132 :
ノスタルジア:
自利行の結果として、「智地」≓(十地)に入り、無分別智を清浄にしてもらい、
分別智により十地を定めて、不思議の智の境界に入り、一切智人の智境界を得ましょう。
ここで俺の造語概念、宝寺が出てくるのですが、智の主体的、家は宝寺であり、
宝寺に入ることが即ち、智人になることである。利他行として客体的にいる者達を、
善く大智光明の巧荘厳を選択し観察する者が救うのであるが、凡夫なども通る、
(善く決定の智門に入る)、宝寺の智門をくぐることによりて救われるのである。
これら自利利他は仏の神力を承けた大智慧光明三昧のする者がやることである。
十地を基礎とする菩薩の法を凡夫が、その混乱の最中、我が身に流入させ会得
するには、華厳経を学ぶ必要があると思われる。そしてその混乱こそが迷いであり、
菩提であるのだ。