体の3つの人格にともに宿り、
____3つの人格に人性・神性が、分かたれず混ざらずに存在する。
____主なる神の父・子・聖霊の3つの側面を神格と呼んだ。
動物には、人間特有の「道徳を知覚し理性」が存在する霊はなく、魂と肉体だけの生き物である。
マリヤは、霊(神)魂(人)肉体(人)を生んだ(アポリナリオス異端説)のではなく、
マリヤは、霊(神のロゴス・人)魂(神のロゴス・人)肉体(神のロゴス・人)を生んだ。
肉体には復活ゆえに人にはない神性があり、霊には神にはない原罪の贖罪ゆえに人性が存在した。
マリヤは、子の側面の神格を生んだので、神を生みし者(テオトコス)と称した。
 もとぴサン、聖書ではエホバ神って言い方はないですよ。

 エロヒムはアラム・ヘブル文字で記述して意味は神、
アドナイはアラム・ヘブル文字で記述して意味は主、
 しかし文語のエホバという単語は、
旧約聖書でヤハウェと「フェニキア・ヘブル文字」で記述して、
読む時は「アドナイ」と読むんです。みだりに唱えてはいけないから。
 したがって「エホバ神」というのは
「キリスト教会(エクレシア)とユダヤの会堂(シナゴーグ)」の読みではありえず、
邪道な日本語訳であり解釈なんです。
373名無しさん@1周年:02/11/26 21:46

もとぴさん、がんばれ!!!!!
プロテスタントのみんなが応援しています!!!!!
374有/無:02/11/26 21:59
>>372
そりゃそうですよ。その読み方はエホバの証人が勝手に固執しているだけですし。
375名無しさん@1周年:02/11/26 22:11
漏れは、ろんぎぬすのカキコの内容をみてとても勉強になるので、じゃあバランスをとるためにろんぎぬすを応援するか…
376名無しさん@1周年:02/11/26 22:32
あ、ろんぎぬす氏へ一言お願い

とても勉強になるのでカキコはありがたいのですが、よく途中で切れたりしてますよね。
もう少し文章の趣旨をまとめてくれると、更にうれしいっす
まぁ勉強させてもらってる者の立場で言えることではないんですけど
ええ、ご指摘ありがとうございます。
心掛けますので。

 で、別件。エホバ神の続き。
キリスト教系の学校の図書館などに書かれている文に詩篇111:10の有名な句があります。
エホバ神ではなく「エホバ」は「アドナイ(主)」と読み、
日本語でも主と訳す査証に、この詩篇の訳例をあげます。

旧新約聖書(日本語)文語訳(日本聖書協会)p826の
詩篇第111篇10節では、ヱホバをおそるゝは智慧のはじめなり・・・
とあり、
聖書 旧約聖書続編つき引照つき新共同訳(日本聖書協会)(旧)p953の
詩編111:10では、主を畏れることは知恵の初め。・・・
とあり、
旧約聖書 新改訳(日本聖書刊行会)p937の
詩篇111:10では、主を恐れることは、知恵の初め。・・・
とあります。
文語訳は、江戸末期から明治時代全般にかけてヘボン博士を初めとする、
ヘブライ語やギリシア語から直に日本語に意訳・直訳した苦心の作で、
大正時代に改定していますが、定本はヘボン博士のモノです。
ご覧のとおり、「エホバ」は「主」と改定されています。
378もとぴ:02/11/28 20:17

。。。昨夜は忘年会でね。。 

やっぱり、781さん(>>362)は、まだ 来てくれて いないですね。
781さん、できれば このスレに来てやってください。
。。でも、このスレに来たら、、 大変かも。。。

373さん〜376さん。どーもです。なんだか、ホッとします。。
379もとぴ:02/11/28 20:18
ろんぎぬすさん、とりあえず 答えやすいところから 答えることにします。

私は、「厳密でない語」を、便宜的に用いることがあります。
>>364の「エホバ神」、>>318の「心と魂」、
が、そうです。

ま、「エホバ神」は、エホ証さんの用語として、用いました。
これを私が使うといかんのかな? という気はしますが、
私の過去のカキコに 少し手を加えて、次のワクで「エホバ」について書きます。
(参考: 「エホ証用語スレ 5」 の565)
318の「心と魂」については、「心と霊」とすべきかなあと思ったけれど、、、ま、
そんなに厳密なカキコではなくて、感覚的にわかりやすい語を選んだ。
Tテサロニケ5:23の「霊、たましい、からだ」については、明日カキコします。

>>371
> もとぴサン?以下のレスの三位一体の解釈をドウ思いますか?
。。。 聖書には「三位一体」という語はないのだから、「解釈」の しようがないと。。。

それからね、あなたのカキコには、テーマが多過ぎる。
もう少し落ち着いてカキコしてください。
>371にしても、何がなんだか、、、
テーマを理解しようとするだけで、疲れる。
何がテーマなの?
380もとぴ:02/11/28 20:20
【エホバ】

◇神名四文字
旧訳聖書には、ヘブル語で、神名を表す四文字 が記されている。
当時のヘブル語には、現在のような母音記号はなく、子音文字だけで書かれていた。
神名を表す四文字を ラテン文字であらわせば、YHWH もしくは JHVH。

◇YHWH の意味は、「わたしはある」。すなわち「存在する者」。(出エジプト記3:14)

◇YHWH の発音は、不明。
ユダヤ人は、「あなたの神、YHWHの名をみだりに唱えてはならない」(出エジプト記20:7)と
いう神の命令を堅く守ったため、YHWHを発音せずに、別の語「アドーナーイ」(私の主)と
呼んでいた。
ユダヤ人は、そのうちに 本当の発音を忘れてしまった。

◇YeHoWaH
ユダヤ人は、旧訳聖書のヘブル語本文に、母音記号をつけるようになった。
ユダヤ人は、神名 YHWH に、アドーナーイ(私の主)の母音記号をつけ、
こうして 「YeHoWaH」 ということばができた。
(ユダヤ人は、「YeHoWaH」を、「アドーナーイ」 と、読んでいた。)

◇こうしてできたことば 「YeHoWaH」 が、日本語では 「エホバ」 と、音訳された。

◇私見
YHWH の発音が不明になったのは、それが神のご意思であったからでありましょう。
「神は どのようなお方であるか」 という、神の本質や本性のほうが大切と思います。
381名無しさん@1周年:02/11/28 20:32
>ユダヤ人は、そのうちに 本当の発音を忘れてしまった

これはデマでしょ。

ユダヤ人が怒ってたよ。「なんでこんなデマを書くんだ」って。
でも、直接異教徒に教えることはできないらしい。
ただ、知ることができるヒントを教えてくれた。
382有/無:02/11/28 20:32
ユダヤ人は神の名の発音を忘れたわけではありませんよ。
いまでも年に一度だけシナゴーグで神を真の名で呼ぶ儀式があります。
ユダヤ人は神の名を妄りに呼ぶことが何を意味するか知っていました。だから、他の者たちに知らせないように封印したんです。
新約にはその理由が書かれています。
383 ◆Fw190Tn4p2 :02/11/28 20:47
>>382
その話、どこで知りましたか?
384名無しさん@1周年:02/11/28 20:50
382じゃないけど、ユダヤ人から直接聞いた。>383

また、本でも読んだことあるよ。

だいたい「忘れてしまった」と言う方が、ちょっと考えたら不自然(で失礼)な話だな

でも、神の名をみだりに読んじゃダメだったら、「ハレル「ヤ」」とかもやっぱり抵抗あるのかな?
385有/無:02/11/28 20:59
エホバの証人さんたちの欺瞞はboy'sさんだったらよくご存じのはずです。
彼らの言うことの中には、真実でないことも含まれていますよ。
386有/無:02/11/28 21:01
あらっ!?
石原さんでしたか、間違えました。スマソ。
>379 :もとぴ :02/11/28 20:18
>ま、「エホバ神」は、エホ証さんの用語として、用いました。
>。。。 聖書には「三位一体」という語はないのだから、「解釈」の しようがないと。。。
聖書には「エホバ神」という語はないのだから、「便宜」のしようがないと。。。

>何がテーマなの?
 父なる神、神の子キリスト、神の霊なる聖霊、の「三位一体」の解釈と、
キリストの霊、たましい、からだ、の「人間の三分法」にもとづく、
キリストの受肉の「人間と神の性質(ニ性一人格)」がテーマ。

 神の三位一体(神論)と神の受肉の二性一人格(キリスト論)を採用しないと、
キリスト教ではありませんよ。
 聖書の選抜は教会が決めたものだから、
神論やキリスト論も教会の決定を採用しないと異端です。聖書だけ云々言ってもダメです。
 イスラム教だって聖書の一部の福音書は使うからです。
>380 :もとぴ :02/11/28 20:20
>◇YHWH の意味は、「わたしはある」。すなわち「存在する者」。(出エジプト記3:14)
 原典の抜き出しでは「EHYH」が「ある」、
現代ヘブライ語は「存在する・が有る」は「YESH(イェシュ)」。
高校の聖書の時間でも「ハーヤー」と教わった。「ヤハウェ」は後世の呼び名。

 母音ニグダ?なし 方向→読みに変換している。本来は←の右から左読み。
原典からの私的な子音抜き出し書き。読み違いあったら御免なさい。
 出エジプト記3:14 
VYEMR ELHYM(神) EL−MSHH(モーセ)
EHYH(あって) ESHR EHYH(ある) VYEMR 
KHH TEMR LBNY YSHREL(イスラエル) 
EHYH(ある) SHLKHNY ELYKHM。

 Eはヘブル文字のアレフ。
「EHYH」「アレフ・ヘー・ヨッド・ヘー」で「YHWH」は見当たらない。
だいたいヘブル文字に「W」などない。
ヴァヴは「V」ベートは「B」ヘー「H」ヘット「KH」カフ「K、KH」コフ「K」
アイン「I」・アレフ「E」で、「W」なんてない。神は「ELOHIM」。

>◇YHWH の発音は、不明。
>ユダヤ人は、そのうちに 本当の発音を忘れてしまった。
書かれたフェニキア・ヘブライ文字には、母音記号が記述されていないから。
ヘブライ語のすすめ ミルトス p17(図6)の7行3番目の単語に、
死海写本の羊皮紙で、アラム・ヘブライ語の文の中に、
ポツンと旧式のフェニキア・ヘブライ文字の神聖四語が書かれている。

>381−382 その通りだと思います。
【 補足 】

 福音書+使徒行伝(基礎資料)>パウロ書簡など使徒書簡(解釈や追加資料)
パウロ書簡など使徒書簡(解釈や追加資料)>旧約聖書(引用元)
新約・旧約聖書+外典+使徒文書+異端の書(基礎資料)>三位一体やキリスト論などの教父文書(解釈)
って言うのが、キリスト教の「正統教会の解釈」だから。
 これから外れて、
旧約にタルムードだとユダヤ教。
モーセ五書と福音書とクルアンだとイスラム教。になるから、
聖書の一部を抜き取って解釈は、キリスト教から外れるんです。
>389
 だから、正統的教会の礼拝では、
カトリック教会のように、
第一朗読(旧約)や第二朗読(新約・使徒)や福音朗読とか、
 正教会のように、
旧約は聖詠経(詩篇)を唱え歌う以外は、新約だけで福音経と使徒経と、
分けて読みます。
>389 つづき。
 考え方が、旧約と新約のワンセットって考えでないんです。
大まかには旧約と新約で区分するのは本当なのですが、
モーセ五書・預言書・諸書・福音書・使徒書簡・黙示録って、
分割で集合したのが聖書って考えなんです。
 だから、それらに第二旧約正典や新約外典が追加されても、
聖書自体が聖伝の一部だから、
聖伝自体を重要と考えて、それら資料を元に教会が解釈をする事に重点を置くので、
聖書のみだと辻褄合わない、解釈できない、引用が見つからない、という騒ぎが起きずに、
大して深刻な問題にはならないんです。
 プロテスタントは聖書のみ権威って主張しておきながら、
使徒信条や日曜安息日や三位一体なんて、
聖書のみから引用説明って出来ない事するでしょ。
>390
>旧約は聖詠経(詩篇)を唱え歌う以外は、新約だけで福音経と使徒経と、

 エホ証の王国会館で何を礼拝していたか分かりませんが、
HPや2chスレに見られるように、
旧約聖書でも聖詠(詩篇)は、歌い唱える用に使われています。
 日曜のリツルギア(奉神礼・礼拝)では聖詠第50篇を唱え、
食前の祈りに聖詠145篇を唱えます。
 新約聖書の定番の唱え歌は、
真福九端?(山上の垂訓)マトフェイ(マタイ)による福音書第5章です。
393もとぴ:02/11/29 19:27
> 380 :もとぴ :02/11/28 20:20
> ユダヤ人は、そのうちに 本当の発音を忘れてしまった。

参考文献は、
【聖書が原語で読めたなら】 大久保史彦著 聖書語学同好会
【〔エホバの証人〕はキリスト教か】 千代崎秀雄著 いのちのことば社

それから、【岩波 キリスト教辞典】(岩波書店) には、
「、、子音YHWH、、、 原音は、ヤハウェ(yahweh)と学問的に復元される。 」
とあります。

これらの文献を、私は信頼しています。


。。 でもまあ、「発音」のことだから、
「わかる」と言えば、「わかる」 ということになるのかなあ。。。
394もとぴ:02/11/29 19:30
>>387 ろんぎぬす

> 聖書には「エホバ神」という語はないのだから、「便宜」のしようがないと。。。
意味がわかりません。


>> 何がテーマなの?
> 父なる神、神の子キリスト、神の霊なる聖霊、の「三位一体」の解釈と、
> キリストの霊、たましい、からだ、の「人間の三分法」にもとづく、
> キリストの受肉の「人間と神の性質(ニ性一人格)」がテーマ。

「もとぴサン?以下のレスの三位一体の解釈をドウ思いますか?」
と 問われて、>>371を、何回も読み返しました。
けれども、この内容からは、あなたが何を言っているのかわからない。
> 379 もとぴ
> 何がテーマなの?
は、そーいう意味です。

私は、ひとつひとつのテーマを大切にしたいので、
あれこれ列挙されたら、なんともならない。
395もとぴ:02/11/29 19:33
>379 もとぴ
> Tテサロニケ5:23の「霊、たましい、からだ」については、明日カキコします。

これについては、また明日にさせていただきます。
>393 :もとぴ :02/11/29 19:27
>> 380 :もとぴ :02/11/28 20:20
>> ユダヤ人は、そのうちに 本当の発音を忘れてしまった。
>【聖書が原語で読めたなら】 大久保史彦著 聖書語学同好会
p57 
 そのうちにほんとうの発音を忘れてしまい、
母音記号をつけるようになっても、
ヤハウェという語にアドーナーイの母音記号をつけてアドーナーイと読んでいましたが、
これが誤読の原因になったのです。

私も持っている本ですが、参考文献にしても、
ヘブル(ユダヤ)→ギリシア(正教)→ラテン(カトリック)→英語(プロテスタント)
などのような、又訳や伝言ゲーム的な本と思って、ぜんぜん信用していません。
こと旧約に関してはユダヤ人の伝承の方が正解です。

>381 :名無しさん@1周年 :02/11/28 20:32
>ユダヤ人が怒ってたよ。「なんでこんなデマを書くんだ」って。

>382 :有/無 :02/11/28 20:32
>ユダヤ人は神の名の発音を忘れたわけではありませんよ。
>いまでも年に一度だけシナゴーグで神を真の名で呼ぶ儀式があります。
>388 :ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/28 21:54
>VYEMR ELHYM(神) EL−MSHH(モーセ)
>EHYH(あって) ESHR EHYH(ある) VYEMR 
>394 :もとぴ :02/11/29 19:30
>> 聖書には「エホバ神」という語はないのだから、「便宜」のしようがないと。。。
>意味がわかりません。

 私こそ「>意味がわかりません。」の意味がわかりません。
わからないのに「便宜」など認められません。
 ヘブライ語聖書には「あって神」という語はないのだから、「便宜」のしようがないと。。。
「便宜」的に「あって」という呼びかけ者が「神」と呼ばれていた。というのなら分かるが。
モーセは「神」が「あって」という名前なんだ。だから「あって神」と呼ぶことにした。
などと「聖書」には書いてはいない。
 キリスト教会は「便宜」的に「パウロの言う、アッバ父よという神」
「ペテロの言う、神の子キリストです」「ヨハネのいう、神の霊は聖霊」というのは、
「神」の「三つのペルソナ(位)」だから、「三位一体」と呼ぶことにした。
という「”聖書に書いていない”という定規」と相容れない。

>私は、ひとつひとつのテーマを大切にしたいので、
>> 父なる神、神の子キリスト、神の霊なる聖霊、の「三位一体」の解釈と、
>> キリストの霊、たましい、からだ、の「人間の三分法」にもとづく、
>> キリストの受肉の「人間と神の性質(ニ性一人格)」がテーマ。
>けれども、この内容からは、あなたが何を言っているのかわからない。

おもしろい。「何を言っているのかわからない。」ことが、私にはわからない。
単純に「神の三位一体」「人間の三分法」「キリストの二性一人格」が「テーマ」だというのが、
わからないでいられる事が、私にはわからない。
相互に関係のあるテーマで分割不可の論議なのに、一つ一つ別の問題という発想が分からない。
ほんとうにキリスト教でないんだね。発想が。
>397 もしもし、もとぴサン。
 もとぴサンて、後世の学問の参考文献の辞書が「正で主」で、
辞書の元になった教会の聖伝(ヘブライ語聖書テキストの子音)が「偽で従」って、
思考方法なんですかね。
 それって「聖書のテキスト」より「学問の解釈」が上っていう「権威の上下関係」ですよね。
つまり「聖書」より「後世の学問」の方が「権威がある」と宣言したようなものですよね。
「聖書」より「後世の教会決定の聖伝」が上とした「カトリック教会」を非難できないですよね。
正統性が問われますよね。
>397
>単純に「神の三位一体」
 聖書にない。で回答拒否。
>「人間の三分法」
 また明日。で回答先延ばし。
>「キリストの二性一人格」
 あれこれ列挙されたら、なんともならない。で、回答不能。

ええ、ゆっくりお答えください。
家族を大切にして、2chは後回しでいいですから。
奥さん怒らせて家庭不和はヤだしね。私は不和の責任を負いたくないから。
独りモンで暇だから、適当に暢気(のんき)に待ってますから。
>追伸。
 でも、もとぴサンはイイよね。
子供はダッコできるし、奥さんとエッチできるし、
金もなく彼女もなく是と言った楽しみもなく独りモンでグレているから。
 私は2chと聖書や参考書などテキストが、お友達だしね。
何気に最近は、貧しく清い生活になっていますよ。
人生が味気ないけど。
>ついでに。
男の癖に、裸の付き合いに物怖じし、恐怖を感じる今日この頃なんで。
>まだ言い忘れてた。

仙台のミンナに嫌われて(特にコギャル)、
寄って来るのはストーカー嫌がらせの創価学会臭いジジ・ババばっかでね。
ますます人が近寄らなくなってやがんの。最悪ですよ。
403名無しさん@1周年:02/11/30 08:06
>396
>私も持っている本ですが、参考文献にしても、
>ヘブル(ユダヤ)→ギリシア(正教)→ラテン(カトリック)→英語(プロテスタント)
>などのような、又訳や伝言ゲーム的な本と思って、ぜんぜん信用していません。
>こと旧約に関してはユダヤ人の伝承の方が正解です。

よく意味が分からないので、具体的に教えて下さい。
>403
 ヘブライ語のアルファベット「ヴァヴ」と、
ギリシア語「υ」小文字「Υ」大文字「ウプシロン」は、
ラテン語で「U」「V」「Y」「W」の全ての大文字に、
単純に共通に翻訳になるんですか?
 たとえばアルファベットの疑問と言えば「福音」ですが、
ギリシア語で「エウ−アンゲリエ」ですが、エウ−の「ウ」は「υ」「ウプシロン」、
アンゲリエの「ア」は「α」「アルファ」ですが、
ラテン語は「エヴァンゲリオン」の一単語で、
「ウ−ア」二音が「ヴァ」一音になってますよね。
「エウ」と「アンゲリエ」が単語の区切りなのに、
最初の単語の末尾の「ウ」と後の単語の先頭の「ア」を一緒にしてしまっている。
これが又訳だの伝言ゲームだって言っているんです。

 当然、ユダヤ人たちはユダヤ語たるヘブライ語の語感で宗教生活だから、
間違いようが有りませんよ。だから正解だといっている。
 ただユダヤは外国に迫害され大虐殺されてきたから、
口伝えを知られたくない敵に知られる可能性のある文字に残しているとも言えず、
仮に残したにしても、書き記された文書だって時代によって文字は変わる。
 クサビ型文字→フェキニア文字→
アラム文字→5・6世紀のマソラ学派の母音発音記号付け文字→
現代の記述→現代の筆記体のヘブライ文字、
と、生き残りのユダヤの人たちの伝承にも変化があるわけですが、
 申命記の「シェマァの祈り」のように、
紀元前10〜6世紀のバビロン捕囚以前の南ユダ王国時代以来から、
1933〜1945年のナチのホロコーストの強制収容所の遺体や遺品にまで、
残っているものは残っているんです。
 これらは、今現在の日本のキリスト教徒には、伝わってなかっただけじゃないですか。
405名無しさん@1周年:02/11/30 13:02
>404 つづき。

 あなたはシェマァの祈りの習慣を、知っていましたか?
ザビエルの布教時代からイスラエル研究のミルトスまで、
伝わってなかったじゃないですか。
または個人的にユダヤ人と付き合いがあってバラしてくれる間柄でもない限り。
 でもユダヤ人自身は通年で、いや通時代的に、いつも伝わっている。
今に始まった事ではなくて、日本人キリスト教徒で知らなかった連中が、
最近に始まったかのように錯覚しうる。
だから英語の解釈や翻訳本は原義としては使ってはダメだと言っている。
便宜的には使っても構わないけど、曲がって伝わる責任は負えない。

 イスラム教も聖職者は翻訳版など信じていなく、
あくまで大まかな意味をアラビア語を知らない庶民に知って頂くための便宜的なもの。
ようは純正だか正統だかいうアラビア語の原典クルアン(コーラン)しか信じていない。
そんなのユダヤ教にもキリスト教にも言える。
406名無しさん@1周年:02/11/30 13:08
>405 つづき。

 仏教はルーズだから、
サンスクリットやマガダ語やパーリー語のどれが原典か研究しなければ、
ほんとうの意味が出てこなくて、
たとえば「戒律」と漢訳(中国語翻訳)の仏教用語があったとすれば、
「戒律」という1単語は、本来はインド・サンスクリット語にはなく、
信者として個人的な罰則のない守るべき条件「戒(シーラ)」と、
教団を維持するための罰則のある守るべき条件「律(ヴィナヤ)」の2単語になっている。
それぞれ意味が違う。

「日本」と言う「単語」や「発音」だって西欧には伝わり方が伝言ゲームだ。
日本「漢字:日本 発音:にっぽん」→
中国「漢字:日本 発音:リーペン」→
イタリア・マルコポーロ「発音:ジーパン?グ? ローマ字:JIPANG?」→
スペイン「ローマ字:JAPON 発音:ハポン」→
イングランド「ローマ字:JAPAN 発音:ジャパン」こーゆー伝わりになる。
普通は「日本:にっぽん」は、日本人の耳には「JAPAN:ジャパン」とは聞こえない。
ニューヨーク一の医者でもあり生麦事件の惨殺遺体も見てきた
幕末のヘボン先生から、聞いた発音「ジャパン」は「ニッポン」と同じ物だと、
明治の日本人が気づくのは、後世になってからだ。
少なくとも日本人は「英語が出来ても」日本語で「ジャパンじん」とは言わない。
「ニホンじん」とか「ニッポンじん」と「日本人自身」は言う。

前述の数々の例の様に、分からん奴は分からんで邪説を信じたままに終わるのだ。
407もとぴ:02/11/30 21:09
Tテサロニケ5:23の 「プネウマ と プスケー と ソーマ」 その1

新改訳 ・・・ 「 霊、たましい、からだ」
新共同訳・・ 「 霊 も たましい も からだ も」
文語訳 ・・・ 「 霊 と 心 と からだ」
口語訳 ・・・ 「 霊 と 心 と からだ」
詳 訳 ・・・ 「 霊 と 心 と 肉 体」

>>318 もとぴ
> それと、悪霊の影響から、自分の心と魂を守るには、どうすればいいかについて、、、
> 自分を愛している(受容している)人は、心や魂が守られているようです。

318では、私は「心と魂」という語を、便宜的に使いました。
しかし、ここは、聖書の訳語に従って、以下に訂正します。

> それと、悪霊の影響から、自分の心と霊を守るには、どうすればいいかについて、、、
> 自分を愛している(受容している)人は、心や霊が守られているようです。
408もとぴ:02/11/30 21:10
Tテサロニケ5:23の 「プネウマ と プスケー と ソーマ」 その2
「増補改訂 新約ギリシャ語辞典」 岩隈 直著、山本書店、によると

【プネウマ、プニューマ】
@風(ヨハネ3:8)  A(息を)はき出す事、息吹(Uテサ2:8)
B息、生命力、霊魂(マタ27:50、ルカ8:55、、、、)
C霊 (人間の構成要素の一つ。精神生活の座として、従ってプネウマと厳密には
区別されない。時に「心」とも訳し得る〔マタイ5:3〕。)

【プスケー】
@(本来)息、生命の息、霊魂、生命、
いのちの座としての霊魂(ルカ12:20、黙示8:9)
A(内的生活の座として)魂、心、(ルカ12:19)


「プネウマ」と「プスケー」とは、はっきりと区別できるのか (orはっきりと区別されるべきか)は、
びみょーな問題のようです。 
「その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。
そこで、人は、生きものとなった。」(創世記2:7) とあることから、
私としては、「プネウマ」と「プスケー」は、必ずしもはっきりと区別することはないと思います。

ただ、「プスケー」にも、浅い部分と深い部分はあるように思います。
その浅い部分を「心」、深い部分を「魂」「霊」と、私は、便宜的に解釈しています。
409もとぴ:02/11/30 21:14
私の場合、パソコンが自宅に置いてあるわけではなくてね、
カキコの時間は、私は外出中なのですよ。
だから、ある程度は時間を区切らないと、家に帰れないの。

走り書きになるけど、今日はもう少し。。。

ろんぎぬすさんには、時々、「意地悪モード」と「いじけモード」があるなあ。
>>399
>単純に「神の三位一体」
> 聖書にない。で回答拒否。
あれ、、勘違いしている。。。
>>371の主旨がわからない。それで、私は何を主題(テーマ)として考えればよいかわからない。
そのような理由で回答できないだけ。
それから、、、
「三位一体の解釈、、」と、あなたが言ったのは、やっぱりヘンよ。

>「人間の三分法」、回答先延ばし
本日カキコ

>「キリストの二性一人格」
> あれこれ列挙されたら、なんともならない。で、回答不能。
回答不能と、勝手に決め付けないでね。
そのうちに、、、
410もとぴ:02/11/30 21:16
>>397
> ヘブライ語聖書には「あって神」という語はないのだから、「便宜」のしようがないと。。。
> 「便宜」的に「あって」という呼びかけ者が「神」と呼ばれていた。というのなら分かるが。、、、
なんだか、難しいことが書いてある。
まあ、私も、相手がエホ証さんでなければ、「エホバ神」は用いないけれど。。
私が、エホ証用語として この語を用いた、ということのわからない人のためには、
私は、便宜的であっても、この語を用いたのはマズカッタかも、とは思う。

>>396
> ヘブル(ユダヤ)→ギリシア(正教)→ラテン(カトリック)→英語(プロテスタント)
> などのような、又訳や伝言ゲーム的な本と思って、ぜんぜん信用していません。
> こと旧約に関してはユダヤ人の伝承の方が正解です。

「伝言ゲーム」とは、うまい表現ですね。。
まあ、人間の書く多くの本が、その伝言ゲームみたいな部分があると思う。
Aチーム、Bチーム、Cチーム、、、に分かれてね、
どのチームにいるかで、正反対の見解をもっていたりしてね。
私は、Pチームかな。。。
411もとぴ:02/11/30 21:18
>>406
> 前述の数々の例の様に、分からん奴は分からんで邪説を信じたままに終わるのだ

「邪説を信じたままに終わる」ということは、多いかも。てゆーか、それが普通のことかも。
だから、聖書を読む、調べる。
聖書の「原典」は、一つも現存していなくても、
旧約聖書も、新約聖書も、「写本」が、「聖書原典」にあった「聖書本文」を伝えてきた。
残された多くの写本によって、「聖書原典」の「聖書本文」が、ほぼ確立されている。

その完全な翻訳はなくても、日本語訳からでも、聖書の大切なメッセージを受け止めていれば、
「邪説を信じたままに終わる」ということはないと、私は思う。

明日は、カキコ休む。
>>411
お魚いっぱい釣ってきてねー♪
>409 :もとぴ :02/11/30 21:14
>>371の主旨がわからない。それで、私は何を主題(テーマ)として考えればよいかわからない。
アッバ父よの神、神の子キリスト、神の霊の聖霊は、3つとも神ではないのか?というテーマ。
三位一体は辞書(いのちのことば社)のカキコ通りだが。と答えてくれれば。。。だったんだが。

>「三位一体の解釈、、」と、あなたが言ったのは、やっぱりヘンよ。
辞書のいう1父2子3聖霊の順と、教父バシレウス(父・子・聖霊)の説明と、
辞書のいう神解釈と、教父テルトゥリアヌス(三位一体)の説明の
違いについての感想文でも頂ければ、と思ったたったんだが。。。

>本日カキコ
 辞書どおり、そりゃそうだ。としか言いようが無いではないか。
「人間の3分法」はギリシア人の世界観の「グノーシス」を勉強しないと分からないよ。
 わたしのスレッドでグノーシスのHPやカキコ説明したんだが、
参照してもらえなかったようだ。残念。。。
旧約のヘブライ語で「息:ルアハ」「心:レヴァヴェハー」「魂:ナフシェハー」を、
新約のギリシア語で「命:ゾーエ」「霊:プニューマ」「たましい:プシュケー」に、
無理やり合わせているのは何故か、という意見が欲しかった。
ヘブライ語の「命:ハイーム」現代ギリシア語の「息:アナプノイ」が有るにも係わらず、
一般的に翻訳で対応しなかった理由があるはずだ。
 中国語(漢字)の「霊と鬼偏の文字」の
「霊(れい:尊い死んだ人の魂)」「鬼(き:悪い死んだ人の魂)」
「魂(こん:肉についた陽の魂)」「魄(ぱく:肉についた陰の魂)」を、
日本語(大和言葉)では、奇:くし・荒:あら・和:にぎ「たま:玉」としか考えていない。
インド(ヨガの言葉)だと、暗性・動性・善性の三要素があるとされている。
中国語の「心」「(妖)気」「(精)神」「息」「命」だって、
日本語で「こころ」「け、或いは、き」「いき」「いのち」と、
中国語(漢)から日本語(和)へピッタリのニュアンスに翻訳して伝わるかドウかだって怪しい。

>そのうちに、、、
待ってます。
参考に●ろんぎぬすの専用スレッド4■115 名前: ろんぎぬす 投稿日: 02/07/17 06:03改定

聖:漢音セイ、呉音ショウ。
@ヒジリ。徳行がすぐれた人。道理をきわめた人。高徳の僧。最高の評価を受けている人。
A天子の意。Bキリスト「聖母」Cけがれがなく清らか。D清酒の別称。

神:漢音シン、呉音ジン。
@カミ『カン』。神社に祭られている人。神代の支配者たち。神道に属する死者の霊。
天の神。宗教的信仰の対象物の総称。人知以上のものの称。仙人。
A霊妙なこと。B神秘的なものとする。C変化がきわまりないこと。D精神。心。

霊:漢音レイ、呉音リョウ、旧字16画。
@たま。タマシイ。死者の魂。まごころ。人間の精気。スピリット。万物の精気。
A人間界を超えて尊いこと。こうごうしいこと。Bすぐれてよいこと。霊秀。
C人力以上の、不思議なほど優れた働きがあること。神秘的な能力を持つ。霊妙。
Dいのち。生命。E神。霊神。Fみいつ。威光。威霊。Gよい。Hさいわい。恩恵。

鬼:漢音・呉音キ。字源:死者の魂の意。
@オニ。想像上の恐ろしい怪物。無慈悲な人。借金取り。力の強い人。特に大きいもの。
A死人の魂。B人間わざを超えてすぐれたこと。Cわるがしこい。D行為が不明朗なこと。
E星の名。二十八宿の一。

魂:漢音コン、呉音ゴン、もと鬼。
@たましい、人間の肉体にやどる精気。霊魂。
人間は、生きているときは、魂(こん)と魄(ハク)とが結合し、死ねば分離するという。
A思い。心。心もち。精神。

