13 :
ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :
【 初期教会小史 】
30 イエス十字架刑・復活・昇天・聖霊降臨
31 ステパノ殉教(エルサレムにて)
64 主の兄弟ヤコブ殉教(エルサレムにて)
61-65 パウロ殉教(ローマにて)
67-68 マルコによる福音書、ペテロの殉教後に書かれる
100年代に「司教職」「信条告白(クレド)」「経典(聖書)」を拠り所とする教会的基準が確立。
200年代は迫害や、異端との闘争が続く。
A)203年ごろ 三位一体を言い出したテルトゥリアヌスの生きた時代には、
黙示録の類は否定されており、ヘブライ書・バルナバの手紙・ヘルマスの牧者を、
新約聖書の正典として読む教会があった。
B)313年 ミラノ勅令 (コンスタンティヌス帝によりローマ帝国が)キリスト教を公認。
C)325年 ニケーア公会議で「カイサリア信条」の「父と子は同質である」同質論を決めた。
D)381年 三位一体を「ニケア・コンスタンティノープル信経」と共に決めた。
ローマ帝国東部の4総大司教座のうちコンスタンティノープルが第1の地位と決める。
E)397年 (西方教会)カルタゴ(地方)会議で27書を(新約聖書の)正典と確認。
F)431年 エフェソス宗教会議でマリアに「神の母」の称号を決めた。
F)451年 カルケドン宗教会議でキリスト論に於ける「神人二性一位格」を決めた。
G)692年 コンスタンチノープルのトゥルルス会議でヨハネ黙示録を新約聖書に入れた。
H)787年 ニカイア公会議「聖像の尊敬」を決定。
I)790年ごろ 南フランスで使徒信条のテキストが書かれた。
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ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/17 22:14
キリスト教史T 山川出版社 第五章 キリスト教ローマ帝国
1 東方における教会と国家
325年 ニケーア公会議(同質論)
カイサリアのエウセビオスが提出した「カイサリア信条」に、
「父と子は同質である」という言葉を挿入したものが、・・・採択されたので、
アタナシウス派の勝利、アリウス派・・・異端とされ・・・追放
327年 第2二ケーア公会議 アリウス派的な信条を決定・・・
335年 テュロス教会会議で、アタナシウスを破門、336年追放・・・
・・・アリウスは腸が裂けて頓死した・・・
355年 ローマ司教・・・に、アリウス派の・・・就任・・・
双方の間に乱闘が起こり3000人が殺傷された・・・
拷問を用いてまで・・・再洗礼を強要・・・
381年 第1コンスタンチノープル公会議(三位一体論)
「ニカイア・コンスタンチィノポリス信条」
父と子と聖霊なる三つの位格(ペルソナ)の中に示す一つの神と宣言された。
431年 エフェソスの公会議(神の母論?)・・・
ラオディケイアの司教アポリナリオス・・・アンティオキア学派の猛烈な反対、
マリアを「神の母」と呼ばず「キリストの母」・・・ネストリウスの主張・・・
これに対するアレクサンドリアの司教のキュリロスの再反論・・・
「強盗会議」と呼ばれる醜態を呈した。
411年 カルタゴ教会会議(恩寵論?) ドナティズム紛争
アウグスティヌスの事効主義「教会と聖職職階制には聖霊が宿っている。
司教の行う聖典礼の効果は、司教の人格によるのではなく、聖霊によるのである。」
451年 カルケドン公会議(両性論)「聖書の決定?」「カルケドン信条」
「両性は一つの人格、一つの本質の中に並存する」が「両性説」
「単性説」はコプト教会、シリアのヤコブ派教会、アルメニア教会。
2 西方の情勢
p208 ペテロの座 ローマ教会は「使徒相伝」は、
ローマ司教リベリウス(在位352〜366)の354年の「リベリウス表」が根拠であった。
ペテロはイエスの死後10年(AD40)でローマ司教に成っていたとする史料であった。
パウロのローマへの布教は、それからズット後であった。
15 :
ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/17 22:15
【 聖書の構成変化の流れ 】
55年ごろからパウロ書簡、64年以降にマルコ伝、
110年ごろまでにヨハネ伝・ヨハネ書簡・ヨハネ黙示録。
@マルキオン(140年ごろ)の聖書、ルカ伝+8書簡。
Aイレナエウス(180年ごろ)の聖書、4福音書+使徒行伝+13パウロ書簡
(フィレモン・ヘブライ・Tペテロ・TUヨハネ除く、黙示録は外典)
Bテルトゥリアヌス(203年ごろ)の聖書、
4福音書+使徒行伝+13パウロ書簡+ユダ書+ヘブライ+バルナバ+ヘルマスの牧者
Cオリゲネス(200年代前半)の評価、27書は疑わしい。
●ヒエロニムス(300前後)がラテン語聖書の編纂の際に旧約をヘブライ語から翻訳。
Dエウセビオス(325年ごろ)ニカイア会議前から「教会史」書き始める。
E小アジアのラオディキア会議(363年)、ヨハネの黙示録を除く26巻を正典に。
Fアタナシオス(367)第39復活祭書簡、26書を増やしても減らしてもいけない。
Gヒッポ会議(393)カルタゴ会議(397)27書を正典と確認。
Hコンスタンチノープルのトゥルルス会議(692)
東方教会がヨハネの黙示録を、外典から正典に承認し27書を決定。
Iルター(1522)ヘブライ・ヤコブ・ユダ・黙示録を正典から外す。