☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート31

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1神も仏も名無しさん
仏教に関するよろず質問スレッドです。
知識を有する有志によって仏教に関する疑問・質問に答えます。

主に参学の途にある方々の知識によって対応しますので、明確な答えは出ないかもしれません。
皆で協力しあって何かの参考になるスレッドを作っていきましょう。

初心者にはやさしく接してあげてください。
良ければ出典などを示してください。質問する人がどんな本を読めばいいかの目安になります。
明確な出展なく自説を述べる場合は、その旨はっきりさせると無用な議論の紛糾の防止になるでしょう。

無駄な荒廃や議論の紛糾防止のため、皆様のご協力をお願いいたします。

*「議論の白熱化、専門化」「話題の拡散、変異」「売り言葉に買い言葉のような応酬」
 等の事態が生じましたら、関係各位は“自発的に”速やかに
 他スレ・該当スレへ移るか、ふさわしい新スレを建てるかなどして、
 『質問し易い雰囲気』作りに御協力ください。

【前スレ】
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート30
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1323483875/


【過去ログ・関連スレは>>2-5辺り】

※みみずん変換は、URLの 「 /psy/0000000000 」を残し、
それより前を「 ttp://mimizun.com/log/2ch/ 」へ。
2神も仏も名無しさん:2012/05/06(日) 20:18:52.32 ID:Y2/67sYN
【過去ログ】
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート29
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1296312118/
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート28
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1273950612/
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート27
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268863382/
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート26
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1267761169/
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート25
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1265848995/
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート24
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1263374686/
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート23
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1256027204/
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート22
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1252318977/
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート21
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1228643678/
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート20
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1221194935/
3神も仏も名無しさん:2012/05/06(日) 20:26:10.11 ID:Y2/67sYN
パート19以前は、以下のサイトで。
http://www.geocities.jp/jfcps873/index1.html

リンク外(パート8と9の間)
卍卍 新・仏教質問箱@参学用 卍卍パート2
  http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1095178011/
卍卍 新・仏教質問箱@参学用 卍卍パート1
  http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1081319012/
リンク外(初スレ)
☆ 神道・仏教 @ 質問箱 ☆
  http://life.2ch.net/psy/kako/988/988650860.html

【他質問スレ】
イスラム教@質問箱2
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1284301497/
聖書@質問箱
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1284435433/
☆ ★ 宗教なんでも@質問箱 13 ★ ☆
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1336110698/
【勧請・開眼】仏事の疑問あれこれB【勤行・参詣】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1304822382/
☆ ○ 神道 @ 質問箱3 ○ ☆
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1199915330/ (DAT落、次スレ未建)
【仕切り直し】神職・巫女さんに質問【巻之弐】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1323095018/
神職・巫女さんに質問【巻之参】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1323174130/
もの凄い勢いで誰かが質問に答えるスレ21822
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1335874645/
☆ ★ 宗教なんでも@相談箱 ★ ☆
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1230561897/
4神も仏も名無しさん:2012/05/07(月) 00:20:59.74 ID:uwK7TbeK
唐揚
5 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/05/07(月) 02:04:59.38 ID://2QmM1K
仏説阿弥陀経の解説本(真宗大谷派監修)を読んだらアホらしくなった。
6神も仏も名無しさん:2012/05/07(月) 12:18:38.73 ID:FKdUtw/3
>>5 阿弥陀経の内容自体にアホらしくなったの?
7神も仏も名無しさん:2012/05/07(月) 17:26:21.79 ID:nfY5wvaM
大衆に、極楽浄土に行きたいと思わせる必要があったんだよ
TVのディズニーランドの宣伝番組と一緒でね
その上、今なら浄土行きのチケット(念仏)は無料ですぜ、旦那
8神も仏も名無しさん:2012/05/07(月) 19:36:49.91 ID:dXohzhwC
で死んだら
君らは天国か浄土に行きたいのかね
無になりたいの
私は阿弥陀仏のもとへ帰るわ
南無阿弥陀仏
9神も仏も名無しさん:2012/05/07(月) 20:39:02.67 ID:N8RH1Iw0
浄土は仏教を学ぶのに何の障害もない場所だけど、仏教を学びたいと思わなくなる(くらい快適だ)から、閻浮提のほうがいいんじゃないかな?
10神も仏も名無しさん:2012/05/07(月) 21:12:39.97 ID:w/u3qxZl
人間いつ死ぬかわからん
夜行バスで逝くか
いつ車にひき殺されるかわからん
いつも死を意識し生を考えるないと
南無阿弥陀仏



11神も仏も名無しさん:2012/05/08(火) 01:42:07.94 ID:xKhoRgSV
>>9 極楽浄土の場合は、極楽に生まれた時点で不退転の悟りに達しているので、
もはや堕落することはなく向上するのみになります。
おそらく、仏道以外に興味なくなってしまうのでは。
12神も仏も名無しさん:2012/05/08(火) 02:58:55.32 ID:SHKpE5+G
岩波書店の「ブッダ 悪魔との対話」を読んでいるんだけど
第二章第九節の「耕作者」
このサイトに載ってるもの→http://blogs.yahoo.co.jp/akiyangt/45319613.html

「牡牛は見ましたか?」 
「悪しき者よ。 どうしてお前は牡牛に用があるのか?」

と、その後の悪魔の、すべての感覚は自分のものであるという主張が
いまいち繋がっていない気がする
これはどう考えればいいの?
13神も仏も名無しさん:2012/05/09(水) 16:02:25.17 ID:3cHOGmPG
まず、釈尊が無我の教えを説いていて、それを悪魔が恐れた。
それを悪魔が恐れて、我はあると説いて解脱の道を阻もうと思う。
そこで、農夫に化けて牡牛を探していることにこと寄せて、釈尊とその弟子たちに近づく。
そこで、きっかけがその応答。

その後、本題に入る。悪魔は見えるもの感じるものは私のものであると説いて、
弟子たちを惑わそうとする、ところが釈尊に論破されてしまうということだと思うけど。

現代人なら、本題に入る前に「悪魔は五感の対象は私のものに他ならないと説いて惑わそうと」
などと註釈を挿入するでしょうが、恐らく分かり切ったことだから入れなかったと思われ。
14神も仏も名無しさん:2012/05/09(水) 17:27:34.28 ID:UEr6509V
なるほど
牛の話は悪魔が釈迦に近づくための方便だからあまり意味はないってことかな
牛はどこいったんだ?と思ったから
15神も仏も名無しさん:2012/05/09(水) 18:23:05.93 ID:Rlvq/SKe
インドに於いて、牛はもっとも馴染み深い動物だから、
譬え話や何かのメタファーとして頻繁に用いられる。仏教に於いては、
「調御が必要であるという面」で、或いは「悠然と、動ぜず佇むという面」で「自我」に、
「貴重な生活の糧、助けという面」で「財産」に、
或いは「荷物や耕し等、力強く引っ張る、導く(一匹)」として、「指導者、勝者」というものもあったかもしれない。
他、探せば色々出てくるんじゃないかな。
勿論、牡牛と牝牛で譬えの中の利用のされ方は違うけれども、
いずれにしろ、長所短所両面で人気のあるモチーフ。
16神も仏も名無しさん:2012/05/09(水) 20:33:16.52 ID:AJGUA6oI
インドに行くとほんと牛が生活に密着してるんだよね〜
そこらじゅうに歩ってるし、牛乳、ヨーグルト、バター、チーズは欠かせない。
そして牛糞は、燃料や建材にされるから
17宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/05/10(木) 07:15:38.34 ID:rIpmIRkL
>>12
ちなみに、
仏典でいう「悪魔」とは五蘊と五蘊の性質に対する比喩的象徴(決まり文句)です。
本当に恐ろしい悪魔が眼前に出現してるというわけではありません。
18神も仏も名無しさん:2012/05/10(木) 08:26:33.68 ID:CDhTd+5z
>>17
この人の解釈は仏教ではなく、神智学なんで
19宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/05/10(木) 09:20:46.39 ID:rIpmIRkL
追記:

はい、
これがゴータマ自身によって明らかにされた“悪魔”の正体です。

ゴータマは五蘊と五蘊の作用こそが、
自身を真実でないものへと縛り付ける苦悩の根源と見なし、
これを悪魔と呼称しました。
まず、仏典であればこれについて例外はない筈ですので、
このように読んでいけば、経文にある象徴の背後にある真義に迫れるものと思います。

 『「大徳よ、悪魔、悪魔と仰せられますが、大徳よ、いったい、なにを悪魔と仰せられるのでございますか」
「ラーダよ、色(肉体)は悪魔である。受(感覚)は悪魔である。想(表象)は悪魔である。行(意志)は悪魔
である。識(意識)は悪魔である。
 ラーダよ、そのように観じて、わたしの教えを聞いた聖なる弟子たちは、色を厭い離れ、受を厭い離れ、
想を厭い離れ、行を厭い離れ、識を厭い離れる。厭い離れることによって、貪を離れることができる。貧を
離れることによって、解脱する。」』(相応部経典23-11/羅陀相応魔)

*仏教界には伝統に縛られている原理主義者もいます。
伝統なり、定説なり、多数派なりが必ずしも真実とは限らないことは
皆さんもお分かりのことと察します。
各自、自分自身が納得のゆく回答をゆっくりと見つけていきましょう!

>この人の解釈は仏教ではなく、神智学なんで >>18

また、相手や物事の真実性はレッテルではなく、
その中身の正しさと整合性で判断したいものです。
20パーピマン:2012/05/10(木) 10:44:53.64 ID:HuAMpHYF
 
呼んだ?wwwwwww
21神も仏も名無しさん:2012/05/12(土) 06:27:45.81 ID:EtnvX3S2
ここに書き込んでいいのかな。
坊さんが結婚して子作りして寺を継がせるのってなんでオッケーなの?

なにかで明治の廃仏毀釈の時に仏教を骨抜きにするために政府に妻帯させられたって聞いたことあるけど、浄土真宗以外の昔は妻帯禁止だった仏教でそんな理由で妻帯してるなら、平成に未だにそれを続ける理由が知りたい。
22神も仏も名無しさん:2012/05/12(土) 11:46:45.30 ID:N4fvydN1
明治以来そうしてきているという、ただの習慣です。
仏教的な根拠はありません。

僧侶も、そろそろ世襲制葬式仏教は終わろうとしているので、対応を迫られると思う。

個人的には、もう世襲制はやめにして、伝統的な形に戻したらいいと思う。
それも一斉にそうするのではなく、跡継ぎのいない寺は、前の家族に出てってもらって、
寺は、誰のものでもなく師弟が合議制で運営する本来の形にちょっとずつしていけばいいと思う。

世襲制で続けたい人は、続ければいいし。
急に否定し、強制的に禁止するのは仏教的ではないと思う。
23神も仏も名無しさん:2012/05/12(土) 13:18:23.83 ID:C3A7r6df
>>22
>それも一斉にそうするのではなく、跡継ぎのいない寺は、前の家族に出てってもらって、
>寺は、誰のものでもなく師弟が合議制で運営する本来の形にちょっとずつしていけばいいと思う。

何を言ってるんだ?
現状でも、跡継ぎが居なければ、その家族は即座に寺から放り出されるぞw
下手したら住職でも、年取って法務が出来なくなった時に跡継ぎが居ないなら、追い出されかねないw
なお、跡継ぎが居ない場合は、法縁(お寺の師匠・弟子関係のあつまり)での会議で決められる。
そして、そういう寺はえてして貧乏なんで、だれも住職になりたがらなくて、法縁長が代務することに……
世襲でもなければ、跡継ぎが居ない寺が多いのが現状だよ
妻帯して跡継ぎを作らなければ、安定した寺院経営が出来ないからこそ、僧侶も妻帯するし、檀家サイドもそれを求めるんだよ。
理想を追い求めたい気持ちは良くわかるが・・・・・・
そういや、子供が居ない住職が、跡継ぎを一般人から公募して、弟子候補を育ててたけど、結局逃げられたって話をこのあいだ聞いたなw



都会の金持ち寺院お場合? 知らんがなw
24神も仏も名無しさん:2012/05/12(土) 13:35:16.77 ID:N4fvydN1
>>23

習慣でそうなってるのは分かる。
だけど、それでは先がないという話。
私のは提案ですよ。

墓守という意味で住職とされるのも江戸あたりからの習慣でしょう。

習慣は、急には直せないが、ゆっくり直すべきという話ね。
25神も仏も名無しさん:2012/05/12(土) 19:00:20.66 ID:M09kWlOQ
養子を貰うてよくあるよ
何世代も続いたお寺では
檀家さんもお寺を維持してほしいと
2621:2012/05/13(日) 20:44:23.28 ID:FYl9vqyf
それは結局僧の総数が足りてないってこと?基本世襲にして半端なく閉鎖的なイメージしかないから当然の帰結な気はするけど。

逃げられるって貧乏な寺ならどれくらいひもじい暮らしになるのかな。

僧の妻帯も子作りも世襲も明治からの慣習で仏教的などうこうではないということだけど、仏教的には本来アウトなのになんで放置なの?ウソでも言い訳とかないの?
27神も仏も名無しさん:2012/05/13(日) 23:09:00.59 ID:CKMU48Xp
>>26
>それは結局僧の総数が足りてないってこと?
どっちかっつうと、需要に対して寺の数が多すぎて、経済的に採算の取れない寺が多いって事だと思うね
寺って、コンビニより多いらしいw
もっと言えば、過疎が進む田舎の方が、寺院が多いんじゃないかな
(都会の寺院が裕福なのは、人口に対する比率の影響が大きいと思う)

だから近い将来、今の寺院数の半分以上が自然消滅すると思う
これは、妻帯を禁止しようが、どんだけ布教しようが、変わらん確定的未来だろうね
28神も仏も名無しさん:2012/05/14(月) 06:22:02.74 ID:mpH/0ynm
天魔が住む他化自在天の方が
六欲天の他の天より上位にあるのは何故ですか?
魔物が住む=低い領域、になるのではと思うのですが。
あとこういった天界の構造について詳しく書いている経典は何ですか?
29神も仏も名無しさん:2012/05/14(月) 12:52:59.13 ID:xmEmWGtx
>>28 天魔という名前は仏教からみた認識をあらわしている。
生きることを素晴らしいと執着するのも煩悩で、煩悩を「魔」と称するとしたら、
天魔は「最後の砦」なのでは。
「いのちは大切」という執着さえも魔なので、
いのちを守る神様がいるとしたらそれも仏教的には魔。
30神も仏も名無しさん:2012/05/15(火) 02:04:53.10 ID:sSkpk4E7
こんなお守りを服の下に首からかけてらっしゃる方がいるのですが、何という宗教なのかご存知ないですか?
多分仏教系でらっしゃると思うのですが
http://beebee2see.appspot.com/i/azuY3_O1Bgw.jpg
31神も仏も名無しさん:2012/05/15(火) 03:21:51.07 ID:WjRRVLec
質問なんですが、仏教徒になるにはどうすればいいんでしょうか。
32神も仏も名無しさん:2012/05/15(火) 07:41:42.27 ID:+0WLLX1V
>>31 仏・法(仏の教え)・僧(仏の弟子達や仏教教団)を信じ敬う気持ちがあるなら、
自分で仏教徒を名乗ればよい。
また、お寺で戒を授かって戒名をもらうと、正式に仏弟子(在家信者)となる。
「授戒会:じゅかいえ」をやってる大きな寺などがあるし、
仏教系の大学などの学生だと、夏休みに授戒会に参加して戒名をもらってる子もいる。
33神も仏も名無しさん:2012/05/15(火) 11:12:43.46 ID:uBh6iSeI
>>32
31です。ありがとうございます。もう少し勉強して、授戒会に参加しようと思います。
34神も仏も名無しさん:2012/05/15(火) 11:29:59.45 ID:ALciz2nx
定例で(定期的に)授戒会してる所ってあるのかな?
大概、大きなイベント事の合併行事だけど・・。

親しいお寺さんがあれば住職に頼み込んでw、
(上座部みたいに何人居なきゃ駄目とかはないけど、住職1人じゃできないから、法縁のお寺さんを加役で頼んだりして)、
1人で受戒も可能ではあるが・・・。
3531:2012/05/15(火) 14:51:26.92 ID:uBh6iSeI
勉強になります。ありがとうございます。実家の菩提寺とは親しくさせて頂いておりますが遠方で、婚家の宗派と違います。婚家の菩提寺も遠く法事にもお寺さんは呼びません。宗派についてはどう考えればよいのか悩みます。
36神も仏も名無しさん:2012/05/15(火) 18:30:41.27 ID:ALciz2nx
>>35
女性ですか・・。
当然、お付き合いは「婚家の菩提寺と」ということになるので、
婚家の宗派でするのが妥当と思います。「戒脈」の筋を同じくすべきでしょうから。
(またおそらく、“貴方自身の御葬儀”も、婚家の菩提寺でということになるでしょうから。)

ちなみに、
なぜ、大きな行事の時かというと、おそらくどの戒脈でも、
その戒脈の末端は、「その宗派の現在の最高位」の方であるからです。
その法系図と共に、名前を頂くからです。管主とか貫主とか管長とか色々名称はあるけれど。
いずれにしろ、その宗派の末端の在家信徒として、(その管長に続く系譜として)名を頂き仏弟子となりました、
ということだから、やっぱり、宗派は将来的なことを考えて揃えた方がいい。
勿論、結婚する前に貰っているケースもありえるから、
そういう時は、葬儀の際に名前はそのまま用いて、当該宗派の末席に加わることになりますが。
和尚によっては、名前を付け直す方もいらっしゃるかもしれません。

で、そういう正式なものでなく、「住職との約束」みたいな形で名前を貰っておくことも可能で、
正規な大きな行事をしたかしないか、「本山発行の」戒脈の札を持ってるかどうかという形の問題でしかない。
一般葬儀の戒名ってこの形のことだし、実質、名前考えてつけるのは、各菩提寺和尚だし。
だから、大きい授戒会のときは、参加するための仮の名前を貰っておいて、
葬儀の際に改めて付けてもらうって形もあり。
37神も仏も名無しさん:2012/05/15(火) 20:29:25.33 ID:dH0NN6yb
>>36
まてw
宗派によって状況は結構変わるぞ。
まずは>>35の宗派を聞くべきだろ
あとは、居住地が都会か田舎か、旦那さんが長男か否かでも結構違う。
婚家の姿勢もあまり熱心でないように見えるしな。
38神も仏も名無しさん:2012/05/15(火) 21:16:48.83 ID:ALciz2nx
>>37
そうか?
36の中にも書いてあるように、ポイントは

「婚家の、菩提寺との距離(法要の“頻度”ではなく、“行ない方”として)」
 ・・・葬儀の際の戒名の問題、及び墓に入る爲の条件とされるか否か。
「菩提寺和尚の寛容さ」
 ・・・他宗派の戒名でも、よほどの相違違和感ない限り援用する度量があるか否か。
「婚家・実家菩提寺両和尚のフットワーク及び応用力」
 ・・・授戒会に準じたイベントを企画したり、本山に働きかけたり、
   或いは、授戒の儀式を自ら行なうか、サラサラと記して、死ぬまで持たせておくとか

ってとこでしょ。ま、一個目は婚家の姿勢ってことでもあるけど。
(確かに、“偏狭”なのもあるからw、その意味では宗派も重要だが・・・。
 場合によっては方法が決まってきたり、一択しかなくなってしまうかも?w)
3931:2012/05/15(火) 22:37:05.94 ID:uBh6iSeI
31と35です。皆様色々アドバイスをありがとうございます。婚家は曹洞宗で夫は長男です。将来的なことも考えて婚家の宗派について先ずは色々勉強してみてから、お寺で開催されるイベントなどに行ってみるのもいいかなと思っております。
40宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/05/15(火) 23:31:48.47 ID:S3nhPe6S
少し口を挟むようですが・・・
家系の宗派(通常は菩提寺)と個人の信仰とは全く別ということも有得ます。
信じてなくても、先祖代々が何々宗派だから止む無く形だけ従ってるのであり、
自分が信じる宗派はそれとも別であったり、ということ。
宗教というのは自分が信奉するものでなければ、本来的には無意味でしょうね。
4131:2012/05/16(水) 17:52:17.87 ID:Mb31QZ85
>>40
ありがとうございます。家の宗派と違う宗派の信徒になることも可能なんですね。正直なところ実家の宗派のほうに親しみを感じております。
42神も仏も名無しさん:2012/05/16(水) 22:18:22.32 ID:o5KHN+AI
>>41
現在の寺と檀家の付き合いは「家」単位になっているため、嫁いだら、嫁ぎ先の宗派になるのが基本ですね。
何しろ、墓が家族単位ですし、先祖の供養なども同じ宗派で行う事になるからです。

ですから、家の宗派と違う宗派の信徒になることも「可能」ですが、その場合、婚家の家族の方々も改宗するのでないと、色々面倒が起きるかと思います。
例えば、婚家のお墓がお寺の管理する墓地にあった場合、そこに貴方が入れなくなる可能性が高いです。
なぜなら、寺院が管理する墓地では、その寺院の宗派以外の人の埋葬を拒否する権利が認められています。
(寛容なお寺なら許されるかもしれませんが、少数派でしょう)

さらに、だんなさんが長男と言う事は、先祖の供養の責任もかかってくるわけです。
先祖の墓の管理をどうするかなども問題も出てきます。
また、両家の親族との兼ね合いもあるでしょう。

普段の信仰は実家のお寺で、葬式だけ婚家の菩提寺という手もありますが……
あるいは、墓地はどこかの宗派問わずの霊園で、葬式や法事も派遣の坊さんで済ませてしまうつもりなら、普段の信仰はどうであろうと関係ないでしょうけどね。
ちなみに、>>40の人は、神智学と言う新興宗教を信仰してますが、父親の葬儀は仏式で行ったそうです。
世間体と本音のように、状況に応じて使い分けるのも一つの道かもしれませんね。
43宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/05/17(木) 00:35:52.98 ID:mB5CZ3fy
>>41
>>42さんの解説通りです。
ということで、改宗や個人の別宗派信仰というのは、
その後、様々に生じるかもしれない幾つかの面倒や不都合を承知の上で、
ある程度の妥協の中で納得して自分の信仰をしていくか、
または、断固として自分の信じる信仰の宗教を奉じていくという強い覚悟のいずれかが必要です。

ちなみに私の場合は、
日本の伝統仏教諸派の中で自分が最も高く評価するのは「真言宗」(だけ)です。
実家が仏壇を購入して数十年来、事情あって母方の宗派(真言宗ではない)で御祀りしていましたが、
私個人はヤル気がでないので、ただ普通に手を合わせるだけで、寺への行事にも全くの無参加でした。
現在は真言宗へと全面的に改宗しましたので、
これならヤル気もあるので自分でも積極的に在家修行、及び寺の行事にも楽しく参加しております。

尚、神智学との併用は特に何も問題は生じることがありません。
それと神智学というものはある意味で学問に近いものであり(これをどう生かすか!というと)、
専門職が法要なりの供養をしてくれるようなものは皆無であり、
菩提寺的にお墓(お遺骨)をあずけるといったこともまったくありません。
こちらは家系の御祀りとは異なり、まったくただの個人の学習の領域なのです。

以上、ご参考まで・・。

とにかくご自身で一番、
納得のいく方向へと選択されるのが良いと思います。

ここは詳しい方は常駐してますから、またいつでも質問するといいと思います。
44宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/05/17(木) 00:49:18.48 ID:mB5CZ3fy
補足:
>実家が仏壇を購入して数十年来、事情あって母方の宗派(真言宗ではない)で御祀りしていましたが、
>私個人はヤル気がでないので、ただ普通に手を合わせるだけで、寺への行事にも全くの無参加でした。>>43

これは母も同様にヤル気はあまりなし。
当時、母方の宗派に合わせていた理由というのは、
母方家系の近縁先祖に気になる亡くなり方が数人いたのでその供養を希望したものであり、
これはよく世間一般でいうところの“先祖自身が信仰していた宗教がその先祖の供養には適する”
といわれているセオリーに従ったものでした。
結果的には、別に我々にとっては特に満足感というのはなくて、
もうここらで自分達が心の拠り所となる宗派にしようという方向性で家族が纏まったからでした。
母も家族も私の影響あってか真言宗ということで落ち着きました。
45神も仏も名無しさん:2012/05/17(木) 20:45:01.23 ID:vNYjKEYf
ま身内の死 奥さんとか旦那が死んだら真剣に考えるだろな
4631:2012/05/17(木) 20:59:46.84 ID:q5R1Y1DH
>>42
>>43
ありがとうございます。大変勉強になります。
夫にも話をしてみたところ、自分の選んだ宗派を信奉するのがいいのではとのことでした。
義両親はおそらく今住んでいるところの近くで、宗派関係なしの霊園に墓を買うだろうと言っております。婚家の墓は新幹線で何時間もかかるところにあり、親戚ももう誰もその地には住んでおらず、義両親がこの先そちらで生活する予定もありません。
4731:2012/05/17(木) 21:01:50.65 ID:q5R1Y1DH
続きです。途切れ途切れになってすみません。
義両親は宗教全般に関心がなく、寺との付き合いもありません。義父の母が存命ですが、キリスト教に改宗したそうです。
ここまで寺との付き合いがない家を知りませんでしたので正直なところ戸惑いもあり、義両親に葬儀や墓などどうするつもりなのか聞いてみたいのですが、嫁という立場上ちょっと難しいです。
思い切って義両親に「私は○○宗の信徒になりたいのですがどう思われますか?」とはっきり聞いたほうがよいのかもしれません…。
夫婦で宗派が違うのは避けたいと思っております。夫は私に合わせるつもりのようです。
48宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/05/17(木) 22:36:00.67 ID:mB5CZ3fy
>>46-47
最終的には、
自分達が納得のいく結果を出されるといいと思いますよ。
ご夫婦揃って、納得できる宗派にされるのが一番ではないかと私は思います。
ご理解のあるご主人で大変、結構なことではないでしょうか?
(夫婦は一心同体であるという理解はとても大切です)

絶対、宗派変えは良くないといった頑なな態度の方こそ疑問符が付くものと私は思います。
先祖を遙かに遡れば、必ずや何度も宗教は変更しているというのが普通ではないでしょうかね。

ここには各宗派の伝統に詳しい方が沢山いますから、
また、お気軽に質問されると良いと思います。

どうか良い方向性に向かうよう願ってやみません。
それでは^^
49神も仏も名無しさん:2012/05/20(日) 17:34:49.72 ID:PBfvZ5xx
【ビッグガンガン】よいこの君主論【ステマ上等】
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/comic/1334226113/

ビッグガンガン
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/comic/1332737475/

【投稿】ガンガン系・Gファンタジー志望【スクエニ】6
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/iga/1333737381/

架神恭介「戦闘破壊学園ダンゲロス」
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/magazin/1320917293/

【横田卓馬】戦闘破壊学園ダンゲロス【架神恭介】
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/comic/1324382686/
50゚ 。(*′∇`)。 ゚ 希美ちゃん ◆1XjRibJyX. :2012/05/22(火) 16:42:12.16 ID:RrogaAqK
質問です。
仏教で「宇宙」と言った場合の意味を教えてほしいです。
仏教に対して無学なので、わかりやすい回答をいただけるとうれしいです。
よろしくお願いします。
51神も仏も名無しさん:2012/05/22(火) 17:06:12.08 ID:GaPd4oLx
世界ですかね。地獄から天国まで、あらゆる生存形態が収まる記号です。
ただし、この世界は諸縁と因によって縁起しているもので、
実体のない幻のような空なるものですよ。
52神も仏も名無しさん:2012/05/22(火) 18:02:17.05 ID:YnA95mGT
質問お願いします。
   
「空海は高野山の「奥の院」で現在も生き続けているとされている」と
何かで聞いたけど確認された方おられますか?
それとも噂の域でしょうか?
53神も仏も名無しさん:2012/05/22(火) 18:08:28.16 ID:Jr0Q4Yuf
私がはっきりと確認しました
54神も仏も名無しさん:2012/05/22(火) 21:27:13.96 ID:etWLvQeI
とても信じられませんがね

いつ頃、誰と・・・どんな状態の空海だったのでしょうか?
生きていると確信した理由・根拠は?

55神も仏も名無しさん:2012/05/22(火) 22:14:45.82 ID:PgI7Gr9W
あなた高野山に行ったこと無いでしょう
先ず行け
56゚ 。(*′∇`)。 ゚ 希美ちゃん ◆1XjRibJyX. :2012/05/22(火) 23:30:27.42 ID:RrogaAqK
>>51
回答ありがとうございます。
つまり仏教でいう宇宙とは、あの世の世界すべてということでしょうか?
57神も仏も名無しさん:2012/05/22(火) 23:59:34.91 ID:uEpIZZc+
>>56
「あの世」も「この世」も「かの世」も「知世」も関係なく、「世(よ)」(世界)ということです。
全部ひっくるめてということです。
勿論、『所謂「宇宙」』に対応するインド語はありません。
強いて言えば「虚空(アーカーシャ)」でしょうが、
我々が持つニュアンス(或いはspace)とは若干以上異なるでしょう。
そもそものインドが、そういう世界観ではないからです。
所謂宇宙(space)は、キリスト教的世界観及び唯物的世界観がベースになってるんじゃないでしょうか?
やはり「loka(ローカ)」(世界、世)が対応する語だと思います。
58゚ 。(*′∇`)。 ゚ 希美ちゃん ◆1XjRibJyX. :2012/05/23(水) 00:05:39.78 ID:XarxS7cd
>>57
わたしたち人間の思考、魂、霊なども宇宙と言えるのですか?
よく覚えてないのですけど、確か仏教関係の本で、人間の身体も宇宙?小宇宙だったかな?そのようなことを読んだ覚えがあるのですけど。
59神も仏も名無しさん:2012/05/23(水) 01:36:18.88 ID:LctSMD2f
>>58
最も身近な「人間の身体」が、大宇宙に優るとも劣らない複雑さ、神秘と驚異に
満ちた小宇宙であることは、医療関係者である君が、一番よく知っているはず。
60神も仏も名無しさん:2012/05/23(水) 04:54:22.37 ID:0ZqxpLew
>>58
それは恐らく真言宗の一部の近代的言い方で誤解です。
要するに真言宗の教義を梵我一如と解して、
梵を大宇宙・マクロコスモス、我を小宇宙・ミクロコスモスと呼ぶものでしょう。
これは近代学者が捻り出した妄想で、仏教ではそれは実在論、我見、有身見と呼ぶ、誤った見解に他ならなりません。
61承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/05/23(水) 05:17:47.64 ID:GciVg+4e
>60
真言?華厳の間違いじゃね?
つーか実在論じゃなくて単なる喩だし。(笑)
62神も仏も名無しさん:2012/05/23(水) 06:23:18.18 ID:0ZqxpLew
>>61
君は何も知らないんだから、知ったように書くなよ

大日如来は宇宙とか、コスモスという真言学者はたくさんいるだろ。
63神も仏も名無しさん:2012/05/23(水) 06:26:49.81 ID:EDPGwqX/
>>55
高野山に行けば誰でも解るものですか?
行かない人には不明なのですか?

それでは宗教本をまづ一冊読めという布教と同じでしょう
64承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/05/23(水) 06:50:07.91 ID:GciVg+4e
>63
まぁまぁ、宗教なんてもんには理不尽な迷信を有り難がる連中がつきもんなんだから目くじら立てなさんな。

(^。^)あそこは空海信仰してる人も居るってだけの話さ。
65神も仏も名無しさん:2012/05/23(水) 19:08:27.49 ID:5GDs2Tso
信仰てそんなもんよ
イエスが復活したと本気で信じる十字架さんもいるし



66宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/05/24(木) 00:00:25.16 ID:LPT0Q0iP
>>52
真言宗では“即身成仏”といって、
今生現世において生きた生身の肉体のまま完成された仏の境地へと到達することを理想としておりますが、
開祖であられる弘法大師/空海は最後の入定で自己の死を超越し、
永劫恒常の意識で以って現在も生き、かつ我々を導き、或いは守護されて下さっているという信仰です。
ハッキリというと、空海が瞑想状態のままで生存し続けている(仏の境地とは“不死”でもある)
という見方をするものであり、今日でも食事と着替えなどが運ばれます。

これをどう見なすかは人それぞれで、そこにこそ意義があります。

私の個人的理解では、
肉体は朽ちても空海ほどの精神レベルであれば、当時すでに死後も高次の境地にあったでしょうから、
現在、覚者(ホトケ)となられて久しいでしょう。
67神も仏も名無しさん:2012/05/24(木) 05:04:21.58 ID:AXES0Deo
フルカネリだの錬金術師だの・・検索すると
いろいろ出てくるわい
 ↓
■『空海のミステリー』―真言密教のヴェールを剥ぐ
http://www.shuppansinsha.com/sub_kukai.html#top
68神も仏も名無しさん:2012/06/03(日) 08:10:05.79 ID:w6vZQDjJ
質問です
ゴータマが悟りを開いた時、『金星が輝くのを見て悟りを開いた』云々と最近耳にしました
そこでこの記述の原典をあたっているのですが、どうやら涅槃経らしいというところまでは判ったのですが、
アゴン部なのか大乗涅槃部なのか判然としません
大正も検索かけているのですが・・・

ご存知の方いらっしゃいましたらご教授お願いします
69神も仏も名無しさん:2012/06/03(日) 09:07:50.50 ID:Fa7hlcNH
>>68
そこに拘ってもあまり意味がないと思います。

渡辺照宏『新釈尊伝』大法輪閣 版 197 に結構書いてます。

あるいはセナールあたりは面白い解釈してるかもしれません。
70神も仏も名無しさん:2012/06/03(日) 10:12:55.86 ID:GkNfuUrh
>>68
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?key=%E6%98%8E%E6%98%9F&mode=search&uop=1&tall=1&nm=&np=&smode=search
Search word : "明星" : Including related character :
397 hits : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 ..14 --- [ keyword count ] : 525

佛本行集經 (No. 0190) 0796c05 - 0796c11: 爾時如來於彼後夜明星出時得成阿耨多羅三藐三菩 [show] (1 hit)
修行本起經 (No. 0184) 0471c27 - 0472b08: 5;所作已成智慧已了明星出時廓然大悟得無上正眞道爲最正覺得佛十 [show] (1 hit)


法顕訳(No.0007)が阿含部に入ってて、曇無讖訳(No.0374)が涅槃部に入ってるんでしょ。

ちなみに、
Search word : "大般涅槃経 明星" : Including related character : 大般涅槃經 明星  0 hit : --- [ keyword count ] : 0

http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?key=%E6%B6%85%E6%A7%83%E7%B5%8C%E3%80%80%E6%98%8E%E6%98%9F&mode=search&uop=1
Search word : "涅槃経 明星" : Including related character : 涅槃經 明星 15 hits : 1 --- [ keyword count ] : 53

http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?key=%E6%98%8E%E6%98%9F&mode=search&uarnums%5B1448_24%5D=1448_24
Search word : "明星" : Including related character : 1 hit :  1 --- [ keyword count ] : 1---【 in 根本説一切有部毘奈耶藥事 】
根本説一切有部毘奈耶藥事 (No. 1448) 0081c10 - 0082a12:
加被我精進不放逸後夜明星出漏盡得清涼我於耆宿前名稱説本業安坐蓮花内無熱大池中 [show] (1 hit)


おそらく、上記のような仏伝系が初出でしょ。
71神も仏も名無しさん:2012/06/03(日) 19:58:36.91 ID:w6vZQDjJ
>>69-70
ありがとうございました
72神も仏も名無しさん:2012/06/17(日) 09:59:53.29 ID:DiDMTHmG
仏教は凄まじい男尊女卑思想だと聞きました。
大乗仏教ですら、女性は男性に生まれ変わらないと成仏できないと。

本当ですか?
73神も仏も名無しさん:2012/06/17(日) 11:14:38.84 ID:3Sf7b9qr
>>72 成仏と覚りは違います。
女性でも仏並みに悟ること(心の平安)はできる。
仏は、覚っただけではなく、その世界・時代のリーダー的な存在として他人を導く存在です。
いわば、仏教のない世界・時代に初めて仏教をもたらす存在。
また、女性の定義も微妙で、
出産担当の生物を女性と定義する場合は、
男女の別がない生物ならすべて女性、単細胞生物もすべて女性ですし、
人間の女性でも、子育てを終えて出家した場合には女性ではないといえるかも。
74神も仏も名無しさん:2012/06/17(日) 12:56:56.84 ID:A3DkZYez
【宗教】世界仏教大会(韓国開催)、チベット独立分子招待で中国代表退場、韓国曹渓宗が中国側を批判し謝罪要求[06/16]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1339905057/
75神も仏も名無しさん:2012/06/17(日) 18:40:58.86 ID:DiDMTHmG
>>73
ありがとうございます。
やはり男尊女卑思想が激しいみたいですね。
鎌倉時代以降の日本仏教も同じように女性は成仏できないという考えなのでしょうか。
76神も仏も名無しさん:2012/06/17(日) 18:50:29.42 ID:+u/R/QxA
法然さんは遊女ですら区別差別なく
救われると説いてます
77承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/06/17(日) 19:43:20.16 ID:xBzmswaN
>72
大乗仏教の経典の一つに維摩経というお経がありまして、その中で、舎利弗という有名なオッサンが維摩に同様の事を言いますが、論破されてフルボッコにされるという下りがあります。
従って、建て前としては男女平等だと言えるかと思います。
78神も仏も名無しさん:2012/06/17(日) 19:52:10.96 ID:ZfZhZEXj
>>73
肝心なトコに答えてないね・・・。
79神も仏も名無しさん:2012/06/18(月) 07:53:21.93 ID:8Hfxb54n
>>72
宗教者は言いたい放題・言ったもの勝ち
80神も仏も名無しさん:2012/06/18(月) 12:57:32.42 ID:DoKbzJa9
子育て中の女性は現実問題として、今すぐ成仏は無理でしょう。
子育てしながらお釈迦様みたいな活動もできないでしょう。

来世では成仏可能。
浄土教では、極楽には誰でもいける。極楽にいけば成仏確定。
81神も仏も名無しさん:2012/06/18(月) 14:07:56.37 ID:VhaQcLbS
>>80
男性は、子育てしないから成仏が可能なの? (´・ω・`)
82神も仏も名無しさん:2012/06/18(月) 16:11:47.55 ID:KEQNHE8l
>>81
釈迦を産んだのも女性でしょ(笑
83神も仏も名無しさん:2012/06/18(月) 16:43:25.84 ID:VhaQcLbS
>>82
意味がわかりません。
>>81>>82は、どんな脈絡で繋がってるんですか?
84神も仏も名無しさん:2012/06/18(月) 18:46:44.63 ID:DoKbzJa9
>>81 子育てしながら仏としての活動は無理では。
出家しないと。
ああ、逆の言い方をしましょう。
仏教のない世界に仏教をもたらすスーパー教祖(仏)となるべく生まれるような徳をもってる方なら、
子育てにわずらわされるような環境には生まれないのではないでしょうか。
要は、お釈迦様の人生が仏のモデルケースであり、それは極めて稀有な環境。
もしもお釈迦様が、シッダールタ王子ではなくヤショーダラー妃として生まれていたら、
幼い子供を置いて出家する選択はしなかったでしょう。
でも、ヤショーダラー姫もお釈迦様に弟子入りして悟った。
85神も仏も名無しさん:2012/06/18(月) 18:56:40.00 ID:DoKbzJa9
お釈迦様が発見した教えを受けて、女性でも子供でも悟ることはできた。
しかし、初めて教えを発見し、しかもそれを多くの人々に広めた
お釈迦様のような人生を歩むためには、
20代の若さで出家する必要があったのかも。
仏教のある世界でなら若い女性でも出家する発想がありますが、
仏教のない世界では、そもそも若い女性が出家しようという発想さえ浮かばないのでは。
子育て終えてから修行開始では年取りすぎて他人を導く時間が少ないし。
子育て中に子供を置いて出ていくのは、肉体的に子供とつながりが深い女性には難しいかも。
86神も仏も名無しさん:2012/06/18(月) 20:57:54.21 ID:dEbXo9Lr
仏教はやはりキリスト教には勝てないのでしょうか…
87神も仏も名無しさん:2012/06/18(月) 21:59:10.16 ID:DoKbzJa9
>>81 すでに仏教がある環境で師匠の教えを聞いて悟る人のことは、
仏ではなく声聞と呼びます。
また、誰にも教わらずに独りで悟って、
誰にも教えないで独りで消えてゆく人のことは、独覚と呼びます。
仏は、誰にも教わらずに覚って、しかも他人を教え導く存在です。
正直、みんながみんな「仏に成る」ことをめざす必要があるのかも疑問です。
日本で一般的に「じょーぶつ」と言ってるのは、厳密には成仏のことではなく、
声聞を含む覚り(ゆるぎない平安)全般のことだと思います。
その意味の「じょーぶつ」なら、男女どちらでも可能です。
88神も仏も名無しさん:2012/06/18(月) 22:30:09.95 ID:DoKbzJa9
>>86 あなたが気にしている勝ち負けの基準は何?
信者数とか?
89神も仏も名無しさん:2012/06/18(月) 23:39:30.77 ID:dEbXo9Lr
>>88
教えの内容です。
仏教は完敗と言わざるをえません。
キリスト教の圧勝だったのです。
90神も仏も名無しさん:2012/06/19(火) 02:25:02.87 ID:07RNxFCi
>>83
繋がっているのは母親から釈迦が産まれたという万人が理解可能なこと
極楽・成仏は人間の願望であって、それが本当に人間と死後に繋がって
いるかは今まで長い期間誰も証明不可能なことで根拠の無い妄想の類

黄泉の国から還って話した人は皆無だ
91神も仏も名無しさん:2012/06/19(火) 02:27:11.07 ID:M4C5eu2u
>>90
はあ?

お釈迦さんが女性から生まれたから、
男性は子育てしなくてもいいんですか?
92神も仏も名無しさん:2012/06/19(火) 05:01:28.04 ID:Ho4zupPM
*
93神も仏も名無しさん:2012/06/19(火) 05:07:46.47 ID:Ho4zupPM
>>89
なんで?
94神も仏も名無しさん:2012/06/19(火) 10:09:44.93 ID:PylrpT5b
>>90
全く説明になってないな。
何もわかってないんだろ。
95神も仏も名無しさん:2012/06/19(火) 11:08:54.60 ID:pswqBYX/
高橋克己のような質問してもね・・
確証も無い宗教に依存するなんて・・論外だ
96神も仏も名無しさん:2012/06/19(火) 14:49:57.51 ID:PylrpT5b
わかる限りの全ての経律論の現代日本語訳はありますか?
97神も仏も名無しさん:2012/06/19(火) 17:01:14.82 ID:Ho4zupPM
>>96
>わかる限りの全て

という意味が、現存、発見されている限りの全てという意味なら、
ありません。それ以前に、現代語訳はごく一部しかなされていません。
98神も仏も名無しさん:2012/06/19(火) 21:50:39.03 ID:PylrpT5b
>>97
なぜ現代語訳を出さないのでしょうか。

99神も仏も名無しさん:2012/06/19(火) 22:37:06.14 ID:Ho4zupPM
>>98
それは分かりません。

けれども、妄想すらく以下が主な理由でしょう。

売れない。

研究者がやりたがらない。なぜなら、和訳は労多く、評価が低いから。

なぜか、国訳の方が優れていると思っている。あるいは、漢訳に忠実だからかも。
100神も仏も名無しさん:2012/06/23(土) 16:11:31.09 ID:XVoPu8V6
諸法無我についてお尋ねします。
主体となる我というものは存在せず
変化するそのままの状態を指して関係そのものが自己なのだというのは、
通常の概念でも自己同一性などと変転を予定して使用されている事と何ら変わらず、
無我は特別意味の無い概念に思われます。
煩悩もその関係の中に生じているのであり無我概念はそこに変化を与えない。
人とは常なる物でないという意味で諸行無常に吸収されていいようなものではないでしょうか。
101神も仏も名無しさん:2012/06/23(土) 16:28:22.89 ID:6kH0zbgW
>>100
>通常の概念でも自己同一性などと変転を予定して使用されている事と何ら変わらず、

この文が何を言っているのか分かりません。

>煩悩もその関係の中に生じているのであり無我概念はそこに変化を与えない。

「その」と「そこ」は上の文を指していると思いますが、その文が分からないので、意味がとれません。

少し説明するか、言い換えるかしてください。
102神も仏も名無しさん:2012/06/23(土) 16:48:08.73 ID:XVoPu8V6
>>101
> >通常の概念でも自己同一性などと変転を予定して使用されている事と何ら変わらず、
>
> この文が何を言っているのか分かりません。

自己同一性というのは変化する個の流れの中での一定の傾向として捉えられる概念で
諸法無我に独特な領域は無いのでは。
アイデンティティの訳語として作られた語なのでそちらが影響を受けているとも言えますが。

> >煩悩もその関係の中に生じているのであり無我概念はそこに変化を与えない。
>
> 「その」と「そこ」は上の文を指していると思いますが、その文が分からないので、意味がとれません。

諸法無我言う所の現象としての変転する関係を捉えての自己の上に表れるのが煩悩であるから、
無我にそもそも煩悩は内包されており概念導入によっては何ら変化が無いのでは。

という事です。質問内容伝わりますでしょうか。
103承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/06/23(土) 16:59:51.54 ID:sncTBiW+
>100
現代の論理学的視点から見ればそう思われるかも知れませんが、当時の時代背景、すなわち梵我思想などの迷信なども併せて考えてみては?
104神も仏も名無しさん:2012/06/23(土) 17:04:25.21 ID:6kH0zbgW
>>102
分かりました。その場合、同一性の基体となるなんらかの本質、アルケー、実体をも認めないのが諸法無我です。以下のようにです。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/31.html

例えばベルクソンのデュレが近い考え方に思えますが、確か明確に違ったと思います。
詳細は忘れてしまいましたけど。
105神も仏も名無しさん:2012/06/23(土) 17:57:00.77 ID:XVoPu8V6
>>103
無我が煩悩を内包しているのだとすると
正見により煩悩から解脱し涅槃寂静に至るという文脈に対して
諸法無我が機能を持たない事になります。

>>104
そのように一切自己は存在しないと言ってしまうなら
煩悩もまた存在しえず上記文脈に沿います。
がしかし、縁起ある者の関係全体を指す無我を超え、
一切自己が存在しないという事は作為的過ぎないでしょうか。
真理として承認するには不足であると考えられます。
106神も仏も名無しさん:2012/06/23(土) 18:18:26.75 ID:U5Vfu2jY
>>105
無我を思惟している主体は「我」だから、「無我」は論理的にも、実際的にも
成立し得ない。

煩悩は「我」から発し、それを滅しようとするのも「我」である。

煩悩は、「生きている」、即ち「我(生命)がある」ことの証。我の維持に
不可欠な心的作用。死と共に消滅する。
107承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/06/23(土) 18:19:48.61 ID:sncTBiW+
>105
貴方は世界の構造を構築する某という規範が存在するとか考えてますか?
その仮定に対して仏教のロジックが沿わないと考えてません?

(^。^)その仮説が間違いってのが「諸法無我」かも。
108神も仏も名無しさん:2012/06/23(土) 18:24:17.07 ID:XVoPu8V6
>>106
反仏教の立場ですか。

>>107
そのような話はしてないかと。
あくまで仏教の教義内での質問です。
109神も仏も名無しさん:2012/06/23(土) 18:34:07.23 ID:U5Vfu2jY
>>108
仏教であっても、論理性、合理性、現実性は必要です。それが無ければ、単なる
妄想・狂気に過ぎなくなってしまいます。
110神も仏も名無しさん:2012/06/23(土) 18:43:09.92 ID:XVoPu8V6
>>109
世俗的価値体系に拘泥し過ぎる事による誤りの可能性にも考慮の余地があっていいがその通りです。
四法印の一つを全否定しているので反仏教とお見受けしたのですが。
111神も仏も名無しさん:2012/06/23(土) 18:47:40.92 ID:U5Vfu2jY
>>110
四法印のいずれについても、同様に、「論理性・合理性・現実性」は必要です。
112承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/06/23(土) 18:48:34.78 ID:sncTBiW+
>108
仏教の教義でなら、諸法無我も諸行無常もそのままの意味であり、
煩悩に関する問題に限定して自己同一性など持ち出す必要は無いかと思いますがね?

(^。^)君自身の判断基準にそぐわないなら仏教を学ぶ必要は無い。
113神も仏も名無しさん:2012/06/23(土) 18:50:03.47 ID:XVoPu8V6
キリスト教徒です。宗教は総じて嫌いですが哲学的思索の一助として見ている者です。
等の返答を期待してるのですが。
114神も仏も名無しさん:2012/06/23(土) 18:52:55.14 ID:XVoPu8V6
>>112
そう発狂なさらず。
理解を努めている初学者の助力をなさってください。
115承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/06/23(土) 18:56:54.33 ID:sncTBiW+
>114
(^。^;)お前は何を言っているんだ?

つーか、議論したいなら議論スレ行きなさい。
116神も仏も名無しさん:2012/06/23(土) 19:09:40.27 ID:XVoPu8V6
単なる初学者の質問なんですが、
そこはこう考えられてるのですとすぐには答えの出ない議論の範疇でしたか?
117承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/06/23(土) 19:14:37.46 ID:sncTBiW+
>116
つ112
118神も仏も名無しさん:2012/06/23(土) 19:18:30.53 ID:XVoPu8V6
>>117
あなた八正道に反してますよ。
後人の指導に当たる者は仏教徒らしく振舞いなさい。
119神も仏も名無しさん:2012/06/23(土) 20:55:43.55 ID:6kH0zbgW
>>105
ああ、なるほど発想が西洋論理なんじゃないでしょうか?

とりあえず、それを捨てないと理解できないと思います。

これ以上やりたければ議論スレに移行してください。
120神も仏も名無しさん:2012/06/24(日) 01:32:47.31 ID:BKVR1vQa
>>109 仏教とは、悩み苦しみの原因を消したり制御したりして、
悩み苦しみを消したり制御する教えです。
あくまで日常生活に即した実践的な教えです。
怒ってる人が、無常や無我を思って怒りがスーッと冷めるとか、
あれこれ悩んでるときに「これは私の煩悩が原因だな」と冷静になって心が晴れるとか。
無我がわかってる人は、例えば、昨日ケンカした相手に今日あったときに、
まるで初対面の人とあったかのように敵意も失礼もなく、くったくなく話ができる、みたいな。
昨日の自分と今日の自分の感情に同一性をもたせる必要はないんだから。
121神も仏も名無しさん:2012/06/24(日) 01:40:24.59 ID:BKVR1vQa
無我が本当にわかってる人は、たぶん家族を殺した犯人とでも心から和やかに談笑できる。
まぁ、そんな人がいたら、世俗的な価値観から「人でなし」だろうけど。
よく事件の被害者家族の恨みとかも「それは煩悩ですよ。すんだことは忘れましょう。」となるし。
122神も仏も名無しさん:2012/06/24(日) 05:34:50.95 ID:KUCsgatG
「煩悩を滅する」という不自然な欲望こそ、最大の煩悩。
123神も仏も名無しさん:2012/06/24(日) 05:36:19.24 ID:ErEG/R0b
>>122
これは生命教というアラシです。
124神も仏も名無しさん:2012/06/24(日) 05:58:35.02 ID:KUCsgatG
>>119
本当に「真理」であれば、西洋・東洋を問わず、「すべての人間」に理解し得る
はず。

多くの西洋人が、仏教を信じ、また研究している。「キリスト教の究極の目的は、
仏教の空である」という神学者もいる。

中論は、西洋人にも感銘を与えている。
125神も仏も名無しさん:2012/06/24(日) 20:04:22.62 ID:BKVR1vQa
>>122 煩悩を動機にして修行をはじめ、やがて煩悩を滅するというのも「アリ」では。
126神も仏も名無しさん:2012/06/24(日) 23:20:29.68 ID:jPnI5mIO
>>125
「煩悩を滅する」という目的のために修行するのでは、その煩悩は修行中
続く。修行を一切止めるよりほかには、方法はない。修行を止めて煩悩を
受け入れれば、煩悩は去る。
127神も仏も名無しさん:2012/06/25(月) 17:02:09.53 ID:LVZ2WKqq
高空に浮かぶ天上巨大構造物、多宝如来の多宝塔。
地割れと共に地面から無数の金色に輝く菩薩の出現まで
様々な奇跡が予言されている。
そして、それらは今年中に起こる。
全ては法華経に予言されている。
128承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/06/25(月) 18:25:09.43 ID:T/k2AWmt
>127
ここは質問スレだよ。
129神も仏も名無しさん:2012/06/29(金) 15:12:07.90 ID:D1qlsY/B
昔のお坊さんは法事などでお経をあげるときに、
説法もしてたと思うのですが、
最近のお坊さんは説法する人が少ないように思います。
お坊さんは説法をするべきだと思いませんか?
130神も仏も名無しさん:2012/06/29(金) 21:44:53.00 ID:GcGBVsmB
宗教をどう捉えるかによって人それぞれ違う
131神も仏も名無しさん:2012/06/29(金) 22:21:37.06 ID:v0u6Bf/F
>>129
うちの近所(首都圏ギリギリのベッドタウン在住)で親戚とかの法事に行った範囲では、どの坊さんも説教してたけど?
どの辺のお寺(都会、田舎etc)に、何度ぐらい行って、説法が無かったのは何人ぐらいだったの?
132brown:2012/06/30(土) 01:40:35.06 ID:HdgSIfOo
>>106
正しくは↓ですね。

無我を思惟している主体は「無我」だから、「無我」は論理的にも、
実際的にも成立している。

煩悩は「無我」から発し、それを滅しようとするのも「無我」である。

煩悩は、「生きている」、即ち「我(生命)が無い」ことの証。
煩悩は,我の維持とは無関係な心作用。死と共に消滅することもあり得ない。
133brown:2012/06/30(土) 02:09:37.74 ID:HdgSIfOo
>>100
ご推察の通り,無我と無常は同じ意味です。自己同一性の欠如も。

ところで,疑問は,無我なる私に煩悩が生じてくるのだから,「無我」は煩悩の
退治にならないのではないか? ということでしょう。

煩悩は無我なる私に生じてくるのですが,煩悩が指向する対象は,単に無我
の現象ではなく,無我の現象の上に,我を増益したところなんですね。
だから,増益された我を「無我」として滅することで,煩悩を滅することが
できるというわけです。

本来は無我なのに,それを我と見たところに煩悩は生じる。そこで,
その誤った見解を正すと,誤って我ありと見ていた心がなくなるので,
煩悩はその取り付く島を失い,消えてしまうというわけです。
134神も仏も名無しさん:2012/06/30(土) 09:34:07.14 ID:RW1HdiJq
>>133
> ところで,疑問は,無我なる私に煩悩が生じてくるのだから,「無我」は煩悩の
> 退治にならないのではないか? ということでしょう。

お察しの通りです。

> 煩悩は無我なる私に生じてくるのですが,煩悩が指向する対象は,単に無我
> の現象ではなく,無我の現象の上に,我を増益したところなんですね。

上で書いた論旨で増益されたと指摘されている煩悩を無我が内包する事は可能かと。
135神も仏も名無しさん:2012/06/30(土) 09:37:14.23 ID:RW1HdiJq
可能に留まらず、やはり無我概念によって煩悩は変化はしないとまで言って差し支えないのではないでしょうか。
136神も仏も名無しさん:2012/06/30(土) 10:09:30.72 ID:3NbBti7c
>>132
>正しくは↓ですね。

論理的に滅茶苦茶。誰にも理解できんよw。
137brown:2012/06/30(土) 13:09:05.21 ID:HdgSIfOo
>>135, 136
なるほど。そのとおりですよ。
もちろん増益された我を対象とした煩悩も,無我が内包しています。
元々無我なのだから,煩悩も無我です。
だから,無我によって煩悩は変化しません。真実には。

ところが,人の認識は真実とはずれていて,無我を我と認識しているので,
それを「無我」と正しい認識に改めることによって,煩悩は消えます。
人の認識の中で。

真実に無我だというのと,現実の認識として無我だというのとは違う
ということですね。真実には変化はないんですね。その辺を注意して,
諸「法」無我と諸「行」無常と,無我と無常ではちょっと範囲が違っています。
138神も仏も名無しさん:2012/06/30(土) 13:11:11.15 ID:4wNEMAjb
質問させてください!