魄:漢音ハク、呉音ヒャク、場合によってタク、もと鬼。
@タマシイ(ヒ)人の陰の精気。からだ。かたち。形体。
A月の輪郭の中で光がないところ。B月。月影。Cさとい。聡明。
D声。E粕。かす。F薄い。広い。Gおちぶれる。
>410 :もとぴ :02/11/30 21:16
おおかた了解した。
 伝言ゲームについては誤解されているようだが、
チーム対抗での意味の差はなく、最初の人の言葉(ユダヤ教徒が神を言う)と、
最後の人の言葉(プロテスタント教徒やエホ証信者が神を言う)が違う事を、
意味して使ったんだがね。
 それで、ユダヤ→正教→カトリック→プロテスタント→エホ証・モルモンほか異端の
ユダヤの「神理解」の伝言ゲームという意味でいった。

>411 :もとぴ :02/11/30 21:18
>聖書の「原典」は、一つも現存していなくても、
「原典(ギリシア語正典やカノン)」は「写本(コピー)」である。
「原本(オリジナルまたはベース)」は発見されていない。
旧約は死海写本などで、新約はバチカン写本やシナイ写本など5つほどある。

>旧約聖書も、新約聖書も、「写本」が、「聖書原典」にあった「聖書本文」を伝えてきた。
 私はエホ証などの判断基準としての「英語聖書本文」の思考を言っている。
当然「ギリシア語聖書本文」を「原典」としてみる時、
「英語聖書本文」や「日本語聖書本文」は「原典」ではない、
という意味に理解してほしかった。
416有/無:02/12/01 12:52
もとぴさん
トマスの福音書や使徒それぞれの行伝なんかを読んでみては?
講談社の文庫本で出てるし。
それでグノーシスについては分かると思います。
あとは、ナグハマディ文書の分冊なんかもでています。高いですけど、いろいろ載ってます(欲しい・・・高すぎて買えない。泣)。
417有/無:02/12/01 13:04
聖書はグノーシスの部分を考えないとなかなか理解できないようになってるんです。
パウロによってグノーシスは批判されてますけど、
正統派聖書の幾つかはグノーシスが加味されて書かれていますし(ヨハネの福音書とかね)、イエス自身もグノーシス的に話されました。
彼らが見ても見えず聞いても聞こえず悔い改めて悟ることがないために。
つまり、使徒達には奥義を聞くことが許されていましたが、多くのひとには例えで語られたのです。
418名無しさん@1周年:02/12/01 13:09
もとぴさん
アルミ書や使徒それぞれの行伝なんかを読んでみては?
アルミ神殿の文庫本で出てるし。
それでアルミ派については分かると思います。
あとは、アルミ書の外伝なんかもでています。高いですけど、いろいろ載ってます(欲しい・・・高すぎて買えない。泣)。
419俺様 ◆LsYofLqiuk :02/12/01 13:22
>>418
(;´Д`)ハァ〜
俺様で珍珍揉揉でちゅ〜
>416 :有/無 :02/12/01 12:52
毎度どうも。本探すの大変だから、HPでこれでよろしいですかね。
  ↓
●ろんぎぬすの専用スレッド2■(抜粋・復刻版)
109 名前: ろんぎぬす 投稿日: 02/07/21 08:52 02/05/06 20:13
★グノーシス考察スレッド(参照HP)
@私のプロティノス・Plotinos(205〜270)な無責任的考察
プロティノスの思想は「一者(ト・ヘン)」を頂点とした哲学。
http://homepage1.nifty.com/rhizome/Sites/Philosophy/Plotinos.html
A−1『グノーシス主義略説』序) 悪の宇宙
http://member.nifty.ne.jp/Khoora_Mirandaas/gnosis0.html
A−2『グノーシス主義基本用語集』
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/sophia7/term-gn.html
−省略−

●ろんぎぬすの専用スレッド2■(抜粋・復刻版)
110 名前: ろんぎぬす 投稿日: 02/07/21 08:53 02/05/06 22:51
★参考(正統・異端ごっちゃまぜ)
【 有本康夫HPより(註:知り合いでありません) 】
●新約聖書のできたプロセス
http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/cr_qmap.html
−省略−
●トマス格言集(トマスによる福音書)
http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/cr_tomas.html

【 樹下村塾(註:知り合いでありません) 】
●マタイの福音書(抜粋3、4、5、10,12,19、23〜26章)
http://oak.zero.ad.jp/padoma/main/kirisuto/mataiden/fmatai.htm
−省略−
421有/無:02/12/02 11:26
>>420
こちらこそどーもです。ろんぎぬすさんは博識ですね。
いつも興味深く拝見しています。
リンクありがとうございました。
もとぴさんやろんぎぬすさんのレス見てると理解が深まります。
422名無しさん@1周年:02/12/02 16:27
魚なんびきつれましたか?
423もとぴ:02/12/02 19:58
>422
いんやあ〜〜 昨日は、渋くてね、、、 
4時間ぐらいお魚釣りして、ヘラブナとまぶなが12匹くらいですた。


>>413ろんぎぬす
>>409 :もとぴ :02/11/30 21:14
>>>>371の主旨がわからない。それで、私は何を主題(テーマ)として考えればよいかわからない。
> アッバ父よの神、神の子キリスト、神の霊の聖霊は、3つとも神ではないのか?というテーマ。
あれまあ。。。 371からは想像もできないくらいに、簡潔な主題(テーマ)に、まとめてくれたのね。
父と子と聖霊は、神です。

> 三位一体は辞書(いのちのことば社)のカキコ通りだが。と答えてくれれば。。。だったんだが。
三位一体は>>362-363のカキコ通りだが。。。

>>「三位一体の解釈、、」と、あなたが言ったのは、やっぱりヘンよ。
> 辞書のいう1父2子3聖霊の順と、教父バシレウス(父・子・聖霊)の説明と、
> 辞書のいう神解釈と、教父テルトゥリアヌス(三位一体)の説明の
> 違いについての感想文でも頂ければ、と思ったたったんだが。。。
わけわからん。
従って、感想文は書けん。

私の場合、「解釈」と言えば、「聖書」。
424もとぴ:02/12/02 20:00
つづき
>>413ろんぎぬす
>>本日カキコ
> 辞書どおり、そりゃそうだ。としか言いようが無いではないか。
408には、私自身の見解も書いたよ。
それについてのコメントはないの?

>>そのうちに、、、
> 待ってます。
ところで、、、 「キリストの二性一人格」て、何?
>>371の、どの部分が、「キリストの二性一人格」についてのカキコなの?
キリストという人格には「神性」と「人性」がある、ということなのかな?


> 「人間の3分法」はギリシア人の世界観の「グノーシス」を勉強しないと分からないよ。
明日、カキコ 予定。
>423 :もとぴ :02/12/02 19:58
>> アッバ父よの神、神の子キリスト、神の霊の聖霊は、3つとも神ではないのか?というテーマ。
>65 :もとぴ  :02/10/18 20:27
>@父と子と聖霊は、神の本質・本性において 同等
「アタナシウス信条(ルーテル派HP)」を参照ください。
http://www.remus.dti.ne.jp/~hiromi-y/sinzyou.html
15.このように、父は神、子も神、聖霊も神。

>65 :もとぴ  :02/10/18 20:27
>A父が第一で、子(キリスト)は第二位、聖霊は第三位 という序列がある
ちょっと、すぐには信条が見当たらないね。あてはまる信条が有るとは思うが。
>65 :もとぴ  :02/10/18 20:27
>・イエスは、父から生まれ、神の本質・本性を持っておられる。
>・イエスは、マリアから生まれ、人の本質・本性を持っておられる。
>424 :もとぴ :02/12/02 20:00
>ところで、、、 「キリストの二性一人格」て、何?
>>371の、どの部分が、「キリストの二性一人格」についてのカキコなの?
>キリストという人格には「神性」と「人性」がある、ということなのかな?
「カルケドン信条(正教HPからカトリック聖職者の訳)」
(百瀬訳)http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/1125/symbol/kato.html#karumo
(磯辺訳)http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/1125/symbol/pro.html#karu
神性においては父と同一本質であり、
人性においてはわれらと同質にして、、罪を除くすべてにおいてわれらと等しい。
神性においてはあらゆる世に先立って父より生まれ、
人性においてはこの終わりの世に、われらのためまたわれらの救いのために、
神の母(テオトコス・生神女)なる処女マリアより生まれた。
>363 :もとぴ :02/11/26 20:40
>「あなたは、わたしの子。 きょう、わたしがあなたを生んだ。」(へブル1:5)
>【きょう】は、永遠の現在を意味している。イエスは、父から生まれ、永遠に存在される。(へブル7:24) 
>「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われ、、、 」(へブル1:3)
>イエスは、神の本質の完全な現われである
「ニケア・コンスタンティノポリス信条(正教HPからカトリック聖職者の訳)」
(百瀬訳)http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/1125/symbol/kato.html#karumo
(磯辺訳)http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/1125/symbol/pro.html#karu
われらは、唯一の神、全能の父にして、天と地の造り主、
見えるものと見えざるものすべての創造者を、信ず。
われらは、唯一の主イエス・キリストを、信ず。
主は、神の独り子にして、あらゆる世に先立って父より生まれ、光からの光、
真の神からの真の神、造られずして生まれ、父と同一本質であって、
万物は主によって創造された。
・・・
われらは、聖霊を、信ず。
聖霊は、主にして生命を与える者、
父から出で、父と子と共に礼拝され、崇められ、
また預言者を通して語り賜えリ。
・・・
ニケア・コンスタンティノポリス信条は正教キリスト教徒が頻繁に唱える信条なんです。
カトリックの小冊子によればカトリックでも唱える場合があります。
主の祈り(マタイ・ルカ)とマリヤの賛歌(ルカ1・2章)と一緒に、この信条は、
正教でシベリアのサロフの聖セラフィムの教える「朝夕の祈り」で、必ず唱えますよ。

★正教会の聖セラフィムの勧める祈りの生活
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/1125/serafim/serafimuinori.html

>363 :もとぴ :02/11/26 20:40
>私は、「三位一体」を、信仰しているわけではありません。
言葉はきついですけど、もはやキリスト教徒でないですよ。
ヨーロッパの中世に生きていたら異端宣告で焼き殺されていますよ。
三位一体を否定したセルバートはカルバンによって焼き殺されています。
東方正教会や西方カトリック教会のみならず、
英国国教会もルーテル派も改革派も長老教会も、
みな三位一体は信仰してますよ。キリスト教会ならば。

>423 :もとぴ :02/12/02 19:58
>従って、感想文は書けん。
>私の場合、「解釈」と言えば、「聖書」。
わかりました。強いて言いません。
>424 :もとぴ :02/12/02 20:00
>それについてのコメントはないの?
>408 :もとぴ :02/11/30 21:10
>「その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。
>そこで、人は、生きものとなった。」(創世記2:7) とあることから、
>私としては、「プネウマ」と「プスケー」は、必ずしもはっきりと区別することはないと思います。
>ただ、「プスケー」にも、浅い部分と深い部分はあるように思います。
>その浅い部分を「心」、深い部分を「魂」「霊」と、私は、便宜的に解釈しています。

>413 :ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/12/01 11:12
>旧約のヘブライ語で「息:ルアハ」「心:レヴァヴェハー」「魂:ナフシェハー」を、
ユダヤ人は「息が命」と考えるのと、マタイ伝などにあるイエスの第一の掟の引用元になる
申命記に「心(≒霊)」「魂」「力(≒体)」を尽くして神を愛せよ。とあるので、
旧約ユダヤ人の書なのにギリシア人の世界観と同様に「人間を三分法」で解釈していますよ。
申命記は紀元前10〜9世紀の南ユダ王国の宗教改革時期の書だから、サウルやダビデと戦った、
クレタ島から来たとされるギリシア系ぺリシテ人の世界観の影響を受けているのかもしれないけど。

>413 :ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/12/01 11:12
>「霊(れい:尊い死んだ人の魂)」「鬼(き:悪い死んだ人の魂)」
>「魂(こん:肉についた陽の魂)」「魄(ぱく:肉についた陰の魂)」を、
と「心」という漢字は、本来は心臓とか中心という意味だからね。
「心」を感情の住む所とするならば「霊」は理性とか道徳の住む場所だねぇ。
ギリシア人は、動物には「心(=魂)」はあっても「霊(≒ロゴス)」は無いと考えていた。
じゃあ「動物霊」と一般の日本人が言うのは何?といえば、
強いて意訳すれば「動物魂(生霊)・動物鬼(死霊)」だね。
漢字の「霊」の本来の使い方は「人間の尊い死霊」で動物のタマシイは「人霊」ではないから。
●ろんぎぬすの専用スレッド7■ レス370参照。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1036407503/370
●ろんぎぬすの専用スレッド7■ レス372-373参照。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1036407503/372-373
●ろんぎぬすの専用スレッド7■ レス374参照。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1036407503/374
433参考まで(^^;:02/12/03 17:30
ろんぎぬすさんはよく調べていますね。感心します。

>388
「EHYH」は「HYH」のQal動詞型・1人称・単数・未完了ですね。

>413
>旧約のヘブライ語で「息:ルアハ」「心:レヴァヴェハー」「魂:ナフシェハー」を、
>新約のギリシア語で「命:ゾーエ」「霊:プニューマ」「たましい:プシュケー」に、
>無理やり合わせているのは何故か、という意見が欲しかった。
具体的にどの個所で‘無理やり合わせている’か教えていただければと思います。
調べて考えてみます。
ところで、
「心:レヴァヴェハー」「魂:ナフシェハー」は「LBBKH」「NPHSHKH」のことでしょうか。
もしそうなら、それらは、「あなたの心」「あなたの魂」の意になると思われますが...
(KHは「あなたの」の意の接尾語)。

>429
申命記6:5の「心:LBB」「魂:NPHSH」「力:MED」は、
LXXでは「καρδια」「πυχη」「δυναμιS」となっています。
「MED」の旧約での用法をみると、申命記6:5が「『人間を三分法』で解釈している」か疑問に思われます。
●ろんぎぬすの専用スレッド7■ レス376参照。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1036407503/376
435もとぴ:02/12/03 20:54
433 参考まで(^^; さん。
。。 なんだか、、 すごい レス ですね。。。


>>425 ろんぎぬす
> 「アタナシウス信条(ルーテル派HP)」を参照ください。
「父は神、子も神、聖霊も神。」、私も、そう信じています。
「アタナシウス信条」については、12年ほど前に、教会の本を借りてコピーを取って持っていました。
「エホ証用語スレ5」で、DQNさんがリンクを貼ってくれたこともありました。(537、02/09/07)

>>428
>>363 :もとぴ :02/11/26 20:40
>>私は、「三位一体」を、信仰しているわけではありません。
> 言葉はきついですけど、もはやキリスト教徒でないですよ。、、、
はあ。。。
「三位一体」を信仰していない者は、キリスト教徒でないと。。。 

キリストは、私のために死なれた。 (ルカ23:34、Tコリント15:3、Tペテロ2:24、3:18)
自己中心で罪人の自分が、あるがままで、愛されている。そして、復活。
ここに罪の赦しと、永遠のいのちがある。
聖書に記された「キリスト」を信じる、これが私にとっての「信仰」です。

今日も、時間が少なくて、これだけしか書けない。。。
●ろんぎぬすの専用スレッド7■ レス378参照。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1036407503/378
●ろんぎぬすの専用スレッド7■ レス379参照。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1036407503/379
私も主イエスを信じる聖書マニアであって、教会に属する「キリスト教徒」ではない。
439参考まで(^^;:02/12/04 08:00
>433 訂正
「πυχη」→「ψυχη」
440もとぴ:02/12/04 20:35
> 413 ろんぎぬす
> 「人間の3分法」はギリシア人の世界観の「グノーシス」を勉強しないと分からないよ。

「組織神学」(ヘンリー・シーセン著、聖書図書刊行会)で調べ、簡潔にまとめました。

【人間の構成】
人間は物質的と非物質的の両方の資質を備えている。

【二分説】
人間は、物質的部分(肉体)と、非物質的部分(プシュケイとプニューマ)とを区別するのみ。
西方教会は、全般的に見て、二分論をとっている。

「プニューマ」は、霊的な実在につながるものとして、または、そのような関係が可能なものとして、
また、「プシュケイ」は、肉体につながり、あるいはそのような関係の可能なものとして、
人間の高級な部分である。
人間の非物質的部分(プシュケイとプニューマ)は、
力の二重性をもちながらも、なおその本質においては統一されている。

【三分説】
人間が、三つのはっきりとした要素、すなわち、体とプシュケイとプニューマとから成り立つ。
東方教会は、一般に、三分論をとる。

まあ、「三分論」や「グノーシス」については、私が解説することもないか。。。
441もとぴ:02/12/04 20:38
>428
>>私は、「三位一体」を、信仰しているわけではありません。
> 言葉はきついですけど、もはやキリスト教徒でないですよ。 、、、
> みな三位一体は信仰してますよ。キリスト教会ならば。

「三位一体」は、人間が作り出した神学的な用語で、その理解のしかたについては
時代により、人により、さまざまではないでしょうか。
なぜ、そのような用語が、「信仰」の対象になるのですか?

「父、子、聖霊」が信仰の対象、というのなら、それは、わかります。
それでも、「子(キリスト)」を信じるのが「信仰」であって、
それは「聖霊」の助けによって、「子(キリスト)」を信仰し、「父なる神」に義と認められる、
ということではないでしょうか。

「三位一体」の教理は、私は大切と思います。
私も、以前は「三位一体」とは何か? と、本を調べていたことがありました。
そして、いつしか、聖書を解釈するのに必要と思われるところだけを、「三位一体」の教理として
理解し、受け入れていました。 それが>>362のカキコです。   
結局、私にとって大切なことは、聖書の解釈であって、三位一体という用語や教義ではなかった、
ということです。
442もとぴ:02/12/04 20:39
ろんぎぬすさん。
あなたは、私のことを「キリスト教徒ではない」と、決め付けたいようだけど、、
あまりに一方的に決め付けられて、、 困る。


> 437 :ろんぎぬす
●ろんぎぬすの専用スレッド7 レス379参照。
> いえ、非キリスト教徒の条件は、それだけではないですけど。
> 「正統教会の解釈」以外の「私的解釈」はしてはいけない。とか、
私の聖書解釈は、基本的には「プロテスタントの立場」であることを、あなたは認めていないのですか?

> 聖書の抜書きを勝手に信じるのなら、誰でも出来ますよ。
どういう意味?


> ですが、何度も言いますが、
> それは、主イエスを信じる聖書研究会・聖書同好会の一人の聖書マニアであっても、
> キリスト教会に属する正式なキリスト教徒(クリスチャン)ではない。
これは、むしろ、あなた自身ことを言っているのではないの?
443もとぴ:02/12/04 20:43
> 438 :ろんぎぬす
> 私も主イエスを信じる聖書マニアであって、教会に属する「キリスト教徒」ではない。

あなたも私も、イエスを信じてはいても、自分の行くべき教会がない、という点では共通しているかなあ。。

私は、自分のことを 「聖書マニア」 と考えたことはない。
自分が疑問に思ったことを調べる。ただそれだけ。
私は、21才のときプロテスタントの教会に行くまでは、(>>4の23才は、私の書き間違いです)
宗教的には、ほぼ白紙だった。
33才でプロの教会を離れて、それから約10年間くらいは、聖書はほとんど読まなかった。
それが、今年、「人間の死後の場所」というテーマで、聖書も、参考書もよく読んだ。
で、2chを知って、、、 私にも、発言の場があるのかなあ。。。 と。
●ろんぎぬすの専用スレッド7 レス387−390参照。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1036407503/387-390
●ろんぎぬすの専用スレッド7 レス391参照。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1036407503/391
●ろんぎぬすの専用スレッド7 レス392参照。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1036407503/392
●ろんぎぬすの専用スレッド7 レス394参照。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1036407503/394
●ろんぎぬすの専用スレッド7 レス396参照。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1036407503/396
●ろんぎぬすの専用スレッド7 レス398参照。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1036407503/398
450もとぴ:02/12/05 20:28
ろんぎぬすスレ
> 387
>> 「父、子、聖霊」が信仰の対象、というのなら、それは、わかります。
> 「父、子、聖霊」を「三位一体」っていうんだよ。自分で辞書コピペして解説したじゃん。
> それを重箱の隅を突付く言いがかりって言うのさ。

そうでしたか。あなたは「三位一体」を、「父、子、聖霊」の意味で使っていましたか。。。
>>371ろんぎぬす
> もとぴサン?以下のレスの三位一体の解釈をドウ思いますか?
と、あなたに問われたので、あなたの言う「三位一体」とは、
「三位一体に関する教義」のことと思っていました。
そのような「三位一体の用語や教義は信仰の対象ではない」と、書いたのです。(>>441


「父と子と聖霊」は、信仰の対象です。
では、「三位一体」は信仰の対象か?と問われたら
私は、「信仰の対象である」 と答えることはできない。
「父と子と聖霊」を、「三位一体」という語に置きかえるようでね、、、
「三位一体」については、いろいろな見解があるしね。。。
451もとぴ:02/12/05 20:31
ろんぎぬすスレ
> 391
>>それは「聖霊」の助けによって、「子(キリスト)」を信仰し、「父なる神」に義と認められる、(>>441
> これって、聖霊と子と父の3人の神という多神論的解釈ですよね。
これが、「多神論的解釈」と、思いますか。。。
ここは大切なテーマなので、少し時間をかけて、カキコする。

> キリスト1位格(子人格)だけを「信仰」しているのでしょうか?
「イエスを信じる」ということは、同時に、「父なる神と聖霊を信じる」ということだと思う。 


ろんぎぬすスレ
> 392
> × それは「聖霊」の助けによって、「子(キリスト)」を信仰し、「父なる神」に義と認められる、
> ○ それは「聖霊」の助けによって、「子(キリスト)」を通して、「父なる神」に義と認められる「信仰」、

> それは「聖霊」の助けによって、「子(キリスト)」を信仰し、「父なる神」に義と認められる、(>>441
このカキコが「×」というなら、その根拠を、聖書から示してください。
452もとぴ:02/12/05 20:32
ろんぎぬすスレ
> 390
> 授洗云々も言わずに「キリスト教徒です」って言い張っているんじゃないの。
私が、いつ、「キリスト教徒です」って言い張りましたか?
私は、自分がキリスト教徒であるとか、ないとか、こだわってはいない。
ただ、あなたの判断基準によって、私のことを決め付けてほしくないだけ。


>>359については、レスを返そうかなと思っていたけれど、何も浮かんでこなかったから
そのままにしてしまった。
私の行っていた教会は、「クリスチャン生活辞典」によると、「福音的諸教派」に分類されていると、
いつかレスしたことがあったなあ。。。
洗礼は、その教団で受けたよん。


昨日と今日は比較的時間があったけど、、もう少しペースを落としてくれないと、、、
あおられっ放しだからなあ。。 
でも、私も時々、あおっていたりしてるのかなあ。。。 
私の頭は回転がゆっくりしているから、もう少しゆっくり考えさせてね。
●ろんぎぬすの専用スレッド7■  レス406−408参照。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1036407503/406-408
454名無しさん@1周年:02/12/06 01:34
分からないので教えて下さい。

1.マタイ21:28〜32で、父の望みどおりにしたのが、新共同訳では「兄」、口語訳・新改訳では「弟」となっていますが、どちらが正しいのでしょうか。

2.1コリント7:21の後半が、新共同訳と口語訳・新改訳とでは正反対に訳されていますが、どちらが正しいのでしょうか。
>454さん。参照ください。

●ろんぎぬすの専用スレッド7■  レス410参照。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1036407503/410
456もとぴ:02/12/06 20:50
>454
本当にそうですね。。。   どうして ???


> ろんぎぬすスレ407

聖書を読んでいて、「私は、三位一体を信仰します。」、と告白するとしたら、
それは、ヘンだと思わない?

聖書を読んでいて、「私はイエスを信仰します。」、という告白のためには、
三位一体の教理は 重要な意味を持つ と、私は思う。
三位一体の教理は、「イエスは神です」 と、聖書的に教えてくれるから。
457もとぴ:02/12/06 20:52
> 441
> それは「聖霊」の助けによって、「子(キリスト)」を信仰し、「父なる神」に義と認められる、
> 451
> 「イエスを信じる」ということは、同時に、「父なる神と聖霊を信じる」ということだと思う。 

これは、私がこれまでに聖書を読んで、しばしば実感してきたことだったけど、、、
でも、そう思えない人が多いか。。。
「イエスを信じる」ということは、「父なる神の愛を信じる」ことでもある。(Tヨハネ4:10)
また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です。」と言うことはできない。(Tコリント12:3)


>ろんぎぬすスレ408
>> 「子(キリスト)」を信仰し
> の引用箇所を示してください。
使徒20:21、26:18、 ローマ3:22、26、 10:17  ガラテヤ2:16 。。


明日は忘年会で、日曜日はお魚つりで、カキコ休みます。
たまには、晩御飯の前に、家に帰りたい。
●ろんぎぬすの専用スレッド7■  レス412参照。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1036407503/412
●ろんぎぬすの専用スレッド7■  レス417−422参照。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1036407503/417-422
キリスト教への理解を勧める宣伝に。。。

●ろんぎぬすの専用スレッド7■  レス7−10参照。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1036407503/7-10

●ろんぎぬすの専用スレッド7■  レス424−428参照。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1036407503/424-428
●ろんぎぬす・お祈り・お唱え集スレッド■( 昨日、解脱しました。 )
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1037973093/23-66

●ろんぎぬすキリスト教の基礎知識スレッド■(Welcome to BibleGateway_com)
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1037890412/20-77
462参考まで(^^;:02/12/07 17:37
>>454
1.について
それぞれの底本(ギリシア語新約聖書)が異なるために生じた違いです。
口語訳  ネストレ-アーランド(NA)版第21版
新改訳  ネストレ-アーランド(NA)版第24版
新共同訳 聖書協会世界連盟(UBS)版修正第3版

29節〜31節には大きく分けて3つの異読(アパラトゥス)があります。
(1) 兄は「いいえ」と返事するが、行く。弟は「はい」と返事するが、行かない。
  祭司長たちの答は「兄」。(シナイ、エフライム写本等)
(2) (1)と同じだが、祭司長たちの答は「弟」。(ベザ写本等)
(3) 兄は「はい」と返事するが、行かない。弟は「いいえ」と返事するが、行く。
  祭司長たちの答は「弟」。(ヴァチカン、コリデティ写本等)
(NA21,24版は (3) の読みを、UBS修正3版は (1) の読みを本文として採用)

16世紀〜19世紀までは、ほとんどビザンチン型の写本しか知られていなかったため、
(1) の読みに従っています。その後、ヴァチカン写本が知られるようになると、その
重要さの故に、(3) の読みが採られるようになり、20世紀前半は、(3) の読みが支配
的でした。しかし、最近の本文批評は (3) の読みではなく、(1) の読みを採るように
なっています(NAは26版、UBSは3版から共に (1) の読みを本文として採用)。
因に、UBS版には「確かさの度合い」なるものが付されており、当該個所は{C}
「どちらを採用すべきかかなり疑問なもの」の判定が付けられています。

どの読みを採るかは、マタイの救済史観を考察する上で重要な個所かもしれません。
463参考まで(^^;:02/12/07 17:38
>>454
2.について
上記の1.と異なり、異読の問題はありません。問題は原文の「χρησαι」を
どう訳出するかにかかっています。
「χρησαι」は「χαρομαι(借りる、用いる、活用する)」のアオリスト
時制・中間態・命令法-2人称・単数で、目的語を普通必要としますが、本文にはそ
の目的語がありません。

そこで、大きく分けて3種類の目的語を補って訳出されています。
(1) 前の「ελευθερs(自由に)」から「τη ελευθερια(自由、
  自由な状態)」を補足
(2) 文頭の「δουλοs(奴隷)」から「τη δουλεια(奴隷、奴隷の
  状態)」を補足
(3) 20節の「τη κρησει(召し、召された状態)」を補足

口語訳、新改訳は (1) を、新共同訳は (2) を補って訳出していると思われます。但し、
「χρησαι」には目的語を伴わない独立的用法もあり、この場合には、文脈から見て、
(2) の可能性が高いと思われます。

どれを補うかは、パウロが奴隷制度観を考察する上で重要な個所かもしれません。

難しい説明になって申し訳ありません。(^^; (^^;
●ろんぎぬすの専用スレッド7■  レス440−443参照。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1036407503/440-443
465参考まで(^^;:02/12/08 15:48
修正
>463
この場合には、文脈から見て、(2) の可能性が高いと思われます。
               ↓
この場合には、文脈から見て、(1) の可能性が高いと思われます。
意見求む。

●■▲キリスト教の異端の定義●■▲ レス481〜495参照。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1027103884/481-495
467もとぴ:02/12/09 20:28
>462、463、465参考まで(^^; さん。
解説を ありがとうございます。
参考まで(^^; さんの 簡潔で明確な回答に、ただただ感服し、
心から感謝します。
今後とも、よろしくお願いします。
468もとぴ:02/12/09 20:30
三位一体の教理は、
私に、「神の三位一体性」を、「聖書の啓示」として、教えてくれました。
私は、「神の三位一体性」を、信じています。 (>>65
【 神は、唯一。 神は、「父と子と聖霊」 】
一見して 矛盾してるような 「三位一体」 の教理だけれど、
神の三位一体性 を 信じないことには、聖書が、矛盾だらけになってしまう。。

しかし、だからと言って、
「私は、三位一体を信仰する」 と 告白するのは、私は、ヘンだと思う。
「三位一体」は、神学上の用語として、聖書の理解や解釈を与えてくれるものであって、
これが、「信仰」 の 対象になるわけではない。


私は、「信じる」 と 「信仰」は、区別して使っている。
「信仰」という語を用いる場合には、「信じる対象」は、「礼拝する対象」でもある、「神」のみ。
一方、「信じる」は、「神」だけでなく、人物や事物など、広い対象にも使う。
(日本語のニュアンスとしては、普通のことと思う。)
469もとぴ:02/12/09 20:34
つづき
「三位一体の神」や「エホバ神」は、聖書に記されていない語句です。
「三位一体の神」は、キリスト教会の用語であり、
「エホバ神」は、エホ証の用語です。
いろいろな立場はあれ、それぞれの用語を使うことは、ごく普通のことです。

しかし、
「三位一体の神を、信仰する。」
「エホバ神を、信仰する。」
というように、用語が信仰の対象のように扱われる、としたら
それはいかがなものか、
というのが、私の考えです。


現在は聖書が普及し、聖書を自由に読むことができます。
けれども、そうでなかった時代においては、
「三位一体の神を信じる」という信仰告白は、とても重要な意味を持っていたであろう、
と、私は、想像しますが。。。
470もとぴ:02/12/09 20:42

> キリストという人格には「神性」と「人性」がある、ということなのかな?
という、私のカキコについて。

>>424もとぴ
> ところで、、、 「キリストの二性一人格」て、何?
>>371の、どの部分が、「キリストの二性一人格」についてのカキコなの?
> キリストという人格には「神性」と「人性」がある、ということなのかな?

このような文脈の中でのカキコです。
私は、キリストの 「神性」 と 「人性」 を、信じています。
>>65 もとぴ
> 本質・本性で言えば、
> ・イエスは、父から生まれ、神の本質・本性を持っておられる。
> ・イエスは、マリアから生まれ、人の本質・本性を持っておられる。
●ろんぎぬすスレッド8■  レス41−46参照。
ttp://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1039324026/41-46
472もとぴ:02/12/09 22:24
訂正
>469
いろいろな立場はあれ、それぞれの用語を使うことは、ごく普通のことです。
        
いろいろな立場があり、それぞれの用語を使うことは、ごく普通のことです。

●ろんぎぬすスレッド8■  レス48−49参照。
ttp://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1039324026/48-49
●ろんぎぬすスレッド8■  レス51−53参照。
ttp://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1039324026/51-53
475もとぴ:02/12/11 20:52
> 441 もとぴ
> 「聖霊」の助けによって、「子(キリスト)」を信仰し、「父なる神」に義と認められる、
について、簡単にカキコ。 (>>451

「父」と「子」と「聖霊」は、その働きにおいて、違いがあります。

「父」は、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされた。 (Tヨハネ4:9-10)
「子」は、処女マリヤの胎に宿って 人の子として生まれ、私たちの罪の身代わりとして、血を流した。
(Tペテロ2:24、3:18、へブル9:22、マタイ26:28)
「子(キリスト・イエス)」を信じる信仰によって、「父なる神」に義と認められる。 (ガラテヤ2:16)

「子イエス」が、「父」のもとから遣わす助け主、すなわち「聖霊」が、
「子(イエス)」について、あかしする。 (ヨハネ15:26)


(これも、三位一体の教理として、私は理解しています。)
476名無しさん@1周年:02/12/11 21:07
三位一体はバラバラに理解して一つに繋げるのはどうなんですか?そうして考えると矛盾だらけの教理として理解してしまうと思うんですが。
某団体みたいに。
●ろんぎぬすスレッド8■  レス60−61参照。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1039324026/60-61
478もとぴ:02/12/12 19:56
476さん。レスをありがとう。
でも、あなたの質問の意味が よくわからないので、
もう少し具体的に書いていただけませんか?


