>>875 >これも分かる。・・・・が、水野はそういう見解として、その他、山口氏や石飛氏の
石飛先生は言及されてないじゃないかと思う。
山口先生はどうでしょう。オイラが知る限り言及されてないような。
全ての論考を通読したわけではないので。
オイラ的には、そういう煩瑣なアビダルマ的分析はあんまり興味ないんだよね。
重要なのは縁起、観をどう捉えるかということで、そこに行くまでの基本過程、戒定慧だと思うから。
部派、唯識、ゲルクとかが好きな煩瑣な体系構築は、興味がわかないんです。
逆にこの三者は、そういう細かい面に拘るので、なんというかそういう方向に興味がある方に向いている道だと思います。
まあ、暇人さんはガチガチの素朴実在論に立った文献学者の代理みたいなポジションだよね。だけど、水野先生が六十二見を禅定主義と捉えたことを認められないようじゃ、ただのイチャモンと変わらないんだよね。
それと、テキストに書いてあることは、マテリアルな面はキッチリ正誤が分かれるけど、解釈の面はこれは解釈だから総合的にどちらが妥当かどうかぐらいしかいえず、完全に誤りと断じることはできないでしょ。
その点もはみ出してるとしか言えない。もっとも、観・縁起についてはオイラの方が圧倒的に妥当だと思ってるけど。たとえ多くの文献学者の反論があったとしても。