1 :
机代理 :
2012/09/29(土) 14:46:17.25 ID:e4ekenxE
精神疾病があると世界の見え方も違うだろうし 知覚できる物が違えば宗教も信じやすいだろうね
4 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/01(月) 09:47:00.20 ID:LtBP1Kio
>>2 >精神疾病があると世界の見え方も違うだろうし
私は、自己愛性パーソナリティー障害について色々と研究してもましたけど、
この障害は、精神疾患(つまりキチ外)と神経症を併発しちょる人格障害であるらしい。
神経症というのは、その病識は多岐に渡るけど、
潔癖症とか、または恐怖症とかもメジャーであります。
仏教議論スレで語ちてる輩は、あれは恐怖症の一種ですね。
死後恐怖症というべきや?なにしろ死ぬのが怖くて怖くて日夜恐怖感でいる訳です。
その恐怖を緩和するのは、2ちゃんの宗教板が彼等にとっては救いとなる。
「死んでも、輪廻転生しほすい」。この悲願の確証を是非とも得たい訳です。
そういう人間にとっては、私などは精神を錯乱する要因でしかない。
(注意:私は彼等の輪廻転生願望の破壊者に過ぎんのですから・・)
彼等は、「人間が悟ると死後の世界の確証を得る」と、そのように信じております。
これはもう、神経症というより精神疾患の部類に入りますね。
誇大妄想狂です。
誇大妄想の自覚がある方や、また自覚がなくても相談したい御仁がいましたら、
どうか相談してください。
輪廻転生に拘らずとも救われる道はございます。
5 :
@ :2012/10/06(土) 16:26:23.12 ID:UYeMNxzc
自帰依しかない!!と絶叫する偏執について 自帰依は法帰依とセットである 自灯明、法灯明の言葉から分かる通り不岐のものだ 自を離れて法なく、法を離れて自はない 自我と、縁起の理法を無二とするのが三昧である また、法帰依は仏・法・僧の三宝帰依を意味する 仏を離れて法はなく、法を離れて仏もなく、また法を離れて僧はなく、僧を離れて法もなく、 また仏を離れて僧はなく、僧を離れて仏もない これらは三位一体のように一つのものだ ところが机さんはこれが理解出来ない
6 :
A :2012/10/06(土) 16:28:34.66 ID:UYeMNxzc
自と法は車の両輪の如しだが、片輪走行をすればどうなるか? それは同じ所をグルグル回り出す 机さんもまた常に循環論で妄想の迷走を繰り返し、抜け出せない 法つまり仏陀の教えが欠落しているから 自分の主張と法が合ってるかどうかも分からなくなっている 挙げ句に自らを釈迦仏陀や龍樹と同等かそれ以上の天才と幻覚し、悟入したと思い込む それは自明ながら真実ではない 机さんはとにかく排他的で独善的で、誤りを指摘しても無視し、都合の悪いことは見ない
7 :
B :2012/10/06(土) 16:30:31.62 ID:UYeMNxzc
だから釈迦仏陀がどれ程に人望があり、教えを請われ、尊敬されていたか といったことと、机さんが勝手に悟入したと嘘をつき、誰からも相手にされず、 いつどこで発言しても必ず批判、反駁され、誰からも認められず、評価もされず、 尊敬もされず、その言葉によってたった一人にさえ感動を与えることが出来ていない ことに関してまるで反省もなく、慚愧の念の欠片もないのは 精神が普通ではないからだ 実は精神疾患の方の脳において機能障害があると見られる部分と、 言語機能を司っていると思われる部分にはどうやら相関関係があるらしい、 ということが分かってきた
8 :
C :2012/10/06(土) 16:36:57.16 ID:UYeMNxzc
恐らくどこかの遺伝子が何らかの環境要因によって働き出し、もしくは活動を停止し、 脳のその部分の神経発生を阻害している もしくは神経を破壊している、と思われる きっと釈迦仏陀は涅槃浄土で一筋の涙を頬に伝わらせていることだろう ついでにいうと、そもそも悟入などというのは禅宗しか認めていない 他の宗派では凡夫は簡単には悟れないことになっている そして禅宗においては師匠の印可が無ければ悟りと認められない 机さんの主張、言説は妄想、幻覚、狂気の領域にこそ入っている
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E6%8C%81%E7%A5%88%E7%A5%B7 加持祈祷(かじきとう)とは、密教において重視される仏の呪力を願う一種の儀式
「加持」とはadhisthanaの訳で手印・真言呪・観想などの方法で加護を衆生に与えること
「祈祷」とは呪文を唱えて神仏に祈ることを意味する
本来は祈祷は加持を得るための手段の1つに過ぎないが
混同されて用いられることが多い
真言密教においては、手に印契を結び鈷を用いて
護摩をたき、真言(マントラ)を口唱して仏の加護を求める
祈祷を行う儀式である修法(しゅうほう)には大きく分けて息災・増益・敬愛・調伏の4つの体系があり
これにより除災招福などの現世利益を期待した
日本ではこうした加持祈祷は仏教伝来以後日本古来の
呪法 と結びつきながらしばしば行われ
聖徳太子が父用明天皇のために法隆寺を建立したこと
天武天皇が皇后鸕野皇女のために薬師寺を建立を行ったことも加持祈祷の一環であったとされる
鎮護国家の思想とも結びついて「金光明経」や「仁王経」の読経が盛んに行われた
_ _ _
↑ このスレの呪いと呪法について
宗教と精神疾患2
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1338854916/763 763 名前:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. [] 投稿日:2012/10/05(金) 16:02:10.97 ID:haREnLBs [3/3]
>机先生は犬神憑き愛人と別れる事が出来ないんじゃなイカ? おじゃる?
いや、何度も私から別れ話は持ち掛けてます。が
「振られちゃったね」。とか自己愛が言いつつも、また電話とか掛ってくるのです。
これは自己愛の特徴でして、私にベタ惚れしている訳じゃない。
付き合うべきか?付き合わざるべきか?の選択は、
アゲマンか?サゲマンか?に掛ってきます。
これは女と付き合ってると、そういうことが少しだけ予見できるようになる。
50代の女ですから、女の魅力というよりも精神的に合うか?または
肌が合うか?
このように考えていくと、なかなか私の理想とは程遠いですね。
つまりサゲマンです。
アゲマンというのは第六感で分かります。
神通力とかいうんでしょうか?そういうのは経験的に蓄積されてきます。
仏教とは関係ありませんが・・・
13 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/06(土) 18:31:43.98 ID:s1ilpd/N
>>5 >ところが机さんはこれが理解出来ない
私は伝統宗派の末席におるものですが、貴殿が書かれた言説とは違いますね。
貴殿は何も知らんようですからヒントだけ書きましょう。
三法帰依についてですが・・・
悟ると「心は是仏なり」と確信を得ます。
ところがですが、それはまだ悟りには至っておらんのです。
悟ることは、荊の道を歩むことです。
実際、自分がドン底におちまして、全て喪失し、なんも残滓もないような状況において、
そしてそこから微かな光明を見出してとき、そこに三法は帰依どころか
なにも無い状態なのであります。
仏はおらんかった。
そうしてやっと目が薄ら開いてくるのです。
これを見性などというのですが、見性は既に三法帰依はないのです。
以上、簡単でありますが某伝統仏教宗派のお話であります。
勿論この宗派は日本においてもメジャーであります。
貴殿も御存知の宗派でありますね。
ネットで調べてみては如何でしょうか?
15 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/06(土) 18:39:55.08 ID:s1ilpd/N
>>8 >ついでにいうと、そもそも悟入などというのは禅宗しか認めていない
悟入しないと、そもそも中論解釈は無理です。
論理学ですとインド哲学になります。
この範疇ですと、語義はギリシャ哲医は通用しません。
そのコンセンサスがあれば、印哲で充分に説明は可能です。
16 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/06(土) 18:40:43.74 ID:s1ilpd/N
× 哲医 ○ 哲学
18 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/06(土) 18:52:03.40 ID:s1ilpd/N
三法帰依は、つまり彼岸へ至る筏(いかだ)なのであります。 三法帰依にだけ拘っておったら、いつまでも彼岸には至ることはできんのです。 君達は、輪廻転生から解脱したいんだろ? だったら解脱することもできるのです。それは彼岸に逝くことであります。 彼岸は、三法は既に無いのであります。 つまり世俗からの解脱であります。 三法どころか、もう輪廻も転生もないのです。 おめでとう!!これで解脱完了です。
>>15 机先生
> 悟入しないと、そもそも中論解釈は無理です
> 論理学ですとインド哲学になります
> この範疇ですと、語義はギリシャ哲学は通用しません
> そのコンセンサスがあれば、印哲で充分に説明は可能です
日常生活の中での
第六表面意識だけの哲学的な思惟による 気づき では変化は起こらない
第八識(阿頼耶識)を所依として
第八識の見分を所縁として生じる末那識(まなしき)によって
睡眠中でも深層において働き続け
根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続けている故に
この深層的な自我心を滅することによって、我々は初めて真の無我行を実践することができる
この深層的な自我心を滅し尽くして
最終的には阿羅耶識もまた空である(境識倶泯)
と言う体感会得に至る事が出来る故に
20 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/06(土) 19:17:30.40 ID:s1ilpd/N
>>19 私はもう寝る時間だから、貴殿に良いことを教えてやろう。
世俗締では正しいことでも(例えば三法帰依とか)
勝義締では正しくない場合もある。
>最終的には阿羅耶識もまた空である(境識倶泯)
とあるように、「哲学的思惟」とは正邪分別のことだから
勝義締に至ったならば、正邪こそ迷いでしかない。
ならば・・・その時点ですでに世俗締は崩壊しちまう。しかしながら、
それでは世間で生きられんから、あえて世俗で生きる。
これが菩薩道だよ。
では、おやすみ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%B3%95%E5%83%A7 三宝
仏・法・僧(僧伽)のこと
この三宝に帰依することで仏教徒とされる
上座部仏教においては
涅槃を独自に発見した「仏」(釈迦)、その仏の説いた教え「法」
その教えを受けることで四向四果に達した者の集団である「僧伽」
であるとされる
ただし、一般には出家僧の集団がサンガと同一視される
大乗仏教においては
悟りの体現者である「仏」(釈迦、如来など)、仏の説いた教えを集大成した「法」
法を学ぶ仏弟子の集団である「僧」、といった理解がもっとも一般的である
ほかに、「仏」を仏像、「法」を経巻、「僧」を出家者、と捉える理解もある
聖徳太子が制定したと言われる「十七条憲法」には、第二番目の条項に
「篤く三宝を敬え。三宝とは仏と法と僧となり」という文言がみられる
大乗の『大般涅槃経』では
仏・法・僧の三宝は一体であって本来は区別されるものではなく
如来常住を説く法もまた常住であり、僧もまた常住である、と説く
また、そのために如来は一帰依処として三宝に差別(三差別)は無いと説いている
五蘊仮和合によって
睡眠中でも深層において働き続け、根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続ける
この深層的な自我心によって
異蘊相続によって
因 → 縁 → 果 → 報 → 次の因への相続によって現れている
心の働きは変化しているので自性ではない
この自性ではないと言う事においては分別もない故に
常見(じょうけん)でもなく、断見(だんけん)でもない
それ故に
http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron03a.htm 中論觀法品第十八
一切の心行は皆、是れは虚妄であり虚妄の故に滅するはずだ
諸法の実相は諸の心数法を出て無生、無滅であり涅槃のように寂滅の相だと
それ故に
八聖道分を修習して我、我所を滅する因縁の故に無我、無我所を得て智慧を決定する
諸の禅定の中に滅尽定を以って第一と為し又、終に無余涅槃に帰する
仏教 議論スレッド 46
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1347797650/793-795 795 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/10/06(土) 20:04:05.36 ID:wraekWWA [22/22]
> 平行パーリでは「自分を拠り所にせよ」とあるので
ああ、誤解なきように、文脈がないと分からないけど
自洲も同じ意味だよ。
自分の身体、有暇の人身を拠り所にして輪廻を渡れでしょ
ただ、増谷解釈のような自分で判断しろとか、自分の見方を信じろという意味ではないでしょ
もちろん、カーラーマ・スッタのように経典を吟味しろということはある
しかし、増谷解釈のような自分の信じろという意味は、ないでしょ、という意味だよ〜
793 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/10/06(土) 19:54:58.17 ID:wraekWWA [21/22]
一つ感想を言うと、もともと原始仏教とか、パーリへの関心は希薄だったんだよね
でも、ネットではキリスト教文献学みたいな原初が正しいみたいなドイツ文献学が根強くて、原始仏教を学ばざるえなかった
その御蔭で中論の理解が進んだ面もあるのは有りがたかった
雜阿含經卷第五
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&nonum=&kaeri=&mode2=2&useid=0099_,02,0032a21 T0099_.02.0032a22: 告仙尼。今當爲汝隨所樂説。佛告仙尼。色
T0099_.02.0032a23: 是常耶。爲無常耶。答言無常。世尊復問。仙
T0099_.02.0032a24: 尼。若無常者是苦耶。答言是苦。世尊復問
T0099_.02.0032a25: 仙尼。若無常苦是變易法。多聞聖弟子。寧於
T0099_.02.0032a26: 中見我異我相在不。答言。不也世尊。受想
T0099_.02.0032a27: 行識。亦復如是。復問。云何仙尼。色是如
T0099_.02.0032a28: 來耶。答言。不也世尊。受想行識。是如來
T0099_.02.0032a29: 耶。答言。不也世尊。復問。仙尼。異色有
T0099_.02.0032b01: 如來耶。異受想行識有如來耶。答言。不
T0099_.02.0032b02: 也世尊。復問。仙尼。色中有如來耶。受想
T0099_.02.0032b03: 行識中有如來耶。答言。不也世尊。復問。仙
T0099_.02.0032b04: 尼。如來中有色耶。如來中有受想行識耶。
T0099_.02.0032b05: 答言。不也世尊。復問。仙尼。非色非受想行
T0099_.02.0032b06: 識有如來耶。答言。不也世尊。佛告仙尼
色是常耶爲無常耶 ← 色は 常か? 無常か? 答言無常 ← 「色は無常である」と答えた 見我異我相在不 ← 我と見るか? 異我か? 相在か? 不か? 色是如來耶 ← 色は如来か? 受想行識是如來耶 ← 受想行識は如來か? 答言不也 ← 「不なり」と答えた _ _ _ 私【?】が持っている 阿含経の解説書によれば 如来は仏の他に衆生と言う意味の場合もある と言う事であるらしい 色は自我(常住自性)か? 受想行識は自我(常住自性)か?
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html 是の如く我れ聞きぬ
一時、佛、拘留搜の調牛聚落に住まりたまへり
爾の時世尊、諸の比丘に告げたまはく
「我れ今汝等が爲に法を説くべし
初・中・後・善く、善義善味、純一滿淨にして梵行清白なり
所謂第一義空經なり
諸の比丘、眼生ずる時來處有ること無く、滅する時去處有ること無し
是の如く眼は實には而かも生ぜず、生じ已らば盡く滅す
業報有るも而かも作者無し
此の陰滅し已らば
異陰相續す
俗數法をば除く
耳・鼻・舌・身・意も 亦是の如く説き 俗數法をば除く
俗數法とは 謂ゆる此れ有るが故に彼れ有り。此れ起るが故に彼れ起る
無明に縁りて行、行に縁りて識、廣説乃至純大苦聚集起るが如く
又復た此れ無きが故に彼れ無く、此れ滅するが故に彼れ滅す
無明滅するが故に行滅し、行滅するが故に識滅す
是の如く廣説し 乃至純大苦聚滅す
比丘、是を第一義空法經と名づく」と
佛此の經を説き已りたまひしに諸の比丘
佛の説かせたまふ所を聞きて、歡喜し奉行しき
http://www.daitouryu.com/iyashi/voice/voice03.html 渇愛による
異蘊(いおん)
慢断(我慢を断滅すること)ぜざるがゆえに、此の蘊を捨て己(おわ)りて異蘊相続して生ず
_ _ _
五蘊仮和合によって
睡眠中でも深層において働き続け、根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続ける
この深層的な自我心によって
異蘊相続によって
因 → 縁 → 果 → 報 → 次の因への相続によって現れている
心の働きは変化しているので自性ではない
この自性ではないと言う事においては分別もない故に
俗數法とは 謂ゆる此れ有るが故に彼れ有り。此れ起るが故に彼れ起る 無明に縁りて行、行に縁りて識、廣説乃至純大苦聚集起るが如く 又復た此れ無きが故に彼れ無く、此れ滅するが故に彼れ滅す 無明滅するが故に行滅し、行滅するが故に識滅す 是の如く廣説し 乃至純大苦聚滅す 比丘、是を第一義空法經と名づく _ _ _ 滅尽定(想受滅)によって → 渇愛(タンハー)を滅して → 無明を滅する 無明滅するが故に → 行滅し 行滅するが故に → 識滅す
http://semi.natura-humana.net/2003/contents/genzemi/bunken/2004-aki/abidaruma.pdf 仏教では輪廻もまた、無明(avidoya)によって生起した迷妄にすぎず
そのゆえに、解脱とともに消滅してしまうのである
だが、輪廻を否定すると業の主体や因果応報、また人格の連続性を否定されてしまう
そこでアビダルマで考え出されたのがプトガラ(人我)という考え方であるが
『ミリンダパンハー』では、このプトガラの存在を認めず
かわりに業の相続、つまり行為の連鎖的持続という考え方で
この難問をかわしたと考えられるが、これではまたアビダルマの
小乗的な法の恒有に戻ってしまうのではないだろうか
そこで、このアポーリアをクリアするために
仏教の深層心理学である唯識思想が登場してくる
(アビダルマは大乗仏教への架け橋 世親もここから出発している)
唯識では阿頼耶識という無始以来のすべての有情の
記憶が(大脳新皮質と古皮質の問題と考えあわせると興味深い)存在し
それが末那識(いわゆる無意識層)に働きかけ
結果的に意識上に表象された(業によって影響されているが)世界
つまり、識転変こそが我々の認識のすべてである、世界そのものであるとする
業(行為)はまた、その阿頼耶識に沈潜されて上記のプロセスを経ることで
我々の業を形成し続け、無明の世界の我々の存在となる
35 :
@ :2012/10/07(日) 11:32:54.10 ID:m3JqJz91
僕はいい大人を相手にバカだのアホだのいうのは余り好きではありませんが、 机さんは桁違いですねーいやはや 脳の言語機能障害と、誇大妄想症と、虚言癖の総合商社ですな もはや議論という形式は不可能なので幼稚園児でも分かるやり方にしましょうね、ハイ
36 :
A :2012/10/07(日) 11:34:23.70 ID:m3JqJz91
@机さんがいう日本国内の伝統仏教宗派には本山がないんですか? なければ伝統宗派とはいえないし、あれば三宝に帰依してるのでしょう 三宝が無なら莫大な維持費をかけて本山なんか営まないで、さっさと解体したらいい Aその本山には本尊を祀ってませんか? 祀ってなければ仏教ではなく、カルトです 祀っていれば三宝帰依です 帰依してないなら仏像だの荘厳だのみな、さっさと廃棄しましょうね Bそのセクトのプロパーの誰か一人でもいいですから机さんの悟入を認定した人がいましたか? いなければ机さんの悟入は正式なるインチキです
37 :
B :2012/10/07(日) 11:36:22.77 ID:m3JqJz91
もしいれば…それは、その宗旨の堕落、腐敗を意味し、間違いなく近い未来に絶滅しますよ 全く機能していない証拠だ 手形だけ乱発して倒産する企業と同じです この上記@〜Bは誤魔化さないで必ずありますか、ないですで答えて下さいね いつもズルして逃げてちゃ駄目ですよ さて、中論ですが何度もいうように中論はあくまでも空を解き明かした、悟入の為の手引きです もし悟入したなら中論は完全に不必要でただの紙っ切れに過ぎない ロケットのブースターのようなものです
38 :
C :2012/10/07(日) 11:38:14.04 ID:m3JqJz91
机さんがいつまでも執念深くかじりつき、中論についてはもう書かない といってはまた書き、赤子が母親の乳房にするが如くしゃぶって離さないのは 未だ悟りどころか隻眼も開かぬ証ですよ ついでにいえば、机さんは勝義締と世俗締の区別がまるで出来ていない 根本的に誤っている 勝義締は言語道断の世界です そこには一言半句もない 言葉によってコミュニケーションしようとすればそれは世俗締ということです もしそれが悟入していれば清浄世間智となって世間に働く 机さんのインチキ悟入智は全く働かないで僅か一人ばかりさえも説得出来ないでいる
39 :
D :2012/10/07(日) 11:40:17.31 ID:m3JqJz91
もう人生も半ばを過ぎ、折り返して残る余生ですよ もっと自己を見つめ、真摯に向上に勤め、嫌なことから逃避せず、自ら骨を折って、 労苦をいとわず、不惜身命で研鑽されたら如何か はっきり言うと、恐らくはPax6遺伝子に異常がある可能性が高い 机さんが大好きなネット検索を使えばたちまちに英語論文が出てきますから、 それを読んでみて下さいな そこら辺から少しずつ調べていくより他に解決の途はありません
40 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/07(日) 12:01:31.51 ID:tiSQLaN7
>>36 正法眼蔵においても、坊主向けと在家向けに、その内容が異なります。
例示しますと、在家向けにおいては三時業など説かれてます。
勿論この三時業については在家にしか通用しません。
教外別伝というのがありまして、坊主向けにつては室内です。
殆ど情報は開示されてません。
で、三宝帰依についてですが、これは在家向けです。
坊主は表向きでは室内のことは語ちたりはしないのです。
つまり坊主は仏には帰依しないのです。
(非心非佛)
>机さんがいう日本国内の伝統仏教宗派には本山がないんですか?
勿論、本山はありますし立派な寺院も建立されてます。
誰でもが知ってます。
41 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/07(日) 12:10:06.57 ID:tiSQLaN7
>Aその本山には本尊を祀ってませんか? 祀ってます。 >Bそのセクトのプロパーの誰か一人でもいいですから机さんの悟入を認定した人がいましたか? 悟入した方は、インダス河の砂の数ほどおります。 >さて、中論ですが何度もいうように中論はあくまでも空を解き明かした、悟入の為の手引きです 中論を読んで悟入することは不可です!! 悟入予後の「摺り合わせ」として中論は有効であります。 テキスト読んだだけで、何でも分かるなどというのは慢心です。 そこまで人間は賢くない。 しかし、そういう人間もいないことはない。非常に稀です。 (つまり慧能のように、瞬間に頓悟する場合もある)
42 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/07(日) 12:20:57.01 ID:tiSQLaN7
>>39 >もう人生も半ばを過ぎ、折り返して残る余生ですよ
>もっと自己を見つめ、真摯に向上に勤め、嫌なことから逃避せず、自ら骨を折って、
>労苦をいとわず、不惜身命で研鑽されたら如何か
そうですね。今研鑽しちょります。
菩薩道というのがどういうもんか?人生折り返し点に少しずつ分かってきました。
一休宗純などはいいですね。
見習いたいものです。
あのような生き方がいいですが・・・
私などはなかななか(笑
女犯も臆病ですから・・・一休先生などには及びもいたさぬ。
お恥ずかしい次第であります。
43 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/08(月) 08:02:32.41 ID:f4v5TXyV
920 :大滝秀治:2012/10/07(日) 23:15:21.33 ID:6Um4R3OG 無我と非我は、どちらなのか?ではなく、言語表現であることをふまえて(中論24-10)<相の違い>だ。 こんな簡単なことでさえも、古代人のコピー至上主義者には掴めない。 もう散々書いてきたから、説明しない。 あらよっ! 縁起の直接現実(あるがまま)をベースにして、存在は二相にて掴み得る。 ◎間接現実<分別知覚・記憶・判断の二項相対を通す> *世俗←分別相 @一切内 ・時間: 一切行無常(有⇔無の相対無) 空間: 一切法無我(有⇔無の相対無)★←無我(なし) A一切外 無記 B間接現実からの直接現実の隔靴掻痒の示唆: 間接否定形式(四句第4:直指肯定不可) 非有非無 非無常非恒常 不生不滅、 不一不異、 非無我非有我★★←(〜でない) *言語表記では、 <非(不)〇〇非(不)▲▲>という間接形式が直接現実を示唆できる限界。 ◎直接現実<無分別智直接智覚による縁起の現(あるがまま)観> *勝義←無分別相 ・〇〇〇〇〇 ⇒ (メタ空白) ←あえて空(知・不知も、沈黙・発言も不可:平常(無分別)心是道:あるがまま) ・無意味・無価値・無矛盾・無実体・無相・無分別の空=中道=時空際断(間接現実の空間・時間の“際”そのものが断たれている) _________________________________________________________________________________________ これが正解です!! (つづく)
44 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/08(月) 08:03:10.78 ID:f4v5TXyV
(つづき) しかし、かの仏教議論スレッドで大滝先生の書き込みの意味が通じるであろうか? 私は殆ど通じないかと思うけどね。 そもそも「二相」なんて意味が分かるだろうか? これは二締のことなんだね。 差別相→分別相→色のことなんだね。 無差別相→無分別相→空のことだよね。 この二相がつまり二締であらさられる。 まあ、私がこんなことを書いたとしても、豚に真珠なんだけど・・・ 輪廻転生からの解脱とは、その根源は古代印哲において明かされる。 印哲というのは、つまり仏教のことだよ。 学術的論証、というのなら、ここまで遡らんと無理かと思います。 テキストでは表層部分しか見えてこんですからね。 つまり、正法眼蔵が二層構造になってるが如し、中論においてもこの二層はまぬがれ得んのじゃよ。 これを解読せんと欲すならば、それは即ち二相にて鑑みる以外にない、ってこっちゃ!! ここまできてやっと中論の骨格が見えてくるのじゃ。
45 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/09(火) 10:02:15.09 ID:Da+xAl7J
仏教議論スレ47より
_______________________________________
50 :神も仏も名無しさん:2012/10/09(火) 08:33:04.90 ID:RTeBZJ9y
>>48 >「深遠で、見がたく、了知しがたく、寂静で、勝れており、思考と思惟とを超えており、
>微妙で、賢者だけが理解できる諸法がある」と称賛しているのは
>如来の悟りであって、62見ではないですよ。
いや、六十二見ですよ。「賢者」ってあるじゃないですか、それは外道を含む聖者のことですから
>流説でも浮説でも同じでしょう。
>62見を「流説」あるいは「浮説」と否定しているのです。
ですから、言葉・記号はともかくなんらかの見解です。
そこで重要なのは、観念的思弁的な単なる「流説」「浮説」ではなく
「深遠で、見がたく、了知しがたく、寂静で、勝れており、思考と思惟とを超えており、微妙で、賢者だけが理解できる諸法」である三昧体験で掴んだ説だということです。
_______________________________________
これについて説明いたします。
(つづく)
46 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/09(火) 10:03:25.30 ID:Da+xAl7J
(つづき) >そこで重要なのは、観念的思弁的な単なる「流説」「浮説」ではなく >「深遠で、見がたく、了知しがたく、寂静で、勝れており、思考と思惟とを超えており、 >微妙で、賢者だけが理解できる諸法」である三昧体験で掴んだ説だということです。 三昧体験では、まだ彼岸には至らんのです。 その体験を乗越えてこそ彼岸であります。 乗越えるため自洲・法洲でありますね。 生死大海においてモットも荒波が増すところでありますから、 ここを乗越えるのは相当大儀でありますが・・・ 禅定初期において色界の悟りは直ぐに顕現されます。 しかしこれが魔境であることが、その後分かってきます。 最後まで分からんこともありますが、あまりこれが長引くと禅病とかに冒されることもあります。 また狐憑きとか、何らかしかの憑きモノになったり精神疾患の素因になることもございます。 非常にヤバイですから気をつけるべし。
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート31
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1336302241/l50717 717 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/10/07(日) 20:47:32.21 ID:MNLXrFic [5/7]
禅定に入れない人に本物の中観を説いても意味がないからです
_ _ _
机先生のような
何の悟りも会得してないのに
「すべて無である」と勘違いしている人に
中論(中観)を解説するのは、時間の無駄である
世俗から → 滅尽定(想受滅)によって渇愛(タンハー)を滅して → そして涅槃へ
と言う縁起の法則を理解しようとする努力が欠落してる故に
>>46 机先生
> 禅定初期において色界の悟りは直ぐに顕現されます
机先生は
バラモン(ヒンドゥー)、根本仏典、そして瑜伽行唯識(ゆがぎょうゆいしき)などについての智識が欠落しているのに
禅定についてに智識が欠落しているのに
「禅定初期において色界の悟りは直ぐに顕現されます」とか適当な事を逝っちゃってる
禅定(瞑想)については
バラモン(ヒンドゥー)、根本仏典そして、瑜伽行唯識(ゆがぎょうゆいしき)などが基本で おじゃる
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E6%A8%B9 龍樹
南インドのビダルバの出身のバラモンと伝えられ、幼い頃から(バラモンなど)多くの学問に通じた
小乗の仏典(根本仏典)をわずか 90 日で読破した龍樹は
更なる経典を求めヒマラヤ山中の老比丘からいくらかの大乗仏典を授けられた
龍樹は神通力を以って神々と悪魔(阿修羅)の戦闘の様子を王に見せた
これにより王をはじめとして宮廷のバラモン達は仏教に帰依した
_ _ _
中阿含経などに説かれた、仏教で、悟りに至るための三十七菩提分法の
四如意足(四神足)による神通力についての智識が欠落している人には
龍樹の中論を理解する事は出来ない
龍樹の中論は
三十七菩提分法の四如意足(四神足)による神通力によって理解できるものである故に
一切の法は性空だが而し 世間の場合は顛倒の故に虚妄の法を生じて 例えば 机先生の場合は 顛倒の故に虚妄の法を生じ 深層的な自我心を滅させる為の方法についての智識が欠落している そして更に 第六表面意識だけの哲学的な思惟によって 「中論は無を表現したものだ」と勘違いして 「すべて無である」と言う事に固執している 机先生本人にとっては是れが実なのである _ _ _ 「自性ではない」と「すべて無である」を勘違いしているようで おじゃる
57 :
Classical名無しさん :2012/10/09(火) 15:07:06.75 ID:3ARJTzqr
何が正しく何が優れているのか、それは特定の価値観によるのであって、何らの普遍性を 保証するものではない。即ち、理念に始まり都合に堕ちる、宗教の糞だまりなのである。
http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron04a.htm 中論觀四諦品第二十四
衆生を引導するが故に、仮名の空を以って説く
是の物は衆因縁に属するが故に自性が無い
自性が無いが故に空であり空も亦た復たしても空である
そして
衆因縁より生ずる法をわたしは即ち是れは空だ、と説いた
何故ならば衆縁が具足、和合して而も物が生ずる
_ _ _
睡眠中でも深層において働き続け
根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続ける
この深層的な自我心によって
顛倒の故に虚妄の法を生じ
因 → 縁 → 果 → 報 → そして次の因への相続によって
異蘊相続によって
五蘊仮和合によって
又、次の、この世に、深層的な自我心が現れる
_ _ _
瑜伽行唯識(ゆがぎょうゆいしき)についての智識が欠落している
机先生には
瑜伽行を実践していた龍樹先生の中論を理解する事は出来ない
>>57 > 何が正しく何が優れているのか、それは特定の価値観によるのであって、何らの普遍性を
> 保証するものではない。即ち、理念に始まり都合に堕ちる、宗教の糞だまりなのである。
↑ 隠居先生に似ているような文章なんじゃなイカ? おじゃる?
すべての宗教を叩き潰す事に情熱を燃やしているのかしら? おじゃる?
ちなみに、私【?】は
何処の宗教団体にも所属してない(信者ではない)けど
神社、仏閣、霊場、幽霊、密教などの肯定派なので
年末年始には
伊勢山皇大神宮も成田山横浜別院も
お参りしている おじゃる
そして礼拝帰依する おじゃる
ブッダン・サラナン・ガッチャーミ
屮(_ ._)屮 屮(_ ._)屮 屮(_ ._)屮
普礼真言 オン サラバ タタギャタ ハン ナマンナノウ キャ ロミ 屮(_ ._)屮 屮(_ ._)屮 屮(_ ._)屮
61 :
Classical名無しさん :2012/10/09(火) 23:26:22.79 ID:bmiOlzXJ
おんあぼぎゃあべいろしゃのうまかぼだらまにはんどまじんばらはらばりたやうんこ
般若経
http://www.dia.janis.or.jp/~soga/subindex.html およそ、禅定に入ろうとする人は、まずゆったりとした服を着て、静かで心地よい場所を選びます
柔らかいものを敷いて、足は結跏に組み、もしそれがつらければ半跏でもいい。両膝が地面につくように尻には一段高く敷き物を敷きます
左手の親指を右手で包むように両手を組み、力まず自然に胸を張り、顎を引いて
そのまま体を前後、左右に揺らし、尻から頭の先までまっすぐ上に伸びたところで止めます
舌は上顎につけ、視線は一、二メートル先に見るでもなく落とし、鼻先に意識を集めて、腹の底からゆっくりと息を吐き
すべての息を吐き終えたら、静かに息を吸ってまたゆっくりと腹一杯にためます
この吐いて吸う大きな長い息を十数え、何度も繰り返し、なにも考えず、ただ息を数え続けます
数息観 → 禅定 → 滅尽定(想受滅) → 渇愛(タンハー)を滅し尽くして → 涅槃へ 中論も 般若経も 縁起によって説明しているので この縁起を理解できない人は 仏教を理解する事は出来ない と言う意味で おじゃる
69 :
Classical名無しさん :2012/10/10(水) 14:11:14.82 ID:/vDV9c9H
前略 手を繋いだり、Kissしたり、どうお考えですか? 考えちゃ駄目なこと大人になってサビしさで考えちゃいますが もぅ、誰でもいい、イヤ誰でもはヤダとか、考えたりします 現実、自分の性格知ってるので振えると思います パカパカしい動物ですが
70 :
Classical名無しさん :2012/10/10(水) 14:14:36.72 ID:/vDV9c9H
ノリちゃんの歌詞思い出した 迷惑でしょうがホットかないでくださいパ〜カな俺です♪
71 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/10(水) 18:45:36.65 ID:MGyQlWWh
>>69 >考えちゃ駄目なこと大人になってサビしさで考えちゃいますが
>もぅ、誰でもいい、イヤ誰でもはヤダとか、考えたりします
そうですか。いろいろ考えてください。
仏道も女道も同じようなもので御座います。
女体とは、白壁にコウモリが止まっているのかと?
ある種感動がございます。
この感動こそ女道の初期段階であります。しかしながら、
それも女道を極めてまいりますと・・・いろいろと感動も薄れ
やがて諦めの境地に至るのでございます。
そうしてから、その諦めがあってからが即ち本格的女道へと至るのでありますが、
ではどういう道なのか?それは私が書くことではありません。
貴殿が極めてくだされ。
(つづき)
72 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/10(水) 18:46:28.29 ID:MGyQlWWh
(つづく) 仏道においても然りで御座います。 仏道初期段階においては、やはり理想を求めるので御座います。 しかしそもそも仏道において貴殿の求まるものはあったのか? そういうふうにして少しずつ挫折感が襲うのであります。 女道と同じでありまして、理想を理想のままでしたら 仏道の道から逸れてしまうのです。 挫折感(諦観)なくして仏道を極めるは至難なり。 挫折して、そして捨てきったとこに仏道は開花されるのであります。 どうか、女も捨て、そして仏道も捨て・・・ 涅槃に逝ってください。 どうか女道を極めてくださいまし。
,. ´ 、 `` . / \ ` 、 / ____ ヽ \ // ,. ´: : : : 、: :` 、 ', ./ / / /: : : : : : :|: : |\: : : : \} / / /'´: : |ヽ: : : : ハ斗―ヽ‐: : : :\ .イ . / / : : l|,.|--\:/ 〃´ ̄`\: : } : }| / /: : : :∧| fいハ W∨W ___ \.|: : : / |〃⌒ 弋t:り {: :,ゞ-ミ、 . ∧ |: : : : :| | : : : : |{ fいハ ‐ "∨ ノ: \ /: : ∨: : : : :| |∧ : : | 弋t:り . -- 、 / /― 、: \_ . /: : : : : :/ ̄ /:\ .!:\:ト、 '´ / | / / }/ }ー― |: :∧:/ /: : : :| |: : : :iム" 〈 j./ / / /: : : : : |: :{ 〉: :〈 ̄ ./: : : :ハ:\ __\__ // /--、/ /` ー― ヽ: \ |: : / ./: : : :/ }: :{ {:{ {:// / : / /ハ\ \: `ー┴‐: ´ : : : / /: :∧ ヾx/:/ ⌒´ /:∨ {: : :\ ` ー―‐、一<___,/: r┴‐ミx、_厶′ (_:_:_:_}__廴:_:_:_\ \ : : : : : : :人 - 、 ノ: : .  ̄ ̄ ̄ /: 》ー┬‐-、 \ `丁丁丁、´\ : /: :/___|,.-人:ー一\ \__,{:_:_\ |: : i\ { : : ゝ-\: : : : `:ー‐ァ、 ):\ |: : レヘ〉 >t-イ/|` ー一<. ` ー一 ´ヽ: : : l: : : :〈,.イ__ ヽ/ :! \ ` ー 》,: : \;ハ: : : | / ` ー‐ 》,: ´ ̄
宗教と精神疾患2
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1338854916/763 763 名前:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. [] 投稿日:2012/10/05(金) 16:02:10.97 ID:haREnLBs [3/3]
> 机先生は犬神憑き愛人と別れる事が出来ないんじゃなイカ? おじゃる?
いや、何度も私から別れ話は持ち掛けてます。が
「振られちゃったね」。とか自己愛が言いつつも、また電話とか掛ってくるのです。
これは自己愛の特徴でして、私にベタ惚れしている訳じゃない。
付き合うべきか?付き合わざるべきか?の選択は、
アゲマンか?サゲマンか?に掛ってきます。
これは女と付き合ってると、そういうことが少しだけ予見できるようになる。
50代の女ですから、女の魅力というよりも精神的に合うか?または
肌が合うか?
このように考えていくと、なかなか私の理想とは程遠いですね。
つまりサゲマンです。
アゲマンというのは第六感で分かります。
神通力とかいうんでしょうか?そういうのは経験的に蓄積されてきます。
仏教とは関係ありませんが・・・
例えば 机先生は「Aは実在しない」と言う意見に対して 愛人は「Bは存在する」と言うように お互いの会話がまったく 噛み合ってないような気がするけど どうなのかしら? そして 愛人の精神状態は? 机先生本人の精神状態は? おじゃる?
>>75 の続き
実在 ← 常住な自性として存在するもの
存在 ← 五蘊仮和合などによって現れている、と仮設されているもの
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート31
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1336302241/726 726 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/10/09(火) 23:15:41.34 ID:nMMSkNQq
26-21ってベルンハルトの番号でええん?
そうならばギルギット写本断片から相当箇所が回収されたとかで佛教大学の松田和信が論文書いてるよ。
その箇所のチベット注釈は誰かがフランス語訳してたと思うけどでてこえねえや、探したら何かでてくるとおもう。
あと、瑜伽師地論本地分での教證がその箇所と一致してるってハンブルグ大学のシュミットハウゼンが指摘していたと思う。
何れも論文のタイトルは思い出せなかったから適当に名前で調べてみて
http://www.wako.ac.jp/souken/touzai05/tz0523.pdf スコイエン・コレクションに加えられたアフガニスタン出土の仏教写本のうち
バーミヤン出土と伝えられる断簡のすべてがバーミヤンのものだとは断定しがたいが
いずれにせよ
写本の用紙には貝葉(椰子の葉)、樺皮(白樺の樹皮)、動物の皮が使われ
使用文字もカローシュティー文字、クシャーナ文字、グプタ文字、ギルギット・バーミヤン第1型文字
同第2型文字の5種が確認されているという
そして文字より判断される年代は2世紀から7世紀に渉るという
シルヴァン・レヴィのG洞出土の写本の観察(『アジア学報』1932年)とほぼ同じである
松田和信氏によれば
「コレクションの中で最も新しい写本は、7世紀頃のギルギット・バーミヤン第1型、および同第2型文字(わが国に伝えられた悉 曇 文字の原型)による写本である
その中には第1型文字による『摩訶僧祗律』の樺皮写本断簡
さらに同じ書体による散文で因縁物語のついた『法句経』の断簡
さらに『法華経』、『金剛般若経』、『薬師経』、『月上女経』、『宝星陀羅尼経』、『仏名経』、『月燈三味経』なども認められた」
(『仏教大学総合研究所報』19号)という
もしこれらの写本がバーミヤン出土のものと確定できれば
私たちはバーミヤン仏教の内奥にいま一歩踏みこむ手掛りをえたことになるだろう
http://archives.bukkyo-u.ac.jp/infolib/user_contents/repository_txt_pdfs/bukkyo95/BR095L017.pdf 佛教大学仏教学部論集第95号(2011年3月)
ウダーナヴァルガのギルギット写本
松田和信
udana-B (prose) Udanavarga 26.21,Pali Udana VIII.3 (prose)
比丘たちよ
生じたのではないもの、現れたのではないもの、作られたのではないもの、形成されたのではないもの、生起したのではないものがある
〔さらに一方〕生じたもの、現れたもの、作られたもの、形成されたもの、起こったもの、縁起したものがある
比丘たちよ
もし生じたのではないもの、現れたのではないもの、作られたのではないもの、形成されたのではないもの、生起したのではないものがないならば
『生じたもの、現れたもの、作られたもの、形成されたもの、起こったもの、縁起したものを離れること(出離)がある』と私は説かないであろう
ところが比丘たちよ
生じたのではないもの、現れたのではないもの、作られたのではないもの、形成されたのではないもの、生起したのではないものがあるから
だから『生じたもの、現れたもの、作られたもの、形成されたもの、起こったもの、縁起したものを離れることがある』と私は説く
80 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/11(木) 10:05:20.79 ID:qI875Xbi
>>76 >実在 ← 常住な自性として存在するもの
>存在 ← 五蘊仮和合などによって現れている、と仮設されているもの
そもそも、実在とか存在とか、どういう意味で書き込みしているか分からんですけど・・・
このように対立した概念は印哲には通用しない。
(仏教と印哲は同義と考えてください)
一代氏がまさにこの概念から抜け出せていないのが好例でして、
「仮設したものが相続する」などと戯けたことを言う始末。
戯論寂滅の本意が分かってない証左です。
実在や存在という名称が、どういう形態であるのか?
そしてそれが仏教を語ちるうえで、どう論理の整合性を担保しうるのか?
そのように語義自体を再度検証する必要性がある。
とにかく、世俗と勝義のチャンポン状態なので、いくら私が書き込みしたとて
殆ど無意味であります。
哲学、それ以前として言語学から先ず究考せねばならんでしょう。
それが嫌なら悟る他ないです。
異蘊相続によって 五蘊仮和合によって 心の働きが現れる と仮設する 衆生を引導するが故に、仮名の空を以って説く と龍樹先生も仰せになっている おじゃる 「心相続によって」と仮設する
83 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/11(木) 14:35:56.44 ID:qI875Xbi
>異蘊相続によって 異蘊だから記憶のことです。記憶だから寂滅しても縁で蘇る。→これを相続と言ってるに過ぎない。 つまり縁なくば蘇る(生起)ことはない。 >五蘊仮和合によって >心の働きが現れる と仮設する 仮設だから、心はしかも現れることはない。 心という主体そのものはなく、心という主体として仮設しているに過ぎない。 >衆生を引導するが故に、仮名の空を以って説く 仮設とは即ち空である。 >と龍樹先生も仰せになっている おじゃる >「心相続によって」と仮設する 故に、心という仮設したもんが、そもそも相続する訳はない。 何故なら、仮設は空だからだ。 空とは対立しないことを意とする。 ならば“相続という対立関係になることは先ずアリエナイ” 相続とは、相続と非相続の対立関係においてその形態は成立するが、 そもそも相続として対立する非相続は成り立たない。 何故ならば空であるから。 相続する、とは同時に非相続していることであり、それは相続も非相続も寂滅する。
但だ仮名を以って説くのみだ 如来は戯論を過ぎるが而し人は戯論を生ずる 諸仏は二諦に依り衆生に説法される 一は世俗諦 二は第一義諦で 若し人が二諦を分別することを知らなければ則ち深い仏法の真実の義を知らない 一切の法は性空だが而し 世俗諦とは 世間は顛倒の故に虚妄の法を生じ 世間には是れが実である _ _ _ 世俗の人にとって、わかりやすい 縁起の法則によって 因 → 縁 → 果 → 報 → 次の因へと相続していく と仮名を以って説く 衆生を引導するが故に、仮名の空を以って説く と龍樹先生も仰せになっている おじゃる
>>83 机先生
> 相続する、とは同時に非相続していることであり、それは相続も非相続も寂滅する
相続も非相続も寂滅する為の方法は?
無漏法?
八聖道?
滅尽定?
http://sankei.jp.msn.com/wired/news/121011/wir12101111410000-n1.htm 火星上で「プラスティック片」を発見 2012.10.11 11:40 [宇宙]
火星探査機「キュリオシティ」が、明るい色の謎の物体を発見した
探査機から落下したプラスティック片と見られている
米航空宇宙局(NASA)の火星探査機「キュリオシティ」は10月8日(米国時間)
車輪の近くの砂地で明るい色の謎の物体を見つけた
キュリオシティは火星の土壌分析で忙しいが、スケジュールを変更して翌日、これを分析した
分析の結果、技術者はこの物体を「プラスティックの小片で無害と見られる」としている
「昨晩は大変だった。探査機の近くでこの物体を発見したので
すぐにまったく新しい計画を考え出さなければならなかった」と
キュリオシティ担当チームの気象学者、ケリ・ビーンは8日にTwitterでつぶやいている
キュリオシティは、予定していた火星の土壌分析を中断して
この落下物が今後の土壌サンプリング活動の妨げにならないかどうか確認しなければならなかったのだ
これまでにも、「フェニックス」や「オポチュニティ」などの火星探査機が
火星地表に緩んだネジや小片を落としたことがあった
キュリオシティの測定機「Chemistry and Camera(ChemCam)」に搭載された
リモート・マイクロ・イメージャーによって撮影された拡大写真(下)を見ると
この物体はおそらくプラスティックの欠片と見られるが、まだ確定はしていない
技術者らは、汚染の可能性がある物質がほかにないことを確認するため
今後数日間にわたってキュリオシティの周囲の写真を撮る予定だ
おそらく11日に予定されている記者会見で、NASAがこの物体に関する続報を伝えると見られる
89 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/11(木) 17:48:47.28 ID:qI875Xbi
>>86 >相続も非相続も寂滅する為の方法は?