無分別智ってソシュール的な言語による分別から解放されることですか?
たとえば、(健常者/障害者)の分別をやめると(人間)
(人間/非人間)の分別をやめると…このように、延々と分別をやめていって、
この世を一つの宇宙として見るような感覚なのでしょうか?
また、これは竜樹の指し示す空や縁起と関係ありますか?
139神も仏も名無しさん:2012/06/30(土) 13:20:16.65 ID:U0H27XZx
>>137
>人の認識は真実とはずれていて,無我を我と認識しているので

その「真実」とやらを、誰がどうやって認識したのかね?w

「無我」を思考・認識する主体は何?「我」に決まっているだろw。

いずれにせよ、釈迦の「無我」は、「己の我を以って我を否定した」という点で、
完全に論理矛盾で誤り。
140brown:2012/06/30(土) 13:36:42.05 ID:HdgSIfOo
>>139
「我」という漢字が誤解を生みやすいという問題もあるのですが,
「無我」といっても主体がないということではありません。
主体や存在を直接・全面否定すると,「完全に論理矛盾で誤り」です。
道徳も破壊されますね。結構そういう論調も見受けられるのも事実です。

「主体が無い」ということではなくて,無我といっているのは,
主体が無常だとか,主体の我がないとか,時間を貫いて不変の自己同一性は
ないという意味です。

だから,真実をその主体は認識するし,無我をその主体が思考します。
ただし,その主体は,無常であり,時間を貫いて不変の自己同一性はない
というだけです。
141神も仏も名無しさん:2012/06/30(土) 13:47:44.69 ID:U0H27XZx
>>140
ちゃんと「主体」があるのなら、「『無』我」というのはおかしいね。

「無我」という言葉自体が、既に「有我」を前提としている。「無」は「有」を
前提とする。「無常」も「常」の状態があることを前提とする。

いずれにせよ、「無我」という言葉は誤り。
142神も仏も名無しさん:2012/06/30(土) 14:02:48.84 ID:4wNEMAjb
138ですが、横槍、失礼しますします
>「無我」を思考・認識する主体は何?「我」に決まっているだろ

「我が思考する・認識する・見る・聞く・味わう」と聞くと、
「思考・認識しない・見ない・聞かない・味わわない我」というものが存在することになります。
しかし、人間からあらゆる五感を取り除いたら、そもそも我を含めて何も残らないと思いませんか?
逆に言えば、そのように五感による認識があり、その後から「我」が追認されたのであり、
先に我があったわけじゃないと思うんですよ。

釈尊が五蘊仮和合を説明して、五蘊がどれもアートマンではないと言ったこと、
そして「誰々が食べる」ではなく「食べるという"作用がある"」というまどろっこしい言い方をした背景には
こういうことがあったのではないでしょうか?
143神も仏も名無しさん:2012/06/30(土) 14:26:57.87 ID:U0H27XZx
>>142
生命がなければ、五感も一切生じない。五感の前に生命がある。死者には、
知覚も煩悩もない。

食べるという生活作用も、我(生命)から生じる。

釈迦も「無我」はさすがに言いすぎだと思ったのではないかね。「非我」など
とも言っているが、これではモロに「我」を前提としている。
144神も仏も名無しさん:2012/06/30(土) 14:40:18.72 ID:4wNEMAjb
>>143
我(=生命)とする部分がちょっとよく分かりません・・・
たとえば、腕には生きた細胞(生命)がうごめいていますが、腕も細胞も我ならざるものです。
もちろん、「我」のような根源的な"何か"が無いと認識作用自体が生まれないんじゃないのか?
というお気持ちは分かりますが、少なくともその"何か"はどこにも見つかりません。
「少なくとも、その細胞は我ならざるものである」といって、我が見つからないことを1つ1つ挙げるしかできないという…

「非我」は「それ(五蘊)は我ならざるものである」という意味で使っていたと思います
「我は無い」とは一言も言っていなかったような…
もちろん、「すべての諸法は我ならざるものである」という命題から論理的に
「我は無い」を導くこともできますが、それは現代的な論理的な考えであり、
釈尊の言うところではない気もします。
「我はある/我はない」という命題は、「私が説いた法ならざるものである」と彼なら言う気がします。
145神も仏も名無しさん:2012/06/30(土) 15:14:18.89 ID:MJSIuYab
>>144
U0H27XZx は生命教という独自の説を唱える変わった方ですよ。
146神も仏も名無しさん:2012/06/30(土) 15:22:55.44 ID:RW1HdiJq
>>137
やはり無理があるでしょう。
真実として存在するものを
実我から仮我に視点を移したところで事実としても認識としても何ら変わらない。


また別の疑問に踏み込むなら
諸行無常でありながら真実というものを想定している事に矛盾がある。
すべてのものが生滅流転して永久不変なものは無いと述べながら
私のいう事は永久不変な真理であると言ってしまえば利己的に破綻している。
147神も仏も名無しさん:2012/06/30(土) 15:46:19.41 ID:RW1HdiJq
>>141
永久不変な我は無いという解釈での語法なら可能だね。
そこで使われている語は専門語としての我で
常一主宰である実我をさしており、無実我を無我と呼んでいる。
148神も仏も名無しさん:2012/06/30(土) 15:51:23.54 ID:oMTnIBR/
>>144
>我(=生命)とする部分がちょっとよく分かりません。

要するに、生命現象を現す肉体(生命)と死体との区別ですよw。この区別が
出来なければ、死者の火葬も埋葬も出来ません。「殺人罪」になりますから。

死ねば、腕も細胞も脳もその他身体のすべての器官は壊死し、分解し、機能を
失います。来世の認識もできませんから、来世は無いのと同じです。

生命現象を現す原動力(生命そのもの)は何かは、己の生命を以っては把握で
きません。何故なら、把握主体と把握客体が同一ですから、把握は不可能でナ
ンセンスだからです。

生命そのものは、人間が対象化不可能な唯一の存在です。

生命現象を現す肉体(生命)は、宗教を含む人間のすべての営みの根源であり、
それらに先立つ最上位概念です。

釈迦もイエスもその他如何なる人間も生物も、生命から見れば、生まれながらに
その奴隷に過ぎません。生命そのものは、また、生存本能と言い換えることが
できます。「生きようとする欲求」が、すべての生物に共通な「唯一の普遍の
事実」だからです。
149神も仏も名無しさん:2012/06/30(土) 16:39:38.46 ID:4wNEMAjb
>>148
なるほど、大体は理解できたと思います。
釈迦もイエスも根源的な生命そのものがあったからこそ生まれた、
そしてその根源は把握できない、ということですよね

しかし、それが「我がある」、「認識の主体がある」という見解にどのように結びつくのでしょうか。
もう1つ、「来世の認識もできませんから、来世は無いのと同じ」を応用すると、
「生命現象を現す原動力(生命そのもの)は把握できないから、無いのと同じ」とは言えないのでしょうか。
150神も仏も名無しさん:2012/06/30(土) 17:25:46.51 ID:vKLE+TKZ
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」by親鸞

浄土真宗西本願寺派なんだけど、これ以上の名言って他の宗派であるのかな?
あったら教えてください。
151神も仏も名無しさん:2012/06/30(土) 18:03:05.88 ID:zLLWFZM/
>>149
認識・思考にはその主体が必要です。死者には不可能です。
釈迦が「無我」を思考したのは、釈迦の我、即ち生命です。

生命そのものは対象化できないが、「生命現象を現す肉体」は万人が
対象化(知覚)できます。生命現象は、肉体の隅々にまで現れています。
従って「生命=生命現象を現す肉体」としても、何ら問題はないと思います。
152神も仏も名無しさん:2012/06/30(土) 18:44:18.04 ID:4wNEMAjb
>>151
>認識・思考にはその主体が必要です

>>142は読んでくれましたか?「認識する主体」があるなら「認識しない主体」もあるはずですが、
五感などを用いた認識・思考をそぎ落としていくと、
そこには主体と呼ばれるような「我」は残らないとは思いませんか?
認識がまず先に起こるから、
その次に「我ってあるよね!君もそう思うでしょ?」
と間主観的に「我」なるものを追認・仮構することができる、という順番です。
我を欲望と言い換えても同じ結果になると思います。
認識作用が無いならば、食べ物も目の前に現れない、現れていないものに対する欲望はありません。
悟ることが諸々の認識作用を滅却することだとすれば、悟ることは生きることを辞めること、
原始仏教は極端に言えば、それほど厭世観に満ちたものだったいう印象です。
(あなたがいうところの「死者」になる、という意味では当然ありません。)

>「生命=生命現象を現す肉体」としても、何ら問題はない
左辺は対象化できないもの、右辺は対象化できるもの、とのことですか、
「対象化できないもの=対象化できるもの」とすると、矛盾命題にしか見えないのですが。
153神も仏も名無しさん:2012/06/30(土) 19:27:43.11 ID:zLLWFZM/
>>152
人間を含むすべての動物は、出生と同時に知覚・思考が生じる。それが無ければ、
外界での生存が不可能だからだ。いや、胎児のうちにも生じている。胎児は複雑な
産道を巧みに通過して出生する。宗教者の場合は、認識・思考をすべてそぎ落としても、
悟り、解脱、釈迦などという宗教観念は残るw。欲望も、欲望主体がまず存在しなければ、
生じようがない。

対象化できないものを対象化する方法として「象徴」がある。例えば、「天皇は
日本国民の統合の象徴」、「赤は、情熱の象徴」、等等。生命の場合は、生命現象
は肉体の隅々まで現れているから、肉体は象徴以上のものであり、「肉体=生命」
としても何ら問題はない。
154神も仏も名無しさん:2012/06/30(土) 19:38:37.97 ID:zLLWFZM/
>>152
>「認識する主体」があるなら「認識しない主体」もあるはずですが

宗教者が、開祖・教義をすべてそぎ落とせてから、それを言ってくれw。
155神も仏も名無しさん:2012/06/30(土) 20:17:07.18 ID:4wNEMAjb
>>153
>出生と同時に知覚・思考が生じる
すみません、仮にそうだとして、この件からどんな結論を導けるのでしょうか。
>欲望主体がまず存在しなければ、生じようがない
厳密には認識作用が存在しなければ欲望は生じない、ですね。
「欲望がある」ための必要条件は「欲望の対象がある」ことです。
「欲望の対象がある」ための必要条件は「認識作用がある」ことです。
従って、「欲望があるならば、認識作用がある」、その対偶「認識作用が無いならば、欲望はない」が導かれます。

>宗教者の場合は、認識・思考をすべてそぎ落としても、悟り、解脱、釈迦などという宗教観念は残る
これは(悟りをまだ開いていない)宗教者というより、ブッダの場合のことですよね。
これは自分も気になるところではあります。認識作用を寂滅して無分別智を体得した後、
改めて世界を分別、再構成した上で、それらの諸概念を用いて説法した、と自分は解釈していますが…。
前に友達に「悟ったのに何で食べるの?生きたいという欲望がなければ食べないでいいじゃん」と言われて困りましたw

これについては、誰か詳しい方、教えていただけませんか。
あと、>>138の質問についてもお願いします…
156神も仏も名無しさん:2012/06/30(土) 20:37:22.81 ID:pvQfepc3
>>131
田舎のお坊さん4名と都会のお坊さん2名に会ったことがありますが、
説法した人は田舎のお坊さん2名です。
157宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/06/30(土) 22:13:38.78 ID:ZQ9px0dm
>>462>>463
肉体が存続している状態という意味での最低限の業でしょう。
(悪というような意味合いではない)。

もしも望むならば、
完成者というのは不食で死なないでいることも可能です。
食を得ないでも肉体を維持存続するエネルギーの摂取法がありますからね。
よって態々、不食の状態へと切り替えるのか?
そうではなく、普通にこれまで同様の食事を継続するだけか?ということ。
これも本人が選択することです。
また、肉体の放棄も当然、いつでもできますから。

完成者はすべてを自分で決めているのです。


割り込み失礼。
158宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/06/30(土) 22:14:44.51 ID:ZQ9px0dm
>>157
誤爆です。失礼
159宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/06/30(土) 23:45:44.53 ID:ZQ9px0dm
>>155
>前に友達に「悟ったのに何で食べるの?
>生きたいという欲望がなければ食べないでいいじゃん」と言われて困りましたw
>これについては、誰か詳しい方、教えていただけませんか。

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1340691539/467-494
160神も仏も名無しさん:2012/07/01(日) 12:26:21.05 ID:tk/iznsb
托鉢ってどうなんだろう?
世間と縁を切っておいて食事だけ貰うって都合いいよね
自給自足の生活じゃだめなのか?
161宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/01(日) 13:25:47.91 ID:SsnGJH/B
>>160
托鉢の目的は自分の食を得るということだけではなくて、
施しを行うことによる功徳が得られるようとの衆生済度が目的です(真意)。
修行者への施しの功徳は非常に大きいものと謂われています。

従って、多くの施しが期待される金持ちの部落よりも、
現在、貧困に喘いでいる貧民部落へと赴いて、
そこからホンの僅かな施しをさせることがより重要です。
この貧困地獄から救い出すためです。

至福を肥やすことを考えている僧侶など論外です。
多額の布施金で豪遊するなど持っての外。
162神も仏も名無しさん:2012/07/01(日) 13:58:02.54 ID:tk/iznsb
>>161
なるほど 与える方にもメリットがあると
都合いいですね

最低限生きられるように自力で食料を確保し、
あとはひたすら修行に励むような僧侶が素晴らしいと個人的に思います
163神も仏も名無しさん:2012/07/01(日) 14:16:31.12 ID:D5UB7FeI
>>162
じゃあ自分はそうすれば?
と、大抵の宗派で言われて終わっちゃうが。
164神も仏も名無しさん:2012/07/01(日) 15:06:44.04 ID:tk/iznsb
自分は仏教徒でも何でもないです
仏教の考えは素晴らしいのに残念に思うとこがいくつかあったので
聞いてみただけです
165神も仏も名無しさん:2012/07/01(日) 15:54:09.89 ID:dKXvUWpP
>>164
仏教の基本ラインである「欲(欲望)の滅」からすれば、
「托鉢で食を乞う」というのが、許容されるギリギリのところなわけです。
 *(また、インドに於いては修行者の身体維持の手段としては、定番のものでもあります。
  仏教だから、ではなく、道を求めて修行する者は誰でも、托鉢によるというのがデフォルトなのです。)
なぜならば、
「生産活動をし、収穫・収益を望む」ということは、そのまま、
「(本来滅すべき)欲(欲望)の肯定」に他ならないからです。
だから、実務上の利便性や、時代・関係性の環境・しがらみ等による状況上の要請があるからとは言いながらも、
世襲が批判対象であり続けるのは、ここに由来します。
166神も仏も名無しさん:2012/07/01(日) 16:31:05.83 ID:tk/iznsb
なるほど。
ではもっと馬鹿な質問をしますが、
もし托鉢ができない環境であれば仕方がなく生産活動をするのでしょうか?
167神も仏も名無しさん:2012/07/01(日) 16:52:23.26 ID:dKXvUWpP
>>166
まさにその経緯を辿ったのが(中国)禅宗です。
168神も仏も名無しさん:2012/07/01(日) 19:50:36.27 ID:JLbfH21s
>>166
ちょっと答えにならないかもしれないけど、
インドでシャモン達が托鉢とか思索に耽ったりできるようになった背景に、
商業・農業の発達によって修行者以外の人が生産活動に従事できるようになったということがあるみたい。
逆に言えば、商業・農業があまりに未熟だと、托鉢など修行するには不便な環境だったということ。
修行者たちも生産活動に従事することを余儀なくされたかもしれない。
169神も仏も名無しさん:2012/07/02(月) 08:12:08.84 ID:dDsp6ZbL
>>164 冷蔵庫のない時代に食べ残しをおいといても腐らすだけだし、
スプーン一杯分ずつを分けあたえる信者が50人くらいいれば充分1食分をまかなえるし、
信者にとっては思ってるほど負担は重くないのでは。
それに、信者は修行僧から専門的な知識を得られるのであり、
修行僧としては、在家にはできないような修行と学問にあけくれることこそが義務なんじゃないかな。
役割分担。
170神も仏も名無しさん:2012/07/02(月) 10:41:22.41 ID:4EaU1urU
>>167
>>168
>>169
回答ありがとうございました。
勉強になりました。
托鉢に対する偏見が幾分か和らいだ気がします。
171神も仏も名無しさん:2012/07/02(月) 12:57:46.91 ID:dDsp6ZbL
>>170 日本のような世襲寺院は特殊で、基本は一般信者の家庭から出家するわけで、
托鉢僧に布施するのは、間接的な「仕送り」や応援でもあるでしょう。
親戚が出家してお世話になってる教団や寺院に差し入れする感じ。
172神も仏も名無しさん:2012/07/03(火) 15:13:30.05 ID:zRVcnYQi
華厳とか無上正等正覚のような境涯と呼ばれるランク付けのようなものがあるみたいなのですが、何種類位あるのでしょう?
173神も仏も名無しさん:2012/07/03(火) 21:26:01.40 ID:RuUqLuff
御詠歌の練習したいのですが、CDなんて売っていますか?
本山では販売してませんでした。因みに真言宗。
174宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/04(水) 08:39:49.07 ID:2qDY8F86
>>173
「御詠歌 CD」で普通に“ショッピング検索”でググレば幾つでもでてきます。
175神も仏も名無しさん:2012/07/04(水) 10:02:05.16 ID:n9lmaHz3
御詠歌 ミク
176神も仏も名無しさん:2012/07/04(水) 22:56:42.00 ID:OJgAB2bX
有難う御座いました。
 検索します。
177記憶喪失した男:2012/07/05(木) 13:56:47.12 ID:ZyopomTf BE:1231838036-2BP(3)
質問です。

あるがままにあれ、というのは仏教の教えですか?
どこに書いてありますか?
178神も仏も名無しさん:2012/07/05(木) 14:44:24.93 ID:p2LBODOy
こんにちは
最近うちが浄土宗って知ったんだけどどんな宗派ですか?
西山派って言われた。
ばあちゃんちが農家だったのと関係ありますか?
浄土宗ってマイナー?
179神も仏も名無しさん:2012/07/05(木) 16:36:35.50 ID:rXGJFwKE
具体例の形でお伺いします。
末期癌で日々身体の強い痛みを耐えて苦しむ人がいるとします。
仏教で彼が涅槃寂静に至るにはどのような考え方で対処すればいいですか。
180神も仏も名無しさん:2012/07/05(木) 17:06:41.90 ID:9C47IkAe
>>179
自分がいかに輪廻という恐ろしい不自由な場所に暮らしているか、そういう風に危機感を最初植え付けます。
そして危機感だけで終わってはまずいので、次第次第に慣れていきます。
慣れていって、輪廻から解放される、つまり解脱することですが、解脱への希望というものを持つということ、
こういう仕方で考えると非常に良いんじゃないかと思われます。
181神も仏も名無しさん:2012/07/05(木) 17:23:05.37 ID:HOfqQm0o
>>180
馬鹿だろ?w



一代も同意見か?wwwww
182神も仏も名無しさん:2012/07/05(木) 18:21:49.47 ID:o7om05F2
末期ならそのまま何もせんでもじきに涅槃寂静やろ。ほっとけば?
183神も仏も名無しさん:2012/07/05(木) 18:39:12.19 ID:qD6gwDkP
>>179
残念ながら手遅れ
184神も仏も名無しさん:2012/07/05(木) 19:33:38.60 ID:9C47IkAe
>>179
いま苦しみを感じているのは自分だけではないと思い(震災の被災者やチベット、シリアとか)
その苦しみを自分が引き受けている、と考えてみてはどうですか

>>180
なにが馬鹿かよくわからんが文句があるなら代案だせよ
185神も仏も名無しさん:2012/07/05(木) 19:45:01.58 ID:HOfqQm0o
>>184
つキリスト教に改宗

(末期癌ではないが)実例を一件知ってる。
186神も仏も名無しさん:2012/07/05(木) 20:28:02.22 ID:9C47IkAe
などと意味不明な供述をしており、
>>184 は近く韓国へ強制送還を執行
187神も仏も名無しさん:2012/07/05(木) 20:32:35.65 ID:srrckUjz
暖衣飽食の中ですら涅槃に辿り着けないヒヨッコ共に
病苦の渦中でどう涅槃入りするかと聞かれても困るすな

>>186
そう、さようなら。お達者で。
188神も仏も名無しさん:2012/07/05(木) 20:45:14.93 ID:HOfqQm0o
>>186
冗談だと思ってんの?

病名は失念したが、意識は明晰だけど体が動かせず、ほぼ寝たきり状態になった人がいて、
病室で色々な本を読んだり話を聞くうちに、実妹がカソリックの修道女で、
聖書の読み聞かせ等もしていたんだろうと思う。
で、病室で洗礼を受けて、洗礼名貰って、そして、キリスト教式で葬儀だった。
ただ、家族(遺族)は菩提寺があるし、自分達はそこへ入っていくのだからということで、
和尚に仏式の戒名をつけて貰って、納骨は先祖代々の墓地へ入れたとのこと。

病室で身体も動かせず、天井しか見えないほどの状況に於いて、
神の(聖書の)言葉が、彼の胸に響いたのだろうと思う。
このことを誰が批難できるだろう。
189神も仏も名無しさん:2012/07/05(木) 20:46:58.00 ID:HOfqQm0o
>>188は、≪『安心』(あんじん)とは何か?≫という究極の問いだと思うよ。
190神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 00:43:10.89 ID:8HlqnYBJ
意外に良い回答が出て来ないね。
真っ先に登場する生老病死という苦諦の基本要素だというのに。
妄想三昧のキリスト教のほうがまだ救いを与える力があるのだとすると
これは情けない事だ。
191神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 03:55:01.24 ID:0qhy6E44
>>188
具体的に、聖書のどのような文句が感動した?
いうてみい 言うてみい
192神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 04:36:04.12 ID:OO+jHsjn
>>178 浄土宗を開いたのは法然さんで、現在「浄土宗」という宗派名で呼ばれてるのは法然の弟子聖光さんの系列。
西山派は、同じく法然の弟子の証空さんの系列。
教義は、基本的にはたいして変わらない。
私達の世界で悟りを開いたのはお釈迦様(2500年前の仏教開祖)。
一方、西方極楽浄土という別の世界(宇宙)には、阿弥陀仏という仏がいて、
「南無阿弥陀仏」とその仏の名前をとなえる者がいたら
必ず死後に極楽浄土に往生させてくれる。
お釈迦様が亡くなって長年たち、難しい修行や善い行いができない堕落した仏教徒でも、
地獄におちたりせずに、称名念仏(仏の名前をとなえる)するだけで
極楽浄土という最高の環境にいけて、
そこで阿弥陀仏の指導をうけて悟りをひらくことができる。
193神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 04:48:47.02 ID:OO+jHsjn
>>178 法然の弟子には親鸞さんという人もいて、この系列が「浄土真宗」。
浄土真宗が檀信徒数では最大宗派だと思います。
「南無阿弥陀仏」(なむあみだぶつ)という念仏は有名なので、
マイナー宗派というわけではないと思います。
浄土宗が登場したときは、天皇家から武士や農民まで、幅広く人気がでたそうです。
身分や老若男女にかかわらず、また、善人でも悪人でも、
ただ念仏をとなえるだけで、阿弥陀仏が必ず極楽浄土に往生させてくれ、
極楽にいけばみんな平等の光輝く菩薩(仏の見習い)になれて、
いずれ仏(最強の聖者)に成る(成仏)が確定するという、
シンプルな教えで人気がでた。
194神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 04:56:53.28 ID:OO+jHsjn
>>177 あるがままの人間は煩悩だらけで、煩悩が悩み苦しみの原因なので、
あるがままでは悩み苦しみだらけのままだよというのが仏教。
だから、あるがままではだめだよ、改善しなきゃというのが仏教。
ただし、あるがままの人間を慈しむ(憎まない)のもまた仏教。
たとえば浄土宗では、善人は善人のまま、悪人は悪人のままで、
生まれつきのままの姿で念仏すれば極楽に往生できる、と説かれます。
195神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 07:59:00.06 ID:OO+jHsjn
>>177 仏教では、あるがままを観察するのは最も大切なことです。
私達は、概念・観念のフィルターごしに物事を認識してしまうので、
なかなか「あるがまま」に見ることができません。
「あるがまま」に見て受け入れることができれば、悩み苦しみはなくなる。
仏教の修行は、物事をあるがままに見られるようになるための訓練、とも言えます。
196神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 08:10:36.29 ID:OO+jHsjn
>>179 涅槃とは煩悩が完全になくなること(仏様と同レベル)なので、
現実的には、今生でそこまで修行を完成させるのはかなり難しいので、
来世に望みをかけるしかありませんよね。
仏教徒全般にいえることは、仏・法・僧を信じて悟りを求める気持ちがあるなら、
来世はまぁまぁ悪くないだろうということ。
来世の心配がなくなったら、あとはこの世でどう安楽に過ごすか。
それは、過去や未来を妄想せずに、今・ここに集中すること。
今の1秒を生きられるなら、次の1秒もまた耐えられるでしょう。
1秒1秒に人生を区切って生きる場合は、まぁなんとか1秒くらいならガマンできる。
なのに、過去や未来とつなげてしまうと悩みは増大する。
197承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/07/06(金) 11:05:03.30 ID:s32k3Zs8

死に臨んで人が何を求めるかなど千差万別であり、甲という状況下では必ず乙となるなんて事は無い訳だが、
その有り得ない事を断定してしまうのがヤソであり、ヤソ病罹患者である。
ヤソになれば救われるとヤソは言うが、これが救いなどでは無く現実逃避して妄想に浸っただけである事はご存知の通りだ。

また、>179の様な設問をするメンタリティについては、なかなか興味深い点だが、スレチなのでここまでとする。
198神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 11:08:47.12 ID:8HlqnYBJ
>>197
完全に負けて中傷かよ。
仏教大したことないな。
199神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 11:16:43.99 ID:w6IowHtJ
>>198
もう一つのポイントは、
改宗の彼が、もし“神智学”や“ニューエイジ”の教えに触れていたら、
それぞれの信徒になっていたかどうか、だろうなw

「神智学やニューエイジ思想は、彼に“安心(あんじん)”を与え得たか?」

これも興味深い問いだと思うよ。 が、これもスレチだなw
200神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 11:17:16.62 ID:8HlqnYBJ
あなたは他の誰かの苦しみを救うために替わって受けている神に選ばれた人なのです
という受難の思想を語り、
キリストの挿話を話し、あの世での希望を語る。

救いの無い病者にはなるほど仏教より力がありそうじゃないか。
対抗しなよ。負けてるよ。
現実世界の苦痛からの救済を志向しているとしながら
明らかな妄想に勝てないのか。
201神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 11:45:30.39 ID:Lat+EyPm
>>198
彼は真っ当な仏教徒じゃなくて、単に縁あって仏教をちょろっと知った人だから
彼を仏教の代表にしてほしくないっす

>>199
スレチで引っ張ってすまんが、なんでもよかったと思うよ。
自分の縁を正当化してるだけにしか見えないんで、しかも極めて浅薄、無自覚、無責任。
202神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 11:49:03.80 ID:8HlqnYBJ
>>201
仏教的救済の在り方をどうぞ。
その投稿では君も中傷してるだけの愚者だ。
203神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 12:24:04.33 ID:OO+jHsjn
>>202 余計な妄想雑念があるから悩みが増えるわけで、
妄想をしなくてすむ状況にするのが「救い」と言える。
死語の心配(妄想)が原因で悩んでる場合、死語の心配をしなくていい状況になれば「救い」。
方法はたとえば以下の3つ。
(1)煩悩がなくなり雑念もなくなり、死への恐怖もこの世への未練もなくする。
(2)何か、思考を集中できる対象をつくり、それに没頭してる間は雑念がなくなるので、
 没頭できる時間を長くすれば悩む時間は短くなる。集中対象は冥想でも念仏でも何でも可。
(3)死後・来世の幸せ(浄土や天国)を信じることで、答えが決まってしまうので、
 決まったことをそれ以上考える必要がないことから結果的に死後を妄想しなくなる。
204神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 12:25:37.07 ID:w6IowHtJ
>>201
それは、改宗した彼への中傷じゃないのか?(怒
205宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/06(金) 12:31:33.63 ID:vAmnqRiD
>>179
もちろん、病気の治療に最善を尽くすことは当然ながらも、
場合により、病気の進行状態と当人のカルマ的限界性からは“適切なアキラメ”は必要です。
過度で無理な延命処置を強いる医療は本人にとっても、そして周囲の家族にとっても良いものとは言い難い。
寿命の尽きた肉体は諦めて放棄し、次の新しい人生に目を向けた方が前向きです。
治療はもっぱら、無理な延命よりは苦痛の軽減へ向けられるべきで、
モルヒネ等々の薬物の利用はこれも一つの助けでしょう。

私個人の趣味としては、
トラコテウォーター(奇蹟の泉)の治癒力や不動尊護摩の祈祷札でも頂けば、
不可思議な加持力が適切に作用してくれるものと確信します。
あとは、当人が心の支えとなるような信仰対象に祈ることです。
何でもいいです。宗教の違いも関係なし。

ご家族も患者の苦痛軽減と安楽な死を祈るだけです。
それしかできません。

「涅槃寂静」というのは、仏教の説く修行の果てに到達できる究極の境地のことですから、
この場合には適切な祈りとはいえません。
シンプルに死後、“善処に生ずること”ができるよう祈るだけです。
それを極楽と呼ぼうが、浄土と呼ぼうが、または天国や霊界と言うがどれでも構いません。
206神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 12:42:50.72 ID:8HlqnYBJ
キリスト教に勝てそうもないな。
あの妄想だらけなのは現実を離れた心地良い妄想に浸る事でしか救えない苦しむ者を前提に
ピエロになりきっている高邁な姿とも見えてくる。
仏教のほうが実は何も分かってないのじゃないか。
207神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 12:43:41.12 ID:OO+jHsjn
本来なら、入院中の病院に僧侶が出向いて話し相手になるべきなんだろうが、
坊主が病院に来ると「縁起が悪い」と周りの患者から嫌われるという話もある。
制服ぬいでいけばいいだけの話かもしれないが。
208神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 12:48:45.59 ID:OO+jHsjn
>>206 昔は臨終行儀って言って、坊主が患者の寝床の横で説法や念仏をする作法もあったそうですが、
今は、亡くなってからしか坊主を呼ばないし、
はなからそういう宗教者としての役割を坊主に期待してない人が多い。
仏教の師であることは忘れられ、ただの拝み屋と思われている。
209神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 12:50:13.13 ID:8HlqnYBJ
この程度の内容しか与えられないのではお呼びでないよね。
葬式でたかって不当に高額な金を巻き上げるだけの存在だ。
210神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 12:58:59.28 ID:Lat+EyPm
>>202
何が聞きたいのか分からないが、
もし、聞きたければ、簡潔に質問内容を議論スレに挙げてくれ。

ここは単純な質問スレなんで。
211宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/06(金) 13:00:22.36 ID:vAmnqRiD
>>199
>これも興味深い問いだと思うよ。 が、これもスレチだなw

信仰というのはキッカケがすべてだと思います。
(これもご縁としかいいようがない・・・)

幾つもの宗教につい知り、
或いは自らの遍歴によって自己にとっての最善の宗教を選択した、などという人はたぶん稀の方でしょう。
殆どの宗教信仰というのは出逢いのキッカケがすべてであって、
その時、たまたま出遭ったのがキリスト教だった、創価学会だった・・・というだけでしかない。
その中にきっと当人の心を捉えた感動の言葉なりがあったのでしょうね。
それがまた別の宗教だったら、たぶんそこの信仰に打ち込んでいたのかもしれませんね。
そんなモンです。

ただ言えることは、
どの宗教でもそこの信仰者の想い(信仰心)は殆ど等しいということ。
これは尊重してあげるようにしたい(と思う)。

それは神智学だからとも限らず・・・、
この場合はその人の心を捉えないかもしれないし、或いは心を開くものになるかもしれない。
神智学系でもクレーム派で活動に参加しているような人の大半というのも、
実際、その他の諸宗教には全然無知で、
たまたまそこの言葉に惹かれただけに過ぎないという人が多いです。
212神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 13:19:03.09 ID:8HlqnYBJ
>>210
>>179からの流れです。今のところ仏教の完敗。
213神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 13:37:51.35 ID:Lat+EyPm
>>179
いろいろ方法はあるけど。その人次第でしょ。
その人にその気があれば、浄土へ祈願するなり、高僧から教えを聞くなり、
いろいろ道はあるけど、その気がなければ、最後に高僧に引導してもらうか、
死後に浄土往生などの供養をしてもらうぐらいしかないと思います。
214神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 13:59:25.41 ID:8HlqnYBJ
キリスト教について特別知識の無い我々でも
一定程度効果のありそうな回答が用意できているのに、
仏教では高僧ならきっと何か持ってるはずという淡い期待しか提示できないのですか。
215神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 14:02:24.46 ID:sXsAytUh
>>209
>この程度の内容しか与えられないのではお呼びでないよね。
そらあんたw
例えば医者に、重病であと十秒で死ぬ患者を連れてきて「さあ直せ!」と言ってもしょうがないでしょ?w
涅槃寂静とは、健全な身体と精神を持った人が懸命に修行して、ようやくたどり着けるかどうかという境地だ。
そんなもんを、病気に侵されて衰弱して混乱しきった人が出来ると思うか?
単純に苦痛を緩和するだけなら、いくらでも「あの世の話」でもして誤魔化せばいいだろうがな。
その程度でいいなら、キリスト教も得意だろうが、浄土系仏教だって得意だぜw
しかし、「涅槃寂静」と限定した時点で、質問が間違ってるとしか言いようがないな。
216神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 14:02:26.11 ID:Lat+EyPm
>>214
いや、そうではないよ。どんな場合でも同じ。
仏教は道なんで、基本本人次第。
高僧の場合は、特別な能力があるので可能性があるという話。

キリスト教の場合、効果ありそうな回答というのは何?
217神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 14:09:18.96 ID:8HlqnYBJ
>>215
浄土系でもいいじゃない。精神的平安をもたらすならそれが求められてる回答だよ。
ブラフであるぞあるぞともったいぶらず提示なさいな。

>>216
>200等のキリストの受難と絡めた精神的平安を与える回答さ。
218神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 14:15:51.74 ID:Lat+EyPm
>>217
あ〜、そういうことなら、別に仏教とかキリスト教とか関係ないんじゃない。
適当に慰められる話があればいいだけでしょう。

そりゃ、なんというかマニュアルが整備されてるかどうかなんじゃないかな。
本質とは関係ない。

私はそういうことには興味ありません。
219神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 14:17:31.84 ID:8HlqnYBJ
何という事だね。苦諦の最も基本的要素である病者を癒す術に関心が無い。
地獄生きだぞその暴言は。
220神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 14:19:02.05 ID:sXsAytUh
>>217
>浄土系でもいいじゃない。精神的平安をもたらすならそれが求められてる回答だよ。
>ブラフであるぞあるぞともったいぶらず提示なさいな。

だから、質問が間違ってるんだよw
「精神的平安」程度でいいなら、いくらでもできるだろうよw
涅槃寂静なんて言い出すから、話がややこしくなってるんだよ。

そして、「精神的平安」なら、専門外だがググれば出てくる程度の回答でよければいくらでもするぞw
例えば、浄土宗なら、「南無阿弥陀仏」と唱えれば、死後に阿弥陀仏の世界に生まれる事が出来て、
安穏な生活が保障されてるだけでなく、阿弥陀如来の直接指導で成仏間違いなし!
浄土真宗ならさらに凄くて、念仏を唱えなくても阿弥陀如来の大慈悲で既に救われているらしいぞ!
おまけに、どんな極悪人だって必ず救われる。
今は末期癌で苦しかろうとも、来世は極楽浄土で間違いなしだ。
221神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 14:23:31.19 ID:8HlqnYBJ
>>220
> 例えば、浄土宗なら、「南無阿弥陀仏」と唱えれば、死後に阿弥陀仏の世界に生まれる事が出来て、
> 安穏な生活が保障されてるだけでなく、阿弥陀如来の直接指導で成仏間違いなし!
> 浄土真宗ならさらに凄くて、念仏を唱えなくても阿弥陀如来の大慈悲で既に救われているらしいぞ!
> おまけに、どんな極悪人だって必ず救われる。
> 今は末期癌で苦しかろうとも、来世は極楽浄土で間違いなしだ。


まったく訴えるものが無い。
そんなてきとうにこしらえたようだと
看護人に張り倒されて追い出されるんじゃないか。
病室にお呼びでないよ。
222神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 14:23:52.90 ID:sXsAytUh
>>219
「他人を癒す」って発想自体が仏教的じゃないと思うが。
仏教は基本的に「自業自得」だからな。
もちろん、病苦から逃げる手段については幾らでも教えるが、それをやるかどうかは本人次第、
病苦から逃れたければ、自分で努力しろってのが仏教のスタンスだろ。
223神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 14:25:17.74 ID:8HlqnYBJ
>>222
中核的概念に慈悲がある。
ここを外しては何も残らない。
君も地獄で反省しないといけないな。
224神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 14:25:31.44 ID:Lat+EyPm
>>219
いや、上に書いたように方法はある。
ただ、本人次第なんだよ。

そこで、慰めみたいな話も本人が求めるならする。
しかし、慰めみたいな話は、本質的じゃないから、興味が無い。

恐らく根本的にキリスト教とは向き合う態度が違う。
仏教では求められないければ、基本的に動かない。無理強いしない。
あくまで本人の動機が重要なんで。

まあ、理解できないじゃないかな。

225神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 14:25:36.33 ID:sXsAytUh
>>221
ほー、キリスト教の「お話」は素直に受け止めるのに、仏教はダメなのかww

キリスト教と、どこが違うのか是非聞いてみたいな。
226神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 14:28:02.97 ID:Lat+EyPm
>>223
慈悲はあるよ。

だけど、アナタは恐らく仏教の言葉をキリスト教で解釈してでしょ。
その地獄行きってのも、そういう匂いがする。

オイラはもういいが、これ以上話したいなら、議論スレとかでしてね。
227神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 14:28:51.26 ID:sXsAytUh
>>223
個人的意見だが、慈悲は仏教の中核概念じゃないと思うがね。
梵天勧請に示されるように、悟った釈尊は、他者を救おうともせず、自分だけが涅槃の境地を味わったまま死のうとしている。
梵天に懇願され、そこで初めて、他者を救おうという慈悲の心を起こしている訳だ。
もちろん、修行法の一つとして、「慈悲」は存在するが、中核概念とまでは言えないだろうよ。
228神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 14:30:25.30 ID:8HlqnYBJ
>>225
美しく飾ってあるだろ。
自らを高貴な存在と同化して受け入れ感動し帰依する事で救いが得られるだけの腐心がしてある。
ただ救われますとだけ言っても効果は無い。

仏教は一見内容がありそうに装ってはいるがやはり駄目だな。
何だ君らの態度といい。
はっきりと負けを露見されて我慢がならないか。
229神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 14:35:05.61 ID:sXsAytUh
>>228
>美しく飾ってあるだろ。
>自らを高貴な存在と同化して受け入れ感動し帰依する事で救いが得られるだけの腐心がしてある。
>ただ救われますとだけ言っても効果は無い。

そりゃあんたww
俺の説明が簡潔に書いてあるだけだろw
「自らを高貴な存在と同化して受け入れ感動し帰依する事で救いが得られるだけの腐心」なんて、いくらでもあるぜw
例えば、十円玉の絵で有名な平等院鳳凰堂なんて、極楽浄土の可視化だぞ。

>仏教は一見内容がありそうに装ってはいるがやはり駄目だな。
>何だ君らの態度といい。
>はっきりと負けを露見されて我慢がならないか。
ああ、結局、キリスト教の自慢をしたかっただけかw
結論が決まってるんだから、そりゃ何を言っても無駄なわけだw
ここは質問スレだから、自慢がしたいだけなら余所でやってくれ。
230神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 14:35:15.30 ID:8HlqnYBJ
>>227
俺も勉強して行く中での個人的意見だが、
仏教で言う慈悲はキリスト教で言う愛とほぼ同じ内容であり、
それは教義としてまさしく中核となる概念だと感じたよ。
231神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 14:36:54.35 ID:8HlqnYBJ
>>229
キリスト教贔屓で妄想だと決めつけないだろ。あっちについてはごくさっと見た程度だ。
落ち着けよ。煩悩の塊だ。
232神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 14:49:55.01 ID:sXsAytUh
>>230
根拠のない「個人的感想」だなw
せめて、なんでそういう結論に至ったかの概略でも書けよw

>>231
仏教も「さっと見て」こいよw
ろくに調べもせずに「負けだ」とか決めつけてりゃ、キリスト教贔屓(あるいは単に仏教を批判したいだけ)言われても仕方がないだろう?w

そして、議論がしたいなら議論スレに移動しな
仏教 議論スレッド 42
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1340691539/
233神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 14:55:22.20 ID:8HlqnYBJ
ここ読んでれば病者に対する在り方でどう見ても負けてるよ。
有効そうな回答がほとんど一つとして出ていない。
234神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 15:43:26.82 ID:w6IowHtJ
>>233
個別のケースで、180度言葉が変わる可能性があるのに何言ってんだw

そういう個別性を除いた答えなら、貴方の嫌う、型通りの、教科書的回答しか仏教にはないよ。
それ以上は、リアルな官営の上での(一対一の)対話の中から紡がれる言葉によるしかないし、
それこそが、因により縁により生じてくる言葉であり、
当事者に直接関わり響くものとなるんだよ。


モニターばかり見てても答えは無いぞ。
235神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 15:44:24.53 ID:w6IowHtJ
>それ以上は、リアルな官営の

 リアルな関係 なw
236神も仏も名無しさん:2012/07/07(土) 06:57:17.46 ID:iDMSKUld
>>221 仏教には、今・ここに集中するための行があります。
念仏をとなえるとかでもいいんです。
冥想でもいいし。
実際にやってみればわかると思います。
雑念を制御する具体的な方法があるのです。
237神も仏も名無しさん:2012/07/07(土) 07:05:02.52 ID:iDMSKUld
>>221 思考が堂々巡りになるようなら、それはもう雑念・妄想です。
いくら考えても新しいアイデアがでない、ただ気分が滅入るだけの妄想なら、
そんなことは考えても苦しみが増大するだけなので、考えないようにすべし。
「末期ガンだ、どうしよう、怖いよ、」とかを何万回自分の頭の中でくりかえしても、
新たなアイデアはでてこなくて、ただ気分が滅入っていくだけ。
だったら、ガンのガの字も考えずに、
新にガンのことがよぎるたびに「これは雑念だ」と気づいて、
冥想や念仏に思考をもどすようにする。
念仏の場合だと、念仏が心という家の主人のようにする。
雑念はお客さん。お客さんはいずれ過ぎ去る。
迷惑なお客さんにはさっさと出ていってもらい、思考をすみやかに念仏に戻すようにする。
238神も仏も名無しさん:2012/07/07(土) 11:00:32.41 ID:7mCbaNuo
すみません
>>172
を御存じの方、ご回答をお願いします。
239神も仏も名無しさん:2012/07/07(土) 11:08:53.92 ID:cv1xHSmN
240神も仏も名無しさん:2012/07/07(土) 12:30:54.50 ID:7mCbaNuo
>>239
ありがとうございます
でも、違うように思えます。
241神も仏も名無しさん:2012/07/07(土) 13:08:30.76 ID:cv1xHSmN
>>240
なら、
 仏[仏]   >  菩薩[52位]]  >  声聞・縁覚(独覚)[四向四果]
無上等正覚
  妙覚         等覚            阿羅漢果


で、3種〜60種じゃね?
242神も仏も名無しさん:2012/07/07(土) 20:31:16.89 ID:BhjjYZ7a
八正道の正語では、明らかに悪である物への評価はどのように行えばいいですか。
243神も仏も名無しさん:2012/07/07(土) 21:41:01.73 ID:iDMSKUld
>>242 仏教でいう悪とは煩悩(悩み苦しみの原因)を増大させる方向のことでしょう。
つまり、自分と他人の悩み苦しみの原因を増やすのが悪。
悪は悪だとはっきり言う。
少なくともお釈迦様だったらはっきり言ったと思います。
それでも不思議なことに、お釈迦様はさまざまな人々から応援され、
当時としてはかなりの長寿であった80歳まで、円満な人生を全うされた。
あれだけはっきりものを言っていたのに、
誰かに張り付けにされて処刑されるほどの恨みは買わなかった。
244神も仏も名無しさん:2012/07/08(日) 00:51:08.18 ID:XBSPKzBh
>>243
回答ありがとうございます。
私の言ったのは窃盗・殺人や愚劣な作品など世間的な悪のほうでした。
こちらについてもやはり明示すべきでしょうね。
言葉には気を付けつつはっきりと指摘するほうが正しい真実な態度と言えましょう。
だがその場合波風は立ちやすく和を保つ事に腐心が求められ
煩悩を絶って寂静へとは少し逆行するようでもある事に疑問が残ります。
245神も仏も名無しさん:2012/07/08(日) 01:04:38.04 ID:XBSPKzBh
あるいはまた単純悪よりもひとにより見方の別れる事物への価値判断などについての話題となると
正語の正しい在り方というのはさらに難しいものと感じられる。
いかがお考えでしょう。
246神も仏も名無しさん:2012/07/08(日) 10:31:16.45 ID:cI6IVynP
>>244 教団内では、他人の罪を言いふらしてはいけないという戒めもあります。
一般論として「盗みは悪です」などとははっきり言うべきです。
しかし、「さんが盗みをはたらいた」とかいう噂話は大々的にやるべきではない。
その罪人本人に「盗みは悪ですよ」と教えてあげればいいのです。
また、仏教は普段から戒も説いており、悪とは何かを指摘しつづけています。
247神も仏も名無しさん:2012/07/08(日) 10:37:15.75 ID:cI6IVynP
>>244 在家信者でも五戒(殺し・盗み・嘘・飲酒売酒・不倫はダメ)
がありますので、やってはいけないことはかなり具体的です。
また、固定観念・欲・怒り・怠け・プライドなどが悩み苦しみの原因であることを理解しておけば、
それらを助長するような言動は慎むべきだという方向性も見えてくるでしょう。
248神も仏も名無しさん:2012/07/08(日) 16:28:03.72 ID:eQo8x0UZ
坐禅のやり方っていろいろ言われているけれど、どれが正しい(もしくは独習でも可能)なんです?
意識を置く所は腹の下のいわゆる丹田? 道元系では、ただ座れといってるけど意識はどこにもおかない?
249承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/07/09(月) 03:06:25.46 ID:WswirOp5
仏教の禅とは、単なる瞑想の意味。
心の在り方については別に般若というものが説かれている。
但し禅宗に限っては、他の波羅蜜なども含有す。
仏教では、基本的には独習は勧めない。

また、丹田は道教。

先ず瞑想の目的を規定し、次に見合う術法を模索すべきかと。
250神も仏も名無しさん:2012/07/09(月) 08:08:22.50 ID:ACP3pr2J
質問のしかたがわからないから丹田とか言ってるだけで、
要は、坐禅の道場で指導している冥想のやりかたをここに書いてくれ
(道場に行くのはめんどうだが冥想はやってみたい)って意味でしょう。
まずは、ネットに書ける内容なのか、
生身の指導者から直接聞かなきゃならないものなのか、その回答から入っては?
251承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/07/09(月) 18:19:51.50 ID:WswirOp5
>250
俺は元真言なんで禅宗の具体的な修養法は知らないんよ。
252神も仏も名無しさん:2012/07/09(月) 19:37:33.24 ID:rfYMJKky
坐禅のやり方は何冊も本が出ている。やり方は自分にあった物が一番。
白隠の「臘八示衆」にあるように、発心したまま数日ひとりで坐禅して悟った在家もいる。
要は勇猛心。
253だいおう:2012/07/10(火) 10:46:04.86 ID:UO3RGFxx
ショコタン居た♪、
オゲンキー♪
ワイ、曹洞宗もマスターしたぞ、
ショコタンは成長したの?
254神も仏も名無しさん:2012/07/11(水) 10:17:38.12 ID:tiP7CQAX
慧能 禅の極意

外相(そとそう)を離るるを禅と為し

内乱れざるを定と為す

外もし相に着せば

内心は即ち乱る


快適なアーロンチェアでやるのもOK.
いつでも、どこでもOK.
255神も仏も名無しさん:2012/07/11(水) 14:20:45.29 ID:tiP7CQAX

ラブ・ホテルで
全裸のセクシー美女とベッドにいても、
坐禅はできる。

もちろん、
外相(そとそう)を離るるを禅と為し
内乱れざるを定と為す

でなければならない。
256神も仏も名無しさん:2012/07/11(水) 14:30:38.71 ID:KmzD2liq
セクシー美女と相撲を取っていても座禅はできるな
座るのは必須じゃないしな
257神も仏も名無しさん:2012/07/11(水) 15:29:20.59 ID:wYQqlL4U
>>255
そういう人は座禅する必要ないっしょ。

そういう人はいると思うが、こういうことを書くのはよくないでしょ。


258神も仏も名無しさん:2012/07/12(木) 15:21:17.75 ID:xKj+qtiP
>>252
悟ったって誰が解るもの?
259神も仏も名無しさん:2012/07/12(木) 19:00:14.79 ID:nNVQsnrp
>>258 本人が自分でチェックできる。
覚りとは煩悩がなくなっていくこと。
煩悩はリストアップされており、煩悩が消えていく順番も説かれている。
煩悩がすべてなくなったら阿羅漢(仏と同レベルの覚り)。
260神も仏も名無しさん:2012/07/13(金) 11:29:40.75 ID:yhSSfBGh
>煩悩がすべてなくなったら阿羅漢(仏と同レベルの覚り)。
生きてて煩悩が全てなくなることってあるの?
261神も仏も名無しさん:2012/07/13(金) 17:45:15.71 ID:DMAKtZ5l
>>260 生きてて煩悩がすべてなくなることがある、
と信じるのが仏教という宗教なのでしょう。
煩悩がなくなった場合、その生物は「もっと生きたい」という執着もないので、
寿命がつきたら輪廻せずに平安なる滅びに入ることができる。
煩悩が残ってるままで死んだら、生に執着があるために、また輪廻をくりかえしてしまう。
262神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 09:02:25.76 ID:ENr5+bdS
>>261
生きていると言う事は、食べて働いて寝て休憩して・・
の反復だから、それを続けている限り煩悩は無くならない
食べなければ空腹に感じるし、寝なければ眠くなるし・・

