三性
このような識の転変によって、存在の様態をどのように見ているかに、3つあるとする。
1.遍計所執性(へんげしょしゅうしょう) 構想された存在 凡夫の日常の認識。
2.依他起性(えたきしょう) 相対的存在、他に依存する存在
3.円成実性(えんじょうじっしょう) 絶対的存在、完成された存在
遍計所執性とは、阿頼耶識・末那識・六識によってつくり出された対象に相当して、存在せず、空である。
依他起性とは相対的存在であり、構想ではあるが、物事はさまざまな機縁が集合して生起したもの(縁起)であるととらえることである。
阿頼耶識をふくむ全ての識の構想ではあるけれども、すでにその識の対象が無であることが明らかとなれば、識が対象と依存関係にあるこの存在もまた空である。
円成実性は、仏の構想であり、絶対的存在とも呼べるものである。これは依他起性と別なものでもなく、別なものでもないのでもない。
依他起性から、その前の遍計所執性をまったく消去してしまった状態が円成実性である。
以上の如く、般若経の段階では三性としてまとめて整理記述しているわけではない。
時代を下って『解深密経』(玄奘訳)を待って初めて、諸法に三種の相があると説く。
これは法が三種類あるということではなく、法は見る人の境地によって三通りの姿かたちが顕れているということである。