いんや、それは方法論ではなく、論理の整合性の問題だよ。
相続する、とは、そこに非相続という前提として成り立つ概念だよね。
非相続があるから、そこに相続する、という動詞が成り立つ。
仮設として非相続がないとすると、相続する、という動詞は成り立たない。
何故かというと、非相続において、相続があるから、それは相続している。という論理整合性が成り立つ。
そして、先ず非相続とは何か?というと、
非相続とは、相続という前提として成り立つ、というのが論理的には正しくなる。
つまり、
この二項対立こそ無限ループにおちいっちゃうことが分かるかとおもう。
そこで、
印哲(つまり仏教)では、対立概念はそもそも成り立たない。というのが前提となるんだよ。
つまり、
相続そのものが論理的に印哲とはそぐわない。が、基本になるのです。
そのために、相続そのものは仮設としか成り立たない。が、先ず印哲のコンセンサスです。
仮設とすいて・・・こうであるのなら、を前提として論理整合性を担保する訳です。
ですから、語義自体は“論法上の方法論”でしかないのです。
当然そこには印哲としての矛盾がある訳です。
矛盾である。を前提とせねば、そもそも印哲そのものは成り立たない。つうことです。
そして、
矛盾でないものを、矛盾において説明しているに過ぎんのです。
つまり、
矛盾において矛盾でなきものを、どのように解釈できるか?が、
中論においての文意構成になっちょるのです。
これがいわゆる印哲の基本的なものですから、先ずそこを了解せねばならんですね。
>>89 机先生
> 相続する、とは、そこに非相続という前提として成り立つ概念だよね
仮に、非相続という概念が、あったとしても、なかったとしても
世俗の人にとって、わかりやすい
縁起の法則によって
因 → 縁 → 果 → 報 → 次の因へと相続していく
と仮名を以って説く
衆生を引導するが故に、仮名の空を以って説く
と龍樹先生も仰せになっている おじゃる
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート31
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1336302241/731-732 731 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/10/11(木) 15:53:05.82 ID:AQ/EbBwp [2/3]
「涅槃に至って縁起したものを離れた」 と言う意味であるとか?
732 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/10/11(木) 18:23:24.65 ID:3j+VR9ZE
その通り
それが「涅槃」です
ただ、「涅槃」は、モノ(物、者)ではありませんし
≪「常に」「どこかに」「或る」ある≫という意味での「ある」でもありません
「あり得るもの」としての「ある」であるだけです
92 :
? :2012/10/11(木) 20:33:30.55 ID:hyhHCNG7
仏教議論スレッド47
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1349669547/196 196 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/10/11(木) 20:28:14.32 ID:mj9PDjq0 [2/2]
瞑想は次のように展開する
雑念→感覚が鋭敏になる→非想非非想処→魔境→滅尽定→ X
禅定になれば、いきなり非想非非想処に入る。1枚であり3段階などない
魔境は人によって様々かもしれない。過去生を見るとしたらここだろう
滅尽定はまったくの虚無。感覚も記憶も時間も脱落。これも1枚
93 :
? :2012/10/11(木) 20:41:24.30 ID:hyhHCNG7
禅定 真理を思惟して散乱の心を定止することを指している 初禅から第四禅までの4段階があるとしている。これが「四静慮(四禅)」である 次に空無辺処・識無辺処・無所有処・非想非非想処の4段階があるとする。これが、「四無色定」であり さらに九次第定、百八三昧とつづく
初禅 − 諸欲・諸不善(すなわち欲界)を離れ、尋・伺(すなわち覚・観)を伴いながらも、離による喜・楽と共にある状態 第二禅 − 尋・伺(すなわち覚・観)が止み、内清浄による喜・楽と共にある状態 第三禅 − 喜を捨し、正念・正見(すなわち念・慧)を得ながら、楽と共にある状態 第四禅 − 楽が止み、一切の受が捨てられた「不苦不楽」の状態 この上に更に「無色界」を想定し そこに対応する(「想」を徐々に捨てる「想滅」のプロセスである)「上位の四禅」としての「四無色定」や 更にその上に それらの完成形としての(「受」「想」が滅した)「滅尽定」(想受滅)を想定する考え方もある。(以上「九次第定」)
ブッダの人と思想(NHKブックス)/中村元(1998/07) 40ページ参照 非想非非想処 想うのでもなく想わないでもない境地 滅尽定(想受滅定)という最高位の禅定の 一歩手前の境地であるといわれております 51ページ参照 四如意足(四神足) 神通力の基礎となる力で 意欲、努力、思念、観察へのそれぞれの集中力のことで それを修めて悟りを開いたというものです 意欲、努力、思念、観察は悟りへの必須の条件でもあります
僕は机さんみたいに悟入したいのですが、中論や道元、南宗禅、あるいは印哲について どの本を読んで勉強したらいいでしょうか?
洞山良价(とうざん・りょうかい、807年 - 869年)は、中国の唐代の禅僧 _ _ _ 道元らが提唱した系譜は 南方禅の六祖大鑑慧能にさかのぼり その弟子青原行思−石頭希遷−薬山惟儼−雲巌曇晟−洞山良价−‥‥とつづく法脈である _ _ _ 慧能(えのう、諡は大鑑禅師、638年(貞観12年)- 713年(先天2年))は 范陽(北京市)の盧氏出身の禅僧で、中国禅宗(南宗)の第六祖である
玄奘三蔵(げんじょうさんぞう、602年- 664年3月7日)は、唐代の中国の訳経僧である 玄奘は戒名であり、俗名は陳褘(チンイ) 尊称は三蔵法師 鳩摩羅什と共に二大訳聖、あるいは真諦と不空金剛を含めて四大訳経家とも呼ばれる 629年に陸路でインドに向かい、巡礼や仏教研究を行って645年に経典657部や仏像等を持って帰還 大唐西域記はその時の旅行記である 以後、翻訳作業で従来の誤りを正し、法相宗の開祖となった 法相宗 所依経典・論 解深密経 瑜伽師地論 成唯識論 唯識派
101 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/12(金) 11:03:22.14 ID:xk/AFXIQ
>>97 先ずインドでは宗教と哲学は同義と考えられてますから、印哲も仏教も同義と考えて宜しいかとおもいます。
仏教を論理学的整合性で説明すれば、それが印哲になる。
そこで大事なのが、西洋哲学(ギリシャ哲学)と印哲は全く違うカテゴリーと考えてください。
それは哲学といっても、学問が発展する段階が全く違うので、けっして融合することはないからです。
人間の思考は西洋哲学にマッチングするんですね。
この思考方法を印哲においては世俗締と言うておるんです。
ここでもまた大事なことがあります。
印哲を考察する場合は、西洋哲学用語は全く通用しません。
それは水と油のようなものでして、論理学的には成立せんからです。
石飛道子は論理学の大家?でして、西洋哲と印哲の融合を実験的に試みたのですが・・
やはり無理があります。
つうか、石飛はあまり仏教のことは御存知ないようです。
現段階においては、論理学とすれば石飛あたりが限界でしょうか?
(つづく)
102 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/12(金) 11:03:54.85 ID:xk/AFXIQ
(つづき) >中論や道元、南宗禅、あるいは印哲について どの本を読んで勉強したらいいでしょうか 南宗禅については六祖壇経、無門関、臨済語録とか・・・ 道元の正法眼蔵とかがいいですね。 印哲については、先ず西洋哲の誤謬が明白になった段階で、その誤謬を論理的に説明すれば それが即ち印哲になる。 つまり印哲のベースは、あくまでも西洋哲になります。何故か?それは 人間の思考が西洋哲であるからです。 これは言語取得、つまり教育に関係するからです。 それを辿っていくと・・・人間の迷いとは言語取得にあるのか?などと 新たな発見に繋がっていきます。 悟りとは「原初に戻る」とも言われてます。これを道元は 「仏道とは己を知ることなり」。などと言ってますから、 最終的に帰結するのは、禅師であろうと、市井の人であろうと同じです。
103 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/12(金) 15:18:56.43 ID:xk/AFXIQ
>>91 >≪「常に」「どこかに」「或る」ある≫という意味での「ある」でもありません
>「あり得るもの」としての「ある」であるだけです
この回答はオカシイだろう?
だったとしたら、
何故オカシイにか?というのを論理的に説明しなければならない。
私は論理的に説明できるから、オカシイと言ってるんで、
貴殿はオカシイと思わんですか?
オカシイと思わんのでしたら・・・オカシクはないのです。
悟るということは、オカシイものをオカシイと認識できる智慧のことです。
オカシイと思わんにおでしたら、悟る必要性は全くない。
それは、
悟る必要性がないからである。
そのままが悟りなのである。大慧ともいう。
104 :
@ :2012/10/12(金) 15:44:16.87 ID:6sAqSSoB
>>41 さて、アホらしいけど始めますか
龍樹の中論にも仏陀に帰依する、と明確に記述がありまし、
さて仏陀に帰依しない仏教とは何でしょうかねー
机さんは@とAの質問に答える前に正法眼蔵においては出家と在家では論理が違う、
と前置きしてますね
あたかもそうすりゃ免罪符にでもなるかのようにね
全く実に馬鹿らしい
正法眼蔵というから取り敢えずは曹洞宗を仮想して話を進めましょう
出家と在家で別の教えがある、とすればそれは仏法は世俗の法に違背しない、
という経典の言葉に反しますからこの時点でアウトでしょう
105 :
A :2012/10/12(金) 15:46:30.26 ID:6sAqSSoB
そして彼の教団は僧侶も帰依しない教団に信徒を帰依させ、僧侶が帰依しない仏陀を 利用してお布施を巻き上げ、真実の法を隠蔽し、僧侶だけがその秘密を知り、 信徒には教えず、騙して、嘘をついている、と机さんはいう訳ですね こんな話、当該宗派の坊さんが聞いたら怒り出しますよ では この宗派を設立するに当たり当局にする登記や、宗教法人法においての定義はどうなってますか? 今はディスクロージャーの義務があるから閲覧を申請すれば出してくれますから確認して下さい 三宝に帰依する為に、と書かれている筈ですよ
106 :
B :2012/10/12(金) 15:48:56.96 ID:6sAqSSoB
また、実際に例えば素人が入れない僧侶用の道場において、毎朝する勤行で何をしてますか? 沢山のお経を読み、その功徳は仏陀や教団の為に捧げられているのです そんなことも知らずに知ったかぶりを続けているのでしょうかね 何度もいいますが、帰依しないなら捨てなさい でなけりゃ詐欺も同然でしょう 本山も解体し、本尊も破壊すべきでしょう 人を騙してはいけませんね そう、道元さんも出家、得度をする時に授戒の儀式を受けている筈です その際に本尊釈迦仏陀の御前で三宝帰依の違いを打ち立ててます 道元さんはそれを侵し、不妄語戒も破って出家の道を外してる、と言い張るつもりでしょうか いやはや、どうにも
107 :
C :2012/10/12(金) 15:50:47.01 ID:6sAqSSoB
机さんは悟入が出来てないから、その後どうなるか、 どうしたらいいかが全然、分からないのですな 清浄世間智が分からない だから龍樹なき後の中観派の聖提婆の体たらくを未だにやり続けて、循環論の迷走を止めない そのカラクリを開顕、説示してあげましょうか 机さんは@とAに関しては開き直って答えられましたが、Bは流石に誤魔化すしかなかった 何故なら机さんは誰にも悟入を認めて貰ってないから そしてそれが、三宝に帰依はしない、と言い張る頑迷な態度にも繋がっている 机さんは出家用の大事なことは室内でやる、と述べました これこそが謎を解く鍵です
108 :
D :2012/10/12(金) 15:59:22.75 ID:6sAqSSoB
室内の仏法は師弟によって継承される その仏法の正統性は師匠の認定、印可によるのである その師匠もまた前の師匠から仏法を授けられ、自身で得る 師匠の師匠、そのまた師匠のまた師匠…この究極ルーツに釈迦仏陀がいる 室内の仏法は釈迦仏陀の正統性に由来しているし、 その師匠は教団の永続性によって権限が担保されている 従って、三宝を否定したら室内は存続出来ない 机さんはこの道理がまるで理解出来ない それはBの答えから明白である 机さんは誰からも悟入の認定を受けてはいない 机さんはそうであるが故にこの室内での継承、三宝など一切を否定しないと 机さんの偽物が証明されてしまう だからもう三宝を意地でも認めない そういう種なんです 机さんの悟入はデタラメでインチキなまやかしである 机さんの説く教えには一ミリも正しいところがない これが如実に立証されました
109 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/12(金) 17:39:09.25 ID:xk/AFXIQ
>>108 >室内の仏法は釈迦仏陀の正統性に由来しているし、
禅宗が釈尊の正当性を継承している。というのはどうでしょうか?
始祖・菩提達磨は、先ず釈尊の模倣からその端を発してる訳で、それが即
釈尊の正当性を継承している。とは断言できないんじゃないでしょうか?
>その師匠は教団の永続性によって権限が担保されている
禅宗の場合は、菩提達磨より五祖・弘忍まで法灯は継承されておったのですが、
六祖においてその脈絡は実質的に途絶えてます。
ここにおいて「禅の永続性」について継承する。という概念そのものがなくなります。
つまり禅とは本来自由であるのです。
もし禅の源流を辿るとすれば、現在および過去の日本禅とは全く違う様相を見出すことができましょう。
ですから、曹洞宗がどうとか、日本臨済宗がどうとか、それを比較検討しましても、
そこになんら中国禅とは全く別モノになるかと思います。
(つづく)
110 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/12(金) 17:40:03.19 ID:xk/AFXIQ
(つづき)
>>104 >正法眼蔵というから取り敢えずは曹洞宗を仮想して話を進めましょう
>出家と在家で別の教えがある、とすればそれは仏法は世俗の法に違背しない、
>という経典の言葉に反しますからこの時点でアウトでしょう
正法眼蔵については、先ず文体が二層構造になってるかとおもいます。
ですからこの段階において、世俗の者は先ず理解するは大儀であります。
つまりどのように解釈していいのか迷ってしまうのです。
正法眼蔵を読み解く鍵とすれば、先ず典座教訓を理解すべきでしょう。
この教訓がベースとして正法眼蔵は構成されちょるのです。
さすれば、出家向けと在家向けは一目瞭然に解せるはずです。
例えばですが、
在家向けですと「流し読みでよい」とか前振りなどしてあったりします。
つまり、
暗黙のうちに出家と在家を区分けしちょるのですね。
その文意を受け止めることが出来るか?出来ないか?で、
全体の文意が全く解釈が違ってくる。
味噌も糞も一緒じゃ〜、正法眼蔵の主旨は掴めんですね。
http://archives.bukkyo-u.ac.jp/infolib/user_contents/repository_txt_pdfs/bukkyo95/BR095L017.pdf 佛教大学仏教学部論集第95号(2011年3月)
ウダーナヴァルガのギルギット写本
松田和信
udana-A (prose) Udanavarga 26.20,Pali Udana VIII.4 (prose)
(依存するものがあれば、動揺がある、動揺があれば、愛著がある
愛著があれば、安らぎがない、安らぎがなければ)来ることや行くことがある
来ることや行くことがあれば、将来、死ぬことや生まれることがある
将来、死ぬことや生まれることがあれば、すなわち将来、生、老、病、死、憂い、悲しみ、苦しみ、悩み、不安が生じる
このようにして、あらゆる苦しみの大きな集まりが生じるのである
依存するものがなければ、動揺はない、動揺がなければ、愛著はない
愛著がなければ、安らぎ(軽安)がある、安らぎがあれば、来ることや行くことがない
来ることや行くことがなければ、将来、死ぬことや生まれることがない
将来、死ぬことや生まれることがなければ、すなわち将来、生、老、病、死、憂い、悲しみ、苦しみ、悩み、不安が消滅する
このようにして、あらゆる苦しみの大きな集まりが消滅する
http://archives.bukkyo-u.ac.jp/infolib/user_contents/repository_txt_pdfs/bukkyo95/BR095L017.pdf 佛教大学仏教学部論集第95号(2011年3月)
ウダーナヴァルガのギルギット写本
松田和信
udana-B (prose) Udanavarga 26.21,Pali Udana VIII.3 (prose)
比丘たちよ
生じたのではないもの、現れたのではないもの、作られたのではないもの、形成されたのではないもの、生起したのではないものがある
〔さらに一方〕生じたもの、現れたもの、作られたもの、形成されたもの、起こったもの、縁起したものがある
比丘たちよ
もし生じたのではないもの、現れたのではないもの、作られたのではないもの、形成されたのではないもの、生起したのではないものがないならば
『生じたもの、現れたもの、作られたもの、形成されたもの、起こったもの、縁起したものを離れること(出離)がある』と私は説かないであろう
ところが比丘たちよ
生じたのではないもの、現れたのではないもの、作られたのではないもの、形成されたのではないもの、生起したのではないものがあるから
だから『生じたもの、現れたもの、作られたもの、形成されたもの、起こったもの、縁起したものを離れることがある』と私は説く
udana-C (verse) Udanavarga 26.22-23,Pali Itivuttaka 43 (verse) 生じたもの、現れたもの、生起したもの、作られたもの、常住ではないもの、老いと死が積み重なったもの 迷妄を性質として壊滅するもの、食物を原因として生じるもの、その〔ようなもの〕は楽しむに適さない その〔ようなもの〕を離れることは、思弁の領域を離れた寂静なる境地であり 苦しみを性質とするものの滅尽であり、形成作用の寂滅であり、安楽である − − − udana-D (prose) Udanavarga 26.24-25,Pali Udana VIII.1 (prose) 比丘たちよ、私はその場所を知っている そこには支えとなる地面もなく、水もなく、火もなく、風もなく 空無辺処もなく、識無辺処もなく、無所有処もなく、非想非非想処もなく この世もなく、あの世もなく、太陽も月もなく まさにそこは〔何かに〕支えられているところではなく、寄りかかられているところでもない ここで比丘たちよ 私は〔そこに〕来ることも説かず、行くことも、留まることも、死ぬことも、生まれることも〔説か〕ない それこそが苦しみの終わりである
udana-E (verse) Udanavarga 26.26-27,Pali Udana I.10 (verse) 地面も水も火も風も入ってこないところ そこでは明るい〔光も〕輝かず、そこには暗闇もない そこでは月も照らさず、太陽も輝かない 聖者である婆羅門は、聖者たることを自ら知り 形あるものから、形なきものから、すべての苦しみから解放される − − − udana-F (verse) Udanavarga 26.28,Pali Dhammapada 351 究極に到達し 恐れるものなく、驕慢もなく、後悔もなく 生存の矢を断ち切った人 彼にとっては〔これがもはや輪廻しない〕最後のからだである
115 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/13(土) 08:51:52.38 ID:Hd39odkZ
>>106 >また、実際に例えば素人が入れない僧侶用の道場において、毎朝する勤行で何をしてますか?
>沢山のお経を読み、その功徳は仏陀や教団の為に捧げられているのです
そうでしたか。そういうことは私は知りませんでした。
勤行すると功徳があるのですか?
それは初耳であります。
つうか、そういうのを「乞食信心」などと言うんじゃありませんか?
私はそういう信心はしたくはないのです。
功徳などは全く期待もしてません。御免なさいね。
そうですね。私が人生において最大の功徳をもたらした人間がおりましたね。
それは私が学生の頃でありました。
その人間は教師でありまして、どういう訳か私とウマが合わなくて、私を小馬鹿にしおるのですよ。
私はとても悔しい思いをしまして、
そのトラウマをバネに一大発起しまして、自分のスキルを磨くことに専念したので御座います。
そのスキルこそが・・・今の自分に繋がっておるんです。
今から思えば、かの教師こそ私に功徳を導いてくれたのですね。
功徳というのは「乞食信心」のことではないですよ(苦笑
功徳というのは、前記した教師のような菩薩をいうのであります。
して貴殿は、今、菩薩に合うておりますか?
菩薩とは、貴殿に功徳を導くものでございます。
それは貴殿次第であります。
どうか「乞食信心」だけはお止めになったら方が宜しいかと思います。
116 :
@ :2012/10/13(土) 10:49:43.24 ID:sqarip5Y
そうすると、机さんによれば、道元さんはバカを見下す極端な差別主義者で、 曹洞宗は釈迦仏陀を否定し、達磨も、慧能も無関係な、教団さえ認めない宗派なんですね? 机さんは自分の誤った異常なる観念を守ろうと必死に足掻いているのは分かりますが、 誰一人からも認められない悟入を宣言する机さんのこの解釈を、 誰でもいいから仏教学者や僧侶でそれに同意、納得した人はかつていましたか? 机さんのご説によれば、曹洞宗の僧侶はほぼ全員が乞食信心であり、 机さんが乞食信心でないとすれば机さんはやはり異端であるということです そうです 机さんは異端中の異端なのです
117 :
A :2012/10/13(土) 10:51:35.82 ID:sqarip5Y
机さんのような解釈は長く広い仏教史の中でも古今未曾有であり、 前代未聞であり、空前絶後です もはや解釈とは呼べず、机さんのオリジナルなのです だから机真理教を名乗りなさい そうすればスッキリしますよ それを仏教だ中論だというから僕もそれを糺さないといけなくなる訳です 机さんの悟入は釈迦仏陀のそれとは一ミリも接点がない、共通点の欠片もない ただの疾患による異常心理状態です これが現実なんだけど机さんはそれを全く検証しないで悟入だと思い込み、言い張る
118 :
B :2012/10/13(土) 10:53:23.06 ID:sqarip5Y
そしてその現実たる客観世界を否定し、検証不可能な状況に逃避して、循環論に嵌まる 今回の質疑で机さんは曹洞宗とも縁もゆかりもない、ということが証明された 机さんは天涯孤独、孤立無援、四面楚歌の精神的引きこもりであることが立証された 悟入の嘘も暴かれた 語ること全てがインチキであり、般若ではなくインチキ悟入智であり、 仏教ではなくアホダラ教説だ、というのが見事に判明した訳です 机さんの周りには慕う人、教えを請う人のたった一人もいませんが、 ミステリシズムに弱いかつ、 仏教に興味をもったような人が騙される可能性も遂に0になりました
119 :
C :2012/10/13(土) 10:55:43.36 ID:sqarip5Y
僕は未来永劫に渡って禍根を残す極僅かな可能性を持った悪の種を完全に断滅しました 2ちゃんのアーカイブに入り、いつでも誰でもアクセス可能な形で机さんの偽物ぶりを晒しました 同時にこの作業をやらない、出来ない、 仏教議論スレのメンバーのクルクルパーぶりも判然とした 僕の仕事は終わりました 後はお好きに虚空を相手に戯れ言を呟き続ければいい 誰も止めはしない
120 :
D :2012/10/13(土) 10:57:44.66 ID:sqarip5Y
しかし机さん程に文章読解能力が貧困で欠如してる人は珍しいですな これでもし精神疾患じゃないとすれば、IQは一桁でしょうね まぁ、Pax6遺伝子に異常があると思うけど しかし最後になるが、机さんは結局、誰からも悟入を認められず必死に飢餓状態の嗚咽のように しているのを見るにつけ、ただただ憐れみの情が湧いてきます 『机さんの悟入は本物ですね、素晴らしいです』といって机さんが救われるなら そういってもあげたいが、僕は一人を助けるよりも嘘を糺す方を取りますよ
仏教議論スレッド47
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1349669547/354-355 354 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/10/13(土) 11:09:58.04 ID:kOvtzIuh [8/9]
このスレには、神通力を信じ、憧れている人もいるようだが
釈迦が食中毒で死に、釈迦の高弟が敵対勢力に殺されたことから
神通力などは存在しないものと思った方がいい
それは業だと片づけては説明にならない。業のせいにしたら
釈迦やその高弟が輪廻から解脱したことにならない
355 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/10/13(土) 11:24:08.08 ID:kOvtzIuh [9/9]
業が輪廻を作り出している
この輪廻から解脱するには、業を清算しなければならない
瞑想で、自分の業を清算した時に、滅尽定に入る
しかし、自分の業を清算しなければ、解脱したことにはならない
釈迦は瞑想して成道した時に、自分の業を清算している
122 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/13(土) 11:43:44.05 ID:Hd39odkZ
>>119 >仏教議論スレのメンバーのクルクルパーぶりも判然とした
>僕の仕事は終わりました
そうですか、それは残念なことであります。
では最後ですが、貴殿が一番関心があるような「悟入」の件について少々説明しとう御座います。
悟入については、いろんな言い方があります。
会得とか、体得とか、感得とか、それは「得る」ことを意味しておるようですけど・・・
それは全く違うことであります。ここに誤解が生じるやに思います。
悟入とは得ることではないのです。悟入とは失うことであります。
して貴殿は果して失うことが出来ましょうや?
つまりですね、功徳を「得る」ことだけ考えておったらですね。
これは明らかに悟入の妨げになるのです。
ここはひとつ、貴殿は「失う」ことだけを考えてちゃぶれ。
今はただただ、このことだけを考えておったら良いかと思います。
功徳など何処にもないのです。
生きることさえ・・・そこにはもはや無いのであります。
全てを投げ打って、そして生きることも死ぬこともなく、生死の狭間もなく、
その生死さえも全くなき、その相こそ悟入の切っ掛けであります。
禅定とは、この相の実体験であるのです。これが即ち正法眼蔵における
円相の位相、即心即仏、身心脱落なのであります。
どうか禅定に精進せらるることを祈念申しあげます。
想うこともなく想わないこともない
この非想非非想処にこだわるな
そこのところに固執するな
非想非非想処の境地もまた、解脱ではないので、そこに執著することを捨てよ
そこにも執著せずに
想受滅(滅尽定)によって渇愛(タンハー)を滅して
そこでは明るい光も輝かず、そこには暗闇もない
そこでは月も照らさず、太陽も輝かない
聖者である婆羅門は、聖者たることを自ら知り
形あるものから、形なきものから、すべて一切のものから解放される
− − −
>>122 机先生
> ここはひとつ、貴殿は「失う」ことだけを考えてちゃぶれ
失う為の方法は? おじゃる?
125 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/13(土) 14:17:38.47 ID:Hd39odkZ
>>124 >失う為の方法は? おじゃる?
それは方法論とも違う。
方法論ではなくて、人間、好むと好まざるに関わらず、そういう状況になってしまうこともある。
その状況になってしまったのが机龍之介であります。
あれは随分昔のことですけど、そのとき私はターミナル病棟におったんですね。
そしたら、今日元気だった患者が明日に亡くなるとか、それは図らずもそういう状況でした。
その時に私が思ったのは「なんと人の命は儚いものか」。ということでした。
こういう生死の狭間におりますと、自然と生死観も変化の様相とあいなります。
ああ、確かこういう場面は、ドストエフスキーの著書(罪と罰)にも書いてありましたね。
私はその著書の内容を、記憶を辿りながら蘇させておったのです。
あれは確か、政治犯が銃殺される場面でした。
そんなことを日々考えておったのです。
「失う」とは、執着が限りなくゼロになった様な状態です。
生死の狭間とは、心象が既にこのような状態になるのです。
戦争における前線でも、人間こういう状況になる。というのは
世界の文豪が好むモチーフでもありますね。
それだけ生死というテーマは、人類恒久の問題なのかも知れません。
(つづく)
126 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/13(土) 14:18:42.94 ID:Hd39odkZ
(つづき) 私は偶然に、このような状況に追い込まれたのですが、 このような状況にない場合は、禅定になりますね。 禅定というのは、日常という流れの切断です。 では、日常とは何か?となるのですが・・・ それは悟ってみて、それで解せるものです。 日常という現実に埋没しておったのでは、そもそも日常は分からんです。 そこから解脱してこそ日常とは何か?が分かる。 これを遊び氏は、日常を間接現実と言っておるんですね。 間接現実とは何か?を悟ることこそ、それが即ち直接現実になる。 これで悟入であります。
130 :
Classical名無しさん :2012/10/13(土) 18:15:03.84 ID:gMITJT5J
宗教は欺瞞 教祖は基地外
131 :
Classical名無しさん :2012/10/14(日) 00:29:34.56 ID:+I+Yfptb
信者は痴呆
132 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/14(日) 09:39:10.88 ID:vP1dvSd0
?氏へ
中論解釈なら
>>127 の大滝先生が書いてある通りなのですよ。
ゆえに私は毎度、
「中論は序章だけ読めばよい」。と言っておるんです。
本論は
>仏法は不一不二の空言論というより、無分別中道であるがゆえに、論そのものが空である。
と書いてある通り、空なるがゆえに論理そのものが成り立たないから、
勝義締にて調へば良いだけ。
理解する程のことはない!!つうことです。
理解とは世俗締なんですからね。
わざわざ世俗締に解釈せんでも良い。つうことですよ。
そもそも一代氏のように、心相続を肯定する立場なら・・・
中論はテキストとしては、全く逆の内容なんだね。
私はそれを指摘しておるんです。
仏教 議論スレッド 46
http://mimizun.com/log/2ch/psy/1347797650/ 10 :神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 15:19:36.51 ID:48z+mTAP
>自立論証派 ← 例えば 「火の熱さや燃焼作用が火の自相として認められる」 とする世俗的な考え方に近い立場
>
>一方帰謬論証派 ← 世俗の次元においても自相(自性)を、否定する
これはゲルク的理解で原義は全くちがう
自立・帰謬という宗派は、特に言葉はインドで使われなかった可能性が高い
そして月称菩薩の中観をチベット的に自立・帰謬で呼び習わすとしても
帰謬派ということはできても帰謬論証派ということはできない
なぜなら、論証したなら主張・見解を持つことになり、そうなると中観の趣旨である四句分別遮断による戯論寂滅への導きという道から逸脱することになるからだ
これはゲルクが批判する離四辺中観に他ならない。離四辺中観こそインド中観の王道を伝えるもので、シナ・日本の中観も基本的に変わらない
一方、特殊な論理学を用いて自立論証を中観に取り入れた清弁菩薩は、だからこそ月称菩薩に批判されたのであって、論証法の違いでも、自相(実在)に対する解釈の違いからでもない
そんな些細なことではなく、中観の本質に関わる問題だから批判されたのに他ならない
ゲルク中観はより自立論証的であり、私見ではよりアビダルマ的で全く中観的ではないと思う
仏教 議論スレッド 46
http://mimizun.com/log/2ch/psy/1347797650/ 11 :神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 15:53:48.36 ID:167jiwWB
>> 自立論証派 ← 例えば 「火の熱さや燃焼作用が火の自相として認められる」 とする世俗的な考え方に近い立場
>> 帰謬論証派 ← 世俗の次元においても自相(自性)を、否定する
> 帰謬派ということはできても帰謬論証派ということはできない
> なぜなら、論証したなら主張・見解を持つことになり、そうなると中観の趣旨である四句分別遮断による戯論寂滅への導きという道から逸脱することになるからだ
↑ 了解 おじゃる
仏教 議論スレッド 46
http://mimizun.com/log/2ch/psy/1347797650/ 16 :神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 18:35:23.48 ID:48z+mTAP
帰謬っていう場合は、あらゆる思考、見解、主張が矛盾に導かれ
あらゆる考えが停止して頭真っ白な状態に導くこと
その場合は、輪廻にしろ四諦にしろ方便として仮設された仏教の教え
それも停止するために帰謬される
だから、よく中観は輪廻を否定したとか言われるけど
それは論証とか世俗的な議論のレヴェルで否定するわけではない
頭真っ白な状態に導く言葉が、勝義への方便
輪廻とか善悪、四諦など仏教の一般的な道が世俗としての方便
この世俗と勝義をごっちゃにしたり、どちから片方を取って妄想すると
全く分からないことになる
輪廻にしろ四諦にしろ方便として仮設された仏教の教え
それも停止するために帰謬される
− − −
http://archives.bukkyo-u.ac.jp/infolib/user_contents/repository_txt_pdfs/bukkyo95/BR095L017.pdf 佛教大学仏教学部論集第95号(2011年3月)
ウダーナヴァルガのギルギット写本
松田和信
udana-D (prose) Udanavarga 26.24-25,Pali Udana VIII.1 (prose)
比丘たちよ、私はその場所を知っている
そこには支えとなる地面もなく、水もなく、火もなく、風もなく
空無辺処もなく、識無辺処もなく、無所有処もなく、非想非非想処もなく
この世もなく、あの世もなく、太陽も月もなく
まさにそこは〔何かに〕支えられているところではなく、寄りかかられているところでもない
ここで比丘たちよ
私は〔そこに〕来ることも説かず、行くことも、留まることも、死ぬことも、生まれることも〔説か〕ない
それこそが苦しみの終わりである
udana-F (verse) Udanavarga 26.28,Pali Dhammapada 351
究極に到達し
恐れるものなく、驕慢もなく、後悔もなく
生存の矢を断ち切った人
彼にとっては〔これがもはや輪廻しない〕最後のからだである
清弁(しょうべん)は 490年頃から570年頃のインド仏教の中観派の学者である サンスクリット語では「bhavyaviveka」(バーヴァヴィヴェーカ)または「Bhavya」(バヴィヤ) 龍樹の『中論』に表れる空の思想を論理学的な推論式によって積極的に論証するという方法を確立した しかしその論理学的方法は、後に月称(7世紀)によって批判された チベット仏教の教学においては この月称による批判をもって 中観派は 自立論証派(スヴァータントリカ)と帰謬論証派(プラーサンギカ)に分裂したとする − − − 月称(げっしょう)は 7世紀なかばのインド仏教の中観派に属する南インド出身の学者である サンスクリット語は、「Candrakiirti」(チャンドラキールティ)である 「すべてのものは実体性をもたない」という空の思想を、ただ論理的に記述するだけでなく 空について自己の主張を積極的に示すのはあまり有効ではないと考え 仏教者としての実践の立場から明らかにしようとした 空の思想と対立する考えがあればそれには帰謬論証(きびゅうろんしょう)で臨めばよいとする態度をとった そのため、積極的な論証に重点を置く清弁(6世紀)を激しく批判した 後代、この批判が中観派分裂の契機になったとみなされるようになる 彼の学説は11世紀以降チベットに紹介され、チベット仏教のなかで中心的な位置を占めた
http://d.hatena.ne.jp/hotokenomichi2008/20100924/1285276226 ツォンカパ論師の中観思想を学ぶ意義4 施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」
今回はもう少しツォンカパ論師の中観思想(中観帰謬論証派)と中観自立論証派との相違につきまして考えて参りたいと存じます
まだ拙い私の理解でございますので、多くの間違いや勘違いがあるかとは存じますが、簡単に今の私の理解について、以下に述べさせて頂きます
中観帰謬論証派と中観自立論証派との最も大きな相違点は
世俗(言説)の次元における「自相の成立」について
前者ではそれを認めませんが、後者では認めている(正確には、認めざるを得ない)というところであります
それは
「コトバの世界において扱うモノ・コトの背後に、そのモノ・コトを、モノ・コトとして何か成り立たしめている実体(自性・自相)があるのか、ないのか」
ということでの扱いの違いであります
もちろん、両論派共に勝義諦(第一義諦)においては、そのような実体(自性・自相)は完全に否定しますが
中観自立論証派では、世俗(言説)の次元において
モノ・コトを何か成り立たしめている実体(自性・自相)を認めてしまっている(認めざるをえない)というところがあります
それは、自立論証を用いて、論証主張して対論者に「空・無自性」を認めさせるためには、立論者と対論者の間において
共通の知識根拠〔量〕(直接知覚と推論)・存在論が必要であることが大きな原因となっています
http://d.hatena.ne.jp/hotokenomichi2008/20100924/1285276226 中観論者は
「あらゆるモノ・コトは、空であり、実体が無い」という理解が
「空・無自性」を主張するための大前提となっているにも拘わらず
自立論証においては、立論者が対論者(実体論者)に対して、自分の論証主張を認めさせるにも
相手との間において共通の知識根拠(特に直接知覚)・存在論を何とかして設定しなければならず
そのため
相手にある程度譲歩して論証を展開していくという中で
コトバの世界(世俗・言説)においての何らかの実体(自性・自相)を認めざるを得ない
という誤りが結局は付随してしまうというわけであります
そのため、自立論証を採用するのであれば
世俗(言説)において
何らかの実体(自性・自相)を何とかしてでも認めざるを得ないこととなってしまいます
しかしながら
世俗(言説)の領域であるとはいえども
そのような実体(自性・自相)を認めてしまうということは
いくら世俗(言説)の領域に限定しても許されないとして
中観帰謬論証派からは激しく批判されることになります
http://d.hatena.ne.jp/hotokenomichi2008/20100924/1285276226 中観論者は、本来
自立論証は採用できず
相手の主張の矛盾・誤謬を指摘して、その実体論の誤りを正すという帰謬論証を用いて
空・無自性を論証していくことしかできないのであります
また、もちろん
「○」は無実体・無自性・無自相、空なるものでしかありませんが
「○」は、世俗(言説)において
「分別によってただ仮に名のみが与えられているもの(仮名・仮設)に過ぎない」ということで
中観帰謬論証派は「○」について一応は言えることができるという立場として
「言説有」を扱うのであると考えています
141 :
Classical名無しさん :2012/10/14(日) 11:38:52.90 ID:1Oolvvws
空なのは教
142 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/14(日) 12:26:38.10 ID:vP1dvSd0
>>135 >頭真っ白な状態に導く言葉が、勝義への方便
>輪廻とか善悪、四諦など仏教の一般的な道が世俗としての方便
「頭真っ白な状態」というのは、つまり不知で無記(自我と無関係)のことでありますから、
そこからは知(つまり妄覚)は生じることはなし。これが勝義締(不生)であります。
妄覚、例えば輪廻転生観念は妄覚(分別自我意識)でありますね。
これが生じるのであれば、もはや彼岸には到達してない証左であります。
>この世俗と勝義をごっちゃにしたり、どちから片方を取って妄想すると
>全く分からないことになる
妄想とは、つまり世俗締でしかないのであります。
妄想(つまり妄覚)の人間は、未だ彼岸には至ってないのであります。
勝義締とは、分別自我意識観念は寂滅します。
これを戯論寂滅などと言ったりする。
143 :
Classical名無しさん :2012/10/14(日) 12:43:36.44 ID:1Oolvvws
妄想であることをまったく自覚出来ないレベルに達すると、まさに彼岸に至るわけですな。
144 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/14(日) 13:01:18.85 ID:vP1dvSd0
>>143 彼岸に至れば、当然ながら「彼岸」と「此岸」の分別はできる。
だから此岸に帰還できる訳で。
しかし、恐ろしいことに
生死大海を渡る途中で、自分が彼岸に至ったと妄想しちゃうアホもいる。
こうなったら、彼岸どころか此岸にも帰還できない訳で、
生死大海で溺れる他はあるまい。
こういうことがないように、仏教では親切に
自洲とか法洲とか言うておるんです。
つまり生死大海で溺れないようにです。
145 :
Classical名無しさん :2012/10/14(日) 13:13:56.21 ID:1Oolvvws
そういう拠り所に使える妄想要素を置いて安心するわけですな。
146 :
Classical名無しさん :2012/10/14(日) 13:16:34.85 ID:1Oolvvws
空なるところにいろいろと変な妄想を置いて飛び遊ぶ、基地外の脳内世界。
147 :
Classical名無しさん :2012/10/14(日) 13:19:56.89 ID:1Oolvvws
空より出た我は空に還る。 往生際の悪い妄想を並べ立てても所詮は空なり。
148 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/14(日) 13:27:01.95 ID:vP1dvSd0
>>145 そうですね。
つまり仏教というのは何なのか?と言うたら
平安・安心(日々是好日)で暮らせれば良いんですよ。
何も難しいことは考える必要性はないですね。
浄土門も、阿弥陀如来に帰依して、安心の心を目指したもんですから。
では、病に伏した生死の狭間にいる人間も安心で暮らせるのか?と
えらく叩かれそうですけど。
どうか安心してくらさい。
そういう状況においても、仏教は安心に暮らせる智慧があります。
安心とは・・・
死して生きるので御座います。
149 :
Classical名無しさん :2012/10/14(日) 14:14:02.04 ID:g77Y845+
安心は妄想でも安定剤でもよいのよ。 ただ、真理とすり替えてはいけない。 例えば、安全・安心などと併置してよいものではない。 安心だから安全だなどということはあり得ないし、確率100%の安全保障などないのに、 安心なんて、思い込むだけのもの。 それでも安心が欲しいから擬制する。 地獄にしろ極楽にしろ転生にしろ、行く先があると思えば気は楽だ。 気が楽な方が生き易い。 だから悪いとは言わない。 しかし、真理は空であることとすり替えてはいけない。 我とは一期、諦なるべし。
150 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/14(日) 14:47:24.08 ID:vP1dvSd0
>>149 >しかし、真理は空であることとすり替えてはいけない
そもそも空とは、真理のことではないし、
真理がある、と思い込んでるのは、かの仏教議論スレの痛い人達だろ?
真理とは「マコトのコトワリ」のことだろ?
そんなもんが、この世にあるのかな?
つうか空において真理がどうとか、こうとか言う人は彼岸には至っていない。
ネットでは、空の説明として「理」との説明があるのを見かけるが、これは誤解を生じる。
「理」とは、分別妄覚の最たるもので、この妄念が迷いの因でもある。
空とは、言語分別以前、つまり虚偽や誤謬や真理など、判断・推測する以前の主客未分のことだ。
だからそもそも、
人類が言語獲得という文化を有しないのであれば、空という言語もおろか、
人間は迷うことはなかったし、ましてやその時点においては、人間は悟ってた。ということになる。
つまり、
人類の言語(これには思考や思推も含まれる)獲得は、同時に人間の迷いも生じさせることになる。
迷いがなければ、そもそも悟りもないし、真理もない。
151 :
Classical名無しさん :2012/10/14(日) 15:14:52.94 ID:g77Y845+
言語の無い犬も迷うぞ
仏教議論スレッド47
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1349669547/468 468 名前:大滝秀治 [] 投稿日:2012/10/14(日) 12:19:43.13 ID:Svf6rhza [6/7]
> 中観の帰謬派と自立論証派との相違について
アタシは論証形式そのものには興味はありません
ただ、ブッダの本懐は実存苦の根本的超克であり
実存苦の原因(縁起)が我執であり
我執はその対象が実在するとの想いである以上
「存在」につき、
・主体→無我<有⇔無の無(世俗)+非(勝義示唆)>
・対象→無実体<無自性(自立・単一・恒常)> *縁起現象
と把握するのが本懐上必然のことであって
執着の種(実体とか超越妄想とか)は認められません
結論として、中観帰謬論証派に同意します
仏教議論スレッド47
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1349669547/443 http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1349669547/471 443 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/10/14(日) 01:02:50.56 ID:tYYCa0WH [1/2]
なぜ、仏教は他の宗教に比べて内向きで排他的なのだろうか?
471 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/10/14(日) 14:06:52.90 ID:tYYCa0WH [2/2]
>中観論者は、本来、自立論証は採用できず
>相手の主張の矛盾・誤謬を指摘して
>その実体論の誤りを正すという帰謬論証を用いて
>空・無自性を論証していくことしかできないのであります
これは
>なぜ、仏教は他の宗教に比べて内向きで排他的なのだろうか?
の一面を表すいい例ですね
仏教側がいくら相手の主張の空・無自性を論証して導いていると言っても
こんなの揚げ足取りの何者でもありませんから、龍樹自身の話ではありませんが
弟子提婆が外道から恨みを買って殺されたという話が残っている事からも分かる通り
龍樹の作った中観派もっと言えば仏教と言うのは、排他的要素が強いです
やはり、ただの仏教徒ではなく八宗の祖師と称される龍樹の弟子が恨みを買って
殺されるなんて話が、真偽にかかわらず残ってるって自体で異常ですよ
空飛ぶスパゲッティモンスター教と言うのがあるらしいな
155 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/14(日) 16:47:59.23 ID:vP1dvSd0
>>153 >中観論者は、本来、自立論証は採用できず
>相手の主張の矛盾・誤謬を指摘して
>その実体論の誤りを正すという帰謬論証を用いて
>空・無自性を論証していくことしかできないのであります
帰謬論証というのは半分同意なのですが・・・
この「論証」ってのは少し疑義がありますね。というのは、
中論は有部のアンチだけ書いてあるので、なにも無自性を論証している訳ではない。
結果的に無自性を論証しているのだが、それが中論の主旨ではないのです。
つまり、中論は「自性ではない」ということを論証しているに過ぎんのですよ。
これはですね、無自性ならば如何にして縁起がなるや?
(主客がないのですからね)
と、有部あたりに突っ込まれる可能性だってある。
この説明として龍樹は、縁起が第一義で、よって縁起により主客分別ができる。と
縁起により自我が生起する、という論法をしておるのですよ。
つまりですね、
無自性とは、「自性ではない」ということを意味しちょる訳で、
「自性はない」という意味ではない。
つまり中論ってのは、その主旨は有部を叩ければ良かった訳です。
八宗の祖として、龍樹はその存在を不動のものとしてますが、今後、
龍樹に続いて、中興の祖が出現する可能性だってある。
そういう意味では、中観はまだまだ発展する可能性は秘めておるんですよ。
仏教議論スレッド47
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1349669547/476 476 名前:大滝秀治 [] 投稿日:2012/10/14(日) 17:39:49.25 ID:Svf6rhza [8/8]
>「神通力の基礎となる四如意足(四神足)も超越妄想の範疇である」と考えますか?
考えません
四如意足とは要するにモチベーション(motivation)のことですから
モチベーションの源泉となる菩提心は仏道の根本です
モチベーションなくして遊んでいても面白くありません
「まこと熱意をこめて思惟」しないと「かの万法のあらわとなれるとき」はありません(ウダーナ1-1)
悟りのチャンスは、モチベーションで準備できたものでないと掴まえられません。気づきもしません
仏道は実践ですから、やはり二相の相即的実践(中論25-19)が大切だと思います
浄土とか、神通力とかは興味ありません
大袈裟坊主の釣り餌をありがたがることはありません
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%A3%9F 月の地球周回軌道および地球の公転軌道は楕円であるため、地上から見た太陽と月の視直径は常に変化する
月の視直径が太陽より大きく、太陽の全体が隠される場合を皆既日食(total eclipse)という
逆の場合は月の外側に太陽がはみ出して細い光輪状に見え、これを金環日食または金環食(annular eclipse)と言う
皆既日食と金環日食、および後述の金環皆既日食を中心食と称する
中心食では本影と金環食影が地球上に落ちて西から東に移動しその範囲内で中心食が見られ
そこから外れた地域では半影に入り太陽が部分的に隠される部分日食(partial eclipse)が見られる
半影だけが地球にかかって、地上のどこからも部分食しか見られないこともある
場合によっては月と太陽の視直径が食の経路の途中でまったく同じになるため、正午に中心食となる付近で皆既日食
経路の両端では金環日食になることがあり、これを金環皆既日食(hybrid eclipse)と呼ぶが、頻度は低い
また日の出の際に太陽が欠けた状態で上る場合を特に日出帯食、逆に欠けた状態で日の入りを迎える場合を日没帯食と呼ぶ
この場合いずれも食の最大を迎える前と食の最大を過ぎた後に分類される
大日如来(だいにちにょらい) 梵名 マハー・ヴァイローチャナは 虚空にあまねく存在するという真言密教の教主 「万物の慈母」「万物を総該した無限宇宙の全一」とされる汎神論的な仏 声字実相を突き詰めると、全ての宇宙の実在は大日如来(阿字)に集約され、阿字の一字から全てが流出しているとされる 天照大神(大日孁貴)と同一視もされる 真言は大日経などの密教経典に由来し、真実の言葉、仏の言葉という意味 金剛界 − オン バザラダド バン 胎蔵界 − オン ア ビ ラ ウン ケン 三昧耶会 − オンバザラトビシュバキリバジリニウン 礼拝帰依 − ブッダン・サラナン・ガッチャーミ 普礼真言 − オン サラバ タタギャタ ハン ナマンナノウ キャ ロミ 屮(_ ._)屮 屮(_ ._)屮 屮(_ ._)屮
仏教議論スレッド47
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1349669547/508 508 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/10/14(日) 23:21:41.69 ID:yPoW/yyp [3/3]
>命題「縁起・空の理解は仏教の悟りにおいては欠かせない」
>命題「縁起・空の理解は悟りにおいては欠かせない」
ごめん、この2つの命題って何が違うの?後者は独覚の悟りということ?
