>>666 >
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1336302241/816 あまりにも無知過ぎて話をする気力もないのですが、一応、基本的なことだけは簡単に述べておき
ます。後はあなたのご自由にどうぞ!(どうせ話を聞く気もないのだから・・・)。
まず、神智学は“心霊主義”ではなく、寧ろ心霊主義を否定する姿勢にあるのだ、ということをいって
おきます。実際、歴史的において神智学協会に敵対してきたのはカトリックと、そして、(『英国心霊協
会』などの)心霊主義者たちです。
心霊主義というのは、死後の肉体亡き後の生存状態を霊体であるとして説き、これが人間の本質
的な実体であり、この生存が永遠であると主張します(また、彼ら心霊主義者の多くは、輪廻転生に
ついては無知で殆ど明確なビジョンを持たない)。
彼らがしようとしていることはこの霊存在の実証だけであり、ただその現象に注目するだけで、そこ
に何ら人間の精神を向上させる価値などは皆無です。
神智学の見解は、心霊存在は人間の本質ではなく一過性の残存現象に過ぎず、これに必要以上
に深く関ることには価値を見出さないという姿勢にあります。
-----仏教について
ゴータマは、『わたしが説かないことは説かないと了解せよ。わたしが説くことは説くと了解せよ』
(『中部第63経/小マールンキャ経』)と述べたのです。 このゴータマが説かないものとは、如来の死
後、神(創造の至高者)の存在、ウパニシャッドの説くアート
マンなど・・・。そして説いたものとは、輪廻転生、死後の生存、餓鬼存在とその救済など・・・です。
仏教とは云々と主張するならば、仏典(原始経典)に根拠がなければならない。あなたの勝手誤
読による『中論』などはどうでも宜しい。仏典の根拠を提示した上でまともな意見を述べて頂きたい。
あなたはスタートラインにも着いていない。
仏教というのは、死後の生存と輪廻を説くもの。あなたが信じられないのは勝手です。だから、仏
教を認めなければいいだけのこと。あなたの都合などには合わせてられないから・・・。
『物質的領域に生まれる諸々の生存者と非物質的領域に住む諸々の生存者とは、消滅を知らな
いので、再びこの世の生存に戻ってくる。』(Sn.754)
-----後はご勝手に
以上
745 :
神も仏も名無しさん:2012/11/07(水) 06:39:15.74 ID:poXJn2rf
>>527 そういうことはこんなとこで聞かないで、
ちゃんとした仏教の先生に聞いてください。
746 :
神も仏も名無しさん:2012/11/07(水) 06:42:28.14 ID:poXJn2rf
>>554 >発展させなかった事のつけが来ただけさ(言っとくが、初代ダライ・ラマは戦争に
>きっちり勝ってチベットの支配者になったんだぞw)
オイオイ、どこに書いてあるんだ?
初代ダライラマは、戦争も行ってないしチベットの支配者でもないぞ
この完全な間違いが認められないなら、もうアホな妄言やめとけ
747 :
神も仏も名無しさん:2012/11/07(水) 06:44:50.54 ID:poXJn2rf
>>590 いいよね。
顕教による日本仏教再生プログラム、手堅い。
この考え方はチベットの先生で同じ方もいるし。
748 :
神も仏も名無しさん:2012/11/07(水) 07:18:07.62 ID:CGjrkYYP
釈迦は俺にとって賢く見えることしか言わない、
という閻魔たんの大前提はどこから来てるんだろうな。
釈迦も当初は頭がフットーしてて一切智者宣言しちゃったことは認めてるみたいだが。
さじ加減だねー
>>741 もはやこの世界に留まる理由は
何も無いと言う自覚は悟りで
しょうか? (^。^)y-~
>>749 悟りの第一段階に達したら、戒を守れるようになるそうです。
五戒を余裕で守れるようになってるかどうかチェックしてみては?
751 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2012/11/07(水) 19:44:55.55 ID:fs14DxIH
>>741 また下らん言葉遊びを。中論かぶれの末法仏教徒は本当に駄目だな。
>>749 おまえはどうみても悟っていないから、まだこの世にとどまり、成すべきことがあるだろう。
下らん言葉遊びで悟ったつもりで今生を捨てても、また迷いの生存を繰り返すだけ。
苦しみは尽きない。
>>751 己自身を信じ切れない限り
無明の闇は晴れないだろう!
ヒャッハ〜♪\(^o^)/
753 :
神も仏も名無しさん:2012/11/08(木) 14:18:41.62 ID:CUUZdlX9
>>47 オウムは仏教の皮を着せたキリスト教唯物共産主義だからな。
754 :
神も仏も名無しさん:2012/11/08(木) 14:27:01.88 ID:Roz8+KM3
>>753 違うな。
宗教の皮を被ったテロリスト集団だよ
756 :
基地子菩薩:2012/11/09(金) 00:15:58.34 ID:KzReWExE
仏経原理主義を立ち上げる事に
しました!宜しくね♪(^。^)y-~
757 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/11/10(土) 10:22:52.03 ID:9PYCRKD4
今月、ホームページ「浄土への道標」を開設しました。
酷評も絶賛もいくつか頂戴しました。
特に南無阿弥陀仏と唱えられる方々は一度はお越し下さい。
第61回 昭和5年11月29日 祖父寝言より
竹鼻 今日良いお話をして貰う積りで居た、親鸞聖人の御話を。
聖道門では、とても行かぬ、やはり凡夫は破戒の中からこの汚れた穢土の現身を以て、此身此儘お助け願えるのだ。
徒ら者をお助け下さるのは十方世界に弥陀御一仏より外に無いのだ、それを思えば行住座臥に称名念仏すべし、たとえ信心得さして貰っても煩は起る浅間しい泥の凡夫じゃ、
不断煩悩得涅槃と云う事が有る、其の概略を話して頂く。
竹鼻:土蔵の中に勿体なくも埃をかぶった仏像の二体あるのを発見し、早速名古屋の仏師にたのんで修復せしもので、その一体は法然聖人、もう一体は竹鼻地蔵と命名、入仏式を挙行す。
758 :
基地子菩薩:2012/11/10(土) 10:54:35.01 ID:5sbV+V2b
>>757 善人往生す 悪人なお持て往生せん!
ヒャッハ〜♪ \(^o^)/
759 :
1/2反オカルト 大滝秀治:2012/11/10(土) 14:18:36.25 ID:Q1xt94h3
>>748 宝珠
>神智学の見解は、心霊存在は人間の本質ではなく一過性の残存現象に過ぎず、
アタシは『広義の心霊主義(スピリチュアリズム)』(
>>666)といっている。
現象界とか超越界とか妄想の霊的世界観(物語)と言ってもいい。
この中には当然神智学も前世は一在家(
>>757)のカルト崇教真光も入る。
たとえば、ブラヴァツキーは言う。「人間は死とともにそのアストラル体のほうは分離し、しばらくの間アストラル界にとどまるとしました。
真我のほうはブッディアートマと結び付いて休息的待機状態に入るとし、心霊主義において霊媒が交信しているのは真我のほうでなく。アストラル体の殻にすぎない」
要するに神智学と狭義の心霊主義の関係は、霊魂(真我:アートマンなど)観が異なるだけのオカルティズム内での内ゲバ論でしかない。
そんな外道の妄想内ゲバなんかまったく興味はない。
そういった神智学を含むオカルティズムやエソテリシズム(いわゆる密教やヒンドゥ教、チベット密教を含む)、狭義のスピリチュアリズム(心霊主義)は仏法に非ず、
あくまで間接現実内の外道妄想思想だと言っている。
仏法はオカルティズムとは無縁であるが、一方仏教はオカルティズムに侵食され堕落してきた歴史でもある。
特にインドに於けるヒンドゥ教との闘争において、自称「大乗」仏教の誤ったマーケッティングで展開された
救済ポピュリズム性は、仏教の『妄想物語化』を飛躍的に促進させたと言える。
かくてヒンドゥの強烈キャラクターに破れ、アイデンティティを喪失した仏教はインドにて拡散滅亡したのである。
強者の戦略の失敗である。
しかし、こういったオカルト思想の「仏教」潜入が、仏性・如来蔵・本覚思想などの仮面をかぶって
変容潜入し、日本仏教にも歪曲「成りすまし仏教」として居座っているのである。
760 :
2/2反オカルト 大滝秀治:2012/11/10(土) 14:21:52.10 ID:Q1xt94h3
>人間の精神を向上させる価値
そのような価値は直接現実にはない(非有非無)。
このような霊的妄想価値観(事実上の霊肉二元論)は“超越”価値に対する執着を生む間接現実における倫理的価値観=反中道→苦以外のなにものでもない。
・Sn.520『 安らぎに帰して、善悪を捨て去り、塵を離れ、この世とかの世とを知り、生と死とを超越した人、
──このような人がきさにその故に<道の人>と呼ばれる。』
・Sn.521『 全世界のうちで内面的にも外面的にも一切の罪悪を洗い落とし、時間に支配される神々と人間とのうちにありながら妄想分別におもむかない人、
──かれを(沐浴をすませた者)と呼ぶ。』
直接現実にては「価値」観念自体がありえない。
縁起現象(縁起の直接現実)そのものは無意味・無価値・無実体であって、人間が我執分別で勝手に評価・喜怒哀楽しているに過ぎない。
ブッダは、人間の勝手な善悪・優劣評価などに意味はないといっているのだ。
ブッダは、道徳とか倫理とかの「塵を離れ」て、ただ「縁起」にのみ生きよといっているのである。
(【最終】輪廻転生説はどう扱うべきか!?【決着】
>>176)
761 :
2/2反オカルト 大滝秀治:2012/11/10(土) 14:32:57.38 ID:Q1xt94h3
補遺
Sn.521『時間に支配される神々と人間とのうちにありながら、妄想分別におもむかない人』
これは重要な文言であって、悟り得た者の還滅世俗(時間も神も間接現実でしかない)での様相(無分別の分別)をいっている。
分別(仮観)→無分別(空観)⇒無分別の分別(中観)
色即是空→還滅⇒空即是色
仏法のゲシュタルトは二相にて掴みうるのである。
762 :
基地子菩薩:2012/11/10(土) 14:40:40.05 ID:5sbV+V2b
薬の効能書き朗読有難うございまし
た!(^。^)y-~
763 :
マハーカッサパ経典 大滝秀治:2012/11/10(土) 14:44:56.36 ID:Q1xt94h3
>>744 >『わたしが説かないことは説かないと了解せよ。わたしが説くことは説くと了解せよ』
>仏教とは云々と主張するならば、仏典(原始経典)に根拠がなければならない。
『わたしが説かないことを説いたことにし、説くことを削除し編集した』マハーカッサパ経典は当然批判的に読まれて当然だ。
こういったオカルト外道によるオカルティズム近似マハーカッサパ教経典のご都合主義利用については閻魔大王が既に論破済みだ。
ゆえに、カーラーマ経には、『経典に書いてあるからと言って信じるな』と言っている。
(例えば、プッタタート比丘の場合
http://space.geocities.jp/tammashart/kouhuku/sanzou.html)
信仰宗教は信じよ!であり、仏教は信じるな!だ。
この差は天地ほどに違う。
禅でも自帰依で大疑団を起こすことを大切にするのは、カーラーマ経の精神→自帰依と同じだ。
アタシは中論でも批判的に読む。カーラーマ経の精神によってねw
764 :
神も仏も名無しさん:2012/11/10(土) 14:55:48.70 ID:NeVbJmcc
>763
5〜8をガン無視する人ってけっこういるよね。
>>763 >>アタシは中論でも批判的に読む。カーラーマ経の精神によってねw
カーラーマ経は、批判的に読まないの?
