いつもお世話になります。
縁起について質問させてください。
公式1:これ生ずるとき、かれ生ず
公式2:これ滅するとき、かれ滅す
公式1は、「私達はかように苦しんでいる」という、苦を自覚させる教え、
公式2は、「私達はかように解脱する」という、苦の解決があるという教え、
という理解でよろしいでしょうか。ここから、さらに、不生について質問させてください。
不生とは、誤解を恐れずに、誤解を恐れずに言えば、このようなことでしょうか。
縁起の道理を知り、12因縁を滅した者は、再び、(公式1に説かれる)"生"を捉えない。
その生を捉えないものは(公式2に説かれる)"滅"を捉えない。つまり、その人に生が訪れないということでしょうか。
「〜者は"生"を(六根で)捉えない」という言い方もまだ甘い?とすれば、これは次のように言い換えられますか。
「六識が滅するとき、"生"が滅する、"生"が滅するとき、"滅"が滅する…」というように…。
そしてこれは、石飛先生の『竜樹』48頁、中論頌18.9に説かれる、「縁起によることはない」
と言う部分に対応すると考えて良いでしょうか。
さらに、ここまでたどり着いた人が語る言葉(法)こそが、
仮設なんでしょうか。