>理論に明け暮れて修行をおそろかにするな。さっさと修行しろ。と言いたいのではないでしょうか
俺も浅学だから間違ってたらごめんなんだけど
理論に明け暮れていたのはむしろ、竜樹が批判した部派の人達なんじゃないの?
哲学のための哲学というのかな、衒学的な感じの人達
そういう名声を得るための論争が生まれるのは実有の考えが根底にあるからだよっていう
だから、その実在すると考えられる理論や見解を棄てなさいっていう
仏教議論スレッド47
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1349669547/511 511 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/10/14(日) 23:52:20.40 ID:tYYCa0WH [9/9]
悟り云々の話は、悟って見なくちゃわからないから、あんまり細かい事言ってもしょうがないけど
2つの命題の違いは、「悟り」自体にはない。悟りの境地に優劣を付けることは、あるけど解脱という意味では同じ
後者は、菩薩、声聞、独覚を含む悟り(個人的には、外道の解脱者も含めた悟りの全体集合を意識したがまあいい)
前者は、悟りのための滑走路がしっかり整備された=仏教の、つまり「出家者の」を意味する
>理論に明け暮れていたのはむしろ、竜樹が批判した部派の人達なんじゃないの?
これは、通説ではそうなってるけど、後世の中観派は、龍樹の論理を論証しようと
帰謬派と自立派に分かれて、理論に明け暮れてる。これは、中論をよめば龍樹自身にも言えることで
論争や哲学する暇があったら、修行しなさい。と言った釈尊の教えを無視してる
まあ、結果として仏教は哲学として大きく発展することになったわけだから否定しないし
龍樹が偉大であることに変わりはないよ
仏教議論スレッド47
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1349669547/515 515 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 00:38:04.59 ID:2oMDa7wt
これは憶測でしかないけど…
いやー、その、釈尊が論争や哲学のための哲学を咎めたのは竜樹もよく分かっていたと思うんだよ
敬礼する釈尊のその論争や哲学するなという教えを意図的に無視したってのはちょっと考えにくいよ
「頭ばっかり使ってないで修行もしなきゃな」なんて並大抵の人間が(それこそ俺らでも)思いつくようなことなんて
竜樹の頭の中には(質は違えど)当然のこととしてあったんじゃないかな
しかし、それでも尚、それでも尚、竜樹は中論を書いた
こういう背景を想像すると、「ただの思弁哲学」で簡単に一蹴する気にはなれないし
竜樹の中論が結果的に中観派の論争などを生んだとすれば
それは竜樹の意図を正しく理解していなかったと考えることも不自然には思えない
(自分は竜樹には興味あっても、中観"派"にはあんま興味ないし…)
だから、低めに評価するとしても、論争を鎮めようとする彼の試みは失敗した、というところじゃないかな
(それも、誤解しない者が読めば問題ない気もするけど…)
165 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/15(月) 09:26:25.55 ID:LDRJpHH4
>>162 >>命題「縁起・空の理解は仏教の悟りにおいては欠かせない」
>>命題「縁起・空の理解は悟りにおいては欠かせない」
>ごめん、この2つの命題って何が違うの?後者は独覚の悟りということ?
後者は独覚のことだけど、仏教もある意味においては独覚(自灯明)である。
では前者と後者の違いは、前者は法の助け舟(法灯明)があることだね。
凡夫が法灯明なくて独覚するのは非常に難しい。というのは、
「悟った」といふ自覚が何度も訪れる。その時点で既に魔境に入ってしまうからだ。
魔境に入らない為にはどうしても法(すなわち仏教という筏)が必須です。
稀には、筏の必要を要しない者もいるだろうけど、それは一般的ではない。
先ず悟る為には、必ず魔境に入る。いわゆる神秘体験のことだね。
この魔境で、ある程度の人間は脱落しちゃうんだよ。
私の経験ですと、この魔境は半年以上、一年未満ほどあった。
勿論この時点で「自分は悟った」といふ自覚があります。
神秘体験は何度も訪れます。
しかし、神秘体験も少しずつ減少していき、やがて空虚感が少しづつ増幅していく。
つまり、悟ったという自覚があっても自分では消化しきれてないことを、少しづつ自覚するんです。
この状態が長く続くと、禅病とか神経系統の疾患になる可能性がある。
では、魔境から脱するのはどうしたらいいか?これは非常に難しい。というのは、
脱する、ということ自体が「自己否定」に繋がるんですよ。
ここにおいて、
つまり「我見と信仰を離れる」という二見の否定が重要になってくる。
ようするに、どうしても法灯明というのは必要なんだね。
> 後者は独覚のことだけど、仏教もある意味においては独覚(自灯明)である > では前者と後者の違いは、前者は法の助け舟(法灯明)があることだね 六派哲学 ダルシャナ(darsana、日本ではインド哲学と訳す)のうち ヴェーダの権威を認める6つの有力な正統学派の総称 インドでは最も正統的な古典的ダルシャナとされてきた ヴェーダーンタ学派 − 宇宙原理との一体化を説く神秘主義 ミーマーンサー学派 − 祭祀の解釈 ヨーガ学派 − 身心の訓練で解脱を目指す サーンキヤ学派 − 精神原理・非精神原理の二元論 ニヤーヤ学派 − 論理学 ヴァイシェーシカ学派 − 自然哲学 ヨーガの実践や宗教の各種修行によって穏やかに活性化し始めると 生涯をかけ各チャクラが徐々に開発されていくこととなる クンダリニー・ヨーガあるいは瞑想などによりクンダリニーが上昇し それによりサハスラーラが押し開けられればクンダリニー覚醒となる サハスラーラを完全開放させることになればその人物は解脱に至る ↑ ヨーガ派にもヨーガ派独自の法(法灯明)がある
↑ ヨーガ派にもヨーガ派独自の法(法灯明)がある ↑ ヨーガ派にもヨーガ派独自の解脱に到達する為の方法がある ↑ 訂正 おじゃる 一応、私【?】の場合は バラモン(ヒンドゥー)とか、クンダリニーなども肯定派で おじゃる
サーンキヤ学派(サーンキヤがくは)はダルシャナ(インド哲学)の学派 自我意識は他方では素粒子(音・触感・色・味・香)を生み 素粒子は五大の要素(虚空・風・火・水・土)を生む これらの対象は知覚器官に対応している プルシャはこのような展開を観察するのみで、それ自体は変化することがない 人はプラクリティから展開した理性、自我意識などを主体であると思い込む錯覚に陥っているが 本来の自我であるプルシャに目覚めることで解脱が果たされるとしている
169 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/15(月) 11:06:59.04 ID:LDRJpHH4
>>197 私は生来、非常に明るい子でしたが、中学生の頃に精神疾患になりましてね、
対人恐怖症とか、ドモリとかになりました。この頃が非常に辛かったのでありますが、
わたしはこの疾患を克服すべき、ヨーガを実践しました。
ヨーガは即効性があるのがその特徴です。
対人恐怖症ですから、人と会うのも辛い程でした。
ところが、ヨーガをやるようになってからというものは、人とは話したくてどうしようもない程になりましたね。
もう、人に出会うたんびにペラペラですよw
それは沸きいずる泉の如し、話題は尽きず。
そんな経緯をもちまして、精神疾患も徐々に寛解の方向に至ったのであります。
これはクンダリニーが覚醒したのですかね?
私は覚醒してか?しないか?は、あまり重要ではないのです。
結果的に問題が解決されれば良いのです。
で、貴殿はもしかしたら、クンダリニーが覚醒することを望んでいらっしゃるのですか?
というか・・・
覚醒した、という自覚が、今まであったのですか?
今に思えば、私が若い頃に覚醒は既にあったかと推測されますね。
どんな美人系の子女であっても、それに臆することなく
私は語ちることが出来たのは、あれは覚醒してたんじゃないでしょうか?
そうじゃなければ説明できんですからね。
> で、貴殿はもしかしたら、クンダリニーが覚醒することを望んでいらっしゃるのですか? > というか・・・ > 覚醒した、という自覚が、今まであったのですか? 今までに 「チャクラが覚醒した!」と言う自覚はないけど 「未成仏の落武者を目撃した!」と言う恐怖体験ならある おじゃる
173 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/15(月) 11:50:14.04 ID:LDRJpHH4
>>172 >「チャクラが覚醒した!」と言う自覚はないけど
じゃあ貴殿は、掲示板に書き込みしたり、コピペしてるけど
ヨーガの恩恵には未だ至っておらん、ということだね。
そんな・・・勿体無いじゃないですか?
ヨーガが即効あって、それでナンボですよw
即効があるから、オウムみたく簡単に信者が麻原に騙されしまうんじゃないですか?
例えばヨーガの基本的呼吸法の複式呼吸もやったことはないのですか?
これをやらんと、ヨーガなんて、クループを入れないコーヒーのようなものです。
私は、既に複式呼吸は自然に身についてます。
腹筋を鍛えますから便秘とかには大変宜しい。つうか、
書いたらキリが無いほど、ヨーガは実践具合でその効果は発揮されます。
(つづく)
174 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/15(月) 11:58:48.97 ID:LDRJpHH4
(つづき) 私は若い頃に、私のマグナムを鞘に入れてピストンしておったのです。 そしたらその接合部より、なにやら怪しい液体がこぼれ落ちとるのです。 わたしは驚き、もしやこの液体は私のマグナムから発しておるのか? 私は不安に陥ったのであります。 しかしこれは後ほどその謎が解明されます。 これは私のマグナムではなく、鞘の部分から滴り落ちていることが判明いたのです。 これもヨーガの効力ですよね。 ヨーガはクンダリニーを覚醒させます。ただ、その実践の場があればのこと・・・ 実践してみて、初めて分かる貝のよさ。by机龍之介
175 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/15(月) 12:01:27.88 ID:LDRJpHH4
× 複式呼吸 ○ 腹式呼吸
> ヨーガの恩恵には未だ至っておらん、ということだね ヨーガの恩恵には未だ到達してないので だからこそ そこに到達する為の方法は? 呼吸法は? 禅定の状態に入る為の方法は? と質問しているので おじゃる
177 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/15(月) 12:14:21.95 ID:LDRJpHH4
>>176 >呼吸法は?
禅定する前に、とりあえずは精神を安定させた方が良い。
そのための呼吸法は「腹式呼吸」です。
これは検索掛けて自分で研究してください。
この呼吸法だけでも精神が安定するし、なまじの禅定より良いですね。
この呼吸法が自然に身についてから、それから禅定のことを考えれが良いんじゃないですか?
いかに自分のスキルをアップできるか?
これも生きる為には必要です。
生きる、とは、無駄を省くことである。by机龍之介
スッタニパータ 1026 無明が頭であると知れ 明知が 信仰と念と精神統一と意欲と努力とに結びついて 頭を裂け落させるものである _ _ _ クンダリニーは 普段は尾てい骨付近のムーラーダーラチャクラに眠っているが ヨーガの実践や宗教の各種修行によって活性化し始め 生涯をかけ各チャクラを開花させグランティを破壊し 最終的には 頭頂のサハスラーラを押し開け解脱に至る _ _ _ 新アジア仏教史 09 チベット 須弥山の仏教世界 165ページ チャンダーリーの火とは 臍(へそ)のチャクラに宿る熱である この熱の力で「風(ルン)」を中央脈管の中に導き入れ それが脈管に入り、留まり、溶け込む事に習熟した時 菩提心である精液が溶け出し それが中央脈管の中を上下に移動しながら 四つのチャクラを通過する時に 四段階の歓喜が生じ、最終的には 源初から存在する(倶生)大楽を元に 楽空無別の智恵を獲得する
ヤブユム(チベット語であり、逐語的には「父上-母上」。男女両尊、父母仏、歓喜仏とも) インド、ブータン、ネパール、チベットの仏教芸術においてよく見られる 男性尊格が配偶者と性的に結合した状を描いたシンボルである 男性尊格が蓮華座にて座し、伴侶がその腿に腰かける座位の構図が一般的である この交合を通じて大楽を導き、解脱に達することが目指されている _ _ _ 机先生は ↑ この男女合体の密教も勉強した方が良いんじゃなイカ? おじゃる?
180 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/15(月) 15:29:57.11 ID:LDRJpHH4
>>179 >机先生は ↑ この男女合体の密教も勉強した方が良いんじゃなイカ? おじゃる?
「合体」とか、そんなに男女のセクロスは大袈裟なものではないですね。
合体ではなく「部分的に接続」しているに過ぎんのですよ。
冷静に判断するならね。
ただそういう接続にしても、それは享楽もあるのでしょうけど、
それと同時に儚いものであります。
こういった体験など積み上げてきますと、そのうち段々と飽きるものです。
そして「もう女などどうでもいい」。とかの境地に至るのです。
それから、一端女を捨ててみるのですね。
この捨てた段階によって、そこからようやく女について悟ってくるのです。
妙なことに、女というのは、捨てられてからその本領を発揮するので御座います。
ここまで逝けば、もう女道は完成です。
「男女合体」などと、無意味な幻想はするもんじゃないです。
そんな美意識もつのは男だけです。
女とは、もっと現実的でシビアなもんです。
どうか女には、お気をつけ下さい。
181 :
Classical名無しさん :2012/10/15(月) 16:20:10.66 ID:O+mwDz1u
182 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/15(月) 16:25:53.06 ID:LDRJpHH4
574 :神も仏も名無しさん:2012/10/15(月) 12:58:59.34 ID:PSmkEpWy
http://home.e01.itscom.net/panna/jissen2/047jissen2.html 滅尽定(想受滅)はブッダによって作られた仏教独自の方法なのかしら?
__________________________________________________________________
>煩悩というはたらきを消してしまう。消したら輪廻転生しない」。それ
>で話は終わり。
>永遠という言葉は使いません。話も終わり。言葉も終わり。全て終わ
>り。語ることはそれで終わり。
>涅槃についても、仏教は合理的な立場を守っているのです。「涅槃に
>入った人は永遠不滅です」などと言ったら、お釈迦様にこっぴどく怒ら
>れるのです。「それは邪道だ」と。「では、永遠ではないのですか」と言っ
>ても、それも邪道な考え方です。もう輪廻転生しません。それだけで終
>304
>わりなのです。言葉も概念も想も成り立たないのです。成り立たないこ
>とについて、語り得ないのです。
_________________________________________________________________
滅尽定は、禅においてもこの境地には達します。十牛図の最終の頃です。
(十牛図においても、大きな壁になってるところです)
また、
悟りの境地にしても、これは禅とそっくりですね。
ただ方法論の違いだけです。
http://www2.gz-sf.com/post_17.html 宗教妄想について
統合失調症の陽性症状には、「宗教妄想」という分類をされる症状もあります
これは、誇大妄想に近い
あるいはその中のひとつという分類をされる事もありますが
ここでは独立したひとつの種類として取り扱います
統合失調症における宗教妄想というのは
簡単にいうと自分を神、もしくはその生まれ変わりであると信じ
それを実際に周りの人に話すというタイプの症状です
誇大妄想に近いというのは、自分を極限まで誇大しているからですね
世界は自分を中心に回っている
自分は世界の救済者である
来るべき時に備え、自分は神となって自分を信じる民を救う使命がある
現在の世の中を壊し、新たな楽園を作る
などといった、漫画などでよく見られがちな思想にふける状態がよく見られます
また、自身を神と信じるだけでなく、他の何かを神と信じ、その神の為には手段を選ばない状態も宗教妄想といえます
こういった精神疾患は、度々大きな事件を呼び起こしていました
一番有名なのは、大きな社会問題ともなったオウム真理教でしょう
184 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/15(月) 19:28:04.64 ID:LDRJpHH4
>>182 のつづき
>煩悩というはたらきを消してしまう。消したら輪廻転生しない」。それ
>で話は終わり。
このULRを書いた人は、わざと重要なとこを飛ばしておるようですね。
まあ、あまり書きたがらないんでしょう?
気持は察します。
先ず常識的に考えて、
「煩悩というはららきを消してしまう」というのは抽象的すぎます。
こんなこと出来る訳はない。
今宵は酒が入ってますので、これ以上のことは書きませんけど・・・
では、おやすみ。
仏教議論スレッド47
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1349669547/607 607 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/10/15(月) 20:18:30.10 ID:H3dblq+S [11/12]
>つまり、龍樹の禅定体験は、未熟で実践という意味では、中論などの龍樹の著作は大した意味を持たないと言う仮設です
>
>あくまで、仮説ですが
あの滅尽定ってのは迷い道で、最終的な境地ではないというのが
以下のようにアーガマ・ニカーヤ、諸論書の説くところではないでしょうか?
PTS, DN II, 156: 九次第定で涅槃する時にアーナンダが涅槃と勘違いする
倶舎自註 ad 2.43 ff.: 滅尽定は心・心所の止滅。非想非非想処の境地。聖者がこれが涅槃であると勘違いする境地
ただし、前に示したように青目註『中論』は以下のように、滅尽定は心・心所が止滅し、不生不滅の諸法実相で、寂静相で涅槃のようと述べています
これは私の知る限り唯一の例外です。青目註の誤解か、羅什三蔵の誤解、あるいは誤伝と考えるのが妥当と思われます
仏教議論スレッド47
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1349669547/618 618 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/10/15(月) 20:54:36.14 ID:H3dblq+S [14/14]
>ただ、どちらにしても三解脱門は、解脱でない。つまり、龍樹の禅定が未熟である事を否定することにはなりません
いや〜、そうはなりませんよ
全く逆です。三解脱門は解脱への門です
滅尽定は解脱の迷い道です
そこらへん用語を勘違いされて議論されても仕方ないと思います
仏教議論スレッド47
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1349669547/602 602 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 19:52:16.10 ID:IUghqojJ [7/11]
中論は、一言で言えば、「般若経」の神秘家が見出した最高の真実の上に立って、区別の哲学を批判する書物である
龍樹は、「中論」第十八章にあらわれる本のわずかなの数の詩頌だけで、彼の見た最高の真実を語っているのである
鳩摩羅什訳の「大智度論」は
「般若経」の 空 ・ 無想 ・ 無願 とおいう三つの三昧を解説するさいに、第7詩頌を引用している
龍樹はこの章において、上述の三つの三昧を念頭に置きながら
瞑想によって得られる神秘直観の世界の真実を記述しようとしたのではないかと思われる
「中観と空T」梶山雄一P41(文章の関係で一部前後しました。ご了承ください。)
_ _ _
滅尽定について書かれている事が、そのまま滅尽定を体験していたことにはなりません。当然ですけど
龍樹の語っている禅定体験が、三解脱門であるというのは、私の意見ではなく上に示した通り石飛道子さんや梶山雄一ら学者の意見です
なぜ上座部の長老が龍樹を批判するのだろうか?という意味での一つのアプリーチと考えてください
つまり、龍樹の禅定体験は、未熟で実践という意味では、中論などの龍樹の著作は大した意味を持たないと言う仮設です
あくまで、仮説ですが
仏教議論スレッド47
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1349669547/522 522 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 03:55:23.98 ID:IUghqojJ [3/11]
(1)空三昧 : 世間は因縁によって造られ、『我(われ)』も『我所(わが所有、または所属)』もないと観ずること。要は我は空なりと観ずること
(2)無相三昧 : 涅槃とは色声香味触の五法と男女の二相と有為の三相(もの、心、ものでも心でもない)を離れることであると観ずること
(3)無作三昧 : 無願三昧ともいう。この世に於いて何も願わず何も作らないと観ずることをいう
仏教議論スレッド47
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1349669547/623 623 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 21:31:33.01 ID:IUghqojJ [12/12]
>>シャンカラを始めヒンドゥーの権威たちは仏教を否定し、仏教側でもヒンドゥーとは違うと一貫していってますよ
釈尊の権威ヴェーダの権威等お互いメンツがありますからね。後世では、そういう事も合ったでしょう
ラーマクリシュナ・ミッションを初め、近代現代のヒンドゥー教は、そういう垣根を取っ払おうという動きが活発です
仏教では、あまり聞きませんが、ダライ・ラマ辺りがそうでしょうか。いま。。。まあいいです
私が、言いたいのでは、仏教の壮大なノウハウは、多くの宗教や哲学に生かされていると言うことです
三解脱門が、解脱でない根拠は、簡単です。あなたが、否定する滅尽定に劣るからです
_ _ _
http://home.e01.itscom.net/panna/jissen2/047jissen2.html 「悟った」とは、滅尽定をほんの瞬間だけ体験することです。それで煩悩は消えてしまいます
_ _ _
滅尽定が、他の禅定を一線を画すのは、この1点です。すべての印象を消してしまうのです
繰り返しますが「空」と言う観念が残っている時点で、空三昧は、滅尽定に劣ります
劣ると言うのは、空三昧を経て、滅尽定に到る。空三昧は、滅尽定の過程に内包されると言う意味ですから誤解なきよう
仏教議論スレッド47
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1349669547/640 640 名前:不説 ◆AnATTa/dJc [sage] 投稿日:2012/10/16(火) 00:45:31.17 ID:gX6UPNH/ [1/2]
一代氏
>あの滅尽定ってのは迷い道で、最終的な境地ではないというのが
>以下のようにアーガマ・ニカーヤ、諸論書の説くところではないでしょうか?
> PTS, DN II, 156: 九次第定で涅槃する時にアーナンダが涅槃と勘違いする
> 倶舎自註 ad 2.43 ff.: 滅尽定は心・心所の止滅。非想非非想処の境地。聖者がこれが涅槃であると勘違いする境地
前者は大パリニッバーナ経の釈尊が般涅槃する場面のことでしょうか?
後者は、(一代さんの)指示語の係り受けの誤読ではないですか?
・滅尽定=心・心所の止滅
(それに対して)
・非想非非想処の境地=聖者がこれが涅槃であると勘違いする境地
だと、特に問題ないと思います
また、上記指摘は別としても「迷い道」と言う以前に、滅尽定は、何ら「道(手段・方法)」ではないと思います
・滅尽定に「よって」、解脱するわけではない
・解脱したら、(その瞬間)滅尽定の状態になる
スマナサーラ長老の話もそういうことを意図しているものと推察します
中論の境地(三解脱門)の位置付けに関する議論については私はよくわかりませんので、本来のそちらの議題とは
外れますが、どの道、滅尽定自体は止であり、観ではなく、すなわち解脱には直接寄与しない
従って「最終段階で止の滅尽定じゃなくちゃいけないのに、三解脱門が観だから、未熟」という
595 ID:IUghqojJ の論考は私には適切なものとは思えません
かといって迷い道、陥穽とか魔境のように言うのも、ちょっと違和感がありますので、指摘させていただきました
どの道、悟っていない人には、滅尽定を起こそうとしても、起こせませんし
仏教議論スレッド47
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1349669547/640 640 名前:不説 ◆AnATTa/dJc [sage] 投稿日:2012/10/16(火) 01:09:34.44 ID:gX6UPNH/ [2/2]
>三解脱門は、解脱でない。つまり、龍樹の禅定が未熟である事
言葉の問題として「門」ですから、境「地」ではないのは当然ではないでしょうか?
それに、龍樹がそ(涅槃解脱)の地に足を踏み入れてしまっていたとしたならば
「龍樹菩薩」様ではなくて、「龍樹如来」様の誕生ですよ
「菩薩道は、大乗思想はどこに?」という話になりかねませんが……
193 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/16(火) 08:05:47.27 ID:W4uWCpsh
>>185 以降を読んでみましたけど、仏教議論スレの輩はパラドックスに陥っちゃって、もう救われんのと違いまっか?
気の毒だけど・・・どうにもならないかと思います。
それより、まあ坐って坐禅した方が健康のためですね。
このままでは余計に精神疾患が悪化するでしょうし、
兎に角、もう議論は終了した方が宜しいかと思います。
で、私は
>>184 の続きを書こうと考えておったのですが、
私が書いてもあまり進展はないでしょう?
ヒントだけ書きます。
「煩悩というはたらきを消してしまう」。は消してないことであり、
これは滅尽定ではない。
じゃあこの「煩悩」ってのは何を意味するのか?
これさえ解明されれば、それで涅槃です。
仏教議論スレッド47
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1349669547/671 671 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/10/16(火) 12:22:45.15 ID:mAQBYLnN [2/2]
「指示語の係り受けの誤読」と「滅尽定に「よって」、解脱するわけではない。」
に同意します。しかし
>・解脱したら、(その瞬間)滅尽定の状態になる
は、違うと思います。むしろ
・滅尽定(でなくても構いませんが煩悩を消す境地)の状態になり、煩悩が消えて輪廻しなくなって始めて「解脱」となる
の方が自然だと思います。不説さんの説では、どうやって解脱するのか説明できません
不説さんの指示語の係り受けの誤読に同意します。が言い切りは出来ないので検証が必要だと思います
そもそも、「勘違いする」とある「涅槃」とは、何かですが
>涅槃とは、むさぼり、怒り、その他の感情から解放された完全なる平安な心の状態であると、釈尊はおっしゃいました。 ダルマ・サンガ百科事典より
また、「釈尊は、涅槃とは「無条件の」心と説きました。」とあります。特別な境地を得ることが目的ではなく煩悩を消す事が最大唯一の釈尊の教えと言うことでしょう
つまり、非想非非想処や滅尽定は、「煩悩を消す」観点から考える必要があるように思います
196 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/16(火) 15:50:04.45 ID:W4uWCpsh
>>195 >つまり、非想非非想処や滅尽定は、「煩悩を消す」観点から考える必要があるように思います
「煩悩を消す」というのは、もともと有るもんを消す、というなら分かるけど、
果して煩悩っていうのは、もともと有るもんかな?
そういう発想なら「煩悩を消す」ということなんだろ?
んなことはないんだよ。
煩悩とは縁起だから、もともとは無いんだよ。無いけど生起・生滅するんだね。
だからどうやったって煩悩を消すことはできない。
もともと無いもんを消すことはできんだろ?
禅定ってのは、毎日毎日、同じ道を無心で歩くようなもんだよ。
そしてある日、っふと路傍の一輪の花を見つけるようなものだ。
それが数ヶ月で見つける者もいれば、一生掛ったて見つけることは出来ない者もいる。
かの仏教議論スレの連中は、なんも修行をしとらんから、一生見つけることは出来んだとうよ。
一輪の花とは、ようするに比喩で「気づき」のことだよ。
なんだ、そうだったのか?っと、それは今までの概念なり観念なりが崩壊する瞬間のことだよ。
それはまさに「煩悩」そのものが崩壊しちまう瞬間なんだね。
煩悩を消す、ということじゃないんだよ。
煩悩は煩悩だけど、今までの捉え方そのものが崩壊する。とういうことだから、
煩悩が消える訳ではない。
それどころか、煩悩こそが涅槃であるのです。
こういう書き方をすると誤解が生じるかもしれんが、
それはそもそも、煩悩が崩壊せんことには話にならんのだよ。
かの仏教議論スレの連中のように、ただ推測でモノゴトを見ておったら
涅槃に逝くどころか、精神病院の隔離病棟に逝くことになる。
これが魔性というもんだよ。
198 :
Classical名無しさん :2012/10/16(火) 17:27:44.02 ID:c4H+IoxL
×宗教と精神疾患 → ○宗教は精神疾患
199 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/16(火) 17:53:06.90 ID:W4uWCpsh
>>198 精神疾患は、精神障害者なのです。
これは健常者には分からない、精神の苦痛を伴うものです。
ただ表面的には見えにくいだけなのです。
そういう人間が、
宗教に救いを求めるのは良いことなんじゃないですか?
私はこれを全面的に支持します!!
ただその方向性を間違うと、かえって障害が悪化するだけなのです。
(つづく)
201 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/16(火) 18:11:13.55 ID:W4uWCpsh
(つづき)
http://www.youtube.com/watch?v=ODTZiriWANw 清水宏『しいのみ学園』、香川京子の歌声。
この映画は、私が小学生の頃に観ました。
この映画に出演している子供達は、リアルで身体障害者だったかと記憶にあります。
当時は、小児麻痺ワクチンがまだ無かったので、小児麻痺の人達が少なからずおりました。
非常に泣ける映画ですので、関心があったらDVDで観てください。
あの頃は日本人も純心でありました。
それが映像を通して伝わってきます。
202 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/16(火) 18:16:10.59 ID:W4uWCpsh
>>200 精神疾患患者が生霊を目撃するのは、それは精神が病んでいるからです。
いろいろネットで調べてください。
珍しいことではない。
よくあることです。
ただ人格障害というのは、自覚がない場合が殆どです。
自覚があるのは軽い方です。
注意:人格障害というのは、精神病・神経症も合併してるのが普通です。
仏教議論スレッド47
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1349669547/691 691 名前:不説 ◆AnATTa/dJc [sage] 投稿日:2012/10/16(火) 23:57:42.68 ID:gX6UPNH/ [4/4]
そもそも禅定の次元上には解脱・涅槃は存在しないと思います
ところが、仏教以外のあらゆる外道は禅定の境地の中に悟りがあると勘違いしています
だから、ほとんどの人は禅定境地の延長線上に、涅槃解脱があると思い込みます
それが「群盲象を撫ずる」の例えです
富士山の頂上に涅槃があるのであれば、富士山の周囲360度のどこから攻めても構わないが
ただ標高的に高い方に行けばその先に頂上があると考えます。そうすると、「万教帰一」み
たいな発想にも通じます
例え、形式上、仏教に所属し、また仏教を標榜する人であっても、そういう点では結局のと
ころ実態は禅定主義を免れていない場合があります
非想非非想定の一歩先(滅尽定)に行けば覚れるというような発想など典型的なものです
釈尊はそもそもその禅定主義という“土俵”で勝負していないのだと思います
だから、「仏教だけが」、ということになるのです。もし、仏教を禅定主義的なものと考え
た上で、同時に「仏教だけが」という主張をするのならば、象(禅定)にタッチしている群
盲の一角に過ぎず、外部者からの相対化による批判に耐え得なくなります
206 :
Classical名無しさん :2012/10/17(水) 02:41:45.98 ID:NhZ+TMc+
世界に全体を見通せるような対象などほとんど存在しない。 我々が知っていることのほぼすべて、個々の盲が述べたバラバラの断片を、 辻褄が合う像(象?w)に組み上げたものである。
207 :
Classical名無しさん :2012/10/17(水) 02:50:35.44 ID:05xhDt50
金色に光るススキ林キレイ 森林浴を吸い、自然を見渡してきたよ わかりやすい
仏教議論スレッド47
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1349669547/700 700 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/10/17(水) 05:55:49.71 ID:wymK7oRu [2/2]
>滅尽定「自体」はあくまでも禅定の境地の内であって、涅槃の境地ではない(別個無関係である)ことは確かですね
ですよね
>解脱した仏教聖者が、禅定の純度をずっと高めていって、最高点が滅尽定
>解脱していない凡俗が、禅定の純度をずっと高めていって、最高点が非想非非想定
ニカーヤでは他にも
MN I, 302: 滅尽定から出たビクの心は遠離に傾き、遠離に向かい、遠離に滑り落ちる
SN II, 151: [七界を説くなかで]想受滅界、この界は滅尽定を得る
SN IV, 294: 滅尽定は想と受を止滅すること
Ptm 97ff.: 滅尽定は止観を前提する。止は精神集中。観は、無常・苦・無我などの十六の観法
ニカーヤでなくてテーラワーダ教学を決定づけている『清静道論』で
「定の等流は非想非非想処、観の等流は果定、止観の等流は滅尽定」PTS320と説かれるますので
少なくとも『無碍解道』以降「止観の等流は滅尽定」ということ明文化されているのだと思います
>いずれも禅定の極みという点では違いはない
>解脱(の手段・道)や涅槃とは直接関係がないわけですから
ですよね
止だけ、禅定だけでは六十二見になるというのは『梵網経』以来の仏教の伝統だと思います
仏教議論スレッド47
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1349669547/684 684 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/10/16(火) 23:21:13.46 ID:mAQBYLnN [3/6]
滅尽 nirodha ほろびつきてしまうこと
心のはたらきがすべて尽きてしまった禅定を「滅尽定」(nirodha-samaapatti)といって
欲界の煩悩を断じ尽くして
再び退転しない位(不還果(ふげんか))の聖者(しょうじゃ)以上の者が
修することのできる禅定である
択滅 pratisaMkhyaa-nirodha 涅槃の別名
智慧によって煩悩を斷滅させることによって得られる寂静の状態のこと
涅槃 nirvaaNa 涅槃は、「さとり」〔証、悟、覚〕と同じ意味である
しかし、ニルヴァーナは「吹き消すこと」「吹き消した状態」という意味だから
煩悩の火を吹き消した状態をいう
その意味で、滅とか寂滅とか寂静とか訳された
解脱 vimukti 繋縛を離れて自在を得るという意味である
誤った執着心から起こる業の繋縛を開放し、迷いの世界の苦悩を脱するから「解脱」という
この「解脱」という言葉は、けっして仏教のみの術語ではなく、涅槃とともに
古くからインドで用いられ、人間の究極の目標や理想を示すことばとして用いられた
wikidharmaより
211 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/17(水) 12:49:28.95 ID:xWxiLyDj
>>210 >心のはたらきがすべて尽きてしまった禅定を「滅尽定」(nirodha-samaapatti)といって
>欲界の煩悩を断じ尽くして
これは要するに「死に体」になる。ということであって
禅定の究極とか・・・そんな難しく考えることはないんだよ。
人間、状況によっては「死に体」になる。
つまり悟りとは、死して生きる、ことなんだね。
簡単に言えば。
>>つまり、非想非非想処や滅尽定は、「煩悩を消す」観点から考える必要があるように思います
「煩悩を消す」というのは、まだ生きてるだろ?
生きておったら、それでは涅槃には逝けんのです。
死ぬ、とふのを、禅では「大死一番」とか「大いなる死」とかいう。
つまりだね、死んでみて、それで煩悩のアリガタミというのが分かるんだよ。
これは死んでみないと分からんもんです。
幽霊に惑わされることが無くなる。それは「死に体」であるから。
全ての迷いはここにあったんだね。
212 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/17(水) 15:43:56.61 ID:xWxiLyDj
731 :神も仏も名無しさん:2012/10/17(水) 11:50:58.94 ID:3TGY8RuR
>>720 カラスが正しいとかwww
仲良くムーでも読んでろよ。
>>727 >業を清算して
w
清算されるのは般涅槃時のみだぜ?(だから、有余涅槃・無余涅槃の別を立てねばならなくなった)
生きてる間は、その生きていることによる(生きていることに於ける)業は積まれ続ける。
「業」(kamma)が「行為」という語義も持つことを忘れるな。
五比丘のシーンにしても他の場面にしても、
『次の生を受ける因・縁となるものが尽きた』ということなんだよ。
だから「後有を受けず」だし「再生(再誕)・輪廻の連環から脱した」ということになるわけさ。
輪廻の因という“元本”分を支払い切って、あと利息分の支払が残っているようなもんだ。
残金・支払がまだ残っていても、(一旦大きく支払ったから)、
或いは、これまでのツケの分を支払って、「あ、今日の分はツケで」としても
それを「清算」と言うなら、それでもいいのかもしれんが・・。
(あ、後者は、過去の分は清算されたということで成立するのかw)
_______________________________________________________________________________
カルマ論は、オウムの教義の中核を成すもんだね。
今どきオウムを信望している御仁がいるのは驚き!!
つうか、日本人は直ぐ騙される。これは民族性の問題で・・・いわゆるアホなんだよ。
農耕民族の閉鎖性が、了見の狭い人間に仕立て上げる。そして直ぐ騙される。
213 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/17(水) 16:07:42.78 ID:xWxiLyDj
214 :
Classical名無しさん :2012/10/17(水) 16:54:11.41 ID:PrilL9n7
u d νe e c s νμ μ t b ντ τ γ W G g H
仏教議論スレッド47
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1349669547/746 746 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/10/17(水) 22:57:33.94 ID:3TGY8RuR [5/5]
スキーをする奴がいてもいいし水泳する奴がいてもいい。野球でもサッカーでもいい
が
スキー板を嵌めて水泳をする奴はいないってことだよ
バットを持ってサッカーする奴はいないってことだよ
野球をするなら野球のやり方がある
「仏教」なら仏教のやり方がある。「キ教」ならキ教のやり方がある
「仏教(≒シッダッタ)」には仏教(≒シッダッタ)の目指すところがある
「キ教」(≒イエス)にはキ教(≒イエス)の目指すところがある
ただそれだけのことなのに
なんで解らないかなぁ
みんな違ってみんないい、なんて詩った人もいたな
違ってていいんだよ。無理して同じだと思おうとするから、あちこちに軋みが出る
「真理は一つ!(キリッ」 なんて夢物語から目を覚ませ
> 人は、その人、個人の経験した事しか信じない 人は、それぞれ個人、個人 その人が経験、体験した事を基本としようとする傾向を持つらしい それ故に Aさん、Bさん、Cさん その人それぞれの 妄想分別(妄執分別)によって 差別的対立に基づく戯論(けろん)が現れる と言う事であるらしい おじゃる
http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/jyujyushinnron.html 秘密曼荼羅十住心論(ひみつまんだらじゅうじゅうしんろん)
六、「智慧または般若波羅蜜」
「空」とは、固定的実体を否定する概念
物理学的にも心理学的にも、目前に存在する実体は、すべて永遠不滅でも永久不変でもない
正のエントロピーの法則にしたがって、集束したものは必ず拡散する
人の意識も、例外ではない
私たちの(世俗の人の場合は)心に残る残像は、「執着の雲」に覆われている
五智
「大円鏡智」=鏡は、映るときだけをあるがままに映す。いつでもあらゆるものが、ありのまま映る
「法界体性智」=宇宙の調和が、心の中で体現される
☆
本来持って生まれたはずの「智慧」が、暮らしや意識の固執によって、重くなったり汚れて、曇っていく
その「智慧」を目指して磨かなくては
そうして、いつの日か、意識しないで空観によって「空」そのものになる
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98 唯識(ゆいしき)
修行の結果悟りを開き仏になると、8つの「識」は「智」に転ずる
これを転識得智(てんじきとくち)という
1).前五識は成所作智(じょうしょさち)に
2).意識は妙観察智(みょうかんざつち)に
3).末那識は平等性智(びょうどうしょうち)に
4).阿頼耶識は大円鏡智(だいえんきょうち)に転ずるとされている
転識得智の考え方は天台宗や真言宗にも受け継がれている
仏教議論スレッド47
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1349669547/752 752 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/10/18(木) 06:07:26.14 ID:VRJrozaz
十六の観法というのは、四諦十六相を観ずるという意味
Ptm は『無碍解道』の略称
>『梵網経』以来の仏教では、九次第定のような方法では六十二見になるので、その境地は、解脱や涅槃とは関係ないと言うことなのか
そう。禅定状態は必要だけど、禅定・三昧によって涅槃するわけではないという意味
基礎的な知識がないんで、そこを補充しないと話になりませんよ
なんでもいいけど水野弘元『原始仏教』216以下あたり読んでみてください
>>> Ptm 97ff.: 滅尽定は止観を前提する。止は精神集中。観は、無常・苦・無我などの十六の観法
>これって
http://en.wikipedia.org/wiki/Patisambhidamagga >これに紹介されてるのに書かれていると言うことでいい?
そうです。97ff. というのは『無碍解道』PTS版の97頁以下に書かれているという意味
PTSはパーリ・テクスト・ソサエティ
220 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/18(木) 07:50:24.43 ID:AYUzeC+9
>>215 こいつ等の書き込みは、そもそも業論(カルマ清算論)という迷妄に陥ってるから
それが悟れない一つの原因だよ。
そういう迷妄から離れる為に禅定があるんだから。
テキストに依存していると、人間はテキストから無意識的に洗脳を受ける。
これは良い例だね。
まあ、兎に角、悟ってみないと全く見えてこんのです。
2ちゃんに書き込みする暇があるんなら、その時間だけでも坐った方がいい。
そうじゃないと、こいつ等みたいに精神が逝かれてくる。
八正道の「正見」は、正しい見解、正しい見方をすることだよ。
そもそも、こいつ等はその「正見」にも至ってない。
その原因はハッキリしてるよ。
悟ってないからだよ。
兎に角、悟れ!!
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B0 フォーカシング(focusing)/ 臨床心理学の用語
ユージン・ジェンドリンにより発見された、人間の体験過程とその象徴化の過程
または、それを促すためにジェンドリンが体系化した技法をいう
ジェンドリンは、カウンセリングの成功要因を探る研究の中から
クライエントが自分の心の実感に触れられるかどうかが重要であることを見いだした
そこからジェンドリンは、心の実感に触れるための方法を、クライエントに教える必要があると考え
そのための理論として体験過程理論を構築し、具体的な技法としてフォーカシングを提唱した
ジェンドリンは来談者中心療法を確立したカール・ロジャースの共同研究者であり
ロジャースの創始した来談者中心療法の実践の中からフォーカシングを体系化した
来談者中心療法とフォーカシングの関係については、両者は別個の体系であるという見解と
フォーカシングは来談者中心療法の本質であるとする見解の2通りがあり
研究者によって意見が異なっている
http://kotobank.jp/word/%E8%87%AA%E5%BE%8B 自律(じりつ)
_
デジタル大辞泉の解説
1).他からの支配・制約などを受けずに、自分自身で立てた規範に従って行動すること。「―の精神を養う」⇔他律
2).カントの道徳哲学で、感性の自然的欲望などに拘束されず、自らの意志によって普遍的道徳法則を立て、これに従うこと。⇔他律
_
大辞林 第三版の解説
1).他からの支配や助力を受けず,自分の行動を自分の立てた規律に従って正しく規制すること。 「学問の−性」
2).〘哲〙 〔 ドイツ Autonomie 〕 カント倫理学の中心概念。自己の欲望や他者の命令に依存せず,自らの意志で客観的な道徳法則を立ててこれに従うこと
▽↔ 他律
〔同音語の 「自立」 は他の助けや支配なしに一人で物事を行うことであるが,それに対して 「自律」 は自分の立てた規律に従って自らの行いを規制することをいう〕
> 「自灯明法灯明」(自島法島や自州法州とも言うらしいですが意味は同じですよね) > の「自灯明」の部分って、所謂「自律」と同じですか?違いますか? > もし、違うとしたら、何処が違いますか? _ わが身は不浄であると知る 感受は苦であると知る 心は無常であると知る 諸法は無我であると知る _ 自灯明法灯明 四念処(四念住)の観想などによって 心は無常である諸法は無我である と言う体感会得に至る これが自律と違うところ
仏教議論スレッド47
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1349669547/766 766 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/10/18(木) 09:18:07.40 ID:VRJrozaz [5/6]
>なんだそれ。最初は「滅尽定」だけをやり玉に上げて観じゃないから無理とか迷いの道とか言ってただろ。普通は728の様に取るわ
迷い道というのは倶舎と涅槃経に基づいてるよ
観じゃないから無理って言ったか?
>それは、いいとしても、後世の特に大乗の定義で初期の仏教を捉えようとしすぎじゃないか?
そんなことないよ。根拠はアーガマ・ニカーヤやその注にもあるし
>諸行無常などの縁起観を否定する気は毛頭ないが、「無我・空を悟り涅槃」は、一代氏自身が指摘してるように後世出来たもの
>「無我」や「空」を大きな意味で言い出したのは、龍樹菩薩や般若経の著者達と理解している。それ以前は
>「空」と「縁起」は今ほど密接に関係していなかった上に、テクストでは「無我」でなく「非我」
そりゃ、記号の問題だ。記号は変わっても意味は変わらないと思う
>「無我・空を悟り涅槃」とする梵網経・アッタカ・ヴァッカ以来の仏教の定義で無我・空がそれほど言われていない
オイラの読みでは、そうでないのは示した通り
アッタカ・ヴァッカもこれがその証拠
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/32.html
仏教議論スレッド47
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1349669547/767 767 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/10/18(木) 09:19:14.87 ID:VRJrozaz [6/6]
>九次第定を初め初期の涅槃を語るのは適切ではないのでは?
大乗で語るのは適切でないという意味?