カーラーマ経を挙げてアナタが言いたいのは、合理主義より経験主義って事だよね
過度の経験主義が行き着く果ては懐疑主義だから気をつけなよ
時間があったらカントの『純粋理性批判』辺りを読んで見ることをオススメする
766 :
神も仏も名無しさん:2012/11/10(土) 16:15:26.00 ID:cmVJYDDj
カーラーマ経が言ってるのは、近代的な批判精神で勝手に読めってことじゃないでしょ。
>>759 1/2反オカルト 大滝秀治さんへ
> アタシは『広義の心霊主義(スピリチュアリズム)』といっている
http://reigaku.jugem.jp/?eid=424 瑜伽師地論(ゆがしじろん)の場合は
人が死ぬ時に
過去の長い間の経験により蓄積された
我愛が現起し
その力にうながされて
自己に愛著し
無始の時以来つづいてきた執着された
戯論(けろん)と
善悪(善でも悪でもないものも含める)業により
中有が形成される
そして、やがて
精子と卵子が結合する時に
中有が滅すると同時に
又、この世の生に戻り来る
>>759ー761
>>763 あなたの言っている事柄というのは、ただの唯物論/唯物主義に過ぎない。
それでは仏教の本質は理解できない(仏教は“宗教だから)。
仏教からすべての宗教性を排除してしまったら、そんなものは一つの単なる道徳観ということになってしまう。
>ブッダは、人間の勝手な善悪・優劣評価などに意味はないといっているのだ
>ブッダは、道徳とか論理とかの「塵に離れ」て、ただ「縁起」にのみ生きよといっているのである。
それは世俗の間違った価値観に対する批判を説いたものであって、
“縁起に流されてただ生存してなさい”・・・
などとはいっていないから。
ゴータマがご自身の大いなる能力で直接知見した世界観から述べる
“仏教としての道徳論理”を説いたのです
とにかく、
あなたは自身のその唯物主義が崩壊しない限りは人の話を聞く姿勢ができませんから、
何を話しても無駄です。
この生涯の間に叶うかどうかは分かりませんが、いずれはそんな体験に出会う日が必ず来ますから。
その時、このスレで述べていた当時の自分を180度、転換せざる得ないこととなり、
あまりに遠回りし過ぎた己れの愚行を悔いることになるでしょう。
まっ、それも人それぞれの学びのスタイルでしょう。
いいものを持っているだけに惜しい・・・。
770 :
基地子菩薩:2012/11/10(土) 16:55:46.85 ID:5sbV+V2b
絶対矛盾の自己統一とは、この事
かしらん? (^。^)y-~
771 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/11/10(土) 17:16:01.03 ID:9PYCRKD4
>>759 :1/2反オカルト 大滝秀治:2012/11/10(土) 14:18:36.25 ID:Q1xt94h3
>現象界とか超越界とか妄想の霊的世界観(物語)と言ってもいい。
>この中には当然神智学も前世は一在家(
>>757)のカルト崇教真光も入る。
今回のホームページの素材は昭和五年の出来事で、私も真光も世に出ておりませんのであしからず。
南無阿弥陀仏の一家に起きた出来事です。昭和57年に自費出版されました。
あれから30年経過して、今私がWEBで紹介しております。
極楽浄土で現代も変わらず衆生済度の大誓願をなされておられる方に失礼かと存じます.
第37回 昭和6年3月27日
弥陀の本願におわしませば釈尊の説法虚言なるべからず、仏説誠におわしまさば……本師上人(法然)の仰せ事空事ならんや、法然の仰せ誠ならば親鸞の申す処、又以て空しかるべからず候。
……近頃は耳新らしい説を聞いて迷うがそこが大事の処じゃ、衆生の求むる所は、……相共に
>>769 >(仏教は“宗教だから)
この言い方が本末転倒なのです。
これは、「トラックは工事車両だから」と言っているに等しいわけです。
実際には、トラックは、農作業にも輸送にも使います。
その用途が工事用であったときに、初めて、工事車両として括れるわけです。
同様に、
≪『宗教だから』仏教に○○の要素がある≫のではなく、
≪『○○の要素を持つから』宗教として括れる≫のです。
もっと言ってしまえば、
≪宗教という括りが生まれる以前から、仏教は仏教として(お釈迦さんの教えとして)あった≫のですから。
順序の捏造にも程がありますw
≪宗教だから、○○がなければならない≫というのは、身勝手な投影であることに気付くべきです。
773 :
基地子菩薩:2012/11/10(土) 17:36:19.45 ID:5sbV+V2b
>>772 貴方こそ仏経の実際的役割をまるで
理解していませんよ!そもそも仏経
の目的は先ず女(地獄の使い)を絶滅
させて次に人類を地上から消し去り
後に全生命体を根絶やしにする事が
理想の浄土何ですよ!仕上げに弥勒
菩薩(太陽)が膨張して地球を飲込み
丸ごと炊きあげて浄化するのです!
これが仏経原理主義の理念ですよ。
>>772 横からスマンが
トラックというのは貨物自動車であり貨物の運送に用いられる荷台を備えた自動車のこと。
工事そのものを行う工事車両とは違うぞ。
余り旨い例えとも思えないがトラックの例えでいうなら、トラック(仏教)は自動車(宗教)なのだから、歩道(世俗→唯物論)の価値観で運転して(考えて)はだめだと言うことでしょう。
車道を自動車で運転するには免許が必ず必要です。宗教を学ぶモノには、この免許に当たる何か暗黙の了解が必要だと宝珠氏は言いたいのでは無いでしょうか?
免許というか。守るべきルールですね。「人類を救う」とでも言うんですか?難しい事はわかりませんが、そこが抜け落ちでしまった宗教は、既に宗教ではなくカルトということでしょう。
> 人類を地上から消し去り
すべて一切の人が煩悩を滅するのは
かなり難しいと思うけど?
( ↑ 「渇愛によって輪廻を繰り返す」とする場合)
777 :
基地子菩薩:2012/11/10(土) 18:16:22.30 ID:5sbV+V2b
>>776 誤解されてますよ!言葉の綾で
殲滅などと言っているのでは無くて
本当に全滅を説いているんですよ。
仏に会えば仏を殺し、父母に会えば
父母を殺す。ご理解頂けますか?
778 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/11/10(土) 18:30:17.00 ID:9PYCRKD4
>>773 名前:基地子菩薩 :2012/11/10(土) 17:36:19.45 ID:5sbV+V2b
>そもそも仏経の目的は先ず女(地獄の使い)を絶滅させて
第57回 昭和5年11月22日
女人成仏と云う事についての話であるが何から話をさして貰いましょう。
ブラサーダと云う事が梵語に有る。梵語のブラサーダと云う事はお釈迦様の御説法に屡々御用いになった御言葉である。
近くは浄土の三部経の中の大経と云う書物の中にお用ひになっておる。
康僧鎧と云う人「こうは家康の康、僧は人べんに曽てと云う字、がいは金へんに豈と云う字」と一つづつ教わる。
此の人が四十八願の中の第三十五の願の女人成仏の願文の中に歓喜信楽とあらわせてあり、又第十八願の成就の文には信心歓喜と説いて有る。
(続きはHPで)
>>772 難しくてよくわからなかったから、
宗教=男、仏教=彼、○○の要素=おちんちん、に置き換えてみた
同様に、
≪『男だから』彼におちんちんがある≫のではなく、
≪『おちんちんを持つから』男として括れる≫のです。
もっと言ってしまえば、
≪男という括りが生まれる以前から、彼は彼としてあった≫のですから。
順序の捏造にも程がありますw
≪男だから、おちんちんがなければならない≫というのは、身勝手な投影であることに気付くべきです。
>>774 喩えが不適切であったことは認めるが、
彼の言い分は
≪宗教とは、神秘的事例(奇跡・超能力などといった要素)を必須に有すモノである
↓
仏教は宗教である
↓
仏教には神秘的事例・奇跡・超能力という要素がある
↓
これらを“有さない”という考え方は、まったくもって近代唯物主義による誤りである≫
と、こういうことだと思うけど?
つまり、逆の矢印を言えば、神秘的事例・奇跡・超能力を有さないものは宗教ではないとでも言いたいかの如くなわけ。
一代が言うように、近代仏教学には、近代的価値観への阿諛は確かにあるだろう。
だが、だからといって(→宗教だからといって)、
仏教が他の心霊主義やスピリチュアルな様々と同質だという言を聞き流せなかっただけ。
>>779 はいはい。 m(_ _)m
私が全面的に悪ぅ御座いました。772は全撤回致します。脳内あぼんしといてください。
言いたかったのは↑ですから。
失礼致しました。 >>ALL
、′ 、 ’、 ′ ’ ; 、
___ . ’ ’、 ′ ’ . ・
〇,;f ヽ 、′・. ’ ; ’、 ’、′‘ .・”
i: i ’、′・ ’、.・”; ” ’、
| | ’、′ ’、 (;;ノ;; (′‘ ・. ’、′”;
| , -── 、| ///;ト, ’、′・ ( (´;^`⌒)∴⌒`.・ ” ; ’、′・
| | ィェァ ィェァ| ////゙l゙l; 、 ’、 ’・ 、´⌒,;y'⌒((´;;;;;ノ、"'人 ヽ
(. `───'} l .i .! | 、(⌒ ;;;:;´'从 ;' ;:;;) ;⌒ ;; :) )、 ヽ
,,∧ヽ | │ | .| ( ´;`ヾ,;⌒)´ 从⌒ ;) `⌒ )⌒:`.・ ヽ ,[]
/\..\\ ,、 ! { .ノ.ノ‘: ;゜+° ′、:::::. :::
>>1 ´⌒(,ゞ、⌒) ;;:::)::ノ ヽ/´
/ \ \ ̄  ̄../ / .| `:::、 ノ ...;:;_) ...::ノ ソ ...::ノ
【本文】↓
>>759 >しかし、こういったオカルト思想の「仏教」潜入が、仏性・如来蔵・本覚思想などの仮面をかぶって
>変容潜入し、日本仏教にも歪曲「成りすまし仏教」として居座っているのである。
仏性の元となった核(思想)は原始経典にも説かれています。
あなたはそれも後代の勝手挿入や付加扱いしますか?
もう、いやはや・・・
>>772 > ≪『○○の要素を持つから』宗教として括れる≫のです。
当たり前でしょ!そんなこと。
だから、仏教は宗教に分類されているのです。
仏教の持つ経験主義性や無記の姿勢などから、
西洋研究においては仏教が宗教ではなくて、
ただの論理哲学のように受け止められてしまった時期があります。
まっ、
あなたもただの唯物主義者です(正体がセブンくさいが・・)。
そして、仏教徒の仮面を被ったただの唯物主義者たちが採りたがるのが、
1.「無記」を使って、
2.「中道」を広義的意味で使用して、
仏典からすべての神秘性を後代の挿入付加ということにしてしまう手法です。
また、都合よくダシに使ってくるが『中論』という論理解説書です。
ぜーんぶ、身勝手な誤読です。
784 :
基地子菩薩:2012/11/10(土) 21:39:40.53 ID:5sbV+V2b
哀愁感がすごいな
786 :
今日のところは名無しで さん:2012/11/10(土) 22:17:45.34 ID:W/aqFDZV
787 :
今日のところは名無しで さん:2012/11/10(土) 22:36:42.27 ID:W/aqFDZV
| ̄ ̄ ̄| ドデカハット&ヘッド
_|二二二|_
(\___/)_
Y・/ ・) Y ノ
|(_つ / エブリバディーカモーンウイズミー!
L___| ゴーツーヘル!ブラッディースプリング!
< ̄V ̄V / ̄>
\ \_/ /
< ̄(⌒只⌒) ̄>
/\| ̄V ̄|/\
(⌒/ |\∧/| \⌒)
` ̄ || | | |  ̄
|| | | |
< _| | |_> 足下注意!
(二_人_二) 看脚下!
>>782 (中村さんが岩波青で紹介する)阿含自体が既に、
閻魔が指摘するが如く、旧態に親和性を持つ(或いは、ヒンドゥ文化へ擦り寄る)
長老主導によるものであることは、歴史的には妥当な見方だと思うよ。(一代的謂いの連続性はともかく・・w)
パーリ大般涅槃経の各描写から窺えるのは、閻魔が指摘する要素そのものなんだけどな・・。
つまり、現存仏典の言葉は、それ自体が既に、疑惑の目を向ける必要があるものだということです。
では、その検証は如何にして可能か?というのが問題であり、
(一代的に言えばw)、
神智学は成就者を輩出しておらず、伝統仏教は成就者(阿羅漢)の輩出によって、義と行とを継承してきた、
ということです。
そして、
百万歩譲って多くの共通点が見られたとしても、
神智学が自らの枠の中から外せない部分を、ゴータマ・シッダッタが見たものは、それを受け入れられない、
ということです。
何度でも言います。 単語において非我であり、文脈に於いて無我である、と・・。
>>783 『○○という要素』が、カテゴリ内の全ての素材に共通するとは限らないわけです。
それが、カテゴリの性質を決める決定的要素でない限りは。
そして、閻魔と貴方方との間のズレは、まさに、その『○○という要素』が仏教にあるかどうか?
という点にあり、
『○○という要素』は、《宗教》というものにとって必ずしも必須ではない、というのが私の姿勢なので、
こうして横レスを入れるわけです。
>>788 >>何度でも言います。 単語において非我であり、文脈に於いて無我である、と・・。
これがずっと分からんのだが、非我は明確だからいいとして無我この「無」が何を意味するのか。
虚無的な存在の否定を意味する「無」ならば非我と無我が相反すると言うのは分かる。しかし「無」が
虚無的な意味でないとするならば、我の「有無」という問題では無記つまり語らなかったという意味で、仏教の無我は非我の範疇なのでは?
>>789 そのような言い方もアリだとは思います。 >無我は非我の範疇
でも、「アートマンがある、いる」とは一言も言っていないわけです。
涅槃に到って、新たな、本当の(永遠の)自分が見つかる、などとは一言も言っていないわけです。
>>790 >>涅槃に到って、新たな、本当の(永遠の)自分が見つかる、などとは一言も言っていないわけです。
それが非我なんじゃないの?
