☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート28

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1神も仏も名無しさん
仏教に関するよろず質問スレッドです。
知識を有する有志によって仏教に関する疑問・質問に答えます。

主に参学の途にある方々の知識によって対応しますので、明確な答えは出ないかもしれません。
皆で協力しあって何かの参考になるスレッドを作っていきましょう。

初心者にはやさしく接してあげてください。
良ければ出典などを示してください。質問する人がどんな本を読めばいいかの目安になります。
明確な出展なく自説を述べる場合は、その旨はっきりさせると無用な議論の紛糾の防止になるでしょう。

無駄な荒廃や議論の紛糾防止のため、皆様のご協力をお願いいたします。

*「議論の白熱化、専門化」「話題の拡散、変異」「売り言葉に買い言葉のような応酬」
 等の事態が生じましたら、関係各位は“自発的に”速やかに
 他スレ・該当スレへ移るか、ふさわしい新スレを建てるかなどして、
 『質問し易い雰囲気』作りに御協力ください。

<前スレ>
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート27
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268863382/
【過去ログ・関連スレ・補足は>>2-6辺り】
---------------------------------------------------
<推奨>
仏教 議論スレッド その2
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1272850647/l50
卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ 【臨時 避難所】
http://sports2.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1270611666/l50
2神も仏も名無しさん:2010/05/16(日) 04:12:19 ID:GDin7fBQ
【前スレ・過去ログ】
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート26
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1267761169/
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート25
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1265848995/
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート24
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1263374686/
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート23
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1256027204/
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート22
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1252318977/
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート21
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1228643678/
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート20
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1221194935/
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート19
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1197532687/
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート18
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1184884890/
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート17
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1166685786/
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート16
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1153904685/
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート15
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1145626490/
3神も仏も名無しさん:2010/05/16(日) 04:13:44 ID:GDin7fBQ
パート14以前は、以下のサイトで。
http://www.geocities.jp/jfcps873/index1.html

リンク外(パート8と9の間)
卍卍 新・仏教質問箱@参学用 卍卍パート2
  http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1095178011/
卍卍 新・仏教質問箱@参学用 卍卍パート1
  http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1081319012/
リンク外(初スレ)
☆ 神道・仏教 @ 質問箱 ☆
  http://life.2ch.net/psy/kako/988/988650860.html

【他質問スレ】
仏壇・仏事・参詣・疑問あれこれ @
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1131518991/
☆ ○ 神道 @ 質問箱3 ○ ☆
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1199915330/
イスラム@質問箱
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1213086060/
4神も仏も名無しさん:2010/05/16(日) 12:17:47 ID:VKddK9i0
仏教の修行の基本は三学(戒、定、慧)であり、
心身を戒め(戒)、瞑想をし(定)、それによって悟りの智慧を得(慧)、
涅槃へ行くと思うのですが、
何故瞑想をすると悟りの智慧が得られるのですか?
また悟りの智慧とは何ですか?
5神も仏も名無しさん:2010/05/16(日) 19:16:42 ID:5nhbqMJE
禅宗と密教ではどちらの方が境地は高いですか?
修行するならどっちの方がよいでしょうか?
6神も仏も名無しさん:2010/05/17(月) 18:46:41 ID:fvn3OjCN
誰も答えてくれないなw
可哀想にw
7宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/05/17(月) 19:52:34 ID:r3YH6Olm
>>4-5
答えは、自分ですでに分ってるようにも見えますが^^
私は回答の資格がないのでごめんなさい!

てかっ、まだ皆さんスレの存在に気付いてないのだと思う。
8神も仏も名無しさん:2010/05/17(月) 21:17:31 ID:8gs3+Ipe
>>4
雑念が払われ、思考が明晰になり、
「(種々の)おしえ」と正対して思惟することができ、
諸法の実相(縁起性であること)を如実に観ることができるから。
また、「(種々の)欲」「我執」の抑制・滅、及び、生じさせない為の助けとなるから。

「>悟りの智慧」という言い方が適切なものかどうかというのもありますが、
乱暴に一言で言えば、『「諸法は縁起するものである」ということを知ること』、
そのような「知」、
って感じでしょうかね。

>>5
『「とんこつラーメン」と「たぬきうどん」、どっちの方が美味しいですか?
食べるなら、どちらがいいですか?』
って聞いてるようなもんだw
自分が既に持っている価値観や理想、
或いは、今後活かしていくにあたっての自分の置かれた境遇・環境等
との兼ね合いをじっくり検討してみて、どちらがふさわしいか(≒自分に向いているか)
考えてみたらどうでしょう。
仮に、比較して、どちらかの境地が高いものだったとしても、
【貴方にそれが向いているかどうか】は別問題です。

>>7
規制が頻発してるとはいえ、
要注意人物のテンプレ、貼られず仕舞いだったなw
9宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/05/18(火) 09:27:03 ID:Xo0qSKiH
>>8
“要注意人物のテンプレ”ですか・・・。

確かに、ココは純粋に仏教についての質問スレなので、
回答するということは、仏教に関して基本的で正しい理解のある人でないとマズイでしょう!
つまり、一定の基準を満たしている必要がある。

ならば、
回答者は一定水準に達してるであろう筈の僧侶と駒大仏教学部卒に限るとかねw
これも自己申告制だけどw
10机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/05/18(火) 11:03:15 ID:42tjDdSd
>>5
密教はよく分かりません。
禅宗ですと、境地が高いとか、境地が低い、とかの分別がなくなります。

境地が高い、というのは、つまり心が清浄とかの意味ですか?
心が清浄であっても、人間というのは「水清ければ魚棲まず」です。
ある程度の「混沌」を好むのが人間でありましょう?

そのような境地が、いわゆる禅宗一般的なものかも知れませんですね。

         春に花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて冷やしかりけり。

                      <道元>
11神も仏も名無しさん:2010/05/18(火) 19:09:32 ID:1jk9Fr+X
>>9
ちょっと違うなw
そういう風に「選抜メンバーで(住人を)構成する」のではなくて、
「厄介な人物には御遠慮願う」という形だよ。
サウナで「刺青、泥酔の人お断り」とあるようなもんだ。
そうでない人は誰でも入室していい。
別に「容姿端麗な人、贅肉の無い人、体脂肪率何%以下の人のみの入室が許可される」
というわけではないw

桶?w
12神も仏も名無しさん:2010/05/18(火) 23:02:52 ID:Wb+rbHvq
今度ご縁がありまして実家の宗派とは異なる某宗派で結縁灌頂を
受けさせて頂くことになったのですが数珠が腕輪念珠しか持っておりません

いい機会ですので108珠のものを手に入れようと思っているのですが、
八宗用の数珠にするかその宗派のものにするかで悩んでおります

材質によってはなかなかいいお値段になりますが、このような場合は大人しく
結縁灌頂を執り行われるその宗派の専用のものを購入すべきでしょうか

在家の素人の些末な愚問ですし、2chで訊くなたわけと言われそうですが
ご教示頂けたら幸いです、よろしくお願いいたします
13宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/05/19(水) 06:00:43 ID:UByItnfn
>>11
桶!!
14神も仏も名無しさん:2010/05/19(水) 16:30:43 ID:igMsohE3
スマサナーラは臨済宗や曹洞宗の管長より高僧ですか?
15神も仏も名無しさん:2010/05/19(水) 18:56:23 ID:pwux8nxI
大乗仏教はやっぱりまやかしなんでしょうか?
16神も仏も名無しさん:2010/05/19(水) 22:55:26 ID:K09HTuB5
>>15

御伽噺という意味で「まやかし」を使っているなら、キリスト教、イスラム教、上座部仏教と同じくらい。
上座部仏教に比べて、という意味なら、大乗仏教は発展型だから、まやかしじゃない。
大乗経典は、原始仏典やアビダルマを踏まえて書かれているし(法華経みたいなものもあるがw)、中観、唯識といった理論的完成具合は、
上座部の比じゃない。
原始仏典だって、後世の理論的付加部分があるし、必ずしも「釈迦の教えそのまま」じゃない。
17机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/05/20(木) 07:45:35 ID:OzYtA91f
>>15
なかなか深いですね。
もしかしたら、人生そのものがまやかしかも知れません。

何故なら、人生もまた、特別な存在だからです。
18神も仏も名無しさん:2010/05/20(木) 21:35:19 ID:AxSaTXrq
なんか仏教思想をテーマとしたおもろい小説ってある?
教授はヘッセのシッダールタおしてたけどアレは仏教じゃなかった
19神も仏も名無しさん:2010/05/20(木) 21:48:50 ID:DIcmqvi0
>>18
ネタ物なら
・「SF妙法蓮華経」(石川英輔/講談社)
・「幻獣変化」→「神獣変化」→「神獣変化-涅槃の王」(夢枕獏/各社各版有)
20宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/05/21(金) 01:22:10 ID:sIq3yRJ1
>>18
池田得太郎著
 『弟子たち--舎利弗と目連』潮出版社450円(1975刊/絶版)
  主要登場人物
   サーリプッタ、モツガラーナ、ビンビサーラ、アジャータシャトル、デーヴァダッタ、アーナンダ、
   ウパーリ、ラーフラ、六師外道の人々(プラーナ・カッサパ、マハーヴィーラ、パグダ、サンジャヤ)
  古本ネット購入
   http://search.newgenji.co.jp/sgenji/L3/?10096460/
   http://search4.auctions.yahoo.co.jp/jp/search?p=+(%C4%EF%BB%D2)&auccat=21808&f=0x2&alocale=0jp&mode=0

これは間違いなく面白い(だろう)と思う。
ただこの本(小説)についての解説がないことと、1巻の読み切りです。
ドラマの1シーンを抜き取って描いたような内容ですが、
実際、当時の彼らでこんな遣り取りがされていたのではないか、
と感じるリアルさに感激します。

あとはダメですねぇ・・・漫画しかシランわw
 萩野 真『孔雀王』、手塚治虫『ブッダ』

>>11
>体脂肪率何%以下の人のみの入室が許可される」というわけではないw

ダイエット中だから許してwww
21不説 ◆AnATTa/dJc :2010/05/21(金) 01:41:56 ID:IGG9+dpL
宝珠愚者氏へ、おまたせしました。やっと規制解除です(いつまで保つでしょうか……)

「(仏教上の)悪魔について」

参考仏典としては、一番手短なのは相応部の悪魔に関する集成が挙げられます。
ここでは例えば、五感+意の六種の感覚から構成される領域(心)が悪魔にとっての
「通路」という風に表現されているものがあります(「耕作者」)。

また、例えば長部経典13三明経では、仏陀以外のバラモン教徒などの外道には過去から
ずっと、梵天を実際に見た者はいなかったことが(バラモン教徒たち自身によって)明
らかにされています。憶測に基き、伝承(要するに迷信)だけを語り継ぐことを有難が
っていたのです。それに対して、仏教の如来(仏陀)というのは、神々・魔・梵天を自
ら見て語る者であることを表明しています。この経典では、梵天を至高神と崇めるバラ
モンたちの求めで説かれたものなので、彼らがいかにして実際に梵天と会うことができ
るかということがテーマとなっていて、神々や悪魔については触れられていませんが、
梵天と同様に、この経典から、仏陀は、神々や悪魔を実際に見て語る者であることがわ
かるわけであり、それが比喩ではないことになります。比喩ならば「実際に見て語る」
という表現が成立しません。

悪魔について、それが我々のように生物学的個体をもった存在と考える人がいるとはあ
まり思えませんし、また、そのような前提で悪魔のことを話していると思って相手を攻
撃することに熱を上げる人というのも、同じくらいどうかしていると思います。ここで
はそういった人たちのことは構うつもりはありませんが、仏典の記述から導き出せるこ
とは以上のようなものなのであり、「悪魔=五蘊」説は一部であって「単にそれだけ」
ではないことは確かなので、それは実際のところ、どういうことを意味しているのだろ
う? という話です。
22宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/05/21(金) 02:42:25 ID:sIq3yRJ1
>>21
なるほどね・・・仰りたい意味についてはよく理解できました。感謝!!

>梵天を実際に見た者はいなかったことが(バラモン教徒たち自身によって)明
>らかにされています。

ただ、これが史実なのかどうかというか・・・、
このことがバラモン聖典側において明かされているのならば、
私も不説さんの解釈に同意できるかもしれませんが、
けれども、仏典中における記述として「バラモンは見ていない」というのであれば、
バラモンを下位に置きたいがための表現的な記述である可能性も私は疑います。

とにかく、貴重なご意見をありがとうございました。
23不説 ◆AnATTa/dJc :2010/05/21(金) 04:37:46 ID:IGG9+dpL
>>22 宝珠愚者氏、

史実を反映した一つのエピソードです。実際に、原始仏教時代においては、
多くのバラモン教徒がその指導者層ですら率先して仏教徒になり、社会現象
となったという史実があり、このようなエピソードはその史実の一端を伝え
ているに過ぎません。もし、仏教に宗旨替えせずとも、バラモン教がその宗
教的理念を自ら達成できている実力をもっていたのであれば、バラモンたち
は見向きもしなかったわけで、仏教が当時そのように興隆するようなことは
不可能だったはずです。

ただおそらく、原始仏教時代には、釈尊のような天眼通・天耳通・神足通な
どを発揮して神々・悪魔・梵天などを「自ら見る」仏弟子たちがいたのだと
思いますが、部派・大乗仏教時代にはそういうレベルに達した修行者はほと
んどいなくなったのだと思います。それで、神通による「体験」ではなくて、
論(アビダンマ)という哲学的な思弁の方にシフトしていったのだと思いま
す。それで仏教が組織として空洞化した末に、インドでは消滅へと至った。
ですから、現在に至る仏教の流れは、そういう空洞化した時代を経ているわ
けですから、そういう現状から、愚者さんが仏教徒という集団を批判する気
持ちは理解できないこともないですが。しかし、その現状の仏教徒集団に対
する否定と、原始仏典に第一回結集の結果の記録として残されている本来の
仏教に対する否定は、混同して行うべきではないと思います。現在の仏教徒
が、現在のヒンドゥ教徒を下位に置くために、原始仏典時代の仏教に関する
記述を援用することは、あまり正当とは言えないかもしれないとは思います。
24神も仏も名無しさん:2010/05/21(金) 04:47:07 ID:51+b/K4C
すみません。
最近沢山のものを失い行く宛もなくなすこともなく過ごしているのですが、何かを信じ、その為に修行や努力をしたいと考えているのですが仏教の修行とは神社や寺院に行けばよろしいのでしょうか?
25机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/05/21(金) 08:14:46 ID:Tg+v/cKv
>>18
「大菩薩峠」はどうですか?
空・無常について何らかの切っ掛けを掴むことができるかもしれません。

主人公の机竜之助はニヒルな男でして、彼の女性観についても考察したら宜しいんじゃないでしょうか?
ああ、ここまで書きますと、
カミュの異邦人を思いだしますね。

不条理とか条理というのは何なのか?
このテーマに通じるものがあるやもしれません。

カミュ・中里介山は、併せ読むと宜しいかと思います。
26神も仏も名無しさん:2010/05/21(金) 18:55:31 ID:Yoy0SQ8t
>>24
宗派や行法にこだわりが無ければ、近所のお寺さんで聞いてみたらどう?
(神社系に、一般人の普段の勤行があるかどうかは知らないが、禅宗なら坐禅会に参加するとか)、
ネットでも、「体験何たら」とかいっぱい出てるし、やれることは色々あるんじゃない?
手始めに、そういうので行けそうなところへ参加して&話を聞いてみたら?
最初から各派の本式(丁寧な)勤行、修行僧並の行法を探さなくてもいいっしょ。
27神も仏も名無しさん:2010/05/21(金) 20:37:58 ID:OOkTHyGH

【仏教議論スレッドその2】が卑怯にも向こう側の都合で
勝手に終わってしまったから、最後に一言この場をお借りして
レスさせてください。<(_ _*)>

>>807

あははは・・・(爆笑
笑止〜!!メチャクチャ論で〜す!!

(・∀・)ノイクナイょン〜!! 

■ 最初から結論をそこに、強引に自分達で持つていくつもりだつたんだろうがw
病人につける薬は、やはりありませんなぁ〜?。。。。。■

これです〜っきり〜w・・・ あとは、無しーw(笑

<(_ _*)> アリガトォ


゚+。(*′∇`)。+゚

28神も仏も名無しさん:2010/05/21(金) 20:51:33 ID:3v3I4gW/
>>27
>卑怯にも向こう側の都合で勝手に終わってしまったから

( ゚ρ゚ )ポカーン

頭大丈夫か?
終わったのは単に容量が一杯になっただけだ。
続けたいなら、自分でスレ立てればいいだろ。(スレ立て代行依頼してもいい。)
お前は、「集団ストーカーに狙われてる」とか言い出すタイプだなw
ttp://www.amazon.co.jp/gp/aw/d.html/ref=aw_mp_1/?a=4883806510&uid=NULLGWDOCOMO

アンカーもまともに打てないようだし、2chは止めたほうがいいんじゃないか?
29神も仏も名無しさん:2010/05/21(金) 21:07:51 ID:51+b/K4C
>>26
ありがとうございます。
色々と調べてみます
30神も仏も名無しさん:2010/05/21(金) 21:16:39 ID:Yoy0SQ8t
>>27
>最初から結論をそこに、強引に自分達で持つていくつもり

はい。まったくその通り。
(少なくとも私は、「そこへ持っていく為に」レスの仕方・ツッコむ箇所を吟味しながら作文してたよw)
でなきゃ、隠居やお前にレスなんかするかよw

そして、論理的に、正当に、反論の余地無く「隠居の支離滅裂な発言、カルト性」が明らかになったわけだ。
「君や隠居の数々の発言を読んで、《隠居サイドに「理」がある》と見る者は一人も居ない」と断言しておこうw


つか、よっぽど悔しかったんだなw
(この辺の「粘着の仕方・質」は、確かに昆布っぽいな・・。)
31神も仏も名無しさん:2010/05/21(金) 21:56:04 ID:R8iA0cmH
結論もなにも

>1.肉体や世界の成り立ちに関与している。
>2.しかし現物を示すことは出来ない。
>3.その存在を想定しなくても「関与」された現象に説明がつく。
>4.仮に未知の領域(隙間の神)に想定しても研究上で何ら役に立たない。
>5.自然の法則を無視して存在・活動できる。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1272850647/727
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1272850647/797

上の性質を丸ごと備えたモノに対して、他にどんな扱いようがあるってんだ。
ぴったり当てはまる設定を書き連ねたのは隠居だ。

これほどのジャストフィットぶりを見ると、宗教に対する敵愾心は
近親憎悪なのかなあ、と感じざるをえない。
32神も仏も名無しさん:2010/05/21(金) 23:38:40 ID:+3ANAfsI
まあ、なんと言うかどうしようもない奴だな。
悔しさのあまり、こっちのスレに乱入かい。
まともに反論してるのならまだしも、ただの野次。

みなさん、これ以上あのAAバカに構うのはやめましょう。
特にここでは。





33神も仏も名無しさん:2010/05/22(土) 02:40:54 ID:gVrjcgdU
test
34神も仏も名無しさん:2010/05/22(土) 03:14:09 ID:2AUwuLDO
>>31
生命は、「生命現象を現す肉体」として、万人に知覚・認識可能である。一方、
「神」は何人にも知覚・認識・認識不能な「空想上の存在」であり、「一切皆苦」は、
鬱病の症状に過ぎない。生命が、仮に宗教であるとしても、それは「人間の営み」
としては、従来の他の如何なる宗教よりも「桁違いに優れた宗教」であることは、
あまりにも自明である。
35宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/05/22(土) 09:55:34 ID:nDWf/19+
また質問箱に迷惑が掛かるので、“議論スレ”が欲しいところです。
私のほうでは建てられなくなりました。有志の方、どうか宜しくお願いします。
数日を経ても建たなければ、依頼スレの利用かと・・・。

スレ立て代行スレ【問答無用版】統合版 part3
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/bobby/1199536254/l50

--終了--
仏教 議論スレッド その2
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1272850647/
36神も仏も名無しさん:2010/05/22(土) 10:11:15 ID:JJX+EgjJ
>>34
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1273134553/9
>>35
自分もスレ立てに挑戦したが、駄目だった。
新スレが立つまでは上のリンク先を議論場として再利用するわ。
37宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/05/22(土) 10:34:19 ID:nDWf/19+
>>36
了解。

〜ということです^^
---皆様各位ALL
38神も仏も名無しさん:2010/05/22(土) 10:48:33 ID:SlsxeQ/c
作りました。 では、みなさん、こちらは質問箱の趣旨を尊重し
迷惑をかけないように、議論は継続スレにてお願いします。
39宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/05/22(土) 11:08:21 ID:nDWf/19+
>>38
了解!スレ建て.乙

議論スレ3
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274492365/l50
40神も仏も名無しさん:2010/05/22(土) 15:42:25 ID:D+7CUHuj
遅くなって、もう過ぎた話かもしれんが。

>>12
ずっと使うのであれば、「自分とこの宗派」のものにすべきかとも思うが、
礼としての面を考えるなら、二つ買って、式の時は、安くてもいいからその宗派のものをつけてもいいし、
ぶっちゃけると、持ってる数珠で十分じゃんwてのが個人的本音だが、
それじゃ何なんで、↓で聞いてみたら?

●●数珠について●● 8連目
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1265149708/
41宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/05/22(土) 16:06:38 ID:nDWf/19+
>>40
 『八宗用の数珠・仏壇とある場合は、宗旨問わずに使用出来るという意味ではあるが、仏壇・仏具
業界が用い始めた言葉である。各宗の正式念珠は、それぞれ特徴があり、特に日蓮宗では、正式
念珠を用いるのが正式である。(浄土宗も、正式念珠を用いることが推奨されている。) 』
(Wiki/八宗)

 私は現在、八宗用の決して質がいいとはいえない数珠しかありません。次に購入する際には宗派専
用のある程度の良質なものを手にしたいと思っています。二つあれば、自分の世話になっている宗派
(菩提寺)の時と知人の法事に出席するためとの使い分けができるかと思います。
42神も仏も名無しさん:2010/05/22(土) 16:09:38 ID:D+7CUHuj
>>41
賢いなw

こういうトコは、普通に常識人なのになぁ・・・(笑)
43宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/05/22(土) 16:28:13 ID:nDWf/19+
>>42
サンクス m(__)m
常識人が真のオカルティストのあるべき姿ですw
44机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/05/22(土) 18:11:27 ID:wPFgUAFi
>>18
>なんか仏教思想をテーマとしたおもろい小説ってある?
>教授はヘッセのシッダールタおしてたけどアレは仏教じゃなかった

私はちょっと気になって、シッダールタを図書館で読んでみました。
良書です。
ああ、しかしこれは学生には向いてないかも知れませんですね。

少し人生経験を積みまして、イイもワルイもある程度経験した御仁なら感動ものです。
(仏教書としても質が高い)

貴殿はイイ教授に巡り会えましたね。
45神も仏も名無しさん:2010/05/23(日) 00:23:48 ID:iu5+hSVP
日本人として仏教と神道の両方を深く勉強し、その共通点、違いを
しっかりと把握したいと思っています。
仏教の場合は「仏教要語の基礎知識」のような決定版の基本書がありますが、
神道にもそういう定番の基本書はありますでしょうか?
あったら、教えていただけないでしょうか?
46神も仏も名無しさん:2010/05/23(日) 01:02:32 ID:t3xGn3qI
>>45
>仏教の場合は「仏教要語の基礎知識」のような決定版の基本書がありますが

その本は、小乗仏教の立場から書かれた本で、「決定版の基本書」などでは
ありません。日本の仏教は大乗仏教です。

神道については、「(縮刷版)神道事典」(國學院大學日本文化研究所編、
弘文堂発行)が最も詳細で、内容も充実している。神道は、日本古来からの
自然宗教で、特に教義はない。共同体としての人間と自然とを大切にする、
日本人の生活そのものです。本居宣長などを読まれたらどうでしょうか。
小林秀雄に「本居宣長」の著があります。
47宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/05/23(日) 02:14:24 ID:z3SSTYQ0
>>46
デタラメは止めましょう。
「その本は小乗仏教の立場」などではありませんよ。

 『本書に採用した用語は、インドの原始仏教や部派仏教(小乗仏教)、初期大乗仏教のものを
主とし、中国や日本の仏教のものはほとんど取り上げられなかった。一つには仏教の基礎は何
といっても原始仏教から初期大乗までの間にあって、これを十分に心得ておけば、仏教の用語
や教理の主要なものは一通り尽くされ、それが中国や日本の仏教の用語や教理の基本をなして
いるからである。(p5)』(水野弘元著『仏教要語の基礎知識』新版第1刷/春秋社刊)

 『なお明治以前の中国や日本では、小乗仏教の中に部派仏教だけでなく、部派以前の原始仏
教も含めていたが、小乗といわれるべきものは形式的な部派仏教だけであって、原始仏教や根
本仏教といわれる初期の仏教は小乗仏教とすべきではない。(p22)』(同)

>日本の仏教は大乗仏教です。

 だから何んなのか?それはあくまでも日本の大乗仏教にしか過ぎず、仏教の決定版などではあ
りませんから。まず、あなたはインド仏教史を確認して下さい(仏教の発祥はインドです/ゴータマ
の生誕地はネパールの可能性がありますが・・)
48宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/05/23(日) 02:16:49 ID:z3SSTYQ0
>>45
できれば、自分自身で直接読んで確認した方が賢明ですよ。
とはいえ・・・書籍は高いものですからね・・・。

エーと、神道については専門の質問スレがあります。

神道質問箱3
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1199915330/l50
49神も仏も名無しさん:2010/05/23(日) 02:46:27 ID:b8ZM0VrR
>>48 おい宝珠。お前のあげたそのスレは、住人に問題ありと知っての
ことか?  もう少し、まともなスレを教えてやれよ。
50神も仏も名無しさん:2010/05/23(日) 03:31:00 ID:jyJKH8Cj
>>47
やはり、小乗仏教(釈迦仏教、原始仏教)の立場であることは、明らか。

小乗仏教(釈迦仏教、原始仏教)は、大乗仏教によって「コペルニクス的転回」
を行っている。「真如としての衆生心」を初めて見出したからである。

両者は「異なった宗教」。ここは「日本の」仏教質問箱である。「異教」を
持ち込むべきではない。釈迦個人崇拝の小乗(釈迦、原始)仏教は、カルト
に過ぎない。
51宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/05/23(日) 03:54:09 ID:z3SSTYQ0
>>49
ありゃゃ〜ごめんw

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1199915330/288
もし、これが同じ方からの質問だとすると、昨年2月から質問をしていたことになる・・・。
こりゃー相当、真剣な問いのようです。
ところが、回答ではあまり推奨書籍を上げてくれないようですね。
だから、こっちにきたのかな・・・。

あまり紹介が得られない場合には、書籍のことで検索かけて、
紹介内容から自分が読みたい書籍を購入すればいいようにも思います。

あっ、学研の「エソテリカ宗教書シリーズ」はトンデモじゃなく、
本当にビギナーだけでなく、広く推奨できるHow-to本だと思いますよ。
私も「ヒンドゥー」「神秘学」は購入しています。

私は神道はダメです。完全に無知。
やっぱり、外国の宗教じゃないと無理みたいw

ココはどうかな?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/min/1070731657/l50
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/min/1043691271/l50
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/min/994171651/l50
52宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/05/23(日) 04:12:53 ID:z3SSTYQ0
追記:

あと・・・もし、ご希望であれば、手元のガイドブックから
神道関係の概説・思想/35冊、歴史/12冊、祭祀・神社/23冊、神話・民族/30冊、
美術・その他(辞典など)/19冊から、良さげなものを上げてみることは可能ですが・・・。
ただし、中身の確認は不可ですからw
53不説 ◆AnATTa/dJc :2010/05/23(日) 06:07:10 ID:mD2Ij7rM
>>46

私も水野弘元『仏教要語の基礎知識』と『仏教の基礎知識』は決定版と言っていい良書
だと思いますよ。外国でも読まれているそうです。

南方仏教者の私からすれば、むしろ、水野先生の「大乗仏教に甘い」態度が気になるほ
どですけどねw 先生は、「表現は変えても、大乗も釈迦仏教の正統な流れに他ならな
い」という趣旨のことをおっしゃってます。

>>50
それ(分裂主義)を主張するのであれば、大乗は仏教と名乗るべきではない、という
話になります。大乗教だとか龍樹教だとか菩薩教と名乗るべきであって、それをしな
いで、そういう主張をするのであれば、「軒を貸してもらってその家に放火する」
(他スレッドで見かけた発言を拝借)というような横暴な真似です。「論理に一点の
狂いもない」などと恥ずかしくて言えないはず。
54神も仏も名無しさん:2010/05/23(日) 14:16:41 ID:DaiXBQRp
>>53
南方仏教は、「日本の仏教」から見れば、本質的に異なる「開祖盲信」の異教です。
異教の方は「日本の仏教質問箱」に立ち入るべきではない。ROM者を誤導するもの
です。

「仏教」という名は、単に言葉の問題。釈迦に「ヒントのヒント」を得た程度。

専ら「自己」のみに執着する釈迦仏教と、「真如としての衆生心」を見出した大乗
とは、その真理性において、雲泥の相違がある。

釈迦は、あきらかに双極性障害(躁うつ病)の患者。精神病患者に付き合っていれば、
得られるものは「狂気」だけです。
55神も仏も名無しさん:2010/05/23(日) 15:03:00 ID:CEPsycMM
>>54
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274492365/56

>>不説 氏
隠居のレスにこれ以上の反論を加えるなら、
「仏教 議論スレッド3」でお願いします(>>38)。
56不説 ◆AnATTa/dJc :2010/05/24(月) 03:02:28 ID:YsklfreR
>>55
了解しました。
57神も仏も名無しさん:2010/05/27(木) 21:32:40 ID:C4dYJtoN
四国の大覚寺派の真言僧が

六字の名号・「南無阿弥陀佛」も、お授けを受けなければ「お十念」なども効果がないようです。
観音経には「南無観世音菩薩」と、お唱えするようにありますが、
帰依三宝のうち、現前阿闍梨さまに帰依し、真言などの教えを授かることは非常に重要なことです。「越法罪」「越三昧耶」は、無間地獄に堕す。
お授けされていなくても、お唱えしても良い。と言う考え方は危険です。阿闍梨さまに「お授け」をいただく。軽々なことだとはお考えにならないで下さい。

これじゃ浅草寺にも川崎大師にも軽々しく参拝できませんね。
仏縁ってやっぱり「ある」か「ない」かなんですか?
皆さんどう思われますか?
特に真言・台密・修験の僧侶の方のコメントをお待ちしております。
58宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/05/27(木) 22:40:35 ID:Z8niSPHe
>>57
>これじゃ浅草寺にも川崎大師にも軽々しく参拝できませんね。

 真実は、教え(法)の歪曲流布を防ぐために設定された、つまるところ“脅し”ということでしょう。でないと、
『『摂真実経』下では、「越法罪は五逆罪よりも重く、地獄に堕して出期(しゅつご)することがない」とまで説
いている。』(wiki)が事実ならば、この私などは二度と這いあがることができないw
 たしか越法免罪の法もあった筈ですが・・・ちょっと度忘れしました(涙)

 やっぱり厳しくせず、自由な気軽さをアピールしてしまうと、各人勝手にデタラメを流布していき・・・ついに
正しい伝統(法の護持)が失われてしまう恐れがあるからなのでしょう。
 クリヤ・ヨーガの教団でも同じです。私もグルとの誓約の上で受講したので、決して内容を他言することが
できません。

>現前阿闍梨さまに帰依し、真言などの教えを授かることは非常に重要なことです。

 マントラはグルが授けるというのがインド教の古来からの伝統なのでしょうね。高いレベルの師は修行者
個人に適したマントラを選択授与することができる、と。
 -----一以上、一個人の密教マニアより
59神も仏も名無しさん:2010/05/31(月) 09:25:39 ID:TdMnJmsH
倶舎論名所雑記について書かれた本ってなんかある?
60神も仏も名無しさん:2010/05/31(月) 15:26:56 ID:wKxxHdZE
浄土真宗の非行・非善について質問させてください。
私は今、大学で日本思想史という授業を取っています。
(宗教史や哲学自体を勉強しているわけではありません)

歎異抄の第八章にある「念仏は非行・非善である」という意味がわかりません。
極楽往生するためには絶対他力でなければならないので、そのための念仏も
行者の意志で「よし、念仏して極楽行くぞ!」という自発的なものじゃなく
その行い(念仏)すらも、阿弥陀仏の意向なのだ、ということですか?
61血祭り魔王:2010/05/31(月) 23:20:34 ID:h10uoPpu
高野山神話探求で休業中ですわw
62神も仏も名無しさん:2010/06/01(火) 20:26:44 ID:GjO5BkUI
>>60

誰も答えてないみたいだから若輩者ながら自分が、

歎異抄の第八章の念仏非行非善についてだけど
真宗的な解釈に依るならば我々はすでに阿弥陀様の願力の対象となっているわけで
我々はすでに救われているという立場に立っている。
そこで称える念仏は善業を積むものでもなく、往生の行でもない
すべては阿弥陀様に救っていただいた、という感謝の念を顕す念仏なのだ。
だから念仏は行に非ず。また、善に非ずなのだ。
ってかんじのことじゃないかな?
自分は真宗の人間ではないから間違ってたら申しわけない。
63神も仏も名無しさん:2010/06/02(水) 15:33:22 ID:qMRqdy/5
>>62
ありがとうございます。
>すべては阿弥陀様に救っていただいた、という感謝の念を顕す念仏なのだ。
なるほど。そう解釈するとすっきりする気がしますね。

そうなると、浄土宗の念仏は横出であり未だに自力が残っている、
横超こそが絶対他力だという話ともスジが通ってくる気がします。

続きは浄土真宗スレ「【御同朋】浄土真宗(真宗)総合サロン28【御同行】」にします。
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1273926303/168

ありがとうございました。
64神も仏も名無しさん:2010/06/03(木) 21:18:47 ID:UIhxrm1z
鞍馬寺で唱えられている真言について、ご存知の片がありましたら教えてください。
よろしくお願いします。
65神も仏も名無しさん:2010/06/03(木) 21:38:05 ID:BAKOhnHc
今年から梵語を学び始めたのですが、
梵語の質問もここでいいのでしょうか?
専門版がどこかにあるのでしょうか?
66神も仏も名無しさん:2010/06/03(木) 21:52:59 ID:wDTbruIw
>>65

サンスクリット語&パーリ語スレッド(その2)
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/gogaku/1138115163/
67神も仏も名無しさん:2010/06/03(木) 21:55:55 ID:BAKOhnHc
>>66
ありがとう。助かる。
68神も仏も名無しさん:2010/06/06(日) 19:48:14 ID:Zf+sq55C
部派仏教か有部か経量部あたりの専門版ってどっかある?
69宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/06/07(月) 22:37:37 ID:lfYoqBr7
70神も仏も名無しさん:2010/06/08(火) 09:42:16 ID:y/pIxbfp
>>69
ありがとうございます。秘密の真言だったのですね。
ウエサク祭の記憶と、教えてもらった情報で秘密が少しわかりました。
71神も仏も名無しさん:2010/06/11(金) 00:18:42 ID:YeVau3w6
ニュー・カダンパ・トラディションて仏教的にどうなの?
この団体の教義はきちんと仏教の教理を踏まえてるの?
72神も仏も名無しさん:2010/06/13(日) 10:19:53 ID:z/cpoK3u
>>71
仏教的にどう?と聞かれると立場によって回答が異なるから答えずらい。
しかしながら心霊を認めそれを崇拝するという立場を取るので
大多数の仏教徒は否定的な見解を示すのではないかと考える。

教義は仏教の教理を踏まえているのか?と聞かれるならば
いちおう仏説であるとされる経典に随った宗教団体であり
なおかつ仏法僧の三宝にも帰依する。よってこれは広い視座から見るならば
通仏教的な教理を踏まえているものだとされよう。

しかしながら、チベットにおいては従来のチベット仏教の教理的立場を踏襲していなく
社会的立場も従来のチベット仏教の立場とは違う立場を取るので
鎌倉仏教における当時の法然のような異端扱いを受けているのも事実である。
ここ100年から200年ほどは異端なチベット仏教として取り扱われるかもしれないが
それ以降はごく一般的な一つの形態として取り扱われるのではないだろうか。
73神も仏も名無しさん:2010/06/23(水) 03:16:57 ID:dg3u7Kzy
日蓮上人は、日本国が正しい教えに帰依しないと「他国侵逼難」によって、
日本が滅びるということや、日本を神々を見捨てるということを仰っていたようですが、
実際には元寇は神風は吹いたことにより助かりましたし、
第二次世界大戦まで日本は、国土に被害を及ぼすほどの敗戦はありませんでした。
これは一体どういうことなのでしょうか?
日蓮上人がお生まれになられてから、数百年もの間、日本は全く滅びていません。
74神も仏も名無しさん:2010/06/25(金) 15:55:26 ID:MW2DoZSi
>>73
>これは一体どういうことなのでしょうか?
日蓮が自己中インチキカルトだったからだよ。
75神も仏も名無しさん:2010/07/01(木) 07:55:07 ID:wh9oycij
仏陀は輪廻の輪を外れて、再誕しないですよね?または再誕するのですか?
76神も仏も名無しさん:2010/07/01(木) 12:44:05 ID:0buriYVE
>>75
しません。
77:2010/07/02(金) 12:14:53 ID:vwqKERjb

http://sports2.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1278040208/

 ↑ ☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ 【臨時 避難

 ↑ 携帯とか 書き込み規制などの時に どうぞ!
78神も仏も名無しさん:2010/07/05(月) 01:06:47 ID:NLFBOVsL
仏の存在など知る間もなく死んでいく人も多いけど、仏って何か意味あんの?
79神も仏も名無しさん:2010/07/05(月) 01:10:51 ID:pQkuN6Ti
>>78
≪人々は、「仏以外の存在は全て知ってから死んでいく」≫ということですか?

深海生物の多くを知らずに死んでいく人も多いですが、
そうした深海生物に何か意味はありますか?ありませんか?
地球の裏側の○○さんのことを知らずに死んでいく人も多いですが、
○○さんに何か意味はありますか?ありませんか?
80神も仏も名無しさん:2010/07/05(月) 01:15:00 ID:NLFBOVsL
少なくとも役には立たないな。
81神も仏も名無しさん:2010/07/05(月) 01:24:05 ID:NLFBOVsL
>>79
深海生物は拝まれるわけ?○○さんて何だよ?分からん言葉使って逃げるなら答えるなよ。
82神も仏も名無しさん:2010/07/05(月) 01:24:08 ID:pQkuN6Ti
>>80
正解です。
つーか、当たり前すぎるでしょう?w
知らないものを役立てようがないじゃないですかwww

知った人にとっては、そこに選択肢が生じます。
役立てる方向で受け止めるか、3秒後には忘れてしまう知識となるか・・w

神を選ぶ人もいれば仏を選ぶ人もいる。
化合物の勉強して、稲作用の殺虫剤を開発する人もいれば、麻酔薬の開発に進む人も居よう。
三国志を読んで、中国史を学ぶ人もいれば、歴史小説家を目指す人も居よう。


仏に過大な期待をし過ぎですよwww
83神も仏も名無しさん:2010/07/05(月) 01:26:03 ID:NLFBOVsL
役にも立たない意味も無い物を祭りたてるのが仏教なわけですな。
84神も仏も名無しさん:2010/07/05(月) 01:26:14 ID:pQkuN6Ti
>>81
ハァ?(゚д゚)

「拝まれるかどうか」が論点に入っているかどうかは、>>78だけでは判別できませんが?
85神も仏も名無しさん:2010/07/05(月) 01:30:22 ID:pQkuN6Ti
>>83
ハァ?(゚д゚)

役立たせるかどうかは、個々人の問題でしょう?w
理科の授業で、酸性アルカリ性の勉強したとします。
100%役立ってますか?
一生それを知らずに生きる人もいると思いますが?
それらは、「役立たず」「無意味」な知識ですか?
86神も仏も名無しさん:2010/07/05(月) 01:36:26 ID:NLFBOVsL
学校が無い土地も多い。pHを学校で教えてもらえるとは限らない訳だが
仏ってのはpHを教えてもらったラッキーマンしか相手にしない訳だろ?
全てに慈悲をどうこうとか偉そうな事を言っておいて、だ。
87神も仏も名無しさん:2010/07/05(月) 01:37:11 ID:pQkuN6Ti
>>83
明日の晩には、もう少し美味しい餌を用意しといてくれw

ノシ
88神も仏も名無しさん:2010/07/05(月) 01:41:37 ID:NLFBOVsL
逃げたww
89神も仏も名無しさん:2010/07/05(月) 20:28:47 ID:pQkuN6Ti
>>86
> 学校が無い土地も多い。pHを学校で教えてもらえるとは限らない訳だが
仰る通りですねw
「人身受け難し、今既に受く。仏法聞き難し、今既に聞く。」なんて文句もありますねw
それこそ、「機縁、仏縁、妙縁」でしょう?w

> 仏ってのはpHを教えてもらったラッキーマンしか相手にしない訳だろ?
ハァ?(゚д゚)
ここで、喩えとしての相似部分を抽出するなら、
「pHを教えてもらうこと=仏と出会うこと」だぞ?w
「既に、pHを教えてもらっている」ということは「既に、仏と出会っている」ということだ。
教えてもらってあれば、当然その知識は利用可能だ。
出会っていれば、当然、そこに応対がある。
上の文章には論理的ズレがある。
また、
「出会う前の者」が、仏とどのような応対ができると?仏がどのように相手ができると?
「pHを教えてもらう前の者」がそれをどのように利用できると?その知識がどのように利用され得ると?

> 全てに慈悲をどうこうとか偉そうな事を言っておいて、だ。
ハァ?(゚∀゚)
「慈悲」とは、「視線」であり「祈り」であり「願い」ですよ?
未だ出会っていない者、(互いに)知り合っていない者、けれども、どこかで生きている者に対してさえも、
そそがれないことのない「視線」を慈悲と言うんですよ。
「慈雨」「法雨」という言葉を知りませんか?「普回向」を聞いたことはありませんか?
スッタニパータ145-147偈も見てみたらどうですか?
90神も仏も名無しさん:2010/07/06(火) 06:55:00 ID:yo9dL/0m
>教えてもらってあれば、当然その知識は利用可能だ。
>出会っていれば、当然、そこに応対がある。
利用可能な事象はあってもなくても変わらない、ツマラナイ事だけですが?
本質的には何も救われませんが?

バスラやファルージャじゃ生まれてすぐ死ぬ赤ん坊がいっぱいいるけどさ
人間は自分で調べて助けようとするんだよね。仏は何もしない人間より各下だ。
弘法大師も生きている時は自ら出向いて多くの伝説を残したが「入場」とやらの
後は何の役にも立たない。
何で有難がるのか不思議でしょうがない。
91神も仏も名無しさん:2010/07/06(火) 12:49:16 ID:Sky2YnYm
>>90
未開部族の人が、紙幣を見て、
「こんな紙切れ、焚き付けぐらいの役にしかたたないのに、何でありがたるか不思議でしょうがない」
と言っているようなもんだなw
92神も仏も名無しさん:2010/07/06(火) 12:53:37 ID:OnYJWFFd
じっさい彼らの社会では必要ないよね。

よその価値観でしかない。
93神も仏も名無しさん:2010/07/06(火) 13:02:36 ID:OnYJWFFd
バスラやファルージャの人達が信じている宗教の開祖は、
「お前が世話になってた叔父は地獄に落ちたのか?」と
聞かれて「真の宗教を知らずに死んだんだから落ちざるを得ない」と
答えたらしい。人類の誕生時から存在する宗教なんて無いんだから、
知ることができる人々と知ることが出来ない人々を分けて差別せざるを得ない。
94神も仏も名無しさん:2010/07/06(火) 13:17:48 ID:OnYJWFFd
輪廻理論があるから転生してれば、いずれ仏教聞く機会に恵まれるかもしれない。

エグい差別の元凶だけど、あると説明に便利なこともあるんだな……
95神も仏も名無しさん:2010/07/06(火) 23:38:14 ID:KpcquYeE
>>90
>本質的には何も救われませんが?
「救われるか、救われないか」の話しなぞ、誰もしておりませんが?w

>何で有難がるのか不思議でしょうがない
「有り難がられるか、有り難がられないか」の話しなぞ、誰もしておりませんが?w
96神も仏も名無しさん:2010/07/07(水) 04:39:34 ID:/0+t3Nct
仏を祭らない人ですか?
97神も仏も名無しさん:2010/07/07(水) 09:55:24 ID:kwBmgWfY
↑ ああ、仏を祭り上げちゃう人ですかw
98神も仏も名無しさん:2010/07/07(水) 23:16:20 ID:/0+t3Nct
このスレに仏教徒がいない!
99ワトソン:2010/07/08(木) 12:19:23 ID:KzPP/Kny
>>50 :神も仏も名無しさん:2010/05/23(日) 03:31:00 ID:jyJKH8Cj
>>47
やはり、小乗仏教(釈迦仏教、原始仏教)の立場であることは、明らか。

>>小乗仏教(釈迦仏教、原始仏教)は、大乗仏教によって「コペルニクス的転回」
>>を行っている。「真如としての衆生心」を初めて見出したからである。

>>両者は「異なった宗教」。ここは「日本の」仏教質問箱である。「異教」を
>>持ち込むべきではない。釈迦個人崇拝の小乗(釈迦、原始)仏教は、カルトに過ぎない。


小乗といえば阿含経です。まず、最初には小乗仏教(釈迦仏教、原始仏教)を理解し、修行をする必要があるでしょう。
そして、阿羅漢まで悟りを得る必要があります。

大乗は大般若経、法華経などがありますが、これは、阿含経を卒業し菩薩となってから行う修行法だと思いますよ。

大般若経は人々に阿含経の法則を教えることが、菩薩の修行となっているからです。

100神も仏も名無しさん:2010/07/08(木) 12:45:08 ID:KpnYNV68
>>99

>>50の香具師(通称、ご隠居)は、生命教という独自のカルト宗教の教祖だから、何を言っても無駄だぞw
101:2010/07/08(木) 12:48:02 ID:HNWn2Iv0

根本仏教の修行の段階について!

四向四果 (しこうしか)
部派仏教や上座部仏教における修行の階位である。

預流向(よるこう)、預流果
一来向(いちらいこう)、一来果
不還向(ふげんこう)、不還果
応供向(おうくこう)または阿羅漢向(あらかんこう)、
応供果(おうくか)または阿羅漢果(あらかんか) のことをいう。

「向」とは修行の目標、「果」は到達した境地を示す。
102:2010/07/08(木) 12:50:38 ID:HNWn2Iv0

>>101 の続き!

預流  -  
聖者の流れに入ることで、
最大7回欲界の人と天の間を生れかわれば悟りを開く位。
須陀洹を指す。

一来  -  
一回人と天の間を往来して悟りに至る位。斯陀含を指す。

不還  - 
欲界には再び還らず色界に上って悟りに至る位。阿那含を指す。

応供  -  
供養を受けるにふさわしい者で、
今生の終りに悟り涅槃に至り再び三界には生れない位。
阿羅漢を指す。
103宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/07/08(木) 23:40:16 ID:WFQfvQVc
>>99
>小乗といえば阿含経です。
>まず、最初には小乗仏教(釈迦仏教、原始仏教)を理解し、修行をする必要があるでしょう。
>そして、阿羅漢まで悟りを得る必要があります。大乗は大般若経、法華経などがありますが、
>これは、阿含経を卒業し菩薩となってから行う修行法だと思いますよ。

すみませんが、
そういった“すでに間違いだ”とほぼ確定している古い教相判釈を持ち出すのは如何でしょうか?
ただ、己れの無知を自ら露呈するだけだと思いますが・・・。
(直打ち-今夜は大サービス!!)

 『ところが、この智の学説がなかなか巧妙に、かつ精妙に形づくられているところから、当時の人々
はいう及ばず、その後も広く受け入れられて、それが、中国ならびに我が国の仏教者たちの経典に関
する考え方を、ほとんど全く支配するに至った。そのために「阿含経」に対する評価は、まったく好ましか
らざるものとなった。なんとなれば、彼によれば「阿含経」はものの解らない人々のために、程度を落と
して、きわめて卑近な、具体的な説き方をしたものだというのであるから、高遠な仏教の思想を知り
たいと思う人々は、皆この経を捨ててかえりみる者もなくなってしまって、「阿含経」を研究しようという
ような志を起す者はまったく後を絶ってしまった。それもまた、智の学説を認める者にとっては、当然
という他ないのである。--中略--
104宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/07/08(木) 23:41:25 ID:WFQfvQVc
 第六世紀の後半にいたって、今もいう智の教判が成立し、その経典批判が広く行われるようになっ
てからは、もはや「阿含経」をかえりみる者はまったくなくなったといってよいのである。そしてこの経の
悲しい運命がそこから始まり、それがそのまま我が国におけるこの経の運命であった。
 だが、考えてみると、この運命を打開することは大変なことであった。なんとなれば、そこには優れた
頭脳によっていとなまれた整然たる体系があり、それによって諸経の価値批判が与えられているからで
ある。これを論破することははなはだ困難なことであったのである。かくしてこの経の運命はずっと近代
にまで続いた。それは永い永い悲しい運命であった。だが、近代に至って、いわゆる近代仏教学が起こ
るに至って、初めて智の体系が破れ、この経がやっと陽の目を見ることになったのである。』
(増谷文雄著『原始経典 阿含経』筑摩書房刊)

 『だが、近年にいたるに及んで、さしもの「五時の教判」も、ようやく、その圧倒的な影響力を失い、今で
は、もはやそれを顧みるものも無きにいたった。その他方、この「阿含」と称せられる経典群こそが、根本
仏教すなわち釈尊所説の原初的な姿を知るべき最も貴重なる資料であることが知られてきたのである。』
(増谷文雄著『阿含経典・第1巻』総論-“阿含経”のめぐりあわせ/筑摩書房刊)
105宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/07/08(木) 23:53:42 ID:WFQfvQVc
追記:
>大乗は大般若経、法華経などがありますが、
>これは、阿含経を卒業し菩薩となってから行う修行法だと思いますよ。>>99

なんと、仏陀であられるゴータマ直説の根本仏教
(生前の説法を纏めて編纂されたもの、つまり本来であれば、
仏教と呼べるものはこれしかないのであるが・・・)を卒業してから、大乗の法華経を修行するですと?
そのような・・・仏陀の教えを纏めた根本経典に倣わず(上座部に反旗をひるがえし)、
自己都合で勝手に創作して書かれたものが??
106:2010/07/10(土) 09:39:25 ID:Rv+XkF+x

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274055506/80-81

>>99  ワトソン  様へ!

 ↑ レス ありがとう ございます 勉強になりました!
107名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 10:21:11 ID:AOe65xEx
>>105

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1229771174/244


       直・初期
在世  仏  弟子   古M語    P    Skt Tib   漢
 |   ○
 |        ○
 |              ○
 |              ○          ..○
 |              ○          ..○      ○
 |                    .○    .○      ○
 |                    .○    .○─○   ○
 |                    .○    .○─○   ○
 |                    .○    .○─○   ○
 |                    .○    .○─○   ○
 ↓                    .○    .○─○   ○
現代
108名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 23:03:44 ID:AOe65xEx
>>105
規制か?w

「現存パーリが金口の説法である」なんて世迷言は、良い加減で止めようねw

参:
仏教 議論スレッド その4
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1275992988/83
109宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/07/11(日) 00:11:41 ID:8JMdMoSQ
>>107-108
セブン!
はいはぃ、規制なんかじゃ〜ありませんよぉw

>「現存パーリが金口の説法である」なんて世迷言は、良い加減で止めようねw

はぁ?私はそんなこと述べてませんよ!

>現存パーリより古い漢訳も結構あるらしい。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1275992988/83

わたしは、何も・・・
現存パーリより古い漢訳があるかどうか・・といったことは述べていません。
大乗経の中心、かつ一般的に最上視されている法華経と原始経典との違いについて述べてるのです。
その“現存パーリより古い漢訳”とは大乗経なのですか?

もしも仮に、大乗経の一部にどの原始経典よりも古い成立経が存在したとしても、
問題にされるべきは、その扱われている内容そのものであるべきです。
要するに、原始経典群として括られている経典とは、それ以外の経典類とは内容の差異があるということでしょう。
それが原始経典群と明確に区別して称されている所以でしょう。

私は大乗経の内容のすべてがダメなどとはいっていません。
しかしながら、まずは、>>103-105の基本を押さえて頂かないことには困りますよね。
その上で、理由付きで他の大乗経の中の優れた点、信奉に値する部分を論ずるべきです。
それならば話の筋としては通ります。

特に法華経信奉系の人々ですが、これらの近代仏教学の成果を無視して、
未だに五時八教なる迷信を信徒たちに教えたりするのは如何なものでしょうか?
>>99のような投稿というのは、「私は騙されてますよ!」と自ら宣伝してるようなものです。
伝統と称して迷信を教える罪は、これを真に受けている人々が今後も後を絶たないということ。
110妄想宝珠退散WW:2010/07/11(日) 00:22:05 ID:rMRt+Is7
まったく、現実観察放棄した霊媒妄想の知識で仏教を説明されてもなあ・・・
111名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 00:31:27 ID:68r2c6jJ
>>109
(阿含系はともかく)、「(個々の)後期大乗経典の成立は(比較して)新しい」という意見なら、それでいい。
だが、105は言い過ぎだってことさ。

パーリという名に反して、【《文献としての》歴史的糸】が切れているのはどちらも一緒だ。
その上で、「(阿羅漢達の)伝承として」或いは「内容(おしえ)のリアリティ」、
或いは「広い範囲での整合性」、或いは「在世時のインドの風俗描写の残り方」等を考慮して、
パーリは古形含有率が高い、だから(原点模索に際して)依拠する、というならば桶だ。
だが、短絡的「直説」扱いには、常に注意した方がいい。

 (※「漢訳で阿含と括られているかどうか」とは必ずしも合致しない。単発孤立した経、
   或いは律蔵の系譜の中に(特に有部律?)、多くの逸話があったりもする。
   それは、パーリに於ける註・複註に盛り込まれている各種エピソードとシンクロする位置にある。)
112宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/07/11(日) 00:36:40 ID:8JMdMoSQ
>>110
私は、
生前のゴータマの教えを知るにはどうしたら良いか?という視点で述べています。

あなたでも構いませんよ!
では、原始経典群に拠らずして、それができるとする仏教の専門家のご意見をここに提示願います?
原始経典群よりも法華経の方がよりゴータマの教説を含むとする説をご紹介下さい。
学者名、著書名、論文名・・・について、どうか正確にお願いします。
113宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/07/11(日) 00:51:38 ID:8JMdMoSQ
>>111
>105は言い過ぎだってことさ。

いやいや寧ろ-言い足りないくらいですよ。

確かに信仰は自由。
仏教以外の宗教もあるし、私個人はその価値(及び効果)についても認めます。

しかしながら、
“最初に小乗仏教を学んでから、最後には法華経を修行するのが(正統な)仏教である”
などといった謝った主張はキッパリと正しい頂きたい。---仏教界よ、いい加減に!!
一体、いつになったら仏教界は“原始経典=小乗”などいった謝った価値観
(この間違ったものの見方が、ただ伝統と称して継承されているだけ)からの捉われを辞めるのか?
これらは、寺院に住する先達と称する人々が、
嘘や間違いや伝統にしがみ付こうとする迷信的で頑迷な姿勢を続けているからに他ならない。

仏教界は、
「十善戒」の「不妄語」「不邪見」を自ら守れかし!
114名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 01:15:34 ID:68r2c6jJ
>>113
縁起一代が、なぜ「普賢行」なる言葉を何度も口にしていたか、
慈悲と救済(の誓願)が大乗の骨子であること、
この二点を、よく拈提してみてほしい。
大乗の慈悲は、阿含の咀嚼の末に(→仏教の核(コア)の進化形として)花開いているのだと・・。

ノシ
115宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/07/11(日) 01:46:28 ID:8JMdMoSQ
追記:>>111
>現存パーリより古い漢訳も結構あるらしい。

ならば教えて下さい。
近代仏教学の研究成果において、
従来、原始経典群に分類されていた経が、そこから外されて大乗へと加えられた事例はありますか?
または今、その予定となっているといった事態はありますか?