一応、475の補足をしておきます。
父と子と聖霊は、神の 【本質・本性】 において 【同等】。
父と子と聖霊は、その 【働き】 においては違いがあり、【序列】 がある。

・イエスは、父から生まれ、神の本質・本性を持っておられる。 (へブル1:3、5) >>363
「父」 と 「子」 との間にある永遠の関係の性質は、【産出】 と呼ばれる。

・また、「聖霊」は、「父」 と 「子」 から遣わされます。 (ヨハネ15:26)
このような、「父」 「子」 と、「聖霊」 との関係は、【発出】 と呼ばれる
( 「発出」という言葉と、「産出」という言葉は、ほとんど同じ意味を持っているとされている。)

参考図書:
「組織神学」 「聖書の主要教理」 聖書図書刊行会、 「聖書の教理」 尾山令仁著・羊群社
479もとぴ:02/12/12 20:09
>477
私は カキコのペースが 遅いのでね。。。

私が たまに 沢山のカキコをするときは、たいてい、一つのテーマについて
何日も費やして、ワープロ打ってるのよ。

まあ。。 たまには死んだふりをするのも、よいのでは? お互い。。。
480名無しさん@1周年:02/12/13 11:18
>>478
三位一体は「父」「子」「聖霊」とそれぞれに分けて論じて分かるものなのでしょうか?言葉(頭)で分かるのではなく、心で分かるものなのでは、、、
481聖書には:02/12/13 11:21
神は 何人 殺したと 書いてあるの?

たとえば ノアの箱舟。
482もとぴ:02/12/13 20:19
> 480 :名無しさん@1周年 さん。
> 三位一体は「父」「子」「聖霊」とそれぞれに分けて論じて分かるものなのでしょうか?

聖書は、「父」 と 「子」 と 「聖霊」 を、区別しています。
私は、神の三位一体性の中に、神の本性・本質が啓示されている と思います。
たとえば ・・・
「父なる神」と「子キリスト」 の間には、「産む・生まれる」 「愛する・愛される」 という関係があります。
神は、ご自身のなかで 【産む・生まれる】 【愛する・愛される】 という本性を持っておられる。

また ・・・
父が第一で、子(キリスト)は第二位、聖霊は第三位 という 【順位】 があります。
父が 子や聖霊を遣わすことはありますが、子や聖霊が 父を 遣わすことはありません。
神は、ご自身のなかに、【秩序】 を持っておられます。

人間も、本来は、そのような者として、神に創造されたと 思うのです。
親が子を産む。そこには 「産む・生まれる」 「愛する・愛される」 という 親と子の関係がある。
親と子は、「人」として同じ「本性・本質」を持つが、同時に「子は親に従う」という 「順位」 もある。
このような親と子の関係がある。 隣人を愛する。 社会の秩序がある。。
483もとぴ:02/12/13 20:21

昨日、自分でカキコした>479が、今日読むと、「皮肉」を言っているように思える。
そんなつもりはなかったけれど、もし、皮肉と受け止められていたら、スマン。

>481さん。
わかりません。 
あなたの質問の真意は?
●ろんぎぬすスレッド8■  レス65−69参照。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1039324026/65-69
●ろんぎぬすスレッド8■  レス71−75参照。
ttp://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1039324026/71-75
●ろんぎぬすスレッド8■  レス84−85参照。
ttp://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1039324026/84-85
487もとぴ:02/12/14 22:24
> 484
> もとぴサンの聖書の出典箇所を示して、
> 「信仰」と「信じる」と言う箇所の「英訳」単語の比較をカキコしていただきたいのですが。

日本語では、「信じる」と「信仰」の、使い分けがある。 >>468
では、ギリシャ語や英語で、日本語のような使い分けがあるのか?
私も、ギリシャ語‐英語聖書を見て、日本語のような使い分けがあるのかと、調べてはおった。

ギリシャ語も英語も、語としての使い分けないようだ。
「ギ:ピステゥォー」「英:believe」には、「信ずる」と「信仰する」の、両方の意味がある。
(ギリシャ語の文字は、私のワープロではうまく書けないようなので、省略)

ローマ10:10 「人は心に信じて義と認められ、、、」 の箇所の【信じる】について
【ピステゥォー】 (believe)
@〔物事を〕信ずる、確信する、  〔人物を〕信ずる、信用(頼)する、
A〔神・キリストを〕信ずる、信仰(頼)する

ローマ10:17 「信仰は聞くことから始まり、、、」 の箇所の【信仰】について
【ピスティス】
@信頼を呼び起こすもの
A信ずる事、信頼、信仰  (faith)
488もとぴ:02/12/14 22:28
(つづき)
「私は、三位一体を信じます。」 と言うのと、
「私は、三位一体を信仰します。」 と言うのは、
同じ意味である。
・・・ というのが、あなたの考えのようですね。


「私は、○○さんを信じます。」 と、普通に言いますが、
「私は、○○さんを信仰します。」 とは、普通には言いません。
日本語では、「信じる」と「信仰する」は、使い分けています。

でも、もともと、日本語の「信仰」なんて、いい加減なものかも、、、
「信仰」の対象が、あっちにもこっちにも広がっていたりして、、、
私のように、「信仰」という言葉を 厳密に考えている者のほうが少ないのかな。。。

けれども、「聖書を信じる」 という立場においては、
「信仰」は、厳密な意味として使われるべきと、私は思う。

>>468
> 「三位一体」は、神学上の用語として、聖書の理解や解釈を与えてくれるものであって、
> これが、「信仰」 の 対象になるわけではない。 
489もとぴ:02/12/14 22:31
> 484
> あと質問なんですが「詳訳」聖書って、どこの教団とか教派の聖書ですか?
「詳訳聖書」は、「THE AMPLIFIED NEW TESTAMENT」(1958年、ロックマン財団発行)
の翻訳だと、「日本語版への序言」に書いてあります。
いのちのことば社。 どこの教団とか教派とか、わかりません。

>> 「父」は、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされた。(Tヨハネ4:9-10)
> 「遣わされた」に「sent」でマタイでいう「生まれた」の「new−born」ではないですよね。
「生まれた」は、イエスの存在・神としての本質・父なる神との関係 について述べていると思う。
「遣わされた」は、イエスは、父なる神のみこころとして(世を救うために)この地上に遣わされた。

> 484
以下、無視。。。
(ろんぎぬすさんのカキコに、私がレスを付けるか付けないかは、私の自由。)
●ろんぎぬすスレッド8■  レス102参照。
ttp://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1039324026/102
 【 朝夕(起床か飯時や就寝か風呂の前後に)は毎日これを唱える 】
●ろんぎぬすスレッド8■  レス99−100参照。
ttp://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1039324026/99-100
 【 日頃の祈り 】
●ろんぎぬすスレッド8■  レス97−98参照。
ttp://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1039324026/97-98
 【 プロテスタント紹介 】
●ろんぎぬすスレッド8■  レス105参照。
ttp://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1039324026/105
 【 私のキリスト教理解 】
●ろんぎぬすスレッド8■  レス26−27参照。
ttp://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1039324026/26-27
 【 励ましの聖句 】
●ろんぎぬすスレッド8■  レス29−32参照。
ttp://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1039324026/29-32
493もとぴ ぼやきモード:02/12/15 00:14
>487の訂正
× ギリシャ語も英語も、語としての使い分けないようだ。
○ ギリシャ語も英語も、語としての使い分けないようだ。

今日はどよーび。 でも仕事。
仕事の後に、晩御飯も食べずに、22:31までカキコしていたとは、、、
(今は、晩御飯を食べて、よぱらいモードで、ぼやきモード。)
・・ 私の場合、カキコの時間は「外出中」。。。(>>409
妻は、よく耐えていると、感心する。

でも、時々、私の妻も「ぼやきモード」になる。
今日は、もう寝ていたので、ぼやかれずに済みますた。。。

ところで、、、どくんさんは、このスレを読んどるのか?
たまには、カキコしてちょんまげ。私は、もう寝る。
494もとぴ よぱらいモード:02/12/15 00:18
>493
訂正になっとらんではないか!!!

× ギリシャ語も英語も、語としての使い分けないようだ。
○ ギリシャ語も英語も、語としての使い分けはないようだ。
495子連れ羊@おあしす ◆Fw190Tn4p2 :02/12/15 00:20
こんばんは。石原莞爾です。コテハン変えました。
どくんさんは最近2ちゃんねるに来ていないようです。
496もとぴ :02/12/15 20:59
>495
石原さん。おひさしぶりぶり。
そうですか。。。 どくんさんは、今、何をしているのでしょう??

また、何か、お題をくらはい。
497FW190Ta152H-1:02/12/16 02:21
>495
土肥原 健二だが石原君、ついでにIDも変えてみたまえ。以前はFw190Tn4p2
では無かったはずだが。
498名無しさん@1周年:02/12/18 22:26
>>1
☆ 固定ハンドルスレッドは禁止です。
499名無しさん@1周年:02/12/19 10:31
>>497
あんたにゃ関係無いだろ。
判別できないほど類似してるわけでもないし。
あんたは名前で羊さんはトリップじゃんか。
500名無しさん@1周年:02/12/19 14:45
500
「ろんぎぬす」ってなに?
501もとぴ :02/12/19 19:55
>498
> 固定ハンドルスレッドは禁止です。
に対して、以前、どくんさんが、「・・・ に関しては認められています」 とか、、、
レスを返してくれたことがありましたよね。。
「ふざけるなスレ21」 の330〜340くらいのところと思うけど。。
私のパソコンからは、「ふざけるなスレ21」は消えていて、、、 (涙。。

最近、「ふざけるなスレ22」の方でカキコしてました。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1038217271/l50
(547〜582の間)
エホ証の現役さんは、こちらのスレには来てくれないようなので、、、
502ゆうちゃん@神:02/12/19 20:00
ゆーちゃんが神らよ

ひざまづくのにゃんw

せっぽー書いてるからよむのにゃんw
http://muchan.net/diary/yu_chan/
かんじたことをかくのにゃんw
http://www.free-bbs.net/html/yuka9677.html


ゆうは生き神様なのにゃんw




503もとぴ :02/12/20 19:36
「YHWH」 の訳語について、「ふざけるなスレ 22」において、討論が続いておりました。
私も、これに参加しまして、、、今日629-631のレスを受けました。
これは大切なテーマですので、こちらのスレに引用することにしました。
過去の主なやりとりを紹介します。

ふざけるなスレ 22

485 :名無しさん@1周年 :02/12/12 13:16
私は、YHWHという神の固有名詞を勝手に「Load(主)」という称号に変えてしまい、
その原語がYHWHなのかアドナイなのか区別がつかなくなっている聖書よりは、
「誤発音」でも固有名詞は固有名詞で活かされている聖書の方がよいと思います。

521 : ◆lQyRaJFlJ. :02/12/14 00:56
私の使用している聖書はYHWHの部分は太字で「主」となっているから、それで判断できますよ。
新改訳聖書だけど。

539 :名無しさん@1周年 :02/12/14 20:55
つまり読んだのを聞くと、それがYHWHかどうかは分からないということだね。
太字にしようが、「主」も仮だわな。もっと良い仮の表現はないものか。
504「YHWH」 の訳語について:02/12/20 19:41

547 もとぴ 
旧約聖書が 新約聖書に引用される時、
神の固有名詞(ラテン文字でYHWH)は、新約聖書ギリシャ語本文では、
「キュリオス(主)」と、訳していてる。
たとえば、詩篇110:1の「YHWH」は、使徒2:34では、「キュリオス(主)」となっている。

> 「主」も仮だわな。
「YHWH」 を 「キュリオス(主)」 と訳すことは、新約聖書の示すところと、
私は思います。


558 名無しさん@1周年
新約聖書で訳しているのではない。七十人訳がそのように訳しているのを
引用したのだ。
「キュリオス」と転訳しているという結果は同じだが、あやふやな知識で
人にものを教えようというあなたの態度には疑問を呈し得ない。
505「YHWH」 の訳語について:02/12/20 19:45
559 名無しさん@1周年
>558
>新約聖書で訳しているのではない。
>七十人訳がそのように訳しているのを引用したのだ。

JWの聖書の付録にはこんな一文があります
「例えば、使徒3:22にあるペテロの話の中で申命18:15が引用されていますが,
西暦前1世紀のものとされるセプトゥアギンタ訳のパピルス断片のその箇所には
四文字語が記されています」

新約が書かれた頃には、70人訳の訳本がすべて四文字語を「キュリオス」と
置き換えていたと考えるのが多くの人の定説?ですが、
実際にそれを事実とみなすには、証拠とできるものが(ないとはいいませんが)
非常に少ないように思えます

実のところ、70人訳を含めギリシャ語訳で神の固有の名を用いている
少なくとも10点の写本断片の資料がJWの聖書の付録に出ています
「キュリオス」と転訳する習慣は後代になってから定着してきたのかもしれませんね
506「YHWH」 の訳語について:02/12/20 19:47
560 もとぴ 
>558さん。
私の手元にある 「THE INTERLINEAR GREEK-ENGRISH NEW TESTAMENT」
の新約聖書ギリシャ語本文にて、
> 詩篇110:1の「YHWH」は、使徒2:34では、「キュリオス(主)」となっている。
ことを確認して、547をカキコしました。

旧約聖書ヘブル語本文に記されている 神の固有名詞 (ラテン文字でYHWH) は、
新約聖書ギリシャ語本文では、「キュリオス(主)」と、翻訳されていることは事実です。
そのような事実を根拠に、
> 「YHWH」 を 「キュリオス(主)」 と訳すことは、新約聖書の示すところと、
> 私は思います。
と、申し上げたに過ぎません。

>559さん。情報をありがとう。
ところで、
> 「キュリオス」と転訳する習慣は後代になってから定着してきたのかもしれませんね
の意味が、私にはよくわからないので、解説をお願いします。
507「YHWH」 の訳語について:02/12/20 19:53
561 :名無しさん@1周年 :02/12/16 21:48
>もとぴさん
マイナーですね(w

70人訳の現存する写本の中には、四文字語ではなくキュリオスを残すものが割と多くあります
そのために「セプトゥアギンタ訳はキュリオスと書いているものだ」という方も多いのです
私のレスはそうした感覚の方(特にレス先)に対するものです。
ですからここで、旧約の写本がそうであったように、セプトゥアギンタ訳にも
神の名を使わないという手法が使われるようになった可能性があることを示唆しました
508「YHWH」 の訳語について:02/12/20 19:55
570 :もとぴ  :02/12/17 20:07
>561 さん。 レスをありがとう。
七十人訳において、
> 神の名を使わないという手法が使われるようになった可能性があることを示唆しました
ということですね。

ところで、あなたは
> 560 もとぴ 
> (旧約聖書の) 「YHWH」 を 「キュリオス(主)」 と訳すことは、新約聖書の示すところ、、
については、どう思われますか。
あなたは、新約聖書のギリシャ語本文が示すように、
「新約聖書の原典には、もともと 〔神の固有名詞〕 は記されていなかった」 と思いますか?
それとも、
「新約聖書の原典には、もともとは 〔神の固有名詞〕 が記されていたはずだ」 と思いますか? 

〔豆知識〕  【七十人訳聖書 (セプトゥアギンタ)】
ギリシャ語訳旧約聖書。 略号LXX。 紀元前3‐1世紀にかけて、当時のギリシャ語圏であった
アレクサンドリアのユダヤ人共同体でヘブライ語から翻訳され、成立した。
書名は、72人の訳者により72日間で訳されたという伝説に基づく。 (「岩波 キリスト教辞典」)
509tn k:02/12/20 19:58
571 :もとぴ  :02/12/17 20:09
> 564 わけあって研究生 さん。
> よろしければ、神の目的についてもおしえてください。

「エホ証さんの解釈」との「比較対照」として、お答えするのなら、
それほど難しいことではないと思います。
> エホ証さんのいってる神の目的
についてカキコしていただければ、私の場合はプロテスタントの立場で、
その教理的な共通点と相違点について、書き込みます。

けれども、「神の目的」について、
> 550
> それと、神の目的とはどんなことなのでしょうか?
> 他のキリスト教ではどんな解釈か教えて下さい。
となると、これは、私にとってはかなりスケールの大きなテーマのように思えて、
簡単には まとまりそうにありません。
しばらく調べたり考えたりして、まとまってきたら、
☆もとぴさんと一緒に聖書を解釈しよう☆
の方にカキコします。 多分、長いカキコになると思うので。。。
510「YHWH」 の訳語について:02/12/20 20:03
(509のネーム、ミスしますた。 「神の目的について」と、するつもりでした。。


572 :名無しさん@1周年 :02/12/17 20:20
>>570 もとぴさん
そうですね、もともと原点にはその多くの箇所に「主」とは異なる形で
神固有の名が残されていたのではないかと今でも考えていますよ
その説に反証する論もあったようですが、実証されてはいません

実のところ、単純に少なくとも旧約での「YHWH」から引用している場所、
その他には別段エホバやヤハウェを充てたり、そう解釈していいのになという感覚です
一般の日本語訳に関しては

もとぴさんはどうお考えですか?
511「YHWH」 の訳語について:02/12/20 20:08
581 :もとぴ  :02/12/18 20:37
私の個人的な考えを書きます。

> そうですね、もともと原典にはその多くの箇所に「主」とは異なる形で
> 神固有の名が残されていたのではないかと今でも考えていますよ

聖書の「原典」は、一つも現存していません。
「写本」が、「聖書の原典」 にあった 「聖書の本文」 を伝えてきました。
(残された多くの写本によって、「聖書原典」にあった「聖書本文」が、ほぼ確立されているそうです)
現存する新約聖書の写本には、〔神固有の名〕は、含まれてはいません。
この事実は、新約聖書の原典には、もともと〔神固有の名〕は 記されていなかった、
と、いうことだと思います。

ここで、仮に、「新約聖書の原典には、〔神固有の名〕 が記されていた」 とします。
もしそうであったなら、「現存する新約聖書の写本に 〔神固有の名〕 が含まれていない」 という事実は、
新約聖書のギリシャ語本文は、人間や、サタンの手が加えられている、ということに、なりませんか?

それに、旧約聖書の原典に記された〔神固有の名〕は、写本においても、取り除かれずに、
新約聖書の原典に記された〔神固有の名〕は、写本において、ひとつ残らず取り除かれた、、
・・・ というのも、疑問。。。

また、イエスが、神の固有名詞として、〔神固有の名〕を発音して、人々に知らせたのであれば、
どうして、その発音が、再び失われることとなったのか? も、疑問。。。
512「YHWH」 の訳語について:02/12/20 20:12
582 :もとぴ  :02/12/18 20:39
(つづき)
> 実のところ、単純に少なくとも旧約での「YHWH」から引用している場所、
> その他には別段エホバやヤハウェを充てたり、そう解釈していいのになという感覚です

新約聖書の 「キュリオス(主)」 や 「セオス(神)」 には、
明らかに、旧約聖書に記された 「YHWH」 のことである、と解釈できる箇所は、
たくさんあると思います。それは自然な解釈と思います。
プロテスタントも、そのような解釈をします。


あなたは、新約聖書の「原典」に記されていたはずの〔神固有の名〕が、
「写本」において完全に取り除かれ、「翻訳」において復元する、と
お考えでしょうか?

私は、(旧約聖書の) 「YHWH」 を 「キュリオス(主)」 と訳すことは、新約聖書の示すところ、
と、考えます。
。。 でも、旧約聖書に記された〔神固有の名〕が、音訳できないのであれば、
へブル語の子音文字(神名四文字)のままで、訳の中に残してもよいのではないか、、
と思うこともあります。
けれども、、 母音がないから、人々は、いろいろな発音をしてしまいそうで、、、
やっぱり、新約聖書の示す 「キュリオス(主)」 と訳すことが、最善。。。
513「YHWH」 の訳語について:02/12/20 20:14
629 :名無しさん@1周年 :02/12/20 09:35
> 581 もとぴさん
>「現存する新約聖書の写本に 〔神固有の名〕 が含まれていない」 という事実は、
>新約聖書のギリシャ語本文は、人間や、サタンの手が加えられている、ということに、なりませんか?
神の名に関してはなりえますね。
>>558-559にあるとおり、旧約のことを考えれば
セプトゥアギンタの中では人間の手が加えられた箇所が確かに存在します
70人訳のこの改変には当時のいわゆる「キリスト教徒」たちも加わっています
(「カイロ・ゲニザ」、1959年による)
これにサタンが関係していたかどうかは、もとぴさんの解釈にお任せします

もし新約原典に神の名が書かれていたとすれば、彼らキリスト教徒たちが
その写本に、旧約に対して行ったのと同じことをする(した)であろうことは当然かもですね

>それに、旧約聖書の原典に記された〔神固有の名〕は、写本においても、取り除かれずに、
>新約聖書の原典に記された〔神固有の名〕は、写本において、ひとつ残らず取り除かれた、、
新約写本は旧約への圧力に比べてかなり初期段階でひどい弾圧を受けていますから、
事象としてそれも一つの原因にはなると思います
それ以外にも何か原因があるのかもしれません
514「YHWH」 の訳語について:02/12/20 20:16
630 :名無しさん@1周年 :02/12/20 09:39
>また、イエスが、神の固有名詞として、〔神固有の名〕を発音して、人々に知らせたのであれば、
>どうして、その発音が、再び失われることとなったのか? も、疑問。。。
イエスの時代、その発音はまだそれほど失われていなかったのかもしれません
祭司たちが地方では神の名の代わりの語を使っていたものの、
「神殿ではみ名を書かれている通りに発音した」とする外的な資料があります
それは毎日行われていた慣例でした (ソター7:6,ミシュナ、ダンビー訳)
キュリオスと神の名を別とする70人訳を用いての講義が会堂で行われていたとすれば
そこではほぼ間違いなくそのままの形で話がなされていたでしょうし
神殿に通う習慣を持つ一般人たちはその名の発音を意識しながら聞くことができたと思います

旧約時代に発音されていたみ名も、その国民の中で失われましたから
キリスト教の中でも同じ事は再び生じ得ることと思います
515「YHWH」 の訳語について:02/12/20 20:17
631 :名無しさん@1周年 :02/12/20 09:41
>582 同じくもとぴさん
>新約聖書の 「キュリオス(主)」 や 「セオス(神)」 には、
>明らかに、旧約聖書に記された 「YHWH」 のことである、と解釈できる箇所は、
>たくさんあると思います。それは自然な解釈と思います。
>プロテスタントも、そのような解釈をします。
そうですね。これは共通点かもしれないです
「主」「神」を妥当な範囲でエホバに当てはめることは証人たちもやってます
(でも翻訳上、キュリオスが主な論点かもしれませんです)

>あなたは、新約聖書の「原典」に記されていたはずの〔神固有の名〕が、
>「写本」において完全に取り除かれ、「翻訳」において復元する、とお考えでしょうか?
聖書の神がいるなら、ありえると思いますよ
そうする力が主にはあるでしょうし、ふさわしいならそうなさるかもしれません
私は教会やJWの信者ではないですが(w,

>旧約聖書に記された〔神固有の名〕が、音訳できないのであれば、
>へブル語の子音文字(神名四文字)のままで、訳の中に残してもよいのではないか、、 と思うこともあります。
そうですね。
海外ではヤハウェなどの名が(恐らく旧約で)復元された訳もごく稀に出ているようですね
そうした訳が日本語でも出版されれば面白いと思います
516名無しさん@1周年:02/12/21 12:23
●ろんぎぬすスレッド8■  レス150−155参照。
ttp://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1039324026/150-155
517名無しさん@1周年:02/12/22 19:10
●ろんぎぬすスレッド8■  レス188参照。
ttp://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1039324026/188
518もとぴ:02/12/23 21:31
「YHWH」 の訳語については、
【写本の忠実さ】の問題と、【翻訳の忠実さ】の問題の、二つがあると思います。

これは、「新約聖書」の、「写本」と、「翻訳」に対する、信頼の問題だと思うのです。

〔神の霊感〕 → 聖書の原典 → 写本 → 聖書の本文 → 各言語に翻訳(新改訳聖書など)
519もとぴ:02/12/23 21:35
(つづき)
私の考え
【写本の忠実さ】の問題
私は、写本が、聖書の原典にあった本文を、忠実に書き写していると思います。
現存する新約聖書の写本には、〔神固有の名〕は、含まれてはいません。
この事実は、新約聖書の原典には、もともと〔神固有の名〕は 記されていなかった、
と、いうことだと思います。(>511より)

【翻訳の忠実さ】の問題
新約聖書のギリシャ語本文は、たとえば詩篇110:1の「YHWH」は、使徒2:34では、
「キュリオス(主)」となっています。(>506より)
旧約聖書の 「YHWH」 を 「キュリオス(主)」 と訳すことは、新約聖書の示すところ。(>512より)
520名無しさん@1周年:02/12/23 21:36
もとぴさん、たいへんです! 
エホ商スレに強敵すつげんどすぇ。
521もとぴ:02/12/23 21:37
(つづき)
名無しさん@1周年 さんの考え
【写本の忠実さ】の問題
「現存する新約聖書の写本に 〔神固有の名〕 が含まれていない」 という事実は、
新約聖書のギリシャ語本文は、神の名に関しては、人間や、サタンの手が加えられている、
ということになりえますね。(>513より)

【翻訳の忠実さ】の問題
新約聖書の「原典」に記されていたはずの〔神固有の名〕が、
「写本」において完全に取り除かれ、「翻訳」において復元する、という考えは、
聖書の神がいるなら、ありえると思いますよ。(>515より)

(以上の要約について、名無しさん@1周年 さんの意見・反論などがありましたら、補足してください)
522もとぴ:02/12/23 21:41
(つづき)
>>513
あなたは、「写本の忠実さ」の問題と、「翻訳の忠実さ」の問題とを、混同しておられると思います。
「写本」は、聖書の原典にあった本文を、忠実に書き写せばよいのです。
しかし、翻訳には、人間の考えも介入し、人間の手が加えられて、「○○訳」となります。
したがって、「セプトゥアギンタ(七十人訳)の中では人間の手が加えられ」ていても、
「サタンが関係していた、、」とは、思いません。


私が、ここで問題としているのは、「写本の忠実さ」です。
新約聖書の「写本」において、「聖書原典の本文」から〔神固有の名〕が取り除かれた、のであれば、
サタンが、神のことばである聖書原典のギリシャ語本文に介入している、ということになるでしょう。

しかし、新約聖書の原典には、もともと〔神固有の名〕は 記されていなかった、としたら、
あなたの考えは、空論になるでしょう。
そして、旧約聖書の 「YHWH」 を 「キュリオス(主)」 と訳すことは、新約聖書の示すところ、
と、いうことになるでしょう。
523もとぴ:02/12/23 22:14
>520さん。

今日は、もう寝ます。。。
524「YHWH」 の訳語について:02/12/24 20:21
「ふざけるなスレ22」より 
(最近このスレでは、長い文章の書き込みができないので、二回に分けて、引用します)

798 :名無しさん@1周年 :02/12/24 04:49
もとぴさん レスありがとうです
時期が時期ですので、レスあればチョイ遅れるかもです

>「写本の忠実さ」の問題と、「翻訳の忠実さ」の問題
双方が関係する問題ですので、混同とは違うかもです。
混同してたらごめんなさい。(^^

もしも70人訳という翻訳がもともとは旧約での神の名を用いていたなら、
新約における、写本の忠実さの問題であると考えられます

他方、神の固有名を残す新約希語写本が多数発見されているため、
70人訳の旧約写本は、ユダヤ人には四文字語を残したものが用いられ
異邦人にはキュリオスと訳したものを用いたのではないかという見方も今では普通にあります
(新約でのエホバとの訳出を否定するため、
その名を載せている新約ヘブライ語訳聖書は、イエスを退けるような「ユダヤ人に」へのものである
と述べる反対者たちもいます)
525「YHWH」 の訳語について:02/12/24 20:24
(つづき)
これが正しければ、
少なくとも地元ユダヤ人に対して伝道した時の多くの場合、
イエス(或いは使徒たち)はエホバあるいは他の形での神の名を用いた写本を用いたことになります
彼の会堂での証しというシーンは福音書中にもあります
その中での旧約の引用を考えれば、発音あるいは表記として、
 イエスが改変したか(しかし彼はユダヤ人の会堂の図書からの直接朗読を行った>>630と比)、
 福音書の筆者が改変したか(これはもし信者であれば考えにくいかもしれない)
 写本作業を行った人たちが改変したか、(ありえる)
のいずれかは生じたと考えてよいはずです。
てか、それに似た問題が新約中にたくさんでてきます。
他にも、色々な考え方があるのかもしれないですね。

寒いですが、今時期でも、何か釣りしてるんでしょうか・・・
もしも機会があれば、是非ご一緒してみたいです
●ろんぎぬすスレッド8■  レス202参照。
ttp://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1039324026/202
●ろんぎぬすスレッド8■  レス204参照。
ttp://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1039324026/204
●ろんぎぬすスレッド8■  レス206参照。
ttp://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1039324026/206
●ろんぎぬすスレッド8■  レス207−208参照。
ttp://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1039324026/207-208
530もとぴ:02/12/24 23:11
名無しさん@1周年 さん。

> 524
> 他方、神の固有名を残す新約希語写本が多数発見されているため、

「希語」とは、「ギリシャ語」のことですね。
神の固有名を残す新約ギリシャ語写本が多数発見されている、
というのは、本当のことですか?
できるだけ詳しい解説と情報を希望します。

レスは、遅くなってもかまいません。
むしろ、私の方が、レスを書くのに時間がかかっていますです。
yalda-beootやsaclasやsamaeelやdeemiulgoosやsabaotにel-hiimと、
書かれています。aramuや上nailから出土しています。
532名無しさん@1周年:02/12/25 21:03
>531 HNの乗っ取りハッカー???

 聖書やコーランで神の固有名詞で思い当たるところといえば、
エロイとかエリとかエルとかエラゥとかアラーとかアッバですかね。
さあ、どれでしょうって世界ですね。
 死海周辺やシナイ半島やナイル川周辺の洞窟や修道院や教会跡の壺の中に、
羊皮紙の巻物とかパピルスの綴じ本とか。
533名無しさん@1周年:02/12/25 21:12
>531 死海文書は旧約だけなはずだが???

新約と一概にいっても正典も外典も偽典もあるから、
「神」を、単に「主」や「キリスト=メシア」や「インマヌエル=イエス」や、
「救い主」や「万軍の主=サオワフの主」や「創造主」や「唯一の主」と、
記述しない場合は、基本的に外典・偽典に含めてきたのでは???
534名無しさん@1周年:02/12/25 21:54
アドナイとしかよまねーよ。ギリシャ語だとキュリオスってか。
535名無しさん@1周年:02/12/25 22:07
うひゃひゃあー。明らかにヘン。

エホバでなく、文語の「ヱ」ホバなら、口語的に「ウェ」ホバ、だよな。
ヤハウェーって、YaHaWeHって、aaeだよな。子音ってYHWHじゃん。
アドナイって、aDoNaIで、aoaだよな。子音ってDN。2文字じゃん。
ヱホバって、WeHoBaで、eoaだよな。子音ってWHB。3文字じゃん。

どう、アドナイの母音を子音に当てているのや。つじつま合わないジャン。
本に書いてあるから正解なのか?

実際にYHWHの子音に、aoaiの母音を交互に入れてみ。
YaHoWaHi、ヤホワヒ。やばっひ。
YaHaWeH−、ヤハウェー。に成ら無いじゃん。
oはaなんか。aはeなんか???めちゃくちゃやんか。
536名無しさん@1周年:02/12/25 22:10
ドウつじつまが合うのや。納得しぃーひん。
537もとぴ:02/12/27 20:01
> 531
「el-hiim」(エローヒーム)は、「神」の意味です。

> 535
> アドナイって、aDoNaIで、aoaだよな。
> ヱホバって、WeHoBaで、eoaだよな。

旧訳聖書の時代のヘブル語には、現在のような母音記号はなく、子音文字だけで書かれていた。
その後、ユダヤ人たちは、旧訳聖書のヘブル語本文に、母音記号をつけるようになった。
ユダヤ人は、神名 YHWH には、アドーナーイ(私の主)の母音記号をつけた。

「アドーナーイ」につけられた母音記号は、「a o a」
神名 YHWH につけられた母音記号は、「e o a」
このように、実際には「アドーナーイ」につけられた母音記号とは、少し違った母音が
付けられました。 (この点は、あなたのご指摘のとーりどえす)
こうして 「YeHoWaH」 ということばができた。 (参考>380)
ユダヤ人は、「YeHoWaH」を、「アドーナーイ」 と、読んでいた。

〔豆知識〕
「エホバ」は、子音「YHWH」と、「アドーナーイ」の母音の、混合形。
「ヤハウェ」は、「YHWH」の発音を、学問的に復元したもの。
538「YHWH」 の訳語について :02/12/27 20:05
「ふざけるなスレ22」の 971(02/12/27 00:03)より

もとぴさん 間違いありでしたので訂正します

>> 他方、神の固有名を残す新約希語写本が多数発見されているため、
>神の固有名を残す新約ギリシャ語写本が多数発見されている、
>というのは、本当のことですか?