宝珠氏など一部のヒンドゥー・バラモン教の影響を受けた人は、それをすぐにアートマンの存在に結びつけようとするけど気が早すぎる。
釈尊が説かなかったのだからそのように了解すべき。ただ、近代以降のヒンドゥー教の聖者などは、仏教に影響されてか別に「アートマン」
を否定しても成り立つよ見たいなこと言ってるから、「アートマン」の問題では、仏教とそれ以外の差は、どんどん無くなってる様な印象を受ける。
と言ってもあくまで個人的見解だけど
792 :
基地子菩薩:2012/11/11(日) 07:16:58.74 ID:Q2aD7sob
訳の分からない事をくどくどと
考えても無駄だから止めようと
釈迦如来は説いたんですよ!(^。^)y-~
793 :
パーピマン:2012/11/11(日) 12:46:39.75 ID:jdJhvfCI
なあ、セブンw
「遊び大王こと大滝秀治」は、今まで、それこそ数え切れないくらいの書き込み
してるので、おおよそ、その立ち位置も分かると思うが、
セブンはその批判点を挙げるとすると、どういうとこだと思うか?
ちょっと、その瑕疵と思われる部分を指摘してくれないか?w
(本人も見てるし、またその批判者筆頭の一代もいるので、書きにくいかもしれんがwww)
オレには明確な批判点というのが、ハッキリとは見えてこないんだww
テクストの記述に厳密に沿っているか云々はさておき、その見解の中で
明確に「いわゆる仏教」とは乖離している主張というのはあるのかな?
大滝秀治さんの場合は
「心の働き」とか
「輪廻を前提とした心相続」を
仮設とするのか? しないのか?
どちらなのでしょうか?
795 :
パーピマン:2012/11/11(日) 13:10:09.71 ID:jdJhvfCI
>ただ、近代以降のヒンドゥー教の聖者などは、仏教に影響されてか別に「アートマン」
>を否定しても成り立つよ見たいなこと言ってるから、・・・・・
ほ〜〜〜、そうなんだ。 これは初めて聞いた。
仏教とヒンドゥーの最大の差異が、「基体」を立てるか否か? だと
オレは思っているので、 そうなると確かに、仏教との差はかなり
縮小されていくような印象をうけるねw
796 :
神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 13:21:45.10 ID:TKEyewnD
>>788 >何度でも言います。 単語において非我であり、文脈に於いて無我である、
アホラシ。非我は有我を前提とする。無我とは対極にある。両者は、論
理的に並立し得ない。
釈迦の「勘違い」に何時までも拘っているのは滑稽。
>>796 > アホラシ。非我は有我を前提とする
輪廻を前提として、その輪廻からの解脱を説かれた
_ _ _
般若経の解説
http://www.dia.janis.or.jp/~soga/subindex.html 世尊は輪廻を説かれたのではなく、輪廻からの解脱を説かれた
世尊の時代、人々は(バラモンなどの)輪廻を信じていた
だから世尊は、(バラモンなどの)輪廻を方便として、正しい知恵を説かれた
あなたたちは、大きな激しい変化にばかり心を奪われたことだろう
「いつも」もまた無限の変化でできていることを、あなたたちは見なければならない
これまであなたたちは、(バラモンなどの)善行に励み、永遠ばかりを探してきた
だから、凝り固まり、ありのままに変化を見ることに慣れていない
無我を、縁起を、空を見ることがうまくない
あなたたちは、練習が必要だ
禅定に入ろうとする人は…
…この吐いて吸う大きな長い息を十数え、何度も繰り返し、なにも考えず、ただ息を数え続けます
798 :
基地子菩薩:2012/11/11(日) 14:43:41.60 ID:Q2aD7sob
何ここ…
/\_/\
| ̄ ̄ ̄/ 三\
|| ̄ ̄// \三ヽ
|| |● ● 三|
|| | (_人_) _三|
||__\ _三三ノ
|__f ̄ ̄  ̄三三ヽ
「\ ヽ__ 三三|
\ \ 三三|
【名前欄】 宝珠愚者@(規制代行)
---「中道」とは---
そして大王のような、
何でも“どれとどれかの中間(どちらでもなく)”みたいなものが「中道」ではないのであって、
本来は、“苦楽の中道”といって無意味に肉体を酷使するだけの行為(苦行)や
それと対極的な位置にある快楽主義といった両極端に走ることなく、
適正な修行方法を採ることを中道というのです。
肉体次元を超えた話はすべて極端で避けるべきものだ、
といった唯物主義的な意味合いなどは仏教にはないから。
そういった“何でも中間”みたいな大王の用途法は中道ではなくて、「中庸」というものになる。
これは中国儒教の倫理概念であって、正確には真ん中という意味ではなく“両極端に偏らないこと”という意味。
>>797 >世尊の時代、人々は(バラモンなどの)輪廻を信じていた
>だから世尊は、(バラモンなどの)輪廻を方便として、正しい知恵を説かれた
輪廻が信じられない一部の学者や僧侶が無難に辻褄を合わせようとしてそういう言い方をします。
けれども、ゴータマは単なる方便としてではなくて、
人々が何処へどのようにして転生していくかをその大いなる超常的な目でもって確認した上で、
これ(輪廻転生)について語ったのです。
少なくともそういうことになっている。
それが仏教というものです。
超ひも理論とか涅槃に近づいてるだろ
最先端の科学が現代の宗教だよ
>>799 余計な横レスだがw
「中道」ってのは、ど真ん中という意味じゃないぞw 彼もそのような意味で使ってはいない。
彼は常に、偏っていないという意味で使っているはずだ。この点(799)は、君の誤読と思うぞ。
また、
バランスの取れる適性値ってのが、通仏教的な中道だよ。真ん中とは限らない。
(つまり、中道を「真ん中を取る」という意味で「間をとる」と使っている言説は眉唾しといた方がいい。)
極端な話、├―――――╂┤←これでも立派な中道さw
803 :
神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 20:55:53.00 ID:yoU5uXt1
俺は輪廻というやつはどうも理解できない。
かと言ってそれを設定しなければ、解脱の意味が宙にうくのは
わかるのだけど。
また、凡知にとどまってよしとし
この世だけを考えるのもかえって生にとらわれ過ぎる嫌いがあるから
その失もわかるのだけど。
如来の死後より衆生の死後の方が分からないよ。
以前、輪廻とは個のつくる業の死の超越か、
それとも、社会的意味で個の死を超越して業が輪廻することなのか、どちらか
それとも仏教は双方認めうるのか
気になったのもその辺にあるのだけど。
ただ、俺は死後助けるという約束を信じるだけだから
信じるという意味において、
輪廻を肯定しうるのだけど
理性的にかんがえて
宗教的意義として死後の仮定は妥当性があるとは思う
でも理性的にかんがえて
その仮定をまったく断定的に真実の実在論に決定してまうまで
行くのは違うんじゃないかと思うんだが
アラヤ識が過去生だから、自分のアラヤ識に出会わないと
輪廻は理解できない。瞑想の魔境レベル。
805 :
神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 21:13:31.26 ID:yoU5uXt1
もちろん、俺の意見は今の時代にあった仏教解釈という意味を
出ないもので、単なる味わいと思ってくだされば足りる。
真実の仏教は経典に基づいて、戒を守った僧伽が決めることなのでね
時代を超えて、仏教の去就を決めることを考えれば、
めったなことは言えません。
過去生の有無は瞑想体験によって決まる。
それが真実であるかどうか、
僧侶たちが会議を開いて多数決で決めるような話ではない。
807 :
神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 21:29:53.61 ID:f+rzJUwB
>>796 「イエスも麻原もクリシュナもサイババも神ではない」
という言い回しと
「神はどこにもいない」
という考え
が両立しない、というのなら、まあ、そうなのでしょうね。
不思議な言語世界で生きておいでですね。
808 :
神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 21:32:23.44 ID:yoU5uXt1
アラヤ識の妙味は
業種子と名言種子による主観的な世界認識論だと思うのだが
12縁起を彷彿とさせるような
釈尊は輪廻の主体までは設定していないところが
仏教論として問題となりうると思うけどね
輪廻の主体(アラヤ識)がなければ解脱できない。
輪廻とか解脱とかが無意味になる。
解脱したと言う以上、輪廻の主体が想定されている。
輪廻思想は、アートマンみたいな簡単には壊れない「何か」を想定しなければ論理的に説明するのは難しいよな
結局全部夢ですよ。みたいに手塚治虫も禁止した夢オチみたいな話に持っていかざるを得ない。
811 :
神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 22:01:26.47 ID:L+p4y2Zi
>>809 そういう有身見、我見の発想から逃れるのが解脱
アーラヤとかは、方便説だから
812 :
基地子菩薩:2012/11/11(日) 22:05:39.06 ID:Q2aD7sob
813 :
神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 22:13:06.00 ID:wTm6tIxy
>>807 「煩悩は我にあらず」と言った場合、明らかに我の存在を前提にして
いますね。「無我」だとそれほどでもないが、しかし「無我」を説いて
いるのは、釈迦の「我」以外にはない。
814 :
神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 22:15:01.03 ID:yoU5uXt1
そうなんだよねえ
ただ主観的認識論だと、この世はすべてアラヤ識の造作だから
その辺がなんとかしようとしてる感はあるのだけど。
それだと、助かる業がないと助からなくなるから、如来蔵思想に行く恐れがある。
群疑論で追求された問題が出てくる。
俺は理論には説明したい趣旨とそこから自ずから決まってくる範囲とがあって
それを踏み外して論理だけが過度に演繹されていくと間違いを起こすと思うのだが。
単純に何らかに固執する業に引きずられて
来世を喚起してしまうという
つまり、来世はいい階級に行きたいという迷いの無限輪廻を戒めたものという意味以外を求めない方がいいと思うがね
>>809 wwwww
何もわかってないなw
その『脱け出す』という言語表現が、主体無しには成立しないという考え方が仏教的でないということです。
(で、それを言わんとしたのが竜樹なわけで・・w)
主体なんかなくても輪廻という事象は成立するんですよ。
「事象の継承」を「主体の継承」だと見做してしまうことが顛倒妄想なわけです。
「事象の継承(縁起して生じ滅していく相)」を「主体(私・俺)の継承」だと見做す、その視線こそが
顛倒妄想なわけです。
>>813 w
だからw 無我を説いているは「我」ではなく「五蘊の集積」なのさ。
それが、たまさか《『所縁によって“ゴータマ・シッダッタ”と称される』存在(人間)》だっただけの話。
818 :
神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 22:35:14.88 ID:P1tObJdc
何もわかってない五薀の集積と、
無我を説く五薀の集積の違いはあるの?
薀→蘊
誤字訂正
>>それが、たまさか《『所縁によって“ゴータマ・シッダッタ”と称される』存在(人間)》だっただけの話。
それは、単なる記号だろ。
>>813が言いたいのはその記号が何を指しているのかと言うことでしょ。
記号を実在と捉えてるのはヒンドゥーでも一部の学派だけ。
本質的には当然「アートマン」や永遠不滅とか偏在とかの余分な御託は否定される。
822 :
神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 22:41:35.69 ID:f+rzJUwB
>>813 ニワトリ頭にアートマンの設定を覚えさせるのは大変ですね。
>>821 >それは、単なる記号だろ
そうです。
その 『単なる記号』を、永遠に続く「俺」だと思ってしまうことが我見というものではないのですか?
>>821 >その記号が何を指しているのか
だから、
それ(記号が指し示しているもの)が、『「“諸縁”によってゴータマ・シッダッタと称される」五蘊』でしょう?
>>810 そうなんだよね。
>>811なんかは方便、夢のような話にしている。
>>814 世親のアラヤ識は善悪が混在している。これを区別し、
アラヤ識を汚れた識とし、清浄な根本識(霊魂)を別に立てた方がいい。
826 :
神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 22:58:32.63 ID:yoU5uXt1
でも、その理論でいくと
誰の目にも除苦悩法と映る釈尊の特異性がまた問題になるのでは?
まさに真如から来現した存在だからおkなのか、そのへんがうまく行かない気が、現代的に
如来蔵になるて悉有仏性てみんな助かる業ありと
してしまうと本覚思想まで行って何しなくともおkなところまで行く
それまたおかしな話なわけで
業で汚れたアラヤ識が、清浄な根本識を覆い尽くしている。
このアラヤ識を捨てないと解脱できない。
こういった関係にあるので本覚思想にはならない。
828 :
神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 23:09:53.04 ID:yoU5uXt1
やっぱり問題の根本は
目指すべき如来は世界から隔絶していながら
衆生のほうは世界そのもので
救われようとしているが
その救われようとする心が同時に衆生を衆生たらしめている
という矛盾だよね
この説明が厄介なわけで。
>>824 分かってて言ってるよね。まあいいけどw
「我」が五蘊を指すなんて、初学者か感情は脳の電気信号にすぎないと言うガッチガチの唯物論者だけ。
太鼓から宗教は、(宗教に限らないが)五蘊とは別に魂とか霊を想定してきた。アートマンと魂が
同じと言うつもりはないが、仏教は、釈尊はアートマンや霊魂の存在も否定したと言う。
ここまではいい?重要なのは最後は否定されるとしても、より「我」らしいのは何か?と言う問題。
アナタは
>>それ(記号が指し示しているもの)が、『「“諸縁”によってゴータマ・シッダッタと称される」五蘊』でしょう?