又、病気などの痛みで苦しんでいれば当然治りたいし・・
生きてる限り煩悩は無くならないと思うけどw

>生きてて煩悩がすべてなくなることがある、と信じるのが仏教という宗教なのでしょう。
現実生活に当てはめてみてもどうも納得できない
263神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 09:12:27.04 ID:yllv9mTP
>>262 お釈迦さまの場合だと、他人から教えを説いてくれと頼まれて、
依頼に応じるために生き長らえていただけであり、
お釈迦さま自らは「生きていたい」という執着はなかった。
でも、「死にたい」という欲もなかったから、
「お願いです、生きて教えを説いてください」と請われて
「オッケーぃ。」って受け入れた。
また、亡くなるときもは、悪魔から「そろそろ死んでください」と頼まれて、
「オッケー。ただし、教え子達の成長を見届けてからね。」と答え、
その後にまた悪魔から「もう死ねますかー?もう教え子たちも
ご立派になられたし、死んでください。」と頼まれて、
「そうだね。もう充分成長したし、じゃあ3か月後に死ぬわ。」と快諾した。
264神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 09:20:10.16 ID:yllv9mTP
>>262 煩悩(苦しみの原因となる執着)と苦しみとは別です。
お釈迦さまは一切が苦であると説かれているので、
生きているかぎり空腹などの苦しみや苦しみからくる衝動がなくならないことを説いている。
煩悩(執着)がなくても、生きているかぎり苦しみや苦しみからくる衝動はなくならない。
お釈迦さまは「生きていたい」という煩悩はなくしたが、
他人から頼まれて生きているうちは、肉体的苦痛とつきあいつづけていた。
でも頼まれたときに「いやだ!私はいますぐ死にたいんだ!」というほどの死への執着もなかった。
265神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 14:40:58.32 ID:HuxvOCiv
>>263
それって本当の話?・・・物語みたいだけど
266神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 19:06:55.54 ID:OuaGbtH/
欲を煩悩として否定し滅した所では気力はどのような形で得る事を想定しますか。
気力も否定し無気力に死んだように生きるのが仏教の理想なのでしょうか。
267宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/15(日) 02:07:28.28 ID:FJss6X9V
>>266
生存に関る肉体次元の煩悩と自己意識とは別物として悟るということでしょう。
つまり、自己意識と肉体生存本能による諸活動sを切り離すということ。

水も飲みメシも頂くけれども、
自己の行為であるという意識状態は消えている。
けれども、未完成者の行為は肉体生存の部分も含めて
すべて自己意識(自己の行為)としてなされているのだと。

そこが違うのでしょうね。
268神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 02:15:04.82 ID:Y9vbXe17
回答になってません。気力をどう得るのかが主たる問いです。
269宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/15(日) 02:57:57.26 ID:FJss6X9V
追記:

肉体維持については、
適度なものとして、或いは必要最小限のものとしてでも、
自己意識からは切り離した状態で適切に注意を向けられるでしょう。

仏典には記載がないかもしれませんが、
完成者というのは太陽からのプラーナを効果的に摂取して肉体に活力を漲らせます。


どうや?
270神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 04:27:52.94 ID:uKks1R9+
>>265 タイムマシンがないので事実かはわからないが、お経にはそのように説かれている。
仏教的には理にかなっている物語だと思います。
大乗仏教になると、悟る前に、修行するときにあらかじめ誓願を立てておきますが、
これも、お釈迦様が悪魔と交わした取り決め(が実現するまでは死なない)に通じる気がします。
つまり、完全に悟ってしまうと、自分であれがしたいこれがしたいというのがなくなるけど、
他人から頼まれたことは戒律に反しないかぎり拒む理由がなくなるのと、
過去に自分で誓った約束ごとは実行する責任があることから、
をするという行動の原動力になる。
271神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 04:35:45.93 ID:uKks1R9+
>>266 最終的には輪廻から解脱して涅槃に入る、
つまり平安なる滅びに入って二度と姿形をもたなくなるので、
死ぬよりももっと死ぬのが理想。
悟ったあとの行動の原動力としては、
まず戒律は引き続き守るし、出家集団の日課は引き続き守るでしょう。
世俗社会の法律にも基本的には従うでしょう。
その上で、他人から頼まれたことはやるし、
教団内で先輩・師匠格の立場ならば弟子への指導や信者への説法は日課としてやるでしょう。
また、過去に自分で誓いを立てていたり、誰かと約束や契約を結んでいたら、
それは仏教的に間違った内容でないなら約束を破らず実行するでしょう。
上記のことをやるだけで、充分忙しく活発な毎日になると思います。
272神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 05:04:15.81 ID:Y9vbXe17
>>271
> >>266 最終的には輪廻から解脱して涅槃に入る、
> つまり平安なる滅びに入って二度と姿形をもたなくなるので、
> 死ぬよりももっと死ぬのが理想。

これは理解が違うんじゃないですか。
苦痛に満たされた生の循環を離れた平安に入る事を目指しているのであって、
完全に消滅した無に帰する死を述べた物ではないでしょう。

> 悟ったあとの行動の原動力としては、
> まず戒律は引き続き守るし、出家集団の日課は引き続き守るでしょう。
> 世俗社会の法律にも基本的には従うでしょう。
> その上で、他人から頼まれたことはやるし、
> 教団内で先輩・師匠格の立場ならば弟子への指導や信者への説法は日課としてやるでしょう。
> また、過去に自分で誓いを立てていたり、誰かと約束や契約を結んでいたら、
> それは仏教的に間違った内容でないなら約束を破らず実行するでしょう。
> 上記のことをやるだけで、充分忙しく活発な毎日になると思います。

全て義務的に強制される物ですね。それだけでは気力とは通常ならない。
273神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 07:18:33.98 ID:Mgx0vCg+
>>267
>水も飲みメシも頂くけれども、自己の行為であるという意識状態は消えている。
それでは夢遊病者みたい(笑)
274宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/15(日) 07:34:59.55 ID:FJss6X9V
>>273
これは、自分のしているさえ分らなくなる精神障害とは異なり、
行為していながら無行為でいられる特殊な意識状態を意識的に保つものです。
これにより、悪業(カルマ)を積むことはもう二度とありません。
275神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 09:02:00.41 ID:uKks1R9+
>>272 有余涅槃と無余涅槃という言葉があります。
有余涅槃は、煩悩がなくなってから入滅するまでの間の余生。
無余涅槃は、そこから寿命が尽きて、入滅すること。
煩悩がなくなれば輪廻(再生)しませんから、無余涅槃で三界から消え去り、
たとえ神々が探し求めたとしてもみつけることはできないようになります。
大乗仏教ではそれを受け入れたくなかったのでしょうか、
たとえば阿弥陀仏などは、誓願(本願)によって無量の寿命になることを前もって誓っておいて、
無余涅槃に入らず有余涅槃で活動し続ける仏となっていますし、
法華経信者は、お釈迦様の入滅は衆生に無常を教えるための方便で、
本当は久遠の仏として存在し続けてるんだ、みたいな話にしています。
276神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 09:14:24.45 ID:uKks1R9+
>>272 煩悩の親玉である無明の根深さは、簡単にいうと、
「生きるってすばらしい、私が私のままでいたい、仏様には仏様のままで生き続けてほしい」という
「尊ぶ必要のない命を尊ぶ」という勘違いなのです。
仏教では、命には執着しません。「もっと生きていたい」という渇愛を否定します。
仏教で重要なのは悩み苦しみからの解放です。
生きているうちは、たとえ悟った人でも肉体的苦痛はあります。
完全に悩み苦しみから解放されるのは無余涅槃だけなのです。
もちろん、他人の悩み苦しみを軽減するために、
お釈迦様や阿弥陀仏のようにあえて有余涅槃に留まり、
弟子を育成したり、念仏者を極楽へ導いたりするというのも、
自分と他人の悩み苦しみの軽減をめざす仏教の方向に矛盾はしません。
仏教では、命(生きること)は目的でも宝物でもなく、
命は自分と他人の悩み苦しみをなくすのに役立つなら使いましょう、
という程度の道具・手段にすぎないのです。
手段に執着して悩み苦しみが増すなら本末転倒ですから要注意です。
277神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 09:27:21.68 ID:uKks1R9+
>>272 煩悩の親玉である無明がなくなれば、渇愛がなくなるので、
貪欲に生きようとするような気力はなくなるのでは。
しかし、他人から求められたり、義務的な約束や誓いを果たすための仕事であれば、
怠けの煩悩も消失しているため、嫌がらず、
集中力も切らさず注意深く適切にこなすことでしょう。
普通の人は怠けの煩悩が強いので、欲(悦び)や怒り(苦痛)を原動力にしないと
活発に仕事するモチベーションが沸かない。
だから、欲や怒りがなくなった覚者にはモチベーションがないはずだから、
なぜ仕事できるのか理解しがたいのでしょう。
それは、前提が間違っているのです。
欲や怒りという「気力」がないと仕事できない状態というのが、
そもそも怠けの煩悩による弊害が生じているからなのです。
悟ったら、怠けという重りがなくなるため、そんな「気力」をふりしぼらなくても、
軽安(軽々とやすやすと)に活動ができるのだと思います。
278神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 11:44:28.73 ID:Y9vbXe17
自分から何をしようという気力を無くして
一方的にやらされてる修行についてだけ従順にいろと教えられるので活動的であれる。


有り得ない。
仏教はやはりいかに詭弁を弄そうともどうにも効力が希薄な面があるのは否めない所がある。
279神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 13:50:55.75 ID:aPhG1EuT
>>270
>タイムマシンがないので事実かはわからないが、お経にはそのように説かれている。
とても事実とは思えませんが、信者達は事実と思ってるのでしょう?

>お釈迦様が悪魔と交わした取り決め(が実現するまでは死なない)に通じる気がします。
「悪魔と交わした・・」とか言われても、物語か妄想なら考えられるけど・・

>仏教的には理にかなっている物語だと思います。
脇腹から生まれたとか、唯我独尊と言った・・とかいうのも理にかなってます?
280神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 15:47:28.37 ID:uKks1R9+
>>279 経典では悪魔と書かれてあるけど、実際は他宗教の人との会話なのかもしれません。
理にかなってるというのは、仏教教理との整合がとれている物語だ、ということ。
ちなみに、脇腹から生まれたという表現は、
クシャトリヤ階級に生まれたことを象徴しているそうです。
281神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 15:53:52.51 ID:uKks1R9+
>>278 煩悩を完全になくした修行完成者である阿羅漢の話ですから、
修行をやらされてるとかいうレベルの人ではないと思います。
悟りは、究極の大人になることでもあると思います。
一般的に、大人になるにつれ、子供のころは必死でやっていたことでも
「たいしたことないな」と思えるようになりますよね。
子供の頃に夢中だったシール集めとか、大人になるとクールダウンします。
悟って究極の大人になったら、世俗の人々が必死でやってることのたいていは
「たいしたことないな」と覚めた目で見られるのでは?
282神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 16:03:28.75 ID:Y9vbXe17
却下。より良い回答募集。>>266
283宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/15(日) 16:13:17.50 ID:FJss6X9V
>>279
横レス失礼。

 仏典でゴータマの前に出現する悪魔というのは、ただの宗教文学的な表現法に過ぎません。
菩提樹の瞑想中に出現して、再び苦行世界へと戻るよう惑わす悪魔は、自己の修行における
精神的葛藤を表現したもの。
 そして、殆どの場合には、真実から眼を逸らして偽りの自己意識へと縛り付ける五蘊の作用が
悪魔と表現されているのです。>>17>>19
 ここでのゴータマの死(涅槃)に関する悪魔との対話は、死なれては困る弟子達の立場と心を
象徴したものでしょう。

>脇腹から生まれたとか、唯我独尊と言った・・とかいうのも理にかなってます?

 「脇腹から生まれた」は誤伝でしょう。正しくは、神の使いとしての白象の牙を脇腹に刺し込ま
れる夢を見て懐妊したです。こういう霊夢、お告げというのは実際にあるでしょうね。事実かと。 
 「唯我独尊と言った・・」については、大乗側では批判を交わすべく“世界にたった一つだけの
花”(オン・リー・ワン)的意味合いを出張したりしていますが、言い訳的で苦しいでしょう。
 赤ちゃんがそんなポーズをとっても別に珍しくもない印象なのですが、いずれにせよ、これは
ゴータマの偉大さを示したいための神格化だと見なすほうがごく自然でしょうね。
284神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 16:24:02.18 ID:Y9vbXe17
私見だが形而上に創作を行うのは前にキリスト教について考察したように
現実的には救いの無い者への空想による救いの力というものを意図的に作ろうとしてるものと考えられる。
それもまた無駄ではない。
現実的解釈だけを是と考えるのは今健康な自分だけに拘泥した視野狭窄の態度であると知るべきであろう。
285神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 16:36:49.83 ID:Y9vbXe17
気力についてそれなりの論理構成が浮かんだ。
が、まずは識者の回答を待とう。

その方法とは別にここにも
神の愛の元にあり力を貸してくれている 力の限りを尽くそう(キ教的だが)
などと空想的作用を持って臨む方法も考えられる。

目に見える論理的構造だけが力を持つのではないという事がご理解いただけよう。
286神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 17:51:24.42 ID:uKks1R9+
>>282
怠けの煩悩がなくなれば、「気力」などふりしぼらくても軽々と行動できる。
怒りは、嫌だ、もうたくさんだという気持ち。すなわち自分にとっての罰。
欲は気持ちいい、もっと欲しいという気持ち。すなわち自分にとってのご褒美。
罰やご褒美がないとやる気がでないのは、怠けの煩悩があるから。
怠けの煩悩がなくなれば、「気力」(罰やご褒美)がなくても活動的になれる。
287神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 17:58:59.17 ID:uKks1R9+
>>285 怠けの煩悩がなくなれば、
神の愛とかのイメージをつかった喜悦を利用して気力をふりしぼったりしなくても、
「これやってください。」
「オッケーっ。」(ローラみたいな口調)
って即答で即実行できる、心の軽安さがでてくるのだと思います。
288神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 20:30:37.77 ID:Y9vbXe17
怠け心を封じられる保証などどこにも無いし、
かろうじて為し得ても大きな力は生まない。
本当にぬるい。

>>285等はスポーツのトップ選手が優れた成績をおさめた時に十字を切り天に祈りを捧げてるあれだよ。
人知を超えた気力、集中力を志向するだけの細工が出来ている。
289神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 20:38:07.88 ID:kDNJ95qc
そもそも、仏教ってのは
『「世俗的ベクトルで言えば」無気力推奨』なんだけどね・・w

もともと遠離されるべきものを持ち出して、
「それを引き出せない仏教は駄目だ」的な論調にどんな意味があるのかとwww

290神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 20:40:44.02 ID:kDNJ95qc
或いは、「(完全なる)凪」が目指されるわけで。
そこに於いて「気力」なんてのは、(波を起こす)障碍としての要素以外の何ものでもなかろう?w  >>288
291神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 20:45:39.29 ID:Y9vbXe17
そういう返答を予想して>266の質問に仏教への懐疑の文が付け加えられている。

> 気力も否定し無気力に死んだように生きるのが仏教の理想なのでしょうか。

これが目指されるべき境地と言えますか。否だね。
ここへ至ってはならない問いなのだ。
292神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 20:56:23.23 ID:kDNJ95qc
>>291
だったら仏教を切り捨てればいいじゃんw
無い物を探しても詮無くないか?www


【君には】仏教は【不要】だし【向いてもいない】。それだけのことだろ?
293神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 20:58:31.88 ID:Y9vbXe17
いやまったく違う。君たちの理解が誤っているのだ。
救済への志向を死に等しい生に帰着させてしまっては誰の気持ちも掴み得ない。
294神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 21:00:54.42 ID:kDNJ95qc
そうそう。ちゃんと答えておきましょうかw

>>291 >これが目指されるべき境地と
そうです。それこそが目指される境地です。
「【世俗的】気力」は「凪」を妨げるものでしかありません。

だから、そうした「凪」が嫌いなら(納得いかないなら)、別の宗教の戸を敲けばいいことです。

295神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 21:03:15.89 ID:kDNJ95qc
>>293
だからwwwww

その方向は「仏教」じゃないのw

語弊を恐れず言えばw、「みんなが凪を望んだならば、みんなで滅びましょう」ってのが仏教なのw
なんでこんな単純な図式が解らんかな・・。
296神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 21:04:40.17 ID:Y9vbXe17
つまり仏教が普及した国では皆が死んだ目で廃棄物のように路傍に転がっているのだな。

馬鹿も休み休みにしろ。
297神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 21:06:39.37 ID:kDNJ95qc
>>296
貴方こそ、ちゃんと基礎知識くらい踏まえたらどうですか?
『「俺様仏教」は2chの華』とは言いながらも、さすがにウンザリですw

298神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 21:10:12.78 ID:Y9vbXe17
お前の認められたいという煩悩も強すぎるようだぞ。wで落ち着かなさを露呈するな。
俺の思索のほうが遥かに道を掴んでいる。

分かってない奴ばかりだな。
299神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 21:40:01.39 ID:uKks1R9+
悩み苦しみの原因は煩悩である。
煩悩をなくせば悩み苦しみを消せる。
煩悩を制御できれば悩み苦しみを制御できる。
それが仏教の基礎。
そこに同意できた人が仏教徒なんでしょう。
300神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 21:44:51.90 ID:99ppGygN
>>299
煩悩は、生きている証(あかし)。「煩悩を去れ」とは「死ね」ということ。
「煩悩を去る」という欲望も、また煩悩である。

釈迦って馬鹿だったのですか。
301神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 21:47:12.69 ID:Y9vbXe17
根幹に関わる非常に重要な問いなのだと思うよ。
仏教徒は最悪の帰結に至らない良い回答に辿り着かなければならない。
302神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 22:11:05.58 ID:kDNJ95qc
>>301
だからw
それはもはや仏教じゃないの。
宝珠と一緒に神智学でもやったら?
303神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 22:11:54.46 ID:uKks1R9+
>>300 無余涅槃は、生き物であることから卒業することです。
煩悩のある生き物として生きているかぎり、他の生物を犠牲にして生きなければなりません。
涅槃に入れば、他者を苦しめる必要もありませんし。
なにも、すぐに自殺しろというわけではありません。
死後に「成仏する」、つまり二度とこの世にもどってこない、ただそれだけ。
304神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 22:40:02.34 ID:99ppGygN
>>303
そんな論理は、現代の誰にも、どこにも通用しない。

釈迦の馬鹿さ加減の恥を、いつまでも曝し続けるべきではない。
釈迦の名誉毀損に該当する。
305神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 22:46:17.68 ID:uKks1R9+
>>304 仏教はそういう宗教なんだから仕方ありません。
それとも、あなたは仏教について違う解釈をしている宗派をご存じで、
そのような宗派を好ましく思っているのでしょうか?
306神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 22:50:30.16 ID:kDNJ95qc
ID:99ppGygNは、通称「隠居」「御隠居」。スルー推奨。
307神も仏も名無しさん:2012/07/16(月) 01:04:22.12 ID:1Zn/wHb8
> つまり仏教が普及した国では皆が死んだ目で廃棄物のように路傍に転がっているのだな。

こういう退廃的事態に至らない解釈を俺が相当程度為し得ているというのに
君らは情けない限りだな。
そんな状態が涅槃なわけが無かろう。
まったく修行が足りない。
308神も仏も名無しさん:2012/07/16(月) 06:58:03.07 ID:99McDXFZ
>>300
>「煩悩を去る」という欲望も、また煩悩である。

あははは・・・(笑
ホントそう。釈迦より賢い人が2chにはいますね!

>釈迦って馬鹿だったのですか。
論理矛盾が多そうだから、賢くはないようね!(笑

ヽ(^。^)ノ
309神も仏も名無しさん:2012/07/16(月) 09:29:36.70 ID:JVXOEbqf
>>307
少欲知足って言葉知ってる?w


あと、ワシが何度か“「世俗的」気力”という使い方をしていることにツッコまないのはなぜだい?
隠居なら
「気力に2種類あるのかね?w」
「世俗的でない気力とはいかなるものか?そんなものは存在しない。
 気力とは世俗的気力のことであり、それ以外の気力など存在しない」
とでも言いそうだが・・w

いずれにしろ、続けたければ↓こっちな。
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1341747707/



「凪」が理想とされるというのは、「死んだ目になること」とは全く別物なんだがねぇ・・・。
どうしてこういう人たちは二極的にしか物事を考えられないのかね・・w

ノシ
310神も仏も名無しさん:2012/07/16(月) 10:46:37.75 ID:Y3prmiqS
>>300
煩悩を消したいという心は、
煩悩がすべてなくなったときに消える(必要なくなる)んだから矛盾はない。
そこに至る前にまず、怒りや欲の煩悩が減退していくので、
日常生活の悩み苦しみの大半はなくなっている。
ストレスまみれの毎日を送ることを思えば、
煩悩をなくしたいという心を使って
まずは怒りや欲を制御するほうが、苦悩を減らす効果は大きい。
また、煩悩をなくせていない自分への怒りも減退するんだから、
「チクショーまだこんなに煩悩がある!」という苦悩も減退していく。
焦らず(怒りのストレスなく)、
しかし一歩一歩煩悩をなくす方へ進んでいけばいい。
311神も仏も名無しさん:2012/07/16(月) 13:43:10.29 ID:pMmsdN+y
>>309
>「凪」が理想とされるというのは、「死んだ目になること」とは全く別物なんだがねぇ・・・。
       ↑
と君が、そう想像・妄想してるだけでしょ?
それを証明・検証した人がいる?
312神も仏も名無しさん:2012/07/16(月) 14:45:39.88 ID:1Zn/wHb8
>>309
そういう明らかに落ち着きをなくした惨めな態度を取らないで済むようにまずなれ。
何も説明が出来てない癖に他者を中傷だけしてるお前は最下等で、
仏教に対する侮辱的存在だ。

>>311
愚かしい奴だよな。
313神も仏も名無しさん:2012/07/17(火) 01:18:35.59 ID:p4a+HcKR
>>309
>どうしてこういう人たちは二極的にしか物事を考えられないのかね・・w

キリスト教的価値観が至上で、仏教を貶すのが目的なだけだからだろw
こいつ、このあいだの>>206じゃね?w
314神も仏も名無しさん:2012/07/17(火) 03:41:43.48 ID:D+/W8jW7
>>31
>愚かしい奴だよな。
バカとか ↑ しか 返ってこないのはそこで
盲信していて思考停止になってる証拠だろ
315神も仏も名無しさん:2012/08/01(水) 23:59:59.82 ID:Bkk4eVCs
後期中観派は結局のところ外界を実在と捉えるのか非実在と捉えるのかどっちなの?
決着ついてないにしてもどっちが有利だったの?

もし後期において非実在であったなら後期だと有部だけが実在としてたの?
316神も仏も名無しさん:2012/08/02(木) 02:12:01.04 ID:hiIlR85v

觀如來品第二十二

五陰和合の故に有るならば即ち自性は無い

空は則ち説けない
空でなくても説けない
空、非空は共であろうと共でなかろうと説けない
但だ仮名を以って説くのみだ

如来の滅後について
有るか?無いか?有であり無であるのか?
と思惟してはならない

如来は戯論を過ぎるが
而し人は戯論を生ずる
317神も仏も名無しさん:2012/08/02(木) 02:15:40.71 ID:hiIlR85v

中論觀四諦品第二十四

一切の法は性空だが
世俗諦とは
世間は顛倒の故に虚妄の法を生じ
世間には是れが実である

諸の賢聖は真に顛倒の性を知るが故に
一切の法は皆、空で無生だ、と知り
聖人には是れが第一義諦で実と名づける
318神も仏も名無しさん:2012/08/02(木) 02:21:09.05 ID:hiIlR85v

中論觀顛倒品第二十三

無常の中に常に著する、是れを則ち顛倒と名づける

著を憶想して此彼、有無等を分別する、と名づける

無漏法に至るまで尚お不生の相と名づけない

顛倒に因り顛倒の者が有る
319神も仏も名無しさん:2012/08/02(木) 02:32:09.45 ID:hiIlR85v

無漏法に至ってない顛倒の中に住している世俗の人々は

後期において非実在であったなら後期だと

有部だけが実在として、有るか?無いか?と思惟してはならない

無漏法に至って、やっと第一義諦を体感会得できる

と言う事なんじゃなイカ? おじゃる?
320神も仏も名無しさん:2012/08/02(木) 05:52:27.93 ID:dCmgKwcB
>>315
そんなのどっちとも捉えないに決まってるでしょ。

中観はxである、xでないという四句分別から逃れた戯論寂滅を目指すので、
なんらかの見解を提示したり、思想を批判して何らかの思想構築するものじゃないから。

少なくとも月称菩薩はそうだ。
321神も仏も名無しさん:2012/08/02(木) 08:56:15.82 ID:oz/j3UjI
>>320
べつに中観の真理について聞いてるわけではないんだ。

認識の対象として認められる対象は有るのか、それとも心でしかないのか。
という点について中期(月称を含む)までは中観系は唯識の
外界は存在せず認識の対象は存在しない
って考えを否定して、外界の実在を唱えていて、
それが後期のシャータンラクシタやカマラシーラやハリバドラになっちゃうと唯識色が強くなっちゃって
実在とも非実在とも主張されるようになっちゃって、じゃあ、そこで結局どっちなの?ってことが聞きたかったんだ。


蛇足だけど、
>なんらかの見解を提示したり、思想を批判して何らかの思想構築するものじゃないから。
>少なくとも月称菩薩はそうだ。
っていってるけど、プラサンナパダーだってバーヴィヴェーカを批判して組み上げたモノでしょ?
っていうか帰謬論証という立場というか方法は他の思想の批判の上に成り立つものだよね。
322神も仏も名無しさん:2012/08/02(木) 09:16:11.17 ID:dCmgKwcB
>>321
いや、そういう見方が間違ってると確信する。

例えば、『明句論』だけど清弁菩薩を批判したものではないっしょ。
確かに清弁菩薩や陳那菩薩説を寂滅に導く説き方はある。
しかし、それを批判や論証と見ては中観ではないよ。

なぜか、清弁菩薩は中観に自立論証を持ち込んだ。
これはもちろん方便なんだけど、自立論証しては中観にならない。
なぜなら、自説、xであるという見解を論証してしまうから。
それでは見解、戯論が残ってしまって戯論寂滅にならない。

だから、月称菩薩は帰謬論証なんかしてない。
より限定するなら、論証なんかしてない。それでは戯論寂滅にならないから。
相手が掴んでいる見解としての戯論を帰謬によって戯論寂滅に導くだけ。

ここで言う戯論は、意識の根本的言語能力としての想像力、妄想する力、
抽象的な意味を「妄想展開すること」を意味してる。

君のような説は、19世紀にペテルスブルク学派がゲルクの影響を受けて創りだしたもので、いまだ学会の主流のようだけど本来の中観とは程遠いよ。

本来の中観は寧ろニンマ・サキャ、三論、華厳、真言などに接近する。
学者では山口益、生井智紹、石飛道子が接近し、それ以外のほとんどの文献学者の説は中観を理解してないと思うよ。

もっともニンマ・サキャについた最近の西洋人、チベット人学者は除くけど。

323神も仏も名無しさん:2012/08/02(木) 09:39:24.12 ID:oz/j3UjI
>>322
すまない。
月称菩薩の事に関しては確かに自分が一面的な見解に依りすぎていた。
たしかに貴方が言うように月称菩薩は帰謬論証すらしておらず、戯論寂滅のみを行なっていたにすぎないというのもあり得る話だ。
考えたこともなかった。貴重な考えを仕入れさせてもらった。ありがとう。



でも、自分が求めていたのは

後期中観派において外界は実在と捉えていたのか非実在と捉えていたのか、に対する文献学的な見解はどちらなのか?

なんだ。引き続き有識者の見解を待ちます。
324神も仏も名無しさん:2012/08/02(木) 11:07:58.91 ID:hiIlR85v

何故

後期中観派において外界は実在と捉えていたのか非実在と捉えていたのか?

と言う事に、こだわるのか?

その理由を教えてくれなイカ? おじゃる?
325神も仏も名無しさん:2012/08/02(木) 11:39:09.67 ID:hiIlR85v

瑜伽行唯識(ゆがぎょうゆいしき)

とりあえず心(識)は仮に存在すると仮設して
深層意識の阿頼耶識が
自分の意識も
外界にあると認識されるものも生み出している(唯識無境)と考えて

瑜伽(ヨーガ)の実践などによって
第六表面意識から → 深層意識の阿頼耶識に働き掛けて
最終的には阿羅耶識もまた空であるとする(境識倶泯)

境識倶泯に至っていないものは
有るか?無いか?有であり無であるのか?と思惟してはならない
境識倶泯に至って、やっと第一義諦を体感会得できる
と言う事なんじゃなイカ? おじゃる?
326神も仏も名無しさん:2012/08/02(木) 11:52:44.76 ID:hiIlR85v

中論觀顛倒品第二十三
無常の中に常に著する、是れを則ち顛倒と名づける
無漏法に至るまで尚お不生の相と名づけない

中論觀法品第十八
八聖道分を修習して
我、我所を滅する因縁の故に
無我、無我所を得て
智慧を決定する
空等の解脱門を用いて
諸の禅定の中に
滅尽定を以って第一と為し
終に無余涅槃に帰する
327神も仏も名無しさん:2012/08/02(木) 12:00:23.72 ID:oz/j3UjI
>>326
純粋な知的好奇心からです。
貴方のレスの意図は読めません。
中論について聞いた覚えはありません。
先にも述べたように初期や中期の捉え方は今回は必要ではありません。
また、唯識の基礎概念について聞いた覚えもありません。

あくまで私が知りたいのは
後期中観派において外界は実在と捉えていたのか非実在と捉えていたのか、に対する文献学的な見解はどちらなのか?
についてです。
328神も仏も名無しさん:2012/08/02(木) 12:14:56.87 ID:hiIlR85v

> 文献学的な見解はどちらなのか?

色々な人の解説書を読んで見て下さい

そして最終的には、禅定(瞑想)によって

八聖道分を修習して
我、我所を滅する因縁の故に
無我、無我所を得て
智慧を決定する

滅尽定を以って第一と為し
終に無余涅槃に帰する

無漏法に至るまで尚お不生の相と名づけない
329神も仏も名無しさん:2012/08/02(木) 12:16:15.29 ID:dCmgKwcB
>>327
その人はトンチンカンなので、アナタが何を問題としてるかも分かってないと思うよん。
330神も仏も名無しさん:2012/08/02(木) 12:38:31.91 ID:hiIlR85v

根本仏典も、中論も、瑜伽行唯識なども
表面意識だけの哲学的な思惟によって作られたものではなくて
禅定(瞑想)とか、瑜伽(ヨーガ)の実践などの
体感会得によって、教理にまとめられたものなので

色々な人の解説書を読んで見て
そして最終的には、禅定(瞑想)によって
体感会得してみて下さい

と言う事を主張したかった訳でございます
331神も仏も名無しさん:2012/08/02(木) 12:49:40.47 ID:hiIlR85v

> その人はトンチンカンなので、アナタが何を問題としてるかも分かってないと思うよん

質問に対しての自分の意見を述べて下さい

(今まで頭ごなしにコテンパン叩かれて来ているので
  これからも私の事を馬鹿にする事は大変に結構な事でございます)
332神も仏も名無しさん:2012/08/02(木) 13:23:39.22 ID:hiIlR85v

 ↓ 携帯だと見れないかもしれない

http://archives.bukkyo-u.ac.jp/infolib/user_contents/repository_txt_pdfs/bungaku88/B088R001.pdf

文学部議集第制月一(2004年3月)
後期中観派の自己認識に関する悶果関係の吟味
森山清徹

…ダルマキールティの自己認識の理論を活用し
外界の非実在を論じることによるものである…
333神も仏も名無しさん:2012/08/02(木) 18:46:55.40 ID:oz/j3UjI
>>332
ありがとうございます。

しかし読んでみても、
ダルマキールティは論証できるとしたけど、カマラシーラは感覚智の因果関係を論証することはできないとした
ってことが一貫して論じられていて、
自分だとどこにカマラシーラの外界についての見解が論及がされている箇所を読み取れなかったんだけど、
もしよかったら何ページ目の何行目から論及されているか教えてもらえないだろうか?
334神も仏も名無しさん:2012/08/03(金) 00:49:09.65 ID:XApZ8fii

http://archives.bukkyo-u.ac.jp/infolib/user_contents/repository_txt_pdfs/bungaku90/B090L031.pdf

カマラシーラの因果論及びプラマーナ論の吟味とダルマキールティ

[2]カマラシーラによる因果論及びプラマーナ論の吟味とダルマキールティ
[3]実在論の論破と無自性論証
[4]実在論者による無自性論証への詰問とカマシーラの筈論
335神も仏も名無しさん:2012/08/03(金) 01:07:32.94 ID:XApZ8fii

http://archives.bukkyo-u.ac.jp/infolib/user_contents/repository_txt_pdfs/bungaku90/B090L031.pdf

このプラマーナと実在に関する問題の本質は対論者が
中観派にプラマーナにより一切法無自性は証明し得ない
なぜならプラマーナは実在を証明するものであるから
と詰問することと共通している

この実在論へのカマラシーラの対応は
直接知覚に関しては修所成慧としてのヨーガ行者の直接知覚により無我が悟られ
また実在が直観されることはないと論じ
推理に関しては反所証拒斥検証の不成立を指摘することにより
実在論を論破し無自性論証へと導く
336神も仏も名無しさん:2012/08/03(金) 01:20:06.29 ID:XApZ8fii

実在論へのカマラシーラの対応は

自分の意識も

外界にあると認識されるものも(唯識無境)

修所成慧としてのヨーガ行者の直接知覚により無我が悟られ

実在が直観されることはない

実在論を論破し無自性論証へと導く
337神も仏も名無しさん:2012/08/03(金) 19:49:57.91 ID:WUrQafom
>>336
色々資料を挙げてくれてありがとう。
しかしながら、ひとつも合致するものは無かったよ。
質問は「外界が実在と捉えるか非実在と捉えるか」であって「自性の実有」では無いんだ。
色々な資料挙げてくれたけどあなた自身は全部読んだ?質問の意図が理解できてなかったの?
また、色々な人の考えを聞きたいな。と思って質問しているのであって、自分が質問の意図すらも理解できないモノであったら回答は控えたほうがいいと思うよ。
それこそ先の人が指摘しているようなトンチンカンな回答になってしまう。
何故なら自身が見解を示せないから。

あなたの行為は喩えるならば
レシピ以上のおいしいショートケーキを作りたい人がケーキ屋においしいケーキの作り方の秘訣を聞きに
ケーキ屋に聞きに行ったら、ケーキ屋の前にいたおばあちゃんから「私が教えてあげる」と呼び止められて、
一緒に本屋に行って一日かけて本を一緒に探して「この本に乗ってそうだよねえ」、とか言われるようなモノです。
そして真に受けて本を買って帰ったらチョコレートケーキの一般的なレシピしか載っていない。そのような感じです。
しかも元々はレシピ以上の美味しいケーキの作り方が知りたいわけで、レシピが知りたいわけでも無い。
おばあちゃんは親切心から教えているのですが、知りたい人はたまったもんじゃありません。
まさにありがた迷惑。
おばあちゃんが呼び止めなかったら無事にケーキ屋に入ってそこでケーキ職人に質問ができたでしょう。
そこで専門家の意見が聞けたでしょう。

だから、質問に回答する事が悪いこととは言いません。
質問者に対して回答しようと思う事、それは素晴らしい善だと思います。
けれども、知らないこと、答えられないことにたいしては沈黙を保つことも美徳であると思います。
知らないことに対しての回答はトンチンカンな回答になることが多いです。
回答は知っていること、答えられることに限るのがいいと思います。
そうでなければトンチンカンな回答によって、質問を行った者も、質問を回答した者も残念な気持ちになる事が多いです。

なんだかグチャグチャになっちゃったので自分の質問は取り下げさせて頂きます。
338神も仏も名無しさん:2012/08/03(金) 21:18:45.97 ID:XApZ8fii

> 何故なら自身が見解を示せないから

私の意見は

自分の意識も

外界にあると認識されるものも(唯識無境)

実在が直観されることはない

と言う事でございます
339神も仏も名無しさん:2012/08/04(土) 01:09:50.23 ID:f2SBlPTE
>>337 素人の傍聴人ですが、
そもそも「実在」という概念にはめこむこと自体がおかしいのでは?
最初からケーキ屋においていないケーキのレシピを要求していて、
通りすがりのおばあちゃんは、「そんなケーキ自体がない」って言ってるのに、
あなたは「そんなこてはきいていない、あのケーキのレシピをさがしてるんだ」、
おばあちゃん「だぁかぁら、そんなケーキ自体がはじめからないのにレシピもくそもないんじゃ」と。
340神も仏も名無しさん:2012/08/04(土) 01:47:12.06 ID:jdehNPyr
>>339
俺は本人じゃねーし横レスになるけど337の一連の質問は、

初期と中期においては中観派や説一切有部は認識の対象としての境を想定するけど
唯識や経量部においては認識の対象である境を想定しない。
じゃあ後期中観派の文献においては境を想定するのか、しないのかって話じゃね

真理としてはどうあるのかって話ではなくて、あくまで文献学的にどう読めるかって事
そして多分だけど「実在」って概念は一般的に想定されるような「実在」じゃなくて
仏教論理学的な「実在」について聞いているんじゃない?
俺は論理学専攻じゃねえからわかんねえが恒常的な実有や存在を指し示しているのではないようなきがするわ

そんなものは悟りには必要ねえよ!ってなるけど、知的好奇心だって言ってるからなんともいえねえよな

>>337
ちなみにおれは後期はサッパリだからなんも回答は出せねえわ
もし、追求してーんだったら議論スレにもってってみたら?
あっちだと博識な人がおおいぞ
341神も仏も名無しさん:2012/08/04(土) 02:01:01.98 ID:f2SBlPTE
>>340 でも「無自性」って言われてるわけだから、
「境」と「境以外」に分別することが批判されてしまうので、
質問自体が成り立たなくなってしまう気がします。
342神も仏も名無しさん:2012/08/04(土) 09:58:39.41 ID:jdehNPyr
>>341
無自性論証によって境と境以外の分別は批判されてないぞ
ここでいうダルマキールティの無自性論証ってのは
有部の三無為やアートマンやイーシュバラみたいなものがもっている恒常な性質を批判するロジックであって
長いものや短いものといったそのものの持っている性質に区別がねーっていう無分別じゃねえんだわ
よーするに自分が認識してると思ってるもんは外に見ているって思っている俺の妄想にすぎず実際は心の中にあるのか
それとも俺の外にあるのかってやつじゃね?
343神も仏も名無しさん:2012/08/04(土) 16:08:57.21 ID:f2SBlPTE
>>342 「俺」っていう法境も意根と意識との縁起で成り立つことであり無自性なんだから、
外界も縁起・無自性であるので、外界を切り取って議論することに違和感を覚えたもので。
344神も仏も名無しさん:2012/08/04(土) 17:18:16.48 ID:oxgnr7ZI
若し人、三世一切の、仏を知らんと欲すれば、
法界の性は、まさに一切唯心の造なりと観ずべし・・・ か。
345神も仏も名無しさん:2012/08/04(土) 17:51:54.14 ID:f2SBlPTE
色の鏡で「俺」を見ると「俺」は心の姿をしているし、
心の鏡で「俺」を見ると「俺」は色の姿をしている。
「俺」の本体は色なのか心なのか。
色の鏡に映った心は幻か実体か、心の鏡に映った色は幻か実体か。
色が鏡で自分を見ると心に見えるし、心が鏡で自分を見ると色に見える。
346神も仏も名無しさん:2012/08/04(土) 19:11:13.06 ID:y2Ac1xFk

トンチンカンな、おばあちゃんが、と
御叱りを受けるかもしれましんが

私も
外界を切り取って話を進める事に対して違和感があったので

>>324
何故
後期中観派において外界は実在と捉えていたのか非実在と捉えていたのか?
と言う事に、こだわるのか?

と質問させて頂いたので御座います

皆様にも御迷惑をお掛けしまして大変失礼致しました
347神も仏も名無しさん:2012/08/04(土) 19:52:50.74 ID:jdehNPyr
>>343
だからその立場はすでに唯識だろ
後期の連中は外界に対する考え方が中観の立場なのか唯識の立場なのかって話だろ
348神も仏も名無しさん:2012/08/04(土) 21:37:35.38 ID:y2Ac1xFk

中観とか唯識などについて

そして

書き込み規制の時にも ↓ こちらへどうぞ

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1338784341/l50
輪廻転生と人格障害  (←机先生が立てたものです)
349神も仏も名無しさん:2012/08/05(日) 10:19:38.13 ID:vzVvTwkf
>>347
うーん、唯識とは言っていないです。
外界が認識されていないときにも外界があるのか(実在なのか)は、確かめようがない、
しかし、認識されていないときには外界が無い、とも言えない。
識がないと認識できないが、それだけをもって識が創造者だとは言えない。
ぜーんぶひっくるめて生滅し縁起してるので、一部を切り取って考えても答は「わからない」では。
350神も仏も名無しさん:2012/08/05(日) 10:47:47.77 ID:d/G5SZmM
ガクモンぶっきょーってくだらねえw
351神も仏も名無しさん:2012/08/05(日) 10:50:39.68 ID:d/G5SZmM
「ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、
 想いを消滅した者でもない。*←非想非非想処
  ──このように掴んだ者の形態は消滅する。

 時空意識は、想いにもとづいて起こるからである。」(スッタニパータ874) 

352神も仏も名無しさん:2012/08/05(日) 11:18:52.67 ID:fDpqi1Vt
>>349
だから、俺達じゃそういったように考えが及ばねー事を
昔の人は論理学とかを用いて考えてんだよ
で、それが論に書かれて残ってる
んだから、昔の人はどうやって理解したのか知りたいんだよって話だろ
353神も仏も名無しさん:2012/08/05(日) 11:30:54.21 ID:d/G5SZmM

そんな二項相対で、論理学とかでいくら考え(想い)ても

結論なんか出ねーよ、ってのがSn.874じゃん。

時間つぶし趣味ガクモンなら勝手だが、実践的にはSn.874でもう十分。
354神も仏も名無しさん:2012/08/05(日) 12:00:40.93 ID:fDpqi1Vt
>>353
流れ嫁カス
最初の質問者の質問は「知的好奇心」って明記されてるだろ
いつから実践の話になったんだよ

それとこっちは素朴な疑問なんだけど、
そのSn.874の訳って誰訳?
papancasa?kh?ってそんな風に訳せるものなの?
355神も仏も名無しさん:2012/08/05(日) 12:01:52.61 ID:fDpqi1Vt
訂正

papancasaMkhA
356神も仏も名無しさん:2012/08/05(日) 12:14:43.19 ID:d/G5SZmM

カスには応答不能だすw
357神も仏も名無しさん:2012/08/05(日) 12:39:47.80 ID:d/G5SZmM
カスのヒント
:Sn.874とSn.916を体系的且つ実践的に掴み込むこと。
 筏の縄の産地解明ばかりに拘ってないで、ちゃんと櫂を漕げよw
358神も仏も名無しさん:2012/08/05(日) 13:10:24.81 ID:6k+/g1F5

スッタニパータ 874
ありのままに想う者でもなく
誤って想う者でもなく
想いなき者でもなく
想いを消滅した者でもない
このように理解した者の形態は消滅する
けだしひろがりの意識は
想いにもとづいて起るからである

スッタニパータ 1037
識別作用が止滅することによって
名称と形態とが残りなく滅びた場合に
この名称と形態とが滅びる

スッタニパータ 1119
つねによく気をつけ
自我に固執する見解を打ち破って
世界を空なりと観ぜよ
359神も仏も名無しさん:2012/08/05(日) 13:54:40.47 ID:6k+/g1F5

スッタニパータ 1068
上と下と横と中央とにおいて、そなたが気づいて
よく知っているものは、何であろうと
それは世の中における執着の対象である、と知って
移り変わる生存への妄執をいだいてはならない

 − − −

 ↑ これに時を追加すれば「時空意識は」と言う解釈も出来るかも?
360神も仏も名無しさん:2012/08/05(日) 14:30:28.23 ID:d/G5SZmM
>>359
>「時空意識は」と言う解釈も出来るかも?

ご苦労はん、そのとおり同意だす。

それに加えて、653(中論24-40参照)・734・735・916という抜け殻カス仏教(仏典=仏法ではない)も
(批判的に)体系的に読んで法を直覚し、
自帰依とのフィードバックで信解決定(けつじょう)していくしかない。
修練の深化は非動非止。

「想う」=知覚・記憶=分別するから時間・空間(特に自我)が実在する(デカルト的)、というわけではないというのが874・916の趣旨。
だから、非想非非想処での無分別智で名色の不生(無我)が直覚され⇒無分別中道の悟り=涅槃となる。

だから「ひろがりの意識」(戯論?)なんて中村元さんヘンですよーな訳より、「時空意識」で万事オッケーだす(カス訳)。
361神も仏も名無しさん:2012/08/05(日) 14:35:21.67 ID:6k+/g1F5

俺達じゃ考えが及ばねー事を昔の人はどうやって理解したのか?

スッタニパータ 1026
無明が頭であると知れ
明知が
信仰と念と精神統一と意欲と努力と
に結びついて
頭を裂け落させるものである

 ↑ この スッタニパータ 1026 によって体感会得したとか?
362神も仏も名無しさん:2012/08/05(日) 15:15:25.16 ID:6k+/g1F5

> だから、非想非非想処…

ブッダの人と思想(NHKブックス)中村元
40ページ参照
非想非非想処
想うのでもなく想わないでもない境地
滅尽定(想受滅定)という最高位の禅定の
一歩手前の境地であるといわれております
51ページ参照
四如意足(四神足)
神通力の基礎となる力で
意欲、努力、思念、観察へのそれぞれの集中力のことで
それを修めて悟りを開いたというものです
意欲、努力、思念、観察は悟りへの必須の条件でもあります

 ↑ 滅尽定(想受滅定)とか四如意足(四神足)などの方法もあるらしい
363351 360:2012/08/06(月) 09:15:36.16 ID:OTKUw2Et
>「ありのままに想う者でもなく(>>351)

この訳(中村 元 訳)は誤解を招きやすい。
『知覚(識別)のままに想う者でもなく』に訂正する。

『ありのまま』はSn.734・1035の「識別(分別)作用」との関係で体系的に読めば、
識別作用(間接現実)の死滅→無分別智によるあるがまま(直接現実)の直覚との
混同のおそれを避けなければならないからだ。

・知覚(識別)のまま←間接(知覚記憶)現実
・あるがまま    ←直接(無分別智直覚)現実

ゆえに、
「知覚(識別)のままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない。
 ──このように掴んだ者の形態は消滅する。 *形態の消滅だから、当然に時空(一切:存在)を予定している。
 なぜなら、時空意識は想いにもとづいて起こるからである。」(スッタニパータ874) 


364神も仏も名無しさん:2012/08/06(月) 09:23:20.14 ID:6fqoEwEu
>>363
人間にとって、「現実」は一義的。「間接事実」と「直接事実」との区別
などない。そんなことがあれば、人間社会は、瞬時に崩壊するのは自明のこと。

中村博士の誤りではなく、釈迦の誤り。スッタニパータは完全なカルト書。
引用などすべきではない。
365神も仏も名無しさん:2012/08/06(月) 09:41:22.35 ID:OTKUw2Et
>>364
>「間接事実」と「直接事実」との区別などない。

われわれは区別などしていない。
(間接)事実=(直接)事実である。
両者のあいだには、最も微細なるいかなる区別(間隙)も存在しない(龍樹 中論25-19・20)

コンドーム・セックス(間接)であろうが、
ナマ・セックス(直接)であろうが、オチンチン(事実)であることにおいては
最も微細なるいかなる区別(間隙)も存在しないのだ。
366神も仏も名無しさん:2012/08/06(月) 09:46:53.50 ID:6fqoEwEu
>>365
>コンドーム・セックス(間接)

もっとまともな例は、考え付かなかったのかねw。
367神も仏も名無しさん:2012/08/06(月) 09:52:29.70 ID:OTKUw2Et
まともじゃん!(爆笑

もっとも、インポ老人にはこの比喩はキツイかw
368神も仏も名無しさん:2012/08/06(月) 14:31:22.37 ID:lcnvrrzh

ヤブユム(男女両尊、歓喜仏)
男性尊格が配偶者と性的に結合した状を描いたシンボル
男性尊格が蓮華座にて座し
伴侶がその腿に腰かける座位の構図が一般的である
この交合を通じて大楽を導き
解脱に達する

 − − −

頭で考えるな!体で感じて体感会得するんだ!

魂で、つかみ取れ!
369神も仏も名無しさん:2012/08/06(月) 14:56:39.76 ID:lcnvrrzh

理趣経

大楽の法門

妙適C淨句是菩薩位 - 男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地である

慾箭C淨句是菩薩位 - 欲望が矢の飛ぶように速く激しく働くのも、清浄なる菩薩の境地である

意滋澤C淨句是菩薩位 - 思うにまかせて、心が喜ぶことも、清浄なる菩薩の境地である
370神も仏も名無しさん:2012/08/06(月) 17:10:38.69 ID:lcnvrrzh

「スッタニパータは完全なカルトだ!」と言うのなら

これなら ↓ どうだ?