ご指摘の点は「新約」でなくて「旧約」のギリシャ語写本の間違いです
>798はあくまで70人訳のことを中心に話しています
以下の部分、校正し直しました

「他方、神の固有名を残す旧約希語写本が多数発見されているため、
70人訳の旧約写本は、ユダヤ人には四文字語を残したものが用いられ
異邦人にはキュリオスと訳したものを用いたのではないかという見方も今では普通にあります」
539名無しさん@1周年:02/12/27 20:27
537ちゅーと、なぜ「少し違った母音」にしたのや。
イエホワが、ヱホバも、おかしいやろ。
ヤハウェイ→YaHaWeHeも、母音がaaeeの当てはめがドウ学問なんやねん。
aDaNee→アダネエったら、やだねぇ。
アドナイの母音aoaiやったら、YaHoWaHi→ヤホワヒ読みやって、あほばい。
肥後・熊本やんか。
540名無しさん@1周年:02/12/27 20:33
イエホワは、ヤホワヒ読みに絶対ならへんて。
541名無しさん@1周年:02/12/27 20:34
いけづ
542名無しさん@1周年:02/12/27 20:52
ペリシテ←→フィリスティア

ジェームズ←→ジェイコブ←→ヤコブ

ヨハネ←→ジョン←→イバン←→ヨハン

パウロ←→ポール

ピョートル←→ピーター←→ペテロ←→ペトロ

イエス←→ヤソ(w


どちらももう一方より、重たいくせに、どちらにも、傾かないなんて、おかしいよーww
543わけあって:02/12/28 01:08
神の固有名の話に割り込んですみません。
もとぴさんに教えてほしいことがありまして、ふざけるなスレからこっちにきました。
ものみの搭2002.12.15に イエスは創造の初めから、天のみ父と共に霊の領域に住んでました。
実のところ、聖書はイエスのことを「神による創造の初めである者」と描写しています。(啓示3:14)
とありました。啓示3:14 は、イエスが神に創造されたことを言ってるのでしょうか?
544名無しさん@1周年:02/12/28 07:51
538なんやが、旧約ギリシア語の固有名詞があるんわ外典・偽典やないの。
70人訳はギリシア語正典やろ。
ユダヤ人はヘブライ語かアラマイ語やし、ギリシア語70人訳にならへんやんか。
ギリシア語のYウプシロン大文字は、英語の小文字でユーやし大文字がワイや。
Wなんてギリシア語の対応はあらヘンし、ウー発音ならυウプシロン小文字や。
Hはηエーターで英語のEEや。ハ行なんてコイネのギリシア語にあらへん。
ξクサイksか、χカイkhぐらいが近い発音やねん。
ギリシア文字でローマ字YHWHは、無理に当てはめればυηυηウエウエや。
545名無しさん@1周年:02/12/28 21:26
>544
>旧約ギリシア語の固有名詞があるんわ外典・偽典やないの。
申命記(正典)のギリシャ語訳中に確認されているものがあります
外典にも固有名詞が残されているならそれはそれでよいかなと

>ユダヤ人はヘブライ語かアラマイ語やし、ギリシア語70人訳にならへんやんか。
新約を記したユダヤ人たちの多くはギリシャ語で記述し、70人訳から引用しているようです
彼らは当時の共通ギリシャ語に通じていたはずであり
一般のユダヤ人や改宗者たちもそうした人が多かったかもしれません
彼らも神の名が発音されるのを耳にする機会があったことは確かなようです
新約上の記述にも、そのような背景での伝道の記述があります

544さんの言うような表記上の問題があり神の名が表記されなくなったとすれば、
それも聖書から神の名が省かれた理由として考えられるのかもしれません

JWの引用する資料によれば、4世紀のヒエロニムスの頃にはυηυηではなくΠΙΠΙ(PIPI)と読まれました
(ヘブライ文字の神の名の表記と似ているためという理由です)
ギリシャ人にそう読めるヘブライ語文字を載せた書物が存在したようです
546もとぴ:02/12/28 21:59
>543 わけあって さん。
あなたは、↓さんですか?

「ふざけるなスレ22」 より
> 564 :わけあって研究生 :02/12/17 07:36
> よろしければ、神の目的についてもおしえてください。
> やっぱり、エホ証さんのいってる神の目的なんて、
> エホ証さんのかってな解釈なんでしょうか?

>>509は、この質問に対して、私がとりあえず回答したものでした。
「神の目的」については、まだ、プロテスタントの見解を要約できてませんが、
私個人としての考えは、「ふざけるなスレ22」の964でカキコしましたので、
それを少し修正して、次に引用します。
547もとぴ:02/12/28 22:01
【神の目的】

私は 思うのです。
私は、この地上の生涯にあっては、時間に限りがある。
しかし、死後は、時間に限りはない。
。。 私は、永遠の時間というものを、神の近くで過ごしたい。

私は、自分がパラダイスに行けるとは、正直言って、思っていません。
でも、たとえ私が、パラダイスに行けず、ハデス(よみ)で、苦しみを受けようとも、
私は、永遠という時間は、神の近くに居たい。
・・・ (「人間の死後の場所」については、28〜>>62を参考) ・・・

私には、罪の問題が、あります。
自分では、どうしようもない 問題です。
、、 私は、神から 遠くにいるのです。

でも、イエスは、私の罪のために、死んでくださった。
だから、私は、神の近くにいるのです。

神の目的、
それは、イエスによって、ご自分の近くに、人をおらせること、
私は、そう思います。
548もとぴ:02/12/28 22:03
> 543
> 啓示3:14 は、イエスが神に創造されたことを言ってるのでしょうか?

啓 示3:14 「神による創造の【初め】である者」    (新世界訳)
黙示録3:14 「神に造られたものの【根源】である方」 (新改訳)

新世界訳では「初め」、新改訳では「根源」と訳されていることばは、
ギリシャ語の【アルケー】で、そのどちらの訳し方も可能だそうです。
「アルケー」には、「創始者、第一原因、本源、、 」という意味もあるそうです。
(「増補改訂 新約ギリシャ語辞典」 岩隈直著、山本書店)

プロテスタントは、
キリストが、「すべての造られたものの原因」である、
と解釈しています。
549名無しさん@1周年:02/12/28 22:26
横レスですが、黙21.6は如何です?同義語を並列していますね。

αアルファ←→ωオメガ
「  」←→τελοΣ

さてアルファはオメガに対してはどんな意味がふさわしいでしょう?
550名無しさん@1周年:02/12/28 22:57
主は存在の全てです。右であり左。上昇であり下降。全てのものの対極であり、太極。
551名無しさん@1周年:02/12/28 23:00
>545 :名無しさん@1周年 :02/12/28 21:26
>申命記(正典)のギリシャ語訳中に確認されているものがあります
どう書いてあるの?キュリオス以外に?どこで発見されたドノ写本で?想定で?何か本で?

>新約を記したユダヤ人たちの多くはギリシャ語で記述し、70人訳から引用しているようです
 ユダヤ人全てがギリシア語が話せたわけでない。
使徒行伝にギリシア語の信者とヘブライ語の信者の揉め事の記事がある。
 70人訳はエジプトのアレキサンドリアのユダヤ人共同体の72人の人達が、
エジプトのプトレマイオス王朝から命じられてギリシア語に訳したはずだが。

>一般のユダヤ人や改宗者たちもそうした人が多かったかもしれません
改宗者は、血や肉としてはギリシア人で、生活様式がユダヤ教徒になったもの。

>新約上の記述にも、そのような背景での伝道の記述があります
どこにあるの?神の固有名詞は書かれていないはずだが。
あるとすれば「インマヌエル(神ともに居る)」「イエス(在る)」「アバ(父)」
「エロイ(神)」「エリ(神)」で、特に意味はないが。
「ヤハウェイ」「ゥエホバ」の記述はないが。

>(ヘブライ文字の神の名の表記と似ているためという理由です)
ヘブライ語は右左だが、ギリシア語は左右と読み方向が違うのだから、IPIPでないの?

>ギリシャ人にそう読めるヘブライ語文字を載せた書物が存在したようです
なんと言う題名の本?
552名無しさん@1周年:02/12/28 23:02
>550 ナグハマディ文書の福音書にも見た覚えあるよ。グノーシスの説明で。
553549:02/12/28 23:06
>>549の「  」には、アルケーが入ります。
その意味に相応しく、「初め」と訳されています。

さて、それならなぜ、3.14のアルケーは「根源」なのでしょうか?
訳語を一致させると、何か不都合があるからですか?

554有/無:02/12/28 23:08
ヘブル語で愛を発音するとアーハヴァーです。
555名無しさん@1周年:02/12/28 23:20
>549 
ΑΠΟΚΑΛΥΨΙΣ ΙΩΑΝΝΟΥ21:6
・・・αλψα και το ω,η αρχη και το τελοσ.
・・・アルパ カイ ト オー ヘ アルケー カイ ト テロス。
・・・アルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。【新共同訳】

信仰告白に使う「ニカイア・コンスタンチノープル信条」でも、
・・・神の右に座し、光栄を顕して・・・その国、終わる事なし。
の「終わる」に「テロス」を使っているよ。
556名無しさん@1周年:02/12/28 23:22
>>544
固有名詞のところはヘブライ語のまま、とかかも。
557名無しさん@1周年:02/12/28 23:24
>554 
すると、申命記の6章にある「あなたは神を愛せよ」の、
ヴェアハヴッダは、ヴェ+アーハヴァー+ダという事になるのかなぁ!?
558549:02/12/28 23:24
>555
サンクスあぢゅーw 
559名無しさん@1周年:02/12/28 23:29
>553 
ギリシア哲学のアルケー(根源)の概念に照らし合わせたのでしょう。
ソクラテスとプラトンの対話のアルケーを念頭に置いての訳語でしょう。たぶん。。。
560名無しさん@1周年:02/12/28 23:31
>558 いや、ユァウェルカム。デ・ナァダ。
561名無しさん@1周年:02/12/28 23:34
>556 
545のヒエロニムスごろのPIPI記述なる文書うんぬんが臭い。
562名無しさん@1周年:02/12/29 00:48
>551
>どう書いてあるの?キュリオス以外に?どこで発見されたドノ写本で?想定で?何か本で?
Fouad 266号として知られるものはJWん中で有名みたいですね(w
'85年版のThe Interlinear Translation(JWの)にはそのうち12の箇所での写真が載せられています
ギリシャ語の中にヘブライ方形文字で神の名が混じっており、目立ちます
その他の写本が複数存在しているようです

> ユダヤ人全てがギリシア語が話せたわけでない。
>使徒行伝にギリシア語の信者とヘブライ語の信者の揉め事の記事がある。
しかし、イエスや新約の筆者その他はどうだったのでしょうか・・・というのが今の論点ではなかろうかと
551さんの意見がそれにも当てはまれば、それはそれで問題にしてよいかもですが
563名無しさん@1周年:02/12/29 00:50
>改宗者は、血や肉としてはギリシア人で、生活様式がユダヤ教徒になったもの。
言語として、がこれに含まれているギリシャ人であれば、ここでの話に合致します
生活様式がユダヤ教徒であれば、尚のことです
習慣として神殿や会堂を訪れるたびに、神の名を聞く機会があったはずですね

>>新約上の記述にも、そのような背景での伝道の記述があります
>どこにあるの?神の固有名詞は書かれていないはずだが。
あくまで背景上ですが、コルネリオやルデアなどはユダヤ人の神に通じていたはずです
(ここではJWの聖書では、エホバが使われています)

>>(ヘブライ文字の神の名の表記と似ているためという理由です)
>ヘブライ語は右左だが、ギリシア語は左右と読み方向が違うのだから、IPIPでないの?
ヘブライ語の知識が薄れていた状態で、その語句を(単語として)そのまま残していれば
ギリシャ人の常識的な考えとして左からIPIPと読んでも不思議ではないですね
ヒエロニムスも「一部の無知な人たち」の発音の解釈としてそれを挙げています

>>ギリシャ人にそう読めるヘブライ語文字を載せた書物が存在したようです
>なんと言う題名の本?
分かりませんが存在したはずですね、ヒエロニムスの著述からすれば。
もしかしたら、聖書(70人訳)もそうだったのかもしれません
そのほかにも神の名を残す書物があったのかもしれません
564名無しさん@1周年:02/12/29 00:57
ちょい訂正かな・・・傍目には分からんか?

○ ギリシャ人の常識的な考えとして左からIPIPと読んでも不思議ではないですね
× ギリシャ人の常識的な考えとして左からPIPIと読んでも不思議ではないですね
565名無しさん@1周年:02/12/29 07:10
>561
>545のヒエロニムスごろのPIPI記述なる文書うんぬんが臭い。

 いや、556 の言うとおりだ。
ヒエロニムスの頃としか書かれておらず、誰がPIPIと書いたかは疑問だ。
ヒエロニムスその人がPIPIと翻訳したという推論は成り立たない。
ヘブライ語からラテン語に翻訳した時期で、
ヘブライ語の読み方向の右左PIPIとラテン語の読み方向の左右IPIPと違っており、
ヘブライ語からギリシア語への翻訳の時期ではないので、捏造の説の可能性が高い。
 なぜなら、旧約聖書のギリシア語翻訳は、
紀元前3世紀(BC280−260)頃に出来ており、
ヒエロニムスは紀元後4世紀(301−400)年代の人物だから、
すでにヘブライ語からギリシア語に翻訳事業からは700年も経っている。
 ヒエロニムスは「ヘブライ語からラテン語」に翻訳しており、
著作でシリア語やカルデア語やサマリア語やアラビア語についての解説を、
ラテン語でしている。
 字形についての解説は、楔形文字の系統(シリア・カルデア・サマリア)に対して、
音の個数や対応音を解説するのみであって、
文字の呼称である「アレフ」とか「ヌン」「ラメド」など「呼び」で記述している。
そしてギリシア語であれヘブライ語であれ、ラテン語には「意訳」で翻訳している。
「字形による文字の翻訳」はしていない。
566名無しさん@1周年:02/12/29 07:15
>565 
ちなみに「山上の垂訓」と言われる箇所を、
正教会のような「真福八端」の語でいうのは、ヒエロニムスの著作でもあります。
567名無しさん@1周年:02/12/29 08:03
>562 :名無しさん@1周年 :02/12/29 00:48
>Fouad 266号として知られるものはJWん中で有名みたいですね(w
>'85年版のThe Interlinear Translation(JWの)にはそのうち12の箇所での写真が載せられています
 手元に見えないので何ともいえませんが、どこで発見されたのでしょうか?
死海写本(1946年ごろ?)以降の「羊皮紙での発見だと解説」なら偽物の可能性大ですよ。
 死海写本が発見されてから、
ヘブライ語の中にフェニキア方形文字で神の名が混じって書かれているという、
「何々語に混じって特別文字が書かれてあるという発想」の知恵が付くわけですから。
 紀元前後は「羊皮紙」ですが、紀元後4世紀のヒエロニムスの頃はパピルスですよ。
古文書学してますか?用紙の種類と文字の記載方法からして「解説の時代背景」がヘン。
エホバの証人は怪しく妖しい。

>しかし、イエスや新約の筆者その他はどうだったのでしょうか・・・というのが今の論点ではなかろうかと
会堂(シナゴーグ)の巻物を取り出してイザヤ書を読んだのだから、どうもこうもないですよ。
@パウロやルカやヨハネ、Aペテロやマルコにレビ・マタイにユダにはありえないですね。
「主(@キュリオスAアドナイ)」としか「神(@テオAエロヒム)」を呼びませんから。
新約はギリシア語記述だから、
生活上の日常会話がAの人たちがアラム語会話でも、古文書としては@で記載されますがね。

@はギリシア語圏生まれのユダヤ人(パウロ)と異邦人(ルカ[シリア]ヨハネ[ギリシア])で、
Aはアラム語圏生まれのガリラヤ人。
ただマルコは、共通ギリシア語(コイネ・ギリシア語)が出来たので、
ギリシア語でペテロの死後にイエスの生前の語録(原マルコ福音書)を記述した。
568名無しさん@1周年:02/12/29 08:06
>563 :名無しさん@1周年 :02/12/29 00:50
>習慣として神殿や会堂を訪れるたびに、神の名を聞く機会があったはずですね
だからぁ、一般ユダヤ人は「アドナイ」か「エロヒム」としか唱えませんよ。
みだりに唱えるなと十戒にあり、年に一度しか唱えないのに、
割礼受けてユダヤ教徒にでもならない限りは聞く機会などない。
それにユダヤ教徒全員が年に一度唱えるのではなく、
ラビとか大祭司だけが伝授を受けて、元旦とかニサンの月の何日にとかヨム・キプールの日とか、
天皇の元旦の四方拝のように、年一回で皇居で自室で限られた人達だけの儀式だと、
聞く機会など絶対無い。日本人なのに四方拝の唱え文句に参加者を知っていますか?
何か特別の日の秘密発言を知らないのなら、外国人に聞く機会などありえない。

>あくまで背景上ですが、コルネリオやルデアなどはユダヤ人の神に通じていたはずです
単に会堂に出入りしていただけ。
日参で神社に出入りし神棚まつるアメリカ兵やハーフがいたにしても、
祝詞やお払いがドウいう意味か分かりやしないって。

>ヒエロニムスも「一部の無知な人たち」の発音の解釈としてそれを挙げています
今の書店に行けば一般人でも見れる聖書と違って、当時の写本は聖職者しか書庫から取り出せないし、
読める奴は師事して伝授なので写本の筆者は限られているから、ありえない。
ヘブライ語を知らずにヘブライ文字は読めないし、いく種類かある読み方や筆記方法を教わらないのに、
書庫に眠るテキストがなければ偽造だって出来ないですよ。
当時の羊皮紙は貴重であり、ギリシア語の哲学用語の知識も、すぐに飲み込めるものではない。

>そのほかにも神の名を残す書物があったのかもしれません
憶測と分かりました。
569名無しさん@1周年:02/12/29 08:20
 旧約預言書のダニエルの幻について、ギリシア哲学のイデアの世界の説明で、
金の塊、銀の塊、鉄や銅の塊のプラトンの理想国の解説を、
どなたか巨人に譬える話をご存知ありませんか?
 プラトンは理想国の身分階層の塊を、哲学者、軍人、農夫・職人に譬えています。
つまり哲人政治の国です。
人に譬えると霊の理性、魂の感情、肉の感覚と分類しています。
 アテネのポリスの民主政治で、
1人の祭司、1人の将軍、6人の裁判官という役割分担の9人の執政官とも違うようです。
570名無しさん@1周年:02/12/29 08:35
 考古学的に立証できるなら、済まなかった。と詫びれるけど、贋物くさい。
古物商の鑑定とか何か偽造でない証拠があるの、出典が論文集だか学究誌のようだから、
写本の発掘時期や発見解読チームの学者や学校の名前とか紹介があるんですかね。
 東北じゃ「津軽外三郡誌」や「石器捏造の発掘」を「正統」だと騒ぐ始末で、
青森の戸来(へらい)村?だかヘブライで、
復活後のイエスがワープして住んでいたと、マジ信じる奴いるからな。
総門谷とかいう小説を信じて、岩手の下閉郡がソロモン谷だと信じるくらいアホだぞ。
 東北は確かに(特に北・東北など)東京や大阪から見れば妖しく怪しい、
得体の知れない辺鄙(へんぴ)な地方かもしれないが、地元民にはバカ騒ぎにしか見えない。
 偽者のいかがわしいインドのヨガ行者の変態儀式で、解脱を得た。悟りの境地に達した。
儀式の伝授を受けた。くらいにしか見えないぞ。
 地元のインド人なら分かる詐欺ヨガ行者が相手で、参加者にカレーにドラック混ぜて、
儀式ごろに効いて来て幻覚が生じて、天国の幻が見えるだの、シバ神が降臨した。だの。
救いを見た。とか言っている類(たぐい)じゃないの。
571名無しさん@1周年:02/12/29 08:41
 世の中「珍しい記事で一般の学者が知らないから偉くなる」そんなウマイ話なんかないよ。
渋谷のアート・テナントで、バニースタイルとシャネルの香水と焼きソバかませられて、
詐欺絵(150万[売りつけられた値段]→10万[銀座の画廊の鑑定])の売りつけで、
引っかかったし。信じない。
 引っかかった方が悪いんだけどね。
若いネーちゃんに飢えていたからとか、女日照りだのでとか、もてないからとか、
情けない理由だが。
572名無しさん@1周年:02/12/29 08:52
自滅しましたね。ベルベルじんの知り合いさんは。
573名無しさん@1周年:02/12/29 08:53
この前は、誤爆カキコするし。
574名無しさん@1周年:02/12/29 08:54
得意の・・・カモ?とか言うネギ鴨オヤジだべ。
575名無しさん@1周年:02/12/29 13:57
脳梗塞とか言っていたよな たしか
576名無しさん@1周年:02/12/29 13:59
しゅっよデドコロが怪しいから
577名無しさん@1周年:02/12/29 14:01
>555 
× ・・・アルパ カイ ト オー ヘ アルケー カイ ト テロス。
○ ・・・アルパ カイ ト オー ヘー アルケー カイ ト テロス。
578名無しさん@1周年:02/12/29 14:21
>569 
× 1人の祭司、1人の将軍、6人の裁判官という役割分担の9人の執政官とも違うようです。
○ 1人の主席、1人の祭司、1人の将軍、6人の裁判官という役割分担の9人の支配者とも違うようです。

で、
 主席は筆頭アルコン、王であり祭司のアルコン・バシレウス、
軍事や外人事務のポレマルコス、裁判官は司法を扱うテスモテテス、
アルコンは第一人者・高官・支配者の意味。
のち民主制のポリスの政治は10人の将軍(ストラテゴス)に移行した。
 ドーリア人など西方方言のポリスでは、アルコンの語を用いず、
デミウルゴス(共同体の為の働き手・公共職人)という名称だった。
 新約聖書を書いたコイネ・ギリシア語([万国]共通ギリシア語)は、
アッティカ方言(東方方言)のギリシア語から派生。
579名無しさん@1周年:02/12/29 14:36
>>557
名詞と動詞は違うのでは?
580名無しさん@1周年:02/12/29 16:32
ヘブライ語の文法書を持ってないから分からないです。
581名無しさん@1周年:02/12/29 16:52
>>568
「神の名前を年に一度しか唱えない」とは、西暦1世紀第一四半期のガリラヤ地方のことですか?

会堂でイエスが御名を発音しなかったというのは、あなたの憶測ですね?


さて、祭司ゼカリヤとエリサベツに産まれた赤ちゃんの名付け親は、天使ガブリエルとありますが、

赤ちゃんの名前と、その意味を教えてくださいませんか?

あとその子と同名だったらしいイエスの知り合い数人を含め、それらをなんと発音して呼べば良かったのか、

無知なわたしに教えてくださいなm(__)m
582名無しさん@1周年:02/12/29 17:06
エリザベツの子はヨハネでしょ。
イエスが発音していないというより、聖書の記述では一言もイエスは神の名を口にしていないんです。
583名無しさん@1周年:02/12/29 17:08
あっ、俺582は別人ね。
584名無しさん@1周年:02/12/29 17:09
>>582 ありがとうございます!
えっと、「ヨハネ」という名前の、意味も教えてくださいませんか?
585名無しさん@1周年:02/12/29 17:40
>>582
普通に考えると、「私の父」とか「父よ」ってのは、御名を口にするよりもっと「馴れ馴れしい」んじゃないですか?
イエスは、その言い方によって言うべきだったでしょ?「子」なんだから。

お聞きしますが、イエスが自分のことを「イエス」と呼んだのは何回ですか?

「みだりに口にするな」という言葉にイエスが制約されているのなら、なぜ神に向かって公に「私の父」とか「父よ」と言いますか?
「父」と呼んだ件で訴えられてますが。

イエスやパウロによれば、養子縁組によって兄弟たちは「父と結ばれる」そうですが、同じことが言えませんか?
586名無しさん@1周年:02/12/29 17:44
>581 :名無しさん@1周年 :02/12/29 16:52
>会堂でイエスが御名を発音しなかったというのは、あなたの憶測ですね?

 福音書に書かれていません。聖書は信仰の唯一の基準でしょうか?
カトリックや正教会のように聖職者決定など教会の決定を尊重するのでしょうか?
 死海文書はカトリックやイギリスの学者が、主導権を握っていましたし、
シナイの修道院から発見された巻物であれ、
死海文書もベドウィンの盗賊まがいの依頼品に対して、
正教圏の聖職者(シリア正教の主教)の「古物商なみの」判断がきっかけで、
発掘物を本物と断定しているのです。
 死海文書のファイルが盗まれて論文盗作があったのどうの云々にせよ、
中東の正教会が渋々代々秘宝の写本を公開するに踏み切ったにせよ、
伝統教会の聖職者の判断力がなければ成立しない代物ばかりですが。
 だから出典として聖書や論文集の文責を載せもしないでカキコしたから、
推測と極論した。ウザイとか小難しいとか感情の問題ではない。
587名無しさん@1周年:02/12/29 17:47
>584 
「ヨハネ」の意味は「主は恵み深い」ですよ。
588名無しさん@1周年:02/12/29 17:52
>>586
長文お疲れ様です。

よろしければ、他の581の質問にも答えてやってください。
「ヨハネ」なる名前の発音と意味、できれば581の言う西暦1世紀第一四半期ごろのガリラヤ地方の民的にはどうかを。

まったく教えて君で申し訳ない、ですんで短いレスで結構ですよ。
589名無しさん@1周年:02/12/29 17:55
>585 
「父」と呼ぶことよりも、自分を「神」とする態度を「冒涜」とみなされたのですよね。

新約聖書「最高法院で裁判を受ける」マタイ26:57−68 マルコ14:53−65 
ルカ22:54−55、63−71 ヨハネ18:13−14、19−24 
590名無しさん@1周年:02/12/29 17:55
>>587 ありがとうです!!

でも変ですねえ、「主」なんて入ってませんし、発音もかなり違いますよ?

うーん、どこが、「主」に当たるのかなあ・・・
591名無しさん@1周年:02/12/29 18:00
>>589
イエスがそう主張したんですか?
「父よ」と言っているのを聞いた人の推測ですか?

後者なら、やはり「父よ」と言ったから、訴えられたんですね。
592名無しさん@1周年:02/12/29 18:04
>590
読んでのとおり「アドナイ(主)」はないですよ。
ヘブライ語などの伸ばし音やアクセントは問いませんよ。日本語訛りで結構。
で「恵み」を与えるのは「神」とか「主」が前提ですから。
「インマヌエル」の意味にもいえますが。
593名無しさん@1周年:02/12/29 18:07
>589
やはり、「父」と呼んだから、みたいですが。

告発者が、それを歪んだ推論で「自分を神とした」と訴えたんですね。イエス憎しのあまり。

わたしとしては、やはり告発者の推論は虚偽であり、イエスは虚偽の罪で訴えられている、と思うんですけど。
594名無しさん@1周年:02/12/29 18:07
>591
いえ。
「メシアとか神の子か」と問われて「神の右に座す」などと答えたからさ。
つまり「私は神様ですよ」って間接的に言ったので有罪になったんです。
595名無しさん@1周年:02/12/29 18:13
>588 
意味は587で、592の理由。ガリラヤとサマリヤは殺し合いをよくやった。
エルサレムにガリラヤ人は巡礼に行った。
サマリヤは妨害し小規模戦争(小競り合いとか暴動)をよく起こした。
総督ピラトは属州ユダヤの民は治め難いタミだと憤慨していた。
ローマ人の為政者の通常の言い訳は、
ユダヤ人の間の言葉の問題とか儀式習慣の揉め事は、
ローマ法では分からないから勝手に致せ。という対応が慣習だった。
596名無しさん@1周年:02/12/29 18:14
>>592さん、しばらく様子を見ていましたが、はっきり言いますね。ヨハネは「御名+恵み云々」ですよ。「主」なんて入っていません。


ではそれを、
友人たち、祭司である父、名付けた天使はどう呼んでいましたか?

新約聖書からでもいいですよ。
597名無しさん@1周年:02/12/29 18:15
>595 キリスト教の概要の本とかプリニウスの本とかユダヤ戦記から。
598名無しさん@1周年:02/12/29 18:24
>>596に正直に答えると、神の固有名詞を現地の人はたくさん口にしていたことが分かりますよね。

てか、なんで認めないの?他に人名か何か、いくつか挙げましょうか?
599名無しさん@1周年:02/12/29 18:24
>596
カキコ口調がきついもんだから感情的に成るのは分からんでもないが、
ヘブライ語辞典からひっぱてきて、解説したくないのが心情だ。
ユダヤ人に睨まれては、かなわんし。
「名前」は「シェム」。天使であれ祭司であれ偉い方には「エル(神)」をつけた。
モーセは「エル・モッシェ」。
600名無しさん@1周年:02/12/29 18:28
>>599
いえいえ。気づかいなく。
べつに「ヨハネ」じゃなくてもいいんですよ。
同じ質問ができる名前がいくつかありますから。
601名無しさん@1周年:02/12/29 18:28
>598 
 カミの固有名詞と、人名と異教の神の名と、ごった煮なんでしょうか。
何を感情的にカキコなんだか分らないですが。
エル−サレム、エルーシャッダイ、イスラ−エル。。。
602名無しさん@1周年:02/12/29 18:29
アブーラハム、アブーネル。
603名無しさん@1周年:02/12/29 18:32
サマ−エル。ガブリ−エル。ミカ−エル。ラファ−エル。ウリ−エル。
アシュタロテの配偶神は、バールとも言われますが「エル」呼ばわりでした。
604名無しさん@1周年:02/12/29 18:32
>>601いやはやどうも。

関係ない話で腰を折られるのが、少し面倒臭くなったんですよ。

それで単刀直入にしましたです。
605名無しさん@1周年:02/12/29 18:34
エリ-ヤもエリ-シャも。エリ・エリ・レマもエロイ・エロイ・ラマも。
606名無しさん@1周年:02/12/29 18:41
>604 ええ、わかっていただければ。
ソウカなど反キリスト教側が粋がって、
クリスチャンを馬鹿にする道具を与えたくなかったんです。
607名無しさん@1周年:02/12/29 18:46
エル(またはエリ)付は名称は、神の固有名詞でないですよ。
もし冒涜なら、英語でイエス(ある・存在する)と言う奴は石打の刑。
日本人でエリ(神)ちゃんという名をつけた親も子も石打の刑。
ほとんど世の中から人が消えますよ。
608名無しさん@1周年:02/12/29 18:49
ハーヤーがヤハウェの原形の名詞だか動詞なら、
日本人のハヤ-サカさんや、ハヤ-シさん、コ-バヤ-シ、ハヤ-カワさんも皆殺しですよ。
得意の聖絶ですか???
ジェノサイドやめてください。
609名無しさん@1周年:02/12/29 18:50
タリバンじゃあるまいし。
610名無しさん@1周年:02/12/29 18:59
ワラタ。
611もとぴ:02/12/29 19:31
本日は、お魚つり、、、ではなく、いろいろ仕事してました。
んで、、 アッという間に、押し流されて。。。
とりあえず印刷して、ゆっくりと読んで、ゆっくりと考えます。

543 わけあってさん。 また何かありましたら、質問をカキコしてください。

>553
>>549の「  」には、アルケーが入ります。
> その意味に相応しく、「初め」と訳されています。
> さて、それならなぜ、3.14のアルケーは「根源」なのでしょうか?
> 訳語を一致させると、何か不都合があるからですか?

・・ 黙示録3:14の【アルケー】について ・・
「神に造られたものの【根源】である方」 (新改訳)
「神の造り給ふものの【本源】たる者」  (文語訳)
「神に創造された万物の【源】である方」 (新共同訳)
「神の被造物の【起源 <始め <作者> 】である方」(詳訳)

「アルケー」は、新約聖書であちらこちらに用いられている語です。
。。。ことばには、その国の文化があるからね、
翻訳は、あなたの考えるような単純なものではないと思うよ。
612名無しさん@1周年:02/12/29 22:28
教会の始まりはペンテコステ。教会決定から正典聖書が選抜された。
613名無しさん@1周年:02/12/29 22:33
 アルケーの神の固有名詞を唱えないと天国に入れないのか?
主よ主よと呼ばわるものが神の国に入るのではなく、御心を行うものが入るのでないのか?
固有名詞を呼ぶことが信仰義認なのか?
614有/無:02/12/29 23:53
神の名にこだわったところでキリストを知ることはできません。
神の本質を考えれば分かることです。
神の本質は言葉で発音するような単語ではないからです。
律法が何であったかを思い出して下さい。
主が結局何を言いたかったのかを考えてください。
神の子とは如何なる者なのかを考えてください。
615名無しさん@1周年:02/12/29 23:54
もとぴさん、私は三位一体を信じていませんが、
そんな私にも抵抗なく読める聖書はありませんかね?
616有/無:02/12/30 00:28
そんなものありませんよ。聖書は一つです。ですが、三位一体を採らない解釈(単性論)は存在します。
しかし、神のことを知るのに、三位一体は必須ですよ。
617名無しさん@1周年:02/12/30 01:16
いや、その単性論って奴でいいので。
618名無しさん@1周年:02/12/30 06:54
>>611
お疲れ様でした。

えと、おっしゃることはわかります。

わ・か・っ・て・る・か・ら、

同じ黙示録から引き合いに出しましたが?

3.14で問題なのは、ここで「根源」と訳してしまうと、本文を読まなければ受け取る意味が逆になってしまいかねませんよね?
アルケーは、「初め」が本義じゃないんですか?
だったら、「初め」を言い換えて意味の通る場所かどうか、まずそれを考えるべきでは?


