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× 3世紀ごろの写本の断片も存在するが,・・・次のようなものがある.
○ 2世紀ごろの写本の断片も存在するが,・・・次のようなものがある.
2世紀つまり100年代で、
マルキオンのルカとパウロ書簡のみの聖書(140年代)や、
ヨハネ福音書・書簡・黙示録(110〜150年代)が出来た、
グノーシス・キリスト教(異端)が全盛の頃。
>193 つづき。
それと諸々の紹介。
○ヨハネ福音書・書簡・黙示録は、パトモス島流刑の使徒ヨハネ(85年〜90年)による執筆。
従来は学者により2世紀の中頃(133−167年代)に書かれたという。
ジョン・ライランズ・パピリという,この福音書の写本(135年と推定)の断片が発見され、
発見されたエジプトの内陸部まで伝わるためには,
少なくとも数十年はかかると考えられるから90年代と推定したのである。
○マルキオン(140年代活躍)は黒海沿岸ポントス・シノペ生まれ、ローマに行った事がある。
★かつて正典であったり正典と同じように使われていた書簡。
( 五世紀前夜の397年のカルタゴ会議で決定した新約聖書27巻以前の重要書簡 )
『十二使徒の教訓(ディダケー)』50〜70年頃、100〜150年頃の
2つの執筆年代説がある。 教会運営が内容。著作場所はシリア。
『バルナバの手紙』70−96〜98−170年頃の著作。
シナイ写本でヨハネの黙示録の後に載る。著作場所はアレクサンドリア。
『ヘルマスの牧者』110年代〜130年頃、及び140年代。
シナイ写本の正典。著作場所はローマ。
★グノーシス異端に対する反駁。
ガリア・リヨンのエイレナイオス(170年代に司祭[長老])の
『異端反論』ラテン語訳で現存。
ローマのヒッポリュトス(170年代生まれ)の
『全異端反論』(200年代執筆)西方最後のギリシア語著作者。
キプロス・サラミスのエピファニオス(315年生まれ)の
『薬籠(薬箱:パナリオン)』(373年ごろ執筆)とアポリナリオス異端。
→ 【 原典 古代キリスト教思想史 全三巻 小高毅編 教文館 】
→ 【 エッセンシャル 聖書辞典 山口昇監修 いのちのことば社 】
>194 つづき。
★教理と教会成立の歴史。
@シリア・アンテオケア監督のイグナチィオスによる
『監督−長老−執事』の聖職者の階級制度の確立(100年前後)。
Aカルタゴのテルトゥリアヌス(150年代生まれ)の
『神の三位一体説』と、モンタヌス異端。
Bローマのヒポリュトス(170年代生まれ)の
洗礼(バプテスマ)に聖餐(エウカリスティアその名は感謝)を含む典礼など説明の
『使徒伝承』と、サベリウス異端。
Cパレスチナ・カイサレイアのエウセビオス(260年代生まれ)が、
『ルカの使徒行伝』の歴史物の続編『教会史』を執筆。313年カイサレイア監督。
Dアレクサンドリアのアタナシオス(295年生まれ)の
『父と子は同一本体(ホモウシオス)説』と、アレイオス異端。
Eシリア・アンティオケイアのヨアンネス・クリュソストモス(340年代生まれ)の
『金口イオアン聖体礼儀』と『ユダヤ人迫害』の始まり。
Fダルマチア・ストリドニアのヒエロニムス(340年代生まれ)が、
『ラテン語聖書の翻訳』(400年前後)とオリゲネス論争(380年代)。
Gコンスタンチノポリス公会議(テオドシウス帝による第二回の全国宗教会議)の
『[ニカイア・コンスタンティノポリス]信条(クレド)』(381年)の成立。
キリスト教徒でありながら、オリゲネスはギリシア人的(アレイオス異端的)に考え、
ヒエロニムスはローマ人キケロ崇拝者と決めつけられていた。
Hミラノのアンブロシウスによる『使徒信条(アポストルのシンボル)』の文句を使用(390年代)と、
『古ローマ信条』クレド(信仰告白)が出来た。アンブロシウスはアウグスチヌスの師。
現行の文面に出来上がった使徒信条は、ジャルルマーニュ時代で、
八世紀前半コンスタンス湖近くのベネディクト会修道院の創設者ピルミニンの著書が最初である。
→ 【 原典 古代キリスト教思想史 全三巻 小高毅編 教文館 】