私は、
これら「原始経典群」と「大乗経」の諸経典とは、
明確に異なるグループ(派)によって書かれ、編纂されたものと受け取っていますが・・・。
116宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/07/11(日) 01:50:47 ID:8JMdMoSQ
>>114
>大乗の慈悲は、阿含の咀嚼の末に(→仏教の核(コア)の進化形として)花開いているのだと・・。

まったく違うと思います。
逆であり、阿含を(勝手に)小乗レッテル貼りしたグループによって、
つまり、ゴータマを教説を護持していた伝統上座部に反旗を翻す形で形成、
発展していったのが大乗諸経なのです。

本当の悲劇は原始経典群にせいにではなく、
これを奉じていた保守派が山林に篭って在家信仰(在家育成)を蔑ろにしていったことにあります。
このことに反旗を翻し、大衆を相手にしていったのが後世の大乗グループでした。
確かに、小乗の名を受けるべくは彼ら保守的な長老派なのであって、
ゴータマの教説を纏めた原始経典群ではありませんから。

仏陀であられるゴータマ(及び原始経典)を小乗呼ばわりして、仏教は決して成立し得ない。
縁起氏は、大乗の発生経緯を勝手に自己都合、
宜しく、「縁起」の言葉で正当化(必然的な存在価値と)したのです。

現存するものはすべて必要があって存在すると言い出すのならば・・・
もう、何でもありですね。
117宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/07/11(日) 01:54:18 ID:8JMdMoSQ
訂正:>>116
 ×「つまり、ゴータマを教説を」
 ○「つまり、ゴータマの教説を」

 ×「本当の悲劇は原始経典群にせいにではなく」
 ○「本当の悲劇は原始経典群のせいにではなく」
118宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/07/11(日) 10:51:01 ID:8JMdMoSQ
追記:

まともな派や寺院であれば、
原始経典群の真の価値と正統性を正しく評価した上で、
自宗寺院における伝統と良き点について主張するでしょう。

それを未だに、
間違いが明らかになった「五時八教」をまだ教えているところなどというのは、
完全に学問の成果を無視するトンデモナイ迷信盲目に陥った信仰宗教です。
ただ、自宗自派の存続と反映のみが目的なのは明らかです。
そして、その上に君臨し続けたがっている輩がいるというのが・・・。

*近代仏教学による原始経典の研究成果の一般普及というのは、
もう、そういう寺院側の頑迷な姿勢には騙されないぞ!
という民衆育成のためのものです。
119宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/07/11(日) 14:21:33 ID:8JMdMoSQ
で、縁起氏については、
信仰者としては大変、尊敬を申し上げますが(僧侶としての敬意も含め)、
けれども、所詮はただ伝統(迷信)を引きずった方に過ぎないのだ。
と、私は思いました。

現に、
こうして大乗が存在する(継続している)ことが“仏意の徴”であるかのような言い草というのは、
その他、総ての諸宗教や新興宗教らの主張と何ら変わらないものです。
これを「縁起」という言葉で正当化したのです。

近代仏教学の成果を無視したその姿勢は、
無我の理解の間違い(私が提示してきた仏教学の主張)に対する指摘にも
ただの“文献学者の戯言”として一蹴りしたのです。
結局、伝統を継承してきた師の教えが唯一、絶対に正しいものとして、
彼ら(伝統の師ら)には修行による実体験の裏づけがあるなどといいました。
これでは迷信は一向に排除できませんね。
まさに“信仰は自由”をそのまま顕した姿だということ。

日記帳化してきたので、一端、終了しますm(__)m
1201/2:2010/07/11(日) 14:58:23 ID:68r2c6jJ
>>115
(研究端緒の時期ならいざ知らず)、
パーリの絶対性が、雲の如き揺らぎあるものであることは、多方面で既に了解事項だ。
>>109で少し触れているように)エッセンスの抽出、原型(古形)の炙り出し作業の上で、
古形含有率の高さを言うなら良い。
それは、受容の仕方が(現存)パーリの系譜では、よりストイックであったことを示すものだし、
資料的価値の高さ、一次資料としての優位性を担保する。

だが、以下(長くなるがw)に引用するように、(或いは>>107に図示するように)、
現存パーリの成立は、各地各言語への伝播及び漢訳開始よりも後であることを忘れてはならない。
古形・原型(≒初期の思想)を探るならば、「現存パーリからも批判的に抽出する作業が必要」ということだ。
 (※中村さんも水野さんも、『原始仏教』(初期仏教)と言う時、決して「《パーリ仏教そのもの》を指してはいない」。
   『研究の末、それぞれが見出した原型』を指している筈だ。
   漢訳(や梵本や中央アジアの断片等)との比較によって初めて、
   パーリ所伝の内容の【或る部分】が古形であると確認されるわけで、当然、
   パーリにおける伝承の中での改訂・増補も、同時に明らかとなる。
   *(馬場さんの1冊は、そうした側面での「(現行)上座部はブッダゴーサによって確立した」という論考だ。))

古形発掘の【試金石】としての優位性は確かに高い。
だが、「パーリだから(南伝だから)原型に近い」というのは、狭量過ぎる。
 (※(私もそうですがw)、貴方は漢訳阿含系に触れませんよね。そのことや、これまでの発言の仕方から、
   「南伝絶対視」の姿勢、(勿論【『(特徴ある)或る系統の大乗諸経』について言っている】のだと理解してはいますが)、)
   「漢訳全ての却下」に繋がる姿勢が垣間見られるので、注意喚起をさせていただきました。
   (自分へのブレーキも兼ねて・・w))
1212/2:2010/07/11(日) 15:00:37 ID:68r2c6jJ
>>115
補:
私も少し言い過ぎだったようだ。個別の一々の漢訳経典が、
「これは先んじている、これは後発である」と明言はできないだろう。
(少なくとも私はそのスキルを持ち合わせていない。)
ただ、さらに内部の内容について、「パーリ以外の方が古形である『部分』もあること」
「パーリもまた、枝分かれし、変遷を重ねた『支流』に過ぎないこと」「パーリにも新層古層があること」
を言いたかった。(それが本流に近接する流れだとしても・・。)

弁明してお詫びとしますw m(_ _)m
122宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/07/11(日) 15:18:26 ID:8JMdMoSQ
>>114
>縁起一代が、なぜ「普賢行」なる言葉を何度も口にしていたか、
>慈悲と救済(の誓願)が大乗の骨子であること、

ハッキリ言って全部、
全然、違うと思う。基本認識がなってない!

 “慈悲と救済”なるものは・・・「ホトケ様というは我々を見捨てることなく厳しい専門的な修行を
せずとも、ただお願いすれば救済して下さる在りがたい存在。そういう誓願をお立てになったの
です。」などという、如何にも大衆受けする飴玉で人々を勧誘したのですよ。
 そのようにして勢力を拡大していった。それが大乗というものです。その中心に置いたのが法
華経のご利益、及び阿弥陀の救済力なのです。

 そうしながら、上座部が大衆に勢力を拡大できないよう・・・小乗のレッテル貼りと共に、ゴータ
マ釈尊その人も脇へと追いやり(信仰対象は他の、つまり創作の諸仏へと向けさせ)、大衆が原
始経典や原始佛教を見下すようになるよう工作を続けたのです(法華経の記述にも、その工作
が組み込まれている)。

 これが正しい歴史認識というもの。けれども実際、日本には大乗徒ではない仏教者は殆どいな
いから、気に入らない事柄にしてしか映らないのでしょう?

>日記帳化してきたので、一端、終了しますm(__)m >>119

 あーぁ....また、続けてしまった・・・。
私は、この話になると感情(憤りと情けなさ)を抑えることができない。
123宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/07/11(日) 15:36:48 ID:8JMdMoSQ
>>120-121
なるほど・・・ご忠告に感謝!!

尚、私はパーリか漢訳かといった視点では述べていません。
原始経典か大乗経典かというものです。

>貴方は漢訳阿含系に触れませんよね。

南伝絶対視という意味合いはないです。

が、けれども、
漢訳阿含についての位置づけについては、基本的には増谷氏の見解を今は支持しています。
つまり、「南伝パーリ5部聖典」に対する「漢訳四阿含」の関係であり、それは内容からみて、「漢訳四阿含」
は「南伝パーリ5部聖典」からの訳経(漢訳の後代成立)であり、対応する4部パーリと漢訳されずに至った
1部パーリが現存していると。

“南伝パーリ5部聖典”                          “漢訳四阿含”
ディーガ・ニカーヤ/長部経典      →長阿含経
マッジマ・ニカーヤ/中部経典      →中阿含経
サンユッタ・ニカーヤ/相応部経典   →雑阿含経
アングッタラ・ニカーヤ/増支部経典  →増一阿含経
クッダカ・ニカーヤ/小部経典      →漢訳なし
124宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/07/11(日) 15:50:27 ID:8JMdMoSQ
或いはまた、もしかしたら、

まだ発見はされていず、経典(書)としての存在自体がしていないかもしれませんが、
私の推測としてですが、まず最初にマガダ語口誦の編纂があり、
そこを原点としてパーリ五部と漢訳四阿含の双方ができたとする、
パーリ漢訳両者にとっての共通原点(原典はないかも)があるという仮説です。

まっ、
漢訳4阿含中にパーリよりも古い成立経があるとした場合ですが・・・。
1251/4:2010/07/11(日) 16:02:54 ID:68r2c6jJ
馬場紀寿「上座部仏教の思想形成―ブッダからブッダゴーサへ―」
・第三篇パーリ正典の確立-序論(p158/10-12行)
 「たしかにパーリ正典は〈初期仏教〉【に由来する】伝承を含んでいるが、
 最終的には〈上座部大寺派〉によって継承された文献なのだから、
 〈上座部大寺派〉においてパーリ正典が編纂される過程を検討しない限り、
 パーリ正典の一面しか理解したことにならない」   *(“【”“】”、(a)等は引用者挿入。以下同様)
・同篇-第一章(p178/7-14)
 「小部の一部の文献には、北伝資料と起源が同じ伝承が数多く確認できるから、上座部大寺派の正典に
 編入される時期は遅かったとはいえ、伝承そのものは古い可能性が高い。とくに、『経集』中の「八詩偈品」
 (aTThakavagga)や「到彼岸品」(pArAyanavagga)のように最古層とされる伝承が含まれるのは注目に値する。
 【成立の新しい経典集に起源の古い伝承が収録されている(a)】からである。これは、最古の伝承が発展して四部になり、
 四部成立以後の新しい伝承が小部にまとめられたという直線的な図式では決して理解できない。
 「八詩偈品」や「到彼岸品」が小部に収録されているという事実は、四部とは別系統の経典伝承が存在していたことを
 意味している。【おそらくスリランカで古資料作成期がはじまって後、性質が異なる故に四部に収録されなかった諸文献が
 インド本土からスリランカへ渡り、逐次増広されていったと考えられる。】」

 ※【 (a)】は、《漢訳仏典についても言い得る》事象・構図でもある。
  勿論、単に文言上の古形というだけでなく「その意味する所が継承されているか」も含む。
1262a/4:2010/07/11(日) 16:04:39 ID:68r2c6jJ
・同篇-第二章(p197/2-8行)
 「ところが、北伝四阿含にはパーリ四部とは異なり、むしろ【パーリ四部以降に作成されたパーリ文献】と一致する内容が
 含まれている。部派仏教時代に作成・編纂された(部派成立以前に遡ることのできない)パーリ文献と北伝四阿含の
 内容が一致するという事実は、少なくとも二つの事柄を意味するだろう。第一に、部派時代になっても、上座部(大寺派)は
 【他部派から孤立して文献を作成していたわけでなく】、【諸部派に共通の伝承を受容していた】。第二に、パーリ文献では
 論や註釈書としてまとめられた内容が、他部派では経典の体裁によってまとめられた。」
・同篇-同章-第五節(p202/2行-p203/11行)
 「これまでの部派仏教研究は、諸部派に共通の文献は初期仏教の段階、各部派に特有の部分は部派仏教の段階に
 作成されたという前提に立ってきた。この想定が正しければ、上座部(大寺派)に伝えられるパーリ文献の中でも、
 四阿含に一致するものは四部に限られるはずである。ところが、本章が明らかにしたように、
 伝承を個々に調査するならば、四阿含には四部以後に作成されたパーリ文献と一致する内容が数多く含まれている。
 パーリ文献(後期正典・準正典・註釈文献)と四阿含の対応関係は次のようになる。*(図略)*
 以上の対応関係は、前後の文脈のみならず、語句が同一である以上、偶然の一致とは考えられない。また、
 こうした対応関係は、複数のサンスクリット写本に確認できるから、漢訳者の作業に帰せられるものではなく、
1272b/4:2010/07/11(日) 16:05:58 ID:68r2c6jJ
 インド(南アジア)本土における伝承の問題である。
 伝承経路としてはいくつかの可能性が想定できる。第一には、四阿含の情報がパーリ文献(後期正典・準正典・註釈文献)
 に伝わった可能性。第二には、その逆に、パーリ文献の情報が四阿含に伝わった可能性。第三には、特定の新たな伝承が
 両系統に 伝播した可能性。どの可能性が正しいのか現段階では確証はないが、相互に、かつ微妙に伝承が食い違って
 いる例が多いことから、第三の可能性が最も妥当だという印象を受ける。
 四部と四阿含がもともと同一起源の伝承であること、そして、【四部よりも後期正典・準正典・註釈文献の内容が新しいこと】
 は確実だから、四阿含と【新しいパーリ文献】との一致は、四阿含の伝承が改編された結果だと判明する。改編の全体像を
 論じるには時期尚早だが、少なくとも本章で取り上げた箇所に関しては、四部に比べ、四阿含が教理・信仰の発展に応じて
 改編されていたことは間違いないだろう。」

※四つ目末は、寧ろ、阿含と比較してのニカーヤの優位性を示すものだが、敢えて貼っておく。
 ブッダゴーサ註等から推測される「四部成立の早期性」は、諸訳に比べた「その絶対性」「古形性」を担保はしない、
 ブッダゴーサ参照の「四部」に、他の異本と比べての優位性があったとしても、それは、
 俯瞰的に見た、四捨五入した上での優位性であり、個別の内容(・記述)については
 《思想・伝承がハイブリッドでない経典は存在しない》ということは留意され続けるべきだろうと思う。
1283/4:2010/07/11(日) 16:38:07 ID:68r2c6jJ
・水野選集1巻「仏教聖典とその翻訳」(p62/6-13行)
 「しかしパーリ聖典のみが仏教の正系を伝えた唯一のものであり最古のものであると言うことはできない。
 パーリ聖典と同様の古さと権威とを有した聖典がかつてのインド仏教中には他にも十数種存在していたはすである。
 何となれば、仏教は仏滅後一〜二百年頃から四百年頃にかけて【インド全域に広く分布し】、十八部または二十部という
 部派に分かれ、【各部派が独自の三蔵聖典を保持伝承した】からである。【パーリ聖典はその中の一つに過ぎない】。
 各部派の聖典は同一の源泉から生じたものであるけれども、相互にそれが伝持される土地環境を異にし、
 言語風習を別にしていたために、時と共に次第に相互の距離を生ずるようになった。けだし仏教は一般民衆の化導を
 目的としていたから、その聖典の用語はそれぞれの地方の民衆語に改変され、その経典の教理内容や戒律の規定なども、
 その場所その時代に最も適合するように意識的無意識的の変革を蒙らざるを得なかったからである。」

・同(p66/11-13行)
 「現在わずかに残存する文献の比較から見ても、仏典は相互に言語的にも内容的にも相違点をもつのであるが、
 それらはいずれもブッダの説法そのもの、または仏滅後に成立した共通的源泉に遡るべきものであることは
 既述の如くである。」  ・・・・これはどちらかと言うと>>116への引用となるだろう。

(116は完全に「反・奈良イズム」だなw)
1294/4:2010/07/11(日) 16:39:39 ID:68r2c6jJ
他にも、パーリの優位性に敢えて苦言を付す形のものがあったような気がするが、辿れないw
また、論文や著作として目にしたというのでなく、事ある毎に聞かされてきた注意点だったから、
頭に残ってるのかもしれない。インド仏教やパーリ仏教をやると、どうしても漢訳を軽んじる傾向が生じる。
とくに初学者にとっては『「はしか」の如き通過点』と言ってもいいだろうw
だが、実際は、漢訳の古層(或いは古経)も存在するわけで、のめり込まなければ、
いずれ皆気付いて、バランスを取るようになる。
そういうバランスの面で、横槍を入れた。もとより、こちらにも言いすぎな面があることを認める。
だが、『文献の傾向としての古形含有率』だということは留意されていいと思う。

ノシ


>>123
>尚、・・・・・・ないです。
了解。

>>124
>パーリよりも古い成立経があるとした場合ですが
単体の、『経』いう形態でのみ見るから、【四捨五入した先後関係】が【各経間の】優劣に直結することが解りませんか?
(ま、いいでしょう。 私も「パーリ」の優位性を支持する一人ですから・・www)

>>122
【最終】日本仏教はこのままでいいのか?!【決着】1
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1255345468/832
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1255345468/843
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1255345468/845
130名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 22:21:10 ID:68r2c6jJ
蛇足的補足。(梵天勧請に関して)

>>122
因     果     応     報part2
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1161605177/773
773 名無しさん@3周年 sage 2006/11/16(木) 17:03:40 ID:YX/dL9md
> >> 752
> 一 とっつきにくい考え方ではあるが、聞く耳を持つものも居よう。(b語る喜び)
> 一 聡い者は、聞いて理解することもあろう。
> 一 聞くことにより安心(あんじん)を得る物が一人でもいれば、その人のためにもなろう。(d貢献する喜び)
> 一 もし、より多くの者が理解したならば、社会はずっと良いものになろう。(d貢献する喜び)
> 以上、慈悲の観点。
>
> 一 この考え方は、果たして普遍性を持ちうるだろうか?独りよがりなものでないだろうか?
>    誰もが理解できることであろうか?私以外理解できないのではないか?(思考内容・手法の普遍性)(d貢献する喜び)
> 一 外部へ発信することにより、内容が整理・洗練される。(多少結果論ではあるが・・)(b語る喜び)
> 以上、悟りの論理的側面。
>
> 一 自分以外の者と思考を共有することにより、孤独が緩和される。
>    (勿論、お釈迦さんが寂しがったわけではないが、そうした側面も1%位はあるだろう)(a孤独の解消)
> 一 この(悟りの)喜びをわかってほしい。分かち合いたい。この(悟りの)喜びを味わって貰いたい。(c与える喜び)
> 以上、心理的側面。
>
> abcdどれも、心理的に「人間釈尊」を見た場合のもの。
> 勿論、孤独を厭うたり、喜びを求めるような、言葉通りのものではないが、
> シッダッタ本人に聞いても、そうした側面を否定はしないだろう。
> ゴータマ・シッダッタも、仏である前に人間なのだから・・・。



(※abcdそれぞれや本文について訂正したい所もあるが、面倒なので原文ママw)
131宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/07/12(月) 09:33:57 ID:4aSB5IoD
フーム・・・さすがはセブン!
2chきってのエキスパートです。
今回の価値ある投稿に感謝です(保存に値いします)。

ところで、
原始経典(パーリ/漢訳阿含を問わず)を小乗呼ばわりし、
小乗の学修段階が終了してから、高度な法華経の学修があるなどという見解はトンデモナイでしょう?
セブンも解るでしょう??

そういうことをいう人が今も(たぶん)大勢いるということは、
そのように指導し教えている先達が今もいるということです。
こんなことが認められますか?

>>129
>【最終】日本仏教はこのままでいいのか?!【決着】1

原始佛教時代から継承される慈悲の意味合い説明についてはわからないでもないです。
しかしながら、私がいわんとするものというのはそうではなくて、
大乗というのは、ゴータマが教えた修行をせずとも同様の仏陀になれるなどと勝手に言い出し、
その根拠としてホトケの慈悲(救済)なるものを掲げたということ。
当然、これは大衆受けして庶民が飛びつくような話です。

ところが、ゴータマが教えてもいない勝手なことをしたところで、
そんなことで同じく解脱成仏できる筈がないのです。
132神も仏も名無しさん:2010/07/12(月) 10:10:02 ID:1fHvcE36
>>131
そのような「開祖・教祖の盲信」が、宗教の最大の病理である。

「真理とは、誰が言っても真理のことである」。「開祖・教祖が言ったから、非真理が
真理になる」のではない。真理・非真理の判断は、専ら、生活者(一切衆生)が、その
生活経験・生活感情に基づいて行う。

君等宗教者の思考の方向は、完全に転倒していて、誤りである。
133神も仏も名無しさん:2010/07/13(火) 00:22:13 ID:wca2F7+f
>>131
言わんとするところは解らんでもないがw、
大乗仏教に対して、「先入観有での皮相的視線」になってるとは思うよ。
それは、『塗装が剥げてるからこの車は走らない、街中(まちなか)を「恥ずかしくて」走れない』
と言っているようなものだ。
また、
《『「浅い理解でのお手軽意識」や「手始め・初級クラスとしての簡易版」という様相』のみを拾い上げ、
『それを全体像とする、或いは大乗仏教の核と見る』》のは短慮だと思うよ。
 *(輪廻議論の際、これと(見事に)逆の位相で、貴方は輪廻業報&転生を擁護していたと思いますよ?w)
134宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/07/13(火) 10:04:44 ID:u6XVcVlj
>>133
果たして本当にそうですか?
ただの、私の過剰反応による取り越し苦労ですか?
(だったら、本当にいいんですけれど・・・)

そもそも大乗グループというのは、
ゴータマの教えに反して(これを守らず)、勝手に異なることをした。
これでは、解脱完成者が排出せずとも当たり前なのではないのですか?
だから、私は縁起氏にもそういったわけですよ。

ゴータマの教えを纏めた原始経典を小乗扱いして、違うことを創めたのだから、
それでは解脱成仏できなくても当たり前でしょう。つまり、成仏できない仏教の氾濫ですよ!
そして、そうなるであろうことはゴータマはとっくにお見通しなのでしたね。
何故なら、意に沿わない内容が原始経典には書かれてあるからであり、
後世の弟子たちはいうことを聞かず、自分らで勝手なことを創め出すであろうことを・・・。

それが、この経文ですよ。
縁起氏はパーリ仏教の限界性など・・一笑に付したけれど。
これは、重要過ぎる警告です。まさにこの通りになった。
135宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/07/13(火) 10:06:00 ID:u6XVcVlj
 『比丘らよ。未来世に比丘どもは次のようになるであろう。
 如来の説かれたこれらの諸経典は深遠であって意義が深く、出世間のものであり、空と相応して
いるものであるが、それらが説かれる時には、彼らはよく聞こうとしないし、耳を傾けようとしないし、
了解しようという心を起こさないであろう。それらの教えを受持すべくよく熟達すべきものであるとは
考えないであろう。
 これに反して文芸人によって創られ、詩文調であり、文辞麗しい諸経典は、外道に由来するもので
あり、弟子たちの説いたものであるが、それらが説かれる時には、彼らはよく聞こうとし、耳を傾けよ
うとし、了解しようとする心を起こすであろう。それらの教えを、受持すべくよく熟達すべきものである
と考えるであろう。
 かくの如くにして、如来の説かれた、深遠にして意義が深く、出世間のものであり、空と相応してい
る諸経典は消滅してしまうであろう。
 比丘らよ、それ故にここでこのように学ぶべきである。―――[如来の説かれた、深遠にして意義
が深く、出世間のものであり、空と相応している諸経典が説かれる時に、我らはよく聞くことにしよう。
耳を傾け、了解しようという心を起こそう。それらの教えを、受持すべくよく熟達すべきものであると
考えることにしよう]と。』(『サンユッタ・ニカーヤ』20.7.4-5)
136宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/07/13(火) 10:08:05 ID:u6XVcVlj
それと別件で・・・セブンには、コレについてもご意見を頂戴したいw
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1257855450/794
137ワラw宝珠にはw:2010/07/13(火) 11:02:03 ID:qG+Ovg5/
119 :宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/07/11(日) 14:21:33 ID:8JMdMoSQ
で、縁起氏については、
信仰者としては大変、尊敬を申し上げますが(僧侶としての敬意も含め)、
けれども、所詮はただ伝統(迷信)を引きずった方に過ぎないのだ。
と、私は思いました。

まあ縁起は理屈だけだから、
>所詮はただ伝統(迷信)を引きずった方に過ぎないのだ
と言われる、

まあ宝珠も霊媒妄想の真光の思いつき妄想を引きずった方に過ぎないのだww
138ワラw宝珠にはw:2010/07/13(火) 11:06:50 ID:qG+Ovg5/
まあ、セブンと宝珠の対話は所詮空論、
スレタイに合わぬ知識の垂れ流し、

その仏教の禅定の世界を知るもののみ、大乗と原始仏教を論じる資格がある、
禅定と智慧に欠くセブンと宝珠の対話は無意味。
隠居の餌になる程度、
縁起一代なんぞも含めて、机と同じようなものさw
139宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/07/13(火) 11:13:43 ID:u6XVcVlj
そして今回、
僧侶とお付き合いをしていく上で分ったことは、
これが仏教界全体の流れであるかどうかは知らないけれども、

総本山側の動きとしては、
日常の読経は漢訳から和訳経へと移ってきているということ。
意味不明な呪文的なイメージから、意味の分るお経をということだろうと思う。
その意図するところは理解できますが、
個人的な印象としては、読経の場合は読誦する際にも聞く場合にも、
「漢訳経」の方が響きもよくて、素晴らしい。

今回、これを機会にと総本山から直接、勤行式を取り寄せたところ、
来宅されるご住職は殆ど漢訳経であるのに、届いた勤行式は和訳中心で統一性が皆無だった。

私の意見としては、読経は従来通りに漢訳経とし、
それとは別に、読誦経の意味を知るための解説本があって、
その中で和訳(できれば現代語訳)と用語解説などの注釈を付けるというものです。
140宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/07/13(火) 11:15:02 ID:u6XVcVlj
>>139
誤爆しました(涙)
141ワラw宝珠にはw:2010/07/13(火) 11:17:02 ID:qG+Ovg5/
> “慈悲と救済”なるものは・・・「ホトケ様というは我々を見捨てることなく厳しい専門的な修行を
せずとも、ただお願いすれば救済して下さる在りがたい存在。そういう誓願をお立てになったの
です。」などという、如何にも大衆受けする飴玉で人々を勧誘したのですよ。
 そのようにして勢力を拡大していった。それが大乗というものです。その中心に置いたのが法
華経のご利益、及び阿弥陀の救済力なのです。



真光とか霊媒教に嵌って見えないようだw
日本仏教とインド仏教を混合している、妄想意見の域だなあw
上記の様な仏教は中国、過去のインド大乗にはありません、きちんと仏教史を勉強しなさいww
観点が異常である、
まあ所詮、その仏教の禅定の世界を知らないから、
こういう妄想を垂れ流すww

142ワラw宝珠にはw:2010/07/13(火) 11:17:53 ID:qG+Ovg5/
おら妄想宝珠、反省しろよww
143宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/07/13(火) 11:26:58 ID:u6XVcVlj
>>141
>日本仏教とインド仏教を混合している、妄想意見の域だなあw
>上記の様な仏教は中国、過去のインド大乗にはありません、きちんと仏教史を勉強しなさいww

なんでよ??
「法華経」「阿弥陀経」・・・経文中の記述内容がそうなってるでしょ!
それともシナ発祥の経でしたか?www
144ワラw宝珠にはw:2010/07/13(火) 11:32:15 ID:qG+Ovg5/
はあ??
お前、浄土宗系は浄土三部経であることをしらないのか??
阿弥陀経で判定するのか?
しかも反論になっていないw

法華経の読み方も日蓮の読み方しかしらねえだろ??
そういう妄想的読み方で大乗を判定するな、あほw
法華経でも薬王菩薩品だったけ、あれを読んでみろww
あれをまじめに読んで、明治政府以前の仏教の主流、修験道なんかがあったんだぞw
比叡の千日回峰行なんか、しらねえだろ??
だから、そういう妄想寝言がいえるんだww
145ワラw宝珠にはw:2010/07/13(火) 11:33:24 ID:qG+Ovg5/
宝珠に仏教論じるには一万年早い、輪廻しろよw
146宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/07/13(火) 11:36:43 ID:u6XVcVlj
Re.ワラw宝珠にはw

>まあ縁起は理屈だけだから、
>禅定と智慧に欠くセブンと宝珠の対話は無意味。
>縁起一代なんぞも含めて、机と同じようなものさw >>137-138

ホーでは、あなたは瞑想実践者?
できましたら、あなたの立場と位置づけを紹介して下さいます?
何宗や何派の支持者である、といった表明はできます?
147宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/07/13(火) 11:42:13 ID:u6XVcVlj
>>144
私は、法華経そのものの記述について述べてます。
“比叡の千日回峰行”たって・・あそこは天台密教でしょ(信仰の中心は法華経でしょうが・・・)。
いや・・確かに立派な修行であるとは思いますが・・・。
148ワラw宝珠にはw:2010/07/13(火) 11:43:03 ID:qG+Ovg5/
ま、伝統仏教の瞑想は大乗、原始問わず、瞑想の部分だと大概できているがな、
ことスレの連中みたいに中途半端な極端な知識偏重はないがね、知識偏重でないがゆえに連中よりも知識情報量蓄積は少ない事は自認しようw
新興宗教以外は支持してやるさ。
149宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/07/13(火) 11:46:24 ID:u6XVcVlj
>>148
なるほどw
150ワラw宝珠にはw:2010/07/13(火) 11:47:26 ID:qG+Ovg5/
だから、中国、インド大乗は、浄土経典だろうが、法華経典であろうが、千日回峰行みたいな修行をしていたのさ、
理解しない奴だなあw
お前、天台密教でない四種三昧なんかしらねえだろ??
言い逃ればかりで、てめえの見解の間違い認めろやwあほw
宝珠にとって原始仏教は自分の過ちの見解を認めないものなのか??
151ワラw宝珠にはw:2010/07/13(火) 11:53:48 ID:qG+Ovg5/
間違いを認める書き込みはできないだろうなあw宝珠はw
ま、それゆえに、原始仏教すら理解できんだろうなあw
152宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/07/13(火) 11:59:03 ID:u6XVcVlj
>>151
>間違いを認める書き込みはできないだろうなあw宝珠はw

なんで?そんなことはない。
いつでも素直に間違いを認める姿勢を示してきたのが、この私じゃないか!
んじゃ-検討しとくよw
153ワラw宝珠にはw:2010/07/13(火) 12:01:47 ID:qG+Ovg5/
じゃあ、最低限仏教史をお勉強してから出直せ、
154ワラw宝珠にはw:2010/07/13(火) 12:06:01 ID:qG+Ovg5/
まあ、大乗仏教=浄土真宗、日蓮宗と言う思い込み妄想をすてろやw
正しい正しくないと言う見方が大乗仏教という思い込みも、
縁起一代のアホ見りゃ、そう見えるだろうが・・・
155ワラw宝珠にはw:2010/07/13(火) 12:11:00 ID:qG+Ovg5/
ま、宝珠の大乗批判にも、宝珠が日蓮宗の見解で、大乗を論じていると見抜けない
セブンも相当アホだがな、
まったく意見を提示できないからなw
156神も仏も名無しさん:2010/07/13(火) 17:31:52 ID:wca2F7+f
>>155
無理して話に入ってこなくてもいいぞw
一人でおとなしく瞑想(迷走)してなさい。
157神も仏も名無しさん:2010/07/13(火) 17:53:05 ID:wca2F7+f
158156かわいいw:2010/07/15(木) 10:57:04 ID:iGtwJl3I
スレタイに応じた世界の仏教徒の為に大乗の志を認可して欲しいものだなw
小乗の輩、いや、、それでは南方仏教に失礼だ、
知識偏重声聞の輩君、エゴの満足を止めましょうww
159宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/07/16(金) 10:57:55 ID:wJVNi4My
あ〜ぁぁ...いそがしやw

>>141-158
ワラwだか・・かわいいwだかシランけど(笑)
どうもよくわからないから、是非、お話の続きをお願いしようかな!
「議論スレ」だと隠居が煩いから、よければこちらで(投稿済です)。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1257855450/l50
160宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/07/16(金) 11:41:56 ID:wJVNi4My
>>158
>知識偏重声聞の輩君、エゴの満足を止めましょうww

私も(行の)実践の者であり、当然、瞑想者の一人。
そんなことは宣伝するまでもないことですよ。
161神も仏も名無しさん:2010/07/21(水) 19:59:56 ID:1QwPWwAF
で、宝珠は宝珠で
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1273950612/157
に、レスを入れる気は無いか・・w


どいつもこいつも腐り切っとるな・・・。
162神も仏も名無しさん:2010/07/21(水) 20:01:46 ID:1QwPWwAF
あ、スレ間違えた。
まあいいか。当該スレだし。
反応するなら、http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1278424122/でしてくれなw
163ワトソン:2010/07/22(木) 12:39:19 ID:szo5mYZ4
**********************************************
この国に生まれたいと思う者は次の三福を修行しなければならない。
 一には父母を孝養し、師長に奉公し、慈心を起こして殺すことをやめ、十善行を修行する。
 二には仏、法、僧の三帰を受持し、衆戒を具足して礼節を犯さず。
 三には解脱心を起こして、深く十二因縁を信じ、大乗の真理を読んで修行する。
この三つのことを浄業という。」
**********************************************

これは、観無量寿経の冒頭にある文章です。
十善業・三帰(三宝)・十二因縁は阿含経の修行です。
大乗の真理とは、おそらく大般若経・法華経を指していると思います。

このように、最初に阿含経を修行し、次に大乗(大般若経・法華経)を修行するようにできているのではないかと思います。
164:2010/07/24(土) 07:59:40 ID:O61NsMwL

戒取(かいしゅ)
  仏陀の
  【 因縁を解脱して涅槃に至る為の教えと法 】を
  理解出来ないで
  それ以外の道徳や仏教以外の宗教を
  【 絶対に正しい 】と信じて固執する事

 ↑ 仏陀の真実の教えを説く〈上〉阿含経講義   桐山 靖雄(著)

    164ページの ところ参照

おそらく  仏陀の

【 因縁を解脱して涅槃に至る為の教えと法 】以外の概念から

【 十不善業 】が【 顕現化する 】と言う 解釈なのだと思います
165神も仏も名無しさん:2010/07/29(木) 21:43:59 ID:raqnqAKx
どうして人は仏になれるのでしょうか?
166宝珠愚者(代行):2010/08/02(月) 01:30:59 ID:fxPyKqE6
>>165
 原始経典上では、ゴータマはそういう問いにはあまり明確な回答をしていなかったようにも映ります。
大乗仏教は明確に“仏性が在る(内在)から”と説明したわけですが、原始佛教的には、これを説いた
明確な記録はないようではあります。ただし、理論上では十分に通用するものではないかと思います。
 縁起の観点からみても、その可能性においては素因とご縁が生じなくては仏には成れない筈なの
ですから、仏性があったからこそ(結果的にいえること)、という言い方も可能でしょうね。
 尚、原始仏典中においても、人というのは本来は清浄な存在である(が、煩悩によって汚れている)、
という言い方はあります。
 私は、これが後の仏性にも通じる概念ではないかと見ています(『増一阿含経』)。

*しかし、質問スレですらも・・(仏教関連は)過疎ってこの有様です。寂しいものです。
167神も仏も名無しさん:2010/08/02(月) 09:52:39 ID:VYrSrUCu
168神も仏も名無しさん:2010/08/02(月) 11:30:11 ID:wCaGl7rs
すみません
仏教史に興味を持っている高卒喪です。
ガンダーリー語とかその周辺、また西夏語などの入門書ってありますか?
どうか教えてください。
お願い致します!
169神も仏も名無しさん:2010/08/02(月) 16:54:50 ID:VYrSrUCu
170神も仏も名無しさん:2010/08/02(月) 21:00:17 ID:VYrSrUCu
>>168
西夏語は、西田龍雄『西夏文字』紀伊国屋新書
ガンダーリーは、入門書はないとおもいます。
辻直四郎全集を見ると、インド語から中央アジア古代語について書かれています。
またジョン・ブラフの『ガンダーリー・ダルマパダ』はガンダーリーを扱った古典的名著です。
171神も仏も名無しさん:2010/08/02(月) 21:01:08 ID:VYrSrUCu
>>170は代行レス)
172ワトソン:2010/08/03(火) 11:11:33 ID:bSMumeOM
>>164 :?:2010/07/24(土) 07:59:40 ID:O61NsMwL
>>戒取(かいしゅ)
>>  仏陀の
>>  【 因縁を解脱して涅槃に至る為の教えと法 】を
>>  理解出来ないで
>>  それ以外の道徳や仏教以外の宗教を
>>  【 絶対に正しい 】と信じて固執する事
>> ↑ 仏陀の真実の教えを説く〈上〉阿含経講義   桐山 靖雄(著)
>>    164ページの ところ参照
>>おそらく  仏陀の
>>【 因縁を解脱して涅槃に至る為の教えと法 】以外の概念から
>>【 十不善業 】が【 顕現化する 】と言う 解釈なのだと思います


これは桐山さんの解釈間違いだと思いますよ。
戒取をこのように解釈すると『十二因縁』が意味不明になりますよ。

十二因縁の中一つに取(四取)があります。

四取(欲取・見取・戒取・我取)
欲取=欲望・愛着見取=見たままの現象を真実と見る。
戒取=悪いことをする。十不善業を犯す。
我取=我に執着する。

十二因縁はこの四取の行程を通り、老死などの苦に向かう。
無明→行→識→名色→六入処→触→受→愛→取(四取)→有→生→老死
**********************************************
謂ゆる無明に縁りて行、行に縁りて識、識に縁りて名色、名色に縁りて六入処、六入処に縁りて触、触に縁りて受、受に縁りて愛、愛に縁りて取、取に縁りて有、有に縁りて生、生に縁りて老死憂悲悩苦あり、是の如く純大苦衆集まる。【雑阿含より】
**********************************************
173:2010/08/04(水) 07:07:11 ID:Dy1GwiHK

>>172 ワトソン 様へ!
>> 戒取(かいしゅ)について!
> これは桐山さんの解釈間違いだと思いますよ。


 ↑ 了解 致しました!

 ↑ これからも御教示の程を

    よろしく お願い申し上げます!
174神も仏も名無しさん:2010/08/06(金) 11:39:27 ID:T8fB+YJo
すみません。素朴な疑問です。
お寺などで、観音様を拝むときには、次のどれを唱えれば一番いいのでしょうか?

1.南無観世音菩薩
2.念彼観音力
3.おん あろりきゃ そわか
175神も仏も名無しさん:2010/08/06(金) 11:47:16 ID:xynVKAuK
>>174
2は変。
世尊偈の「念彼観音力○○○○○」、
「かの観音の力を念ずれば、云々」の前半だから。
観音経本文中の文句としても、「(観音様の)名号を唱えれば・念じれば・受持すれば」というのがあるから、
1でも3でも問題なし。

延命十句とか観音和讃とかもあるよ。(「一言」ではないけどw)


(質問箱知ってたなら、最初からこっちにしときなよw)
176神も仏も名無しさん:2010/08/06(金) 17:45:21 ID:YOreIJS/
>>175
ありがとうございます。

>(質問箱知ってたなら、最初からこっちにしときなよw)
すみませんでした。
177神も仏も名無しさん:2010/08/10(火) 10:33:55 ID:I1r1PTI7
慈悲観の「抜苦与楽」は、他人が自分に与える苦痛についてどう観ずればいいのでしょうか?
人に譲ってあげてばかりですが、見知らぬ人からの迷惑行為ばかり受けるのが我慢できません
178神も仏も名無しさん:2010/08/10(火) 10:54:51 ID:We8FVrwG
>>177
「抜苦与楽」は、【自分から他者への積極的・具体的ベクトルを有するもの】です。
(悟りを得た者・道を成就した者のみが爲し得るもの、という厳格なことは言いませんが)、
他者の、よりよき生を(或いは後生を)、安楽な生を、悪趣(≒悪循環)を離れた、より善き在り方を
祈り、願い、サポートするものです。
ですから、177に於いて見られるべきは、寧ろ「忍辱」でしょう。(或いは「常不軽菩薩」のスピリッツでしょう。)
その上で、
他者の行為の悪業が、今後の縁により軽減・転換の形で清算されていくことを祈り、
誰であっても、仏性を持ち合わせている、その仏性に手を合わせる、
その相手に仏縁が結ばれ、善なる道への門が開かれることを祈る。
と、こういうことになるのではないでしょうか。
これもまた「慈悲」の(「慈」の)一つの側面だと思います。
179神も仏も名無しさん:2010/08/10(火) 11:00:15 ID:We8FVrwG
(いや、この場合は寧ろ「悲」の方かな?)
180神も仏も名無しさん:2010/08/19(木) 20:20:39 ID:ma//XbxK
>>177
> 人に譲ってあげてばかりですが

この言葉が、ちょっと気になります。
自分中心にものごとをみると、そのように思えるのでしょう。
功徳を積むと思えませんか。

また
> 見知らぬ人からの迷惑行為ばかり受けるのが我慢できません
の言葉も気になります。

もう少し、自分から離れた見方ができませんか。
仏教は無我の教えです。
181宝珠愚者(代行):2010/08/23(月) 00:14:04 ID:+sPvXI9K
そんな聖人ブッたことをいっても、如何なものでしょうか?

>もう少し、自分から離れた見方ができませんか。
>仏教は無我の教えです。

 そして、こういのは無我の教えの誤解に繋がるものですから辞めたほうがいいでしょう。
無我というのは、いわゆる自己中心的にならないことや、または、忘我(自分のことを忘れてしまうほど
の達観性)というような意味合いではありません。
 無我というのは、正しくは五蘊無我ということであって、即ち、自己を構成しているところの色・受・想・
行・識蘊の五つの要素)のいずれもが真実の自己の本体ではない、という意味です。
 これは、「自己は無い」といっているのではなくて、「(五蘊は)自己ではない」といっているのです。
従って、非我(我に在らず)と訳されるべきものなのでしたが、現在においても、無我などと誤解を招く用
語として使用されているのです。

 無我の教えとは、人々は自己ではないものを自己であると見なす間違いに気づかず、その想いから
離れられずに固執している。実に、そこから人間の苦悩というのは生じているのだ、と教えているのです。
182神も仏も名無しさん:2010/08/23(月) 00:16:53 ID:/34EpV5W
>>181は、誤った仏教理解です。
信用しないことをお勧めします。   >>ALL
183神も仏も名無しさん:2010/08/23(月) 00:24:02 ID:/34EpV5W
>>181
そういう
「俺が〜俺が〜」「私が〜私が〜」、「俺は〜俺は〜」「私は〜私は〜」、
「自分を守らなきゃ・・・(汗」
「ここに(真の)私が居る!」
「“真の私”を守らなきゃ!」
「この“真の私”を大切にせねば!」というのが執着であること、
そうした執着をフラットにすることが、「苦の滅」であることを、
いいかげん理解しろ。

 ※一代の「自殺者の持つ思考のベクトルもまた“自己保身”である」というレスを忘れたか?
184神も仏も名無しさん:2010/08/23(月) 05:04:17 ID:BvMu9tD9
>>181
> 無我の教えとは、人々は自己ではないものを自己であると見なす間違いに気づかず、その想いから
>離れられずに固執している。実に、そこから人間の苦悩というのは生じているのだ、と教えているのです。
真の正論、釈迦の教えそのものです。
185神も仏も名無しさん:2010/08/23(月) 12:17:30 ID:/34EpV5W
そうか。
あっちのスレの登場を見てすぐだったんで、
またいつもの「真我」について言おうとしている、と脊髄反射してしまった。
今見返してみると穏当な書き込みだったな。>>181
横レス感謝。>>184
>>182を撤回して謝罪する。 >>ALL

別段噛み付くことではなかったようだ・・。 スマンな、宝珠w

だが、>>180を批判する必要もないと思うが?(これも脊髄反射の一因だったろうw)
《「自分」ばかりを見ている(→「自分の」感受、「自分への」利害のみが大切にされている)》ことへの苦言である点で、
181にも抵触しないし、きちんと仏教の軸に沿っていると思われる。
表現が簡単なので、(また「その方向性」へ向かう素地があると見做せもするので)、
「 >忘我(自分のことを忘れてしまうほどの達観性)というような 」という指摘をしたくなったのかもしれないが、
少なくとも、(177を受けての)180だけで言うならば、どこにもおかしいことはない。
『補足説明として180に181が添えられる形』で良い。180は、ちゃんと181と繋がっている。
だから、180を批判する形で181が入ったので、(夜中でもありw論敵でもありw)、脊髄反射してしまったようだ。
 *(別に無我の「詳細な説明」が必要な場面ではなかろう?
  寧ろ、
  《「【自分は】こんなにも献身してるのに、【その自分に】迷惑がかかっていることを【腹立たしく】思っている」》
  ことに対して、言葉がかけられるべき所だろう? そう、180さんのように・・。)


※そこんとこどう?>>184
 貴方も、180は仏教的でない(=無我ではない)と考えますか?
 (質問箱的には180で十分なようにも思われますが・・・。)
186神も仏も名無しさん:2010/08/23(月) 21:28:36 ID:LgzHVGcS
宝珠は一応、理論としては間違いではないが、そんな理屈をいくら説いても救いの役にはならない。
理屈はあいてに響くものがない。
それよりも、見返りや報酬を期待しない、ずばり無我の生き方に近づける自覚を促すほうがいい。
187神も仏も名無しさん:2010/08/24(火) 08:43:56 ID:6KZgE4NF
スレチだったらすみません
愛犬を無くし今日で初七日です
四十九日に生まれ変わるという事ですが
もし生まれ変わってるとしたら
今年の10月5日生まれの
赤ちゃんが生まれ変わりの可能性が高いという事でしょうか?

また六道を見る限り畜生道は悪道なのですね
じゃあペットとしての再会を望むのは
愛犬には有りがたくない事なのでしょうか?
というか天人か仏以外は多かれ少なかれ辛そう・・・
とても温厚な良い子だったので
餓鬼道と地獄道にだけは落ちないとは思いますが・・・

あと毎日生前と同じく声をかけて7日ごとには読経しようと思いますが
お経を全て読み取るのは結構困難なのですが
「南無阿弥陀仏」を繰り返すだけでもいいのでしょうか?
188神も仏も名無しさん:2010/08/24(火) 17:26:13 ID:i2PEvykU
>>187
もちろん「南無阿弥陀仏」でいいですよ。
それと、ペットなら馬頭観音様に菩提を願うのもいいでしょう。
短いお経なら、般若心経や観音経の世尊偈などもいいでしょう。
189神も仏も名無しさん:2010/08/24(火) 18:20:46 ID:8QiBJyMM
>>188
お返事有難うございます!
「馬頭観音様」知りませんでした
菩提を願おうと思います

生まれ変わりの件はどうでしょうか?
190188:2010/08/24(火) 20:20:42 ID:6s9BfKrX
>>189
愛犬ちゃんのために「南無阿弥陀仏」とお唱えしたり、馬頭観音様に菩提をお願いしたりすれば、
愛犬ちゃんは、一度人間に生まれ変わって、その次に亡くなった時には、輪廻転生の苦から逃れて、
必ず極楽浄土へ生まれ変わりますよ。
191サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2010/08/25(水) 04:24:44 ID:9WBU/8Yg
>>189
きっと虹の橋で会えますよ^^
192神も仏も名無しさん:2010/08/25(水) 14:36:57 ID:CYSXMQeF
>>190
詳しい回答有難うございます
そうですね優しい子でしたから
きっと優しい人に生まれて善い行いをたくさんして
次は極楽に生まれる事ができますね
>>191
有難うございます
その「詩」読んだ事はあります
そういう考え方もありなのかなとも思います
感動的ですね
193神も仏も名無しさん:2010/08/26(木) 15:10:19 ID:sqtqAHNH
初歩的な質問なんですが・・・。
神様や仏様にお願い事をするとき、
「〜してください」と願うのがいいのか、
「〜でありますように」と願うのがいいのか、
どちらがいいのでしょうか?
194神も仏も名無しさん:2010/08/26(木) 20:41:47 ID:HhT4ZswU
一心に願えば、言葉にこだわる必要はありません。
「不肖○○、伏して御願い奉ります」
「願わくば・・・・・せしめたまえ」
というのもありますし、
「南無○○○○」と唱えて、イメージを念じるだけでも願いは届きます。
大事なのは、願う人の一心さです。
195神も仏も名無しさん:2010/08/26(木) 20:47:13 ID:1klrkLep
皇室神道のいうところによると、
神仏の働き手として人々のために〜したいのですが神様仏様加勢をお願いしますというふうに、
お願いではなく、神としての自覚を深めるような祈り方をするそうです
196193:2010/08/26(木) 20:54:00 ID:U9uqcrz1
>>194-195
アドバイスをありがとうございます!
言葉ではなく思いが大切で、自覚を持って願うことが大切なんですね。
197神も仏も名無しさん:2010/08/27(金) 20:51:48 ID:wiLuRq6T
昔、あるばあさんは「大麦小麦十二升五合」と唱えて願い事すると効験あらたかで評判になったそうだ。
ところがそれを聞いた坊さんが、「ばあさんや、それは応無所住而生其心(おうむしょじゅうにしょうごしん)のまちがいじゃ」
と諭したそうな。
それをきいたばあさんはその後「応無所住而生其心(おうむしょじゅうにしょうごしん)」と唱えるが、ちっとも効験が落ちてしまった。
という話。

願い事の儀式はこういうものでしょう。
自分にぴったり来るものを使えばいいのでしょうね。
198神も仏も名無しさん:2010/08/27(金) 20:54:29 ID:WDBFYhdH
すみません、教えてください。
1つの願いを同時に複数の仏様にすると良くないのでしょうか?
うちの祖母は良くないというのですが、その理由を聞いても「昔からそういうものだ」としか答えません。
たとえば、病気平癒をお薬師さんと観音さんに同時にお願いするとか・・・は、いけないのでしょうか?
199神も仏も名無しさん:2010/08/27(金) 21:09:11 ID:wiLuRq6T
>>198
いやいや、そんなことはありません。
仏様と神様が喧嘩するとか言うものもいますが、仏様も神様もそんなけち臭くはありませんよ。w
仏様も神様も大本は同じです。
願う人に応じていろいろな神様仏様に形を変えているだけです。
お薬師様も観音様も同じ仏様ですから同時に祈願するのは一向にかまわないですよ。

もしばちが当たるというのは、それは神様仏様ではなく低級な霊でしょう。
狐狸などの低級な霊にお願い事をしてはなりませんよ。
200神も仏も名無しさん:2010/08/28(土) 02:56:39 ID:Y7kjUbVY
>>194
いや、通じないねえ…全身全霊をもって存在の全てを賭けても
通じない物は通じないねえ

通じることもある。どーでも良いことだけね。
201198:2010/08/28(土) 10:49:54 ID:ZklNRq3M
>>199
丁寧なご回答をありがとうございます。
ようやく納得できました。
ありがとうございます!
202神も仏も名無しさん:2010/09/05(日) 12:28:39 ID:dKdYGias
すみません、教えてください。

先月、ある骨董市で、観音様の像(身長17cmの金銅像)に出会い、
一目見てその像にとても感動したので、高かったけど購入しました。

で、その観音様をこれから私の念持仏として、お仏壇を購入し、その中にご安置して、
生涯大切に礼拝して行きたいと思っているのですが、開眼供養は必要なのでしょうか?

もし、どうしても開眼供養が必要だとしたら、その観音様の像を持ち込めば、
どこのお寺でもしてくれるのでしょうか?
また、その開眼供養の費用はどのくらいかかるのでしょうか?
203神も仏も名無しさん:2010/09/05(日) 19:48:25 ID:y5mr+5Rn
骨董市で購入したのであれば、一度、御霊抜きをしたほうがいいと思いますよ。
以前に持っていた人がどんな願い事をしていたか分かりませんからね。
そのあと開眼供養をして御霊入れしたほうがいいですね。
どのお寺というわけではありません。
それなりの験力がある僧侶でなければ御霊入れすることはできませんからね。
費用はその寺によって違うでしょう。
いずれにせよ仏像は御霊入れして、単なる置物から仏の入口であるご本尊へと変わるのですから大事なことです。
204202:2010/09/05(日) 20:09:08 ID:AWUlBs2x
>>203

202です。
アドバイスをありがとうございます。
なるほど、一度御霊抜きをしてから、開眼供養をしたほうがいいのですね。
そうすることにします。

せっかくのことですから、開眼供養は、ちゃんとした(歴史ある由緒正しき)お寺のお坊さんにお願いしたほうがいいですよね。
費用などは、そのお寺さんに聞くことにします。

アドバイスに感謝いたします。
205神も仏も名無しさん:2010/09/05(日) 22:12:00 ID:pDZ6mwhM
>202

「物」には「見た目」以上のものは何もありません。

あなたが買った「観音像」?によって、

ただあなたの欲が増えただけです。
206神も仏も名無しさん:2010/09/05(日) 23:06:35 ID:5Arih0ff
>>205
「孫が」拾ってきた「どんぐり」には、見た目以上の「モノ」が「生じ」ますよ?w

 ※(勿論、仏教の理論上、何ものをも生じさせない方法は存在しますし、
   悟りの視線に於いては(→勝義に於いては)「生じさせるべきではない」とは言えますが、
   それは、「悟りを求める場合に於いてのみ適用されること」です。)
207神も仏も名無しさん:2010/09/06(月) 20:44:37 ID:Ty4OtFUa
物は単なる物質ではないからな。
宇宙、すべてが仏の顕現で命が宿る。
ただ有情、無情の違いだけだ。
さらに言うなら、森羅万象、すべてが自己に他ならない。
208神も仏も名無しさん:2010/09/06(月) 21:13:26 ID:n9Fzhyfl
一切衆生悉有仏性
山川草木皆成仏道

だね。
209神も仏も名無しさん:2010/09/06(月) 21:20:28 ID:MzRQD+2m
>>206は、そういう意味(≒視線)じゃないけどね。
210神も仏も名無しさん:2010/09/06(月) 21:20:50 ID:m2DxoelP
>>207
なるほど。素晴らしい言葉ですな。
さて、それをどうすれば「事実」として体現できるのだろうか?
211神も仏も名無しさん:2010/09/06(月) 21:27:35 ID:m2DxoelP
おっと失礼。
>>210>>208へのレス。
212神も仏も名無しさん:2010/09/07(火) 05:28:29 ID:fqOO+XRw
>>210
>さて、それをどうすれば「事実」として体現できるのだろうか?
「問い」と「答え」の間に「自己」を入れない事。
213神も仏も名無しさん:2010/09/07(火) 22:39:11 ID:3VSAPoAU
下世話だが真面目な質問です

出家したお坊さんは、財産とかどうなるの?給料みたいなのはもらえるの?
214神も仏も名無しさん:2010/09/07(火) 23:26:26 ID:R4ADCOEa
>>213
そうそう。俺も聞きたい。
とくに、大きなお寺へ住み込んで修行している若いお坊さん達には、

給料とかあるのか?
1週間のうちに1日は休みの日があるのか?
自分の財産はどのように管理しているのか?

などについて教えてください。
215神も仏も名無しさん:2010/09/07(火) 23:51:23 ID:uM1M7jlC
それ以前、気になって俺も聞いたわ

このスレの回答者は基本、親切な人が多いので丁寧に教えてくれるよw

さあ、セブン出番だ。
216神も仏も名無しさん:2010/09/08(水) 00:05:06 ID:SBQF90Ef
>>213-214
バリエーションが多すぎて、誰もが答えに窮するでしょう。

>大きなお寺へ住み込んで修行している若いお坊さん達
・専門道場で修行している者・・・「若い」という単語から推測されるのはこれか?
・弟子或いは小僧として(昔で言う丁稚奉公のような形で)その寺で生活する者・・・大きな寺とは限らない
・その寺の後継者として、
 a僧籍を有した上で正住職を(寺務を)サポートしている者
 b僧籍を有した上で、且つ副住職として(=その寺の正式な看護者の一人として)サポートする者
 c僧籍未取得ながらも住職を(寺務を)サポートしている者
 dその寺の血縁であり、寺務をサポートしている者・・・僧籍の有無はそれほど影響ない
・職員として寺務に携わる者・・・「大きな」という単語が「本山クラス」を差す場合。及び、複数でないと運営できない場合。
上記のどれであるかで、その在り方は様々。更には、同種のカテゴリ内でも寺によって個々別々にもなる。

ちなみに財産管理(おそらく預貯金のことと思うが)は、
それぞれ皆実家がある場合が殆どなので、そちらでも可能だし、
そうでなくても個人の財産管理が妨げられる謂われはない。
217神も仏も名無しさん:2010/09/08(水) 00:22:09 ID:S1FKb4IY
お坊さんも年金はちゃんと納めてるの?
218神も仏も名無しさん:2010/09/08(水) 00:27:28 ID:SBQF90Ef
>>213
「 >出家した 」ということがどのような状況を指すのかで変わってきます。
「得度したこと」(僧籍取得)を指すのか、
「専門道場へ入門すること」を指すのか、
「道場へ入らずとも、(下記のような)資格取得の為の研修に参加していること」を指すのか、
「僧侶として(住職資格を有する者として)認可されること」を指すのか、
「或る寺の住職としての辞令を受けること」を指すのか、
によります。
ただ、一番下以外は、各種業種と同様「免許があるだけ」に過ぎません。
一番下は就職内定のようなものですから。
尤も、身元引受人・後見人として「師匠・師僧」及び「師匠寺」が必要なので、
実際は「その寺」の寺務をサポートすることになります。

>>217
二十歳過ぎていれば原則として納めます。払えない状況というのはあまり無いでしょう。
修行中なら(≒額的に納入不能なら)、実家や師匠寺が面倒を見ることになるでしょう。


※あくまでも参考意見です。これ以外のケースも当然ありえます。
219神も仏も名無しさん:2010/09/08(水) 21:39:11 ID:F9ADhm8W
仏教とキリスト教はどちらが正しいですか?
220神も仏も名無しさん:2010/09/08(水) 21:41:39 ID:D69/pulk
中道の仏教です
善悪二元論のキリスト教は使えません
221神も仏も名無しさん:2010/09/08(水) 21:56:50 ID:SBQF90Ef
>>219
《【貴方が】(日々を)より「善」く生きられる方》を選べばいいと思います。
222神も仏も名無しさん:2010/09/09(木) 17:19:13 ID:ChQKTqDA
現在のお坊さんでも、やっぱり蚊とかを殺したりしないの?
223神も仏も名無しさん:2010/09/09(木) 20:35:58 ID:J7eFoHbv
もってのほか、蚊一匹たりとも殺しません(キッパリ)!

ただ、叩くだけです。
224神も仏も名無しさん:2010/09/09(木) 21:02:36 ID:tyOz06Vi
世間では髪を伸ばしているお坊さんのイメージってどんな感じなのかな?

やっぱりお坊さんは丸坊主のほうがいいのかな?

