911 :
神も仏も名無しさん:
分からないことは、分からないままにしておこう
ちっぽけなエゴを護るために密教を誹謗するのはやめよう
護法尊と業は容赦無いぞ、その時後悔しても遅い
と一応言っとく
913 :
オウムと密教と神智学 大滝秀治 :2012/11/27(火) 12:13:29.04 ID:cMi6yi92
>>911 >護法尊と業は容赦無いぞ、その時後悔しても遅い
オイラ氏、まさにホンネ剥き出しですねw
あなたの成りすまし仏教のコロモの下のポア本質で、脅迫そのものだぜ!
警察に通報しましょうか?
914 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 12:15:14.58 ID:rg23+5XQ
>>911 そういう脅し文句を言うから批判される。君にわかるかなあ。
915 :
オウムと密教と神智学 大滝秀治 :2012/11/27(火) 12:35:43.77 ID:cMi6yi92
>>672 宝珠
>一代に対して、心から真面目に謝罪されるべきです。
>>911で、本人が思わず自白してしまったけど?
アタシを得意のポアするらしい。
坂本弁護士一家殺人事件みたいなのかな?
これからは、地下鉄のホームでは壁に背をつけて待つことにする。
>>911は、自分が何を言っているか、わかったうえで脅している。
これはまずいよ。そう思わないとしたら重症だ。
早く大滝さんに謝った方がいい。
彼が、真に真言密教の徒であるなら、当然の台詞と思う。
オウムが“それ”を利用・援用していることは事実としてあるにせよ、
そのことで、(真言)密教の矜持を放り捨てるわけにはいかんでしょうよ。
それは、たとえば、浄土系が浄土を否定するようなものでしょう。
或いは禅宗が坐禅を捨てるようなものとも言えるかもしれません。
918 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 12:56:09.23 ID:P3fxP3IE
オウムとともに、キリスト教を忘れてはならない。史上そして現在も、
キリスト教が殺した人間の数は、オウムとは桁違い。
中国最大の内乱である太平天国の乱(その名が示す如くキリスト教)に
おける推定死亡者総数は5000万人!!
麻原も、キリスト教の影響がなければ、あそこまではやらなかった。
ハルマゲドンは、聖書の言葉である。
>>917 それだったら余計まずい。真言宗全体がポア妄想になってしまう。
>>918 盗聴事件の創価も、闇の部分があると言われているね。
いやいやいやw
関連性の有無、実際の社会的問題、影響力の有無等はともかく、
今の流れは、【わざわざ】キリスト教に話を振る必要ないでしょう?w
この辺が、隠居の病的なトコなんだよな・・。
どうしてもそこへ持っていかないと気がすまない。
「ちょっとちょっと、俺はこう思うんだけど!」
「ごめん。今その話してないからw あとでね(´∀`)b」
って感じか・・・。
ま、重要な問題だとか、密接に関連してるとか、
そこの話を避けようとしてるだとか、また色々言うんだろうけど・・w (^^;
921 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 13:16:03.95 ID:P3fxP3IE
>>920 >今の流れは、【わざわざ】キリスト教に話を振る必要ないでしょう?
同じく超カルトである釈迦仏教とキリスト教との共通点の分析なしには、
宗教の病理の解明は不可能。
922 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 13:20:56.97 ID:rg23+5XQ
隠居の喩え話(時間のコマ切れ? 時間よとまれ、刹那滅)は、
素粒子の構造を考えると絶対にありえないと思う。
素粒子は粒子に比較したら空間があまりに大きい。
そのため、時間を止め、運動を止めると、空間が引力によって潰れ、
この宇宙がブラックホールになってしまう。これは虚無ですね。
923 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 13:45:12.25 ID:9KgPfpUS
924 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 13:45:20.56 ID:cExDb3zL
>>917 気にすんな、ほっとき
単なるクレマーだから、なるようになるっしょ
以後、分かる限り完全スル〜するは
925 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 13:45:24.31 ID:P3fxP3IE
>>922 コペンハーゲン解釈が、「人間の観測による収縮」という、「根拠の
ないことが分っている概念」を導入しなければならなかった「根拠」を
考えてみよう。
アインシュタインの偉大さは、「観測者としての人間」を設定した
ことにある。彼は「この世は人間界である」という究極の基盤を、忘れ
てはいなかった。
926 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 13:56:31.28 ID:rg23+5XQ
>>925 デカルト「我思う。ゆえに我あり。」なのか、
アル・ガザーリ「我あり。ゆえに我思う。」なのか、
よく考えてみよう。
927 :
机龍之介@花押:2012/11/27(火) 14:50:19.51 ID:GJ6q7QG2
>>910 >しかし、そうやって因果を否定するのは野狐ですよ
百丈野狐の公案は、因果を否定している訳ではなくて、
むしろ因果についての本質を突いた公案ですから、
ネットで調べたくらいでは、どうしてもその本意というのは掴めないです。
簡単に説明しますと、否定とか肯定とかの分別に既に迷いがありますから、
その「迷い」についての公案です。
人間は余計な観念を挿入しちまうと、その観念が「迷い」の因となる。
というもんですから、
これはどうも説明のしようがない。
観念をとっぱらっちまえばいい。と、簡単に言う他ない。
非常に高度な公案です。
ではオチ。
野狐も野狸も単なる比喩じゃよ!