大乗でなくても禅定・三昧という方法だけで涅槃するというのは仏教ではないのは確実
なぜなら、それなら釈尊は外道二師の方法を掘り下げることになるから
そうならないのは禅定・三昧だけではだめとしたということを表し
初転法輪の五比丘、縁起法頌、釈尊の遺言などが示すのは縁起であり、それが観であること、そこが重要だということに他ならず
それ以外の『梵網経』なども、そう捉えると一貫して筋道が通る
水野先生もそう考えておられるし、パユトーなどの現代の伝統的テーラワーダもそう
もちろん、大乗は一貫してそう
>あと、水野弘元『原始仏教』って755の入門の方じゃないよな・・・
そう。違う。それにそのレヴューは評者の思いだけで水野先生の考えはほとんど反映されてないでしょう
こういうの引っ張ってこられると混乱するだけなんだよね
仏教議論スレッド47
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1349669547/783 783 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/10/18(木) 10:27:43.52 ID:VRJrozaz [11/13]
>けど、この辺は成立史という変遷の過程を無視することはできないと思うが・・
それは無視していないよ
>「異物」或いは「変異体」は「異物」「変異体」としてそのままに見る姿勢も重要だと思うけど
重要だ。それは否定しない。しかし、記号の変遷を意味の変遷ととるのは誤解だと思う
そして文献学者の多くは縁起も観も分かってないので、整合性がとれないだけに思える
少なくとも縁起が分かってる山口益、水野弘元、生井智紹、石飛道子あたりの諸先生はかなり接近した解釈になると思う
そこが重要で、その縁起の理解なしに記号の変遷で輪廻を否定したとか変な解釈されてもなあ
優秀な学者は言語分析に留まっていてストイックで素晴らしいと思うけど
228 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/18(木) 12:13:45.03 ID:AYUzeC+9
止とか観とか、少し古過ぎるかもしれませんですね。 禅宗では、慧能→南岳→馬祖あたりで、そういう伝統的?禅法より飛躍的に発展しちょるのです。 それは瞑想における超越とか、そういうことではなく、 思念の起こらぬとこ、つまり概念分節以前に帰すことを目指しました。 ゆえに禅語などは一般的日常ロゴスの立場で解釈すると意味不明になりやすいのです。 その後の禅法そのもの発展は、日本禅にもその影響を与えたのです。 只管打坐は、とにかく坐るだけです。止も観もあまり意識せず。 沢庵の坐禅で、あんまり心を揺れ動くもんで、心を腹に落ち着かせた。 とかの逸話が残ってますけど、 腹式呼吸からきたもんでしょうね?推測ですけど。 とにかく南宗禅において、その源流を辿れば、禅法は現在より自由であったかと推測されます。 そういった自由において、心の拘束から離れていったかと思います。
229 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/18(木) 12:30:05.96 ID:AYUzeC+9
(つづき) >思念の起こらぬとこ、つまり概念分節以前に帰すことを目指しました。 これについて説明すると、 悟ったという自覚が訪れ、それを何度か繰り返す。 つまり「悟ったという自覚」そのものが崩壊しちまうことを、 「概念分節以前」という。 涅槃とは、悟った自覚も崩壊しちまっているから、 「悟った」と自覚があるうちは涅槃には到達してない。 ってことになる。 悟った人間は「悟った」とも言わないし、 ましてや「聖人」とも言わない。 「聖人⇔俗人」、「悟る⇔悟らない」、の分節があるのは、まだ迷いの中にいる。
http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron03a.htm 中論觀法品第十八
_
諸の煩悩、及び業が、滅するが故に、心に、解脱を得ると名づける
是の、諸の煩悩、業は、皆、憶想、分別より、生じて、実が有るのではない
諸の憶想、分別は、皆、戯論より生ずる
諸法の実相は、畢竟じて、空だ!と得れば、諸の戯論は、則ち、滅する
是れを、有余涅槃を説くと名づける
_
今、聖人は、我、我所の無いが故に、諸の煩悩も、亦た、滅する
諸の煩悩が、滅するが故に、諸法の、実相を見る!ことができ
内外の、我、我所が滅するが故に、諸受も、亦た、滅する
諸受の、滅するが故に、無量の後身は、皆、亦た、滅する
是れを、無余涅槃を説くと名づける
234 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/18(木) 17:06:04.67 ID:AYUzeC+9
>>230 >机先生の場合は ↑ この止観についての智識が欠落してるので、それ故に
>> 止も観もあまり意識せず
>と言う事であるらしい おじゃる
ん??
>思念の起こらぬとこ、つまり概念分節以前に帰すことを目指しました。
>>228 と書いてあるんだから、止か?観か?は分別がつくだろうよw
でも、そんなことはどうでも良いことだよ。
どうでも良いことは、流し読みで良い。
235 :
Classical名無しさん :2012/10/18(木) 17:51:50.96 ID:k/tWAeBR
彡 ⌒ ミ (´-ω-`)嘘と言われれば嘘
236 :
Classical名無しさん :2012/10/18(木) 17:53:31.79 ID:k/tWAeBR
彡 ⌒ ミ (´・ω・)_旦~~
>>234 机先生へ
>> 机先生の場合は ↑ この止観についての智識が欠落してるので、それ故に
> 止も観もあまり意識せず
>> と言う事であるらしい おじゃる
> ん??
> 思念の起こらぬとこ、つまり概念分節以前に帰すことを目指しました。
>>228 > と書いてあるんだから、止か?観か?は分別がつくだろうよ
机先生は 「 とんちん かんぷん 」 意味不明で、そして
机先生が 「 世俗の言葉を使って説明する事が出来てない 」 と自分でも気が付いてないらしい おじゃる
「世俗の言葉を以って説明せよ 」 おじゃる
238 :
Classical名無しさん :2012/10/18(木) 18:09:35.70 ID:2GBFiOyh
次元上昇するとアホになる
> 次元上昇するとアホになる 「次元上昇」「次元下降」「する」「しない」「アホになる」「アホにならない」 これらも含めて すべて一切は性空である故に 「 これが常住なものである 」 と言うような自性はない それ故に 「 すべてのものに自性はない 」 と言う事については、分別はない と机先生も仰せになって、おられる おじゃる そして 八聖道分を修習して、我、我所を滅する因縁の故に、無我、無我所を得て、智慧を決定する と龍樹先生も仰せになって、おられる おじゃる
242 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/18(木) 19:03:58.33 ID:AYUzeC+9
>>237 >机先生は 「 とんちん かんぷん 」 意味不明で、そして
達磨禅のことで、だいたい貴殿は達磨については知識がないだろうから説明を省いた。
壁面九年、達磨は壁に向かったから、壁観かもしれんね?
それとも壁に向き合うと、考え易かったのか?
それは達磨に聞かんと分からんだろ?
ここでどう語ちても意味はない。
しかしこれは達磨が考案した禅で、それは部派仏教とは異なる了義。
つまり、あまり屁理屈なしの禅なんだよ。
止観のどちらでもない。了義。
そこから、慧能→南岳→馬祖にいたって南宗禅が確立するが・・・
禅などしても瓦が鏡になる訳じゃ〜ない!!ってんだから、そもそも止観があるはずはない。
唐時代の禅は、私がいくら説明しても貴殿を納得させることは出来んから、
専門書でも読んで勉強してくれ。
説明も面倒くさい。それでは、おやすみ。
243 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/18(木) 19:20:05.11 ID:AYUzeC+9
(つづき) 道元の只管打坐に近いもんだけど、 中国禅は、またそれとも違う。 観ではないことは確かで、止に近い。 二者択一なら止でいいが・・・ 詳しいことは専門書で勉強すべし!! あまり止観に囚われるのは得策ではない。
>>242 机先生へ
> 達磨禅のことで、だいたい貴殿は達磨については知識がないだろうから説明を省いた
> 壁面九年、達磨は壁に向かったから、壁観かもしれんね?
> それとも壁に向き合うと、考え易かったのか?
> それは達磨に聞かんと分からんだろ?
> ここでどう語ちても意味はない
> しかしこれは達磨が考案した禅で、それは部派仏教とは異なる了義
> つまり、あまり屁理屈なしの禅なんだよ
> 止観のどちらでもない。了義
止観が伝えられていないので
止観を実践してたのか? どうか? わからない
と言う事で おじゃるな? 了解 おじゃる
仏教議論スレッド47
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1349669547/835 835 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/10/18(木) 23:37:04.98 ID:VRJrozaz [18/18]
>一般的な 『四禅』→『四無色定』→『滅尽定』・・・・いわゆる、九次第定の見解はとらない
九次第定はとる
>(理由は、『四無色定』など禅定が深まると、『観』ができない。よって、『観』を
>前提とする『滅尽定』とはならない)
>『四禅』→『四無色定』 で終了。ただし、これは仏教的最終ゴールではない
禅定主義ではなく、四禅で観が必要
九次第定は禅定の階梯であるが、必ずしも四禅以上は必要ない
>『四禅』→『観』 で、その後、「涅槃到達」と「滅尽定」とに分かれる
>「涅槃なら、仏教的ゴール」であり、「滅尽定」なら、これは迷い道
>(ただし、その分岐の詳細については不明)
>・・・・・・こういうことでOKかな?
九次第定と止観の関係という意味ではそう考える
水野先生も言うように仏教は禅定主義ではないんで、観ができる程度の集中力以上は求めないし
禅定主義では六十二見に陥るとするのは『梵網経』以来仏教の一貫した立場だと考える
そしてそれは釈尊が二師に就いた後
それでは悟れないとしたのは禅定主義、ヨーガの道だけでは悟れないとしたことを裏付けると思う
そして仏教は大乗小乗を問わず、一貫して外道は観がないから悟れないとしているのは時代も地域も関係ない
もちろん例外はあるけど、そういう例外は異端・邪見と伝統の中で見られている
仏教議論スレッド47
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1349669547/868 868 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/10/19(金) 06:46:46.67 ID:6hK/9E1M [4/4]
>水野先生が批判したのは「禅定主義」ではなく、「主定主義」
記号に拘るね。同じ意味だよ
>「定」を悟りだとみなした他教徒の立場を批判したとみられているのだが
>同時に釈尊は常に「定」を修したともみられている
だから、始めから戒定慧で説いている。慧・観になるためには定・禅定・三昧が必要だと
>「梵網経」は、「禅定主義」批判をしているわけでなく「観」も説かれていない
六十二見は禅定主義・主定主義に他ならない。水野先生もそう解釈されてるよ
> 釈尊当時の外教の人々には、禅定をもって修行の最後の目的となし
> 定を得ればそれで涅槃の理想境に達したものであると主張する
> いわゆる主定主義者が少なくなかった。これは前ににも述べたように
> 仏陀が修行時代に師事した二仙人とか、六十二見の中にある
> 初禅乃至第四禅の禅定をそのまま涅槃であるとする主張とかがそれである
観という言葉はないけど、六十二見を寂滅に導いている教えが全く観そのものに他ならない
番号118から流転門、145から還滅門ね。これが分からないのはアナタが観を理解してないから
そして中論も観しか説いてない。だから中道を観じるという意味で中観と言われるわけだけど
これでも納得しないと恥ずかしいと思うよ
247 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/19(金) 07:49:01.50 ID:6kttVVS7
>>246 >そして中論も観しか説いてない。だから中道を観じるという意味で中観と言われるわけだけど
>これでも納得しないと恥ずかしいと思うよ
これはもう滅茶苦茶の論法ですね。
簡単ではありますが、少し説明します。
@そもそも禅と瞑想は概念が違うので、同じ土俵で語ちるのは無理がある。
A瞑想に近いとすれば漸修であって、これはとっくの昔(唐の時代を頂点に)に廃ちまってます。
B現在の禅は頓修が主流であって、漸修は考える必要はない。
C頓修において瞑想の概念に近いのは、坐禅(静中禅)です。
Dしかし広義においての禅というなら、静中禅のウエイトは一部。と考えた方が宜しい。
E黙照禅においても、全く坐禅しない修行僧もいるくらいで、これはむしろ優遇されて。→永平寺関係
F看話禅にしても、必ずしも坐禅においてそこ効力が発生する訳ではない、寺男が先に悟ったりすることもある。
G禅の歴史は菩提達磨においてもたらされ、それはオリジナルであって瞑想ではない。
Hそこから慧能において中国禅も一大発展を遂げるが、それも瞑想より程遠くなる。
I日本禅も、そこ根底では中国禅を色濃く残す。
Jよって止観というレベルは菩提達磨より、その概念はない。
K日本禅は、形骸化しつつ漸修の印象があるが、本来は頓修であります。
L中論は観を破壊したとこにその本義があり、観とは破壊するための方便にすぎない。
↓
> 思念の起こらぬとこ、つまり概念分節以前に帰すことを目指しました。
>>228 参照
仏教議論スレッド47
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1349669547/874 874 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/10/19(金) 08:59:37.64 ID:6hK/9E1M [5/5]
うは〜、水野先生はこう書かれてるでしょ
>> 釈尊当時の外教の人々には、禅定をもって修行の最後の目的となし
>> 定を得ればそれで涅槃の理想境に達したものであると主張する
>> いわゆる主定主義者が少なくなかった。これは前ににも述べたように
>> 仏陀が修行時代に師事した二仙人とか、六十二見の中にある
>> 初禅乃至第四禅の禅定をそのまま涅槃であるとする主張とかがそれである
書き忘れたけど『原始仏教』218頁だよ
少なくともオイラがいう禅定主義ってのはこういう意味だし
水野先生も「六十二見」の一部が「初禅乃至第四禅の禅定をそのまま涅槃であるとする主張とかがそれである」って書いてるでしょ
これを認められないなら、全く話にならない唯の頑固者ってことだよ
恥ずかしい。正に以下の言葉とおりだ
>>870 >キミは、「テキスト」に
>1.事実として何が書かれているかという客観性
>2.書かれているテキストから何を読み取るかという持論
>を区別できてないのだと思う
観については解釈の余地があるから、認められないのは仕方ない
それは単にアナタの見識、解釈が低いだけ、あるいは解釈が異なるということで済むけど
上が認められないんじゃ、全く上の自分の言葉がそのまま降り掛かってくるよ
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート31
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1336302241/765-769 _
765 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/10/17(水) 12:33:59.99 ID:1zccjR48
ジョセフ・ペアレントの『禅ゴルフ』はどの程度、禅の教えに則っているのでしょうか?
_
766 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/10/18(木) 11:44:31.72 ID:mV8V7QPU
鈴木大拙の即非の論理って、簡単にいうとどういう事ですか?
_
767 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/10/18(木) 13:29:19.60 ID:M+GDZa4E
A is not A,therefore it is A.
(A is not A,therefore it is called A.)
_
768 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/10/19(金) 06:42:24.85 ID:F0fVday5
日本語で、お願いします
_
769 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/10/19(金) 09:04:51.99 ID:6hK/9E1M
別人だけど、xは非x。だからxという金剛般若経の言葉
『日本的霊性』岩波文庫56で「般若の即非観」
138で「否定即肯定、肯定即否定という矛盾の論理」と説いていること
だけど、鈴木大拙のこの読みは般若を誤解していると思う
250 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/19(金) 09:44:42.75 ID:6kttVVS7
>>249 >だけど、鈴木大拙のこの読みは般若を誤解していると思う
うふふ。
鈴木大拙先生が誤解しているのではなく、誤解しているのは貴殿の方だよ(笑
これは世俗論理では、どうにもらん訳で、
世俗論理で解釈しようとするから、そもそも大拙先生の「即非」がどういう意味なのか解せないにでつ。
世俗論理が矛盾であることを、そもそも気づいておれば、
「即非」がビンビンに伝わっちゃうのです。
それにはどうしても勝義締悟入が必須ですけど・・・
貴殿はそもそも勝義締悟入はしちょらんよぉですね。
251 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/19(金) 09:59:49.56 ID:6kttVVS7
即非の論理とは・・・
歩いている。→これは、歩いていない、ということになる。
語ちてる。→これは語ちてないことになる。
去る。→これは去っておらんことになる。
これについては、
>思念の起こらぬとこ、つまり概念分節以前に帰すことを目指しました。
>>228 参照
このように私が説明いたしました。
仏教議論スレッド47
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1349669547/876 876 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/10/19(金) 09:44:49.98 ID:6hK/9E1M [6/6]
>これも分かる。・・・・が、水野はそういう見解として、その他、山口氏や石飛氏の
石飛先生は言及されてないじゃないかと思う
山口先生はどうでしょう。オイラが知る限り言及されてないような
全ての論考を通読したわけではないので
オイラ的には、そういう煩瑣なアビダルマ的分析はあんまり興味ないんだよね
重要なのは縁起、観をどう捉えるかということで、そこに行くまでの基本過程、戒定慧だと思うから
部派、唯識、ゲルクとかが好きな煩瑣な体系構築は、興味がわかないんです
逆にこの三者は、そういう細かい面に拘るので、なんというかそういう方向に興味がある方に向いている道だと思います
まあ、暇人さんはガチガチの素朴実在論に立った文献学者の代理みたいなポジションだよね
だけど、水野先生が六十二見を禅定主義と捉えたことを認められないようじゃ、ただのイチャモンと変わらないんだよね
それと、テキストに書いてあることは、マテリアルな面はキッチリ正誤が分かれるけど
解釈の面はこれは解釈だから総合的にどちらが妥当かどうかぐらいしかいえず、完全に誤りと断じることはできないでしょ
その点もはみ出してるとしか言えない。もっとも、観・縁起についてはオイラの方が圧倒的に妥当だと思ってるけど
たとえ多くの文献学者の反論があったとしても
>>250 机先生
>> だけど、鈴木大拙のこの読みは般若を誤解していると思う ID:6hK/9E1M
> うふふ
> 鈴木大拙先生が誤解しているのではなく、誤解しているのは貴殿の方だよ
↓ ID:6hK/9E1M は縁起一代先生 おじゃる
仏教議論スレッド47
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1349669547/503 503 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/10/14(日) 23:02:49.93 ID:Ckpo9tl5 [2/3]
> 我々の知識領域を越えていると言っているだけなんだよ。一代とかいう縁起馬鹿は全く理解していないようだけどさ
縁起馬鹿というのは君の命名なんだが
そこでちょっくら、それに因んで
縁起バカ一代といってみたんだ
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート31
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1336302241/772 772 名前:大滝秀治[] 投稿日:2012/10/19(金) 10:42:50.36 ID:Vw/HIrax
>鈴木大拙のこの読みは般若を誤解していると思う。
同意です。西田幾多郎もおなじです。
資料として、金剛般若経の代表例を提示します。
世尊 世尊よ。
如来所説三千大千世界即非世界 如来が説きたもう所の三千大千世界は、すなわち世界に非ず。
是名世界 これを世界と名づくるなり。
何以故 何を以ての故に。
若世界実有者即是一合相 もし、世界、実に有るならば、すなわち、これ、一合相にして
如来説一合相即非一合相 如来は「一合相は、すなわち、一合相に非ず」と説かれたればなり。
是名一合相 これを一合相と名づくるなり。
須菩提 須菩提よ、
一合相者即是不可説 一合相は、すなわち、これ、説くべからず。
但凡夫之人貪著其事 ただし、凡夫の人は、その事に貪著するなり。
(金剛般若波羅蜜経一合理相分第三十)
255 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/19(金) 12:52:02.00 ID:6kttVVS7
>>253 >↓ ID:6hK/9E1M は縁起一代先生 おじゃる
それは分かってる。
私のスタンスは、止観はあまり意識はしない方が良いかと思ってる。
シンプルな只管打坐あたりが良いんじゃないかな?
坐禅中じゃないにしても、観は嫌と言うほど顕現するもんだよ。
これは脳内アドレナリンの関係かと思うね。
つまり生理的なもので、あまり仏教(菩提心)には関係ない。
そういう経緯を経て、少しづつ心が安心(あんじん)に傾斜してくる。
そこからが本来の禅(静中禅)になってくる。
やがて動中禅に関心を向けてくる。
こういった日常そのものが禅定状態になるのが一番バランスが良い。
仏教議論スレッド47
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1349669547/879 879 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/10/19(金) 10:14:44.74 ID:6hK/9E1M [7/7]
あれは釈尊が常住論を認めるという読みはないね
それは無理。常住論について説いたことを賛嘆したというだけでしょう
常住論について述べた『梵網経』とほとんどおんなじじゃなかった?
そこから分かるでしょ
文献学で素朴実在論って人は結構いるよ
そういう人がなんで宗教板や仏教スレに来るかは
単に縁があったからじゃないかな
承狂という人が典型、電波男とかアホダラちゃんもそんなかんじかと
学者だと和辻とか松本、並川 といった人も大雑把にそんなかんじだと思う
基本的に輪廻を否定する人は、素朴じゃないにしても実在論に立ってることが多いように思います
仏教議論スレッド47
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1349669547/885 885 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/10/19(金) 13:10:11.79 ID:6hK/9E1M [8/8]
いや、オイラの説はテキストと伝統に基づくもんだよ
君こそ止も観も勝手に自分の体験に当てはめてるだけじゃないの?
そういうやり方で仏教語るのは仏教に仮託した自分語りでしょ
>だから非想非非想処で観じたら・・・
というか非想非非想処を含む無色界定では観はできないというのが
仏教の一貫した立場
そして四禅で観ができないとなるとアーガマ・ニカーヤを始め様々な仏教経典が
虚偽ってことになるんだけどな
だから、自分の体験で勝手に憶測するのは止めないか
仏教というなら、仏教の伝統に自分の体験を当てはめるのが筋でしょ
そう考えると君の体験がちょろっとした三昧体験を悟りとか涅槃と勘違いしてると考えるのが最も妥当でしょ
そもそも他心通は、ちょっとした三昧体験で生じるものだよ
それがないってのは滅尽定はもちろん四禅すらないと考えるのが妥当ですよ
オイラには君が自分の体験を盲信して、勘違いであることを認められないだけにしか思えないは
それとテキストに依らないなら、オイラに対して云々するのは無駄だから止めてもらえないかな
テキストに依らないなら、要するにに君を信じるかオイラを信じるかって話でしょ。神通合戦でもやらない限り
258 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/19(金) 13:23:48.28 ID:6kttVVS7
>>256 そもそも実在とか非実在とかの概念は西洋哲学になるから、
印哲では通用しない。
よって論題になることに意味はない。
また、議論スレの中核論題というのが「カルマ論」であるから、
この論に賛同すれば「禿同」の称号を与えられるんじゃないかな?
ようするに、
「カルマ論」の辻褄合わせ(確証)があれば何でも良い。ってこってす。
>基本的に輪廻を否定する人は、素朴じゃないにしても実在論に立ってることが多いように思います
そんなことはない。
私はそもそも輪廻には関心がないし、輪廻を悟るのは無理。
つうか、勝義締に悟入すれば輪廻の問題は全て解決する。
また、
私は実在論に立ってる訳ではない。そもそも・・・
輪廻とか実在とかの観念が残存してる段階で、勝義締には至ってない証左。
259 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/19(金) 13:54:24.15 ID:6kttVVS7
仏教議論スレより
__________________________
886 名前:神も仏も名無しさん :2012/10/19(金) 13:11:47.62 ID:6hK/9E1M
>>881 そういうことは本物の聖者から学ぶべきですよ。
ここにそういうことを求めるのは間違いだと思います
_________________________________________________________________________
本物の聖者なら、輪廻は「分からない」です。
「分からない」→「分けることはできない」→「分節できない」。
悟った人間は輪廻については、こう言うはずです。
議論スレでたむろしている御仁達は、もう悟って聖者以上になってる。
そこが問題だ。つうの(爆笑
つうか・・・
この段階で既に「業報輪廻」に囚われれいるから、
本人に自覚があるか?自覚がないか?に関わらず、観念に苦しむことになる。
聖者と言われた白隠でさえ、死ぬまでこの観念からは抜け出せなかったらしいから、
この観念を取り除くのは非常に困難。
仏教議論スレッド47
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1349669547/889 889 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/10/19(金) 15:29:10.73 ID:6hK/9E1M [10/10]
いや〜、そりゃ分かってないは。呪術と捉えてるでしょ密教を
そんなん密教じゃありませんよ。密教についてはこんなところで語りたくないけど、空性と菩提心に基づかないものは密教じゃない
オイラも分かってるとは言いがたいが、知ってる限りでも全く違う
密教の密は如来秘密で、空性体験のないものに認識的に秘されているという意味だよ
忿怒尊がああいう忿怒形で描かれるのは訳がある。ここでは述べないけど
そしてその空性と菩提心で認識転換された世界がマンダラで、秘密荘厳なんですがな。つまり、密教は本質的に小乗でいう悟り、大乗でいう第六地から始まるわけ
逆にいうと空性体験がないうちは、密教といっても形だけになってしまう
で、空性と菩提心で認識転換された世界がマンダラでは、第二住心どころか第一住心までも意味のあるものとなるという意味だよ
そういう次元を世俗的な話に持ち込んでもね
それじゃ 机 とかと全くかわんない
分かんないことは言わない方がいい
般若経
http://www.dia.janis.or.jp/~soga/subindex.html 世尊は輪廻を説かれたのではなく
輪廻からの解脱を説かれた
前世を思い巡らし来世を心配する暇はない
我執を離れ正しい見解を得るよう、常にこの今、一心に努力するだけだ
今どうあるか、どうあるべきか、それだけを気にかければよい
あなたたちは、大きな激しい変化にばかり心を奪われたことだろう
あなたたちが変化を見ない
「いつも」もまた無限の変化でできていることを、あなたたちは見なければならない
これまであなたたちは、善行に励み、永遠ばかりを探してきた
だから、凝り固まり、ありのままに変化を見ることに慣れていない
無我を、縁起を、空を見ることがうまくない。あなたたちは、練習が必要だ
およそ、禅定に入ろうとする人は…
…吐いて吸う大きな長い息を十数え、何度も繰り返し、なにも考えず、ただ息を数え続けます
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%86%E6%95%99 密教においては
師が弟子に対して教義を完全に相承したことを証する儀式を伝法灌頂といい
その教えが余すところなく伝えられたことを称して「瀉瓶(しゃびょう)の如し」といい
受者である弟子に対して阿闍梨(教師)の称号と資格を与えるものである
いわゆるインド密教を継承したチベット密教がかつて一般に「ラマ教」と称されたのは
チベット密教では師資相承における個別の伝承である血脈を特に重んじ
自身の「根本ラマ」(師僧)に対して献身的に帰依するという特徴を捉えたものである
_ _ _
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E6%8C%81 密教においては
仏が大悲・大智によって衆生に応じることを「加(加被)」
衆生がそれを受け入れることを「持(摂持)」と解釈し
双方が相応一致することで仏と衆生の持つそれぞれの三密が入り混じて他を己におさめ持ち
死後の成仏をはじめとする各種の効果を成就させることから
これを「三密加持」と称する
修法のために必要な呪禁の作法のことも加持と称した
衆生が仏(場合によっては神)の力の助けを借りるために
衆生自身あるいは仲立ちである僧侶が行う祈りのことも「加持」と呼ばれ
祈祷と同一視され、両者を組み合わせた『加持祈祷』とも呼ばれた
大日経住心品講讃 / 松長有慶(著) / 大法輪閣(2010/02) _ _ _ 270ページ 秘密王よ 真言の門において菩薩行を修する諸菩薩は深く十縁生の句を観察し 真言の行に通達して、悟りに到達すべきである 1).即空の幻で「五蘊が実在である」と固執する考えを退ける為に十縁生句を観ずる 2).即心の幻で「阿頼耶識が実在する」と固執する考えを退ける為に十縁生句を観ずる 3).不可思議の幻で、「世俗と真理の両世界から離れる為に」十縁生句を観ずる _ _ _ 272〜274ページ 呪術とか薬(麻薬)などによって色々な 幻や不可思議な現象が現れる 無明からの因縁によって色々な事が起きる 無明が無ければ この世の出来事も起こら無い 真言の自性である菩提心も空性であるからこそ 瑜伽(ゆが)の修法を通じて 悉地の結果として 色々な現象を出現させる事が出来る
大日経住心品講讃 / 松長有慶(著) / 大法輪閣(2010/02)
270ページ
「五蘊が実在である」と固執する考えを退ける為に
「阿頼耶識が実在する」と固執する考えを退ける為に
_ _ _
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E9%82%A3%E8%AD%98 末那識(まなしき)
唯識説の説く八識のうち第七識であり、第八識(阿頼耶識)を所依として、第八識の見分を所縁として生じる識である
睡眠中でも深層において働き続け
根源的な心である阿頼耶識を対象として
それを自分であると考えて執着し続ける
この深層的な自我心を滅することによって、我々は初めて真の無我行を実践することができる
266 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/19(金) 17:20:52.50 ID:6kttVVS7
>>261 そもそも禅宗と密教は、般若心経の解釈が違うので、そのてんを解説します。
禅宗。→色即是空の「色」は世俗締で、「空」が勝義締。
よって、
空即是色「空」から「色」の還滅で般若波羅蜜多の完成で終了。
密教。→空即是色の「空」は勝義締ではなく、「色」において勝義締になる。
すなわち、
「空性?」から如来蔵へとさらなるバージョンアップする訳で、
まあ、ここのとこが私には難しいとこですね。
つまり、禅宗と密教では、そもそも「空」の解釈が違いますからね、
個人的には、私は禅宗の方がスッキリする。
密教は禅宗を、「如来界を土足で入り込む」などと思ってる印象がある。
つまり禅と密教はそもそも相性が悪いのですよ。
だから打ち解けることはない。
禅宗と相性が良いのは、浄土門ですね。これは殆ど考えてることは一緒ですよ。
>>266 机先生へ
詳しい事は、わからないけど
縁起一代先生は真言密教の系統なのかもしれない
それ故に
禅宗の系統の机先生との相性はバッチリで おじゃる
_ _ _
ちなみに、私【?】は
目で見たり、触れて感じたりすることのできないこと
そのような知識の探求とそれによって得られた知識体系
隠されたものを語源とする
オカルト(occult)・超越妄想・原理主義で おじゃる
270 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/19(金) 17:59:09.66 ID:6kttVVS7
>>268 >縁起一代先生は真言密教の系統なのかもしれない
縁起先生は、真言密教のアジャリ(つまり高僧)と自己申告してますね。
私が「そんなに簡単にアジャリの称号を得ることが出来るんでつか?」。と問いたら、
縁起先生は
「そんなの簡単に取れるんでつよ」。とか言っておったですね。
だから縁起先生はアジャリで良いんじゃないでしょうか?
密教アジャリで、今はチベット仏教に傾倒しておるようです。
アジャリじゃ駄目なんでしょうかね?
つうか・・・
密教では「自己解決」が出来んかったのでしょう?
禅宗においては、先ず「自己解決が出来ん」というのは先ずアリエナイ。
禅宗から転向することはアリエンのです。→(見性したなら)
それは、全てが自己解決出来るからです。
勿論、輪廻転生の問題も全く問題にはなりません。
仏教 議論スレッド 46
http://mimizun.com/log/2ch/psy/1347797650/ 10 :神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 15:19:36.51 ID:48z+mTAP
>自立論証派 ← 例えば 「火の熱さや燃焼作用が火の自相として認められる」 とする世俗的な考え方に近い立場
>
>帰謬論証派 ← 世俗の次元においても自相(自性)を、否定する
これはゲルク的理解で原義は全くちがう
自立・帰謬という宗派は、特に言葉はインドで使われなかった可能性が高い
そして月称菩薩の中観をチベット的に自立・帰謬で呼び習わすとしても
帰謬派ということはできても帰謬論証派ということはできない
なぜなら、論証したなら主張・見解を持つことになり
そうなると中観の趣旨である四句分別遮断による戯論寂滅への導きという道から逸脱することになるからだ
これはゲルクが批判する離四辺中観に他ならない
離四辺中観こそインド中観の王道を伝えるもので、シナ・日本の中観も基本的に変わらない
一方、特殊な論理学を用いて自立論証を中観に取り入れた清弁菩薩は
だからこそ月称菩薩に批判されたのであって
論証法の違いでも、自相(実在)に対する解釈の違いからでもない
そんな些細なことではなく、中観の本質に関わる問題だから批判されたのに他ならない
ゲルク中観はより自立論証的であり、私見ではよりアビダルマ的で全く中観的ではないと思う
http://www.cnn.co.jp/fringe/35023277.html 火星探査機キュリオシティ、土壌の中から光る物質を発見 2012.10.19 Fri posted at 11:42 JST
(CNN) 米航空宇宙局(NASA)は18日
火星を探査中の探査機「キュリオシティ」が、「グレネルグ」と呼ばれる科学的に興味深い地点に到着したと発表した
火星の土壌の中から光る物質が見つかり、成分などを調べていることも明らかにした
キュリオシティはこれまで約1週間にわたり
「ロックネスト」と呼ばれる地点でロボットアームを使って地表の土壌をすくう探査を行っていた
このときにすくい出した土壌の中に、小さな光る物体があるのを発見。物体は約1ミリと砂粒ほどの大きさで
当初はキュリオシティからはがれ落ちた物質ではないかとの見方もあったが
詳しく調べた結果、もとから火星にあった物質のようだとの見方が優勢になったという
採取した物質はキュリオシティに搭載されたX線回折装置に取り込んで、成分の解析を進めている
キュリオシティは8月に火星に着陸し、地表を移動しながら探査を進めている
グレネルグの後は
堆積層から形成される標高約4800メートルの「シャープ山」の探査に向かい、生命が存在していた痕跡を探す
276 :
Classical名無しさん :2012/10/20(土) 02:52:51.68 ID:Fp13E9bB
探査機搬送体による火星環境汚染
277 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/20(土) 09:23:14.49 ID:qZAT2w2P
>>273 10 :神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 15:19:36.51 ID:48z+mTAP
>自立論証派 ← 例えば 「火の熱さや燃焼作用が火の自相として認められる」 とする世俗的な考え方に近い立場
こういう理屈は、私は違うとおもいますね。
つまり、火の熱さとか、燃焼作用とかは、自相にあるずして、現象に過ぎんのですよ。
ゆえに、自相はその認識(つまり世俗において)でもって「火」であることを分別できる。
これは禅修行者が悟る瞬間(いわゆる見性)にあてはめると納得が逝く話なんですね。
例えばですど、一休宗純が悟る過程を分析すると、自立論証では説明がつかんのです。
一休は闇夜で何やら訳の分からんものを聞くんですね。
これが、もしかしたらカラスじゃないか?
いんや、もしかしたらじゃなくて・・・カラスに間違いない。
そういう経緯でもってカラスを認識しちょるようになるんです。
私は、こういう認識の過程を随分と研究しましてね・・・・
(注意:勿論それは一休に限ったことではなく、自己愛パーソナリティーについても考究しました)
そういう研究結果を当てはめると、帰謬論証でしか説明できんのですよ。
まあ、こういう話は退屈でしょうから、私は遠慮しますけど、
じゃあ、もしも一休がツンボで耳が聞えんでしたら、果してカラスは鳴いたのでしょうか?などと
私は考えたことがあるんですよ。
これは難しいでしょうか?
私は。かように思うのです。
一休がツンボの場合は、カラスは鳴かんかった。
こういう結論に至ったのであります。
退屈な話でしたね。申し訳ありませんです。
278 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/20(土) 09:34:03.75 ID:qZAT2w2P
× ゆえに、自相はその認識(つまり世俗において)でもって「火」であることを分別できる ○ ゆえに、現象であるものが、その認識(つまり世俗において)でもって「火」であることを分別できる
279 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/21(日) 08:19:02.55 ID:Y0oZkmQS
仏教議論スレより
_______________________________________
104 :神も仏も名無しさん:2012/10/21(日) 03:17:15.81 ID:dAw2tld3
前スレで、容量の関係で書き込めませんでしたが、そのまま消してしまうのもなんなのでなので、一応
>>928 >>914 (前スレ)
宝珠氏と一代氏にお聞きしたい。(一代氏に関しては中論を押してるので、おそらく聞くまで無いですが)
仏教の長い伝統の中では、今では、おまけ程度の認識ですが部派仏教の説一切有部などが仏教の主流となっていた時代があります。
龍樹の中論も言わば有部のアンチテーゼとして生まれた物と云えます。有部は、結果的に龍樹に論破されるわけですが
現代まで続く龍樹自身やその主著『中論』の影響力・偉大さから逆に、その相手となる有部の凄さも感じ得るわけです。
私自身不勉強で、言い切りはできませんが、宝珠氏の言っている仏教は「有部」の思想に近い様に感じました。
一方一代氏の言っている仏教は、言うまでも無いですねw
つまり、お互い論破された側と論破した側で同じ「仏教」として話してるわけから、奥歯に物が挟まった様に成るのではないでしょうか。
前置きが長くなりましたが、お二人は、説一切有部についてどのようにお考えですか?
_______________________________________
新キャラが書き込みしておるようですね。
またいつものように叩き出されるのでしょうか?
あの議論スレはカルトの溜まり場で、自己の確証を得たいだけに利用している、
只の精神疾患患者専門であることを承知してくらさい。
仏教議論スレッド48
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1350666891/16 16 名前:1/2 即非の論理? 大滝秀治[] 投稿日:2012/10/20(土) 10:07:52.60 ID:I0+ySxlG [3/7]
仏教質問箱31 773 F0fVday5
>如来が説きたもう所の三千大千世界と 凡夫の人が貪著している、この世界は異なる と言う意味で良いんですか?
相(仮設:仮観)が違う、ということです。それが(仮設)非です
ここでは十分には言及できませんが、先ず、西田幾多郎と鈴木大拙の「思想」を特徴付ける短文を提示します
<西田>
「実在の根底には精神的原理があって、この原理が即ち神である
インド宗教の根本義であるようにアートマンとブラフマンとは同一である」
(『善の研究』p121)
我々の自己(個)は、どこまでも自己の底に自己を超えたもの(超個)において自己をもつ
自己否定において自己自身を肯定するのである
かかる矛盾的自己同一(即非)の根底に徹することを見性という
禅宗にて公案というものは、これを会得せしめる手段にほかならぬ(西田幾多郎『場所的論理と宗教的世界観』)
<鈴木>
「仏教徒の考える絶対者は、その中に一切を保持し、かつそれをとうして、一切が顕現するという如き、個者ではなくして
かくかく個々の事物がそのままで絶対者の中に存し、又、それとはなれて絶対者があるわけではない
・・・・一切がそれ自体の姿で、即ち、それぞれの個者として、またひとつの全に属するものとして、存するような時でも
彼らは絶対者それ自体なのである(『続禅と日本文化』p274〜275)
これら、鈴木や西田の根底にある思想は明確な不二一元論であり
その「一」に唯一の実体=絶対者である一=神(ブラフマン)を想定する
超越的神秘主義(スピリチュアリズム)に他なりません
これが戦前において天皇を中心とする全体主義・軍国主義を支える論理となり
また、アタマの悪い禅僧を迷妄の淵に追い込む害悪思想として機能しました
臨済の思想にも、「赤肉団上、有一無位真人」などと
容易にアートマン=ブラフマン=絶対者説と解釈できる如来蔵思想があります
しかし、これでは明確に<無我・縁起・空>撥無の反仏法であるとの非難を免れません
仏教議論スレッド48
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1350666891/17 17 名前:2/2 即非の論理? 大滝秀治[] 投稿日:2012/10/20(土) 10:13:23.58 ID:I0+ySxlG [4/7]
金剛般若経の「A即非A、是“名”A」の根本的意義は
<A(分別相:仮観)はAではない(無分別相:空観)。ゆえにAと名づける(無分別の分別:中観)>と
存在は二相(最終的には相そのものも空)で掴み得ることを明確にし
無分別の分別相がわざわざ「言語ゲーム」であることを確認することにあります
まさに二相の相即的実践です。*上記の仮観と空観の位置を入れ替えてもOK
*ちなみにオウム真理教の根本的誤謬は誤った空観→存在の虚妄観(幻そのもの)+カルマ(業報)輪廻転生論で
カルマ落とし→殺人を肯定するところにあります
ところが、西田や鈴木は彼らのチンケな不二一元論を基にして、語彙の持つ限界を捻じ曲げ、曲解してまで
【“AがAである”のは“A”が即“非A”であるからである】
すなわち、「A」と「非A」と「肯定」(即)と「否定」(非)とがそのまま自己同一であるという「即非的自己同一」なる独自の同一律を創提し
これが西田哲学のいわゆる「絶対矛盾的自己同一」宗教論的基盤となりました
彼らの思想はまさしく、金剛般若経自身が批判する<全一体という執着 piNDa-grAha>という
愚かな人々が、実体と見誤って執着するモノに他なりません
<一合相者即是不可説 一合相は、すなわち、これ、説くべからず
但凡夫之人貪著其事 ただし、凡夫の人は、その事に貪著するなり>(金剛般若波羅蜜経一合理相分第三十)
鈴木や西田の思想は、もはや博物館行きを免れない誤謬化石思想です
仏教議論スレッド48
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1350666891/25 25 名前:即非の論理? 大滝秀治[] 投稿日:2012/10/20(土) 15:41:05.91 ID:I0+ySxlG [6/7]
>Aと非Aは、二元ではなくその本質において一元である
>(便宜上やむを得ず名称付加して) 般若波羅蜜多 という名称で呼ぶのである
そうです。実質的に、アタシの説明と同じですよ
Namamatra(名称)→vyavahara(言説)の無実体の言語ゲームです(瓜生津 龍樹p228参照)
ところが、彼らは言語ゲームであること(“是名”)を無視して
超越的神秘主義(スピリチュアリズム)不二一元論によって、A=非Aだと金剛経を曲解するわけです
それはまさしく金剛経が批判する<(実体的)一合執(玄奘 訳)>そのものです
一元論は多元論との二項相対で成立する間接現実(世俗)内の論でしかなく
直接現実(勝義)にはとどかない戯論でしかありません
こんな陥穽に陥る根本原因は、中国的華厳思想にイカレテしまっているからです
縁起の直接現実は不一不異(不一不二)の空(元論)←縁起の現観が中観・中道です
仏教議論スレッド48
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1350666891/26 26 名前:即非の論理? 大滝秀治[] 投稿日:2012/10/20(土) 15:48:49.76 ID:I0+ySxlG [7/7]
よければ、西田の楽しいレトリックの世界をドゾー
『現実の世界とは物と物との相働く世界でなければならない
現実の形は物と物との相互関係と考えられる、相働くことによって出来た結果と考えられる
しかし物が働くということは、物が自己自身を否定することでなければならない
物というものがなくなって行くことでなければならない
物と物とが相働くことによって一つの世界を形成するということは
逆に物が一つの世界の部分と考えられることでなければならない
例えば、物が空間において相働くということは
物が空間的ということでなければならない
その極、物理的空間という如きものを考えれば
物力は空間的なるものの変化とも考えられる
しかし物が何処(どこ)までも全体的一の部分として考えられるということは
働く物というものがなくなることであり、世界が静止的となることであり
現実というものがなくなることである
現実の世界は何処までも多の一でなければならない
個物と個物との相互限定の世界でなければならない
故に私は現実の世界は絶対矛盾的自己同一というのである』
http://www.aozora.gr.jp/cards/000182/files/1755.html 一切行無常の縁起を俗物不二一元論で強姦すると
こういうグロテスクなレトリックになるという見本です
これ以下にも続きますので、楽しんでください
284 :
Classical名無しさん :2012/10/21(日) 15:43:39.58 ID:7Ne+zp6P
三値論理
http://ja.wikipedia.org/wiki/3%E5%80%A4%E8%AB%96%E7%90%86 3値論理(英語:ternary, three-valued or trivalent logic)とは
真(true)、偽(false)のほかの第三の論理値を持つ論理システムのことである
これは、真と偽の2値のみを提供するブール論理をはじめとする2値論理(bivalent logics)と良く比較される概念である
古典論理では真理値は真と偽の二つでのみ表現される
しかし哲学や数学の問題における「可能性」や「未定義」などの概念を論理的に表現しようとすると真でも偽でも無い第三の真理値の表現が必要となってくる
例えば「明日は雨が降る」という命題の真理値を考察する場合、それは真か偽かを確認することはできない
この事については古くから知られており
古代ギリシアのアリストテレスは未来の出来事を表すには真でも偽でも無い可能性(未来偶然命題)として第3の値について言及している
学問として今日の3値論理の研究体系が確立したのは1920年にヤン・ウカシェヴィチ(Jan Łukasiewicz)が発表した論文 "On 3-valued logic" からである
現在3値論理は非古典論理の一分野とみなされ研究されている
仏教議論スレッド48
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1350666891/28-30 28 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/10/20(土) 17:53:34.63 ID:DpMMWT5n [2/6]
よく「真我・アートマン」と云う言い方が出て来るが誤解があるようだ
仏教では御仏そのものなのである.つまり自分自身(自我)【ではない】別在
御仏こそが真実な命そのものであり全てであり時を越える不思議なのである
次に「無我」についてであるが、単純に自我の消滅と考えたのでは誤解する
御仏への帰一により一体合一とななればこそ自我は無我なのです
29 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/10/20(土) 17:56:17.76 ID:DpMMWT5n [3/6]
究極至高の存在者とは「有・無」と云うよりも「超越」と言うべき
超越者への帰一合一とは無常変転無我であって死滅ではなく真実の命への
成仏に他ならない.梵我一如を仏教で否定するのはそう云う意味です
涅槃と無我の意味するところを整理できないと混乱があるだけです
また「空」についても誤解があるものと思う.空とは本質認識なのです
30 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/10/20(土) 18:00:13.54 ID:DpMMWT5n [4/6]
正しい認識があるからこそ悟り得て成仏へと至るのであって認識それ自体に
救いのようなものが内包されている道理はない.また苦滅と云う言い方も
されているようだが、その実は苦を正しく認識し苦を苦とすることで乗り
越える自我変容があるから苦滅と言ったりするのであって、たとえば歯痛に
よる苦がなくなるとでも考えるだろうか.そんな道理はない
仏教議論スレッド48
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1350666891/132 132 名前:ノスタルジア[eshohunami] 投稿日:2012/10/21(日) 14:24:18.25 ID:CebF2Kh1 [1/2]
自利行の結果として、「智地」≓(十地)に入り、無分別智を清浄にしてもらい
分別智により十地を定めて、不思議の智の境界に入り、一切智人の智境界を得ましょう
ここで俺の造語概念、宝寺が出てくるのですが、智の主体的、家は宝寺であり
宝寺に入ることが即ち、智人になることである。利他行として客体的にいる者達を
善く大智光明の巧荘厳を選択し観察する者が救うのであるが、凡夫なども通る
(善く決定の智門に入る)、宝寺の智門をくぐることによりて救われるのである
これら自利利他は仏の神力を承けた大智慧光明三昧のする者がやることである
十地を基礎とする菩薩の法を凡夫が、その混乱の最中、我が身に流入させ会得
するには、華厳経を学ぶ必要があると思われる。そしてその混乱こそが迷いであり
菩提であるのだ
仏教議論スレッド48
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1350666891/148-154 148 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/10/21(日) 21:56:22.06 ID:V36wb3y1 [1/4]
前スレ607で一代さんが紹介していた倶舎自註
「滅尽定は心、心所の止滅」でいったん切り
「非想非非想処の境地。聖者がこれを涅槃であると勘違いする境地」
と二つにすれば、瞑想体験から言っても正しい
迷い道は非想非非想処の境地である
149 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/10/21(日) 22:17:04.60 ID:V36wb3y1 [2/4]
滅尽定を知らず、非想非非想処が涅槃だと思えば、そこで終わってしまう
釈迦は非想非非想処まで師につき、その先はひとりで修行して滅尽定を体験する
迷い道と言うより、悟るか悟れないかの「分かれ道」と言った方が適切だろう
非想非非想処→魔境→滅尽定→涅槃定→成道の流れが悟り
153 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/10/21(日) 22:33:28.07 ID:V36wb3y1 [3/4]
色界の「四禅定」で縁起や空を観じるという話は疑問
同じ観じるなら上位の境地である非想非非想処の方がいい
観じると言ってもその境地の集中力を利用して観じるだけだから、やろうと思えば可能である
しかしそれ以前に「四禅定」なる禅定があるのか否か。〜 ないと思うよ
154 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/10/21(日) 22:51:05.66 ID:V36wb3y1 [4/4]
瞑想を利用して縁起や空を観じる???
これは絶対にありえない。こんなことをやっているから悟れない!
仏教議論スレッド48
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1350666891/156-158 156 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/10/21(日) 23:32:33.28 ID:lg27h2t5 [9/9]
>瞑想を利用して縁起や空を観じる???
>これは絶対にありえない。こんなことをやっているから悟れない!