ところで漢字の「元」、「はじめ」とも読みます。日本語の「はじめ」も「本源」を拡張語義では持つからでしょう。これを外語に訳すときに比較できます。
619名無しさん@1周年:02/12/30 11:06
本文を読まなければって・・・?(W
620名無しさん@1周年:02/12/30 11:20
621名無しさん@1周年:02/12/30 11:39
>>616-618
これを、どう考えますか?
ここの「わたし」とは、キリストのことですよね?

「主は、その道の初めにわたしを造られた。いにしえの御業になお、先立って」箴言8.22(新共同訳)
622有/無:02/12/30 11:48
>>621
はい。キリストのことです。
623名無しさん@1周年:02/12/30 12:10
>>622ありがとう。
と、すると、ここの「初め」に当たるギリシャ語翻訳での語って、なんなんでしょうね。


ちがうところなんですが、新共同訳のマタイ11.12「奪い取ろうとしている」に相当するギリシヤ語、αρπαζουσινと、
同じくフィリピ2.6「固執(している)」に相当している語、αρπαγμονは、
訳文では意味が逆になっているように思えるのですが。訳し方がおかしくないですか?
624有/無:02/12/30 13:01
私はギリシャ語は分かりませんが、その箇所は両方とも同じ対象に向けて書かれたものです。
奪い取っている者とは神の座にすわって神の国の鍵を取り上げている者のことを言っており、
固執するとは自分達こそ正しいと考えていることを言っているのです。
文脈を読めば同じ意味で書かれていることが分かると思います。
625有/無:02/12/30 13:24
>>617
アリウス派についてしらべれば、よいと思います。
あなたが人間であるということも忘れないでください。 
人間の見方からでは神の国の奥義を悟ることはできません。
626有/無:02/12/30 14:18
>>625の訂正。
人間的な視点からでは神の奥義を理解できないことを覚えておいてください。
>623 :名無しさん@1周年 :02/12/30 12:10
>訳文では意味が逆になっているように思えるのですが。訳し方がおかしくないですか?

ΚΑΤΑ ΜΑΘΘΑΙΟΝ 11:12 
・・・ και βιασται(大急ぎ)αρπαζουσιν(奪取)αυτην(者、彼、彼女) 
αρπαζουσιν(聖書ギ語)奪い取る
αρπαζω(現代語)[他]つかむ、略奪する、捕らえる

ΠΡΟΣ ΦΙΛΙΠΠΗΣΙΟΥΣ 2:6
・・・ ουχ(でない) αρπαγμον(捕獲・固守) ηγησατο(考える・思う)
αρπαγμον(聖書ギ語)奪い去る 
− ηγεισθαι τι ある物を獲物として固守すべきものと考える
αρπαγη(現代語)[女]略奪

マタイ11:12 洗礼者ヨハネの時から今にいたるまで、天の国は激しく襲われている。
そして、激しく襲う者が、これを勝ち取っている。すべての預言者と律法とは、
ヨハネの時まで、来るべきものを預言したのである。
【フランシスコ会[聖書研究所]訳[注] 新約聖書】

フィリピ2:6 キリストは神の身でありながら、神としてのありかたに固執しようとはせず、
註【2】(3)・・・受肉後の神の子は、結局は十字架の死の後、
「父」によって「高め」られ(9節−復活、昇天、神の右に着座)、
「神としてのありかた」にもどられるのであるが、
そのようなありかたを自分の利益のために「固執」すべきものとは考えなかった。
神としてのキリストの栄光は、ヨハネ17:5で述べられている、
「世が造られる前から」「父」のもとで「持っていたあの栄光」と解すことができよう。
【フランシスコ会[聖書研究所]訳[注] 新約聖書】
>627 つづき。

熱心党や革命家が、天国を略奪しようとして《天国は激しく襲われている》。
【新約聖書略解 日キ教】

《固守すべき事とは思わず》「獲物と思わず」が原意。
辛苦のすえ、ようやく仕止めた獲物はたいせつな宝であるゆえ、どんなことがあっても奪われまい、
手放すまいとする。キリストは、ご自身が本来持っていられる「神と等しくあること」を、
是が非でも手放すまいとはされなかったの意。
【新約聖書略解 日キ教】

アンティパスによって捕らえられて後イエスの介入を期待していたのに、
一向に動く気配がないので不安になったのかもしれない。・・・
しかし、文脈はヨハネの投獄やイエスに対する反対であるから、受身ととり、
到来した神の国に対する暴力的な反対を述べていると見たほうがよい。
【実用聖書注解 いのちのことば社】

〈捨てることができない〉(6)([ギ]ハルパグモン)は非常に難しい語である・・・
【実用聖書注解 いのちのことば社】

以前は、いのちのことば社が良いと言ったが、日本基督教団の注釈の方がいいかも。。。
>614 全くその通りだと思います。
630わけあって:02/12/30 20:41
>546〜548 ありがとうございます。
>611 また何かありましたら、質問をカキコしてください。
そういってくださると本当にありがたいです。
実は彼女が二世で、本人はやめたとのことなんですが、なんかまだ、信じてるみたいなとこがあって、
エホ証がおかしいとは思っているのですが、批判するにはちゃんと調べてからと思って研究生してます。
 魚釣りは、海ですか? 池、川ですか? 
なんかクリスチャンて、キャッチ&リリースってイメージですが、どうなんでしょうか。
 では、多分、また質問しますので、よろしくお願いします。
631名無しさん@1周年:02/12/30 21:00
>>565
>ヒエロニムスの頃としか書かれておらず、誰がPIPIと書いたかは疑問だ。
>ヒエロニムスその人がPIPIと翻訳したという推論は成り立たない。・・・

ここではウルガタの翻訳作業のことを論点にしているんではないです
当時のギリシャ語の書物の中に、神の名を読み取れる文字は存在したのか、です
>>544-545を再度見直してください

PIPIとのべるギリシャ語書物のことはヒエロニムスの著した中ではっきりと書かれています
(サムエル記と列王記の序文、および彼の手紙による)
ただし聖書のことかどうかは分かりません
632名無しさん@1周年:02/12/30 21:03
>>567
> 手元に見えないので何ともいえませんが、どこで発見されたのでしょうか?
>死海写本(1946年ごろ?)以降の「羊皮紙での発見だと解説」なら偽物の可能性大ですよ。
公開されたのは1944年です。現在カイロに所蔵されています
P.Fouadと呼ばれている通り、ベラムではなくパピルス写本として重要視されるものの一つです

>会堂(シナゴーグ)の巻物を取り出してイザヤ書を読んだのだから、どうもこうもないですよ。

会堂の巻物の多くがヘブライ語のものであれば、
70人訳の場合よりも神の名に遭遇していた可能性はずっと高くなります
パウロなどはコイネーを含め、多言語に通じていたものと思われます
恐らく70人訳をも読むことができ、そこから引用できる立場だったでしょう
また、ミシュナには、旧約でなされたように神の名を挨拶に入れることを述べる文があります

>有/無さん
神は被造物の多くに名前をつけていますから、名前そのものは大切だと思います
神の名の発音の詳細については>614で仰るとおりかと思いますし
証人たちも同じく説明する箇所があります
しかしその名そのものは、少なくとも旧約からは、削除すべきではありません
「メシア」と「イエス」が別々に訳されるように(モーセもメシアと呼ばれる)、
「主」と「エホバ、ヤハウェ」の意味する本質は全く異なるからです
>630 面白い人ですね。

 プロテスタントの「教理」なら、ウエストミンスター信仰基準ですよ。
日本の英語で分かろうとする英米派のプロテスタントなら。
改革派の主流のバプテストもメソジストも長老改革も英米派。
 それがやだったらドイツ志向でルーテル教会にして、
アウグスブルクや和協を勉強せにゃ成らんですけど。
 それ以外は、基本的に教祖の願望とフィクション正典に歴史捏造の、
外道で邪教な異端ですから。
 たとえば、モルモン教のトンミム云々エジプトやインディアンのモロナイなど、
歴史小説を、史実や発掘による秘教に仕立て上げる、詐欺教理ぶりですから。

 統一協会(カトリックは異端でなく異教徒に認定)の二世は、
信者として食口(シック)呼ばわりで、クリスチャン呼ばわり出来ないのですから。
同じ二世として同病相憐れむ同情心があるんですかね。

 信者の頭数的には、プロテスタントの各派より多いです。
プロテスタントの総数は約30万なのに、
エホ証は約22万というのですから勢力はあります。
カトリックでも約45万ですから。
ソウカは約812万世帯ですから4人家族として計算しても、
約3248万人いる事になりますが、
キリスト教徒総数の約90万に比べ物になりませんが。
でもソウカ正会員(A票学会員、B票学会員)のみならず、
選挙投票協力や聖教新聞購読協力やポスター貼りや韓国謝罪講演参加など協力会員、
F活動という、された本人(学会員でない)に自覚のない、F学会員を、
併せた世帯数だとは思いますけど。
634名無しさん@1周年:02/12/30 21:19
>>627
問題は、「奪い去る」という意味の単語に「固守する」という意味を付してあることですよ。

別スレで書いたことをもう一度書きますよ。

城を「奪取する」と
城を「固守する」。

↑意味がまったく逆なのですよ。言えることは、「固守する」などという意味がパルパグモンには無いこと。
しかも、概念が反対で拡張しようがありません。

なぜ、このような歪んだ訳出をする必要がフィリピ2.6にあるのですか?

あるとすれば、イエスが「神の立場を固守」する主体であるとの、概念の捏造のため、ではありませんか?

訳出が「難しい」とは、いやはや。
 日本人全体(約2億)の15パーセント強(約3千万)の人口比だから、
ソウカの勢力は、かなり危険極まりない。
 それに対するキリスト教の勢力(約90万)は、0.5パーセント弱の人口比。
キリスト教というよりもアメリカ軍の平和や英語教育に、
フランス・イタリアの料理やファッションで、保っているようなもの。
636名無しさん@1周年:02/12/30 21:35
訂正
>PIPIとのべるギリシャ語書物のことはヒエロニムスの著した中ではっきりと書かれています
>PIPIと読まれるギリシャ語書物のことはヒエロニムスの著した中ではっきりと書かれています
他にも何かあれば、年明けてからです
637名無しさん@1周年:02/12/30 21:43
>>620を見て頂くと書いてありますように、

福音書の成立に関して長らく軽視されてきた、使徒後教父の証言を再評価できるとの論文が相次いで発表されているようです。
つまり、マタイの福音書が、西暦41年頃の成立かはともかく最初の福音書である可能性は高い、と。

いかがでしょうか。
>631 :名無しさん@1周年 :02/12/30 21:00
>当時のギリシャ語の書物の中に、神の名を読み取れる文字は存在したのか、です
ごもっともです。

>PIPIとのべるギリシャ語書物のことはヒエロニムスの著した中ではっきりと書かれています
>(サムエル記と列王記の序文、および彼の手紙による)
これは私の入手して読める範囲でないので、分かりました。としかいえません。
市販(ジュンク堂や丸善などの書店の棚に出ている)で手に入る限りでは、分かりえないです。
>632 :名無しさん@1周年 :02/12/30 21:03
>公開されたのは1944年です。現在カイロに所蔵されています
>P.Fouadと呼ばれている通り、ベラムではなくパピルス写本として重要視されるものの一つです
有難うございます。疑って済みません。

>70人訳の場合よりも神の名に遭遇していた可能性はずっと高くなります
 いえ、これは有りえません。
有/無サンのいう、今でもユダヤ教で年一度の儀式に発音するが、
写本には母音のつかない神聖四文字で記述が筆記の伝統なら、遭遇はありようがないです。
仏教でも真言があり漢訳仏典でも音写の当て字で記載し、
梵字を漢字の仏典に混ぜて記載する場合があるからです。
 でも読みは一般の漢字読みと違い、師匠なる大僧正とかアジャリからでないと伝授されないから、
一般人が盗んで書き写しても読めない。また読みの順番が違うとか、
記載はあるが読まずに飛ばして次の章を読み始める(ブクヨウニジュウと呼ぶ)または、
読み順の章が逆になるなどの特別ルールが、
伝授内容の秘伝(口伝、書き物に残してはいけない掟)にはあるのです。

>パウロなどはコイネーを含め、多言語に通じていたものと思われます
いえ、ラテン語やコプト(エジプト)語やカルデア(バビロン)語は、ありうらないでしょう。
パウロ書簡に、その系統の語は寡聞にして読めてないです。
グノーシスの用語(シリア語(アラム語?)やエジプトの借用語が入る)を通してなら、
考えられますが。

>また、ミシュナには、旧約でなされたように神の名を挨拶に入れることを述べる文があります
そうですか。ユダヤ教は勉強してないもので。有難うございます。
>634 :名無しさん@1周年 :02/12/30 21:19

こじつけですが、>城を「奪取する」と(ハルパ-ゾーシン)
>城を「固守する」。(ハルパ-グモン)は、語が正確には同一ではないです。

「ハルパ-なんちゃら」は「捕らえ放さない」「獲物を保管する」の意味(意訳)ですよね。
マタイ伝の言う、神の国は、神の子イエスの国。
ピリピ書の言う、神の栄光は、神の子イエスの栄光。
これを選ばれた民の間で保管する、死守する。ということですよ。
奪取するのは、ヘロデ・アンティパスとか熱心党(ゼロテ・シカリ[短刀暗殺])や革命家などの、
選ばれた民の敵から、イエスの教えの国・イエスの御言葉(ロゴス)の国を、死守する事ですよ。

>あるとすれば、イエスが「神の立場を固守」する主体であるとの、概念の捏造のため、ではありませんか?
捏造でなく、日本語翻訳や既存の辞書の「奪取を妥当とした」説明が下手なんでは。
「ハルパ−語尾変化」は、大約が「捕らえ放さない(保守・死守)」ですよね。
>637 :名無しさん@1周年 :02/12/30 21:43

マタイ伝に限らず、トマス伝も古いのでしょう。
一説にはQ資料や原マルコ伝のように、一種のイエス語録(ロギア)で成立していたそうで。
トマス伝は外典ですが、一般のヴァレンティノス・グノーシスとか、バルベロ・グノーシスとか、
ナハシュ・グノーシスとも言えず、グノーシス系列に入れないようです。
というかグノーシス文書に分類しない。
>640 訂正。
奪取するのは、ヘロデ・アンティパスとか熱心党(ゼロテ・シカリ[短刀暗殺])[で、
これらの]革命家など[の]選ばれた民の敵から、
イエスの教えの国・イエスの御言葉(ロゴス)の国を、死守する事ですよ。

643名無しさん@1周年:02/12/30 23:22
>>642
ですから、訳から「捕らえる」の概念が消えているわけですよね。「奪い去る」という語義から「奪う」を省くなら、それはもはや伝えたい意味ではありません。
所有していないモノは、それを「奪う」過程を経てはじめて、「放さない」可能性が生じます。「捕える」が根で、付随して「放さない」。
城外にいる者は、《入城する》ことなくして、それを「固守」しえませんね。

マタイの解釈で、[熱心党(?)などから]王国を「固守する」などという意味は、読んだあと、文章から離れて想像する以外には存在しませんが。
能動的な語感に添い「しっかり捕らえる」でしょ。
>643

マタイの場合は、反ローマの熱心党やヘロデ・アンティパスの王党から「神の国」を「奪われまい」とした。
ピリピの場合は、主イエスは人間となって誕生し「神の栄光」に「心、奪われな」かった。

「城を守る」譬えに捉われないですが、本来は獲物を確保して置くが原意だと書いてあるし。
獲物に対応するのが「神の国」や「神の栄光」であって、
一方は「奪われまい(熱心党や王党からエルサレムを守る)」とする。
一方は「奪われてよい(神を捨て受肉で人となる)、後で取り戻す(神の右に座す)」とする。

 同じ単語なのに意味が反対なのではなく、
ピリピには「αρπαγμον(ハルパグモン)」の前に否定語「ουχ(でない)」が付いてあるから、
当然「意味が逆」なのは当たり前。
>644 補足。

「否定語が前にあるから意味が逆」と一言で答えなかったのが、
悪いといえば悪かったんだけどね。
>644 さらなる補足。

それと受動態と能動態で違うだろう、とのお話ですが、
ハルパ-以下変化形。と申しました。

城には入場しないといけません。能動。城に入った後には受身です。受動。
神の国(エルサレム)には入場しないといけません。神の国に入ったら守るわけです。
神の国(パラダイス)から出て、人の世界に降りて来ないと神の子の役割は果たせません。
そして復活し昇天し神の右に座すために、神の子は神の国に入場して行くわけです。
647名無しさん@1周年:02/12/31 12:14
〉ろんぎぬす氏
エホ証信者の発言は鵜呑みにしない方がいいよ。
聖書も改竄しているぐらいだから。
彼らが神から受けた真理と称するものも何度も変更しているし。
氏に言ったことも明日になれば変わっているかも知れない。
648名無しさん@1周年:02/12/31 13:33
>>646
マタイ11.12も、天の国を「攻め取っている」主体について、翻訳によっては反対に読めます。でもこれは別問題ですね。

フィリピ2.6の「奪い取る」のあとに「〜とは思わず」と続くことは、「奪い取る」そのものについての意味を論じる際には、何ら関わりがないでしょう?
その部分は単なる言い回しの違いだから、問題にする理由が無い。

さて、「ハルパ+変化形」の用いられている新約中の例です。
マタイ13.19「奪い取る」,ヨハネ10.12「奪い」・28-29「奪う」,使徒23.10「力づくで助けだし」,ユダ23「引き出して」。

いかがです?
>647 
 いやぁ、どうも忠告有難う。カイロ所蔵云々の改竄(かいざん)は有り得る。

>648 
 いえ、「奪う」は「強いる」「強引に」の意味合い、と解釈しています。
本来は、ほったらかしていればソウいう結果にはならなかったが、
強いて行為をした結果、
守った(自分のものにしつづけた)奪った(自分のものとした)なんですよ。
 神の国は、求めよさらば与えられん。だから、
ほっておけば、手に入らないし、天国には行けない。
 また、キリスト教の神からしてみれば、
人間は原罪(宗教的道徳的罪)も一般の法律の罪も、一生のうちで償えた物でないから、
陰府や地獄に行くものと定められている。という考えです。
そこで十字架による贖(あがな)い償い[つまり神による原罪の賠償]と、
古き人を捨て古き人を死なせた十字架を信じる信仰が、
キリスト教における人間の救いの考え方です。
 善き者は神しかいない。という主イエスの御言葉からして、
またパウロの説くように、義人はいない一人もいない全て迷い出でて悟らない。が、
一般のキリストを信じない、罪深き人間の生き様なんです。
>649 つづき。

 そして、神の御言葉である聖書や教会の信徒の交わりを通して、
神を畏れ智慧を得て教訓や戒めとして、それらによって人生に生かしていくわけです。
>650 さらにつづき。

 教会(正教会)の礼拝(奉神礼)で唱える、
詩篇(聖詠)の51篇(50篇)で、我から聖霊(聖神)を取りあぐるなかれ。は、
聖霊の中で祈る信仰生活を意味し、神の御言葉(ロゴス)の智慧によって人生を生きる事なんです。
そしてパウロが説く、あなたの心にキリストの言葉を豊かに住まわせ生きていきなさい。とは、
まさに、その事を示しています。
652名無しさん@1周年:02/12/31 14:07
>>649
長文ご苦労さま。
しかし、関係ない話のようですな。648のレスには。
フィリピ2.6「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず」(新共同訳)
の「固執し」は、概念的に反対のハルパグモンを故意に誤訳しているのか、というのが本旨でしょう?

だから他の部分の訳出例を挙げていますね。


で、「奪い取る」と訳し直したら、今度は2.6の訳文自体が何か変なんですが、これはギリシャ語本文を照合しないといけませんね。
>652 
 本当は私は、あまり直訳に拘りたくないし、自分の解釈では誤訳だと認めてますよ。
ただ誤訳はいけない事なんだが、意味が通ればいい。って考えです。
 私の今までのカキコは、聖句の解説上、ギリシア語直訳と日本語の訳例を挙げ、
カトリックやプロテスタント諸派の注釈や解釈を挙げて、自己流に読解しただけなんです。
 解釈するの(解釈権・聖書の解説の権限)は、
本来は、教会の神父様や牧師様の礼拝説教や勉強会によればいい。というのが、
私のステータス(立場)です。
>653 補足。

× 本当は私は、あまり直訳に拘りたくないし、自分の解釈では誤訳だと認めてますよ。
○ 本当は私は、あまり直訳に拘りたくないし、自分の解釈では[固守の訳語は]誤訳だと認めてますよ。
>653−654 追加補正。

 というか、固守が略奪と違い誤訳というより、ハルパグモンを意訳したに近い。
日本語の聖句の文脈上、訳文がぎこちなく読みが変になるから。
656名無しさん@1周年:02/12/31 16:42
レスありがとうございます>>653-655

「奪い取る」に直して、しっくりこない(ように思える)のは、他の部分、具体的には「身分」という訳し方が理由かな、と思いますね。
よく分からないけど、2テモテ3.5の本文とその和訳など、参考になるでしょうか。
文脈では「身分」に相当する語が「信心」にかかってます。それで、

[信心を“装い”ながら]
“(εχοντεσ) μορφωσιν”

となってますね。


有名な語ですね。[成虫のモルフォ蝶の羽は光を反映して美しく装っています。幼虫がその姿に変態(メタモルフォーゼン)する際、形の劇的な変化が生じます]
657有/無:02/12/31 18:44
>>632
正当な神の名の発音を行なうことが出来なければ人間はどうなりますか?
ユダヤ人は神の名を使うことが、何を意味するかが分かっていたから、敢えて神の名を隠し、年一回だけ儀式の中で唱えるようにしたんです。
未熟な人類に神の名の意味するところを知らせれば如何なることが起きるかを知っていたんです。
でも、新約の時代に主ご自身が明らかにされましたけどね(発音のことではありません)。
幸いそのことを悟るのは極少数でしたし、いまも極少数ですね。
未成熟なものがその奥義を知れば全ての人に災いがもたらされるでしょう。
658もとぴ:02/12/31 19:21
>525 さん
> 寒いですが、今時期でも、何か釣りしてるんでしょうか・・・

>630 わけあって さん
> 魚釣りは、海ですか? 池、川ですか? 
> なんかクリスチャンて、キャッチ&リリースってイメージですが、どうなんでしょうか。

お魚釣りは、近くの池や川で、ヘラブナや鯉です。
子供の頃の遊びの延長のようなもので。。。
釣ったお魚は、家に持ち帰ると、妻に叱られますので、キャッチ&リリースです。
真冬にも、釣りに行きます。
サカナを釣っていると、心が休まるのです。
頭の中から、いろいろなこだわりが抜けていくようで。。
大人になっても、子供の頃のような遊びは必要と、私は、以前からそう思っています。

。。 自由に遊ぶことを許されない子供は、かわいそうです。
659もとぴ:02/12/31 19:24
私は、23才から33才まで、プロテスタントの教会に行っていました。(>>4
今から10年ほど前、私が、教会を離れた理由の一つは、
教会に行けば、行くほど、いろいろな「こだわり」にとらわれて、自分の心が傷んだからです。

信仰とは、何でしょうか。
牧師は、「神の愛」「キリストに対する信仰」を前提に、いろいろな「行い」や「従い」を要求しました。
そして、、 弱った人は ますます 弱り、、 教会を去っていきました。
それはもう、「新約時代の律法主義」であると思いました。
信仰は、行いによって完成するわけではないのに。(このことは、ガラテヤ3:3からもわかります)
。。 で、牧師と直に話し合ってみましたが、却下されました。
牧師の権威は、神に立てられた権威であると。。。 
牧師には、恵みに立って、メッセージを語って欲しいと、いつもそう思っていました。
クリスチャンが生み出されるのも、成長するのも、神の愛と キリストの恵みによるのではないか!
キリスト教会は、コロサイ1:6のようであって欲しいと、願います。

。。 キリスト教会は、「良い麦」 と 「毒麦」 の、混在の歴史です。
神が蒔いた「良い麦」の中に、サタンによって「毒麦」が蒔かれ、
「両方とも育つまま」。 (マタイ13:24-30)

それでは、よいお年を。。!
660名無しさん@1周年:02/12/31 20:00
>656 :名無しさん@1周年 :02/12/31 16:42

「奪取」「固守」とは関係ないギリシア語ですが、ドウかなされましたか?

εχοντεσ[持つ・身に付ける]μορφωσιν[形作る・外見]ευσεβεια(敬虔な・信心[に導く])
身分証明:ταυτ-οτητα(ταυτ-ιζω:身元を確認する、階級:ταξη、立場:θεση か περισταση)
信心:ευσεβεια

「ハルパグモン(固守)」に関係が有りませんが???

聖職者は家庭を上手く治めなければ模範でありません。1テモテ3:9、12
自分が食べるために働きなさい。2テサロニケ3:12
661名無しさん@1周年:02/12/31 20:01
【 2テモテ3:2−5の面当てへ、咎め戒めに。。。その1。】

まるで創価学会が、頭破七分の曼荼羅への「信心」で、宗教法人を「装う」ような感じを受けました。
列王記だかに、後継ぎを城壁上で焼き殺し異教の神に祈って闘ったモアブの王がいた記憶があります。
ヘブライ人の軍勢は後継ぎを殺したので、引き上げました。モアブが滅ぶのが目に見えたからです。

列王記第2: 3:26 モアブの王は、戦いが自分に不利になっていくのを見て、
剣を使う者七百人を引き連れ、エドムの王のところに突き入ろうとしたが、果たさなかった。
3:27 そこで、彼は自分に代わって王となる長男をとり、
その子を城壁の上で全焼のいけにえとしてささげた。
このため、イスラエル人に対する大きな怒りが起こった。
それでイスラエル人は、そこから引き揚げて、自分の国へ帰って行った。

申命記:12:31 あなたの神、主に対して、このようにしてはならない。
彼らは、主が憎むあらゆる忌みきらうべきことを、その神々に行ない、
自分たちの息子、娘を自分たちの神々のために、火で焼くことさえしたのである。
13: 1 あなたがたのうちに預言者または夢見る者が現われ、あなたに何かのしるしや不思議を示し、
13: 2 あなたに告げたそのしるしと不思議が実現して、
「さあ、あなたが知らなかったほかの神々に従い、これに仕えよう。」と言っても、
13: 3 その預言者、夢見る者のことばに従ってはならない。
あなたがたの神、主は、あなたがたが心を尽くし、精神を尽くして、ほんとうに、あなたがたの神、
主を愛するかどうかを知るために、あなたがたを試みておられるからである。
13: 4 あなたがたの神、主に従って歩み、主を恐れなければならない。
主の命令を守り、御声に聞き従い、主に仕え、主にすがらなければならない。
662名無しさん@1周年:02/12/31 20:09
【 2テモテ3:2−5の面当てへ、咎め戒めに。。。その2。】

・・・金銭を愛し・・・傲慢で・・・「キリストの」神をアザケリ、
・・・「ヘボン博士のような方に」恩知らずで・・・「日本の貢献への」情けを知らず・・・
「キリストの神と」和解せず・・・・・・「キリストを求める者を」中傷し・・・
・・・節度が無く・・・残忍になり・・・・・・「神の前に」善を好まず・・・
・・・「キリストを信ずる」人を裏切り・・・「キリストへの」信心の力を否定するようになります。
<< こういう人々を避けなさい。 >>

はい、私は避けています。

「キリストの」神への信心を否定する、モアブの王のような、
終戦直後の日本人への追い剥ぎやジェノサイドや輪姦や拉致に鈍感な、
「アカやソウカなど」を避けています。
663もとぴ:02/12/31 22:02
>659 訂正
× 私は、23才から33才まで、プロテスタントの教会に行っていました。
○ 私は、21才から33才まで、プロテスタントの教会に行っていました。

「21才から」とワープロで入力して、その後で>4からコピペして、「21才」を削除して、、、
書き込んでしまいました。スマン。


>661-662さん。
むやみに他宗教を非難するのはやめてくれ。
創価学会とこのスレとは、何の関係もない。
664名無しさん@1周年:02/12/31 22:13
わからないレスっすねえ。

せめてこう訳すべきだと思う一つの例を挙げますね。あくまで一つの例です。

フィリピ2.6。
「キリストは、神の貌であったのだが、神と等しくある事を競望せず」

これを手持ちの訳と比べてくだされ。

なぜこだわる必要があるのか?
それは、補強したい概念に合わせて意味をすり替えてはいけないという、これは良い例だからです。

>>660 「固守する」という意味がハルパグモンには決して無いことを改めて指摘する以外に、
一つを除いて貴方に言うことはありません。つまり、

ちゃんと読んでレスなさいね。
>664
εχοντεσ[持つ・身に付ける]μορφωσιν[形作る・外見]と、ハルパグモン(奪取)は関係ない。

貌−競い−望む
身(外見・形作られた)−固守(奪取)−思う
問題ないと思うが???

ΠΡΟΣ ΦΙΛΙΠΠΗΣΙΟΥΣ 2:6
・・・ ουχ(でない) αρπαγμον(捕獲・固守) ηγησατο(考える・思う)
フィリピ2:6 キリストは神の身でありながら、神としてのありかたに固執しようとはせず、
【フランシスコ会[聖書研究所]訳[注] 新約聖書】

よいお年を。
あけましてオメデトウございます。

正月しょっぱなのギャグ的解説になるカモ。で、継続戦。

「顔」から「競う」を導く方が問題が大きい。
競うべき争う相手は無いから。神から人に変化だから。
ユダヤの神の顔(パナイ:旧約ヘブライ語−レニングラード写本)を想定すれば、
正教のイコンを思い浮かべて「貌」の意訳も一理あるが、
私は西方的に「み姿(外形)」だと思いますがね。
「獲物を守る(ネコ科の猛獣(多分ライオン)が獲物を抱えている姿の図)」が原意なら、
「固守」も、それなりの意訳ですがね。
>663
なら、紛失だか盗まれた日蓮の本や華厳経をドウしてくれる。
他宗を攻撃とは何か。
今日、正教会は元旦祈祷で、異教を滅ぼしと唱える。輔祭が。
ハイエナやオオカミの群れやカラスの群れに獲物を突付かれ横取り取られたんじゃ、
自分で獲物を捕らえたライオンも頭に来るだろうからね。
そういう意味での「奪取」や「固守」をイメージした。
ギリシア語はキリスト教以前からあったわけだし。
辞書もいろんな訳例を出さないと単語に意味を付加できない。
言語は生きていて日常または旅に出て人が見た感覚から単語が出来上がると思ってね。
>664 

ΠΡΟΣ ΦΙΛΙΠΠΗΣΙΟΥΣ 2:6
2:6 οσ(彼) εν(中に) μορψη(姿・外貌) θεου(神) 
υπαρχων(状態にある・手元にある・出て来る) 
ουχ(でない) αρπαγμον(奪い去って得たもの・獲物そのもの) 
ηγησατο([不過]思う・みなす・導く・統べる) 
το([冠]その) ει-ναι(もし〜ならば-実に・そのうえ) 
ισα(同等の・等しい) θεω(神 −がご覧になる・−の判断)

日本正教会翻訳 新約 フィリッピ書 第二章 
五 蓋 爾等はハリストスイイススの意を以て意とすべし。 
六 彼は神の像にして、神と匹(均)しくなることを僭(ひとごろ)ふとせざりき、
七 然れども己を虚しくして僕の貌(かたち)を受け人と同じき者と為りて、
外形に於て人の如くなり、

古代ギリシアの「僭主政治」の「僭」で「分限を越える・不相応な・名を騙る」の意味ですよ。
争うのでない、競うのでもない、「獲物の分際」なんです正教会解釈は。直訳ですよコレは。
この解釈って間違いかなぁ?

【 ろんぎぬすの私的直訳 】
2:6 彼は神より出でた姿の中にあって、[神が統べる]獲物と見なされず、その上に実に神に同等。

この場合の獲物は意味としては被造物です。意味通っているでしょ。
これでは、どの日本語訳も文全体が本当はおかしい。
>666 縁起悪い数字だよね。ネロ皇帝らしいけど。

× 競うべき争う相手は無いから。神から人に変化だから。
○ 競うべき争う相手は無いから。神から人[となり]だから。

サベリウス異端にされたくないから。主憐れめよ。三次 アミン。
671名無しさん@1周年:03/01/01 11:25
ロンギヌスさん、このスレ乗っ取った感があるね
いや、全くその通り。最初は、その気はなかったんだが、
リンク貼って自スレに誘導するのが面倒になって、つい。占領してしまった。
673名無しさん@1周年:03/01/01 12:48
スレ名の固定さんが忙しいんだし、まあ、しゃあないんかな。

>>665
例を変えましょう。無理無い感想を下に。

一、「王の身分でありながら、王と等しいことに固執せず」
文意は通りますな。

二、「王の身分でありながら、王と等しい事を競望せず」
すでに王の身分なのに、それを欲しがるのか?