と言っているということは、アートマンや魂よりも、五蘊のほうがより「我」らしいと考えていると言うわけ?
830 :
神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 23:18:00.70 ID:yoU5uXt1
>>827 ということは説かれていない根本識が
真我だと?
五蘊、頭の中で起きたことを観る我こそが我であると考えているのはやっぱり五蘊であり
五蘊が五蘊でないものを指差して我と呼んで・・・あれぇ? と、誰でも一度は考える。
832 :
基地子菩薩:2012/11/11(日) 23:22:32.29 ID:Q2aD7sob
アラヤ識に願いを刷り込むと
叶うと聞いたけど本当かしら?
(^。^)y-~
>>829 >と言っているということは、アートマンや魂よりも、五蘊のほうがより「我」らしいと考えていると言うわけ?
その通りです。
だから、「法を拠り所とし、自己(我)を拠り所としなさい」と遺言されたのじゃありませんか?
そして、その「我」は「五蘊の別称」であるが故に、滅していく(生じてくる)わけです。
>>828 釈迦は生前に解脱し、解脱の方法を教えている。
その教えを学ぶことで、衆生も生前に解脱するチャンスがある。
唯識を利用すれば、解脱のイメージができますよね。オチ
>>833 ああ そういう解釈か
私の自島法島の解釈は、中村元先生の釈尊は人間の倫理的行為のよりどころとしてのアートマンを承認していたとする説を取る
そもそも五蘊は、無我(非我でもいい)であるので、「我」が五蘊の別称と言うのは、無理があるように思う。
836 :
神も仏も名無しさん:2012/11/11(日) 23:41:29.40 ID:yoU5uXt1
まあ、向こう岸に渡れば
乗り物は大きかろうが小さかろうが
捨てもの。あまり階梯に固執するのは
どうかと思うが、
真我を立てないのは仏教の基本。
三法印を疎かにさすがにいただけなわな
>>835 けど、日常会話で、「当人・本人・当事者等のことことを指し示すとき、どうするんです?(→どのようなラベルを用いますか?)」
*(ちなみに、お釈迦さんは「私(aham(一人称))と如来(tatAgata(三人称)」を使い分けているようです。
しかし、お釈迦さん以外は「如来」と自称することはありません。
加えて、「attA(=Atman)」の語で自己が示されるときは、
自称ではなく、描写、説示として用いられているようにも見えます。)
>>837 ラベルは、あんでもいいんでない。現に釈尊は、単に当時ゴータマとか釈迦族の人とか言われてたみたいだし。
まあ遺言と言える自島法島の自がアートマンであるとするならば、そのラベルが指し示していたのは、
アートマンと言えると思う。最後は否定されるにしてもね。あとアートマンの定義とはココでは重要でないから置いておいてね。
839 :
神も仏も名無しさん:2012/11/12(月) 00:03:43.73 ID:yoU5uXt1
ちなみに真宗の救済論では
せんだいも救済の対象だが
その論理は、衆生に如来蔵を認めるのではなく
世界に彌陀の光明が充満しているからと
説明する。
救われない悪人が光明に触れて花を咲かせるなら
因があるのでは?と個人的に思うが
救われない者が救われるところに妙がある
つまり、真宗はこの一点において因果を否定する
まあ、それは信と密接に関わってくるもので仕方ないのだが
古来から論争の絶えないところだな
>>838 そうじゃなくて、たとえば
「自分をだいじにしなさい」とか「自分を見失って、周囲の意見に流されるのはよくない」とか
「他人の言動を見て、自分の言動に修正を加えるべき」etc.etc.
といった言辞が必要な場合、どのような単語を用いますか?ということ。
ちなみに、パーリ(及びおそらく俗語でも)では、これら(日本語で“自己”“自身”“自分”と言うとき)は
「attA」だ思うよ。
そういう意味で、(何でもいいというのはその通りだけど)、
人々の間でコンセンサスがとり易いかどうかは重要だと思う。
自己を指し示す記号・ラベルが「ハラヒレホレハレ」でも構わないけれども、
それが「馴染んでいる・人口に膾炙しているかどうか」は重要だと思うよ。
>>837 横から申し訳ないんだけど、釈尊のahamとtathAgataの使い分けに関して直接的に言及している資料って何かある?
媒体は英でも独でも構わない。
自分の知っている限り岩波金剛般若経の注に僅かに書いてあったことしか見たことが無いんだ。
>>841 無いと思う。少なくとも耳にしたことは無い。
一代なら、或いは知ってるかも・・。
論文チェックも入念だし、彼は(一応?w)学者として学問畑にも足突っこんでる筈だから。
ただ、自分がこれまで目を通した阿含経に於いては、
(精査はしてないけれども)明らかに、第三者としての覚者について言及する際には、
勿論自分も含んではいるけれども、
「私が」ではなく 「涅槃を見た者は」「悟った者は」「ブッダは」「覚者は」という意味合いで
“tatAgata”を使用しているように見えるだけ。
それが、後代の編纂者達の工夫である可能性も大いにあるけどね。
あ、h要るんだったね・・w
普段から常に触れてないと、こういうことになるという、いい見本だなwww
すまんw
844 :
神も仏も名無しさん:2012/11/12(月) 01:22:14.33 ID:aGdIihlH
やはり、この基体問題というのは永遠のお題だなあwww
論理的追求を放棄というか、超えた処に首肯きがある・・・・・これが最大の
難関なんだろうが、ややもすれば、それがすぐ脳内お花畑で「わかったぞ〜〜〜」と
なってしまうwwwwww
「人間が認識出来るのは、4次元まで。つまり、必ずそれに還元してものごとを
認識しなければならない。だから、そこに『解釈』しなければならない必要性が生じる。
その解釈も我々の知見と乖離すると、唯のオカルト妄想になってしまう。」
・・・・・・・・分かってくれる者がいるかね?ww
「次元が決定的に足りない」という『妄想』をwww
(蛇足だが、オカルト的〜次元だの、〜界だのの話ではないよwwwww)
845 :
神も仏も名無しさん:2012/11/12(月) 02:06:02.67 ID:i90SsdRf
伝え方はここで極まるということがないからね
それこそいくつ命があってもたらない。
まあ、仏教が我を置かないのは
それに固執することから逃れられなくなるからだろう。
そのへん心得えるならば
如来の浄楽我常が衆生の想像するそれとまったく異なるものだと分かるはずなのにな
憎い他人を愛しき我と思うなら無我とは言われないよ
846 :
神も仏も名無しさん:2012/11/12(月) 02:27:50.19 ID:i90SsdRf
ゆうなれば
この世に正しいことなぞ一切ない。
と言ったそばから
その言葉もじゃあ正しくないじゃーん的な批判を浴びるところに
ブッダの我があるということかね
>>840 >常識的な我とか仏教が理想とする完成された自己としての我とかは原始経典の中にもしばしば説かれている。
> 『仏教要語の基礎知識』
例として「如是我聞」の我、法句経160偈の自己(attan)、自灯明法灯明の自などは、我と同じ語であり
当然外教の我と言葉としては、同じでも区別されるべきであると書かれている。
わざわざ同じ語を使っていたということは、予想するに当時の感覚から言って特別なコンセンサスが必要ないくらいバラモン教の影響で
一般的に広がっていた語であり、方便だとしてもこの我を当時の人たちが何を意識して使っていたかは、ある程度予想がつく。
釈尊のahamとtathAgataを使い分けていたかは、分からない。
輪廻の主体の話に戻すと
>外教が説くような常住の実体としての霊魂は仏教ではこれを説かないが、人格の主体としての業を保持している霊魂は三世を通じて
>存在するものとして、これを認めている。
> 『仏教要語の基礎知識』
とある。
あと一代氏にあれが付いてるとは思えない。彼は、男ではないでしょう。
848 :
神も仏も名無しさん:2012/11/12(月) 05:12:08.30 ID:6yMiDCCj
849 :
神も仏も名無しさん:2012/11/12(月) 09:17:29.98 ID:fFhpNWZl
失礼します。
----質問スレからです。
>>
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1336302241/886 >鉱物(無機物)から生命が誕生?それだと神智学は唯物論になるね。
無機物だけの世界からやがて有機物が出現したのは科学的事実です。
ただし、神智学の主張の独創性は鉱物界とてその本質は生命(科学的基準ではない)であると見なすこと。
濃密物質レベルではただの鉱物でも、霊的レベル(霊的基準)においては“エレメンタリ”という
微細な霊的生命体による集合(集合生命体)なのです。
鉱物は、それ自身のレベルでの意識を独自に持っています。
(もちろん、人間の肉体もエレメンタリたちの集合体)
>>
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1336302241/890 >神が先か、物質が先か、そこをはっきりさせてほしいものだね。
『唯物論者たちは---物質から<自我の自覚>が何故に現われ出るかということを説明し得ない。
<物質>というものが想定されるのは、それを意識する自己があるからこそである。物質を物質とし
て意識し理解するところのものは、<精神>である。』
(中村 元著『自己の探求』青土社刊 p28)
851 :
神も仏も名無しさん:2012/11/12(月) 18:08:50.71 ID:4GlbsMOo
>>850 しかし、その精神も、物質である肉体から発する。一方、物質を認識する
のも、肉体から発する精神である。肉体(我・精神)は物質に100%依存
しない限り維持することが出来ない。
従って、物質と精神とは、一体と解すべきであろう。草木国土悉皆成仏の
思想も、この趣旨に解される。
>>793 その“程度”(≒評価の甘さ)に違いはあれど、概ね一代が言う通りの点だよ。
(これは私もそうだが)、文献に対するマテリアルな姿勢とでもいうのかな。
良く言えば「時系列或いは歴史的相関に正直」ということだし、悪く言えば一代が言う通り。
また良く言えば「(生物としてのヒトの)等身大」ということだし、悪く言えば・・・(以下同文)。
マハーカッサパ教という表現やヒンドゥ回帰の流れがあったかも、とか、庶民的願望への迎合があったかも、とか
同じ論点を共有しているからね。(私も、その部分で一代と遣り取りしてきてるようなもんだ。)
ただ、断定し切ってしまうには証拠固めが弱過ぎるキライがあって、
彼はその部分を自らの直感や観想に礎を求めているようだが
(―この姿勢は、一代が言う“聖者の体験に依拠する”ことと同じ位相だけれども―)、
それが伝統的行の上で適切かどうかという点に大きな疑があるわけで。
主張内容及びその表現法がビビッドに過ぎる、ってとこかな。
853 :
神も仏も名無しさん:2012/11/12(月) 23:05:29.76 ID:aGdIihlH
>>852 う〜〜〜〜〜〜んww
>・・・文献に対するマテリアルな姿勢とでもいうのかな。
これは、文献上のいわゆる「超常的記述」の排除・・・・みたいなことかな?
>マハーカッサパ教という表現やヒンドゥ回帰の流れがあったかも、とか、庶民的願望への迎合があったかも、とか
>同じ論点を共有しているからね。
このへんについても、オレは「それも有り得るかな」というスタンスなわけよw
(一代は反論するだろうがw)
>ただ、断定し切ってしまうには証拠固めが弱過ぎるキライがあって、・・・
これは分かるw ただ、その視点はそう外してないように思えるんだww
>主張内容及びその表現法がビビッドに過ぎる、ってとこかな。
wwwwwwwwww 確かにww
だが、オレとしては少し過激なくらいがインパクトがあって、読む方としては
面白いがww
>>853 >文献上のいわゆる「超常的記述」の排除・・・・
いや、
時系列上の先後を第一前提とする(後代の付加は後代の付加として評価する)
って感じ。(言い換えれば、テルマという考え方を認めないって感じかw)
855 :
神も仏も名無しさん:2012/11/12(月) 23:35:33.76 ID:6yMiDCCj
>>854 となると、大乗経典、金剛三昧経などはどう考える?