吹き抜ける風の如しじゃ。(^。^)y-~
929 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 15:46:58.09 ID:P3fxP3IE
外部者から見れば、このスレで「日本の仏教者」らしいのは、机師だけ。
その他は殆ど「釈迦カルト」。
机師の前コテは「髑髏仮面」。2ch切ってのカルトバスター。机師で
脱洗脳されたカルト信者も多いはず。「それにて調う」の名文句が懐かしい。
930 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 15:49:27.03 ID:u0Ijt+ZW
>>927 禅の失をあげるとすれば
道徳という人間間の因果を軽視しやすいところかな
ただ今に集中すればいいとなりやすい
色即是空でとまる
それは一つの真理だが
そうすれば、人を殺しても心が空なら
無罪となりかねない
野狐が畜生なのもそこから来ているのでしょう
畜生は生きることしか考えず
目の前の生活に躍起ですから
しかし、人間は他人という鏡から己を振り返ることができる
天上界でもなく人間界でしか悟れないと言われる由縁です。
しかし、野狐が因果を省みれば
何になったかという考えは愚問です
それは視点を変えて因果にとらわれることですから
因果を立てたところで
私たちは今この時に生きることは変わらないはずで
今を一生懸命生きなければならないからです
この質問に答えることは出来ないのですよ
頬を叩く以外にね
しかし、それを知りながら
あえて質問した。
師匠を試す形になったのですよ
今を生きろと喝と手を叩くだけでも良かったですが
頬を叩いたのはこいつめと思ったからでしょう
私はそう見ますが
931 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 15:51:14.57 ID:u0Ijt+ZW
だから、師匠の喩え話ですから
真に受けて答えるのは愚答ですが
仮に狐となれば、狐を真剣に生きざるを得ないでしょう
煩悩にまみれた人間が人間のまま生きるように
それにとらわれず
またを受とめて生きるのが大乗ですから
まあ狐には他をおもんばかる余裕はないですがね
932 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 16:14:03.99 ID:ETrPTDJR
933 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 16:34:11.96 ID:cExDb3zL
>>932 現代日本はこんなもんでしょ。
いいじゃん、楽しそうで。
934 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 16:57:31.80 ID:P3fxP3IE
>>932 近頃、これほど笑えた、楽しいブログはなかった。
「日本仏教」の素晴らしさ、奥深さを、マジで実感できた。このお坊さんこそ、
「悟られた」のだと思う。
935 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 16:58:32.40 ID:cExDb3zL
臨済宗と聞くと、一周回って何やってもおk見たいな感じは受ける。
所詮中国発祥と言った所か
937 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 17:10:21.41 ID:P3fxP3IE
>>935 倒錯と感じるほうが、「人間として」倒錯である恐れがある。
>>907 密教は文字では伝えられない。君みたいに誤解する人がいるからだ。理趣経のみで密教を判断するのは間違い。三密を理解しないうちに判断しないようにしましょう。
>>930 仏に会えば仏を殺し、父母に会えば
父母を殺す。これが仏教の原点なり
DMCのsatugiを聞きなされ!
どんな言葉の教えも悪用可能。言葉は人それぞれの解釈になる性質のもの。それを密教は理解しているから三密の教え。それを理解してください。
941 :
机龍之介@花押:2012/11/27(火) 18:05:22.33 ID:lhhORYLN
>>930 こういうことが因果なのか?こういうことが因果ではないのか?