そう思うなら仏教じゃないんだは
だから、なんでここで仏教じゃないものを仏教っていうのか
秘密にするんじゃなくて、凡人には秘密になってるんです
空性を悟らないと認識できない教えという意味です
如来秘密と言います
_ _ _
158 名前:Johannes[sage] 投稿日:2012/10/21(日) 23:53:00.62 ID:R3OZcsOe [2/2]
>>空性を悟らないと認識できない教えという意味です
だから.相応しいレベルに到達していない者には軽々に語るなと戒められる
意地悪とか出し惜しみ.と云う事ではなく.誤解されるたり悪用となるから
つまり.順序(階梯)がある
291 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/22(月) 10:19:09.80 ID:1eA/5jwZ
>>280 >これが戦前において天皇を中心とする全体主義・軍国主義を支える論理となり
>また、アタマの悪い禅僧を迷妄の淵に追い込む害悪思想として機能しました
>臨済の思想にも、「赤肉団上、有一無位真人」などと
>容易にアートマン=ブラフマン=絶対者説と解釈できる如来蔵思想があります
>しかし、これでは明確に<無我・縁起・空>撥無の反仏法であるとの非難を免れません
「有一無位真人」と類似性のあるのが「父母未生以前の本来の面目」で、
こういった捉え方といふのは日本禅特有なのであります。
私が「禅」と言った場合は、慧能より南岳・場祖のあたりで、そこから五家七宗成立頃までですね。
禅はその後、儒教や哲学、漢詩とか文学、水墨画とか文化全般に影響与えながら発展していくのですが、
かなり変節を経て、そして日本に伝えられたもんですから、
日本禅は、かなり日本ナイズされておるんです。
よって私は、あまり日本禅には興味がないのです。
ひと言で言ったら、中国禅は具体性であり、日本禅は抽象性でありますね。
どうしてこのような変節を辿ったかというと、私は宗教というのは風土とか気候、民族性・文化とかにも
深い関連性があるのかと思います。
(これは音楽でいえば、ラテンとモダンの違いを考えれば宜しいかと思う)
日本は四季がハッキリしていて、そして湿度が高いですね、
湿度が高い、ということは、もともと日本人は自然と一体感のある文化を持ち合わせておったのです。
そこに上手く仏教を融合させていった。
禅の教義云々、というよりも、禅とはそういう土着文化と融合しやすいのですよ。
そしてしまいのは形骸化してしまう。という、ある種宿命みたいなもんがあるんです。
ですから大事なのは、原点回帰です。
仏教議論スレッド47
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1349669547/607 607 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/10/15(月) 20:18:30.10 ID:H3dblq+S [11/12]
>つまり、龍樹の禅定体験は、未熟で実践という意味では、中論などの龍樹の著作は大した意味を持たないと言う仮設です
>あくまで、仮説ですが
あの滅尽定ってのは迷い道で、最終的な境地ではないというのが
以下のようにアーガマ・ニカーヤ、諸論書の説くところではないでしょうか?
PTS, DN II, 156: 九次第定で涅槃する時にアーナンダが涅槃と勘違いする
倶舎自註 ad 2.43 ff.: 滅尽定は心・心所の止滅。非想非非想処の境地。聖者がこれが涅槃であると勘違いする境地
ただし、前に示したように青目註『中論』は以下のように、滅尽定は心・心所が止滅し、不生不滅の諸法実相で、寂静相で涅槃のようと述べています
これは私の知る限り唯一の例外です。青目註の誤解か、羅什三蔵の誤解、あるいは誤伝と考えるのが妥当と思われます
_ _ _
仏教議論スレッド48
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1350666891/182 182 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/10/22(月) 07:53:16.58 ID:nXDcDcsu [4/8]
前スレ 607 より
>これは私の知る限り唯一の例外です。青目註の誤解か
>羅什三蔵の誤解、あるいは誤伝と考えるのが妥当と思われます
自分を青目や羅什三蔵などより上だと思ってるわけね
一番信用しない方がいい宗教というのは 上(幹部)だけが儲けている場合。 (この場合には宗教をビジネス化している) そもそも多くの人達を救うべきなのである その際に上の人達だけが裕福になってどうする? むしろ指導者こそ最貧困の人と同等であるべきだろう だから下の人間の気持ちがわかるのである。 他の宗教を批判する場合。 (これは闘争を招く) ※もちろん無宗教の人はこの限りではない 自分達の信仰している神を否定されたらどう思うのだろうか? 無駄な争いや全ての受け入れるというのが基本的な教えとなる それなのにいちいち他者を否定するというのは間違っている 平和を願い宗教でなぜ闘争を招くような考えをもたす? それが間違っているのである 科学を根拠としているようにみせかける。 その宗教を科学を根拠として立証しているようみせかけている場合。 そもそもの根拠が科学にあるわけがない なぜなら宗教は人の心を救うために作られたものであり 偶像なのである。 作為的に相手を信じ込ませてはいけない。 どれもそもそもの宗教の概念を否定するようなことである 身近にそういう宗教はありませんか?
ちなみに、私【?】は どこの宗教団体にも所属してない(信者ではない)けど 神社、仏閣、霊場、幽霊、密教などの肯定派なので 年末年始には 伊勢山皇大神宮も 成田山横浜別院も お参りしている おじゃる そして礼拝帰依する おじゃる ブッダン・サラナン・ガッチャーミ 普礼真言 オン サラバ タタギャタ ハン ナマンナノウ キャ ロミ 屮(_ ._)屮 屮(_ ._)屮 屮(_ ._)屮
> 他の宗教を批判する場合 > (これは闘争を招く) > ※もちろん無宗教の人はこの限りではない > 自分達の信仰している神を否定されたらどう思うのだろうか? 私【?】の場合は 密教肯定派 土着民族的宗教概念肯定派 多神教肯定派 バラモン(ヒンドゥー)肯定派 チベット密教肯定派で おじゃる
> 科学を根拠としているようにみせかける > その宗教を科学を根拠として立証しているようみせかけている場合 > そもそもの根拠が科学にあるわけがない 私【?】は、どこの宗教団体の信者でもないけど 私、個人としては 電磁波とか プラスの電荷とマイナスの電荷が電離したプラズマとか (中有身)幽霊などによって (ナイトショットモード)赤外線ビデオカメラで 人の顔の形をしたオーブを撮影できる場合がある と考えている おじゃる
http://reigaku.jugem.jp/?eid=424 瑜伽師地論(ゆがしじろん)の場合は
_ _ _
我愛と、戯論(けろん)と、善悪(善悪でもない、すべての)業などによって
(幽霊)中有が形成される
その中有が次に生まれるべき処を求めて母体に入り
ここで男性の精子と女性の卵子が結合するときに
中有は滅すると同時に生有が生じ
一切種子たる阿頼耶識(あらやしき)がこれに結合して
精子は成長して胎児を形成し出生に至る
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&nonum=&kaeri=&mode2=2&useid=1579_,30,0279a01 T1579_.30.0279a04: 瑜伽師地論卷第一
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&nonum=&kaeri=&mode2=2&useid=1579_,30,0282a12 T1579_.30.0282a13: 云何生。由我愛無問已生故。無始樂著戲
T1579_.30.0282a14: 論因已熏習故。淨不淨業因已熏習故。彼所
T1579_.30.0282a15: 依體由二種因増上力故。從自種子即於
T1579_.30.0282a16: 是處中有異熟無間得生。死生同時如秤
T1579_.30.0282a17: 兩頭低昂時等。而此中有必具諸根。造惡
T1579_.30.0282a18: 業者所得中有。如黒羺光或陰闇夜。作善
T1579_.30.0282a19: 業者所得中有。如白衣光或晴明夜。又此
T1579_.30.0282a20: 中有。是極清淨天眼所行。彼於爾時先我愛
T1579_.30.0282a21: 類不復現行。識已住故。然於境界起戲論
T1579_.30.0282a22: 愛。隨所當生即彼形類中有而生。又中有
T1579_.30.0282a23: 眼猶如天眼無有障礙。唯至生處所趣無
T1579_.30.0282a24: 礙如得神通。亦唯至生處。又由此眼。見
T1579_.30.0282a25: 己同類中有有情。及見自身當所生處。又造
T1579_.30.0282a26: 惡業者。眼視下淨伏面而行。往天趣者上。
T1579_.30.0282a27: 往人趣者傍。又此中有。若未得生縁極七
T1579_.30.0282a28: 日住。有得生縁即不決定。若極七日未
T1579_.30.0282a29: 得生縁死而復生。極七日住。如是展轉
T1579_.30.0282b01: 未得生縁。乃至七七日住。自此已後決得
T1579_.30.0282b02: 生縁。又此中有七日死已。或即於此類生。
T1579_.30.0282b03: 若由餘業可轉。中有種子轉者。便於餘類
T1579_.30.0282b04: 中生。又此中有有種種名。或名中有。在死
T1579_.30.0282b05: 生二有中間生故。或名健達縛。尋香行故。
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&nonum=&kaeri=&mode2=2&useid=1579_,30,0282b05 T1579_.30.0282b06: 香所資故。或名意行。以意爲依往生處
T1579_.30.0282b07: 故。此説身往。非心縁往。或名趣生。對生
T1579_.30.0282b08: 有起故。當知中有除無色界一切生處。又
T1579_.30.0282b09: 造惡業者。謂屠羊雞猪等。隨其一類由住
T1579_.30.0282b10: 不律儀。衆同分故作感那落迦。惡不善業
T1579_.30.0282b11: 及増長已。彼於爾時猶如夢中。自於彼業
T1579_.30.0282b12: 所得生處。還見如是種類有情及屠羊等事。
T1579_.30.0282b13: 由先所習喜樂馳趣。即於生處境色所礙。
T1579_.30.0282b14: 中有遂滅生有續起。彼將沒時如先死有
T1579_.30.0282b15: 見紛亂色。如是乃至生滅道理。如前應知。
T1579_.30.0282b16: 又彼生時唯是化生。六處具足。復起是心而
T1579_.30.0282b17: 往趣之。謂我與彼嬉戲受樂習諸伎藝。彼
T1579_.30.0282b18: 於爾時顛倒謂造種種事業及觸冷熱。若
T1579_.30.0282b19: 離妄見。如是相貌尚無趣欲。何況往彼。若
T1579_.30.0282b20: 不往彼便不應生。如於那落迦。如是於
T1579_.30.0282b21: 餘似那落迦鬼趣中生。當知亦爾。如癭鬼
T1579_.30.0282b22: 等。又於餘鬼傍生人等及欲色界天衆同分
T1579_.30.0282b23: 中。將受生時。於當生處見己同類可意有
T1579_.30.0282b24: 情。由此於彼起其欣欲。即往生處便被拘
T1579_.30.0282b25: 礙。死生道理如前應知。又由三處現前。得
T1579_.30.0282b26: 入母胎。一其母調適而復値時。二父母和
T1579_.30.0282b27: 合倶起愛染。三健達縛正現在前
T1579_.30.0282b28: 復無三種障礙。謂産處過患所作。種子過患
T1579_.30.0282b29: 所作。宿業過患所作
T1579_.30.0282c01: 云何産處過患。謂若産處。爲風熱癊之所逼
T1579_.30.0282c02: 迫。或於其中有麻麥果。或復其門如車螺
T1579_.30.0282c03: 形。有形有曲有穢有濁。如是等類産處過
T1579_.30.0282c04: 患應知
T1579_.30.0282c05: 云何種子過患。謂父出不淨非母。或母非
T1579_.30.0282c06: 父。或倶不出。或父精朽爛。或母或倶。如
T1579_.30.0282c07: 是等類。種子過患應知
302 :
Classical名無しさん :2012/10/22(月) 14:42:16.37 ID:qIV7yz8S
305 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/23(火) 10:36:20.61 ID:n6Ohi2b6
>>293 >身近にそういう宗教はありませんか?
身近にそういう宗教はあります。そして私は付き合いもあります。
茶飲み話程度ですが・・・
統一教会。→付き合いは多い方です(友人関係)
創価学会。→義理の付き合い程度(知人関係)
顕正会。→若い女性が、私を折伏している最中です(帰る時は、私と強く握手するのが特徴)
付き合いがあるのは、このくらいですね。
で、彼等・彼女等は、全くと言っていいほど輪廻転生の話はしないです。
私も実は輪廻転生には、あまり興味はない。
あまり宗教に嵌るのは健康には宜しくない。
もし宗教中毒かな?と、自覚がある場合は、このスレで相談してくらさい。
皆様で、一度考えてみましょう。
輪廻転生にあまりにも拘るなら、それは精神疾患(特に神経症)の疑いが濃厚。
>>305 机先生へ
>> 身近にそういう宗教はありませんか?
> 統一教会→付き合いは多い方です(友人関係)
> 創価学会→義理の付き合い程度(知人関係)
> 顕正会→若い女性が、私を折伏している最中です(帰る時は、私と強く握手するのが特徴)
私【?】の知り合いの創価の人は「法華経・日蓮・池田・最高・最強」とか言ってるけど
_ _ _
冨士大石寺顕正会(ふじたいせきじけんしょうかい)は日蓮正宗から破門された「妙信講」が母体?
世界基督教統一神霊協会(せかいきりすときょうとういつしんれいきょうかい)はキリスト教と認められていない?
↑ こんな感じかしら? おじゃる?
307 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/23(火) 11:12:45.43 ID:n6Ohi2b6
>冨士大石寺顕正会(ふじたいせきじけんしょうかい)は日蓮正宗から破門された「妙信講」が母体? 破門はされてないんじゃないですか? 宗門とは上手くやってるかとおもう。詳しくはないが。 大震災は、浅井先生が予言していた。とか、そういう話が多い。 私は、 国立戒壇を早急に達成せよ!!とか、 天皇折伏の話を誘導したりして、どういう認識なのか問うたりする。 それよっか、 「先ず君達は、大乗の歴史を学んだ方が良いんじゃないかな?」。とか、 歴史認識からの、鎌倉仏教理解を勧めております。
>>305 机先生へ
> 輪廻転生にあまりにも拘るなら、それは精神疾患(特に神経症)の疑いが濃厚
↑ 机先生本人が輪廻についての智識が欠落している おじゃる
_ _ _
般若経
http://www.dia.janis.or.jp/~soga/subindex.html 世尊は輪廻からの解脱を説かれた
あなたたちは、凝り固まり、ありのままに変化を見ることに慣れていない
無我を、縁起を、空を見ることがうまくない。あなたたちは、練習が必要だ
およそ、禅定に入ろうとする人は…
…吐いて吸う大きな長い息を十数え、何度も繰り返し、なにも考えず、ただ息を数え続けます
( ↑ 輪廻を仮設して、そこからの解脱を説かれた)
309 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/23(火) 11:16:55.47 ID:n6Ohi2b6
>世界基督教統一神霊協会(せかいきりすときょうとういつしんれいきょうかい)はキリスト教と認められていない? そのとおりです。 伝統的キリスト教は、統一教会を認めてません。それは 統一教会が万教帰一だからです。 統一教会の歴史は、私の方が詳しいので、そういう話を聞きにくるのです。 彼女達は、統一教会の草創期に関心があるようです。
310 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/23(火) 11:22:27.91 ID:n6Ohi2b6
>>308 >↑ 机先生本人が輪廻についての智識が欠落している おじゃる
「智識」って(笑
そもそも人間が悟って、そして輪廻転生の是非が解明される。と、
本気で思ってるの?
そんなこと不可能だよ。
人間というのは限界がある。
どんなに悟ろうと、輪廻転生までは悟ることは不可能。
あのね、
テキストってのは、他人が書いたもんだろ?
あまり他人が書いたものは、無条件に信用するもんじゃないよ(苦笑
>>307 机先生へ
> 「先ず君達は、大乗の歴史を学んだ方が良いんじゃないかな?」。とか
> 歴史認識からの、鎌倉仏教理解を勧めております
私【?】の知り合いの創価の人は
「法華経・日蓮・池田・最高・最強」
この洗脳から脱け出す事が出来ないらしい
冨士大石寺顕正会(ふじたいせきじけんしょうかい)の人も
そこ独自の洗脳から脱け出す事は、むずかしいんじゃなイカ?
そして
机先生本人も
バラモン(ヒンドゥー)も
仏教の ・ 南伝も ・ 北伝も ・ チベット伝 ・ も幅広く
勉強した方が良いんじゃなイカ? おじゃる?
312 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/23(火) 11:29:39.16 ID:n6Ohi2b6
>世尊は輪廻からの解脱を説かれた ほらほら、世尊先生も輪廻は分からん。と、言うておるじゃないですか? 世尊先生が分からんもんを、貴殿が分かるはずはなかろう?
313 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/23(火) 11:34:37.99 ID:n6Ohi2b6
> >そして >机先生本人も >バラモン(ヒンドゥー)も >仏教の ・ 南伝も ・ 北伝も ・ チベット伝 ・ も幅広く >勉強した方が良いんじゃなイカ? おじゃる? あのね、言っては悪いけど、私は宗教オタではないんだよ。 そこまで研究するエネルギーがあるなら、私は別な方に使うよw 何事も中毒はいかん。 どうしてか・・・ 次にその理由を書く。(つづく)
>>312 机先生へ
>>307 > 歴史認識からの、鎌倉仏教理解を勧めております
そして
机先生本人も
バラモン(ヒンドゥー)も
仏教の ・ 南伝も ・ 北伝も ・ チベット伝 ・ も幅広く
勉強した方が良いんじゃなイカ? おじゃる?
↑ どっちが智識が狭いのか? わかるかしら? おじゃる?
315 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/23(火) 11:39:04.37 ID:n6Ohi2b6
私の身近な人物で、MOSの資格を複数もってる人間がおってな、 まあ、いわゆるこの分野ではエキスパートなんだけど、 これは研鑽しいたら青空天井なんだよ。 ある程度のとこで止めておかないと、自分自身が押し潰されてしまう。 私は下手に歳くってる訳ではない。 そういう経験をしてるから、「人間は程ほど」。という 限界を先ず知れ。ってことなんだよ。
「鎌倉仏教だけに限定する」 ↑ これだけに限定するのは反対で おじゃる バラモン → 仏教の南伝 → 北伝 → チベット伝 と幅広く勉強する事をすすめる おじゃる
317 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/23(火) 11:50:15.26 ID:n6Ohi2b6
>>314 >↑ どっちが智識が狭いのか? わかるかしら? おじゃる?
智識で全てが解明されることは、先ず不可能と思ってよかと。
君達は若いから、そんな寝言を掲示板に何の躊躇もなく書けるんですよ。
それは君達の「若さ」なんだよ。
「若さ」はあって良い。
私もそういう時代があったのでつ。
そしてこうして年老うてきて・・・
やった人生の何たるや?を、知るので御座います。
そして、人間は知る(知識)ことには限度がある。と、
このように悟るので御座います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%A0%E6%9E%9C 釈迦は、原因だけでは結果は生じないとし
直接的要因(因)と間接的要因(縁)の両方がそろった
(因縁和合)ときに結果はもたらされるとする(因縁果)
そこで、縁起と呼ぶ法によってすべての事象が生じており、「結果」も「原因」も
そのまま別の縁となって、現実はすべての事象が相依相関して成立しているとする
釈迦が悟った上記のような内容を縁起という
その教えを学問上「縁起説」と呼ぶこともある
仏教で通俗的に因果と言う場合には
業(ごう)思想と結びつき、自己の存在のあり方にかかわる因果性をいうことも多い
_ _ _
過去からの縁起によって
過去からの、それぞれの心相続の相互依存の関係などによって
今の現状の状態が現れる
と仮設する
↑ 縁起一代先生の論説も 「 正解 」 であるらしい おじゃる?
319 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/23(火) 12:32:41.70 ID:n6Ohi2b6
>↑ 縁起一代先生の論説も 「 正解 」 であるらしい おじゃる? 因果は、もともと業思想に由来するものだから、因果と縁起をゴッチャにする 一代氏は、そもそも基本から成ってない。 簡単にいうと、仏教とは 「生きておっても、必ず死ぬとは限らない」。ということです。 (注釈:中論・三時否定より)
320 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/23(火) 12:38:38.96 ID:n6Ohi2b6
(つづき) ですから、死を前提として輪廻転生論は、そもそも論理的整合性に欠ける。 そういうことを覚者は悟って、 輪廻転生とは、そもそも分かるもんでもないから、 その思想より解脱する。 で、 「輪廻転生を解脱した」。と、言うておるだけです。
例えば
「輪廻の思想から、はなれる」と
第六表面意識だけで哲学的に思惟しても
何も変化は生じない
禅定 ・ 瞑想 ・ 瑜伽(ヨーガ)の実践などによって
深層的な自我心に働きかけて
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E9%82%A3%E8%AD%98 末那識(まなしき)
唯識説の説く八識のうち第七識であり、第八識(阿頼耶識)を所依として、第八識の見分を所縁として生じる識である
睡眠中でも深層において働き続け
根源的な心である阿頼耶識を対象として
それを自分であると考えて執着し続ける
この深層的な自我心を滅することによって、我々は初めて真の無我行を実践することができる
因縁果報の考え方は別に仏教独自のもんじゃない 日本での他の表現を使えば「風が吹けば桶屋が儲かる」 西洋で言うと「マクロ・ミクロ(錬金術)」
323 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/23(火) 17:44:44.27 ID:n6Ohi2b6
>>322 「輪廻転生から解脱する」。というのは、
「輪廻転生観念から解脱する」。という意味で、
人間はそもそも輪廻転生システムを確証することは無理なんです。
(そういう思い込みを迷妄、などと言ったりする)
無理なものを無理と悟る。これを覚者は
「輪廻転生から解脱」。と言ってるだけのこと。
しかし大事なのは、この段階でモノホンの「悟り」がある訳で、
それは世俗締における「輪廻転生から解脱」。とは意味が違う。
あまり人を信用してはいけません。
自分だけ信用すれば良い。
>>323 ただ天狗道って考え方があるよね
天狗道も輪廻からの解脱の一種だろ?
しかしそれは悟りとは表現されないし救いでもない
まぁその解釈は信仰上認められないと言われたら俺は何も言えないけどな
325 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/23(火) 18:22:09.68 ID:n6Ohi2b6
>>323 >天狗道も輪廻からの解脱の一種だろ?
まあ、そう言われてみたら、そういうことも言えるね。成るほど。
しかし彼等(仏教議論スレの住人)は、何故に、あれほどまでに、輪廻転生に拘るのか?
私はその方に関心があるのです。
私の分析では、あれは「狐憑き」の一種かと思います。
ゆうなれば、「輪廻転生憑き」です。
この観念に自分が押し潰されてる状態ですね。
ネット中毒が、ネット中毒であることを自覚するのが難しいように・・・
「輪廻転生憑き」も、自覚するのは難しい。
ちなみに、自己愛性パーソナリティー障害も、全く病識が自覚できない人格障害です。
326 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/23(火) 18:39:00.93 ID:n6Ohi2b6
>しかしそれは悟りとは表現されないし救いでもない >まぁその解釈は信仰上認められないと言われたら俺は何も言えないけどな 禅の公案で、祖師西来意がある。 庭前柏樹子は、学門の放棄、知識の放棄、だろうし、放棄して・・・ そして明らかに「解る」こともある。 信仰というなら、信仰を捨てて「信仰というのが解る」場合もある。 浄土門の悟り、というのは、 阿弥如来からの離別において、阿弥陀如来への請願を達成する。という 優れた「悟りシステム」なんだろうね。 まあ、ここに悟りのヒントがあるかも知れんね。
>>325 机先生へ
>仏教議論スレの住人は、何故に、あれほどまでに、輪廻転生に拘るのか?
般若経
http://www.dia.janis.or.jp/~soga/subindex.html 根本仏典などの経典には輪廻が記されている
しかし
輪廻を深刻に捉えてはならない輪廻は方便だ
世尊は輪廻を説かれたのではなく
輪廻からの解脱を説かれた
世尊の時代人々は輪廻を信じていた
だから世尊は
輪廻を方便として、正しい知恵を説かれた
_ _ _
バラモンなどの輪廻を前提として
その輪廻からの解脱を説いたので おじゃる
328 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/23(火) 19:03:07.01 ID:n6Ohi2b6
>>327 >輪廻を深刻に捉えてはならない輪廻は方便だ
しかし仏教議論スレの御仁達は、24時間書き込みしておるようだし、
どう考えても、あれは働いてるようには見えんじゃないですか?
現世に夢は破れ、そして自己アイデンティティーを来世に託してるんですよ。
私はこのように分析しちょるんです。
世の中が悪いのでしょうか?
嫌なご時世でやんすね。
329 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/23(火) 19:04:12.79 ID:n6Ohi2b6
ちなみに私は日夜働いてます。 よって、このへんで寝ます。 おやすみ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%94%E7%B8%81 天狗の魔縁(外道、外法)
天狗は中国の彗星などのことであったが日本に伝わると平安時代以降
名利をむさぼり慢心をもつ傲慢で自我に捉われた修験僧(山伏)のこととされるようになり
山の妖怪である天狗を指すようになった
そのような修験僧は
死後に天狗道という魔界に転生すると考えられるようになった
天狗道は仏教の六道の範疇にないことから
その六道の輪廻からも外れた魔界であるとされる
仏教の知識があるため人間道には戻れず
特に宗教上の罪を犯したわけではないため
地獄道、餓鬼道、阿修羅道、畜生道には堕ちず
かといって信心には無縁であるため天道にも行けず
天狗道に堕ちるとされる
6つの道から外れて救済不能な道
あるいはその道の者を外道と俗称する
(しかし外道の本来の意味は、悟りを得る内道を説く仏教に対し
それ以外の六師などの教えを指していうのが通常の用法である)
天狗は慢心の山伏がなるもので、その姿は山林に住む鳥そのものだという
修行する者にとって、仏道を妨げるものの一つとして、怪異な音は、鳥の声や羽ばたきだったとも言われる
>>328 机先生へ
> 仏教議論スレの御仁達は、24時間書き込みしておるようだし
> どう考えても、あれは働いてるようには見えんじゃないですか?
私【?】の場合は
アマチュア(amateur)として
趣味の一環として
なるべく幅広く勉強しようとしてるけど
私【?】以外の
偉い先生の方々は
プロフェッショナル(Professional)として
バラモンとか仏教など幅広く
研究してるんじゃなイカ? おじゃる?
_ _ _
2chに書き込みをしても給料を、もらえないので
プロだったら
2chに書き込みされた質問などを
書籍として出版した方が良いかもしれないけど
宗教において 幹部クラスが儲かっている組織 この場合には宗教をビジネス化しており 本来の宗教の主旨とかわる 宗教団体なのに他の宗教団体を否定している組織 この場合には、受け入れていない 宗教団体であり団体のために他者と揉めるように仕向けている さらにはストーカー行為や悪質な行為 宗教をいかにも科学的な根拠があるように示している団体 この場合には、虚偽を伝えていることにもなりかねない そもそもが宗教は偶像にすぎないのである。 科学的な根拠があるように示しているのは 信仰している人間を欺いているのと同じである。 上記に該当しないような宗教であり 人を救う事だけを目的にしていれば問題ないと考える。 一例を出したにすぎないが・・
336 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/24(水) 15:21:35.47 ID:I3zOmY6K
>>331 >偉い先生の方々は
>プロフェッショナル(Professional)として
>バラモンとか仏教など幅広く
>研究してるんじゃなイカ? おじゃる?
なるほど。そういう見方もありますね。
実は私は、過去に自己愛性パーソナリティー障害者と付き合ったことがあるのですが、
この人格障害者と付き合うと、少しずつ頭がオカシクなるんですよ。
私は頭がオカシクなる自覚があったものですから、危機感をもちまして
アッサリと自己愛と別れましたが、
これが別れることがなかったら、今頃は・・・とても恐ろしいことで御座います。
これと類似するのは、やはり宗教オタかと思いますね。
宗教のことを考えておると、少しずつ頭がイカレテきます。
大事なのは、イカレルといふ自覚があるか?ないか?ですね。
自覚があるうちに、宗教オタから撤退すべきです。
かくいう私も、宗教板を必ず一日に一回以上はロムしますから、
宗教中毒に掛ってることは疑いありません。
お恥ずかしい次第であります。
(つづく)
337 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/24(水) 15:22:11.40 ID:I3zOmY6K
(つづき) >アマチュア(amateur)として >趣味の一環として >なるべく幅広く勉強しようとしてるけど そうですか。 貴殿もなかなか良いことを書き込むじゃないですか? お恥ずかしい次第です。 私も少し自省せんとあかんですね。 少しずつ宗教中毒から解脱しとう御座います。
338 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/24(水) 15:34:37.78 ID:I3zOmY6K
>>335 >そもそもが宗教は偶像にすぎないのである
そうですね。私もそう思います。
実は、宗教議論スレで書き込みしている連中は、
悟ると輪廻転生が解明される。と、本気で思ってるようです。
私はそこが不思議で、
今まで彼等の心象世界を覗き込む、野次馬心理で彼等の書き込みを拝見しておりましたが、
その甲斐がありまして、
やっと彼等の心象世界を解明しつつあります。
彼等はたぶん、狐憑きかと思いますね。
狐憑きは、狐の大好物の油揚げが効目が良いらしいですよ。
これをどのようにして使うのか?は私は知りませんが・・・
http://www1.clovernet.ne.jp/ponnpe/syaka44.html 仏教の基礎となったバラモン教では偶像崇拝を肯定していた
それを否定したのが釈迦であり、釈迦は将来、偶像崇拝の仏教となる事を恐れ自分の姿を決して描かせなかった
やむなく、弟子たちは釈迦の足跡を型にとり仏足蹟として崇めた
釈迦像が彫られるあるいは描かれるのは、紀元後のことであり、釈迦が入滅して五百年以上経ってからのことである
写真や映画の無い時代、五百年前の釈迦の姿を描く事は出来ない
仏師は思い思いの考えで釈迦の像を作ることが出来た
仏師はより仏に近い姿を思い描いて釈迦像を彫った
この事が、かえって釈迦と言う人間を神格化することにつながった
_ _ _
バラモン → ブッダ → 説一切有部 → 龍樹(中論・中観)
→ 無著(アサンガ)瑜伽行唯識(ゆがぎょうゆいしき)
→ ツォンカパ(1357年 - 1419年)など後期中観派チベット伝など
341 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/24(水) 17:47:22.18 ID:I3zOmY6K
>>339 >仏教の基礎となったバラモン教では偶像崇拝を肯定していた
>それを否定したのが釈迦であり
そうですね。
ゴータマは、元々はバラモンの行者ですから・・・
そこから悟ったのは、バラモンを捨てる。ということなんだよ。
初期禅宗(中国禅)は、いわゆる広義では仏教であっても、狭義では宗教破壊なんだね。
(これこそが、ゴータマの根本義に一致するかとおもう)
こういう脈絡は、確かに私の教学においてはあったよぉだよ。
(注意:日本禅では少し意味が違ってくる)
実は、本当に破壊しきったとこに、モノホンの「悟る」というのがある。
これは大っぴらには書けんけどね。
貴殿と、少しばかりの「名無し」さんだけ、私がチョコッと伝えるだけ。
まあ、仏教粘着オタには、こういう話は毒でしかないけど。
捨て切って、初めて分かる仏教の良さ。
これしか無いよぉだね。
343 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/24(水) 17:59:59.14 ID:I3zOmY6K
仏教議論スレでは「悟った、悟った」と、大騒ぎしてますけど、 何を悟ったのかと思ったら、輪廻転生を悟ったらしい。 しかしこれを冷静に判断すれば、いわば空想の世界に浸ってるだけ。 自己愛性人格障害も、いわゆる空想の世界に生きてますから、 私は、宗教オタと、人格障害には何らかの関連性がある。と 分析してます。
>>343 机先生へ
> 仏教議論スレでは「悟った、悟った」と、大騒ぎしてますけど…
机先生本人が
日常生活の中での 「 気づき 」 によって
机先生、本人独自に体感会得したんじゃなイカ? おじゃる?
346 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/24(水) 18:20:43.22 ID:I3zOmY6K
酒を飲んで、今茶漬けを食ってるとこだけど、 もう少し経ったら寝るかと思う。 最後に、実は菩薩と酒というのは無縁ではないのだよ。 一休が女犯したり、酒や肉を飲食したのも、実は珍しいことではない。 実は菩薩のモデルという、架空の人物がおってな・・・ このキャラは酒飲みなんだよw ッア、誰か来たようだ・・・
347 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/24(水) 18:25:27.44 ID:I3zOmY6K
>>345 私に「気づき」があったのは、12月31日の大晦日における「除夜の鐘」が
切っ掛けでした。
煩悩とは108っつもあるのか?とか、そんなことをボンヤリ考えておったのです。
そしてようやく解ったのであります。
>>346 机先生へ
> ッア、誰か来たようだ・・・
机先生に女性の幽霊が
取り憑いているんじゃなイカ? おじゃる?
349 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/24(水) 18:37:28.56 ID:I3zOmY6K
>>348 女というのは、深く付き合うと厄介なものだよ。
わたしはこうして老いてきて悟ったのは、
女は「行きずりの恋」が一番萌え。ということだよ。
それはまさに一期一会です。
もう私は恋をすることは無いであろう。
350 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/24(水) 18:43:32.93 ID:I3zOmY6K
仏教議論スレッド48
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1350666891/312 312 名前:大滝秀治 [] 投稿日:2012/10/25(木) 10:02:41.94 ID:fpJIwym5 [6/8]
> 八正道(八聖道)については、どのように考えますか?
ブッダの本懐は実存苦の根源的超克です
そのための身心を調える道です
間接現実において、縁起の法を知覚・記憶するものは、即ち苦集滅道(四諦)を観る(中論24-40参照)
直接現実において、縁起の法を無分別智(般若波羅蜜)直覚するものは、即ち無苦集滅道を観る(般若心経)。参照
354 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/25(木) 12:58:34.27 ID:l8DRgMGa
>>353 >ブッダの本懐は実存苦の根源的超克です
そうですね。早い話がそういうことに成ります。
ですから「菩薩」というのは「衆生を救う」とか、そんな使命感はあまり関係ごじゃらんせん。
つまり「菩薩」というのは、早い話が「実存苦を超克した人」とでも思ってくれたら良いかと思います。
実存苦を超克したようなイメージで、昔、菩薩のキャラ(架空の人物)として登場したのが布袋様です。
布袋様は、徳利をぶら下げ、裸足で町をブラブラ散歩するような・・・
いわゆる酒好きの自由人。そんなイメージですね。
ですから菩薩は、あまり民衆救済とか大それたkとは考えない。
それには色々と理由がありますがね・・・
で、なんで酒飲みの菩薩が、皆様に愛されるのか?
これですね。
一休は宗門には反抗して、そして酒飲みの自由人ですけど、どうして一休に救われるのでしょうか?
これはですね、遊び人の「フーテンの寅」さんが、皆様に愛されるのと
同じ理屈なのですよ。
一休も寅さんも、皆様に愛される・・それが菩薩の正体であります。
では、また暇なときにでも・・・
358 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/25(木) 19:30:14.72 ID:l8DRgMGa
今、酒飲んで、これから飯食って寝るとこです。 日々是好日。 では、おやすみ。
359 :
Classical名無しさん :2012/10/26(金) 00:21:56.88 ID:oTjv2agN
飯食ってすぐ寝ると、太る。
360 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/27(土) 07:54:17.06 ID:GN3pMvdK
>>356 >「外教が説くような常住の実体としての霊魂は仏教ではこれを説かないが
> 人格の主体として業を保持している霊魂は三世を通じて存在するものとして
> これを認めている
そんなことは無いです。
そういうことは暇な人間(例えばニートとか)が考えることであって、
仕事とか学業に専念している人間は、そんな妄想する暇など無いのです。
仏教とは、ひと言で言ったなら「今に生きる」です。
これは簡単なようで、実は奥深い。
今に生きておったら、そもそもそういう妄想が起きる訳はない。
何故なら、妄想が起きる(生起)暇など無いからです。
“今”とは、中論の骨格であり、また中論解釈ではこれなくして中論の全体像は浮かびあがらぬのです。
中論では“今”を否定しております。
実はこの否定において勝義締悟入への謎を解き放したのであります。
(つづく)
361 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/27(土) 07:55:16.12 ID:GN3pMvdK
(つづき) では“今”とは何でせう? 今こそが三世実有があるのです。 そればかりか、今において幽霊もおれば、輪廻転生とか、もろもろの現象が沸き出なり。 それこそ永遠不滅の命であるのです。これを仏教では「不死」などと言う。 なれば、何も案ずることは無し。 今に生きておったら、全ての疑念は解き放たれるにであります。 もう、くだらんことは考えるのは止めよう。とか・・・ これがつまり有余涅槃入りです。 涅槃こそが、ありとあらゆるモノを包含せしめるのです。 では「あらゆるモノ」とは何でせう? これは色即是空の「色」であります。 色は空なり。これで全てが涅槃(空)となります。
362 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/28(日) 08:57:23.37 ID:ccoI1k9e
仏教議論スレより ___________________________________ 451 :一過性の意味知らず妄想医学患者インキョw:2012/10/27(土) 19:11:59.52 ID:k7nfxH+3 かんのうせいしんびょう【感応精神病】 精神病者からの影響によって生ずる一過性の精神障害。 多くは妄想・幻覚など。親子・夫婦・友人など患者と密接なつながりのある者に起こりやすい。 ___________________________________ なるほど。私も一過性の精神障害を患ったかもしれません。 それは、私が過去に自己愛性パーソナリティー障害の女性と付き合ったことがありまして、 その時分に、もしや精神障害の観応に見舞われた可能性があります。 今はやっとその障害から解放されたかと思うちょります。 実はその女性から何度か電話があったりするのですが、 最近私のところに来ることがありまして、 少し老けたな?とかの印象がありました。 どうやら苦労なすってる感じに見受けられます。 金に困ってるらしく、私に無心に来たのです。 私はキッパリお断りしました。つうか・・・ こんな女と早くに縁を切っといて正解でしたよ。 (つづく)
363 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/28(日) 08:58:35.59 ID:ccoI1k9e
(つづき) この女と腐れ縁になったら、とその恐怖が想像されます。 女は、こういうのが怖いのです。 だから私は最初から、その女には「割り切った関係」を推奨しておったのです。 つまり、腐れ縁の怖さを改めて予見しておったからです。 生活が困っておるなら、ある程度の金の工面をしてやっても良いのですが、 相手が自己愛ですから、その後が怖いです。 金の工面をアタリマエとか、そんな風に受け止めららたらどうしようもなく、 それが恒常化する可能性もあるのです。 【金言】 女と別荘は、もった後に後悔する。 私はこの金言を守って生きてきました。 賢者たる皆様、どうか女と別荘には気をつけあそばまし。
364 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/29(月) 16:36:01.55 ID:dqPec8Z5
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1351291507/l50 【社会】「かなり宗教的。ロボットのようだった」…洗脳で恋人が変わり果てる - 尼崎連続変死事件
人間は、どのような経緯でもって洗脳されていくのか?
私も少しばかり興味がでてきた。
かくいう私は、カルトを渡り歩いた経緯がある。
ですから、ある程度の知識はある。
★自己愛性は、まだまだ研究中であります。
この研究もなかなか奥が深くて、どこまで私が納得できるまでいくか?
此の世は、妙であり、また不可解なり!!
寿命尽きるまで、私は学習しとう御座います。
今から飯を炊いて、それから少し酒を嗜みとうごじゃります。
365 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/29(月) 16:44:49.08 ID:dqPec8Z5
仏教議論スレより
_________________________________
506 :基地子♀だよ〜ん♪:2012/10/28(日) 17:54:21.65 ID:hV4Uy6mM
此処って浮世離れしてて落ち着くわね♪ (^。^)y-~
507 :神も仏も名無しさん:2012/10/28(日) 18:29:09.05 ID:ld09Ee3k
>>506 リアルを忘れられる、数少ない癒しの場さw
_________________________________
現実逃避は、精神疾患および人格障害の特徴であります。
ちなみに人格障害は、リアルと虚構の世界に心が揺れ動きます。
それはまるで振り子のようにです。
そして虚構の世界のみに自分の居場所を見つけるのです。
そうしなければ自分を保てない。
ある意味、非常に悲惨な状況に追い込まれます。
366 :
Classical名無しさん :2012/10/29(月) 20:08:26.08 ID:DSs+9J0G
前原、秘書の自宅が事務所とか、虚構の世界に棲み始めたな。
367 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/30(火) 07:36:26.10 ID:W0uS+epY
>>366 前原どのは、まだ虚構を虚構である。といふ自覚があるから良い方かと思います。
しかしながら世の中は恐ろしいもので、虚構を虚構である。といふ自覚そのものが無い人間もおるのです。
例示すると、
仏教議論スレで24時間書き込みしている連中は、本気で「彼の世」を信じ込んでます。
それどころか、
「彼の世が無ければ死んだ方が良い」などと過激なことを言う輩まで出現する始末。
私は彼等の精神世界に非常に興味がありまして、
もう仏教議論スレをROMるのは恒常的になったしまったのです(お恥ずかしい)。
仏教における八正道・正見は、まさに虚構を虚構である。と見抜く智慧のことで御座います。
しかしながら恐ろしいことに、
仏教議論スレに書き込みしている連中は、正見が著しく欠如しておるのです。
しかし本人達は、自分は悟ってるといふ自覚で、
このことに全く気づきはせんのです。
これからも私は、彼等の精神世界について研究しとう御座います。
368 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/31(水) 09:05:39.18 ID:dQkC5PqD
仏教議論スレより
____________________________________
598 名前:神も仏も名無しさん :2012/10/31(水) 08:09:40.59 ID:B7QtgKjM
>>587 じゃああなたがチベット人のようなめにあったら、おとなしく中国人に従うんですか。
思想・信条・言論の自由を暴力でおさえつけ家族にまで危害を加える
中国政府が間違ってるのではないですか?
___________________________________
>中国政府が間違ってるのではないですか?
中国は共産主義ですから、宗教弾圧は正義なんじゃないですか?
(宗教問題ではなく、人権問題と主張する人もおるけど、これは両方絡み合う問題)
>家族にまで危害を加える
共産主義では、家族とは資本主義体制の弊害である。というのが常識ですから、
家族制度は徹底的に破壊するのが正義なんじゃないですか?
男女共同参画ってのは、あれはもともと団塊世代のマルクス論からの発端で、
その真意とは家族破壊を目論むもんです。
夫婦別姓も、これもその根源的発想はマルクス論から来ておるんです。
かくいう私は昔、共産主義に傾倒してたもんですから、
共産主義からの側面も勉強した方が良ござんす。
369 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/31(水) 09:30:13.65 ID:dQkC5PqD
仏教議論スレより
__________________________________
592 :神も仏も名無しさん:2012/10/31(水) 01:56:46.26 ID:04RdleCn
>>503 このスレで話題になったこと全部に触れてるなw
つか、
基礎知識でも、説明しようと思うと2時間かかるってことだな・・w
__________________________________
そういうことです。
この議論スレに書き込みしている連中は、中等教育止まりです。
先の高等教育に進めんのです。
こんなアホな連中を相手にしていると、無駄な時間を浪費するだけです。
時間は有効に使うべきです。
これが簡単なようで、実は難しい。
<日々是好日>
370 :
Classical名無しさん :2012/10/31(水) 10:21:58.43 ID:xHF7jq3Y
自作自演 奇蹟は教祖と理事長の自作自演 自縄自縛 論理が破綻し自縄自縛宗教バカ 自業自得 詐欺がバレて捜査入り自業自得 自画自賛 降伏の科学の自画自賛売り付け 自暴自棄 両親喪家で自暴自棄息子の犯罪 自問自答 統合失調で神様と自問自答患者 自由自在 脳内教義は法則無視の自由自在 ※)縦読みは無し
371 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/31(水) 11:07:01.92 ID:dQkC5PqD
>>370 誰もロムっておらないかと思っておったのですが、貴殿ひとりがロムっておったのですね。
私はいつも違和感があるのは、
悟った人間を「聖者」とか書き込む人間達です。
ああいう人間は、人間を「聖」と「邪」とかに区分しちょるのですかね?
私はその「区分」といふのが大変恐ろしいので御座います。
私は個人的には、人間に聖なるものは全くないかと思うておるんです。
・・・ということは、邪などもない。
人間は人間でしかないのであります。
自己愛性は「無償の愛」を求めます。
私は勿論このような愛には応えることは出来んです!!
もしも此の世に「聖」といふのがあるなら、それは「無償の愛」かも知れませんが、
私は他人に「無償の愛」など施すことはせんですね。
それは崇高な理念やに思われるが、
それこそが邪であるのです。
人間、「聖」に惑わされることなかれ。
>>371 机先生へ
> 誰もロムっておらないかと思っておったのですが、貴殿ひとりがロムっておったのですね
>>370 さんが( ← 隠居先生に似てる気がする)
「机先生の文章を理解している」とは限らないんじゃなイカ?
ちなみに私【?】は
「机先生の文章を理解できない」
だから
「世俗の言葉で説明せよ」で おじゃる
374 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/31(水) 12:52:39.31 ID:dQkC5PqD
>>372 >「机先生の文章を理解できない」
私について詳しく説明いたします。
人間というもんは、大きく2つに分類される。
@PCの構造は全く分かってないが、PCを使いこなすうちにPCを覚える。→経験主義
APCの構造を先ず習得しないと気がすまない。→説明・能書き主義。
この2つに分類されるけど、私は@の方だよ。
貴殿とか、仏教議論スレで書き込みしている連中は、Aの方。
この差は大きい。
私は人生において要領よく生きてきた。
それは重要なものと、そうでないものを本能的に見極めてきたからだよ。
受験勉強だってそう、アタマの良さよりも、先ず要領の良いもんには敵わない。
こういうことを私は人生において学んできた。
そもそも@とAでは根源的に相性が悪いのさ(笑
(これが文章を理解できない理由だろう?)
どちらかが良い、とか、悪い、とかの話ではない。
世間で苦労して生きてくると、自然に人生観も仕上がってくるもんだよ。
君達は苦労しておるのか?
若いうちに苦労は買ってでもすると良い。
けして無駄にはならんだろう。
(つづく)
375 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/10/31(水) 12:53:35.92 ID:dQkC5PqD
(つづき) 仏教は、@の経験・認識主義だろう?私はそう理解しちょる。 Aの教条主義ではない。 君達が私の文章を理解できないのは、君達が教条主義に陥ってるからじゃないのか? これじゃ〜宗教ドグマにやられちまうよ。 宗教ってのはそういもんだから。 私は仏教を信仰している訳じゃない。 仏教ってのは、どのようにして「苦」を乗越えるか?ということでしかない。 それ以上のものは、私は全く関心がないのだよ。 聖者になるとか?そのようになることにも全く関心はない。 そのように無欲になってこそ、本来の仏教といふもんに巡り合える。
376 :
Classical名無しさん :2012/10/31(水) 23:11:35.75 ID:h1wzGXeq
1.自宅警備員 2.一級在宅士 3.代表戸締役社長 4.ホームガーディアン 5.平成の貴族 6.夢追人 7.NEET 8.職務放棄員 9.CO2クリエイター 10.ネット捜査官 11.冒険者 12.勇者 13.魔法使い 14.HIKIKOMORI 15.学者(文系) 16.宗教家
377 :
Classical名無しさん :2012/10/31(水) 23:15:20.85 ID:h1wzGXeq
聖者ってのはいない。
378 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/01(木) 09:02:21.16 ID:wUnq0xxu
379 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/01(木) 11:16:18.83 ID:wUnq0xxu
>>376 そうですね。
世の中というものは、大別すると2つに分類できるかと思います。
@働いてない人。→これは体力が余りきってるから余計なことを考えたりする。
A働いている人。→これは体力を使いきるから疲れてしまって余計なことを考える余裕がない。
ちなみに私はAに当て嵌まります。
ではどうして私は働いておるのでせうか?