856 :
神も仏も名無しさん:2012/11/12(月) 23:36:26.22 ID:aGdIihlH
>>854 そういうことかw
オレも時系列上の先後は、重視するなあw
後世の仏弟子たちの、改編、増稿も当然あったろうと考えるw
(必ずしも悪意があってのそれとは言わないが、時代の要請という要素も
あったろうと考える)
一代は、テルマというスタンスだから、それらも「釈迦の直説」という
見解なんだろうが。
857 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 00:14:51.03 ID:f4FBuAO2
大乗経典をつくった人達が、大乗経は感得したものなんだ派なのか
釈迦在世時から伝承してきたんだ派、なのか
今となってはもうわかりませんね。
大乗が大衆部から出来てたものかのか 在家などから突然出てきたものかのか
部派仏教の僧侶の教科書とも言える阿含経などに対応する部分が
初期の般若経典には見られるから、部派から大乗の流れは間違いないと思うが・・・
>>855-856 なんつーのかな、
「エッセンスが通底しているかどうか」「本質・コアが押さえられているかどうか」
かな。
だから、法華経だって高品質な経(評価に値するもの)だと思うよ。
>>842 情報ありがとう。
誰か書いててもおかしくないんだけど、全く見ないんだよね。
しっかり用例を洗えば有益な資料になるはずなんだし誰かやってくんねえかな。
861 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 01:41:28.44 ID:WnBmbSd7
>>859 オレもそう思うねw
一代みたいにテルマまで、ぶっ飛ぶことは到底できないがw
かと言って、大乗非仏説みたいのにも組みしないww
要は、釈迦が伝えたかったことが核心部分として残っているかどうか?だろうと思うわw
念仏唱えりゃ救われるのか? っていう揶揄が、(上座部マンセーの者たちから)
よく言われるが、そういうもんでもなかろうww
(ただ、真言の呪術的側面は正直言って、拒絶反応が強かったがwwww)
862 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 01:47:17.80 ID:Mr1gTazI
念仏唱えて救われる
永平寺で布団の寝方まで決められて救われる
原始仏教の乞食の生活で救われる
好きなの選べバカヤロウ
>>861 >釈迦が伝えたかったことが核心部分として残っているかどうか
そう。
まさに、そこ。
だから、
≪『言い回し、語り口、事例・喩えの挙げ方etc.(→ ≒文献)』に変遷・アレンジはあれども、伝えるべきことが伝え得ている≫ならば、
それは「仏説」と称し得る、とね。
その意味で、大乗非仏説は愚説なわけさ。
>>863補
あ、勿論、正式に「仏説」と称す場合には、何らかの系譜上に無ければならないけど。
だから、(仏教との関わりが云々言われているw)神智学は、
系譜の上にすら無いわけです。
それこそ、《「同じ事を言っている」という表現はできても》、決してそれを「仏説」と称することは有り得ないわけです。
(これは、(一代的謂いで)聖者(伝承者・継承者)による継承の上にあるか?ということでもあるから。)
865 :
基地子菩薩:2012/11/13(火) 06:15:41.01 ID:2zHJ5JyH
外界に求めてもさ迷うだけですよ!
おのが内側に答は有ると思われ。
自分自身を信じる事ですよ♪(^。^)y-~
自我の認識こそが万物の霊長である人間の優れているところ
という考え方はどうなんでしょう
霊性が他のどんな存在より長じているとは
つまりは魂を感得できる、神を感得できるということであろうが
自分的には、それは人間社会が互いに自我を認めあうことを前提として成り立っており
その自我を前提とし上で、生前死後の自我はどのような状態か、
仮定されたところの形而上の概念にすぎないと思うのだが。
人間社会は当然の前提として自我の表示が要請されるために
それを前提にしなければコミュニケーションがとれない。
だが、だからといって、自我が実在するとは言えなくて
例えば、磁石にはモノポールは存在しないと後に判明したが、
現在でもモノポールはあると仮定して作られたモデルが事実を
よく説明することから、なお使われ続けていることによっても類推できる。
また、生物と非生物の境界も曖昧なもので
自己増殖できないウィルスやマクロファージは生物とはされない、
つまり、生物の定義とは便宜上人間が作った概念にすぎない。
そして、なぜ人間が自我をもつに至ったかも
まさに十二支縁起から自明ではないかと思う。
個体がある同一性を有しながら増殖するのは
単にそうしない個体が現在まで残らなかったからで
同様に個体それ自身に執着を持たない個体も生き残れなかった。
そのようにして結果的に自他を区別することが、生物が
生存の中で獲得した能力かのような錯覚が起こることになるが
その物の見方、物差しは、それ自体が正しいか間違っているか
判断してくれるものではないと思う。
いまだに宗教に真理真実があるようにちらつかせるのはどうかと思う。
密教、知っていても知っていると言わないこと、知らなくても知らないと言わないこと、
これが現代において何か意味があるんですか?
868 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 08:55:53.56 ID:uVXgWHPk
>>866 アナタのいう同一性や自我は仮設として認められますよ、
それは人が言い習わしてきたもの。
だけど、それは空で縁起しているものだと。
アナタが言いたいこともより仏教は簡潔で完全な包括性を持って説明していると思いますが。
869 :
基地子菩薩:2012/11/13(火) 08:56:47.94 ID:2zHJ5JyH
>>867 1000年前、2000年前も同じ事言って
いたんじゃないかしら? (^。^)y-~
俺は霊的なものの見方、モデルが正しいか間違っているかを
論じているわけではないよ
妥当性はあると思う。
しかし、それに執着と・・・、
用法、用量を守ることが大事なんじゃないかな
病気事故飢饉で死が日常的だった時代に書かれたもの
として理解すべき
逆に、人間社会が自我を前提として営まれているにもかかわらず
それをくだらないと排斥して、唯物的にしか物事を見ないというのは
人間社会の根底を、土台を、崩そうとしているだけの馬鹿にしかみえない。
まさに凡知によって悠久の時の中で育まれた凡知を超えた智慧という
ものを破壊しようとする愚かな行為ではないだろうか?
唯物的見方が人間を幸せにするとは思えないのも道理だと思うが。
また、俺は同様の理由から神道にも敬意を払う。
その土地の慣習、因果に沿ったものの見方を尊重することは
仏教の否定するところではあるまい。
仏教が母性的に他宗教を取り込んでいった背景には
その観点があったと思うだが。
873 :
基地子菩薩:2012/11/13(火) 09:49:35.47 ID:2zHJ5JyH
>>871 何時だって死は日常的な事柄じゃ
ないかしら? (^。^)y-~
874 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 09:49:46.73 ID:uVXgWHPk
>>872 いや、だから仏教は習わしはあるがまま、
ただし、それを縁起・空性・仮設と見る。
対話する気ないなら、これで止めるけど。
電気メスは、その昔、傷を焼くと化膿しないことから生まれたらしい。
地球にある物質は昔と変わらないし、人の持つ使われていないものも含む能力も
昔と変わらない。
>>872 だから、価値観の相違だよ。
究極的には、個々別々千差万別のね。
喩えて言えば、(今貴方が(或いは隠居が)言うように)、
両手でぬいぐるみを抱きしめることが、世俗的な意義だし、必要事項だし、幸せだとしても、
それだと両手が自由にならないよ、と仏教は言うわけです。
転んだ時、手を突けずに顔から転んでしまうよ、と。
(勿論、それでいいんだと堂々と顔から転ぶのも(前向きに世俗で生きるのも)知恵ですけれどね)。
ぬいぐるみの重さに疲弊し、それを嫌悪するならば、(これが、そもそもの第一条件なわけですが・・)、
ぬいぐるみを放り出して、両手を自由にしたらどうですか?
と言っているのです。そのための方法と、両手が自由であることの「楽」を
仏教では説いているわけです。
>>873 「現代人にとっては」非日常じゃない?w
最近いい年こいた大人でも、死体を見たことない人が増えてる。
見たことあっても、せいぜい爺さんがどこか遠くの病院で死んで、
ドライアイスでカチンコチンに冷えて固まった臭くもなんともないお人形みたいな死体を、
遠くから眺めた事が一度だけあるとかw
動物の死体すらロクに見なくなったしな〜
やべえw
なんでこんなこと書いてんだれらろ
これラスツ
まあ理系頭なので無機質な論理で考えがちになるが
俺は、人間などの知能のある者相手だと科学は無力、あるいは
その環境変数の変動により、確定したモデル論は意味をなさなくなると考える
推論はさておき
それを先達の言葉でゆうなら死道理に対する活道理と言い表すことができようか
伊藤仁斎の言葉らしいが
科学者というか唯物論者の失を挙げるとすればそこらへんかと
879 :
パーピマン:2012/11/13(火) 10:11:55.86 ID:WnBmbSd7
>>876 wwwwww うまいうまい、 なかなか良いな、その喩えww
880 :
基地子菩薩:2012/11/13(火) 10:21:32.74 ID:2zHJ5JyH
>>877 確かに故意に隠蔽されているわね!
でも確実に死んでいるのは間違い無
いわよ♪ (^。^)y-~
881 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 11:11:59.49 ID:WvEavtdM
>>878 >科学者というか唯物論者の失を挙げるとすればそこらへんかと
科学では、例えばWikiでも、誤りの訂正と加除変更を呼びかけている。
宗教の教典は、何故それをやらないのかw。
大昔の宗教の教典の内容には、現代人から見れば誤りや不適切な箇所が無数に
含まれている可能性に、一代氏はどうして思い至らないのだろうか。決して、
「丸ごと信じられる」代物ではないはずだがw。
>>876 空を信じる坊主も、顔から転べば怪我をする。
むしろ、ぬいぐるみを抱いてないから、地面に顔を打ち付け、
ひどい怪我をする。空を信じた天罰だね(^^)
883 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 11:41:24.16 ID:uVXgWHPk
>>882 空ってそういう意味じゃないんで、
そういう相手の説を理解せずに不当前提で批判するのは止めましょうね
>>850-851 宝珠さん
有機物は生命の誕生ではないと思うよ。
鉱物は霊的生命体である、こんなトンデモ信じてるんですか。
それから中村先生の話は唯物論ですね。
>>883 おたがい様ということで、
876の喩はなかったことにしましょう。
886 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 11:58:18.15 ID:uVXgWHPk
>>885 なぜ、お互い様なのでしょう?
私はアナタの説について、云々したことあります?
私としては他人の説を云々する場合、必ず相手の説を問答によって理解してからにしてますよ。
ただし、過去に理解した場合は、その過程を省略してますけど。
887 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 12:08:24.00 ID:uVXgWHPk
>>885 ああ、
>>876 を私が書いたと思ってるわけね。
違うよ。思い込みばっかですね。
それと縁起・空性・仮設から
>>876 は全く問題ないよ。
888 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 15:23:31.62 ID:Mr1gTazI
不生不滅のところのものとはなにか?
>>887 隠居じゃないの?w
885みたいなことはあまり言わないが、882は、しっかり隠居節だと思ったけど。
890 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 16:25:04.78 ID:uVXgWHPk
>>889 >>881 は生命教だと思うけど、/MUpok95 は違うんじゃないか?
ところで、大乗経典や金剛三昧経はどう考えるのよ?
891 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 16:26:56.48 ID:0YYgtp0J
>>887 >縁起・空性・仮設
それも「古代の文献に書いてある」だけ。その現代における信憑性は、
現代の知識水準で別途に行なうべきもの。
892 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 16:29:36.84 ID:uVXgWHPk
>>888 仏教でいう「不生不滅」ってのは「生じる」「滅する」というのは仮設されたもので、本来「生じ」てないし「滅」してないという意味。
あらゆる x という現象が、そう仮設、言い習わしによってラベリングされて、そのように表象されているだけで、x ではない空性(中身からっぽ)だという意味。
何か「不生不滅」の実体があるという意味ではないっす。
詳しくは出版された『全訳 入中論』を読んでほしい。
893 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 16:30:21.17 ID:uVXgWHPk
----質問スレからです。
>>
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1336302241/892 >神智学は、伝説に過ぎないムー大陸やアトランティス大陸を根拠に、
>人種間の優劣を唱えている。これからもわかるように、
>神智学は科学でも学問でもなく、偏見や憎悪に満ちた差別主義者の、
>さまざまな宗教や哲学を切り張りした、パッチワークではないだろうか。
「アトランティス」については明確に科学的な根拠があります。
ヨーロッパウナギ、ヨーロッパのタビネズミ、ノルウェーの鳥類などにみられる不可解行動
(“渡り”を行っていた先祖から受け継いだ本能行動である可能性)や
アトランティス大陸の名残の筆頭として上げられるアゾレス諸島など・・・。
恐らく、そう遠くない時期にその存在が確認(証明)されると私は思います。
それと、「ムー」ではなくて「レムリア」ですね!
これについては確かに正直、私もまだよく分っていません。
私個人としては、「レムリア」との関係において与那国島の海底巨大遺跡
に注目しているところです。これについては、琉球大学の木村政昭教授が調査中です。
神智学の根人種論というのは、人種の発生をただ純粋に時系列的に示したもの。
例えていえば、「メガネザル」「ヒヒ」「オランウータン」「テナガザル」の中で、
どの猿の発生が古いか新しいを示したものに過ぎません。
古いタイプの猿は虐めていいといった話ではありません。
そういった偏見で批判する者がいるから、神智学は一般に公開されるに適さない情報なだと思います。
だから秘教だといわれる。
如いていえば、
仏教において人の生れによる差異を前世の違いとして述べると
これを差別思想として批難する人が出てくるわけでしょ。
そういうことです。
これは私が以前に書いたものです。
参考:
超古代文明---アトランティスの痕跡
http://houjugusya.web.fc2.com/atlantis.htm
>>844 >やはり、この基体問題というのは永遠のお題だなあwww
混乱している人が問題にしているだけだと思いますが・・・。
これについては、
>>847にも紹介された通りで水野氏の解説でOKでしょ!