などの質問は、つまり因果に囚われた質問ですね。
これはどっちみち迷いでしかない。
仏教は中道ですからね。そこが悟りなんです。
禅でいう因果とは、そういう分別より離れた因果です(そう説明する他ない)
つまりこういうことですね。
@大川隆法はブッダだと知っていた。
A大川隆法はブッダだと知らなかったが、今それを知った。
さて@とAはどちらが正しいか?と問うようなもんです。
つまり禅の公案といふもんは、@にもAにも当て嵌まらないことが殆どなのです。
そういう場合は答えようがないですから、もう頬を叩いたりして理屈は通用せん世界なのです。
喝を入れるとかアタマを覚醒せんと・・・どうにもなりません。
ようするに、不落因果も不昧因果も、その文字通りを解釈しても駄目なんです。
その文字を通して悟らんと駄目ですね。
これを透過といいますけど、この透過するには大疑団が必要です。
つまり因果について徹底的に疑問をもつのです。
しかしこれは否定することと意味が違いますね。
疑うにはそれに足る推論が必要ではないだろうか?
>>901 大家ドゥ・ヨングというのは人間か否かである。
人間であるならば、その言は虚妄ではないだろうか?
一切のものは虚妄であるとすれば釈迦以前の業論が虚妄になる。
流れが因果の流れになっているが、業=因果なので因果も虚妄になる。
即ち悟りにおいては、なんでもありの無分別が発生するということになる。
それではいかんということでの後付けなのが縁起の法ではなかろうか?
無論、これも虚妄性を持つのは釈迦も承知だろう。
殺人を始めとする悪の防止の理由付けが必要だったと考えられる。
依拠がない故の選択として選んだのが慈悲の心と捉えられる。
事実とは一切が虚妄であり一切皆空ということ。
虚妄も空も無という意味でなく、拡大解釈の意味で使われたと思われる。
943 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 20:05:00.78 ID:cExDb3zL
>>942 色々分かってないな。あと詭弁だは
ドゥ・ヨングはマテリアルな文献学者だ。
テキストはマテリアルに否定できない。
そのテキストに釈尊自身が人でないと述べてるんだ。
因果も虚妄だ。しかし、それは勝義から見てだ。
世俗のなかでは因果は虚妄ではない。
この二諦をごっちゃにして単に自分の論を通すために使っては終わりなんだ。
そのためにテキストに沿って話をしないとといったんだけどね。
もし、反論するなら、テキストに沿って、一々根拠付けないなら、もう話は終わりだよ。
>釈尊自身が人でない
>ブッダは神でも魔でも人でもなくブッダであるという
話としてはわかるけど、イエスキリストを神or神の子として聖書を解釈する
カトリックやプロテスタントと何か違うの?
一般感覚では、イエスもブッダも歴史的に実在した人物である(とされている)から、違和感を覚えるな。
宗教としてなら、何もいうことは無いけど、文献の「学者」がそういう態度で臨むと言うのは、ちょっと・・・
それとも文献学ってそういう解釈が許される学問領域なんですか?