チャンダーリーの火とは
臍(へそ)のチャクラに宿る熱である
この熱の力で「風(ルン)」を中央脈管の中に導き入れ
それが脈管に入り、留まり、溶け込む事に習熟した時
菩提心である精液が溶け出し
それが中央脈管の中を上下に移動しながら
四つのチャクラを通過する時に
四段階の歓喜が生じ、最終的には
源初から存在する(倶生)大楽を元に
楽空無別の智恵を獲得する
371神も仏も名無しさん:2012/08/08(水) 18:23:40.59 ID:li7ZJBI6
高野山大学の公開講義に興味ありますが、正直あまり聞いたことのない大学です
内容がインチキだったりしませんよね?
372神も仏も名無しさん:2012/08/08(水) 20:07:26.56 ID:8G0A6itv

高野山大学は
835年(承和2年)に空海が朝廷より真言宗後継者育成制度を認定されたことに始まる
学制としては、明治時代の1886年5月1日に古義大学林として、正式に開学した

835年(承和2年) - 朝廷より真言宗後継者育成制度が認定
1886年(明治19年)5月1日 - 古義大学林として開学
1909年(明治42年)4月10日 - 専門学校令により開校を認可
1916年(大正5年)3月16日 - 私立真言宗連合高野山大学を私立真言宗高野山大学と改称
1926年(大正15年)4月2日 - 大学令により高野山勧学財団高野山大学の設立を認可
1967年(昭和42年)12月10日 - 密教文化研究所竣工
1986年(昭和63年) - 創立100周年。 2月22日 - 護摩道場竣工。4月11日 - 新校舎竣工
2003年(平成15年) - 大学院通信教育課程の開設が認可される
2006年(平成18年) - 創立120周年。 10月1日 - 松下講堂黎明館竣工

教育理念
弘法大師の精神に則り、「いのち」のあらゆる営みを尊び、人間とその環境の共存共生をはかり
諸民族諸地域の文化を理解し、新しい文化を創造して、社会に貢献する人材を育成する
373神も仏も名無しさん:2012/08/08(水) 20:17:14.75 ID:8G0A6itv

2012-08-25 (土) 夏季セミナー
講座案内
担当者 koho 登録日時 2012-07-22 22:24 (530 ヒット)

☆☆☆ 高野山大学夏季セミナー ☆☆☆

2012年8月25日 (土)
@ 「金剛界曼荼羅における賢劫千仏の描き方」
乾 仁志(高野山大学副学長、文学部教授)
A 「哲学と宗教」
山脇 雅夫(高野山大学文学部教授)
B 「立ち去る西行―説話に見る西行像―」
下西 忠(高野山大学図書館長、文学部教授)

2012年8月26日 (日)
@ 「密教について考える―日本密教とチベット仏教―」
藤田 光寛(高野山大学学長、文学部教授)
A 「密教の瞑想法と美術」
川ア 一洸(四国霊場第28番大日寺住職、高野山大学非常勤講師)
B 「海から来た密教」
松長 恵史(高野山大学非常勤講師)

◆時間 @10:00〜11:30 A12:45〜14:15 B14:30〜16:00
◆場所 高野山大学 松下講堂黎明館
◆受講料 1日のみ参加¥3,000 2日とも参加¥5,000
374神も仏も名無しさん:2012/08/09(木) 13:45:53.10 ID:ojT3lr+h
>>353
違うな。それじゃ、アドヴァイタのような神秘主義になっちまう。
そのような神秘主義に陥らない道を論理できっちり示したのが、その詩でしょ。
そういう理解は仏教じゃなく、たんなるヌーエイジだと確信してる。
375神も仏も名無しさん:2012/08/09(木) 13:51:36.15 ID:ojT3lr+h
>>360
>「想う」=知覚・記憶=分別するから時間・空間(特に自我)が実在する(デカルト的)、というわけではないというのが874・916の趣旨。
>だから、非想非非想処での無分別智で名色の不生(無我)が直覚され⇒無分別中道の悟り=涅槃となる。

分かってないな。非想非非想処は否定されてるっしょ。
その境地じゃだめだと。そりゃ、無分別でなく不生でなく中道でないは。
なんもわかってない。

中村先生はよくわかってないから、そう訳してるが、原語はそう。
業が縁によって言い習わしによって記号づけられ妄想がひろがるという意味で、
戯論なんですよ。

まあ、単純に言えばアンタが上のように妄想するように、記号から適当に空想して、意味をドンドン勝手に付け加えて膨らましてくというような意味ね。

時空意識は、恥ずかしいヌーエイジ訳としか思えないなあ
376神も仏も名無しさん:2012/08/09(木) 18:04:32.73 ID:pVHEQBwo
人生で同じようなことしか起こらないのをなんというのでしょうか?
377神も仏も名無しさん:2012/08/09(木) 21:51:04.97 ID:15OC51HM
一切皆苦
378神も仏も名無しさん:2012/08/10(金) 06:34:17.85 ID:Z9hAVwPe
>>375
>分かってないな。非想非非想処は否定されてるっしょ。

おやおや、これまた異なことを、 釣りでっか?w
『否定』されてませんよ。

むしろブッダの仏法直覚にとって最も大切な境地といえます。(その先の滅尽定では無分別智さえ働かず、行き過ぎです)
戒定慧でいえば、ウドラカ・ラーマプトラ仙が伝授してくれた非想非非想処という定の境地での
中道の悟りへ導く“無分別智(慧)”の発見(気づき)がブッダの『ヌーエイジ』革命の端緒です。
だからこそ、非想非非想処自体で満足していたラーマプトラ仙が最初の共感者になってくれると期待されたのです。

それ以下の妄言は却下です。
一休も、空海も、道元も、ブッダも、その時代の歴史的精神文化の担い手はすべて『ヌーエイジ』だったわけだが・・・

379神も仏も名無しさん:2012/08/10(金) 07:34:31.80 ID:YXhKgafT
>>378 非想非非想処などの無色界の禅定も、行き過ぎなのでは?
380神も仏も名無しさん:2012/08/10(金) 11:15:47.87 ID:m462oZXl
>>378
いや、アンタがヌーエイジで全く仏教じゃないだけっしょ。
九次第定は禅定・三昧の階梯で直接、覚りとは関係ないよ。
単に精神集中の度合いだよ。


>戒定慧でいえば、ウドラカ・ラーマプトラ仙が伝授してくれた非想非非想処という定の境地での
>中道の悟りへ導く“無分別智(慧)”の発見(気づき)がブッダの『ヌーエイジ』革命の端緒です。

 こんなことどこに書いてあるのか? 仏教だと伝統的に四禅、つまり色界定で観ずることで無我・空を悟って解脱すると書かれるぞ。

 上だと禅定から無分別智が出てくるというヒンドゥーと同じ神秘主義に他ならない。それは中道で遮断される「非・是且非・非是且非非」のどれかに他ならない。

 そしてアンタの解釈だと縁起・無我・空が全く意味をなさなくなり、外道と何も変わらないでしょ。

 中道ってのは、〜である、〜でない、〜であり〜でない、〜であるのでもないのでもないという四句分別、つまり四つの論理形式で何かを掴むこと、戯論が寂滅ていることを指しているんだよ。

 非想非非想処は明らかに第四句の〜であるのでもないのでもないという分別に他ならないとするのが伝統仏教の一貫した立場だ。

 それは『カーテヤーヤナ経』などに明らかだぞ。『カーテヤーヤナ経』は有無二項だけだが。

>だからこそ、非想非非想処自体で満足していたラーマプトラ仙が最初の共感者になってくれると期待されたのです。

 ちがうな、禅定には入れるから縁起が分かれば、無我・空が悟れると考えたんでしょう。だから、ラーマプトラ以外にもカーラーマ、五ビクに教えを説こうとしてるでしょ。
381神も仏も名無しさん:2012/08/10(金) 11:17:15.00 ID:m462oZXl
 そして、五ビクには非想非非想処に入れなどと教えてない、まず縁起を説かれている。この縁起を理解した証拠がカウンディニヤの「何であれ生じたものは、全て消え去るものだ」でしょ。

 これは現象が実体・実在ではなく縁起・空であることを理解したもので、だから釈尊は彼は分かったとお喜びになられた。これは戒定慧の因としての慧にあたる。

 つまり、四禅の集中状態でこの縁起を観じることで、悟れるというのが仏教で、この縁起・空性・無我が外道にはないから、全く外道と仏教は違うわけだ。

 一休は知らんが、弘法大師も道元禅師も法脈、師匠からの伝承をきっちり守ってるよ。釈尊もアーガマ・ニカーヤでは古い道を見つけたと仰ってるし、大乗では一切如来から目覚めさせられ、教えを受けてる。

 反論したければ、議論スレにドゾ〜

382神も仏も名無しさん:2012/08/11(土) 12:42:05.78 ID:WLhSrkuz
>>381 すばらしい。おっしゃるとおり。
非想非非想処って、唯識で言うところの円成実性、つまり、
眼耳鼻舌身意の六識も、第七のマナ識も消えて、
第八のアーラヤ識だけになったときの状態を言うのではないでしょうか。
で、そこで非想非非想処崇拝、アーラヤ識・無分別智・円成実性質崇拝になっちゃうと、
梵我一如とかわらなくなっちゃう。
無我ではなく大我だとか、一即一切・一切即一だとか、そっち方向に行ってしまう、
しまいには、アーラヤ識は法蔵菩薩(阿弥陀仏の前身)だ、みたいに言う人まででてきちゃう。
大日如来もそれと似たり寄ったり。
383神も仏も名無しさん:2012/08/11(土) 17:03:21.77 ID:Eki6CfKs
>>382
ども〜、記号として、大我、アーラヤ、如来蔵、大日如来と言っても空性ですから。

そこが重要だと思います。
384神も仏も名無しさん:2012/08/12(日) 05:06:28.04 ID:ERAgv9uf
曹洞宗と臨済宗の坊さんが警策を武器に戦ったら、どっちが勝ちますか?
385神も仏も名無しさん:2012/08/12(日) 23:28:24.62 ID:3lLxenC8
>>384
両方ともタイーホでドロー
386神も仏も名無しさん:2012/08/14(火) 06:51:55.05 ID:AUuxtYXH
罰が、当たりそうな質問だけど、
お経に書かれてることって、誰々が書いたって固有名詞が無くても根拠として成り立つの?

もし、そうだとしたら、大昔に、どこぞの馬の骨が、それっぽいこと書いて、それが、例えば
般若経典の中に紛れ込んでても多分誰も気づかないよね。仏の教えを言う権威をなくせば
もしかして2chと大差ないんじゃね。匿名と言う意味で。
それに、お釈迦様って自分で言葉を形にして残したわけではないんでしょ。やっぱり、又聞き
でも仏教の世界では問題ないの?それとも、暗黙の了解?

なんか、長くなっちゃたけど、お願いします。
387神も仏も名無しさん:2012/08/14(火) 06:56:19.19 ID:4TriMRfD

>>386

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259680941/l50

【仏教】99%の経典は偽経・偽書です!
388神も仏も名無しさん:2012/08/14(火) 07:03:08.03 ID:4TriMRfD

シリーズ大乗仏教 大乗仏教とは何か (2011/06)

168〜169ページ参照

般若経
炭素14による年代測定の結果
紀元前一世紀に遡る数値を示す巻物もある

 − − −

188〜191ページ参照

現在われわれが手にする、インド諸語で書かれた仏典のほとんどは
漢訳仏典出現の年代から、はるかに遅れて、あらわれたものである

現存する漢訳仏典は、古典サンスクリットではなく
俗語の特徴を反映している
389神も仏も名無しさん:2012/08/14(火) 07:04:56.69 ID:k5lOgIam
>>386
お経の妥当性は、聖者の再現性によって保証されてますよ。

単純にいえば、悟った、解脱した聖者が出たかどうか。

もっとも現代でもチベットとビルマのみですが。
390神も仏も名無しさん:2012/08/14(火) 07:11:16.91 ID:4TriMRfD

スッタニパータ(義足経)
最初期に編纂された最古の仏典のひとつとされ、対応する漢訳は一部を除いて存在しない。
(第4章『八つの詩句』/支謙訳:仏説義足経)現代では日本語訳として『南伝大蔵経』の中におさめられている。
ただし、
『スッタニパータ』の中にも、新旧の編纂のあとが見られ、
パーリ語の文法に対応しない東部マガダ語とみられる用語が含まれていることから仏典の中でも最古層に位置づけられている。
391神も仏も名無しさん:2012/08/14(火) 07:12:03.69 ID:AUuxtYXH
>>389
ありがとうございます
392神も仏も名無しさん:2012/08/14(火) 12:21:35.16 ID:AUuxtYXH
連投ですいません
日本の仏教徒は、戒律を守らないため
他国の仏教徒から、なかなか一人前と
して見られない事が、あると聞いたのですが
本当ですか?
393神も仏も名無しさん:2012/08/14(火) 12:30:12.93 ID:PoGYAZXH
仏教徒?
僧侶のことじゃないのかね
394神も仏も名無しさん:2012/08/14(火) 12:30:20.67 ID:k5lOgIam
>>392
本当です。

というか、太く生きている仏教はチベット系とビルマだけだと思います。

他にも細々とはあるようですが。
395神も仏も名無しさん:2012/08/14(火) 18:37:35.78 ID:X1wvOO3T
大乗仏教の進化を知ってしまうと
小乗仏教の経典を読んでも
ポルシェの最新モデルに乗った後
100年前の自動車の仕組みを知るようなものだな
本田宗一郎は偉大だが現役のF1エンジン開発は現役世代が
最先端でありより時機相応のものであることは間違いない
396神も仏も名無しさん:2012/08/15(水) 05:56:48.17 ID:3mCfz+ZV
>>386 今みたいにお経が一人歩きしつ文献学者の餌食になったり、
仏教のぶの字も知らない人でもネットで読めたりするのが、果たして良いことなのかも、疑問です。
本来、お経は、師匠から弟子や信者へ伝承されるべきものではないかと思うのです。
つまり、弟子や信者が師を選ぶときの、「この和尚なら尊敬できる!」
というスタートのプロセスなしにいきなりお経を読む意味があるのか。
それよりも、尊敬できる師匠からたった一文を伝授されるほうが修行の励みになるし、
師匠の教えをマスターしたら、その師匠つてで
さらに上の師匠を紹介してもらったりする流れが本来なのかも。
397遊びをせむとや生まれけむ:2012/08/15(水) 11:33:30.26 ID:05an56tQ
>>395
>100年前の自動車の仕組みを知るようなものだな

実存苦の超克という本懐を達成するには、
徒歩でも十分です、というより徒歩(修行自得)でなければなりません。

ピント外れに走るポルシェやF1は百害あって一利なしのガラクタです。

398遊びをせむとや生まれけむ:2012/08/15(水) 11:43:54.09 ID:05an56tQ
>>396
>本来、お経は、師匠から弟子や信者へ伝承されるべきものではないかと

大切なのは、実存苦の超克という本懐⇒あなたの仏法の直覚であって、
お経(仏教)の伝承ではありません。
直接現実において、お経(仏教)は存在しません。

師は、ただ道に外れないかを見守るだけです。

399神も仏も名無しさん:2012/08/15(水) 11:58:13.88 ID:loRiXHlL
>>398
苦を逃れるためには、伝統に基づく教えが必要だと思うよ〜

なぜなら、知覚も体験もエゴが創りだし欺き、エゴを守って苦から逃れさせないからね

伝承から外れて師だと思ってるヤツは偽物だと思う
400神も仏も名無しさん:2012/08/16(木) 04:47:57.54 ID:YV3j8eOM
松長 有慶さんの密教を読んで思ったのですが
密教の修行方法、グルを立てひたすらグルに従い、瞑想し(一種の神秘体験の末)解脱する。
と言う様な図式は、古代バラモン教、仏教では外道という言われるものの解脱法とそっくりだと思うのですが

宗教の教義としてではなく、グルを立て→瞑想→解脱という観点からみて、これらに違いがあるのでしょうか?
401神も仏も名無しさん:2012/08/16(木) 13:34:24.16 ID:nb9FeZnv
>>400
そのまま、そういう事だろ。
402神も仏も名無しさん:2012/08/16(木) 16:53:13.41 ID:YV3j8eOM
テーラワーダって、一体何ものなんですか?
403神も仏も名無しさん:2012/08/16(木) 16:57:23.43 ID:3H7xbRtB

スッタニパータ 1026
無明が頭であると知れ
明知が
信仰と念と精神統一と意欲と努力と
に結びついて
頭を裂け落させるものである

 − − −

クンダリニーは
普段は尾てい骨付近のムーラーダーラチャクラに眠っているが
ヨーガの実践や宗教の各種修行によって活性化し始め
生涯をかけ各チャクラを開花させグランティを破壊し
最終的には
頭頂のサハスラーラを押し開け解脱に至る
404神も仏も名無しさん:2012/08/16(木) 17:05:47.62 ID:3H7xbRtB

スッタニパータ 874
ありのままに想う者でもなく
想いなき者でもない
このように理解した者の形態は消滅する
けだしひろがりの意識は
想いにもとづいて起るからである

スッタニパータ 1037
識別作用が止滅することによって
名称と形態とが残りなく滅びた場合に
この名称と形態とが滅びる

スッタニパータ 1119
つねによく気をつけ
自我に固執する見解を打ち破って
世界を空なりと観ぜよ

中論 龍樹 鳩摩羅什
405神も仏も名無しさん:2012/08/16(木) 17:11:56.75 ID:3H7xbRtB

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%80

上座部仏教
仏教の分類のひとつ
上座仏教
テーラワーダ仏教
南伝仏教
小乗仏教の呼称は大乗仏教側から見た差別的意味を含むとされる
406神も仏も名無しさん:2012/08/16(木) 17:20:29.04 ID:3H7xbRtB

例えば、中論を、表面意識だけで哲学的に思惟しても何も変化は生じない

 − − −

瑜伽行唯識(ゆがぎょうゆいしき)の場合は

「とりあえず心(識)は仮に存在する!」、と仮設して

瑜伽〔ヨーガ〕の実践などによって

第六表面意識から → 深層意識の阿頼耶識に働きかけて

「最終的には阿羅耶識もまた空である(境識倶泯)」

と言う体感会得に至る事が出来るらしい
407神も仏も名無しさん:2012/08/16(木) 17:40:10.43 ID:3H7xbRtB

バラモン(ヒンドゥー)でも
仏教の南伝でも
北伝でも
チベット伝でも

とりあえず心(識)は仮に存在する、と仮設して

禅定とか、瑜伽(ヨーガ)の実践などによって

第六表面意識から → 深層意識の阿頼耶識に働きかけて

「最終的には阿羅耶識もまた空である(境識倶泯)」

と言う体感会得に至る事が出来れば良いらしい
408神も仏も名無しさん:2012/08/16(木) 18:46:31.09 ID:8rq5hlIu
ここで質問するようなことではないかもしれませんが、「五穀断ち」ってどの程度
までを断って祈願する行為なのでしょうか?
戦後に拝み屋から始まり、宗教法人を買い取った新興宗教の熱心な信者の息子の下へ
妹が嫁いだせいもあり、身内に重病人が出ると嬉々として五穀断ちを喧伝する
あちらの家風に「?」となることが多いです。
五穀豊穣などの言葉が指すのは米・麦・豆・あわ・ひえだったと思うのですが、
焼き肉をかっ食らい、「ご飯の代わり」とビールをガブ飲みしながら、
五穀断ちの最中ですって言うのは何か違うような……特にビールや発泡酒は、
麦(麦芽)や豆にモロに抵触している気がしますけど?
409神も仏も名無しさん:2012/08/16(木) 19:23:11.50 ID:3H7xbRtB

穀断ち(こくだち)
五穀・十穀の名をとって五穀断ち、十穀断ちともいう。
即身仏になるための修行・入定において、その最初の段階で行われる修行方法でもある。
穀物以外の木の実や草根を主として食べたというが、五穀・十穀とされる穀物に諸説あるなどの理由から、
やり方に決まった方法はないらしい

 − − −

http://blog.livedoor.jp/asikenko/archives/cat_50031626.html
禁酒は勿論のこと、夜食を止め、さらに、お菓子とコーヒーも止めました。
そして、最後の1週間は仕上げとして「五穀断ち」を行なったというわけです。
410神も仏も名無しさん:2012/08/16(木) 19:37:50.69 ID:3H7xbRtB

五穀断ちを喧伝しているのに
焼き肉を食って
ビールとか発泡酒を飲んでいるのは
やはり怪しい団体かも?

ちなみに、私は
どの宗教団体にも所属していないので
焼き肉も御飯も食べているけど
酒は体質に合わないので
酒を飲む事は苦痛で御座います
411神も仏も名無しさん:2012/08/16(木) 19:46:07.55 ID:PQApKcQV
>>402
東南アジア(特にビルマ)行ってこいよ
412神も仏も名無しさん:2012/08/16(木) 19:49:09.26 ID:PQApKcQV
>>410
余計な情報が多すぎ。
お前は質問箱に書くなよ(怒

今回、無関係な発言(→自分勝手な自分語り)で幾つレスを消費した?
んとに、お前の辞書には「反省」とか「進歩」「成長」って言葉が載ってないんだな。
お前見たいなのを『社会生活不適合者』っつーんだよ。
413神も仏も名無しさん:2012/08/16(木) 19:58:19.32 ID:3H7xbRtB

より多くの情報を提示して、その中から選び取る

と言う事も重要である
414神も仏も名無しさん:2012/08/16(木) 20:04:26.88 ID:PQApKcQV
>>413
ここのスレタイを言ってみ?
415神も仏も名無しさん:2012/08/16(木) 20:07:08.99 ID:PQApKcQV
>>413
414補

お前が散々書き込んだ文章は、
誰も問うていないし、選択の幅として適切でない。
寧ろ、聞く者を、その情報量の多さであれこれ迷わせるものだということを自覚しろ。
416神も仏も名無しさん:2012/08/16(木) 20:07:12.17 ID:3H7xbRtB

>>412

他人の事を批判するよりも

質問に対して

的確な意見を提示した方がよいんじゃなイカ? おじゃる?
417神も仏も名無しさん:2012/08/16(木) 20:08:37.37 ID:PQApKcQV
>>415

もっとも、
皆を迷わせて困らせるのが、君の目的であり楽しみであるなら仕方ないが・・・w
418神も仏も名無しさん:2012/08/16(木) 20:10:57.22 ID:PQApKcQV
>>416


お前みたいな者を批判することが、このスレに於いて最も有益なことなんだがなw

それに、俺はこのスレでは煙たがられる退役組なんだよw
小姑の小言だと思っとけwww
419神も仏も名無しさん:2012/08/16(木) 20:13:01.10 ID:3H7xbRtB

「選択の幅として適切でない」と勝手に>>415さんが

その「選択の幅」を決め付けているだけなんじゃなイカ? おじゃる?
420神も仏も名無しさん:2012/08/16(木) 20:17:36.43 ID:3H7xbRtB

> もっとも、皆を迷わせて困らせるのが、君の目的であり楽しみであるなら仕方ないが・・・w

 ↑ 「自分の意見は正しいのだから他の意見は間違いだっ!」と主張しているように見えるけど? おじゃる?
421セブン:2012/08/16(木) 20:22:48.51 ID:PQApKcQV
>>420
議論スレに来い。
422神も仏も名無しさん:2012/08/16(木) 20:24:43.29 ID:3H7xbRtB

> お前みたいな者を批判することが、このスレに於いて最も有益なことなんだがなw

まず質問に対して

>>418さんが

的確な意見を提示して

その後に

私が批判を受けると言う順番で良いんじゃなイカ? おじゃる?
423神も仏も名無しさん:2012/08/16(木) 20:41:00.22 ID:QOLoQGmT
>>421
やっぱ、言っても分からない人は放っとくしか無い

敢えて言わんでも、生命教とか?とかは、おかしいと誰でも分かるでしょう
424408:2012/08/16(木) 20:43:12.38 ID:8rq5hlIu
>>409>>410
返答ありがとうございました。

やはり違和感を禁じえないですよねw
特に>>409さんが教えて下さった「即身仏になるため」の修行の一環だと考えると、
「決まったやり方はない」にしても、もっと真摯な行為だったのだと想像できます。
教祖(?)が(元)拝み屋なので、ありものの教義や用語から適当に拾った
つぎはぎの「教え」なのだと推測はできましたが、妹らに「オウムとは違う」と
言われると反論も出来なくて……とりあえず五穀断ちの扱いのいい加減さは理解できました。
丸々としたビールっ腹を育てながら、五穀断ちで奇跡が起きる=末期癌でも
生き長らえることが出来ると信じている義弟のことを、今後は生温かい目で見れそうですw

恋愛に悩む十代の女の子がスイーツ断ちをするほうが真剣に臨んでいると思えました。
425神も仏も名無しさん:2012/08/17(金) 08:00:14.25 ID:JLayyT0k
今で言う炭水化物ダイエットかも。
体に悪いほど極端なことをやってるんじゃなければ、
願掛けの一種として見守ってあげてもいいのかもしれませんね。。
426神も仏も名無しさん:2012/08/17(金) 08:01:40.63 ID:bHc370CT
唯識の円成実性って、一体どういうものですか?
分かりやすく、説明してください。
427神も仏も名無しさん:2012/08/17(金) 08:18:32.14 ID:5tehZEEs

> 唯識の円成実性って、一体どういうものですか?

 ↓ こちらにどうぞ

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1338784341/590

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1338784341/591
428神も仏も名無しさん:2012/08/17(金) 08:59:04.70 ID:5tehZEEs
429神も仏も名無しさん:2012/08/17(金) 19:01:12.12 ID:JLayyT0k
>>426 基本的に、識も含めたすべては依他起性と言って、
独立して存在せず縁起により他のものとの関係で動いている。
その中で、さまざまな分別判断によって第8識アーラヤ識が、
眼耳鼻舌身意の六つの識や第7識マナ識を生み出している状態を、遍計所執性といい、

遍計所執性ではない状態(アーラヤ識だけの状態)を円成実性という。
ラジオのしくみは常に依他起性(電波を受けてはたらく)だが、
ラジオが音声化できる電波を受けて放送を流してるときを遍計所執性、
何も受信せず電波待ちしながら無言の状態を円成実性と言う。
430神も仏も名無しさん:2012/08/19(日) 19:53:30.64 ID:ihD8CrMX
今日の昼にお寺に御施餓鬼に行ってきたんだけど、
そこに住職がお経から取り出した言葉が色々書かれている一箇所があって、
そこに
「自分を他人に与えるな。自分を捨てるな。」ブッダ
「自分を信頼しはじめたその瞬間に,どう生きたらいいのかがわかる。」ゲーテ
というように縦書きで達筆な字で書かれていたのですが、
このブッダの言葉は出展はどこかにあるのでしょうか?

お寺で住職に直接聞けばよかったのですが、今年も聞くタイミングを逃してしまい、
聞きそびれてしまったのでここで質問させてください。
431神も仏も名無しさん:2012/08/19(日) 20:32:06.50 ID:SNNuxxFd
>>430
>「自分を他人に与えるな。自分を捨てるな。」ブッダ

釈迦には、与える「自分」、捨てる「自分」は無いはずだがw。
432神も仏も名無しさん:2012/08/19(日) 20:48:22.90 ID:m4o1gnaJ
>>430
相応部経典です。サンユッタ・ニカーヤ、雑阿含ともいわれます。

出典は、訳語から『仏教名言辞典』116 ページ:

> 自分を捨てるな。〈出典〉インド、原始仏典、「相応部経典」 I ,八.八。〈解釈〉自分を他人に与えるな、
> という言葉は、利益を得るために自分を他人の奴隸とするな、と説明されている。
> 奴隸というのは文字どおりの意味にとってもいいが、むしろ、比噙的な意味であ ...

だと思います。恐らくその住職はゲーテの言葉と合わせて考えると以下のような意味で説かれていると思いますが、誤解でしょう。
http://ww52.tiki.ne.jp/~tetsugen/syakanokotoba/syakanokotoba21.htm

本来は利益を求めて自分を他人に与えるなということですから、ほとんどサラリーマン、労働者などはだめだということになると思います。
現代日本のお坊さんもお布施のためにお経をあげたりするなら、全く同じことでしょう。
だから、釈尊は教えを説いた時、何も受け取らなかったのだと思います。

現代語訳は中村元『神々との対話』101頁にあり、その註289頁も参考になると思います。ビック・ボーディ英訳も全く同じ解釈です。
433神も仏も名無しさん:2012/08/19(日) 21:05:54.54 ID:ihD8CrMX
>>432
詳細にありがとうございました。
今度、岩波を買って読んでみます。
また、ビック・ボーディの英訳とはどのような本なのでしょうか?
安易に手に入るものなのでしょうか?
ググっても見当たらなく、よければ書名と名前の綴りを教えていただいてもいいでしょうか?
434神も仏も名無しさん:2012/08/19(日) 22:20:14.22 ID:921pnEKI
○仏陀。仏陀の教え○イエズスキリスト○クリシュナムルティ
宗教、哲学について
http://www015.upp.so-net.ne.jp/handshake_h/
http://handshakeh.web.fc2.com/
435神も仏も名無しさん:2012/08/19(日) 22:39:01.31 ID:m4o1gnaJ
>>433
これです。結構な値段です。
http://www.amazon.co.jp/dp/0861713311/
436記憶喪失した男 忍法帖【Lv=16,xxxPT】 :2012/08/20(月) 11:19:12.83 ID:8Gbz7brW BE:1642449683-2BP(3)
質問です。

浄土真宗なんですが、
仏教で母親と議論したら、論破されちゃいまして。

質問は、浄土真宗の仏壇の中央の絵は、釈迦如来なのか阿弥陀如来なのか? ということです。

左右の絵は、阿弥陀如来と薬師寺如来に決まってるとおれが主張したら、
母親が通ってる仏教セミナーの本を見せられて、
左は蓮如、右は親鸞の絵が描いてあるというんです。実際、確かめたら、蓮如と親鸞でした。
うちには、寂如の書いた仏教本が古書として仏壇にあります。
437神も仏も名無しさん:2012/08/20(月) 12:08:30.97 ID:IGJRyE7+

> 浄土真宗の仏壇の中央の絵は、釈迦如来なのか阿弥陀如来なのか?

 ↓ こちらにどうぞ

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1338784341/646
438記憶喪失した男 忍法帖【Lv=16,xxxPT】 :2012/08/20(月) 12:13:27.21 ID:8Gbz7brW BE:1094967528-2BP(3)
>>437
阿弥陀如来が本尊ですね。ありがとうございます。
439神も仏も名無しさん:2012/08/20(月) 13:14:01.21 ID:xAnuxPXU
>>435
ありがとうございます。
結構なお値段ですね。
今度大きな図書館にでも行って見ることにします。
ありがとうございました。
440神も仏も名無しさん:2012/08/21(火) 11:30:32.27 ID:jcFrtzBJ
ヨーロッパ系の仏教学者は、浄土真宗は、仏教じゃないとか
そこまで行かなくても「?」くらいの認識が一般的らしいけど
日本の学会は、浄土真宗をどう捉えてるの?

間違いなく仏教?それもと別の宗教?
441神も仏も名無しさん:2012/08/21(火) 11:40:09.31 ID:GVAIuPOW
>>440
伝統仏教だと思います。ただし、近代真宗教学は仏教から逸脱していると思います。

むしろ、日蓮宗は完全に非仏教だと確信します。
442神も仏も名無しさん:2012/08/21(火) 12:12:52.94 ID:+qggBbRz
親鸞思想が凄すぎた
釈迦を選ぶか
親鸞を選ぶかと言われると
心底悩む
正直なところ親鸞についていったほうが救われるかも
443神も仏も名無しさん:2012/08/21(火) 12:17:47.98 ID:+qggBbRz
不覚にも
親鸞の著書や歎異抄を読んで
目から汗がちょちょちびれちまった
このオレ様を仏教書で泣かせたのは後にも先にも親鸞だけだ
444神も仏も名無しさん:2012/08/21(火) 12:34:35.78 ID:67GJeuqZ
>>440 浄土三部経などが釈迦滅後何百年も経ってから創作された偽経である可能性は高いですが、
宗教の分類としては仏教に含めるし、
教団のルーツをたどればお釈迦様のサンガにあたるのでは。
また、三宝に帰依している点でも仏教徒だと言える。
445神も仏も名無しさん:2012/08/21(火) 19:03:55.44 ID:USf0m+Q7
>>440
仏教を何と捉えるかによって捉え方が異なる。
過去に、本覚思想は仏教に非ずと論じた人や、
如来蔵思想は仏教に非ずと論じた人もいたように、
何を以て仏教とするかには色々な背景が存在する。

業の観点などから本覚思想を仏教と認めないのであれば真宗は仏教ではないであろう。
しかし、仏教を帰依三宝と定義するならば、真宗も仏教である。

現在の日本の学会においてはひとつの伝統的な仏教宗派の一つであると数えている。

自分の雑感であれば、禅宗と浄土真宗は従来の伝統仏教よりいい意味でも悪い意味でも一歩別の道に踏み出した何かのように感じます。
446神も仏も名無しさん:2012/08/21(火) 20:39:48.28 ID:GVAIuPOW
>>445
本覚思想は仏教に非ず、如来蔵思想は仏教に非ずと論じた人こそ仏教でもなんでもない妄想家ですから、論外ですよ〜
447神も仏も名無しさん:2012/08/21(火) 23:54:58.67 ID:uqQpXCSn
初盆などでお坊さんにお経をあげてもらうときに、
お布施を包むと思いますが、
そのお布施を祭壇の端においていて、
お経が終わったら、そのお布施をお坊さんへ渡すというのはありでしょうか?
自分の実家ではお布施は別部屋に置いてあるお盆にのせておいて、
お経が終わったらお茶とお菓子と一緒に渡すようにしていたのですが。。。
448神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 01:02:27.58 ID:SiG2zAJr
>>447
地域によりけりだから、近所の人か、坊さんに聞いた方が良い。

一般的には、実家のやり方が本来だし、丁寧なやり方。
ただ、田舎なんかだと、一日数十件回らないといけなかったり、農家で留守が多かったりするため、坊さんが終わったらすぐ自分で貰っていけるように、仏壇に置いておく場合もある。
449神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 06:30:36.33 ID:v2RFfaS9
>>448
ありがとうございます。
450神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 10:27:15.98 ID:1wV7kDwM
中村元先生は、龍樹の縁起を相依相関関係として解説していますが、
その後の学者(例えば石飛先生など)は、それを否定していると聞きました。

その否定の理由や現在の学会で主流となっている龍樹の縁起や空に関する
解釈を教えてください。
451神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 11:50:23.27 ID:MMNVY0VF
↑万象非我の一言で解決。
452神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 14:53:08.88 ID:t2mfdwzB
>>446
差し障りなければ、どのようにどのあたりが妄想家なのか詳細をお願いしてもいいでしょうか?
453神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 15:15:42.65 ID:6tQmmOi3
>>452
単純にいうと曹洞宗に伝わる本覚に対する疑念を現代人的常識でチベット・ゲルクの如来蔵解釈を援用して妄想を膨らましたもの。

例えてみれば明治期に清沢満之が真宗教学を西洋哲学とキリスト教を用いて妄想したり、和辻哲郎が仏教を西洋文献学を用いて倫理学と妄想したようなもので、全く仏教とは異なる単なる考え方、思想、哲学になってます。
454神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 15:34:00.35 ID:t2mfdwzB
>>453
ありがとうございます。
それはゲルグ派以外に準拠することによって妄想と断じれるものであって、
ゲルグ派に準拠するのであれば、妄想ではないとも捉えられないですか?
455神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 15:46:28.86 ID:6tQmmOi3
>>454
違います。ゲルク派から見ても完全な妄想以外のなにものでもないと、どんなゲルク派の人も口を揃えます。

これは決して宗派的な問題ではなく、時代や地域に関係なく伝統仏教であれば彼らの説は全く仏教ではないと口を揃えると確信します。
456神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 15:58:47.44 ID:1wV7kDwM
>>455
如来蔵思想は仏教にあらずって駒沢大学系の人たちが唱えた学説でしょ

詳しいことは、知らんけど、この学説が、一端のものとして一般に有名になってるのは

発表当時の仏教界でまともに反論できる人がいなかったって言うのが問題でしょ

これは、妄想家云々よりも、むしろ日本仏教界全体の怠慢として理解しておくのが正しいのでは?
457神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 16:07:16.37 ID:1wV7kDwM
>>455
連投で悪いが、いやらしいこと聞くと

そもそも論でゲルク派から見て日本の仏教は、一端の仏教と言えると口を揃えると確信しますか?

それとも、如来蔵思想は、仏教ではないと同じように日本の仏教は全く仏教ではないと口を揃えると確信しますか?
458神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 16:09:04.92 ID:6tQmmOi3
>>456
いや、そんなことないよ。批判する人もいた。しかし、多くのまともな学者は笑ってた。

流行ったのは、学説が優れてたからではなく、ただその単純な説に共感する人が多かったからでしょう。

いまも植木雅俊さんって人の本が流行ってるのも似たようなもんだと思う。
459神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 16:13:21.90 ID:6tQmmOi3
>>457
口は揃えないでしょう。

ダライラマ猊下のように聖者なら仏教とお認めになると思いますが、
そうでなく自説だけが正しいと思うような単に教科書を習ってそれに執着しているような人は、仏教ではないと言うかもしれないと思います。

これについては人それぞれだと思いますよ。
460神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 16:22:04.37 ID:1wV7kDwM
>>458>>459
ありがとうございます。

反論する人がいなかったと言うのは、一般書のレベルで、「如来蔵思想は、仏教である」
のような真っ向から反論する内容の本がないと言う意味合いが強いです。
あなたも、446で
>論じた人こそ仏教でもなんでもない妄想家
といっているように、如来蔵思想そのものが仏教であるか否かには、直接言及していませんし。
どこの本も大抵はぐらかしているように感じます。

専門的な論文では、そういうものもあるのかもしれませんが、そういうのは一般人には縁がないですから。
461神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 16:33:46.61 ID:6tQmmOi3
>>460
そもそも如来蔵にしろ、本覚にしろそういう方便、あるいは道であって、
思想という捉え方は、根本的に可笑しいと思います。

なぜなら、如来蔵にしろ、本覚にしろ、縁起、空性、無我にしろ、
それら記号によって道を示し戯論寂滅へ導く方便としての仮設に他ならず、
キリスト教のドグマのように、それら記号によって何らかの見解、思想を主張し、これが正しい見方だとするようなものではないからです。

そういう本がないのは売れないからでしょう。
逆に批判仏教系の本が比較的沢山出版されたのは仏教にしては売れたからです。

ちなみにチベットでもインドでも如来蔵、仏性を否定するような大乗仏教は私の知る限りありません。

如来蔵、仏性も空性に他なりませんよ。決してアートマンのようなものではありません。
462神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 17:23:08.72 ID:MMNVY0VF
いえ、アートマンです
463神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 19:53:11.24 ID:t2mfdwzB
>>455
ありがとう、勉強になりました。
464神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 20:03:40.65 ID:6tQmmOi3
>>462
その根拠は?

因みにインド中観も如来蔵、仏性を空性と認めてるよ。
465神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 22:17:44.12 ID:t2mfdwzB
すいません。
横なのですが、
もしよかったらどなたか450の質問に対する回答を詳細に教えて頂けませんか?
451だけだと自分は納得できません。
466450:2012/08/23(木) 12:28:51.41 ID:vwjZelK2
解答が得られないようなので、それを踏まえて考えますと

龍樹の縁起は、中村元先生が解説している通り、相依相関関係

と言うことでいいのでしょうか?
467神も仏も名無しさん:2012/08/23(木) 12:34:00.56 ID:jQOhm6ee
>>466
竜樹の縁起がどうかは知らんがw、
少なくとも、時間性を排した縁起は「“無用”の長物」だと言っていい。

だから、縁起を「相依性、相互依存性のみで語る」者は信用しない方がいい。
時間的側面も、(無時間的)相依の側面も併せ持つと見るべきだと思うがね・・。
468机龍之介@規制代行 :2012/08/23(木) 15:16:23.12 ID:S++EHaDg
>>450
>中村元先生は、龍樹の縁起を相依相関関係として解説していますが、
>その後の学者(例えば石飛先生など)は、それを否定していると聞きました。

中論の縁起について御説明いたします。
縁起は相互依存関係をいうのですが、そもそも相互依存関係というのは
理論上において成り立つ論法です。

理論上において成り立つ論法(論理)を世俗締といいます。
しかし、空思想においては、世俗締論理そのものが成り立たないものですから、
これを勝義締といいます。

世俗締→相互依存関係でokです。
勝義締→相互依存関係そのものはない(不生不滅)

つまり、縁起を否定しようが、世俗・勝義の二締で解釈すればokです。
もっと詳しい質問がございましたら、
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1338784341/l50
ここまで、どぞ。
469神も仏も名無しさん:2012/08/23(木) 22:37:50.20 ID:vwjZelK2
仏教って言っても広すぎて他のスレで引用されている内容などもよくわかりません。

仏教を語るなら、これだけは読んどけってものはありますか?

古典でも現代の解説書でもなんでもいいです。挙げれるだけ挙げてください。
470神も仏も名無しさん:2012/08/23(木) 23:43:22.30 ID:JcsIgk+V
>>469
はいよ〜

概説: 優しい順
 石飛道子『龍樹』
 片山一良『パーリ仏教入門』
 山口益『仏教思想入門』
 ダライラマ『智慧の眼を開く』
 パユットー『仏法』
 水野弘元『仏教要語の基礎知識』

歴史:
 古坂絋一『宗教史地図 仏教』
 平川彰『仏教通史』

471神も仏も名無しさん:2012/08/23(木) 23:47:00.61 ID:JcsIgk+V
原典:
『四十二章経・仏遺教経』岩波文庫 以下の国訳でも読める
『入中論自註』近刊
『八宗綱要』講談社学術文庫 ただし現代語訳と註はあてにならない
『清静道論』南伝大蔵経
『倶舎論』以下で国訳が読める 現代語訳もいくつか出てるが高価
『論理のことば』中公文庫

諸国訳:
http://www1.atwiki.jp/occultfantasy/pages/1035.html

南伝大蔵経:
 古い訳で同名のシリーズ
 片山一良訳のシリーズ
 中村元編のシリーズ

中央公論社の大乗仏典シリーズ

読むにあたって『仏教学辞典』と『仏教語大辞典』があるといいと思う。

禅とか浄土教とかは、ここらへん読んでから読んだ方がいいと思う。
472神も仏も名無しさん:2012/08/24(金) 00:06:15.69 ID:bXuNmvJu
>>470
またまた、お決まりの上座部・テーラワダとチベット仏教。

そんな本では「日本の仏教」は分らん。誤解を招くだけ。
473神も仏も名無しさん:2012/08/24(金) 00:16:54.84 ID:6LbBTsRg
>>471
>『八宗綱要』講談社学術文庫 ただし現代語訳と註はあてにならない
って鎌田さんの本の事だよね?
現代語訳と注はあてにならないって言うがそんなに断言されるような代物ではないような気がするが?
474神も仏も名無しさん:2012/08/24(金) 00:22:52.25 ID:ZVvJxVPM
>>472
日本仏教が退廃的である現実を直視しろ。
どこに尊敬に値する要素が存在する?
不祥事は多い、金にがめつい、布施が少なければ突き返す、
VIP扱いしなければゴネル、
日々の過ごし方も欲にまみれ欲望のままにしていながらお説教では欲張らないことを説く、
自分の生活を棚に上げ、身心ともに清貧なることをよしとする、
こんな詐欺みたいな日本仏教のどこに評価すべきところがあるんだ?
475神も仏も名無しさん:2012/08/24(金) 00:31:56.22 ID:09PtnY1p
ジャイナ教やれよ。
476神も仏も名無しさん:2012/08/24(金) 00:33:12.15 ID:ZVvJxVPM
>>475
お前も生命教信徒かw
477神も仏も名無しさん:2012/08/24(金) 00:37:03.50 ID:09PtnY1p
いや、裸族だ。
478神も仏も名無しさん:2012/08/24(金) 00:37:11.68 ID:mpwz1FKI
暢気な事言ってて国滅ぼしたチベット仏教の功罪ってどうなんだろうね。
仏教にかまけすぎて国家としての自助努力を放棄し国を傾けた実績があるわけで。
479神も仏も名無しさん:2012/08/24(金) 00:44:11.69 ID:ZVvJxVPM
そう。
世俗のエキスパートの存在しない“社会”は、存続も危い。
社会が存在しない時、修行者もまた存在し得ない(生活し得ない)。
よって、教え及び修行者を支えるということは、同時に(健全で安穏な)“社会”の維持がなされるべきこととなる。
高尚な第一義を朗唱することも良いだろう。
だが、世俗の日々にフィードバックし得ないものであるなら、
そんなものは核廃棄物よりも無用で有害なものでしかない。
480神も仏も名無しさん:2012/08/24(金) 06:19:12.08 ID:lbdqtcuA
>>473
例えば、註で当てにならないやつを幾つかあげるよ

226頁: 密意
281頁: 有所得見
283頁: 戯論
398頁: 行布、円融
411頁: 阿闍梨

481469:2012/08/24(金) 07:11:02.34 ID:bIZ2zkKr
>>470
なんか色々言われてるようですが、わざわざありがとうございます

石飛道子『龍樹』『八宗綱要』講談社学術文庫は、読んだことがあるので、
山口益『仏教思想入門』辺りを図書館で借りて雇用と思います。

>>禅とか浄土教とかは、ここらへん読んでから読んだ方がいいと思う。
あと、個人的な趣味などの理由で、今正法眼蔵を読んでいるのですが、
これは、取り敢えず、後回しにした方がいいですかね?

また、質問に答えてもらって、こんな事言うのは、恐縮ですが、全体的な
チョイスが、論理思考が強くないですか。
純粋な宗教としての仏教像を、理解しようと思ったら、これら著作だけでいいですかね。
それとも、また、別なものを読む必要がありますか?

長文失礼しました。
482神も仏も名無しさん:2012/08/24(金) 07:42:27.71 ID:cpKVTyuP

『ダンマパダ』全詩解説―仏祖に学ぶひとすじの道  片山一良(著)
483神も仏も名無しさん:2012/08/24(金) 07:42:54.23 ID:lbdqtcuA
>>481
正法眼蔵は、中論、大智度論を読んでからの方がいいでしょう。

概説はその下の原典を読むためのものだから、
原典でも最初に上げたものは、体系的な経典の見取り図みたいなものですよ。
『四十二章経・仏遺教経』は経典のエッセンス

その後で、南伝大蔵経を読み、それから大乗経典を読む方がいいと思う。


484神も仏も名無しさん:2012/08/24(金) 07:52:51.14 ID:bIZ2zkKr
>>483
中論、大智度論は、中村元「龍樹」に入ってるものでも問題無いですか?
485神も仏も名無しさん:2012/08/24(金) 08:51:23.45 ID:lbdqtcuA
>>484
中村元「龍樹」は問題多いですね。

できれば、国訳がいいと思います。
大乗仏典シリーズの大智度論は抄訳ですが、良訳だったと記憶します。
486神も仏も名無しさん:2012/08/24(金) 08:58:46.24 ID:bIZ2zkKr
>>485
梶山雄一訳のやつですか? 絶版みたいですね。探してみます。

あと、話しが飛ぶんですが、梶山雄一著作集の中観と空って

あなたからみて中観の解説書としてどうですか?
487神も仏も名無しさん:2012/08/24(金) 09:01:40.54 ID:bIZ2zkKr
いや、既に龍樹論集として再販されているみたいですね
488神も仏も名無しさん:2012/08/24(金) 09:02:16.36 ID:kACulzvZ
>>482
またまた上座部か。このスレは「日本の仏教質問箱」なのに、テーラーワダの
布教化してるな。誤導されるから、回答を信じてはならない。
489神も仏も名無しさん:2012/08/24(金) 09:03:52.73 ID:lbdqtcuA
>>486
著作集は未見ですが、梶山先生は優れてますよ。

山口益先生、梶山雄一先生、生井智紹先生という流れは希少な中観解釈だと思います。

それを一歩進めたのが、石飛道子先生だと考えます。

490神も仏も名無しさん:2012/08/24(金) 09:05:28.33 ID:lbdqtcuA
>>487
いや、それではなく中国・日本編の大智度論、
梶山先生と赤松明彦先生の訳です。
491神も仏も名無しさん:2012/08/24(金) 09:16:01.08 ID:kACulzvZ
>>489
石飛さんは、日本の仏教学界で、どの程度評価されてるの?
492神も仏も名無しさん:2012/08/24(金) 09:16:03.64 ID:6LbBTsRg
>>480
398頁と指摘している項目以外は確認したんだが、
詳細では無いことは確かだが、正しく無いとは言い切れないんじゃないか、
いずれも大枠は捉えてるように思う。


>>481
純粋な宗教としての仏教という語が信仰としての仏教という意味であったら、
470が指摘しているテキストが至高だと思われる。
純粋な宗教としての仏教ってのが抽象的でいまいちわからん。
493神も仏も名無しさん:2012/08/24(金) 09:21:56.60 ID:6LbBTsRg
>>491
自分の周りではあまり評価されていない。
色物として扱われているように感じる。
494神も仏も名無しさん:2012/08/24(金) 09:31:51.63 ID:bIZ2zkKr
>>492
あまり考えず、論理的なな仏教との対として「純粋な宗教」という
言葉を使いましたが、よく考えると難しいですね。

宗教を人類を救済する(導く)ものとして定義するなら、伝統を守っている
と言われるチベットやビルマの仏教は、内向きのイメージで外に布教して
行く感じは身請け話られませんし。日本の仏教は、世俗化しすぎて純粋な
仏教かと言われると「?」ということになる。

自分で言っといてあれですが、私には、宗教としての仏教の立ち位置がわかりません。
キリスト教やイスラム教は、宗教としてはすごく分かりやすいのですが。
495神も仏も名無しさん:2012/08/24(金) 09:37:41.30 ID:lbdqtcuA
>>492
いや、あれじゃ誤読だよ。
例えば、戯論を「たわむれの議論」と註してるが、そりゃ字面だけ述べ書きしただけでしょ。
戯論は、そういう意味で使われてないでしょ。

ああいう註とか訳で問題ないと思うなら、ご自身の仏教理解をもう一度疑うべきだと思いますよ。
496神も仏も名無しさん:2012/08/24(金) 09:42:42.15 ID:lbdqtcuA
>>494
仏教は本来布教するもんじゃないですから、
聞かれて初めて教える道なんで。

しかも道は、歩んで効果があるわけです。

あれを紹介したのは、妥当で体系的な概説だと思ったから。
ただし、石飛先生のものは除いて。

仏教は本来、本から学ぶものではなく師匠に就いて学ぶものです。
お経も論書も口伝えで学ぶもので、書かれたものは補助に過ぎません。

ですが、ここではそういってもしょうがないので、テキストに基いて紹介してるだけです。
497神も仏も名無しさん:2012/08/24(金) 09:57:05.91 ID:bIZ2zkKr
>>496
それは、分かるのですが、それ言っちゃうと、日本では、宗教的な仏教は
檀家止まりって事になり。出家者する以外に本来の仏教を学ぶことは出来ない。
その以外で仏教を学ぶ事は、趣味(宗教としては無意味)以外の何物でもなくなりますね。
これは、日本的な、お上が宗教(仏教)を管理するみたいなおかしな伝統が生んだものなのでしょうけど

まあ、お盆終わったんで、当分和尚さんは来ませんが、機会があったら、それ関係の事も聞いて見ます。
(さすがに迷惑かなw)
498神も仏も名無しさん:2012/08/24(金) 10:03:27.91 ID:lbdqtcuA
>>497
少数の例外はあると思いますが、現代日本仏教に期待するのは無理でしょう。
それより現代ではビルマ・チベット系に求める方が本物に出会う確率は高いと思います。

日本仏教の衰退は、主に三段階あって檀家制度、廃仏毀釈、戦後教育でほぼ形骸化したんじゃないかと思ってます。
499神も仏も名無しさん:2012/08/24(金) 10:48:30.42 ID:XWTzIaKe
>>498
あなたが日本人なら、日本国の恩恵を日々全身で受けているのだから、日本の
仏教の「良さ」も見出す努力が必要でしょう。

それが嫌なら、南方諸国かチベットに即刻出国してください。

すべての宗教の信者は、自分の宗教・宗派こそが本物と信じて疑わないのだから、
「本物」「偽物」などという区別は、全く無意味です。

日本で社会に最も貢献しているのは、疑いもなく「葬式仏教」ですよ。殆ど
すべての日本人が、必ずお世話になるw。自分だけの悟り、自分だけの救い、
自分だけの満足のための宗教なら、社会にとっては、ゴミほどの貢献もして
いないことを自覚してください。
500神も仏も名無しさん:2012/08/24(金) 11:21:54.89 ID:1SjOAL09
>>499
>自分だけの悟り、自分だけの救い、自分だけの満足のための宗教なら、
>社会にとっては、ゴミほどの貢献もしていないことを自覚してください。

自己と社会を対立させ、社会「貢献」を問題にするとは、
世俗べったりで、仏法として痛すぎる。
釈尊の本懐の何たるかをまったく掴めてないんじゃないか?
掴めていたら、『貢献』名目の我執仏教は恥ずかしくてやらんだろうが(爆笑

金儲け商業仏教としては当然でしょうがw

その類型に・「観光」サービス業
     ・「儀式」(葬式・婚礼・回忌)サービス業
     ・「御祈祷」「御札」サービス業  
     ・「出版」サービス業
     ・現世御利益「各種グッズ」販売業  
・幼稚園・保育園・駐車場・マンション・アパート経営
     ・坊主バー水商売経営
     ・各種政治団体経営 etc  

      うふぁうふぁ坊主、丸儲け!  世の中チョロい(爆笑
501神も仏も名無しさん:2012/08/24(金) 11:34:06.00 ID:XWTzIaKe
>>500
釈尊の本懐って「自己満足」のことなのですか?w

まあ、仏教者も生きることが先決だから、金儲けはむしろ健全。葬式は、需要が
絶えることは絶対にないのだからw、金儲けとしてのうまみはたっぷり。
しかし、それで別にちっとも構わないのでは?他人のポケットの中をあれこれ
言うのは、むしろ賎しいことです。

最も有害なのは、精神やられて、現実感覚や社会常識を失うことのほうでしょう。
一番困るのは、「金では解決できない」ことなのです。
502神も仏も名無しさん:2012/08/24(金) 11:38:46.51 ID:1SjOAL09
>>474
>不祥事は多い、金にがめつい、布施が少なければ突き返す、
>VIP扱いしなければゴネル、
>日々の過ごし方も欲にまみれ欲望のままにしていながらお説教では欲張らないことを説く、
>自分の生活を棚に上げ、身心ともに清貧なることをよしとする、
>こんな詐欺みたいな日本仏教のどこに評価すべきところがあるんだ?

おいおい、その代表は京都(観光)仏教協会とその代表 大本山『相国寺』有馬頼底 だとハッキリ言えよ。
まさに悪徳坊主・利権アサリを絵に描いたような奴だ。

京都では、白足袋連中に逆らうと抹殺されるので口外はしないが、
(地方政治屋やヤクザとウラで繋がっている)
裸の王様であることは事実。
503神も仏も名無しさん:2012/08/24(金) 11:40:44.20 ID:mpwz1FKI
議論スレ逝け
504神も仏も名無しさん:2012/08/24(金) 11:51:42.50 ID:1SjOAL09
>>501
>釈尊の本懐

実存苦の超克。⇒四聖諦。

「仏教」の看板を降ろせよ。

詐欺師であることは事実なんだから、
世俗の腐った俗物根性であることは明白なんだから。

“Sabbe dhamma nalam abhinivesaya.”
上記をちょっと解説してみ。
マトモな「仏教」者ならできるはずだ。
505神も仏も名無しさん:2012/08/24(金) 12:09:32.79 ID:1SjOAL09
金閣・銀閣住職・相国寺管長の氷山のほんの一角である有馬頼底関連問題一覧です。

有馬頼底 古都税反対事件
有馬頼底 管長就任事件
有馬頼底 巨額脱税事件
有馬頼底 古美術購入事件
有馬頼底 アロハ事件
有馬頼底 カツラ事件
有馬頼底 女性問題事件
有馬頼底 太秦広隆寺事件
有馬頼底 漢字検定事件
有馬頼底 リベート事件 etc

東京青山には50億円(≒一年間の金閣寺現金利益)でポンと「別荘」をお買い求めです。

『禅、「持たない」生き方』においては、
一切の物欲を捨て去り、執着心を放下する悟りの境地の大切さを説いておられる御立派なお方です(爆笑
506神も仏も名無しさん:2012/08/24(金) 12:22:40.80 ID:zH3oBCMT
>自分だけの悟り、自分だけの救い、自分だけの満足のための宗教なら、
>社会にとっては、ゴミほどの貢献もしていないことを自覚してください。

そうじゃないですよ。本当に悟った人は、そこに存在してるだけで価値が
あるのです、砂漠におけるオアシスのような存在なのです。
猛暑における木陰・涼風。殺伐とした社会に、存在するだけで、救いが。
507神も仏も名無しさん:2012/08/24(金) 13:40:05.39 ID:djBWRqT+
>>469
ちょっぴり変化球ですが
宮崎哲弥 仏教教理問答 宮崎哲弥(著) サンガ
宮崎氏の仏教に対する真摯な態度と信仰心に圧倒されます
専門の研究者や特定の宗派に属する宗教家とは違った視点で
仏教に相対する立場をとり、それが全くぶれない

このあたりも特定の宗派に属しないアプローチの例としてお薦め
日本仏教の可能性―現代思想としての冒険  末木文美士(著) (新潮文庫)
日本仏教史―思想史としてのアプローチ  末木文美士(著) (新潮文庫)
508神も仏も名無しさん:2012/08/24(金) 13:47:52.90 ID:djBWRqT+
日本の坊主の現状としては、こんなのも参考になるかも
いいお坊さん ひどいお坊さん  勝桂子(著) (ベスト新書)
509神も仏も名無しさん:2012/08/24(金) 15:14:24.98 ID:NeyZFvg9
>>504
じゃあ、なんで釈尊は自分が悟った後に、そのまま入定しなかったんだ?w
梵天勧請を受け入れて、世の人々に教えを説いて回ったのはなんだと思ってるんだよw

実存苦の超克を目指すのも仏教だが、それを世に広めて世の役に立つという慈悲の精神も、仏教の二本柱の一つだよ。
510神も仏も名無しさん:2012/08/24(金) 15:27:55.44 ID:bIZ2zkKr
>>507
ありがとうございます

しかし、若い僧侶と対談ってなんか新鮮ですねw

ふと思ったんですが、他国の仏教でも出家者は、結婚して子供作るのはおkなんですか?
511神も仏も名無しさん:2012/08/24(金) 15:31:58.29 ID:NeyZFvg9
>>510
不可
カトリックの神父と、プロテスタントの牧師みたいな関係だな
512神も仏も名無しさん:2012/08/24(金) 16:22:26.04 ID:1SjOAL09
>>509
>なんで釈尊は自分が悟った後に、そのまま入定しなかったんだ?w

マールンキャプッタよ、人間は死後も存在するという考え方があってはじめて人は修行生活が可能である、ということはない。
また人間は死後存在しないという考え方があってはじめて人は修行生活が可能である、ということもない。
マールンキャプッタよ、人間は死後も存在するという考え方があろうと、人間は死後存在しないいう考え方があろうと、

まさに、生老病死はあり、悲嘆苦憂悩はある。
現実にそれらを征服することをわたしは教えるのである。

            (マッジマ・ニカーヤ 63)

⇒“Sabbe dhamma nalam abhinivesaya.”