それともそんな偏見は特にないのかな?
225神も仏も名無しさん:2010/09/09(木) 22:34:59 ID:ChQKTqDA
悟りの「すべてが自分だった」的感覚って、離人症の症状とは別なの?
なんか、意図的に自分の意識をそういう状態に仕向けてる気がする
226神も仏も名無しさん:2010/09/09(木) 22:54:10 ID:VvcIG2ad
>>225
感覚ではなく、「理解」、「頷き」、だと思うよ。
感覚(≒感受)であるうちは錯覚、誤認の可能性が大きすぎるのでは?

「ああ、同じだ(等質・等価だ)・・・」と・・。
227神も仏も名無しさん:2010/09/10(金) 05:35:46 ID:eVg3v/iZ
質問失礼します。

魚釣りを趣味にしていると、どういう報いが訪れるのでしょうか。
「ハラ減った・・・魚・・・釣らなきゃ・・・」というのではなく、
あくまでも楽しみとして釣りをする場合の話です。
228神も仏も名無しさん:2010/09/10(金) 10:00:37 ID:VdBTASfJ
ある日、磯で釣りをしていたら、身の丈3倍もあろう巨大な魚がかかって、それが自分に飛び掛ってきた。
必死に逃げようとしたが、足に食いつかれてどうにも逃げられん。
もがいて必死でもがいたが、ずるずると海に引きずりこまれ始めた。
「だれか助けてくれ〜」と叫んだが、だれもいるわけがなく、そのうちすっぽりと海に落ち込んでしまった。
あまりの苦しさにハッと気がついたら、下半身びっしょりと濡れていた。
魚の祟りか報いか恐ろしい夢だった。
229神も仏も名無しさん:2010/09/10(金) 12:43:47 ID:mhf3nlLW
>>227
殺生について/業について
http://www.j-theravada.net/qa/gimon66.html
230神も仏も名無しさん:2010/09/10(金) 12:50:41 ID:mhf3nlLW
不殺生戒/不妄語戒/不飲酒戒
ttp://www.j-theravada.net/qa/gimon36.html
231神も仏も名無しさん:2010/09/10(金) 15:39:02 ID:BFBbB0+A
出典がテーラワーダかよw
232神も仏も名無しさん:2010/09/10(金) 16:02:09 ID:4AvqK0s6
>>187で愛犬について質問したものです
愛犬を亡くしたあと野良の子猫たちがやたら家のガレージに・・・
そしてお供えのお下がりをついあげてしまったり・・・
これって駄目な事でしょうか?
233宝珠愚者(代行):2010/09/11(土) 00:09:51 ID:yZieuDJJ
>>227
私は3度のメシよりも大好きだった趣味の釣りを、
仏教に触れることで自分の考えを改め、その後、間もなくして完全に断ち切りました。
生物虐待を娯楽にするのは、やはり辞めようと思った。
以降、なるべく故意に殺生することがないように努めています。
私は、自分の家族にもそう諭しているし・・・
安易な殺生行為は毅然と止ています。
234神も仏も名無しさん:2010/09/11(土) 00:20:22 ID:W0jXPMEs
>>232
そこに野良猫がたむろするようになり、しょっちゅう出没することになった時、
近所迷惑にならないかどうかが問題でしょ。
周囲が皆猫好きで、野良か家猫かも気にしない人ばかりならいい。
貴方の家の周りの住宅環境次第でしょう。
最近では猫アレルギーや動物の毛にアレルギーのある人も多い。
(特に子供や乳幼児だと、親は多少神経質だったりもする。)
そういうことに無頓着なまま『餌付け』を続けるなら、
それは「善業」でも「(愛犬の)供養(の代替)」でも何でもない。
ただの、独りよがりな自己満足だ。
235宝珠愚者(代行):2010/09/11(土) 00:32:47 ID:yZieuDJJ
>>232
私も動物好きなので、あなたの気持ちはよく理解できます。
ただし、私の近所にも野良猫に餌付けをして、
終いには10数匹も群がる猫屋敷と化した家が2件ほどあります。
その後の猫達の面倒から・・・ご近所の苦情も含めて、
最後まで責任が持てるかどうか、という難しい問題があるでしょうね。
つまり、「可愛いだけ」ではダメだということなのでしょう。
236神も仏も名無しさん:2010/09/11(土) 00:49:01 ID:CkeV9IUM
どうした?宝珠。
ちょっと見ない間にえらく良識的になってるじゃないかw
良いことだww
237神も仏も名無しさん:2010/09/11(土) 03:11:27 ID:duc5yQSW
>>234
お前が猫になったら即考えが変わるなww
238神も仏も名無しさん:2010/09/11(土) 03:13:34 ID:duc5yQSW
>>234
>そういうことに無頓着なまま『餌付け』を続けるなら
それを世間では偏見と言う。野良猫対策のページを一度も見たことが無く
罵っている。証拠もレス中にあるよ。
239神も仏も名無しさん:2010/09/11(土) 03:17:01 ID:duc5yQSW
ついでに言えば、ここでは猫だが、猫が女だったり黒人になったりするわけよ。
低学歴や肉体労働者を動物並みだと思ったりな。
人間だけが特別偉いという→自分に似た人間→自分が一番偉い
という差別思考の持ち主なのが判断できるのよね。
240神も仏も名無しさん:2010/09/11(土) 05:30:32 ID:jCDEm+GM
>>239
ついでに言えば、あなた最も差別思考ですよ
241神も仏も名無しさん:2010/09/11(土) 09:22:15 ID:nLKPBO0a
>>234>>235>>239
そうですね
無責任な行為ですよね
愛犬が生きてる時は私も皆様のような考えで
一切関わらないようにしてたのですが
少し心が弱くなっていたようです
すみませんでした
242宝珠愚者(代行):2010/09/11(土) 10:30:41 ID:TZv1Hz0U
>>241
私も大切な愛犬(室内犬)が高齢と病気で他界しています。
このワンチャンが死んだら、自分も生きていけないくらいに陶酔していました。
必死に看病して獣医にも足を運び・・最後は私の腕の中で息を引き取った。
さすがにその瞬間の間際は殆ど窒息状態で苦しそうでもがいており、
自分はどうすることも出来ず、ただただ声を掛けるしかできなくて見てみて涙が止らなかった。
愛犬の遺体を抱いたまま世を過ごして、翌日は職場も休ませてもらった。
そして、ペット火葬して自宅の近くに葬った。

追記:
ただし、動物が人に生まれ変わったり(その逆も然り)、
などといった見解はこの私には皆無です。
人はあくまでも人として転生を繰り返して、人生経験を積んで学んで成長していきます。
現実には「畜生道」というものは、人生における境涯(置かれた環境やその人に与えられる性質)
についてや、死後の中有(次の転生までの期間)での状態の一つであるとして、
この私は理解します。

一般的には、
仏教の「人←→動物」(或いは更に下等生命)の生まれ変わり信仰というのは、
 ・悪事を戒めるため(悪いことをすると、来世は人間になれない説く)
 ・殺生を戒めて、人間より下位の生命にも慈しみの心を持たせる
ことを目的にしたものだと思います。
243神も仏も名無しさん:2010/09/11(土) 10:42:56 ID:VpgQobdW
今日は9・11なので殺生の愚かさを東洋の知恵で解明しないといけない
http://video.google.co.jp/videoplay?docid=4326166236938823019
244神も仏も名無しさん:2010/09/11(土) 11:23:49 ID:CkeV9IUM
>>242
>・・・・見解はこの私には皆無です。
>この私は理解します。

ちゃんとこのフレーズを入れられるほど進歩してるじゃないか、宝珠。ww

良いことだww
245神も仏も名無しさん:2010/09/12(日) 19:49:59 ID:3ZLZBe3T
911はユダヤの仕業なのは周知の事実。
246神も仏も名無しさん:2010/09/12(日) 19:58:00 ID:3ZLZBe3T
>>240
分かるように説明しろよ
>>241
野良猫対策というのは猫が野良をしなくても良い社会造りの事だが勘違いしてない?
それを踏まえてググれば解決策はある。
247神も仏も名無しさん:2010/09/13(月) 04:44:29 ID:WzzsWN24
>>233
レスありがとうございます。
大好きだったのに、そうやって改められたというのは凄いですね。
自分も少しづつ改めていこうと思います。
248神も仏も名無しさん:2010/09/13(月) 05:26:42 ID:WzzsWN24
連レスすみません。
しかし複雑ですね、、、233さんなら知っていると思いますが
釣りには独特の楽しみがあります。
特に、大きな魚を釣り上げて大喜びし、心からの笑顔を見せている子供たちなどを見ると、
これはどの程度罪深いことなのだろう、と考えてしまいます。
249宝珠愚者(代行):2010/09/13(月) 09:07:50 ID:Gz/jQYfZ
>>247-248
最終的にはすべて、自己選択の過程だということでしょう。
つまり、仏教信奉者としての生き方を選択するか、
或いはそうではない、ただの一般的な意味における良いお父さんかの二つに一つです。
子供たちに直接、生きた魚との出逢いを体感してもらうといった
大自然に触れて遊ぶことを教えることも、人としてごく自然なことです。
すぐに放してあげるのであれば、許容できるように思います。

どこまですべきで、また、自分にどこまでできるのか・・・・は、
ある意味で程度問題だと思います。
私も自分に子供がいれば、山野に入ってクワガタ/カブトムシ摂りくらいは連れていくだろうと思う。
子供達に飼育の仕方を教えて、大切に面倒を見ることを体験させるでしょう。

私は、なるべく生き物には直接、虐待や殺生はしないよう気をつけたいと思っています。
完全には無理であっても・・・それが仏教の信奉精神ではないでしょうか。
250神も仏も名無しさん:2010/09/13(月) 09:50:23 ID:VTPP3WDD
日産のCMだったか、「モノより思い出」ってフレーズは秀逸だな。
251神も仏も名無しさん:2010/09/13(月) 19:11:46 ID:VwK9qs5k
>>246
>分かるように説明しろよ
失礼、が、抜けてました。
252神も仏も名無しさん:2010/09/13(月) 21:18:52 ID:bJ9FRXZM
お前ら難しい話してんな
よくわかんないけど、地球無くなったらどうなんの?
仏教でも神教でもいいから教えてくれ

↑これどう答える?
輪廻とか浄土とかはどう説明する?
253神も仏も名無しさん:2010/09/13(月) 22:05:38 ID:EwV44MWO
>>252
どっかに生まれるよ。仏教は縁起的だから、外界も知覚も自立してるわけではない。
それぞれ業にしたがって縁起するのみ。
254神も仏も名無しさん:2010/09/14(火) 10:07:44 ID:nXTFLR1R
>>252
おまえ地球がなくなるまで生きてると思ってるのかよ。wwww
255神も仏も名無しさん:2010/09/15(水) 16:59:10 ID:Gd/LjLnA
お地蔵様に物を当ててしまった場合、謝らないと罰が当たってしまいますか?
256神も仏も名無しさん:2010/09/16(木) 00:21:57 ID:FlfdOW/G
無量寿経によると、のちの阿弥陀仏である
ダルマーカラは無数劫よりも前の人物ですが、
彼は現生人類(ホモ・サピエンス)ではなかったのでしょうか。
257神も仏も名無しさん:2010/09/16(木) 01:17:09 ID:e7bWoOlT
http://jbbs.livedoor.jp/sports/4609/#1

ここに共産主義バサラというユダヤ教のヤハウェと仏教のダーマは同じであると言い張る奴がいる。
258神も仏も名無しさん:2010/09/16(木) 01:44:35 ID:e7bWoOlT
ちなみにここの
スレ建てるまでもない質問に誰かが答えるスレ
というところの
5700位からです
259神も仏も名無しさん:2010/09/18(土) 11:28:37 ID:GYoR4EUx
自宅でお勤めをするときのお経について伺います。
毎朝法華経を一部づつ読誦しています。
経典通りの順番で読んでいるので、朝から比喩品、化城諭品あたりが当たるとつらいです。
こういう時は朝晩に分けて読んだほうがいいのか、而説偈言の後だけに端折れるものなのか
教えてください。
260神も仏も名無しさん:2010/09/18(土) 11:56:46 ID:u+vG374z
>>259
偉いな、一巻読んでるってことですよね。随喜、随喜!

それで朝、読むときに仕事とかに間に合わなくなるってことですか?
それは自分の問題です。

一巻読むと決めるのもよし、実生活に合わせて適当に分けるのもよしです。

どちらにしろ、読むまえに三宝帰依、発菩提心を行って、
読むときは内容に集中し、読み終わったら一切有情の無上菩提に廻向するのがいいです。

この三つを前後につけることを強くお勧めします。
これを付ければ、もう菩薩ですよ。
本気で発心、廻向できれば、世界の導師です。随喜、随喜!
261神も仏も名無しさん:2010/09/18(土) 12:10:12 ID:bSXkHSzl
>>259
細かい事ですが、「一部」と言うと、法華経全体=二十八品全部と言う意味になります。
おそらく、二十八品を、一品づつ読んでいらっしゃるのだと思います。
非常に素晴らしい事です。

而説偈言(=同じことを偈文にして再度説こう)の後の、偈文だけを唱えても、よろしいかと思います。
それより前の散文の教説の内容をまとめたものが偈文だからです。
ただ、折角、法華経全部をお読みなのですから、端折ってしまうよりも、
時間に応じて、一品の途中で中断するような形であっても、全部を通読なさる方がよろしいかと思います。
262神も仏も名無しさん:2010/09/18(土) 13:23:57 ID:GYoR4EUx
>>260-261
一部ではなく一品ですね。言い方が解らず申し訳ありません。
お二方のお返事大変勉強になりました。
今夏は猛暑で義務のように感じながらお勤めをしていた日もありましたので、
これから心を落ち着けて読経に励みたいと思います。
どうもありがとうございました。
263神も仏も名無しさん:2010/09/18(土) 16:51:31 ID:3D2pweJf
0━1  6
   ┃  ┃  1画目(0→1)、2画目(2→3)、3画目(1→4)、
2━╋━3   4画目(2→5)、5画目(6→3)、6画目(4→7)、
┃ ┃
5  4 ━7

_─|─i_ -┼─     ─フ
  二|二!  --┼─  |│| | ̄|
  二|二    |   |│| |二|
  |三三|  \__ ノ│| フヽ
__
____ ──   ̄ ̄フ _ ヽヽ ̄ ̄フ
  /    ̄ ̄|   /     ̄|   /
  /     ノ  / \  __| / \
264神も仏も名無しさん:2010/09/21(火) 23:25:38 ID:kLcWGKnr
写経で人を殺せますか?
265神も仏も名無しさん:2010/09/22(水) 01:47:25 ID:XFyvAb2F
>>264
懺悔しましょう
266神も仏も名無しさん:2010/09/23(木) 01:23:29 ID:4jCUqh1o
回答になっていませんね
267神も仏も名無しさん:2010/09/23(木) 02:18:38 ID:rNBE2d2j
仏教は愛について、どんなことを語っているんでしょうか?
268神も仏も名無しさん:2010/09/23(木) 03:59:14 ID:pctw/cZe
>>266
そいうことを思うこと自体がよくないので、
いかに動機が悪いか自覚して懺悔しましょうという意味です。

>>267
現代語の「愛」を考えると二つの面があると思います。

まず一つは、愛着、愛欲など執着、煩悩の面です。
現代語で「愛」という場合、ほとんどがこちらの意味で考えればいいと思います。
つまり、何かを愛すというのは、それに執着しているという意味です。

もう一つは、慈愛、慈悲という功徳の面です。
こちらの意味の「愛」は極めて希だと思います。


269神も仏も名無しさん:2010/09/24(金) 00:23:47 ID:nLI1334Y
>>267
イエスが突然でてきますが「人はパンのみによって生きるにあらず」パンをは
物質全てを象徴していると俺は考えてます。
人が成長する為には心の栄養であるところの愛を受けなければ死んでしまう。
これ本当。愛が足りなければ自殺してしまう事もある。
「自分」は他人から与えられる「愛」によって作られるもので純粋にこれが自分だと
言うものは無い。これを諸法無我と言う。

受け取るばかりでも成長は無い。人の真の幸せは人を愛すること。もちろん、恋愛とは
違う。家族を愛し、友人を愛し、袖触れ合う人々を愛する。死ねば人は灰になる。
死後の世界があったとしても金も地位も持っていけない。
でも人を愛した事実だけは決して消えることは無い。そうして生きてきた人は死ぬときにも
悔いを残さない。
やがて人は灰になる。これを諸行無常と言う。

>>268
今日は鯖と鰤と鶏を食べた。自分が生きるために他者の命を犠牲にした。自分が生きるために
死んでもらわなければならない人がいる場合でも人を殺す為に懺悔が必要なのか?
270神も仏も名無しさん:2010/09/24(金) 06:41:02 ID:Wn+ZgeMd
>>269
>今日は鯖と鰤と鶏を食べた。自分が生きるために他者の命を犠牲にした。自分が生きるために
>死んでもらわなければならない人がいる場合でも人を殺す為に懺悔が必要なのか?

仏教は現象ではなく動機を重視します。
つまり、社会全体ではなく自分の意志・志が重要なのです。

そして最善でなくてもちょっとでもいい生き方を勧めます。

例えば、食べ物の場合、食べてはいけないのは、自分が食べたくて、
生き物を殺して、あるいは殺させて食べる場合です。
既に殺されているものは問題になりません。

現代人は、同じことと思うでしょうが、
仏教では同じとは考えません。

もちろん、食べる時に犠牲になった生き物を思うことはいいことです。
ベジタリアンになるのもいいことです。
ですが、ベジタリアンになったとしても、そこで犠牲になっている生き物なないわけではないのです。
単純な話、米を作るのにも多くの虫が殺されているでしょう。

しかし、我々も食べないと死んでしまうので、最小限のものをそのような犠牲を思いながら食べるべきと説かれます。
つまり、食べるのは楽しむためではなく、菩薩行を行う身体を維持するためと説かれます。

これを完全にこなしている人は少ないですが、少なくとも飽食や、活け作りなどは避けるのが仏教徒の基本だと思います。
271神も仏も名無しさん:2010/09/24(金) 09:56:57 ID:+4mzwK+p
>>270 縁起一代だろ? ちょっと聞くが、仏教には
「自分が生きていくには、多くの他の生命を犠牲にしなくてはならない。
それならば、自分が死ぬことによって多くの生命が犠牲にならずにすむ。」
→よって自殺することにより、他の多くの生命を救おう

こういう方向性はないのか?
勿論、自己が死ぬことにより、解脱できずに輪廻を繰り返すことはあるだろうが
そのような、自分ひとりの解脱よりも、他の多くの生命を優先させる  という
方向性だ。  やはり、
まず自己が解脱する。それをもって、他の未解脱、無明に苦しむものたちを
導くというようなことを良しとするのかい?
272神も仏も名無しさん:2010/09/24(金) 10:37:08 ID:y1BHV7Uz
>>271

そういう屁理屈を言う前に、まずお前が実践して手本を見せてくれなきゃな。
273神も仏も名無しさん:2010/09/24(金) 10:43:10 ID:+4mzwK+p
>>272  誰だ?お前は。
俺は仏教徒ではない。 よって実践もしていないわ。
横から下らんちゃちゃ入れるしかないバカは消えろ。
274神も仏も名無しさん:2010/09/24(金) 11:03:24 ID:Wn+ZgeMd
>>271
微妙? 生き物のために死ぬというのは玉虫の厨子で有名な捨身飼虎を始め沢山の話があります。

この要点は、他の楽のために自分の苦を顧みない、あるいは自分より他人を大切にすることです。

それと仏教の基本の一つに無害・アヒンサー、他人の傷つけないがあって、これがあらゆる行動指針の根幹になっていると思うのですが、

原始仏教では行乞して生活するのですが、食べ物が行乞で得られなければ潔く餓死しようみたいな方向があるように思います。

これはチベットの行者の伝統にもあって、最後は野垂れ死にするのが最もよいとされます。

だけど、なんというか現代日本の自殺者のように「オレが生きていてもみんなが迷惑だから死のう」というのは認められない。なぜなら、本当は苦しい今を終わらせたいいい訳、理由付けで、ホントは人のことなんて考えてないことがほとんどだと思われるから。

だから、以下は微妙、状況と動機次第でどうにもなると思う。

>「自分が生きていくには、多くの他の生命を犠牲にしなくてはならない。
>それならば、自分が死ぬことによって多くの生命が犠牲にならずにすむ。」
>→よって自殺することにより、他の多くの生命を救おう

要するに仏教の難しいとこは、心の微妙さですよ。
本当に他人のためを思って死ぬなら、それはありだけど、
ただのいい訳なら、それはなしだと思う。
275神も仏も名無しさん:2010/09/24(金) 11:05:41 ID:Wn+ZgeMd
>>272
もっとも。でも思いやりとか慈しみは、一瞬思うだけでも尊い。
そして、仏教はどんな状況でもちょっとでもいいことを選択すること、
ちょっとでもいいことをするように努めることを勧めます。

完全にできなければダメなのではなく、どんな最悪の人でも
ちょっとでもよくなるように心懸けよう。

そのためには何が善くて何が悪いか知ろうと説きます。

この善悪も自分や他人に苦しみをもたらす行為が悪です。
276神も仏も名無しさん:2010/09/24(金) 11:32:57 ID:+4mzwK+p
>>274
なるほどね。
>本当に他人のためを思って死ぬなら、それはありだけど、
ただのいい訳なら、それはなしだと思う。

仏教が、「人間と他の生命との間に差異を設けない」という認識は
俺は好きなんだよ。ww だから、当然、>>271のような問いかけも
生まれる。(これは勿論、極論であり、一種の思考実験に近いが、
仏教としては当然、それに対して回答を用意しておくべきだと考える)

『他の生命を優先して、自己の生命を絶つ』という選択肢も俺は「あり」だと
考えるね。勿論、その思考の純粋性が担保されてるという前提つきだが。
と、このように語ると必ず、「犬猫の命と人間の命を同等に扱うのか?」
と喚くバカが出てくるが、これはあくまでも現実論ではなく、メタな視点からの
認識論だから、アホは絡んでくるなよww

しかしなあ、「自殺もあり」と言うのは、お前さんくらいだぞ、縁起一代w
ほとんどの他の宗教者は、「まず第一に自殺を最大悪として、そこから語り始めるからな。」

『人間だけは特別』  このようなキリスト教徒によく見られる主張はあまり、
好かんね。  これが、ゆがんだ形になって現れると、『キリスト教徒は正しい』
みたいな方向に走っていってしまいがちだからな。
277神も仏も名無しさん:2010/09/24(金) 11:39:48 ID:+4mzwK+p
追記
「仏教議論スレ」の55の
>言語的論証ではなく、禅定中の観法によって無我・空を悟るためのものなんだけど。

これ。  これをもう少し、わかりやすく解説できないものか?
そこは中論のなかでも、最も分かりずらいとこなんだがねw
(ここで、まずいようなら、議論スレに暇なとき、あげといてくれ)
278神も仏も名無しさん:2010/09/24(金) 13:44:21 ID:Wn+ZgeMd
>>276
まったく違いを設けないわけではないですよ。
例えば、虫を殺すより動物を殺す方がよくないし、
動物を殺すより人間を殺す方がよくないし、
他人を殺すより父母を殺す方がよくないと仏教は説きます。

これは後で蒙る苦しみの違いから違いが出ます。

人間だけは特別という考えは、セム系宗教では明解ですね。

それと何が起源か分かりませんが、現代はとにかく人間が生きることが重要視されてますが、
これは色々な歪みを産みだしているように思います。

これに対して仏教はあらゆる生き物がなるべく苦しまないことを基盤にしています。
生きることはそれほど重要ではありません。

以下の石飛先生の読みは非常に鋭いと思います。
http://manikana.cocolog-nifty.com/main/2010/05/post-6b8d.html
http://hpcgi1.nifty.com/manikana/bbsnew/wforum.cgi?mode=allread&no=9179&pastlog=0012&act=past
http://homepage1.nifty.com/manikana/canon/vakkali.html

279神も仏も名無しさん:2010/09/24(金) 15:45:35 ID:+4mzwK+p
>>278 乙、  とりあえずリンクを読む
280神も仏も名無しさん:2010/09/24(金) 16:27:57 ID:xZTqs6+C
>>276
アンパンマンのスタンスだよw (主に劇場版だが・・)

彼は、今この瞬間に、目の前に、危機に瀕した者がいた時、
(特に緊急事態なれば、その一瞬を外せない時は)、自らの身を盾として(捨てて)その者を護る。
冷静に考えれば、
「もしそこでアンパンマンがいなくなったとして、今後危機が生じた時、誰が護るのか?
今後の危機に備え、未来の爲に、生き続けなければならない」
という考え方もあり得る。 だが、そうした保身の行動を彼はとらない。
今この瞬間、護らねばならないこと、者がある時、居る時、彼は躊躇無くその身を投げ出す。
なぜなら、彼の行動基盤は「他者の爲に行動する。他者(の幸せ)を護る」ことにあるから。
そして、「将来への備え」よりも、「今、この瞬間、目の前の“救い”を成す事」を第一とする。
ここで行動しないこと(≒見捨てること)は、即座に、上の基盤に反してしまうから。

菩薩行も同じだと思うよw
281神も仏も名無しさん:2010/09/24(金) 17:00:38 ID:xZTqs6+C
>>280補。

そして、余談ながら、
消防士や山岳救助隊等が抱えるジレンマにも通底していることだと思うよ。
「自分の身を護ること」と「救助に出ること」とを天秤にかけねばならないような時・・。

そしてまた、もう一つの問題を孕む。
或る行動が、大集団Aの利となる時、その行動が無ければ大集団Aの害となる時、
同時に、その行動が小集団Bの害となり、その行動を爲さないことが小集団Bの利となる時、
菩薩が採るべき行動は? というものだ。

これは、
《なぜ修行者(遊行者、比丘)が『出世間』でなければならないか》
ということと、直接的にリンクする・・。
そして、敷衍した所で、
《現代日本仏教に、なぜ問題があるのか》
ということとも密接にリンクする・・。
282神も仏も名無しさん:2010/09/24(金) 19:26:29 ID:nLI1334Y
>>278
>他人を殺すより父母を殺す方がよくないと仏教は説きます。
これは道教の考えだ。仏教では無いはずだ。
283神も仏も名無しさん:2010/09/24(金) 22:35:30 ID:q26uZ98p
TEST
284神も仏も名無しさん:2010/09/25(土) 06:01:16 ID:RKsuruqH
>>282
普通のひとからすれば仏教も道教もおんなじやろw
ハッキリ言ってどーでもいいW
ただし殺してもいいなんて洗脳を宗教がするなよ。
他人に迷惑かけなければ、信じるのは勝手だがへんな洗脳するなよ。
オームみたいに実行しないだけましだが。。。
285神も仏も名無しさん:2010/09/25(土) 09:10:47 ID:zAb0HEBk
>>284
>普通のひとからすれば仏教も道教もおんなじ

そう。
まさにその通りだ。
「普通に」日常生活を送るなら、
(→他に迷惑のかからない形で道徳・規範を守りつつ生きる上では、伝統的文化・慣習を継承していく上では)、
各宗教の個性は必要ではない。少なくとも必須ではない。
どんな宗教を(思想を)基軸にしようとも大きな違いはない。
日々が無事に過ごせればそれで良い。
「これこそが真理だ。他は誤謬だ。」といった主張や議論は、
一般の人々にとってはどうでもいいことなのだ。
「日常の諸事遂行の裏付け」となり担保するものであれば何でもいい。
『だから、人々の受け留め方、理解』は混淆したものとなる。(日本人の一般的宗教行為を見れば一目瞭然だ。)
その意味で、
『現代日本仏教を批判する意味がどれくらいあるのか?』『改革(或いは修繕)の必要などあるのか?』
といった問いには大きな力がある。
そして、「これとこれは(或る宗教と或る宗教は)違う」という主張が、どうでもいいことであるように、
「これとこれは(或る宗教と或る宗教は)同じことを言っている」という主張もまた、
日常に於いてはどうでもいいことだ。

日々に追われる一般人にとっては、(或る種の)崇高な理念なぞ「邪魔な足枷」にしか過ぎない。
下手をすると、日常の諸事遂行を阻害する害悪として受け取られる。
しかし、だからこそ、
(或る理念が、『人の生』にとって善きものである、必要である、あった方がよいものであるなら)、
足枷でない、邪魔でないものとして、諸事遂行のサポートも兼ねた理念の提示が必要だし、
「ああ、確かに、日々を過ごす上でプラスに働いている」と受け止め得るような魅力の提示が必要だ。
そしてそれは、「日常と非日常(俗と聖、現実と理想・理念)を繋ぐ」言葉の提示、姿の提示に他ならない・・。
286神も仏も名無しさん:2010/09/26(日) 04:34:20 ID:M3M9qw+k
理屈くせーなw
なんだかんだ言っても結局宗教って金儲けが目的。
特に仏教はぼったくるって有名だし評判悪いぞ。
でもまあそれで騙されてても救われる人もいるわけで
悪いとは言わない。心の弱い人の拠り所なのかもな。
287神も仏も名無しさん:2010/09/26(日) 04:45:51 ID:M3M9qw+k
>>285
確かに宗教は精神の脆い人たちにとってすがる精神安定剤になってる
のかも知れんが仏教は他のキリスト教とかに比べて
おかしいところが多い。突っ込みどころ満載だがこっちは
見逃してやってるのにあなたみたいに自信満々に説教したら
信者から嫌われて逃げられるぜ。それじゃあ双方にとってよくない。
あなたの儲けも減る。だからお互い幸せな気持ちになれるように
考えて行動しなきゃダメだよ。
288神も仏も名無しさん:2010/09/26(日) 07:14:25 ID:oHiv/BMB
>>286
そういう贋物だけしか見えない人もいるわけだ。
たしかに現代日本仏教のほとんどは贋物だろうけど。

>>287
まったく違うよ。そういうなんつうかマルクス主義を水で薄めたような
近代的常識は見てて恥ずかしい。

縁起・空・仮設こそ最も矛盾のない最高の見解。
なにせからっぽの世界だけど、現れの因果関係もきっちり説明できるものだから。
289神も仏も名無しさん:2010/09/26(日) 14:24:45 ID:Uzvo1l6g
質問です。
阿弥陀仏はキリスト教の主にあたるものなのでしょうか?
290神も仏も名無しさん:2010/09/26(日) 14:36:24 ID:ww+j6nY4
>>288
横レスだけど、仮設ってのはどういうものでしょうか。縁起や空は聞いたこと有るけど
291神も仏も名無しさん:2010/09/26(日) 14:44:49 ID:oHiv/BMB
>>289
違います。仮設されたものです。

キリスト教的なアミダ仏は、明治時代にキリスト教を手本に作られたものです。
清沢満之がその代表的作者


>>290
あらゆる現象・知覚は中身からっぽの空だけど、業と煩悩によって縁起して、
その時代とその人の習慣によって、幻影として「それ」と設定されること。
「これあらばこれあり、これなくばこれなし」という縁起・此縁性や、
『中論』24.18、『勝義空性経』はそれを言っています。

だから、本来空だけど「何か」知覚するわけです。
292神も仏も名無しさん:2010/09/26(日) 15:05:25 ID:Uzvo1l6g
僕は頭悪いから清沢満之先生の作られた仮設を信じて行きたいと思います。
南無阿弥陀仏
293神も仏も名無しさん:2010/09/27(月) 16:32:49 ID:29EJVKQB
観音和讃に観音様が昔は「正法妙如来」であり未来においては
「光明功徳仏」となる、とあります。これは一体どの経典に
書かれていることなのでしょう?検索しても全く引っかかって
来ませんでした。よろしくお願いします。
294神も仏も名無しさん:2010/09/28(火) 10:01:11 ID:rfHOhoLt
如来が菩薩になる、って
あるんですか?
295神も仏も名無しさん:2010/09/28(火) 12:34:42 ID:+3XV11Do
>>287
正論ですよね。だまされてもやさしくしてくれて
気分がよければ金払ってもいいって皆おもってますものね。
説教して自分だけ気持ちよくなっている人嫌いです。
296神も仏も名無しさん:2010/09/28(火) 12:54:41 ID:v4ZNyNzF
カルトの宣伝が最低すぎる件。
297神も仏も名無しさん:2010/09/29(水) 17:19:18 ID:S2rmo+8Q
>>294
大抵、菩薩は如来の一側面だから
立方体が正方形になる事があるか?という質問と同じ。
298神も仏も名無しさん:2010/09/29(水) 21:11:22 ID:rhKOpWDU
>>296
お前どこや?誰や?
カルトは言い過ぎやろが!コラ!
仏教は格式の高い方や!他のクソカルト宗教なんかと
一緒にするなや!まじしばくぞ!おうコラ小僧!   
299295:2010/09/29(水) 21:16:23 ID:Z6qiOUt/
なんだw
俺は仏教がカルトといってるんじゃなくて、
>>295
>だまされてもやさしくしてくれて
>気分がよければ金払ってもいいって皆おもってますものね。
がカルトの宣伝だといってるんだ?

しっかりしろ。
300296:2010/09/29(水) 21:17:27 ID:Z6qiOUt/
俺は295じゃなくて296だったw
301神も仏も名無しさん:2010/10/01(金) 22:36:11 ID:hJyFS7I8
でもまあ宗教って仏教も含めて金儲けだよな。
金を取らずに救う神はいないもん。
信者=儲けとはよくいったものだ。
ただ金に見合った安らぎがあるなら悪いことではない。
好きなアーティストのコンサートに金払って
行くのと同じようなもんだからな。
本人が納得してればいいんじゃない?
302宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/10/02(土) 06:14:54 ID:19S3l0GN
>>301
正しくは、神ご自身が要求しているのではなく、
神に司っている個々の人間たちが欲しているのです。
彼らの生活のため(当然、最低限は必要)や、私利私欲のためにです。

もう一つの意味合いとしては、これも重要なことですが、
信奉者たちに施しの心を起させて功徳を積んでもらうためです(及び、心の浄化のため)。
そのことで本人が救われていくのです。
ただし、このことをエサに利用して、神の司る者らの私欲のために布施を掲げていることもあります。
303神も仏も名無しさん:2010/10/02(土) 14:43:47 ID:SIi6lzou
 先週、駅の待合室で牛乳をのみながらユークリット幾何学の定義を暗記してい
ると、竜樹が入ってきました。私がクロワッサンを勧めると彼は手を振って、テーブルを指差し、
「君が見ているものは全て空なのだよ」と言いました。
 よく見ると竜樹の手足や顔から無数の糸が伸びていて、それは天井まで達していました。
見上げると、天井から2本の手が糸を操っていました。
「そこにいるのは誰だ?」私がたずねると、竜樹の口がパカパカとうごき、
「浄飯王の息子、ゴーダマも来ているのだよ」と、明らかに天井から声がしました。私はすかさずモップの柄で天井をつつきました。
「察しがいいね。竜樹は僕のマリオネットだよ。いいかい、君が見ているものは全てが虚仮なのだよ」
「ほほう、それなら虚仮かどうか殴ってやるから降りて来い」
そう言うと、謎の手も竜樹人形も霧のように消えてしまいました。
なるほど。私が空だったのか…
 そんな日常の1コマでした。
304神も仏も名無しさん:2010/10/02(土) 17:15:08 ID:JzCLlVHN
お釈迦様が阿弥陀様のことを説くまでは、阿弥陀様の存在は知られていなかったわけですよね?
南無阿弥陀仏という言葉も無かっただろうし、極楽に望んで生まれる人はいなかった、
過疎っていたということなんでしょうか。
305神も仏も名無しさん:2010/10/02(土) 21:52:50 ID:pjxCgKkc
>>304
仏教をどういう宗教だと思っているの?
306神も仏も名無しさん:2010/10/03(日) 00:30:03 ID:FAX6sp1Z
質問です。五時の教判は問題だと思うのですが、創価は問題なしと
言います。
「その件にかんしてはその経緯も含めて過去に何度か説明してある。
何の問題もない」
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1238144778/84-85

本当でしょうか?
307神も仏も名無しさん:2010/10/03(日) 03:50:41 ID:6wWxOgdU
法華経 過去七仏とかは、宗教的誇張というかフィクションだよな。権威付けのための
308神も仏も名無しさん:2010/10/04(月) 19:21:08 ID:7haJ0B4x
>>304
どうもこうも、浄土3部経を読んだ後に法華経を読んで疑問に思った訳でして。
ここなら詳しい方がいらっしゃると思ったのです。

>>307
やはりそういうことなんでしょうか。
17人の息子がいて・・・最後は私だの辺りなんか、ほんまかいな?と。
309神も仏も名無しさん:2010/10/04(月) 20:58:18 ID:ys5DwKhv
>>307
法華経が始めたやり方でもないし、
仏教だけのやり方でもないけどね。>過去仏による権威づけ
310神も仏も名無しさん:2010/10/06(水) 20:26:15 ID:E+GQ4p0T
同性愛者でも極楽に行けますか
311神も仏も名無しさん:2010/10/06(水) 21:21:08 ID:OmLlwJR0
>>310
行と信しだい。まずはきっちりとした師を見つけよう。
312神も仏も名無しさん:2010/10/07(木) 01:19:00 ID:yUMfxT/3
>>311
だからそういう脅しみたいなこと言うな!
だから仏教って評判悪くなってるんだぞ。
お前見たいな奴のせいで仏教は最低と誤解されてる
自覚あるか?しっかりせいよ。
313神も仏も名無しさん:2010/10/07(木) 01:44:08 ID:t5+GruB8
>>311は宗教者として、浅薄極まりない最低の回答だな。行と信、師が、何の
関係が有る?「宗教の勧誘」に過ぎないではないか。

尤も、宗教の構成要素は「脅迫と甘言による営利」だから、致し方のないこと
だが。
314神も仏も名無しさん:2010/10/07(木) 04:55:20 ID:+u9gGmj4
>>312-313
まず、この方の質問は仏教を前提にした質問でしょう。
それなら、そう答えざるえない。
仏教内で因果は外せない。

もちろん仏教を信じないなら、信じなくても結構。

浄土に行くためには行をしなくてはならない。
そのためには信が必要である。

正しい伝統を得るためには師が必要である。

以上は仏教内の見解である。けっして普遍妥当性をもっているとはいわない。

これに対して現代の常識や現代の慣習に基づく感情から云々しても仕方ないこと。
315神も仏も名無しさん:2010/10/07(木) 07:51:39 ID:h3lEVVbT
>>310 浄土三部経に基づく浄土宗の教義では、
往生極楽のためには、南無阿弥陀仏と念仏をとなえれば疑いなく往生するぞ
と思って念仏を申す外には、必要な条件はありません。
316神も仏も名無しさん:2010/10/07(木) 07:55:39 ID:h3lEVVbT
性欲というのは生理現象であり、
その人のその時の肉体の条件によって起きるだけの話。
死んで極楽浄土に生まれ変わるのは、
今の肉体が死んじゃったあとの話
317神も仏も名無しさん:2010/10/07(木) 08:42:49 ID:+u9gGmj4
>>316
そういう物理的、機械的な話じゃないんだは仏教は
行為は業として蓄積され、縁によって果に異熟すると説く。
死んでもその業の影響は持続する。
318神も仏も名無しさん:2010/10/07(木) 12:39:55 ID:h3lEVVbT
>>317
浄土系の場合、阿弥陀仏を信じて念仏すると、
過去のすべての罪業がリセットされると言われます。
毎日念仏する人は、毎日リセットボタンを押すみたいな感じ。

ちなみに、極楽浄土では性別の違いはなくなり、みんな同じ姿形の金色の肉体になり、
自分と他人を区別する感覚さえもなくなるそうです。
心が常に禅定に入っているような状態なのでしょうか。
319神も仏も名無しさん:2010/10/07(木) 13:19:20 ID:yUMfxT/3
てか仏教ってそんなめんどくさいことしないと
神は救ってくれないの?器の小さい神だなwww
そんな宗教絶対嫌だ。俺のほうが仏教の神よりは
器大きいぞw
320神も仏も名無しさん:2010/10/07(木) 14:00:01 ID:+u9gGmj4
>>318
浄土教は、信にかかってるよ。
念仏すればいいってもんじゃない。
法然さんとか親鸞さんはいいけど、近代教学は適当に頭で作り出されたものだから全然ちがう。


>>319
神が全てを創造するんじゃなくて、
行為が全てを創造するのが仏教だからね。
全て自分の行為次第。

その行為をどうすればいいかという道を示したのがブッダの教え、
つまり仏教。
321神も仏も名無しさん:2010/10/08(金) 00:06:29 ID:WGo5of3c
自ら考えず、何かに縋るって、楽ですもんねー
322神も仏も名無しさん:2010/10/08(金) 17:26:24 ID:6BW0gO3E
質問です

日蓮が比叡山で修行をしていた期間は何年でしょうか?
1242年(仁治3年)に日蓮が21歳で叡山に行き、
1253年(建長5年)に清澄寺に戻っているようなのですが、
つまりは比叡山(とその周辺)で修行していた期間は
11年間、っていうことでよいのでしょうか?
323神も仏も名無しさん:2010/10/08(金) 18:42:38 ID:wV2Xt0Tb
>>321
歴史の仏陀は
そのような生き方に
賛成していない、と思うが。
324神も仏も名無しさん:2010/10/08(金) 19:03:18 ID:JfSHg+7W
凡人は考えてもわかんないから高い知能の人に考えてもらうのがいいだろう
知能でいえば我々より劣るシャカやイエスやマホメットレベルで止まっているのは
現代人として知能の使い方を間違えている
325神も仏も名無しさん:2010/10/08(金) 20:01:00 ID:6BW0gO3E
続けて質問させてください
日蓮が法華経を釈迦の真実の教えだとした根拠は何でしょうか?

文献学的には、法華経の成立時期は釈迦入滅よりもっと後という説があるそうですが、
それはさておき、釈迦が晩年に説いたと言われていることが一つの根拠かと思います。
法華経が正法であるする立場では、ほかにどのような根拠に依拠しているのでしょうか?

議論したいわけではありません
326神も仏も名無しさん:2010/10/09(土) 07:12:26 ID:sgk/vSxd
院居士をもらうのに幾らぐらいかかるの?(東密)
327神も仏も名無しさん:2010/10/09(土) 08:56:07 ID:haXUKw1n
>>324 お前何様?w

>>知能でいえば我々より劣るシャカやイエスやマホメットレベルで止まっているのは
>>現代人として知能の使い方を間違えている

少なくともお前よりは絶対頭いい。
お前宗教立ち上げてこの三人以上に儲けられるか?
ちょっとした会社の社長レベルじゃねーぞ。
三人とも人をだまして金儲けしてるだけじゃんなんてことは言うなよ?
金儲けっていうのは少なからずそういうもんや。
詐欺でもなんでもいいからお前が一億ぐらい稼げてからもの言えやボケwww

328神も仏も名無しさん:2010/10/09(土) 09:16:14 ID:OEEYXFJg
>>327
>お前宗教立ち上げてこの三人以上に儲けられるか?

イエスは儲けてないし、最後は磔だぞ。
釈尊も儲けてない、ほとんど所有物ないしずっと裸足だった。
食事に招かれたり、土地を寄付されたことはあったが、
それはサンガのものであり、釈尊のものではない。

329神も仏も名無しさん:2010/10/09(土) 10:10:41 ID:alzbLcNp
>>325
まず、五時八経説という考え方が天台宗にあったようで、その考え方からいくと、
法華経はお釈迦様が晩年に説かれた教えだと考えるようですね。

で、「無量義経」というお経には、原文忘れたけど、
お釈迦様が悟ってから40年くらいの間は真実の教えを説いていなかった、とあるそうです。
それをふまえて考えると、法華経より前に説かれた(ということになっている)他のお経は、
法華経に導くための方便として説かれたお経であり、
お釈迦様が本当に説きたかったのは法華経だ、という思想になるようです。
そんなアホなと言いたいけどね。
お釈迦様に人生相談に来た人がいたとして、
二度とその人と会えないかもしれないのに真実を説かないとか、そんなわけないでしょう
330神も仏も名無しさん:2010/10/09(土) 10:12:17 ID:alzbLcNp
>>325 無量義経、五時説で検索するか、日蓮について検索してみればわかるのでは。
331神も仏も名無しさん:2010/10/09(土) 11:45:39 ID:l+f9vd+J
古代史に興味を持っている学生です。
日本に仏教が伝来した当初(聖徳太子の時代)の仏教って、
宗派で言えば何宗の仏教になるのでしょうか?
何宗の仏教が日本に伝来したのでしょうか?
南都六宗が伝来するかなり前のことだと思うのですが・・・。
332神も仏も名無しさん:2010/10/09(土) 15:45:57 ID:rCwSQQLQ
>>331
飛鳥時代には、三論宗系の仏法が断片的に伝来したようです。
現存最古の宗派である法相宗は、飛鳥時代にはまだ伝わっていません。
日本最初の仏法である三論宗が、今途絶えてしまっているのは残念です。
333神も仏も名無しさん:2010/10/09(土) 16:32:08 ID:hHE78iOO
>>329
>>330
ありがとうございました。
(無量義経についての文献学的な研究についても含めて)よくわかりました。
引き続き勉強します。
334331:2010/10/09(土) 20:12:22 ID:RkxjrZc3
>>332
ご回答ありがとうございます。
なるほど、三論宗だったのですか。
三論宗は平安時代初期までは続いていたようですね。最澄は「顕戒論」で三論宗に言及していますから。
ということは、平安中期以降か中世になってから途絶えたのですね。
聖徳太子の信仰した仏法が現在に残っていないとは、残念です。
335神も仏も名無しさん:2010/10/09(土) 20:23:37 ID:RkxjrZc3
>>328
>>329
無量義経にいわく「四十余年未顕真実」

五時八教の教判、十界互具、一念三千、一心三観はみな天台の教学。
日蓮はこれら天台教学を自分勝手に都合良く解釈しなおしただけ。
日蓮のオリジナルは何もなし。
336神も仏も名無しさん:2010/10/09(土) 20:26:10 ID:RkxjrZc3
↑間違えた。スマソ。

(誤)
>>328
>>329

(正)
>>325
>>329
337神も仏も名無しさん:2010/10/09(土) 20:29:53 ID:6/O1HgSP
>>334
三論宗の中心教義である竜樹の「空の思想」は、現代の大乗仏教の多くの宗派の
中心教義となっている。
338神も仏も名無しさん:2010/10/09(土) 23:53:00 ID:alzbLcNp
日蓮さんはお酒飲みすぎて体を壊したと聞いたのですが、本当でしょうか?
339神も仏も名無しさん:2010/10/10(日) 00:07:29 ID:vu+KC++q
>>338
人間なら誰でも、酒を飲みすぎれば体を壊すよw。
340神も仏も名無しさん:2010/10/10(日) 22:15:37 ID:eQOMzgis
>>338
日蓮は、大腸癌で死んだようだよ。
「腹が痛い、腹が痛い」とうめきながら、ウンコを垂れ流して、
最後は白目を剥いて絶叫して死んだそうな。
日蓮ほど悲惨(みっともない)死にかたをした祖師は居ない。
341神も仏も名無しさん:2010/10/10(日) 22:35:05 ID:YUyc2043
>>340
御釈迦さんも、チュンダが供した食事に毒が入っているのも見抜けなくて、
血便垂れ流して死んだ。

似たようなものだ。
342326:2010/10/11(月) 02:25:44 ID:ZPiaN+l6
真面目に聞いているのですが、誰も答えてくれないのは何故??
343神も仏も名無しさん:2010/10/11(月) 02:56:48 ID:goe0nH3j
>340
>341

341のチュンダの提供したキノコが釈尊が亡くなる機縁になったことは確かだ
ろうが、それ以外は全くのデタラメ。
特に340の脳内はオウムの麻原以上に腐敗してますな。
344神も仏も名無しさん:2010/10/11(月) 03:29:23 ID:ycmG4qrL
荒行で死ぬことは、あまり珍しくないそうですがニュースにもならないそうですね?
武道やスポーツでのしごきで死んだ場合、責任者が追求されますよね?
誰も、手が出せない場所なんでしょうか?
345神も仏も名無しさん:2010/10/11(月) 06:37:41 ID:9ekhVnBk
>>344
ほんとうかどうか知りませんが、本人も自覚してやってることならいいのではないでしょうか?
例えば、私がもし篭もっている途中で、何らかの原因で死んだとしても全く悔いはありません。

西洋流の現代倫理は、とにかく生きることが目的とされ、病院以外での突然死が罪悪のように言われますが、仏教の立場では全くそんなことはありません。
346神も仏も名無しさん:2010/10/11(月) 07:43:49 ID:V8tPLwbf
人間(というか、生きとし生けるもの皆)の死亡率は100%。
どんな生き物でも、いつか、必ず死ななければならない運命にある。
西洋では、死は恐怖で、死から、死の恐怖から逃れることに必死になっている。
しかし仏法では、死は涅槃の境地。

生しか認めないのが西洋。
生も死も認めるのが仏法。

だと思う・・・。
347神も仏も名無しさん:2010/10/11(月) 08:37:24 ID:ycmG4qrL
そういえば仏教は、キリスト教ほど自殺を悪いこととは、しないという説もありましたね。
もっとも、これは以前ここで書いたら否定的な答えが来ましたが
348神も仏も名無しさん:2010/10/11(月) 09:32:43 ID:AnEFjbbM
基本的な質問で、すみません。
うちのお仏壇のご本尊は、阿弥陀様です。
そのお仏壇の中に、ご本尊の阿弥陀様と同時にお不動様や毘沙門天様のお札を入れて(祭って)も、問題ありませんか?
349神も仏も名無しさん:2010/10/11(月) 09:38:17 ID:9ekhVnBk
>>348
仏教一般では全く問題ありません。
ただし真宗では問題かもしれません。
350神も仏も名無しさん:2010/10/11(月) 17:07:31 ID:o8UfT7f7
>>347
仏教最低だな。なるほど。
そういえば数年前職場で新人をいじめて、うつ病にさせて
自殺未遂まで追い込んでクビになった奴がいたが
たぶんそいつ仏教だったと思う。
仏教信者って相手の気持ち考えない人がすごく多いのは
そのためか。そういう教えはやめてほしい。
351神も仏も名無しさん:2010/10/11(月) 17:58:40 ID:/N1njdXd
>>350
あほか?
347が言っているのは、「仏教では、自殺をすることは、宗教的な悪ではない」と言っているだけだろ。
どこをどう読んだら、「他人をいじめて自殺に追い込んでいい」と読めるんだ?w
352神も仏も名無しさん:2010/10/11(月) 20:32:49 ID:o8UfT7f7
仏教信者は人をいじめる人が多いのは事実。
少なくとも俺のまわりはひどい奴ばかりだ。
353神も仏も名無しさん:2010/10/11(月) 21:21:49 ID:9ekhVnBk
>>352
それは酷い話だ。その仏教信者は何を信じてるの?
因みに日蓮系は仏教じゃないから。

それとその例は、例外なんじゃないかな?
普遍妥当性がないと、無限定に仏教信者は人をいじめる人が多いとはいえないよ。

しかしながら、仏教が野蛮を穏和に変えてきたのは歴史的事実。
アショカ王、カニシカ王、石勒を代表とする南北朝時代の蛮族、
6〜9世紀チベット、チンギスハンに代表されるモンゴルなどなど。
354神も仏も名無しさん:2010/10/11(月) 23:30:29 ID:PlrngHkL
>351 比丘(出家者)が守るべき戒律の中でも最も重いのは、破ると教団追放になる罪(波羅夷)です。
その中に、絶人命戒というのがあります。内容は下記:
いずれの比丘といえども、故意に人体の生命を奪うならば、
あるいはそのために刀を持つ者を求め、あるいは死の美を讃嘆し、あるいは死を勧めて、
「拙、男子、この悪しく苦しき生は、汝にとって何の用ぞ。死は、汝にとって生より勝るべし」
と、心に思惟し、心に思念し、種々の方便をもって死の美を讃嘆し、あるいは死を勧めるならば、
これはまた波羅夷にして、共に住すべからざるなり。

〜つまり、坊主は人に自殺を勧めたら、坊主をクビになるのです。
355神も仏も名無しさん:2010/10/11(月) 23:38:37 ID:PlrngHkL
しかし、最高の悟り(阿羅漢果)を得た比丘が自殺したときに、釈尊は責めはせず、
むしろ、生への執着を捨て去ったその悟りの境地を誉めています。
仏教では、坊主が自殺を他人に勧めるのは禁止だが、悟った人が自殺するのは責めない。
なお、悟ってない人が自殺したとしても輪廻してしまうと考えるなら、
自殺せず今の修行を継続するほうがマシ。
356神も仏も名無しさん:2010/10/11(月) 23:44:25 ID:PlrngHkL
>>350 仏教では慈(怒らずいつくしむ)、悲(他人の悩み苦しみを取り除こうとする)、
喜(他人の幸せをよろこぶ)の心をもつことも修行(善)だと考えます。
もし、仏教徒で他人をいじめる人がいるなら、その人は仏道がヘタクソな仏教徒。
野球ファンでも野球下手な人がいるように、仏教ファンでも仏教実践が下手くそな人はいます。
357神も仏も名無しさん:2010/10/12(火) 09:59:53 ID:LIhk4deZ
最近文庫化された「チベットの生と死の書」って
仏教的におすすめな内容なんでしょうか。
358神も仏も名無しさん:2010/10/12(火) 11:09:43 ID:mm7mfB6D
>>357
すごくいいです。文庫化されたんですね。
359神も仏も名無しさん:2010/10/13(水) 04:12:31 ID:nv4CUojE
>>357
チベット仏教は「日本の仏教」ではない。日本人が読むべき本ではない。

麻原は、チベット仏教に影響された。チベット仏教に嵌った宗教学者中沢新一は、
「オウムの精神的指導者」として厳しく批判されている。
360神も仏も名無しさん:2010/10/13(水) 09:06:17 ID:D9L/D8h6
隠居わっかりやすいなあ
361:2010/10/13(水) 14:26:02 ID:t4mf6p3H

原典訳 チベット死者の書
訳者  川崎信定    発行所 筑摩書房

バルドゥ(中有界)から生まれ変わる時の様子について!

 ↓ 130ページ

もし男性として生まれる時は自分自身が男性であるとの思いが現われる!
そして交歓する父母の父に対しては激しい敵意を生じ
母に対しては嫉妬と愛着を生ずる思いを持つであろう!

もし女性として生まれる時は自分自身が女性であるとの思いが現われる!
そして交歓する父母の母に対して激しい羨望と嫉妬を生じ
父に対しては激しい愛着と渇仰の気持ちを生ずるであろう!
362:2010/10/13(水) 14:33:56 ID:t4mf6p3H

>>357様と  >>358様へ!

チベットの生と死の書 (講談社プラスアルファ文庫) [文庫] (2010/9/21)
ソギャル・リンポチェ (著), 大迫 正弘 (翻訳), 三浦 順子 (翻訳)

 ↑ この書籍の事かな?

   今度、読んで観ます!
363絶対神:2010/10/13(水) 14:39:37 ID:6MmFCyfg
>>356
仏教徒であろうがイスラム教徒であろうがキリスト教徒であろうが

      『苛める人は普通に苛めると思いますよ』

信仰の有無、種類は関係ありません

>>355
そもそも、「自殺」を防げないような最高の悟りなんて欲しくないです
どのような宗教も

      「生きて道を切り開く為に必要なだけなので」
釈迦というものは、宗教を誤解しているのではないでしょうか?
輪廻や悟りなどというあてにならないものを根拠にして自殺を肯定する
のなら、余り、現代にあっていないんじゃないかな?

