●ろんぎぬすスレッド8■

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☆もとぴさんと一緒に聖書を解釈しよう☆
>487 :もとぴ :02/12/14 22:24
>日本語では、「信じる」と「信仰」の、使い分けがある。 >>468
>ギリシャ語も英語も、語としての使い分けないようだ。
 ええ、共通認識です。

>488 :もとぴ :02/12/14 22:28
>・・・ というのが、あなたの考えのようですね。
 そうです。神認識においては。
>日本語では、「信じる」と「信仰する」は、使い分けています。
 そうです。神様が相手でないですから。
 外人宣教師は言います。アナタは カミをシンジますか?確か「信じる」って使ってました。
>私のように、「信仰」という言葉を 厳密に考えている者のほうが少ないのかな。。。
 同感です。
>けれども、「聖書を信じる」 という立場においては、
>「信仰」は、厳密な意味として使われるべきと、私は思う。
>> これが、「信仰」 の 対象になるわけではない。 
 もとぴサンは、もとぴサンでイイんじゃないの。私の方は特に用語に拘ってませんから。
 違いを述べただけの反発だったから。それだけじゃないよと言う風なもの。

>489 :もとぴ :02/12/14 22:31
>「詳訳聖書」は、「THE AMPLIFIED NEW TESTAMENT」(1958年、ロックマン財団発行)
>いのちのことば社。 どこの教団とか教派とか、わかりません。
 そーゆーのも、あるんですね。初めて知った。いや、有り難うございます。
>「生まれた」は、イエスの存在・神としての本質・父なる神との関係 について述べていると思う。
>「遣わされた」は、イエスは、父なる神のみこころとして(世を救うために)この地上に遣わされた。
 確かに、そのような見方もありますよね。人それぞれ、だから。
以下、ザッツOK。