俺にはいつも(二念を継がないにしても)、
あらゆる意味で、ブッダの溜め息が聞えてきそうだ。
513神も仏も名無しさん:2012/08/24(金) 16:48:07.69 ID:pgEPlPrh
>>506
>そうじゃないですよ。本当に悟った人は、そこに存在してるだけで価値が
>あるのです、砂漠におけるオアシスのような存在なのです。

共同体においては、「他人の内心の悟り」など知ったことではない。
「他者に対する行為」だけが問題になる。
514神も仏も名無しさん:2012/08/24(金) 17:33:42.27 ID:1SjOAL09
>>513
>共同体においては、「他人の内心の悟り」など知ったことではない。

ここは「仏教」質問箱であって、原則「精神」文化を扱う。

社会学人類学スレへ逝け。
515神も仏も名無しさん:2012/08/24(金) 18:15:40.92 ID:pgEPlPrh
>>514
精神とは、「状況に応じて専ら身体(生命)を維持するために発動される機能」。
精神のために精神を使用することは、「精神の目的外使用」「精神の濫用」で
ある。
516神も仏も名無しさん:2012/08/25(土) 10:56:16.56 ID:1CxL7EBg
>>512
ピントのズレまくった反論だなw
ため息が出るよ

悟る前の心構えとか、死後の世界がどうのこうのなんで全く関係ないw
悟った「後」の釈尊が、わざわざ死ぬのを止めて、なんで人々に教えを説いて回ったのかを聞いてるんだよ。
実存苦の超克「だけ」が仏教の目的であったなら、実存苦の超克を完了した釈尊は、そのまま入定するか、入定しないにしてもそのまま何もしないで生きて行けばいいじゃないか。
何で、教えを説いて人々を救うなんで面倒くさい事をする必要があるんだよw
517神も仏も名無しさん:2012/08/25(土) 11:29:35.24 ID:zi4ZuZdq
>>516
>何で、教えを説いて人々を救うなんで面倒くさい事をする必要があるんだよw

       


             慈悲
518神も仏も名無しさん:2012/08/25(土) 11:37:59.43 ID:1CxL7EBg
>>517
だろ?w
慈悲も仏教の大切な一部なんだよ。
だから、>>504は頓珍漢なレス。
社会に貢献するという視線も仏教(特に慈悲を強調する大乗仏教)には大切な要素なんだよ。
519神も仏も名無しさん:2012/08/25(土) 11:48:02.30 ID:IswuZjgK
>>518
>社会に貢献するという視線も仏教(特に慈悲を強調する大乗仏教)には大切な要素なんだよ。

悪いが違うと思うなあ。

なぜなら、「社会貢献」と「慈悲による利他」は似てるようで異なるから。
「社会貢献」は、ほとんど流転門の縁起
「慈悲による利他」は、本質的に還滅門の縁起につながる抜苦だぜ。

一部重なる部分はあるにしろ、たいていの「社会貢献」は仏教的に見たら与苦になると考える。

例えば、19世紀チベットの仏教聖者は火薬や飛行機を作ったが、それが苦をもたらすとして壊したという。

現代で最高の境地にあると言われる聖者がインターネットについて聞いた時、これでまた苦が増えると言ったと聞くように。
520神も仏も名無しさん:2012/08/25(土) 11:51:39.65 ID:9/qzSqkw
上座はニートの心の拠り所
だけどニートには大好きな自分のお部屋とお母さんから離れて
上座国へ一人で単身出家する勇気もないので
結局はただのろくでなしで終わる
そのろくでなしを救うのが大乗仏教という皮肉w
521神も仏も名無しさん:2012/08/25(土) 12:16:36.44 ID:f5gON/GU
>>520
得度ボウズだって現代社会的にはニートみたいなもんだろうにw
522神も仏も名無しさん:2012/08/25(土) 12:23:02.36 ID:zUeeD3VO
>>521
自宅警備員には給料は出ないけど
坊主(寺院管理人)には宗教法人から給料が出て
所得税も払ってるんだぜ
523神も仏も名無しさん:2012/08/25(土) 12:29:10.88 ID:f5gON/GU
>>522
なにそれ、ぜんぜん衆生救済じゃねぇじゃんw

もう、モヒカンにしとけや。
サラリーマンボウズはw
524神も仏も名無しさん:2012/08/25(土) 12:31:17.55 ID:f5gON/GU
お墓の掃除と、時々暗記した文字列を読み上げて檀信徒の葬儀や法事のご相伴にあづかるだけの
簡単なお仕事ですw
525神も仏も名無しさん:2012/08/25(土) 12:45:30.34 ID:zUeeD3VO
>>523
だから寺院管理に対して給料が出る訳じゃん
衆生救済の報酬として給料が出るような所はどこにもないよ
葬儀の導師を勤めても説教をしても、お布施は宗教法人の会計へ
そこから給料貰う。サラリーマンと同じだね
526神も仏も名無しさん:2012/08/25(土) 12:51:11.08 ID:zUeeD3VO
俺は衆生救済のために尽力しているんだ。だからもっと金よこせ
の方がわかりやすい人は、そういう人の所に行っちゃうでしょ
527けちゃっぷ:2012/08/25(土) 12:51:49.59 ID:a3WBxUjq
>>518 ブッダには怒りがないから、「めんどくせーなー、もうっ」とは思わない。
また、怠けの煩悩もないから、普通の人が「大仕事だこりゃ」と思うようなことでも、
平気でやれるから、やはり「めんどくせーなー、もうっ」がない。
また、慈悲の心があるため他人に怒りは抱かず、悩み苦しみを取り除こうとする。
以上をふまえると、ブッダには、梵天勧請を断る強い「嫌だ」の感情はない。

ちなみに、ブッダは、悪魔から「そろそろ死んでよ」と頼まれても
最終的に了承する心の広さである。
528けちゃっぷ:2012/08/25(土) 13:05:06.02 ID:a3WBxUjq
記者「ブッダさん、なぜスーパー地球人になられたあなたが、
そんなめんどくさいことをやる必要があるんですか?」
仏「オラは頼まれたからやってるだけだ。
まぁピッコロ、じゃなかった神様がオラに頼みてぇ気持ちもわかるしな。」
記者「では神様にお伺いします。なぜブッダさんに依頼されたのですか?」
神「あやつ(ピッコロ)を倒せるのは彼しかおらんからだ。
すべては、あのときの私の過ちからはじまった。じつはあのころ私は…」
記者「あ、もうわかりました。ありがとうございます。」
529神も仏も名無しさん:2012/08/25(土) 13:09:25.68 ID:U0SLabU2
>>528
530神も仏も名無しさん:2012/08/25(土) 14:46:22.29 ID:JmIPdIC8
清?法身仏とは、どのようなものですか?
531神も仏も名無しさん:2012/08/25(土) 15:00:49.12 ID:a3WBxUjq
仏(如来)には、法身・報身・応身の三身があると言われる。
法身仏とは、法身の仏こと。
宇宙でおきるすべての現象は仏様からのメッセージだ、とポジティブにとらえるときに、
その宇宙の現象をつかさどる方向性、いわば宇宙のマニュフェストが法身仏である。
裏返せば、法身仏を信じるということは、「宇宙さんは親切な仏様であるはずだ」と信じること。
宇宙には姿形のない黒幕がいて、その黒幕は慈悲深い仏様だ、という意味をもたせる。
532神も仏も名無しさん:2012/08/25(土) 16:54:14.29 ID:2JYH2yMi
>>527
なにその主体性がない今時草食系プッタw
533神も仏も名無しさん:2012/08/26(日) 01:12:27.55 ID:+jpJeUgr
>>532 仏には、主体性が必要な理由もない。
534神も仏も名無しさん:2012/08/26(日) 13:13:58.73 ID:LdqeZDEv
>>533
はいはいw
応現するときに、そのつど主体性を獲得すればいいわけねw
535神も仏も名無しさん:2012/08/27(月) 10:36:12.14 ID:rupfiRyU
アルボムッレ・スマナサーラさんの著作で一番のオススメ教えてください。
536神も仏も名無しさん:2012/08/27(月) 11:31:57.20 ID:OkyvQ7O5
骨壺って、おひとりずつ入っていらっしゃいますが、
仲のよかった家族なんですが、一緒に入れたらだめですか?

生きている人の心情的な反対がないという前提で。
537神も仏も名無しさん:2012/08/27(月) 12:00:22.12 ID:KigtBb5z
>>536
納骨堂にお骨を納める場合、一人一つの骨壺に収めるのと
みんな一緒のところに納めるのとがあります
さらに集まったお骨を固めて骨仏をつくるところもあります
家族一緒に一つの骨壺、何の問題もないでしょう

うちの地域は墓地にある先祖代々のお墓の中にお骨を納めます
骨壺は無し。みんな一緒。昔からそのようにしております
538神も仏も名無しさん:2012/08/27(月) 12:44:46.08 ID:OkyvQ7O5
>>537
ありがとうございました。
どちらが先かまだわかりませんが、私は夫と一緒にはいりたいし、
可能なことがわかれば、マザコン?の弟は、母と一緒がいいというに違いないと思えるのです。

物理的に窮屈でなくても、魂みたいなものはいやがるものなのかなあー?
もし人の骨が自分の上に乗ったりしたら、癒されないのかなあー?などなど
真剣に悩んでいましたが、ほっとしました。
539神も仏も名無しさん:2012/08/27(月) 12:52:49.15 ID:iaVixb7H
>>532 アビダンマ講義シリーズ ブッダの実践心理学 第2巻
内容は心の分析。

仏教の世界観の全体像がみえるような内容です。
540神も仏も名無しさん:2012/08/28(火) 05:14:28.56 ID:VmFMHGjY

沙門果経―仏道を歩む人は瞬時に幸福になる (初期仏教経典解説シリーズ)/アルボムッレ・スマナサーラ

 ↑ 本屋さんなどで内容を確めて見てからの方が良いかも?
541神も仏も名無しさん:2012/08/29(水) 23:21:18.72 ID:h1jgb597
大乗仏教において、文殊菩薩がバラモン家系出身であることは、
釈迦がクシャトリア階級の出身であることと同程度には
確かだとされているのでしょうか?
542神も仏も名無しさん:2012/08/31(金) 08:03:02.35 ID:mE3nF8Od
>>541 経典に文殊菩薩がバラモン出身と書かれているなら、
そのように信じるのが大乗仏教だと思います。
何かの経典に書かれてあったのですか?
543神も仏も名無しさん:2012/08/31(金) 09:30:41.96 ID:6bBm1fFY
『文殊師利般涅槃経』です。
544神も仏も名無しさん:2012/08/31(金) 09:52:42.33 ID:zpRec3Is
マイナーですね
545神も仏も名無しさん:2012/08/31(金) 22:24:54.79 ID:9tAQMtUV
悟りを開いたことあるけど何か質問ある?19
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1346401899/
546神も仏も名無しさん:2012/08/31(金) 22:45:44.51 ID:zpRec3Is
アルボムッレ・スナマサーラ著「華厳経を語る」現在入手困難
547神も仏も名無しさん:2012/08/31(金) 22:47:55.99 ID:zpRec3Is
アルポムッレ・スナマサーラ著「大乗仏教は素晴らしい!」(いかにして上座部から大乗に転向したか?)迫真のドキュメント!近刊予定
548神も仏も名無しさん:2012/09/01(土) 23:34:51.38 ID:O/37eycX
アングリマーラ経と華厳経と金剛針経の内容の概略と特徴的な思想と重要事項を教えて下さい!
549神も仏も名無しさん:2012/09/04(火) 18:43:15.01 ID:DL9BbSqI
「自灯明法灯明」(自島法島や自州法州とも言うらしいですが意味は同じですよね)
の「自灯明」の部分って、所謂「自律」と同じですか?違いますか?

もし、違うとしたら、何処が違いますか?

550神も仏も名無しさん:2012/09/04(火) 20:02:20.66 ID:znot+wtm
>>549
全く違います。

自島法島や自州法州というのは輪廻の激流の中で、人身という中洲を得たという意味です。

この中州という人身から法の中洲という船に乗って涅槃という彼岸に渡れという意味の譬喩的表現で使われています。

これを自分に依れ、主体的に判断しろ、などという意味で解釈するのは近代主義に阿った誤解以外のなにものでもありません。

検索すればいくつか上の意味で解釈しているページが見つかりますよ。


551神も仏も名無しさん:2012/09/04(火) 20:09:25.99 ID:TMU3Aa/N

> 「自灯明」の部分って、所謂「自律」と同じですか?違いますか?

 ↓ こちらにどうぞ

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1338854916/260-263
552神も仏も名無しさん:2012/09/04(火) 20:13:31.74 ID:DL9BbSqI
>>550
>>これを自分に依れ、主体的に判断しろ
答えてもらって恐縮ですが、「自律」を誤解していませんか?
「自律」の意味は、他からの支配・制約などを受けずに、自分自身で立てた規範に従って行動すること。
と言う意味です。なにも独善とか独断のことではないです。
553神も仏も名無しさん:2012/09/04(火) 20:18:46.72 ID:DL9BbSqI
>>551
ありがとうございます

>>法灯明
>>四念処(四念住)四種の観想などによって
>>心は無常である諸法は無我である
>>と体感会得に至る

>>その為の自灯明

>>これが自律と違うところ

と言うことは、四念処は、仏教の修行法のことですから、法灯明の「法」は、仏の教える「法」と言う理解でいいんですね。
554神も仏も名無しさん:2012/09/04(火) 20:32:06.74 ID:TMU3Aa/N

私の場合は
「初心者向けの瞑想も実践した事がない」ので
断言する事は出来ないけど

「中阿含経などに説かれた、仏教で、悟りに至るための三十七菩提分法」

これが「自灯明・法灯明と関係がある」

と考えています
555神も仏も名無しさん:2012/09/04(火) 20:47:18.29 ID:DP/TDvB7
ダルマ自体を釈尊が創りだしたわけではないから、
後世の付加物ならともかく、釈尊自身が、自分を神格化したり
オレの教えに従え!みたいな事言うわけないでしょ。
556神も仏も名無しさん:2012/09/04(火) 21:04:47.02 ID:5u6tioZB
老子とは関係なく、レット・イット・ビーでよいよ…人間、成るようにしかならない。仏教も同じ
557神も仏も名無しさん:2012/09/05(水) 00:06:52.17 ID:1yKBxGrZ
>>557 あんまり深く考える必要もないのでは。
ブッダが言いたかったのは
「いつまでもわしに甘えるな!あとはおまえ自身で精進しろ!」
ってことであり、
言われた弟子としては、師匠に先立たれようとも、ただひたすら修行に励めばよいだけの話でしょう。
558神も仏も名無しさん:2012/09/05(水) 17:53:43.71 ID:1yKBxGrZ
>>554 冥想とのからみで考えるなら、
自己の身心と法境(意根・意識の対象)を観察する以外に悟る方法はないんだから、
「それをしなさい!」ってことでしょうね。
心が妄想雑念の波に何度もさらわれても、
速やかに自己と法の観察という島にしがみついて、波から脱しなさい。
心が欲や怒りや迷い・怠け・プライドの闇に包まれるたびに、
自己と法の観察という冥想を灯りにして、闇を照らしなさい。
559神も仏も名無しさん:2012/09/05(水) 17:57:21.01 ID:1yKBxGrZ
灯明の裏返しは闇。
島(洲)の裏返しは激流の波。

では、何が闇か。何が激流か。
それがわかれば、灯明・島の意味もわかるのではないでしょうか。
560神も仏も名無しさん:2012/09/05(水) 18:49:06.02 ID:j6zKEf1B
灯台下暗し…というわけじゃな
561論外和尚 :2012/09/06(木) 08:04:49.42 ID:f3JX/fF6
>>557
>レット・イット・ビーでよいよ…人間、成るようにしかならない。

これはアキメクラの現状諦念です。

仏法ではありません。
562神も仏も名無しさん:2012/09/06(木) 08:13:02.75 ID:n0aUCOy+
闇とは己を見失うことでしょうかね。
激流とは襲い来る苦難、妄想の類でしょうね…。
563神も仏も名無しさん:2012/09/06(木) 09:24:04.57 ID:iX0RjuC6
>>561
だよね。

>>562
逆、逆。己があると思うのが無明の闇。

564神も仏も名無しさん:2012/09/06(木) 12:22:37.47 ID:Qm5X0x5S
>>563
>562の言う「己を見失う」とは、
感情に流され理性的判断ができない状態のことではないでしょうか。
そんな状態のときに、自己や法に意識を向けると、感情が冷める。
怒っている人が、自分が怒ってると気付くと急激に怒りが冷める。
565神も仏も名無しさん:2012/09/06(木) 12:34:10.46 ID:fftjQIrP
この男性は観音様だと思わない?

http://www.youtube.com/watch?v=kJsh8YpOlCw
566神も仏も名無しさん:2012/09/06(木) 19:24:04.55 ID:yfv8f3GO
>>549
>仏教ではアートマンを否定したのではななくて、人間の倫理的行為のよりどころとしてのアートマンを承認していた。
>「自己(アートマン)にたよれ。法をたよれ。自己を灯明(または島)とせよ。法を灯明とせよ」
>人間の理法を実践するところに真の自己が具現されると考えていたのである。
>>                                                    インド思想史 中村元から

つまり、倫理的行為の拠り所として、「自灯明法灯明」の「自灯明」を読めば、カントが言うような「自律」と共通点は多いでしょう。

また、私見では、このアートマンは、プルシャの事だと思います。一般に仏教は、無我を説きますが、私たちの様な、俗世の人間は、
どうしても、自己を我欲としての私(末那識・アハンカーラ)を通してでしか、理解出来ないだめ。世俗のための教えとして
「それは、私ではないよ」と無我やそれに伴う妄想を戯論寂静と言う世俗諦により。勝義の教え「自灯明法灯明」に導こうとしていたのだと思います。

釈尊の教えは、数ありますが、臨終の説法が、遺言的にも内容的にも、最も優れたものだと考えています。また、「自灯明法灯明」は、悟りのための
十分条件といえる「釈尊の説いた教えと釈尊の制した戒律」(=必ずしも仏教ではない)がセットになって、初めて成り立つものだと考えています。
567神も仏も名無しさん:2012/09/06(木) 22:43:37.99 ID:f3JX/fF6
>>566
>私見では、このアートマン(人間の倫理的行為のよりどころとしてのアートマン)は、プルシャの事だ

・仏法には、無我にて候(蓮如)、戯論の消滅にて候(龍樹)。
・『我(アートマン)』や『我がもの』などは、真実として捉えられるものではないのであるから、
このようなものに立脚した教え、つまり、『我と世界は一つである』とか、『我は、死後、永遠不変に存続して生き続けるであろう』というような教えは、
まったく愚かな教えであると言えないだろうか。」「まったくその通りです、師よ。まったく愚かな教えであると言わねばなりませぬ。」(マッジマ・ニカーヤ22) 

ポンコツのサーンキヤ哲学というペンキで仏法を塗りたいようだが(低俗非我説)、仏法にとっては外道思想です。
・プルシャがいるという形而上学的教義をあなたはどう立証するのですか?
・また、『我欲としての私(末那識・アハンカーラ)』は、
 自性としてのプラクリティから生み出されたという形而上学的教義を予定されているなら、同じくその立証を求めます。
568神も仏も名無しさん:2012/09/07(金) 07:58:10.69 ID:tHUAxolB
>>567
仏教(仏法)のアートマンと釈尊の言ってる自燈明のアートマン(私見ではプルシャだが、特定の宗派学派のプルシャではない)は、違うから。
仏教と比較しても、立証のしようがない。

>>このようなものに立脚した教え、つまり、『我と世界は一つである』とか、『我は、死後、永遠不変に存続して生き続けるであろう』というような教えは、
>>まったく愚かな教えであると言えないだろうか。」「まったくその通りです、師よ。まったく愚かな教えであると言わねばなりませぬ。」(マッジマ・ニカーヤ22) 

これは、自燈明のアートマンではない。『我は、死後、永遠不変に存続して生き続けるであろう』みたいな、妄想は、、人間の倫理的行為のよりどころとしてのアートマン
を理解するための、世俗の教え。自燈明のアートマンは、唯識で言う円成実性が、必要条件だから、それが、わからない俗世の人には、無我を説いたと言うだけのこと。

私見でアートマンは、プルシャだと言ったのは、永遠不滅にあるのではなく単純に、ココでのアートマンが、どちらも「ない、ない」と言う。見るものであって、絶対見られるものに、
ならない「私」だから。プルシャは、「ある」といいながら、これがそうだとは絶対に言えないもの。釈尊にしても、無我非我といいながら、最後は、「自燈明」(アートマン)と言った。
しかし、何がアートマンであるかは、(一般的なアートマンではなく)プルシャと同じく教えなかった。

よって、「私の物としての(見える・実感できる)アートマン」は、認めず。倫理的行為のよりどころとしてのアートマンを承認していたと言う点で、プルシャ(特定の宗派のプルシャではない)と同じである。と言える。

569神も仏も名無しさん:2012/09/07(金) 08:29:45.77 ID:CrWpKG8q
アートマンがあったとしても、それも無常・無我
570神も仏も名無しさん:2012/09/07(金) 09:16:24.82 ID:t/ZhzPmy
>>566-569
議論するなら、議論スレで

そっちでやるにしても根拠を示して言わないと妄想だぜ
571567:2012/09/07(金) 09:46:12.80 ID:6KRDq9cT
>>568

>>570に従って、議論スレッド45>>522>>523 にコメントしときました。
ご覧ください。
572神も仏も名無しさん:2012/09/08(土) 16:32:42.47 ID:s7iyw80j
実家が曹洞宗だ

曹洞宗の道元は釈尊の原始仏教臭くていいと思うが
道元の教えを捻じ曲げて葬式仏教化して日本一の宗派に大発展しただけある
曹洞宗のサイトを見ると人権・平和とか生臭さくて嫌になる

坊主が現世に口出すのは止めて欲しい
山に篭って修行だけしてりゃいいのに
臓器移植に対するコメントとか素人の分際でくだらん声明を出してるもの
軽蔑にしか値しない
573神も仏も名無しさん:2012/09/08(土) 16:40:08.61 ID:s7iyw80j
今の曹洞宗が人権・平和・環境と糞のような政治活動をしてるのは
曹洞宗の幹部が同和団体と一体だからか?

人権擁護法案成立を主張してる糞教団
同和利権とずぶずぶ
早く滅びればよい
実家が曹洞宗の檀家だが、
親父の葬儀のときは坊主を呼ばないで、布施もなくそうと思う
574神も仏も名無しさん:2012/09/08(土) 17:22:20.93 ID:oSSt65rO
>>573
一体かどうかはわからんけど、
少なくとも、現行の日本の(伝統)宗派は、(特に昭和・戦後期に)差別問題と背水の陣で対峙してきたからね・・。
致し方ない面はあると思うよ。
今でも、宗派として形式上(数字上)同和問題への予算計上は必須だと思うよ。
また、実際に現在進行形で問題解決に胃を痛めているお寺も多いと思う。
575573:2012/09/08(土) 18:57:08.25 ID:eHq1aZqz
>>574
どう必須なのか?
昔、差別戒名で解同に吊るし上げられ、びびって、
同和の連中を宗派の幹部に入れて、同和利権の仲間になっただけじゃねえか
檀家の同和と無関係の人間にすれば、たいへん迷惑
576573:2012/09/08(土) 19:01:56.86 ID:eHq1aZqz
坊主は現世の事象に口出さず
永平寺のような山に篭ってまじめに修行三昧ならば、
人権・平和・環境などの
利権にまみれた
世俗の糞スローガンを掲げずにすむ
577神も仏も名無しさん:2012/09/08(土) 23:44:19.47 ID:QEc3zR5N
永平寺前の、駐車の客引きは、どうにかならんのか
同じ大本山の総持寺とは大きな違いだわ
578神も仏も名無しさん:2012/09/09(日) 16:03:27.82 ID:WvkISrzL
実家は浄土真宗で婚家は曹洞宗。
実家は法事をちゃんとやって親族親戚と付き合うようにしているが、
婚家は墓と仏壇には金をかけてたが、
兄弟から送られる初盆の提灯は断って、
初盆も家族で行うほど、親族親戚との付き合いをしない。
宗派の違いなのか、それとも家風の違いなのか?
579神も仏も名無しさん:2012/09/09(日) 16:58:48.53 ID:L+mkwWhS
>>577
永平寺と東尋坊を観光で回りたいのだが、一番よい回り方を教えてください。

福井駅前からは、観光バスはないのでしょうか。
580神も仏も名無しさん:2012/09/09(日) 23:30:38.60 ID:9khKbEMB
>>579
カーナビ任せで言ったから、一番よい回り方は、わかんない。
バスでも行こうと思って調べたことあるけど、福井駅前からバス出てるよ
ただ、調べたのは、永平寺までて、東尋坊は、しらない。

大した解答できなくてすまんな。
581神も仏も名無しさん:2012/09/10(月) 22:12:44.51 ID:B9GzXUfu

http://www.panorama-fukei.com/22/tojinbo/daytime/guide.html
東尋坊への行き方(アクセス)
公共交通機関
えちぜん鉄道・三国芦原線「三国駅」からの行き方
京福バス1番乗り場から
「東尋坊JR芦原温泉駅行(89 金津・東尋坊線)」に乗車し、
「東尋坊」で下車、
徒歩5分。
(バス乗車時間は約12分)

 − − −

http://www.panorama-fukei.com/22/eiheiji-temple/daytime/guide.html
曹洞宗大本山 永平寺への行き方(アクセス)
公共交通機関

路線バス
えちぜん鉄道・勝山永平寺線「永平寺口駅」から、
路線バス(京福バス)「永平寺門前行(87)」または「永平寺行(87)」に乗り換えて
終点下車、徒歩5分。
(バス乗車時間は約13分)

※JR福井駅からえちぜん鉄道への乗り替えは、JR福井駅の東口が便利です。

特急 永平寺ライナー(京福バス)
福井駅から永平寺門前まで、直行バスが毎日運行しています。
福井駅から永平寺門前までの所要時間は約30分。
582神も仏も名無しさん:2012/09/11(火) 08:33:48.48 ID:DxInIptW
この間初盆で寺に行ったのですがその時若いお坊さんが話の中で、
「『ぎゃーてーぎゃーてー』だけなら山彦でも唱えられる」と言っていました。
妙に気になったのですが、何か由来があるのでしょうか?
583神も仏も名無しさん:2012/09/11(火) 10:55:17.38 ID:FSUtaJS0
108あるといわれる煩悩を捨てようとおもうんですけど、
辞書で煩悩を調べたら人間を悩ます欲望みたいなことが書いてました。
欲望を調べたら不必要なものを欲しがることみたいなことがかいてありました。
なので人間を悩ます不必要なものを欲しがることを煩悩と定義したんですけど、
煩悩をなくしたいという気持ちは無くても生きていけるから不必要なものであって
煩悩をなくしたいと思って悩んでいるので煩悩をなくしたいと思うことは煩悩なんですよ。
その煩悩を無くそうとしたら煩悩を得ようとしていることになって矛盾がおきてしまうんです。
つまり煩悩を捨てることはできないんじゃないんですか?
584神も仏も名無しさん:2012/09/11(火) 11:00:50.55 ID:lM9kD/wF
>>583
そういうつまんない妄想を鎮めることが道ですから、
もし本気で煩悩捨てたいなら、本物の師匠を探すことです。

ビルマかチベット系を勧めます。
585神も仏も名無しさん:2012/09/11(火) 11:43:40.50 ID:TyWVgqoB

ぎゃーてー

http://dic.pixiv.net/a/%E3%81%8E%E3%82%83%E3%83%BC%E3%81%A6%E3%83%BC
サンスクリット語をそのまま音訳したもので「羯」は、行きなさいの意、「諦」は、悟りの世界、と言う意味である。
つまり続けて読むと、「羯諦 羯諦 波羅羯諦」は「往きなさい、往きなさい、彼岸へ往きなさい」となる(解釈には諸説あり)。

http://homepage3.nifty.com/yoshihito/okyou.htm
故知般若波羅蜜多
是大神呪、是大明呪、是無上呪
是無等等呪、能除一切苦、真実不虚
故説般若波羅蜜多呪、即説呪曰
羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦菩提薩婆訶
般若心経

この故、般若波羅蜜多は、
これ大いなる神呪なり、これ大いなる明呪 なり、これぞ無上の呪にありて、
これぞ無比なる呪とぞ知る。よく一切の苦をのぞき、真実にして偽らず。
故に般若波羅蜜多の、呪をここにこそ説き給う。即ち呪をば説きて曰う。
彼の岸へ、彼の岸へ行かむ、御仏の智恵の悟りの岸に幸あれ。
586神も仏も名無しさん:2012/09/11(火) 12:07:15.72 ID:rQqqnNwa
>>585
山彦云々っていうのは?
587神も仏も名無しさん:2012/09/11(火) 12:34:24.25 ID:TyWVgqoB

http://dic.nicovideo.jp/a/%E5%B9%BD%E8%B0%B7%E9%9F%BF%E5%AD%90
「ぎゃ〜て〜」と唱えているが
意味を知らずに唱えてるっぽい・・・
というか意味がわかってない

 − − −

例えば
意味がわからなくても
「ぎゃ〜て〜」と唱える事は出来る
これが
「『ぎゃーてーぎゃーてー』だけなら山彦でも唱えられる」と言う意味であるとか?

>>582
初盆で寺に行った時の若いお坊さんに聞いてみて下さい
588神も仏も名無しさん:2012/09/11(火) 12:38:22.36 ID:UXXC1irV
山で「ぎゃーてー」と叫べば
やまびこが「ぎゃーてーぎゃーてーぎゃー…」と応えてくれる、
つまり、仏教を何もしらなくても唱えるだけならアホでもできる、ってことでは?
589神も仏も名無しさん:2012/09/11(火) 12:43:19.05 ID:UXXC1irV
>>583 煩悩を10種類に分類して、
有身見・戒禁取・疑・欲貪・瞋恚・色貪・無色貪・掉挙・慢・無明
の10の煩悩とすることもできるようです。
また、さらに3つにまとめて貪・瞋・痴の三毒煩悩と言うこともできます。
煩悩が消える順番には法則があり、10種類でいうと、
まずは、有身見・戒禁取・疑の3つが消えるそうです。
欲貪(欲)や瞋恚(怒り)が減退するのはそのあとの段階だそうです。
590神も仏も名無しさん:2012/09/11(火) 13:08:08.15 ID:FSUtaJS0
>>589
ありがとうございます。
煩悩を捨てたいという煩悩を最後まで残して
その他の煩悩を消した時には自動的に煩悩を消したい煩悩は
満たされて消えますね。
有限で満たされる煩悩は消すより満たして消した方がいいということですね。
591【恩讐】キリスト教と同性愛=新ぱーと14【和解】:2012/09/11(火) 23:51:17.62 ID:f0fDfSu2
世素です、スレを立てる事ができなくて困っています
【恩讐】キリスト教と同性愛=新ぱーと15【和解】のスレを立てて下さいお願いします
592:2012/09/12(水) 00:09:31.31 ID:AdomAXw4

> 世素です、スレを立てる事ができなくて困っています

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1347375806/l50
【恩讐】キリスト教と同性愛=新ぱーと15【和解】

心と身体/心と宗教

 ↑ この場所で良かったのかしら? おじゃる?
593神も仏も名無しさん:2012/09/12(水) 02:27:12.84 ID:y88lRaup
>>585
些細なことだけど、
羯諦 羯諦 波羅羯諦の諦はgate gate pAragate の音写だから諦は漢字の意味で取ったらダメじゃない?
音写語の漢字が選択された過程には確かに諸説あるけど
音写語の漢字自身に意味が有るとする論調は明確な根拠は挙げられていないのが現状だよね。
594神も仏も名無しさん:2012/09/12(水) 04:46:06.62 ID:M2IYddHT
>>593
オイラはその訳には疑問だけど、一応、インド語の解釈です。
漢字からの意味ではないです。

こちらの説の方が説得力あると思います。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jeb1947/2002/209/2002_209_L17/_article/-char/ja/
595神も仏も名無しさん:2012/09/14(金) 20:59:30.43 ID:pfy6JV1D
またか・・・。
書き込みせんとスレが復活せんか・・・。

まったく迷惑な話だ・・。
596神も仏も名無しさん:2012/09/14(金) 21:40:52.30 ID:82FlxLmB
>>582
お坊さんは東方厨
597神も仏も名無しさん:2012/09/14(金) 21:56:24.18 ID:uNRxVTn0
>>596
つまり、こう言う事か?
http://d.hatena.ne.jp/video/niconico/sm12111685
598神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 16:23:13.37 ID:Rb3brwop
新聞で見て興味を持ったのですが
>池上彰と考える、仏教って何ですか?
って、仏教解説として、内容的にどうですか?
599神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 16:32:57.83 ID:48z+mTAP
>>598
未読ですが、オーソドックスな内容で且つ分かりやすく、よい心で書いてるので、
最も分かりやすい入門書として最適だと聞いています。
600神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 16:53:02.45 ID:167jiwWB

http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4864101809/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending

池上彰と考える、仏教って何ですか?

カスタマーレビュー

第1章では仏教の誕生とその後の日本における展開の概論

第2章はインドでのダライ・ラマ法王への取材が中心
チベット仏教を鏡として日本仏教を考え直すような趣向になっているが、他方で、
「チベット人による抗議の焼身自殺は仏教的によいことなのか?」
といった突っ込んだ質問を法王に対してしてみたりしていて、さすが池上さん、といった感じ。

第3章は池上さんによる等身大の仏教観の提示のような文章
601神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 02:37:54.16 ID:fKePXoMb
>>深い瞑想の中で体験出来る以上のことは死によっても体験しない
という一説が、阿含経にあるようですが、詳細に何処で書かれているかわかりますか?
602神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 09:22:05.19 ID:BQVH3AHg
ブッダがいた時代、死後数百年の仏教の様式を詳細に知りたいです。
603神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 09:37:06.09 ID:cZafnZqV
>>602
片山一良訳『パーリ仏典』と南伝大蔵経の『律』
国訳一切経の阿含部と律部を読んでください。
http://www1.atwiki.jp/occultfantasy/pages/1035.html

研究書としては以下のショペンと馬場がいいんじゃないかと思いますが、もっといいものがあるかもしれません
http://www.amazon.co.jp/dp/4393112024/
http://www.amazon.co.jp/dp/4393112717/

平川彰、アンドレ・バロー、コレット・コックスあたりも評価高いようですが、
私は未見です。
604神も仏も名無しさん:2012/09/20(木) 00:58:59.39 ID:qONb4CgF
http://www.etapasvi.com/ja/encyclopedia/show
ここに書かれてる。ヒンドゥーや仏教の解説は、信用して大丈夫でしょうか?
605神も仏も名無しさん:2012/09/20(木) 06:40:34.15 ID:qik0Y0HM
>>604
これは一時話題になったダルマ・サンガさん系のものですね。
これが伝統仏教かどうか疑問がありますが、内容はかなりよくできていると思います。
606神も仏も名無しさん:2012/09/20(木) 22:04:32.61 ID:Z7PYhASx
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607601:2012/09/21(金) 00:07:48.69 ID:cihK0Usi
解答がないのであげ
http://www.youtube.com/watch?v=sqbPb-Pcs-o&feature=related
もう少し正確にいうと、ここの冒頭で言われてる部分が、阿含経の何処の部分なのかと言う質問です。
608神も仏も名無しさん:2012/09/21(金) 23:09:36.31 ID:gSBiCZyE

サルベージ
609神も仏も名無しさん:2012/09/22(土) 06:42:42.30 ID:CIZrdilr
Wikiレベルの知識なので、根本的な勘違いをしているかもしれませんが
最古の仏典古文書は、日本にあるんですよね。仏典の中でも最古層に位置づけられているスッタニパータと関連して考えると
文献としては、スッタニパータが最古だと考えられるが、残ってる文献そのものは比較的新しいものであると言う理解でいいんですか?
610神も仏も名無しさん:2012/09/22(土) 08:45:24.49 ID:OXNzUdAO
>>609
最古というのは法隆寺貝葉経のことだよね。
もっと古い写本も色々見つかってるよ〜
これは物理的に写本が残っているもので古いものという意味。

次に文献として古いというのは、どういう意味かというと、
各経典が編纂された時期がどの程度の時期かという意味。
『スッタニパータ』自体も古いけど、より古いのは『スッタニパータ』として編纂される以前の幾つかの章。

例えば、『アッタカ・ヴァッカ』はパーリでその章だけの古い註があり、
サンスクリット本断片も発見されていて、しかもその系統の漢訳も残っているという意味。
611神も仏も名無しさん:2012/09/22(土) 15:07:39.63 ID:LkbhK3s5
質問です
原始経典にはヴィパッサナー瞑想の方法に関する経典はあるみたいなのですが
サマタ瞑想の方法に関する原始経典はないのでしょうか?
612神も仏も名無しさん:2012/09/22(土) 16:16:57.67 ID:OXNzUdAO
>>611
もちろんあります。
サマタは止、禅定、三昧などと言われ、要するに心を鎮める精神集中です。
ヴィパッサナーは、観、般若などと言われ生滅、無我、縁起、空性などを観ることです。

ちなみにニューウェーヴ・テーラワーダでいうヴィパッサナーは、実際はサティ、念、四念処を言うようで、これは本来のヴィパッサナーではありません。

サマタについて述べた原始経典は沢山ありますが、長部・中部経典なら必ずといっていいほど言及されていると思います。

ですが、それが分からないかもしれませんので、まずパユットー『仏法』330以下、あるいは水野弘元『仏教要語の基礎知識』の「定学」について書かれた部分を読んでから原始仏典を読むと分かると思います。

体系的に知りたい場合は、『清浄道論』南伝大蔵経の和訳第二巻か、以下の和訳を読むといいでしょう。
http://www7.ocn.ne.jp/~jkgyk/sho20090221_2.html
613神も仏も名無しさん:2012/09/22(土) 18:42:27.82 ID:dv+B0uLF
仏教に関する知識は全くゼロの者です。トンチンカンな質問だったらすみません。
色々な国で仏教が信仰されていますが、仏教の原始時代の形を一番色濃く残している仏教は
どの辺りで信仰されている物でしょうか?
日本など多くの国は、その国の風土や土着宗教が元来の仏教に混ざって発展していると思うのですが
逆に原始当時の原形を多く留めている所はあるのかと、ふと興味が湧いたもので。。。
614神も仏も名無しさん:2012/09/22(土) 19:58:03.60 ID:OXNzUdAO
>>613
仏教の場合は原型を保ってるから優れているわけではありませんが、
恐らくビルマだと思います。
615神も仏も名無しさん:2012/09/22(土) 21:35:42.70 ID:dv+B0uLF
>>614
ありがとうございます。スリランカ辺りかと勝手に想像していました。
どのような点でビルマなのでしょうか?
616神も仏も名無しさん:2012/09/22(土) 22:46:34.12 ID:OXNzUdAO
>>615
最もテーラワーダの伝統を残し、いまだアルハットを輩出しているからです。

スリランカ仏教は、何回か廃れ、現在のものはナショナリズムと結びつき、だから排他的で仏教から外れているような印象があります。

アルハットも出てないと聞いています。大乗仏教における日本仏教に近く、文献学が主流になっているようです。
617神も仏も名無しさん:2012/09/22(土) 23:15:18.72 ID:LkbhK3s5
>>612
ご丁寧に答えてくださってどうもありがとうございます。
618神も仏も名無しさん:2012/09/23(日) 02:59:37.49 ID:ZwidAwu9
>>616 現在もビルマにはアルハットがいらっしゃるということでしょうか?

現在のアルハットが書いた書物、もしくはアルハットの説法を
日本語で読める書籍やホームページをご存じでしたら、教えていただけないでしょうか。
619神も仏も名無しさん:2012/09/23(日) 05:42:10.74 ID:1fFmQz3l
620神も仏も名無しさん:2012/09/23(日) 09:00:19.67 ID:epxM6Qng
>616
ビルマ仏教がナショナリズムに汚染されていないとでも!?
他国に夢を見すぎなんじゃないかなあ。
621神も仏も名無しさん:2012/09/23(日) 09:34:32.61 ID:1fFmQz3l
>>620
スリランカでは仏教がナショナリズムと融合して仏教自体が排他的です。
まるで日蓮宗のようですよ。

夢でなく、生きている仏教はビルマとチベット系というのは世界的に一般的な認識ですよ。
ちなみに私はチベット系仏教信者で、真言宗僧侶ですよ。
日本とチベット系の違いについてはよく分かっているつもりです。
622神も仏も名無しさん:2012/09/23(日) 09:52:43.46 ID:8uaSHGI9
自分が聞いた話ではないので詳細は定かではないのですが、
新潟の親戚の嫁が早朝から勉強会とかなんとか?に通ってるらしのですが、
その様な宗教をご存じな方がいましたら、お教え下さい。スレチだったらごめんなさい。
623神も仏も名無しさん:2012/09/23(日) 10:07:22.52 ID:1fFmQz3l
>>622
新潟県で早朝から勉強会を開くというだけの情報では厳しいでしょう

624神も仏も名無しさん:2012/09/23(日) 10:17:50.82 ID:ExkWzLM6
ああ、それは多分アルハットを目指す会だよ。新潟県にはアルハット多いから
625神も仏も名無しさん:2012/09/23(日) 11:05:41.63 ID:gQPQomF8
ビルマ(ミャンマー)でも非仏教徒への迫害が行われています。
チベット仏教のブータンもです。
626神も仏も名無しさん:2012/09/23(日) 15:44:55.38 ID:B801Aph5
スリランカの仏教は一度廃れてタイから逆輸入したものだと言われたのですが本当なのでしょうか
627神も仏も名無しさん:2012/09/23(日) 16:59:16.59 ID:1fFmQz3l
>>626
たしか、ビルマとタイから一度ずつ移植してますよ


628神も仏も名無しさん:2012/09/23(日) 17:14:48.54 ID:SCoVu/2q
ID:OXNzUdAOとID:1fFmQz3lは、同じ人?
629神も仏も名無しさん:2012/09/23(日) 22:05:16.65 ID:sm+6mmiH
>>616
詳しいお話、ありがとうございました。
とても参考になりました。
630神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 10:31:55.59 ID:JUjaXafJ
龍樹菩薩は、自分は釈尊と同じ「一切智者」だと言ったそうですが
釈尊も自分の事を、「一切智者」だと言ったんですか?
631神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 10:37:14.12 ID:d30zpq7j
>>630
はい、そう仰られています。
632神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 10:48:00.36 ID:JUjaXafJ
>>631
お手数ですが、どこで言っているか教えていただけないでしょうか?
633神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 10:56:42.01 ID:d30zpq7j
>>632
マハーヴァッカに書かれてますよ。

簡単に見たいなら石飛道子『ブッダ論理学』に別の箇所からの引用があり、
明解な解釈も展開されてます。
634神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 10:59:41.30 ID:TyDgJi6X
>>630
>釈尊も自分の事を、「一切智者」だと言ったんですか?

テキスト上ではそーなってます。

成道後、最初に会った邪命外道のウパカさんに、
「一切勝者、一切智者、解脱」宣言をやらかしてます(中部経典26)。
ところが悟りの内容をまだ十分に言語化咀嚼できてへんかったんやろなあ、
な〜んで、一切勝者やねん?のウパカさんの問いに、
『諸々の煩悩を滅ぼしたからや』ではマユツバもんで説得力ゼロ。
アホか勝手にゆーとけで、シカトされてます。

その後、ヴァッチャさんにも「心解脱者」宣言を手馴れた感じでやってます(中部経典72)。
ヴァッチャは火と薪の比喩による縁起による不生不滅=中道の説明で悟ったことになっているが、
断滅論と誤解されかねん危うい説明やねw
635神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 11:02:49.88 ID:8xGT3hVu
>>630
ttp://www.j-theravada.net/sakhi/supplement.html#maj1
訳文にある「一切を知る者」がたぶんそれでしょう。

むしろ竜樹も自分のことを「一切智者」といったのにはおどろき。
636神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 11:05:42.29 ID:JUjaXafJ
>>633
ありがとうございます。
詳しくは知りませんがマハーヴァッカってパーリ律蔵の大品のことですかね。
日本語か英語で訳されている本やサイトなどはありませんか?
『ブッダ論理学』って、講談社選書メチエで出てるやつですね。調べてみます。
637神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 11:10:07.90 ID:qSR5ZMYx
「大品」は極めて重要だけど…きみら塚間住とか一鉢食とか出来るの?現代人の感覚では全然苦行だゃ
638神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 11:10:31.15 ID:JUjaXafJ
>>634>>635
ありがとうございます。
一切が何を意味したのかは、疑問ですが
一切智者と言ったと言うことは、本当だということですかね。
639神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 11:22:40.50 ID:+7uCIkXB
998 自分:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 09:50:57.37 ID:ZaPaLnxt [48/49]
>>995
コテハン付けて書き込むやつは

「自分アピール大好き。みんなにおれのこと見て見て注目してーーー。おれのことすごいっていってよーー。おれすごいこときづいたよーーおれわかってるよーーおれのことわかってる人っていってよー」
「おれ不思議ちゃんだよーーー」

こういうやつ
あと2ちゃんねるの良さをけしてるやつ

3 自分:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 10:41:45.58 ID:+7uCIkXB [2/12]

これ以外に理由なし。
コテハン付けててこれ以外に理由があるやつは書き込んでいけ

4 自分:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 10:45:42.44 ID:+7uCIkXB [3/12]
「1000 返信:麦とホップ[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 09:54:51.72 ID:2/Ou+MNg [8/8]
>>999
もう最期だよ。続きは次スレが立った時にでも・・・・・・」

麦とホップ次スレ立ったぞ。


5 自分返信:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 10:52:03.67 ID:+7uCIkXB [4/12]
>>2
「悟りを開いたことあるけどなにか質問ある?」なんてたいそうな名前を付けているが、
スレ主自体がコテハン付けてるどうしようもないやつ。コテハン付けているやつら 分かったか?
640神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 11:42:50.48 ID:TyDgJi6X
>>638
>一切

みなさん、わたしは「一切」について話そうと思います。よく聞いて下さい。
「一切」とは、みなさん、いったい何でしょうか。それは、
1.眼と眼に見えるもの、
2.耳と耳に聞こえるもの、
3.鼻と鼻ににおうもの、
4.舌と舌に味わわれるもの、
5.身体と身体に接触されるもの、
6.心と心の作用、

   のことです。これが「一切」と呼ばれるものです。
   誰かがこの「一切」を否定し、これとは別の「一切」を説こう、と主張するとき、
   それは結局、言葉だけに終わらざるを得ないでしょう。
   さらに彼を問い詰めると、その主張を説明できず、病に倒れてしまうかも知れません。
   何故でしょうか。何故なら、彼の主張が彼の知識領域を越えているからです。(サンユッタニカーヤ 33-1-3)

これ以外は『無記』(知らんがな〜)ね。
641神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 11:53:43.21 ID:JUjaXafJ
>>640
ありがとうございます。それって、無知の知ってことですかね。
釈尊 孔子 ソクラテスなど、場所は違いますが同時代の偉人達が
同じ無知の知を説いたというのは、偶然なのですかね。
642神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 12:09:03.14 ID:TyDgJi6X
>>641
>無知の知

違うと思います。

佐倉 哲さんのHPを参照されてはいかがですか?
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/muga_2.html

御批判もございましょうが、世俗において人間が経験的に知覚ことを「一切」と
受け止めています。かなりレベルの高い(6.心と心の作用)いわば形而下の事柄です。
経験的に検証できないことは、独断と偏見に陥りがちな論議→形而上的論議であって、修行の妨げになります。
643神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 12:11:20.18 ID:TyDgJi6X
× 知覚ことを
〇 知覚できる範囲のことを 
644絶対神:2012/09/24(月) 12:19:14.98 ID:lrDdh7M9
           『一切勝者、一切智者、解脱』

                「あほか」

      『いまどき、子供でも騙せないような幼稚な宣言だな』
それならまだしも、「俺は神だ」と言った方がましだよ

            「ストレートで気取りがない」
なんだかんだ宗教を批判しているくせに、結局、釈迦って「自分が全知全能の神だ」
と実は言っちゃってるんだよね
      「正面から言うんだったらまだしも好感が持てるけど」(まあ、
それでもキチガイとしか思わんが)
『いかにも言っていないふりを装って言っている部分が、いかがわしいし、気に食わない』
自分が宗教そのものの恥ずかしい宣言をしているんだから

            「神様はいるよ、俺が神様だ」

           『この宣言だけで、十分だろう』(大笑)
645神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 12:20:19.31 ID:qSR5ZMYx
アフォばっかだ…「一切智者」というからには地球上に蟻が何匹いるか、宇宙の果てのそのまた果てまで知っとる言うことや。でなきゃ一切とは言えん!ケンダッパ城の音楽の種類も全部知っとるわい!
646絶対神:2012/09/24(月) 12:21:07.41 ID:lrDdh7M9
           「私が釈迦とか仏教が嫌いなのは」

     『訳のわからない、気取った欺瞞に満ちた理屈を言うところ』

            『俺なら、きっぱり言えるぜ』w

       「俺は「神」だ。お前たちとは違う、「絶対者」だ」

                『どうだ?』(笑)

          『釈迦よりも遥かに「正直」だろう』(大笑)
647神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 12:21:51.58 ID:qSR5ZMYx
やたら質問してありがとうございます〜みたいなヤツは味噌で顔を洗って出直してこい(笑)へちま野郎が…
648絶対神:2012/09/24(月) 12:23:45.85 ID:lrDdh7M9
  「別に私は全知全能でもないし、世に勝利している訳でもないけどね」

     『証明してやったように「神」である事は「事実」だ』
649神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 12:24:38.52 ID:qSR5ZMYx
「俺は神だ」その通り
650神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 12:26:06.72 ID:d30zpq7j
とりあえず、これ以上やりたい方は速やかに議論スレにどうぞ

議論スレでも、単に自分の思いを書くのは遠慮されたし
651絶対神:2012/09/24(月) 12:29:03.47 ID:lrDdh7M9
               「大体からして」

     『「国」を滅ぼされた「王子」のどこが「勝者」やねん』

               「あほらしい」w
652神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 12:37:30.73 ID:TyDgJi6X
>>644  for便所神

 →「貧乏神はいるよ、>>644が貧乏神だ」

>>645
なぜ一切現象なのか、存在の様相〇〇〇〇〇を直覚・体得したということだよ。
下司には「無理」だ。
653絶対神:2012/09/24(月) 12:42:07.51 ID:lrDdh7M9
   「釈迦っていうのは、もっとも荒唐無稽な事を言っていると思うね」

          『単に「超能力がある」というよりも』

              「遥かに荒唐無稽な事」

私から言わせれば、岩を動かす念力よりも

            『悟りとか、解脱とかいう方が』

          「よっぽど「あり得ない」と思うけどね」
性質における完全な聖人というのは、『全知全能』と殆ど変らないレベルの
「超人的な能力」そのものだと思うのだがww
654神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 12:44:02.54 ID:IEglVCeO
>>645 一切(眼耳鼻舌身意色声香味触法)の現象のカラクリを見抜いたという意味でしょう。
655絶対神:2012/09/24(月) 12:45:13.14 ID:lrDdh7M9
           「宗教のテクニックとしてさ」

   『他者の小さな笑うべきオカルトや不合理な要素を指摘してさ』

          「自分が合理的だと錯覚させておいて」

 『実は相手よりももっと荒唐無稽な事を信じさせようとするものがあるの』

     「仏教ってそういう「宗教的詭弁」の「典型」だと思うね」
656神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 12:48:42.46 ID:qSR5ZMYx
≫652→お前にも無理だ「下司」
657神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 12:51:29.09 ID:qSR5ZMYx
二元性を離れた清浄法界こそ真のすがた
658神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 12:55:47.37 ID:qSR5ZMYx
そもそも宗教(仏教もだが)では人間は幸せにはなれんな。これだけは確かだ。安直なヒューマニズムを放棄した所に己が理論を構築する。しかし人が本当に求めているのは安直なヒューマニズムに他ならない
659神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 12:58:30.46 ID:qSR5ZMYx
理論武装して、すぐ喧嘩腰になるヤツら大杉ワロタ→それが宗教界の実情。イエスもブッダも糞の役にも立っていないし、神がいるなら「今すぐ」人間を救えボォケェ!
660絶対神:2012/09/24(月) 13:10:38.73 ID:lrDdh7M9
「はっきり言うと、大抵の人間は高校くらいになれば仏教的思考はしなくなる」

『自分が知れる範囲内は限られているし、それは真理なんていうご大層なものじゃないからである』

     「たとえば東大に入れる人間はこの世に確実に存在するが」

             『大抵の人間は入れない』(そこまでの知識も能力もない)