日蓮系は、「立派な日本仏教の一派」ですよ
寧ろ、日蓮系を否定しては、日本仏教は成り立たないんじゃないかな?
364:2010/10/13(水) 14:58:36 ID:t4mf6p3H

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新アジア仏教史〈01〉仏教出現の背景―インド1 (新アジア仏教史 1 インド1) [単行本]
奈良 康明 (編集), 下田 正弘 (編集)

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沖本 克己 (編集), 福田 洋一 (編集)
365神も仏も名無しさん:2010/10/13(水) 22:48:33 ID:IDIcGH9I
即身仏や荒行での死は防げない自殺とは違うよね?
まぁ、否定も肯定もしないけど
日蓮系も先祖供養とか創価の教義とか輪廻っぽくない?
366神も仏も名無しさん:2010/10/14(木) 01:24:19 ID:NaMdHXU0
>>363 阿羅漢の悟りを得た出家者で、不治の病にかかり、
肉体的な苦痛が激しい場合に、自殺したっていいのです。
この場合は、自殺と言っても、極めて冷静で明るい気持ちであり、
悩みや迷いや心の混乱や怒り悲しみがない自殺なのです。
出家しているから家族を養う義務もないし。
悟っているから、まぁどうせ死ぬんだからと冷静で、生への執着がないのです。
367:2010/10/15(金) 10:30:54 ID:p/5RJHfA


  ☆  チベットについて  おすすめの書籍  ☆


原典訳 チベットの死者の書(こころの本)
川崎信定(翻訳)(1989/05)


新アジア仏教史〈09〉須弥山の仏教世界―
チベット(新アジア仏教史9チベット)(2010/04)


チベットの生と死の書 (講談社プラスアルファ文庫)
ソギャル・リンポチェ (著), 大迫 正弘 (翻訳), 三浦 順子 (翻訳)(文庫 - 2010/9/21)
368神も仏も名無しさん:2010/10/15(金) 10:41:33 ID:zQvujgjL
絶対神に一理有り。別に信仰が有るからと言って人間の性悪根性が悔い改まるなんてありえない…というか、弱者が強者に対抗する武器を手に入れたように凶暴化する場合もある
369神も仏も名無しさん:2010/10/15(金) 10:45:40 ID:zQvujgjL
世間じゃ、やれテーラワーダだのチベットだのキリストだの、騒いどるが日本人として生まれちまった以上日本人は日本の仏教なり神道にしか救いを得られない…でも、それさえアテにゃならん。黄色い猿が白人並みにキリスト教徒にゃなれん。たいていヤナ奴ばかり
370神も仏も名無しさん:2010/10/15(金) 10:47:57 ID:zQvujgjL
だから…南無妙法蓮華経しかねぇんだよ…別に俺創価やそれ系の邪宗徒とは無関係だがな
371:2010/10/15(金) 11:11:48 ID:p/5RJHfA

チベットの生と死の書(講談社プラスアルファ文庫)(文庫 - 2010/9/21)
ソギャル・リンポチェ(著),大迫正弘(翻訳),三浦順子(翻訳)   669ページ

男女が性の営みを行っていると
バルドゥ(死んでから次に生まれるまでの状態の意識)が
沢山、集まって来る

バルドゥ(死んでから次に生まれるまでの状態の意識)は
生まれ変わる為の絆を持つ事を望んでいる

沢山、集まって来るバルドゥに対して
どのバルドゥとの絆が結ばれるかは
カルマによって決まる
372:2010/10/15(金) 12:21:37 ID:p/5RJHfA

チベットの生と死の書(講談社プラスアルファ文庫)(文庫 - 2010/9/21)
ソギャル・リンポチェ(著),大迫正弘(翻訳),三浦順子(翻訳)   587ページ

@元素、感覚、思考などが、分解消滅した後、死のプロセスは頂点を極める。
  そこでは、究極の心の本質が、<根源の光明>が、束の間、姿を現す。

A心の本質の輝きが解き放たれ、音、色、光となって、しばらくの間、輝き出る。

Bやがて死者の意識は、ふたたび目覚め、再生のバルドゥに入ってゆく。
  通常の心が、戻って来て、人は、ふたたび意成身としての身体を得る。

 − − −

意成身とは
  肉体を伴わない
  意識から出来た
  霊的な身体の事である

慢が残っている場合は
渇愛(タンハー)によって
意成身が形成される
373:2010/10/15(金) 12:23:10 ID:p/5RJHfA

ブッダのことば パーリ仏典入門  片山一良(2008/06)  151ページ

世界の成立

世界が破壊する時に、
生きる者達の、ほとんどが、光、音、天に転生する。

意から成る者、
喜びを食べる者、
自ら光を放つ者、
空中を行く者、
清浄に留まる者として、
永く、長時に渡って留まる。
374神も仏も名無しさん:2010/10/15(金) 12:37:46 ID:nfb3VG69
>>373
原始仏教は、キリスト教と同じく、終末論、黙示思想なのですか。

これは、精神医学では「世界没落体験」と呼び、統合失調症の
典型的症状。オカルト宗教に過ぎません。
375神も仏も名無しさん:2010/10/15(金) 14:55:31 ID:zQvujgjL
日本、中国、韓国、タイ、ミャンマー、スリランカ…どこにも悟ったヤツなんていないじゃん?いるならもう大量の解脱者がいるはず?こはいかに?今は末法どころか「法滅」の時代と考えてよい…上座部的意味合いではね…
376神も仏も名無しさん:2010/10/15(金) 14:59:28 ID:zQvujgjL
だいたい釈迦の悟りをナメすぎだよ…釈迦の悟りは天と地がひっくり返って、火山大噴火、海の水蒸発…恐竜が叫び、百万億の神々が狂喜乱舞するようなもの
377神も仏も名無しさん:2010/10/15(金) 15:04:50 ID:zQvujgjL
三十二相八十種好相もちて、その身功徳に光り輝き、あたかも動く黄金の山のごとし。人間が悟っても目糞鼻糞。釈迦が悟って桃源郷。人間には理解できない境地…
378神も仏も名無しさん:2010/10/15(金) 17:26:16 ID:HL7x3aLN
>>373
お前も在家と一緒か。
「世起経」のとこだろ?
ちゃんと、(「破壊と生成」というインドの世界観に則って)、世界の生成についても引用されてるだろ?

片方しか孫引きしない理由は何だい?
(ま、別に両方引用したからと言って何が変わるわけでもないが、
 こういう引用の仕方には疑心暗鬼になっててねw 裏があるんじゃないかと思うわけさw)
379神も仏も名無しさん:2010/10/15(金) 23:00:10 ID:RP4K6ioe
国訳一切経 経集部8〜11巻の中で
地獄の中の様子について詳しく描写されている所をお知りの方がいらっしゃいましたら、何箇所か教えていただけないでしょうか
380神も仏も名無しさん:2010/10/15(金) 23:19:12 ID:HL7x3aLN
ネットで読めるトコ
ttp://www.archive.org/details/kokuyakuissaiky548800uoft
ttp://www.archive.org/details/kokuyakuissaiky558800uoft
ttp://www.archive.org/details/kokuyakuissaiky568800uoft
ttp://www.archive.org/details/kokuyakuissaiky578800uoft

第 8巻 正法念処経〔1〕
第 9巻 正法念処経〔2〕
第10巻 正法念処経〔3〕
第11巻 正法念処経〔4〕/大乗同性経

で、この辺じゃね?
ttp://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php
Search word : "正法念処経 地獄品" : Including related character : 正法念處経 地獄品 正法念処經 地獄品 正法念處經 地獄品
2 hits : 1 --- [ keyword count ] : 10
正法念處經 (No. 0721) 0027a16 - 0027a16: 正法念處經地獄品第三之一 [show] (5 hits)
正法念處經 (No. 0721) 0091a20 - 0091a20: 正法念處經卷第十五地獄品竟 [show] (5 hits)

Search word : "正法念処経 地獄" : Including related character : 正法念處経 地獄 正法念処經 地獄 正法念處經 地獄
21 hits : 1 --- [ keyword count ] : 282
381神も仏も名無しさん:2010/10/16(土) 00:13:22 ID:U4ndR4T7
>379
地獄・極楽などありません。脅迫と甘言で入信させるための、仏典の嘘八百です。

宗教の基本とは「虚偽の脅迫と甘言による営利」です。くれぐれも、騙されない
ように。
382神も仏も名無しさん:2010/10/16(土) 08:23:09 ID:sq5UoPDo
質問です。
日蓮と天台宗からの弾圧について

日蓮の生前は、日蓮の活動・教えは天台から弾圧を受けていたのでしょうか?
弾圧されていたとしたらそれはなぜでしょうか?
鎌倉仏教の中で日蓮はとりわけ、天台の教義を引き継いでいたように思うのですが。
(もちろん、天台は新勢力・自分と異なる教えを常に弾圧していた節がありますね)

たとえば念仏も天台の四宗兼学に入っていましたが、専修念仏は天台から弾圧されました。
それを考えると法華経のみを取り上げる日蓮も弾圧されたと考えてしかるべきでしょうか?

日蓮配流などは時の幕府から危険視されたとのことですが、この裏には天台の圧力があったのですか?
鎌倉幕府は臨済宗を保護していたようですが、やはり幕府内にも各宗派とつながる人がいたようです。
その中でも天台人脈が強く、そのコネクションが強く影響したということもあるのでしょうか?
383神も仏も名無しさん:2010/10/16(土) 08:35:05 ID:o8sclJEN
>>382
歴史的事実関係は分からないけど、
伝統的な師を認めず、
見解として日蓮は融和的な『法華経』を誤解して排他的にしたり、
我を中心とする排他的ナショナリズム思想を持ち込んだりしているので、
新興宗教であって伝統仏教ではないです。
384神も仏も名無しさん:2010/10/16(土) 08:38:03 ID:wL0LHtvu
>>382 日蓮さんは、教義うんぬん以前に、行動がカルトすぎるからでは?
今で言えば、総理大臣に会いに言って、
「国民が私の教えを信じなければ、この国に災いが訪れてます」
とうったえるんですからね。
385神も仏も名無しさん:2010/10/16(土) 08:50:06 ID:o8sclJEN
>>384
その行動も非仏教的な我意識から始まるナショナリズムと
『法華経』を誤読した排他性を原理としているからでしょう。
386神も仏も名無しさん:2010/10/16(土) 09:27:46 ID:sq5UoPDo
日蓮関係のことについては熱心なレスがつくのですねw

以下は鎌倉仏教の各宗派と弾圧についての私の見解です。
日本達磨宗は天台の弾圧を直に受けた。
臨済宗は教義を折衷的にすることで正面からの対立を避けた。
曹洞宗は教義を折衷的にせずに、権力からなるべく遠ざかることで天台と対立しないようにした。
浄土宗・浄土真宗は天台と天台と政治権力(背景には天台があるはず)からの弾圧をもろに受けた。

さてそこで日蓮。
鎮護国家的な仏教から見れば、時の権力者に国を安泰にするための意見を言うことは
おかしなことなのだろうか、という疑問がひとつ。ただ、当時の日蓮のポジションで
意見を言うのはどうなのか、内容がストイックじゃないのか、
そういう点を考えれば、幕府側から危険視されるのは当然なのだろうか。

鎌倉仏教の中でも後発の日蓮の時代には、すでに念仏は普及し、禅もそこそこ広まり
鎌倉幕府は臨済宗を保護、権力者の中には浄土(真)宗や曹洞宗に帰依する人もいた。
当時の各宗派の勢力を考えれば「念仏や禅をやめさせなきゃだめだ」という意見は、
鎌倉幕府にしてはもはや無理な意見だったのかも。

気になるのは日蓮に対する天台側の対応です。
日蓮は天台の教義をかなりの範囲で引き継いでいるように思うからです。
日蓮なりのアレンジが加えられていますが、ほかの開祖と比較してかなり天台臭がする。

でも今 Wikipedia を見てて思ったのは、
すでに天台宗が弾圧をできるほどの力を持っていなかったのでは、ということ。
松葉ヶ谷法難
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E8%91%89%E3%83%B6%E8%B0%B7#.E6.9D.BE.E8.91.89.E3.83.B6.E8.B0.B7.E6.B3.95.E9.9B.A3
387:2010/10/16(土) 14:09:09 ID:xK80QaH/

>>374  様へ
> 原始仏教は、キリスト教と同じく、終末論、黙示思想なのですか。

 ↑ 仏教は、業報輪廻思想だと、私は、解釈しています


> これは、精神医学では「世界没落体験」と呼び、
> 統合失調症の典型的症状。オカルト宗教に過ぎません。

 ↑ 私、個人に限って言えば、私は、
   世界没落体験の統合失調症の典型的症状である
   のかもしれません
388:2010/10/16(土) 14:19:44 ID:xK80QaH/

>>375  様へ
> 日本、中国、韓国、タイ、ミャンマー、スリランカ…
> どこにも悟ったヤツなんていないじゃん
> いるならもう大量の解脱者がいるはず

  ☆  ウィキペディア参照  ☆
中阿含経などに説かれた、【三十七道品(さんじゅうしちどうほん)】
@ 四念住(四念処)四種の観想
A 四正断(四正勤)四つの努力
B 四神足(四如意足)四つの自在力
C 五根、五つの能力
D 五力、五つの行動力
E 七覚支、存在を観察する際に、心の状態に応じた注意と方法
F 八正道

 − − −

【三十七道品(さんじゅうしちどうほん)】の修行などによって
解脱が出来ると、私は考えています
389:2010/10/16(土) 14:55:49 ID:xK80QaH/

>>378  様へ
> 「世起経」のとこだろ?
> ちゃんと、(「破壊と生成」というインドの世界観に則って)、
> 世界の生成についても引用されてるだろ?

 ↑ はい、その通りです。
    世界の生成について記述して有ります。

> 片方しか孫引きしない理由は何だい?

チベットの生と死の書   587ページ
心の本質の輝きが解き放たれ、音、色、光となって、しばらくの間、輝き出る。

ブッダのことば パーリ仏典入門   151ページ
生きる者達の、ほとんどが、光、音、天に転生する。

 − − −

光とか、色とか、音などの事を、特に、強調したっかったのです。
390:2010/10/16(土) 15:16:10 ID:xK80QaH/

チベットの生と死の書   587ページ
心の本質の輝きが解き放たれ、音、色、光となって、しばらくの間、輝き出る。

ブッダのことば パーリ仏典入門   151ページ
生きる者達の、ほとんどが、光、音、天に転生する。

 − − −

人が死ぬ時に、
慢が残っている場合は、
渇愛(タンハー)によって、
意から成る者として、
意成身が形成される。

光とか、色とか、音などが形成される。
391神も仏も名無しさん:2010/10/16(土) 20:06:43 ID:v434uxvf

>>390
>心の本質の輝きが解き放たれ、音、色、光となって、しばらくの間、輝き出る。

危篤時における身体の生理的変化に起因する「幻覚」。まだ死んでいる訳ではなく、
また心も関係ない。あくまで身体の生理的現象。
392神も仏も名無しさん:2010/10/17(日) 04:15:41 ID:c1/fPudb
仏教って、宗派が違うとかなり違いますね?
「光明真言」「念仏」「題目」
本尊は「大日如来」「阿弥陀如来」
キリスト教以上に
393真言・念仏・禅は謗法邪宗:2010/10/17(日) 20:55:31 ID:bhE5zqpR
「真言・念仏・禅」の邪宗が多い理由。まず、邪義「真言」が、なぜ広まったのか。
それは、像法の末に伝教(最澄)が「法華経最第一」を確立した「後」に、
空海(弘法)によって伝来したからである。

つまり、天台・伝教の破折を「まぬかれている」のだ。

伝教(最澄)が南都六宗の邪義を破った後に、空海(弘法)によって伝来した真言が、
後に天台宗の人々が真言に「籠絡されていく落とし穴」となってしまった。

真言は、天台の一念三千の法を「盗み入れて」自宗の極理となし、「真言宗は天台宗と
法理の次元では同じだが、天台宗にない印と真言という事相があるから勝れている」
との邪義を立てた。その策略にかかり、天台宗を真言へとおとしめてしまったのが
比叡山第3代座主の「慈覚(円仁)」である。

伝教が一生の闘争で確立した「法華経最第一」の原則を崩し、「理同事勝」の邪義を唱え、
天台宗の真言密教化に踏み切ってしまった慈覚が、謗法の端緒を開く元凶となった。
さらに、慈覚の弟子「安然」は、禅宗を促し、「恵心」は、念仏を広める役割をした。

高徳・碩学と仰がれた慈覚が、後世の安然や恵心の邪義を引き出す呼び水になったのだ。
法をより深くむしばむ害虫は、他宗ではなく正法を護るべき天台宗の中にいた。
(よって現在の天台宗は、慈覚・安然・恵心の謗法を引継ぐ邪宗・謗法宗である)

そして、謗法に毒された人々を救うため、末法悪世の変革のために、次々と起こる
大難・迫害に命がけで戦い勝ち越えてきた、末法における妙法流布の法華経の行者が
日蓮である。謗法の人々も今は法華経を誹謗しているが、亡国・亡身の危機に直面した
とき、一切の仏寺・一切の神寺を捨てて、「南無妙法蓮華経」と唱えるようになるだろう。


(※よく誤解されるのでことわっておきますが、私はどの宗教団体とも一切関係ないです)


394日蓮は教義泥棒:2010/10/17(日) 21:43:17 ID:hVbHvPx1
>>393
天台宗の五時八教の教判、十界互具、一念三千、一心三観の教義を盗んで、自分の都合の良いように勝手に解釈したのが、糞坊主の日蓮大盗人。

それに「南無妙法蓮華経」は、天台宗の十方念仏で唱えておる。1200年前から天台で唱えておる。 ただ、日蓮のように、キチガイみたいに連呼しないだけ。日蓮の教義は、すべて天台から盗んだもの。 日蓮の宗旨に日蓮のオリジナル教義はどこにもない。
395神も仏も名無しさん:2010/10/17(日) 22:02:15 ID:+BPWdW8v
>>394
日蓮は麻原そっくりだと思うが、
本人は密教・念仏化した天台を本来の形に復古したと主張している
396神も仏も名無しさん:2010/10/17(日) 22:13:20 ID:NM3fTlJl
>>395
創唱宗教の開祖に「オリジナル」などあるのかね。

例えば、釈迦も、六師外道の思想の寄せ集め。イエスも旧約からの借り物が
ほとんど。イエスがオリジナルと思っているものは、ほとんどが誤り。専ら
「権威」に依存したがるのが、宗教の本質。
397神も仏も名無しさん:2010/10/17(日) 22:33:45 ID:+BPWdW8v
>>396
はいはい、『岩波辞典』勝手読みの哀れむべき君
398神も仏も名無しさん:2010/10/17(日) 23:40:35 ID:x2WF2RQs
>>393 先に日本に帰っていた最澄は、遅れて帰国してきた空海に、
密教を教えてくれって頼んだけど断られたんですよね。
つまり、最澄も密教を否定していない。
まぁどっちにせよ、現在では、法華経が偽経だというのは天台宗や日蓮宗などの坊さんも、
普通に仏教学の知識として知ってるはず。
399神も仏も名無しさん:2010/10/17(日) 23:46:27 ID:gt4sJpni
もう歴史なんてどうでもいいじゃない
400神も仏も名無しさん:2010/10/17(日) 23:55:52 ID:x2WF2RQs
日蓮は、自分がお山の大将になりたかっただけの野心家で、
当時流行っていた念仏宗を誹謗しつつ、
口で題目を唱えるだけの簡単な修行スタイルをパクった。
自分大好き他宗は邪宗呼ばわり。
晩年は酒飲みすぎて体壊し、臨終のときには念仏唱えて死んだ。
401神も仏も名無しさん:2010/10/18(月) 04:57:37 ID:7Cg86NcV
>>380
本当にレスが遅くなって申し訳ない
ネット上で読めるところまで教えて頂きまして、ありがとうございました
402神も仏も名無しさん:2010/10/18(月) 05:56:16 ID:KKzGHBT1
>>398
そういう実在論に基づいては仏教の本質は分からない
403神も仏も名無しさん:2010/10/18(月) 07:51:18 ID:SG6qq6lf
>>402 法華経盲信は仏教ではない。
404神も仏も名無しさん:2010/10/18(月) 10:33:49 ID:KKzGHBT1
>>403
別に法華門徒ではないが、実在論に立つ限り縁起・空・仮設という仏教の本質は分からない。


405神も仏も名無しさん:2010/10/18(月) 20:36:53 ID:jtcuU3f6
真言・念仏・禅は謗法邪宗君は、天台宗スレで、コテンパンに論破されておるよw
406神も仏も名無しさん:2010/10/18(月) 21:04:51 ID:KKzGHBT1
>>405
そりゃ当然。日蓮は仏教じゃないから
407神も仏も名無しさん:2010/10/19(火) 00:33:33 ID:eseXBpON
従兄弟が癌と診断されて足がガサガサで見るからにそれらしい状態だった物が
加持祈祷によって癌が最初から無かった事に、誤診という結果になりました。

しかし日本、社会、世界を平和にしようと何万人もの人が祈ってるんですよね。
しかし、世界的に情勢は悪化の一途。ヨーロッパでもネオリベが幅を利かせ中国も
外国のM&Aから守るのに必死、わが国に至っては目を覆わんばかりです。

結局仏って意味あるんですかね?
408神も仏も名無しさん:2010/10/19(火) 01:01:31 ID:eseXBpON
以上から察するに仏は自分の都合の良い人間に対しては個人的なメリットをもたらす。
決して他人を救おうなんて願いは聞き入れない。つまり支配者であり暴君である。
409神も仏も名無しさん:2010/10/19(火) 01:23:18 ID:Xj8DRvrl
>>407
あるかボケw
仏教よりキリスト教の法が共感得れる。
410神も仏も名無しさん:2010/10/19(火) 01:27:14 ID:eseXBpON
>>409
人をボケ呼ばわりとはさぞかし偉いんでしょうね。
左の頬を打たれてたらだって?キリスト教が共感できる?言ってる事とやってる事が
バラバラ
411神も仏も名無しさん:2010/10/19(火) 01:48:21 ID:k4ktr2JP
>>393
歴史を勉強しようね。
日蓮の盲信者ははずかしい。
最澄は空海に弟子入りしている。
それに、空海の下に送った弟子に帰ってきてほしいあまり、
「法華一乗は、真言一乗に劣るものではないから帰ってきてほしい」
と哀願する手紙を送っている。
だいたい、日蓮は像法の時代に「末法の世に釈迦の法華経は
効力がない」と大嘘をついて衆生に正しい法華経を捨て
させようとした、最大の謗法者。
412神も仏も名無しさん:2010/10/19(火) 02:34:08 ID:sppjXhld
坐禅は神秘主義ですか
413神も仏も名無しさん:2010/10/19(火) 06:27:30 ID:HkoLpK/U
>>412
違います。しかしながら、禅系はいろいろな流れがあるので、
神秘主義というか三昧のみで終わってる流れもあるようです。
それは間違い。
414神も仏も名無しさん:2010/10/19(火) 12:28:39 ID:JRlQ+rzW
>>407 仏教は、執着を離れて悩み苦しみをなくす教え。
守るべきものは何もないと思えたら、平安に生きて平安に死ねる。
415:2010/10/19(火) 14:39:39 ID:BIu+PTuG

>>391 様へ

ブッダのことば パーリ仏典入門  片山一良(2008/06)  151ページ

世界が破壊する時に、生きる者達の、ほとんどが、光、音、天に転生する。

長い時間が経過して、
世界が成立する時、
生きる者達の、ほとんどが、光、音、天の身から没し、
人間などの状態としてやって来る。

彼等は、ここで、
意から成る者、喜びを食べる者、自ら光を放つ者、空中を行く者、
清浄に留まる者として、永く、長時に渡って留まる。

 − − −

この、光、色、音、天などが、
意成身(意から成る者)である
と私は、解釈しています。
416:2010/10/19(火) 14:47:42 ID:BIu+PTuG

怪奇!心霊映像集 闇に浮かぶ光体…これが‘オーブ’だ!
貸出開始日 2009/05/01
収録時間 87分
メーカー CVC

 − − −

この動画に撮影されている、【人の顔の形をした オーブ】は

光とか、色とか、音(振動)などによって

赤外線モードのビデオ・カメラで撮影される


電気の+(プラス)と  電気の−(マイナス)と
中有身(死んでから次に生まれるまでの状態の意識)によって
【人の顔の形をした オーブ】が、形成されるかも?
417:2010/10/19(火) 14:56:37 ID:BIu+PTuG

瑜伽師地論(ゆがしじろん)

人が死ぬ時に、
慢が残っている場合は、
過去の長い間の経験により、蓄積された、
我愛が現起して、その力に、促(うなが)されて、
自己に愛着し、無始の時、以来、続いて来た、執着された、戯論と善悪業によって、
中有身(死んでから次に生まれるまでの状態の意識)が形成される。

その、
中有身(死んでから次に生まれるまでの状態の意識)が、
次に、生まれるべき処を、求めて、母胎に入り、

ここで、父母の、精子と卵子が、結合する時に、

中有身(死んでから次に生まれるまでの状態の意識)が、
滅すると同時に、生有が生じて、
一切種子たる、阿頼耶識(あらやしき)が、結合して、
胎児を形成して、出生に至るのである。
418神も仏も名無しさん:2010/10/20(水) 19:11:05 ID:zmMTGI8P
坐禅と瞑想は、どう違うのですか?
坐禅は目を開け、瞑想は目を閉じるとか
瞑想は何か考えてもいいのでしょうか?
419神も仏も名無しさん:2010/10/20(水) 20:17:01 ID:fNohNPZk
仏教徒は何故、仏教の教えを何の疑いもなく信じられるの?
天上天下唯我独尊の話とかはさすがに信じてないよね?
こんな馬鹿馬鹿しい話が平気で出てくるような仏教を信じられないんだけど。
信者さんは仏教無しで生きていくことはできないの?
信仰がなくても今の生活と何も変わらないと思うよ
むしろ仏教にああしろ、こうしろと言われることがなくなるわけだから
快適な生活が送れると思うんだけどな
批判的なことを長々と書いたけど、
宗教を信仰することはもうこの世にいない人間の意思が自分を操るようで
俺は滅茶苦茶怖く感じるんだよ・・・
420神も仏も名無しさん:2010/10/20(水) 20:32:58 ID:oazIcghv
>>419
仏陀の神話なんか仏教の教えとは無関係だから
421神も仏も名無しさん:2010/10/20(水) 20:36:47 ID:bf5t8g12
>>418
瞑想って言葉は、あまり意味が決まってないからよく分からず使われる。
仏教用語では修習という言葉が相当する。
修習とは馴らすこと、訓練すること、習慣付けることを意味する。

坐禅というのは、本来精神集中を意味する三昧、禅定の意味。
これは修習の一つ。

ただし、禅という言葉で修習も含む色々な意味を表すのが禅宗の使い方。

だから、意味は余り決まってない、それぞれの文脈で判断するしかない。
422神も仏も名無しさん:2010/10/20(水) 20:38:24 ID:bf5t8g12
>>419
自由に生きてると思ってる人はただ本能とか業に流されてるだけってことが分からないんだよね。

まあ、お互い様で、それぞれの生き方を尊重しましょうよ。
423神も仏も名無しさん:2010/10/20(水) 21:01:45 ID:QYba990H
>>422
「業」って何だ。「業報」のことか。

そんな考えは、古代人はともかく、現代人には尊重できない。「脅迫」だからだ。
424釣りにマジレス カコイイ!!(・∀・):2010/10/20(水) 21:16:19 ID:7AVZNs/f
>>419
>何故、仏教の教えを何の疑いもなく信じられるの?
仏教と言っても幅広いから、多種多様だと思うけど、

・先祖供養をする(両親祖父母等を敬う)
 → 一般的道徳観に同じ
・善き後生(浄土/よりよい来世)が説かれるから。そのことにより、緩和・慰撫されるから。
 → 一般的な種々の向上(幸せを願うこと)と同じベクトル
・自己の精神安定や調整、或いは鍛錬、或いは向上、等に資すると考えられるから。
 → 坐禅や念仏、各種行など、或いは日々過ごすに際しての指針・後ろ盾・支え・人生訓として見れるから
・他者に、利や幸がもたらされんと願う・行動することが推奨されるから。
 →一般的道徳観と近似
・他者の害・苦となることが誡められるから。
 → 一般的道徳観に同じ
・善いことをし、悪いことをしないようにと説かれるから。
 → 一般的道徳観に同じ
・行為には必ず果がある(自業自得)ことの実感があるから。
 → 日々の様々な行為の果の観察通りだから
・縁起という考え方への理解・納得があるから。
 → およそあらゆること、
   「心の動き」「人間関係」「諸々の物理的事象・諸々の事柄の変容・変遷」等に、それが見出せるから
・そうした(下二つのような)「説かれたこと」(おしえ)の根幹が、その通りだと理解・納得できるから。

って感じじゃないかね。 仏教という幅を網羅できてるかは知らんが・・。

>何の疑いもなく
上の条項で言えば、下に行くほどその要素が強いわけだが、(文中にある如く)
「理解、納得するから」だよ。「疑いなく」ではなく、「疑いが消えて」ということさ。
勿論、「家で代々そうしてきたから」と、惰性的に法要等を遂行してゆく時には、
「(吟味考察なく)疑いなく」ということになるだろうが、
それは、仏教というより、既に「文化的慣習」として受け止められているからでしかない。
そこには、(もはや)【貴方が指摘・批判するような】信仰はありませんよw
425神も仏も名無しさん:2010/10/20(水) 21:43:12 ID:7AVZNs/f
>>420
>>421に補足。

421にある通り、「坐禅」も「瞑想」も、その意味するところの幅はとてつもなく広いです。
「瞑想」に至っては、所謂宗教的なものだけでなく、武道やスポーツの世界ともリンクしていきます。
最大公約数的に言えば、
《心を落ち着けて、鎮めること》、とでもなりましょうか。そのあとで、
・「神を感じる為」だったり ・「何かに集中してゆく準備段階」だったり
・「その鎮まったままの状態の維持」が目指されたり、 と様々な方向性を持つでしょう。

「坐禅」は、仏教という枠の中のことですが、それでも、上記のようなリンクを妨げません。
また、健康法としてのものまで含めた「ヨーガ」の領域とは大きく関係しています。
主に421のようなことですが、最大公約数的に言っても大きく二つの方向があります。
上記「瞑想」のように
《呼吸を調え、心の動き回ることを鎮め、心の反応を極限まで落とす》ことです。(最終的には、反応ゼロまでもっていくことですが。)
もう一つは、逆に
《呼吸を整え、心の動き回ることを鎮め、心の反応を小さくし、或る一つの事柄・対象に意識を集中させる》 というものです。
どちらも、(ヨーガの伝統の上でも)正統とされると思います。
そして、同じように、そのあと、
・「古人の言行を吟味・頷いてゆく」とか ・「心を静めることによる精神安定、回復、癒し」とか
・「心の鎮まりの維持自体を目的とする」とか ・「自身の身体、心の在り様を観察する」とか
方向性が色々あるわけです。
日本での一般的に言われる禅は、前者ならば「精神安定、或いは鎮まりの維持」が主流でしょう。(ざっくり言うと曹洞禅?)
後者ならば「集中、観察、考察、底力の蓄積・回復」といった感じになりましょうか・・。(臨済や、現上座部風といった感じでしょうか?
(チベットや、瑜伽行派とか、中後期インド大乗でどうなのかは421さんに聞いてくださいw)
426神も仏も名無しさん:2010/10/20(水) 22:27:03 ID:7AVZNs/f
あ、今見たらアンカー思いっきりズレてるな・・w
>>425>>418へ。

申し訳ありませんでした。 m(_ _)m

お詫びついでに、更に補足しますと、
目を閉じるかどうかは、その系譜の源泉によるのではないかと(私はw)思ってます。
キリスト教等始め西洋宗教や仏教外の、瞑想を体系内に有するものに於いては、
閉じる伝統でしょう。「他のことを排し、一心に想う・念(おも)う為に」、「そのことの象徴的形式でもあるが故に」・・。
仏教やヨーガの系譜では、(禅では半眼と言ったりしますが)、
閉じるというのは、それ自体が既に「意図的な」「作為的な」行為となるので、
そうした力や思い・意識さえも掛けない、「(無駄な力の無い)自然な状態」をよしとするので、閉じないわけです。
ただ、人間は視覚に絶大な依拠をしているので、その刺激の入力を避けるため、
仏教、禅の指導の中でも、目を閉じさせることはありえます。
(多くの、瞑想の形の中、目を閉じるものが多いのは、この辺によるのかもしれません。
 そして、「瞑想」だけでなく「坐禅」に於いても、「一般的なイメージ」は〈目を閉じる〉というものかもしれません。)
427神も仏も名無しさん:2010/10/20(水) 22:44:11 ID:zmMTGI8P
どうもですm(_ _ )m
428神も仏も名無しさん:2010/10/21(木) 04:26:11 ID:KjvOHx7f
>>419 仏教の基本は、四諦(したい)です。次の四つの諦(真実)のことです。
苦諦(生きることは苦しい)、
集諦(苦しみには原因がある)、
滅諦(原因を消せば苦しみも消える)、
道諦(苦しみの原因を消す方法)。
ひらたく言うと、煩悩があるから悩み苦しむ、
煩悩をなくしたり制御すれば、悩み苦しみをなくしたり制御できるという理屈。
仏教徒の私は、その理屈に納得して「なるほど!」と思えたので、
四諦を発見したお釈迦様を尊敬しています。
429神も仏も名無しさん:2010/10/21(木) 04:28:23 ID:LYov5Gz1
禅定
430神も仏も名無しさん:2010/10/21(木) 04:29:49 ID:KjvOHx7f
>>419 仏教には色んな教えや色んな宗派がありますが、すべて、
悩み苦しみの原因を消したり制御するものです。
その方法は、対処療法的なものや、一時的に悩み苦しみを軽減する程度のものから、
煩悩を根本的になくす(つまり悟る)ための訓練方法まであります。
431神も仏も名無しさん:2010/10/21(木) 04:41:28 ID:KjvOHx7f
>>419 病気になってうろたえたり、病気を受け入れられない人は多い。
仏教では、2500年前から、生まれたら病気になるのはあたりまえと言ってる。
普段から心の準備をしてるかしてないかで、やはり違うと思う。
432:2010/10/23(土) 14:32:24 ID:QTJDc3q5

>>419 様へ

もし仮に、
赤外線モードのビデオ・カメラで、

電気の+(プラス)と  電気の−(マイナス)と
中有身(死んでから次に生まれるまでの状態の意識)によって
【人の顔の形をした オーブ】が撮影できるとしたら如何、考えますか?

@もし仮に【中有身】が存在しても、今、生きている人に対して、何も影響は無い。

A守護霊なら、今、生きている人に対して、良い影響が有る。

B未成仏霊なら、今、生きている人に対して、悪い影響が有る。

私は、AとBの【影響が有る】と考えています。
433:2010/10/23(土) 14:46:58 ID:QTJDc3q5

仏陀の真実の教えを説く〈上〉阿含経講義  桐山靖雄(著)  244〜245ページ

雑阿含経   仙尼経

 「私(ブッダ)の弟子の中にも、
  説法の真義が理解できず、
  慢の我執を起こす者がいる。

  正しく高い智慧を獲得するのは、難しいので、
  正しく高い智慧を獲得していない場合は、
  慢を断ち切る事が出来ない。

  慢を断ち切る事が出来ない場合は、
  今の生が終わり、五蘊(五陰)が離散しても、
  陰と与に相続する。

  私(ブッダ)は、
  真理を悟れなかった弟子に対して
  あの者は、こういう処に生まれると説くのである。」
434神も仏も名無しさん:2010/10/25(月) 22:02:40 ID:tIA6LkXf
白隠慧鶴と臨済義玄の思想で共通点と相違点を教えてください
特に見性をどう捉えるかについて知りたいです
435神も仏も名無しさん:2010/10/28(木) 12:04:04 ID:nye1ZDuH
五蘊の受想行識というのがいまいちよくわかりません。
例えば、リンゴを見て食べたいと思うのは、分析するとどうなるの?

受──リンゴを見る。光が眼に入り、視覚情報が脳内に入力される
想──赤い、丸い、艶があるなどのクオリア・りんごと判断
行──食べたいなあという衝動
識──「俺今りんご食べたいって思ってる」と自分の心を認識

こんな感じ?
436神も仏も名無しさん:2010/10/28(木) 12:17:08 ID:tx4/JS9r
>>435
五蘊は、認識論的に分類されたわけではなく、
三昧によって消えていく順に分類されたのではないかと思います。

認識論的分類は、18界の方でしょう。
六感覚器官、その対象、その認識と。
437神も仏も名無しさん:2010/10/28(木) 12:21:17 ID:CWxlK1Yh
>>435 だいたいそんな感じではないでしょうか。
識には、記憶されている概念や認識も含まれますよね。
識も色も、受・想・行を通さないと存在を確認できないんですね。
438神も仏も名無しさん:2010/10/28(木) 12:28:21 ID:tx4/JS9r
>>437
いやいや、五蘊の識は判断・認識だけで、記憶や概念はないよ。
439神も仏も名無しさん:2010/10/28(木) 12:59:12 ID:CWxlK1Yh
>>438 そうでしたっけ?
ところで、色と識の間でのキャッチボールがされているのが受想行だと考えるのはどう?
440神も仏も名無しさん:2010/10/28(木) 14:10:57 ID:tx4/JS9r
>>439
認識論的には十八界で考え、十二縁起で捉えるのが王道だと思います。
441sage:2010/10/28(木) 19:22:52 ID:XGmZJzsZ
マハーシ瞑想センターに比丘出家を考えているものです。
現在、テーラワーダ仏教協会の瞑想会に定期的に参加しています。半年たって、
自分の人生は、上座などに捧げたいと思うようになりました。
不景気や、病気での通院も、それを後押ししている事実があります。

自分はお寺の子供でもなく、仏教などまったくわかりません。
今から準備するとして、どういったことをすればよろしいでしょうか?

今出家したいといっても、スマラサーナ長老は、猛攻撃してくるでしょう。
はずかしいやら、怖いやら、相談できずにいます・・・・・・。
442神も仏も名無しさん:2010/10/28(木) 19:57:29 ID:tx4/JS9r
>>441
まず、テーラワーダで出家するなら、ビルマがいいと思います。

そこで、日本に来ているビルマの高僧などに先ず、会って色々話を聞き、
その上で、ビルマに実際に行ってあらかじめ聞いたよさげなお寺に行ってみるのがよいと思います。

その中で、この方に就きたいという高僧の元で出家するのがよいと思います。

いずれにしろ早急に決めず、一年ぐらい検討し、高僧に相談して、
それでも気持ちが揺らがないなら、出家すればいいと思います。

一年ぐらい現地の僧たちと生活すれば、どのようなことをするのか、
自分ができるかどうかかなり見えてくると思いますよ。
443sage:2010/10/28(木) 20:07:45 ID:XGmZJzsZ
>442
自分の考えでは、テキストなどでできる限り勉強して、マハーシ瞑想センター
に比丘出家して、ビルマ語や、英語、生活などに慣れた後、ほかの寺をめぐる
ことを考えています。

にしざわ、というお坊様は、そうやって習得されたそうです。タイのおちあい、と
いうお坊様に、手紙を送ろうとおもっています。

名前はいいませんが、お坊様を決して悪くいいませんが、イスラム教の方などに、怒り狂う姿は、ついて
いけません。慈悲であるとか、心の平安を目指す自分には理解できないだけかも
しれません。
444神も仏も名無しさん:2010/10/28(木) 20:16:42 ID:aBU6yKXv
445神も仏も名無しさん:2010/10/28(木) 20:34:13 ID:tx4/JS9r
>>443
それなら、無理にとはいいませんが、日本でビルマ仏教の関係者に会ってみてはどうでしょう。
446神も仏も名無しさん:2010/10/28(木) 20:45:22 ID:aBU6yKXv
>>436
>三昧によって消えていく順に分類されたのではないかと

なるほど、興味深い。
出典はある? それとも、実地?(被指導も含め)
 *(多くは、それこそ「生起する順」といった類だが、
  (十二縁起に於ける)流転と還滅みたいなもんか・・?w
 *(「原始仏教研究法に基づく五蘊説の考察」(村上真完/H19)で、
  順序のことに少し触れてるが、そうした方向のものは示唆されてないね。)
447sage:2010/10/28(木) 22:03:18 ID:FMQ4KKLI
>>444
その北九州の方とは話したことはあります。出家したい、とは言い出せませんでした。
調べた情報では、そのパゴタの方も、にしざわ様も、最初は、ビルマのマハーシ瞑想センター
がベストだと考えておられるそうです。

>>445
日本のビルマの高僧のかたを探すつもりです。やはり焦ってはいけません。
やれないことをやろうとしてはいけません。仏陀を冒涜するような真似は
できません。
ですが、恐れていては、結果、死ぬときに後悔します。そういう人生だけ
は送りたくありません。
448神も仏も名無しさん:2010/10/28(木) 22:42:09 ID:CWxlK1Yh
アラナ精舎の関西ダンマサークルに参加すれば、ウ・コーサラ・西澤長老に会えるでしょう。
449神も仏も名無しさん:2010/10/29(金) 00:09:17 ID:VBj3oiLr
功徳を積みたいのですが、
一人でできることはどんな事があるでしょう?

布施の功徳は積ませてもらっています。
なかなか正しい布施の心を作るのは難しいですが。


自分は他人との一般的な関わりに乏しく人に対しての布施をしにくいので、
一人で満足のできる布施、与える事は何があるのでしょうか?

どうかお知恵をお貸しください。
450sage:2010/10/29(金) 00:53:31 ID:mNv4l2rq
>>449

自分が幸せになることです。そうすれば、他の人も幸せになると思います。
宗教というより、小学校で習うような、道徳の授業のような感覚で、功徳
を積むように、自分は気をつけています。
451神も仏も名無しさん:2010/10/29(金) 00:55:57 ID:3pweFwBx
>>449
たとえば、道を歩いていてゴミを見つけたら、拾って近くのゴミ箱に捨てる。
たぶん、幾つも思いついてはいるのでしょう。
だから、「布施」ということなのでしょう。
(六波羅蜜の一つでもあるから、必須の義務と感じてるのかもしれませんが・・)

一人でできる布施はありありません。(少なくとも神仏(像)へのお供え以外では・・。)
貴方自身書いてるように、「布施」とは「与える」ことです。「差し出す」「提供する」ことです。
他者なくして成立するものではありません。
勿論、「何を」の部分には様々なものがあります。
金品・現物は一番分かり易いですが、「楽しみ」「喜び」もそうです。「安堵・安楽」もそうです。
「安らぎ・癒し」もそうです。「安心感」もそうです。「希望」もそうです。「夢」もそうです。
「知識」もそうです。「おしえ(お経・仏法)」もそうです。
しかしながら、与える相手あってこその布施です。こればかりはどうにもなりません。
強いて言うならば、「社会貢献」等が当たるとも言えますが、(或いは街頭演説・辻説法?w)、
それでも、他者を介さずに、その分野・領域で何事かを爲し得るかは聊か疑問です。
 ※一行目も、そうすることにより、「その姿が、他者にとっての何がしかの契機となる」とか
  「その行為により、少しでも道が街が綺麗になり、気持ちのいい空間を与えることになる」
  と考えられないこともないですが・・・。
452神も仏も名無しさん:2010/10/29(金) 05:46:44 ID:0NoKKKTZ
>>446
例えば『小空経』それからアビダルマで、無色定では色蘊は消えてるでしょ。
それから想滅定では想蘊が消える。

そして縁起観などで識蘊が破壊される。

行蘊はカルマだから、最終的に残り続ける。

村上先生のそれは読んだけど、忘れちゃった。
453神も仏も名無しさん:2010/10/29(金) 05:53:35 ID:0NoKKKTZ
>>449
布施も素晴らしい。随喜と廻向が簡単で効果的です。

随喜は他人の善行に共感することです。
例えば、高僧が法を説く、誰かが生き物の命を救う、親切にするなどの行為に共感して素晴らしいと思うこと。
これが純粋に共感できると、その他人と同じ功徳と積めると説かれます。

廻向は、布施にしろ随喜にしろあらゆる善行を行った功徳を、あらゆる生き物に振り向けると思うことです。

それとあらゆる行為のまえに、すべての生き物が悟って幸せになりますようにという菩提心を起こすことも重要です。

以上の三つが完全にできれば、それはもう功徳円満でしょう。
454449:2010/10/29(金) 11:28:34 ID:VBj3oiLr
皆様ありがとうございます。

自分が一人で行ってることは
お寺や災害地などに金銭の布施、先祖や無縁仏に対しての読経、
功徳の回向などです。


施餓鬼供養ばかりしていたので、生きた生命に対しての関わり方が
わからなくなりました(笑)


自分が幸せになる、自分をいたわることも周りのすべての生命の幸せに繋がる。

心掛けます。


金銭だけではなく、安らぎや楽しさ、知識を与えることも布施になる。

心掛けます。

功徳を積んだら、積む前に、すべての生命に対して回向する。
心掛けます。


お知恵をお貸しくださりありがとうございました。
455神も仏も名無しさん:2010/10/29(金) 12:57:30 ID:0NoKKKTZ
>>454
素晴らしい! 随喜いたします。
456神も仏も名無しさん:2010/10/29(金) 20:07:15 ID:3pweFwBx
>>452
> >>446
> 例えば『小空経』それからアビダルマで、無色定では色蘊は消えてるでしょ。
> それから想滅定では想蘊が消える。
なるほど。やはり禅定の進捗とリンクということね。
> そして縁起観などで識蘊が破壊される。
なるほど。 で、観により(縁起の現観により)漏尽智へ、と。
> 行蘊はカルマだから、最終的に残り続ける。
で、持戒し、阿羅漢としてふさわしく在り続けることで(生きることで)清算して
(或いは、その分の業果は甘受しつつ生き)、般涅槃、と。

こんな感じかな?

> 村上先生のそれは読んだけど、忘れちゃった。
論題間違っちゃったけど、チニにあるよ。
(ま、その一節は「順序に、稀だが異同がある」「他教との類似が見られる」というだけだけどw。)
論題訂正w 「原始仏教研究法の検討に基づく五蘊説の考察」(村上真完/H19)
続編もあるね。(内容は(界 dhAtu )との関連だけど。)
457神も仏も名無しさん:2010/10/30(土) 13:37:03 ID:X/3hYQxo
11月レース開催のお知らせ!〜

毎月70名〜90名が集まる一月かぎりのオナ禁レースです
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458神も仏も名無しさん:2010/10/30(土) 17:58:43 ID:IyYUnvvQ
>>456
そんなかんじかな。

ども〜。村上先生の論文はもち。落としてますよ。
459神も仏も名無しさん:2010/10/31(日) 02:13:29 ID:U3l1X2Ie
ビンラディンン氏にはまだまだ及ばない。
460:2010/11/01(月) 17:14:14 ID:8W38lVIL

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461神も仏も名無しさん:2010/11/03(水) 10:32:53 ID:nIdx0QNA
釈迦は、座禅して呼吸に気をつけたからブッダになれたのでしょうか
462神も仏も名無しさん:2010/11/03(水) 20:11:02 ID:YEnDmcY5
>>461
違います。呼吸法とかプラーナは初心者の行です。
仏教徒は止観によって悟ります。
止とは精神集中、三昧をいいます。
その精神集中状態で、心の動きを観て縁起観などで無我を悟ることから悟りますが、これだけではアルハットになります。

ブッダになるためには菩提心を起こして普賢行によって資糧を積んで一切智者にならなければなりません。

463神も仏も名無しさん:2010/11/03(水) 22:51:10 ID:Qpr+fCr6
仏教は性善説ですか?性悪説ですか?
僕はどっちでもないと思うのですが。
464神も仏も名無しさん:2010/11/03(水) 23:03:59 ID:YEnDmcY5
>>463
性善説ですね。如来蔵、本性清浄、自性清浄
465神も仏も名無しさん:2010/11/03(水) 23:19:01 ID:Qpr+fCr6
>>464
そうなんですか。
ちなみに仏教での善悪の概念はどういったものなんでしょうか。
466神も仏も名無しさん:2010/11/03(水) 23:52:55 ID:pGaQbqKj
>>465
善:自身の楽・喜びとなること、楽・喜びを生じせしめるようなこと。向上に資すること。
   他の害とならないこと。 ( 他=他者、社会 / 害=迷惑、悲しみ・不安・虞・憂い・苦悩、苦 )
   *(解脱・涅槃(悟り)に資すること、増進させること。)
悪:自身の苦・憂いとなること、苦・憂いを生じせしめるようなこと。堕落に導くようなこと。
   他の利となること。 ( 利=利益、喜び・幸せ・満足・安心、楽 )
   *(解脱・涅槃(悟り)に資さないこと、妨げること。)


>>464
こういうとこにも違いが出るなw
同じ性善説でも、私が真っ先に浮かんだのは、
「布薩に於ける自己申告」とか「沈黙による肯定」とかだったわw
(もっとも、若干「性善説寄り」というだけで、基本的には『不定』のものだとは思うけど・・。)
467神も仏も名無しさん:2010/11/04(木) 01:23:48 ID:+gOCcy1X
>>466
その「善悪」の定義は、抽象語・観念語が多く、「循環論法」であり、定義にはなっていない。どの経典にある定義ですか。

私は、善悪を、次の通り定義する。

「善とは、自他の生存を助ける行為。悪とは、自他の生存を害する行為」。
468神も仏も名無しさん:2010/11/04(木) 06:20:25 ID:toYpxCVm
>>465

>>466 を補足すると、行為の結果として楽しい感覚を味わう行為が善。

で、どういう行為かというと、他者を害さず利すること。

具体的には十善戒が例となります、つまり、殺さず生かす、盗まず施す、淫せず潔癖、嘘をつかず誠実に話すことなどです。

以上の逆が悪。どちらも現象が主ではなく動機が主であること。
つまり、現象的に善に見えても動機が偽善なら、悪だということ。


>>466
そりゃ、大乗と小乗の違いだね。オイラは大乗中心に考えてるから。
469神も仏も名無しさん:2010/11/04(木) 07:50:35 ID:X48R3uVh
>>468
補足乙。

>末行
なるほどねw (小乗という謂いは別にしてw)
昔からその傾向はあるから、さもありなん、か。 (>>464にある語に対する反射的反応も含めてw)
「自未得度先度他」なんて言葉もあるが、「できていない者に何ができるのか?」と。
(哲板で近い話があったなw 社会貢献、働きかけの流れで。)
できていない、解っていない者に(自己に)何ができるのか?と。
 *(これは、今もやはり、大きく、常に自戒・自問し続けるべきことだと思ってることだし、
  464にあるような語が、「空教」への危険性と同様、「短絡的性善説(短絡的自己肯定)」になってはならない、と。)

けどまあ、そんなワシでも、(向こうで誰かさん相手に大乗小乗の話にもなったがw)、
《あんな辞書的(歴史的)意味》wとは別に、想う所がないでもない。

「できていない自分」、「至らない自分」は確かにあるだろう。 殆どの者がそうであろう。
しかし、だからこそ(未達未熟な自分だからこそ)、
だからこそ、「善に努め、利他に努めること」が大切だし、大乗的なのだろう、と。
《この【だからこそ】の部分が、「〈真に〉大乗仏教の特色」(…大いなる「自負」)》と言うべきなのだろう、と・・・。
470神も仏も名無しさん:2010/11/04(木) 07:58:57 ID:+ovJC9Ss
>>465 仏教の善悪とは、
善は悟り(解脱)に向かう方向性、逆に、悪は悟りから遠ざかる方向性。
471:2010/11/04(木) 10:19:50 ID:lTj5JDRi

>>461 様へ
> 釈迦は、座禅して呼吸に気をつけたからブッダになれたのでしょうか


  ☆  呼吸法について  おすすめの書籍  ☆

釈尊の呼吸法―大安般守意経に学ぶ
村木 弘昌 (著)  (単行本 - 2001/12)
472:2010/11/04(木) 10:25:18 ID:lTj5JDRi

  ☆  ウィキペディア参照  ☆

プラーナ、プラナとは本来、
サンスクリットで呼吸、息吹などを意味する言葉。
日本では気息と訳されることが多い。

インド哲学に於いては、
同時に人間存在の構成要素の一つである風の元素をも意味している。
そして生き物 (すなわち息物) の生命力そのものとされ、
やがてその存在はアートマンの根拠にまで高められた。

なお、ユダヤ教神秘主義(カバラ)やカトリックではこれに対応する概念として、
息吹を意味する「ルーハ」でがあるが、
これはプラーナと同じく命・霊・風をも意味し
「神から分割された生命の本質」や「マクロコスモス=神」に対応する
「ミクロコスモス=個人」というブラフマン≒アートマン概念とも対応する。
473:2010/11/04(木) 10:28:36 ID:lTj5JDRi

新アジア仏教史〈05〉文明・文化の交差点―中央アジア
(新アジア仏教史 5 中央アジア)
奈良 康明 (編集), 石井 公成 (編集)

佼成出版社  2010/10

  ☆  287ページ  ☆

禅観とは、坐禅の中で何らかの対象を観ずる修行法の事であり、
仏教における重要な実践法の一つである。

坐禅中に自らの呼吸に注意を向ける事によって
散乱する心を静める持息念などは、
原始仏典に既に言及されてよく知られている。

 − − −

 ↑ 特に呼吸法は重要である
   と私は考えています。
474:2010/11/04(木) 10:41:43 ID:lTj5JDRi

  ☆  ウィキペディア参照  ☆

止観とは

仏教の瞑想のことである。
サンスクリットごから
「奢摩他(サマタ)・毘鉢舎那(ビバシャナ)」と音訳されることもある。

明確には禅という用語は梵語の音写である禅那(ゼンナ)を縮めたものであり
定(じょう)・静慮と訳され、
仏教での位置づけと
一般的な意味としての「禅」との理解とはずれが存在する。

仏教では瞑想を「止」と「観」の二つに大別する。

止(サマタ瞑想)とは、
心の動揺をとどめて本源の真理に住することである。

観(ヴィパッサナー瞑想)とは、
不動の心が智慧のはたらきとなって、事物を真理に即して正しく観察することである。
止は禅定に当たり、観は智慧に相当している。

「止」だけでなく「観」を重視するところに、仏教の瞑想法の特徴がある。
475:2010/11/04(木) 10:53:06 ID:lTj5JDRi

心の動揺をとどめて本源の真理に住する
止(奢摩他)に対応する呼吸法

不動の心が智慧のはたらきとなって、
事物を真理に即して正しく観察する
観(毘鉢舎那)に対応する呼吸法

止(奢摩他)と観(毘鉢舎那)の
それぞれに対応した呼吸法が有る

と私は考えています。
476神も仏も名無しさん:2010/11/04(木) 10:53:21 ID:+VZpthON
>>467
「善とは、自他の生存を助ける行為。悪とは、自他の生存を害する行為」

とありますが、人・動物は生きているものを殺して食べる以外は生きていけませんよね。
だから、「いただきます」というのは命をいただきますという意味でもあります。
でも、どんな悪人でもあなたにお任せしますとくる人に仏さんは許しを与える。
だから、悪人ほど、罪の多い人ほど御浄土にいける。
と、いうような話を聞きました。
その宗派とはまた違うのですね。
無知ですいません。ちょっと聞きかじっただけの話だったのですが、とても印象深くて。
477:2010/11/04(木) 11:08:43 ID:lTj5JDRi

  ☆  ウィキペディア参照  ☆

中阿含経などに説かれた【三十七道品】

@四念住(四念処)四種の観想
A四正断(四正勤)四つの努力
B四神足(四如意足)四つの自在力
C五根、五つの能力
D五力、五つの行動力
E七覚支、存在を観察する際に、心の状態に応じた注意と方法
F八正道

 − − −

 ↑ 中阿含経などに説かれた【三十七道品】と、呼吸法は
   特に重要である
   と私は考えています。
478神も仏も名無しさん:2010/11/04(木) 11:13:08 ID:toYpxCVm
>>476
>とありますが、人・動物は生きているものを殺して食べる以外は生きていけませんよね。
>だから、「いただきます」というのは命をいただきますという意味でもあります。

どんな他を傷つける行為にして完全に止められなくてもなるべく避けることが重要です。

>でも、どんな悪人でもあなたにお任せしますとくる人に仏さんは許しを与える。
>だから、悪人ほど、罪の多い人ほど御浄土にいける。

それは浄土真宗の悪人正機説です。これは真宗内部でも、信仰が固まった人にだけ授けられた教義で、近代になって誤解されて広まったものです。
つまり、特別な段階に達した人のためのものです。

仏教の基本は、善因楽果悪因苦果の業報、縁起です。
479神も仏も名無しさん:2010/11/04(木) 11:15:00 ID:toYpxCVm
>>477
変な物いろいろ読まないで、水野『要語』ダライラマ『智慧の眼』パユットー『仏法』だけ10回ぐらいよんでください。


480:2010/11/04(木) 11:24:04 ID:lTj5JDRi

 ↓ 新アジア仏教史〈03〉インド3  奈良康明  317〜318ページ

◎シャーリプトラが実践する【不断の法観】
  初禅、第二禅、第三禅、第四禅、
  空無辺処、識無辺処、無所有処、悲想悲悲想処という
  一連の精神的な深まり経て、究極的精神集中状態である
  感受過程も表象作用も暫時的に尽く完全抑止状態となる
  【想受滅(滅尽定)】に入る

 − − −

 ↓ アビダンマ講義シリーズ〈第2巻〉心の分析―ブッダの実践心理学
    アルボムッレ スマナサーラ (著)   302ページ

滅尽定以外の禅定は
仏教以外の禅定です
(バラモン教などの)

 − − −

 ↑ 仏教以外(バラモン教など)の悲想悲悲想処までの瞑想も
   【滅尽定】以降の瞑想も
   それぞれの瞑想に対応した呼吸法が重要である
   と私は考えています。
481神も仏も名無しさん:2010/11/04(木) 11:35:13 ID:+VZpthON
確かに悪人正機といっていました。
「善因楽果悪因苦果」というのは
善い事をすれとば報われ、悪い事をすれば苦労するという解釈でいいのでしょうか?
幼稚な文ですみません。
とても素晴らしいと思いますが、何を善としてなにを悪とするかですね。
蚊は遊びで人の血を吸うわけではありませんが、私たちは殺虫剤で殺しますね。
それも悪でしょうか?
雑草は遊び半分で生えるわけではありませんが、景観がという理由でお寺や神社でも
草刈りをしたり、畑でも人間にとって都合のいいものは育てるけど雑草は刈りますね。
別に屁理屈を言うつもりはないのですが、それくらいはしょうがないというものでしょうか?
善い事というのは仏様に奉仕することでしょうか?
人に奉仕することでしょうか?
もし、人に奉仕することの方が善だとすれば、お経を唱えるより奉仕活動・納税等のほうが
善因ということにはならないでしょうか?
神に奉仕するほうが善だとするならば、真面目に働いてお布施する民間人より
仕事をせずに納税もせず、お経を唱えているだけの人のほうが善いということに
なってしまいませんか?