実は私は働かなくても、それなりに質素であれば食べていけるのです。
生来が質素でありましたし、あまり贅沢は私の生活心情には該当せんですから。
しかしながら家族には私の生活心情(つまり価値観)を押し付ける訳にはいかんですから、
私は働いておるんでつ。また、もうひとつの理由があります。それは、
子供の手前、私は親の見っとも無い姿を見せる訳にはいかんのです。
このような理由でもって、私は働いておいちょびれ。
(つづく)
380 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/01(木) 11:17:04.21 ID:wUnq0xxu
(つづき) では、Aの働いておらん人とはどういう人間か? これは仏教議論スレで、24時間書き込みしちょる輩です。 こういう人は小人閑居とか言いまして、よからぬ事しか考えんようになります。 例示しますと、 死んだ先はどうなる?とか? 死んだ先の事しか考えんようになるのでふ。 こうなると、もう、どうしようもありません。何故なら 今現在(縁起の現観ともいう)でしか悟りがないからです。 今現在と向き合っておれば、もう仏教議論するだけの体力など無くなるはずです。 疲れきって、そして体力の限界を感じるようになって、 それからが本当に自分と向き合えるのかと思います。
>>379 机先生へ
> @働いてない人 → これは体力が余りきってるから余計なことを考えたりする
ちなみに私【?】は精力絶倫で何時でも余計な事を考えているけど
世の中には
学業とか仕事とかをしたくても
体力がなくて
学業も仕事も出来ない人も居るんじゃなイカ?
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382 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/01(木) 16:42:44.54 ID:wUnq0xxu
>>381 >世の中には
>学業とか仕事とかをしたくても
>体力がなくて
>学業も仕事も出来ない人も居るんじゃなイカ?
そりゃ〜、仏教議論スレで、輪廻転生がこうだ、とか、輪廻転生はこうじゃない、とか、
そんな書き込みを毎日・毎日読んでいたら、普通の人は精神が狂ってきて
そして体力も消耗するんじゃないんですか?
気力も失せてきて、もう働くことも出来んでしょ?
そうなると・・・
もう現世において希望もなくなり、余計に輪廻転生のことが気になってしまうのです。
私が「輪廻転生など、どうでもいいいじゃないですか?」。とか書き込むと、
もう必死になって私を攻撃するのです(苦笑
彼等にとっては、もはや輪廻転生しか希望がないのです。
そういうことですので、
私は彼等の希望を打ち砕くことは非常に辛いのであります。そして
私はこう言うであろう。
それは「輪廻転生はココにあるではないか」と。
★それとも何か?貴殿は障害者なのでありますか?体力がない。と仰せなのは?
>>382 机先生へ
> それとも何か?貴殿は障害者なのでありますか?体力がない。と仰せなのは?
体力ではなくて精力が絶倫なんじゃなイカ?
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私【?】の場合は ↓ これであるらしい
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B7%E8%BF%AB%E6%80%A7%E9%9A%9C%E5%AE%B3 強迫性障害(英: Obsessive-Compulsive Disorder, OCD)
回避
強迫観念や強迫行為は患者を疲弊させるため
患者は強迫症状を引き起こすような状況を避けようとして
生活の幅を狭めることがある
これを回避と呼ぶ
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386 :
Classical名無しさん :2012/11/01(木) 18:29:02.88 ID:9uSbw0l5
体力出ものを考える人たちなんですか? ホーキング博士はレスラー並みの体力なんでしょうか?
387 :
Classical名無しさん :2012/11/01(木) 18:29:35.99 ID:9uSbw0l5
訂正 体力で
>>386 >>387 「体力ではなくて脳で考える」
と言う事で おじゃるな? 了解 おじゃる
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389 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/02(金) 09:05:54.11 ID:zu69vBBT
>>385 >私【?】の場合は ↓ これも追加であるらしい
>自己愛性パーソナリティ障害(Narcissistic Personality Disorder)
そうでありますか。
私は自己愛性と付き合ってですね、段々と薄気味悪くなってきたんですよ。
それは直感というんですかね?生理的嫌悪に至ったのであります。
やはり人間といふのは、本能的拒否反応があるのかも知れませんですね。
ところが、こういふ直感的なものが著しく欠損している人間もおるんですね。
世の中には。
例えば、仏教議論スレで書き込みしておる連中は、簡単に輪廻転生とか信じ込んじゃいますね。
ああいうのは、簡単に自己愛性に騙されるタイプですよ(苦笑
私はあまり人のことは信用せんのですよ。
自己愛に限らず、人間というのは隙あらば騙そうとしますから、
やはり警戒を持たんのあかんのです。
(つづく)
390 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/02(金) 09:06:39.82 ID:zu69vBBT
(つづき) 自己愛のことを、よく言うのは「爬虫類のような目」とか比喩するんですね。 これは“気味悪さ”からのイメージ化でしょうね。 自己愛の正体を見破ると、その精神世界は非常に冷たく感じるのです。 この「冷たい」が「蛇の目」に見えてしまうのかと思います。 これはそういう人間(自己愛)と付き合ってみないと分からんもですが・・・ 仏教議論スレで書き込みしておる連中は、ある意味鈍感ですから。 「蛇の目」を「麗しい目」とか言って絶賛しちまうかと思います。 恐ろしいことですね。 人間を見抜けない。というのは・・・ 般若波羅蜜多は、人を見抜く智慧のことです。→(これを正見といふ) どうか此の世で生き抜く智慧を獲得してくっだっしゃれまし。
強迫性障害(Obsessive-Compulsive Disorder, OCD)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B7%E8%BF%AB%E6%80%A7%E9%9A%9C%E5%AE%B3 縁起恐怖
縁起強迫ともいう
自分が宗教的、もしくは社会的に不道徳な行いをしてしまうのではないか、もしくは、してしまったのではないかと恐れるもの
信仰の対象に対して冒涜的な事を考えたり、言ってしまうのではないかと恐れ、恥や罪悪の意識を持つ
例えば、神社仏閣や教会において不信心な事を考えてしまうのではないか、聖典などを毀損してしまうのではないか、というもの
ある特定の行為を行わないと病気や不幸などの悪い事柄が起きるという強迫観念に苛まれる場合もあり
靴を履く時は右足から、などジンクスのような行動や、○○すると悪いことが起きる、などの観念が極端になっているものも見られる
数唱強迫
不吉な数やこだわりの数があり、その数を避けたり、その回数をくり返したりしてしまう
数字の4は「死」を連想するため、日常生活でこの数字に関連する事柄を避ける、などの行為
バラモンなどの ・ 強迫性障害 ・ 縁起恐怖とか ・ 数唱強迫など ・ に対して
般若経の解説
http://www.dia.janis.or.jp/~soga/subindex.html あなたたちは、これまで(バラモンなどの)善行を積み悪行を避けてきた
今限りそれはやめなさい
(バラモンなどの)善悪にとらわれている限り
悪行のみならず、(バラモンなどの)善行も悪果をもたらす
慈悲に基づかない(バラモンなどの)善行は慢心を起こすから
あなたたちは、自分が(バラモンなどの)善行をなし、自分が功徳を受けると考える
あなたたちの(バラモンなどの)善行は、あなたたちの我執を更に強くする
慢心は、あなたたちに染みつき、あなたたちを重く固く脆くする
世界とともに踊る日は、ますます遠ざかる
バラモンなどの ・ 輪廻など ・ に対して
般若経の解説
http://www.dia.janis.or.jp/~soga/subindex.html 世尊は輪廻を説かれたのではなく、輪廻からの解脱を説かれた
世尊の時代、人々は(バラモンなどの)輪廻を信じていた
だから世尊は、(バラモンなどの)輪廻を方便として、正しい知恵を説かれた
あなたたちは、大きな激しい変化にばかり心を奪われたことだろう
「いつも」もまた無限の変化でできていることを、あなたたちは見なければならない
これまであなたたちは、(バラモンなどの)善行に励み、永遠ばかりを探してきた
だから、凝り固まり、ありのままに変化を見ることに慣れていない
無我を、縁起を、空を見ることがうまくない
あなたたちは、練習が必要だ
禅定に入ろうとする人は…
…この吐いて吸う大きな長い息を十数え、何度も繰り返し、なにも考えず、ただ息を数え続けます
_ _ _
バラモンなどの輪廻を土台として
その輪廻からの解脱を説かれた
396 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/03(土) 11:51:29.82 ID:X7a5cI5r
自己愛が私を尋ねてきて・・・それで少し会話をしました。 相手のプライドを傷つけることなく、私の気持を自己愛へ伝えてハッキリさせばならん。と その時に私は決心をしたのであります。 「私は元来、熱し易く冷め易い、枯木寒岩によりて三冬暖気なしなんじゃよ」。と言うてやりました。 これの意味は、以前は自己愛にそれなりの恋慕を抱いていたかも知れません。 しかし今となっては、私は枯木の如く、もう燃え上がることは出来んのです。 (注意:火を付ける場合は除く) こういう意味で御座います。 そして私は、続けてこう言いました。 「君は男無しでは生きらんのです。しかし私はそのような男にはなれんでつね」。 と、このように言ったのです。 これは完全に決別の意味でありんすが、 私が言った後に自己愛は、 「割り切った関係というのが、私にはうらやましい」。というもんでした。 ああ、これは自己愛の本音を言うてしもたんですね。 (つづく)
397 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/03(土) 11:52:20.48 ID:X7a5cI5r
(つづき) つまり自己愛というのは、自己嫌悪と自己欺瞞に絶えず揺れ動いておるんです。 他人との会話では自己欺瞞しか見せない(つまり演技している) そうじゃないと、自分といふのが保てない。 ようするに、こういう複雑な精神構造というのは、精神分析するだけでも かなり疲弊しちまうのです。 よって、自己愛と関わりを持つと精神的疾患になりやすい。
自分の良心や本心に反しているのを知りながら、それを自分に対して無理に正当化する自己欺瞞(じこぎまん) _ _ _ 机先生も「とんちんかんぷん」だけど 私【?】の知り合いの 会話が「とんちんかんぷん」の女性の場合は 目を輝かせて「何時でも夢と希望に満ち溢れて輝いている」と言っている 通常の枠から外れている様に見える人すべてが 負(マイナス)の心の働きである とは限らない _ _ _ 正(プラス)と負(マイナス)と心の働きは揺れ動いているらしい
399 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/03(土) 15:37:32.51 ID:X7a5cI5r
>>398 >机先生も「とんちんかんぷん」だけど
健常者では、そもそも自己愛の心象世界など分かるはずもない。
私は精神分析とか心理学とかを参考に自己愛を研究しちょるのでふ。
ネットでは多くの資料がありますが、
http://www.iff.co.jp/ssworld/mssg/mssg_1.html これなどは具体的で参考になります。
つまり自己愛を精神分析するなら、幼児期へと遡らねばならんのです。
自己愛は会話の途中で「父親は・・・」とか、
必ず親の影響を強く持ち続けています。
つまり、幼児期における「父、または母との約束」を
大人になっても破ることはないのです。
それがアイデンティティーなのかも知れません。
400 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/03(土) 15:43:43.61 ID:X7a5cI5r
自己愛の心象世界とは、黒か白の世界です。 つまりグレーゾーンが無いのです。 このことは、自己愛も他人から言われるそうです。 仏教議論スレで書き込みしちょる人間も、やはり黒白の世界でしょ? 何らかの精神疾患とか人格障害に患っておるのかと思いますね。 私は自己愛を研究しているうちに、 仏教議論スレに書き込みしている連中の、ある種異様さは何なのか? ってのも、少しづつではありますが解明されつつありますね。
> つまり自己愛を精神分析するなら、幼児期へと遡らねばならんのです バラモンなどの輪廻の概念を土台として、前世まで遡った方が良いんじゃなイカ? ____ ,. ´ 、 `` . / \ ` 、 / ____ ヽ \ // ,. ´: : : : 、: :` 、 ', ./ / / /: : : : : : :|: : |\: : : : \} / / /'´: : |ヽ: : : : ハ斗―ヽ‐: : : :\ .イ . / / : : l|,.|--\:/ 〃´ ̄`\: : } : }| / /: : : :∧| fいハ W∨W ___ \.|: : : / |〃⌒ 弋t:り {: :,ゞ-ミ、 . ∧ |: : : : :| | : : : : |{ fいハ ‐ "∨ ノ: \ /: : ∨: : : : :| |∧ : : | 弋t:り . -- 、 / /― 、: \_ . /: : : : : :/ ̄ /:\ .!:\:ト、 '´ / | / / }/ }ー― |: :∧:/ /: : : :| |: : : :iム" 〈 j./ / / /: : : : : |: :{ 〉: :〈 ̄ ./: : : :ハ:\ __\__ // /--、/ /` ー― ヽ: \ |: : / ./: : : :/ }: :{ {:{ {:// / : / /ハ\ \: `ー┴‐: ´ : : : / /: :∧ ヾx/:/ ⌒´ /:∨ {: : :\ ` ー―‐、一<___,/: r┴‐ミx、_厶′ (_:_:_:_}__廴:_:_:_\ \ : : : : : : :人 - 、 ノ: : .  ̄ ̄ ̄ /: 》ー┬‐-、 \ `丁丁丁、´
403 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/03(土) 16:51:20.81 ID:X7a5cI5r
>>401 >バラモンなどの輪廻の概念を土台として、前世まで遡った方が良いんじゃなイカ?
私は小学生の時、この映画↓を観て
http://www.youtube.com/watch?v=ODTZiriWANw 清水宏『しいのみ学園』、香川京子の歌声。
非常に印象が残ってるシーンがあります。それは、
小児麻痺の子供が野球をしていて、他の子供達にカラカワレるんですね。
そしてその子が家路につき、父役の宇野重吉に
「僕の手は生えてくるんかな?」と、父に問うのです。
その時父は、非常に哀しそうな眼差しをして、ただ微笑をしただけ。
宇野重吉の重厚な演技は、それだけで伝わってしまうのです。
私はこのシーンが忘れられないのです。それは貴殿が見た幽霊と同じです。
(つづく)
404 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/03(土) 16:52:21.13 ID:X7a5cI5r
(つづき) 私は、自分が大人になったら、宇野重吉のような父親になりたい。 という夢を常にもっておりました。 で、話を元に戻しますけど、 私が心に残る、このシーンは、果して「概念」でしょうか? 私はそうじゃない。と、かように思いますね。 どちらかというと観念になります。 私個人の印象ですから、貴殿には伝わることが無いかも知れんです。 じゃあトラウマか?と言ったら、もしかしたら、その方に近いかも知れませんが・・・ 「概念」ではないのは確かかと思います。
> 私が心に残る、このシーンは、果して「概念」でしょうか? 心の働きが引き継がれて受け継がれて心相続しているんじゃなイカ? ____ ,. ´ 、 `` . / \ ` 、 / ____ ヽ \ // ,. ´: : : : 、: :` 、 ', ./ / / /: : : : : : :|: : |\: : : : \} / / /'´: : |ヽ: : : : ハ斗―ヽ‐: : : :\ .イ . / / : : l|,.|--\:/ 〃´ ̄`\: : } : }| / /: : : :∧| fいハ W∨W ___ \.|: : : / |〃⌒ 弋t:り {: :,ゞ-ミ、 . ∧ |: : : : :| | : : : : |{ fいハ ‐ "∨ ノ: \ /: : ∨: : : : :| |∧ : : | 弋t:り . -- 、 / /― 、: \_ . /: : : : : :/ ̄ /:\ .!:\:ト、 '´ / | / / }/ }ー― |: :∧:/ /: : : :| |: : : :iム" 〈 j./ / / /: : : : : |: :{ 〉: :〈 ̄ ./: : : :ハ:\ __\__ // /--、/ /` ー― ヽ: \ |: : / ./: : : :/ }: :{ {:{ {:// / : / /ハ\ \: `ー┴‐: ´ : : : / /: :∧ ヾx/:/ ⌒´ /:∨ {: : :\ ` ー―‐、一<___,/: r┴‐ミx、_厶′ (_:_:_:_}__廴:_:_:_\ \ : : : : : : :人 - 、 ノ: : .  ̄ ̄ ̄ /: 》ー┬‐-、 \ `丁丁丁、´
http://semi.natura-humana.net/2003/contents/genzemi/bunken/2004-aki/abidaruma.pdf 仏教では輪廻もまた、無明(avidoya)によって生起した迷妄にすぎず
そのゆえに、解脱とともに消滅してしまうのである
だが、輪廻を否定すると業の主体や因果応報、また人格の連続性を否定されてしまう
そこでアビダルマで考え出されたのがプトガラ(人我)という考え方であるが
『ミリンダパンハー』では、このプトガラの存在を認めず
かわりに業の相続、つまり行為の連鎖的持続という考え方で
この難問をかわしたと考えられるが、これではまたアビダルマの
小乗的な法の恒有に戻ってしまうのではないだろうか
そこで、このアポーリアをクリアするために
仏教の深層心理学である唯識思想が登場してくる
(アビダルマは大乗仏教への架け橋 世親もここから出発している)
唯識では阿頼耶識という無始以来のすべての有情の
記憶が(大脳新皮質と古皮質の問題と考えあわせると興味深い)存在し
それが末那識(いわゆる無意識層)に働きかけ
結果的に意識上に表象された(業によって影響されているが)世界
つまり、識転変こそが我々の認識のすべてである、世界そのものであるとする
業(行為)はまた、その阿頼耶識に沈潜されて上記のプロセスを経ることで
我々の業を形成し続け、無明の世界の我々の存在となる
407 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/03(土) 17:16:16.82 ID:X7a5cI5r
>>405 >心の働きが引き継がれて受け継がれて心相続しているんじゃなイカ?
相続するのは不可能です。
記憶とは裁断された断片を再構築しているに過ぎんのです。
ですからそれは、再構築(縁起)するたんびに変節して逝くもんです。
犯罪における目撃証言が、いい加減なのはそのためです。
> 犯罪における目撃証言が、いい加減なのはそのためです 心の働きは(時の流れなどの)縁起によって変化して逝くから、いい加減なんじゃなイカ? ____ ,. ´ 、 `` . / \ ` 、 / ____ ヽ \ // ,. ´: : : : 、: :` 、 ', ./ / / /: : : : : : :|: : |\: : : : \} / / /'´: : |ヽ: : : : ハ斗―ヽ‐: : : :\ .イ . / / : : l|,.|--\:/ 〃´ ̄`\: : } : }| / /: : : :∧| fいハ W∨W ___ \.|: : : / |〃⌒ 弋t:り {: :,ゞ-ミ、 . ∧ |: : : : :| | : : : : |{ fいハ ‐ "∨ ノ: \ /: : ∨: : : : :| |∧ : : | 弋t:り . -- 、 / /― 、: \_ . /: : : : : :/ ̄ /:\ .!:\:ト、 '´ / | / / }/ }ー― |: :∧:/ /: : : :| |: : : :iム" 〈 j./ / / /: : : : : |: :{ 〉: :〈 ̄ ./: : : :ハ:\ __\__ // /--、/ /` ー― ヽ: \ |: : / ./: : : :/ }: :{ {:{ {:// / : / /ハ\ \: `ー┴‐: ´ : : : / /: :∧ ヾx/:/ ⌒´ /:∨ {: : :\ ` ー―‐、一<___,/: r┴‐ミx、_厶′ (_:_:_:_}__廴:_:_:_\ \ : : : : : : :人 - 、 ノ: : .  ̄ ̄ ̄ /: 》ー┬‐-、 \ `丁丁丁、´
http://archives.bukkyo-u.ac.jp/infolib/user_contents/repository_txt_pdfs/bukkyo95/BR095L017.pdf 佛教大学仏教学部論集第95号(2011年3月)
ウダーナヴァルガのギルギット写本
松田和信
udana-B (prose) Udanavarga 26.21,Pali Udana VIII.3 (prose)
比丘たちよ
生じたのではないもの、現れたのではないもの、作られたのではないもの、形成されたのではないもの、生起したのではないものがある
〔さらに一方〕生じたもの、現れたもの、作られたもの、形成されたもの、起こったもの、縁起したものがある
比丘たちよ
もし生じたのではないもの、現れたのではないもの、作られたのではないもの、形成されたのではないもの、生起したのではないものがないならば
『生じたもの、現れたもの、作られたもの、形成されたもの、起こったもの、縁起したものを離れること(出離)がある』と私は説かないであろう
ところが比丘たちよ
生じたのではないもの、現れたのではないもの、作られたのではないもの、形成されたのではないもの、生起したのではないものがあるから
だから『生じたもの、現れたもの、作られたもの、形成されたもの、起こったもの、縁起したものを離れることがある』と私は説く
_ _ _
http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron03a.htm 中論觀法品第十八
一切の、心行は、皆、是れは、虚妄であり、虚妄の故に、滅するはずだ
諸法の、実相は、諸の心数法を出て、無生、無滅であり、涅槃のように、寂滅の相だ!と
すべて一切は空である故に
「これが常住なものである」と言うような自性はない
「すべてのものに自性はない」と言う事については、分別はない
それ故に
八聖道分を修習して、我、我所を滅する因縁の故に、無我、無我所を得て、智慧を決定する
412 :
Classical名無しさん :2012/11/03(土) 17:43:45.37 ID:TnaiFhXk
都合でどうにでも再編集
413 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/03(土) 17:44:54.22 ID:X7a5cI5r
>>410 >心の働きは(時の流れなどの)縁起によって変化して逝くから、いい加減なんじゃなイカ?
時の流れは、そのもの自体が論理矛盾であるし、
因縁が、もし、時の流れの属性であるなら、既に因縁自体に論理矛盾がある。
因縁は、不落不昧なのだ。
よって
>>409 の中論解釈は、明確な輪廻否定詩句となる。
414 :
Classical名無しさん :2012/11/03(土) 17:45:10.19 ID:TnaiFhXk
妄想創作も入り交じって、さながらCG多用のSF映画。
現代科学・物理学の 学者の仮説が、まさに 「都合でどうにでも再編集」で おじゃる
http://ohtsuki-yoshihiko.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-2419.html 2011年12月28日 (水)
大地震と電離層変化
以下の記事は、大槻が月刊誌『パリティ』(丸善出版)に書いたものですが
このブログの読者のみなさまにもお読みいただきたく、転載いたします
日置さんは電離層の変化が「40分前に起こり始めた」と述べ
早川さんは「5日前に起こった」と述べているのだ。いったいどちらが“本物”の前兆か
実際には、ここ10年間に限っても、電離層の変化はたくさんあったのだ
そしてその間、電子密度の増加など数多く発生していたのだろう
いったいそのどれが本物の前兆なのだろうか
こうなると、確定的なことは何もいえなくなるのではないか
しかし、だからといってこの種の研究は排除されるべきではない
科学は少しの可能性、いやまったくない可能性でも否定しないものだ
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52008842.html 東日本大震災直前に大気と電離層に異常を確認(NASA発表)
NASA ゴダード宇宙飛行センター (GSFC) の研究チームが
東日本大震災の数日前から震央 (震源地上) の海上での電磁気活動の観測結果を発表した
観測によると、電離層における電子の量が劇的に増加
また震央における大気昇温を示す赤外放射の急増も見られたそうだ
「地圏—大気圏—電離圏—磁気圏結合」という現象として研究されているとのこと
地震直前に大規模なストレスによって大量のラドンガスが放出され
この放出による放射線は大気をイオン化するとのことで
これがさらに他の現象を連鎖して引き起こすとのこと
420 :
Classical名無しさん :2012/11/04(日) 00:19:22.89 ID:l7ocp3q6
地震は予測可能
421 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/04(日) 11:27:53.06 ID:nce7LEgv
http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp3-20121103-1041696.html 真紀子大臣、思い付きで3大学不認可
このニュースを読んだとき、私はピンときました。
田中氏には以前から疑義を抱いておったのですが、やはりそれが的中したかと思います。
私はこのニュースを読んで、直ぐに「自己愛」と「田中真紀子」で検索しました。
やはり分かる人間には分かるんですよね。
普通じゃない。ってのが・・・・
自己愛性ってのは、モノゴトの判断が黒白しか出来ないですから、
こういう人間が政治家をやってるのは、やはり不安です。
私が付き合っていた自己愛も田中とよく似てます。
「こいつは馬鹿じゃないか?」とかしょっちゅう思いましたが、
馬鹿というより、精神構造が健常者とは全く異質なのであります。
健常者ならグレーゾーンの概念はよく理解できますが、
自己愛にはそもそもグレーゾーンというのが無いですから、
これがどういうもんなのか?ってのは想像すら出来ないようです。
世の中には自己愛が2パーセントおる。というのが一般的ですが、
アメリカですと10パーセント以上であるらしい。
田中真紀子についても、今後研究しとう御座います。
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート31
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1336302241/805-807 805 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/11/03(土) 22:26:53.54 ID:h3wiGv1N
仏性とは、分かりやすくいうと何ですか?
また、「涅槃経」など初期の大乗で説かれている仏性と
インドではなく中国・日本で生まれたの禅宗などの宗派が言っている
仏性(山月草木悉有仏性など)は、同じものを指しているのですか
それとも、全く別のものを指しているのでうか?
807 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/11/04(日) 06:13:43.82 ID:4rFuS9Tp
語弊がある言い方になってしまうが
わかりやすく言うなれば仏の成分の一つ
初期大乗が説く仏性と中国仏教及び日本仏教での仏性はすこし性質が違う
初期大乗で説かれる仏性は仏になれる種を持ってるよ!
だからみんな修行すれば悟りにはいつか到達できるよ!ってもの
唯識とかの根本になる如来蔵思想ってのと同一と見てもいいとおもう
(ちなみに大般涅槃経は初期大乗ではなく中期大乗とみられる。初期大乗だと法華経あたりが仏性を主張する)
天台とかが言ってる仏性(山川草木悉有仏性)ってのは先の如来蔵的な悟りになれる可能性をみんな持ってるってモノ
(この山川草木悉有仏性の出典が大般涅槃経、諸説あるが四世紀ぐらいの成立っぽい)
禅宗などが言ってる仏性はちょっと違うくて
仏が仏である性質って感じで、みんな仏の性質を持ってるから実は仏なんだ!
悟ってないのは仏性を持っていると気がついていないからだ!
って感じの本覚思想的な理解
423 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/04(日) 15:56:44.89 ID:nce7LEgv
>>422 >禅宗などが言ってる仏性はちょっと違うくて
>仏が仏である性質って感じで、みんな仏の性質を持ってるから実は仏なんだ!
>悟ってないのは仏性を持っていると気がついていないからだ!
>って感じの本覚思想的な理解
人間は本来悟っておるなら、悟ってからは、あまり勉強も必要ないんじゃないですか?
私は仏教とは苦集滅道だけで充分かと思います。
これ以上に「悟りを深めたい」とか、そのような気持はありませんですね。
まるで仏教に獲り付かれたように、24時間お勉強なさってる御仁もいらっしゃいますが、
私は、ああいう風にはなりたくないですね。
何故かといいますと、私はもっとお勉強(仏教以外)したいことが山程あるのです。
よって仏教だけに時間を割くことは、時間の無駄であります。
仏教はそもそも、お勉強するのもシンプルなことですから
難しく考えるのは、どうかと思います。
仏教で飯を食うんなら別ですけどね。
2ちゃんに書き込みしたから、それで飯が食える訳はないでしょ?
アタマは生きておる時には、それなりに有効に使わんと、生きておることにはならんですね。
仏教とは「今、生きておる」。このことだけであります。
これが「縁起の現観」でありますが、これ無くして、何が仏教ぞ!!
かぁ〜〜〜〜つ(喝)!!
424 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/07(水) 08:12:10.71 ID:AwyuEsyE
家内がオーブというのを見たらしい。 オーブというのが適切な言葉かは知らないけど、家内は「オーブ」と言っている。 友達のアパートを引っ越すので、その手伝いをして、 全部部屋が片付いてから、記念?に部屋を携帯で撮ろうとしたら 電球の灯りで画像がぶれる、といふ珍事に見舞われ、 それじゃ全部灯りを消して、真っ暗な状態で試しに撮ろうとしたら その瞬間にオーブ?が現れたらしい。 私の家内は3個見たらしい。 うちの子供は1個、友達の子供も見たらしい。→(肉眼で) 実はこの部屋はイワク付きで、前の借主も色々とあったらしい。 (つづく)
425 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/07(水) 08:17:47.43 ID:AwyuEsyE
(つづき) この部屋は幽霊が出る。と前々から言われていた。 うちの家内も泊まり込みで金縛りにあったりとか、そういう話は聞いていた。 友達の子供は、寝ているとこで幽霊?の足だけ見たらしい。 そういった諸々の怪奇現象は私も何度も聞かされた。 しかしこれは仏教とは全く関係はない。 オカルトの範疇で、私はこれからこういう分野でも研究しとう御座います。
427 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/07(水) 14:35:57.92 ID:AwyuEsyE
431 :
Classical名無しさん :2012/11/07(水) 17:00:02.64 ID:erWCvcS6
君達だよ 君達 空気読んで
432 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/07(水) 17:22:42.32 ID:AwyuEsyE
>>428 この妊婦は、幻聴?で精神分裂病だった可能性もある。
それで自殺したか?
それとも霊現象?で精神分裂病になったか?
どちらかだ。
>>430 これは以前に貼り付けたもんだから、その時に観た。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E7%B8%9B%E3%82%8A 金縛りは主に就寝中、意識がはっきりしていながら体を動かすことができない症状を指す
体が締め付けられるような感覚からこう呼ばれる
霊の仕業だという主張と、霊など関係ないという主張があり、今でも論争が続いている
本来は仏教用語であり、その転用である
不動明王が持つ羂索(けんさく)の威力により
敵や賊(転じて煩悩)を身動きできないようにする密教の修法である「金縛法」(きんばく・かなしばりほう)を由来とする
医学的には睡眠麻痺と呼ばれる
睡眠時の全身の脱力と意識の覚醒が同時に起こった状態
不規則な生活、寝不足、過労、時差ぼけやストレスなどから起こるとされる
脳がしっかり覚醒していないため、人が上に乗っているように感じる
自分の部屋に人が入っているのを見た、耳元で囁かれた
体を触られているといったような幻覚を伴う場合がある
これは夢の一種であると考えられ幽霊や心霊現象と関連づけられる原因になっている
ただし金縛りの起きる状態がほとんど就寝中であることから学者の説明は睡眠との関係についてである
覚醒状態においての「金縛り」というものについては科学的にはほぼ未解明であり
精神的なものに起因するとされることも多い
霊的なものを信じていない人の場合は
宇宙人に何かをされたなどという形式の認知になるという説がある
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%86%91%E4%BE%9D 憑依(英語: possession)とは、霊などがのりうつること
憑(つ)くこと、憑霊、神降ろし・神懸り・神宿り・憑き物ともいう
とりつく霊の種類によっては、悪魔憑き、狐憑きなどと呼ぶ場合もある
「(シャーマニズムにおける)憑依(憑霊)はトランスの一形態であり、通常ある人物に外在する霊がかれの行動を支配している証拠」と位置づけられる
脱魂(ecstassy もしくは soul loss)や憑依(possession)はトランス状態における接触・交通の型である
「つきもの」は、「ある種の霊力が憑依して人間の精神状態や運命に劇的な影響を与えるという信念」であると定義される
http://reigaku.jugem.jp/?eid=424 瑜伽師地論(ゆがしじろん)の場合は
人が死ぬ時に
過去の長い間の経験により蓄積された
我愛が現起し
その力にうながされて
自己に愛著し
無始の時以来つづいてきた執着された
戯論(けろん)と
善悪(善でも悪でもないものも含める)業により
中有が形成される
そして、やがて
精子と卵子が結合する時に
中有が滅すると同時に
又、この世の生に戻り来る
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E9%82%A3%E8%AD%98 末那識(まなしき)
第八識(阿頼耶識)を所依として、第八識の見分を所縁として生じる識である
睡眠中でも深層において働き続け
根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続ける
この深層的な自我心を滅することによって、我々は初めて真の無我行を実践することができる
第七識・末那識と相応するものは、我癡・我見・我慢・我愛
_ _ _
瑜伽師地論(ゆがしじろん)の場合は
死の時においては
第六表面意識から → 末那識 → 阿頼耶識へと働きかけて
そして
阿頼耶識と末那識によって
戯論(けろん)と
善悪(善でも悪でもないものも含める)業により
中有が形成される
440 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/08(木) 08:46:52.92 ID:V9GFakvo
>>434 >「つきもの」は、「ある種の霊力が憑依して人間の精神状態や運命に劇的な影響を与えるという信念」であると定義される
「つきもの」については、私は以前にネットで調べたことがありんすが、
霊とは全く関係がないことに辿り着いたよ。
貴殿も情報を鵜呑みにせずぬ、少し調べたらいいんじゃないか?
もっと合理的な説明ができるよ。
441 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/08(木) 09:07:12.43 ID:V9GFakvo
>>436 >瑜伽師地論(ゆがしじろん)の場合は
この言説は、あまりにも飛躍しているかと思うけどね。
これについてのヒントは無門関に書いてあるけど、非常に難解なので説明は省略。
「難解」というのは、基礎的な教学がないと、そもそも理解は出来んだろうし・・・
それよりも、中論さえ完璧にマスターしとけば、
なにもdでも論に振り回されることはない。
仏教議論スレの連中は、中論を読み解くことが出来んから
輪廻転生論に夢中だろうけど、
そういう議論を好むなら、本格的に仏教を学ばねばならんだろうね。
いわゆる仏教の基礎的なもんだけど、
これを飛び越してdでも論に嵌るのは良いことではない。
中有がどうで、こうで、つうても、こういうことは仏教では既に解決済みなんだお。
解決しておるもんを、今さら論ずる、ということは、
つまり悟っておらんからだろ?
悟っておれば、中有も幽霊も全て解決する。
仏教というもんは、そういう宗教なんだね。
442 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/08(木) 11:40:22.92 ID:V9GFakvo
445 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/08(木) 13:55:56.29 ID:V9GFakvo
>>444 >どのような方法で「この方は演技性パーソナリティー障害である」と断定する事が出来るのか?
>診断する為の方法は?
精神科医が、来院者と接して、先ずその人間が人格障害とか精神病とか判断する決め手といふのは、
そういう病理のある人間は「雰囲気自体が独特」で、先ずその空気を感じるらしい。
これは私も精神疾患&人格障害と付き合ってきたから、その「独特」というのは分かるんじゃよ。
尋常な人間でないのは直ぐ分かる。
先ず真紀子は68歳にしては容姿が若い。→精神が育ってないから老けない。→人格障害。
自分の言動に責任が持てない。→人格障害の特徴。
白黒思考でグレーゾーンがない。→人格障害の精神構造の特徴。
自己中心で、世界は自分のために廻ってる、と本気で思い込んでる。
3大学に迷惑掛けることには全く関心がない。自己中は人格障害の特徴。
自分さえ気を引いてもらうことが最優先で、他人には全く関心がない。
関心がないどころか、他人を利用することだけ考えている。
自分が権力を握ると、自分が日本を動かせる、と誇大妄想する。
強度なナルシストで、自己に酔いしれ、やがてエクスタシーに達する。
そして病理が進行すると、自分が神かもしれない、と手が付けられん程になる。
(周囲が、おだてた場合)
まあ、書き込んだらキリがない。
人格障害に間違いない・・・と、おもわれ。
447 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/08(木) 17:27:11.62 ID:V9GFakvo
>政治家は皆 「 (多少なりとも)自己愛性パーソナリティ障害の傾向がある 」 のかしら? おじゃる? 政治家に限らず、起業家も自己愛やサイコパスは多い。 自己愛やサイコパスは人物的には魅力があるからね、カリスマ的に人間を惹き付け そして人格操作する訳だから、そりゃ〜普通の人間にはカナワンよw あと、結婚詐欺などもサイコパスは多いらしい。 虚言が上手いから、人間は直ぐ騙されやすい。 こういう自己愛とかサイコパスが共通しているのは「良心がない」ってことらしい。 「良心がない人達」とかの著書が今ヒットしておるだろう? 私はそれを読まなくても、ある程度書いてある事は推測できるんじゃよ。 もし貴殿がその本に関心があったら買おてみなしゃれ。 良心というものが無い人間が、10人中一人?とかいるらしいから。 こういう研究は、かなり面白いものがあるよ。 それは決して幽霊オタにも勝るとも劣らんかとおもうよ。 さあ、貴殿も猟奇の世界に来たまえ。
448 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/08(木) 17:32:47.08 ID:V9GFakvo
あと、自己愛性と演技性は被るから、双方の障害があるのが普通。 そして、 人格障害は、精神疾患と神経症も併発しているから、 ときにはキチガイと思われることもある。 普段は「健常者のように」見えるだけで、 その精神世界は、なかなか健常者には未知な部分がある。
449 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/09(金) 09:36:59.67 ID:Wvcj3RwS
自己愛性は、「自分」というのが無いから、どう生きていったら良いか? 全く分からない。 よって自己愛は、何かの指標となるものを無意識的に求める傾向がある。 こういうことですので、自己愛は宗教とか占いとかに嵌りやすい。 (注意:仏教議論スレで書き込みしている連中は、人格障害とか精神疾患の可能性あり) 私が以前に付き合っていた自己愛は、占いとかに嵌ってましたね。 電話かなにかで有料の相談をしてました。 精神が育ってないから、大人で生きていく自信が無いのです。 考えてみれば気の毒な話なんですが・・・ 思考能力が小学生くらい(いや幼児か?)のアタマしかなく、 発想は知的障害者です。 仏教議論スレの書き込みを、客観的によく精査してみてちゃぶれ。 なんかオカシイからw (つづく)
450 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/09(金) 09:37:49.15 ID:Wvcj3RwS
(つづき) 私は自己愛性パーソナリティー障害について研究していくうちに、 どうやら仏教議論スレに書き込みしている連中が 尋常でないことにやっと気づきました。 ______________________ 【クリシュナムルティー】 大衆は同じ方向性に向かうとする。 その結果、大きな過ちに気づかない。 ______________________ これですね。 「気づく」ことは大事です。
リング 製作年:1998年 収録時間:95分 出演者:竹内結子 中谷美紀 真田広之 松嶋菜々子 ビデオに殺されるなんて 観た者を7日後確実に死に至らしめる恐怖の呪縛の潜むビデオテープの謎 …その恐怖は「らせん」につながる _ _ _ リング0 バースデイ 製作年:2000年 収録時間:104分 出演者:仲間由紀恵 田辺誠一 田中好子 麻生久美子 鈴木光司のベストセラー小説を映画化したホラーシリーズの完結編 前作より30年前、劇団に入団した貞子はいつも何かの存在に怯えていた 若手女優の謎の突然死を機に、不可解な怪奇現象が起こり始める 想像を絶する貞子の秘密が明らかになる
呪怨 劇場版 デラックス版 製作年:2002年 収録時間:124分 出演者:奥菜恵 伊東美咲 柴田かよこ 松田珠里 菊利友佳子 田中要次 津田寛治 上原美佐 市川由衣 あまりの怖さに噂が噂を呼び、発禁寸前となった伝説のオリジナルホラービデオを完全映画化 大ヒットを記録し、ハリウッドリメイクも決定した‘最恐’ホラー、遂にDVD化 _ _ _ 呪怨2 劇場版 デラックス版 製作年:2003年 収録時間:92分 出演者:酒井法子 新山千春 市川由衣 斎藤歩 葛山信吾 結城しのぶ 黒石えりか 堀江慶 山本恵美 水木薫 藤貴子 尾関優哉 ホラー映画への出演が続く女優・原瀬京子はこの日 関わった者たちの悲惨な死や行方不明が後を絶たない「呪われた家」をレポートするテレビの特番にゲスト出演した そしてその夜、フィアンセ・将志の車に乗り家路につく京子 だがその道中、彼の車は首都高速で猫を轢いてしまう 将志は猫の死体を処理せずに車を発進させるが、その時、車内には不気味な存在が紛れ込んでいた
死国 製作年:1999年 収録時間:100分 出演者:夏川結衣 筒井道隆 大杉漣 根岸季衣 栗山千明 坂東眞砂子のベストセラー小説を映像化 15年ぶりに帰省した明神比奈子は 小学生の頃に親友だった日浦莎代里が事故死していたことを知る だが莎代里の母親・照子は、莎代里がじきに戻ると告げ… _ _ _ 死国/坂東真砂子/マガジンハウス(1993/03) リング/鈴木光司/角川書店(1995/09)
日本全国呪場MAP 製作年:2008年 収録時間:88分 出演者:桜金造 監督:山本正 最新鋭ハイビジョンカメラで収録した恐怖の心霊・怪奇スポットをMAP付きで紹介 桜金造をストリーテラーに迎え、忌まわしい場所にまつわる怪異を語り尽くす _ _ _ ほんとにあった!怖い心霊スポット 製作年:2010年 収録時間:60分 出演者:安西シエル ネットや書籍で数多くその実在が語られる、恐怖の心霊スポットをピックアップ 人気シリーズ『ほんとにあった!怖い都市伝説』のスタッフが放つ、新感覚心霊バラエティ最新作
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E8%88%B9%E5%8D%83%E9%B6%B4%E5%AD%90 御船 千鶴子(みふね ちづこ、1886年7月17日 - 1911年1月19日)
透視能力を持つ超能力者として福来友吉博士に紹介された女性
千鶴子は長尾郁子の念写を非難する記事を見て、失望と怒りを感じ
清原に「どこまで研究しても駄目です」と言い放ったという
翌1911年1月18日、重クロム酸カリで服毒自殺を図り、翌日未明に24歳の若さで死亡した
フィクション作品
鈴木光司の小説『リング』に登場する超能力者
山村貞子の母親のモデルであると言われた
作中では貞子の母「山村志津子」が
1950年代に大学教授に才能を見出されてマスコミを賑わすものの
衆目の前で鉛の容器に入れられたサイコロの目を当てる実験に失敗し
世間からのバッシングに耐え切れず自殺したという設定が語られている
457 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/09(金) 16:26:12.72 ID:Wvcj3RwS
http://togetter.com/li/135330 三原山(東京都伊豆大島)自殺の歴史
>火口への投身自殺は遺体が残らない場合が多い。
これはたぶん、鳥か獣に食い荒らされると推測。
私にも謎です。
昔、華厳の滝で飛び込みがあったのですが、滝つぼに落ちず
途中で木に引っ掛かったままの人間がおった。
たぶんその時点でヤバイ、とか思ったのだろうけど、
生き長らえつつその人間は、カラスの餌になってしもた。
こうなると非常に悲惨ですね。
459 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/12(月) 07:43:10.29 ID:p3knFY3o
24時間、仏教議論スレで書き込みしているニートでも、良いことがある。
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1352382859/-100 このスレッドを見ると、現代の若者の労働環境がよく分かる。
これなら仏教議論スレで、ニートしてた方がマシかもしれんね(苦笑
実際、私もリアルで若者の接することが多いのだが、
若者は常に疲れている様子で、精神的に不健康なのは直ぐ分かる。
それで私は精神疾患とか人格障害とかに興味をもち始めた。
昔、「羊たちの沈黙」って映画を観たんだが、あの映画の意味も少し分かりかけてきた。
やはり精神分析は必要なんだね。
今はその研究に没頭しちょりまふ。
460 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/12(月) 08:19:05.06 ID:p3knFY3o
仏教議論スレより
________________________________________
815 :神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 22:18:46.83 ID:Z+j/pV5P
>>809 wwwww
何もわかってないなw
その『脱け出す』という言語表現が、主体無しには成立しないという考え方が仏教的でないということです。
(で、それを言わんとしたのが竜樹なわけで・・w)
主体なんかなくても輪廻という事象は成立するんですよ。
「事象の継承」を「主体の継承」だと見做してしまうことが顛倒妄想なわけです。
「事象の継承(縁起して生じ滅していく相)」を「主体(私・俺)の継承」だと見做す、その視線こそが
顛倒妄想なわけです。
_______________________________________
これは、あまりも酷い妄想ですね(苦笑
(つづく)
461 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/12(月) 08:23:37.25 ID:p3knFY3o
(つづき) 中論では輪廻を否定してます。 で、もっと平易に中論の説明を試みてみます。 @「輪廻転生」行きの電車に乗っていたとする。 Aこの電車が地獄・極楽も経由しつつ走っていたとする。 Bしかし、中の乗客には、そこが地獄なのか?そこが極楽なのか?は分からない。 C何故なら、地獄ではそれが全ての地獄であり、極楽はそれが全ての極楽であるからだ。 これが簡単な中論解釈だけど、 これはクリシュナムルティーにも通じるし、なんと、 アインシュタインの相対性理論にも通じる。 人間はオブザーバーではない。 オブザーバーなど存在しないのだ。 もうお気づきか? ブラックホールを観察することは出来んのですよ。 これは既に宇宙が証明しておるじゃあないでつか?
462 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/12(月) 08:29:25.42 ID:p3knFY3o
【注意】
私が書いた
>>461 は、流し読みでいいです(笑
たぶん意味が通じんだろうし、
説明もメンドイので(笑
463 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/12(月) 18:11:48.52 ID:p3knFY3o
ニートは、家で何をやって暇潰ししておるのですかね? それはどうやらインターネットらしいです(苦笑 私みたいに、もう人生の終盤に来ておって、そして女にも金にも あまり未練が無くなった人間が、ネットで暇潰しするなら、 そりゃ〜優れたツールでしょうけど。 いい若い者が、ネットに嵌りこんで人生を無駄にしてないか? 人生にIfはないけど、もしもインターネットが無かったら。 それについて考えてみる必要があるんじゃないか? そうなのだ・・・ ネットの普及がニートを増産しておるのだ(苦笑 瞑想三昧どころか、ネット三昧で人生を終わる。 それじゃ〜ぁ、輪廻転生も寂しかろ? 何故なら、彼の世はネットなどないであろうし(悲壮
464 :
Classical名無しさん :2012/11/12(月) 18:35:47.34 ID:sXQDN6WQ
リーマンの知らない世界を生きる人たちがいる。 会員制サロン、上流社交界、最高会議・・・・・ そういう世界が社会を動かしている。
>>463 机先生へ
> ニートは、家で何をやって暇潰ししておるのですかね?