人間の能力が及んでいる範囲内の事でも

「自分の能力が及ばない事なんて幾らでもあるし、判らない事なんて幾ら
 でもあるからである」

   『自分では確認不能な事を、「正しい事」として受け取る事なしに』

          「現在社会では生きていく事は不可能である」
まだ大した知識も文明もなかった、太古とは違うのである

         『自分の認識だとか知識だとか知力とかが』

「実は全然、大した事がなくて間違いだらけで、自分以上に正しい事が判る
 人間なんて腐るほどいるんだという事実を認識する事なしに」

           『何もできないが現代社会である』
私は、釈迦の理屈ってのは
            「中学生の理屈みたいだと思う」
661絶対神:2012/09/24(月) 13:14:51.24 ID:lrDdh7M9
         「形而上とかそういうレベルではなく」

      『他人には判る事であっても、自分には判らない事は』

         「現実に世の中には「幾らでもあるんだよ」」
まあそういう「理解不能な存在の実在を認める」という面から言うならば

『形而上の世界を認めないでは、人間の現実の生活、現実の社会は「成り立たない」という事だ』

  「人間社会はしばしば、自分では理解できない知識や技術を持っている」

     『一種の「他者に対する信仰」によって成り立っている』
(それ以外では、現実問題として、「成り立ちようがない」)
662絶対神:2012/09/24(月) 13:20:27.90 ID:lrDdh7M9
        「元々、この世界には色々なものが実在するが」

         『結構、多くのものが人間には認識できない』(たとえば
赤外線とかね、昔はウイルスとかもね)

   「でも、それらは我々の生活にしばしば大きな影響を与えている」

『認識できない存在が、実在して、こちらの生活に大きく関係してくる事は「腐るほどある」』

「理解も出来ないし、認識もできないが「ある」という事を前提にして行動しないと」

           『命取りになる事すらあるのである』

『単純に言うと、「この世界はそもそも人間の認識能力を最初から超えていて」』

 「自分の判断にだって、責任がとりようがない面がある世界なのである」
(未来は神にしか判らないし。大昔は病原体の存在だって理解されていなかった)
663神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 13:21:22.99 ID:qSR5ZMYx
釈迦がブタなのは「私には見解に対するとらわれがなく論争から離れている」言うとこ→要するに逃げ。徹底的に論争して「負けましたすいません」が無い
664絶対神:2012/09/24(月) 13:24:42.25 ID:lrDdh7M9
             「単純に言うと」

    『理性や認識が及ばない領域の実在を最初から考慮しないと』

              「失敗するよって事」

『そういう意味では「神」という概念は非常に便利で有用な「発明品」であった』
ある程度超越的な視点を持たない人間には

             「逆に現実も認識できない」(想像力が欠如している
からだ)

    『推測してああでもないこうでもないと考え、議論する事が』

              「進歩を齎すんだよ」

     「ある意味、釈迦っていうのな「馬鹿」じゃないかと思う」
665神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 13:24:47.72 ID:qSR5ZMYx
この世の中、真理より、ピストル、ピストルより核兵器のほうが強い。人間は善意でも悪行を犯すし、善良であるがゆえに妬まれる。特にイエスは痴呆だからそれがわかっていない
666絶対神:2012/09/24(月) 13:29:31.95 ID:lrDdh7M9
                「つまり」

        『自分を真理の判定基準にするという事は』

            「元々できない相談である」

        「何故なら、明らかにそんな能力がないからだ」

人は大体、高校生くらいまでに

             『そういう事を学んでいく』

「そういう意味では、釈迦はやっぱり、己の限界を知らない「王子様」だったんだな」
としか言いようがない
667絶対神:2012/09/24(月) 13:35:37.24 ID:lrDdh7M9
          「つまり、人間は、ふつうに育っていれば」

『自分が認識している事柄が、実は、この世界のごく一部にすぎないのであって』

        「全然、「一切」でも「すべて」でもない事を」

              『認識できるのである』(大笑)

     「つまり、ひょっとしたら、自分が認識していない何かが」

               「正しい可能性も」

        『意外と日常的に「認識出来る」のである』(大笑)
ふつうは日常生活の中で、「自分が真理の判定基準である」という価値観が破綻を
きたす事を、「幾度でも経験できるはず」なのである

      「そういう客観性が釈迦には完全に欠如しているのだよ」

      『「神様」でない限り、「一切」など判る訳ないだろ』
(一切どころか、一部しか判らんわ)
668絶対神:2012/09/24(月) 13:38:20.47 ID:lrDdh7M9
           『つまり、お前たちはしょせん』

        「「神」である我々の言いなりになるしかない」
という事なのだよw

               『判ったかな?』(笑)
669神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 13:48:04.75 ID:qSR5ZMYx
俺は人格など愛せない。つまり人間など愛せない。釈迦だろうとイエスだろうと…どうしても欠点を見るから。そして自分にも明らかに欠点があるさ
670神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 13:50:54.36 ID:qSR5ZMYx
よって俺は「原理」を愛する。カミソリのような鋭い知性、一ミリの妥協の余地もない完全性しか愛せない。隣人愛は不可能だが遠人愛なら可能らしいから…
671神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 13:52:46.03 ID:qSR5ZMYx
経験則から言えるが、宗教者ほど傲慢で独善的なヤツはいない。そういう悪い連中とはキッパリ手を切るべきだ
672神も仏も名無しさん:2012/09/25(火) 12:17:52.54 ID:7wEZy8xA
説一切有部について、解説された本ってありますか?
673神も仏も名無しさん:2012/09/25(火) 15:22:54.97 ID:Mmhbf/A1
>>672
存在の分析「アビダルマ」―仏教の思想〈2〉 (角川文庫ソフィア) [文庫]
桜部 建 (著)
674神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 13:27:47.56 ID:mnq+Y10H
法相宗に一番近い(教義や関係など)宗派はどこでしょうか。
どこかのサイトで真言宗と関係が深いと出ていたのですが
それはどういう経緯なのでしょうか。
ご教示お願いします。
675神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 13:52:43.10 ID:SDgiPv8r
摂論宗だろう。同じ唯識学派だから。
676神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 13:54:17.66 ID:s03xJbkC
>>674
教義も関係も倶舎宗ですね。
日本の仏教は、大雑把に分けると南都系、真言系、天台系、禅宗系に分けられます。

法相宗は南都系で、倶舎宗も同じです。しかも、教義も接近するというか、
倶舎宗の教義が法相宗の前提のようなものになっているからです。

天台宗は南都系仏教に対立して宗派を作ったのに対して、
真言宗は南都に融和的に宗派を作ったので親和性があり、
しかも南都系仏教は真言化したので真言宗とは関係が深いのです。

鎌倉新仏教は基本的に天台系かシナ系の禅宗です。
その後も禅宗はシナから新しい宗派がきています。
677神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 19:18:51.18 ID:mnq+Y10H
>>675-676
ありがとうございました。
678神も仏も名無しさん:2012/10/02(火) 18:04:03.67 ID:eCIzVZEb
http://ci.nii.ac.jp/naid/110000189074
この中辺りの「初期仏教の教え」で書かれているような、釈尊はアートマンを認めていたとする説に対する反論が
書かれたネットで見れる論文(英語でもおk)やサイト・本などあったら教えて下さい。
逆に、釈尊がアートマンを認めていたとするモノでもいいです。
679神も仏も名無しさん:2012/10/02(火) 20:00:41.56 ID:WrUsStIr
>>678
単純にいうと世間でいう自分、我というものは言葉として認めておられますが、
勝義・実在・本質としての自分・我・アートマンは認めていません。

一番分かりやすいのは石飛道子『ブッダ論理学』だと思います。

次に以下の後ろの方に訳されている『大智度論』の第二引用:
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/32.html

勝義では釈尊は私・私のもの・私の我(本質)を認めません。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/31.html

最後に文献学者の中で評価の高いこれもどうぞ:
http://ahandfulofleaves.files.wordpress.com/2011/11/a-note-on-atta-in-the-aladaddupama-sutta_norman_ld_1981.pdf
680神も仏も名無しさん:2012/10/02(火) 20:09:41.24 ID:E9VMjuLh
>>678
初期仏教には後世のような無我のドグマがあったのか、なかったのか
この問題を扱った基本的な文献は

中村元編『自我と無我 インド思想と仏教の根本問題』 平楽寺書店 1963年

です。なお「スッタニパータ アートマン」とかで検索すれば多少面白い記事が見つかります。
681神も仏も名無しさん:2012/10/02(火) 20:30:50.51 ID:eCIzVZEb
>>679>>680
どうも、読んでみます。

仏教系の学者がアートマンを認めないと言うのはわかりますが、(確か)石飛さんの
ご専門は元々ニヤーヤ学派でしたよね。著書を読む限り龍樹関係の物が多いので既に
仏教学者と言ってもいいかもしれませんが。。。どちらにせよ。石飛さんのブログと
相互リンクしてる宮元さんは、中村元博士と同じような事を書いていますよね。
釈尊のアートマンが云々と言う話は、まだはっきりしていないということでしょうか?
682神も仏も名無しさん:2012/10/02(火) 20:45:46.50 ID:WrUsStIr
>>681
いえ、ハッキリしてますよ。

単に分からない学者が多いだけです。

仮設の言語習慣としての私・私のもの・我という表現と、
道として説いた時の私でない、私のものでない、我でないという表現
その状況の違いが分からず混乱しているのが、その主たる理由だと思います。
683神も仏も名無しさん:2012/10/02(火) 21:04:07.87 ID:eCIzVZEb
アカデミックな事には、私は関係ないので自己の有無について他人と議論するつもりはないです。
そもそも議論で決着がつくような問題だとも思っていません。

と言う前置きの上で仏教の立場の人に最後に一つ質問したいのですが、仏教からみて
外道の「自己」は論証可能なものなのでしょうかそれとも自明なものなのでしょうか
否定するためには、論証可能でなければなりませんが、正確には、どう捉えているのでしょうか?
684神も仏も名無しさん:2012/10/02(火) 21:34:26.36 ID:WrUsStIr
>>683
これ以上は議論スレに移動しましょう。

その上で、その立場は実在論に基づく論理に立っていますね。
仏教はそういう論理が前提ではないのです。以下が答え、もしくはヒントになるでしょう。
http://www.amazon.co.jp/gp/forum/cd/discussion.html/ref=cm_cd_dp_ef_tft_tp?ie=UTF8&asin=4804612858&cdForum=FxWV1FUKIL37CX&cdThread=Tx32FF2JPSUCN1F
685神も仏も名無しさん:2012/10/02(火) 21:51:17.91 ID:E9VMjuLh
>>681
初期仏教の時代には不二一元論とか発達した有我論はまだないんで。
初期仏教もウパニシャッドもこれは自己ではない、あれは自己ではない
という「非我説」に見えます。
どちらも主体はこの経験世界には見出せないという発想だと思います。

論考 5.633
Wo in der Welt ist ein metaphysisches Subjekt zu merken? Du sagst, es verhält sich hier ganz wie mit Auge
und Gesichtsfeld. Aber das Auge siehst du wirklich nicht. Und nichts am Gesichtsfeld lässt darauf schließen,
dass es von einem Auge gesehen wird.
http://tractatus-online.appspot.com/ のような。
686神も仏も名無しさん:2012/10/02(火) 23:20:25.71 ID:g4Yp8MYC
こんばんは。
私は、強迫神経症というものを患っており普段もそうですが
地蔵様や神社でのお参りの時に、自分が本心ではそうなってほしくない、
いやな内容が頭を流れてしまいます。
例えば、○○死ね・・・などとの言葉が流れたりします。
(○○は大切なひとの名前です。)
こういった心の中でのささやきも、仏様は拾ってしまうのでしょうか。
もし本当になったらと思うと怖く、最近では地蔵様をまつってある道を
避けている始末です。
回答よければお願いします。
687神も仏も名無しさん:2012/10/03(水) 02:12:03.98 ID:5kkQkoYZ
>>686
なかなか個性的なお方ですね。
でも、なんとなくそのような気持ちもわかる、というか、
あなたのように本気で思ってないのに死ねとか思ってしまったりすることは、私も経験があります。
さて、お地蔵様は仏教の菩薩です。
仏をめざして人助けしながら修行するのが菩薩であり、
地蔵菩薩は慈悲の心にあふれ、また、不殺生などの仏教の戒律も守っている。
ですので、仮に本気で殺人を頼んだとしても、そんな依頼は受けてくれません。
だから、心配ご無用です。
688安堂:2012/10/03(水) 02:46:01.10 ID:e0SeUXJ5
>>686

地蔵様や神社で、あなたの大切な人、愛する人の幸福を願っているのでしょう。
願おうとすることの反対の内容が頭をよぎる、という感じでしょうか。
こうしなきゃならん、こうでなけりゃならん、という強迫観念ですよね。
文面から察するに女性でしょうかね・・・。
自分の中に、あなたの大切なひと信頼しきれていないというのもあるではないでしょうか。
何か過去に心に傷を負ったりして、人を信頼できないということもあるではないでしょうか。
心の中でのささやきも、全部仏みたいなものです。
死ね、も愛してるも同じ。「死ねと思う」のはいけない、という判断が
問題を複雑にします。仲が良い恋人でも夫婦でも喧嘩したら「死ね」と思ったりします。
その時だけ思うだけ。
「〜でなければならない」「〜であろう」と強烈に舵取りするのは
強迫性障害を悪化させます。
地蔵様をまつってある道を避けているのも、変に思いが生ずるのを避けているわけです。
心が規則で縛られすぎです。
689神も仏も名無しさん:2012/10/03(水) 15:00:21.56 ID:2eBlw4uL
>>687
よかった
地蔵菩薩様はとても優しい方なんですね。安心しました。
回答ありがとうございました。
>>688
縛りすぎですか・・・
そう思ってはいけない、と考えることで逆にふっと
頭に出てきてしまっています。
もう少し楽に考えようと思います。
ありがとうございました。
690神も仏も名無しさん:2012/10/03(水) 15:25:03.66 ID:FvCa1nYU
>>689
そうです。地蔵菩薩も観音菩薩もあなたのためになるように慈悲を垂れていますから、安心してください
いつも慈悲深い地蔵菩薩や観音菩薩がアナタのそばにいると思ってください。
691諸星あたる:2012/10/03(水) 16:40:53.75 ID:T0uUPfmv
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11363884269.html
進化する天使の教えと逆行する地球環境
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11364404299.html
指導者の導きと共に進化する
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11362816099.html
続・宇宙の法則番外編 釈迦の教え
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11367035436.html
続・宇宙の法則 番外編 善と悪という名の幻想
692神も仏も名無しさん:2012/10/04(木) 16:15:21.28 ID:rFjPvlkV
┏━━浄土宗系━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃┌浄土宗────┐┌浄土真宗────────┐┌時宗─────────┐┃
┃│ナムアミダブツナムアミ││ /⌒ヽ 善人(笑)が     .││♪ ∧,_∧   レッツ !!     │┃
┃│( ゚д゚ ) ダブツナム││∩ ^ω^)浄土に逝けるなら....││   (´・ω・`) )) ダンシング♪ │┃
┃│ノヽノ |.アミダブツナ.││|   ⊂ノ 悪人のオイラも   .││ (( ( つ ヽ、    ♪     │┃
┃│ < <ムアミダブツナ││|    _⊃余裕で逝けるお   . ││   〉 とノ )))         │┃
┃│. ムアミダブツナムア.││し ⌒               ││  (__ノ^(_)          │┃
┃└───────┘└────────────┘└───────────┘┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

このAAの時宗の例えがよくわからないのですが、どういうことですか?
693神も仏も名無しさん:2012/10/04(木) 16:59:05.18 ID:Kv9bQRe8
>>692
念仏躍りだからだろ。
694神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 15:48:06.94 ID:6rcAunTF
龍樹の空の論理は、何を代入してもすべて同じ結論に至ってしまうということは
龍樹の論理は、恒真式のようなものだと考えていいのでしょうか?
695神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 16:03:51.98 ID:XHiCI05C
>>694
違います。何かxである、xでないといったことを表しているのではありません。
そのようにxであると思想や見解を掴むことを鎮める道を示しています。
696神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 16:58:47.35 ID:6rcAunTF
真偽という意味では龍樹の論理は一般に言われる論理学では無いということですか?
697神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 20:22:01.54 ID:XHiCI05C
>>696
そうとも言えます。
それより一般の論理より射程が広く、かつ目指すことが違うというこです。
アリストテレス以来の論理学は二値論理で真偽を観念的、あるいは言語的に決定するものと言えると思います。

中論はアリストテレスがドグサとして切り捨てた論理形式も含む四句分別、
x,非x,x且つ非x,非{x且つ非x}という判断を鎮める境地に導くことが目的です。

こうかんがえず、西洋論理のように真偽を決定し何らかを主張・論証するものと思って読むと詭弁や非論理にしか見えません。

以下を読むと理解できるかもしれません。
http://kishin-syobo.com/index.php?%E4%BB%8F%E6%95%99%E4%B8%80%E8%88%AC
698神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 21:42:17.95 ID:6rcAunTF
>>697
ありがとうございます。

龍樹で言うと石飛さんは、著作やブログなどで知る限り面白いので好きなのですが
石飛さんが言ってるような西洋の論理学に龍樹の論理を組み込む(?)ということは
そもそも根っこの所で無理があるように感じました。

瓜生津さんの著作は今の私には難しい感じがしますが機会があったら読んでみます。
699神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 22:08:16.82 ID:x2oANOWD
いつもお世話になります。
縁起について質問させてください。
公式1:これ生ずるとき、かれ生ず
公式2:これ滅するとき、かれ滅す

公式1は、「私達はかように苦しんでいる」という、苦を自覚させる教え、
公式2は、「私達はかように解脱する」という、苦の解決があるという教え、
という理解でよろしいでしょうか。ここから、さらに、不生について質問させてください。

不生とは、誤解を恐れずに、誤解を恐れずに言えば、このようなことでしょうか。
縁起の道理を知り、12因縁を滅した者は、再び、(公式1に説かれる)"生"を捉えない。
その生を捉えないものは(公式2に説かれる)"滅"を捉えない。つまり、その人に生が訪れないということでしょうか。
「〜者は"生"を(六根で)捉えない」という言い方もまだ甘い?とすれば、これは次のように言い換えられますか。
「六識が滅するとき、"生"が滅する、"生"が滅するとき、"滅"が滅する…」というように…。

そしてこれは、石飛先生の『竜樹』48頁、中論頌18.9に説かれる、「縁起によることはない」
と言う部分に対応すると考えて良いでしょうか。
さらに、ここまでたどり着いた人が語る言葉(法)こそが、
仮設なんでしょうか。
700神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 00:08:31.91 ID:Pj2PW3Th
何もなくなりゃしないのさ
形が変わってゆくだくさ
(大槻ケンヂ)
701天女様の処に逝ってみなイカ?:2012/10/06(土) 03:04:41.02 ID:bH5aSM2C

☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート31
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1336302241/699

699 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/10/05(金) 22:08:16.82 ID:x2oANOWD
不生とは、誤解を恐れずに、誤解を恐れずに言えば、このようなことでしょうか。
縁起の道理を知り、12因縁を滅した者は、再び、(公式1に説かれる)"生"を捉えない。
その生を捉えないものは(公式2に説かれる)"滅"を捉えない。つまり、その人に生が訪れないということでしょうか。
「〜者は"生"を(六根で)捉えない」という言い方もまだ甘い?とすれば、これは次のように言い換えられますか。
「六識が滅するとき、"生"が滅する、"生"が滅するとき、"滅"が滅する…」というように…。

そしてこれは、石飛先生の『竜樹』48頁、中論頌18.9に説かれる、「縁起によることはない」
と言う部分に対応すると考えて良いでしょうか。
さらに、ここまでたどり着いた人が語る言葉(法)こそが、
仮設なんでしょうか。
702神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 03:10:34.00 ID:bH5aSM2C

>>699 さんへ

 ↓ こちらへどうぞ

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1338854916/764
宗教と精神疾患2
703神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 03:29:44.09 ID:bH5aSM2C

>>699 さんへ

 ↓ 追加です

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1338854916/766
宗教と精神疾患2
704神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 03:53:54.75 ID:qIzhp88P
法相宗について教えて下さい。
東日本で法相宗の寺院を検索すると
東京の薬師寺別院・茨城の潮音寺・長野の聖光寺の
三寺があるようですが、現在のこの三ヶ所だけなのでしょうか?
関東や東北で法相宗、又は法相宗から別の宗派に変わった寺院を探しています。
705神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 12:05:27.91 ID:wraekWWA
>>699
核心的ですね。難しい。此縁性はそうともいえると思います。順縁と逆縁ですね。
順縁が流転門の輪廻。逆縁が還滅門の縁起観で寂滅に至る道ですね。

ただ此縁性は重層的に色々なことを示せるので、この意味だけに限定されるのではないと思います。

 不生は『智光明荘厳経』に次のように説かれます。

>  文殊よ! 不生不滅な時、意心識は働かない。そこに何の分別もな
> い。そ(分別)の妄想で理に適わぬ意識(不如理作意)も働かない。理に
> 適った意識(如理作意)を働かすことに努める者。彼は無明を起こさない。
> 無明を起こさないから、有の十二縁起が起きない。有の十二縁起が起き
> ないこと。それが不生です。文殊よ! 何か不生なこと。それは無欠で
> す。何か無欠なこと。それは了義です。何か了義なこと。それは勝義です。
> 何か勝義なこと。それは無人格な(無我の)対象です。何か無人格な対象。
> それは言い表せない対象です。何か言い表せない対象、それは縁起です。
> 何か縁起の対象。それは法の対象です。何か法の対象。それは如来の
> 対象です。だから「誰か縁起を見る者は法を見る。誰か法を見る者は
> 如来を見る」と言われます。つまり、どのように探求しても観られない。
> そのように観るのです。文殊よ! そこで「何も」とは何かというなら、
> つまり、心と知覚対象[を何も]です。彼が心も知覚対象[を何]も観な
> い時、正しく観るのです。以上のようにそれら諸法を如来が平等性か
> ら同一だと正しく悟るのです。

 つまり、不生は戯論寂滅の境地を表す言葉と考えます。
だからこそ、『宝行王正論』に「大乗では不生と教え、他は滅と空性を教える。滅と不生は意味として同じ」と説くと考えます。
 般若経のxはxでない、だからxという表現もそのようなものと考えます。
706神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 12:08:05.25 ID:wraekWWA
 xとして言い習わしに沿って記号づけられ、ラベリングされて、表象されることを仮設といいます。
 まったくの世俗の諸言語ゲームであって、必ずしも聖者のみものでなく、世間のだれもが依るものです。
 以下『大智度論』の三種の「世間の言葉」がぴったりです。聖者は仮設と観る。半端な聖者は有身見も観る。凡夫はさらに実在も観る。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/32.html

中論頌18.9の「他に依らない」は『カーティヤーヤナへの教戒』で、

>  この世間の多くは有ることと無いことに依っています。カーティヤー
> ヤナよ! この世間の執着や接触の繋縛は有ることと無いことに依っ
> ています。もし、これら執着や接触に心を置き耽溺し流されず、執らず、
> 置かず、耽溺せず「私、私の」と「この生じている苦が生じ、滅して
> いる苦は滅する」と。この世で、もし惑わず、疑わなければ、正に他
> に依らない智がここにある。カーティヤーヤナよ! このようなもの(他
> に依らない智)が正見です。このように教える如来は正見を教える。そ
> れは何故か? カーティヤーヤナよ! 世間の集起(これ有らばこれ有り)
> をあるがままに正しい般若で見たこと。それは世間で「無いということ」
> ではありません。世間の消滅(これ無くばこれ無し)をあるがままに正し
> い般若で見たこと。それは世間で「有るということ」ではありません。
> というこれら二つの辺を歩まず、中道によって如来は法を説くのです。

と説かれれることなどに基いていると思われますので、そう考えてもいいかもしれません。
諸註は、他の教えによらない直接体験、直接知覚と解釈していて、それは上の不生、
戯論寂滅の境地と思われます。

つまり、有無という言い習わしに依る世俗の諸言語ゲームと
それによらない戯論寂滅の境地と考えます。
707神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 13:51:40.04 ID:zPNsgKEh
>>696
龍樹の段階では中国の名家やギリシャのソフィストのような詭弁に近いですが
後世にはインド論理学はギリシャレベルに発達しますので
後期インド大乗仏教(瑜伽行中観派)とそれを移植したチベット仏教では
中観のレトリックも十分論理的になります。
708神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 14:18:41.23 ID:MNLXrFic
>>707
いや〜、誤解でしょう。

ゲルクの中観は、中観からの逸脱にほかならないし、
龍樹菩薩を詭弁に近いと考えていては、分かっていないと告白するようなもの。

中観は論証したら、中観じゃないんです、だからこそ月称菩薩は清弁菩薩を批判した。


709神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 15:10:46.37 ID:kiUpDzEH
以前NHKの番組でダンマパダ特集をやってるのに興味を持って今更ながら
読ませて貰ったのですが、かなり「自己」に対する言及が多くないですか?
スッタニパータにも「自灯明法灯明」の「自州」と取れる部分が所どころにあり
ましたが、ダンマパダはその比ではないです。ブッダは、ほんとに無我を説いたのでしょうか?
710神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 15:40:10.38 ID:MNLXrFic
>>709
無我じゃなく非我という意見もありますが、無我を説かれていますよ。
そこでいう「自己」というのは世間の言い習わしに沿ったものです。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/31.html

言い習わしにそって「自己」というのは上のようにその場限りの無常で虚妄で無我なものです。

以下の『大智度論』のように凡夫は世間で言い習わされる記号としての「自己」を実在と見ますが、完全な聖者はそれを単なる記号としか見ません。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/32.html

こういう意味で本来無我を直接知覚している聖者も世間的言い習わしの記号として「自己」とか「私」「我」などという言葉は使います。

しかし、それは実体のない無我なものと直接知覚しているということができるでしょう。
711神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 16:00:05.12 ID:kiUpDzEH
>>710
長くなるようなら議論スレに移動します。
私は難しいことはよくわかりませんが「自己」が記号にすぎないと言うのはその通りだと思います。ただそれは、ブッダだけに限ったことではないですし、非我と矛盾しないと思います。
そこのサイトを読む限り、中論や大智度論をあげていますね。ブッダの直接の言葉(と言われているもの)だけでは、完璧に(非我を否定し)無我を説いたと論証することはできないのですか?
712神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 16:43:56.50 ID:MNLXrFic
>>711
意味的には無我です。そのスッタニパータも相応部の『無我相経』 などもすです。
ですが形式的にはできません。パーリ・ニカーヤでは形式的に非我だからです。
無我は恐らく龍樹菩薩以降です。以下のように
http://www.amazon.co.jp/gp/forum/cd/discussion.html/ref=cm_cd_dp_ef_tft_tp?ie=UTF8&asin=4804612858&cdForum=FxWV1FUKIL37CX&cdThread=Tx32FF2JPSUCN1F

もし、続くようでしたら議論スレにお願いします。
713神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 20:22:10.54 ID:FCIQ4IUj
>パーリ・ニカーヤでは形式的に非我だからです。
>無我は恐らく龍樹菩薩以降です。

>パーリ・ニカーヤでは形式的に非我だからです。
>無我は恐らく龍樹菩薩以降です。

>パーリ・ニカーヤでは形式的に非我だからです。
>無我は恐らく龍樹菩薩以降です。

……なら非我で良いんじゃないの?
無理やり「意味的には無我です」とか言って
後世の大乗仏教徒の解釈で汚染する必要は無い。
714神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 20:32:01.76 ID:MNLXrFic
>>713
そういってもテーラワーダも今は全て無我だよ。

『清浄道論』とか完全無我。

非我とか騒いでるのは、文献学者だけ。
715神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 20:33:43.06 ID:FCIQ4IUj
>ゲルクの中観は、中観からの逸脱にほかならないし、
ツォンパカやダライ・ラマは間違っているのですね?

>龍樹菩薩を詭弁に近いと考えていては、分かっていないと告白するようなもの。
桂紹隆さんなんかは「詭弁に近い」ではなく「詭弁」を使っていると考えているようですが。
ちなみに私もそう思います。
716神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 20:36:05.86 ID:FCIQ4IUj
>そういってもテーラワーダも今は全て無我だよ。
「今は」ね。

>『清浄道論』とか完全無我。
所詮、現代テーラワーダも『清浄道論』も、
大乗以後の産物ですから。
717神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 20:47:32.21 ID:MNLXrFic
>>715

>ツォンパカやダライ・ラマは間違っているのですね?

 間違っているのではなく、方便だと思います。
 ジェ・リンポチェの中観は、明らかに『入中論自註』で否定されているものです。
 ジェ・リンポチェは月称菩薩に従っているように書いていますが、月称菩薩の敷衍解釈であるジャヤーナンダを否定することで間接的に否定して読み替えていることは確かなことです。

>>龍樹菩薩を詭弁に近いと考えていては、分かっていないと告白するようなもの。
>桂紹隆さんなんかは「詭弁に近い」ではなく「詭弁」を使っていると考えているようですが。
>ちなみに私もそう思います。

 それは桂さんの誤解でしょう。なぜなら、西洋論理学の同一律などを基盤に考えているからでしょう。論理学者のプリースト、仏教学者ガーフィールドと非古典論理として捉えようとしてますが間違った方向でしょう。

 それより、ティレマンスやマティラルのように論理的に捉えようとする方向が正しように思います。

 そういえばティレマンスは、ツォンカパの四句分別解釈は様相論理への変換とし、それはエレガントでないと述べていますが、これが正に方便です。
 凡人でも扱える論理に書き換えて教えられたと考えます。なぜなら、禅定に入れない人に本物の中観を説いても意味がないからです。
718神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 20:48:45.88 ID:MNLXrFic
>>716
そう、だから >>712と書いてますよ。
719神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 20:58:35.11 ID:MNLXrFic
>>715
そうそう、続けるなら議論スレにお願いします。
720神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 02:03:22.81 ID:ZkmCrRDu
仏教をやってて、いつのまにか無我や非我や空などについての議論に興味がなくなった。
怒りや欲などの煩悩にとりくむことに興味が移ってきた。
そっちのほうが問題が具体的で面白い気がする。
721暇人:2012/10/08(月) 05:46:04.51 ID:l1X4ElHU
>>709
自分がないという意味での「無我」を仏教は説きません。
自分のモノではないという意味で「無我」を説き、
誤解を避けるために仏教学者は「非我」という訳を近年提出しました。

ラベリング云々は詭弁ですので惑わされないようにされてください。
722大滝秀治:2012/10/08(月) 08:33:47.55 ID:UrA2gvS8
>>721
>自分がないという意味での「無我」を仏教は説きません。

→中論18-6,18-7,18-8
920 :大滝秀治:2012/10/07(日) 23:15:21.33 ID:6Um4R3OG
無我と非我は、どちらなのか?ではなく、言語表現であることをふまえて(中論24-10)<相の違い>だ。

こんな簡単なことでさえも、古代人のコピー至上主義者には掴めない。
もう散々書いてきたから、説明しない。
あらよっ!

縁起の直接現実(あるがまま)をベースにして、存在は二相にて掴み得る。

◎間接現実<分別知覚・記憶・判断の二項相対を通す> *世俗←分別相

@一切内   ・時間: 一切行無常(有⇔無の相対無)      空間: 一切法無我(有⇔無の相対無)★←無我(なし)
 
A一切外    無記

B間接現実からの直接現実の隔靴掻痒の示唆: 間接否定形式(四句第4:直指肯定不可)
 非有非無    非無常非恒常  不生不滅、 不一不異、     非無我非有我★★←非我(〜でない)
*言語表記では、 <非(不)〇〇非(不)▲▲>という間接形式が直接現実を示唆できる限界。

◎直接現実<無分別智直接智覚による縁起の現(あるがまま)観> *勝義←無分別相

・〇〇〇〇〇  ⇒    (メタ空白)       ←あえて空(知・不知も、沈黙・発言も不可:平常(無分別)心是道:あるがまま)
・無意味・無価値・無矛盾・無実体・無相・無分別の空=中道=時空際断(間接現実の空間・時間の“際”そのものが断たれている)
723神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 08:47:47.33 ID:cuD5dxIN
>>721-722
議論スレでやってね〜
724暇人:2012/10/08(月) 08:57:56.40 ID:l1X4ElHU
>>723
>>721は議論などしていない。
725神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 11:00:36.15 ID:evRCAeSP
udanavarga26.21に詳しい解説をつけてるサイトや本ってありますか?
英語でもいいです。
726神も仏も名無しさん:2012/10/09(火) 23:15:41.34 ID:nMMSkNQq
>>725
26-21ってベルンハルトの番号でええん?
そうならばギルギット写本断片から相当箇所が回収されたとかで佛教大学の松田和信が論文書いてるよ。
その箇所のチベット注釈は誰かがフランス語訳してたと思うけどでてこえねえや、探したら何かでてくるとおもう。
あと、瑜伽師地論本地分での教證がその箇所と一致してるってハンブルグ大学のシュミットハウゼンが指摘していたと思う。
何れも論文のタイトルは思い出せなかったから適当に名前で調べてみて
727神も仏も名無しさん:2012/10/10(水) 01:03:54.63 ID:1uzydOUi
>>726
どうも
728神も仏も名無しさん:2012/10/10(水) 23:01:05.78 ID:/i35mW5n
>>725
Untersuchungen zum Udānavarga : unter Berücksichtigung mittelindischer Parallelen und eines tibetischen Kommentars / von Michael Balk, Marburg : Indica et Tibetica , 2011

という註チベット訳の出版もあります。手元にないので該当箇所も含むかわかりません。

729神も仏も名無しさん:2012/10/11(木) 05:16:14.39 ID:AQ/EbBwp

http://archives.bukkyo-u.ac.jp/infolib/user_contents/repository_txt_pdfs/bukkyo95/BR095L017.pdf
佛教大学仏教学部論集第95号(2011年3月)
ウダーナヴァルガのギルギット写本
松田和信

udana-B (prose) Udanavarga 26.21,Pali Udana VIII.3 (prose)

比丘たちよ
生じたのではないもの、現れたのではないもの、作られたのではないもの、形成されたのではないもの、生起したのではないものがある
〔さらに一方〕生じたもの、現れたもの、作られたもの、形成されたもの、起こったもの、縁起したものがある

比丘たちよ
もし生じたのではないもの、現れたのではないもの、作られたのではないもの、形成されたのではないもの、生起したのではないものがないならば
『生じたもの、現れたもの、作られたもの、形成されたもの、起こったもの、縁起したものを離れること(出離)がある』と私は説かないであろう

ところが比丘たちよ
生じたのではないもの、現れたのではないもの、作られたのではないもの、形成されたのではないもの、生起したのではないものがあるから
だから『生じたもの、現れたもの、作られたもの、形成されたもの、起こったもの、縁起したものを離れることがある』と私は説く
730神も仏も名無しさん:2012/10/11(木) 15:28:10.67 ID:pbMkB5NY
>比丘たちよ、
>生じたのではないもの、現れたのではないもの、作られたのではないもの、形成されたのではないもの(生起したのではないもの)がある。
>〔さらに一方〕生じたもの、現れたもの、作られたもの、形成されたもの、(起こったもの、)縁起したものがある。

空覚えだけどこれらと似たような箇所は、「サンユッタ・ニカーヤ」にもあるよね。
これがアートマンの事を言ってるとは、断言できないけど、縁起しないものがあるから縁起したものがあると言ってるよね。

つまり、釈尊は縁起するもの(空)で無いものがあると言ってることにならないか?
731神も仏も名無しさん:2012/10/11(木) 15:53:05.82 ID:AQ/EbBwp

 ↑ 「涅槃に至って縁起したものを離れた」 と言う意味であるとか?
732神も仏も名無しさん:2012/10/11(木) 18:23:24.65 ID:3j+VR9ZE
>>730
その通り。
それが「涅槃」です。

ただ、「涅槃」は、モノ(物、者)ではありませんし、
≪「常に」「どこかに」「或る」ある≫という意味での「ある」でもありません。
「あり得るもの」としての「ある」であるだけです。
733神も仏も名無しさん:2012/10/11(木) 18:33:12.45 ID:AQ/EbBwp

モノ(物、者)が「ある」とか「ない」とか

と言う事に、こだわるな、そこのところに固執するな

と言うような意味で良いのかしら?
734神も仏も名無しさん:2012/10/12(金) 04:18:20.45 ID:LEyqjP8W
インド行った中国僧って言うと玄奘ばっか採り上げられるのは何でだろう
その何百年も前の法顕の方がすごくね?
西遊記の知名度のおかげか?
735神も仏も名無しさん:2012/10/12(金) 04:45:02.89 ID:yNMWvxsW

西遊記の知名度と、そして更に

玄奘の場合は

法相宗の所依経典・論が唯識派で

唯識派が、ある程度の支持を得る事が出来たからとか?
736神も仏も名無しさん:2012/10/12(金) 05:16:12.46 ID:ToeCFdZm
>>734
翻訳・著述資料の豊潤さと、上の方が書いているように法相宗という宗派を形成したことが主たる要因でしょう
737神も仏も名無しさん:2012/10/12(金) 05:42:59.81 ID:LEyqjP8W
なるほど
738神も仏も名無しさん:2012/10/12(金) 08:05:18.66 ID:yNMWvxsW

(勘違いするといけないので一応、念の為に)

唯識(ゆいしき)は

論としては弥勒(マイトレーヤ)を発祥として

無著(アサンガ)と世親(ヴァスバンドゥ)の兄弟によって大成されたらしい
739神も仏も名無しさん:2012/10/13(土) 01:05:47.18 ID:N7PSlDde
ダライ・ラマをはじめチベット仏教の高僧の選出の仕方は
明らかに、輪廻を前提としていますよね。これはつまり
高僧は永遠(?)に解脱できないということなのでしょうか?
菩薩的な意味で
740神も仏も名無しさん:2012/10/13(土) 01:32:30.30 ID:s/DK+utv
輪廻は嫌でも勝手に生まれ変わる事だが、
ダライ・ラマ法王をはじめいわゆる転生者は、自らの意思で再びこの世に留まると誓願したので、輪廻とは異なりますよ
741神も仏も名無しさん:2012/10/13(土) 01:59:02.70 ID:sQfsy6es
>>739
たしかに凡夫を抜済するために悪趣に趣き続けるってのは
建前が違うだけで実質的には輪廻しつづけるってことと同一だよな。
こんな事を考えるのは戯論にすぎねえがダライラマ転生の構造ってのは
法身が別のどこぞにいて応化身として現世に仮具してるにすぎねえのかな
それとも本体自体が望んで輪廻してんのかな
はたまたそれがダルマターにすぎねえのかな
742神も仏も名無しさん:2012/10/13(土) 02:30:37.95 ID:E0KTb2Mx
>>741
誓願して化身してるのを普賢行とか無住処涅槃といいます。

誓願、誓い望むことで、その願いの力でそうなっています。
743神も仏も名無しさん:2012/10/14(日) 22:35:54.31 ID:yPoW/yyp
>>705
>>706
丁寧なお返事、ありがとうございました。
読んでみましたところ、自分のイメージがそんなに間違っていなさそうなので、大丈夫だと思います…たぶん。

ところで、唯識、阿頼耶識について質問なのですが、
wikipediaに「万有は阿頼耶識より縁起したもの」とか「悟りの諸法も阿頼耶識によって成立する」とありますが、
諸法も悟りも、根本には無明・煩悩が因としてあるのではないのですか?

また、薫習・現行・種子などを含めても、まるで輪廻や業報を実有として、哲学や科学のように
研究しているように見えなくもないのですが、これは善業に務めさせるための方便として説かれたのでしょうか。
744神も仏も名無しさん:2012/10/14(日) 22:48:42.66 ID:Ckpo9tl5
>>743
>また、薫習・現行・種子などを含めても、まるで輪廻や業報を実有として、哲学や科学のように
>研究しているように見えなくもないのですが、これは善業に務めさせるための方便として説かれたのでしょうか。

唯識は方便というのは間違いないと思います。

745神も仏も名無しさん:2012/10/15(月) 08:39:44.64 ID:PSmkEpWy

(「理論の為の理論である」と勘違いするといけないので一応、念の為に)

瑜伽行唯識(ゆがぎょうゆいしき)

瑜伽(ヨーガ)の実践の中に唯識の体験を得、教理にまとめた

とりあえず心(識)は仮に存在すると考え(仮設して)

深層意識の阿頼耶識が

自分の意識も

外界にあると認識されるものも生み出していると考え(唯識無境)

最終的には

瑜伽(ヨーガ)の実践など(滅尽定など)によって

阿羅耶識もまた空であるとする(境識倶泯)
746大滝秀治 :2012/10/15(月) 10:04:40.11 ID:q+RFn4b/
>>730
>釈尊は縁起するもの(空)で無いものがあると言ってることにならないか?

いいえ、そういうことではありません。
分別・無分別と言語表記の問題です。
仏法の基盤はあくまで『縁起の直接現実』であり、これの直覚を「縁起の現観」(悟り)といいます。

(1)世俗に於ける勝義示唆⇒(空・中道)は無分別(無矛盾)ですから、言語表記(分別)できません。
    世俗(分別)で表すなら不<(非)〇 不(非)△>と言う両極否定間接形式(四句第4)が限度です。
    それが上記ウダーナ8-3の<生じたのではないもの><(滅したものでないもの)>=不生不滅です。

(2)一方、世俗の一切内では二項相対分別で、【生じたもの⇔生じたものでないもの、滅するもの⇔滅したものでないもの】と表現できます。

勝義示唆の<生じたものでないもの>(無分別示唆)と、世俗の【生じたものでないもの】(分別)は異なります。

ゆえに、ウダーナ8-3は
世俗の【生じたものでないもの】(分別)という戯論を寂滅(出離)することによって、
<生じたものでないもの>(無分別示唆)⇒縁起の直接現実の無分別智による直覚=悟り=大覚成就がある、と言っているのです。

ウダーナ8-3は浅学者には誤解されやすいところですが、
(直接)縁起撥無は仏法ではありません。

涅槃はあくまで悟りによってもたらせる慶安の<境地>です。
ウダーナ8-1がそれです。
典型的な間接否定形式による縁起の直接現実の表現(1)です。
747神も仏も名無しさん:2012/10/15(月) 10:09:16.45 ID:H3dblq+S
>>746
この方の言うことは伝統仏教ではなく独自の考えです。
748神も仏も名無しさん:2012/10/15(月) 10:38:03.71 ID:B93ZjoTN
>>747
あまり権威主義的にならない方がいいよ。
749神も仏も名無しさん:2012/10/15(月) 10:49:56.19 ID:H3dblq+S
>>748
権威主義ではないよ。

ただ、君みたいに思い込みで語るのは違うと言ってるだけ

なんでわからないかなあ

まるで碁を将棋やチェスの体験から語ってるようなもん
750神も仏も名無しさん:2012/10/15(月) 11:20:11.13 ID:B93ZjoTN
>>749
違うよ。見たり聞いたり味わったりすることが体験であり、
その体験を話している。何かを想像して、それを事実だと思い込んで
話しているわけではない。他人が信じるかどうかは別の話。
751神も仏も名無しさん:2012/10/15(月) 11:26:29.66 ID:z0kNP7EL
ここは「仏法質問箱」ではなく、あくまで「仏教質問箱」です。
閻魔さんはここでは自重なさってください。

伝統仏教側の作法や教え以外の知識は、文献学・歴史学の紹介に留めるべきだと思います。
752神も仏も名無しさん:2012/10/15(月) 13:09:48.40 ID:H3dblq+S
>>750
しょうがないな。質問スレでヌーエイジ語りはやめてくれよ。

議論スレならまあ、何いってもいいけど。

もともと、隔離スレなんで
753神も仏も名無しさん:2012/10/15(月) 16:53:04.25 ID:XXa7+43e
>>744
>>745
なるほど、疑問が消えました、ありがとうございます。
754神も仏も名無しさん:2012/10/16(火) 00:14:57.32 ID:mAQBYLnN
仏教では、何をしたら解脱なのでしょうか?
具体的な基準はあるのですか。
755神も仏も名無しさん:2012/10/16(火) 00:38:41.12 ID:4ypdgXIA
>>754 煩悩(有身見・戒禁取・疑・欲貪・瞋恚・色貪・無色貪・掉挙・慢・無明)
がなくなったら解脱です。
仏教の目的は悩み苦しみをなくすことであり、悩み苦しみの原因は煩悩なので、
煩悩がなくなれば悩み苦しみがなくなります。
756神も仏も名無しさん:2012/10/16(火) 06:51:30.16 ID:b47eQLiT

> 仏教では、何をしたら解脱なのでしょうか?
  _  _  _

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E9%82%A3%E8%AD%98

末那識(まなしき)
この識は常に第八識の見分を縁じて、我である、法である、と思量する
睡眠中でも深層において働き続け
根源的な心である阿頼耶識を対象として
それを自分であると考えて執着し続ける
この深層的な自我心を滅することによって
我々は初めて真の無我行を実践することができる
  _  _  _

深層的な自我心を滅する為の滅尽定について

http://www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/kenkyu1/fl-shokibukyo/shoki-soujumetu.htm

http://home.e01.itscom.net/panna/jissen4/040jissen4.html

http://home.e01.itscom.net/panna/jissen2/047jissen2.html
757神も仏も名無しさん:2012/10/16(火) 07:48:14.65 ID:SdUw/pis
死んだらどうなりますか?
758神も仏も名無しさん:2012/10/16(火) 08:32:35.59 ID:CLwdpNOv
>>757
中有身という微細な身体が分離します。アストラルボディみたいなもの。
たいへん早く動けます。人間の男女が性交しているのを見て欲情すると
また人間に転生します。これらの発想は今日いう臨死体験がもとに
なっているのでしょう。チベットには臨死体験の文学というものがあります。
でもほんとうは六師のアジタの説が正しいので、死ねば涅槃なのです。
759神も仏も名無しさん:2012/10/16(火) 09:22:04.57 ID:b47eQLiT

> 死んだらどうなりますか?

http://reigaku.jugem.jp/?eid=424

瑜伽師地論(ゆがしじろん)の場合は
  _  _  _

我愛と、戯論(けろん)と、善業悪業などによって
中有が形成される

その中有が次に生まれるべき処を求めて母体に入り
ここで男性の精子と女性の卵子が結合するときに
中有は滅すると同時に生有が生じ
一切種子たる阿頼耶識(あらやしき)がこれに結合して
精子は成長して胎児を形成し出生に至る
760神も仏も名無しさん:2012/10/16(火) 22:18:06.92 ID:SdUw/pis
自我は幻なんですか?
自我=意識じゃないんですか?
761神も仏も名無しさん:2012/10/17(水) 00:39:08.76 ID:bGkWpO7p

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%91

我(が、われ)とは、バラモン教(のちヒンドゥー教)及び仏教上の概念。アートマン(梵我)
仏教ではその教義的立場から
我というものに関して、実我(じつが)、仮我(けが)、真我(しんが)という区別を説いている
このうち、「実我」(aatman)については
仏教はこれを否認して無我(anaatman)といい、非我(niraatman)という

ウパニシャッド
このような「実我」は仏教以前のウパニシャッド哲学で力説され
一方に「ブラフマン」(梵、braahman)との相即がいわれた。(梵我一如)

五蘊仮和合
仏教では、ここで説かれるような実我を常一主宰と規定付けた
すなわち、我は、常住であり
他との何らの関係をもたないで単独で存在することができるものと考え
それは働きのうえで自由自在の力をもつとした
この我によって人間生存は根拠付けられ、支配されていると考えるのである

これに対して

釈迦はこのような実我観念を批判し
「我として認められるものはない」として、諸法無我と説いた
これを色受想行識の五蘊について説き
人間生存は無我である五蘊の仮和合したものであるから仮りの存在であると説いた
762神も仏も名無しさん:2012/10/17(水) 00:51:49.32 ID:bGkWpO7p

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%98%8A

「蘊(うん)」とは集まりの意味で
五蘊とは人間の肉体と精神を五つの集まりに分けて示したものである

この五蘊が集合して仮設されたものが人間であるとして
五蘊仮和合(ごうんけわごう)と説く

これによって五蘊(=人間)の無我を表そうとした

五蘊
1.色蘊(しきうん) - 人間の肉体を意味したが、後にはすべての物質も含んで言われるようになった
2.受蘊(じゅうん、vedanaa) - 感受作用
3.想蘊(そううん、saMjJaa) - 表象作用
4.行蘊(ぎょううん、saMskaara) - 意志作用
5.識蘊(しきうん、vijJaana) - 認識作用
763神も仏も名無しさん:2012/10/17(水) 03:41:25.78 ID:qAXlEqkX
八千頌般若経を初め膨大な般若経は、阿含経など初期の仏教とは、思想など色々な所が大きく違うと聞きました。
どういう経緯で般若経は、作られたのでしょうか?
764神も仏も名無しさん:2012/10/17(水) 04:12:19.71 ID:bGkWpO7p

http://blogs.yahoo.co.jp/umayado0409/40067873.html

般若経の内容

「般若波羅蜜」とは
一言で言うならば「智慧の完成」であり、それは空の体得によって得られという

部派仏教とくに説一切有部の構築したモノの存在が実在しているという説を強く批判し
その固定的なありかたに対して厳しい否定を投げかける

またその実践を、まったく新しい視点から
現実の日常世界に他者と共に活躍する大乗の菩薩が果たす

この菩薩は必ず仏のさとりを目ざし、かつ衆生の教化に勤めようとの発願から出発する
これを発菩提心といい、以後ついに挫けることなく、終わりのない実践に精進する
765神も仏も名無しさん:2012/10/17(水) 12:33:59.99 ID:1zccjR48
ジョセフ・ペアレントの『禅ゴルフ』はどの程度、禅の教えに則っているのでしょうか?
766神も仏も名無しさん:2012/10/18(木) 11:44:31.72 ID:mV8V7QPU
鈴木大拙の即非の論理って、簡単にいうとどういう事ですか?
767神も仏も名無しさん:2012/10/18(木) 13:29:19.60 ID:M+GDZa4E
>766
A is not A,therefore it is A.
(A is not A,therefore it is called A.)
768神も仏も名無しさん:2012/10/19(金) 06:42:24.85 ID:F0fVday5

>>767

日本語で、お願いします
769神も仏も名無しさん:2012/10/19(金) 09:04:51.99 ID:6hK/9E1M
>>768
別人だけど、xは非x。だからxという金剛般若経の言葉。

『日本的霊性』岩波文庫56で「般若の即非観」
138で「否定即肯定、肯定即否定という矛盾の論理」と説いていること。

だけど、鈴木大拙のこの読みは般若を誤解していると思う。
770神も仏も名無しさん:2012/10/19(金) 10:02:03.05 ID:LemLel8A
どうしてでしょうか?
771神も仏も名無しさん:2012/10/19(金) 10:19:12.56 ID:6hK/9E1M
>>770
伝統仏教の見方と違って神秘主義になっていると思われるからです。

詳しくは『入中論自註』を読まれると分かるかもしれません。
772大滝秀治:2012/10/19(金) 10:42:50.36 ID:Vw/HIrax
>>769
>鈴木大拙のこの読みは般若を誤解していると思う。

同意です。西田幾多郎もおなじです。

資料として、金剛般若経の代表例を提示します。

世尊                     世尊よ。
如来所説三千大千世界即非世界         如来が説きたもう所の三千大千世界は、すなわち世界に非ず。
是名世界                   これを世界と名づくるなり。
何以故                    何を以ての故に。
若世界実有者即是一合相            もし、世界、実に有るならば、すなわち、これ、一合相にして
如来説一合相即非一合相            如来は「一合相は、すなわち、一合相に非ず」と説かれたればなり。
是名一合相                  これを一合相と名づくるなり。                  
須菩提                    須菩提よ、
一合相者即是不可説              一合相は、すなわち、これ、説くべからず。
但凡夫之人貪著其事              ただし、凡夫の人は、その事に貪著するなり。

(金剛般若波羅蜜経一合理相分第三十)



773神も仏も名無しさん:2012/10/19(金) 10:56:01.69 ID:F0fVday5

>>772 大滝秀治さんへ

如来が説きたもう所の三千大千世界と

凡夫の人が貪著している、この世界は異なる

と言う意味で良いんですか?