945 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 20:39:34.30 ID:/FcOOG7u
「太った人の写真」−「豚の写真」=「美人モデルの写真」
という公式を坊主のブログで見た時のこのなんとも言えない
哀しみはどう表現すべきなのか。
946 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 20:45:08.87 ID:/FcOOG7u
>>944 縁起さんは信仰者だからそういう言い方になるけど、
要は「釈迦がただの人間であること」と「釈迦が自分をさして、神でも魔でも人でもなく……と言っていること」は
区別しよう、ってことなんじゃないの。そこはを
混同して釈迦はそんなアホなことは言わない、と釈迦も自分をただの人と捉えていた、
とするのは間違いである。
947 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 20:46:34.67 ID:cExDb3zL
>>944 全く逆。その発想がプロテスタンティズムに侵されてる。
なぜなら、「初期仏教では、ブッダは人間以上のものではなく修行者たちのモデルであり、導師でであった」というのは19世紀のシュトラウスが行ったような脱神話化したイエス伝、つまりそれがドイツ的プロテスタンティズムなわけ。
アナタの発想は、それを真似た19世紀的な偏向に過ぎません。
未だにそのような19世紀的な考えで仏典を読んでも、倫理・道徳程度の意味しか探れない、と以下のように釈尊自ら説かれています。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/16.html ドゥ・ヨングは、そういう19世紀的なプロテスタント的文献学(ほぼドイツ文献学と同じ意味)の影響から誤読するのは辞めて仏教的視点で読まないと学問として成立しないというわけです。
全くその通りとしか思えません。
つか、アナタのように実在論に無反省に立って、その常識でテキスト読むと仏教は『梵網経』で釈尊が仰るように「つまらないこと」しか分からないよ。
つまり、倫理・道徳レヴェルのことしか読み取れない。このようなことを正に行ったのが和辻ね。
948 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 20:49:50.92 ID:cExDb3zL
>>945 いや〜、ビルマでもチベットでも坊さんがみんな立派なわけじゃないから
寧ろ立派なのは一部。
しかし、その一部こそが仏教を脈々と伝えているので、他の人は温かい目でみよう。
こんなのかわいいじゃん。もっとなんというかヤクザみたいなヤツもいるからどこでも。
>>943 まず、あなたが言う
>そのテキストに釈尊自身が人でないと述べてるんだ。
ここをテキストによって示さないと話がそこに達しない。
虚妄を自らが示すことにある。
釈迦は食あたりで死んだか否か
そこだけでも人間とは言えないか?
950 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 21:14:27.80 ID:/FcOOG7u
951 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 21:14:56.46 ID:cExDb3zL
>>949 テキストならリンク先に示した
そういう読みでは一生、仏教の表層、戒についてしか理解できないと思うは
もう、オイラはアナタとの話は分かる限り辞めとく
http://jp.wsj.com/US/node_553302?reflink=Goo&gooid=nttr 「天才や発明家にあまねく共通するものは、認知能力でもなければ、
感情でもない。ハイレベルのモチベーションであり、
人が良しとするゴールを受け入れない姿勢だ」
(サイエンティフィック・アメリカン)。
そして、最大のカギともいえるのが、アインシュタインが
成功の秘訣と呼ぶ「子どもの心を持ち続けること」だ。
いくつになってもパッション(情熱)の火を燃やし続ける
――。これが、天才の極意だろう。
天才は実際いるだろうが、その通りと思う。
意志と行為が天才を作るだろうが、天才も人間であり衰え死ぬ。
953 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 21:20:15.72 ID:/FcOOG7u
猟師に間違って射られて死んでしまったクリシュナは
問題なく至高の神スヴァヤン・バガヴァーンでいられるわけで。
>>950 英語じゃ無学の俺にはわからんわ
具体的に指し示す箇所を和訳してくれ
955 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 21:26:46.33 ID:/FcOOG7u
そこまで面倒は見切れない。
エキサイト翻訳と辞書を使いなされ。
なに、大した分量じゃない。
何が釈迦を妄信に向かわせるのか?
信じるに足る根拠がどこにあるのか?
根拠もなしに信じられるものなのか?
キリストや大川隆法では足らないのか?
では、足らないとする根拠はどこにあるのか?
>>955 じゃあ虚妄とさせて頂く。俺も仏教妄信者に過ぎぬから、それを信じる。
徒労はごめんだ
958 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 21:56:06.63 ID:+0C/5bIs
迷いだと認識している事柄は、
自我がそれを迷いだと認識している
それを道徳や世間体がそれは迷いではないと言ったらアナタはどうしますか?
>>958 それは迷いでなく、考え中wである。
迷いとは何か?それは妄信の方ではないだろうか?
それを道徳や世間体がそれは迷いではないと言うのであれば、
そこに論拠が必要だろう。
そこに至るまでもなく、考えているだけであり、我思っているだけである。
思考停止を是とするならば、オウムの悲劇を再び繰り返すかもしれない
961 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 22:33:59.83 ID:+0C/5bIs
オウムの信者は思考停止していたが、
オウムの幹部が思考フル回転させたからあそこまで大きくなったし、
多数の思考停止者を量産出来たんだと思うのだが如何
その通りでしょう。
オウムの幹部が思考フル回転させて向かう先、及び向かう元には
何があったでしょうか?
そこの部分が思考停止ではなかったのではないでしょうか?
