467 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :
>>462>>463 肉体が存続している状態という意味での最低限の業でしょう。
(悪というような意味合いではない)。
もしも望むならば、
完成者というのは不食で死なないでいることも可能です。
食を得ないでも肉体を維持存続するエネルギーの摂取法がありますからね。
よって態々、不食の状態へと切り替えるのか?
そうではなく、普通にこれまで同様の食事を継続するだけか?ということ。
これも本人が選択することです。
また、肉体の放棄も当然、いつでもできますから。
完成者はすべてを自分で決めているのです。
割り込み失礼。。。
>>467 え?
業(果)の残余による利他行なの?
>>452 丁度今、井筒さんの『意識の形而上学』を読んでいますが、彼のいう「言語による分節」も
ソシュール的な意味でとるとスッキリ頭に入るのですが、そのような意味で分節という言葉を使ってるのでしょうか。
また、彼は宇宙・アートマンが実在するとする立場なのでしょうか。
また、リンク先の171のレスで釈尊が「一切とは知覚できるもの」というようなことを述べてますが、
これは人間から(知覚可能な)五蘊を取り除くと「我」なるものが残らない、
という根拠にできますか。質問箱で議論した部分です。
>>458 なるほど!もう1つ、「解脱しても死ぬまで現れる業」とは、
言わば己を因としない業、というイメージでしょうか。
471 :
神も仏も名無しさん:2012/06/30(土) 22:17:43.34 ID:MJSIuYab
>>465 >自称仏教をテキストとして「固定化」することが、仏法とは根本矛盾だということが了解不能なのだろう。
それはそうだ。ただそれを変えるのはなんも分かってない君のような凡夫ではない。
大乗経典やテルマを感得する聖者や、経典と証悟から論書を記す聖者に他ならない。
そういった方々は矛盾なく、それぞれの習慣に合わせて新しい視点で説けるから。
472 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/06/30(土) 22:18:28.17 ID:ZQ9px0dm
>>464 一代のいう通りです。
肉体を維持存続しているなら、その明確な理由があります。
食事を普通に摂っている場合もそれなりの理由があります。
それを、いちいち明言しているとは限りませんが・・・。
禅が、「異端であり且つ直系」だという自論の補強をしてくれてる感じだな・・w
>>472 >>464は皮肉だよw
474 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/06/30(土) 22:24:09.03 ID:ZQ9px0dm
>>468 そういうレベルにおける業というものではなく、
生命体としてこの世に生存している上での止む無きものです。
態々、( )書きの断わりつきで、
「悪というような意味合いではない」と追記しておいたのはこのことなのですが・・・。
もちろん、その気になればどうにでもできる力をお持ちです。
本当はね!!
475 :
神も仏も名無しさん:2012/06/30(土) 22:24:54.41 ID:MJSIuYab
476 :
神も仏も名無しさん:2012/06/30(土) 22:25:58.24 ID:MJSIuYab
>>473 >禅が、「異端であり且つ直系」だという自論の補強をしてくれてる感じだな・・w
どういう意味?
>>474 ふ〜ん・・。
利他行は持鉢的なものじゃないんだ・・。
外部からの影響で、生じせしめられたものなんだ・・。
じゃあ、発心及び向上って何?
誰かに(残余した業によって)導かれているだけなのかな?w
>>476 異端とする部分は、各種の批判(愚なものから鋭いものまで)の通りの部分。
直系とする部分は、「自身に見られる縁起のままにあれ」(→これが、本来の“あるがまま”“本来の面目”であろうと思う)
という骨子の部分。
>>475 なるほど!助かります、ありがとうございます!><
もしや、きのう『入中論自註』などを推薦していただいた方ですか?
噂の一代さん?どこかの大学院の方ですか?