現代語訳的な説明で、お願いします
774大滝秀治:2012/10/19(金) 11:27:38.77 ID:Vw/HIrax

『閻魔さんはここでは自重なさってください。』(>>751)とのことなので、

 いまのところ資料の提示にとどめます。

 だれか、ちゃんと質問者に「理解」できるように「説明」したってや。

 これができると思うこと自体が痛すぎるのだがw

 だから鈴木とか西田はアカンのや。
775神も仏も名無しさん:2012/10/19(金) 11:43:00.70 ID:F0fVday5

>>774 大滝秀治さんへ

773 ID:F0fVday5 です

議論スレで、お待ちしてますので

よろしく、お願い致します
776神も仏も名無しさん:2012/10/20(土) 00:25:01.20 ID:o+AqhE96
説一切有部について勉強したいのですが
手頃な本などありましたら教えて下さい
特に世友尊者に関するものであると嬉しいです
777神も仏も名無しさん:2012/10/20(土) 06:26:55.86 ID:30QKqW1l
>>776
梵語仏典の研究論書篇、Potter/Encyclopedia of Indian Philosophy を見て。
とりあえず木村泰賢『阿毘達磨論の研究』と今西順吉の品類足論関係のものは見た方がいいんじゃないかと
778神も仏も名無しさん:2012/10/21(日) 02:40:05.38 ID:dAw2tld3
>>777
ありがとうございます。PotterってKarl H. Potter のことでいいですよね。
上記の2つは、どれも絶版だったり高価ですね
図書館で探すにしても特に後者は、(ry まあ、探してみます。
779神も仏も名無しさん:2012/10/21(日) 13:04:13.41 ID:JmCJN9H7
>>776
有部で世友ピンポイントってまた渋いチョイスだね。
ちなみに有部の世友って複数確認できるけど、どいつ目当て?
どの世友をやるのか、思想をやるのか特定のテキストを中心に取り組みたいのかでまた変わってくると思うんだけど。
なんにせよ有部をやるなら
概説書>(入阿毘逹磨論>)倶舎論>婆沙論
って勉強するといいと思う。

有部の法相をやるなら何をやるにしても倶舎論中心に取り組む必要があるとおもう。
梵蔵漢とそろってて称友注と共に全品(世間だけは蔵だけど)全訳されてるしね。
入阿毘逹磨論は有部じゃないっぽいけど倶舎論の概要書としてはかなり良い代物だから倶舎論の足がかりにはオススメだよ。

概説書は
桜部の存在の分析から入って、
併用して倶舎大網か倶舎概説か船橋の倶舎論講義、桜部の仏典解説倶舎論のいずれかを読むといいよ。
コスパ的には存在の分析と倶舎概説を併用するのがいいと思う。
倶舎論婆沙論の読み方はどの世友やるのかで方法は変わってくると思う。

安慧注が出てきたり、写本断片がボロボロ出てきたり、蔵にも未訳がいっぱいあって楽しい分野だからがんばってね!

780神も仏も名無しさん:2012/10/21(日) 16:56:09.86 ID:dAw2tld3
>>779
詳しく教えてもらってありがたいです。

>>有部の世友って複数確認できるけど、どいつ目当て?
最近調べ初めたばかりなので、世友尊者はすべて有部の四大論師の一人を意味するのだと思ってました。
別々の人の事を言っているのかも知れませんが、調べしようとしているのは
五位七十五法を唱えた世友尊者。倶舎論で世親菩薩が最善とした時間論を唱えた世友尊者です。
781神も仏も名無しさん:2012/10/21(日) 17:06:25.29 ID:lg27h2t5
782神も仏も名無しさん:2012/10/21(日) 17:16:33.85 ID:dAw2tld3
いろいろ思うところあって、倶舎論関連の本を読んでいる。河村孝照先生の『倶舎概説』のあとがきにこんな一節が。

 古来「アビダルマ」は仏教の基礎学としてきわめて重要視されてきたが、戦後の文化潮流は実証主義を主流として、
文化科学方面では歴史学と文献学の研究に主力が集中され、思想・文化・哲学はきわめて影が薄くなった。だが、
日本文化を尋ねようとすれば仏教研究は避けて通れない。仏教研究に志すとき、このアビダルマを端折れば研究は
堂々めぐりをして埒があかない。そのことから多くは批評論にとどまって自ら新説奇説に翻弄され、苦しい羽目に陥る。(p211)

ゾーッとするほど鋭いじゃないか。そーだ、そーなんだよ。総ルビで読みやすいのはいいけどサンスクリット語との対応が一切スルーだし、
本文の十二因縁の解説など「えーそんなバナナー!」とゆー記述も散見されたりして、とても一般の人に薦められる本ではないが、
あとがきのこの文章に出会えただけでも読んだ甲斐はあった。僕も倶舎論を読むようになって、大乗仏教の人と話しててどーも
噛み合わなかった点がかなり氷解した。そんで唯識ちらっと眺めてからパーリ三蔵の論事(kathaa-vatthu)あたりを参照すっと、
部派仏教がどー脱線したら大乗仏教んとこまでブロークバックマウンテンしちゃうのか、サーッと見取り図が描けた。昔は唯識三年
倶舎八年なんて言ったそうだが、スマナサーラ長老の『ブッダの実践心理学』シリーズ読んでれば、
倶舎論もだいたい三日で早飲み込みできるだろう(漢文嫌いでなければ)と思う。第三巻、はよ出せるように頑張ろうっと。
783神も仏も名無しさん:2012/10/21(日) 17:21:59.82 ID:dAw2tld3
ネットで検索して目に付いたので佐藤哲朗氏のサイトから持ってきました。前半には、同意なのです。でも

>>スマナサーラ長老の『ブッダの実践心理学』シリーズ読んでれば、倶舎論もだいたい三日で早飲み込みできるだろう

幾ら、佐藤氏がテーラワーダよりだからって盛りすぎじゃないですか・・・『ブッダの実践心理学』は、未読なんですが、読んだ方がイイですかね?
784神も仏も名無しさん:2012/10/21(日) 19:11:51.72 ID:JmCJN9H7
>>780
かじる程度に読む予定なら齧っておいて損はないけど、そんなに劇的な本とも自分は思えないかな。
がっつりアビダルマをやるなら浪花宣明『パーリ・アビダンマ思想の研究 無我論の構築』を原典を横において見ていったほうが為にはなるよ。

四大論師の世友であれば、現在だと総括的なテキストおよび研究論文はなかったように思う。
(俺が知らないだけかもしれないが)
だから、これを読んだら劇的に進化できるよ!ってテキストは無いかな。
コツコツと倶舎論と婆沙論を中心に他のテキストと対照しながら進めていくしかないんじゃないかな。
力になれずに申し訳ない。

いずれも手元に資料が無いから曖昧なものになるんだけど、いくつか有益そうな情報だけ提示しておくよ。
すげー批判くらってたけど
Sarvastivada Buddhist Scholasticism (Handbook of Oriental Studies)
で何箇所かbart dessenによって珍説があげられていたとおもう。
法救が雑心論の経序で挙げていた五事論については漢訳が敦煌文書の中から出てきたって話を聞いた。
山田龍城の大乗仏教論序で世友についてまとめていた一節があったように思う。

すでにしってることばかりかもしれないが、少しでも有益になれば幸いです。
785神も仏も名無しさん:2012/10/21(日) 19:13:14.13 ID:JmCJN9H7
訂正
?経序
○帰敬偈
786神も仏も名無しさん:2012/10/21(日) 19:23:17.35 ID:dHwfZ4Gt

沙門果経―仏道を歩む人は瞬時に幸福になる (初期仏教経典解説シリーズ) / アルボムッレ・スマナサーラ / サンガ (2009/05)
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4904507169/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending

アビダンマ講義シリーズ〈第5巻〉業(カルマ)と輪廻の分析―ブッダの実践心理学 / アルボムッレ・スマナサーラ / サンガ (2009/07)
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4904507290/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending

サンガジャパン Vol.9(2012Spring)上座仏教と大乗仏教 / アルボムッレ・スマナサーラ / サンガ (2012/3/22)
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4905425107/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending

↑ カスタマーレビューを、ご確認下さいませ
787神も仏も名無しさん:2012/10/21(日) 21:44:06.94 ID:dAw2tld3
>>779
すみません。倶舎大網と桜部の仏典解説倶舎論が、見つけられないのです。
『倶舎論大網』と『倶舎論 (佛典講座)』のことですか。
前者は、出版社・著者ともに不明ですが。
788神も仏も名無しさん:2012/10/21(日) 22:10:00.81 ID:JmCJN9H7
>>787
申し訳ない。
指摘を受けて資料を参照するに名称が間違いだった。
桜部のは御指摘の通り『倶舎論(仏典講座)』であってます。
倶舎大綱はまったくの勘違いで正確には
高木俊一『倶舎教義』 臨川書店昭和五十二年
の勘違いでした。お手数をかけてしまって申し訳ない。
ちなみに『倶舎論大網』は梶川乾堂の著作で明治四十一年に梶川乾堂から出ているテキスト。
時代を考えれば出来が良いが今から見れば読み違いが多い悪書です。
危ない所でした。ご迷惑をかけています。
また、船橋ってのは 舟橋水哉『倶舎論講義』 名著出版昭和五十一年復刊 です。
何度も申し訳ない。
789神も仏も名無しさん:2012/10/22(月) 00:23:14.43 ID:78saEPa5
グレゴリー・ショペン インドでは四世紀まで大乗経典は制作されても大乗教団は存在しなかった!

これほんとかいな
790神も仏も名無しさん:2012/10/22(月) 13:09:12.00 ID:MvTLjwz2

大乗仏教興起時代 インドの僧院生活 / グレゴリー ショペン / 春秋社 (2000/07)

僧院生活にとって「清貧」は必須か
インドでは四世紀まで大乗経典は制作されても大乗教団は存在しなかった
世界の学界に衝撃を与えた学説の提唱者が当時の多忙で豊かな僧侶の日常を浮き彫りにする
世界最先端の研究成果を日本で初めて公刊

http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4393112024/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending
791神も仏も名無しさん:2012/10/22(月) 14:41:11.67 ID:2HZ1DLbX
インドには大乗の律がなかったのだから、当然、大乗の教団はない。
玄奘や義浄もそのように報告している。
部派の僧の中で菩薩を信仰する者を大乗の徒と呼ぶだけであると。
(末期インド密教は除く)
792神も仏も名無しさん:2012/10/24(水) 16:40:51.32 ID:Ws7mg/xO
最初期の仏教は、倫理的であった、と言うべきである。
つまり「善悪を超え・・・・・・」という般若経的、禅的な表現とは異なったものであったのである。
                                          『神々との対話』中村元P247

ここで言われているように、般若経や禅で「善悪を超え」と書かれている部分を、具体的に幾つか教えてください。
793神も仏も名無しさん:2012/10/24(水) 17:35:40.72 ID:sL36sf3g

般若経の解説
http://www.dia.janis.or.jp/~soga/subindex.html
あなたたちは、これまで(バラモンなどの)善行を積み悪行を避けてきた
今限りそれはやめなさい

善悪 にとらわれている限り、悪行のみならず、善行も悪果をもたらす

慈悲に基づかない善行は慢心を起こすから
あなたたちは、自分が善行をなし、自分が功徳を受けると考える
あなたたちの善行は、あなたたちの我執を更に強くする
慢心は、あなたたちに染みつき、あなたたちを重く固く脆くする
世界とともに踊る日は、ますます遠ざかる
794神も仏も名無しさん:2012/10/25(木) 11:13:23.69 ID:U4GV/Tmi
te
795神も仏も名無しさん:2012/10/28(日) 23:06:34.09 ID:SkNFKZmR
最近独学で、仏教の勉強を初めました。気になった事があるので質問させてもらいます。

『仏教要語の基礎知識』P36に縁覚は仏教以前から存在していたとして
仏の言葉としてある山に、昔500人の独覚が住んでいたとされるとありますが
P37には、仏教の歴史上では、実際には独覚は存在しないとあります。

これは、どういうことなのでしょうか。原始経典には、仏教以前にも、覚者が存在すると
いう仏の言葉が残っているが、仏教では、歴史上そのような覚者は、存在しないと言っていると言うことですか?



796神も仏も名無しさん:2012/10/28(日) 23:11:29.61 ID:zfO7kSUx
>>795
>『仏教要語の基礎知識』P36に縁覚は仏教以前から存在していたとして
>仏の言葉としてある山に、昔500人の独覚が住んでいたとされるとありますが

 上は仏典の伝承・伝説としてで、下は実証史学の立場から歴史学的に確認できないという意味だと思います。

>P37には、仏教の歴史上では、実際には独覚は存在しないとあります。
797神も仏も名無しさん:2012/10/30(火) 02:48:50.75 ID:vVuVc6oD
仏教は決定論なの?
因果や因縁生起で世界のすべての現象が起こるなら、
自由意志のように見えるものもすべて定まってると考えていい?
798神も仏も名無しさん:2012/10/30(火) 04:43:54.06 ID:oFeTOcSf
>>797
仏教では、努力(善行)は無駄ではないと考えます。
また、神様にでもならないかぎり定まっているかどうかがわからないのだから、
気にする必要がありませんしね。
仏教は悩み苦しみを無くしたり制御する道具です。
決定論的に考えたほうが悩みがなくなるなら、そう考えてもいい。
たとえば、誰でもいずれ救われるように仏様のシナリオができている、
と考えたほうが悩み苦しみが少なくなる場合は、そう考えればいいと思います。
799神も仏も名無しさん:2012/11/01(木) 03:00:40.03 ID:AuwqektJ
https://shanti-phula.net/ja/

このサイトの無料配信映像とそこで紹介されてる本を中心に
インド思想を勉強しはじめたんですけど、
竹下さんってどういう方なんですか? 学者さん?

ここで紹介されている宮元啓一って人の本は学問的には正統なもんなんですか?
800神も仏も名無しさん:2012/11/01(木) 16:10:48.93 ID:An1Nlboo
>>799
この人は、学者ではないです。
無料のコンテンツのみでは、判断しかねますが、軸となる本に解説を加えて全体像を説明しているという印象です。
拝見する限り話としては筋が通っているように思います。所々、本人以外賛同者がいないような事も言っているので鵜呑みにはしないほうがいいでしょう。

宮元啓一氏は、正統な学者ですよ。
801神も仏も名無しさん:2012/11/02(金) 02:27:31.51 ID:OW9qw1vY
ご返答ありがとうございます。
有料動画を申し込むかどうするか迷っておりましたが、
ひとまず宮元先生の本を中心に読み進めていこうとおもいます。
802神も仏も名無しさん:2012/11/02(金) 08:10:09.42 ID:gNK3iVZa
賢愚経にも「梵網経」のようにパーリと大乗で同名の経典が二種類あったりしますか?
賢愚経には弥勒菩薩が出る、と検索で出るのですが
ttp://d.hatena.ne.jp/ajita/20091021/p1
こちらでは弥勒が出るパーリ経典は「転輪聖王獅子吼経」だけ、とあるので。
803宝珠愚者@(規制代行):2012/11/02(金) 10:11:39.58 ID:uOuy2K/b
>>799
*竹下雅敏氏
「神智学徒」(本人がこう呼ばれることをどう思うかはわかりませんが)として、
国内で成功を収めている希少な一人です。
インド哲学・宗教や仏教についての知識は並外れたレベルでかなり有益でしょう。
ただ、殆ど新興宗教の教祖化している印象があります。

*宮元啓一氏
本物の一級の学者です。
私は氏の著作は何冊も読んだりしてませんが、確かに勉強になる知的な学者本だとは思う。
仏教についての基本的な概略解説は間違いないと思われますが、
ただ詳細部分においては、かなり個人的な主観で根拠無き勝手な偏見で結論付けることがあり、
その部分で酷評を投げかける人が多そうに思います・・・
(私は、氏の仏典における「神・悪魔」の正体についての結論付けには唖然としました。)。
つまり、初心者に安心して奨められるような部類の著者ではなく、
そういった偏見部分を鵜呑みにせず読み進められる人向けの本でしょう。

参考サイト:『宮元啓一への批評――功罪相半ばす?』
http://reisei.way-nifty.com/spiritsoulbody/2008/06/post_71c0.html
804神も仏も名無しさん:2012/11/02(金) 20:53:14.46 ID:8SJNo9zv
>>803
日本で有名な「神智学徒」って他に誰がいますか?
805神も仏も名無しさん:2012/11/03(土) 22:26:53.54 ID:h3wiGv1N
仏性とは、分かりやすくいうと何ですか?

また、「涅槃経」など初期の大乗で説かれている仏性と
インドではなく中国・日本で生まれたの禅宗などの宗派が言っている
仏性(山月草木悉有仏性など)は、同じものを指しているのですか。
それとも、全く別のものを指しているのでうか?
806神も仏も名無しさん:2012/11/04(日) 00:20:25.54 ID:s53brRM4
>>803

無料サンプル映像しかみてないが、
竹下さんは宮元さんの影響下にある感じ。

宮元さんについての評は、まあ概ね同じかな。
だけど、これは私の説ですってはっきり断って書いてるからそれほど害はないと思うが。
読みやすさは折り紙つき。受験参考書に「実況中継」ってシリーズがあるが
あのレベルのわかりやすさで相当高度なことを語ってる。しかも簡潔にまとめる能力がある。
学者というよりは教師型の知識人なのかな。
807神も仏も名無しさん:2012/11/04(日) 06:13:43.82 ID:4rFuS9Tp
>>805
語弊がある言い方になってしまうが、
わかりやすく言うなれば仏の成分の一つ


初期大乗が説く仏性と中国仏教及び日本仏教での仏性はすこし性質が違う

初期大乗で説かれる仏性は仏になれる種を持ってるよ!
だからみんな修行すれば悟りにはいつか到達できるよ!ってもの
唯識とかの根本になる如来蔵思想ってのと同一と見てもいいとおもう。
(ちなみに大般涅槃経は初期大乗ではなく中期大乗とみられる。初期大乗だと法華経あたりが仏性を主張する)

天台とかが言ってる仏性(山川草木悉有仏性)ってのは先の如来蔵的な悟りになれる可能性をみんな持ってるってモノ
(この山川草木悉有仏性の出典が大般涅槃経、諸説あるが四世紀ぐらいの成立っぽい。)

禅宗などが言ってる仏性はちょっと違うくて
仏が仏である性質って感じで、みんな仏の性質を持ってるから実は仏なんだ!悟ってないのは仏性を持っていると気がついていないからだ!
って感じの本覚思想的な理解。
808神も仏も名無しさん:2012/11/04(日) 15:20:50.19 ID:q1sc/ty5
>>805
仏性とは仏になれる素質のことで、一般には衆生には仏、縁覚、声聞の
三聖果のどれかを得る可能性のある者、どれとも定まらぬ者、どれも得られない者
という種類があるとする。
対して一切の衆生にはすべて成仏の可能性があるとする立場がある。
また非衆生(無心の者、木石)にも仏性があるという説もある。
809神も仏も名無しさん:2012/11/05(月) 14:34:01.63 ID:wKWNadLz
20代でニートをしてます。
仏教のあるがままとはどういうですか?
今の一日中家から出ないで親の扶養でご飯食べてそのままいなさいってことですか?
810神も仏も名無しさん:2012/11/05(月) 17:46:34.09 ID:tadzEJ5Y
>>809
そのまま中年になって、親が寿命で死んでも、あわてず騒がず飢え死にできるのならそれでいいんじゃない?
811神も仏も名無しさん:2012/11/05(月) 21:26:50.66 ID:LJ5lUi9u

スッタニパータ 874
ありのままに想う者でもなく
想いを消滅した者でもない
このように理解した者の形態は消滅する
けだしひろがりの意識は
想いにもとづいて起るからである

スッタニパータ 1115
無所有の成立するもとを知って
すなわち『歓喜は束縛である』ということを知って
それをこのとおりであると知って
それから(出て)それについてしずかに観ずる
安立したそのバラモンには
この < ありのままに知る智 > が存する

スッタニパータ 1119
つねによく気をつけ
自我に固執する見解を打ち破って
世界を空なりと観ぜよ
812宝珠愚者@(規制代行):2012/11/05(月) 23:40:28.95 ID:ydvlkSZG
>>804
まず、頭に浮かぶのは「鈴木大拙」
http://mimizun.com/log/2ch/psy/1347797650/674

ウーム。
他の方や現役では誰になるでしょうね?
ちょっと確認してから、また後日に・・・。
813神も仏も名無しさん:2012/11/06(火) 00:01:13.93 ID:iGQVimOt
>>812
鈴木大拙は、スウェーデンボルグや西田関係の名前を知ってる程度ですが
神智学徒だったんすか。言われてれば分かるような気がします。

>>ちょっと確認してから、また後日に・・・。
気長に待ってますので、お願いします。
814神も仏も名無しさん:2012/11/06(火) 03:04:36.33 ID:jb1WaoH7
>>812

内村鑑三、新渡戸稲造あたりはちょっとかぶれた程度かな?
815絶対神:2012/11/06(火) 03:10:50.32 ID:Oa0veHK+
まあ、内村と新渡はクリスチャンだから
神智学にのめるこむことは基本的にあり得ないがなw
816神も仏も名無しさん:2012/11/06(火) 09:05:43.03 ID:EUGMs/Za
>神智学

 最大の大物は、アサハーラ・ショーコーに決まっているだろーがw
 なにせ大量の悪業をポアされることで、多数の心霊を救済されたのだからw

 その背景にあるのは、悪取空であり、それに加えるに当然業報輪廻転生論だ。

 いっとくが、仏法には無我にて候(蓮如)。
 仏教に心霊主義(スピリチュアリズム)を持ち込みたがる奴は、

 豚に喰われろ。

>>803
*竹下雅敏氏  心霊主義者 心霊商法を展開中
*宮元啓一氏  マハーカッサパ教仏典丸呑みゴックン主義者 単なるバカ
        こいつもアニミズムという意での心霊・精霊主義者
        
817神も仏も名無しさん:2012/11/07(水) 06:39:49.40 ID:xTscgHW0
>>816
コイツは、宮元氏の掲示板を荒らしてBAN食らった、ドグマ主義者つまりカルトなので注意ね
818816:2012/11/07(水) 08:40:10.52 ID:eGJA3LvK
>>817
>宮元氏の掲示板を荒らしてBAN食らった、ドグマ主義者つまりカルト

???
False charge!

カルトのほとんどは心霊主義ドグマをもっている。
『仏教に心霊主義(スピリチュアリズム)を持ち込みたがる奴』はほぼカルトと見て間違いない。

本来、仏法にドグマはない。
しかし仏教にはドグマがある。
とくに、業報輪廻転生論は無量因無量果(多因多果)の縁起ネットワークと両立しないカルトの論理だ。
819神も仏も名無しさん:2012/11/07(水) 08:42:40.92 ID:poXJn2rf
>>809
>仏教のあるがままとはどういうですか?
>今の一日中家から出ないで親の扶養でご飯食べてそのままいなさいってことですか?

そういう意味ではありません。

少なくとも仏教は、現状でいいみたいなことは言ってません。
苦をなくすためには、聖者から教えを聞き、聞いたことをよく考えて理解し、
理解した内容を実践する必要があります。

実践する内容は様々ですが、基本的に良いことをして悪いことをしない自己抑制。
悪いことは他を傷つけることです。良いことはその逆です。
具体的には十善戒などがあります。

自己抑制が進むと意識の散乱が減るので、精神集中が進みます。
さらに精神集中を深めて三昧・禅定に入れるようにします。

三昧に入れるようになると縁起・空観を行い、無我・空を悟ることで、
苦を除きます。それぞれの段階で苦は減りますが、
無我・空を悟ることで、飛躍的に解決されます。

もし、仏教に興味があるならまずは聖者を探すことです。
私としてはビルマかチベットの先生をお勧めします。
820神も仏も名無しさん:2012/11/07(水) 08:43:34.44 ID:poXJn2rf
>>817
なんで特定できるの?

>>818
え、認めるってこと?
821816:2012/11/07(水) 09:03:45.59 ID:eGJA3LvK
>>820
不知ゆえ認めない。
822神も仏も名無しさん:2012/11/07(水) 09:16:12.14 ID:poXJn2rf
>>821
オイオイ、そりゃ完全な詭弁だろ

宮元さんのHPに書き込んだのはアナタ、それとも別人。
本人なら、明らかに分かること。

それを誤魔化すのは、負い目を感じてるとしか思えないんだが

まあ、いずれにしろ質問スレでやる話じゃないな
823816:2012/11/07(水) 09:53:02.31 ID:eGJA3LvK

俺は宮元のHPなんぞ知らんと言っている。
だから書き込みなんぞしたことがない。
まったくの濡れ衣。別人。

ただ、宮元の本は何冊も読んでいる。

824神も仏も名無しさん:2012/11/07(水) 10:08:54.28 ID:poXJn2rf
>>823
だよね〜。

オイラも別人だと思う。

最初からそう言えばいいのに。

それと仏教に関しては宮元さんは論ずるに足らないと思う。



825神も仏も名無しさん:2012/11/07(水) 10:12:20.44 ID:Ah9V9lr8
>それと仏教に関しては宮元さんは論ずるに足らないと思う。

wwww
ありゃ?  一代は、ある程度は宮本を評価してるのかと思ってたわww
オレも、好き嫌いで言えば、宮本は好かんwww

826神も仏も名無しさん:2012/11/07(水) 10:22:34.19 ID:poXJn2rf
>>825
いや、ご専門のヴァイシェーシカとかサンスクリットなどの語学力は評価しますよ。
つか、オイラのようなものがそういうことを言うのもおこがましいぐらいです。
初期の翻訳ものはよかった。セレクトも訳も素晴らしい。

だけど、最近書いてるものを瞥見するに仏教に関しては色々分かってないと思う。

基本的に仮象/実在解釈なんで、あれじゃ仏教ではないし、
あと HP のあり様から、単なる売文家だと思う。
そういう動機でやってるから、初期の翻訳ものと違って最近の仏教ものはスカスカな量産ものに思えます。

これは島田裕巳さんとかと同じで、何か必要に迫られて書いているように思えます。

本当は実力ある人なので、ちゃんと向き合えばいいもの書けると思いますよ。
827神も仏も名無しさん:2012/11/07(水) 11:50:05.73 ID:eGJA3LvK
>797 :神も仏も名無しさん:2012/10/30(火) 02:48:50.75 ID:vVuVc6oD
>仏教は決定論なの?
>因果や因縁生起で世界のすべての現象が起こるなら、
>自由意志のように見えるものもすべて定まってると考えていい?

これって「業」とはなにかという重要で難解な問題なんだけど、
>>798程度で納得できたのかな?
828神も仏も名無しさん:2012/11/07(水) 12:03:43.08 ID:poXJn2rf
>>797
>>仏教は決定論なの?
>>因果や因縁生起で世界のすべての現象が起こるなら、
>>自由意志のように見えるものもすべて定まってると考えていい?

仏教は決定論じゃありませんよ。

業、行為が結果の因となるわけですが、ある行為が必ず同じ結果をもたらすと決定しているわけではありません。

確かに他を傷つけるような悪い行為は苦しみを必ずもたらすとされますが、
その現れは様々で、しかも現れるには縁が必要です。

そして何より現在の行為によって未来は変えられるわけですから。
829神も仏も名無しさん:2012/11/07(水) 18:14:06.48 ID:/1ImGGwq
仏教の最初期では一切衆生を皆平等扱いしてたはずですが、
坊主を殺すと超凄い地獄行きだなんだと選民意識出しはじめたのはどの辺りからなんでしょうか?
830神も仏も名無しさん:2012/11/07(水) 19:26:38.75 ID:poXJn2rf
>>829
最初からです。

平等でも業による違いは頑然とありますよ。
831神も仏も名無しさん:2012/11/07(水) 19:45:50.43 ID:/1ImGGwq
>>830
そうでなく五逆罪の設立経緯を知りたいんだけど
832神も仏も名無しさん:2012/11/07(水) 20:01:27.77 ID:poXJn2rf
>>831
それはそうなってるんだということだと思いますよ。

だから、五逆と呼ばれるようになったと。

政治的に制定されたのではないと思います。

調べてませんけど。
833神も仏も名無しさん:2012/11/07(水) 20:09:51.17 ID:/1ImGGwq
いろいろ本を見てると教団の設立期には業や罪や地獄だのといった脅迫めいた所が無いのに、
大規模な集団が形成されるにつれて過激な罰則が出て途端にカルトめいてくるのでなにがあったのやらと。
詳しい人居たなら教えてくださいな。
834神も仏も名無しさん:2012/11/07(水) 20:23:36.22 ID:poXJn2rf
>>833
そりゃ、そういう本が偏ってるだけでしょう。

仏教は最初から、そういう業因果の中で説かれてますよ。

古い成立と文献学者も認めるスッタニパータ三章、コーカーリヤ、岩波中村訳142頁以下を見ればハッキリ分かりますよ。

835宝珠愚者@(規制代行):2012/11/07(水) 22:32:59.01 ID:SHJBdzrn
836神も仏も名無しさん:2012/11/08(木) 04:08:35.53 ID:ryBxmjGG
凄く初歩的な質問で恐縮なのですが…
仏教における宗派の感覚がよくわからないのです。
私は家が代々カトリックなんですが、プロテスタントに関しては
教会にすら全く入ったことが無く、同じキリスト教とはいえ
全く別の宗教のような感覚があります。
家の近辺はミャンマーやタイ辺りの労働者が多いのですが
彼らは近所の観音様や禅寺へ盛んにお参りをいているのを見かけます。
仏教の場合、お参りするお寺はあまり宗派にとらわれないのでしょうか。
837神も仏も名無しさん:2012/11/08(木) 06:22:08.73 ID:Roz8+KM3
>>836
本来、方法、道の違いです。

言い換えると強調点の違いです。
838神も仏も名無しさん:2012/11/08(木) 08:20:08.72 ID:cQywfAdE
>>836 檀信徒になるかどうかではなく、単にお参りに行くだけなら、
どこの宗派でも行くし、お寺側もウェルカムです。
839神も仏も名無しさん:2012/11/09(金) 12:17:08.77 ID:g10ekacn
神智学が仏教でないというなら日本の仏教の大半も仏教ではないぞ。
840神も仏も名無しさん:2012/11/09(金) 13:33:27.26 ID:roddvxux
>>839
どういう意味で?

仏教というのは少なくとも三宝に帰依し、伝統の伝承があるものなんですけど
841神も仏も名無しさん:2012/11/09(金) 14:53:45.00 ID:XVz8T48M
>>839
神智学は、仏教を風味づけに使っている程度だからな〜
そんなのと一緒にされてもw
842神も仏も名無しさん:2012/11/09(金) 16:20:57.79 ID:H5ZBm2MU
どんだけ拒絶したいんだよ。自意識過剰だな。

神智学は、多くのことを仏教から取り得れてるんだから
100%仏教ではありませんと言い切るのは、おかしい。

それとも仏教徒は、特定の問題に対しては中道ではなく
はっきりとした「ある」「ない」で判断するということなのかw
843神も仏も名無しさん:2012/11/09(金) 16:34:01.92 ID:roddvxux
>>842
>神智学は、多くのことを仏教から取り得れてるんだから
>100%仏教ではありませんと言い切るのは、おかしい。

 変な論理だな。じゃ、多少とも仏教の影響を受けたものは仏教でないとはいえないのか?
 神智学に仏教の影響があるのは否定しない、だからと言って神智学が仏教だとは認められない。
 
>それとも仏教徒は、特定の問題に対しては中道ではなく
>はっきりとした「ある」「ない」で判断するということなのかw

 あたりまえだ。アナタの論法だと仏教徒は「ある」「ない」の判断ができなくなるが、そんなことはない。
 そりゃ、単に中道を誤解してるだけのこと。
 世俗の用法、言い習わしに中道は用いないからね。
844神も仏も名無しさん:2012/11/09(金) 16:41:52.05 ID:H5ZBm2MU
>>843
>>世俗の用法、言い習わしに中道は用いないからね。
そう。まさにその通り、私が言いたいことを代弁してくれたね。
世俗な考えでは、>>839でもあるように、神智学も仏教と言えるという話。

言うまでも無いけど世俗とは、宗教から分離された状態のことだからね。
>>840みたいに帰依三宝とか宗教的な細かい定義は、アナタがいう世俗と言う意味ではナンセンスw
845神も仏も名無しさん:2012/11/09(金) 16:52:19.16 ID:roddvxux
>>844
オイラのいう世俗というのは、そういう意味ではないから

世間の言い習わし、言語習慣の中でという意味

そういう詭弁使ってもね。

それと、ここは質問すれなんで、これ以上やりたければ議論スレでね

オイラは以降、質問スレでこの問題にレスしないからね〜
846神も仏も名無しさん:2012/11/09(金) 17:32:49.18 ID:XVz8T48M
>>842
「多くを取り入れている」と言う割には、教義における仏教の影響の割合が少なすぎると思うんだがw
どっちかっつうと、一神教系やヨーロッパのオカルト系が基本だし、仏教と言うよりバラモン・ヒンズーだろ
wikiの解説↓見ても、仏教はその他大勢の一つに過ぎないぜw
>神智学は、様々な宗教や神秘思想、オカルトを1つの真理の下で統合することを目指しているので、
>その中では、当然、様々な宗教や神秘主義、オカルトが扱われることになり、
>例えば、古代エジプトの神秘主義、ヘルメス思想、ギリシャ哲学、キリスト教、新プラトン主義、グノーシス主義、
>カバラ、ヴェーダ、バラモン教、ヒンドゥー教、ヨーガ、仏教、ゾロアスター教、フリーメーソン、薔薇十字団、魔術、
>錬金術、占星術、心霊主義、神話、などが様々な文脈の中で引用されたり語られたりしている。

>>844
いやいやw
普通の人は、神智学なんて存在すら知らないし、知っていたとしても仏教じゃなくて「オカルト・新興宗教の一派」位の認識だよw

私もこれ以上はレスしないので、続きやりたければ議論スレへどうぞ〜
仏教議論スレッド48
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1350666891/
847神も仏も名無しさん:2012/11/09(金) 17:55:34.37 ID:H5ZBm2MU
続きなんかやらねえよwそれに厳密にいえば当然違う。

神智学は、インドの宗教や哲学をキリスト教で再解釈したと言う感じだから、神智学からみて仏教はあくまでインドの宗教の一部と言う事なんだろうねw

ただ創価学会を(カルトだとは思っても)一般感覚からいって仏教の一派だと捉えてる人は少なくない。
その程度の認識なら、神智学と仏教が同じようなもの言ってもあながち間違いではない。
(そもそも神智学自体が日本では一般的ではないけどねw)


つまり、仏教と神智学で「全然違うよ」と言い切るほどの違いがあるのか?と言うこと。
帰依三宝が一般感覚からいって決定的な違いだとは、到底思えない。
これはある意味質問みたいなもん。と言っても別に答えんでもええよw
848神も仏も名無しさん:2012/11/09(金) 18:02:13.70 ID:Y1XkPvyL
>>847


>つまり、仏教と神智学で「全然違うよ」と言い切るほどの違いがあるのか?と言うこと。

創価学会と仏教の距離よりは離れてると思うよwww
849神も仏も名無しさん:2012/11/09(金) 22:33:09.81 ID:M77pINPI
楞伽経ってどんなお経なの?
いつぐらいの成立?
登場するラーヴァナってラーマーヤナに出てくるラーヴァナと同一視していいの?
もし同一視するなら執筆者はラーマーヤナの時代と釈尊の時代は一緒に考えられていたってこと?
850神も仏も名無しさん:2012/11/10(土) 01:24:04.40 ID:njNSiMkv
>>847 仏教の基本は四諦。
生きることは苦しみである。
苦しみには煩悩という原因がある。
煩悩をなくして苦しみをなくすことができる。
その方法は八正道である。

また、仏教の特徴としては四法印がある。
一切皆苦。緒行無常。緒法無我。涅槃寂静。

神智学は上記をすべて満たしていますか?
851神も仏も名無しさん:2012/11/10(土) 01:47:44.10 ID:lKfXN6tN
神智学と言う言葉が無かったとき当時の神智学徒は白い仏教徒と呼ばれていたそうですが本当ですか?
852神も仏も名無しさん:2012/11/10(土) 02:41:40.15 ID:lKfXN6tN
神智学は全くの無知なのですが調べれば調べるほどよく分からなくなって来ました。

ブラヴァツキー夫人やオルコットらがロシアで興した神秘思想結社が神智学協会。オルコットの関心の中心は仏教。
ブラヴァツキー夫人とオルコットは1882年にセイロンの寺院で僧侶から三帰五戒を授けられ仏教に改宗している。
オルコットは、スリランカにおける仏教復興に最も貢献し南アジアや他の地域からも仏教復興者と考えられている。
そのためオルコットを釈尊その人の生まれやアショーカ王の生まれ変わりという人もいる。神智学協会は、いくつかの
仏教学校を設立した。彼の書いた『仏教教義要綱』は現在でも使われている。

日本では、神智学と早くからコンタクトを取ったのは鈴木大拙を初め既存の正統な仏教徒たちであり、翻訳活動まで
積極的に行った。このような活動は仏教と神智学にシンパシーを感じたからだとからだと言われている。
現在でもそうのように考える人は(僧侶を含め)少なくない。

最初は、三宝に帰依でない上に仏教よりキリスト教よりだろと考えていたのですが・・・
仏教徒であり、仏教復興に貢献した人たちが仏教(だけではありませんが)を元に創設したのが神智学であり。仏教復興などの業績やこの写真を見る限り
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/81/0e4864835fe110d12a0736e42c8c3b7c.png
上で言い争うようなことでもないような気がしますし。だんだん、神智学と仏教が同じ?というのもなんだか的外れではない様な気がしてきました。どうなのでしょう?
853神も仏も名無しさん:2012/11/10(土) 03:23:36.95 ID:zNAnE7I6
まあ、離れ具合でいうならキリスト教とモルモン教程度ではあるまいか。
キリスト教徒は「モルモン教なんかと一緒にするな」といい、
モルモン教徒は「キリスト教徒です」と自称し
一般人は「よくわからんけど一緒でしょ?」ってなもん。
854宝珠愚者@(規制代行):2012/11/10(土) 03:45:11.77 ID:Yr/6ZnNL
>>850
横レスになりますが、
良かったら私が答えます。

ブラヴァツキーや主要メンバーたちは仏教の基本を理解してはいますが、
神智学そのものは仏教のようなアプローチは採りません。

神智学は神の愛と計画を説きますから、
人間存在とその生死は、神の御経綸に仕えるための進化のプロセスであり、
業報輪廻(転生)は学びにとって不可欠のシステムです。
尚、諸法無我については“現象界に限定する法に過ぎない”ということを、
この私は水野文献より立証済みです。

>>851
これは“白人仏教徒”という意味合いであり、
実際、神智学協会二人の創立者であるブラヴァツキーとオルコットは
セイロンにて正式に受戒、南伝仏教徒になっています。
更に、その後の神智学協会の運営と発展の使命をブラヴァツキーに託したオルコットは
残りの余生すべてをスリランカ仏教復興のために捧げた英雄であります。
また彼は、明治仏教の僧侶団体によって日本に招待され来日もされてします。

ただし、
神智学そのものは仏教ではありません。
855宝珠愚者@(規制代行):2012/11/10(土) 03:45:55.87 ID:Yr/6ZnNL
>>804>>813
遅くなりました。

自分でもよく分ってないので、
ネット上で“らしき人々”について調べてみました。
元々、秘密内にされやすい事柄であるし、
その性質上からあまり公言されることも少ないと思われるため、
確かな記録というのは難しいものがあります・・・。

神尾 学氏は、ブラヴァツキー、アリス・ベイリー、ヘレナ・レーリッヒのアグニヨーガ、
ベンジャミン・クレームと、神智学系譜のすべてを体系的に網羅して学習している人物なので
私からも安心して推奨できます。

鞍馬寺貫主の香雲氏は高齢で在世でしょうか?
あと、オルコット大佐の来日に関係したのが禅僧、天台僧侶、浄土真宗僧侶などだったのでしたが、
神智学協会の人気下火と共に自然沈下して、その後の日本仏教には殆ど影響を残さなかったようです。
一部、劇的な神智学影響は京都の鞍馬寺に見られます。
856宝珠愚者@(規制代行):2012/11/10(土) 03:46:26.72 ID:Yr/6ZnNL
在世(現役)の著名人
 *神尾 学
 *吉永進一
 *小森健太朗
 *安藤礼二
 *信楽香雲
 ----------------
歴史の著名人
 *三浦関造    *宇野円空 
 *幸徳秋水    *芥川龍之介
 *浅野和三郎   *飯森正芳
 *平井金三    *川端康成
 *黒岩 涙香    *折口信夫
 *大谷光瑞    *山田耕筰
 *友清歓真    *今東光
 *五井昌久

詳細情報:
 http://houjugusya.web.fc2.com/human.htm
857宝珠愚者@(規制代行):2012/11/10(土) 03:46:58.33 ID:Yr/6ZnNL
>>852
『世界的な人類同胞愛の核となること。
これは民族、信条、性別、階級、あるいは皮膚の色に差別されない。』
(神智学協会の3大目的より/1896年)

仏教だから特別という意味ではなく、
スリランカの仏教復興も神智学(協会)精神と理念に基づいた活動一つに過ぎません。
神智学では人類の普遍的な権利と意識であるところの
“自由・平等・博愛”のために戦っているすべての人々を支援します。
歴史的には、インド独立運動を援けて貢献してきたのも神智学協会(第二会長ベサント継続)でした。
(ガンジーに独立運動の勇気を奮い立たせたのはブラヴァツキー。
またガンジーに“マハトマ”の称号を贈ったのはベサント女氏)

>だんだん、神智学と仏教が同じ?
>というのもなんだか的外れではない様な気がしてきました。どうなのでしょう?

彼女が生涯言い続けた格言/ポリシーです
 “真理より高い宗教は無し”(HP・ブラヴァツキー)
858宝珠愚者@(規制代行):2012/11/10(土) 04:00:25.40 ID:Yr/6ZnNL
>>839-848
ご参考まで・・・

 神智学は仏教ではありませんが、当時の著名な学徒だったA・P・シネットが発刊した書籍『エ
ソテリック ブッディズム』(Esoteric Buddhism)の書名が神智学が仏教の一派と見なされる誤解
を呼ぶきっかけとなりました。本来であれば、「d」は一つにして「Budhism」とされるべきだったと
ブラヴァツキーは言っています。神智学では通常、“智慧の宗教”という意味合いで「ブッディズム」
(Budhism)と呼んでいます(智慧は「ボーディ」「ブッディ」)。そして、神智学の持つ教えと仏教と
の類似性の高さから、人々から“西洋の新仏教”などとも評されました。

 仏教との対比で神智学のある特徴を述べると、仏教が出家主義で説かれているのに対して、
神智学では出家を説くことも奨めることもないということ(単に輪廻転生の終焉近くではそういう
人生を過ごす人もいると述べるだけ)。出家を支える在家という意味ではなくて、ただ人間存在
とは何者であり、人は社会との関りの中で如何にして自分の人生を生きるべきが相応しいのか
を説くもの。
 そして、医学が人間の肉体と病理/治療についての膨大かつ詳細な情報を説くのと同様、肉体
である濃密物質体を超えたところの精妙な諸体を分類解説し、エーテル体、アストラル体、メン
タル体、コーザル体、魂(ソウル)、モナッド(スピリット)についての性質、及び制御についての詳
細な解説を提供した(界層についても同様)。形而上の世界には無記だった仏教とは異なり、今
後まだまだ100年以上はこれを超える教えは出ないといわれ、通常の宗教の持つ曖昧さを徹底
的に排除した精鋭で緻密な叡智。

---仏教スレにてこの辺にします
859神も仏も名無しさん:2012/11/10(土) 15:07:43.68 ID:13+nr5f/
いつもお世話になっております。
如来蔵について質問です。
「如来蔵はアートマンの復活であるために仏教ではない」といった主張があったようですが、
これについてどう思いますか?
私としては、アートマンに執着してやまない衆生に方便として有を説いたのだと解釈しているのですが。
本来、不生不滅なる仏性を仮に有と説いたのではないでしょうか。
860神も仏も名無しさん:2012/11/10(土) 16:12:46.13 ID:cmVJYDDj
861神も仏も名無しさん:2012/11/10(土) 16:18:48.86 ID:kMcXexDQ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%80%A7

上座部仏教(南伝仏教)では、
この穢れた世界(娑婆世界、穢土)に生まれて苦しみを受けるのは煩悩によるものであると捉え、
出家して厳しい戒律を保つことによって煩悩を断ち切り阿羅漢になることを目的とする。
煩悩を断尽すると自然と身から火が出て消滅し二度と生じないとされる。

大乗仏教(北伝仏教)では、阿羅漢を小乗とみなして、その上の尊格に仏を立てた。
また大乗仏教の教理では、誰もが救われることを主眼に置き、
出家はもちろん在家でも救われると考えられ、誰もが仏になれる可能性があるとした。
つまり衆生に仏性があるという考え(如来蔵思想)が生まれた。
862神も仏も名無しさん:2012/11/10(土) 16:42:53.59 ID:cmVJYDDj
>>861
その説は近代文献学者の説で、妥当性は低いと思います。
863神も仏も名無しさん:2012/11/10(土) 16:43:26.96 ID:NeVbJmcc
>>856
サイトのリストだが
・ガチの神智学徒
・神智学徒と交流があった
等ではっきり分けたほうがいいと思う。
どういうところで影響を受けた(と判断できるのか)も書いてないし。
リストにしては曖昧。

幸徳秋水は基督抹殺論でアニー・ベサントを典拠にしてたな。
864神も仏も名無しさん:2012/11/10(土) 16:47:16.48 ID:NeVbJmcc
ブッダになろうとする凄まじい時間がかかるため、
釈迦は弟子たちには阿羅漢になる道を説いた。

それなのに仏陀になろうと無茶を言い出したのが大乗。
それどころか阿羅漢を目指す人々をこき下ろす始末。
865神も仏も名無しさん:2012/11/10(土) 19:21:06.58 ID:VDhRQdaY
そりゃあんた、富士山昇るのは大変だから、銭湯行って富士山の絵を見に行こうって言い出す人見たら、どう思うよw
866神も仏も名無しさん:2012/11/10(土) 20:28:39.28 ID:lKfXN6tN
頂上に到達するのは無理かも知れないけど頑張って登っていこうと言うのが上座部に対して
俺っちが見てきた頂上は、こんな感じだったよって銭湯の富士山で満足させようと言うのが大乗だからな。

実際頂上を見てきたと言う俺っち達が本当に頂上に登ったのかと言う問題もあるが、実際に登らずみんな集めて
銭湯の富士山でおk見たいな大乗は、上座部などから見れば・・・まあ分かるよねw
867宝珠愚者@(規制代行):2012/11/10(土) 21:03:48.86 ID:cpOoymFV
>>859
仏教徒らはアートマン・アレルギーが酷くて誤解しているので、
「仏性」についてすらも縁起の観点からは認められない、
などといって混乱しているのです。
仏性の元となった核(思想)は原始経典にも説かれている。
そういう目でみれば、
如来蔵はバラモン教の逆流入/外道思想だ、
などといった馬鹿げた批判も起こらない筈なのですが・・・。

だいたい、一般的な仏教徒の回答などは想像がつく。
(まかせます)
868神も仏も名無しさん:2012/11/10(土) 21:05:59.80 ID:cmVJYDDj
>>866
そりゃ、全然勘違いもいいとこだ
869神も仏も名無しさん:2012/11/10(土) 21:18:27.24 ID:2OZn/Vb0
>>866
道元に言わせると頑張って登る姿が仏そのもの
870神も仏も名無しさん:2012/11/10(土) 21:55:37.75 ID:njNSiMkv
>>854 仏教は悩み苦しみをなくすための教えだと思いますが、神智学もそうなのでしょうか。
また、仏教は悩み苦しみからの究極の解脱として涅槃をめざしますが、
新智学でも涅槃をめざすのでしょうか?
871神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 00:18:50.40 ID:GRyYMQag
>>866
>頂上に到達するのは無理かも知れないけど頑張って登っていこうと言うのが上座部に対して
頂上に上るのをあきらめて、「小高い丘から頂上を眺めるだけで満足しよう」と言うのが上座部だろ
ある程度の高さに到達する事は目指しているだろうが、頂上に到達する事は諦めている。

>俺っちが見てきた頂上は、こんな感じだったよって銭湯の富士山で満足させようと言うのが大乗だからな。
「ヘリコプターで飛べば頂上なんてあっという間に着けるから、丘なんかで満足してないで、本物の頂上目指して皆でヘリに乗ろうぜ!」と言うのが大乗だろ?
そんなヘリコプターが有るのかどうかは別の問題として、少なくとも頂上を目指しているのは間違いない。

銭湯の絵で満足しちゃう上座部を、あくまで本物の頂上を目指す大乗から見れば・・・まあ分かるよねw
872神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 00:38:02.33 ID:Zv+1b7WU
>>860
いつもありがとうございます。
…ぬおおぉぉ…やっと縁起と仮と空がつかめてきたと思っていましたが、
まだまだ、こんなに勉強しなければいけないことがあったなんて…!
ちなみに、弘法大師の密教教学を学ぶのにお勧めの本や論文や先生っていらっしゃいますか?
>>861
ありがとうございます。
>>864
> 釈迦は弟子たちには阿羅漢になる道を説いた
ここに凄く興味があります。お手数ですが、典拠などがあれば聞いてもいいですか?
>>867
まさに、有と聞いては有に住するということですね。
873神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 00:38:45.49 ID:t7JzjeAA
小乗は、部分点狙いで途中放棄
大乗は、論点先取り的外れ

どちらも証明としては不十分
足して2で割って始めて及第点だね
874神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 00:50:44.22 ID:t7JzjeAA
>>871
>ある程度の高さに到達する事は目指しているだろうが、頂上に到達する事は諦めている。
>銭湯の絵で満足しちゃう上座部

登ってるのか銭湯にいるのかはっきりしろよ 内容が支離滅裂
それに道元に言わせると頑張って登る姿が仏そのものヘリコプターで頂上行った奴が
一生懸命登ってる人を馬鹿にするのはそもそも人してダメだろ
875神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 00:54:19.41 ID:BOfUUtk6
>>866
いや、釈迦が富士山に登ればそれでいいよ、と言ったのに(せいぜいヒマラヤ)
わざわざ火星まで飛んでいってオリュンポス山に登ろうとするのが大乗。
大乗の聖道門の過酷さはガチ。易行門も、今は火星に行くことはできなくても
来世の訓練場で火星まで行ける超人に変貌することを目的としているのでこれも割りとマッチョ。
876神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 01:05:12.04 ID:GRyYMQag
>>875
天保山(標高4.53m)で満足している人に言われてもw
877神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 01:21:47.29 ID:BOfUUtk6
まずは天保山に登らせてくれた仏の御恩に感謝しつつ、
訓練場@月面基地行きの日を待望するのが念仏の徒である。
親鸞の教えによるとそこで火星に行ける程度には変貌した超人たちは
地球に帰ってきていろいろ頑張ってくれるらしい。
878神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 01:26:06.20 ID:gJCGI/7h
重力井戸から抜け出して別の重力井戸に落ちたら脱出にまた等量のエネルギー使うだろjk
と理系の人は思うんだよな。
879神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 01:35:55.41 ID:P1tObJdc
重力を認めて坐る
重力から逃れられない身を阿弥陀にまかせて念仏する
880神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 01:48:28.89 ID:t7JzjeAA
11.2km/sで地球の重力圏から脱出しても太陽にまだ縛られてる太陽から逃れても同じ事。ミクロに考えても
それにすべての物質は、他の力によって成り立っている。物質世界ではすべてから開放された状態なのどあり得ない。
そして涅槃とは物質世界には無いことを悟る。
881神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 07:02:46.73 ID:L+p4y2Zi
>>872
弘法大師を学ぶには、勝又俊教先生の『弘法大師著作集』と生井智紹先生の『密教 自心の探求』とそこにあげられた諸論文がいいと思います。
882神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 13:14:06.76 ID:sRJ2Jo6R
>>876 大乗と上座部の違いを高さの違いで例えるのはおかしい。
到達する高さは同じ。
ブッダは自分が頂上に登れるだけでなく、他人を頂上に登れるようガイドすることもできる。
全員がガイドになるのをめざすのが大乗。
全員がガイドになる必要がない、自分が登れもしないうちからガイドになるとかほざいてる場合か、
というのが上座部。
883神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 14:38:15.23 ID:iNkcjlu3
阿羅漢も凡夫も死ねば同じ涅槃、転生などはない、
従って全知の仏などというものも存在しない、
まあそれが事実であるとおもうが。 >>758
884宝珠愚者@(規制代行):2012/11/11(日) 17:58:12.86 ID:SbEEqqrJ
>>870
 仏教というのは、ゴータマ王子による個人的な疑問点や人生苦から出発したものです。そして、
ゴータマ王子の個人的な体験による完成への道のりがその教えとして語られました。

 対して、「神智学」(アンモニオス・サッカスのような広義的な意味としての神智学ではなくて、
“ブラヴァツキー神智学”として述べる)というのはそうではなく、最初から全人類を対象として道の
学徒のために高次のレベルから教示すべく、覚者(仏教でいえば如来仏)から選ばれた特定のコ
ンタクティを通して世界に提供された“秘教体系”です。
 内容としては、人類の発生目的やその進化の位置付けであったりと壮大なテーマが扱われてい
るのが一大特徴でしょう。正直、個人的な苦悩の解決の手段や、普通の宗教的な救済を目的とし
てこの神智学を選択する人というのは、まず殆どいないだろうと思います。悩みや病苦からの心の
解放が宗教であるとは一般的によく言われるわけですけれど、神智学はそのために提供されたも
のではありません。ただ仏教が説くところの、人間の苦悩とは自己のものではないものを自分のも
のとして同一視しようとするところからくる、といったことについて学徒は、もちろん承知しています。
885宝珠愚者@(規制代行):2012/11/11(日) 17:59:02.72 ID:SbEEqqrJ
 神智学では、仏教が無記として決して説くことがなかった諸法が存在発生している理由(物質存
在の意味や業報作用が生じている理由)とロゴス(神)の御経綸としての生命進化のプロセスとし
て鉱物界(無機物)→植物界→動物界→人類→天上界と生命が歩んでゆく過程と意義を説明した
上で、我々人類はその進化の途上にあり、繰り返し転生経験において進歩向上して、最終的なゴ
ールであるところの天上界入り、即ち業報輪廻から解脱解放されたニルヴァーナを目指すもので
あることを教えます。その進歩における重要なキーワードが、「瞑想」と「奉仕」(人類に対する)です。
 そして、完成の域に到達した覚者はそれよりも下位の存在を援け導く方々であるとして説明され
ています。どの覚者がどのような分野を担当して働かれているのかも詳細な情報が提供されてい
ます。
 また、前回述べたように、神智学では仏教が避けた形而上の世界についてのすべてを扱い、曖
昧さのない緻密さで分類して明確な解説を提供しています。まず、あらゆるどんな疑問に対する回
答もここにはすべて揃っています。

 尚、神智学では崇拝と礼拝、読経のような習慣、神仏の尊像の御祀りといったことはまったく説か
ず、特定の聖典に対する偏愛もしません。(宗教的行為については、学徒自身が生まれ育った自
国の宗教の尊重が推奨されていることと、あとは個人の自由において任せられます)。
886神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 19:47:08.23 ID:yb2cFFM9
>>885
>生命進化のプロセスとして鉱物界(無機物)→植物界→動物界→人類→
>天上界と生命が歩んでゆく過程と意義を説明した
 
鉱物(無機物)から生命が誕生? それだと神智学は唯物論になるね。
887神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 20:11:53.92 ID:Z+j/pV5P
>>885
> また、前回述べたように、神智学では仏教が避けた形而上の世界についてのすべてを扱い、曖
>昧さのない緻密さで分類して明確な解説を提供しています。まず、あらゆるどんな疑問に対する回
>答もここにはすべて揃っています。

これが、(輪廻談義の時も触れたが)、
願望希望・無い物ねだり・こうあってほしいという理想の投影なんだけどね・・・w ┐(´ー`;)┌
そこで言われている事柄ってのは、別にそうでなくても構わないもので、
因や縁に従った上での「なるようになる」ってのが仏教(縁起)なわけで・・。
その意味では、仏教(縁起)は「必然」でなく「偶然」なのさwwwww
888神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 20:14:22.28 ID:t7JzjeAA
なんか唯物論がおかしな思想みたいな流れになってるね。霊的な色が強いので神智学が唯物論とは言わないけど。
ある程度唯物論に法ってるという事は、一般的つまり科学的な意味でまともと言うこと。
889神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 20:22:15.09 ID:Z+j/pV5P
>>888
>なんか唯物論がおかしな思想みたいな流れに
広義の唯物論(弱い唯物論)ってのは、「物しかない」ってわけじゃないからね。
物以外の様々な事象も、物と物との相互作用で現出している、
とするものだから。 だから、弱い唯物論の世界には、
愛も友情も喜びも悲しみも、苦も楽も幸せも不幸せも『ある』わけさ。
ここんとこを理解せず、「唯物論者には感情が無いのかーーーーーー!!!」
と火病る奴が多いのが宗教板の特徴w


>ある程度唯物論に法ってるという事は、一般的つまり科学的な意味でまともと言うこと。
けど、だからといって神智学が仏教的という事には直結しないと思うけどw
890神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 21:00:39.45 ID:yb2cFFM9
神が先か、物質が先か、そこをはっきりさせてほしいものだね。
 
空を主張すれば、唯物論者だと非難するわけだから。
891神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 21:36:57.50 ID:t7JzjeAA
そこら辺は、量子物理学とかの範囲だな 

現代ではこの宇宙は、ビックバン(仮説)からどんどん膨張してできていると考えている。
宇宙の膨張は、ハッブルによって実際に観測されている。そこで問題になってくるのが宇宙の誕生
ビックバン以前の宇宙は、どうなっていたのか。量子力学の分野では、神がサイコロを振っているとしか
思えない結果がでる。車椅子の天才と言われるホーキング博士も「宇宙は神が設計していない、自己創造するのみ」
と言っている。では物質が先かというとそうではなく。ちょっと前に話題になったヒッグス粒子などとも関係してくる場の量子論など
物質でもエネルギーでもない何かと言う門外漢の私には、意味不明な話になる。

ただ一見関係無いようだっけれど、例えばアインシュタイン、ボーア、ハイゼンベルク、日本人で言えば湯川秀樹などこの手の分野の権威達は
仏教を初め東洋思想にインスパイアされたといい。これからは科学者は仏教などの過去の聖者達に学んでいかなければならないと言っている。

文献学者や議論板なので引用されている資料なども、見る人が見れば最先端科学のヒントがが示されていると言うことだろうか?
神智学も科学者たちを同じような事をしようとしている印象を受ける。成功しているかどうかはしらないが。
892神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 22:30:06.90 ID:yb2cFFM9
神智学は、伝説に過ぎないムー大陸やアトランティス大陸を根拠に、
人種間の優劣を唱えている。これからもわかるように、
神智学は科学でも学問でもなく、偏見や憎悪に満ちた差別主義者の、
さまざまな宗教や哲学を切り張りした、パッチワークではないだろうか。
893神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 22:41:48.14 ID:t7JzjeAA
○○学と付くなかで、パッチワークでないものがあるとでも?
894神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 22:43:11.33 ID:Z+j/pV5P
>>892
ああ、わかる。
一見、平等を謳うもののように見えるけど、一歩踏み込んでみた内容は、
明らかに、 《自然界に『序列を設ける』思想》 だよね・・。
895神も仏も名無しさん:2012/11/12(月) 00:23:01.54 ID:7h/HYE3E
神智学だかなんだかしらねえがそれ以上反論するなら議論スレに移動しろ
896神も仏も名無しさん:2012/11/12(月) 02:41:42.12 ID:4bDKUMTQ
「宇宙とは、生命とは?とにかく本当のことが知りたいんだ」というウズウズに応えてくれるのが神智学か。
で、なんでもわかった気にさせてくれるためには、
すべてを単純化してひとつのシナリオに集約しなければならない。
897神も仏も名無しさん:2012/11/12(月) 07:59:27.81 ID:1stFzSxC
>>893 神智学の「学」は自称じゃない?
>>894 科学や学問と自称し、そのイメージを悪用しているよね。
>>896 それはロゴス(神、>>885)らしい。たとえば、E=MC^2だとか、
宇宙方程式だとか、のことかもしれない。
それにしても神智学は、宗教を装った唯物論としか思えない。
898神も仏も名無しさん:2012/11/12(月) 12:57:05.67 ID:cUTzh5Bo
>>881
弘法大師の著作のうち、読むとサマヤに抵触するものはどれでしょう。
>>882
テーラワーダ圏のお坊さんは、少なくとも日本のお坊さんよりは
教化に熱心だと思います。
>>897
個人的にはマニ教と同じタイプの宗教だと思います。
生活上で行う儀礼や習慣に重きを置かず、
ドラマティックな神話を味わうタイプの宗教です。
最近ではニューエイジがそうですね。

神智学スレが新しくできたので
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1352690107/l50
続きはそちらで。
899神も仏も名無しさん:2012/11/12(月) 13:07:35.79 ID:6yMiDCCj
>>898
詩文、書簡を除いて基本的に全てですね。

特に事相関係、中でも『秘蔵記』だと思います。
900神も仏も名無しさん:2012/11/12(月) 13:09:51.40 ID:cUTzh5Bo
>>872さんはお坊さんか、何らかの灌頂を受けた人なのですか?
901神も仏も名無しさん:2012/11/12(月) 13:27:27.45 ID:cUTzh5Bo
サマヤについて書いた本ってありますか?