そこに世俗拒否があると思います。
根本仏教が世俗を認めないのであれば、
そこは捨てるに足るものと思われます。
963 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 22:46:52.74 ID:cExDb3zL
松本の目的は自らの水俣病体験、屈辱の復讐としての首都殲滅だから
公安が動かなかったら、その目的が実現されていた
964 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 22:51:17.67 ID:853gR0d9
>>963 麻原も、宗教(原始仏教、チベット仏教、キリスト教)の「犠牲者」と
言える。
彼が、宗教にさえ嵌らなかったら、今頃は腕の良い鍼灸師として、社会に
貢献していたことであろう。
965 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 22:55:34.18 ID:cExDb3zL
>>964 いや、逆だ。
松本の目的は始めから復讐。
鍼灸も宗教もその道具に過ぎない。
>>963 公安は縁起性良意識なのでしょうか?その現象だけを見れば、そう見えます。
オウム全体が縁起性悪意識ともいえ、世俗否定に通ずると思います。
オウムに入るほど自分を捨てた人々の末路かもしれません。
オカルト宗教者およびオカルト信者には、その傾向が見られます。
その傾向は、もちろん私にもあり、人間に共通する虚妄かもしれません。
967 :
神も仏も名無しさん:2012/11/27(火) 23:10:33.79 ID:853gR0d9
>>965 鍼灸で、一体どうやって復讐するのか?wあんまりアホなことを言うなよ。
麻原を、「優れた宗教者」などと持ち上げた少数の宗教(学)者に、最大の責任が
ある。死刑にすべきは、これら伝統宗教の指導者。法理論的には、オウム信者、
いや麻原でさえも、「宗教による心神喪失」で無罪である。
>>967 「此があれば彼があり、此がなければ彼がない、
此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す」
此を宗教と見なすかどうかと思います。
しかし、宗教にはその傾向が高いといえます。
仏教を宗教的見方をするなら罪といえ罰は受けるかもしれません。
しかし、彼に罪はないでしょうか?
精神病であろうが殺人への恣意的行為が見られるならば罰を受けて
然るべきと思います。恣意性は選択できるものと思います。
>>967 御隠居殿
持ち上げたのはマスメディアで、マスメディアの姿勢を直接間接に支持していた当時の
日本の多数派の大衆でしょう。
世迷い言を言う狂人は少数ながら必ずいて、通常その大部分は一般社会から隔離してい
ます。だから、それを世の表舞台に上げるかどうかという点が問われる。もちろん、麻
原を持ち上げた知識人はそのマスメディアの尖兵として機能した点については道義的責
任は問われます。ですが、それは「宗教学者」であるということによってではありませ
ん。物事の本質の所在をすり替えるべきではありません。
一代氏が出した鍼灸の件も、麻原が鍼灸の資格を取って自分で鍼灸院を立ち上げたその
社会的な活動が、裏には「いつか日本国家に復讐する」という思いを秘めた中での布石
としての行為であったという話でしょう。鍼灸自体・単体での話を論じているものでは
「当然」「無い」わけです。文脈なしで単語だけの語義を論じて何か意味がありますか?
>>969 >文脈なしで単語だけ
隠居の得意技じゃないかw
宗教の主なものは世俗否定であり、
世俗の愚劣を説くものであり、
極端にいえば世俗の殺人さえも許容するに至るでしょう。
世俗否定の段階で既に歪みが生じてます。
それは自身が世俗であることの拒否です。
972 :
神も仏も名無しさん:2012/11/28(水) 00:08:58.10 ID:8Vf9QYEc
>>962 オウムの信者のようなセクト化するカルト集団というのは、仏教で解く「出世間」
「出家」とは全く違います。今、「卒原発」をスローガンに掲げる嘉田由紀子氏の
「日本未来の党」の結党のニュースが出ていますが、「【反】原発」で国会前でデ
モ行進するのが「反世俗」だとすれば、「【卒】原発」の言葉のイメージの方が
「出家」の発想に近い感じかもしれません。
麻原を筆頭とするオウムの感性は、世間に対する憎悪です。それは実は世間的価値
観には「無茶苦茶執着している」からこそです。欲しいのに、それが「自分には」
得られないから、「持っている他人」の幸せを破壊してやろうという発想です。麻
原は個人的に「日本国家によって自分の人生は盲人として破壊された」という考え
が根にあるので、復讐してもあくまでも五分五分で、少しも自分に罪の意識はない
という思いのはずです。「悪いことした」から牢獄にいるのではなく、「負けた」
から牢獄にいると思っているだけでしょう。良心の苛責がない人間(サイコパス)
はどこまでも無茶苦茶なことを平気でやります(擬似的に2ちゃんねるでも仮面性
・匿名性によって良心の苛責が外れたことによって舌鋒が暴走している人が見受け
られるのと同様のことです)。
仏教の出世間思想はそんなことは言っていません。だから、仏教が「【反】俗世間
思想だ」と勝手に受け取った上で以後の批判を展開するとしたら、仏教に落ち度が
あるのではなくて、トンチンカンをした人の側です、と、ひとつひとつその頓珍漢
について指摘していくほかありません。
>>972 犯罪を起こしてからでないとそれがわかりませんね。犯罪を起こさなければ何事もなかった。ただの新興宗教
>>972 出世間思想を是とするならば教義通りの脱虚妄でなければ
ならないと考えます。
出家の前提となる意味は何なのか?