まったく、荒らすつもりはありません。
長文失礼しました。

482:2010/11/04(木) 11:37:44 ID:lTj5JDRi

  ☆  おすすめの書籍  ☆

新アジア仏教史〈01〉仏教出現の背景―インド1 (新アジア仏教史 1 インド1)
奈良 康明 (編集), 下田 正弘 (編集) (単行本 - 2010/4)

新アジア仏教史〈02〉仏教の形成と展開―インド2 (新アジア仏教史 2 インド2)
奈良 康明 (編集), 下田 正弘 (編集) (単行本 - 2010/10)

新アジア仏教史〈03〉仏典からみた仏教世界―インド3 (新アジア仏教史 3 インド3)
奈良 康明 (編集), 下田 正弘 (編集) (単行本 - 2010/7)

釈尊の呼吸法―大安般守意経に学ぶ
村木 弘昌 (著)  (単行本 - 2001/12)

仏教要語の基礎知識   水野 弘元 (単行本 - 2006/1)

ダライ・ラマ智慧の眼をひらく - 単行本 (2001/7)   ダライ・ラマ14世テンジン・ギャツォ 菅沼 晃

仏法―テーラワーダ仏教の叡智 - 単行本 (2008/2/25)   ポー・オー・パユットー 野中 耕一
483神も仏も名無しさん:2010/11/04(木) 11:48:45 ID:i3poCBcR
>>470
「善悪概念」とは、「共同体における共生の技術」。仏教の「解脱」「悟り」
などという「自己満足」は無関係。
484:2010/11/04(木) 12:03:02 ID:lTj5JDRi

>>479 様へ
> 水野『要語』ダライラマ『智慧の眼』パユットー『仏法』だけ10回ぐらいよんでください。


仏法―テーラワーダ仏教の叡智  ポー・オー・パユットー  376ページ

◎呼吸法
◎瞑想
◎クンダリニー・ヨーガ
◎三十七菩提分法

などによって心修習と智慧修習が獲得できる
と私は解釈しています。
485神も仏も名無しさん:2010/11/04(木) 12:07:45 ID:toYpxCVm
>>481
 >>468 >>466 を読んでください。
 要するにある行為の結果、苦しい感受を経験するなら悪で、その逆が善です。

>蚊は遊びで人の血を吸うわけではありませんが、私たちは殺虫剤で殺しますね。
>それも悪でしょうか?

 自分を守るために他の生命を害するのは全て悪ですよ。

>善い事というのは仏様に奉仕することでしょうか?
>人に奉仕することでしょうか?
>もし、人に奉仕することの方が善だとすれば、お経を唱えるより奉仕活動・納税等のほうが
>善因ということにはならないでしょうか?

 仏教では物理的現象より、自分の動機が重視されます。
 そして本当の楽とは解脱・涅槃なので、それに関することが最も重視されるので、仏教に添ったことが、世俗的な楽より重視されるわけです。

 だからといって、仏教をネタに自分が世俗的に楽しみたいという動機で行うなら、その行為は悪です。

 そして善悪は他人の行為ではなく、自分の身体・言葉・心の行為を指します。特に動機が重要です。
486神も仏も名無しさん:2010/11/04(木) 12:12:25 ID:toYpxCVm
>>484
テーラワーダの呼吸法というのは意識を集中させるための方便ですよ。
つまり、呼吸が問題なのではなく、意識を一点に集中させることが重要なのです。

瞑想やクンダリーニ・ヨーガなどという言葉が、テーラワーダに出てきますか?

『要語』『智慧の眼』にも出てこないと思います。

瞑想という言葉は、非常に曖昧なので、修習という言葉を推奨します。
修習というのは、要するに慣れることです。




487:2010/11/04(木) 12:21:14 ID:lTj5JDRi

仏法―テーラワーダ仏教の叡智  ポー・オー・パユットー  339ページ

世間神通の五項目はブッダの時代の前の多くのヨーガの行者たちが得ていた。

 − − −

◎呼吸法
◎瞑想
◎クンダリニー・ヨーガ

初禅、第二禅、第三禅、第四禅、
空無辺処、識無辺処、無所有処、悲想悲悲想処

 − − −

◎三十七菩提分法

シャーリプトラが実践する【不断の法観】
 一連の精神的な深まり経て、究極的精神集中状態である
 感受過程も表象作用も暫時的に尽く完全抑止状態となる
 【想受滅(滅尽定)】に入る
488:2010/11/04(木) 12:29:57 ID:lTj5JDRi

仏法―テーラワーダ仏教の叡智  ポー・オー・パユットー  338ページ

四神足(四如意足)四つの自在力
欲(すぐれた瞑想を得ようと願う)
精進(すぐれた瞑想を得ようと努力する)
念(すぐれた瞑想を得ようと心を集中する)
思惟(すぐれた瞑想を得ようと智慧をもって思惟観察する)

 ↑ この四如意足が神変である
   と私は解釈しています。
489:2010/11/04(木) 12:36:24 ID:lTj5JDRi

仏法―テーラワーダ仏教の叡智  ポー・オー・パユットー  338ページ

【想受滅(滅尽定)】によって

前世のことを知る【宿命通】が獲得できる

と私は解釈しています。
490神も仏も名無しさん:2010/11/04(木) 12:40:30 ID:+ovJC9Ss
>>481 人に奉仕するうんぬんではなく、
たとえば一人で部屋で怒っても悪(悟りから遠ざかる)です。
悟りを邪魔してるのが煩悩で、煩悩をなくす訓練になるのが善で、
煩悩に従うこと(煩悩をより増強する訓練になること)が悪です。
なお、生きているかぎり、他の生き物をまったく殺さないことはまず無理です。
解脱して涅槃に入れば、完全に滅びて消えてなくなっておしまいですので、
そこではじめて、生き物を殺すことからも卒業できます。
491481:2010/11/04(木) 12:43:55 ID:+VZpthON
よくわかりました。
ありがとうございました
492神も仏も名無しさん:2010/11/04(木) 12:45:50 ID:+ovJC9Ss
生きているかぎり他者を傷つけるし、自分も苦しむ。
解脱して生きものであることを辞めて平安なる滅びに入れば、
他者を傷つけることはなくなり、すべての苦しみから解放されます。
仏教の善とは、このような平安なる滅びに通じる方向性であり、
逆に悪とは、輪廻をくりかえしていつまでも滅びることができないようになる方向性、つまり煩悩です。
493神も仏も名無しさん:2010/11/04(木) 12:48:34 ID:+ovJC9Ss
ちなみに、自殺しても輪廻してしまうので解脱できませんし、
自殺する場合、たいていは怒り(悲しみも怒りの一種)の煩悩によって自殺に至るので、
煩悩を増強する訓練になる行為、すなわち悪です。
494:2010/11/04(木) 12:49:26 ID:lTj5JDRi

仏法―テーラワーダ仏教の叡智  ポー・オー・パユットー  332〜333ページ

阿羅漢は

悲想悲悲想処よりも、もう一段上の、
想も受も滅する状態、役目を果たす動きを止め、最高の楽のある

【想受滅(滅尽定)】に達することができる。
495:2010/11/04(木) 12:57:37 ID:lTj5JDRi

  ☆  ウィキペディア参照  ☆

クンダリニーは、
悟りを得るために必要なシャクティ(性力)のこと。
クンダリニーの活性化を念頭においたヨーガは、
「クンダリニー・ヨーガ」と呼ばれる。
クンダリニーを象徴化したものとしては、密教の軍荼利明王がある。

「螺旋」「コイル」「巻き毛」「環」などを意味するサンスクリットの
kundala(クンダラ)から派生した、
「螺旋を有するもの」を意味する kundalin(クンダリヌ)の女性形主格が、
Kundalini(クンダリニー)の語源である。

クンダリニーは、
普段は尾てい骨付近のムーラーダーラチャクラに眠っているが、
ヨーガの実践や宗教の各種修行によって活性化し始め、
生涯をかけ各チャクラを開花させグランティ
(=結節。ブラフマー結節、ヴィシュヌ結節、ルドラ結節の3種類がある)
を破壊し、最終的には
【 頭頂のサハスラーラを押し開け 解脱に至る 】。

今世で解脱できる魂は極一部といわれている。
性欲を昇華させたものがクンダリニーとなるため、
梵行(性的な事柄を避ける)修行が重要となる。
496:2010/11/04(木) 13:15:20 ID:lTj5JDRi

仏法―テーラワーダ仏教の叡智  ポー・オー・パユットー  331〜332ページ

禅定には、いくつかの段階がある。

@初禅

A第二禅

B第三禅

C第四禅

D空無辺処定

E識無辺処定

F無所有処定

G非想非非想処定

 − − −

 ↑ この非想非非想処定に到達する為には
   クンダリニー・ヨーガは【 必須条件である 】
   と私は解釈しています。
497:2010/11/04(木) 13:41:02 ID:lTj5JDRi

仏法―テーラワーダ仏教の叡智  ポー・オー・パユットー  210〜211ページ

(過去の)先業は過ぎ去ったことで、
私たちには何も行えないが、

新しい業をより善く改良改善するために、
(過去の)先業について知るべきである。

 − − −

 ↑ 新しい業をより善く改良改善するために、

   【想受滅(滅尽定)】
   【宿命通】によって、
   前世のことを知る事が必要である

   と私は解釈しています。
498:2010/11/04(木) 13:58:38 ID:lTj5JDRi

仏法―テーラワーダ仏教の叡智  ポー・オー・パユットー  339ページ

世間神通の五項目はブッダの時代の前の多くのヨーガの行者たちが得ていた。

 − − −

ゴータマ・シッダールタはクンダリニー・ヨーガの達人だった
と私は考えています。

ゴータマ・シッダールタはクンダリニー・ヨーガの達人だったからこそ
ほんの、わずかな時間で
無所有処定とか、非想非非想処定などを、獲得できた
と私は考えています。
499神も仏も名無しさん:2010/11/04(木) 14:05:58 ID:toYpxCVm
>>495-498
ただの妄想ですね。

クンダリニーは密教以外では用いません。
密教で用いるのも、補助であって必須ではありません。

そういう読みをしていては何も分からないでしょう。
500:2010/11/04(木) 14:17:13 ID:lTj5JDRi

>>499 様へ

ゴータマ・シッダールタはバラモンの環境の中で生まれ育ったのです。

バラモンからの影響と

クンダリニー・ヨーガの修習は【確実に行っていた】

と私は解釈しています。

 − − −

ゴータマ・シッダールタはクンダリニー・ヨーガの達人だったからこそ

悲想悲悲想処よりも、もう一段上の、
想も受も滅する状態、役目を果たす動きを止め、最高の楽のある

阿羅漢の

【想受滅(滅尽定)】に達することができた

と私は考えています。
501:2010/11/04(木) 14:32:07 ID:lTj5JDRi

  ☆  ウィキペディア参照  ☆


  ☆  唯識  ☆

仏教の中心教義である無常・無我を体得するために、
インド古来の修行方法であるヨーガをより洗練した
瑜伽行(瞑想)から得られた智を教義の面から支えた思想体系である。

心の動きを分類して、八識を立てる。とりわけ、
末那識と阿頼耶識は深層心理として無意識の分野に初めて注目した。
自らと、自らが認知する外界のあり方を、三性(さんしょう)説としてまとめ、
修行段階によって世界に対する認知のありようが異なることを説明した。

ヨーガを実践することによって「唯識観」という具体的な観法を教理的に組織体系化した。

 − − −

 ↑ バラモンからの影響と
   クンダリニー・ヨーガの修習によって【 唯識観 】を教理的に組織体系化した
   と私は解釈しています。
502:2010/11/04(木) 14:50:41 ID:lTj5JDRi

第六表面意識から阿頼耶識を【 制御 】する為には

◎呼吸法
◎瞑想
◎クンダリニー・ヨーガ
◎三十七菩提分法

などの
心修習と智慧修習が必要である
と私は解釈しています。
503神も仏も名無しさん:2010/11/04(木) 15:15:10 ID:toYpxCVm
>>500
だから妄想です。
仏教では無色界定を超えるためには観・縁起・無我・空が必要であり、
それこそが外道との境地の違いを分かつ最大の違いだと一貫して、
どの時代でもどの地域でも、オーソドックスな伝統では主張されます。

バラモンの宗教というのは祭儀・供犠であり、
クンダリニーというのは、非バラモン的要素で、タントラや、
ハタヨーガに現れるものです。

まったくの妄想です。

解釈の余地はありません。
504:2010/11/04(木) 16:41:50 ID:J1P2ca23

>>503 様へ

修行の段階その@

  解脱の為に修行を行う

   ◎呼吸法
   ◎瞑想
   ◎クンダリニー・ヨーガ
   ◎三十七菩提分法

  修行の段階に応じて、煩悩を滅尽させていく


修行の段階そのA

  全ての煩悩の滅尽して
  解脱に到達した時には

  全ての修行法
  解脱の為の修行法の
  三十七菩提分法ですら捨て去る


 ↑ この最後の修行の段階で
   止観と縁起の法により
   無我と空の悟りを獲得できる
   と私は解釈しています。
505神も仏も名無しさん:2010/11/04(木) 16:54:48 ID:IDDfIWKh
確かにシャクティを使う行法はインドにはいくらでも有る。でも性的な力は命の根源的活動だし、それで成功するのは難しいよ…じゃあ、空、無我などを極め、滅尽定に達し得るか?というとやはり不可能に近いよ…
506神も仏も名無しさん:2010/11/04(木) 16:59:21 ID:IDDfIWKh
若いピチピチギャルとセクロスしたい、したい思うのは健康的な男性なら当たり前で正常です。したがって、生まれつき性欲の無い人以外は、慎ましやかに大乗菩薩道を歩いていくしかないだろう。欲望が深い程にほとけの慈悲も底知れず深く発動すればなり
507:2010/11/04(木) 17:00:48 ID:J1P2ca23

  ☆  ウィキペディア参照  ☆

四向四果 (しこうしか)とは、部派仏教や上座部仏教における修行の階位である。詳しくは、

預流向(よるこう)、預流果
一来向(いちらいこう)、一来果
不還向(ふげんこう)、不還果
応供向(おうくこう)または阿羅漢向(あらかんこう)、応供果(おうぐか)または阿羅漢果(あらかんか)
のことをいう。 大乗仏教の観点では声聞衆を指す。

「向」とは修行の目標、「果」は到達した境地を示す。向と果の名称が同じ、
八種の段階にある人ということで、四双八輩(しそうはっぱい)ともいう。

預流 - 聖者の流れに入ることで、最大7回欲界の人と天の間を生れかわれば悟りを開く位。須陀洹を指す。
一来 - 一回人と天の間を往来して悟りに至る位。斯陀含を指す。
不還 - 欲界には再び還らず色界に上って悟りに至る位。阿那含を指す。
応供 - 供養を受けるにふさわしい者で、今生の終りに悟り涅槃に至り再び三界には生れない位。阿羅漢を指す。

 − − −

阿羅漢果に到達するまでは

◎呼吸法
◎瞑想
◎クンダリニー・ヨーガ
◎三十七菩提分法

などの
心修習と智慧修習が必要である
と私は解釈しています。
508神も仏も名無しさん:2010/11/04(木) 17:03:36 ID:IDDfIWKh
きみら、もっと仏教を真面目に論じたまえよ…普通の人間を凡夫と蔑む、その前に、おのが業の深さを忘るるな。
509神も仏も名無しさん:2010/11/04(木) 17:06:13 ID:toYpxCVm
>>506
そういった本能こそ無明に他ならないというのが仏教ですね。

それと大乗の菩薩行というのは小乗の行法より難行ですよ。
どうも日本では誤解されているようですが。
510神も仏も名無しさん:2010/11/04(木) 17:07:57 ID:toYpxCVm
>>508
ああ、仏教は人のことでなく自分のことですよ
業というのも、他人を測るためのものではなく、自分を律するためのもの。
511:2010/11/04(木) 17:08:19 ID:J1P2ca23

>>505 様へ
> 確かにシャクティを使う行法はインドにはいくらでも有る。
> でも性的な力は命の根源的活動だし、それで成功するのは難しいよ…
> じゃあ、空、無我などを極め、滅尽定に達し得るか?というとやはり不可能に近いよ…

クンダリニー・ヨーガと

呼吸法と
瞑想と
三十七菩提分法と

心修習と
智慧修習などによって

阿羅漢果に到達できる

と私は解釈しています。
512神も仏も名無しさん:2010/11/04(木) 17:08:40 ID:X48R3uVh
>>469補。
けど、「どちらでもない」(「善でも悪でもない」。その行為によってどちらかに寄っていく)、
という点は、やっぱり押さえられるべきかと。(術語としては、やはり「不定な(aniyata)」が冠せられるものではないかと・・。)




>>507他一連。
質問箱で30以上も無駄レスしてんじゃねーよ。馬鹿垂れが・・。
応答として認められるのも 474 までだ。以降は荒らし同様邪魔なレスでしかない。
「プラスアルファ」を言いたいなら、「【余分な】書籍」を紹介したいなら、
どっか適切なスレにリンク誘導して、そこに貼っとけ。呆け茄子が。
513神も仏も名無しさん:2010/11/04(木) 17:12:36 ID:IDDfIWKh
だから、わかってないな…無明なんて、誰だって理解してるんだって。でも、わかっちゃいるけど、止められない、すーダラ節が「人間」ってもんだ。大乗の難行苦行と易行だって理解してるんだって。誰しもな…
514神も仏も名無しさん:2010/11/04(木) 17:15:48 ID:IDDfIWKh
瞑想すれば、空から、金が降ってくるか?祈れば、自分好みの異性と素敵な恋ができるか?自分のあらゆる欲求不満を解消できるか?死を回避できるか?
515:2010/11/04(木) 17:18:41 ID:J1P2ca23

卍 お経を自分で勝手に解釈して観る 卍

http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274055506/l50

 ↑ 私【?】との討論の続きは、こちらでどうぞ!

   ちなみに、私【?】は

   輪廻肯定派
   中有身(死んでから次に生まれるまでの状態の意識)肯定派

   です!
516神も仏も名無しさん:2010/11/04(木) 17:18:52 ID:IDDfIWKh
あなた方が、もはや、この世界にいかなる慰めも興味も関心も無くなり、生存する事さえ嫌悪感を抱いて瞑想すれば、確かに脱俗の境地に達するかも知れない。でも、成功する保証はまったく無い
517神も仏も名無しさん:2010/11/04(木) 17:20:27 ID:X48R3uVh
>>514
> 瞑想すれば、空から、金が降ってくるか?
ありえません。

> 祈れば、自分好みの異性と素敵な恋ができるか?
できません。

> 自分のあらゆる欲求不満を解消できるか?
自身の縁起に気付き、見定め、受け止めることができれば、可能と思われます。
(少なくとも仏典はそう説きます。)

> 死を回避できるか?
できません。
518神も仏も名無しさん:2010/11/04(木) 17:22:47 ID:IDDfIWKh
時間がかかるよ…莫大な時間…大袈裟に言えば宇宙的スケールの時間が…悟るには…だから、ジタバタあがいてもしゃあない。むしろ今は煩悩のただ中へ飛び込む必要があると感じる
519神も仏も名無しさん:2010/11/04(木) 17:25:40 ID:X48R3uVh
520:2010/11/04(木) 17:32:05 ID:J1P2ca23

>>516 様へ
> 瞑想すれば、確かに脱俗の境地に達するかも知れない。
> でも、成功する保証はまったく無い

成功する保証は無いかもしれないけど

輪廻についての概念と
輪廻からの解脱については

仏教の考察が一番深い
と考えてます。
521:2010/11/04(木) 17:39:40 ID:J1P2ca23

新アジア仏教史〈02〉仏教の形成と展開―インド2 (新アジア仏教史 2 インド2)
奈良 康明 (編集), 下田 正弘 (編集)

佼成出版社  2010/10

  ☆  74ページ  ☆

スッタニパータ(三五一)

 「死を繰り返す輪廻を余す事なく捨てられた方にすがって、
  私は浄らかな真理を説いて下さいと言うでしょう。
  如来の方々は事を慎重に熟慮され成しえられるのです。」

 − − −

 ↑ 輪廻を余す事なく捨てる事が出来ていない人は、
   輪廻を繰り返す。
   と私は解釈しています。
522神も仏も名無しさん:2010/11/04(木) 20:04:44 ID:toYpxCVm
>>521
ここは質問スレなんで、変な宣伝とか、思いつきを語るのは止めてくださいね。
523神も仏も名無しさん:2010/11/04(木) 20:11:46 ID:VmaXLOrA
浄土真宗本願寺派は差別、迫害されてきたと聞きました。
いまいち、理由がわかりません。

524神も仏も名無しさん:2010/11/04(木) 23:21:08 ID:MeuqnOp2
差別地域に真宗寺院が多かったから
525神も仏も名無しさん:2010/11/05(金) 00:12:15 ID:Uqz+Qg6U
>>513 スーダラ節のスーダラとは、スートラ(経典)が語源だと聞いたことがあります。

無責任男植木さんの思想を説いたお経のような歌ってことでしょうか。
526神も仏も名無しさん:2010/11/05(金) 00:19:38 ID:FXuAYPmy
確かに宗教は精神の脆い人たちにとってすがる精神安定剤になってる
のかも知れんが仏教は他のキリスト教とかに比べて
おかしいところが多い。突っ込みどころ満載だがこっちは
見逃してやってるのにあなたみたいに自信満々に説教したら
信者から嫌われて逃げられるぜ。それじゃあ双方にとってよくない。
あなたの儲けも減る。だからお互い幸せな気持ちになれるように
考えて行動しなきゃダメだよ。

527神も仏も名無しさん:2010/11/05(金) 00:58:24 ID:ltfB8ybW
>>526
>突っ込みどころ満載だが

それは専ら釈迦仏教(原始仏教、小乗仏教、上座部仏教)に対してだろ。

大乗仏教八宗の祖といわれる竜樹の「中論の頌」を読んで理解し、聊かでも突っ込めたら、貴方はエライ。

突っ込みどころが最も満載なのは、イエスの新約聖書。
528神も仏も名無しさん:2010/11/05(金) 08:22:03 ID:ONzBPK1f
龍樹のやっつけ方?簡単さ…あんたの中論もやはり、空。文字表現にしか過ぎない見解はやはり虚妄。教える龍樹も、龍樹の教えもすべて嘘っぱち。根拠なし。
529神も仏も名無しさん:2010/11/05(金) 08:25:18 ID:ONzBPK1f
だいたいねぇ。人間ごときに認識可能な事物を、俺は「真理」とは認めない。全世界の宗教は俺を納得させない。それが人間のレベルに留まっているからだ。語られざるもの、知られざるものこそ、我が求めしもの
530神も仏も名無しさん:2010/11/05(金) 09:42:35 ID:S5JrPYO2
>>528-529
はいはい。ここは質問箱なんで、他所でやってね
531神も仏も名無しさん:2010/11/05(金) 09:51:53 ID:ONzBPK1f
やだ
532神も仏も名無しさん:2010/11/05(金) 10:04:58 ID:S5JrPYO2
>>528
ちなみに中論と廻諍論で、そのゲーテルの不完全性定理は論及されてるよ。

釈尊にとっても、龍樹菩薩にとっても経説としての体系は仮説だから、
体系内の確実性しかない。もちろん、仮設されたもので空、虚妄といっていいよ。

そんな当たり前のことを自慢すんなよ。

533神も仏も名無しさん:2010/11/05(金) 11:38:59 ID:rlrMDy8b
●創価学会の聖教新聞は数面を除いて普通の新聞と変わりありません。
この部分は通常の新聞の法人税を支払うべきだと思います
因みに年に数百億円レベルで課税を逃れているはずです

<聖教に法人税を支払わせる活動>
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1287634861/l50
534神も仏も名無しさん:2010/11/06(土) 13:33:43 ID:vvx1om+k
南無阿弥陀仏と唱えて極楽浄土に転生しても、一般人な凡夫は浄土の蓮の蕾の中に転生し、
十数大劫もの天文学的年月を過ごさなければいけないって本当ですか
535神も仏も名無しさん:2010/11/08(月) 00:40:02 ID:RrXXsnB1
>>534 『観無量寿経』によると、往生する人を善悪のレベルで9段階に分けてあり、
一番下(極悪人)の「下品下生」の者と、二番目に悪い「下品中生」は、おっしゃるとおりの長い間
三番目悪い「下品上生」は、四十九日の間、宮殿から出られません。
また、『無量寿経』では、阿弥陀仏の徳などを疑った人の場合は、
往生してから500年間は快適な宮殿の中から出られないので
その間は仏・菩薩達に会って教えを聞いたりできない、という記述があります。
536神も仏も名無しさん:2010/11/08(月) 00:44:52 ID:RrXXsnB1
>>534
まぁ、極楽に生まれたら無量の寿命を得るので、我々とは時間感覚が違うかも。
また、普通に六道を輪廻し続けるよりは「まし」なのだとは思います。
必ず蓮の宮殿から出られることは決まってるんだし。
537神も仏も名無しさん:2010/11/09(火) 16:39:51 ID:j163Gddf
命を捨てて−自殺するとかじゃなくて決死の覚悟でないと幸福は訪れない
んだよね?
538神も仏も名無しさん:2010/11/09(火) 17:59:20 ID:bl8adNmX
仏教での反省とはどのようなことなのでしょうか?
人を傷つけてしまい後悔して反省しています。
文章では軽く見えるかもしれませんが、すごく後悔しています。
539神も仏も名無しさん:2010/11/09(火) 18:41:02 ID:lHvSItAv
>>538
それは懺悔です。仏法僧の三宝や仏像の前か、それらを思い描いて、
やってしまったことを深く後悔し、もう二度とやらないと誓い、
してしまった行為の治療となるような行為に今後励みます。
この場合は、傷つける行為と逆の慈しむ行為をなるべくするようにします。

といって不自然に強引にするのではなく自然にすべきです。
540風の旅人:2010/11/09(火) 19:10:13 ID:COtyPhcX
>>538
ずっと昔、仏教系の『霊友会』に入っていた事があった。
それで、(法華経を部分に訳出した)青い経巻をもらったんだけど、
そこに《端座して、実相を想え》と書いてあった。
で、俺は誰かを傷つけたと思った時、それに似た事を何度か行ってきた。
実相というのは真っ白な微粒子が飛び交うような世界で、とらえどころがないんだけど、……とりあえず、傷つけた相手を思い浮かべて、謝りながら、笑顔に変わるように頑張ってみる。
自然に笑顔に変わるように頑張った方がいいけど、
ある程度、想像力を加えて笑顔に変わるようにしてみる。
そうすると、自然と許されたと感じるはず。
まぁ、実際こういうような事によって、ある程度良好な人間関係を保った事が何度もあった。
541神も仏も名無しさん:2010/11/09(火) 19:43:20 ID:bl8adNmX
>>539
ありがとうございます。
ずっと仏教の教えではどうなのか気になっていて・・・
「慈」の読みはわかるのですが意味は良い行いでいいでしょうか?
ずっと苦しんでいてこれから自分がどうしたらいいのか希望が見えた気がします。ありがとうございました!

また何かあれば質問させてください!
542神も仏も名無しさん:2010/11/09(火) 19:48:20 ID:bl8adNmX
>>540
すごく参考になる意見ありがとうございます。
さっそく実行してみようと思います。
正直、最近懺悔の気持ちが強すぎるのか、精神を病んでしまってとてもつらかったです、でもそれは仕方ないことですし・・・かといって傷つけた経緯は過ぎた事だから過去を変えることはできないですよね・・・

ありがとうございます。
思い描いてみます。
543神も仏も名無しさん:2010/11/09(火) 20:14:27 ID:lHvSItAv
>>541
そうです。

それから、きっちり懺悔したら、もうその罪は浄化されたので、
後に引き摺らないでくださいね。

また、どうぞ。いるかどうかは縁次第ですが。
544神も仏も名無しさん:2010/11/09(火) 20:20:22 ID:bl8adNmX
>>543
ありがとうございます、ありがとうございます!
これも何かの縁ですね、
私は心が救われた気持ちで一杯です。
仏教の教えを教えていただいて感謝しています。
545神も仏も名無しさん:2010/11/09(火) 21:44:33 ID:O6YJISyH
>>543
観音さんは、念じたら現れて(力を貸して)くれるぞ?w
546神も仏も名無しさん:2010/11/10(水) 01:55:43 ID:lcg6YjMo
>>538 「嫌だ」という反発の感情が怒りです。
悲しみや後悔も怒りの一種なので、過去のことを思い出して何度も
「嫌だ」という怒りの感情をリプレイするのも善くありません。
二度と同じ過ちを犯さないようにする、しかし、過去のことをウジウジ悩みもしない、
それが仏教的な反省ではないでしょうか。
慈しみの心は、怒りがない瞬間にだけ現れます。
自分への怒りの感情があるときにも、慈しみの感情は消えている。
547神も仏も名無しさん:2010/11/10(水) 23:38:24 ID:6TajTCO5
もしリアルパンクロッカーが仏門に入ったら

という本が本屋で売ってました
誰か読んできて
548神も仏も名無しさん:2010/11/11(木) 05:00:52 ID:yS/9++EM
自分で読んで^^;
549神も仏も名無しさん:2010/11/11(木) 11:54:46 ID:xFldG3nU
そもそも「怒らない」など無理。正義の怒りもある。怒ってるのに怒ってないなんて嘘は「誠実」ではない。「慈しみ」はゆとりの妄言
550神も仏も名無しさん:2010/11/11(木) 11:59:24 ID:xFldG3nU
だから、懺悔など無用ですね。俺は運命論をある程度認める。たまたま「カッ」となって人を殺す、殴る、誹謗する…これも運命。反対に人助けをしてしまうのも偶然の産物にすぎない
551神も仏も名無しさん:2010/11/11(木) 12:01:32 ID:jO5lJi+Z
で、それがどうした?
552神も仏も名無しさん:2010/11/11(木) 12:02:01 ID:xFldG3nU
なにをやっても、どうにもならん時はどうにもならんし、それでお前の罪が消えるわけじゃなし…すべて運命…運命のせいだから、極力、良いサイコロの目が出るのを願うばかり
553神も仏も名無しさん:2010/11/11(木) 12:05:28 ID:xFldG3nU
お釈迦さまと、ただの人間を同じ基準で語ると誤りを犯す。人間はどうにもならん…俺が神なら、どうでもええ…関係ねぇ…めんどくせぇ思うて放置しとくな…もちろん全員地獄へ落とす
554神も仏も名無しさん:2010/11/11(木) 12:22:18 ID:jO5lJi+Z
>>553
妄想するな
555神も仏も名無しさん:2010/11/11(木) 12:40:07 ID:BUUOWCmL
懺悔して慈しむ気持ちがあるのが何が悪いのだろうか?
その上で自分の気持ちが少しでも救われればいいのではないでしょうか?
たしかに人間とは罪深い生き物ですが、普段の心がけや気持ち次第で大分違うと思います。
556神も仏も名無しさん:2010/11/11(木) 12:54:35 ID:Ny/SJlwN
>>550 じゃあ、運命で悟って怒りがなくなる可能性もある。
557神も仏も名無しさん:2010/11/11(木) 13:01:17 ID:xFldG3nU
うまいな…そうだ。運命論的に悟る可能性もあるだろう…だが問題は簡単であるがゆえに返って難解なのだ…そこに確率論が介入してくる…
558神も仏も名無しさん:2010/11/13(土) 12:06:10 ID:TzV8enH9
悉皆成仏

おしえてください
この世に生きとし生けるものの
すべての生命に仏性があるのならば
海は成仏しますか 山は成仏しますか
風はどうですか 空もそうですか
教えてください
559神も仏も名無しさん:2010/11/13(土) 12:36:08 ID:+mP4ck51
>>558
>T2336_.72.0199c25: 一切有情悉有佛性。悉皆成佛。唯除非情

というのが基本です。つまり、意識を持つ者は成仏できますが、
意識を持たないものは成仏できません。

560神も仏も名無しさん:2010/11/13(土) 14:05:06 ID:eo1sX6/t
なぜ意識がないとわかる?例えば壁。有情か非情か判断できるんかな?大乗円教ではすべてが本来的に悟っていると見る。空とは虚空のような事物の背後にある実相で、そこですべては悟っている
561神も仏も名無しさん:2010/11/13(土) 14:09:04 ID:eo1sX6/t
一即一切・一切即一の華厳経的世界観では一微塵中無限世界が有ると見る。空の本質からみれば意識の有無は悟りとなんら関係なく、また矛盾もない。それでいてあるがままが悟りなのだから
562神も仏も名無しさん:2010/11/13(土) 14:34:41 ID:+mP4ck51
>>560
それが聖者たちの他心通によって確かめられた標準的な仏教の伝統だから。
凡夫によっては教えや経論で確認することができる。

>>561
>一即一切・一切即一の華厳経的世界観では一微塵中無限世界が有ると見る。

上は確かにそう。

>空の本質からみれば意識の有無は悟りとなんら関係なく、また矛盾もない。それでいてあるがままが悟りなのだから

あるがままで悟りというのは誤解。それは唯の現状肯定であり、釈尊当時から現法涅槃という言葉で否定されている。

刹塵に無数の仏国土があるからといって、微塵に意識があるわけではない。
そこで説かれているのは、実相では物理的な空間など実在しない、
あるいはそういった物理的限界を超えているということに他ならない。
563神も仏も名無しさん:2010/11/13(土) 14:41:18 ID:eo1sX6/t
そうかい?じゃあまたね
564神も仏も名無しさん:2010/11/14(日) 10:08:58 ID:lXPQXCpO
悟りとは何なのか。
悟りとは煩悩がなくなること。
煩悩をもっているものから煩悩が消える可能性がある、
という程度の意味でなら悉有仏性には賛同できるけど…。
はじめから煩悩がないものには、煩悩をなくすも何もないんだから、悟れる悟れないもない。
海に煩悩があるなら、海にも悟れる可能性はある。

ところで、ジャータカ物語には、樹木に宿っている神様が登場する。
樹木や植物に煩悩があるかどうかはわからないが、
樹木に宿っている(樹木に執着している?)神様には煩悩がある。
565神も仏も名無しさん:2010/11/14(日) 10:16:34 ID:lXPQXCpO
>>560 本来悟っているとか、本来はみな仏だとか言っても、
具体的な悩み苦しみの解決にはならない。
私達の悩み苦しみの原因は煩悩で、煩悩をなくせれば悩み苦しみもなくせるし、
煩悩を制御できれば悩み苦しみも制御できる。
具体的な問題解決につながらないなら、あまり意味はない。
それにしても、「仏性」というときの「仏」とは何なのでしょうね。
大日如来みたいな法身仏?
566神も仏も名無しさん:2010/11/14(日) 14:04:39 ID:TQTZxrK7
私は傷害事件の被害者で、私と家族の1人が加害者に大きな怪我を負わされました。
加害者は、刑事裁判の結果、初犯ということで、執行猶予がつきました。
私は、その判決に全く納得できません。加害者を殺してしまいたいです。しかし仕方がありません。
そこで、神仏に対して「○○(加害者)が死にますように」「○○(加害者)を殺してください」と祈ったら、
願いは通じるのでしょうか?それとも、人が死ね、人を殺せとの願いは聞き入れられないのでしょうか?
567神も仏も名無しさん:2010/11/14(日) 15:17:45 ID:3QXm/tBa
>>566
すくなくとも仏教では、相手を許すことが薦められます。
そして怒りを持つことや相手を呪うことは自分を苦しめることとされます。


「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われらから強奪した。」という思いをいだく人には、怨みはついに息(ヤ)むことがない。

「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われらから強奪した。」という思いをいだかない人には、ついに怨みが息む。

実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。

『ダンマパダ』
568神も仏も名無しさん:2010/11/14(日) 15:39:03 ID:SWTrlwkZ
人を呪い殺したいなんてヤツこそくたばっちまえ!怨みつらみは慈しみでは消えない。俺だって殺したいヤツはいる。だが日本は法治国家で敵を殺せば自分が損をするから殺さんだけだ。でなかったら…とっくに…ケッ!
569神も仏も名無しさん:2010/11/14(日) 15:44:12 ID:SWTrlwkZ
ダンマパダなんて「真の怒り」の前には何の役にもたたない。たわごと、絵空事。ゆとりの妄言
570神も仏も名無しさん:2010/11/14(日) 16:59:09 ID:TQTZxrK7
たとえば、平安時代なんかには、密教で怨敵調伏の修法が盛んに行われたりしていますが・・・。
571神も仏も名無しさん:2010/11/14(日) 18:15:02 ID:uU/CYe/s
>>567
>実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨み
>の息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。

いい言葉だな。これは釈迦の言葉ではないだろう。釈迦には、これだけのこと
は言えない。

キリスト教では、例えば「敵を愛せよ」というスローガンだけだが、仏教では
ほとんど必ずその「理由」まで述べられているのが特徴だと思う。

法句経の、例の「己が身に引き比べて」の一文は圧巻。この文だけでも、仏教の
価値がある。
572神も仏も名無しさん:2010/11/14(日) 18:40:52 ID:SWTrlwkZ
なにが己が身にひきくらべてだ…問答無用!そんなこと他人から言われたら、相手が釈迦であろがぶん殴るかもね?
573神も仏も名無しさん:2010/11/14(日) 18:41:54 ID:SWTrlwkZ
世界で俺を超える者はいない…(当たり前だ)
574神も仏も名無しさん:2010/11/14(日) 18:48:03 ID:3QXm/tBa
>>570
一味法界に留まって、慈悲で行うなら密教ですが、
単に利権や煩悩によって行うなら唯の呪術ですよ。

この違いは大きいけど、現代人は現象しか見ないから同じと見るんです。
それは何も分かってないだけのこと。
575神も仏も名無しさん:2010/11/14(日) 19:35:50 ID:uU/CYe/s
>>572
自分が他人からぶん殴られたら、痛くて嫌だろ。そのことを教えているのだよ。
まさに、徹頭徹尾共同体としての人間の本質を洞察・解明・指摘している、見事な
一文である。「何故人を殺してはいけないか」の答えは、法句経のこの一文で
すべて。
576神も仏も名無しさん:2010/11/14(日) 19:52:07 ID:SWTrlwkZ
多重書き込みは疲れる…殺人も犯せない程弱くて卑怯者なんだよ…現代の日本人は
577神も仏も名無しさん:2010/11/14(日) 19:54:32 ID:SWTrlwkZ
俺も弱くて卑怯者だから国家権力を意識し恐れるがゆえに殺人をしないだけだよ…自分を欺いた悔しさしかないな…ニーチェ的に言えば「畜群化工作」に従うフリをしてるだけさ…
578神も仏も名無しさん:2010/11/14(日) 19:57:56 ID:SWTrlwkZ
さらに言えば、まったく意味もなく人は人を殺す場合もある。本人は「意味はねぇ、殺したいから殺したまでよ」と鼻歌まじり。こういうヤツこそ、自分を欺かなかったという一事において「誠実実直」な強者と言える
579神も仏も名無しさん:2010/11/14(日) 19:59:20 ID:uU/CYe/s
>>577
人を殺せば、自分も生きられないだけの話だ。

ニーチェは、人間の共同体性についての思索が不十分だった。ニーチェ
の限界だ。
580神も仏も名無しさん:2010/11/14(日) 20:06:24 ID:SWTrlwkZ
人を殺せば生きらんない?そうかな?案外なんの良心の呵責もなく生きられる気がするけど…もちろん自分の身が絶対的に安全ならばの話だがね…少なくともニーチェの真実を見つめる視線は厳しく、それが真実であるがゆえに恐ろしい
581神も仏も名無しさん:2010/11/14(日) 20:16:18 ID:uU/CYe/s
>>580
人を殺せば共同体による制裁を受け、死刑になる恐れもある。それでよければ
やってみな。出来ないだろ。

ニーチェが、哲学に「生物学的基盤」を初めて持ち込んだのは巨大な功績だが、
人間の共同体性にまでは、充分に思い至っていない(それらしき点は、若干は
あるが)。この点で、彼は、法句経の「己が身に引き比べて」の域にまでは達
していない。
582神も仏も名無しさん:2010/11/14(日) 20:21:51 ID:uU/CYe/s
>>580
ニーチェは、また、生物的生存本能から、自他の死への恐れや他者への
憐れみ、共同体形成・維持本能などの、自然の感情や本能が派生する
ことについても、思い至っていなかった。

しかし、キリスト教世界においてあれだけのことが言えたのは、ニーチェ
の天才を示して余すところがない。
583神も仏も名無しさん:2010/11/14(日) 20:23:29 ID:SWTrlwkZ
ふーん。俺はまっぴら御免だけど、革命でも起こり生殺与奪権が与えられていれば容赦なく殺すよ…でも、それじゃ意味がない。前にも言ったが俺は弱くて卑怯者だから殺さないだけだ。決して共同体云々など意識さえしない。
584神も仏も名無しさん:2010/11/14(日) 20:26:48 ID:SWTrlwkZ
つまりニーチェは「殺したくても実行に移せないお前ら畜群は悔しさにうちふるえながら歯ぎしりして悔しさと屈辱を受け入れ生きろ…己の非力を呪いながら」とこう言いたかったのだろう
585神も仏も名無しさん:2010/11/14(日) 20:30:39 ID:SWTrlwkZ
仏教にニーチェを持ち出す事自体おかしな話だがね…輪廻転生を前提にしないと、人間はどんな悪でも犯すだろうね…しかも輪廻を心底信じている者のみ「世間一般常識的お約束事」な善良さや道徳を受け入れ平穏無事に長生きできると
586神も仏も名無しさん:2010/11/14(日) 20:32:46 ID:uU/CYe/s
>>583
>革命でも起こり生殺与奪権が与えられていれば容赦なく殺すよ

それは、宗教観念やイデオロギーで生存本能を変容・破壊されているから。
宗教者やイデオロギー者(広義の宗教者)やその他のサイコパス以外は、
人を殺すことに躊躇と不快感を感じない者はいない。人間の生物的生存本能
から生じる、「自他の死への恐れ」の故である。
587神も仏も名無しさん:2010/11/14(日) 20:34:20 ID:SWTrlwkZ
釈迦であろうとニーチェであろうと、俺個人は「あまり」興味がないな…俺は仏教の「空」思想にある種の痛快さを感じているだけで…法身とは何ぞや?虚空のごときものか?絶対破壊できない空間みたいな…
588華厳命:2010/11/14(日) 23:49:03 ID:SWTrlwkZ
娘よ…お前は俺をみくびりすぎた…ガキとは言え人間ナメすぎなんだよ…あんた。愛していた!この世を救う救世主だと思っていた!そんなお前が悪魔の手先に…残念だ…さよなら
589神も仏も名無しさん:2010/11/15(月) 00:05:41 ID:/d5ZPRVX
初期の仏教では子供の誕生をどう扱っているの
出家者は当然生殖しないから、触れられてないと思うが
在家者にはどうだったんだ?

590神も仏も名無しさん:2010/11/15(月) 11:53:19 ID:YTBnkvpQ

>>589
釈迦は、生まれたばかりのわが子に「悪魔」という名をつけ、その子を捨てて家出した。
父親として、人間として、最低の行為。

その釈迦を崇める信者は、押して知るべしである。
591神も仏も名無しさん:2010/11/15(月) 22:54:34 ID:1UE+XCoc
>>589 我が子であってもそれに執着すれば悩み苦しみの原因となる。
で、子作りは、快楽の刺激に誘導されて結果として生まれるもの。
快楽への執着もまた、悩み苦しみの原因になる。
ただし、生まれてしまった子供には慈悲を向けるべき。
我が子であろうと他人の子であろうと慈悲の対象。
独身のときには独身の苦しみがあり、結婚したら結婚の苦しみがあり、
子供がいないときは子供がいない苦しみがあり、子供がいれば子供がいるための苦しみもある。
挿入できないときは挿入できない苦しみがあり、射精できないときは射精できない苦しみがある。
そのときそのときの刺激に操られているのが、人の営み。
592神も仏も名無しさん:2010/11/15(月) 23:00:37 ID:1UE+XCoc
そのときそのときの刺激に反応して、セックスしたくなったらセックスして、
子供作りたくなったら子供つくって、子供が泣くから世話せずにはいられなくて…と、
このように刺激(苦しみ、不満)の連続に操られ、子作りして子育てしている。
だから、知能の低い動物でも子育てできる。
りっぱな子育を生んでとか、子孫の繁栄とか、そんなだいそれたこと考えなくても、
瞬間瞬間の刺激に操られて、動物は子育てする。人間もそう。
しかし、それでいいのだろうか、と仏教は頭を冷やさせる。
593神も仏も名無しさん:2010/11/15(月) 23:08:32 ID:1UE+XCoc
>>590
釈尊の息子ラーフラ尊者は、結果的には釈尊の弟子になっている。
ラーフラは国王の孫として生活に困ることなく立派に育ったわけだし、
自分を捨てた父親を憎んでたなら弟子入りなんかしなかったのでは。
当時は、引退したら出家して第二の人生を送るのは普通にあったらしいし、
ブッダは、国家の跡取り息子を生むという最低限の義務を果たしてから出家した。
594神も仏も名無しさん:2010/11/15(月) 23:53:52 ID:iHyelKtm
>>591
「苦あれば楽あり。楽あれば苦あり」。すべての衆生は、この真理を悟って
いる。釈迦の苦への「執着」は病的。彼の鬱病の症状以外の何物でもない。

>>593
いくら言い訳してみても、釈迦の行為は人間として最低。ラーフラは十大弟子
の一人となったが、他の弟子たちを見下ろす態度があったそうだ。人格未完成。
595神も仏も名無しさん:2010/11/16(火) 00:19:58 ID:M3PX9PlA
>>594 仏教が目指すのは、苦も楽もなくなる平安なる滅び。
596神も仏も名無しさん:2010/11/16(火) 03:32:37 ID:U2gC7nSJ
>>595
苦楽は、生命維持に不可欠な心理作用。「苦も楽もなくなる平安な滅び」とは、
死ぬということ。仏教は、自殺を勧める宗教か。

「平安な滅び」とは、楽の極致である。仏教は、それほどまでに苦を排除して、
楽を求めようとしているのか。それこそ、執着の極みではないか。それは、
鬱病患者の「希死念慮(自殺願望)」と同一の「病的心理」以外の何物でも
ない。
597神も仏も名無しさん:2010/11/16(火) 07:58:01 ID:M3PX9PlA
>>596 輪廻を前提にするならば、自殺しても輪廻してしまうから意味がない。
煩悩を克服した者だけが、本当に滅びることができる。
逆にいえば、滅びるまでは、生きているかぎりは、苦も楽もついてまわる。
楽だけを喜び苦は嫌だ、というのは成り立たない。
単なる死と仏教のめざす滅びとはちがう。
明るく前向きに、煩悩をなくそうという方向性で努力することになる。
生きることへの執着も悩み苦しみの原因となる。
仏教の修行は、悩み苦しみをなくすための修行。
598神も仏も名無しさん:2010/11/16(火) 08:03:47 ID:wwptNuJS
でも現実問題、修行しても「苦」は消えないであろう。そんなヤツらは世にゴマンといる。運命に身を任せるしかないんじゃね?ブッダがいれば話は別だろうが…
599神も仏も名無しさん:2010/11/16(火) 08:45:02 ID:yk/8D/2J
それは努力しても無意味と言うことと同じ。
結果を出している人がいる。そういう人を参考に
すればいいだろう。
600神も仏も名無しさん:2010/11/16(火) 08:57:30 ID:wwptNuJS
結果を出している人?いませんね。はい
601神も仏も名無しさん:2010/11/16(火) 10:34:12 ID:wwptNuJS
早く答えろよ…悟った「他者の苦しみ」を救えるヤツをせめて実名で公開しろよ…まさか、スマなんて言うなよな?ヤツはもう壊れる…あいつの時代は終わっている…
602神も仏も名無しさん:2010/11/16(火) 11:04:32 ID:wwptNuJS
華厳経を学ぶといい…すべての世の中の「宗教」がアホらしくなりますよ
603神も仏も名無しさん:2010/11/16(火) 12:40:00 ID:M3PX9PlA
>>601 悟っているかはともかく、他人の苦しみを
軽減させてくれる坊さんはゴマンといる。
悩み苦しみが生じないようにするには悟る(煩悩がなくなる)しかないが、
悩み苦しみの感情に溺れている妄想状態から「冷ます」ことは悟ってなくてもできる。
欲や怒りの妄想をスパッと切って、悩み苦しみ欲・怒りの持続時間をできるだけ短くすれば、
脳や身体が受けるストレスが減る。
脳の分泌物の制御にもつながる。
604神も仏も名無しさん:2010/11/16(火) 12:45:21 ID:wwptNuJS
いないと思います。経験則から言えます。しょせん娑婆世界は「忍土」であり、苦界である事に変わりはありません。しかも他者の不幸無くして個人の幸福はありません(実に残念です)
605神も仏も名無しさん:2010/11/16(火) 12:48:07 ID:wwptNuJS
人間の遺伝子そのものが「利己的」なのですから、もう救いようがありません。わたし個人は絶対君主のように他者を支配し苦しませる事の方がかえって「楽」を感じます。サイコパスなんですかねぇ
606神も仏も名無しさん:2010/11/16(火) 14:23:32 ID:HqzCBhXc
煩悩とは、人間が生きていることの証。苦があるから、楽が存在し得る。
楽のみの世界は、苦のみの世界と全く同じ。涅槃とは、地獄の別名である。
607神も仏も名無しさん:2010/11/16(火) 14:37:18 ID:Oc1zTU4E
まあ、二因だと悟れないともあるしな。
悪いことが好きなら潔く悪趣で苦を
引き受けるのもありなんじゃないか。
お勧めは全くしないが。
608神も仏も名無しさん:2010/11/16(火) 15:57:00 ID:HqzCBhXc
>>607
「苦」は「悪」ではない。それでころか、生存を害する要素の存在を知らせて
くれる点で、感謝すべき「善」である。その苦を、人為的に排除しようと努め
ることこそ、「悪」である。

「善とは、生存を助ける行為。悪とは、生存を害する行為」。
609神も仏も名無しさん:2010/11/16(火) 16:34:07 ID:wwptNuJS
プッ(笑)善も悪もありゃしない…
610神も仏も名無しさん:2010/11/16(火) 16:56:11 ID:svVLUI94
>>609
ならば宗教は、「善悪」など一切語るな。自分でも定義できない「善悪」を
語って、その「言葉」に自己陶酔しているのが、宗教者。
611神も仏も名無しさん:2010/11/16(火) 17:02:33 ID:wwptNuJS
善悪を超越した立場から、どしどし他者を「裁く」し、生意気なヤツは蹴散らす…やなこった…だれがてめえの思惑通りになるかよ(鼻で笑う)
612神も仏も名無しさん:2010/11/16(火) 17:04:33 ID:wwptNuJS
俺が天下に背こうと、天下が俺に背く事は許さん!…だ
613神も仏も名無しさん:2010/11/16(火) 17:08:48 ID:svVLUI94
>>611
「善悪」「正邪」「正誤」「清濁」など、自分でも具体的には理解していない抽象語・
観念語を垂れ流して自己陶酔に浸っているのが宗教。

宗教の教典から、このような具体的な意味不明の抽象語・観念語をすべて
削除したら、内容は「ゼロ」である。誰かやってみ。
614神も仏も名無しさん:2010/11/16(火) 17:10:08 ID:0MkjUufq
現実逃避だな
615神も仏も名無しさん:2010/11/16(火) 17:11:38 ID:svVLUI94
>>612
それは、君の開祖・教祖に向って言うべきこと。どうしてもいえないのだろw。
616神も仏も名無しさん:2010/11/16(火) 17:12:46 ID:wwptNuJS
興味ない。
617神も仏も名無しさん:2010/11/16(火) 19:49:36 ID:M3PX9PlA
>>606 涅槃とは、生きものであることをやめること。
生きものじゃなくなるんだから、苦も楽もなくなる。
618神も仏も名無しさん:2010/11/16(火) 20:12:10 ID:EFxxa/F/
>>617
それなら、何故自殺しない?死ねないのだろ。生存本能が優越しているという
ことの証明だ。死後の世界があるというのも、生への果てしない執着。

釈迦でさえ、死は最大の苦としている。

いくら苦しくても、実は、今生きていることに最大の喜びを感じていることを、
看破しなければならない。

生存本能(生命)が、すべての動物、すべての生物に共通する「唯一の普遍の
事実」である。
619神も仏も名無しさん:2010/11/16(火) 22:56:18 ID:M3PX9PlA
>>618 すべての生物が持っている生存本能こそが、
すべての生物がくりかえしている苦しみの生の原因。
その生存本能から自由になるのが、仏教の目的。
だが、煩悩をなくさないで(わずかな生存本能さえもなくさないで)自殺しても、
わずかに残っている生存本能による生への執着が原因となって、
輪廻転生することになるから、滅びることができず苦しみをくりかえすだけ。
620神も仏も名無しさん:2010/11/17(水) 00:37:01 ID:vJF1PvKz
ラーフラが生まれた時に祖父が喜んだ、
と書いてある仏典その他籍の名前を教えてください。
ラーフラの意味するところを「障害、悪魔」ではなく、
「ナーガ(龍、釈迦族のシンボル)の頭」とする説で挙げられていたので
気になりました。
621神も仏も名無しさん:2010/11/17(水) 10:30:38 ID:ZVQ5/JFJ
すみません。天台宗のお坊様がおられましたら、1つ教えてください。
天台宗では、法華経の方便品(十如是)や寿量品(自我偈)、観音品(世尊偈)などは呉音で読み、
安楽行品の偈文は漢音で読むと聞きました。
なぜ、安楽行品は、ほかの品とは違い、漢音で読むのでしょうか?
622神も仏も名無しさん:2010/11/17(水) 23:57:58 ID:P8O4dCc6
仏教の不殺生、不偸盗・・・とかの十戒ってどの経典に書かれてるの?
623神も仏も名無しさん:2010/11/18(木) 00:03:03 ID:+7ehJwAk
tanasinnは仏教ですか
624617カルト教団隠居真理教にご注意w:2010/11/18(木) 16:33:47 ID:4yZE7Qp+
病的一神教徒宗教者、隠居生命教脳の解析を始めようw
さて、隠居生命教は人間の精神苦の原因分析を否定し
病的一神教のように生命で解決できうる宗教である。
チリの閉じ込められた19歳のジミー君は毎日PTSDに苦しみ、母親と一緒でないと寝られない(朝日新聞)
らしが、

病的一神教徒宗教者、隠居生命教の宗教患者の脳の見方は異なるようであるww

153 :神も仏も名無しさん:2010/10/16(土) 19:57:57 ID:v434uxvf
>>152
チリの作業員たちは、生命が助かった喜びで、PTSDなどもはや存在しない
ようだな。

隠居生命教がこのような人間の精神の苦を無視できる病的宗教患者の姿の予想が可能であるw

隠居は幼児期、カルト系キリスト教教団(エホバ)による虐待を受けた、と予想される。
思考回路が病的なアルカイダ、タリバンの思考と同じである。
隠居的病的宗教患者の思考こそが宗教戦争の根源であるw

そして、最近の学説によると幼児虐待をする人間の脳は幼児虐待されているので、
感情のコントロールを司る、大脳辺縁系及び海馬の縮小が見られる、
他者の精神の苦や感情に対する共感が低下し、平気で残虐な虐待ができうる。

故に、隠居生命教は感情及び、人間の精神の苦の原因分析を否定し鈍感であるが故に、
人間の精神の苦、感情を分析する釈迦は隠居生命教で否定されるのであるw
625神も仏も名無しさん:2010/11/18(木) 16:46:39 ID:YC5VvKoz
そんな分析で大丈夫か?
626神も仏も名無しさん:2010/11/18(木) 22:56:04 ID:YZnyNZCA
>>622 梵網経では
627神も仏も名無しさん:2010/11/19(金) 00:15:14 ID:g23uPvGV
誰も>>621さんの質問には、答えられないのか。日本の仏教質問箱なのに、ここには
大乗仏教徒は一人もいず、小乗カルト信者だけなのかw。
628神も仏も名無しさん:2010/11/19(金) 19:06:36 ID:rX062Pfz
天台宗の坊さんは、希少価値の高い絶滅危惧種だからなぁ
629神も仏も名無しさん:2010/11/19(金) 20:27:53 ID:I855Xcog
日本に大乗仏教徒がいない…当たり前じゃん。古代ならいざ知らず…もし日本が大乗仏教なら、一人の貧困者も不倫や年間三万人の自殺、も、イジメも不和もまったく存在しないと言うことで俺は納得しますぜ?
630神も仏も名無しさん:2010/11/19(金) 20:28:01 ID:kIJ83woZ
>>622
(仏教的に)正確に言えば「十善戒」ということになるんでしょうが、
どれか一つの経典に、ということでなく、あちこちに散見されます。
どれが初期の形か、は文献学的に精査しても確定できないと思います。
((十項目でない、或いは言い回し等が若干違う、幾つかの項目に異同があり、それらによる)
原型・古形の類推は可能かもしれませんし、既に研究なり論文はあるかもしれませんが・・。)

参1:(漢訳に於いて「十善戒」という名称でなら>>626の通りのようです。)
ttp://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php
Search word : "十善戒" : Including related character :
188 hits : 1 2 3 4 5 6 7 --- [ keyword count ] : 270
Search word : "十善" : Including related character :
3278 hits : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 ..100....110 --- [ keyword count ] : 5652 ・・・筆頭は長阿含
Search word : "十善業" : Including related character :
693 hits : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 ..24 --- [ keyword count ] : 1086 ・・・筆頭は長阿含
Search word : "十善業道" : Including related character :
514 hits : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 ..18 --- [ keyword count ] : 836

参2:(南伝大蔵経索引より。(*i以外は名称だけかも?))
「十戒(dasa sIlAni)」清浄道論/「十善(dasa kusalAni)」所行蔵経/「十善業」長部クータダンタ経/
「十善業道(dasa kusalakammapathA)」長部等誦経、増支部十集他数経、ジャータカ、無礙解道、/
「十善の意味で」正見経、中部大ヴァッチャゴッタ経、増支部四集/
「十善業の意味で」中部サーレイヤカ経、他中部相応部増支部等に数経、小部ニッデーサに数ヶ所/
631神も仏も名無しさん:2010/11/19(金) 20:30:37 ID:kIJ83woZ
あ、*付け忘れましたがw、調べ直すの面倒なのでこのままで御了承を・・m(_ _)m
632神も仏も名無しさん:2010/11/19(金) 20:32:01 ID:I855Xcog
古代インドの一世紀から三世紀ぐらいの時代は「たった一度の奇跡の時代」だったと思う…大乗仏教精神がみなぎっていた…でなければ、法華経や華厳経、大般若経のごとき人知を超えた経典群があれだけ沢山登場するパワーは想像できんもの
633神も仏も名無しさん:2010/11/20(土) 07:04:26 ID:swiqNjQZ
浄土真宗について質問です