480 :
神も仏も名無しさん:2012/06/30(土) 22:32:39.37 ID:MJSIuYab
>>477 ああ、そういうことね。
だって、無戯論になったら自発しないでしょ。
だから、大乗では誓願を重視するわけ。
なぜなら、誓願を立てないと、普賢行・無住処涅槃せず、涅槃してしまうから。
これを浄土真宗などでは、七地沈空の難、ボサツの死などと呼んでる。
481 :
神も仏も名無しさん:2012/06/30(土) 22:34:23.88 ID:MJSIuYab
482 :
絶対神:2012/06/30(土) 22:43:44.76 ID:2fMo+itn
「ネットで知ったのは」
『日本人は無宗教とか、いい加減とか言われるけど』
「意外と大真面目に仏教を信じようとしている「原理主義者」が多いんだな」
という事
『非常にはっきり言って悪いが、オウムの種は結局なくならないね』
483 :
絶対神:2012/06/30(土) 22:46:16.02 ID:2fMo+itn
>>467 「人間は飯を食わないと死ぬんだぞ?」
『そういう「基本的知識」くらい身に付けたまえ』
「不食の人間なんていない、ファンタジーだ」
オウムの種はつきないなあ……
484 :
神も仏も名無しさん:2012/06/30(土) 22:46:42.55 ID:kNOrMTmc
>大乗経典やテルマを感得する聖者や、経典と証悟から論書を記す聖者に他ならない。
御立派なマハー・カッサパ教聖者様の物語テキスト御信仰です。
あなたもさぞかし御立派な妻帯した聖者様なのでしょうw
聖者様にかかれば、一休も良寛も無難禅師も凡夫なのでしょう。
あなたによる凡夫認定を誇りに思います。
ありがとうございました。
485 :
絶対神:2012/06/30(土) 22:51:59.49 ID:2fMo+itn
「仏教はね、「哲学」「宗教」の類なの」
『事実じゃないのよ』
「その事にいい加減、気付こうや」
『仏教=真理という考えそのものが、オウムを生んだの』
「現代人なら「自分の精神的真実=信仰」と「現実」を「区別」しようや」
『お前さん、予言を外しても、まだ自分が「特別な能力」なんて持っていない
事を認識してないの?』
「凄い危ないよ、お前は」
486 :
絶対神:2012/06/30(土) 22:53:29.63 ID:2fMo+itn
「私はね」
『少なくても、「中学生」の時には、かなり強い「奇跡」を示してたの』
「私が「神」であるという主張は「事実に基づいているの」」
『お前さんとは「違うの」』
487 :
絶対神:2012/06/30(土) 22:56:55.08 ID:2fMo+itn
「何千年も前の聖人が「奇跡の力」を持っていたというなら「構わない」」
『「神様」が持っているというのも「構わない」』
「でも、『お前たちには、無いよ』」
『仏教の最大に「駄目」なところは』
「悟りにせよ、解脱にせよ、超能力にせよ」
『自分たちに「ある」と考えちゃうところなの』
「そんなもの「ふつうの人間にはあり得ないの」」
488 :
神も仏も名無しさん:2012/06/30(土) 22:57:28.21 ID:QVtJt0qe
>一休も良寛も無難禅師も凡夫なのでしょう。
縁起一代は一休さんは評価してた気がするな。
彼のwikiには煩悩即菩提のページもある。
一見、欲望肯定にも解せることばもあるが、それにはそれなりの文脈がある。
聖者や真理の視点から表記したものであって、
凡夫の視点でそれをとりいれて現状肯定に利用するのは
誤解だよっちゃんイカ
という話をしていた気がする。
489 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/06/30(土) 23:13:37.07 ID:ZQ9px0dm
>>477 自発的というよりは、
自然と自身の内から発露して湧いてくる意識です。
それが利他意識というもの。
>>480 >なぜなら、誓願を立てないと、普賢行・無住処涅槃せず、涅槃してしまうから。
その辺が、この私とやや理解の異なるところですね(若干)。
まっ、一代の説明は伝統仏教的な解釈としては正しいものだとは私も認めますが・・・。
“誓願を立てよう”という思いが生じてくるのは、
ニルヴァーナに向かって自己意識が確実に近づいている証拠なのです。
で、「涅槃してしまうから」ということではなくて、本当は涅槃が利他意識の塊そのものであって、
ただ、自己選択として外界における奉仕行に当たりたいのか、
或いは一度、外界を離れてから再び外界に関与するのか、