基体がなければ成立しないが、
基体を設定すると無我に抵触するなどといっている人は、
水野氏のいう主体としての「魂」や唯識論の「阿頼耶識」が恒常不変のアートマンではなく、
“五蘊の中の識蘊”であって“仮和合の存在”に過ぎない
という理解が足りないのではないかと思います。
それで、こういった基体を説かない無理な論(基体無き輪廻)を展開しようとするのです・・・。
参考:「無我と輪廻」の矛盾にかんする木村泰賢博士の解釈
http://www.geocities.co.jp/technopolis/3138/kimura_muga_rinne.html 『(1)意識作用を含め五蘊は死によって滅ぶが』(上記ページ)は間違ってると思う。
五蘊の一部は肉体死後も存続する筈です。
>>851 〜〜〜と、いっているのは“精神”ね。
肉(物質)は勝手に喋らないからw
>>884 「無機物」が生命なのではありませんからね。
いってる意味が理解できないのは無理からぬことです。
(一般的な知識理解しかない人には・・・まっ、これで辞めておきます)
神智学の説く「鉱物王国」とは、
有機生命体が発生する以前の世界における生命(意識)のことであり、
無機物鉱物の濃密物質というのは表面上の形体にしか過ぎません。
意識とはいっても科学が規定する生命体の持つ意識レベルにはまだ到達してません。
ただ意志だけの意識存在です。パワー・ストーンの応用はここからきます。
そして基本的なことですが、科学が説くところの生命体というのは有機物から生じます。
“生命(意識)なきところからは生命(意識)は生じ得ない”
中村先生の話というのは、
いうなれば“唯識”的な論調というものですよ。
>>863 >
>>861 >>釈迦が伝えたかったことが核心部分として残っているかどうか
>
>そう。 まさに、そこ。 --中略--
>その意味で、大乗非仏説は愚説なわけさ。
その“最重要部分”を勝手に削除、改変、変色してくれたのが大乗。
新しい宗教を説くのはもちろん自由です。
しかし、彼らは勝手にゴータマが説いたことにした。
それ故に“偽証罪”です。
尚且つ、原始経典を保持する上座部を罵り続けた大罪者で、
今でも「小乗」、「声聞/阿羅漢-低き覚り」といい続ける怠慢ぶりは顕在です。
899 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 17:38:30.40 ID:Mr1gTazI
>>892 「この世に生があり滅があり、迷いがあり覚りがあり、
覚りを得ない衆生があり、覚り得た人々として仏がいるが、
それらは全て空であるほかはない。
このようであるとはいえ、
散る花を惜しみ、生い茂る雑草を嫌うのも人の心のありようだ。
全ての現象は実体ではないとはいえ心は心である」
道元はなぜ全ては空とした上で心について語るのだと思いますか?
900 :
基地子菩薩:2012/11/13(火) 19:12:34.41 ID:2zHJ5JyH
まさに末法ですな.....!(T-T)
901 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 20:08:18.08 ID:uVXgWHPk
>>899 これは誰かの訳ですね。
原文を見ないとなんとも言えません。
原文、もしくは『正法眼蔵』の唱題、岩波文庫本の頁数を教えてください。
>>890 >違うんじゃないか
ああなるほど、言われてみれば。
>どう考え
判ってるくせに・・w
「後代成立の創作経典」だと見ているよ。
ただそのことが、“必ずしも”「内容の誤謬」や「連続性を欠く」ものとは見做さないだけさ。
*(蔵外とは言いながらもパーリはジャータカを有するし、論書やミリンダ問経や、果ては長老・長老尼偈だって
狭義の(如是我聞としての)『経』ではないけれど、その内容と権威が翳るものじゃない。鎖はちゃんと連関したままだ。
これは、経が最上で律や論は二の次三の次と考えるから、
如是我聞じゃないじゃないか!っていいたいのかもしらんけど、律なんか「そのとき世尊は・・・」だからね・・。)
また、宝珠のような切り捨て方をしないだけ。(あれは、(何度も言うけどw)学部1年生が罹る麻疹みたいなもんだ。)
テルマという考え方は、(「感得して、突き動かされ」て・・ということをあり得る事としても)、
それはそれ(「感得して、突き動かされ」たもの)と見るだけ。
そだな・・。良質な語録や出来の良い和讃の如く受け留めるという感じか・・。
903 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 20:30:36.43 ID:KPcFlKZv
>>902 >「連続性を欠く」ものとは見做さないだけさ
無理に連続させる必要はないw。それでは、釈迦カルトになってしまう。
904 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 20:33:56.88 ID:uVXgWHPk
>>902 そうか、それは残念
ところで臨済宗だと、最も尊重される経論って何?
905 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 20:42:00.22 ID:Mr1gTazI
>>901 すみません
これは河出文庫版、正法眼蔵、石井恭二の訳です
原文がついていないですし、
岩波版も持ち合わせていません。
七十五巻本正法眼蔵の第一章の現成公按の出だしすぐにある文章です。
ではこの訳だけで考えるとどう思いますか?
>>904 日課経として読むこととは別に、でしょ?w
現代では、「特にない」としか言えないんじゃないかな。
中世・近世では、顕教で重要と言われるものは押さえた人も多かったと思う。
それは、語録中の引用範囲の広さからも窺える。
勿論、今の若いお師家さん達やそのレベルの人たちは近代仏教学の洗礼を受けてるから、
巷で重要と言われる物には(一通り)目を通したりするだろうけど。
また、金剛経は文句の引用の多さや、公案にモチーフとして採用されていたり、三経合本に収められるくらいだから、
重要視されてると言えるかも。
また、大般若は転読だけど、正式な儀式作法では導師は理趣分読まなきゃ成らん筈だし、
本来ならきちんと印も結ばないかんのやろ?密教的にはw
だから、実際問題、語録熟読がメインかね・・。 世に著作を多く著してる人たちは、
説教師的であるし学者的でもあるから、所謂「禅坊主」ではないよね・・。そういう人は、埋もれる人たちだと思うし。
そこでの経論の重要視の仕方は、近代仏教学での重要視の仕方と同じだし。
他、マイナーな、個別の話だと、個々それぞれが、私はこの経を・・ということになるんだろうと思う。
この辺やっぱり、一般的解説で『所依の経典は無い』とされる通りかな。
近代の人たちは、ホントに語録オンリーって人も多かったんじゃないかな。
明治以降で言えば、明らかに行も学も不足してるとは思うけど。
907 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 21:04:59.40 ID:uVXgWHPk
>>905 T2582_.82.0023b27: 正法眼藏現成公案
T2582_.82.0023b28: 諸法ノ佛法ナル時節。スナハチ迷悟アリ
T2582_.82.0023b29: 修行アリ。生アリ死アリ。諸佛アリ衆生
T2582_.82.0023c01: アリ。萬法トモニワレニアラサル時節。マ
T2582_.82.0023c02: トヒナク。サトリナク。諸佛ナク衆生ナ
T2582_.82.0023c03: ク。生ナク滅ナシ。佛道モトヨリ豐儉ヨリ
T2582_.82.0023c04: 跳出セルユヱニ。生滅アリ。迷悟アリ。生
T2582_.82.0023c05: 佛アリ。シカモカクノコトクナリトイ
T2582_.82.0023c06: ヘトモ。華ハ愛惜ニチリ。草ハ棄嫌ニオ
T2582_.82.0023c07: フルノミナリ。
自己ヲハコヒテ萬法ヲ修
T2582_.82.0023c08: 證スルヲ迷トス。萬法ススミテ自己ヲ修
T2582_.82.0023c09: 證スルハサトリナリ。迷ヲ大悟スルハ諸
T2582_.82.0023c10: 佛ナリ。悟ニ大迷ナルハ衆生ナリ。サラニ
T2582_.82.0023c11: 悟上ニ得悟スル漢アリ。迷中又迷ノ漢ア
T2582_.82.0023c12: リ。諸佛ノマサシク諸佛ナル19トキハ。自
T2582_.82.0023c13: 己ハ諸佛ナリト覺知スルコトヲモチヰ
T2582_.82.0023c14: ス。シカアレトモ證佛ナリ。佛ヲ證シモテ
T2582_.82.0023c15: ユク。
これですね。要するに完全に悟っても業の現れはあるという意味ではないでしょうか?
908 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 21:11:14.63 ID:uVXgWHPk
>>906 理趣経は読誦経典だから、読むだけでもいいです。
金剛般若経ですか。なるほど、禅宗では重視されるよね。
語録だと、何? 無門関、碧巌録、やっぱり臨済録か?
909 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 21:59:19.26 ID:Mr1gTazI
>>908 その三つは勿論だけど、前二者は(初学者・中堅の)公案としても使われるから、ちょっと別扱いかも。
勿論、提唱・講読の主軸物ではあるけど。
他たとえば、「禅宗四部録」(“しぶのろく”なんて呼び習わすけど)とか「臘八示衆」とか「五祖録」とか。
白隠系(毒語心経とか槐安国語とか荊叢毒蘂とか)も扱う老師多いかも。
で、重点的になるのは、それぞれの宗派・法脈(及び各寺院・道場)の系譜上の人とかかな、やっぱり。
そういう時は、どマイナーなw和尚でも扱われるしね。
また、各お寺(≒道場)の什物として、伝法衣ならぬ伝法録wは、代々の師家の書き入れがあるからね。
自ずと絞られてくるよ。(これも、或る意味師資相承の一端か・・w)
で、どれかに依拠して、それを柱にする、って感じじゃなくて、
多くに触れて、核(コア)に近づくって感じかも。方法論としては。
周縁を固めてドーナツの穴を顕現させるみたいなw
>>908 >理趣経は読誦経典だから、読むだけでも
そうなのか。それで、取り入れられてるし、
密教の系譜上になくても(密教的にきちんと学んで行を修めてなくても)いいのか。
なるほど。
追記:
文言や姿勢(や野狐と紙一重なw語彙)としては金剛経だけど、
世界観は「華厳」や「如来蔵・本覚思想」だけどね。
法華経的考え方や文言も多用されるし、浄土系の考え方も利用される。
・・・・・w
神智学ほどではないにしても、
やっぱり、何でもアリのキメラ的側面はあるなぁ・・・w
ま、基本、「立ってる者は親でも使え!」だしな、仕方ないか・・。
912 :
基地子菩薩:2012/11/13(火) 22:30:27.89 ID:2zHJ5JyH
913 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 23:15:29.87 ID:tsldG3bu
>>894 宝珠さん
ムーはわたしの記憶違いでした。ただし、レムリアはインド洋、
ムーは太平洋という説が有力である。かりにレムリアなら、日本人は
消えた大陸の生き残りにならない。また、アトランティスは大西洋にあり、
黒人とともに、白人も消えた大陸の生き残りになる。
>>895 神智学の根人種論は、人種の新旧を単に述べているのではない。
その新旧に人種間の優劣を設定している。黒人、ユダヤ人、日本人など、
消えた大陸の住人は本来、消えた大陸とともに滅びるべきだったのであり、
現在の世界における邪魔者である、という主張が含意されている。
916 :
神も仏も名無しさん:2012/11/14(水) 07:15:10.00 ID:Y8N+mTss
917 :
神も仏も名無しさん:2012/11/14(水) 07:38:05.81 ID:CDbAPKWD
現世の違いを前世の報いとして「根拠もなく」主張することと、
根拠として、伝説に過ぎない話を持ち出して人種の優劣を説くことは違う。
後者は伝説を利用し、大衆の好奇心をくすぐりながら、
もしかしたら本当かもしれないと思わせている。これがより悪質。
ウソだろ、で終わらせないで、人々に疑惑を持たせようと試みている。
917の続き。〜 人種の新旧が人種の優劣に読み替えられるのは、
神智学が進化論を土台に、人間の本性を考えているからだろう。
知識や物質的な領域では、進化論的な、時代が進むにつれ進化して行く
という考え方も確かに成立する。しかし、精神的人格的な領域では、
そんなに単純ではない。進化論は唯物論的な発想である。
>>897 ダイヤモンドが王様? 鉱物王国の話はまったく理解できません。
中村先生の話(
>>850-851)はどう読んでも、やっぱし唯物論。
それから、肉体には口もあり、普通は意識的に喋る。
宗教とは何か?生まれながらに知っていましたか?
違いますよね?他人から教えられたんですよね?
921 :
神も仏も名無しさん:2012/11/14(水) 10:47:21.82 ID:Y8N+mTss
>>920 何が言いたいのよ?
誰もそんなこと言ってないんじゃないか?
教育と称して暴力を行う人の一部に暴力の根拠として
「親に教えられた」などが多数見られるんですがどうなんですか?
それって意味あるように思いますか?