「金の為に行動してはいけない」
「見返りを求めてはいけない」


みたいな教えは無いのでしょうか?
物心ついてから、ボウサンが好きじゃないです。
商売してるくせに、客のこっちが「ありがとうございます、お布施です」って形で渡すのが嫌で仕方ありませんでした。


法事などの機会があれば、親族目の前にしてそれについて直接質問したいのですが
知識がありません。
詳しいかた教えてください
634神も仏も名無しさん:2010/11/20(土) 07:40:54 ID:ldBLtt5Z
質問してるより、おかしいと思うなら金やらなきゃいいじゃんボケが…宗教でメシ食うやつは、額に汗して働け!もしくはホームレスにでもなれ
635神も仏も名無しさん:2010/11/20(土) 08:39:56 ID:swiqNjQZ
>>634
まだ20代前半なんですが、自分では金出したことないです。
金出してるのが自分じゃないから、どうにもできません。

ただ、偽善者ズラした坊さんに、親や親族が騙されてるのみると、毎回ムカツク気持ちになる。

だから法事とかの時、お経唱えて、仏教の?自称ありがたい話をしてるときにそっと質問を投げ掛けたいのです。

そのためにはまず
「金の為に行動してはいけない」
「見返りを求めてはいけない」
っていうような教えがないのかどうか知りたいのです。
636神も仏も名無しさん:2010/11/20(土) 09:22:32 ID:ldBLtt5Z
お前さぁ…大乗経典読んだこと無いだろ?あとは自分で考えろ。俺はそれほど優しくはない
637宝珠愚者:2010/11/20(土) 10:27:45 ID:Qo4uLASP
>>633>>635
>「金の為に行動してはいけない」
>「見返りを求めてはいけない」
>っていうような教えがないのかどうか知りたいのです。

あるでしょう(そりゃ〜モチロンあります)。

>商売してるくせに、客のこっちが「ありがとうございます、お布施です」
>って形で渡すのが嫌で仕方ありませんでした。

正しくは、それは“料金”なんですよ(金額の定かではない)。
ですから、あなたの疑問と不信感はご尤もであり、正解なのです。

布施というのは本来、
本人、自らによる自発的な喜捨行為です。
もし僧侶が法要やその他について特に何もしなくても、
あなた自身の気持ちから快く差し出すのならば、それが布施となります。
また、相手に何かして頂いたことに対する基本的な感謝の念を持つというのも、
人間関係としては必要な美徳でしょう。
ただし、あなたが納得せずその気がない(起きない)のならば、もちろん差し出す必要は皆無です。

いずれ、あなた自身が法要主催者(喪主など・・)の立場になったとき、
「自分は布施する気はないし、法要読経に対する感謝の念もないのでしません」と、
ハッキリと言うとよいでしょう。

もう、その僧侶は来ないだろうと思いますが・・・。
638神も仏も名無しさん:2010/11/20(土) 10:45:37 ID:pxOAqwMp
>>635 ある専門分野に興味がある人が、その道の専門家を講師に招いて説教を聞く場合には、
招いた側が「ありがとうございました」のお礼を言うのもあたりまえだと思います。
要は、あなたが仏教(真宗)に興味しんしんの人なら、
自然と「ありがとうございました」と思えるはず。
あなたが仏教に興味ないなら、わざわざアポとってまで僧侶に法事を依頼する必要はない。
あなたの側から法事を依頼しておいて、なんでお礼を言いたくない?
相手からしたら頼まれて来てるわけだし。
で、質問の答。お経には、ブッダが詩句(教えを表現した詩)を人に唱えて聞かせたとき、
相手が感動してお礼にお布施をしようとしたら、ブッダは断った。
ブッダは、詩句を唱えた見返り(サービスの対価)としての布施はお断り。
対価ではなくあくまで純粋な寄付や教団支援の布施ならもらう。
639神も仏も名無しさん:2010/11/20(土) 10:52:49 ID:pxOAqwMp
>>638 自称ありがたい話かもしれないが、しかし、
法事というのは、こちらから頼まないと僧侶は来ないわけで、
嫌なら頼まなきゃいいと思います。
布施というのは、見返りを求めず自分の持っているものを他人に分け与えること。
お金がある者はお金を分け与え、知識がある者は知識を分け与え、電車で席を譲るのも布施。
昔は僧侶は村一番の知識人であったが、現金収入はなかった。
一方、村人の多くは学識もなく、漢文の経典を読む能力もなかった。
だからお互いに自分の持っているものを分け与えあうのは自然な姿だったのでしょう。
640神も仏も名無しさん:2010/11/20(土) 10:59:05 ID:pxOAqwMp
>>635 私がもし、「仏教の布施の精神では見返りを求めてはいけないんですよね?」と質問されたら、
「はい、そのとおりです。ですから、
法事というサービスの料金のつもりでお布施をしてはいけません。
見返りを求めたずにお寺に寄付する気持ちでお布施してください。
私も法事の見返りは求めませんから、お布施がいくらでも文句は言えません。」
と答えます。
しかし、「あ、でも、本堂の花を一回変えたら千円くらいかかるので、
それくらいは回収したいなぁ…」と大きな独り言は言いますけどね。
641神も仏も名無しさん:2010/11/20(土) 11:45:00 ID:ldBLtt5Z
と言うか、日本にはそもそも坊主などいないわけで、宗教法人法を廃止して全員還俗させるべき。仮に坊主を存続させるなら戒律を破った破戒僧は「死刑」にすれば良い
642神も仏も名無しさん:2010/11/20(土) 11:47:23 ID:ldBLtt5Z
事業仕分けの対象になぜ、宗教法人が浮上しないのか?天皇制との絡みが有るからか?天皇制は「象徴」として例外とし、ビシバシ仕分けろよ…れんほー
643神も仏も名無しさん:2010/11/20(土) 16:49:45 ID:1dISWLbT
>>641
現実的ではないよね。
宗教法人というカテゴリーを認め、優遇措置が加味されている理由は、
(「信教の自由」も勿論含みはするが)、
《『日本人の』『伝統的慣習』を排せないから、その『慣習・価値観の維持』の為に機能し、存在している》わけだ。
その解決(→代替案の提示)をし得て初めて言い得ることさ。
 *(現状、「利権や政治への関与」の下支えとなっていることを否定はしない。)
今、そうした伝統的価値観や慣習が衰退しているとは言いながらも、
未だ現在進行形で存続している以上、いきなり梯子を外すことは現実的ではない。
梯子を外すなら、替わりの足場を構築しなければ『人間の心情』や『文化的慣習』の否定となるが、
そういうこと?
(参:先祖供養は不要 その2 http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1285087905/

また、【『仏教上の』『戒律(≒規則・規範)』を、『刑法』に加えること】に問題は無いのかい?
644神も仏も名無しさん:2010/11/21(日) 15:05:34 ID:Ij2pfMre
最初からお寺に行かなければ良いじゃん
片っ端から散骨しちゃえよ
645神も仏も名無しさん:2010/11/22(月) 12:37:08 ID:KKmApEkd
仏教ではお願いをするのを願掛けといいますが、本人の利益になるお願いはしてはいけないと聞きました。
本当でしょうか?たとえば◯◯大学合格させてくださいとか、仏様には感謝するものでお願いするものではないというのは本当でしょうか?
神様にはどういう考えが正しいのでしょうか?
646神も仏も名無しさん:2010/11/22(月) 16:36:13 ID:6dDT8ECC
自分の内なる神、仏のパワーを呼び覚ますのが本来の信仰です。利己的な願いはかないますが、他者の幸福なくして自己の幸福は有りません。本当の信仰は「利他的」なのです
647神も仏も名無しさん:2010/11/22(月) 17:55:48 ID:hdESEU5L
自己の信力・行力があって、はじめて仏力・法力が感応し、願いが成就する。
648神も仏も名無しさん:2010/11/22(月) 18:29:30 ID:RJyvSdzU
>>646
人の幸せを願えばおのずと自分も幸せが訪れるということでしょうか?
仏のパワーの引き出し方って具体的にどういう心構えであったり行動だったりするのでしょうか?
>>647
うーーん初心者には表現が難しいです・・・スイマセン

もっと簡単に言うとどういう意味なのでしょうか?
649神も仏も名無しさん:2010/11/22(月) 18:42:11 ID:6dDT8ECC
男は黙って菩薩道!
650神も仏も名無しさん:2010/11/22(月) 18:54:17 ID:wRWuYNwO
>>648
自己の(身内・知り合いの)幸せを願っては「いけない」ということはない。
その願いが、「自己中心的なもの」でないかどうかが問われるということ。
具体的には、『普段から「周囲を慮らない」「自己の都合だけを優先する」「他者の想い・状況を顧みない」』
などといった心の在り様であったなら、(祈願成就へ向かうであろう)縁も結ばれなくなる。

祈願に併せて、(広く)他への祈りを重ねるよう心がければ、どれだけ自分のことを願おうと、誰も責めやしない。
651647:2010/11/23(火) 01:30:37 ID:pYWJ+XP1
>>648
信仰に対する強い決意と、仏道修行に対する覚悟があってはじめて、仏様の力や仏法の力が引き出されて、願いが叶うということです。
652神も仏も名無しさん:2010/11/23(火) 01:34:12 ID:6gVRXOFX
己の欲望のためなどに仏教は無い。

仏道舐めんな。
653神も仏も名無しさん:2010/11/23(火) 02:20:03 ID:usHepjiq
>>652
人類総出家・総比丘・(総僧侶・総修行者)が理想かw おめでたいなwww
654神も仏も名無しさん:2010/11/23(火) 02:26:05 ID:6gVRXOFX
すきなだけ賽銭箱に放り込めよ。
それであんたの気が済むんならな。
655神も仏も名無しさん:2010/11/23(火) 03:03:01 ID:usHepjiq
>>654
サラリーマンが、家族の幸せを願って仏様に手を合わせて何が悪い?
漁師が、漁の無事と大漁を願って観音さんに祈りを捧げて何が悪い?

(大乗)仏教舐めんなw
つか、在家(在俗信者)無視の仏教なぞ成立せんわいw それは、釈尊在世時から一貫していることだ。
(判り易い顕著な例で言えば、不淫戒と不邪淫戒の別は伊達じゃねーぞw)

ノシ
656神も仏も名無しさん:2010/11/23(火) 14:06:28 ID:UhIzr4+c
仏教には暗い予言が多くはないですか?
暗い世の中を目指したかったのかな。

657神も仏も名無しさん:2010/11/23(火) 14:11:21 ID:z/g3rHIb
<現在の浄土真宗の教えまとめ>
・人間死んだら終わり。霊魂は存在しない
・当然、あの世もない
・阿弥陀如来は頭の中の理屈上でだけ存在するもの
・葬式は死者の霊のために行うのではない
・葬式は参列者が死者を偲ぶのと、真宗の教えを学ぶ場である
・死後に霊を供養するということも無意味である
・法事も供養する場ではなく、生きている人間が真宗の教えを学ぶ場である
・仏壇も先祖供養するためのものでなく、真宗の教えを学ぶためのもの
・墓も生きている者が死者を偲ぶだけの場である
・占い、迷信、オカルトなど科学的証明ができないものを信じる者は馬鹿である
・よって、聖徳太子の夢のお告げを信じた親鸞は馬鹿である
・阿弥陀如来像、親鸞像なども単なる物質であるので、これに対して祈りを捧げるのも馬鹿である
・報恩講などのお布施は、親鸞はもう存在しないし、阿弥陀如来は架空のものなので、
現在の僧侶に対するお礼として納めるべきもの
658神も仏も名無しさん:2010/11/25(木) 02:23:32 ID:5TBqVACp
質問ですが

仏教では、尊厳死、安楽死、高度医療の拒否(消極的自殺)をどう考えますか?
諦めや絶望ではなく、涅槃とか極楽とか信じていたとしてですが。
659゚ 。(*′∇`)。 ゚ 希美ちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/11/25(木) 03:24:20 ID:NxDcx44I
>>658って宗教に無関心な、かまってちゃんよ。
スルー推奨。
660神も仏も名無しさん:2010/11/25(木) 03:36:56 ID:5TBqVACp
>>659
何か誤解されているようですが・・・
消極的自殺を仏教ではどう考えるのか?を質問しています。
私には探しものがあるだけなんですよ。

キリスト教質問箱では見つからなかったというだけです。
661神も仏も名無しさん:2010/11/25(木) 06:46:07 ID:dvunaY90
>>658
>仏教では、尊厳死、安楽死、高度医療の拒否(消極的自殺)をどう考えますか?

ありだと思います。逆に意識もないのに生き続けさせる方がないでしょう。
662神も仏も名無しさん:2010/11/25(木) 09:19:13 ID:5TBqVACp
>>661
回答ありがとうございます。高度医療の拒否はどうでしょうか?
喩えば末期癌の場合、痛みを緩和する措置はしても、
延命治療自体は拒否するというものですが。

663神も仏も名無しさん:2010/11/25(木) 10:20:06 ID:dvunaY90
>>662
私自身もそういう方向でいきたいと思ってます。
私が末期癌と告げられたなら、行に専念し、成る可く小食でいきたいと思ってます。

なぜなら、仏教徒なら長生きすることが目的ではなく、少しでも善い状態で、良い意識で死ぬこと、できれば悟りや解脱できることを目的として生きているからです。

痛みを緩和するのもありだと思います。
664神も仏も名無しさん:2010/11/25(木) 10:56:31 ID:5TBqVACp
>>663
回答ありがとうございます。
色々疑問があったのですが、納得できました。感謝します。

665神も仏も名無しさん:2010/11/25(木) 10:57:35 ID:+WS0Pdp2
>>660
それぞれについて、『アリ』の度合いは異なるであろうと思いますが、
私も『アリ』だと思います。根拠無きw数字をイメージ的に当てはめれば、
  安楽死     尊厳死   高度医療の拒否
 なし:あり    なし:あり    なし:あり
  50:50     .70:30     90:10
といった感じでしょうか・・。
いずれにしろ、『アリ』がゼロということは、仏教では「ない」だろうと思われます。
勿論、命(→生きていること)は最大限尊重されねばならないわけですが、
そのことにより、犠牲となる事案・事象が大きなものとしてあったり、
そのことのデメリットが大きかったり、件の選択をすることのメリットが大きなものだったりするとき、
『アリ』が選択されることを全否定しない場合があるということです。
もしかしたら、「打算的」「計算高い」と見られるかもしれません。
しかし、個々の事例・事案において、その周縁の事情、状況を考慮する、ということです。
たとえば、裁判に於ける量刑の判断、情状酌量のスタンスと近いかもしれません。
或いはまた、今回、尖閣ビデオの問題で
「公開するメリット・デメリット」「公開しないメリット・デメリット」が取り沙汰されましたが、
同質の問題を孕んでいると思います。
 《今まさに相対(あいたい)している“この問題”(事案・事象)に於いて、
 『何が大切にされるべきなのか?』》 と・・・。
666神も仏も名無しさん:2010/11/25(木) 10:58:21 ID:+WS0Pdp2
>>660
或は、もっと深く宗教的に受け止めるなら、>>663さんのようなことでもあります。
たとえば、(非常にあり得そうな仮定をすれば)、
治癒困難な状況で癌を宣告された人が、(特に或いは画家、或いは政治家、或いは宗教者等であった時など)、
今、バリバリ動けるなら、投薬や通院はするとしても、時間や行動を制限される本格的治療や手術を避け、
《延命の可能性が少しばかり高まる方向での(【医療面での】)「ベストな選択」より、
 行動の制限が掛からない・少ない「ベターな選択」をする》
ことはあり得ますし、責められることではありません。
そのように、【残された時間の中で】、自らの(社会的)責務、或いは目標達成への努力・邁進をすること、は
「“善なる”選択」と見做し得るからです。
この意味で、仏教はそれらの事案に対して「全否定」をしないのです。

*ちなみに、「 >キリスト教質問箱では見つからなかった 」というのは、
(あくまでも、私のキリスト教に対するイメージで、ですが)、
キリスト教が、そういう問題に対する態度として(たとえば中絶等もそうですが)、
基本的に 「ゼロか百か」 だからではないかと思います。
667神も仏も名無しさん:2010/11/25(木) 15:36:14 ID:9GcQZhaN
ゲーデルの不完全性定理や
量子論
と深い関連性をしるし

神の存在を問わない
仏教は
宗教というより哲学や
数学、物理に近しいと思うのですが

キリスト教徒でかつ仏教徒というのはありうるのでしょうか?
668神も仏も名無しさん:2010/11/25(木) 20:46:44 ID:dvunaY90
>>664
少しでもあなたの苦が軽減したなら、それはとても嬉しいことです。

>>666
キリスト教というかセム系宗教は神の命令に従うことが根本ですから、
根本的に唯一の真実しかないという方向に行きますよね。

それに対して仏教は、縁起・無我・空・仮設で、苦を除くことが根本ですから、究極の苦を除くには解脱・涅槃しかありませんが、
一時的に苦を除くために有効なことは、なんでも有効です。
ただし、それが将来の苦をもたらさないもの、つまり他を害さないことに基づいていることが基本的条件となります。

>>667
仏教を完全に学ぶという場合は、三宝帰依が根本になりますから、
ちょっと厳しいですね。

しかし、キリスト教徒が一時的苦を除くために仏教の方法を用いることはできると思います。
669神も仏も名無しさん:2010/11/25(木) 23:13:05 ID:bV51HOJK
>>668
>苦を除くことが根本

それは小乗仏教での話ではありませんか。大乗仏教では、「煩悩即菩提」「娑婆即寂光」で、
「苦」は最大の関心事ではありません。涅槃経では仏は「常・楽・我・浄」として、逆に
「楽」が強調されています。

回答者は、大乗か小乗か、ご自分の立場を明確にしてから、ご回答ください。

日本の仏教は、大乗仏教です。
670神も仏も名無しさん:2010/11/25(木) 23:17:41 ID:NSDi60MP
これも仏教に入るかどうか分かりませんが、分かる方がおりましたら
お願いします
年賀状の為に卯に関する天部を調べていたのですが、十二神将の中で
安底羅大将と摩虎羅大将が卯歳だったり申歳だったりします
他の神将も逆だったりするのですが、これはどうして起きるのですか?
資料があって決まっている訳では無いのですか?
それとも解釈が色々あるという事でしょうか?
昨年もそれですごく悩み、今年こそは解決したいです
調べてもまったく分かりませんでしたので、どうか助けてください
671神も仏も名無しさん:2010/11/25(木) 23:30:14 ID:iJeDgvAo
>>651
つまり死の覚悟だな。
>>652
人々の幸福こそ己の欲望ならどうなる?
672神も仏も名無しさん:2010/11/25(木) 23:36:29 ID:iJeDgvAo
>>667
仏教ではキリスト教にも(それなりの)価値を認めています。
673神も仏も名無しさん:2010/11/25(木) 23:58:47 ID:IfZnbRq7
>>669
無意味無根拠な横レスしてないで、
御自身の見解で>>658に答えてみたら如何ですか?w
貴方はいつも「他人の尻馬に乗る」ばかりで、中身が何もありませんね・・。
674神も仏も名無しさん:2010/11/26(金) 00:50:13 ID:CoiLEsrt
>>673
あなたが小乗教徒なのか大乗教徒なのかを、まず明らかにしてください。

>>667
>キリスト教徒でかつ仏教徒というのはありうるのでしょうか

キリスト教は、イエスを絶対的な存在をし、イエスを信じることによって、
「罪から救われる」というものですが、大乗仏教(小乗仏教とは本質的に
異なる)には、「絶対的存在」も「罪概念」もなく、すべては「相互依存性・
関係性故の『空』」で「無自性」ですから、キリスト教と大乗仏教とは相容れ
ません。旧約聖書の「コヘレトの言葉」では、「空」という言葉を使いますが、
これは、単に、「何もない」「空しい」という意味で、大乗仏教の、「関係性
故の空」とは異なります。それでも、コヘレトは、ある程度仏教に接近してい
るが、クリスチャンでコヘレトを引用する方は、殆どいません。仏教同様、コ
ヘレトは、キリスト教とは異質だからです。
675神も仏も名無しさん:2010/11/26(金) 01:09:13 ID:I7f9vbgH
>>674
なぜ、「 >まず 」なのでしょう?w

・このスレが大乗限定であらねばならない理由が無根拠な物であることは、
過去、明快に論証されました。貴方の主張が独善的妄想であることは既に明らかです。
また、
>>665-666(及び>>663)は、大乗小乗、上座、初期現代仏教問わず、全てに共通する視点です。
貴方の狭い視野と知識では解らないのも無理はありませんが・・w

他の意見にケチをつける前に、まず自らが回答したらどうですか?
貴方は、他者の回答にケチをつけるだけで、一向に御自身の意見を述べられません。
ケチをつけるということは、それとは違う明確な意見があるということでしょう?w
それを是非開陳してくださいよwww (以前も、幾つか同じようなケースがありましたね・・。)
逆に、求められてもいないことを延々と垂れ流すことの方が多いように見受けられます。
そういう所も、他いつもの姑息さも、筋違いの言葉を垂れ流す愚劣さも、現内閣及び仙石官房長官そっくりですねw


ノシ
676神も仏も名無しさん:2010/11/26(金) 02:21:14 ID:CoiLEsrt
>>675
大乗と小乗とは本質的に異なる宗教であることは、もはや常識ではありませんか。
それなら、回答者の立場をちゃんと明かさないと、質問者を誤導することにな
りますよ。

また民主と仙谷w。私の書き込みを通して読んでいただければ、むしろ「保守
の真髄」そして「大乗仏教の真髄」語っていることは、理解できるはずだが。
677神も仏も名無しさん:2010/11/27(土) 00:12:15 ID:a5W0Zwp9
>大乗と小乗とは本質的に異なる宗教であることは、もはや常識ではありませんか。

常識に囚われてはいけない
678神も仏も名無しさん:2010/11/27(土) 09:19:23 ID:w/6s/NT+
>>674 :神も仏も名無しさん:2010/11/26(金) 00:50:13 ID:CoiLEsrt

>キリスト教徒でかつ仏教徒というのはありうるのでしょうか

>>キリスト教は、イエスを絶対的な存在をし、イエスを信じることによって、
>>「罪から救われる」というものですが、大乗仏教(小乗仏教とは本質的に
>>異なる)には、「絶対的存在」も「罪概念」もなく、すべては「相互依存性・
>>関係性故の『空』」で「無自性」ですから、キリスト教と大乗仏教とは相容れ
ません。旧約聖書の「コヘレトの言葉」では、「空」という言葉を使いますが、
>>これは、単に、「何もない」「空しい」という意味で、大乗仏教の、「関係性
>>故の空」とは異なります。それでも、コヘレトは、ある程度仏教に接近してい
>>るが、クリスチャンでコヘレトを引用する方は、殆どいません。仏教同様、コ
>>ヘレトは、キリスト教とは異質だからです。


仏教の経典も聖書も真理(法)を説いている限りまったく同じ事を説いています。
たとえば、仏教の空は聖書のどの部分にあるかを考えてみましょう。
経典にあるように空とは幻のことです。幻はどのように現れるでしょうか。
催眠術の幻であれば、術者の言葉です。
また、夢(幻)であれば、心の中から起きる言葉によって造られます。

聖書では『一切のもの、ことばによって造られた。ことばによらずに造
られたものは何一つない。』と書かれています。この部分が仏教の空を意味してるのです。
679神も仏も名無しさん:2010/11/27(土) 09:49:37 ID:nVeTxw+5
>>678
すべて幻なら、釈迦もイエスも、経典も聖書も、仏教もキリスト教も幻だ。

幻に、何故そんなに執着する?妄想患者とどこが違うのか?幻(妄想)は、直
ちに捨てて、現実に戻りなさい。人間は、幻の中ではそもそも生きられない。
生きられなければ、仏教もキリスト教も存在しない。
680神も仏も名無しさん:2010/11/27(土) 12:10:11 ID:w/6s/NT+
>>679
>>678
>>すべて幻なら、釈迦もイエスも、経典も聖書も、仏教もキリスト教も幻だ。


もちろんです。そこでお釈迦様はこう言っているのです。
**************************************
(巻の第八十二 初分諸天子品二十三之二)
『天子、當に知るべし、我れ今幻の如き化の如き夢の如き有情の為に幻
の如き化の如き夢の如き法を説かんと欲す。』(国訳一切経 大東出版)
**************************************


>>幻に、何故そんなに執着する?妄想患者とどこが違うのか?幻(妄想)は、直
>>ちに捨てて、現実に戻りなさい。人間は、幻の中ではそもそも生きられない。
>>生きられなければ、仏教もキリスト教も存在しない。


幻の中では生きられない?現に生きていますよ。
この世は現実ではなく何も実在しないから執着を捨て、空(幻)を理解
しなさいと言っているのです。

『この世界(妄想)は、直ちに捨てて、現実に戻りなさい。』
まさに、これが釈迦の悟りです。
681神も仏も名無しさん:2010/11/27(土) 12:29:25 ID:XmCZnfpX
>>678
>仏教の経典も聖書も真理(法)を説いている限りまったく同じ事を説いています。
ダウト。
若干の共通点があるからといって、短絡的に同一と見做す姿勢には異議を唱える。
ちなみに問うが、キリスト教に於いて、
《「縁起」に基づいて「苦の滅」を説き、「その為の手法」が併せて》説かれているか?
仮に「苦の滅【的なこと】」が説かれているとして、その場合の「苦の滅」は、
仏教内のものと同じと言えるのか?

>たとえば、仏教の空は聖書のどの部分にあるかを考えてみましょう
どこですか?w

>聖書では・・・・・・意味してるのです
一面的過ぎる。 「ことば」もまた、縁起する事象(≒世界)の一部に過ぎない。

>空とは幻のことです。幻はどのように現れ
人が、「常住である」と見たり「確固としてある」と見るのは、言葉によるだけではない。
視覚的に見て「ああ、確かにある」と知覚認識する。触ってみて「ああ、確かにある」と知覚認識する。
嗅いで、味わって、聞いて、思考して、「ああ、確かにある」と知覚認識する。
言葉以前の段階で、既に錯誤は始まっている。言葉は、明確な認識(分別)に際して関わってくるものだ。
682神も仏も名無しさん:2010/11/27(土) 17:46:22 ID:426Mmr9O
>>680
>幻の中では生きられない?現に生きていますよ。

この世界は、五感に映じただけの世界だから、幻かも知れない。しかし、人間は
その「幻の世界」以外では生存できないのだから、その世界のみが「確固たる
現実界」となる。人間にとっては「五感に映じない本物の世界」などないのである。
従って、わざわざ「幻」などという必要は、全くない。

色即是空、されど空即是色である。これが、大乗仏教の極意。

大乗仏教は、徹頭徹尾、現実的・関係的な宗教。「幻」とは無関係。「空」とは、
「幻」のことではなく、「厳然として実在する万物の相互依存性・関係性」の
意味。それ故に、「執着すべき自性はない」というだけの話である。
683神も仏も名無しさん:2010/11/28(日) 07:49:24 ID:H/skmGhs
>>681
>>この世界は、五感に映じただけの世界だから、幻かも知れない。しかし、人間は
>>その「幻の世界」以外では生存できないのだから、その世界のみが「確固たる
>>現実界」となる。人間にとっては「五感に映じない本物の世界」などないのである。
>>従って、わざわざ「幻」などという必要は、全くない。


この世界が幻でなく真実の世界であるのと、この世界が幻の世界であるのとでは大違いです。
もし、この世界が真実の世界であるなら、縁起の法は成り立たないのです。また、死後の世界もなく、輪廻もありません。人間が死ねば、壊れたロボットのようにそれで終わりなのです。

しかし、実際にはこの世界が自分の心(識)で造った幻の世界なので、悪い心からは悪い現象が、良い心からは良い現象が起きるのです。これが縁起の法則です。我々が夢を見るように、今日の夢、明日の夢というように、幻は繰り返されます。これが輪廻です。
これが仏説です。
684神も仏も名無しさん:2010/11/28(日) 10:21:02 ID:G2uoeALP
>>683
良い心と悪い心とを渾然一体として有するのが人間である。人間共同体では、
心そのものは問題としない。心から生じる「行為」のみが問題。これが、キリスト
教と比較して、仏教を初めとする東洋思想の顕著な特徴であることを、あなたは
理解していない。

あなたは、幻ではない「真実の世界」などを、一体どうやって知覚・認識した
のかね。それこそ幻・妄想ではないか。
685神も仏も名無しさん:2010/11/28(日) 11:13:18 ID:H/skmGhs
>>684 :神も仏も名無しさん:2010/11/28(日) 10:21:02 ID:G2uoeALP
>>683
>>良い心と悪い心とを渾然一体として有するのが人間である。人間共同体では、
>>心そのものは問題としない。心から生じる「行為」のみが問題。これが、キリスト
>>教と比較して、仏教を初めとする東洋思想の顕著な特徴であることを、あなたは
>>理解していない。


基本的にはキリスト教も仏教も同じ真理を伝えようとしています。
もちろんキリスト教にも因果の法は説かれています。
**********************************************
剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。
さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。
人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。
与えなさい。そうすれば自分も与えられます。
**********************************************
これが聖書の縁起です。


>>あなたは、幻ではない「真実の世界」などを、一体どうやって知覚・認識した
>>のかね。それこそ幻・妄想ではないか。

私が認識たわけではありません。
それは法華経に説かれているのです。
686神も仏も名無しさん:2010/11/28(日) 11:34:56 ID:G2uoeALP
>>685
>剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。
>さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。
>人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。
>与えなさい。そうすれば自分も与えられます

すべて、キリスト教とイエスに当てはまるな。

最も争いと戦争を好むのがキリスト教徒。
最も人を裁いたのがイエス。彼は何と、「裁く権限は自分だけが与えられている」
などとほざいている。
人間を「罪人視」するのがキリスト教。
ひたすら自分(イエス)を信じることを求めたのがイエス。

お話にならん。

法華経に書かれていることが真実であるかどうかを、あなたはどうやって
検証したのか。
687神も仏も名無しさん:2010/11/28(日) 11:41:07 ID:G2uoeALP
>>686
>赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。

「赦す」という言葉は「自分が正しい」「相手が悪い」という傲慢な前提に
基づいている。本当の「赦し」とは、「自分のほうが悪かった」と認めること
である。
688神も仏も名無しさん:2010/11/28(日) 12:15:17 ID:jecTxDsT
>>684
> >>683
> 良い心と悪い心とを渾然一体として有するのが人間である。
それはその通りw
しかし、【だからこそ】、
「個々に於いて」「悪しき思いを減衰させる」ことが、共同体のより善き状態・在り方へのベクトルとなる。

> 人間共同体では、 心そのものは問題としない。
そんなことはない。司法に於いて、なぜ「過失」という考え方、処置があるか。
それは、まさに行為以前の意志(≒心)が視野に入っているからだ。そこもまた問題とされるからだ。
「故意か過失か」で求刑・量刑に差が出るのは、【そこに差異を見る】からだ。
勿論、表立って問責されているのは、 > 心から生じる「行為」のみが問題 と、貴方が言う如く
「行為」であるわけだが、その行為を生じさせた事由・理由についても、同時に問いが発せられる。
そうでなければ、当該行為者に不利益を生じさせ、人権・尊厳はもとより、
「【共同体に於ける】公平性、安定性、不安や怯え、過剰な深謀遠慮無き安心」が担保されない。
同種同質の行為であっても、「故意か過失か」によって
「その行為の重さ・重要性(→【結果的に引き起こされる意味】)」が違うからだ。
それは、宗教性云々、仏教云々関係なく、(貴方の言うように、この世界が真実なものとして一種であっても)
変わらない。 「心」もまた、我々の共同体は重視するのだ。
いや寧ろ、「行為」を公平に見る(≒裁く)為にこそ、「心」に対する視線は注がれ続けるべきだし、
その行為如何によっては、「なぜそのようなことを爲したのか?」は、
共同体の維持存続、繁栄安寧に大きく関わっても来よう。

毎度のことながら浅いですね、貴方は・・w
689神も仏も名無しさん:2010/11/28(日) 12:28:01 ID:jecTxDsT
>>685
>基本的にはキリスト教も仏教も同じ真理を伝えようとしています
ダウト。 (>>681参照)

>これが聖書の縁起です。
馬鹿ですか?w
それは、縁起の一側面に過ぎません。
(一万歩譲ってw)敢えて、敢えて強いて言えば「業報、業果」です。
そして、****で挟まれた部分のものは、或るケースとしての単なる一例でしかなく、
そうでない果を結ぶこともあり、あまりに大雑把過ぎて「縁起」と称するには浅過ぎます。
(「風が吹くと桶屋が儲かる」と大して違いませんw)
また、特に3行目(及び2行目)は、仏教の本質とは寧ろ異質です。
どこが相違するのか、じっくりお考えになってみると宜しいでしょうw


あ、>>688中、一行言い回しがおかしい所があるなwww
×>「【共同体に於ける】公平性、安定性、不安や怯え、過剰な深謀遠慮無き安心」が担保されない。
○>「【共同体に於ける】公平性、安定性、不安・怯えや過剰な深謀遠慮無き安心」が担保されない。
690神も仏も名無しさん:2010/11/28(日) 12:43:41 ID:+4uDdmOz
コヘレトは旧約に編纂されている以上、アブラハムの家系に関わる人に限定される。
キリスト教は信じれば救われる(ただし信者がイエスを選んだのでなく、イエスが信者に選んだ)
旧約新約ともに、神が人を選び、契約によって神を受け継ぐ権利を得る。

仏教とは違い過ぎるんじゃない?
同じような字面でも、魚とペンギン、カモメとトビウオくらい違うよ。

691神も仏も名無しさん:2010/11/28(日) 14:50:26 ID:qqc6hXq1
>>688
故意も過失も、少なくとも「行為(の着手)」がなければ問題にならない。いくら「殺したい」と
思っても、行為がなければ犯罪にはならない。いくら「淫らな心で女を見ても」、「実行行為」が
なければ「姦淫の罪」にはならない。この点でイエスは完全に誤り。

そして、過失を罰するのは「特定の場合」のみ。一般的ではない。

故意とは、犯罪事実の認識が出来たか否かという、むしろ「事実の問題」。どんなに悪人であっても、
「当該犯罪事実の認識」がなければ、犯罪は成立しない。精神病により認識能力が不完全な者は、
刑が減刑されるか、免除される。

「毎度のことながら浅い」のは、君のほうだろう。
692神も仏も名無しさん:2010/11/28(日) 15:08:37 ID:jecTxDsT
>>691
まったく論点が違っておりますので、再答弁を求めますw
693神も仏も名無しさん:2010/11/28(日) 16:40:02 ID:qqc6hXq1
>>692
人間には、さまざまな思い(煩悩)が生じるが、それは状況に応じて身体的
生命を維持するための必須の心的作用。否定してはならないもの。

否定すべき唯一の場合は、その思いが他者の生存を害する行為にまで表現される
場合。他者の生存を害しないために、自己の思いが行為に表現されることを
抑制する心的作用を「良心」と呼ぶ。そうでない限り、人間の自然の感情を抑制
してはならない。人為的に抑制すれば、却って反発とひずみを生じる。

宗教は、「人間にあらざる神や観念」に最大の価値を認めるから、他者の生存
のための自己の思いの抑制(良心)は不可能か、極めて困難である。「思い(心)」
だけを重要視するから、その心が行為に現われることを抑制すること(他者に
対する良心)は不可能と言ってもよい。宗教に起因する殺し合いや争いが特に
多いのは(例えば一向一揆)それが原因である。

すでに述べたように、故意とは、「犯罪事実の認識」という「事実問題」で
ある。現代の学説では、「故意」は、責任非難の対象ではなく、犯罪行為の
構成要素(犯罪構成要件)の一部として捉えられている。
694神も仏も名無しさん:2010/11/29(月) 11:12:25 ID:UOv/E7Ou
そもそも威厳ある人間は「冷酷非情」を美徳とする。「姦淫を犯した女」にイエスが「あなた方の中で罪の無い人間は石を投げなさい」と言われたら、俺は何のためらいも無く女を石打ちで殺しただろう。「俺には罪などねえ!」
695神も仏も名無しさん:2010/11/29(月) 11:15:39 ID:UOv/E7Ou
相手がキリストだろうがブッダだろうが、相手が俺に「最大限の尊敬と友愛及び平等な態度」で接しない限り、俺は無関心でいるに相違ない。上から目線は絶対に許さない。俺にとって俺だけが真理なればなり!
696神も仏も名無しさん:2010/11/29(月) 11:32:13 ID:NbPBrrSH
>>694
「姦淫を犯した女」の話で、イエスは身を挺して女を助けようとはせず(多勢に無勢で
敵わないと思ったのだろうが、これは正しい判断。イエスには神通力などなかった)、
陰湿にも、群衆の心に罪の概念を植え付けたのは、石打にまさる「罪」である。

何故、少なくとも群衆の前に進み出て、「君たちも石で打たれたら痛いだろ」
「己が身に引き比べて」(法句経)、助けてやれよ」の一言がいえなかった
のか。

群衆は、私利私欲から女を処罰しようとしたのではなく、共同体の秩序を守る
ためであった。イエスは、「すべての罪人」をこの女と同様に助ける積りだった
のか。そうであれば、共同体の秩序維持はどうするつもりだったのか。それとも、
女に性的魅力があったから、特別に助けたのか。それではイエスは「心の中で
姦淫の罪を犯した」ことになる。公益の代表者は群衆であって、イエス個人で
はない。

イエスも、結局は、女に石を投げなかった。これではイエスも「罪ある人」の
一人ということになる。聖書に多数見られるイエスの論理矛盾、言行不一致である。
697神も仏も名無しさん:2010/11/29(月) 12:47:02 ID:UOv/E7Ou
スターリンは自分の目を見つめて話しをしない者、ちょっとでも視線を逸らした者は即処刑した。また、彼の演説で党高官たちが大拍手と歓声をあげ続け(それは30分以上続いた)誰かが拍手を止めるとみな拍手をやめた。一番最初に拍手を止めた者はその日の内に処刑された
698神も仏も名無しさん:2010/11/29(月) 12:50:02 ID:UOv/E7Ou
これは「人間の尊敬」にいかにスターリンがこだわっていたか?の証左である。気の狂った独裁者と簡単にかたずける訳にはいかない。俺は仏教徒だが法王となったらスターリン式で「衆生」の信仰を試すだろう
699神も仏も名無しさん:2010/11/29(月) 12:54:46 ID:UOv/E7Ou
大乗仏教に不誠実な者は殺した、と(大乗を誹謗したバラモン教徒)涅槃経でブッダは語っている。仮に創作経典であれ、断固とした厳しい態度で上座部(小乗)を皆殺しにせずんば「法王」としての名誉に関わる
700神も仏も名無しさん:2010/11/29(月) 12:58:41 ID:UOv/E7Ou
女、子供とて容赦してはならない。今、我が国では腐った小乗の妖怪変化が伝統仏教にまで跳梁跋扈する有り様で、中国の「文化大革命」並みの荒療治が必要だ
701神も仏も名無しさん:2010/11/29(月) 15:46:02 ID:V+VBPS9j
>>697-700
隠居さんって気が小さいんだねw
702神も仏も名無しさん:2010/11/29(月) 15:51:33 ID:UOv/E7Ou
↑いや、まったく。私ほど「美にして崇高なるもの」を求めてやまない人間はいないと思うくらいですぜ?
703神も仏も名無しさん:2010/11/29(月) 18:36:51 ID:UKtz1jgz
悔し紛れの腹いせかい?お馬鹿な宗教者のサンプル
一般人は、相談するに値しない人種だと自ら露呈した
704神も仏も名無しさん:2010/11/29(月) 18:45:16 ID:UOv/E7Ou
別に質問人間などほっとくつもりだし、わたしは次なる格言を思い出したまでだけどね?「まことに真に美的かつ崇高なるものは少数者のものなり」そのためなら、それが獲得できるなら、全人類も滅ぼしてもなんら痛痒も感じないだけのことさ
705神も仏も名無しさん:2010/11/29(月) 23:14:41 ID:X8U9qDOg
>>693
まだズレたままですねw
そういう風に、
「違う論点を詳説して煙に巻く」姿勢を、《仙石スタイル》だと揶揄しているのですwww
706神も仏も名無しさん:2010/11/30(火) 00:15:46 ID:HpsJT+52
>>705
あなたの、「共同体において、心が評価の対象となる」という論点の誤りを指摘している
のです。共同体では、心は、「他者に対する行為」を通じてのみ評価されます。

小乗教徒が、いくら修行し、悟り、解脱し、涅槃に入っても、それは単なる自己満足。
他人の知ったことではない。「利他」という「行為」に表れて、初めて評価の対象
となります。
707神も仏も名無しさん:2010/11/30(火) 00:45:01 ID:YIzZvI35
>>706
>あなたの、「共同体において、心が評価の対象となる」という論点の誤りを指摘している

>>691>>693も、 >「共同体において、心が評価の対象となる」という ことを言っているようですが?w
>>688も、最初から >行為」を通じ た所で(→行為後に於いて) >評価の対象となる ケースを言っていますが?w

(塩を送る形になりますがw)、少し説明して差し上げれば、>>688は、
《「或る行為があった時」「その裏付けとしての「心」に視線が注がれる」》 ということであり、
貴方の
>>684 >人間共同体では、心そのものは問題としない 》への反論ですよ?
また、
>>684 >【心から生じる】「行為」のみが問題》という発言自体が、
既に「心」を重要な要素と位置付けていることの証じゃないですか?

たったこれだけでも、貴方が詭弁を弄していることが明らかだと思いますが?w
前みたいに、一言一句解説しないと自覚できませんか?

(´ー`)y━~~
708神も仏も名無しさん:2010/11/30(火) 02:05:00 ID:HpsJT+52
>>707
要するに、心がなくても行為は問題になるが(例えば、過失犯)、心がいくら
あっても、行為がなければ、心は問題にならない、ということだよ。

従って、イエスの「心の中で姦淫の罪を犯した」は、全くの誤り。

また、釈迦の悟り、解脱、涅槃も、全くの誤り。

このイエスの「脅迫」に怯えて、自然の性欲を抑制したことが、聖職者や修道者
の性犯罪の多発の原因となった。
709神も仏も名無しさん:2010/11/30(火) 04:22:32 ID:4nrREnzG
何故死んだ後もお坊さんに数年毎にお経を読んでもらうのですか?
710神も仏も名無しさん:2010/11/30(火) 10:56:40 ID:vzN3lG7e
それはね、坊主が失業するから。お経読まない坊主はハローワークでも使いものにならないから…
711神も仏も名無しさん:2010/11/30(火) 11:27:39 ID:oRMqk/9A
>>708
あほですかw

> 要するに、心がなくても行為は問題になるが
行為自体への評価は勿論あります。それのみを問うケースも当然あるでしょう。
(動機は不純・悪しきものだったとしても、結果、(社会に・他者に)大きな利益をもたらすこともあるでしょう。
「結果オーライ」という表現が含む側面の一つです。)
しかし、大概の場合、その行為の依って立つ(行為が企図された源としての)「心」(【→意図・意志】)も同時に問われるのです。
これが問われないということは極々稀な事例でしかありません。(その理由は>>688で触れた通り。)
貴方が、「(条件付け無しに)『行為に於いて心を問わない』」旨の発言をなさったから茶々を入れたのですw
また、この文に「 >(例えば、過失犯)、 」と繋げることは間違っています。なぜなら、
「当該行為を引き起こす意図の有無」が問われ、それ無き時に「過失」として行為の悪質性が減衰されるのです。
それは、まさに≪『【心に於いて】意図無きこと』が【評価の対象】となっている≫ことを意味します。
「過失」とは、まさに≪「心」(の在り方)を評価対象にした際に言い得ること≫なのです。

> 心がいくらあっても、行為がなければ、心は問題にならない、ということ
仏教的に三業を考えるなら、大問題なわけですがw、
今、688に於いては敢えて触れていません。あくまでも、日常(及び法制上)の話です。
しかし、そうであっても、
《【ひとたび】そこに行為が為されたなら、その動機は当然評価の対象とされる》のが、共同体の基本ですw
この意味でも、貴方が的外れな詭弁に終始しているのは明らかです。(だからプチ仙石だと言うのですw)
712神も仏も名無しさん:2010/11/30(火) 11:34:19 ID:oRMqk/9A
>>708
また、>>688ではイエス(及び釈尊)になど触れていません。事例として貴方が持ち出すことを否定しませんがw、
以下の如く(「従って」という接続を以って)「結論」めいた発言をすることは、論点が把握できていない証ですw
> 従って、イエスの「心の中で姦淫の罪を犯した」は、全くの誤り。
しかも、以下のような言い方は、まったく脈絡無き唐突な言辞です。
> また、釈迦の悟り、解脱、涅槃も、全くの誤り。
違う話を持ち出して有耶無耶にしようとしているとしか見えませんねw

論点は、
《或る(【既に為された】)行為に於いて「故意」と「過失」の別を見る》ということは、
すなわち《「心」(≒意志・意図)を評価対象としている》ことに他ならないのではありませんか?
ということです。

また、
> このイエスの「脅迫」に怯えて、自然の性欲を抑制したことが、聖職者や修道者
> の性犯罪の多発の原因となった。
これもまた、「 >性欲を抑制したことが 」という言い方となっていますが、
まさに≪「心」(≒意志・意図)を評価対象とする姿勢≫に他ならないのではありませんか?
あなた自身が、大きく、そして決定的事由として「心」を評価対象としている証ではありませんか?w
未だ為されていない、これから引き起こされるかもしれない行為についても視野に入っていませんか?
それは、〈行為無き「心」〉への評価の視線ではありませんか?
713神も仏も名無しさん:2010/11/30(火) 17:40:10 ID:yK7FjGGp
(´ー`)y━~~氏は、もっと分かりやすく書けんかのぅ
ロムるのメンドクセ
714神も仏も名無しさん:2010/11/30(火) 19:42:32 ID:vzN3lG7e
一生ロムってろ
715神も仏も名無しさん:2010/11/30(火) 19:54:10 ID:MJlcskSg
>>711
>>712

私の言いたいことは、単純なこと。「共同体においては(人間界は、徹頭徹尾共同体である)、
心は、『他者に対する行為』との関連においてしか評価されないし、また評価されるべきでは
ない」ということ。

過失犯も、「行為」がなければ成立しないし、「性欲の抑制」も、「性行為」を行うか否か
の問題である。

心(精神作用)とは、「行為の原動力」である。行為に関係しない心は、その目的を欠くもの
として「不自然な状態」、いわば「片輪」であり、その結果、人間の「狂気」をもたらす。

東洋思想は、例えば「業報論」にしても「行為」を前提とする。この点が、ギリシャ思想、
キリスト教、マルクス主義と連なる、西洋観念論思想との巨大な相違である。マルクスは、
唯物論者を自称するが、実は、ギリシャ哲学、キリスト教に由来する、ヘーゲル直系の西洋
観念論者。彼の「下部構造」には、「上部構造」であるはずの観念論的価値観がたっぷりと
含まれている。

仙谷、菅、鳩山がオカシイのは、彼等が「マルクス教」という「観念の遊戯」の結果として
の「狂気」に侵されているからである。

不幸なことに、「行為に関連しない精神性(即ち、狂気)は、特に伝播する」(フロイト)。
716神も仏も名無しさん:2010/11/30(火) 19:57:31 ID:vbbMnE+x
やだね。宗教はツマラン
717神も仏も名無しさん:2010/11/30(火) 20:30:55 ID:YIzZvI35
>>716
こういうレスの【仕方】(答弁の仕方)が、まさに仙石だと言っているのですwww
「 >仙谷、菅、鳩山が・・・・・・侵されているからである。 」などという「内容」の共通性によってではないのです。
その応答の仕方、『【形式】の相似性』を指摘しているのです。内容は問うていないのです
それなのに、
『形式の相似』を無視し、指摘されてもいない「内容の差異」を声高に提示し、
それで反論になると思っている、その感性を揶揄しているのですよw

また、原点に戻れば、
>過失犯も、「行為」がなければ成立しないし、「性欲の抑制」も、「性行為」を行うか否かの問題である。
まさに、>>688は最初から、「既に成立している行為」に於いて述べているのであって、
貴方の言うことに沿っていますよ? いったいどこが問題なのでしょう?www

>心(精神作用)とは、「行為の原動力」である。
だからこそ、無視できない重要な要素でしょう?w

>行為に関係しない心は、その目的を欠くものとして
ハァ?(゚∀゚)
「行為そのものが目的化する」ことは勿論あり得るが、原則は「目的遂行の爲の行為」ではありませんか?
「目的」こそが、「意図・意志」として(「心」として)重要なのではありませんか?
だから、貴方は【 >「行為の原動力」 】と表現されたのではないですか?

詭弁と矛盾のミルフィーユ作りにも、いいかげん飽きが来ませんか?www

>私の言いたいことは、単純なこと。「共同体においては(人間界は、徹頭徹尾共同体である)、
>心は、『他者に対する行為』との関連においてしか評価されないし、また評価されるべきでは
>ない」ということ。
ならば、688に対して即座にそのようにレスを入れれば済むことです。
それでも、「>しか評価されない」という言い回しが極端すぎますし、
何より、「他者と関連しない行為」なぞ、いったいどれほどありましょうや?
たとえ貴方が無人島で暮らしていても、ですw
718神も仏も名無しさん:2010/11/30(火) 20:31:37 ID:u3HLvz/H
すんません、教えてくだされい。
なぜに、
千手観音と、阿弥陀如来の梵字は同じなのか。
両方、キリーク。
これいかに。
719神も仏も名無しさん:2010/11/30(火) 20:32:31 ID:YIzZvI35
>>716
すまん。リロードミスw もう1レスあったか・・。 >>717>>715宛。
720718:2010/11/30(火) 20:39:45 ID:u3HLvz/H
仏画など無いので、とりあえず梵字でも手書きして、
それでも拝んでいようかと思い、調べていて、ハテ、と思った次第。

それと、
手書き梵字を拝んでも、いいと思われますか?
本当は、仏像を開眼、とからしいですが、初心者なもので。
721神も仏も名無しさん:2010/11/30(火) 20:42:45 ID:nQT7PxTj
知らぬが花。
722神も仏も名無しさん:2010/11/30(火) 22:05:20 ID:gCpXRcEL
>>717
>>心(精神作用)とは、「行為の原動力」である。
>だからこそ、無視できない重要な要素でしょう?w

宗教における心(精神作用)は、一体如何なる「他者に対する行為」を目的として
いるのか。 「行為に関連しない心の追求」だから、「不自然な状態」「片輪」
だと言っているのである。「行為に関連しない心」の追求は、「行為の原動力」
としての心の本質に反しているから、人間の狂気に至らざるを得ないのである。

人間、いやすべての動物にとって、心(精神作用)は一体何の為に備わっている
のかを、生物としての根源に遡って追求する必要がある。

故意によって人を殺したのと、過失で人を殺したのとの評価の差は、「共同体維持」
という法の「目的」から見て当然の帰結であろう。いずれも「行為」がなければ
問題とはされないし、その目的は、あくまで共同体の維持(共生)である。

道徳・倫理・法の目的は、「共生」である。人間が独りで生きている、生きられる
のなら、これらはいずれも問題にはされない。
723神も仏も名無しさん:2010/11/30(火) 22:57:48 ID:YIzZvI35
>>722
また無関係な方向へ話を持っていく・・w
(相変わらず、主眼となる部分を避けて極一部だけにしか反応してないしw)

ホント、姑息を絵に描いて額に入れたような人ですね。
心底軽蔑しますよ・・。
貴方の愚劣さには、神憑った崇高ささえ感じられるwww

一旦休止するが、続ける気になったら議論スレの方に書き込むわ。

ノシ
724神も仏も名無しさん:2010/11/30(火) 23:04:31 ID:eFZOO9w2
>>669
それは果、密教では道。凡夫の状態が楽などとは、どんな仏教もいいません。

>>723
つづけなさんな

彼が書いたら「この人は隠居という名で呼ばれる単なるニヒリストで、
仏教のことは何も分かってません」とでも書けばいいだけのことでしょう。
725神も仏も名無しさん:2010/11/30(火) 23:09:24 ID:Cm1alefG
>>724
>彼が書いたら「この人は隠居という名で呼ばれる単なるニヒリストで、
>仏教のことは何も分かってません」とでも書けばいいだけのことでしょう。

イエスも釈迦も大昔、似たようなこと言われたんでね?
726神も仏も名無しさん:2010/11/30(火) 23:12:53 ID:Cm1alefG
>>708
>要するに、心がなくても行為は問題になるが(例えば、過失犯)、心がいくら
>あっても、行為がなければ、心は問題にならない、ということだよ。
正解。 宗教者は視点が少しずれてるから・・・

>>722
>宗教における心(精神作用)は、一体如何なる「他者に対する行為」を目的として
>いるのか。 「行為に関連しない心の追求」だから、「不自然な状態」「片輪」
>だと言っているのである。「行為に関連しない心」の追求は、「行為の原動力」
>としての心の本質に反しているから、人間の狂気に至らざるを得ないのである。
ナルホド。むずかしいが・・・・ご明察のようです。
聖書をご隠居氏の目で読んでみようかな?・・・・とも思うが、マイコンされそうw(笑

>人間、いやすべての動物にとって、心(精神作用)は一体何の為に備わっている
>のかを、生物としての根源に遡って追求する必要がある。
ほんと。ややこしいけど・・・・必要みたい。
727神も仏も名無しさん:2010/12/01(水) 07:05:18 ID:m1Ir5nDv
>>710
じゃあ法事なんて必要ないんですかね
俺は坊主は葬式っつーイベントのキーパーソンくらいにしか思ってなくて、
最近知ったんだが、全ての宗派のお経を唱える在家のアルバイトがいるとか、戒名も自分で書いていいとか、
ならば既に寺の坊主の役割は消失してるのではと考えたりしてみたんだが
如何に
728神も仏も名無しさん:2010/12/01(水) 07:15:10 ID:0Iy1vVxC
>>725
釈尊の場合、言われたかもしれませんが、問答すればほぼ常に圧倒してます。
釈尊の場合、イエスやムハンマドと違って平和に教えを拡張し、弟子を増やしています。
また、祖国が殲滅された時もなんら負のリアクションを取らず、相手を許されていることも凄い!

これは現在のダライラマ猊下の対応に通じるでしょう。
729神も仏も名無しさん:2010/12/01(水) 12:34:45 ID:wrkgyQr2
>>727
自分が、そう思いたいなら、それでいいんじゃない?

カラオケで同じ歌を歌える素人がいれば、プロ歌手に存在意義はないとか、
大勲位菊花章だって、別に天皇に叙勲されなくたって、自分で作った勲章を自分で自分に授与すれば同じだとか、
そう考えているなら、いいと思うぜ。
730神も仏も名無しさん:2010/12/01(水) 15:36:16 ID:m1Ir5nDv
>>729
それは技術や権威の話ですよね
坊主にも技術や権威があるんですか?
731通りがかり:2010/12/01(水) 17:27:10 ID:xzfYX2Uv
今の坊主は、お葬式やって、法事やって金稼いでいい生活している道楽者ばかり、、、
仏教ってお釈迦様の説法で、それを伝え教化するのがお坊さん。そんなのほとんどいない。
禅宗の坊主が最初に葬式やったそうだけど、それは修行途中で死んだ坊主の弔いだったそうで、
本来禅宗はただ座ってこだわりを捨て、心と思いを仏の世界に置き、物事を違った世界から見れる人となるはず。
禅宗でそんな坊主見たことない。一番大きな寺に住み、いい車乗って、贅沢してるのばっかり、
南無釈迦ムニ佛って言いながら、全然お釈迦様に帰依した生き方していない。
お釈迦さまは家を持たず、乞食して暮らしたんだろう?
日蓮系だって、「法華経」ってお経の題目唱えれば、この世が仏の世界になって病苦が直り、いい事ばかりになるって、
そんな教え何処にあるの〜?
それって日蓮が勝手に言ってるだけでしょう〜?
その日蓮は自分の病気すら治せないで泣きながら、念仏唱えて死んでいったそうじゃ〜ないの?
創価学会はじめ日蓮系の人たちって、法華経読んでないのかな〜?
帰依(まかせる)する教えくらいしっかり読んだほうがいいよ〜
お釈迦さまの教えは簡単、仏になる道を探しなさいです。
道はいっぱいあります。どの道行くかを考えればいい〜。それは人間だけしかできない。
折角人間生まれて、その思いを持たず、好きに生きた人間は苦しい世界が待っている。
信じようと、信じまいと勝手です。どうぞお好きに、
これはお釈迦様がおっしゃってる事ですから、、、
732神も仏も名無しさん:2010/12/01(水) 19:16:41 ID:wrkgyQr2
>>730
だから、お前がそう思いたいなら、好きにすればいいだろうが。
お前は、素人カラオケと、自作勲章で満足なんだろ?