出家により、より虚妄になるのは本末転倒ではないのか?
例えば、北海道の雪山で出家して山に篭るのは自殺行為ではないのか?
寺は家であり共同生活者がいるのではないのか?
どこに虚妄を脱する要素があるのか?
出世間、出家が指すものは出自分に他ならないと思います。
依拠するものが何もないことに他なりません。
依拠するものがなければ、世間に従うことができるのかもしれません。
それは割とどうでもよい状態かもしれませんw
978 :
神も仏も名無しさん:2012/11/28(水) 05:29:18.96 ID:zdtXWQee
>>967 アホだな、宗教そのものも復讐には直接役立たないだろ
それと一緒だよ。過程なんだよ。先ずはできるとこからやるわけだ
鍼灸からヨガ、どちらも人を集める手段になるだろ
どちらもちゃんと効果がでないと人はあつまらないが
979 :
神も仏も名無しさん:2012/11/28(水) 05:31:51.24 ID:zdtXWQee
鍼灸とストレッチどちらも人間の寿命を延ばすという点において
効能のあるものです。妙な意味付けは不要です。
人を集められなければ商売になりません。商売に妙な意味付けは不要です。
宗教は効能があるものなのか?
なんとなく精神の安心があるという理由でありがたがっているのではないか?
それは虚偽の安心ではないのか?
例えば、鉄道マニアなどの趣味での精神の安定と宗教上の精神の安定
坐禅での精神の安定
そこに差異があるのだろうか?
寿命を延ばすという効能で結果オーライなら何でもありなのか?
人生は苦と説くなら寿命を延ばす行為は矛盾するのではないか?
当人は80歳まで生きたのではないか?
苦の滅なら普通の人が日常無意識にしている行為ではないのか?
981 :
神も仏も名無しさん:2012/11/28(水) 08:49:38.77 ID:Cm3T371f
もはよう
寒いね
なんかよく分からんことで
また論争しているけど
>>958が原因?
仏教が定義する苦とは結局は自我ありとするに尽きるよ
迷いとは苦しみに対して見当はずれの原因を立て
それに責任転嫁しようとすること
原因ではないから苦は断てない
一つ解決しても、また違う苦を呼び、永遠に尽きない
だから、自己の内に原因を見つめていく
なぜ、このような行為をしてしまったのかと
そうすれば心の習慣というものが見えてくる
ここで業論となるわけだ
あくまでも業論の主眼はここ
もし原因不明の悪果を受けたとして
心がそれにとらわれるならば、さらなる悪果は避けられない
その悪果を避けるための安全弁として前世・来世は仮定されるのさ
それを受け入れることができるなら、とくに必要ない
・・・と俺は思う
しかし、なんだかんだ言って人は過剰弾圧などするからね
本来、生前死後は分からないとするべきだが
モデル論としてあると仮定されるのはだからだろう
俺は信じる方を選ぶというだけ
そういう話だったわけだが。
だから、経緯上、業論と縁起は必ずしも同義ではないね
縁起の方が広い
982 :
神も仏も名無しさん:2012/11/28(水) 08:52:33.03 ID:Cm3T371f
で、迷いについてだよね
世間が迷いじゃないんだ、外に原因があるんだと言っても
あるいは、自我はあるんだと言っても
苦は尽きないし、
でも楽があるからいいと言っても
死は必ず訪れ、自我に固執した者は最終的に
全てを失うことによって幕切れる
苦楽相対のものしか手に入れられず、つまり欲しいものは手に入らないまま死ぬ
それでもいいと言うなら
結局はさほど手に入れたいと思わないものに躍起になっていると
言えるのではないか?