> それはどうやらインターネットらしいです
1).仕事を探しても仕事がない場合
2).仕事もしてそして更にネットに嵌っている場合
3).その他
色々な場合があるんじゃなイカ? おじゃる?
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http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron04a.htm 中論觀四諦品第二十四
諸仏は二諦に依り衆生に説法される
一は世俗諦
二は第一義諦で
若し人が二諦を分別することを知らなければ則ち深い仏法の真実の義を知らない
一切の法は性空だが而し
世俗諦とは
世間は顛倒の故に虚妄の法を生じ
又、次の、この世の世界でも、ネット社会が現れるんじゃなイカ? おじゃる?
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467 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/13(火) 09:40:58.10 ID:3ZE7Eotv
>>466 >諸仏は二諦に依り衆生に説法される
この二締といふのは理論物理学で説明した方が早い。
電車が動いてる(走ってる)状態で、その中におる乗客は果して動いておるだろうか?
アインシュタインはこのようなことを考えた。
電車は動いておったとしても、乗客は停止したまんま。だと理論ではなる。
試しに、
乗客が電車内でジャンプをした場合、もし動いておったのならば、
着地点は後退するだろ?
アインシュタインは、着地点は後退するどころか発地点になることを発見した。
これが相対性理論の基本になるところでつ。
@乗客は動いていない。→これは正解
A第三者からすると、乗客は動いている。→これは正解。
そして・・・
静止しておるはずの第三者が、実は動いておるんですね。
これを発見して、そしてアインシュタインは、こう言うたんでつ。それは、
「あらゆるものは、必ず動態であり静止しておるんものは無い」。これですね。
じつは覚者というもんは、高度は理論物理学をマスターしておったのです。
しかし私が掲示板に、このような事を書いても、
その意味というのがチンプンカンプンののではないですか?
(つづく)
468 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/13(火) 09:42:06.01 ID:3ZE7Eotv
(つづき) 実は、相対性理論においても、大学生くらいの学力で本当に理解できるのは10パーセント くらいだそうです。 つまりそれだけのアタマしかないのは事実であります。 しかしながら・・・ 禅者は無意識のうちに宇宙論にまでそれは到達できるのであります。 これがいわゆる多次元論であります。 多次元でモチーフとなるのは、ブラックホールですね。 しかし今の理論物理学は、陰因子を通り越して、それで暗黒物質らしいです。 ここまでくると、私もどうにもなりません。 アタマが狂ってしまいそうです。 そこまでやる必要性はないのです。 相対性理論で充分ですから、これを先ずマスターすることが肝要でしょうね。
469 :
Classical名無しさん :2012/11/13(火) 11:36:31.80 ID:3vWYs5Iz
ダヴィンチの書いた絵画最後の晩餐 中心にキリストが描かれてますが、あれは想像図?神的存在と讃えられた人物像 キリストは架空人物なのか? キリスト教えとある宣教師聖書はゴーストライターが物語を作ったものなのか? キリストにとって人の世は地獄だったのか?嫉妬とゆう嫉妬憎悪の念、人々に殺されたのか? 痩せて斜め上を見上げる絵画は見ますが、繊細にも苦悩した姿が見て取れます 家族を持ち地で健康的に幸せに暮らせ無かった理由?
470 :
Classical名無しさん :2012/11/13(火) 11:38:56.70 ID:3vWYs5Iz
根っこの本質は、見えてたと思います。
472 :
Classical名無しさん :2012/11/14(水) 09:59:59.56 ID:NFFH0whw
>>468 ,/ ,..:::=ー,..:-=-::、
(( 、、_/ i'´ / _....,_ `ヽ
、ヽ ミゞ ゝ ヽ/ ; r','"⌒~^'ー::、
''=,ミ -- ' ^ ~ ^ ニ _ ^ヾー-:、 ミ:、
∠./,:=ニニ - 二 =ー::、 ^ ミ 、 ー
,.::-=ニ'レ,.:--‐ ー--:: 、ヽ ヽ ミ ヾヽ
/,,.-‐i ;::::::-、 ! .;:::::;;;::;、 ; ヽ ミ 、ヽ、
〃./'i ,,:=:, 、 _ ,:=::.、 .; ニ ヾミ、_
,! i l,γ @> ゙:. .: k @ ミ:、 .i ,:-' 、^ミ=-
ノ. !,tゞニ彡'ノ : . ^ミ=ニイ、、 彡ソヘ ヾヽヽ、
/. レ / :. '-、 :, / ,ソミ:、 〉 )
| / /ゝ、_ノ..,)ヽ 、 l i /ヽヾ j λ
! ヘノ/ノ川 !.ヘヾ、ミ、 i :l ハノ .)ノ人 ヽ、
!.i^'=ァ〜'T''⌒ナヾヘ ! i /`´
ヽ、`l ; /,/ / ./ノ
ヾ、i. ; 〃゙ / ,.ノ'´ ほぉ〜 そうかい ホッホッホッ
ヾゝi_,ノ ノ/
ヽ、_,,../゙ ば〜〜〜〜〜〜かw
時空は縁起なんじゃよ
そんなことより、四諦はどーした。
スッタニパータ 1119 つねによく気をつけ 自我に固執する見解を打ち破って 世界を空なりと観ぜよ _ _ _ 机先生の場合は 空観などの禅定(瞑想)を 人為的に、おこなう必要がないらしい _ _ _ 私【?】の場合は 我、我所を滅する因縁の故に、無我、無我所を得て、智慧を決定する為には 人為的に 八聖道分を修習する必要がある と考える
477 :
Classical名無しさん :2012/11/14(水) 22:40:17.05 ID:NFFH0whw
>>474 >苦の滅は「実現すべきもの」(成就)
,/ ,..:::=ー,..:-=-::、
(( 、、_/ i'´ / _....,_ `ヽ
、ヽ ミゞ ゝ ヽ/ ; r','"⌒~^'ー::、
''=,ミ -- ' ^ ~ ^ ニ _ ^ヾー-:、 ミ:、
∠./,:=ニニ - 二 =ー::、 ^ ミ 、 ー
,.::-=ニ'レ,.:--‐ ー--:: 、ヽ ヽ ミ ヾヽ
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ヾゝi_,ノ ノ/
ヽ、_,,../゙ ば〜〜〜〜〜〜かw
『苦の滅』ができると思っているところが、痛い。
何でもパクッて引用すりゃーいいモンではあるまいにw
滅(nirodha)は『制する』(制御・支配・コントロール)という意味で、
撲滅とか滅亡とか無くなるの意味ではない(中村元・紀野一義 般若心経・金剛般若経 岩波文庫p31)。
中国坊主の誤訳ゴックンは学者も日本坊主もアフォ過ぎる。
四諦は正しくは<苦諦・集諦・制諦・道諦>だ。
人から執着→渇望感を滅して無分別なら、娑婆では白痴入院・ナマポ生活で社会の迷惑だYO w
478 :
Classical名無しさん :2012/11/15(木) 01:36:35.70 ID:T5PcY37C
セレブという世界に憧れる。 底辺のリーマン、ビデオ店の店員、派遣社員、セールスマン、ロック歌手、プログラマー、 アニメーター、B級タレント、トランペッターなどには社会の仕組みはわからない。 それがわかるような鋭さがあれば、セレブになっているからだ。
http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron03a.htm 中論觀法品第十八
一切の心行は皆、是れは虚妄であり虚妄の故に滅するはずだ
諸法の実相は諸の心数法を出て無生、無滅であり涅槃のように寂滅の相だ!と
すべて一切は空である故に
「これが常住なものである」と言うような自性はない
この「すべてのものに自性はない」と言う事については、分別はない
それ故に
八聖道分を修習して、我、我所を滅する因縁の故に、無我、無我所を得て、智慧を決定する
諸の禅定の中で滅尽定(想受滅)を以って第一と為し終に無余涅槃に帰する
_ _ _
般若経の解説
http://www.dia.janis.or.jp/~soga/subindex.html 世尊は輪廻を説かれたのではなく、輪廻からの解脱を説かれた
世尊の時代、人々は(バラモンなどの)輪廻を信じていた
だから世尊は、(バラモンなどの)輪廻を方便として、正しい知恵を説かれた
あなたたちは、大きな激しい変化にばかり心を奪われたことだろう
「いつも」もまた無限の変化でできていることを、あなたたちは見なければならない
これまであなたたちは、(バラモンなどの)善行に励み、永遠ばかりを探してきた
だから、凝り固まり、ありのままに変化を見ることに慣れていない
無我を、縁起を、空を見ることがうまくない
あなたたちは、練習が必要だ
禅定に入ろうとする人は…
…この吐いて吸う大きな長い息を十数え、何度も繰り返し、なにも考えず、ただ息を数え続けます
空直接体験として理解する智慧に留まり続けて… 空を直接体験として理解する智慧に留まり続けて…
483 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/15(木) 18:29:47.09 ID:I+17Fw6E
>>472 >そんなことより、四諦はどーした。
四諦について解説いたします。
四諦といふのは、正しくは<苦諦・集諦・制諦・道諦>といふことなのだよ。
人から執着→渇望感を滅して無分別なら、娑婆では白痴入院・ナマポ生活で社会の迷惑になること。
このようで宜しいでしょうか?
四諦は重要であり、なおかつ仏教の根幹ではありますが、
私はそういうことより、もっと大事なことを語ちりたいのでふ。
また暇がありましたら書き込みします
484 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/15(木) 18:40:09.86 ID:I+17Fw6E
私は皆様のレベルが低すぎて、もう書く気にはなれんよ(苦笑 毎日の日課は、ニュー速+をロムること。 あの板はオモシロイね!(^^)! タイトル見ただけど、もうニッコリしちまうよ。 今、私はこの板に嵌っておるんです。 皆様の嵌ってる板はどちらですか? もし宜しかったら、私にも紹介してくださいね。 しかし、エロ関係は遠慮します。 もう歳なんで毒ですから(笑 では、おやすみ。
485 :
Classical名無しさん :2012/11/15(木) 21:59:42.26 ID:MdzS8wly
年寄りは心臓お大事に
487 :
Classical名無しさん :2012/11/15(木) 23:27:51.91 ID:RVozx/Bw
廃墟で恐いのは踏み抜き。
例えば 5階建ての廃墟で踏み抜きして落下して 廃墟探検している自分自身が未成仏霊になるとか
490 :
Classical名無しさん :2012/11/16(金) 01:50:32.71 ID:kY5xvOHo
いま、中世西洋人が東洋に来たというテーマの本を読んでて、 思考の前提があまりに違うのでびっくりするが、西洋人は基本的に今もそのように考えている。 たとえばタイタニックが沈むにしても真の信仰があれば海の上を歩けるというのが西洋の思考。 祈って海の上を歩けないのでタイタニックの乗客は助からないので西洋の思考は、突如1912年混乱したのだ。 で、その後の混乱で世界大戦二回。
491 :
Classical名無しさん :2012/11/16(金) 02:02:30.96 ID:+/2x3Jg0
>>488 死体か怪我人にしかならんよ。
踏み抜きにはもう一つあって、貧弱な靴底を踏み抜いて錆び釘が刺さる。
破傷風。
身体から魂が脱け出て幽霊として現れる
494 :
Classical名無しさん :2012/11/16(金) 02:15:50.30 ID:kY5xvOHo
日本がアメリカとかその他の西洋と80年代対立したのは、 彼らは宗教のある世界に住んでいたいのに、日本が科学的なものを西洋に輸出したのが大きい。 そこで彼ら西洋は日本に宗教的世界を作ろうとした。アフガンでもそうだ。 それがあれなんだ。あれとあれ。
495 :
Classical名無しさん :2012/11/16(金) 02:21:39.37 ID:kY5xvOHo
米は無宗教の人が1割しかいないので、それと日本人が交流するのはとてもとてもむり。 かならず数十年に一度の決裂がくる。
例えば 熱心な信仰者でも不幸な死を迎える場合もあるし 無信仰者でも幸せな死を迎える場合もある それは「信仰心の強さによって」ではなくて 縁起によって現れる 幽霊も縁起によって現れる
特に日本の場合は 「オウム事件」以降は更に宗教全般に対する批判が強くなっているかもしれない 例えば 「瞑想などを、うたい文句にするのはオウム信者に決まっている」などの批判とか
498 :
Classical名無しさん :2012/11/16(金) 02:41:32.75 ID:kY5xvOHo
テロ組織を監視しておくと安全というのはあるね。
499 :
Classical名無しさん :2012/11/16(金) 02:42:36.43 ID:kY5xvOHo
宗教は人を救う方向には むかいにくい。
501 :
Classical名無しさん :2012/11/16(金) 03:05:05.86 ID:kY5xvOHo
結局、法然・親鸞・禅のひろがりまでなかなか問題解決はなかった。 それまででは大河に出てた、信西がすごかったな。結果がすごいぞ信西。日本が別物になった。
502 :
Classical名無しさん :2012/11/16(金) 08:40:27.97 ID:2qnau0W4
宗教は人を救わない。 変な気にさせるだけ。
505 :
Classical名無しさん :2012/11/16(金) 12:38:24.94 ID:dkRRO7n0
>「アートマンは永久不滅 ・ 常住不変だっ!」 常住不変? 住み込みの万年平か?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%91 我は、常住であり
他との何らの関係をもたないで単独で存在することができるものと考え
それは働きのうえで自由自在の力をもつとした
この我によって人間生存は根拠付けられ、支配されていると考えるのである
釈迦はこのような実我観念を批判し
「我として認められるものはない」として、諸法無我と説いた
これを色受想行識の五蘊について説き
人間生存は無我である五蘊の仮和合したものであるから仮りの存在であると説いた
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%98%8A 「蘊」 (skandha) とは集まりの意味で
五蘊とは人間の肉体と精神を五つの集まりに分けて示したものである
この五蘊が集合して仮設されたものが人間であるとして
五蘊仮和合(ごうんけわごう)と説く
これによって五蘊(=人間)の無我を表そうとした
1).色蘊(しきうん) - 人間の肉体を意味したが、後にはすべての物質も含んで言われるようになった
2).受蘊(じゅうん) - 感受作用
3).想蘊(そううん) - 表象作用
4).行蘊(ぎょううん) - 意志作用
5).識蘊(しきうん) - 認識作用
http://reigaku.jugem.jp/?eid=424 瑜伽師地論(ゆがしじろん)の場合は
人が死ぬ時に
過去の長い間の経験により蓄積された
我愛が現起し
その力にうながされて
自己に愛著し
無始の時以来つづいてきた執着された
戯論(けろん)と
善悪(善でも悪でもないものも含める)業により
中有が形成される
そして、やがて
精子と卵子が結合する時に
中有が滅すると同時に
又、この世の生に戻り来る
511 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/17(土) 09:38:18.96 ID:Iweh/zZX
仏教議論スレより
________________________________
9 :神も仏も名無しさん:2012/11/16(金) 23:31:00.92 ID:lYMpKmiU
>>8 科学で空が解明出来ると思っているのかね?
ひょっとしてビギナーかな
________________________________
これには笑った。
________________________________
23 :神も仏も名無しさん:2012/11/17(土) 09:19:18.95 ID:IiTDDGcB
>>22 なんだ、遊びか
言葉を使う時、言い習わし通りに使わないのが、君の欠点だ
________________________________
これにも笑った。
仏教議論スレ49は、ギャグが満載かも知れんね。
議論するなら、もっと真剣にやったらどうか?
少し弛んどるわい。
>>484 机先生へ
> 私は皆様のレベルが低すぎて、もう書く気にはなれんよ
>>511 机先生へ
> 議論するなら、もっと真剣にやったらどうか?少し弛んどるわい
机先生は世俗の言葉が通じないのに
どのようにして「皆様のレベルが低い」とわかるのか?
机先生は世俗の言葉が通じないので
机先生本人が誰かと議論する事も出来ないんじゃなイカ?
____
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仏教議論スレッド49
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1353058780/43 43 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/11/17(土) 16:02:57.73 ID:u4A5gXgF [5/5]
人間にはある程度共通知識がないと伝えることができません
誰に何かを、どれほど伝えたいのか、それをきちんとわきまえてから
何事も書いた方がいいのではないでしょうか
_ _ _
机先生の場合 ↑ これをちゃんと理解した方が良いんじゃなイカ?
____
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515 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/17(土) 16:57:37.60 ID:Iweh/zZX
>>512 >机先生は世俗の言葉が通じないのに
>どのようにして「皆様のレベルが低い」とわかるのか?
>机先生は世俗の言葉が通じないので
>机先生本人が誰かと議論する事も出来ないんじゃなイカ?
これは失敬。
仏教議論スレッド49(43の書き込み)に
>そんなことはどうでもよく
>道元はこの言葉を一般人に伝えるために書いたものではないと思います。
>禅語は前知識がかなり必要で、とくに中国のお寺の歴史など、
>それが分かって初めて当人の自然な心境が流れ込んでくるものです。
>人間にはある程度共通知識がないと
>伝えることができません。
>誰にどれほど伝えたいのか、それをきちんとわきまえてから
>何事も書いた方がいいのではないでしょうか。
>かくすればかくなるものとしりながらということはあるでしょうが
このような書き込みがありますけど、
やはり禅宗系は禅宗系でないと、コミュニケーションは無理なんでしょうね。
私は「遊び氏」の書き込みはよく理解できるのですが・・・
遊び氏の書き込みを、他の方が読んでもチンプンカンプンなんでしょうね。
そこのとこが今回はよく分かったであります。
>>515 机先生へ
> やはり禅宗系は禅宗系でないと、コミュニケーションは無理なんでしょうね
> 私は「遊び氏」の書き込みはよく理解できるのですが・・・
> 遊び氏の書き込みを、他の方が読んでもチンプンカンプンなんでしょうね
机先生本人が 「 とんちんかんぷん 」 で おじゃる
517 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/17(土) 17:20:46.30 ID:Iweh/zZX
>>516 >机先生本人が 「 とんちんかんぷん 」 で おじゃる
そうでしたか。
禅宗といふのは
>>467 の
>@乗客は動いていない。→これは正解
>A第三者からすると、乗客は動いている。→これは正解。
この@の考え方であります。
一般的にはAの立場で議論しますね。
どうして禅宗は@の立場なんでしょう?
それは仏教は「一如の法門」だからです。
@はインド哲学(いわゆる仏教)です。
Aは西洋論理(いわゆる西洋哲学)ですね。
先ず禅宗は、西洋論理の矛盾から・・・それを指摘することから論を進めるのです。
これが「遊び氏」が書いた、
「矛盾でないものを矛盾で説明する」。ですね。
いやはや難しいこと書いてゴメソ。
>>517 机先生へ
禅宗といふのは
>>467 の
>@乗客は動いていない。→これは正解
>A第三者からすると、乗客は動いている。→これは正解
この@の考え方であります
一般的にはAの立場で議論しますね
どうして禅宗は@の立場なんでしょう?
それは仏教は「一如の法門」だからです
@はインド哲学(いわゆる仏教)です
Aは西洋論理(いわゆる西洋哲学)ですね
先ず禅宗は、西洋論理の矛盾から・・・それを指摘することから論を進めるのです
これが「遊び氏」が書いた
「矛盾でないものを矛盾で説明する」。ですね
いやはや難しいこと書いてゴメソ
_ _ _
この意味不明な文章によって
「我、我所を滅し尽くして、無我、無我所を得て、智慧を決定する」事が出来るのかしら?
この意味不明な文章は、まさに
http://wiki.livedoor.jp/turatura/d/%B5%BA%CF%C0 戯論(けろん)
仏道修行に役立たない思想や議論
519 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/17(土) 17:56:02.15 ID:Iweh/zZX
>>518 >この意味不明な文章によって
>「我、我所を滅し尽くして、無我、無我所を得て、智慧を決定する」事が出来るのかしら?
勿論そういうことです。
Aは簡単なことです。普通の人間の思考回路ですから。
しかし、
@は普通では思考の限界の範疇です。
その限界を超えることを「気づき」などという。
禅でいう頓悟ですね。
@とAの違いについて考察すると、業報や輪廻転生についてヒントがあるかもしれません。
http://archives.bukkyo-u.ac.jp/infolib/user_contents/repository_txt_pdfs/bukkyo95/BR095L017.pdf 佛教大学仏教学部論集第95号(2011年3月)
ウダーナヴァルガのギルギット写本
松田和信
udana-B (prose) Udanavarga 26.21,Pali Udana VIII.3 (prose)
比丘たちよ
生じたのではないもの、現れたのではないもの、作られたのではないもの、形成されたのではないもの、生起したのではないものがある
〔さらに一方〕生じたもの、現れたもの、作られたもの、形成されたもの、起こったもの、縁起したものがある
比丘たちよ
もし生じたのではないもの、現れたのではないもの、作られたのではないもの、形成されたのではないもの、生起したのではないものがないならば
『生じたもの、現れたもの、作られたもの、形成されたもの、起こったもの、縁起したものを離れること(出離)がある』と私は説かないであろう
ところが比丘たちよ
生じたのではないもの、現れたのではないもの、作られたのではないもの、形成されたのではないもの、生起したのではないものがあるから
だから『生じたもの、現れたもの、作られたもの、形成されたもの、起こったもの、縁起したものを離れることがある』と私は説く
522 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/17(土) 18:33:14.06 ID:Iweh/zZX
>>520 唐代の禅定というのは、今現在の日本人の意味する禅定と、
全くその意味合いが違うから、
禅定について少し勉強した方がいいかもね。
ここでは簡単には説明できない。
簡単に説明できないものを簡単に説明するとしたら、
坐禅といふ修行法を否定した、禅定という定義を構築したのが中国禅ざます。
私はボケておらんでつよ。
私がボケであると貴殿は認識しておるようですが、
それは貴殿の裁量の狭さから来ておるもんです。
「坐禅するこた〜ない」。といふのは、何も私の言説ではないのです。
どうか「禅定」につて、少し見識を広げたら良ござんす。
>>522 机先生へ
> どうか「禅定」につて、少し見識を広げたら良ござんす
机先生よりも
私【?】の方が
バラモン(ヒンドゥー)とか
仏教の南伝とか、北伝とか、チベット伝など
密教、唯識、根本仏典、中論、般若経の解説書など
これからも
幅広く勉強する予定で おじゃる
般若経の解説
http://www.dia.janis.or.jp/~soga/subindex.html 世尊は輪廻を説かれたのではなく、輪廻からの解脱を説かれた
世尊の時代、人々は(バラモンなどの)輪廻を信じていた
だから世尊は、(バラモンなどの)輪廻を方便として、正しい知恵を説かれた
あなたたちは、大きな激しい変化にばかり心を奪われたことだろう
「いつも」もまた無限の変化でできていることを、あなたたちは見なければならない
これまであなたたちは、(バラモンなどの)善行に励み、永遠ばかりを探してきた
だから、凝り固まり、ありのままに変化を見ることに慣れていない
無我を、縁起を、空を見ることがうまくない
あなたたちは、練習が必要だ
禅定に入ろうとする人は…
…この吐いて吸う大きな長い息を十数え、何度も繰り返し、なにも考えず、ただ息を数え続けます
_ _ _
禅定(瞑想)によって
今までのバラモンなどによる洗脳を滅し尽くして
無我を、縁起を、空を観察して
八聖道分を修習して、我、我所を滅する因縁の故に、無我、無我所を得て、智慧を決定する
と言う意味で おじゃる
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%88%E8%BF%A6 釈迦は鹿野苑へ向かい、初めて五比丘にその方法論四諦八正道を実践的に説いた
これを初転法輪(しょてんぽうりん)と呼ぶ
説法を聞くうちコンダンニャがすぐに悟りを得、釈迦は喜んだ
この時初めて、釈迦は如来(tathaagata、タター(ア)ガタ)という語を使った
すなわち「ありのままに来る者(タターアガタ)」「真理のままに歩む者(タターガタ)」という意味である
それは、現実のありのままの姿(実相)を観じていく事を意味している
初転法輪を終わって
「世に六阿羅漢(漢:応供、梵:arhant)あり、その一人は自分である」
と言い、ともに同じ悟りを得た者と言った
529 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/18(日) 13:29:38.64 ID:eXO8/v6x
>>523 >机先生が個人的に勝手に「坐禅するこた〜ない」と妄言を吹聴してるんじゃなイカ?
そんなこたぁないw
私は人生いろいろ経験してますから、貴殿の仰る禅定というも長らくやりました。
勿論、現在においても進行形であります。
そういう経験を経て、それを前提として書き込みしております。
貴殿の言ってるおる「禅定」といふのは、日本流に言えば静中禅のことかと思います。
勿論それも大事ですけど、それより大事なのは、日本禅にしても道中禅を重要視します。
僧堂の規律が厳しいのも、これは納得いくかと思います。
南宗禅は、慧能以来この動中禅を重要視してきたのでありんす。
私にしても、この法灯を鑑み、以来この修行法を生活の導としております。
これは、
静中禅をやってきたから言えることでして・・・
禅の階梯にしても、先ず静中禅が基本になることは言うまでもありませぬ。
そして少しずつ分かってくるのです。
「分かる」といふのは経験するから「分かる」です。
分かってきて、それで人間的にも成長し、それからアカデミークラスへと
一歩づつ駒を進めるのです。
そういう段階を経ねば、「坐禅するこた〜ない」の真意など分かるはづもないのです。
どうかこういうことですので、文意をそこまで汲み取るのが肝要かと・・・
http://sankei.jp.msn.com/world/news/121118/chn12111812540002-n1.htm 「北京の街」世界遺産目指す 中国、731部隊跡も 2012.11.18 12:52
18日付の中国各紙によると
中国国家文物局は17日、世界文化遺産登録を目指す45件のリストを発表した
故宮(紫禁城)を含む北京中心街一帯や
旧日本軍が細菌兵器の開発・実用化を目的に設置した旧関東軍防疫給水部(731部隊)跡地が入った
現在の北京の原型は明代につくられた
南北約8キロの中軸線に左右対称に広がる街全体を登録候補とした
北京市は登録に向け
旧市街の外壁や故宮を囲む壁にあったれんが造りの城門など約100件の建造物の再建・修復を進めている
731部隊跡地は黒竜江省ハルビン市にあり、2002年に申請が計画された
10年に約3千人の被害者名簿が公表されたのを受け、申請の動きが加速されたという
http://ja.wikipedia.org/wiki/731%E9%83%A8%E9%9A%8A 731部隊
第二次世界大戦期の大日本帝国陸軍に存在した研究機関のひとつ
正式名称は関東軍防疫給水部本部で
731部隊の名は、その秘匿名称(通称号)である満州第七三一部隊の略
このような通称号は日本陸軍の全部隊に付与されていた
初代部隊長の石井四郎(陸軍軍医中将)にちなんで石井部隊とも呼ばれる
満州に拠点をおいて、防疫給水の名のとおり兵士の感染症予防や
そのための衛生的な給水体制の研究を主任務とすると同時に
細菌戦に使用する生物兵器の研究・開発機関でもあった
そのために人体実験や実戦テストを行っていたとされる
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%85%E5%AE%9A 禅定
心を統一して瞑想し、真理を観察すること
またそれによって心身ともに動揺することがなくなった、安定した状態を指す
坐禅や止観の止行であるサマタ瞑想で禅定を得ようとする
仏教においては、涅槃に至るために禅定に勤しむ教派が多く、禅定を得る止行に対して、観行も重視される
サンスクリット語の dhyaana の音写である「禅」と、その意訳した「定」の複合語で、三昧と同義語である
また、禅定によって心を乱されない力を定力または禅定力と呼ぶ
禅那 (Dhyāna) は「禅定」と訳され、真理を思惟して散乱の心を定止することを指している
阿含経典では、この状態に至る過程には、まず初禅から第四禅までの4段階があるとしている
これが「四静慮(四禅)」である。次に空無辺処・識無辺処・無所有処・非想非非想処の4段階があるとする
これが、「四無色定」であり、さらに九次第定、百八三昧とつづく
また、「戒・定・慧」と言われるように、仏教においては戒律を守ることと禅定と智慧とはセットになっている
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A2%E8%A6%B3 止観
仏教の瞑想のことである
サンスクリット語から「奢摩他(サマタ)・毘鉢舎那(ビバシャナ)」と音訳されることもある
一般的な意味としては「禅」、あるいは坐禅(座って行う瞑想)と同義である
ただし
明確には禅という用語は梵語の音写である禅那(ゼンナ)を縮めたものであり定(じょう)・静慮と訳され
仏教での位置づけと一般での理解とはずれが存在する
仏教では瞑想を「止」と「観」の二つに大別する
止(サマタ瞑想)とは、心の動揺をとどめて本源の真理に住することである
観(ヴィパッサナー瞑想)とは、不動の心が智慧のはたらきとなって、事物を真理に即して正しく観察することである
このように、止は禅定に当たり、観は智慧に相当している
「止」だけでなく「観」を重視するところに、仏教の瞑想法の特徴がある
関連項目
坐禅
瞑想
ヨーガ
ヴィパッサナー瞑想
サマタ瞑想
http://www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/kenkyu1/fl-shokibukyo/shoki-soujumetu.htm 四禅を超えて想受滅(滅尽定)
原始仏教では「四禅三明」の教説、あるいは、単に「四禅」の教説が広く説かれている
「四禅」の後に、さらに、無色界の四処定(空無辺処、識無辺処、無所有処、非想非非想処)を説明することが多い
想受滅(滅尽定)は、それをも超えた位置に置かれていて、この想受滅の直後に「解脱」するとされる
「想受滅(滅尽定)」を出た直後に解脱するとするが、経典によりその効果の説明が多少異なる
(A)四禅、四処定、想受滅(滅尽定)の後、「彼の智によりて見て、漏は滅尽されたりと知る」
(B)四禅、四処定、想受滅(滅尽定)の後、「彼の智によりて見て、漏は滅尽されたりと知る」が、さらに「是、知見より一層上妙なる法なり。」
(C)生物的な意味の死者と、想受滅(滅尽定)を経験している覚者との相異
死者には、身行、口行、心行が滅し消える、壽と煖がやみ、諸根が敗壊す
しかし、覚者は、身行、口行、心行が滅し消えるが、壽と煖はやまず、諸根は浄静である
(D)四禅にもとどまらず、四処にもとどまらず、非想非非想処も捨てて、想受滅(滅尽定)を成就する
(A)は、漏、すなわち、煩悩の滅盡している自己の根源を見る体験をする
漏の滅尽ということから、「滅尽定」とも言う
解脱は、漏の滅尽をもって完成とされた
(B)は、解脱が、教説などを論理的に思惟・理解するものではなくて、一種の直覚体験によるものであることを言う
原始仏教は、知見よりも、それを上であるとしていた。この想受滅による智慧の獲得を「心材」とし、「不動の心解脱」としている
(C)は、想受滅においては、その呼称のごとく「想」と「受」が滅するのであるが、覚者と死者の違いをいう
覚者は死者と違って、いのち、あたたかさがあり、諸根(眼耳など)の働きはあるが、心作用のうち受、想、行が滅している
(D)は、ほとんど念がおこらないような澄み切った禅定の境地もまた、解脱ではないので、そこに執著することを捨てよという
そこにも執著せずに、坐禅工夫をしていると想受滅(滅尽定)に達する
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98 唯識
実践の段階において、「ただ識別のみ」ということにこだわってはならない
認識活動が現象をまったく感知しないようになれば、「ただ識別のみ」という真理のなかに安定する
なぜなら、もし認識対象が存在しなければ、それを認識することも、またないからである
それは心が無となり、感知が無となったのである
それは、世間を超越した認識であり
煩悩障(自己に対する執着)・所知障(外界のものに対する執着)の二種の障害を根絶することによって
阿頼耶識が変化を起こす(転識得智=てんじきとくち)
これがすなわち、汚れを離れた領域であり、思考を超越し、善であり、永続的であり、歓喜に満ちている
それを得たものは解脱身であり、仏陀の法と呼ばれるものである(大円鏡智=だいえんきょうち)
修行の階梯
唯識では成仏に三大阿僧祇劫(さんだいあそうぎこう)と呼ばれるとてつもなく長い時間の修行が必要だとされる
その階梯は
資糧位(しりょうい)、加行位(けぎょうい)、通達位(つうだつい)、修習位(しゅうじゅうい)、究竟位(くきょうい)
の五段階である
転識得智
修行の結果悟りを開き仏になると、8つの「識」は「智」に転ずる。これを転識得智(てんじきとくち)という
1).前五識は成所作智(じょうしょさち)に
2).意識は妙観察智(みょうかんざつち)に
3).末那識は平等性智(びょうどうしょうち)に
4).阿頼耶識は大円鏡智(だいえんきょうち)に転ずるとされている
538 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/18(日) 16:12:21.06 ID:eXO8/v6x
>>532 >心を統一して瞑想し、真理を観察すること
真理を観察することは、もしかしたら良いことかも知れんね。
しかし真理を観察し過ぎることは、もしかしたら悪いことかも知れん。
その程度自体が問題かも知れんです。
真理を観察し過ぎて、かの仏教議論スレの連中みたく
朝から晩まで(ときには24時間も)、輪廻転生がどうとか、輪廻転生がこうとか、
輪廻転生がなければ死んだ方がまし、とか、
そんなことを観察すると・・・普通はアタマが狂うんと違いますか?
既に狂ってる御仁もおるようだけど、アタマが狂うのと、真理を解明するのと、
貴殿はどちらが大切なのですか?
アタマが狂うというのは、それだけで生きていくのが大変苦しいのです。
それはもう死んでしまいたい程に苦しいのですよ。
どうか苦難の人生を歩むよりも、ハッピー人生を歩んでください。
これだけは私は断言いたします。
輪廻転生の事案は、死ぬまで分からんのです。
そう、釈尊は言うておるんだから間違いないのです。
釈尊も分からんもんが、市井の人間に分かるはずもなかろう?
540 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/18(日) 18:50:08.10 ID:eXO8/v6x
仏教議論スレより ___________________________ 98 :神も仏も名無しさん:2012/11/18(日) 17:46:04.33 ID:dcXykuNF しかし・・・・ 重大な問題が存在する ・・・・ 釈迦の教えを誰も証明できない ・・・・ 魂の存在そのものも証明できないし イコール輪廻も証明できない ・・・・ それは空想? 彼の主張する理論は空想にしてはつじつまがあいすぎている・・・ ならば真実? 真実といえども証明は出来ない 証明ができないのなら・・・・・・ 何でもありじゃないの?・・・・オウムのように ・・・・ 証明できないことを主張している者に対して我々はどのように理解することが大切なのだろうか? 証明とは現代に生きる人間にとって常識を翻弄する宗教に対する わずかばかりの命綱ではないのか? それを捨て去ってしまったら真実の追求は終わるのではないか? ・・・・ 真実を追求することは絶壁に挑む登山家と同じ境遇なのかもしれない? ____________________________ この方は、輪廻転生を考えるあまり、もう狂ってるではないか!! 気をつけてください。こうならない為に。
仏教議論スレッド49
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1353058780/99 99 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/11/18(日) 18:29:24.21 ID:jRy8AYBQ [1/4]
神にしても霊魂にしても、個人個人の心の中で出会う以外にない
釈迦はそのための方法を教えた。縁起の理法、十二支縁起(特に逆観)
四諦八正道、それから瞑想(坐禅)である
これらが月を指す指であり、月そのものは自分で体験する以外にない
経典をいくら研究しても、悟りを体験したことにはならない
544 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/19(月) 11:23:10.16 ID:AYBO8UO9
>>542 >これらが月を指す指であり、月そのものは自分で体験する以外にない
月というのは仏教でいう真理を象徴的に言いあらわしたものなのだが、
それは比喩に過ぎんのですよ。
輪廻転生がどう、とか、輪廻転生がこう、とか、そういうもんは
あまり無意味なことなんです。
どうして無意味なことか?というのは、それは悟ってみると分かるもんです。
禅語に脚下照顧というのがあってな、
これは先ず自分の足元から見つめ直せ。ということを意とする。
自分のことも分からんで、輪廻転生が分かるはずはない。
道元の「己に習うべし」ということは、この脚下照顧のことだね。
>経典をいくら研究しても、悟りを体験したことにはならない
その通りです。悟った人間は、先ず輪廻転生のことは黙するんです。
何故か?それはあまりにも戯けた話だからです。
あまり輪廻転生のことばかり考えてると、精神病が悪化するから、
それは注意した方が良いかもしれんね。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/28.html buddha @ ウィキ
龍樹菩薩は輪廻を説いた
それこそが存在の輪、しかし、何度も経巡る
存在は欲界、色界、無色界と言われる
それらは留まることがないから輪(円環)である
そこを世間の凡夫は経巡る
「しかし」という言葉は定まらないことを示す意味である
恰も輪が順番に回るように三界に順番に生まれるのではなく
(何処に生まれるか順番は)定まっていないことを示している
問う。もし、そのようなら、では、この世からあの世に何が行くのか?
答える。この世からあの世に微細な原子すら移らない
けれども、他ならぬ空なる諸法から
空なる諸法が生起するにすぎない
自分と所有物がない法である煩悩と業という因である空なる五つから
自分と所有物がない苦と言われ果と仮設される空なる七法が生起するという意味である
これはこう(経典)に
「自分と所有物がなく、それら相互に自分と所有物ではない
けれども、本質(自性)が無我な諸法から本質(自性)が無我な諸法が生起する
そのように精通すべきである」
と示されるのである
548 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/19(月) 17:56:47.20 ID:AYBO8UO9
>>546 >
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/28.html >buddha @ ウィキ
ああ、これか・・・
これは一代氏が貼り付けるサイトだろうよ(苦笑
このサイトは私が論破済みなんだよ。
こんなサイトに騙されるのは、騙される人間も悪い、ってことです。
私は中論については懇切丁寧に一代氏に解説してます。
それをどう受け止めるか?は、その人の裁量ですね。
カルトに騙される人間は・・・そのような裁量しか無い。ってこってす。
人間、賢く生きらねば、誰かに利用されるだけです。
つまり人生とは厳しいものです。
どうか般若波羅蜜多を会得してください。
さすれば一切が解明される。
>>548 机先生へ
> これは一代氏が貼り付けるサイトだろうよ
> このサイトは私が論破済みなんだよ
机先生の「とんちんかんぷん論破」だと世俗の人は理解できないんじゃなイカ?
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552 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/20(火) 08:41:39.65 ID:42NVcFh0
仏教議論スレより
__________________________________
148 :1/2 幻? 大滝秀治:2012/11/19(月) 16:48:38.15 ID:HGszbOPF
>>131 >空は、xである、xでないというような、何かを主張、設定するような見方は幻だってことを示している。
スルーしようと思ったが、大切なところだから一言。
上記は間違い。幻ではない。
『如し』であって虚妄だとはいっていない。
如く⇒仮設=仮観だと設定している。
大食漢を『牛のように食う』とメタファーで言っても、大食漢を牛だと言っているわけではないことと同じである。
オイラ氏の「幻論」では悪取空観だ→中論24-11・12。
単なる仮観(分別)と純空観(無分別)から離れた、覚悟者の娑婆で生きる道<中道中観>(無分別の分別:中論24-18:七仏通誡偈など)に相応しくない。
たとえばxを人間だとしよう。
人間『幻』観と業報輪廻転生論のドッキングで *(『空なるものから空なるものが生じる』とするオイラ氏の論がまさにそうだが)
人間はカルマというデータベース付きの幻にすぎないのだから、気軽に始末して悪カルマを減らしてやることは善行⇒回向だ!
というオウム的【ポア】思想となりかねないのだ。
___________________________________
これは非常に重要な書き込みです。
(つづく)
553 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/20(火) 08:51:16.79 ID:42NVcFh0
(つづき) 私が一代氏を論破したには、実はこの箇所でありますね。 一代氏の中論解釈は、戯論寂滅だけど終わってる。 このことを遊び氏は指摘しておる訳でありまして、 戯論寂滅は勝義締への悟入としての論理構築の重要な部分ではありますが、 ここをどう突き抜けるか?これが最も重要であり、 中論論旨の核になるところで御座います。 遊び氏と一代氏の決定的違いというのは、つまりこれなんですね。 ようするに、悟った人間と、悟ってない人間の決定的違いのことであります。 これを解決するのは、どうしても悟入が必須です。 遊び氏は悟っておられますね。 遊び氏は、これからも宗教板で活躍してもらいたいものです。
555 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/24(土) 07:51:58.84 ID:WYzzMRkN
仏教議論スレより __________________________________ 436 :神も仏も名無しさん:2012/11/23(金) 19:01:45.87 ID:MiqyN0Bu 一切が苦なら、苦そのものが観念できない。一切が黒なら色の観念はない。 矛盾(苦⇔楽、黒⇔白)と分別と執着があって、はじめて苦があり、黒がある。 一切が楽なら、楽そのものが観念できない。一切が白なら色の観念がない。 矛盾(苦⇔楽、黒⇔白)と分別と執着があって、はじめて楽があり、白がある。 その意味で、一切皆苦は逆説的な無分別の悟り=縁起の現観⇒涅槃寂静である。 __________________________________ そうです。これが正しい。 (つづく)
556 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/11/24(土) 07:52:50.05 ID:WYzzMRkN
(つづき) この「無分別の悟り」といふ法脈こそ、中国禅より流れておる禅の骨格であります。 即心即仏も非心非仏も二相における「無分別の悟り」であり、これを円相の位相とか言ったりする。 観念できないもんを仏などと観念しちまうから、だったら観念しちまうのを滅してしまえ。 つうのが、つまり「仏に出おうたら殺してしまえ」になる。 ようするに、仏というのは対象化できない。 対象化できないもんを、対象化しちまう如来像思想(密教)と禅では、ここで全く考え方が違ってくる訳で、 仏教でも、これほどまでに違うというのを認識する必要があろう。 ところで、 私は宗教といふのは、害毒が多すぎるかと思うね。 決しって子供には宗教の話はしない。 もし、あえて子供に宗教の話をするなら、禅宗が良いかもしれんね。 これは禅宗ならカルトに対処できるからだよ。 まあ、禅宗というのは奥が深いから・・・・ そこまでの菩提心があったら、の、話だけどね。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/121118/chn12111812540002-n1.htm 「北京の街」世界遺産目指す 中国、731部隊跡も 2012.11.18 12:52
18日付の中国各紙によると、中国国家文物局は17日、世界文化遺産登録を目指す45件のリストを発表した
故宮(紫禁城)を含む北京中心街一帯や、旧日本軍が細菌兵器の開発・実用化を目的に設置した旧関東軍防疫給水部(731部隊)跡地が入った
現在の北京の原型は明代につくられた
南北約8キロの中軸線に左右対称に広がる街全体を登録候補とした
北京市は登録に向け、旧市街の外壁や故宮を囲む壁にあったれんが造りの城門など約100件の建造物の再建・修復を進めている
731部隊跡地は黒竜江省ハルビン市にあり、2002年に申請が計画された
10年に約3千人の被害者名簿が公表されたのを受け、申請の動きが加速されたという
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52108830.html どうする?2012年「終末の日」を信じる人々の聖地、フランス・ビュガラッシュ山が緊急封鎖
フランス南部ピレネー山脈にほど近い場所に位置するビュガラッシュ山のある小村ビュガラッシュに
古代マヤ暦に基づいた2012年12月21日地球滅亡説を信じる人々が「ここが最後の聖地」であると
大挙して押しかけたというニュースは、昨年1月に報じられていたが
世界滅亡とされる日まであと1ヶ月となったところで、地元当局は、混乱を避けるためという名目で、山への立ち入りを禁止した
世界が終わる前にこの山へ逃げこもうと計画していた人々の希望は打ち砕かれてしまった形となる
「古代マヤ暦の長期暦が終わる2012年12月21日に「世界が終末を迎える」にあたり
ビュガラッシュ山の山頂が開いて異星人の乗った宇宙船が現れ、山頂付近にいる人間を滅亡から救ってくれる」
こんなうわさが昨年からまことしやかにささやかれはじめた
それを信じる人々が人口200人ほどの小さな村に押し寄せ、村の人口をはるかに上回ってしまった
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0926&f=national_0926_028.shtml 【シンガポール】SARSに似た新種ウイルスに警戒 2012/09/26
保健省(MinistryofHealth/MOH)は国内の病院に対して、新種のウイルスへの警戒を呼びかけている
英国でこの新種ウイルスの感染例が報告され、世界保健機関(WHO)から警戒が出されていた
このウイルスは呼吸器感染症と腎臓疾患を起こすコロナウイルスとの関連があり
シンガポールでも2003年に流行した急性新型肺炎SARSに似ているという
9月7日、英国の病院に入院したカタール人男性から検出され
男性はまだ重体の状態が続いている。このウイルスは今年初め
サウジアラビア人の患者からも検出されており、この患者は死亡した
国連の保健機関によると、これら2例の関連性やウイルス伝染の証拠もないという
保健省は、新しい情報が発表されるまでは特に対策をとる必要性はないとしている
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=1125&f=national_1125_014.shtml 新型冠状ウイルス患者が6人に、うち死亡者は2名=WHO 2012/11/25(日) 17:33
世界保健機関(WHO)は23日、新型冠状ウイルスに感染した患者が新たに4人増え、うち1人が死亡した
これで、実験室で確認された新型冠状ウイルス患者は6人になり、死亡者は2人になったと発表した。中国国際放送局が報じた
報告では
「新たな患者のうち、3人(死亡者含む)はサウジアラビア人で、もう1人はカタール人だ。この前の病例もこの2つの国で発生したものだ」
と明らかにした
WHOは「より多くの情報を把握するまで、新型冠状ウイルスの感染がこの2つの国に限ったものだと仮定しないでほしい」としたうえで
「重症な急性呼吸器感染に対して、すべての加盟国が引き続き観測するとともに、原因不明の肺感染症患者に対しては
サウジアラビア人やカタール人でなくても、新型冠状ウイルスの検査を行う必要がある」として注意を促した
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%AE%E3%83%A5%E6%B4%BE カギュ派は、チベット仏教の4大宗派の1つ。
11世紀ころのチベットへの後伝期に翻訳されたタントラに主として従う、サルマ派(新訳派)に属する。
開祖はマルパ訳経師(マルパ・ロツァワ)と弟子のミラレパであり、
ミラレパ以来の伝統として「レパ」と呼ばれるヨーガ行者が白い綿衣を身に纏うことから古くは「白派」と漢訳された。
後期密教の代表的な経典の一つである「勝楽タントラ」(チャクラサンバラ)を依経として、
具生智(くしょうち:本来持っている智恵、密教の本覚の智恵)の体得と理解を説く「マハームドラー」(大印契)を最奥義とする密教の教義、
成就法の分類方法が古派や他派と異なる。
11世紀頃にインドへ留学し、かって「ナーランダの六大師」と称された大成就者ナローパに師事したマルパ訳経師と、
その弟子でチベットの宗教詩人としても有名なミラレパを宗祖とする。
マルパの法流は伝授の際の夢で予言された「四柱八脚」として、四人の弟子と八人の孫弟子が有名だが、
実質的にはミラレパの弟子となった出家者のガムポパ(タクポ・ラジェ)によって大成された。
金剛総持を主尊とし、「マハームドラー」という大成就法が知られる。
インド後期密教を直接伝えるために無上瑜伽タントラ的要素が強く、チベット仏教の中でも最も密教色が強いと言われる。
また、創成期は僧院に集う出家僧よりも、在家の行者を担い手として発展してきた。
多くの支派に分かれている。現在最も主流となっているカルマ・カギュ派は化身ラマ(転生活仏)制度を創始した。
これは後にゲルク派やその他の宗派にも採り入れられた。
かつてはチベット仏教界に支配的な勢力を持っていたが、
ゲルク派政権(ガンデンポタン)にその座を譲ったのちは、カム地方やブータンなどに勢力を確保した。
最近あまり見えませんが規制解除になったんでしょうか ところで 9÷0= の答えを教えて下さいm(__)m 出来れば何故そうなるかも
仏教議論スレッド50
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1354036426/258 机先生は此処へ↑お出掛けしている おじゃる
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BC%E3%83%AD%E9%99%A4%E7%AE%97 テーブルの上に、10個のリンゴがある
テーブルの上の、10個のリンゴを 0人で分けるとする
誰もテーブルの上からリンゴを持って逝ってないので
10÷0=テーブルの上には、10個のリンゴがある(←そして最終的には腐ってしまう)
↑ これが究極の数学理論で おじゃる! そして、これが究極の『縁起の法則』で おじゃる ジャマイカ?