>それは技術や権威の話ですよね
違うね。 アルバイト偽坊主だって、練習してる奴は上手いそうだぜw
カラオケだって、プロ裸足の素人だって居る。
問題は、技術ではなく、「僧侶が唱える」読経というものに価値を見出すかどうかという事。
「僧侶が唱える」事に、価値が無いと思うなら、勝手にすればいい。
それが宗教というもんだ。

あと、勘違いしているようだが、
>戒名も自分で書いていい
と言うのは間違いだ。
戒名とは、「僧侶から授与される名前」だ。
自分でつけたものは、単なるペンネーム。 自分で作った勲章と同じだ。
本来の意味から外れた別物で、お前が満足するなら、好きにすればいい。
個人的には、幼稚園児の自己満足みたいでカッコ悪いと思うがな。

ところで、「僧侶が、唱える/授与する」という事に価値を見出せないという事は、
仏教自体に価値を見出せないという事だろ?
それなのに、なんで、「アルバイト偽坊主」や自作戒名などを代用物にするなんて発想が出てくるんだ?
まさかとは思うが、お前は、「読経や、戒名がないと世間体が・・・・・・」とか考えていて、
「アルバイト偽坊主や、自作戒名モドキでも、同じでしょ!」と、世間に言い訳をしたいのか?
もしそうなら、ヘタレな奴だなw
違うと言うなら、いっそ「読経に意味はない。戒名なぞ必要ない。」と言い切れよ。
それならそれで、筋の通った生き様だ。
少なくとも、下らない代用物で済ませようとする様な人間より、遥かに尊敬できるな。
733神も仏も名無しさん:2010/12/01(水) 19:19:00 ID:wrkgyQr2
>>731
通りがかりにレスするのもなんだが・・・・・・、つい突っ込みたくなるのが悪い癖だw

>禅宗の坊主が最初に葬式やったそうだけど
仏教における最古の葬儀は、マハーカッサパが行った、釈迦の葬儀だw
その後も、僧侶の葬儀は、僧侶が執り行ってきた。
禅宗云々は、「現在の在家者の葬儀の原型」が、禅宗の没後作僧という儀式だったと言う話。

>本来禅宗はただ座ってこだわりを捨て、心と思いを仏の世界に置き、物事を違った世界から見れる人となるはず。
微妙にニュアンスが違うと思うが。
ただ座るのではなく、心を静め、心を観じる。
こだわりを捨てるのではなく、心を観じて苦に至る執着のメカニズムを理解し、苦の原因となるこだわりの発生原因そのものを滅する。
別に、「仏の世界」などに「心」をおくわけではない。(それはむしろ浄土系じゃないか?)

>日蓮系だって、「法華経」ってお経の題目唱えれば、この世が仏の世界になって病苦が直り、いい事ばかりになるって、
>そんな教え何処にあるの〜?
創価学会のトンデモ説を、日蓮系一般に当てはめるなよw

>その日蓮は自分の病気すら治せないで泣きながら、念仏唱えて死んでいったそうじゃ〜ないの?
唱えたのは題目w 
まあ瑣末な突っ込みはおいといて、泣きながら云々なんて、聞いた事もない。

現状の坊主の堕落には同意するが、途中が突っ込みどころ多すぎだw
批判するならもっとしっかりしろよ。
突っ込みポイントは他にもあるが、突っ込みきれん。
734神も仏も名無しさん:2010/12/01(水) 21:22:43 ID:m1Ir5nDv
>>732
分からないからここで質問してるんですが
音楽ならプロアマ問わず好きになれるものなら何でもいいですけど話が脱線してるでしょ
僧侶が唱えるお経とアルバイトが唱えるお経は何が違うのでしょうか?
僧侶から授与された戒名と自作の戒名の違いは何ですか?
勲章は名誉や権威が込められてるので例えとしては不適切です
寺にいる坊主の役割は何ですか?
735神も仏も名無しさん:2010/12/01(水) 21:39:01 ID:Lt5Rr+pU
>>734
孫がくれた「どんぐり」と、たまたま目の前に落ちてきた「どんぐり」とは何が違うのでしょう?

畢竟、こういうことだよ。
736神も仏も名無しさん:2010/12/02(木) 00:12:45 ID:kXyv9QZa
>>735
全然分からん
孫がくれたなら感謝の気持ちが発生するが、
この例題では坊主とアルバイトでは違うものが見つからんぞ
737神も仏も名無しさん:2010/12/02(木) 00:27:18 ID:UH50Wl6o
>>736
何でだよwww
お前さんの人間関系は、どんだけ薄くて単調なんだよw

同じ構図を、別の概念に置き換えれば、
たとえば、安産祈願の神社で拾った木の実(種)を、“子種が授かる”という意味で持ち帰り大事にするというような
「あやかる」という感性、
或いは、何がしか成果を出している)者の、その分野についての解説を信じるというような
「信頼できる」という感覚、
或いは、ガタイのしっかりした体育会系の彼氏だと(夜道等)一緒に歩いて安心できるというような、
「頼れる」という感覚、想い、
等、《『こういう差異を見るか見ないか』という、個々の受け留め方に依存する》 ということだよ。
>>735及び>>732が示唆しているのは・・。
738729:2010/12/02(木) 00:38:45 ID:WbBScO4V
>>734
別に脱線なぞしてないが、理解できなかったのか?

>僧侶が唱えるお経とアルバイトが唱えるお経は何が違うのでしょうか?
お前の考えは、○○という歌手のファンに向かって、
「近所のおっさんがカラオケでその歌を歌えるから、○○の役割は消失したよね〜w」
「○○の歌と、近所のおっさんのカラオケは、何が違うんだ?」
と、言っているのと同じだ。
「おっさんと○○は違う」と考えるのが、ファン(≒宗教)なんだよ。

>僧侶から授与された戒名と自作の戒名の違いは何ですか?
>勲章は名誉や権威が込められてるので例えとしては不適切です
対比している部分が理解できないのか?
お前が言うように、「勲章」とは「名誉の証として、権威から与えられるもの」だから、
「自分で作って自分に与えた勲章」に、勲章本来の意味はなくなっている。
それと同様に、「戒名」とは、「仏弟子の証として、僧侶から与えられるもの」だから、
「自分で作って自分に与えた戒名」に、戒名本来の意味はない。
本来の意味を失った、幼稚園児の自己満足レベルで、お前が満足するなら、
俺には、「お前がそう思いたいなら、好きにすればいいだろう。」としか言えないな。

そしてお前が、「僧侶が唱えるお経とアルバイトが唱えるお経に、何の違いもない」
「僧侶から授与された戒名と自作の戒名に、何の違いもない」と考えるなら、
お前は、仏教と言う宗教自体を、根底から否定している事になる。
ならば、「そもそも読経自体が要りません」と、はっきり仏教を根底から否定すればいいだろうに。
なんでアルバイト偽坊主などと言う粗悪な代用品を引き合いに出して、中途半端に坊主だけを否定するんだ?
739神も仏も名無しさん:2010/12/02(木) 02:31:38 ID:kXyv9QZa
>>738
カラオケは脱線してるだろ
音楽で例えるならライブだろ 生で木魚ポクポクしながらやってんだから
ライブならプロだろうが素人だろうがパフォーマンスが重要
まさか、お経がパフォーマンスとでも?おっさんのライブもプロのライブも持ち味が違うんだから、役割は消失しない
おっさんに人気と客を奪われたらプロの役割は消失するけどな
坊主のお経とアルバイトの違いも、坊主が与える戒名と自作戒名の違いが相変わらず説明されてませんが
私の考えが何故仏教を根底から否定することになるのですか
740優婆塞:2010/12/02(木) 18:06:11 ID:3hhuoV9q
人は、なぜ信仰を必要とするのか?
何のために信仰をするのか?
信仰をすれば何が変わるのか?
煩悩にまみれた私のような無名の一在家信者のこのような素朴な疑問に、仏教は、どう答えてくれるのでしょうか?
741宝珠愚者/代行:2010/12/02(木) 19:56:34 ID:0KMXQ1OR
>>734
>僧侶が唱えるお経とアルバイトが唱えるお経は何が違うのでしょうか?

本当に一定の修行(カリキュラム)を経て得度し、
正式に認められた僧侶であるならば、
必ずや諸仏からの(ある程度の)ご加護があり、
一定の霊的な力(個人により程度の差がある)を頂けます。
それは意識せずとも無意識であっても然りです。

対する素人の場合には、
それがどんなに知識を得ており、
また個人的な修行をある程度は積んでいたとしても、
僧侶と同じというわけにはいきません。

従って、
見た目には同じ読経や法要(修法)ではあっても(実際的な効力は)違います。
尚、個人差の違いは、もちろんこの基本的な範疇を超えることがあります。

確かに、
生臭坊主も大勢いるでしょうが、
僧侶とは本来そういうものです。
742神も仏も名無しさん:2010/12/02(木) 20:15:57 ID:H/rTgLnc
↑アホです
743神も仏も名無しさん:2010/12/03(金) 00:44:36 ID:nbohi+n9
仏様とは、

信仰の対象ですか?

それとも崇拝の対象ですか?
744神も仏も名無しさん:2010/12/03(金) 08:02:14 ID:Ay1oAwNY
我々自身だ。人事にするな!それからお経自体が霊力を持つ。釈迦は私の入滅後、私は「文字」の姿で存在し続ける(大乗)よって軽々しい扱いはするなと訓戒している。経は誰が唱えても「法力」があるのだ。宝珠のような愚か者はたやすく誤りを犯す
745神も仏も名無しさん:2010/12/03(金) 08:04:55 ID:Ay1oAwNY
お経を誹謗する者は、殺されても文句は言えない(大乗)まさしく「仏敵」である。宝珠死すべし!死んで「ワビを入れろ」うつけ者!
746神も仏も名無しさん:2010/12/03(金) 23:50:17 ID:Uts0CxqD
>>743-744
それと無数の佛は無数の教えを意味している。無数の菩薩・如来はそれぞれの
精神状態であり、人間は地蔵菩薩の境地・観世音菩薩の境地に達する事もできる。
747宝珠愚者/代行:2010/12/04(土) 01:19:49 ID:B+MZSluA
>>744-745
>宝珠死すべし!死んで「ワビを入れろ」うつけ者!

下品なこと極まりなし。
あなたは、そんなにシロウトの読経が見下されたような想いがして悔しかったのか?

>釈迦は私の入滅後、私は「文字」の姿で存在し続ける(大乗)

勝手に読経(仏説)による霊験を謳い文句にして信者を獲得したのは、大乗徒による創作です。
基本的には、お経(その読経)そのものに宿る法力なるものをゴータマは謳わなかった。
もっと理解しなさい。お経というものは読経による霊験などではなくて、
書かれてある教えの実践と人生の生き方が主眼なのです。
----もっと原始経典を読みなさい。

ただし、ゴータマも呪法呪術・・・
(正しい修行によって高められた)バラモンによる祭祀の効力(その存在について)は認められている。
バラモンより受け継いだ叡智である梵語による呪文、サンスクリットのマントラ(ム)による効果と
種々の密教修法には不可思議な力が働くのは真実です。

まっ、シロウトによる普通の読経でも、
ある程度のマントラム的作用は起こり得る。

私は別に否定などしてません
(プロである僧侶との違い=そういうことになっている事実----を述べたまで)。
748宝珠愚者/代行:2010/12/04(土) 01:21:19 ID:B+MZSluA
>>743
ホトケの説かれた“教えが信仰対象”です。
崇拝(崇拝意識とその行為)なるものは本来、ホトケが説かれた教え(仏教)ではありません。
749神も仏も名無しさん:2010/12/04(土) 12:18:08 ID:eDQmrD6J
>>728
自分を拒絶したサマリア人を、弟子が燃やそうともちかけるのを拒絶し、
死の前に剣をとろうとする弟子を諌めるのに、どうして平和でないのか気になる。
既存の宗教体制を批判したらそこでもうダメなのか?

聖絶とか含んでる旧約を否定できなかった面はあるけど、
イエスのやり方はムハンマドとは異なる。
750神も仏も名無しさん:2010/12/04(土) 20:44:29 ID:dRAY490+
私はあなた方にハッキリ言っておく…あの恐ろしき、口にするもおぞましき心の内なる宣言を…佛は死んだと…人間はとうの昔に死滅したというあの、荒野の叫び声を…そして「大乗経典」のみが余命を保っている
751神も仏も名無しさん:2010/12/04(土) 20:47:34 ID:dRAY490+
佛が死んだとは、彼のいわゆる「悟り」が死んだ、否、そもそものはじまりから死んでいた事を意味する。ゆえに人よ、覚悟を決めたまえ。おのが本心をせめて偽らず生きてくれ
752神も仏も名無しさん:2010/12/04(土) 20:52:15 ID:dRAY490+
「大乗経典」のみが重要なのであって、それ以外は糞土とせせら笑う事は恥ずかしいことだろうか?いやいや、少なくとも私に必要なのは坊主のありがたい説教やら人生論でない事は確かだ。小乗の教えは一字一句も我受けじ!
753華厳命・独白:2010/12/04(土) 21:00:09 ID:dRAY490+
かるがゆえに、あらゆる権威、あらゆる人類の知的遺産をして皆これ糞土となさしめよ!世界は再生すべきにあらずして滅ぶべきがゆえに…それ以外逆説的だが世界を救う方法は無いのだから…きれい事のなかで後しばらくはキミらも生きられるだろう…
754華厳命・独白:2010/12/04(土) 21:03:12 ID:dRAY490+
華厳経・法華経以外は仏説にあらず!これは俺の直感だ。そしてわざわいなるかな…我が直感力は95パーセント過つことはない。
755神も仏も名無しさん:2010/12/05(日) 05:59:45 ID:JYUDYpRL
お釈迦様は菩提樹の下で座禅して悟りを開きました。
「ナンミョーホウレンゲーキョー」と唱え続けたから悟ったのではありません
756神も仏も名無しさん:2010/12/05(日) 06:33:57 ID:WQfWyE6B
↑そんな哀れなあなたのために…スーパーフライドチキンの称号を与えましょう。(文脈を完全に読み違えている)
757神も仏も名無しさん:2010/12/05(日) 06:45:26 ID:WQfWyE6B
それともうひとつ…釈迦が悟ろうが悟るまいが、そんなものには唾をひっかけてやります。そこまでしなくとも無関心でいるに相違ない。「大乗経典」のみがすべてなのだからね…
758神も仏も名無しさん:2010/12/05(日) 06:50:14 ID:WQfWyE6B
俺は「悟ったぞ!」こんな態度は、あたかも「金持ち」が貧乏人に札束を見せびらかして自慢するかのように醜い。ゆえに釈迦は他の聖者同様、腐肉のごとく醜い…どうせ悟りという札束で他人様の横っ面をひっぱたきたいだけでしょう。もっとも金持ち喧嘩せずですがね?
759神も仏も名無しさん:2010/12/05(日) 09:28:44 ID:WQfWyE6B
大乗経典の良いところは(愚法小乗もだが)著者不明な点だ。華厳経であれ、法華経であれ、もし著者がいようものなら、お経は崇拝しても著者はこき下ろすだろうから…
760神も仏も名無しさん:2010/12/05(日) 10:10:52 ID:OAqyAUCg
すいません。ここは質問箱なんで、問わず語りはやめてもらえませんか
761神も仏も名無しさん:2010/12/05(日) 10:16:21 ID:WQfWyE6B
やだ
762神も仏も名無しさん:2010/12/05(日) 16:26:42 ID:0ktsPYFb
理屈ばかりで心で体得してない=成仏できない声聞衆。
763宝珠愚者/代行:2010/12/05(日) 22:55:58 ID:5ek0jx/9
>>ID:dRAY490+
>>ID:WQfWyE6B

誤解も甚だしい限りです。

小乗(大乗徒によって勝手に呼称された)と呼ばれたグループ(長老派)がいたことは確かでしょう。
しかし、それは彼らがゴータマの教えを理解せず、意識が偏狭になったが故のこと。
それを後代の一部の大乗徒らが何か勘違いを起して、
ゴータマそのものまでも小乗呼ばわりして、釈尊を見下すような事態が起こったのです(今のあなたのように)。
それはとんでもないこと。

己れの無知(原始仏典も読まず)を棚上げしておきながら、
史実において実在が確認できる唯一なる独覚者、
本物の生ける如来であったゴータマ仏陀その人を貶す自称仏教徒の信じ難き醜態。

世界のあらわる宗教の中で信者が開祖を馬鹿にするところなど、
仏教界の外には皆無でしょう。恥を知るべきです。

ゴータマ仏陀を中傷する自称仏教徒など、
仏教スレでは用なし。
764神も仏も名無しさん:2010/12/07(火) 15:34:50 ID:fW19IrVS
宗教に興味なかったけど、知らない間に母、ばあちゃんと同じ創価学会に入ってた

というわけで今日から仏教徒として自覚したのでカキコ
765神も仏も名無しさん:2010/12/07(火) 18:10:49 ID:36xLeWTd
早く抜けないととんでもない事になるぞ。
766神も仏も名無しさん:2010/12/11(土) 21:28:10 ID:iriH6atq
名もなきボランティアについてご存知の方いらっしゃいますか?
767神も仏も名無しさん:2010/12/13(月) 03:04:03 ID:GtKBeiG+
空は現象ですか
768神も仏も名無しさん:2010/12/13(月) 03:51:36 ID:GtKBeiG+
私が今2chに投稿するのも、全てはビッグバン時点からの物質の因果関係によって全て決まっていたことなのでしょうか。
因果関係のビリヤードの結果でしかないのでしょうか
769神も仏も名無しさん:2010/12/13(月) 09:44:41 ID:LrY0zuhX
>>767
現象は空だとはいいます。空性が現象だともいいますが、空は現象ですとはいいません。
漢訳だとここらへんいいかげんですが。

>>768
縁起による因果というのは決定論ではありません。
過去の行為によって現在の可能性は限定されますが、決定されません。
つまり、現在の行為で可能性内での調整・修正が可能だということです。

770神も仏も名無しさん:2010/12/13(月) 10:43:33 ID:AYe2W/2O
>>769
けど、「決定論」の本質は「見做し」にあるので、
《そうした「>調整・修正」も、そのような意志・志向性も、
 『過去からの連関で、そのような思考・行為が為されることとなった』のだ》
とは言い得るわけで・・w
「懺悔」も「改心」も「発心」も、
『そのような心的状態になるような、過去からの連関・蓄積であった』
とするのが決定論的見方でしょう?w
771神も仏も名無しさん:2010/12/13(月) 10:45:51 ID:AYe2W/2O
ま、その意味で
「決定論」は或る意味ファンタジーなわけだが・・。
772神も仏も名無しさん:2010/12/13(月) 11:43:27 ID:LrY0zuhX
>>770
それはそう。だから、資糧積集が要求される。
しかし、資糧積集するのも、資糧積集した結果として発心するのも現在の行為。
つまり、過去の影響の基に現在の心が何処に向かうかだと思う。

この意味で暴風雨の大海の中で荒波に揺れる小舟に譬えられるけれど、
その小舟の舵を握るのは自分の心なのである。


773神も仏も名無しさん:2010/12/13(月) 16:27:51 ID:v9b6QUh/
「四十余年未顕真実」って実際はどんな意味なんですか?
これ以前に説かれた教えは嘘であり、それ自体では無意味ということでしょうか?
ttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1430820314
でのkattkoiihitodaさんの返答が正しいんでしょうか?
切り捨てなげうってしまったら、塔の材料として役に立たないのでは?
と感じてしまいます。もし他の仏典を参照しなくても、無量義経や法華経を
信じればいい、という事なら、別に釈迦は四十余年別の経典を説く必要性が
無かったことになると思います。
774神も仏も名無しさん:2010/12/13(月) 21:12:29 ID:qsB6rR47
>>773
kattkoiihitodaのような考えの人間は、どこにでも沸いてくるゴキブリのような創価の狂信者。
775神も仏も名無しさん:2010/12/13(月) 21:33:29 ID:LrY0zuhX
>>773
まず、日蓮のような排他的解釈は『法華経』でもなく、ましてや仏教ではありません。
『法華経』の説く一乗とは包括的な宥和の教えであるとインド・チベット・シナで解釈されています。

次に「四十余年未顕真実」という言葉は、以下のように大正大蔵経では『法華経』にも『無量義経』にもでてきません。
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?key=四十餘年未顯眞實&mode=search&uop=1


『無量義経』の内容を要約した『法華玄義』が初出のようで、典拠のようです。
『無量義経』の内容も、四十年はそれぞれの人に応じて教えを説いたという意味で、他の教えを排他的に拒否するものではありません。
この考え方は、宥和的な一乗を説く法華経に通じると思います。
日蓮とは全く反対です。

因みにインド・チベットでは『法華経』より『般若経』や『華厳経』の方が重視されます。

もちろん、その人に合った教えが一番だと思います。

これだけが正しいというスタンスで教えないのが、縁起・空・仮設を基本とする仏教の本質だと思います。
776神も仏も名無しさん:2010/12/13(月) 22:10:27 ID:yzAjZajU
>>775
(後代(≒現代)の)解釈としては「宥和的・包括的」一乗だとしても、
その出発点(→「発想・動機・意図」)として『蔑視・糾弾的優位性の宣言』であったことは否めないのでは?
777神も仏も名無しさん:2010/12/13(月) 23:01:26 ID:LrY0zuhX
778神も仏も名無しさん:2010/12/14(火) 10:56:21 ID:kTdWkpCq
>>777
ふむ、前後二つを見る限り、予想通りの内容かな。

《排他的「三乗」(教え・手段)、【隔絶した】別個の「三乗」ではなく、
 「他二乗」を【支分として】包含する「一乗、大乗」》
ということだと理解する。
その意味では、>>773(及び日蓮的?w)のような『“排他的”一乗』説が斥けられることに異論を挟む必要はない。
 *(尤も、そのような方向性を生じせしめる要素が最初から含有されていたことは認めるべきだと思うが・・。)

しかしながら、
時系列で言えば、
「方便・初級として他二乗乗(≒小乗)が説かれ、後に、真の教え・上級として大乗が説かれた」ということ、
構造的に見れば、
「悟り(仏智)へ向う爲の大道(大乗・一乗)の一部として他二乗がある」
「最終的仏智(最終ゴール)への中継点・通過点としての仮のゴール
 (―それは、“あきらめさせない”為の“繋ぎの御褒美”的なもの―)として他二乗がある」ということは、
一乗・大乗が説かれる『理由』として、その最初期から意図されていたものといえるのではないか。
これが、上の*( )だし、>>776で >出発点(→「発想・動機・意図」)、>蔑視・糾弾的優位性
と記した所以でもある。
そこには、明確に「悟りの深度」「手段としての有効性・適切性・上質性」に於ける、
言い換えれば「レベルの差としての」分別・区別がある。
こうした区別があるからこそ、『後から明かされる』のであり、
『到達点の別として(→如来・仏と阿羅漢の悟りの別として!)、
 他二乗(声聞等)は阿羅漢止まり、大乗・一乗(菩薩)は仏に至り得る』という、優越性が担保される。
その意味では、一乗説或いは大乗という標榜は、(後々、排他的軽視の志向性を生じせしめたが如く)、
《その草創から、『「教え」の明確な差別化』こそが目的であった》と言い得るのではなかろうか。
779神も仏も名無しさん:2010/12/14(火) 11:46:14 ID:tHGVfKDf
>>778
斉藤さんの見解もほとんど変わらない。前谷さんと生井先生の見解の方が鋭いし、説得力があるように思うよ。

大乗側から差別化・蔑視があったというのは誤解だと思う。
まあ、そういう日蓮みたいなしょうもない人もいたけど。

四諦・声聞乗の教えでは一切智の仏位に到達できない。
一切智の仏位と羅漢には大きな違いがある。
これは大乗側の勝手な言い分と思われてきたが、そうでないと思う。

今のところ文献学者でこの説を支持するのは石飛道子先生しか知らないが、
一切智・普賢行・誓願あたりは重要なことが、説かれていると思う。

いずれ明らかにしたいと思っているよん!

ちと、今のところ別の仕事をしてて当分先になりそうだけど。
780神も仏も名無しさん:2010/12/14(火) 14:20:02 ID:kTdWkpCq
>>779
言わんとする所は解る。
だが、今問いかけたのは、
《・『排他的ではないにしても、「悟りの質的違い」及び「方法論としての優劣」が、そこに存在するということ』
 ・『そうした「違い」「優劣」が、最初から意図されたこと』》
という2点が、「一乗説」「大乗という標榜」の骨子ではないのか?ということだ。
解釈として「宥和的である」というのは、「後付け」という批判を免れ得るのか?と。
>四諦・声聞乗の教えでは一切智の仏位に到達できない。
>一切智の仏位と羅漢には大きな違いがある。
>これは大乗側の【勝手な言い分と思われてきたが、そうでないと】思う。
とある通り、そこに(差別的)差異が存在することは明白だと思う。
(そしてそれこそが、「後代の排他性の種」であることも疑いなかろう?)

勿論、上座部に於いても、初めて法輪を転じたこと・おしえ(sAsana)の原点であることを最大の理由として、
諸々の弟子達(→阿羅漢)と釈尊(→ブッダ)との間に境界が設けられた事実はある。
 *(神格化の一端として、銀幕のスターへと押し上げる庶民的感性を免れ切ってはいない。)
同様に、大乗仏教に於いても、
「仏法の難見であること、その行じ難きこと」を理由とした「スーパースターの渇望、設定」でないと言い切れるのか。
隠居相手に大乗小乗の(辞書的)解説をしたこともあるが、そうした流れの中で発せられた「一乗」「大乗」なる幟なれば、
「それは宥和的言辞である」というのは、【解釈の遡及】ではないのか。
781神も仏も名無しさん:2010/12/14(火) 14:24:58 ID:kTdWkpCq
>>779
>大乗側から差別化・蔑視があったというのは誤解だと思う。
実際に差別的・侮蔑的に用いられたかどうかが問題ではなく、
その言辞が、「誕生の時から既に差別(区別)的意味合いを持って生じた考え方」、
「【差異化することを目的とした】語・概念」であることは否定できないでしょう?ということ。
そして、この「差異化という事象が(必然的に)内包する排他性」の払拭(法)が、
まさに貴方が例に挙げた種々の解釈に他ならない。

だから、
「「一乗」「大乗」は、排他的言辞・考え方と捉えてはならない。そうではなく包括的言辞・考え方である」 と、
(【解釈上】、【受け止め方】としては)言い得ても、
原意・意図もまたそうであった、とは言い難いのではなかろうか?
782神も仏も名無しさん:2010/12/14(火) 20:38:37 ID:tHGVfKDf
>>780-781
いやいや、パーリ・ニカーヤにもジャータカがあるでしょ。
ということは一切智とアルハットの違いを認めてるということだよ。
テーラワーダの教学は、そこら辺に自覚的ではないだけ。

そこを上手く説明したいけど、いまのところ自分の中でも論理構築できてないんです。
783神も仏も名無しさん:2010/12/14(火) 20:40:25 ID:tHGVfKDf
そうそう、質問箱なので、これ以上は議論スレにでも。
といって詳細に論証できる時間はないけど。(^^)
784773:2010/12/15(水) 01:23:24 ID:hYzc0nHn
回答ありがとうございます。

インターネットアーカイブで公開されている国訳大蔵経を見たところ
無量義経に「四十余年未顕真実」がありました。ですが昭和新編国訳大蔵経だと
「未(いま)だ曾(かつ)て實(じつ)を顯(あらわ)さず」となっていました。
これは大正大蔵経の無量義経にある
T0276_.09.0386b01: 種種説法。種種説法以方便力。四十餘年未
T0276_.09.0386b02: 曾顯實。是故衆生得道差別。不得疾成無上
という漢文に対応しているように見えます。大正大蔵経と昭和新編国訳大蔵経
で見られる文章が正式で、国訳大蔵経版は『法華玄義』から逆輸入したもの、ということでいいのでしょうか。

もう一つ「未(いま)だ曾(かつ)て實(じつ)を顯(あらわ)さず」は、真実が表れてない、
というのとはニュアンスは違うように感じられますが、否定的であるようにも見えます。
実が顕にされていなかった、とはどういうことなのでしょうか?
785神も仏も名無しさん:2010/12/15(水) 06:38:37 ID:HziLlJFp
>>784
すいません。電子データで検索しかしなかったので詰めが甘かったようです。
実物を見てみますと、大正大蔵経は以下のように
T0276_.09.0386b01: 種種説法。種種説法以方便力。四十餘年未
T0276_.09.0386b02: 曾顯實。是故衆生得道差別。不得疾成無上

「四十餘年未曾顯實」としてますが、註で異読として宋・明・元・宮内庁本の四本は「四十餘年未顯眞實」としています。

大正大蔵経は高麗本を底本にしているからです。

高麗本の陰影と諸本との異同を記した中華大蔵経を見ますと、
資福藏、磧砂藏、普寧藏など六本が「四十餘年未顯眞實」としていると記していますので、無量義経に「四十余年未顕真実」という典拠がありました。

ですが、意味は先に書いた通りで違わないと思います。

「未曾顯實」も「未顯眞實」も、意味は同じで、「四十有余の間、真実を説かなかったので、衆生の道果に違いがあった」と言った意味だと思います。
だからといって、一乗は、他の教えを排斥する訳ではなく包括・宥和する教えであるというのは、引用した生井、前谷、斉藤の三先生の見解は一致しています。
786神も仏も名無しさん:2010/12/15(水) 11:19:16 ID:WSxCiIZt
識無辺処とか空無辺処とかの禅天ってのは、
座禅によってこの世で生きながら体験する境地ですか
787:2010/12/15(水) 12:33:35 ID:HqRE7TGh

◎呼吸法
◎瞑想
◎三十七道品(三十七菩提分法)
◎心修習
◎智慧修習
◎チャクラの覚醒

の修習などによって
【 識無辺処 】とか【 空無辺処 】とかの境地に到達できる
と私は考えています

ちなみに私は【 瞑想の為の呼吸法 】も【 瞑想 】も修習した事は無いです


  ☆  おすすめの書籍  ☆

釈尊の呼吸法―大安般守意経に学ぶ  村木弘昌 (単行本 - 2001/12)
788:2010/12/15(水) 12:53:34 ID:HqRE7TGh

ウィキペディア参照

チャクラの覚醒について

クンダリニーは、
普段は尾てい骨付近の
ムーラーダーラチャクラに眠っているが、
ヨーガの実践や宗教の各種修行によって活性化し始め、
生涯をかけ各チャクラを開花させ
グランティ(=結節。
 ブラフマー結節、
 ヴィシュヌ結節、
 ルドラ結節の3種類がある)を破壊し、
最終的には頭頂の
サハスラーラを押し開け解脱に至る。
今世で解脱できる魂は極一部といわれている。
性欲を昇華させたものがクンダリニーとなるため、
梵行(性的な事柄を避ける)修行が重要となる。
789:2010/12/15(水) 13:06:26 ID:HqRE7TGh

ヨーガの技法の中においては
頭頂の
サハスラーラを押し開け解脱に至る
クンダリニー・ヨーガが最高の技法である
と私は考えています

ちなみに私は【 ヨーガ 】も【 チャクラの覚醒 】も修習した事は無いです
790神も仏も名無しさん:2010/12/15(水) 13:07:31 ID:ot9ikARW
そんなのは水芸と同じ。
きっちり心を修めよ。
791:2010/12/15(水) 13:18:41 ID:HqRE7TGh

  ☆  おすすめの書籍  ☆

新アジア仏教史〈01〉仏教出現の背景―インド1
(新アジア仏教史 1 インド1) 奈良 康明 下田 正弘 (単行本 - 2010/4)

新アジア仏教史〈02〉仏教の形成と展開―インド2
(新アジア仏教史 2 インド2) 奈良 康明 下田 正弘 (単行本 - 2010/10)

新アジア仏教史〈03〉仏典からみた仏教世界―インド3
(新アジア仏教史 3 インド3) 奈良 康明 下田 正弘 (単行本 - 2010/7)
792:2010/12/15(水) 13:25:48 ID:HqRE7TGh

きっちり心を修める為に

例えば、精神集中、精神統一などのために

◎呼吸法
◎瞑想
◎三十七道品(三十七菩提分法)
◎心修習
◎智慧修習
◎チャクラの覚醒

の修習などが必要である
と私は考えています
793神も仏も名無しさん:2010/12/15(水) 15:40:43 ID:HziLlJFp
>>786
>識無辺処とか空無辺処とかの禅天ってのは、
>座禅によってこの世で生きながら体験する境地ですか

そうです。識無辺処とか空無辺処は、禅定状態を言います。
こちらは、無色界の果、つまり、そのような境地の天界に生まれる結果をもたらします。
禅天は、色界の果です。こちらは、四禅で識無辺処とか空無辺処より精神集中が低い状態をいいますが、観を行うためにはこちらの状態がいいのです。
794神も仏も名無しさん:2010/12/15(水) 15:41:48 ID:HziLlJFp
>>792
質問箱なので私見や宣伝は慎みましょう。
795神も仏も名無しさん:2010/12/15(水) 23:02:42 ID:PNYxWGO0
ここで質問してもいいですか?

「永代信士号」とは何でしょうか。

よろしくご教示お願いします。
796神も仏も名無しさん:2010/12/17(金) 10:23:32 ID:zqu6X1Bx
60代になる母についてなのですが

私の母は、死に対して激しい恐れがあるようで、人間ドックなど受けても、その診断結果の紙を
数日見れないという有様です。
私は宗教をやっていないのですが、人間はいつか死ぬ、それまで良く生きると
いうことぐらいの簡単な真理はわかっているつもりで、死にもあまり恐れがありません。

その私から見て、母がもし病気などになった場合、うろたえ・悲嘆し、無様な死を
迎えるような気がして仕方がありません。

母を救えるのは、信心かなと思い、何か書籍でも与えたいのですが、
平易で仏教の真理がわかる本などありましたらご紹介頂けないでしょうか?

また、そのような悩める人間の苦悩を解消するいい方法がありましたら教えてください。
797ネットサーファー@神の国:2010/12/17(金) 10:28:15 ID:5pF4nPV4
即身仏を見に行けばいい
798神も仏も名無しさん:2010/12/17(金) 10:50:58 ID:jXbmt6wL
>>796
まさにぴったりなのがこれです。
http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Daps&field-keywords=%83%5C%83M%83%83%83%8B&x=0&y=0

お年寄りには、文庫じゃない方が読みやすいかもしれません。
文庫の方はみてないので分かりませんが、
原書は素晴らしい内容で、欧米でミリオン・セラーになりました。

訳書は、まあまあです。
799神も仏も名無しさん:2010/12/17(金) 11:39:45 ID:zqu6X1Bx
>>798
ありがとうございます。
ためしに読んでみようと思います
800神も仏も名無しさん:2010/12/17(金) 13:58:23 ID:VmyIKxef
以前に見た仏像の事で質問させて下さい。
モデルとなった方の名前が知りたいです。

仏像は、昔ギャラリーで見かけたものなのですが、
手で腹を割って、その裂け目の中から仏が顔を出しているというものです。
作家の方に聞いた所、
そのモデルが信心の無いような諸行をした為、釈迦(?)から「お前に信心はあるのか」と尋ねられ、
その際、「仏はここにいる」と自らの腹を割いて仏を見せた…

という感じでしたが、なにぶん昔の事で記憶が曖昧です。
名前はたしかマカラオ?みたいな感じでした。


わかりにくい質問ですみません。ご存知の方、教えて下さい。
801神も仏も名無しさん:2010/12/17(金) 14:12:25 ID:iN3kA2RG
>>796
お母さんは、死を意識し過ぎているのではないか。老年期の鬱病であるおそれもある。
日常生活や子や孫との係わり合いにおける、ささやかな「生の喜び」に誘導すべき
だろう。

検査結果にはばらつきがあり、必ずしも絶対的なものではないことと、現代医学では
殆どの病気が治療可能であることを説明して、納得させる必要がある。

「死者の書」など読ませると、却って死を意識するようになるから、逆効果。
802神も仏も名無しさん:2010/12/17(金) 14:43:55 ID:TwxNB5b3
>>800
ttp://www.geocities.co.jp/SilkRoad/8812/page11.html

ページ タイトル
このお寺の中に、祭ってある神様は、神様を管理する神様「玉皇上帝」です。
普通の神様は仏像の形で祭ってあるけど「玉皇上帝」は、
... 途中観音菩薩が玄天上帝の決心を試したところ、
玄天上帝は自分の決心を表明するために、自分の腹を割って、腸と胃を ...
www.geocities.co.jp/SilkRoad/8812/page11.html - キャッシュ
※相手は観音様だけど、当人は仏弟子ではないね。中国のお寺、逸話だね。


ttp://blogs.yahoo.co.jp/cfmjs676/archive/2010/1/16
幸麿の研究所 - Yahoo!ブログ2010年1月16日 ... ある雑誌に書いてあったのですが、.
この?怙羅は、自分の腹を裂いてその中から仏を出し、悟りを開いた・・・・
... 顔アイコン. お〜っ!文字通り腹を割って語りかけてくれるお姿です!
ニッコリと鷹揚な羅漢様ですね! 親しめます! ...
blogs.yahoo.co.jp/cfmjs676/archive/2010/1/16 - キャッシュ
※お釈迦さんの息子のラーフラのことかな?それとも同名の別人かな?
803神も仏も名無しさん:2010/12/17(金) 16:27:57 ID:aZigFp+b
>>795
初耳ですね。
そのような言い方がされることはないと思うのですが・・・。
804神も仏も名無しさん:2010/12/17(金) 17:59:19 ID:zqu6X1Bx
>>801
そうですか。難しいですね。

私のように、生に執着のない人間から見ますと(それも多少問題があるのでしょうが)
どうも母がだらしなく見えてしょうがないときがあります。
そのように死ぬのを怖がっているのに、忠告に従わず高血圧になりそうな食事を食べて
いたりするので、腹が立つときがあります。
805神も仏も名無しさん:2010/12/17(金) 18:52:49 ID:jXbmt6wL
>>804

 >>801は生命教といって仏教とは関係ない妄想をたれ流す人なので無視した方がいいと思います。

 仏教の是非は関係なく怖がっている人に>>801のように言っても無駄なのは誰でも分かることだと思います。
806795:2010/12/18(土) 00:29:32 ID:4OYDWvMy
>>803
数年前に母が亡くなって法要を行った時にお寺から頂きました。
大きな和紙に、これが旧字体で書いてあり、お寺の印が捺してあります。
当時の私は混乱の極みであったので、何の事か確認する余裕もなかったのですが、
最近になって疑問に思い始めました。
以前ネットで検索した時も、1件しかヒットしませんでした。しかもそれも質問だったと思います。

807神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 02:16:44 ID:QBEmkp1d
永代供養と信士号の授与を一緒くたにして、永代・信士号と言っただけでは。

韓国人が、別概念である創氏(近代的な日本の戸籍制度に組み込む。必須)と改名(日本風の名に改める)を
ひとつにして創氏改名と言うようにさ。
808神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 10:23:00 ID:ZKBO0OUp
>>806
推測するに、
「貴方の所は、代々(永続的に)、信士号を用いる家系(家柄)です」という【意味合い】のことだろうと思う。
理由は様々考えられる。
先祖の誰かの意向、その家の家風みたいな伝統。(…「先例を引き継いだ形」)
(金銭面・財力も含めた)寺院側からの良くも悪くもの「格付け」。
(金銭面・財力も含めた)その家側の「家風・伝統」。
下の検索結果の質問者の所のような「家柄の踏襲」。
等。 いずれにしても、便宜的・複合的使用法、意味であり、
正式な用語、概念としてあるものではない。

ちなみに、検索結果ってのはこれ↓だな。

「永代院(殿)居士号」の家から、代々「信士、信女」のお家柄に嫁ぐ
...2008年12月25日 ... 「永代院(殿)居士号」の家から、代々「信士、信女」のお家柄に嫁ぐことは
おかしいですか?どのような問題が生じますか? 「信士」「信女」とは、 差別戒名なのですか?
またこの場合、私が亡くなった後にいた...
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/.../q1121698626 - キャッシュ - 類似ページ

ttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1121698626
809神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 11:46:23 ID:ZKBO0OUp
>>804
>腹が立つときがあります
お母さんのその行為は、至極当然の、あり得る様子です。
怖れているからこそ、今まで通りの食事をとりたくなるのです。
怖れているからこそ、今まで通りである要素を生活の端々に組み込み続けることで安心するのです。
今までと違う、現状に直結する(→否応なしに現実を意識させる)要素は排除したくなるのです。
また、好きなもの・欲するものに触れることにより、
怖れを(気持ちの外へ)押しのける、或いは覆い隠す防衛心理とも言えます。
(これは、試験直前に漫画が読みたくなるようなことに近いかもしれませんw)
このこと自体は、(隠居が常常主張するようにw)必ずしも悪しきことではありません。
そうした都度都度の小さな回避を重ねて、人は日常の様々な負荷をやり過ごしてゆくのです。
勿論、もし疾病があるなら或いは見つかった時は、そこを改めないと命の危険が増すわけですが・・。
まだ実際に体調を崩しているのでなければ、時々注意するくらいで良いですよ。
その時が来たら、案外あっさり受け入れてしまうかもしれませんよ?

>うろたえ・悲嘆し、無様な死を
それが【普通】です。寧ろ、そうでなく平然としていられる方が、本当は(世俗的には)おかしいのですw
810神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 11:47:34 ID:ZKBO0OUp
>>804
>母を救えるのは
>また、そのような悩める人間の苦悩を
まだ「救う」という段階ではないでしょう?(それは貴方の、上から目線とも言えますw)
病的な怖れなら、それなりに対応が必要かもしれませんが、そこまでのことでもないように見えます。
ただ、いざという時に考え方の転換が図り易くある爲に、その種を幾つか蒔いておくことは有意義でしょうが・・。
浄土系でも禅系でも、或いはキリスト教系でも何でも良いですが、これと決めずに、
そうした日常の価値観を踏み越えた領域に触れる機会を、
『自然な形で』日常の中に『少しずつ』組み込んでゆけばよいのでは?
お母さんの性格からすると、書籍等は、診断結果同様w、
開くことなく(寧ろ意図的にw)遠ざけるのではないかと思われますし。
(ま、この辺は、貴方の「薦め方」のテクニック次第かもしれませんが・・w
寺院や神社の参拝(いや、『観光』だなw)に出かける機会を多くするとか、
闘病のエッセイ等を家の中にさりげなく置いとくとか、その程度のことから始めるような感じで。)

いずれにしろ、上にだらだら書いたようなことを踏まえれば、書籍なら、
いきなり核心に触れているものよりも、エッセイや法話集みたいなものからスタートする方が良いように感じます。
811神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 12:22:20 ID:AZGtMUae
>>810
宗教は、「人の弱みに付け込んで布教する」ことはやめるべき。

このお母さんは、認知のゆがみが問題なのだから、宗教はそれをさらに助長する。

お母さんの悩みに、息子も至らないところがあったのではないかと、自省する
必要もある。息子が「自分は正しい」という前提に立っているところは、宗教者
と全く同じ。
812神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 12:27:50 ID:UbGz83mq
>>810
彼のいう救うというのは、安心させる。
心を落ち着かせ、平静でいられるようにするということではないかな?

その意味で、『チベットの生と死の書』はぴったりだと思う。

別に、仏教を信じなくても、安心できる可能性があると思う。

813神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 13:55:20 ID:ZKBO0OUp
>>812
(文言も含め)いきなり直接過ぎでしょw
しかもそれが「読んでごらん」という直接的推薦だったら、却って反発心で読まないかもよ?
次第説法・対機説法からズレるなんて貴方らしくもないw

つーか、
彼のお母様は、別に《「怖れに包まれ」「不安に捉われた」日々を過ごしている》わけではないでしょう?
【彼にとっては「そう見える」】というだけでしかないように思うが?
寧ろ、毎日は安穏に過ごしていると思うよ。自分の不安に対する自覚もないだろうし。
況や原因をや。
だとしたなら、薦められても、読む必要性どころか、読みたいとも思わないだろうし、
上で書いたように、寧ろ「敬遠」すると思うよ。
814神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 14:42:32 ID:UbGz83mq
>>813
そうかな?

文からして、書いた人は冷静な分析だと思うけど。

ほんとうのところは観てみないと分からないけど。

死を本当に畏れている人は、なんでも縋りたい気持ちだと思うんですが。
815796:2010/12/18(土) 15:02:51 ID:ksREZ4rN
私の母について、いろいろ考えて頂きありがとうございます。

一人の方がおっしゃるように、平素母は特に不安に襲われているということはないのですが、
医師に再検査を求められたり、死が身近になると急に情緒不安定になります。

また、普段からよくわからない宗教団体の星がプリントされたシールみたいなものを、怪我の場所に張ったりと
無意識かもしれませんが、何か救いとなるものを求めているのだと思います。

子の感情として、母には死ぬときに安らかに、死によって救いがあるのだという気もちで
死んでいってほしいので、なにか手助けになる書籍や思想がないものかと考えている次第です。

チベットの本は難しいのかもしれませんので、私がまず読んでみて、母に抜粋して教えてあげるなりしたいと思います。
816:2010/12/18(土) 15:04:18 ID:RqE/mMiA

  ☆  おすすめの書籍  ☆

チベットの生と死の書 (講談社プラスアルファ文庫)
ソギャル・リンポチェ (著), 大迫 正弘 (翻訳), 三浦 順子 (翻訳)
(文庫 - 2010/9/21)

新アジア仏教史〈09〉須弥山の仏教世界 ― チベット
(新アジア仏教史 9 チベット)
沖本 克己 (編集), 福田 洋一 (編集)
(単行本 - 2010/4)

ダライ・ラマ法王に池上彰さんと「生きる意味」について聞いてみよう
ダライ・ラマ14世 (著), 池上 彰 (著)
(単行本 - 2010/11/26)
817神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 15:56:52 ID:/Zs6RlcV
>>814
>死を本当に畏れている人は、なんでも縋りたい気持ちだと思うんですが。

後に残る者たち(夫、子、孫)などの行く末を配慮し、手配していたら、
死を恐れている暇などない。大忙しだ。その中で、初めて、本当の、充実した
救いが得られる。

人は、人によってのみ救われる。宗教による「自己欺瞞」によってではない。
死ぬ時まで騙されて死ぬことに、惨めさは感じないのか。
818神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 16:01:01 ID:UbGz83mq
>>817
あなたが苦しくて、怨念でがんばってるのはよく分かりますが、
仏教は本当に素晴らしく、軽妙洒脱で人のことしか考えてない聖者を生み出すものなのです。

あなたは今生では縁がないでしょうが。
819神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 16:07:58 ID:/Zs6RlcV
>>818
君は、宗教に騙されたまま死ぬことに、本当に満足か。死後、かならず後悔する
だろう。

世界最大の哲学者といわれる英国の無神論者ヒュームは、死の直前までキリスト教
への入信を勧められたが、すべて断り、従容として死に赴いた。彼は、自己欺瞞の
ない真実の人生を貫いたのである。
820宝珠愚者/代行:2010/12/18(土) 16:17:16 ID:vCKOyi5X
>>804
お気持ちはよく分ります。

もしも、予算的に余裕がありましたら、
異なるアプローチの三冊をプレゼントしてみてはどうでしょう?
そうすることで、その中にお母さんの心をとらえる一冊があるのではないでしょうか?

実際、当人にとって、
この中の「気に入った本を読んでみて!」的なアプローチは、
かなり有難いことが多い^^

これからもお母さんと仲良くねぇ^^
-----幸運を祈りますm(__)m
821神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 16:30:41 ID:ZKBO0OUp
>>815
>よくわからない宗教団体の星がプリントされたシールみたいなもの
そりゃ、あまり宜しくないなw
まず、(国内の)伝統諸宗派の堅実な価値観から始めるのがベターじゃないかなぁ・・。。
で、815を読むと、
やっぱり、浄土系やキリスト教系の方が親和性高くて(→異文化率が低くて)
入り口としては良いんじゃない?(>>814
798は諸刃の剣のような気がしないでもない・・。

>>817>>801)のような手段は、「強さ」(或いは覚悟)が養われて初めて成立する心境であるし、
そうした自分が確立されたところに顕現する「在り方」であって、
そこへの導入たる何がしかが必要であることは避け得ませんので、工夫してみてくださいw


なんとまともな横レスwww(>>820
822神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 16:31:06 ID:/Zs6RlcV
>>815
>また、普段からよくわからない宗教団体の星がプリントされたシール
>みたいなものを、怪我の場所に張ったりと無意識かもしれませんが、
>何か救いとなるものを求めているのだと思います。

すでにどっかの宗教に嵌っておられるようだな。その宗教から、「死の
恐怖」を植え付けられた可能性が高い。「脅迫」と「甘言」が、宗教の
本質。

さらに宗教書を勧めるなど、以ての外だ。
823神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 16:35:23 ID:/Zs6RlcV
>>821
>なんとまともな横レスwww(>>820

まともじゃない。「人の弱みに付け込んで布教する」という、陰湿・
悪質な布教の常套手段。


824神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 16:40:12 ID:ZKBO0OUp
>>823
薦めた本が「臨済録」「正法眼蔵」或いは「仏教語源散策」であってもか?w
825神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 16:45:20 ID:/Zs6RlcV
>>824
上記の本は、すべて、チベット仏教や上座部仏教などのカルト本。

テラワダって、本国でもカルト扱いではないの。

チベット仏教や原始仏教は、オウムの宗教。
826神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 16:53:23 ID:/Zs6RlcV
宗教による植え付けではない限り、「死の恐怖」は「生への意欲」の
裏返しだ。「生への意欲」を掻き立ててあげれば、「死の恐怖」は
薄らぐ。

臨在録や正法眼蔵などを理解できれば、そもそも死の恐怖など感じない
のではないかな。

一休は、臨終に際して、「死ぬのは嫌だ」と言った。これが悟りである。
827神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 17:49:08 ID:tiFA9ZaL
>>826
「死ぬのは嫌だ」と「仏法のためには命をも投げ出す」
これが一つの心に矛盾なく具わるのが悟り。

どちらかが欠けていると、無責任な臆病者もしくは蛮勇の徒になってしまう。
828神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 18:10:46 ID:AJxxu4kG
>>827
>「仏法のためには命をも投げ出す」

それは仏法に対する執着。悟りでも何でもない。単なる犬死。

人間なら、生命に執着するのが自然の理、即ち法である。
829神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 18:11:48 ID:iKawMERz
オウム真理教と仏教の違いはなんですか?
830神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 18:21:01 ID:tiFA9ZaL
>>828
親が子のために命を投げ出すのもまた自然の理。
自己の生命に執着するゆえに他者を殺す者もいる。
本当の仏者なら法のためには命を投げ出す覚悟は必要であろう。
831神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 18:30:02 ID:AJxxu4kG
>>830
釈迦は、親でも子でもなく、大昔の赤の他人。そんな人間のために命を投げ出す
理由はない。キリスト教の殉教者と同じく、愚か極まりない行為である。

釈迦ではなく、生命に執着した(「死にとうない」)一休が、本当の悟りである。
832神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 18:37:29 ID:AJxxu4kG
一休宗純が遺した言葉

門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし(『狂雲集』)

釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはすかな

秋風一夜百千年(秋風のなかあなたと共にいる。それは百年にも千年の歳月にも値するものだ)

花は桜木、人は武士、柱は桧、魚は鯛、小袖 はもみじ、花はみよしの

女をば 法の御蔵と 云うぞ実に 釈迦も達磨も ひょいひょいと生む

南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ

親死に 子死に 孫死に
833神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 18:37:46 ID:tiFA9ZaL
>>831
法とは仏陀個人を指すのではない。
法とは死すべきときに死して、生きるべきは生きる。
それだけの話だ。
一休の悟りが本当の悟りであってほしいその気持ちは悪くはないと思うよ
修行しなおしなさい。
834神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 18:40:09 ID:tiFA9ZaL
今、感じている一休の言葉が10年後にはまた新たな意味で聴こえてくる。
悟りに完成なし。
835神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 18:41:50 ID:AJxxu4kG
>>833
>法とは仏陀個人を指すのではない。

ならば、仏陀個人を否定して、法(自然の摂理)に従えるか。どうしても
出来ないのだろw。

修行しなおしなさい。
836神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 18:52:58 ID:tiFA9ZaL
>>835
これ以上問答無用
837神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 19:17:23 ID:d+IwmYxP
>>832
「一休宗純が遺した言葉 」

うわ〜、面白いですねぇ。最高!(笑
今と一緒ですねぇ・・ひとつ得したヮ、サンクスで〜す。o(_ _*)o 

    ↓
★女をば 法の御蔵と 云うぞ 実に 釈迦も達磨も ひょいひょいと生む ★

★南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ

親死に 子死に 孫死に ★


>>796さん、↑ が良いかもね
838神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 19:18:40 ID:ZKBO0OUp
>>826
アホだなw
《あるもの・事柄への志向性が強ければ強いほど、
それが阻害される、失われることへの恐れ・不安、(或いは否定的評価、或いは敵視)も比例して強くなる》 んだよw
それが「固執」「執着」ってもんだ。
今回なら、「現状」や「生」への過剰な期待・執着が、
裏返しの如く、それらの「阻害」や「喪失」への恐れ・不安としての「象徴・極たる死」への恐れとなってるわけさ。
人間心理がまるで解ってないな・・。そんなんで日常や常識云々するなぞ片腹痛いw
自分で、裏返しとしてその比例的関係を述べておきながら、続く文章で >薄らぐ と
反比例の関係を述べる。無茶苦茶だなwww

ちなみに、上記の逆の事例がどういう状況であるかは、言わなくても想像できるよな?w
839神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 19:27:25 ID:ZKBO0OUp
>>837
どっちかっつーと、↓の方が良いような気もするなw

「明恵上人」(白洲 正子/講談社文芸文庫)
「明恵上人集」(岩波文庫青/久保田淳, 山口明穂)
840神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 19:39:40 ID:AJxxu4kG
>>838
生に対する執着がそれほど強ければ(これが人間の本性)、その生を
十分に生き、楽しめば、死を忘れることが出来、死ぬ時は、「死にとう
ない」という一休の悟りに到達することが出来るのだよ。

一休の悟りの意味が分っていないねw。
841神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 19:46:49 ID:ZKBO0OUp
>>829
「反社会性」「被害者意識の肥大による(社会への)攻撃性」「教理の継ぎ接ぎ」
「権力の一極集中」「オカルト色・神秘体験主義」「選民思想」「排他的独善性」
といった感じかな。


>>840
ほんと、民主内閣そっくりの答弁だなw
「論点丸外し」「NTF(中身が大変不正確)」「不勉強」「詭弁のラザニア」・・・
救いようが無いwww
842神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 19:52:21 ID:UbGz83mq
>>821
それは浄土系がいいと思うけど。

『往生要集』にしても難しいと思うんだけど。

七里恒順さんの読みやすい本があればいいと思うけど、
そんなの知らないし。
変な人の本じゃ困るでしょ。

オイラとしては『生と死の書』がベストなわけ。
843神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 19:53:52 ID:AJxxu4kG
>>841
ならば、一休の「死にとうない」の悟りを解説してみよ。出来るかw。
844神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 19:55:56 ID:UbGz83mq
>>829
聖者の伝承があること。
三宝に帰依すること。
アートマンや本質・実在を認めず、縁起・空・仮設と認めること。

根本的にはこの三つだと思います。
この三つの違いから、いろいろな違いが沢山でてきます。
845神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 19:57:55 ID:UbGz83mq
>>839
一休は、初心者が読むもんじゃないよね。
白州正子って、やっぱいいわけ?






846神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 20:24:16 ID:d+IwmYxP
>>839
ふ〜ん。読んでないから分からないけど・・
年とってから読むのは、視力も根気も低下するし、興味がないと面倒だからねぇ、

★花は桜木、人は武士、柱は桧、魚は鯛、小袖 はもみじ、花はみよしの

女をば 法の御蔵と 云うぞ実に 釈迦も達磨も ひょいひょいと生む ★

★南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ

親死に 子死に 孫死に ★

↑ で充分でしょ、変な宗教に影響されてるなら尚のこと、
簡潔・陽気でいいじゃん!丸暗記も出来そうだし・・楽観的になれそう!お母さんにピッタリ〜(^O^)
 ↓
>また、普段からよくわからない宗教団体の星がプリントされたシールみたいなものを、怪我の場所に
>張ったりと 無意識かもしれませんが、何か救いとなるものを求めているのだと思います。
847神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 20:34:03 ID:ZKBO0OUp
>>842
ワシも(読書人じゃないからw)全然知らないけど、
(原典としての、或いはカノン的位置付けとしての)「テキスト」より、随筆やエッセイの系統の方がいいんじゃなかろうか・・、
というのが私の意見。
(過疎ってなければ、誰かしら紹介してくれる人が一人や二人は出て来るんだろうけど、現状ではなぁ・・w
ってことで>>839なわけ。 寂聴とか五木寛之も何だかって感じだし、
奈良さんや中村さんの幾つかは、やっぱり「テキスト寄り」だし・・。
奈良さんの「般若心経講義」(東京書籍)や中村さんとの対談形式の「仏教の心を語る」(東京書籍)とかは良さ気だけど。)

>>845
どうだろう? 実は積読状態でほとんど目を通してないw スマンwww(>>846もスマン・・m(_ _)m)
まあ、読んだとしても単発読みになるから「比較しようもない」わけだが・・・w
ただ、学生時代、明恵さんの伝記なら白洲正子がいいんじゃないかって薦められはしたけど。
心理学や夢分析といった系統、アプローチのものじゃないって意味ではいいんじゃないかな。
近々に読んで確認してみるよ。(河合隼雄のも良いのかなぁ・・。)

ただ、『「死や病」と向き合う』って時には、
破天荒な一休さんより常識的な明恵上人の(“あるべきようは”の)方が良さそうだと思ったから839を入れただけで、
ベストな推薦ってわけでもなかったりするw(>>846も一理二理あると思うしw)
848神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 20:38:49 ID:UbGz83mq
>>846
そりゃ、レヴェルが違うだろ。ある程度の境地にあって、世俗と勝義を分けてるような行者に対しての言葉だよ。

凡人が読んだら、ただの現状肯定だ。それじゃだめだ。生命教と同じじゃないか?