何をしても満足だったのだ
>>981 >>958のは迷いが虚妄であることの大きな気づきをさす
貴重な意見であり、その錯覚が宗教に引きずり込む最大の罠を示しています
縁起の方が幅広いことには頷けます。
いい悪いにつけ発生する仕組みにプラスして呼吸する、うんこする等の
神聖な意義についても縁起というものは語るものです。
984 :
オウムと密教と神智学 大滝秀治 :2012/11/28(水) 09:24:35.32 ID:E960yzYS
単なる復讐劇に矮小化するな!
真言宗護教のためとはいえ、その意図において誤っている。
オウム問題を単なる鍼灸と『松本の個人的な復讐感』などと矮小化して弁明するところが
カルト一代のカルト一代たる所以だ。
単なる復讐劇に高等教育を受けた連中が参加するわけがない。
まさに仏教内での密教をはじめとするカルトの『宗教的体質』が問われている。
実質ヒンドゥの空海真言宗も例外ではない。
一代にとっての神は大日如来と空海その人だ。
(絶対)一神教の宗教がカルト的体質を内含していることは歴史的事実として証明されている。
モッガラーナはじめブッダの弟子たちも(ブッダその人も?)ポアされているのだ。
その底には抜きがたい人種差別主義(レイシズム)の感情が横たわっているのだ。
何人もうんこを拒絶できるものでなく
うんこの拒絶は死を現わす
うんここそ神ではないでしょうか?
麻原はうんこです
うんこの徹底的解明が求められます
うんこは万能でないのに万能と勘違いしたのではないでしょうか?
優秀な組織を抱えた故のものであり、自身の匂いと形状に気づかなかった
のではないでしょうか?
>>984 かなり妄想が膨らんできていますね。程ほどに
>>984 あなたがいくら想像しても答えは出ない。これからあなたがいくら注意してもその信仰団体を知らないとそれを止めることjは不可能。なんの心配をしてるんですか?現実を見てください
>>984 もしあなあがまたオウムのような団体を出したくないという糸でそれを妄想し、ここに書き込んでいるならそれを即刻やめて日本の新興宗教を調べ上げそれを警察に知らせてください。
それがいやであれば、ここであなたの知識をひけらかし自分は頭がいいということをみなに言ってもらいたいという欲望から書いています。
信仰団体と普通の会社のどこに違いがあるだろうか?
対象は神格化された利益か人間か空想かであろう
人が寄せ集まって何かしていることに差はない
何をしてるかの対象が生活のためという明確な答えのあるぶん
会社の方がましだろう
>>988 いや、実際、大滝秀治さんは頭いいと思いますよ
「お前の言うことはつまらん!」
さて、つまらんのはワガママ言ってる自分か、
論拠を示さない自分か、つまらんと感じている自分か
>>990 答え
つまらんと感じている自分
頭がいいことと大滝さんの言動の話とは別ですね。
>>990 大滝さんが何を意図して書いているかが問題です。それを説明しただけです。
993 :
神も仏も名無しさん:2012/11/28(水) 10:17:41.96 ID:zdtXWQee
まあ、とにかくテキストに戻ろう
それ以外、有意義な話をする手段はないでしょう
>>990 自分は大滝さんの書いたことをつまらないと感じていませんよ。そのたとえ話も別問題。
995 :
神も仏も名無しさん:2012/11/28(水) 10:19:30.98 ID:oqOoTo98
>>988 大滝さんの書き込みは有意義であり、啓発されてますよ。
これからもどんどん書き込んでもらいたい。
>>991 根本となる原因はそれで正解と思います。
では大滝さんに何か不満があるのでしょうか?
それは受けてに委ねられると思います。
妄信したい人はすればいいんじゃないでしょうか?
なんじゃそりゃ?を書かない人には耳を傾けるに足る価値が存在します。
999 :
神も仏も名無しさん:2012/11/28(水) 10:27:24.43 ID:oqOoTo98
テキストを盲信主義は危うい。
テキストが間違っていたら目もあてられない。
>>996 「書かない人」 書く人の間違いですよね。同意見です。今回の意見は仏教議論スレなので書きました。議論目的です。
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。