●ろんぎぬすの専用スレッド7■

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>450 :もとぴ :02/12/05 20:28
>そうでしたか。あなたは「三位一体」を、「父、子、聖霊」の意味で使っていましたか。。。
当然ですが。ただ東方正教側の立場でモノを言う者なんで、
「至聖三者(しせいさんしゃ)」という呼び方ですがね。
「三位一体(さんみいったい)」だろうと、
「父なる神、神の子キリスト、神の霊の聖霊」だろうと、
「父と子と聖神(せいしん・聖霊)」だろうと、私には名称に固執する問題でないんです。
で、賛美歌や祈祷の実際では「父と子と聖神の名による」
「・・・光栄は・・・父と子と聖神に帰す、今もいつも世々に。アミン。」と唱えますがね。
他人に説明する時はカトリック教会の言う「三位一体」の神様を信仰し拝んでますよ。
東方正教会だと「至聖三者」って呼ぶの。くらいに話すだけ。

>そのような「三位一体の用語や教義は信仰の対象ではない」と、書いたのです。(>>441
「カトリック教会」や「正教会」や「日本基督教団」の
一般信徒向けの解説書の「三位一体を信じる」記述を否定したようなものですね。
誰がドウ読んでも「用語の問題」に読みませんよ。読んだ通りですから。
>450 :もとぴ :02/12/05 20:28
>「父と子と聖霊」を、「三位一体」という語に置きかえるようでね、、、
はぁ?
ちなみに正教会は「父と子と聖神」といいます。
「父と子と聖霊」という語に置き換えているようで、
嫌いだという正教徒(ハリスティアニン)にあった試しがありません。
逆にカトリック教徒(クリスチャン)にも寡聞にして聞きません。
物知りが、それは正教の言い方ですよね。
「三位一体」も「至聖三者」って言うし「それぞれだから」で終わりですよ。
「読みたくない」だの「言い換えない」だの、こだわった奴を聞かない。

>「イエスを信じる」ということは、同時に、「父なる神と聖霊を信じる」ということだと思う。 
 ユダヤ人やイスラム教徒はソウは考えないよ。
私と「もとぴ」サンが「三位一体」を前提にモノを考えているからこそ出来る説明であって、
私はキリスト教徒の立場でこの引用文を読むから、
あっそう。で、すますけど、そういうのは詭弁の説明だね。
 常識で字面(じづら)から理解しようとすれば、
別々のものを信じているから支離滅裂な説明に聞こえるね。
 たとえば「人間であるマホメットを信じる」ということは、
同時に、「唯一のアラーと善なるジンを信じる」ことって、聴いた人は受け取らないよ。
 三位一体を採用しないなら、
「パウロ書簡を信じる」ということは、(旧約)聖書は神の霊感により書かれ、
「聖書なる神と霊感を信じる」と、同意義に見る人がいるかドウか疑問だね。
ちなみに「パウロ行伝」「パウロによる黙示録」はパウロ書簡から教会会議で外されましたが。
「ペテロによる福音書」「ペテロ行伝」「ペテロによる黙示録」も外されました。
現代人の誰が読んでも怪しく妖しい内容だから。
>451 :もとぴ :02/12/05 20:31
>このカキコが「×」というなら、その根拠を、聖書から示してください。
もとぴサンこそ
>「子(キリスト)」を信仰し
の引用箇所を示してください。私は「通して」をユダ25で示しました。
 もとぴサン流の言いがかりを真似すれば、本意でないが、
「子」は「神の子」ではないし「キリスト」と言葉を言い換えるのは難色。。。とか、
「キリスト」は「メシア」と発音記号や文字列が異なり「救い主」でない別のものだ。
って困らせる事は出来ますよ。

>452 :もとぴ :02/12/05 20:32
>ただ、あなたの判断基準によって、私のことを決め付けてほしくないだけ。
「カトリック教会」や「正教会」や「日本基督教団」の基準を
「信徒の本」を引用して説明しただけ。
気に入って戴けなかったら残念ね。で、お仕舞いですよ。

>洗礼は、その教団で受けたよん。
そうでしたか。もう適当だから異端に拘らんし。
 私が仮に洗礼に選ぶなら、
洗礼名とかホーリーネームや聖人や天使が欲しいのでカトリックか正教ですね。
好みとかタイプの問題ですかね。
ただ洗礼を授ける向こう側(教会側)にも、それぞれ選ぶ権利はあるし自由だから。