または、もっと内的な界においてのみ奉仕するかの違いです。
そして、逆説的には、
自己の境地の上昇だけにとらわれて執着している意識状態では、
とても、ニルヴァーナには到達できない、
として見るほうが妥当でしょう。
490 :
絶対神:2012/06/30(土) 23:15:37.48 ID:2fMo+itn
「日本人の特徴は、本気で仏教などを信じない事だと思っていたけれど」
『「解脱」だとか「悟り」だとか信じないで、なんにでも適当に手を合わせて』
「宗教的な事を考えない事だと思っていたけれど」
『意外とそうでもない』
というのがネットをやっていて判ってきたよ
まあ、どんな民族だって、真理だの生きがいだの人生の意味だのを求めるのは
当然だけれども
「ここまでとは思わなかったな」
491 :
絶対神:2012/06/30(土) 23:21:09.09 ID:2fMo+itn
『私、逆にね』
「宗教や人生を真面目に考える事ってね」
『ちっとも良いことだと思わないの』
「一種の病気なんじゃないかと思う」
「そういう意味では、釈迦も、「考えずにはいられない」「理屈をつけずには
いられない」」
『ふつうとは違う、ちょっとおかしな人だったんだと思う』
「いまでいうところの「厨二病患者」」
だから宗教とか哲学について造形が深い人って
『私は、「あまりつきあいたいと思わない」』
492 :
絶対神:2012/06/30(土) 23:24:45.44 ID:2fMo+itn
『「神」について詳しい知識を持っている人と』
「「神様」とは違うの」
『人生について深く考えている人と』
「人生を楽しんでいる人とは『違うの』」
悩みから解放されたいだとか、人生を意味あるのにしたいのだったらさ
「仏教に詳しいとか、真剣に人生を考えているというのとは『違うベクトル
でいこうよ』」
「なんていうか、「気持ち悪い」」
オウムの最大の問題点は
『実は、「仏教オタク」だった事だと思うんだ』
哲学や宗教に造形が深いという事と
「正しく生きるとか、まともに生きるとかいう事は」
『実は、「あまり関係ないんだ」』
493 :
神も仏も名無しさん:2012/06/30(土) 23:26:35.51 ID:kNOrMTmc
>凡夫の視点でそれをとりいれて現状肯定に利用するのは
私には聖も凡の分別はナンセンスです。
一休も笑うでしょう。
一休の婆子焼庵に対する次の偈頌に衝撃を受けました。
老婆心為賊過梯 老婆心、賊の為に梯(かけはし)を過(わた)し、
清浄沙門与女妻 清浄の沙門に女妻を与う。
今夜美人若約我 今夜美人、若(も)し我と約せば、
枯楊春老更生稊 枯楊(こよう)春老いて更に稊(ひこばえ)を生ぜん。
長年供養したのにいまだに女を抱く⇔抱かないの二項相対に迷う
俗物境地でしかない修行僧に見切りをつけた老婆を
さらに、執着しないことに執着するものとして笑い飛ばし、
自由な境地から老年の回春讃歌を唱えた一休らしい詩です。
時空際断に置いて煩悩(世俗)⇔涅槃(菩提)、凡夫⇔聖者の相対分別なし。
これは一切は空であることを体得できた覚者のみが観得る
無分別の分別の境地でしょう。
494 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/06/30(土) 23:31:44.39 ID:ZQ9px0dm
まっ、少しだけ付き合う・・・。
>>483 >「人間は飯を食わないと死ぬんだぞ?」
>『そういう「基本的知識」くらい身に付けたまえ』
>「不食の人間なんていない、ファンタジーだ」
知識のないのはあなた。
無知・無知・無知。とにかく無知。
通常の一般人の話などは私はしていない。
それでよく、恥ずかしくもなく「神」などと自称できるな?
不食だった人間の記録はある(しかも一人じゃない)。
また意識的にその状態へと自己を導く秘法メソッドも存在する。
私はその基本部分は知っている。
あなたが知らないだけね。
>>485 >『お前さん、予言を外しても、
>まだ自分が「特別な能力」なんて持っていない事を認識してないの?』
私の地震予知は予言などのオカルト能力ではありませんから。
宏観現象研究の成果であり、自然観察によるものです。
空と大気前兆は、マイクロクラックのピエゾ電荷に原因する電磁気現象に付随した
遠赤外線放射による雲粒の消滅や整列の結果、及び大気重力波の出現観察などに依るもの。
自分の知らないものを何でも予言話(オカルト嘲笑呼ばわり)にするのは辞めましょう。
これらは、いずれ先は正統科学に認知されることになるものです(我々はその先取り)。