923 :
神も仏も名無しさん:2012/11/14(水) 11:22:13.42 ID:Y8N+mTss
>>922 ここで何を言いたいのよ?
その行為の現象として、例えば殴るという現象は同じでも、
動機が異なれば自ずと意味が違うでしょう。
つまり、殴る行為が慈悲・慈愛に基づくのか、単なる怒りなど煩悩に基づくのか、
あるいは混合しているとしても、どちらの度合いが強いかに。
もちろん暴力、他を害する行為は基本的には良くないに決まってます。
ですが、そうした方が導けることもあると思います。
結論として、間違いが延々と引き継がれるとしたらどう思いますか?
925 :
神も仏も名無しさん:2012/11/14(水) 11:35:47.96 ID:Y8N+mTss
>>924 変えるように努力すべきでしょう。
もちろん、変えるのも意識の変換によって変えるので、
強制的に変えるのというのでは本質的には変わらないでしょう。
ただ相手を言い負かすだけのオームの上祐状態からさっさと抜けろ、と言っておく。
927 :
神も仏も名無しさん:2012/11/14(水) 12:05:37.89 ID:Y8N+mTss
>>926 オイオイ、だから最初に何が言いたいのか尋ねたんだけど、
オイラ的には誠実に答えたつもりですがな
自分の意図した答えじゃないからって、それはないんでないかい?
せっかく答えたのに
928 :
神も仏も名無しさん:2012/11/14(水) 12:06:09.64 ID:WG3RZ5Lw
>>926 オウムも、ここの釈迦盲信者も、原理的には全く同じ。
「修行しろ」「修行しろ」と叫ぶ、麻原(釈迦)w。
>>926 何苛ついてんだよw
920からの今の遣り取りから926が出てくる文脈が見えないんだが?
君は、一体何が言いたかったんだ?
>>920>>922>>924は、
およそ宗教的なるものへの(その伝承過程の盲目性としての)批判と読むことはできるが、
>>926にはその連関がない。
それぞれにきちんとした応答レスが付いてるにも関わらず、無関係に独白を続け、最後に926。
最初から、
「宗教板(常連の)奴等の態度が気に喰わないから中傷してやるぜ」
という意図だったとしか思えんわw
2ちゃんねる的ご回答ありがとうございます。
死んだらあの世に行くという日本の常識を
覆すことになるかと思うと・・・・・・・・・・・
931 :
神も仏も名無しさん:2012/11/14(水) 12:23:57.87 ID:Y8N+mTss
ああ、なるほど宗教なんか信じてるアホを目覚ましてやるぜ!
ってな気持ちでやってきて、言い負かせなかったんで、
捨て台詞、最後に2ちゃんだから、しょうがねなってことにして
とっても可愛いオレチャンのエゴを守ったってことですね。
なるほど、分かります分かります
付き合ったオイラはお馬鹿でした
あなたは日本人の代表ですか?
933 :
神も仏も名無しさん:2012/11/14(水) 12:42:53.36 ID:2oortlgM
日本国では思想信条の自由があり、大人がさまざまな思想を子供に教育する自由もある。
もちろん、虐待的な体罰など違法な方法はダメだが。
だから、子供にあの世を信じるように教えてもいいのである。
地獄を信じる文化の地域では犯罪率が下がるというデータもあるらしいし。
>>930(
>>932)
覆すのは死後“あの世”(黄泉)へ行くという日本の常識だけでいいのか?
最後の審判とか、六道を輪廻し続けるとか、生まれ変わるとか、アストラル体になるとか、
色々あるぜw
>>933 その言い方も間違いとは言えませんが
> 大人がさまざまな思想を子供に教育する自由もある。
については、日本国憲法の三大義務で教育(を受けさせる)義務として明文化されている
とだけ申し上げます
つまり「それ以上入り組んだ教育の内容については明文化されていないのでなんともいえない」というのが今の日本国のありようです
子が親にそっくりだと、もしくはじじいにそっくりだったら生まれ変わりだと思うわな。確かに
別に誰とも敵対したくもないし否定もしないけど
日本はおかしな伝統が多い気がするので何とかしたい。
先に進まないから
938 :
神も仏も名無しさん:2012/11/14(水) 12:56:00.54 ID:2oortlgM
>>935 宗教活動は、自分の思想を他人に教える活動がメインと言える。
子供に教えるのも含む。
子供に宗教を教える自由もある。
939 :
神も仏も名無しさん:2012/11/14(水) 12:59:32.97 ID:2oortlgM
>>937 「おかしな」の基準がわからない。
外国と比較して何らかの点でデメリットになっているということか。
どの点で優れたいのか、どの点では外国に負けたくないのか。
そのあたりも個人個人の思想・価値観ではあるが、
議論スレだから議論して価値観をぶつけ合うのはいい。
940 :
神智学?:2012/11/14(水) 14:17:50.65 ID:pw8tewzj
神智学は レイシズム(人種差別主義)且つ神秘主義であって、
今日の人類が絶対に受け入れてはいけない形而上的妄想である。
ナチスドイツが舌なめずりして利用した実績を見れば、
その正体が分かろうというもの。
もちろん、仏教とは似て非なる妄想でしかない。
おかしなことを正すためには明確な答えが必要ですから大変です。
942 :
神も仏も名無しさん:2012/11/14(水) 14:47:37.65 ID:Y8N+mTss
>>941 まずは、君が話し方から正すべきじゃね?
あと、そういうナショナリズムとか政治の話は、他でやってくれよん
943 :
基地子菩薩:2012/11/14(水) 15:46:03.88 ID:4xuHUa6e
16日解散と野田豚が国会で
発言しましたよ!(^。^)y-~
>>943 ナショナリズムとか政治の話は、他でやってくれよん
945 :
基地子菩薩:2012/11/14(水) 17:27:54.88 ID:4xuHUa6e
>>944 スルー出来ない心の狭さ
笑わせるわね!(^。^)y-~
最後に笑えるなら取って返すのもいいかもね
947 :
神も仏も名無しさん:2012/11/14(水) 19:54:58.62 ID:ZXQZmtqn
h
きっと
基地子菩薩さまは
最後まで笑いながら
往生を成し遂げるんじゃなイカ?
____
,. ´ 、 `` .
/ \ ` 、
/ ____ ヽ \
// ,. ´: : : : 、: :` 、 ', ./
/ / /: : : : : : :|: : |\: : : : \} /
/ /'´: : |ヽ: : : : ハ斗―ヽ‐: : : :\ .イ
. / / : : l|,.|--\:/ 〃´ ̄`\: : } : }|
/ /: : : :∧| fいハ W∨W
___ \.|: : : / |〃⌒ 弋t:り {: :,ゞ-ミ、
. ∧ |: : : : :| | : : : : |{ fいハ ‐ "∨ ノ: \
/: : ∨: : : : :| |∧ : : | 弋t:り . -- 、 / /― 、: \_
. /: : : : : :/ ̄ /:\ .!:\:ト、 '´ / | / / }/ }ー―
|: :∧:/ /: : : :| |: : : :iム" 〈 j./ / / /: : : : :
|: :{ 〉: :〈 ̄ ./: : : :ハ:\ __\__ // /--、/ /` ー―
ヽ: \ |: : / ./: : : :/ }: :{ {:{ {:// / : / /ハ\
\: `ー┴‐: ´ : : : / /: :∧ ヾx/:/ ⌒´ /:∨ {: : :\
` ー―‐、一<___,/: r┴‐ミx、_厶′ (_:_:_:_}__廴:_:_:_\
\ : : : : : : :人 - 、 ノ: :
.  ̄ ̄ ̄ /: 》ー┬‐-、 \ `丁丁丁、´
949 :
基地子菩薩:2012/11/14(水) 22:14:20.14 ID:4xuHUa6e
>>948 父親は胃ガンだったけど笑いながら
死んで逝ったわよ!(T-T)
950 :
神も仏も名無しさん:2012/11/14(水) 23:42:50.34 ID:giDXz++d
神智学では日本人は神経回路の違う劣等種で、民族浄化の対象だってな。
原爆落とされたのもその思想が根底にあるからって話もある。日本人は基本、無神論者だしな。宝珠は
その点とう思ってんだ?
まあ、昭和日本の各宗派も、
参戦肯定、出征肯定、敵兵討伐の爲の教義解釈をしてるだろうしね・・・。
同じ位相で、
所属国家・民族・文化の(覇権増大という形ではあるが)発展、正当化が必要だった面はあると思うよ。
そこを責めるのは、時代背景を鑑みれば、大目に見てもいいとこと思うけど。
952 :
パーピマン:2012/11/15(木) 02:16:17.75 ID:c96K5yqn
>神智学では日本人は神経回路の違う劣等種で、民族浄化の対象だってな。
え〜〜〜〜〜〜? それマジ?www
954 :
神も仏も名無しさん:2012/11/15(木) 06:53:31.96 ID:86YDrG2O
人智学のシュタイナーはもともと神智学の信奉者であった。
かれはシュタイナー教育で日本でも有名だが、ヨーロッパではかれの著作に
人種差別的発言が頻繁に見い出せると批判されている。
かれ自身が、神智学の核に人種差別があることを示す傍証になっている。
シュタイナー教育が欧米中心なのも人種差別から。
神智学では世界を七段階に区別するらしい。エーテル界→アストラル界→
メンタル界→ブッディー界→アートマ界→モナド界→ロゴス界。
この段階を、その人間の霊的進化に応じ、下から順次、上へと昇って行く。
各々の人間は、自分の属する界に応じ、エーテル体、アストラル体・・・
などの身体を持つという。この図式は進化論そのものではないか。
956 :
基地子菩薩:2012/11/15(木) 08:29:05.12 ID:lXeL1F2O
さて問題は、日本人は下から二番目のアストラル(感情・欲望)体に属し、
欧米人はメンタル(精神・知性)体に属しているところにある。
日本人のランクが下なのは、日本人が消えた大陸の生き残りだからである。
ユダヤ人、黒人も同じなのだが、欧米人に比較したら劣等人種であり、
自分たちより先に滅びるべき人種だと主張している。
958 :
神も仏も名無しさん:2012/11/15(木) 09:16:51.95 ID:86YDrG2O
>>956 神智学はユダヤ人や日本人や黒人などを標的にしている。
露骨な攻撃だと人々の反感を買う。そこで科学や学問を利用して中立を装い、
こっそり、大衆の感情や意志を左右しようとしている。
〜 もともと宗教は、政治的プロパガンダとかたく結びついている。
すみません日本語訳が知りたいのですが、この部分の訳が見つからなくて、
詳しい方お願いします
ちなみにこれは般若心境であってますか
提 羯 波 除 明 般 得 三 遠 心 菩 滅 至 意 色 受 浄 是 色 空 空 般 多
960 :
神も仏も名無しさん:2012/11/15(木) 09:54:44.08 ID:lSctrWVx
>>959 文として意味をなしてないようですが、
この原文あるいは出典、あるいはどのような状況で出てくる文なのか分からないとわかりません。
とりあえず、この文は大正大蔵経検索ではヒットしません。
>>960 そうですか、夢に漢字がでてきて検索したらこれがヒットしたので意味が気になってしまいました
ありがとうございました
白人の目から見れば、黒人は白人の奴隷でしかなく、
ユダヤ人はキリスト教の神(イエス)を殺した犯罪者でしかない。
では日本人は? 明治以来の日本は、白人の世界支配を邪魔する
アジア人代表に他ならない。だから白人に嫌われた。
消えた大陸の生き残り、という話は、本心を隠すための煙幕。
963 :
基地子菩薩:2012/11/15(木) 10:22:38.86 ID:lXeL1F2O
964 :
神も仏も名無しさん:2012/11/15(木) 10:24:54.09 ID:lSctrWVx
>>961 夢に出てきた漢字を言ってみてください。
もしかすると、何か分かるかもしれません。
967 :
神も仏も名無しさん:2012/11/15(木) 10:47:58.50 ID:lSctrWVx
968 :
神も仏も名無しさん:2012/11/15(木) 10:52:56.67 ID:lSctrWVx
>>966 縦読みか
下はヤバイっすね〜
こうなったら、本とか読むのやめて肉体労働した方がいいと思う
>>966 それです、
あれは誰かが個人で考えたフレーズなんですね
し、しかも縦読みだったとは
>>967 お手数おかけしました
そうですか、宗教とあまり関わったことがないのですが
過去にもお経が聞こえてきたりしたので参考にさせていただきます
ありがとうございました
>>969 >あれは誰かが個人で考えたフレーズ
違う違うwwww
ちゃんとした般若心経だよ。幾つか誤字もあるようだけど。
『縦書きを横に拾ったもの』なんだってw
https://sites.google.com/site/copipedic/2ch/copipe/hannya 直リン不可なんで、IE等ブラウザのアドレスバーに貼り付けて開けばいい。
ちなみに、8行目が検索でヒットしたんでしょ。
般 波 羯 即 実 呪 多 三 般 倒 掛 般 無 無 明 流 眼 是 不 亦 色 厄 多 観 摩
若 羅 諦 説 不 是 是 藐 若 夢 礙 若 得 老 目 無 精 故 生 復 即 舎 時 自 訶
心 僧 羯 呪 虚 無 大 三 波 想 故 波 以 認 無 眼 鼻 神 不 如 是 利 照 在 般
経 羯 諦 曰 故 等 神 菩 羅 究 無 羅 藻 盡 無 界 舌 中 病 是 空 子 見 菩 若
諦 説 等 呪 提 蜜 竟 有 俺 所 無 明 乃 身 無 不 院 空 色 五 薩 波
波 般 呪 是 故 多 涅 定 多 得 苦 盡 至 意 色 垢 利 煮 不 蘊 行 羅
菩 羅 若 能 大 知 故 確 怖 故 故 集 乃 無 無 無 不 子 是 藻 皆 深 蜜
提 羯≪ 波 除 明 般 称 三 遠 心 菩 滅 至 意 色 受 浄 是 色 空 即 般 多 ≫←ココねw
薩 提 羅 一 呪 詐 阿 世 離 無 提 道 無 識 聲 想 不 諸 受 空 度 逝 心
婆 蜜 切 卒 波 耨 諸 一 掛 薩 無 老 界 香 行 増 法 想 不 一 波 経
訶 多 大 無 羅 多 佛 切 礙 陀 智 死 無 味 識 不 空 行 異 切 羅
東 真 上 蜜 羅 依 顛 無 依 亦 亦 無 觸 無 減 相 識 色 苦 蜜
って、誤字多すぎかw つか意図的? ちゃんとしてないかもwww
何か意味あるコピペなんかな・・・? (´・ω・`)
972 :
神も仏も名無しさん:2012/11/15(木) 11:30:58.92 ID:lSctrWVx
>>970 なるほどw
縦書きを横に拾っちゃったってことだったんですね
すごいブログですよね、コメントがまったくないのによくブログ続けられるなぁ
殺気立っててコメントする気が失せてしまう
>子供の方はどんどん進化してるのに社会の方はたいして進化しないんだからどうしようもない※進化とは規制のことではない
↑ブログのこの部分なんかは共感するけど内容読むと個人粘着に焦点が全部いってるような
974 :
神も仏も名無しさん:2012/11/15(木) 11:36:48.95 ID:lSctrWVx
もう止めた方がいいと思うよ〜
その人が乱入してきたら大変ですから
そうですね、あまり書きこんだことがないので助かりました
976 :
神も仏も名無しさん:2012/11/15(木) 11:46:55.57 ID:lSctrWVx
>>969 >過去にもお経が聞こえてきたりしたので参考にさせていただきます
ここを読み落としてました。
だったら、一度、いい師匠に伺ってみるといいですよ。
ラマ・ウゲンが日本におられるので彼がいいかもです。チベット文化研究所に連絡すれば、お会いできると思います。
あるいは、ガルチェン・リンポチェ、ゲツェ・リンポチェ、ゾンサル・キェンツェー・リンポチェ、ズィがー・コントゥル・リンポチェなどが来日された時に伺ってみるといいと思います。
こちらは、この名前で検索すれば、連絡先が見つかりますよ。
恐らく仏教に深いご縁があるのではないかと思います。随喜、随喜!