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569 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/12/03(月) 11:43:28.97 ID:HjC4OI3S
570 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/12/03(月) 12:18:13.83 ID:HjC4OI3S
日本橋梁 前場引け値が368円の76円高です。
出来高が、驚くべき4千万を突破してますから、
これで信用の買残もかなり整理されてきたかと思います。
後場はストップ高張り付きで間違いないですね。
オマケに今日は月曜日ですので、
今週中は安心してホールドできる。という好条件です。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121202-00000093-jij-pol 安部総裁のコメントです。
つまり橋梁関係は「買っとけ」というサインなんですね。
「選挙資金にするから、おまえらは提灯つけろ」。
というサインなんですよ。
そういうことを読んで、それでプロは買うのです。
ニュースも深読みしないと相場は張れんですね。
571 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/12/04(火) 09:23:02.03 ID:kaKPfm9D
572 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/12/04(火) 09:30:32.96 ID:kaKPfm9D
(つづき) 仏教議論スレで、毎日毎日輪廻転生のことを考えてますと、 既に君らは、労働意欲さえ失っていると推測してます。 それでニートせざるを得ないのでしょう?分かっております。 ここは何時も親に世話になってることへの感謝の気持で、 大金を親に献上してください。 いわゆる君たちの「善行を積む」というやしです。 どのくらいの善行を積めるか? これは勝負です。 君たちの健闘を祈ります。
579 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/12/05(水) 08:20:46.90 ID:gVMj4fMm
大滝先生が書いた↓これが全てなんですよ。 >仏は矛盾なきを矛盾のうちに説く(無分別の分別) 何が矛盾であって、何が矛盾でないのか?、これさえ解せれば殆ど悟入です。 つまり世俗締の矛盾ですね。 その矛盾において勝義締を説くのであります。 これを大滝先生は掲示板に書いておるんです。 一代氏は戯論寂滅を必死になって掲示板に書き込みしてますがね、 しかしそもそも戯論寂滅といふ意味が分かっておらんのです。 分かっておれば仮設(仮説)の意味も解せるんですが・・・ まだまだ一代氏はそこまで至ってないのであります。 ちなみに、私と大滝先生は対論する必要性は全くないのです。 それは殆ど彼の書き込みは私に通じてますからね。 つまりですね、悟入した者同士しかこれは通じないのですよ。 禅においてこれを以心伝心などといふ。 拈華微笑ですね。
大日経住心品講讃 / 松長有慶(著) / 大法輪閣(2010/02) 247ページ 秘密王よ 初心でもある浄菩提心が、成仏の因であると、仏はお説きになられた この浄菩提心を具えた菩薩は 業や煩悩から離れていると同時に業や煩悩を具え持つ という二面性を説く _ _ _ 270〜271ページ 第一番目は、即空の幻で 五蘊が実在であると固執する考えを退ける為に十縁生句を観ずる 第二番目は、即心の幻で 阿頼耶識が実在すると固執する考えを退ける為に観ずる 第三番目は、不可思議の幻で 一切の煩悩から離れてはいるが 一方で業と煩悩を具え持つ不可思議な幻である 世俗と真理の両世界にありながら、両世界を離れる為に観ずる
− 問い − 勝利を得た征服者は言った 何であれ見せかけのものは偽りである 部分と原因で構築されたもの(有為)はすべて 見せかけのものである したがってそれらはすべて偽りである(中論13-1) − 答え − 見せかけのものがすべて偽りなら 何が欺いているのだろうか 勝利を得た征服者はこれについて そのものの空性こそが完全に真実だと述べている(中論13-2)
依存的にともに生じたものは何であれ それが空として説明されるものである 依存的な名称であるというそのことが それ自体が中観なのである(中論24-18) 依存的に生じない何らかのもの そのようなものは存在しない したがって空でないものは 存在しない(中論24-19)
内的にであろうと外的にであろうと 「私」と「私のもの」という観点が消滅するとき 自己に固執する者(取著)は消滅する これが消滅すると、誕生することも止まる(中論18-4) 行為〔カルマ〕と苦悩(煩悩)が消滅したところに涅槃がある 行為〔カルマ〕と苦悩は概念的思考から生じてくる これは心的に作り出されたもの(戯論)に由来するのである 作り出されたものは空性によって消滅する(中論18-5) ブッダによって自己は存在すると説かれた また無我であるという教義も説かれた 同様に自己も非自己も存在しないという 教義(法)も説かれた(中論18-6) 言葉が表現しているものは実在でないものである 思考の領域は実在ではないものである 涅槃のように、生じたものでもなく、消滅したものでもない というのが 事物の性質なのである(中論18-7)
http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron03a.htm#観法品第十八 中論觀法品第十八
若し、『我』は、是れが、『五陰』ならば、『我』は、即ち、『生滅』だ!
『我、我所』を『滅する!』が故に、『無我の智を得る!』と名づける
『無我の智』を、『得た者』は、是れを、則ち、『実観』と名づける
『内外』の、『我、我所』を、『滅し尽くし』て、『無い!』が故に
『諸受』は、即ち滅せられ、『受』が滅すれば、則ち、『身』も滅する!
『業、煩悩』が滅するが故に、之を、『解脱』と名づける!
『業、煩悩』は、『実』でなく、『空』に入れば、『戯論』が滅する!
『諸仏』は、或は、『我』と説かれ、或は、『無我』と説かれるが
『諸法』の、『実相』中に、『我』は無く、『非我』も無い!
『諸法』の、『実相』は、『心行』と、『言語』が断じて、『無生』にして
亦た、『無滅』、『寂滅』して、『涅槃』のようだ!
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama13.pdf − ブッダ −
勝利を得た征服者は言った
何であれ見せかけのものは偽りである
部分と原因で構築されたもの(有為)はすべて
見せかけのものである
したがってそれらはすべて偽りである(中論13-1)
− 反論者からの問い −
見せかけのものがすべて偽りなら
何が欺いているのだろうか
− ブッダ −
勝利を得た征服者はこれについて
そのものの空性こそが完全に真実だと述べている(中論13-2)
− ブッダ −
すべての事物は実在(性)を欠いている
だからこそ変化が知覚されるのである
− 反論者からの問い −
実在を除いては何も存在しない
なぜならすべての事物が空性を持っているからである(中論13-3)
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama13.pdf − ブッダ −
すべての事物は実在(性)を欠いている
だからこそ変化が知覚されるのである
− 反論者からの問い −
実在を除いては何も存在しない
なぜならすべての事物が空性を持っているからである(中論13-3)
− 反論者からの問い −
もし実在(性)が存在しなかったら
何が変化するのだろうか
− ブッダ −
もし実在するものがあるのなら
何かが変化するということはどのように正しく主張でかるのだろうか(中論13-4)
_ _ _
「ブッダなら ↑ このように答えるであろう」という龍樹の説明
//home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama13.pdf 勝利を得た征服者は言った 何であれ見せかけのものは偽りである 部分と原因で構築されたもの(有為)はすべて 見せかけのものである したがってそれらはすべて偽りである(中論13-1) − 反論者からの問い − 見せかけのものがすべて偽りなら 何が欺いているのだろうか − この問いに対して − 勝利を得た征服者はこれについて そのものの空性こそが完全に真実だと述べている(中論13-2) //home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama24.pdf 依存的にともに生じたものは何であれ それが空として説明されるものである 依存的な名称であるというそのことが それ自体が中観なのである(中論24-18)
http://www.cnn.co.jp/world/35020846.html アジアで成人の免疫不全症候群、HIVは関与せず 米国立衛生研究所
2012.08.24 Fri posted at 12:16 JST
(CNN)
エイズのような症状がでる新種の疾患が主にアジアで見つかっているとして
米国立衛生研究所(NIH)が23日の米医学誌ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシンに論文を発表した
仏教議論スレッド50
http://mimizun.com/log/2ch/psy/1354036426 880 :ウダーナと中論 大滝秀治:2012/12/06(木) 14:06:04.75 ID:QcG5eZFZ
ホントに中論は編集がヘタだ。ムチャムチャなところが多い。難解なのは編集のヘタさが原因のひとつだ
例えば中論第13章は、24-18との関係からクイズめいた結果になっている。これでは速読できない。困ったもんだ
戯論の生滅どころか、妄想戯論をやらざるを得なくなるようなハチャメチャ構成だ
責任者、出て恋
『「およそ<執着されたもの>は虚妄である」と世尊は説き給うた
そして、すべての<形成されたもの>(一切行)は<執着されたもの>である
故に、すべての<形成されたもの>(一切行)は虚妄である。』(中論13-1)
『もしも、およそ<執着されたもの>が虚妄であるならば、そこにどんな得るところがあろうか。(なにも得るところはない)
このことはブッダによって説かれたが、それは「一切は空である」ということを明らかにするためである。』(同13-2)
仏教議論スレッド50
http://mimizun.com/log/2ch/psy/1354036426/880-1002 881 :*1/2一切行(無常)は虚妄か(中論13章) 大滝秀治:2012/12/06(木) 14:11:57.77 ID:QcG5eZFZ
中論13-1・2内容は簡単だが、この両偈ともに龍樹のものとみる論者が多いらしい
しかし、アタシが観るところ、当然反対者の偈でしょ
世尊が説き給うたのは「およそ<執着されたもの>は虚妄の“如く”である」=仮観であって
(大智度論初品中十喩釈論第十一、中論7-34、金剛般若経32、など参照)、「虚妄である」『虚妄で空で』は明確に間違いです
これでは「一切は空である」が悪取空観となってしまう(⇒中論13-8、24-11・12)
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama13.pdf 勝利を得た征服者は言った
何であれ見せかけのものは偽りである
部分と原因で構築されたもの(有為)はすべて
見せかけのものである
したがってそれらはすべて偽りである(中論13-1)
「およそ執着されたものは虚妄である」と世尊は説き給うた
そして、すべての形成されたものは執着されたものである
故に、すべての形成されたものは虚妄である(中論13-1)
− 反論者からの問い −
見せかけのものがすべて偽りなら
何が欺いているのだろうか
− この問いに対して −
勝利を得た征服者はこれについて
そのものの空性こそが完全に真実だと述べている(中論13-2)
− 反論者からの問い −
もしも、およそ執着されたものが虚妄であるならば
そこにどんな得るところがあろうか(なにも得るところはない)
− この問いに対して −
このことはブッダによって説かれたが
それは「一切は空である」ということを明らかにするためである(中論13-2)
600 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/12/12(水) 18:29:55.68 ID:yfeusN5L
仏教議論スレより
___________________________________________________________________
175 :神も仏も名無しさん:2012/12/11(火) 22:35:37.85 ID:QwHXlUnN
>>111 色即是空即是色 大滝秀治さんへ
質問があるので ↓ こちらへ
宗教と精神疾患3
//uni.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1348897577/l50
文字数量制限規制で
長い文章を書き込む事が出来ないので ↑ こちらへ宜しくお願い致します
_________________________________
大滝先生が熱心に書いても、かの連中には馬耳東風なんだね。
大滝先生は「因果に落ちてはいかん」と言うとんのです!!
そういう書き込みの真意が、かの連中のは意味が通じんのでふ。
私は長年宗教板でコテをやってきましたけど、ああいう連中と付き合うと
アタマがいかれてくるような感じさえあるのです。
せっかく眼が半開きになったというのにね、
なんだかメクラになりそうですよ(苦笑
601 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/12/12(水) 18:43:52.09 ID:yfeusN5L
かの連中は、テキストだけ読めば、なんでも理解できる。と思っておるのでしょ? そんな簡単なもんではないのです。 私も百丈野狐の公案は、読んだだけでは意味は分からんのです。 その意味を解釈できるまで、数ヶ月とか数年とか経て、 そして「このことだったのか」。と、ようやく真意が掴めるのです。 ひとつの公案でもいい。 とことん考えてみましょう。 考えることも大事です。 しかし、考えて分かるもんではない。 「分かる」というのは、常に疑問がなければ答えは導き出せんのです。 つまり「疑をもつ」ってことが大事なんですね。 疑をもつから、サトリという鳥が、向こうからやってくるのです。 サトリという鳥は、捕まえようとすると逃げますから 彼岸の方からやってくるまで待つ他ないのです。 いつか、サトリはやってきます。
>>601 机先生へ
> かの連中は、テキストだけ読めば、なんでも理解できる。と思っておるのでしょ?
中論を第六表面意識だけで哲学的に思惟しても
顛倒の故に虚妄の法を生じ戯論を生じているので
『百害あって一利なし ・ 有害無益である』なんじゃなイカ?
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604 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/12/13(木) 17:47:03.04 ID:XGcW/zsK
>>603 >中論を第六表面意識だけで哲学的に思惟しても
>顛倒の故に虚妄の法を生じ戯論を生じているので
>『百害あって一利なし ・ 有害無益である』なんじゃなイカ?
そういうことです。
かの連中は「戯論寂滅」と言いつつ、輪廻転生がどう、とか、こうとか、
こういう話をしとるでしょ?
そもそも「輪廻転生」そのものが戯論であることを気づかんのです。
こういう連中は何を言ったとしても無駄なんですよ(苦笑
そもそもですね、かの連中のテキスト準拠の姿勢にしても、
テキストってぇのは戯論で構成されちょるんですよ。
つまりですね、世俗締というのは戯論そのものなのです。
ですから勝義締からしてもれば、当然に矛盾があるのです。
その”矛盾”を如何に気づくか。ですよよね。
そこを熱心に書き込みしちょるのが大滝先生なのです。
仏教議論スレの流れは、一応このようになってますね。
大滝先生の話が通じんのなら・・・
私がいくら書き込みしても通じんのはアタリマエですよ(苦笑
かの連中は、もう駄目かもしれんね。
仏教議論スレッド51
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1354931980/211-215 211 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/12/14(金) 11:57:41.02 ID:BIOVLy8l
三昧の境地って、どうやって入るの?
いろんな瞑想方法とかがあって、自分ところこそ仏陀正伝の〜とかいってるけど
所詮、体験の世界だからやってみるしかない?
212 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/12/14(金) 13:00:06.75 ID:rrey1wKj
とにかく一点に意識を集中すること
それが段々深まると三昧になります
四念処もア字観も、そういう意味で一点集中であることは同じです
215 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/12/14(金) 13:48:57.94 ID:KhAibUsx
参考までに仏教ではなくヨーガの目安だが
一つの対象に12秒間、継続して意識を置くことができれば
それはダーラナ(集中)と呼ぶことができる
そしてさらにそれを12倍した144秒間
継続して対象に意識を置くことできれば、それはディヤーナ(瞑想)と呼ぶことができる
だいたい2分半ですね、これだけでもかなり訓練が必要
そして、さらにそれを12倍した1728秒間
継続して一つの対象に意識を置くことができれば
それはサマーディ(三昧)と多分呼べる状態に達するとのことです
阿字観なら、阿の字に継続して30分ぐらい
断絶することなく意識を置くことができれば、三昧と呼べる状態なんじゃないでしょうか
自分はできませんし、あくまでヨガの目安です
606 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/12/15(土) 10:12:45.71 ID:lMKf5JQ+
>三昧の境地って、どうやって入るの? 三昧の境地については、禅宗においてもあるんですよ。 この境地は初歩の段階において具現しおるのですね。 この三昧において「悟った」といふ自覚があるのです。 白隠の大悟はこれですね。 しかし白隠は何度も大悟する訳ですから、 この「大悟」は間違いである。と気づく大悟です。 この三昧に留まっておるのが、非常に危険なのであります。 私も体験しちょりますから、この危険性については間違いはないです。 つまりですね、 そんなに三昧は重要ではないのです。 人間において重要でないものが「ある」場合があります。 それは盲腸とか扁桃腺ですね。 なくていいもんが「ある」。これですね。 盲腸とか扁桃腺が悪化したのが三昧ですから、 これは初期の段階において切除せんとあかんです。 切除して、初めてわかる三昧の良さ。 三昧は誰でも通過する一過性のものであります。 どうか上手い具合にここを乗り切ってください。 ここを乗り切ったとこが人牛倶忘ですね。
//sankei.jp.msn.com/world/news/121217/amr12121700070000-n1.htm 学校で銃乱射計画、逮捕 米オクラホマの男子高校生 2012.12.17 00:04 //www.nikkei.com/article/DGXNASFK1601C_W2A211C1000000/?dg=1 フィリピン南部の台風、死者1000人超 620万人被災 2012/12/16 18:22 //www.zakzak.co.jp/entertainment/gooranking/news/20120816/gor1208161615001-n1.htm そばに必ず乗せるトッピングは? 2012.08.16 ____ ,. ´ 、 `` . / \ ` 、 / ____ ヽ \ // ,. ´: : : : 、: :` 、 ', ./ / / /: : : : : : :|: : |\: : : : \} / / /'´: : |ヽ: : : : ハ斗―ヽ‐: : : :\ .イ . / / : : l|,.|--\:/ 〃´ ̄`\: : } : }| / /: : : :∧| fいハ W∨W ___ \.|: : : / |〃⌒ 弋t:り {: :,ゞ-ミ、 . ∧ |: : : : :| | : : : : |{ fいハ ‐ "∨ ノ: \ /: : ∨: : : : :| |∧ : : | 弋t:り . -- 、 / /― 、: \_ . /: : : : : :/ ̄ /:\ .!:\:ト、 '´ / | / / }/ }ー― |: :∧:/ /: : : :| |: : : :iム" 〈 j./ / / /: : : : : |: :{ 〉: :〈 ̄ ./: : : :ハ:\ __\__ // /--、/ /` ー― ヽ: \ |: : / ./: : : :/ }: :{ {:{ {:// / : / /ハ\ \: `ー┴‐: ´ : : : / /: :∧ ヾx/:/ ⌒´ /:∨ {: : :\ ` ー―‐、一<___,/: r┴‐ミx、_厶′ (_:_:_:_}__廴:_:_:_\ \ : : : : : : :人 - 、 ノ: : .  ̄ ̄ ̄ /: 》ー┬‐-、 \ `丁丁丁、´
//www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/nab3mq0000000qd1.html 我執 − 自身に対する執着 我所執 − 所有欲
//www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/nab3mq0000000qd1.html 我執 − 自身に対する執着 我所執 − 所有欲 _ _ _ //ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98 煩悩障 − 自己に対する執着 所知障 − 外界のものに対する執着
610 :
Classical名無しさん :2012/12/18(火) 13:07:01.88 ID:mDzXcaIM
カルトは話を親身に聞いてくれる 仏教はほんの一部の人しか聞いてくれない 親身度はカルトに負ける
611 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/12/18(火) 16:34:05.46 ID:4K21Ehuf
>>610 そうですね。
私も長年、仏教関連スレッッドをロムってるということは・・・
ある意味カルトに嵌っていることかと思うようになりました。
最近は、
もうそろそろ私も宗教とは卒業かな。とかの結論をしよかと思うのであります。
いつまでも、こんなことをしてもしょうがない。
私の「座右の銘」は、
武蔵の「我、神仏を敬い、神仏に頼らず」。これですね。
これしかないです。
人間、心が弱くなると、直ぐに喪黒福造が来ますからね、
皆様は喪黒福造が来るのを待っておるんでしょ?
私は遠慮します!!
私は福造より、ローンウルフが良い。
私はそのように生きてきましたし、そのような生き方が私らしい。
そう、武蔵のような生き方が私らしいのでつ。
612 :
Classical名無しさん :2012/12/18(火) 16:37:38.24 ID:fKcUtd0m
>武蔵のような生き方 女と寝るときは女を上にしる、敵が来たら女を投げつけひるんだ隙に逃げろ。 ですねw
test
test
615 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/12/18(火) 19:47:29.50 ID:4K21Ehuf
>>612 >女と寝るときは女を上にしる、敵が来たら女を投げつけひるんだ隙に逃げろ。
>ですねw
私が五輪書を最初に読んだのが中学生の頃でした。
やがりそこには武蔵の強靭な精神力に圧倒されますね。
兵法とは、それ自体が精神力の鍛錬ですからね。
しかしながら今は乱世の時代ではないのです。
では今はどういう時代なのか?
これは私は安倍総裁が言っておることと同意であります。
戦後レジームの時代なんですね。
日本人の原点とは・・・これ↓なんじゃないですか?
http://www.youtube.com/watch?v=2ChBdN6CwSM ..星の流れに-昭和20年代の東京 歌はちあきなおみ
この動画には、戦後直ぐの画像が載ってます。
日本人はここが原点なんですよ。
安倍総裁は、このようなことを日本人に言うておるんです。
(つづく)
616 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/12/18(火) 19:48:09.52 ID:4K21Ehuf
(つづき) 日本人は、この動画を観ると、非常に懐かしさを覚えるんじゃないですか? それは日本人の原点がここにあるからですよ。 豊かではけしてない。 しかしそこには絶望というのはないのです。 あるのは希望です。 そこが大事なんですね。 しかし、安倍総裁は、豊かになった現在を振り返ってみて、 戦後レジームの脱却を言っておるんですね。 これはどういう意味か?分からんでしょ? よく動画を観て、その意とするところを突き止めたら良ござんす。
あなたたちには、(無我 ・ 縁起 ・ 空を観察する為の)練習が必要だ およそ、禅定に入ろうとする人は … この吐いて吸う大きな長い息を十数え、何度も繰り返し、なにも考えず、ただ息を数え続けます SN 1119 つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ そうすれば死を乗り越えることができるであろう このように世界を観ずる人を、<死の王>は、見ることがない
http://blogs.yahoo.co.jp/prajunya777/15225732.html 第七「六随念の章」では、仏・法・僧の各々に関して、起こった随念の三と
戒・捨(施)・天に関する三随念の六随念と、さらに第八「随念対象の章」において
死に関して起る死随念または法随念
身体の部分に関して起る身至念(=身念住)
出入息に関して起る安般念(=数息観)
一切の苦の止息に関して起る止息念
の四随念をあげて説明し、これを行ずれば、大果のあることを述べている
第九「梵住の章」では、慈・悲・喜・捨の四梵住とその功徳を論じ、第一〇「無色の章」では
空無辺処・識無辺処・無所有処・非想非々想処の四対象(四無色界)と四無色定について述べている
この定を修めた者は、死後四無色界に生まれるという
また第十一章「定の章」においては、食物を厭う食厭観と四界差別とを説く
後者は、身体が、地・水・火・風の四大にすぎず、その他に我・有情識のないことを知る観法である
>>618 続き
以上のような定を修めれば、五種の功徳があるとする
@ 現法楽住 ditthadhamma-sukhavihara
A 観(vipassana)をうる
B 神通(abhinna)をうる
C 勝れた世界(bhavisesa)に生ず
D 滅(nirodha)の定をうる
それに関連して、神変・神通を説明しているのが、第十二「神変の章」と第十三「神通の章」である
さらに第十四「蘊の章」以下、第二三「修慧功徳の章」まで十章にわたって、慧が説かれる
まず第十四「蘊の章」においては、慧とは何か、慧の修習法はどうか
慧修習の功徳とは何か、等、六種の問いを設け、これに順次解答を与えている
蘊の章以下の九章は、慧の修習に関して説かれるもので、慧の修習法には、戒の清浄・定の清浄とを慧の根本とし
蘊(五蘊)・処(十二処)・界(十八界)・根(二十二根)・諦(四諦)・縁起(十二縁起)等を慧の地(bhumi)とし
見清浄(名色を如実に観察すること)・疑度清浄(三世にかんする疑惑を除いた智)
道非道智見清浄(道と非道を知って確立した智)・智見清浄(行智見浄によって次第に有為の行を遠離し
さとりの四段階、預流・一来・不還・阿羅漢が得られる)の五清浄を説くところから、第十五章以下の章を立てている
>>619 続き
最後の第二十三「修慧功徳の章」においては
五清浄によって慧を修得すれば
四種の功徳があるとしている
すなわち
@ 煩悩の捨遺
A 聖果の獲得
B 滅尽定の得達
C 応供者たること
等の成就である
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B6%85%E6%A7%83 涅槃
サンスクリット語Nirvāṇa、パーリ語Nibbāna、プラークリットṇivvāṇa、タイ語Nípphaan
ニルヴァーナの字義は「吹き消すこと」「吹き消した状態」であり
すなわち煩悩(ぼんのう)の火を吹き消した状態を指すのが本義である
その意味で、滅とか寂滅とか寂静と訳された
涅槃は如来の死そのものを指す
涅槃仏などはまさに、死を描写したものである
「人間の本能から起こる精神の迷いがなくなった状態」という意味で涅槃寂静といわれる
釈迦が入滅(死去)してからは、涅槃の語にさまざまな意味づけがおこなわれた
有余涅槃・無余涅槃とわけるもの
灰身滅智、身心都滅とするもの
善や浄の極致とするもの
苦がなくなった状態とするもの
無明を滅して智慧を得て、あらゆる束縛を離れて完全な自在を得る
622 :
1/2大滝秀治 :2012/12/20(木) 16:58:11.56 ID:lQuvX9hz
>>599 おじゃます。野暮用で、大変遅くなりました。
急いでますので、中論13章について現在は以下のように把握している、ということで返事代わりにさせてください。
・13-1『「およそ執着されたものは虚妄である」と世尊は説き給うた。そして、すべて形成されたものは執着されたものである。
それゆえに、もろもろの形成されたものは虚妄なのである。』
★この偈は同7-34(如く)、24-18(相対の仮設)の仮観と矛盾します。「非虚妄非非虚妄」(四句第4)というべきです。
もし龍樹の偈なら、龍樹は透徹できておらず、反対者の偈なら誤解ゆえ、反駁は容易です。
しかし、編集が拙劣です。チャンドラキールティ(月称)のコピー間違いか?
・13-2『もしも、執着されたものが虚妄ならば、そこにどのような得るところがあろうか(なにも得るところはない)。
ところで、このことは世尊によって説かれたが、それは一切は空であることを明らかにするためである。』
★同じく、これが龍樹の偈なら龍樹は透徹できていないといえます。同25-10・15⇔16・24 .Sn.1119 参照。
拙劣な編集です。まともなら、誰の偈なのか明解にすべきです。公案集じゃないんだから。
・13―3『もろもろのものについて<自性の無いこと>(無自性)が成立する。なぜなら、それらのものについて変化することがみられるから。
しかし、それ自体(自性)を有しないものは、(実体として)存在しない。なぜなら、もろもろのものに空性があるから。』
★後段を実体としての様相を問うものと解するなら、龍樹の偈として一貫します。
ものは自性がないから変化するように知覚されるが(仮観)、そのものとしての実体はありません(空観)。
仏法は、機能的には縁起であり、内容的には無自性(前段)無実体(後段)の空⇒中道なのです。
自性を機能的に定義すれば、自立性・単一性・恒常性であって、「無為法」や「超越主義」は縁起撥無の反仏法としかいえません。
623 :
1/2-2大滝秀治 :2012/12/20(木) 17:04:45.23 ID:lQuvX9hz
・13-4『もしも、自性を有しないならば、何ものに<変化するという性質>が有るだろうか(変化する性質はある)。 もしも、自性を有するならば、何ものに<変化するという性質>が有るだろうか(変化する性質はない)。』 ★このように解すると龍樹の偈として一貫します。 ・13-5『(実体としての)ものには<変化するという性質>が無い。 また(実体としての)他のもの(他の状態に達したもの)にも<変化すると言う性質>は適合しない。 なぜなら、(実体としての)青年は老いることがないし、(実体としての)老いた者も老いるということがないから。』 ★非無常非恒常(四句第4)が中道示唆です。 「老いる」は「老いる」ではない、「老いる」そのものがない。ゆえに「老いる」といいます。 ・13-6『もしも(実体としての)そのものに<変化するという性質>が有るならば、 例えば(実体としての)乳そのものが乳であることを捨てないで酪となるであろう。 また、乳とは異なる何ものか(例えば水)について、(実体としての)それが水であることを捨てないで酪となる、ということがありうるであろう。』 ★実体のものに<変化するという性質>はありえないのです。
624 :
2/2大滝秀治 :2012/12/20(木) 17:11:30.18 ID:lQuvX9hz
・13-7『もしもなにか不空(非空)というもの(実体)が有るならば、(その否定としての)空というものが有るであろう。 しかるに不空(非空)というものは何も存在しない。どうして空なるものが存在するだろうか。』 ★空であるとはものではなく様相(方便)です。 ・13-8『一切の執着を脱せんがために、勝者(仏)により空が説かれた。 しかるに人がもしも空見をいだくならば、勝者はその人々を「癒されない人」と呼んだのである。』 ★この偈は重要です。 Sn.653・874・1072(想いからの解脱において解脱)・1119参照。 空観に直指肯定文言はありえないのです(中論 帰敬序、25-3参照) 本偈は真言密教(空海)の「果分可説」の直接的な批判となっています。 以上
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama13.pdf 事物それ自体は変化しない
何か別のものが変化するのでもない
なぜなら若い男は年を取らず
また年寄りの男もまた年を取らないからである(中論13-5)
絶対不滅 ・ 常住不変の実体であるならば、その事物それ自体は変化しないはずである
だからといって
変化する前のものと変化した後のものが別々のものであるなら、それは変化したのではないであろう
なぜなら、もし事物が変化しない実体であり、二つの異なったものが存在しているだけであるなら
不変の実体としての若い男は年を取ることなく存在しており
それとは別の年寄りの男も
すでに年を取っている状態の実体なのであればそれ以上年を取らないで存在しているだけだからである(中論13-5の意訳)
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama13.pdf もし事物それ自体が変化するなら
牛乳自体が凝乳 curd であり得ることだろう
そうでなければ、凝乳が
牛乳とは別の実体となり得たことだろう(中論13-6)
もしほんのわずかにでも空でないものが存在するなら
空性それ自体がとるに足らないものとなってしまうだろう
空でないものはわずかなものではなくなってしまう
どうしたら空性が実在となり得るだろうか(中論13-7)
勝者たちはこう語ってきた
空性とはすべての見解を放棄することである
誰であれ空性が一つの見解であるような者には
何もなし遂げることはできないであろう(中論13-8)
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama25.pdf やって来て、また去るものは
依存的で変化するものである
依存的でなく変化しないもの
それこそが涅槃として説かれたものである(中論25-9)
師は生成と消滅の放棄を説かれた
したがって涅槃は
存在でも、まったく存在しないものでもない
というのが正しい(中論25-10)
涅槃は存在でも、まったく存在しないものでもないものだ
と言われる
もし存在と、まったく存在しないものとが証明されるなら
このことも証明されるであろう(中論25-15)
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama25.pdf もし涅槃が
存在でも、まったく存在しないものでもないのだとして
「存在でも、まったく存在しないものでもない」というのは
誰によって説かれたものなのだろうか(中論25-16)
すべての対象化の解除(寂滅)と幻影の解除
ブッダはいついかなるときも、どこであっても、誰に対しても
いかなるダルマ(法)も説かなかったのである(中論25-24)
SN 1119
つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ
そうすれば死を乗り越えることができるであろう
このように世界を観ずる人を、<死の王>は、見ることがない
http://kotobank.jp/word/%E5%A6%82%E6%9D%A5%E8%94%B5 世界大百科事典内の如来蔵の言及
【如来蔵説】より
…竜樹を祖とする〈中観(ちゆうがん)派〉と弥勒(みろく)を祖とする〈唯識(ゆいしき)派〉とである
後者と深いかかわりをもち,おもに彼らによって継承された思想に,如来蔵説がある
学派としての形成はついになされることはなかったが,その思想は
密教の成立に大いに寄与し,また中国,日本の仏教に深い影響を与えた …
※「如来蔵」について言及している用語解説の一部を掲載しています
出典:株式会社日立ソリューションズ
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http://kotobank.jp/word/%E9%A0%BC%E8%80%B6%E7%B8%81%E8%B5%B7 百科事典マイペディアの解説
頼耶縁起(らやえんぎ)
瑜伽行派(ゆがぎょうは)や法相宗で説く縁起説
万有は阿頼耶識(あらやしき)から縁起すると説く
阿頼耶識には一切の諸法を生じさせる作用(種子)があり
種子には先験的に存する本有種子と
後天的に付加される新熏(しんくん)種子とがあり
この2種子が合し,展転して,一切の現象や差別が生じる
※本文は出典元の用語解説の一部を掲載しています
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%80%A7 仏性(ぶっしょう)とは
仏の性質・本性のことで、主に『涅槃経』で説かれる大乗仏教独特の教理である
「覚性」とも訳される
『法華経』では、仏種(ぶっしゅ、「仏に成る種」)
『勝鬘経』では、如来蔵(にょらいぞう)などと、さまざまな表現がされるが
基本的に仏性と同じ意義である
仏教では、この仏性を開発し自由自在に発揮することで
煩悩が残された状態であっても全ての苦しみに煩わされることなく
また他の衆生の苦しみをも救っていける境涯を開くことができるとされる
この仏性が顕現し有効に活用されている状態を成仏と呼び
仏法修行の究極の目的とされている
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98 インドにおける成立と展開
唯識は、初期大乗経典の『般若経』の「一切皆空」と『華厳経』十地品の「三界作唯心」の流れを汲んで
中期大乗仏教経典である『解深密経(げじんみつきょう)』『大乗阿毘達磨経(だいじょうあびだつまきょう)』として確立した
そこには、瑜伽行(瞑想)を実践するグループの実践を通した長い思索と論究があったと考えられる
論としては弥勒(マイトレーヤ)を発祥として、無著(アサンガ)と世親(ヴァスバンドゥ)の兄弟によって大成された
無著は「摂大乗論(しょうだいじょうろん)」を、世親は「唯識三十頌(ゆいしきさんじゅうじゅ)」「唯識二十論」等を著した
「唯識二十論」では「世界は個人の表象、認識にすぎない」と強く主張する一方、言い表すことのできない実体があるとした
「唯識三十頌」では上述の八識説を唱え、部分的に深層心理学的傾向や生物学的傾向を示した
http://news24.jp/nnn/news89049896.html マヤ暦“終末論”世界各地で関連イベント [12/21 17:46 NEWS24]
21日にマヤ暦が区切りを迎えることから
「この日、世界が滅びる」とする“終末論”のうわさが世界で話題となっている
こうした中
各地ではマヤ文明に関連する様々なイベントが企画されており、盛り上がりを見せている
20日、メキシコのピラミッドの前でマヤの暦をたたえる儀式が行われた
今回の終末論は
マヤ文明に伝わる暦の一つが21日で区切りを迎えることから「終わり」と解釈されたものだが
メキシコ政府は「新たな暦が始まるだけ」とうわさを否定している
うわさを受け、ユカタン半島の遺跡には通常の倍の観光客が訪れたという
一方、「世界の終わりから唯一
救われる場所」とのうわさが広がっているフランス南西部・ビュガラッシュ山には
見物客や報道陣が殺到している
村では混乱を避けるため、山への立ち入りを禁止し、警察が出動している
うわさは「UFO(=未確認飛行物体)が現れて人々が救われる」というものだが
本当に信じている人は訪れた人の中にも少ないという
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama18.pdf 内的にであろうと外的にであろうと
「私」と「私のもの」という観点が消滅するとき
自己に固執する者(取著)は消滅する
これが消滅すると誕生することも止まる(中論18-4)
瞑想修行から始めることによって(内的)であろうと
思考を突き詰めることによって(外的)であろうと
実体的な主体である「私」や
実体的に存在する「私のもの」と
いう観念が消滅するところまでたどり着くと
(実体的に依存するような)自己に固執する主体も消滅することになる
この自己固執が消滅すると輪廻によって誕生してくることも
なくなるのである(中論18-4の意訳)
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama18.pdf 行為〔カルマ〕と苦悩(煩悩)が消滅したところに涅槃がある
行為〔カルマ〕と苦悩は概念的思考から生じてくる
これは心的に作り出されたもの(戯論)に由来するのである
作り出されたものは空性によって消滅する(中論18-5)
カルマによって引き起こされる苦しみが消滅した地点に
輪廻から解放された涅槃(ニルバーナ)がある
カルマによる苦しみは
概念による思考から生じてくるのであり
概念的思考は心的なプロセスによって作り出され
組み立てられた迷妄である
そのように作り出され組み上げられたものは
空性の体得(悟り)によって消滅する(中論18-5の意訳)
640 :
Classical名無しさん :2012/12/22(土) 20:53:07.00 ID:pDvw9941
マスコミは騒ぐのが仕事、トラブルイベント飯の種、興味関心注目を集める為なら誇張扇動捏造もする。十分なリテラシー教育を受けていない者ほど偏向思想デマ宗教エセ科学に感化洗脳される。史上最大のトンデモ本は新約聖書/感情自己責任論
隠居先生かしら? おじゃる?
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121221/k10014341501000.html “終末論”で観光客 一方では動揺も 12月21日 8時31分
マヤ文明の暦が区切りを迎える21日に「世界が滅びる」という
いわゆる終末論のうわさが各地に広がり
メキシコのマヤ文明の遺跡でこの日を迎えようと大勢の観光客が集まる一方
アメリカでは一部の学校が休校になるなど、動揺も広がっています
_ _ _
〔メキシコのマヤ文明の遺跡でこの日を迎えようと大勢の観光客が集まる〕
ここに集まっている100%の人全員すべてが
『十分なリテラシー教育を受けていない偏向思想デマ宗教エセ科学に感化洗脳されている』
人達なのかしら? おじゃる?
◎十分なリテラシー教育を受けていない場合
◎十分なリテラシー教育を受けているけど、偏向思想デマ宗教エセ科学に感化洗脳されている場合
◎その他の場合
色々な場合があるんじゃなイカ? おじゃる?
>>622 確かに、究極の勝義から言えば非虚妄非非虚妄ですね…では、そこまで順を追ってそこまで議論を進めます。
まず、部派や実在論者や常見に陥っている者は、「xは常に変わることなくxである」
という、誤った理解に陥っています。虚妄なる法を、虚妄ならざる法だと顛倒している者です。
諸仏は、これを破るために、「それは虚妄であり、xはxであると思ってもいずれ非xになってしまう」と諭します。
これは、世俗的には「虚妄ではない」が真実とされますが、勝義諦としては「虚妄である」となります。
この話には続きがあります。もし、ここで、「虚妄である」と教えを聞いて、
「そうか!一切は虚妄なんだ!」と、「虚妄こそ真理」であると考えて教えに迷うものが出てきます。
そこで初めて、諸仏は虚妄、非虚妄、これはどちらも世俗的な真理であり、勝義から見れば非虚妄非非虚妄である、と明かします。
(なぜならば、xは非xに変わると言っても、人々は依然としてそれをxと仮説して意思疎通ができるから)
何を言いたいのかといいますと、「xは常にxだ!」というレベルの者に、「非虚妄非非虚妄」という教えは早すぎます。
別の例で云いますと、十二縁起の順観、「生」を釈尊は正しい道とし、逆観の「滅」を正しからぬ道としました。
世俗諦:生 → 勝義諦:滅 となります。生を転じて滅にならしめます。
ところが、教えに迷って「滅こそ至高!」と考える者が出てきます。実在の滅を考えてしまいます。
そこで初めて、世俗諦:生、滅 → 勝義諦:不生不滅 という教えが出てくるのです。
「生」と「滅」には「常」と「無常」、「有」と「無」を代入しても同じです。
ちなみに、私は『中論』13-1は大滝さんの言うように、反対者の偈頌として仮に処理したとしても、
事態はそう大きくは変わらないと思います。
諸仏の言う「虚妄である」は、「虚妄ではない、人は常に人である」という見解を破るための、
方便・仮説・正説となりますが、反対者の言う「虚妄である」は、諸仏の「虚妄である」という
教えを受け取っては、「虚妄こそ真理」というように、教えに迷って言われたものなので、戯論・見解となります。
「虚妄である」という言葉1つをとっても、その発言者がどのような意図で言うのかどうかで、教えにもなれば、戯論にもなります。
諸仏は、「非虚妄非非虚妄」であると知って、「虚妄である」と言います。導くために。
>>644 訂正!「正しい道」と「正しからぬ道」を逆にしておいてください
ちなみにスッタニパータ757の「虚妄なる法」と、758の「虚妄ならざる法(は涅槃である)」 という部分で使われる「虚妄」、というのも中々、奥の深い意味であります。 私が644、645で使った虚妄はどちらかと言うと「無常」に近い、つまり「変化する」という意味で用いました。 757の「虚妄なる法」というのは、「同一性」と「変化」の併存する世界観を示しています。 758の「虚妄ならざる法」というのは、「同一性」も「変化」も無い世界観を示しています。 主人公が10年前にある人物Pを見たとします。今、その人物Pに10年ぶりに会って「彼はPである」と見て、 そこに「同一性」を見いだすならば、「Pは10年前よりも老けた」と「変化」をも見いだすことになります。 ところが、今、その人物Pを見て「彼はQである」と見て、そこに「同一性」を見いださないならば、 10年前のPについての変化を語ることは出来ないでしょう。 10年ぶりの「Pとの再開」も、主人公にとっては「Qとの初対面」となるからです。 このような理由から、「変化」を語るためには「同一性」は欠かせません。 これらの議論は、野矢茂樹先生の『同一性・変化・時間』に詳しく記されてあります。 もちろん、実際は、衆生が「同一性」に執着しているのを見て、諸仏は「変化」の方しか強調しません。 そして、部派がその「変化」に自性を見いだして見解として持ってしまったので、 龍樹はそこで初めて、「同一性(常)」も「変化(無常)」も「仮」で世俗的なものでしかない、 勝義から見れば「非常非無常」だと示した、ということです。これは、そのまま758の「虚妄ならざる法」の言い換えです。
SN 758 安らぎは虚妄ならざるものである。 諸々の聖者はそれを真理であると知る。 かれらは実に真理をさとるが故に、快をむさぼることなく平安に帰しているのである。 「修行僧たちよ。 『また他の方法によっても二種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、 もしもだけかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。 どうしてであるか? 『神々と悪魔とともなる世界、 道の人(沙門)・バラモン・神々・人間を含む諸々の生存者<これは安楽である>と考えたものを、 諸々の聖者は<これは苦しみである>と如実に正しい智慧をもってよく観ずる』というのが、 一つの観察[法]である。 『神々と悪魔とともなる世界、 道の人・バラモン・神々・人間を含む諸々の生存者<これは苦しみである>と考えたものを、 諸々の聖者は<これは安楽である>と如実に正しい智慧をもってよく観ずる』── これが第二の観察[法]である。 このように二種[の観察法]を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、 専心している修行僧にとっては、二つの果報のうちのいずれか一つの果報が期待され得る。 ──すなわち現世における<さとり>か、 あるいは煩悩の残りがあるならば、この迷いの生存に戻らないことである。」── 師(ブッダ)はこのように告げられた。
>>649 の補足
煩悩の残りがあるならば、この迷いの生存に戻らないように
正しい智慧をもってよく観察して、怠らず、つとめ励んで
専心して修行を、おこなう努力をすべきである
正しい智慧をもってよく観察して、怠らず、つとめ励んで 専心して修行を、おこなう努力をすべきである _ _ _ SN 1026 無明が頭であると知れ 明知が 信仰と念いと精神統一と意欲と努力とに結びついて 頭を裂け落とさせるものである
652 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/12/24(月) 09:34:00.94 ID:bCG4o6fs
>>644 >「そうか!一切は虚妄なんだ!」と、「虚妄こそ真理」であると考えて教えに迷うものが出てきます。
横槍ですけど、成る程そうですか?
「迷う」といふのが、私には理解できませんですね。
お気に触ったのでしたら御免なさいね。
思い返せば、私が仏教に深く傾倒していったのは「生死一如」のフレーズでした。
このフレーズがもしなかったら、私はかくも宗教には関わらんかっただろうね?
私は今、日本経済に関心がありますですが、
この経済にしても虚妄でありますね。
なんの実体もない、それは揺れ動くユラギのようなもんで、これを文字列にした途端に
人の心も揺れ動くのであります。
そして、この揺れ動く様こそ人生なんでしょうね。
空即是色であります。
「遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ」。
【梁塵秘抄より】
653 :
644 :
2012/12/24(月) 10:24:09.88 ID:oKqbtVGr >>652 >「迷う」といふのが、私には理解できませんですね
教えを聞いて、その教えを「見解」として持ってしまう、ということです
例えば、仏は、善悪の分別をするという衆生の理解に従って、善悪の二つを説きます。
それは、悪を転じて善ならしめんとするためです。
(世俗諦:悪 → 勝義諦:善)
しかし、この教えを聞いて、「善こそ至高!悪こそ低劣!」のように、
「見解」として持ってしまう者が出てくる。彼は、諸仏が、抜苦与楽の方便として、
「善悪」を説いたという理解がないのです。
「善悪」と聞くと、「善悪」なる実体がどこかにあると思い、善を賞賛し、悪を蔑みます。
そこで大乗になると、「善悪」は、縁起によって生じた虚妄なるもので、それを仮に善悪と仮説したということ、
それは、更なる勝義諦として明かされる「善でもなく、悪でもない、ありのままの世界(涅槃・戯論寂滅)」へ
至らしめるための教法、筏だったことを明かします。
(世俗諦:善、悪 → 勝義諦:善にもあらず、悪にもあらず)
このように、善にも悪にも偏らないことが中道です。「苦・楽」や「有・無」を代入してもOKです。
ですから、「善・悪」という言葉は、諸仏が用いれば戯論寂滅へ導く方便になりますが、
凡夫が使うと、見解・戯論にもなり得ます。有所得とも言います。
>お気に触ったのでしたら御免なさいね
いえいえ、興味を持って聞いてくださる分には全然大丈夫ですよ