三、「王の貌でありながら、王と等しいことに固執せず」
風貌にくわえて実質も王者なのか。でも謙遜なのね。

四、「王の貌でありながら、王と等しいことを競望せず」
王者の風貌の御方が、しかし王者になろうとはしないで、という事か。
ニと四は確かにヘンだ。
使徒パウロの言わんとした事は多分、三なんだろう。
一が新共同訳だから否定も出来んし、
この際のイチャモンは皆から「やめてけさいん」とか「やめてけらしぇ」と言われるしなぁ。
どっちの仙台弁(県北や県央・県南または山形が入る)も年配の方には通じます。
トーキョーの言葉だと「止めて下さい」の意味です。
675もとぴ:03/01/01 18:02


は つ へ の で 。。。 Pu

676もとぴ:03/01/01 18:07
年末年始は、仕事 。。。
やっと、パソコンの前に座って、とりあえず2ch。。。

>667

さっぱり、意味 わからん。
。。  チューハイ飲んで、テレビ見て 。。   寝よ 。。。
677もとぴ:03/01/01 18:36
675では、たいへん失礼しますた。

やっぱり正月は、
みなさん、あけましておめでとうございます
ですよね。
。。。「ふざけるなスレ23」からのコピペ

今年も、よろしく!!
678名無しさん@1周年:03/01/01 18:41
メッセージの聖母のメッセージ 2002年11月25日

「愛する子供たちよ!今日も、あなた方を回心に招きます。
あなた方の心を聖なる告解を通して神に明け渡し、
小さきイエズスがあなた方の心の中に新たに生まれるように
霊魂を準備なさい。
天主があなた方を変えて、平和と歓びの道を導かれますように。
小さき子供たちよ。こころを祈りに定めなさい。
特に、今のこの恵みの時代に、あなた方の心が、祈りに燃えますように。
私はあなた方に近く、あなた方全員のために、
神の御前で執り成しております。
呼びかけに応えてくれて、ありがとう。
679有/無:03/01/01 18:43
・・・・・・・・・・・・・。 
とにかく・・・・おめでとうございます。
680名無しさん@1周年:03/01/01 19:05
>>674 「貌」は、たしかに「形」、外見でよろしいでしょうね。

さて、「獲物を捕らえて離さない」はたしかに原意に沿うでしょうが、
意訳の「固守」では消えてしまう「捕らえる・奪う」があって成り立つ「放さない」ですね。snatchがよく似てますか。>>643

他の文章での例で、逆に「固守」を試してみます。
マタイ11.12「奪い取ろう」を「固守しよう」に。

「天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている」

「天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを固守しようとしている」

まあ、意味が逆になってしまいましたw
681有/無:03/01/01 19:39
私には意味が同じで通りますが。
奪い取っている者(ラビ達)が一般人達に奪われまいと固守している。
682有/無:03/01/01 19:44
つけたし。
襲っている者(ラビ達)が、本来神の国を受くべき一般人から奪い取ろうとしている。
683有/無:03/01/01 19:49
ここで、激しく襲う者とは、神の御言葉を告げ知らせ正しく解釈できるものは、私たちであると自負している者達です。
684有/無:03/01/01 19:59
逆にも読めそうなきがしてきますた。
685有/無:03/01/01 20:07
前後の文脈から、激しく襲う者はキリストに繋がる者と読めますね。
とすると、奪うのはラビ達から神の国の奥義を取り返しているキリストに繋がるものということになります。
686もとぴ:03/01/02 19:16
今日は、いつもより時間があったので、過去のカキコを比較的ゆっくりと読ませていただきました。
少し、レスを付けさせていただきます。

> 621 名無しさん@1周年 :02/12/30
> これを、どう考えますか?
> ここの「わたし」とは、キリストのことですよね?
> 「主は、その道の初めにわたしを造られた。いにしえの御業になお、先立って」箴言8.22(新共同訳)

> 622 有/無 :02/12/30
> はい。キリストのことです。

有/無さん。あなたは、神の三位一体性を信じているのなら、どうしてそのような解釈をするのですか?
〔箴言8.22〕
主は、その道の初めにわたしを造られた。いにしえの御業になお、先立って。  (新共同訳)
主は、その働きを始める前から、そのみわざの初めから、わたしを得ておられた。 (新改訳)
〔解釈〕
・「主」は、「YHWH」 すなわち 「父と 子(キリスト)と 聖霊」。
・「わたし」は、「知恵」を擬人化したもの。
神は、天地が創造される以前から、知恵を持っておられた。の意味
687もとぴ:03/01/02 19:18
> 545 名無しさん@1周年 :02/12/28 21:26
> 申命記(正典)のギリシャ語訳中に確認されているものがあります
「七十人訳に、神の御名が含まれていた」というのは、私は、事実であると思います。
(これは、あくまでも、「翻訳」の問題です)

> 632
> しかしその名そのものは、少なくとも旧約からは、削除すべきではありません
> 「メシア」と「イエス」が別々に訳されるように(モーセもメシアと呼ばれる)、
> 「主」と「エホバ、ヤハウェ」の意味する本質は全く異なるからです
たとえば、詩篇110:1の「YHWH」は、使徒2:34では、「キュリオス(主)」となっています。
詩篇110:1の「YHWH」と、使徒2:34の「キュリオス(主)」は、
「意味する本質は全く異なる」のでしょうか?
旧約聖書の「YHWH」を、「主」と訳すことは、新約聖書の示すところではないでしょうか?
(これは、結局のところ、「翻訳」の問題ではなく、「写本に対する信頼性」の問題です)
688もとぴ:03/01/02 19:21
(つづき)
神の御名が 旧約聖書のへブル語で記された のには、意味があると思います。
もし、御名を、人間が発音したり、用いることが大切であったのなら、
神は、子音と母音のある文字で、ご自分のお名前を記したと思います。
しかし、神の御名は、当時は子音文字しかなかった旧約聖書のへブル語本文に、記された。
そして、子音と母音のある新約聖書のギリシャ語本文には、ひとつも記されなかった
(現存する新約聖書の写本に御名が含まれていない、という事実は、エホ証組織も認めています。
14年ほど前の資料ですが。。。 「み名」 p26 )
この事実は、神の御名は 人間に示されているけれども、
人間が、神のお名前を発音することは、神のみこころではない、
ということではないでしょうか。
689有/無:03/01/02 19:43
>>686
そういえば、わたしを知恵と解釈しますね。
690有/無:03/01/02 19:57
確かに、そのようです。
エホ証に在籍時の癖なんですかね。
その神聖四文字をみだりにカキコする癖っていうのは。
読む時は、ヘブライ語でアドナイ、ギリシア語でキュリオス、日本語(漢字)で主。
神聖四文字が、父と子と聖霊って、旧約聖書のどこに記述がありますか。
新約聖書のどこに神聖四文字が、父と子と聖霊って書いてありますか。
誰の解釈です。辞書の解釈ですか。自己流ですか。

特に断りなければカッコ内(ギリシア語・ヘブライ語)として以下、
神(テオス[テオ・セオス・セオ]・エロヒム[エロヘハ・エロヘヘム])
モーセに言った言葉「私はある、在って在る者」(イエス[イェホシュア]・ハーヤー[ヨシュア])
神聖四文字(ヘブライ文字4語・ギリシア文字の対応4語に諸説あり・ローマ字4語)と、
主(キュリオス・アドナイ)と、
油注がれた者(キリスト・メシア)と、
救世主(ソーテール・???)とは、みな意味している所が違うと言っているでしょ。
>691

写本に対する信頼性でなく、翻訳に対する信頼性でもなく、
理解力に対する能力の問題でしょう。

三位一体の解釈もカトリックにも正教にもない、
神に順位付けなど、辞書から引っ張ってきて間違えているしぃ。
正教なら、@父からA子とA聖霊が同等に生まれ出ている。2も3もない。

__「→子
父→|
__→聖霊

カトリックは、父から「生まれた」子を「通して」聖霊が「出ている」が、
順位付けはしていない。
プロテスタントのドノ教派の解釈なわけですか???
「辞書を書いた先生」の「出身の神学校」や「所属教派」を書いて下さいよ。
で、キリスト教の教派がわかる本に照らしてあげるから。
>692

そうすれば、
聖公会系メソジスト教会(イングランド改革派寄りのアングリカン教会[聖公会])なのか、
改革派系バプテスト教会(イングランド改革派・オランダ改革派[アナバプテスト])なのか、
改革派系長老教会(オランダ改革派・スコットランド長老:ベルギー信条系)なのか、
カルバン直系の改革派教会(スイス改革派・ドイツ改革派:ジュネーヴ信条系)か、
大筋が分かるでしょ。

ちなみに、
フランス改革派[ユグノー派]とスペイン・ルーテル派とハイデルベルク・ドイツ改革派[ルーテル派でない]は、
宗教戦争[ドイツで皇帝派とルーテル派の和睦まで]と異端審問[スペイン・フランス]で、基本的に全滅していますから。
近代になってからアメリカから逆輸入ですよフランス・ドイツ・スペインの改革派は。
>693

カトリック教会(各国司教団・大司教区)や、
正教会(シリア正教会・ギリシア正教会(エジプト・イスラエル・キプロスのギリシア人主教の教会を含む)・
ブルガリア正教会・セルビア正教会・ルーマニア正教会・ロシア正教会など)と、
ルーテル派教会とアングリカン教会(聖公会)は、国別(諸侯別)なので、
改革派教会(長老教会と聖公会から分派を含む)と別解釈です。
もとぴサン、
@割礼受けてAユダヤ教徒になってBラビから神聖四文字を教えて貰えば。

一般のキリスト教徒は、
神聖四文字唱えないと昇天できないって教えられていないから、
知らなくて帰天・召天しようと(一般に死ぬとか御陀仏というが)一向に気にしませんよ。
主の祈りで父なる神へ祈り、祈りの結びに主キリスト・イエスの名を語り、
聖書を読んで感動して聖霊の中で祈るってのがプロテスタントですから。
696有/無:03/01/02 20:37
でも、やはり8章全体を読むとキリストを指しているようです。
8章12節は確かに知恵と書かれていますが、これは神のロゴスというべきでしょう。
この知恵は神の子キリストを知る事(ヨハネ17:3)を意味しています。
でなければ、あとの文章でわたしを見いだす者は命を見いだすとは書きません。
キリストを知ることなしにただの知恵によって命を得ることはないからです。
そして神は世の初めより「わたし」を神の隣に置いたとあります。
ヨハネの福音書に
初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。とある通りです。
697有/無:03/01/02 21:16
なお、このように解しても、三位一体を否定することにはなりません。
神は世の初めから父と子と聖霊のペルソナを持っておられました。
英訳聖書では8:22の箇所はThe Load possessed me in the biginning of his way,...とあります。
(新約は口語訳を使っていますが、旧約は新世界訳と英訳しか持っていません。新世界訳やエホ証教義は信用が置けないので使っていませんです。
旧約の引用については英訳によっています)
“possess”は「所有する」です。
私的には、三位一体のイメージは父の御胸のなかに子と聖霊がいるような感じなのですが。
698有/無:03/01/02 21:25
これだと微妙に三位一体が不明確ですね。
う〜ん……。
要は正統教理と同じものを言おうとしているのですが、言葉で言うのは難しいです。
上手く言えません。。。。。
>696 >686

箴言8:12 わたしは知恵。熟慮と共に住まい 知識と慎重さを備えている。
【 実用聖書注解 】
箴言22−31「キリストは神の力、神の知恵なのです」(Tコリ1:24)「主」「[ヘ]ヤハウェ」

【 新共同訳の引照箇所 】
ヨブ28:28 そして人間に言われた。「主を畏れ敬うこと、それが知恵、 悪を遠ざけること、それが分別」
詩篇104:24 主よ、御業はいかにおびただしいことか。
 あなたはすべてを知恵によって成し遂げられた。 地はお造りになったものに満ちている。
箴言3:19 主の知恵によって地の基は据えられ、 主の英知によって天は設けられた。
黙示録3:14 ラオディキアにある教会の天使にこう書き送れ。
 『アーメンである方、誠実で真実な証人、神に創造された万物の源である方が、次のように言われる。

【 フランシスコ会聖書研究所訳注 新約聖書 】
ヨハネの黙示録 注釈
【1】(11)・・・「神の創造した万物の源であるかた」。このキリストに関する概念については、
ヨハネ1:1〜5注(1)コロサイ1:15〜17、ヘブライ1:2、なお、格8:22〜31参照。
ヨハネによる福音書 注釈
【1】(1)創世記の創造物語も「初めに」という表現で始まっている(創1:1)。
この賛歌において、著者は意図的に同じ表現を用いて創造者としての「み言葉」の地位を示す。
万物が造られたとき、神と共に既に存在していた「み言葉」(ギリシア語で「ロゴス」)は、
神の独り子であるキリスト(1:14,18、3:16,18、一ヨハネ4:6)、
神の啓示者、また啓示そのものであるキリストを指す(12:45、14:9参照)。

旧・新両約聖書の書名および略名 
旧約聖書 教訓書 
・・・
詩篇・・・・・・・・・・詩
格言の書・・・・・・・・格 [一般にいう箴言]
コヘレト(伝道の書)・・コヘレト
・・・
>699
SAN JUDAS TADEO[IRIS 134 MADE IN ITALY]感謝いたします。

【 ギリシア語旧約聖書・現代ギリシャ語常用6000語・実用聖書注解 】
PROVERBS 8:22 κυριοσ(主 [男]主人・〜さん)
εκτισεν(造る・得て εκτ-ελω[他]行う・遂行する εκτ-ιμω[他]評価する・ほめる)
με(に [前]〜と共に) αρχην(初め αρχη[女]初め・起源)
οδων(道・みわざ οδ-οσ[女]通り οδ-ηγω[他]導く・運転する)
αυτου(わたし αυτο-σ -ο[代]彼・彼女・それ)
εισ(先立って・前から εισ-αγω[他]輸入する εισ-οδοσ[女]入口・入場)
εργα(働き εργα-ζομαι[中・受][自]働く εργα-σια[女]仕事)
αυτου(わたし αυτο-σ -ο[代]彼・彼女・それ)

【 カトリック要理 カトリック中央協議会 サンパウロ 】
第八課 父と子と聖霊・御子の受肉
36 父と子と聖霊(ヨハネ1・18)
・・・なお、父と子と聖霊は、唯一の神の本性を持っておられます。
(マルコ12・29)(マタイ28・19)
(ヨハネ20・17、マタイ3・17、5・45、26・39、ルカ23・46参照)
(マタイ11・27)(ヨハネ1・1−18、3・16、コロサイ1・15、
Uコリント4・4、フィリピ2・6−11、ヘブライ1・2−3参照)
(ヨハネ15・26、16・13−15)(Tコリント2・10、ローマ5・5参照)
(ヨハネ1・16−18、14・23、17・24参照)
37 ・・・教会は「栄唱」の祈りをもって、聖三位の神を礼拝しています。
38 御子の受肉(ルカ1・26−38参照)
39 ・・・「神の母」・・・(ガラテヤ4・4)(ルカ1・43参照)
(マタイ1・18−25、ルカ1・34−37参照)
(マタイ12・47,13・55参照)(ヨハネ19・27参照)(ルカ1・28、42参照)
天使祝詞(アヴェ・マリア)
40 『救いのみわざを記念する聖暦』
・・・「主日」と名づけた日(日曜日)に、主の復活を記念し、・・・祝い続けます。
(『典礼憲章』102参照)
701有/無:03/01/03 00:56
ろんぎぬすさん
わざわざありがとうございます。
私は新・旧外典の数冊と聖書しか持っていないので本当に助かります。
有/無、いえいえドウ致しまして。
スンません。敬称つけ忘れ。
有/無さん、いえいえドウ致しまして。
704名無しさん@1周年:03/01/03 14:50
>>639 ろんぎぬすさん

>今でもユダヤ教で年一度の儀式に発音するが、
>写本には母音のつかない神聖四文字で記述が筆記の伝統なら、遭遇はありようがないです。
ユダヤの神殿では年に一度の儀式だけではなく、
年中発音が使われていたようです(>>514

>>パウロなどはコイネーを含め、多言語に通じていたものと思われます
>いえ、ラテン語やコプト(エジプト)語やカルデア(バビロン)語は、ありうらないでしょう。
確定できませんが、ラテン語に通じていた可能性を示唆する考古学上の資料は存在します
ここでは少なくともヘブライ語とギリシャ語を挙げるだけで十分かもしれません

>もとぴさん
のんびりできて楽しそうですね
私は道具を一度揃えて、どこかの渓流でフライやってみたいです

>> 「主」と「エホバ、ヤハウェ」の意味する本質は全く異なるからです
>詩篇110:1の「YHWH」は、使徒2:34では、「キュリオス(主)」となっています。
>詩篇110:1の「YHWH」と、使徒2:34の「キュリオス(主)」は、
>「意味する本質は全く異なる」のでしょうか?
本質は異なります。ヘブライ語のYHWHとギリシャ語のキュリオスの主旨は語義として異なります
YHWHとキュリオスの語義上の差異は既出です。

使徒の句にある「主」は「私の主」と旧約では区別されています
その「私の主(YHWH)」の本質が、もしもイエスを含むか指すなら、
自分の右のに座る「主」はイエス以外のだれかになってしまいます
705山本誠一 ◆AD1P./8snQ :03/01/03 16:28
マルコ1:16から、弟子達の召命になっていますが、ヨハネ1:35からの内容と順序がことなります。

なんで、違っているんでしょうか?

マルコの福音書では、シモンとアンデレの次ぎに、ヨハネとヤコブが来ています。
でも、ヨハネ1章では、ヨハネからアンデレ、次ぎにシモンで、ピリポになって、ナタナエルとなっています。

「新約聖書注解 新約1」をみましたが、マルコの福音書とヨハネの福音書に、時間的なズレが
あってとかなんとかということですが、やはり上手くつながりません。
分かる人いますか?だれか教えて!
☆もとぴさんと一緒に聖書を解釈しよう☆
>704 :名無しさん@1周年 :03/01/03 14:50
>514 :「YHWH」 の訳語について :02/12/20 20:16
>630 :名無しさん@1周年 :02/12/20 09:39
>>また、イエスが、神の固有名詞として、〔神固有の名〕を発音して、人々に知らせたのであれば、
>>どうして、その発音が、再び失われることとなったのか? も、疑問。。。
 聖書が原語で読めたなら 大久保史彦 聖書語学同好会 印刷:紀伊国屋書店梅田店p57の、
先生や聞いた場所を記さない憶測が根拠なのだから「写本や翻訳の信用性」に当てはまらない。
ユダヤ教徒に友人がいる人の話の「名無しさん@1周年」さんや657「有/無」さんの方が、
机上の空論でないので、当然に正しい。

> イエスの時代、その発音はまだそれほど失われていなかったのかもしれません
>「神殿ではみ名を書かれている通りに発音した」とする外的な資料があります
 出典が不明で信用度なし。エホ証の憶測か?

>それは毎日行われていた慣例でした (ソター7:6,ミシュナ、ダンビー訳)
 シェマァの祈り(申命記6:4−5、マルコ12:29−30、マタイ22:34−40)は、
イスラエル国営放送が「毎日」流している。申命記6:7にもドコでも教えよと書かれている。
根拠はミルトス[ヘブライ文化研究所]の本の説明や旧約聖書カセットの発音。
カセットのシェマァの祈りでは神の固有名詞でなく「アドナイ(主)」としか発音しない。
十戒の神の御名をみだりに唱えるなと矛盾するから。
☆もとぴさんと一緒に聖書を解釈しよう☆
>704 :名無しさん@1周年 :03/01/03 14:50
>514 :「YHWH」 の訳語について :02/12/20 20:16
>630 :名無しさん@1周年 :02/12/20 09:39
>神殿に通う習慣を持つ一般人たちはその名の発音を意識しながら聞くことができたと思います
 私の体験から言って、双方の差別から異邦人(ゴイム)の居る所では、絶対に喋らない。
 千葉の或るJR駅前でも、
露天からダビデの星のペンダントを勧めてくれたが「シェマァ」と私が言うと、
途端に顔色が変わってイスラエルの事を言わなくなり、私が「ダビデ・・・スター?」というと、
「ダビデ?ダビド?ノウ! オウ、アハア、デービット・スター。」と言い換えた。
 また千葉の或るJRの駅を降りた英米人風白人男と日本女は、
私の持っていたペンダントとヘブライ語の本を横目で見て、
「ジュー」「ジュー」と言い腐って忌み嫌う雰囲気で、ペアで英語でコソコソ言っていた。

>旧約時代に発音されていたみ名も、その国民の中で失われましたから
 失った時期は書いていないだろう。大久保さんの本を鵜呑みにしない方がいい。

>キリスト教の中でも同じ事は再び生じ得ることと思います
 三位一体が教理である以上、絶対に生じない。
カトリック教会も正教会も伝統的なプロテスタント教会も、父と子と聖霊(聖神)を呼ぶのみ。
☆もとぴさんと一緒に聖書を解釈しよう☆
 余談だが、新興宗教マヒカリの「ス神」は「イエス(存在)」の「ス」の音に、
「主(しゅ)」と重ね合わせ、さらにヘブル文字YHを逆さにヘブル文字Sに見立て、
ユダヤの神の固有名詞を「ス」とする面当てとの憶測もある。(ワラ〜
「ヤァ」も「ハィ」も「ヘィ」も「イエス」も「ス神」並の、呼び面当てに聞こえる。
オウムの、ソン「ス」であるまいしに。。。何こだわって居るんだか。

>704 :名無しさん@1周年 :03/01/03 14:50
>確定できませんが、ラテン語に通じていた可能性を示唆する考古学上の資料は存在します
 出典が不明で信用度なし。エホ証の憶測か?

> その「私の主(YHWH)」の本質が、もしもイエスを含むか指すなら、
「主(アドナイ)」に変化形の単語があるのですか?初耳です。どこが出典ですか?
「神(エロヒム)」は、エロヘハ(あなたの神)エロヘヘム(あなた達の神)と変化しますが?
709参考まで(^^;:03/01/03 20:20
・ヨハネの名
ΙωαννεS(ヨハンネス) YWXNN(ヨハナン)のギリシア語音写
YWXNN YHWXNN(ヤホナン)に由来
YHWXNN YHWH(ヤハウェ「主」)+ XNN(ハナン「恵まれた」)
710参考まで(^^;:03/01/03 20:24
・フィリッピ2:6
οS εν μορφη θεου υπαρχων ουχ αρπαγμον ηγησατο το ειναι ισα θεω
〈私訳〉「彼は神の本性においてあるが、神と等しくあることを手放さないことと思わず」

οS 関係代名詞 οS の主格・単数・男性「彼は」
εν 前置詞「〜において」
μορφη 女性名詞 μορφη の与格・単数「本性、形」
 (7節の σχημα は外見的なことを指す)
θεου 男性名詞 θεοS の属格・単数「神」
υπαρχων 動詞 υπαρχω の能動・現在分詞・主格・単数・男性「〜である(=ειμι)」
ουχ 比定詞「〜ない」
 (構文的には αρπαγμον を修飾か?)
αρπαγμον 男性名詞 αρπαγμοS の対格・単数「手放さないこと、握り続けること」
 (NTではこの個所にしか出てこない。動詞 αρπαζω「掴む、握る、獲得する、奪う、襲う」に由来。同じ αρπαζω に由来する名詞にLXXに16回出てくる αρπαγμα「強奪したもの、獲物」がある。)
 (尚、語尾 -μοS は行為を示し、-μα は結果を示すことが多い)
ηγησατο 動詞 ηγεομαι のアオリスト・中間・直接「思う、みなす、考える」
το 冠詞 ο 対格・単数・中性
 (το 以下が ηγησατο の目的語となっている)
ειναι 動詞 ειμι の不定法「〜である」
ισα 形容詞 ισοS の主格・複数・中性「等しい」
 (但し、ισα が ειναι と共に用いられる場合、ισα は副詞的用法となる「〜に等しくある」)
θεω 男性名詞 θεοS の与格・単数「神」
●ろんぎぬすの専用スレッド9■
165 :ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :03/01/03 20:21
神が「エロイ eloy」と呼ばれたり、「エル el」と呼ばれたりするのは、
語幹とか接頭辞だからだろう。あと、
ヒー(彼を)だのヘー(呼ぶ時のヘィ)だのハー(彼女を)だのフー(誰が)だの、
みんな変化の語尾じゃん。ユダヤ人にとっちゃ英語は面当てなんじゃ。
で、語尾変化を応用する譬えだと。
エロヒー、エロヘー、エロハー、エロフーだろ。
エロヒハ、エロヘハ、エロハム、エロフムだろ。ヒもフもねえじゃん。
日本語の数えの「ヒフミ(一、二、三)」とか、
民俗昔話の岩手・遠野物語の「ヘイぐん(閉伊郡)」とか、
青森の「ヘライむら(戸来村)」は、
ヘブライ語を話していると勘違いしたから、明治のユダヤ人は驚いたんじゃ。
じゃあ、エロ本のアヘアヘちゅーセリフのもヘブライ語なんか???
そんなわきゃねーだろ。。。
712参考まで(^^;:03/01/03 20:30
・箴言8:22
ヘブライ語旧約聖書
YHWH QNNY RESHYTH DRKW QDM MPHELW MAZ
〈私訳〉「主はわたしを彼の道の初めに所有した(別訳:造った)、いにしえからの彼の業の前に」

YHWH 「主」
QNNY QN+NY QN 動詞 QNH のカル(パアル)語幹・完了「得る、所有する、造る」、 NY 人称語尾「わたしを」
RESHYTH 女性名詞「初め」の対格 ・単数
DRKW DRK+W DRK 男性名詞「道」の属格・単数、 W 人称語尾「彼の」
QDM 男性名詞「前、始まり」の対格・単数
MPHELW MPHEL+W MPHEL 男性名詞「業」の対格・複数、 W 人称語尾「彼の」
MAZ M+AZ  M 前置詞「〜以来、から」、 AZ 副詞「そのとき、いにしえに」

ギリシア語旧約聖書
κυριοS εκτισεν με αρχην οδων αυτου ειS εργα αυτου
〈私訳〉「主はわたしを彼の道の初めに彼の業として造った」

κυριοS 男性名詞 κυριοS の主格・単数「主」
εκτισεν 動詞 κτιζω のアオリスト・能動・直接「造る、作る」
με 代名詞 εγω の対格・単数「わたし」
αρχην 女性名詞 αρχη の対格・単数「初め」
οδων 女性名詞 οδοS の属格・複数「道」
αυτου 代名詞 αυτοS の属格・単数「彼」
ειS 前置詞「〜へ、〜として」
εργα 中性名詞 εργον の対格・単数「業、行い」
αυτου 代名詞 αυτοS の属格・単数「彼」
>709−710参考まで(^^;
勉強になります。ここまで詳しく調べなかったもので。
>712も。
>708
× 「主(しゅ)」と重ね合わせ、さらにヘブル文字YHを逆さにヘブル文字Sに見立て、
○ 「主(しゅ)」と重ね合わせ、さらにヘブル文字YHを逆さにヘブル文字[Sh]に見立て、

ヘブライ語アルファベット読みShシン・スィン。
716名無しさん@1周年:03/01/03 20:50
ぐぅ
717名無しさん@1周年:03/01/03 21:05
ろんぎぬすさんの聖書言語に関する記述を読んでいると、ろんぎぬすさんは聖書言語の基本が出来ていないみたいだね。
>717 
 基本は考えていませんよ。ほんと下手の横好きで。。。
資格取得の様に語学や神学をマスターして、翻訳家や牧師を目指しているワケではないから。
 現代ギリシア語や聖書ギリシア語の辞典から、
名詞も動詞も変化形も関係なく、すべてを名詞のように抜き書きして、
日本語訳聖書の幾つかと注解や注釈から語順などを推定して訳出しているから。
つまり下手の横好きですがね。

 参考までにサンの遣り方が、言語学や神学として正確な遣り方ですよ。
ただ、この手のカキコならJバイブル(CD)をコピペする手もあるんですけどね。
 聖書の原典の印刷本があっても、
辞書と文法書がないから、参考までにサンのようには翻訳できないですけどね。

 要理もコピペだし、基本的に平信徒(ひらシント)は、
主の祈り(天主経)に天使祝詞(至聖生神女賛歌)や使徒信条(ニケア信経)を唱えて、
カトリック要理(正教要理)と訳注付き引照付きの聖書(やコンコルダンス(今は、
インターネット聖句サーチがある)に注釈書)を読んで、
何かしらヒラメキとか感謝とか反省とか得るものがあれば良いわけで。
そういう信仰生活ですよ、
クリスチャン[西方キリスト教徒](ハリスティアニン[正教キリスト教徒])は。
>718 つづき。
 それと、
教会や信徒会館に行って日頃の悩みや悔やみを神父さんに告白して、
告解(ゆるしの秘跡・痛悔機密)して、主日のミサ(リトゥルギア)で、
聖餐のパンやワインを戴くわけですがね。

 プロテスタントにはソレがなく、精神病用のカウンセリングや、
消費者センター相談コーナーとか、行政相談とか、
何々議長(青年部員)を出馬させる会に押しつけて、
韓国謝罪ツアーとか永住権運動とか戦争に反対する会(平和を守る会)とか、
人道的食料援助運動とか労働運動とか、アカい政治運動に走るんですがね。
悩みは政治解決なんです。
ソウカとペアですよ、こんなの。
あまりに理性的で科学的すぎて冷たいんですよ、聖徒の交わりっていうのが。
>719 
>聖餐のパンやワインを戴くわけですがね。
聖体拝領のサクラメント(領聖ミステリオン)と言いますがね。
>719 
>悩みは政治解決なんです。
でなきゃ、西欧音楽とギターの調べだか言う、コンサート旅行で慰めを得る会ですよ。
>718−721 まとめで。
だって、
他にあるといえば外国人とスポーツやお食事する会とかが、
新教(プロテスタント)の本質だろう。
>722  
 いや、カトリックにも正教にもある。
フランスの神父さんを囲む会(フランス料理付き)と、
ロシア人の輔祭と歌う会(ロシアお菓子付き)だ。

 最近は英米人(カナダもオーストラリアも)が黒人も混ぜて珍しくないから。
プロテスタントは、アメリカ創価に対して、カトリックや正教ほどに、
一般日本人に対して、優越感とか持てないし、威張れないんですよ。安っぽくて。
724名無しさん@1周年:03/01/04 13:03
●ろんぎぬすの専用スレッド9■のレス[ポンス]174−180参照
ttp://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1041075997/174-180
725名無しさん@1周年:03/01/04 13:04
>>706 ろんぎぬすさん 「聖書が原語で」の本は私知りませんので、何か勘違いなさらぬよう

「当然に正しい」という表現の根拠や、あなたご自身の経験によるカキコには大きく疑問が残ります
ここでは聖書時代のユダヤ人(異邦人改宗者を含む)のことを討論していたからです

ユダヤの伝承に関しては、イエスやその弟子たちがそれをどうみなしていたかもここでは関係します
イエスは山上の垂訓の中で、ユダヤの口伝律法の中で旧約に反する教えを否定しています
また旧約の意図を超える習慣が強要される時、彼はそれを無視しました
伝承の幾つかについてはろんぎぬすさんも言及していますが
「みだりに神の名を唱えるな」という掟を考えるとき、
主イエスは、これを旧約の原本にある神の名を写本や翻訳においてすべて削除することにも
適用されることも意図されたとろんぎぬすさんはお考えですか?