サマヤ指定な儀式や教えの中身のことじゃなくて、密教のうちある部分は
灌頂等を受けてない人が、見たり読んだり触れたりしてはいけない事について
専門的に書いた本です。前に検索はしましたが、
それらしい本は見つけられませんでした。

ttp://isumu-shop.jp/isumu/7.1/244-023/
それにしても仏像はいいですね。
拝観くらいなら可能であるのなら、顕教系の仏像と同じく
密教尊格の仏像も自宅に置いていいものなのでしょうかね。
902宝珠愚者@(規制代行):2012/11/12(月) 15:27:39.45 ID:lEXx8a5M
>>901
>密教尊格の仏像も自宅に置いていいものなのでしょうかね。

単なる模型や美術コレクションとしてなら問題ないでしょう。
ただし、礼拝を捧げたり、祈りの対象にするのならば如何なものか?
と思います。

一般的には光背のある仏像は礼拝対象であるといわれており、
またもちろん、開眼供養のしてある仏像の場合にはそれ相当の扱いが必要となります。
そして、あなたが気にされるように密教の尊格の中には
素人が御祀りするのには相応しくない場合が多くあります。
御祀りを意図される場合には、然るべき密教僧に相談されるべきです。
903宝珠愚者@(規制代行):2012/11/12(月) 15:27:57.77 ID:lEXx8a5M
>>898
せっかくなのですが、
あまり気乗りのしないスレにて遠慮しておきます。
これも仏教徒との対話の流れの一部ですから、
すみませんが、一部レスを仏教議論スレに投稿させてもらいます(失礼)。
904神も仏も名無しさん:2012/11/12(月) 18:46:37.70 ID:mWjctdA2
>無我は結局大我ということになる。 『仏教要語の基礎知識』p166

つまりどういう事なのでしょうか?詳しい方解説お願いします。
905神も仏も名無しさん:2012/11/12(月) 21:05:23.99 ID:CwEJfYlb
http://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E6%88%91

大辞林 第三版の解説

大我(たいが、だいが)

@悟りによって得られる絶対に自由な在り方。真我

A利己的な立場を克服し,より広く公共的な立場をとる主体性。 ↔ 小我
906神も仏も名無しさん:2012/11/12(月) 21:35:05.24 ID:6yMiDCCj
>>901
サマヤは師匠や法、本尊との信頼関係という意味

密教は本で読むもんじゃないです、本当に知りたいなら師匠に就くべきです。

師匠は日本なら、ガルチェン・リンポチェかゲツェ・リンポチェ、ゾンサル・キェンツェー・リンポチェ、ズィがー・コントゥル・リンポチェがいいかもしれません。

仏像はいいと思いますが師匠に伺うのがよりよいと思います。
907神も仏も名無しさん:2012/11/12(月) 21:37:59.10 ID:6yMiDCCj
>>904
私という意識をなくし、自他平等、法界平等という意味です。

ただし、外道のアートマンやブラフマンという意味ではありません。

ここが重要です。
908882:2012/11/12(月) 22:12:00.94 ID:4bDKUMTQ
>>898 言葉足らずでした。
ブッダは、仏教のない世界に初めて仏教をもたらし布教を開始する開祖です。
大乗でめざすのはそのような開祖ブッダと言えます。
すでに仏教のある世界で先輩から教えり継いで布教するのは、宗派を問わずあたりまえのことです。
そして、私はそれでいいと思います。
みんながみんな新しい仏国土を開拓するのは無理があります。
もしそれをやるなら、新規の世界に輪廻するまで涅槃をおあずけに
しなくてはならないわけですが、現実的にそれが可能なのかもわからない。
909神も仏も名無しさん:2012/11/12(月) 22:13:59.03 ID:4bDKUMTQ
>>907 大我という考え方は上座部にもあるのでしょうか?
大乗っぽいかんじがするのですが。
910神も仏も名無しさん:2012/11/12(月) 22:28:18.87 ID:6yMiDCCj
>>909
このように CSCD で検索する限りありませんね。
http://search.tipitaka.org/solr/web?q=mah%C4%81tta&fq=script%3Aromn&facet.field=volume

その後、あるかどうかは知りません。
911神も仏も名無しさん:2012/11/12(月) 22:43:31.78 ID:mWjctdA2
>>907
以前議論スレに現れた以下の人が言っていたのと同じ様な意味ということですか?

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1350666891/

28 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/10/20(土) 17:53:34.63 ID:DpMMWT5n
よく「真我・アートマン」と云う言い方が出て来るが誤解があるようだ.
仏教では御仏そのものなのである.つまり自分自身(自我)【ではない】別在.
御仏こそが真実な命そのものであり全てであり時を越える不思議なのである.
次に「無我」についてであるが、単純に自我の消滅と考えたのでは誤解する.
御仏への帰一により一体合一とななればこそ自我は無我なのです.

29 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/10/20(土) 17:56:17.76 ID:DpMMWT5n
究極至高の存在者とは「有・無」と云うよりも「超越」と言うべき.
超越者への帰一合一とは無常変転無我であって死滅ではなく真実の命への
成仏に他ならない.梵我一如を仏教で否定するのはそう云う意味です.
涅槃と無我の意味するところを整理できないと混乱があるだけです.
また「空」についても誤解があるものと思う.空とは本質認識なのです.
912神も仏も名無しさん:2012/11/12(月) 23:33:25.86 ID:6yMiDCCj
913宝珠愚者@(規制代行):2012/11/13(火) 16:38:57.98 ID:yzE4UoeK
>>892
議論スレにレス投稿しました
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1350666891/l50
914神も仏も名無しさん:2012/11/16(金) 01:46:47.74 ID:SDzuAQQ/
>初期仏教では、空と同時に、蜃気楼とか、無常という単語も使い。空の代わりに、苦、苦しみという単語も使う。夢という単語も使います。
>大乗仏教では空というのが一つの哲学思想体系として発展していくのですが、初期仏教では、ただ現象の姿を説明する一つの単語にすぎないのです。

こういう話(説)を、よく聞きます。大乗と初期仏教の「空」の違いと言うのは、定説として理解していいのでしょうか?
また、上にあるような、空が蜃気楼・無常・苦・苦しみ・夢などと対応している部分などありましたら一部でもいいので教えて下さい。
915神も仏も名無しさん:2012/11/16(金) 08:30:03.15 ID:0ySesUd+
色は空である 色は苦である
916神も仏も名無しさん:2012/11/17(土) 14:37:58.20 ID:B4pY0uhr
本日付けの中日新聞の立川武蔵の「ブッタをたずねて」というコラムの中で(引用の都合上てにおはなどを変えています)

>初期仏教では、ブッダは人間以上のものではなく修行者たちのモデルであり、導師出であった。大乗では、「神的存在」として崇拝される
>ブッダが登場。そのような崇拝を「帰依」と呼ぶことが出来る。このような帰依の対象としての代表格が阿弥陀仏である。
>インドで阿弥陀仏が生まれた頃、ヒンドゥー教ではバクティが勢力を得た。

とあり、まとめにおいて

>阿弥陀仏への帰依とバクティの帰依は同種の崇拝行為だ。
とし、ともにガンダーラ地方やマトゥラーで仏像が作られた時期と大乗やバクティが台頭してきた時期が重なる点から
共に、ヘレニズム世界の影響によるものだと〆ています。

ヘレニズムの影響による大乗とヒンドゥー教のバクティの「帰依」が同種であるという話は、かなり説得力があるように感じましたが
なんだか違和感が残ります。具体的に仏教とバクティの帰依の違いや類似点などあったら教えてください。
917神も仏も名無しさん:2012/11/17(土) 14:53:06.45 ID:B4pY0uhr
>初期仏教では、ブッダは人間以上のものではなく修行者たちのモデルであり、導師出であった。大乗では、「神的存在」として崇拝される

>初期仏教では、ブッダは人間以上のものではなく修行者たちのモデルであり、導師であった。大乗では、「神的存在」として崇拝される

訂正。あと、仏教とバクティの帰依の違いで、アートマンを認める認めない見たいな、話は省いてくれるとありがたいです。
918神も仏も名無しさん:2012/11/17(土) 14:58:20.33 ID:IiTDDGcB
>>916
単純に立川さんなどのような説は、諸事象を勝手に繋げた妄想としか思えませんね。

帰依というのは、仏教の基本で仏教成立時からあった。

釈尊は帰依した相手にしか、仏教の本質を説いてませんよ。
919神も仏も名無しさん:2012/11/17(土) 15:06:03.93 ID:B4pY0uhr
>>918
上にも書きましたが、立川さんは、初期仏教と大乗の帰依を分けています。
ココで取り上げているのは、阿弥陀仏を初めとする大乗の「神的存在」として崇拝されるブッダに対する「帰依」ですから
導師としての
>釈尊は帰依した相手にしか、仏教の本質を説いてませんよ。
となんら矛盾しないと思います。
920神も仏も名無しさん:2012/11/17(土) 15:26:37.10 ID:IiTDDGcB
>>919
そのコラムは読んでないんで分かりませんが、少なくとも引用からは、
921宝珠愚者@(規制代行):2012/11/17(土) 15:37:26.61 ID:QfVZMYJc
>>916-917
「無我」思想を除外してしまうと違いは殆どないでしょうね。
やはり、諸行無常/縁起(だから“無我”となるんだと仏教とは云う)を唯一の違いにしたがるでしょうが、
実質上はヒンドゥー・ヴェーダーンタ思想のマーヤ(物質の幻影的性質)とも明確な違いはなし。
ただ根本原因として至高者(創世神)を立てているか、仏教のように立てていないかの違いです
(これが決定的な違いかな)。

如来であろうがどうであろうが、
崇拝対象として自己救済の全面依存を図るということは神へのバクティと何らの違いもない。
ゴータマは私に依存したとろで解脱成仏はできないと厳しく戒められていたので、
救済を願う信仰となってしまっては仏教とはいえません。

正直、無我については平均的仏教などは理解などしてないから、
彼らに聞いても納得いく回答を得るのは無理です。
(尚、私は仏教徒ではなく、アンチ伝統仏教者なので私のことは信用しなくても結構です)

>>915
であるから、涅槃も如来も“空”などでは有得ない。
922宝珠愚者@(規制代行):2012/11/17(土) 15:39:26.34 ID:QfVZMYJc
>>918-920
「阿弥陀仏への帰依とバクティの帰依は」と述べていることですから、
その立川武蔵氏の解釈説明で何も問題なし。
これは、仏教における「帰依」とは何か?などいう解説ではないから。
923神も仏も名無しさん:2012/11/17(土) 15:42:28.22 ID:IiTDDGcB
>>920
>大乗では、「神的存在」として崇拝されるブッダが登場。そのような崇拝を「帰依」と呼ぶことが出来る。

としか書いてないので「帰依」は上の意味にしかとれません。

それとアミダにしろ「神的存在」というのは誤解ですよ。
アミダ仏も釈尊もなんら変わりません。
逆に「初期仏教では、ブッダは人間以上のものではなく修行者たちのモデルであり、導師でであった」というのは誤解です。

それは偉大な文献学者ドゥ・ヨングがThe Study of Buddhism. Problems and
Perspectives という論文で、
ブッダは神でも魔でも人でもなくブッダであるという以下の『ドナ・スッタ』を引用してブッダが唯一無二の存在であることを指摘し、これが仏教文献研究の出発点でなければならないと述べる通りです。
  http://www.accesstoinsight.org/tipitaka/an/an04/an04.036.than.html

つまり、「初期仏教では、ブッダは人間以上のものではなく修行者たちのモデルであり、導師でであった」というのは19世紀のシュトラウスが行ったような脱神話化したイエス伝、
それを真似た19世紀的な偏向に過ぎません。

未だにそのような19世紀的な考えで仏典を読んでも、倫理・道徳程度の意味しか探れない、と以下のように釈尊自ら説かれています。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/16.html
924神も仏も名無しさん:2012/11/17(土) 15:43:45.08 ID:B4pY0uhr
>>920
そもそも質問の本質からズレていますし質問した立場で、何回も投稿するのは気が引けますが・・・
必要ないと思い都合上省きましたが、立川さんは、「インドの初期仏教と大乗仏教との大きな違いは、ブッダと仏教徒との関係にある」と言っています。

上で示した部分で言うと

>初期仏教では、ブッダは人間以上のものではなく修行者たちのモデルであり、導師であった。大乗では、「神的存在」として崇拝されるブッダが登場。そのような崇拝を「帰依」と呼ぶことが出来る。

として、後者(大乗)の「神的存在」として崇拝されるブッダへの崇拝を「帰依」と呼び話を進めています。つまり、「帰依」を初期仏教には無かった崇拝の形に限定して使っているわけです。
阿弥陀仏(つまり浄土ですね)とバクティの対比なので、初期仏教との違いをそこまで強調する必要は無いと思ったのですが。。。

一応質問を繰り返させてもらうと

ヘレニズムの影響による大乗とヒンドゥー教のバクティの「帰依」が同種であるという話は、かなり説得力があるように感じましたが
なんだか違和感が残ります。具体的に仏教とバクティの帰依の違いや類似点などあったら教えてください。
925神も仏も名無しさん:2012/11/17(土) 15:56:40.84 ID:B4pY0uhr
920へのレスと書いている間に一気に書き込まれてしまった

>>921
なるほど、アンチ伝統仏教者?の立場からみれば、神(方便)への「帰依」という意味では違いは無いですね。

>>923
>文献学者ドゥ・ヨングブッダは神でも魔でも人でもなくブッダであるという以下の『ドナ・スッタ』を引用してブッダが唯一無二の存在であることを指摘
>「初期仏教では、ブッダは人間以上のものではなく修行者たちのモデルであり、導師でであった」というのは19世紀のシュトラウスが行ったような脱神話化したイエス伝

知りませんでした。

>それとアミダにしろ「神的存在」というのは誤解ですよ。
>アミダ仏も釈尊もなんら変わりません。

これについては、どうも納得できませんが示されたサイトなどをみて調べてみます。



御ふたりともありがとうございました。
926宝珠愚者@(規制代行):2012/11/17(土) 16:21:07.07 ID:/IjGc6oG
訂正:>>921
 ×「(だから“無我”となるんだと仏教とは云う)」
 ○「(だから“無我”となるんだと仏教徒は云う)」

 ×「平均的仏教などは」
 ○「平均的仏教徒などは」
927宝珠愚者@(規制代行):2012/11/17(土) 16:21:39.87 ID:/IjGc6oG
あげ忘れ
928宝珠愚者@(規制代行):2012/11/17(土) 16:23:17.26 ID:/IjGc6oG
追記:

歴史的な現実問題として、
ゴータマ仏に対しても神格化が図られ、
そして、ゴータマが説きもしなかった架空の諸仏たちをドンドンと打ち立てて、
これらに帰依するようになったのだから、そのように言われても仕方のないこと。
ただ、そのような見方や批判が気に入らない人々(そこの熱烈な信奉者たち)がいるのです。

ゴータマを「ただの人間」とするか、
「通常の人間を超えた人間」とするか、
「人間」を超えているから、「人間」ではないものとするか・・・の違いはいろいろです。
学者がゴータマを「人間」として提示しようが大した問題ではない。
彼らは所詮、学者なんだから。そんな部分に突っかかっても無意味です。
929神も仏も名無しさん:2012/11/17(土) 17:00:56.21 ID:Eevegt5O
お釈迦さんは人間じゃなかったのか!

こりゃまたびっくりだわw
930宝珠愚者@(規制代行):2012/11/17(土) 18:04:32.17 ID:jBssfSP9
>>929
肉体的上の形態的な部分は普通の人間と変わるところがないが、
その(精神性における)内的な部分はまったく異なっています。
それ故に、“如来ホトケ”などと呼ばれるのです。
人間(レベル)を卒業した存在です。

そこら辺の
ただの人間たちと同列扱いする方がびっくりだわ!!
931セブン:2012/11/17(土) 18:27:58.08 ID:Eevegt5O
>>930
仏教舐めんなw
932神も仏も名無しさん:2012/11/17(土) 22:51:15.14 ID:4QjgJNZ7
>>930
これが・・・新人類・・・・!!!
933神も仏も名無しさん:2012/11/18(日) 01:26:48.89 ID:gxDVkiYH
この世には10種類の人間しかいない。二進数を理解する人間と理解しない人間だ。

こんな感じのジョークというか喩え話って仏教にありますか?
934神も仏も名無しさん:2012/11/18(日) 01:41:06.14 ID:JTIGjfUw
>>933
ジョークは無い。
喩え話なら、
「上品、中品、下品」(理解力の上中下)、
「天人、人、動物」といった、“教えに触れる・行に専念する機会の有無及び理解可能性”の階梯、
或いは、
「教えを聞き、解し、救済される者」と「(教えに耳を塞ぎ)救済可能性のない者(一闡提)」とか
はある。
935神も仏も名無しさん:2012/11/18(日) 16:00:12.52 ID:wx7uEK7i
大乗仏教が釈迦を神格化したのはキリスト教のテオシス神学の影響だな。
936神も仏も名無しさん:2012/11/18(日) 21:54:17.64 ID:07U93CEo
>>935
それぞれの時代と発生地域の理解が乏しいように思う。
937神も仏も名無しさん:2012/11/19(月) 22:25:29.30 ID:57KlSjHk
>>471
めちゃくちゃ遅レスですが

>>『入中論自註』近刊
って
http://kishin-syobo.com/index.php?%E4%BB%8F%E6%95%99%E4%B8%80%E8%88%AC
これのことですか?
938神も仏も名無しさん:2012/11/19(月) 23:04:16.48 ID:TzVlS2Mt
>>937
それだよ〜
939神も仏も名無しさん:2012/11/19(月) 23:17:37.28 ID:qq5cileZ
Σ(´∀`)  お? あまぞんにもあるやん


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こんな世界にもダフ屋が・・・w
940神も仏も名無しさん:2012/11/20(火) 19:18:40.80 ID:JJiHGX+Y
議論スレに貼ってあるサイトに「戯論寂滅・増益断除・破邪顕正という中観の核心」と言う言葉がありました
戯論寂滅は、なんとなくわかりますが、後ろの2つは良くわかりません、どなたか分かりやすい説明お願いします。
941神も仏も名無しさん:2012/11/20(火) 20:03:53.22 ID:Av3jH9JY
>>940
戯論寂滅・増益断除・破邪顕正は、基本的に同じような意味です。

増益というのは、尾鰭を付けること、ない事を妄想で加えることです。
それを断ち除くことです。

破邪顕正というのは、シナ・日本の三論宗でいうことです。
相手が掴んでいる見解・思想・主張が、戯論・妄想・邪見です。
それを四句分別や帰謬法などで論破する。
それによって無戯論という寂静の正しい境地を顕すという意味です。
942神も仏も名無しさん:2012/11/20(火) 21:09:48.93 ID:C2jZ8cGM
『入中論自註』
瓜生津ってのは龍樹とか真宗カテゴリでよく見た名前だけど。
中沢中って誰ぞ?
学者?それともペンネームか何か?
最近いろんなスレでこの名前見かけるんだけど最近頭角を表してきた人なん?
943神も仏も名無しさん:2012/11/20(火) 21:47:55.23 ID:Av3jH9JY
>>942
まあ、一生頭角は顕さないだろうけど、本名だな。
944神も仏も名無しさん:2012/11/20(火) 22:09:11.69 ID:JJiHGX+Y
検索したら佐藤剛裕のTwitterが引っかかったけど関係あるのかな
945神も仏も名無しさん:2012/11/20(火) 22:47:23.90 ID:+zC8O+sg
入中論自註、自分は書店で取り寄せて入手できました。
946神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 00:53:06.59 ID:mLNzftid
入中論自註の訳のクオリティってどんなもんなん?
注って細かくついてる?
クリティカルされたテキストとかってついてたりする?
947神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 05:55:10.04 ID:QJunpQ5e
>>946
作業版公開されてるよ〜
http://kishin-syobo.com/index.php?%E8%B3%87%E6%96%99%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%AF

この作業版註で触れられたものは基本的に和訳註で訳されてる。

あと一刷の正誤表:
http://ja.scribd.com/doc/114119958/
948神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 17:21:07.27 ID:PGUuaU4H
テルマってなんですか?
関係ないと思いますけど青山テルマやテルマエロマエなら知ってます。
949神も仏も名無しさん:2012/11/25(日) 19:36:11.56 ID:QJunpQ5e
>>948
テルマとは教主以来、師から弟子へと次々に口伝えによって脈々と伝えられてきた口承の教えであるカマ、アーガマに対する言葉で、
成就者が未来の教化対象となる諸有情のために寺、岩、寺、心相続など様々な所に埋蔵・ 封印し、機が熟した時、聖者が埋蔵・ 封印を解いて取り出した教えを意味します。

大乗経典も同じだと思います。
950神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 00:43:14.72 ID:aSJz9BgL
普通のチベット語とアムド方言ってどれぐらい違うの?
なんか具体例つきで教えて!
951神も仏も名無しさん:2012/11/26(月) 04:18:11.12 ID:CJCJODHJ
>>949
誰か天台チギさんにテルマについて、教えてあげるべきでしたね。
大日経ですら五時八教に組み込んでるんでしたっけ?
952神も仏も名無しさん:2012/11/28(水) 11:23:48.90 ID:DkjkAHbU
『中論』で否定されている「無我」と中論以降の大乗仏教が言っている「無我」の違いを教えてください。
953神も仏も名無しさん:2012/11/28(水) 12:04:45.16 ID:zdtXWQee
>>952
逆にそのような違いがあると誰が言ってるのでしょうか?

できれば書籍や論文などを引用するか、書誌、頁数を教えてください。
954神も仏も名無しさん:2012/11/28(水) 12:19:29.64 ID:DkjkAHbU
難しい話じゃないです。第十八章についての初歩的な質問です。
955神も仏も名無しさん:2012/11/28(水) 12:30:33.99 ID:sY9hlIok
雜阿含經卷第五
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&nonum=&kaeri=&mode2=2&useid=0099_,02,0032a21
T0099_.02.0032a22: 告仙尼。今當爲汝隨所樂説。佛告仙尼。色
T0099_.02.0032a23: 是常耶。爲無常耶。答言無常。世尊復問。仙
T0099_.02.0032a24: 尼。若無常者是苦耶。答言是苦。世尊復問
T0099_.02.0032a25: 仙尼。若無常苦是變易法。多聞聖弟子。寧於
T0099_.02.0032a26: 中見我異我相在不。答言。不也世尊。受想
T0099_.02.0032a27: 行識。亦復如是。復問。云何仙尼。色是如
T0099_.02.0032a28: 來耶。答言。不也世尊。受想行識。是如來
T0099_.02.0032a29: 耶。答言。不也世尊。復問。仙尼。異色有
T0099_.02.0032b01: 如來耶。異受想行識有如來耶。答言。不
T0099_.02.0032b02: 也世尊。復問。仙尼。色中有如來耶。受想
T0099_.02.0032b03: 行識中有如來耶。答言。不也世尊。復問。仙
T0099_.02.0032b04: 尼。如來中有色耶。如來中有受想行識耶。
T0099_.02.0032b05: 答言。不也世尊。復問。仙尼。非色非受想行
T0099_.02.0032b06: 識有如來耶。答言。不也世尊。佛告仙尼

見我異我相在不 − 我と見るか? 異我か? 相在か? 不か?

我でもない、異我でもない、相在でもない

中論の「我という自性はない」は同じ意味だと思います
956神も仏も名無しさん:2012/11/28(水) 12:47:41.11 ID:sY9hlIok
http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron03a.htm#観法品第十八

中論觀法品第十八

八聖道分を修習して、我、我所を滅する因縁の故に、無我、無我所を得て、智慧を決定する
  _  _  _

中論以前も中論以降も ↑ これで良いと思いますが?
957神も仏も名無しさん:2012/11/28(水) 13:03:51.70 ID:DkjkAHbU
>諸佛或?我  或?於無我
>諸法實相中  無我無非我
おそらく、私が勘違いしたのはココの部分ですね。
無我無非我を「我もなければ無我もない」見たいに訳されていた(空覚え)のをそのまま解釈しちゃったんだと思います。

あと上段では、我と無我なのに対して後半では、我と非我になってるのはなにか意味があるんですか?
958神も仏も名無しさん:2012/11/28(水) 13:11:25.24 ID:sY9hlIok
「我という自性はない、それ故に、非我という自性もない」という意味だと思います
959神も仏も名無しさん:2012/11/28(水) 13:31:38.54 ID:sY9hlIok
http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron03a.htm#観法品第十八

中論觀法品第十八

若し、我は、是れが、五陰ならば、我は、即ち、生滅だ

我、我所を滅するが故に、『無我の智を得る』と名づける

無我の智を、得た者は、是れを、則ち、『実観』と名づける

内外の、『我、我所を、滅し尽くして、無い』が故に

諸受は、即ち滅せられ、受が滅すれば、則ち、身も滅する

業、煩悩が滅するが故に、之を、『解脱』と名づける
  _  _  _

我、我所を、滅し尽くした場合は『無我』を使うとか?

他の先生に確認して見て下さい
960神も仏も名無しさん:2012/11/28(水) 13:53:19.08 ID:zdtXWQee
>>954
いや、逆にこちらの問いこそ簡単だと思いますが

では、誰かが言っているのではなく、アナタの個人的な考えなのですか?

でなければ、誰がどこで言っているか教えてください。

アナタご自身の疑問は解決されたかもしれませんが、知らない説なので後学のために教えてください
961神も仏も名無しさん:2012/11/28(水) 14:32:37.43 ID:DkjkAHbU
>>960
957にも書きましたが訳を読んで私がそう思ったということです。
読んだ訳は確か、中村元さんと梶山雄一さんだったと思います。
962神も仏も名無しさん:2012/11/28(水) 15:10:44.12 ID:zdtXWQee
>>961
分かりました。
あれでは分かりませんよ。
963神も仏も名無しさん:2012/11/29(木) 21:25:35.75 ID:hey0nS2D
釈尊と阿弥陀仏ってどう違うのですか?
964神も仏も名無しさん:2012/11/29(木) 21:44:50.07 ID:08quhBJ8
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E5%BC%A5%E9%99%80%E5%A6%82%E6%9D%A5

阿弥陀如来(あみだにょらい)とは、大乗仏教の如来の一つである。
梵名は「アミターバ」、あるいは「アミターユス」といい、それを「阿弥陀」と音写する。
「阿弥陀仏」ともいい、また略して「弥陀仏」ともいう。

梵名の「アミターバ」は「無限の光をもつもの」、「アミターユス」は「無限の寿命をもつもの」の意味で、これを漢訳して・無量光仏、無量寿仏ともいう。
無明の現世をあまねく照らす光の仏にして、空間と時間の制約を受けない仏であることをしめす。西方にある極楽浄土という仏国土(浄土)を持つ(東方は薬師如来)。
三昧耶形は蓮の花(金剛界曼荼羅では開花した蓮華、胎蔵曼荼羅では開きかけた蓮華)。種子(種字)はキリーク。

真言・陀羅尼
小咒は、オン・アミリタ・テイセイ(新義真言宗等一部宗派では『テイゼイ』と読む)・カラ・ウン。
  _  _  _

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%88%E8%BF%A6%E5%A6%82%E6%9D%A5

釈迦如来または釈迦牟尼仏は、仏教の開祖釈迦(ゴータマ・シッダッタ、ガウタマ・シッダールタ、瞿曇悉達多)を、仏(仏陀)として敬う呼び方。

上座部仏教(いわゆる小乗仏教)では、釈迦牟尼仏は現世における唯一の仏とみなされている。
最高の悟りを得た仏弟子は阿羅漢(アラカン 如来十号の一)と呼ばれ、仏である釈迦の教法によって解脱した聖者と位置づけられた。

大乗仏教では、釈迦牟尼仏(釈迦如来)は十方(東南西北とその中間である四隅の八方と上下)三世(過去、未来、現在)の無量の諸仏の一仏で、現在の娑婆(サハー、堪忍世界)の仏である。
また、三身説では仏が現世の人々の前に現れた姿であるとされている。

真言
ノウマク・サンマンダ・ボダナン・バク
965神も仏も名無しさん:2012/11/29(木) 23:11:03.62 ID:hey0nS2D
すいません。もっと分かりやすく簡潔にお願いできますか。
966神も仏も名無しさん:2012/11/29(木) 23:31:12.32 ID:08quhBJ8
阿弥陀仏は、西方にある極楽浄土という仏国土(浄土)を持つ仏(如来)である

釈迦は、現世の人々の前に現れた仏(如来)である
967神も仏も名無しさん:2012/11/30(金) 00:30:04.77 ID:qzehlDSO
釈迦→古代インドに生まれた仏教の開祖

阿弥陀→ナンマイダーと唱えたら救ってくれるスーパーマン
968神も仏も名無しさん:2012/11/30(金) 01:38:06.16 ID:JXsD0g7v
>>963 経典に出てくる話では、お釈迦様が弟子や信者に対して
阿弥陀仏や阿弥陀仏の建てた西方極楽浄土の存在を説いて、浄土に往生する方法を説いている。
釈尊はこの裟婆世界で「極楽浄土へ往け」と背中を押す仏で、
阿弥陀仏は「念仏すればもれなく極楽浄土へご招待」と迎えてくれる仏。
私達が今いる世界は裟婆世界で、その裟婆世界の仏がお釈迦様。
阿弥陀仏は西方極楽浄土と呼ばれる別世界の仏。
お釈迦様は2500年以上前に入滅されたが、
阿弥陀仏は寿命が無量であり今現在も西方極楽浄土で生きておられる。
969神も仏も名無しさん:2012/11/30(金) 01:52:11.67 ID:4QsEPMxt
自分も中論18章の、
『六 もろもろのブッダは、「我(アートマン)が有る」と仮説し、
「無我(アナートマン)である」とも説き、
また「アートマンなるものは無く、無我なるものは無い」とも説いた。』
の解釈は気になります。

これはつまり、
世諦として我を説き、勝義諦として無我を説き、
それらの二諦によって非我・非無我の中道、戯論寂滅への導く…という感じなんですか?
真実のありさまを見れば、我と説かれたものは我にあらず、無我と説かれたものは無我にあらず、という。
970神も仏も名無しさん:2012/11/30(金) 02:37:00.82 ID:qUthGa+F
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%91

我とは、バラモン教(のちヒンドゥー教)及び仏教上の概念。アートマン(梵我)。
仏教ではその教義的立場から、我というものに関して、実我(じつが)、仮我(けが)、真我(しんが)という区別を説いている。
このうち、「実我」(aatman)については、仏教はこれを否認して無我(anaatman)といい、非我(niraatman)という。

この語が存在について、その本質とか自性とかを意味するようになり、後には万物の髄とか本体とかを示すようになり、
ことに人間の生命現象の奥に潜んでいる本質存在と考えられるようになった。

ウパニシャッド
このような「実我」は仏教以前のウパニシャッド哲学で力説され、一方に「ブラフマン」(梵、braahman)との相即がいわれた。(梵我一如)

仏教では、ここで説かれるような実我を常一主宰と規定付けた。
すなわち、我は、常住であり、他との何らの関係をもたないで単独で存在することができるものと考え、それは働きのうえで自由自在の力をもつとした。
この我によって人間生存は根拠付けられ、支配されていると考えるのである。

釈迦はこのような実我観念を批判し、「我として認められるものはない」として、諸法無我と説いた。
これを色受想行識の五蘊について説き、人間生存は無我である 『 五蘊の仮和合したものである 』 から仮りの存在であると説いた。(五蘊仮和合)
971神も仏も名無しさん:2012/11/30(金) 03:00:52.46 ID:qUthGa+F
http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron04a.htm

中論觀四諦品第二十四

諸仏は、二諦に依り、衆生に、説法される
一は、世俗諦
二は、第一義諦で
若し、人が、二諦を、分別することを知らなければ
則ち、深い、仏法の、真実の義を知らない

世俗諦とは、一切の法は、性空だが、而し
世間は、顛倒の故に、虚妄の法を生じ
世間には、是れが、実である

諸の、賢聖は、真に、顛倒の性を知るが故に
『一切の法は、皆、空で、無生だ』と知り
聖人には、是れが、第一義諦で、実と名づける

『衆因縁より、生ずる法を、わたしは、即ち、是れは空だ』と説いた
何故ならば、衆縁が、具足、和合して、而も、物が生ずる
是の、物は、衆因縁に属するが故に、自性が無い
自性が無いが故に、空である
但だ、『衆生を引導するが故に、仮名の空を以って説いた』
972神も仏も名無しさん:2012/11/30(金) 04:54:52.73 ID:/eLmZq1R
>>963
違います。
973神も仏も名無しさん:2012/11/30(金) 05:11:53.98 ID:/eLmZq1R
>>969
世俗の言い習わしに従って世間で話す場合は「我(私)が有る」と仮説し、
我執を壊すため「無我(アナートマン)である」とも説き、
勝義に導くため「アートマンなるものは無く、無我なるものは無い」とも説いた。

そして最終的勝義としては「ブッダは何も説かなかった」25-24です。

つまり、本当の勝義は戯論寂滅ですから、何も説くものはありません。
説くのは、単に世間的な言い習わし通り話すか、有情を導く教えとしてそれぞれに対して、それぞれ教え導いているということです。

以下も同じことです。
http://repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/bitstream/10723/72/1/culture4_137-149.pdf
974神も仏も名無しさん:2012/11/30(金) 11:37:00.74 ID:SbpoL/lr
>>973
え?何も説いてないって事は、仏教の本来の教えは、無我ですら無いってこと?
975神も仏も名無しさん:2012/11/30(金) 12:37:44.81 ID:qUthGa+F
http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron04a.htm
中論卷第四  龍樹菩薩造梵志青目釋  姚秦三藏鳩摩羅什譯  觀如來品第二十二
空は則ち説けない空でなくても説けない
但だ仮名を以って説くのみだ
諸法の実相は性空であるが故に如来の滅後をこう思惟してはならない
有るか? 無いか? 有であり、無であるのか? と
如来は本より畢竟じて空なのだ
如来は戯論を過ぎるが
而し人は戯論を生ずる
  _  _  _

人は戯論を生じているので
「我でもない非我でもない」と言う事柄に「固執するな」と言う事かもしれない
  _  _  _

般若経の解説
http://www.dia.janis.or.jp/~soga/subindex.html
世尊は輪廻を説かれたのではなく、輪廻からの解脱を説かれた
世尊の時代、人々は(バラモンなどの)輪廻を信じていた
だから世尊は、(バラモンなどの)輪廻を方便として、正しい知恵を説かれた
あなたたちは、大きな激しい変化にばかり心を奪われたことだろう
「いつも」もまた無限の変化でできていることを、あなたたちは見なければならない
これまであなたたちは、(バラモンなどの)善行に励み、永遠ばかりを探してきた
だから、凝り固まり、ありのままに変化を見ることに慣れていない
無我を、縁起を、空を見ることがうまくない
あなたたちは、練習が必要だ
禅定に入ろうとする人は…
…この吐いて吸う大きな長い息を十数え、何度も繰り返し、なにも考えず、ただ息を数え続けます
976神も仏も名無しさん:2012/11/30(金) 12:47:03.84 ID:XHgvNZx/
>>973
なるほど、確かにこの場合は非我・非無我まで説かれたとあるので、
世諦を我・無我とし、勝義諦を非我・非無我とした方が適切でしたね

>>974
吉蔵の中観解釈をかじった者ですが、
無我と理解する者は、我と理解する者よりは理解が深いですが、
諸仏菩薩と比べるとまだ誤りであるみたいです。
諸仏は我を世諦として、勝義諦としての無我に至らしめ、
我・無我を世諦として、勝義諦としての非我・非無我に至らしめる。
その非我・非無我(我は無く、無我なるものも無い)ということを見解として持って滞ることになるならば、
二(我・無我)、不二(非我・非無我)を世諦として、非二非不二に至らしめる。
つまり、「ブッダは何も説かなかった」25-24で示してくださったように、
言葉で表された「教」はすべて、戯論寂滅・言忘慮絶の「理」に導くための手段に過ぎない、ということだと思います。
そこを分からずに「無我」と聞いては「無我こそ理である」と自分の誤解を深めてしまうことに吉蔵は警鐘をならしているようです。
一方、方便のある者は、諸仏の説く有無が因縁(縁起)による有無であり、仮の有無であると正しく理解できるのだそうです。

理科の先生が「物質は原子からなります」と言うと、
皆は原子なるものが実在すると世界の中に求めるのは自然なことだと思いますが、
諸仏が「xがあります」といったとき、同様にxなる実在が世界にある、
と思い込んでは、うまくいかないのだと思います。
あくまで、"導き"のために説かれたのだと思います。
977神も仏も名無しさん:2012/11/30(金) 13:10:19.29 ID:/eLmZq1R
>>974
教えは色々です。

勝義は教えではなく、本来の状態そのもの、戯論寂滅の境地自体なので、そこは教えも戯論、仮設ですから寂滅していますので。


>>976
おお! いいですね。その通りだと思います。
978神も仏も名無しさん:2012/11/30(金) 17:30:26.08 ID:QPXDEUSZ
宮本啓一『仏教誕生』を読んだのですが、いろんな視点を知りたいと思うので、
他の仏教学者がブッダ像を語った本を読みたいと思います。
おすすめの本を教えてください。
979宝珠愚者@(規制代行):2012/11/30(金) 17:54:51.08 ID:+q5M+6li
>>963
釈尊は、
実在したゴータマ王子の史実としての生ける如来です。

対する阿弥陀如来というのは、
初期大乗グループがゾロアスター教からその概念を拝借してきたものです。
これは史実の如来ではなくて、ゾロアスター教の救世神だと思われます。

研究家によれば、
阿弥陀仏の原名「アミターバ」(amitAbha)は無量光を意味し、ゾロアスター教の光明神と結びつく。
また、別名「アミターユス」は無量寿と訳され、無限時間を指すズルワーン・アカラナと同じ意味になります。
阿弥陀仏の救世主的性格そのものがゾロアスター教の影響が濃厚で、
阿弥陀仏を説く教典そのものが、クシャーン朝時代に西北インドで成立したと考えられています。
「浄土」の概念は、「国土を浄める」意であり、ゾロアスター教のフラショー・クルティ、
すなわち“終末”の建てなおしにおける世界の浄化の影響をそこに見ることができます。
これらのことから、阿弥陀仏のゾロアスター教起源説は十分に説得力があります。
980神も仏も名無しさん:2012/11/30(金) 19:36:11.44 ID:/eLmZq1R
>>978
概説: 優しい順
石飛道子『龍樹』
片山一良『パーリ仏教入門』
山口益『仏教思想入門』
ダライラマ『智慧の眼を開く』
パユットー『仏法』
水野弘元『仏教要語の基礎知識』

歴史:
古坂絋一『宗教史地図 仏教』
平川彰『仏教通史』
981978:2012/11/30(金) 20:38:20.04 ID:Hqzbz9aU
>>980 ありがとうございます。
どの宗派にも属しないニュートラルな立場から文献学的に考えると、
宮元氏のいうようにしかならないんですかね?
宮元氏と同じような立場から、異論を唱えている学者っていますか?
982神も仏も名無しさん:2012/11/30(金) 20:49:37.86 ID:/eLmZq1R
>>981
いえ、宮元さんは特殊です。
基本的にヒンドゥーと同じ、現象と実在、マーヤー・ブラフマン解釈なので。
あまり賛同する文献学者はいないように思います。

>>980に挙げたのは石飛先生以外、穏当で標準的な解釈ですよ。
石飛先生は、先鋭的ですが読みやすく実にニュートラルな立場から文献的に読まれていると思います。

ダライラマは大乗の伝統を、パユットーはテーラワーダの伝統説をやさしく述べています。
983宝珠愚者@(規制代行):2012/12/01(土) 00:05:20.58 ID:+ZKUByUk
>>975
>世尊は輪廻を説かれたのではなく、輪廻からの解脱を説かれた
>世尊の時代、人々は(バラモンなどの)輪廻を信じていた
>だから世尊は、(バラモンなどの)輪廻を方便として、正しい知恵を説かれた

輪廻というのはバラモンから受け継いだ単なる方便などではなく
(こういうのは輪廻転生を信じられない唯物主義者が自己都合に合わせた勝手な説です)、
ゴータマ自らが、その大いなる超常的な能力でこれが現実に作用している自然法則であることを確認し、
その上で、大衆が輪廻に流されて苦しんでいる様と輪廻からの解脱の必要を説きました。
984宝珠愚者@(規制代行):2012/12/01(土) 00:06:11.85 ID:+q5M+6li
 『心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、けがれなく、やわらかで、たくみで、確立し
不動になったときに、多くの人々の死と生を知ることに心を向けた。すなわち、わたしは清浄で
超自然的な天眼によって、多くの人々が死にまた生まれるのを見た。すなわち、卑しい人と高
貴な人、美しい人と醜い人、幸福な人と不幸な人という多くの人々がそれぞれの行為に従って
いるのを見た。
 「じつにこれらの人々は身体で悪い行為をし、ことばで悪い行為をし、心で悪い行為をし、多く
の聖者を非難し、よこしまな見解をもち、よこしまな見解にもとづいて行為をする。かれらは身体
が壊れ死んだ後、悪い所、苦しい所、地獄に生まれる。また、他のこれらの人々は身体で善い
行為をし、ことばで善い行為をし、心で善い行為をし、多くの聖者を非難せず、正しい見解をもち、
正しい見解にもとづいて行為をする。かれらは身体が壊れ死んだ後、善い所、天界に生まれる」と。
 わたしは、このように清浄で超自然的な天眼によって、多くの人々が死にまた生まれるのを見た。
すなわち、卑しい人と高貴な人、美しい人と醜い人、幸福な人と不幸な人という多くの人々がそれ
ぞれの行為に従っているのを見た。バーラドゥヴァージャよ、これが夜の中間の部分において得ら
れた第二の明知である。
 ここに無明が滅び明知が生じたのである。暗闇は消滅して光明が生じたのである。それはつと
め励み、努力している人に現れるのである。』(『マッジマ・ニカーヤ100/サンガーラヴァ経』)
985神も仏も名無しさん:2012/12/01(土) 08:10:06.42 ID:kO9rGcdU
>>983
>その大いなる超常的な能力で

普通の人には無理ってこと?
だったら、何のために仏教があるの?
普通の人に成し得ない教えじゃ意味ないじゃん。 (´・ω・`)
他の、自分にも成就可能性のあることを探した方がいいんじゃない?

ああ、だから仏教は人気がないのか・・・。
986宝珠愚者@(規制代行):2012/12/01(土) 17:06:40.42 ID:n6JvrsWd
>>985
一般衆生には、
輪廻の実体の直接確認は無理ですけれど、
仏教の教えに従うことで輪廻からの解脱はできるということ。

尚、三学の修行が進んで一定の境地に達すれば、
行者は宿命智を得て自己における過去の全生涯を見て、
現在に至るまでの業の関りの因果をすべて確認できるとされています。
仏教は自らの体験によって確認していく道なのです。
987神も仏も名無しさん:2012/12/01(土) 22:08:47.55 ID:l34uq+Vu
中観派は諸法実相と考えるのですか?
これと般若心経の「是諸法空相」は矛盾しないのですか?
988神も仏も名無しさん:2012/12/01(土) 22:50:32.49 ID:GSULR/xS
>>987
このように諸法実相という記号も色々な原語から訳されます。
https://www2.hf.uio.no/polyglotta/index.php?page=record&view=record&vid=27&mid=119770
https://www2.hf.uio.no/polyglotta/index.php?page=record&view=record&vid=37&mid=131869

諸法実相を、諸法の本来のありようという意味と考えてください。
縁起・空性・仮設という意味で法性(法則・理法)という原語もあります。

こういう意味でなら中観では諸法実相といいます。
その意見なら矛盾しないでしょう。

諸法実相といっても実在という意味ではありませんよ。
漢字という記号から、適当に意味を読むのは仏典の場合はとても危険です。
おかしいと思ったら仏教辞典を引いてください。
『仏教学辞典』『織田仏教大辞典』『仏教語大辞典』あたりをお勧めします。
989神も仏も名無しさん:2012/12/02(日) 00:01:15.00 ID:rf7WtTmW
般若心経の中に「是故空中無色声香味触法…」という箇所がありますが、
この「空中」とは、どういう意味なのでしょうか?
また、「空中」はそのあとに続く文章にかかっていますが、どこまでかかっているのでしょうか。
990神も仏も名無しさん:2012/12/02(日) 02:15:39.65 ID:VFkMT55y
>>977
ありがとうございます!
『中論』18-8についても質問させてください。
これは要約すると、「四句がブッダの教えである」という内容に見えます。
一方、釈尊は四句を否定しました。これを仮に二諦に当てはめるとすれば、
世俗諦:四句 → 勝義諦:四句否定
となり、戯論寂滅へ導こうとしている、という理解でいいのでしょうか。
つまり、四句は四句ならざるものへ導くために仮に四句を仮設して説いたという。
991神も仏も名無しさん:2012/12/02(日) 06:03:18.41 ID:DVjRNLZZ
>>989
玄奘訳ですね。

a:
T0251_.08.0848c06: 觀自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五
T0251_.08.0848c07: 蘊皆空。度一切苦厄。舍利子。色不異空。空不
T0251_.08.0848c08: 異色。色即是空。空即是色。受想行識亦復如
T0251_.08.0848c09: 是。舍利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不淨
T0251_.08.0848c10: 不増不減。

b:是故空中。

c:無色。無受想行識。無眼
T0251_.08.0848c11: 耳鼻舌身意。無色聲香味觸法。無眼界。乃至
T0251_.08.0848c12: 無意識界。無無明。亦無無明盡。乃至無老死。
T0251_.08.0848c13: 亦無老死盡。無苦集滅道。無智亦無得。以無
T0251_.08.0848c14: 所得故。

aが、般若ハラミツで行じると五蘊はすべて空であると分かる。
bが、それゆえ空性(中身空っぽで実体がないということ)においては、
Cで挙げられる一切法すべて無いということです。
992神も仏も名無しさん:2012/12/02(日) 06:13:18.40 ID:DVjRNLZZ
>>990
そうです。教え・法は四句という論理形式を取らざるえませんから。
そして『中論』18-9は戯論寂滅した実相を指していますが、
『中論』18-9という教え自体は他ならぬ四句という論理形式を取っています。
これが仮設に他なりません。
ですから、四句という仮設の教えによって、四句を遮断した中道を示し、
四句分別という戯論寂滅した実相・涅槃に導いているわけです。

これを空性の論証と考えたり、空性という見解を主張していると考えるなら、
それは明らかに四句分別の戯論の中にいることになるでしょう。
993神も仏も名無しさん:2012/12/02(日) 09:54:24.24 ID:lIXeEO9l
>>988
わかりました。仏教辞典を買うことに決めました。ありがとうございます。
994神も仏も名無しさん:2012/12/03(月) 02:26:42.02 ID:K5incw8/
>>991 ありがとうございます。
「空性においては」の「空性」もよくわからない感じもしますが、
「勝義諦においては」と言うニュアンスでしょうか。
995神も仏も名無しさん
>>994
そこは空性と読んでください

xという相、姿形がない境地と考えれば意味が通ると思います。