一般的なアドヴァイスなら、それでいいかもしれないが、
仏教・質問箱で質問してるってことは、仏教について聞いてるってことだからね。

だめだ、だめだ。
849神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 20:42:38 ID:UbGz83mq
>>847
いや、やっぱずれるね。

オイラは聖者のものを読むべきだと思う。

言葉じゃなくて、伝わるものがあるからね。

学者は言葉だけで、だめだと思うよ。そういう方には尚更。

正に七里恒順の分かりやすい文があれば、それがベストだと思うが、知らないんで。
850神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 21:20:49 ID:Ln6qHmIt
流れを切ってしまいすみません
>>800ですが、>>802様、ありがとうございました

中国での逸話でしたか
ラゴラ、とも思ったのですが、私ではそういった逸話を見つける事が出来ませんでした

ほんとうにありがとうございました

このスレの皆様が幸せでありますように
851神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 21:28:09 ID:UbGz83mq
>>850
もしかして、万福寺の十六羅漢とかですか?
852神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 22:20:37 ID:QBEmkp1d
だいじょうぶだよ 君は必ず死ぬ

だいじょうぶだよ 君は必ず死ぬ
死んだら あたたかい夜のぬくもりの中で
君と僕は 君と僕のいのちを
あたためあう
夜闇のフクロウも 僕達の命だ
フクロウの鳴き声が 静かに僕達の瞳をしめらすことだろう     

だいじょうぶだよ君は必ず死ぬ
死ぬべき君には もうどのような恐れも無用だ
そして僕達は 時間を忘れた夜明けの すがすがしい大気を吸い込む
まるで初めて 大気を吸いこんだように
僕達は 夜明けの息吹きを感じることだろう

だいじょうぶだよ やがて死ぬ時が来る
僕達の宇宙ゲームを終らせて 夢もない眠りに やすらかに帰る時がくる
初めがないここには生も死も 初めから夢にすぎなかった

だいじょうぶだよ 君は必ず死ぬさあ今 君は君自身に帰る 帰っておいで
君自身である 僕自身の胸の中に

人々は どういうわけか 死をいみ嫌っていた
だが だいじょうぶだよ 君もやがては死ぬ
死が 君にすべての生命達との ふれ合いを教えてくれる
だいじょうぶだ 君は死なないのだから 生と死の中をつらぬき
やさしさがいつも響いていた虚しさを見切った人芸者であろうが売春婦だろうが
殺人狂だろうが聖者だろうが乞食だろうがサラリーマンであろうが
この人間世界のあるがままを見切った人達のその深く静かな眸が美しい
853神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 23:43:11 ID:Z1C95Xbq
>>852
生きてる間に「死ぬ」「死ぬ」言うな。死は、すべての人間に訪れる大自然の摂理。
良き死は、良く生きた者だけに訪れ、永遠の平安と休息をもたらす。死に怯えながら
生きている者は、平安も休息もない、惨めな死を迎える。これが悪因悪果である。
854神も仏も名無しさん:2010/12/19(日) 00:14:15 ID:lc+0clFN
>>849
そうかあ・・。
いや、私だって、原則としては「原典」(翻訳可)がベストだと思ってるけど、
そこには二つの条件がある。
ひとつは、「ある程度の、正統な(オーソドクスな)予備知識」。
ひとつは、「その後のフォロー、確認。或いは学び」。
(両方あった方がいいに越したことはないが)、この二つのどちらかは最低限欲しい。
前者は、「誤読・恣意的読みの防止」「誤読に基づく、願望通りの世界観構築の防止」、
後者は、「応用・援用・活用に際しての独善的利用、行き過ぎ・拡大解釈の濫用の防止」の爲に・・。
 *(この宗教板で例を探せば、
  前者寄りが「各種アンチ、或いはカラス或いは隠居」、後者寄りが「机、宝珠、在家、野狐禅家・空教信者」
  といったイメージでもいいだろう。後者に苫米地を加えてもいいw)
いきなりのテキストは、上のようなリスクを、常に大きく背負うのだ。
感銘を受け、心の成長に資するという点では、“本物”であることは大変重要だ。
逆に、上のようなリスクの防止にもなるというのが貴方のスタンスかもしれない。
しかし、心経解釈のバリエーションの多さを見れば、杞憂と一蹴するわけにもいかない。
特に、当該知識(書籍)が、解釈のバリエーションを醸成し易かったり、
既に偏光ガラスが介された予備知識だったりしたなら・・。或いは、当該知識に対して先入観が既にあったら・・。
 *(現に、貴方自身も>>845で一休宗純は“初手”としてはふさわしくないと(峻別)している。
  同じことだと思うのだ・・。)
855神も仏も名無しさん:2010/12/19(日) 00:20:43 ID:lc+0clFN
>>854補足。
このような二つのリスク防止に、一括して、しかも強力な効果を持つのが、
(貴方流の謂いをすればw)、生きた、面前する「師」(≒聖者)「先輩」であるだろうとは思う。
856神も仏も名無しさん:2010/12/19(日) 09:21:40 ID:mdX579nv
>>838
>今回なら、「現状」や「生」への過剰な期待・執着が、
>裏返しの如く、それらの「阻害」や「喪失」への恐れ・不安としての「象徴・極たる死」への恐れとなってるわけさ。
>人間心理がまるで解ってないな・・。そんなんで日常や常識云々するなぞ片腹痛いw

そうかなぁ?・・・
60代にもなれば、この世が楽ばかりではなく苦も多いことは分かってる筈で、悲惨な人生も
楽な人生も沢山見聞きしていろんな経験も多い筈。そして段々心身共に衰えていくのだから
自然にこの世に飽きがくるというか悟って?迎えくる死は受容できてくるのではないかとオモ
誰にも死は訪れる<自然の摂理>だからね。逆らっても仕方が無い。

つまり、死を本当に畏れているのではなくて体が老いていき健康に不安が出てきていろんな病気
から発生する苦痛・寝たきりで長期にわたり迷惑かけたりする・・・・・等々の恐怖ではないの?
     ↓
>人間ドックなど受けても、その診断結果の紙を数日見れないという有様です。
>医師に再検査を求められたり、死が身近になると急に情緒不安定になります。
>また、普段からよくわからない宗教団体の星がプリントされたシールみたいなものを、怪我の場所に張ったりと・・

その証拠に、ぽっくり地蔵さんは、ぽっくり死ぬことを願う年配者が参拝に出かけて大賑わい〜
精神的なものより肉体的な苦の方が怖いのでは?
緩和医療・介護・・・等々を具体的に検討する方が安心させられて喜び、残る余生を存分に楽しめるかもね
857神も仏も名無しさん:2010/12/19(日) 09:49:11 ID:V5+3rOv9
エヴァンス・ヴェンツのパドマサンバヴァ伝(春秋社)って大丈夫なんでしょうか?
彼の手が入った『チベットの死者の書』が何かニューエイジ臭がしたので少し不安なのですが……
858神も仏も名無しさん:2010/12/19(日) 10:42:09 ID:X8TDMMHy
>>854
それって、「ブランド崇拝」と一体どこが違う?

一昔前のことだが、著名な外国のピアニストが来日した時、日本の若者に対する
助言として、「楽譜通りに弾くな」と言った。この意味が判るか?

厳然として実在する自然を対象とする自然科学とは異なり、宗教思想などは、元々
百人百様だ。それ自体が、従来の「ブランド」の自由な解釈と批判から生じたもの
であることを忘れてはならない。

思考の基盤とすべきは、従来の有名ブランドではない。それでは単なる「思考停止」
以外の何物でもない。

重要なのは、何を思考の基盤とするかについての思考だ。さもなければ、進歩は
ない。その基盤は、「大昔の原典」などではない。

そもそも、「大昔の原典」などに、固定した解釈などはありえない。あの世の原著者が、
「俺はそんなことは言っていない」と言ったら、一発でオシマイだ。
859神も仏も名無しさん:2010/12/19(日) 10:46:27 ID:Xmx4rJsJ
>>857
よくないです。あれを今、和訳する意味はないでしょう。
ちゃんとチベット語から訳せばいいのに。

英訳なら Erik pema kunsang, The Lotus-born がいいと思います。
ちゃんと伝統的聖者に習っていて行もした訳者です。
英語も非常に読みやすい簡単なものです。
860神も仏も名無しさん:2010/12/19(日) 10:53:48 ID:Xmx4rJsJ
>>858
全く違う。
多くの聖者による体験の検証がある。正に体験が対象だ。
その体験の結果、師となってよいと認められたものが伝えてきたのが仏教。

紙に書かれた経典はあくまで補助的な検証手段で、本質は口頭で伝えられ体得されてきた教えにある。

現代日本ではほとんど伝承が失われてしまったので、単なる文献研究になっている。

そして、こいうった場で第三者に伝える場合は経典に依らなければ、オレオレ悟り人が、語り出すから経典に依らざるえない。
861神も仏も名無しさん:2010/12/19(日) 11:12:38 ID:oByGgyrl
>>805
 >>>801は生命教といって仏教とは関係ない妄想をたれ流す人なので無視した方がいいと思います。
   ↑ は、ちょって異議がありますね。(笑
生命教などという宗教団体のようなものは存在しませんからね。

■<神=命=人間=自然>・・・は、万人(世界中)に共通のもの■

万人の中に既に神が存在しているから狭い宗教の教義に教えられる必要はありません。
これによる宗教戦争・紛争・口論・・・等も勿論起こりようがない完璧なもの。
万人の中には、当然に、クリや仏教者やその他の宗教者も含まれます。

輪廻転生・因果応報・罪・カルマ・天国と地獄・永遠の命・・・などの証明できない<妄想>を
垂れ流したり、脅し不安を助長したり金品を巻き上げたり・・する方が罪ではないでしょうか?
862神も仏も名無しさん:2010/12/19(日) 11:16:07 ID:X8TDMMHy
>>860
そもそも「聖者」って一体何だ。「自己宣伝によるブランド」だろ。

人間には、「聖者」と「凡人」という「二種類の人種」がいるわけではないよ。
何をどこで勘違いしてるのか。
863神も仏も名無しさん:2010/12/19(日) 11:33:43 ID:oByGgyrl
>>805
>仏教の是非は関係なく怖がっている人に>>801のように言っても無駄なのは誰でも分かることだと思います。

宗教者・信者でも、怖がって死んでいく人はいるのでしょう?
それともそんなことは皆無とでも?
864神も仏も名無しさん:2010/12/19(日) 11:53:31 ID:+5S1yfh4
議論は議論スレでお願いします。
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1288858978/l50
865神も仏も名無しさん:2010/12/19(日) 12:03:37 ID:rpXI804N
死ぬ前に地獄があるって、結構聞く話

866神も仏も名無しさん:2010/12/19(日) 12:59:12 ID:inBMYrIh
道元は見性をあまり評価してなかった、って本当ですか?
867神も仏も名無しさん:2010/12/19(日) 13:33:35 ID:Xmx4rJsJ
>>862
仏教を信じないなら、黙っていればいいことでしょう。
868神も仏も名無しさん:2010/12/19(日) 15:16:40 ID:lc+0clFN
>>858
>著名な外国のピアニストが

既にブランド崇拝ですねwww
869神も仏も名無しさん:2010/12/19(日) 15:46:13 ID:pcZbyiip
>>868
「著名なピアニスト」は掃いて捨てるほどいる。単に「優れたピアニストの
うちの一人」の意味。彼等はお互いに競い合う。「絶対化」「神格化」には
無縁。

開祖は、各宗教に一人しかいない。これが本当の「ブランド崇拝」「偶像崇拝」。

釈迦、イエス、ムハンマドの三人が、お互いに競い合い、議論し合って、切磋琢磨
するとでもw。
870神も仏も名無しさん:2010/12/19(日) 16:48:42 ID:rT7rF6K2
>>812
>彼のいう救うというのは、安心させる。
>心を落ち着かせ、平静でいられるようにするということではないかな?

しかし、いくら心が落ち着いて平静でいられても、呼吸が苦しくなる発作が頻繁に
起きたり体のどこかを激痛が襲ったり目が見えなくなったり耳が聞こえなかったり
或いは喋れなかったり食べれなかったり・・・・・・・・・

することが長く続いたら心はどうなるの?

体が疲れれば心も当然に疲れてくるのでは?
心が疲れれば鬱になるかもしれない。
そしてこの可能性は、誰にでも当てはまるのでは?
871神も仏も名無しさん:2010/12/19(日) 18:34:05 ID:55YMLpFS
>>870
お母さんは「身体の病気」のことで悩んでいるのだから、医者にでも、病気に
ついてよく説明してもらって、理解・納得・安心させることが必要。一昔前、
例えば戦中・戦後と比べると、医学は驚異的な発達を遂げている。その意味で、戦中・
戦後派から見ると、現代ほど恵まれた時代はないのです。まさに地獄と天国
ほどの差があります。人類史上最も恵まれた時代に生を享けたことに、感謝
しなければなりません。若い人々にとっては、無限の可能性が開けているの
です。

また、歳を取ると認知症の恐れも出てくるから、物忘れなどにも注意が必要。

すべて、息子としての努め。

「認知のゆがみ」が原因だと思われるから、その是正が必要(認知療法)。

宗教は、「認知のゆがみ」の典型w。宗教とは、人為的に「認知のゆがみ」を生
じさせる営み。
872神も仏も名無しさん:2010/12/19(日) 18:59:29 ID:Lm72ih6o
>>848
>そりゃ、レヴェルが違うだろ。ある程度の境地にあって、世俗と勝義を分けてるような行者に対しての言葉だよ。
>凡人が読んだら、ただの現状肯定だ。それじゃだめだ。生命教と同じじゃないか?

>ある程度の境地にあって、世俗と勝義を分けてるような行者に対しての言葉だよ。

  ↑ 
ふ〜ん。その境地の人は「一休宗純が遺した言葉」(>>832)をどんな風に解釈するわけ?

873神も仏も名無しさん:2010/12/19(日) 19:00:22 ID:lc+0clFN
>>869
ニコ動には、数多の「演奏してみた」動画、「歌ってみた」動画、「ゲーム実況」動画等が上がってるが、
それぞれの演奏者等に、どれだけの信者が湧いていると思う?どれだけ「絶対化」「神格化」が爲されていると思う?w
信仰や崇拝、絶対化神格化は、何も宗教に限ったことではない。
貴方に、こうした「構図・構造への視線」が決定的に欠けていることは何度も指摘してきましたよねw
そうした構図上、貴方の858は、自らが批判するブランド崇拝となっていると言っているのです。

また、「開祖」の話など誰もしていません。 いつも通りの論点すり替えですねw
だから“プチ仙石”と揶揄するのですよ。
874神も仏も名無しさん:2010/12/19(日) 19:14:36 ID:55YMLpFS
>>873
>信仰や崇拝、絶対化神格化は、何も宗教に限ったことではない。

それは少し違うな。

芸術の場合は、会場から一歩外に出れば、容易に現実に復帰できる。常に批判が
可能であるし、下手だったり、事件を起こしたりすると、熱は忽ち冷める。

宗教では、殺されても、それが出来ない。
875神も仏も名無しさん:2010/12/19(日) 19:58:17 ID:Xmx4rJsJ
>>872
そこに書いたので分かんないなら、説明しても無駄ですから、
説明しませんよ。


876神も仏も名無しさん:2010/12/19(日) 20:12:20 ID:VCsJPFbA
>>874
>宗教では、殺されても、それが出来ない。

宗教はやっぱり恐ろしい!(・・ )コヮ〜
北朝鮮みたい
877神も仏も名無しさん:2010/12/19(日) 20:24:44 ID:VCsJPFbA
>>875
まぁ、不親切な。
只の日本語なのだから説明しても無駄ということはないでしょw

万人に分からなければ万人を説得できるわけがない。
仏教の限界ということでOKですね!

(・・)ノシ
878神も仏も名無しさん:2010/12/19(日) 20:37:00 ID:lc+0clFN
>>874
会場の外へ出てもマンセーしてる人が溢れている現実が見えませんか?w
今触れた分野以外でもあらゆる事案に於いて言えることです。
映画でもそうです。アニメ・漫画でもそうです。小説(作家)でもそうです。
ゲーム機器・オーディオ機器でもそうです。車でもそうです。
政治家でもそうです。学者・評論家でもそうです。
歌手・アーティスト、俳優・芸能人でもそうです。(これが特に酷いw)
会場の外でどれだけ盲信が続いているかは、(2chが特に顕著ですが)
掲示板等、意見がぶつかり合う場に於いて明らかでしょう?
貴方も2ch暦長いのでしょう?
音楽系の板、スレに於いて、どれだけ浅ましいやりとりがなされているか・・w

>それは少し違うな。
枝葉の部分で多少の差異はあるでしょう。しかし、根幹、骨格として相似形であると言っているのです。
そうした、各場面での「捨象すべき」細目を拾い上げるなら、
カテゴライズできる事象など、この世に何一つとしてありゃしませんよw
879神も仏も名無しさん:2010/12/19(日) 20:53:24 ID:Xmx4rJsJ
>>877
仏教は万人向けの教えではないですよ。

普遍妥当性とか皆に遍満しているコモンセンスなんて認めませんから、
それぞれの人に合わせて説くだけ。

そういう境地にない人や、聞こうとする態度ができてない人には説かないのです。
880神も仏も名無しさん:2010/12/20(月) 00:01:33 ID:i8Cy3dVT
>>878
宗教とは異なり、芸術上・学問上の争いで「殺し合う」ことはない。
881神も仏も名無しさん:2010/12/20(月) 01:25:39 ID:i8Cy3dVT
>>679
>普遍妥当性とか皆に遍満しているコモンセンスなんて認めませんから、

根拠は皆無ということか。それでは、狂人のたわ言と同じ。人前で口走るな。
882神も仏も名無しさん:2010/12/20(月) 03:27:12 ID:bE2yTPaY

おまけ商売にまでして人を惑わしてる → 詐欺みたい〜(・・;)

>釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはすかな
>南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ

↑ 一休宗純さんの言葉通りですね!(>>832
883神も仏も名無しさん:2010/12/20(月) 06:30:46 ID:su1rEhKQ
>>877の訂正
>万人に分からなければ万人を説得できるわけがない。
>仏教の限界ということでOKですね!
  ↑ 
ご隠居氏が認めておられる龍樹の関係性は、この限りではないカモ
仏教の中にもいろいろあるのをすっかり忘れてた。o(_ _*)o
884神も仏も名無しさん:2010/12/20(月) 07:11:45 ID:NrXLkKuT
>>883
>ご隠居氏が認めておられる龍樹の関係性は、この限りではないカモ

お、生命教徒か、教祖よかったね。信者らしい。
885神も仏も名無しさん:2010/12/20(月) 08:32:40 ID:gPooSaEu
テンプレより引用。
>*「議論の白熱化、専門化」「話題の拡散、変異」「売り言葉に買い言葉のような応酬」
> 等の事態が生じましたら、関係各位は“自発的に”速やかに
> 他スレ・該当スレへ移るか、ふさわしい新スレを建てるかなどして、
> 『質問し易い雰囲気』作りに御協力ください。

誘導

仏教 議論スレッド 8
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1288858978/l50
886神も仏も名無しさん:2010/12/21(火) 11:33:15 ID:ytXluhLZ
平沢進って見性とかしてそうに思われるけど、どうなんだろう
887神も仏も名無しさん:2010/12/21(火) 13:15:12 ID:BAgBWsVv
>>886
してるわけないでしょ。聖なるものへの憧れは感じるけど。
フッシュ・ソング、オランダ・レメント、フローズン・ビーチあたりに
888神も仏も名無しさん:2010/12/21(火) 20:20:27 ID:pMHqFivo
政治的圧力をかけ、社会的に抹殺したい宗教家No.1→アルボムッレ・スマナサーラ。国家をあげて歓迎したい国宝級の宗教家→華厳命たぁ俺のこった
889神も仏も名無しさん:2010/12/22(水) 18:27:46 ID:uKaNEKJp
>>884
すべての人間は「生命教徒」。
勿論君も私もね。いつまでたっても・・・相変わらずのみこみ悪いね!(笑
890神も仏も名無しさん:2010/12/22(水) 20:51:27 ID:+kDOY8nG
>>889
はいはい、ネラ的思いつきどうも、よくやってるよ

相当、重い罪になると思うよ。
891神も仏も名無しさん:2010/12/23(木) 02:24:35 ID:EwH4GUmP
色即是空 空即是色 の 空ってなんだよ。 wikipedia読んでも分からん
892神も仏も名無しさん:2010/12/23(木) 07:00:48 ID:w60D98Pq
浄土思想に興味のある者です。
「無縁の大悲」とは「どんな境遇の者でも救われる」という意味なのでしょうか?
意見をお聞かせください。
893神も仏も名無しさん:2010/12/23(木) 10:16:17 ID:+LPwv1Qv
>>891
何かと言われる本質・実体が無いということが、空。
あらゆることに本質・実体が無いというあり方が、空性。
色など、何かと言語習慣で名指しされる本質・実体は、
言語習慣に従って縁起して仮設されただけのもので、本来は空。

以上が仏教の見解だけど、一般的な素朴実在論では、
名指しされるものは実在して実体があるとされる、それが無明であり、
我執、有身見などと言われる誤った見方だということですね。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/24.html
894神も仏も名無しさん:2010/12/23(木) 10:27:52 ID:+LPwv1Qv
>>892
そうではなく、無縁というのは無所得という意味で、何かと本質をつかみ取って認識してないという意味です。
単純に言えば、分け隔てのない一切平等ということです。
これは慈悲の有り様が偏ったあるものだけへの慈悲でなく、
分け隔てのない一切平等の仏菩薩のような偉大な慈悲という意味です。

http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=search&key=無縁大悲&uop=1&uof=0&ktn=&ai=&np=&nm=
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?key=無縁悲&mode=search&uop=1
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?key=無所得悲&mode=search&uop=1
895旦 ◆HOKKEvxAGE :2010/12/23(木) 11:20:14 ID:SRE3XtXQ
南無妙法蓮華経のみを信じましょう
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1287551516/226-
896神も仏も名無しさん:2010/12/23(木) 12:07:25 ID:D3Po0XRv
>>894
なるほど。
が、(ワシも他人のことは言えんがw)硬いな・・w
少しく言い換えてみる。間違ってたら添削してくれ。

>>892
基本的に、(「人身受け難し、仏法逢い難し」という言葉もありますが)、
「縁ある者」が法(おしえ)と出会い、仏と出会い、僧・菩薩と出会い、それこそ「成仏の機縁を得る」わけですが、
当然、逆のベクトルとして、慈悲の視線もまた、「縁ある者」「出会った者」に対して注がれるのが基本となります。
しかし、それだけでなく、『縁無き衆生、未だ出会っていない衆生に対しても注がれる慈悲』という意味なのでしょう。
 *(だから、その考え方から発する俗語・諺として「縁無き衆生は度し難し」という謂いが存在したりします。
  尤も、これは「一闡提」という考え方から派生しているのでしょうが・・。)
施餓鬼の回向に、「有縁無縁の三界万霊、十方至聖等に祝献す」というフレーズがあります。
これは、「自分と縁のある諸霊にも縁のない諸霊にも・・」ということですが、
同じように、『自身と(直接的)つながりのない者も含めた、生きとし生けるもの全てに対する慈悲』、
894にあるような『「分け隔てなく、分別無く、遍く平等である」「一切衆生を包含する」慈悲(心)』、
(つまり「仏の」「如来の」(完成された、完全な)慈悲)という意味なのでしょう。
当然、「無我」「無私」「無欲」ということとも直結するでしょう。
私利私欲や“はからい”無き、全身丸ごとの慈悲として。

ですから、その意味から敷衍して(→原義・語義ではなく「応用解釈」として)、
《「そうした大悲心が、仏(阿弥陀仏)によって【既に】注がれている」ので、
 892にあるように「 >どんな境遇の者でも救われる 」(→【救われている】)》 という考え方も
アリと言えばアリなんじゃないでしょうか?(この一文は894へも。)

つーか、「無縁の大悲」でぐぐった方が早くね?w
若干の解釈の幅も見られて面白いよ。
897神も仏も名無しさん:2010/12/23(木) 15:02:08 ID:WQuaOdgu
>>896
>『自身と(直接的)つながりのない者も含めた、生きとし生けるもの全てに対する慈悲』

それって「生命教」の中心教義なのですがw。但し、生命教では、「慈悲」とは、「相手
の窮状を目の当たりにして初めて生じる自然の感情(肉体的本能)からの、助けるための
具体的『行動』」です。

「生命」を批判する仏教徒がおられるが、その方々は「無縁の大悲」とは程遠いですね。

なお、「釈迦」をマンセーし、絶対化したら、「無縁の大悲」は有り得ません。
898神も仏も名無しさん:2010/12/23(木) 17:05:42 ID:w60D98Pq
>>894 >>896
参考になりました。
ありがとうございます。

>>897
生命教とはなんですか?
899神も仏も名無しさん:2010/12/23(木) 18:07:03 ID:oqteZuQ8
>>898
>生命教とはなんですか?

宗教を含む、人間のすべての営みの根源は、人間の生物的生命(生存本能)
ですから、すべての人間の共通する唯一の普遍の事実として思考の基盤と
することです。この意味で、生命は、すべての宗教に優先するものです。
死ねば、宗教もやれません。

生命に最大の価値を置くことは、宗教ではなく、人間界における「共生」
のために、その成員一人一人の至上の義務に過ぎません。

「生命『教』」という言葉は、何でも宗教にしたがる宗教者の方々による命名
です。
900神も仏も名無しさん:2010/12/23(木) 19:06:02 ID:xQLlxSvR
>>890
>相当、重い罪になると思うよ
本性丸出し〜、反論出来ないとやはり脅迫しか出来ませんか?

★ <脅しと甘言>は宗教の常套手段! ★ (・・;)

相当、重い罪の詳細をドゾー、
↑ 君の方でしょ、当然にね、→脅してる→立派な犯罪で〜す。
901神も仏も名無しさん:2010/12/23(木) 21:46:02 ID:P7ho1PwM
やっと携帯だけ規制が解除になったわい。
んで、とりあえず一言。
隠居と太鼓持ちのバカタレ。
何か言いたいことがあるなら、議論スレに移りな。
ここは、お前らが書いて良いスレではない。
902神も仏も名無しさん:2010/12/23(木) 22:15:26 ID:XfF+xTGs
>>898
横レスだが、規制解除記念

>生命教とはなんですか?
ご隠居と呼ばれる人(IDをコロコロ変えている。>>871 >>897など)が主張する思想で、
「生命」と言う謎の存在(一般的な語彙の生命とは別の、超自然的な存在)を、すべての根源としています。
ご隠居の発言の、「生命」という単語を、「神」や「霊魂」、「アートマン」、「魂」などに置換しても、何ら違いは生じませんw
その論理構造が、カルト宗教と全く一緒であることを皮肉るため、生命「教」と呼ばれています。
ご本人は、「神」と言う単語の代わりに、「生命」と言う単語を使っているのだから、自分の主張は宗教ではないと言っています。
「問題は、単語の選択ではなく、思考の構造だ」と、何度言っても理解しません。
また、矛盾点を指摘されると、論点をずらしたり、対論者の人格攻撃に走ったり、無視したり、すべての議論が無かったことにして最初の主張に戻るなど、
カルト宗教家と全く同じ行為を繰り返している事からも、「生命教の開祖」などと揶揄されています。
903神も仏も名無しさん:2010/12/23(木) 22:22:35 ID:P7ho1PwM
>>902 に若干補足。

主要な教義として、
1→レイプ、セクハラ肯定
2→実在要件として、人間の知覚の主張

などがありますwww
904神も仏も名無しさん:2010/12/24(金) 00:48:39 ID:/Tnf2I/Q
掛塔の時に、『・・・当道場は、ただ今満衆につき、他道場にお回りください』ってのを真に受けて、
ああそうですか、って帰ったらどういう反応されるの?


905旦 ◆HOKKEvxAGE :2010/12/24(金) 06:22:09 ID:a0ObtTxA
南無妙法蓮華経のみを信じましょう
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1287551516/226-
906旦 ◆HOKKEvxAGE :2010/12/24(金) 06:23:23 ID:a0ObtTxA
南無妙法蓮華経のみを信じましょう
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1287551516/226-
907神も仏も名無しさん:2010/12/24(金) 10:44:28 ID:hIucLtx2
>>904
一、怒号の後その場で、現在は旦過詰まで含めて一連の「儀式」だから帰っては駄目だ、と諭される。
一、お宅のお弟子さんはどうなってるんですか?と自坊へ連絡がいく。
一、挨拶の時点じゃなく、中途の「追い出し」の際に戻ってこなかったら探される。(事故・事件に巻き込まれていたら大変だから)
  同時に自坊へ連絡。(自坊でも不明であったら、捜索願が出される場合も。)

といったようなことが複合的になされると思う。
908神も仏も名無しさん:2010/12/24(金) 17:37:15 ID:sj84Yv1S
>>901
ははは・・・(笑)
それで、「相当、重い罪」の詳細な説明はどうなったの?
909神も仏も名無しさん:2010/12/24(金) 17:39:17 ID:sj84Yv1S
>>902-903
宗教者(仏教者)の宗教擁護のための言いがかりと誤謬ばかり、
ご隠居氏のレスをどうやったらそんな風に解釈できるのか不思議〜

★☆ <神仏 = 人間 = 命 = 自然> ★☆

命を大切にしないからテロや宗教紛争や差別・いじめ・・・が起きる。
自然を大切にしないから、地球温暖化・・・等の危機を招く。

不在・無力の観念の神仏より、【命=神仏】なら、宗教団体への多額の献金は、
干ばつなどの食料難による栄養不足で命を落とす子供達、又、働かなければ
ならない世界中の子供達・・・に行き渡り彼らの命を救うことが出来るでしょう。
910神も仏も名無しさん:2010/12/24(金) 17:53:35 ID:VXB23Wie
>>908 おい、AAバカ。
俺は>>901 だが、お前のバカは全く治ってないな。
誰と勘違いしてるんだ?
俺は規制に巻き込まれてずっと書き込みしてなかったの。
日本語をちゃんと読めるようになってから書き込め。「ここは質問スレで、お前のようなバカが書き込んて良いスレではないの。言いたいことがあるなら議論スレに来い。」と言ってるのがわからないの?
ちゃんと日本語読めてる?
911神も仏も名無しさん:2010/12/25(土) 18:08:36 ID:PMbTU0HT
お〜い
>>890のID:+kDOY8nG氏
外野の口汚い罵倒バカがまとわりついてうるさいから
「相当、重い罪」の詳細な説明早くしなさ〜い。
勝手に脅して逃げないでね!卑劣で感じ悪いからw

>>910氏は以後スルー
912神も仏も名無しさん:2010/12/25(土) 18:21:31 ID:kD1WkI5I
>>890 さんにお願いします。 お分かりとは思いますが、ここは質問スレです。
>>911 のようなバカにレスを返すとそれ自体でスレを荒らすことになってしまいます。
レスを返すことを望まれるのならば、議論スレにてお願いします。
(ただし、このバカは対話自体が成立しませんのでスルーが最も賢明と思います)
913神も仏も名無しさん:2010/12/25(土) 21:05:25 ID:3Q59WcHF
>>912
>ここは質問スレです。

質問スレでも、回答者が少しでも自分の宗教を布教したり、非論理的な回答を
すれば、痛烈な批判の対象となることを覚悟されたし。2chは公共の場である。
カルト布教の場ではない。
914神も仏も名無しさん:2010/12/25(土) 21:23:33 ID:jHgC3uyh
>>913
お前がな
915神も仏も名無しさん:2010/12/26(日) 00:09:51 ID:oxeszJLM
>>890
>相当、重い罪になると思うよ

ふむ・・・その言葉は、「宗教の中に潜む又は巣くう魔物」を感じさせる
916神も仏も名無しさん:2010/12/26(日) 01:08:30 ID:oxeszJLM
>>914
脅した方がカルトに決まってる
カルトに嵌ってそんなことも分からなくなってしまったか
917 ◆4yy3YEx6Zc :2010/12/26(日) 03:46:36 ID:+agZ117f
レイプを肯定するようなキチガイに対しての発言なので、この場合はゆるされると思う。

狐憑きや本当のカルトの人には、
この手の恫喝しかコミュニュケーションの回路が残されていない場合が少なくない

むろん普通の人に恫喝したらチンピラと同じ立場におちるが、
恫喝は御隠居の十八番で充分な”耐性”ができているようであるし、
ここ数年来の挑発に対して今回が初めてなら賞賛にあたいする。
基督教のスレでは御隠居やそれ以外に対するアナテマは珍しくない。

何より奔放主義の御隠居が
”自分だけ例外として宗教的な保護”を求めるのはズル以外の何物でもないと思う。
918神も仏も名無しさん:2010/12/26(日) 07:20:50 ID:YBD8NT/8
結局、宗教者は困ると脅し文句を簡単に口にするが自分では説明もできないし分かってないということ。
無責任に言葉を操って商売にしてるだけだろ→ <脅しと甘言><飴とムチ>
それを追求されると急に偉そうに豹変し、相手をバカだのアラシだの言って逃げてるだけ、
ホント無責任!

答えられないのを誤魔化すために意味のないレスを入れ替わり立ち替わり繰り返してるのは笑える

悔しかったらちゃんと説明してみな→>>890>>908>>911
   ↓
「相当、重い罪」の詳細な説明はどうなったの?
   ↑
ここは質問スレでちゃんと該当してるでしょ→>>912
919神も仏も名無しさん:2010/12/26(日) 08:07:08 ID:90zgIFdb
>>917
キリスト教の聖職者に性犯罪が多発しているのは何故か。

それは、イエスの「淫らな目で女を見たら、心の中で姦淫の罪を犯した。
目玉をくり抜かれる」という恫喝に怯えて、自然の性欲(生命)を抑圧して
いるからである。イエスの誤った「教え」から「内なる神」を取り戻そう
とする、聖職者たちの本能的努力である。

女の嫌いなお坊さんって存在するのかw。
920神も仏も名無しさん:2010/12/26(日) 09:36:46 ID:+iysVbXC
>>919
>女の嫌いなお坊さんって存在するのかw。
あはは・・・(笑
昔から俗世間では女好き・・でも有名でしょう。

>相当、重い罪になると思うよ。
と言うあたり、やはりキリスト教そっくりですが・・・
921神も仏も名無しさん:2010/12/26(日) 13:51:53 ID:sFovL6UY
>899
>すべての人間の共通する唯一の普遍の事実として思考の基盤とすることです。

隠居どの、お久しぶりですね(~o~)

境界例って人格障害があるのですが、これは世間一般では「異常」とされてますが、
じゃあ、何が異常で何が正常なのか?ってことの壁にぶち当たります。
これは深く考察したらの話ですがね・・。

このヒントを解く鍵が、一休の「女子を負ぶって河を渡る」逸話にあるのですが、
まあ、ネットで検索して、
よく調べたら宜しいかと思いまふ。

はっと気づいたときが悟入ですね。頓悟です。
922神も仏も名無しさん:2010/12/26(日) 15:33:28 ID:D5BI482T
>>921
若しかして机師ではありませんか。長らく拝見しないので案じていました。

「まだ釈迦を背負っているのか」「まだイエスを背負っているのか」とは
言えますが、「まだ生命を背負っているのか」とは言えませんね。生命のない
相手に語りかけることは出来ないのですから。

「正常・異常」の区別は、「衆生の平均値からの有意な偏倚」としかいえない
でしょう。

「それにて調う」という師の言葉が好きだったのですが、最近はでませんね。
心境の変化があったのでしょうか。
923神も仏も名無しさん:2010/12/26(日) 17:41:54 ID:sFovL6UY
>>922
境界例が、世間的には異常とされてるのが、人格的時系列の一貫性がないことをいうのですが、
また、
貴殿のように「生命」についての一貫性をつらぬき通すのも異常ということになりまして、
この両者に偏せず!!
を「それにて調ふ」ですね。
ですから・・・
>生命のない 相手に語りかけることは出来ないのですから。

私の語ちる相手は、そもそも生命などある訳はごじゃらんせん。

      <机龍之介・花押>

924神も仏も名無しさん:2010/12/26(日) 20:11:43 ID:3dOtus29
ひょっとして大菩薩峠?「死にたい奴は勝手に死ね!」ズバッ!
925神も仏も名無しさん:2010/12/27(月) 16:32:13 ID:k3ACale7

まぁ、頭でどんなことを妄想し考えていても、
肉体が衰えて停止したら誰でもハイ!オワリ、
もう、オシマイということさ
926神も仏も名無しさん:2010/12/27(月) 17:24:56 ID:Y/TpKZpN
金剛経をネット上で読める場所ないですか
927神も仏も名無しさん:2010/12/27(月) 17:58:05 ID:7AUeq9YQ
928旦 (羽間雅晃 24歳 埼玉 PHS) ◆HOKKEvxAGE :2010/12/29(水) 13:57:42 ID:3qGLvqXt
南無妙法蓮華経を唱えなさい 七
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1293586598/23-
929神も仏も名無しさん:2011/01/01(土) 12:44:24 ID:FkU3y75C
あびらうんけん ぼろーんきりく
あけおめ。
930神も仏も名無しさん:2011/01/02(日) 21:40:50 ID:2UCQ2HkD
>>928
なもべいほれんがけい
931神も仏も名無しさん:2011/01/03(月) 00:17:31 ID:6DraMHV8
今まで無宗教者だったけど仏教を信仰しようと思うんだけど
具体的に何をやればいいの?仏壇の前で毎日合掌したりするだけでいいの?
932神も仏も名無しさん:2011/01/03(月) 00:43:18 ID:3ie59eg5
私も初心者ですがそれ意外に観音菩薩様や地蔵菩薩様とかに行くと良いと言われました。
ただお金を儲けたいとか欲のあるお願いはしないで今日も事故に合わないようにとか病気が良くなりますようにくらいならしても良いと言われました。
ちなみに私は宗教団体には入っておりませんが檀家は曹洞宗です。
あまりネットとかでは書いていいかわからないですが?
933神も仏も名無しさん:2011/01/03(月) 01:32:14 ID:F0jzz19V
曹洞宗なら、坐禅やれば
934神も仏も名無しさん:2011/01/03(月) 02:12:09 ID:NXGXb8NZ
基本的には、仏教徒である人の姿勢は、はじめの段階では懐疑的でなければなりません。
何でもすぐに受け入れて盲信するのではなく、それを分析して調べてみて、
最終的にそれが本当に正しいという、ある種のはっきりした確信を得られたなら、
初めて受け入れるわけです。そしてそれを信じるのです。
935神も仏も名無しさん:2011/01/03(月) 08:07:51 ID:18gYf5Tb
>>931
最初に信頼できる師匠を探すこと

何が信頼できるかは自分で決める

決める自信がなければ最初に本を読んでもいい。

水野弘元『仏教要語の基礎知識』を三回ぐらい読むのがいいと思います。

ダライラマ『智慧の眼を開く』パユットー『仏法』はちゃんとした伝統仏教者の解説で、前者が大乗、後者がテーラワーダです。


936神も仏も名無しさん:2011/01/03(月) 10:14:47 ID:dnKCeu+8
>>931
一般的な理解では仏教は祖先供養のイメージで、葬式宗教と思われるかもしれないけど、
むしろ宗教よりも心理的な哲学、哲学よりも実践行為といったほうが近いんですよね。

阿弥陀如来の本願にすがり救って頂く、浄土宗、浄土真宗。
釈迦の悟りをその修業の追体験から理解することを目指す、禅宗
身・口・意の三つで全身全霊が仏の境地になりきることを目指す、真言宗、天台宗

とりあえず、仏教の大本である釈迦。お釈迦様のさとった経緯や教えを確認してはいかがでしょうか。
「四苦八苦」とか、「五蘊」「十二支縁起」「八正道」とか。。wikipediaなりグーグルなりで意味調べたり。

↓このサイトなんかおすすめ。はじめから読んでいけば、基本的なことがわかると思います。
ttp://oujyouin.com/hotokenomichi.html
937神も仏も名無しさん:2011/01/03(月) 10:28:11 ID:oWQF4daw
>>931
仏教を信仰しようと思った動機によって、やることは変わってきますね。

先祖の供養をしたいのであれば、仏壇の前で毎日合掌することから初めて、
毎朝、ご飯とお水をお供えして、先祖に給仕し、
最終的には、菩提寺の宗派のお経を唱えられるようになればよろしいんじゃないでしょうか。

仏教の修行をしたいのであれば、まずは、菩提寺か、近所のお寺さんに行って、相談してみるのがよろしいかと思います。
最近は、一日修行ツアー的なものもありますしね。

伝統仏教の教義を勉強したいのであれば、今は様々な書物が出ています。
ネットなどだと、オリジナリティー溢れすぎて仏教じゃなくなっているものも多いですので、
上で推薦されたような、伝統的解釈をする著者の本を読むのがよろしいかと。

その他、目指す方向性によって、お勧めは様々あります。
なんにせよ、「何を目指して」仏教を信仰しようと思ったのかを書いて下さらないと、教える方も、方向性が絞れません。
938旦 ◆HOKKEvxAGE :2011/01/04(火) 20:55:18 ID:TtJlkZyX
南無妙法蓮華経を唱えなさい 七
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1293586598/
939タレコミ仙台タレコミナンジャー:2011/01/06(木) 06:25:48 ID:6+MbH2AS
トリに◆JDf9bGHiuNqZが出るまで続けるスレpart1
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/occult/1293966646/4-
940神も仏も名無しさん:2011/01/06(木) 17:42:11 ID:PE6b1M10
【原始仏教】スッタニパータ【最古の仏典】
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/philo/1294074608/
【原始仏教】スッタニパータ【最古の仏典】
941神も仏も名無しさん:2011/01/07(金) 16:52:59 ID:WeHdd6sM
三昧って、固有結界に似てない?周りを塗りつぶしてくところが
942神も仏も名無しさん:2011/01/07(金) 17:18:07 ID:852a9nw0
お遍路用の頭陀袋、あれを普段の生活のショルダーバッグとして使うのは問題ありますか?
943神も仏も名無しさん:2011/01/08(土) 02:42:20 ID:krnZcDB2
         .,          .,,
        / ~-,,        i ~~,i'
       ,/  /        i' ,/      ,,
       /  .,/  ,.     /   ̄ ̄ ̄ ̄ \
    ,、/  /  / ~''フ  ./  .+;―――+  /~
   ./   く   ,/  /   /    'i,   ./  ./
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      .\    ./ ,., '-, /  'i,  V   ,i'
       .>  ./ .く \ ''    ',*   く
   _,,,,/ ∠--'''''   'i,    /  .,,  .\,
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   .'i_,--―''''i  |   .レ ,,-''~  /    \,   .~,;'
        |  | _,,-, i, ._,-'~ /'''--...,,_  ~'''-,,,,/
    .|~~'';*..|  | 'i.  'i, ''~   '-,,,_   ~''-,,
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    ,i .  |  |  |  'i,  'i,   .,,__      ~''
   ,/  | 、|  |  i _,,-'  ./  ~~'''''--..,,_
    ''-,,_ i.. ..|  |  .~   .''--...,__    .~''-..,_
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        |  |              ~''-,/
        ~~~~
944神も仏も名無しさん:2011/01/10(月) 08:53:27 ID:6tmvr+zj
★パナソニック FF式石油暖房機に続く不祥事 田中啓悟(タナソニック陰湿温室ドンキーコング)によるホームレス襲撃事件の概要★
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 まとめサイト http://gazou61.hp.infoseek.co.jp/
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946☆田中啓ゴリラによるホームレス襲撃事件☆:2011/01/12(水) 01:17:48 ID:KM43gkTK
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田中啓ゴリラ 豊島 内定者メッセージ画像 http://respic.net/img/201012/07/165213974137-news2ch110681.jpg
田中啓ゴリラ 豊島 内定者メッセージ画像2 http://blog-imgs-36-origin.fc2.com/m/a/j/majikichisokuhou/20101207074436_1_1.jpg
まとめサイト http://gazou61.hp.infoseek.co.jp/
事件概要 http://www.tanteifile.com/newswatch/2009/10/31_01/index.html
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947神も仏も名無しさん:2011/01/12(水) 01:48:56 ID:NCA8Ny8w
寧ろ考えてファイナルファンタジーの続編が気に為るよねー!?♪。
948神も仏も名無しさん:2011/01/12(水) 07:42:43 ID:9dCdUZOv
949超絶対神:2011/01/12(水) 11:16:21 ID:Uz0U8Xvm
質問です。

真理って何ですか?仏教ではどう考えますか?
全ては空でいいですか?
950神も仏も名無しさん:2011/01/13(木) 03:02:08 ID:uwz2xIhP
バックに次の頁はありますかーーーなんて言ってんだろ?
印象の扱い方、なんて言ってなぁ。周りから固めて、なんてとっくの幾子の口でやりかましてとかいってな。
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 事件概要 http://topics.jp.msn.com/life/photoarticle.aspx?mediaid=275760
 事件概要2 http://www.tanteifile.com/newswatch/2009/10/31_01/index.html

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952神も仏も名無しさん:2011/01/16(日) 08:02:05 ID:A5/42GHg
古代アーリア人の宗教について調べています。
その関係で、弥勒信仰についても調べています。
弥勒信仰の入門書を紹介してください。
あと浄土信仰と弥勒信仰の違いがわかりやすくわかる文献も
あれば紹介してください。
953:2011/01/16(日) 15:28:09 ID:d5dlayaP

  ☆  おすすめの書籍  ☆

新アジア仏教史 01 インド 1
仏教出現の背景
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(2010/04)

新アジア仏教史 02 インド 2
仏教の形成と展開
奈良康明 下田正弘
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新アジア仏教史 03 インド 3
仏典からみた仏教世界
奈良康明 下田正弘
(2010/07)
954神も仏も名無しさん:2011/01/17(月) 09:46:40 ID:cZnBaNyc
すみません、質問させてください。
仏教をかじりだじた者なんで、すっごい初心者の質問になってしまうかもしれませんが
仏教の開祖っていうのが、お釈迦様で、インド近辺の釈迦国の王子様で、人間だったという
ことはわかりました。
そして悟りを開いて、仏様になったと・・・ この仏様というのは如来様と呼ばれている方達ですか?
如来様というのは、数人いますよね? 阿弥陀如来とか、大日如来とか・・・・・・
この如来というのは、やはり元はお釈迦様のように、元は人間だったのですか?
如来の下の位に、菩薩様ってのもいますし、帝釈天のように、「天」っていう方達もいますが
この方達はいったい何者なのですか?

キリスト教とかでいうところの、神の僕(天使)達と同じですか?
955神も仏も名無しさん:2011/01/17(月) 12:48:09 ID:c8iLJy6Y
>>954
如来は人間。
956955:2011/01/17(月) 12:51:53 ID:c8iLJy6Y
追加。
少なくとも、他の宗教の神のように人間とは違う存在ではない。
(ただし、特定の如来を理論的のみの存在としている経典もある。)
957954:2011/01/17(月) 15:14:07 ID:cZnBaNyc
>>956
ありがとうございます。
如来は人間だった人なんですか。
釈迦如来もそうですもんね。
ということは、菩薩も明王も天もみんな元は人間と思ってよろしいでしょうか?

あと如来様なんですが、釈迦如来は二千何百年前までは人間で
その後如来になられたと解釈していますが
その他の如来様は、もっと前から如来だったんですか?
それと人間だった頃の物語とかは、お釈迦様みたいにないのですか?
958神も仏も名無しさん:2011/01/17(月) 16:33:34 ID:c8iLJy6Y
>>957
>如来は人間だった人なんですか。
元が人間なのはもちろんだが、如来と呼ばれても人間なのだ。
・・・仏陀の意味は、悟った「人」。
実在していない如来・菩薩も、仏典では人として扱っている。

明王等は、他の宗教の神が仏教に取り込まれた結果であり、神か人間かは一概には言えない。
959神も仏も名無しさん:2011/01/17(月) 17:45:14 ID:cZnBaNyc
>>958
実在しているのと、存在しない如来や菩薩がいるんですか!
はー・・・勉強になります!!
そして如来になっていても、人間であると・・・ なるほど

明王や天等が、別の宗教にいた方達だったのも、今知りました。
ありがとうございます。

因みに明王が仏教にとりこまれる話がある本ってどんなの読めばいいのですか?
960神も仏も名無しさん:2011/01/17(月) 19:32:14 ID:ye4Nylbg
質問です。
経典の本文のテキストが載っているホームページってありませんか?
使い道としては、Kindleに入れて読みたいのです。(普門品とか証道歌を覚えるために)

説明付きのものは良く見るのですが、経本のように本文(漢文or読み下し)だけのものはないでしょうか?DL販売でもよいのですが
961神も仏も名無しさん:2011/01/18(火) 16:24:12 ID:s1G/LXHq
>>960
ググればたくさんありそうだが。
例えば、妙法蓮華経は、
お経(妙法蓮華経=法華経・妙法蓮華經=法華經) − 日蓮宗 妙福寺
ttp://www.myofukuji.or.jp/okyo/index.html

>>959
・・・ググれよ(たとえば、「明王 wiki」)。
そうすれば、概要だけでもすぐわかる。
それを頼りにさらにググるなり、本屋に走るなり・・・・。
962神も仏も名無しさん:2011/01/18(火) 17:33:56 ID:ZOP2f/y4
釈迦如来は、如来の中では新参者ですか?

リーダーは大日如来ですか?
963神も仏も名無しさん:2011/01/18(火) 18:35:20 ID:h9g14ZqF
その辺りは人間の常識は全て通用しないと思った方がいい

大日如来は時空や佛の全てを含む宇宙全てその物であり、他の存在と切り離して
考える事は出来ない。森羅万象は大日如来の化身である。
釈迦如来は不空成就如来と合一していると言われる。つまり、
「この人が不空成就如来で他に存在しません」という人とか魂は存在しない。
釈迦如来は不空成就如来であり、不空成就如来の一員、又は一部。

不空成就如来は大日如来の一側面を意味しており、他の佛も同様である。
不動明王はアシュク如来の化身であり、一側面でもある。アシュク如来は大日如来の
一面であり、大日如来が人間に見え易い姿になって表れている存在だ。
964神も仏も名無しさん:2011/01/19(水) 00:58:46 ID:QwpRi3Qw
立場が密教か顕教で話が違ってくるのでは?
965神も仏も名無しさん:2011/01/19(水) 14:09:00 ID:cc5QH/ec
森羅万象が大日如来そのものなんですか

なーんかピンとこないなぁ
この世のものあの世のもの、その他全ての存在自体が大日如来というなら
如来という言い方って変ではないかな?
もっと如来とかそういうのを超越した呼び名のほうがいいような気がする
如来のうちの一人ってどうしても思ってしまうよ

人間の常識が通用しないと言われれば、どんなヘンテコな組織構成や呼び名だとしても
あぁそうですか・・・としか言えないけどね(笑)
966神も仏も名無しさん:2011/01/19(水) 14:09:22 ID:q1cD+VD9
実はマハシ瞑想センターで出家準備しているものです。
一様の知識を獲得しようとしているのですが、これでいいの
か わからないです。

パーリ言語のテキストと辞書
アビダンマッタサンガハ
清浄道論の翻訳(ウェブからプリント)
 パユットー『仏法』(南方仏法のパユットー師の本)

ミャンマーの瞑想 (瞑想の阿羅漢果までの順番)

英語2000単語による会話文集(あちらで覚える)

仏教、お経の話、日本の仏教(渡辺という先生の新書、仏教
のアウトライン)

上記テキストやコピーをもっていって、一年ぐらい在家修行 を
して、様子をみて、よければ出家を西沢長老に申し込みたいのです
が、どうなりますでしょうか?意見を募集しています。
967神も仏も名無しさん:2011/01/20(木) 21:48:18 ID:mGabT5RD
そもそも何でくじなの?
968神も仏も名無しさん:2011/01/20(木) 21:49:37 ID:mGabT5RD
>>967 は無視してください
969:2011/01/21(金) 13:24:11 ID:NRB3Jauf

>>966 様へ

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アビダンマ講義シリーズ
第2巻  心の分析
ブッダの実践心理学
アルボムッレ・スマナサーラ  藤本 晃(2006/6)

アビダンマ講義シリーズ
第5巻  業(カルマ)と輪廻の分析
ブッダの実践心理学
アルボムッレ・スマナサーラ  藤本 晃(2009/7)
970:2011/01/21(金) 15:25:19 ID:NRB3Jauf

  ☆  おすすめの書籍  ☆

沙門果経
―仏道を歩む人は瞬時に幸福になる
(初期仏教経典解説シリーズ)
アルボムッレ・スマナサーラ
(2009/05)

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ブッダのことば  スッタニパータ
中村元  (1991/01)

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971神も仏も名無しさん:2011/01/21(金) 15:54:56 ID:mMA/O9H8
>>969
>>970
僕おもうんだけど、スマナサーラを信じきれない。
あと、アビダンマは、ダットサンガハでやるべきだと
思う。あなたが提示した本は、スマナサーラ様の注釈
書で、すごくいいんだけど、読まないと思う。

ダライラマ様は、大乗の人だよね。スッタニパータは、
あっちいけば、元本があると思うんだよね。
972:2011/01/21(金) 16:08:29 ID:NRB3Jauf

> スマナサーラ様の注釈書で、すごくいいんだけど、読まないと思う。

>>971さんは、
アルボムッレ・スマナサーラの書籍を読まなくても
「すごく良い」というのが、わかるのですか?

> ダライラマ様は、大乗の人だよね。
> スッタニパータは、あっちいけば、元本があると思うんだよね。

修行法は、ともかくとして、
教学としては、南伝も、北伝も、チベット伝も、推薦致します
973神も仏も名無しさん:2011/01/21(金) 16:12:57 ID:mMA/O9H8
>>972

わかりました。候補にあげた書籍をとりあえず、
目を通してみます。
ただ、あれだけの分量だと、冥想の合間に読み、
理解できるか疑問です。それなら、クリスナム
ルティに目を通すだけが現実的かな、って思い
ます。

智慧の目を開く、はよく紹介されますから、立ち
読みで確認します。これも図書館で借りる程度で
もっていかないかもしれませんね。
974:2011/01/21(金) 16:29:40 ID:NRB3Jauf

>>973 様へ

ご理解、いただき、まことに、ありがとう、ございました
975神も仏も名無しさん:2011/01/22(土) 01:32:28 ID:2UXz9ARk
どうして釈迦は悟りを開いた後にも
次々と発想と考え方を変え続けたのですか?
経典や宗派が様々ですよね?
なぜ悟った後から、考え方が変わるのですか?
976神も仏も名無しさん:2011/01/22(土) 02:04:46 ID:7DOqRvUU
>>975
少々荒っぽい喩え方をすれば、
「雨が降っていれば傘を差す」
これを基本とした時、「傘を差すこと」そのことは一貫しているが、
「“どのような傘を差すか?”について細かな制約は無い」、ということ。
977神も仏も名無しさん:2011/01/22(土) 02:09:51 ID:7DOqRvUU
>>976
いや、すこし粗すぎるな。
《傘を差すに際して、「どのような傘をどのように差すか?」》
の変遷が仏教の歴史だった、ということ。
(それは、釈尊存命中にしても同様の見方は可能かと思う。)
978神も仏も名無しさん:2011/01/24(月) 07:50:37 ID:XqRf6i5U
実を言うと大乗以外非仏教である。さかさま思考を棄てろ
979神も仏も名無しさん:2011/01/24(月) 07:54:03 ID:XqRf6i5U
いわゆる原始お仏教が「釈尊の真意」とはかけ離れてしまったが故、大乗が起こって起動を正しく修正した。だから大乗以外信じてはダメだ。大乗坊主でなく、大乗経典を信じる事
980神も仏も名無しさん:2011/01/24(月) 07:54:55 ID:XqRf6i5U
そうだ…華厳経が最も釈尊の真意に近い
981南無大師遍照金剛:2011/01/24(月) 13:34:25 ID:LPsV9gwM
シャクソン仏陀の教えに近いとどうなの?
982南無大師遍照金剛:2011/01/24(月) 13:37:08 ID:LPsV9gwM
>>975
言葉を使った説明はいくら言葉を使っても言葉足らずだったから

海というものを言葉で説明するとどのようにでもいくらでも説明のしかたがあるでしょう
983神も仏も名無しさん:2011/01/24(月) 14:20:19 ID:XqRf6i5U
だが、説明の方法がいくら多様でもそれを悪用する外道がいる。華厳経にシンクロしない人間は仏教徒ではないと断言できる
984神も仏も名無しさん:2011/01/24(月) 14:21:53 ID:XqRf6i5U
俺は、もう華厳経以外どうでもよい…ブッダさえ興味ない。目の前で苦しんでいる人々を救う教え以外どうでもよい
985神も仏も名無しさん:2011/01/24(月) 14:23:20 ID:XqRf6i5U
華厳経以外のすべての知識や記憶を今、この瞬間に消してしまえ!ブッダさえ記憶から消え去れ!
986神も仏も名無しさん:2011/01/24(月) 17:08:10 ID:hvIs/iFh
>>984
もし苦しんでいる人間が二乗の境界であったなら、二乗であることを捨てない限り華厳経では救えない。
987神も仏も名無しさん:2011/01/24(月) 17:25:40 ID:XqRf6i5U
ほう…正しい理解だ。しかし二乗の境涯を彼らは容易には捨てられない。よってその場合は法華経の一仏乗が重要となるが、彼らは(上座部)受け入れまい。死して大魚の口に入るだろう…残念だ
988神も仏も名無しさん:2011/01/24(月) 17:29:33 ID:XqRf6i5U
上座部…ペテン師の最後に見る夢はどんなものだろう?…偽善者の最後のいまわの際を見てみたいものだ…阿修羅の世界へ連行されるだろう…
989神も仏も名無しさん:2011/01/24(月) 17:49:46 ID:XqRf6i5U
俺には目に入れても痛くない程可愛い娘がいる。しかし彼女がもし上座部の魔手によって毒されるぐらいなら交通事故にでもあって死んでくれた方がマシだ。大乗を謗るような娘なら、自殺してもらって構わない。大乗経典は絶対ゆえに!菩提心は大乗の命ゆえに!
990神も仏も名無しさん:2011/01/24(月) 17:51:17 ID:XqRf6i5U
アブラハムは神のため、愛する我が子を犠牲にし、信仰の潔白を証明した。俺もそれと同じだ。
991南無大師遍照金剛
('∀')復活汁♪