もしそうでなければ有/無さんの657のカキコにある現在のユダヤ人の見方は
興味深いとはいえ聖書的根拠薄といえるかもしれません
実際には旧約が書かれたその時代、祭司のみに知られるようにではなく、
ルツなどの異邦人改宗者を含む一般人にも公である箇所でその名が用いられていました
その点はユダヤ経典にも記されています

黙示録に出てくる神は巻物からその一部が取り除かれることを望みませんでした
旧約の中に名を記させた時も、そうではないかと思います
726名無しさん@1周年:03/01/04 13:07
> 出典が不明で信用度なし。
いいえ、ソター7:6と書きました。あなたご自身も引用しています

>>確定できませんが、ラテン語に通じていた可能性を示唆する考古学上の資料は存在します
>出典が不明で信用度なし。エホ証の憶測か?
ローマの領土内で、無名の神に献じられた祭壇がラテン語を伴って多く発見されています
(ペルガモンでは、ギリシャ語の祭壇もあります)
聖書中、パウロがアテネでそうした祭壇に言及して伝道した箇所はご存知でしょうか

>> その「私の主(YHWH)」の本質が、もしもイエスを含むか指すなら、
>「主(アドナイ)」に変化形の単語があるのですか?初耳です。どこが出典ですか?
>「神(エロヒム)」は、エロヘハ(あなたの神)エロヘヘム(あなた達の神)と変化しますが?
YHWHの場合、それはアドナイとは全く意味の異なる語ハーワーの変化形のようです
しかしろんぎぬすさん、
レス元のもとぴさんは、語形や態のことを話し合ってはいなかったのではありませんか?
あなたにとって神の名の本質とはそのことなのですか
727名無しさん@1周年:03/01/04 14:38
●ろんぎぬすの専用スレッド9■のレス[ポンス]182−186参照
ttp://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1041075997/182-186
●ろんぎぬすの専用スレッド9■のレス[ポンス]188−189参照
ttp://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1041075997/188-189
>728 訂正。 品詞に固有名詞を追加。
ttp://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1041075997/190
730名無しさん@1周年:03/01/04 21:32
●ろんぎぬすの専用スレッド9■ のレス193−195参照。
ttp://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1041075997/193-195
731ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :03/01/05 00:11
●ろんぎぬすの専用スレッド9■ のレス197−199参照。
ttp://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1041075997/197-199

【 ちょっと強烈にカキコし過ぎだったが。。。 】

 もとぴサン、お互いの手持ちの資料の見せ合いっコで、見識を深めるで良いですよ。
時たま?カキコ調子でカチンと来て「言葉の問題」で反発する事もあるけど。。。
 で、
神の固有名詞については、ユダヤ人に任せる事ですよ。父と子と聖霊のキリスト教徒ならば。
 あとはキリスト信心で、毎日「主の祈り」と「信条(クレド)」を最低一回は唱える。
という事で良いんじゃないの、出来れば食卓で東向きに家族で。(私は独りモンだが
もとぴサンはプロテスタント出身だから、
マリヤの祈り(アヴェ・マリア[天使祝詞] )や十字架像やイコンへの祈祷は苦手でしょうしね。
無理は言いませんよ。
私が正教の輔祭から言われたマンマですよ、これは。この信仰の仕方の指示は。。。
732名無しさん@1周年:03/01/05 03:20
《ヨハネ》という名自体、神の名前そのものが含まれるとのこと。

もう一人について、その名前の由来と意味についてお聞きします。

《エリヤ》なんですが・・・

733名無しさん@1周年:03/01/05 09:01
《エリヤ》「主こそ神である」の意。ギレアデのテシベ人(T王17:1)。
紀元前9世紀前半(869−849年)北王国アハブ・アハジヤ王の治世の預言者。
カルメル山でバアルと霊験比べをし、ホレブ山で神のお告げを聞く。
後継の弟子は預言者《エリシャ》。

《エリシャ》「神は救いである」の意。ヨルダン渓谷アベル・メホラ出身。
父はシャファテ(T列19:16)
「エリヤの霊の2つの分け前」(U列2:1−18)により預言者を相伝した。
50年以上の活躍で20代で召され80歳ぐらいまで生きた。

《エル・エロヘ・イスラエル》「イスラエルの神である神」の意。
734名無しさん@1周年:03/01/05 12:11
>733
733の表現を借りれば、「ヤハウェ(エホバ)は神」、が正解

エリシャとエリヤに含まれる語は異なり、
これは「神は救い」で正解
735名無しさん@1周年:03/01/05 12:22
>>734
左様。「イオウエア 神」ということです。

736名無しさん@1周年:03/01/05 14:40
>705 :山本誠一 ◆AD1P./8snQ :03/01/03 16:28

★マルコによる福音書
パピアスやエイレナイオスによると、
使徒ペテロの語ったところを弟子マルコが記録したものであるという。
ネロ皇帝の迫害(AD64年)の直後65〜70年に記述と推定されている。
エウセビオスの『教会史』によれば、ペテロが亡くなって、主イエスを知る人が居なくなり、
イエスの生前の事実が忘れ去られる事をおそれ、バビロニアから戻ったマルコが、
フィロンの勧めでアレキサンドリアで記録に残したという。
○ 兄シモン(ペテロ)・弟アンデレと、ゼベダイの子・兄ヤコブ・弟ヨハネが、
同じ家で会い、主イエスに召されたわけです。
ギリシア語シモンはマルコ福音書で9回使われ、ヘブル語でシメオンと言う。
ペテロの名で19回使われている。シモンとペテロは同一人物である。

★ヨハネによる福音書
アレクサンドリアのクレメンス(2世紀末・170年以降)に、
マルコ・マタイ・ルカの「共観福音書」に対して「精神的福音書」と呼んだ。
日本基督教団の解説では、AD90年代にグノーシス思想の一派、
「仮現説(ドケティズム)」異端(歴史的にイエスは存在しない)に対抗する為に、
長老ヨハネが執筆したとしている。
学者によっては二世紀初め(100〜130年代)としている説もある。
○ 愛弟子のヨハネで、ゼベダイの子の使徒ヨハネでないとしている。
ペテロの弟アンデレが、兄シモン・バルヨナ(ペテロ[マタイ16:17])を呼んで、
兄弟して主イエスに会ったと解釈されている。

参考:新約聖書略解(日本基督教団)フランシスコ会聖書研究所注解・新約聖書。
737名無しさん@1周年:03/01/05 17:48
もとぴさんへ。

どきゅんさんは2ちゃんねる卒業しました。

2ちゃんねる卒業宣言 http://dqn.cc/82Q82BF82E182F182CB82E991B28BC690E98CBE.html
オアシスよ永遠に  http://oasis.dqn.cc/
738もとぴ:03/01/05 19:09
>709、710、712 参考まで(^^; さん。
ありがとうございました。本当にうれしかったです。

>704名無しさん@1周年さん。
近日中にレスします。

>737さん。
そうでしたか。。。 教えてくれてありがとう。
このスレも、どきゅんさんが立てたスレの一つでありまして。。。 
少し寂しいです。

どきゅんさんは、自由になった のだと思います。
739名無しさん@1周年:03/01/05 23:04
どきゅんさんへ。

元Pさんは2ちゃんねる卒業しました。

2ちゃんねる卒業宣言 ttp://dqn.cc/82Q82BF82E182F182CB82E991B28BC690E98CBE.html
オアシスよ永遠に  ttp://oasis.dqn.cc/
740名無しさん@1周年:03/01/05 23:05
>709、710、712 さん。
ありがとうございました。本当にうれしかったです。

>704さん。
近日中にレスします。

>737さん。
そうでしたか。。。 教えてくれてありがとう。
このスレも、元Pさんが立てたスレの一つでありまして。。。 
少し寂しいです。

元Pさんは、自由になった のだと思います。
741名無しさん@1周年:03/01/05 23:17
>704 :名無しさん@1周年 :さん

>514 :「YHWH」 の訳語について :02/12/20 20:16
>630 :名無しさん@1周年 :02/12/20 09:39

>>ユダヤの神殿では年に一度の儀式だけではなく、
>>年中発音が使われていたようです(>514)
>それは毎日行われていた慣例でした (ソター7:6,ミシュナ、ダンビー訳)

>>確定できませんが、ラテン語に通じていた可能性を示唆する考古学上の資料は存在します
>>ここでは少なくともヘブライ語とギリシャ語を挙げるだけで十分かもしれません
>キュリオスと神の名を別とする70人訳を用いての講義が会堂で行われていたとすれば

>>のんびりできて楽しそうですね
>>私は道具を一度揃えて、どこかの渓流でフライやってみたいです
>キリスト教の中でも同じ事は再び生じ得ることと思います

>>本質は異なります。ヘブライ語のYHWHとギリシャ語のキュリオスの主旨は語義として異なります
>>YHWHとキュリオスの語義上の差異は既出です。
>イエスの時代、その発音はまだそれほど失われていなかったのかもしれません

>>使徒の句にある「主」は「私の主」と旧約では区別されています
>旧約時代に発音されていたみ名も、その国民の中で失われましたから
>キュリオスと神の名を別とする70人訳を用いての講義が会堂で行われていたとすれば

>>その「私の主(YHWH)」の本質が、もしもイエスを含むか指すなら、
>>自分の右のに座る「主」はイエス以外のだれかになってしまいます
>イエスの時代、その発音はまだそれほど失われていなかったのかもしれません
742名無しさん@1周年:03/01/05 23:25
誰か知っているなら ソター7:6,ミシュナ の中身の本文を教えて
743名無しさん@1周年:03/01/05 23:35
誰か知っているなら
現在カイロに所蔵のベラムではなく重要視されたP.Fouadパピルス写本1944年公開の
本文を教えて
744名無しさん@1周年:03/01/05 23:55
>>704 :名無しさん@1周年 :さん
>>514 :「YHWH」 の訳語について :02/12/20 20:16
>>630 :名無しさん@1周年 :02/12/20 09:39
>>確定できませんが、ラテン語に通じていた可能性を示唆する考古学上の資料は存在します
>>ここでは少なくともヘブライ語とギリシャ語を挙げるだけで十分かもしれません
>725 :名無しさん@1周年 :03/01/04 13:04
>聖書中、パウロがアテネでそうした祭壇に言及して伝道した箇所はご存知でしょうか
>ローマの領土内で、無名の神に献じられた祭壇がラテン語を伴って多く発見されています
>(ペルガモンでは、ギリシャ語の祭壇もあります)

>>704 :名無しさん@1周年 :さん
>>その「私の主(YHWH)」の本質が、もしもイエスを含むか指すなら、
>>旧約時代に発音されていたみ名も、その国民の中で失われましたから
>725 :名無しさん@1周年 :03/01/04 13:04
>イエスは山上の垂訓の中で、ユダヤの口伝律法の中で旧約に反する教えを否定しています
>YHWHの場合、それはアドナイとは全く意味の異なる語ハーワーの変化形のようです
>732 :名無しさん@1周年 :03/01/05 03:20
>もう一人について、その名前の由来と意味についてお聞きします。
>《エリヤ》なんですが・・・
>734 :名無しさん@1周年 :03/01/05 12:11
>733の表現を借りれば、「ヤハウェ(エホバ)は神」、が正解
>735 :名無しさん@1周年 :03/01/05 12:22
>左様。「イオウエア 神」ということです。

エリ(神)ヤですか すると知られない神の名は《ヤ神》ですか 
いやエホバだから《エ神》のような いえ《ス神》ですよね
745もとぴ:03/01/06 19:33
> 740
> 元Pさんは、自由になった のだと思います。
私は、もともと 自由だよん。


> 704 名無しさん@1周年 :03/01/03 さん。
> 私は道具を一度揃えて、どこかの渓流でフライやってみたいです
熊さんに襲われぬよう、木をつけてね。。
746もとぴ:03/01/06 19:35
「神のお名前」について
@「神のお名前」は、へブル語の子音四文字で記された。(神名四文字)
A旧約聖書の写本が、神名四文字を、忠実に、書き写してきた。
・・・ この二つは、確実なこととして言えると思います。
つまり、へブル語で記された「神のお名前」は、写本に、忠実に書き写され、
人間の手によって書き換えられた、ということはなかった。
「神のお名前」には、一切、人間の手は、加えられていない、ということです。

YHWH、YeHoWaH、ヤハウェ、エホバ、主。。。 
これらは、「神のお名前」 そのものではなくて、「神のお名前を示すことば」 にすぎない、
と思います。
「YHWH」「JHVH」は、へブル語の神名四文字を、人間が、ラテン文字に訳したもの。
「YeHoWaH」「エホバ」は、子音「YHWH」と、「アドーナーイ」の母音の、混合形。
「ヤハウェ」は、「神名四文字」の発音を、学問的に復元したもの。  (>>537
私は、「YHWH」「エホバ」と書くときは、「神のお名前を示すことば」として、書いています。
747もとぴ:03/01/06 19:38
>>704
>> 詩篇110:1の「YHWH」は、使徒2:34では、「キュリオス(主)」となっています。
>> 詩篇110:1の「YHWH」と、使徒2:34の「キュリオス(主)」は、
>> 「意味する本質は全く異なる」のでしょうか?
> 本質は異なります。ヘブライ語のYHWHとギリシャ語のキュリオスの主旨は語義として異なります
> YHWHとキュリオスの語義上の差異は既出です。

はあ。。。
ヘブライ語のYHWHとギリシャ語のキュリオスの主旨は、語義として異なるでしょう。
しかし私はここで、そのようなことを問題にしているのではありません。

「【ヱホバ】わが主にのたまふ」 詩篇110:1 文語訳
「【主】わが主に言い給ふ、」  使徒 2:34 文語訳
使徒2:34の【主】は、旧約聖書に記された【ヱホバ】のことです。 (>>515
従って、新約聖書の使徒2:34に記された【主】は、旧約聖書の【ヱホバ】と、
意味する本質は、全く同じ。
704さん。そうではないのですか?
748もとぴ:03/01/06 19:40
>>704
> 使徒の句にある「主」は「私の主」と旧約では区別されています
> その「私の主(YHWH)」の本質が、もしもイエスを含むか指すなら、
> 自分の右のに座る「主」はイエス以外のだれかになってしまいます

ここでは、「父」と「子(キリスト)」の関係が問題ですので、以下、「父」と「子」について述べます。
旧約聖書の「ヱホバ」、新約聖書の「主」「神」は、それぞれに解釈があると思います。
ここでは、三通りの解釈を示します。
@ 「父」を示している         (ヨハネ1:1 など)
A 「父と子と聖霊」を示している  (Tヨハネ4:16 など)
B 「子」を示している         (ヨハネ1:1、20:28 など)

詩篇110:1
「ヱホバわが主にのたまふ 、、、  わが右にざすべし 」  
〔解釈〕
「ヱホバ(@)わが主(B)にのたまふ 、、、  わが(@)右にざすべし 」 

使徒 2:34
「主わが主に言い給ふ、 、、、  わが右に坐せよ 」  
〔解釈〕
「主(@)わが主(B)に言い給ふ、 、、、  わが(@)右に坐せよ 」  
749もとぴ:03/01/06 19:42
(つづき)
・ヨハネ1:1
初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
〔解釈〕
初めに、ことば(子)があった。ことば(子)は【神】(@)とともにあった。ことば(子)は【神】(B)であった。

・ヨハネ20:28
トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」 
〔解釈〕
トマスは答えてイエスに言った。「私の主(B)。私の神(B)。」 

・Tヨハネ4:16
神は愛なり
〔解釈〕
神(A)は愛なり

結局のところ、プロテスタントは、@とAとBを認める。 
エホ証さんは、@だけを強調して、AとBを認めない。
ということだと思います。
750名無しさん@1周年:03/01/06 19:51
>744
ヤエス神ですね。あとヒフ神とヤワ神とヘヒ神です。

>735
新約外典エジプト人福音書では、
イイイイエーエーエーエーエエエエオオオオヨヨヨヨアアアアア神よ、
エイアアアアオーオーオーオー神と、
アエエエーエーエーイイイイヨヨヨヨヨヨオーオーオーオーオーオーオーオー神と、
イエア アイオ神に、
エイオエイ エイオセイ神か、
アエイ エイサエイ エイオ エイエイ オセイ神を賛美し、
洗礼を感謝します。
です。
読んだだけで一目瞭然、アタマやられています。
言っちゃ何ですが、これを唱える集団は、気持ち悪い集団です。
グノーシス・コプト派は。

思ったんですが、自分の不注意のミスで今朝は、かなり困りましたが、
十字の印と栄唱を挟んで、
主の祈りとニケア・コンスタンチノポリス信条を日々唱えた功徳らしく、

キリストへの信心のによる救いの霊験を感じ、地獄で仏を見たような。
勘違いと慌てと困難の中で、大難を小難に、小難を無難にする、
キリストの救いを見ました。と感謝しました。
751名無しさん@1周年:03/01/06 19:57
>476-479
神と主は、父だったり子だったり父子聖霊だったりイロイロあるんですね。
ありがとうございました。アエイオウ。
752名無しさん@1周年:03/01/06 20:16
>746
>@「神のお名前」は、へブル語の子音四文字で記された。(神名四文字)
中東戦争な1946年頃に発見の死海写本で、レバノン語の子音四文字で記された。のは、
「写本の信頼性」に当てはまらないの?

>YHWH、YeHoWaH、ヤハウェ、エホバ、主。。。 
YaHaWeHと、YaHoWaHi、ヤホワヒでないの?あほバイ。

>「YHWH」「JHVH」は、へブル語の神名四文字を、人間が、ラテン文字に訳したもの。
JeHoVaH、ジェホヴァなの?「翻訳の信頼性」に当てはまらないの?

>「ヤハウェ」は、「神名四文字」の発音を、学問的に復元したもの。  (>537)
学問的にaaeを割り当てた復元の根拠は何によるの?アアエって何?

>742 :名無しさん@1周年 :03/01/05 23:25
 >誰か知っているなら ソター7:6,ミシュナ の中身の本文を教えて
>743 :名無しさん@1周年 :03/01/05 23:35
 >誰か知っているなら
 >現在カイロに所蔵のベラムではなく重要視されたP.Fouadパピルス写本1944年公開の
 >本文を教えて

私も知りたい。
753名無しさん@1周年:03/01/06 20:23
>750
>ヤエス神ですね。あとヒフ神とヤワ神とヘヒ神です。
日本の八百万(やおよろず)の神(かみ)みたいですね。昔なつかし風。ナツメロ。
善い神様ですよね。

>新約外典エジプト人福音書では、
>読んだだけで一目瞭然、アタマやられています。
>グノーシス・コプト派は。
そーとー危ない宗教団体ですよね。
新興宗教ですか?キリスト教の分派って、ペンテコステ派みたいに危なぁーい。
宗教はアヘン。レーニン。科学的社会主義。毛沢東。
754名無しさん@1周年:03/01/06 20:32
>>753
人のこと批判する前に自分の所属を明らかにしろ!ボケッ!!
755名無しさん@1周年:03/01/06 20:42
>753
>ヤエス神ですね。あとヒフ神とヤワ神とヘヒ神です。
YHWHを、母音無しでHYHWにし、HiaHuaに替えると、ヒァファだから。略してヒフ。
YHWHを、YaWaに替えると、ヤワだから。

EHYHを、母音無しでHeHiに替えると、ヘヒだから。
余談。
EHYHを、読みaHiHに替えると、アヒーになる。変化形アヘー。
ところで、
EHYHは、出エジプトでモーセが神の名を聞いた時のアルファベットを、
音か読みをローマ字に変換した場合の語列・スペリング。

盛(も)り沢山(だくさん)。
756名無しさん@1周年:03/01/06 20:46
>754
無所属・新人。
757名無しさん@1周年:03/01/06 20:46
>754
無所属・新人。
758名無しさん@1周年:03/01/06 20:47
  ↑
何で二重カキコできるの???
759名無しさん@1周年:03/01/06 20:52
 みなさん聞いて下さい。功徳が積めます。とにかく凄いんです。ニズイにツマ。
みんな良くなって来ます。好転します。参加する事に意義があるんです。
そのうち運が向いてきます。まじめな話。(某新興宗教[イベント勧誘係リーダー談話]
760名無しさん@1周年:03/01/06 20:53
偏見なんて捨て去れ!ペンテコステ派の内には穏健派と急進派があるんだよ。
イカれてるのは急進派さ。

俺も無所属。
761名無しさん@1周年:03/01/06 21:03
 みんなで盛り上がって、運気好転。幸せになりましょう。
仏様に感謝。管長猊下に感謝しましょう。
大僧正猊下は破滅に向かって闘っています。お供養(お布施1体10万円)に励みましょう!!!
いっぱい仏様から功徳を戴き、修行に励み、修行が進んでミンナで解脱し、
破滅のカルマから逃れましょう。地球を浄化しましょう。
私たちは霊的に清まり超人を目指します!!!!
さあやるぞ。必ず上手く行く、絶対に勝つ!!!(一同、無理強いの拍手[数十人]
献金係の巡回(一同、渋々200円出して護摩木に願い事を書く
浮ついたのが3000円、1万円の祈願札を平気で買い出す。
釣られた奴が、結婚成就!!!とか就職祈願!!!と叫んで5万円出す。)
762名無しさん@1周年:03/01/06 21:08
 平和な地球を創りましょう。祈りで人を動かし、祈りで仏を動かし、祈りで地球を動かし、
健康食品を食べて、健康な生活を家族ミンナで送りましょう。(合掌[リーダー手を合わせて仏壇に向かって祈るの図]
(健康食品や平和メダルが欲しい。とサクラ[数人]が言い出す。
釣られた奴が3000円、5000円出して、地球に平和を!家族に健康を!とか騒ぎ出す。)
763名無しさん@1周年:03/01/06 21:09
群集心理と集団催眠って、怖いよね。君子危うきに近寄らず。。。。
764名無しさん@1周年:03/01/06 21:11
>760
そうなんだ さんくす
765名無しさん@1周年:03/01/06 21:42
>>749
『キリスト教のニ000年』には写本自体の作為の有名な例が。

「ヨハネの手紙一」の三位一体を語るテキストは初期には
「証をするのは三者で、『霊』と水と血です。この三者は一致しています」
四世紀には変更されて「地において証するのは三者で、『霊』と水と血です。この三者はイエス・キリストのなかで一致しています。天において証するのは三者で、神と言葉と精霊です。この三者は一致しています」

また、
“ヨハネの福音書の最も古い写本は、注釈の加筆など勝手な改竄や混乱の跡が歴然だ”
と。
選択されたテキストに正統派寄りのバイアスがあるのは確実でしょうね。
766名無しさん@1周年:03/01/06 21:56
今の1ヨハにはそのような露骨に三位一体を示している文章は存在しない。

ヨハネの福音書について詳細きぼーん!
767もとぴ:03/01/07 19:18
>>748-749の補足
Aの例として、Tヨハネ4:16の 「神は愛なり」 を挙げた理由について。

新約聖書は、「父」と「子」と「聖霊」を区別しています。
「父」と「子(キリスト)」の間には、「産む・生まれる」 「愛する・愛される」 という関係があります。
神は、ご自身のなかで 【産む・生まれる】 【愛する・愛される】 という本性を持っておられます。
また、父が 子や聖霊を遣わすことはありますが、子や聖霊が 父を 遣わすことはありません。
神は、ご自身のなかに、【秩序】 を持っておられます。  
神の三位一体性の中に 「神は愛なり」という 神の本質が啓示されています。

以上のような理由で、【神】が 【父と子と聖霊】を示していると解釈できる箇所として、
Tヨハネ4:16の 「神は愛なり」 を挙げました。
768名無しさん@1周年:03/01/07 19:50
肉から生まれた者は肉であり、『霊』から生まれた者は霊である。ヨハネ3:5〜8

主を愛さない者がいるなら、その者にのろいあれ。マラナ・タ〔主よ、来てください〕。Tコリント16:22
主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。Uコリント13:13
わたしたちの救い主である唯一の神に、わたしたちの主イエス・キリストを通して、
栄光、威厳、力、権威が永遠の昔から、今も、永遠にいつまでもありますように、アーメン。ユダ25
769名無しさん@1周年:03/01/07 20:26
>767
なるほど、ところで人と神の関係はドウしたらいいの?
また信じる者と信じない者の報いの違いは?
770名無しさん@1周年:03/01/07 20:26
時が満ちていないから
771名無しさん@1周年:03/01/07 20:36
 北朝鮮がアメリカと戦争になった時、キリスト教徒の日本人と朝鮮人はドウしたらいいの?
アメリカを裏切った創価のクーデターと、大日本民国[創価民国]の成立の可能性。

 または在日本朝鮮人救国戦線[6小隊:算定は適当]の、朝鮮出兵出陣式の可能性について。
出陣式の奏楽と楽器など小物の種類について。。。
 辛亥革命の時のように祖国を救う為に、半島に鉄砲もって出かける心熱きタミがいるかドウか?
それとも傍観して日本で商売に励み、祖国の裏切り者になるのか?
はたまた民族の敵に成り果ててしまうのか???
772名無しさん@1周年:03/01/07 21:11
>771

 逃げ出して来た連中だから、祖国に助けに出かけるわけないじゃん。
戦後は進駐軍の戻る命令を聞かず、創価に化けて永住する事にしたんだから。
とうぜん[北であろうと南であろうと]愛国心なんてないに決まっているじゃん。
日本のネーチャン襲う熱意はあるが。
アメリカの日系人は、永住の証に、星条旗へ敬礼するし、英語で生活するし、
アメリカ軍の軍務につくが。当然、戦地に行けば戦死もありうるが。。。

 仙台商人の「運動着サイカワ」や「パンのヒラツカ」が潰れた界隈に、
青黄赤のラインの韓国家庭料理屋が又一店出店準備。
 この界隈は数年来、キムチ・カレー屋に、キムチ味の銀ダコ屋、チャンコ鍋屋に、
唐辛子海苔・キムチ屋マ○ン根太に、
キムチ・ラーメン&宇都宮餃子の仙台白辛味噌(嘘付け仙台は赤味噌)に、
焼肉居酒屋・大国屋の店が、続々開店している。
 昔この界隈は、中華料理店や東北大学関係者が多かったが、
最近、仙台市街の郊外に、中国人も東北大学も追い出されている。

 創価と韓国モドキ(北朝鮮くさい)がグルで、
中国人や華僑を仙台の中心から追い出しているみたい。
 戦争が始まったら朝鮮・韓国からの大量の亡命者を、
創価学会員が受け入れ準備かも???
773名無しさん@1周年:03/01/07 21:18
>771-772

聖書解釈的にこれは666の仕業でハルマゲドンが近いのですかね。ソンス!!!
ピョンヤンには将軍様ボディーガード専用の666部隊が配置されているそうです。
774名無しさん@1周年:03/01/07 21:19
神の御旨です
775名無しさん@1周年:03/01/07 21:23
仙台駅前はミムネでなく仙台ビブレ
776名無しさん@1周年:03/01/07 21:41
>775

 いや、ビブレ潰れた。サクラノだかいうの。
シリア語でサクラスはバカのこと。

 仙台駅前も、テナント空きだらけだが。。。
メリル証券もクレジット屋も引っ越してガラ空き。青葉通りも銀行が合併とか引っ越しで空きあり。
 学校も郊外に、白百合学園も東北学院も宮城県図書館も引っ越し、学術都市仙台は市街地にゼロかも。
歩きで一日で図書館巡りが不可能になった。

 文芸豊かに学術都市仙台を目指します。ちゅーたフジイ市長はウソつきだ。
任期長かったくせに、カラッポあたまに据え膳上げ膳で、土地の騙し取られを続けさせたセイや。
商工会議所は「勉強不足なもので、営業できなくなるのが可哀想です。」しか、
相談の返事をしない。アドバイスも斡旋も注意を促すも減った呉れもない。
サムライの商いだ。キリスト教会も財政難。黙示録666近いかも。。。

 よっぽど創価学会風のヨイショと引っかけ融資で返済破綻で体の良い土地追い出しの
地上げ屋がテナントに圧力かけたセイかも。
売り上げが見込めないのに、高い所場代に高利率の融資では返済不能になるわな。
 売り上げのサクラ客の動員で異常な伸びを一期だけ見せられて、
返せない融資額を引き出されたのだろう。
 担保に所有権を取られ、定期借地権に替えさせられ、
売り上げが出なくて借りれなくなり、結局、先祖代々の土地を引っ越し。って奴ですわ。
 石巻も古川も塩釜も、仙台空港の名取・岩沼も、
無言の被害と対策は周囲に伝えないが多くありそうだ。
777名無しさん@1周年:03/01/07 22:05
>776
> 売り上げのサクラ客の動員で異常な伸びを一期だけ見せられて、
>返せない融資額を引き出されたのだろう。
> 担保に所有権を取られ、定期借地権に替えさせられ、

 有名通りに面して立地がエエやって、眺めもエエし町も伸びてる最中さかい、
この一期でこんなん売り上げ伸びてるさかいに、ここは一つ腹を決めなはれ。
テンナント入居者は斡旋するさかいになぁ。とか言われよたんや。
そやって通常やったら絶対返済も出来へんし、斡旋なんてせん駆け引きウソで、
土地持ちの担保で狙っているヌシは、土地持ちにビルを建てさせるのや。
 ほんで土地持ちが店なんか持っている所へ、売り上げは前回はサクラやったから上がらへんし、
売り上げが一回だけの名誉のエエ夢見させてもろった、お返しで、
ぎょうさん借金積みよって、返せへんし、テナントに借りる客は現れへんし、
とうとう万歳で土地手放しや。

 自分ちで雇う生活が、他人から借りさせられて雇われる生活に転ぶんや。
ほんで、まんまと金貸しが狙った土地を仕掛けたヌシがせしめまんねん。
 引っかかるのは、自分で考えんで、うまい話に載る奴ばかりや。
見ず知らずなのに、身内の話を知っていて親しく話して来よる奴の、
エエ話。斡旋しまんねん。信用しなはれ。安い借り。は、危ないのや。。。
眉唾できん奴は、何度でもかかるちゅーの。
あきまへんな。
 一言いうんや。よう人の結果見てみい。
あん人は好きや嫌いややなくて、どんなん失敗の仕方やったか研究すんねん。
自分が他山の石を生かせへんかったら、商売なんて止めなはれ。
向いてない性格ちゅーことや。

 聖書でいうと、
80コルやか50バテとか証文書き換えするという、
悪どい家令やか執事やか会計の話やろな。
778名無しさん@1周年:03/01/07 22:11
   ↑
ナニ金の青木雄二シリーズの読み過ぎ。カバチタレ。困ったヤシ。
779名無しさん@1周年:03/01/07 22:17
>778

ナニ金: ナニワ金融道の略 関西ナニ金研究会などの用法。
780名無しさん@1周年:03/01/08 15:51






・・・・・・・・・。雑談スレ化してる・・・。
781名無しさん@1周年:03/01/08 19:50
>777 ナニ金・東北支部・仙台ブロック・Fメンバー

× エエ話。斡旋しまんねん。信用しなはれ。安い借り。は、危ないのや。。。
○ エエ話。斡旋したる。信用しなはれ。安い借り。は、危ないのや。。。

 どなたか親切な方、純正・河内弁(かわちべん)か、和泉弁(いずみべん)に、
赤入れしてくれへんかのう。。。
782もとぴ:03/01/08 20:14
わけあって研究生 さん。 お待たせしました。
> 「ふざけるなスレ22」 564 :02/12/17
> よろしければ、神の目的についてもおしえてください。

「神の目的」を ひとことで言えば
「人間のために救いを備える」 ということであろうと思います。
・・・ しかし、私にはどうしても疑問が残りました。
聖書によれば、救われる者は少なく、滅びる者は多い。 (マタイ7:13-14など)
「神の目的」は、「少数の人間のために救いを備え、その他大勢には滅びを備える。」
と、いうことになの。。?
・・・ それで結局、「神の目的」について、プロテスタントの見解を要約できませんでした。


私の場合は、こちらの方が、自然に受け止めることができます。
> 547 もとぴ 02/12/28
> 神の目的、
> それは、イエスによって、ご自分の近くに、人をおらせること
783もとぴ:03/01/08 20:18
>>769さん。
鋭い質問ですね。

> 人と神の関係はドウしたらいいの?
人に対する神の愛を、無条件のものとして、受けとめること。
【父】の愛   (Tヨハネ4:9-10 など)
【子】の愛   (ルカ23:34 など)


> 信じる者と信じない者の報いの違いは?

〔信じる者の報い〕
信者は、自分の行為に応じて、それぞれ報いを受けます。  (Uコリント5:10)
けれども、信者は罪に対するさばきは受けません。 (ヨハネ5:24、ローマ8:1)
イエスが、私たちの罪をその身に負い、身代わりとして、神のさばきを受けられたからです。(Tペテロ2:24、3:18)
信者は、このイエスにあって、御子の血によるあがない、すなわち罪の赦しを受けています。(エペソ1:7)

【父】の、世人に対する罪のさばき(神の怒り、罪の報酬・刑罰)は、【子イエス】に下りました。
イエスを信じる者は、だれかが、イエスの言うことを聞いてそれを守らなくても、
イエスはその人をさばきません。イエスは、世を救うために来たからです。
(イエスの言うことを聞いて、たとえそれを守りえなくても、イエスを信じ、イエスの言うことを
受け入れることが大切なのだと、思います。  参考 ヨハネ12:46-48 )
784もとぴ:03/01/08 20:20
(つづき)

〔信じない者の報い〕

明日カキコ。。  むしろ、、こっちの方が難しい。。。
785名無しさん@1周年:03/01/08 20:22
>783
なるほど。

では、父の愛にはドウいう行動を取ったらいいの?
子の愛にはドウしたらいいの?

信者になるにはドウしたらいいの?
勉強とか試験とか有るんですか?
あと、お金とか。
786名無しさん@1周年:03/01/08 20:37
>>783
その言葉のあとにある、「わたしの言葉が終わりの日にあなたがたを裁くのである」とはどういう意味ですか。
787名無しさん@1周年:03/01/09 00:07
>>785
>では、父の愛にはドウいう行動を取ったらいいの?
>子の愛にはドウしたらいいの?