随喜というのは、素晴らしいアナタのご縁に共感して喜ぶというような意味です。
文字からして大乗なので上の方がいいと思います。
>>976 ありがとうございます
大乗を調べてみたら思想が同じでした
前から前世は仏教だったに違いないとは思いながらも
家族はいい顔しないので踏み込む勇気がなかなか、
しかし同じ思想を持つ人たちに会えるなんてすばらしいこと;;
いろいろありがとうございました<(_ _)>
978 :
神も仏も名無しさん:2012/11/15(木) 12:17:33.95 ID:lSctrWVx
>>977 おお! それは共感。
どっかでお会いできるといいですね。
縁起がいい!
>>962の続き 〜 神智学にせよ人智学にせよ、
組織のトップクラスが相当なインテリであったことは間違いない。
そんなかれらが、伝説の与太話を根拠に、自分たちの理論を作ったなどと
考えるわけにはいかない。そうではなくて、これがかれらの
大衆をだまし、洗脳する常套手段だったのだろう。
事実を提示できない場合、理屈で相手を説得するのは不可能に近い。
そこで神智学は、最初から理屈を放棄し、好奇心など、相手の感情に訴える
方法を採用している。感情に直接訴え、感情から意志へと向かわせる。
釣り糸のエサは、伝説だったり、覚者からの手紙だったり、進化論をベース
にした発達段階だったり 〜 そして獲物が食いつくのを待っている。
981 :
神も仏も名無しさん:2012/11/15(木) 21:46:32.64 ID:AbZVmldb
結局、神智学は洗脳によって成立している。
これときわめてよく似ているのが、大乗のウソも方便である。
洗脳の問題点は、組織のトップクラスが信者の思いを操作することにある。
それは信者を冒涜するだけでなく、神や霊魂を冒涜する行為でもある。
洗脳を認めるような宗教はインチキ宗教だと思っていい。
>>洗脳を認めるような宗教はインチキ宗教だと思っていい。
インチキでない宗教を挙げてみてよ でなければお前の妄言ということになるが?
983 :
神も仏も名無しさん:2012/11/16(金) 08:41:50.97 ID:TJiW2h+H
【洗脳を認める】ような → ウソをウソだと知りながらウソをつく。
これは詐欺であり、よいことではなく悪いことだと理解しよう。
仏教でもキリスト教でもウソは禁じられている。
ウソをよいことだと積極的に肯定するのが【方便】であり、
単純なウソ以上に悪質ではないだろうか。
後になってから「あれは方便だった」ではたまったものではない。
ウソも方便によって大乗は根腐れしている。
985 :
神も仏も名無しさん:2012/11/16(金) 11:36:15.64 ID:20+EaGxN
>>983 人類最大・最悪の嘘は、釈迦の「輪廻転生」「無我」とイエスの「愛」w。
この二つが、無数のカルトによる洗脳の手段の手段となっているのが実態。
986 :
神も仏も名無しさん:2012/11/16(金) 11:44:45.72 ID:20+EaGxN
>>985の訂正
×洗脳の手段の手段
○洗脳の手段
「嘘」というのは「本当」と同じ情報の強度を持っていますね。
また、嘘は人間に高度な学習をさせます。
それは理解しておいた方がいいですね。
仏教について難しい話を色々な人がしてますが、
仏-教の教えの根-源は
「輪廻しないためにどう生きるべきか」という事に尽きます。
それを色々な経典で教えているに過ぎない。
即ち仏教の経典とは
「生まれてこない為にどう生きるか」というマ-ニュアルなのです。
ここを外したら仏教の意味はありません。
釈迦の弟子がなぜ禁欲生--活をしたのか?
執着が輪廻を招くからです。
即ち欲望が苦しみの基であり輪廻の根源だからです。
仏教を追求すると欲望を捨て去る事に行き着きます。
欲望にまみれた日本人にそんな事でき-ますか?
よくある宗教団体で「病気がなおった・・」とか・・
「願いが叶う-か-ら・・・」とか・・・
「家族の安全・・・」とか・・・
「先祖供養を・・・」とか・・・
おおよ-そ仏教とは真反対な考えです。
その願いこそが輪廻を引き起こすからです。
正しい尺度を持つことは自他を迷わす事を防ぎます。
真実を追求する事を忘れないでください。
仏教について難しい話を色々な人がしてますが、
仏教の教えの根源は
「輪廻しないためにどう生きるべきか」という事に尽きます。
それを色々な経典で教えているに過ぎないのです。
即ち仏教の経典とは
「生まれてこない為にどう生きるか」というマニュアルなのです。
ここを外したら仏教の意味はありません。
釈迦がなぜ弟子たちに出家を要求したのか?
釈迦はなぜ弟子たちに禁欲生活を要求したのか?
欲望は執着であり執着が輪廻を招くからです。
即ち欲望が苦しみの基であり輪廻の根源なのです。
仏教を追求すると欲望を捨て去る事に行き着きます。
欲望にまみれた日本人にそんな事でき-ますか?
よくある宗教団体で「病気がなおった・・」とか・・
「願いが叶うから・・・」とか・・・
「家族の安全・・・」とか・・・
「先祖供養を・・・」とか・・・
だから入信しなさいみたいな事をよく耳にします。
欲望を満たすための仏教なんて有り得ません。
おおよ-そ仏教とは真反対な考えです。
その願いこそが輪廻を引き起こすからです。
欲望を滅し輪廻から離れる事を解脱といいます。
それを極楽と言ったり不動国と言ったりします。
生まれてこないから生きる苦しみがない
ある意味人生の裏技みたいなものです。
ゲームに負けたくなければゲームをしなければ良い・・・
そんな考え方じゃないでしょうか?
正しい尺度を持つことは自他を迷わす事を防ぎます。
真実を追求する事を忘れないでください。
>>989 その通りですね。人生を「カルミックな結末」で終えることができれば輪廻から解脱できる
と考えるのが仏教ですね。
991 :
神も仏も名無しさん:2012/11/16(金) 14:43:16.27 ID:Pq1vpM8L
>>988 >「輪廻しないためにどう生きるべきか」という事に尽きます。
それが釈迦仏教がカルトの根源である所以だよ。
「輪廻転生」「無我」とともに、「一切皆苦」も大嘘。「欲望を去る」ことの
「より大きな苦」はどうしてくれるの?w欲望、煩悩は「生命の維持に不可欠
な心的作用」であり、感謝して受け入れることにより初めて「去る」ものであ
ることに、釈迦が思い至らなかっただけ。
>>991 たしかに釈迦の「私」「私のもの」という発想を捨てろという思想は哲学者としては合理性を失っているのではないか、
と指摘されていますね。
993 :
神も仏も名無しさん:2012/11/16(金) 14:53:32.27 ID:Pq1vpM8L
>>992 釈迦の単純ミス、勘違いですよ。釈迦盲信故に、その単純ミスに執着して、
釈迦の恥を曝し続ける釈迦カルト。
まあね・・w
デメリット(危さ、負の側面)が仏教にゼロかというと必ずしも言い切れないからね・・。
・欲望(欲求・自己を満たすこと)の否定、快楽・享楽・満足への興味の喪失
→ 鬱的気分
・誘惑への対処として、「関わらない」という方法論(cf.DN16)の選択
→ 逃避、対岸としての視線、事象に対する“已む無し”という視線
参:
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1335272293/922 ・執著の除去へ向かうまでの煩悶/理想(目指す姿)と現実(実際現状の自己)とのギャップ
( 欲←→不要 / 精神的飢餓←→満足・充実 / 欲・甘え←→理想・節制 )
・社会の改善、変革、或いは軌道修正への非積極性
・聖俗という分業・棲み分けに由来する「我関せず」的態度
或いはまた
・現状肯定由来の解決放棄、「我関せず」的態度
・反禁欲へ針が振れ過ぎることによる、欲望・願望成就の推奨 → 欲望に従うという現状肯定へ
・向上(自己実現・スキル養成)と利他(スキル活用)の先後の曖昧さ
・理念の高さゆえの現状肯定 「理念(理想)は理念(理想)、現状(甘んじるべき)は現状(甘んじるべし)」
とか。
995 :
神も仏も名無しさん:2012/11/16(金) 16:31:58.68 ID:Pq1vpM8L
>>994 そんなに難しく考える必要はないw。要するに、「己の我を以って、無我を説
く」「苦楽の相対性の忘却」という滑稽な、初歩的論理矛盾。
中国や日本に伝わった仏教は「共同生活」というものを重視していますね。
つまり「怒らない」人は基本的にすべての修行を免除されるのです。
怒る人はせめて人の役に立てという思想ですね。
997 :
神も仏も名無しさん:2012/11/16(金) 16:44:24.31 ID:amk/IFRd
>>992 そりゃ、仮設を理解してないか、同一性という形而上学にやられているかじゃないか?
>>994 そりゃ、導き方がおかしいか、世俗的価値で見る倒錯じゃないか?
>>996 いや〜、アーガマ・ニカーヤでも釈尊は世間とは争わないですよ
あるいは、利他、菩提心、普賢行という大乗の側面を世俗的に見てるんじゃないか?
>>997 いえ、私は「怒らない人ならアホでも何でもいいのだろうか」という点を知りたいのですよ。
実験したいぐらいです。
999 :
神も仏も名無しさん:2012/11/16(金) 16:53:31.85 ID:amk/IFRd
>>998 それは誤解ですね
怒らない人じゃなくて、菩提心を持てば他はなんでもいいとは言えますけど
その結果として怒らない人になるなら分かりますが
菩提心は、言い換えれば慈愛、思いやりです
愛といっても執著、愛着じゃなくて、
>>995 相変わらず、要点論点が全く見えてないですね・・・w ┐(´ー`;)┌