>>752 一 とっつきにくい考え方ではあるが、聞く耳を持つものも居よう。(b語る喜び)
一 聡い者は、聞いて理解することもあろう。
一 聞くことにより安心(あんじん)を得る物が一人でもいれば、その人のためにもなろう。(d貢献する喜び)
一 もし、より多くの者が理解したならば、社会はずっと良いものになろう。(d貢献する喜び)
以上、慈悲の観点。
一 この考え方は、果たして普遍性を持ちうるだろうか?独りよがりなものでないだろうか?
誰もが理解できることであろうか?私以外理解できないのではないか?(思考内容・手法の普遍性)(d貢献する喜び)
一 外部へ発信することにより、内容が整理・洗練される。(多少結果論ではあるが・・)(b語る喜び)
以上、悟りの論理的側面。
一 自分以外の者と思考を共有することにより、孤独が緩和される。
(勿論、お釈迦さんが寂しがったわけではないが、そうした側面も1%位はあるだろう)(a孤独の解消)
一 この(悟りの)喜びをわかってほしい。分かち合いたい。この(悟りの)喜びを味わって貰いたい。(c与える喜び)
以上、心理的側面。
abcdどれも、心理的に「人間釈尊」を見た場合のもの。
勿論、孤独を厭うたり、喜びを求めるような、言葉通りのものではないが、
シッダッタ本人に聞いても、そうした側面を否定はしないだろう。
ゴータマ・シッダッタも、仏である前に人間なのだから・・・。