 自分は、モトピさんではないけど、一言。
キリスト教はね、「イエスキリストを主です」と告白する信仰なんだよ。
だから、キリスト教の洗礼を受けるときには、マタイ福音書28章19節
にあるように「父と子と聖霊の御名」によって洗礼を授かる。しかし、
神は唯一なわけだ。父と子とはペルソナが違うけれど、唯一である『神』
なわけだから、「父の愛にはドウいう行動を取ったらいいの?子の愛には
ドウしたらいいの?」と問うのは感覚的に少し間違っているよ。「神の愛に
対してどう応えたらいいのか?」とか、「主に対してどう応えたらいいのか?」
と問う方が良いと思うね。
788名無しさん@1周年:03/01/09 00:54
>>786の補足。
裁くのは主イエス・キリストですか?
それとも、主イエス・キリストの言葉それ自体ですか?
神の言葉たる主イエス・キリストという意味でしょうか?
789名無しさん@1周年:03/01/09 01:00
もう一つ。
わたしを捨てて、わたしの言葉を受け入れない人とは、誰のことでしょうか?
未信者のことでしょうか?
単に信じるという行動をしない人でしょうか?
敢えてサタンの側についた人でしょうか?
790名無しさん@1周年:03/01/09 19:16
>もとぴさん 
分かりやすくて詳しい説明をありがとうございます

>つまり、へブル語で記された「神のお名前」は、写本に、忠実に書き写され、
>人間の手によって書き換えられた、ということはなかった。
原本に忠実であったとされる写本の範囲ではそうですね

>「ヤハウェ」は、「神名四文字」の発音を、学問的に復元したもの。  (>>537
>私は、「YHWH」「エホバ」と書くときは、「神のお名前を示すことば」として、書いています。
難解かも・・・
聖書の中でのYHWHは神のお名前そのものですよね
「主(アドナイ)」のことでしょうか?
791名無しさん@1周年:03/01/09 19:20
@のように、詩編のその句の「主」が父を示すという解釈はJWたちの理解と同じです
B旧約を含め聖書の他の句で「主・神(YHWHではなく)」がイエスを表す解釈の場合の例も
彼らの出版物には書かれています
ただJWは三位一体を信じていませんので、Aのような説明はしません
ヨハネの書簡の愛である「神」は父(YHWH)であると解釈してます

>使徒2:34の【主】は、旧約聖書に記された【ヱホバ】のことです。 (>>515
>従って、新約聖書の使徒2:34に記された【主】は、旧約聖書の【ヱホバ】と、
>意味する本質は、全く同じ。

もとぴさんの仰る本質とは、詩編の初めの主が誰を指すかということですね
であれば、もとぴさんの仰るとおり全く同じですし、私も同感です

現役JWの説明の場合、(教会の説明とは異なりますが)
神の名YHWHにはその目的は必ず成就するという意味がこめられており
それゆえに神の目的に注意を促す意味合いがあります
もとぴさんの引用された句は預言ですので、尚のことそうかもしれません
私はその点を意識していました

「主」は目的を別として単に所有権や権威の意味合いが強いのです
「父」「創造者」がそれぞれ,神(YHWH)の性格や性質の特定の面を示すのと似ています

>熊に襲われぬよう、気をつけてね。。
ありがとうございます、
すぐにはできないですが、今年はちょっと頑張ってみます
792もとぴ:03/01/09 20:38
>785さん。
> では、父の愛にはドウいう行動を取ったらいいの?
父の愛を、無条件のものとして受けとめて、自分自身を愛すること。隣人を愛すること。
>>93>>318

> 子の愛にはドウしたらいいの?
イエスを受け入れること。
・・・ イエスの言うことを聞いて、それをすべて守れる人は、誰もいないでしょう。
たとえば、男は 「マタイ5:28」だけで、ほぼ全滅。。。
イエスの言うことを聞いて、たとえそれを守りえなくても、 
イエスを信じ、イエスの言うことを受け入れることが大切なのだと、思います。(ヨハネ12:46-48)

> 信者になるにはドウしたらいいの?
信仰は、doings(行為)という以前に、being(存在、本質)です。
イエスによって、神に立ち返った者が 【信者】。。 だと思います。 (参照 ルカ23:40-43)

プロテスタントでは、【信者】とは、回心した者のこと。
【回心】は、神に立ち返ること。悔い改めと、イエスを信じる信仰と、二つの要素で成り立つ。

申し訳ないが、784と、786〜791については、明日以後にカキコ。。。
793もとぴ:03/01/10 20:37
> 784
〔信じない者の報い〕
人に対する神の愛は、無条件。
けれども、、神の愛を受け入れ、イエスを信じて救われる者は、少ない。
イエスを拒む者には、神の怒りが、その上にとどまる。 (ヨハネ3:36)
聖書によれば、滅びる者は多い。。 (マタイ7:13-14など)

>786 さん。
> 「わたしの言葉が終わりの日にあなたがたを裁くのである」とはどういう意味ですか。
>>84)を参考にしてください。

>788 さん。
「神」がさばく。。 と、お答えしておきます。
794名無しさん@1周年:03/01/10 20:48
ありがとうございました。>>84にあったとは気付きませんでした。
795もとぴ:03/01/10 20:51
>789さんの質問は、
「わたしを〔拒み〕、わたしの言葉を受け入れない人とは、誰のことでしょうか?」
ということ(ヨハネ12:48)、と思います。。。

「イエスを拒み、イエスの言うことを受け入れない者」 (ヨハネ12:48)
・・・ それは、「未信者」のことか、「単に信じるという行動をしない人」のことか、
「敢えてサタンの側についた人」のことか、、
これは、なかなかどうして、難しいテーマです。。

というのは、生きている間に、イエスのことを聞く機会が一度もなかった人の場合は、どうなのか?
仮に、イエスのことを聞く機会があったとしても、誰から、何を、どのように聞いたかにもよる。。
@ 救いの機会は、生きている間だけなのか?
A それとも、救いの機会は死後にもある(セカンド・チャンス)、のか?
そのような問題も関連してくると思うのです。

「救いの機会」や「さばき」については、わからないこともあります。 (参照 ローマ11:33)
さばきは、神のなさること。
人間は、神に近づくこともできるし、神から遠く離れることもできると思います。
796名無しさん@1周年:03/01/10 22:43
>792
 無条件に受け入れるって、どういう行動をすればいいの?
たとえば、
 金正日やフセインや池田大作や文鮮明などを敬って、彼らの命令や約束に従って、
(>318 と反しますが)
キリストや聖書の言葉尻を小馬鹿にしながら受け入れ粋がり、
(>93 を二次元論的に思考してますが)
そういう元気の出し方をして、
自分自身を愛して、人を愛して仲間を創っては、いけないのでしょうか?
797名無しさん@1周年:03/01/10 22:59
>796
 えっと、つまり、聖書の言葉を使って、無理強い約束させて、
池田大作を敬う「仲の良い・差別のない」行動に協力するのですが。

 敵を愛せよ。といって、偶像崇拝だからと言って、
キリストの絵を破る、十字架像を壊す、パンやワインを馬鹿にして飲む、
洗礼の真似や聖書の語句を茶化した標語で企画デッサンで、
(指示党や指示候補の)公明党に投票する。聖教新聞を購読する。
政教ポスターを貼る。財務(献金)に参加する。
気にくわないという感情が理由で嫌がらせに参加、その他モロモロ。

 こういった人の愛し方、付き合い方、仲良くする生き方って、OK?
人を愛するのだから、多数決だし、不愉快な奴を罰するのだから、人民裁判なども、
人や会社や学校の名にお仕着せて、合意や許可があったから、自分のセイではなく、
罪も告白するから、神は7の70倍赦してくれるハズ?
798もとぴ:03/01/11 21:33
790 名無しさん@1周年 さん。
【神のお名前】
@「神のお名前」は、へブル語の子音四文字で記された。(【神名四文字・テトラグラマトン】)
A旧約聖書の写本が、神名四文字を、忠実に、書き写してきた。
旧約聖書に記された「神のお名前」には、一切、人間の手は、加えられていない。 (>>746
・・・ この見解については、790さんは、どう思いますか?

【神のお名前を示すことば】
YHWH、YeHoWaH、ヤハウェ、エホバ、主。。。 
これらは、「神のお名前」そのものではなくて、「神のお名前を示すことば」にすぎない
と思います。 (>746)
>790
> 聖書の中でのYHWHは神のお名前そのものですよね
「YHWH」は、へブル語の子音四文字で記された神のお名前(神名四文字)を、
人間が、ラテン文字に訳したもの。
人間が手を加えたことば「YHWH」は、神のお名前を示すことばではあっても、
神のお名前そのものではないと思います。
799もとぴ:03/01/11 21:35
(つづき)
>790
> 聖書の中でのYHWHは神のお名前そのものですよね
> 「主(アドナイ)」のことでしょうか?
「主(アドナイ)」については、私は、「聖書の中でのYHWHは神のお名前そのもの、、、」
とは言っていません。(>>746を、もう一度読んでね)

>791
> B旧約を含め聖書の他の句で「主・神(YHWHではなく)」がイエスを表す解釈の場合の例も
> 彼らの出版物には書かれています
「主・神(YHWHではなく)」がイエスを表す解釈の場合の例を、教えてください。

> それゆえに神の目的に注意を促す意味合いがあります
「神の目的」について、解説を希望します。
800もとぴ:03/01/11 21:37
787さん。
新約聖書は、父と子と聖霊を はっきりと区別している記述が多いです。(マタイ3:16-17など)
父と子と聖霊は、はっきりと区別していいと思います。

>796
> 無条件に受け入れるって、どういう行動をすればいいの?

私には、子供がおります。
私の子は、何があっても、私の子です。 行いの善悪は、関係ありません。
(being〔存在〕については、無条件に受け容れる。)
けれども、子の「行い」については、無条件で受け容れているわけではありません。
(doings〔行ない・行為〕については、無条件に受け容れる、というわけではない。)
子を叱り、叩くこともあります。

無条件に受け入れる、ということは、
「行動」というより、「関係」だと思います。
801有/無:03/01/11 22:01
>>798
わたしもそう思います。
もともと神は存在の全て。アルファでありオメガである。
とすれば、神が自分のことを特定の言葉で表現すれば、ひとはそれが唯一のものと思い込み、他の呼び方での神を偽物としてしまい、神の本質を無にしてしまいます。
神を名前で判断しようとする者は、自分達に同意しない呼び方の存在に対する気持ちで神の御旨を行なった者を、蔑むことになるでしょう。
802名無しさん@1周年:03/01/11 22:37
素朴な疑問ですが、今の世の中(日本)の多くの人は、イエスがいた時代と比べて
十分満足できるような食料、飲み物、衣類があり天国のような世の中だと思いますが。
それで神は今の日本を創造する前に、人が物を貪り不義を行い愛を失ったり、享楽や
快楽を貪ることのないようイエスを遣わし教育したのじゃないかと思うのですが。
つまり我々は過去、この地球上に生まれていて教育され今の天国に生まれた、そのように
思うのですが。
803もとぴ:03/01/11 22:46
>800の修正
> 無条件に受け入れる、ということは、
> 「行動」というより、「関係」だと思います。

無条件に受け入れる、ということは、
「行動」というより、「関係」あるいは 「愛情」 「愛するという強い意志」 だと思います。

>801 有/無 さん。
同意、ありがとう。
801のカキコについては、私も同意します。
804有/無:03/01/11 23:13
>>802
それは日本だけを見ているからでしょう。
もっと世界に目を向けてごらん。
如何に人間が欲望に支配されて生活しているかがまじまじと分かりますから。
世界の状態の統計を採った絵本なんかも出ていますし、テレビのCMにも、見逃すことのできないようなことを言っているものがありますよ。
805名無しさん@1周年:03/01/11 23:29
>>801 発音の差異や誤謬は問題ではないだろう。それが問題にされるとすれば、その原因は聖書によれば神自身にあるからだ(バベルの塔)。
例えばストゥーパが「塔」の擬似原音(正確には日本語では表記不能)だと、教えられないで気付く人などまずいない。

はるかに重大なのは、キリスト教神学はキリストを神としてパウロが提示したことによって自立した、と誤解され、ユダヤ教と袂を分けたこと。
原因は、「エホバ」を「主」と(たぶん後代に)言い換えたことで、
「主」はすなわち神であり、すなわちキリストであるとの、決定的な 勘 違 い を生んだ事だ。
806名無しさん@1周年:03/01/11 23:38
>798 :もとぴ :03/01/11 21:33
>旧約聖書に記された「神のお名前」には、一切、人間の手は、加えられていない。 (>>746
わからんやっちゃな。神のお名前を書き記した文字は、昔のフェニキア文字だっていうの。
人間の手が、フェニキア文字の「神聖四語」アラム文字「ヤーヴェ」
ギリシア文字「πιπι?」ラテン語「YHVH」と歴史を経るごとに加えられたでしょう。

>これらは、「神のお名前」そのものではなくて、「神のお名前を示すことば」にすぎない
神の名を示す「読み」ことば「アドナイ」であろうと、発音と文字が一致しない場合だってある。
表音文字でなく、表意文字「在る・存在」や綴りの読み「ヤーヴェ」慣用読み「アドナイ」など。

>人間が、ラテン文字に訳したもの。
人間でない何かが、ラテン文字にする事があるのか?

>800 :もとぴ :03/01/11 21:37
>私の子は、何があっても、私の子です。 行いの善悪は、関係ありません。
>けれども、子の「行い」については、無条件で受け容れているわけではありません。
>子を叱り、叩くこともあります。
>無条件に受け入れる、ということは、

>803 :もとぴ :03/01/11 22:46
>「行動」というより、「関係」あるいは 「愛情」 「愛するという強い意志」 だと思います。
807有/無:03/01/11 23:42
残念ながらそうは思いませんよ。わたしは。
わたしの場合、聖書を人間的な視点から読むようなことはしません。
神の世界は二元的なものではありませんからね。
現在この世に存在する微妙な関係は全て三つが一つという様な関係で成り立っています。
時間にしろ、空間にしろ。
だから、イエスやパウロやヤコブ全ての使徒達はあの様な言い方をしたのですよ。
808名無しさん@1周年:03/01/12 12:13
>785 :名無しさん@1周年 :03/01/08 20:22
>では、父の愛にはドウいう行動を取ったらいいの?
>792(>93、>318)
93>善か悪か。救いか滅びか。天国か地獄か。神かサタンか。。。 ○か×か。
93>このような「二元論的な思考」からは、「二元論的な信仰」しか生まれないでしょう。
93>神の無条件の愛を受けて、自分自身を愛し、そして隣人を愛するようになる。
318>私の考えを少しカキコしておきます。それは、「自分自身を愛する」ことです。
318>自分を愛している(受容している)人は、心や魂が守られているようです。

>子の愛にはドウしたらいいの?
>787
>キリスト教はね、「イエスキリストを主です」と告白する信仰なんだよ。
>だから、キリスト教の洗礼を受けるときには、マタイ福音書28章19節
>にあるように「父と子と聖霊の御名」によって洗礼を授かる。しかし、
>792(>93、>318)

信者になるにはドウしたらいいの?
勉強とか試験とか有るんですか?
あと、お金とか。
809名無しさん@1周年:03/01/12 12:14
>796 :名無しさん@1周年 :03/01/10 22:43
> 無条件に受け入れるって、どういう行動をすればいいの?
>800,803
>無条件に受け入れる、ということは、
>「行動」というより、「関係」あるいは 「愛情」 「愛するという強い意志」 だと思います。

318>自分を愛している(受容している)人は、心や魂が守られているようです。
93>神の無条件の愛を受けて、自分自身を愛し、そして隣人を愛するようになる。

796>金正日やフセインや池田大作や文鮮明などを敬って、彼らの命令や約束に従って、
797> えっと、つまり、[他人のしている宗教の]聖書の言葉を使って、無理強い約束させて、
797>[キリスト教を馬鹿にして貸金業的立場で]池田大作を敬う
797>「仲の良い・差別のない」行動に協力するのですが。
797>(指示党や指示候補の)公明党に投票する。聖教新聞を購読する。
797>政教ポスターを貼る。財務(献金)に参加する。
797>気にくわないという感情が理由で嫌がらせに参加、その他モロモロ。
797>[仲間の創価の]人を愛するのだから、多数決だし、不愉快な奴を罰するのだから、人民裁判なども、
797>[創価の名は出さず]人や会社や学校の名にお仕着せて、合意や許可があったから、
797>[自分が手は汚したが、創価ブロック長の指示だし、先生の許可だと言う事で]自分のセイではなく、
797>[世間様にバレない様に平和会館で」罪も告白するから、[エホバ]神は7の70倍赦してくれるハズ?
810名無しさん@1周年:03/01/12 12:15
◆◎★ これでえがすぺ ★◎◆

785> では、父の愛にはドウいう行動を取ったらいいの?
 復活を記念する毎週日曜にキリスト教会に行って、
聖職者や信者の出会いという交わり(聖徒の交わり)のもと、
神を御名を讃えるクチビルを生け贄に、聖書により訓戒を得て、
善行により良き働き口を見つけ、自分で手で働いて得たお金で献金(施し)をし、
聖徒の交わりのキリスト教会の集まりを維持する。

785> 子の愛にはドウしたらいいの?
 預言と律法を成就する十字架の贖いを信じて、
罪を聖職者に告白し、洗礼を受け、[聖職者(監督・長老)から塗油を受け、
マタイ伝の終わりに言う、主の伝えられた事(サクラメント)を行って]
キリストの信者になる。

785> 信者になるにはドウしたらいいの?
 キリスト教会に行って、勉強会など(テモテ書の言う聖書は有益)に参加し、
教会の人(執事)に入信手続きを聞いて下さい。

なんか、お坊ちゃん・点取り虫・優等生な答えに、なっちゃったかな???
811名無しさん@1周年:03/01/12 13:36
 ホサナ・ヤー・ヒフ・アエイオウ。アーメン。
賛美せよ、「在る神」よ、御名よ、挨拶いたします。然り。(違う気がする。。。

「在る」は「ハーヤー:(ヤー:ヘブライ語・固有名詞・BE動詞「在る」過去形)」
「神は在る」は「エリ+ヤ( ヤー:ヘブライ語・固有名詞・BE動詞「在る」語幹?)」
「神なる神」は「エリ、エロヘ(えL:ヘブライ語で名詞・「神」の語幹?」
「父なる神」は「ヤーヴェ:(ヤー:ヘブライ語・固有名詞・BE動詞「在る」原形?)」
「神の子キリスト」は「ヤソ(イェスォ):(ヤー・ヘブライ語・固有名詞・BE動詞「在る」現在形)」
神の霊は「聖霊(ト プニューマ(霊) ト ハギオン(聖い)ギリシア語・名詞+形容詞)」

推測だが「聖霊」ってヘブライ語だと「エロヘ(神なる)・ネフシュ(たましい・いのち)」ですよね、
本来は。
神の御名入りなら「ネフシュ(たましい・いのち)+ヤー(在る神)」になるんだろうか???

そんなバナナ。。。 神田バナナ。街道筋。。。
812もとぴ:03/01/12 19:53
>806 名無しさん@1周年 03/01/11
> わからんやっちゃな。神のお名前を書き記した文字は、昔のフェニキア文字だっていうの。

私は、神の霊感によって記された聖書を基準として、カキコしています。
ところで、、、、  昔のフェニキア文字が 何か。。。


しまった。。。 つい、あおってしまった。。。

まあ、何でもいいから、みんな好き勝手にカキコすればいいじゃん。
でも、他宗教や個人への中傷はやめてね。
名誉毀損罪は、事実であってもなくても成立するそうだから、気をつけてね。。。
自己責任でね。。。
813名無しさん@1周年:03/01/12 22:47
>812
そうなんだ さんくす ビビビのビ。
814名無しさん@1周年:03/01/12 22:48
至聖三者よ、我を憐れめよ。主よ、憐れめよ。アミン。
815名無しさん@1周年:03/01/12 22:51
[豆知識]
神の霊感。聖書に書いてあること。

[解説]
辞典にあります。
816名無しさん@1周年:03/01/12 22:58
810>785> 信者になるにはドウしたらいいの?
810> キリスト教会に行って、勉強会など(テモテ書の言う聖書は有益)に参加し、

テモテへの手紙第2: 3:16 聖書はすべて、神の霊感によるもので、
教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。
817名無しさん@1周年:03/01/12 22:59
主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。Uコリント13:13
わたしたちの救い主である唯一の神に、わたしたちの主イエス・キリストを通して、
栄光、威厳、力、権威が永遠の昔から、今も、永遠にいつまでもありますように、アーメン。ユダ25
818名無しさん@1周年:03/01/12 23:23
マタイによる福音書
 「異邦人の道に行くな」など異邦人は嫌われているのですか?
 そもそも異邦人の道とはどのようなことなのですか?
 イエスキリストは、我々の生活を知っていて注意すべきところが大いに
 あると思ってもいいのですか?
 
クリスチャンではないけど単純に聖書を読んでいて疑問をもったところです。
好き勝手であほくさい疑問だと思われるでしょうがもとびさん答えて下さい。
819名無しさん@1周年:03/01/12 23:40
>>811
>「聖霊」ってヘブライ語だと「エロヘ(神なる)・ネフシュ(たましい・いのち)」
>ですよね、本来は。

 αγιοs(アギオス)「聖」+πνευμα(プネウマ)「霊」が、ギリシャ語聖書
の「聖霊」ですが、おそらくヘブライ語の「風・息・霊」を意味するルーアッハと
対応しているのではないでしょうか?
 ヘブライ語のネフェシュは元は「咽喉・首筋」を意味する言葉で、それが人間
存在・生きる者 として訳されることがあるようです。創世記2章7節などは原文を
直訳すると「人は生きているネフェシュとなった」となるようですから、とりも
なおさず、ネフェシュが示すのは「霊」「肉」ではなく命に恋焦がれている人間
存在そのもののことのようですね。
820名無しさん@1周年:03/01/13 00:53
>819
いや、説明間違いで作文の練り不足でした。まったく同感です。

昔ながらの工学用語なプネウマは、現代語の表記でプニューマ。
アルミニウムという表記は、アルミニュームって読むでしょ。だから。

で、息など気の流れを命と見るルーアッハに、
列王記の青銅の蛇ネフシュタン(ギリシアの医術の神の二対の蛇が絡む杖)のような、
命に恋いこがれるネフェシュですよ。
今でも医師会のマークがネフシュタンなはずです。
ヘレニズム・ギリシアでのアクスレピオス神(治癒神)でしょうか。
821名無しさん@1周年:03/01/13 00:57
>820

1? ヘレニズム・ギリシアでのアクスレピオス神(治癒神)でしょうか。
2? ヘレニズム・ギリシアでのア「スク」レピオス神(治癒神)でしょうか。

どっちだか忘れているので、今保留。
822もとぴ:03/01/13 19:07
>818 名無しさん@1周年 さん。
> そもそも異邦人の道とはどのようなことなのですか?
「異邦人の道に行ってはいけません。」というのは、文字通りの意味なのか、象徴的な意味なのか。。。
文字通りの意味であれば、「異邦人の道」とは、「異邦人の町々へ通じる道」のこと。
「サマリア人の町にはいってはいけません。」(マタイ10:5)の意味でしょう。
・・・ ここでは、文字通りの意味で解釈してよいと思います。
文字通りの意味で自然な解釈のできる場合は、あえて象徴的な意味の解釈はしないとしたものです。

> 「異邦人の道に行くな」など異邦人は嫌われているのですか?
> イエスキリストは、我々の生活を知っていて注意すべきところが大いに
> あると思ってもいいのですか?
イエスは、異邦人のことを、どのように考え、どのような態度を取られたか。。。という、
興味深い疑問です。 少し時間をください。
823もとぴ:03/01/13 19:15
> 785
> 信者になるにはドウしたらいいの?
について、あらためて、考え、調べています。

これは、「救い」か、「滅び」か、を分ける問題であるし、
また、キリスト教会のあり方を問う問題であるし、
それに、現在は教会に行っていない私自身の問題でもあるし。。。

考えや意見のある人は、カキコをお願いします。
824名無しさん@1周年:03/01/13 20:09
>822 異邦人?

サマリアびと アラムじん フェニキアじん アッシリアじん ヘテびと バビロンの民  
ギリシアじん クレタの民 キッテムじん ローマびと ペルシアじん インドじん 
エジプトの民 クシュびと キレネの民 プテびと アラビアじん シバの民 エチオピアじん 
825名無しさん@1周年:03/01/13 22:11
>822 >824
そうですよね。その当時の人は日本を想像させてもわからないハズ。
「祈る場合、異邦人のように、くどくどと祈るな。」なんて書いてありますので
日本人が経典をながながと読んでいるのを想像してしまったけど、これも日本の
ことではないでしょう。一時はイエスは日本のことが見えている!などと思い
びっくりしましたけど(W
どうもありがとうございました。

826名無しさん@1周年:03/01/14 00:11
ビジネスガイド 韓国 ジェトロ ¥2000 1993年10月31日発行

p7 表3 宗教人口比率 
_______ 1985_ 1991_ 
プロテスタント 37.7% 34.4%
カトリック__ 10.8% 10.6%
仏教_____ 46.9% 51.2%
儒教_____ 02.8% 01.8%
円仏教____ 00.5% 00.6%
天道教____ 00.2% 00.3%
その他____ 01.1% 01.1%

在留邦人 1992年10月01日現在 0006,864人
在日韓人 1992年12月31日現在 69万3,050人
827肉屋:03/01/14 00:29
てか聖書とかっていつ読むの?
家に2冊くらいあるけど、読む暇ない。
828名無しさん@1周年:03/01/14 12:46
>あのような言い方(>>807)

岩波書店の聖書、フィリピ2.6には傍注で字義が付されている。このスレで話題に出た「奪い取る」です。これだと、パウロにとってキリストは神の地位にいない下位の存在である、という認識になる。
一方「保持する」なら、キリストは神の地位に居た、という含みを残すことになる。

やはり、ここにはこだわらなければならない。翻訳に、パウロの神学の要諦に対する先入観が如実だから。あなたの言う、「あのような言い方」自身に手心を加えた、紛れもない実例だからだ。

829boy's ◆lQyRaJFlJ. :03/01/14 17:23
>> 785
> 信者になるにはドウしたらいいの?
>>823
>考えや意見のある人は、カキコをお願いします。

あ、このスレあまり読んでないから、流れに乗ってなかったらスマそ。

事務的な事を言えば、教会に行って「信者にしてください」で良いんじゃないの。
私個人の考えでは、
例えば「約2000年前にイエスキリストが、私達の罪の購いの為に死なれて
その後に復活しました。あなたは、それを信じますか」と言われた時に
「それを信じます」と答えれば良いんじゃない。
極端なこと言うと洗礼とか作法にすぎないし、
ましてや「・・・しなければならない」とか「・・・してはいけない」も
特にいらんと思っていますよ。
830名無しさん@1周年:03/01/14 18:07
>>828
すみません。>>807>>805にたいするレスです。
831もとぴ:03/01/14 19:25
>822の補足
旧約聖書では、創世記12章から、人間は
・神に選ばれた民(選民)である、【イスラエル人(ユダヤ人)】と、
・ユダヤ人以外の人である、【異邦人】の、
ふたつに区分される。 

> 818
> 「異邦人の道に行くな」など異邦人は嫌われているのですか?
当時のユダヤ人は、異邦人を軽蔑していたようです。
ユダヤ人とサマリヤ人は、地理的に近くに住んでいたけれど、互いに断絶しておったようです。

イエスは、「よきサマリヤ人」(ルカ10:30-37)の例えからもわかるように、異邦人のことを、
決して、嫌っておったわけではない。
では、どうしてイエスは
「サマリヤ人の町に入ってはいけません。」(マタイ10:5)、と言われたのか?
それは、イエスが、「イスラエルの家の滅びた羊のところ」に、遣わされていたからです。
(マタイ10:6、15:22-28)
(つづく)
832もとぴ:03/01/14 19:31

。。。このスレでは、厳しい議論とツッコミが続いて、少し疲れたね。。。

しばらくは、初心者向けに、マターリとしたカキコや会話をしたいね。。。
833名無しさん@1周年:03/01/15 11:08
>798 もとぴさん レス遅れぎみですごめんなさい

>【神のお名前】
@についてはその通りです
Aに関しては、神の名に限っては、違うと思います
創世記18:1と3を比べ、また詩編14:4と5を比べてください
この4箇所はそれぞれ神の名があったところです

>【神のお名前を示すことば】
>「YHWH」は、へブル語の子音四文字で記された神のお名前(神名四文字)を、
>人間が、ラテン文字に訳したもの。
もとぴさんの仰っていたことの意図が分かりました。ありがとうございます
以前に神の名をヘブライ語で載せることに言及なさっていたのを思い出しました
70人訳が神の名を載せている場合も、テトラグラマトンを使っていますし、
YHWHはラテン語の文字なので、ある意味では手が加えられたともいえますね

でもアドナイやエロヒムと書き換えられた旧約のラテン語訳と比べるなら翻訳上、正確です
発音(ここでは子音字)も意味も元来異なるような他の語への置換ではないからからです
私はこの範囲で、YHWHは神の名そのものに当たると思います

>「主・神(YHWHではなく)」がイエスを表す解釈の場合の例を、教えてください。
もとぴさんにより既出ですがトマスの言葉、イザヤの9章などがあります
福音書では「主」がイエスを指す事例が多いですよね

>「神の目的」について、解説を希望します。
現役時代の経験ですが、
被造物に対する神の目的は、唯一まことの神の崇拝において一致することと学びました
834名無しさん@1周年:03/01/15 11:16
>。。。このスレでは、厳しい議論とツッコミが続いて、少し疲れたね。。。

お疲れ様です。
ネット自体は有益な面もありますが、
あまり望ましくない面もありますね

あまり疲れない程度に頑張ってくださいね
835もとぴ:03/01/15 17:23

「表示できなくなる」。。 ということなので、
申し訳ないけれど、誰か、新しいスレをたててやって下さい。
よろしくお願いいたします。

それと、私は急用のため、カキコは二日間ほど休みます。
836名無しさん@1周年:03/01/15 18:48
「イスラエルの失われた羊以外の者には、つかわされていない。」
私たちはどうなるんだろう。
「わたしは、この都の中には聖所を見なかった。全能者にして主なる
神と小羊とが、その聖所なのである。〜」
私たちは世間で言われている良識に沿って、世間で言われている悪いこと
をしないようにし生きればいいんだと思いました。
>831
837もとぴ:03/01/16 17:42
>836
> 「イスラエルの失われた羊以外の者には、つかわされていない。」
> 私たちはどうなるんだろう。
今日は、カキコ休むつもりでいましたが、走り書きで836さんにレスを付けます。

・マタイ15:22-28
カナン人の女(異邦人>831)は、イエスに突き放されたようですが(24-26節)、
それでも彼女は、イエスに食い下がった(27節)。
イエスは、彼女の信仰をほめ、彼女の願いどおりになりました(28節)。

簡単に言うと、「優先順位があった」ということです。
「ユダヤ人」にたいする神の計画と、「異邦人」にたいする神の計画がある。
救いは、まず、ユダヤ人に差し出された。
けれども、ユダヤ人たちは、イエスを殺した。
聖霊降臨後、弟子たちは、イエスの死と復活(キリストの福音)を宣べ伝えるようになり、
ユダヤ人の中から救われる者もあった。
しかし、ユダヤ人の多くは、キリストの福音を拒否した。
。。。 そして、〔使徒13:46〕 となった。
838名無しさん@1周年:03/01/16 20:29
>837
そこに大きな願いを叶えて下さる人がいるのに「でも」と言って自分の良心にも従おうとした。
捨て身の愛でしょうか、愛は自分の利益を求めないことを実践した女を褒めたのでしょうか
イエスの言葉に従い、さらに自分の良心にも従うことをおおきく褒めたと私は思いました。

そして、聖書は異国の私たちにも届き「主よ、わたしたちをお助けください」と願えば、「物を
追い求めるだけでは、よろしくない」と言われ豊かなはずのこの日本だが次々に問題が起っている
のを解決して下さると勝手に私は思いました。

しかし、「世の心づかいと、富の惑わしと、その他いろいろな欲とがはいってきて、御言葉をふさぐ
ので、実を結ばなくなる。」と書いてあるますので私は今自分が何事もなく、聖書を少しづつ読んでいる
ことに幸せを感じています。これは神がくれた幸福感だと思います。
TV 新聞報道など見ているとうんざりです。増税する役人に「バカ!もっと節約するところがあるだろ?」
などという日頃の自分の思いがなくなり、与えようとする心が湧き、やすらいでいます。
839わけあって:03/01/16 21:19
エホ証のひとは、エデンの園=パラダイス=地上の楽園と言い切ります。
 例えとして、「その荒野をエデンのように、その砂漠平原をエホバの園
のようにされる。」イザヤ51:3 をあげられました。
「百科事典には、パラダイスには庭と言う意味がある。」ともいわれました。
イザヤ51:3はパラダイスのことの予言なんでしょうか?
それと、クリスチャンのパラダイスの解釈を教えてください。
よろしくお願いします。
840名無しさん@1周年:03/01/17 19:56
すいません、私も質問したいのですが、新しいエルサレムってどこですか?
(ヨハネの黙示録21章2)
841もとぴ:03/01/17 20:48
> 838 名無しさん@1周年 さん。
> 、、、 これは神がくれた幸福感だと思います。
その通りかもしれません。是非、聖書を読み続けてください。

一冊だけ、本を紹介します。
「新約聖書入門」 三浦綾子 著  光文社 知恵の森文庫   514円+税
842もとぴ
>839 わけあって さん。
どのような質問が来るのかと、待っておりました。

私が過去に受け止めてきた いろいろなメッセージを要約して、お答えします。
プロテスタントの立場がベースですが、牧師にもいろいろと個性がありまして、、、
個性的な内容を紹介しますので、これがプロテスタントの定説と思わないでくださいまし。。。

「神の目的」 その1
聖書には、永遠から永遠が記されている。
神が、万物を創造される前から、神はおられた。
神が、万物を創造された時、「それは非常によかった(創世記1:31)」。(神の一元的支配)
しかし、神に創られた「霊的存在」の中から、神の支配に反逆する存在が、現れた。
サタンと、その使いである悪霊です。